#至極のひと時
Explore tagged Tumblr posts
kennak · 1 year ago
Quote
難しいタイミングであることは承知しておりますが、自殺について少し皆さんに知っておいてほしいことがあります。 人の精神が参ってしまう仕組みについてです。かつて人間は野生に暮らし、猛獣などと遭遇するとアドレナリンなどが分泌され脳が活性化し、危険を回避するために多少無理をしても危機を脱するような機能によって生存してきました。 これは、簡単に言うと逃げるために、めっちゃ無理をしてる状態なんです。ですが、そんな危機がしょっちゅうある訳ではありませんので、危機がすぎれば無理をした分だけ休む事でこの仕組みは成立していました。 しかし、この野生の機能が現代ではおかしな働きをしてしまいます。 その引き金がSNSでの誹謗中傷です。 SNSで攻撃されると、まるで野生で猛獣に襲われたような状態になります。つまりアドレナリンなどが多量に分泌されます。これは攻撃的な言葉に身の危険を感じるためです。 大昔なら、猛獣から逃げおおせればそれで終わりでした。 ところが、SNSでは24時間休み無く、猛獣が押し寄せるわけです。SNSでの誹謗中傷を見続けると、アドレナリンなどの過剰分泌で、比較的短期間で不眠とうつの症状が発生します。 精神がいつもと違うと感じたら、すぐにSNSから距離を置いてください。炎上などが原因で誹謗中傷されると真面目な人はそれに真摯に対応してしまいます。 個人的にはSNSの強すぎる正義感には疑問を感じますが、世の中をかえるのはとても難しので、まずは自分を守ることを考えてください。こういった炎上は有名でなくても巻き込まれることもあります。他人事と思わずに明日は我が身とおもって聞いてください。 人は辛いという理由で死んだりはしません。 なぜなら、大抵のことより死ぬ方が辛いからです。ですが、このアドレナリンの過剰分泌から不眠になり、短期間でうつ病のような状態に陥ると、あっさりと自ら命をたってしまうことがあります。これは急性のうつ病のようなものだと思われます。この場合、人が死に至る厳密なストーリーはなく、ただその引き金は、精神の疲弊とそれによる脳内物質の異常分泌です。 悲しくて…辛くて、死ぬのではなく、わりと勢いで死に至ってしまうため、なかなか周り��対処出来ません。私自身、SNSの炎上から自殺を考えて、なんとか思いとどまり、閉鎖病棟に5ヶ月入院した経験があります。 うつ病も治り、健康になったいまは、死のうとは思いませんが、当時を考えると完全に思考が麻痺していたのを思い出します。アドレナリンなどの分泌異常起きると、死に対する恐怖心がなくなることを経験しました。つまり、辛いから死ぬのではなく、わりとハイテンションで積極的に死を選択してしまうのです。これは本当に危険な状態です。 自分がそうなってしまう前にSNSと距離を置くことも大切ですが、SNSの使い方もマナーを守って欲しい。 SNSを使うすべての皆様にお願いがあります。 なにかの炎上をみかけても、そこにのかって正論をぶつけるような活動には参加しない人になってください。その意見がもし正しかったとしても、正論で24時間攻撃を続けられると、どんな人間も耐えられません。 SNSをストレス発散に使ってる人は多いと思います。 ですが、一人ひとりの小さな正義よりも、その先にいる人の命を守る事を優先して下さい。自分のストレス発散をグッと我慢して、攻撃的なリプなどに加担しない・拡散しない人になって下さい。自分の考えが正しいと思っても、それを多くの人が一人にぶつければ、相手を殺してしまう事があることを理解して下さい。 「いや違う、自分は悪くない、正義のためにやったんだ!」という気持ちをグッと抑えて、SNSの仕組みそのものに危険があると言うことを理解して行動してください。 もし仮に、相手に確実に非があったとしても、SNSでの私刑に加担しないで下さい。法的にもそれは許されません。 炎上に加担しないことを、少しでも多くの人がネットのマナーとして身につけることを心より願っております。
Xユーザーの榊正宗さん
281 notes · View notes
kinemekoudon · 1 month ago
Text
【2話】 はじめてLSDをやったときのレポ 【さいばーひっぴーができるまで】
Tumblr media
 僕と友人の“しのはる”は、LSDがどういう効果をもたらすのか特に分かっていなかったが、お気に入りのプッシャーからLSDを引いてみて、早速試してみることにした。 
僕らは馴染みの公園に行き、緊張の中LSDを摂取したのだが、初めてのLSDは量が少なかったのか、高揚感や感情の増大などの効果はあったものの、幻覚を見るまでには至らなかった。 
ただそれでも、ファミレスで2時間ほど互いに絵を描くことに没頭して奇妙な絵を描いたり、途中で雨が降ってきたのに雨を浴びるのが気持ちいいからと傘もささずに笑顔でびしょ濡れになったりしていて、初めてのLSDは十分愉快で興味深い思い出ではあった。 
Tumblr media
―――僕らはそれからもLSDを引いて、数回ほど、1ヒット分(100μg分)のLSDの体験をしていたのだが、LSDトリップの醍醐味を味わうことができた体験は、初めてのLSD体験から約1年���のことであった。 
この��きは、しのはると大学時代の友人でLSD初体験の“イシカワ”を呼び、3人で公園に行って、LSDを摂取した。またこのときは、Twitter上で“地下薬局”と名乗るプッシャーから引いてきた、角砂糖に垂らされたLSDを摂ったのだが、今までのLSDの2倍ほどの効果を感じられるものだった。 
 摂取してから1時間ほど待つと、視界はシラフのときより俄然明るく、輝かしく見えていて、芝生の緑や空の青々しさ、駆け回る少年の頬の赤らみなどが強調されていたし、なんの変哲もないただの公園なのに、あらゆる対象物に新奇性を覚えるほど、童心に帰ったような感覚で物事を見られるようになっていた。 
僕は長らく、地べたにあぐらをかいて座り、公園の池の水面に浮かんだ油膜(それは鮮やかな虹色に発光するマーブル模様に見えている)を恍惚と眺めていた。すると、飛んできた鴨がその池の上に着水したのだが、不思議なことに、その様子はスローモーションがかかったように見え、翼の動きの一つ一つを鮮明に捉えることができた。 
鴨は池の上を優雅に遊泳し始め、その油膜の上を通る。鴨の後方に次々と生まれる水面に広がる波紋の一つ一つが、極彩色に煌めくマーブル模様を帯びて、ゆっくりと広がっていく……。 
そしてふと、「このサイケデリックな感覚のまま大麻を吸えば、もっと高みにイけるのではないか」と思い立たった。僕は2人に声をかけると、景気良く極太ブラントを作って、3人でそれをまわすことにした。 
Tumblr media
 手始めにひと吸いすると、それだけで視界の奥行き感がなくなり、平坦な2次元動画のように見えてきた。さらに、外界の全ての動きがスローになり、鳥のさえずりや車の走行音などの環境音にはエコーがかかっているように聞こえ始めた。 
この時点で、すでに現実の現実感がなくなったように感じていて、「今回こそ戻れないほどやりすぎてしまった」とかなり切迫していたのだが、もうどうにでもなれという気持ちで、それからも二巡三巡とまわってくるブラントを吸い続けた。 
公園に生えている木の幹は、呼吸をしているように内側に収縮したり外側に拡張したりしていて、木々が呼吸しているように思えた。さらに深く吸うと、規則性を持って複雑に変化する半透明の幾何学模様が視界全体に現れ、その半透明の幾何学模様越しに、呼吸をしている木々が見えていた。地面は海のように波打って動いているように見え、その波打ちの残像まで見えていて、波打つ地面は遠くなるに連れて微妙に反り返っている。 
Tumblr media
視覚だけではない。思考は次から次へと矢継ぎ早に連想されながら流れていて、その矢継ぎ早に流れている思考とは別に、バックグラウンド再生のように同時に矢継ぎ早に流れる思考があった。そのため、思考を一つに絞って処理するのが難しく、思考を口に出そうとしても、思考の速さに口の動きが追いつかなくなっていた。 
しかも短期記憶がほとんどなくなっていて、ついさっき浮かんだ思考が思い出せなくなっていたので、なんとか紡いだ言葉を口に出しても、言葉を口にした時点で��を喋ろうとしていたか思い出せなくなっていた。 
そんなこんなで、やっとのことで極太ブラントを吸い切ると、ついには“目の前の光景を細部まではっきりと見ることができているのに、見ているものがなんなのか認識できない”という状態になった。 
その刹那、「もう戻れないのではないか?」という考えがよぎってしまい、その考えを元に高速で恐怖の連想ゲームが始まった。絶望感で声が出せなくなった。 
Tumblr media
しのはるも僕と同様に、声を出せないか、声を出せても支離滅裂なことしか発せられていなかったので、僕はパニック状態になりつつも、“彼も同じように狂人になっている”と悟って、少し安心した。 
ところが、イシカワは平然とした口調で、「お腹すいた。寿司でも食う?」などと呑気なことを言っていた。僕としのはるは、当然まともに言語を話せる状態ではなかったので、顔を見合わせ、テレパシーを使って「こいつとは次元が違う」などと会話をした(LSDの統合失調症様の効果で、相手の思考が読み取れて自分の思考が伝わっていると思い込んでいただけではあるが)。 
Tumblr media
僕はイシカワに対して、「こんなキチガイが公園の外に出ていいわけがないし、食事するにしてもナマものは気持ち悪いから論外」などと伝えたかったのだが、イシカワも僕としのはるの異常な様子に少し脅えた表情をしているように見えたので、「一旦…それぞれ一人になって…みない?」などと必死に言葉を紡いで喋ると、しのはるはよくぞ言ってくれたという表情で「そうしよう」とだけ言って、そそくさと離れて行った。 
イシカワはわけがわからないようで困惑していたが、僕も最後の力を振り絞って、「ごめん、もう…幻覚が凄くて…」などと言って、イシカワから離れた場所に歩いて行き、平たい地面の上に座り込んだ。 
Tumblr media
地面に座り込むと、現実の瑣末な事象から解放され、一気に幻覚ワールドに引き込まれる感覚があった。僕はどういうわけか、その感覚に集中できることに安心感を覚えていた。 
座り込んだまま上空を見上げると、網目の中一つ一つに目玉があるドーム状の蜘蛛の巣が空の全体を覆っているように見えていた。 
僕はその幻覚に圧倒されて、後ろにぶっ倒れるようにして仰向けに横たわった。仰向けになると、その幻覚は次第に色濃く迫力を増し、完全に周囲を覆っていった。 
次第に、その幻覚は、視界に映っているだけという認識ではなくなっていって、“むしろ実際の現実の光景より現実っぽく思える”という、摩訶不思議な感覚になっていった。 
どう考えても“まともでない側の人間”に、僕がその“当事者”になってしまったという事実に、僕は極度のスリルを感じたが、その感情と同時に、��を瞑ったらより深い幻覚ワールドに没入できるという期待もあったので、僕はゆっくりと目を瞑り、LSDに身を預けることにした。 
Tumblr media
―――僕は奇妙なフラクタル構造の幾何学模様に360度覆われた空間にいた。その幾何学模様は僕の脳に保存されている記憶とは全く関連がないような、まるで見たこともなく、この世のものとは思えないパターン・構造・配色に次々と変化をしていき、それは無限に変化していく……。 
僕はいつの間にか身体感覚を認識できなくなっていて、現実世界とは切り離された、魂の空間とでもいうような世界に入っていき、現実の事象―ここがどこで、僕は誰で、今は何時で、何を摂取してこんなことになっているのか―などが、まるでわからなくなっていた。 
 ここから記憶は曖昧だが、気づくと、先の見えない遥か上空まで続いている高い塔に沿って、魂だけの自分が上空に向かって凄いスピードで進んでいた。上空に進めば進むほど、現実世界がどんどん遠のいていくような感じがして、これはとても言葉では言い表せないほどに爽快だった。 
すると、スピードは次第に弱まり、フリーフォールのように猛スピードで落下していった。面白いことに、落下するごとに徐々に現実の事象が思い出されてきて、地面に直撃する寸前で身体感覚や現実の記憶を取り戻した。 
Tumblr media
 と、思ったら、自分の過去をプレイバックするように高速で時間の巻き戻しが始まり、一人称視点で、学生時代から少年期、さらに覚えているはずのない幼少期から乳児期まで遡り、母親の胎内へ入っていった。 
すると途中で、逆再生は止まり、今度は未来方向に向かって、高速で早送りされる映像が始まった。再び一人称視点で、誕生から今生きている時間まで進んでいったが、さらに現在を通過して、数分後の未来から自分が老いて死ぬまでの主観映像を見た。不思議なことに、これらの各瞬間は主観的に現実感があり、“今”の事象として認識されていた。 
それから自分が死んだ後も、映像の早送りは続き、さらにその先の自分の死後の世界の映像を少し見させられ、また逆再生が始まった。そして未来の死の状態から生の状態に、さらに巻き戻って、現在の時間に戻った瞬間、急に意識がはっきりし、僕はその勢いで目を開けて上体を起こした。辺りを確認すると、少し離れた場所にいたしのはるも、ちょうど上体を起こしてこちらを見ていた。 
Tumblr media
 今でこそサイケデリック体験についてある程度理解はできているけど、当時はこの体験がなんのことかまるでわからず、SFやファンタジーのような摩訶不思議な世界に放り込まれたような気持ちだった。 
しのはるも僕と同じように神秘体験をしていたようで、僕らは興奮しながら、ただ顔を合わせ、互いに言葉にできない想像を絶する体験をしたことを感覚的に共有した。 
 その後、僕らはとりあえず作戦会議をしようという話になり、ガストに行くことにした。言葉にするのはとても難しかったけど、どうにかお互い自分の体験を言葉にした上で、「LSDによる神秘体験を幼馴染と共有できていることの奇跡」などについて、恥ずかしげもなく語り合った。 
また、僕たちはこの体験を通して、「死とは自分にも訪れるものなのだ」という本来当然の事実を、自分の肉体をもって理解することができたと感じていた。漠然と抽象的に、他人事としてイメージしていた“死”という概念の実態を掴めた気になって、死に対する恐怖心が薄れている感覚があった。 
それと同時に、「今までいかに自分の人生に当事者としての自覚を持たずに、世間に合わせて流されるままに生きてしまったのだろう」とか、「どうせ死ぬのになぜお行儀よくしていたのだろう」というような後悔の念を強く抱いた。 
Tumblr media
 そうして一通り話を終えた頃には、LSDの効果が下がっていて、サイケデリックな感覚は失われていってきていた。ただしかし、シラフに戻れば大丈夫という話ではなかった。臨死体験と括るだけでは物足りない神秘体験をしたということは、今後の一生を大きく変えるターニングポイントであり、一生忘れることのない体験なのだと思った。 
そういえばよく覚えていないけど、トリップ中に体験していた“自分が死ぬまでのヴィジョン”は、このままの人格や生活環境であると、面白みのない人生を送って寂しく死んでいくという印象の体験だった。 
 ところで、イシカワはというと、そ���そも僕としのはるほど大麻を吸っていなかったらしく、それによってトリップの深度の差ができていたようだった。とはいえ、イシカワも十分トランス状態ではあったので、僕としのはるが仰向けになってブッとび出したあたりで、その状況が猛烈に恐ろしくなったらしく、ひとりで電車に乗って、人混みに怯えながらどうにか帰ったらしい。 
後日、イシカワにはちゃんとワケを話して、「ブッとびすぎててごめん」などと言って謝った。ただでさえイシカワは初体験なのだから、さぞかし怖かったんだろうなあと思う。 
つづく(この物語は雑誌「さいばーひっぴー」の「さいばーひっぴーができるまで」に載っている内容とほぼ同じものです)
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
23 notes · View notes
moko1590m · 5 months ago
Quote
米国による日本占領期間中に行われた政治宣伝に惑わされる前の、日本政府の主張がどういうものであったのかを広く知ってもらうために、この「抗議文」の全文(日本語及び英語)をここに紹介する。(平成14年10月3日、日本会議事務局記す) 米国の新型爆弾による攻撃に対する抗議文  本月六日米国航空機は広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し瞬時にして多数の市民を殺傷し同市の大半を潰滅せしめたり。  広島市は何ら特殊の軍事的防衛乃至施設を施し居らざる普通の一地方都市にして同市全体として一つの軍事目標たるの性質を有するものに非ず、本件爆撃に関する声明において米国大統領「トルーマン」はわれらは船渠(せんきょ)工場および交通施設を破壊すべしと言ひをるも、本件爆弾は落下傘を付して投下せられ空中において炸裂し極めて広き範囲に破壊的効力を及ぼすものなるを以つてこれ��よる攻撃の効果を右の如き特定目標に限定することは物理的に全然不可能なこと明瞭にして右の如き本件爆弾の性能については米国側においてもすでに承知しをるところなり。  また実際の被害状況に徴するも被害地域は広範囲にわたり右地域内にあるものは交戦者、非交戦者の別なく、また男女老幼を問わず、すべて爆風および幅射熱により無差別に殺傷せられその被害範囲の一般的にして、かつ甚大なるのみならず、個々の傷害状況より見るも未だ見ざる惨憺なるものと言ふべきなり。  聊々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与ふべき兵器、投射物其他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約付属書、陸戦の法規慣例に関する規則第二十二条、及び第二十三条(ホ)号に明定せらるるところなり。  米国政府は今次世界の戦乱勃発以来再三にわたり毒ガス乃至その他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の輿論により不法とせられをれりとし、相手国側において、まづこれを使用せざる限り、これを使用することなかるべき旨声明したるが、米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において従来かゝる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり、米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民衆などを倒壊または焼失せしめたり。  而していまや新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり。帝国���府はここに自からの名において、かつまた全人類および文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かゝる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す。 (正漢字は現代風に改めた。出典:『朝日新聞』昭和20年8月11日)
昭和20年8/10付け原爆投下への抗議文 | foot001 - 楽天ブログ
21 notes · View notes
manganjiiji · 3 months ago
Text
こんつめ段ボール
久しぶりにtumblrをひらいて、久しぶりに他人の日記を読む。みんな一生懸命生きているなあと思う。長く日記を拝読している方のことは、なんとなく親身なきもちになって、ちかくで話を聞いているような錯覚がある。まったくちがうのだけれど。日記は、もっと、まっしろな無重力空間にぱん、と打ち出された、フラットで無機質でちょっと感傷的な四角い板に羅列される日々のことだと思うのだけど、でもどうも、私はそれを人間同士の会話のように読んでしまう。まあ全然違う。私は知らない人の日記を読んでいて、知らない人は私に日記を読まれている。私の日記を読んでくれる人のことは、私はもうわりとダチじゃん、と思っているが、読んでいる人は当然そんなことは思っていないだろう。
コミティアの原稿を始めた。始めたと言っていいのか、まだ202字である。冒頭ポエム。許されるならえいえんに冒頭ポエムを書いていたいのだ。えいえんに冒頭ポエムを書いてそれを散文詩として組み立ててもいいのかもしれないが、これは小説の冒頭のポエムだからこそ、私に書かれている文章であって、おそらくそういう形でしかそこに出てこないたぐいの物である。内容は女子高生二人が惹かれ合うようすを書ければ、と思っている。むずかしそう。これはnoa(乃紫)さんのA8番出口という曲を聴いて、友人の夢小説を書こうという試みである。友人の夢小説であることを忘れてはならないと思う。友人の夢小説なのに夢主がいなくて、なぜか友人が二人に分裂してしまった感じなので混迷を極めている。黒髪の女と茶髪の女が出てくるのだが(ともに高校三年生)、まあ便宜的に黒髪の方を友人にして、茶髪の方を夢主にするしかないだろうなと感じている。それでいこう。よし。その方向で想像をとがらせていきたい。
『マイナスきいろ』の加筆版を出そうとしていたが、そちらの案は完全に消えた。いま、私にはマイナスきいろは書けないと思う。これは、もっとかなり長い時間をかけて書きたい。私が死ぬほうが早いんじゃないか?と思うが、頭の中でかなり長い話になってしまっているので、二次創作を上がってからじっくり書くくらいでいいやと思っている。あとオリジナルBLのネタのうちの一つがかなり脳内で書けてきたので、これも途中まででいいからそのうち出力したい。今は目の前の友人夢小説に取り組むしかない。
二次創作はあんスタの燐一で書きたいものが中編で一つ、短編で2つあり、燐一以外のカップリングも手を出したいものがいくつかある。そのためには膨大な量のゲームシナリオを読まなければならないので、ここはストップしている。が、なんとなくそろそろ小説が書けるんじゃないかという気がしてきた。一時期は狂ったように書いていたのに、ここ数年はまったくと言っていいほど書いていない。また書くようになるのか、もう書かないのか、それはわからないが、書くのをやめられるのか、と考えると、それはなさそうだと感じる。書くのはわくわくするし、できればずっと続けたい。名誉欲、あるいは承認欲求とは関係なしに、ただ書くことに没入する時間は楽しい(つまり私は基本的には名誉欲や承認欲求のために書いているのである)。
労働を全く行わない期間が思ったより自分には必要なのかもしれない。労働を全く行わない期間、つまり体調不良以外はすべて自由時間。労働をしていると、体調不良でだいぶ自由時間が奪われるので、そのフラストレーションが溜まっていく。とはいえ、働かないと生活を維持できないため、最低限働かねばなあと思っている。本当は無職になって小説だけ書いていたい。本だけ読んでいたい。でもそうなったら、私はみるみるうちに駄目になるだろうなと感じる。働くことという実践があって初めて、「世界を読む」ことができる。労働力として世界に組み込まれて初めて、私は社会との繋がりを意識できる。もし働かなくてもよいとなったら、じゃあ一体今までのあの労苦はなんだったのか、となってしまう。働かなくてもこの世界と繋がることができるのならば、最初からそうしている。しかしてそういうルートは私の人生にはなかった。働くことだけが、この世界に「ついていく」ことだった。あの閉じられた家から逃げ出した先で世界に参加するには働くしかなかったし、私は仕事が好きだった。そして仕事をすればするほど、世界を知れば知るほど、自分の「異常さ」、生まれた家の「異常さ」を突きつけられることになる。社会的養護に至らなかった子供たちが、大人になってまずぶつかるのがこの壁である。でも実は全然大丈夫で、この壁にはちゃんと扉が付いていて、試行錯誤すればそれを開けて向こう側に行くことができる。つらいのは、その試行錯誤の気力がなく、壁の前で力尽きてしまった子供(大人になった子供)たちだ。かれらは自死しか選べる道がない。若い精神疾患者の多くがACE経験者(※)であり、その生きることの難しさ、そしてその難しさへの世間の無理解(多くの人々にとって、かれらは見えない、知られていない存在だ)が、かれらを殺してしまう。気力勝負、体力勝負で、運もある。おおいにある。働き続けるうちに少しずつ癒される場合もあるし、働き続けて、もっと悪くなる場合もある。私は幸運なことに前者だったが、後者の存在を忘れたことはない。(※ACEとは、ここでは小児期逆境体験を指します。)
私にはまだまだやりたいことがある。やりたいことに比べたら、書きたいものというのは、そんなに強い気持ちではないかもしれない。私には書くことしかできないと思っていた頃よりも、できることがいろいろと増えた。周囲からはかなり置いていかれているが、私も結構これで、目に見えて成長していたりする。ありがたいことであります。小説を書く時間をメインに据えることはできないものの、たまに書くくらいの材料は持っているので、これからもたまに書いて、でも、ずっと書いていきたいなあと思っている。
2024.10.8
Tumblr media Tumblr media
7 notes · View notes
niceage1993 · 1 year ago
Text
色狂いが落ちる地獄ってなんだっけ?
かなり本格的にセックスというものに絶望してしまった。セックスっていうのはつまりセックスで、人と人とが皮膚に触れあったり粘膜をこすり合わせたりして性的に気持ちよくなるというアレなわけだけど、わたしは若干三十歳にしてその行為に対し心の限りなく底のほうから“こりゃわたしには向いてないわ”とネガティブな感情を湧きあがらせているわけである。わけである、ではない。
自分の意に反して馬鹿でかい乳房とぽってり薄ら開いた唇のせいで助平の権化みたいな見てくれをしている自覚はあり、加えて求められれば比較的誰とでも寝てきたせいで(本当におしまい)勘違いされがちなんだけれど、わたしは元来、性に対してかなり淡泊な性質だと思っている。セックス“できる”だけで“したい”と思ったことはほとんどなかったし、ごくまれに沸き起こる性欲的なものは自分で適当にやり過ごすことができる程度のそれで、別に他者の介入を求めようだなんて考えたこともなかった。
そもそもわたしにとってセックスは目的というより手段の要素が強くて、自分が手に入れたいもの(お金とか地位的なものではない)のために相手の要望に応えて体を重ねる、ということをしてきているせいで、そもそも行為自体に愛とか勇気とか希望とか、それから快楽とかを期待することもなかった。じゃあ何を求めていたかっていうのは、話が逸れるしクソ長くなるので割愛する。ちなみにキスとかは好き。
実はわたしと旦那の性に対する意識に北極と南極くらいの距離があって、夫婦関係がマジでヤバくなったときがある。旦那はとにかくヤりたくてたまらないし、わたしはわたしで子どもを産んだり育てたり社会復帰したりとかで手一杯でそれどころではなく、とにかくヤりたくなかった。別に旦那が嫌いになったわけでもなんでもなくて、ただ肉体的に交わる余裕がないというか、そんなことする時間あるなら一文字でも多く本を読みたかったし1秒でも長く寝たかっただけで、つまりセックスの優先度が地面にめり込むほど低かった。で、じゃあどうやって打開したかっていうと旦那に対して婚外交渉をOKしたわけである。今っぽく言うと“オープンマリッジ”ってやつ。案外旦那が外に遊びにいくことへの嫌悪感とかはなくて、むしろよそ様が発散させてくれることで家庭内に平穏が訪れるならかえって良いことなのでは?という気持ちでさえいる。わたしの知らないマッチングアプリの女性のみなさん、旦那をよろしく頼む、と感じている。大抵の人はこの話を聞くと驚くか呆れるか、もしくは“じゃあこいつともヤれるのでは?”なんていう感情を抱くかするんだけど、わたしたちはこれでかなり上手くやってるし、当然わたしとはヤれない。
そこまでして性的な接触をなるべく避けてきたわたしが、どうして今改めてわざわざセックスに絶望なんかしているかというと、ごく最近に、意外にも「あ、したいかもしれない」と思う瞬間があったからだった。残念ながらその相手は旦那じゃなかったけど、個人的にはそういう感情に至ったこと自体が奇跡みたいなもので、正直処女を捧げることになったときくらいの胸の高鳴りを感じていた。三十路にもなって。結局その人とはラブホテルのベッドの上で小一時間転げ回るだけでとくにそういうことにはならなかったんだけど(というかわたしがしないことにしていたんだけど)、その胸の高鳴り、というか紛れもない性欲は数日尾を引いた。その人との接触が引き金になったのは言うまでもないが、果たしてその人としたかったかどうかというのはいまいちよくわかっていない。実際わたしは、閉鎖されて二人きりの薄暗い部屋のベッドの上で触れられて気持ちが昂っても、その人に「抱いてくれ!」とはついぞ言わなかったし。こういうところが自分の面倒なところだよな、と思う。思うだけでとくに対策を講じなかったので、いい歳をこいてこんなことになっている。で、旦那が登場するわけである。こういう書き方をすると、ラブホテルのベッドで転げ回った相手にも気まぐれな性欲のはけ口にされた旦那にも本当に失礼だというのは承知なんだけど、でもやっぱりわたしが気軽に「抱いてくれ!」って誘っていいのは旦那だけだと思うし、実際旦那も喜んでくれたのでいいことにしてほしい。
結論からいうと本当に地獄だった。旦那の名誉のために誓って言うけど、彼のやり方がダメだったわけでは断じてない。むしろ彼はあらゆる面において丁寧でなんならかわいらしさみたいなものもあり、彼自身も素晴らしいと思うのでマッチングアプリでこれから出会うかもしれない皆さんは心配しないでほしい。最悪なのはわたしで、一時間半あまりの行為のうち三分の二の時間は「早く終わってくれ」ということばかり考えていた。気持ちいいとかよくないとかそういう次元の話ではもはやなく、というかもう快感を与えられそれを拾い体が勝手に動いたりうっかり声が出たりすることすら億劫だと感じていた。こんなにむなしいことってあるだろうか、とかなり明確に自分に対してうんざりして、それがよりセックスに対する絶望へ拍車をかけた。ほかにうまく言い表す言葉が見つからないし、そんなもの多分なくて、ただただ“向いていない”んだと思う。なまじ「したいかも」なんて淡い欲と期待を抱いてしまっていたせいで、落ちた地獄はあまりに深い。もう二度としたくないとさえ思うけど、旦那と夫婦である以上この先も肌を重ねることはきっとあるだろうし、そのたび腹の底で「早く終われ」と思っているわたしを抱かせるのはしっかり申し訳ないと思う。そういうのもひっくるめて、わたしは本格的に自分のセックスというものに絶望してしまった。
気が削がれすぎてこれをどうしようみたいな気持ちにもならない。こういう話をすると「女性は30代以降から性欲が強くなる」とか「おれが変えてやる」とか言い出す人が出てくるし、実際に言われたこともあるんだけど、やれるもんならやってみろ、こっちは本気だぞ、本気の絶望と地獄だぞ。とか思う。そのくらい諦めている。別にいいんだけど。でもなんかやっぱり衝撃を受けた部分も確かにあって、うわー自分この先誰とも肌の触れ合いを楽しむことないんだ、という悲しみもうっすらある。悲しみなのか?わからないけど。新年早々こんなことを長々と書き連ねるほどには驚いた、という感じ。どうでもいいと思い続けてきたことをまあまあ真剣に考えてしまった。
えーと、なんだっけ。つまり何が言いたいかというと、バイアグラ的なものってわたしみたいな終わり人間も奮い立たせることができるんでしょうか?
17 notes · View notes
kagurakanon · 3 months ago
Text
2024/10/03 ケアの倫理と魔法少女まどか☆マギカ
「ケアの倫理 the cthics of care 」はアメリカの心理学者であるキャロル・ギリガンが1982年に公刊した『もうひとつの声』で提唱して以来、哲学、政治学、社会学といったさまざまな学問領域に影響を及ぼした考え方である。ギリガンは1960年代後半、道徳性発達理論の権威である心理学者ローレンス・コールバーグの助手としてハーバード大学において女性と道徳に関する調査研究を進めるなかで、当時の女性たちが社会が期待する女性像を内面化した結果、既存の心理学においてはその道徳能力が未発達であると判定されるディレンマに陥っていることに気づき、多くの女性にインタヴューを重ねるなかで、これまでコールバーグの発達理論をはじめとする既存の心理学が捉え損なっていた「声」を発見する。こうした「声」を彼女は『もうひとつの声』において「正義の倫理」ではなく「ケアの倫理」から再評価する。
ここでいう「正義の倫理」とは自由意志をもった自律的な主体を前提として、諸権利の競合から生じる道徳的問題を客観的で公正な原理に基づき形式的に優先順位をつけて解決しようとする思考様式である。これに対して「ケアの倫理」とは関係性の網の目のなかで個々人は決して完全に自律的ではなく常に相互依存の関係を結んでいることを前提に、個々人の責任の衝突から生じる道徳問題をその人その人が置かれた具体的・個別的な語りのなかに文脈づけることで解決しようとする思考様式である。
そのため「ケアの倫理」は近代社会で必ずしも自律的な主体ではないケアされるものと見做されてきた子ども、高齢者、障害者、病人などの存在や、彼らのケアを負担する存在のニーズにどう答えていくかといった「正義の理念」からは導かれない問いを積極的に引き受けることになった。換言すれば「ケアの倫理」とは互いにケアし合い依存し合う関係性を中心化することによって、いかなる者であろうとも取り残すことはない非抑圧的・非暴力的な平等社会を構想する思考であり、この理念のもとで個々人は「具体的他者のニーズへの応答」を引き受けることになる。かかる視座から同書は「正義の倫理」と「ケアの倫��」を対比的に考察し、これまで男性に比べて「劣っている」とされてきた女性たちが異なる発達の過程を経て成熟に至ることを論証する。
確かに「ケアの倫理」は「正義の倫理」のようにディレンマを一刀両断に解決できるような明瞭さはない。しかしそのディレンマが現れてくるその文脈においてあらゆる重要なことに目を凝らし、しっかりと対応するという道、決断というより熟考することにむしろギリガンは道徳的な価値を見出している。そして、ギリガンはこのような新たに獲得した視座から既存の視座を補い、拡張し融合することで人間の発達に対する理解に変化をもたらし、人間の生に対する見方をより実り豊かなものとなる将来を思い描けるようになると述べて同書を締め括るのであった。
そして思えばゼロ年代的な想像力の総決算とも評され、現代表象文化に多大なインパクトをもたらした『魔法少女まどか☆マギカ』という作品をこのような「正義の倫理」と「ケアの倫理」のせめぎ合いを鋭く描き出した作品でもあったといえる。同作が斬新だったのは、従来の魔法少女観を根本的に転倒させた点にあった。そこで描き出されるのは「夢や正義の象徴としての魔法少女」ではなく、いわば「システムとしての魔法少女」である。物語が進行するにつれて徐々に以下のような「魔法少女の真実」が明るみに出されていく。
地球外生命体、インキュベーターはこの宇宙の寿命を伸ばす為、エントロピーに逆立するエネルギー源として人類の、それも二次性徴期における少女の「希望と絶望の相転移」による感情エネルギーに着目する。そして、そのエネルギー源を効率的に採掘する為「魔法少女」というシステムが開発された。このシステムにおいて少女達は「ひとつの願い」と引き換えに、その魂は身体から引き剥がされ「ソウルジェム」に具象化されて「魔法少女」を構成する。このソウルジェムは何もしなくても徐々に穢れを溜め込み濁っていく。やがて極限まで濁ったソウルジェムは魔女の卵である「グリーフシード」へと相転移し、かくて魔法少女は「魔女」となる。インキュベーターの狙いはまさにその際に生まれる莫大なエネルギーの回収にあった。
そして、本作における「正義の倫理」と「ケアの倫理」の対立は第9話におけるまどかとキュゥべえの対話に象徴されている。ここでキュゥべえは上記のような「魔法少女の真実」を理路整然と説明した上で「長い目で見れば、これは君たちにとっても、得になる取引のはずだよ?」と述べ���。そして、まどかの「バカ言わないで。そんなわけのわからない理由で、マミさんが死んで、さやかちゃんがあんな目に遭って。あんまりだよ…ひど過ぎるよ」という言葉に対して彼は「僕たちはあくまで君たちの合意を前提に契約しているんだよ?」「認識の相違から生じた判断ミスを後悔する時、何故か人間は、他者を憎悪するんだよね」と答え、さらに「今現在で69億人、しかも、4秒に10人づつ増え続けている君たちが、どうして単一個体の生き死ににそこまで大騒ぎするんだい?」と冷然と言い放つのである。
キュゥべえの論理は極めて明快である。彼の主張は徹頭徹尾「宇宙の寿命」と「少女の生命」という諸権利の競合から生じる問題を客観的で公正な原理に基づき形式的に優先順位をつけて解決する「正義の倫理」に依拠している。これに対して、まどかの語りは終始、歯切れが悪く、どこまでも感傷的なようにも見える。けれども、それは裏返せば彼女がどこまでも「ケアの倫理」に誠実であろうとする態度からくる証左であるともいえるだろう。そして、このようなまどかの「ケアの倫理」は土壇場において、キュゥべえの「正義の倫理」を見事に出し抜くことに成功し、すべての魔法少女に向けたケアともいえるあの願いに至るのであった。
4 notes · View notes
nostalblue · 7 months ago
Text
うりはむしにあんどん
Tumblr media
橙光沢のボディで体長は8mm程、一見愛くるしい姿をしているが、実はとんでもない曲者なのがこのウリハムシである。これまでの人生で可愛い顔した悪魔を何度も見てきたが、こやつも間違いなくその類だ(敵)。
Tumblr media
ちなみに背中を漆黒にあしらったクロウリハムシもほぼ同じ所業。なのでここでは両方ひっくるめ「奴ら」と呼ぶ。
Tumblr media
ウリハムシという名前からもわかるように、奴らは夏野菜として定植するウリ類を中心に多大な被害をもたらす。
一つは成虫による食害。上の写真は定植して数日経ったカボチャ苗で、青矢印で示したところが奴ら独特の食害跡である。まず葉上に円弧状の溝を掘り、植物が出す食害防御物質を遮断してからその内側を食べるのだ(トレンチ行動と呼ばれるらしい)。特に定植直後の苗にとってその影響は深刻で、ダメージが大きいと光合成が出来ず成長不良や枯死に至る。
Tumblr media
こちらはウリ科ではなくマメ科のインゲンマメだが、下葉が餌食になった。ちなみに奴らは同様の手口で花弁や果実も食害する。
そしてもう一つは幼虫による食害。成虫はターゲットの株元近くの土に産卵し、孵化した幼虫はその根を食害する。またそれが進行すると茎の内部からも食害を受ける。さらに土の上に果実などがあるとそれに穴を開けて食害する。
Tumblr media
葉、根、茎、花、実に至るまで容赦なく貪り尽くす極悪一家に対抗すべく、これまでいろいろな方法を試してきた(ハイコストな物を除く)。反射板の設置やネギ類の混植は効果見られず、農薬散布は効果もあるけど一時的、地道に捕殺(最近はお洒落に「テデトール」と言うらしい)なんか忙しくてとてもやってられない。
そんな中、光を透過する肥料袋などを利用して苗の周囲を覆う方法は不思議なほど効果がある。上の写真のようにを支柱4本立て四角柱状にするのが一般的で、その形状から「行灯(あんどん)仕立」と呼ばれる。
Tumblr media
上から覗くと内部はこんな感じ。植え物はズッキーニだ。
奴らがこの中に進入できないのは飛翔で垂直降下が出来ないからだと言われるが、私はこの説には懐疑的である。だって上縁に取り付けば歩いて中に入れるもんね。葉の表は勿論、裏にまで回り込む奴が出来ないハズはない。恐らく本能的に閉鎖的空間をリスキーに感じて寄りつかないのではないかと私は思うけどね。ちなみに他の害虫の防除効果は薄く、ダンゴムシやナメクジなどは普通に進入してくる(笑)。
Tumblr media
この行灯仕立を大量に導入する場合、カバーは鶏糞肥料の空袋が沢山あるので困らないが、支柱を必要本数用意するのが中々大変だ。購入すれば手間は無いが費用が掛かる。木の枝なんか利用すれば無料だけど手間が掛かる。う~む、とりあえず支柱を1本減らして三角柱状にしてみたが、問題は無さそうだ。
Tumblr media
蔓ネット前に定植する場合はカバー上縁の一端をネットへ引っ張って固定すれば、さらに一本の支柱削減が可能に。下縁は思ったより安定しているが、変形が気になるようなら軽く裾埋めしてもいいよね。
Tumblr media
この要領で20本のキュウリ苗にカバー掛け。形状的にはすっかり行灯崩れだけど、なかなかの壮観だ。
Tumblr media
あれひょっとして、ネット側で2箇所引っ張るようにすれば支柱1本で済むのでは。。。いやあ今頃になって気が付いてしまった(嘆)。次回からそうしよう。
Tumblr media
行灯仕立は害虫防除だけでなく、風除けや保温の効果もある。一方で中に湿気がこもりやすかったり、手入れし難くなると言うデメリットもある。
そして期間限定の措置であるのも特徴。苗が成長し丈が上縁まで達したら強制的に卒業となる。幼いうちは保護して貰っても、ある程度育ったら自力で生きて行かなきゃならないのがこの世の掟だ。とは言え今後も多少は面倒見るけどね。ウリハムシに好き放題させるのも癪だし、成果物を沢山収穫したいからね。
10 notes · View notes
noirpomme9999 · 6 months ago
Text
興味・関心の低下について
 子供の時からぱっとしない成績で、小学校から持ち帰るあゆみ(小学校の通信簿)では△〜◎の3段階評価のうち真ん中の◯ばかりが並んでいた。国語や体育は◎が多かったが、特に算数などは△になることもしばしばだった。
 当時のあゆみで納得いかなかったのが、「興味・関心」という項目だ。��事への興味なんて自発的に持つべきもので学校教育に強制されるべきではないのに、退屈極まりない算数という科目に興味を持てないことで評価を下げられるのはおかしいと子供ながらに不服だった。自分の興味は主にクラスメイトの誰と誰が両思いとか、学校で飼っているうさぎの世話とか、ポケモンのアニメとか、今日の欠席者の人数からいって給食でデザートのゼリーは何個余りそうかといったことに向けられていて、大人の作った勝手な評価制度で己の関心を採点されることに納得がいかなかった。
 それから約20年。今となっては、物事に興味を持つこと・持ち続けることが難しい。
 たとえば読書ひとつとってみても、いまは読める本のジャンルがかなり限定されてしまった。受け付けるのはエッセイや新書ばかりで、以前好きだったファンタジーや恋愛小説はどうせ自分の人生に関係のない作り話と白けてしまい最後まで読み進めることができない。誰と誰が結婚したという話を聞いても、他人の人間関係に露ほどの興味も湧かない。たまの休みも疲れるのが億劫で外出もせず、かといってゲームを起動するのも面倒でただ布団に寝転がって手頃なYouTube動画を流し見して一日が終わる。
 なにかに熱中できることは、それだけで財産だと思う。時間を忘れるほどに楽しめる趣味があるのなら、それは何を注ぎ込んででも続けるべき価値がある。
 中島らもは自身のエッセイの中で「一人で時間を潰せることを教養という。教養のない奴が酒や薬やギャンブルにハマる」といったようなことを書いていたが、まさしくその通りだと思う。ジャンクフードのドカ食いなんかもそうだが、自分で自分を喜ばせる手段を知らない人間は興奮そのものを目的に不摂生な生活習慣へ陥る。低俗な暇つぶししか知らない人間に比べたら、趣味を熱く語るオタク達は選ばれし高等遊民なのだ。
 三十を過ぎても何かひとつ寝食を忘れるほど熱中するものを持てない一般人は、おとなしく結婚して子どもを作り、その成長を何よりの喜びとして生きるべきなのかもしれない。私のように無教養で飽きっぽく感性に乏しい人間にとって、生殖は遺伝子に組み込まれた最後の娯楽なのだとしたら、これを拒む理由があるだろうか。
 生まれてくる子供にはかわいそうだが、ここはひとつ親である私の人生を豊かにすることを目的に、彼・彼女には腹を決めてこの腐った世に産声をあげてもらうべきなのかもしれない。太宰治が言った通り、この世界では「子供より親が大事」なのだ。
 長らく反出生主義者として過ごしてきたが、思想の転換をすべきか、といったところがここ数ヶ月の主な悩みである。反出生に至った経緯については、また自分の感情の整理のためにまた改めてまとめることにしたい。
6 notes · View notes
ari0921 · 9 months ago
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月19日(金曜日)
   通巻第8221号
 後継皇室問題で自民党が有識者会議の二案を『妥当』
  やはり自民党に「現代の新井白石」はいなかった
*************************
 皇統後継問題の皇室典範改正をめぐって有識者会議が開かれ、これを踏まえて岸田首相は令和六年(二〇二四年)一月三十日の所信表明演説後の質門に答え、かく述べている。
 「有識者会議において悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならないとの結論に至った」。
つまり「女系天皇論」という俗論をたしなめたのだ。だがメディアは意図的に、この一歩踏み込んだ発言を殆ど伝えなかった。岸田首相は「悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」と明言しているのである。
 皇統は神武以来の万世一系で男子が継承��、跡継ぎが幼少などの場合、未亡人皇后か独身の内親王が天皇代理として「称制」と務めた。この歴史の特質が意図的に議論されず学校でも教えない。
だから軽佻浮薄にも「愛子天皇待望論」が出てくる。女性天皇と女系天皇の区別も曖昧とされたままである。
 小泉政権のおり皇室典範改正をめぐって有識者会議が開催された。明治二二年(一八八九年)制定された典範により、男系長子が皇位を継承するという神武天皇以来の万世一系の伝統が守られてきた。状況が変化し、皇統が絶えかねないという危機を認識し、急遽、有識者会議が招集された。
だが、座長はロボット工学専門の学者で歴史には無知だった。秋篠宮に悠仁親)王がお生まれになって、皇統問題は棚上げとなった。
 もしこの流れを変えるとなると歴史を否定する革命である。フランクフルト学派が狙うのは二段階革命による国家破壊であり、グローバリズムが国境をなくせと唱えている国家否定の隠れた目標に通底する。
  
 4月15日、自民党は皇位継承の安定のための皇族数確保に関する有識者会議の二案を『妥当』とする立場を示し、「安定的な皇位継承の確保に関する懇親会(麻生副総裁が会長)で党見解のとりまとめを急ぐとした。
 「二案」とは(1)皇族女子の結婚後の皇族身分保持。(2)養子縁組に拠る旧皇族団系男子の皇籍復帰、である。
 自民党はいずれも妥当としたわけだが、いささか勉強不足だろう。やはり与党に現代版の新井白石はいなかったのだ。
 各党の意見のなかで、唯一まともなのが「維新の会」である。すなわち(1)に対して、現実的ではあるが「女系への皇位継承資格拡大につながる懸念がある」としている。
 (2)に関しては『歴史と現実を踏まえれば、高く評価できる』とした。
そもそも皇室典範の改正云々を内閣ごときがおこなうべきではない。立太子と親王殿下がおられるのに、なぜこんな議論をするのか、裏に何か別の動機が潜んでいるのか。
(参考文献 宮崎正弘『二度天皇になった女性 ─孝謙・称徳女帝の光と影』(ワック)
  ▼
(再録)「新井白石 皇統断絶の危機を予知」
 皇統が断絶の危機に瀕したことは神武天皇の御代から幾度かある。また後継皇位を争った政争、謀殺も何回かあった。 
 古代史最大の謎は応神天皇と継体天皇の正当性である。ほかにも雄略天皇が謀殺したイチノヘオシハ(履中天皇の皇子、雄略天皇の叔父)の遺児が播磨と吉備の境に二十年隠れ住んでいて、雄略の皇子・清寧天皇が亡くなると名乗り出た。この間、イチノヘオシハの妹の称制だった。
 新井白石は自伝ともとれる『折たく柴の記』のなかで、皇室の後継が不在となる危機の到来を認識し、東山天皇の祖孫をして閑院宮家を立てられるよう将軍に建言した。その皇統を維持させた経緯を次のように回想した。
 「議し申すべき一事の候は天亨・建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば、武家の代の栄えも衰えをも、ともにせさせ給ふべき御事なるに、応仁の後、世の乱れ打ち続て、武家すでに衰給ひにし上は、朝家のことは申すに及ばず当家(徳川)神祖天下の事をしろしめされしに及びてこそ、朝家(皇室)にも絶たるをも?ぎ、廃れしをも興させ給ふ御事共はあるなれ。しかはあれど儲君(皇太子)の外は、皇子、皇女皆々御出家の事においては、いまもなほおとろへし代のさまに、かは
り給はず。凡そ匹夫匹婦の賤しさも子を産みては其室家あらむ事を思ふ。これ天下古今の情也。(中略)これより後、代々の皇子、皇女、其数多くおはしまさむに至りては天下の富も、つがせ給はぬ所ありぬべしなど申す事も候はんか。古より皇子、皇女、数十人おはしませし代々もすくなかれねど、それらの御後、今に至り給ふは、いくばくもおはしまさず。『天地の間には大算数といふもののある也』と古人は申したりき。これらの事は人の智力の推し測るべき所にあらず。ただ理の当否をこそ論じもうすべけれ」(松村明校注、岩波文庫。138~140p)
 新井白石は後継皇統の候補者がたくさんおられた時代ではなく、いずれ後継候補が不在となる危機にそなえ、別に宮家を建てて費用をまかなうべきと建言したのだ。
 将軍家宣は白石の建言を受けいれ直仁親王を閑院宮と称し、禄千石を進上した。はたして白石が危惧した通り第113代東山天皇の系統は第118代後桃園天皇で絶えた。
 そこで東山の皇子、直人親王の孫にあたる光格天皇が第119代天皇として即位された。光格天皇は閑院宮典仁親王の第六王子。誕生の翌年に聖護院に入寺し将来は出家して聖護院門跡を継ぐ予定だった。
 ところが後桃園天皇が崩御し、直系は内親王だけだったため、安永八年(1789)十一月二十五日、践祚された。今上陛下はこの光格天皇の系統である。
 ゆえに令和の時代の皇室論議に臣籍降下された旧宮家の復活が急がれる所以である。
 白石が冒頭にのべた「建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば」という意味は、建武の中興の後醍醐天皇の南朝が99代の後亀山天皇で世継ぎなく北朝五代の後円融天皇の皇子が、第百代の後小松天皇、101代称光天皇のあと、五代遡って北朝一代の光嚴天皇の祖々孫にあたる後花園天皇となられたことを指している。
 皇位が空位となったケースは幾つかあるが、未亡人��独身の内親王が称制(臨時天皇)として正式な後継皇子が成人するのを待った。たとえば持統天皇、皇極・齊明、元正、元明がそうだ。孝謙・称徳天皇の場合は後継淳仁天皇を廃帝とし、次の光仁天皇を指名したとする遺書は藤原百川がでっち上げた。
 第二十一代雄略天皇の子、清寧には皇子がおらず三代遡って履中天皇の皇子イチノヘオシハの遺児(顕宗、仁賢)が継いだことはみたが、その間の飯豊天皇は明治三年に皇統譜から削除された。ところが葛城の麓へいくと宮内庁管轄の飯豊天皇陵がある。
 その後、第二十五代武烈天皇にも後継皇子は不在で、こんどは五代遡り、応神天皇の五代孫と言われた継体天皇が践祚された。継体天皇は越前からやってきたが二十年間も奈良へ入らず、この謎は解明されていない。
                 (『月刊日本』から再録です)
8 notes · View notes
kennak · 2 months ago
Quote
当時、全国分譲マンション供給戸数トップだったプレサンスコーポレーションの社長・山岸忍さんは2019年12月、業務上横領容疑で大阪地検特捜部に逮捕・起訴され、大阪拘置所に248日間も勾留された。社長を辞任したうえ、創業した会社の株を手放さざるを得ず、個人資産分だけでも75億6168万円の売却損を被るに至る。 いざ刑事裁判がはじまってみると、有罪とするための唯一の証拠である部下と取引先社長の供述調書は特捜検事の恫喝・脅迫・利益誘導によってねつ造されたものであると明らかになり、一審だけで無罪判決が確定してしまう。 現在、TSUKUYOMI HOLDINGSの代表取締役を務める山岸さんが2022年3月に起こした国家賠償請求訴訟はいよいよ大詰めを迎え、10月29日、大阪地裁にて原告本人が意見陳述を行った。 原告の山岸さんはどんな想いで訴訟を戦ったのか? 法廷で読み上げた陳述書の全文を掲載する。 検察庁は不祥事への謝罪もなければ検証もしていない 3年前の昨日、私は無罪判決を言い渡され、晴れて、業務上横領事件の犯人という疑いから解放されました。 その後、当然、検察がこの冤罪事件についての謝罪や検証を行うだろうと思っていたら、何も起こらないまま半年ほど過ぎてしまいました。いぶかしく思った私が、元弁護人に対して「検察は何かしないのか」と確認したら、「するわけないじゃないですか」という素っ気ない答えが返って来ました。 私は驚きました。「自ら起こした不祥事について検証しないなんて、民間企業ではあり得ない。だからこの人たちは、こういうわけのわからない冤罪事件を繰り返すんだ」と思いました。 ですから私は、この国家賠償訴訟を起こしたのです。検察庁に自浄作用がないのであれば、私がやらねば、また同じような冤罪が起こってしまいます。どこにミスがあったのか、裁判という場で、公平中立な裁判所にご判断いただくことにしたのです。 山岸さんが犯罪に関与していたという物的証拠はなかった。それどころか無実であることを示す数多くの物的証拠があったにもかかわらず、大阪地検特捜部は見落としたり、消極的に解釈するなどしていた。 証拠がないにもかかわらず、特捜検事たちは自分たちの見立てに合うよう、山岸さんの部下であるA氏や取引先社長B氏に「山岸さんが横領事件に関与した」という虚偽の供述を強要したのである。 これら供述調書は大阪拘置所内の取調室で作られ、検事たちによる取調べの様子は録音録画されていたのだった。 山岸さんの陳述に戻ろう。 検事の違法取調べが録音録画に残っていた 裁判開始から2年半、ようやく地裁での審理の折り返し地点に近づきつつあります。 裁判を始めたとき、まさかこの裁判がこれほど長くなるとは思っていませんでした。  私が冤罪に巻き込まれたきっかけは、事件に関係する2人の人間が、それぞれ、取調べを受ける中で検察官に脅されたりしたことで「山岸も横領されることを知っていた」という嘘をついてしまったことにあります。この取調べは録音録画されていて、取り調べられている人間と取り調べている検察官が何をどう言ったかはすべて客観的に記録されていました。 そして、私は、刑事手続の中で、この録音録画をすべて私の費用負担で文字起こししていました。だから、私の弁護士の手元にあるこの録音録画と反訳書さえ見ていただければ、裁判所も問題点を大体把握されるだろう、そう楽観的に考えていたのです。 A氏の取調べ録音録画は20日間計73時間半、B氏は20日間計69時間に及んでいた。証拠の吟味や調書の読解など多忙を極める刑事事件の弁護団がこれらの映像をすべてチェックするのは不可能である。 大阪拘置所に勾留中だった山岸さんは取調べ録音録画の文字起こしをするよう弁護団に指示。多くの若手弁護士を投入して広辞苑何冊分にも及ぶ長大な反訳書が完成した。 これらを弁護団が分析したところ、A氏、B氏ともども当初は山岸さんの事件への関与を否定していたにもかかわらず、強要や誘導で虚偽供述させられていたことがわかった。 なかでも、A氏に対する田渕大輔検事の取調べにおいては、強く机を叩いたり、「ふざけた話をいつまで通せると思ってる」「検察なめんなよ」「小学生だってわかってる、幼稚園児だってわかってる。あなたはそんなこともわかってないでしょ」「ウソまみれじゃないか」「本当ににぶい人ですね」と長時間罵倒し続けていたことが判明したのである。 刑事事件の公判においても、一部が上映され、無罪判決の決め手のひとつとなった。山岸さんはこの録音録画すべてを民事訴訟の裁判官に見てもらえれば、すぐにも結論が出るものと思っていたのである。 手元にデータがあるのに、裁判所に出せない! しかし実際には、「刑事証拠の目的外使用禁止」というルールのせいで、私たちの手元にある取調べの録音録画は、国家賠償の審理のために裁判所にお渡しできませんでした。国は国で、「録音録画を見る必要なんてない」と言って、公共の財産であるはずの取調べの録音録画を隠そうとし続けました。 結局、録音録画というこの裁判で最も重要な証拠を出すか出さないかで延々と争いが続き、この問題は最高裁にまで持ち込まれました。ようやく、先日、最高裁から「必要な分の録音録画は裁判に提出するように」とのご判断が下りましたが、この争いのために費やされた時間は実に2年半です。 この争いのために、私の代理人も国の代理人も、見るのもうんざりするような大量の書面を作成していました。正直、信じられません。不毛すぎます。時間と手間と、何よりも税金の無駄です。 刑事事件の公判で使用するため、弁護団は録音録画データの提供を受けていた。国家賠償請求訴訟も刑事裁判の中核を担った弁護士たちが引き続き担当したため、手もとにデータは残っている。 しかし、刑事訴訟法の規定により弁護団から民事裁判の法廷に証拠として提出することはできなかった。国の方から裁判所に出すよう求めたのだが、「文字起こしを見ればこと足りる」「Aさんの名誉やプライバシーが侵害される」という理由で敢然と拒否。 これらの録音録画を出すか出さないかについて別の裁判が続いていたため、これほどの長い時間が掛かってしまったのである。 ふたたび山岸さんの陳述に戻ろう。 「職務上の秘密」を理由に証言拒否連発 裁判を始めたときに予想していなかったことが、もう一つあります。なぜ冤罪が生まれたのかという検証を、国や検察が徹底的に妨害しようとしてきたことです。録音録画の提出が拒否されただけではなく、証人尋問で証言台に立った検察官は「記憶がない」などと暖昧な話をするばかりで事実をありのまま証言しようとはしませんでした。 この冤罪が生まれた原因を解明するには、冤罪防止のための役職である「総括審査検察官」が捜査中にどういう風に活動していたのかを確定させる必要がありましたが、出廷した検察官は総括審査検察官の動きについて非常に暖味なことしか言わず、国も総括審査検察官の名前を決して明かそうとはしませんでした。名前が分からなければ、総括審査検察官の証人尋問が出来ないからです。   山岸さんの起こしたこの訴訟では、本年6月11日、14日、18日の3日間にわたって取調べを担当した田渕大輔検事、末沢岳志検事、山口智子検事、そして捜査を指揮した蜂須賀三紀雄検事に対する証人尋問が行われた。 尋問に先立ち裁判所に提出された蜂須賀検事の陳述書には、「総括審査検察官から、田渕検事が机を叩いたり大声で怒鳴ったりしている場面があったと報告を受けましたが……、供述の任意性を損なうようなものではなかったと評価できるとのことでした」とあった。 山岸さんが陳述のなかで言及している総括審査検察官とはいったいなんなのか? 2010年に発覚した村木厚子元厚労相局長をめぐる捜査での大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件を期に、二度と同様の事件が起こらぬよう特捜部内部において「横からのチェック」を行うために設けられたものであり、山岸さんが言うよう「冤罪防止のための役職」なのである。 捜査の指揮官である蜂須賀検事の陳述書を読む限り、プレサンスコーポレーション元社長冤罪事件の総括審査検察官は田渕大輔検事による罵倒恫喝取調べの録音録画を視聴していたにもかかわらず、まったく問題視していなかったことが明白だ。 特捜部の暴走を防止すべく導入された総括審査検察官制度がまったく機能していないことを正すため、原告代理人が証人尋問において総括審査検察官の名前を尋ねたのだが、検察官は一様に「職務上の秘密」として証言を拒否したのである。 法廷で罵倒恫喝取調べのビデオ上映へ このような国からの妨害があったためすべては解明しきれなかったものの、今までの裁判の中で、何故冤罪が生まれたのかについて多くのことを明らかにすることができました。 小田裁判長、大谷裁判官、伊藤裁判官に、改めて申し上げます。この裁判の場で明らかにされた事実を前提として、本件について、どうか公平かつ厳正なご判断をお願いいたします。以上。   山岸さんが2022年6月に起こした付審判請求では、本年8月8日、大阪高裁が審判に付する決定を出し、田渕大輔検事は大阪地裁にて刑事裁判にかけられることとなった。検察官に対する付審判請求が認められたのは史上初である。 また本年10月4日には、プレサンスコーポレーション元社長冤罪事件の捜査を指揮した蜂須賀三紀雄検事を公務員暴行陵虐罪、特別公務員職権濫用罪、偽証罪で刑事告発している。 そして、今回の国家賠償請求訴訟では最高裁の命により録音録画ビデオ18時間分が証拠として提出されることとなった。また、来たる12月20日の弁論期日では田渕大輔検事による罵倒・恫喝映像が法廷内で上映される見込みであることもわかった。 この国の刑事司法の在り方を正面から問い続ける山岸忍さんの今後の戦いに目が離せない。
「ふざけんな」「検察なめんなよ」。罵倒恫喝取調べビデオ公開へ。異例の決定を勝ち取った社長が法廷で激白(赤澤竜也) - エキスパート - Yahoo!ニュース
8 notes · View notes
patsatshit · 1 year ago
Text
いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。
Tumblr media
ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)
Tumblr media
僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)
Tumblr media
15 notes · View notes
elle-p · 1 year ago
Text
Persona 3 Club Book teacher's pages scan and transcription.
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
月光館学園の先生
Teacher in Gekkoukan educational institution
高等部2年生の授業を受け持つ先生たちは、生徒のほとんどが勝手知ったる内部進学生だからか、かなり趣味に走った奔放な授業で有名。個性と独立心を獲得した、港区に誇れる立派な月高生の育成に勤しんでいる。
鳥海先生 Toriumi かに座/AB型 2-F担任、現代文担当、生徒会顧問
2年F組の担任で、現代文の担当。非常にさばけた性格で、真面目に話を聞かない生徒に謝罪を要求したり、サボりの生徒の席を勝手に再分配するなど、裏表のない性格そのままの授業をやっている。はっきりとした目鼻立ちと茶色がかった髪のため、実家のある島根ではお人形さんのようだと近所のオバちゃんたちに評判で、小中高の子供時代もそこそこモテ期をすごしていた。当時から文学少女だったために大学は国文科に進み、「日本文学に精通した可憐な新入生降臨!」くらいのウワサは辞さないとさえ期待していたが、いざ上京してみると、 自分の程度が世間でいかに平凡かに気付かされ、以降はこれといった華やかな出来事にめぐり合うことのないまま、29歳の現在に至る。
趣味で同人作家としての活動も行なっているが、これといった手応えはない。職場である月光館学園でも浮いた話に恵まれず、日本語の在りかたという点で話が合わないため、古文の江古田先生とは犬猿の仲だったり、倫理担当の叶先生からは女として負け犬確定の扱いを受けるなど、くさくさした日常を送っている。
心は可憐な
三十路前
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあ
知的な顔とやる気のない中身とに非常にギャップがある29歳独身。世間一般の女性の例にもれずケーキ好きで生徒に要求している。
「私が怒られるから静かにして」発言など、よくも悪くも生徒とのあいだに垣根を感じさせない。
鳥海先生のボヤキ
• じゃあ今日は明治の文学ね。教科書の12ページ。···あ、先生、この作家あんまり好きじゃないな。やめ ましょう。(4月21日・授業)
• イジメに関する小論を読んで、感想ってやつね。こんなのサービス問題じやないの。なーんか書きゃ点あげたわよー。“この学校におけるイジメを告発” とかねー?···って、ウソよお。イジメ、無いわよねえ。無い無い。面倒。(5月25日・授業)
• アイギス・・・さん?珍しいお名前ね、生まれは外国なのかしら。他に特記事項は···ん?···人 型···戦術兵器?···なんかの間違いね、この書類。見たもの、聞いたもの全てが、正しいなんて思っちゃ駄目よね。 (9月2日・ホームルーム)
• 世の中は椅子取りゲームなの。みんなも気をつけてね。(11月9日・ホームルーム)
• みんなー、修学旅行はどうだった〜?先生、寺なんか興味ないから参ったわ。火曜からは体験学習ね。面倒な社会科見学だと思えばいいわよ。社会に出るって大変なの。これをキッカケに皆にも分かってもらえそうで嬉しいわー。その間、先生遊べるしね。(11月21日・授業)
確かに、この社会に希望なんて、そうそう転がってないよね。逆に、そこらに転がってるもんで満足すんな!甘えんじゃねーよ!···って、思ったワケよー。···先生、いま良いこと言ったから、期 末にこのまま出すよ?(1月 28日・授業)
江戸川先生 養護教諭 総合学習担当
見るからに健康、清潔とは縁のない養護教諭。カリキュラムが自由なのをいいことに、趣味に走った授業を行なっている。
怪奇!
保健室に巣食う悪魔
無精ひげとよれよれの白衣、脂に汚れた黒ブチ眼鏡、およそ健康的とは言い難い頬と土色をした顔色で、「優しい保健の先生」のイメージとは似ても似つかないうさんくさい風貌の保健室の主。月高赴任前のことを知る人間はおらず、名前すら本名ではないとさえ言われている。元気なときに訪れても追い返されるだけだが、体調が悪いときに保健室の戸を叩くと、先生自ら調合した極めて怪しいクスリを盛られる。運よく効けば具合がよくなることもあるが、当然トドメの一撃になることもなきにしもあらず。
養護教諭として生徒の手当てや保健業務を受け持つほか、「個々の知識を結び付け、総合的にはたらかせる」 総合学習の授業を受け持っている。しかしその実態は、「魔術を利用した人間心理治癒」と称し、前代未聞の魔術理論を紐解く、生粋のオカルトマニア。オタク特有の傾向である、自分の得意分野に関して話が長い特徴がある。夏休みの補習では、ここぞとばかりにさらにディープな講義を展開し、計5日間の日程のうち丸2日を魔術講義に付き合わされることになる。
体調の悪い生徒をじつに嬉しそうに迎える彼。保健室での行ないが本当に手当てなのかも怪しい。
江戸川先生のオカルト講座
• 保健室に何か用かね、ヒヒヒ。でも困るなぁ⋯これから秘密のサ⋯おっと。⋯講習会なんですよ。⋯なんだ、おまえ全くの健康体じゃん。私の目はごまかせませんでございますよ。サボリはお断り。ハイ、出て行った、出て行った。(保健室・体調普通以上)
• ···おやまぁ一、傷かウイルスか呪いか恋か。ずいぶんと調子悪そうですねえ。これは···出番ですね、イヒヒヒヒヒヒヒヒ。さて、取り出しましたるこの秘薬··· ニガヨモギにドクニンジン、ヒヨスにナツメにエトセトラ、エトセトラ··· オロしてコネてウサギの手。白山の杜氏もビックリの大吟醸。たちどころにアナ夕の病気を治してみせますよ。さあ、飲みなさい···飲むんだ!(保健室・体調疲労以下)
• まあ魔術と聞いて、何でもできるようになるイメージを持ってるヤツもいるでしょう。誰かにイタズラしてやろうとか、苦しめてやろうとか··· そんなロクでもないことを真っ先に思いつく人間に魔術の習得はできません。これは、洋の東西を問わずに共通することですね。邪な者は、無力であるか、途中で破滅するか。そのどちらかになるのです。(5月28日・授業)
江古田先生 2-E担任古文担当
今年50歳を迎えたの古文の先生で、風花の在籍する2年E組の担任。古きよき日本を愛する感覚は、現代の若年層とかけ離れているため、教師たちの間でも煙たがられている。「エアコンは体に毒」のスローガンの下、冷房や暖房をしょっちゅう止めてしまうので、「エコだ」と揶揄されている。面白いを「ホワイトテイル」、白ける話を「ホワイト キック」と一生懸命使っているが、90年代に若者文化として知識を仕入れてから時間が止まっているらしく、なんだか哀れ。
江古田先生のエコ文化論
• えー···明日からは修学旅行だなぁ。京都、我が心の故郷だ。他の先生はあろうことか海外を推すからなぁ···毎年反対するのが大変なんだぞ、んん?(11月16日・授業)
●当時の発音には “F” が入るんだぞ。“ひさかたの光のどけき春の日に” は··· “ふいさかたの、ふいかりのどけき···” う〜ん、美しいですねぇ··· (11月16日・授業)
小野先生 歷史担当
熱狂的な戦国マニアの先生であだ名は小野ムネ。政宗がらみにヤマをはればテストで高得点が狙えるが、受験を考えると参考書や塾に頼らざるを得ないため、3年生からは「歴史のハズレのほうの先生」と思われている。金色の細い三日月の前立てが印象的な愛用の兜は言うまでもなく政宗公の戦装束。オーダーして作らせた一品物で、新入生はその格好で行なわれる授業に驚愕するが、ひと月もすると立派になじんで気にも留めなくなり、そうなって初めて月高生としての肝が据わる。42歳。
僕は政宗公に会いに行く!
• えーと今日は貝塚の話か。うーん、貝塚なんて、ただの貝だよね。もういいかなこれは。先生、早く戦国とかに行きたいね。ワクワクしたいね。(4月30日・授業)
• じゃ、今日は政宗公だね!もう先生ワクワクして全然寝てないんだ!じゃ、政宗公の生い立ちから丁寧に紐解いていくからね!時は1567年、米沢城··· (10月1日・授業)
• うっ···ううっ···こうして、9月24日、西南戦争は幕を閉じたのであった··· まつ···ぐすっ まさ、まさに··· 武士の、武士の時代の終わりであったぁ···!!···ここから現代までは飛ばして、また戦国やろうね···ああ、政宗公··· (1月15日・授業)
宮原先生 数学担当
三角定規を片手に数字のかわいらしさを語る数学の先生。ふさふさアフロでおねえ言葉という風采は、変り種の多い月高高等部の教師たちの中でも異彩を放っている。数字や数式への思い入れはかなりのものだが、「解法」を愛するけれど「解答」には興味がないため、最後の繰り上がり計算をいつも忘れてしまうという、「使えない」 先生ナンバーワン。
数字LOVEの心
• ···で、ここが繰り上がるので···答えはX=1ですね。···え、違う?あ、ここが11だから··· すいませんね、X=2か。え、まだ違う??··各自、計算してくださいね。そういうわけで、すごいでしょ。数学って面白いよね。こんなに難しい問題も、解いてみるとX=1··· あれ、2だっけ?まあそんな感じで、簡単になっちゃうでしょ。ブラボーでしょ。(4月27日・授業)
この8、なんかすごく可愛いでしょ。9なんか尻尾がぷりぷりだし。マニアックだけど、2!!2もいいよね〜、ほんと、イイ!数字って可愛いよね。もうたまんない!(9月28日・授業)
竹ノ塚先生 物理担当
長身で渋めの男前、スーツは華美ではないが上質で、どことなくセンスを感じさせる45歳。見た目はいたってまともだが、せっかちで授業の進度が異常に早く、実験は結果のみの紹介、問題の解法を教えないままテストになだれ込むなどのせいで一部の生徒から不満が上がっている。板書の文字は大きく見やすいが汚く、折ったチョークの数は校内一。
かっこいい言葉集
• 言ってみれば、夏休みはもう··· 摩擦係数ゼロの坂道の上ってとこか。おっ、先生、今カッコよかったな。黒板に書こうか?(9月1日・授業)
• まずは基本中の基本、重力な。重くて大きなものが、小さいものを吸い寄せる。これが重力。女子高生��、中年男性が吸い寄せられる··· これも重力··· ···て、何を言わすんだ!(12月9日・授業)
叶先生 倫理担当
おもに3年生の倫理の授業を担当する先生。とくに男子生徒に人気が高く、「エミリ先生」と慕われている。授業熱心で進学指導に力を入れているのが評価されている一方で、若い男の子を手の平で転がして楽しむという、教師としてちょっと問題アリな性格。教師にしておくのは惜しい抜群のスタイルと評価が高いが、胸は詰め物とのウワサ。一部上場企業のサラリーマンと婚約中。
禁断の恋のゆくえ
自分にほれ込んでいる友近を、勉強を見るためと称して自宅に招いている叶先生。絶対に秘密のハズがどこからかバレて、九州の学校に転任することになって しまう。
大西先生 科学担当
細面ですらりとした、32歳の先生。婚約者と別れた過去があり、当分恋はいいと思ってるうちに、本格的にどうでもよくなり現在に至る。メガネを取ると美人なのだが、武器を隠し持っている感覚がいいという理由で、人前では外さない���うにしているらしい。東洋医学批判者で、江戸川先生と新しい薬の開発を競っている最中。
やっぱり化学反応が好き
• 昨日ね、テレビ見てたらダイエット特集やってたんだ。“水を飲むほど痩せる!” とか言ってね··· んなワケないじゃない!浸透圧とかオール無視でしょ?なのに、だまされるのが多いんだから··· (5月6日・授業)
• 来週の火曜から試験かー。実験バリバリやりたいんだけどね。薬品を混ぜ合わせる瞬間って、最高に興奮するよね。(10月7日・授業)
寺内先生 英語担当
学生時代、留学先のインドで知り合ったイギリス人宣教師と、帰国後に感動的な再会を果たし、結婚に至る。そのシーンを「クリスマスの思い出」として毎年生徒に披露、英訳させる先生。会話中にかなりの頻度で英単語が混ざるが、本人曰く「関西なまり」みたいなもの。黄色いスーツにカチューシャという、どことなく海の向こうのセンスが香る28歳。
グレートイングリッシュスタディ
• はい、ここではAさんが死にそうなんですね。で、Bさんが言う “ステイ ウィズ ミー!” “しっかりして!” と叫ぶから、このあとAさんの魂が戻ってくるワケですね。これ、テストに出しますからね。面倒なんでこのまま出しますからね。と、もうすぐチャイムですね。それまで私のインド留学話でもしましょうか。(5月15日・授業)
今日はクリスマスの思い出をスピーチします。聞きながらイングリッシュに直してください。“もみの木の下で出会った私達は燃えるような恋に落ちたのです···” “イルミネーションはお互いの顔をビュー ティフルに照らし···” (12月24日・授業)
校長先生 校長
長年の政治的活動と少なくない資金とで、ついに私立高校の校長職を射止めた人。教師としての才覚には残念ながら恵まれているとは言い難く、部下である先生たちだけでなく、生徒からもデキない男と見抜かれている。美鶴の高校生離れした生徒会長就任演説に対抗意識を燃やし、つぎの週の集会でありがたいお言葉を用意するが、順平に同情される始末。
沽券に関わる大演説
えー、諸君らに今日は特別に、大切な話をしようと思います。あー、世間では、不可解な事件や、理不尽な事件が多いようですが··· うー、この学園の生徒である諸君らには、関係ないことだろうと思います。えー、しかし高校生という若い時期には、様々な悩みもあるでしょう··· まー、だからといって、あまり、思い悩むことはないのです。えー、“過ぎたるは及ばざるが如し” という言葉を、紹介します。あー、これの意味はといいますと··· (4月27日・朝礼)
18 notes · View notes
ragingsteel666-blog · 7 months ago
Text
"Arise"SEPULTURA
Tumblr media
ブラジルの英雄、SEPULTURAの、スラッシュメタルとしては最後となるアルバム。同時期にリリースされたライブビデオ"Under Siege"と共に全世界で大注目を集め、後の大躍進の足掛かりを得たわけだが、今振り返るとこの時期のSEPULTURAはひたすら「凄い」だけを押し出していたことがわかる。恐らくは意図的に、そこから向こうを見えなくしていた。そうやってクローズアップを得る戦略は、今思うと大成功だったのだなと。これが愚直に「良質なスラッシュメタル」なんてものを打ち出していたら、時代と共に埋もれていっただろう。理不尽な話だが、そういう時代だった。どんどん体感志向に移っていった。
本作のハイライトは2曲、"Arise"と"Desperate Cry"に尽きるだろう。前者がSEPULTURAというバンドの代表曲であることは疑うべくもないし、後者は曲タイトルと共に聴き手の心を打つドラマティック名曲だ。まあMETALLICAと言われればそれまでなのだが。
そして異様なのが…他の全曲が極めてつまらないということ。もうこの2曲以外の全曲。嘘だと思うなら前作"Beneath the Remain"と聴き比べてみるがいい。こちらのほうが、スラッシュメタル、そしてヘヴィメタルとしての質が圧倒的に上だ。そう、恐らくこれは意図的。リズミックなグルーブ路線はまだ発明に至っていなかったものの、シーンの潮流は明らかに体感的なハードコアに移りつつあったことは、目敏く察していたのだろう。ゆえに、このパワーコードの発想だけで作ったようなゴリゴリの楽曲群であり、スラッシュメタルとしては不合格でもハードコア視点では優秀なのかもしれない。
実際本作以降、このバンドは「あっちの人たち」という認識になっていった。ヴォーカルがDerrickに代わってからの来日公演を観たが、音楽としての質や意義はともかく、演奏した曲で反りが合ったのは"Arise"くらいだった。人間関係云々関係なく、こうなるともう昔には立ち返れない。であれば彼らはもうちょっと大きな成功を収めてもバチは当たらなかったかなぁと今となっては思う。多大な代償を支払っているのだから。結成40周年の今年、ついに解散だそうで。
5 notes · View notes
nyantria · 7 months ago
Text
「Can You Catch A Cold?」サンプル5
字幕大王2024.06.25
サンプル4はこちら
水俣病の混乱
細菌論に夢中だったために伝染病と間違われた病気は栄養不足だけではない。1956年5月のこと、5歳の少女が日本の水俣市の病院に入院した。水俣は八代海に面した人口約5万人の小さな漁村だった。その少女は、けいれん、歩行困難、言語障害などの異常な神経症状を呈し、急速に体調を崩していた。数日後、彼女の妹と町内の他の3人もまったく同じ症状で病院を訪れた[45,46]。
その後、数週間から数ヶ月で、村の人々が病気になるケースが急増したが、罹患したのは村人だけではなかった。大量の魚が奇妙な泳ぎ方になり、やがて死んで陸に打ち上げられた。海鳥は飛べなくなり、異常な行動をとるようになった。これらの動物を捕食する猫も具合が悪くなり、口からよだれを垂らし、気が狂ったかのようにぐるぐる走り回った[47]。動物と人間の間で何らかの病原体が伝播したのだろうか。誰も確かなことはわからないが、この大流行は伝染病の特徴をすべて備えているように思われた。最初の患者が出た後、村に住む人々が次々と同じ症状で倒れ始めたのだ。そのため、ある種の「奇妙な伝染病」が発生したという噂が広まった[48]。やがて、この病気は伝染性髄膜炎であるという未確認の報道が出始め、地域社会は大きなパニックに陥ったのである[49]。
謎の病気への恐怖は極めて大きく、近隣の町の人々は水俣人を排斥し始め、長い間築かれてきた密接なコミュニティの絆は急速に失われていった[50]。伝染病まん延を抑えるため、家屋は消毒され、病人は隔離された[49]。この対策にもかかわらず、伝染病が地域住民を襲い続けた。初期の報道によれば、少なくとも55人が感染し、17人が死亡した[45]。
しかし、約3年後、研究グループはついに病気の原因が地元の肥料製造会社であると突き止めた。同社が、合成肥料製造の廃棄物であるメチル水銀27トンを水俣湾に投棄していたのだ[51]。この水銀が地元の水路を汚し、何百平方キロメートルもの海を汚染した。かつては美しく肥沃な自然の珊瑚礁であった水俣湾は、有毒な荒れ地となり、かつては豊かであったその恵みを不運にも口にした人間や動物を毒した。
1963年2月、水俣病の発生原因を調査していた研究グループから正式な発表があった。誰もが落胆したが、水俣病の原因は感染性微生物ではなく、メチル水銀に汚染された水俣湾の魚介類の摂取によるものだった[49]。長年にわたって、この環境破壊の犠牲者たちは、日常生活で出会う人々に伝染性ではないと安心させねばならなかった[52]。この災害によって900人以上が死亡し、200万人が慢性的な健康被害に苦しんだ[51]。
水銀中毒の混乱
水俣で起きた出来事にもかかわらず、医療関係者は今日に至るまで、水銀中毒を感染症として誤って診断している。2018年8月のこと、15歳女性、13歳女性、11歳男性の3人兄弟が救急外来を受診した。彼らには、発熱、筋肉痛、皮疹、倦怠感など、非特異的な症状が進行していた。検査は陰性の連続であり、その結果、「ウイルス性症候群」と診断された。子供たちは休ませるために家に帰らせられたが、その3日後、兄弟はさらに悪化した状態で救急部に戻ってきた。うち一人は神経障害を起こしていた。子供たちは溶連菌性咽頭炎(連鎖球菌性咽頭炎)と猩紅熱(しょうこうねつ)と診断された。彼らには抗生物質が投与されて退院した[53]。
その数日後、子供たちはセカンドオピニオンのために別の救急外来を受診した。この時までに、症状はかなり悪化しており、激しい頭痛、息切れ、手足のしびれ、全身の脱力感などが生じていた。結論に飛びついてウイルスやバクテリアのせいにするのではなく、救急医たちはさらに詳しく調べた。すると、子供たちが自宅で水銀の瓶で遊んでいて、それがカーペットにこぼれていたことがわかった。母親はこぼれた水銀を掃除しようとして掃除機を使った。母親はそうとは知らず、これが水銀を加熱・気化させて、子供たちはうっかり吸い込んでしまったのだ。不思議なことに、母親には何の症状も現れなかったので、この病気は小児感染症のように思われたのだ。
子供たちが水銀中毒であることを知った医師たちは、水銀除去のためにキレーション療法を開始した。二人の子供は完全に回復したが、1人は関節、背中、筋肉の痛みが続き、歩行器が必要になった。この出来事はケーススタディとして記録され、2020年2月の医学雑誌に掲載された。著者の結論としては、水銀中毒が感染症に似ている可能性があることだ[53]。子供たちは同じ家で暮らしており、似たような症状を呈していたため、最初の病院の医師は、小児期の伝染病が兄弟間で広がったに違いないと誤って考えたのだ。ここでもまた、一面的なレンズを通して世界を見ることが誤った思い込みを招き、正しい診断と治療を遅らせたのである。
なぜこれが重要なのか?
壊血病、ペラグラ、水銀中毒といった病気の原因を正しく特定することが重要だったことは明らかだ。しかし、いずれの場合も、細菌論というレンズが真実を邪魔し、調査者を無益な捜索に向かわせ、一般大衆を無用なパニックに陥れた。これらの事例だけを見ても、間違った説明モデルを適用したことによる影響を定量化するのは難しい。数え切れないほどの資源、時間、人命が、存在もしない敵と戦い、追いかけて失われたのだ。また、どれだけの人々が仲間はずれにされ、孤立し、非人道的な扱いを受け、タイムリーで効果的な医療を拒否されたかを考えると胸が痛む。それは伝染病だからではなく、伝染病であることを恐れたからである。このように、我々が世界を見るレンズは強力だ。良くも悪くも、レンズは我々のあらゆる知覚を彩り、我々の見方に一致する結果をもたらす。
もちろん、今では良くわかっており、これらの病気を伝染病と見なすことはない。壊血病、ペラグラ、水俣病のような病気を振り返り、その過ちに気づくのは簡単なことだ。現在の我々から見れば、人間がハンセン病患者のような烙印を押され、治療を拒否され、檻に入れられた動物のように閉じ込められていたのは野蛮なことのように思える。後知恵とはおかしなものだ。我々は今、すべての答えを持っていると思い込んでいる。しかし、我々がいまだに伝染病だと考えているが、そうでない病気が他にもあるとしたらどうだろう?ここまで来たと誇らし��に振り返っても、まだ同じ過ちを犯しているかもしれない。プライドと甘さに目がくらみ、過ちを犯し続けていることに気づかないまま、我々は突き進むのだ。
今にして思えば、過去の研究者の一部が傲慢でなく、型にはまっていなかったのは幸運だった。彼らは謙虚であり続け、心をオープンにし、勇気を持って行動した。もし彼らが、受け入れられているパラダイムに挑戦しようと思わなかったら、今日の世界はどうなっていただろう?我々はまだそれらの病気を伝染病とみなし、かつてと同じ非効率的で非人道的な治療法を続けていたかもしれない。単純な食生活改善の代わりに、重金属を注射し、ペラグラのために隔離されることを想像してみてほしい。壊血病や脚気、くる病に他人から感染することを恐れて暮らすことを想像してみてほしい。おそらく我々は、ワクチン接種、手洗い、社会的距離、抗生物質、抗ウイルス薬、マスク、ロックダウンといった現代的な方法で、これらの(存在しない)細菌から身を守ろうとするだろう。そのあいだ、人々はライフスタイルや環境によって不必要に死に続けるのだ。そういった想像は難しくはない。例えば風邪やインフルエンザなど、他多くの病気についても、今日の世界はこのような方法で対処しているからだ。ただひとつ違うのは、現代の研究者たちが、伝染病モデルによってこれらの病気を正確に説明できると信じてこんでいることだ。この信念は現在、集団心理に深く刻み込まれており、間違いの可能性を受け入れるのは難しい。文化もまた変化しており、受け入れられているパラダイムに異議を唱える者は、狂った陰謀論者のレッテルを貼られる。
我々はあまりに自身を確信しすぎてしまっている。しかし、本章で示すことは、結果を観察して原因を誤って帰することが、いかに物事を間違えやすいかである。また、結論を急ぐのではなく、厳密に管理された(controlled)科学実験によって因果関係を確認することがいかに重要であるかを強調している。我々は過去にも過ちを犯したし、因果関係を正しく理解しなければ、我々自身がどれほど進歩していると考えていようと、過ちを犯し続けるだろう。誤った例が強調しているように、病気を伝染病と誤って診断することは、あらゆる種類の悪影響をもたらす。病人にとっては、適切な診断や治療へのアクセスが遅れ、より深刻な機能障害や身体障害につながる可能性がある。総合的には、これは広範囲に及ぶ影響をもたらす。実際、病気の原因を伝染病と混同してしまえば、より恐れを抱く回避的な社会が培われ、資源の配分を誤り(研究助成金など)、誤った経済(医薬品など)を支え、組織(政府など)に権力を譲り渡し、誤った道を進む間に、より多くの人々が病気になり、命を落とすという機会損失を最終的には被ることになる。
サンプル6はこちら
「Can You Catch A Cold?」サンプル5 | 字幕大王
3 notes · View notes
hararei · 4 months ago
Text
8月13日まで
ストーリーの流れの見直しを行なっていました。現状のアセットはなるべく活用しつつ、先生にいただいたスライドを参考に構成を見直していましたが、やはり複雑になってしまいそうな内容しか思いつかず、話し合いの際にもっとストーリーだけでなくテーマや研究内容も見直そうということになりました。
また、今回は主役が登場する短いシーンを制作する予定なのでそのために参考になるものを探して、パシフィック・リムやトランスフォーマーなど実写映画、エルデンリングなどのゲームのキャラクターの登場シーンや、メカアニメのレイアウトやアニメーション、ショットの時間やタイミングなどをスケッチして勉強していました。
アニメではやはり止め絵が多いため、ショットひとつ一つの時間が短い場合が多い印象を受けました。また、レイアウト面ではアクションシーンでの誇張したパースのレイアウトや、動きや決めポーズのためのためが独特であると思いました。
実写映画やフル3Dの映像では、2Dよりも動きをつけれるため、モーションひとつひとつ、ショットひとつひとつの時間が2Dよりも長く取られている印象を受けました。またアニメのように極端なパースはないですが、カメラの動きの自由度を活かして最初至近距離で被写体を映しながら動いたり、画面揺れ、被写体をトラックして立体的で臨場感のある画面にしたりなど実写と合成するため、するからこそのレイアウト、カメラワークで構成されていました。
勉強をもとに、主役の登場シーンを想定して絵コンテを制作していました。
加えて、風間のモデルデータにチョンとともにここはこうした方がいいのではないか、ここはこうして欲しいなど修正の提案をしていました。
8月13日 対面での全体会議
研究と制作全体の方針を見直すため、全員で集まって会議を行いました。
アニメーションという形をとる必要があるのか、ストーリーを重要視するのではなく、映像表現の研究としてもっと映像の形式を変えてみたりするのも良いのではないかという意見なども出ましたが、メカを登場させる意味や自分たちのテーマ、やりたいことを見直し、ストーリーをもっとわかりやすいものにし、先行研究をもっとしっかり行い、その中で自分が焦点を当てたい表現を見つけ、それを取り入れ、それを元に自分たちの作品内で独自の表現へと昇華することを目的とするという方向性で考えることになりました。そのために先行研究をもっとしっかり行おうと思いました。
また、研究は行わなければいけないが、ゼミ展まで時間がないため、一旦完成系のビジュアルがわかる映像を作り、自分たちでも制作のノウハウをある程度身につけるということに決まりました。
8月19日まで
短めな登場シーンとして実際の背景モデルとBONYを使ってレイアウト、カメラワークを試作していました。
また、モーションの試作をボニーを使って行っていました。
背景中央に着地して木が生えてくるというシーンを作るだけでも、ショットのショットのつながりや、それに至るまでに不自然がないようにするとかなり長くなってしまいそうなので中央に着地する直前から木が生えるところをきりとり、ストーリーはこれから修正することに加え、最終的なビジュアルがわかる映像になればいいということでなるべく短めに作るということになりました。そのため、コンテを修正していきました。
8月23日まで
風間からリグの入ったモデルをもらい、使用しやすいように、修正を入れてもらい、それを使いにレイアウト、カメラワークを考えていました。また、清水の制作した木のエフェクトのサイズ間や、タイミングや時間、カメラワークなどを話し合いました。
レイアウトの問題として、割とシーンとして派手なことはしないので地味、単調なレイアウトになってしまいそうなのでなるべく着地シーンなどで迫力のあるショットを入れた方がいいと思いました。
これだけでも映像の尺が想定よりもかなり長くなってしまいそうなので、なるべく短くまとめれるようにショットの時間を調整しようと思います。
8月28日まで
優先度の高かったショット1.3.4.7の空中を飛んで着地するまでを制作していました。着地後の主役の周りを周りながらフォーカスしてポーズとるショットは迫力のあるシーンが必要だと思い作りましたが、ポーズをとるキーフレームのタイミングが遅くあまり迫力がなかったので、別のやり方で迫力を出すことになりました。空中で回転して、その後地面に一気に着地するようなショットにしようかと思います。
8月31日まで
残りのショット2.5.6.8を制作していました。着地シーンは空中での動きを制作しようとしていましたが、ロケーターにコンストレインして回転させて、途中でロケーターを切り替えることがうまくいかず、まっすぐ降りてくる形にしました。
なるべく短くしようとした結果、少し余韻がない、動きと動きの間が忙しない感じになってしまったので反省して次は余裕を持たせようと思います。ある程度遅くしたのですが、それでも早く感じたので、あと一つのモーションにつき12フレームほど余韻を持たせて、少しだけ動いている状態にした方がいいと思いました。
2 notes · View notes
ashi-yuri · 4 months ago
Text
Outer Wildsと私、あるいは選ばれなかった者の話
Outer Wildsに対する感情の観測結果
非常に面白かった:苛立たしさとアンコウへの憎しみ:宇宙観が違う=4:5:1
※以下、Outer Wildsに関する複雑な感情を含むごく個人的な薄暗い感想です。クリアまでのネタバレを含みますのでご留意ください。
Outer Wildsについて考えるとき、自分はこの世界にいたら、おそらくロケットで飛び立つ資格もなく、何も知ることがないまま、超新星爆発に巻き込まれてただ死ぬのだろうなと思う。
このゲームは「人を選ぶゲーム」としてよく語られるけれど、自分は完全に選ばれなかった側の者だ。
Tumblr media
アクションも謎解きも苦手な自分にとって、最初のロケットを飛ばすだけのところから苦労の連続で、中盤以降の要所はほぼ攻略サイト・動画頼りで進めている。アクション最難関のアンコウに至っては、ホラーが苦手なこともあり何度もリセットした挙句にあきらめて、はじめて日本語MOD以外のMODを使ってアンコウに消えてもらって、ようやくクリアできた。そのうえ、��れだけ補助具を使いながら、クリアまでの総プレイ時間は40時間を超える。普通の人は20時間程度でクリアしているのに。
結局自分には、このゲームが要求する知恵と行動力がまったく足りていないのだろう。
だから、エンディングでの美しい合奏もSolanumとの時空を超えた出会いも、感慨深い一方で、これは自分が得るべき体験ではなかったのだろうと感じる。たくさんのSF的センスオブワンダー、目の覚めるような驚きに満ちた瞬間、いくつもの発見の楽しみがある一方で、多くのそれは自分の能力不足により得ることは叶わなかったはずのものだ。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
この宇宙には本来、自分のようなプレイヤーが存在する資格はない。
若く意欲と知力のあふれる開発者たちは、世界が持つ規則の美しさ、SFのセンスオブワンダーを信じるとともに、プレイヤーの好奇心、そして知恵と行動力をどこまでも信頼している。
そして自分は、彼らが信じることを信じていない。ひとは、自分は、彼らが信じるほど賢くも強くもない。
ゲームをクリアしてから、宇宙の眼及び量子信号について考える記事を書いた。
Outer Wildsにおける宇宙の構造・成り立ちを示す「宇宙の眼」について、日本語圏で考えている記事はかなり少ない。自分が把握する限り、現時点では自分ともうひとつのふたつだけだ(タイトルに掲げながら『わかりません』と結論付けているものはさすがに省かせてもらう。海外情報までは追ってない)。
限られた情報から宇宙の循環仮説まで導く自分の考えは、飛躍や不足も多いけれど、結果としては開発者の考える正解にかなり近かったらしい。それはすこしだけうれしいし、自分を受け入れなかったこの宇宙への復讐でもある(宇宙理論やSFネタとしては古典的でオーソドックスなものであり、推測してる人も多いかもしれないけれど、ブログ記事という共有しやすい形に残したのはそれなりに意味があるはず)。
そもそも自分が宇宙の眼についてぐだぐだ考えること自体が、美しくエレガントな宇宙に拒絶された者の未練だ。けれど、作品の放つメッセージに惹かれることが多かったのも事実だし、一方でどこかでこの作られた宇宙に対して不信と猜疑心を強く持っていたからこそ、自分は宇宙の眼について考えを書き、納得することが必要だったのだと思っている。おそらく、Outer Wildsというゲームと世界を純粋に楽しみ、感動した多くの人たちよりもずっと。
だからこれは、この作品に拒否され選ばれなかった者によるひとつの到達なのだろう。
もうひとつ、この作品から学んだことがある。
OuterWildsにはプレイヤーを選別する悪意の強い即死トラップである「アンコウ」がいる。御多分に漏れず、自分はここでクリア直前に3時間くらいはまって詰んだ。なので、アンコウを消すMODを捜して(みんな困ってるのできっとあると確信していた)、MOD導入してアンコウを消し、それでようやくクリアできた。
Tumblr media
開発者の想定する能力を持たない者にとって、それでもこの世界を旅したいと思うなら、MODや攻略情報、つまり補助ツールや他者の協力が不可欠だ。今まで難易度改変系MODや攻略情報に対してどこかズルやチートを連想し苦手意識を持っていたけれど、このゲームをプレイしてそれが変わった。
後続のゲーム下手民のために初心者ガイドやアンコウ消滅MOD導入記事を書いたことにより、多くの人に役立つとともに少なくとも10人以上のアンコウに苦戦していた人がクリアまで到達しているのを見ている。それは、ゲームを楽しみ続きを期待していたのに不本意に諦め途中で放棄せざるをえなくなることより、ずっと大事な経験だとおもう。
もちろんMODの中には悪意ある仕込みや改変を施したり、権利を強く侵害したりするものもあり、時にその境界はグレーで、自己責任のなかで見極めていかなければいけない。けれど、MODなどのツール・攻略などの共有情報は、言語や能力の枠を超えて選ばれなかった人たちへゲームを遊ぶ道を開いていくためのツールになりうる。少なくとも、MODを入れて曲がりなりにもクリアまで到達したことで、かなり強くそう思う経験をした。
エレガントで半端者を寄せ付けない完成された世界は美しく、その世界を作り上げた人たちの意思は最大限尊重されるべきものなのだと思う。それでも作品に選ばれるか、選ばれないかは開発者側から一面的に決められるものではなく、プレイヤーサイドからも提示していけるものだ。良い形でプレイヤー同士協力し、共有できるなら、ゲームという遊びはその本質を損なうことなく、より多くのひとに作品を開いていける。
それはインタラクティブなデジタルゲームというメディアにとって、大きなメリットではないだろうか。
このあたりのMODに対する考え方は、Kentucky Route Zeroの再翻訳MODを非公式で作るときのスタンスのベースにもなっている。
以上の意味で、自分はOuter Wildsという特別な作品を最後までプレイできてよかったと思っている。それがたとえほかのひとと違う意味であったとしても。
Tumblr media
いちばん好きなエンディング。ぜんぶ壊れてほしい。
Tumblr media
あとがき
Outer Wildsという作品に対する複雑な感情を、クリアから3年以上経ってやっと外に出せる形に整え、感想として言葉にすることができたのでよかったです。
5 notes · View notes