#田中泰阿弥
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📸刈羽村老人福祉センター「ことぶき荘」庭園(新潟県刈羽村) Kariwa Village Elderly Welfare Center Garden, Kariwa, Niigata ——京都の世界遺産・銀閣寺をはじめ、日本全国各地の文化財庭園の修復に携わった作庭家 #田中泰阿弥 。 氏を育てた新潟・柏崎に庭園文化を持ち込んだ庭師 #相澤熊蔵 の現存する貴重な庭園。 京都・刈羽村老人福祉センター「ことぶき荘」庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/kariwamura-kotobikiso-niigata/ ———————— この庭園から伝えたいこと。 ・京都/東京以外の地域でも、「かつて江戸城に出入していた庭師」の庭園が残っている。 ・その方の弟子が、世界遺産・銀閣寺の御用達になることもある。京都出身じゃないからチャンスが無いということではない。 ・けど、そんなルーツがある庭園でも維持が難しくなってきている。 ・地方から少しずつ(加速しながら)古い日本庭園は「壊れて」いる。 都市部への人口集中問題と同じで、これは京都と東京の管理された庭園ばかり見ていたら気づけないことは多くあり、本心では【待ったなし】の状況だと思っている。 だから「残念である。」という言葉で済ませちゃダメだと、先日のnoteのコラムに繋がる。後世から見た時に「昭和平成時代の人たちは一体何をやってたんだ」と言われないためには。 ・・・・・・・・ 「刈羽村老人福祉センター ことぶき荘」は新潟県の南西部、原子発電所の立地自治体として知られる刈羽村にある福祉施設。近代に当地で活躍した庭師・相澤熊蔵が作庭した日本庭園が残ります。 京都の世界遺産&国宝『銀閣寺』の御用達庭師として当サイトでもたびたび名前を挙げる作庭家・田中泰阿弥。 氏が生まれ育��た新潟県柏崎市に江戸の庭園文化を持ち込み、“刈羽柏崎の庭師の祖”と呼ばれたのが相沢熊蔵。田中泰阿弥の兄も相沢熊蔵に弟子入りしていたとか(=実質的には田中泰阿弥の“大師匠”)。 相沢熊蔵は元は幕末の江戸の出で、江戸では将軍・徳川家(=『江戸城庭園』)や大名家に出入りした庭師だったとか。 しかし幕末~明治維新期にそれまでの社会・階級が一変すると相沢熊蔵も江戸を離れ、上州前橋藩や信州松本藩の出入り庭師に。やがて越後出身の奥さんの導きで柏崎・刈羽に辿り着き、当地で“松屋の爺さん”と呼び親しまれながら作庭に励みました。 そんな相沢熊蔵が明治時代に当地の有力者・安沢氏の邸宅に作庭したのが現在の刈羽村老人福祉センター「ことぶき荘」庭園。他にも刈羽・柏崎には氏の庭園が複数残るようですが、公開されているのはこちらのみという貴重な庭園。 残念ながら2005年の新潟県中越地震で水源が枯れ、現在は枯池となっていますが、心字池を中心に背後の山の斜面を活かした立派な滝石組のある池泉回遊式庭園を見ることができます。斜面にサツキ/ツツジなどが植わった江戸時代のスタイルと、この山に自生していた?自然の紅葉の双方が活かされた庭園。 池の中央には折れたままの大きな石橋がそのまま残されていて、中越地震の大きさと痕跡を生々しく感じられることができます。 「以前はもっときれいだったんですけどね」と施設の方も現状に満足しているわけではないようだったけれど、過疎高齢化の進む地方の自治体で庭園に予算を投じ続けることも簡単ではなく…(というより年々難しくなっていく)。 その中でも芝生の中で新たに山野草を育てられていたりと、新たに“ガーデン”の要素を加え地域の安らぎの場として育ち始めている様子も伺えます。お近くを訪れた際には立ち寄ってみて。 新潟・刈羽村老人福祉センター「ことぶき荘」庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/kariwamura-kotobikiso-niigata/ ———————— #japanesegarden #japanesegardens #japanesearchitecture #japanarchitecture #kyotogarden #zengarden #landscapedesign #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #庭院 #庭园 #庭園 #日本庭園 #刈羽 #刈羽村 #kariwa #新潟 #niigata #新潟庭園 #相沢熊蔵 #おにわさん (刈羽村老人福祉センター) https://www.instagram.com/p/Cp3tqE1vflK/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2024年8月8日
南海トラフ地震の想定震源域と今回の震源
南海トラフ地震臨時情報の対象の1都2府26県707市町村はこちら(朝日新聞)
気象庁は8日、初となる「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を発表した。対象となった1都2府26県707市町村は次の通り。同庁は今後1週間程度、地震や津波への注意を呼び掛けている。(内閣府の資料から)
茨城県 水戸市、日立市、ひたちなか市、鹿嶋市、神栖市、鉾田市、東茨城郡大洗町、那珂郡東海村
千葉県 銚子市、館山市、旭市、勝浦市、鴨川市、富津市、南房総市、匝瑳市、山武市、いすみ市、大網白里市、山武郡九十九里町、同郡横芝光町、長生郡一宮町、同郡長生村、同郡白子町、夷隅郡御宿町、安房郡鋸南町
東京都 大島町、利島村、新島村、神津島村、三宅村、御蔵島村、八丈町、青ケ島村、小笠原村
神奈川県 横浜市、横須賀市、平塚市、鎌倉市、藤沢市、小田原市、茅ケ崎市、逗子市、三浦市、秦野市、厚木市、伊勢原市、海老名市、座間市、南足柄市、三浦郡葉山町、高座郡寒川町、中郡大磯町、同郡二宮町、足柄上郡中井町、同郡大井町、同郡松田町、同郡山北町、同郡開成町、足柄下郡箱根町、同郡真鶴町、同郡湯河原町
山梨県 甲府市、富士吉田市、都留市、山梨市、大月市、韮崎市、南アルプス市、北杜市、甲斐市、笛吹市、上野原市、甲州市、中央市、西八代郡市川三郷町、南巨摩郡早川町、同郡身延町、同郡南部町、同郡富士川町、中巨摩郡昭和町、南都留郡道志村、同郡西桂町、同郡忍野村、同郡山中湖村、同郡鳴沢村、同郡富士河口湖町
長野県 岡谷市、飯田市、諏訪市、伊那市、駒ケ根市、茅野市、南佐久郡川上村、同郡南牧村、諏訪郡下諏訪町、同郡富士見町、同郡原村、上伊那郡辰野町、同郡箕輪町、同郡飯島町、同郡南箕輪村、同郡中川村、同郡宮田村、下伊那郡松川町、同郡高森町、同郡阿南町、同郡阿智村、同郡平谷村、同郡根羽村、同郡下條村、同郡売木村、同郡天龍村、同郡泰阜村、同郡喬木村、同郡豊丘村、同郡大鹿村、木曽郡上松町、同郡南木曽町、同郡大桑村、同郡木曽町
岐阜県 岐阜市、大垣市、多治見市、関市、中津川市、美濃市、瑞浪市、羽島市、恵那市、美濃加茂市、土岐市、各務原市、可児市、山県市、瑞穂市、本巣市、郡上市、下呂市、海津市、羽島郡岐南町、同郡笠松町、養老郡養老町、不破郡垂井町、同郡関ケ原町、安八郡神戸町、同郡輪之内町、同郡安八町、揖斐郡揖斐川町、同郡大野町、同郡池田町、本巣郡北方町、加茂郡坂祝町、同郡富加町、同郡川辺町、同郡七宗町、同郡八百津町、同郡白川町、同郡東白川村、可児郡御嵩町
静岡県(全域)静岡市、浜松市、沼津市、熱海市、三島市、富士宮市、伊東市、島田市、富士市、磐田市、焼津市、掛川市、藤枝市、御殿場市、袋井市、下田市、裾野市、湖西市、伊豆市、御前崎市、菊川市、伊豆の国市、牧之原市、賀茂郡東伊豆町、同郡河津町、同郡南伊豆町、同郡松崎町、同郡西伊豆町、田方郡函南町、駿東郡清水町、同郡長泉町、同郡小山町、榛原郡吉田町、同郡川根本町、周智郡森町
愛知県(全域)名古屋市、豊橋市、岡崎市、一宮市、瀬戸市、半田市、春日井市、豊川市、津島市、碧南市、刈谷市、豊田市、安城市、西尾市、蒲郡市、犬山市、常滑市、江南市、小牧市、稲沢市、新城市、東海市、大府市、知多市、知立市、尾張旭市、高浜市、岩倉市、豊明市、日進市、田原市、愛西市、清須市、北名古屋市、弥富市、みよし市、あま市、長久手市、愛知郡東郷町、西春日井郡豊山町、丹羽郡大口町、同郡扶桑町、海部郡大治町、同郡蟹江町、同郡飛島村、知多郡阿久比町、同郡東浦町、同郡南知多町、同郡美浜町、同郡武豊町、額田郡幸田町、北設楽郡設楽町、同郡東栄町、同郡豊根村
三重県(全域)津市、四日市市、伊勢市、��阪市、桑名市、鈴鹿市、名張市、尾鷲市、亀山市、鳥羽市、熊野市、いなべ市、志摩市、伊賀市、桑名郡木曽岬町、員弁郡東員町、三重郡菰野町、同郡朝日町、同郡川越町、多気郡多気町、同郡明和町、同郡大台町、度会郡玉城町、同郡度会町、同郡大紀町、同郡南伊勢町、北牟婁郡紀北町、南牟婁郡御浜町、同郡紀宝町
滋賀県(全域)大津市、彦根市、長浜市、近江八幡市、草津市、守山市、栗東市、甲賀市、野洲市、湖南市、高島市、東近江市、米原市、蒲生郡日野町、同郡竜王町、愛知郡愛荘町、犬上郡豊郷町、同郡甲良町、同郡多賀町
京都府 京都市、宇治市、亀岡市、城陽市、向日市、長岡京市、八幡市、京田辺市、南丹市、木津川市、乙訓郡大山崎町、久世郡久御山町、綴喜郡井手町、同郡宇治田原町、相楽郡笠置町、同郡和束町、同郡精華町、同郡南山城村
大阪府 大阪市、堺市、岸和田市、豊中市、池田市、吹田市、泉大津市、高槻市、貝塚市、守口市、枚方市、茨木市、八尾市、泉佐野市、富田林市、寝屋川市、河内長野市、松原市、大東市、和泉市、箕面市、柏原市、羽曳野市、門真市、摂津市、高石市、藤井寺市、東大阪市、泉南市、四條畷市、交野市、大阪狭山市、阪南市、三島郡島本町、豊能郡豊能町、泉北郡忠岡町、泉南郡熊取町、同郡田尻町、同郡岬町、南河内郡太子町、同郡河南町、同郡千早赤阪村
兵庫県 神戸市、姫路市、尼崎市、明石市、西宮市、洲本市、芦屋市、伊丹市、相生市、加古川市、赤穂市、宝塚市、三木市、高砂市、川西市、小野市、加西市、南あわじ市、淡路市、加東市、たつの市、加古郡稲美町、同郡播磨町、揖保郡太子町
奈良県(全域)奈良市、大和高田市、大和郡山市、天理市、橿原市、桜井市、五條市、御所市、生駒市、香芝市、葛城市、宇陀市、山辺郡山添村、生駒郡平群町、同郡三郷町、同郡斑鳩町、同郡安堵町、磯城郡川西町、同郡三宅町、同郡田原本町、宇陀郡曽爾村、同郡御杖村、高市郡高取町、同郡明日香村、北葛城郡上牧町、同郡王寺町、同郡広陵町、同郡河合町、吉野郡吉野町、同郡大淀町、同郡下市町、同郡黒滝村、同郡天川村、同郡野迫川村、同郡十津川村、同郡下北山村、同郡上北山村、同郡川上村、同郡東吉野村
和歌山県(全域)和歌山市、海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、岩出市、海草郡紀美野町、伊都郡かつらぎ町、同郡九度山町、同郡高野町、有田郡湯浅町、同郡広川町、同郡有田川町、日高郡美浜町、同郡日高町、同郡由良町、同郡印南町、同郡みなべ町、同郡日高川町、西牟婁郡白浜町、同郡上富田町、同郡すさみ町、東牟婁郡那智勝浦町、同郡太地町、同郡古座川町、同郡北山村、同郡串本町
岡山県 岡山市、倉敷市、玉野市、笠岡市、井原市、総社市、備前市、瀬戸内市、赤磐市、浅口市、和気郡和気町、都窪郡早島町、浅口郡里庄町、���田郡矢掛町
広島県 広島市、呉市、竹原市、三原市、尾道市、福山市、府中市、大竹市、東広島市、廿日市市、安芸高田市、江田島市、安芸郡府中町、同郡海田町、同郡熊野町、同郡坂町、豊田郡大崎上島町
山口県 下関市、宇部市、山口市、防府市、下松市、岩国市、光市、柳井市、周南市、山陽小野田市、大島郡周防大島町、玖珂郡和木町、熊毛郡上関町、同郡田布施町、同郡平生町
徳島県(全域)徳島市、鳴門市、小松島市、阿南市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦郡勝浦町、同郡上勝町、名東郡佐那河内村、名西郡石井町、同郡神山町、那賀郡那賀町、海部郡牟岐町、同郡美波町、同郡海陽町、板野郡松茂町、同郡北島町、同郡藍住町、同郡板野町、同郡上板町、美馬郡つるぎ町、三好郡東みよし町
香川県(全域)高松市、丸亀市、坂出市、善通寺市、観音寺市、さぬき市、東かがわ市、三豊市、小豆郡土庄町、同郡小豆島町、木田郡三木町、香川郡直島町、綾歌郡宇多津町、同郡綾川町、仲多度郡琴平町、同郡多度津町、同郡まんのう町
愛媛県(全域)松山市、今治市、宇和島市、八幡浜市、新居浜市、西条市、大洲市、伊予市、四国中央市、西予市、東温市、越智郡上島町、上浮穴郡久万高原町、伊予郡松前町、同郡砥部町、喜多郡内子町、西宇和郡伊方町、北宇和郡松野町、同郡鬼北町、南宇和郡愛南町
高知県(全域)高知市、室戸市、安芸市、南国市、土佐市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、香南市、香美市、安芸郡東洋町、同郡奈半利町、同郡田野町、同郡安田町、同郡北川村、同郡馬路村、同郡芸西村、長岡郡本山町、同郡大豊町、土佐郡土佐町、同郡大川村、吾川郡いの町、同郡仁淀川町、高岡郡中土佐町、同郡佐川町、同郡越知町、同郡梼原町、同郡日高村、同郡津野町、同郡四万十町、幡多郡大月町、同郡三原村、同郡黒潮町
福岡県 北九州市、行橋市、豊前市、京都郡苅田町、築上郡吉富町、同郡築上町
熊本県 宇城市、阿蘇市、天草市、阿蘇郡高森町、上益城郡山都町、球磨郡多良木町、同郡湯前町、同郡水上村、同郡あさぎり町、天草郡苓北町
大分県 大分市、別府市、中津市、佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、豊後高田市、杵築市、宇佐市、豊後大野市、由布市、国東市、東国東郡姫島村、速見郡日出町、玖珠郡九重町
宮崎県(全域)宮崎市、都城市、延岡市、日南市、小林市、日向市、串間市、西都市、えびの市、北諸県郡三股町、西諸県郡高原町、東諸県郡国富町、同郡綾町、児湯郡高鍋町、同郡新富町、同郡西米良村、同郡木城町、同郡川南町、同郡都農町、東臼杵郡門川町、同郡諸塚村、同郡椎葉村、同郡美郷町、西臼杵郡高千穂町、同郡日之影町、同郡五ケ瀬町
鹿児島県 鹿児島市、鹿屋市、枕崎市、阿久根市、指宿市、西之表市、垂水市、薩摩川内市、日置市、曽於市、霧島市、いちき串木野市、南さつま市、志布志市、奄美市、南九州市、伊佐市、姶良市、鹿児島郡三島村、同郡十島村、薩摩郡さつま町、出水郡長島町、姶良郡湧水町、曽於郡大崎町、肝属郡東串良町、同郡錦江町、同郡南大隅町、同郡肝付町、熊毛郡中種子町、同郡南種子町、同郡屋久島町、大島郡大和村、同郡宇検村、同郡瀬戸内町、同郡龍郷町、同郡喜界町、同郡徳之島町、同郡天城町、同郡伊仙町、同郡和泊町、同郡知名町、同郡与論町
沖縄県 名護市、糸満市、豊見城市、うるま市、宮古島市、南城市、国頭郡国頭村、同郡東村、島尻郡与那原町、同郡渡嘉敷村、同郡座間味村、同郡南大東村、同郡北大東村、同郡伊平屋村、同郡八重瀬町、宮古郡多良間村
猛暑のせい?広島の夏の交通事故、死者数が倍に 警察が注意呼びかけ(朝日新聞)
7月以降に広島県内で起きた交通死亡事故数が、昨年の同時期を大幅に上回っている。県警によると、連日の猛暑による集中力や注意力の欠如が原因の一つと考えられるといい、注意を呼びかけている。
県警交通企画課によると、7月1日~8月4日の交通事故死者数は12人で、昨年同時期の5人から倍以上に増えている。
このうち、バイクや自転車、歩行者の死者数は計9人。日中の事故で亡くなった人は9人で、夜間は3人だった。
���課は、気温が高くなり、運転などに集中できないことが事故につながっている可能性があると分析。運転する場合はこまめに水分補給したり休憩をとったりし、体調に異変を感じる時は運転を控えるなどの対策が必要としている。
担当者は「交通事故を防ぐためにも、熱中症警戒アラートが発せられるような暑い日は不要な外出を控えて」と呼びかけている。
気象庁によると、広島市内では35度以上の猛暑日が8日まで10日間続いている。(遠藤花)
「1990年に天皇の戦争責任を論じ始めたとき不安はなかったか、ですか? なかったと言えばウソになります」=吉本美奈子撮影
(インタビュー)昭和天皇の戦争関与 歴史学者・山田朗さん(朝日新聞)
「昭和天皇は戦争への主体的な関与をしなかった」「最後まで対米英戦を回避しようとした」。こうした昭和天皇像に、実証的な研究を通じて見直しを迫ってきた歴史学者がいる。明治大学教授の山田朗さんだ。「天皇の戦争指導」の実態はどうだったのか。その歴史を直視してこなかった戦後日本社会とは。
――昭和天皇(1901~89)が戦争中にどう行動し、そのことを戦後にどう考えていたのか。実証的に調べる研究を30年以上も続けていますね。
「きっかけは、昭和天皇の健康が悪化した88年から日本社会を覆った『自粛』現象でした」
「天皇が戦争にどうかかわったかについての先行研究はすでにありましたが、私には『昭和天皇には戦争責任がある』という結論ありきの研究に見えました。他方には『戦争責任などない』との意見もあったけれど、どちらも戦争中の実態を踏まえた議論とは思えなかった。史料を踏まえた実証的な研究が必要だと思いました」
――日本が米英に対する戦争を始めたのは41年12月でしたね。「昭和天皇は最後まで日米開戦を避けようとしていた」という話が広く信じられていますが、事実でしょうか。
「違います。41年9月6日に開かれた御前会議の時点までは、確かに天皇は開戦を躊躇していました。しかし側近の日記や軍の記録などから見えてきたのは、そのあと天皇が戦争への覚悟を決めていく姿でした」
「10月には宣戦布告の詔書の作り方を側近に相談しており、11月には軍の説く主戦論に説得されています。最終的には天皇は開戦を決断したのです」
――昭和天皇は戦争に主体的に関与することがなかった、という理解も広がっていますね。
「事実ではありません。大日本帝国憲法では天皇は大元帥、つまり日本軍の総司令官でした。形式的発言をするだけだったというイメージが広がっていますが、記録によれば、大元帥として出席した大本営御前会議では活発に発言しています。軍幹部への質問や注意を通じて作戦に影響を与えていた実態も、史料から見えてきました」
――昭和天皇が具体的に変えた事例を挙げてください。
「42年のガダルカナル島(南太平洋ソロモン諸島)攻防戦で、航空部隊を現地へ送るよう天皇は3回にわたって、出撃をしぶる陸軍に督促していました。3度目の督促の翌日、陸軍は派遣を決めています」
「45年の沖縄戦では『現地軍は何故攻勢に出ぬか』と言って、積極的な攻撃に出るよう要求しました。現地軍は持久戦でいくと決めていたのですが、天皇の意思が現地まで伝わったため中途半端な攻勢が行われ、無用な出血につながりました」
「天皇の言葉が作戦を左右する影響を与えた事例は、満州事変から敗戦までの間に少なくとも17件確認できます。国家意思に影響を与えていた形です」
――作戦指導だけにとどまらず「戦争指導」も行っていたと著書で主張していますね。
「ええ。戦争指導は単なる軍事作戦指導とは異なり、外交などの���治戦略と軍事作戦を束ねた、より高次の指導です」
「昭和天皇は43年のソロモン諸島などの攻防で、戦い方が消極的だと侍従武官長を厳しく叱責し、こんなことでは敵国の士気が上がって第三国にも動揺が広がってしまうと言って積極攻勢を求めました。国際情勢をにらんだ上で国家としてどう作戦を立てるかという戦争指導の領域にこのとき昭和天皇は立ち入っていたと、私は思います」
――昭和天皇はなぜ作戦指導や戦争指導をしたのでしょう。
「大日本帝国という国家の抱えていた構造的な問題が背景にあってのことだったと思います。天皇を好戦的な指導者だったとみなすのは間違いです」
――構造的な問題とは?
「ガダルカナル戦で天皇が指導に踏み込んだのは、どちらが航空機を出すかでもめていた陸軍と海軍の対立を解くためでした。大日本帝国では陸軍も海軍も天皇に直属していて、両者を統合して指揮する統合幕僚長のような指導役が不在でした。陸・海軍の対立を調整できるのは当時、天皇だけだったのです」
「軍事戦略と外交戦略の双方を統括しえたのも天皇だけでした。軍の最高指揮権にあたる『統帥権』は天皇にあり、統帥権は行政から独立していました。首相ですら軍事行動の詳細を知ることはできない構造です。外交や予算をつかさどる行政が軍部と分立していた中で、両者を架橋しえたのは実質的に天皇だけだったのです」
――「昭和天皇は戦争指導をしたのか否か」と問う以前に、「そもそも戦争指導をできる指導者は当時いたのだろうか」と考えさせられる話です。
「ええ。戦況の悪化に直面したことで昭和天皇は大日本帝国が抱えた構造的欠陥の深刻さに気づき、自らが動くしかないと考えた可能性があります。陸軍と海軍が持つそれぞれの経験値では解決できない事態があり、政治が軍事を制御できる仕組みも見当たらない。そんな状況下での戦争指導だったのです」
――昭和天皇に戦争責任はあった、と主張していますね。
「実態を踏まえれば、昭和天皇には戦争責任があったと考えるべきだと思います。あれだけの悲惨な結果を招いた戦争において、大日本帝国の軍事と政治の双方を統括できる国家指導者だったのであり、すべての重要な政策決定の場にいたのですから、およそ責任がなかったと言えるものではありません」
――連合国が戦後に日本の戦争指導者を裁いた東京裁判(極東国際軍事裁判)で、昭和天皇は訴追されませんでした。米国が占領統治のコストを下げるために見送ったとされます。
「裁判が始まる前から日本国内では、昭和天皇は平和主義者であって戦争責任を問われるべき人物ではないとのイメージづくりが、政府などによって進められました。天皇を守るためだったと語られがちですが、それだけではなかったと思います」
「戦争は陸軍の強硬派が進めたものであって天皇には止める権限がなかったというストーリーをつくることで、海軍主流派や外務省・内務省の官僚らは自らを『天皇の側にいた者』とし、責任追及を回避できました。その人たちが戦後日本の権力を担っていったのです。このシナリオを最終的に追認したのが米国主導の東京裁判でした」
――その歴史は現在に何か影響を与えているでしょうか。
「責任をとるべき人がとっていないという巨大な前例が今も生き続けています。宮内庁が編纂して今から10年前に公開された『昭和天皇実録』も、天皇は平和主義者だったというイメージを強化する内容でした」
――ウクライナ侵攻などが起きた影響もあって、今、日本政府はかつてない規模での防衛力増強に乗り出しています。
「戦争期の近代日本史が教えるのは、軍を政治的にコントロールすることの難しさです。軍事は軍事の専門家だけが理解できるものだという論理のもと、閉じられたサークルの中で『自己展開』していっ��しまう傾向が、軍事にはあるからです」
「昭和戦前期と違って今は一応、行政府が外交も安全保障もあわせて統括できる体制には変わっています。しかし、国民の代表である国会のチェックが安全保障政策に反映されているかといえば、答えはノーです」
――5年前に公開された新史料「拝謁記」に注目するよう訴えていますね。なぜですか。
「昭和天皇があの戦争のことを『戦後に』どう考えていたのかを、今までにない生々しさで伝えている史料だからです。拝謁記とは、初代宮内庁長官だった田島道治が昭和天皇の戦後の肉声を記録したものです」
――何が分かったのですか。
「昭和天皇の中で戦後、『誰がどうやっても戦争の流れを止められなかった』という考えが次第に強まっていった事実です。田島の耳に最後には言い訳だと聞こえてきたほどでした」
「陸軍が戦争の牽引者だったのは事実です。しかし昭和天皇はブレーキの壊れたジェットコースターの単なる乗客だったのではなく、操縦する側でした。ブレーキが壊れていたわけでもなく、実際、天皇の聖断という形で戦争は終わっています」
――その歴史からどんな教訓をくみとるべきでしょう。
「戦前は天皇が国家の主権者でした。その主権者が戦後、『自分にはどうしようもなかった』という考えに至っていた。現在の日本では国民が主権者です。再び戦禍に見舞われたあとで『自分にはどうしようもなかった』という総括をまた繰り返すのか。主権者としての選択が問われていると思います」(聞き手 編集委員・塩倉裕)
やまだあきら 1956年生まれ。専門は日本近現代史。軍事史や天皇制論に詳しい。著書に「大元帥 昭和天皇」(94年)、「昭和天皇の戦争認識」(2023年)など。
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【新潟県謡曲古跡めぐり上越編】1日目9箇所目 2021/6/27ー28
能「壇風」「田村」
水俣観音堂 《 糸魚川市水俣 》 水保観音堂の創建は不詳ですが泰澄大師が養老年間(717~724年)に開いたとも弘法大師空海が大同元年(806)に開いたとも云われています。
その後、坂上田村麻呂が当地を訪れた際、境内が整えられ寺院として草創したそうです。当時は吉祥院に属し、信仰を広げ最盛期には七堂伽藍を備た大寺院として周囲にも大きな影響力を持ちました。古くから神仏習合し隣接する日吉神社の祭祀を担っていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により吉祥院が廃寺となり日吉神社と観音堂だけが残され現在は宝伝寺の境外仏堂となり周囲の信者によって管理されています。
水保観音堂には棟札が残されていて明和5年(1768)に建てられ、棟梁が倉若七右衛門、脇棟梁が宮原与右衛門、下役が小杉久右衛門だったことがわかっています。水俣観音堂は木造平屋建て、寄棟、鉄板葺(旧茅葺)、桁行5間、梁間5間、平入、外壁は真壁造り板張り、四方浜縁、高欄付き、中世の密教寺院建築の特徴を残し地域に残る修験道場の遺構としても貴重な存在です。
寺宝には大正12年(1923)に国重要文化財に指定された「木造十一面観音立像」(平安時代中期~後期の作と推定、桜材の一木造、頭部の天冠台には様々な表情をした十一面が墨書、像高1.548m、鉈彫り、33年に一度の開帳、身をもって集落の火災を防いだという伝説が残っていて火伏の観音さまとして信仰の対象となり住民からは「水保の観音さん」と呼ばれています。)や男神像(2躯、室町時代作と推定、像高27㎝、23.5㎝)や鋳銅製鰐口(貞享3年作、鋳師:高田土肥藤右衛門藤原朝臣家次、施主:糸魚川高野清右衛門季林敬白)などがあります。 この仏像は、桜材の一木造りで、高さ1.548メートル。 平安時代中~後期(藤原時代)の作と推定されています。丸のみを横に用いて荒っぽく削る「鉈彫り」の技法で作られたものです。 この技法で彫られた例は新潟県には2例しかなく貴重な仏像です。 一般公開は33年に1回です。(平成16年8月27日~29日に一般公開されました)
又、水俣観音堂には鎌倉時代に後醍後天皇の倒幕に加担し佐渡に流され、本間一族に惨殺された日野資朝の子供阿新丸が十一面観音の霊力を受け父の敵を討ち果たし父の遺骨を境内に埋葬したという伝説があり資朝のもの思われる墓(五輪塔)もあります。毎年5月1日に行われる例大祭では日吉神社の神事の後、観音堂まで神輿渡御が行われ、さらに境内で神楽が奉納される神仏習合の名残が見られます。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF QIN SHI HUANG
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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汪建民
H:汪建民10月7日病逝「萬般皆是命,半點不由人。」「天命難違,活在當下。」人生瀟灑走一回!20241008W2
汪建民
網路報導
男星汪建民罹患「肺腺癌4期」,今(2024年10月8日)日遭家屬證實2024年10月7日病逝,享年56歲。事實上,汪建民上月才因病危,送進ICU加護病房搶救,癌細胞擴散頸椎,電療65次,讓他崩潰求死「拜託帶走……。」
「求求老天把我帶走」
妹妹2024年10月8日中午透過其臉書證實汪建民過世:「建民哥於10/7晚間離開了我們,很謝謝最後這段時間幫忙的朋友們,包含所有細心照顧的醫療人員、社工朋友。」
汪建民(1968年1月23日—2024年10月7日)[1],臺灣男藝人。知名於演出單元劇《台灣靈異事件》。
總覽
出生資訊
1968年1月23日
台灣
逝世
2024年10月7日
臺北新光醫療財團法人新光吳火獅紀念醫院
汪建民,臺灣男藝人。知名於演出單元劇《台灣靈異事件》。 維基百科
汪建民肺腺癌逝!醫示警8症狀「常被誤認感冒」 75%發現已晚期
出生資訊: 1968 年 1 月 23 日,台灣
逝世: 2024 年 10 月 7 日,臺北新光醫療財團法人新光吳火獅紀念醫院
身高: 181 公分
代表作品: 台灣靈異事件
出道地點: 臺灣
活躍年代: 1993年-2024年
網路字典
萬般皆是命,半點不由人。
(諺語)人生的際遇皆由命運安排,絲毫不能自主。《警世通言.卷一七.鈍秀才一朝交泰》:「其年正是三十二歲,交逢好運,正應張鐵品先生推算之語。可見:萬般皆是命,半點不由人。」
維基文庫
警世通言第十七卷
维基 -> 警世通言 -> 第十七卷钝秀才一朝交泰
《第十七卷钝秀才一朝交泰》[查看正文] [修改] [查看历史]
1 
蒙正窑中怨气,买臣担上书声。文夫失意惹人轻,才入荣华称庆。红日偶然阴臀,黄河尚有澄清。浮云眼底总难凭,牢把脚跟立定。2 
这首《西江月》,大概说人穷通有时,固不可以一时之得意,而自夸其能;亦不可以…对之失意,而自坠其志。唐朝甘露年间,有个王涯丞相,官居一品,权压百僚,憧仆乾数,日食��钱,说不尽荣华富贵。其府第厨房与一僧寺相邻。每日厨房中涤锅净碗之水,倾向沟中,其水从僧寺中流出。一日寺中老僧出行,偶见沟中流水中有白物,大如雪片,小如玉屑。近前观看,乃是上白米饭,王丞相厨下锅里碗里洗刷下来的。长老合掌念声:「阿弥陀佛,罪过,罪过!」随口吟序一首:3 
春时耕种夏时耘,粒粒颗颗费力勤;4 
春丢细糠如剖玉,炊成香饭似堆银。5 
三餐饱食无馀事,一口饥时可疗贫。6 
堪叹沟中狼藉贱,可怜天下有穷人!7 
长老吟诗已罢,随唤人工道人,将笊篱笊起沟内残饭,向清水河中涤去污泥,摊于筛内,日色晒乾,用磁缸收贮,且看几时满得一缸。不够三四个月,其缸已满。两年之内,并积得六大缸有馀。8 
那王涯丞相只道千年富贵,万代奢华。谁知乐极生悲,一朝触犯了朝廷,阎门待勘,未知生死。其时宾客散尽,憧仆逃亡,仓廪尽为仇家所夺。王丞相至亲二十三口,十尽粮绝,担饥忍饿,啼哭之声,闻于邻寺。长老听得,心怀不忍。只是一墙之隔,除非穴墙可以相通。长者将缸内所积饭乾浸软,蒸而馈之。工涯丞相吃罢,甚以为美。遣婢于间老僧,他出家之人,何以有此精食?老僧道:「此非贫僧家常之饭,乃府上涤釜洗碗之馀,流出沟中,贫僧可惜有用之物,弃之无用;将清水洗尽,日色晒乾,留为荒年贫丐之食。今日谁知仍济了尊府之急。正是一饮一啄,莫非前定。」王涯丞相听罢,叹道:「我平昔吴殄天物如此,安得不败?今日之祸,必然不免。」其夜遂伏毒而死。当初富贵时节,怎知道有今日!正是:贫贱常思富贵,富贵又履危机。此乃福过灾生,自取其咎。假如今人贫贱之时,那知后日富贵?即如荣华之日,岂信后来苦楚?如今在下再说个先忧后乐的故事。列位看官们,内中倘有胯下忍辱的韩信,妻不下机的苏秦,听在下说这段评���,各人回去硬挺著头颈过日,以待时来,不要先坠了志气。有诗四句:9 
秋风衰草定逢春,尺蟀泥中也会伸。10 
画虎不成君莫笑,安排牙爪始惊人。11 
话说国朝天顺年间,福建延乎府将乐县,有个宦家,姓马,名万群,官拜吏科给事中。因论太监王振专权误国,削籍为民。夫人早丧,单生一子,名曰马任,表字德称。十二岁游产,聪明饱学。说起他聪明,就如颜子渊闻一知十。论起他饱学,就如虞世南五车腹筒。真个文章盖世,名誉过人。马给享爱惜如良金美玉,自不必言。里中那些富家儿郎,一来为他是簧门的贵公子,二来道他经解之才,早晚飞黄腾达,无不争先奉承。其中更有两个人奉承得要紧,真个是。12 
冷中送暖,闲里寻忙。出外必称弟兄,使钱那问尔我。偶话店中酒美,请饮三杯。才夸妓馆容娇,代包一月。掇臀捧屁,犹云手有馀香。随口蹋痰,惟恐人先著脚。说不尽制笑胁肩,只少个出妻献子。个叫黄胜,绰号黄病完。一个叫顾样,绰号飞天炮仗。他两个祖上也曾出仕,都是富厚之字,目不识丁,也顶个读书的虚名。把马德称做个大菩萨供养,扳他日后富贵往来。那马德称是忠厚君子,彼以礼来,此以礼在,见他殷勤,也遂与之为友。黄胜就把亲妹六樊,许与德称为婚。德称闻此女才貌双全,不胜之喜。但从小立个誓愿:13 
若要洞房花烛夜,必须金榜挂名时。14 
马给事见他立志高明,也不相强,所以年过二十,尚未完娶。15 
时值乡试之年,忽一日,黄胜、顾样邀马德称向书铺中去买书。见书铺隔壁有个算命店,牌上写道:「要知命好丑?只间张铁口!」马德称道:「此人名为『铁口』,必肯直言。」买完了书,就过间壁,与那张先生拱手道:「学生贱造,求教!」先生问了八字,将五行���克之数,五星虚实之理,推算了一回。说道:「尊官若不见怪,小子方敢直言。」马德称道:「君子问灾不问福,何须隐讳!」黄胜、顾祥两个在旁,只怕那先生不知好歹,说出话来冲撞了公子。黄胜便道:「先生仔细看看,不要轻谈!」顾祥道:「此位是本县大名士,你只看他今科发解,还是发魁?」先生道:「小子只据理直讲,不知准否?贵造『偏才归禄』,父主峥嵘,论理必生于贵宦之家。」黄顾二人扣手大笑道:「这就准了。」先生道:「五垦中『命缠奎壁』,文章冠世。」二人又大笑道:「好先生,算得准,算得准!」先生道:「只嫌二十二岁交这运不好,官煞重重,为祸不小。不但破家,亦防伤命。若过得二十一岁,后来倒有五十年朵华。只怕一丈阔的水缺,双脚跳不过去。」黄胜就骂起米道:「放屁,那有这话!」顾祥伸出拳来道:「打这厮,打歪他的铁嘴。」马德称双手拦住道:「命之理微,只说他算不准就罢了,何须计较。」黄顾二人,口中还不乾净,却得马德称抵死劝回。那先生只求无事,也不想算命钱了。正是:16 
阿谏人人喜,直言个个嫌。17 
那时连马德称也只道自家唾手功名,虽不深怪那先生,却也不信。谁知三场得意,榜上无名。自十五岁进场,到今二十一岁,三科不中。若沦年纪还不多,只为进场屡次了,反觉不利。又过一年,刚刚二十二岁。马给事一个门生,又参了王振一本。王振疑心座主指使而然,再理前仇,密唆朝中心腹,寻马万群当初做有司时罪过,坐赃万两,著本处抚按迫解。马万群本是个清官,闻知此信,一口气得病数日身死。马德称哀戚尽礼,此心无穷。却被有司逢迎上意,逼要万两赃银交纳。此时只得变卖家产,但是有税契可查者,有司迳自估价官卖。只有续置一个小小日庄,未曾起税、官府不知。马德称恃顾祥平昔至交,只说顾家产业,央他暂时承认。又有古董书籍等项,约数百金,寄与黄胜家去讫。却说有司官将马给事家房产田业尽数变卖,未足其数,兀白吹毛求疵不已。马德称扶枢在坟堂屋内暂住,忽一日,顾祥遣人来言,府上馀下田庄,官府已知,瞒不得了,马德称无可奈何,只得入官。后来闻得反是顾祥举首,一则恐后连累,二者博有司的笑脸。德称知人情好险,付之一笑。过了岁馀,马德称在黄胜家索取寄顿物件,连走数次,俱不相接,结末遣人送一封帖来。马德称拆开看时,没有书柬,只封帐目一纸。内开某月某日某事用银若乾,某该合认,某该独认。如此非一次,随将古董书籍等项估计扣除,不还一件。德称人怒,当了来人之面,将帐目扯碎,大骂一场:「这般狗邑之辈,再休相见!」从此亲事亦不题起。黄胜巴不得杜绝马家,正中其怀。正合著西汉冯公的四句,道是:18 
一贵一贱,交情乃见;19 
一死一生,乃见交情。20 
马德称在坟屋中守孝,弄得衣衫褴褛,口食不周。当初父亲存日,也曾周济过别人,今日自己遭困,却谁人周济我广守坟的老王掉掇他把坟上树木倒卖与人,德称不肯。老王指著路上几棵大柏树道:「这树不在泵旁,卖之无妨。」德称依九,讲定价钱,先倒一棵下来,中心都是虫蛀空的,不值钱了。再倒一棵,亦复如此。德称叹道:「此乃命也!」就教住手。那两棵树只当烧柴,卖不多钱,不两日用完了。身边只剩得十二岁一个家生小厮,央老工作中,也卖与人,得银五两。这小厮过门之后,夜夜小遗起来,主人不要了,退还老王处,索取原价,德称不得已,情厚减退了二两身价卖了。好奇怪!第二遍去就不小遗了。这几夜小遗,分明是打落德称这二两银子,不在话下。21 
光阴似箭,看看服满。德称贫困之极,无门可告。想起有个表叔在浙江杭州府做二府,猢州德清县知县也是父亲门生,不如去投奔他,两人之中,也有一遇。当下将几件什物家伙,托老工卖充路费。浆洗了旧衣旧裳,收拾做一个包裹,搭眠上路,直至杭州。间那表叔,刚刚十日之前,已病故了。随到德清县投那个知县时,又正遇这几日为钱粮事情,与上司争论不合,使性要回去,告病关门,无由通报。正是:22 
时来凤送除下阁,运女雷轰荐福碑!23 
德称两处投入不著,想得南京衙门做官的多有年家。又趁船到京口,欲要渡江,怎奈连口大西风,土木船寸步难行。只得往句吝一路步行而入,迳往留都。区数国都那几个城门:24 
神策金川仪风门,怀远请凉到石城。25 
三山聚宝连通济,洪武朝阳走太平。26 
马德称由通济门人城,到饭店中宿了一夜。次早往部科等各衙门打听,往年多有年家为官的,如今升的升了,转的转了,死的死了,坏的坏了,一无所遇。乘兴而来,却难兴尽而返,流连光景,不觉又是半年有馀,盘缠俱已用尽。虽下学伍大夫吴门乞食,也难免吕蒙正僧院投斋。忽一日,德称投斋到大报恩寺,遇见个相识乡亲,问其乡里之享。方知本省宗师按临岁考,德称在先服满时因无礼物送与学里师长,不曾动得起复文书及游学垦子,也不想如此久客于外。如今音信不通,教官迳把他做避考申黜。千里之遥,无由辨复,真是:屋漏更遭连夜雨,船迟又遇打头风。27 
德称闻此消息,长叹数声,无面回乡,意欲觅个馆地,权且教书糊口,再作道理。谁知世人眼浅,不识高低。闻知异乡公子如此形状,必是个浪荡之徒,便有锦心绣肠,谁人信他,谁人请他?又过了几时,和尚们都怪他蒿恼。语言不逊,不可尽说。幸而天无绝人之路。有个运粮的赵指挥,要请个门馆先生同往北京���一则陪话,二则代笔。偶与承恩寺主持商议。德称闻知,想逍:「乘此机会,往北京一行,岂不两便。」遂央僧此系。那俗僧也巴不得遣那穷鬼起身,就在指挥面前称扬德称好处,且是柬情甚少。赵指挥是武官,不管三七二十一,只要省,便约德称在寺,投刺相见,择日请了下船同行。德称口如悬河,宾主颇也得合。不一日到黄河岸口,德称偶然上岸登东。忽听发一声响,犹如天崩地裂之形。慌忙起身看时,吃了一惊,原来河口决了。赵指挥所统粮船三分四散,不知去向。但见水势滔滔,一望无际。28 
德称举目无依,仰天号哭,叹道:「此乃天绝我命也,不如死休!」方欲投入河流,遇一老者相救,问其来历。德称诉罢,老者侧然怜悯,道:「看你青春美质,将来岂无发迹之期?此去短盘至北京,费用亦不多,老夫带得有三两荒银,权力程敬!」��罢,去摸袖里,却摸个空,连呼「奇怪!」仔细看时,袖底有一小孔,那者者赶早出门,不知在那里遏著剪络的剪去了。老者嗟叹道:「古人云:『得咱心肯日,是你运通时。』今日看起来,就是心肯,也有个天数。非是老夫吝惜,乃足下命运不通所致耳。欲屈足下过舍下,又恐路远不便。」乃邀德称到市心里,向一个相熟的主人家借银五钱为赠。德称深感其意,只得受了,再三称谢而别。29 
德称想这五钱银子,如何盘缠得许多路。思量一计,买下纸笔,一路卖字。德称写作俱佳,争奈时运未利,不能讨得文人墨士赏鉴,不过村坊野店胡乱买几张糊壁,此辈晓得什么好歹,那肯出钱。德称有一顿没一顿,半饥半饱,直捱到北京城里,下了饭店。间店主人借绪绅看查,有两个相厚的年伯,一个是兵部尤侍郎,一个是左卿曹光禄。当下写了名刺,先去谒曹公。曹公见其衣衫不整,心下不悦,又知是王振的仇家,不敢招架,送下小小程仪就辞了。再去见尤侍郎,那尤公也是个没意思的,自家一无所赠,写一封柬帖荐在边上陆总兵处,店主人见有这封书,料有际遇,将五两银子借为盘缠。谁知正值北虏也先为寇,大掠人畜,陆总兵失机,扭解来京间罪,连尤侍郎都罢官去了。德称在塞外耽搁了三四十月,又无所遇,依旧回到京城旅寓。30 
店主人折了五两银子,没处取讨,又欠下房钱饭钱若干,索性做个宛转,倒不好推他出门,想起一个主意来。前面衚同有个刘千户,其子八岁,要访个下路先生教书,乃荐德称。刘千户大喜,讲过束情二十两。店主人先支一季束修自己收受,准了所借之数。刘千户颇尽主道,送一套新衣服,迎接德称到彼坐馆。自此吝餐下缺,且训涌之暇,重温经史,再理文章,刚刚坐毅三个月,学生出起痘来,大医下药不效,十二朝身死。刘千户单只此子,正在哀痛,又有刻薄小人对他说道:「马德称是个降祸的大岁,耗气的鹤神,所到之处,必有灾殃。赵指挥请了他就坏了粮船,尤恃郎荐了他就坏了官职。他是个不吉利的秀才,不该与他亲近。」刘千户不想自儿死生有命,到抱怨先生带累了。31 
各处传说,从此京中起他一个异名,叫���「钝秀才」。凡钝秀才街上过去,家家闭户,处处关门。但是早行遇著钝秀才的一日没彩,做买卖的折本,寻人的不遏,告官的理输,讨债的不是厮打定是厮骂,就是小学生上学也被先生打几下手心。有此数项,把他做妖物相看。倘然狭路相逢,一个个吐口涎沫,叫句吉利方走。可怜马德称衣冠之胄,饱学之懦,今日时运不利,弄得日无饱餐,夜无安宿。同时有个浙中吴监生,性甚硬直。闻知钝秀才之名,不信有此事,特地寻他相会,延至寓所,叩其胸中所学,甚有接待之意。坐席犹未暖,忽得家书报家中老父病故,踉跄而别,转荐与同乡吕鸿肿。吕公请至寓所,待以盛撰,方才举著,忽然厨房中火起,学家惊慌逃奔。德称因腹馁经行了几步,被地方拿他做人头,解去官司,不由分说,下了监铺。幸吕鸿肿是个有天理的人,替他使钱,免其枷责。从此钝秀才其名益著,无人招接,仍复卖字为生。惯与婊家书寿轴,喜逢新岁写春联。夜间常在祖师庙、关圣庙、五显庙这几处安身。或与道人代写疏头,趁几文钱度日。32 
话分两头,却说黄病鬼黄胜,自从马德称去后,初时还伯他还乡。到宗师行黜,不见回家,又有人传信,道是随赵指挥粮船上京,破黄河水决,已召没矣。心下但然无虑,朝夕逼勒妹子六姨改聘。六嫔以死自誓,决不二夫。到天顺晚年乡试,黄胜董缘贿赂,买中了秋榜,里中奉承者填门塞户。闻知六焕年长未嫁,求亲者日不离门,六馍坚执不从,黄胜也无可奈何。到冬底,打叠行囊在北京会试。马德称见了乡试录,已知黄胜得意,必然到京,想起旧恨,羞与相见,预先出京躲避。谁知黄胜不耐功名。若是自家学问上挣来的前程,倒也理之当然,不放在心里。他原是买来的举人,小人乘君子之器,不觉手之舞之,足之蹈之。又将银五十两买了个勘合,驰驿到京,寻了个大大的下处,且不去温习经史,终日穿花街过柳巷,在院子里表子家行乐。常言道「乐极悲生」,嫖出一身了疮。科场渐近,将白金百两送大医,只求速愈。大医用轻粉劫药,数日之内,身体光鲜,草草完场而归。不够半年,疮毒大发,医治不痊,呜呼哀哉,死了。33 
既无兄弟,又无于息,族间都来抢夺家私。其妻王氏又没主张,全赖六焕一身,内支丧事,外应亲族,按谱立嗣,众心俱悦服无言。六焕自家也分得一股家私,不下数千金。想起丈夫覆舟消息,未知真假,贾了多少盘缠,各处遣人打听下落。有人自北京来,传说马德称未死,落莫在京,京中都呼为「钝秀才」。六焕是个女中大夫,甚有劈著~收拾起辎重银两,带了丫鬟僮仆,雇下船只,一往来到北京寻取丈夫。访知马德称在真定府龙兴寺大悲阁写《法华经趴乃将白金百两,新衣数套,辛笔作书,缄封停当,差老家人工安责去,迎接丈夫。吩咐道:「我如今便与马相公援例入监,请马相公到此读书应举,不可迟滞。」34 
王安到尤兴寺,见了长老,问:「福建马相公何在?」长老道:「我这里只有个『钝秀才』,并没有什么马相公。」王安道:「就是了,烦引相见。」和尚引到大悲阁下,指道:「旁边桌上写经的,不是钝秀才?」主安在家时曾见过马德称几次,今日虽然褴褛,如何不认得?一见德称便跪下磕头。马德称却在贫贱患难之中,不料有此,一时想不起来。慌忙扶住,问道:「足下何人?」王安道:「小的是将乐县黄家,奉小姐之命,特来迎接相公,小姐有书在此。」德称便问:「你小姐嫁归何宅广王安道:「小姐守志至今,誓不改适。因家相公近故,小姐亲到京中来访相公,要与相公入粟北雍,请相公早办行期。」德称方才开缄而看,原来是一首诗,诗曰:35 
何事萧郎恋远游?应知鸟帽未笼头。36 
图南自有风云便,且整双萧集凤楼。37 
德称看罢,微微而笑。工安献上衣服银两,且请起程日期。德称道:「小姐盛情,我岂不知?只是我有言在先:『若要洞府花烛夜,必须金榜挂名时。』向困贫困,学业久荒。今幸有馀资可供灯火之费,且待明年秋试得怠之后,方敢与小姐相见。」王安不敢相逼,木赐回书。德称取写经馀下的茧丝一幅,答诗四句:38 
逐逐风尘已厌游,好音刚喜见怦头。39 
妓娥夙有攀花约,莫遣莆声出凤楼。40 
德称封了诗,付与王安。王安星夜归京,回覆了六婉小姐。开诗看毕,叹惜不已。41 
其年天顺爷爷正遇「土木之变」,皇太后权请邮王���位,改元景泰。将奸阉王振全家抄没,凡参劾王振吃亏的加官赐荫。黄小姐在寓中得了这个消息,又遣王安到尤兴寺报与马德称知道。总称此时虽然借寓僧房,图书满案,鲜衣美食,已不似在先了。和尚们晓得是马公子马相公,无不钦敬。其年正是三十二岁,交逢好运,正应张铁口先生推算之语。可见:42 
万般皆是命,半点不由人。43 
德称正在寺中温习旧业,又得了工安报信,收拾行囊,别了长老赴京,另寻一寓安歇。黄小姐拨家憧二人伏侍,一应日用供给,络绎愤送。德称草成表章,叙先臣马万群直言得祸之由,一则为父亲乞恩昭雪,一则为自己辨复前程,圣旨倒,准复马万群原官,仍加三级,马任复学复摩。所抄没田产,有司追给。德称差家懂报与小姐知道。黄小姐又差王安送银两到德称寓中,叫他度例入粟。明春就考了监元,至秋发魁。就于寓中整备喜筵,与黄小姐成亲。来春又中了第十名会魁,殿试二甲,考选庶吉士。上表给假还乡,焚黄谒墓,圣旨准了。夫妻衣锦还乡,府县官员出郭迎接。往年抄没田宅,俱用官价赎还,造册交割,分毫不少。宾朋一向疏失者,此日奔走其门如市。只有顾祥一人自觉羞惭,迁往他郡去讫。时张铁口先生尚在,闻知马公子得第荣归,特来拜贺,德称厚赠之而去。后来马任直做到礼、兵、刑三部尚书,六摸小姐封一品夫人。所生二予,俱中甲科,替缨不绝。至今延平府人,说读书人不得第者,把「钝秀才」为比。后人有诗叹云:44 
十年落魄少知音,一日风云得称心。45 
秋菊春桃时各有,何须海底去捞针。
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各地句会報
花鳥誌 令和6年9月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年6月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
切り通し省線吹きし若葉風 軽象 蜘蛛の囲に閉ざす社の狐たち きみよ ことごとく夏蝶となる水飛沫 緋路 白あぢさゐ女ばかりに愛でられて 和子 黴の間の亡者に点るシャンデリア 光子 夏の子はジャングルジムに天下とる きみよ 飛鳥山生まれ育ちの蟻の列 三郎
岡田順子選 特選句
乾きたる蛇口の先は夏の雲 緋路 黒南風やおづおづ開くみくじ歌 昌文 南天の花棲み古りし街の隅 美紀 黴の間の亡者に点るシャンデリア 光子 途切れなき列車音聴く四葩かな 風頭 ががんぼ来オルガンの鳴り止みてより 緋路 葉脈の青き稲荷の額の花 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
たてがみに綺羅したゝらせ競べ馬 かおり 負馬の負けを恥ぢざる眼の涼し たかし ユーミンの曲初夏の競馬場 美穂 負馬の誰にともなく息一つ 成子 鬼瓦の鼻ふくらめる若葉風 愛 熱砂駆け鼻息荒し佐賀競馬 たかし 競べ馬シャガールの馬天を駆く 修二 薔薇園にダイヤモンドのやうに雨 愛 勝馬に寄り添ふ笑顔女騎手 久美子 楽屋口より美しき絽の裾捌き かおり バンクシー赤い風船追ふ少女 修二 萍の沈黙にある水一枚 朝子 鞍壺に託す一戦競べ馬 久美子 蟻は蛾を人は柩をかかげゆく 睦子 早苗田の水の世界を行く列車 愛 紫陽花やすこしはなれて宇宙船 睦子 ひつそりと咲くこと知らず濃紫陽花 たかし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月3日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
短夜の沖に生活の灯のともり かづを 短夜や和尚偲びて尽きぬ宿 笑子 黒南風の精舎を昏め沈めをり 希子 十薬や花明りして父祖の墓地 匠 網を引く明易き浜声合はす 同 悠久の光を溜めて滴りぬ 泰俊
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月6日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
麦の秋鳥の旋回しばし見ん 喜代子 黄金を刈り取る如き麦の秋 由季子 短夜に一夜の旅の用意せる 都 麦秋の大地を分ける鉄路かな 同 逝きし人思ひ起せる虹の橋 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
体内のおほかたは水田水張る 都 湯上りの鏡を閉ぢて蛍見に 美智子 麦秋の金波を運ぶ風頰に 宇太郎 春雨にすつかり濡れて泣黒子 悦子 杜深しすだまの降らす花樗 美智子 校庭に名札を付けたミニトマト 佐代子 南天咲く早世力士悼みては すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
空晴れて植田始まる農学部 亜栄子 一村に水ゆきわたり植田かな 百合子 としあつ師偲ぶ薄暑の石仏 教子 枡形の山気を吸ひて蝸牛 三無 下闇や気づけば猫の傍に 白陶 紫陽花の青き滴を受ける句碑 三無 月光をのせて十薬母の逝く 幸子 奥信濃瀬音まじりに河鹿鳴く 美枝子 故郷は懐深く初夏の旅 教子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月10日 なかみち句会
老鶯の声高らかに姿なく 廸子 老鶯や森の静けさ澄み亘る 聰 網戸開け小さき一匹逃しけり 貴薫 書を開く網戸の風の良き加減 三無 緑陰の間の光踏み遊ぶ のりこ 緑陰や刹那休らふ盲導犬 美貴 緑陰の森歩す空気異次元へ ます江 緑陰に入れば降るもの香るもの 怜
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令和6年6月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
風鈴を今年は出さうかと思ふ 昭子 石庭の砂紋に僧や水を打つ 時江 麦秋や己は小作小百姓 世詩明 万緑の真つ只中で友となる 三四郎 玻璃に付く守宮の目玉大きかり ただし ぬけぬけと嘘吐く男草虱 世詩明 堰音の六月の水裏返す ただし 田植済み静かな寝息一村に みす枝 一望の青田や下校チャイム鳴る 時江 野仏の一重まぶたや著莪の花 ただし サングラス外して白き歯を見せる 昭子 音もなく崩れる雲の峰一つ ただし 僧逝きて幾年寺の木下闇 英美子 緑蔭の不開の門や鐘響む 時江 菖蒲の湯頭脳ゆつくり休ませり みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月11日 萩花鳥会
久々の娘とのドライヴ花菖蒲 祐子 夢誘う伊豆の旅寝の夕河鹿 健雄 薫風に一味添へてウイスキー 俊文 能登思ふ絆の祭始まりて ゆかり 太陽の恵み包みし枇杷すゝる 吉之 夕立の雲が覆ひし我が旅程 明子 鮎解禁河原で塩焼き白むすび 美恵子
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令和6年6月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
黒い線行つたり来たり蟻の道 紀子 内緒話浜昼顔がそつと聞き 同 初夏や日々の葛藤過ぎゆきて 光子 畳紙に包まれし物黴にほふ あけみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
紫陽花のしづくを朝日移ろへる 千種 木道の谷戸田の隅に余り苗 幸風 木下闇これより先は獣道 慶月 夏草や弥生時代の息遣ひ 三無 水無月の木霊に道を迷はされ 千種 里山の道標なる立葵 ます江 濃あぢさゐ彩を増す夜半の雨 幸風 半夏生白く人声遠くせり 千種 夏蝶の白の大きく森に消ゆ 慶月 木道に釣り糸垂らす夏帽子 経彦
栗林圭魚選 特選句
鳴き交はす鴉に梅雨の森深く 要 滑り台順番を待つ夏帽子 経彦 今年竹撓ひて風の行方追ひ 三無 雨上るもりの朝やねむの花 芙佐子 紫陽花や森の匂ひに深呼吸 ます江 万緑や森に命を繋ぐ雨 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
露草に一輪挿の織部かな 雪 白鳳の野々宮廃寺跡 同 僧偲ぶ僧の手描きに絵団扇に 同 夏蝶の祈るが如し辻地蔵 同 終電の汽笛編戸を通し聞く 英美子 竹落葉散る音を聞く真昼時 同 毛虫焼く南無阿弥陀仏唱へつつ みす枝 咲いてをり咲きかけてをり七変化 かづを 白寿まで闘志抱きて更衣 清女 鷺一羽思考してをり青田中 やす香 売れ残る金魚に疲れ見えにけり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
青葉木菟夜を鳴かねばならぬかに 雪 五右衛門の煙管煙を吐ける山車 同 籠枕夫の遺せし油の香 清女 短夜を添ひ寝の犬に鼾きく 同 蜘蛛の囲の細きにかかるものは何 啓子 懐しき人に逢ふ夢明易し 笑子 風鈴の音とはならぬほどの揺れ 希子 短夜や星を眺めて聴く話 隆司 浴衣着て祭囃子の音に酔ふ 同 風鈴もそれぞれの色兄妹 和子 雨欲しきあぢさゐに色無かりけり 同 今夜だけ風鈴しづか話さうよ 令子 短夜や時の静かに広ごりて 千加江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月21日 さきたま花鳥句会
刺身盛り紫蘇一枚の境界線 月惑 路地裏の暮色に媚びる七変化 八草 夏見舞幼き文字に磯の風 裕章 草刈りの終へて現はる地平線 紀花 麦秋の風入れカフェの読書会 康子 梅漬けの重石に亡夫の酒の瓶 恵美子 たまゆらの時をあづけて啼く河鹿 みのり 麦の秋うねる大地の広々と 彩香 地に影を一瞬黒く夏つばめ 良江
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令和6年6月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
白鬼女の渡しと伝へ草茂る 雪 欠け初めし月に崩るる白牡丹 同 尻重な返事のいまだ梅雨に入る 同 山笑ふ声に呑まれてしまひさう 同 高層のビルに飛び込む夜這星 世詩明 夏旅に背中合せの駅の椅子 同 風遊ぶままに青田の百面相 同 極楽の風吹く寺に夕端居 ただし 朝倉の水の音する青蛙 同 音もなくむくりむくりと雲の峰 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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2024年4月12日に発売予定の翻訳書
4月12日(金)には28点の翻訳書が発売予定です。 そのうち15点がハーパーコリンズ・ジャパンからのものです。
人はいかに学ぶのか
全米科学・工学・医学アカデミー/編 秋田喜代美/監訳 一柳智紀/監訳 坂本篤史/監訳 ほか
北大路書房
マップス・プラス 新・世界図絵
アレクサンドラ・ミジェリンスカ&ダニエル・ミジェリンスキ/著 徳間書店児童書編集部/翻訳
徳間書店
フランス田舎暮らし12カ月
イザベル・ボワノ/著 トリコロル・パリ/翻訳
パイ インターナショナル
チェンニーノ・チェンニーニ 絵画術の書
辻茂/翻訳 石原靖夫/翻訳 望月一史/翻訳
岩波書店
17.18世紀大旅行記叢書〔第Ⅱ期〕5 仏領アンティル諸島滞在
佐野泰雄/翻訳
岩波書店
17.18世紀大旅行記叢書〔第Ⅱ期〕6 世界巡航記
平野敬一/翻訳
岩波書店
まじめにエイリアンの姿を想像してみた
アリク カーシェンバウム/著 穴水由紀子/翻訳
柏書房
マインドフルネスそしてセルフ・コンパッションへ
クリストファー・K・ガーマー/著 伊藤絵美/翻訳
星和書店
尹致昊日記 5
尹致昊/著 木下隆男/翻訳
平凡社
Apache Spark徹底入門
Jules S. Damji/原著 Brooke Wenig/原著 Tathagata Das/原著 Denny Lee/原著 長谷川亮/翻訳 弥生隆明/翻訳 北村匡彦/翻訳 竹下俊一郎/翻訳 小谷尚太郎/翻訳 北岡早紀/翻訳 市村幸一郎/翻訳 永里洋/翻訳 野上将嗣/翻訳
翔泳社
古代技術
ヘルマン・ディールス/本文 平田寛/翻訳
筑摩書房
ザ・ロード アメリカ放浪記
ジャック・ロンドン/本文 川本三郎/翻訳
筑摩書房
台湾の妖怪図鑑
何敬堯/著 魚儂/著 出雲阿里/翻訳
原書房
雨の日突然に
ダイアナ・パーマー/著 三宅初江/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
暗闇の中の愛
レベッカ・ウインターズ/著 東山竜子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
この手はあなたに届かない
J・R・ウォード/著 琴葉かいら/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
死者のカーテンコール イヴ&ローク57
J・D・ロブ/著 青木悦子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
愛の記憶が戻ったら
ミランダ・リー/著 森島小百合/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
永遠の一夜
アン・メイザー/著 茅野久枝/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
君を取り戻すまで
ジャクリーン・バード/著 三好陽子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
いくたびも夢の途中で
ベティ・ニールズ/著 細郷妙子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ギリシア海運王の隠された双子
ペニー・ジョーダン/著 柿原日出子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
瞳の中の切望
ジェニファー・テイラー/著 山本瑠美子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
熱い闇
リンダ・ハワード/著 上村悦子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ギリシア富豪と契約妻の約束
ケイト・ヒューイット/著 堺谷ますみ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
五日間で宿った永遠
アニー・ウエスト/著 上田なつき/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
スター作家傑作選~甘く、切なく、じれったく~
ダイアナ・パーマー/著 松村和紀子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
傲慢富豪の父親修行
ジュリア・ジェイムズ/著 悠木美桜/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
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神《Age Of God》
神とは?
〔荘厳なのか?〕
〔光に満ちてるか?〕
〔慈愛なのか?〕
ふと、思う。
神とは、もっとラフなもんじゃないかと。
愛とは、身近で、柔和なんじゃないかと。
私達が荘厳を考えるなら、畏怖しかなくなる…
じゃあ私達は、何のために生まれた?
畏怖し、萎縮し、こそこそ隠れて、だらしなさを、��す…
…意味ないやんw
だらしない時も、しょうもない時もあるのは、神も、人も、同じだろう、確信する。
グローバリストの言う神は、理想論であり、今までも、未来も、どこにも存在しない神を、崇めてる気がしてならない。。
イスラムの神は厳しすぎ、それが怒りに変換されるから、戦いばかりしてるんじゃないの?
中国は、毛沢東が神を否定し、金が神になったんじゃないの?
世界は、神を待ってる、それは、皆が神である事実を受け入れた時、出現し、皆が神を認識するまで、神は出現しない。
オナるし、食うし、ぐうたらもするが、透明で、まっすぐで、世界を愛している、それが神ではないだろうか?
そして、もっと、“浮遊感”のある存在じゃないだろうか?
では、私達が“神”と考えてきた存在は?
〚それは、神の家臣(神官、or ルシファー)、だよ。〛
神に仕え、真面目すぎるあまり、崇拝してしまい、価値以上の無駄な価値観を付与する。
つまり、興奮のあまり、大袈裟に神を表現したり、神の言ってない事まで、人々に強いて来た…
誰が結婚するなと言った?
誰が、罪を犯すな、罰すると言った?
誰が、何も食うなと言った?🤣
神の家臣の、誇大表現、軍隊調の服從の人々への強要、そんなもんが、神の実像を捻じ曲げて来た…
役小角が、正面から神に対峙した。
法然は、
「人々には、他力でしか救済出来ない人種がいる。だから現世で徳を積み、死後、西の極楽浄土へ行けるよう、南無阿弥陀仏と祈れ。」
これはさ、冷静に捉えたら、
選民思想そのものなんじゃない?🤣
「おまえらは一生馬鹿なんだから、馬鹿なりに大人しく生きろ。」
、そう言われてんのと、同じだわなw🤣
教育機関もない室町、鎌倉時代、武士にもなれない、鍛えたくない、そんな人らに、逃げ道を作った、しかも、かなり上から目線でw🤣
浄土宗、浄土真宗、そんな匂いがある…
だからこそ、
日蓮
という、アンチテーゼが生まれたんじゃないかな。
「ふざけんな!我ら庶民は馬鹿じゃねーし、現世で救われるんだ!」
で、法華経の流れになったんじゃないか?
警察官の息子、そこそこ裕福、法然。
ハーフの村、貧しい育ちの、日蓮。
貧しさを知らない人間は、庶民を理解出来ない。
同じ過ちを繰り返す理由は、貧し過ぎて、新しい一歩すら踏み出せないが故。
決して庶民は、救いようない馬鹿ではない。
だからこそ、強烈なアンチテーゼが、巻き起こった、南無妙法蓮華経。
皆は、役小角のようになりたい。
でも、自分には無理だと、最初から決めてかかり、最初から諦めてる。
だから、「宗教」の力に、ねじ伏せられる。
親鸞。
肉も食いたい、女も抱きたい、徳は積めないから、南無阿弥陀仏w🤣
…諦め過ぎだよなw🤣🤣🤣
織田信長は、田中角栄よろしく、ヒーローだったが、暗殺される…
再び、へりくだり過ぎの秀吉の時代、そして江戸時代の、“鎖国、カースト”へと流れる。
つまり、“人は、他力でしか変われない”ならば、最初から身分を固定化、溜まったガスは、穢多非人をいじめ、憂さを晴らせと。。
これは、〔停止〕してるだけ。
庶民は解せない中、
〔どうせ俺は、こんな生まれ〕
、強烈な諦め、強烈な停止。
嫌な凪ではあるが、言い方変えれば、
〚天下泰平〛
、そこにある、大いなる諦め。
浦賀湾、ペリー黒船(蒸気機関)
開国をせまられ、見た事ない新しい物を、目にする。。
〔新しい時代は、上手くすれば恵まれた地位につけるかも知れない〕
下級武士たちの不満爆発、明治維新へ向かう。
見た事ない高い文明、自信に満ち溢れた、アメリカ。
〔もしかしたら、今度こそチャンスを掴む〕
そして日露戦争、日本は原子爆弾までずっと、皆が幸せや富を掴むチャンスを、望んでいた。
----- 敗戦 -----
玉音放送。
気がつけば、街は死体の海…
Nothing Remain …
一億玉砕、日本人は絶滅を覚悟した、だから神風特攻隊は成立した。
でも、支配されてしまった…
じゃあ僕らの、次なるスタンダードは?
三島由紀夫
浅間山荘
日本赤軍
安田講堂
革命を呼び掛けた三島由紀夫に、誰も賛同せず、自殺。
次の3つは、“マルクス主義”、つまり占領された日本、おかしな首相、戦争に勝てないなら、共産主義で革命を起こそうと。
安田講堂は、天安門事件と何ら変わらない…
結局、国家が無理くり、”力”で鎮圧したんだ。。
中国から資源を引っ張ろうとした田中角栄は潰され、以降、政治家はアメリカの傀儡…
今に至っても。
庶民が目指すべきは、芸能人なのか?🤣
ジャニーズ腐敗暴露、松本某裁判、結局、極端な形の自己主張には、腐敗しか無かった。
YouTuberか?🤣
グローバリスト、つまり選民思想らが運営してるから、言論統制、人権無視、話にならない偏ったメディア…
そう、
打破せねば、ならない。
自己表現を自由にするには?
Domainを取ればいい。
自分で運営するサーバーに、規制など、無いw🤣
金ばかり考えてたら、グローバリストに飲み込まれるだけ。
自己表現は、した方がいい、というか、
自己表現はしなきゃだめw🙂✨✌️
働く。
企業、もはやブラック企業か、グローバリスト企業ばかり、自由な考えなんて、持てない…
SDGsという呪文をとなえ、まっしぐらに、我々は奴隷化に向かう…w🤣
個人事業主しかない。
もはや、会社員は、諦めた方がいいw😎
馬鹿馬鹿しい忖度、規制、そんなもんから、抜けられる、ただし、自己責任だ🤣
もう一度、キリストの言葉を思い出して欲しい。
あなた方一人一人が、神々なんです。
天上天下唯我独尊😎✌️✨
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2023 - 2
12/25 Mon 第25回日本演奏家コンクール入賞者披露演奏会 @みなとみらいホール 小ホール 共演:中村駿介
12/02 Sat, 03 Sun 《修道女アンジェリカ》とプロローグ G.プッチーニ Novanta Quattro #04 原語上演・日本語字幕 @神楽坂セッションハウス 指揮 服部容子 演出 吉野良祐 ピアノ 佐藤 響/石川美結/⭐️小松 桃 アンジェリカ 鈴木遥佳/吉田静香 公爵夫人 山川真奈 修道院長 水野菜津子 風紀係修道女 依光ひなの 教育長 安藤千尋 ジェノヴィエッファ 東 幸慧 オズミーナ 中村里咲 ドルチーナ 中村友里香 看護係修道女 池澤真子 托鉢係修道女Ⅰ 鄭 美來 托鉢係修道女Ⅱ 伊藤いずみ 見習い修道女 上原梨華子 奉仕修道女Ⅰ 川島玲子 奉仕修道女Ⅱ 水野菜津子 修道女[アンサンブル] 髙野月南 助演 中村湊人 合唱 磯﨑康陽/寺田穣二/倍田大生 コレペティトゥア ⭐️小松 桃 ドラマトゥルク 小野寺彩音 演出助手 喜多村泰尚/冨澤麻衣子 舞台監督 福島達朗 舞監補佐 眞壁謙太郎 映像 荒井雄貴[(株)アライ音楽企画] 照明 芥川久美子[(有)ライトシップ] 衣裳 相川治奈 字幕監修 池田知徳 制作 鷹野景輔[統括]/ 柴田崇考 主催・制作 Novanta Quattro 助成 公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京【スタートアップ助成】
11/25 Sat 第36回新人演奏家コンクール受賞記念演奏会 @市川市文化会館小ホール 共演:藤原優花
11/24 Fri みんな知らない名曲コンサート Vol.2 @ハクジュホール 共演:岩崎香
11/23 Thu 笹原美香 あなたに届けるふくよかな秋 ソプラノコンサート @盛岡市民文化ホール(マリオス)小ホール 共演:笹原美香、小野寺光
11/22 Wed 安さんぶるChainon 第2回公演「幸せの環コンサート」 @豊洲シビックセンターホール 指揮:安藤由布樹、河原義 ピアノ:河原義、小松桃⭐️ ソリスト:馬場津也子、野口満寿美、加護友也、奥秋大樹
11/20 Mon エルネスト・パラシオ氏による新進歌手育成/カルメン・サントーロ氏によるコレペティトゥア育成披露演奏会 @テアトロ・ジーリオ・ショウワ 共演:マスタークラス受講生
11/19 Sun 13:30~ 第60回蕨市文化祭 蕨市合唱連盟創立60周年記念 第60回市民合唱祭 @蕨市民会館コンクレレホール 指揮:河原義 合唱:ひがし混声
10/22 Sun 令和5年度 公共ホール音楽活性化事業 上田純子ソプラノ・コンサート @名護市民会館中ホール 共演:上田純子、宮城実咲
10/20 Fri, 21 Sat 令和5年度 公共ホール音楽活性化事業 交流プログラム @嘉陽海岸、名護市民会館テラス、轟の滝、三育中学校校庭(沖縄県名護市) 共演:上田純子
10/15 Sat 第9回いちフェス2023 @八幡一番街商店会 ステージイベント《ケイアーツ》 共演:田中未来、新井健士
10/07 Sat 第76回岩手芸術祭総合フェスティバル @トーサイクラシックホール岩手(岩手県民会館) 大ホール 共演:阿部泰洋、岩手県立盛岡第一高等学校音楽部
10/05 Thu レクチャーコンサート @岩手県立不来方高等学校 演奏室 共演:阿部泰洋
10/03 Tue 東京都健康プラザハイジア30周年記念感謝イベント 東京音楽コンクール入賞者による声楽コンサート @ハイジア1Fアトリウム&アートウォール 共演:上田純子、寺田功治
09/30 Sat シバムジークサロンコンサートvol.3 @紀尾井町サロンホール 共演:岩崎香、依光ひなの、荏原孝弥、阿部泰洋
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「港まちアートブックフェア」
明日から開催の「港まちアートブックフェア」に参加します。私は展覧会の記録集を2冊出品しています。ぜひお手に取ってご覧ください。
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港まちポットラックビル3Fでは「港まちアートブックフェア」がスタートします。今回はこれまで港まちと関わりのある方々をはじめ、アーティストやデザイナー、出版社、レーベルが手がけたアーティストブック、作品集、ヴィジュアルブック、ZINEなどの「本」が一堂に集まります。============
「港まちアートブックフェア2021」2021年6月29日(火)–8月14日(土)11:00–19:00休廊日|日曜・月曜・祝日会場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 3F:Exhibition Space.入場無料http://www.mat-nagoya.jp/exhibition/7299.html*本を手にとってご覧いただけるよう、お手荷物をお預かりします。*入場を制限する場合があります。*新型コロナウイルスの感染状況によっては、変更や中止の可能性があります。*会期中のイベント、最新情報については、ウェブサイト・SNSでお知らせします。企画|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]主催|港まちづくり協議会出品者|アートコート ギャラリー、Art Space & Cafe Barrack、青崎伸孝、Aoyama Meguro、AGAIN-ST、浅井真理子、浅田泰子、足立 涼、阿部航太、阿部大介/鷹野 健、有馬かおる/ちばふみ枝/ミシオ/池田璃乃、飯川雄大、井出賢嗣、今村 文、今村遼佑、IN SITU、上田 良、エクリヲ、江本典隆、ELVIS PRESS、O JUN、大田黒衣美、小川智彦、屋上とそらfree、小栗沙弥子、オル太、Curtain、加藤松雄・加藤 K、KANA KAWANISHI ART OFFICE、川口貴大、川村格夫、木村充伯、kumagusuku、GROUND、crevasse、CAVE-AYUMIGALLERY、小島邦康、小林真依、迫 鉄平、佐野友美、三輪舎、C7C gallery and shop、G文、Jグループ、シマウマ書房 鈴木 創、霜山博也・霜山 萌、刷音、進藤冬華、スウィート・ドリームス・プレス、鈴木ヒラク、須田真弘、夕書房、Tiny Splendor、タカ・イシイギャラリー、田口美穂、たちばなひろし、田中瑞穂×鵜飼聡子、谷 亜由子、谷澤陽佑、玉山拓郎、田村友一郎、タン・ルイ、CHI&ME、陳 楚翹、塚本南波、土屋未久、D.D.baseproject/今村 哲、this and that、寺脇扶美、Tokyo Art Research Lab(TARL)、torch press、冨井大裕、ナゴノダナバンク、NEUTRAL COLORS、NEW ERA Ladies、丹羽良徳、HAGIWARA PROJECTS、PARA BOOK PRESS、原 倫太郎+原 游、パルム書房、阪神大震災を記録しつづける会、ハンマー出版、ヒスロム、平山昌尚、福田良亮、福永 信+仲村健太郎、福永みくら、藤井昌美、藤田紗衣、古川あいか、ブレーカープロジェクト、星 拳五、堀 至���、ボン靖二、前畑裕司 / Norihito Hiraide、松本 力、Manila Books & Gift、三浦友里、三瓶玲奈、溝田尚子、三田村光土里、museum shop T、ミヤギフトシ、村上将城、MOTEL、morning service、もぐこん、本原令子、ヤノベケンジ、山城大督研究室、山田憲子、山村國晶、よはく舎、LIVERARY、Landschaft、リア制作室、RE/Search Publications、六根由里香============
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📸雪の銀閣寺(慈照寺)庭園(京都市左京区) Ginkakuji (Jishoji) Temple Garden (Snow), Kyoto ——If I were to visit Kyoto in the snow, I would go to Ginkakuji Temple!☃️ The Ginkakuji Temple is a World Heritage Site and National Treasure with its architectural roots in the Higashiyama-den Hall built by Ashikaga Yoshimasa, the 8th Shogun of the Muromachi Shogunate, and a Japanese garden designated as a Special Place of Scenic Beauty. Three "Amis" left their mark on the history of the garden... Soami, an artist of the Muromachi period, Zenami, a gardener, and Taiami Tanaka, a gardener of the Showa period. ——私は雪の京都なら“銀閣寺”派!☃️ 室町幕府8代将軍・足利義政 が造営した“東山殿”をルーツとする世界遺産・国宝の建築と、“庭の国宝”国の特別名勝に指定の日本庭園。 その庭園の歴史に名を残す3人の“阿弥”…室町時代の芸術家・相阿弥、庭師・善阿弥 、そして昭和の庭師・田中泰阿弥 。 今日は京都も暑かった…! けれどまだ雪シリーズ、続きます… ———————— ▼他の写真や解説のつづきは @oniwastagram のプロフURLかこのURLから。 For more photos and commentary, please visit @oniwastagram 's profile URL or this URL. https://oniwa.garden/ginkakuji-temple-kyoto-snow/ ———————— #worldheritage #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifulkyoto #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #landscapedesign #kyototemple #庭院 #庭园 #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #京都雪 #京都雪景色 #雪の京都 #世界遺産 #足利義政 #相阿弥 #善阿弥 #田中泰阿弥 #国宝 #おにわさん (Ginkaku-ji) https://www.instagram.com/p/CokJX_DP6ke/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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武漢熱騒動とアメリカ大統領選でわかった事
保守(リアリスト)
櫻井よしこ、青山繁晴、花田紀凱、長谷川幸洋、高橋洋一、上念司、ケントギルバート、長尾���かし、寺島尚正、反町理
宮崎哲弥、筆坂英世、武田邦彦、原英史、石川和男、掛谷英紀、江崎道朗、須田慎一郎、田中秀臣、生田よしかつ
ボギーてどこん、小野寺まさる、木村もりよ、宮沢孝幸、阿比留瑠比、石橋文登、田北真樹子、足立康史、和田政宗
竹田恒泰、張本勲、桧山進次郎、居島一平
パヨク(論外)
田原総一朗、関口宏、池上彰、青木理、玉川徹、金平茂紀、寺島実郎、田中秀征
森永卓郎、田嶋陽子、田中優子、香山リカ、谷口真由美、津田大介、三浦瑠麗、荻上チキなど
チョンと支那のスパイ
桜井誠こと高田誠とその信者(日本第一党)、しばき隊
似非保守(ドリーマー)
百田尚樹、有本香、藤井厳喜、石平、加藤清隆、門田隆将、飯山陽、西村幸祐、
藤原直哉、坂東忠信、篠原常一郎、及川幸久、一色正春、くつざわ亮治、深田萌絵
竹内久美子、仲田洋美、橋本琴絵、大高未貴、我那覇真子
デュープス(論外)
辛坊治郎、竹中平蔵、爆笑問題太田、坂上忍、ウーマン村本、オリエンタルラジオ中田
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【福井県謡曲古跡めぐり若狭/嶺南編】13箇所目 2021/3/18
能「鉄輪」「泰山木」「泰山府君」
《福井県大飯郡おおい町名田庄納田終》
土御門家遺跡
「泰山府君」が金剛流に在ります。めったに上演されない珍しい謡曲です。中国の泰山に住む府君という鬼神は、日本の閻魔大王みたいな神で、人間の寿命をつかさどります。ワキの櫻の好きな櫻町大納言は、櫻の余りに短い七日の命を惜しんで、泰山府君の祭りをして延命を祈ります。シテ泰山府君の神は現れ、花の命を三七日まで延ばしてくれます。
泰山府君の神は陰陽師の神でも在り、ここ納田終の加茂神社に泰山府君が祭られています。日本でここ只1社との事です。近くに土御門家(安倍家)の墓があります。31代32代33代の安倍氏です。
観世流で謡曲「泰山木」が復曲されたようです。
安倍(土御門)家が、この名田庄と関わりを持ち始めるのは、土御門文書によると正和6年(1 3 1 7)12月13日に花園天皇より「泰山府君祭料地」として安倍有弘に御綸旨を賜った事により始まる。慶長年間までこの地に在居する。
陰陽道の最有力家系の一つであった安倍家が、おそらく南北朝時代頃より、名田庄上村を領有し、戦国動乱以降、本宗家の人たちが、ほとんどここに居住するに至った結果、必然的に文化的な大きな影響力をこの山村に及ぼすこととなった。信仰上においても、加茂・貴船等陰陽道に関係深い諸社が、早くからこの地に勧請され奉祀されていた。加茂社においては、今日なお、大膳大食祭・御殿祭・御飯踏・芝走・御神楽(祓)山口講等数々の奇祭が行なわれているが、これらはふつうの神社神道ではみられない、陰陽道独特の儀式行事であるといわれる(藤田氏著前掲書)。
しかも陰陽道関係の信仰として、���りわけ注目すべきは、泰山府君信仰である。さきにもふれたように、上村に来往するに至った有宣は、屋敷の一角に小祠を建て泰山府君を祭り、祠中に暦書を収めたといわれる。この信仰については、下学集によれば、泰山府君そのものは、本地は地蔵菩薩であり、天に在っては輔星といい、地においでは泰山府君といわれるとされる。倭訓栞によれば、閻羅王は地獄において天子の如く主宰者であったのに対し、府君は書記の如き補佐官であったともいわれる。
元来は中国山東省の泰山の神で、ここに死者の魂が来住するとして、信仰するものである。道教系の信仰であったのが仏教とも習合され、閻魔大王の一族とか、分身とされ、人間の生前から行為の善悪邪正を記述する記録官とされた。陰陽家のとくに祭るところであり、生命をのばす延命神乃至は長寿神として祀られてきた。
泰山府君祭は、日本においては平安中期以後、陰陽師の祭るものとして重要視されており、祭る際の祭文は、泰山府君都状といった。これには本人の姓名年齢と供物の目録とを注し、泰山府君の冥道諸神に対し、禍を除き福を求める一種の願文のようなものである。すでに早く永承五年(一〇五〇)には後冷泉天皇、永久二年(一一一四)には藤原為隆の都状が出されており、ともに朝野群載巻第十五陰陽道条に収められている。
今昔物語巻十九には、安倍晴明がある僧の病気平癒を祈るさい、弟子の僧が身代りとしてその名を都状に記すことを快諾したが、師と弟子ともに祭の効験により、命が助かったことがみえる。この祭は、おそらく平安中期以降行なわれることとなったらしい(斎藤励著王朝時代の陰陽道)。
谷川左近家にも、中世の都状数通を所蔵しているので、そのすべてを史料編にかかげておこう。
陰陽家としでの安倍家が、泰山府君祭に行事の大きな比重をおいていたことは、否定できない。
中国・泰山の守護神「泰山府君尊神」を祀った社跡。歴代中国の皇帝がこの神を信仰した。遣店留学生として唐に学んだ安倍仲麿が、吉備真備に託して安倍家の守り神として日本に伝えたもの。
奈良朝・平安朝頃から、朝廷や上流貴族たちの信仰が厚く、一般庶民の信仰は許されなかった。宮中と安倍家だけに祀られていたが、正中の変・応仁の乱により京の都は兵火に見舞われ、公家たちはそれぞれ難を逃れ、安倍家も勅許の御倫旨を得て、すでに安倍家の荘園であった。この地に居城を構え泰山府君を奉祀し、伊勢神宮の諸祭儀・朝廷と国家の安穏・五穀豊穣等を訴願した。
後に一般にもこの神の信仰が許され、長寿の神として崇められた。『源平盛衰記』に桜町中納言が泰山府君に桜の花の延命を祈願した話もあり金剛流の能「泰山府君」でも伝承されている。
『博物誌』に「泰山の神は人の生命の長短を司る」と記されており、歴代天皇や将軍が新しく即位や、宣下に必ず「泰山府君祭」(天冑地府祭)を行った。また、泰山府君は閻魔大王の化身とも、脇侍ともされている。今は、加茂神社と上御門殿に祀られている。
また加茂神社の鳥居前には閻魔大王など十王を祀った十王堂(地王堂・地蔵堂)もある。
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《中国文化常识》、《中国历史常识》和《中国地理常识》是由中华 人民共和国国务院侨务办公室组织北京华文学院、南京师范大学和安 徽师范大学编写的一套汉语教学辅助读物,供海外华裔青少年通过课 堂学习或自学的方式了解中国文化、历史、地理常识,同时供家长辅 导孩子学习使用,在海外反响很好。近年来,随着中国经济社会的迅速发展和国际影响的不断扩大, 海外学习汉语的人数,尤其是非华裔汉语学习者人数大幅度增加。为 了进一步适应广大海外汉语学习者了解中国文化的需求,促进中外文化 交流,中华人民共和国国务院侨务办公室授权中国国家汉语国际推广领 导小组办公室对《中国文化常识》、《中国历史常识》和《中国地理常 识》进行改编。《中国文化常识》、《中国历史常识》和《中国地理常识》改编本是 一套面向世界各国汉语学习者的普及型、口语化的文化辅助读物,适 用于海外对中国文化和汉语感兴趣的各类人员。在中华人民共和国国 务院侨务办公室编写的中英文对照版基础上,此次改编增加了中文与 德、法、日、韩、俄、泰、西班牙、阿拉伯语的对照版本。中国国家汉语国际推广领导小组办公室委托高等教育出版社对《中国 文化常识》、《中国历史常识》和《中国地理常识》进行改编,高等教育出 版社对原书的部分内容进行了增删,修订了部分数据,重新遴选和修改了插 图,并翻译出版英、德、泰语版本;外语教学与研究出版社翻译出版法、 日、韩语版本;华语教学出版社翻译出版俄、西班牙、阿拉伯语版本。此 次改编力求在原书强调科学性、思想性和实用性的基础上做进一步创新。 希望本系列读物成为您了解中国的窗口,成为您通向汉语世界的桥梁。此次改编得到了海内外诸多专家、学者和教师的关心与支持,他们 提出了许多中肯的建议,在此向他们表示诚挚的谢意。由于时间所限,书中不免会有疏漏和不当之处,希望使用者和专家 学者不吝赐正,以供今后修订时改正。中国国家汉语国际推广领导小组办公室 2006年11月
中国历史的开篇
先秦
概 述秦始皇统一中国以前的漫长的历史时期。
大约在170万年以前,中国人的祖先就生活在云南的元谋县境内,我们把这作为原始社会的开端。约公元前2070年,中国第一个王朝夏朝建立,其统治时间长达400多年。
第二个王朝是商朝,也叫殷(YUn)朝(因为商朝初年,多次迁都,最后迁到殷——今河南安阳,并在那里统治了300多年)。商朝是当时世界上的一个大国,统治时间长达500多年,留下了甲骨文、青铜器等许多极其珍贵的史料和文物。
第三个统一的王朝是西周,都城在今天的西安。后来西周的都城被少数民族攻占,周王室被迫迁都到今天的洛阳,历史上叫做东周,西周与东周的时间共约800年。东周分为春秋和战国两个时期。春秋时期,国家分裂成许多小国;到了战国时期,形成了7个力量强大的国家,这些国家通过改革进入了封建社会,并为后来秦国的统一打下了基础。
与世界历史对照,当古埃及、古巴比伦、古印度文明发展进步之时,中国正经历文明勃兴的夏、商、西周王朝。当欧洲希腊、罗马城邦国家繁荣之时,正是中国春秋战国思想文化昌盛的时代。东西方文明交相辉映,地中海地区和中国,逐渐形成世界两大文明的中心。
中国境内最早的人类元谋人(距今约170万年,目前中国境内发现的最早的直立人) YuanmouMan(datedbacktosome1700000yearsago,theearliesthumanbeingseverfoundinChinasofar)蓝田人(距今约100万〜50万年,已经完全直立行走)
LantianMan(datedbacktoabout1000000and500000yearsago,wasabletowalkuprighton2feet)北京人(距今约70万〜20万年,懂得用火和制作、使用石器)
PekingMan(datedbackto700000and200000yearsago,skilledatmakingfire,makingandusingstonetools)
山顶洞人(距今约18000年,相貌已经和现代人没有明显区别,“假若给他们穿戴上现代人的服饰和我们站在一起,谁也不会用奇异的眼光多看他们一眼。”)
UpperCaveMan(datedbacktoabout18000yearsago,resembledmodernhumanbeingsinappearance)中国是世界文明古国,也是人类的发源地之一。中国到目前为止是世界上发现旧石器时代的人类化石和文化遗址最多的国家,其中重要的有元谋人、蓝田人、北京人、山顶洞人等。 1987年12月,发现北京人头盖骨的周口店北京猿人遗址被联合国教科文组织列入世界遗产名录. 1. 北京人头盖骨和元谋人牙齿
TheskullofPekingManandtheteethofYuanmonMan
2. 山顶洞人头部复原图
AreplicaoftheheadofUpperCave Man
3. 北京人头部复原图
AreplicaoftheheadofPekingMan小资料Data
旧石器时代原始人用石块敲打出来的石器叫打制石器,使用这种石器的时代就叫做旧石器时代。旧石器时代经历了二三百万年,那时人们过着采集和渔猎的生活。新石器时代大约从八九千年前开始,原始人已经普遍使用磨制石器。使用磨制石器的时代叫新石器时代。磨制石器更为先进和好用,能够提高原始人的生产水平和生活水平。新石器时代已出现农业和牧业。
开天辟地的创世神话
TheGreatMythoftheCreationofManinAncientChina1. 神农氏像
AportraitofShennongshi
2. 伏羲氏像
AportraitofFuxishi
3. 伏羲六十四卦方圆图
Fuxi'sdiagramof64divinatorysymbols我们人类的祖先究竟是从哪里来的?
据说在很久很久以前,天和地是混混沌沌的一团气,像个大鸡蛋。有个叫盘古(PWngL)的人,用巨斧把天地劈开,他站在天地中间,手托着天,脚踩着地,他不断地长高,把天托得越来越高,把地踩得越来越低。这样过了一万八千年,天和地相隔九万里,盘古也成了顶天立地的巨人。盘古死后,他的眼睛变成了太阳和月亮,四肢变成了山脉,血液变成了江河湖海,筋脉变成了道路,肌肉变成了田土,头发和胡须变成了天上的星星,皮肤和汗毛变成了花草树木,牙齿和骨头变成闪光的金属、坚硬的石头和圆亮的珍珠玉石,他流出的汗水变成了雨露。特别是他身上的许多小虫子,变成了人类。这就是盘古开天地的传说,是中国人世代流传下来的创世神话。
还有很多神话传说是古人根据原始人的生活想像出来的。比如教人在树上造屋的有巢氏(YGuchWoshK),钻木取火的燧人氏(SuKrRnshK),教会人们打猎、发明了“八卦”的伏羲(FPxUshK),种植五谷、品尝百草寻找药材的神农氏等等。他们是远古人战胜自然、改造自然的象征,是勤劳智慧的古代中国人的代表。
华夏之祖黄帝和禹传说时期地域示意图SketchMapoftheLegendaryPeriodofHuangdiandYutheGreat
1. 湖南株洲炎帝陵 YandiMausoleum,Zhuzhou,HunanProvince
2. 贵州镇远蚩尤陵 ChiyouMausoleum,Zhenyuan, GuizhouProvince
3. 指南车Asouth-pointingchariot中国人常说自己是“炎黄子孙”,这个说法跟传说中的人物黄帝和炎帝有关。大约4000多年以前,中国黄河流域一带生活着许多氏族和部落,黄帝、炎帝就是两个最有名的部落的首领。
当时在东方还有一个叫九黎的势力强大的部落,九黎部落的首领叫蚩尤(ChUyYu),十分强悍。九黎族人会制造各��各样的兵器,打起仗来非常勇猛,常常进攻别的部落。
传说蚩尤部落为了扩大自己的地盘,同炎帝部落发生了战争。炎帝部落被杀得一败涂地,向黄帝求援。黄帝早想除掉蚩尤,就与炎帝联合起来,在涿鹿(ZhuTlM,今河北省境内)的广阔原野上与蚩尤展开了大决战。激战之中,忽然天昏地暗,大雾弥漫,连对面的人也看不见。黄帝使用指南车,帮助士兵识别方向,追击蚩尤,结果蚩尤被捉住杀死。
涿鹿之战后,黄帝和炎帝两个部落为了争夺对其他各部落的领导地位,又发生了冲突,炎帝部落大败,从此黄帝成了中原地区部落联盟的首领。中原地区各部落在语言、习惯、生产、生活等各方面的交流逐渐加强,经过长期的融合和发展,形成了华夏族的主体。
华夏族是汉族的前身,是中华民族的主要组成部分。华夏族把黄帝、炎帝看做自己的祖先,称自己为“炎黄子孙”。直到今天,汉族人和许多兄弟民族还习惯这么说。
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅷ
花鳥誌2024年8月号より転載
日本文学研究者
井上 泰至
14 道のべに阿波の遍路の墓あはれ
初出は『ホトトギス』昭和十一年四月号「句日記(昭和十年四月)」。「四月二十二日。風早西ノ下に句碑を見、鹿島に遊ぶ。伊豫松山、黙禅邸。ホトトギス会」と前書き。『五百句』にほぼ同文の注記あり。
この句の詠まれた事情については、『ホトトギス』昭和十三年十二月号巻頭に虚子自身が書いた「阿波のへんろの墓」の一文がある。虚子が新田宵子夫妻・池内友次郎夫妻・高濱(当時)章子と故郷西ノ下を訪ねた消息を書いたものである。まずは決まって訪れる大師堂の大きな松に佇み、裏手にある「阿波のへんろの墓」を確認したが、なかったのであった。虚子の証言によれば、江戸時代の標準的な書体である御家流で書かれた古いものであったという。
虚子は碑が無くなっているのを嘆きつつ、恐らく行き倒れの曰くなどがあろうことを想起し、子供時代に目撃した遍路の一行を回想している。二、三歳の頃、遍路の女に抱き上げられ、大師堂まで連れていかれた想い出を語り、おそらくその女は、自分と同じくらいの子供を無くしていたのだろう、と語っている。このエピソードは、その後自分の人生を振り返った『虚子自伝』(昭和二三年刊)でも書き記されており、虚子のふるさとの記憶として刻印されていたことがうかがえる。
「遍路」は『ホトトギス』雑詠欄によって季題になった。一見古そうに見えて新しい季題である。西村睦子『「正月」のない歳時記』(本阿弥書店)によれば、大正十三年に三句登場して以来、昭和九年までに二六〇句も載る人気の季題となったと指摘されている。虚子が季題を選んだ改造社版『俳諧歳時記』春の巻(昭和八年刊)に、虚子の詳しい解説と例句の二七が確認でき、出典はすべて『ホトトギス』からである。虚子編『新歳時記』(昭和九年刊)にも同様に詳しい解説付きで立項され、例句二二を数える。つまり、伊予出身の虚子によって「遍路」は季題になったのであり、この句はその例句として加えられ、そのトドメを打ったのである。
『俳諧歳時記』の解説につけば、春の、しかも女性の景物としてのこの季題のイメージが確認できる。弘法大師の巡礼にあやかって、四国に散在する八十八か所を順拝する全道程一二〇〇キロ、日数四〇日余りを要する。宗旨・老若男女を問わず、服装は軽いが、三月から四月の季節がよくなる時期に、菜の花・青麦・紫雲英の鮮やかに彩られた道をぞろぞろと通る。この風景との一体化が単なる「巡礼」でなく、季語としての「遍路」の拠って立つところであると特記する。
特に若い娘たちは華やかなセルの着物に、白木の納札挟みを胸高にかけ、鬱金や浅黄色の手甲脚絆をつけ、同じ色の姉さま冠りの上に真っ白な菅笠をかぶり、緋の腰回しもあらはに裾を端折り、白木の杖をついた姿を虚子は詳細に活写している。高濱年尾の次の句などは、この虚子が特記した美しさの方に拠ったものであろう。
お遍路の美しければあはれなり
虚子の句にもどれば、山本健吉『現代俳句』に的確な評がある。まず「遍路の墓」とだけあって無名であることがかえって叙情を増すこと、「阿波」の地名から、浄瑠璃でよく知られた、長年別れた母と出会うもそれと気づかない巡礼お鶴(「傾城阿波之鳴門」)の連想で、子別れの哀話が想像されることを指摘する。
さらに健吉は重要なことを言っている。「遍路の墓」そのものに、春の季感はない。むしろ春の季語「遍路」が置かれることで、子供時代の春遍路の記憶と現在��春とが結び合わされるのであって、新興俳句の中でも有季定型を守った水原秋櫻子の流れの季感主義を批判している。季語は言葉そのものに意味があるのか、言葉の背後にある季感に意味があるのか? これは有季定型俳句の一大論点である。
過剰な、「今」「此処」にこだわる季感主義では、この虚子の句などは取り落とされてしまう。言葉が残ることによって、過去の季感を学び、それを想起し、対話する。下手をすると昨今頻出する「昭和の日」俳句の甘い回想句の氾濫のような惰性に堕ちてしまうのだが、言葉の由来や歴史性を無視しては、多くの俳句の財産を無くすことも自覚しておくべきだろう。掲句はその文脈において、今日重要な意義を持っていると言えよう。
15 白酒の紐の如くにつがれけり
この句の成立は若干の問題を含む。『ホトトギス』昭和二十年六月号の「句日記(昭和十九年三月)」には、「三月四日句謡会。鎌倉要山、香風園」の前書に「白酒の餅の如くに濃かりけり」「瓶のまま白酒供へ雛は粗画」と併記される。
しかし、『六百句』には、前日の「(昭和十九年)三月三日 家庭俳句会。日比谷公園。丸之内倶楽部別室」と注記され、〈洋服の襟をつかみて春寒し〉と共に掲載される。
「句日記」では、「洋服の」の句の他、「春草を踏まえて鳩の足あかし」「斯く行けば春風寒し斯くは行く」「その中に大樹芽ぐは物々し」といった吟行句が並び、「白酒」句はない。
すなわちこの句は当初、雛祭を題詠的に詠んで四日の鎌倉の句会に出したものだったが、後に三日の家庭俳句会での作、ということにしてしまったものなのである。
虚子の句集における注記は、必ずしも実際に忠実なわけではなかったことが知れるが、これは掲句を三日の発表ということにした方が、効果があると考えたからであろう。なお、家庭俳句会は、婦人俳句会などとともに『ホトトギス』に立ち上げられた、女性中心の句会で名句が多く生まれている(『俳壇』二〇二四年七月号「座談会」(西村和子・井上・堀切克洋)。そのこともこの発表時期の変更という「操作」の理由ではなかったかと思う。
掲句は、端的にして的確な比喩によって、「白酒」の様態を鷲つかみにした写生句で、間然とするところがなく、名句としてはよく引かれるものの、解説は意外に少ない。
ポイントは「白酒の」の「の」である。これが「や」では、なぜいけないか?「や」「けり」と切れ字が重なることを嫌ったのは、すぐわかる。
降る雪や明治は遠くなりにけり 中村 草田男
この句のように上五とそれ以下の間に「飛躍」があるなら、切れ字が重なっても問題はないが、「白酒」の句は典型的一物仕立てで、「や」では煩い。
「の」の効果はそれだけではない。「紐の」と「の」を畳みかけることで、「白酒」の様態に焦点を当てることができる。
鴨の中の一つの鴨を見てゐたり この庭の遅日の石のいつまでも 蛍火の今宵の闇の美しき 立秋の雲の動きのなつかしき
以上のような虚子の作例につけば、上五の下に「の」を軽くつけて、以下で「の」を繰り返して、リズムを作り、対象にフォーカスを当てていったことに気づかされる(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
「白酒」の句の主題は、液体の動きにあるので、「つがれけり」と用言でまとめた。虚子は「眼」の詩人ではあるが、これをことさらに強調せず、さりげなく、品よく提示してみせる。鷲づかみの「写生」にありがちな生々しさを包むデコレートの感覚(井上「品格ある写生」『俳句』二〇一九年四月号)こそ、作家虚子の「写生」を代表するものとして、ここに指摘しておきたい。
*先月号記事に脱落がありました。「紅梅の苔は固し不言」の句は『ホトトギス』九年二月号で『五百句』同様「二月二十二日。臨時句会。発行所。」と前書きされています。記してお詫び申し上げます。(筆者)
『虚子百句』より虚子揮毫
15 白酒の紐の如くにつがれけり
16 紅梅や旅人我になつかしき
国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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[November] J-Actors Birthday Calendar
♪ November 1st
◎ Hashimoto Taito 橋本汰斗 1991
◎ Ochi Yuuki 越智友己 1990
◎ Shirasu Jin 白洲迅 1992
♪ November 2nd
◎ Menjou Kentarou 校條拳太朗 1990
◎ Mizue Kenta 水江建太 1995
◎ Ryusei 1994
◎ Takane Masaki 高根正樹 1993
◎ Tomita Masanori 冨田昌則 1972
◎ Yoshida Shougo 吉田翔吾 1992
♪ November 3rd
◎ Sakiyama Tsubasa 崎山つばさ 1989
♪ November 4th
◎ Matsukawa Daisuke 松川大祐 1997
◎ Nakashima Daichi 中島大地 1988
♪ November 5th
◎ Nakajima Takuto 中島拓斗 1994
◎ Taniguchi Masashi 谷口賢志 1977
◎ Tawada Hideya 多和田任益 1993
♪ November 6th
◎ Kento 健人 1993
◎ Sunaga Fuuta 須永風汰 1992
◎ Watanabe Daisuke 渡辺大輔 1982
♪ November 7th
◎ Hagiya Keigo 萩谷慧悟 1996
◎ Nasuda Yuudai 奈須田雄大 1994
◎ Tsukamoto Takuya 塚本拓弥 1975
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◎ Shimotsuki Yukari 霜月紫
◎ Shirakashi Judai 白柏寿大 1993
◎ Tominaga Yuuya 富永勇也 1994
◎ Yamaki Takanori 八巻貴紀 1992
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◎ Hayashi Akihiro 林明寛 1987
◎ Kido Yuuya 木戸邑弥 1992
◎ Ogasawara Hiroaki 小笠原大晃 1982
◎ Ookuchi Kengo 大口兼悟 1981
◎ Yamaguchi Kei 山口渓 1996
♪ November 10th
◎ Ayuba Shuri 阿由葉朱凌 2004
◎ Kikuchi Shuuji 菊池修司 1995
◎ Machida Naoki 町田尚規 1992
◎ Yabuki Takuya 矢吹卓也 1986
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◎ Chiba Kouta 千葉冴太 1997
Kiyama Ryuu 輝山立 1992
◎ Yasukawa Junpei 安川純平 1992
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◎ Ikegami Shouma 池上翔馬 1984
◎ Mikami Shun 三上俊 1981
◎ Takasaki Shungo 高崎俊吾 1992
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◎ Ishida Shuusaku 石田周作 1985
♪ November 14th
◎ Oono Takurou 大野拓朗 1988
◎ Taka 1993
◎ Yamauchi Keisuke 山内圭輔 1991
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◎ Hongou Kanata 本郷奏多 1990
◎ Iizumi Manabu 飯泉学 1986
◎ Zaiki Takuma 財木琢磨 1992
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◎ Arata Makkenyuu 新田真剣佑 1996
◎ Nagayama Takashi 永山たかし 1978
◎ Yata Yuusuke 矢田悠祐 1990
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◎
♪ November 18th
◎ Hirano Masafumi 平野雅史 1985
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◎ Yuuki Kazuya ���城伽寿也 1993
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◎ Aomine Yuuki 青峰佑樹 1991
◎ Matsuda Gaku 松田岳 1992
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◎ Ishii Mark 石井マーク 1991
◎ Yokoyama Masafumi 横山真史 1986
♪ November 22nd
◎
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◎ Date Kouji 伊達幸志 1987
◎ Ichinose Ryuu 一ノ瀬竜 1997
◎ Iwanaga Hiroaki 岩永洋昭 1979
◎ Kako Rion 加古臨王 1980
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◎ Itou Sumiya 伊藤澄也 1993
◎ Shitara Ginga 設楽銀河 2002
◎ Yoneyama Yuuta 米山雄太 1981
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◎ Atae Shinjirou 與真司郎 1988
◎ Izawa Yuuki 井澤勇貴 1992
◎ Miki Takafumi 三木崇史 1985
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◎ Hayashi Shuuji 林修司 1979
◎ Tsuji Ryou 辻諒
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◎ Kanegae Kou 鐘ヶ江洸 1992
◎ Matsumura Taiichirou 松村泰一郎 1986
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◎ Furuta Kazuki 古田一紀 1995
♪ November 30th
◎ Yuasa Masayuki 湯浅雅恭 1993
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