#猫ポートレイト
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niuartworks · 2 years ago
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. P. for niŭ 本日アップしました。 「ねこのポートレイト」 新しいシリーズです。 インテリアに馴染むグレーのシンプルな立体額。表面はUV加工のアクリル板が入ります。 手描きの一点ものです。 https://kuroinu.stores.jp #niu_works #ねこのポートレイト #猫 #立体額 #インテリア https://www.instagram.com/p/CqMUpCLy1ia/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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helloharuo-diary-2023 · 9 months ago
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茶畑庵→新松戸→水道橋→Motown→蒲田
Saturday 1 March 2014
今日坐禅会は、禅寺の都合でお休み。真観は、始発バスに乗って東京へ向かった。バスが新宿に着きその後山手線に乗り日暮里駅へ。常磐線に乗り換えて新松戸駅へ。余裕で到着したのでマクドナルドで暫し休憩。今日は撮影日。撮影は身体障害者の方だった。中々いい表情が撮れなかったが一瞬の笑顔を逃さず撮影出来た真観。その笑顔の写真を最後に撮影は終了。
スタッフと別れ1人東京のオフィスに戻る真観。帰りは、日暮里駅から秋葉原駅に移動し総武線で水道橋駅まで。オフィスに着くとUさんはまだ来ていなかった。機材をオフィスに起きてランチを食べに餃子の王将へ。餃子とミニ天津飯を食べる。531円也。Uさんといつも水道橋で食事をするがUさんは餃子の王将はガヤガヤとうるさいから好まない。真観は、1983年の上京以来お世話になっている。
オフィスに戻るとまもなくUさん登場。そしてOさんも登場。この3人でおしゃべりすることがオフィスでよくある。話題の一つは、Oさんが撮った真観のポートレイト写真。その写真を真観がFBにプロフィール写真として公開すると結構な数の「いいね!」を頂いた。そのお礼をOさんにしながら真観は。自分の考えたことを2人に伝えた。
今日3月1日は、坐禅会に参加して1周年になる日。 昨年の3月から7月までの4ヶ月FBを休止し再開するに当たってすべての友人のフォローを一旦止め真観の投稿記事に対して反応をしてくれた友人からやり取りを始めた。その後、自分からフォローする友人も少しずつ増やして行った。これはSNSのコミュニケーションから振り回されることに対しての苦肉の策だった。そして今日の朝、晴れて真観はFB上の友人(610人ほど)すべてをフォローすることに決めそれを実行した。これは坐禅の経験から得た回答だった。
夕方になりUさんと2人で新宿で開催されている真観の生徒の写真展に赴いた。この週末又雪が降るのではないかと懸念されていたが小雨止まりであった。水道橋駅から四谷駅、四谷駅から四谷三丁目駅に電車で移動。その後は写真展まで小雨の中歩いた。真観はよっぽどの大降りでないと傘は使わない。写真展は、「Motown』と題され愛知県の豊田市をテーマにしていた。真観のクラスの生徒なので作品内容は知っていたが改めて展示された写真たちは展示用に再プリントされまた違う顔を見せていた。写真は、4x5ネガフィルムで撮影されていて生徒自身でプリントしていたが印画紙が以前と変えた様でコントラストがあり見栄えが良い写真になっていた。Uさんも一通り写真を見て生徒に感想として展示レイアウトについて助言した。このテーマを今後彼が続けて行くかどうかは分らないが1年続け2年続け10年続いた後に同じギャラリーで同じ枚数の写真を展示すれば印象は当然変わって来る。この生徒に対して学校の先生方の期待は大きい。でも期待など全く意味がない。これも坐禅をして得た回答の一つ。ただやる気があるならこのテーマ続けるがよろしい。それだけだ。
写真展を後にしてまた小雨の中歩くのもなんだとタクシーを拾うことして信濃町駅に移動。今夜は、Uさん宅にお泊まりするので蒲田駅までさらに電車で移動。Uさん宅はこれで2回目の訪問となる。蒲田駅に着いてから駅ビルのレストラン街で麦とろ定食を食べる。近くのテーブルで酒を飲みその勢いで声の大きい2人組がいたがやや不快だった。仕方ない公衆の場だ。でも食事は美味しく頂き麦飯をご飯茶碗に2杯食べた。食事の後Uさん宅まで歩く。途中Uさんは酒屋でワインを1本と干しホタルイカを購入。
Uさん宅に着くと家猫のニーチェがいるのだが今夜は真観を警戒して顔を見せない。初めて訪れた時は膝の上に乗ったんだがなぁ。ニーチェにとってはいい迷惑かもしれない。だとしたらごめんよ。でもそれも分らない��分らないなら放っておけばいい。
Uさんとの語らいは、まるで先生と生徒の様。Uさんは惜しみなく真観の疑問から様々なキーワードを与える。真観は、メモを書き込むためペンとノートを用意した。
苦海浄土石牟礼道子>森崎和江全共闘運動のスローガン「連帯を求めて孤立を恐れず」谷川雁キリスト教原罪塩狩峠三浦綾子氷点内藤洋子ビッグバンライプニッツウィトゲンシュタインヒットラー血盟団事件唐牛健太郎60年安保の全学連委員長吉本隆明田中清玄児玉誉士夫渡辺芳則組長・・・
2人でワイン1本飲み干したら深夜1時になっていた。楽しい夜になった。真観は、1月に亡くなったUさんのお母さんが使っていた部屋で寝た。
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shingoiwasaki-blog-blog · 8 months ago
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俺、今日、初出勤した、作業所、の、一回目の、体験のとき、この道、まーっすぐ、帰ったんよ。そしたら、左手側に、博多の、BOOKOFFに、出たんよ。だから、2回目の体験のとき、博多の、BOOKOFFの、前の歩道を、まーっすぐ、歩いて、今日、初出勤した、作業所に、向かったんよ。そしたら、作業所近くの、すき家が、左手側に出て来て、反対側歩道に、交差点、渡れは、もう、すぐ手前が、作業所の、はずなんよ。そしたらさ、2回目の、体験のとき、歩けと、歩けど、すき家、出てこんのよ。不思議なことに。で、時間、間に合わんし、道、分からんから、タクシー、ひろって、作業所の、住所、伝えたんよ。そしたら、作業所、俺が、すき家目指して、歩いた、真逆に、作業所あるって、運転手、言うのよ。で、結局、2回目の、作業所体験の時間、ピッタリに、作業所着いて���結論、間に合ったんやけど、どう、考えても、一回目の、作業所体験の、帰り道で、左手側に、博多の、BOOKOFF、出てきたこと、おかしいのよ。そう、実は、霊界の再臨のときに、これと、同じ現象、次郎丸の、近所でも、起きたんよ。俺、とにかく、去年の夏、霊界の、��臨の、真っ只中のときに、七隈線、次郎丸駅に、向かって、歩いたんよ。そしたら、出てきた、風景、俺の、アパート裏の、歯科台前の歩道の、あじさい、咲いてる川に、出てきたんよ。あと、七隈線、加茂駅、下車して、次郎丸、自宅に、歩いて、帰ったら、出てきた、風景、野芥の、カッパ寿司の、隣の、BOOKOFFに、出てきたんよ。で、仕方ないから、ブックオフ入って、二階の古着コーナーで、見つけた、ベンデイビスの、ベージュの、半袖Tシャツ、買ったんよ。で、また、歩いて、次郎丸の自宅に、帰ったんよ。で、もう一つ、言うなら、去年の夏、未来の亡霊林檎と、博多駅なかの、新幹線乗り場で、待ち合わせして、結局、色々合って、生きてる、林檎とは、会えなかったんやけど、終電のがして、博多から、天神向かって歩いたんよ。そしたら、ふと気づいたら、博多から、天神駅、通り越して、六本松の、大きな、神社と、七隈線、六本松駅の、科学博物館あるところの、ちょうど、中間地点に、ワープしてたんよ。つまり、博多から、天神通り越して、六本木駅、付近、歩いてたのよ。気づいたら。そのとき、アカシジア、末期で、タクシー、一回、拾ったんやけど、足のムズムズ酷くて、一分も、経たんうち、タクシーおろしてもろて、こりゃ、歩いたが、まだマシやわって、そのとき、交信してた、爺ちゃん【仏様🦠】と、キヨコ👾と、色々、話しながら、帰ったんよ。で、その時、キヨコ👾グレてて、あんま、良い宇宙人では、なかったんよ。で、林檎と、会ったら、プレゼント🎁に、ポテトの、インテリア用品買って上げてたんやけど、りんごに、買ったあと、キヨコ👾も、同じのが、欲しいと、言い出したから、その、ポテト🍟の、インテリア用品買った、店に、戻って、キヨコ👾の分として、もう一つ買って、リュックサックに、入れたんよ。つまり、計、2つの、ポテト🍟の、インテリア用品、リュックサックに、入ったまま、自宅まで、徒歩で、その日、帰ったんよ。もう、かなり、自力の、限界超えてたんやけどな、その日は。なんせ、俺が、ようやく、卵から、殻を、破って、産まれた日なんやから。で、家帰って、布団に、横になってたら、いつの間にか、寝てて、起きて、リュックサックの、ポテト🍟の、インテリア、取り出そうとしたら、一個しか、ポテト🍟の、インテリア、入ってなかったんよ。勿論、今も、見つかってないのよ。もう、一個、買った、キヨコ👾の、分の、ポテト🍟だけ。
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で、林檎と、博多の新幹線乗り場で、待ち合わせたのは、改札前の、写真なんやけど、この👆☝️デカく、投稿された、博多駅を、出て、すぐの、広場で、タバコ吸うてたんよ。てか、ここの、広場と、新幹線乗り場、改札前を、林檎、待ってる間、何時間も、行ったり来たりを、繰り返してたんよ。タバコ吸うために、ここの、広場出ては、吸い終わったら、また、新幹線乗り場、改札前に、戻っての繰り返し、つまり、往復して、時間、過ごしてたんよ。で、ここの、広場に、一匹の、美しい、黒猫、座ってたんよ。で、俺と、交信して、話したんよ。その時、黒猫は、前も、伝えたけど、俺に、バカだニャンを、連呼してたんよ。つまり、前も、言ったけど、俺が、交信してるのは、未来の、林檎の、亡霊であって、生きてる林檎では、ないから、勿論、生きてる林檎には、新幹線乗り場、で、この日、待ち合わせてることさえ、伝わってるはずはなく、いくら、俺が、ここで、林檎、待っても、来やせんよ、と、猫は、考えてたんよ。でも、俺は、その時、俺が、交信してる、林檎が、未来の亡霊、林檎なんかとは、知らないから、テレパシーで、林檎と俺、伝わってると、勘違いしてたんよ。爺ちゃん 【 仏様🦠】は、そのこと、勿論、知ってるけど、一緒になって、もう少し、待ってみよう、もう少し、待ってみようと、言うてたんよ。そのときは。つまり、俺が、交信してるのは、生きてる林檎ではなくて、未来の亡霊、林檎であって、テレパシーと、俺が、勝手に、勘違いしてるだけってことに、自分で、気づくのを、爺ちゃん【 仏様🦠】 は、待ってたんよ。で、最期、終電のがして、博多駅も、閉める準備、始まったから、結局、場所変えて、待つねって、林檎に伝えて、今度は、博多駅、反対側、交番近くの、木の前で、待ち合わせの、約束を、あらたに、したんよ。でも、勿論、林檎は、現れず、俺も、その日、ずっとキレてたんやけど、あるとき、林檎から、こう、言われたんよ。私は、ずっと、あなたの、近くに、いたのよ。つまり、今も、ここにいるのよって、交信してる林檎が、言うてきたんよ。で、俺は、目を凝らして、林檎の声のするほうを、凝視してたら、ほんとに、一瞬だけ、ショートカット、黒髪の、林檎が、立ってるのが、見えたんよ。ただ、上半身というか、ポートレイト画像で、一瞬、浮かび上がって、消えたんよ。そう、例えるなら、文庫本の、小説家が、1番最初の、ページ右側の、文庫本カバーに、顔から、肩までの、写真、載せてるやん、ちょうど、あんな感じで、林檎が、すっと、7メートルから、10メートル前に、浮かび上がって消えたんよ。で、俺が、タバコ吸ってた、博多駅広場とは、真逆の、広場、つまり、交番あるほうの、広場なんやけど、さっき、博多駅、反対側の広場で、話してた、黒猫が、俺と、一緒に、ついてきてたのか、までは、知らんけど、とにかく、場所移動して、また、俺の、近くに、座ってたんよ。つまり、この、黒猫も、俺が、気になって、しょうがないんだよ😂で、結局、爺ちゃん=仏様🦠と、もう、帰ろうかって、話して、キヨコ👾と、三人で、話しながら帰ったんよ。
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naga-from-ihatov · 5 years ago
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🌅うるめ #鎌倉ねこの間 #卒業猫 #保護猫 #catsofinstagram #cat #猫部 #猫 #ねこ #ねこ部 #neko #kitty #猫カフェ #TheArtOfNekonoma #sony #sonyalpha #sonycamera #sonyimages #シュールネコイズム #CoolAndCute #猫ポートレイト #鎌倉 #kamakura #CoolKamakura #kanagawaphotoclub (鎌倉ねこの間) https://www.instagram.com/p/BzHERPMhjFa/?igshid=440iq4i45364
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yrkhang · 4 years ago
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「日記とはとても言えないけれど」について
そうだな。
このところ全然文章を書いていなくて、そういう意味では僕は全然、日記を書いていないなと自覚している。
先日の、豊崎さんのオンラインライブを観た。
楽しかったな。いいライブだったと思う。
んー、そうだな。
最初に思ったのは「けっこうキーが下がったな」ということだったりした。
というか、最初、MCみたいなのが入るとは思ってなくて、「うわこういうの入るんだ」みたいなのが最初だったかもしれない。
ライブと思っていたので、これはけっこう面食らったところがあって、意外な感じだったかな。
バラエ���ィっぽかった。この辺はテレビっぽかったと思う。
照明が落ちて、最初が『letter writer』だった。
何というのか、懐かしくて。自分が印象的なのは代々木のセンターで踊っていたあの景色なのかなあ。
すごく好きな曲だったので嬉しかった。
ちょっとトーンが低くて、「あの頃とは違うな」と感じた。けれど同時に、「その姿勢は変わらないな」とも感じて。
歌声は違うはずなのだけどそう感じたことが自分でもちょっと不思議で。
うーん、なんというのか、カメラ越しに見える彼女の姿が、ぼくの知っているライブの景色の中の彼女の姿とあまりにもよく似ていた、とでも言うのか。
オンラインライブだから、当然ながら客席には人はいないという環境がある訳で。
けれど、いや、だからと言うべきなのかな、豊崎さんの姿勢は常に、カメラの方を向いていたように感じられて。
何というのかな、ぼくらはそこには居なくてカメラ越しに見ているに過ぎないのだけれど、だからこそというのか、カメラを通して、その向こうにいる人たちに届くように、というような姿がとても印象的だった。
うーんと、僕が豊崎さんのライブで好きなところって、彼女自身がライブをすごく楽しんでいるってことがハタから見ていても伝わってくるところで、
その一方で、それは彼女自身が自分だけで楽しんでいるという事ではなくて、彼女のライブは、その、彼女が感じている音楽の楽しさを、見ているぼくらにも伝わるように届けようとしてくれているところだと思っていて。
そういう意味で、この『letter writer』はすごく良かった。カメラに視線を振ったり手を振ったりしながら唄う彼女の姿はぼくの見知った「ライブ」の彼女の姿そのもので、そういう姿を彼女はカメラ越しの「キミ」に伝わるようにきちんと演じてくれていて(大サビの「ラララ」で誰も居ない客席にマイクを向ける景色が創造できますか)、かつ、それを自分自身が楽しく唄っているんだということも垣間見られて、良かった。
『猫になる』なんですけど、ぼくは狸なのであんまりわんわん狸語を語ることはやめようと思います。
ただ、この辺で「あれ」って思ったのは、彼女のバックに控えるバンドメンバーがいつもの面々であったことで(この辺で気づくあたりが鈍い)、このあたりでぼくは「あれ、なんだいつものライブなんじゃん」と感じたりしたのかな。なんというのかなあ、ちょっとホッとした感じというか。
所謂スフィアの四人の中で、こういう形で外に向けたチャレンジをするのは(いつもそうではあるけれど)彼女が最初のことで、それでなんか、緊張とかないかなとかどうでもいい変な心配をぼくはしてしまっていたのだけれど、「ああ何だこの人たちが後ろに居るなら安心じゃん」と素直にほっとできて、
そのことが自分の中でけっこうおおきな新発見だったりもしたのかな。当たり前みたいに居るひとたちの存在って、その���まだと気づけなかったりもするのかも知れない。
猫を挟んで『ぼくを探して』というのが印象的でもあったのだけど。
んー、でも、ぼく個人としては『猫』のカメラワークも含めた動きみたいなところがすごくすきだったかな。猫ってポップな曲で、バックバンドも楽しげだし豊崎さん自身もすごく、そうなんですよね。それがとても良くて。
なんというのかな、豊崎さんって賢い人だから、逆にというか、「お客さんのことを考えて振る舞ってしまっているんじゃないか」と心配になってしまうことがぼくは多々あって。まあ傲慢な客なんですけど。
でも、なんというのかなあ。この曲の彼女の振る舞い、カメラワークとか、色々見ていると、そういう観客のどうでもいい感想を無視して、彼女自身がちゃんと、この音楽を楽しんでくれているんだなということが感じられて、すごく良かったんですよね。キャットパンチをカメラに向けてやるところとか、とてもよかった。
カメラも足元に寄ってて、彼女の軽快なステップが見て取れて。
「どうなんだろう」って思いながら見ていても、それはやっぱり楽しくなかったら踏めないステップだったんですよね。それが良かった。
傲慢太郎だけど、やっぱり演者自身がステージを楽しんでくれるのがいちばんだと思う。そういう意味で、ああいうステップを刻んでもらえることはすごく嬉しいことだなと思いました。
で、『探して』なんですけど、
どうしようか。
みたいな感じで。
ぼくがすごく豊崎さんの音楽で好きなのは、彼女が楽しくそれを演っていることがハタからも窺えることと同時に、そういう姿をみせつつも彼女の音楽が、彼女の描きたい世界というのか、音楽という「作品」の世界をきちんと描き切ろうとしているところで。
その両者は、うーん、目的地としては似たようなところに在るのかも知れないけれど、表現技法としては全く異なるところにある両者であって。
ぜったい崩しそうなその両方を、どういうわけだか同時に成立させている姿を観ることができるから、ぼくは彼女のステージがすごく好きなんですね。
己の好きなものが、「好き」という自分のきもち一つでは表現できない何かであるとき、ひとはどうしたらいいんだろう。
そういう疑問に接したとき、ぼくは「とよんさんはすごく嘘つきな人だ」と思っていて(とか言ったらまたファンの方たちに叱られるんだよ)、それは、
うーん、
そうだな、
例えば、この後に来たのがフリップフロップで、歌声が全然違ったんですけど、なんか変に懐かしいねえと思って、歌声は全然違うんだけど世界観は繋がっているなと、例えばぼくは思ったりしたことがあって。
とよんさんはpひょうんぴょん跳ねたりしてリズムをとりながら、バンドメンバーとコミュニケーションをとりつつ、カメラ(つまりはぼくらの視点)にもきちんと会話を送ってくれていて。
それが「何も考えず」にできることかといったら、そんなことはないはずだと僕は思っていて。
つまり、きちんと「演者」としての算数をしながら、けれどもその算数に陥ることなく、彼女は彼女自身の「楽しい」音楽をやっていて、
それがつまり、ぼくが彼女を「嘘つき」だと表現するひとつの理由なのだけど、けれど、
だから、ぼくは彼女の歌が好きなのかもしれないのかな、と改めて感じたりもした。
うま��表現できなくてウンポコなのだけど。困ったなあ
けれど、ある程度ここまでは言いたかったことが書けたのかなと思っている。
『dill』が来てですね。どうしたもんかなと思って。
ぼくの中では最初の武道館の景色なんですよね。みんなめちゃめちゃ緊張していたであろうあの舞台の光景が今でも真っ先によみがえってきてしまって。だから個人的には「聴いていて緊張する曲最右翼」だったりもするのだけれど。
この日は、なんかみてて、そいういうことは全然感じずにシンプルに「いい曲だな」って思いながら聴けた。なんでなんだろな、不思議でもあるんだけれど、もう一面で考えればあの武道館からもう10年以上が経って、いつまでも立ち止まっているみたいなぼくの感想とは全然別のところで
時間を重ねた音楽を聴かされている、みたいな。そういう間奏もあったりしたのかな。
いずれにしても、この日のdillはすごく堂々としたパフォーマンスでとても良かったと思う。
ぼくが豊崎さんについて印象的なのは、んー、例えば、4人というある単位の中で言えば、豊崎さんはある種、外に向けて切り開く人だったなと思っていて。
例えば、ぼくはすごく平日朝のテレビ東京をみているひとだったのでこれにはたいへんお世話になったりしたのだけれど、テレ東の朝の番組にお天気お姉さんとして登場してくれたりしていたことだとか。
んー。例えば、4人というある単位の中で言えば、「突撃隊長」みたいな立ち位置に居る人は他にも沢山いると思うのだけれど、
豊崎さんはそうではなくて、うーん、なんというのかな、
自分の居る場所とか在り方とか、そういう彼女自身の「姿」みたいなところから、一見「全然違うじゃん」みたいなフィールドへ向けて飛び込んでゆけるような、そういう、強い接点みたいなものを持ったひとだと個人的には長年思っていて。
それで、だから、
例えばの話だけれど、オンラインのライブ、みたいなものって、これまで4人のなかではだれもやってこなかったことで、ある種の挑戦みたいなものであったはずなのだけど、
なんといったらいいのかな、
彼女がそういうことに先陣切って挑戦してゆくことは、すごく、ある種「自然なこと」だな、とぼくは思ったりしていたのでした。
実際のところは勿論分からないのだけれども。
でも、4人を4人という内側に留めるのではなくて、その外側へと開いてゆける人がいるとしたら、とよんさんみたいなひとなのかな、とは思っていたりしたかもしれない。
挑戦にこわいことなんて、誰にとってもないはずないと思うんだよな。
でも、逆にだけれど、だからこそ、そういう場所に飛び込んでゆける人って居て、そういう人って決まって、気取ってなくて、いつも変にニコニコしてる人だったりするんだ。
そういう人、みたことあるなあ、って思いながら、このライブを眺めたりしていました。
そだな、セットリストを改めて見返してみると、言いたいこと色々あるのかな、と思ったりもするのだけれど、それを表に出さないところが、見ていてこの人のかっこういいところなのかな、と思ったりして、
とか言うとまたお叱りを受けたりするんだけど(仕方ない)、仕方ないんだけど、そうだな、
『ポートレイト』の「伝わるように」っていう歌詞がぼくはとても好きで。豊崎さんは���分からないけど、色んなことを、日々、ラジオなんかで離したりしてきた中で、そのことをとても大事にしてきたひとだと思うので。
だから、
何言いたいのかまったく要領を得なくなってきたのでこのへんで終わってもいいのかなと思っているのだけれど、
そうだな、
とよんさんのライブは、良かった。
良かったというか、すごく、とよんさんのライブだなと感じることができて、
それが、無観客ライブという、経験上もなかなかないことで、演じる人が表現するうえで、とても難しい、というのかな。
んー、
前にちょろっと書いたことあった気がするけど、例えば、お笑い番組でスタッフの人が「ガハハ!w」って合いの手を入れたりすることあるじゃないですか。
あれが、子供の頃の僕は大っ嫌いで。寒すぎるじゃん。あんなんありえへん。って思っていたんだけど、最近、なんだろな、無観客のライブとか配信とか見ていて、
かっこよくはない(個人の感想です)けど、めちゃめちゃ大事なことでもある、のかもしれないな、と思いつつあったりもして。
そう思う理由は、例えば、こういう配信ライブでとよんさんがニコニコ笑ってカメラに手を振ったりしていることと同じことだったりしたんですけど。
だから、とよんさんはすごいなあって改めて感じたりしたところもあって。そういうのと自分の楽しさとを両立するのってたいへんだと思うので。それが出来るのは一つの才能と努力の賜物なんじゃないかなと、こういう環境でみてみて改めて思ったりしたのでした。
なんだっけ、書こうとしたことがなんかいっこ書けてない気がする。
そうだな。
このところ全然文章を書いていなくて、そういう意味では僕は全然、日記を書いていないなと自覚している。
とよんさんが昔、「私にとって音楽というのは生活することと同じようなものだ」みたいなことを話していたことをふと思い出したりしている。
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savaooo · 7 years ago
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猫の島沖島に行ってきました。
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bububonbo · 5 years ago
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2019/8/6 「クリムト展」
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2019/8/6 「クリムト展」
豊田市美術館
ウィーンと日本の友好150周年記念企画展ウィーンイヤー関連2展目です。(1展目は京都近代美術館開催の「世紀末ウィーンのグラフィック展」)東洋の芸術を勉強していたクリムトは今回の企画展として相応しいですね。
豊田市美術館へ来たのは初めてです。職場の上司にあそこは良いところだと教えてもらっていたので、行くのを楽しみにしていました。最寄り駅から美術館へはタクシーで行きました。駅からの看板誘導が秀逸すぎて思わず歩きで行ってしまいそうになりますが、結構な距離を歩く上に美術館は坂の上なので、脚に自信がある人以外は交通手段を考えた方が良いように思いますね。ちなみに、タクシーに乗ると200円の割引券をゲットすることができます。(※会社によります)そちらで当日券を購入。チケットカウンター対応をしているお姉さんのスカーフがクリムトの絵画で可愛かったです。
巡回前の上野ではとんでもない人だかりであったと聞いていたので、こちらではどうだろうかと思っていたのですが、平日なのにも関わらず、人の多いこと。休日はもっと凄いのでしょうね。後でTwitterアカウントを確認してみると、「めっちゃ混むよ(※要約)」とありました。
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第1章ではクリムト自身のポートレイト、親族の肖像紹介から始まります。この中で《ヘレーネ・クリムトの肖像》に眼を奪われました。横を向く肖像画です。薔薇色の頬や苺のような唇が愛らしいのですが、それだけではなく、ミステリアスな雰囲気も漂っています。こちらのコーナーではクリムトの父であるゲオルク・クリムトの作品も展示されていました。修行時代の写実的な肖像画や裸体、静物画なども展示されており、クリムトの画力の高さが伺えます。
私が個人的に楽しみにしていたのが、クリムトの女性関係を見られる第3章です。女性のポートレイトや素描作品だけではなく、関係のあったエミーリエ・フレーゲへの手紙の展示もあり、満足でした。ハートに矢が射られた挿し絵に熱い想いが感じられるようです。図録では展示されていた手紙を翻訳されていたので、どんな内容であったかを知ることができました。死人に口無しとは言いますが、後世に大公開されて正直それは恥ずかしいだろうなぁと思いつつ。
4章からは日本とウィーンの歴史をクリムトを通して展示されています。こちらでは東洋美術に触れたクリムトの作風が劇的に変化していくのがわかります。クリムトの絵はより平面的に、より、装飾的に変わっていったように感じます。そして5章では私たちが想像するクリムトの絵となっていきます。《ユディトⅠ》の艶かしさに魅了されながら黄金と極彩色の空間に酔いしれます。ユディトのふわふわと広がった髪や表情は快感と興奮で舞い上がった表現なのでしょうか。それを助長するかのごとく、マットに輝く金が美しいです。金箔を付着させるのに大層苦労したとか。
そういえば、原寸大複製の《ベートーヴェン・フリーズ》も展示されると聞いたけれど、どのように展示されるのだろうと疑問になりつつ進んでいくと、一角丸々《ベートーヴェン・フリーズ》のためのコーナーがしつらわれていました。その前に、手前に展示されていた《人生は戦いなり(黄金の騎士)》を観ます。実はこの作品は愛知県美術館所蔵のもの。こちらは東京展には出展されず、巡回展では豊田市美術館だけの展示となっています。つまり、東京展よりも1点多いため、少しお得な気持ちです。背景は花のような空気のような緑と青、そして黄色。影のような黒い馬に対比して黄金の騎士が映えます。馬はただ黒いだけではなく、質感や毛の流れもこまかく描き込まれていました。
音声ガイドではベートーヴェン《交響曲第9番》を聴きながら鑑賞することができます。どの面も凄いのですが、《敵対する力》が一番見応えがあります。存在感のあるテュフォン、金の蛇���髪に巻き付くゴルゴン3姉妹など、禍々しい表現が見ていて面白いです。「不節制」の擬人像の体型、なんか見たことあるなと思っていたのですが、あれは私だな(笑)
第6章ではクリムトの描く風景画が展示されています。女性が描かれた作品のように怪しさや豪華さはないものの、牧歌的ですが、鮮やかな点描作品が目立ちます。歳を重ねる度に遠近がぼやけていくのが面白い。《丘の見える庭の風景》では遠近が全くわからず、全面テキスタイルのようで不思議でした。
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最終章「生命の円環」では大学の天井画の習作、デスマスクや生にまつわる描写、妊婦の習作、クリムト展のもうひとつの目玉である《女の三世代》等の生と死が色濃く出る作品群が展示されています。生のイメージである赤裸々な生の描写や妊婦の習作の作品で少し興奮してしまいます。私はクリムトの描く妊婦が大好きなのです。膨らんだ腹や臍の向きが良いのです。そして、死のイメージを彷彿とさせる《家族》。こちらは母と二人の子どもの顔以外は全てが黒く塗りつぶされているというもの。「生命の円環」に属されているということもあり、不穏な印象を加速させています。アンバランスな気持ちにさせられます。
出口を通ってからの感想はというと、きらびやかな空間を通り、最終は生命観を考えさせられたりと、まるで走馬灯のようでした。クリムトが走り抜けた一生の少しを感じられたように思いました。
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レストランはフレンチを中心とした「ル・ミュゼ 味遊是」で。
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クリムトをイメージしたデザートもありました。作品をイメージした華やかな色彩とクリムトが好きだった猫をイメージしているそうです。非常にクオリティが高く、これぞ正しいコラボフードだなと思いました。
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豊田市美術館は敷地が広く、短い時間では全てを回りきることができないほどです。もう一度チャレンジしたいですね。
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敷地の奥には茶室もあり、抹茶とお菓子をいただけました。ようかんには柚子が練り込まれており、美味しかったです。
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film-web · 5 years ago
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PAPA by François Halard
フランス人フォトグラファー、フランソワ・アラール(François Halard)の作品集。2016年に亡くなった父親のイヴ・アラール(Yves Halard)の最期の日々を、南フランスの町レ・ヴィニェールにある自宅で撮影。本作では、普段の作者とは異なるアプローチによって共に過ごした数々の瞬間が捉えられている。世界で最も卓越した建築写真家の一人と評されている作者だが、本作においては私的な環境、空気感を追求した。優れた室内装飾家として名を馳せたイヴは、アンティーク家具から玩具まで様々な物を収集するコレクターでもあり、同じ室内装飾家で比類ないセンスの持ち主であった妻のミシェルと共に、自分たちの世界を作り上げていった。作者はいつもの手法を捨て、被写体に寄り添って撮影をした。枯れゆく肉体や、年齢と知性が刻まれた弱々しい表情を写し出した静謐な写真には、親愛の情と敬意がにじみ出ている。作者によるフランス語の序文と、ライターのアイデー・トゥイトゥ(Haydée Touitou)による英訳を収録。
父は私の近くにいるために、プロバンスに移り住みました。
ここ数年で私たちはお互いを受け入れるようになっていました…
私がアルルに滞在する時はいつも、父はアヴィニヨン駅に迎えに来てくれました。私は彼を訪ねてレ・ヴィニェールにある大きな家に行ったものです。父は自宅ではほとんどいつもトラクターに乗っていました。赤いニット帽を被り、オレンジのスニーカーを履き、Tシャツを着て。寒い季節には、義母の遺した虫喰いのミンクのコートを手放そうとしませんでした。
93歳になるまで父は自分の本や玩具、そして木々を身近に置いておきたがりました。父は晩年になってから300本以上の木を植え、玩具をとても大切にしていて決して誰にも触らせませんでした。
父は写真を愛してい��した。レミ、アナイス、バスティアン、アリゼ、私、それに飼犬のティナとヴァロンタン、父は私たち皆を写真に撮ったものです。父のイメージとオブジェに対する愛は私にも受け継がれています。父は数えきれない程、ものを持っていました。職業は室内装飾家でしたが、色やものを何よりも大切にしていました。エットレ・ソットサス(Ettore Sottsass)のランプ、フィリップ・スタルク(Philippe Starck)のガーデンノーム、ルイ15世のソファ、アウトサイダーアート、宗教美術の彫刻家だった祖母を偲ぶ宗教的な物の数々。そして布、たくさんの布…彼はさまざまな様式や違った時代の組み合わせを楽しんでいました。そうやって彼は、特別な精神を生み出したのです。それは父イヴと母ミシェル・アラールの精神とも呼ぶべきものでした。
93歳になった父は“猫”と呼んでいた猫の傍で、自宅で死にたいと言っていました。私は最期の日々を父の側で過ごしました。ちょうどイースターの前のことでした。私は買ったばかりのライカのデジタルカメラで撮影した写真を彼と共有することができました。
私はそれまで家族を撮影したことはほとんどなく、特に両親は撮らないようにしていました。父を撮ることなどまずなかった。しかし私は、彼がどんな人間だったのかを痕跡や記憶として残しておきたいと思いました。そうするとリチャード・アヴェドン(Richard Avedon)が自分の父親を撮った写真がすぐに思い浮かびました。ニューヨークのメトロポリタン美術館で初めて見た時、その力強さに深く感動したのを覚えています。それから数年後、レ・ヴィニェールで自分自身も父のポートレイトを撮影していたのです。でも私のやり方は彼のものとは違っていました。
この写真に、親愛と敬意を込めて。
– フランソワ・アラール 2019年、アルルにて
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shinskys · 6 years ago
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黒猫ジジちゃん♡ スクッと立ってポートレイト😻 #2018 [10月27日] 😺#cat #cats #neko #nyanko #instacats #catstagram #catsinstagram #catsofinstagram #cats_of_instagram #lovecats #topcatphoto #catsofworld #cats_of_world #meow #猫 #ねこ #ねこすたぐらむ #ねこ部 #ねこもふ #ねこもふ部 #ジジ https://www.instagram.com/p/Bpmi1kjHiX8/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=lg53ofa90ddf
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yuniyuni312 · 7 years ago
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土曜日、銀座ニコンサロンにインベカヲリちゃんの個展「理想の猫じゃない」に行って来ました。 前回アメリカバシギャラリーで行われた「境界侵犯」の時に書いた感想文を再掲しておこう。 ー問題の多そうな女性群をモデルとして起用することで知られる作家ですが、彼女の写真の魅力は被写体の持つバックボーンのいびつさや過激さというより、そんな中にもなぜか浮かび上がる澱んだ透明感や、どこか不可解で奇妙なポジティブさにあるのではと私は思っている。  しけた工場の水たまりに、どこかから悪い油が滴って、虹色の油膜を描いている。ゆらりと旋回しながら輝く、あの妖しい透明なよどみに惹きつけられるのと、どこか似ています。  どんな小さなややこしさでも喜んで発見してしまう彼女のフォーカスは、女たちの苦痛な自己愛の発露を刻みつけ、生に真摯であるがためのこの憂鬱を、生暖かく絶妙な境界で見つめてくれる。歪なこころの一端は彼女の写真に変形することである種の希望めいたものを手に入れるが、その矛先は常に不可解だから面白くて、彼女たちの愚直な姿は生々しくて直視できないのに、時たま愛おしく見えて���る。  立入禁止の境界でも治外法権のパスポートをかざしていとも簡単に侵犯できてしまう、そんな特権階級の月よりの使者。いつだってきっと、誰もがどこかにあるはずの他人の不幸への好奇心にぞくぞくしながら彼女の写真を見てしまうし、なんだ、もしかしてやっぱり、総じて世界はこんなにも悲喜交々で、結構、美しいんじゃないかって思ってしまう。  そういえば、あのしけた工場の駐車場はどろどろになった砂利の水たまりで、だれも気にとめない風景だった。  予測不能にゆらめく虹色は、水上の異物であるにも関わらず、ひっそりと異彩を放ちながら生きている。泥の中、あの輝く油膜を見ていたのは、きっと私だけだ。綺麗事のない世界にこそ、事実の魅力がある。
彼女の写真に見るややこしい美しさは、水たまりの油膜を眺めながら育ったわたしを今でも魅了してやみません。 ーーー
以前の展覧会の並びから比べると、尖ったところは失われず、「彼女」たちへのまなざしにどこか愛情を感じさせるような並びになっていたように感じました。 特にこの金髪の女性のポートレイトはストレートでとても感動的。逃げようのない王道の画面にこそ、被写体への真摯さが感じられる。彼女が写真家として、もう一段も二段も上の段階へ登っていることを体現するかのように、私には見えました。
彼女の多くの写真はシチュエーションの奇抜さでもすでに独創的な画面なのですが、それがただビジュアル的な突飛さを求めた結果ではなく、被写体個��にフォーカスしていった末に自ずと導き出されたロケーションである点がとても面白いのです。そういった所で、ある意味でのキャッチーさを排除した顔のアップのポートレイトは、長く彼女の写真を見て来ているわたしには、異様に迫るものがあった。 写真集も出るし、ネットでも作品は色々見られます。でも本当にこればかりは、ぜひ実物を見て頂きたい!! http://www.inbekawori.com/
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kurubushi-works · 7 years ago
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愛猫こつぶ様。 #cat #cats_of_instagram #catstagram #photoday #photoart #photoshot #photography #photographer #kosukeharada #猫 #ペット #動物ポートレイト #ペット撮影 #instagood
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hold-a-join-mook · 7 years ago
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こんにちは! hold a join MOOK は本日もオープンいたしました。 本日の入荷。テーマは 『ふろむトーキョー』と いったところでしょうか。 ワタクシゴトで行った東京で せっかくだからと仕入れまくった本の数々を ほぼ横流し状態にて放出いたします。 さらに。 MOOKのありますこの町では、 猫の人気が根強く、このたび、 仙台は気仙沼の猫さんのポートレイトを 展示いたします。 こちらは、震災復興に力を入れて活動して居られる、写真家のかわいみさえ氏の作品です。 気仙沼の復興はまだまだだとのこと。 折しも3.11。 7年経ってもいまだ困難な状況が 続いておりますね。 風化させないこと。 出来ることを出来る限り。 これからも心掛けていく所存です。 本日の登板は、やさぐれ the KK。 いつもより1時間早い、17時まで 皆さまのお越しをお待ちいたしております。 猫さんの名前は ティアラとタビィ。 かわゆす❤
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helloharuo-diary-2023 · 10 months ago
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過去日記「Novel」からのメッセージ
Wednesday 22 January 2014
坐禅会に行く時間と学校に行く時間はほぼ同じ早朝5時。昨年3月坐禅を始める時にハルオは、考えた。坐禅も良し、そして坐禅を習慣付けて夜型生活を朝型生活に切り替えようと。学校の授業をもっと大切に組んで行こうと。それまでのハルオは、長年夜型生活をしていた。深夜2時、3時は当たり前だった。東京の学校の授業スタートは、朝9:20から。その時間に間に合う為には、御殿場から出発する高速バスを朝6:20の始発に乗らなければならなかった。
今朝は、昨日と同じく禅寺の都合で坐禅会は、お休み。今年に入って増々坐禅修行に取組もうと決意したハルオは、のっぴきならない理由がない限り坐禅会に毎朝参加することを義務づける様にしていた。しかし今日は、坐禅会も休みで学校もあった。茶畑庵から車に乗って御殿場まで進むと雪舞っていた。裾野と御殿場間では、断然御殿場の方が標高高いので雪が降り易い。ハルオは、慎重にドライブをした。道路が凍結したり雪で視界が覆われたりするからだ。
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ハルオは、5:50の高速バスに乗った。昨年秋頃からダイヤ改正があり始発は、6:20から30分繰り上げられていた。余裕を持って東京に行かないといつ何時東名高速内で事故や渋滞に巻き込まれ予定時間を狂わされるのを防ぐ為だった。今朝は順調に進みバスは、7:30すぎに新宿に到着した。ハルオは、時間つぶしにマクドナルドに入ってコーヒーとソーセージマフィンを注文し喫煙席を選んでカウンター席に座った。窓の外は、左右に忙しなく人々が歩いていた。この時ハルオは、気付いた。ポケットWIFIの電源部を忘れたことを。それがないとリチャージが出来ないからバッテリーが1日持たない。いつもならインターネットをして時間を潰すハルオだったがWIFIの電源を切って読書に切り替えた。今ハルオが読んでいる本は、「参禅入門」大森曹玄著。1964年、ハルオが生まれた年に出版されたこの本は、読書が苦手なハルオにも読み易い本だった。
新宿駅から市ヶ谷駅まで総武線を使って市ヶ谷の学校まで、電車はいつも混んではいない。学校に着くと���ャックダニエルのウィスキーをパロッた音楽イベントの張り紙がエレベーターの横に見た。ハルオは、以前レギュラーで仕事をしていた雑誌を思い出した。今日の授業は、いつもと違い合同プレゼンテーションの日だった。卒業制作を終えた生徒の作品を生徒1人1人プレゼンして行く。プレゼンテーションの会場となる教室に入ると生徒の数は少ない印象を受けた。ハルオは、中央の一番奥の席に座った。それには理由があった。自分の生徒がプレゼンをしたら記録として動画を録りたかったからだ。用意してあった三脚をキャリーバッグから取り出しカメラをセットしようとするとハルオは、又やってしまったと後悔した。三脚のクイックシューを忘れてしまった。静岡と東京の行き来を5年間続けているハルオだがいつも何かしら忘れ物をする自分が嫌だった。にも拘らずまたその過ちを犯してしまった。ただ過ちと言っても旅にトラブルは付き物でそのトラブルをどう知恵を働かせるというのも大事だなと1人納得して済ますハルオもいる。今回は、三脚の上にカメラを置いて手で落下を押さえる様にすることにした。16人の生徒が次々と指名されプレゼンテーションを行った。同世代の女性のポートレイト、卒業後移住する母島の生活のドキュメント、台湾からの留学生は、台湾の古い町並みを撮り、宮崎県の口蹄疫問題で29万頭の牛や豚が殺傷された地元を撮った生徒、巨大物が怖いとその巨大物たる建築物を撮った作品、、、、、様々な作品が紹介された。このプレゼンを真摯に受け止めプレゼン内容の紙に書いて来てる生徒もいれば行き当たりばったりでプレゼンする生徒もいる。後者の方が多く感じた。ハルオは、少しばかりそれで気分が悪かった。そしてハルオにも生徒から意見を求められてハルオは、答えた。「考えること、感じること、その意識を忘れないこと」ハルオは、そうメッセージを送った。メッセージを送っても生徒に受信機がなければ受信ことが出来ない。受信機がなくても時にはメッセージを送り続けることは大切だとハルオは、過去の経験から知っていた。ただハルオは、自分にその資格があるのだろうか?とも自問しながら。
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学校が終ると急いでハルオは、市ヶ谷駅に小走りで向かった。今日は、Uさんのお母さんの告別式だった。告別式の会場は、大森駅からタクシーで10分ほどの臨海斎場だった。ハルオは、急ぐとろくなことがなかった。電車に乗り次は飯田橋駅と知った瞬間「あれれ逆方向?」と乗る方向を間違えたと勘違いをして飯田橋駅で下車。そして逆方向の電車にまた乗った。そしてまた実は間違えていなかったと気付き四谷駅で降りてまた最初の方向の電車に乗車。それは、自分が水道橋駅から乗っていると思ったからだった。水道橋駅には、ハルオのオフィスがありその習慣が仇となった。御陰で臨海斎場までの道のりは遠のいた。大森駅に着いたらまずはバスに乗ろうと考えていたがこのタイムロスとバスの時刻表をネットで見たらバス���この時間運行していないと知る。タクシーしか手段はないと悟りタクシーに急いで乗り込む。
斎場に到着した時は、告別式の全ての行事が終わっていた。ハルオは、遺影の前で手を合わせて故人のご冥福を祈った。その遺影は、ハルオが撮影した写真だった。昨年Uさんの姪っ子さんが結婚をされた時ハルオは撮影を担当した。その結婚式にUさんのお母さんも参列していた。向き合ってのポートレイトではなくあくまでもスナップショットだったので目線は横を向いていたが遺影の写真として評判が良かった。やはり昨年ハルオの友人のお父上が亡くなりその時も以前ハルオが撮った写真が遺影に使われ、その友人から「ハルオ君は、遺影写真家になれる」と言われていた。奇しくもその機会がまたやって来てしまった。ハルオは、自分が撮影した写真が人の役に立つのなら本望と心の中で思っていた。斎場を後にしUさんとそのお姉さんと3人でタクシーに乗りUさんと故人が一緒に暮らしていた自宅へと移動する。
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UさんとUさんのお姉さんとハルオの3人でタクシーに乗りUさんと故人が一緒に暮らしていた自宅へ移動した。蒲田駅から近いその家に入ると窓の外には、地元の高校が見えた。ハルオとUさんの交流は、20年近くになるがUさんの家には初めて訪れた。つい先日まで故人が使っていた4.5畳の和室には、仏壇があった。斎場の係員が僕らの後から間もなくやって来てお骨と遺影が棚台の上に置かれた。ハルオは、再度故人の冥福を祈った。Uさんは、読書家で本棚にはハルオには縁のなさそうな本がぎっしり並べられていた。UさんもUさんのお姉さんもいつも変わりない表情で告別式の後始末をしていた。僕は、告別式の参列者に用意されたお弁当をソファに座りながら頂いた。この家には、ニーチェという名の雄猫がいる。この猫の話もUさんから何度となく聞いていた。ニーチェは、来客であるハルオを警戒してかあまり姿を見せなかった。コーヒーを飲みながら故人を偲んで思い出話をしたりUさんの少年、学生時代の古いフォトアルバムを見せてもらった。Uさんの大学時代の写真は見た事があったがその前のUさんの在りし日の姿を見たのも初めてだった。ハルオは、もしもUさんが同級生だった���どんな関係になっていたのだろうかと想像していた。悪ガキでもなく、優等生という雰囲気でもなく、生意気そうでもなかった。同じソファに座っていたUさんがニーチェをあやしているとハルオは、ニーチェを自分の膝に引き寄せてみると意外と大人しくしていた。そのニーチェにUさんは驚きiPhoneで写真を何枚か撮った。夕方5時になりハルオは、次の予定、歯医者に行けなければならなかった。Uさんは、ハルオを鎌田駅まで見送ってくれた。
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ハルオは、京浜東北線で鎌田駅から品川駅まで移動した。川崎駅は、ハルオが昔付き合っていた女の子との思い出がある駅だった。あの子は、どうしているのだろうか?会いたいなと思った。そして山手線に乗り換え渋谷駅に行き、更に井の頭線に乗り換え三鷹台駅まで移動した。ハルオは、静岡に移住してからもこの三鷹台にある歯医者に通っている。ハルオは、その歯医者と信頼していた。今回あの治療は、右の奥歯の詰め物が外れてしまったからだった。治療はすぐに終ってしまい時間の予約をして新宿へと向かう。8時発の高速バスになんとか間に合いハルオは、いつもの様に後ろの方の席に落ち着いた。このバスは、超特急便で通常の特急便よりも殆どのバス停を飛ばすので時間が若干乗車時間が短く今夜のバスは順調に東名御殿場バス停に着いた。
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バスから降りて駐車場まで移動したハルオは、いつもの「Today's Fashion」の撮影をすることにした。ストロボを使わずに駐車場の灯りと高感度ISOの組み合わせで撮る。カメラは、駐車場に駐輪してあった誰かの自転車のサドルの上に設置しセルフタイマーを使って10秒後に3枚が撮れる設定にして3回繰り返した。ハルオの愛車のアーティ21スペシャルのフロントガラスは、凍り付いていた。間スプレーの解氷剤を窓に吹き付け、暫くして車を走らせた。
茶畑庵に着く前にスーパーマーケットに寄りタイムオーバーで半額になった焼き鳥や刺身を夕食に買う。茶畑庵も冷えきっていた。ハルオは、1週間前Uさんから分けてもらっていた遺影用の写真をフォトフレームに入れてあったので仏壇の横に置き鈴を鳴らしてもう一度手を合わせて故人の冥福を祈った。
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naga-from-ihatov · 5 years ago
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momojiro-z · 7 years ago
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ひなたの猫みたいだね。 2018/02/24 Photomodels撮影会 @ 新木場エリア ‪@mutouphotomo ‬ ‪@photomodelsjp‬ #photomodels撮��会 #むとうみなみ さん #ポートレート #ポートレイト #portraitphotography #portrait #photograhy #photogenic #写真好きな人とつながりたい #写真撮っている人とつながりたい #eos5Dmk4 #ファインダー越しの私の世界 #ファインダーの中の私の世界 #pasha_magazine #good_portraits_world #girlsphoto #instagood #lovers_nippon_portrait #東京カメラ部 #japanesegirl #cute #socute #instacute #pics_jp #tokyocameraculb #instagenic #color #colorsjp
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keijukita · 7 years ago
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シークエンスは表層ではなく、コンセプトでつなぐ。
いよいよ東京藝術学舎の対話型鑑賞術 〜応用・秋〜が最終回となってしまった。
京都造形のを卒業してすぐの4月に基礎編がはじまった同講座であったが、気がつけばすでに8ヶ月間が過ぎた(参照:「久々の藝術学舎は対話型鑑賞」)。 応用 秋編ではひたすらに作品を見ては「ディスクリプション」を書き起こすということを続けて来た。 毎回の授業の頭に10分間1つの作品と向き合い、まず自分だけでその作品について「作品に関してを作品を知らない人にわかるように手紙を書きなさい」ということをする。 その後、2人組となりお互いにどう感じ、どう書いたのかをディスカッション、4人組になりさらにディスカッション、全体へと発展させていく。 毎回のこのディスカッションにより、作品の感じ方の多様性から逆説的に作品の多義性(言い換えれば鑑賞者の入り込める余白)の重要さを知れることが僕にとってはとても刺激的な経験となっている。 「いい作品というものは往々にしてそういうものが多い」 というこの講座のだいぶ前半に講師である平野先生がおっしゃっていたことが実際に目の前で繰り広げられる実践の中で証明されて行っている。 全体のディスカッションが終わった後に、再度同じ作品について「作品に関してを作品を知らない人にわかるように手紙を書く」 その前後での変化を考える。 自分以外の鑑賞者の意見が自分自身の鑑賞にどう影響を及ぼしたのか?がそれによって浮き彫りになる。 今日のお題となった作品はこれだ。
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いつもの通り、客観的事実(Fact)と主観的解釈(truth)をまず書き出し、 そこから文章を書いていく。 Fact: 写真作品である。 ブロンドの髪の長い人物が白い壁の前にひとり立っている。 人物のポートレイト 両手とも固く握られたこぶし 上着のポケットが内側に入っている。 紺(もしくは黒)のスーツ姿(実際はどうやらコート) 上半身は肌に服を直接はおっている。 左やや上からの強い1灯の光源 髪で左目以外の表情が隠されている。 Truth:  ブロンドの女性のように見える 雑におろされた髪で表情は見えにくいが、厳しい表情にも見える 怒り、かなしみ、攻撃性、強い意志、抵抗 などを感じさせる という感じで最初は書き出した。 そこから文章へ ー 白い壁の前に女性のように見えるブロンドの髪の長い人物がひとり立っているポートレイト写真の作品です。 写真は縦位置の構図で撮影されており、その人物のひざの上から頭まででフレーミングされています。 スーツの上着のポケットが中に入っていたり、女性である決定的な要素は隠されていることなどを考えると、この作品は単にこの人物を美しく撮ろういうポートレートではなく、別のことを鑑賞者に考えさせることが目的の作品だと思えます。 被写体である人物の表情は雑におろされたブロンドの髪で見えづらくなっていますが、身体の脇で強く握られた両手のこぶしと、かろうじて見える左目の印象からは何かに抵抗するような強い意志が感じられます。 ー という感じだ。 その結果、最初に考えたのはジェンダーマイノリティに対しての何かしらを表明する作品で、もしかしたら被写体は女性ではないんじゃないか?と思った。
よく見ればたしかにシンディー・シャーマン作品であったが、不覚にも全然それに行き当たらずに作品そのものから考えた。 まあ「知識」に頼らずにまず作品と向き合えているので、それはそれで純粋に対話型鑑賞術にのめり込めている証拠でもあるのでいいことだと思える。 最終回である今回は「シークエンス」ということが講義のテーマであった。 いつものように作品を鑑賞し、ディスカッションをしてからその「シークエンス」ということへと講義の内容は進んで行った。 「シークエンス」というワード自体は僕はわりと馴染みのあるワードで、動画編集における「タイムライン」であったり「流れ」のことだ。 写真作品でも「シークエンス」というワードで作品づくりをする作家さんがいるが、その場合は「連続写真」という意味で使われることが多いと思う。 どれだとしても「時間軸」という考え方から使われるワードである。 じゃあ鑑賞における、対話型鑑賞の「シークエンス」ってなんだろ?と思っていた。 この講座の秋編はとにかくひたすらディスクリプションを書いてきた。 そのディスクリプションは解釈がより深まっていけば、時にそれはコンセプトとして形を成してくる(参照:「よいディスクリプションはコンセプトに迫る。」)。 それが、キャプションであったり作品の解説であったりと目的に沿った形で世に出ていくのだ。 「シークエンス」とは作品鑑賞の「組み合わせ・順番」のことであった。 そして、その「シークエンス」自体にもテーマ(またはタイトル)を持たせ、各作品のコンセプトからその「シークエンス」の「コンセプト」を考えるということであった。 対話型鑑賞を実践する場合に、1作品ということはないのだろう。 例えば1つの展覧会で、2,3作品をセレクトし対話型鑑賞を順に行うといった形だ。 その場合、そのセレクトに関しての「コンセプト」が必要とされる。 ファシリテーターがそれぞれの作品に関して解釈が進んでいればいいのかな?と思っていたのだが、たしかに何でもいいということではないのだろう。 そのセレクトにもテーマがあったほうが当然鑑賞は深まる。 平野先生の作った「シークエンス」のコンセプトを例に、同じ作品であっても組み合わせによってその作品に関して深められて行った解釈のうちどこをとってくるのか?が変わっていく様を目の前で見せられた。 その作り方のキモは「シークエンスは表層ではなく、コンセプトでつなぐ。」ということであった。 何かにこれは繋がるな…と思って話を聞いていたら。 やはりそうであった。 これこそがまさにキュレーションなのだ。 自分がキュレーションをしたいわけではないのだが、作家やメディウム、作品の時代が違っているものをどうつなぎ合わせているのか?ということには実は興味はあった。 誰だったかな?忘れてしまったけど「●●の作品の横に■■の作品が並んで置かれた時の化学反応」みたいなことを話の端でチラッといっていたことを思い出した。 そう、その人には一見接点の見えないその二つの作品がコンセプトで繋がって観えていたということなのだろう。 最後にこの秋編で登場した作品が一堂に登場し、その「シークエンス」にタイトルをつけるとしたら?という問いが立てられた。 ひとつめのクールベ、とルソーの作品に関してはまったく思考が働かなかった。 たしかに、僕はこの2作品に関しては解釈が進んでいないという実感がある。 続いて、ふたつめの「シークエンス」は以下の3点の組み合わせであった。
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(左から竹久夢二「黒船屋」、ムンク「思春期」、シンディー・シャーマン「Dark side explored(?)」の3点。) たしかに、こんな感じで作品が美術館に展示されていることがあるぞ!とこちらは思えた。 その美術館の鑑賞時にはなんでこの3点?と思えなかっただけだったのだろう。 わりとこの3点に関しては今は解釈が進んでいるのだろう。 少しは考えられる気がした。 僕がこの「シークエンス」つけたタイトルは「WOMAN AND SHADW」だ。 ひとりの女性が女性として向き合わなくてはならない問題(ジェンダー、社会等々)をメタファーとして影(「黒船屋」は真っ黒の猫)で表現ていると思われるというところをコンセプトで繋いだのだ。 なんだか一気に美術館の企画展のキュレーションのようじゃないか! かっこいいじゃないか! なるほどこうやってキュレーションするのか!という大きな体験。 そして、そこに行き着くまでに同じく講義を受講していた多くの鑑賞仲間と2時間×6回、計12時間の深い考察が必要ではあるが、この展示であれば1時間かけてのギャラリートークが準備出来そうなきがする。 対話型鑑賞の出口にこういうキュレーションにつながるものがあるのだとしたら… やはり「作家」という立ち位置にいながらこの対話型鑑賞というものに向き合ってきたこと���間違いはなかったと思える。 他者の作品が「観れる」ということは、自分自身の作品そのものにもいい影響が出ることは間違いないことなのだ。
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