#至福のパイ
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パイサク パイサク – 博多パイサク … 寒くなり始めたので、暑さでまいっていた体も楽になって・・・歩いてプラリバへ。 … 今回は前回プラリバに来た時に気なっていた4種のチーズをブレンドしたクリームたっぷりのサクサクのパイ「パイサク」を購入して帰りました。 … パイの生地がサクサクとしたチーズタルトです。 … … …▶ページは、プロフィールのリンク f-cpc.jp/から … … …パイサク – 博多パイサク https://f-cpc.jp/delicious/yogashi/paisaku … … …follow@cpc_cooking… … … #美味い #うまし #旨い #美味しそう #おいしいもの #美味しゅうございました #美味しかった😋 #美味い店 #甘いもの #あまいもの #甘いもの好き #甘いもの大好き #美味しい時間 #甘党 #しっとり #スイーツ男子 #至福の時 #ほっと一息 #チーズタルト #甘いもの好きな人と繋がりたい #甘いもの食べたい #美味しすぎる #激うま #食スタグラム #パイサク #スイーツ #sweets #food #foods #foodporn
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(2022/8/12金) 連休2日目の晩酌… 連休中は遠出の旅行もなくて、コレがイチバンの楽しみでした…レペゼン #野毛 !の「ビストロアンクール」、限定のテイクアウトお惣菜セットをゲットできたのでした。 いやぁ〜、最高! 特に好きだったのは…鯛のベニエ、イベリコ豚の赤ワイン煮込み(写ってない、ベニエの下にどっさりと)、ライスコロッケ、鶏とねぎのぬた和え、牛サーロインのパイ包み、夏野菜のオムレツ。 デザートにとプリンも付いてて…それだけ別撮りになってお恥ずかしいw…。 もう、至福でした! #bistrouncoeur #uncoeur #ビストロアンクール #アンクール #お惣菜セット #フランスお惣菜セット #鯛のベニエ #ライスコロッケ #ぬた和え #牛サーロインのパイ包み #パイ包み #pudding #プリン #夏野菜のオムレツ #omelette #オムレツ #yum #japan #food #instafood #instadrink #japanesefood #yummy #delicious #foodporn #foodie #dinner #晩酌 (Bistro Un Coeur) https://www.instagram.com/p/ChOBZUfvLBf/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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歌っていうのは、歌わされるものじゃなくて、歌いたくなるものだってことが、ある人々には永遠にわからない。 パイの大きさと皿の数は限られていて、喜びはごく一部の人々にしか与えられません。2部落ちという憂き目は、リーグ戦という喜怒哀楽の9ヶ月間��過ぎたあと、必ず誰かに押しつけられることが決まっています。笑う立場と泣く立場。泣くよりは笑うほうがいいに決まっていますが、自分の人生の中にサッカーボールを抱え込んだからには、ボールの行方に人生が左右されるのは仕方ないことです。サッカーボールは日なたのほうにばかり転がっていくわけではなく、日陰にも、水たまりにも、容赦なく飛び込んでいきます。それに、こんなことを言ってもなんの慰めにもならないと思いますが、失望、落胆、激痛、そういうものも日々の生活をある意味で豊かにするし、ジェットコースターのような週末を何週間にもわたって過ごすことができるのは、サッカーバカにのみ与えられた特権です。ついでに言うと、サッカーなんて所詮サッカーだし、サッカーバカは根っからのバカだから、数ヶ月後には何もかもすっかり忘れ、期待と希望に胸を膨らませてまたスタジアムに足を運べるようになりますよ。 僕が見誤っていたものはいくつもあったと思うが、たぶん一番は、サッカーそのものが持つ魅力、人を惹きつけてやまないその強大な求心力、だったのだと思う。サッカー熱を引き起こすウイルスは一度増殖し始めたら、人類滅亡の日まで、もう誰にも止められない。あるいは、サッカーという名の神様がもたらす陶酔と至福と狂気の世界を知った人間は、もう二度と元の世界には戻れない。 サッカー選手はときに人々を裏切る。豚は誰も裏切らない。 守るに値するだけのものを持っているから、いつまでも守り続ける。もしくは、守るに値するものを持ってしまったから、いつまでも守り続けるしかない。 「サッカーという名の神様」近藤篤
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お取り寄せ(楽天) 希少な桃で話題沸騰★ 厳選白桃のカスタードパイ 桃スイーツ パイ 直径15cm 価格3,980円 (税込)
お取り寄せ(楽天) 希少な桃で話題沸騰★ 厳選白桃のカスタードパイ 桃スイーツ パイ 直径15cm 価格3,980円 (税込) #白桃 #カスタードパイ #パイ #フルーツケーキ #ケーキ #桃スイーツ #お取り寄せ #お取り寄せスイーツ #お取り寄せグルメ #スイーツ #楽天
お取り寄せ伝説。がおすすめの「厳選白桃のカスタードパイ」をご賞味ください。 商品の詳細・購入はこちら ※楽天のサイトへ移動します。 夏季限定。希少な白桃「ふくのもも」をふんだんに使用したピーチパイ。 カスタードクリーム、アーモンドクリームなど異なる味わいが調和することで引き立つ至福のおいしさ。 パイ仕立てで存分に…。 とっても希少な桃を今回は仕入れ先様のご厚意で特別に使わせていただくことになりました。せっかくですからたっぷりと盛りつけてみました。その量なん��300グラム! ジューシーで程よい果肉感がバターの香ばしさやコクと調和することで、更なるおいしさへと昇華します。他では味わうことのできない贅沢な逸品です。「ふくのもも」の名のとおり幸せを感じていただければ幸いです。 まぼろしの桃「ふくのもも(福の桃)」 とってもみずみずしくて繊細な味わい、…
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会社の紹介で購入した「おうちで"ふくしま"応援マルシェセット」が届きました。 ・ままどおる ・檸檬3個入り ・相馬もちパイ ・ハワイアンカレーせんべい ・十種ミックスうまい豆 ・いもくり佐太郎 ・至福の桃グミ 在宅勤務のおともにしています。 「ハワイアンカレーせんべい」が食べ始めると止まらない美味しさで困っています。 あっという間に食べつくしました。 #日本橋ふくしま館 #おうちでふくしま応援マルシェセット #復興支援 https://www.instagram.com/p/CMRmeZcL6D5/?igshid=kkbxpwq21n2v
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すべての単一カロリーに値する15のチートデイレシピ
あなたの喜びは何ですか?フライドチキン?クリーミーポテト?マックとチーズ?チョコレート? 「チート」するつもりなら、それを考慮に入れてください! バターミルクフライドチキンテンダーを味付けしたバターミルクでマリネし、サクサクしたカリカリの完璧さで揚げたこれらの柔らかさは、子供から大人まで同様に愛されています。 マックとチーズ超クリーミーでサクサクのパンコとハーブをトッピングした、これは私のお気に入りの自家製マックとチーズです。 チョコレートクリームパイクッキーの皮、絹のようなチョコレートプリンセンター、枕のようなホイップクリームのトッピングで、このパイはチョコレート愛好家の夢です。 Gail Simmonsのエピックスパゲッティパイスパゲッティパイは身長と食材の両方で印象的な大きな出来事で、空腹の群衆に最適です。 ハニーのココナッツカップケーキ私のgreat祖母の「ハニー」にちなんで名付けられたこれらの昔ながらのココナッツカップケーキは、柔らかくて超ココナッツのようです。 チキンナチョススパイシーなプルロティサリーチキンと不気味な量のチーズを詰め込んだチキンナチョスは、ボリュームたっぷりで満足のいくものです。 チキンポットパイロティサリーチキンと店で買ったパイ生地が、このチキンポットパイの準備を容易にします。 ベイリーズチョコレートトリュフリッチでクリーミー、そして非常にほろ苦いこれらのベイリーズチョコレートトリュフは、純粋ですべてを網羅する至福です。 ブルッキー(ブラウニーとチョコレートチップクッキーバー)ブラウニーバターとチョコレートチップクッキーの生地の霜降り層で作られたブルッキーは、すべての年齢層にとって楽しいおやつです。 キッシュロレーヌベーコン、グリュイエール、エシャロットで作られたこの古典的なキッシュは、ブランチ、ディナー、またはその間のいつでも理想的です。 チョコレートムースフランスの名前にだまされないでください。チョコレートムースは素早く簡単に作れます! 歯ごたえのあるグーイーゴールデンライスクリスピートリートこれらのトースト、ゴールデン、キャラメルのようなライスクリスピートリートは、ブラウンバターと秘密の材料で作られています。 ケンタッキーバターケーキシロップに浸したこの昔ながらのバニラバターケーキは、1963年のピルズベリーベイクオフコンテストの勝者です。 ポテト・オ・グラタンスライスしたポテト、生クリーム、おろしチーズで簡単に作られたポテト・オ・グラタンは、究極の快適な食べ物です。 マーブルケーキこのマーブルケーキは派手に見えるかもしれませんが、その味は昔ながらの良さです。 p p p p
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世相に関する覚書
ものぐさでいい加減な私は人をまとめたり動かしたりするのが極端に苦手な性分で、今でも人と仕事をするのが苦痛で仕方なく、例えば、ある作品の評論を書いてくれと依頼があっても、依頼主の意向を無視したものを書き上げてしまい、折角の仕事の話を頓挫させてしまったことが幾度となくある。
「井原西鶴はスタンダールやバルザックと同じリアリズム文学の創始者であり、当時、大阪はパリに匹敵する文化都市だった、だからこそ、大阪維新の会のような文化���壊をあたかも道徳のように行う政党は決して許してはならない」と書いて、失笑されること数回。十三の風俗嬢とその馴染み客の恋愛を書けば、織田作の模倣に過ぎないと馬鹿にされ、踏んだり蹴ったりの私。それでも井原西鶴や織田作、宇野浩二、武田麟太郎、葛西善蔵、林芙美子を見習い、軽佻浮薄にケラケラ笑いながら私は生きている。
こんな愚図な私はどうにもならん、いくら賞レースに参加したとて、風俗壊乱の下卑た作品しか書けないので、富と名声までは程遠い。いつまで月給取りをしなくてはならないのだと不甲斐ない自身を罵りながら日常を過ごす。
そんな私だから、音楽なんてとうの昔に辞めて正解であった。もともと不器用なんだから音楽なんてそれはとても私の技量にかなうものではなかったのだ。
退屈で無為な学生時代、セカンドスクールだがなんだかに通い詰めたりして「お前は挫折したことないから、そこへ行ってる俺の真剣さなんて分かりっこない」などと威張り散らし、自身の優越を誇示するのに必死な連中との付き合いに疲れ果て、私はそんな窮屈な人間関係から逃れるために読んだスタンダールの「赤と黒」とバルザックの「ゴリオ爺さん」などの古典文学にこそ、私の居場所があった様なものだった。人間の矛盾に満ちた本質など変わりはしないし、それを責めても何も生まれないのだと思うと、多少、卑屈な思いも鎮まるものである。どうにかしてこのクソ退屈で屈辱に満ちた時間と場面をやり過ごすことしか他はなかったのだ。
そもそも世渡り下手でなにかと不器用な私であったし、といってそれほど学術的に優秀でもない。それに取り柄なんてない。皆の様に明確に目指すものなんてあるわけもない。
私には捉え難いものを追うことしかできず、厄介なことに迷うことでしか多くの物事が分からないのだ。取り返しのつかない失敗と破綻の上に、私の思考が成り立つという厄介さ。
頭のいい方々は羨ましいものだ。路頭に迷い、誰からも必要とされない孤独感や他人との協調が上手いがために疎外感を知らずに、ただ、目の前にある課題をこなすだけで満足そうなのだから。
私の場合はそうはいかない。満足なんてどこにもなく、何かを知れば知るほど、何かをやればやるほど、現実が差し迫って来て、理想は遠く離れていく様に見える。それ故に、常に何かに迫られるような切迫感があって、何処にも落ち着きそうがない。自嘲的にいえば、私はいつまでも年相応の生き方に馴染めず、ただ、当て所なく迷うのだ。放蕩無頼とはよくいったもので、私もそれに近いものがある。
ただ、こんな私でもこれまでの時代は西成の薄暗い商店街の路地裏にいる八卦見にでも見てもらえばよかった。
モーパッサンの「女の一生」の最後、召使いが仕えていた婦人に言うようなことを彼なら答えると分かってる、この言葉を第三者から聞ければ、満足だった。
「結局、未来なんて期待していたほど良くもなく、といって失望していたほどのものでもない」
ところがこんな楽観が成立していた時代が徐々にこの日本から消えつつある。しかもその消失速度はここところ否応無しに増すばかりで、いくら愚図で鈍間な私でも分かる。
実際、私はこのことについて直感的に分かっていたといっていいか。白状するが、大学のキャンパスだろうが、風俗店の受付だろうが、ジャンキーやヤリ目のパリピー野郎ばかりが屯するクラブだろうが、今の職場であろうが、どんなに目を背けても直視せざるを得ない危機が迫っていることだけは分かっていた。
だからといって自身を逞しくしたり資格の勉強をしようとまで思わなんだ。何故って、それは余りにも私には不自然なことだった。所詮、資格なんて役に立たないし、専門性を持てば結局自身の無謬性を過信することとなり大きく判断を見誤るからだ。
例えば、精神科医が大量の薬を出し、多くの薬害を生み出すことは、自身の無謬性を一瞬たりとも疑ったことがない所以ではないか?
かつて私は自身の特殊性ー頭の構造がおかしいのか、頭が時折人との会話や目下の作業についてこれず、注意散漫になって、思考が筋から大きく違う方向へ逸れてしまうーのために、若干精神を病んでしまい、頭に喝を入れるアンフェタミンと精神状態を穏やかにするセロトニンの混合薬欲しさに医者に行ったことがある。そこで医者にこんなことを聞かれた。
「このまま消えたいとかそういった希死念慮はありませんか?」
別に死にたくもないのにどうしてこんなことを聴かれねばならないのかと不貞腐れた私は、
「別にないです。私が欲しいのはただ穏やかさと覚醒だけですがね」
すると、医者はこの答えに不満ありげに、
「おかしいですね?本来なら自殺願望がこういった抑うつ症状の場合にはみられるのですがね…本当はどうです?実際はあるでしょう?」
こう聞く医師の目にどこか見当違いの既視感があるように私には思えてた、抑鬱ならばこの答えではなくては困るといったような、そんな雰囲気を醸し出されており、私は些か困惑した。
まるで鬱に憔悴した人は皆自殺願望でもあるかのように患者に決めつけるところなぞ、なんという傲慢さだろうか。
後々分かったことであるが、私はうつ病でもなければ統合失調症でもなかった。何たる誤診だったろう。こういった行き違いばかりの診察で出された薬に手もつけなかった。私の精神状態が脳の問題であれば、脳波でも見れば良いものを、なんたって本人との面談だけで、あれだけ易々と薬が出せたのだろうか、それが不思議でならなかったのだ。
恐らく医者はその説明を拒むだろう。自身の無謬性に一つでもケチが付けば、彼の自尊心は忽ち崩れ、そして、これまでの経歴を自ら疑わずにはいられなくなる。となると、皮肉なことに、彼こそが向精神薬のお世話になる羽目になるのだ。
ーこうした精神運動が権威と集団に結びつき、少数からの真っ当な非難を論拠なしに厳しい口調や態度で退け続け、悲惨な結末をもたらす自身の行為を改めずに続けること、これをセンメルヴェイス反射という。日本社会に起きている多くの弊害はこうした心理現象に由来するとも言える。他にも合成の誤謬、認知的共同体などが挙げられる。ー
こんな例はいくつもある。
幸か不幸か、私の身内の多くは精神障害者であり、精神科医の被害者である。その多くは医師の言いつけ通りに処方された薬を飲み続け、文字通り、ヴォガネットの作品に出てくる登場人物のように頭がどっかーんとぶっ飛んだ。
通院すればするほど、会話が支離滅裂なものとり、動作がどんどん鈍くなっていく。
その結果、ある者は還暦を前にしてすでに手足の関節の膠着が見られ、自身で排泄と食事すらできなくなるほど衰弱し、その上、会話も成立しない。そして尿道にはチューブが繋がれ、病床に臥したきりになっている。
誰も指摘しないが、これは薬害ではないかと私は思う。
こんなことが頻発しているのであれば、日本の精神医療は最低といっても過言ではない。
地獄への道は善意で彩られているとはよく言ったもので、このほかにも政府や官僚、エリートたちが社会保障の充実のための増税だと、将来世代にツケを残さないためだとかなんとか、美辞麗句ばかり並びたてている。だが、結局、消費税を上げるたびに、日本人は総じて貧乏になり、その供給能力(即ちそれは国家の経済���を指す)は著しく毀損された。
介護医療、土木建設などの生活の根幹をなす業界の現場は、「無駄を減らせ」「民間の知恵を入れろ」との美辞麗句に彩られた合言葉から始まった目的のない緊縮財政と構造改革の煽りで、その運営手段は民営化されたために、作業効率はかえって悪くなり、報酬は減り続けた結果、廃業にまで追い込まれるところが相次ぎ、人手不足で相当悲惨なことになっている。
鈍感ではあったが、世の中が見る見る悪くなると察した私は、将来に向けて努力する同級生を見ても焦りもしなかった。そもそも私が無気力な状態であったことは言うまでもないが、ただ、その焦りは結局、何らかのビジネスに利用されるということを感じたからでもある。
実質賃金が漸次的に減少し、全体のパイが縮小していくデフレ経済下で勝てるのは持てる者だけで、多くは頑張れば頑張るほど燃え尽きるのだ。浮かばれない自身をSNSにでも投稿して憂さを晴らす姿はなんとも惨めったらしくて遣る瀬無い。そしてこの無為とも思われる努力の過程で積もり積もった妬みは政治家や官僚、メディア、詐欺師などに巧みに利用されて、自身の立場を知らず知らず危うくしてしまう。
公務員を叩いて何が良くなった?
何一つ良くなっていない、災害があれば、都市機能は一瞬で麻痺し、復旧には多くの時間と労力を要するだけで、日常生活に以前よりも支障を来すだけの結果にしかならず、何の足しにもなっていなかった。
リーマンショックの時、何か重大な機構の歯車が外れて未来への軌道が逸れた気がした。これまで是としてきたことがすべてまやかしだったというようなことが仄めかされたといっていい。世間の空気が少しだけ冷たくなり、より一層協調を求め、画一化されていくことを人々に強要していた。
「負け組にならないために、空気を読まねばならない。」
その空気とはなんであったか、今でも私には分からない。ただならぬものが何か一定の思考を強いるようなものであったのは確かだった。
後にトクヴィルの「アメリカの民主主義」という書物に出会い、朧げに見えてきたのは、「多数派の専制」がこの日本で行われつつあることであった。
階級や中間共同体が撤廃されて、人々が一様に平等となったとき、慣習や伝統を見失い、模範とすべき対象がないと多く嘆かれる。その時、頼るべきものを見失った人々はメディアが喧伝するイデオロギーや合言葉を、それが正しいかどうかなど関係なく、一斉に飛びついて信じてしまう。そして少数派の非難や意見はことごとく無視され、多数派がその社会を支配する。この多数派の専制が更に進めば、思考の自由すら人々は手放し、多数派の思考に隷属していく。
つまり、全体主義と民主主義は表裏一体。
私が物心ついた時からすでに社会はこの「多数派の専制」のメカニズムを順当に辿っていたのではないか。
阪神淡路大震災以後の日本文明は、何かと言えば、「無駄を省け」「これからは金融の時代だ」「規制緩和して市場を活性化すれば、より経済は活発になる」といった根拠なき意見が散見される次第、しかも何処にも確証もなければ論証もない。これらの試みが失敗したところで誰も責任を取らないどころか、「改革を十分に徹底していなかったから良くなかった、だからより抜本的に行う必要がある」という意見が支配的で、もう手の施しようがない。
つまりこの日本では健全な民主主義が機能していないのだ。
東日本大地震になると、この民主主義の機能不全は輪をかけて酷くなり、福島原発の爆発を見て、人々は恐れおののき、科学的根拠もなく、メディアの扇動だけで直ぐにでも脱原発と声高に多数派は叫ぶ有様。
正直にいって私も当初煽られてしまった。追い追い情報を精査すると、この事故はやむを得なかった。何しろ、想定外の事が起きたのだから。だったら、この想定外を上回る危機にも耐え得る原発を作れば良いではないか。しかしそんな議論は無かった。あったのは原発廃止、それだけ。
しかも脱原発に煽られて、人々は一斉に原発を叩き、根拠なき恐怖心は再エネビジネスに利用されたのだった。
結果、電気代に再エネ促進費用を上乗せされて支払う羽目になり、そのままその金は外資規制もなく再エネ事業者に横流し。しかもビジネス目的で山の斜面に多く作られたソーラーパネルのせいで、豪雨が見舞えば、土砂崩れは頻発する有様。
敗戦のショック同様に、このショックは人々の思考を停止に至らしめ、その隙間を邪なビジネスマンや工作勢力に利用されたのだった。
これをショックドクトリンという。
大惨事が起きるたびにこの国ではビジネスチャンスとなるわけだ。
過去の大戦の原因の一つが、石油をめぐるアメリカに対する我が国の過度な依存であったと分かれば、自ずと、結論は、エネルギーを自前で賄える可能性を有した原発を日本は国を挙げて維持すべきといった意見に傾く。この事故をあくまで日本の宿命と受け止めるべきではなかろうか。自立するために、多少の犠牲を払わなければならない日本の運命的境遇を理解できれば、何でもかんでも反原発と騒ぐのは話があまりにも飛躍しているのではないか。
しかし、こんな私の意見なんて多数派には届くはずもない。多くの人たち��、東電の管轄下にあったものが事故を起こしたのだから、その責任を国が東電に押し付けて当たり前と考え、異論すら聞き入れなかった。
想定外の事が起きているところへ、責任問題として、この事故を扱うこの国のエリート層の知性の劣化にはこの私でも舌を巻くものだった。これは誰の責任でもなく、その負担は政府をはじめとする国家全体が負うべき種類のものだろう。
しかし、政府はその負担を東電に押し付けた。メディアは、また放射能の被害を被った福島の農家に東電職員が土下座する写真を新聞の一面に載せたのだった。
どこまで煽られないと人々は気づかないのか。
その年行われたロックフェスは、従来通り、大量の電力を消費する大規模なものであったのに、ステージに立つ連中は悉く脱原発のイデオロギーに染まり、ある政治集団に至ってはジョンレノンに憧れてるのか、そこで夜中、大音量で音楽をかけながら、環境保護を標榜する集会を開いていた。60年代後半のウッドストックにいたヒッピーの幻想に頭がヤラレだのだろう、原発の利権構造が悪など偉そうな事を言う一方、大量の電力がなければ成り立たない生活をしている自身の矛盾には目を背け、偉そうに騒ぎ立てる姿は、自己欺瞞そのもので、実におめでたい姿だった。この光景をみて、こんな軽薄な連中とつるむのが気恥ずかしくなったものだ。私もそれだけ歳をとったのかわからぬが、彼らに言い知れぬ違和感を覚え、これ以降、私は音楽をやっている連中に関心を寄せなくなったのは事実だ。
一体、奴らの政治的主張のどこに耳を傾ける必要があろうか?実際、彼らの歌詞を仔細に読めば、その内容の空虚さ、幼稚さ、軽薄さが目につくだけで私は、彼らの音楽の不協和音も相まって、一層不快になってしまう。まさにこの自己欺瞞は滅びの兆候といってもいいのだろう。
こんな自己欺瞞ばかりの音楽の世界から遠ざかりたい一心で文学へと関心を移したわけだけど、これと同じことが文学でも起きていると分かった時の落胆は相当深刻なものだった。なんたって文学者の多くは音楽のそれと違って政治力まであるのだ。
私はそれでもこのクソみたいに高慢で自己欺瞞している連中の間で軽佻浮薄な振る舞いをして、世間の失笑と顰蹙を買うことだろう。
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おばちゃんが毎回勧めるから 僕はいつもwithバニラアイスクリーム🍨 季節限定パイ🥧です👍🏽 #annamirrers #アンナミラーズ #フレッシュストロベリーパイ #ハワイ旅行 #hawaiitravel #ハワイ #ハワイぶら散歩 #hawaii #ハワイの空気 #hawaiilife #ハワイ生活 #oahu #waihaa #ホノルル #honolulu #ハワイ至福のひととき #妄ハ中毒 #ハワイが好きな人と繋がりたい https://www.instagram.com/p/B4it02-gu4f/?igshid=17qxfo25thg1y
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4月の「カフェルーム」
今年は例年より早く桜が満開を迎えていますね! 4月のカフェルームでは、当店からは「 ウォーリーをさがせ!トラベルコレクション 」をおすすめしています。おうちカフェの参考にどうぞご覧下さいませ。
------------------ ご無沙汰してしまいました。。 カフェルームから春のおうちカフェのご提案。
いちごの生パイ ~アッシュ~ 自家製のパイを丁寧に折って器にし、しっかりと焼き上げたサクサクのパイに、自慢のカスタードをたっぷり絞りました。 産地こだわりのいちごをごろごろ乗せ、アッシュ風ミルフィーユをお召し上がりください。
ウォーリーをさがせ!トラベルコレクション ~リール~ 人気シリーズ「ウォーリーをさがせ!」の、総集編のような一冊です。ボリュームたっぷり。コンパクトなサイズなので、カフェの時間、気まぐれに開いて楽しまれてはいかがでしょうか?ゴムバンド付でお出かけにも便利。 昨年出版から30周年を迎え、日本ではこの春から、記念原画展開催とのことです(大阪は秋に巡回予定) 。
フレディ・サンペドロ ~ふかい珈琲~ 昨年ペルーで初めてカップオブエクセレンスが行われ、90点越えのハイスコアで見事第3位に輝いた特級の珈琲豆です。ほんのり赤い果実の甘酸っぱさをお楽しみいただけるよう中浅煎りに仕上げました。口に含んだ時の質感が特に素晴らしく、澄んだ味わいは大人の珈琲���いう印象です。 至福の珈琲タイムをどうぞ。
※各店定休日が異なります。ご来店前に各店舗でご確認ください。
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サピエンス全史 概要1
かつてアフリカ大陸の一隅で捕食者を恐れて細々と暮らしていた取るに足らない動物がこの21世紀までたどってきた道のりを振り返り、将来を見据える。
「取るに足らない動物」というのは、私たち、現生人類に他ならない。ホモ属多くの人類史の1つで、「取るにたらない動物」だったその私たちが、一体どうやって食物連鎖の頂点に立ち、万有の霊長を自���し、自らを(厚かましくも)「ホモ・サピエンス(「賢い人」の意)」と名付け、人地球を支配するに至ったのか。
それは多少の見知らぬ者同士が協力し、柔軟に物事に対処する能力をサピエンス(著者は他の人類種と区別するために、現生人類であるホモ・サピエンスを「サピエンス」と呼んでいる)だけが身に付けたからだ、と著者は言う。
ハチやアリも多数が協力するが、それは近親者に限られ、彼らの行動は進化によってプログラムされており、柔軟性を書く。狼やチンパンジーはある程度の柔軟性を持っているが、ごく親しい少数の仲間としか協力しない。
このサピエンスならではの力を可能にしたのか、想像力だ。サピエンスだけが、約70,000年前の「認知革命(新しい思考と意思疎通の方法の登場)」を経て、虚構、すなわち架空の物事について語れるようになった。客観的な現実の世界だけでなく、主観的な世界、それも大勢の人が共有する「共同主観的」な想像の世界にも暮らせるようになった。伝説や神話、神々、宗教を見出し、それを共有するものなら誰もが柔軟に協働する能力を獲得した。虚構を作り変えればすぐに行動パターンや社会構造も変えられるので、サピエンスは遺伝子や進化の束縛を脱し、変化を加速させ、他の生物を凌げたのだ。
なお、こうした虚構は、伝説や神話にとどまらない。企業や法制度、国家や国民、さらには人権や平等や自由までもが虚構だと言うから驚く。
こうしたものに、あまり慣れきっている私たちには意外かもしれないが、やはりこれはすべて虚構なのだと著者は指摘し、私たちの価値観を根底から揺るがす。
さて、サピエンスを歴史は、約10,000年前に始まった「農業革命」で新たな局面を迎える。農耕によって単位面積当たりに暮らせる人の数が爆発的に増加し、かつて狩猟採集をしながら小集団で暮らしていたサピエンスが定住し、統合への道を歩み始める。やがてその動きを早める原動力となったのは、貨幣と帝国と宗教(イデオロギー)と言う3つの普遍的秩序だった。特に、「これまで考案されたものたうちで、貨幣は最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ」と著者は言う。これまで、お金については悪いことが多々言われてきたが、例えばアメリカと政治、軍事、イデオロギー、宗教などの面で対立している国や個人さえ、ドルは受け入れられている例を考えれば、その普遍性は認めざるを得ない。「貨幣は人類の寛容性の極みでもある」わけだ。
やがてサピエンスは、人類の運命だけではなく、おそらく地上のあらゆる生命の運命をも変えることになる革命起こした。約500年前に始まった「科学革命」だ。サピエンスが空前��力を獲得し始めるきっかけが、自らの無知を認めることだったと言うのだから面白い。それまでは、知るべきことは全て神や賢者によって知られていると言う考え方が主流で、ほとんどの文化は進歩と言うものを信じていなかった。一方、科学は自らの無知を前提に、貪欲に知識を求めて行った。
知識の追求には費用がかかる。したがって、科学がどの道を進むかは、イデオロギーと政治と経済の力に影響される。そのうちでも、特に注意を向けるべきなのか、帝国主義と資本主義で、科学と帝国と資本の間のフィードバック・ループが、過去500年にわたって歴史を動かす最大のエンジンだった、と著者は主張する。進歩は、科学と政治と経済の相互支援に依存しており、政治と経済の機関が資源を提供し、そのお返しとして、科学研究は新しい力を提供する。政治と経済の機関はその力を使って、新しい資源を獲得し、その一部が、またしても科学研究に投資される、と言うループだ。アジアが遅れをとったのは、テクノロジーが欠けていたからではなく、西洋のような「探検と征服」の精神構造と、それを支える価値観や神話、司法の組織、社会政治体制を持たなかったためだ。
進歩の概念は資本主義と相性が良かった。将来はパイ拡大する(富の総量が増える)と信じることで、投資に弾みがつき、それが劇的な経済発展につながり、無尽蔵と言えるエネルギーと原材料が手に入るようになり、物質的に豊かな社会が実現した。
このように述べると、サピエンスの歴史は良い事作りだったようにみえるが、果たして、そうだろうか?地球上の生物を工夫と言う尺度で評価すると、様相は一変する。「私たちの祖先が自然と調和して暮らしていたと主張する環境保護運動家を信じてはならない」と著者は警告する。サピエンスはあらゆる生物のうちで、最も多くの動物種を絶滅に追い込んだ、生物史上最も危険な種なのだ。そして、サピエンスが直接あるいは間接的に絶滅に追い込んだ可能性がある種には、ネアンデルタール人など、私たち以外の人類史も含まれている。こうした生物や、家畜化されて不自由で短い生涯を送っている動物の幸福度の観点からは、サピエンスの歴史は参事の連続となる。
サピエンス自身にとっては、どうなのか?確かにサピエンスは、かつてないほどの数に増えているのだから、生物種としては大成功だが、個々のサピエンスの幸福が増したとは決して言えない。人口の爆発的増大を可能にした農業革命のせいで、サピエンスの暮らしの質は、資料採集時代よりも落ち、未来への不安も招いたと言うのが実情だ。大規模な協力を可能にした虚構は、人種や性別等に基づく格差や差別、搾取も生んだ。また、進歩や物質的な豊かさと幸福が相関すると言う証拠もない。国家や市場の台頭は、家族とコミュニティ���衰退を招いた。「進歩」に伴って起こった地球の温暖化や広範な汚染が自らの生命環境を悪化させている可能性も高い。
もっとも、著者は時とともに全て悪くなる一方だと言ったいった極端な見方は取らない。近代に入り、小児死亡率が大幅に低下したし、大規模な飢饉もほぼ一掃された。現代は暴力に満ちた時代なのと言う言説は、歴史的事実に反する。もちろん、暴力は今もあるが、これほど安全の時代はかつてなかった。国家間の武力紛争も、これまでになく減少している。戦争は採算が合わず、平和の利益はあまりに大きく、国際関係の緊密化によって、各国の独立性が弱まっているから、そして、次第に多くの人が、特定の民族や国籍の人でなく全人類が政治的権力の正当な源泉であると信じ、人権を擁護して全人類の力を守ることが政治の指針であるべきだと考えるようになってきているからだ。たとえ虚構ではあっても、自由や平等、人権の概念が以前よりも受け入れられて差別や搾取が減っている。
いずれにしても、過去の出来事が、他の生物種や個々のサピエンスの幸せや苦しみにどのような影響与えたのかについては、これまでほとんどかえりみられなかった。著者はこれを「人類の歴史理解にとって最大の欠落」とし、「この欠落を埋める努力をを始めるべきだ」と提案する。
「サピエンス全史 下」2016/267〜271p
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アメリカ左翼: 安らかに眠れ 2017年10月23日Paul Craig Roberts かつて左翼は、労働者階級の前進と、生産手段の所有者による政治的、経済的虐待からの保護に献身していた。結果的に、左翼は政治的に有力で、ヘンリー・ウォレスが、フランクリン・D・ルーズベルトによって、彼の三期目の副大統領として選ばれた際、権力の頂点に至った。彼が設立した会社による富にもかかわらず、ウォレスは農民と労働者階級を擁護した。 民主党の陰の実力者たちは、FDRが彼らに、そうでなければ、大統領指名を辞退するつもりだと言うまでは、ウォレスを副大統領候補として認めるのを拒否していた。 ウォレスは、ルーズベルトと民主党有権者にとって、ルーズベルト四期目の副大統領候補だった。しかし、ウォレスは進歩的な意見ゆえに、党幹部や、ウオール街銀行家、反組合の各企業や、アメリカの同盟国、イギリスやフランスと疎遠になり、彼は労働組合、女性、少数派や植民地主義の犠牲者を支持した。植民地人の解放と、平和と労働者階級の公正という大義でのソ連協力を主張し、彼は自分の運命を確定したのだ。1944年7月、民主党全国大会中に公表されたギャラップ世論調査がウォレスが65%の票で支持されていることを示しており、もし自分が下院議員だったら、ウォレスを選ぶだろうというルーズベルトの声明にもかかわらず、党幹部連中は、民主党有権者のわずか2%しか支持していないハリー・トルーマンを選んだ。 これはアメリカ政治と世界史の分水嶺だった。もし民衆が、腐敗した民主党幹部連中を圧倒していれば、トルーマンの代わりに、ウォレスが戦後初のアメリカ大統領になっていたはずだ。冷戦はなく、朝鮮戦争はなく、ベトナム戦争はなく、NATOはなく、���十年間もの、そして現在地球上の生命を脅かしている、アメリカとロシアの間の不信はなかった可能性が高い。 しかも、極めて裕福な、わずか1パーセント寄りの、現在の極めて歪んだ所得と富の分布の代わりに、経済成長、事業収益、雇用や、高い資産価値を脅かす実質所得の減少と債務の増大ではなく、強力な消費者市場を支える公平な配分になっていたはずなのだ。 オリバー・ストーンとピーター・カズニックのベストセラー、『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』が、ウォレスが副大統領候補になるのを阻止するのに利用されたクリントン風の民主党の堕落を描いている。 “大会は民主党幹部によって牛耳られた。しかし、下っ端の民主党員は彼らに唯々諾々と従うわけではなく、会場で反乱をおこした。下院議員やその他の参加者の間でウォレス支持の声が高まり、幹部連中が議事を掌握して、腕力にものをいわせようとしても、ウォレス支持者は会場で大々的なデモを繰り広げて勝利まであと一歩に迫っていた。デモ騒ぎの中で、フロリダ州選出のクロード・ペッパー上院議員は、もし自分が今夜、党候補公認にウォレスをあげれば、ウォレスか大会で圧勝をさらってゆくだろうと確信した。ペッパーが、代議員人をかきわけて、マイクから150センチメートルの所まで行った時、取り乱した様子のケリー市長が、火災のおそれがあると主張し、議長のサミュエル・ジャクソン上院議員に休会を宣言させた。仮に代議員の意思に反して、幹部が休会宣言する前に、ペッパー上院議員が、残りの150センチメートル進んで、ウォレスを推薦したなら、ウォレスは1945年に大統領になり、歴史の流れは劇的に変わっていただろう。” 翌日、ジャクソン上院議員は、ペッパー上院議員に謝罪した。“昨晩の大会で副大統領を指名させるなと、ハニガンから釘をさされていた。それで、私は君の前で大会を休会せざるを得なかった。” 73年前、まだ、時には民衆を擁護するマスコミあった時代でさえ、既得権益集団の権力が、民主主義を圧倒していたのだ。デイブ・クランツラーとブレット・アレンズが既得権益の権力と現代マスコミの退廃について書いている。 “私の考えでは、2003年頃から[権力をもった極少数の集団]が紙幣と信用の創造によって、体制を強奪し、テーブル上から、中流階級の富の最後のかけらまで掃きとり、掃除する側の立場にある連中の懐に入れるようになった。 “オバマは彼の本来の選挙公約を一つも果たさなかった。彼はウオール街を“改革”するはずだった。ところが、大き過ぎて、潰せないという概念がオバマの下で法制化され、ウオール街に対する起訴/訴追は、前政権よりも急激に減った。 “オバマは退任し、ウオール街が主催する、報酬が六桁上位���講演仕事の世界に入り、シカゴのエリート連中(プリツカー一族など)が支払ってくれたハワイ州の1000万ドル邸宅で暮らしている。今や、オバマは、中流階級から、エリートへの富の移転を支援幇助した役割に対し、何千億ドルも報酬をもらうのだ。ビルとヒラリーをご覧あれ - これ以上言う必要はあるまい。トランプは、オバマの二倍の速さで公約を反転した。トランプは、就任後ほぼ一夜にして、陰の政府‘沼地’生物のために戦争を挑発する指人形と化した。 “マスコミはこの壮大な田舎芝居に進んで加担した。全く驚いたことに、ブレット・アレンズが、Marketwatchで、消息通としての論評記事を書いて、マスコミについて警告している。 ‘一体どんな人々が最高の記者になるか知りたいだろうか? お教えしよう。社会病質者スレスレの人物だ。頭の回転が速く、好奇心が強く、頑固で、だらしなく、支離滅裂で、世界の様々な欠陥に絶え間なく怒り狂っている人物だ。かつては、こうした人々がアメリカ中のあらゆるニュース編集室にいた。彼らの私生活は往々にして波瀾万丈で、肝硬変や心臓まひで早死にした。しかし彼らは頑強な怒れる嫌なやつで、素晴らしい記事を書いた。 ‘一体どんな人々が現代の報道機関で出世し、成功するか知りたいだろうか? 上にとりいる出世主義者だ。コネ作りがうまい連中だ。社交的で、支配的意見に“賛同する”連中、仲良く付き合うのに賛成で、余りに多くの本当に厄介な質問をしない連中だ。彼らは融通が利き、几帳面で、人生に満足している。それは見え見えだ。’ “実に多数の記者が、債務も急増しているのに、アメリカ大企業は財政状態が申し分ないやら、そんなわけはないのに、株と債券の‘分散化したポートフォリオ’によって、いかなる場合でも保護されるやら、国防予算が削減されてなどいないのに、削減されているやら、主要指標上ではそうではないのに、アメリカ経済は日本などのライバルを遥かに凌いでいるやら、そんなことをする必要などなく、そのような給与は単なる略奪なのに、最高の‘才能’を確保するため、大企業はCEOに何兆ドルも支払わなければならないやら、喜んで報じる理由はこれだ。” http://investmentresearchdynamics.com/the-sqeeze-is-on/ アメリカ左翼は、変形させられた。かつては“平和と生活”を擁護していた左翼は、今や、アイデンティティー政治と戦争を擁護している。労働者階級は“トランプを支持する哀れな連中”として再定義され、個々の“犠牲者集団”に細分化された。女性、人種的少数派、同性愛者、性転換者t。圧制者は、生産手段を所有する極少数の権力者たちではない。圧制者は、性差別主義者、女性嫌い、同性愛嫌い、異性愛、ファシスト、白人優越主義の男性労働者階級なのだ。 アイデンティティー政治の勃興で、政治的に管理された言論が持ち込まれた。主に白人、特に異性愛白人男性が、この管理の対象になる。言論の自由の制限は益々厳しくなるが、不快な、あるいは脅迫的言動で、白人異性愛男性が立腹させられても、誰も気にかけない。白人男性は、何と呼ばれようとおかまいなく、呼ばれた通りのものなのだ。 労働者階級を、犠牲者集団に分裂させることで、アイデンティティー政治は、戦争や所得不平等に反対するのを不可能にした。団結の代わりに、アイデンティティー政治は、労働者階級は分断され、エネルギーを内紛に向けている。ロンドンのハイド・パークでは、過激なフェミニストと、性転換者活動家の間で殴りあうようになっている。http://www.dailymail.co.uk/news/article-4891484/Fists-fly-politically-correct-rally.html ダイアナ・ジョンストンが、アイデンティティー政治の暴力部門、Antifaが、どのように左翼を言論の自由の抑圧者、戦争支持者に変えたかを描いている。https://www.counterpunch.org/2017/10/09/antifa-in-theory-and-in-practice/ と、https://www.paulcraigroberts.org/2017/10/23/harmful-effects-antifa-diana-johnstone/ を参照のこと。 . 分断化された社会は、エリート支配層による圧政に気づかず、抵抗することもできない。フェミニズムは、妻と夫を、互いに補完する存在から、ライバルに変えた。実際、ロンドン・テレグラフの科学担当編集者、サラ・ナップトンが“bromance(男同士の固い友情)”の増加について報じている。異性愛の男性同士の強い感情的な関係だ。フェミニストによる男性攻撃と政治的公正が、千年にわたる異性愛男性の女性との関係を、性的なものだけに貶めた。男たちが感情的に献身する相手は、男性の友人たちだ。http://www.telegraph.co.uk/science/2017/10/12/rise-bromance-threatens-heterosexual-relationships-warn-social/ これは女性の勝利には見えない。 cultivatedアイデンティティー政治に由来する、政治的公正についての極端な過敏、言葉や歴史や言論の自由を破壊しつつある。性転換者を排除し、不快にさせるものなので、イギリス政府は“妊婦”という用語に反対している。https://www.ndtv.com/world-news/uk-government-opposes-phrase-pregnant-woman-to-include-transgenders-1765718 英国医学会は、医師は、この用語は性転換者を不快にしかねないので、妊婦に言及するのに、“母親”という単語を使うべきではない。代わりに、“妊娠者”という用語を使うべきだという指針を出した。https://www.redflagnews.com/headlines-2017/uk-doctors-now-banned-from-calling-pregnant-women-mothers-in-case-its-offensive これはフェミニストと性転換者との間で、更なる対立を招いた。フェミニストは、これを“女性”という言葉を言えなくするための策謀と見なしたのだ。https://newsline.com/moms-to-be-are-not-pregnant-women-but-people-uk-to-un/イギリス国民健康保険の医師たちは、もはや“包括的ではない”ので“妊婦expectant mother”という用語を使わない。https://www.redstate.com/kiradavis/2017/01/30/british-health-service-bans-term-expectant-mother-non-inclusive/ アイデンティティー政治は、勃興するアメリカ警察国家とともに、言論の自由などに干渉することを禁じる憲法第一修正を破壊しようとしている。あるアメリカの大学の教授が、授業中に“ガールズ”と言う言葉をつかい、一人の女性が不快に感じたため、学部長に叱りつけられたと私に語った。グーグル社は、男性と女性は、特性が異なり、それゆえ、異なる職種がふさわしくなるというメモを書いたかどで、上級ソフトウエア技術者の一人を首にした。このごく普通の常識発言で、技術者は“男女の役割に関わる固定観念”のかどで、首にされた https://www.rt.com/usa/398766-google-memo-viral-women/ 記念像撤去反対と、白人アメリカ人の方が、黒人のジンバブエよりも、経済構築に成功していという意見を述べたかどで、経済評論家のマーク・フェーバーは、投資信託会社Sprottの役員を除名され、CNBCと、Fox Business Networkへの出演を禁じられた。http://www.zerohedge.com/news/2017-10-17/sprott-demand-marc-fabers-resignation-after-racist-diatribe 言論の自由は誰も、不快にさせるはずもない言葉だけに限定されない。この「言論の自由」の定義の効果は、間違った、あるいは、犯罪的な行動や、あらゆる反戦、警官の残虐行為、政治的、社会的、経済的プログラムへのあらゆる批判を排除することだ。言い換えれば、政治的公正は、国民を沈黙させるのだ。“侮辱的”発言が、真実なのか、誤りなのかとは全く無関係に、沈黙させることが許されてしまう。グーグルの技術者がしたように、真実を発言しただけで、人の経歴が台無しになる。そのような体制に自由は無い。ジョージ・オーウェルが言った通り“自由が何か意味するとすれば、それは、人々に対して、彼らが聞きたくないことを語る権利だ。” 本来、言論の自由に依拠するはずの大学自身が、今やそれ自身、言論の自由を禁止している。何らかの“被害者集団”を不快にさせる可能性がある物議を醸す講演者は大学での講演を出来なくされる。例えば講演が、アメリカは白人キリスト教徒の社会だと考えている人々の気分を害する可能性があるにもかかわらず、多文化主義に賛成する講演者は大歓迎だが、フロリダ大学で、白人至上主義者の講演を阻止し損ねたおかげで、フロリダ州知事は非常事態を宣言する羽目になった。https://www.theguardian.com/us-news/2017/oct/17/florida-governor-state-of-emergency-richard-spencer-white-nationalist-speech もし講演者に気分を害されたくなければ、講演に行かなければ良い。逆に、もし敵側が一体何を企んでいるのかを知りたければ、見逃す手はないだろうという簡単な話だ。結局、政治的公正というものは、敏感な人々を傷つける言葉から守るというより、何を言って良いかの規制や、表現の規制が狙いなのだ。 アイデンティティー政治と政治的公正が行っているのは、白人で異性愛の男性を悪者扱いすることだ。白人だけが人種差別主義者なのだ。異性愛の男性だけが-本質的に、白人キリスト教徒男性は、ビル・コスビーとハーヴェイ・ワインスタインを除いて-commit性的暴力を行ってんる。デイビッド・ローゼンはCounterPunchに書いている。“男性の性的暴力: チェリー・パイのようにアメリカ的なもの”。https://www.counterpunch.org/2017/10/20/male-sexual-violence-as-american-as-cherry-pie/ ローゼンは、性的虐待を“全てのアメリカ男性が楽しむ性的テロ”つまり“アメリカと同じ位、古くからのもの”と定義している。言い換えれば、全員あるいは大半のアメリカ人男性が、女性に対して性的テロを行っていることになる。夫に怒った妻は、彼を強姦のかどで告訴し、投獄させることが可能なまでに至っており、夫と妻が法的に一体とみなされ、どちらも相手に不利な証言をすることはできなかった昔とは、大違いだ。最も親密な人間関係が外部からの介入を受けるのであれば、一体どうして結婚が盛んになり得よう? 盛んではない。米国心理学会によれば、“アメリカ合州国では、約40から50パーセントの夫婦が離婚する。次の結婚の離婚率は更に高い。” もし夫と妻、母親と父親が、一緒にいられないのなら、社会が一体どうしてまとまっていられるだろう? アイデンティティー政治が憎悪を教え、社会的不和を煽る中、社会が一体どうしてまとまっていられるだろう? 不快にさせられたと主張する悪党連中が、記憶や人となりに結びついている歴史的記念物を破壊して、他の人々を不快にする社会が、一体どうしてまとまっていられるだろう? 歴史が消し去られ、学校や街路や公共建築が改名される社会が一体どうしてまとまっていられるだろう?ジョージ・オーウェルが言っている通り、“人々を破壊する最も効果的な方法は、人々自身の歴史解釈を否定し、消し去ることだ。”次に撤去されるべき記念碑は、受け継いだ制度で、彼らには改める力などなかった奴隷制を許容する憲法を全員で採択した人種差別主義者たる建国の始祖たちのものだ。 白人“圧政者”、特に白人異性愛男性への憎悪を醸成するため、アメリカ合州国では、歴史が書き換えられつつあり、言葉も改悪されている。 ワシントンの��略に対して、ロシアが外交的に応対するのも、何ら不思議ではない。敵が自らを破壊している場合、同じことをして応対する必要はないのだ。 Paul Craig Robertsは元経済政策担当の財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリプス・ハワード・ニュー ズ・サービスと、クリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼 の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the West、HOW AMERICA WAS LOST、The Neoconservative Threat to World Order.が購入可能。 記事原文のurl:https://www.paulcraigroberts.org/2017/10/23/american-left-rip/----------
ポール・クレイグ・ロバーツ: マスコミに載らない海外記事
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#ELLEparis 🇫🇷パリ特集取材中、パリで人気の老舗パン屋「ポワラーヌ」の姉妹店「マックス・ポワラーヌ」に立ち寄りました🥐名物タルト・オ・ポムはサクサクしたパイ生地にリンゴの自然な甘みが絶妙にマッチ🍎 小腹を満たす至福のとき💕 Address:87, rue Brancion 75015, Paris #ellejapan #elleonline #maxpoilane #paris #boulangerie
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すべての単一カロリーに値する15チートデイレシピ
あなたの喜びは何ですか?フライドチキン?クリーミーポテト?マックとチーズ?チョコレート?あなたが「チート」するつもりなら、それは重要です! バターミルクフライドチキンテンダーを味付けしたバターミルクでマリネし、サクサクしたカリカリの完璧さで揚げたこれらの柔らかさは、子供から大人まで同様に愛されています。 マックとチーズ超クリーミーでサクサクのパンコとハーブをトッピングした、これは私のお気に入りの自家製マックとチーズです。 チョコレートクリームパイクッキーの皮、絹のようなチョコレートプリンセンター、枕のようなホイップクリームのトッピングで、このパイはチョコレート愛好家の夢です。 Gail Simmonsのエピックスパゲッティパイスパゲッティパイは身長と食材の両方で印象的な大きな出来事で、空腹の群衆に最適です。 ハニーのココナッツカップケーキ私のgreat祖母の「ハニー」にちなんで名付けられたこれらの昔ながらのココナッツカップケーキは、柔らかくて超ココナッツのようです。 チキンナチョススパイシーなプルロティサリーチキンと信じられないほどの量のチーズを詰め込んだチキンナチョスは、ボリュームたっぷりで満足のいくものです。「夕食のナチョス!」 チキンポットパイロティサリーチキンと店で買ったパイ生地が、このチキンポットパイの準備を容易にします。 ベイリーズチョコレートトリュフリッチでクリーミー、そして非常にほろ苦いこれらのベイリーズチョコレートトリュフは、純粋ですべてを網羅する至福です。 ブルッキー(ブラウニーとチョコレートチップクッキーバー)ブラウニーバターとチョコレートチップクッキーの生地の霜降り層で作られたブルッキーは、すべての年齢層にとって楽しいおやつです。 キッシュロレーヌベーコン、グリュイエール、エシャロットで作られたこの古典的なキッシュは、ブランチ、ディナー、またはその間のいつでも理想的です。 チョコレートムースフランスの名前にだまされないでください。チョコレートムースは素早く簡単に作れます! 歯ごたえのあるグーイーゴールデンライスクリスピートリートこれらのトースト、ゴールデン、キャラメルのようなライスクリスピートリートは、ブラウンバターと秘密の材料で作られています。 ケンタッキーバターケーキシロップに浸したこの昔ながらのバニラバターケーキは、1963年のピルズベリーベイクオフコンテストの勝者です。 ポテト・オ・グラタンスライスしたポテト、生クリーム、おろしチーズで簡単に作られたポテト・オ・グラタンは、究極の快適な食べ物です。 マーブルケーキこのマーブルケーキは派手に見えるかもしれませんが、その味は昔ながらの良さです。 p p p p
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プレートオーダーでTed'sの美味しいパイがひとつ無料です👍🏽 #tedsbakery #テッズベーカリー #プレートランチ #ガーリックシュリンプ #garlicshrimp #platelunch #northshore #ノースショア #ハレイワ #haleiwa #ハワイブラ散歩 #ハワイ旅行 #hawaiitravel #ハワイ #ハワイぶら散歩 #hawaii #ハワイの空気 #hawaiilife #ハワイ生活 #oahu #waihaa #ホノルル #honolulu #ハワイ至福のひととき #妄ハ中毒 #ハワイが好きな人と繋がりたい (Ted's Bakery) https://www.instagram.com/p/B3xqWBugekd/?igshid=10deghs2verek
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私が中流意識に馴染めない人間と気づいたのは、大学に入ってすぐのことだった。
学校に行けば、どうも皆他人行儀で、親近感も持てないし、行ったら行ったで、何処と無く世間の空気に流されている感じがして嫌になってくる。やがて疎外感だけが強くなる感覚ばかりが残って、ますます学校には行かなくなっていく。
その結果、留年に次ぐ留年で社会には到底受け入れられないとて、風俗店の受付で見栄えもしない男の性欲のため、身を粉にして働いて、あれよあれよと、流転の様。
「〇〇ちゃんは、今ですね、運良くすぐの時間帯で空いてるんですよ。どうですか?サービスもいいって評判なんすよ。」
とても指名客も付きそうにない女の不細工な容姿を誤魔化しているパネル写真を客に見せ、後にパネマジやないけえと言われぬように注意して接客するくだらない生活で得たものは、結局、金しかない。
そのおかげですっかり虚栄心も無くなり、本来の下町気質の性格を徐々にでは取り戻せたから有難い。もともと私にはホワイトカラーのような頭脳労働など向いていないのだ。もともと下町の気性の荒い職人の血を引く癖して、スーツを着込んで仕事をするなんて性に合わないのだ。
学校にしても、大したことも教えてもらえないところにいたとて、何もならず、さらに言えば、デフレで実質賃金が下落する中で、いくら頑張っても得られる報酬には限られていると分かれば、やる気だってなくなる。仮にビジネスで成功したとて、全体のパイが縮少しているためにそれは結局他人の所得を奪っていることになるのだ。
つまり現在は競争が余りに激しく、自身の特性を切磋琢磨する余裕もな��。そのため、結局価格ありきで勝負に決着がつく構造に現代社会はなっている。こうしたことが何となく子供の頃からわかっていたが故に、年々私の気力は削がれていった。
高校の最後1年間だけ勉強とやらを頑張ってはみたものの、結局、行き着く先が、大学という、凡庸で退屈で無機質な世界だったのだ。これで何のために頑張ってきたのかさっぱりわからず、ヴォガネットの小説のように、お陰で頭がドッカーンとやられ、危うく精神分裂に陥るところだった。私は酷い無気力になり、何もする気になれず、やたらと街を徘徊を繰り返し、悪いことばかり想像して、ブツブツうわ言を言っては、途中であった女に怪しい病気をもらったりした。
まだこれでもいい方なのだ。本当の精神分裂となると、話は違う。
ゴミ屋敷と化したアパートの一室で、一人、生ゴミに集る蝿たちと会話し、その上、風呂も数日入らず、垢まみれ。家賃、公共料金などの延滞があって、初めて連帯責任者の両親に連絡が行き、この状態が発覚する。こういう経過を辿る一人暮らしの大学生、社会人は、実のところ多い。彼らの末路は、就職も自立もロクにできずに、厄介払いしたい両親に疎まれ、最後、精神病院の隔離病棟で看護師に食事を給仕され、その上、手足の膠着から寝たきりとなり、最後は排泄も自身では行えなくなっていく。
誤解なきように言っておく。両親だけを責めるのが得策ではない、彼らも彼らで精神病院か自立支援スクールなどの機関を利用するしか手立てがないのだ。況してや世間体を気にする中流層に至っては、第三者に助けを求めるのは困難を極める。何故って、自身がこれまで打ち立ててきた経歴、社会的地位などを考えれば、汚点を残すやもしれない精神分裂の子供のことを口外すれば、どのような目で世間から見られるかと怯えても当然だからだ。
分断された社会、具体的にいうと、核家族化した社会では、問題一つとってもその対応はごく限られた家族内でしか為されない。ところが、精神分裂ではそうはいかない。医者以外にも、地域社会、介護福祉、さらには親戚の力も必要になってくることがある。そうはいっても、視野の狭い人間というのは他所の家族のことを秤にかけて自身の境遇に優越感を得たいという衝動は抑えられない。自分だって優越感を得たいところなのに、精神分裂の子供のことを口外したら他人から何と言われるかと怯えてしまう。
それゆえに現代、中流意識のある人々は自身の汚点について、それが第三者の助けを要するものであっても、口外できないし、況してや助けすら求められない。こうして問題を放置していく。
中流意識がデフレという経済が衰退している現状にそぐわない形で長期化したことが、この問題の長期化に寄与したと考えると、本質は見えてくる。しかし、その観点から見ても、この問題には既に有効な処方箋はなく、長期にわたって精神分裂の人たちに公的補助をするより他はないが、しかし、低賃金の単身世帯の負担は大きく、不満も出てくる。
「なんで、あんな中年のう○こ製造機のために、俺たちの税金が使われるんだ?」
といった次第で、最早、社会全体が、無気力、恨み辛み嫉みをますます助長していく。その結果、NHKから国民を守る党、日本維新の会などの、民衆扇動の党が議席を伸ばし、ますます世相を暗くする。
確かに、この精神分裂の子どもの問題には、医者が無秩序に処方する向精神薬の影響もあろうが、そもそもこれだけ精神疾患が増えた背景には、間違いなく、経済をめぐる現在の窮した情勢と、それによって機能不全を起こした親子間の意思疎通がある。
しかし、学校はそれには無頓着。金さえ入ればなんでもいい。たとえ出来の悪い野郎が入ってこようが御構い無し、入学金と年間の学費をしっかり上納してくれればよいのだ。況してや公立学校が小泉構造改革で独立行政法人になってからは、その傾向に拍車がかかり、将来の不安を必要以上に学生に煽っては、オプションでこの講義とやらを受けると就職に有利だとかいって、金をさらに貢ぐように仕向ける。金欲しさに民間から講師を招いて、嘘ばかりの講義をさせて、世間擦れしていない学生を洗脳する。
「国の借金が約1100兆円あって、その返済のために、社会人として納税の義務を果た���なくてはならない」
「年々増えていく社会保障費のために、これからは消費税の増税はやむを得ない」
「イノベーションのためには、組織の改変が必要だ」
しかし、私にはそれらが嘘っぱちであったことが何となくわかっていた。というのもこれらのことを言い続けたこの20年余り世間は良くなっていないからだ。
報道にせよ、講義にせよ、全て絵空事。
このおかげでどれだけ人々は損をしているのだろう、想像するだけでゾッとする。
世間に蔓延る見解のどこにも具体的な数字や表は無く、ただなんと無く漠然としたイメージに基づいているのだ。
書いていくと憂鬱になることばかりで、本当、嫌になってくる。
で、私は何を書こうとしたのか。
話がどんどん脱線していくこの有様、私も精神分裂しているのかもしれないな。
おっとこんなしょうもないことを書いてたらもうこんな時間やん、そろそろ出かけよう。
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