#紅の吊り橋
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尾瀬紀行 /No2 2023-09-23 尾瀬ヶ原
軽い昼食の後、尾瀬ヶ原を歩行きに行く。降ったり止んだりの中、見晴-東電分岐-ヨッピ吊橋-龍宮十字路-見晴と2時間ほど歩く。
濡れた草紅葉の色づきがいい感じで足が止まる。あと1週間もすれば金色の草原になるだろう。休みと、天候と、紅葉の進捗をピタリとあわせることは難しい。その時の光景が一番である。
一周して見晴に戻る頃に陽がさし始めた。雲が動き、山々から霧が立ち、草原が輝き出した。えも言われぬ美しい光景にただただ佇んでしまう。
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ちいさな秋を撮って来ました !
定山渓温泉の「二見吊橋」の紅葉は まだ紅葉していませんでしたね ♪
永野光一さんが 1991年に制作したカッパ像「ころんころん」も 紅葉に映えていましたよ ♪
ここは 世界的に有名な紅葉スポットで 世界中から来ていましたね ♪
私のyoutube (4,437本) も見てね ♪
お願いよ ♪
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『ドギーアンドバニー:後篇』
~追うものと追われるもの~
<前篇|中篇:新古生代/新中生代|後篇>
『昔語ル猫ノ唄』1月5日, 2019年
唐突に過去を振り返りますと、作曲を開始したのは2000年(13歳)からですが、音楽素材ブログの『レオナル堂』を公開したのは2007年3月~2008年4月頃までの僅かな期間でした。
その間に就職して仕事を優先するために閉鎖しましたが、今思えば残して置けば良かったと猛烈に後悔中であります。 「音楽で人に良く思われたいとか、音楽を積極的に人に聴かせたいとは、もう考えが及んでおりませんが、音楽の楽しさを人生から除外したくありません」という内容の文面をネットで拝読して妙に納得した今日この頃です。
『島根観光』11月23日, 2018年
今回こそは家族との最後の旅行になるだろうということで島根県まで赴きました。
左の写真はスサノオが祭神の八重垣神社。右は国津神の代表格オオクニヌシ(恵比寿の父神)が祭られる出雲大社の神楽殿です。
神楽殿では神主による祝詞の奏上と、巫女による舞の奉納を拝見しました。
出雲大社参拝の三日後。自宅付近で複数のカラスが尋常じゃない鳴き声で騒いでいるので表に出ると、タカが数十羽のカラスの群れと対峙しておりました。
猛禽類は鋭い爪を持ち、カラスより速く高く飛べるので、数十羽とカラスが集まっても太刀打ちできず膠着状態になったのでしょう。
数分後、タカは人質のカラスを解放して飛び去りましたが、解放されたカラス君はしばらく呆然自失としていました。
『広島観光』4月2日, 2017年
年老いた親の付き添いで広島の厳島(宮島)まで赴きました。
特に好きでもない旅行にわざわざ同行し始めたのは、老いた親との思い出を少しでも残しておきたいと考えてのことでしたが、母の膝関節の状態も芳しくないので当分の間は旅行も控えるでしょう。
初めて旅行に同行したのは私が16歳の時でした。その頃、母は還暦を迎えようとしていたので、悔いのないように思い出を残そうと考えた次第でした。
『井の蛙、天を仰ぐこと能わず』4月2日, 2015年
勤務先の調理場ではコックコートではなくエプロンを着用していますが、少し困った事態が往々にして発生します。
それは食材の買い出しの際、ご婦人方にスーパーの店員と間違えられて頻繁に声を掛けられることに他なりません。
お目当ての商品がどこに置いてあるのかという問いかけに、毎度のように「店員ではありません」と返答しなければならないのは非常に面倒であります。
なので、いっそのことスーパーのどこに何があるのか把握して、懇切丁寧に教えたいと思う今日この頃です。
『生き残ったのは俺たちだけらしい』4月1日, 2015年
過去は過ぎ去りもうない。未来は来たらずまだない。
ならば精一杯、今この瞬間を生きるんだ。
『汝、己の手を穢すべからず』3月18日, 2015年
『懇親会』12月28日, 2014年
スタジオセッション仲間の青年と、40代女性ドラマーの間で執り行われた懇親会に招かれました。
どうやら以前ドラム担当だった上海からの留学生Y君はカプコンに就職できたようです。
R&B系のベース演奏を嗜む三菱重工の社員さんとセッションしたこともありましたが、Y君と一緒に演奏したら面白い化学反応があったのではと考えたりする次第です。
楽しい時は過ぎるのが早い。そんな愉快な一日になりました。
『レタスの収穫』12月22日, 2014年
職場に設置された水耕栽培器で育てたレタスの収穫を執り行いました。
率直な感想を言うと業務スーパーで購入した方が早いと思うのですが、水耕栽培器を使用することで従業員が一丸となって���さな命を育てる優しい心が育まれたのではないでしょうか。
『君と歩いた道』10月21日, 2014年
飼い犬のカナが静かに息を引き取りました。
亡くなる前日の夜、何かを訴えかけるように私の隣に来て横たわっていました。
晩年は癌との闘病生活になりましたが、痛みに耐えてよく頑張ってくれました。
思い出をありがとうな!
どうか安らかに。親愛なるカナ。
『記録に残らない記憶』10月17日, 2014年
どうぶつの森でフレンドと親睦を深めました。
ちょっとしたハーレム状態に恐縮しきりの村長でしたとさ。
私以外の3名の内の2名は姉妹で、当初は姉とフレンドになり遊んでいましたが「妹もまぜてやってくれ」と頼まれて妹さんも参加。
それも束の間「ちょっと離席するからその間、妹を頼む!」と妹さんのお相手をさせていただくことになりました。
他人の村で走り回って花を散らす天真爛漫な姉と比較して、しっかりとした礼儀正しい妹さんでありました。
戻って来た姉に「どうだうちの妹は。いい子じゃろ?」と聞かれましたが、同意せざるを得ませんでした。
楳図かずお氏を彷彿とさせるマリンスーツをいただきました。
この直後に通信エラーが起きて昆虫採集のデータは飛んでしまいましたが、大切な思い出までは決して消えません。
■Ghost of Tsushima ─対馬の亡霊─
youtube
このゲームの着想は、1274年の元寇(モンゴル帝国の日本侵攻)に際して、長崎の対馬に来着したモンゴル帝国軍3万人を乗せた艦隊より1,000人以上が対馬に上陸して蹂躙を始め、それに対して80余騎の武士が応戦したものの全滅したという史実が基になっている。
以下、ゲーム内での設定であります。
文永(十三世紀後半)、モンゴル帝国は東方世界の征服を目論み、立ち塞がる総ての国を蹂躙していた。東の果て、日本に侵攻すべく編成されたモンゴル帝国軍の大船団を率いるのは、冷酷にして狡猾な智将"コトゥン・ハーン"だった。ハーンは、侵攻の足掛かりとして対馬に上陸する。これを防ぐべく集結した対馬の武士団は、初めて見るモンゴル帝国軍の兵略によって初戦で壊滅。島は忽ち侵��の炎に包まれる。だがしかし、かろうじて生き延びた一人の武士がいた。 "境井 仁"(さかい じん) 仁は、境井家の最後の生き残りとして、喩え侍の道に反した戦い方に手を染めることになっても対馬の民を守ろうと決意する。冥府から蘇った者「冥人(くろうど)」として、あらゆる手段を使って故郷を敵の手から取り戻す為に。 「民を守ること。己を守れぬ者らを」
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■チンギス・ハン|Wikipedia
モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハンについて、このような逸話がある。
ある日のこと、チンギス・ハンは重臣の一人である"ボオルチュ・ノヤン"に「男として最大の快楽は何か」と問いかけた。 「春の日に、逞しい馬に跨り、手に鷹を据えて野原に赴き、鷹が飛鳥に一撃を加えるのを見ることであります」と"ボオルチュ・ノヤン"は無難な返答をした。 チンギスが他の将軍"ボロウル"にも同じことを問うと同じように答えた。 するとチンギスは「否、違う」と言い出した。
「男たる者の最大の快楽は、敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむ姿を眺めながら、その敵の妻と娘を犯すことにある」と答えたのだ。 ("A. ドーソン"著『モンゴル帝国史』)
まったくもってさっぱりよく解せない考えのリーダーを持ったボオルチュ・ノヤンとボロウルに深く同情します。
ちなみに人類史において、この世で最も子孫を多く残した人物はチンギス・ハンなのだとか。
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■LiSA - "紅蓮華"|YouTube
本当の強さと、本当の優しさは同質のものだ。
優しさだけでは守るべきものを守れないし、強さだけではそれを正しく行使できるとは限らない。
だから両方そろって初めて偽善ではなく善になる。
──だから僕は優しくなれない。
守るべきものの為に、僕は強くならなくてはならない。
■『紅蓮華《鬼滅の刃》主題歌』歌詞|歌ネット
Nirvanaを彷彿とさせるドロップDチューニングのパワーコードが印象的な楽曲。
ちなみに「紅蓮華」をローマ字にすると"Gurenge"になりますが、どことなく"Grunge"(グランジ)のスペルに似ていることに気付かされます。
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11歳の頃に、週刊ファミ通を読んで興味を持ったニンテンドー64『ゼルダの伝説 時のオカリナ』を衝動買いして大いにハマり、後にゲームキューブ移植版で追加されたハードモード(マップの構造と敵の配置が変化)を一切の攻略情報を参考にせずクリアしようとしましたが、後半の難所「闇の神殿」の一箇所だけ、仕掛けの解除方法を発見できずにやむを得なくネットの攻略方法を確認したのが今にしては悔やまれます。
▽『ゼルダの伝説 時のオカリナ』あらすじ ハイラル王国に広がる深き森には“コキリ族”という子供のまま永遠に年を取らない代わりに、森から出ると死んでしまう種族が住んでいた。 主人公の“リンク”はコキリ族として育ったが、ある日に森の守護神デクの樹よりハイラルの危機と、これからハイラル城に向かい、そこでハイラルの運命を左右する神に選ばれし姫に出会うことを告げられる。 斯くして、時さえも越える冒険の旅は始まった。 幼馴染の少女“サリア”は、リンクを大切な友達と思う一方で、自分とリンクがどこか違っており、やがて別れの時がやってくることを察知していたようだ。 森の住民にさとられないように森を後にしようとしたリンクだったが、出口の手前にある吊り橋の上でサリアが待ち伏せていた。そこでリンクは声を掛けれ、オカリナを手渡された。 「オカリナを吹いて、思い出したら帰って来てね」 故郷を離れたリンクが初めて訪れたハイラル城下町で出会う少女の“マロン”は、ハイラル平原の中央に位置する牧場の一人娘だ。 父親と牧場を切り盛りしており、亡き母に代わって少々だらしがない父親を支えるしっかり者だが、いつか白馬に乗った王子様が迎えに来てくれると思っていたり、密かに夢見がちなところもある。 歌が大好きで、仔馬の“エポナ”を可愛がりながら、幼い頃に母から教わった唄をよく歌っている。 ■Zelda: Ocarina of Time Medley (Lon Lon Ranch, Market, Horse Race) | YouTube ***
幼馴染や救出した各国の姫君の心をわりと射止めるような気がしないでもないわりに、自分の功績を誰に告げて自慢するわけでもなく、颯爽と愛馬"エポナ"に跨り駆け去るリンクは、僕にとって永遠の憧れであり、英雄であり続けるのでしょう。🏇
「正しいことってどんなこと? 正しいことをすると……みんな喜ぶのかな」 「君の友達ってどんな人? その友達は君のことを友達��思っているのかな」 「君の幸せってどんなこと? 君の幸せはみんなも幸せになるのかな」 「君の本当の顔はどんな顔? お面の下の顔が本当の顔なのかな」 「誰もいなくなったな、鬼ごっこ。そうだ鬼ごっこがいい。鬼は逃げるだけだ。いいな」 (『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』任天堂, 2000年)
■ドラゴンクエストⅢ ゾーマ戦|YouTube
RPGのラスボス戦のBGMを大きく分けると、勇者視点の勇敢な曲か、魔王視点の禍々しい曲のどちらかが多数のようです。
『ドラクエ3』のラスボス戦曲は、勇者視点と魔王視点のテーマが交互に入れ替わる当時としては斬新な構成。
流石は発想のレベルが違う!
そういえば小3の頃に友達と情報交換しながら攻略本なしでゾーマ城まで進行したものの、途中で無限ループする廊下の突破方法が分からずに中断。その数年後にふと未攻略だったことを思い出し、ネットで攻略サイトを参考にしながら一人でクリアした悲しい思い出があります。
『東京観光』2月4日, 2012年
大都市東京に行くの巻。
「龍は一寸にして昇天の気あり」
この諺は、龍の子供は僅か一寸ほどの大きさの時から天に昇ろうとする気概があることを言い表しています。
――時は2012年2月4日。単身では初めて東京まで赴くことになりました。
まずは“東京駅”に降り立ち、毎朝欠かさず“皇居”を周回��ているであろう“走���”に見守られながら、“日本橋”から頭上を仰ぎ見て実に機能的なことに感嘆の念を禁じ得ず、“六本木”の“森美術館”では外連味《けれんみ》のない“前衛的な芸術”を鑑賞して一生懸命に理解したふりをしつつも、“御茶ノ水”の楽器店でギターの試奏をして“親切な店員”に「アッシュ材は音の輪郭が明瞭で立ち上がりが早い」と懇切丁寧に教わり、“渋谷”では“忠犬ハチ公”のしっぽが思いのほか太いことに意表を突かれ、さり気なく“モヤイ像”の存在感が著しく欠如していることに落胆し、“新宿2丁目”では奇天烈な内装の“ライブハウス”で奇を衒った生演奏を拝聴した上で“浅草園芸ホール”では絶滅を危惧される“江戸弁の落語”を直々に堪能できました。“浅草”の大通りにある蕎麦屋で食した蕎麦が一杯1,000円もすることに驚愕しながら表に出ると、漫画『ドラゴンボールZ』に登場する“フリーザ”の恰好に扮した一団が大通りを颯爽と駆け抜けて行きましたが、“秋葉原”から徒歩で来たのでしょうか。大変ご苦労なことであります。
さらば大都市“東京”よ。願わくば、また会おう。
『一家団欒』8月17日, 2011年
盆休みを利用して某府で会社員(SE)として勤める兄上が実家に帰省しました。写真に写っ���いるのは飼い犬のカナと兄上の足の裏。
私と同じく兄上は学生の頃から授業と宿題以外の勉強はせず、放課後は数時間にわたり友達とスーファミのRPGに興じておりましたが、塾に通う児童よりも成績が良好で学年トップクラスの成績を維持し、習字を習う児童よりも達筆で習字の学校代表に選出され、高校の頃は情報処理のテストで100点を取り、計算技術大会で入賞を果たし、スポーツに興味がないのにマラソンのアンカーに選出され、実家を出てからは某府の理系大学を首席で卒業し、今も府内で会社員として勤められております。
子供の頃から「兄が自分と同じ年齢だった頃、兄はもっと身体能力や知識があったはずだ」「今の兄と同じ年齢になっても、どの分野も追いつくことは不可能だ」と思い悩むことも多々ありました。
そんな小学生の頃に「実は自我があるのは自分だけで、他の人々は自我もない機械に過ぎず、自分は地球という舞台で一人芝居を続ける滑稽な道化に過ぎないのかも知れない」という話を冗談半分で兄に打ち明けたら「同じことを考えたことがある」と真剣に答えてくれたことがありました。
SEの年収は企業規模により左右されます。100〜1,000人未満の企業の平均年収は610万円。1,000人以上の企業規模の平均年収は790万円。SEの年収は企業規模が大きいほど上昇します。
ちなみにWikipediaによるとシステムエンジニアとは日本のIT業界における特殊な体制から生じた和製英語で、国際的にはソフトウェアエンジニア、ソフトウェア開発者、プログラマー、ハードウェア技術者などの表記が正しいとのことです。
飛鳥時代
弥生時代
縄文時代
中生代
古生代
古生代は、約5億4100万 - 約2億5190万年前まで。「古生代」「中生代」「新生代」に分かれる地質時代の大きな区分の一つ。先カンブリア時代の後に相当します。無脊椎動物の繁栄から恐竜の繁栄した中生代の前までの期間を指します。
カンブリア紀:基底年代541
カンブリア紀(約5億4100万年前)に、様々な既存の生物が急激に増加しました。これを「カンブリア爆発」と呼びます。この時代の生物のほとんどは海洋に生息しており、殻や外骨格で身を固めていました。海底の砂の下を住みかにしたり、海中を泳ぎ回ったりと、様々な種類の生物がいました。腕足動物や三葉虫は最も一般的な生物で、新たな分類として脊椎動物の無顎類も誕生しました。
オパビニアはカンブリア紀に生息したハサミ状の吻(ふん。口あるいはその周辺から突出している部位)を持つ古生物。かつてはその異質な姿により、「奇妙奇天烈動物」の代表例として分類群には収まらない未詳化石として疑問視されました。後に研究が進み、アノマロカリスなどのラディオドンタ類、ケリグマケラ、パンブデルリオンとともに、基盤的な節足動物として認められるようになりました。
ヒトの持つ恐怖心という感情は、すでに魚類の頃より脳機能として天敵から逃れるためにありました。その後、哺乳類より前頭葉が発達して理性(欲望を抑える働き)が生まれました。哺乳類は群れを形成して生活を送るため、前頭葉で様々な欲望を抑え込みます。しかし、生きるために必要な欲望を抑えるためにヒトの精神は蝕まれ、精神疾患を発症するリスクが高まる傾向にあります。一方の本能だけで生きる爬虫類までの脊椎動物には、まだ前頭葉がなく本能だけで生きています。
魚類から哺乳類に進化した今も、カンブリア紀の頃と変わらず日本人は魚を生で食べます。
オルドビス紀:基底年代485.4
オルドビス紀(約4億8540万年前)は、顕生代(肉眼で見える生物が生息した時代)の5大量絶滅事変の一つにあたる大量絶滅により終焉を迎えました。このオルドビス紀末の絶滅事変は、絶滅した属の割合で見ればペルム紀末の大量絶滅に次ぐ大規模なもので、海生多細胞生物の科の22%、属の49%が絶滅し、腕足類やコケムシ類も大打撃を受けました。その他にも三葉虫、ウミリンゴ、サンゴ類、フデイシ、コノドントの多くが淘汰されました。この三葉虫は古生物で最もポピュラーな節足動物で、現代のエビやカブトガニの仲間です。
以上のように、オルドビス紀にすべての生物種の85%が絶滅しましたが、この大量絶滅の原因は現在もはっきりと断定されていません。
脊椎動物としてのヒトの始祖は、顎を持たない魚類の無顎類です。この生物は、口から吸い��んだ水を鰓《えら》でこして、その中のプランクトンを摂って生きていました。そこから無顎類は顎を発達させて、オルドビス紀に初めて顎口類に進化します。顎口類の最も原始的な魚類の板皮類は、全身を覆う甲皮を持った種で、後のデボン紀に絶滅しました。
この板皮類から軟骨魚類と硬骨魚類という二つの群の魚類が現れましたが、そのうち人類の祖先となったのは硬骨魚類です。これら二群の魚類は、今も水中生活に適応しており、その子孫は未だに繁栄しています。
ゲノム解読(遺伝子解析)の結果、人類を含む脊椎動物の起源は、頭索動物の"ナメクジウオ"か、尾索動物の"ホヤ"のいずれかのようです。ナメクジウオは頭と尾の区別がなく、口はあっても顎はなく心臓もありません。このナメクジウオとホヤのどちらが人類の起源と呼べるのかという論争もありましたが、ゲノム解読によってナメクジウオに軍配が上がり、新聞社からも「ナメクジウオが起源」と報道されました。しかしその後「必ずしもナメクジウオが起源とは断言できない」という何とも言えない研究発表がなされたようです。
約5億2千年前の海はエビやカニなどの節足動物が繁栄し、その食物連鎖の頂点にオウムガイが君臨していました。人間(脊椎動物)の祖先ナメクジウオなどの誕生したばかりのか弱い魚類たちは天敵のオウムガイから逃れるために「脳」が発達し、偏桃体が生まれました。
人類を含む脊椎動物の始祖とされるナメクジウオは、体が扁平で細長く柳の葉のような形をしており、体長は通常5cmほど。表皮が透明で脊索や神経管・内臓も透けて見えます。ナメクジウオには眼がありませんが、その代わり神経管のあちこちに光を感じる器官があります。口は腹側にあり触手によって常にふたをされた状態になっています。
餌を食べるときは、触手によって異物を取り除き食べます。咽頭は広く、その壁には多数の穴がぎっしりと並びます。ナメクジウオは、繊毛で水流を起こして植物プランクトンを水流により取り込みます。余分な水は出水孔から出されますが、餌は腸に取り込まれた後に肛門から排泄されます。
植物が地上に進出した頃は、大気中の二酸化炭素濃度は現代の15倍ほどありましたが、その後は急速に低下しました。
シルル紀:基底年代443.8
シルル紀(約4億4380万年前)に至るまで、陸上には昆虫と単細胞生物のみが生息していました。このシルル紀に多くの植物が上陸し、地上での成長を開始しました。この時代の代表的な生物に、陸棲の節足動物や最古の陸上植物があります。食卓によく上がるカニやエビは、この節足動物に分類される昆虫の仲間です。
エビやカニは分類学上の甲殻亜門で、同じ門にはオキアミ、フジツボ、ミジンコ、フナムシ、ダンゴムシなどが含まれます。ダンゴムシの動作は、まず突き当りまで歩行し、触覚が壁に触れたら右に向きを変え直進し、また壁に突き当たると今度は左に方向転換して直進します。そのパターンを繰り返しながら生命活動を存続します。最古のダンゴムシに似た陸上の節足動物に、シルル紀後期に生息したカルバリア類がいます。
シルル紀後期にリグニンという物質を有した植物が登場しました。この植物はリグニンを合成して幹を強化し、光を求めて高く伸びるようになりました。リグニンを分解できる微生物はいなかったので、植物は腐らず地表に蓄えられていきました。
デボン紀:基底年代419.2
デボン紀(4億1920万年前)は、「魚類の時代」としても伝えられます。多種多様な魚類が海中で繁栄し、この時点で顎《あご》と鰓《えら》及び鱗《うろこ》や鰭《ひれ》を魚《さかな》は持っていました。
淡水域では棘魚類が栄えました。同時にサメの仲間のクラドセラケが誕生し、動物は海中から陸上に進出し始めました。また、この頃に両生類が誕生しました。
特にデボン紀に繁栄した原始的な魚類の一つが、体の表面が骨格化した甲冑魚とも呼ぶ板皮類です。中には全長4m以上に及ぶものもいましたが、約4億年前にサメの仲間の軟骨魚類が繁栄するようになると、この板皮類は衰退します。そしてデボン紀後期に起きた大量絶滅により姿を消しました。
この頃の植物は、乾燥した気候にも適応し始め、それまで簡易的だった構造を一転させ、より複雑な構造の植物に変化し始めました。
石炭紀:基底年代358.9
石炭紀(約3億5890万年前)に両生類の陸上進出が始まり、石炭紀後期に爬虫類が誕生しました。この頃に翅の左右の幅が60㎝を超える巨大昆虫オオトンボが現れました。
〝ヤゴ〟は肉食性の水生昆虫。トンボ目の幼虫を指す通称です。語源は成虫のトンボを表す「ヤンマの子」を略して「ヤゴ」と称されたようです。
成虫のトンボは空中の生活に適応した陸生動物ですが、幼虫のヤゴは水中に生息します。不完全変態なので、基本的には成虫とさほど変わらない構造をしているはずで、余計な付属肢がありもせず、翅も小さなものが背面に出ています。しかし、その外見は成虫と大きく異なり、軽やかに空を飛ぶトンボからは想像できない姿形です。ヤゴは肉食で、主に小型の水棲昆虫を食べ、時には小魚の体液を吸うこともあります。
幼虫の頃のヤゴは向かうところ敵なしですが、成虫のトンボになると多くの天敵に捕食される危険にさらされます。
それでも自身の命が燃え尽きる前に、繁殖のために水中から陸上に進出します。
◆小学校高学年・中学生のページ/成虫の生活
オスの生殖口は腹部の末端にありますが、そこから直接メスに精子は渡しません。オスは腹部の基部近くにある副性器に一旦精子を移します。さらに確保されたメスが腹部を折り曲げて、生殖口をオスの副性器にくっつけることによって交尾が成立します。
トンボは交尾の時、オスとメスが合わさってハート形の体勢になります。交尾時間は種によって異なり、数秒から6時間ほどかかるものもいます。
生物は他の生物を捕食し続けないと生命を維持できません。それでも生体の活動には限界があります。その寿命が尽きる前に、自分の遺伝子のコピーを残す必要があります。
単細胞生物や一部のイソギンチャクなどは細胞分裂で自分自身のコピーを残しますが、節足動物や脊椎動物は交配によってコピーを残します。細胞分裂の場合は交配相手がいなくてもコピーを残せますが、その代わり遺伝子の���列はコピー元と同じなので、特定の気候変動やウイルス感染などの条件を満たすとすぐに絶滅してしまうリスクが伴います。
一方の交配では、両親から50%ずつ遺伝子を受け継ぎます。これにより様々な気候変動に対する耐性や、ウイルス抗体を持つ遺伝子のバリエーションを増やして子孫の生存率を高めることができます。
ちなみにトンボとゴキブリは、地球に突如として出現してから進化しないまま温暖な地域に広く分布し、強靭な生命力で繁栄した昆虫として知られます。また、どの種から進化したのか長らく不明な点も特徴です。
約2億5千万年前から存在したといわれる世界最古の有翅昆虫ゴキブリも、トンボと同じく酸素濃度の影響を受けて初めは60cmほどの大きさだったようです。ゴキブリの胸部には食道下神経節という脚を動かす神経があるので、脳を切断されても生き続けます。まさに初登場にして完成形の生物といえるでしょう。
このゴキブリも食卓によく上がるカニやエビと同じ節足動物です。
殻付きの卵を産む生物が現れたことで、脊椎動物が陸地全体に広がりました。ヒトを始め、陸上の脊椎動物の手と足は、魚類の「胸びれ」と「腹びれ」が進化したものです。
つまり進化次第では「背びれ」や「尻びれ」も手足となり、ヒトは"阿修羅"のように6本腕になっていたのかも知れませんね。
ペルム紀:基底年代298.9
ペルム紀(約2億9890万年前)に棘魚類が絶滅し、両生類・爬虫類・単弓類(哺乳類型爬虫類)が繁栄しました。それと入れ替わりに、三葉虫類とウミサソリ類が絶滅しました。
そうしてペルム紀末に、史上最大とされる地球規模の大量絶滅が起こりました。
◆『天地創造』エンディング|YouTube
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梵我一如
2020年12月、JAXA(宇宙航空研究開発機構)は、宇宙探査機「はやぶさ2」の持ち帰った小惑星リュウグウの砂を分析し、アミノ酸20種類以上を発見。このアミノ酸は46億年前の地球にも存在した。人間の生命の基となる物質が、宇宙由来である可能性を示唆された。
ビッグバンにより宇宙が創られた際の物質で天体は創られ、さらに地球上に海が生まれました。そうして海の中で誕生した生物もまた海に含まれるアミノ酸によって構成されます。
インド哲学《仏教》の「人(我)と宇宙(梵)は同質」という解釈はあながち間違いではないのかも知れませんね。
先カンブリア時代から全ての動植物は、単細胞生物から多細胞生物に進化し、ぞくぞくと自分自身のコピーを増やしました。
つまり人類皆兄弟どころか植物も脊索動物も節足動物も皆一様に血肉・細胞を分けた兄弟と解釈できます。
インド思想《仏教》の梵我一如(ぼんがいちにょ)には、ブラフマン(梵)とアートマン(我)という二つの概念があります。
◆梵(ブラフマン:宇宙全体の原理) ◆我(アートマン:個人の原理) 「梵」とは、自然そのもの、遍在する原理、または真理。 「我」とは、身体の内側にある不変の実体、個人の魂。
このように個の根源であるアートマン(我)に対し、宇宙全体の根源をブラフマン(梵)と呼びます。
東洋思想の礎となったインドの思想は、宗教と哲学の間に明確な境界線はなく、あえて宗教的な表現でブラフマンを表すと「宇宙の創造主」となり、哲学的に言い換えると「全ての原因」と表現できます。
悟り
出家した釈迦は、まず師のもとで修行に励みました。禅での解脱をはかる修定主義でしたが、釈迦は忽ちそれを会得しました。しかし、これだけでは「苦」の解決にはなりませんでした。
「自らで答えを見つけなければいけない」と考えた釈迦は、呼吸制限や断食といった過酷な修行に取り組みます。肉体の苦痛によって精神的解放を得ようとする苦行主義の修行です。この苦行は想像を絶し、手足は枯れ枝のようになり、背骨は浮き上がりました。苦行主義は全く無益なもので、悟りを得るどころか心身が衰えるばかりでしたが、5人の修行仲間ができました。
ある日、釈迦は苦行主義では解決しないと考え始め、修行を放棄して川で身を清めました。今にも力尽きそうな釈迦でしたが、近隣の村の少女からヤギの乳粥を供養されました。心身ともに衰えた釈迦でしたが、乳粥のあまりの美味しさに感動し、同時に気力が回復しました。5人の修行仲間は、そんな釈迦を堕落者扱いしました。
しかし、釈迦は菩提樹の下で瞑想し、悟りの境地に至りました。
釈迦は「悟り」を啓きましたが、肝心の「悟り」が何なのかまでは経典に記しませんでした。
「悟り」は書や言葉で説明したところで、その人自身が体験しないと理解できないと判断したからです。
《西洋哲学》は問題提起したまま解決せず終わるフランス映画のごとく哲学者自身の発狂や自害に終止しましたが、《東洋哲学》は「悟り」の概念という問題解決に至ったのが特徴と言えるでしょう。
釈迦は35歳で悟りを啓き���その後80歳で亡くなるまで《仏教》の教えを説き続けました。
✽.。.:·゚ ✽.。.:·゚ ✽ * * * * ⋆ ⋆ ⋆ ✽.。.:·゚ ✽.。.:·゚ ✽
『運命の赤い糸』5月1日, 2019年
■令和元年二日目。伊勢神宮で賜った世界一シンプルと名高い御朱印
2019年5月2日(令和元年二日目)。
興味本位で伊勢神宮に初参拝する前日に、数年前まで飼っていた犬が夢に現れました。
目前に件の飼い犬が居ましたが、再会できた喜び以前に鈴緒のような紅白の紐が飼い犬の前足に巻いてあることに気付きました。
不審に思いながら手を伸ばしたら、自分の腕にも同じように紅白の紐が巻き付いていたのでした。
その時、「私が今世でこの犬と出逢ったのも予め"運命の赤い糸"という縁で結ばれていたからだろう」と紐付けて結論付けた次第であります。
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幾度となく飼い犬との意思疎通を試みたが、7割くらいは理解に及ばなかった。
犬は純粋無垢な心でどこまでも飼い主を信頼するから飼うのは荷が重い。
時々「俺はお前が思ってるほど善い奴じゃないんだよ」と言いたくなるが伝えようがない。
でも僕はお前の飼い主になれて嬉しかったよ。
当時12歳の僕は、君に子を産ませ、それを売って金を稼ごうと考えていたけれど、もちろん君はそんな事とは知らずに生まれて来た。
毎日を純粋に生きる君と暮らす中で、僕は自分の傲慢さに気付き、そうして考えを改めた。
僕は君の飼い主になれて幸せだったけど、君は幸せだったのだろうか。
少しでも君を幸せに出来たのならいいのだけど。
今となって言えるのは「生まれて来てくれてありがとう」ということくらいだ。
もう二度と生き物を飼うことはないだろうけど、思い出を沢山ありがとうな!
どうか安らかに。親愛なる"カナ"。
※思い出のイメージ画像(『ビルシャナ戦姫 ~一樹の風~』, アイディアファクトリー)
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■ジェリーフィッシュ (feat. ローラーガール) | YouTube
いつの日か、かならず“森羅万象”が無に帰すとしても、この世に生まれ「生きる」ことは決して無為ではないと筆者は確信しております。
君とすごした日々は、君のいないこれからも、かけがえのないものであり続けるのでしょう。
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名刺文学特別審査員賞!
“今日はありがとう! お待たせしちゃって、ごめんね😢 またあそびにきてね😊”
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■"大道寺知世"《カードキャプターさくら》
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静岡小旅行④
2024.7.20
静岡小旅行二日目は伊東を離れ、三島の北にある長泉町の『ベルナール・ビュフェ美術館』へ。
広大な駿河平自然公園に隣接していて、木々に囲まれた美術館に気持ちが高まりました。
ほぼ美術館の情報なく行ったので、その広さ、充実した内容に驚きました。世界一のビュフェコレクションを誇っているだけあって、2時間以上鑑賞!
もっと知られてもいいのに…と思う、美術好きの人にはお勧めしたい場所でした。
こちらは美術館のすぐそばにあった駿河平自然公園の吊橋。しかもこの奥にもう一つ続いているんです!(一つ吊橋を下りると、またすぐもう一つ吊橋がある)
昨日からマニアになったかのように、吊橋を渡る私達(笑)
2つの吊橋の下には川が流れていて、下りられるようになっていました。紅葉の季節、桜の季節もよさそうです。��う少し暑くない時期に来た時は下にも行ってみようかな!
#museum#bernard buffet#Bernard Buffet Museum#shizuoka#美術館巡り#美術館#静岡県#長泉町#surugadaira natural park#ベルナール・ビュフェ美術館
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各地句会報
花鳥誌 令和6年5月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月1日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
立春を待たずに友は旅立ちし 喜代子 習はしの鰈供へる初天神 由季子 在さらば百寿の母と春を待つ 同 春遅々と言へども今日の日差しかな 都 橋桁に渦を巻きつつ雪解水 同 盆梅の一輪ごとにときめきぬ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
飴切りの音高らかに春を待つ 和子 風船消ゆ宝珠の上の青空へ 慶月 天を突く手が手が福豆を欲す 光子 葬頭河の婆万年を寒く座す 光子 飴切りのビートを刻み追儺の日 いづみ 虚無なるは節分の達磨の眼 緋路 老いてなほ鬼をやらふといふことを 千種 恵方向く沓の爪先光らせて 光子 とんがらし売る正面に福豆も 和子 錫杖をつき仏性は春を待つ 小鳥
岡田順子選 特選句
厄落し葬頭河婆をねんごろに はるか 柊挿す住吉屋にも勝手口 眞理子 豆を打つ墨染のぞく腕つぷし 千種 奪衣婆の春とて闇の中笑ふ 俊樹 亀鳴けば八角五重の塔軋む 俊樹 節分や赤い屋台に赤い香具師 緋路 錫の音待春の鼓膜にも 緋路 飴切りのトントコトンに地虫出づ 風頭
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月3日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ものゝふの声は怒涛に実朝忌 かおり 実朝忌由比のとどろきのみ残る 睦子 久女忌の空は火色にゆふぐれて かおり やはらかな風をスケッチ春を待つ 成子 実朝の忌あり五山の揺るぎなし 美穂 歌詠みは嘘がお上手実朝忌 たかし 死せし魚白くかたどり寒月光 かおり 実朝忌早き目覚めの谷戸十戸 久美子 寒月や薄墨となるパールピアス かおり 寒月に壁の落書のそゝり立つ 同 ふはとキスこの梅が香をわたくしす 美穂 昃れば古色をつくす蓮の骨 睦子 寒禽の過り裸婦像歪みたる かおり 人呑みし海ごつごつと寒の雨 朝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月9日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
両の手をあふるるあくび山笑ふ 美智子 春浅し絵馬結ふ紐のからくれなゐ 都 鰐口に心願ありて涅槃西風 宇太郎 柊挿す一人暮しに負けまじと 悦子 寒晴や日頃の憂さをみな空へ 佐代子 師の苦言心にとめて初硯 すみ子 この町を砕かんばかり月冴ゆる 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 枡形句会
春菊をどさつと鍋に入れ仕上ぐ 白陶 落ちる時知りたるやうに紅椿 三無 装ひは少し明るめ寒明ける 和代 一品は底の春菊夕餉とす 多美女 中子師の縁の作詞冬の能登 百合子
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令和5年2月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
料峭の石橋渡る音響く 三無 苔厚き老杉の根に残る雪 あき子 羽広げ鴨の背にぶく薄光り のりこ 春まだき耀へる日の風を連れ 三無 吟行や二月の空は青淡き 和魚 春めきて日向の土の柔らかく 三無 春の陽を川面に溜めてゆく流れ 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
古暦焚くパリの下町も焚く 昭子 豆撒や内なる鬼を宥めつつ みす枝 落日にして寒菊の色深し 世詩明 被災地の家もひれ伏し虎落笛 ただし 裸婦像の息づく如く雪の果 世詩明 雪吊の縄にも疲れ見えにけり 英美子 ありし日の娘を偲び雛飾る みす枝 それぞれの何か秘めたる卒業子 世詩明 今生の山河に満つる初明り 時江 九頭竜の河口に余寒残しをり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
春立つや電車もステップ踏み走る 紀子 薄氷を横目に見つつ急く朝 裕子 商店街バレンタインの日の匂ひ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 萩花鳥会
白梅と紅梅狭庭にうらうらと 祐子 熱燗で泣けたあの唄亜紀絶唱 健雄 如月の青空のこころ乗り移る 俊文 春の霜とぎ汁そつと庭に撒き ゆかり うすらひを踏むが如くの孫受験 恒雄 透きとほる窓辺の瓶や冬の朝 吉之 身に纏う衣減らざり春浅し 明子 躙り口扇子置く手に零れ梅 美恵子
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令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
越前の雪の生みたる雪女 雪 又次の嚔こらへてをりし顔 同 一としきり一羽の鴉寒復習 同 横顔の考へてゐる寒鴉 同 老いて尚たぎる血のあり恵方道 真喜栄 節分会華を添へたる芸者衆 同 白山の空より寒の明け来たり かづを 紅梅や盗まれさうな嬰児抱く みす枝 老犬の鼾すこやか春を待つ 清女 佐保姫やまづ能登の地に舞ひ来たれ 嘉和 収骨の如月の手は震へつつ 玲子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 さきたま花鳥句会
煮凝を箸で揺らしつ酒を酌む 月惑 春一番ドミノ倒しの駐輪場 八草 雪残る路肩を選りて歩く子ら 裕章 春立つや蠢く気配絵馬の文字 紀花 朽木根に残してあがる春の雪 孝江 見舞ふ友見送る窓の老の春 ふゆ子 鼓一打合図に開始鬼やらひ ふじ穂 スクワット立春の影のびちぢみ 康子 匂ひ来し空に溶けたる梅真白 彩香 生みたてと書きて商ふ寒卵 みのり 寿司桶の箍光りたる弥生かな 良江 春泥や卒寿の叔母の赤き靴 珪子
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令和5年2月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
総門を白く散らして梅の寺 斉 俯ける金縷梅の香や山門に 芙佐子 恋の猫山内忍び振り返る 斉 日溜りに小さき影なし猫の恋 白陶 腰かけて白きオブジェの暖かし 久子 鳥もまた盛んなるかな猫の恋 白陶
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
撫で牛に梅の香纏ふ天満宮 笑子〃 白梅の五感震はす香の微か 千加江 真夜の雪寝る間の怖さ知るまいの 令子 銀色の光ほころび猫柳 啓子 復興や春一丁目一番地 数幸 紅梅の謂を僧の懇ろに 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
一羽には一羽の矜持寒鴉 雪 憶却の先立つてゐるちやんちやんこ 同 煮凝りや良き酒飲めて子煩悩 同 来し方を語り語らず大冬木 同 此の人の思ひも寄りぬ大嚏 同 初春の遥か見据ゑ左内像 一涓 熱燗や聞きしに勝る泣き上戸 同 己がじし火と糧守りて雪に棲む 同 灯もせば懐古の御ん目古雛 同 もう少し聞きたいことも女正月 昭子 冬日向ふと一病を忘れけり 同 瀬の音にむつくりむくり蕗の薹 みす枝 夜中まで騒めき続く春一番 やすえ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
寒紅や良きも悪しきも父に似し 雪 退屈をひつかけてゐるちやんちやんこ 同 春立つや千手千眼観世音 同 路地路地に国府の名残り春の雪 同 節分会葵の御紋許されて 同 越前の夜こそ哀し雪女 同 瓔珞に鐘の一打にある余寒 清女 能登地震声を大にし鬼は外 数幸 春塵や古刹の裏の道具小屋 泰俊 蕗の薹顔出し山を動かしぬ 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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四篇 上 その二
二人は、汐見坂にさしかかった。 北側には、山つづきだが、南側には、青々とした海が見えて、絶景である。
風景に 愛敬ありて しおらしや(汐らしや) 女の目元に 汐見坂とは
北八が、そのように一首詠むと、かごかきが聞きつけて、 「はあ、旦那様は、偉い歌人じゃな。うまいもんじゃ。あれ、向うの山を見なさい。 鹿がおりますわ。」 と、言われて、北八は、そのほうを見る。 「どれどれ、本当だ。これはおもしろい。」 「そう言えば、お江戸の旦那方は、あんな面白くもない動物を見て、たいそう珍しがってたな。 昨日も、乗せた旦那が、発句とやらを、言ってましたわ。」 北八は、かごかきの話を聞いて、 「おれも、今の鹿で、一首浮かんだ。まあ、お前たちに言って聞かせても馬の耳に念仏だろうが、こういう歌だ。」 と、言い出した。
おく山に 紅葉ふみわけ なく鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき
「うん、なかなか、いい出来だ。」 北八が、そういうと、かごかきは、 「旦那様は、偉いもんじゃ。私らには、歌の良し悪しはわからないが、何はともあれ歌がすぐに、ひょいっと出るのじゃから偉い。偉い。」 北八は、まんざらでもないふうで、 「なに、たいした事じゃねえ。でも、貴様たちがあんまり褒めてくれたから、どれ、酒をおごってやろう。ほれ、そこに茶屋があるようだ。」 と、言うと、かごかきは、 「そうですかい、それじゃ、相方、一服して行こう。」 と、茶屋の角にかごを下ろして休む。
北八は、 「みんな、一杯づつのみな。これ、女中さん。そこへ、酒を一升でも二升でも、美味い肴をつけて、出してやってくんな。」 と、言っている。 後から来た弥次郎兵衛は、かごの中から、 「おや、北八どうしたんだ。大分、大げさなことを言っているようだが。」 「なに、ちょっと、酒を飲ませるが、いつもの事だ。」 と、さっき拾った、四文錢、一本を出して見せる。 弥次郎兵衛は、びっくりして、 「お前、それをみんなおごるのか。」 「勿論。」 と、北八は、胸を張っている。 弥次郎兵衛は、ちょっと顔をしかめたが、 「まあいい、面白い。俺も御馳走になろう。」 と、かごを出て、店先に座ると、やがて女中が、酒と肴を持って来る。 北八を乗せていたかごかきが 「これは、ありがとうおざります。旦那、いただきます。 こりやこりや、相方、どこへ行った。ほれ、みんな来い。 さっきの猿丸様が御酒を下さる。」 と、かごかき四人は、こぞって飲みだす。
実は、さっき北八が詠んだ「おく山に…」は、百人一首に作者、猿丸となっている歌で、かごかきはそれを知っていて、北八のことを猿丸様と呼んで冷やかしているのである。 弥次郎兵衛もおかしく、思う存分飲んでいる。 北八は、かごかきに騙されて、無口になっている。
一通り飲んでしまうと、弥次郎兵衛が、 「さあさあ、御亭主さん。いくらだね。酒代はかごの旦那が、お払いだ。」 亭主は、もみ手で、近づいてくると、 「はいはい、酒と肴で、三百八十文でございます。」 それを聞いて、北八渋い顔になって、 「こりゃ、豪勢に飲んだもんだ。」 と、不承不承に、例の錢で払ってしまう��� と、かごかきは、ふと思い出し、 「そういや、相方よ。さっきの一本の銭はどうした。」 「ああ、あれか。もしもし、旦那様、あなたの乗ておられる布団の間に四文錢を一本入れておきましたが、あるか見てくだされませ。」 北八は、かごかきにそう問いかけられて、びっくりし、 「なに、ここにか、いや、見えないわ。」 と、とっさに嘘をいう。 「なになに、無いことはない。確かにそこに入れておきましたもの。」 かごかきはあわてている。そこへ弥次郎兵衛が、 「さっきから見てりや、北八、お前が布団の下からだして、ひねくりまわしていた錢じゃねえのか。」 かごかきも 「それそれ、それでおざります。」 と、いうから、北八は、内心、弥次郎兵衛はいまいましいことを言うと思いながら、睨む。 それを見ていた弥次郎兵衛は、笑いをこらえながら、横を向いてしまう。 北八は、しかたなく懐から、一本出して布団の下へそっと入れ、 「ああ、ここにあった。あった。」 これを聞いてかごかきは、 「ありましたか。そりゃよかった。さあ、相方、張り切って行こう。」 と、かごをかきいだす。 茶屋の女中はそれを見ながら、 「ようございました。」 と、言う。弥次郎兵衛は、おかしくて、笑っていたが、ここは、猿が馬場という地名で、柏餅が名物なので、又、一首ひねり出す。
拾うたと 思った銭は 猿が餅 右から左に 酒に飲まれた
そんなこんなで、進んでいくと、境川というところに着いた。 ここは、遠江と三河の境で、橋がかかっている。 弥次郎兵衛は、一首詠む。
遠州へ つなぎ渡せる 橋なれば にかはの国と いうべかりける (遠州と三河をつなぐ橋だから、三河ではなくてにかわ(接着剤の一種)だというべきだろう。)
まもなく、ふた川(愛知県の豊橋市辺り)の宿場に着いた。 ここは、家毎に、強めし(こわめし)を商うようだ。 弥次郎兵衛が、一首詠む。
名物は 言わねどわかる 強めしや これ重箱の ふた川の宿
両側の茶屋ごとに、旅人を見かけては、はでに呼びかける。 「お休みなさりまし、暖かいお吸い物もおざります。 新鮮な肴で、酒でもお飯でもおあがりまし。」
この茶屋の入り口近くにいる、男が、北八と弥次郎兵衛を乗せているかごかきに呼びかけてきた。 「ひゃあ、八兵衛、どうやら、客を替えたようだな。畜生め。 そんなら、早くカカアのところに帰るこった。 大方、間男が入り込んでいるところだろう。」 弥次郎兵衛を乗せているかごかきがそれに答えて、 「あほうめ、おぬしのところの親父めが、首吊ってることも知らずに、くそたれめ、ハハハ。」 と、言いながら、そこを行き過ぎると、かごを仕切っている問屋の少し手前でかごを下ろす。 弥次郎兵衛と北八は、ここで、かごを降りた。
この宿場の外れに、どうやら殿様が休んでいるようだ。 本陣の前にたくさんの乗り物が止めてる。 たくさんの侍衆が行き違い、問屋もなにやら忙しそうに駆け回っている。 裾の広がっている袴や踏み込み袴の侍が、本陣を出たり入ったりしているのを見て、 「ははん、さすがに大きなお屋敷だけあって、町人の大屋様も刀を二本さしているな。」 北八が、この様子を見ながら言うと、 「ばかなことを言うな。町人が二本させるもんか。 踏み込み袴をはいていても、あのお方は、立派な侍だ。 大屋だけが、踏み込み袴を履くと思ったら大間違いだ。」 弥次郎兵衛が言うのを、適当に聞いて北八は、 「あの、豪華なかごを見てみな。豪華な蒲団が重ねてかけてある。」 という。弥次郎兵衛は、そのかごの方を見て、 「そりゃそうだ。乗っている人を見てみろ。頭の大きな侍人形というもんだ。 ハハハ。おっと、それ、馬がきた。」
「ヒヒイン、ヒヒイン、」 と、歩いていく馬に、弥次郎兵衛は、よけそこなって、そこにつまずいてしまう。 「アイタタタ、悪いところにかっぱかごをおいていやがる。」 と、小言をいうと、臨時に雇われたらしい雑務をしている中間が、 「この野郎め、かっぱかごへ土足で踏み込みやがって、とんでもないことをしやがる。 横っ面にかぶりつくぞ。」 それを聞いてちょっとびっくりした弥次郎兵衛は、すぐに体制を立て直して、 「ハハハ、鬼が住むという大江山の飯時じゃあるめいし、頬にあかぶりつくとは、威勢がいい。」 中間は、顔を真っ赤にして、 「なんだ、こいつ。切り捨てるぞ。」 と、言うのを弥次郎兵衛は、中間の腰辺りを見ながら、 「貴様たちの赤錆の浮いた刀で、何が切れることやら。」 と、まるで、平気だ。 「そうまで、言うなら、切らねばならんな。 これ、角助、お前の腰のものをちょっと貸してくれ。」 と、ほうばいの角助が腰に挿している刀を取ろうとする。 「こりやこりや、切り捨てるなら、なぜ自分の刀を使わない。」 と、ほうばいの角助がいうと、 「そんなことはどうでもいい。どれで切っても同じじゃねえか。」 と、なおも取り上げようとする。 「いや、何がよいのじゃ、よくないわ。」 と、ほうばいの角助が自分の刀を抑えると、 「はて、気のきかねえ男だ。いいからちょっと貸しな。」 と、なおも取り上げようとする。 「いやいや、おぬしの方が気の利かない男だ。 俺の本当の脇差は、金持ちの槌右衛門へ二百のかたにとられたのを、お前も知っているじゃあねえか。」 そうだった、俺と同じで、角助も借金のかたに取られていたんだったと、思い出して、 「ああ、そうか。おい貴様。切り捨てるのは簡単だが、今日のところは許してやる。 早く行け。」 それを聞いて、弥次郎兵衛は、面白いことになったと、 「いや、止めとこう。さあ、切れ。」 と、つつかかる。
周りの連中も、この喧嘩を面白がって群がってきた。 中間は、引くに引けなくなってきて、仕方がないと、 「ええ、そんなに切ってほしいなら、突殺してくれる。」 と、腰の竹みつをぬいて、弥次郎兵衛につかみかかる。 ところが、弥次郎兵衛は、この竹みつを引っつかんで、捻り倒せば、 「ひゃあ、人殺し。人殺し。」 と、可愛そうなほどの声を上げる。 このとき、 「カッチカッチカッチ。」 と、拍子木の音が聞こえてきた。 どうやら、早くも殿様の御立ちらしい。 そりゃ、行こうと、お供の連中は騒ぎ立つ。 そのせいで、喧嘩もそれきりになり、弥次郎兵衛も、これ幸いと、北八もろとも、ここをのがれて、足ばやに行き過ぎる。
しばらく歩いて、弥次郎兵衛が、 「ハハハ、大笑いの喧嘩だった。」 と、一首詠む。
脇差の 抜身は竹と 見ゆれども 喧嘩にふしは なくてめでたし (どうやら、脇差が竹みつらしいと見えたが、竹のふしのように、引っかかりがなくて、喧嘩がもつれなくてよかった)
二人は、そのまま、この宿場を通り過ぎた。
つづく。
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真言密教 関東三大本山冒険フィールドワーク 第三弾 高尾山薬王院結願ハイキング編
本日は祈祷寺本山、第三弾 高尾山薬王院へ結願ハイキングに参拝してきました。
秋晴れの快晴に恵まれ、いつも日本語勉強会に参加しているベトナム人さんとも一緒です。
高尾山の一番の紅葉の時期でした。
王道は無難な一号路コースです。
小学生たちの希望で吊り橋がある4号路コースで一気に頂上を目指します。
付き添いの保護者様、バテバテです。
途中に根っこがタコのようなところから『たこ杉』と呼ばれる大木の杉があります。『たこ杉』にあやかって『ひっぱりだこ』になるようにたこの石像をなでなでしてきます。
一気に山頂へ富士山が良く見えます。
早めの下山で薬王院へ大護摩修行です。
和尚様の貴重な薬王院の歴史のお話を拝聴しあらためて深い歴史の因縁と時代の流れを感じます。
当時奈良の東大寺大仏を建立した聖武天皇と監修をした行基和尚が高尾山薬王院創建も一緒なんです。
天下泰平を祈って各所にお寺を建立したのですね。
皆真剣に学べました。
大護摩修行では龍興寺関わる全ての人が幸せでありますように「寺門興隆」をみんなで願いました。
今回で真言密教 関東三大本山冒険フィールドワークが結願しました。
理事の尾澤さんと各々参加してくれた小学生たちや今回は保護者様やベトナム人さんたちと無事にハイキング出来て感無量です。
禅寺は『わびさび』という時間の経過の美意識を大切にします。
枯山水や一年経過して色着く紅葉などですね。
それぞれ密教本山の特徴があり、祈祷寺の鮮やかさ、天台真言密教の神秘さ、本堂のつくり方、祈祷太鼓の叩き方、すべてが新鮮で禅寺にはない体験をさせて頂きました。
禅寺と非常に対照的です。
3月に鎌倉へ参ります。
その対照的なお寺の在り方を感じてほしいと思います。
日本の歴史文化の発祥を肌で体感し、
ご朱印もお分かちしながら素敵な思い出になりました。
各本山でお会いした宗務の和尚様方、懇切丁寧に引率説明をして頂き大変感謝申し上げます。
お土産の非売品も沢山頂戴し小学生たちもひとしおに喜んでおります。
引率の皆様、保護者様もご協力ありがとうございました。
龍興寺 合掌
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初冬
2023・11・25
大根がズラリと干してある、これぞ日本の冬の風物詩。でもこれは何処だか忘れた、となっても便利な世の中、スマホがちゃんと教えてくれる。此処は「道の駅 湯の香しおばら」でした
何とも寒々とした「紅葉谷の吊り橋」1週間前だったらものすごく綺麗だったでしょう。色が褪せても「吊り橋」が好きな人は300円払って渡っている。高所恐怖症の私はタダでも行かない
一見トイレかと間違えそうなこの建物が今回宿泊した「塩の湯温泉 蓮月」への入口。去年の夏にオープンした共立メンテナンスの高級ホテルで崖の下に建てたものだからこの建物から専用のスロープカーで急斜面を降りると言う面倒臭さ。此処は標高が高いので寒かった。ホテルの内部は明日紹介します
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「二見吊橋」の紅葉を撮りました ♪
定山渓温泉にある「二見吊橋」の紅葉です ♪
この吊り橋の下に 夫婦岩がありますが 誰も 見て行きませんね (しめ縄が無くなったので分からない)
世界中から沢山の人が 見に来ていましたよ ♪
私のyoutube (4,060本) も見てね ♪
お願いよ ♪
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令和4年12月30日(金) 明日は 大祓式が 太宰府天満宮 楼門前にて 16:00より 行われます⛩ 大祓式は 平安時代から続く 公の神事で 12月31日を 「年越しの大祓」 ともいい 全国の神社で 同日に行われています 一人一人、 社会全体を祓い清め 世の中が平安で いつまでも栄えるよう 祈りをささげる神事 全く知らずにおりましたが なんと有難いことでしょう🙏 明日はその時間に 想いを馳せて お正月の準備を したいと思います😌 🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍 1/3(火)〜27(金) 国立劇場 初春歌舞伎✨✨ 「通し狂言 遠山桜天保日記」公演 十一屋さんの売店にて 販売の 定式幕(じょうしきまく) バージョンの うその鳥の準備が できました⭐️ (観覧の方のみの販売です🙇♀️) あと10ヶ月となった 初代国立劇場の さよなら公演✨✨ ぜひ足をお運び下さい♪ あわせて 和三盆「飛梅」も 松崎大祐さんの パッケージ"波兎"で ご用意しております🥰 🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍 天満宮参道も お正月のような 賑わいです♪ 連日沢山の ご来店 ありがとうございます🥰 アナザースカイ (第2の故郷)と 言ってくださる方 「いつも寄ってます」 「帰ってきました」 「応援しています」 「頑張って下さい」 嬉しいお言葉の数々 ありがとう ございます😭 今年は クラウドファンディングでの ご支援をはじめ 日本橋三越、神戸阪急�� 芦屋大丸、 仙台三越催事へも 沢山お運びいただき ありがとうございました🥰 また 太宰府本店、オンラインショップでのご来店、ご注文 ありがとうございました🥰 皆さまと 沢山お話して 励まされて。。 無事にお正月を 迎えることが できるのも 皆さまのおかげです 本当に有難う ございました❣️❣️ 来年も スタッフ一同 美味しく 楽しく 安全なお菓子づくりを 目指して頑張ります❣️ もちろん伝統も守りながら😊 引き続き どうぞ 宜しくお願い いたします🙇♀️ 🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍 お正月の楽しい飾り うそ鳥のマグネット 雷鳥鏡餅は トリーンさん @torilln ジャラジャラと 梅園のお菓子の吊し飾りを もったおぼこちゃんは #松崎大祐さん どちらも クラウドファンディングの リターンで お世話になりました🙇♀️ 🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍 花びら餅のご注文 承ります 1個450円(税込)です 🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍 いよいよ 元旦より うその餅に 木鷽が入ります❣️❣️ 1/1(日)〜1/7(土)は 紅梅色のうその餅も ご用意致します❣️ オンライン販売は 1/8(日)ごろ開始予定です 店頭の状況により 予定変更になることも ございます🙇♀️ 明日31日(土)は 10:00〜17:00 1/1(日)〜1/3(火) 8:30〜18:00 1/4(水)〜1/6(金) 10:00〜17:00 1/7(土) 10:00〜20:30 鬼すべ👹神事松明が 参道を登るまで 1/8(日)、1/9(月) 通常営業となります 10:00〜17:00 1/10(火) お休み 梅園菓子処 営業時間 10:00-17:00 🟩令和5年 1/10(火)、1/16(月)、1/23(月)、1/30(月) TEL092-922-4058 FAX092-928-0383 住所:太宰府市宰府2-6-16 西鉄電車「太宰府駅」から徒歩1分 *参道に入って右側5軒目 *大きな看板が目印です ️*全国発送承ります#梅園菓子処 #太宰府梅園 #太宰府天満宮御用達 #うその餅 #ラムレーズン宝満山 #銘菓宝満山#大徳寺納豆宝満山#よろつよ#裏千家#表千家#遠州流#茶席菓子#太宰府みやげ #太宰府和菓子#太宰府天満宮#ミニ梅守#和菓子の贈り物#うそ鳥#鳥好き#鳥のお菓子#太宰府銘菓#宝満山#博多人形#土うそ#木鷽#土うそ#郷土玩具花びら餅#観世音寺#国立劇場#十一屋#国立劇場さよなら公演 #torilln #松崎大祐 (梅園菓子処) https://www.instagram.com/p/Cmy-Dk_Pjvr/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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零の会
2024年1月6日
於:国立オリンピック記念青少年総合センター
坊城俊樹選 岡田順子選
坊城俊樹出句
坊城俊樹出句
神の森へと絢爛の春著かな おちよぼ口紅を差したり春著の子 ハスキーな初鴉とて神のもの 春著とは後ろ姿のありにけり 去年今年神の焼そば食らはんと 神苑の神乗り移る初鴉 神宮の八手の花は交信す まぶだちを亡くせし朝の初御籤 去年今年菊紋美しき大鳥居 去年隔つ菊の御紋の大鳥居
坊城俊樹選特選句
坊城俊樹選特選句
ドッグラン鼻と鼻とで交はす賀詞 荘吉 裸木のはるかを白く光る街 要 頰切るは鷹の翔つ風かもしれず 順子 人波をこぼれながらの初詣 光子 焼芋の煙たなびく志んぐうばし 和子 群衆といふ一塊の淑気歩す 順子 寒雀神馬と分かちあふ日差し 光子 寒雀入れ神苑の日のたまり 光子 寒の水明治の杜のまま映す 小鳥
坊城俊樹選▲問題句
晴れし日の雪吊龍の手に化けて 小鳥
坊城俊樹選並選句
大前に縦一列で冬帽子 荘吉 はじまりもをはりも青き初御空 和子 馬場の日にふくら雀の落ちて来し 光子 弦を背に颯爽とゆく小春かな 風頭 参宮橋より白日の冬木立 小鳥 輪飾の紙垂の歪みもめでたけれ 和子 神木の黙しぼんやり春を待つ 三郎 鎖樋垂らして永く竜の玉 順子 白き手首して清正の若水を 順子 清正の井へと恵方の歩の続く はるか 初声の想ひありしか本殿へ 三郎 小春日や亀石に吾も甲羅干し 風頭 悴める指に解きて恋みくじ はるか 笹鳴や旋毛に当たりつづける日 緋路 青空に深く沈みて冬の鳥 和子 参道を逸れ神域の淑気かな 六甲 神宮の鳥居の罅も淑気かな 佑天 楪や隔雲亭は夢の跡 順子 寒椿落つれば湧くや清正井 眞理子 京訛り唇紅く寒の紅 三郎 江戸よりの井戸の名水ぬるき冬 眞理子 皇后の大もみぢ枯れても落ちず 慶月 積樽も淑気を帯びて並びけり 佑天 百年の落葉溜りのほつかほか 慶月
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岡田順子出句
岡田順子出句
潔き新玉ぶりを隈笹に 頰切るは鷹の翔つ風かもしれず 国の春へロマネ・コンティの献樽を 楪や隔雲亭は夢の跡 鎖樋垂らして永く竜の玉 帷のごとく陽に鎖し白障子 なんでもなくて冬草の青ければ 群衆といふ一塊の淑気歩す 寒天を逆しまにして蒼き井戸 白き手首して清正の若水を
岡田順子選特選句
岡田順子選特選句
跼り清正の井を初鏡 昌文 本殿につぶやく寒紅をつけて 光子 楪の浴ぶる日我にゆづらるる 慶月 肺胞に沁み込んでゆく淑気かな 緋路 冬草や喧騒去りて井戸残し 眞理子 馬見えぬ乗馬倶楽部の六日かな 六甲 寒鯉来おのれの色の水を分け 緋路 寒椿落つれば湧くや清正井 眞理子 寒の水明治の杜のまま映す 小鳥
岡田順子選▲問題句
遠近法その中を往く初詣 荘吉
岡田順子選並選句
初日記驚天動地で始まれり 佑天 去年隔つ菊の御紋の大鳥居 俊樹 一連の真珠を胸に初句会 光子 枯菖蒲妄想の中春を待つ 風頭 神の森へと絢爛の春著かな 俊樹 一枚の青空歌ふ初鴉 和子 補聴器を外し砂利踏む初詣 軽象 清正の井へと恵方の歩の続く はるか 清水の写すみ空の冬木の芽 きみよ 鳥居新た杉のひらけて寒に入る 小鳥 吉祥の天へ跳ねたる寒雀 はるか 冬日燦々熊笹の隈閃々 風頭 笹鳴や旋毛に当たりつづける日 緋路 神木の葉擦れ大鷹睥睨す 眞理子 明治旧り樹間に満つる淑気かな 眞理子 寒鯉の水重さうな一と揺らぎ 昌文 拭きあとの白き硝子と日向ぼこ 和子 百年の落葉溜りのほつかほか 慶月 ひよつこりとシャンパンを手に雪女 きみよ 大前に縦一列で冬帽子 荘吉
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香嵐渓の吊り橋 足助神社でまだ見れた紅葉🍁 #香嵐渓 #足助神社 #足助八幡宮 #autumnleaves #shrine (香嵐渓) https://www.instagram.com/p/CmK89TySqfC/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Just an ordinary sunny morning in Nikko, when autumn comes. 🐶🐶 (at 塩原温泉随一の紅葉スポット【紅の吊り橋】) https://www.instagram.com/p/ClXP0iiSReV/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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紅葉
2023・11・24
やっぱり家が一番!と思いながら、栃木県では遅かったものの、所々で見かけたモミジの写真を整理しています
これは何処かの道の駅の裏山
塩原の「大山参道」 参道と言っても寺も神社も見当たらない
紅葉の名所「もみじ谷大吊橋」の入り口でたった一本だけ紅葉
と、まあ想像通り季節は秋を通り越して冬。とは言えこの2日間の暖かい事!今日もほぼ夏日に近い予報。そして明日から本格的に冬がやって来ると言う。温泉と美食ですっかり血糖値を上げたはずの夫のケアやら寝具の冬支度やら今日は忙しい。明日から暫く栃木県のアレコレが続きます
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【栃木県】紅の吊橋 . 栃木県の写真はこれにて終了です . (2020/11/04撮影) . #紅の吊橋 #紅の吊り橋 #紅葉 #栃木県 #栃木観光 #栃木旅行 #栃木県那須塩原市 #栃木県那須塩原 #紅葉スポット #北関東 #旅行 (塩原温泉随一の紅葉スポット【紅の吊り橋】) https://www.instagram.com/p/CkgCjc9PtBk/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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毎年恒例の寸又峡チャレンジ🍁 ・ 今年はギリギリセーフでした🌝🍁 寸又峡行くたびにオイルパン潰した思い出が…😇 ・ #50mmと135mmの世界 ・ #寸又峡 #夢の吊り橋 #紅葉 #紅葉狩り #toyota #corolla #levin #ae86 #4ag #jdm #oldschool #autumn #autumnleaves #nikond750 #50mmf14 #nikonphotography #sigma #sigma135mmart #135mmf18 #artlens #sigmaphoto #単焦点オタク #ファインダー越しの私の世界 #RAMIIIIIpic #ラミピク #わりと撮る (寸又峡 夢の吊り橋) https://www.instagram.com/p/CHxdqVTH4_R/?igshid=ngvgqhykh6p3
#50mmと135mmの世界#寸又峡#夢の吊り橋#紅葉#紅葉狩り#toyota#corolla#levin#ae86#4ag#jdm#oldschool#autumn#autumnleaves#nikond750#50mmf14#nikonphotography#sigma#sigma135mmart#135mmf18#artlens#sigmaphoto#単焦点オタク#ファインダー越しの私の世界#ramiiiiipic#ラミピク#わりと撮る
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