#福風の店の上の部屋で寝たり
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2024.09.01
台風10号は西日本は、ほぼ被害なく
そして、あれだけ九州で停滞してたのに
通過する速度は半端なく速くて
あっ!と言う間に紀伊半島へ
つまり、温帯低気圧に変わるのが速く
勢力は衰えて行った
先週、高知でジャンククローズだったが
某シークレットポイントは爆裂!
シークレットポイントは、アップ出来ないので
スルーしてたが、台風一過で戻りのウネリを
日本海側が拾ってるだろう!と
Cat ch.22終わりで、そのまま海へ
昨日は、凄い良かったらしいが
1日経過するとサイズダウン
まあ、朝一は良かったんだけどね
朝8時くらいから、徐々にサイズ落ちて来て…
10時には、殆どの人が上がっちゃったけど
偶のセットで、良い波来るから
上がれなくなって4時間入り放しで
サーフィンしてました
とは言え、ラッキー🐕を車で待機させてるんので
日陰とは言え、(ちゃんと水や対策してる)
可哀想だから、一回、ラッキー🐕の様子見
さっき言った様に、途中から貸切で
ビーチにも人気が無くなったから
ラッキー🐕をビーチ解放
適当に遊んで、日陰で寝てるラッキー🐕を見ながら
サーフィン楽しみました
帰りは、少し遠かったが、オススメのお店へ
魚屋さんが経営する直橋で、豪華な海鮮丼。
そして、温泉♨️へ
美又温泉♨️は、駐車場に日陰が無く諦めました
なので、過去に行った事ある、有福温泉へ
こちらの駐車場は、日陰バッチリな場所あるからね
この動画は、美又温泉で鴨🦆ちゃんが
沢山居たので撮影。
さー全部で何匹いるでしょう���?的な事だったのだが
撮影中に、ある事に気付きビックリ!
鴨🦆どころではありません!
さぁ、何が映り込んでるでしょうか??
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今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「��酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”���くみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
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棕櫚の姫
そのコンクリートの塀を城壁と呼んでいた。広い広い敷地を囲って、高さもあり、壁の上には有刺鉄線が張り巡らされいかめしい。書道教室の行き帰りにいつも通る道で、城壁の作る影は湿っていた。苔が生え、蟻や蜘蛛が這っていた。蟻を目で追い、歩いていると、足元がぼこんぼこん鳴った。壁とはちがう色のコンクリートで蓋がされており暗渠だった。かつて川だったところにかけられた蓋で、ところどころ揺れる。城壁だなんて巨大に感じていたのはわたしが小さかったためだろう。
城壁の内側は二階建ての細長い建物で、庭が広いのでぽつんとして見える。クリーム色の壁がくすんでいた。そんなに豪華な建物ではないのでかえって城だった。余計な華美は避け、���素に屹立している。ほんとうの城はこうでなくっちゃと納得し、庭の芝生がかなり禿げていてそういう滅びの気配も城だと思った。どうやらどこか大学か会社の寮であるらしく、何々寮という文字が見えた。といっても、城門はめだたないつくりで奥まったところにありそっちへ行くのはこわかった。どんな寮だか、どんな人が住んでいるのか、ちゃんと見たことはなかった。
わたしが見ていたのは壁と棕梠シュロだった。お城の庭には一本だけ、背の高い棕梠の木があった。灰色の壁の向こうですっくと伸びている。壁よりも建物よりも高く、ぼさぼさの幹が風にしなっている。棕梠という名を知ったのはもっとあとで、わたしはあれはヤシの木だと思っていた。あの揺れ方は南国だなあと、南国のことを知らないのに感心していた。雪の降りそうな寒い低い雲の日でも、冷たい風に手の甲が痒くても、壁の向こうのヤシの木だけ南の島で、お城の中だから当然だと思った。壁の外から見上げる葉はいつも影になり、動物の毛みたいにぎゅっと密集して見えた。
この木の下にどんな人が住んでいるのだろう。なんとなく、人魚姫の姉たちを想像した。絵本の話、もっとわたしが小さかったころの話。母が、人魚姫の姉たちが泳ぎ回るページを開いて、「この中だったら誰が好き?」とわたしに選ばせた。深い意味はなかったと思うが——人魚の姉たちは色とりどりで、きっとわたしに色の名前を言わせたかった——、わたしは青い髪のお姉さんを指した。彼女の髪の毛はそんなに長くないがAラインにふわふわ広がっていて、ひたいに垂らしたアクセサリーが大人っぽく、いちばん素敵だと思った。そうして青い髪の人魚はその一ページだけの登場で、人魚姫に短刀を渡すシーンにはいなかった。それもよかった。きっと海の底で静かに悲しんだ。悲しみはするが彼女にはその後の人生があり、死なない。青い髪の姉についてわたしは幾度も想像した。棕梠のお城にいる誰かを想像すると、彼女になった。
やがて暗渠の町からは引越して、わたしは川に挟まれた町に住むことになった。両親が離婚し、母と二人の家になり、近くに祖母と伯母が住んでいてちょくちょく行き来した。蓋のない、どころか、おおきなおおきな川で河川敷もだだっ広い。二つの川はカーブし、町はレモンの形をしている。アーケードの商店街があり暗渠の町よりだいぶ騒がしい町だったが、学校は小さかった。わたしの学年はそれまで三十九人で、わたしが引っ越してきたことにより四十人になり、あなたのおかげで一クラスだったのが二クラスになったのだと春休み明けの転校初日に先生に言われ、自分が福音なのか災厄なのかわからなかった。
新学期早々ずっと休んでいる子がいて、盲腸で入院しているとのことだった。クラスみんなでお見舞いの手紙を書きましょうと先生が言った。色画用紙が配られ、一人一通、工夫してメッセージカードを作るよう言われ、まだ一度も会ったことがないのにわたしも書くんですかと先生に尋ねたら、「みんなクラスの仲間でしょう」とたしなめられた。でも知らないんだよな、となりのクラスの子たちは書かないのかな、わたしが来なければひとつのクラスだったのにな……と思った。
どうせ知らない人に書くのなら棕梠のお城にいるはずの彼女、青い髪の人魚に宛てて書きたかった。棕梠のお城の人魚たちには足があり、城壁の外では完璧に人間のふりができる。王子に恋をせず生き続け、芝生の上を駆けたり寝そべったり、真夜中、お城の中でだけ人魚に戻る。庭に水をまいて海にするかもしれない。そうか、だから芝が禿げていた。棕梠の葉ずれの音を聞きながら足の使い方を練習し、人魚の下半身がいらなくなったらお城——寮から出て行く。でも彼女たちは人間のふりも人魚でいることも好きだから、のらりくらりお城に住みつづけ、出て行かない。棕梠はどんどん伸びてゆき、葉の重さで腰が曲がる。青い髪の彼女はぼさぼさの幹をやさしく撫でてくれる。それなら手紙を書けるのだ。書けるか? わたしはなにを書くだろう?
たとえばいつも棕梠を見上げていたこと。黒い葉。風。書道教室は畳の部屋で薄暗かったこと。流しの水がいつも細く、冷たくて、お湯は出ず、わたしは手についた墨汁をきれいに落とせなかった。黒く染まった指先をきつく握って、すれちがう人たちから隠した。なぜ隠さなければと思ったのか、わたしがあらゆる視線をおそれていたためだが、そそりたつ棕梠にはぜんぶばれている気がした。人魚を見守る南の島の木は、わたしのことだって知っていたはずだ。墨汁はいつも風呂で落とした。浴槽で足を伸ばし、そのころにはもう一人で風呂に入るようになっていた。墨の溶���た湯だからほんとうは透明ではない、目に見えない黒色の混じった湯なのだと思った。そういうことを書く。書いた。学校から帰ってきて便箋につづり、糊をなめて封をした。でもこれでは、わたしが思っていることを書いただけで、受け取る相手、青い髪の彼女に向けてなにか発信しているわけではないなとも思った。
盲腸のクラスメイトには、画用紙を切ったり貼ったりして「飛び出すカード」を作り、おだいじにとか当たり障りのないことを書いた。
レモンの町では書道教室に通わなかった。伯母はフラダンス教室の先生をやっており、招かれたので何度か見学したが、自分にはできる気がしなかったので(踊るのは恥ずかしい)、見学しただけだった。伯母はフラをやるからこまかいウェーブの髪がすごく長くて、想像��人魚よりも長かった。教室はおばあさんが多く、ハイビスカスの造花がたくさん飾ってあり、でもヤシの木はなかった。
盲腸のクラスメイトとは友だちになれた。退院してすぐ話しかけられ、飛び出すカードすごくかわいかった、どんな子が転校してきたのだろうと楽しみだったと言われ、わたしはちょっと申し訳なく思った。
だからというわけではないがかなり仲良くなった。すみれちゃんという名前で、しばしば自分の名前をSMILEと書いた。たとえば授業中に回ってくる手紙、ノートの切れ端にぎっしり書かれたいろいろの最後にSMILEとあり、それは署名だけども、受け取ったわたしには「笑って!」というメッセージにも見え、わたしはすみれちゃんの手紙がけっこう好きだった。
きのうみた夢とか、好きな音楽とか、誰々が雑誌のインタビューでこう言っていた、ラジオでこんな話をしていた、いますごく眠い、親とケンカしてすげえムカついてる、そういう日記みたいな手紙で、いや日記でもないようないろいろで、思っていることを書くだけでもちゃんと手紙になることを知った。わたしが手紙を読むときすみれちゃんはもう眠くないし、すげえムカついた気持ちもいくらかおさまっている。その時差こそが手紙の肝だと思った。
手紙ではたまにシリアスな悩みも吐露され、そういうときはSMILEの下に「読んだら燃やして」と強い筆跡で書かれていた。わたしはすみれちゃんの手紙を一度も燃やしたことはなかった。うちにはマッチもライターもなく燃やし方がわからなかったためで、ガスコンロで火をつけるのもこわかった。父親がいたらライターがあったろうか。ないな。たばこは吸わなかった。うちに小さな火がないのは父とは関係ない。父にはときどき会った。父も暗渠の町から引っ越したので暗渠の町に行くことはなくなった。
中学に入り、すみれちゃんの家が建て替えすることになった。古い家をぜんぶ取り壊すからラクガキしていいよということになり、友だち何人かで誘われた。すでに家具はぜんぶ運び出されからっぽになった家の壁や床だ。油性マジックとか書道の墨汁とかカラースプレーとか、みんなでいろいろ持ってきて、こんなことは初めてだったから最初わたしたちはおそるおそるペンを握ったが、だんだんマンガの絵を描いたり好きな歌詞を書いたり、家じゅう思い思いにラクガキした。腕をぜんぶ伸ばし、肩がもげるくらい大きなマルを描いてみた。マルの中に顔も描いた。すみれちゃんの妹が壁いっぱいの巨大な相合傘を描いた。片側に自分の名前、もう片側はいろんな人の名前で、芸能人もマンガのキャラクターもあったがやがて尽きたのか、後半は「優しい人」「うそをつかない人」「趣味が合う人」と理想を並べていた。すみれちゃんは最後、床に大きく「ありがとう」「SMILE」と書き、このラクガキは家への手紙だったのかと思った。
あとになってGoogleマップで暗渠の町を見たら棕梠のお城はなくなっていた。見つけられなかっただけかもしれないが、区画整理にひっかかったのか、暗渠の道もないように見えた。お城を取り壊すさい誰か壁にラクガキしたろうか。しなかったろう。だからすみれちゃんの家はとても幸運だったろう。そうして道の形が変わっても、地面の下にかつて川だった跡は残っているとも思った。
あのとき人魚に宛てて書いた手紙が、このあいだ本棚のすきまから出てきて、なにを書いたかだいたいおぼえていた。恥ずかしいなと思いつつ封を開けたら、しかし便箋は白紙だった。文字はどこかに消えてしまったのか、書いたというのはわたしの思い込みだったのか、ぜったい後者なんだけど、後者なんだけど……と思う。すみれちゃんはマスカラを塗るとき、ビューラーをライターの火であたためる。小さな火を持っている。
ペーパーウェルというネットプリントの企画に参加します。
セブンイレブン【24438044】 10/8 23:59まで
ファミマ・ローソン【DA5W82BGB9】 10/9 16時ごろまで
これは4年くらい前に書いたやつ。読んだことある人もいるかもしれない(覚えていてくださる方がいたらうれしい)。
今回のペーパーウェルのテーマが「時間」だったので、時間のことを考えながら書いた小説にしました。いやどこらへんが?って感じなんだけど、自分の中では…。過去のことを語るときの距離感、時間の長さとか流れを探りたかったというか。
つい最近読んだ川上弘美のインタビュー記事ですが、「年をとって記憶がいっぱい自分の中に貯まっているせいか、ある時期から、一瞬にフォーカスして書くよりも時間の流れを書くことが多くなってきた」とあって、なるほどなあと思いました。そして「でもコロナのもとで生活しながら小説を書いていると、なぜだか自然に、今この瞬間にフォーカスした書き方に回帰していくことになりました」と続き、とても興味深かった。
『群像』のweb記事で、「物語るために遠ざかり、小説全体であらわしていく」という題の鴻巣友希子との対談です。
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240129
朝、気のすむまで布団の中にいてやろう、と思って、ぼんやり目を開けたりとじたり、していた。 絵を描きたい、と思う。 手つかずの引越しの準備がうらめしい。 展示をひらく。最終日。 文学フリマや本屋さんでわたしを知ってくれた人が来てくれて、ほんとうに嬉しかった。みてくれている人がいる。そのことを実感できた。これはすごいこと。
設営したのと同じようにスーツケースと大きな袋に絵をいれる。 壁が白くなった。 自分ひとりで持ち帰る。
夜、つかれたのだと思う。なみだを流して、ねた。 終わったら、すがすがしい気持ちになると思っていたのに。
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240130
朝、起きたくない、と思わなかった。 いつまでもねていてよかったのに、楽しみな予感がしたから、起きる。 部屋が散らかっている。床の上にはいろいろなものが落ちていて、何かをまたがないと歩けない。もともと片付けは苦手だけれど、展示に際して、すべてを投げ打っていたため、ほんとうに足の踏み場もない部屋になっていた。 さすがにひどいと思って、片付ける。 銀行に用事があったから、散歩がてら歩いて、喫茶店でナポリタンを食べた。 本を読んだり、詩を��いたり、していた。 帰り道、リサイクルショップで鉄瓶とホーローの蓋つき取っ手つきの容器を買う。遅れてやってきた解放感かもしれない。 これから、引越しなのに、荷物を増やしてしまって。
頭が幸福に浸されていて、今日1日ずっとお風呂上りみたいだった。
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240131
朝、目覚ましをかけ忘れていて、寝坊。 燃えるゴミ、出せなかった。 髪形を調べる。髪形を変えたい、と思っている。ずっと。 でも、どうしたいのかみつからないまま、いつも同じ髪形になっている。 夜、本をつくって、ねた。
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●お知らせ
展示「ひとひらのくらし」についてまとめました。 お時間あります時に、のんびりとご覧いただけましたら嬉しいです。
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彼の家族は、父親が亡くなったときに閉店した元オートバイ店の隣の地下の家に住んでいました。 私の家から彼の家までは、鹿がたくさんいる美しい森の中を歩いて1時間かかりました。 貨物列車が目の前をゆっくりと通過していくのを、私は頻繁に家の視界に入り込み、列車が通過するまで木の切り株に座っていました。 以前のオートバイ店には、石鹸で汚れた窓の前にドクターペッパーの機械があり、私は鍵を持っていて、彼の母親がたくさんの仕事の1つをしている間、私たちは外泊のときにこっそり店を探索するために忍び込みました。 彼女はチェーンスモーカーでめったに話さず、ビデオゲームをレンタルするために私たちを地元のビデオ店まで車で連れて行ってくれたとき、よく一本のタバコに燃えているチェリーで火をつけていました。 マークの兄もその家に住んでいたが、部屋から出ることはほとんどなかった。 ほとんどの場合、タバコの煙が充満した家の中でジャーマン・シェパードがゼーゼーと咳き込む中、私たち二人が監視されずに飛び跳ねたり、古い映画を観たり、ソーダを飲みすぎたりしていました。 このような家族は、福音派キリスト教徒のターゲットになることがよくあり、福音派キリスト教徒は、仕事中に子供たちを楽しませることができる青少年グループのオファーで家族を誘い込もうとすることがよくありました。 ある時点で、青年牧師の一人がマークの母親に、私たち二人を彼の教会に行かせるよう説得しました。 ブロックバスターの代わりに、私たちはトウモロコシ畑に囲まれた暗い田舎道にある、十字と頭上にブンブン��光る照明がついた、匿名の鉄骨倉庫の前で降ろされました。 父親と母親がバイカー文化に深く関わっていたため、マークは宗教にあまり触れていませんでした。 私はすでにこの種の場所を以前に見たことがあり、次に何が起こるかを恐れていました。 私たちが中に入ると、「マイケル牧師」を紹介されました。彼はサンタクロースが極端なダイエットをして連続殺人犯の眼鏡を買ったかのように見えました。 マークは飛び上がって質問を始めたが、私は距離を置いた。 その前年、私は古い駅の修復にボランティア活動をしていた。それには、駅をホームレスの避難所に変えようとする原理主義キリスト教会の「監督」のもと、大勢の若者が参加した。 私たちは鉱山に隣接するこの小さな町の中学校の床で寝て、日中はペンキを剥がしたり床を研磨したりして過ごし、夜は性の悪さやアメリカがどのように「文化戦争」に陥っているかについて講義を受けました。 今にして思えば、児童労働として鉛塗料を除去する際にもっと保護具が必要だったような気がしますが、それは神次第だったのでしょう。 起立させられ、結婚するまではセックスしないと約束させられた長いセッションの後、割り当てられた教室に戻る途中で私が冗談を言ったところ、すぐにグループの先輩の男の子に詰め寄られました。 。 彼は軍隊風の髪型をしていて、星が見えるほど私をロッカーに叩きつけました。 私は毎週日曜日にカトリック学校とミサに通い、水曜の夜はカトリック教徒のための日曜学校のようなCCD(キリスト教教義連盟)に通って育ちました。 これらすべては、私がかなり確立された「クリスチャン」資格を持っていることを意味していました。 この少年は、私が悪影響を及ぼしている偽クリスチャンだと思っていること、鍵のかかった教室で毎晩彼や彼の友達と二人きりになるから気をつけるべきだと言いました。 この経験により、私はこれら福音派カルトに対して極度の警戒心を抱くようになり、教室の床で寝袋に静かに横になり、明らかに忘れ去られた回し車で走るハムスターの音を聞いていた。 この世界に詳しくない方に、少し背景を説明させてください。 私のカトリック教育は、聖なる人物との全く異なる関係を示しました。 神が直接語った人はほとんどなく、ほとんどが聖人でした。 自分は神との幻視や直接会話に値するような人間であると信じる罠に陥ってはいけない、という多くの警告を受けて育ちました。 これは神の介入というよりは精神疾患である可能性が高いと、やんわりと示唆されました。 彼はあなたの心��入り込み、あなたの行動を変え、あなたに平安を与えますが、あなたはチャットが正当化されるような稀な個人の階層に属していません。 したがって、私にとって、 神と直接会話 できると主張する福音派は異端であり、ランダムな「牧師」が自分たちが聖人であると主張するのと同じで、ひどい冒涜でした。 会衆が列を作り始め、その後に起こったのは、私の人生の中で最も非現実的な2時間の1つでした。 私の知り合い、図書館で働く女性、地元の郵便局員などが、自分たちの健康問題をサタンのせいにして叫び、手を振り始めた。 それからある時点で、怖いサンタクロースは震え始め、発作を起こしているように見えました。 彼は大声でせせらぎをし始め、部屋中を動き回っていました。そして、 このせせらぎに何か意味があるふりをして 、自分たちでそれをする人がどんどん増えているのを私は見つめました。 明るい光と大音量の音楽が、これらの普通の人々を狂気に陥れたようでした。 携帯電話のないこの時代、この状況を放置するために私にできることはあまりありませんでした。 私はマークがこれらの人々が神の声を伝えていると確信するのを待って見ていました。 「すごいですね、本当に何かを感じました。部屋にはエネルギーがありました!」 私がドアから目を離さないと、彼は私にささやきました。 青年牧師の一人が、私の中に霊が動いているのを感じましたか、参加したいという衝動を抑えるべきではないと尋ねました。私は大丈夫だとつぶやき、トイレに行かなければならないと言い、それから個室で待つまで待ちました。サービスはほぼ 2 時間後に終了しました。 他の子供たちと���していて、彼らがこれを信じているという現実が頭から離れませんでした。 「それは神の言葉であり、聖霊が私たちを通して語っておられることを理解できるのは、選ばれた少数の人だけです。」 その言葉は非常に強力で、牧師が教会の選ばれた会員に預言を明らかにし、彼らの経済的投資を支援することができました。 これは致命的な重大な仕事であり、これらの普通の人々は完全に信じており、時々 ある種の 言葉のように聞こえるこのナンセンスなおしゃべりは、文字通り神が彼らを通して話していると確信していました。 私は、普通の理性的な人々は決してそのようなナンセンスなことを信じないだろうと確信して帰りました。 これらの人々はだまされやすいので、一度この死んだ町から出てしまえば、このレベルの妄想にさらされる必要は決してなくなるでしょう。 それで、数年後、私がサンフランシスコの巨大な会議場に座って、Google の CEO が聴衆に AI がどのような未来になるかを説明しているときの私の驚きを想像してみてください。 ランダムな単語をつなぎ合わせたこのシステムは、群衆の中の私たち全員を置き換え、地球温暖化を解決し、あらゆる仕事���変えることになるでしょう。 これには、健康保険を失うことに興奮しているようだったグループから万雷の拍手が送られた。 これらすべては、テクノ音楽と明るい照明、そしてより多額の予算を投じた教会の礼拝によって始まりました。 私が行った会議はどこも、スタッフをこの神聖なテキスト ジェネレーターに置き換える可能性について有頂天になっている人々でいっぱいでした。 会議のために元の Google キャンパスまで私と Uber をシェアしたフランスのベンチャー キャピタリストは、興奮で息が上がりそうになっていました。 「間もなく、スタートアップを立ち上げるのにプログラマーさえ必要なくなるかもしれません。ただ、創業者とそのアイデアが、夢見る限り早く市場に投入されるだけです。」 彼をLLMに置き換えることができる可能性が高いとコメントしたくなりましたが、それは意地悪だと感じました。 まだ人間が運転しているテスラに私たちが座っているとき、「それは世界を変えるだろう」と彼はつぶやいた。 私の人生の中で、信心深い人たちから、私のコミュニティ、つまり無宗教のテクノロジー愛好家がテクノロジーを宗教の代わりに利用しているのではないかとよく言われてきました。 私たちは神や聖人という空想的な概念を拒否し、それを未来の妄想的な考えに置き換えるだけです。 自動運転車は、その問題が実際には難しすぎることが明らかになり、私たちが静かにそれについて話すのをやめるまでは避けられませんでした。 火星に植民地を設立するということは、たとえそれが私たちの能力の10倍を超えているとしても、あたかも「すぐに」であるかのように議論されることがよくあります。私たちは紙幣をデジタル通貨に置き換えようと試み、そして管理しました地球の破壊を加速する世界的なネズミ講を創設するために。 通常、私はこのロジックを拒否します。 テクノロジーは、多くの欠点がある一方で、実際に利益をもたらす多くのものを生み出しますが、これは宗教が主張できることではありません。 しかし、AIの力に対するこの盲目的な信仰を数か月聞いた後、私が今聞いていることと、礼拝後に信者が私に言ったことを比較すると、不気味なほど似ていました。 これは単なる集団妄想であり、新しいアイデアがないにもかかわらず、依然として 1 兆ドルの価値があると信じ込ませようとしているテクノロジー企業による必死の試みなのでしょうか? ここに何かありますか?
AIは異言を話す
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よゆうよけいよわい
何もしない日々が続いている。何もしないではなくて、眠っている。眠って体を回復させようとしているのだと思う。昨日も今日も、朝から夜まで寝ていた。今日は午前中風呂に入って頭も体も洗った。ジムの予定を入れていたが、この疲れ具合では行けないなと判断しキャンセル。応募した契約社員の書店求人からは連絡がない。ぐーすか。夜はまたロッテリアをウーバーイーツした。2日連続。コンビニまで歩いていくことさえできない。ただの疲労だが2日間も動けなくなるなんてまったく面白くない。明日は病院2件。脳神経外科とカウンセリングを梯子。藤井風の新曲が出ているのでは、ということにしゃぶしゃぶ屋でか��っていた有線で気づき、iTunesに「花」を入れる。歌で思い出したが、あんスタのマヨイさんの曲で「要らないなら捨てればいい、必要なら得るしかないさ」みたいな歌詞があり、これは聞くたびにその通りだな、と思い感動してしまう。オタクにはイメソンという文化があるのだが、私は歌詞(言語)がなんらかのキャラクターやカップリングのイメージに繋がることはない。音楽、つまり音の総体と時間の推移から得られるひとかたまり(メロディやフレーズと言いたいのだが、それよりももっと音全体、全て)で言語の意味を排したものしか、イメソンとして捉えられない。言語はわたしが考えるので、誰かの言語をもう一度自分の物語には使えない。ということで、歌の歌詞はキャラクターやカップリングに当てることなく、純粋に自分の人生に照射させる。さまざまな歌にいままで自分の生きるこの瞬間を応援されてきた。この瞬間もだし、未来もそうかも。まあ、未来を思うこの瞬間の自分ということだけど。そういう時の歌詞は結構シンプルなものが多い。だから結局はこれも、言語というより音楽自体に励まされているのだろうと思う。なにか歌詞ばかり重視される「イメソン文化」みたいなものが、私と音楽との相対の姿勢とそもそも馴染まないなあとよく思っている。ミュージカル刀剣乱舞のadditional timesみたいなタイトルの曲にも昔一時期すごく励まされた。今聴き返してみた、今でも好きだ、かなり…。死ぬほどうつで毎日どうすればいいかわからなくて無職で一人暮らしをしていて、という時期にこの歌を聴きながらとにかく歩いていた。あの頃どうやって生きていたのか、全く思い出せない。今立ち上がれば未来は逃げない。今立ち上がれば心は負けない、まだ全てが終わったわけじゃない。BL編集部に正社員で採用されたものの、やばい会社すぎて1週間で辞めた。働く気力も引っ越す気力もなく、そのまま会社の近くのアパートで貯金を使って生きていた。もう何歳の時の事だったのかもよくわからない。その時も結局実家に帰り、数年の療養ののち、やっと地元でアルバイトできるようになってから、最終的にまた上京した。記憶力が悪いというか、そもそも記憶する能力がやる気を全然出さないため、過去はいつも私と切り離されている。断片的には思い出せるが、自分の記憶というよりは、その時代の私という人間(他人)に付随した映像や声という感じだ。毎日すごい勢いで自分という人間が変わっていくので、1週間もすると、もう別人になってしまう。でも私の周りの人々は私を継時的に外側から見ているからか、私にも一貫性(というか、私の人格がもつ特徴)というものがあると思えるらしい。私も私の性質を一応わかっている���もりだが、おそらく他人の方がよくわかっていると思う。私は私の体が見えなくてついつい意識だけの存在と思いがちになるので、その意識が「これだけ変わってしまったんだから、もう別人だ」とよくジャッジする。しかし実際には私は私の体というものを通してしか他人に認識されない。その体は特に変化せず存在しているので、私の中身が物凄い速さで流転していることは私にしか分からない。私にしか感じられない。私は十分に日毎に違う人間になっているような気がするのだが、他人からはそれは見えないので、人間としてひとつながりに見える。私にはそうは見えない。不思議な段差だ。
大学の編入学の試験が終わり、面接でのアドバイス通り、福祉社会学のある国公立大学に行き、4年間勉強しようと思う。そうするとまだまだ貯金が必要なので、一旦また数年働く必要性がある。そういう結論が出てまあまあ楽な気持ちになった。友人のジェルネイル検定のハンドモデルに関しても(恙無くはなかったが)終わり、やっと動くのをやめていい、となったのが昨日で、一日休みにしておいたのだが、今日になっても全然回復しなかった。自炊できるほどの気力が戻るまでにあと何日かかるだろうか。たくさんの夢を見て、絶対に父母や兄が出てきて、寝ているだけでも精神的にかなり疲れる。「お雑煮」という話題があるが、つまり実家や生まれた場所ではどんな味でどんな具のお雑煮だったのか地域差があっておもしろい、という話題で、その際に母が正月に作ってくれるすまし汁から湯気が上がっている食卓の光景や、それに餅をいくつ入れるとか話してもちを焼いたりしている父や兄や母の朝のことを思い出すだけで、ああ、これは人に話せる範囲の家族の話だけれども、とても人に話す気にはなれない、ということを思い、どっと疲れる。食卓というのはおおよそ全ての事件が起こった場所で、そこは最悪だったが、たしかに幸せを感じたこともあった。さまざまな光景が何重にも被さって映される、そして幸福の象徴としての正月元旦の朝。家族のことはもうできるだけ思い出したくない。幸せもたくさんあって、というより幸せばかりの記憶が残っている。私の心が潰れたことに関しては、もはや私の中にしか残っていないし、どんどん忘れていく。私が生物としてどんどん弱っていき薬なしで生きられなくなったことは、私しかその理由を知らない。それで全く問題ない。復讐心というものも、もうすっかり消えた。どうでもよくなった。そんなことよりこれからの自分の人生をどうするかということに比重がかかっており、良い事だと思う。時間が何もかもを解決する。とくに私は記憶力が弱いため、悪いことも良いことも、どんどん忘れてしまう。だから常に新しい「いいこと」を求めて動き回っている。自分には感知できないところだが、過去の「悪いこと」を早く帳消しにしたいがために、必死��のだろうなと思う。自分が未来に対してあまりに楽天的だなと思う時もあるが、基本的には楽天的な人間ではないと思う。でも楽天的な人間だと喧伝して回っているうちに、たぶんそうなれるので、楽天的と言うことにしている。とくに社交的な性格とは真反対だった人間だが、最近では社交的で人見知りしないことが事実と思われるような時もあるので、言い聞かせたり他人にそのように自己紹介することは自分を変える上でだいぶ有効である。被り続けたペルソナは自分の顔になる。このことは身をもって事実だと感じているが、やはりペルソナの下の部分も消えるわけではないので、そのことに自覚的であるほうが、難を切り抜けやすいと思う。
2023.12.4
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たまごっち日記 1(8月9〜10日)
〈8月9日〉
ししょーさんからお誕生日プレゼントでたまごっちユニを頂きました!ありがとう🥲✨
読み返したら面白そうなのでここに記録的なものを残しておきたいと思います(しばらく飾ったままにしておきたかったけど我慢できずに開封してしまいました)。
開封の儀。紫色のポップな色合いのたまごっち、とてもかわいい!バンドもちゃんとついてました。大きさは今までのたまごっちと同じくらいで意外と軽いな…と思いました(昔のより軽いような?)。今回のたまごっちは電池ではなくてUSBでの充電式らしく、真ん中のボタンで電源が入るらしい。衝撃!だからこんなに軽いんだなあ…。Bボタンを長押しすると画面がつきました。日付と地域と自分の名前を入力。のなやと迷ってのなにしました(家族に画面見られたらこわいからね!)。背景はカラーでたまごっちならではのポップでドットなフォントに懐かしさが込み上げました。全部ひらがななのもかわいいね。
初期設定を済ませるとたまご選択画面に。
青、ピンク、緑のしましまのたまごがあって、迷ったけど青いたまごにしました。オス、メスの区別がないあたりが令和っぽい…!
部屋の中を青いたまごがゴロゴロ転がり始めました。そんなに転がって大丈夫か?部屋には窓とソファーがありまして、窓からは外が見えるんですけど暗くて雨が降ってました。これって実際のお天気と連動してたりするんだろうか…??でもまだWi-Fi設定諸々やってないしな〜などと考えながらたまごをしばらく眺めていると、割れて緑の赤ちゃん👶が出てきました。わー!!!!なにこれかわいい。見たことない子だな……(後にゆーゆっちと判明)。
たまごから出て早々半べそ状態。顔が悲しそう…。しかも「のな…」ってわしの名前を呼ぶんですよおおおおなんですかこの尊いいきものは👼他の言葉はまだ喋れないけどそれだけ喋れるっぽい。かわいすぎて悶絶してしまいました(これはまじ)。とりあえずおやつのビスケットとミルクをあげてみたら元気になりました。ちゃんと台所に行ってテーブルの上で食べててびっくりしました(ごいりょく)。今作ではちゃんと部屋という概念があるらしい…!わしが子供の頃に遊んでいたたまごっちは真っ白の亜空間にたまごっちがぽつんといるだけだったもんな……だいぶ奥行きが出てリアル味が出ている!そしてきみ、お腹が空いてたんだね!べそ治ってました。ホッ。安心したのもつかの間、この子…体感だけど2分間に1回うんちするしめちゃくちゃ快便。ミルクもたくさん飲む。ヒョエー。目が離せない:( '-' ):うんちといえば、今作のたまごっちたちは随分控えめな場所にうんちをするんですね…部屋の隅っこ……しかも小さい!最初気が付かなかったぞ。どうやって流すんだろうな〜と思ったらお風呂トイレアイコンで部屋ごと流すんですね……大胆…。流してあげると顔を赤らめてちょっと恥ずかしそうにするのかわいい。あと初めてうんちを流した時にメダルをもらいました。たくさんお世話をして実績を達成していくとメダルがもらえるっぽいです。これは全部集めたくなるやつだ……。
30分くらいお世話をしていたら急に眠りだしたので、あれ?今日はもう就寝時間なのかな…と思っていたら5分してまた起きたのでびっくりしました。昼寝か?もう夜だぞ(確か10時頃だった気がする)。まあ赤ちゃんだし関係ないか…👩🍼
そこからまた更に30分くらいお世話をしていると、ゆーゆっちに変化が!黒いキツネ?なんだろうネコミミみたいなのがついた白と黒の子に進化しました。このとき気がついたんですが、どうやら今育てている子のプロフィールが見られるページがあるようで。この子はうぇるこっちという名前らしい。性格はひとみしり。非常に親近感が湧きました。性格は30種類もあるらしくどの子になるかはランダムっぽい。ということは食べ物の好き嫌いとかもあるのかな?わくわく。うぇるこっちさん、進化してすぐに眠かったのか寝てしまいました……。ちょっとさみしい。寝るときは寝室に移動しててかわいかった!青くて落ち着くお部屋です。掛け布団には顔がついてました。この世界では何にでも顔がついている気がする。こいつ自我あるんかな…
〈8月10日〉
うぇるこっちさん、どうやら朝7時に起床するようです。えらすぎる。あげられるごはんがコーンフレークとグミになってました。取り敢えず朝ごはんをあげてうんちをジャー💩そういえばごはんのデリバリーもできるらしいです。お金なくてまだ頼んだことないけど…。お金ってやっぱりミニゲームとかで稼ぐのかな🤔あとでやってみよう。今日は仕事ですが、お腹を空かせてうんちだらけの部屋のうぇるこっちを想像したら泣きそうになったので職場に連れて行くことにしました。サウンドはオフにできるみたいだし、こっそりお世話すればいいじゃろ。そうしよう。
たまごっちは防水ではないらしく、濡れたら怖いのでちいかわのビニールポーチに入れていくことにしました。サイズぴったり。これ専用のポーチにしよう👴🏻✨
出社してこっそりポチポチいじっていると、たまシッターなるものを発見。なにこの機能?使ってみると、お姉さん!ってかんじのキャラクターが部屋の中に入ってきました。どうやらうぇるこっちの面倒をみてくれるらしい!まじで???福祉が充実している!!きっとたまごっちの世界にはいい政治家さんがいるに違いない。シッターさんがいる間は病気にもならないし、お腹も空かない。社会人のおとなでも育てやすくなってるんだなあ…。でも預けられるのが18時までで、それをすぎるとたまごっちが拗ねてしまうらしい。うーん退社に間に合うか微妙…( ᷄ ͜ʖ ᷅ )でもせっかくなので預けてみることにしました。わしのうぇるこっちを頼んだぜ!
結局退社後にスーパーに寄るなどしていたら18時を過ぎてしまいました。てかほぼ19時。帰宅して急いでたまごっちを見てみるとそこにはうるうるした目でこちらを見つめるうぇるこっちが……🥺うう、ごめんよ〜🥺🥺🥺罪悪感はんぱない。でも預けないで面倒見られないよりかは安心だと思うので、忙しい日はシッターさんにお世話になることにしよう。名前知らんけど!シッターさんなにっちなんだろう。あとで調べよ(シッターぽけっちっていうらしい)。お風呂に入れたりおやつをあげていたら機嫌がよくなったのでよかったです。
そういえば夜、うぇるこっちがでかいタブレットぽちぽちしてて何してるんだ���?と思ったんだけどたまごっちもSNSやるんだね!お風呂に入れてもらえたのが嬉しかったらしくタグに「にこにこ」をつけて投稿していてとてもかわいかったです!!!!!おふろすきなのかそっか………仲間だね^^
あと、コードを入力するとアイテムがもらえると聞いたので、箱とネックストラップに付いていたコードを入力してみました。水玉のリボンと風船を頂きました。アリガトウ、アリガトウ……。風船は大人にならないと遊べないらしいので(なんで??)リボンを頭に着けてあげました。存在感がやばい。ついでにお店でお部屋の模様替えとおもちゃを購入しました。つみきとぬりえ、ぬいぐるみにしました。明日渡してみようと思います。
帰ると22時には就寝してました。早寝…。
寝るときはちゃんとリボンを足元に置いて寝ていました。細かい…!!
わしも寝るか!おやすみなさい🌜🌚🌛
そういえばまだ一度も充電していないけど電池残量ってどこかで見られるのかな?明日確認してみよう。
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29/07/23
会社の近くペルシャ料理屋があって、そこへいくと必ず幸福な気持ちになれる。店内にある大きなタンドールが放つ熱で店内がほかほか暖められていて(背中向かいの席では熱いくらい)、照明は薄暗くて、食事はおいしくて、なんだか居心地がよくて眠くなっちゃう感じ。ワンプレートメニューが大半だが、基本的な組み合わせとしては、バスマティライス、チキンorラムor両方の炭火串焼き、サラダ、焼きトマト、一欠片のバター、が盛り付けられている。若干酢にくぐらせたような風味のする、炭火で焼かれたチキンがお気に入りで毎回それを頼んでいたが、こないだはものすごくラムを食べたい気持ちになって、ラムはあまり好んで食べないけど美味しく食べられるのか心配半分、ラムが美味しいということになったならばそれはさぞかし美味しいだろうという楽しみ半分で店へ向かい、いつものチキンと、ラム(ミンチにしたラムを小さく成形した、ラム苦手な人にとって一番難易度低そうなやつ)が両方乗っているプレートをお願いして、食べたら、ラムが...とっても美味しかった..!
美容師の友だちに髪の毛を切ってもらうようになってから3ヶ月経つ。今回は彼女のお家にお邪魔して、髪を切ってもらって、ビールとおつまみをいただいた。ヘアカット中のBGMは千と千尋で、おつまみは彼女のシェアメイトが作った夕飯の残り物で、ああいう時間がもっと人生の中にあればいいなと思った。またすぐね。
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金曜日に有給を取って3連休を作り、マルタへ旅行した。イギリスは秋みたいに寒いけど、ヨーロッパには記録的な熱波がやってきており、マルタも例外ではなく、空港を出たら暑すぎて、いっぱい歩くのはやめよう..と危険を感じた。マルタには電車がなくて、移動手段はバスだから、3日間で15回くらいバスに乗った。前回のオスロ旅行で、自分の興��関心に基づいて行きたいところをいくつか選んでおくべきだという教訓を得たため、ワイナリーとかレストランとか色々ピックアップしておいたのに、バスが来なくて閉館時間に間に合わないみたいな理由で立てた予定はほとんど全て崩れ、行きたかったところの9割は行ってない。
立てた予定が全て崩れて向かったバスの終点には、イムディーナという静まり返った美しい城塞都市があった。後から調べてみたらマルタ最古の都市で、かつてはマルタの首都だったらしい。なんか普通のマルタの街に到着したなと思ってぷらぷら歩いていたら、お堀じゃないけどお堀みたいな高低差のある場所へ出て、中へ入るととっても別世界だった。旅をしている時(文字通りの旅ではなく、その場に意識があってその場に集中してわくわくしながら歩いている時)は自分の足音が聞こえる、とポールオースターの友だちが言ってたが、わたしは匂いもする。暑すぎるのか、痩せた雀が何羽か道端に転がって死んでいた。馬車馬は装飾のついた口輪と目隠しをされ、頭頂部には長い鳥の羽飾りが付けられていた。御者がヒーハー!と言いながら馬を走らせた。とにかく暑かった。
ほとんど熱中症の状態で夕食を求め入ったレストランで、ちょっとだけ..と飲んだ、キンキンに冷えた小瓶のチスク(マルタのローカル大衆ビール)が美味しくて椅子からころげ落ちた。熱中症なりかけで飲む冷たいビール、どんな夏の瞬間のビールよりうまい。
安いホステルにはエアコン設備などもちろんついていない。さらに、風力強の扇風機が2台回っている4人部屋の、私が寝た2段ベッドの上段だけ空気の溜まり場になっていた。明け方に頭からシャワーを浴びてさらさらになって、そのまま二度寝する。隣のベッドのイタリアから来たかわいらしい女の子2人組が夜遊びから帰ってきて、わたしは出がけに、部屋で少し話す。8年前に来たコミノ島はプライベートビーチのようで素晴らしかったけど、昨日行ったらツーリズム化されていて悲しかった。耳の裏に日焼け止めを塗り忘れて痛くなっちゃったから、あなたは忘れないように。わたしたち今ちょっとおかしいのよ、と言いながらドレスも脱がずにそのままベッドの上で眠ってしまった彼女は天使か何かみたいだった。扇風機をつけたまま部屋を出て行く。
地面がつるつると滑る。
砂のような色をした街並みが広がるマルタにもイケてるコーヒー屋は存在する。これも近代化・画一化の一途かと思うと、微妙な気持ちにもなるが、こういう場所へ来ると息が深く吸えるので有り難くもある。
マルタは3つの主要な島から成る。そのうちのゴゾ島へ行く。首都��バレッタから港までバスで1時間強、フェリーで20分。
フェリーほどいい乗り物はない。売店でビールとクリスプスを買って、デッキへ出て、なるべく人がいない場所で海を眺める。乗船案内と音楽が止んで、フェリーが作る波と風の音しかしない中に佇むと、これでいいような気がしてくる。ビールはあってもなくてもいいけど、フェリーのデッキで飲むビールの味というのがあって、それはめちゃくちゃうまい。
ゴゾ島へ降り立つと、足音と匂いがした。適当に道路沿いを歩いていたら、また別世界に続きそうな脇道があって、進んだらやっぱり別世界だった。ディズニーランドのトムソーヤ島で遊んでる時みたいな気持ちで謎の小屋へ入り、人で満杯のhop on hop offバスを眺めやりながら、人懐こすぎる砂色の猫と涼む。港とは反対側の海辺へ行きたかったのでバスを待つものの、一生来ないため、バス停近くのローカルスーパーを覗く。これといった面白いものは置かれていなくて、見たことある商品ばかりが並んでいた。バスは一生来ない。
バスを降り、水と涼しさを求めて入った地中海レストランは目と鼻の先に浜があり、今回の旅は下調べなしの出会いが素敵だなあとしみじみする。カルパッチョと白身魚のライススープ、プロセッコと、プロセッコの10倍あるでっかい水(笑)。カルパッチョは、生ハムのような薄切りの鮪が敷かれた上に生牡蠣、茹で蛸、海老が盛られていた。鮪は日本で食べるのと同じ味がした。カルパッチョは旨く、プロセッコはぬるく、ライススープは想像と違った。パンに添えられたバターは外気温のせいで分離していた。水が一番おいしかった。
おいしいものとお酒が好きで楽しい。
ヨーロッパ人の色気の正体ってなんなんだろう?アジア人が同じ格好をしてもああはならない。胸元がはだけていてもスカートが風で捲れてもはしたないと全く感じない。むしろロメール作品のようにさえ見える。そもそも'はしたない'という概念がアジア(少なくとも日本)にしか存在しないのではないか?色気って品かと思ってたけどそれは日本だけかもしれない。
地元料理が食べられるワインレストランを夕食に予約してみたらコース一択だった。お昼食べ過ぎてあんまりお腹空いてなかったからちょっと小走りで向かってみる。ラザニア、ムール貝と魚のスープ、うさぎの煮込みなど。人ん家の料理みたいな美味しさだった。マルタのワインはほとんどが島内で消費されるらしい。ゴゾ島の白ワインの感想:暑い村、お絵描きアプリのペンの一番太い線(色はグレーがかった白で透過度50)。食後のグリーンティーは、TWININGSのティーバッグで、お砂糖をいれる選択肢が与えられて、洋風の装飾がたっぷりついた受け皿付きの薄い��ップと共にポットで提供された。カップの底に描かれた静物画のような果物が綺麗でうっとりした。
どこにでもあるような早朝からやってるスタンドでドーナツとオレンジジュースとコーヒー。扇風機に当たり続けていたいが荷物をまとめて宿を出る。行きたい街へ向かうバスが一生来ないため、行きたい街に名前が似てる街が行き先に表示されているバスに適当に乗ったら、行きたい街より30度北へ行くバスだった。でもやっぱり行きたい街へ行きたかったので、30度北の街へほとんど到着してからバスを乗り換え行きたい街へ向かったが、Googleマップの示すバス停へは行かず、行きたい街を通過してしまったため、行きたい街から30度南の街に降り立つこととなった。海辺でチスクを飲みながらメカジキを食べた。暑すぎて肌着1枚だった。店先のガラスに映る自分に目をやると、いわゆるバックパッカーの様相をしていた。
空港行きのバスだけは遅延なくスムーズに来て着く。肌着状態からシャツを身につけ普段の姿(?)に戻ると、途端に具合が悪くなった。日に当たりすぎたみたい。お土産を買ってセキュリティを通過し、充電スポットの近くに座って搭乗を待っていたら、すぐそばにグランドピアノがあることに気がついた。誰か上手な人が演奏しないかしらと思っていたら、青年によるリサイタルが始まった。父親が彼を呼びにやってくるまで、クラシックからビートルズまで5-6曲。思わぬ良い時間だった。
都市に住むと、旅行から帰ってくる時安心する。
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会社の人たち語録 ・やりたいことたくさんあるけど、今はやりたくないです。 ・返事がないのはいい知らせではないので。 ・Are you alright? まあまあ、ぼちぼち。
夕方、商店街へ買い出しに行く時がすごく幸せ。食べたいと思うものしか買わなかった時は特に幸せ。ぱつっと瑞々しい野菜、ちょっといいパスタ、ジャケ買いしたクラフトビール、好きな板チョコ。そんでキッチン飲酒しながらご飯作る。ビールを開けて一口目を飲むまでの間だけは音楽を止めるというのにはまっていて、そういえばフェリーのデッキで乗船案内とBGMが止んだ時の感じに似ていなくもない。フラットメイトが、夜中3時まで友人とリビングで遊んでいたり、土曜の夜にパーティへ出かけたりしているのと比較して、わたしが幸せ感じてるポイントは内向的だ。
やりたいことが浮かぶ。それをやる前に、比較対象の選択肢や判断軸を不必要なほど増やしてしまいがちだが、最適な選択を選び取ることよりも、やりたいと思う気持ちを満たすことの方が幸せなんじゃないか?
色々比べて悩んじゃったら「朝から決めてたことだから」って言うとスッと選び取れる!
食材の買い出しで1週間くらいはもつかなと感じるくらいたくさん買っても実際3日もすれば冷蔵庫空になるやつ、悲しさというかやるせなさを覚えるんだけど、こないだ500gパックの美味しそうなミニトマト買った時に、長く保ち続けること(終わりを迎えないようにする、終わりを想像しないようにすること)よりも、きちんと消費する(終わりを気持ちよく迎えること)を考えるようにしたら明るくなれてよかった。終わりって何事にもやってくるもんね。
食の話ばっかり回。
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余花に吉兆
1. 友人あるいは恋人のようなことを始めたら、もっと分かり合えて親密な空気だとか柔らかな信頼みたいなものが生まれるかと予想していたが、俺らの空間は特段何かが変化することもなく、近すぎず遠すぎずの関係が果てなく伸びていくのみだった。 大切なものを手のひらに閉じ込めるような日々だった。彼の大きな体は存在感だけでもどこか騒々しかったが、無音より心地よかったのだ。
うずたかく積もった瓦礫がようやく街から消える頃、俺は人生初の無職デビューを飾った。事務所は畳んだし復興支援委員会の任期も終わった。警察や公安、行政から相変わらず着信や不定期な依頼はあれど、様々な方面からの誘いを断り所属する場所がなくなった俺はぼんやりと初夏を迎えることとなった。 無職になりまして。とセントラルの定期通院の帰り、待ち合わせた居酒屋で焼き鳥をかじりながら言うと彼は呆けた顔で俺を見た。エアコンの効きが悪いのか、妙に蒸し暑くてふたりとも首筋にじんわり汗が滲んでいる。 「お前が?」 「はい。しばらくゆっくりしてから次のこと考えようと思って」 「お前にそんな発想があったとは」 「どういう意味ですか」 「休もうという発想が。いつも忙しく働いとったろーが。そもそも趣味や休みの過ごし方をお前の口から聞いたことがない」 「それ元SKたちにも言われましたわーー。人を仕事人間みたく言わんでくださいよまあその通りですけど。今までやれなかったこと全部やったろ、と思ってたんですけど10日で飽きました。福岡いるとどうしても街の様子気になっちゃうしホークスだ〜〜♡ て言われるし、どっか旅行でも行けばって言われるんすけど全然そんな気になんないんすよ。来月には引きこもりになってるかもしれねっす」 そしたら会いに来てくださいね♡ と言ったら、彼は釈然としないような、そして何かに耐えるような、そんな顔をした。 店を出ると強い風が頬を打った。まだほんのわずか残っていた春の気配が吹き飛んでいく。じゃあ、と手をあげかけたところでデカい手が伸びてきて顎を掴まれた。「飲み直すぞ、うちで」「ひゃい?」かくて俺はそのままタクシーに突っ込まれ(この人と乗る後部座席は超狭い)、轟邸へお持ち帰りされることとなった。
暗闇の中でうずくまる恐竜みたいな日本家屋。数奇屋門と玄関の間だけで俺の1LDKがすっぽり入りそう。靴を揃えて上り框に足をかけると今度は首根っこを掴まれた。連行されるヴィランそのままの格好で俺は廊下を引き摺られ居間の隣室へ放り込まれる。今夜は何もかも展開が早い。「なになに? 俺には心に決めた人がいるんですけど⁉︎」「使え」「は?」 「この部屋を好きなように使え。しばらく置いてやる」 「もしかしてあなた相当酔って���すね⁉︎」 「あれくらいで酔わん。お前が、ヒーロー・ホークスが行くところがないなんて、そんなことがあってたまるか」 畳に手をついて振り仰ぐ。廊下から部屋に差し込む灯りは畳の目まではっきりと映し出しているけれど、彼の表情は逆光でわからない。 「俺、宵っぱりの朝寝��ですよ」 「生活習慣までとやかく言わん。風呂を沸かしたら呼びに来てやるからそれまで好きにしてろ」 けれど俺が呼ばれることはなく、様子を見に行くと彼は居間で寝落ちていたのでやっぱり酔っていたのだと思う。デカい体を引きずって寝室に突っ込んだ。風呂は勝手に借りた。
酔ってはいたものの彼の意思はしっかり昨晩にあったようで、そして俺も福岡に帰る気が全くおきなかったので、出会い頭の事故のように俺の下宿生活は始まった。 「うちにあるものは何でも好きに使え」なるありがたいお言葉に甘えて俺は巣作りを開始した。足りないものはAmazonで買った。徹夜でゲームしたりママチャリで街をぶらついたり(帽子をかぶってれば誰も俺に気づかなかった)ワンピース一気読みしたり豚肉ばかり使う彼からキッチンの主権を奪いそのまま自炊にハマったりもした。誰を守る必要もなく、誰かを気にかける必要もない。誰を満足させる必要もなかった。彼が出かける時間に俺は寝ていたし夕飯も好きな時間に食べていたので下宿より居候の方が正確だったかも知れない。誰かとひとつ屋根の下で暮らすことへの不安はすぐ消えた。早起きの彼がたてる足音や湯を使うボイラー音、帰宅時の開錠の音。そんな他人の気配が俺の輪郭を確かにしていったからだ。 ヒーローを引退した彼は事務所を売却したのち警備会社の相談役に収まっていたがしょっちゅう現場に呼ばれるらしく、出勤はともかく帰り時間はまちまちだった。まあわかる。治安維持に携わっていて彼に一目置いていない人間はまずない(治安を乱す側はなおさらだ)。「防犯ブザーのように使われる」とぼやいていたが、その横顔にはおのれの前線を持つものの矜持があった。どうしてか俺は嬉しい気持ちでそれを見ていた。
2. ある夜、俺は玄関で彼のサンダルを履き外へ出た。引き戸を開けると明るい星空が広がっていて、それが妙に親しかった。縁側に腰掛けてぼんやり彼方を眺めると星の中に人工衛星が瞬いている。ほとんどの民家の明かりは消えていて、夜は少し湿りそして深かった。紫陽花だけが夜露に濡れて光っていた。 知らない街なのに、他人の家なのに、帰らんと、とは微塵も思わなかった。俺はここにいる。知らない場所に身ひとつで放り出されてもここに帰ってくる。呼吸をするたびに心と体がぴったりと張り付いていった。 気配を感じて振り返ると、あの人がスウェットのまま革靴を引っ掛けて玄関から出てくるところだった。 「風邪をひくぞ」と言われ何も答えずにいると犬か猫みたいにみたいに抱えられ、家の中に連れ戻された。 それからほとんど毎夜、雨でも降らない限り俺は外に出て彼方を眺めた。そうすると彼は必ずやってきて俺を連れ戻した。ある夜「一緒に寝てください」と言ったら彼は呆れたように俺を見下ろして「お前の部屋でか」と言った。そうかあそこは俺の部屋なのか。「あなたの部屋がいいです」と言ったら視線がかちあい、耳の奥で殺虫器に触れた虫が弾け飛ぶみたいな音がして、目が眩んだ。 「そんで、同じ布団で」 「正気に戻ってからセクハラだとか騒ぐなよ」 彼の布団にすっぽりおさまると目が冴えた。やっぱこの人なんか変。そんで今日の俺はもっと変。分厚い背中に額をあてて深く息を吸った。おっさんの匂いがして、めちゃくちゃ温かくて、甘くて甘くて甘くて足指の先まで痺れる一方で自分で言い出したことなのに緊張で腹の奥が捻じ切れそうだった。 彼の寝息と一緒に家全体が呼吸をしている。眠れないまま昨夜のことを思い出す。俺が風呂に入ろうとして廊下を行くと、居間で本を読んでいた彼が弾かれたように顔を上げた。その視線に斥力のようなものを感じた俺は「お風呂行ってきまぁす」となるべく軽薄な声で答えた。一秒前まであんな強い目をしていたくせに、今はもう血の気の失せた無表情で俺を見上げている。妙に腹が立って彼の前にしゃがみ込んだ。「一緒に入ります?」「バカか」「ねえエンデヴァーさん。嫌なこととか調子悪くなることあったら話してください。ひとりで抱え込むとろくなことないですよ。俺がそれなりに役立つこと、あなた知ってるでしょ?」 「知ったような顔をするな」 「俺はド他人ですが、孤独や後悔についてはほんの少し知っていますよ」 真正面から言い切ると、そうだな、と素っ気なく呟き、それきり黙り込んだ。俺ももう何も言わなかった。 ここは過ごすほどに大きさを実感する家だ。そこかしこに家族の不在が沈澱している。それはあまりに濃密で、他人の俺でさえ時々足をとられそうになる。昨日は家族で食事をしてきたという彼は、あの時俺の足音に何を望んだのだろう。 いつぞやは地獄の家族会議に乱入したが、俺だって常なら他人の柔らかな場所に踏み入るのは遠慮したいたちだ。けれどあの無表情な彼をまた見るくらいなら軽薄に笑うほうがずっとマシだった。これから先もそう振る舞う。 きんとした寂しさと、額の先の背中を抱いて困らせてやりたい怒り。そんなものが夜の中に混ざり合わないまま流れ出していく。
3. 涼しい夜にビールを飲みながら居間で野球を眺めていたら、風呂上がりの彼に「ホークス」と呼ばれた。 「その呼び方そろそろやめません? 俺もう引退してるんすよ。俺はニートを満喫している自分のことも嫌いじゃないですが、この状態で呼ばれるとホークスの名前がかわいそうになります、さすがに」「お前も俺のことをヒーロー名で呼ぶだろうが」「じゃあ、え……んじさんて呼びますから」「なぜ照れるんだそこで」「うっさいですよ。俺、けーご。啓吾って呼んでくださいよほら」「……ご」「ハイ聞こえないもう一回」「け、けいご」「あんただって言えないじゃないですかあ!」 ビールを掲げて笑ったら意趣返しとばかりに缶を奪われ飲み干された。勇ましく上下する喉仏。「それラスト一本なんすけどお」「みりんでも飲んでろ。それでお前、明日付き合え」「はあ」「どうせ暇だろ」「ニート舐めんでくださいよ」 翌日、俺らは炎司さんの運転で出かけた。彼の運転は意外に流れに乗るタイプで、俺はゆっくり流れていく景色を眺めるふりをしてその横顔を盗み見ていた。「見過ぎだ。そんなに心配しなくてもこの車は衝突回避がついている」秒でバレた。 「そろそろどこいくか教えてくださいよ」 「そば屋」 はあ、と困惑して聞き返したら、炎司さんはそんなに遠くないから大丈夫だ、とまたしてもピンぼけなフォローで答えた。やがて商業施設が消え、国道沿いには田園風景が広がり出した。山が視界から消え始めた頃ようやく海に向かっているのだと気づく。 車は結局小一時間走ったところで、ひなびたそば屋の駐車場で止まった。周りには民家がまばらに立ち並ぶのみで道路脇には雑草が生い茂っている。 テレビで旅番組を眺めているじいさん以外に客はいなかった。俺はざるそばをすすりながら、炎司さんが細かな箸使いで月見そばの玉子を崩すのを眺めていた。 「左手で箸持つの随分上手ですね、もともと右利きでしょ?」 「左右均等に体を使うために昔からトレーニングしていたから、ある程度は使える」 「すげえ。あなたのストイックさ、そこまでいくとバカか変態ですね」 「お前だって同じだろう」 俺は箸を右から左に持ち替えて、行儀悪く鳴らした。 「んふふ。俺、トップランカーになるやつってバカか天才しかいねえ、って思うんすよ。俺はバカ、あなたもバカ、ジーニストさんも俺的にはバカの類です」 「あの頃のトップ3全員バカか。日本が地図から消えなくてよかったな」 そばを食べて店を出ると潮の匂いが鼻を掠めた。「海が近いですね?」「海といっても漁港だ。少し歩いた先にある」漁港まで歩くことにした。砂利道を進んでいると背後から車がやってきたので、俺は道路側を歩いていた炎司さんの反対側へ移動した。 潮の香りが一層強くなって小さな漁港が現れた。護岸には数隻の船が揺れるのみで無人だった。フードや帽子で顔を隠さなくて済むのは楽でいい。俺が護岸に登って腰掛けると彼も隣にやってきてコンクリートにあぐらをかいた。 「なんで連れてきてくれたんですか。そば食��たかったからってわけじゃないでしょ」 海水の表面がかすかに波立って揺れている。潮騒を聞きながら、俺の心も騒がしくなっていた。こんな風に人と海を眺めるのは初めてだったのだ。 「俺を家に連れてきたのも、なんでまた」 「……お前が何かしらの岐路に立たされているように見えたからだ」 「俺の剛翼がなくなったから気ィ使ってくれました?」 甘い潮風にシャツの裾が膨らむ。もう有翼個性用の服を探す必要も服に鋏を入れる必要も無くなった俺の背中。会う人会う人、俺の目より斜め45度上あたりを見てぐしゃりと顔を歪める。あの家で怠惰な日々を過ごす中で、それがじわじわ自分を削っていたことに気づいた。 剛翼なる俺の身体の延長線。俺の宇宙には剛翼分の空白がぽっかり空いていて、けれどその空白にどんな色がついているかは未だわからない。知れぬまま外からそれは悲しい寂しい哀れとラベリングされるものだから、時々もうそれでいいわと思ってしまう。借り物の悲しさでしかないというのに。 「俺より先に仲間が悲しんでくれて。ツクヨミなんか自分のせいだって泣くんですよかわいいでしょ。みんながみんな悲壮な顔してくれるもんだから、正直自分ではまだわかんなくて。感情が戻ってこない。明日悲しくなるかもしれないし、一生このままかも。 あなたも、俺がかわいそうだと思います?」 「いいや」 なんのためらいもなかった。 「ないんかい」 「そんなことを思う暇があったら一本でも多く電話をして瓦礫の受け入れ先を探す。福岡と違ってこの辺はまだ残っとるんだ。それから今日のそばはおれが食いたかっただけだ」 「つめたい!」 「というかお前そんなこと考えとったのか。そして随分甘やかされとるな、以前のお前ならAFOと戦って死ななかっただけ褒めてほしいとか、ヒーローが暇を持て余す世の中と引き換えなら安いもんだと、そう言うだろう。随分腑抜けたな。周囲が優しいなんて今のうちだけだ、世の中甘くないぞ、きちんと将来のことを考えろ」 「ここで説教かます⁉︎ さっきまでの優しい空気は!」 「そんなもの俺に期待するな」 潮風で乱れる前髪をそのままにして、うっとり海に目を細めながらポエムった10秒前の自分を絞め殺したい。 彼は笑っているのか怒っているのか、それともただ眩しいだけなのかよく分からない複雑な顔をする。なお現在の俺は真剣に入水を検討している。 「ただ、自分だけではどうしようもないときはあるのは俺にもわかる。そんな時に手を…… 手を添えてくれる誰かがいるだけで前に進める時がある。お前が俺に教えてくれたことだ」 「ちょ〜〜勝手。あなたに助けてもらわなくても、俺にはもっと頼りたい人がいるかもしれないじゃないですか」 「そんな者がいるならもうとっくにうちを出ていってるだろう。ド他人だが、俺も孤独や後悔をほんの少しは知っている」 波音が高くなり、背後で低木の群れが強い海風に葉擦れの音を響かせた。 ���手だ、勝手すぎる。家に連れてきてニートさせてあまつさえ同衾まで許しといて、いいとこで落として最後はそんなことを言うのか。俺が牛乳嫌いなのいつまでたっても覚えんくせにそんな言葉は一語一句覚えているなんて悪魔かよ。 俺にも考えがある、寝落ちたあんたを運んだ部屋で見た、読みかけのハードカバーに挟まれた赤い羽根。懐かしい俺のゴミ。そんなものを後生大事にとっとくなんてセンチメンタルにもほどがある。エンデヴァーがずいぶん可愛いことするじゃないですか。あんた結構俺のこと好きですよね気づかれてないとでも思ってんすか。そう言ってやりたいが、さっき勝手に演目を始めて爆死したことで俺の繊細な心は瀕死である。ささいなことで誘爆して焼け野原になる。そんなときにこんな危ういこと言える勇気、ちょっとない。 「……さっきのそば、炎司さんの奢りなら天ぷらつけとけばよかったっす」 「その減らず口がきけなくなったら多少は憐れんでやる」 骨髄に徹した恨みを込めて肩パンをした。土嚢みたいな体は少しも揺らがなかった。
車に向かって、ふたりで歩き出す。影は昨日より濃く短い。彼が歩くたびに揺れる右袖の影が時々、剛翼の分だけ小さくなった俺の影に混じりまた離れていく。 「ん」 炎司さんが手でひさしを作り空を見上げ、声をあげる。その視線を追うと太陽の周りに虹がかかっていた。日傘。 「吉兆だ」
4. 何もなくとも俺の日々は続く。南中角度は高くなる一方だし天気予報も真夏日予報を告げ始める。 SNSをほとんど見なくなった。ひとりの時はテレビもつけず漫画も読まず、映画だけを時々観た。炎司さんと夜に食卓を囲む日が増えた。今日の出来事を話せと騒ぎ聞けば聞いたで質問攻めをする俺に、今思えば彼は根気よく付き合ってくれたように思う。
気温もほどよい夕方。庭に七輪を置き、組んだ木炭に着火剤を絞り出して火をつける。静かに熱を増していく炭を眺めながら、熾火になるまで雑誌を縛ったり遊び道具を整理した。これは明日の資源ごみ、これは保留、これは2、3日中にメルカリで売れんかな。今や俺の私物は衣類に���ーム、唐突にハマった釣り道具はては原付に及んでいた。牡丹に唐獅子、猿に絵馬、ニートに郊外庭付き一戸建てだ。福岡では10日で暇を持て余したというのに今じゃ芋ジャージ着て庭で七輪BBQを満喫している。 炭がほの赤く輝き出すころに引き戸の音が聞こえ、俺は網に枝豆をのせた。 「今日は早いですね〜〜おかえりなさい」 「お前、無職が板につきすぎじゃないか?」 「まだビール開けてないんで大目に見てください」 家に上がった彼はジャージ姿でビールを携えて帰ってきた。右の太ももには「3-B 轟」の文字。夏雄くんの高校ジャージだ、炎司さんは洗濯物を溜めた時や庭仕事の時なんかにこれを着る。そのパツパツオモシロ絵面がツボに入り「最先端すぎる」と笑ったら「お前も着たいのか?」とショートくんと夏雄くんの中学ジャージを渡され、以来俺はこの衣類に堕落している。遊びにきたジーニストさんが芋ジャージで迎えた俺たちを見てくずおれていた。翌々日ストレッチデニムのセットアップが届いた(死ぬほど着心地がよかった)。 焼き色のついた枝豆を噛み潰す。甘やかな青さが口の中に広がっていく。 「福岡帰りますわ、ぼちぼち」 彼の手からぽとりとイカの干物が落っこちた。砂利の上に不時着したそれにビールをかけて砂を流し、網の上に戻してやる。ついでにねぎまを並べていく。 「……暇にも飽きたか」 「いや全然、あと1年はニートできます余裕で」 ぬるい風と草いきれが首筋をくすぐり、生垣の向こうを犬の声が通り過ぎていく。いつも通りのなんでもない夕方だ。そんななんでもなさの中、現役の頃は晩酌なんてしなかっただろう炎司さんが俺とビールを開けている。俺らはずいぶん遠くまで来た。 「福岡県警のトップが今年変わったんですけど、首脳部も一新されて方針も変わったらしくて、ヒーローとの連携が上手くいってないらしいんすよね。警察にもヒーローにも顔がきいて暇な奴がいると便利っぽいんで、ちょっと働いてくるっす。そんで、俺のオモチャなんですけど」整理した道具たちに目をやる。「手間かけて悪いんですが処分してくれませんか?」 「……どれも、まだ使えるだろう」 「はあ。リサイクルショップに集荷予約入れていいです?」 「そうじゃない。処分する必要はないと言ってるんだ」 的外れと知っていてなお、真っ当なことを言おうとする融通のきかなさ。その真顔を見て俺この人のこと好きだな、と思う。子どものまま老成したような始末の悪さまで。 「それは荷物置きっぱにしてていいからまたいつでも来いよってことでしょーーか」 「……好きにしろ」 唸るような声はかすかに怒気をはらんでいる。さっきまで進んでたビールは全然減ってないしイカはそろそろ炭になるけどいいんだろうか。ビール缶の汗が彼の指をつたい、玉砂利の上にいびつな模様をつくっていく。 「じゃあお言葉に甘えて。それとツクヨミが独立するってんで、事務所の立ち上げ手伝ってほしいって言われてるんすよ、なんでちょくちょくこっちに滞在するので引き続きよろしくお願いします具体的には来月また来ます♡」 「それを先に言え‼︎」 今度こそ本物の怒りが俺の頬を焦がした。具体的には炎司さんの首から上が燃え上がった。七輪みたいに慎ましくない、エンデヴァーのヘルフレイム。詫びながら彼の目元の皺を数えた。青い瞳にはいつも通りに疲労や苛立ち、自己嫌悪が薄い膜を張っている。今日も現場に呼ばれたんかな。ヒーロースーツを着なくなっても、誰かのために走り回る姿は俺の知ったエンデヴァーだった。腕がなくなろうが個性を使わなかろうが、エンデヴァーを許さぬ市民に罵倒されようが。だから俺も個性なくてもできることをやってみっかな、と思えたのだ。ここを離れ衆目に晒されることに、不安がないわけではないけれど。 疲れたらここに帰ってまたあの部屋で布団かぶって寝ればいい。家全体から、やんわり同意の気配が響くのを感じる。同意が言いすぎだとしたら俺を許容する何か。俺のねぐら、呼吸する恐竜の懐の。 「その……なんだ、頑張れ」 「アザーース」 帰属していた場所だとか、背にあった剛翼だとか。そんなものがごっそりなくなった体は薄弱で心もとない。だから何だ、と思う。俺はまだ変わる。 空があわあわと頼りない色合いで暮れていく。隣にしゃがんだ炎司さんの手が俺の背に添えられた。翼の付根があったあたりにじわりと熱が広がり、そのまま軽く背を押されて心臓が跳ねる。 「来月はそば打ちでもしましょうね」 短い肯定が手のひらの振動から伝わる。新たな命を吹き込まれる俺の隣で、炭がぱちりと爆ぜた。
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0103 あさ新幹線で東京帰る。ずっと欲しかったコーヒーサーバーとコーヒー豆手に持って遅れ馳せながらうちにもサンタ?きた。夕方から萩の湯に行き、帰ってふたりで飲酒など。
0102 三木さんと昼に高柳神社に初詣。のんびりしてから京都。キキとたつカフェへ。夜は三木家に帰宅し、録画してもらってたさんまのまんまを観るなどし年始気分に浸る。
1231 コノミヤでビールとかアイスとか買い込むのがやけに年末。年越しは三木家で紅白。事実上実家が消滅した昨年も、引き払って以降本格的に消滅を遂げた今年も、三木家で食卓を囲みながら0時にみんなで年越しを蕎麦食べた。年が明けた瞬間おめでとうございますと言い合う。私の今年の抱負は特になくて、三木家のみんなに今年の抱負は?と三木家に聞いたら誰もなくてそれもよかった。家族みたいな安心感があるこの家があってくれて今年もなんとか。愛する人たちよ、どうか健康でいてねと思う。それだけ。
1230 中田寝すぎね?早朝から『最愛』一気観した。夜は三木家に帰って蟹鍋に参加させてもらう。
1229 納骨。退職の手続きで精一杯になってて納骨式の準備を全然できてないまま行き道のバスで納骨式について調べたら足りないものばかりで最悪でした、悪い夢か。行き先も違ってて、途中骨壷持って走る。祖母の納骨を済ませておかなかったために私がやることになった怒りを母へぶつけながら、ひたすら川沿いを走る。寒い。骨壷が重い。骨がカラカラと音を立てるのを聞きながらマジでばあちゃんごめんという気持ち。着いたら骨壷、ちょっと割れてたし。この年齢で家の膨大な用事を済ませないといけない生活が心底嫌になる。なんとか無事納骨式を済ませ、セイゴが大正まで迎えに来てくれるらしいのでとりあえず梅田。大正で拾ってもらってみおつくし会へ。まーくんとの飲酒が捗る。夜中は、中田の家でオールザッツ観ながら寝落ち。
1228 寝てたっていうかストレスで3時間歯を食いしばってただけ、みたいな睡眠。疲れが全く取れず。朝起きて奥歯が取れそうなくらい痛む。原さんとランチして、夜三木家に帰る。夜、お父さんと飲むジンを買って帰ったら、お父さんが私と飲むジンを用意してくれてたのでジン祭りを開催。
1227 今日が最後の出勤になるわけですが不思議とそこまで不安がない。何が起きてもたぶんここにいるよりはマシじゃないかな。現状維持を選び続ける自分よりよっぽど。23時なかもず着で、はらさん家着。原家の弟が買ったブルーノマーズのラム酒が美味しすぎて水のように飲む。夜中まで話して、朝は早く起きる。歯食いしばってただけであんま寝てねえ
1216 AM休みたいな日々。編集部に上がるのがキツくて一階に荷物置いて作業。大掃除と見本誌の整理しながら、こういう仕事で一日が終わることに鬱々とする反面、これさえしてれば一日が終わるのだと安堵もする。あと少し。今は耐えるしかない。夜、なみとどん底行く。メンタルがどん底。七千円も使ったのに全く酔えなくて最悪!店員のお兄さんがやってるバンドの話とかその曲とか聞きながら、ほんとはなみともっとゆっくり話したいことがあったから会ったのにねと後悔の念を滲ませる帰り道。
1215 派遣さんに引き継ぎ。することがなさすぎてデスクの断捨離。自分が最初に出した本のラフとかが出てきて懐かしむ。実務してたのが遠い過去のように思える。実務がしたくて気が狂う。ラフ描きたい誌面が作りたい企画進行したい、馬鹿みたいだなー
1214 適当に会社へ行き適当に帰宅。焦りを生む心さえ消失しそうな実りのない日々。夜、あいちゃんと電話して飲酒後寝落ちる。
1211 永田珈琲店で朝。帰りに青いカバBOOKSに寄って往来堂へ行く。帰って少しゆっくりしてたらROUTEでカレー出店してるのを知り、チャリで馳せ参ず。買った夏葉社の新刊をルートで読む。夜、ゆうちゃんと飲んでから月吠えで飲む。久々1時半とかまで飲んでて眠い。
1210 4時に起きて気になってたレギュレーションの復習をする。この頃誌面の表記を指摘されまくり、会社勤めの4年間が怖くなる。自分の文章、これでいいのかわからんすぎたけどなんとか形になった原稿見て安心。周りの同世代が仕事に打ち込むのを見て焦りもするが、今回の仕事は自信になった。積み上がって行けたらと思う。仕事がないと日々楽しくない。確実に、私も下積みとして毎日やることを進めていきたい。茨木のり子読んで、ギリまで飲酒後、寝る。
1209 元気なさすぎてねぎしで蘇生を試みるも、欲求って満たすと罪悪感に苛まれる。御茶ノ水のスターバックスで真空ジェシカのイベントレポート仕上げる。やっぱりめっちゃ楽しいな。この仕事がなかったら、私にはいま何もないや。
1108 大阪疲れ?で体調が悪い。早々に多忙宣言を受けた12月の生活が心配。大きな仕事は幸い抱えてないし、体調崩すとしたら今でよかったのかもしれん。
1105 夜、千駄木駅で待ち合わせてふくの湯へ。お腹空いたけどなかなかどこも開いてなくて、根津まで戻って谷中バール。近場だとお互い終電を気にする必要がなくてそれもいい。
1104 親の手続きで台東区役所。書類が多すぎてかなり時間がかかる。結局課税証明書を大阪で取らないといけなかったみたいで、夕方までかかったのに全部終わらなかった。まーでも八割方終わったと思えば気が楽だし、実家がなくなったから、手続きはもう大阪でする必要がないと思うと気はさらに楽。これは感謝な話なのですがみゆきが私の代わりに課税証明書取りに行���てくれるらしー
1031 初動が緩やかであればあるほど保たれるものがある?激しさを伴わない静かな熱よ
1029-30 車屋で飲んだ。すきな人同士を会わせてわたしは終始ニコニコ。そういやノーズショップで見つけたBdk Parfumsの香水、パスソワール「また今度ね(今夜じゃないわ)」の香りが(名前含め)とても良かったので書き留める。アンバーウッドとジャスミン、ブラックペッパーとマンダリンにパチュリ。サボンのボディクリームにも、いつもつけてるバイレードの香水Accord Oudにもパチュリが入ってるし、感覚でいいと思うものにもこうして一貫性が垣間見えるときがある。
1028 夜、飲みに行く。珍しく4軒くらいハシゴして、ことごとく変な人に絡まれる、地獄。「お前らみたいに顔がかわいいからって全部許されて調子に乗ってるような女が一番嫌いなんだよ!」って、横にいる人に叫ばれて最悪じゃない?朝方、また月吠えで変な人に絡まれてるところを山下さんに助けてもらった。何よりボトル奢っただけでいけると思われたことが超腹立つ。朝まで飲んで、皆川くんと始発で帰る。記憶が断片的ですけど酒鬱入ってないだけで偉くて良。
1027 朝、新幹線で東京へ。かぎりなく落ち着く街上野よ。帰ってくるたびこのままここに骨を埋めたいと思うね。昼は出社して、夜、萩の湯にはじめて行く。緊張の糸が切れたのか、わたしは鶯谷の、毛糸編んでるテレビ番組が流れる激渋中華料理屋を出たらまっすぐ歩けないくらいに酔ってしまい、西日暮里まで歩いてタクシーで帰される。けど全部覚えてる、多分。
1026 せっかく大阪いるし美舟で焼きそばを、と思い東通りへ。太麺のソース焼きそばを、すき焼きみたいに生卵をつけて食べるのです嗚呼!ことごとく潰れた思い出の地��上書きしてくれるかのような場所たち。あした東京へ戻る。恒例、三木家の父との晩酌もラストナイトで、また日本酒をようけ飲む。実家、なくなってしまった。
1025 無事引き払えるかと思ったのに若干の不備がありまた実家に赴く、最悪。夜、なかたと福島の花くじらでおでん。親の日記の話から結婚論、子育て論までだらだらと話は流れ、わたしは日本酒飲んで怒る。聞く中田、つられて怒る中田。家の下のローソンで携帯落としてめちゃくちゃ割れたが昨日実家引き払うのに35万払ったばっかなのにもう画面変える金がなくて終わった。
1023-4 きてくれたみんなが帰って、夜通しアルバムと手紙の整理。親がつけてた日記を読んだり、幼少期に描いてた絵本とかzineみたいなものを見つけてしまってさすがにそれは持って帰る。中田がリタイア、夜中3時。布団もないし、二日連続で風呂も入れないというのに。中田よ、ここまでの仕事してくれる友人はお前しかいないね。
アルバム整理してるうちに朝になったから『ボクらの時代』観ようと思うもチャンネルがない。ないないと言いながら探してたらまさか、テレビもなかった。昨日、売ってた。ご飯温めようと思ったら電子レンジもなかった。昨日、売ってた。さすがの二徹、記憶がないわ。業者が朝8時すぎには来て、三木さんも昼前に来てくれる。もう限界くらいに疲れてたから業者の人に借りた段ボールを部屋の隅に敷いてその上で少し寝る。完全に何にもなくなるまで8〜9時間くらい。中田はそのままユニバへ行った。すげえ体力やなとか言ってたら夜、熱出たらしい。三日間埃を被り続けたほぼ埃みたいな人間は実家を消失し、三木家に帰る。隣の人が「夜通しお疲れさま。もう会うこともないんやね」と言って食事券をくれたので、帰りに三木さんと京橋でビール飲んでお好み焼きを食べた。三木家に帰って、実家はもうガス止めてたので三日ぶり?に風呂に入った。腰がいてー。携帯開いたら、連日お疲れさま、原稿は明日でいいよみたいな連絡が来てて、明日でいいって言われても明日って明日かー明日ってもう明日じゃんって思いながら気付いたら寝てた。
1022 作業してたら朝7時くらいになって、中田と中学の頃よく行ったパン屋に朝食を買いに行く。中学の通学路通りながら色々と二人で懐かしむなどまだ情緒のある時間を過ごす。昼から友人が5人来てくれることになったので、来てくれる特に面識ない人々を雑に入れた「シフト」とかいうグループラインをつくる。みんなが気を利かせて買ってきてくれたお茶やらパンとか551の豚まんなんかをテーブルに並べてったら、撮影みたいになる。現場、仕切らせていただく。中田がまーくんの車で電子レンジとかテレビとか、売りに行ってくれた。大量に売った服の買取価格がまさかの30円だったから、「今日のギャラです」と言って中田とまーくんと10円ずつ分けた。私ももらってるし。こんなに物があってもほとんどお金にならないし、持って帰れる場所はない。アルバムも腐るほどあるけど簡単に見返せる量ではないし。二日目、物への思い入れが皆無になって怒りが湧いたり、幼稚園の時の手形?とかを「こんなの捨てにくいわ!!!」とか怒鳴りながら泣き出したりして私のメンタルもいよいよ。夜には引き上げて三木家に帰る予定だったのに、作業が思いのほか何にも終わってなければ逆に散らかしただけみたいな結果になり、今日も泊まり込みでやるかと言ったら、中田は明日のバイトを休んで今日もうちに残って付き合ってくれた。親…友……
1020-21 荷造りする気力がなさすぎてみきに来てもらう。仕事しながら『Silent』観て、朝は上野までタクシーで東京駅へ向かう。引っ越して二年くらい経ってから気付いたけど、家から新幹線に乗るルートの解はこれだわ。帰阪して早々に面会、病院、区役所こなしたけど思いの外元気だしで西大橋の、親が常連だった居酒屋に飲み行く。みゆきといわしちゃんを会わせる。結構飲んだら普通に今から片付け作業取り掛かるとか考えられん眠さになったが仕方なしに僻地の実家まで帰る。久々の実家は人が住んでたまんまだし、真っ暗で寒い。手始めに、懐かしみながら生徒手帳とか読んでたら寝落ちてて、1時半くらいに中田訪問チャイムで起こされる。一緒に夜通し作業するけど、思ってたより膨大でぞっとする。学生時代のいるもの/いらないものは途中からほぼ中田の判断に任せることに。何より物量がありすぎて全部自分で見てる時間がない。一回うちに来たことのある初音が、「物量は相当だろうよ」と言ってたのを思い出す。「美術としては相当リッチだけど」とも。
1019 御徒町の珈琲館で作業。山家でとんかつ食べる。上野から千駄木まで歩いて朝日湯へ。風呂上がりに珈琲牛乳を飲んでる私の隣で美味しそうにビールを飲む人よ。帰り、夜風がめちゃくちゃ秋だったな。
1016 休み。あてもなく吉祥寺に行ったのでとりあえずチャイブレイクで本とか読む。栗と迷って金木犀のチャイ。こういう飲み物で季節を感じないともうね。そういえば親の夢を見た。身体が動くようになった母親の車椅子を、亡くなった祖母が押していて、3人で実家にいた。起きてから、本当に実家がなくなんのかーとかぼんやり考える。けど、もう誰もおらんし、元からないようなもん。夕方、家に帰ろうと思うも充電がなさすぎて、充電しに月吠えへ。武蔵野館で『よだかの片想い』観ようと月吠えを出て、映画が終わってから携帯開いたら、不在着信の後に「今飲んでないの」とあやなから連絡。「映画観ててこれから月吠え戻るよ」と返事してすぐ戻ったらあやながいた。さっき私に電話したけど出ないって月吠えで話したら「あの子今映画観てるよ」ってユースケが言ってくれたらしくて、なんか月吠えは放課後感あってよかった。
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2023年1月5日(木)
昨年5月の連休時には体重が酷いことになっており、大きく反省して減量生活を開始したのだった。秋までは順調に漸減したのだが、寒くなるに従ってまたもや漸増生活となってしまった。これはいかん、新年を機に生活を立て直すべく、毎日のウオーキングを記録に残すことにした。とは言え無理は禁物、まずは3km/30分をドローイングを意識しながら歩くのだ。さて、次回の内科受診は2/20(月)、72kg突破を目指して頑張るぞ!
6時起床。
今日はツレアイが午後からの出勤、全員ノンビリの朝だ。
日誌書く。
朝食食べて洗濯する。
セントラルスクエア花屋町店で買い物、タマネギ・ジャガイモ・セロリ・シメジ・トマト・牛乳・薄揚げ。
今夜は無水地鶏カレー、ストウブ(28cm)で仕込みを始める。
昼前のNHKに桂福團治師出演、なんと露の五郎兵衛師の「正月丁稚」の映像が流れる。早速写真を撮って、露の新治さんに連絡する。
ランチはみなで奥川ファームのそば、甘辛狐が美味しい。
ツレアイを職場まで送り、帰路に露の新治さんから着信、五郎兵衛師と福團治師の興味深いエピソードを伺う。
Apple から Gift Card が届く、初売りで発注した iPhone SE の割引分、8000円だ。
お茶を入れて一息。
今日から在宅日はワークアウトを日課にすることを決め、まずは梅小路公園周回ルート。
無水地鶏カレーを仕上げ、サラダを用意する。
ツレアイから連絡、職場まで迎えに行く。
息子たちには頂き物のヱビスビール、私たちはお気に入りの Cono Sur 。
録画番組視聴。名探偵ポワロ
(30)「猟人荘の怪事件」
世界が愛した名探偵エルキュール・ポワロ。アガサ・クリス��ィーの人気シリーズ。猟に出かけたポワロとヘイスティングスを待ち受けていたのは周到に計画された殺人だった。
ポワロはヘイスティングスに誘われ、猟に出かける。猟に興味はなく鳥料理を楽しみにしていたポワロだったが、猟場で風邪をひき寝込んでしまう。その夜、猟場の持ち主が銃殺される。臨時雇いの女性によると、屋敷を訪ねてきたひげの男が犯人だというのだが…。ポワロはホテルのベッドでヘイスティングスとジャップ警部の報告を聞きながら推理を始める。
片付け、入浴、体重は50g減。
今夜もYouTubeで柳家小三治のマクラシリーズを聞きながらの就寝。
さすがに歩数がよく伸びた、水分は1,800ml。
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2024.07日記
2024/07/01
やっぱり乃木坂のリール見てねる。Another ghostは齋藤飛鳥、西野七瀬、秋元真夏の3人のバージョンもあり、バランスが絶妙だった。ビジュアル的に斎藤西野の舞台になるのかとおもいきや、秋元の声がかなりかわいいのではっとし、それ以降ソロ歌パートがないのでものたりない。斎藤西野がきゅるきゅるかわいい系でないのに対し秋元は完全にきゅるきゅるかわいい系で売っていて、そのキャラクター性によってほかふたりとは別の展開をしているのが舞台の上では差し色みたいになってすごく良かった。秋元康が考えるんだろうか。
いつか川野芽生が儚さとは何人にも触れる気を起こさせない強さのことと言っていたのを思い出す。
「儚げ」という形容およびその雰囲気が好きなのだけど、メイク記事などで「守ってあげたい儚げフェイス♡」とか書いてあると「解釈違いです」となってしまう。「儚さ」というのは、指一本でも触れたら壊れてしまいそうと感じさせるがゆえに誰も敢えて触れることができないという「力」なので……。
umiumaya_ 20230329
わたしにとって可愛いとはかなり簡略して「なめられやすさ」で、なめられやすさ、侮りによって得られる効力があるとき反転して、造形的なうつくしさとはべつの侮りがたい地位を確立しているのがすき。
2024/07/02
お風呂でココナッツサブレを食べながらエルデンリングの配信見る。こういうゲームしたことないけどできる気がしない。
父と話すことは少ないが彼は何かとパスワードを「o103(お父さん)」にしていて、(わたしたちの)父であることを大切にしているすがたを見ると嬉しい。お父さんになる前はお父さんでなかったことを忘れてしまうほどあらゆるパスワードとIDに多用するから愛だと思う。そういえば昔部屋に忍び込んだとき『赤ちゃん命名辞典』があって、にんまりしながら部屋を出たものだった。
2024/07/03
生活用品が立て続けに切れて日焼け止め、美容液、朝用化粧水を買う。今月は定期も買っているから出費が痛い。それほど良いものが欲しいわけではないとはいえ、わりと妥協せず買い物ができるのはいいことだ。あわせてTwitterで話題になったキューピーコーワゴールドとはどれほどと思い買う。近所の工場にそれとなく笹が飾ってあり、はじめはなんのことかわからなかったが七夕が近いのだった。
2024/07/05-10
05
夏に向けて3COINSで髪留めを購入。リボンデザインのバナナクリップとクリップ。頭にいっぱいリボンつけたい。
06
久々に原神をプレイ。群玉閣再建の話。これまでの人生だいたいどこにいても帰属意識が薄いため、感情を封じられている申鶴に向けた「璃月にいる理由をあなた自身が見つけなければならない」という凝光の台詞にぐっときた。
07
嬉しい気分になりたくて(よくないお金の使い方…)ようやくクロノクロスを買う。序盤の夢の岸辺にを改めてきいて、はやくダンジョン飯を観なければと思う。貧しき人びと読了。
08
職場の男性がひとところに集まっ���いると、がやがやしたあと一斉にどっと笑い始める瞬間があり、一般に女性のといわれるものとはべつとして共感能力や社会性たかーとおもう。そういうのを男性みずからは政治的振る舞いと呼ぶのかもしれないが。
09
心に決めていたパジャマを買うために駅をうろうろ。tutuannaは第一候補だったけれどもう半丈のものしか売っていなかった。第二候補の無印良品にはてざわりがよく長袖のパジャマがあったので少し予算オーバーながら買う。
10
体調が悪い原因として、青汁が腐ってたらしい。それと鉄分ドリンクでどうにかなったので、帰りはサプリメントとメディキュットを買って帰ろうと思っていたが面倒でやめてしまった。明日こそ。
良いパジャマを買うと帰宅してすぐ着替えるよりお風呂上がりに着たくなるのでグレイルのワンピースをルームウェアとして使うことにした。
2024/06/23
愛包ダンスホールを歌ってみたくなりカラオケへ。むずかしい。最近は乃木坂の曲を歌うようになって、数年ぶりにカラオケの定番が変わりつつある。秋元の曲を覚えるのに抵抗があるが、思えば神セブンも好きで大声ダイヤモンドの振り付け動画を見返したりしていたのだった。おひとり様天国も歌っていると楽しくはあるが、恋愛をしない/よさをしらない“清らか”な女性への欲望が透けて見えるのでうっとなる。���ラオケのあとCANMAKEのマニキュアを買って、服を見て、帰ると服が届いている。ファッションショーで優勝。福岡rtaのスカイウォードソード見たあと爪を塗りながら夜はrijの当落をみるが、風タク、キンハあたりの有名どころでよく知る長時間項目は軒並み落選。3D時オカ、エルデンリング(この間エルデンリングだけのイベントが面白かった)、アライズ、FFⅻ(そういえば叔母がFFについてはプレイヤーに馴染み深いキャラクターを中盤に殺す粗末な手法で感情を揺さぶりなにか良いストーリーを書いた気になっているとこき下ろしていた。通してプレイしたことないからわからないけれどdq10もさいきん裏切りと死の目立つシナリオが多いのを思い出す)、トルネコ3、シムシティなどがたのしみ。8番出口とティアキンはまあそうねという感じだ。
2024/07/11
(同じ船に乗り、同じ方角を見つめ、別のものを見る。灰色の母船に乗り合わせた他人としてのふたり)
Twitterでみて気になっていたリプトンの紅茶アイスをお風呂で食べる。少し溶かしてから食べると上のアイスクリームが生クリームみたいで(脂質たかそう)すごく美味しい。生活の娯楽をコンビニアイスに頼り切りでいい生活。ついでに去年美味しかったMowの洋梨も買った。Mowの洋梨をおすすめしてくれた金髪のお姉さんに、少し前「君はソシャゲをやる資格がある」と言われたのだった。(無理な課金をしないから。)
暇があれば数独。22回初回クリア(3回ミスで挑戦失敗)を目指すというクエスト?に挑戦中でいま7回目。度々操作ミスで挑戦失敗しているけれど7回は今のところいちばん好成績なので慎重にやりたい。
通勤の本は生命のやわらかさと瞬間を置いて、灯台守の話を加えた。
2024/07/12
ほそぼそクロノクロスをプレイ。蛇骨館に忍び込むには道を知っているひとが必要とのことでアレフを仲間に。(マジシャンみたいな、何この人?)ただその後道を教えてくれるおじいさんにあったのでもしかしたら仲間にしなくてもよかったのかも。このアレフのインボディー(体の中に杖を送り込んで体外へ突き出すという魔法攻撃だか物理攻撃だかわからない技)が現状パーティ内でかなり強力。なんの装備もなく行ったら岩がゴロゴロ落ちてきてダメージを受けていた。装備を強くしないといけない。
into u の泥リップ(05)すごくいい。
2024/07/13
カラオケへ行く。目の前に並んでいた中学生が身分証明書をわすれ「一般金額で良いです」と言っていて、あとあと店員が小声で学生料金にしたことを伝えていた。いいひとだ。2時間くらい歌ったあと薬局で鉄分のサプリメント、口紅のストック、頼まれていた口紅を買い帰宅。帰りの電車でアナウンスを聞きながら、自分は職業に運転手を選ばない人生だがだれかは運転手を選んでいて、そういう他人のおかげで社会が動いており、そのような意味で人とともに生きているいまの状態のことが好きだなとおもった。つまり戦争をしたくないということだ。帰宅すると14時くらいだったのでしばらくクロノクロスをプレイ。ピアノを弾いたあとインスタグラムてまた乃木坂の動画を観ていたら夜になっていた。賀喜遥香さんは美味しいものをいっぱい食べてしあわせにこにこでいてほしい。それとはべつに未成年の所属するアイドルグループを好きになりたくない。葛藤!
2024/07/14
ひさびさのショッピングモールへ。何も買う予定はなかったのに、かわいいワンピースを見たら買ってしまった。買う前、とりあえず持っていてもいいですか?と店員さんに聞くと、気の良い店員さんは「持ってるだけですもんね、とりあえず持ってみましょう」と言ってこころよく渡してくれ、けっきょく持っていたすべてをかった。また家でファッションショーをする。夜はクロノクロス。毒に侵されたキッドを見捨てることもできたが、始めは気持ちに従ってプレイしようと助けることに。昔さらっとみた解説実況で、どこかのタイミングでキッドを仲間にしないことでグレンが仲間になるとか。どうだろう。20回開け続けると空く宝箱などゲーム性がいちいちたのしく、よいゲーム。
2024/07/15
連休はだいたい3日目からお休みの自覚が出てゆっくり眠れる。9時間くらい寝て朝から海鮮丼をたべ、あまり時間を空けずメロパンも食べた。美味しすぎて隠したココナッツのドライフルーツ、プルーン、チョコチップアイスを食べたあと、いくつかの引用をさぼっていた日記を書き直した。クロノクロスは幽霊船のところまですすむ。ファルガ格好いい。夜は隅々までボディスクラブをして10時に就寝。サボンのスクラブを使っていたが製品表示におおきくイスラエルと書いてあったからリピートはしないかもしれない。
2024/07/16
「一人三枚ずつシャツを持っていってください。」 「四枚持っていきます!」
ミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』
いちばんここに似合う人はずっとこんな感じで張詰めながらうわすべりしていくなか、いっぽうで現実味を手放さないためにそのふたつの摩擦がひりつくが、
わたしは泣きながら体をぎゅっと縮めたりぴんと伸ばしたりした。体が勝手にそうなってしまうのだ。胸が痛くて、身をよじらずにいられなかった。嘆き悲しむためだけに作られた一片の筋肉になったみたいな気がした。それでもお隣さんがマグマに到達するころには、わたしは動かなくなっていた。疲れ果てて虚ろに真上を見上げ、全身が目になって天井をまじまじと見つめていた。お隣さんが上海の道路をぐいぐい押し上げるころ、信じられないことに、お腹が減ってきた。体は勝手に生きたがっていた。お隣さんが道路を突き破って上海の地上に飛び出すのと同時に、わたしもむっくり起きあがった。彼はそのままぐんぐん上昇して木々を突き抜け、雲の中に入り、宇宙を飛び出して天の川を二つに切り裂き、星も塵も突っ切った。そして巨大な円軌道を描いて宇宙をぐるっと一周すると、ふたたび隣家の庭にすとんと着地した。
ミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』
飛躍し続けてぶつ切りにされる主人公の感情だけを描くのでなく、このようなひとの動きの組み立てが他者の感情に沿ってなめらかなのはすごいと思う。
けっきょく彼がやる気になったのは、わたしがあんまり映画のことに無知だったからだ。簡単にわたしに知識をひけらかせる誘惑には勝てなかったらしい。
ミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』
目の奥が痛み、14時以降は眼鏡がかけられなかった。雨の日は涼しくて良いがこういうこともある。
2024/07/17
久々の友人から連絡があり8月会うことに。急世界が輝いて切れかかっている蛍光灯の点滅も気にならなくなった、だいすき、まわりのひとがだいすき!最近は仕事で厳しかった上司もわたしが下手な説明をするときに口を噤んでにこっとしてくれるようになった。
茄子が美味しい。
2024/07/18
夏季休暇一日目。無闇に三連休を取るより中日が休みのほうが嬉しいのではという実験だったが連休のほうがうれしいかもしれない。ショッピングモールのミスタードーナツへ行きドーナツを買う、ポン・デ・リングの黒糖とハニーチュロは売り切れていたが、とちゅうで新しいものが出てきたのでレジで加えてもらった。クロノクロスをプレイ。いつもたのしい。クリア後の天下無敵号に入ると出られなくなってしまい、30分粘ったが同じ事象に陥っているひとのツイートをひとつだけみつけ、解決方法もわからないためリセットした。そろそろまた資格を取らなければならないながれで、今度はちょっとたのしそうだからこつこつ資料を集めている。
2024/07/19
いつもの白ご飯と生卵という朝ご飯のほかに昨日のドーナツをたべていたら眼鏡を忘れてしまった。動物みたいな形状のVTuberが「こんな美しい世界にうまれた命のひとつひとつが祝福されていないわけない」のようなことを言っているのを賞賛するツイートを見(名前がわからず検索して見返せなかった)、その称賛は「主われを愛す」と同じ構造なのではないかというのをぼんやり考えた。みずからが愛されていることに確信を持つこと、ひとはままならないからその役目を神(という言葉を選ばないにしても)に見出すとしたらいきるうえで宗教が必要になることもあるだろう。
追記(2024/07/24)
というのを考えたが、これは命を人形に祝福されていたいというより人形のようなふわふわもけもけのかわいい生き物はいちぶの疑いもなく無垢に祝福を信じていてほしいという鑑賞者ののぞみなのかもしれないと遅れて気づく。とすれば必要なのは宗教ではなく、他者をジャンルで定め好みのありかたを見出すための対象物で、サンドバッグだろうとおもう。
2024/07/20
(言葉の具体性 用法の理解は最終的に具体性に反映される)
遠出したため、電車のなかなどで��とのおしゃべりをひさびさに聞く。家族連れの喧嘩みたいな会話、友人同士の一本の流れのような会話、クーラーの音がおなじおおきさで聞こえ、等しく外界。逃げ上手の若君を見る。いちばん時行の見せ場というところ、時差で涙が止まらなくなった。邦時かわいそう。ダンジョン飯もみた。光田康典目当てなのに気を抜くと音楽を聴き忘れている。ほぼ生物でおもしろい。
光が仕事なのに、わたしたちの暮らしは闇の中だった。光はけっして絶やしてはならなかったけれど、それ以外のものを照らす必要はなかった。あらゆるものに闇がつきまとっていた。闇は基本だった。わたしの服は闇で縁かがりされた。時化帽をかぶれば、つばが顔に黒い陰をおとした。ピューがありあわせのトタンでこしらえてくれた小さな風呂場で、わたしは闇の中で立ったまま体を洗った。引き出しの中に手を入れれば、スプーンよりも先ず先に指に触れるものは闇だった。〈怪力サムソン〉の入った紅茶缶を取ろうと戸棚を開ければ、茶葉よりも黒々とした穴が口をあけた。 腰をおろすにも、いちいち闇を追い払ったり押しのけてから座った。闇は椅子の上にうずくまり、階段の途中にカーテンのように垂れさがった。時にはわたしたちが欲しいものの形に姿を変えた――鍋、ベッド、本。(中略)その最初の夜、ピューは闇の中でソーセージを焼いた。いやそうじゃない、闇といっしょにソーセージを焼いた。その闇には味があった。それがその夜の食事だった。ソーセージと、闇と。
ジャネット・ウィンターソン 『灯台守の話』
ほとんどの、すくなくとも出版されている作品のほぼすべては読まれることを前提に書かれており、読まれることが前提という暗黙の了解のもと読解されるということをいつもわすれる。
2024/07/21
3時間の昼寝ができた。
体操選手の喫煙のことについてとやかく言うのをきかされ、そもそもオリンピックの価値があまりわからないのと、彼女が19さいということでますますスポーツをきらいになりそう。大学生のとき同年代の喫煙者がどう見えたか、いっ���ょにいるのがどう楽しいか、どう流されてどう流そうとしてくるかというのを思い出し、ただただ楽しかったんだろうなあと思うと胸がいたむ。ルールを破れば出場できないというのは勝手にそうしてもらえばよくルールを変えるならそれもよく考えの及ばないところだが、彼女のことを自覚が足りないのようなことを言う人を見ると19さいの子どもが持つべき自覚とはとおもうし、入学にいくら、遠征にいくら、という話を聞いても19歳の子どもにそれだけのお金をかけ(るのはわかる、夢があれば追わせてやりたいきもちもわかる)たぶんのなにかを求める態度、さらにお金を出したわけでもない大人のそれは理解できない。お金を出したとしても理解できないけれど。オリンピックというほかにない機会が、という言い分も、一生にいちどしかない19歳の生活と、もう30回ほどしている世界大会のどちらが大切かというのは考えるまでもない!とおもうのだった。
2024/07/22.23
2024/07/22
2年ぶりにカレーに生卵入れて食べた。
2024/07/23
毎年7/23は9/22が誕生日のひとのことを思い出し、祝うのを忘れてしまったとひやっとする。行数だったり暗証番号で苦労したことはないのに、ひとの誕生日をおぼえるのはなぜか苦手。
2024/07/24
8時間24分も寝れた。あまり口の開かないヘアクリップを使っていて、かわいいのに使い勝手がわるく難しい。後ろで髪をくるんとお団子にしたあとそれを抑えるようにクリップを留めたいが、なかなかうまくいかない。くるんとした髪はゴムから少しずつ外れてしっぽみたいになってしまうし、上向きでおさえると脇からはみ出てしまう。おさえないようにすると角のようになってしまうし、でもクリップは下のほうにとめたいという好みがある。シニヨンと調べていくつかヒットしたヘアアレンジを見るが、どれもゴムを2つ以上使っていてただの出勤にそこまでやろうとは思えなかった。けっきょく今日は諦めてひとつに結んでしまったが、なんとか良い方法を思いつきたい。
2024/07/25
いつも食べている塩おにぎりが売り切れていたので、他のコンビニへ行くこともできたけどとうとうかにめしおむすびを買った。食べてみるとなんともち米。味もかなり美味しい。
上司が現場の愚痴をいい、どっちもどっちと思いながら笑って聞き流す。上司は「ここっておかしくないすか?」というが、じっさいはおかしいところを指摘したいのではなく今朝侮辱されたことを不満に思っており、その屈辱や怒り、恥がぬぐえないだけでどんな言葉も無意味なのだろうと思う。むずかしいですよね、とはなし、じっさいむずかしくはあるので自分もそんな話をした。ただわたしはいまの現場もかなりすきなのでかれほど悩まずにすんでいる。侮辱に対し真っ当に反省することは自己肯定感の低さがとよく言われるが、やはり怒りと悲しみをとりちがえず感情は感情としてみきわめ、それとはべつに物事をすなおに反省する性格なのが他人をうらまずに済んでいる要因と思う。
2024/07/26
朝の風はわりとすずしめで気づくと街路樹の葉も濃いみどりになっていて、連日の暑さのせいか下の方はもうきいろく枯れ始めていた。会社の飲み会でビジネスマンと話すがすべてのエピソードをみずからの人脈つよつよエピソードに繋げていて技術の話は全く聞けず、あまりおもしろくはなかった。帰り道、急にさびしくなり人生をとおしたすべての好きなひとに一人ずつ近況を聞きはじめ、流れでなん人か食事の約束をする。数年ぶりのひとたちにも図太く連絡をしてみたが、二度と会わないまま縁が切れてしまうよりはずっといい。8月は予定がいっぱいでほくほく。みんな元気で、元気ということを教えてくれてうれしい。
2024/07/27
ニトリに行きたいと思ったが眠くて体が動かなかった。数人と予定を立てながら8月のスケジュールを眺めてはにやけてしまう。
ひたすらダンジョン飯。センシがケルピーに水中へ引きずり込まれるシーンがせつない。夜通し『普通の軽音部』を読んで寝る。
2024/07/28
逃げ若みたあとひたすらダンジョン飯。ニトリへ行ったが目当てのブランケットは売り切れていて、あきらめて帰りにドラッグストアで欲しいものを買う。ヨーグレットとよく似たAsahiの出しているカルピスタブレットというのはほとんどヨーグレットで、ちゃんとおいしかった。生チューイングガムは口のなかが一瞬窒息する。昼過ぎからいつものように2時間お風呂。身体の隅々までお手入れして、夜は近所でよく雑誌に取り上げられている中華屋のエビチリを食べた。エビは小さめだが風味と食感がいい。チリソース?も甘め。会社の資料をつくりながら『ベイビーわるきゅーれ2』みて、深川まひろさんに喉ぐらいまで恋する。
連絡したひとのひとりが「ひとと比べてしまう」と泣きマークをつけていたけど、そのひとはやさしいのに感情に粘着質でなくて、おだやかなのにどこかきっぱりし、唯一無二のここちよいつめたさを持つひとだからなにを比べてなにで悩むのか意味不明だったが、他人にそういうのを言われても本人がぴんとこないかぎり言葉は効力をもたないだろう。あと年収の悩みとかだったらどうしようもない。いちおうつたえて、ご飯の約束に。もうひとりだいすきなひとりが話の流れで家にいるぬいぐるみの写真を送ってきており、写真はまだ見れていないが「写真を送信しました」という文言だけスクリーンショットした。
2024/07/29
珍しく朝から朝らしいすずしさでからっと晴れていた。ベイビーわるきゅーれを見てから日本の小説の気分になったので目についた『みんな元気。』を入れて会社へ。ひさびさにamazarashiの新曲を聴くと『ごめんねオデッセイ』に「「詩」と打ったら思いがけず「死」と変換される」とあり、『空洞空洞』の「からっぽなやつほど「詩」を書きたがる」の歌詞を思い出す。やはりこの「詩」は秋田ひろむにとって「死」でもあるだろう。
僕らはいずれ錆びついて ついには動かなくなる 緩やかに終わりへの航路をたゆたう 箱舟に乗せられた ある意味 導なき漂流者だ
amazarashi『それを言葉という』
船としての生というのは好きな概念。対極に置かれるのが水のうるおいのさなかからいつか渇いたところへ向かってゆく菅原百合絵の短歌。
一生は長き風葬 夕光(ゆふかげ)を曳きてあかるき樹下帰りきぬ
菅原百合絵『たましひの薄衣』より
また『遠きに有りてウルは遅れるだろう』のモチーフとしての船のことも思い出す。あとはbetcover!!の『母船』も乗り合わせた他人としてのふたりという印象。
以前お世話になっていたひとに全く関係ない仕事を相談させていただいたところ厚意で修正資料まで作ってくれてすごくたすかった。
2024/07/30
『みんな元気。』を読む。早上がりのためにすこし仕事をした。
2024/07/31
在宅勤務で仕事を一通り終え、ゆっくりしていると上司から電話があり不備を知らされる。提出して退勤。
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2024/10/3 19:00:09現在のニュース
空港の不発弾一斉調査へ 国交省、旧軍用飛行場対象に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/3 18:57:42) 小選挙区の投票先、「野党」26%「与党」25% 毎日新聞世論調査(毎日新聞, 2024/10/3 18:56:38) 透き通る果肉の「水晶文旦」収穫本格化 高知の秋代表する味覚(毎日新聞, 2024/10/3 18:56:38) 手錠・腰縄姿をオカンに見られた被告の気持ちとは 日弁連がシンポ(朝日新聞, 2024/10/3 18:55:28) 電柱で作業中に高圧電線で23歳が感電死、法令で定める学科や実技指導を受けていなかった疑い([B!]読売新聞, 2024/10/3 18:54:26) GoogleのピチャイCEO、AIデータ拠点で原発電力の活用検討表明 【イブニングスクープ】 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/3 18:51:32) メキシコに初の女性大統領 ポピュリスト政策の継承を宣言 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/3 18:51:31) 石破政権と距離置く高市氏に存在感、根強い人気示す 今後に注目(毎日新聞, 2024/10/3 18:49:33) 「殺すぞと伝えておけ」の暴言も 更迭の京都府警本部長、調査で認定([B!]産経新聞, 2024/10/3 18:48:08) イシバノミクス? 石破政権の経済政策、目立つ岸田政権踏襲(朝日新聞, 2024/10/3 18:40:54) 寝たきりの息子殺害、80歳の母親に実刑判決 「殺害の同意」認めず(朝日新聞, 2024/10/3 18:40:54) 旦過市場火災:旦過市場 2度目の火災から2年 なじみの土地、常連客のため 老舗「赤壁酒店」、青空市場移転へ /福岡 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/3 18:33:23) 70〜74歳の医療費窓口負担3割に 健保連、財政悪化で要望 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/3 18:33:19) 最低賃金の大幅引き上げは「両刃の剣」 日商会頭、慎重な検討求める(朝日新聞, 2024/10/3 18:32:31) 不発弾の有無を再点検へ 那覇空港や仙台空港など 国交省(朝日新聞, 2024/10/3 18:32:31) 逃げようとする女性に性的暴行の疑い、飲食店従業員を逮捕 警視庁(朝日新聞, 2024/10/3 18:32:31) 東大「赤門」、地震や強風で倒れる恐れ…「未来永劫残せるよう」屋根の軽量化や耐震化実施へ([B!]読売新聞, 2024/10/3 18:31:40) サルのエサを盗んだのは…飼育員の男性 大阪・天王寺動物園、窃盗容疑で被害届を提出([B!]産経新聞, 2024/10/3 18:31:14)
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五篇 下 その二
伊勢の参宮道で馬に乗ることにした北八。ところがその馬方が借金取りともめて…。
「俺も、さっきからいらいらしてたんだ。 まったく、いまいましい馬に乗り合わせたもんだ。 しかしまあ、まだ金も払っていないんだしこれまで、ただで乗ったのだからよしとして降りよう。」 と、権平に口をとらせて、北八は馬から降りる。
馬方が、その様子に慌てて駆け寄り、 「もし旦那。お前様が降りてはこの馬を取られる。乗ってて下さい。」 と、北八を馬に乗せようとする。 権平は、馬方と北八の間に割って入ると、 「いや、だめだ、だめだ。」 と、馬方を止めようとする。 「権平さま。何とかするから旦那をおろしては、気の毒だ。 さあさあ、乗ってください。」 と、北八を乗せようとする。北八は、馬方の勢いにあおられて、 「なにまた、乗るのか。しっかりたのむぞ。」 と、馬に乗った。
権平はやっきとなり、 「こりゃこりゃ長太。どうするつもりじゃ。 俺を愚弄するのか。旦那、降りてください。」 北八は、馬の上から、 「なんだと。また、降りるのか。 貴様たち、俺を降ろしたりあげたり、足も腰もくたびれた。」 と、言って、そっぽを向く。 権平は、 「そうは言っても私の馬になったんだから、どうぞ降りてください。」 と促すと、北八は、 「ええい、面倒だ。」 とじれったくなって、ぐっと飛び降りる。
「はてさて、降りなくてもいいです。 権平さま。こう��ましょう。私も商売の途中でなんともしようがない。 せめて、家に帰るまで待ってください。 そのかわりここで、この木綿の綿入れを渡しましょう。」 馬方は、自分の着ている木綿の綿入れを指差して言う。 権平は、ちょっと考えて、 「そうしたら、それで、決着をつけるか。」 と、うなずく。 「もうこれで安心です。さあ旦那、乗ってください。」 馬方が北八を、また馬に乗せようとする。 「なに又、乗れというのか。もう勘弁してくれ。俺はここから歩いていく。 なんならここまでの金を払うから、もう、乗るのはいやだ。」 と北八は、もううんざりした様子である。 「そう言わないで、乗ってくださいよ。頼みますよ。さあさあ。」 と馬方は、馬の口をとって勧めるので、北八またしかたなく馬に乗ると、それを見ていた権平は馬方の長太に言う。 「さあ、約束のその布子、脱いでもらおうか。」 「いやそう言ったが、これも家に帰るまで待ってください。」 と馬方は、馬を引いて歩き出そうとする。
権平は、怒り心頭で、 「何を言う。おのれもう了見ならん。さあさあ、旦那。降りてください。」 と、長太の肩を掴むと、北八に言う。 「ええ、この分からず屋の連中め。 又、降りろといいやがる。もう、いやだ。 さあ、早くやれ。降ろせるもんなら降ろしてみろ。」 と、北八も腹を立てている。 馬方は、平気なそぶりで、 「旦那の言うとおり。降りなくても、いいですよ。さあ、行きましょう。」 と、馬を引いて行こうとするので、権平は、 「いや、何をする。降りなくていいとは、どういうことだ。」 と、真っ赤になって怒り出す。 権平はそのまま馬に取り付こうとするが、馬方はそれを突き退けて馬の尻を思いっきり叩いた。 すると馬は勢いよく駆け出して行ってしまった。
北八は、馬の上で、真っ青になり、大声を上げて、 「やあい、やあい。誰か、助けてくれ。こりゃ、どうする。」 と、必死にしがみついている。 権平は、走り出した馬を見て、 「馬を逃がすわけにはいかん。おおい。待て。」 と、追っかけ出す。
馬の上の北八は一生懸命馬のくらに取り付いていたが、馬はやみくもに走っているのでこのままではどうなるか分からないと、思い切って飛び降りた。 しかし、くらの縄に足がが引っかかり、真っ逆さま落ちて、したたかに腰の骨を打ってしまった。 「あいたたた。誰か、来てくれ。あいたたた。」 と一人でもがいていると、馬方がまず駆けつけてきた。 「もし旦那。お怪我はないかいな。どりゃどりゃ。」 と手をとって、引き起こす。 その横を権平が馬を捕まえようと、駆け抜ける。 馬方はこれを見て、そうはさせないと抱きかかえていた北八をそこにおっぽり出すと、駆け出して行く。
北八は、 「おおい待ちやがれ。俺を酷い目に合わせてそのまま行くのか。」 とぶつぶつ言いながら、起き上がった。 腹が立ったが周りに誰も居ないのでしょうがないし、馬方らを追っかけようにも足や腰が痛くてそれも出来ない。 やっとのことでそろりそろりと歩き出した。
借金を おうたる馬に 乗りあわせ 貧すりゃどんと 落とされにけり
北八はこの様子で、一首詠んだ。 やがて、矢橋村に着いた。
弥次郎兵衛は先を行っていたが、先程の馬のいざこざを露ほども知らないのでだいぶ先に来てしまったかと、ここで待ち合わせることにした。 やがて、引きずるようにやってきた北八を見て、 「おやおや、北八。そのなりはどうしたのだ。」 と、問いかける。 「いや、もう、話にもならない。とんでもない目にあった。」 と、さっきの状況を一部始終話すと、 弥次郎兵衛は、面白がって、一首詠む。
馬方が 一目散に 追いかける 落とされたる 北八残して
それより玉垣を通り過ぎ白子の町で、福徳天王を拝んで子安観音の別れ道で弥次郎兵衛が、一首詠む。
風をはらむ 沖の白帆は 観音の 加護にやすやす 海わたるらん
それからこの町を過ぎると、磯山というところに着いた。 ここには吹き矢をさせる店があるようだ。 その店の親父が往来に呼びかけている。
「さあさあ、遊んで行きなされ。 題目はなんとあの忠臣蔵の十一段の続きじゃ。 それ吹き矢。やれ吹き矢。 当てると不思議。たちまち変わるからくりじゃ。 新しい趣向も加わって、精巧なからくりじゃ。これじゃこれじゃ。」
北八は、その声に立ち止まると、 「ははあこれは『おかる勘平』か。 こちらは『魂胆夢の枕』と。いや、こいつをやってみよう。」 と、吹き矢筒に矢をいれて、ふっと吹く。 弥次郎兵衛は、北八の後ろからそれを見て、 「なんだ。はあ、えらいマツタケ(一物)が出た。こりゃおかしい。ははは。 与一兵衛、闇の夜は何が出るだろう。」 と吹き矢筒に矢をいれて、ふっと吹く。 「ひゃあ、妖怪が出てきたぞ。ははは。向こうはなんだ。」 と北八がそちら側へよる拍子に弥次郎兵衛にあたってしまい、体制を崩した弥次郎兵衛はその側に寝ていた犬の足を踏んでしまう。 「きゃんきゃん。」 と犬は、弥次郎兵衛にほえかかる。 「この畜生め。」 と吹き矢の筒で殴りつけると、犬もワンといって噛み付いてきた。 「あいたたた。畜生め。打ち殺すぞ。」 と怒るはずみに、どっさりと転げてしまった。 とそこに、煙草入れが落ちていた。 「転んでもタダではおきないとはこのことだ。ほれ、煙草入れが。」 と弥次郎兵衛が、拾おうと手を伸ばした。 すると向こう側にいる男の子が、引いた糸につらて煙草入れはするする。 「なんだ景品か。いまいましい。いっぱい食わされた。」 と弥次郎兵衛が出した手で頭をかくと、それを見ていた子供が、 「あほうじゃ。わははは。」 と、笑っている。 「こいつは、いい恥さらしだ。さっさと行こう。」 と北八が、吹き矢の金を払い出かける。
二人が歩いていると今度は、向こうにキセルが一本落ちている。 北八がさきにそれを見つけて、 「それ弥次さん。また、拾わないのか。」 とふざけて言うと、弥次郎兵衛は、 「いやもうその手はくわない。あれ、あとからくる親父が拾うだろう。」 と通り過ぎて振り返ってみると、あとよりきた親父が例のキセルを拾って、自分のふところに入れてしまいさっさと行っってしまう。 弥次郎兵衛は、その様子に、 「あれ、だましじゃなかったのか。」 と北八の方を見ると、 「ははは、お前は、ひどく運が悪いぜ。」 と笑いながらあるいて行く。
やがて上野の町に着いた。 さてどうしようかと二人がたたずんでいると、この辺りの人とみえて羽織、股引で下僕を供に連れている男が弥次郎兵衛に近づいてきた。 「突然ですが、あなたがたは、お江戸の方でございますかな。」 弥次郎兵衛が、 「ああ、そうだが。」 と、答える。
つづく。
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服部吉次さん(俳優・音楽家/78歳) 今年3月に英公共放送BBCが報じたジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題のドキュメンタリーを���機に、元ジャニーズJrでシンガー・ソングライターとして活動するカウアン・オカモト氏(27)が実名でジャニー氏を告発するなど、その衝撃は日本中に広がっている。今回、俳優で音楽家の服部吉次氏が小学生の時に受けたジャニー氏からの性被害を告白する。吉次氏は「別れのブルース」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」などの和製ポップスで知られる国民栄誉賞受賞作曲家・服部良一の次男。長兄は作曲家の故・服部克久だ。(独占インタビュー前後編の前編です) ◇ ◇ ◇ ──なぜ、今過去の性被害を公表する気になったのでしょうか。 「ひとつは、カウアン・オカモト氏ら実名で告発した方たちに対する敬意です。ジャニーの悪行にはかつて(2000年代に)司法の明確な裁きが下ったんです。にもかかわらず、それから30年経った今に至るも、主要なメディアはジャニーズ事務所の数々の非道の兆候を明確に指摘することをためらい、忖度し、温存する側に回ってしまった。 なぜか。この国ではむきだしの怒りを相手にぶつけることを避けてしまう。人々はこの世の歪みに気づかないふりをする。でも、少しずつではあるけれども、勇気ある告発は増え続け、海外からの声も追い風になり『おかしい』という声は大きくなってきた。それだけに行動する人に対するバッシングも大きくなる。今回こそ、真正面からその圧力と向き合おう、この機会を失うと、もう二度と発言の機会は失われてしまうかもしれな���。そんなやむにやまれない思いで、今回の告白に踏み切りました」 ■父の米国巡業の縁で姉弟が服部家に ──被害にあったのはいつ頃でしょうか。 「まず、ジャニーと私の父・良一の出会いから話します。1950年に、父が歌手の笠置シヅ子さんと『ブギ海を渡る』を持ってアメリカ巡業ツアーをしたのです。8月11日にハワイ公演、9月1日から3日間はロサンゼルス公演でした。会場は高野山ホールという高野山真言宗の直営ホールで、当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監が喜多川諦道氏。ジャニー喜多川の父です。 諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました。ロスの日系社会で声望が高かったそうです。息子のジャニーは当時19歳。姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り、大人顔負けの接待役を発揮し、父や笠置さん、服部富子(叔母で『満州娘』の大ヒットで知られる歌手)、スタッフたちのマスコット的存在だったそうです」 ──服部家とはその縁で? 「同じ年の6月に勃発した朝鮮戦争で、ジャニーはアメリカ国民として徴兵され、従軍するのですが、ある日、突然、彼が新宿区若松町の家にカーキ色の軍服姿で現れました。パパ(良一)と叔母は、それを見るなり『ヒーボー(ジャニー氏の本名・擴からこう呼んでいた)! ウワー、大きくなって』と歓声をあげて出迎えました。 それから、何回か若松町に遊びに来ました。今でも忘れられない光景があります。玄関にうずくまり、軍靴をゆっくりと編み上げている彼の姿です。家族はそれを囲んで一言も言わずじっと見つめていました。それから彼は立ち上がり、私たちに別れの挨拶をするでなく、『あー、行きたくないなー』と一言。 今思うと、2世差別の残る戦場へ向かう彼の姿を中国戦線での慰問経験をもつパパと叔母は、どんな思いで見ていたのだろうと思います。ジャニーは朝鮮戦争から帰還し、その翌年日本に戻り、除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」 ──どんな印象でしたか? 「ジャニーはワシントンハイツ(代々木にあった進駐軍宿舎)に住んでいて、時々、お土産をもって服部家を訪ねてくるんです。ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリームなど。PX(基地内の売店)で手に入れたものでしょう。当時の日本は皆貧しいですからね、ハーシーのチョコなんて高根の花でした。うちは比較的裕福とはいっても、進駐軍の物資の豊かさは別世界です。 ある時、冷蔵庫が運ばれてきたのでびっくりしました。父が彼に頼んで買ったものでしょうけど、当時は氷を置いて冷やす簡易冷蔵庫しかない時代です。冷蔵庫・洗濯機・テレビが三種の神器と呼ばれて主婦が憧れたのは1960年代の初めですからね」 ──ジャニー氏の性癖を知ったのはいつですか? 「私は当時8歳。小学2年生ですから、チョコレートやお菓子を山のように持ってきてくれて、一緒に遊んでくれるヒーボー(ジャニー氏)は優しいお兄さんですし、大好きでした。ある日、いつものようにふらりとやってきて、確か“キャナスター”というトランプゲームなどで遊んでくれたヒーボーが、『もう遅くなったから今日は泊まっていこうかな』と言うんです。母も、『そうね、どうぞ泊まっていって』と言う。 ヒーボーが『どこに寝ればいいかな?』と聞くと、『よっちゃんの部屋がいいんじゃない』と母。『よっちゃん』というのは私の愛称です。 それでヒーボーが私の部屋に泊まることになりました。2階が子供部屋で4部屋あるうちの2つは兄と私、1つは姉3人が寝るようになっていて、一つは布団部屋みたいになっていたと思います。 パジャマに着替えた私が布団に入ると、彼が『肩揉んであげる』と言うんです。私も子供のくせに肩こり性なので、言う通りうつぶせになると、ヒーボーの手が虫みたいに体中をはいまわるので『なんか変だな』と思ったけど、私にとっては優しいお兄さんですからね。 そのうち、下半身をまさぐってきて、パンツをめくって股間のあたりに手を入れてくるんです。指でさすられているうちに生温かいものに包まれたと思った瞬間、今まで知らない突き抜けるような快感があって。それが初めての射精でした。何がなんだかわからず、びっくりしていると、今度は肛門をいじり始め、舌がはい回ってくる。そのうち舌とは違う硬いものが入ってくる感触がするけど、さすがに痛いので身をひねったら、諦めたようで、指で自分を慰めている。それを見て怖いというよりも、8歳だから何がなんだかわからない状態です」 ■姉からは「汚らわしい」と言われ… ──母親には話さなかった? 「その翌朝、起きたらすでにヒーボーの姿はない。何も知らない姉が笑顔で『どうだった? 昨夜は大好きなお兄ちゃんと一緒に寝て楽しかった?』と聞くので、『うん、ヒーボーは僕の体を揉んでくれるんだけど、だんだん、手がパンツの中に入ってきて、おちんちん触るんだよ。おちんちんって汚いよね。ぼく、なんだか気持ち悪くて……』と言ったら、姉が、『やめなさいよ、そんな話。汚らわしい』とすごい剣幕で言う。 姉がそんなに怒るのは昨夜のことはやっぱりいけないことだったんだと思って……母親に話すことはできないし、まして普段からあまり会話が少ない父親に話すなんて無理。そこで思考停止しちゃったんです。 ジャニーがしたことがオーラルセックスだというのは大人になってわかるんですが、変なことをされたという気持ちとそれを自分が受け入れた後ろめたさが子ども心にも複雑な心理状態になるんですね。 アイスやチョコをくれて、性的な快感を味わわせるということで、こちらに後ろめたさを持たせ、その一方で加害者としてその快楽を使った口封じをしているわけです。性に関する問題は『支配と奉仕』の二重構造があるのだと思います。でも、それで終わったわけではなかったんです」(後編につづく) ▽服部吉次(はっとり・よしつぐ) 本名・服部良次。1944年生まれ。父は作曲家・服部良一。劇団黒テントの創立メンバー。「翼を燃やす天使たちの舞踏」「上海バンスキング」「阿部定の犬」ほか多数の舞台に出演。妻は女優の石井くに子。次男はハンブルク・バレエ団で東洋人初のソリストで、バンクーバー五輪の開会式に出演したバレエダンサー・服部有吉。兄は作曲家・服部克久。甥は作曲家・服部隆之。隆之の娘はバイオリニストの服部百音。 (取材・文=山田勝仁)
(2ページ目)国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告白 「8歳の時に自宅部屋で…」|日刊ゲンダイDIGITAL
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風邪の兆し
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Wednesday 26 February 2014
坐禅会は、今日から3/1まで禅寺の都合でお休み。真観は、外側の物差しではなく内側の物差しを使っていつもの時間に起きて茶畑庵にて独り坐禅を2炷組んだ。今年に入り真観自身で決めたこと、すなわち静岡にいる時は怠けずに必ず坐禅を組むことだった。
茶畑庵のありとあらゆる場所の整理をする真観。不要なモノたちがゴミ袋へと移動する。丁度パソコンのゴミ箱に入らないデータを捨てる様なものだ。いや発想は逆でパソコンのシステムが日常から応用されているのだが。以前住んでいた東京のマンションは、3Kと言う間取りだったが茶畑庵は5DKの広さだ。許容量はいっぱいある。真観は、この茶畑庵での生活を楽しんでいるがもう少し小さい家でも良いと考え時々不動産をチェックしている。
季節は春の兆しが感じられる様になったが真観には風邪の兆しが来た。いつ風邪を引いたのだろうか?寒気がしてくしゃみがよく出る。真観は、仕方なく薬箱から鼻炎薬を取り出して飲んだ。昔から睡眠不足になると決まって鼻に信号が来た。鼻炎薬は常薬だったが最近はめっきり服用はしなくなった。(冬場は唇もよく荒れチャップスティックも常薬だったが使う機会はほぼなくなった。)約1時間経つと鼻炎薬は効いて来て真観に眠気を誘った。それは何とも気持ちの悪い眠気だった。布団に入るのも億劫で仕事部屋の絨毯の上で倒れる様に寝てしまった。石油ファンヒーターが真観の体温を温めキープしてくれたがタンク内の灯油が無くなり数時間後目覚める。今日は、休めということだな。真観はそう思った。睡眠不足が原因か?そうかもしれない。就寝は11時から12時、起床は4時半。睡眠時間の調整は昼間にうとうとしてパソコンチェアの上で寝ることがあるが多分足りないのだろう。それでも鼻炎薬の御陰でくしゃみは止まっていたので体力の消耗は避けることが出来た。
真観は、夕刻三島の自然食品を売る店へ出掛けた。三島はどこか懐かしい光景が残る町で真観は好きだ。昔ながらのお店の古い看板、ちょっとした歓楽街、駅、路地、商店街・・・、やんわり暖かさを感じる町。真観は、無添加の洋風ダシが欲しかった。お店に入るとその洋風ダシは陳列棚に並べてあり来た甲斐があった。一緒に全粒粉も購入した。
夜9時過ぎになると茶畑温泉に出掛けた。風邪気味なのに大丈夫かなと不安も過ったが行ってみた。平日で人が少なくいつもの至福の時が得られる茶畑温泉。真観は、サウナを3回(12分)入った。 サウナはダイエットのためでもあった。現在体重は71.4kgまで減っている。70kgを切るのが真観の目標。サウナ中は、読書を楽しむ。読書していない人はサウナ室の中で一生懸命熱さに耐えている様に見える。真観も以前はそうだった。しかし今は耐えるという感情が読書の御陰でサウナからから無くなった。
昨日に引き続きやってみる
<Twitterで見付けた言葉> ありがとう日記をつけるといいわ。 毎晩、あなたが感謝したことを5つ、リストアップするの。そうすれば、毎日に対する、そして人生に対する、あなたの見方が変わり始める。 (オプラ・ウィンフリー)
鼻炎薬よ、ありがとう! Kちゃん、連絡ありがとう! 茶畑温泉よ、ありがとう! アーティ21スペシャルよ、ありがとう! オプラ・ウィンフリー、素晴らしいスピーチをありがとう!
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