#荒木陶窯
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たなごころのフィット感❗️ いつまでも触っていたい❣️ この、湯呑みと蕎麦猪口にまず、驚きました❗️ 銀座の有名蕎麦屋【手打ちそば成富】さん お蕎麦通の間で評価が高い名店ですね❗️私も昨日は行列してみました❗️ まず驚きましたのは、ご主人のうつわ愛❗️ これだ��、そばや、お料理を美味しく演出する器選びにこだわりを感じるお店に出会い、深く感銘しました❗️ 器への心遣い、造詣がめちゃくちゃ深いご主人が選んだ器で、最高の手打ちそばをいただく愉悦のひととき❣️ ポタージュ状のトロントロンのそば湯が、美味〜〜❣️最高のそば湯❗️この猪口で飲むと益々美味〜❗️ こちらのご主人は『陶磁器』にも造詣が深く、供される器のどれをとっても雅趣に富んでいて、うっとりさせられるものばかりあっという間に食べ終わります。濃厚な蕎麦湯は、蕎麦粉を入れて別に作っているようです。 古伊万里の蕎麦猪口は、微妙にゆがみや、表面には窯で焼いた際の不純物がついていたり深い味わいがありますね❗️🔹江戸中期頃のもので、やや小振りなのが、お蕎麦をより美味しく感じさせます。たなごころのフィット感抜群❣️ 唐津焼 藤ノ木土平氏の湯呑み❗️枇杷色の土肌。高台のあたりには、かいらぎが優雅にあります。井戸風仕上げで、お茶が美味しく感じます❗️古唐津特有のデザインがまた、乙❣️最近、私も唐津焼きブームです 三島の豆皿がまた美しい。唐津焼の藤ノ木陽太郎氏の作品。種類があり、斑唐津と青唐津、三島がある。三島の器は刻み込まれた模様が楽しく、ネギとわさびの景色がこんなに絵になるとは❗️ つい、うつわのリポートに熱くなりましたが、お蕎麦もかなり、こだわりを感じます。茨城と北海道の蕎麦粉を使用していて全て十割で打っているそうです。せいろは喉越しよくツルツルと美味しいですが、これは好みですが、もう一つ香りや甘みが欲しいとおもいました❗️つゆとの相性はよかったです。 昨日は、油分を摂りたくない日だったので、次回は必ず季節の天ぷらといただきたいです❣️ #藤ノ木陽太郎個展#黒田陶苑 #古伊万里蕎麦猪口#江戸中期の蕎麦猪口#蕎麦猪口#骨董市#手打ち蕎麦成冨#手打ち蕎麦成富 #銀座ランチ#東銀座ランチ#うつわ好き#うつわのある暮らし #荒川リリー#骨董好き (成富) https://www.instagram.com/p/Cpi4YdIST9f/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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昨年に引き続き、マルヤガーデンズ4階にてグループ展示です。23日は在廊予定です。 #Repost @kagoshimatoku with @use.repost ・・・ イベントのご案内です。 昨年に引き続き、「かごしまの暮らしを彩る器展」をマルヤガーデンズにて開催いたします。 会場では、薩摩焼や薩摩切子を中心に、多様なライフスタイルにあわせた26点のテーブルセッティングや、日々の暮らしに彩りを添える逸品を展示販売いたします。 この機会におうち時間を楽しむためのあなたのお気に入りの器を見つけませんか? 会期:令和4年10月21日(金)〜23日(日) 時間:10時〜20時(最終日は18時まで) 会場:マルヤガーデンズ4階ユナイトメントガーデン(鹿児島市呉服町6-5) 出展者:荒木陶窯、紅葉窯、ファクトリー17、薩摩焼窯元紫陶、美の匠ガラス工房弟子丸、御茶碗屋つきの虫、渓山窯南州工房、城雅典薩摩金襴手絵師実雪(会場での展示順) 主催:公益社団法人鹿児島県特産品協会 @maruyagardens #kagoshima #鹿児島県 #マルヤガーデンズ #maruyagardens #薩摩焼 #薩摩切子 #荒木陶窯 #紅葉窯 #御茶碗屋つきの虫 #ファクトリー17 #美の匠ガラス工房弟子丸 #薩摩焼窯元紫陶 #城雅典 #渓山窯南州工房 #薩摩金襴手絵師実雪 #鹿児島県特産品協会 (マルヤガーデンズ) https://www.instagram.com/p/Cj9gIHRvMFt/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#repost#kagoshima#鹿児島県#マルヤガーデンズ#maruyagardens#薩摩焼#薩摩切子#荒木陶窯#紅葉窯#御茶碗屋つきの虫#ファクトリー17#美の匠ガラス工房弟子丸#薩摩焼窯元紫陶#城雅典#渓山窯南州工房#薩摩���襴手絵師実雪#鹿児島県特産品協会
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昨年に続く2回目の開催となるイベントに参加します。鹿児島のテーブルセッティングとテーブルウエアにぜひご注目ください。 #Repost @kazuyokishita with @use.repost ・・・ 「かごしまの暮らしを彩る器展」は、今週21日金曜日からの開催となります。 会場では、薩摩焼や薩摩切子を中心に、多様なライフスタイルにあわせた26点のテーブルセッティングや、日々の暮らしに彩りを添える逸品を展示販売いたします。 この機会におうち時間を楽しむためのあなたのお気に入りの器を見つけませんか? また、今週末のマルヤガーデンズは、他にもイベントが盛りだくさ���です❗️ ご来場お待ちしております。 会期:令和4年10月21日(金)〜23日(日) 時間:10時〜20時(最終日は18時まで) 会場:マルヤガーデンズ4階ユナイトメントガーデン(鹿児島市呉服町6-5) 出展者:荒木陶窯、紅葉窯、ファクトリー17、薩摩焼窯元紫陶、美の匠ガラス工房弟子丸、御茶碗屋つきの虫、渓山窯南州工房、城雅典薩摩金襴手絵師実雪(会場での展示順) 主催:公益社団法人鹿児島県特産品協会 @maruyagardens #kagoshima #鹿児島県 #マルヤガーデンズ #maruyagardens #薩摩焼 #薩摩切子 #荒木陶窯 #紅葉窯 #御茶碗屋つきの虫 #ファクトリー17 #美の匠ガラス工房弟子丸 #薩摩焼窯元紫陶 #城雅典 #渓山窯南州工房 #薩摩金襴手絵師実雪 #鹿児島県特産品協会 (マルヤガーデンズ) https://www.instagram.com/p/Cj2mbqOvQaG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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🔔「3時のうつわ -プリンとお茶と-」 本日 8/17(水)20:00▶︎▷▶︎ ゆるやか〜に予約スタートします。 [取扱い商品のご紹介📋] 上:niwatoco tea 下:イチサンマル 好みが近いな〜と改めて思ったうつわが、上部がスカラップ状になっているこちらのお鉢でした☺︎ ひょっとすると窯元が同じかもしれません。 ○ 陶器 浅鉢 立杭焼 直径12cm×高さ3cm ユーズド 色ムラあり 欠けなし 在庫2点 各¥800- . ○ 立杭焼 小鉢 陶器 直径13cm×高さ5cm ユーズド 色ムラあり 欠けなし 在庫4点 各¥1000- . ------------------------ 9月の限定企画お知らせ🍮 「3時のうつわ -プリンとお茶と-」 プリンとお茶の時間を楽しめる 一日限定のうつわショップをオープンします。 🗓開催日: 2022年9月15日(木) 🕰時間: 10:30-11:30 (4名) 12:00-13:00 (4名) 13:30-14:30 (4名) 15:00-16:00 (4名) おやつセットの数量に限りがございますため、各回定員4名です。混雑を避けるため事前予約制といたします。 📋予約開始日: 8月17日(水) 20:00よりスタート! イチサンマル DMにて受付いたします。 お名前・お電話番号・ご希望時間をご連絡ください。 こちらからの返信をもって予約完了といたします。 🏡場所: F♭LAT @flat_kojinsan 2Fにて 兵庫県宝塚市清荒神3-14-16 🍴イートインメニュー: おやつセット[プリン&限定ブレンドティー] 1名様 ¥850 特製プリン 🍮made by ヨメット @flat_kojinsan 限定ブレンドティー🌱プリンとの相性抜群♪ @niwatocotea 🎪取扱いアイテム: ⚫︎うつわ ¥500〜 (1名様 2点まで購入可能) プリンを盛り付けできるうつわを中心にラインナップ。 ご希望の方にはご購入のうつわでご提供いたします🍮 ⚫︎エプロン @130_ichisanmaru ⚫︎お持ち帰り用ティーバッグ @niwatocotea ........ この10年で引越しを何度か重ね、身の回りを整える中でうつわの入った開かずの箱が増えていきました。 画面越しではなくお会いする形で、次にうつわを使ってくださる方との輪を広げていけたら… そんな思いをエプロンユーザーF♭LAT夫妻にお話ししたご縁から、一日限定のうつわショップをオープンする運びとなりました。 限られたおやつの時間ではありますが、モノとモノを引き渡すだけの場ではなく、ヒトとヒトとの新たな出会いの場に繋がりましたらとても嬉しいです。 今回、イチサンマルとniwatoco teaがこれまで大切に愛用してきたうつわの中から、愛着のあるモノ、譲り受けたモノなど… あたたかさが感じられる、昭和時代の日本製ガラスや磁器が主で、ユーズド、未使用品のミックスでご用意。 15:00【3時】の回には、レアな掘り出しものが並ぶかも♪ どうぞうつわとおやつの時間を楽しみに足をお運びください。 ........ ☆お買い物バッグのご持参をお願いいたします。 ☆予約状況やイベント最新情報は、イチサンマルInstagramにてご確認ください。 #3時のうつわ -プリンとお茶と- #限定うつわショップ #うつわ #繋ぐ企画 #9月 #陶器 #信楽焼 #伊賀焼 #宝塚 #flat_kojinsan #フラット #八重山そばのお店 #プリン #niwatocotea #ニワトコティー #ブレンドティー #tea #ichisanmaru #イチサンマル #エプロン #apron https://www.instagram.com/p/ChWIiBQP6cw/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Syale Kutani FLOWER / UTUSI 原嶋亮輔デザイン 九谷焼の技法を用いながら新しいあり方や、デザインで“遊ぶ(=洒落)”「Syale Kutani/シャレクタニ」シリーズ。 - FLOWER 厚く挽いた九谷焼はどんなものになるだろうか。そんな想像をしていたある日のスケッチをカタチにした花器です。図面に書き起こした時にはシンプルで工業的な線でしたが、土という素材の性質と職人の手技を経て不思議な魅力を感じるモノになりました。 https://www.niguramu.jp/products/184skfl/ - UTUSI 漆器の産地・加賀市山中温泉町で、お椀を挽くために作られる「荒挽き」と呼ばれる加工された木材。“道具”になる手前の無作為なカタチに美しさを感じ、九谷焼の窯元で陶磁器に置き換えた「写し」として作られました。 https://www.niguramu.jp/products/184skut/ - #原嶋亮輔 #ryosukeharashima #花 #flower #花器 #vase #flowervase #flowerpot #flowerbowl #kutani #porcelain #kutaniyaki #kutaniware #japanesecrafts #design #art #simple #experimental #interior #lifestyle #tool #syalekutani #kogei #九谷焼 #山中漆器 #陶磁器 #貫入 #インテリア #工芸 https://www.niguramu.jp/manuf/0184-harashima/ https://www.instagram.com/p/CY0lbupL3VA/?utm_medium=tumblr
#原嶋亮輔#ryosukeharashima#花#flower#花器#vase#flowervase#flowerpot#flowerbowl#kutani#porcelain#kutaniyaki#kutaniware#japanesecrafts#design#art#simple#experimental#interior#lifestyle#tool#syalekutani#kogei#九谷焼#山中漆器#陶磁器#貫入#インテリア#工芸
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ななラボ 七輪陶芸研究所
ななラボ 七輪陶芸研究所 会期 : 2020年12月12日(土)、12月13日(日) 時間 : 13:00-19:00 (雨天決行、荒天中止) 料金 : 入場無料 会場 : VOU/棒 屋上 . 鮎川奈央子、宇野湧、黒木結の3名の作家によるイベント 「ななラボ 七輪陶芸研究所」を、今回初めて開放するVOU/棒の屋上にて開催いたします。 . 七輪陶芸とは、七輪を窯代わりにして陶芸作品を焼成するローカルな方法です。 宇野は、七輪陶芸をもとにして、陶芸用の窯がなくても作品焼成できる方法を研究し、「デモクラポタリー」として発表しています。 私たちは宇野の「デモクラポタリー」のノウハウを参考にし、自分の環境に合う焼成方法を日々研究しています。 今回、VOU/棒の屋上では自宅で焼成した作品の展示と七輪での焼成を実演します。
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WEB LOPPIS 8月1日(予定!)スタートで準備中です
初めてのWEB開催。 不慣れながらもコツコツと準備作業を進めています。 この度、WEB担当の白井Dよりお許しがでましたので、まだ(予定!)ではありますが、8月1日スタートを目指し、奮闘中です。 (予定!)の!がミソであり、白井Dの苦悩を表しています。 そして冒頭の写真。 岩内町の村本テントさんが作る、サマートートバッグ。 実はわたくしことN村、名店が集結しないのをいいことにWEB LOPPIS開催期間中、イコロの森でこっそりみやげ屋を開店��ることになりました。 ーブログ担当N村のおみやげやさん(仮)ー
みやげ屋の正式名称は突拍子もないタイトルのため、まずは世を忍ぶ仮の姿で告知いたします。
東は網走から西は岩内まで、あたたかくも愉快な作り手さんたちとの出会いは、運転時間の感覚が麻痺するほど楽しいものでした。 おかげで今年6年生になった青い車の走行距離は15万キロ。 どしゃぶりで折れそうなくらいワイパーをフル回転させたり、暴風雪が吹き荒れる高速道路で前に走りながらも横に流されてみたり、ホワイトアウトで生き埋めになりそうになったり・・・ そんな青い車と一緒に出会った、素敵な人、ぬくもりある作品、ときめく風景をご紹介します。 イコロの森「イコロハウス」で8月1日から。 ゆるゆるを始めます。 もちろんわたしも店頭に立つ予定です。 ぜひ遊びにいらしてください。 ※終了日時は追ってお知らせします。
WEB LOPPIS 8月1日(予定)~
ー参加ショップー
【LOPPISモール】
vaasä (フィンランド雑貨) po-to-bo (陶磁器アクセサリー) craft×craft (家具・インテリア) フプの森 (アロマ・コスメ・雑貨) METROCS Sapporo (ヨーロッパ・日本のプロダクト) ito‐made (ハンドメイド子供服 、雑貨) SORRY KOUBOU (オーガニックハーブ化粧品) 丹野製作所+tek (木製文具・玩具など) クドウテツト (木工挽物) lambent(プリントテキスタイル雑貨) ヒシガタ文庫(本と雑貨) SAVON de SIESTA (手作り石鹸) GALLERY PECORANERA (国産ビンテージ雑貨/アート作品) 臼田健二(森のうつわ) ひろいと(ガーデングッズ) sinsin (オリジナルアクセサリー) 北の紙箱やさん モリタ(紙箱の収納雑貨・文具雑貨・ギフトボックス) 35design (家具・インテリア&アウトドア雑貨) 石渡紅茶 (紅茶・ハーブティー ) ノースプレインファーム (乳製品、菓子製品、肉製品 ) NORTH ISLAND BEER (クラフトビール) 寿珈琲 (コーヒー) エシナエトロ (手仕事とお菓子 ) SEED BAGEL&COFFEE COMPANY(ベーグル)
【LOPPISセレクト】
pluie (アクセサリー) 小西木材 (木工クラフト) 絲×Yoshida Leather Works (樹皮細工��革細工) ソロソロ窯 (陶器) CLOCK O’CLOCK ( U.S ヴィンテージ 古着・古雑貨) ドロッピェ (焼菓子とヨーロッパのヴィンテージ食器) 極東shop VOSTOK (極東スーベニール) BONNE FÉE (お菓子) Canvas Cakes (オリジナル焼菓子) ポムメリィ (焼菓子) ちょびりこ。ジャム研究所 (ジャム) The Bird Watching Café カフェ(コーヒー,ホットサンド,シマエナガソフトetc..)オリジナル雑貨、写真集販売
【オンラインワークショップ】
621(ロクニーイチ)・・・スツールのペーパーコード編み イコロの森ヨガ・・・ヨガ
【 同時開催企画 】 ーブログ担当N村のお土産やさん(仮)ー ※売上の10%は寄付となります。
開催日 8月1日~ 9:00~16:00 場所 イコロの森「イコロハウス」
・村本テント(岩内)・・・帆布バッグ ・流氷ガラス館(網走)・・・吹きガラス ・小清水手織りの会(小清水)・・・草木染毛織物 ・阿寒アイヌクラフツ(阿寒湖)・・・木工・その他 ・瀬戸晋(旭川)・・・漆器
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リリー亭は、お魚尽くし❣️ 中トロもってのほかカルパッチョが新鮮でした❗️宮城の郷土料理 はらこ飯が最高です❣️#おうちご飯#お魚尽くし#大トロ#織部焼き#古伊万里#小石原焼 #早川窯#青木良太#高取焼き#うつわ好き#うつわ選び#はらこ飯#おうちごはん記録 #いえごはん #うつわのある暮らし #荒川リリー#lilystudio#陶磁器デザイナー#陶磁器デザイナー荒川リリー #器好き #チーズ天使#キャラクターデザイン#伊賀焼#うつわソムリエ#器ソムリエ https://www.instagram.com/lilyarakawa/p/CYWAN5CFa9i/?utm_medium=tumblr
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明後日8日から3日間、マルヤ4階の展覧会に参加します。珍しく白薩摩だけの出展。デミタスカップやコンポートなど初めて制作したアイテムもあるので、ぜひ覗いてみてください。 ——————————————— 毎年2月に東京で開催されている「テーブルウェア・フェスティバル」に向けて新商品開発に取り組む工房の新作等を紹介する「かごしまの暮らしを彩る器展」を開催いたします。 会場では、薩摩焼や薩摩切子を中心に、多様なライフスタイルにあわせたテーブルセッティングや、日々の暮らしに彩りを添える逸品を展示販売いたします。 この機会におうち時間を楽しむためのあなたのお気に入りの器を見つけませんか? 会期:令和3年10月8日(金)〜10日(日) 時間:10時〜20時(最終日は18時まで) 会場:マルヤガーデンズ4階ユナイトメントガーデン(鹿児島市呉服町6-5) 出展者:荒木陶窯、紅葉窯、御茶碗屋つきの虫、ファクトリー17、美の匠ガラス工房弟子丸、薩摩焼窯元紫陶、利重窯、城雅典、眞窯、渓山窯南州工房、島津興業薩摩ガラス工芸、薩摩金襴手絵師実雪(会場での展示順) 主催:公益社団法人鹿児島県特産品協会 #kagoshima #鹿児島県 #マルヤガーデンズ #薩摩焼 #薩摩切子 #荒木陶窯 #紅葉窯 #御茶碗屋つきの虫 #ファクトリー17 #美の匠ガラス工房弟子丸 #薩摩焼窯元紫陶 #利重窯 #城雅典 #眞窯 #渓山窯南州工房 #薩摩ガラス工芸 #薩摩金襴手絵師実雪 #鹿児島県特産品協会 #白薩摩 (マルヤガーデンズ) https://www.instagram.com/p/CUrvoYWvsUR/?utm_medium=tumblr
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6.秀吉による朝鮮侵攻
問い5:李氏朝鮮中期の状況について>6.秀吉による朝鮮侵攻
目次は こちら
6.秀吉による朝鮮侵攻
豊臣秀吉は日本を統一した後、自信過剰になり中国の明を制圧する妄想に取りつかれました。その時、日本の武将たちはそれがどれだけ無謀であるか分かっても、表面的には誰も反対できませんでした。反対することは自分の城と領域を奪われ殺される危険があったからです。
また、662年の百済の白村江の戦いで、唐と新羅の連合軍に倭国軍が大敗した930年前の記憶は、秀吉には伝わっていなかったものと思われます。
以下、『韓国の歴史教科書』の83~84ページの「倭軍の侵入を撃退する」に従って、その要点を引用します。
【日本では豊臣秀吉が100年余りに渡る戦国時代の混乱を収拾し、統一を成し遂げた。その勢いに乗り、日本は20万の兵を動員して朝鮮を侵略した(1592・壬辰倭乱)。戦争にあらかじめ備えられなかった朝鮮は、戦争初期に日本軍を効果的に防げなかった。宣祖は義州に避難して明に援軍を要請した。日本軍は北上し続けて平壌を占領し、咸鏡道地方まで侵略した。
しかし、義兵が起こり、李舜臣が導く水軍が勝利を繰り返して南海の制海権を掌握した。これにより全羅道の穀倉地帯を守り、日本軍の補給路を断つことができた。
全国各地で起こった義兵は自分の故郷の地形に明るい点を利用し、日本軍に大きな打撃を与えた。戦乱が長期化すると、官軍は戦列を再整備して義兵部隊を官軍に編入させ、組織化した。明の援軍も戦争に加わり、様相が変わった。朝明連合軍は平壌城を奪還し、官軍と民衆が一致して幸州山城などで日本軍をはね除けた。
慶尚道の海岸地方に押し出された日本は休戦を提案した。朝鮮は訓練都監を設置して束五法を実施するなど戦列を整えた。火砲を改良し、鳥銃も造って武器の弱点を補完した。
日本は休戦交渉が決裂すると再び攻撃を始めた(1597・丁酉再乱)。朝鮮と明の連合軍は稗山で日本軍の北上を防いで��に押し出し、李舜臣は鳴梁海戦で大きな勝利をおさめた。戦況が不利になった倭軍は、豊臣秀吉が死ぬと日本に撤収した。】
以上が日本の朝鮮侵略の様子ですが、日本軍が初戦で無人の野を行くように進軍できたのは、火縄銃を持っており、朝鮮側にはその武器がなかったのが大きな理由だと言われています。
しかし、援軍の明軍は火縄銃より火力が優れ直ぐに射撃できるポルトガル砲を持っており、日本軍を圧倒しました。朝鮮の李舜臣の水軍が日本の水軍に百戦百勝したのは、板屋船と言われる優れた戦船と射程距離の長い火砲を持っており、日本の水軍に遠くから攻撃を加えて日本に反撃する隙を与えなかったからであることが知られています。16世紀にはすでに銃や砲や戦艦の優劣が戦いの帰結を左右していたのです。
続いて『韓国の歴史教科書』の84~85ページより引用します。
【壬辰倭乱は国内外に多くの変化をもたらした。朝鮮は日本の侵略を防ぐのに成功したが、長期間の戦争により多くの人々が殺され、飢饉や病気によって人口が大きく減った。土地台帳や戸籍のかなりの部分がなくなって国家財政が窮乏し、農村が荒廃して食料も不足した。倭軍の略奪や放火により仏国寺をはじめ多くの文化財が失われ、数万人が日本に捕虜として連行された。
(中略)
日本でも戦争を起こした豊臣政権が崩れて新しく江戸幕府が開かれた。しかし、日本は戦争中に朝鮮から略奪した様々な書籍や活字、絵画などを通じて性理学をはじめ学問や文化、芸術で発展を遂げることができた。特に朝鮮から連行してきた陶工により、陶磁器の技術を大きく発展させた。】
上の『韓国の歴史教科書』の「倭軍の侵入を撃退する」の記述は、ほぼ史実に従って記されており、他の歴史書と対比しても特に誤りや隠蔽はなく、簡潔に要点を記しています。)
また、江戸幕府を開いた徳川家康は、大軍を率いて九州まで出向いて朝鮮出兵の準備はしていましたが、朝鮮侵略軍には加わっていませんでした。このことは、その後に日本の覇者になり、朝鮮との関係修復に役立ったと思われます。)
さらに、前掲書に記されているように、萩焼・有田焼・薩摩焼など西日本各地の焼物の多くは、朝鮮人陶工が始めたものであるとされています。)
しかし、日本の焼き物の開始年代を調べてみると、『日本歴史・第1巻』の「日本列島の成立と狩猟採集の社会」の45ページには、次のように記しています。
[古本州島では青森県大平山元Ⅰ遺跡の無文土器を最古例として世界最古級の土器(1万6000~1万5000年前)が��現し、それ以降連綿と土器文化が継続するため、この段階から縄文時代に移行することになる。東アジア各地では、中国南部や南シベリア・極東等の一部の地域で、更新世末のこの時期に相互に独立して最古級の土器が出現するが、これら東アジアの土器文化はそれらの地で継続した痕跡が確認できないのに対して、古本州だけが土器文化の継続性を有している点で注目される。]
すなわち、日本列島では1万5000年前頃から、土器が継続して連綿と出土しているのですが、満州や朝鮮や中国を含んだ地域におい���、そうではないのです。
一方、『概説韓国考古学』の「第3章 新石器時代」の43ページには、次のように、記しています。
[韓半島の新石器時代のはじまりを土器の登場とともに定義するならば、済州島高山里遺跡であり、紀元前6300年頃日本で噴火した火山灰より下の最下層から、東北アジア新石器時代草創期の特徴を示す土器と石器が発見されているのが注目される。(中略)しかし、このような遺物は済州島のみで発見されており、旧石器時代の終息から紀元前5000年ころまでの長い時間に存在する確実な資料は、ほとんど何も知られていない。]
また、前掲書の45ページには、韓半島における土器に関して、次のように記しています。
[韓半島を含む東北アジアの新石器時代の土器は、表面に沈線文で装飾した土器が登場し流行する紀元前4千年紀中頃を基準に、大きく二時期に分かれる。韓半島の新石器時代もやはり、紀元前3500年頃に沈線文土器が拡散する以前と以後の段階に分けることができる]]
朝鮮半島で土器が出現するのは紀元前4000年以降であり、日本列島各地で造られ使われていた時期から見て、1万年ほど朝鮮半島での土器の生産・使用開始が遅れていたことが分かります。
以上のことから、土を捏ねて壺形にし、これを焼いて器を作る技術は朝鮮半島から伝達されたものでないことは確実にいえます。
また、https://jpn-wabisabi.com/jp/japan-tougei/には、日本の焼き物に関して、次の記述があります。
[弥生土器:弥生時代(紀元前10世紀頃-紀元後3世紀中頃)には、弥生土器と呼ばれる、薄くて堅い土器がつくられるようになりました。 須恵器(すえき):古墳時代(3世紀中頃-7世紀頃)中頃から平安時代(794年-1185年)にかけて、須恵器(すえき)と呼ばれる、陶質の土器がつくられるようになりました。別名、祝部土器。渡来人からもたらされた技術で、穴窯を用いて1200度くらいの高温で焼くのが特徴です。青黒色をしています。ろくろを用いて制作することもありました。
奈良三彩(ならさんさい):奈良時代(710年-794年)から平安時代にかけて、中国(当時の唐)で作られていた「唐三彩」を模した、奈良三彩と呼ばれる焼き物が制作されました。正���院に残されている「正倉院三彩」は、奈良三彩の代表的な作品です。]
日本の弥生時代は、朝鮮半島では古朝鮮の時代から漢帝国による直接統治の時代です。その時代から日本には弥生土器といわれる薄くて堅い土器がつくられていました。
また、日本の古墳時代は4~7世紀で、韓半島では新羅が弁韓諸国を併合するために攻撃を仕掛けている時期に当たります。その時に新羅の攻撃を逃れて日本へ渡来した弁韓などの人々の集団の中に、陶工が居たものと推測され、それ以降日本で須恵器が造られるようになったものと思われます。彼らは韓半島を追われて、あるいは自らの意志で日本列島へ渡り、そこで安住の地を見つけて、現在の日本人の一部となったのです。
さらに、「日本は朝鮮から略奪した様々な書籍や活字、絵画などを通じて性理学をはじめ学問や文化、芸術で発展を遂げることができた」との記述が『韓国の歴史教科書』にあり、その通りの面があるといえますが、日本の学問や文化の発展は、それだけの影響ではないと思います。
例えば、『倭国伝』の「倭人」の条には、240年に倭の女王卑弥呼が魏の明帝から倭王に任命され、黄金・白絹・錦・毛織物・刀・鏡を賜り物としてもらった時、倭王は使いに託して上奏文を奉ってお礼を言っていることが記されています。このことは240年時点で、倭国には漢文で上奏文を書ける人がいたことを示しています。
また、中国の正史である『宋書』の「巻九十七・夷蛮」の倭国の条には、425年に宋の太祖文帝に、倭王の賛が使者を遣わして上奏文を奉り、倭の産物を献上したことが記されています。日本では引き続いて五世紀に漢文の上奏文を書ける人が存在していたのです。
さらに、秀吉の朝鮮侵略の900年以上も前から、遣隋使や遣唐使として、先進国である隋や唐の先進技術や文化を求めて、600年頃から894年のおよそ300年間、計23回に渡り日本から遣わされて、たくさんの若者が海を渡って唐から学んでいます。日本からの遣唐使には、留学生や学問僧なども加わり、多いときには約500人におよぶ人々が4隻の船に乗って渡海しました。遣唐使たちは、多くの書籍やすぐれた織物や銀器・陶器・楽器などを数多く持ち帰り、また、唐の先進的な政治制度や国際色豊富な文化を持ち帰り、当時の日本に多大な影響を与えました。中でも知識・情報に対する貪欲さはすさまじく、皇帝から下賜された品々を売り払って、その代価ですべて書籍を購入して積み帰ったと唐の正史に記されるほどでした。
例えば、政治制度では、日本の律令制として唐の制度を見倣って近江令が668年ごろ制定され、飛鳥浄御原令が689年に制定され、本格的な律令法典として大宝律令701年制定されています。一方、朝鮮の統治体制を法制化した『経国大典』は1470年に���布されており、法治国家としては日本が朝鮮よりも769年も早く体制を整えています。
文字に関しては、漢字を表音文字として使い、日本語の文字表記ができる万葉仮名は、652年以前の出土した木簡に記されており、書籍としては712年に記された『古事記』や720年に完成された『日本書紀』や『万葉集』に使われています。この万葉仮名はその後「ひらがな」と「カタカナ」に変化して発展し、両者とも現在まで使われています。
一方、朝鮮には自国の言葉を表記する文字がなく、朝鮮語は文字表記できませんでした。朝鮮の文字は漢文がそのまま使われていたのです。ようやく1446年になって、朝鮮語を表記するハングル文字を李氏朝鮮の第4代国王の世宗が「訓民正音」の名で公布したとされています。自国の言葉を表記する文字を持ったのは、朝鮮は日本の約790年も後になります。
上に記したように、朝鮮から教えられたものがあることを否定はしませんが、文字や法体系のように日本が唐などから導入し、朝鮮よりも約700年も早期に、それを基礎にして自ら発展させたものも有ることは事実です。また、朝鮮は漢文のように中国から導入したものをそのまま使用していたようですが、日本は必要に応じて実情に合わせて、改変して採用していました。また、日本では性理学は広がりませんでした。
その意味で、『韓国の歴史教科書』に「日本は戦争中に朝鮮から略奪した様々な書籍や活字、絵画などを通じて性理学をはじめ学問や文化、芸術で発展を遂げることができた」と記されているのは、それ以前に日本に存在していた多くの焼き物を含む日本文化や芸術や政治制度および文字などの歴史を、韓国の教科書編纂者が知らないのかもしれません。
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木のピザ
木のピザの話の前に・・・、
福邦銀行さん主催のセミナーが舞鶴グランドホテルでありました。
講師は、群馬県のスプリング工場を経営する中里良一先生。
(チラシより抜粋)
オイルショックで傾きかけた工場を二代目で立て直し、今に��る経緯を話されました。
オイルショックが勃発した時は、私��まだ4歳。いかほどの荒波が世界に押し寄せたかは全くわかりませんが、日本の町工場は大変だったんですね。
最後に言われたのが、
「夢は追いかけるものではなくて、たぐり寄せるもの。」
どんなことでも、今考えていること、していることの反対を考えると現状を打破できると力説されました。
講演が終わったあと、いつも薪をお世話になているピザ屋さんに立ち寄って、今日の一人反省会。
テキーラサンライズと、店長にお願いしてオリジナルおつまみ。
最近、窯に残った灰を市内の陶芸家に分けて、うわぐすりとして使っていただいてるそうなんです。
山に生まれた木が、丸太→薪→灰→お皿の一部と変わっていく。
「木を余すところなく活かしたい。」という私のポリシーが店長にも共有されていて、とっても嬉しかったです。
店長、奥さんともに祖父が大工さんということもあって、木にあふれたピザ屋さん。
「これからも、しっかりよいピザが焼ける薪を供給していかねば。」
気が引き締まる思いでした。
と、ここまで書いて、私の使命といっては大袈裟ですが、こういうことなのかな、と思いつきました。
「木の勿体ないを伝える。」
いつかは、そのお皿でピザをお客様��出したい、と店長が語っておられました。
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看,毀滅中的老墓──台灣地下文資浩劫紀實
「這區絕對有��誌!」正午的炎陽下,簡史朗跛著肌肉拉傷的腳,走進不久前遷葬的埔里第一公墓,如偵探辦案掃視四周凌亂荒涼的地景,彎下腰,撿起一小片石屑般物件,輕輕拂去上面的塵埃,不起眼的殘片,穿越上千年的時間,向我們顯現台灣中部史前時代的生活斷片。
「這是夾砂陶啊,史前陶的特徵,你有看到小的顆粒嗎?那是石頭,現代的陶土經過水洗讓它很純很細,不會這樣做,因為當年沒有能精密掌控溫度的窯,多是露天燒,燒壞機會很大,所以要加篩過的顆粒處理,都是低溫軟陶,」簡史朗說。一路上他還撿拾了數十件史前器物的殘片,從修整、打磨與使用過的痕跡,辨識出斧鋤、箭簇、陶環等等,與埔里大馬璘遺址出土遺物類似,以相對年代判斷,距今約為1,600到3,000年。
去年(2018)10月,埔里鎮公所突然宣布要將禁葬多年的第一公墓改建為親子運動公園,並迅速發包工程。當怪手一面整地,簡史朗一面在墓區的工地旁到處找「證物」,以工程中發現疑似考古遺址(《文化資產保存法》第57條)的方式,才使得開發單位不得不暫時停工。
歷史一再重演:空間的爭奪、記憶的抹去
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已被遷移的高雄覆鼎金公墓現況。(攝影/曾原信)
「現在全台灣遺址都處於非常不利的地位。這裡明明2004年我們都已經寫成報告,白紙黑字說它是遺址了,在開發之前要有考古的前置作為,但是真的要動工還是無可奈何,必須等到現場都已經被破壞後,工程中出土疑似史前的遺物,才能叫它停工,很奇怪的法,」簡史朗表示。
將近70歲的他,是當地素負盛名的文史工作者,除了是邵族文化的專家,曾為無文字的該族編撰《邵族語典》,更從20年前就參與埔里周遭史前遺址的考古及保存工作。埔里第一公墓所在地的這處小丘,2004年他便與台灣考古學權威中研院史語所研究員劉益昌一起合作,從地表調查確認為新石器時代晚期的覆鼎金遺址(地名源自台灣閩南語「如鍋鼎倒覆之小丘」),除此之外,還是有文字可考的歷史時期後,埔里最早的原住民──埔社(自稱蛤美蘭社)的原居地。
這個內山盆地有歷史以來最古老的主人,在嘉慶19年( 西元1814年)遭到以郭百年為首的武裝漢人墾民越界侵佔土地,近乎被屠殺滅族,事後僅存的族群人丁單薄,引進西部平原的平埔族進來協助開墾後,迅即被數倍大於自身的外族稀釋、同化,消失於歷史的舞台。
「文獻上都很清楚,埔社的原址、郭百年事件、西部平埔族的移居地,都發生在我們現在站立的地方,因此,埔里第一公墓擁有多重文資價值,不只是一處史前文化考古遺址,更是見證族群折衝互動的歷史空間。鎮公所這樣弄,不只無知,也極為粗暴,」簡史朗說。
親子運動公園的美好許諾,改造這片看似不光彩的墓地景觀,將承載上千年的島嶼沉重記憶拋諸腦後,那些關於生存的廝殺、族群的斷裂、史前人類的遺痕,彷彿不再存在。然而,過去跟現在真的如此無關嗎?
卡在文資審議與公園規劃的真空期,如今長滿雜草的荒涼小丘上,撿骨後空盪的墓穴、被棄置風化的墓碑、散落碎石間的新石器時代遺物,間雜著被棄置的垃圾,彷彿一個隱喻,具體再現著,台灣歷史一再重演的,關於空間的爭奪、記憶的抹去。
「清朝時期漢人為爭奪土地一直發生激烈械鬥,當外面已經發展到瓶頸,就往更裡面找,政治與經濟結合成共同利益,郭百年那批人就是勾結官府,擁有武裝與財力的墾團,殺了那麼多人,只被打屁股(杖刑)而已。到了現在,歷史都在重演,政客為了政績、工程利益迅速開發,把歷史的記憶洗掉,遺址不會表示意見、亡者也不會說話,只能任由他搞,」簡史朗嘆道。
鹿港老墓的庶民傳奇,無人知曉也無可挽回
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遭剷��的鹿港第一公墓。(攝影/曾原信)
無獨有偶,在2018年九合一大選前,鹿港第一公墓也因工程的倉促與粗暴,受到地方文史工作者的強烈批判。
彰化縣近年積極發展再生能源,鹿港鎮選定禁葬多年的第一公墓設置太陽能光電系統發電設施,去年中施工單位進場期間,因發現清代墓葬石碑,彰化縣文化局多次請鹿港鎮公所先行調查、確認其他墓碑的文資價值,再繼續施工。
半年過去,2019年1月彰化縣文化局將此地列為暫定古蹟前夕,記者實際走訪,見證鹿港百年發展的第一公墓已成一片荒土,僅剩幾門尚未被怪手挖去的墓碑,三三兩兩在雜草之間,被黃色的塑膠封條圈起猶如刑案現場,偶有骨骸、少數青花瓷破片與玉鐲等陪葬品散落。
「一切是從去年7月挖到『萬善同歸』那塊碑,通報文化局開始,」鹿港文史工作者陳仕賢說,他多年來持續記錄台灣各地的古墓,去年中就曾到現場評估狀況,「後來拿到鹿港鎮公所盤點的帳冊一翻,哇!不得了,被我摺起來200多個清代、日本或重要人物的墳墓。當時文化局有找幾個老師來,我們一致認為不是不能清,希望先進行調查研究,可是鎮公所還是蠻幹,還發生他們的公用事業管理所所長,恣意挑了40幾個,很多要留的,通通被剷平,現在墓碑屍骨無存,實在是!」
無意間出土的萬善同歸以及另一塊「女同歸所」,說明這裡埋葬著由善心人士處理的無名屍骨,上頭清楚刻下年代:同治11年(西元1872年),以及署名「敬義園
乾隆42年(西元1772年)由各鹿港各大商行共同設立��慈善組織,替橫死或無親者下葬,並從事拾字紙、修道路、補橋樑、鳩工興事等義舉,反映早期移民在天災、疫病、械鬥等高風險環境下,民間社會對無名死難者的憫恤與安置。
」造。
「鹿港的歷史某種程度就是台灣的開發史,那些現在留下來的有錢人歷史背後,是更多渡海來台無名無姓的庶民。早期人們詮釋鹿港,都是用商人的角度,而鹿港八郊都有各自所屬的苦力,商人之間透過商場鬥爭,郊行底下苦力彼此之間械鬥,死了就由敬義園幫忙收屍。若這些墳被保留下來,或許能重新翻轉鹿港的詮釋,」前彰化縣文化局局長陳文彬表示。
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鹿港第一公墓的半毀墓園。(攝影/曾原信)
鹿港第一公墓的文資議題,即是在陳文彬任內首度浮上檯面。身為鹿港子弟的他,高度重視這片地景之於鹿港的文化意涵,因為歷史更悠久的墓地,在地人稱為「崙仔頂」的第二公墓──敬義園原本設置「義塚」的所在,在1990年代被當時的鎮長王福入(現任彰化縣縣長王美惠之父)拆除,從上百年層層疊疊墓地挖掘出的骨骸數量驚人,高達7萬餘具,其中一部分可能連同墓碑遷葬到了這裡,這也就是為何挖出刻有敬義園立的碑。
第二公墓現在分別用作體育場、旅館、生態公園,原始墓葬區規模之大可以想見。但當年尚無太多文資保存的概念,除了三座金字塔造型的無主納骨塔,至今還存在老一輩鹿港人的記憶裡,以及一些鄉野傳說,鹿港發展史上最重要的墓地幾乎什麼也沒有留下。
20年後,發展的腳步從鎮中心的第二公墓,來到原屬城鎮邊緣地帶「街尾」的第一公墓。儘管開發名目從公園與飯店變成高科技再生能源,不變的是地狹人稠的台灣對於大片完整土地的渴求。
被嫌惡的逝者空間
埔里、鹿港公墓的清除並非個案。
從2016年到2018年,從北到南此起彼落,台灣許多歷史悠久的墓區,包括新店第一公墓、埔里第一公墓、高雄覆鼎金公墓等皆走向相同結局,被高科技產業園區或公園等象徵更美好的未來願景所取代,而全台灣最古老的台南南山公墓,即將面臨都更開發的風聲更是甚囂塵上。
曾幾何時,生者的城市村鎮與傳統墓地之間,只靠一道模糊的地理界線(城郊、山坡)區隔,兩者共存的狀態日漸消逝,逝者空間及其遺留下來的事物,如今被視為發展的阻礙甚至嫌惡設施。
「一聽到我們要提報古蹟的時候,議員就號召民眾到文資審議現場抗議,說墳墓在這裡讓住戶每天心驚膽戰,小孩子上課要用跑的,所以堅持要清掉。很弔詭,這個墓區從清代就存在,周邊以前都是一大片田,民國6、70年才蓋房子,我們一直覺得這是『先來後到』的問題。」新北市新店區文史工作者施其揚提到當地居民的拒斥,可說是主流���眾對於家旁邊有墓地最典型的反應。
在外國人眼中,「 不只屬於台灣文化、而是世界遺產」
過去2、3年來,施其揚努力透過口述歷史、文獻考證及田野調查,與一些在地人士為保存有百年歷史的新店第一公墓而奔走,儘管有許多證據證明其在北台灣早期開發史的重要意義,仍敵不過新北市要發展「智慧產業園區」的壓力。位在即將興建的裕隆城與北二高中間的百年墓地,已在2018年中被清除殆盡;文資團體提報為古物的65門清代與日治時期墓碑,則大多被文資委員認為藝術價值不高,只有7門列冊。
「那是空白的,沒有故事;但是這裡面,每個墓碑都有它的故事。」新店在地居民高先生一手指著剛鋪上水泥路面的平整坡地,接著再指向儲存在手機裡的家族掃墓老照片,相同的地點,地景卻已徹底不同。
多年來,高先生常一個人來到這片安靜小丘,像是探望老朋友般,拿族譜對照墓碑上的訊息,建構出家族遷移到文山區的軌跡,對這裡情感甚深,「全台灣古墓大量消失當中,把歷史連結都剷除掉,年輕人不知道,反而是老外幫我們關心這些有歷史教育價值的東西,有時真覺得慚愧!」
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長期與James Morris共同記錄全台墓碑的高雄大學西洋語文學系副教授奧利華。(攝影/曾原信)
他口中的「老外」,是最早進到現場搶救墓碑的民間人士:政治大學亞太研究英語學程博士生James Morris,他已於網路募資平台募得資金,撰寫關於新店第一公墓專書:GRASSROOTS HERITAGE – a Taiwan cemetery book。(由於仍有許多人想支持他記錄台灣墓地的寫作計畫,現正進行第二輪募資)
「我來到墓地,望去是一個又一個『祖先』,但台灣人看到的,卻是鬼、鬼、鬼⋯⋯」Morris說,「在台灣沒人想碰這些,可是對我而言不是禁忌,非得有人來做,就我吧,我住在新店、木柵這區4年半,墓地離我很近可以常來。」
「我在此做了很多人類學研究,新店在1920年代經歷一場大水災加上後來快速的都市化發展,許多過去的紀錄都已被毀,整個區域現存最古老的書寫文字,就刻在這座墓園裡。當我來到台灣,我不關心你們的捷運或商場,那些都可以���我的故鄉找到,是這些古老的遺物,才讓台灣如此特別,不只屬於台灣文化,而是世界遺產,一旦消失就永遠消失,再也找不回來,」Morris表示。
4年多來,Morris與長期記錄全台墓碑的高雄大學西洋語文學系副教授奧利華(Oliver Streiter),如唐吉軻德一般,在泥濘坡地上徒手搬運、來來回回以獨輪手推車運送,搶救下30幾門被棄如敝屣的厚重墓碑。而2年前,高先生甚至曾因避免墓碑繼續被怪手破壞,自行將其搬移到工程區外,而被區公所以竊盜罪送辦,最後檢方認定是為保存古物,並無偷竊意圖,而以不起訴處分。
不可逆的破壞:對待遺骨像賣洋蔥
「對鄉土、對祖先遺留下來的東西有熱情,可是沒專業,人家根本不理你!」台南藝術大學藝術史學系教授盧泰康直言,在現行的文資審議制度底下,只憑在地情感認同與對歷史的鄉愁式召喚,並無法說服組成背景駁雜的文資委員,更難撼動主政者的開發意志,須從法治與專業層面,才有可能抵抗近來台灣古老墓地接二連三遭到不可挽回的破壞。
「古墓是一種多重型的文化資產,包含地上的古蹟與歷史建築,地下的考古遺址,脫離現地之後又變成古物,這次鹿港鎮公所一次違反4條《文化資產保護法》,15、33、57、77,全都違反!」盧泰康氣憤地說。
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被剷除的墓地裡,散落地面的先人牙齒。(攝影/曾原信)
「當時去現場看,整個過程都非常草率,起掘前後完全沒有監看,遺骨被放在網袋裡跟賣洋蔥一樣,還有許多牙齒就掉在地上,你知道體質人類學中,牙齒是多重要的的DNA訊息啊,人骨資料能讓我們重建清代台灣中部地區人群發展還有具體生活的樣貌;陪葬品在地上被亂踢亂弄,施工負責人還說,『老師你們要喔?這東西你們拿去』,想到就氣到頭皮發麻!」清華大學人類學研究所副教授邱鴻霖說,他和盧泰康都是去年參與鹿港第一公墓文資會勘與評估的學者,過去半年來不斷呼籲官方和民間,需正視古墓的歷史文化價值遭到破壞的嚴重性。
儘管強力敦促彰化縣文化局介入、��知媒體、引介專業的考古團隊,甚至參與當地座談,兩人發現地方民眾普遍漠然,專業界更是一片噤聲。
在學術與文資的邊陲,明清古墓宛如棄兒
盧泰康指出,「台灣的考古學者大部分只關注史前時代,進入到歷史時期(明清)那條線就斷裂了,學者對於這樣的遺跡遺物是冷感的。」
盧泰康與邱鴻霖的學術生涯,曾參與過台灣少數幾個歷史時期墓葬考古計畫,包括台南水交社、新竹雞卵面,是台灣至今唯二有經過完整調查研究的前清時期墓葬文化,「大多就請土公仔撿骨,該毀的毀掉、物件分掉、古物哄搶,歷史時期的古墓像是棄兒,完全不被當作我們過去的文化資產來看待。所以這也是為什麼從北到南,類似的問題一直出現,因為大家不懂嘛!」盧泰康說。
「鹿港不可挽回的已經太多,我們兩個其實很悲傷,開了6次會努力想幫他們,」邱鴻霖感嘆,「這次事情鬧得這麼大,有很大的象徵意義,希望以後能警惕,《文資法》針對古墓部分一定要確定3種文資的價值和地位(古蹟歷建、遺址、古物),還有罰則問題。每個古墓就像一顆時空膠囊,從體質人類學到物質文化,保存很多屬於我們自己族群、歷史和祖先的各種訊息,每毀掉一個,就消失一個膠囊,在這個島上就那個數,毀掉就沒有了,不會再複製也不會再生,它不會『再死一次』給你看!毀到最後,這個島就沒有過去、沒有祖先,怎麼還會有主體意識?」
弱勢的文化機關,難以約束地方單位執意妄為
深耕本土文化以及參與社會運動多年,前賴和文教基金會執行長周馥儀在去年8月中接替因參選而請辭的陳文彬,成為彰化縣文化局局長時,在短暫的4個月任期中(選後她隨落選的前縣長魏明谷一同去職),完全想不到鹿港第一公墓會朝向如此不可挽回的局面。
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從鹿港第一公墓挖出的骨骸被施工單位堆置,僅以帆布簡單覆蓋,部分骨骸還外露。(攝影/曾原信)
「事後很多人質疑,為何那時沒有第一時間指定暫定古蹟,限制廠商繼續破壞現場?但由於佔地非常廣大,有很多近代的墓混雜,整片指定可能影響民眾遷葬領回先人遺骨,有文資價值墓的數量在一、兩百左右,所以我在處理的時候,一直依據《文資法》第57條的方向去處理,工程開挖過程當中,如發現疑似遺址,必須停工送進文資審議才能夠復工,」周馥儀解釋。
法規的理想與現實的差距無比巨大。鹿港鎮公所一再以行政程序為由遲不提供古墓清冊,並表示找不到專業的考古監看團隊,甚至當專家已要求現場「立即停工」之後持續進行工程。
「廠商在過程中還運用很多政治關係來『溝通』,問我到底什麼時候可以復工;我講得很坦白,與其花時間跟我講,不如趕快找文資專業的團隊。但因為土地屬於鹿港鎮公所,也���他們跟廠商國軒公司簽約,從制度面,文化局的角色是監督單位,我們只能用發文的方式要求鎮公所,」周馥儀說。
時間就這樣拖延下去,等到文化局自行下去「公親變事主」,在去年11月委託團隊做考古監看計畫時,現場已被完全破壞夷平,無可供監看的區域,上千門墓碑與尚未收集清點調查的陪葬品等文物更是猶如人間蒸發。
「大家都罵文化局失責,但是在這裡面關鍵的人消失了,今年初的暫定古蹟之後就彷彿船過水無痕,可是誰要負責?」周馥儀表示,在她卸任之前,以《文資法》裁罰鹿港鎮公所,依《行政程序法》鹿港鎮公所須在20天內敘明理由。
截至目前為止,彰化縣文化局表示已收到鹿港鎮公所回文,還需等待進一步的調查整理與資料補充,並召開審查會後才會決定是否開罰。另外,也正在跟文化部文化資產局申請經費,未來會分別針對暫存在上鎖貨櫃屋裡的挖起物件做清理與編號;還沒起掘的疑似遺址,也要等有經費以後才能進行試掘。
島嶼南北搶救,力求翻轉老墓意義
由於民間忌諱、學術忽視、文化主管機關力有未殆、地方行政單位便宜行事等種種因素,古老墓碑眼看就要隨著土葬文化消逝的當下,從南到北,仍有一小群人,用直接的行動,努力不讓這些印刻在島嶼的記憶消失。
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從高雄覆鼎金公墓搶救下來的墓碑,暫放在海青工商。(攝影/曾原信)
面積廣達45公頃,佔地廣大的高雄覆鼎金公墓在2018年中全區遷葬完成,未來將規劃成為「雙湖森林公園」。在拆除與遷葬過程中,由各行各業市民組成的「地下高雄:覆鼎金掃墓團」,不斷進入這個即將消失的場域,進行文史踏查,並舉辦多場導覽及講座,試圖喚起更多的關注。
當全區即將被清空之前,他們在成千上萬化為碎石灰燼的墓碑中搶救下數十座,與殯葬處協調,運送到左營區的海青工商,其中一位成員曾敏泰是該校歷史老師,經過與學校的溝通與爭取,將這些墓碑放在校史室陳列展示,成為全國唯一的「墓碑展示館」。
「我上課都會帶學生來看,他們問可以摸嗎?當然可以啊,我就希望讓歷史是看得到、碰得到的東西。學生不太會忌諱,未來高中被要求開彈性選修課,所以我下學期會開關於墓碑的課,原本叫作『看你老墓』,後來被學校改掉,最終希望學生��去找自己家族的墓。」曾敏泰說著的同時,一陣子沒聚首的兩位夥伴王大偉與魚頭,如多年好友般自在地把手搭在一座十字架墓碑上,碑面的片假名拼出來是「約翰・威廉・克勞佛」,據他們考證為昭和10年(1935年)病逝於高雄的蘇格蘭籍船員。
環繞著十字架,不同時代(清代、日治、民國)、族群(閩南、外省、西方人,原有一區伊斯蘭墓園則來不及留下)、造型材質(花崗岩、砂岩、洗石子方尖碑、TR磚、印度教神衹磁磚)的墓碑在同一處空間匯聚,具體而微展現這座海港城市多元的文化風貌。
而在島嶼另一頭的新店第一公墓,搶救墓碑的行動也在今年1月中暫告一段落,新店劉氏宗親會出借家族墓地一隅,暫時放置民間爭取保存的114門墓碑。
「這個時刻對我意義非凡,曾經一度覺得將功虧一簣,知道有一個安全的地點,感覺不太真實;4年來我們為了保存這些資產持續戰鬥,然而放在私人墓園並非長久之計。許多人說,『感謝你為台灣所做的』,但仍對墓抱著成見,我們應該要讓它們不只是墓碑,而是和更多人產生連結,讓人們可觸摸、欣賞北台灣現存幾乎最早的書寫文字,」Morris說著的同時,一面拿著掃帚頭,仔細地拂去墓碑上的沙土。
在全台古墓���似遭到最大危機的時刻,卻召喚出一批充滿熱情與使命感的保存者,透過直接的踏查與行動,觸摸那些凝固歷史的石頭、撿拾起埋藏在地表下的時空膠囊,被傳統禁忌與社會慣習隔開的界線消融於無形,生者與逝者回到一種原始、直接、親密的關係,人們與這座島嶼的過去重逢,歷史活在當下,成為未來的基石。
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3月の各地句会報
平成29年3月の特選句
坊城俊樹選
栗林圭魚選 栗林眞知子選 岡田順子選
平成29年3月1日
立待花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
母君と眠る谷倉や実朝忌 越堂
猫塚の文字新しや春日影 輝一
悲しみの大火の空を鳥帰る ただし
夕月を背負ひ北帰の雁の棹 越堂
恋猫の四股ふんばつて突進す 清風
わたつみへ吸ひ込まれゆく牡丹雪 越堂
冴返るレッサーパンダ大脱走 誠
置炬燵妻の無言の座とならん 世詩明
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月2日
三月の月花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
呆気なく素気なく今日東風訪ひ来 牧羊
東風吹くや物音耳に吹き溜り 英子
病む兄に花見約束して別れ 喜代子
椿落つ華やぐ所避けて行く 喜代子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月2日
県民会館花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
蟇穴を出でて天下を伺へる 越堂
水底の蝌蚪の墨痕淋漓たる 龍聲
啓蟄と思ひつ蟻を掃いてをり 清女
歌詠みで武士で僧侶で西行忌 千代子
白梅の蕾百花に魁けて 龍聲
越前の雛に越後の雛あられ 雪
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月3日
鳥取花鳥会(三月三日)
岡田順子選 特選句
春泥の轍の伸びて果樹手入 栄子
芽柳や百羽の鳩の影曳いて 悦子
予備校の窓を洗ひて大試験 都
残る雪三角形に三叉路よ 美智子
気を入るる薄焼卵雛支度 悦子
湖平ら二つ三つ四つ春の島 美智子
あまりにも軽き遺品の紙雛 立子
ふる里は単線の駅糸柳 逸子
咲くやうに朝焼写し春氷 都
春の雪百葉箱へ蛇行あと 悦子
湖北路のそれでも木の芽吹く便り 幹也
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月4日
零の会
坊城俊樹選 特選句
啓蟄の大地守りて地蔵尊 はるか
大椿見上げゆらゆら狂女めく 八之助
仏らはまなこを閉ぢて草芳し 光子
囀に観音様は指丸め 三郎
頂はぬかるんでゐる春の山 鯨
木蓮の充つをくらやみ坂として 鯨
白鷺は吹かれ花屑は流れて 要
蓬摘む野にもののふの悲話を聞く はるか
廃院の跡なだらかに春野なる 佑天
さへづりは枝を漢らは地を揺する 光子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月7日
さくら花鳥句会
栗林眞知子選 特選句
病んでなほふふふと笑む子涅槃西風 登美子
春めくや電車通れば喜ぶ子 裕子
歩む背に遠く小さく春の月 政隆
三つ編みをはらりと解き卒業す 登美子
花冷や猫背になりてペダル踏む あけみ
手のひらに小さきほくろ春の雪 登美子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月10日
芦原花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
霾天を抜けて現れ一輌車 よみ子
春泥や靴跡残る磧石 よみ子
抽出しに香木の香や涅槃西風 よみ子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月13日
武生花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
手を振りて見送る埴輪鳥雲に 越堂
ものの芽に明るき雨のあがりけり 昭子
雛まつりわれを幼くしたりけり 世詩明
足下はすでに暮れをり犬ふぐり ミチ子
黄塵や日輪ほのと暈かむり 昭子
毛並良く恋の猫とも思はれず 雪
鳰一羽もぐりて湖の真つ平 英美子
団欒を覗いて去りぬ雪女 昭女
田の凹み一尺四方蝌蚪の国 のぶ子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月13日
なかみち句会
栗林圭魚選 特選句
元気でとはにかむ笑みと卒業す 秋尚
日直の名前残して卒業す 有有
卒園の言葉並んで聞く瞳 秋尚
香のぎゆつと搗き込まれ行く蓬餅 有有
溢れ出す葉裏の白や蓬籠 有有
卒業歌ぼんやり聞こゆ守衛室 美貴
蓬摘む一人は水に沿ひてなほ 陽子
引鴨や送り出す波荒荒し 有有
引鴨やはるかへ胸を膨らます 有有
鴨引ける川音も無く輝きぬ 貴薫
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月14日
萩花鳥句会
芽柳や人恋ひそめし頃なりき 牛子
海の色沖より変る春しぐれ 小勇
焼きたてのサザエ頰張る娘の優し 祐子
水温む汀の鴫の小走りに 孝士
廊下には少しくたびれシクラメン 七重
落椿並べじやうずと手をたたき 美恵子
芽柳の窓にランタン中華街 健雄
親もまた成長したり卒業す 吉之
九十の母の手を引き春湯船 ゆかり
胸元で眠るみどり子柳の芽 圭三
平成29年3月15日
福井花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
土筆坊上等兵の墓の前 世詩明
青き踏む校舎は山の頂に 昭子
里川の子鴨引きつれ鴨帰る 啓子
啓蟄の穴に差しこむ日の光 よしのり
万葉の歌碑を唱和し青き踏む 松陰
これ以上出来ぬ朝寝と云ふをして 雪
一枚の虚空を春の月飛べり 龍聲
白山を遠く枯野に置き忘れ 龍聲
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月16日
柏翠俳句記念館句会
坊城俊樹選 特選句
春の水式部七橋くぐりけり 雪
色々の声使ひ分け猫の恋 雪
雨音といふ長閑さのある故山 かづを
うらうらと故山は笑ひ初めにけり かづを
鴛鴦の色鮮やかに吊し雛 ただし
ちやんちやんこ鞄に詰めて入院す 阿希
洗濯を干す沖縄の春空へ やす香
恋猫の人にも媚態見せて鳴く 霞牛
笑ふ山映して湖も笑ひたる 霞牛
白煙が黒煙上げるどんど焼 世詩明
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月18日
枡形句会
栗林圭魚選 特選句
小流れに鉄路添ひをり水草生ふ 百合子
木漏れ日に揺るる色あり水草生ふ ゆう子
若鮎の影目で追へぬ疾さかな ゆう子
落椿廃墟となりし団地かな 白陶
閼伽桶の水ひかり春揺らめけり 三無
遡る小鮎の光水に溶け 清子
沈丁花馨し主の亡き門扉 ゆう子
のどけしやぼんやりと富士空に浮き 三無
岸に声さまざま過ぎて水草生ふ ゆう子
がうがうと天空の鳴る東風の森 三無
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月19日
風月句会
坊城俊樹選 特選句
武士へ彼岸卒塔婆の新しく 眞知子
淡き小さき菫に恃む年尾句碑 眞知子
三椏や真言を聞く鞠であり ゆう子
散り来るは残し掃かるる彼岸寺 圭魚
病院の跡やはらかに春の土 佑天
供花なくば彼岸の墓のまた欠けて 眞知子
霾や擬宝珠の上に指の跡 野衣
栗林圭魚選 特選句
彼岸寺仏足石も磨かれて 清子
寄せ墓に落ちて寄らざる赤椿 俊樹
淡き小さき菫に恃む年尾句碑 眞知子
白木蓮風をとらへて鳶高く 清子
はにかみてふくらみすぎるしやぼん玉 千種
貝寄風の一会も句碑の縁なる 炳子
走り根の武張る城跡初桜 千種
一画に残りし句碑や鳥雲に 炳子
奥多摩も富士も都心も遠霞 三無
大寺の甍の空へ辛夷散る 久子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月21日
鯖江花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
着膨れて仕事少しもはかどらず 錦子
日野川の流れ溜りに残り鴨 錦子
二十人僧の衣擦れ施餓鬼寺 信子
雛納め逡巡の機そのままに 昭子
名を書きし白き杖あり涅槃寺 ただし
一山に百の古墳や草おぼろ 越堂
藪椿古墳へたどる獣径 越堂
黒髪を包めり絹のマフラーに 雪
鳶の輪の一円相や村の春 世詩明
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月23日
みどりや花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
ランドセル走れば春の音連れて 清風
不器用に生きる女の四月馬鹿 秋子
堰の色ゆるぎそめたる水温む ただし
渓流の川原に拾ふ落し角 誠
菜の花の村に生れて村に逝く 世詩明
釈迦牟尼の前でマリンバ涅槃寺 ただし
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月23日
九州花鳥会
坊城俊樹選 特選句
さげもんを潜り少女の雛化粧 勝利
月あかり目に薄墨の雛の衣 朝子
灯りなき雛としばし雨の音 朝子
ふつふつと芽の滾り立つ音の中 桂
雛飾る浅蜊の雛もひつそりと 遊佳
川風にぺんぺん草の鳴りさうで 久美子
さげもんの天の川行く雛の舟 勝利
桜爛漫大音響を奏でつつ 桂
店番も置かず名代の土雛 郁子
若き日の私と飾る土雛 洋子
一山は花のねむりの西行忌 喜和
攻窯の炎の勢ふ余寒かな 佐和
家毎に小橋と汲ん場風光る 由紀子
ありつたけ灯して朧夜のフェリー 洋子
くつ箱に男の子の入れし紙雛 友子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月25日
花鳥さざれ会
坊城俊樹選 特選句
寺あれば花の一樹や西行忌 匠
啓蟄の池にも及びささ濁り 越堂
金泥のいたく錆びたる雛屏風 雪
つくばひの水も温むと覚えたる 雪
春蘭の花芽まさぐりゐる漢 越堂
亀鳴くや無口な女傍らに 天空
啓蟄や土の蠢く音を聴く 千代子
法城は七間四面鳥の恋 龍聲
制服に気合を入れて入学す 和子
春の夜や和尚の作るあみだくじ 匠
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年3月26日
花鳥月例会
坊城俊樹選 特選句
襟足に産毛を残し卒業す 鯨
母の像にも遠慮なく春の雨 淸流
花冷えて造花そこそこ褪せてをり 三句
花の雨垂るるにまかす大鳥居 眞理子
萌え立つにあらず木の芽の烟るほど 斉
零戦機には届かざる花便り 炳子
国歌鳴り肉薄きより椿落つ 鯨
花菜雨鳥居を重く滴らせ 小鳥
春雨にすつぽり濡るる下乗札 て津子
春陰の窓積み上ぐる雑居ビル 千種
花の枝の触れて地面は濡れにけり 鯨
リボンシトロン飲む口元や花ぐもり 和子
一灯の洩るる水亭花衣 炳子
疎は疎なるままに柳の空染めて 千種
砂利道の靴音去りぬ白椿 政江
涅槃西風ならば海軍カレーの日 俊樹
竜骨の如く枝垂れて花朧 要
白鳩にいささかの自負招魂祭 炳子
花ミモザ鎖して白百合幼稚園 要
(順不同 特選句のみ掲載)
1月・2月の句会(追記)
平成29年1月14日
札幌花鳥会
坊城俊樹選 特選句
寒の月映して水の動かざる 佳峰
聞き慣れし振り子の音も寒の内 佳峰
虎落笛父の声あり母の声 佳峰
訪ねたき人には逢へず雪をんな 佳峰
ただいまの声はそれぞれ大晦日 のりこ
ぢいちやんの声穏やかに暖炉の火 のりこ
連なりし鳥居貫く寒さかな のりこ
みな口をとがらせてゐるおでんかな のりこ
滑止め���の撒かれし恵方道 親子
ひとつだけ星を残して初御空 みよ子
ひげそりのあとなでてみる初鏡 清
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年2月10日
芦原花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
星生れて獣は目覚め猫の恋 よみ子
深酒や七草粥に母やさし 孝子
立春大吉ランドセル背に揺れ よみ子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年2月18日
札幌花鳥会
坊城俊樹選 特選句
お転婆の手橇おとうと二人載せ 和加
節分や涙をかくす鬼も居て 和加
でこぼこのざらざら愉し雪解道 和加
流氷を操り海を動かせる 岬月
安全の手旗振りゐる雪達磨 岬月
春寒の活字楽しきこと���す 寛子
雪降るや針止まりゐし古時計 寛子
猫の居ぬ座布団だけの冬の部屋 みよ子
何となく中途半端な二月かな みよ子
推敲の窓に近寄る余寒かな 独舟
薄氷にボール落とせば皆喝采 晶子
大人には見えぬ高さの氷柱かな のりこ
(順不同 特選句のみ掲載)
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表面張力シリーズーSurface Tension series
1 はじめに
私は1品から十数個ほど制作する自工房の作品から工場で量産する製品までのものづくりで仕事が成り立ってきた。その作品、製品には形状、装飾技法、製作法の違い等から、現在まで(1)表面張力1992年~(2)呉須象嵌1983~(3)ひとがたの器1966年~(4)WAVEシリーズ1979年~等があり、各シリーズを平行して時代と共に変化させながら、それぞれのシリーズを現在まで作り続けてきた。その都度、新作を個展、日本クラフト展、国内外のコンペ等で現在まで発表している。また自己のオリジナリティーを確認、承知させるためにも、27才より、会社からデザインを依頼されたものには、すべてクライアントの会社名とM,SAKAEGIのデザイナー名を併記して生産してきた。自分の裁量、自己責任によるSAKAEGIブランドで制作、販売や展示するものすべてには、栄木正敏の名、サインを入れている。
企業からデザイン依頼されたものは、廃版することが常ある。廃版と聞くと、これはいいぞと思いながら作ったのに誠に悲しい。自分の裁量によるセルフブランドの作品の場合は、今のところ廃版していない。これは陶磁器産地でデザインしている有利な点の一つである。
私の仕事は、陶磁、プラスチックの食器等のデザインをメインにしている。他に量産タイル、1品制作の陶壁やモニュメント(陶彫刻)、自工房のユニークピース(アートピース)等1品から大量生産まで多岐の品目がある。20代の頃は大、小の食器、タイル工場を点々とする日雇いの陶工であった関係から手工での物作りは当然ながら、石膏型や金型を使用した製品、時には産地の工場との連携による物づくりをおこなって、現在まで続けている。そんなことが他の日本の陶芸家とは少し違う、自分の持ち味(個性)であり、価値があると思っている。
一品や少量作品の制作はもとより、量産を意図した製品デザインであってもいきなり工場で作るのではなく、まず自分の工房内で石膏、粘土等で作りながら立体で考え試作してみる。モデル制作、量産原型の制作から釉薬、顔料の実験、実物の焼成など、自分の体と頭で作り出す作業は納得のいく製品作りにも大切なこと考える。
工房制作の一品(ユニークピース)制作から工場での量産製品(プロダクトデザイン)までが仕事の範疇として実践してきた方が世界にはいる。カイ・フランク、女性のウーラ・プロコぺ、タピオ・ウィルカラ、ティモ・サルパネバ(以上フィンランド)やスティグ・リンドベリー(スウェーデン)。これらの方々は、世界のデザイン史に残る力量のある工芸デザイナーである。
そして、日本では、我が師匠と思っている二人がいる。戦後のテーブルウェアの革新者あり、九州の磁器産地 波佐見より常に世界に発信してきた森正洋。そして小は繊細な練り込み技法のカップから巨大な陶壁やモニュメントの世界的なパイオニアであり、それらの優れた陶の環境造形を日本の各地に多数残し、去っていった會田雄亮のように。
2 石膏原型制作法の開発(Aタイプ)「表面張力シリーズ」について
今回工程写真と作例写真でお見せする石膏原型制作法の「表面張力シリーズ」は、前記の4シリーズのうちの一シリーズであり、1992年のレリーフタイルからこのシリーズが始まった。
他には見ない独自なデザインや陶磁器の表現と用の可能性を求めて、自宅工房で必要から生まれた他に見ない、自分なりの石膏原型制作法である。
表面張力シリーズにはAとBの二つの原型制作の方法のタイプがあるが、今回は特に原型制作法に独自性があると思うAタイプの工程を提示するとしよう。
普通、陶磁器のデザインはスケッチ、三面図、せいぜい実物大1分1石膏モデルの制作で原型師に依頼��、工場での焼成試作を検討する分業で満足しているのが普通である。
私は、陶磁器の形状と装飾の生産工程、制作技術を念頭にデザインしたものは、マケットやモデルだけでなく、ほぼすべての生産原型を作ってきた。石膏原型制方法は、元々ドイツから来た回転体の石膏ろくろが基本である。有機的で緊張感があり、より早く原型が制作出来ないものかと考え、いろいろ実験したのがこのテンションの形を持った今回のAタイプの表面張力シリーズの原型制作法である。
使用する材料:スットキングのような伸縮性の布で、より厚みのあるスポーツ用衣料生地「レオタード」、化��の裏地、木丸棒、鋲、木節粘土、石膏を使用。他にデザインの構想やアイデアにより心材とてピアノ線、合板、金属板などを使用。
3 表面張力シリーズ(Aタイプ)の原型制作工程 壁花器の作例
栄木正敏デザイン研究所にて
(図1)
1) 焼成縮小を考慮したサイズに、ベースとなる石膏板を制作(合板でも可)、その板にこの場合はボタン画鋲や所定のサイズの木丸棒を適宜つける
(図2)
2) 攪拌した石膏の漏れを防ぐ為の化繊裏地を張る。ボタン画鋲で裏に留める。
(図3)
3) 化繊裏地の上にさらに伸縮自在のレオタード生地を張る。画鋲で裏に留める。
4) レオタード生地を張ったテンション構造の原型に4面に土壁を着ける(図4)
5) 石膏を注ぐ(図5)
6) 石膏を粘土枠に充たす(図6)
7) 流した石膏を布製凸型より外す。左は布製凸原型、右は出来た石膏凹型(図7)
8) 右は凹型、凹型にまた土壁を作り、再度、石膏を流す出来た左は凸型の原型(図8)
9) 仕上げて 、原型の完成(量産するときの原型にもなる)(図9)
10) 写真は最初の見本型(10~15ケ可能)。この場合は見本型で制作。(図10)
工場で量産する場合はこの原型をもとにケース(母型)→多数の使用型→鋳込み
11) 充分に乾燥した型に磁器の泥漿(磁器土+水+珪酸ソーダ―)を注ぐ(図11)
12) 一定時間し、着肉→排泥→時間をおいて型より生の作品を取り出す(図12)
多少乾いてから仕上げ→良く乾燥→850度で素焼き→自家製の白セミマット施釉→本焼きゼーゲル9番完倒10番半完倒→窯出し完成、この場合は電気窯還元炎1290度くらい 。
・私は品目により工場では面倒なもの、量産するには不向きな作品 、本人しか出来ない形状模様などの自分なりの技が入っているものは、自工房で制作している。
4 作例
作例の原型制作法にはAタイプとBタイプがある。Aタイプ、Bタイプを掲載。表面張力シリーズの両タイプによる原型制作法から生まれ出た器、花器、照明具、量産レリーフタイル等の各作例である。
・成形方法 図14,15のタイルは工場のプレス成形、図22のユニークピースは手捻り、
他は鋳込み成形である。釉薬はビスク(無釉)、青白磁釉、石灰透明釉など
・壁花器の原型制作の工程例はAタイプの作品です。( 図13の中)
図13 表面張力の壁花器(3点)Aタイプ、磁器 2015年 「日本クラフト展」
図14 TOTO陶壁「ブラーレ」Aタイプ(各部分)、1993年 量産プレス成形,炻器
図15 TOTO陶壁「ブラーレ」Aタイプ(組み合わせ例)、1993年 東京国立近代美術館企画個展2011年「栄木正敏のセラミック・デザイン-リズム&ウェーブ」展
図16 張力のうつわAタイプ、磁器、マット釉 1995年
図17 ボンチャイナランプ「表面張力」Aタイプ、岐阜県現代陶芸美術館蔵、NY・ミュージアムオブアート&デザイン蔵
図18 ボンチャイナランプ「表面張力」Aタイプ 台湾国立台北工芸研究発展中心蔵
・Bタイプの表面張力シリーズはAタイプとは違う別の原型制作法
図19 輪立てBタイプ、磁器、青白磁釉薬、鋳込み成形1995年デザイン2007年製品化
図20 張力の花器Bタイプ、磁器、鋳込み成形、青白磁釉 1995年滋賀県立陶芸の森陶芸館1998年「釉薬の表現と陶芸美」展 同陶芸館蔵、
図21 張力の花器Bタイプ、1995年滋賀県立陶芸の森陶芸館1998年「釉薬の表現と 陶芸美」展 同陶芸館蔵
図22 黒土「輪廻1」表面張力Bタイプ曲面は半乾燥時、瓦用ステンレス撓いのベらとポリ袋で徹底して磨き、平面は荒いサンドペーパーで磨き粗面を作る。曲面と平面、光沢と粗面の対比の造形上は幅45cm下の陶板は幅30cm奥行30cm厚さ2cm手捻りと型起こし
黒土による輪廻転生12個の形で表現、炻器質 (図23)
図23 黒土「輪廻転生2」表面張力Bタイプ 幅1.8m奥行1.8m 手捻りと型起こし
図24 「石清水」花器Bタイプ 2012年 磁器 鋳込み成形 ・アートフェア東京2013(東京国際フォーラム)
図25 「石清水」花器Bタイプ、2012年 鋳込み成形 青白磁釉 2012年「日本クラフト展」
図26 張力輪立て Aタイプ、2016年 鋳込み成形 青白磁釉 2017年5月個展 館游彩
5結びに
1992年から始めた本シリーズは、自分の工房で日々石膏の扱いの中から出来た今までにない原型制作法であると思っている。従来の原型制作法を一度疑っての方法である。正確な図面を描かず大体の大きさを決め、板に丸棒、石膏板、ピアノ線、合板などをよい塩梅を観ながらカットし、台に組み立て、布を張り、石膏を流し、いろいろ実材の実験、考察から出てきたものである。それらの作業から出来た原型は手作りやComputerでは不可能な張力(テンション)と偶然性のある有機的な形と表情となったと思う。
陶磁器デザインの場合、例えば日常の器なら、その使い勝手や機能にあわせて自然に用即美の考えが形に出るものである。この場合は、逆に素朴な造形遊びから出来た新たな形、表情をモチーフとしてどんな用途、どんな作品に仕上げるか、というものである。「自由な形からデザインする」である。
作業しながら手と頭で技法を見つけ、頭の中に作品のイメージを作り、好きな焼き物とその工程から、作品、製品に具現化する。そのような行為は、世に評価されなくてもよい、遊びのようなものである。私のような工作人間としては楽しみな活動=生甲斐となっている。
本シリーズも焼けてがっかり、落胆もあるが、中には、思いもよらず土岐市のタイル工場で製造、商品名のTOTO陶壁ブラーレ(TOTO機器ブランド)として量産されて10年以上もTOTOカタログに掲載、販売実績のあるレリーフタイルも含まれている。また時には内外の美術館に収蔵され、公募展でのいくつかの受賞もある。
「表面張力シリーズ」の国内外のコンクール出品例
1992年 国際陶磁器展美濃 入選(表面張力シリーズタイル)
1993年 日本デザインコミッティー・デザインフォーラム公募展 佳作賞(表面張力
レリーフタイル)
1995年 国際陶磁器展美濃 銀賞受賞(ボンチャイナ照明)
1997年 デザインフォーラム公募展 銅賞受賞(表面張力照明)
2011年 台北世界設計大展-国際工芸デザイン展 創造賞 準クランプリ受賞(照明器具)
6 参考文献
1. 2016年 著書「栄木正敏セラミックプロダクト」SAKAEGI MASATOSHI CERAMIC PRODUCT
発行 風媒社
2. 2011年 個展作品カタログ「栄木正敏のセラミック・デザイン- リズム&ウェー ブ」 諸山正則著、発行 東京国立近代美術館
3. 2010著書「栄木正敏の今の器」栄木正敏デザイン研究所発行
4. 2016年 外舘和子著「日本近現代陶芸史」 阿部出版
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●風景の楽しみ方
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◆しゃっけい【借景】 遠くの山などのけしきを、その庭の一部であるかのように利用してあること。 そういう造園法。 「叡山(えいざん)を―とした庭」 ◆借景 - Wikipedia 借景 借景(しゃっけい、英語: Borrowed scenery、中国語: jièjǐng)は、日本庭園や中国庭園における造園技法のひとつである。伝統的な東アジアのガーデンデザインに見られる「庭園の構成に背景景観を取り入れる」という原則である。 「景観の借用」という用語は中国語を起源としており、17世紀の庭の論文「園冶」でみられる。 庭園外の山や森林などの自然物等を庭園内の風景に背景として取り込むことで、前景の庭園と背景となる借景とを一体化させて景観を形成する手法。庭園外の自然物等についても庭園景観の重要な構成要素とするため、近年の都市開発に際して借景とする山そのものの開発やビルなどの高層建築の建設による景観の変化などについて、借景の破壊という面で紛争が生じることがある。 ◆【京都の借景庭園】借景って何?【今更聞けない】 https://about-kyoto.net/625/ 2015/02/19 - 桜の咲く庭園、紅葉の見事な庭園、様々な庭園が観光客を魅了します。ところでガイドブックやサイトなどでよく目にするのは「借景の庭園が有名」「〇〇山を借景に」などの案内。「借景」とは何か?今回はその正体と魅力について紹介します。 目次 1 借景とは 2 京都の有名な枯山水庭園 2.1 天龍寺 2.2 円通寺 2.3 金閣寺 2.4 高台寺 2.5 鹿王院 3 まとめ ◆借景・景色がきれいの庭園一覧 (148件) | 庭園情報メディア[おにわさん http://bit.ly/3boZfdN 天龍寺庭園など、借景・景色がきれいの庭園を148件をリストで掲載。庭園情報メディア[おにわさん]は庭園巡りをお助けしたいサイト。日本庭園を中心に全47都道府県・1万枚以上の庭園写真と1000箇所の庭園情報、交通アクセスなど観光やガーデンツーリズム ... 日本地図 「おにわさん」では 約1000箇所の日本庭園を 地図からも探せます。 ◆ラコリーナ近江八幡La Collina Omihachiman, Shiga 滋賀県の庭園 > 野洲・近江八幡の庭園 2019年12月26日 http://bit.ly/38edSP9 藤森照信が設計を手掛けた自然に溶け込む建築群と、重野国彦と共に作庭したランドスケープ。 ◆日本庭園の中の「借景」 - 日本庭園こぼれ話 - Gooブログ https://blog.goo.ne.jp/junniwa2010/e/9169c548cd057f9dabd1894455409af5 2017/08/05 - 「借景」とは、文字通り「景を借りる」こと。庭園の外にある山��樹林などの風景を、庭園内の風景として取り込むことにより、庭園の内と外の景色が一体化し、庭園の景に、大きな広がりを持たせることができるという造園手法です。(上:京都・天龍 ... ◆日本における“借景の庭”の最高峰。��圓通寺/京都府京都市] https://www.onestory-media.jp/post/?id=489 アレックス・カーの伝えたい日本の風景100 比叡山を構図に取り入れた借景の庭。 京都の洛北・幡枝(はたえだ)に位置する圓通寺は江戸時代初期、後水尾天皇によって造営された禅寺です。学生時代にはじめて訪れて以来、幾度となく訪れていますが、その時の感動が今なお思い出されます。大切なお客が来たときに必ず案内するのが、比叡山を借景にした、この寺の「枯山水庭園」。借景とは文字通り「景色を借りる」行為であり、背後にある景色を庭園の一部に組み込む手法です。つまりここでは、遠くの山=比叡山を庭園のデザインに取り入れています。以前、京都市内には借景の庭が数多くあったものですが、近年、周辺にビルが乱立してしまったことで、目隠しの壁や垣根が必要となり、みすぼらしくなってしまいました。そうした状況の中でも、圓通寺には見事な借景の庭が残されていて、美しい景色を眺めることができます。まさに傑作といえるでしょう。 ◆けい しょく【景色】 風景。けしき。 「この-を船窓よりこわごわ望みて/西洋道中膝栗毛 魯文」 ◆け しき【《景色》】 〔「気色」から。近世以降の用字〕 ① ながめ。風景。特に、自然のながめ。 「 -のいい所」 ② 茶人のいう陶器の見所の一。陶器表面にかけた釉(うわぐすり)の流れ具合や溶け具合、また焼成時の火加減により生じた窯変(ようへん)など、不測の変化をいう。 ◆さん すい 【山水】 一 ( 名 ) ① 山と川。また、自然の景色。 ② 「山水画」に同じ。 ③ 山中を流れる水。やまみず。 〔日葡〕 二 ( 形動ナリ ) ものさびしいさま。みすぼらしいさま。 「今は山も麓に見落とされて-なるありさま/浮世草子・禁短気」 ◆せん すい【山▽水】 「さんすい(山水)」に同じ。 ◆やま みず【山水】 ① 谷川の水。 ② 山と水。さんすい。 ◆さんすい 【山水】 世界宗教用語大事典 中国の思想で自然そのものをいう。これを世界構成の根幹ともし、孔子が「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」といったように、自然安楽の場ともする。蘇東坡は「溪声便ち是れ広長舌、山色豈清浄身に非ざらんや」と詠んだ。広長舌は仏の説法で、清浄身は仏身をいう。 ◆ 【景】 [音] ケイ 〔原義は、日ざし・ひかりの意〕 ① けしき。ようす。 「景趣・景勝・遠景・佳景・光景・風景・夜景」 ② ものごとのありさま。ようす。 「景気・景況」 ③ 大きい。めでたい。 「景雲・景星・景福」 ④ おもむきをそえる。 「景品・景物」 ⑤ あおぐ。したう。 「景仰・景慕」 ◆けい【景】 ① けしき。ながめ。情景。 「眼下の-を賞する」 ② 演劇で、一幕の中を場面によって分けた単位。シーン。 ◆けい かん【景観】 ① けしき。ながめ。特に、すぐれたけしき。 「アルプスの大-に触れる」 ② 〔ドイツ Landschaft〕 人間の視覚によってとらえられる地表面の認識像。山川・植物などの自然景観と、耕地・交通路・市街地などの文化景観に分けられる。 「都市-」 ◆景観 (けいかん) 環境アセスメント用語 景色、眺め。特に優れた景色。景観とは見る主体である人と、見られる対象である環境との視覚的関係であり、自然景観と文化景観に分けられる。 ◆ふう けい【風景】 〔「景」はひかりの意〕 ① 目の前にひろがるながめ。景色。 「田園-」 「窓からの-がすばらしい」 ② その場のようす。情景。 「練習-」 「ほほえましい-」 ◆風景 美術用語辞典 一般的には光景とか景色の意味を持ち、伝統的な絵画ではそうしたものをモチーフに描いたものを風景画と呼んでいる。静物や人物などを、外側から見て描く事が絵画の自然なありようだとする価値観が、二十世紀初頭の画家達によってすでに解体され、眼差しが人の内面やものの存在そのものに向けられている以上、風景だけが眺められるもののままであり続けるはずはない。美術において今や風景は、人間存在そのものも内包する場として意識され、多様な切り口で表現される対象となっている。 ◆ランドスケープ 【landscape】 景観。特に、人工環境と自然環境の調和を目指して構成された外部空間の総合的な景観。 ◆ランドスケープ 河川用語解説集 ランドスケープとは景観のことを言います。河川景観においては、山、水面、植生などの自然物と、それに人為的な作用を受けた土地及び建物や土木構造物から構成されます。 ◆ランドスケープ【英】:lanndscape 造園カタカナ用語辞典 ランド(land)とスケープ(scape)の合成語で風景,眺望,景観などを意味する言葉。 ◆福井・絶景スポットおすすめ16選!ドライブで行こう!定番から穴場まで https://www.jalan.net/rentacar/drive/200000/8517/ 2019年01月7日 東尋坊 日本海に突き出した柱状の断崖が1km余も続く奇観で、輝石安山岩の柱状節理という地質学上にも珍しい奇岩。国の名勝・天然記念物に指定されており、断崖上に荒磯遊歩道(約4km)が続いている。また、すぐ下から観光遊覧船が運航しており、海上から眺める東尋坊もひと味違った見ごたえがある。 東尋坊 所在地 〒913-0064 福井県坂井市三国町 交通アクセス (1)えちぜん鉄道 三国駅からバスで15分 その他情報 規模 :高さ約25m お問い合わせ 0776-43-0753 ホームページ http://kanko-sakai.com/
●かれさんすい【枯山水】 水を用いず、石の組合せや地形の高低などによって山水の趣を表した庭園。 ●枯山水 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/枯山水 枯山水(かれさんすい、かれせんずい)とは日本庭園や日本画の様式・風のひとつである。仮山水(かさんすい)、故山水(ふるさんすい)、乾泉水(あらせんすい)、涸山水(かれさんすい)ともいう。
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