#紫式部雲隠れ
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めぐり逢ひて
見しやそれとも
わかぬ間に
雲隠れにし
夜半の月かな
At long last we meet,
but without a moment to recognize,
was that you,
you have hidden behind the clouds,
like the midnight moon !
poem by murasaki shikibu (紫式部)
#digital art#digital illustration#illustration#artists on tumblr#my art#onmyoji#onmyoji fanart#onmyoji rpg#onmyoji game#onmyoji tsukuyomi#tsukuyomi
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源川瑠々子の『星空の歌』 2024/11/28 20時配信 ゲスト◇文筆家・古書蒐集家 馬場紀衣さん 舞台裏の物語:馬場紀衣と「紫式部ー雲隠れー」を語る
<再生はこちら▶️ YouTubeポッドキャスト>
【関連サイト】
・ひとり文芸ミュージカル「紫式部−雲隠れ−」公式サイト ・馬場 紀衣(X) ・馬場 紀衣(Instagram) ・光文社新書note『読書の森』 ・『本がスキ。』馬場紀衣さんの書評 ・アトリエサード:トーキングヘッズ No.100 ・和楽web サイト
<源川瑠々子の『星空の歌』> 音楽、舞台、写真などの芸術をはじめ、さまざまな分野で活躍する方々をお迎えし、魅力的なお話をお聞きします。夜空の星のようにきらきらと輝くゲストのお話で、リスナーのみなさんへパワーをお届けできたら……、こんなに嬉しいことはありません。
過去放送一覧はこちら
源川瑠々子 公式サイト
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風月句会
2024年9月15日
於:多摩市民館第五会議室 写真:柴田貴薫
坊城俊樹選 栗林圭魚選
坊城俊樹選 特選句
坊城俊樹選 特選句
秋茜近寄り来てはまた高く ます江 桔梗とて気怠そうにて風に揺れ ます江 池に波紋残して行けり赤蜻蛉 貴薫 草むらに露草の青紛るなく 秋尚 赤蜻蛉捕り逃がしたる父の網 三無 隠沼に秋明菊の八頭身 文英 秋の蝶もつれて落ちてまた浮かぶ 白陶
坊城俊樹選 並選句
黄金色の御仏燦々秋暑し 軽象 残暑などと言ってはをれぬ日差しかな 秋尚 魁て色づく雅式部の実 三無 池の辺に紅溢れさせ釣船草 慶月 玲瓏の秋海棠や風さやか 幸風 ホバリングする一点の赤とんぼ 秋尚 鴨の陣うちひとたりと目の逢ひし 軽象 野阜の色なき風や墾の径 幸風 秋の蝶草低ければ低く舞ひ 三無 風に揺れおちょぼ口なる釣船草 文英 草陰に水音聴くや秋の蝶 亜栄子 山葡萄鈍き光りを森の端 慶月 数珠玉の藍を探せし今もなほ 慶月 風にのり途切れて聞こゆ秋祭 ます江 眼差しの深き埴輪に��る秋思 三無 青雲やけふ鉄塔の秋高し 軽象 刻々と姿を変へし雲さやか 貴薫
栗林圭魚選 特選句
栗林圭魚選 特選句
魁て色づく雅式部の実 三無 秋茜近寄り来てはまた高く ます江 静謐の沢の流れや曼珠沙華 幸風 赤蜻蛉捕り逃がしたる父の網 三無 草陰に水音聴くや秋の蝶 亜栄子 山葡萄鈍き光りを森の端 慶月 森へ行くバス待つベンチ秋の晴 秋尚
栗林圭魚選 並選句
秋海棠父に見せたき野咲きかな 慶月 水澄みて水底耀る日向かな 亜栄子 池の辺に紅溢れさせ釣船草 慶月 黄菅咲く尾瀬の夢観るだけの齢 れい ホバリングする一点の赤とんぼ 秋尚 琅玕の白節映ゆる竹の春 幸風 堰音は漕ぎ出す合図釣船草 三無 秋の蝶草低ければ低く舞ひ 三無 木洩れ日の斑の彩や花野径 亜栄子 風に揺れおちょぼ口なる釣船草 文英 対岸に一本貴き曼珠沙華 慶月 秋海棠抜きん出て咲き色淡く ます江 草むらに露草の青紛るなく 秋尚 白樫の森の奥より秋の声 三無 立山に向かふ列車に稲穂揺れ 白陶 白樫の大樹に生るる秋の風 亜栄子 水澄める沢をいくつも越えにけり 白陶 青雲やけふ鉄塔の秋高し 軽象 不器量に蜻蛉追ふ児の赤いシャツ 亜栄子 やはらかく風の音消し竹の春 秋 黒塗のポスト見過ごす猛暑かな 文英 一面の黄菅恋ひしや尾瀬ヶ原 れい 雁金草紫碧色の花可憐なる ます江 風の盆過ぎてひっそりしたる街 白陶
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観世能楽堂にて、「紫式部―雲隠れ―」を観て ー 川名淳子
愛知学院大学教授 川名淳子
ひとときこの世に宿った死者の魂魄は、ふたたび天界へと還ってゆく…。この世ならざる世界とのつながりを可能にする能舞台に、紫仙女は降り立った。しばし〈紫式部〉の生を語り、昇天した仙女が織りなす源氏物語誕生の物語は、まさに能楽堂で上演されるにふさわしい演劇であった。
そもそも、劇中歌の「光の君」においても、この物語は、〈光源氏〉を過剰に讃え、特別視するものではなかった。彼もまた多くの人たちと同じように、自らの生を生ききり、銀河にまたたく星の一つになった。最終章の「天の河」の切々たる歌唱も、天空には、源氏物語の世界の者たちだけでなく、物語を紡ぎ出した〈紫式部〉も、娘を見守る〈為時〉も、瞬(またた)き続けていることを告げている。星空を見上げれば、銀河の輝きの中に、源氏物語にかかわった人々の生きたあかしが、そしてこの物語に魅了された人々の思いが、満ち満ちていることを思わせる。観劇後、秘かに思った。ならば、『源氏物語』を愛する自分も、やがてはその星屑のかけらになれるかもしれない…
光は翳(かげ)を作るが、その翳りの中に一条の光が射す、と紫仙女は謡った。人の世の愛別離苦のその先には、辿り着くべき光の世界があることを、〈紫式部〉は確信していたのである。そう想うと、光る月にかかる叢雲(むらぐも)、本来は死を暗示する「雲隠れ」とは、つつましく、美しく、かつ力強く、永遠の煌めきを保証する〈死〉であったことを思わせる。
源川瑠々子さん演ずる紫仙女の清らかな澄んだ歌声が、観客を心地よく、温かく包みこんでゆく。
思えば、珠玉の恋歌を詠んだ小野小町のなれの果ては、老残の醜いものであった。小町九相図(くそうず)のいたましさは、見る者の心を凍らせる。清少納言の落魄伝説もまた酷(むご)いものであった。紫式部の末路も例外ではない。一方で観音の化身と崇められつつも、愛欲の妄語(もうご:うそや偽り)を書いたゆえに地獄に堕ち、今なお苦しんでいるという。ゆえにその魂を慰撫するべく供養が必要なのだ、と。これらの伝説は、それほどまでに彼女たちが紡いだことばの数々が、人々の心を揺さぶったのだという感嘆の、逆説的表現なのであろう。と共に、後世に残る文学を生み出した者たちへの嫉妬と羨望の心が、ことさらその人生を貶める作り話を生み出したのかもしれない。
��とはいえ、想像するに、暗闇を照らす一条の光を描くために、生身の彼女たちが引き受けざるを得なかった現実世界での苦悩は、確かに、計り知れないものであったはずだ。が、この度の舞台で、紫仙女を介して私たちの前に現れ出た〈紫式部〉は、「物語を届けよう」「物語を届けた」と晴れやかに歌い舞い、源氏物語をこの世に遺(のこ)せた悦びを、衣の袖を翻し、全身で体現していた。私はそのことに心底、救われた思いがするのである。
「月が小さく見える夜は」を歌う紫仙女が、小さく笑った一瞬があった。あの微笑みは、〈紫式部〉が源氏物語と共に生き、源氏物語に魂を込めることを己が使命とした、その自己認識と強い決意のうちにこぼれた出たものだったのかもしれない。才女零落説話とは別次元の領域に〈紫式部〉が到り得たことに、今、深い安堵を覚える。
本舞台では、〈為時〉と〈紫式部〉の父子関係が、重要なモチーフとなっていた。娘の死を嘆く〈為時〉の前に、仙女が現れたところからこの物語は始まった。そこには、藤原道長や中宮彰子、または同僚の女房たちなど、源氏物語の生成の現場に居合わせたはずの宮廷人は見当たらない。仙界を異にした〈紫式部〉が対峙するのは、〈為時〉のみ。両者の間に存在するのは、無償の愛だけであったような気がする。紅仙女を演ずる敷丸さんの語りは、能楽堂全体に朗々と響き渡り、為時の詩作、「苦学の寒夜、紅涙巾(きん)を盈(みた)し、除目(じもく)の春の朝、蒼天眼(まなこ)にあり」や、『紫式部日記』に記された紫式部の幼少期のエピソードが披露され、この父娘の来し方が浮かび上がる。
この子が男子(おのこご)であったら…という為時の嘆息は、自身の後継を望むものであり、成人後も、父のこの一言を後生大事に思い起こす紫式部にとっては、それは男と比肩し得る自らの知力の証しとして、意味を成しているのであろう。この親子の漢籍の「才(ざい)」を思わせる逸話である。が、よくよく反芻してみれば、親と子、本来、その人生は別個のものであるはずだが、親には、子の生き様をその果てまで見守り、係わり続けたいという哀しい願望がある。「別れの舞」では、両者の舞��ぴたりと揃い、この父娘の固い絆を思わせる。が、父の舞いは、徐々に娘に遅れ、やがて小刻みに震えていった。この時、〈為時〉は、娘の死を受け入れたのであろう。かつ、娘〈紫式部〉がなし得たこと、その生きた意味を彼なりに見定めようとしたのであろう。
『源氏物語』にはそこここに、紫式部の曾祖父兼輔の「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」の詠歌が引かれている。「子ゆえの闇」とは、単なる親の盲目的な情愛を嗤(わら)うものではない。愛しい我が子をただただ愛するがゆえに泣く、親の妄執や愚かさを優しく肯定するものなのであるまいか。山階彌右衛門氏が演ずる〈為時〉の姿は、観る者のひとりひとりの心にも静かに寄り添う。観客はこの父の慟哭、深い愛の〈かたち〉を想い、涙する。
『紫式部集』所載の和歌によると、京から遠く雪深い越前は、紫式部にとっては心晴れぬ地だったようだが、本舞台では、父と共に赴いた越前、そしてその途次の琵琶湖の光景は、〈紫式部〉の物語作家として精神を育んだ、特別なるトポス(場所)として描き出されている。為時の、大国越前の国守就任には、件(くだん)の漢詩に感涙した一条帝の意向が絡むと語られてきたが、漢籍への造詣が深い彼には、唐土からの来訪者への対応も期待されていたのかもしれない。紫仙女には、時折、京劇を思わせるしぐさや表情がよぎる。そこに、父の薫陶を得て、異国の文化や文芸に憧れを抱いた〈紫式部〉の、京(みやこ)の狭い世界にとどまらない躍動するまなざしが重なる。
紫式部についてはその実名も生没年もわからず、『源氏物語』執筆の経緯も擱筆の時期も不明である。しかしながら私たちは、『源氏物語』のその向こうに揺曳する、〈紫式部〉像を求めてやまない。源川瑠々子さんの歌声、語り、舞い、そしてさまざまな魅惑的なしぐさに、観る者は、自らが希求する紫式部像を幻視する。本舞台がそういう境地に観客を誘い得るのは、原作や脚本の力であることはいうまでもなく、演出にかかわった多くの方々の創意工夫の賜物なのであろう。
次回は、若い学生たちとともに「紫式部―雲隠れ―」を鑑賞させていただきたいと願っている。観るたびごとに深まる、新たなる〈紫式部〉に出逢える気持ちがして胸が高鳴る。
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第1回 ワークショップ 募集要項
演者としてのスキルアップを目指す「ひとり文芸ミュージカル」ワークショップ
着物の所作·舞 - 伝統をまとい、美を紡ぐ
所作を必要とするオーディションに役立つスキルを身につけるためのワークショップです。今年から全国公演が始まった「ひとり文芸ミュージカル」の理解を深めていただくことを目的としています。能的な削ぎ落とす美学を取り入れ、日本の伝統的な着物の所作や舞を通じて、演者としてのスキルアップを図ります。演技経験や舞踊経験のある方に、新たな要素を吸収し、演技力を高める機会を提供します。
<コース概要>
コース名 「ひとり文芸ミュージカル」(心得2と5)ワークショップ
3日間(1日2時間)
<開講日時>
8月7日(水)13時/8月8日(木)13時/8月9日(金)13時
<場所>
築地アトリエ
<ワークショップ内容> 新たな演劇のスタイル『ひとり文芸ミュージカル』を通して美意識を磨き、スキルアップを目指す。
着物の所作 着物を着て座る、立つ、歩く。美しい日本の所作を学び、しなやかな立ち振る舞いを身につけます。お扇子の持ち方や挨拶の仕方など、日常にも役立つ美意識を磨きます。
舞踊 伝統的な舞踊を習得し応用法を学ぶことにより、演者の表現の幅を広げます。日本舞踊(日舞)、能、琉球舞踊、京劇、狂言などの技を習得し、作品に応じて適切に応用します。
<心得2と5> 「ひとり文芸ミュージカル」演者の心得より
二、キモノの所作を学ぶこと 美しい仕草と身のこなし、これこそが舞台上の姿を際立たせます。キモノの着付け、立ち居振る舞い、歩み、座る所作を徹底して学びます。日常の動作すらも、優雅に行うことを旨とし、舞台においては一層の美しさを追求します。
五、伝統的な舞踊を取り入れること 作品の主題に応じて、日本舞踊(日舞)、能、琉球舞踊、京劇、狂言の技を習得し、適切に応用します。この多様な舞踊の融合が、新たな表現の可能性を開きます。
<ひとり文芸ミュージカルとは> 日本の古典芸能や舞踊などの様式と感性を取り入れたエンターテイメントです。明治期から生まれた美しい日本語を大切にし、歌うように語り、語るように歌います。日本近代古典の文学作品を題材にして、過度な脚色を加えることなく、見たままを感じ取るような作風を特徴としています。
<沿革> 2003年に誕生した源川瑠々子の一人舞台「静-sizu-」は、ミュージカル評論家の瀬川昌久氏により「外国にも通ずる日本的ミュージカルの傑作として推称したい」と高く評価されました。また、この作品を「ひとり文芸ミュージカル」という新しいジャンルとして確立してはどうかとのご提案をいただきました。以来、「ひとり文芸ミュージカル」は新たな作品を作り続けています。
<講師> 俳優:源川瑠々子 俳優:敷丸 演出·音楽:神尾憲一
<持ち物> 浴衣、腰紐2本、伊達締め1本、半幅帯、足袋、舞扇
<3日間のスケジュール>
1日目 浴衣の着方 着物での立ち方、歩き方、座り方 能の歩き方 浴衣のたたみ方
総合舞練習1
2日目 着物姿復習 日舞扇子の使い方(要返しなどの技術的なこと) 能、琉球、京劇の歩き方 総合舞練習2
3日目 着物姿復習 総合舞練習3
<対象>
演劇経験者(18歳以上)、女性のみ
<定員>
10名程度
<参加費>
20,000円(税込)
<募集期間>
2024年7月3日13時~20日17時
<申し込み要項>
👇下記のページにて受付
<問い合わせ> 有限会社 ライトリンク·ミュージック FC事務局 TEL:03−5822−0318
<最新情報> 「ひとり文芸ミュージカル」推進団体 省心会ホームページ
<講師プロフィール>
源川瑠々子 舞台俳優、歌手。関東国際高等学校演劇科卒業後、日本女子体育短期大学卒業。 2003年より、ひとり文芸ミュージカルの全ての作品で主人公を演じる。 着物をこよなく愛し、伝統芸能にも精通し、作品ごとに日本舞踊、能、歌舞伎、沖縄舞踊、京劇の要素を 取り入れた振付でひとり文芸ミュージカルの世界を創る。
敷丸 1981年に舞台デビューし、子役時代から幅広いジャンルのミュージカルやオペラで多様な役を演じる。「アニー」で主演や「椿姫」などのクラシック作品に出演し、名声を築いた。後に「大草原の小さな家」や「月の夜の物語」などの音楽劇で重要な役を務め、演技力を広く認められた。2010年以降はひとり文芸ミュージカルに焦点を移し、「静ーしずー」や「三毛子ーみけこー」で後見役として新たなキャリアを展開。観世能楽堂での公演を機に「敷丸」としての活動を始め、その独特な表現力で���目を集めている。
神尾憲一 作曲家、演出家。アニメ「バーバパパ世界をまわる」でJASRAC国際賞受賞。2003年、夏目漱石「こころ」原作のひとり文芸ミュージカル「静-Shizu-」をプロデュース。 以来、源川瑠々子主演による「ひとり文芸ミュージカル」の作品を発表。 2018年より能舞台で観せる演出での公演をスタート。毎年観世能楽堂(東京)をはじめ、各地の能楽堂での公演を行う。 2003年 ひとり文芸ミュージカル「静」(夏目漱石『こころ』原作)日本橋劇場初演 2012年 ひとり文芸ミュージカル「三毛子」(夏目漱石『吾輩は猫である』原作)三越劇場初演 2016年 ひとり文芸ミュージカル「乙姫」三越劇場初演 2018年 ひとり文芸ミュージカル「与謝野ワルツ」三越劇場初演 2018年 ひとり文芸ミュージカル「乙姫」能舞台版 観世能楽堂公演 2022年 ひとり文芸ミュージカル「紫式部ー雲隠れー」観世能楽堂初演 2023年 ひとり文芸ミュージカル「乙姫」名古屋能楽堂公演
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こんにちは(爆撃機より)
一月。僕はBig Dataの「Dangerous」を聞いている。
”危険”。激しい曲だ。牧歌的な幸せではなく、衝撃を聴衆に要求する音楽だ。 しかしそのリズムはテーマから離れている。始まりから、均一。決して決して焦らない。
デ・デデデン。デデ――デデ。 デ・デデデン。デデ――デデ。
”How could you know, how could you know? That those were my eyes Peepin' through the floor, it's like they know”
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まず、Bluetoothは耳栓だ。挿せば駅の雑踏さえもくぐもって聞こえる。 ――ボタンを押せば音楽が流れる。音量は最大で、皮膚・血液・脊椎に三原色でリズムが巡る。体が揺れる。
交感神経に音楽が噴水のようにきらきらと溢れる。 足は人間でごった返す駅の階段を上る。
「駅構内で走るのはおやめください」
薄汚れた階段を真っ白なスニーカーが踏みつけていく。靴底からのテクニカルな響きが、がつんがつんとリズムを作り、人ごみの中でも音楽中毒者を露にする。曲調に合わせ、力強く一段一段。
全身の筋肉という筋肉に熱い���が駆け巡る。さあっと雲が割れるように、気持ちが明るい側へと開けていく。 あたらしい一日が始まるのがわかる。
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洋楽を聞いていると、言葉が雨のように降り注ぐ。 アルファベット歌詞の断片がうかぶ。広告の文字がおどる。リズムを刻んで歩いてく肉体のダイナミズムが七色の熟語を産み落とす。
「レインボー」、「水は敵ではないからね」、「ソースと目玉焼き」。 「リーガルのスニーカー」、「語ることと、その言葉」。 「セックスがつむぐ運命の糸」、「試験会場」、「輪ゴム即売会」。 「全てがどんな場所でも一度に」、「鳩を撃つ」。 「もう一度ファインダー」。 「ピクチャー・イン・アメリカ」。
「アメリカの風景」。
そう、「アメリカの風景」……
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僕はアメリカの小説をうんとたくさん読んできた。 高校生の頃に『ロング・グッドバイ』と『ひまわりのお酒』を読んで以来ぞっこんだった。『偉大なるギャッツビー』もまた。
そして僕は洗脳され、アメリカの小説に首ったけになった。ホーソーンからアンソニー・ドーアまで、アメリカの作家なら何でもよし。時代を問わず読み漁った。
『キリマンジャロの雪』、『ティファニーで朝食を』、『スローターハウス5』、『頼むから静かにしてくれ』。
『あしながおじさん』、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、『ディキンソン詩集』、『ウインドアイ』、『宇宙戦争』。
『ジーザス・サン』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『オン・ザ・ロード』、『心は孤独な狩人』、『あの夕陽』、『東オレゴンの郵便局』、『賢者の贈り物』、『吠える』、『ドイツ難民』。
何度も何度もアメリカのごつごつとした人情ドラマにときめいた。そのふくよかにして安らかなる腹に、禿頭を照らす脂に、腐臭とファストフードをしてゆらめく体臭に、心をまるごと奪われた。
僕は『白鯨』を脇に抱えて高校までの坂を駆け上がった。黒板に並んだ公式ではなく、バナナフィッシュの読解に挑んだ。昼休みにはクラスメイトにフォークナーのリアリズムを論じた。ポール・オースターのする幽霊をひとり紐解いた。
気づけば放課後だった。時の過ぎるは手のひらから滑り落ちる水滴がごとく素早かった。 眼は窓を見た。クラスに残っているのは一人で、夕陽もすでに隠れんとしていた。いま、文学青年の眼にはアンダーソンの文学に似た漠たる闇だけが映り込んだ。闇は太った白人女のようにさえみえた……
��実際、当時は「アメリカの小説」というラベルさえあればなんでも読めた。読むと必ず手を叩き、跳ねてまで面白いと感じていた。そんな彼の心にあったのは青年期特有の曇り。正しくは、夏の夜の冷風のようにもたらされて形無き闇。
ぶうん……
響く、静寂で巨大な暗闇。甘く、性的でさえある美しい深紫。 そんな闇をギザギザに裂いてしまうアメリカの小説のけばけばしい光。光、光は当然24時間無料、無料で、青年の眼球は視神経まるごと剥き出しにされ、麻薬のようにガンガンと無料、無料で、思考は麻痺して、その心には『巨大なラジオ』。
でも、それはけして悪いことではなかった。僕はアメリカの小説と一緒で、幸せだった。
つまり、恋をしていたんだ。それも猛烈に、刺激的に、甘く。
LA、スプリング・フィールド、タコマ……僕のイメージはアメリカを横断した。 僕はモーテルに飛び込み、アメリカの小説とでベッドに入った。シーツの下で僕らはえんえん悲鳴に似た喘ぎ声をあげ、朝陽がみえるまでのたうち回った。 朝陽は新鮮な希望を満載して町に襲来し、東の空を陶器のように白く磨き上げる。モーテルの一室にも朝陽はそっと忍び込む。情熱に果てて眠り込む若者をも白く輝かせる。あたたかく、やさしく抱きとめる。
☟☟☟
爆撃機はずっと唸る。
ぶうん……
ぶうん……
「大西君はどうしてアメリカの小説が好きなんだい?」 「アメリカが好きだからですね」 「どうして大西君はアメリカが好きなの?」 僕はいつもみたいにときめいて言う。 「やっぱりアメリカにはアメリカン・ドリームがあるじゃないですか。おおきな夢が、僕をうきうきさせてくれるんです!」 「でもアメリカは戦争をしているよ。人を殺している。戦争を応援している。ベトナムを焼き払っている。戦争を計画している」 「大西君は戦争は好きかい?」
その答えは当然ノン(否)。でも、言葉は詰まって動かない。
大学二年生のあるとき、懇意にしていた教授から僕はそう問われる。 そのときのことは一から十まで覚えている。教授の授業が終わって、いつもみたく談笑をして、爆撃機みたいなエレベーターに乗っているときだった。パーマに水牛みたいなのんびりとした顔つきをした彼は僕にそう問いた。 「アメリカの文学は戦争だ。戦争と資本主義のメカニズム、その歪を何度も何度も解釈する文学だ。悪夢を、どうやって覗くかの文学だ」 「大西君は戦争が好きなのかい?」
リアルとは厄介だ。文章と違い、書き直す��とも、一度手を放して寝かせるということもできない。 瞬間は過ぎれば過去となり、過去は改変不可能で、爆撃機式エレベーターは五階から四階へと渡った。 そして四階から三階。誰かが乗り込んでくるということもなく、扉は完全に閉じたまま。 それで、仏文学の教授は大部のファイルを両腕で抱えており、ずんぐりとして柔和な表情をこちらを向けていて、均一。崩れない。エレベーターもぶうん――ぶうんと同じ。一つの形を崩さない。
ぶうん……
ぶうん……
「戦争は嫌いです」 「ふうん……」 そこでエレベーターの扉がゴトゴト開く。学生がなだれ込み、その日の僕たちの話は過去になり、終わった。高校二年生から続いていた僕の米文学への忠誠もまた同様に。
でも、それは悪いことではなかった。結果僕は仏文学や英文学、カナダ文学、ボルヘス。そしてシェイクスピア、カフカ、ドストエフスキー。新しい文学をノックすることになる。だから悪いなんてことはなかった。
そもそも、善悪なんてものは実際には存在しない。正しさなんてものはまやかしだ。比較でしか示せないものに大した価値なんてものはあるわけがない……
でも、僕は戦争は嫌だった。心からそう思った。 文学も、恋もそこまではごまかせなかった。
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千年の黙 を読んだ
副題 異本源氏物語。著者は森谷明子。
というわけで「平安貴族サバイバル」で唯一言及のあった現代の作品というのがこの「千年の黙」(ただ読み返してみるともうひとつ「なんて素敵にジャパネスク」も同じ部分で言及があったので唯一というのは嘘だった)。
推理小説仕立て(出版が草原推理文庫だし)の歴史小説で、探偵役が紫式部というだけでもうじゅうぶんおもしろそう。と思って読みはじめたがあまりにもおもしろくてリアルに夜を徹して読んでしまった。あまりにもうまい。推理小説としてもおもしろみがある(いわゆる「日常の謎系」としてちゃんと読める)し、小説としても非常に読みやすい。さらに歴史ミステリも、ボーイミーツガール的な恋愛要素もあり、創作者の矜持の独白、権力者の孤独、老境に迷う心、文献についての雑学 etc etc...あまりにも「おいしい」要素が多すぎて書きたいと思ったことを全て書き残せる自信がない。今回は長くなるぞ。あとこれ書いたらすぐもう一度読み返す。
本書は3部作となっていて、第一部「上にさぶらふ御猫」はまだ式部が出仕する前、藤原道長の娘彰子が入内の直前、主人公は越前守の息女藤原香子(かおるこ)に使える女童(めのわらわ) あてき。彼女がいわばワトソン役となる。となるとホームズ役が香子、つまり後の紫式部となる。第二部「かかやく日の宮」は、源氏物語にはタイトルと同名の「輝く日の宮」という巻が「桐壺」と「若紫」のあいだにあったのが失なわれているのではないか? という俗説を下敷きにして、いかにしてこの消失が起きたのかというのを題材にした話。第三部「雲隠」も同様にタイトルのみで失なわれている巻のことを引きつつも前2部の後日談として��る。
第一部はいわゆる「日常の謎」の舞台を平安時代にしたという風な作品。雰囲気として近いのは小市民シリーズかな。謎自体はそれほど難しくなくて、あてきは見逃がしてくれる手掛かりは推理ものに慣れた読者にはあきらかに映るので、頭を絞って謎解きをするという楽しみはやや弱いがまあそれはそれで楽しめるというもの。香子はそれほど高い身分というわけではないとはいえ貴族の女性なのでおいそれと出歩くことはできないのでまだ裳着もすませてないあてきがそのフットワークを生かしてあちこち調査にかけまわるという構図になるわけだ。といっても後半香子は車を出して実際に道長の邸宅に向かい大納言と会話したりしていて、このへんは当時の常識でいうとどうなのかな? という疑問はある。まああまりうるさい時代考察をするような作品ではないとは思うが。あとここでは定子の女房である清少納言が登場する。紫式部と清少納言という平安二大女流作家の共演! とはいえ清少納言に実際に会うのはあてきだけだ。
そうそうこの作品ではあてきと香子の邸宅でのやりとりやまだ赤子の娘の賢子を養育する様子などあまり描写されることのない中流の家庭での暮らし振りが描かれていて、あてきが香子にかなり気安く接しているさまなどこの雰囲気がまた良い。この時点で香子はすでに中年という感じなのでかなり歳の離れた妹といった感じか。
第二部はぐっと歴史ミステリという風情で失なわれた「輝く日の宮」という巻は実際に書かれていたのになぜか中宮彰子に献じた後に失なわれたまま写本にもなることがなかった、という設定でなぜそんなことが起きたのかというのを成人し女房となった阿手木が調べまわる、というメインの話に第一部で知り合った女童いぬきが成長した小侍従が主の元子の館でおきた謎の笛の音の招待を探るというサブタスクもからめて語られる。推理小説としてみると冒頭でいきなりずばり「犯行」の様子が描かれるのでいわゆる「倒叙もの」でもあり、こちらも謎そのものはそんなに難しくない、というよりどうやって香子と阿手木が「かかやく日の宮」の帖が流布していないらしいということに気がつくか、というのに前半は費やされる。手がかりはかなり明白かつ丁寧に繰り返し書かれているのでここは輝く日の宮についての雑学があると明白なので推理ものとして読むのは難しいかもしれない。やはり第二部は歴史ミステリとして読むものだろう。
第三部は宮仕えした紫式部と道長の関係やその後式部も没した後の阿手木と賢子の語らいによる「答合わせ」のエピローグ。小さい娘だったあてきが出家して尼僧になってたり赤子だった賢子が立派に彰子の女房として務めていたりと時の流れを感じさせてしんみりとして終わる。
で、この三部を通じて藤原実資という人物が日記をしたためるシーンが所々に挿入される。この人物の日記が「小右記��という書物として残されていてそこからの引用をしつつ、実直真面目な人物ながら源氏物語を目にしてつい読み耽ってしまうというコミカルな一面が描かれるのだが、第二・三部で彼が所蔵している冊子がもし本当にあったなら非常に貴重なものになる……ということに気付かされるのである。このシーンまるっと削ってもこの作品は成立するので完全に余談なんだけど、この余談は歴史に詳しいひとがクスッとするための重要なパーツなんじゃないかなと思う。
(追記) ジェンダーといえば承香殿の女御元子の女童だったいぬき、第二部では小侍従の結婚観について語られるパートがある。帝の妻(女御)という身分を得ながらもあまり幸福とは言えない元子の側に仕えているからか、小侍従は結婚などしたくないし男性に興味がないというふうなことを言う。阿手木はよくわからないようだが香子はある程度それに理解を示す。けど第三部では小侍従の君も結婚というのもいいものなのかもしれないなと思いはじめている、という描写。女院という女性としての最高位が作られ、女性でも権勢をふるうことができるようになった頃の話ではあるものの、やはり貴族の女性の幸せの頂点は帝に輿入れして男児を生み国母になることと考えられていて、ひいては父親に外祖父として摂政関白の地位を与えるための道具であるという時代であったことを考えるとそれに対する反発があっても然るべきだろう。このへん彰子は心の中ではそのような思いがありそうだけど表立って道長への反発を表すことはせずにかしこく立ち回るしたたかさがあるように描かれている。
本作の登場人物の多くは女性でその内面が描かれるのも大部分は女性だが、第2部のラストや第3部では道長の心中についていくらか描写がある。ここも興味深くて、彼は権力闘争のためのかけひというものが身についてしまっているとはいえすくなくとも主観的には歌や管楽などに親しむ心があり、権力を得るのも息子や娘をはじめ一族の長として身内の幸せのためにはそれが必要だから、という理解で行動している、とすくなくとも自分ではそう思っている。完全にひとりよがりではあるのだが。なので香子のことも侮る心もありながらその文才を高く評価してその人格にもいらだちと打ち解けて話しをしたいというちぐはぐな感情を持っていることを自覚している。この道長の内面の描写はこの作品がただの痛快推理小説ではなくて文学作品として書かれているのだなというのを感じさせる重要なパートであると思う。
まだまだ書き足りないがとりあえず。非常に良い読書体験でした。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和三年(2021)12月14日(火曜日)弐
通巻第7160号
アリババ時価総額は半減、センスタイムの香港上場も延期
恒大集団は政府管理か。清華大学系の紫光集団も政府ファンド傘下に
**************************
中国の市場はケンタッキー州を襲った竜巻ていどではない。猛嵐に見舞われている。
スペインに雲隠れした馬雲は、一説に欧州に隠した秘密口座を���約し、資金を回収して、国家に上納するためであると囁かれている。
182億元(3276億円)の罰金は「独禁法」違反と問われたアリババ本社が支払った。加えて馬雲の個人資産を毟る。恒大集団CEOの許家印も、とうとう個人資産を根こそぎ剥がれ、いずれ無一文になるだろう。
現在、習近平政権が躍起となっているのは恒大集団が、頭金を受け取って工事中断している物件を、さっさと完成させて購買者に入居させ、高まる不満を抑えこむことだ。
同時に不動産暴落をなんとしても回避するために、15%以上の値引きをするなと強要している。
だが、将来の暴落が見えているので、買い手が居ない状態である。
頭金を支払い、ローンを組んでしまった不動産購入組、さらにはローン支払いが途中の人々(暴落となれば、馬鹿馬鹿しくてローン返済どころではなくなる)など合計四億人、これが不動産暴動を起こす可能性が高いことは、拙著(『ならず者国家・習近平中国の自滅が始まった!』、石平氏との共著、ワック)などで何回か指摘してきた通りである。
恒大集団は巧妙な手口で政府管理下にはいるだろうと予測される。海航集団がうやむやの内にバラバラにされて政府系に部門売却したように、いきなりのハードランディングは避けたいのだ。
清華大学系の紫光集団も政府主導で再建されると発表された。いずれもが、事実上の倒産をそうでないかのように装い、惨状にいたるのを回避してきた。
NY上場を蹴飛ばされたセンスタイムは、顔認証の大手だが、ウイグルの監視という人権弾圧に使われたとして米国のブラックリストに載り、それではと香港上場を目指した。12月17日にIPO(新規株式公開)が予定されていた。
購買予約を済ませ、予約金を支払った投資家が夥しいが、三日前になって突然、延期となった(アリババ傘下の「アント」と同様な唐突さである)。
こうした異常事態は、まだ始まったばかりである。
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座香十オンライン講座のご案内『香語り源氏物語』月に想う
ー紫式部が「月」と「香」に託したものは?ー
『源氏物語』全54帖の随所から、香と共に、和の美しい文化が浮び伝わります。移ろう季節の事象に、感性豊かに心を映しています。中でも「月」は、多くの場面で深い意味を託されて登場します。 「まだ満ちるには時を待つ十日月の雲隠れ」は、若くして亡くなった幼ななじみへの切ない想い。「木隠れの二十日月」は、齢を重ね陰りへと向う女君の姿・・・」
香をくゆらせ、今の世の、秋の月を見上げるひとときはいかがですか?
【講師】 ■稲坂良比呂(香十前社長・香文化研究・劇作家)
早稲⽥大学演劇学科卒業。劇団文学座(文学座演劇研究所三期)。 財団法人現代演劇協会を経て、舞台・テレビの劇作・脚本多数。
日時:2021年10月16日(土) 14:00~15:30 講座料金:2,000円 受付締切:10月12日(火)10時
ZOOMを使ったオンライン講座になります。 (PC、タブレット、スマートフォンでの視聴講座)
ライブ配信後、10月18日(月)午後に動画配信予定です。 当日ご都合のつかない方は、動画での受講(1週間)が可能です。
ぜひ皆様のご参加をお待ちしております。
詳細、お申し込みはこちらから(peatixアプリページへ)
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源川瑠々子の『星空の歌』 2024/11/14 20時配信 ゲスト◇バリトン歌手 栗原峻希さん 栗原峻希のオペラ人生:国際舞台��見せる実力と情熱
<再生はこちら▶️ YouTubeポッドキャスト>
【公演情報】
『オーケストラアンサンブル金沢 能登半島地震復興応援コンサート<祈り、安らぎ、勇気>』
日時:2024年11月24日(日) 開場 14 : 00 開演 15 : 00 会場:コスモアイル羽咋 (石川県羽咋市鶴多町免田25番地) 料金:入場無料(要整理券)
詳しくはこちら
札幌芸術劇場「hitaruオペラプロジェクト」 モーツァルト作曲《ドン・ジョバンニ》ドン・ジョバンニ役
日時:2025��3月7日(金)、9日(日) 場所:札幌文化芸術劇場(札幌市中央区北1条西1丁目)
・hitaruオペラプロジェクト モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」公式サイト ・栗原 峻希 公式サイト
【今夜の歌】 『光の君』(舞台『紫式部ー雲隠れー』より) 作詞:スミダガワミドリ 作曲:神尾憲一 歌:源川瑠々子
モーツァルト作曲《フィガロの結婚》より「もう訴訟に勝っただと」 場所:奏楽堂
ロッシーニ作曲《セビリアの理髪師》より「私は街の何でも屋」 場所:ミラノ サーラ ドニゼッティ
<源川瑠々子の『星空の歌』> 音楽、舞台、写真などの芸術をはじめ、さまざまな分野で活躍する方々をお迎えし、魅力的なお話をお聞きします。夜空の星のようにきらきらと輝くゲストのお話で、リスナーのみなさんへパワーをお届けできたら……、こんなに嬉しいことはありません。
過去放送一覧はこちら
源川瑠々子 公式サイト
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各地句会報
花鳥誌 令和6年6月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年3月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
撞かるるを待つ梵鐘にある余寒 美紀 春灯や蔦の絡まる家傾ぐ 和子 料峭やいつか御籤でありし紙 緋路 自転車の主婦涅槃寺も突つ切つて 瑠璃 春塵は仁王の筋肉のかたち 緋路 冴返る仁王は金の歯で怒る 慶月 鳥帰る空はとほくて累塚 小鳥 春北風や大釣鐘に隠れたし 風頭 春陰の暖簾に純白の屋号 緋路 貴婦人の大車輪のみ春光に 慶月
岡田順子選 特選句
料峭やいつか御籤でありし紙 緋路 下萌る輪廻途中に道草を きみよ 中華屋の春塵赤き椅子逆さ 小鳥 喪の列の消ゆ式台の春障子 昌文 窓飾る家族の数の紙雛 はるか 白杖のリュックに揺るる桃の花 眞理子 学僧は霞に昼の鐘をつく きみよ 春禽のつがひ卵塔あたたむる 千種 上人の絵のその上の春の雲 俊樹 父性めく陽春の木の温もりは きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
中空を塞ぐ余寒の廃高炉 かおり 曲水の刻安寧の風美し 朝子 曲水宴美しきあぎとの並びたる たかし 春の闇400Hzの着信音 修二 曲水や配流の無念流れをり 同 バッカスの壁画翳ればアネモネも かおり 中也掌に詩片ふりくる春の雪 睦子 野火走る倭建命の影走る 美穂 北窓を開く復興兆す音 朝子 曲水や女人の盃のちと遅れ 久美子 朧の夜幻想一つ二つ三つ ���子 涅槃図の中へ入りたく近道す 美穂 紅をひき三寒四温横切りて かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月7日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
春日射し昼寝の猫にやはらかに 喜代子 地の息吹すべての芽より放たれん さとみ 卒業生てかる制服光差す 同 雛見れば乙女心もらんまんに 同 啓蟄や老眼鏡に虫眼鏡 都 マネキンに呼び止められし春の窓 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月8日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
弁財天の目力強きご開帳 宇太郎 介護士の赤鬼追うて追儺かな すみ子 春動く大鍋洗ひ伏せてより 都 咲く椿落ちし椿も「太郎冠者」 美智子 無縁塚天の供へし犬ふぐり 都 閏日や何して遊ぶ春寒し 佐代子 観音の視線の先に吾と梅と 宇太郎 春氷曳く吾を映すのみ 悦子 風海へ菜花すみずみ靡かせて 都 薄氷や踏めばナイフの光持つ 佐代子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月9日 枡形句会
語り継ぐ作詞の謂れ春の野辺 百合子 陽子師の墓前満開蕗の薹 教 子 雛祭り白寿の母も祝はれて 百合子 一輪の菫映して句碑閑か 三 無 きめこみ雛偲ばる友を飾りけり 文 英 廃屋に繁るミモザの花明り 多美女 揚げ雲雀寺領に紛れ猫眠る 亜栄子 のんびりと牛横たはる春の野辺 幸風 年尾碑に晴れてまた降る淡き雪 美枝子 雲雀生む高原行けば雲の人 白陶 やはらかな春の野の音辿りゆく 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月11日 なかみち句会
消えさうな跡をつなぎて蜷の道 秋尚 磴百段尾道水道朝かすみ あき子 閉院の看板掠れ三味線草 美貴 日溜まりの数多の道も蜷のもの ます江 夜霞の一隅までも大灯台 聰 魚屋の釣銭濡れて春の雪 美貴 目をつむりぺんぺん草の音を聞く 廸子 極楽は泥の中なり蜷の道 あき子 蜷の道水面流るる光の輪 三無 崖下の流れやさしくになの道 和魚 鐘声のこころ震はす夕霞 史空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
老犬の矍鑠と追ふ寒鴉 清女 造花にも枯れは来たりぬ春愁ひ 昭子 お水送り達陀炎豪快に みす枝 春一番大手拡げて女子高生 昭子 全身を耳に涅槃の法話聞く みす枝 知らずともよき事知りぬ蜆汁 昭子 春眠の夢逝きし子の影おぼろ 時江 生死未だ��に供へる桜餅 ただし 亀鳴くや遠くて近き爆撃音 みす枝 肩書を減らし北国の雪に住む 世詩明 鄙の里水滔滔と芋水車 時江 つまづいて梅の香りを逃しけり みす枝 浮御堂にそして巨松に春の雪 昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月12日 萩花鳥会
鼓草摩文仁の丘の兄の墓 祐子 風神は火の神鳥に野火揚る 健雄 春の空ここは宇宙のど真ん中 俊文 忘れ雪抗ふ漁師海胆を取る ゆかり 忘れ物鞄の中に山笑ふ 吉之 制服の丈短きや卒業生 明子 沈丁花色付く前より香り立つ 美恵子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
合格の電話の声は春光に みえこ 彼岸会へ母一張羅出してをり あけみ 手作りの雛微笑んで雛祭 実加 啓蟄や亡き友ふえて吾は生きて 令子 うららかや押絵の猫に会釈して 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月15日 さきたま花鳥句会
銀翼のきらめく空や木の芽風 月惑 昴座の星を砕きていぬふぐり 八草 古雛の神輿に残る能登の技 裕章 料峭や客船の無き海広し 紀花 杉玉も軒端に馴染む春日影 孝江 亀鳴くや飛鳥の山はみな蕾 ふゆ子 今晩も味噌田楽とまぜご飯 としゑ 雛客の手みやげ酒や国訛 康子 春しぐれ天皇参賀長き列 彩香 春愁や予期せぬ病電子辞書 恵美子 草の芽の小石動かす力あり みのり 浮世絵を抜け出す遊女万愚節 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
不器用は不器用なりに針供養 雪 我が町を春一番の素通りす 同 ぬるむてふ色を湛へて水温む 同 言の葉を育み春をふくらます 眞喜栄 雛飾り声なき顔に語りかけ 同 子供らの古墳探訪山笑ふ 同 道祖神肩を寄せ合ふ春の雪 同 雛見つめゐれば脳裏に母の顔 同 潮の香と水仙の香の一漁村 同 友の葬蝋燭揺らす涅槃西風 嘉和 風に棘あれど春日の燦々と みす枝 遠浅の水美しく蜆舟 ただし 雄叫びを似て左義長の始まれり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
城山をもみくだくかに春疾風 眞理子 春野歩すダルメシアンの脚線美 亜栄子 蒲公英の丘膨よかに母の塔 斉 石鹸玉母の塔まで追ひかけて 亜栄子 涅槃会や外から一人手を合はせ れい 蓬生の城址や鬨の声遥か 炳子 洗堰磧にとよむ雉の声 幸風 機関車に用心深く初蝶来 幸風 ぽつとりと落ちて華やぐ花椿 れい 春塵を淡く置きたる母の塔 芙佐子 啓蟄の句碑のひらがな揺らめける 要
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月18日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
胸を張り農を継ぐぞと卒業す かづを 四脚門氷雨の中に凜と建つ 和子 僧逝くや枝垂れ桜を待たずして 千加江 畦の径青きまたたき犬ふぐり 啓子 雛の間をちらと横切る男の子かな 笑子 九頭竜に朱を透かせゆく桜鱒 同 鰤大根男料理の後始末 清女 古里に古里の香の土筆摘む 泰俊 上を向き涙湛へて卒業歌 同 陽炎や人の集まる船溜り 同 春塵の経蔵深く舞ふ飛天 同 水ぬるむ色ある如く無き如く 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月20日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
雛納め飲まず喰はずの官女かな 世詩明 啓蟄や始発電車の一人旅 笑子 花ミモザ抱へふくらむ恋衣 同 けたたまし派手な身振りの春の鳥 同 啓蟄の土嗅ぐ犬の背の丸さ 希子 つくしんぼどこに隠れてゐるのやら 和子 麗しき新幹線で春来る 隆司 陽炎へる無人駅舎の降車客 泰俊 陽炎の中より来たる笑顔かな 同 啓蟄の啓蟄の顔穴を出づ 雪 懐かしやぬるみ初めたる水の色 同 蟲はただ蟲とし穴を出づるのみ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年3月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
凍つるべき所に凍つる蝶一つ 雪 着膨れて弟母似吾は父似 同 ぬるみ来し水に映れる何やかや 同 都恋ふ紫式部像に東風 同 幽霊の飴買ふ話木兎の夜 同 春灯下術後の傷を見る夜中 洋子 婚約のナースの話院の春 同 春ショール黄色く巻いて退院す 同 花柊恋に桎梏あればこそ 昭子 春雪や深田久弥の百名山 ただし 春彼岸死んで句友に逢へるなら やす香 親の恩山より高し卒業す みす枝 拙を守り愚直に生きて目貼剥ぐ 一涓 児を一人傘に拾ひし春時雨 世詩明
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『紫式部雲隠れ』記憶される日に。 ー 稲坂良比呂
劇作家・香の伝道師・『紫式部雲隠れ』原作者 稲坂良比呂
「武蔵国江戸浦前島(後の東京銀座)、令和六年皐月二十九日、紫式部霊界より現わる」
そのような一瞬の幻視を思わせ��観世能楽堂の舞台でした。久遠の時空の一点から
現世へ降りた紫式部、かくやと思う姿が、そこにありました。いつもの源川瑠々子が舞台にいるのではありません。その姿を呼び出すのは、紫式部の父藤原為時。
演ずるは、観世流能楽五百余年の血脈を現代に受け継ぐ十二世山階彌右衛門。
凛とした気の中に想いの情あふれ、静謐な光を放っていました。
父為時の存在は大きい。この舞台の原作の一つ、私の『ささめごと源氏物語 紫式部雲隠れ』も、父と娘の人生の物語が礎です。世にも稀なる才ある娘に先立たれた
父が呼び出す娘の霊��紫式部)が、その人生を語り、その自作(『源氏物語』)を
語るという構成です。大いなる父と、娘が生涯をかけて支え続ける例は、後世、幾つか語られるものです。世界に知られる葛飾北斎という偉大な画家を支えた娘、応為(おうい)。日本の演劇史に遺る最多の作品を歌舞伎舞台に創造した河竹黙阿弥を支え続けた娘、糸(いと)女。が、為時は自分を遥かに超える娘(藤原の「香子」が本名らしい)を『源氏物語』の大天才作者に育て、父と娘の双方が共に心の支えであったのではないか、と思われます。(『紫式部日記』『紫式部集』による)
『源氏物語』(全五十四巻)は、一千余年の昔、平安王朝の一人の女性によって書き上げられた世界最古の大長編小説。三世代60年にわたる細密深奥の人間ドラマであり、近代・現代文学の礎となる原石が幾つも埋め込まれています。故に、現在
世界60ヶ国を超えて出版され続け、増え続ける読者を持ち、各国に『源氏物語』研究学者たちがいます。「世界文化遺産」と言えるかもしれません。
平安王朝400年間は、歴史上際立って、女性たちが文芸において活躍し、その作品は現代人を魅了しています。紫式部を筆頭に、『枕草子』の清少納言、歌の和泉式部等々、稀なる才ある女性たちがこれほど並ぶのは、平安時代のみで、後は、明治以降まで待たねばなりません。
「省心会」という、志を同じくする超境界の研究・創造者たちが推める「ひとり文芸ミュージカル」。その中で源川瑠々子という一人の舞台女優が確実に育ち、歌舞の力量と共に大きく飛躍しようとしている姿が、この観世能楽堂の舞台から観られました。
浦島伝説の「乙姫」から「紫式部」そして「与謝野晶子」迄、時空を超えて一貫している舞台は、「いのちとは?」「生きるとは?」「今と永遠とは?」「人の心の真実とは?」と問いかけています。
答は、観客の皆様の、それぞれの心の中にあるものです。
「ひとり文芸ミュージカル」の提唱者、神尾憲一という音楽家にして演出家、プロデューサーにしてマルチアーチストによる舞台は、全て継承からの創造です。
先人たちの遺産を受け継ぎ、受けとめたところから現代の創造を行う。それは
令和の時代に新たな地平をめざすものです。そして見えてくるのは、「旧(ふる)きもの新しく、新しきものに古(いにしえ)美しく」といえるものです。
現代の私たちは今、古代からの幾層もの文化の地層の上に立っているのだと、あらためて思います。
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Lazy Line Painter Jane
10月10日(木)から山形国際ドキュメンタリー映画祭に行ってきた。参加するのは初めてだったけど、街の雰囲気もゆるやかで暖かくて、たくさんの人々にも会えて嬉しかった。池添さんが誘ってくれた宿も皆やさしくてストレスがなくありがたかった。わすれないうちにいろいろメモ。
『富士山への道すがら、わたしが見たものは…』
メカスの監督作で、過去に自分でも上映したことがあったけど、開会式のあとに大スクリーンで流れる迫力はすごかった。劇中流れ続ける激しいドラミングは、来日中、ソ連崩壊直前(?)のニ��ースを受けたメカスさんの心情も表しているのかなと思ったり。上映前に農民詩人・木村迪夫さんの挨拶で、メカスさんが故郷・リトアニアのについて「村は正しさと美しさで溢れていた」と話していたことが紹介されていた。会場にはメカス日本日記の会の森國さんと書肆山田の方もいらしていた。
『愛を超えて、思いを胸に』
大たばこ会社とたばこ農家の戦いを描いた映画。めちゃくちゃ寝てしまったのだけど、無線みたいな音がずっと流れていたのが面白かった。監督が生後3ヶ月(!)のお子さんを抱えて挨拶に登壇してくれていた。
『光に生きるーロビー・ミューラー』
浅倉さんに「メカスみがある」と紹介され「みるっきゃないだろ」と勇んで鑑賞した。ロビー・ミューラーが私的に撮りためたホームヴィデオのフッテージは繊細で美しくて、ドビュッシーをかけながらホテルの一室で撮られた家族へのメッセージ(からの信じられない水面)や、ズームした先の鏡に映る情けない無精髭などが印象的。作品としてってよりはロビー・ミューラーの映像が良いな、って感じだったけど、最後に口をあんぐりあけて光を浴び、ヴィム・ヴェンダースの言葉をうけとるロビー・ミューラーはすごく綺麗だった。(ヴェンダース、ちょっと津田直さんに似ていた・・・!)
『自画像:47KMの窓』『自画像:47KMのスフィンクス』
窓、のほうは今回もっとも感動した作品の1つ。ジャン・モンチー監督の無邪気でまっすぐなまなざし、もっと観ていたい!監督の育った小さな村についての物語なのだけど、特に「窓」のほうの、おじいさんへのインタビューと絵を描く少女を軸にした展開に心を揺さぶられた。寒さから身をしのぐために洋服や炎や家があるみたいな、根源的な感覚を呼び覚まされるし、その先で「芸術は人の心を豊かにするために在るんだ」と信じられる。会場に来ていた中国の田舎の村出身だという女の子が「こんな素敵な舞台で、監督の映画が上映されていることが嬉しい。私の村をみているようで、嬉しいし、悲しい。映画の最後に上がった花火は、村(の空)に絵を描くようで美しかった」というようなコメントをしていて、ジャン・モンチー監督はその子の目をみて満面の笑みでお辞儀していた。「壁」ってもう断絶を生むものみたいな意識が頭の中にあった気がするけど、本来風から身を守るためのものなんだな、と台風前夜に考えたし、その壁を未来にむけた色で塗り替えるという発想が好き。「スフィンクス」のほうはとにかく最初の猫とおばあさんの長回しがサイコー!
『非正規家族』
「死ね」とかいたずら書きをする青年、工場跡?の廃墟にベットを置いて、グラビアアイドルのポスターを眺める青年の背中が虚しく心に残った。
『セノーテ』
初の小田香監督作品!上映が始まった瞬間すさまじい音と映像の嵐。満席立ち見の会場で、皆の鼻息が荒くなるのを感じた。隕石によって生まれたあまりに美しい洞窟・セノーテに、かつて生贄として捧げられた命を思いながら潜るカメラ(iPhone7!)。宇宙と大地、生と死のはざまでたゆたう人間の命の激しさ、静けさ、奇妙さを、普段ではありえない視点から観させてもらうような経験だった。青緑の光がとにかく美しくて、そこに生と死と詩が浮かんでいる。具体的な言葉はなくても、水中に響くスー、スー、という監督の呼吸の音が、そのことを一番豊かに示しているような作り?が格好良かった。
『わたしの季節』
佐藤真さんが隠れ編集をしているという噂を聞いて観に行ったのだけど、低気圧で絶不調すぎてほとんど眠ってしまい無念・・・入り口で国立映画アーカイブの岡田さんとすれ違って柳澤寿男の本をいただいたことを思い出し、とっても申し訳ない気分に・・・!
『声なき炎』
こちらも途中うつらうつらしてしまったのだけど、観ていた部分はとても楽しんだ。無言症になってしまった母について語る息子の視点から、個人的にはマイク・ミルズを連想した(写真やホームヴィデオの差込の、端正な雰囲気がそうさせたのかな?)。母親が検査の機械に入るシーンと、プールを無言で歩くシーン、ラストシーンの呼びかけが強く印象に残っている。
『理性』
インドの宗教状況を映した骨太ドキュメンタリー。上映時間が4時間くらいあるけれど、映っている内容のインパクトの大きさとまとめ方の巧さで全然飽きさせない。自殺した学生の手紙の切実さとその前後の戦いに胸が締め付けられた。明るい紫色のシャツを着た白髪の監督のトークでインドの情勢についての話を聞き、日本の現状と照らし合わせてわりとヘヴィーな気持ちに。
そのほか少しだけ
・三浦さんに教えてもらい行ったインドカレー屋「ジャイ」が小宇宙だった。5回くらい交通事故にあって背がちぢみ、奥さんに追い出されてからカレーを煮込む時間を2時間増やしたという店主からいろいろな話を聞いた。���ンド映画のあらすじ(3カーン)や、インドに行くという日本人に2回買い物を頼んだけど2回ともお金だけ盗られた話などをずっと聞いていたのだけど、最後の最後に壁に貼られている四谷シモンさんや唐十郎の話題にふれたら、なんと店主は新宿「ナジャ」のクロさんのお友達だった!四谷シモンさんのことは「シモンちゃん」と呼んでいたし、篠原勝之さんと特に仲が良いらしい。「ナジャ」はメカスさんともゆかりが深い場所だし、オープニング作品の『富士山への〜』にはクロさんも出ていたんですよと言ったら店主も驚いていた。次の日『理性』の上映後にもばったり街中で会ったので、写真を撮らせてもらった。
・台風の影響が結構えぐかった。『イサドラの子供たち』が上映中止になったり、宿を一泊延長して泊まらせてもらったりした挙句、13日になって空が晴れても新幹線や在来線が動かず、高速バスも満席だったので14日の朝にどうしても東京にいなければならないという井上さんとりこちゃんとレンタカーで帰ってきた。井上さんが常に150キロで運転してくれたおかげで、21:00に山形を出て2:30には自宅に到着できた。本当に最高な井上さんのお父さんは佐藤真さんの同級生で、いまでも奥さん同士の交流があるらしい。沢田研二やMGMT、ボブ・マーリー、クラフトワークのアウトバーンやシューベルトが流れる中、りこちゃんが「うちら雲より早いよ!」と笑ってたり、未来の空想映画祭の話をしたのが楽しかった。
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平安時代旅行(その1)。[190507] 連休のたびに「どこにも行かなかった」だの「引きこもってた」だのぬかしてて、いやそら、まあその通りなんですけども、このたびの連休は、いつにも増して「引きこもり度」を上昇させて、物語の世界にどっぷりと浸ってみましたですよ。選んだのは「源氏物語」の世界で、言ってみれば、平安時代への時間旅行を楽しんだような気分ですな。 ●「窯変 源氏物語」全十四巻(橋本治/中央公論社)
世に源氏の現代語訳があまたある中で、今回選んだのがこちら。実はこれ、初めて源氏を通して読む人間が選んでいいものなのかどうかは、あまり自信がありません。「本書は紫式部の書いたという王朝の物語『源氏物語』に想を得て、新たに書き上げた、原作に極力忠実であろうとする一つの創作、一つの個人的な解釈である」という著者の注がついている通り、単純な「現代語訳」とは呼べない部分があるからでして、全体の三分の二までは、光源氏を語り手とした体裁になっている上に、本来空白である「雲隠」の帖には、驚くべき加筆がなされています。彼の内面描写に関しては、著者の想像や解釈も多々含まれるでしょうし、お馴染みの「橋本節」とでも言うべき説明調の文章もかなりつけ加えられているような印象を受けます。しかしそれらはすべて承知の上、あえて初の源氏として本書を選んだのは、やはり、この一月に亡くなった著者の追悼の意味もあるのでした。読んでいて非常に面白かったので、このあたりは良しとしましょう。 筋立てに関しては、光源氏が次々と女に手をつけていく、くらいが事前の私の知識でして、それはまあ、その通りなんですけど、興味があったのは、それ以後のこと、光源氏が年をとっていくにつれどうなるのか、そして、そのあとの「宇治十帖」もまた読み応えがありました。あ、男も女もやたら「出家」を口にするあたりが何やら印象的ではありました。 以下は副読本を二冊。 ●「大掴源氏物語 まろ、ん?」(小泉吉宏/幻冬舎)
膨大なる源氏物語五十四の各帖を、それぞれ二頁の見開き漫画で表現するという、ある意味、非常に無謀な試みの一冊。「窯変」の一帖を読み終えるごとに、本書の対応部分に目を通して、「筋立ての確認」のようなことをするのに使うと、頭が整理されて、なかなかにはかどりました(本来の用途とは逆のような気もするけど)。長々とした本編を読んだあとで目を通すと、確かに要所はすべて押さえてあって良くできています。ただし、何も読まずに本書だけでは、わかりにくい部分もあるかもしれません。ま、そこはそれ、「大掴(おおつかみ)」ですから。 ●「平安大事典 図解でわかる『源氏物語』の世界」
(倉田実・編/朝日新聞出版)
平安京の地図から内裏の配置図、寝殿造の構造から家具調度、男女の衣装、乗りものやら関連の植物やらお香やら襲の色目、さらには人々の生活や年中行事、信仰やら娯楽に関してまで、あらゆることがぎっしりと詰まった一冊。写真や挿絵も豊富にあり、索引も充実しているので、本文を読んでいて疑問に思ったときに参照すると、理解を深めるのに役立ちました。 十連休をまるまる使っての、平安時代への空想の旅。
名残惜しくも現実世界に戻ってみますと、いかなることでしょう、そこは「令和」と呼ばれる御代になっていたのでございます。
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毛沢東はソ連と仲違いした時、長年にわたって途方もない予算と将兵の養成が必要な通常兵器より、短期間に決定的な抑止力を高める核・ミサイルが効果的であると認識した。
そこで人民の半分が餓死してでも「両弾一星」(原・水爆と人工衛星)を完遂するという決断をした。
その根底には、中国という国家は人民(約8億人)の半分、4億人を犠牲にしても国家は生き残れるという意識であった。
また、「政権は銃口より生まれる」と喝破したように、国共合作で国民党軍を日本軍と戦わせ、共産党軍は後方にいて増勢につなげ、続く内戦で勝利して政権奪取につなげる考えがあった。
実際、430万人いた国民党軍は150万人となり、120万人しかいなかった共産党軍は400万人となり、累次の内戦で約800万人が戦死したとも言われる。
中華人民共和国の建国後の犠牲者
毛沢東は建国10年後の1958年から61年までの3年間、人民公社を地方ごとに造って自給自足で生き延びることができるように大躍進運動を行う。
しかし、公社間の競争精神は実体の伴わない過大報告となり、結果的には約2300万人が餓死したと言われる。
毛は失敗を認めて国家主席を辞任。1962年1月の中央工作会議で劉少奇国家主席が「三分の天災、七分の人災」と述べて大躍進を批判する。
しかし、建国以来続けてきた反右派闘争に勝利して1964年に復権する。この15年間に約950万人を虐殺したとされる。
1966年からは10年に及ぶ文化大革命が続く。この間の政治的な痛めつけでの死亡(約2000万人)や餓死者はほぼ1億人にも上ったとみられている。
3度の批判を生き残った鄧小平は毛の死去(1976年)後の78年末に「改革開放」の大号令をかけ、今日の大発展につながっていく。
しかし、どこまでも社会主義市場経済で、共産主義体制の維持が前提であった。
胡耀邦が総書記に就任(1980年2月)してチベットの惨憺たる有様に衝撃を受け、失政の責任は共産党にあるとして、政治犯の釈放や信教の自由と僧院の再建などの自由化政策を進めるが、共産党幹部の批判を受け87年1月解任される。
続く趙紫陽も学生たちの民主化要求に柔軟な対応を示し、天安門広場に出かけ学生を説得するが失敗に終わる。
鄧小平は共産党政権維持への懸念を深め、中国人民解放軍による武力弾圧を決断し、民主的な抵抗を戦車で粉砕する(「天安門事件」、「6・4事件」とも呼称)。
趙は3週間後(6月23日)に解任され、上海市委員会書記であった江沢民が抜擢される。
天安門事件の死者は発表されていないが、米国の秘密文書によると、死者は1万454人、死傷者は4万人以上となっている(方政・釈量子対談「生き証人が語る 血塗られた天安門の虐殺」、『WiLL』2016.7号所収)。
改革開放後の経済的発展は貧富の差を拡大させ、犯罪や暴動も頻発した。400万人の死刑囚収容施設は不足する状況で、死刑免除と引き換えに外国への労働者として派遣しているとも言われる。
すべてにおいてスケールが違う中国
列挙すればきりがないが、広大な領土と巨大な人口、困難な統一、近代化の遅れ、そして何よりも言論の自由がない共産党独裁の強権政治で「物言えば唇寒し」だ。
他方、愛国無罪が大きな「虚言」を蔓延らせる。
日本では厚生労働省の為体で統計の信頼性が揺れているが、中国は国家ぐるみで、GDP(国内総生産)さえ疑問視されている。
内乱や自然災害、イナゴの異常発生による蝗害などが絶え間なく起き、その都度100万単位の死者・餓死者を出してきたとされるが、何一つ正確な数字の公表はない。
秦の始皇帝が即位したBC221年から共産党結成の直前1920年までの2140年間に160回の内乱があり、累計年数は896年で、13年おきに約6年間の戦闘が起きてきたとされる。
また、この間に5150回の天災、うち1035回の旱魃、1037回の水害が発生。旱魃や水害は2年に1回、蝗害も含めた天災は5カ月に1回の頻度で発生してきたことになる。
施政が行き届かない広大な領土ゆえに、何か起きれば大飢饉に直面した。1810年900万人、1811年2000万人、1849年1375万人、1876~78年1300万人の死者を出す大飢饉が発生している。
20世紀に入ってからも、1928~30年の大飢饉では西安市のある陝西省で200万人が流民となり、1930~32年には1000万人が餓死している。
なお、支那事変で日本軍が開封を占領した1938年、蒋介石軍が日本軍の追撃阻止のため、黄河の堤防を決壊させ、下流域(河南省・安徽省・江蘇省にまたがる54000平方キロ、北海道の6割)の水没で100万人死亡、被害者は600万人に上ったとされる(『郭沫若自伝』は日本軍の無差別爆撃と対外宣伝した)。
このため、3省の農地が農作物ごと破壊され、河南省では1942年に凶作、続く翌年は蝗の大群発生で、300万人が餓死したという。
こうした餓死者が出ると、得体の知れない茸も食し、子供を交換して食すこともあったとされる(易子而食…子を替えて食らう)。
中国人による中国人の斬殺
問題は人為的な残虐行為で、『揚州十日記』がある。
明朝滅亡時、満清の軍隊が南下して勢力を南京に及ぼそうとした時、南京政府の要所、揚州城の攻防で王秀楚という人物が家族や兄弟と逃げ回る間に体験した記録である。
わずか10日間の出来事であるが、中国社会で昔から蔓延るあらゆる慣習が見て取れる。
指揮官の逃亡、兵士の略奪・強姦・放火・惨殺などの暴虐、金品の強要や強奪などが展開される。
2人の女性が逃げ回り、足が泥の中にぬかって脛まで没している。「1人が女の子を抱いていたのを、兵卒は鞭で叩いてその子を泥の中に捨てさせ、そのまますぐ追い立てて行った」。
数十人のものは牛か羊かのように駆り立てられて「少しでも進まぬと直ちに笞を加えられ、あるいはただちに殺された。女たちは長い綱で数珠を通したように頸をつながれ、一足ごとに躓き転んで、全身泥まみれになった」。
「どこにもかしこにも幼児が馬の蹄にかけられ、人の足に踏まれて、臓腑は泥にまみれ、その泣き声は曠野に満ち満ちていた」
「途中の溝や池には死骸がうず高く積み上げられ、手と足が重なり合っていた。池はそのために平らになっていた」
逃げ回った挙げ句、通りに出た。
「通りには人の首が重なりあって横たわっていたが、真っ暗で誰が誰やら見分けがつかなかった」
「(中略)城壁の下には死骸が積み上げてあるため、歩くのに難渋した。何度つまづいては起き上がったか知れなかった。何かに驚かされるたびに、地面に倒れて死骸の真似をした」
彼らは掠奪や強姦ばかりでなく、火災も起こす。四方に火事が起こり、「こっそり戸外に出て見ると、畑の中には死骸が積み重なっていて、中には息絶え絶えにまだ生きているのもあった」。
男(兵士)は幼女と男児を連れた婦人を捕えた。
「男の児が母を呼んで食べ物をねだった。その男は怒って一撃すると、脳が砕けて男の児は死んだ。男は婦人と幼女を引いて行った」
隠れていた場所に「数人の兵卒がやって来て引き出されたことが二度ほどあったが、その都度少しばかりの金を握らせると行ってしまった」。
こうして10日間で80万人が清軍の刀下で虐殺される��いう血腥い「大屠殺」が展開され、繁華の揚州は凄惨な生き地獄と化したという。
揚州を落とした清軍は騎虎の勢で数日後に南京に入る。南京王朝の福王や陪臣はいち早く逃亡し、文武百官はみな薙髪して清軍に降伏する。
余談であるが、清軍豫王とまみえた揚州督��は「史可法ここに在り!」と大呼するが、武運拙く、ついに捕えられる。
豫王は「降れば則ち富貴ならん」と諭すが、史可法は「われは天朝の重臣なり。あにいやしくも生を偸(ぬす)みて万世の罪人となるべけんや。わが頭(こうべ)、断つべし、身屈すべからず」と断る。
豫王は3日間説得し続けるが、最後は涙を揮って部下に斬らせたという。
中国の極刑さまざま
手元に『図説 中国酷刑史』(尾鷲卓彦著、徳間書店)がある。
酷刑とは残酷極まりない刑罰のことで、中国の酷刑を可能な範囲で紹介したものである。
「彼らは手足を釘で打ちつけられ、鮮血をしたたらせて架刑(はりつけ)にされている劫賊(ごうとう)に、これっぽちの憐みすら寄せないどころか、その“五花斬人(きりきざみ)”のさまを観賞するという奇怪な光景まで演じた」
「街頭や横丁において、首が切り落とされた様子を微に入り細をうがって、活き活きとしゃべりたてるかと思えば、われ先に鮮血にまみれた人頭や半裸の女性の屍体を覗き込む。なかには饅頭に血を吸いこませ、それを食べて肺結核を治そうとする者さえあった」などの記述もある。
酷刑には官刑と私刑の別があり、官刑では「拷問・斬首・絞縊・首枷・足枷・站籠(立った姿勢で首枷)・抽腸・鞭打ち・凌遅(寸刻みで切り裂く)・銃殺・見せしめ」が列挙されている。
私刑では「吊り下げ・熱湯あびせ・目えぐり・耳削ぎ・活き埋め・舌抜き・火あぶり・沈め殺し・釜ゆで・圧殺・宮刑・人喰い・足ぜめ・頭髪そり・入れ墨・首切断・バラバラ屍体」などが記されている。
読んでいて、「心胆を寒からしめる」どころか、こんな国家・社会があるのかと恐ろしくなってくる。日本人には想像を絶する奇想天外な国家・社会のようだ。
本多勝一著『中国の旅』にも、「飢えた軍用犬の餌」にした話(文庫本p20)や「電線にコウモリのようにぶらさげ火あぶり」にした話(同p231)、「腹をたち割り、心臓と肝臓を抜き取って食う」話(同)などがある。
臓器を煮て食したのは日本兵ということになっているが、筆者には日本人の行動様式とは思えない。読者はどう思われるだろうか。
月刊誌『SAPIO』(2015年7月号)は、「毛沢東は『資治通鑑』を17回も読み、ライバル抹殺の手本としていた」とのリードで、「『人ブタ』『食人』『生きたまま肉を削ぐ』 歴史書に描かれた中国4千年『残虐の伝統』」の表題を付けた一文を掲げた。
その中で、「人ブタ(手足を切断し丸裸で厠に放る)」「凌遅」「大量虐殺(一族の公開処刑や赤ん坊を空中に投げ槍で刺す)」「人食い」「ムチ打ち・炮烙(銅製円柱に罪人を縛り付けて焼き殺す)」「站籠」などを挿絵入りで説明している。
中国人による日本人大虐殺
拙論の本題は中国人が日本の軍民に暴行を加え、また惨殺・虐殺した事件の検討である。いくつもあるが、ここでは3つを取り上げたい。
(1)旅順猟奇虐殺事件
日清戦争(1894.8~95.5)間の11月21日に起きた事件である。
近代化に邁進中の日本は、戦争においては勝利することと国際法を順守する文明国家であることを強調する必要があり、戦場に国際法の専門家を同道し、第2軍司令官大山巌大将は「我軍は仁義を以て動き、文明に由て戦ふものなり」と訓示していた。
勝利の報が続々と届いていた矢先の惨事に、影響を最小限にする方策で伊藤博文首相と陸奥宗光外相は振り回される。
旅順市街に突入した日本軍兵士は、3日前に生け捕りされた3人の生首が、道路わきの柳の木につるされているのを見る。鼻はそがれ、耳もなくなっていた。さらに進むと、家屋の軒先に針金でつるされた2つの生首があった。
米国人記者も「ワールド」紙で、「日本軍が旅順になだれ込んだ時、鼻と耳がなくなった仲間の首が、紐でつるされているのを見た。また、表通りには、血の滴る日本人の首で飾られた恐ろしい門があった。その後、大規模な殺戮が起った。激怒した兵士たちは、見るものすべてを殺した」と書いている。
清国兵は残酷を極めた方法で傷をつけ、第2軍兵士の死体を放置した。
死者、あるいは負傷者に対して、首を刎ね、腹部を切り裂き石を詰め、左腕を切り取り、さらに睾丸などまで切り取り、その死体を路傍に放置した。これは捕虜の扱いではなく、猟奇事件でしかない。
この残酷さが日本軍に復讐心を燃え上がらせ、生首が兵士たちの激昂を誘ったとされる。
攻撃の包囲網を狭められた清国兵は「袋の鼠」同然となり、軍服を脱ぎ捨て便衣兵となって民家に逃げ込んだ。
復讐心は便衣兵の徹底捜査となる。また、市民の中には武器をもつ者もいた関係から、彼らも加害者とみなされた。
歩兵第2連隊の加部東常七上等兵は「旅順市街に闖入するや、戸々軒々、家中を捜りて、(略)小暗き家の片隅に潜む一人の敵兵。オノレッ!とばかり・・・。直突一閃! 胸板深く突き通せば、彼、苦しさの余り、我剣刃を握れり。コワ・・・仕損じたり。と力を極めて引けば、四指を落としてがくりと倒るる所を亦一刺。魂、天涯に飛んで骸のみ」と手記に記している。
この連隊では清国兵28人を斬殺した一等兵を筆頭に、21人、17人など、11人で166人の清国兵を屠ったという(以上、井上晴樹著『旅順虐殺事件』)。
旅順郊外の萬忠墓には被難者計1万8百余名(かなりが便衣兵か)と明記されているそうである。数はともかく、事件は両国の将兵が確認し、内外の記者数名が報道し確認している。
しかし、非は我に有りとのことか、中国は旅順の猟奇・虐殺をほとんど報道してこなかった。
(2)昭和2年の「南京事件」
「長江(注:揚子江の上流域)流域上下二千浬(カイリ)に亘り、三千余名の在留邦人が暴徒の迫害から遁れて、財産を捨て地盤を棄てて内地への引揚げを断行したことは、我日本としては空前の史実であり世界的にも希有の事変である」
「彼らの我邦人に対する嫌悪と軽侮の念は、十数年来の排日によりて遺憾なきまでに蓄養された。その今日あるはむしろ予想されていなければならなかったはずだ」と悔しさを隠さない。
これは、合法的に南京・蘇州・漢口・重慶などに居留していた日本人が昭和2年の春、中国人によって襲われ、引揚げざるを得なかった日本人襲撃事件の実相を、直後に結成した「中支被難者連合会」が証言や公文書を用いて再現した『南京漢口事件真相 揚子江流域邦人遭難実記』の「序」である。
少し説明が必要であろう。事件発生時までの3年間、外務大臣は幣原喜重郎であった。
上海などで中国の横暴がしばしばあり、英米などは軍艦を出動させて鎮圧してきた。しかし、幣原外相は話し合い解決を主張し、軟弱外交と批判されていた。
こうしたことから、南京の日本領事は「北伐軍を刺激しない」「無抵抗主義で対応する方が効果的」として、荒木海軍大尉らが準備した領事館前の土嚢を撤去し、機関銃は倉庫に隠した。
そこに事件が起き、兵士と暴徒の侵入を許し、婦人までが凌辱・強姦の「忍ブベカラザル検査」(「検査」は領事の表現)を受けたのだ。
中国が事件を起こしても、武力対処は一切斥けた。こうした日本外交に対する思いが「今日あるはむしろ予想されて」の謂いであり、悔しさが滲んでいる。
これこそが「南京事件(昭和2年)」と呼ばれるもので、今日、「南京大虐殺」(昭和12年)として非難されているものは、事件でなく追撃戦であった。
(3)通州虐殺事件
北京の東方約20キロのところに通州がある。「冀東(きとう)防共���治政府」の管理下にある通州保安隊に守られて日本人居留民は生活していた。
盧溝橋事件から3週間後の29日(1937年7月)から翌30日未明の間に、保安隊は国民党軍と示し合わせたかのように警備を解き、女子供を含む邦人257人(日本の警備隊32人を含む)が惨殺された。
居留民たちの救援活動を取材するために、たまたま来ていた同盟通信社の安藤利男記者も襲撃を受けるが九死に一生のチャンスを得て脱出に成功し、後に『虐殺の通州脱出記』を書いている。
午前2時半ごろ保安隊の動きが怪しいとの電話があり、その後は不通。4時頃からは銃声も聞こえる。7時ごろになると市街南方辺りで白煙や黒煙が上がり、銃砲声も激しくなる。
8時になると、記者たちが泊まっていた近水楼の支那人ボーイが他所から口も利けない状態で駆け込んできて、「特務機関付近の通りの邦人商家、カフェー辺りで、日本人が多勢殺されてゐる。太変です・・・」の第一報をくれたという。
また、奇跡的に生き残った人たちも、色々と証言しており、虐殺事件の状況はかなり正確に伝わっている。
1か月後には『主婦の友』が人気作家吉屋信子をカメラマンともども派遣。その時も証拠は至る所に残っており、女性の目で子細に記録している。
しかし、平成28(2016)年7月、現地を訪ね『慟哭の通州―昭和12年夏の虐殺事件』を上梓した加藤康男氏によると、通州市は北京市に吸収されて、「もはやこのあたり一帯に通州虐殺事件に関連した建物は何一つ残されていない。旧城内は、90年代ごろから徹底的に破壊し尽くされてきた」という。
事件から5カ月経った12月下旬(日本軍が南京で入城式を行った1週間後)、冀東防共自治政府と日本側との間で弔意賠償金の支払いや慰霊碑建立の決着が図られた。
都合の悪い慰霊碑はいつしか地下に埋め隠されたが、再開発で偶然に発見された。
その状況を「北京日報」(2001.8.24付)は、「日本軍が中国を侵略した証拠、通州区で慰霊碑が見つかる」との見出しで報じたという。
「1938年日本軍のもので、我が国の抗戦軍民が倒した日寇のいわゆる『慰霊碑』だった。・・・文字はいずれもひどくかすれているが、『大東亜共栄』など日本の侵略理論も記されている」
「通州区の文物所所長によれば、・・・1937年7月29日早朝に通州の2万人余が蜂起、この偽政府(注:冀東防共自治政府)を占領した上、日本人五百人余りを撃ち殺した。翌日、日本軍は大規模な報復を行い、偽政府に二つの慰霊塔を立てることを要求、塔の前には慰霊碑も立てた」
殺害者二百数十人を「五百人余」に倍増し〝抗日の成果″を誇っているし、また5か月後の話し合い決着を「翌日」として日本の傲慢な要求に見せかける中国一流の誤魔化しがある。
加藤氏は、「南京や盧溝橋はもとより、満州各地にある旧大和ホテルに至るまでが『対日歴史戦』の遺跡として宣伝利用されていることを考えると、雲泥の差である。『通州虐殺事件』の痕跡は極めて都合が悪いので、完膚なきまでに消し去ったものとしか考えられなかった」と述べる。
おわりに
通州虐殺事件について、「東京日日新聞」(昭和12年8月6日付、毎日新聞の前身)は、「敵は第29軍の首脳部の命を受け26日頃から通州襲撃の保安隊及び正規兵と連絡をとり、北清事変議定書によって正規兵は天津市内に入るを得ざるを以て便服に着替へて大胆にもトラックを以て続々天津付近に侵入。機関銃、迫撃砲、小銃、青竜刀などを蔬菜や貨物の下に隠して運び込み、時の到るのを待って居た」と報道している。
天津では中国軍から攻撃を受けるや否や、日本軍が反撃に出て撃滅したため大事に至らなかったが、通州虐殺事件は天津の日本租界・軍関係機関、その他の邦人多数居留区域と共に、2年前から襲撃計画が練られていた同時多発テロであったのだ。
同紙は「約1万5千人を虐殺し、掠奪を恣にしたうえ、日本租界を占領しここに青天白日旗を翻して天津から邦人を一掃する」ことになっていたかもしれないと書いている。
加藤氏によると、中国共産党は、通州事件を「反正」(過ちを正すこと、即ち冀東防共自治政府の消滅)として評価し公認しているという。それなのに、「なぜ痕跡を抹殺しようとするのだろうか」と疑問が沸く。
筆者は次のように思う。旅順猟奇虐殺事件や通州虐殺事件は、虐殺現場の目撃者があり、「事件の存在」が証明される。これらの事件を大きく取り上げると、「南京大虐殺」についても「事件存在」の「明確な証明」が求められる。
しかし、習近平さえ英国女王の晩餐会で「存在の証明」で「友好のプレイアップ」を図ったが、逆に「非存在」の暴露になってしまい、“はい それまでよッ!”となりかねなかった。
南京事件は大虐殺の「状況証拠」から離れていくばかりだ。いかがであろうか。
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