#糸島高校前駅
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思いがけず長旅になってしまった。 仕事を早退して叔父の通夜に参列。 疲れたが参列出来てよかった。 #jr九州 #福岡市地下鉄空港線 #筑肥線 #糸島高校前駅 (糸島高校前駅) https://www.instagram.com/p/Cpu7K33PNOG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころ��感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。酔った勢いで入れ墨を彫ってしまう危うさ、煙ったクラブでなにもかんがえずに踊って、好きな男と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。自らを成り立たせるピースを集めた上でそれを食い尽くすくらいの覚悟や貪欲さがあなたにはある?わたしにはそれが足りなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーしにてーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。わたしはわたしのことをぜったい見放さない、それだけで充分いっぱいすてきでしあわせで救いだということを今じゃなくてもいい何年もかけて真実にしていく、揺るがない愛に変えていきたい。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている���良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞれが居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい、わたし、山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して死ぬほどどきどきしたのを思い出した。それ��らわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。木曜日、ほんとうは1限に英語の授業があったんだけど、財布を忘れたいせいで交通費が若干足りなくて新宿駅から乗り換え先の電車に乗れなかった。その旨をインスタのストーリーに載せたら、一度しか喋った事ない同じクラスの男の子から「抜け出していくわ、」とだけ連絡が来て、本当にきてくれた。クラスで唯一金髪で、派手で、いつも高そうな服を着ている。ピーナッツをぼりぼり食べながら、ダーツをする。わたしが2回勝って、可哀想だったからあとの1回は負けてあげた。それからは何も無かったかのように授業では一言も喋らない。お互い、目を合わせないふりをしているような、ふしぎな距離感を保つ。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講し��あと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもうの。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける!だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さ��ことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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おれは多摩が嫌い。家ばっかでつまんねーから。自然もなければ都会でもない。住むためだけのベッドタウン。立川も八王子も駅前は多少栄えてるけど、ちょっと歩けばウチの近くと似たような景色になる。ハリボテみたい。海もなければ多摩川も遠いし、デカい公園もない。昭和記念公園は金を取られる。いくらかマシな駅前でも、遊ぶには金がかる場所ばっかりだ。高校生の頃、雑費込み5000円の小遣いじゃ大した事はできない。電車に乗って遠くに行く機会も中々ない。昔一回嫌気が差して新宿まで出ようと決めた。大学入るまで電車通学したこと無かったから、知ってる「都会」が新宿くらいしかなかった。金がもったいないから行きは歩き。国立から線路沿いに歩いて、三鷹辺りまでは似たようなつまんねー町並みが続いた。無機質なコンクリの高架と、その足元の人が入ってんだか入ってねーんだか分からんピカピカの商業施設。それを囲む家。時々森林。つまらん���でもそこらを通り過ぎると個性が見えてくるようになる。まず駅前の雰囲気が画一的でない。でけえ掘っ立て小屋みたいな駅舎とツルツルのアスファルトの閑散としたロータリーみたいなワンパターンじゃない。駅の形がおもしれえ。乱立する店も金はねえから利用はできないが、それでもプラプラ歩き回りながら眺めてるだけで楽しい。マックや松屋、ビッカメやルミネを眺めていても何も楽しくねえけど、ここは違う。見慣れない街への新鮮もあるだろうけど、それ以上の何かがある気がした。街に色があった。中野で断念しちゃったけど、今でもアテもなくフラフラ歩き回るのがすきなおれの原体験だ。大学も多摩だった。おれはもう一生をここで過ごすのかもしれないと思った。このままでは魂が多摩色に濁ってしまう気がして、わざわざ都心のバイト先を選んだ。初めて目白という地名を知った。往復1000円弱がタダになるのはデカい。無駄に一人暮らしして、最寄りが中央線から京王になってなんか新鮮だった。多摩内を南西に移る虚無の引っ越しだった。中1までは本気で日本の電車とは中央線が北海道から九州まで繋がってるもんだと思ってた。乗り換えという行為の意味が謎だった。新宿での乗り換えで一旦駅を出て、覚えたてのタバコで一服するのが恒例だった。西口の喫煙所でモード学園のビルを眺めながら一息ついてると主人公にでもなった気がした。目白ではバイトの休憩中に学習院へ侵入して一服するのが好きだった。キャンパスがおれのとこと違ってザ・大学って感じがした。附属の生徒が構内を歩き回っていた。おれの母校も小中高一貫校で、小学生が学食でチョロチョロしてるのが嫌だったのを思い出した。マックスキャロットに行こう行こうと思っていて終ぞ行かずじまいになってしまった。今度行かないとな。一回金なさすぎて目白から帰れなくなった。みどりの窓口がある池袋まで歩いて、Suicaを払い戻して現金を手にし事なきを得たのも思い出深い。この頃から都心の雰囲気に少し慣れ始めた。同時期から服装に気を遣い始めたのもこれと無関係じゃなかったかもしれない。元々フラフラ歩き回るのが好きだし、そのステージが多摩から遥かに豪華になったのが嬉しくてたまらなかった。都心はすげえ。立川より立派な街並みが隣の駅まで歩いてもずっと続いてる。バイト代もあるからかっこ良くて履き心地の良い靴も買えるようになった。バイト帰りに、当時流行りだしたサウナへ寄って一泊するのも好きだった。親の同意書も要らず外で泊まれるようになったのが嬉しかった。まあ以前も自分の字で書いて出してたけど。��から一風呂浴びて、さっぱりし���身体で上野や錦糸町をふらつくのも新鮮な体験だった。バルト9では深夜も映画が観られる事を知った。ゲーセンもファミレスも夜は閉まってしまう時代で、こんな場所があるのかと思った。夜を映画館で過ごすなんて、マンガや映画に出てくる不良少年みたいな体験で興奮した。終電で適当な駅に降りて、夜通し歩き回るのも好きだった。夜中の鵠沼海岸でボーッと波の音を聞いたり、誰もいない江ノ島を歩き回った事もあった。おれは生まれも育ちも一応東京だけど、あの頃になって本当の意味で上京を果たしたのかもしれない。人はこうして人生を旅して、最後に多摩に落ち着くのかもしれない。本人はそれで良くても、ガキはたまったもんじゃないけどね。
おれは多摩が嫌い。家ばっかでつまんねーから。 自然もなければ都会でもな..
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2024/09/15(日)16:00~19:00山形ビエンナーレ 影絵公演
川村亘平斎×トンチ×角銅真実duo「影絵と音楽」のサンセットライブ
川村亘平斎、トンチ、角銅真実、巌裕美子
会期:9/15(日)16:00-19:00
会場:鴫の谷地沼 テニスコート小
料金:一般(高校生以上)前売チケット4,000円(中学生以下前売チケット無料)種別:山と土と茶と、イベント
インドネシア・バリ島の伝統影絵を現代的な文脈で捉え直し、新たな芸能のカタチを模索し続ける芸術家、川村亘平斎の影絵が8年ぶりに山形ビエンナーレに帰ってきます。本公演「オロチカラ〜なまぐさ天狗は龍を追う」は東北の山、天狗、龍をモチーフにした新作となります。スチールパン奏者のトンチ、マリンバ奏者の角銅真実を迎え、音楽と影絵のアウトドアライブを開催します。 そして日本の音楽シーンに新たな波を送り続ける注目のアーティスト、角銅真実。今年7月のフジロックフェスティバルでも素晴らしいライブを披露した角銅真実duo(角銅真実+巌裕美子)での演奏になります。 修験の山、瀧山(りゅうざん)をバックに行う2つのサンセットライブを是非お楽しみ下さい。 ※2セットのライブとなります。
「刺繍をほどいてみる」 角銅真実duo 時間:開演16:00、終演17:00(15:30開場) 出演:角銅真実、巌裕美子 今回はチェロとのデュオで演奏をします。 初めて鴫の谷地沼を訪れた時 その深い鏡のような沼と山々、空、植物のエネルギーを 身体いっぱいに受けました。 景色という刺繍の糸を、 つまんでほどいてみるような、そんな時間をみなさんと過ごせたらと思っています。
「オロチカラ〜なまぐさ天狗は龍を追う」 川村亘平斎とトンチの影絵と音楽 時間:開演17:45、終演19:00 出演:川村亘平斎、トンチ、角銅真実、他 昔々、生き物たちが次々とゾンビになって、世界中を破壊し続けておりました。 ある日、ゾンビに襲われたカエルは、龍王ヶ池に住む天狗に助けを求めますが、この天狗、なまぐさで有名なヤツで、カエルの話を一向に聞きません。するとそこに、ゾンビ病の謎を解明するため��を続けるモグラの博士が現れてこう言います。「ゾンビになったもの達を元に戻すには、命の源『オロチ』を見つけなければならない。」 ゾンビの襲来で森を追われた天狗とカエルは、モグラ博士に誘われ、『オロチ』が眠るチノハテ山へと向かうのでした。 申込方法 一般、中学生以下無料のチケットはそれぞれ以下のページよりご購入をお願い致します。 ●チケット販売 t.livepocket.jp/e/bbe2e お願い 1. 開演の30分前の15:30に開場いたします。会場は駐車場からは徒歩約7分となりますので時間に余裕を持ってお越し下さい。 2. 雨天、悪天候の場合は会場を東北芸術工科大学講義室に変更いたします。会場変更の場合は前日までにお知らせいたします。払い戻しは致しませんのでご了承いただきますようお願い申し上げます。 3. 車でお越しの場合の駐車場は「蔵王ロープウェイ蔵王山麓駅」(山形ビエンナーレ協賛駐車場/無料)をご利用ください。会場の「鴫の谷地沼(しぎのやちぬま)」は駐車場から徒歩約7分となります。 ※他の駐車場は有料になりますのでご注意ください。 ※満車の場合には、誘導員の指示に従ってください。 zaoropeway.co.jp/summer 4. 会場は自然に囲まれた屋外のため虫除け対策を十分にしていただき、長袖長ズボンなど肌の露出が少ない服装でお越しください。夕方は特に蚊、ブヨなど虫が発生致します。虫除けスプレーなどご持参いただきますようお願い申し上げます。 5. 会場の「鴫の谷地沼」は真水が限られる蔵王エリアの農業用水として使用している大切な水源地です。綺麗な状態に保たれた美しい沼のため、水遊び、ポイ捨て、沼への流水、などはお控えください。
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各地句会報
花鳥誌 令和6年7月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年4月4日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
受験の子送りてしばし黙す父母 喜代子 うつうつも待つこと楽し花便り さとみ 初桜幾歳月や句座の道 都 野遊びのノスタルジーを胸に秘め 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
野遊の一人は高きハイヒール はるか 春愁の長き耳垂れ犬来たる 光子 譲ること大嫌ひなの半仙戯 同 ボール蹴る子に一瞬の花吹雪 美紀 ぶらんこを替つてくれず漕ぐばかり 瑠璃 花いつもさびしきところより散りぬ 緋路 大使笑ふ南麻布の花の昼 佑天 花冷のベンチに花冷のお尻 緋路 群青の絵の具は春の水に溶け 同 教会の桜は透けるほど白く 小鳥
岡田順子選 特選句
花に息ととのへてゐる太極拳 光子 鞦韆の蹴り寄せてゐる桜色 三郎 純白の肌着吊られて花曇 同 皆遠き目をしてをれば桜かな 和子 花いつもさびしきところより散りぬ 緋路 子の声は残響となり連翹黄 同 花は散るべしと笛吹く裸体像 俊樹 春の野の児らしか知らぬものがたり 軽象 花すみれ遠くの空に戦闘機 美紀 春光の鳩はみどりの首見せに きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月6日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
夕日落つ別離の駅の古巣かな 朝子 冴返る齢八十骨の音 成子 仔犬抱き遅日の船を見送りぬ かおり 菜の花や千の棺より生るる 睦子 枝枝に声転がせて鳥交る たかし いつせいに揺るゝ吊革鳥帰る かおり 煙草屋は古巣残して店仕舞ひ 久美子 陽炎の消えて居座る陰陽師 美穂 地に古巣天に野鳥の窓があり 修二 我先に舫ひ綱解き鰆東風 たかし 朧月十二単衣に逢へさうな 同 しつけ糸解くおぼろ夜の京友禅 美穂 待つといふうれしさ人も桜にも 孝子 永遠の未完でありぬ桜かな たかし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月8日 なかみち句会
春の海ばかりの駅に途中下車 秋尚 つれづれに雨音聞いて日永かな 廸子 鎌倉や角曲がるたび春の海 三無 石楠花や参道狭し奥の宮 史空 お別れの日に石楠花の紅の濃く 貴薫 また元の話に戻る母日永 美貴 小刻みにきらめく春の海まどか のりこ 寺領にも石楠花紅く小糠雨 ます江 ………………………………………………………………
令和6年4月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
娘良し妻さらに良し春日傘 三四郎 母の忌を迎へし朝の春の雪 ただし 風光る千年超えし物語 みす枝 春浅し耳朶柔らかなイヤリング 世詩明 天空へ光を返す白木蓮 三四郎 愛猫に愚痴こぼしをり四月馬鹿 みす枝 初蝶の二つ行先定まらず 英美子 貝の紐噛んでひとりの春炬燵 昭子 ほろ酔ひを名妓支へて大石忌 同 校庭の鉄棒に触れ卒業す 時江 薔薇一本くれる夫ではなけれども 昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月9日 萩花鳥会
春一番濁りし川の鯉めざめ 祐子 春愁の情緒一新晴衣着る 健雄 春の��椿徳利の矢の根寿司 俊文 四月空総出で迎える娘の帰国 ゆかり 遊覧の舟に続くや花筏 明子 教科書に漢字で名前進級す 美恵子 ………………………………………………………………
令和6年4月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
山笑ふ札所巡りにの急き 宇太郎 一歩づつ眼下となつてゆく桜 美智子 渡船場に飯蛸釣りて島土産 宇太郎 桃咲いて捨て犬たちの誕生日 都 杖を曳き混じりて遊ぶ花筵 悦子 囀を総て抱へてゐる大樹 史子 初燕無音の青を切り分けて 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
としあつ忌修す爛漫卓の上 百合子 信濃路は薄紅に花杏 和代 里は今杏の花に溺れたる 白陶 想ひ出のとしあつ談義飛花落花 亜栄子 竹秋の風を聞かむと句碑に佇ち 三無 白寿なる母満開の花と散る 多美女 句碑古りて若さ溢るる花楓 文英 雨上り杏の花の山家かな 幸風 ふんはりと包みたる香の花通草 秋尚 白き卓都忘れの彩映えて 恭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
対岸に人の流れてゆく花見 あけみ 軽貨物春の泥付け走る町 紀子 犬ふぐり自転車の子は風のやう 裕子 烏ども引き連れてゐる田打ちかな 紀子 障子開け全て我が世の花見なり みえこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月13日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
余生をば貪る朝寝でありにけり かづを 一穢なき姿のままの落椿 同 落ちてなほ華やぎ続けゐる椿 同 春風に仰ぎて凜と左内像 同 板木打つ仕草秘かに春そこに 和子 朝寝して咎める人も無き自在 泰俊 春愁や錆びし火の見の鉄梯子 同 蛇穴を出づと云ふ世の一大事 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
咲き満ちし花に静けきある古刹 かづを 芽柳に縁なる風棲み初めし 同 沈丁の闇をつないでゆく香り 同 九頭竜に吐息とも見る春の雲 同 此の花に幾春秋を共にせし 雪 花を見に一人で行ける所まで 同 春休み児ら自転車で飛び廻る 富子 鴬のしきりに啼く日啼かざる日 英美子 川幅を歪めて��る花筏 真喜栄 夜ざくらやいつも打つ寡婦暮し 世詩明 筍や十二単の皮を剥ぐ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月17日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
哀愁の容姿あらはに紫木蓮 数幸 徐に白を極めて花水木 千加江 流されて留まり忘る花筏 同 春場所やふ���さと力士負け多し 令子 唐門の昔を語る桜かな 啓子 紫の夜空の中に桜散る 同 二人で見いつしか一人花の道 希子 仮の世にしては見事な花吹雪 泰俊 無住寺は無住寺のまま桜咲く 同 愛子忌やせめて初蝶見たること 雪 落椿踏まるるをもて瞑すべし 同 和尚来たかと散る花に酌まるるや 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月19日 さきたま花鳥句会
たまゆらの時を浮遊し石鹸玉 月惑 春愁や己を鼓舞し逝く句友 八草 花篝名残りの片のうらおもて 裕章 脱ぎ捨てし靴下にある花疲 紀花 掛茶屋へたどりつきたる花疲 孝江 花吹雪渋沢像の頭に肩に ふゆ子 腰痛の愚痴ふき飛ばす芝桜 としゑ 楤の芽の口にひろごる大地の香 康子 春炬燵夫の座椅子のたばこ臭 恵美子 藤棚の真中を風の通り抜け みのり 待ちかねた早朝よりの花見客 彩香 十字架の隣に読経山笑ふ 良江
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令和6年4月21日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
メタセコイアむんずと掴む春の雲 三無 今日も来て舞ひを見せたる春の蝶 ます江 佐保姫を見送る空の雲白く 軽象 蒲公英の真白き絮は飛ばず揺れ ます江 一山をより高くみせ桐の花 斉 僧一人花韮咲かす露地に消ゆ 久子 牡丹の重たく崩れかけてをり 秋尚 桜蘂降つて大地に横たはる 斉 春草の足裏くすぐる田圃道 経彦 観音の御手のやさしく著莪の花 芙佐子 ゆつくりと翅を広げて蝶生まる 斉
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年4月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
昨夜爪を切りたる指に草を引く 雪 十一面千手千眼像朧 同 瞑すべし柏翠踏みし落椿 同 この椿もんどり打つて落ちたるか 同 初蝶や昨日は森田愛子の忌 同 不器用を誰憚からず針供養 同 春愁や文箱に封じたる手紙 同 春愁や此の髪に手を置きし人 同 昭和人昔語らず花の下 昭子 本気度を探るお見合亀鳴けり 同 久々に手に取る修司五月来る 同 しなやかにそしてしたたか単帯 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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歩行訓練
今日はフォローアップの依頼があり、JR筑肥線の糸島高校前駅に行ってきた。 歩行訓練経験は福岡視力障害センターであるが、当時より見えづらさは格段に増しているとのこと。 歩行の様子を見ていると、訓練後時間が経過してかなり我流的な歩行技術となっていることや見えていた時の歩行訓練だったので、より見えづらい現在とギャップが生まれ危ない場面も多く見受けられた。 ただ、今回はフォローアップが目的のルート��ァムである。 再訓練の必要性は、おいおい時期を見計らって声をかけて見たい。 実質的には1時間弱の内容であったが満足した様子で別れることができた。 新設の上にホームドアもある。
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2023年3月スケジュール
●3月2日(木) 島崎智子めいくるトリオ
場所:東京学芸大学アピア40
白紙(ブランク)
~インキは、インキの在る処。~
出演
◎島崎智子めいくるトリオ
・島崎智子(p,vo)
・菅原雄大(vc)
・宮坂洋生(cb)
◎町田桃子
◎HUCU
◎紫陽舜
時間: 開場18:30/開演19:00
料金:¥2000+1d
配信↓
t.livepocket.jp/e/050302
●3月5日(土)東欧フォークロア
ケルト文化圏の国々から東欧諸国まで…ユーラシアを西から東へ旅する、音楽と踊りの旅!普通のツアーじゃ訪れることが出来ないレアな国々のレアな音楽・レアな踊りが現地さながらに体験できるゴージャスな旅に、昭和の宝箱のようなキャバレーから出発!あなたもご一緒しませんか?
場所:グランドサロン十三
大阪市淀川区十三本町1-16-20(阪急十三駅下車、徒歩数分)
時間:開場15時、開演16時
料金:ご予約の方…3000円(高校生以下1000円)
※メール等でご予約の上、当日受付でご精算ください
※当日までに主催者・出演者から前売りチケットを購入することもできます
前日までにご予約のない方…3500円(高校生以下1500円)
ご予約・お問い合わせ:[email protected] 雲水舎
★当日、会場ではルーマニア・ワインの他、軽食やお飲み物の店も並びます。ぜひどうぞ!!
出演:高野陽子/歌、パンデイレタ
きしもとタロー/各種笛、ブズーキ、ブラーチャ
熊澤洋子/バイオリン
藤沢祥衣/アコーディオン
永田充/各種パーカッション
宮坂洋生/コントラバス
KYOTOフォークロア舞踊団
協力:NPO法人淀川アートネット
Danniel’s Wine Shop
●3月9日(水) LYAGAS トリオ編成
場所:錦糸町シルクロードカフェ
出演:大野慎矢(acc,gaida)
小沢あき(g)
宮坂洋生(cb)
他詳細後日!!
●3月10日(金) LYAGAS
場所:原宿 cafe Bora Bora
料金:2800円+要オーダー
時間:20:00〜
●3月16日(木) 國木まちこ sujiko sumoguri
場所:高円寺トラゲット
時間: OPEN 19:00 / START 19:30
料金: 2500円+別途オーダー
出演
◆夜久一
◆sujiko sumoguri
◆キチュウ
●3月19日(日)ザ・クルクルパァ〜ズ
場所:高円寺トラゲット
他詳細後日!!
●3月25日(土)sowhei
場所:上野Route Books
他詳細後日!!
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20221115(Tue) 晴れ
忘れないうちに、2日前に走った福岡マラソン 2022の感想(完走)を書き殴りメモ。
抽選ということで半ば運試し感覚で応募したら当たってしまったのがすべての始まり。または今年の年初に立てた目標のうちの1つ。
夏の盛りを過ぎた9月からぼちぼち週末に大濠公園を10kmラン→西公園浴場→BEERHOLICというルーティンを確立するも、10月から妙に仕事とプライベートが忙しくなり九大学研都市駅からゴール地点までの試走(24km)が事前の一日最大走行距離だった。大会一週間前には地元のキャンプフェス出店準備もあり思うようにトレーニング出来ず、体調だけは問題ない状態で本番の11月13日を迎えた。
まず最初の反省点としては、日曜日の電車の本数の少なさを見誤り天神到着がギリギリになってしまったこと。手荷物預けは間に合わず天神駅のロッカーにバッグは預けることとなった。それから急いでスタート地点へ駆け込む。天気予報は一週間前からずっと雨予報だったが、その時点では奇跡的にも青空が広がっていた。
8時20分にスタート。しばらくは快調に走る。マークイズ福岡ももちを過ぎたあたりから次第に雲行きがあやしくなり、マリノアシティ福岡の手前、愛宕大橋のあたりで雨が降り始める。今宿のあたりまでは降っていただろうか。それでも普段のランに比べたらとても快調。あっという間に一度試走した区間に合流する。
九州大学の手前の給食、石村萬盛堂のあまおう苺鶴乃子が今回一番美味しかった。はっきり言って、全エイドポイントに置いていて欲しかったレベル。
九大箱崎キャンパスを過ぎて折り返し。この辺までは横風が強かった印象。雨は止んでいた。走ってきた道を戻って元岡小学校から左折。試走の際ルートを間違っていたのでここから今津運動公園までが初めての区間だったが、ここがかなり長く感じられた。終盤の田んぼ区間と同様に変化の乏しい景色をだらだら走る為、肉��的にも精神的にもくる。周りでも歩いたり止まったりする人たちが急増したように思う。自分の脚の調子も、思えばこの辺りから少しずつ重くなり出した頃だったと思う。
今津運動公園のエイドはトイレ休憩と給食のうどんを食べたり意識的にゆっくり過ごすようにした。
25kmを過ぎていよいよアップダウンのある糸島半島海沿い区間。まず、大原海水浴場の辺りで異変が始まる。エイドでゆっくり休息したはずなのに脚が鉛のように重たい。たまらず歩く。サイクリングの時いつも休憩する魚庄(白山神社)の辺りから本格的に登りが始まり、歩くシーンが次第に増え始める。銀の宇宙船(久保田クリニック)の前はほぼ歩いていたような気がする。
それでも最大の勾配となる灘山の辺りはなんとかジョグで越えた。しかしそこからジハングンまでの区間でかなりペースが落ち始める。ペースメーカーの集団に抜かされた気がする。エアーサロンパスのエイドに藁にもすがる思いで飛び込む。こういったものは今迄一度も使ったことがなかったが、効果はかなり感じられた気がする。鉛のような脚が少しだけ解凍した気がした。
しかし、二見ヶ浦の区間に入り今度は猛烈な向かい風の攻勢に直面する。試走イメージでは快調に走るつもりだった景勝ポイントだが、全くペースが上がらない。道沿いのテナントから大音量で流れるZARDの曲が人生で一番心にしみた。
UOVOのところでとっておきだった高価なスズメバチエキス(?)のジェルを投入。しかしこれは効くどころか逆効果に感じた。それまで3,4本MAGONのジェルを消費していたが、エイドでも給食を逐一取っていたせいもあってか、逆に胃のムカつき感を覚えてしまった。ジェルは減らして良かったかもしれない。フルマラソンは内蔵の負担もかなりのものだということか。
試走の際にもひときわ堪えた最後の田んぼの直線区間。やはり、ここが一番の地獄だった。気持ちの上では走りたいのだが、自分の脚とは思えないほど重い。変わらない景色の中、かなりのランナーに抜かれていった気がする。最後の1kmまでが本当に辛かった。経験したことのない辛さだった。傾・祖母縦走の10倍は辛かった。皆こんな辛い中フルマラソンを走り抜いてるなんて信じられない。狂っている。そんな心境。
最後、久しぶりの信号が見えその先にセブンイレブンの看板が見えたらゴール。思ったよりもあっさりとしたゴール。正直言って、感動よりも辛さが上回っていた。タイムは5時間を4分過ぎていた。初のフルマラソンでまぐれでサブ4にどのくらい近づけるか…なんて実に愚かな考えだったと打ちのめされた気分だった。それでもフィニッシャータオルを受け取りカメラマンに撮影されると、完走できたんだという安堵感が急に芽生えてきた。
2日が経ち今の心境としては、次はペース配分を見直し、装備を見直し、走力をイチから鍛え直し、少しでも歩き区間を減らしたい、5時間切りをしたい、といったところだ。そう。もう次の、来年の福岡マラソンのことを考えている!1万6000円も払ってあんな辛い思いをするのに?いよいよ自分も狂っているようだ。
その前に2月の横島いちごマラソンハーフでリスタートしよう。今日出場費を払い、正式にエントリーした。
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新型コロナウイルスの重症患者が急増している。特に40代・50代の重症化が目立つのが第5波の特徴で、東京都では重症患者の6割を占める。だが、この年代へのワクチン接種の進み具合は、自治体によってばらつきが大きく、かなり遅れている所も多い。そんな中、東京都墨田区では、今月7日時点で1回の接種を終えた40代は区民の6割を超え、50代は7割近くに達している。
今月13日付日経新聞電子版によると、同紙が緊急事態宣言下にある6都道府県の主要都市の1回目接種率を調べたところ、墨田区は50歳代で71.9%、40歳代で60.6%とダントツに高かった。40代については、さいたま市(6.7%)、那覇市(16.4%)、大阪市(17.7%)、世田谷区や品川区(17.8%)などと接種率が伸び悩む自治体が少なくない中、���田区の進捗状況は際立っている。その効果か、陽性者数の推移を示すグラフからは、陽性者が下降の兆しも見てとれる。
なぜそれができたのか。同区のコロナ対策の陣頭指揮をとる西塚至・同区保健所長に話を聞いた。
困難なスタートからの巻き返し
なぜ墨田区は、こんなに速いんでしょう?
「いえ、決して順調に行ったわけではありません。出足が遅れ、想定外のこともいろいろ起きました。大学病院があるわけでも、集団接種に向いた広い施設があるわけでもなく、大きい施設は五輪で抑えられて、条件は決して恵まれていません。それでもなんとか巻き返し、いろんなことを積み重ねて、結果的に今がある、というのが実情です」(西塚さん、以下囲み内は同様)
どのようなことを積み重ねてきたのか。西塚さんへのインタビ��ーや資料から、主要な事柄を確認していきたい。
高齢者枠を使ってでも、まずは医療従事者に接種、という判断
同区では昨年7月頃から、地元医師会とコロナ対策について協議を行う中で、ワクチンについても話し合いを重ねてきた。12月に区役所内に予防接種調整担当課を立ち上げ、ワクチン接種の準備を進めた。
しかし国のワクチン調達は遅れ、当初は輸入量が少なかった。高齢者への接種が開始される4月12日時点で、東京都に割り当てられたワクチンは4箱(3900回分)のみ。高齢者人口の多い地域から配分が始まり、初回は世田谷区と八王子市が2箱ずつ配分を受けた。墨田区としてはいささか出鼻をくじかれるスタートとなった。
墨田区は接種初日の4月17日、集団接種の予行演習をかねて、区内の医療従事者に接種を行った。国の計画では、医療従事者の接種は都道府県が行い、市区町村は住民接種を担当する、ことになっていた。それをあえて、医療従事者からスタートさせたのだ。
「区は住民のことだけ考えていればよいはずでした。しかし、予約システムがダウンするなど、都の医療従事者接種は遅れ、(高齢者への接種を行う)医師がワクチンを打てずにいました。それで、うちは住民接種の枠を使ってでも、まずは医療従事者の集団接種を先に行おう、と」
これは、その後のワクチン接種について、医療従事者の士気を高める効果も生んだ、という。その後、全国各地で、自身は未接種のまま高齢者施設で接種を行う医師たちから不安の声があがったが、墨田区ではそうした事態はなかった。ちなみに、同区では救急車で患者を搬送する消防署員にも、5月には接種を行った、という。
”災害時の頭”で考える
接種券を早い時期に配ったわけ
墨田区の特徴の1つは、ワクチン接種券の配布が早かったことだ。高齢者施設の接種に目処がつき、一般の高齢者の接種が始まったのは5月10日だった。だが65歳以上の区民の接種券は、2か月近く早い4月1日には発送していた。そして6月1日には、都内で最も早く、16~64歳の全ての区民に発送を行った。
「定期接種など”平常モード”では、事業開始の直前に接種券をお送りするのが普通です。しかし、今は”危機”。”災害時の頭”で考えると、大事なのは1人でも多くの人が、ワクチンを打つことです。一足早く接種が始まった世田谷区の高齢者施設に、墨田区民が暮らしているかもしれない。他区の施設で働いている区民もいるでしょう。そういう方々が、接種券がないために打ちそびれる、という事態が起きないよう、とにかく接種券だけは早くお配りしよう、と。1人でも2人でも、今居る場所で打って下さい、という思いでした」
この”危機モード”対応は、後に想定外の恩恵を区民にもたらすことになった。
対象者の5%が自衛隊のセンターへ
65歳以上��限定して行われていた自衛隊の大規模接種センターが突然、6月16日からの年齢制限撤廃を発表。遠方の東京・大手町の会場まで出向くよりも地元で打ちたい、という高齢者が多かったようで、希望者が想定を大きく下回ったためだ。
若い年齢層の接種が可能となったが、予約には接種券が必要。しかし、この時点で多くの自治体は64歳以下には配布していなかった。そんな中、墨田区の人々はすでに接種券を手にしており、区民は次々に自衛隊のセンターに赴いて接種を受けた。
「これは大きかったです。1万2000人、対象者の5%が自衛隊に行って打って下さった」
災害時の助け合い
住民の協力もあった。
自衛隊のセンターでは、モデルナ社製のワクチンを使用。当初、厚労省はモデルナを接種可能な年齢を18歳以上としていた(その後12歳以上に変更)。また、モデルナは副反応が出やすいという話が出回り、1回目と2回目をファイザーより長く4週間空けなければならないこともあって、敬遠する人も少なくなかった。
「ところが、区内の大人たちから、『自分たちは自衛隊に行って、モデルナを打とう』という声があがったんです。ファイザーが足りなくなる、という時期でもあり、『ファイザーは子どもたちに回そう』という草の根の運動になって、自衛隊での接種が増えました。災害時は、地域の助け合いがあってこそ、です」
区直営の集団接種をメインに
危機には「割り切り」も必要
墨田区の”危機モード”対応は、ほかにもある。
「”平常モード”であれば、日頃診てもらっている身近なかかりつけ医に打ってもらうのが一番です。ただ、今は災害時。危機にあっては、割り切るところは割り切って、最大限効率化を図り、数を多く打つのが大事。それに、このワクチンは1瓶から6人分とらなきゃいけないので、個別の診療所でやっていると余ってしまうことも。冷凍庫で保存する必要があるなどの使いにくさもあります。
やはり、こういうものは集団接種がいい。これは2009年の新型インフルエンザの時の経験でもあります。国がいくら練馬方式(診療所での個別接種をメインに、集団接種で残りをカバーする)を推奨しても、うちはブレずに”危機モード”で対応し、集団接種メインで行くことにしました」
”小分け隊”の活用でムダなく数を稼ぐ
当初は4つの区施設を使い、そのほか7病院でも個別接種を実施した。このうち墨田中央病院の接種では、千葉大学墨田サテライトキャンパスが会場を提供した。運営は民間に業務委託せず、区が直営し、ワクチンの在庫管理や配送は、職員による”小分け隊”が行った。
キャンセルが出た場合は、区の危機管理Twitterやメールで区民に告知して希望者を区役所に集め、”小分け隊”が余ったワクチンを回収、西塚さんら保健所の医師が接種��た。こうして、ムダを出さずに接種回数を稼いだ。地元医師会も”危機モード”を共有。集団接種の打ち手は、すべて区内の医師たちでまかなった。
「大きい施設はオリンピックに抑えられて使えないなど、条件は厳しく、地域にある資源を最適化して使うしかなかった。でも、それをやってみたら、いろんないいことがあった。特に地元医師会は自分たちが責任をもってやろうと士気が高く、おかげで事故なく、質が高く、長続きしている」
等身大の形作り
接種券の発送や会場の設営は、選挙の際の入場整理券や会場作りと同じ、ということで、選挙管理委員会の職員が担当した。ワクチンに関する情報を掲載した区の広報紙は全戸配布することとし、これにも選挙公報配布のスキルが生きた。
「形を作って丸投げするのではなく、自分たちにできる等身大の形を作り、そこにちゃんと血が流れるように、職員が町内を回って苦情聞きなどもやって、形をさらに整えていきました」
住民の声を聞く中で、若い世代の接種を進めるには、夜間、駅の近くで行う必要があると分かった。そこで、6月末から東京スカイツリーに隣接するビル、JR錦糸町駅と両国駅近くのホテルにも接種会場を設置。平日は午後8時まで、さらに土日祝日にも接種を行えるようにした。スカイツリー会場には託児所も設けた。
二転三転する国の方針にも柔軟に対応
当初から複数のワクチン使用を計画
国のワクチン供給が不安定な中、墨田区は接種が始まる前の段階から、モデルナ社製ワクチンの使用を計画に組み込んでいたことが奏功した。
接種が始まった時点で、厚労省が承認していたのはファイザー社製ワクチンのみだった。モデルナ社とアストラゼネカ社のワクチンが特例承認されたのは5月21日。しかし墨田区では、3月に公表した「実施計画」で、7月にはアストラゼネカとモデルナのワクチンを導入して、接種を加速させる計画を明らかにしていた。両社のワクチンは、ファイザー社製とは接種の間隔が違い、在庫管理も異なるので、複雑なオペレーションが必要になる。しかし、同区では接種の加速には、ファイザー以外のワクチンも必要になると考え、事前準備をしていた。それが、以下のように役立つことになる。
事前準備でモデルナ確保
6月11日、ワクチン担当の河野太郎規制改革担当相が、市町村の集団接種でもモデルナの使用を認める方向を示した。あらかじめ計画済みの墨田区は、すぐに手を挙げた。この素早い反応で、同区はモデルナの配送を受けることができた。
国が自治体でのモデルナ使用を認めたのは、7月からはファイザーの輸入量が減る分を補うためだった。ところが国は、同月22日には再度の方針変更をした。モデルナを使用する職域接種の申し込みが多く、「1日の可能配送量はもう上限に達している。このままいくと、供給できる総量を超えてしまう」として、自治体のモデルナを使った集団接種と職域接種の申請を中止したのだ。準備が間に合わず、配分を受けられなかった自治体もある。
在庫を出し惜しまない
ワクチン供給不足への対策として、河野行革担当相が一時、在庫が多い自治体には配分を減らす、という新方針を示し、全国の自治体が混乱したことがあった。この時も、墨田区は影響を最小限に済ませた。扱いが面倒なワクチン接種記録システム(VRS)は、区職員が残業してこまめに入力。2回分を確保しないと1回目の予約をとれない、という自治体が予約を停止している中、墨田区では西塚保健所長が「在庫は出し惜しみせず、ペースを落とさずに予約や接種を進めて下さい」と、現場に檄を飛ばした。
「平常であれば2回確保してから予約をとる、となりますが、これも”危機モード”で対応しました。モデルナがありますし、国の輸入予定量は公表されていましたから、そういう情報を常にチェックしながら、大丈夫だろう、と。カラ元気でもありましたが、在庫ゼロのおかげで、”ボーナス(追加)”も来ました。この時期に加速するはずが、それはできなかったけれど、(ファイザー供給減の)前と同じ水準は保てた」
このように、ワクチンを巡ってしばしば二転三転する国の対応にも、早い時期からの準備と、”危機モード”による柔軟で大胆な反応で、切り抜けてきたのが墨田区だった。
通年議会が補正予算に迅速対応
加えて、区議会も”危機モード”を共有。ワクチン接種会場の増設など、様々な変化に伴う予算の確保に素早く対応した。
「昨年の11月から通年議会となっていたこともあり、毎月のように補正予算を通してくれるので、次々に変化する状況に迅速に対応できたんです」
毎月の議会で、議員が住民の要望を披露したのも、情報として役立った、という。
”危機モード”共有の背景
このように区、地元医師会、住民、議会などが”危機モード”を共有できた背景には、墨田区特有の事情もありそうだ。
隅田川沿いにある同区は、水害の危機と常に向き合っている。最悪の事態では、ほぼ全域が水没することもありうる、と予測されているからだ。大雨の予報が出るたびに、同区は水害の発生を警戒する。常に最悪の事態を想定して考える”危機モード”の思考が鍛えられ、コロナ対応でも生きたのではな��か。
同区では昨年1月末の段階から、新型コロナウイルスを新たな「災害」、それも警戒レベル5の最大級の災害ととらえて対応してきた、という。国や東京都では、第5波で重症患者数が過去最高を日々更新する事態になって、ようやく「災害級」という言葉が出てきたのに比べると、危機への向き合い方が異なるように見える。
この”危機モード”を区、医師会、住民、議会が共有し、連携することで、次々に生じるいろんな問題をうまく飲み込み、ペースを落とさずに接種を続けることができた、と言えるだろう。
ワクチン以外でも素早い対応
墨田区が速いのはワクチン接種だけではない。医療提供体制についても、際だった対応が見られた。2つの例を挙げる。1つは、地域完結型の医療体制「墨田区モデル」の構築。もう1つは、抗体��クテル療法のすみやかな導入だ。
回復期の患者を中小病院が引き受ける
コロナ禍の日本で、医療が逼迫する原因の1つに、回復した重症者の転院が困難、という問題がある。患者は人工呼吸器から離脱できても、すぐに日常生活には戻れるわけではない。その後の治療やリハビリが必要だが、そのための転院先がなかなかみつからないのだ。
これに対応するため、墨田区は今年1月25日、地域の病院が連携して、転院を進める仕組みを作った。同区では第一種感染症指定医療機関である都立墨東病院が重症患者を、同病院と重点医療機関の病院が中等症患者を引き受けている。そして回復期に入った患者は、他の中小私立病院が次々に受け入れ、重症者や中等症患者のためのベッドを空けるようにした。
この体制を導入して3日後には、入院待機者が0になった。今も、医療崩壊を食い止めている。
速やかな体制作りが可能になったのも、災害時を想定した、常日頃からの地元医師会と保健所の関係があったからだ。
「危機を想定し、墨東病院には『断らない医療』をやってもらい、そこがいっぱいになったら地域の医療機関が後方支援で引き受ける、という意識が、地元の病院経営者には以前からある。今回は、墨東をパンクさせないために、自分たちが支えていかなければならないという危機感が、地元医師会の中でより一層強い」
抗体カクテル療法にもいち早く対応
抗体カクテル療法は、2種類の抗体を点滴投与する治療法で、軽症者の重症化を防ぐ効果がある。アメリカのトランプ前大統領が感染した際、この治療を受け、早期に回復したことで知られる。日本では、7月19日に重症化リスクの高い軽症・中等症患者の治療薬として特例承認された。墨田区では、同愛記念病院に区民優先の病床を20床確保していたが、ここで同月27日から必要な患者にこの療法を行うことにした。8月13日までに20人の患者に実施し、いずれも経過は良好、という。
東京都がこの療法のための病床20床を確保したことを発表したのは同月12日だったことを考えると、墨田区の手際の良さが光る。これも、”危機モード”による早い準備が生んだ。
「4月に、近いうちに特例承認されるという情報があったので、区内の病院で実施しようと、5月頃から病院と勉強をしてきました。当初は4つの病院で実施しようと考えていたのですが、入院が必要とのことなので、区民のための病床を確保していた同愛記念病院で行うことにしました」
準備を急いだのは、第4波の大阪の状況を見て、危機感を募らせたからだ。地元医師会と共に、神戸市民病院の医師を招いたweb上の研修会を行い、関西でどのようなことが起きたのか、詳細を学び、対策を検討した。
「酸素が足りない、中等症のベッドは一杯になり、感染者が減らない。このような大阪の第4波が東京でも起きる、という前提で準備をしたのが、今生きている」
十分な検査態勢を整える
このほか、コロナ対応としては、検査態勢を区独��で充実させてきたことも大きい。それは、昨年4月に墨東病院でクラスターが発生し、新たな入院や救命救急センターでの患者受け入れを停止した時の教訓からだという。
「国立感染症研究所が入って、症状のない人も含めて全員の検査をやった。そのやり方から学ぶことが多かった。ウイルスは目に見えない敵なので、徹底した検査しかない」
しかし当時、東京都としてできる検査は1日に200-300件ほど。そのため、医師が必要と判断しても、検査を受けられない発熱患者がいた。墨田区は、独自にPCRセンターを設置。6月に検査会社を区内に誘致し、通常の3割程度の金額で1日240件の検査を行えるようにした。
さらに、保健所自身が唾液によるPCR検査を開始した。検体を唾液にしたのは、医師がいちいち咽頭を綿棒でぬぐう作業をしなくてすむので、大量の検査に適していると考えたからだ。
最初に大規模な検査を行ったのは昨年6月下旬。地元のオーケストラ、新日本フィルハーモニー交響楽団の楽団員ら74人のPCR検査で、全員の陰性を確認した。それまで演奏活動を自粛していたオーケストラは、7月初めに演奏会を再開した。
「自前の検査なので午前中に検体を出せば、2時間後には結果が分かります。費用も1人1000円くらいで済みます。どこかの施設で1人陽性者が出れば、すぐに全員の検査をやる」
陽性者の第一報を知ると、西塚所長自身も防護服を着込み、検査のために現場に向かった。高校受験の時期は受験生の検査を行い、小学校の移動教室など人数が多い時にはプール方式で検査した。夜の街が危ないという話が広がった時期には、向島の花街の芸者たちの検査を実施。「向島は安全だと示したいので、ぜひやってください」という芸者衆の要望に応えた。
「人は大事」
こうした対応が可能になったのは、1人の保健所職員がいたからだ。ベテラン検査技師の大橋菜穂子さん。西塚所長が独自の検査実施の方法について頭を悩ませていたところ、大橋さんが「私はPCR検査ができます」と申し出た。
2014年に代々木公園でデング熱が発生して以来、大橋さんは毎月のように、区内の公園で蚊を採取してはすりつぶし、PCR検査でウイルス感染の有無を調査し続けていた。結果はいつも陰性だが、それを確かめるために、大橋さんは黙々と検査を重ねた。PCR検査の技術を磨き、機械もメンテナンスを欠かさなかった。
それが、このコロナ禍で生きた。大橋さんは、感染症研でコロナウイルスの検査の手法を学び、今では変異株の検査も担っている。
「昔は、検便も結核の検査も、水道の検査も、すべて保健所でやっていた。それが次々に民間委託となり、保健所から検査機能が失われ、保健所そのものも減らされてきた。そんな中、商売にはならない蚊の検査を続けてきた検査技師が1人いた��かげで、コロナにも対応できた。本当に、人は大事です。金にならないことをやって、危機に備える。これこそ公衆衛生です」
適切な情報の公開
住民への適切な情報発信も心がけた。象徴的な事例が、早期にコロナ対応をする医療機関名の公表に踏み切ったことだ。
新型コロナの感染が疑われる患者に対応する医療機関は、都道府県が「診療・検査医療機関」を指定した。ただ、多くの自治体は「風評被害」を恐れて機関名を公表しなかった。東京都も同様。そのため、患者が受診するには、かかりつけ医か都の発熱相談センターに相談し、紹介を受けなければならない。同センターに電話がつながらないことも多く、煩雑さから、症状があっても軽症の場合、医療機関にかからずに済ませる人も少なくなかった。
そうした人が感染を広げる懸念から、墨田区は昨年11月、区内の「診療・検査医療機関」の名称公表に踏み切った。それによって受診がしやすくなる利便性と、感染拡大の抑制が狙いだった。区の広報紙では、年末年始の発熱外来を行っている医療機関名と診療日や連絡先などを詳しく伝えた。
さらに、西塚所長がTwitterなどのSNSを使って、区の対応を丁寧に説明。西塚所長のアカウントには、「家族が熱を出した。どうしたらいい?」「熱がある。日曜日だけど、どうしたらいい?」といった相談も頻繁に飛び込む。そのたび、「○○なら、予約なしで受診できます」などといった情報を伝えている。
「自分が必要な時に必要な情報が得られずに困っている人がいる。そういう人をとりこぼさないようにしたい。災害時は、区としては大きく構えて対策をしなければならないが、こういう細かい情報を補強するにはSNSは有益です」
このような対応をするため、自宅にいても、スマートフォンは手放さない。
ちなみに、施設で患者が確認された時、噂や風評被害を防ぐため、同区では施設名も公表している。
保健所の役割とは
保健所の仕事について、西塚所長はこう語る。
「いろんな資料を分析しながら、地域の弱みを常にウォッチして、必要な資源を作って供給していく。インテリジェンスとロジスティクスです。墨田区は一貫して、これが公衆衛生を担う保健所の役割と認識してやってきました。私たちは、尾身先生たち専門家が言うことを忠実にやってきただけです。その(提言を実現する)ために必要な資源は用意する。現場の医師たちが『検査をしたい』『患者を入院させたい』と言う時に、ちゃんとできるようにする。これが保健所の仕事です。
資源が足りなければ、作る。たとえば、東京都の検査能力が限られているからと、検査数を絞るのではなく、検査がより多くできるようにしてきました。国や都の対応を言い訳にせず、資源にニーズを合わせるのではなく、ニーズに資源を合わせるんです」
そのための工夫をし、早めに準備を整えて、あらゆる立場の人たちを結びつけていくのが、西塚流の真骨���と言えるだろう。
平成元(1989)年度には、全国に848あった保健所は、合理化の波に洗われて、現在は470まで減らされた。その保健所が今、新型コロナウイルスとの闘いで要の役割を担っている。
「だいぶ減らされたとはいえ、うちに検査技師がいたように、今もまだ保健所には様々なスキルが残っています。その力を、今発揮しないで、いつ発揮するのだ。そんな思いでやっています」
各地でも今、それぞれの地域の事情を踏まえた保健所の奮闘がある。その保健所の機能を存分に生かすためにも、また、各地でワクチン接種を加速化するためにも、国や各自治体が西塚所長の話から学ぶところは多いのではないか。
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Sunday, 14 Nov, 2021
先週は日記が書けなかった!一週間に一度でもなかなか気合いを入れないと書き始められない。でもなんとなく自分だけで覚えておこうと思ったことがあったはずで、いまではそれも思い出せない。やっぱりー。魂のようなものが覚えていてくれるだろうか。
今日は小学生ぶりに徳島へ帰り、母のふるさとの町へ。最初にお墓参りをして、ひいばあちゃんのヨシ子、いけばあば、母、わたしと女4代が揃う(ばあちゃんはここにはもういないけど、いまは遊びにきてるかも、と母が言った)。顔も知らないひいばあちゃん、わたしの前を泳いできた女性たち。わたしたちはなにか長い糸のようなものを結んできたのではないかとふと思う。
もうずいぶん変わってしまったけど、やっぱりここにいるとホームだと感じる、と母は言った。「長いこと大阪に住んでいたけど、やっぱりstrangerなんだなといまわかった」。町をぐるりと歩きながら、母もわたしも、こんなに小さい町だったのかあと驚く。盆に夜店が出たら無限につづいているように思えた商店街、駅へとつづく駅前通り。母が通った学校は幼稚園から高校まで一直線に並んでいて、下校中の学生たちがなんとなく、わたしたちをそっと見ていく。
「小さい頃ここにサーカスが来て、町じゅうの人がずらーっと列をなしてここに並んでた。ここからあそこまで、その頃はだだっ広い空き地やったんよ。みんなお弁当を持って、山の向こうからもわざわざ家族で来て。うちは店が忙しかったから毎日ひとりで行ってたけど、やっぱりさびしかったなあ。あっちゃん一人で来て��んか!すごいなあとか言われるんやけど、うふふって笑いながらやっぱりさびしかったわ」
今週も友だちのレコーディングに参加したり、ひとつ〆切があったりとちょっと忙しなかった。昨日までつねにドキドキしていたような気がする。
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マヤ34+DE10PP ~ 冬の筑肥線検測(マヤ検)
MAYA-34 ( Track Inspection Car ) + Diesel locomotive ED10 push-pull on JR Chikuhi Line, in winter. Dec. 10th 2021
youtube
鹿家駅(上り停車中)
下山門駅(通過)
↑ 上り・姪浜行き
↓ 下り・西唐津行き
DATA 12/10 西唐津 0713-0726 山本 0736-0752 大川野 0802-0818 伊万里 0850-0907 大川野 0913-0929 山本 0944-0957 西唐津 1149-1153 唐津 1158-1212 鹿家1213-1239 筑前前原 1250-1254 波多江 1257-1311 姪浜1326-1342 糸島高校前 1344-1348 筑前前原 1355-1408 大入 1412-1423 鹿家 1426-1442 唐津 1448-1451 西唐津 1928-1931 唐津 1936-1941 鬼塚 1943-1948 山本 1957-2011 厳木 2028-2049 小城 2100-2108 久保田 2129-2136 佐賀 2139-2154 中原 2316-2326 鳥栖 12/11 0520~0701 熊本(操)
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iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広���光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張���程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉��庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号// ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
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各地句会報
花鳥誌 令和6年1月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年10月2日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
日本海見ゆる風車や小鳥来る 泰俊 駅近の闇市跡に後の月 同 山門を標とするや小鳥来る 同 師の墓の燭新涼のほむらかな 匠 渡り鳥バス停一人椅子一つ 啓子 紫に沈む山河を鳥渡る 希 ひらひらと行方知らずや秋の蝶 笑 なりはひの大方終了九月尽 数幸
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月4日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
朱の色に蝋涙たれし日蓮忌 ただし コスモスのたなびく道を稚児の列 洋子 抱かれて稚児は仏よ日蓮忌 同 めらめらと朱蝋のうねり日蓮忌 同 ピストルの音轟ける運動会 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月5日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
友の墓秋空の下悠然と 喜代子 棟上げの終はりし実家や竹の春 由季子 菊人形幼き記憶そのまゝに さとみ 長き夜や楽し思ひ出たぐり寄せ 都 強持てに進められたる温め酒 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月6日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
蜜と恋どちらも欲しく秋の蝶 都 八幡の荘園かけて飛ぶばつた 美智子 彼岸花軍馬の像を昂らせ 都 露の手に一度限りの炙り文 宇太郎 杖の歩や振返るたび秋暮るる 悦子 露けしや既視感覚の病棟に 宇太郎 コスモスの乱れ見てゐて老いにけり 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月7日 零の会 坊城俊樹選 特選句
天高く誇り高きは講談社 きみよ 華やかに滅びゆく香や秋の薔薇 和子 秋冷を暗くともして華燭の火 千種 白帝は白い梟従へて きみよ 薔薇は秋その夜会より咲き続け 順子 肘掛に秋思の腕を置いたまま 光子 爽やかや罅ひとつなきデスマスク 緋路 一族の椅子の手擦れや秋の声 昌文 邸宅の秋に遺りし旅鞄 いづみ 洋館に和簞笥置いて秋灯 荘吉
岡田順子選 特選句
栗の毬むけば貧しき実の二つ 瑠璃 流星を見ること永きデスマスク いづみ 正五位のまあるき墓を赤蜻蛉 小鳥 秋天の青は濃度を増すばかり 緋路 月光の鏡の中で逢ふ二人 きみよ 聖堂は銀に吹かるる鬼芒 いづみ 実石榴をロイヤルホストで渡されて 小鳥 石榴熟る女人の拳より重く 光子 秋の灯を落して永久のシャンデリア 俊樹 毬栗を踏み宰相の家を辞す 緋路
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月9日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
コスモスの島にひとつの小学校 修二 檸檬の香そは忘れざる恋なりき 美穂 嫁がせる朝檸檬をしぼりきる 朝子 母乳垂る月の雫のさながらに 睦子 タンゴ果て女は月へ反りかへる 同 護送車の窓には見えぬ草の花 成子 やはらかく眉をうごかし秋日傘 かおり 天と地を一瞬つなぐ桐一葉 朝子 流れ星太郎の家を通り過ぎ 修二 正面に馬の顔ある吾亦紅 朝子 傘たゝみ入る雨月のレイトショー かおり 幾千の白馬かけぬく芒原 成子 古備前に束ねてさびし白桔梗 睦子 糸芒戻れぬ日々を追ふやうに 愛 黒葡萄いつもの場所の占ひ師 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月9日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
新生姜甘酢に浸り透き通り��のりこ 風を掃き風に戻されむら芒 秋尚 足音にはたと止まりし虫の声 怜 朝露に草ひやひやと眩しかり 三無 出来たての色の重たき今日の月 秋尚 徒競走つい大声で叫びたり ことこ 秋落暉炎のごときビルの窓 あき子 秋祭り見知らぬ顔の担ぎ手に エイ子 秋霜や広がる花を沈ませて のりこ 面取ればあどけなき子や新松子 あき子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月9日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
万葉の歌碑一面に曼珠沙華 信子 金木犀優しき人の香りかな みす枝 昇る陽も沈む陽も秋深めゆく 三四郎 廃線の跡をうづめて草紅葉 信子 駅に待つ猫と帰りぬ夜寒かな 昭子 天の川下界に恋も諍ひも 同 ひらひらとバイクで走る盆の僧 同 蟋蟀の鳴く古里や母と歩す 時江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月10日 萩花鳥会
夜鴨なく門川暗くひろごれり 祐子 サムライ衆ナントで決戦秋の陣 健雄 これ新酒五臓六腑のうめき声 俊文 露の身や感謝の祈り十字切る ゆかり 虫食ひのあとも絵になる柿落葉 恒雄 すり傷も勲章かけつこ天高し 美惠子
………………………………………………………………
令和5年10月14日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
魁の櫨紅葉の朱句碑の径 三無 花よりも人恋しくて秋の蝶 幸子 咲き初めし萩の風呼ぶ年尾句碑 秋尚 女人寺ひそと式部の実を寄せて 幸子 豊年の恵みを先づは仏壇へ 和代 篁を透かし二三個烏瓜 三無 日の色の波にうねりて豊の秋 秋尚 曼珠沙華に導かれゆく道狭し 白陶 二人居の暮しに適ふ豊の秋 亜栄子 林檎好き父と齧つたあの日から 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
ガシャガシャと胡桃を洗ふ音なりし 紀子 秋日和小児科跡は交番に 光子 歩かねば年寄鵙に叱咤される 令子 稲の秋チンチン電車の風抜けて 実加 不作年新米届き合掌す みえこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月15日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
街騒も葉擦れも消して秋の雨 三無 大寺の風を擽る榠櫨の実 幸風 尾を引きて鵯のひと声雨の句碑 秋尚 水煙に紅葉かつ散る結跏趺坐 幸風 菩提樹を雨の宿りの秋の蝶 千種
栗林圭魚選 特選句
観音の小さき御足やそぞろ寒 三無 絵手紙の文字の窮屈葉鶏頭 要 駐在も綱引き離島の運動会 経彦 小鳥飛び雨止みさうにやみさうに 千種 秋霖や庫裏よりもるる刀自の声 眞理子 句碑の辺に秋のささやき交はす声 白陶 秋黴雨だあれもゐない母の塔 亜栄子 梵鐘の撞木の先や秋湿り 眞理子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
考へる事に始まる端居かな 雪 おは黒を拝み蜻蛉と僧の云ふ 同 道草の一人は淋しゑのこ草 同 朝霧の緞帳上がる音も無く みす枝 秋灯火優しき母の形見分け 同 役目終へ畦に横たふ案山子かな 英美子 孫悟空のつてゐるやも秋の雲 清女 穴感ひ浮世うらうら楽しくて やす香 栗食めば妹のこと母のこと 同 天高し飛行機雲の先は西 嘉和 屋根人を照らし名月たる威厳 和子 秋深し生命線の嘘まこと 清女 蜩に傾きゆける落暉かな かづを
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月18日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
枯れて行く匂ひの中の秋ざくら 世詩明 一声は雲の中より渡り鳥 同 見えしもの見えて来しもの渡り鳥 同 菊まとひ紫式部像凜と 清女 越の空ゆつくり渡れ渡り鳥 和子 秋扇に残る暑さをもて余す 雪 山川に秋立つ声を聞かんとす 同 鳥渡る古墳の主は謎のまま 同 鳥渡る古墳は謎を秘めしまま 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月20日 さきたま花鳥句会
SLの汽笛を乗せて刈田風 月惑 寝ころびて稜線を追ふ草紅葉 八草 残る海猫立待岬の岩となる 裕章 大夕焼分け行く飛機の雲一本 紀花 曼珠沙華二体同座の石仏 孝江 白萩の花一色を散り重ね ふゆ子 秋の野や課外授業の声高に ふじ穂 秋寒し俄か仕立てのカーペット 恵美子 秋空や山肌動く雲の影 彩香 爽籟や赤子よく寝る昼下り 良江
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令和5年10月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
生身魂梃子でも動かざる構へ 雪 古団扇此処に置かねばならぬ訳 同 飾られて菊人形の顔となる 同 亭主運なき一枚の秋簾 一涓 菊の香に埋り眠る子守唄 同 叱りてもすり寄る猫や賢治の忌 同 友の家訪へば更地やそぞろ寒 みす枝 叱られて一人で帰るゑのこ草 同 朝霧が山から里に降りて来し やすえ 隣家より爺の一喝大くさめ 洋子 菊師にも判官贔屓あるらしき 昭子 人の秋煙となりて灰となる 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月27日 月例会 坊城俊樹選 特選句
靖国の秋蝶は黄を失ひて 愛 柿に黄をあづけ夕日の沈み行く 緋路 神池の何処かとぼけた鯉小春 雅春 細りゆく軍犬像や暮の秋 愛 うらがへり敗荷の海のなほ明し 千種 英霊の空はまだ薄紅葉かな 愛
岡田順子選 特選句
秋蝶に呼ばれ慰霊の泉かな 愛 鉢物はしづかに萎れ秋の路地 俊樹 年尾忌も近し小樽の坂の上 佑天 道幅は両手くらゐの秋の路地 俊樹 秋天へ引つ張られたる背骨かな 緋路 老幹の凸凹としてそぞろ寒 政江 板羽目の松鎮まれる秋の宮 軽象 御神樹の一枝揺らさず鳥渡る かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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少し怪しい祭り【亥】 【NEWS‼】リピーター割引と 4日&6日コーヒー販売 実施!
みなさんこんにちは。少し怪しい祭り【亥】関連企画、
9/7(土)少し怪しい祭りワークショップ、好評のうちに終了しました!盛りだくさんの3コマにお付き合いいただいた参加者の皆さんありがとうございました。
大いに刺激をうけて、翌9/8(日)は演劇よいとな、人形劇JIJO 、マイム��上一樹3チーム揃っての合同稽古がありました。
各チーム、例年とちがったこころみに挑戦していますよ☆
そして今回、昼と夜で別プログラムの尾上一樹作品は、ことなる趣きの作品!
両方みていただきたい!ということで、リピーター割引を実施します!
また、初日・千秋楽にD.D.コーヒーのドリップコーヒー販売があります!
コーヒーとともにしばし作品の余韻を味わっていただければ幸いです!
*尚、D.D.コーヒーの前座パフォーマンス(オープニング・アクト)は、6日各回の開演前ですので、お時間のある方はぜひお早めにお越しください!!
詳細は
↓
◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆
KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2019 フリンジ「オープンエントリー作品」
少し怪しい祭り【亥】
a little bit strange festival ◆演劇よいとな×人形劇JIJO ×マイム尾上一樹◆ ~異なる表現形式による3つの少し怪しい小品たち~
毎年好評を博して、ついに3年め! 少し怪しいジョイント企画。独自の活動を繰り広げる3組の新作を、一挙上演!
■出演 人形劇 JIJO
演 劇 殿井歩 申芳夫 たなべやすのぶ 久貝亜美
マイム *昼の部のみ出演*黒木夏海(maz)・豊島勇士(maz) *夜の部のみ出演*尾上一樹・籔本浩一郎(音楽:アコーディオン)
*6日オープニング・アクト* ゲスト D.D.コーヒー
■スタッフ 照明:木内ひとみ 協力:菅原義輝
■公演日時【全5ステージ】
2019年10月 4日(金)19:00◎ 5日(土)14:00●/19:00◎ ★6日(日)11:00●/15:00●◆
※受付開始・開場は各回ともに開演の30分前。
★=最終日のみ開演前D.D.コーヒーによるオープニング・アクト(前座)が あります。 ◆=終演後、トークがあります。
……【尾上作品のみ、昼と夜で演目・出演者がかわります!】…… ●昼の部=出演:豊島勇士&黒木夏海 振付・構成:尾上一樹 ◎夜の部=振付・構成・出演:尾上一樹&籔本浩一郎 …………………………………………………………………………………………
☆初日&最終日限定! コーヒー販売実施! 4日&6日の各回、終演後にD.D.コーヒーさんによるドリップコーヒーの販売がございます。各回限定10杯!
■料金〔前売り・当日とも〕 一般 2,300円/高校生以下 1,000円
リピーター割引(2回目の観劇)一般 1,500円
※未就学児膝上観劇無料ですが、「子ども向け・親子向け」の作品ではありません。
※本公演には大なり小なり怪しさが含まれます。また、内容に一部実験的な試みを含みます。気になる方は事前にお問い合わせください。
☆リピーター割引あり!
2回目以降の観劇時、一般2,300円のところが1,500円に! 複数回ご予約の方は、ご予約の時点で自動的に適用いたします。
2回目以降の観劇が「当日券(予約なし)」の場合もリピーター割引対象。
★小さな会場ですので、なるべく事前予約にご協力くださいませ。
■ご予約・お問い合わせ [email protected] (少し怪しい祭り実行委員会)
▼予約方法
上記メールアドレス宛に件名を「チケット予約」とし、
①お名前 ②希望日時 ③人数(高校生以下の方はその旨も)を明記のうえ、送信してください。
こちらからの返信をもちまして、ご予約完了といたします。(ご返信に少々日数・時間がかかることがあります。)
※お手数ですが、gmailアドレスからのメールを受信できるよう設定をお願いします。
■会場【京都】人形劇の小さなアトリエ あとりえミノムシ 〒602-0807 京都市上京区寺町通り今出川上ル6丁目不動前町1-2 [mail][email protected] [Tel&Fax] 075-200-8261 [Web] http://at.mino3064.com
■アクセス ・京都市営地下鉄烏丸線 「鞍馬口」駅下車、1番出口より徒歩10分。 ・京阪本線「出町柳」駅下車、7番出口より北西へ徒歩約15分。 *駐車場はございません。自転車・バイクは停められます。
■参加団体プロフィール
尾上一樹 Kazuki Onoue 1987年生まれ。京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科6期卒業。 在学中は主に山田せつ子氏に師事。 いいむろなおき氏主催「マイムラボ・セカンド」1期生。 2015年渡米。Steven Wasson、Corine Soumの両氏にCorporeal Mime を学ぶ。 現在は大阪の福祉施設に勤める一方、表現活動を続けている。 例年1月には池田市立五月山児童文化センター(大阪)で30分間の親子向けマイム公演を、10月には演劇・人形劇・マイムによるジョイント公演「少し怪しい祭り」を実施している。届け、 ニッチな層へ。
JIJO じーじょ 北海道のオホーツク海に面した町に生まれ育つ。ある日札幌で観た「糸あやつり人形劇団みのむし」の人形劇に衝撃を受け、人形劇の道に進む。 「JIJO」という名で一人劇団を立ち上げ、人形劇やカブリモノのパフォーマンスなどをしている。保育園や児童館、人形劇フェスティバルなどで上演。 JIJOの活動の他、他劇団作品への出演、昨年は名古屋の劇団作品の人形製作も手掛ける。関西の糸操り人形集団「ITOプロジェクト」でも活動中。消しゴムハンコを作ったり、エッセイを書いたりするのが趣味。 http://ayajijo.com
よいとな Yoitona 映画『ハッピーアワー』(317分/監督:濱口竜介)での共演を機に意気投合した殿井歩と申芳夫が2015年に結成した演劇のユニット。 殿井が作と演出、申が出演とプロデュースを担当。他ジャンルのアーティストとも交流しながら関西を拠点に活動。近年は外部への脚本提供や出張出演&演出も。
■公演情報 https://kyoto-ex.jp/2019/fringe_open-entry/a-little-bit-strange-festival/
https://yoitona.tumblr.com
Twitter@sukoaya
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出演情報
くがいつぐみが京都にて、10月4日(金)~6日(日)に舞台に出演します。昼・夜公演とございますので、秋の散策とともに少しの怪しさを感じてみるのはいかがでしょうか。 ----- 少し怪しい祭り【亥】公演詳細 a little bit strange festivalKYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2019 フリンジ「オープンエントリー作品」少し怪しい祭り【亥】 10月4日(金)~6日(日) ◆演劇よいとな×人形劇JIJO×マイム尾上一樹◆ ~異なる表現形式による3つの少し怪しい小品たち~毎年好評を博して、 ついに3年め! 少し怪しいジョイント企画。 独自の活動を繰り広げる3組の 新作を、一挙上演!■出演 人形劇 JIJO演 劇 殿井歩 申芳夫 田辺泰信 久貝亜美 昼の部のみ出演 マイム 黒木夏海(maz) 豊島勇士(maz) 夜の部のみ出演 尾上一樹 籔本浩一郎(音楽:アコーディオン) 6日オープニング・アクト ゲスト D.D.コーヒー■スタッフ 照明:木内ひとみ 協力:菅原義輝■公演日時 2019年 10月 4日(金)19:00◎ 5日(土)14:00● /19:00◎ 【全5ステージ】 6日(日)11:00●★/15:00●★◆ ※受付開始・開場は各回ともに開演の30分前。 ★=開演前D.D.コーヒーによるオープニング・アクト(前座)が あります。 ◆=終演後、トークがあります。 ……【尾上作品は昼と夜で演目・出演者がかわります!】…… ●昼の部=出演:豊島勇士&黒木夏海 振付・構成:尾上一樹 ◎夜の部=振付・構成・出演:尾上一樹&籔本浩一郎 …………………………………………………………………………………………
■料金〔前売り・当日とも〕 一般 2,300円/高校生以下 1,000円
※未就学児膝上観劇無料ですが、「子ども向け・親子向け」の作品ではありません。 ※本公演には大なり小なり怪しさが含まれます。また、内容に一部実験的な試みを含みます。気になる方は事前にお問い合わせください。
★当日券でもご来場可能ですが、なるべくご予約をお願いします!■ご予約・お問い合わせ [email protected] (少し怪しい祭り実行委員会)
▼予約方法 上記メールアドレス宛に件名を「チケット予約」とし、 ①お名前 ②希望日時 ③人数(高校生以下の方はその旨も)を明記のうえ、送信してください。 こちらからの返信をもちまして、ご予約完了といたします。 (ご返信に少々日数・時間がかかることがあります。)
※お手数ですが、gmailアドレスからのメールを受信できるよう設定をお願いします。 早期予約特典 9月7日(土)までにご予約いただいた方に、 少し怪しい粗品をプレゼント!
■会場【京都】人形劇の小さなアトリエ あとりえミノムシ 〒602-0807 京都市上京区寺町通り今出川上ル6丁目不動前町1-2
[mail][email protected] [Tel&Fax] 075-200-8261 [Web] http://at.mino3064.com
■アクセス ・京都市営地下鉄烏丸線 「鞍馬口」駅下車、1番出口より徒歩10分。 ・京阪本線「出町柳」駅下車、7番出口より北西へ徒歩約15分。 *駐車場はございません。自転車・バイクは停められます。 ■参加団体プロフィール 尾上一樹 Kazuki Onoue 1987年生まれ。京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科6期卒業。在学中は主に山田せつ子氏に師事。 いいむろなおき氏主催「マイムラボ・セカンド」1期生。 2015年渡米。Steven Wasson、Corine Soumの両氏にCorporeal Mime を学ぶ。現在は大阪の福祉施設に勤める一方、表現活動を続けている。例年1月には池田市立五月山児童文化センター(大阪)で30分間の親子向けマイム公演を、10月には演劇・人形劇・マイムによるジョイント公演「少し怪しい祭り」を実施している。届け、 ニッチな層へ。 JIJO じーじょ 北海道のオホーツク海に面した町に生まれ育つ。ある日札幌で観た「糸あやつり人形劇団みのむし」の人形劇に衝撃を受け、人形劇の道に進む。 「JIJO」という名で一人劇団を立ち上げ、人形劇やカブリモノのパフォーマンスなどをしている。保育園や児童館、人形劇フェスティバルなどで上演。 JIJOの活動の他、他劇団作品への出演、昨年は名古屋の劇団作品の人形製作も手掛ける。関西の糸操り人形集団「ITOプロジェクト」でも活動中。消しゴムハンコを作ったり、エッセイを書いたりするのが趣味。http://ayajijo.com よいとな Yoitona 映画『ハッピーアワー』(317分/監督:濱口竜介)での共演を機に意気投合した殿井歩と申芳夫が2015年に結成した演劇のユニット。殿井が作と演出、申が出演とプロデュースを担当。他ジャンルのアーティストとも交流しながら関西を拠点に活動。近年は外部への脚本提供や出張出演&演出も。
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中国大規模な退役軍人デモ、膨らむ矛盾と不満 進まない社会復帰支援、武力鎮圧事件に発展 福島 香織 中国ではここ数年、元軍人による抗議デモが頻発している(写真:AP/アフロ、2016年10月撮影) 習近平政権の最大の矛盾は軍部周辺で起きているのかもしれない。習近平政権最初の5年の任期で難しい軍制改革に手を付け、大規模リストラと軍部の利権剥奪、汚職摘発を名目にした粛清を続けている。こうした軍制改革が決してうまくいっているわけではない。もちろん、解放軍報を見れば、習近平礼賛記事であふれているが、これらが面従腹背で、解放軍内外の矛盾と不満はかなり膨らんでいるようである。 そういうものが、目に見える形で表れた一つが、昨今頻発している退役軍人デモである。6月下旬にもかなり大規模な退役軍人デモが起き、しかも解放軍下部組織の武装警察や軍が出動して鎮圧するという、軍内身内同士の流血事件に発展した。習近平政権二期目始まって以来の最大規模の退役軍人デモであり、ひょっとすると最大危機への導火線となるやもしれない。 このデモが起きたのは江蘇省鎮江。6月19日から24日にかけて 、全国22省から微信(中国ネットSNS)で呼び掛けられた退役軍人たちが続々と鎮江市の政府庁舎に集まり続けた。ネットに上げられた映像を見る限り1万人規模にはなっていた。香港紙の中には5~6万人が集結という報道もある。彼らは迷彩服姿で市内を行進するなどした。 当初は抗議活動を容認するかたちで、1万人の武装警察が治安維持のための厳戒警備にあたっていたが、鎮江市政府周辺で、一人の退役軍人と警備の武装警察が衝突、退役軍人側が頭から血を流して倒れ、怒ったデモ隊が非道を訴え、一部で暴徒化したようだ。退役軍人を殴ったのは、武装警察の制服ではなかったという説もれば、私服の武警であったという説もある。 相手は退役しているとはいえ軍人である。農民、市民の抗議活動とは迫力が違う。現地当局は最終的に武装警察および軍の出動を依頼、23日午前3時40分ごろには、2万人の武装警察および解放軍が退役軍人デモ鎮圧のために出動した、という話も出ている。 この結果、かなり暴力的な鎮圧が行われたようで、ネットには漆黒の闇の中で、「殴られた!」と叫び声をあげながら武装警察と群衆が衝突している様子が動画に挙げられている。ネットで散見する動画や写真をみれば、血まみれの退役軍人たちは一人や二人ではなかった。武装警察側の武器は主に盾やこん棒であったようだ。死者が三人以上出ている、という話もあるが、確認は取れていない。また、この鎮圧騒動で負傷した退役軍人が入院した病院では、大勢の退役軍人が“見舞い”に押し寄せ、病院前で退役軍人と7両の軍警車両が一時対峙する場面もあったとか。 また、当局は市庁舎近くの中学校に退役軍⼈を拘束、収容。その数は2000⼈以上とか。⾷事しに外に出ることも禁じられ、トイレに⾏くのすら⼆⼈が監視につくなどの厳しい監視をうけている、という。 当局は一切の報道禁止をメディアに通達し、ネット上でも動画や写真などの投稿削除が行われているが、なぜか微信だけは、完全に封鎖されていない。25日には「装甲車が投入された」という写真付きSNSの投稿や、鎮江市の外で二個師団が待機している、といった噂もながれた。こうした情報の真偽を確かめるすべは今のところないが、事件に関する情報は今なお断続的に発信され続けている。 党内部、軍内部が関与の可能性も 微信では、どこそこから退役軍人グループが応援に向かった、その応援グループが地元警察に連行された、誰それとの連絡がとれない、といった情報が次々と更新されており、今回のデモが、かなり組織的かつ全国的規模で入念に計画されたものではないかという気がしてくる。しかも中央ハイレベルから、このデモを事前に防ごうという動きがない。ご存じのように、中国ではすでに顔認識機能のついたAI監視カメラが駅や高速道路など要所要所に設置されており、大量の退役軍人が一斉に鎮江に向かおうとすれば、事前に察知されて当然なのだ。 微信が遮断されていないこととも考え併せると、党内部や軍内部のハイレベルが一枚かんでいる可能性は否定できない。あるいは治安維持部門があえて上層部に報告しない、といった現場のサボタージュがあったのかもしれない。江蘇省上層部すら、誰も現場に出てきていないので、これが退役軍人有志らの自発的アクションなのか、軍部が関与しているのか、背後に糸を引く大物がいるのかどうかも、目下は判断に悩むのだ。 だが、武器を携帯した武装警官・兵士が武力鎮圧を行ったことは事実らしく、ネット上では「軍人版天安門事件」などという声もある。24日以降は、現場に至る高速道路などは封鎖され、退役軍人に鎮江行きの鉄道切符を売らないなどの対応策に出ているという。また鎮江で拘束された退役軍人には原籍地に戻ることに同意する保証書にサインをさせて帰郷させ始めているようだ。 一般市民は退役軍人側の味方が多く、退役軍人に対してはタクシー運転手がただで現場に運ぶなどの応援も行われたようだ。微信上では、一般庶民からの退役軍人の身の安全を心配したり、がんばれと応援したりする声も多く上がっている。 私は26日に鎮江を訪れた。すでに退役軍人も武装警察の姿はなく、市庁舎も病院も中学校も平穏な様子であったが、複数のタクシー運転手によれば、23日に武装警察、特別警察、軍が出動してデモの鎮圧にあたったことは事実のようだ。あるタクシー運転手によれば「23日の夜は、街頭が消されて真っ暗の中、退役軍人たちが次々と拘束されていた。多くが中越戦争で戦った英雄なのに、ひどい仕打ちだ」と退役軍人側に強い同情を寄せていた。 ところで退役軍人の��遇とは、そんなにひどいのだろうか。ちょうど、この事件を報じた香港蘋果日報が退役軍人の現状についてまとめていたので、引用する。 2011年に施行された退役兵士安置条例によれば、12年以上の兵役者には軍が就職口を手配してくれるが、12年未満の兵役者及び義務兵は自力で就職先を探さねばならず、自主就業手当と呼ばれる一時退役年金が支払われるのみだ。しかし、これは1年の兵役につきわずか4500元が基準で、10年服役してやっと4万5000元が得られるということになる。 兵役経験者はよい就職口が用意される、というのはほんの一部の話であり、ほとんどの兵士は青春期の10年を軍に捧げてのち、退役後に一般社会に適応するのは現代中国ではなかなか簡単ではない。しかも習近平による軍制改革で、この数年は一気に30万人以上の退役兵士が新たに社会にあふれるわけだ。 感動巨編映画の公開が遅れた理由 中国の人気映画監督・馮小剛がメガホンをとった「芳華」(2018年)は、最近の中国映画の中では出色の感動巨編だが、第19回党大会前に当局からの検閲チェックに引っかかり、公開が大幅に遅れることになった。その理由は映画中で表現された中越戦争の描写が、大勝利という中国の公式宣伝と大きく違い、悲惨な泥沼の負け戦である事実を浮き彫りにしていたため、と言われているが、実はこの映画で描かれている退役軍人の境遇の悲惨さが、当時頻発していた退役軍人デモを刺激するからだ、とも言われている。 この映画で人気俳優・黄軒が演じる主人公は、中越戦争で片足を失ったあと退役し、地方都市で違法なコピーDVD露天商で日銭を稼ぐ生活で、城管(町の小役人)に摘発されて、罰金を払えといたぶられるのだ。 あの苛烈な中越戦争経験者の中には、確かに現代社会の底辺で苦しんでいる人たちが今もいる。改めて、この映画を見てみると、目下習近平の軍制改革で縮小されつつある文工団への懐古(馮小剛は文工団出身の監督)や、勝ち目のない戦場に駆り出されて心や体に傷を負った兵士たちが、その後の改革開放の発展の中で取り残されている様子がかなり残酷にリアルに描かれている。 かつての鄧小平がそうしたように、思い切った軍制改革を行い、台湾統一や南シナ海の有事の可能性を盛り上げることで、軍を掌握し、政権への求心力強化を図ろうとする習近平を、そこはかとなく批判しているような、においがしないでもない。 中国には現在5700万人の退役軍人がいる。今年3月の全人代後に習近平主導で行われた国務院機構改革の一環として退役軍人事務部が新設されたのは、こうした退役軍人の社会復帰を援助し、その人権を守り、その不満を解消するのが目的だった。だが退役軍人の登録を開始しただけで、なんら具体的な対策は打ち出されず、今回のデモについても、公式コメントすら出していない。 退役軍人事務部の設置は習近平の肝入りであり、一般の傾向としては、こうした退役軍人問題の責任は習近平の手中にある、という形で、今回の事件の矛先は習近平政権批判に向かいつつある。趙紫陽の元秘書、鮑彤は「警察力によって、(退役軍人の)正当な権利を粉砕すれば、(習近平)新時代の社会矛盾が消滅したり緩和したりするとでもいうのか? これが(習近平のスローガンである)治国理政の新理念新方向なのか?」と習近平政権批判につなげている。 習近平の「宿敵」江沢民が関与の噂も さて、この事件の背景はまだ謎である。だが、香港の民主化雑誌「北京の春」の編集長・陳維健がやはりツイッターで興味深いコメントをしていた。 「今回のデモの現場の鎮江は江沢民の故郷の揚州のすぐ隣の地方都市だ。デモと江沢民が関係あるかはわからないが、鎮江政府は(軍による鎮圧という)軽率な対応をしてはならなかった。…退役軍人問題は習近平自身の手中にあり、官僚たちは自分に責任の火の粉がかかるのを恐れて、行動したがらない。この問題を解決するには必要予算があまりにも大きく、鎮圧するにはリスクが高すぎる」 習近平の宿敵ともいえる江沢民が何らかの形でかかわっているのか? また、一部SNS上では、国家安全部二局(国際情報局)がこの事件の背景を調査するために現地入りしたというまことしやかな噂も流れている。中国当局は海外の情報機関の工作を疑っているのか? すべてがネット上のSNS発情報というもので、何が事実で、何がデマなのかはまだわからない。だが、退役軍人デモが頻発していることは事実である。日本では2016年10月に北京で行われた数千人規模の退役軍人デモが大きく報道されたが、それ以前もあったし、それ以降も増え続けている。2017年も相当規模のものが少なくとも4件はあった。 1989年再来の可能性も否定できない 習近平政権としては退役軍人デモには、他のデモとは違う「話し合い姿勢」を見せており、今回のような武力鎮圧事件に発展したことは意外感がある。習近平の判断というよりは、偶発的な事件をきっかけにした鎮江市の対応の誤りが引き起こした騒動と言えるが、今後の中央の対応次第では、本当に1989年の再来の可能性だって否定できまい。 習近平政権は今世紀半ばまでに、戦争に勝利でき党に従う一流の近代軍隊を作るという強軍化の夢を掲げて軍制改革に踏み出した。だが、退役軍人への権利や尊厳が守れない状況で、誰が命をかけて党に忠誠を尽くそうというのか。このままでは、強軍化の夢どころか、体制の根底を揺るがしかねないのである。
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