#王舎城の悲劇
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仏教最大の悲劇である王舎城の悲劇について、非常に詳しく解説されている。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止��援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射��届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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浄土三部経(じょうどさんぶきょう) 無量寿経(むりょうじゅきょう) 観無量寿経(かんむりょうじゅきょう) 阿弥陀経(あみだきょう) 無量寿経(むりょうじゅきょう、大経だいきょう) 西暦100年ごろ北西インドで編纂(へんさん)されたと推定される。 過去久遠(くおん)の昔、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)が無上なる悟りを得ようと志し、生きとし生ける者を救済するための本願として四十八願をたて、途方もなく長い間修行を重ねたのち本願を完成して、いまから十劫(じっこう)というはるか以前に阿弥陀仏(無量寿仏)となり、現に西方の極楽(安楽・安養(あんにょう))という世界(浄土)に住して説法していることを述べ、ついで 極楽浄土の優れたしつらい(荘厳)を詳しく描写し、 この極楽への往生を願う人々を上・中・下の3種類(三輩)に分け、 念仏を中心とした種々の実践法によっていずれも浄土に往生しうることを説き明かしている。 観無量寿経(かんむりょうじゅきょう、観経かんぎょう) 中央アジアでこの経典が成立したとみる説が行われている。 インドの王舎���(おうしゃじょう)(ラージャグリハ)において太子阿闍世(あじゃせ)(アジャータシャトル)が父王頻婆娑羅(びんばしゃら)(ビンビサーラ)と母后韋提希(いだいけ)(バイデーヒー)を殺害しようとした悲劇を機縁として、釈尊(しゃくそん)が韋提希の請いに応じて、 阿弥陀仏と西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)を観想するための13種の観法(かんぼう)を説き、さらに その浄土に生まれる9種のあり方(九品往生(くほんおうじょう))を3種の観法の形で示し、 あわせて16の観法によって浄土往生信仰を高揚したものである。 阿弥陀経(あみだきょう、小経しょうきょう) 西暦100年ころ北西インドにおいて成立したものと推定される。 阿弥陀仏(あみだぶつ)の浄土である西方極楽世界の優れた光景(荘厳)を描写し、 この浄土に往生するために阿弥陀仏の名号を一心��念ずること(念仏)を説き、 六方世界の諸仏もこのことを称賛しているとして、浄土往生思想を簡潔平易に明らかにしている。
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2022.9.1-9.15
↑これはロンドンで現像した赤羽の写真。 以下ほぼ写真日記。備忘録。
2022.9.1
Darhamの宿を出発。朝のパブ。
スーツケースで朝ごはん。
なんかヨーグルトに入れるオーツみたいなのの中にスプーン雑に入ってた。日本だったら絶対にスプーンでもう1包装あると思う。私は雑に入ってるのが好き。
今度こそ窓側取れた。 雲が低くて空がものすごく青い。丘が綺麗。 だけどやっぱり後ろ向きに進む。 座席の方向転換が出来ない仕様なのであれば、日本ならきっと上りの方向が前になると思う。しかしこちらはいずれもロンドン方面(進行方向)が背面だった。不思議だけど、まあそういうもんか、と順応し始める。
途中で原子力発電所みたいなのが見えたけどどこかはわからなかった。 シンプソンズで見たことある形。
ロンドンついたけど人多いのとスーツケース重くて疲れすぎてスーパーの寿司の写真しかない。
ゲストハウスに宿泊。 同室に日本人の名前を見つけたけど帰ってくる前に寝落ちした。 英語版『日常』5巻を読み始めた。
2022.9.2
エジンバラで撮ったフィルムが終わったので写真屋さんで現像に出す。 Googleマップを見ると近くに大英博物館があるようだったので、散策しながら向かった。
日本で絶滅したAeroを途中で見つけたのだけど、散策してる最中に全部溶けた。
めちゃいいつま先
モアイの体 cute
日本ブース(?)に三島由紀夫いた。
広すぎてまたしても諦めた。 朝から来れる日にまた来ます。
スーパーで夜ご飯を買って帰る。 生ハムが食べたかったけど、どれが生で食べられるのかわからなくてやめた。前日に見た寿司を買ってみた。Mini Tokyo salmon Set
部屋に戻ろうと思ったらベッドに鍵置きっぱなしだった。 「鍵を部屋に忘れました」の英語を覚えた。
明日、ロンドンに住んでる大学院の頃の同期の卒業公演を見に行くことになった。
2022.9.3
本当に家にする才能がある。
同期の卒業公演のプレビューを見せてもらった。 観客と俳優が交流をするタイプの上演形態で、ああ日本でしばらく見てない光景だ、とおそらく私1人だけ違うベクトルで胸がいっぱいになっていた。 上演作品自体もすごくよかった。”私たちにしか出来ない演劇”というものに立ち会うために非常に有効な劇場と人数だったと思う。
入り口のセキュリティーにビビりながら入ったお店で食べたアーリオオーリオ。パスタの種類わからなすぎて普通の頼んだつもりがきしめんだった。これがロンドンの普通麺なのか? おいしかったけど脂っこすぎておしまいになった。
帰宅してから共同スペースで作業してたらパーティが始まって困惑した。 金曜日の夜。
完全に残り体力が減っている。
2022.9.4
パッキングがクソ大変だった。朝から汗だく。 もう既にキャリーに入りきらなかったんだけどまじでなんでなの?エジンバラでバグパイプ買ったから?
チェックアウトして TATE Britain に向かう。宿から徒歩���内だということに前日に気がついた。
Cornelia Parkerの展示が良すぎて、朝のパッキングで既に溢れてたのに作品集を買ってしまった。
常設展示の方は一本道ではなく一部屋に4つ通路があって、ゼルダの伝説 時オカ版の迷いの森かと思った。サリアの歌が大きくなる通路がなかったので迷いました。
私��唯一自信を持ってできるモノマネ、ジャコメッティの彫刻があった。 めちゃいい。
ずっと実物を見たかった”Hope”。 想像以上に大きかった。 とてもいい場所に堂々と展示されていた。
描いた絵が展示になる部屋。迫り来る猫を描いた。
またマフィン食べた。
いよいよホームステイ先に移動。 緊張しながらバス���乗ろうとしたら、乗りたかったのがバス停に止まらない。イギリスでは手を上げないとバスは止まらないらしい。学んだ。 荷物も重すぎるしこれは楽しろということだな、と思い近くの駅からタクシーで向かう。
ホストファミリーがものすごく暖かく迎え入れてくれた。 大きい黒のラブラドールレトリバーもフガフガ私の匂いを嗅いでいた。 人生で good boy をリアルに言う日が来るとは思わなかった。
私の部屋は屋根裏部屋だった。憧れの天窓!
夕ご飯をホストファミリーとルームメイトと一緒に食べる。 ルームメイトのNarrimanはブラジル出身で、私の一つ下だった。「明日一緒に学校に行くから安心してね」「困ったことあったらなんでも聞いてね」とにこにこ優しくしてくれた。ありがたすぎる。
まじで不安だ…と思いながらみりんの安否を確認して就寝。
2022.9.5
初日。 ガイダンスを受けて午後から授業に参加。 チャイム鳴っても誰も来ない。何のチャイム?
学校終わり、ルームメイトがpubに誘ってくれた。 イギリス初飲酒はguinnessでした。
2022.9.6
Good boy の Billy どうして階段のすぐ下にベッドがあるんだ…?これは土足で跨いでいいのか…?と思いながら毎回通ってる。
キットカットがめちゃくちゃでかいし、チョコの味が全然違う。 ���物が安い。
相変わらずチャイム鳴っても誰もこない。何のチャイムなの本当に誰か教えて。
放課後、Narriと近所のpubへ。 夕飯前にでかいハンバーガー食べながら2時間恋バナした。
あとリアルのBless youを初めて聞いた。
2022.9.7
クラスメートがジャム挟んだクラッカーくれた。
ドイツ語とスペイン語の「さようなら」を覚えた。
放課後はMAMMA MIA!を見にロンドン市街地へ。 時間までNariとBig Ben周辺を散策。
ピーターパンだーーーー
ロンドンの空、ターナーが描く空に本当にそっくりでいちいち感動する。 彼はこの空を描いてたのか。
城?
城じゃん。 石造の建物はいいな。 歴史ある建築でここに来ること自体でテンシ��ンが上がる。
MAMMA MIA! は最高すぎて一場から爆泣きした。 カーテンコールでも爆泣きしてたらクラスメート達に抱きしめられた。 お芝居がよかったのは当然だけど、お客さんの観劇姿勢に感無量だった。客席の反応がすごく大きくて、舞台上と客席との交歓を感じて胸がいっぱいになってしまった。演劇を見ている!という感じがしたし、演劇のこういうところが好きだった、と思い出した。
2022.9.8
疲れすぎて何も写真がない。 普通に授業を受けて速攻帰宅して夕ご飯まで寝た。
夜中に現像した写真のデータが届いた。 色味が途中から変だった。 おそらく、日本から持ってきたので、空港のX線の影響だと思う。すごく綺麗だったエジンバラの空がうまく残せなかったのは残念だけど、これもその時を残してるのは一緒か、と思うことにした。
エリザベス女王が亡くなった。 「黒い服を着た方がいいですか?」と英語で聞くことになると思わなかった。これから10日間イギリスは喪に服すらしい。
2022.9.9
観劇しに市街地へ。 地下鉄や街中のモニター、お店の看板など、変えられるところはみなエリザベス女王に代わっていた。 けれど、それ以外は普通だった。喪に服すって、交通が止まったりお店が閉まったりするのかなと想像していたけれど、そうかあ、社会はそのまま回し続けるしかないよな、と思った。
観劇前に以前から気になっ��いたUZUMAKIというラーメン屋に寄ってみた。
どちらかというと全体的にAKATSUKIだった。 ラーメンは普通に美味しかった。 著作権どうなってる?と思う箇所が多々あったけど、これって著作権どうなってる?
見たのは”The Seagull” in ハロルドピンター劇場 客席の反応が日本と違いすぎて(再び)びっくりした。かなり終盤までみんな笑っていて、まじで…⁉︎という感じだった。私としては、マーシャとか可哀想すぎて全然笑えないのだけど、喜劇と悲劇は紙一重を真に感じた観劇体験だった。 ラストシーンが邪悪すぎて最高に素晴らしかった。
一体私は人生であと何回『かもめ』を見るんだろうか…。
2022.9.10
この日も観劇しに市街地へ。
バイオハザードの地下鉄?
この日は”FROZEN” めっちゃ真横の席だったし見切れてたけどとてもよかった。 小さいエルサがたくさんいて可愛かった。心なしか客席も全体的に水色だった気がするし、私も水色のニットを着てた。
古そうな天井に穴開けて吊ってる
ピンスポ
オケピ
こういうとこばかり見てしまう…。
休憩中、客席でアイスを売っていた。 飛ぶように売れていたしすぐ隣で売っていたので思わず買ってしまった写真。ブレすぎ。 ロンドンの大きな劇場の多くにBARが入っていて、お客さんはワイン瓶とグラスを片手に鑑賞している。歌舞伎スタイル。 観劇体験としてはめちゃくちゃ最高なのだけど、終演後の客席は映画館でも見たことないくらい食べ飲みのゴミが散らばっていてかなりの衝撃を受けている。この掃除だけでどのくらい手間と時間がかかるのか…と想像して怯える。 ドバイ→エジンバラの飛行機を降りる時も田舎のお祭りかと思うくらい荒れてて笑ったのを思い出した。
観劇後、ネガを受け取りにカメラ屋さんへ。 新しいフィルムを買いたかったのだけど、「今品薄で売ってなくて、来る前に電話してもらった方がいいかも。」と言われた。電話のハードルよ…。
夜は大学院の同期とご飯。 久々に対面で日本語を喋った。 タイ料理屋さんと日本食屋さんに行った。
2022.9.11
月曜日。 2人ともギリギリに起きてパンを食べながら登校。
放課後は、今週のお弁当の具材を買うために、普段行かない大きなスーパーに行った。
白いままのフィギュアがついていて、自分で着色するタイプの付録。
行ってみたスーパーに写真屋さんが入っていて、普通にフィルムを売っていた。
2022.9.12
何の写真もなかった。
サラミとほうれん草みたいな草とチーズをオリーブオイルと塩だけで食べるお弁当を編み出した。うまい。
2022.9.13
何の写真もなかった。2
Narriのカバンから無限に物が出てきたので、ドラえもんの「あれでもないこれでもない…」を見せた。私だー!と言っていた。 DORAEMONっていうのは未来から来た猫��ロボットで…という説明で既に面白そうなのすごすぎる。
2022.9.14
「劇場で出来ないことは何ですか?」と聞かれたのだけど、劇場で出来ないことなんてないのでは…?と宇宙猫になった末に出した苦肉の答え→「ペットの販売」 もしかしたら何かの基準をクリアしたら出来るのかもしれない。わからない。
フランス語ネイティブのChocolatを聞いてテンション上がる。
日本の夜ご飯タコス(?)とイギリスの昼ごはんin庭
放課後はライオンキングを見に行く予定だったので、再びNariと市街地の観光。 ロンドン塔を見て、Five guys へ。
新しい街と300年前の建物が共存している。 石造の建物と地震がない国、本当に素晴らしいな。
ロンドン市街地は、エリザベス女王の棺が到着したようで、物々しい警戒体制だった。大きい銃を持っている警官、やっぱりびっくりする。韓国の空港で見た時もカルチャーショックだった。
飛行機雲がいつもよりたくさん出ていた気がするけど、中継などで多く飛んでたのだろうか。
ライオンキングの最寄りの地下鉄、ホームまで階段で降りたら200段くらい永遠に螺旋階段で目が回った。 写真は疲れてる私を尻目に元気よく降りていくNariman
家に帰ったら、シーツを変えてくれたホストファミリーの手によって身代わり人形が堂々としてた。
2022.9.15
フランス語ネイティブのChamps-Élyséesを聞いてテンション上がる。
サラミとほうれん草みたいな草とチーズで作ったサラダ、毎日液漏れしてる。 タ���パーとジッパーをくぐり抜けて必ず液漏れしてくる。 液体強すぎる。
ガムを捨てるために破ったノートの余りをファイルに入れたらONE PIECEのビブルカードみたいになった。
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おわり
また気が向いたら書く
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2020.04.19
今日��休み。天気も良かったので朝起きてすぐにゴミ出しと洗濯と布団を干して掃除した。なんか衛生意識向上しているかもしれない。
その後、東京にある真宗会館日曜礼拝のYoutubeライブを見る。Twitterで教会がこっちから行くてきなのを読んだ気がするんだけど、まさにそんな感じだなぁと思う。日曜礼拝が家に来たって感じ。
法話で青年のエピソードに泣いたりしたけども、「あっ… そうか」と思ったのは、向こうから呼びかけられているってのに久しぶりにハッとした。念仏でも祈りでもなんでもいいし、たとえば読書でもいいんだけど、こっちから行ってる感じでやってたなぁと思った。実際は向こうから来てるし、呼びかけられてるし、問われているよなぁと。
で、昼寝。布団干したから気持ちが良かった。
夕方に、ラジオNHK第二の「宗教の時間 シリーズ観無量寿経をひらく1▽王舎城の悲劇―観無量寿経の背景と物語」を聞く。釈徹宗先生の話が面白かった。で、観無量寿経をひらいてみるとなんかイメージ湧きやすかった。
こういう状況下だと色々と考えさせられるってのもあるんだけど、純粋に楽しいなーとも思う。本来宗教なんてものは楽しいものではないと思うんだけどね。
そういえば、昼間に久しぶりに窓あけつつ線香を焚いたら部屋着が沈香くさい。
そんな一日だった。
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第36話 『旧き世に禍いあれ (4) - “悔恨"』 Catastrophe in the past chapter 4 - “Remorse”
これまでに起きたことを記録しておくべきだと感じ、ペンを取る。時間遡行を試みた結果に起こりうる事象の資料として、いつの日かこれが誰かの手に渡って、二度とこの愚行を繰り返さないための戒めとなってくれることを切に願っている。
この記録が日の目を見たとき、私がまだ生きているかどうかは定かではない。私はグレーテル。精霊術、屍者蘇生、そして時間遡行を扱い、覇王の軍勢に抗う者のひとり。
時間遡行は成功した。
しかし、遡行の成功に伴って別の問題が生じたと現在は考えられる。
戻って来たフィリップの表情は、言葉を選ばずに言えば、恐ろしいほど腑抜けていた。穏やかと言えば耳障りがいいが、まるで赤ん坊のように無垢な、そしてひたすらに弱々しい印象を受けた。出立前の、激戦を生き抜いた祖父に似た鋭い眼光は失われていた。この変化の理由は後に原因が推察されたが、それについては後述する。
それ以外の変化として顕著だったのは、左腕が失われていた点だ。明らかに骨ごと委縮し変形しているようで、服の袖が余り、ぶらぶらと揺れていた。過去に幾人かの時空間研究者が犠牲となった密室変死のケースとの類似点が見受けられるため、フィリップもまた先人と同様に”猟犬”の襲撃を受けたものと即座に推察された。
彼は帰還後真っ先に、今がいつかを尋ねてきた。ふたりが言い合わせた年は一致したが、それによって余計にお互い強い違和感を抱える事になった。
フィリップは「随分と痩せた」と言った。
そも、背が低いという。
次いで、頬がこけ、出立前よりも年老いて見えると述べた。即座に今が何年かを確認したのは、その違和感からだったと判明した。
私から見てフィリップも変化していることを伝えると、フィリップは驚き、その後長い時間沈思黙考を貫いた。この時点で我々は、時間遡行に伴ってなにか、歴史あるいは互いの身に想定外の変化が生じたのではないかという事に気づき始める。
私も正直に、自分の知っているフィリップとは思えないと伝えた。
認識齟齬を埋めるために、フィリップと私は自分たちの過去についての確認を行った。
『覇王の侵攻』が起きたという事実はお互いに一致していたが、まずその時期が異なった。驚くことにフィリップは彼の成人頃に侵攻が始まったと主張した。彼は、50年前のブラストフォート城塞から侵攻が始まった事実とは異なる歴史を記憶していた。時間遡行出立前に、神の遺骸から得られる魔力から算出すると、遡れるのは丁度50年になり、覇王の侵攻がはじまる前後になるだろうと事前に確認していた筈だが、その確認も彼の記憶にはないようだった。
屍体は1体しか見つからなかったのか、と尋ねた。現在の戦力に当て、またあわよくばブラストフォート陥落を阻止する一助になるのでは、とブラストフォートでの覇王進攻が始ま���直前の手つかずの屍体を大量に回収する算段になっている筈だったからだ。
屍体の質こそ、中々お目にかかることの出来ない、完璧な屍体だった。筋骨隆々で栄養状態も良く、現在の世界でここまで栄養状態のいい屍体が見つかることなど、まずありえないと言えるほどだった。だが、送られてきた屍体は、1体だけだった。
1体目の屍体送信後、不測の事態に見舞われ、逃げ帰るように彼は現代に帰還してきた、との事だった。しかし、その話も判然しない点が幾つかあった。まず、猟犬の存在について、まるで未知の存在に襲撃されたかのように狼狽し、語った。あれほど出現に備えようと事前に準備していたにも関わらず、彼はそれ自体の記憶がなく、過去に持ち込んだはずだった捕獲用の水晶も、存在すら知らないという様子を見せた。
猟犬の問題はひとまず脇に置いて、過去の確認を進めた。
私達が生まれた頃、既に世界は混沌に包まれていた。覇王の侵攻は世界を蹂躙し、秩序は失われていた。Buriedbornesの術も確立され、誰しもが生き延びるために必死だった。生まれてきた私達も、当然のようにその術を学んだ。私に全てを伝えた両親は、間もなく隠れ家が屍者の軍勢の襲撃に遭い、呆気なく死んだ。襲撃を受けてすぐふたりの屍体は”奴ら”に仲間入りしたため、ふたりの屍体を戦力にすることは叶わなかった。屍体は資源だ。売り飛ばす者もいたし、盗む者も多かった。炉端に転がっている屍体は利用価値のない屑のような部位ばかりなので、死後間もない五体満足な屍体は、それだけで重宝された。
襲撃を生き伸びて、その後私はフィリップが属するコミュニティに拾われた。やがてそのコミュニティも覇王の軍勢による襲撃を受け壊滅したが、そのときでもふたりだけで生き延びた。
これが事実だ。
私の人生だ。
けれど、フィリップは首を振った。
一方で、フィリップが語る”私”の人生も、彼自身の人生も、私の知るそれとは全く異なるものだった。
彼は、私の全く知らない過去を語り始めた。
屍者が跋扈しない時代に生まれたこと、そこで人々が集まり安全に暮らすコミュニティで何不自由なく過ごしたこと、私たちが大学と呼ばれる学舎で知り合ったこと、卒業後は疎遠になっていたが、覇王進攻の際、逃げる中で再会し、お互いに生き延びるために手を取り合ったこと、など。
信じられなかった。フィリップは、覇王を退け、屍者が支配する前の世界を取り戻すために私達は戦ってきたのだ、と力説した。他の多くの認識の齟齬よりも、何よりもこの発言こそが私を動揺させた。覇王の軍勢は巨大で、底が知れない。地の底から湧く軍勢をどれだけ払い除けても、尽きる事はなかった。私達にできる事は、その攻撃に抗い、生き延びて、どうやって今日を明日をつなぐかを考える事だけだ。
フィリップは、現状に混乱しながらもなお努めて冷静さを保って、何がふたりのずれを生み出したのか、彼の仮説を語ってくれた。
彼曰く、私が今生きる時代は、”新しい今”なのだという。この場に立つフィリップは古い歴史、旧史からやってきたフィリップで、私がいる場所が、歴史改変によって生み出された新史なのだ、と。
それは一概に馬鹿げた主張だとは言い切れず、この異常な状況の説明ができるだけの筋が通っていた。
多くの点で認識は異なっていたが、私とフィリップが共通して認識していることは『出会い』『生き延び』『ふたりで屍者を使って戦い』、そして、『時間遡行でブラストフォート城塞へ向かった』ことだった。
当時の権威であるスヴェン博士は、ブラストフォート城塞の屍者襲撃で殺されたと言われている。当時の正確な状況の判断は困難だったが、事件以後に彼の消息は絶たれており、そこで没した事はほぼ間違いないとの事だった。あの日、城塞で何が起きたか、正確なことは伝わっていない。ただ、からがら逃げた人たちの証言を接ぎ穂のようにつなぎ合わせた情報しか残っていない。屍者が突然起き上がり、城は陥落した。その日を境に、世界中で屍者が起き上がり始めた。覇王の呪いが世界を支配し始めた契機になった日として、”ブラストフォートの悲劇”は語り継がれた。
スヴェン博士こそ所在は不明だったが、彼から託され城塞から持ち出された時空間研究の資料は、既に完成されたものだった。同輩の研究者たちは、その資料を元に研究を進めた。時間遡行技術は間もなく実用化され、多くの時間遡行実験が行われ、それらを最大限利用したのが、今回、私達が試みた大規模な時間遡行だった。
事前に、猟犬の存在は察知していた。
スヴェン博士の死から数年後、彼の資料を元に時間遡行実験を成した最初の研究者でありフィリップの師事したナイジェル氏が変死した。異臭の満ちた密室の研究室の中で、まるでしなびた蛹のように枯れて転がっていた。以後、幾人かの時間遡行実験を試みた者が相次いで同様の死を遂げ、フィリップは”時間遡行者を狙う未知の存在”を危惧していた。
帰ってきたフィリップは、その事も知らないと答えた。彼の知っているスヴェン博士は、侵攻の直前、今からおよそ20数年前に病死したと聞いている、との事だった。この点も、時間遡行がもたらした歴史の変化だろうか。
何故、異なる記憶を持つ、所謂『旧史フィリップ』が帰還してきたのか。フィリップの言葉を借りるなら、元いた同じ未来には戻ることが出来ないのではないだろうか。過去に戻って、過去���変えた結果、未来が変わり、過去に戻った者は変えられた後の未来に帰り着くのではないか。先行研究も少なく、実験に成功した者はナイジェル氏をはじめ、皆死んでいた。また、50年という長い時間を遡った前例もこれまでなかった。ただ、そうした先人達もまた、『旧史フィリップ』のように、戻ったことで改変された未来の地点に戻っていたのではないだろうか。ただ、遡行する時間が数分や数時間程度では、変わった事実など些細なものだったから、確認できなかっただけなのかもしれない。
『時間遡行を試みる』以前、私達は記憶のすべてを共有していたとフィリップは語った。時間遡行まではふたりとも同じ歴史の上に立っていたのに、遡行した先、ブラストフォートを起点に歴史は変化して、私は『新しい歴史の上に立つグレーテル』になったのか。旧史から遡行したフィリップだけが、新しい歴史に取り残されたのか。
そして、『私が見送ったフィリップ』が、遡行した先でまたさらに歴史を変えてしまうのではないか? そのフィリップを、今度はまた変えられた歴史の上に立った私が、待ち受けているのではないか?
彼が遡行して起きたことはすなわち、覇王の呪いの伝染ではないか。『旧史フィリップ』は成人頃、つまり20数年ほど前に、覇王の侵攻が始まったとしている。その呪いが、ブラストフォートに遡行したフィリップを媒介として伝染したと考えたら、この歴史の変化も説明がつくのではないか。
屍者の呪いは伝染する。生者を介しても伝染する。
一体何者が時間遡行者の命を奪っていたのか、一連の時間遡行を経て、そのひとつの回答を得られた事は、少なくとも後世にとっての収穫だったと言えるかもしれない。時間遡行者の前に現れ襲いかかる猟犬の存在、それは、歴史改変とはまた違った形で、時間遡行を試みる者の障害として立ちふさがるだろう。
これ以上、時間遡行をしてはならない。呪いは振りまかれ、古い時代に戻れば戻った分だけ呪いの始まりも遡ってしまい、人類を苦しめることになる。現状の打開策にはならない。
それが、私達ふたりが出した結論だった。
私は帰ってきたフィリップを別人だと感じたが、それはフィリップからしても同じことだったのだと思う。姿こそ共通点はあるものの、お互いが知るお互いとはそれぞれ違う人間になってしまっていた。けれど、私のよく知るフィリップも、きっと、今の私とはまた別の私と出会って、同じ重荷を背負っている事だろう。生き抜くためにとふたりで選んだはずの手段が、ふたりを引き離すことになろうとは、ふたりとも想像もしていなかった。
いいえ、もしかしたら、あえて目を逸らそうとしたのかもしれない。
フィリップは姿を消した。
帰還後、お互いこれまでのように一緒に戦おう、という気持ちには、ふたりともなれなかったように思う。それほどまでに、お互いが全く相容れない異なる存在に変わり果ててしまっていたように思う。少なくとも私は、帰ってきた彼と同じものを目指すことはできなかった。
彼は何も言わずに私の元を去った。何を思ったのか、その全てを言葉にはしなかったが、少なくともひとつだけ、「もう過去に戻ってはならない」という言葉だけは、今でも私の心に深く刻まれている。
あれからどれだけの時間が経っても、異臭を伴う化け物は、私の目の前に現れていない。スヴェン博士やフィリップやほかの研究者と違い、私自身は時間遡行を行ってはいない。今でも猟犬はフィリップを追っているのだろうか。彼はまだ生きているのだろうか。それはもうわからない。共にいれば私までその歯牙にかけられると、考えたのかもしれないが、定かではない。
ただ、たとえもう一度そのための手段を与えられたとしても、私はもう絶対に、過去に戻る事はないだろう。
我々は過去へ戻ってはならない。
これは確固たる事実だ。私の知っているフィリップがどうなったかは分からない。互いにそうだろう。私のところに帰ってきたフィリップの知っていた私は、未だにここと同じ場所で、戻ることのないフィリップを待ち続けているのだろうか。それとも、同じようにどこかの未来から来たフィリップが飛んできているのだろうか。
今を、覇王の呪いの中で生きる我々には、もう時間遡行をする選択肢はありえない。時間遡行の方法はもう、この世から消し去らなくてはならない。あなたがこの手記に辿り着いたということは、恐らく私たちと同じことを考え、解決を過去に求めたのだろう。
だが、すぐに中止して欲しい。絶対にそれはやってはならない、最悪手だ。
たとえ誰であろうと、過去に戻るだけで、この世界に満ちた呪いをその時代に持ち込むことになるのだ。
この時代のおよそすべての人間は古代の呪いを受けており、覇王の影響は消えることはないのだ。
打開策を過去に求めたのは、結果として、愚行だった。屍体さえふんだんに手に入ればどうにかなると近視眼的に考えていた。事態はそこまで簡単ではない。あなたは私達のように愚かにならず、もっと別の方法で生き抜いてほしい。私達のように、短絡的な行動で歴史に致命的な綻びを与えてはならない。
戦いの中で疲弊し、資源は尽きていくかもしれない。それでも、行動する前に、よく考えて欲しい。その行動がどのような結果をもたらすか、それは本当に未来にとってマイナスになる事がないのか、考えて行動して欲しい。
私は、この世界のどこかで、同じように時間遡行を試みる者たちを止めるために、今回のことを伝えていく。石を投げられることもあるだろうが、必要なことだ。私は真実を知った者として、伝えていかなければならない。世界を少しでも永らえさせるために、自分に出来ることを探していかね��。
この生が終わるまで。
~おわり~
原作: ohNussy
著作: 森きいこ
※今回のショートストーリーはohNussyが作成したプロットを元に代筆していただく形を取っております。ご了承ください。
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸いです。
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日中戦争には分かりづらいことが多い。「冀東防共自治政府」といって、理解できる人がいまどれくらいいるか……。宣戦布告がなされなかったため、正確には「戦争」ではなく「(満洲、支那)事変」だったのをはじめ、日本の中国侵略の過程が複雑だったことが原因だ。例えば、当時の日本軍のスローガンは「暴支膺懲」。「暴戻支那を膺懲する」の略で、「暴戻」とは乱暴で人道に外れていること、人民をいじめることだ。1937年8月15日に日本政府が発表した声明は、「帝国としては最早隠忍其の限度に達し、支那軍の暴戻を膺懲し以て南京政府の反省を促す」となっている。要するに政府や軍を懲らしめて正道に戻すというイメージで、建前では、敵は中国国民党軍や共産党軍であって、中国の民衆ではなかった。
1931年の柳条湖事件で始まった「満洲事変」は33年5月、「塘沽停戦協定」で表面的にはいったん終結。その際、関東軍の要求で冀東(河北省東部)を非武装地帯とし、中国軍の立ち入りを禁止した。これは、日本の軍部が華北地域を満洲同様、中国から切り離して事実上領有しようという「華北分離工作」の始まりだった。冀東は九州と同じぐらいの面積で人口約625万人。そこに日本の傀儡政権として35年11月に誕生したのが冀東防共自治委員会(のち冀東防共自治政府に)だった。通州はその本拠地で、主席は中国国民党で蒋介石の通訳などをしていた早稲田大卒の「日本通」殷汝耕。37年7月29日の通州事件は、味方であるはずの冀東政府の治安部隊・保安隊が「兵変」を起こし、日本軍駐留部隊や特務機関、在留日本人を襲撃、虐殺したとされた。被害者は本編にあるように200人以上。公式戦史に近い「戦史叢書」などは「223人」としている。うち半数以上が反乱を起こした兵員について、事件に最も詳しい広中一成「通州事件」は、保安隊などの計約7000人としている。
「通州保安隊の叛乱鎮圧」「北平本社特電(廿九日發)廿九日通州城外冀東保安隊二百名は突如叛乱を起しわが軍に対し射撃を加えたのでわが部隊は応戦追撃を加へこれを鎮圧した」。事件を伝える東京日日新聞(東日)の第1報、37年7月30日朝刊2面のベタ(1段)記事だ。第2報の31日夕刊は1面トップで「通州の保安隊暴動化」の見出し。「冀東保安隊の叛乱は丗日午前にいたり遂に暴動化し通州城内もこれら保安隊に蹂躙され、冀東政府並にわが出先機関との連絡全く途絶し一説には城内にあったわが少数部隊並びに細木特務機関は全滅したと伝えられる」と報じた。対して朝日新聞は同じ夕刊で「通州邦人の安否憂慮」という段階。以前から東日は陸軍寄りといわれており、その差が出たのかもしれない。
以後、報道はセンセーショナルにエスカレートする。見出しだけ見ても「鬼畜も及ばぬ残虐」(東日7月31日号外)、「恨み深し!通州暴虐の全貌」(朝日8月4日夕刊)、「宛(さなが)ら地獄絵巻」(同)、「敗残兵なほ出没 宛然!死の街」(朝日4日朝刊)、「人生の悲劇をこゝに あゝ鬼畜残虐の跡」(東日5日朝刊)…。本編の安藤利男記者の脱出後の手記が朝日、東日両紙に載っているが、「縛り上げて刑場へ 血に狂ふ志那兵 死の通州脱出談」(朝日8月2日朝刊)、「“死の通州”脱出血涙手記 “邦人虐殺”の銃口下 近水楼屋根裏の恐怖」(東日3日夕刊)とおどろおどろしい。これには理由もあった。
新聞にとって”戦争は儲かるもの”
37年7月7日の盧溝橋事件は現地の交渉で収まりそう��なったが、あくまで強硬姿勢をとる関東軍と陸軍中央多数派の圧力で部隊増派が決定され、7月28日に中国軍への総攻撃が始まった。通州事件が起きた29日、日本の陸軍当局は東京の新聞・通信社の編集局代表を内務省警保局に招致。陸軍省新聞班斎藤少佐が31日の官報で新聞紙法第27条(「陸軍大臣、海軍大臣及び外務大臣は、新聞紙に対し命令を以て軍事若しくは外交に関する事項の掲載を禁止し又は制限することを得」)の発動を公布することを通告した。「27条の発動に依って報道機関の使命を阻害せんとの意思は毫もなく、唯、時局を認識の上、国家的協力を俟つものであり、許可ある範囲において、更らに一層の世論昂揚を希望する」と述べた(「日本新聞年鑑」)。報道の取り締まりが強化され、記事は「世論昂揚」するものでなければ載らなくなりつつあった。そして、よく知られていることだが、新聞にとって“戦争はもうかるもの”だった。出征した家族や友人らのわずかな消息を求めて紙面に目をこらす。日清、日露戦争でもそうだったが、「満州事変」でも新聞各紙は部数を大幅に増やしていた。「またチャンス」と考えた新聞人は少なくなかったはずだ。
軍と密着の同盟通信・安藤記者の決死の脱出劇
安藤記者が所属していた同盟通信は、現在の共同通信と時事通信の前身。事件前年の1936年1月1日に発足していた。通信社の新聞聯合社と、広告業と通信社業を兼ねていた電報通信社(電通)の報道・通信部門が統合。「諸外国にならってナショナルエージェンシー(国を代表する通信社)を」という政府の意向に沿った国策通信社だった。国内外80支社局と延長7000キロの専用電話線を持ち、敗戦時の社員・雇員は約5500人。その機能が報道だけでなかったことは「共同通信社50年史」も認める。「外務省や軍が同盟の人事に関与したり、同盟に仕事のやり方を指導・注文するのは日常茶飯事だった。同盟の側も外務省や在外公館に対し、同盟出先の事業拡大などのための資金援助をしばしば要請していた」「同盟のイメージは国家機関に限りなく近い」。里見脩「ニュース・エージェンシー」は「『日の丸の翻るところ同盟あり』をスローガンに約1700人もの社員が国外で活動した通信社は他になく、その評価はともかく、世界最大の規模を保持したのは確か」という。
同盟は「満洲」と合わせた中国大陸に約30カ所の総局・支局があったが、盧溝橋事件後、陣容はさらに強化された。「通信社史」は「(同盟)創業の翌年―昭和十二年七月―には日華事変に直面し、それが空前の大動乱に発展していく過程において、目覚ましい活躍を演じた」「日華事変の報道こそは、『同盟』がそのあらゆる人的・物的能力を傾倒したものであった」と書く。7月30日北平(現北京)発の同盟電は通州の模様を報じた後、「同地にありし各社の従軍記者も昨日来ほとんど消息を絶ち、その安否が気遣われている」と伝えている。「通信社史」にも「通州の反乱事件では、たまたま天津から北京に帰任の途中にあった安藤利男記者が捕らえられ、まさに射殺されようとする寸前、刑場から劇的脱走を試み、成功したという一幕もあった」と、本編を裏書きする記述がある。
今も確定しない「通州事件」の引き金
冀東政府主席の殷汝耕は、当時面談した朝日新聞記者の尾崎秀実(ゾルゲ事件で死刑)が「一世の風雲児」と評価した人物。事件後、主席を辞任。冀東政府は北京で同年12月に成立した王克敏を行政委員長とする中華民国臨時政府に合流して消滅した。戦後「漢奸」とされ、本編に書かれたような最期を遂げる。しかし近年、その政治理念を再評価する動きもある。当時の親日政権の研究を続ける関智英・東洋文庫奨励研究員は、殷を「孫文に先んじて大アジア主義を提唱するなど、多面性がある」とし、冀東政府についても「日本の影響下に成立しながら、日本からは独立した存在たらんとした」として、日本の傀儡という単純な見方には収まらないとの見解を示している。
事件の原因については諸説あり、いまも確定していない。日本軍の総攻撃の中で「関東軍の飛行隊がその際、冀東政権の保安隊兵舎を誤爆した。冀東保安隊は、日本軍が自分たちを攻撃したものと早合点して、日本軍や居留民に対する襲撃を開始した」(古賀牧人「近代日本戦争史事典」)というのが、最も多くいわれる説だ。また、冀東保安隊と国民党軍の間に「通謀」や「密約」があったとする見解も目立つ。東日7月31日朝刊には「冀東政府保安處長張慶余が潜入した廿九軍敗残兵の煽動に乗せられ」とあり、当時から公然たる事実になっていたことが分かる。その張慶余(正確には保安隊第1総隊隊長)は1982年に回想録を発表。「中国国民党第29軍とかねてから接触し、『日本打倒』の密約をし、『通州決起』となった」と告白した。しかし、これにも疑問の声がある。ほかにも、29軍が日本軍との戦闘で大勝したというデマ宣伝を国民党がラジオ放送で繰り返し流したのを信じたという説も。「戦史叢書」は「かねてから抗日戦線参加の工作が進められていたが」「関東軍飛行隊が保安隊兵舎を誤爆したのを憤激し、かつ、第二九軍戦勝の宣伝を信じて反乱を起こし、冀察当局から賞与を得ようとしたものであった」と3つを組み合わせて原因としている。
ほかにも、保安隊に中国共産党軍の兵士が入り込んで謀略工作を行った結果だとする見方もある。興味深いのはアヘンを理由とする説。冀東防共自治政府は、「冀東特殊貿易」と呼ばれた低関税による密貿易と、アヘンの精製・売買で膨大な利益をあげていた。江口圭一「日中アヘン戦争」に登場する日本人麻薬製造技師は「冀東地区こそ、満洲、関東州などから送り込まれるヘロインなどの密輸基地の観を呈し始めたのである。首都は通州に所在したが、この首都郊外ですら、日本軍特務機関の暗黙の了解のもとに、麻薬製造が公然と行われたのである」と語っている。売買には多くの朝鮮人が関わっていた。この麻薬汚染に憤った中国の民衆が襲撃に関与したという見方だ。保安隊の襲撃は周到な計画の下に準備されていた。広中一成「通州事件」は事件の背景について、「保安隊員らがもともと抱いていた抗日意識、または、軍統(蒋介石直属の謀略機関)や中国共産党による謀略工作が大きく影響したと考えた方が自然だろう」と結論づけている。
「南京虐殺」と「通州事件」 無視できない関連性
近年、通州事件を「通州虐殺事件」として、約4カ月半後に起きる「南京虐殺」と関連づける主張が見られる。特に2015年に「南京大虐殺文書」がユネスコの世界記憶遺産に登録されてから、対抗するように、「通州事件関係資料を世界記憶遺産に」というキャンペーンが始まっている。これに対し、大杉一雄「日中十五年戦争史」は「現在、通州事件を『南京大虐殺』と対抗させてとりあげる向きがあるが、両者はその規模も性格もまったく違うことを認識すべきである」とクギを刺している。江口圭一「盧溝橋事件と通州事件の評価をめぐって」は「通州事件は南京大虐殺否定論者による免罪符のように利用されている」と指摘。「通州保安隊その他による日本人・朝鮮人・女性・幼児にいたる無差別虐殺は容認できるものではない」としつつ、事件の評価・位置付けには3点の留意が必要と述べる。(1)日本の中国侵略の拠点とされた通州で発生した(2)アヘン・麻薬の密造・密輸の大拠点だった(3)日本軍の守備責任――で、(3)は保安隊が日本軍の統制下にあったことを指している。
どちらの見解もその通りだと思うが、その上でも通州事件には、南京虐殺との関連を無視できない点がある。南京陥落当時、上海派遣軍と中支那方面軍の兼任参謀だった長勇中佐(昭和陸軍の「皇道派」に属し、最後は沖縄防衛の第32軍参謀長として1945年6月23日、牛島満司令官とともに自決)が1938年に旧知の田中隆���中佐に語ったところによると、投降してきた中国兵30万人について、軍司令官に無断で殺害命令を出した際、「自分は(支那)事変当初通州に於て行われた日本人虐殺に対する報復の時期が来たと喜んだ」という(田中隆吉「裁かれる歴史」)。津田道夫「南京大虐殺と日本人の精神構造」は、「南京アトロシティーズを通州事件の報復だなどというのは、当時の現地軍高級将校の思考構造をよく示している」と指摘するが。
橋川文三編著「日本の百年7 アジア解放の夢」は「このときの通州守備隊は、その後華中作戦に転じ、報復心にもえて南京虐殺に参加したといわれる」と書くが、はっきりしたことは分からない。古屋哲夫「日中戦争」は、事件は「反日感情が日本の勢力圏でも広く浸透していることを示すもの」との見方を示している。実際、前年36年11月には、綏遠省(現内モンゴル)で、日本の傀儡勢力の軍が中国軍に敗北した「綏遠事件」が起き、中国の民衆が熱狂。抗日の気運が盛り上がった。
いつの間にか書き換えられた「保安隊の邦人虐殺」の報道
当時の新聞紙面を見ると、この時期から、戦争が人々の日常の中に入り込んでいっているのが分かる。この年8月に「国民精神総動員運動」が始まったこともあり、各新聞社は競って前線の兵士への慰問袋の提供を読者に訴え、その反応を連日紙面に掲載した。「千人の女性に一針ずつ赤い糸で縫ってもらった白木綿の布を身に着けると弾に当たらない」という言い伝えの「千人針」が、街頭で普通に見られるようになった。「愛国行進曲」や「海ゆかば」などの「国民歌」「国民唱歌」が作られて人々に歌われ、映画の冒頭に「挙国一致」「銃後を護れ」のタイトルが入るようになった。
「満州事変」勃発からしばらくは、日本兵も「銃後」の日本人も「中国兵はすぐ降参する」とたかをくくっていた。しかし、中国軍は想像以上に頑強で、占領地を点と線でしか抑えられない日本軍の兵士は、戸惑いから徐々に焦りと不安を募らせていく。そこに起きた通州事件。焦りと不安は復讐心と敵愾心に変わる。それにはメディアの責任が重い。事件の模様をセンセーショナルに書くばかりではなかった。死亡した警察官や冀東政府職員の「名誉の戦死をする」「万歳」といった遺書を取り上げ、死亡女性を「叛乱軍と奮戦し壮烈なる戦死を遂げた烈女」として礼賛するなどして盛り上げた。「日本の傀儡である冀東政権の保安隊の行為」を「通州の邦人大虐殺」と言い換え、「中国軍の仕業」として書き立てた。それは日本兵ばかりでなく「銃後」の国民にじわじわと伝わった。国内では、ロシア革命後、赤軍パルチザンが日本人を含む住民を大量虐殺した事件になぞらえて「第二の尼港事件」と呼ばれた。
『支那膺懲』が高まった「通州事件」が南京虐殺をもたらしたのか?
事件直後に通州を訪れた加藤久米四郎・陸軍省政務次官(立憲政友会)は帰国後の講演でこう語っている。「駆引、口先で嘘八百を並べると云ふことは支那の国民性だ。日本で正義人道と申しましても、支那人には決して是は分からない。それでありますから、今度の戦さでもそれは十分覚悟してかゝらなければならない」(加藤久米四郎「戦線を訪ねて国民に愬(うった)ふ」)。こうした中国人に対する侮蔑と敵愾心が国民の間に広がって行った。秦郁彦「日中戦争史」は事件を「真相を知らなかった日本国民の中国膺懲熱を煽る好材料として十分に利用された」と指摘。笠原十九司「日中戦争全史」も「日本国民の敵愾心、憎悪心を煽動し、『支那膺懲』熱を高めるために最大限利用された」と述べる。そうした中国人への感情が国民の間に広がり、醸成されて南京虐殺の「素地」になったのではないか。もちろん、虐殺の免罪符にはならないが、私には、日本人の心情の面で、通州事件が南京虐殺の引き金の1つになったように思えてならない。
事件後の10日間、現場処理で通州に入った陸軍大尉(当時34歳)は「当初、中国軍の消極的な戦意を見て、この戦争は1カ月くらいで決着がつくと思っていた。それが8年余りも続くとは、誰が予想し得ただろう。通州で邦人の虐殺死体を目前にして、中国人のただならぬ敵意を感じたあのいやな予感は見事に的中したのだった」と語っている(「決定版昭和史8」)。
本編「通州の日本人大虐殺」を読む
【参考図書】 ▽広中一成「通州事件 日中戦争泥沼化への道」 星海社新書 2016年 ▽「戦史叢書 支那事変陸軍作戦(1)」 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 1975年 ▽「日本新聞年鑑1938年版」 新聞研究所 ▽「共同通信社50年史」 共同通信社・関連会社 1996年 ▽里見脩「ニュース・エージェンシー」 中公新書 2000年 ▽「通信社史」 通信社史刊行会 1958年 ▽古賀牧人「近代日本戦争史事典」 光陽出版社 2006年 ▽江口圭一「日中アヘン戦争」 岩波新書 1988年 ▽同「盧溝橋事件と通州事件の評価をめぐって」(「戦争責任研究」所収) 1999年 ▽大杉一雄「日中十五年戦争史」 中公新書 1996年 ▽田中隆吉「裁かれる歴史 敗戦秘話」 新風社 1948年 ▽津田道夫「南京大虐殺と日本人の精神構造」 社会評論社 1995年 ▽橋川文三編著 「日本の百年7アジア解放の夢」 ちくま学芸文庫 2008年 ▽古屋哲夫「日中戦争」 岩波新書 1985年 ▽加藤久米四郎「戦線を訪ねて国民に愬ふ」 東京朝野新聞出版部 1937年 ▽秦郁彦「日中戦争史」 河出書房新社 1961年 ▽笠原十九司「日中戦争全史」 高文研 2017年 ▽「決定版昭和史8 日中戦争勃発 昭和12~13年」 毎日新聞社 1984年
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ベルリン・ヴェネツィア行ってきました~~~!超長いレポだよ!旅行中に毎日うpしようとしてたけど気力が続かなくて寝ちゃったのでまとめたよ!w
関空で朝8:55発で、滋賀から始発でも間に合うかどうか微妙という怖い時間なので フォロワーの大阪さんちにお泊りさせてもらいました!ありがとうううう で、便利なシャトルバスとか教えてもらってまぁ出発はスムーズ! ルフトハンザでソフトミール食にしてみたよ!でもドイツ人のCAさんが「Special meal?」って隣の席の人まだ配膳されてないのに 先に配膳してくれたから、なんか気まずい笑
この野菜とかはぶちゃっとしたゆですぎ野菜だからこれはマジで助かった^^ 白いのはおさかなで、解いて小さくなってるし!!次の写真のトマト付いてる赤いのはチキンで、 このワンプレートに限っては頑張ってくれている~~ でもあとは確かに普通食よりはソフトミールかもしれないけどもっと柔らかくしてほしかった、みたいなレベルかな笑 しょうがないね笑 食べにくかったので途中しんどくて残したけど、ありがとう!!!ソフトミール無かったら食べれなかった!笑
で、ミュンヘンの乗り換えを経て!ベルリン着いた!!!空港からホテル最寄りのアレクサンダープラッツ駅の近くについて、 テンション上がってとりあえずパシャ!!みたいなやつだ!笑 一人でもバスの切符買えた~!乗れた~!着いた~!と嬉しくなるね! ホテルも駅チカな上にチェーン(?)でレストランも併設してあって平均より良いところだから、 お値段まぁ可愛くないけどその分いい部屋だ~~! ドイツのホテルは3年前のミュンヘンもそうだけど、平均よりちょい上だと日本のホテルに近い快適なホテルだから すごく過ごしやすい!
ご飯調達と近場の散歩を兼ねてアレクサンダー広場に行ったらなんか祭りしてる! これはまるでクリスマスマーケットのよう!楽しそう!!食べれるものは少なそうだけど、とりあえず形式美でカリーヴルストとパン、ヌテラのクレープ買った^^ これ伝わりづらいかもだけど、カリーヴルストクソデカでめちゃくちゃ量多いの笑 で、これを同時に買ったら私の両手が塞がるのは言わずもがな、残念なことに水を買っていなくて… 水ないと何も食べれないので、ドイツってか日本以外でしちゃいけないと分かってたけど 空きテーブルに食べ物だけ置いて水買に行って戻ったら(5分もたってない) 掃除のおっちゃん(移民さんなのか黒人さん)にめっちゃ早口で「こら!!置きっぱなしにしちゃだめだろ! 5分経ってたら捨ててるからな!絶対食べ物置いてどっかいっちゃだめ!だめ!」って怒られて笑 ごめんごめんって謝っといたけど、まぁ分かってますよ!わかってたけど…ごめん笑 水を先に買うべきだったミスなんだよ~~笑 で、今は口の中の粘膜が薄くて刺激のあるもの食べれないから、カリーヴルストも3つだけ食べてパンだけじゃ食べれないし残した笑 クレープも3分の2くらいは食べたか?笑 腹は満たされてないけど辛いし固いし笑
で、しょーがなく駅の中まで行ってちょっとした売店でフルーツ盛り合わせみたいなのとカフェラテ! これがまた多いんだよww分かりにくいけど結構量ある笑 ホテルに戻って食べたので残りは冷蔵庫入れといた!
2日目!
朝ごはーん!!やっぱり楽しみだったよドイツの朝ごはん! この!シリアル!食べれなくて!1口で残しました!!ごめんね! パンは固いけど噛めば食べれるので超時間かけて食べた笑 ヨーグルトもチーズもハムもパンも美味しい~(と思う)ヨーグルトすごい濃厚! ドイツ式でパンを半分にカットしてバターを塗ってサンドイッチにして食べたよ!
んでアレクサンダー広場の教会やら噴水やらテレビ塔やら見て…私の計画性の下手さが出たんだけど、
ここで「あ~なんかある~」って思って写真に撮ったこれ、大聖堂です笑 しかしなぜかスルー笑
その先の目的地だったDDR博物館へ笑 そしてここは外装の写真無い笑 人がすごく多くて写真撮りづれぇってなってトラバントちゃんも居たんだけど撮れなかった…残念~ 日本語無いのでよくわからんけどDDR時代のお部屋とかかわいくて、素朴でよかった!
で、ちょっと離れたとこの文房具やさんまで行った!楽しいけど日本製品めちゃ多くてにっこりしつつ、イギリスのものも多くて笑 買ったやつでドイツ製あったのかな笑
帰りにスープバーがあってジャガイモのスープ!おいしい!量も結構あるけど!w てか何故かみんな飲み物頼まないんだよwなんで?水飲んでたの私だけだったよ笑 ここのはパンかご飯か選べて、以外とご飯選ぶ人居てにっこり^^ 私は普通のご飯は食べにくいからパンにしたけど、スープストックを思い出す… でもこんなん、スープストックで食べたらちっさいスープ×2とパンorご飯のセットでも税込み1000円するから笑 ここのスープこの量で5ユーロくらいじゃなかったかな? こういうスープ屋さんがあるのは嬉しい~通いたかったんだけど結局この日しかこの店には行けなかった笑
午後は地下鉄!Uバーンに乗ったよ!!乗れた!!3年前は1回乗っただけでその時は通り過がりの人に聞いたりしたけど、 今回は!!1人で!!できました!!うれしい!てかドイツの駅は階段降りたらすぐホームだから迷いは少ないんだけど笑 でシュタージミュージアム!写真撮ったけどやっぱり英語とドイツ語しかないから…笑 なんか深い話が沢山あるとこだったと思うんだ、でもさっぱりなんだ笑 流石にこういうときは語学力欲しくなるね…笑 入館料安くないからもったいないし、ここまで来て推しの歴史を楽しめないのももったいないよね笑 結構見応えあってお疲れです笑 ここ、元々シュタージの使ってた建物なんだよね、雰囲気もそのままでよかったよ~
でここは東ベルリンの中心地より少し離れたとこなんだけど、桜??か分からないけどお花咲いてたから撮った^^ 綺麗!この辺はシュタージの建物あるのもそうだけど、同じ建物がズラ―――っと並んでて社会主義臭すごい! 街並みだけで楽しい!ぷーちゃんはこういうとこ歩いてたのかな~~ なんか綴鈴さんの小説の表紙に描いたようなカラスが居た!!! あと、オスト-ヴェストカフェ^^芋兄弟が経営してるのかな~~ツイッターで誰か上げてたの見たことある笑 帰った時間はもう夕方超えてたから、ホテルのレストランで食べようとして、英語で説明聞いてたら、 「レストランとビュッフェがあって、ビュッフェは80ユーロ」って説明を「レストランもビュッフェも80ユーロ」と 勘違い解釈して、断っちゃって、でも後で「あれ!?違うわ、ビュッフェだけ80ユーロだ!」って気付いたんだけど 今更戻りづらくて笑 近場でバーガーキング笑 いつもだけどご飯は1時間以上かけて食べてるよ笑
3日目!
あさごはーーん!このチーズまじうまい…と思う笑 朝ごはんウキウキするね! んで今日は親父の墓参り!ポツダム行くのにグーグルマップに弄ばれて少し時間かけたけど、着いた!w
���ツダムのブランデンブルク門!なんや曇ってる~! カラフルな親父!!アウトレットストア見てなかったけど見たらよかった笑 お昼兼おやつ!代表的なケーキのシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ(だと思う) そして倒されたケーキにぶっささるフォーク!w バタークリームで優しい感じだけどデカイし甘い笑 残しちゃったごめんね!
食べ終わって門に戻ったらめっちゃいい天気!!!綺麗!! 宮殿までのお庭もとっても緑が綺麗で楽しい~!きらきら!
で!サンスーシ宮殿!!!すごい!!でかい!厳か!!このときはなぜか内部入らなかった私は何なんだろうね??混乱してるの??笑 で、親父のお墓~~~!みんなジャガイモお供えしてる!!って私もポツダムプラッツ駅で買おうとしてたのに 忘れてた~~~!!w悔しいやつだ!!!あーー笑 野菜売ってるとこまで調べてたのに笑 あとは行くつもりの無かったオランジェリー宮殿に迷った結果着いたり笑 気を取り直してバスで新宮殿に笑 ここがプロイセン最後に建てた宮殿だって!
そしてサンスーシ宮殿の中は全部回ったあとの最後に入った!多分最後の時間のチケットだった笑 そして!!ここは!!日本語ガイドあったよ!!(涙) 写真は撮ろうと思ってチケットも買ったのに、なんか…雰囲気と説明で撮りにくくて撮ってない笑 あ、アホなのか…?!いや、なんか最後のガイド時間だった上に、日本語のガイドは時間がかかるのか、 全員の最後を歩いてたから、管内の見回りの人の視線もあってのんびりしづらくて笑 やだなこんなとこで日本人発揮しなくてもいいんだけど、金払ってるんだし笑 でもなんか全体の雰囲気で、撮りづらさとなんか親父の亡くなったとこをバシャバシャ撮ることにも なんだかなぁと謎の遠慮をしてしまって撮ってない笑 あほ~~~!!資料!!! まぁ撮影可のとこだしどうしても描きたければggれば出て来るでしょう…笑 芋も忘れたし、ここはまたリベンジをして次こそは宮殿内も撮る!!! それにしても親父のことめちゃくちゃ説明してくれるから嬉しい~~~ あ~~日本語ガイドありがてぇえ~~まじで今までの美術館やら博物館意味不明で疲れてくると わけわからんのに時間かけてドイツで何してんだろうなって自分で酷く我に帰るときあるからww 親父がフランス兄ちゃんやイタちゃんちの人と仲良くてフランス語の方が話してたとか、 そんな…そんな…ぷーちゃん…フランス語堪能だったりして…ヒェッ 人名なら親父や仏兄ちゃんにジルベールって呼ばれちゃったりするんです?!?!どひゃーー^^ あと親父が亡くなったときの椅子もあって…うっ…親父とぷーちゃんが見え…うっ涙 ここは親父のブドウ畑だったみたいで、中もブドウをモチーフにした装飾品や壁が沢山あってとてもかわいかった! 親父なかなかかわいい趣味してんじゃん!ってなったし、ここでは戦いを忘れる休暇の場所だったみたいだから ぷーちゃん調子狂うだろうな~とか思ってた笑 ロココ式だって!ロココ式!!(説明あったけど忘れたんやで)
で、帰ってきてアレクサンダープラッツ駅の世界時計~ 夕飯はホテルのレストランでスープ!野菜スープ優しい味~~(だと思う) ウェイターのお兄さんが最後「ありがとう!」って日本語で言ってくれて優しい世界だった…
4日目!
朝ごはん~~絵が同じやんけと言われたら少し違うんですがほぼ同じです!って感じやな笑
天気があんまりよくないけどベルリンのブランデンブルク門!東西統一のシンボル~!芋~~!
ハウス・アム・チェックポイント・チャーリーと壁博物館! とってもここもディープなとこでめちゃくちゃ見応えあった!!けど相変わらず何書いてんのかわかんね~笑 当時を知るお爺ちゃんがガイドしてたり、広島に通づる何かを感じるよね…OH… 壁とか、連合軍とソ連に支配されてたことを皮肉ってるグッズ屋さんは楽しかった!笑
アンペルマンショップ!本店じゃないらしいんだけど大きいしカフェもあった!
近くのカフェでスープ!これまた量がwwあとこれちょっと辛くてがんばったけど半分でギブ/(^o^)\ トマトベースで豆もたくさんあって食べ応えすごいww
そんでドイツ歴史博物館!ここも大きいし見応えすごいよ!でもやっぱり何書いてるのかわからないよ! ここまでくるとマジで私は何しに来てるのかなって思ってくるよ!!
で、ベルナウアー通り!壁の中の骨組み(?)がそのまま残ってるとこ!これ200メートル続いてるんだって、全部歩けなかったけど。 壁って、1枚ドーンってあったわけじゃなくて、「西(壁)数メートルの無人地帯(壁)東」って構造だったから それも残ってるみたい。夕方で壁記念センターも閉まってたからその層になってるとこは写真に収めれなかったんだけど、 なんかこの高さと威圧感と廃れた感じとか、木が並んでたり公園になってて小さい子やイッヌが遊んでるのを見ると、 ぷーちゃんと隊長は今はもうここに笑って来れるのかな…って…うっ…
夜はアレクサンダープラッツ駅のパン屋さんで気になってたプファンクーヘン!(粉砂糖ついてるほう) ジャムはいっててふわふわでおいしい!(と思う)こっちパン固いの多いからふわふわに出会うと嬉しいね! これ、ベルリン発祥だから、ベルリン以外の人はベルリーナーって呼ぶんだって~ ハム?が乗ってるのもおいしかったよ!
5日目!
朝は少なめ!遅かったんだ~笑 このパン、自分で好きなだけカットするタイプだから、中がふわふわなの~ のんびり出発! お昼はフォロワーさんがお見舞いに贈ってくれた「東ベルリンをたどる旅」って本に載ってた東ベルリンの家庭料理が出て来る レストランに行こうと思ってggったら閉店してて笑 えー!w なんてこったい!wってなったけどしょうがないので東ドイツ料理でggったら 評判いい感じのとこがありそうだったので調べて行った!
赤い!レトロ!DDRみのある内装で、食べてみたかったソリャンカスープもあった!! ガチ東ドイツ発の食べ物ならケーニヒベルガークロプセも食べてみたかったけど、肉団子だからしんどいの分かってたので笑 このスープ元はウク姉さんかロっさまのとこのらしいけど、東ドイツの家庭にもよく出たんだって!ソ連スープか… あかーい!けどこれは辛くないよ!むしろレモン入ってて酸味あってびっくりした笑 でもこっくりしてて、懐かしくて、やさしーい味だった(n*´ω`*n)サラミも沢山はいってる! これはぷーちゃん作ってくれたらすごく…いい…俺様特製ソリャンカスープだぜ!! でも隊長はソ連のときの兄さんを見ちゃうから 俺はあまり(名前が)好きじゃないとかなんとか言ってくれてもええんやで でもこの懐かしくてこっくりした味を食べた隊長は兄さんのやさしさを感じて泣きたくなる味だから食べたくないのが本音 っていうのが大歓迎やで ベルリン居ると芋芋してくる…笑 ここはとても良い経験できたな~嬉しい…ドイツ人のおばちゃん4人グループが先に待ってたけど、 料理がデカイ皿に肉と芋ドーンって乗ってきてて、ペロっと食べててびびる笑 途中、厨房から「アァァーーオオオオーーーウオオオオーウ」って雄たけびが聞こえて笑 お客さん全員びびってたけど、なんかコックさん怪我したみたい…だ、大丈夫か…笑 んで計画性のgdgdな私は2日目に写真だけ撮った大聖堂をこれから内部見に行くよ笑
とっても綺麗でドーンっとしてた…ここはホーエンツォレルン家の墓所でなんだって!棺いっぱいあったよ~ そして頂上から東ベルリン見渡せたんだけどくもってる笑
んでポツダムプラッツ駅!壁の跡地をまた見て、ツイッターで見かけた「Super Dry 極度乾燥(しなさい)」を発見w 笑えるwこれは本物みるとまじでジワジワ笑えるw この商品、日本持ち込み禁止なんだって笑 アサヒの著作権の関係で関税でひっかかるらしい笑 ここも壁たくさんあったよ~
次はベルリンに住んでる普(芋)領フォロワーさんと老舗バウムクーヘンのお店でお茶した! 美味しかったと思う!わからんけど!そんなに日本のとギャップは感じなかったよ! そのあとベルリンを案内してくれて、私のgdgdの計画性が浮き彫りになるくらい色々見落とししてて笑
ホーエンツォレルン家の名前を見つけたここはジャンダルメンマルクトっていう今は音楽堂?らしい笑 ドイツの教会とフランスの教会が隣接してるとこだって~~ プラプラしながらここはアレですよ~って言いながら案内してくれたんだけどほぼ忘れたから今調べてる笑 自分で調べて行くと覚えるんだけど思考停止で付いていくと何してたのか忘れちゃうw
ここはコンツェルトハウス・ベルリンっていうクラシックの劇場らしい!
この辺はフンボルト大学前のベーベル広場なんだけど、このデカイのがフンボルト大学だって…笑
そんで老舗のチョコレート屋さんに連れてってくれた!
あとは建設中(?)のベルリン王宮!プロイセン王やドイツ皇帝の居城だったみたい。 ここは建設費の寄付ができるみたいで、高額の寄付をした人は名前が宮殿内に刻まれるんだって! で、この普領のフォロワーさんは芋領集まって数人で結構な高額を寄付して名前が刻まれているらしいww 推しが消失してるからなんとか寄付しようとする普領と名前刻んじゃうのがwwヘタクラ流石や… 普領と日領ってどっちも宗教みというか、崇拝み感じるよねww まぁそれは?日本さんが?プちゃんに似てるからかもですけど???(突然のぷにち世界感)
そして帰りに赤の市庁舎~~ で、初日にやってた祭りは毎日ずーーとやってて笑 フォロワーさんに聞いたらここでは何かと理由付けて祭りを結構な頻度でしてるんだってw そしてクリスマスマーケットもまんま、このまんま出店出てるらしいw 夕飯はホットドッグ!だけど時間かかるので私はホテル持って帰って食べたよw フォロワーさんありがとう~!!短時間で沢山ベルリン回れた!やっぱ助かるわ~~
6日目!
今日は移動日!最後のドイツ朝飯!やっぱりハムとチーズが最高なんやで 電車もバスも地下鉄もすごく便利で乗りこなしたから、空港まで楽だった! ベルギーちゃんちの飛行機移動にしたけど、鉄道移動でもできたかもしれんなぁ、と 経験したら思えたね!w 鉄道怖くて��行機にしたんだ笑 高いけど… で!ベルちゃんちの空港!1時間しかない乗り換え、しかもこの動きにくい口でワッフルチャレンジ成功しました! すごい!w美味しかったと思う~~! で、ヴェネツィアついた…けど!!!!問題発生!笑 荷物が一緒に来てない… ロストバゲージのとこで話せない英語駆使してなんとか手続きできた…けど…w イタちゃんちとか信用ならないからさ!!!!w「明日ホテルに送るわね」絶対来ないやん…w で、シャトルバスの切符買ってバス待ってたら、それっぽいバスが来たんだけど 私しか並んでないから目的地のメストレに行くバスか不安で、降りて来た運転手さんに「メストレ…?」って聞いたら 「メストレだ!ヴェネツィア本島行きじゃねぇぞ!」っていうのと、 プラス何かよくわからんことを英語でばーーーって早口で言われて笑 「イ、イエス!メストレ…!」しか言えなくて「あ?!だめだこりゃ通じてねぇな(的なことを言ってたと思う)」って笑われてw イタちゃんちのオッサンの圧力に引いてる私を傍で見てた若いイタちゃんちのお兄さんが スッと私の手から切符取って傍に合った打刻機まで行って打刻して返してくれて笑 運転手のオッサンがその切符を受け取ったら「ほら!行くぜ!乗りな!」って言われて急いで出発笑 途中、「ちょっと寄り道するから!大丈夫!ちゃんとメストレには行くけどちょっと寄り道させろ!」って バス会社のとこに寄り道して、「1分だ!1分で戻るから!待ってろ!」って持ってた傘を職場に返すために走って降りてって 私は「い、いえす、おっけー」くらいしか言ってないんだけど笑 まじですぐ帰ってきて「ほらな?すぐ帰ってきただろ?グラッツェ(投げちゅ)」ってして笑 まぁ、この出来事は無事脳内でロマーノちゃんに変換されたし、 バス乗る前のスマートに優しいお兄さんはイタちゃんに変換されたよね… 荷物届いてないことももうこの2人で許しはしなくても癒されてた笑 ただ、旅行保険も、安くするために病気やケガとか、高額になりそうなのはプラン入ってたんだけど、 ロストバゲージとか品物が壊れたときのプランは起こってもヤバイ金額にはならないと思って抜いちゃったんだよね… アアアア…w
ホテルついたんだけど、前日に「チェックインは10:00~14:00までだから、チェックイン希望時間を事前に教えてね、受付を開けるから」って来てたから 「18:00~19:00」で回答してたのに開いてない…wもう!!!www 同じ建物内のレストランのおじさんがたまたま近くにいたから、「ここのホテルチェックインしたいんですが知ってますか?」って 聞いたら、「電話するんだよ、ここの看板に番号乗ってるでしょ?」って…w えーーーww私には電話なんてハードル高いよぉ!wてか国際電話代ってご存知ですかぁ!?って言いたくなったww じゃあなんで何回もチェックイン時間聞いたんだよw開けとけよww 電話でチェックインしたいんですって言ったらまぁ来てくれたんだけど…w ホテルはイタちゃんちらしくちょっと古い建物でアナログな感じ笑 かわいいんだよ!センスはすっごく良くてオシャレ!トイレットペーパーにはハートの模様が入ってたり、 こういう小さいかわいさやセンスはドイツには無いしワクワクするんだけど、 若干不便笑 なにより階段しか無いから荷物届いたら不安…w私今筋肉落ちてるんだけど…w 開ける荷物も無いし、すぐに近くのスーパーで食料と生活用品を買ってきた笑 無駄な出費もだけど、イタリア語じゃ何が何か分からないから時間かかる~~! 結局ニベアとか、分かりやすいもの買ったけどイタちゃんちで何買ってんだよって話笑 しかしイタちゃんちは…スーパーのサンドイッチも美味しいね… うん、ドイツも決してマズイものには当たってないけど、イタちゃんち…美味しいね…w なんていうか、イタちゃんちで起こる色々なハプニングやアナログで不便なとこも、全部美味しいご飯と人柄と 恵まれた土地に許されて���感じすごいする…w憎めない…!!!w
7日目!
ヴェネツィア本島~!いい天気!やっぱり素敵だ~~ヴェネツィア以上に癒しと綺麗があるところあるのかな?! もうほんと…ヴェネツィアすき…気分もルンルンになるし、海が癒しなのかな… 今日の目的はブラーノ島!3年前、ラグーナの島々のうちムラーノ島しか行けてなかった上に雨で笑 せっかくのイタリアほぼ雨だったから、今度こそブラーノ島をリベンジ! ヴァポレットっていう水上バスを利用するんだけど乗り換えでムラーノ島にも寄ったからガラスの買い物だけしてブラーノ島へ!
超綺麗!!このカラフルなお家が見たかったんだ~~!すごい~~!かわいい! 何が悲しいって、荷物が無いから化粧できないわ昨日と同じ服だわ涙
街歩いて、ご飯はシーフードリゾット!これなら!私でも食べれるのでは?!と思って笑 食べたら米かてぇwwwくwwパエリアじゃないけど、芯残ってる系なんだね…w がんばったけど半分くらいでギブ/(^o^)\w でもめちゃくちゃ海鮮の匂いとダシが効いてる!!(と思う) きっと味覚があったらすっごい美味しいんだろうなぁと思った!!すげー! 多分この店はアタリだ!!!イタちゃんちも、「このレベルなら日本でも食べれそう」みたいなとこはあるから そういうとこに入ることもあるんだけど、ここは!!いいと思う!!これは!! 見た目が地味だけど、イカもエビも沢山はいってたよ! で、あとはブラーノレースを買ってホテルに帰ろう!としたんだ。 でもヴァポレットがかなり混んでて、人がすごい並んでる笑 16:00くらいに並んだのに1時間以上待ってた気がする…w 私が行きたかったのは「ホテルのあるメストレ行きのバス停があるサンタルチア駅行き」だったんだけど 急に「サンマルコ広場行きに変更!」って言われてwえー!?w サンマルコ広場とサンタルチア駅は快速のヴァポレットに乗っても30分くらいのとこなんだ笑 でもこのラグーナの島の中でもブラーノ島は特に本島から離れてて、サンタルチア駅からは1時間30分くらいの距離にあって 結構遠いから、とにかくサンマルコ広場でもいいからヴェネツィア本島に行かないと怖い笑 これ以上この離島には居たくなくて行先変更でも乗ったんだ笑 で、この行先変更のヴァポレットに不安を持ちつつ乗ってたら日本人の1人のオッサンが声かけてきて 「あの、日本人ですよね?一人ですか?」って笑 「はい」って言ったら「この船サンマルコ広場に変わるって言ってましたよね笑」 「そうなんですよ、私はサンタルチア駅に行きたいんですが不安で笑」 「僕もなんですよ…名刺今は無いんですが、僕○○会社(大手企業)でベローナに出向してるんですが、明日もベローナで仕事だから 今日中にはベローナに帰らないといけなくて…サンタルチア駅発の新幹線(レ・フレッチェ)が20:10なんで間に合うか怖くて笑」 「それは怖い笑」って感じで話てくれて笑 そんなこと言ってたら「リド島~~!」ってヴァポレットの案内のおっちゃんが言うからwww みんなリド島で降りるしwwサンマルコ広場行かんのかい/(^o^)\w リド島もラグーナの島々の1つでまだ本島とは離れてる笑 リド島も行ってみたいとは思ってたけどこんな形で行きたくなかったよw 次のヴァポレットまで激混みだから観光なんかできないし時間的にも余裕無いし笑 一応乗り換えでサンマルコ広場には行くみたいなんだけど、既にこの時19:00前笑 おかしくない?!16:00には帰ろうと行動してたのにまだ離島/(^o^)\ まぁそんな中色々オッサンと話してお互い1人だし一緒に並んでたんだけど、 オッサンが「ベローナいいところだよ~~普段は観光客もヴェネツィアほど多くないし、 落ち着いてて綺麗で過ごしやすいからおいでよ~案内するしご飯おごるよ!」 って言ってくれてたので「じゃあ明日行けたら行きますわ!」みたいなノリで約束して笑
なんとか乗り換えたら19:30くらいにサンマルコ広場について20:00くらいにサンタルチア駅についた! オッサンは予約してたレ・フレッチェには乗れなかったみたいだけど別の列車には乗れて無事ベローナについたよう笑 さすがにサマータイムでも20:00超えてくると暗くなってくるし、メストレは移民さん?かな? 黒人さんが多いのでちょっと怖いからウロウロしたくなくて笑 夕飯と明日の朝食のためにスーパー行ったよ!
もう結構疲れててイタちゃんちに振り回されている…ってなってたんだけど、 お惣菜コーナーでグラム注文はハードルが高いので個数で注文できそうなものを頼んでみようと思って! 自分で言うのもなんだけどここにきてお惣菜チャレンジするの中々アホだよね笑 お惣菜のお兄さんに話かけた「英語いいですか?」「んーちょっとなら」「私もちょっとなら笑 これを2個ください」って言ったら 2個包んでくれてグラムによる値段のバーコードが印刷されたシールをお惣菜に貼ったあとに、 1個また出してきて「手出して、これあげる」ってオマケしてくれて!! おにいさーーん!!これはイタちゃん変換余裕ですわ… その後は何言ってるか分からなかったけど、多分「いいんだこんなくらい」って感じだったと思う笑 いつもしてるのかな笑 これだからイタリアはやめられないぜ…くっ…このポテトうめぇ… すごくうれしい気分になるよね!!イタちゃんちが憎めない…憎めない…!w 内心「やべーお水無いのにこんなもん食えんのか」って思ったけどなんとか食べれた笑 あっちの人ってお金払う前でも堂々と食べて後払いとかするけど、スーパーでそれするのは私にはできないし、 「お前何食べてる!」って捕まったらどうしようかとドキドキしたよ笑 で、届いてるわけないだろうと分かってても「明日にはスーツケース送るから!」って言ったのを 一応期待してホテルに戻ったけど、まぁ、届いてないよね笑 また明日もノーメイクで同じもの着るのか~~~イタリアでこそ着飾りたかった笑 下着は洗ったよ、さすがに笑
8日目!
ご飯がスーパーのだから写真撮ってても雑になってきててここにうpするほどの写真がないので前日の夕飯から飛ばしています笑
すでにイタちゃんちでの出来事が濃すぎてドイツ行った記憶がはるか向こうになってた笑 今日はベローナに行こうと思う!けど、荷物が流石に永遠に来ないんじゃないかと不安にもなってたので がんばって空港に電話することに!した!でも英語なんかできねーぞ! しかもつながらない笑 おいいい笑 てかロストバゲージ案内の紙には「このURLにアクセスしてPINコードを入力すれば自分の荷物状況がわかるよ」って 書いてたんだけど、そのURLにまずアクセスできなかったんですけど!!!ww もう!!イタちゃん!!wだからしたくない電話することにしたよ…w なんとか繋がって「荷物が昨日届く予定だったけど、まだ来ないよ」って言ったら「明日には届くから待ってて、 何か変更あればまたこちらから電話するよ」って切ったんだけど、ほんまかいな…笑 で、観光しようと外出ようとしたら部屋の鍵があかない笑 私ね、普段から鍵回すのド下手くそで日本でも鍵が開きません!!鍵の回し方わかりません!! ってよくなってるんだけど、ここでもそれが出て笑 内心、多分鍵が悪いんじゃなくて開け方が悪いから、冷静になれ…冷静になれ…って してるんだけど、開かない笑 面倒だからオーナーに電話して開けてもらおうかと思って電話したら「鍵が…開かない」「え?鍵?がなに?」 「鍵が…部屋側から開かないんです」「ん?アンロック?(英語下手くそすぎて伝わってない)」 「…?アンロック…アンロック!(アンロックの意味を真逆に解釈した私はここでなぜかアンロックを肯定)」 「??OK,バイバイ」「??ばいばい?」「(電話きれる)」「???え??通じたの?来てくれる?w」 っていうクソ会話をしてしまって30分待ちぼうけ、ここでもう1時間くらい鍵が開いてない笑 で、開かない~~ってまた格闘してたらなんかどこかでガチャっとアッサリ開いてwwww オーナーがアンロックのくだりで来ないことは分かったからよかったものの、もう!なんやねん!と自分に情けなくなるww で、ホテル出ようとしたら、ちょうど!!空港から荷物届いて!!清掃のお姉さんが部屋まで荷物を階段上がってくれた! チップ渡したけど、お姉さんかわいいし優しいんだ!イタリア語しかできないけど、グーグル翻訳で何回か助けてくれてて笑 気を取り直して荷物を部屋で開けたら…
ワインが割れて…ました… ドイツで…ポツダムのサンスーシ宮殿で買った「プロイセンプレミアムワイン」割れてました… アアアアアアアン涙 これは!!悔しい!!!一応荷物でカバーしてたつもりだったんだけど足りなかったんかな… それかかなり雑な扱いを受けたのか笑 悲しい…これは絶対買うって決めてたし…ううう( ;∀;)プロイセンワイン飾りたかった~~~~ そして被害がwwwwくっそお!wお土産ベッタベタだよ!ワイン臭すごいし!w 破片で怖いし!ww ドイツで買ったお土産結構な確立でワインまみれになってて、チョコも未開封そのまま捨てたし、 お土産の外箱とか包装までベタベタだからこんなん持って帰るのも帰れない笑 すごくかわいい包装や箱もあったの…なんなら、箱とセットだから素敵ってのもあるやん?w ほぼ捨てたよね笑 ただ、不幸中の幸いは、ワイン守る用に周辺にポケットティッシュを8個くらい敷き詰めてて、 ワインもこいつらが使用済みのオムツみたいなレベルで吸ってくれてたから被害が抑えられたと思う笑 破片もすごいけど、ワインは位置変わってないというか、割れても形?を保ってたんだよ! だから服を収納してた片側には行ってなくて、雑貨側の片面だけで済んでた!(写真は周辺の荷物を除いた状態) だからね、ちょっとは守ってたことを証明してるんだけど、一体どんな衝撃きたんだよ/(^o^)\ww このスーツケースいい値段してたから、多分外側の防御力はいいのかも笑 でも中身は耐えられなかったんかな笑 使いたくないし、持って帰りたくもないからさっきの清掃のお姉さんに「このホテルで不要なスーツケース捨ててくれる?」 って聞いたらOKもらえたので、今日はスーツケース新しいの買おうと思う…wくw 今日こそはお洋服も着替えられるし、化粧もできる!テンション上がる~!!
準備してベローナ行きのレ・フレッチェに乗った!! んだけど、私としたことが乗った瞬間に「あ。やべぇ打刻してねぇ。罰金��可避(悟り)」ってなって笑 この時点で荷物の開封とショックで疲れてたのか、 「もうええわ罰金くらい払うわくそが」みたいな感じですげー堂々と切符点検のお姉さんに 「ボンジョルノ!グラッツェ!」っていい笑顔で切符渡したら何故か見逃してもらえたwww え?!なんで?!観光客にも容赦ないんじゃないのか?w挨拶が大事ってことの証明?w 何にせよ内心「罰金いくらやねん(涙)」ってなってたから嬉しい!w これだからイタリアはやめられねぇぜ… これでまだ午前中、ちょうどお昼くらいの話なんだから濃いよね~~ で、昨日のおじさんと合流!お仕事はフルタイムみたいな感じではないらしく、遅めのお昼から一緒できそうとのことだったので、 案内してもらうことに!
「本当に来るとは思わなかった」「あ、なんかすみません社交辞令を真に受けて来ちゃって」 でもまじでベローナ行ってみたかったし、ヴェネツィアは2回目だったし、気分転換がすごい! ベローナいいね!綺麗で!落ち着いてる!ヴェネツィアの癒しとはまた違うけど、 イタリアの大陸側の観光って初めてだったから新鮮な気分だった! あ、海のないイタリア観光ってこんな感じなんだ~って笑 しかし改めてヴェネツィアの戦闘力の高さも認識はしてしまったんだけどね笑
観光中心地の広場のレストランでまた懲りずにシーフードリゾット! なんだけど、これ、スパイスが効いてて普通の人には何ともないレベルの量なんだけど、 私には辛すぎて口の中痛くて食べれなくて笑 このオッサンはチーズと鶏ミンチのリゾットだったから交換してもらった笑 やさしい味~~チーズいい香り!イタちゃんちのチーズ美味しい~~(と思う) ピッツァも挑戦したいけど無理そうで諦めてたからチーズ嬉しい! シーフードリゾットは1口しか食べてないけど、昨日のブラーノ島のやつのが美味しいと思う笑 見た目は豪華だけどね! で、まぁやっぱり米は固いので半分くらいでギブしたんだけど笑 このオッサンも名刺くれて一応怪しいものではない認定をして(遅い) 話を聞いてたら「手術や治療で普通にご飯が食べれない人用に鼻や胃腸に直接入れる栄養食(粉を水で溶かして使うやつ)」を 開発した人らしくて。 この商品は病院でかなりのシェアがあるみたいで、私は粉末を溶かすタイプは使ってなかったけど、 同じ病室でこれを使ってる人がいたから、何言ってるのかはわかったんだけど、 お世話になってたかもしれないし、私も栄養剤鼻から1か月は入れてたから他人事じゃなくてな! すげー巡り合わせだ!っておお!ってなったね!笑
んでまぁアレーナっていうローマのコロッセオの次の規模らしいものみて、
街並み見つつロミジュリの舞台見て笑 あと大きい教会が3つあるみたいなんだけど、1つは近くだから見に行った!
すごい綺麗~~~!やっぱイタちゃんちの教会は感動する…ぶわーーってなる… ドイツにも教会あるしそれなりに豪華なとこもあるし見てるし、宮殿も親父の拘りなんかすごくて 細かい装飾品や、すごいーって思うんだけど、 正直、イタちゃんちの感動ってドイツには無いんだよね… もちろん兄さん~~~!!みたいなのはあるよ!wそれは特別!w でも、なんていうか、イタちゃんのパワーを感じる笑 こういうとこに笑 イタちゃんにはむちゃくちゃ振り回されてるから、そういう点ではドイツのがかなり落ち着いて行動できたし 便利で過ごしやすかったから、ドイツのがいいとこも沢山あるんだけどね! これは3年前も思ったことだな~~
そして買わないといけないスーツケース!買った!! ヴェネツィアにもあるんだろうけど絶対高いだろうし、安いと騙されてそうで怖いな~って思ってたから ベローナのショッピング街ウロウロしてたらリーズナブルでかわいいお店あったので!! 写真はホテルで撮ってるよ。本物のほうがもっと赤っぽいオレンジだけど、いい色~~~ このお店のお姉さん、とてもかわいくて色々説明してくれたんだけど、 最初スーツケースが高くて奥の棚にあったから取り出してくれるときに 長いネイルした爪が折れちゃって!「あーっこれは痛いし…あーっまだつながってるしどうしよう」 ってなってたから「先に治療してきて、スーツケースあとでいいから」って言ったら 「ちょっと待ってね!」って行ってしばらくしたら戻ってきてくれたんだけど、 そのあともスーツケースを棚に戻したりわちゃわちゃしてるときに腕ぶつけたりしてて、 「今日はバッドデイだわ…」って言ってて笑 でもなんか、女子特有のすぐ仲良くなる感じになって嬉しかった笑
そのあとは今回初ジェラート!分かりにくいけどレモンとホワイトチョコ!驚きの白さ! 美味しい~~!(と思う)けど量多いから残した笑 日本だと「この量でこの値段は高いですわ」みたいなことたまにあるけど、 ヨーロッパは「この量でこの値段なら高くないけどこの量はいらない」みたいになる笑
最後はベローナの街並みを綺麗に写真撮れるとこで終わり!ここなんだっけ、よくわからんとこ笑 イタリアの信号は黄色あるよ!青はかなり時間短いけど黄色が以外と長くて焦り損する笑 この日もパンとお惣菜買って夕飯!ヘタにレストラン行くよりこのくらいで済むほうが楽だよ笑 ご飯に1時間とかかかるから長居もしずらいんだよね笑
9日目!
これシュリンプのサンドイッチなんだけど美味しかった…と思う笑 あっちって牛乳常温で売ってるんだよね~確かにお菓子のレシピでも常温に戻してから、って書いてるし冷やす習慣ないのか??開封したら別かな?
今日は天気悪い~! リアルト橋だよ!3年前は改装中でこの姿見れなかったから嬉しい!
ヴェネツィア来たら行かないと、みたいなサンマルコ広場に行った! やっぱすげーけど曇ってるゥ!この広場の鐘楼も聖堂も美術館も3年前にコンプリートしてるので、中は行かない! 別ジャンルのフォロワーさんが別ジャンルに移ったときにヴェネツィアが舞台のお話みたいで 推しのためにお土産を買ってきてくれ、ってミッションも無事こなした!
そして3年前しなかったクソ高いカフェでお茶する! この網は鳩が近くに居てサンドイッチとかも食べに来ちゃうから、それの防止笑 いえーい優雅~!生演奏聞きながらクソ高いカフェラテとサンドイッチをいただきますわよオホホ キャビア乗ってるじゃないでございますの、初めて食べましたわ… しょっぱい…魚卵…って感じだね?(魚卵ですからね)
このあとはまた行けてなかった教会に行こうとおもって、サンジョルジョマッジョーレ教会に行った! けど雨ェ!w
中にはいきなりシャレオツなオブジェあったよ…!なんで!? 教会の中に突然オブジェ置くものなの??よくわかんねーな…日本じゃ神社の中に突然現代美術品置くっての無さそう…
てっぺんからの景色はよかったよ~~けど晴れてたらもっとよかっただろうなぁ笑 雨にクソ打たれてオギャーだよ!
でも雨あがったら少し晴れてきてサンマルコ広場戻ったらいい感じ!
買い物しつつ、また同じ高いカフェ入ってティラミス食べた!けどあまいよ~~~ 胃にもくるので夕飯イラネェ…ってなりつつなんとか食した笑 明日は帰るので今日は早めに寝るぞ!
最終日
私はここで焦っていた… このホテル、実は旅行前に日本で自動的に支払いがされてて笑 メールで突然「支払いが完了しました!」ってなってたから、「え!?てめー聞いてねぇぞコノヤロー何勝手に決算してんだ」 ってちょっとムっと思ってたんだけど、すっかりそれを忘れてて笑 3年前も今回も現地払いを前提に予約してたし、今回もそのつもりでいたから忘れてて、 受付に普段いないオーナーに前日に「明日、朝の5:50にはチェックアウトしたいよ、私はどうすればいい?返信ちょうだい」 ってメールしてたんだよ。何なら清掃のお姉さんにチップと共にオーナーへって同じこと書いたメモも渡したの。 支払い済みを忘れてた私が一番アホで悪いんだけど、返信くれって言ってるんだから、一言、 「特にすることないよ、そのまま帰って」ってくらいくれればいいやん?? けど返信もないし、朝その時間に鬼電話しても出ないし笑 もう焦る焦る笑 支払ってないって思っちゃってるから、タダでここ出たらまずいよね?!って思って金額の現金置いて、 「手続きが必要ならあとでメールください。飛行機間に合わないので出ます」ってメール送って笑 走ってたんだけどいかんせん貧弱だからしんどいし、荷物重すぎて途中道に階段があって登れなくて笑 フラフラして運んでたら通りすがりのお兄さんが階段まで荷物運んでくれてな!!!ありがとう!! 急いでバス停行ったらもうバス出るとこだし、でも切符まだ買ってないから券売機探すも近くに無いし、 下調べができてない私が悪いんだけど、現金がほぼ無いっていうのは突然の予定外の出来事だから 運転手さんから直接買うこともできなくて笑 クレジットカードしかないって言ったら現金しか無理!空港で買えば?言われて笑 ありがたや…とりあえず乗せてくれた…笑 で、空港ついたら私はバスの券売機が近くのどこにあるか探さないとわからないし、 重い荷物あって素早く行動できないからキョロキョロしてるうちに運転手さんもう次の目的地行っちゃうし!w もはや買っても買わなくても誰にも分からない状態になっちゃって笑 一旦座って落ち着いて、さっきのホテルへのメール返信来てないかな~って自分の送ったメールを見直してたら急に気付いた… あれ…??私支払いを日本で済ませてたのでは…??ってwww/(^o^)\ ウワーww結構いい値段を現金で置いてきてしまったwww/(^o^)\ やらかした~~!もっかいメールで「さっきは勘違いしたメールをしてごめん、もう現金は返金しなくていいよ」て送った…笑 めんどくさいから返金はもういいんだけど、今現在帰国して一週間たっても返信してこないオーナー何なの?!ww握手してくれたり私の下手な英語にも付き合ってくれたり、説明してくれたり、人当たりはよかったんだよ?w あと悲しいのが急いだけど飛行機の時間が1時間くらい遅くなるって出て、もう私疲弊すごい…笑 自分が一番アホなんだよな~~~ホテル代支払い済みなのすっかり忘れてたよ~~~ まぁユーロ持って帰ってもしょうがないけど、多分もっかい旅行しても残るくらいはあったよ… 未払い��りはいいんだけどさ笑 高い勉強代だ~~! 手続き全部終って、空港でちょっと化粧品見たり買ったりして、そのときのレジのお兄さんが多分ドイツ人だったみたいで、ボーディングパス見せて、って言われて見せたら「ミュンヘン乗り換え」を見たからか、「ダンケ!」ってスゲー何回も言ってきてかわいかった笑 私はついグラッツェって言っちゃったんだけど、その後も「ダンケ!」って何回も言ってきた笑 そしてミュンヘンで乗り換え!
ソフトミールが行きより固めな気がしてあんま食べれなかった笑 日本の日の入りも見て、なんとか帰れましたよ…ヨボヨボ 最終日に一番やらかしちゃったよ~w最後まで気を抜いちゃだめだ!って変に気張ってたから、逆に悪かったな笑
というわけで!!2019年のドイツイタリア旅でした!!! 長文お疲れさまでした!!!やっぱり楽し��ったよ! ほぼ1人だったけど、なんか今はひとりでも大丈夫ですわ、ってなってる! 来年はイギリスか、スペインか、スイスか…行きたいね~~~今度こそ脱ドイツとイタリアする笑 ありがとうございました~~!
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8.李氏朝鮮中期のまとめ
問い5:李氏朝鮮中期の状況について>8.李氏朝鮮中期のまとめ
目次は こちら
8.李氏朝鮮中期のまとめ
李氏朝鮮中期の状況について以下のように纏めました。
① 李氏朝鮮は政治の基本として儒教の中の性理学を受け入れましたが、政治を担うべき人々は、政治を行う観点からは無意味な論争に明け暮れ、現実離れした論争を通じて、四分五裂の党派争いを95年間も展開して、朋党を形成し、「党同異伐」を繰り返しており、これが李氏朝鮮王朝における政権を担当する儒者たちの実態でした。
② 戊午士禍(ぼごしか)、甲子士禍、中宗反正、己卯士禍(きぼうしか)、乙巳士禍(いつししか)と執権者の殺戮に次ぐ殺戮が行われました。それは、自分の朋党が政権を取る為に、王への讒言や誣告によって、罪のない多くの政敵を残酷に処刑したのです。誠実に仕事をしていても、嘘の罪を着せられて殺される恐ろしい時代だと言えます。
③ 朋党の争いは次のように、党派間での報復に次ぐ報復により、殺し合いが行われています。
1660年:第一次礼訴。南人派に対する西人派の勝利。
1674年:第二次礼訴。西人派に対する南人派の報復。
1680年:西人派が執権。南人派に対する報復。
1683年:南人派が執権。老論派と少論派に分裂。
1689年:南人派が執権。老論派に対する報復。
1694年:老論派が執権。南人派に対する報復。
1722年:少論派が執権。老論派に対する報復。老論四大臣をはじめ60余名が逮捕され、すべて獄死あるは処刑された。
1727年:老論派の攻撃から少論派を守る。
1728年:清州で反乱が起き、清州城が陥落。南人が英租と老論の除去を狙った反乱。反乱は鎮圧され多くの関連者が処刑された。
1755年:羅州の客舎に「奸臣」と書いた凶書を掛けた事件。戊申の乱の残党を摘発し、小論急進派を処刑。その子孫も処罰。
そして、「朋党は争闘から生まれ、争闘は利害から生まれる。利害が切実であるほどその党の根は深く、利害が久しいほどその党の結束が固くなる」と冷静に状況を見ていた人も居ました。
この95年間にわたる老論派、南人派、小論派・西人派の党派間の中傷や誹謗、謀略、誅戮、政治と党争の混同などは、目を覆いたくなるほどです。
④ 1592年、戦国時代の混乱を収拾し日本統一を成し遂げた豊臣秀吉は、次は明国を制圧するとの妄想を掲げ、朝鮮を通り道として明国へ攻め入るために、各地の武将に命じて20万の兵を動員して朝鮮を侵略しました。豊臣秀吉はこの時すでに耄碌しており、まともな判断力があったとは思われませんが、日本各地の武将たちは表立って反対できませんでした。
朝鮮遠征の日本の将兵は、一時朝鮮の北の端まで進軍しましたが、明国へは入れず、優れたた鉄砲を持った明国の援軍と強い軍船を持った朝鮮水軍により苦戦して、秀吉が死んだので遠征軍は日本へ引き上げました。
⑤ 中国で明朝が女真族の清朝によって滅ぼされると、朝鮮の儒者は女真人を野蛮人と見ていたので、中華文明の伝統は清朝によって夷狄化したとして蔑視し、その人々を「胡慮」か「犬羊」とけなしました。そして中華の正統性を継ぐのは朝鮮だけだという唯我独尊的な「小中華」思想が風靡するようになりました。
その生み出された小中華思想は、朝鮮だけが世界で一番文化の程度が高い国であり、他から学ぶのは何もないと思い込み、意識だけは世界最高レベルのものへと変質して、その誤った尊大な意識が世界を冷静に見る目を曇らせたものと推測されます。
以上が李氏朝鮮中期のまとめ��すが、この期間で目立つことは、士禍と言われる殺し合いと、朋党の争いの際限のない殺し合いです。讒言・誣告・中傷・誹謗・謀略、誅戮、政治と党争の混同により政敵の党派を陥れて大量に殺し、政権を奪い奪われる関係が続いていました。
これは政敵への報復や復讐が、その相手からの報復や復讐を生み出す悲劇です。報復や復讐の意識に囚われている限り、報復や復讐に終りはありません。これは、朝鮮の永遠の悲劇であり不幸だと言えます。
報復や復讐は、その組織や社会や国の発展や人々の幸せに役立ちません。復讐した積りが、相手から報復を受けて、却って不幸になる場合があります。うまくいっても一時の自己満足だけが得られる全てです。
そして、党派間の際限のない報復が報復を呼ぶ復讐の連鎖は、日本統治によって表面的には消滅しました。それは、敵対する党派を打ち負かしても、得られる政権獲得という「甘い汁」がなくなったからです。
しかし、100年前後も続いてきた復讐の考え方は、朝鮮の人々の心の奥深く潜んでいて、何かがあると「恨」の精神となって表に現れるのかもしれません。
そこで、大切なことは、相手も自分と同じ時代を生きている人であり、愛しい家族や独自の生活があることを想って、その存在を認めて攻撃をしないことです。もちろん、攻撃されれば防御は必要ですが、報復的な反撃をしないことです。現代の攻撃は武力攻撃だけではなく、言論や法的・文化的・環境的・経済的な攻撃も有ります。このような各種攻撃をしなければ反撃も報復も復讐もないと思います。相手が例え憎くとも、相手に恨みがあっても、我慢して非難や攻撃せずに、そのような相手の存在を許容して認めることが、お互いに平和と幸せを呼ぶと思います。復讐・仇討は罪悪であるとの国民文化を創ることが大切です。
このようにして、讒言・誣告・中傷・誹謗・謀略などによる攻撃・報復・仇討のない国にすることにより、国民が安心して暮らせて、幸せになれると信じています。日韓両国の関係についても同様であると思います。
世界の人々に、この信念の是非を問う次第です。
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安倍晋三と山口組
都内でも有数の高級住宅地・世田谷区成城。その一画に敷地面積917平米、延床面積578平米と、界隈でも威容を誇る大豪邸が建っている。
西洋風の玄関を抜けると、その先には磨きぬかれた白亜の大理石の階段。2階に上がると、見晴らしの良い広々としたリビングルームがある。大きな窓からは青々とした芝生と木々が見える。その奥の応接間に通されると、窓際には1枚の写真が金縁の額に飾られていた。
豪邸の主が訪れた客人たちに自慢げに見せていた写真。写るのは3人の男性である。
中央は、政権奪取に邁進する自民党の新総裁、安倍晋三氏だ。向かって左側では白人男性が白い歯を見せて笑っている。その男性と交流のある元自民党代議士がいう。
「米共和党の大物政治家・マイク・ハッカビー氏です。元アーカンソー州知事で、2008年の大統領選に名乗りを上げ大善戦。今年の大統領選にも共和党候補として名前が挙がっていました。キリスト教福音派の牧師というバックボーンから、米保守派では根強い人気がある。ハッカビー氏は4年前に初来日しています」
写真は、2008年6月のハッカビー氏の来日時に議員会館の安倍事務所内で撮られたものだ。安倍氏が「健康上の問題」を理由に、総理の職を自ら辞して、1年も経っていない頃である。
問題は安倍氏の右側に立ち、悠然と笑みをたたえる人物である。真っ白のシルクのスーツにピンクのネクタイ、そして丸坊主姿の男性。現在、刑事被告人として公判中の韓国籍の男性、永本壹柱(本名・孫壹柱)氏だ。彼がこの大豪邸の家主である。
永本氏が公判で問われているのは、中堅ゼネコンを舞台とした架空増資事件をめぐる貸金業法違反の罪だ。2008年、貸金業の登録がないにもかかわらず、同社の増資を引き受けた金融ブローカーらに計7億3000万円を貸し付けたとされる。今年3月、逃亡先の韓国から帰国したところを逮捕された。
逮捕翌日の新聞には、〈指定暴力団山口組系組織の資金を運用していたとみられ、組対3課は収益が暴力団側に流れたとみて追及する〉(3月11日付毎日新聞)、〈捜査関係者によると永本容疑者は山口組系暴力団関係者〉(同日付朝日新聞)などと報じられたように、捜査当局は「山口組の金庫番」として、永本氏の背後人脈に注目していた。
実際、公判では永本氏本人が山口組系組長との長年の交際や、祝儀名目で数百万円をわたしていたこと���明かしている。
永本氏のビジネスパートナーはこう証言する。
「彼の仕事は闇の金融屋です。どんなにヤバい相手や仕事でも儲かると思えば、不動産などを担保に高利で貸す。近年は上場企業を舞台とした架空増資や仕手戦に関与して荒稼ぎし、『10億円をすぐに用意できる男』、『闇金融のドン』と称されるほど業界では有名でした」
また、永本氏は芸能界やスポーツ界のタニマチとしても顔が広かった。2009年9月、東京・代官山の高級レストランで元横綱・朝青龍の誕生日パーティが盛大に開かれた。有名ミュージシャンや俳優、元プロ野球選手や現役力士ほか、大手芸能プロやパチンコメーカーの幹部らが顔を揃えた豪華な催しだ。
出席者のひとりは、このパーティの主催者が「永本氏だった」と話す。
「このパーティには山口組の最高幹部も姿を見せていました。あり余る資金力を背景にした永本さんのハンパない人脈に圧倒されましたね。都内の高級ホテルを定宿にし、ロールスロイス・ファントムLWBなど複数の超高級外車で移動するというライフスタイルを自慢げに周囲に話していました」
自らの逮捕情報が浮上��た昨年秋以降、永本氏は秘かに所有する資産の処分を行なっていた。成城の大豪邸を5億5000万円で売却することを企てたが、買い手側との値段が折り合わず、交渉のさなかに逮捕された。
永本氏と写真を撮った経緯について、安倍事務所は文書でこう回答した。
「地元後援者の依頼でハッカビー氏と会うことになりました。当事務所を訪問したハッカビー氏一行は複数名でしたが、当該人物とは面識も、お付き合いもなく、記憶にありません。写真撮影を求められれば、駅のホームを含め何人にも応じています」
公判のために東京地裁に姿を現わした永本氏にも話を聞いた。
「元々、安倍さんの地元の有力後援者と親しく、その縁で安倍さんとハッカビーさんを紹介され、事務所に行って一緒に写真を撮りました。安倍さんは拉致の問題に熱心だったから、北朝鮮に橋渡しができる私ならば、何かお役に立てると思ってお会いした。安倍さんには献金もしていないし、その時にお会いしただけで、親しく付き合っているわけではありません」
新生・安倍自民の船出に冷や水を浴びせる、絶妙のタイミングで流出した「黒い交際」写真。来たるべき解散・総選挙を睨んだ謀略なのか、それとももっと別の意図があったのだろうか。
参照元 : 週刊ポスト2012年10月26日号
http://www.news-postseven.com/archives/20121015_149154.html
安倍晋三と仲良くパチリの写真の男が増資を悪用して利益を得る「増資マフィア」のなかで“最後の大物”といわれる永本壹柱
以下引用
久々に東京地検特捜部が手がけた「大王製紙事件」、「オリンパス事件」の陰に隠れて経済事件としての印象は薄くなってしまったものの、証券市場を利用した悪辣さと、反社会���勢力(反社)が堂々と登場したという意味で、摘発の時宜に適っているのが、警視庁が22日に関係者を一斉に逮捕した「井上工業事件」だった。
北関東の名門ゼネコンが、「資本のハイエナ」と呼ばれるゴロツキに、約束の増資資金を払い込んでもらえなかったどころか、渡した新株を売り込まれた断末魔は、この種の倒産劇のなかでも最悪だった。
警視庁組織犯罪対策3課が摘発したのは市場を欺く発表をしたという意味での金融商品取引法違反(偽計)容疑だが、そこに事件の本質はない。
従って、第2幕が用意されており、ターゲットとなっているのは増資を悪用して利益を得る「増資マフィア」のなかで“最後の大物”といわれる永本壹柱氏で、同氏と暴力団につながる数人の企業舎弟を新たに逮捕、組織犯罪処罰法で切り込む方針だ。
第1幕の偽計で逮捕されたのは、「井上工業」側が中村剛元社長ら3人と、永本氏の会社「神商」で役員を務める前野森幸容疑者と増資の引受先となった「アップル有限責任事業組合」(アップル)の奥村英容疑者で、当初逃亡していた「神商」顧問の井筒雅信容疑者、かつて「高北農機株鉄砲事件」で活躍、今回の事件のシナリオを描いた金融ブローカーの高橋利典容疑者らも25日までに逮捕されており、第2幕が上がる準備は整った。
08年9月、「井上工業」は「アップル」を引受先とする18億円の第三者割当増資を実施すると発表。しかし、直前になって奥村容疑者が「払込日までにカネが集まらない」と通告。ところが、信じられないことに、上場廃止を回避したい同社は自社資金の15億円を用意、「アップル」が調達した3億円と合わせて形を整えた。
まるでマンガのようなデタラメ増資であるが、その時「アップル」に資金提供したのが前述の「神商」で、同社は発行された新株のうち1億2500株を担保に取り、株を返さなかった。
そこで「アップル」は、山口組系の企業舎弟と目されているN某に交渉を依頼。Nは「神商」サイドと交渉の上、1億株を取り戻し、自身が報酬として5000万株を受け取り、残りを「アップル」に渡した。
また、新株の引き受け先のなかには山口組系の企業舎弟のK某もいて、株を叩き売り、利益を得ている。
永本氏もまた山口組系2次団体の企業舎弟と目されており、組対3課は「井上工業事件」を、「山口組系金融業者が、不正に上場企業の株を取得、証券市場で売却してマネーロンダリングした事件」と捉え、組織犯罪処罰法での摘発が相応しいと判断した。
これこそ画に描いたような「反社の事件」であり、暴力団の“シノギ”である。
折しも、「オリンパス事件」では海外メディアが、粉飾の際の工作資金ルートに暴力団がいると騒ぎ立てている。
高級紙として知られる「ニューヨーク・タイムズ」など「10年間で2000億円以上ものカネが指定暴力団山口組を含む犯罪組織に流れた」と、ありえない報道をしている。
しかし、暴力団が絡むことができるのは「弱った企業」である。「急ぎのカネ」が必要な時、企業には隙が生まれ、そこを突かれて、「井上工業」のようにわずかなカネで資産を収奪されるのである。
もし、「オリンパス」に反社のカネが流れているとすれば、粉飾のうちシンガポールのファンドを使って工作したルートであり、それも「出資に見合った配当」でしかない。
そうした“反社の実態”は、永本氏がよく伝えている。
90年代までは関西で地上げ業者として知られた永本氏だが、株の世界ではそれほど有名ではなかった。
同氏の名前が知られるようになったのは、規制緩和で増資手続きが簡略化、同時に新興市場の創設で、危うげな企業が多数上場して「増資マフィア」として稼げるようになってからである。
「メディア・リンクス」、「大盛工業」、「田崎真珠」、「ルーデン・ホールディングス」、「バナーズ」、「トランスデジタル」、そして今回の「井上工業」――これまで事件の度に何度も名前が上がりながら、永本氏が逃げ切ることができたのは、自身は直接、増資にタッチしない巧みさと、「バナーズ事件」で逮捕された側近の前野容疑者が今回も逮捕されていることでもわかるように“楯となる存在”がいたからだ。
警視庁のなかには、「今回も“御本尊”まで届くのは難しいんじゃないか」という悲観論もあるというが、事件の本質は“ヤクザの手法”を解明、増資を利用した暴力団へのカネの流れを遮断することにあるはずである。
とすれば、ようやくの立件を第1幕だけで事件を終結させたのでは、「井上工業」を摘発した意味はない。
大願成就なるか、それとも画竜点睛を欠いた捜査で幕引きとなるか。…ここからが正念場である。【煌】
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仏教史上最大の悲劇である王舎城の悲劇。その悲劇のヒロイン韋提希夫人が、ブッダの導きによって救われるまでのあらすじやブッダの説かれた教えを分かりやすく解説されている。
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東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻第11期生修了制作展
みんなで映画のつくり方を学ぶために友だちに書き送る手紙 vol. 2
わたしたちは遊ぶ 映画で遊ぶ この遊びとはなんだろう いくつか定義がある ここに二つ、三つその例を示そう 他人の鏡のなかに 自分の姿を映してみること 世界と自分自身とを 素早くそしてゆっくりと 忘れそして知ること 思考しそして語ること 奇妙な遊びだ これが人生なのだ
───「みんなで映画のつくり方を学ぶために友だちに書き送る手紙」より ジャン=リュック・ゴダール
本上映会は東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻第11期生の修了制作展です。最初の上映から一年、四通の新しい手紙を書き送ります。
◆2017年1月28日(土) 29日(日) 横浜会場:東京藝術大学横浜校地馬車道校舎
◉2017年3月4日(土)〜10日(金) 渋谷会場:渋谷ユーロスペース
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◆横浜会場 【会期】2017年1月28日(土) 29日(日) 【会場】東京藝術大学横浜校地 馬車道校舎 3階大視聴覚室(103席) 横浜市中区本町4-44(みなとみらい線「馬車道」駅5、7番出口すぐ) 【料金】入場無料・予約不要 【主催】東京藝術大学大学院映像研究科 横浜市文化観光局 【スケジュール】 1月28日(土)12:30開場 13:00 『ミュジックのこどもたち』 14:30 『みつこと宇宙こぶ』 15:30 『わたしたちの家』 17:10 『情操家族』
1月29日(日)12:30開場 13:00 『情操家族』 14:40 『わたしたちの家』 16:20 『みつこと宇宙こぶ』 17:20 『ミュジックのこどもたち』
◉渋谷会場 【会期】2017年3月4日(土)~10日(金) 【会場】渋谷ユーロスペース 渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 3F 【会場ウェブサイト】http://www.eurospace.co.jp/ 【お問合わせ】03-3461-0211 【料金】前売券:700円 当日券:900円(均一) フリーパス券:1500円(会期中何度でも入場可能) 【主催】東京藝術大学大学院映像研究科 【スケジュール】 3月4日(土) 『情操家族』 3月5日(日) 『わたしたちの家』 3月6日(月) 『みつこと宇宙こぶ』 3月7日(火) 『情操家族』 3月8日(水) 『ミュジックのこどもたち』 3月9日(木) 『わたしたちの家』 3月10日(金) 『みつこと宇宙こぶ』『ミュジックのこどもたち』 ※連日21:00から上映 ※会期中舞台挨拶・トークあり
単純明快な作品などひとつもない。みんなそれぞれに、何か大きなものに挑み、気持ちのいいくらいの試行錯誤を繰り広げ、複雑で重層的な語り口の中から、必死で信じるに足るものを探し出そうとしている。そしてその中から、おそらく偶然なのだろうが、全ての作品に共通の物語的主題がはっきりと浮かび上がってきていることに驚いた。そのひとつは、いまや従来の家族はまったく機能していないという点。もうひとつは、男はほとんど役に立たないか傍観者にすぎず、主体は女性の手に握られているという点。……なるほど、そうかもしれない。しかし4人の若い作家たちにとって、そのことは決して悲観すべきことではなく、むしろ希望、世界と映画に立ち向かうための絶好の主題であるように思える。 黒沢清(東京藝術大学大学院映像研究科教授)
ふと、昔見たある映画の中のセリフを思い出す。「世界を救うのはこどもや兵士や狂人なんだ」と。こどもとは、疲弊して色彩を失った世界を真新しい視線で再び息づかせるものであり、狂者とは、自分が何者であるか知らぬままに、世界の秩序や意味をかき乱し再生させるものであり、兵士とは、我を忘れて戦いに身を投ずるものであるとするなら、この4本の映画の中では、確かにそのようなものたちが、自ら傷つきながらも生き生きと行動し、世界に新たな光を与えているように見える。奇抜なアイディアや、派手な出来事によって映画を飾り立てることもないが、4本の映画はこどもと兵士と狂者とともに、それぞれの回路で世界に亀裂を生じさせ、映画と世界の新たな接続を試みるのである。 諏訪敦彦(東京藝術大学大学院映像研究科教授)
『ミュジックのこどもたち』
『ミュジックのこどもたち』 2017年/75分/ヨーロピアンビスタ/5.1ch/カラー/DCP 監督・脚本・編集:佐々木健太 脚本:木村暉|プロデューサー:池本凌太郎 渡邊健悟|撮影:龍浩錕|照明:上野陸生|美術:美崎玲奈|衣装:栗田珠似|衣装協力:山崎忍|サウンドデザイン:川神正照|サウンドデザイン助手:仲間章雄|記録:李奥洋|助監督:野頭雄一郎|俳優担当:小林のんき|製作担当:森田雄司|音楽:高橋宏治 出演:伊東茄那 中崎敏 新津ちせ 鎌滝秋浩 長内映里香 生津徹 菊池芙美 小林永実
【あらすじ】 女子高生のマーフは、幼い時に母を亡くし、実父と義母、そのこどもである6歳のまあやと暮らしている。しかし酒に溺れる父には乱暴に扱われ学校でも孤独な生活を送っていた。夢見がちな幼いまあやとだけはいつも一緒にいる。ある日、森に迷いこんだマーフたちは、狩猟を生業とし、森の入り口に建つ古びた一軒家に住むマサとその叔父の次郎に出会う。マサと過ごす日々に、亡くなった母親の記憶やなつかしいうたを思い出すマーフ。音楽とうたのあふれるふしぎな森から、こどもたちの新たな旅がはじまる。
【監督プロフィール】 1985年北海道生まれ。立教大学映像身体学科卒業。大学在学中に『クーラン・オプティック』が仙台短篇映画祭に入選。『帰って来た珈琲隊長』は、ぴあフィルムフェスティバル2015にて上映された。藝大で16mm短編作品『どうでもいいけど』(脚本:木村暉)、他に杉野希妃主演のファンタジー短編『Alice』。
毅然と憎しみの感情を爆発させる主人公のたたずまいが美しい。憎しみが美しいというのが粋である。映画のヒロインとはこうでなければならない。家の内から外へ、あるいはその逆へ、彼女は自分の居場所を見つけようと絶え間なく移動する。まるで映画そのものが居場所を見つけ出そうとしているかのように。それにしても、ここはいったいどこだろうか。街のような森のような、この世のようなあの世のような…全ての境界線が曖昧になった一種の寓話的世界で、コミュニティの崩壊と再生が思いのほか壮大に描かれる。それと、森の中で突然行われる情事がまことにエロチックだった。 黒沢清
映画は、たとえどんなに荒唐無稽な世界であっても、それを「信じる」ように仕向けられる。その世界に綻びがないよう細心の注意が払われる。しかし、ここでは映像と映像が相互に補いながら一つの出来事をスムーズに了解させるよりむしろ、断絶し、エッジを際立たせ、世界は軋みはじめる。震えのようなその綻びには、何かのっぴきならないアンビバレンツな力学が働いており、そこに「映画」と向き合う作者の精神が現れていると思う。山間の古い家屋で世界と隔絶し、銃によって「命を頂いて」暮らし、やがて気球で好きなところへ自由に飛んで行こうとするマサたちの暮らし=孤立したユートピアが箱庭のように描かれるのであるが、地上にもはやユートピアが不可能であるとすれば、本当に空を飛んでいかなくてはならないのかもしれない。しかし、私たちは目に見えるものよりも、この軋み(音楽)こそを信じるべきなのだ。冒頭のマーフの微かな歌声が、やがて、堂々とした死者とのコーラスとして響くとき、音楽はその綻びから物語を超えて世界へ染み出すような感動的な響きを湛えている。 諏訪敦彦
『みつこと宇宙こぶ』
『みつこと宇宙こぶ』 2017年/40分/アメリカンビスタ/5.1ch/カラー/DCP 監督・脚本:竹内里紗 脚本協力:峰尾賢人|プロデューサー:池本凌太郎 関口海音|撮影:松島翔平|照明:諸橋和希|美術:侯捷 王慧茹|衣装:栗田珠似|録音:清水裕紀子|サウンドデザイン:伊豆田廉明|編集:小林淳之介|助監督:川上知来 大杉拓真 山本英|製作担当:崔得龍|ヘアメイク:熊谷七海|特殊メイク:征矢杏子|音楽:金光佑実 出演:小松未来 金田悠希 島野颯太 宮野叶愛 百合原舞 伊原聖羅 篠崎颯夏 根矢涼香 坂井昌三 永山由里恵
【あらすじ】 9月20日。晴れ。目に見えない部分だから気になるのかな。最近「こぶ」の中身についてよく想像をふくらませてる。学校に行く道でも、お風呂に入っていても、夜に眠れないときも、ずうっと考えちゃう。だって「こぶ」の中身がわかれば、他のことについてもわかるような気がするんだ。
【監督プロフィール】 1991年生まれ。神奈川県出身。立教大学映像身体学科・映画美学校フィクションコース卒。大学の卒業制作として監督した『みちていく』が第15回TAMA NEW WAVEにてグランプリとベスト女優賞をW受賞し、翌年劇場公開。現在、DVDがレンタル・発売中となっている。DVDには藝大にて1年次に制作した16mm実習の短編『感光以前』も特典として収録されている。
主人公は13才の女子中学生だ。だから彼女の人間関係は学校を中心として形成されている。にもかかわらず、授業も教師も出てこない。彼女も作者もそういうものにまったく関心がないのだ。それより彼女は、驚くべき執着で何でも破壊してまわる。おそらく表面を砕いてその中身を確かめたいのだろう。それが大人になるための通過儀礼なのか、それとも子供の領域だけに許された遊戯なのかはわからない。しかし、一途に突き進む彼女の身のこなしは、有無を言わせぬ感動を呼ぶ。ふとジャン・ヴィゴの名前が浮かんだ。映画はきっと、このような者を肯定するために発明されたのだろう。 黒沢清
映画の中のこどもは、多くの場合その可愛らしさを利用されたり、大人が見たいと思う子供らしさを演じさせられたりする。しかし光子がしりとりをしながら商店街を駆け抜けるスピード、横断歩道でフラミンゴのように片足をブラブラさせる立ち姿、セリフの間合いやちょっとした仕草が、彼女を映画世界の中にユニークに息づかせる。撮影、美術、音響も演出を的確に実現しているが、監督が俳優のユニークさを捉え、その身体を生かしながら、一方的な操作に陥らぬよう、共働者として光子を演じる俳優に映画作りに参画させているように思える。そのことで、私たちはまだ子供っぽい光子の妄想を生きることが可能になる。こぶを恋心のシンボルのように扱ってしまえば陳腐なイメージになってしまうが、こぶは光子の言うように宇宙そのものであって、その妄想を生きる狂気が、世界を息づかせるのだ。こぶが消えると、光子は大人になって、この現実世界に回帰する。彼女の身体表現や発話を変化させて成長というものが確かに視覚化されていることが素晴らしいが、光子がさらに別の宇宙を生きる結末を見てみたい気もする。 諏訪敦彦
『わたしたちの家』
『わたしたちの家』 2017年/80分/アメリカンビスタ/5.1ch/カラー/DCP 監督:清原惟 脚本:清原惟 加藤法子|プロデューサー:池本凌太郎 佐野大|撮影:千田瞭太|照明:諸橋和希|美術:加藤瑶子|衣装:青木悠里|サウンドデザイン:伊藤泰信|編集:Kambaraliev Janybek|助監督:廣田耕平 山本英 川上知来|音楽:杉本佳一 出演:河西和香 安野由記子 大沢まりを 藤原芽生 菊沢将憲 古屋利雄 吉田明花音 北村海歩 平川玲奈 大石貴也 小田篤 律子 伏見陵 タカラマハヤ
【あらすじ】 ある一軒の家には二つの時間が流れていた。 14歳のセリは母親の桐子と二人暮らし。セリは桐子が新しい恋人をつくったことに反発している。ある日、セリはお父さんの倉庫からクリスマスツリーを出してきて……。 自分がどこからやってきたのかわからない、突然記憶を失くしてしまった女、サナ。目覚めた船の中で、サナは透子という女に出会う。あてのないサナは透子の家で暮らし始める。
【監督プロフィール】 1992年生まれ。東京都出身。武蔵野美術大学映像学科卒。同大学在学中に監督した『暁の石』がPFFアワード2014に入選。同卒業制作の『ひとつのバガテル』がPFFアワード2015に2年連続で入選、第16回TAMA NEW WAVEにノミネートされる。他に藝大で制作した『しじゅうご円』『音日記』がある。
暗い古風な家の中で二つの物語が交錯していくわけだが、よくこんなアイデアを思いついたものだ。しかも、その突飛な設定がまったく上滑りせず、あらゆる画面にサスペンスとして機能している。これを実現するには、相当な才能と計算が必要だろう。また、海の向こうがザワザワしていて、妙に気になった。ここは多分どこかの島なのだろうと思うが、ひょっとすると黄泉の���? もしかして、どちらかが幽霊なのか!? そう言えば、冒頭は少女たちが白衣をまとって暗闇の中で揺れているシーンだった。あれが恐ろしい物語が始まる予兆だったのか!! 興味は尽きない。 黒沢清
目覚めると記憶を失っていた女は自分が誰であるのか分からないまま、偶然に出会った女と共同生活を始める。亡くした父の面影と、新しい母親の恋人との間で揺れる少女の日常。全く関係のない二つの物語が、いわゆる平行世界として同じ一つの家屋で進行してゆく。二つの別の脚本を、一つの家屋を舞台に撮影するという実験は、ともすれば作り手の作為が透けて見えるようなものになりかねないが、この作品が魅力的なのは、平行世界を俯瞰して操作するような作者の視点を消し去り、ただポリフォニックに響き合う二つの世界の音楽に耳を傾けるように寄り添い構成されていることにあるように思える。1+1が2になるのではなく、互いに依存することも葛藤することもなく、ただ1と1としてあることで世界を開いてゆく。その「開かれ」に風が吹き込むように、それぞれが奏でる淡い物語はやがて溶け合って、世界をみずみずしく息づかせるのである。 諏訪敦彦
『情操家族』
『情操家族』 2017年/80分/アメリカンビスタ/5.1ch/カラー/DCP 監督:竹林宏之 脚本:今橋貴|プロデューサー:池本凌太郎 井前裕士郎|撮影:城田柾|照明:上野陸生|美術:侯捷|衣装:栗田珠似|録音:伊豆田廉明|サウンドデザイン:清水裕紀子|編集:小林淳之介|助監督:西川達郎 大杉拓真|製作主任:林宏妍 鈴木麻衣子|ヘアメイク:橋本申二 中麻衣子|音楽:久徳亮 出演:山田キヌヲ 韓英恵 遠藤史人 松田北斗 川瀬陽太 柳谷一成
【あらすじ】 冬休み、小学校教師・小野今日子は勉学に遅れがある生徒・鉄平の補講授業を行う事になる。今日子は、鉄平の母・美映と不思議な絆で結ばれるのであった。一方、冬休みの合宿に行っていたはずの今日子の息子・三四郎が、なぜか万引きで捕まったという報が入り、ある隠し事をしている事が発覚するのだった……。
【監督プロフィール】 1988年生まれ、福岡県出身。明治学院大学文学部芸術学科に入学後、映画史を学び、映画制作を始める。主な監督作に『ハチとミツ-新しい季節-』(14)『帰れないふたり』(15)『ジョンとヨーコ』(16)がある。
面倒見のいい女教師が、何でもかんでも面倒を背負い込み、実に面倒臭いことになっていく物語。それにしても素晴らしくヘンな映画だった。まず主人公を含めて大人たちがみんなヘン。あまりにもずけずけと物を言う。家の構造もヘンだ。熱演する山田キヌヲが部屋を飛び出してクリスマスツリーか何かを押し倒すバルコニーのような場所のヘンさ。別れた夫がどうやら海辺の堤防と思われる場所で、突然タップダンスを踊るシーンでそのヘンさは極まる。息子もつられてタップを踏むのだが、これまで見たことのない異様な光景だった。テッペイという子供だけが唯一マトモで、物言わぬ彼のたたずまいが不思議と印象に残る。 黒沢清
小学校教師今日子は、彼女を取り巻く世界を律儀に秩序づけようと奔走し、同時にその過剰な行動によって世界を撹乱するトリックスターである。主婦仲間の下らない雑談から立ち去る今日子が、突如直角に方向転換して走り出す後ろ姿のように、彼女には他人や自分に見せようとする私と、彼女を突き動かす衝動の間をとりまとめる中間というものはなく、その変化は不意打ちとして周囲をたじろがせるのだ。しかし、不意打ちを食らうのはむしろ彼女のほうである。彼女の秩序は彼女だけのものであり、世界のほうは常に今日子の期待を裏切るように出現する。奇人、変人による(スクリューボール)コメディというジャンルに敬意を払いつつ周到に造形された脚本が素晴らしいが、一歩間違えばから騒ぎに陥ちるかもしれない狂気の主人公と世界との喜劇的対決を、俳優の演技、身体を信頼し、活写する演出の手腕がしなやかで恐ろしいほどに冴えている。 諏訪敦彦
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【アンケート企画】「2016年の3本」その2
年末年始にかけて募集しましたWL年末回顧アンケート「2016年の3本」の後編です。16人の方の印象深かった観劇をご紹介します。
その1はこちらからご覧いただけます。
西村 俊彦 (俳優・ナレーター) ・劇団きらら『ガムガムファイター』(王子スタジオ1) ・劇団だるめしあん『魔法処女☆えるざ(30)』(花まる学習会王子小劇場) ・阿佐ヶ谷スパイダース『はたらくおとこ』(本多劇場) 印象に残った三本は、どれも、今と戦ってる感がありました。 自分の身近な「今」に深く迫ってくる『魔法処女☆えるざ(30)』 社会の「今」を、おじさんを通して描く『はたらくおとこ』 そこに団体の今が重なってきた『ガムガムファイター』 演劇の今日性はジャーナリズムにある、というのもよく聞く話ですが、僕は、むしろ普段光の当たらない「今」だったり、毎日の中であまり意識しない「今」をふと意識させてくれるものが好きだなと、思ったりしました。どの作品も、「どこにも行けない」ような人たちが、どこかに行こうともがいている様を、丁寧に描いていたように思います。劇場を出た後、ほんの少し、世界の見方が変わる、そんな3本を選びました。 (年間観劇本数:55本)
りいちろ (会社員) ・FUKAIPRODUCE羽衣『イトイーランド』(吉祥寺シアター) ・あやめ十八番『雑種 花月夜』(花まる学習会王子小劇場) ・風琴工房『4センチメートル』(ザ・スズナリ) 音楽劇の当たり年でした。その中から特に心に残った3本を。全作品は観ることができませんでしたが伊藤靖浩「一人芝居ミュージカル短編集vol.1」なども圧巻。どの作品も、ストレートプレイでは表現しえない作意を新たな感覚として渡すオリジナル楽曲の力があり、その世界のふくらみに心を満たされました。 今年一番強い印象が残ったのは座・高円寺1での「残花-1945 さくら隊 園井恵子-」、丁寧に描かれた時間とそれが滅失する一瞬の光と静けさ。舞台から訪れた静謐で抱えきれない衝撃は忘れ得ないものでした。 優れた中・短編にも巡り合えた一年、劇団競泳水着のリーディング公演「ある盗聴」 /「復讐と美味しい料理は後を引く」、第27班番外公演「どこまでも行けるのさ」(短編2本×3の上演)、チタキヨ「ショーツ」、日本のラジオ「ムーア」など、戯曲の企みがこれまでにない味わいで観る側を虜にする作品が数多くありました。 (年間観劇本数:300本強)
かいらくえんなつき (演劇ウォッチャー) ・ハイバイ『おとこたち』(三重県文化会館、ロームシアター京都) ・木���下歌舞伎『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』(愛知県芸術劇場 小ホール) ・追手門学院高等学校『あゆみ』(大阪市立芸術創造館) 若者と言えなくなりつつある年のせいなのか、はたまた、そこまでの作品に出会えなかったのか、不感症といってもいいぐらいに心を動かされることが少なかった今年、それでも心を動かされてたまらなくなった3本を選んだら、いずれもリメイク・再演作品になりました。 保守的な人間になんかなりたくない!新しく、刺激のある、心震わさられる作品に来年はもっともっと出会いたいです。 (年間観劇本数:たぶん150本くらい。)
須川 渡 (研究者) ・維新派『アマハラ』(奈良 平城宮跡) ・シャンカル・ヴェンカテーシュワラン/シアター ルーツ&ウィングス『水の駅』(京都芸術劇場 春秋座) ・大阪芸術大学舞台芸術学科『真田風雲録』(兵庫県立芸術文化センター) そのほとんどは関西で観劇した作品でした。 惜しまれつつも最終公演となった維新派『アマハラ』はこれまでの維新派作品を反芻しながらの観劇となりました。屋台村もいい思い出です。 『水の駅』は、太田省吾氏の沈黙劇がインドの社会や文化的背景と見事に調和していたという驚きも含めて。海外との共同制作という意味では、鳥の劇場で行われた『麦克白!맥베스!!マクベス!!!』も印象に残りました。 今年は実践系の大学の公演を観る機会が多く、その中でも面白かったのは大阪芸大が行った『真田風雲録』。内藤裕敬氏の演出と学生のエネルギー、客席に若い人が多かったこともあって、活気のある舞台でした。かつての関西演劇の熱気とはこのような雰囲気だったのだろうか、と思わせてくれました。 (年間観劇本数:98本)
高野 竜 (劇作家・演出家) ・劇団石(トル)『在日バイタルチェック』(在日大韓基督教川崎教会) ・日立一高演劇部『白紙提出』(同校旧定時制給食室) ・多摩南中等教育学校演劇部『幕があれへん』(同校特別講義室) 演劇のための安定した演劇で��く、それぞれの内的必然と社会における立場とを咀嚼しアピールする方法として手法から見直して再構築した演劇のスタイルに到達している3本。幾世代にもわたる在日朝鮮人生活者の生の言葉、性同一性嗜好のカミングアウトに関する懊悩、悪意と退廃にまみれたネットスラング世界を演芸として身体に落とす方法、がそれぞれのテーマだった。いずれも愛を表明し、同時代性に充ち、かつホームシアターと客層を確保している。メタ演出にも借景演劇にも堕さない、見事な空間の立ち上がりを見せていた。 (年間観劇本数:31本)
山城 秀之 (活動写真弁士・紙芝居屋) ・パンダジョッキー+ドリルチョコレート『奴らの影踏む千葉』(シアター711) ・日本のラジオ『ゼロゼロゼロ』(スタジオ空洞 ) ・有末剛緊縛夜話『魔法少女 喪失篇』(ザムザ阿佐ヶ谷) 1本目は今頃なんで克美しげる? と思ったが途中からそんなことどうでもよくなったくらい面白かった。 2本目、劇場の無機質な佇まいごと世界を作り上げていて唸った。 3本目、生緊縛に尽きる。 今年の演劇の動向は、私ごときにはまったくわかりません。見えてもきません。 (年間観劇本数:37本)
片山 幹生 (WLスタッフ) ・国分寺大人倶楽部『ラストダンス』(シアター711) ・村田女子高校演劇部『MORE』(東京芸術劇場 シアターウエスト) ・京都造形芸術大学『繻子の靴』 (京都芸術劇場 春秋座) ベスト3というより、一年の観劇生活を振り返ってみて自分の記憶に強く残る作品を3本選んだ。国分寺大人倶楽部はこの公演で解散となった。生きることに付随するみっともなさに向き合い、だらしない日常を執拗に描き出しつつ、その生活のゴミ溜めの向こう側にこそ確認することができるような愛と希望を提示し続けたこの劇団の芝居が私は大好きだった。村田女子高校の『MORE』は高校演劇東京都大会で見た作品。彼女たちは自分たちの「女子高生」性を分析し、濃縮し、それを演劇的なかたちで見事に再構成していた。京都造形芸術大学の『繻子の靴』の全曲公演は、フランス演劇の研究者・翻訳者でもあり、演出家でもある渡辺守章の演劇人生の集大成となる公演だった。朗読を交えた上演形式となったこと、翻訳の難解さなどの問題点はあったけれど、20世紀フランス演劇の金字塔であるクローデルの大作がこうして日本語で公演されたことの意義は極めて大きい。 (年間観劇本数:126本)
なかむら なおき (会社員) ・飴屋法水×本谷有希子 『 』 (VACANT) ・月刊「根本宗子」『バー公演じゃないです。』 (劇場HOPE) ・ディレクターグ『女優の魂、続女優の魂』 (アトリエ春風舎) 作り手の気持ちがとても伝わったものとすぐ浮かんだ3作を選んでみた。 2016年も色々な作品を楽しむことができました。それだけでなく芸術公社の座学やゲンロンでの対談、F/Tのサポーターによる発表、など公演でなく演劇を感じる機会も多かったなと。さて2017年はどのような劇的な体験ができるのか、それがとても楽しみである。 (年間観劇本数:100本くらい)
でんない いっこう (自由業) ・ロべール・ルパージュ『887』 (東京芸術劇場 プレイハウス) ・ハイバイ『夫婦』 (東京芸術劇場 シアターイースト) ・鄭義信『焼肉ドラゴン』 (新国立劇場 小劇場) ①題名がいい。詩の朗唱の依頼を受けた俳優が練習しながら過去の自分へと記憶を辿る。美しいアパートの模型。映像で知らせるリアル。家族や友人との会話。切り離せない社会現象。形作られるバックボーンを様々な手法で魅せる。 ②実に面白い会話劇。アルアルアルっていう密着感。夫の進めてきた体に優しい腹腔鏡の手術を受けその傷跡を息子に見せる母親。母親役の山内圭哉のラストが何とも言えず可笑しい。 ③底に流れる脚本と俳優陣に暖かいものが満ちている。だから、末っ子が屋根から姿が消えるのが引き裂かれるように切ない。 他に『エダニク』『ゴド―を待ちながら』『ヘンリー四世』 (年間観劇本数:51本)
中西 理 (シアターアーツ編集委員) ・青年団リンク キュイ『止まらない子供たちが轢かれていく』『不眠普及』(アトリエ春風舎) ・マレビトの会『福島を上演する』(にしすがも創造舎) ・青年団リンク ホエイ『麦とクシャミ』(こまばアゴラ劇場) 平田オリザの青年団所属の若手による公演が上位を占めたのは単なる偶然ではなく、現在、現代演劇の最前線の動きの中核にあるのが、彼らであると考えているからだ。 現代演劇の新たな才能を輩出してきた青年団周辺で次の世代を担う才能を感じさせたのが綾門優季(青年団リンク キュイ)と山田百次(青年団リンク ホエイ)だった。綾門による「止まらない子供たちが轢かれていく」「不眠普及」(2本立て公演)、山田の「麦とクシャミ」にはいずれも刺激的な舞台で今後の彼らの活躍が期待されるものだった。 一方、松田正隆の「福島を上演する」はまだ試行の途上であるとも思われ福島に対するアプローチの手法も賛否両論を引き起こしたが、平田オリザとは異なるアプローチの新たな会話劇を模索するもので私は大いに評価したい。 (年間観劇本数:250本)
KEIKO TAKAHASHI (会社員) ・劇団☆新感線『乱鶯』(梅田芸術劇場) ・シアターコクーン オンレパートリー『元禄港歌』(シアターBRAVA!) ・劇団壱劇屋『シャドウ・トラフィック』(ABCホール) 今年観た舞台は57本。ほとんどはミュージカルなのですが、ストレートプレイから、今もアリアリと場面が思い出せる3本を選びました。 劇団☆新感線の「乱鶯」は救いようのない悲劇だったけれど、終幕で、全ての黒幕だった男を待ち受ける主人公と、何も気づかずに(或いは全て心得て?)スイカを下げてぶらぶらと彼のもとへ向かう男の佇まい、劇場に満ちる緊迫感に痺れました。 「元禄港歌」は、猿之助丈の凄さに尽きます。。。 「シャドウ・トラフィック」は関西の「劇団壱劇屋」の作品。身体能力が高い集団で、明滅する照明、トランス系の音楽、異様な世界観・・・スタイリッシュな作品でした!(年間観劇本数:57本)
吉植 荘一郎 (舞台俳優) ・ワジディ・ムアワッド「火傷するほど独り」(静岡芸術劇場) ・重力/Note『かもめ』 (テルプシコール) ・京都造形芸術大学『繻子の靴』 (京都芸術劇場 春秋座) ・火傷するほど独り…「炎 アンサンディ」や「沿岸 頼むから静かに死んでくれ」の作者は、俳優としても恐るべき人だった! ・かもめ…俳優が力をつけてきて、演出家の意図を具現化できるようになってきた期待のユニット。前年の「イワーノフ」の方が純粋に楽しめたかも。 ・繻子の靴…リーディング公演みたいになっていたのは意外だったけど、こんな巨大な戯曲があったのかと驚いた。いつか全貌を見てみたい。 (年間観劇本数: たぶん20本程度…。 )
平井 寛人 (学生) ・FUKAIPRODUCE羽衣『愛いっぱいの愛を』(パルテノン多摩 きらめきの池ステージ) ・シラカン『悠然とそびえる』(多摩美術大学) ・ロ字ック『荒川、神キラーチェーン』(東京芸術劇場 シアターウエスト) どれも、この時代におけるそれぞれの一つのピークを示していた。それは作家にとって、描き出す事、制作に成功した事であると私は思う。独我的でありながら、私たちが置いてけぼりを食わないような快作。客として、そうした成功作に立ち会え、この三作から感動を覚えたので選出する。 (年間観劇本数:15本)
しば まさよ (アルバイト、演劇の勉強をしています。) ・チェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』(ロームシアター京都 ノースホール) ・鄭義信『焼肉ドラゴン』(兵庫県立芸術文化センター) ・鈴木忠志『世界の果てからこんにちは』(利賀芸術公園野外劇場) 2016年は様々な国の作品を観ることができました。選んだのは印象に残った作品ですが、後から見返すと国や文化的背景を感じるもので、記憶に残って離れない作品、観終わってから却ってしんしんと迫ってくる作品です。こんな力が演劇にあるとは思わなかった、そんな作品がたくさんあり発見の年になりました。 お客さんもそれぞれに特徴があって、客席や待合で聞こえてくる会話、幕開けを待つ間の数分に客席を満たす雰囲気などもコッソリ楽しませて頂きました。 もっと演劇作品を多くの人に観てもらいたいなと感じています。 (年間観劇本数:45本(能・歌舞伎含む) )
望月 正人 (観劇人) ・On7『ま○この話〜あるいはヴァギナ・モノローグス』(KAAT) ・FUKAIPRODUCE羽衣『イトイーランド』(吉祥寺シアター) ・パルテノン多摩×FUKAIPRODUCE羽衣『愛いっぱいの愛を』(パルテノン多摩 きらめきの池ステージ) 2016年はジェンダーにまつわる芝居に数多く接した。その代表として選んだのが、On7の『ま○この話』。自らの体験も交えながら赤裸々な表現に挑んだ7人の女優。そして生々しい話をスタイリッシュにまとめた谷賢一の演出と、美術や照明などのスタッフワークが光る。ジェンダー絡みの作品では、世田谷パブリックシアターの地域の物語『生と性をめぐるささやかな冒険〈女性編〉』も、参加者の圧倒的リアリティに打ちのめされる、素晴らしい公演だった。 FUKAIPRODUCE羽衣の『イトイーランド』は、羽衣の集大成的な大作。文句無しに楽しい祝祭的妙ージカル。 『イトイーランド』が円熟の作品なら、オーディションで選ばれた初参加メンバーが半分以上を占めた『愛いっぱいの愛を』は、巧拙を超えたヒリヒリするような生のリアリティに満ちた作品。とりわけ「茜色水路」の壮絶な美しさは、この年最も魂を揺さぶられたパフォーマンスだった。 (年間観劇本数: 数え方にもよるが延べで112本)
小泉 うめ (観劇人・WLスタッフ) ・TCアルププロジェクト『人間ども集まれ!』(まつもと市民芸術館) ・泥棒対策ライト『日々ルルル』(三鷹市芸術文化センター 星のホール ) ・ウミ下着『いつか みんな なかったことに』(KAIKA) 全体的にはベテラン陣の活躍が目立った。戯曲、演出、演技ともにその貫録を感じる作品が多く、そのおかげで安定感のある一年だったと思う。 若手・中堅陣からは「どうしてこれが初演時に各戯曲賞の候補にあがらなかったのか」とあらためて思うような優れた作品の再演が多かった。新作戯曲については現在準備の進んでいる話を聞いているものに楽しみなものが多く、2017年に大いに期待したい。個人的にはドラマへの回帰、もしくはポスト・ポストドラマ的な作品の出現を待っている。 3本については多くの観客に知って欲しいという思いで選んだ。2016年という今を象徴するような作品であったとも思う。ウミ下着は関東に、泥棒対策ライトは関西に、TCアルプは東西に紹介したい。それを求めて現地に向かう観客のフットワークと彼らがツアー公演できるような環境の充実を希望している。 (年間観劇本数: 366本)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和2年(2020)6月23日(火曜日) 通巻第6552号
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集中連載「早朝特急」(17)
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第一部 暴走老人 西へ(17)
第十七章 南モンゴル、ウィグル、チベット
▲中国の残虐はチベットで顕著に露呈した
チベットのラサへは成都から飛行機で飛んだ。空港で驚いたのは大型機が次から次へと中国各地から到着し、観光ブームの頂点に湧いていた。空港からラサ市内までは一時間半ほど。渓流や水たまり、でこぼこ道を越えるので四輪駆動でないと、安定しない。
ラサ市内であちこちを見たが、ようすにチベット族は差別を受けて、ろくな職場がないこと、仏教寺院はありきたりで、とても僧侶達が真剣に仏典を勉強しているとは思えず、ひどく俗化していたこと。ポタラ宮殿は偉容を誇るが、内部はそこら中に公安デスクがあり、警戒が厳しく、広場ではうっかりすると物乞いがまといつく、それもじつにしつこい。
市内にアメリカ人女性が経営するバアがあって、スコッチを飲んだが、一杯程度では高山病にかかることもなく、最終日にうっかり四杯呑んだら、一晩中頭が痛くて眠れない。嗚呼、これが高山病というやつか、と貴重な体験をした。
ひとことで言うとチベットは完全に漢族の支配下にはいってしまった、表向きの寺院とは無縁の俗世である。知識人も僧侶も、ほとんどが粛清されたか、外国へ逃げたからだ。
チベットはいかにして侵略され、自由が失われてしまったのか、これまでにも多くが語られた。
ダライラマ法王にはノーベル平和賞が授与され、そのダライラマに感激したハリウッド俳優のリチャード・ギアはチベット仏教徒になった。エディ・マーフェイは若き日のダライラマを助ける映画の主演を演じた。ブラッド・ピットはエベレスト登山の冒険野郎が、ダライラマにひかれてゆく物語の映画に主演した。
ダライラマが訪米すれば大統領が面談する。わが日本は仏教国であるにも拘わらず、歴代首相が面会したことはない。
日本はいつの間にかサムライ精神を忘却の彼方へ葬り去った。
▲このチベットの惨劇が明日の香港の運命を襲うかも知れない
香港と台湾は過去の出来事を学んだ。とくに香港は『国歌安全法』がいずれ言論の自由を封じ込めることになると不安を募らせ、「第二のチベット」か、或いは「第二のウィグル」になるのではないか、不安が増すのも中国共産党がいかなる凶暴性を発揮してきたかを知り尽くしているからだ。
沈黙を続ければ、静かに侵略はすすみ、自由社会は消え、中国共産党の奴隷に転落するという悲劇的な地獄を迎える。
悲劇は繰り返されている。南モンゴル、チベット、そして現在の進行中はウィグル族への血の弾圧だ。
ペマ・ギャルポ『犠牲者120万人 祖国を中国に奪われたチベット人が語る侵略に気づいていない日本人』(ハート出版)の行間にもチベット人の悲劇、
その懊悩と悲惨な逃避行のパセティックな思いが滲み出ている。温厚で信仰心熱きチベットは中国にあっという間に侵略され、中国に味方する裏切り者も手伝って、120万もの同胞が犠牲となった。ダライラマ法王は決死の覚悟でヒマラヤを越えてインドに亡命政府をつくった。その深い悲しみ、暗澹たる悲哀、血なまぐさい惨劇、しかしこのチベットの教訓こそが、香港、台湾、そして日本がいま直面している危機に直結する。
「日本人よ、中国の属国に陥落し、かれらの奴隷となっても良いのか」とペマ氏は訴える。
チベットは「寛容の国」だった。
それゆえに「寛容の陥穽」に嵌って邪悪な武装組織、つまり中国という暴力団の塊のような、ならず者によって滅ばされた。日本は平和憲法という、寛容な国家の基本法を押しつけられてから七十四年も経つのに、未だに後生大事に墨守している。それが国を滅ぼす元凶であること、左翼の言う「平和憲法」擁護には騙されてはいけないことをペマさんは力説している。
百万人の強制収容所問題で世界を揺らすウィグルの悲劇もチベットのパターンを踏襲している。
▲ウィグル自治区で何が起きたか
十数年前に新彊ウィグル自治区を旅し、ウルムチから列車でトルファンへ入った。
途中のハミ駅で熟した瓜を買った。じつに美味い。トルファンでは干しぶどう、これもまた絶品だった。当時、中国で売り出したばかりの「長城」をいうワインはフランスのワインとまでは行かないけれどもなかなか乙な味だった。
江沢民時代の新彊ウィグル自治区は外国人にほぼ全域が開放されていて、かなり自由に写真撮影もできた。
ウルムチやトルファン市内の屋台に溢れる羊肉、皆がイスラム帽をかぶり、女性はスカーフが多かったけれども、顔を隠しているわけでもなかった。
観光名所のベゼクリク千仏窟は、いかにイスラムが仏像を破壊したかの廃墟跡を意図的に見せているような気がした。岩だらけの高台には孫悟空ワンダーランドとかのテーマパークも出来ていた。
ウィグル自治区の各地でコルランの普及率を調べたが、何処にも、それこそ一ケ所にもコルランを売る書店もなければモスクの受付にもなかった。田舎へ行くとモスクは閉鎖されたところが多く、そのモスクの周囲は物静かで人影もなかった。
コルラン販売の監視とモスクの出入りがチェックされている様子は呑み込めた。
▲留学生がおびただしく行方不明になった
2017年頃からエジプト留学から帰国したウィグル族の若者が当局に拘束されて行方を絶った。家族が心配して心当たりを捜したが、杳として行方がしれない。同様な「事件」が頻発していると在日のウィグル人組織が騒ぎだした。
2018年にはドイツやトルコの海外ウィグル人組織が騒ぎ出し、議会が動き、国際団体が調査に乗り出した。ついに国連の人権委員会で取り上げられた。
なかには家族が偽りの電話を強要され、父親が病気とかで外国へ電話をかけて急いで留学先から帰ると、有無を言わせずに強制収容所に放り込まれ、そのまま一年以上。
合計八千名のウィグル族の若者の留学帰りが収容所で「再教育」という名の下に洗脳教育を受けていた。いずれもイスラム圏への留学という共通点があった。
もともとウィグル族はイスラム教を篤く信仰してきた。無神論の中国共産党は、それ自体が一神教であるから異教徒は許容できない。
この弾圧の中心人物は陳全国(政治局員)だ。
2016年8月29日、陳全国が新彊ウィグル自治区の党委員会書記に任命された。直前まで陳全国はチベット自治区の書記だった。つまりチベット弾圧の責任者だったから、ウィグル自治区にはいっても民衆の弾圧、暴力支配など得意技だった。
陳全国は1955年に河南省に生まれた。武漢の大学をでて軍隊に入隊し、共産党へ入党して頭角を現し、2010年に河北省省長に就任した。異例のスピード出世である。その後、習近平の覚え目出度くチベット書記に栄転した。現在はトップ25の政治局員でもある。
同じ頃、重慶特別市書記だった孫政才が唐突に解任され、新たに陳敏爾が任命された。孫政才の解任理由は「薄煕来の腐敗体質の残滓を重慶市から積極的に排除できず、そのままに旧幹部等をのさばらせ、自らも汚職に励んだ」などとする冤罪だった。要は共産主義青年団の「希望の星」だった孫を潜在的ライバル視してきた習近平にとって、将来の独裁に邪魔になるから排除したに過ぎない。
陳全国も陳敏爾も習近平の子飼い、イエスマン若しくは茶坊主、行政手腕が無能でも、おべんちゃらがうまければ出世街道を驀進できる。阿諛追従の才能だけは秀逸なのだ。下手に理論家だったり戦略論をぶったりすると無学な習近平から逆恨みされるのだ。
ウィグル自治区の悲劇は、このときから一層無惨になった。
2009年に勃発したウルムチ暴動で、漢族が武器を持って手当たり次第にウィグル族を虐殺し、多くのウィグルの若者は隣のカザフスタンへ逃げた。その数は数万人と言われるが、そのうちの一万人ほどがシリアの軍事訓練基地へ送られ、ISのメンバー入りした。
かれらは漢族への復讐心に燃える。中国の諜報機関はシリア政府、同時にISにも武器を提供して巧妙に近づき、かれらの動向の情報収集に躍起となった。テロリストとして訓練され、中国に帰ってくることを怖れたからだった。
ISをスピンアウトした過激派は「漢族に血の復讐を。中国人を血の川へ投げ込め」などと煽動するヴィデオを作成し、ユーチューブで配信した。びっくり仰天の中国共産党はあらゆる手段を講じてでもウィグル族過激派の撲滅排除に乗り出す。
陳全国は新彊ウィグル自治区の党書記となるや、「宗教活動を厳密に規制し、イスラム文化の表現をやめさせ、辻々には検問所を設け、顔識別とAI機器を駆使して手配者の逮捕を強化し、さらに砂漠に次々と強制収容所を設営し、拷問による改宗を強要した」(『TIME』、2018年8月27日号)。
▲再教育センターとは監獄である
そうやってイスラムを学んできたウィグルの若者の洗脳教育を始めた。「改宗」できない者は独房にぶち込み、イスラム教徒が忌み嫌う豚肉を与え、しかも独房の狭い牢獄に三人も五人も入れてストレスを溜めさせる。睡眠不足とし、洗脳の効果をあげようと急いだ。それでも「直らない」ケースでは家族も強制収容所に入れた。出所してすぐに死ぬという悲劇が相次いだ。
米国の偵察衛星が収容所の数が急増していることを突き止めた。また強制収容所ばかりか、再教育センターもつくられ、家族全員のDNAや血液が収集されデータベースに入力された。デジタル全体主義の支配システムである。
トランプ政権はこのような人道に悖る人権無視の民族浄化を黙ってみることはなかった。
衛星写真の証拠を楯にして、これを対中政治カードとする。ゲイ・マクドゥーガル国連人権差別撤廃委員は2018年8月10日、国連委員会で「200万人のムスリムが強制収容所で再教育を受けているという報告がある」と爆弾発言した。
マクドゥーガルは「なかには髭を貯えていた、ベールを被っていた」などの理由で拘束されているケースも報告されているとし、「ウィグル族の民族的アイデンティティの喪失が目的だ」と中国を非難した。
またウィグル女性は漢族の男性としか結婚できないという規則を強要しているとの情報があり、そうなるとユーゴスラビアでおきた「エスニック・クレンジンング」(民族浄化)という悪夢の再来である。あの時、セルビアは欧米社会から猛烈な非難を浴び、孤立を怖れたセルビア国民はミロセビッチ、カラジッチという民族の英雄を国際法廷に送り込んだ。
中国は国連報告をただちに否定し、「あそこは強制収容所ではない、あれは職業訓練センターであり、ウィグル人の教育向上と雇用機会の増大をはかる目的だ。漢族も収容されている。われわれが警戒して取り締まっているのはテロリスト、分裂主義者、過激な宗教活動家だけだ」などと平然と嘯いた。
これはチベットにおける120万人の無辜の民と僧侶の虐殺を「農奴解放」と言ってのけた嘘の論理の適用である(チベットに農奴はいなかった)。
またウィグルの動きに触発されて隣の青海省、四川省、甘粛省、陝西省、寧夏回族自治区などではモスクの監視が厳格化され、とくに後者の回族自治区のモスクは「改修」を詐っての取り壊しが計画されたため信者がモスクに座り込み開始した。
イスラムは国境なき連帯のコミュニテイィであり、ウィグル族への苛烈な弾圧は口コミを通じて世界のムスリムに拡大した。トルコはこの時、中国を激しく批判し、旅行制限をだしたほど対立的だった。
ムスリムの中国敵視は米国の対中国認識とはレベルの異なる、感情的エトスが含まれているのである。
▲日和見主義だった欧米が中国に強硬となった
習近平時代となって強烈なイスラムへの弾圧が強まった。陳全国の悪名は世界にとどろき、「悪代官」と呼ばれる。収容されているウィグル人は百万人ともいわれるのに、イスラム同胞をかかえる国々は中国の人権抑圧を批判しない。米国も911テロ事件以来、「東トルキスタン開放同盟」を「テロリスト」とうっかり認定してからこれまでは黙りを決め込んできた。
その日和見的態度をがらりと変えたのがトランプ政権だった。
ペンス副大統領が正式にイスラムに言及し、ウィグル族の不当拘束を避難する演説を行ったのは2018年十月だった。2019年七月には日本を含む22ヶ国が中国政府を批判する声明に署名した。トランプ大統領はウィグル族をふくむ少数民族の代表者をホワイトハウスに招いて実情を聞いた(19年7月17日)。
しかし奇妙なことにイスラム国家のサウジもエジプトもカザフスタンもキルギスも右の署名には応じなかった。イスラム国家とは言え、みな独裁政治であり、おなじ独裁の中国とはたいそう馬が合うのだ。
だからイスラムはテロリストだという中国の嘘宣伝を楯にイスラム同胞への惨い弾圧には目を瞑ってきた。
▲イスラムの影響を抜き取るのが収容所の目的なのだ
福島香織『ウィグル人に何が起きているのか』(PHP新書)はウィグルへの突撃取材を試みたルポで、エティガール寺院の現場報告から始めている。
「美しいミナレットが特徴で、一日五回行われる礼拝の時間にはアザーンが流れるとガイドブックには書いてあるのだが、(中略)流れていなかった。寺院の屋根には五星紅旗が翻る。宗教施設に国旗を掲げることは2018年二月以降、義務化されているのだが、これほど不自然な光景もない」。
しかも寺院前広場はゴーカートなど子供遊園地に化け、戦車の乗り物もある。目抜き通りを歩くと「路上にはゴミ一つ落ちておらず、清潔だ(中略)が、どこかよそよそしい、この作り話めいた空気は何だろう。青いジャージに赤いネッカチーフの小学生たちが、中国語の童謡を唱いながら歩いていた。ああわかった。テーマパークだ」
タクシーにのっても監視カメラ内臓のため運転手と会話は弾まず、車内には「社会の秩序を乱してはいけない」などのポスター、どこもかしこにも監視カメラだらけ。
「人々は正直で親切だ。だが、人を含めて全部作り物のようだった。彼らは昔ほど陽気ではなかった」
福島香織さんの観察の目は鋭く、さらに牧畜が行方不明となっている現実をみた。どこにも羊の姿はなかったのだ。町からも村からも消えていた。ウイグルは「巨大な監獄」だった。それも「21世紀で最も残酷な監獄社会」だ。
所内では漢語の強制、豚肉を食べさせ、ウイグル族の文化的背景、イスラム教の影響を抜き取り、漢族風に洗脳する目的だったことは述べた。
中国語を教え、中国の法律を叩き込み、そのうえ中国共産党の獅子吼する「愛国」教育を徹底させた。その一方で、縫製、メカニカルエンジニアリングからホテルの清掃のやり方など教育、訓練した。
反抗したウイグル族が相当数、拷問され、収容所内で死亡した。
こうした事実はその後、亡命に成功したウイグル族女性によって米国議会の公聴会証言で明らかとなった。米議会は超党派で中国への批判を強めた。
トランプ政権はウイグル弾圧に用いられたとして監視カメラ、顔面識別、AI技術を製造するハイクビジョンなど中国企業の28社を[EL]リストに加え取引停止とした。ペンス副大統領の二度に亘る対中批判演説にはこれらの裏付けがあった。
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●●禅(ぜん) ★虚無僧(こむそう)
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●●禅(ぜん) ★虚無僧(こむそう) 虚無僧 http://w01.tp1.jp/~sr10031313/images/yjimage-5.jpeg 今ここに生きて有る命の真実 この真実を禅では本来の自己という。 本来の自己を表わす業が座禅である。 が禅の心得だそうです。 日本曹洞宗の祖・道元は、ただひたすら坐ることに打ち込む 只管打座(しかんたざ)を唱えている。 タダ座って只管打座(しかんたざ) 「只管」は、ただひたすら。「打座」は、仏教で、座禅すること。 簡単なようで難しい。 昔聞いたのではヨガのように瞑想しなさいとは言わないようだ。 虚無僧が禅宗からの派生とは知らなかった。 子供の頃に深編み笠で回ってくる虚無僧は少し怖かった。 今ではほとんど見かけることもない。 少し形は違うけれども普通の編み笠でも良いようだ。 深編み笠で回って来るので あの編み笠の中の顔が下からのぞいても見ることは出来ない。 だから怖かったのかも知れない。 子供の頃見かけた虚無僧は正式の服装して腰に印籠を下げていたかな。 脇差しは無論していなかった。 遠い懐かしい風景が目に浮かぶ。 ★禅 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/禅 禅(ぜん)は大乗仏教の一派であり、南インド出身の達磨が 中国に入り教えを伝えて成立したとされている。 中国禅は唐から宋にかけて発展したが、明の時代に入ると衰退 していった。 日本に純粋な禅宗が伝えられたのは鎌倉時代であり、 室町時代に幕府の庇護の下で発展した。 明治維新以降は、日本の禅が世界に伝えられた。 日本禅宗24流 曹洞宗 3派 臨済宗 21派 ★虚無僧(こむそう)http://bit.ly/wbnKtX 禅宗の一派である普化宗の僧であり、剃髪しない半僧半俗の存在である。 普化宗は中国(唐)の普化を祖とし、日本には臨済宗の僧・心地覚心が中国に渡り、 普化の法系の張参に竹管吹簫の奥義を受け、張参の弟子「宝伏」ら 4人の居士を伴い、1254年(建長6年)に帰国し紀伊由良の興国寺に 普化庵を設けて住まわせたことに始まる。 「古くは、『こもそう(薦僧)』ということが多く、 もと坐臥用のこもを腰に巻いていたところからという。」 虚無僧の様相については、 「尺八を吹き喜捨を請いながら諸国を行脚修行した有髪の僧」 とされており、 「多く小袖に袈裟を掛け、深編笠をかぶり刀を帯した。」 虚無僧はじめは普通の編笠をかぶり、白衣を着ていたが、 江戸時代になって徳川幕府によって以下のように規定された。 托鉢の際には藍色または鼠色の無紋の服に、男帯をまえに結び、 腰に袋にいれた予備の尺八をつける。 首には袋を、背中には袈裟を掛け、頭には「天蓋」と呼ばれる深編笠をかぶる。 足には5枚重ねの草履を履き、手に尺八を持つ。 旅行時には藍色の綿服、脚袢、甲掛、わらじ履きとされた。 なお、よく時代劇で用いられる「明暗」と書かれた偈箱(げばこ)は、 明治末頃から見受けられるようになったもので、 虚無僧の姿を真似た門付芸人が用いたものである。 江戸時代には、天皇家の裏紋である円に五三の桐の紋が入っており、 「明暗」などと書かれてはいなかった。 江戸期においても偽の虚無僧が横行していたが、 偽虚無僧も皇室の裏門を用いていたようである。 ★曹洞宗の公式サイト http://bit.ly/Akqm83 ★臨済宗・黄檗宗の公式サイト http://bit.ly/zNTYq2 ★曹洞宗大本山永平寺 第78世貫主 宮崎奕保禅師 (道号・法諱) 栴崖奕保(せんがい えきほ). (禅師号) 黙照天心禅師. (もくしょうてんしんぜんじ). (生誕) 明治34年(1901)11月25日. 平成20年(2008)1月5日. (世壽). 108歳. https://youtu.be/SRezHZsNOI8 宮崎奕保禅師の禅のお話し 2018/04/02 ★これが永平寺だ!永平寺曹洞宗大本山永平寺 2011/10/31 https://youtu.be/PLE7Jta6k74 ★新日本風土記「永平寺」道は無窮なり悟りても猶行道すべし 2019/05/10 https://youtu.be/RgIdPQjUZNU 修行というのは何かのためにやるのではない、生活そのものが修行なのです。 ★Zen Dogen the Zen Master https://youtu.be/4T0QbAQXQV4?list=PL8447A93C7DCA0141 http://bit.ly/xJuE8h http://bit.ly/wAOnLq シナ語?英語字幕 http://bit.ly/z7L2Mq http://bit.ly/x7n4HI http://bit.ly/xzWb5k http://bit.ly/ys5HMV http://bit.ly/zL8KzG http://bit.ly/ytDjpH http://bit.ly/y5OVN5 ★財団法人禅文化研究所 http://www.zenbunka.or.jp/ ★人 間 禅 道 場 http://bit.ly/z5mtOX 明治の初頭に山岡鉄舟、中江兆民らの先覚者が、当時鎌倉円覚寺管長の今北洪川禅師(白隠禅師より8世)を拝請し、社会人のための禅会として人間禅教団(旧名両忘協会)は創設されました。 ★大安禅寺 http://www.zazen.or.jp/ 福井県は松平家ゆかりのある、花しょうぶの美しいお寺です。 ★禅文化歴史博物館 | 駒澤大学 https://www.komazawa-u.ac.jp/facilities/museum/ 禅文化歴史博物館情報/開館時間. 駒澤大学 禅文化歴史博物館 (駒沢キャンパス内) 〒154‐8525 東京都世田谷区駒沢1-23-1 入館無料平日 10:00~16:30(最終入館16:15まで). お問い合わせ先駒澤大学禅文化歴史博物館事務室. TEL:03-3418-9610 ★坐禅 - Wikipedia http://bit.ly/x1D7Hp 日本曹洞宗の祖・道元は、ただひたすら坐ることに打ち込む只管打座(しかんたざ)を唱えている。 ★坐禅のやり方(初心者) - 禅-Zen http://zen.halfmoon.jp/zazenn.html 坐禅 やり方、基礎知識. はじめに 坐禅に関しては、最初は何やらとっつきにくいものではないかなあと思います。 個人で自宅でもできるものだとは思いますが、最初はお近くの座禅会などで、 正しい坐禅をご教授していただくのがよいかと思います。 また、一人ではなかなか時間に流されてしまいがちになってしまいますが、 座禅会などはまわりの方々もいらっしゃるので、集中度がちがって くるような気がします。 ただいきなり座禅会などで、初めてのことが多いと、頭がこんがらがって しまうかもしれないと思い、初めてこれから坐禅に挑戦したい・興味がある という方向けとして、坐禅の簡単な組み方の説明を載せてみます。 (世の中にはいろいろととても素晴らしい坐禅の方法の説明サイトや書籍があると思います。本サイトでうまく伝わらないかもしれません。ご不明点とうありましたら別サイトや書籍をお調べになる、座禅会で直接ご指導を受けてみるなどの方法もあります。) ★自宅で座禅、呼吸整える http://bit.ly/wN7tUC 背筋を伸ばし下腹に力 邪念を払い心穏やか 座禅にはともすれば厳しい修行のイメージがつきまというが、寺院が主催する座禅会では若い女性の姿も目立つようになってきた。「気分が引き締まった」との感想に加え、「美容と健康にもいい」といった声も。とかくストレスのかかる現代社会。自宅での日常生活にも、座禅のエッセンスを取り入れてみよう。 ★座禅の仕方 http://bit.ly/wU0CQw 禅とは「禅那」と言いサンスクリット語のdhyanaの音訳で、静慮とか思惟とか 思量するという意味があり、古代インド仏教から伝わる瞑想法です。 座禅は安楽の法門とさえ言われるように、その座法はおしゃか さまのお悟りの姿に見るごとく身体の最も安定した形です。 その座禅とは、静座(せいざ)をして座禅の三要素である 調身・調息・調心による身体を調え、呼吸を調え、心を調えることによって 精神の統一から本来的に備わる真実の自己(仏性)の自覚にあります。 その過程における精神医療的効果や禅定における集中力や不動心や忍耐力の 養成の効用面が広く知られ、企業研修などに活かされています。
・ぜんな 【禅那】 〔梵 dhyāna〕 禅。禅定。 ・せい りょ【静慮】 ( 名 ) スル 心を落ち着けて静かにおもいをめぐらすこと。 ・しい【思惟】 ( 名 ) スル ① 考えること。思考。しゆい。 「其しいする所甚だ卑下にして/明六雑誌 19」 ② 〘仏〙 「しゆい(思惟)」に同じ。 ③ 〘哲〙 「思考(しこう)② 」に同じ。 ・しりょう【思量】 ・しれう 【思料】 ( 名 ) スル いろいろと考えること。おもんぱかること。思慮。 「客人ならんと思量せしかば小腰を屈めて前掛けに手を拭ひ/新粧之佳人 南翠」
★はじめての座禅指導.WMV 2011/01/24 https://youtu.be/sUOJaJh-tIw 平成23年1月22日 座禅講座 ★尺八・虚無僧 http://bit.ly/zk5LXg 虚無僧は普化宗の徒で、出家者として全国を行脚していました。 しかし、お坊さんのように剃髪していたわけではなくまた、お坊さんでもなく 、 徒として所属していたようです。 そして、基本的には武士(浪人)が虚無僧に なれる条件でした。 だから、適当な仕官口が見つかると、再び還俗したようです。 中には、黒沢琴古のように指南役として尺八を教えることを専門に、 江戸などで、一般のお弟子を取っていたようです。 と言っても、これは、庶民の音楽とは 無縁でした。 商業都市が形成され、一般大衆(といっても所謂、中流以上の人でしょうね。 ) の生活と時間に余裕が出来てくると、文化も多様化してきました。 それでも、尺八は庶民には高嶺の花だったのでしょう、と言うのも、 男伊達と 言えば尺八をカッコよく手にした歌舞伎絵が多くあるからです。 庶民の憧れのカッコだったんでしょうね。 いつも、かっこいい男は、少しやくざっぽくて、楽器の一つでも 粋に奏するものです。 しかし悲しいかな、多くの、真の芸術家はそんなにカッコ良くはありません。 いつも、生活の塗炭にもがき苦しんでいるようです。 ・還俗 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/還俗 還俗(げんぞく)とは、僧侶になった者が、戒律を堅持する僧侶であることを 捨て、在俗者・俗人に戻る事をいう。 「復飾」(ふくしょく)とも。 自らの意志で還俗する場合と、教団側から還俗させられる場合がある。 日本では、律令「僧尼令」における刑罰の一つでもあった。 武士・公家の家督や棟梁、氏長者といったものを相続していた当主が亡くなり、謀反防止のためなどの理由で出家していた子弟・縁者などが相続して家名を 存続させる目的のものもあるなど、背景はさまざまである。 また、宮門跡となって入寺得度(出家)した親王が再び皇親に戻り、 宮家を継承することもあった。 特に幕末維新期にはその数は増えていった。 ★虚無僧研究会 http://bit.ly/yRfoEp ★虚無僧(こむそう) [ 日本大百科全書(小学館) ] 尺八を吹きながら家々を回り、托鉢(たくはつ)を受ける僧。 薦(こも)僧、菰(こも)僧というのが本来の呼び名で、 諸国を行脚(あんぎゃ)して遊行(ゆぎょう)の生活を送り、 雨露をしのぐために菰を持ち歩いたからである。 ぼろを身にまとって物乞(ものご)いしたので、 暮露(ぼろ)とも梵論字(ぼろんじ)(梵論師)ともよばれた。 普化(ふけ)僧ともいう。 普化宗は禅宗の一派で、中国の唐代の普化和尚(おしょう)を始祖とし、 法燈(ほっとう)国師覚心(かくしん)が宋(そう)から日本に伝来したという。 覚心は紀伊国(和歌山県)に興国寺を開山し、宗旨も広まり多くの流派ができた。 虚無僧寺としては、 京都の明暗寺、 下総(しもうさ)小金(こがね) (千葉県松戸市)の一月寺(いちがつじ)、 武蔵(むさし)青梅(おうめ) (東京都青梅市)の鈴法寺(れいほうじ)などが著名であった。 普化宗では、心を虚(むな)しくして尺八を吹き、虚無吹断を禅の至境とした。 近世初期には武士以外の入宗(にっそう)を認めず、 また幕府も自由の旅を許すなどの特典を与えたが、 浪人や無頼の徒が身を隠す手段に利用し、乱暴をはたらくなどの弊害が続出した。 普化宗は1871年(明治4)に廃宗となり、88年に京都に明暗教会が設立されたが、 虚無僧は宗教から離れ、尺八修業の方便か物乞いの手段かになって影を潜めた。 僧とはいいながら半僧半俗で、 多くは有髪(うはつ)で、 天蓋(てんがい)と称する深編笠(ふかあみがさ)をかぶり、 着流しで、首から袈裟(けさ)と頭陀袋(ずだぶくろ)をかけた。 手甲(てっこう)・脚絆(きゃはん)なども着けた。 古くは草鞋(わらじ)を履いたが、江戸時代の中ごろから 高下駄(たかげた)を履くようになった。 出没自在、腕のたつこと、無頼性など、不思議な魅力をもつところから、 時代劇では善玉としても悪玉としても、しばしば脇役(わきやく)として登場する。 [ 執筆者:井之口章次 ] ★虚無僧で遊ぶ http://bit.ly/zJqy6i 目次 虚無僧で遊ぶ TRPGで虚無僧を使う 参考文献 ★虚無僧 - AIRnet http://www4.airnet.ne.jp/sakura/blocks_menu/conjyaku_04/komuso.html 【虚無僧】 虚無僧の歴史は古く,七百年以上前にさかのぼる。 法燈国師によって開かれた臨済宗法燈派「興国寺」(和歌山県由良町)は 虚無僧の本山として名高い。 東福寺(臨済宗)の心地覚心(1207~1298)が, 建長元年(1249)入宋,建長六年に弟子四人を連れて帰国, 紀州由良に興国寺を立てた。 興国寺の中に普化庵を建て弟子を住まわせたが,この流れの中から 京都白川に明暗寺が作られることになっていくのである。 禅宗が栄えて,禅宗の中の普化宗は紀伊,伊勢,志摩を中心に 末寺百四十三ヶ寺を数える関南第一禅林(箱根の関より南の 禅宗の寺の第一に数えられるという意味)と言われた。 「・・・大門から入ると二十三坊の坊舎が左右に建ち四十六坊もあった・・・」 と古い文献にあり,当時全国から多くの学僧が集まり”学問の府”の偉容を 誇っていたが,信長・秀吉に焼かれてこれらの堂塔はことごとく消失した。 ★【妙音】虚無僧の行進曲【手の内ご無用】 2010/06/04 https://youtu.be/RlybT_mfNNo 2010年6月、高岡市の国泰時総本山で行われた虚無僧による行進の風景です。 禅宗のお寺である国泰時総本山では外部の宿泊者の受け入れもしており、 また、リクエストをすれば、日帰りで座禅を組むことができます。 お寺の周りは竹の子の名産地で、竹の子料理店が軒を連ねており、 ���ーズンには行楽客で賑わいます。 ★honkyoku for sampled bassoon 法竹 https://youtu.be/FboLa83-AA0 ★本曲(本曲、「オリジナル曲」)は、屈従と呼ばれる日本の虚無僧が演奏する尺八またはほっちく音楽です。コムソウは、13世紀には早くも啓蒙と施しのために本曲を演奏しました。本曲とは、水前の練習です。この練習を始めたフケ派は19世紀に存在しなくなりましたが、今日では多くの本曲の口頭で書かれた血統が現在も続いていますが、音楽は現在コンサートやパフォーマンスの設定でよく練習されています。 ★竹音空間(ちくおんくうかん)|竹楽器製作者:遠藤健二|法竹(ほっちく) https://otomoribeat.wixsite.com/chikuon 竹音空間では、法竹(ほっちく)と呼ばれている素朴な尺八(地無し尺八、地無し管)を製作しております。 法竹は真竹で作ったシンプルな縦笛ですので、竹が持つ本来の音色が出ます。 尺八古典曲の音色は日本の豊かな自然の中で生まれました。 尺八古典曲の音色は日本の豊かな自然の中で生まれました。 尺八古典曲は音楽的でありながらも自然の様を 写し取ったような表現もあり音楽の枠にはおさまりきらない幅があります。 それは、もともと日本人が鳥や虫の声、自然の音を音楽と同じように親しみ聴いて来たから ではないでしょうか。素朴な竹から奏で出る竹音には、そんな日本の音楽の原点があると思います。 ★尺八癡人街頭表演(捨てられた町`)(悲情的城市) http://www.youtube.com/watch?v=4wwhSlV0ALk&feature=related ★虚無僧 法竹 虚鈴 Komuso Hocchiku KyoRei 2011/04/08 https://youtu.be/8LcG-n1_Zko by 関家悠也(Sekiya Yuya) ★尺八 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/尺八 尺八(しゃくはち)は、日本の木管楽器の一種である。 リードのないエアリード楽器に分類される。 中国の唐を起源とし、日本に伝来したが、その後空白期間を経て、鎌倉時代から 江戸時代頃に現在の形の祖形が成立した。 「尺八」の名で呼ばれてきた楽器は複数あり、狭義には現在使用されている 普化尺八(ふけしゃくはち)を指す。 現行の普化尺八は、伝説では9世紀ごろに唐の禅僧普化の弟子張伯が 虚鐸(きょたく、こたく)として発明し、1254年に心地覚心が日本に持ち帰り、 1400年ごろに虚無(楠木正勝)が広めたという伝承があるが、 史実として確実に遡れるのは17世紀までである。 名称は、標準の管長が一尺八寸(約54.5cm)であることに由来する。 語源に関する有力な説は、『旧唐書』列伝の「呂才伝」の記事によるもので、 7世紀はじめの唐の楽人である呂才が、筒音を十二律にあわせた縦笛を作った際、 中国の標準音の黄鐘(日本の十二律では壱越:西洋音階のD)の音を出すものが 一尺八寸であったためと伝えられている。 演奏者のあいだでは単に竹とも呼ばれる。 英語ではshakuhachiあるいは、Bamboo Fluteとも呼ばれる。 真竹の根元を使い、7個の竹の節を含むようにして作るものが一般的である。 上部の歌口に息を吹きつけて音を出す。 一般的に手孔は前面に4つ、背面に1つある。 尺八に似た楽器として、西洋のフルートや南米のケーナがある。 これらは、フィップル(ブロック)を持たないエアリード楽器である。 ★尺八について(歴史)|公益財団法人 都山流尺八楽会 http://www.tozanryu.com/introduction/shakuhachi/shakuhachi01/ 尺八ってどんな楽器? 尺八は真竹(まだけ)の根に近い部分を7節使うのが一般的です。 しかし近年は廉価な木製、プラスチック製の尺八もあります。 標準管の長さは一尺八寸(約54cm)で、一尺八寸管、略して八寸管とも 呼ばれています。半音(一律)刻みでいろいろな長さの尺八がありますが、 一尺八寸管以外によく使われるのは、一尺六寸管です。 尺八の長さと音程の関係は短いほど音が高く、長いほど低い音が出ます。 同じエアリード楽器に分類される楽器としては「リコーダー」「フルート」「オカリナ」などがあります。 ●尺八の歴史をさかのぼってみよう ・古代尺八(雅楽尺八)の伝来 ・一節切(ひとよぎり)尺八の普及 ・虚無僧の登場 「慷月調」作曲の前年、明治35年(1902)11月 奈良で撮影した虚無僧姿の流祖(右) http://www.tozanryu.com/introduction/shakuhachi/shakuhachi01/images/image05.jpg ・尺八ってこんな楽器です! http://www.tozanryu.com/introduction/summary/ 竹で作られた管楽器です。中国(唐時代)から伝来したものが始まりとされ、楽器の長さ(一尺八寸)がその名の由来とされています。他の楽器には無い奥深い音色を奏でることができます。 ・「都山流」は国内最大と言われる尺八の流派です 120年以上続く尺八の流派です。尺八には様々な流派があり、都山流は「流祖中尾都山」が明治29年(1896)に大阪にて創始しました。現在は京都に本拠を置き、若手からベテランまで多くの著名な演奏家を擁し、教授資格を持つ師匠は約4000名に及びます。平成28年(2016)に創立120年を迎えることができました。
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