#私は福島で夢の国家独唱
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1968年~1990年 自民党・統一教会に密接な関係があった時代1968年 世界基督教統一神霊協会(統一教会)の教祖、文鮮明が国際勝共連合を設立1975年(昭和50年)の東京都知事選挙では、朝鮮総聯の影響下にある朝鮮大学校を認可した当時の東京都知事美濃部亮吉の3選を阻むため、若いメンバーが大量に動員されたとされる[要出典]。また、1986年(昭和61年)7月の衆参同日選挙では、150人の衆参両院候補を応援、自民、民社両党を中心に134人を当選させた、としている。同連合が発表した名簿には、松永光(自民党スパイ防止法制定特別委員長)、森清、箕輪登(当時の自民党衆議院議員)らが含まれていた。同連合の機関紙「思想新聞」によると、選挙後には、これらの各勝共推進議員一人ひとりに勝共理念の研修を受けてもらったという。その結果、134人全員が勝共理念を理解し、国会議員のそれぞれの地元でも勝共連合支部との関係が密接になった、と伝えている[16]。1986年の第38回、1990年(平成2年)の第39回、1993年(平成5年)の第40回と3回の衆議院議員総選挙に出馬しいずれも落選した阿部令子[17] は、霊感商法の霊能者役であり合同結婚式に参加した教会員で渡辺美智雄元秘書だったとされている[18]。1990年総選挙での自民党追加公認に関しては「公認は渡辺(美智雄)氏らが強引に押し切った」[19] とされ、地元大阪府連の強い反発を受けた。なお、「霊感商法などで問題になっている統一教会との関係」が他党(共産党)のビラなどで指摘されているが、阿部本人は「支援は受けているが会員ではない」[20] と歯切れの悪い回答を残している。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8B%9D%E5%85%B1%E9%80%A3%E5%90%881990年~ 保守界隈が統一教会と距離を取った時代統一教会においては「天皇であろうが大臣であろうが、祝福(合同結婚式)を受けないと救われない」と教えられている。(中略)それにしても皇太子を伝道師、合同結婚式に出ることも「夢の様な話ですが、これは可能なこと」という文鮮明教祖の発言について、「勝共文化人」と呼ばれてきた人たちは、どう答えるのだろうか。共産主義に対抗し、勝利することを使命として連帯してきた彼らは、多くの場合、熱烈な民族主義者でもあり、皇室崇拝論を展開してきた。勝共連合の背景にこんな「教え」があったことを知っていたのだろうか。92年の合同結婚式直前に、『産経新聞』(8月12日付)は、「私たちは〝国際合同結婚式〟を応援します」という意見広告を掲載した。そこには大学教授や評論家たち97人が名前を連ねた(もっとも勝手に名前を使われた人もいたが)。この広告を出したのは「国際合同結婚式を支持する学者・文化人の会」。世話人には政治評論家の細川隆一郎氏がいた。細川氏は、90年4月10日から13日までモスクワで開かれた世界言論人会議(文鮮明教祖が主催)にも参加している。文教祖の発言について聞くと、こんな答えが戻ってきた。「まったく話になりません。論評する必要もなく、皇室を侮辱するものです。(中略)こんなことを言うとは、失礼極まりない。余計なお世話もいいところです」―『産経新聞』の意見広告は?あれは、桜田淳子さんの結婚をおめでたい、とお祝いしただけですよ」(中略)「勝共を応援する会」の活動を熱心に行ってきた一人に木内信胤氏がいる。木内氏はこの会の会長を長年務めてきた。「勝共を応援する会」とは、統一教会の友好団体である国際勝共連合を応援する団体である。この木内氏は、ソ連、東欧の急変を目の当たりにして「我々応援する会としては、目得たく解散すべきものである」ということを、国際勝共連合の名称変更とともに久保木会長(統一教会および国際勝共連合の会長だった)に申し入れていた。ところが久保木氏からはっきりした返事だなかったため、木内氏は国際勝共連合と袂を分かった。その理由を木内氏はこう書いている。〈共産主義が今日の状態になつたにも拘らず、引き続いて『国際勝共連合』と関係をもつといふことは、自然に文鮮明という方の特殊な宗教的な活動の片棒を担ぐことになる。そのことを私としては、厳密に避けたいと考へたからに他なりません〉(『私の宗教観』91年)(中略)木内氏は、問題の文鮮明発言についてこう語っている。 「こういう発言は無視すればいいんです。黙殺するのがいい。ああいう人間とは議論すべきじゃありません。私はソ連がこうなる前に勝共連合はやめました。統一教会とも文鮮明ともとっくに縁を切っている。もう反共などという時代じゃないし、それ���りも文鮮明がヘンテコリンな男であることも分かって縁を切りました」有田芳生 1997 「神の国」の崩壊(221-223頁)統一教会のこんな韓国中心主義に対して、民族派からの反発は強い。一水会の木村三浩書記長は、統一教会会員が国会議員の秘書になっていることをふくめてこう語る。統一教会の阿部令子が渡辺美智雄の秘蔵っ子として登場して、自民党の公認で選挙に出た。当選には至らなかったけれど、自分たちが立ってだめだったら、まずは秘書として政権の中に入って、情報収集や懐柔をし、人脈や金脈を作っていこうというのではないですか。私たちが統一協会を批判するのは、天皇陛下の問題はもちろんですが、日本が過去に朝鮮を侵略した誤りにつけこんで韓国中心を唱えるのは独善だということです。しかも、これが文鮮明の利害のためとくればなおさらです。私たちは、ここの統一教会員に対してはむしろ哀れぐらいに思っています。人に対してではなく、その教義、さらに贖罪意識に乗ったやり方に抗議しているんです」こういった批判は、一水会だけではない。戦前からの右翼で文鮮明や久保木修己とも親しかった畑時夫の証言を聞こう。 畑に言わせれば、文鮮明は「宗教を軸にした国際的錬金師」だと言う。私たちの前で、ある統一教会幹部に電話してくれた畑は、統一教会員が国会議員秘書にどれくらい入っているのかを聞いてくれた。その相手は「以前ほどではないが相当送り込んでいる」と答えている。「勝共ということで日本の政治家はだまされた。これが統一教会ということなら、政治家もこれほどまでは接近しなかっただろう」というのが、国会議員に統一教会が浸透できた理由だと畑は見る。有田芳生 1992 『統一教会とは何か』(108-109頁)http://fb90wx.g1.xrea.com/k/to/lo/nseiji.htmlそれは拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援する統一教会は問題であること、しかも霊感商法などで日本の公安当局から監視対象である団体である以上、面会を求められても会わないようにしている、というものだ。これはわたしが安倍本人から聞いたことである。総理への道を眼の前にした時期に、そうした方針を変えることなどありえない。今回の祝電も地元事務所の判断で安倍があずかり知らないところで送られたのが事実である。統一教会からすれば、岸信介、安倍晋太郎との深い関係から安倍晋三をも利用したいのだろう。しかし、霊感商法が社会的に批判されてからは、国会議員の対応にも変化がある。安倍晋三は北朝鮮への強行姿勢ゆえに、祖父の岸信介や父の安倍晋太郎が親密だった統一教会に対し、距離を置くだけではなく厳しい対応を取っているの��ある。(引用元)安倍晋三と統一教会(1)~(4)http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/12d4d733eaea2d590f8b73716ce042ab/http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/37e6d95f53187d5d2f48ab8bdb281d81/http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/695fe400235e6e5706874dc9a7e17167/http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/1230584c94947653d0e01007c631dc13/統一教会と日本の政治 http://fb90wx.g1.xrea.com/k/to/lo/nseiji.html近年 再び統一教会と近づく保守界隈 霊感商法や集団結婚などの被害が長く社会問題になっている旧統一協会(世界平和統一家庭連合に改称)に関連する団体が開いた大規模集会に安倍晋三前首相がビデオメッセージを贈り、「敬意を表します」などと演説していたことが17日までに分かりました。旧統一協会が勧誘活動や宣伝に利用することで新たな被害につながるおそれがあり、安倍氏の道義的責任が問われます。 安倍氏がビデオメッセージで演説したのは、旧統一協会系の天宙平和連合(UPF)が韓国の会場とオンラインで12日に開いた集会「シンクタンク2022 希望前進大会」です。UPFは統一協会の開祖である文鮮明(故人)と、その妻で現家庭連合総裁の韓鶴子が2005年にニューヨークで創設したNGOです。 同集会では、トランプ前米国大統領に続いて左胸に議員バッジをつけた安倍氏が会場の大型スクリーンに映し出され、約5分間の演説をしました。 安倍氏は「演説の機会をいただいたことを光栄に思います」と述べ、次のような発言をしました。 「今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」。実質的なトップの名をあげ、旧統一協会を称賛した形です。 旧統一協会と一体の右翼団体「勝共連合」は、ジェンダー平等を「社会における男女のあり方、そして家庭のあり方を根本から変えてしまおうという危険な思想」としています。 安倍氏の演説の中で目立ったのは、旧統一協会の思想にある家族観への共鳴です。 安倍氏は「UPFの平和ビジョンにおいて、家庭の価値を強調する点を高く評価いたします」と褒め上げ、その上で「偏った価値観を社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう」と呼びかけました。 ジェンダー平等などを「偏った価値観」とみなし、個人を尊重する社会を目指す運動を非難するのは異様と言えますが、同集会の司会者は「たいへん感動的な演説」と評価しました。 本紙の取材にUPFジャパン(東京都新宿区)は、米国のUPF��ンターナショナルと「��シントン・タイムズ」(旧統一協会系メディア)が安倍氏側にビデオメッセージを依頼したと説明しました。旧統一協会系集会にメッセージ/安倍前首相「総裁に敬意」/宣伝利用で霊感商法被害拡大の恐れ https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-09-18/2021091815_01_0.html
統一教会と安倍晋三・自民党
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日本列島がバブル景気に沸いていた1989年4月。中華人民共和国では学生たちが「変革の夢」を胸に、天安門広場へと集まっていた。およそ1カ月半後、世界を震撼させる大弾圧の舞台になるとも知らずに――。事件から30年目の今年(2019年)、天安門事件に関わった60人以上を取材した大型ルポルタージュが話題を呼んでいる。この度、大宅壮一賞を受賞したノンフィクションライターの安田峰俊氏が、2011年より足かけ8年を費やし完成させた『八九六四』。同書から、事件の当事者の生々しい証言を2回に分けてお届けする。前回に続き登場するのは、当時、天安門広場で警備を務めた魏さん。魏さんが語る天安門事件の最大の「功績」とは?(JBpress)
(※)本稿は『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(安田峰俊著、角川書店)の一部を抜粋・再編集したものです。
もしも「天安門」が成功していたら
(前回)権力側にいた大学生「天安門警備は『野球』だった」 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56557
魏陽樹(仮名) 事件当時19歳、某警察系大学学生、取材当時44歳、投資会社幹部 「八九六四」当時の所在地:中華人民共和国北京市郊外 取材地:中華人民共和国 北京市 亮馬橋付近のレストラン 取材日:2015年4月
「最近、北京で同年代の友達と、みんなでおしゃべりをする機会があった。弁護士だとか社長だとか、全員がいまの社会でそれなりに成功している人だ。でね、もしも天安門が成功していたら――。共産党政権がなくなっていたら中国は大丈夫だっただろうかって話になったんだ」
そこそこ知的な中国人のおっさんたちが、気が置けない仲間と集まれば決まって天安門の話題になる。いかなる思想や社会背景を持つ人でも、あの事件が青春の思い出であることに変わりはない。
「結論としては『大丈夫だった』と自信を持って言う人間は誰もいないって話になった。日本でも例があるでしょ? 試しに民主党に政権を任せてみたら、国がグジャグジャになったじゃないか。中国の場合はもっとひどいことになるんだ。仮に当時の学生が天下を取っていたら、別の独裁政権ができただけだろうと思う」
日本の民主党(当時)の話はさておき、中国についての話は説得力がある。過去の辛亥革命も国民革命軍の北伐も社会主義革命も、結果的には袁世凱(えんせいがい)や蒋介石(しょうかいせき)や毛沢東(もうたくとう)を新たな独裁者として台頭させる踏み台でしかなかったのだ。
「天安門事件の当時は改革開放政策がはじまったばかりで、西側の断片的な情報、つまりよいところしか見えていなかった。思い返せば学生の側だって、いまの人よりもずっと視野が狭かった」
魏陽樹(ウェイヤンシュー)は「例えば、同時代の日本の田舎の男子中学生よりもずっと世界が狭かったはずだよ」と自嘲的な表情を浮かべた。
「当時、政府は必死で情報を入れないようにしていた。でも、学生は中途半端に情報を仕入れて、中途半端な理解から、外国を天国なんだと考えた。だからあんなことになった。それが天安門事件の真実だと僕は思うんだよ」
それが彼の答えだった。
タクシーに乗れる人間になりたかった
「・・・あのころ僕は、自動車の助手席に乗ってみたかった」
追加のビールが来て会話がしばらく中断した後、魏陽樹は独り言のようにつぶや��た。
「マイカーを買うのが夢だったんですか?」
「そうじゃない。自分の車を持って、ハンドルを握るなんてのは夢のまた向こうの話さ。あのころの僕は助手席に乗りたかった」
私が怪訝な顔をしていると「不思議に思うよね」と笑った。「中国では日本と違って、自動車のいちばんいい席は助手席なんだ。中国人はタクシーに乗るとき、後部座席よりも助手席に座りたがるだろう? 助手席は特別なんだ。自分がいまから進む先の一番いい景色を独占できる、偉い人が乗る席だという考えがあるのさ」
「八九六四」の時代、中国の庶民は平板車(ピンバンチェー)という三輪のリアカー付き自転車で移動していた。タクシーの運賃は非常に高価で、数も少ない。運転手は人々から「師傅(シーフ=先生)」と呼ばれ、若い女性が理想の結婚相手に求める職業のナンバーワンだった。そんな社会で自動車の助手席に乗れるのは、相当な権力か財力を持つ人間だけだった。
「大学1年のときの思い出がある。僕は市内の中央音楽学院に遊びに行って、帰りにバスを待っていた。そうしたら、中国人なのに外国人みたいな恰好をした垢抜けた人が、なんと手を挙げてタクシーを停めた。颯爽と乗り込む彼の姿がものすごくカッコよかったんだ。それで思ったんだよ。いつか僕もタクシーに乗れる人間になりたい、この人生で1回でもいいから乗ってみたいって。もちろん座るのは助手席だ。そんな想像をするだけで頭がクラクラした」
現代の中国で、タクシー運転手は低賃金労働者の職業になっている。垢抜けた都市住民はマナーや安全性への不安からあまりタクシーに乗りたがらず、スマホのアプリでシェアライドをしたり自家用車に乗ったり、さらに金持ちならば運転手付きの車で移動する。いまや投資会社の幹部におさまっている魏も、言うまでもなくそれに近い生活を送っている。
だが、四半世紀後の現在までその光景を詳細に記憶しているほど、若き日の彼にとってタクシーの助手席はあこがれの対象だった。魏は思い出を語り続けた。
たとえば1990年ごろ、近所にできたばかりのKFC(ケンタッキー・フライドチキン)に行った話だ。セットの価格は、数字の上では現在とほぼ変わらない20元強。ただし、当時の中国人にとってこの金額は大卒初任給の約3分の2ほどに相当した。
「先輩とKFCに食べに行くことになった前の夜は、楽しみでずっと眠れなかった。当日、僕はどきどきして、カウンターでフライドチキンふたつとビスケット1個と飲み物を注文した。何を頼んだか、今でも全部覚えているんだよ。僕が食べたビスケットはちいさな丸いパンみたいで、表��がサクサクで、中身はフワフワで。こんな不思議な食べ物がこの世にあるのかよって――」
現代の中国人ならば3歳の子どもでも食べ残す、ありふれたジャンクフードだ。
「中国は変わったということなのさ。天安門事件のときにみんなが本当に欲しかったものは、当時の想像をずっと上回るレベルで実現されてしまった。他にどこの国のどの政権が、たった25年間でこれだけの発展を導けると思う? だから、いまの中国では決して学生運動なんか起きない。それが僕の答えだ」
思い出話のなかで杯を重ねたビールに瞳をとろんとさせた魏の基準に照らせば、中国における言論の自由や社会の自由度についても、往年に比べればずっと改善したという。彼は政府が国民の不満を解消するためにこうした変化に積極的な姿勢をとるようになったことが、天安門事件の最大の「功績」だとも話した。この話題が締めくくりとなり、私の魏への取材の時間は終わった。
大部分の中国人が叶えた「夢」の前では
もちろん、魏の話には反論の余地が数多くある。現代中国の社会は1980年代と比べれば相対的に「自由」なのかもしれないが、中国の言論統制の厳しさと社会監視の凄まじさは、取材した私が何よりも痛感している。
また、確かに胡錦濤(こきんとう)時代までの中国の社会には、権力基盤の弱い政権の下で国民はなんでもやりたい放題――、といった一種の「自由」さがあったが、それも習近平(しゅうきんぺい)が権力を握るやいなや一瞬で消し飛んだ。指導者が交代するだけで社会の風通しの良さが大幅に乱高下するのは、やはり中国の政治体制が専制的かつ強権的だからである。
魏が話す経済発展にしても、中国の成長にはひずみが多い。鄧小平は改革開放政策を提唱した際に「豊かになれる者が先に豊かになって落伍した者を助ければよい」と呼びかけた(先富論)が、実際には極端な貧富の格差が発生しただけで、落伍した者は助かっていない。
もちろんトータルで見れば、中国の社会は1989年当時とは比較にならないほど豊かになった。もはや自動車の助手席やKFCのビスケットは貧困層の人でも縁遠いものではないが、さりとて社会全体の幸福度が高いかと言えば疑問である。
みんなが「平等」に近かった「八九六四」の時代と比べると、凄まじい格差によって中国の社会は深刻に分断され、階層を異にする者同士の共通言語はほとんど消滅している。なにより、仮に風通しの良い体制の社会がもともと中国に存在していれば、経済発展はもっと早くにはじまっていたはずだろう(ちなみにKFCの日本初出店は1970年だ)。
現代の格差問題も環境問題も、まともな民主主義国家ならばもっと効果的な解決の目途がついているのではないか。少なくとも私たちのような西側の人間や、公盟メンバーのような民主派の中国人たちはそう考えている。
だが、こうした反論はかつての魏が目にした光景と、大部分の中国人が叶えたタクシーとフライドチキンの夢の前には――。つまり、中国の国内感覚に照らすならば、それほど説得力を持つものではない。
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#SACHI散歩 * @kimi_kitchen_ 君ちゃんちにお呼ばれして #東京一の食卓 に お邪魔しました♡ ”SACHI×キミキッチン” またワクワクが発動☺︎ 女子必見! もちろん男子もね! * 今朝は君ちゃんが詰めてくれた お弁当で贅沢朝ごはん♡ 飯山の野菜達に囲まれて 涙が出そうになりました☺︎ #安心 #優しい #飯山市 #長野 * おすそ分けしてもらった トマト🍅 ピクルスにしよーっと(*^^*) 君ちゃんごちそさま♡ * 飯山といえば来週末は 是非さわごさへ! #sawagosa2017 #私は福島で夢の国家独唱!!! #飯山まで届く声で☺︎♡ (東京スカイツリー / Tokyo Skytree)
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アルコール依存症に苦しんだ過去から復活、フランス漫画界から高い評価を受ける高浜寛。今年は、手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。自分の仕事を「過去に生きていた名もない人たちの足跡を掘り起こして、その人を生かすこと」という。天草島の緑深い山あいの家で、話を聞いた。(取材・文:長瀬千雅/撮影:宮井正樹/Yahoo!ニュース 特集編集部)
異色の作家の受賞
今年4月、『ニュクスの角灯(ランタン)』(リイド社、全6巻)で、第24回手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞した。年間通じて最も優れたマンガ作品に贈られる賞で、最終候補作にはベストセラー作品『鬼滅の刃』も挙がっていた。
もともと「地味な作風」(本人談)で、高い画力と物語作りのセンスから玄人筋では評価が高かったものの、一般的な知名度が高かったわけではない。選考委員の一人で仏文学者の中条省平もこの作品を、「高浜寛という作家を、知る人ぞ知る異色の存在から、もっと大きなスケールの、普遍的な物語の面白さと感動とをあたえてくれるマンガ家へと脱皮させ」たと評した(2020年5月20日付「朝日新聞」夕刊より)。
「40歳をすぎて、私も中堅の自覚ができてきました。自分のことばかりではなく、全体のことを考えていく責任が出てきていると思います。その世代なりにあげていかなければいけない成果があるとも思いますし」
たかはま・かん/熊本県天草生まれ。筑波大学芸術専門学群卒。著書に『イエローバックス』『まり子パラード』(フレデリック・ボワレとの共著)、『泡日』『凪渡り――及びその他の短篇』『トゥー・エスプレッソ』『蝶のみちゆき』『SAD GiRL』『エマは星の夢を見る』『ニュクスの角灯』『愛人 ラマン』など。ほぼ全ての作品がフランス語訳され、イタリア、スペイン、ドイツでも多くの作品が出版されている。今月28日に、『扇島歳時記』第1巻が発売される
主な舞台は、19世紀末の長崎とパリ。西南戦争で親を亡くした美世は、「私なんか」が口癖で、自分の意見を言うことに慣れていない。長崎の輸入道具屋で働き始めた美世が店主の百年(ももとし)をはじめ、まわりの大人たちの導きで、人生を切り開いていく。随所に、豊かな���で表現される当時の衣装や習俗が挿話として登場する。
しかしこれが単に美世の成長物語にとどまらないのは、百年の恋人、ジュディットの存在だ。パリの高級娼婦であるジュディットは社交界の花形だが、生活は荒れていて、アルコールに依存している。物語の終盤、美世との出会いによって、ジュディットが「光の方へ」歩き出す勇気を得るシーンが美しい。
作家性が強く、扱う題材も地味だった初期作品群と比べて、この作品は娯楽としてのマンガの楽しさにあふれている。
「エンターテインメントですよね。みんなに『少女マンガだ』って言われます。ラストのドタバタも少女マンガらしい。若い人を励ますような気持ちで描いたかな」
その気持ちの裏側には、アルコール依存に苦しんだ、若いころの経験がある。
「若いころは家族と離れて、北関東の学園都市で生活していたので、問題を相談できるような年上の女性が少なくて、健康なほうにいけなかった。幸いにしてサポートしてくれる人たちと出会うことができたし、考え方も成熟してきて、かつての自分がなぜ生きづらかったのかがいまはわかる。そうすると、同じように苦しんでる若い人たちのことが見えるようになってきて」
フランス漫画界との出会い
もともとマンガ家になろうとは思っていなかった。大学2年生のとき、飲み会でさらっと描いたマンガを面白がった友人が、あるメジャー青年誌に持ち込んだ。
「私の知らない間に見せにいく約束を取り付けてきた。面白いけど上質紙に描いてあるから、ケント紙に描き直して持ってきませんかと言ってもらって、持っていったら賞を取ったんですよね」
担当編集者がつき、デビューを目指して準備を始めるが、途中で編集長が代わり、作品が採用されなくなった。
「私は、老人を主人公にしたりして、なにげない日常のストーリーを描いていた。でも、編集部から売れるものを描いたほうがいいと言われて。売れるものってなんだって聞いたら、若者が主人公でとか、恋愛要素があったりとか、ひと夏の成長物語だったりとか。当時はそういうものにあまり興味がなかったんですよね」
「対極のところに行ってみよう」と、青年誌「ガロ」に持ち込むと一発で賞を取り、掲載が決まった。大学卒業目前の冬のことだ。
マンガアシスタントの経験はない。そのころ、フランス人マンガ家フレデリック・ボワレが「ヌーベルまんが」を提唱し、バンドデシネ(フランス語圏のコミック)とマンガの中間のような作品を発表していた。高浜は、日本に住んでいたボワレにメールを送った。
「『ヌーベルまんが』は、『日常を描く』という活動だったんですよね。SFとか、非日常的なものではなく。そのときの私はそうだそうだと思って、私もマンガ家だし、チャンスがあったら誘ってくださいって言ったんです。そうしたら、何か一緒にやりませんかという話になって」
「海外でも評価されるマンガ家」と形容されることがあるが、より正確には、日本とフランスのハイブリッド。フランス語圏ではバンドデシネ作家として受け入れられている
高浜は、ボワレとの合作『まり子パラード』を描き上げる。そして、出版社を探すためにフランスの国際的なマンガマーケットであるアングレーム国際マンガ祭に持ち込んだ。大手出版社カステルマンが興味を持ち、ボワレとの共著だけでなく、高浜自身に描くチャンスを与えてくれた。
「あとはずっとカステルマンで描いてて、気心の知れた人が別の出版社に移籍するとそっちでもまた仕事をくれるようになって。常に何か仕事をしているような感じになりました」
アルコール依存症に
若くて才能のある作家の登場にフランスのメディアも注目し、渡仏するたびにいくつもの雑誌やテレビの取材を受けた。その中には、ファッション誌の「ELLE」など、高浜自身が憧れて読んでいたような有名な雑誌もあった。
「がんばったらその先にあるような世界がいきなりやってきて、しかも思っていたのと違ったから、パニックになってしまったんですよね。長旅で疲れた頭で、同じような質問に何度も答えて。知らない人ばかりで気も使うし、通訳をはさんで何日も何日も、テレビやって雑誌やってラジオやって。そのたびにお酒を飲んでた。そうしないとこなせなくて」
日本でも、「ガロ」で描いた短編が高く評価された。「ガロ」が休刊したあとは、「マンガ・エロティクス・エフ」などのオルタナティブなマンガ雑誌で連載を持ち、締め切りに追われて徹夜が続く。
お酒を手放せなくなっていたころ、あるアート誌の取材を受けた。いつものように徹夜明けで、アルコールをキメてから出かけていった。掲載号が発売されたとき、自分の写真にショックを受けた。
「1ページまるまるの写真は、すごいむくんだ顔をしてて。適当に着ていった服の胸元がけっこう深く開いてて、こんな服着ていかなきゃよかったとか、いろいろ思ったりしましたね。別のときは、頭がハゲかけたこともあったし。20代の女性としては『これは厳しい』と思いました(笑)」
不眠にも悩まされ、睡眠導入剤を服用するようになった。だるくてだるくて、起き上がれない。1日に2時間ぐらい仕事ができればいいほうで、連載が続けられなくなった。
「まだ準備ができていないうちに、過大な評価をされてしまったんですね。少女時代が終わって、女性としての人生が始まったばかりのころに」
崩れていく自分を観察
お酒と薬をやめることができたのは、32〜33歳のときだ。何年も深い底をただよう間には、発作的に薬を過剰摂取して救急車で運ばれ、一命を取り留めたこともあった。いっぺんにやめられたわけではなく、当初は薬をやめてもお酒はやめられず、むしろ増えたときもあった。
「最終的にはちょっと幻覚みたいなのを見たときに、もうこれは浮上しなければまずいと思って。そこからパタッと��めて上がってきたんですけど」
自立への第一歩として、親元を離れ、熊本市内に家賃1万2000円の激安アパートを借りた。自助グループと病院に通い、うなぎ屋でアルバイトをしながら、『四谷区花園町』という作品を描き上げた。
2013年に『四谷区花園町』を刊行。翌年に『蝶のみちゆき』を描き上げ、さらに翌年、『ニュクスの角灯』の連載をスタートさせた
「(アルコール依存から回復する前とあとでは)180度変わりましたね。その前は一人では立てない状態、そのあとは一人でちゃんと立ってる状態。以前は、何かに依存しないと立てなかった」
高浜は、「お酒を飲んだ自分」を観察したことがある。
水底で暮らした長い年月を経て、断酒に成功したのが2011年ごろ。それからお酒は一滴も口にしていなかったが、2016年の熊本地震に遭い、古いアパートは全壊。翌月に住む場所は見つかったが、しばらくして半年ほどスリップ(再飲酒)した。
「どんなふうに崩れていくのかを、興味を持って観察している自分がいたんですよね。最初の1、2カ月は仕事ができていたけど、3カ月、4カ月と経つうちに、長編の構成を頭の中でキープすることが困難になってくるんです。パースがゆがんで絵もうまく描けなくなる」
『愛人 ラマン』執筆へ
スリップから抜け出したころ、大きな仕事が高浜のもとに舞い込んできた。フランスの作家マルグリット・デュラスの自伝的小説『愛人 ラマン』の漫画化だった。
旧知のフランス人のエージェントから「小説の漫画化をやってみない?」と提案された。「『愛人 ラマン』はどうかという話になったとき、私も『それしかないよね』という感じだったんですよね」
デュラスの『���人 ラマン』が日本でベストセラーになったのは、1992年のことだ。ジェーン・マーチ、レオン・カーフェイの主演で映画化もされている。デュラスが仏領インドシナ(現在のベトナム)で過ごした少女時代を振り返る。貧困家庭の白人の少女と裕福な中国人青年との性愛は、センセーショナルだと話題を呼んだ。
デュラスは1996年に亡くなったが、フランス文学に詳しい野村昌代(アンスティチュ・フランセ東京メディアテーク主任)によれば、「フランスでは現在も評価が高く、その恐るべき才能、作品のクオリティーの高さから、よく読まれている」という。
高浜は高校生のころ、デュラスにはまってよく読んでいた。
「(小説の)少女とあまり変わらない年齢で読んだんですね。面白かった。『自分たちのことが書かれている』と思って読んでいました。『少女が年をとるとこうなるんだ』というのを見せられたような気がして。なんとなく自分もその呪いにかかったような感じがしました」
40歳をすぎて読み返すと、違う感想を持った。
「あの少女のことを、自分よりも経験があって、大人の世界を知っていて、しらけた感じで生きてるんだと思ってたけど、ほんとうは絶望的な状況に置��れていて、そのせいであんなにはすっぱでつっぱってたんだってことが、いまわかったという感じでしたね。当時はよくわからなかった」
高浜版『愛人 ラマン』は今年1月にフランスで発売された。翌月日本語版を刊行。高浜が描く少女はやせていて目の下にクマがあり、とても美少女には見えない。映画でジェーン・マーチが演じた、未成熟な色気がただよう少女ともまた違うキャラクターだ。最初から最後まで、登場人物のほとんど誰も笑顔を見せず、うだるような暑さの中で、行き場のない思いと苛立ちが沈殿していくさまが、オールカラーの独特な色彩で表現されていく。
「つらい状況って、どうやって耐えるか、どのくらい耐えればいいのかがわからないから、怖い。人が亡くなったときは心の痛みはこれぐらい続くんだ、でも耐えていれば絶対に薄れていくんだとか、そういうことを教えてくれる人を見つけるのが難しい。昔だったら、母親がいて父親がいて、祖父母がいて、両親が機能しなくてもおじさんおばさんとか、いろんな大人が身近にいたからなんとかなったけれども、いまはそういう環境のほうが珍しくなっている」
「単純に希望を持つことって大きいですよね。で、希望を持ってる人のそばにいるっていうことも大きいかもしれない。誰か牽引力のある人がそばにいれば、その人に引っ張られてみんないいほうにいくってこともあるだろうし。でも都会ではなかなかそうなりにくい気がします」
山あいの仙人のような暮らし
昨年、仕事場を熊本市内から天草に移した。山あいの一軒家に夫と二人で住み、マンガを描く。犬2匹と猫3匹、山羊2匹を飼い、井戸の水を飲む。
「(コロナの影響は)ここにいる分にはあまり感じないですね。もともと週に1、2回、町へ買い物に出るくらいで。DVDを借りに行ったりはしますけど」
「山に住まないといけない」と思った理由をこんなふうに話す。
「このあたりは植林された山じゃなくて、原生林が残っているんです。過去に健康を害して仕事ができなくなった経験があり、それを元どおりに修復するのにとても時間がかかったので、最初から害になる要素の少ないところで暮らしたいと思いました。それに、町にいると絶対必要なわけではない、細かな予定が入りすぎてしまう。仙人みたいな人は必ず山に住むでしょ?」
月の半分は、「月刊コミック乱」と「トーチweb」に連載中の新作「扇島歳時記」の執筆に集中する。主に使うのはシャープペンシル。基本的にペン入れはせず、黒鉛の芯の硬軟を自在に操って、ニュアンスに富んだ線を描く。
連載中の「扇島歳時記」の舞台は、『ニュクスの角灯』から10年ほどさかのぼった長崎。共通する人物も登場する
もともと、描きたいことはどんどん浮かぶほうだ。アルコール依存から回復��てからは、生まれ故郷の天草と、自身のルーツがある長崎を、歴史をさかのぼって丹念に取材している。
「扇島歳時記」のために長崎・出島の詳細な見取り図を作成し、『ニュクスの角灯』では大浦慶という実在した女性実業家を登場させるなど、フィクションの中に綿密に取材したノンフィクションを巧みに織り交ぜる。
「最近はもう、マンガ家といっても歴史マンガ家なので。歴史マンガ家のすることは、過去に生きていた名もない人たちの足跡を掘り起こして、その人を生かすこと。歴史を調べていると、向こうから飛び込んでくるんです。人知れず亡くなった人とかが、描いてほしいとメッセージを送っているのかもしれない」
「扇島歳時記」のノートの1ページ。絵や演出のうまさに定評があるが、本人は「取材してシナリオをつくる作業が好き。絵を描くのは2番目」と言う
次回作の構想を楽しそうに話す姿を見ていると、描けない時期があったとは思えない。「描けないことは苦しかったですか」と聞くと、少し考えて、「待たせていることがしんどかったですね」と答えた。カステルマン社が「描き下ろしで」と依頼してくれた中編は、描き上げるのに5年かかった。
どの時代を描いていても、高浜の作品には「いま」がにじむ。『愛人 ラマン』で描かれた少女の絶望は「いまもあまり変わらないと思う」と言う。
「20年前よりも状況が悪くなっているかもしれません。どこか依存症みたいな子がたくさんいますよね。ツイッターを見ていると、いろんな人の不安定な情緒がぽんぽんぽんぽん目に入ってくる」
ただ、そこで感受するつらさや病みを、そのまま作品にしようとは思わない。
「そういうのを描けばいまの人たちの共感を得られるのかもしれないけれども、私はそれが必ずしも良いことだとは思わないんです。それより、過去に生きていた人たちがどういうふうに健康的な暮らしをしていたかとか、どういう考え方をしていたかとか、そういうことを描いたほうが、読んでくれた人が本当の意味で前向きになれるんじゃないかと思っています」
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【アンケート企画】 「2017年の3本」
WLでは読者のみなさんから2017年に見た舞台作品の中で印象に残った3本を、その理由などを書いたコメントとあわせて募るアンケートを実施しました。WLスタート以来毎年行っているこの企画、3回目の今回は20名の方にご参加いただきました。掲載は到着順です。
雨宮 縁(会社員) ・劇団四季『ノートルダムの鐘』(四季劇場〔秋〕) ・ホリプロ『パレード』(東京芸術劇場 プレイハウス) ・ホリプロ『ファインディング・ネバーランド』(東急シアターオーブ ) 『ノートルダムの鐘』は何が悪なのか? 怪物は誰なのか? 人間の業と差別について圧倒的なクワイアの歌声で問われる秀逸な作品。 ミュージカル『パレード』はストレートプレイを見ているようなミュージカル。アメリカ南部で起こった実話の冤罪事件をミュージカル化した異色作。ある少女殺人事件をきっかけに人種差別や成功者への妬みなどから警察やマスコミ、政治家様々な立場の人達により���人に仕立て上げられていく恐ろしさ。これが物語ではなく実話であるというさらなる恐ろしさに声が出ない程の衝撃だった。実力者ぞろいの出演者達で見応え満点だった。 ブロードウェイミュージカル『ファインディング・ネバーランド』は来日公演。ミュージカルらしい作品。イマジネーションの世界は自由だと夢のあるミュージカル。窮屈な現実から解き放される感動作で前向きな気持ちにしてくれます。(年間観劇本数:24本)
小田島 創志(大学院生・非常勤講師) ・KAAT『オーランド―』(KAAT神奈川芸術劇場) ・やみ・あがりシアター『すずめのなみだだん!』(小劇場てあとるらぽう) ・地人会新社『豚小屋』(新国立劇場 小劇場) 1.KAAT『オーランド―』…ジェンダー、言葉の意味、文化慣習、時代精神などの脱自然化を、舞台上で緻密に表現。観客の想像力を喚起する役者さんの演技も白井さんの演出も圧巻。「男である」「女である」のではなく、「男になる」「女になる」というボーヴォワール的な価値観を、演劇的にスタイリッシュに表現していて素晴らしかった。 2.やみ・あがりシアター『すずめのなみだだん!』…個人と社会、個人と宗教の関係性を、コミカルかつ丁寧な言葉を紡いで描いた意欲作。テーマが複層的で、観客側の思考を誘う。 3.アソル・フガード『豚小屋』…個人よりも集団が過剰に優先され、個人の犠牲の上に集団が成り立つ状況下で、戦争に駆り立てられる庶民の「受難」を、北村有起哉さんと田畑智子さんの壮絶な演技で伝えていた。(年間観劇本数:53本)
豊川 涼太(学生) ・ロロ『父母姉僕弟君』(シアターサンモール) ・木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談 通し上演』(あうるすぽっと) ・ままごと『わたしの星』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) 今年の3本を選んでみると、全てが再演(初演はどれも観ていない)だった。 特にロロ『父母姉僕弟君』はキティエンターテイメントプロデュースで、より大きなサイズで大きなスケールで上演できていた。 他の方々も語るように、再演賞を設ける等、演劇界全体で再演文化の定着に力を入れて欲しい。(年間観劇本数:50本程度)
なかむら なおき(観光客) ・月刊「根本宗子」『スーパーストライク』(ザ・スズナリ) ・劇団四季 『ノートルダムの鐘』(四季劇場〔秋〕) ・こまつ座『イヌの仇討』(紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA) 『スーパーストライク』は良し悪しの前にもっとも欲していることが届く作品だったので。『ノートルダムの鐘』はあえて出来事だけを表現して観客に判断を任せているのが面白かった。そして『イヌの仇討』は忠臣蔵を下敷きに目に見えない得体の知れない大きな力を描いていて続々としたなぁと。あ、これらは趣味です。 で、上演された作品を見ると、今の世の中に応答するような作品が多いように思うのです。そして小劇場界隈で育ってきた演出家が大劇場の演出を務めるようになってきているように思うのです。また少し変わったかなぁと思うのです。(年間観劇本数:100本ぐらいですかね)
北村 紗衣(研究者) ・ケネス・ブラナー演出、トム・ヒドルストン主演『ハムレッ��』(RADA) ・カクシンハン『マクベス』(東京芸術劇場 シアターウエスト) ・モチロンプロデュース『クラウドナイン』(東京芸術劇場 シアターイースト) 今年は『ハムレット』を6本見て、アンドルー・スコット主演版や川崎ラゾーナ版なども良かったのですが、ヒドルストンの『ハムレット』が一番好みでした。ハムレット以外の若者役を全員女性にするキャスティングが効いていました。カクシンハンの『マクベス』はまるでゴミみたいなセットでしたが、内容はゴミとはほど遠いエネルギッシュなものでした。『クラウドナイン』は大変面白かったのですが、あまりよく考えずに「レズ」とか「少年愛」などという言葉を使っているマーケティングは大変残念でした。 (年間観劇本数:121本)
町田 博治(会社役員) ・青☆組『グランパと赤い塔』(吉祥寺シアター) ・小松台東『山笑う』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・ SPAC『アンティゴネ ~時を超える送り火~』(駿府城公演特設会場) 『グランパと赤い塔』 吉田小夏が人の綾なす思いを紡ぎ、丁寧に織り上げられる。 背筋が伸び厚みと洒脱さを合わせ持つ老紳士を佐藤滋が見事に演じ、福寿奈央の初老の妻も見事。二人が作品に一本の筋を通す。 裏の主役とでも言うべき女中役を大西玲子が、目線、ことば、仕草、身体で見事に演じていた。役者が皆素晴らしい。 『山笑う』 兄と妹、地方と都会、肉親ゆえの諍い。 静かに光る小さな宝石の様な作品。 松本哲也の演出がシリアスさと笑いをバランスさせ絶妙。厚みのある演技、役者達のバランスも絶妙。 『アンティゴネ』 冒頭女優石井萠水がミニ・アンティゴネを演じ客を引き込む。 舞台は一面水。灯篭が浮かび明かりが揺れる。あの世と現世の境としての水、水上で舞台が静かに進む。背後に投射された動きが影となり、台詞、歌唱が絡み、幻想的。 「弔い」にこだわるアンティゴネ、最後、円く連なってゆく静かな盆踊りが弔いを暗示胸���締め付ける。(年間観劇本数:299本)
文月 路実(派遣社員・フリーライター) ・ゴキブリコンビナート『法悦肉按摩』(都内某公園) ・NODA・MAP『足跡姫』(東京芸術劇場プレイハウス) ・ 範宙遊泳『その夜と友達』(STスポット) 「五感を総動員する」と謳っていたゴキコンの本公演は、まさにその通りの悪夢だった。入り口で目隠しされ、何が何やらまったくわからない状態で味わう地獄。四方八方から泥水や血糊や汚物や虫が飛んでくる。突然役者が飛び出してきて身体の上に載る。内容はいつも通りのひどい話だ。テント内はかなり暑く、なにやら異臭がすごい。終わったときには頭に虫がとまり、レインコートは泥や血糊でぐしょぐしょ、汗で眉毛が半分消えておったとさ。そんなに過酷だったのにもかかわらず爽快感を覚えたのは不思議。普段使わない感覚を刺激されたからか。これこそが演劇の力なのでは。『足跡姫』は勘三郎へのオマージュ。ここ数年の野田作品のなかで一番ストレートに「想い」が伝わってきて、純粋に美しいと思った。『その夜と友達』は、生きづらさを抱えた「夜」というキャラクターが個人的に刺さった。「しんどさ」を知ってしまった人間にも希望はあるのだと信じたい。(年間観劇本数:42本)
永田 晶子(会社員) ・努力クラブのやりたくなったのでやります公演『フォーエバーヤング』(人間座スタジオ) ・燐光群『湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)』(ザ・スズナリ) ・dracom Rough Play 『ぶらんこ』(OPA_Lab) 上演日順です。 ・説明が削られ、描くべきことだけ残った合田団地氏の劇作は、努力クラブの魅力のひとつです。同世代の俳優による静かな演技で、人生における中途半端な時間の儚さをより楽しめました。 ・燐光群の公演で、劇場という閉ざされた空間が持つ危うさを確かめました。戯曲に負けない強い演技と、暗闇にわずかな光を感じるラストシーンが印象的でした。失われた街に思いを馳せる機会にもなりました。 ・既存戯曲を本読み一回・稽古一回で上演するラフプレイを観て、演劇は一度きりの瞬間に在ると思いました。会場全体に広がる「わかりあえなさ」に、戸惑いつつも笑いました。戯曲を忠実に辿ろうとするデッサンのような行為は、dracom の新作での慎重な表現にも繋がっていたと思います。(年間観劇本数:100本くらい)
青木 克敏(地方公務員) ・SPAC『アンティゴネ〜時を超える送り火〜』(駿府城公演特設会場) ・ロシア国立サンクトペテルブルク マールイ・ドラマ劇場『たくらみと恋』(世田谷パブリックシアター) ・NAPPOS PRODUCE『SKIP〜スキップ』(サンシャイン劇場) あまりぱっとしない演劇状況に思えました。その中で、SPACの宮城聰さんの取り組みは素晴らしいものに感じています。アンティゴネは構成がしっかりとしていて分かりやすいかったですが、私の価値観を揺るがしてくれるほどの感動を、与えてくれました。たくらみと恋では、俳優陣をはじめとして芸術レベルの高さを見せつけられました。そして、スキップ。なんだかんだ言っても、キャラメルボックスは、夢と希望をいつだって分かち合おうと走り続ける劇団です。(年間観劇本数:32本)
矢野 靖人(一般社団法人shelf代表理事・芸術監督) ・WORLD STAGE DESIGN『The Malady of Death』(台北国立芸術大学) ・HEADZ『を待ちながら』(こまばアゴラ劇場) ・SCOTサマーシーズン2017『サド侯爵夫人 第二幕』(新利賀山房) The Malady of Death”はバンコクの盟友、僕がいちばん信頼している僕自身のプロデューサー的存在でもあるリオンが演出する作品とあってわざわざそれを観るためだけに台湾まで行った作品。そういうことが出来る/したいと思える仲間がいることに感謝。今年いちばん記憶に残っている。デュラス晩年の最後の恋人は実はゲイで、しかし献身的にデュラスを愛し、デュラスに尽くしたという。美しく儚い作品だった。鈴木忠志「サド侯爵夫人 第二幕」はこの超絶技巧のこのアーティフィシャル(人工的)な日本語台詞をねじ伏せた俳優陣に快哉。久しぶりに劇場で観劇した飴屋法水さんの「を待ちながら」はこちらが思っていた以上に泣けるほどに清々しくベケットで。選外に1作品、APAFワン・チョン氏演出の「Kiss Kiss Bang Bang2.0」を。ノンバーバル且つインターナショナルな演劇の新たな可能性を垣間見せてくれた。(年間観劇本数:43本)
野呂 瑠美子(一観客) ・劇団昴ザ・サードステージ『幻の国』(サイスタジオ大山第1) ・劇団チョコレートケーキ『熱狂』(シアターウェスト) ・文学座創立80周年記念公演『中橋公館』(紀伊国屋ホール) どの時代をどういう切り口で、どのように選ぶかは作者の意識と力量による。劇団チョコレートケーキの古川健さんは、大きな歴史の流れを巧妙に切り取り、多大な資料を元に、新たに肉付けをして、その時代がどんなであったか��観客に見せてくれる。『幻の国』『熱狂』ともに、3時間ほどの舞台からは、困難な時代に置かれた人々の思いと息遣いが伝わってくるようであった。文学座の真船豊の『中橋公館』も、殆ど知られることがなかった、外地・北京で敗戦を迎えた日本人の様子をよく伝えていて、感心した。どの作品も、過ぎ去った時代を描きながら、実は現代をきちんと映し出している秀作揃いで、感動とともに、印象深い作品となった。最近あまり見なくなった歌舞伎だが、今年は仁左衛門の『千本桜』がかかり、おそらく彼の一世一代の知盛であろうと思われて、拝見した。人生は速い。(年間観劇本数:80本)
片山 幹生(WLスタッフ) ・SPAC『病は気から』 (静岡芸術劇場) ・ゴキブリコンビナート『法悦肉按摩』 ・平原演劇祭2017第4部 文芸案内朗読会演劇前夜&うどん会 「や喪めぐらし」(堀江敏幸「めぐらし屋」より) ノゾエ征爾翻案・演出のSPAC『病は気から』は17世紀フランス古典主義を代表するモリエールの喜劇の現代日本での上演可能性を切り拓く優れた舞台だった。ゴキコンはいつも期待を上回る斬新で過激な仕掛けで観客を楽しませてくれる。高野竜の平原演劇祭は昨年第6部まで行われ、いずれも既存の演劇の枠組みを逸脱する自由で独創的なスペクタクルだったが、その中でも文庫版200頁の小説を4人の女優がひたすら読むという第4部の企画の体験がとりわけ印象的だった。食事として供された変わったつけ汁でのうどんもおいしかった。(年間観劇本数:120本)
kiki(勤め人) ・日本のラジオ『カーテン』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・あやめ十八番『三英花 煙夕空』(平櫛田中邸/シアトリカル應典院) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) カーテン:この一年で拝見できた日本のラジオの作品はどれも面白かったが、結局一番好みにあったのがコレ。劇場の使い方や題材の面白さに加えて、奥行きのある人物描写で15人のキャストの魅力が充分に生きた。 三英花 煙夕空:あやめ十八番初の二都市公演で、東京と大阪の会場がどちらも物語によく似合いつつ印象はガラリと変わって面白かった。音の響きや照明も変わり、キャストも変わって、東京公演では濃密な仄暗さが、大阪公演ではエッジの効いた明暗がそれぞれ印象に残った。 アンネの日:風琴工房の題材への取り組み方にはいつも心惹かれるが、観る前には地味だろうと思っていたこの作品がこの一年で最もツボにハマった。描かれた人々の誠実さと強さ、それを演じるキャスト陣の説得力が魅力的だった。(年間観劇本数:155本)
りいちろ(会社員) ・第27班 キャビネット公演B『おやすみ また明日 愛してるよ』(シアター���ラクル) ・コマイぬ『ラッツォクの灯』(石巻 GALVANIZE gallery) ・アマヤドリ『青いポスト』(花まる学習会 王子小劇場) 2017年も足を運ぶ先々に多彩な舞台の力がありましたが、中でも常ならぬ舞台の密度や呼吸を感じた3作品を。 この一年、くによし組や劇団ヤリナゲ、劇団普通、KAZAKAMI、遠吠え、キュイなど若い作り手たちの作品にも心惹かれつつ、てがみ座『風紋』、風琴工房『アンネの日』、青組『グランパと赤い塔』、うさぎストライプ『ゴールデンバット』、ワワフラミンゴ『脳みそあるいてる』など実績のある作り手の更なる進化を感じる作品も数多く観ることができました。FunIQの5人の作演での連続上演の試み,ロロの「いつ高シリーズ」やシンクロ少女の『オーラルメソッド4』のように過去作品と新作を合わせて上演することも作品の世界観を再認識させ作り手の進化を感じさせる良いやり方だったと思います。またあやめ十八番や水素74%などの歴史建造物での上演にも、スイッチ総研の諸公演やガレキの太鼓ののぞき見公演などの企みにも捉われました。(年間観劇本数:315本)
矢作 勝義(穂の国とよはし芸術劇場 芸術文化プロデューサー) ・ イキウメ『天の敵』(東京芸術劇場 シアターイースト) ・TBSテレビ『俺節』(TBS赤坂ACTシアター) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) 『天の敵』は、戯曲・演出・美術・俳優など全てのピースが寸分の狂いもなく組み合わされた、これまで観たイキウメ作品の中で一番素晴らしい舞台でした。 『俺節』は、主演の安田章大の歌・芝居ともに素晴らしく、回りを固める小劇場系の俳優も一丸となり、見事に劇世界を支えていました。何と言っても、脚本・演出の福原充則の仕事ぶりが充実していました。 風琴工房の詩森ろばさんは、2017年の1年間で多数の作品を生み出していましたが、なかでも『アンネの日』は、教養エンターテイメントと名付けたいと思います。事実の羅列や解説にとどまらず、それをエンターテイメントに昇華しながらも、一つの物語として創り上げられたとても素敵なものでした。 番外として、自身の劇場制作の、青木豪作、稲葉賀恵演出の「高校生と創る演劇『ガンボ』」と桑原裕子作・演出の穂の国とよはし芸術劇場プロデュース『荒れ野』を上げておきたいと思います。(年間観劇本数:132本)
須川 渡(研究者) ・ dracom『空腹者の弁』(ウイングフィールド) ・山下残『無門館の水は二度流せ 詰まらぬ』(アトリエ劇研) ・アイホールがつくる「伊丹の物語」プロジェクト『さよなら家族』(AI・HALL) 今年も関西で多くの作品を観ました。劇場の閉館はたびたび議論になりますが、dracomと山下残はこの問いかけに作品という形で��答していました。dracomはウイングフィールドという場所で演劇を続けること、山下残はアトリエ劇研がなくなることの意味を、どちらも非常に挑戦的な方法で示していました。『さよなら家族』は、伊丹という場所と時間をかけて丁寧に向き合った秀作です。スタイルは様々ですが、観客である私も、同じ場所にとどまって演劇を観続けるとはどういうことかに思いを巡らせた1年でした。 (年間観劇本数:133本)
かいらくえんなつき(演劇ウォッチャー) ・ロロ いつ高シリーズvol.4『いちごオレ飲みながらアイツのうわさ話した』(こまばアゴラ劇場) ・悪魔のしるし『蟹と歩く』(倉敷市立美術館 講堂) ・範宙遊泳『その夜と友達』(STスポット) 2017年も前半は大阪にいたので、関東近辺の演劇はそこまで多くは観ていません。とはいえ、ここにどうしても挙げたいと思う関西の作品に出会えなかったのは、残念。 選んだのは今後ずっと忘れないだろうなと思う観劇体験だったものです。 この他に挙げられなかったのは、FTで上演された『忉利天(とうりてん)』 (構成・演出・美術:チェン・ティエンジュオ)。 これだけをみていうのもと思いますが、それでもいいたくなるぐらい、中国の勢いを感じさせられ、それと裏返しの日本の閉塞感を感じました。 2017年は(も?)色々と区切りとなる出来事の多かった1年だったような気がしています。 毎年同じようなことを書いている気がしますが、2018年はもっともっと新しい刺激的な作品に出会いたい!!(年間観劇本数:おそらく150本くらい)
薙野 信喜(無職) ・ Schauspiel Leipzig『89/90』(Berliner Festspiele) ・Akram Khan Company「Until the Lion」(Main Hall, ARKO Arts Theater) ・日本総合悲劇協会『業音』(西鉄ホール) 2017年は、海外で観た20数本の作品の印象が強い。パリで観たオペラ・バスティーユ『ラ・ボエーム』、オデオン座『三人姉妹』、コメディ・フランセーズ『テンペスト』、ベルリンドイツ劇場『フェードル』『しあわせな日々』、ソウルで観た Yulhyul Arts Group『Defeat the ROBOT 3』、明洞芸術劇場『メディア』の印象が強烈だった。
九州に来演した作品では、ヨーロッパ企画『出てこようとしてるトロンプルイユ』、サードステージ『舞台版ドラえもん のび太とアニマル惑星』、イキウメ『散歩する侵略者』、トラッシュマスターズ『たわけ者の血潮』 などが楽しめた。 九州の劇団では、劇団きらら『プープーソング』、そめごころ『ちずとあゆむ』、転回社『夏の夜の夢』 がおもしろかった。(年間観劇本数:156本)
でんない いっこう(自由人) ・東京芸術劇場『リチャード三世』(東京芸術劇場 プレイハウス) ・新国立劇場『プライムたちの夜』(新国立劇場小劇場) ・文学座『鳩に水をやる』(文学座アトリエ) 1.リチャード三世の人格形成に身体の障害を前面に出さなかったし、最期の苦しみを、脳内の様子が突然飛び出し襲い掛かるような映像と音響で訴えたプルカレーテ演出の意外性が惹きつける。 2.人は何に向って本心を言えるのか、自身の老後は応答するロボットを考えていたが、人型のAI・スライムなら2062年でなくとも頷けてしまう身近な物語であった。人を失した悲しみ、本来わかりえない存在、一個の人間。 3.童話作家だった男、今は認知症の鳩に水をやる男。誰にわかると言うのだ、その内面の心理が。過去を生きている男に通じる回路を持たない今を生きてる者達。次点は若い俳優、演出家の成長が嬉しい『その夜と友達』『ダニーと紺碧の海』『ナイン』気になる劇作・演出家で楽しかった『ベター・ハーフ』大野一雄に惹かれ、その時代の映像が見たくて、疑念を持ちながら観たのに何故か後半引き込まれてしまった『川口隆夫「大野一雄について」』等がある。(年間観劇本数:27本)
小泉 うめ(観劇人・WLスタッフ) ・点の階『・・・』(京都芸術センター 講堂) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・神里雄大/岡崎藝術座『バルパライソの長い坂をくだる話』(京都芸術センター 講堂) 前半は人生最高ペースの観劇本数だったが、後半は落ち着いて、おしなべてみれば例年並みの本数になった。そのため見逃したと思っている作品も多い。演劇が演劇であるが故の悔やみである。 『・・・』 ファンタジーという言葉だけでは済まされない不思議な観劇体験となった。窓の外の雪や隙間から入ってくる冷たい空気までもが演劇だった。 『アンネの日』 詩森の戯曲はいつも緻密な取材力とそこからの跳躍力に支えられているが、この戯曲からは一人の女性として、ひいては一人の人間としての彼女の姿が明瞭にうかがえ、彼女の代表作となるだろう。 『バルパライソの長い坂をくだる話』 神里のターニングポイントと言える。再び上演される機会もあるだろうが、あの場所であの役者陣でのスペイン語上演は、当然のことながら二度とないものを観たという印象が強い。 西日本での観劇も例年よりは少なかったが、結局KACで上演された2本を選んでいるあたりも私らしいところか。(年間観劇本数:355本)
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ひとみに映る影 第二話「スリスリマスリ」
☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 段落とか誤字とか色々とグッチャグチャなのでご了承下さい。 書籍版では戦闘シーンとかゴア��ーンとかマシマシで挿絵も書いたから買ってえええぇぇ!!! →→→☆ここから買おう☆←←← (あらすじ) 私は紅一美。影を操る不思議な力を持った、ちょっと霊感の強いファッションモデルだ。 ある事件で殺された人の霊を探していたら……犯人と私の過去が繋がっていた!? 暗躍する謎の怪異、明らかになっていく真実、失われた記憶。 このままでは地獄の怨霊達が世界に放たれてしまう! 命を弄ぶ邪道を倒すため、いま憤怒の炎が覚醒する!
(※全部内容は一緒です。) pixiv版
◆◆◆
「いつも通り一美ちゃんの人権を無視して拉致が敢行されんとしていた、その時! 我らが極悪非道ロリータの志多田佳奈(しただかな)ちゃんは、ひょんな事から英雄物流(ヒーロジスティクス)密売事件の重要人物、石油王こと平良鴨譲司(へらがもじょうじ)氏と再会する! かくして始まった「したたび」放送開始以来異例のインタビューはまァだまだ続く! それではまた来週~!」
譲司さんをテレビ湘南(しょうなん)のクルーに連れていかれて、私はオリベさんと、彼女が連れてきた高校生ぐらいの女の子を乗せたミニバンを運転し、先に熱海町に向かう事にした。
大人になって東京でファッションモデルをしていた私は、たまたまオーディションに受かったヒーローショーイベントの仕事でアイドルの志多田佳奈さんと出会い、 それ以来彼女の冠番組「ドッキリ旅バラエティしたたび」に、ドッキリ企画と称していつもノーアポで連れ回されている。 テレビ出演が増えたのは嬉しいけど、最近の私にはまるでプライベートがない。 テレビ局は何故か事務所とグルで私のスケジュールを完全に把握しているし、いざ連れていかれると、 原付で一都六県を一周させられたり、ドーバー海峡をスワンボートで横断させられたり、ともかく割に合わない過酷なロケに付き合わされる。 なので今回あの番組の矛先が譲司さんに向いたのをいい事に、私達はこれ幸いと先に行かせて頂く事にしたのだった。
撮影が一段落つくだろう時間を見計らい、矢板(やいた)のサービスエリアで一旦休憩する。 オリベさんが譲司さんに「終わったら新幹線で来てね」とメールを入れている間、私は後部座席で背中を丸めて��る女の子を見た。 パステルピンクのドルマンスウェットと同色のシュシュ、真っ赤なバルーンスカート。典型的なオルチャンファッションだ。
<さすがファッションモデル、よくわかったわね。その子は韓国人よ>
隣のオリベさんが目で語ってくる。 医療機器エンジニアのオリベ・ヒメノさんは、子供の頃に脳神経をやられて声を失ってしまったユダヤ人の女性だ。 でもその代わりに、脳から直接テレパシーを送受信する力を持っている。だから日本語が喋れなくても会話できる。
今回熱海町に行くメンバーは全員、NICという脳神経科学研究機関の関係者で、その中でも脳の異常発達や霊能力によって特殊な力を使える人達だ。 数時間前に連れていかれた譲司さんも、肺に取りこんだ空気の成分や気圧差で色んな事を読み取るダウジングや、物に触って過去を読むサイコメトリーといった「特殊脳力」を持っている。 だから多分、この子も「特殊脳力者」なのだろう。 顔色が良くないので、休憩所に連れていく事にした。
「Sorry for the late introduction, because I was driving. I’m Hitomi. And how can I call you?」 (運転中に自己紹介できなくてごめんね。 私は一美です。あなたのお名前は?)
涼しい外のベンチに並んで座り、私はとりあえず英語で話しかける。 先述の「したたび」で度々海外ロケにも連れていかれるせいで、ある程度英語が話せるようになっていたのは不幸中の幸いというか、怪我の功名というか。 でも女の子は俯き加減のまま私を見上げて、消え入りそうな声で「日本語でいいヨ」と言った。
「私パク・イナです。日本語の方がいい。 ヒトミさんテレビの韓国で見てた知ってるます。会えたの嬉しいヨ」 イナちゃんと名乗った女の子は、少しカタコトだけど聞き取りやすい日本語でスラスラと答えた。 でも、「会えたの嬉しい」と言う割にはまだ元気がないように見える。 「酔っちゃった?できるだけ安全運転したけど、ごめんね…」 背中をさすろうと思って彼女に触れると、小刻みに震えていた。
「スリスリマスリ…スリスリマスリ…」 よく耳をすますと、イナちゃんは両手を強く握りしめてなにか呟いている。 意味はわからないけ���、韓国語か…
その時、ふと目線を上げると、ベンチの周りに数匹のカラスが集まっていた。いや、カラスだけじゃない。 「ニャーン…」背後から猫の鳴き声。 振り向くとそこには、おびただしい数の動物霊、交通事故死した人間の浮遊霊、魂未満の小さな鬼���、生きた野良猫、蟻やゴキブリ、目の焦点の合っていない小さい子供… 自我の弱い生き物や魂達が、私達の半径2m外を取り囲んでいた。
「ひっ…」恐怖で声が出そうになるのをこらえる。 動物霊はこちらが見えている事に気付くと襲ってくる事があるから、なるべく目を合わせないようにしなければいけない。 「スリスリマスリ…スリスリマスリ…」 イナちゃんが何と言っているかはわからないけど、その言葉のおかげで集まっているものたちがそれ以上近寄って来ない事を直感で理解する。しかし、
バサバサバサッ!!喫煙所の屋根から土鳩の群れが私達めがけて飛来し、イナちゃんは驚いて呟きを止めてしまった。 すかさず大量の霊魂と生物が私達に押し寄せる!
私はイナちゃんをかばいながら、足の裏の自分の影に意識を集中させた。 幸いその日はカンカン照りの快晴、光源は充分ある。 床に置いたワンピースを下から持ち上げて着るように、自分達の体を影で覆いながら、周囲の光の屈折を歪める。 私達を覆う影が濃くなるにつれて、その分行き場を失った光線が影の外縁で乱反射する。 その反射率がほぼ100%になると、私達の姿は彼らから全く見えなくなった。影法師の「影鏡(かげかがみ)」という術だ。
彼らは目標を見失って立ち止まった。しかし未だに私達を取り囲んだまま動かない。 私は第二の手に出る。影鏡の輪郭を半球状に広げながら屈折率を更に強めていく。 自分達の視界が完全な漆黒になるけど、その外側は電球のように光っているはずだ。 そのまま集めた光を360度放射する。 「ぎゃあああ!」幾つか叫び声が上がると同時に視界が戻ると、彼らは強烈な紫外線を浴びて散り散りに逃げていた。 「今のうちに戻るよ!」 私はイナちゃんの肩を押して車へ駆け戻った…。
◆◆◆
<さすがね、ミス・ヒトミ!イナをあなたに任せた甲斐があったわ> 運転を交代してくれたオリベさんが、まるでヒーローショーでも見ていたかのように呑気に言う。 イナちゃんは極度の「引き寄せ体質」で、特に精神的に緊張したりストレスを感じてしまうと何でもかんでも引き寄せてしまうらしい。 韓国で色んなお寺や教会、霊能者を頼ってもどうにもならず、ご両親がダメもとで病院に連れて行ったら、NIC会員の医師に研究対象として保護された。 そして来週からインドネシアにある脳力者児童専門の養護施設、「キッズルームバリ島院」にて、体質をコントロール出来るようになるまで住みこみでリハビリする事になったという。
<イナのギャザリング体質は今回のミッションに適しているわ。 ジョージも丁度来週から���リ島院の養護教諭になるし、日本で待ち合わせて一緒に出発しましょうって話になったの。 この子がタルパの聖域フクシマに行くと思うと…とってもワクワクするわね!>オリベさんが意地悪に笑う。 「いやいやいや、本人はとってもビクビクしてるんですけど!?福島の心霊スポット系は本当にヤバいんですよ!! ていうか肝心の譲司さんが別行動ですし!」 <平気平気!あなたが付いているもの。 それにインドネシアの悪霊は韓国や日本のよりも刺激が強いから、少しぐらい鍛えておかなきゃでしょ>
確かにオリベさんの言う通りではあるけど、当のイナちゃんはあれからずっと私の腕にしがみついている。 (オリベさんに運転を変わってもらったのはこのためだ。) ちなみに刺激が強いというのは、物理的に交通事故などの事故死亡率が多い国は当然幽霊もスプラッターな姿の方が多いという事だ。 私も「したたび」でインドネシアに行ったことがあるけど、実際バイク大国で信号が少なかったし、 観光客がバシャバシャ写真を撮っている公園で白昼堂々首なしの野良犬の霊がうろついていたのも確かだ。
「イナちゃん大丈夫だよ。福島は色んな姿をした人工の魂が多いから、幽霊さん達も死んだ時のままじゃなくて、 おしゃれに自分の好きな姿にしてる方が多いんだ。 ゾンビみたいな人はめったにいないから、安心して。 そうだ…おしゃれといえば、渋谷とか原宿には行ったことある?」
私が「渋谷とか原宿」と言った瞬間、曇っていたイナちゃんの目がキラリと輝いた。 「シブヤ、ハラジュク!」 やっぱり。オルチャンガールだから反応すると思った。
「かわいい物は好き?」 「かわいい」という単語を聞いて、イナちゃんの表情が更に明るくなる。 「うん!日本のかわいい好き!! 大人になったらアイドルになりたいです。だから日本語勉強してるだヨ! 「したたび」のカナちゃんは一番好き日本のアイドル!」 一気に饒舌になって力説し、一瞬はっとして「でもヒトミちゃんも同時な好きヨ!」と小さくフォローを入れてくれた。 いつの間にか「ヒトミさん」が「ヒトミちゃん」になっていたのが、ちょっと嬉しかった。 「じゃあ無事にこの旅が終わったら、一緒に渋谷と原宿でお買い物しようね」
その後の車内は、熱海町に着くまでさながら女子会のようにずっと盛り上がっていた。 それぞれの国にあるかわいい物、悪い霊から身を守る色んなおまじない、 最近流行っているコーデ、スイーツ、 それに三児のママであるオリベちゃんの子育て苦労話も。 気がつくと私達全員が全員をちゃん付けで呼び合うようになっていた。 この旅の本来の目的については、誰一人触れようとしなかった。
◆◆◆
「磐梯熱海温泉(ばんだいあたみおんせん) 右折」という三角のモニュメントを確認して、熱海町に入ったのを実感する。 ここは東北新幹線の停まる郡山(こおりやま)駅からも近い温泉街だ。 都心の���光地に比べると小さい町だけど、町内には温泉やスポーツ施設、無料で入れる足湯などがあり、県内外の人々に愛されている。 駅から安達太良山(あだたらやま)の方向に登っていくと石筵だ。 私や玲蘭ちゃんが修行していた霊山や、その更に奥には牛の乳搾りやバーベキューを楽しめるふれあい牧場がある。 残念ながら今回は遊びに来たんじゃないけど、目的が早く済んだら観光案内をする約束だ。
貸し切り民宿に大きな荷物と車を置いて、ようやく私達は本題に入った。
<イナちゃん。NIC会員の規定は知っているわよね?> オリベちゃんが真剣な目でイナちゃんを見据える。 イナちゃんは緊張した声で答えた。 「はい。ひとつ、自分のセレキック・アビリティ(超脳力)、人を助けるに使うこと。 ふたつ、私は医療発展に大事な人だから、自分とアビリティ一番大事なすること。 みつ…犯罪するセレキックいたら、積極的原因究明すること」
イナちゃんが私にも伝わるように日本語で言ってくれたNIC会員規定は、私も会員登録の時に一読した事がある。 NICは医師団の組織でありつつ、警察と協力して超脳力者が関与する事件の捜査をする義務もある。 そういった事件には、一般的な事件捜査では処理できない超常的な現象や証拠があるからだ。
<その通りよ。あなたにはこれから、その引き寄せ体質でとある行方不明の脳力者捜索を手伝ってもらうわ。 但しもちろん、いつだってあなた自身の身の安全が最優先よ> 「…はい、覚悟準備終わてます」 気丈に答えるイナちゃんだけど、まだその表情は固く、私はサービスエリアでの不安そうな彼女を思い出した。 ひょっとしたらこの件はイナちゃんにとって、自分のコンプレックスである体質が、初めて人のために役立つ機会なのかもしれない。 それに「犯罪捜査」なんて言われると、なにか恐ろしい事に関わるんじゃないか…というイメージもあると思う。 そう考えると緊張するのもわかる気がした。 でも、オリベちゃんは優しく微笑み、鞄から小ぶりな米袋ほどの大きさの何かを取り出した。
<唯一の手がかりは…これよ> それは人形だった。色褪せた赤青の布を雑に縫い合わせて作られたものだ。 手足がなく、顔も左右ちぐはぐな目をしたブリキのお面で、背中側にはネジや釘が飛び出した機械がついている。 人形を手渡されたイナちゃんが不思議そうに機械のハンドルを上下すると、それに連動してお面の顎もカコカコと上下する。 まるでゴミ捨て場のガラクタで作った獅子舞のようだ。
<その人形には昔、ジャックというタルパが宿っていた。彼は私やジョージの幼馴染だったの。 でもジャックの魂は日本で行方不明になってしまっていて、これから私達は彼を探しに行くのよ> 「たるぱ?」 「人工妖精、人が作った魂のことだよ」 首を傾げるイナちゃんに私が補足した。 この熱海町や石筵、県外からの修行者も訪れる魂作りの聖地なら、ジャック君が見つかるかもしれない。 オリベちゃんはそう考えて私に案内を依頼したのだった。
<地味な依頼で拍子抜けしたかしら?>オリベちゃんが人形の金具を弄びながら言う。 「そ…そんなことないヨ!お友達探す頑張ります!」 <ありがとう、心強いわ!じゃあヒトミちゃん、案内をお願い> 「はい。まずは、この辺りの神様であるお不動様と萩姫様のお寺に挨拶に行きます。 萩姫様は影法師のお姿をお持ちで話が出来るから、ジャック君について聞いてみましょう」
◆◆◆
温泉街から見て駅の反対側へ抜けると、萩姫様の伝説に縁のある五百川(ごひゃくがわ)があり、萩姫様がお住まいの大峯不動尊はその先の小高い丘の上に建っている。 私は同伴者二人をそこに案内し、鈴を振り鳴らしてから真言を唱えた。 すると屋根の下の日陰が一箇所に集まっていき、大きな市女笠を被った女性のシルエットになった。この方が萩姫様だ。 その影の御姿はよく目を凝らして見れば、細かい陰影によってお顔や着物の細部まで鮮やかに視認できる。
「ようこそいらっしゃいました、旅のお方よ…」 そう言いかけた萩姫様が笠の下から私達を見上げると、アルカイックな営業スマイルが驚きの表情に変わった。 「…あれ、ひーちゃん?」
「お久しぶりです、萩姫様!」 「なんだぁ、ひーちゃんならわざわざ真言で呼ばなくてもいいのに」 「親しき仲にも礼儀ありってやつですよ。それに、お客さんの手前だから格好つけたかったし」 私が同伴者2人に目配せすると、笠を脱いで足元の影に放り投げようとしていた萩姫様が慌ててそれを被り直し、再びアルカイックなキメ顔を繕った。 オリベちゃんがくすっと口角を上げ、<似てるのね、あなたとプリンセス・ハギって!>と私にテレパシーを送った。
私達は萩姫様に人形を見せ、事情を説明する。 「うーん…人形に見覚えはないな。その『じゃっく君』を作った人の名前はわかる?」 「はい。サミュエル・ミラーというアメリカ人です。 日本に帰化して、今は水家曽良(みずいえそら)と名乗っているそうです」 萩姫様は少し考えた後、 「…うん、やっぱり知らないな。何かわかったら連絡するね」人形をイナちゃんに押し返した。
「そうなんですね。じゃあ、私達は別の場所を当たってみます」 「ああ、その前に。その子を源泉神社に連れて行きなさい。 倶利伽羅龍王の祈祷を受けると良いでしょう」 「クリカラ…リューオー」 イナちゃんが不思議そうに首をかしげる。倶利伽羅龍王とは、燃え盛る龍の姿の不動明王の化身。 よく不動明王像が持っている、剣に巻きついた炎の龍…あれの事だ。 源泉神社にかつてリナに知恵を与えた龍神様がいるのは知っていたが、それが倶利伽羅龍王だったというのは初耳だ。 私達は萩姫様に改めて一礼し、源泉神社へと向かった。
源泉神社はケヤキの森遊歩道というハイキングコースの先にある。 五百川の裏山にあるこの遊歩道で、森林浴によって心身と魂を清めながら神社に向かうんだ。 直線距離の長さも然ることながら、山の高低差のせいで、これが意外ときつい。 私は二人がついてきているか確認するために振り向くと、オリベちゃんが何だか訝しげな顔をしているのに気がついた。
<あのプリンセス、何か隠してる気がするわ。今はまだ、わからないけどね> 私の視線に気付いたオリベちゃんが言う。 実は私もそんな気がしていた。けど、長いハイキングコースを引き返す気にもなれず、 私達は予定通り神社へ向かう事にした。
◆◆◆
丘を下ったところにその神社はあった。 入口では小さな龍を象った蛇口から飲用可能の源泉が垂れ流されている。この龍が魂として独立したのが例の倶利伽羅龍王だろうか。 どうやら龍神様は留守のようだったので、先に社に挨拶に向かうと、私はふと違和感を覚えた。
��「ヒトミちゃん?どしたの?」 「そういえば、ここ…稲荷神社だ」 「イナリ…スシ?」
「うんとね…。ここはオイナリ様っていう、作物の神様を祀る神社なの。 倶利伽羅龍王は仏様の化身だから、どうして神道の神様がいる神社に住んでるのかなって思って」 <それは宗教が違うって事?シュラインの中の神様に聞いてみればいいんじゃない?> 「それが…、ここのお稲荷様、霊魂として形成されていないんです。 社の中のご神体にこの地や神主様のエネルギーがこもっているけど、自我はお持ちじゃないみたいで…。 それも、ヘンですよね。どうして鳥居の外の龍神様だけ魂になってるんだろう」
すると、誰かが鳥居の外から私の疑問に答えた。 「ここはクリカラの数ある別荘の一つって事よ」 聞き覚えのある男性声に私は振り返った。いや、この声は、『彼女』のものだ…。
「リナ!」 いつの間にか、神社の入口に巨大な霊魂が立っていた。 私が中学生の時に生み出したタルパの宇宙人、リナだ。 リナはロングスカート状の下半身をフワリと浮かせ、社への階段を飛び登った。
「キャ!」驚いたイナちゃんが尻餅をつく。 「マッ失礼ね!人の顔見てキャ!だなんて」 「いやいや、初見は普通驚くでしょ。巨大宇宙人だよ?」 「それもそうね、ごめんあそばせ」 リナは乙女チックにくるんと回り、例の美男美女半々な人間の姿に変身した。
「この子はリナ、私が昔作ったタルパです。 リナ、彼女は韓国から来たイナちゃん、こっちの方はイスラエルのオリベちゃんだよ」 「あら、ワールドワイドで素敵なお友達じゃない。アンニョンハセヨ、シャローム! アタシは千貫森(せんがんもり)のフラットウッズモンスター。リナと呼んで頂戴。 一美がいつもお世話になってますわ」 <お会いできて光栄よ、ミス・リナ> 「初めまして、私はパク・イナだヨ!」 二人がリナと握手する。久しぶりに福島に帰省したとはいえ、日程的に彼女と再会できるとは思っていなかったから嬉しい。 宇宙人(を模した魂)であるリナは今、福島市でUFOの飛来地と噂される千貫森という森に住んでいるらしい。
「クリカラ…倶利伽羅龍王は、石川町(いしかわまち)で作られた紅水晶像の化身よ。 彫刻家が死んだときに本体の像と剥離して以来、福島中の温泉街のパワースポットに自分の守護結界を作ってフラフラ見回っているらしいわ。 要するに、根無し草のプー太郎ってやつね」 <あなた、神様をそんな風に言っていいの?> 「ああ…リナと龍神様は個人的な因縁が…」 「ちょっと待って」
ふいにリナが私を制止した。リナは表情をこわばらせて、イナちゃんの抱えるジャック君人形を見つめている。 「ねえ…アナタ、その人形を誰に貰ったの?」 「貰ったじゃないヨ、私達この人形のタルパ探すしてるなの。ジャックさんいいますこれのタルパ」イナちゃんが正直に答えた。 「これを作ったのがどんなオトコか、知ってるの?」 「エ…?」
嫌な予感がした。そういえば、オリベちゃんはまだ彼女に、ジャック君の創造者について一言も話していない。 たぶん…わざとだ。 「なによ。…まさかアナタ達、知っててこの子に黙ってるワケ!?」 <…時期を見て言おうとは思っていたわ。でも今はダメなの。だって、この子は…> 剣呑な雰囲気にイナちゃんが生唾を飲む。そんな彼女の不安感を感じ取ったのか、 神社の結界の外に良くないものが集まって来ているのを私は察知した。 私もすぐに全てを打ち明けるのには賛成しない。でも、
「今はダメですって?どういう神経してるの? 何も知らない子に…指名手配犯の連続殺人鬼が作った人形を持たせるなんて!」 リナはついに、パンドラの箱を開けてしまった。
「サツ…ジンキ…?」 イナちゃんが人形とリナを二度見する 「あ…あ…ヒッ!!!」イナちゃんはまるで今までゴキブリでも抱えていたかのように、人形をおぞましそうに地面に叩きつけた。 歪に組み立てられた金具がガシャンと大きな音をたて、どこかから外れたワッシャーが転がり落ちる。 同時に御神体に守られていた神社の結界にも綻びが生じたのか、 無数の霊魂や動物がイナちゃん目がけて吸い寄せられた!
「イナちゃん!すぐに社の中に入って…」私が言いかけた時には、イナちゃんは階段を駆け下りていた。 鳥居の外に出たらまずい!私とオリベちゃんは電撃的な反射神経で彼女を追う。
「アアアア!!オジマ!スリスリマスリ!!アイゴーーー!!!」 韓国語で叫びながら逃げ惑うイナちゃんの背後では、無数の魑魅魍魎が密集し、まるでイワシ群が集まって大きな魚に擬態するように巨大な影の塊になっていた。 <<ヒシャール・メァホール!>> オリベちゃんがテレパシーで吼える。 するうち魍魎群全体をブラックライト色の閃光が包みこみ、花火のように点滅して爆ぜた。サイコキネシスだ! 霊魂達はエクトプラズム���子に分解霧散(成仏)し、生き物達は失神して地面にパタパタと落下。 でもすかさず四方から次の魍魎群が押し寄せる!
「ちょっと一美あんた、あんたっ一美!なんなのよアレは!?」 私達の後を追ってリナが飛来する。 「あの子は超引き寄せ体質なの!しかも精神面にすごく影響しちゃうの!!」 「じゃあどうしてあんな人形を…ああもうっ、どきなさい!」
リナは再び宇宙人の姿になり、長い枯れ枝のような腕で大気中に漂う先程のエクトプラズム粒子を雑に吸収すると、そのエネルギーを一瞬にして空飛ぶ円盤型の幻影に錬成した。 円盤は第二魍魎群の上空に飛翔し、スポットライト状の光で霊魂達をアブダクションする! 「生きてるヤツらは無理!頼んだわよ!」
「<上等!>」私とオリベちゃんが同時に返事する。 オリベちゃんが再びサイコキネシスを放とうとしている間に、私は自分の影が周囲の木々に重なるように位置取る。 歩道沿いに長く連なった木陰に自分の影響力が行き渡ると、木陰は周囲の光を押し出すように中空へ伸びていった。影移しという技法だ。 「イナちゃん止まって!」私の声でイナちゃんが振り返る。 彼女は自分の周りを光と影のメロン格子状ドーム結界が守っている事に気がついて立ち止まった。 生き物達がギリギリまでイナちゃんに近付いた瞬間、オリベちゃんのサイコキネシスが発動! 結界で守られたイナちゃん以外の全ての生き物はその場で体を痙攣させて落下した。
<ふう、間一髪ね…>オリベちゃんが安堵のため息をつこうとした、その時だった。 「ビビーーーッ!!!」 けたたましく鳴るクラクションの方向を見ると、そこには暴走する軽トラックが! イナちゃんの引き寄せが車まで呼びこんでしまったのか?いいや、違う。 不幸にもそのトラックのハンドルを握っていたのが、夢うつつの寝ぼけた高齢者だったのだ。 「うわ…きゃあああ!?」 咄嗟に車を避けようとしたイナちゃんは足を滑らせ、橋のたもとから五百川に落水してしまった!
「イナちゃぁぁーーん!!!」 溺れるイナちゃんに追い討ちをかけるように、川の内外から第三の魍魎群がにじり寄る。 「助け…ゲホッ!助けて!!」 まずい。水中の相手には影も脳波もUFOも届かない。 万事休すか!?と絶望しかけた、その時だった。
「俺に体を貸せ!」 突然、川下から成人男性ほどの大きさの白い魚がイナちゃん目がけて川を登ってきた。 いや、よく見るとそれは、半魚人めいた姿の霊魂…タルパのようだ。 「ひっ、来ないで!スリスリマスリ!」イナちゃんは怯えて半魚人を拒絶するが、 「うるせぇ!!死にたくねえならとっとと俺に任せろ、ガキ!!」半魚人は橋の上の私達にも伝わるほどの剣幕で彼女の肩を掴んだ! その時、溺死者と思しき作業服姿の幽霊がイナちゃんの足首に纏わりつく。「アヤッ!」 イナちゃんは意を決して、半魚人に憑依を許した。
ドシュッ!!途端にイナちゃんの体がカジキマグロのように高速推進し、周囲の魍魎群を弾き飛ばす! イナちゃんに取り憑いた半魚人は、着衣水泳とは思えないしなやかなイルカ泳ぎで魍魎や障害物を避けながら、冲に上がれるポイントを模索した。 しかし水から上がろうとする隙を魍魎に狙われていて、なかなか上陸できない。 「ああクソッタレ!なんなんだコイツらは!?」半魚人がイナちゃんの声で毒づく。 私達も追いつくのがやっとで、次の手を考えあぐねていた。 すると駅の方向から、一台の自転車が近づいてくる。 また誰かがイナちゃんに吸い寄せられたのかと思ったら、その人は…
「右へ泳げ!右の下水道に入るんだ!!!」
観光客用の電動レンタサイクルの前カゴに真っ白なポメラニアンを乗せて、五百川に向かって全力疾走する青年…平良鴨譲司さんは、 まるで最初からこの場にいたかのような超人的状況把握力をもって、半魚人に助言を叫んだ。 これが彼の脳力、空気組成や気圧の変化であらゆる情報を肺から認識する「ダウジング」だ!
「馬鹿か、何を根拠に言ってやがる!あんな所に入ったら袋の鼠だぞ!?」 半魚人が潜水と浮上を繰り返しながら反論する。 「根拠やと?そんなもん…」肩で息をしながら譲司さんが答えた。「ダウザーとしての勘だ!俺を信じろ…ジャック!」
ジャック、と呼ばれたその半魚人は目を見開き、橋の上の青年を見上げた。 栗色の髪、アラブ人ハーフの彫りの深い顔。ジャック氏の脳裏で彼の幼馴染の面影が重なったのか、 彼はイナちゃんの身を翻して、川辺の横穴に潜っていった。
「こっちやオリベ、紅さん!」 私達が譲司さんに案内されて、上流から見て川の右側へ駆け寄ると、温泉街らしくない工業的な建物があった。 イナちゃんは建物下方に流れる下水道の横に倒れていて、ジャック氏が介抱している。 彼女らの周りにはもう、魑魅魍魎の類いは集っていなかった。 <そうか。ここは発電所で、すぐ近くに送電線がある。 イナちゃんのギャザリング力も、ここでは歪みが生じて遠くまで及ばなくなるのね> 「日本の電力施設の電磁波は、普通の携帯の電波やテレパシーには影響せんレベルやけどな。 引き寄せ体質とかのオーラ系は本来そこまで飛ばん力やから、ちょっと遮蔽物を作るだけで効果がめっちゃ変わるんよ」
話している間にジャック氏が再びイナちゃんに取り憑いて、鉄パイプはしごと柵をよじ登って私達に合流した。 「あぅ…わうわ?」譲司さんの自転車に乗ったポメラニアンのポメラー子(こ)ちゃんが、イナちゃんを見て不思議そうに鳴く。 譲司さんは愛犬の投げかけた質問を呼気で理解し、親しい友人の前でだけ話す地元弁で、 「ああ、この子気絶しとるかんな、ジャックが中に入って助けとったんや」と優しく答えた。
◆◆◆
民宿に戻った私達は、意識の戻ったイナちゃんの身体を温めるために温泉に入った。 まだ日没前の早い時間だったから、実質貸切風呂だ。 イナちゃんの服は幸い全部洗濯可能だったから、オリベちゃんからネットを借りて洗濯機にかけている。
私とオリベちゃんは黙々と身体を洗い、イナちゃんは既に湯船に座っている。 先に髪の毛の水滴を絞った私は、手首に巻いていたゴムバンドで適当に髪をまとめ、湯船に入った。 誰も一言も喋らず、重い沈黙が流れる。
「…スリスリマスリって、何?」痺れをきらした私がイナちゃんに尋ねた。 イナちゃんはキリスト教のお祈りみたいに組んだ両手を揉みながら、か細い声で答えた。 「意味ないヨ…言うと元気出ます。チチンプイプイ、アブダカタブラ」 「<えっ!!?>」 私とオリベちゃんが思わず彼女を見る。 あの魍魎群がイナちゃんに近寄れなくなるから余程神聖な力のこもった呪文だと思っていたけど、まさかこの子、気力だけで魍魎を拒絶し続けていたなんて。 私達が思っていたよりも、ずっと根性がある。
「ゴメンナサイ…」 膝を抱えたイナちゃんが弱々しく頭を下げた。 本人が衰弱しているからか、もう魍魎は寄ってこない。 オリベちゃんは顔を背け、持ち込みのマイシャンプーを手のひらに溢れるほど出しながら<悪いのは私の方>と返した。
<着いてきて貰うだけでいい。 もしジャックがここにいるのなら、あなたを連れて行けば巡り会えると思った。 なにも殺人犯そのものを探すんじゃないし、大丈夫だろう…って。 あなた自身の体質の危険さに対する認識不足だったわ> オリベちゃんの長い癖毛が泡立ち、ラベンダーとシナモンを煮詰めたような存在感のある香りが湯船にまで漂ってくる。
「どうして、探した?」イナちゃんが問う。 「ジャックさんはオリベちゃんとジョージさんと友達、わかる。 でもジャックさん作った人ヒトゴロシ。しかも連続ヨ。 もし私の友達の親ヒトゴロシだったら、学校で���遊ぶ。でも友達の家は行きない。 ううん、わかてる。私は臆病ですね…」 友達の家族が人殺しだったら…。無理もない、いや、当然の反応だ。 私はイナちゃんの白い肩にお湯をかけた。
「サミュエル・ミラーは、強いタルパを作るためにたくさんの生き物を殺してきたんだ。 生き物を殺して、魂を奪って、それを継ぎ接ぎしながら怪物を育ててたの。 神になりたいから、って動機だったらしくて」 <その通りよ。私やジョージも、かつてあの男の作った怪物に殺されかけた。 その戦いで、私は声を、ジョージは…一番の親友を失った> 「だったらなんで!?」イナちゃんが身を乗り出す。 「そこまでされて友達助ける、凄いヨ?偉いヨ。でも、ヘンだヨ! そんなの…」息継ぎもせずに思いの丈を吐き出して、イナちゃんは再び湯船にうずくまった。「そんなの、できないヨ…」
「そこまでされたから、だよ」 「え…?」 オリベちゃんは既にシャワーで泡を落としきっている。 でも膝の上で拳を握りしめて、肌寒い洗い場で私達に背を向けたまま動かなかった。
「…あ…!」 イナちゃんは閃いたようだ。オリベちゃんや譲司さんが、ジャック氏を見つけ出そうと覚悟した理由に。 サミュエル・ミラーはタルパを作るために生き物を殺す。つまり、 <そう。ジャックもあいつに殺された、元は人間だったのよ>
「そういう事情だったの。そうとは知らず、悪かったわ」 いつの間にか私の背後で、湯船の縁に人間姿のリナが座ってくつろいでいた。 「キャ!」イナちゃんが慌てて顔を手で覆う。 「あ、またキャッって言ったわね!」 「だ…だって!ここ女湯ヨ!!」 赤面しながらイナちゃんが指をずらし、ちらっとリナを見る。 でも、リナの首から下は完全に… 「…オモナッ?」 「ほんっと、失礼しちゃうわ」 「え…じゃあなんで、おヒゲ…え?」 だって、しょうがないじゃない。 中学の時に作ったんだから…知らなかったんだもん。男の人のがどうなってるのか。
◆◆◆
居間に戻ると譲司さんの姿はなかった。 庭の方からドライヤーの音がする。そういえばこの民宿は、庭園の池がペット用露天風呂になっているとか。 新幹線の長旅で疲れたポメちゃんを、譲司さんがお風呂に入れてあげていたんだろう。
窓際の広縁を見ると、ジャック氏が水の入った丸底フラスコのような形の物を咥えていた。 息を吐いているのか吸っているのかはわからないけど、フラスコ内の水が時々ゴポゴポと泡立ち、そこから伸びた金具の先端でエクトプラズム粒子が小さく明滅する。 霊力を吸うための喫煙具のような物なのだろう。
「ジャック・ラーセン」ジャック氏はこちらを一瞥もしないで語りだした。「…それが俺の本当の名だ」
生前、アメリカで移動販売のポップコーン屋台を経営していたジャック氏は、フロリダのある小さな農村を訪れた時、サミュエルの怪物と村人に襲撃されて命を落としたという。
「ん」ジャック氏はイナちゃんに目配せする。 イナちゃんが広縁に近づくと、ジャック氏は立ち上がり、二人羽織で袖を通すようにイナちゃんの腕にだけ取り憑いた。 「オモナ…」二度目だからイナちゃんはすんなり受け入れている。 ジャック氏は指差しでイナちゃんを誘導する。 みんなの荷物と共に固めて置かれていたあの人形の前にイナちゃんを座らせると、 ブチチチッ!雑に縫い合わされていたボロ布を躊躇なく引きちぎり、 中の奇妙な機械を剥き出しにした。
「こいつぁポップ・ガイっつってな…。ほら、背中のレバーを上げると口が開くだろ? ここから弾けたてのポップコーンが出るんだよ。元々は屋台そのものの一部だったんだ…」 ジャック氏は慣れた手つきでポップ・ガイ人形を操る。背中の小さなスイッチを爪で押すと、お腹のスピーカーから微かにノイズが流れた。 「ああ、ちゃんと電源も入るな。オリベ、マスクは?」 <もうないわよ。ジョージがサミュエルを撃った時に割れて壊れたわ。おかげでトドメをさし損ねた> 「そうか。…いや、あのマスクに小型マイクが付いててさ、 そいつを被って喋ると、そのスピーカーからボイスチェンジャーを通したおかしな声が出るんだよ。 単純なもんだが、小さいガキ共には好評だった。 ま、それだけの話なんだがな…」 ジャック氏はスイッチを切り、イナちゃんから自分の腕を引き抜こうとするが、 「…ん?どうした。こら、離せよ」
イナちゃんは力をこめて、ジャック氏の腕を自分の体内に留めた。 「…スリスリマスリ」 「あ?何だそりゃ?ほら抜けねえだろうが…」 イナちゃんは細い腕の中にジャック氏の太い腕を湛えたまま、ポップ・ガイ人形を抱きしめた。 「オンジン」 「あぁ??」
<あははは!ジャック、よっぽどイナちゃんに気に入られたようね!> 「おいおい勘弁してくれ、これじゃボングもろくに吸えやしねえ。 ほらガキ、とっとと離れろ」 「ヤダ、もうちょと。あと私イナだヨ、ガキじゃないもん」 「あぁー!?」 イナちゃんが駄々をこねる。高校生ぐらいの彼女は、時折どこか子供っぽい仕草を見せる。 お寺、教会、霊能者…色んな人を頼っても自分を救える人は現れず、彼女は今までずっと、おまじないの言葉だけを頼りにあんな恐ろしい物と孤独に戦い続けてきた。 そんなイナちゃんのピンチを初めて救った私達は、彼女にとって親にも匹敵するほど心強い仲間になったことだろう。
「ったく…しょうがねえな」 ジャック氏は彼女の腕を、ジュゴンのように柔らかく暖かそうな彼の胸板に抱き寄せた。 「…ジョージが戻ってくるまでだからな」
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●柳田國男の世界
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●柳田國男の世界 この人の本はあまり読んだことがない。 何故か少し恐怖があった。 何ともコトバにしようがないほどの感じである。 民俗学的には良いものを出しているようだ。 でも批判もタダ有るようだ。 下の方の論文などは一度読む価値があるように思える。 折口という人と比較されたり並べていろんな話もあるようだ。 どれが良いのかハッキリしない。 人それぞれの取り方もある。 私は読んでも味方も敵にも成れない。 もともと、柳田が資料に頼らない歴史を民俗学としたから、 そういう学問になっている このコメントが引っかかる。 ◆柳田國男 - Wikipedia http://bit.ly/yTENHp 柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は日本の民俗学者。 現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれで、晩年に名誉町民第1号となった。正三位勲一等。 日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行し、初期は山の生活に着目し、著書『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べた。 日本における民俗学の開拓者であった。 ◆柳田國男の世界 | 福崎町 http://www.town.fukusaki.hyogo.jp/category/3-2-0-0-0.html
故郷 七十年 [2016年5月17日] 國男 年表 [2014年2月3日] 國男ゆかりの地 [2014年2月3日] 福崎の人々 [2014年2月3日] 柳田國男の世界 [2014年2月3日] 福崎という土地 [2014年2月3日] 其の一 [2014年2月3日] 其の二 [2014年2月3日] 其の三 [2014年2月3日] 其の四 [2016年5月17日] 其の五 [2016年5月17日] 其の六 [2016年5月17日] 其の七 [2016年5月17日] 其の八 [2016年5月17日] 其の九 [2016年5月17日]
森鴎外と出会い、松浦萩坪に師事し、自然主義の文学青年と交流。「文学界」に新体詩を発表、斬新な詩作で仲間を刺激した。 が、「なぜに農民は貧なりや」という言葉に示されるように、社会構造に対する鋭い疑問から、文学への傾倒を絶ち、農政学を志した。
◆福崎町立柳田國男・松岡家記念館 http://bit.ly/zeFzJs 本館は,『後狩詞記』や『遠野物語』などの多くの著作をあらわし,「日本民俗学の父」と 呼ばれる柳田國男(文化勲章受章,福崎町名誉町民第1号)と,医学・国学・言語学・ 美術などの分野で活躍した松岡家の顕彰を目的に,昭和50年に設立された記念館です 。 ◆1144夜『海上の道』柳田国男|松岡正剛の千夜千冊 https://1000ya.isis.ne.jp/1144.html 2006/05/23 今夜は柳田国男の『海上の道』をもって、いったん「千夜千冊」を擱筆するつもりでとりあげようと思っているのだが、その前に少し書いておきたいことがある。何にも煩わされることなく柳田や折口を読んでいたころがひたすら懐かしいということだ。 ◆成城大学 | 民俗学研究所 柳田國男について http://bit.ly/zD7Dft 「日本民俗学」の創始者で、近代日本を代表する思想家でもあった柳田國男(1875~1962) 成城大学民俗学研究所は、日本民俗学の創始者で近代日本を代表する思想家の一人でもある、柳田國男の寄贈書を納めた「柳田文庫・民俗学研究室」を基盤とし、設立されました。我国における民俗文化の研究センタ—としての役割を担うべく、日本の民俗文化及びこれに関連する研究、調査並びに資料の蒐集を行っています。 ◆柳田國男について https://www.seijo.ac.jp/research/folklore/kunio-yanagida/intro/ 名もなき庶民(常民)の歴史や文化を明らかにしたいと考え、 「常民文化の探求」と「郷土研究」の必要性を説く 「日本民俗学」の創始者で、近代日本を代表する思想家でもあった柳田國男(1875~1962)は、明治8年7月31日に兵庫県神東郡田原村辻川という農村の医者・国学者であった父松岡操の六男として生まれる。幼少期に体験した飢饉、故郷を離れて見聞きした庶民の暮らしや���引き慣習の悲惨さを思い、「経世済民の学」を志向、東京帝國大学法科大学(現東京大学)で農政学を学ぶ。 「日本民俗学の祖」柳田國男の旧居は、小田急線の「成城学園前」下車3分、駅前の道を北進して2つ目の四つ角を左に折れると、木立の中に洋館があり、現在は、建て直されてご子孫が住まわれている。 柳田國男存命中の大きな書斎を持つ建物は、昭和63年に解体され、柳田家先祖ゆかりの信州飯田にある「飯田市美術博物館」の中に移築され、今は当時の面影はない。 ◆柳田國男館 - 飯田市美術博物館 http://bit.ly/AoL6VZ 「民俗の宝庫」―伊那谷の「生きた学び舎」としての活用をねがうものです。 ◆柳田國男記念公苑 [茨城県利根町公式ホームページ] http://www.town.tone.ibaraki.jp/page/page003532.html 2019/12/04 柳田國男記念公苑は、國男が少年時代を過ごした旧小川家の母屋、土蔵(資料館)で構成されており、著作物や文書等を展示しています。また、会議、講座、宿泊施設として利用できます。 ◆柳田国男 家系図研究にも影響を与えている http://bit.ly/zhfiMj 家系図の分野で有名な丹羽基二氏の大学での恩師にあたるそうです。(「日本人の苗字」にありました。) 神隠しの体験について語っていたりする神秘家としての柳田国男がいるわけですが、遡れば陰陽道の中心地播磨という関連もあるかも知れません。 宮本武蔵とは、赤松 つながりでもあるのですが、養子の宮本伊織の神隠し体験ともなんらかのつながりが あるかも ... ◆第866回談話会要旨(2012年12月2日=いくつかの「先祖の話」:京都で読む柳田祖霊神学) 2013年5月6日 · http://www.fsjnet.jp/regular_meeting/abstract/866.html 主な登場人物2 ―京大文化史学派の『先祖の話』受容― 京都大学・菊地暁
今回のシンポジウム「いくつかの『先祖の話』 ―京都で読む柳田祖霊神学―」(日本民俗学会第866回談話会、京都民俗学会第31回年次研究大会シンポジウムを兼ねる)はシンポジウム「京都で読む柳田国男」(2005年、柳田國男の会、国立歴史民俗博物館共同研究「日本における民俗研究の形成と発展に関する基礎研究」、京都大学人文科学研究所共同研究「近代京都研究」共催)の第2ラウンドともいうべき企画である。「京都で読む柳田国男」は、民俗学史をとりまくいくつかの「中心史観」への挑戦だった。柳田中心史観、純粋民俗学中心史観、東京教育大中心史観、そういった一連の偏向をともなう学史叙述は、結果的に、地方や隣接分野における実践の脱落につながった。そこでその偏向を転倒させるため、「京都」という視点の挿入を試みた。すなわち、粗野に対する洗練、野外に対する文献、在野に対する官学といった、「野の学問」の正反対を抱え込む「京都」をあえて前景化させることによって、民俗学という運動の射程と多様性を可視化させようとしたわけである。 ◆ぶく速 柳田国男と折口信夫って どっちのほうが強いの?http://bit.ly/x6R8bG 2011/12/23 ▽英雄の条件 「大人物出でよというのはかつて政界の常套語であったが、これは今いる連中がみな凡庸だという意味の反語であったかもしれぬ」 「丸太棒であれ鸛(コウノトリ)であれ、何か自分たちを統御してくれるものを恋しがっていた者は多いのである。 しかしその適任者が仲間の内に、今まで埋もれていたということはあまり喜ばなかった。英雄はもう少し毛色の変わった馬に乗って、雲の彼方より出現してこなければならなかった」 これは、民俗学の泰斗である柳田国男が1930年に書いた「明治大正史世相篇」の「英雄待望」の章の文章だ。この本には文明時評的なところがあるが、この部分も皮肉で面白い。 柳田とか折口とかの著作って学術書と言えるの?文学とかエッセイ、随筆の類だろ もともと、柳田が資料に頼らない歴史を民俗学としたから、そういう学問になっている ◆遠野物語の柳田国男、農政の先駆者としての顔: オーライ!ニッポン https://blog.canpan.info/ohrai/archive/82 2019/02/03 遠野市を訪問したことから、遠野物語の柳田国男、民俗学の祖である柳田国男のもう一つの顔、農政の先駆者としての姿を知った。柳田が考える農政とはどのようなものだったのであろうか。 並松信久氏(京都産業大学 大学院 経済学研究科教授)は、論文「柳田国男の農政学の展開」の中で、柳田国男の農業政策の目的は生産量の増加ではなく、それを通して国民総体の幸福を実現することにあり、これは柳田がJ.S.ミル(JohnStuartMill,1806_1873)のイギリス功利主義の影響を受けていることを物語っている。 論文「柳田国男の農政学の展開」(PDF) https://ksu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=1516&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=21
◆水木しげるが漫画化した柳田國男『遠野物語』の“お色気シーン” http://bit.ly/z8x7Oi 作家の嵐山光三郎氏は過去に『水木しげるの遠野物語』(小学館刊)を書評しているが、この原稿で衝撃の事実が明らかになっている。以下、嵐山氏の書評だ。(『週刊ポスト』2010年4月9日号より)
◆柳田國男「ネブタ流し」を読む http://bit.ly/Aqfjb8 柳田國男の「毛坊主考」は、多面的な作品である。表題のとおり、地方の集落で半俗半僧侶生活を送る念仏の徒についての話もあれば、シュクや茶筅などの被差別的な扱いを受けていた人々の生態とその信仰について、また、各地に残る由来のわからなくなった塚や山という異界の周辺にたむろしている者(童子)たちについての話もあった。 この多様性は、「毛坊主考」が「郷土研究」誌上に連載されたものであるということに由来する。 柳田は、地域の口碑や伝承、他の地域の攘���行事を参考にして、ねぶたを“御霊祭”の一種として捉えていこうとしているのだ。 ◆遠野物語 - Wikipedia http://bit.ly/y0ckcQ 『遠野物語』( とおのものがたり)は、柳田國男が1910年(明治43年)に発表した説話集。日本民俗学 の黎明を告げた名著である。 ◆柳田国男 海上の道 - 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/54331_53583.html +一二. +一三. +一四. +一五. +一六. +一七. +一八. +一九. +二〇. +二一. +二二. +二三. +海神宮考. +緒言. +一 昔話の島嶼型 ... それからこの方の記録だけによって海上の交通史を説くのは間違いのもとであろう。 昭和三十六年六月. 柳田国男. [#改丁] ... 日本の海端に、ココ椰子の実が流れ着くということは、決して千年ばかりの新らしい歴史ではなかったはずであるが、書物で海外の知識を学び取ろうとした者は、かえって ... 寄木 ( よりき ) は流木の浜に漂着したものといい、親はこちらで言うならば長者のことである。 「椰子の実」と柳田國男 =流木のロマン= ■ 日本は四方を海に囲まれ、その海岸線の 総延長は3万6千km(地球の9/10周に相当)にも及び、ロシア連邦、オーストラリアに 次いで世界で3番目に長い。日本は紛れもなく海洋大国なのです。 ◆島崎藤村の「椰子の実」は実にロマンチック… | 八重山毎日新聞社 http://www.y-mainichi.co.jp/news/12500 2008/12/02 島崎藤村の「椰子の実」は実にロマンチックだ。愛知県・渥美半島の伊良湖岬を民俗学者の柳田國男が訪れたとき、散策の途中に恋路ヶ浜で拾ったヤシの実の話を友人の島崎に語ったのがきっかけで生まれた叙情詩だという ▼波に揺られ、長い歳月をかけて南の島からたどりついた1個のヤシの実は文部省唱歌となり、多くの人々に親しまれている。その舞台になった渥美町(合併で田原市)は、石垣島沖から毎年ヤシの実を流して自然のロマンを再現、実際に漂着したケースもある ▼ところがどうだろう。八重山に流れ着くのは嫌なものばかりだ。復帰前は爆発物の「機雷」や米軍機の燃料タンク、廃油ボール、そしていまは海外の漁具類やごみだ ▼かつては海岸線を歩くのが楽しかった。珍しい形をした流木や漁具のガラス玉を拾って持ち帰った。だがいまは漂着ごみ量にぼうぜんとなる。プラスチックの容器をヤドカリが抱えて歩いている光景にも出会った ▼先に開かれた環境省の漂着ごみ地域検討会で、観光客アンケート結果として「ごみ回収で滞在日数は0.9日増える」と報告された ▼漂着ごみは静かに島々に負のイメージを広げており、事態は深刻。回収しても次々とごみは流れ着く。その悪循環を断ち切るのが外交力であり、政府に強く望みたい。(黒島安隆) ◆童謡集/椰子の実(歌詞付き) https://youtu.be/eG1gB5dluU8 2009/08/02 有名な童謡曲集~MillesVents風~シリーズ 第2弾 とても難しい日本語で書かれた歌詞・・・ それを少しでも聴いて頂いた方に理解出来るようにと工夫して歌ってみました・・・。 伝わったでしょうか? ---歌詞の親切な解釈--- (文語調に不慣れな方の為に、歌詞の概略をしるしておきます) ※歌詞そのものではありません
名前も知らない 遠い島から
流れ着いた 椰子の実がひとつ
ふるさとの岸を離れて
お前はいったい何ヶ月 海をただよって来たんだい
お前が育った椰子の木は きっと生い茂り
枝の下に 影ができるほどなんだろうね
僕もまた 波の音を枕に
一人さすらう 浮寝の旅さ
椰子の実を手に取り 胸に当てれば
さすらいの憂いが また新たにわく
海に沈む夕陽をみていると
遠い異郷の地に流れ着いた今の我が身に
涙があふれて流れ落ちる
思いははるか 果てしない波の彼方
いつの日にか 故郷へ帰ろう
いつの日にか 故郷へ帰ろう ~Pucky訳~ ◆日本近代史の中の日本民俗学-柳田国男小論 http://bit.ly/xwOKIY 戦前の大東亜共栄圏の夢が軍事政治的には潰え去ったけれど、経済的覇権として甦ったのだ。 なぜ私たちは「大日本主義」の時代になると「日本」「日本人」を問いたくなるのだろうか。 外部より内部に目を向けたがるのだろうか。 ◆南方熊楠のキャラメル箱サイト内検索:柳田国男 http://bit.ly/wxM9F9 南方熊楠の手紙:神社合祀反対運動の終結、その他(口語訳1)明治44年12月10日 ◆柳田国男と遠野物語 2019/12/28 https://youtu.be/94ZghOx8jXM ◆柳田国男.mpg 2010/08/16 https://youtu.be/oWm7zXLOBCI
◆遠野の昔話 『オシラサマ』 2015/04/04 https://youtu.be/h0hVjjrd5Gc 川崎市立日本民家園 佐々木家住宅 語り部 大平悦子氏 ●とおの物語の館 - 遠野市 http://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/48,23855,166,html 2013/04/25 昔話の世界を体感 とおの昔話村が、平成25年4月27日、「とおの物語の館」としてリニューアルオープンしました。 昔話を映像や音声で楽しむことができる「昔話蔵」や、語り部による昔話を聞くことができる劇場「遠野座」などのほか、お食事処やギフトショップも充実。見て、聞いて、食べて遠野をまるごと満喫できます。 ◆遠野の語り部 2008/12/08 https://youtu.be/96rY_9SQEWE 遠野の語り部、カッパの昔話 岩手の方言をお楽しみください ◆柳田國男「神道は、太古の昔から現在にいたるまで連綿と続く、自然発生的な日本固有の民族的宗教である」 幕末の国学、柳田國男の「国家神道」批判、http://bit.ly/A5bfro ◆第4回講座-神道研究入門- http://yamaguchi-gokoku.jp/subupage4.html 神道を敵視する立場から神道を研究するわけですから、そうした人たちの神道の研究書に従えば、天皇は人民統治手段として神道を用い、神も支配したという結論に導かれる論理になっており、神道は超国家主義的宗教とされました。
◆補足 「国家神道」がムラを壊した 04 09/10 http://bit.ly/xLHSWv 近代国家としての日本は終始一貫して「国家神道」を、国民の国家への忠誠と献身とを引き出す道具として利用した。 このような国家的計略を「日本に固有のものとはとうてい言えない」と批判したのは官僚出身の民俗学者、柳田国男であった。 ◆民俗学 - Wikipedia http://bit.ly/xOE6LS 民俗学(みんぞくがく、英語:folkloristics)は、学問領域のひとつ。高度な文明を有する諸国家において、自国民の日常生活文化の歴史を、民間伝承をおもな資料として再構成しようとする学問で、民族学や文化人類学の近接領域である。 ◆国家神道批判 [柳田国男の昭和] http://bit.ly/xbZnG6 国男にとって、神道とは神と人とが交感し、交歓する祭にほかならなかった。その原風景が残るかぎり、たとえ国家が敗れても、くには残ると信じていた。 ◆祭政分離はとうぜん [柳田国男の昭和] http://bit.ly/xKz8M5 記事はGHQの検閲をへている。 国男の発言は、明治憲法と国家神道を廃絶しながら、政治から切り離された国の祭祀者としての天皇を認めるというマッカーサーの考えを側面から支援するものとなっていた。 だが、それだけでは終わらない。 国男はさらに進んで、政治に利用されることのない神道の再生をひそかに構想していたのである。 ◆【日本近現代史】歪められた日本の歴史 | 日本人の信仰と聖書 ... http://nihonjintoseisho.com/blog001/2019/06/06/history-of-japan-2/ 2019/06/06 「高校生のためのおもしろ歴史��室」というウェブサイトを大変興味深く読ませていただいております。「日本を不思議の国から当たり前の国にいま、周辺国の陰謀によって悪化しつつある国際的評価に正しい主張をしてまいりましょう」日本を美しくする会相談役 鍵山秀三郎(月刊「致知」平成27年10月号「巻頭の言葉」/致知出版社) という文章が紹介されていましたので、一部をご紹介させていただきます。 ◆戦後日本 : 柳田国男らの民俗学による歴史学の破壊 file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/symp_012__39__27_36__39_48.pdf A・N・ メシェリャコフ ロシア国立入文学大学 (日本語訳 ・土田久美子) 二十世紀はユートピアの世紀であった。ソビエト連邦でも、ナチス・ドイツでも、そして日本でもユートピアを建設する試みが見られた。 すなわち、ソ連は共産主義 、ドイツは「新秩序」、日本は「大東亜共栄圏」の建設を試みたのである。 ユートピアの思想を実現させる為 、いずれの三力国でも一社会的・文化的相違はあるにせよ一「全体主義」として特徴づけられるべきシステムが構築された。 いずれの三力国でもユートピアの建設は、国内外に対する広範囲の武力行使によて 実現された。 二十世紀はユートピア建設の世紀であるだけでなく、その破綻の世紀でもあった。 前述のいずれの国家もこの運命を免れること��不可能であった。 ドイツと日本は戦争に敗北し占領下に置かれ 、ソ連は第一に非効率的な経済システムの為に崩壊した。 全体主義が破綻した後 、いずれの三力国でもより民主的・個人主義的な社会を創り出す政策がとられ 、それは「全人類的」価値への参加として理解されたそれと同時に、かつての希望の破綻に伴い 、厳しいアイデンティティの危機が生じた。 危機には解決を要する。 新しいアイデンティティを創造した日本の経験はかなりの独自性で際立っており、あらゆる観点からの研究がなされる必要がある。
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英語教育」が国を滅ぼす! / 藤原正彦
文藝春秋1月号より ちょっと長いです。
「来年度から導入予定だった英語民間試験が4年以上延期となり、教育界に激震が走った。さらに12月17日には、国語・数学の記述式についても延期することが発表された。この国の教育はどこへ向かうのか。
筆者は、こう断言する。「大学入試改革は産業界主導の愚民化政策である」と――。/文・藤原正彦(作家・数学者)
目次
1. 公平な入試をすると不公平な結果を生む
2. 「ヴァイオリンが箱形でないのは何故か」
3. パブリックスクールと公立高校を区別する
4. 「公平」は欧米の作ったフィクション
5. 「産業競争力の強化」が最大の目標
6. 英語無能国民の驚くべき事実
7. 国民のエネルギーの壮大な無駄
8. 語学ができるほどだんだん馬鹿になる
9. 英語、IT、プレゼンは小手先技術
公平な入試をすると不公平な結果を生む
令和元年11月1日、教育界に激震が走った。来年度から導入予定だった英語民間試験が、4年以上延期となったからである。そのための準備をしてきた高校2年生以下の生徒たちは、さぞ混乱しただろう。高2生は高3になる半年後の令和2年4月から12月までの間に、英語民間試験を2回受け、その成績が大学入試センターを通し、大学側に提供されることになっていたからだ。民間試験の傾向と対策を練り生徒を指導してきた高校や塾の教師も、仰天しているだろう。間違いなきよう大がかりな態勢を整備してきた英語民間試験請負業者、すなわち英検、GTEC、ケンブリッジ英語検定、IELTS、TOEFL、TEAPなどは、怒り心頭に違いない。実施の半年前になって、突然の延期決定だからである。延期を発表した萩生田光一文科相によると、延期理由は、「経済的状況や居住している地域にかかわらず、等しく安心して受けられるようにするためには、更なる時間が必要」ということだった。こんなことは当初から教育界のすべての人が言っていたことだった。1回の検定料が5,000円〜2万5,000円もかかる英語民間試験を2度受けるから、1人当たり1万円〜5万円もかかることとなる。高2までに前もって腕だめしをしておいた方が断然有利だから、費用はさらにかさむ。それに英検とGTECこそ各都道府県に試験会場を持つものの、他は半数ほどの県にしか持たない。都市部に住む裕福な家の受験生が有利となるのは、誰にでも分かることだった。このことを萩生田文科相はよく理解していなかったのか、延期発表の8日前になってメディアに対し、「各受験生は身の丈に合った勝負をすればよい」と語った。英語民間試験には他にも問題が指摘されている。採用される民間試験は、出題の目的も形式も難易度もまったく異なる。Aという民間試験とBという民間試験から送られてきた成績を大学はどう比べるのか。50万人が受ける試験を民間にまかせ、採点の公平性は保たれるのか、成績の漏洩はないのか、なども解決されていない。不祥事が出たら大混乱だろう。「公平」の大好きな野党やメディアが、鬼の首をとったように大臣の発言にかみついた。身の丈発言は確かに軽率だ。英語民間試験に関するこれまでの経緯を大臣は理解していなかったに違いない。文科相は辞任を回避するために民間試験を延期した、と疑われても仕方ない。国立大学の入試は公平なものである。例えば数学では、1つの答案に複数の教官が目を通し、公平な採点の結果を念入りに集計し、合計点の高い方から定員までを合格とする。採点時や合格判定会議には、受験者の名は隠されているから、情実の入るスキもない。どこからどう見ても公平に思える。ところが、かくのごとき世にも公平な試験の結果、東大生の親の所得が全大学中で最も高い、という不公平な現実が生まれている。公平な試験をすると、裕福な家庭に生まれ、よい家庭教師やよい塾に��い、一流の私立中高で学んだ生徒の方が、平均的には学力が高いから有利になる。彼等が東大を出て官界財界でよい地位につき裕福となれば、その子弟によい教育を与えることができ、子弟たちは東大に入りやすくなる。彼等が再び、という形で階層さえ作ってしまうのだ。公平な入試をすると不公平な結果を生む、ということである。
「ヴァイオリンが箱形でないのは何故か」
30年ほど前、ケンブリッジ大学にいた私は教えていたクイーンズカレッジの入試面接にかり出された。その日は、グリーン、ヘインズ両博士と私が、数学および物理学専攻の面接を行った。面接は各人につき30分ずつである。合否はこの面接と、内申書やAテストと呼ばれる国家試験の結果を半々に見て決定する。面接の点は試験官3人がそれぞれ5段階評価をし合計する。この大学で最重要視されるのは、自ら学んで行く意欲と能力である。質問内容は専門的なことから読書傾向や友人関係にまで及んだ。教科書に出ていないことでも臨機応変に聞く。趣味がヴァイオリンと言った生徒には、「ヴァイオリンが箱形でないのは何故か」と問うたし、卓球部にいた生徒には「ピンポンをカットすると何故曲がるのか」などと聞いた。物理に疎い私はよく分からなかったが、分かったような顔をして聞いていた。実は、答えが正しいかどうかは大した問題でなく、分からなくとも頑張ってどう思考を進めるか、その態度を我々は見ていたのである。数学では基本をよく理解していない者も散見されたが、ケンブリッジを受験する生徒だけに、どの内申書にも抜群と記してあったのは日本と同じでおかしかった。真っ赤な口紅に真っ赤なマニキュア、真っ赤なロングドレスという出立ちで、香水の匂いをまき散らしながら女生徒が登場した時は、お茶の水女子大に長くいて女生徒に慣れているはずの私が圧倒された。ただ、艶かしい割には質問にうまく答えられなかった。評点を2にするか3にするか迷った挙句、3には私の生来の好色が影を落としていると判断し、2にした。他の2人も2だったのでホッとした。3者の評点は時折1点の差があったが、2点の差が出ることはなかった。主観的のはずなのにほとんどの場合、同点だったのである。1人だけ凄いのがいた。まだ16歳のインド人だった。葬式帰りのような黒スーツに黒ネクタイだったが、どんな質問にも的確に答えた。少し困らせてやろうと、整数に関するやや意地悪な問題を出したら、ものの10秒ほどで解いてしまった。ノーベル賞を数十人も出す大学にはこんな生徒が来るのか、と感心していたらグリーン博士が、「やったぜ」とでも言いた気に私に目配せした。
パブリックスクールと公立高校を区別する
試験��、グリーン博士に気になったことを2つ尋ねてみた。1つは、願書にあった「親戚中のオックスフォードあるいはケンブリッジ出身者」なる欄の使われ方だった。彼はそれが「合否に影響することはあり得ない」と断言した。ただし、別のカレッジの教授は、「質の高い学生を選ぶのがケンブリッジの使命だ。そのためにあらゆる情報を利用する、というのは当然」と言っていたから、ケンブリッジではカレッジにより、あるいは教官により利用方法が違うのかもしれない。もう1つは、合否判定時にパブリックスクール(寄宿制のエリート私立中高)と公立高校が同等に扱われるかという疑問だった。イートン校、ハーロウ校といったいわゆるパブリックスクールは英国の私立中高の上澄みとでも言うべき学校だが、学費が年に500万ほどかかるため、裕福な階層の優秀な子弟しか入学できない。数万坪の敷地には芝生のラグビーグラウンド、クリケットグラウンド、テニスコートなどを完備し、コンピュータや科学機器が整い、理系教師の大半が博士号を保有する、といった夢のような環境で生徒は6年間を過ごす。「同等ではありません。もし類似した成績なら公立高校出身者をとります。教育環境がまるで違うからです。条件の違うものは区別するのが当然と考えるからです」。例えると、総合点で200点をとったイートン校出身者を落とし、192点をとった田舎の公立高出身者を合格させる、ということである。劣った環境の下で勉学しながら192点をとる者は、優れた環境の下で勉学し200点をとる者より、潜在能力は上と見なすのである。日本ではあり得ない話だ。これがケンブリッジの公平なのである。日本の国立大では、推薦入試やAO入試といった特殊入試を除き、総合点だけで機械的に合否を決定する。内申書は全受験生に出させるが、異なるレベルの高校での成績を、公平に比較する適切な方法がないから、ほとんどの国立大学では一切考慮せず、総合点が同じだった時にちらっと見るくらいのものだ。ケンブリッジ大学と日本の国立大学との公平は相当に異なると言ってよい。別の言い方をすると、日本の入試における公平は「一切の主観を混入させない」であり、ケンブリッジのそれは、「主観を入れることでより妥当な評価をする」である。
「公平」は欧米の作ったフィクション
「公平」という言葉を日本人は大好きだが、自由、平等などと同じく定義はなく曖昧なものである。雰囲気を示すだけのものと言ってよい。そもそもこの世界には、自由も平等も公平も存在しない。すべて欧米の作ったフィクションなのである。トマス・ジェファーソンはアメリカ独立宣言を起草した。そこに、「我々は次の事実を自明と信ずる。すべての人間は生まれながらに平等であり、神により生存、自由、および幸福の追求など侵すべからざる権利を与えられている」とある。自明なら神を持ち出すまでもないと思うのだが。ちなみに自由と平等のチャンピオンとも言うべきジェファーソンは、後にアメリカ第3代大統領となり、アメリカ先住民絶滅計画を力強く推進し、黒人奴隷を100人以上も所有していたことが知られている。10数年前、ジェファーソン家で働いていた奴隷の子孫が、ジェファーソンの子孫であることがDNA鑑定により判明し、一流科学雑誌にも発表され話題を呼んだ。自由、平等、公平とは何なのか、雰囲気さえ分からなくなりそうだ。今般の英語民間試験については、公平が最大関心事となっているが、さほど本質的な論点とは思えない。全国のすべての高校生が経済状況や教育環境で激しい格差の中にある時、「一切の主観を混入させない」という入試の公平が、どれだけ意味があるのかと思ってしまうのだ。あるオックスフォードの卒業生に日本の入試について話したら、「面接をしないのですか。面接もしないで人間の意欲や能力を判定するなどというのは、受験生をバカにしている」と憤慨されたのを覚えている。面接は主観のかたまりである。ただ、ケンブリッジでの私の経験が示すように、各面接官の印象のブレは極めて小さい。30分も質問すれば、能力は無論、人間性もかなりよく分かる。私のように口紅、マニキュア、香水の3点セットでKO寸前になる、というハプニングはあるものの、実に多くのことが分かる。日本においてだって、受験生を筆記試験の篩にかけて定員の2倍くらいにすれば面接は可能だ。いつまでも「一切の主観を混入させない」という公平に拘るのは、国民的熱病とでも言うべきものだろう。
「産業競争力の強化」が最大の目標
今度の大学入試改革は、英語だけではない。2020年度からセンター試験に代わる共通テストにおいて、国語と数学に記述式が取り入れられることになる。この意味は不明である。現在でも、各大学の個別入試の数学はほぼすべて記述式だ。多くの大学では国語にも記述が入っているし、小論文などもあるのだ。今回の大学入試改革において、メディアや野党の騒ぎ立てる「民間業者への丸投げ」とか「公平性の欠如」は大した問題ではない。決定的な問題点は、この改革が経済界のイニシアティブで進められてきた、ということだ。この改革の青写真は、2013年10月に教育再生実行会議が発表した第4次提言である。そしてこの提言は、産業競争力会議のお墨つきを得たものを具体化したものと言える。産業競争力会議とは、アベノミクスにおける第3の矢「成長戦略」を議論するために設けられた首相直下の会議である。2013年3月の産業競争力会議において、当時の下村博文文科大臣は、「産業競争力会議と教育再生実行会議とが、グローバル人材の育成や国立大学改革などに関し、車の両輪として互いに連携をとりながら、成長戦略を描いて行きたい」という趣旨の発言をしている。そしてその年の4月および5月の教育再生会議では、下村文科相が産業競争力会議の内容を紹介し、それをたたき台として議論が進められたことが議事録からうかがえる。産業競争力会議のメンバーのほぼすべては政治家と経済人で、教育再生実行会議のメンバーの約半数は教育界の人間ではなかった。その後、文科省の審議会も検討を加えたが、今回の大学入試改革は出発点から不幸なスタートだったのである。「人間を育てる」が教育の目的なのに、恐るべきことだが、「産業競争力の強化」が最大の目標だったのだから。教育に関しては、「これからの激しい社会変化に耐えられる人材、グローバル人材の育成」が目標となった。また出てきたかグローバル人材である。ひところ流行った「国際人」がやっと聞かれなくなりホッとしていたら、10年ほど前から猫も杓子も「グローバル人材」だ。これも「国際人」と同じく意味不明だが、どうやら英語によるコミュニケーション能力やプレゼンテーション能力を身につけた、国際的に活躍できる人間のことらしい。「国際人」と同様、もともと経済界の要請だが、今では企業ばかりか小学校から大学までが、一斉に「グローバル人材」を唱和している。国民の多くも、「英語が自由に操れたらいいなあ」くらいの感覚で、これを支持しているから手に負えない。
英語無能国民の驚くべき事実
経済界、および蜜月関係にある政府が、「グローバル人材」を強調する理由は、「英語が話せないと国際競争で負けてしまう」というものだ。本当にそうなのか。世界で1番英語がうまいのはイギリス人だ。なのにイギリスはほぼ20世紀を通して経済的に斜陽だった。英語が世界一下手な日本人は、その間に最も大きい経済成長を遂げた。世界一下手は誇張ではない。2017年のTOEFLの結果を見ると、日本は先進国(OECD)36カ国中の圧倒的ビリ、アジア29カ国中の26位、スピーキングに関しては何と全170カ国中のビリだ。日本人は英語に関し無能と言ってよいのである。この英語無能国民が、世界3位のGDPを誇り、自然科学でノーベル賞を24人も獲得している。今世紀に入ってからはアメリカに次いで世界2位だ。こう考えると、むしろ日本こそは、国民の英語力が1国の経済力や知的生産力に無関係、という驚くべき事実を体現しているのである。経済界や政府は一体いつまで「グローバル人材育成」という愚論にしがみついているのだろうか。忘れてならないのは、日本のノーベル賞科学者のほぼすべてが、小学校から大学院まで日本の学校に通い、科学の初歩から最先端までを、日本語で学び研究し、ノーベル賞に至ったということである。こんなことが可能な国は、世界でも米英仏日露の5カ国くらいしかないのではないか。我が国の学問水準の高さは、日本語で学習し研究できるという土壌によるものとも言える。私達夫婦の仲人であるフィールズ賞受賞の小平邦彦先生はかつて、「日本語は数学を研究するのに有利だ」とさえ言われた。日本語の含みがもつ曖昧さが、思考に幅をもたせ創造性の飛躍を許してくれるというのだ。ITへの習熟もグローバル人材に必要ということで、小学校からパソコンと親しませることになっているが、これもつまらないことだ。よいソフトやAIを作るには論理的思考が必須で、小中学生はパソコンにかまけているヒマがあったら数学をしっかり学ばないといけない。「グローバル人材育成」を愚論と切り捨てたが、それは愚かなだけでなく我が国に大いなる実害をもたらす。現在、小学校では5年生から英語が教えられているが、2020年度より、5、6年の英語は正式教科に格上げされ週2、3時間ほど教えられる。教えるのは担任だ。これには反対論がある。ただし、「小学校教員のほとんどが英語を話せないのに何をどう教えるのだ」「ネイティブが教えない限り反対」「中学英語の内容を小学校に下ろすのなら反対」「私立中学入試に英語が入るだろうから、小学生の負担が飛躍的に増し、可哀そう」といった技術論が大半だ。小学校での英語は、誰がどう教えようとダメなものはダメなのだ。大いなる実害を3つだけ記す。
国民のエネルギーの壮大な無駄
1つ目は、壮大な無駄ということだ。日本人の大半は、たとえ小学校1年から毎週3時間ずつ英語を学習しても話せるようにならない。英語の発音は多少よくなるかも知れない。しかし国語や算数が減らされるだろうから、漢字や九九のままならない日本人が激増するだろう。英語を使う可能性のある職業(たとえば外交官、商社マン、学者、スチュワーデスなど)につきたい希望を持った者だけが中学校で全力で勉強すればよい。授業だけでは到底足りず、週に20時間くらいの猛勉は必要だ。外国語学習は一気呵成の集中が最も効率的なのだ。小中高大とダラダラ続く日本の英語教育ではまったく効果が上がらないのは、TOEFLの結果などから明らかだ。ほとんどの日本人は、ものにならない英語、役に立たない英語、に多大な時間と労力を強いられてきたと言える。国民のエネルギーの壮大な無駄である。この無駄をこれ以上大きくしようというのだから呆れるばかりだ。それに加え、AIの進歩である。あるAI専門家は私に、「あと6、7年もすればスマホに音声自動翻訳ソフトが入ります」と言った。今でも出来ているが、6、7年後には実用に耐える、性能のよいものが備わるというのだ。先日、京都の寿司屋に寄った。店主に「京都だから外国人の客も多いでしょう。外国語はどうされていますか」と問うと、「これがありますから」と言って、棚から白色の、手のひらに乗る機器を得意気に持って来た。店主は「これはすぐれもので、日本語と数10カ国語の同時通訳をしてくれるんです。ただ、買うと何10万もするので月3,000円で借りているんです。何か日本語で注文してくれませんか」と言ってあるボタンを押した。私が注文すると直ちに英語に翻訳されてきたのでびっくりした。これ以上のものが6、7年後にはスマホ機能に加わるのだ。今の小学生が社会に出た時には、日常会話程度なら相手がどこの国の人であっても、ボタンを押すだけとなる。8割以上の日本人は、英語の本や新聞や論文を読まないし、英語で難しい商談や外交交渉や演説をしないから、これで十分足りる。国民全員に小中高大と英語学習を強いるのは、どう考えても壮大な無駄であろう。
語学ができるほどだんだん馬鹿になる
2つ目は、日本人としての自覚の妨げになるということだ。幼い頃から英語を学び米英人に教えられるということは、単なる語学を超え、米英的発想、態度、文化を無垢な心に刻印されるということでもある。それは子供達が日本の文化、伝統、情緒、道徳のよさに触れる機会を減少させ、日本人としてのアイデンティティー形成の妨げとなる。さらには、英語を流暢に操る米英国人へのコンプレックスを助長する結果となる。あってはならない英米文化の世界支配、に加担する結果にもなりうる。外国文化を忌避する必要はないが、小学校ではまず自国の文化、芸術、文学などに触れ、自国への自信と誇りを身につけることが先決であり肝要である。3つ目は教養を積む妨げとなることだ。小中高で英語などにかまけていると、古今東西の名著を読む時間がとれず、教養が身につかない。例外的に優秀な者を除き、「教養と外国語並び立たず」なのだ。かつて英文学��の中野好夫氏は、「語学ができるほどだんだん馬鹿になる人間の方がむしろ多い」と述べた。教養の大切さは近著『国家と教養』(新潮新書)に詳述した。そこでも紹介したが、ある商社マンがロンドンに赴任していた時、取引先の家に招かれた。そこで尋ねられたのは「縄文式土器と弥生式土器はどう違うのですか」だった。「元寇は2度ありましたが、2つはどう違ったのですか」とも尋ねられたという。こういう質問に答えられないと、知的につまらない人と思われ、次に招いてくれなくなり商談も進まなくなるという。私自身、ケンブリッジ大学でフィールズ賞のトンプソン教授に初対面した時、こう聞かれた。「漱石の『こころ』の中に出てくる先生の自死と三島の自死とは関係あるのですか」。英語など、世界に出ればカタコトでいいのだ。教養があるかないかなのだ。話し方より話す内容なのである。またタイやサウジアラビア大使を務めた外交官の故岡崎久彦氏は私にこう語った。「外交交渉において勝負は、結局のところ『教養と人間的魅力』なのです」。グローバル社会で生き抜くため、若いうちに充分に鍛えるべきは、英語ではない。読書を通じ、知的充実に励むことなのである。
英語、IT、プレゼンは小手先技術
これほど無駄で、実害のある「グローバル人材育成」は愚民化政策と言って過言でない。反日的とも言える愚策に10年余りも政府や経済界が拘泥するのには訳がある。2001年に成立した小泉竹中政権の頃から、半ばアメリカによる洗脳と強要により、日本は新自由主義に大きく舵を切った。規制緩和、規制撤廃などを合言葉に、人、カネ、モノが自由に国境を越えるグローバリズムにのめりこんで行った。互いを思いやるという日本型社会に、競争と評価という世知辛いシステムが導入され、人々は生き残るため、我が国になかった自己中心主義や金銭至上主義に傾いた。そして政府は、グローバリズムでの敗者とならぬよう、デフレ不況克服という課題もあり、経済至上主義を政治の基軸に据えるようになった。当然の成行きとして、経済界の発言権がそれ以前に比べ格段に高まった。とりわけ、小泉竹中内閣の時代から、規制を作り守るのは官僚ということで、官叩きや官外しが始まり、代りに首相直下の経済財政諮問会議や規制改革会議などが、外交、国防を除く多くの政策の大綱を決めるようになった。各省庁はそれらをつつがなく実行する機関に成り下がった。そしてこれら内政を決定する、最強力な会議のメンバーのほとんどは、経済人、および新自由主義に染まったアメリカ帰りのエコノミストであった。この時以来今日に至るまで、官邸直属の会議による内政主導が続き、その主たるメンバーも経済界によって占められてきている。例えばここ20年間の大きな教育改革のほぼすべては、専門性のある文科省でなく、いわば教育の素人である経済界の提起したものであったと言える。彼等にとって教育とは、大学を出てすぐに役立つ有能なグローバル��士の育成なのである。英語、IT技術、プレゼンテーション技術といった小手先技術を小中高大で掲げたのはそのためだ。これでは文学者も芸術家もノーベル賞科学者も出なくなる。教育とはむしろ、「グローバリズムが決して人間を幸福にしない」、「経済より大切なものがある」といったことを分かるだけの教養や情緒を持つ人間を育てることなのだ。
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これから必要なのは、「平和」ではなく「戦争」をアップデートすること!? 実務家として紛争解決や武装解除をしてきた伊勢崎賢治と、コミュニティ分野での様々な企画を手掛けてきた伊藤剛。共に東京外国語大学大学院「平和構築・紛争予防コース」にて、平和コミュニケーションに携わる二人が、戦争とプロパガンダの関係について語り合う。(構成/山本菜々子)
画像検索してみたら
伊藤 ぼくは、「戦争」と「平和」という概念について、ここ数年コミュニケーションの観点からもう一度考え直しています。よく伊勢崎さんは「平和運動家はどうしてセクシーじゃないのか」とおっしゃっていますよね。一方で、戦争はセクシーだと。それがどうしてなのかという根本の部分に繋がることです。
伊勢崎 確かに、「平和」より「戦争」の方がセクシーですね。
伊藤 伊勢崎さんのお話を伺って衝撃的だったのは、実際の紛争地では、戦争がファッションとしてかっこいいと思って軍隊に入る人がいるという実態でした。ダボダボのカーゴパンツや、銃を撃つ姿がかっこいいと若者たちが感じている。そういう意味で考えれば、確かに戦争はセクシーなのかもしれませんね。
「戦争」と「平和」は対義語として使われていますが、コミュニケーション論的には決して対称ではありません。どういうことかと言うと、「戦争」は目に見えるものですが、「平和」や「愛」「正義」といったものは、すべて目に見えないものです。カーゴパンツや銃のように実体として存在しているわけではありません。つまり、誰かが頭の中で生みだした「概念」ということです。この「差」が、プロパガンダを考える上ではとても重要になります。
なぜなら、「平和」という言葉を使ってコミュニケーションしようと思ったら、目に見えない以上、投げかけられた人たちの頭の中に浮かぶイメージは異なるということです。だから、まずはそれぞれの頭の中にある「平和」をすり合わせないといけない。コミュニケーション的には一手間かかるんです。
一方、「戦争」は違います。戦争のイメージはかなりの部分で共通しています。試しにGoogleなどの画像検索で「war」という単語を入れて見てください。戦車があったり、人が死んでいたり、いわゆるぼくたちの抱く「戦争」のイメージと重なると思います。でも、「Peace」で画像検索してみると、曖昧な画像ばかりが出てきます。よく分からない平和のマークだったり、青空だったり、かなり抽象的なものばかりですよね。
コミュニケーションの素材として、「戦争」と「平和」にはこれだけの差があります。存在する戦争はコミュニケーションしやすいんです。恐怖のイメージが一瞬にして共有できますから。
だからなのか、平和運動の人たちが使う「平和」は「反戦」とイコールの意味で使っていることが多い気がします。訴求しやすい戦争を前提として、それに反対を唱える投げかけ方です。また、原発問題に関しても同じで、「反原発」を掲げることで「原発」の前提を利用する方法です。でも、「反○○」とした時点で、コミュニケーションとして考えれば相対的に弱くなってしまう。
もしもコミュニケーション戦略として勝とうと思ったら、「戦争」という言葉を使わずに「平和」をどう表現するのかを発明しないといけないわけですが……。
伊勢崎 うーん。「戦争」という言葉を使わずに「平和」を語るのは無理だと思いますね。「平和」というのは、やはり、アンチテーゼでしかないと思うんですよ。
例えば、核を生みだした時に、「戦争」と「平和」はもはや対義語ではなく、限りなく同義語になってしまったと言えるかもしれません。
核兵器として、まず五大国が保有した。続いて、中国と領土問題を抱え局地戦になったインドが核実験を強行。それに慌てた、インドと分離独立以来戦争状態のパキスタンが続く。
NPT体制的にいうと、インドとパキスタンの保有は“違法”ですけど、インドはずっとこの体制は“不平等”と撥ね付けています。ウラニウムを濃縮するだけで途上国でも核武装できるから厄介なのですね。パキスタンの場合は、国家としてというより、あのカーン博士が築いた個人的な裏のシンジケートで濃縮技術を世界中から集めたのですから、ホント、タチが悪い。
人類が持つ核不拡散の唯一のレジームは、残念ながら、こんな脆弱なものなんですね。だから、核の「平和」利用ということで、原発技術を援助することで、こういう国の内政に入り込み、核兵器への転用禁止を「援助の条件」として約束させるしかない。その約束も、確実に守られる保証はない。
そして、核武装をすることで「戦争」が抑止されているという側面もある。
伊藤 反戦のための核利用ということですね。より大きな戦争を止めるために核武装をしているという。
伊勢崎 歴史的にはキューバ危機がありましたが、スーパーパワー同士は直接的な戦争をしていないわけです。大きな戦争を国境で繰り返してきた印パ関係も、両国の核武装以来、「通常戦」が抑止されているという事実もある。一度、ホントに核のボタンが押されそうになりましたが……。特に、インドに比べ国力、通常戦力で圧倒的に劣るパキスタンは、数ある印パ戦争でボロ負けしていますので、核があるからこそインドに征服されない「平和」がある、と国民全体が信じ切っている。パキスタンをイスラム教国として初めて核武装させたカーン博士は、ダントツで国民の英雄です。
だから、「通常戦」を抑止することが「平和」と考えたら、核武装は「平和」のための手段ということになっちゃう。「通常戦」でも、人は大量に死ぬわけですから。
そう突き詰めて行くと、「非核」というのは、「非戦」が完全に達成される状況になければ不可能、ということになります。つまり、核を、皆が、いっせいのせっ、で放棄できる「人間性善説」が支配する状況ですね。誰かが「後出しジャンケン」のようなズルをして世界の王様になるなんて考えなくて済むという。こんな状況、一体いつになったら来るのか。
これからの近未来を支配する対テロ戦か���どう抜け出すかも分らないのに。というか、パキスタンでは、元々「個人の努力」で保有した核が、テロリストの手に渡ってしまう近未来を想定しなければならないと、隣のアフガニスタンで戦うアメリカは本気で心配しているのです。つまり、「いっせいのせっ」にテロ組織も入れなければならない…。
伊藤 そうなると、前提を「戦争」にするのはある意味で仕方ないということですね。しかし、コミュニケーションとしての「平和」には、もう活路はないということなんですかね。
伊勢崎 諦めたくはないですね。核は無ければ、それに越したことはないのですから。広島、長崎、そして福島と、人類��上で最も原子力の悲劇を味わった日本だけがなれる、世界のモラルオーソリティの国になるという選択肢はあるでしょう。
伊藤 夢見がちな国になるしかないと。
伊勢崎 いえ。今までの護憲派のようでは、世界のモラルオーソリティなんて無理です。官民共にオール・ジャパンで、ホントに命かけて世界に出かけて行って「非戦」を実践しないと。と、こう言ったら真っ先に手を叩くのは、自分ではもう出かける体力もない無責任な年寄りばかりで、若者は今、完全に内向きですからね。ホント、どうしよう。
isezaki-itou
恐怖を可視化する
伊藤 「戦争がビジネスである以上、平和もビジネスにしないと対抗できない」とは伊勢崎さんがよくおっしゃっていることですが、概念としてはとても賛同できる。つまり、「産業対産業」にしないと戦えないということですよね。
伊勢崎 そう。どうやって平和を産業化していくか考えていかないといけません。でも、まだ、掛け声だけで終わっています。僕も無責任ですね。
伊藤 実は、今回の一連の原発を巡る反応を見ていて、ちょっとしたヒントのようなものがあった気がしています。というのは、「戦争」と「平和」の対立を「原発推進」と「反原発」に置き変えるなら、一般的なイメージとしては平和側が反原発で、原発推進派が戦争側のように捉えがちです。でも、そうじゃなく、逆だと設定して考えてみました。
今回、原発肯定側、もしくは反原発までは思い切れない側の人たちの根底にあるのは「電力を節約して、今ある豊かな生活を失いたくない」という思いです。つまり、今の豊かな生活を平和と捉えるならば、「この平和を維持したい」と思った人たちがたくさんいたということです。
一方、放射能の恐怖で動いたのが反原発側だったとすれば、「恐怖をあおる」という戦争のコミュニケーションの手法を使った側とも言えます。でも、今回の場合は「恐怖訴求」では勝てなかったわけです。
戦争とプロパガンダを考える上では、ここから何が読み取れるのかを考えないといけません。ぼくも含めて、間違いなく確実に国民の多くが、放射能についての恐怖をおぼえたはずです。
事故当初の時期は、ある種のパニック状態でさえあった。でも、最終的にはぼんやりとした平和に勝てなかったんです。前回の総選挙の結果でも、経済政策を打ち出した自民党が圧勝して、原発は争点にさえなりませんでした。そう考えると今回は、豊かさの維持を願う平和が勝った事例だとも言えますよね。
伊勢崎 つまり、民衆を動員する最も有効な手段が恐怖をあおることである。反原発派にしたら、最大の「チャンス」が巡ってきたわけですね。でも、それを十分に生かせなかった。
伊藤 そうかもしれません。確かに、放射能は恐怖そのもので、当初は「目に見えない」からこそ恐かった。けれど、目に見えない分だけ、逆に時間が経つごとにみんな馴染んでしまいました。同じ恐怖でも、やはり目に見えないものはいつか馴染んでしまうんですね。まさに、あいまいなイメージを持つ平和と同じです。
だから、反原発派としては、原発が無い未来をイメージしやすいようにPRするか、原発の恐怖を「見える形にする」しかなかったのではないかと思います。
そのことをどれくらい意識して作ったものか分かりませんが、3.11後に連載が始まった『ヒトヒトリフタリ』(ヤングジャンプコミックス)というマンガ作品があって、見えない恐怖を可視化する方法として、はっとさせられる手法を提示していました。
これはあくまでフィクションですが、物語の舞台は福島原発事故後の日本で、余命1年半と守護霊に宣告された日本国の首相が、その余命内にリーダーシップを持って反原発を進めるというものです。
その中で、彼が福島原発事故の現場視察に行くシーンがあるんですが、そこで国民に対してある行動をとります。何をしたかと言うと、コップに「汚染水」を入れて飲むんです。そして、「近い将来に自分の身体に出た異変が放射能の脅威だ」みたいなことを言うんですね。「汚染水」を飲むことで、自分自身を原発事故に見立て、見ない恐怖を見えるようにしたんです。
伊勢崎 それは、国民にはすごいインパクトでしょうね。放射能の恐怖が目に見える形で表れるわけですから。
伊藤 そうですね。しかし、現実にはそんなことはできません。いずれにしても、同じ恐怖でも戦争とは違い、目に見えないままの恐怖では、経済の豊かさを求めるエゴには勝てないことがよく分かりました。
伊藤 本当は「反戦」ではないアプローチで、「平和」を可視化して見せることの必要性をすごく感じてはいるのですが、一方で伊勢崎さんが言うように、その限界も感じています。
ここ数年、色んな国の人たちに平和と戦争にどのようなイメージを持っているのかについて「戦争と平和の境界線」を聞く調査をしているんです。集まってきたものを見ると、やはり「平和」のイメージがぼんやりしているのは想定内だったのですが、別の傾向にも気がつきました。
それは、「友だちと笑い合えること」「大好きなビールが飲めること」といったような、非常に個人的なミクロな視点からの意見が平和側に多いことです。一方で、「戦争」に関しては「国と国とが戦うこと」「大量に人が殺されること」というようなマクロな視点の定義が多い。つまり、戦争と平和は、“視点”においても誤差があります。
そこで思ったのは、「平和」ではなく、イメージが固定化された「戦争」についての方がコミュニケーションでアプローチする余地があるのではないかということです。戦争にはミクロな視点が欠けています。「平和」が何かを定義づけるよりも「戦争」が何であるのかをミクロの視点で定義してみせる方が、今後のコミュニケーション戦略として可能性があるのではないかと。
日本人に関して言えば、今ぼくらが思い描く「戦争」というのは、70年前の固定化されたイメージです。あれと同じようなことが現在でも起きるのかといえば、本当は違うと思うんですよ。例えば、第一次世界大戦と第二次世界大戦では、戦争の形態がまったく異なります。
第一次世界大戦の勃発した当初は、馬に乗って国境線付近で塹壕戦をするような戦争でしたが、30年後の第二次世界大戦では爆撃機の登場により、兵士だけが国境で戦うものから、市民を巻き込んだ総力戦になりました。つまり、テクノロジーの進化によって、戦争のイメージは変わったわけです。
あの戦争から70年も経った今、テクノロジーの進化は比べものになりません。戦争も同様で、今ではロボット兵器や無人偵察機が中心となっているような時代です。そう考えると、70年前の竹やりを持って市民が戦うというような「戦争観」では古すぎると思うんです。
伊勢崎 よく、憲法9条がなくなると、「子どもが徴兵制に取られる」なんていう物言いがありますけど、これ、同じ護憲派として「?」と思う。これこそ、プロパガンダじゃないかと。
伊藤 徴兵制も、きっとぼくたちがイメージする形態とは変わっていくと思います。これだけ兵器の科学技術が高度化していると、それなりの専門性と経験を持った人じゃないと兵器を扱いきれないでしょう。
徴兵したとしても、結局2、3年でいなくなる人間に技術は習得させられません。民間企業で考えてみても、辞める前提のインターン生に中枢の仕事を教えるようなもので、それは非効率的です。ちゃんとトレーニングをした正社員の方がいいとなると、徴兵制ではなく軍事会社に外注することがスタンダードになる可能性もありますよね。
仮に、徴兵制が維持されたとしても、戦地と遠く離れた安全な部屋の中で、ゲームのコントローラを握るような遠隔操作の任務が主業務になるのであれば、腕立て伏せが何百回出来ることよりも、ゲーム技術が上手い人の方が重宝される可能性もありますよね。
伊勢崎 これからは、無人爆撃機をはじめロボットに殺される時代ですからね。その規制しようにも、国際法が追いついていけません。
伊藤 特にロボット兵器の進化は凄まじいですね。
伊勢崎 味方の兵士の犠牲もないし、だいいち安くつく。対テロ戦の現場ではよく問題となるのですが、性犯罪も含めて生身の人間兵士による人権侵害もないから、外交的に窮地に立たされる心配も少なくなる。想定する「戦争」の様相が、急速に様変わりしているんですね。
伊藤 「徴兵制」なんて選択肢は、これからの「戦争」では、経済的な観点から考えるとなかなか難しいのかもしれませんね。そう考えると、これからは一般人が戦場に行くような戦争は減って、ぼくたち一般人が受ける弊害というのは、まず情報にアクセスしにくくなるという形で表れてくるのかなと思います。
これからは、「平和」のアップデートが難しいとしたら、現在の「戦争」がどのようなものなのか、それをアップデートすることが必要なのかもしれません。戦争に一歩ずつ近づいている距離間に気がつくための作業というか。
伊勢崎 護憲派の戦争観が追いついていないですよね。ぼく、護憲派の集まりによく呼ばれて講演するんですが、彼らの戦争観とのズレをスゴく感じます。アフガンの現実なんか話すと、なんか彼らの「非戦」に反対しているように捉えられて、マズイ雰囲気になることもある。
伊藤 「戦争反対」と言っても、そもそもの「戦争」の認識が違っていたら難しいですよね。
普通の「女子高生」が巻き込まれた
伊藤 「平和」をコミュニケーションすることは難しいことが分かったので、これからは「戦争」を伝えるところにチャレンジしたいと今日改めて思いました。もっと戦争をミクロの話にまで落とし込めればいいのかなと。
ぼくがすでにやってきた戦争体験記録の手法として、「WAR EVE」という活動をしてきましたが、そこにようやく繋がった気がします。WAR EVEとは、日本語に訳すと「戦争前夜」ですが、意味合いとしては「戦時下の日常生活」を記録しています。被爆体験者やひめゆり学徒隊の人たちが語るリアルな戦争体験談は、歴史的に貴重な記録としてさまざまな団体がアーカイブしてくれています。それらがちゃんと残る前提で、ぼくは違うアプローチでやろうと思って、戦時下の日常生活を残しているんです。
伊勢崎 いいですね。
伊藤 特に聞いていて面白いのは、恋愛の話��すね。大体みんな「あの頃は軍国少年だったから、恋愛などありませんでした」なんて最初は言うんですが、決して嘘をついているわけじゃない。今まで聞かれたことがないんです。だから思い出せないんですね。
広島の被爆者の方で言えば、彼らは8月6日までは普通に生きてきた人のはずなのに、「被爆者」になってからの話しか周りに聞かれないわけです。ある意味で、ぼくらが彼らを「被爆者」にし続けてきたとも言えます。
取材の初めの頃は、恋愛なんて無かったと言う人も、「他の方はこんな話をしていましたよ」とぼくが聞いた話をすると、まるで記憶の鍵が開くような感じで、こんなこともあった、あんなこともあったと思い出し始めます。
そうすると色々出て来るんですね。例えば、大好きな先生がいて、その人が風呂屋の友達のところに毎日くるので、そこの天井にのぼって先生を覗いていたとか。
伊勢崎 (笑)。
伊藤 他にも、学徒動員されて働いていた軍事工場で、倉庫に積まれていた荷物を外からは見えないように中をすっぽり空洞にして、みんなで逢い引き部屋にしていたとか(笑)。興味深い話がいっぱい出てきたんですよ。
恋愛の話だけじゃありません。長崎のある被爆者の方は野球が大好きな少年で、後楽園球場まで観戦に行っていたらしいのですが、それが1943年とかなんです。
伊勢崎 43年ですか。そのころまで野球を観ていたんですね。
伊藤 ぼくたちは、41年の真珠湾攻撃以降は、いわゆる娯楽もない戦争状態のイメージを持っていますが、スポーツ観戦も映画鑑賞も日常としてあるんですね。ある意味で、ぼくらと同じ日常生活を送っています。
「被爆者」の上に原爆が落ちたのではなく、現代と同じように恋をしたり日常を享受していた人たちの上に落ちたんだと知ると、急にリアリティが湧いてきます。
また、今まで教科書で習った通説と違った事実もいろいろ出てきます。例えば、「ベイスボール」を「野球」に変えていったと授業で学んでいたので、当時の学校教育では敵国の英語を全部廃止したと思っていました。ところが、実際に話を聞いてみると、学校ごとに、先生によっても全然違っていたようです。ある学校では、「君たちはアメリカに勝っていずれ占領するんだから、英語を学ばなければいけない」といって教えていたりするんですよ。
伊勢崎 そりゃぁ、そうだ(笑)。道理ですね。
伊藤 ミクロの視点に立つと、ぼくたちが知っている戦争とは全然違う姿が浮かびあがってくるんです。
実は、「WAR EVE」の企画のヒントになったのは、沖縄のひめゆり学徒隊のおばあちゃんたちへの取材だったんです。彼女たちは戦争体験をとても流暢に話します。毎日毎日、修学旅行生などを相手に話しているため、まるで「語り部」という職業があるかのように、本当に淀みなく話されます。
そこで、もう少し崩して話を聞けないかと、当時の同級生の数人に集まってもらい、座談会形式でやったんです。ところが、やっぱりいつものような流暢な話が順番に続いていきました。どうしたものかなぁと思って、休憩を入れてぼくはトイレに立ったんです。帰ってきたら、ちょうど3人で雑談をしていました。雑談の内容は、当時は学校に新入生が入ってくると、女子寮の中の先輩で誰が一番かわいいかの“美人投票”をする習慣があったようなんですが、「なぜ、私が選ばれなかったのか」と3人とも白熱した議論をしていたんです(笑)。
伊勢崎 (笑)。
伊藤 それを見て「これだ」と思いました。本当に新鮮だったんです。それまでも、彼女たちが着たセーラー服姿のモノクロ写真も見ていましたし、頭では高校生であることは分かっていました。けれど、本当に「女子高生」だったんだと、実感として理解できたんです。
伊勢崎 普通の「女子高生」たちの姿が、「戦争」を身近に感じさせるということですよね。等身大さが増すことで。
伊藤 でも、戦後は誰もそんなことを彼女たちに尋ねなかったんです。
伊勢崎 効果的な悲劇の記憶の残し方ですよね。現代人が日常生活に引き寄せて感じられる。
伊藤 そうなんです。だからこそ、戦時下の日常を今のうちに残しておかないと、彼女たちが亡くなってしまったら、きっと戦争体験者を今まで以上に「神格化」してしまうと思ったんです。
「戦争」と聞くと、ぼくたちの頭の中ではモノクロ写真で想起されます。でも、モノクロの世界は存在しません。いつの時代だって、空は青い。同じように、戦争体験もモノクロ化してしまっているので、それをカラー化するためには日常とセットにすることが必要だと思います。その作業を出来るうちにやっておきたいんです。
「戦争はダメ」の限界
伊勢崎 戦争を記憶に留めるやり方の一つに、ミュージアムを建てる方法がありますよね。あれも必要なことだとは思います。歴史は風化しますので、教育カリキュラムの中でミュージアムを見学することは大事なことです。
そう言えば、うちの息子が原爆ドームに修学旅行にいって、教師に広場のようなところで強制的に「平和音頭」を踊らされたようで、「すごく恥ずかしかった」と言っていましたね(笑)。
伊藤 戦争体験の継承は、決して「平和音頭」を踊ることではないですね(笑)。一方で、多くの学校が平和教育の一環で広島や沖縄に行って、何人もの語り部が戦争体験談を語って、生徒が一方的に聞くという形式で行われていますが、聞かされれば聞かされるほど「あなたたちは戦争のこわさが、平和の意味が分かっていないでしょ」と言われている気になってしまう気がします。
伊勢崎 その感覚は良くわかります。どんなに正論でも、「説教」はいやですよね。
伊藤 今まで、戦争については戦争体験者しか語ってきませんでした。ひめゆりの歴史は、ひめゆり学徒隊の人しか語れない。原爆のことは被爆者しか語れない。ですが、本来は、もっと科学的でないといけないとも思います。
例えば、飛行機事故で考えると、もし大事故で数名の生存者がいた場合、彼らの体験を聞くことは大事ですし、聞きたくもなると思います。でもそれと同時に、なぜ飛行機事故が起きたのか、航空会社に「事故原因の究明」を求めると思うんです。
一方、戦争の場合は、生存者の話を聞いて涙することに留まってしまいがちです。なぜ戦争が起きてしまったのか、これから起こさないためにどうしたらいいのか、体験者以外の視点で議論していく必要がありますよね。
おそらく、飛行機事故の方は、いずれ自分も巻き込まれるかもしれないという「当事者意識」があるわけです。でも、戦争のことは当事者にはならないと思っているからこそ、体験談を聞くだけに留まっていることができるのではないでしょうか。でも、体験者じゃなくても、当事者にはなれます。
これは、体験者自身のことを軽んじているわけではありません。しかし、体験者は体験したことしか分からないわけです。包括的に分かるためには科学的なアプローチが必要です。
伊勢崎 体験した悲劇だけを切り取って伝えることで、二度と同じことがおこらないと思うのは、単なる思い込み、ということですね。
伊藤 そうです。そういう意味では、「自然災害」の分野の方が進んでいると思います。被災者に話を聞くだけではなく、災害が起きる前提に立って、地震を防ぐのは無理でも、どうにか減災しようと考えています。つまり、「防災」という概念が一般の人にも根づいています。もしも戦争を無くすのが現実的ではないなら、せめてどうやって被害を最小限にすることができるのか、それを考えたい。
「戦争はダメ」という教育アプローチはあってもいいと思いますし、大切なことだとも思います。でも、「戦争」か「平和」のどちらかを選べと言われたら、「平和」を選ぶに決まっています。それでも、戦争が起きてしまうからこそ問題があるわけで。だとしたら、なぜそれでも起こってしまうのかを考えないと意味がない。単に反戦を刷り込むだけが「平和教育」なら、教育としては貧弱であると思います。
伊勢崎 これは、平和教育のあり方に対してのアンチテーゼですよね。ぼくは100%賛同できます。
伊藤 着眼点さえ見つかれば、やれることはまだまだあると思っています。伊勢崎さんの協力も頂きながら、これから具体的にやっていきたいと思います。
伊勢崎 やらなきゃいけないことが沢山ありますね。
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天安門30年を前に勃発した労働争議が意味するもの 福島 香織
5月から深圳で続いていた深圳佳士科技公司(JASIC)の労働争議で、8月24日に支援者の学生ら50人が一斉に身柄拘束された。中国の工場において労働争議自体は珍しくないが、この労働争議の目的が賃上げや待遇改善にとどまらず、共産党に支配されない労働者による自主的労働組合を設立するという政治的要求が中心になっていること、大学生、大卒生らや共産党左派の知識層が運動の推進力となっていることなどから、国際社会も注目していた。だが8月に入り、労働争議の支援者リーダーであった活動家の沈夢雨が当局に連れ去られたことをきっかけに、運動が完全に弾圧されかけている。
大学の有志や香港の人権組織、党の左派人士らが中心になって沈夢雨の釈放を求め、香港では労働組合の設立を求めるデモなどを行っているほか、日本を含めた海外メディアも取材に動いているが、当局側は、この労働争議を「外国の非政府組織による煽動」と決めつけ、徹底弾圧する方針のようだ。日本では“深圳スゴイ”の見出しでAIやIT企業の現場としての活気あふれる様子で取り上げられることの多い深圳。なぜ、この地で突如、労働者の政治的要求運動が広がっているのか、それがどこに行きつくのかを考えてみたい。
現場となったJASICは2005年に設立した溶接機の開発・製造企業。深圳、重慶、成都などに工場を持ち、深圳工場の労働者は約1000人。賃金未払いや厳しい罰金制度、保険や住宅基金の削減、トイレにまで監視カメラをつけるプライバシー侵害といった奴隷のような劣悪な雇用条件であるという。2015年以降、この状況はますます悪化していく。一つは、同年ごろから本格化した習近平政権の労働者権利運動を含む「維権」(権利維持運動)の抑え込み政策だ。この年の7月に起きた大量の弁護士・人権活動家拘束はそうした習近平政権の弾圧政策の一つといえる。広東省で育っていた労働者の権利運動NPOのリーダーたちもこの年、冤罪容疑で次々と拘束されていた。
もう一つは、「新常態」宣言という建前で認められた経済停滞だ。AIやIT分野で活気あふれる深圳の姿ばかりがクローズアップされるが、深圳だけでなく多くのほとんどの工場の利益は激減し、そのしわ寄せは労働者にきている。香港の労働者権利擁護NGO・中国労工通訊によれば2017年8月から2018年8月の一年の間に1860回のストライキおよび労働者デモが発生。2015年から2017年の二年間の統計では、6694回の労働者集団抗議活動が発生している。そうした労働者抗議運動の8割は未払い賃金の支払いや賃金アップといった賃金に関する要求であった。
労働組合設立を要求
だが、JASICで起きた労働争議はこれまでの8割の労働争議とは大きく違った。JASIC労働者の要求は自主的な労働組合(工会)の設立だったのだ。きっかけはJASIC深圳工場のごく普通の労働者・余浚聡が4月、SNS微信の工場グループチャットで「徒歩」をさせられたと、愚痴ったこと。「徒歩」というのは労働者に休み時間を利用して(健康管理などのため)に歩かせることだが、労働者にとってこれは貴重な休息時間を不当に奪われることだ。彼は強制徒歩を5日間で8時間もやらされた。一種の嫌がらせであろう。グループチャットで愚痴ったことがばれ、彼は班長に殴られた上、5月10日に解雇された。余浚聡はこのことに不服で、労働者権利運動を始めることになった。
一方JASICの労働環境の劣悪さについては、他の労働者も耐えきれないものがあった。余に同情したこうした労働者の有志たちは、余浚聡事件後、強制徒歩や苛烈な罰金制度など工場の違法について深圳市坪山区の総工会に訴え出たところ、区の総工会は、工場内に労働者による自主的労働組合を設立して問題を解決してはどうかと提案した。だが、工場内で自主的労働者組合を設立する段になって、工場側は自分たちの息のかかった労働者を代表に送り込み圧力をかけたので、労働者たちが自主的に選んだ代表は選出されなかった。工場側がつくった“なんちゃって自主労働組合”には、設立後89人の労働者が加入したが、実は消防訓練参加用紙だといって騙してサインさせたのだった。
一方、労働者たちが自分たちで選んだ代表・劉鵬華は7月になって工場内で何者かに殴られて救急車に外に運ばれた後、警察に尋問を受けるという仕打ちをうけた。この脅しはむしろ、労働者たちの結束を固め、工場に対する抵抗運動は広がる結果になった。その後も、労働者有志が暴行を受けたり、不当に解雇される事態が相次いだ。
ついに7月20日、工場に突如警察や保安部が押し入り、工場側に抵抗する労働者たちを拘束。これに怒りの声と労働者有志たちへの声援を送った一般労働者あわせて20人が地元警察に連行された。彼らは翌日釈放されたが、労働者たちはその翌日、地元派出所の前にいき、「自主的労働組合を認めろ」「暴力警察に懲罰を!」といったスローガンを叫び、「団結こそパワー」という解放軍歌を合唱した。
この派出所前で抗議活動をした約30人の労働者は27日に再び拘束され、うち6人に対しては挑発罪容疑で刑事拘留された。このことを聞き知った中国各地の学生や人権活動家が29日、派出所前に応援に駆け付けた。この中に、広州の著名労働者権利運動活動家の沈夢雨の姿があった。
沈夢雨は中山大学を卒業し、数学・コンピュータ専攻で同大学院まで言ったエリートだが、在学中に労働者の権利関連法を独学し、その境遇を理解したいという動機から2015年から日系自動車部品工場(広州日弘)に労働者として就職、今年4月、工場の賃上げ運動のリーダーを務めたために解雇されたのちは、その経験を生かして労働者権利擁護活動家になっていた。
学生、労働者ら15人を率いて沈夢雨は30日、地元坪山区の書記に公開信書を渡し、拘束されている労働者の釈放を要求。烏有之郷や毛沢東旗幟ネットといった左派サイトの代表者ら共産党員を含めて1100人がこの労働争議に労働者の立場から声援を送り、運動はいつしか「労働者階級の正義の闘争」という形で国内インターネット上に広がった。
これに連動する形で北京大学や清華大学の有志たちによる声援文が次々とネット上で発表された。当局により数時間後には削除されたが、それでも閲覧数は万単位にのぼった。7月29日の段階で中国の重点大学を含む十以上の大学の有志による声援文章が発表されては削除された。さらに香港大学や香港中文大学の著名教授ら100名以上が逮捕された労働者の釈放要求書に署名し、8月1日にはアムネスティ・インターナショナルも「労働者の組織結社の自由の権利を尊重せよ」との声明を発表。香港では中聯弁(在香港の中国共産党本部)前で抗議デモが展開された。
だが8月11日に、沈夢雨は当局から圧力を受けた叔父夫婦に呼び出される形で、連行された。22日の本人による声明では、深圳のとある別荘で公安の監視下で軟禁状態にあるという。その後、彼女の消息は不明。また、運動にかかわった労働者らは30平方メートルほどの��監室に押し込められて、食事をするときも、訊問を受けるときもひざまずいた格好で、人としての尊厳を守られていない、とラジオ・フリーアジアが関係者の話として報じた。運動の核となる沈夢雨の姿が消えたことで、労働者側の勢いは弱まり、8月24日には防暴警察隊が労働者や支援者の拠点となっていた民家に押し入り、その場にいた50人を連行した。
♯MeToo運動の学生有志も連行
その中には北京大学外語学院卒業生の岳昕や中国人民大学、北京外語大学、湖南大学の学生が含まれていたという。
岳昕は今年春♯MeToo運動の流れに乗って、22年前に北京大学で起きた教授の女子学生に対するセクハラ事件(女子学生は自殺)の真相について情報公開を要請した学生有志の一人で、この情報公開請求によって大学側から圧力を受けるも、人民日報や中国青年報が岳昕側を応援する論評を発表(すぐに削除)するなど、党内部の議論も呼んだ岳昕事件の中心人物でも知られる。この24日の支援学生ら一斉拘束と同時に、新華社は外国NGOの煽動によるもので、運動の中心人物であった余浚聡や劉鵬華らが所属していた労働者センターは、「某国の資金」や「指導」を受けていたと主張。翌日には環球時報が「中国は絶対に西側の方式をあがめるやり方では、問題解決できない」と訴え、今回の労働争議が、西側勢力による中国社会秩序のリズムを動揺させる画策であったという陰謀説をほのめかせた。
ところで、興味深いのは、この労働争議は事実上、共産党の支配する労働組合に抵抗した労働者の自主的労働組合設立という、共産党体制の根本を揺るがす政治的要求を掲げているにもかかわらず、「労働者階級の正義の闘争」という社会主義革命的、毛沢東的スローガンを掲げ、党内左派人士の支持を得ているという点だ。
一方、習近平政権は、労働者権利擁護運動を外国組織の陰謀と批判し、中国的秩序をひっくり返す動き、つまり民主化要求運動の萌芽として警戒を強め、こうした運動のリーダーをつぶしにかかっている。となると、習近平の目指す方向性は本当に社会主義強国なのか。資本家への富の偏りを是正し、労働者や農民、庶民に希望をもたらす(という建前の)共産党の正統性を受け継ぐ政権と言えるのかどうか。労働者権利擁護の運動を、治安維持の暴力で抑え込むやり方は共産党の正統性を自ら否定することになるのではないか。
習近平政権と労働者、どちらが社会主義の“正義”を体現しているかと言えば、間違いなく労働者側だ。こうした労働者勢力を自分の支持層に取り込めない習近平は、毛沢東のような存在感を目指しているのかもしれないが、けっして毛沢東にはなれないということでもある。毛沢東にあれほどの暴君ぶりが可能であったのは、中国の農民・労働者の圧倒的支持があったからである。そういう意味では習近平は知識層も資本家も、そして労働者ら低層社会の人々も、右派も左派も敵に回している。今の中国の在り方、政権の目指す方向は、右から見ても左からみてもおかしいのだ。
同時に、高等教育化が進み、労働者と知識層の境があやふやになってきた現在の中国では、単���に知識階級や資本階級と労働階級の対立をあおるというやり方で社会不満のガス抜きができなくなっている。だとすると、たとえ階級闘争のスローガンで始まった戦いも、やがては民主化運動につながっていくのではないか、という予感がして仕方がない。だからこそ、香港の知識人たちが肩入れするのではないだろうか。社会主義的なスローガンで運動を推進しようとしている人たちも、本音ではこれが民主化につながることを期待しているような気もする。
深圳で労働者運動が起きた意味
こういう労働者運動が、中国のハイテク化企業が集中し、不動産バブルが膨らみ続け、証券市場もある資本主義の香りが濃厚で、かつ香港という自由と民主と自治の価値観が強く浸透している街に隣接する深圳で起きたことに、やはり私は時代的意味を見出さずにはおれない。
ふと思い出すのは、数年前に、「蟻族」(都市の高学歴低層労働者)の研究で知られる中国人学者・廉思と懇談したおりに交わした会話だ。私は「中国の体制や社会が劇的に変わるとしたら、共産党内で指導者たちによって変革がもたらされるのか、社会の低層からの運動や欲求が社会を変えていくのか、どちらの可能性が高いと思うか?」と質問した。このときは習近平政権の性格について国際社会も意見が分かれており、習仲勲という開明派政治家の息子である習近平はひょっとすると、ゴルバチョフや蒋経国のような体制変化をもたらす新しい指導者になるのではないか、という期待を言う人も多かったのだ。
だが彼は、間髪入れずに「社会の低層の権利要求運動に本当の突破力がある。党のトップから変革をもたらすことは難しい」と答えた。そうした低層の権利要求運動には、蟻族に代表されるような高学歴でありながら低層労働者側に立つ若者の力が鍵となっていくと予言していた。一応体制内学者である彼は「まあ、今すぐというわけではない。10年後かそれより先か」と慌てて付け加えていたが、10年を待たずして、こういう動きが今起きているのだから、この予言は当たっているといえる。
8月24日の学生たちの一斉拘束で、この労働争議は完全に抑え込まれるかもしれない。だが、労働者の権利要求の高まりは、習近平路線が今の国家権威主義経済路線をとり、米中の貿易戦争が悪化し、中国経済に急ブレーキがかかるなか、深刻化こそすれ解決はしない。第二、第三の政治的要求を伴った労働争議や権利要求運動が各地で起き、おそらくはどこかの時点で政権の治安維持能力を超える、労働者と知識階級、党内人士そして国際社会が連動する形の大型の運動に発展していくのではないだろうか。それが5年後かもしれないし、もっと早いかも、あるいは遅いかもしれないのだが、来年が1989年の民主化運動とその弾圧事件であった天安門事件より30年目だということを思うと、いろいろと考えさせられる。
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松木國俊(元豊田通商ソウル事務所駐在員)
「遊びに来て」が災いのもと
私は一九七二年に学生として初めて韓国に行きました。クルマといえばトヨタのコロナばかりが走っているころで、裸電球が���ったりし、初めてなのに、どこか懐かしい気がしました。韓国語は欧米の言語と違って語順が日本語と同じだし、顔も日本人と似ている。けれど、表面はそっくりでも中味は大違いです。
大学卒業後豊田通商に入社。一九八〇年にソウルに駐在しましたが、日韓の文化の違いに驚かされました。
日本でも「忠孝の倫理」とか言いますが、韓国では忠より孝が大事。会社の大事なお客が来るときに、韓国人のパートナーが休んでしまう。「お父さんの誕生日だから」と言うのです。仕事のあとで駆けつければいいじゃないかと言うと、「そんなことをしたら周りから白い目で見られる」。考え方が日本とは根本的に違う。言葉の意味も違う。例えば「約束」。ある程度できそうだという見込みがあれば「できる」と約束してしまい、状況が変わると守れなくてもしかたがないという考え方です。「予定」も違う。「明日お客が空港に何時に着く予定だから迎えを頼む」と言っておいたのに、予定の時間に会社にいるので焦って事情を聞くと、「あれは予定でしょ。決定するのを待っていました」との答えがかえってきました。
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人と人の間の距離感も違います。韓国人は親しくなってある線を越えると、その内側の相手は身内ということになる。身内ならお金も貸すし、いつ家に遊びに行ってもいい。相手の都合なんかおかまいなしです。私の日本人の友だちが韓国人の女性と結婚しましたが、当時夜間外出禁止令があって、夜、家に帰れなくなった親戚がしょっちゅう泊まりに来る。プライバシーなんかあったものじゃなくて閉口していました。
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ある日本人の夫婦が韓国のアパートに入居したとき、エレベーターで隣家の人に会ったので「いつでも遊びに来て」と挨拶したら、その晩に家族五人でやって来て、食事中だから待ってと言ってもかまわず上がりこみ、テレビを勝手につけたり冷蔵庫を開けて飲み物を出したりで、嫁さんが「こんなところにはいられない。日本に帰る」と叫んだなどということもありました。
ジャーナリストの室谷克実さんは慶応大学時代の二年先輩ですが、その室谷さんに聞いた話です。──ソウルのホテルの鮨カウンターで食べていたら、ウェイトレスが「(そのホテルの)社長様がいらっしゃいましたので席を譲ってください」と言う。こっちが客だよ、と窘めても、「私は社長様から給料をもらっていますから」と平気な顔だったそうです。日本と逆で、外部の人に話すときに身内のものに敬語をつけるんです。「父上様は今いらっしゃいません」「課長様は今いらっしゃいません」という調子です。一番大切な身内にすら敬語を使わない日本人は極めて不道徳となるのです。
身分格差
韓国人は大げさな表現が好きで、すぐ話がふくらんでしまう。造船輸出が急激に増えた時期にはドックで修理したものまで新造船に数えて統計をふくらませたと聞いたことがあり、実態とは違った数字だったようです。韓国としてはライバル日本に負けないよう精一杯背伸びしたのかもしれません。規模と利益で日本企業を圧倒する韓国のサムスンを模範企業のように言う論調がありますけれど、まだ問題はあるようです。
「サムスン電子は、技術パクリを常とし、世界のさまざまな家電・半導体メーカーから特許権侵害で提訴されている企業です。2011年4月には、アップル社がついにスマートフォンに関する特許権侵害でサムスン電子を告発しました。(略)サムスン電子はアップルに半導体や液晶を納入している、いわばお得意先。そこの製品をパクったのですから、その度胸は賞賛ものです。(略)社員は使い捨てで下請け泣かせ、オーナーの一族は金銭スキャンダルに塗れ、オーナー自身、脱税で有罪判決を受けました。売上高は世界的規模でも、韓国型悪辣・不道徳企業の代表です」〈室谷克実・三橋貴明『韓国人がタブーにする韓国経済の真実』(PHP研究所刊)より〉
サムスンは、以前は日本人を雇って、役員会も時々日本語でやっていたとのことです。研究開発費も、他社から図面やノウハウを買うのにかなり使われているようです。韓国では身分格差が大きくて、サムスン電子のオーナー会長は二〇一一年春、株の配当金だけで百一億円を受け取ったが、勤労者の四五%は二〇一〇年中の平均月収が十五万円以下だったそうです。企業はオーナー一族のものという意識が強く、企業トップが公私混同して背任罪に問われるケースもよくあります。一人が出世すると一族が頼って来て、出世した当人もみんなを養う義務があると考える。一族の者だから金を貸せと突然言って来て、貸さないと門前で「一族なのに貸さないのを皆さんどう思うか」と騒ぎ立てる。大統領ほどの権力者となるとこれにたかろうとする人が後を絶ちません。某大統領が「聞いたこともない親戚が三倍増えた」と嘆いたことがありました。だから辞職した歴代大統領がみんな汚職で追及されることになるのです。
人の親切につけこむ
こういう韓国社会の様相は百年前に朝鮮を観察したイザベラ・バードの『朝鮮紀行』(講談社学術文庫 時岡敬子訳)にも描かれています。
「朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり『人の親切につけこんでいる』その体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならない。……おおもとはほとんど揺るがない」
おおもとが揺るがないと言えば、韓国では「過去を水に流す」ということがありません。そういう日本的な美意識は絶対通じません。人を責めるのに、その父、祖父が何をしたかにまでさかのぼって責める。「親日法(日帝下の親日・反民族行為真相糾明に関する特別法)」でも、親日派だった者の子孫の財産を没収するというのですから、不溯及という近代法の原則も何もあったものではありません。だから、過去は自分に都合のいいものでなければならない。実際にあった過去ではなく、「あるべき過去」を主張して、でっち上げてでも押し通さないと生きて行けないのです。
それゆえ、大韓民国の正統性を主張するために、上海にあった大韓民国臨時政府が日本に対する独立戦争をやって勝ったのだと教科書に書き、教えている。近代において日韓が戦ったことなどは��いのです。臨時政府が国家として承認されていたのなら、日本の敗戦ですぐ民国ができてもよかったはずですが、実際には南北の軍政下に置かれ、一九四八年にアメリカの軍政下から独立したのです。
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いわれなき非難に謝罪
韓国にいて歴史認識がおかしいと思い始めたのは、一九八二年の、日本の教科書が「侵略」を「進出」と書き換えたと騒がれたときです。事実ではなかったわけですが、韓国人が興奮状態で、新聞の一面に「日本の軍国主義がまた始まる」と書いて自衛隊観艦式の写真を載せたりした。実態を知らぬまま思い込みだけで非難するのかとびっくりしました。新聞は反日記事を書けば売れる。先日もハンギョレ新聞の論説委員が「日本の右翼勢力をただすには日本を韓国の植民地にするしかない」と書きました。
韓国の非難は的外れだと思って歴史の勉強を始めたのですが、日本では鈴木善幸、宮沢喜一の両元首相が韓国に謝罪してしまい、これでは歴史のウソを認めることになると切歯扼腕しました。
五十歳で会社を早期退職した理由の一つは、日本語教師になり、韓国人に日本語を教えながら日本の本当の姿を伝えて誤解を解きたいと思ったことでした。専門学校に通って教師の資格を取りました。韓国人が日本に来ても、一年ならいい印象を持つ。「韓国人はいじめられる」と聞かされていたがそんなことはなかったと。しかし二年目に文化の壁にぶつかります。友人の家に夜、突然遊びに行ったら嫌な顔をされた、差別じゃないかとか。学校や課外活動を通じて日韓の文化的な違いを教える必要がありますが、なかなか容易じゃない。教師の口が少なく、非常勤講師を二、三コマやっても週に一万円にしかならないなどということもあって、また商売を始めました。
それが可能だったのは、私が前の会社をやめても付き合いを続けてくれた韓国人の友人たちのおかげです。これは有難かった。今度はまず日本人の意識を変えようと、日本会議などに入って情報交換をしていました。
そこへ、ある老人が資料を見せてくれた。かつての朝鮮総督府の年鑑や日本統治下の朝鮮で使われた教科書など。「日本が朝鮮から強奪した」として韓国が主張するいわゆる「七奪」が捏造であることを示す一次資料で、私は目からうろこが落ちる思いでした。
この資料によれば「七奪」非難は完全に否定されます。 一、「韓国国王を奪った」…… 日本は李王家を日本の皇族の一員としてお迎えし、併合時の純宗皇帝は李王となられて日韓の皇室が融合したのです。日本は李王家を手厚く保護しました。朝鮮総督府『施政三十年史』(国立国会図書館蔵)には歳出項目の最上段に「李王家歳費」とあり、毎年百八十万円が計上されています。現在の価値で約二百億円になります。他の宮家の皇族費とは格段に差のある巨額です。さらに梨本宮方子女王が李王家の王世子・李垠殿下に嫁がれました。このこと一つをとっても、日本の「朝鮮統治」は、植民地の王室をことごとく廃止した欧米列強の「植民地支配」とは根本的に違っていることが明らかです。終戦時、李垠殿下は密航してでも朝鮮に帰ろうとされましたが、韓国の李承晩大統領が許さなかった。李王朝を復活させず、共和制国家をつくったのは韓国自身です。 二、「主権を奪った」…… 李氏朝鮮は清の属国であり、国家主権はもともとなかったのです。朝鮮が近代国家として独立し、共に欧米列強の侵略に対抗することを望んだのは日本であり、それを許さぬ清との間で戦争になったのです。日本が勝利し、清と結んだ講和条約(下関条約)第一条には「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス因テ右独立自主ヲ損害スヘキ朝鮮国ヨリ清国ニ対スル貢献典礼等ハ将来全ク之ヲ廃止スヘシ」と朝鮮の独立が明確に謳われています。
日韓合邦の嘆願書
ところが、ロシア、ドイツ、フランスの三国による干渉で日本が遼東半島の放棄を強いられると、国内改革によって専制権力を奪われつつあった国王・高宗はロシアと組んで巻き返しに出ました。国内の親日・改革派を葬り、ロシアに朝鮮の利権を売り渡し、馬山にはロシア海軍の基地が建設されて、日本の独立が脅かされる事態に至りました。そして日露開戦。大韓帝国内では李容九が「一進会」を結成し、日本との一体化こそが国を救う道であると朝鮮民衆に説きました。白人大国ロシアに対する日本の勝利はアジア・アフリカの有色人種を狂喜させた。戦後、李容九は一進会百万人会員の名前で全国民への合邦声明書を発表、さらに韓国皇帝、曾彌統監、李完用首相に対し「日韓合邦」の請願書を提出しました。日韓併合は日本が一方的に進めたのではなく、大韓帝国の中にも日本との合邦を推進した人々が多くいたのです。
一九一〇年に日韓は「韓国併合ニ関スル条約」を締結しました。このときの韓国皇帝の詔勅には、「韓日両国の親密なる関係をさらに進めて一家をなすことがお互いの幸福に通じる」として内閣総理大臣李完用に全権を委任し、大日本帝国統監寺内正毅との両国併合交渉に当らせると記されています。日韓併合条約は国家同士が当時の国際法や国内法に基づいて平和裏に締結した正式な条約なのです。日本が一方的に主権を奪ったのではありません。
ヘレン・ミアーズの証言
『アメリカの鏡・日本』の著者ヘレン・ミアーズも「日本が韓国を併合したのは、新皇帝が懇願したからだ。日本は一つ一つ手続きを外交的に正しく積み上げていた、そして宣言ではなく条約で最終的な併合を達成した。列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど合法な手続きを踏んでいなかった」と記しています。J・クロフォード英国ケンブリッジ大教授も、二〇〇一年の国際学術会議で「自分で生きて行けない国について、周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むというのは当時よくあったことであり、日韓併合条約は国際法上不法なものではなかった。強制されたから不法であるという議論は第一次大戦以降のもので、当時としては問題になるものではない」と述べて、韓国側の主張は完全に崩れました。イザベラ・バードも夙にこう書いていたのです。
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「わたしは朝鮮人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それには左に掲げたふたつの条件が不可欠である。Ⅰ 朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。Ⅱ 国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない」
三、「土地を奪った」…… 一九七四年以来、韓国の国定教科書には「全国農地の四〇%を日本人に収奪された」と記載されてきました。とんでもない。李氏朝鮮時代は所有権の概念があいまいなために、土地をめぐる争いが絶えませんでした。そこで朝鮮総督府は一九一〇年から八年かけ、近代的測量技術を使って土地調査を行いました。朝鮮総督府『施政二十五年史』(国立国会図書館蔵)には「抑々土地調査は地税の負担を公平にし、地籍を明らかにして其の所有権を確立し、その売買譲渡を簡確実にして以て土地の改良及び利用を自由にし、かつその生産力を増進せしめんとするものである」と目的がはっきり書いてあります。調査の結果、二百七十万町歩と言われていた耕地が、実際には四百八十七万町歩にも上ることが明らかになりました。耕地全体の四五%もが当時の貴族階級であった両班らによって隠匿されていたのです。
韓国では土地調査について「日本人が小高い丘に登ってあたりを見回し、土地を指さして手当り次第良田を奪った」と非難していますが、これは李氏朝鮮時代の話なのです。李朝末期にダレ神父は『朝鮮事情』(平凡社)の中でこう書いています。
両班の暴君ぶり
「両班は、いたるところで支配者か暴君のようにふるまっている。彼らが強奪に近い形で農民から田畑や家を買うときは、殆どの場合、支払なしですませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令(現在の知事に相当)は一人もいない」。
実際に朝鮮総督府が接収した土地(李朝時代の国有地等)は耕地全体の三%でした。接収の過程で朝鮮人の私有地を奪った事実は全くありません。一九二二年時点で朝鮮半島における国有地及び日本の個人、法人が保有していた土地は合わせて二十五万五千町歩、全耕地面積の六%にすぎません(『朝鮮における内地人』朝鮮総督府、大正十三年発行)。農民たちは自分の土地が測量され地籍に上がるのを見て、測量事業に積極的に協調しました。しかし中には一時の利益に目がくらみ祖先伝来の土地を売ろうとするものもありました。一方、一攫千金を夢見る日本人が大挙、朝鮮にやってきました。当時の寺内総督は、一旗組によって朝鮮の土地が買いたたかれては百害あって一利なしとし、朝鮮農家が日本人に土地を売るとの情報をつかむと憲兵を派遣し、日本人には売らないよう説得させました。そこまで総督府は朝鮮人の利益を守ろうとしていたのです。 四、「国語を奪った」…… 韓国の国定中学校教科書には「我々の言葉を禁止し日本語だけを使うようにして、我々の歴史の教育も禁じた。ハングルで刊行された新聞も廃刊させ、我々の言葉と歴史に対する研究も禁止させた」と書いてあります。そもそもハングルは十五世紀に李朝四代世宗が学者を集めて作らせたと言われていますが、当初より諺文として忌み嫌われ、公文書では一切使われませんでした。イザベラ・バードも「諺文は軽蔑され、知識階級では書きことばとして使用しない」と記しています。そのハングルを再発見したのが日本人の福沢諭吉でした。「日本の漢字仮名まじり文同様、ハングルを駆使すれば難解な漢文を朝鮮語式に自由に読み下すことが可能となり、大衆啓発のために大いに役立つはずだ」 と考え、漢字ハングル混交文を提唱し、ハングル活字を私費で作りました。 朝鮮総督府は日本と朝鮮の学者を集めてハングルを近代的文字体系にまで高め「普通学校用諺文綴法」を決定して教科書に採用しました。さらにソウルとその近郊で話されている言葉を標準語と定め、学校教育を通し全土にこれを広めました。現在の韓国語は、このときに成立したのです。 一九二〇年には総督府によって初めて本格的朝鮮語辞典が完成、刊行され、一九二四年には京城帝国大学に朝鮮語・朝鮮文学の口座が開設されました。半島における日本語の普及にも力を入れましたが、これは共通語の普及が目的であり、朝鮮語廃止など毛頭考えていなかったのです。 日本が朝鮮を植民地と考えていたのなら日本語など教えないほうが支配しやすかったはずです。一九四一年からは朝鮮語の科目が廃止されましたが、これは戦争の激化によって朝鮮語教育に力を入れる余裕がなくなったためです。また科目が廃されたからと言って、朝鮮語の使用が禁止されたわけではありません。当時の日本人は半島の人口の二%程度であり、禁止など不可能です。朝鮮語の新聞も、京城では終戦まで二紙が発行されていました(中村粲『韓国併合とは何だったのか』)。むしろ朝鮮の知識人の中に朝鮮語廃止と日本語常用を唱える人々が大勢いたのです。
朝鮮語廃止にストップ
南次郎総督が「朝鮮語を廃止するのはよくない。国語(日本語)普及運動も朝鮮語廃止運動に誤解されることがあるくらいであるから、それはできない相談である」と拒否した経緯があります(杉本幹夫『「植民地朝鮮」の研究』)。日本が朝鮮語を奪ったのなら、当時の朝鮮人は全員日本語を話せたはずですが、『朝鮮総督府施政年報 昭和十六年版』には日本語を「やや解しうるもの」「普通会話に差し支えなき者」合わせて約三百九十万人、当時の朝鮮の人口の一六%に過ぎないと記載されています。同資料には「内地人職員に対する朝鮮語の奨励」なる項目があり、日本人官吏が朝鮮語を必死で学ぶ様子がうかがえます。 近代においては日本が西洋の用語を日本語に翻訳して新たな漢語を創造したのですが、朝鮮の人々は日本製の漢語を借用して今日の韓国語を形成しました。韓国語の名詞の七〇%程度が漢語であり、政治、経済、科学、哲学、医学分野はほぼ一〇〇%が日本語の借用です。「社長、副社長、専務、常務、部長、課長、係長」も、「株式会社」「合弁会社」「水素」「酸素」「電気」「手術」もみんな日本語の韓国読みです。日本は統治期間中に朝鮮語の標準語を定め、近代社会に必要な単語を提供しました。奪うどころか、まったく逆のことをやっているのです。 歴史教育についても、朝鮮総督府大正十三年発行『朝鮮語読本 巻五』には「(慶州為先陳列館では)この地方において発見された各種の遺物が保存されており、新羅文明の卓越した様子が明らかに分かる」「石窟庵に入れば穹窿たる石窟の中に二十九体の仏像を周壁に彫刻してあり、その彫刻の優美さは東洋���術の誇りである」などの記述があり、朝鮮の卓越した歴史を学童たちに教えるべく努力していたことがよくわかります。
五、「姓名を奪った」……
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一九三九年に朝鮮総督は朝鮮戸籍法を改正し、朝鮮人が日本名を名乗ることを可能としました。「創氏改名」と呼ばれるこの政策によって朝鮮人の姓名を奪われ、無理やり日本人に同化させられたとして韓国は日本を非難します。しかし、朝鮮人が日本名を名乗ることで日本人が何か得をしたでしょうか。実は、日韓併合直後の一九一一年に朝鮮総督府は総督府令第一二四号「朝鮮人の姓名改称に関する件」を施行し、朝鮮人が日本式姓名を名乗ることを禁止していたのです。朝鮮の伝統風俗を尊重すると同時に、日本人と朝鮮人を名前で区別できなくなることで発生するであろう不都合に配慮したものでした。
日本名をくれないのは差別
それが変更されたきっかけは、朝鮮人満州開拓団からの強い要望です。朝鮮人に対する中国人や満州人の侮蔑意識が強く、朝鮮人の村々は略奪、放火、虐殺など甚大な被害を受けていた。日本名を名乗れば名実ともに日本臣民となり、侮蔑されなくなるというわけです。半島の朝鮮人の間でも「日本人になって三十年近く経っても日本式姓名を名乗れないのは朝鮮人への差別である」との不満が高まってきました。しかし朝鮮総督府警務部は日本への密航増加や治安上の問題を憂慮して反対し、内地人も朝鮮人も平等であるという「一視同仁」の考えから賛成する文部部とすったもんだの議論の末、ようやく一九三六年に戸籍法改正に至ったのです。 総督府では朝鮮の文化伝統を尊重する立場から「姓」を戸籍簿上に残し、新たにファミリーネームとしての「氏」を創設することにしました。これは朝鮮人が「姓」を変えることなく合法的に日本式の苗字を持てる妙案でした。さらに「せっかく日本人の苗字が名乗れるようになっても、下の名前が朝鮮式のままでは意味がない。名前も変えさせて欲しい」という要望が多く、これに応えるために、裁判所に申請し正当な事由があると認められた場合に限り、手数料を払って名前を変えることも可能としました。これによって「創氏改名」が実現したのです。
この法律が施行されるや町や村の議会で「全員日本名とする」ことを決議するケースも続出しました。朝鮮人官吏が点数稼ぎのために日本名を勧めたこともあったようです。日本名を名乗らないものが朝鮮人の間で非難されることもあったでしょう。改名を拒否して自殺したという話も残っています。しかしそれはあくまで朝鮮人社会内部での問題であり、日本側が強制したわけではありません。南総督は三度も「強制してはならない」という通達を出しています。
また、日本名を名乗らなくても不利益を被ることがなかった証拠に、軍人や政治家、スポーツ選手のなかに朝鮮名を通した人たちもかなりいました。結果的に八○%の朝鮮人が日本名の「氏」を選択したのは、当時世界五大強国の一つであった日本の臣民になることを望んだということです。朝鮮では本貫(一族始祖の発祥地)を同じくする同姓同士の結婚はできず、異姓を婿養子にすることもできない規定がありましたが、創氏改名に伴う民事令の改正で異姓の婿養子を迎えることができるようになり、喜ばれたという事実もありました。
あまりの歴史歪曲
六、「命を奪った」…… 日清戦争の原因となった東学党の乱から一九四五年までの五十年間、日韓は戦争状態にあり、この期間中に残虐な日本軍は朝鮮人数十万人を虐殺したと韓国では教えています。これが世界中で韓国だけに存在する「日韓五十年戦争」論です。この主張は、朴殷植が一九二〇年に書いた『朝鮮独立運動之血史』という本がベースになっています。朴は上海臨時政府の二代目〝大統領〟になった人物であり、この本は日本を攻撃するために悪意をもって著述したもので、日本の官憲や軍隊の蛮行がこれでもかとばかり書き連ねてあり、私もこれを読んであまりの偏見と事実歪曲、数字の誇張に絶句しました。しかし韓国ではこれが史実として教えられています。「東学党は、政府軍や日清軍と交戦すること九カ月以上にも及んだ。死者三十万人を数え、民族史の上に古今未曾有の惨状を極めた」というのですが、日本軍の本隊が朝鮮半島に上陸したのは東学党の乱が朝鮮政府軍や清国軍隊によって鎮圧されたあとで、それまでは二個小隊しかいませんでした。また、「わが民衆を日露戦争の軍用務労働者として徴用しはじめ、これを拒否したものはロシアの間諜として罪におとしいれ、あるいは拘束し、あるいは拷問を加え、甚だしくは斬殺した。」とあります。しかし日本で国民徴用令が制定されたのは一九三九年であり、一九〇四年に他国の国民を徴用できるはずがありません。 韓国の民族独立運動である「三一運動」を日本が残虐な手段で弾圧し、多くの朝鮮人を虐殺したと韓国は主張しています。一九一九年三月一日、京城(ソウル)の公園に宗教家三十三人が集まり、非暴力・無抵抗主義を標榜して「万歳デモ」に移ったのが始まりですが、これが瞬く間に全国的暴動に発展し、地方では農民たちが武装して村役場、警察・憲兵事務所、富裕地主等を襲撃する凶悪な行動へ転化しました。在朝鮮日本人に「日本へ帰れ」と投石して脅迫した事実はテロそのものであり、決して一般大衆から支持されたものではなかったのです。黄色人種間の分裂を図る欧米宣教師に煽られた朝鮮人キリスト教徒たちが暴徒と化し、これに近代化で特権を喪失した両班や旧軍人らの不満分子が乗っかって広がった破壊活動であり、警察や憲兵が鎮圧するのに武器を使用したのもやむをえざるところでした。『朝鮮独立運動血史』には日本官憲が各地で悪逆非道な弾圧を行ったと記されています。ところがそのほとんどは裏付けのない伝聞にすぎません。唯一、西洋人が視察して公に伝えたとする水原岩里事件では婦女子が犠牲になったとしていますが、英国紙「モーニング・アドバタイザ」の京城特派員は「殺害された三十七名全員が男性」と記述しており(木原悦子『万歳事件を知っていますか』)、朴の創作が明らかです。
日本の裁判の公正に感激
実際の日本の対応は、金完燮『親日派のための弁明2』によれば送検された被疑者一万二千六百六十八人、六千四百十七人が起訴され、一審で三千九百六十七人が有罪判決を受けましたが、日本人憲兵六名と警官二名が虐殺され、多くの建物が放火されたにもかかわらず、死刑は一人もなく、十五年以上の実刑もなく、三年以上の懲役がわずか八十人で、しかも減刑と赦免で刑期が半分以下となりました。この時逮捕された三一運動の主要リーダー崔麟、李光洙、崔南善、朴煕道たちは日本の裁判のあまりの公正さに感激し、やがて強烈な日本ファンとなって、一九三〇年代の言論界をリードすることになります。
李朝末期における農民の生活は悲惨で、毎年多数の餓死者が出ていました。この改善が朝鮮総督府の最大の目標であり、一九二六年に「朝鮮産米増殖計画」が施行されました。併合当初、朝鮮の水田は八〇%が天水に依存していましたが、この計画により七〇%以上が天水依存から脱し、その他の改良と相まって朝鮮農業は飛躍的に発展しました。一九一〇年に朝鮮全土で約一千万石程度だった米の生産高は一九三〇年代には二千万石を越え、大豆と雑穀の生産高も併合時より六〇%増えました。一九三一年に朝鮮総督となった宇垣一成は「朝鮮農山漁村振��運動」を展開し、朝鮮農民の意識を近代化に向けて大きく前進させました。一九三三年から三八年にかけての農家収入は二倍に増えています。
李氏朝鮮時代は劣悪な衛生環境のなかでしばしば十万人以上の死者を出す疫病が流行していました。西洋医学が普及しておらず、東洋医学のみに頼る状態でした。本格的に近代医療システムの導入が始まったのは併合後、朝鮮総督府が改善に取り組んでからです。京城大学附属病院、各道の慈恵病院が作られ、一九一〇年には百二十万人に種痘が施されました。このような日本の努力の結果、朝鮮人の平均寿命は、一九一〇年の二十五歳から一九四四年には四十五歳まで伸びました。日本が朝鮮人の寿命を伸ばし、命を救ったのが歴史的事実だったのです。
七、「資源を奪った」…… 韓国の中学校歴史教科書には「日帝は金、銀、タングステン、石炭など産業に必要な地下資源を略奪した」と書いてありますが、実際には朝鮮半島にそれほど魅力的な資源はありませんでした。石炭は無煙炭であり、オンドル部屋の暖房用練炭が主用途で、金、銀、タングステンなどは日本の会社が厖大な開発費を投じながら、結局大赤字でした。東南アジアから輸入したほうがよほど安上がりだったのです。収奪どころか、日本は逆に税金をつぎ込み、産業を育成しました。大韓帝国が一九〇六年に初めて作成した国家予算は七百四十八万円にすぎなかったのに対し、日本は一九〇七年から一九一〇年まで毎年二千万円から三千万円を補助しています。日本の国家予算の二〇%を越えたこともあります。併合後も毎年二千万円前後の資金を持ち出し、昭和十四年になっても日本からの補充金と公債を合わせると全予算額の四分の一を占めていました。日本統治期間を通して日本政府が朝鮮半島につぎ込んだ金額は、累計で二十億七千八百九十二万円、当時の一円が平均して現在の三万円とすると六十三兆円という天文学的な数字になります。また、大韓帝国時代から日本は鉄道建設に力を注ぎ、その総経費は現在の価値にして十兆円以上になります。民間資金もダム建設に投入され、有名な水豊ダムだけでもその額は現在の価値で三兆円近いものです。これによって生み出された豊富な電力を利用するために日本の多くの大企業が朝鮮北部に投資しました。それによって朝鮮人の雇用を創出するとともに、付加価値の高い製品を日本へ移出することで朝鮮経済を豊かにしたのです。* * * いまや韓国はG20に名を連ねる大国です。「日本への恨」を持ち続けて何の意味があるのでしょう。日本民族と韓民族が互いに誤解と偏見を克服し、それぞれの先人を誇りに思えるとき、初めて日韓間に互恵平等の関係が樹立できると思います。日の丸と太極旗が並び立ってアジアの繁栄と安定を築くことを願っています。
松木國俊(まつき・くにとし) 一九五〇年、熊本県生まれ。七三年、慶応義塾大学法学部政治学科卒業。同年、豊田通商株式会社入社。八〇年~八四年、豊田通商ソウル事務所駐在。秘書室次長、機械部次長を経て二〇〇〇年、豊田通商退社。〇一年、松木商事株式会社設立、代表取締役。現在に至る。日本会議東京本部調布支部副支部長、新しい歴史教科書をつくる会三多摩支部副支部長も務める。
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日本は天皇の祈りに護られている
■「神話とは神代の物語」 江戸時代は 「神代巻しんだいかん じんだいまき」と呼んでいた 「神話」は、“myth”の翻訳語で、明治32年から一般でも 広く用いられるようになりましたが、 しかし“myth”には、他に、「作り話「でっちあげ」「根拠のない話」 という意味もありる。 「一神教」改宗した西洋の人々から見ると 「ギリシャ」「ゲルマン」「ケルト」など 多神教の「神話」は「作り話」「でっち上げ」「根拠のない話」 にみえる。 ■「安全神話」 安全だと思っているのに、それは 「作り話」であり「でっち上げ」「根拠のない話」 という意味に使われている。 自分たちの国の尊い神々の物語を「神話」という内部に 毒を秘めた言葉で呼んで良いのか。 学生と話をしていると、 「えーっー“つくり話”じゃなかったんですかぁー」と、 「じゃあ、あなた達は、伊勢の神宮も全国の神社も みんな“つくり話”をもとにして、何千年も続いてきたと思っている?」 学生らもちょっと考えた後、 「そう言われてみれば、確かに変ですねぇー」 ソクラテスは、神話について人間とは 2500年経っても、あまり進歩していない。 故に一般に認められているとそのまま信じる」 と語っている。 しかし、この「ソクラテスの忠告」 にもかかわらず、 紀元前4世紀シチリア島に生まれた哲学者、神話学者である エウヘメロスが『神論』の中で 「人々の崇敬を集めている神々は、元来、地方の王または 征服者であったが、人々の感謝の念がいつしか、彼らを神にした」 という仮設を立て やがて、古代キリスト教が成立する時代になると キリスト教徒は、ギリシャ・ローマの神々を滅ぼす為、 「お前たちの信じる神々は、所詮人間に過ぎない。 エウヘメロスという大学者もそう言ってるじゃないか。 それに比べたら、我々の仰ぐ神=ゴッド創造主は、人智を超えた 唯一絶対の存在である。 だから、これまでお前たちが信仰してきた神々と称する 人間への信仰を捨て、 私たちが信じるキリストの信仰に帰依せよ」 エウヘメロスの「神話学」によって ギリシャ・ローマの神々は 「聖なるもの」が失われ、既に、「神」から「人」に 転落していたわけですから この様な攻撃に、ひとたまりもなかったわけです。 こうして、ギリシャ・ローマの神々は、 一神教の前に屈服してしまいる。 日本人には、ピンと来ないかもしらないが 世界の宗教闘争は過酷。 今や、ギリシャ・ローマの神々を「お祀り」していた神殿は、 廃墟と云う無残な姿を留めているというのが現実です。 近現代ではアフガニスタン共和国バーミヤン州の 石窟寺院にある石仏を 政権をとったタリバン党= イスラム原理主義を唱える党が 偶像であるとして破壊しました。 このままでは、日本の神々が ギリシャ・ローマの神々の 「二の舞」になってしまう。 あの国の神話は、日本のこの神話に似ている。 そうだ! それが、日本に伝わってきたのだ と考えるのは、あまりにも単純一方的自虐的主張。 フランスの社会人類学者、民族学者でベルギー人の レヴィ・ストロースが来日した時 「神話の起源を探る事はそもそも不可能」 こう忠告している。
■「神話の起源を探る」必要があるのか?
我が国には、縄文時代から、我が国なりの文化があり 世界最古の「土器」は、日本の縄文土器 縄文時代の専門家は、 「世界の土器作りレースにおいて、東アジアが先陣を切り その中でも、日本列島は、一番手にあった。」 そのような日本で「神話」のみが、空白地帯であったと考える事に 合理的なものはありません。 フランスの社会人類学者、民族学者レヴィ・ストロースは、 縄文文化は、土器の製作に優れ、この点では 比類のない独創性を示してゐる。 人間が作った様々な文化を見ても この独創性に並ぶものはありません。 縄文土器に類する土器が全くない。 古さにおいてもそうで、これほど昔に 溯る土器の技術は知られておりません。 またそれが、1万年もの間 続いたことでも他に並ぶ例がありません。 と述べている。 ■日本古語 縄文時代1万年の間に、日本列島の「コトバ」は 統一的なものとして形成されている。 つまり“初めに民族の一体感”があった。 「神代の物語」によって“一体感”が作られたのでは ありません。 例えば、お風呂に入ろうとする。 その場合、湯加減を知る為の「温度計」を使って お湯の温度を数値で「知る」人もいる。 湯加減を知る方法は、もう一つありる。 それは直接自分の手を、お湯の中に入れることです。 それによって、一番知りたいことを瞬時に 「知る」事が出来る。 そうやって「知る」事が出来た人は 「今、何度?」と聞かれても、正確な温度=数値をいう事は ない。 だいたいxx℃ぐらい、ちょうどいい、「冷たい」くらいしか 答える事が出来ない。 客観的な数値でものを「知る」方法を絶対視している 唯物論者からすると、 その人の言葉は、とても曖昧に聞こえる。 「本当に知っているのか?」と疑いたくなるでしょう。 しかし、実は、お湯に手を入れた人こそ 「今、このお湯は入浴に適しているかどうか」 という、今、一番知りたい事を最も早く 最も正確に「知る」事が出来た人。 「温度が何度か?」「どういう器具によって計測したのか?」 などは、いわば、“どうでもいい問題”に過ぎない。 ハインリッヒ・ハイネは、1835年(天保6年)から翌年にかけ 「精霊物語」、「流刑の神々」という本を書いた。 その中で、キリスト教が、ヨーロッパの精神世界を 支配するようになってから、ヨーロッパの太古の神々への信仰が 「邪教」として抹殺されていく様子を書いている。 フランスの学者デュメジルは 「神話を持たぬ民族は既に生命をなくした民族だ」 と明言している。 今や欧米の人々は欧米式の物質文明の過ちに気付き 「神話」もしくは「神話的物語」に夢中で米国では聖書の次に なんと教育勅語が「徳の本Virtue's book」と言う名前で 聖書に次ぐベストセラーになっている。 例えば「スターウォーズ」は、アメリカの新しい“神話”の1つです。 監督のジョージ・ルーカスは、ジョセフ・キャンベルという 神学者のアドヴァイスを基に、映画の構成を練り そのキャンベルが、 「神話には神秘的な役割、宇宙的な次元、社会的機能の他に もう1つの機能があり 現在もあらゆる人が、そこから離れてはならないと思う。 それは、教育的な機能、いかなる状況の下でも 生涯人間らしく生きるには、どうすべきかを教えてくれる。 と言っている故 教育勅語がベストセラーになるのも理解できる。 ところが我が国は政治的な思想でも保守と革新の定義からすると 欧米とは逆になっている。 平成8年、富山の中学校で、給食の時間、全員で「いただきます」と言う行為を 、一部の保護者が「宗教的な色彩がある」と騒ぎ立て とうとうその習慣が廃止されました。
■神代の物語
神代の物語もある意味「夢」と似たところがありる。 一見すると、「荒唐無稽」であっても 実は、そこに、民族の「深層心理」が現れている時がありる。 そこに秘められている私たちへの「教え」とは何なのか? ・・・と静かに内省する時、いつしか私たちは 今を生きる私たちにとって大切な キャンベルが語っている「教育的機能」が 秘められている事に気づくはず。
■岩戸がくれ
アマテラス大神の「岩戸がくれ」 今も神社のお祭りには「踊り」は欠かせません。 神様に奉げる「踊り」には、閉塞した日常性を突破する 力が宿っている。 次に「笑う」事の大切さを、この物語は 私たちに教えてくれる。 この「岩戸がくれ」は、アマテラスの「死と再生」の物語。 キリストの復活と同じような意味もある 「良い子」でいようと無理をし続けている間は アマテラスは、まだ真の意味で、偉大な神では なかったのかもしれず 「岩戸がくれ」という「死」を経た後、 真に偉大な神として「再生」された。 キリストも神の子として皆の罪を背負い死ぬ この時までは偉大な神の子と言えず 磔となりそして再生し真の神の子となる。
■言霊 昔、ある高僧がは晩年に 「物欲を断つのは容易で肉欲を断つことも 壮年期を過ぎれば何でもない事であった。 しかし、最後まで自分を苦しめたのは 他の僧侶の良い評判を聞く時に生じる 嫉妬の念である」と語った。 「嫉妬」という主人には 「怒り」「怨み」「呪い」「不遇感」「被害者意識」「自己承認欲求」 という部下が居る それら“闇の思念”に勝つことは出来ないまでも せめて負けないようにする為の“光の言葉”を私たちは 昔から持っている。 それは、「感謝」と「祝福」 日常の言葉にすると「ありがとう」と「おめでとう」 スサノヲの神は、自分の犯した罪を背負って 「根の国」に追放されるが、その時 自分を追放する姉に向かって、別れ際に 「祝福」の言葉を残している。 日本書紀の原文では、 「姉のみこと 天つ国に照らし臨みたまひ おのづから 平安(=幸 さき)くましませ」
どうかお姉さん、これからも天上の世界を 明るく照らし続けてください。 そうしてくだされば、お姉さんも他の神々も みんなが幸せに過ごせるから。それでは・・・どうぞお幸せに)
嫉妬心から罪を犯したスサノヲが、流離の旅を経た後は 自分を追放する姉を心から祝福するところまで 神格を高められている。 この後、スサノヲの神の舞台は、出雲に移り スサノヲの神は、頼もしい「男」に。 もう「男の子」ではない その境地に至るには、ヤマタノヲロチとの厳しい戦いがあった という所に物語のポイントがある。 “リスクのある正義の戦い”を経なければ、 人はなかなか「清々しい清浄の境地」には、たどり着けない 亡き母を慕い「髭が生える歳になっても」泣いてばかりいた神が “リスクのある正義の戦い” に勝利し、「英雄」になり、美しい女性と結ばれ 真の「自立」を果たす。 現代の若者に聞かせたい物語。
■スサノヲ伝説 日本書紀は、スサノヲの神の流離の旅を「雨風、甚だしといえども 留まり休むことをえずして、辛苦(たしな)みつつ降りる」 意味は、強い雨が降り、激しい風が吹いていたが、どこで宿泊する事も 休むことも出来ず、大変苦しみながら、天上界から降りていかれた。 「辛苦みをたしなみ」と読ませている所に、古代の人々の深い知恵がある。 真の「教養」や「節度」は、「苦しさに耐え、努める」という経験に 裏打ちされるもの。 スサノヲの神の物語の不遇な幼少時代、流離、偉業 そして、別れ際の「いさぎよさ」などに 日本的英雄の形が現れている。 ヤマトタケル、源義経、織田信長、坂本龍馬、吉田松陰、西郷隆盛など どこかスサノヲの神の影が漂っているかもしれない。
■軍国主義 なぜ自分の国の「誕生日」を祝うと「軍国主義の国」になるのか。 全世界の国々が、「独立記念日」という形で 自分の「国の誕生日」をお祝いしている。 今も畏怖されるのが ある限度を超えるとブチ切れて70数年前世界138カ国相手に暴れまわった日本 のいわば 国民性である。 日本人は謙虚、しかし「鬱気質」な国民、ある線を超えると ブチ切れて180度変わり外国への「迎合」「卑屈」そして その裏返しで手が付けられなくなる。
■神の子孫 近代の欧米には、「神の子孫の君主」は、もういません。 しかし、元々古代のヨーロッパの王たちは、 神の子孫そされている。 例えば、古代ギリシャに、アガメムノン王。 西暦で云えば、紀元前1200年ごろの「トロイ戦争」に勝った王す。 トロイア戦争は永らく神話だと思われていましたがシュリーマンが 史実であることを証明し実在の王であることが判っている。 この王の6代前がゼウスというギリシャ神話における最高神。 古代ローマの初期の王たちも「ローマ神話」の 「ユピテール」という神の子孫。 本邦では神武帝はアマテラスから数えると6代目の子孫になるのだが 6と言う数字には意味があるかもしれない例えば サタン、獣をあらわす数字は666。 同じことは、古代アングロサクソン民族にも云える。 7世紀の栄えた古代イギリスのノーサンブリア王朝の系図を遡ると ��ルマン神話オーディン神に繋がっています ヨーロッパだけではありません。 エジプトのファラオは、太陽神「ラー」の子孫です。 インカ王の先祖は、「マンコ・ガバック」という神。 ジンギスカンの祖先も「アラン・ゴア」という神。 神々の子孫が、先祖になるというのは世界的に見れば普通の現象。 ならば天皇が神の子孫であっても不思議はない。 我国の皇室以外は、「神の子孫」である君主の家系は 滅亡している。 例えばエチオピアの皇統はソロモン王につながる皇統で 3000年続いていたが革命で滅ぼされてしまい 現在は世界最古の皇統である。
レヴィ・ストロースは、 『古事記』は、より文学的です『日本書紀』は、より学者風 。スタイルこそ違え、どちらも比類なき巧みさをもって、 世界の神話の重要なテーマ全てを纏め上げている。 そして、各々の神話が、知らず知らずのうちに 歴史に溶け込んでいて世界のどこを見ても、神話を構成する 色々な要素をしっかりと組み上げている所は我国以外にない。 8世紀の日本の文献ほど、広汎に綜合的材料を提供するものはない」 と発言している。
■泣いたり、笑ったり
なぜ、日本の神々は、泣いたり、笑ったりするのか? なぜ、日本の神々は、迷うたびに、自分が神様でありながら “独断”で判断されず、他の神々に“相談”しつつ 物事を決めのか? それは、つまり、人もそのようにして生きてゆけば良い、という 規範。 そもそも神道には教義がない、背中を見て学ぶそれが教え そこには、人が道を踏み外さず、生きる為の知恵が 秘められている。 アマテラスが「岩戸がくれ」した時、 八百万の神々が集まり、会議を開く。 その時、アマテラスにお出ましいただく為のアイデアを出し そのアイデアに基づいて、現場を指揮したのは、知恵神「オモヒカネの神」 しかし、「オモヒカネの神」は、独裁者ではない。 八百万の神々の委託を受け「役割」を果たしている。 (
「大祓詞」が、今でも全国の神社で、「奏上」されているのは 「天孫降臨」の物語を繰り返し語る事によって “時間の経過”から生じる“歪み”を元へ正す為。 それによって、日本という私たちの共同体 国家は 基点、起点に立ち戻りる。 そして、「初心に帰って」生き生きとした活動を 再開する事が出来る。 これこそが再生の物語の岩戸神話の実践
■妬み嫉みの神と和する神 神の謀りごと
「旧約聖書ではエホバ、ヤハウェ 存在するもの は はそれ以外を神として拝むことを民に禁じる。 人々が、その教えに背くと、大洪水を起こし ノアの一族を除き己が作ったものを総て滅亡させる。 悪魔が殺した人数より神が殺した人数の方が多いのである 北欧神話にいたっては、「神々」と「巨人たち」の 最終戦争ラグナロクが起き相討ちとなり 神々の世界」が、一度、滅び去っている。 外国の「神話」の中から、この様な「残酷」な物語を上げて いけばきりがない。 それに比べて、日本における神々の物語は、まさに 戦いが起ころうとする寸前で なぜか、平和的に事態が収拾してしまうケースが少なくない。 例えば、イザナギの神は、イザナミの神に追いかけられても 向き合って戦う事無く、ひたすら逃走。 離婚を宣言された時も、言葉の応酬だけで終わる。 アマテラスとスサノヲの対立も、神々の“産み比べ”で 事が治まりました。 ツクヨミとアマテラスの確執も二人が交流を断つことで 昼と夜に分かれたとされる 極めつけは、オオクニヌシの 国譲り、武力を背景にした交渉を云いながら 全面戦争には至らず局地戦でおわり「交渉」によって 地上界の統治権が平和裡に譲り渡される。 この様な「平和的な政権交代」の物語は、 外国の「神話」には、ほとんど見られません。
日本では、神々が権力に「執着」する姿勢も殆ど見られない。 「旧約聖書」では自分以外の「神」を拝んだ人々を滅ぼし、 「ゼウス」は、自分の地位を守ろうとして 妊娠している妻を子供ごとのみ込んでいる。 外国の「神」は、「権力」に執着するところがある。 ところが、日本の神々は、その点、実に「あっさり」 日本人は、どういう行いが“醜く悪”と感じ また、どういう行いを“美しく善”と感じるのか? 神代の物語には、日本人の人生観が とても解りやすい形で、現れている。 その様な穏やかな「神代の物語」こそ まさに、日本人の「心のかたち」を表わしたものだ。
■やまと言葉 高谷朝子さまが、お話になる言葉は御所言葉で 「・・・であらしゃいます」などという平安時代の 言葉遣いをする。 高谷朝子さまと一時間もお話していると、いつの間にか その後しばらく妙に“上品”な言葉遣いになっているらしい(笑)
スイス人ユング派の女性心理学者 マリー=ルイズ・フォン・フランツは 神話についての豊かな知識を自由に操って 世界がどう創られたのか 創造性とは何かを明らかにし われわれの意職がどう生まれたかを探る 「世界創造の神話」と言う著書で 「オーストラリア原住民の人々は、人間が技術を発明したのではなく それは、人間に啓示されたものである。 神が知識を生み出し、人は何か実地に仕事をする時、 それを使っているだけなのだ、という話を未だにしている。 だからこそ彼らは、たいてい、この認識を失った者より 優れたわざ師であり続けている 古来の信仰を持ち続けている事が 「優れたわざ師」である事を保証している と言っている もしかしたら、今の日本人の高い技術の背後にも 古代以来の信仰が息づいているのではないだろうか。
■働くということ 「額に汗して働くことは卑しく悪と考えるのが世界の価値観 遡ればそれはアダムとイヴが知識の実を食べ 罰としてエデンを追放された原罪 労働は悪。 と言う物語に依拠する。 しかし、日本ではアマテラスと言うオバサン嫌元へ 最高神が古事記などによると御自ら機織りつまり「働いて」いる。 神のやることは悪ではなく善。 その為、今でも日本人は、基本的に働き者。 もしも、そのような「神代の物語」以来の「労働観」を 日本人が失ってしまえば、我が国は、益々衰退していくに違いない。 神学者・若林強斎(1679-1732)の著「神道大意」(享保10年)には、 「全体的に言えることですが、神道を語る際には、解りやすく、 堅苦しなく語るのが、良い事。 忌部正道いんべまさみち室町時代の神官で忌部神道の創始者)は、 子供の言葉を使って、神々の心を呼ぶ」と云っている。 一見すると浅はかな、子供っぽい事の中に、とても 心が晴れ晴れとするような、満ち足りて快い 何かが秘められている。
学問をするということ 学問すると神々の事が分からなくなる。 そんなものだと認める以外神様の事は 永遠に分からない。 水には、水の神霊日のは水の神霊物事総てに神霊が宿る。 あそこに、ミズハノメの神と思い、水を汲む。 火を燈す時も同じ あそこに、カグツチの神と思って、火を大切に取り扱う。 小さな木1本を取り扱う時も、 クワノチの神、草1本を取り扱う時もカヤノヒメの神と。 兎に角、何につけても、触れるもの、出会うもの全てに、 「あぁ、有り難い」と、畏れ慎み感謝するのが神道
◆一燈照隅 万燈照国 伝教大師 最澄の言葉と言われるが 一人だけでは片隅しか照らすことができない 皆が集まれば国を照らすことができるのである。 「あれをしてくれ、これをしてくれ」という祈りより 先ずは感謝の祈りを捧げ 神様に対して、ひたすら畏れ慎み誠心を 捧げることを大切に。 最も神様が喜ぶ“祈り”。 皇后陛下は「よかれかし」という祈りを捧げておられ 真似れば充分。 「よかれかし」の祈りは、「私が」「私の」を 抜いたもの。 いわば、主語を抜いた「よかれかし」の祈り。 そのような祈りを何十年も続けていけば、いつしか 一人ひとりの心の底からの「歓び」にかわっていく。
稲盛さんの言葉をお借りすると ==
目先の利益ではなく「利他の心を判断基準にする」ということ。 私達には「自分だけがよければいい」と考える 利己の心と、 「他によかれかし」と考える利他の心 利己の心で判断すると、自分のことしか考えていないので 誰の協力も得られません。 自分中心ですから視野も狭くなり 間違った判断をしてしまいる。 一方、利他の心で判断すると 「人によかれ」という心ですから 周りの人みんなが協力してくれる。 また、視野も広くなるので、正しい判断ができる。 ですから、よりよい仕事をしていくためには 自分だけのことを考えて判断するのではなく、 周りの人のことを考え、思いやりに満ちた 「利他の心」に立って判断すべきな。
昭和天皇 御製歌会始 昭和21年(満45歳)
降り積もる 深雪(御幸でもある)にたへて いろかへぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ
「神話を教えなくなった民族は100年続かない」
歴史学者、アーノルド・トインビーは 世界中の民族を研究して、��う言った。 「神話を教えなくなった民族は100年続かない」 第二次世界大戦以降、 日本の教科書に「神話」はない。 歴史(国史)もない、教えられるのは考古学。 ブチブチと途切れた事柄を教えられる。 ところが歴史と言うものは因果応報と言うように 途切れてはいない。 戦後7年間日本を社会実験?の意味合いも含め 占領統治していた米国は自国の国益に沿い (と言っても共産主義者が多かった) 天皇の系譜や日本書紀などの建国の話を 「危険思想として教えることを禁じた」からである。 世界の国々で建国の歴史を教えない国はない。 共産党中国も韓国も北朝鮮でさえ教え革命で奪取し それを正当化するために反日教育をする 寧ろ自慢げに国の歴史を語る国民がほとんどだ。
ところが、日本人は建国の歴史を知らないほうが普通で、 自国にあまり自信を持っていない。 それほど、戦後のアメリカ支配によって植えつけられた 日本人の罪悪感は国民性もあいまって強烈だった。 アメリカがことのほか丁寧に日本人の意識を変えたのは、 「天皇」に関する事柄である。 現在、日本の教科書に天皇の記述はたったの4行、 「戦前は絶対的な主権者だった天皇が、 戦後その地位を追われ、国民が主権者になった。 天皇はもはや象徴である。」という主旨。 我々が常識としている「象徴としての天皇」がここにいる。 しかし。 「天皇主権の主権と、国民主権の主権とでは、全く意味が違う。 天皇のそれは権威であり、国民のそれは権力である」 そして、それは「戦前も戦後も何ら変わっていない」 過去の日本を振り返れば、 天皇が権力を握って政治を行った親政の例は 極めて少ない。 「天智、天武、持統、宇多、醍醐、後醍醐天皇」くらい。 あとは幕末に孝明天皇が一時権力を握ったほかは、 ポツダム宣言の受諾のみ。 権力が機能不全に陥った時だけ 権威たる天皇がピンチヒッターとして政治に口をだしている。 旧憲法にある緊急事態条項でさえ事後でに議会承認が必要だった。 今の憲法は米国が日本の国防を担うことが前提だからこれがない。 だからこそ政治空白が生まれた場合の安全弁、 緊急自体条項として天皇の存在が必要 ■行き詰まり 欧米式の民主主義が行き詰っているのは ウシハク つまり権力者である国民を選ばれた代表が 私することを認めることに理由がある 権威と権力は分業させねば独裁者が生まれる。 海外の王は民を私有してきた。我が国は対等とし 君主と民が共治してきた。 つまり天皇の主権とは、大昔から権威であり、 「戦前も戦後も何ら変わっていない」
それが、戦後の喧伝によって日本人は、 あたかも天皇が主権者から 「象徴」に転落したかのごとき錯覚に 陥ってしまっている。 そんな戦後の歴史を経て、日本は 「日本が好き」という人が4割しかいない国民となった。 これは先進国中「最下位」であり、異常な数字である http://eikojuku.seesaa.net/article/196420177.html
■神話とは「比喩」
神話は目には見えないことを表現しようとしている。 何を言わんとしているのか? それを探る気持ちで読まなけれは、 神話は全く意味のない物語となってしまう。 「古事記」は目に見えないものを表現しようとしていて、 それを誰にでもわかるような比喩を使って 表現している。 そして名前を逐一記しているところにも、 ちゃんと意味がある。 「古事記」はまだ日本語が完成していない時代に 作られたも、から、 当てられた漢字にはほとんど意味はありません。 (音を頼りに読み解いていく) 「古事記」には我々日本人の歩んできた歴史が 比喩を駆使して生き生きと描かれている。 (ねず=小名木義行さん説)
■悲劇
今まで順調に神々を産んでいったのに どうして火の神が生まれたことでこんな悲劇が起こるのか? 火を操るすべを得た人類は飛躍的に文明を発達させる。 現在の文明は「火」と「鉄」に支えられている。 火は同時に「力」の象徴でもありる。 武力を持ったことで感情による殺傷が始まったことを 語っているのではないか? 銃火器や刃物といった武器にしろツール 道具にすぎない。 それを扱う人の意思次第で所謂平和主義者の 言う人殺しもできれば調理など命をつなぐツールにもなる。 重要なのは扱う人の意思。 そろそろ、我々の神話=究極の古典を 取り戻しても良い時期では?
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文在寅大統領の心の奥底を忖度する 福山隆 ○ はじめに――文在寅大統領の心の奥底を筆者が忖度 人の目に映る景色は、その人の「立ち位置」によって変わるものである。そのことは、景色のみならず、国際情勢についても同じことが言えるのではなかろうか。 朝鮮半島情勢は、我々一般の日本人の目に映るものと、5125万の国民を率い、北朝鮮の核ミサイル問題など深刻な課題を抱える韓国の文在寅大統領の目に映るものとは、明らかに異なるはずだ。 本稿では、韓国を取り巻く情勢や外交・安全保障などについて、文在寅大統領の心の奥底を筆者が忖度してみることとする。文在寅大統領の独白という形で。 ○ 文大統領の独白 勝海舟と西郷隆盛――半島での戦禍は絶対に阻止 日本人は知っての通り、勝海舟と西郷隆盛は、江戸時代末期(幕末)の慶応4年(1868年)、江戸城の新政府への引き渡し交渉を行い、徳川宗家の本拠たる江戸城は無血裏に東征軍に明け渡された。 当時、人口100万人を超える世界最大規模の都市であった江戸とその住民を戦火に巻き込まずにすんだことは、江戸開城の最大の成果であった。勝は後に西郷を「江戸の大恩人」と讃えている。 勝は東征軍との交渉を前に、いざという時の備えのために焦土作戦を準備していたという。もし東征軍側が徳川家の歎願を聞き入れずに攻撃に移った場合や、徳川家臣の我慢の限度を越えた屈辱的な内容の条件しか受け入れない場合には、東征軍の攻撃を受ける前に、江戸城および江戸の町に放火して敵の進軍を防いで焦土と化す作戦である。 私(文在寅大統領、以下同じ)の心境も、勝と西郷に似ている。トランプは、北朝鮮の核ミサイルを除去することをアメリカの最優先事項として、空爆などで先制攻撃しようとしている。 米ジョンズ・ホプキンス大の北朝鮮問題研究グループ「38ノース」は、北朝鮮が複数の核搭載ミサイルで東京と韓国の首都ソウルを攻撃した場合、死者が最大約210万人に達するとの試算を発表したではないか。 先の朝鮮戦争における犠牲者は韓国が242万人(軍人約98.7万人、市民約143万人)、北朝鮮が293万人(軍人約92.6万人、市民約200万人)で、朝鮮人はトータルで535人に上る。 核ミサイルを含み、兵器の性能が格段に進歩した今日、南北朝鮮の人民の犠牲者はジョンズ・ホプキンス大の見積もりを大幅に上回るだろう。半島は南も北も完全に焦土と化し、再生するには多くの年月がかかるだろう。自分は、一人の朝鮮人として、何としても朝鮮半島で再び戦禍が起こることは何としても阻止しなければならない、と固く決意しているところだ。願わくは、私は朝鮮民族を守るために、幕末の勝海舟と西郷隆盛にあやかり、ソウルを火の海にしなように、金正恩と阿吽の呼吸で協力したいものだ。 対米関係――米国の横暴(北爆)を阻止するために米韓関係を維持することは重要 私の立ち位置からすれば、本来アメリカ・トランプとは距離を置きたいところだ。しかし、そうはいかない。韓国は、当面、アメリカとの同盟関係を切ることはできない。なぜなら、アメリカが韓国の意向を無視して北朝鮮を先制攻撃するからだ。その前例は、1994年6月の北朝鮮をめぐる“核危機”に際し、米軍が計画した対北朝鮮軍事行動に金泳三大統領が「ノー」といって反対したではないか。その時のことを、金泳三大統領は回顧録で次のように書いている。 「6月17日未明、電話をしてきたクリントン大統領を厳しく追及した。自分が大統領でいる限り韓半島を戦場にすることは絶対にダメだ。あなた方は飛行機で空襲すれば済むかもしれないが、北は即時、休戦ラインから南の主要都市を一斉に砲撃するだろう。戦争は絶対にダメです。自分は歴史と国民に対し罪を犯すわけにはいかない、と……」 金永三大統領の言い分(主張)をクリントン大統領が聞き入れてくれたのは、米韓が同盟関係にあったからだ。もし、米韓関係が冷え切ったものであれば、クリントン大統領は金永三大統領の嘆願を無視して、北朝鮮の核施設などを爆撃したかもしれない。私は、トランプは嫌いだが、彼の暴走を許さないためには隠忍自重しながら韓米同盟を維持・継続しなければならない。このことは、割り切って考えなければならない。 北朝鮮の核ミサイル保有は許容できる 韓国は、北朝鮮が核ミサイルを保有することは許容できる。それは、無いに越したことはないが、北朝鮮が一旦開発したものを米国との交渉で廃棄することは絶対ないだろう。韓国としては、「アメリカが、先制攻撃で北朝鮮の核ミサイルを破壊するのを契機に半島に戦火が広がる」ことよりも、「北朝鮮が核ミサイルを保有することを許容」する方がましだと思う。そうではないか。北朝鮮の核は、アメリカや日本、場合によっては中国に向けられるが、同朋の韓国に向けられるリスクは低いと確信している。 もちろん、北朝鮮は核ミサイルを保有することによって、韓国を恫喝するかもしれない。 その際、韓国としては「同族を核攻撃するならやってみろ。民族史の一大汚点となるぞ!」と開き直ればよい。 また、仮定の話だが、もしも南北関係が好転するなら北朝鮮の核ミサイルは南北を問わず、「朝鮮民族の護符」としても、一定の機能があるのではないか。将来、金日成主席が1980年に提唱した高麗民主連邦共和国――一民族・一国家・二制度・二政府の下で連邦制――による統一を果たせば、朝鮮民族国家は核ミサイル保有国家となり、アメリカや中国の核の傘の庇護を受ける必要がなくなる。 もう一つの選択肢がある。韓国が核武装することだ。実は、秘密裡に着々と進めているところだが。アメリカは、韓国が核武装すると日本、台湾、ベトナムと核武装国家が拡散することを恐れているのだ。米英仏中露などの核独占状態が維持できなくなるのだ。アメリカは、手を変え、品を変え、韓国の核武装を阻止しようと執念深く躍起になっている。北朝鮮を先制攻撃してまで、韓国の核武装を思いとどまらせようとしている。そんなことは、韓国が全く望んでいないのに。 韓中同盟という選択肢 日本と比べれば、韓国は歴史的に見ても、地理的な距離からも中国に近い。韓国は中国に依存するのが自然な気さえする。朴槿恵前大統領も、限りなく中国に傾斜したではないか。韓国にとって、米韓同盟に替えて、安全保障も経済も中国との関係を深める――韓中同盟――という選択肢は、現在も有効である。中国は、アメリカの北朝鮮攻撃にも反対しており、この点は韓国と同じ立場だ。朝鮮民族の悲劇を防ぐ上では頼りになる存在だ。 米国防総省は、1月19日公表した戦略文書「国家防衛戦略」で、中国とロシアとの競争を最優先事項と位置づけ、過去15年間優先してきたテロとの戦いから方針を転換した。韓国としては、朝鮮半島をめぐる米中の対立が厳しくなることを歓迎するところだ。中国がアメリカに妥協せず、今後もさらに強硬な態度で、アメリカの北朝鮮攻撃を阻止してもらいたい。 日本は永遠に韓国政権のスタビライザー 韓国の日本に対する態度・嫌悪の根底には、小中華思想(しょうちゅうかしそう)があると思う。小中華思想とは朝鮮で唱えられた中華思想(華夷思想)の一変種であり中華文明圏の中にあって、漢族とは異なる政治体制と言語を維持した民族と国家の間で広まった思想である。 自らを「中国王朝(大中華)と並び立つもしくはそれに続く文明国で、中華の一役をなすもの(小中華)」と見なそうとする文化的優越主義思想である。 このことを、分かり易く言えば、中国を「大親分」に例えれば、朝鮮は「子分」に当たり、それよりも辺境にある日本は「チンピラ」程度だという考え方だ。この序列は未来永劫変わることはない。 朝鮮民族は、永遠に日本人の上位に位置づけられなければならない。そんな日本が、身の程も弁えず、1910年から45年までの36年間朝鮮を併合し、創氏改名を強要し、娘たちを従軍慰安婦にしたのだ。これは、2000年余にわたり、小中華思想を魂に刻み込んできたわが民族には、永劫忘れてはならない恥辱だ。 このような朝鮮人のメンタリティーから、韓国も北朝鮮も政権が不安定になれば、「日本たたき」というスタビライザーを利用するのは当然だ。 2015年12月28日の日韓外相会談で結ばれた、「いわゆる慰安婦問題の最終かつ不可逆的な解決を示した日本政府と韓国政府による合意」は、こんな朝鮮人のメンタリティーを全く理解していない日本の政治家や外交官の失敗と言わざるを得ない。「韓国側を棚に上げて」、と叱られるかもしれないが。 日本人は、あまりにも潔癖すぎる。水が豊富な国だから、直ぐに「水に流す」ことをよしとするが、朝鮮人はそうはいかない。ソウルの日本大使館前の従軍慰安婦像に拘るが、あんなものは無視すればよいのだ。この私が言うのだから間違いない。あの像は、見方を変えれば「覆らない歴史、朝鮮民族の悪夢を、未来永劫引きずっている同情すべき人々。自分たちの先祖たちが、甲斐性がなかったことを限りなく反省するモニュメント」と、理解すれば、日本人も溜飲を下げることができるのではないか。大統領の私が言うことでもなかろうが。 ○ むすび 冒頭、「人の目に映る景色は、その人の「立ち位置」によって変わるものである」――と書いたが、上述のように、文在寅大統領の立場から朝鮮半島を取り巻く情勢を見れば、日本人が見るそれとは、大きく異なることがお分かり頂けたことだろう。 文大統領政権は、自分たちの目に映った情勢(与件)に基づいて、合理的と信ずる政策をひたむきに遂行しているのであろう。 私たちは、情勢を見る際に「諸外国それぞれの立ち位置」から映る景色に思いを致しながら、各国それぞれの情勢判断を観察しなければならないと思う。そうすることにより、一面的ではない、情勢の深読みができるのではないだろうか。
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2020年5月29日
「第1子に100万円」 子供を産みたいと思える環境作りを早急に | 少子化 | 松山政司 | 毎日新聞「政治プレミア」 https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20200527/pol/00m/010/001000c 子供の未来を苦しめるような信頼性の無い状態で?
習主席の国賓訪日、全体状況見ながら意思疎通図る=官房長官(ロイター) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/ab69a7769ec224012d53efacb0213462ebed9cdc
中国 「国家安全法制」導入を決定 香港への統制いっそう強化へ | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200528/k10012448801000.html
日銀、日本株の最大株主へ 年内にもGPIF超え ETF保有額:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/DA3S14492057.html
君に届け!滑稽新聞@空気を変えるさん「どうやらこれが今、ツイッタージャパンが再RTのロックをかけてまで、その拡散を防止したい動画のようです。」 https://twitter.com/akasakaromantei/status/1266101508610748416
餡蜜さん「これを知らない人たちはぜひ見てください。」 https://twitter.com/honeysuckle58/status/1256939088914989056
大村知事「ただ単に言い訳」 医療崩壊否定の吉村知事に:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASN5X4357N5XOIPE006.html
東京 新たに15人感染確認 3人死亡 新型コロナウイルス | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200528/k10012448641000.html
福岡・佐賀 KBC NEWSさん「【速報】北九州市で新たに21人の新型コロナウイルスの感染を確認。北九州市では6日連続で感染を確認、感染者は23日以降であわせて43人に。」 https://twitter.com/KBC_NEWS/status/1265977561097494528
韓国 感染者79人増、集団感染拡大|TBS NEWS https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3990060.html
コロナ専門家会議、議事録「作成せず」 | 共同通信 https://this.kiji.is/638685571926328417?c=39550187727945729
10万円を2196人に二重給付 大阪・寝屋川市、計2.1億円返還求める - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200528/k00/00m/040/072000c
コロナ封じ込め成功は国民の「自粛努力」の結果という“美しい嘘” (山田順) - 個人 - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/yamadajun/20200527-00180607/
【独自】感染3人、患者ら18人発熱 都内で新クラスターの可能性 https://www.fnn.jp/articles/-/46671
防衛省 航空自衛隊さん「医療従事者等の皆様へ、敬意と感謝の気持ちを全国の一人でも多くの皆様にお届けするため、 12:30 から航空自衛隊公式YouTube チャンネルでライブ配信いたします。ご覧下さい! #航空自衛隊 #ブルーインパルス #松島基地 #家からエール #敬意 #医療従事者にエールを」 https://twitter.com/JASDF_PAO/status/1266173907515527170
東洋経済オンラインさん「Audiが66%減、BMWは41%減―ー。新型コロナの影響を受け、輸入車全体の新車販売は前年同月比で37%落ち込みました。販売首位のメルセデス・ベンツも例外ではありません。業界の当事者たちは、この危機をどうやって乗り切ろうとしているのでしょうか。 #東洋経済オンライン」 https://twitter.com/Toyokeizai/status/1265878066330349568
毎日新聞ニュースさん「登下校中のマスク、文科省「暑い日はむしろ危険」 児童間距離確保に「傘」利用も」 https://twitter.com/mainichijpnews/status/1266114658584285184
SILENTさん「ソーシャルディスタンス」 https://twitter.com/silent_ym/status/1257501535719866378
前田日明氏がフジテレビを断罪 誹謗中傷受けていた木村花さんの悲劇(東スポWeb) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/7019b86475c989a07717310cce37240cee5c9577
【話題】100日後に死ぬワニ作者が誹謗中傷した人に法的手段か / ネットの声「死ぬのはワニだけじゃなかった」 | バズプラスニュース https://buzz-plus.com/article/2020/05/27/coping-with-past-writing-news/
中津川 翔太さん「こうやって、常識のないメールが来ます。 元々思っていましたが、番組制作者は手段を選びません。 話題になるなら、過剰に演出し人を傷つける。 僕は絵描きです。 ただ絵を描いて生きていたい。」 https://twitter.com/0naka20/status/1265222032507076609
山里亮太、ラジオで木村花さん追悼 声をつまらせ思い伝える「できることはなかったか」 | ORICON NEWS https://www.oricon.co.jp/news/2163153/
LUNA SEA、30周年30日30曲MV配信企画<ECLIPS 303030>スタート ありがとうございます! https://www.barks.jp/news/?id=1000178968
ASAGI(D)、2006年リリースの1stシングル配信開始&MV公開 ガンガン攻めるねえ。 https://www.barks.jp/news/?id=1000183339
いつもそばに/ねことゲームさん「夫が急にダンボールで何か作り始めたと思ったら」 https://twitter.com/itumo_sobani/status/1257284777519931393
岸田奈美| スズメバチとルンバの人さん「「死ななきゃなんとかなっちゃうよ」という、幡野さんの軽やかな言葉を、これからも選び続ける勇気に変えて。 タイムリーすぎますが、昨日のnoteにも出てきた写真家・幡野広志さんに私が悩み相談して書いた連載が、最終回を迎えました。やだやだ終わりたくないよ〜〜!!!」 https://twitter.com/namikishida/status/1257477693005692929
白梅さん「【拡散希望】 明朝、首をコキっと鳴らしたら半身不随になりかけました。 思いっきりやったわけではなく、伸びのついでにやる程度で誰しも覚えがあるかと思います。 日常的な癖から思いもよらない恐怖を味わう羽目になったので、警鐘として詳細をまとめました。 続く」 https://twitter.com/whiteplum371/status/1257276527433015296
日本経済新聞 電子版さん「中国、大型ロケット打ち上げ成功、宇宙ステーション建設に前進」 https://twitter.com/nikkei/status/1257689008181669888
折り紙を折るGeeTeeさん「「囲碁と将棋とオセロが最強ボードゲームの座をかけて格ゲーっぽく殴り合う動画」をPowerPointで作りました」 https://twitter.com/origami_GeeTee/status/1257529839252172800
暇つぶし研究所さん「ジムに通う人たちを激励するネコ会長」 https://twitter.com/himatsubushiken/status/1257233504691052552
橋本カヱさん「好きな子と歳の差が開いていく話(1/13)」 https://twitter.com/TheHacce7/status/1257957476684554240
Yahoo!ニュースさん「【アマゾンキラー 楽天連携の訳】「アマゾンキラー」とも呼ばれているカナダのShopifyが、「楽天市場」とのシステム連携を発表した。連携を通じて何を目指すのか、日本のカントリーマネージャーにその真意を聞いた。」 https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1258188359777705984
岸田奈美| スズメバチとルンバの人さん「今までの死闘と、ちょっとした後日談を書きました。これにてスズメバチとルンバと私の話は、大団円です。 応援、共感、心配してくださった皆さんに、出演者を代表してお礼を申し上げます!!!!!!!!!!」 https://twitter.com/namikishida/status/1258580696534151169
ふいんきさん「思考の参考になるかも」 https://twitter.com/inki_huinki/status/1258313257799966723
増田勇一さん「先生、お大事に。どうか無理をなさらぬように。 ブライアン・メイ ガーデニングに夢中になりすぎて大殿筋を痛める 現在入院中 - amass @amass_jpさんから」 https://twitter.com/youmasuda/status/1258744328807047173
日本経済新聞 電子版さん「ニチイ学館がMBO、株式非公開化へ 全株取得で1000億円規模」 https://twitter.com/nikkei/status/1258752514133856257
NHK国際部さん「韓国の元慰安婦の女性が1992年から毎週、ソウルの日本大使館周辺で開かれている日本政府への抗議集会について、隣国への憎しみを植えつけているとして、今後開催しないよう求めみずからも参加しない意向を示しました。当事者が支援活動を批判するのは異例で波紋を広げそうです」 https://twitter.com/nhk_kokusai/status/1258563809460973569
矢野顕子 Akiko Yanoさん「アンドリューマッカシーは天文写真家。お家の庭から撮った膨大な量の写真を合成して、この異常にクリアな月の映像をつくりました。すごい。。。/ Photographer Captures World’s Clearest Picture Of The Moon EVER Taken」 https://twitter.com/Yano_Akiko/status/1258787212390543361
幡野 広志さん「嫌な人に対処する技術や方法って存在するし、持ち合わせていたほうが心の健康は保てる、マジで。 これは体も心も健康なときこそ習得すべき技術だともおもう。 でも心も体も健康なときほど、嫌な人とでも仲良くしなきゃ、我慢しなきゃって思い込んじゃうんだよね。」 https://twitter.com/hatanohiroshi/status/1258859933107249152
ロイターさん「ドローンは安価で、パイロットを危険にさらすこともなく、世界中の空軍から注目されている。」 https://twitter.com/ReutersJapan/status/1259136040922746880
毎日新聞ニュースさん「米山前新潟県知事、作家・室井佑月さんと結婚へ」 https://twitter.com/mainichijpnews/status/1259118850269827072 おめでとうございます。
カラパイアさん「カラパイア : 30年たっても真相は藪の中。ベルギーで数か月続いたUFOウェーブ騒動の謎」 https://twitter.com/karapaia/status/1259114658775982080
中島卓偉さん「IGTVで「蜃気楼」を歌いました。是非聴いてやって下さい。 #staysafe #socialdistancing #中島卓偉#takui nakajima #rocksinger#songwriter#作曲家#japan https://t.co/KhamzI5wPY」 https://twitter.com/takuinakajima/status/1265886070291304448
ザゴッドアンドデススターズさん「the god and death stars 20170623 『dawn of the god』 https://t.co/TyHhBfPjCt」 https://twitter.com/davidskullno/status/1265915494965506049
杉本善徳さん「明日は29日かぁ…… ミンナ、ちゃんとお金貯めてるかなぁ……」 https://twitter.com/ys1126/status/1265933667978731522
太三さん「ゆめかわいい https://t.co/DqOz3hMCFg」 https://twitter.com/taizodiac/status/1265931193947570182
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●ゾンビ
◆ゾンビ - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ゾンビ ゾンビ(英語: Zombie)とは、何らかの力で死体のまま蘇った人間の総称である。 ホラーやファンタジー作品などに登場し、「腐った死体が歩き回る」という描写が多くなされる。 ◆現実におけるゾンビ 起源 「生ける死体」として知られており、ブードゥー教のルーツであるヴォドゥンを信仰するアフリカ人は霊魂の存在を信じている。こちらについては「目に見えないもの」として捉えている。 「ゾンビ」は、元はコンゴで信仰されている神「ンザンビ(Nzambi)」に由来する。「不思議な力を持つもの」はンザンビと呼ばれており、その対象は人や動物、物などにも及ぶ。これがコンゴ出身の奴隷達によって中米・西インド諸島に伝わる過程で「ゾンビ」へ変わっていった。 ◆これがゾンビの進化論!その誕生から現在までを追ってみた! https://screenonline.jp/_ct/17112057 2017/08/26 - 話題のゾンビ映画「新感染 ファイナル・エクスプレス」が間もなく公開されますが、これはジョージ・A・ロメロがジャンルとして確立したゾンビ映画の最新進化形。折しもロメロが亡くなったこともあり、ゾンビたちの進化の系譜を追ってみました。(文:塩田時敏/デジタル編集:スクリーン編集部) ゾンビ映画の夜明け 2017年7月16日、ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロが77歳で世を去った。長年の夢、ゆうばりファンタへの招待が叶わず、残念でならない。ロメロが何故ゾンビ映画の巨匠、ゾンビ映画の父と呼ばれるのだろうか。 ホラー映画ジャンルの一バリエーションとして、ブードゥ教にまつわるゾンビもの映画は、映画創成期の頃からあるにはあった。しかし、いま俗に言うゾンビ映画とは、すべからくロメロの「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」に端を発する。 ◆ ゾンビの正体を暴け! https://web.archive.org/web/19981203145612/http://www.ntv.co.jp/FERC/research/19980215/f0725.html 1998/02/15 報告 報告者:伊達 徹、和田 栄一、マイケル 高田 1962年、ハイチで怪奇的な事件が起こった。 4月30日一人の農夫が原因不明の発熱や吐血等の症状を伴い入院。 5月2日に病気原因 不明で死亡し、小さな墓地に埋葬された。 しかし、18年後の1980年死んだはずの彼は蘇った! 体は回復していたが意識障害や 記憶障害が見られた。 1981年にも数年前に急死した女性が蘇った。 彼女の墓を掘り起こすと棺桶の中には石が詰まっていた。 1978年公開の映画「ゾンビ」は、死んだはずの人間が蘇り人々を襲い その肉を貪り食うという恐怖のモンスターとして登場している。 ◆ゾンビ : 作品情報 - 映画.com https://eiga.com/movie/18323/ 2019/11/29 ゾンビの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。 「ゾンビ映画」というジャンルを確立した、ジョージ・A・ロメロ監督による 傑作ホラー。 惑星から降り注いだ光線により、地惑星から降り注いだ光線により、 地球上の死者がゾンビとして復活した。 その群れは生者に襲いかかり、噛みつかれた者もゾンビへと変貌、 生ける屍たちは瞬く間に世界中を覆い尽くしてしまう。 テレビ局員のフランと恋人スティーブン、SWAT隊員のロジャーとピーターは ヘリコプターで脱出し、郊外の巨大ショッピングモールにたどり着く。 モール内のゾンビを一掃し食���と安全を確保したものの、物資を狙う 暴走族の集団に扉をこじ開けられ、ゾンビの大群までなだれ込んできてしまう。 ゾンビ、暴走族との三つどもえの殺戮戦の中、 生き残りをかけて奔走するフランたちだったが……。 本作にはアメリカ公開版(127分)、 ダリオ・アルジェント監修版(119分)、 アルジェント版をもとに日本の配給会社が独自の編集を施した 79年の日本初公開版(115分)、 ディレクターズカット版(137分)といった複数のバージョンが存在。 そのうち配信もソフト化もされておらず幻のバージョンとなっているのが 115分の「日本初公開版」で、2019年11月には日本初公開から40周年を記念し、 「日本初公開復元版」としてリバイバル上映される。
1978年製作/115分/R15+/アメリカ・イタリア合作 原題:Dawn of the Dead 配給:ザジフィルムズ 日本初公開:1979年3月 ◆ゾンビとは何なのか? その定義と魅力: 前編『ゾンビの定義』 https://uzurea.net/zombi-zomber-zombest/ 公開:2017年10月26日(2年前) 更新:2019年11月19日 こんにちは! 皆さん元気ですか? 健康ですか? 平和ですか!? 健康と平和は大事ですね。風邪を引いたり体を壊した時ほど、健康のありがたさを感じるという方も多いのではないでしょうか。戦時にあってこそ平和を願うものです。 『健康』と『平和』 それは対極に自らが有ってこそ、その価値が分かる事象といっても良いかもしれません。……とはいえ、健康をかみしめる為に態々体を不健康にするわけにはいきません。だって大変だし。つらいし。 海外映画やドラマ、国内でも漫画やそれを原作としたアニメや映画…昨今はゾンビコンテンツが増えています。ですがそもそも『ゾンビ』って一体何なんでしょう?今回はこの『ゾンビ』について、あらためて掘り下げてみようと思います。 索引 1 そもそもゾンビとは何なのか? 1.1 起源は西アフリカの信仰から 1.2 ゾンビ発明家、ジョージ・A・ロメロ監督 1.3 ゾンビの定義ってなんだろう? 1.3.1 1.ゾンビは死んでいる(生きていない、健康ではない) 1.3.2 2.ゾンビは腐っている 1.3.3 3.ゾンビは意思の疎通ができない 1.3.4 4.ゾンビはうめき声をあげている 1.3.5 5.ゾンビは沢山いる 1.3.6 6.ゾンビは人間を襲う 1.3.7 他には…… 2 後編に続く…… ◆ゾンビ (ぞんび)とは【ピクシブ百科事典】 - pixiv https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93 ゾンビ(Zombie)とは、生ける屍のこと。主にホラー、もしくはファンタジーものに登場する怪物。
目次 1 概要 2 西アフリカ・カリブの民間伝承としてのゾンビ 3 創作におけるゾンビ 3.1 「感染するゾンビ」の創作 3.2 ゲームのモブ敵から爆発的流行へ 3.3 創作上のゾンビ像 3.4 創作上での生態 4 スラングとしての「ゾンビ」 5 関連イラスト 6 関連タグ 6.1 同族・類似種 6.2 ゾンビ関連作品製作者 6.3 ゾンビが登場する作品 6.3.1 アニメ・漫画 6.3.2 小説 6.3.3 ゲーム 6.3.4 映画・ドラマ 6.3.5 その他 6.4 創作ゾンビ 6.4.1 様々な創作に登場するゾンビ 7 他の記事言語 概要 創作などでは「無差別に人間を襲う腐敗した死体」として描かれることが多いが、本来は西アフリカやカリブの民間信仰(ヴードゥーまたはブードゥー)の司祭によって呪術で蘇らされた「奴隷化された死体」を指す。 ◆いくつ知ってる? ゾンビ映画の歴代名作12本をプレイバック - Elle https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/g27449552/greatest-zombie-movies-190513-hns/ 2019/05/13 私たち人間の醜いエゴや思いやり、犠牲の精神など、実は学ぶところが多いのがゾンビ映画。 ホラー映画でも特に大きなファン層を抱えるジャンルといえば……そう、ゾンビ映画。明日5/14から開幕のカンヌ国際映画祭でも、鬼才ジム・ジャームッシュ監督のゾンビコメディがオープニングを飾るなど、“ゾンビもの”はいまや鉄板に。そこで、歴代ゾンビ映画のなかから必ず観ておきたいヒット作品を、厳選してご紹介! あなたはいくつ観た? ◆『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968) ◆『ゾンビ』(1978) ◆『死霊のえじき』(1985) ◆『バタリアン』(1985) ◆『バイオハザード』(2002) ◆『28日後…』(2002) ◆『ドーン・オブ・ザ・デッド』(2004) ◆『プラネット・テラー in グラインドハウス』(2007) ◆『ゾンビランド』(2009) ◆『ワールド・ウォー Z』(2012) ◆『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016) ◆大阪にゾンビ先生発見! 大学でゾンビを教える研究者には「鬼滅の刃」も「ジョーカー」もゾンビに見える 黒川 裕生 2020.02.02 https://maidonanews.jp/article/13083298 大阪に、ゾンビ先生がいる。 2019年12月、大阪の映画館「シネ・リーブル梅田」で開かれたゾンビ映画のトークイベントに登壇し、ゾンビに詳しい映画評論家と丁々発止のやりとりを繰り広げた謎の女性、福田安佐子さん。聞けば、大学院時代に芸術や現代思想などの視点からゾンビを読み解く研究に取り組み、現在は国際ファッション専門職大学(大阪)の助教として、ゾンビをテーマにした授業を受け持っているという。ゾンビについて話し始めると止まらなくなる福田さんに、ゾンビ研究に足を踏み入れるきっかけなどについて聞いた。 「鬼滅の刃」はゾンビの変奏 福田さん曰く、一般的なゾンビ像は大きく3つに分けられるという。カリブ海域の土着信仰ブードゥー教の影響が色濃いゾンビと、ジョージ・A・ロメロ監督が生み出したゾンビ、そして映画「28日後…」などが公開された2002年以降の新しいゾンビだ。 ◆新型コロナウイルスでゾンビ化するとのデマ マレーシア当局が否定 https://news.livedoor.com/article/detail/17759303/ 2020年2月3日 9時45分 ざっくり言うと マレーシアで新型ウイルスをめぐる誤った情報が拡散されている 「新型コロナウイルスの感染者がゾンビのように振る舞う」という内容 同国保健省は「主張は正しくない。感染しても回復できる」とSNSに投稿した 「新型ウイルス感染でゾンビ化しない」マレ ◆中国、新型ウイルス対策に使用可能な米輸入品の関税免除へ https://www.afpbb.com/articles/-/3266311?cx_reffer=livedoornews&utm_source=livedoornews&utm_medium=news&utm_campaign=txt_link_0203_r3 2020年2月2日 13:56 発信地:北京/中国 [ 中国 中国・台湾 ] 【2月2日 AFP】中国政府は1日、新型コロナウイルス対策に使用可能な米国からの輸入品について、対米貿易戦争で課した報復関税の適用を免除する方針を発表した。 中国は新型コロナウイルスの封じ込めに躍起になる中、感染拡大が最も深刻な湖北(Hubei)省武漢(Wuhan)では、大勢が病院に殺到し、医療用品が不足する事態に陥っている。 米中両国は約2年にわたり激しい貿易戦争を繰り広げてきたが、中国は1日、「(進行中の)流行の予防と抑制の支援を強化するため、2020年1月から3月まで、より選択的な輸入関税措置を実施する」と発表。既に新型コロナウイルス対策に使用された品に課された関税についても、還付可能だと説明した。 さらに、関税免除に関する規定を緩和し、対象範囲を消毒剤や身体保護用品、指揮車に拡大していくとも明らかにした。(c)AFP ◆ローマ教皇が「ゾンビの国・日本」に送った言葉 世界一他人に ... https://president.jp/articles/-/31119 2019/11/28 世界一他人に冷たい国に伝えたい事 38年ぶりとなったローマ教皇の日本訪問。 82歳のフランシスコ教皇は日本滞在中、8回のスピーチを行った。 コミュニケーションストラテジストの岡本純子氏は 「教皇は世界中で問題になっている心の貧困を、『ゾンビ化』といった。 これは不安な時代を生きる日本人にずしりと響いたはずだ」という-。 82歳のフランシスコ教皇が日本人に伝えたかったこと 38年ぶりとなったローマ教皇の日本訪問。 82歳のフランシスコ教皇は11月23日に来日し、4日間の滞在中に各地を 精力的に回り、多くの日本人と触れ合い、その心に温かな印象を残した。 ◆【閲覧注意】菌に乗っ取られて“ゾンビ化”するアリは、筋肉だけを強制的に操られていた:研究結果 https://wired.jp/2019/08/22/now-we-know-how-the-zombie-ant-gets-its-bite/ 2019.08.22 ある種の菌がアリの体をむしばみ、まるでゾンビのように操って次のターゲットを狙う──。そんな恐ろしい“ゾンビ化”のメカニズムの一端が、米国の研究チームによって解明された。どうやらアリは菌に脳を支配されるのではなく、脳が機能したまま筋肉を強制的に操られているようなのだ。閲覧注意な写真とともに、そのメカニズムを説明していこう。 ◆寄生虫に「ゾンビ化」された生き物たちの、閲覧注意なフォトギャラリー https://wired.jp/2016/01/08/zombi-creatures/ 2016.01.08 卵を植え付けられたク��、6本足のカエル、線虫に洗脳されたコオロギ。写真家アナンド・ヴァルマは、ぞっとするような「ゾンビ化」した生き物を撮り続けている。彼の目的は人々の想像力を刺激し、サイエン��への好奇心をもってもらうことにある。 ◆ゾンビパウダーが実在? 中南米で発見された“死んだはずの男”を追った学者の話 https://ddnavi.com/news/250905/a/ 2015/08/02 『ゾンビの科学 よみがえりとマインドコントロールの探求』(フランク・スウェイン:著、西田美緒子:訳/インターシフト) ゾンビは実在する。オカルトでもなければ、トンデモな話でもない。 ジョージ・A・ロメロの描いた“生ける屍”の話でもなければ、 ゲーム『バイオハザード』シリーズに代表される、 ステレオタイプなモノでもない。 「夜も眠れなくなるようなほんとうの話ばかり」だと謳う 書籍『ゾンビの科学 よみがえりとマインドコントロールの探求』(フランク・スウェイン:著、西田美緒子:訳/インターシフト)には、 アメリカの科学ライターがまとめた、世界各国のゾンビにまつわる “現実”のエピソードが凝縮されている。 1980年の春。 中南米に浮かぶ島・ハイチで、ある女性が市場で男性と出会った。 よれた服に身を包み、フラフラとうつろな目で歩いていたという男性。 「クレルヴィウ・ナルシスだ」と名乗った男性に、女性は驚きを隠せなかった。 ◆バイオハザードの世界は実在した!?「マイアミゾンビ事件にいて考察してみた https://doretire.com/real-biohazard-miami-zombie/ 2018/10/30 こんにちは、たまこんにゃくです。 あなたは「バイオハザード」という作品を知っているでしょうか。 ゾンビが出てくる作品として有名です。 正直ゾンビが登場しないナンバリングも多いのですが、未だにゾンビの印象が 根強く残っている作品であることことは間違いありません。 ◆リアルバイオハザード!実在するゾンビウイルスの恐怖 - NAVERまとめ https://matome.naver.jp/odai/2140479329350173901 2014/07/08 感染した宿主がウイルス飽和状態になるまでエサを捕食し続けた後、脱力状態となり、果てはウイルスを含んだ体液を周囲にまき散らしながら死に絶える. ◆飛騨経年間PVランキング1位は「マイマイガ、ゾンビウイルス集団感染」 https://plat.navitime.co.jp/article/HID20150407180932/ 2015/04/14 飛騨山中を中心に現在、別名「ゾンビウイルス」と呼ばれるバキュロウイルス科ウイルスに集団感染した「マイマイガ」の大量死が相次いで目撃されている。 https://hida.keizai.biz/headline/765/ 飛騨経済新聞 ◆恐怖! 多くのゾンビ物のモデルとなった実在のウイルスとは?【コタクベスト】 2013-09-23 https://ch.nicovideo.jp/kotaku/blomaga/ar350883 ほんとの病気がいちばん怖い。 ポップカルチャーで不動の人気を誇るゾンビ物。ゾンビが出現する理由は黒魔術から謎の衛星までさまざまですが、人をゾンビのような何かに変えてしまうものへの恐怖は何千年も前から存在していました。 噛みつき、光への恐怖、言葉の喪失、そして凶暴性。映画に出てくるたいていのゾンビが持つこれらの特徴は、ある病気の症状と同じもの。 その病気とは、狂犬病です。では多くのゾンビウイルスのモデルとなった狂犬病とはどんな病気で、どのような点がゾンビウィルスと似ているのでしょうか? 詳細は以下より。 ◆ゾンビ映画に学ぶ、ゾンビに関する10の実在するセオリー(閲覧注意) http://karapaia.com/archives/52224227.html 2016/09/05 そもそもゾンビとかこの世に存在するのだろうか?西洋では割りとマジで信じられているゾンビだが、専門家のほとんどは、ゾンビの大発生はまずありえないという。 死者が墓場から蘇るなど、科学的にはありえないからだ。それでもこれまでゾンビに関連する様々な理論が提唱されてきた。その多くはゾンビ映画に依存するところが多いわけだが、ここではゾンビに関する10のセオリーとやらを見ていくことにしよう。 ◆ゾンビの発生・ゾンビ災害は現実にあり得るのか|備える.jp https://sonaeru.jp/hazard/infection/zombie/h-15/ 2016/01/19 災害とリスク- 危機の対象を知る 感染症対策 ゾンビ対策|武器なしでサバイバルする7つの対処法 人間が想像できる災害は全て現実化する可能性があり、それはゾンビ災害、ゾンビウィルス・パンデミックも例外ではありません。 人間が想像できる災害は全て現実化する可能性があり、それはゾンビ災害、ゾンビウィルス・パンデミックも例外ではありません。ゾンビウィルスに特性がよく似ている狂犬病ウィルスとの比較、またゾンビ対策を他の防災対策に活用する方法を解説します。 ◆【恐怖】 ゾンビのモデルとなった実在のウイルス怖すぎてやべぇええ ... http://jin115.com/archives/51975704.html 2013/09/23 - 恐怖! 多くのゾンビ物のモデルとなった実在のウイルスとは? 【コタクベスト】 : Kotaku JAPAN picture 噛みつき、光への恐怖、言葉の喪失、そして凶暴性。 映画に出てくるたいていのゾンビが持つこれらの特徴は、ある病気の症状と同じもの。 その病気とは、狂犬病です。 ◆異例の大ヒット続出!「ゾンビ」はなぜ人気なのか?多様化するコンテンツの魅力と、現代人が抱える恐怖を探る https://kindaipicks.com/article/001845 2019/07/17 『ウォーキング・デッド』をはじめ、『カメラを止めるな!』『ゾンビランドサガ』など、ゾンビコンテンツはなぜここまでの人気を獲得し、人々に愛されているのでしょうか?そして、多様化するゾンビコンテンツの傾向から推測する「現代人が抱える恐怖」とは?学術的にゾンビを研究する『ゾンビ学』の著者である岡本健准教授と株式会社闇の頓花聖太郎さんのゾンビ対談をお届けします。 アメリカで高視聴率を獲得し続けているドラマ『ウォーキング・デッド』をはじめ、ハリウッドリメイクが発表された韓国映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』など、近年ゾンビコンテンツの爆発的ヒットが後を絶ちません。 日本においても、昨年は制作費300万のインディーズ映画『カメラを止めるな!』が興行収入30億円超えを記録し大ブームに。更に、佐賀県を舞台にしたアニメ『ゾンビランドサガ』がアニメ年間大賞※に選ばれるなど、社会現象になるほどゾンビ旋風が巻き起こりました。 ◆「異世界Role-Players」第8回:吸血鬼とゾンビ~やつらは死んでも滅びない https://www.4gamer.net/games/453/G045373/20191123001/ 2019/11/26 今回はアンデッド――死してなお死せざるものについて語っていくと予告しましたが,この分類に入る種族のほとんどは,ゲームにおいて,敵役であるモンスターとして登場するに留まります。ですが,そんな中でも別格として,主人公格になり得る種族もいます。敵としても,ボスかそれに準じるクラスで登場する……それが吸血鬼です。20世紀にはホラー映画の主役を何度も務めた種族ですね。 ◆現実でゾンビが発生したらどう生き残るかを真剣に考える https://magiciandaisuke.com/?p=1172 最近、「walking dead」って海外ドラマが面白すぎて一気に見てしまいました。ゾンビの話です。 さて、そんなゾンビの世界を一度は妄想したことありますよね。映画「バイオハザード」のように街がゾンビに襲われたら、どうやって身を守るか、どこに逃げるか。僕はそういうくだらない妄想が結構好き。 ということで、現実にゾンビが現れたらどう生き残るか、また実際ゾンビが出現した場合、世界はどうなるかを映画や科学者の意見を参考に考えてみます。 ◆ゾンビは本当に実在した? 「マイアミゾンビ事件」が超怖い 2018年11月21日 https://zombie-work.com/zombie-jituzai/ 「ゾンビって本当に実在するの?」「映画の中の話でしょ?」 ゾンビ映画を見た後、多くの人がこう思うのではないでしょうか? 実際に私もゾンビに遭遇したことはないし、「今日、出勤前にゾンビと遭遇してさぁ。まいっちゃたよ」などと話している知り合いもいません。 でも世界には本当にゾンビは存在した!と思わせるような事件が数多く発生しており、今回紹介する「マイアミゾンビ事件」もそのひとつです。 この「マイアミゾンビ事件」は加害者が被害者の顔を食べてしまうという衝撃的な事件だが、以下の記事に閲覧注意なグロ画像などは貼っていないので、安心して読み進めて下さい。 目次 1 事件発生 2 加害者はゾンビなのか? 3 被害者について 4 なぜ事件は起こったのか? 5 被害者ポッポのその後 6 最後に ◆マイアミゾンビ事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/マイアミゾンビ事件 マイアミゾンビ事件(マイアミゾンビじけん)は2012年5月26日にフロリダ州マイアミのマッカーサー・コーズウェイで発生した猟奇的傷害事件。 英語では「Causeway Cannibal」(コーズウェイの食人鬼)、「Miami Zombie」(マイアミゾンビ)と呼ばれている。 事件は2012年5月26日、フロリダ州マイアミのマッカーサー・コーズウェイ、 マイアミとマイアミビーチをつなぐフリーウェイの脇道で発生した。 加害者は全裸で被害者の顔に噛み付き、駆け付けた警官が数発発砲しても 被害者から離れなかったため射殺された。 被害者は左目、鼻、顔の皮膚の大半を失う重傷を負ったものの、一命を取り留めた。 現場付近にあった防犯カメラが18分に及ぶ犯行の一部始終を撮影しており、 事件後にインターネットでその犯行映像が拡散した。 ◆「人食い」ではなかった「マイアミゾンビ」 解剖の結果体内に人肉はなし、新たに薬物検出 https://news.aol.jp/2012/06/10/rudy-eugene-autopsy-no-human-flesh-stomach-pills-miami_n_1583320/ 2012年06月10日 19時00分 【続報】先月26日に米フロリダ州で起こった、顔食いちぎり事件は世界中に衝撃を与えました。人肉を「食べる」事件相次ぐ、という報道が飛び交っていますが、この場合厳密には少し違ったようです
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