#結晶性知能
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charlietokyojp · 7 years ago
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これは素晴らしい結晶性知能の代表例だ(笑)。
年齢もそうだし、青年よりも背が低い(一般的に不利と考えられる)ことが賢さをより効果的にみせている。
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psychology-news · 11 years ago
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流動性知能とは、作業記憶の容量や情報処理の速さ、抽象的な問題を解く能力に現れる。彼らはボストンの公立学校8年生(中学2年生)1400人と、共通試験の1つであるMCAS(Massachusetts Comprehensive Assessment System)のスコアを比べることで研究を行った。すると、MCASのスコア差に影響する所属する学校への依存度は、英語は24%、数学は34%であったが、流動性認知機能には3%しか現れなかった。 研究チームの一人John Gabrieli博士によると、この結果は結晶性知能を向上させるような勉強を否定しているわけではないことに注意が必要だという。例えば数学や英語ができるようになることに悪い影響はない。
小記事:テストのための勉強は流動性知能を向上させないことが判明:科学ニュースの森
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charlietokyojp · 7 years ago
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犯罪者の多くは知能(結晶性知能)が低いことに通じる。
流動性知能の高さだけで考えれば、「●●は敵だ」(自分達の生命を脅かす存在だ)と言われたら、生存本能として「戦う」ことを選択し、「●●を根絶やしにする」という戦略は合理的な選択だと言える。
害虫駆除や抗生物質の考え方。
が、「ヒト対ヒト」となるとアルゴリズムやゲーム理論のように理屈だけでは上手くいかず、そこに倫理・道徳心、ルールなどが関わってくる。
いわゆる教養であり、そこの判断力は結晶性知能側の仕事。
だからバランスが取れていないと「理屈上の賢さ」となり世間との乖離が生じる。
→低自己統制
記事の最後にある、
「雇用の流動性が低い、パラレルキャリアを持つ人が少ない。結果「システムを批判的に思考する」人がいなくなってしまう。これが、日本でコンプライアンス違反という「悪」を是正させる組織内の圧力が弱い、根本的な原因なのです。」
というのも、“人生”という大きな目で見れば結晶性知能の低さであり、すなわち経験や知識、知恵の乏しさ=社会における相対的評価能力の乏しさと言える。
一言で言うと「全体理解」に乏しい。
他を知らないから、今自分が所属する集団が正しいのか間違っているのかイマイチよくわからず、漠然と疑問を抱きながらも時間だけが過ぎ去っていく。
1、2回離婚した女性達の男性の好みが180度変わることにも同じことが言え、若い(未成熟)な頃に良いと思った男性像とは、大抵の場合“人生”という大きな視点で見れば大した男ではない。
たまたま始めから良い人と巡り会う人もいるだろう。しかしそれは「たまたま」ではなく観察力、洞察力、推察力などに長けていて、見る目がある人だからこそ成し遂げられた結果と言える。
むしろ通常は何度もダメ男を好きになってしまうという“同じ事の繰り返し”の方が多く、学習能力もまた才能の1つだ。
同じように、サラリーマンにその「見る目」を求めたところで、それもまた上位数パーセントの人達にしか備わっていない能力であり、天性の才能がない限り、日常の職務以上のトレーニングを積まないと、そう簡単に育まれる感覚ではない。
職務以上のトレーニングを積んでいたら仕事が滞り給与や役職が下がっていくので、本来は社会人になる前に身につけておく(磨いておく)べき能力じゃないかと私は思う。
それこそが家庭教育に期待されるところなんだが、親にソレが備わっていない場合、当然に子供に教育が施されるはずもなく、学校や大学、塾など学業以外に期待すべきでないところに期待してしまう構造自体が、既に終わりへの始まりと言えるんじゃなかろうか。
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charlietokyojp · 7 years ago
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なぜ結晶性(言語性)知能とのバランスが重要なのか。雑なまとめ。
犯罪心理学において、犯罪者は(ウェクスラーで言うところの)動作性知能に比べ言語性知能が低い(10以上の差)という統計がある。
先天的な賢さは動作性知能側であり、言語性知能は学習によって向上していく後天性(が占める割合が大きい)のものとされている。
後天的なものとは環境要因によるところが大きい。家庭、学校、会社などで育まれ、生活に密着した知識・教養、ルール等の理解などに関わり、コレらが低ければ当然に「生きづらさ」が生じる。
例えば決め事に「何で?」と不満に思う事が増える。
以前の会社では良いとされていたことが、次の会社では悪いと判定されるのは「何で?」という具合に。(*1)後述
必然的に社会(集団)に馴染めず(適応できず)、孤立→不良化する可能性が高まると考えられている。
※心理学の世界で言う知能とは、俗に言う「賢さ」(難しい問題が解るなど)よりも「適応・順応力」ととらえられている(一般的にそれが「賢さ」でもある)。特に言語性知能は自分を管理する認知機能とされ(「教養」もその1つだろう)自己統制***レベルに関わるとされている。
また言語性知能は大方「学力」に通ずるところがあり、知識差に起因する理解不足(*2)が原因で意思の疎通が図れないことが増えれば、自然に社会や自らを支配(管理)する上位層=学歴社会においていわゆる高学歴エリート達に敵意を抱くようになる。
実際のところ、特に何かあったわけでもなく「上層部」を毛嫌いしている人達は、大抵低学歴であることが多い。学校時代、先生や警察といった存在をわざとでも避け��り批判してみせる層には既にその特徴が見られる。また「エリート達は心がない」と言う人達にも同じ傾向が見られ、自分こそが善人で暖かい心を持っていると信じて止まない。
言うまでもなく自己中心的な思考に偏りがちで、注意される度に「何でオレばっかり」という反論をする。
全体を見渡せない自分の視野や知識に問題があるとは考えず、個人攻撃されている=理不尽だと受け止めるため、体制や支配層を逆恨みしてみたりする。
※自分は悪くない。環境(社会)が悪いという考え方。
この流れはまさしく「出世しないコース」の典型例であり、必然的に自己肯定感や他者への貢献感ひいては責任感が薄れ、周囲から期待されないことがますます投げやりな性格を形成しやすい。
破綻に近づくにつれ破壊行動に出やすい。常識(例えば学問やノウハウなど)を壊すとか(それも自分の居場所を確保するために)。
そして動作性知能に対し言語性知能が追いついていない場合、考えたことが上手く表現できず(*A)、相手に自分の考えや気持ちが伝わらないことが増え、意固地になり他者に敵意を抱きやすい。
これらはいずれも敵意帰属バイアスが生じる原因となる。
敵意帰属バイアスは、物事を素直に受け止められず、自分が攻撃されている(被害者である)という被害妄想がベースとなっており、多くの場合コンプレックス(劣等感)が根底にあるとされている。
例えば何気ない誰かの冗談が、自分にあてつけて言っていると受け止め、一人で怒り復讐心に燃えてみたり。前述のコミュニケーション能力の低さに起因することも多い。
それもまたコンプレックスから生じる自意識過剰であり、周囲は自分が思っている程自分に興味も無ければ観察もしていないため、「あてつけ」られるほど話題の中心にはなっていないことが多いにも関わらず。
すなわち自己愛が強くナルシストでもあると言える。自己愛性パーソナリティ障害などはその代表例。
雑だがまとめるとそんなカンジ。
先天的な知能の指標となる動作性知能が高い人は、「知識はいつでも身につけられる」として、記憶・暗記学習を嫌う傾向がある。その結果、一風変わった、下手する��常識を逸脱した行為に出やすい側面がある。
※「常識」を疑うことも時として重要だが、自分にそぐわないものに対する破壊行動でしかない場合もあり見極めが重要だ。
確かにグーグルで検索すれば出てくるような情報を暗記するのに消耗する必要はないという合理的根拠もあるが、現状の心理学的な判定としては、釣り合いのとれた言語性知能がなければ、上述のような社会との摩擦によってメンタルに支障を来しやすいと考えられている。
よって動作性知能が高ければ高い人ほど、それに見合った知識学習に励み、教養を身につけた方が良いと言える。社会とはぐれないため=自分のメンタルのために。
/* (*1)(*2):一例だが、例えば個人情報保護法の適用対象は、昨年まで5,000人以上のデータを保有するか否かの境界線があった。会社Aで良くても会社Bでダメだと言われる理由を理解するためには、会社の規模感や社会的責任、保有するデータの内容やアクセス権などの幅広い理解を必要とする。 社会的なクラス(会社の規模など)によって「知ってて当たり前」の度合いが異なるため、環境(すなわち偏差値)に対し余りにも知識に乏しいと上司も説明する手間を省き、「お前が考えることではない」と切り捨てられてしまったりする。その疎外感に心を病み、認知が歪んでいくという流れも少なくなく、なぜ自分が拒絶されたのか本人に自覚がない点が敵意帰属バイアスを増幅させる要因となる。 */
***自己統制:これが低いと衝動的な行動が増え(抑制力が低い)、短絡的な犯罪に結びつきやすいと考えられている。その点で「言語性知能」という呼び方よりも「結晶性知能」の方が私にはしっくりくる。言ってみれば、生きてきた人生そのもの(厚みだったり知恵だったり)だから。
(*A)考えたことが上手く表現できず:表現は言葉に限らない。芸術もその1つの手段となり得るし、更にはそれを習得(教育水準など)・実現・実行するための資金という意味で、所得・生活水準の影響は大きいと考えられている。
FBI式犯罪者プロファイリングにおいて、無秩序型の犯罪は、衝動性が強く短絡的で、犯人像は平均よりも知能が低く、無職か単純労働従事者であり、身なりもだら��ないとプロファイリングされている点にも通じ、知能(釣り合いのとれた言語性知能)や所得水準が高い場合、自己統制レベルも高い(衝動性が低い)と考えられている。自分の思いや考えを伝える術に長けているからではなかろうか。
→知能や才能の生得説は支持されにくい。一方環境説の支持には心理的矛盾を感じる。
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charlietokyojp · 7 years ago
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プログラミングは文系。アルゴリズムが理系。
文系・理系で分類されると、決まって文系が「分類は意味がない」と主張しているのがオモシロイ。
ニュートラル(というより音系)な私としてはどっちでもイイんだが、ここまでIT化が進むと「文系は肩身が狭い」と勝手に思い込んで被害妄想に陥っている人が多いように思う。
心配要らない。今をときめくプログラミングはいわゆる文系処理だ。知能で言えば言語性知能側。
機械を使うから理系と考えるなら、その発想(根)が文系であり、プログラミングそのものは言語を覚えて手順にそって綴るだけ。日本語や英語の文法と変わらない。
if(●●==△△){$hensu = ■■;}
もし●●が△△と等しい場合、変数($hensu)に■■を代入する。
という文。
日常的な処理は、ほとんどが「if」とwhileなどのループ(繰り返し)で記述できる。ソレもあって表側(ユーザーインターフェイス)を処理するJavaScriptを書く人達は大半が文系だ。「●●がクリックされたら△△に入力された値と■■を比較して、等しければ次のページに移る」とか。
「プログラムを書く」と考えずに「(プログラミング)言語を覚えて喋る」と考えた方がイイ。何も前代未聞の高次レベルの処理をしているわけではなく、10年後には小学生がかけ算九九と同じ感覚で“喋って”いるだろうレベル。
そこにデータベースが絡んでくると統計的解析に必要な平均とか分散、標準偏差など中学校〜高校(一般)レベルの数学を使うこともあるが、データベースを操作するためのプログラミング言語=SQLもまた完全に文系処理。
INSERT INTO 名簿 (ID,NAME) VALUES('XXXNNN-XX','Charlie')
データベース「名簿」のID、NAME欄に、「XXXNNN-XX」「Charlie」を挿入するというSQL文。エクセルの1行を想像するとわかりやすい。
中学校の英語よりも簡単だ。
だからコレができたからスゴいんじゃなくて、手を付けるか付けないかの差でしかない。一般的には。
プログラミングとはプログラミング言語の文法を沢山覚え、長い文章を体系的に美しく書くという作家のような作業であり、慣れてくると、人と会えば挨拶、機嫌が悪そうなら冗談を言って笑わせてみるなど、日常会話と同じように、こういうときはコレ、そういうときはアレと反射的に記憶から読み出されて言葉を発する(コードを書く)ようになり、積み重ねと記憶(暗記)の成果だから、結晶性知能(言語性知能)側の処理。
/* ちなみに��数も言語性知能側。計算して頭を使っているように感じるが、実際にはかけ算九九などを基本とした暗記ベースのもの。よって概念・定義側が変更されると(例えば1と書いて数量3とみなすなど)暗記し直す必要がある。 */
溜まったデータを統計的に分析・解析し(ユーザーの動向など)「そこから何が解るか」という話になってくると行列推理よろしく流動性知能系の推論処理能力が重要になってくる。
データが巨大化するとフェルミ推定のようにある程度アタリを付けるなどの推理の勘が問われることもあるし、人の行動を分析し統計データ化する場合はプロファイリング能力も問われる。
センス。
そしてそこからアルゴリズムを自作するという段階になれば、いわゆる理系処理と言っていいだろう。組み合わせの「カクテル」ではなく生み出す瞬間。
よって世の中の目に触れるところにあるプログラミングコードとは大半が文系処理で書かれていると思ってイイ。
ただし日本語と同じで、構成や展開のセンスには能力差がある。
新しい(プログラミング)言語を暗記するかしないかは、テスト前に試験勉強をするかしないかというのと変わらず、特に難しいものではないと書いてみたくなったから書き記しておきたい(笑)。
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charlietokyojp · 8 years ago
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『知能レベルが高い人ほど人を信じやすく、低い人はあまり人を信じない?』に関連するオモシロイ記事があったので、ブログを書いてみた。
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