#演奏の喜び
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PART 2!
(PART 1 は一つ前の投稿より)
Sarah Àlainn - Celestial Christmas Concert
サラ・オレイン
~ 天使と天上の音楽 ~
8. Hallelujah (Leonard Cohen)
Airmail Specialをはさみたかった最大な理由が、
ここからの絶対的な3曲のため。
Hallelujah
タイトルだけ見ると教会にぴったりな選曲。
でも、これはレナード・コーエンのハレルヤ。
歌詞の内容を思うと、やって良いものなのだろうか、悩む。
「神様は、いるかもしれない
でも、愛から学んだのは、
���分より銃を早く抜くことが出来る人を、
どう撃つかくらいだ」
壊れたHallelujah。
でも、コーエンが言ったもう一つの名言を思い出す:
「すべてのものにヒビがある。そこから光が差し込む」
そう、私たちは壊れてる。ヒビだらけ。
でも、そこから光が差し込むのよ。
Jeff Buckleyのカバーが特に好きで、ギターが印象的。
今年ツアーでエレキを弾く機会があって、今回もと思っていたのですが、
PAさんとも相談し、結果エレアコに。
久しぶりに登場したオーストラリアのMaton。
指が攣りそう><エレキと違って、ヴァイオリンとも違った力の入れ方があり、フォークギターはとにかく毎回緊張します。
エレキヴァイオリニストの壷井彰久さん、ギターも以前弾かれてましたが、「ギターを弾くと指が硬くなってヴァイオリンに影響するからやめた」と話されて、確かに。いつかもっと弾けるようになりたいものですが、今のところ練習を控えてた楽器。
なので、パイプオルガンと並んで、1番緊張した楽曲。
筋肉痛、きっとここからも来てる。
サビでのTakanaとのハモリーがまた気持ち良い。
心の叫びのような、大好きな一曲です。
9. Andata (坂本龍一)
セトリを考える時、一番大事にしてるのは流れ・物語。
演奏者としての自分のことはその次、または無視。
なんでギターの後にまた大変なオルガンを持ってくるのか><
でも、上手く���ったら、綺麗なFlowになる。
それを信じて、突き進む。
パイプオルガンのソロ曲、バッハは冗談で言ったものの(ディズニーの「Fantasia」にも出てくるし、分かりやすいかなと。Takanaが当日初めてリハで聞いた時、ふいちゃいましたw)、可能なら挑戦してみたいと思った曲は坂本龍一氏のAndata。アルバム「Async」のバージョンが一番好きで、これをパイプオルガンで演奏できたらなんと素敵だろうと。。
ご本にの前で演奏してみたい。みたかった。
そんな教授へのRequiemでもありました。
終わったから言えますが、初めの和音を弾いた瞬間「やっちゃった。。><」
Shchedrykで消したはずのFull Organ(音色を変えるボタン)がONになってました。
最初は「え!何でこんなに音が大きくて音色が違うんだろうと」、左、右い、上下を次から次へと見て、
最後に赤いランプを見て「うわあ、まさかの」と。
頭の中ではこんなことを色々考えていたけど、現実ではおそらく多分2秒くらいしか絶ってなく、パニックした割には落ち着いて演奏ができました。ちょうどリピートがあったので、落ち着いてボタンを押し、2回目は想像してた音色に。
後で関係者に聞いたら、意図的だったと思う人がいるよ、とのことで、安心。
ハプニングがあったけど、今回一番集中できた演奏でした。
落ち着いたらこちらもYouTubeでシェアしたいです。
10. Merry Christmas Mr. Lawrence 『戦場のメリークリスマス』
もちろん、この季節に欠かせないこの一曲。
ツアーではキーボードの弾き語りをしてますが、Andataからの流れを考えて、パイプオルガンに。
いつもはもっとRubato気味で演奏してますが、オルガンはオリジナルのテンポ感の方があってたので、
演奏してて新鮮でした。最近混ぜてるYMOの「Behind the Mask」もパイプオルガンの音色がハマり、
やっぱり、シンセサウンドに近いものがある!
ここで一番アレンジで苦労したのはピアノとのバランス。
当日でしか分からなかったのですが、オルガンとピアノのチューニングが違う。
あんな大きな楽器で、寒いホールなので、音が狂わないほうが不思議です。
そこでTakanaと上手くどうぶつからないか試行錯誤。
10代の時ピアノトリオで戦メリーを弾いたこともあり、自分の中ではヴァイオリンの激しい部分あってのMerry Christmas Mr. Lawrence。今回のセトリは見ての通り、殆どヴァイオリンの出番がないTTやはりできればここで演奏したい。
そんな構成もあって、楽器の配置も考えました。ヘッドピースは衣装につけられないため、電池を持ちながらヴァイオリンを拾う地味にむずい動作。
色々なアレンジ、編成で演奏して来た戦メリですが、人生でせめてもう一回、またパイプオルガンの弾き語りで表現してみたい。
遠くにいる教授へ
遠くにいる知らないあなたへ
この歌が届きますように
11. Joyful Joyful / 第九
クリスマスは喜ばしい季節。
だから一層悲しみも深く目立つ。
誰もが贅沢できる、少なくとも安心して生きられる、そんな世の中になって欲しい。
でも、現実は違う。
毎日複雑な思いで生きています。
自分自身の行動に矛盾があることにどんどん気づく日々。
今年も出させて頂いた、体にも、環境、動物に優しいクッキー。
今年のクッキーの寄付先はTABLE FOR TWO へさせて頂きます:
https://jp.tablefor2.org/
お陰様でSold Outに。
沢山お作りしたいのですが、ひとつひとつ気持ちを込めて手作りのため、数量限定での販売となっています。
皆さんのおかげで、健康的な食料が、必要とされてる子供たちに届けられます。
最高な、クリスマス・プレゼントでは?!
サポートありがとうございます😇
さあ、クリスマスは、そんな自分にも優しく、遠い誰かにも優しく!
クリスマスをお祝いする方も、
ムーミンみたいに本来お祝いしない方も、
クリスマスは喜ばしい、Joyfulな季節だから!
クリスマス、年末年始にやっぱりこの曲でしょう。しかも今年は合唱入り!
合唱も手拍子しながらのノリノリなゴスペルで「Joyful Joyful」からの日本語で賛美歌のような「喜びの歌」。
そしてラストは声楽で「第九」。Takanaアレンジでお届け!一曲の中で人格がなん度も変わる。好き。
普段声楽を歌われない合唱がさらにドイツ語で歌われて、bravissimo!!!!
そうそう、偶々第九のワインを見つけました!いつか合唱とゆっくり飲む予定^^
Joyful Joyfulから最後までは、ほっと一息。
力が抜けてリラックス。
12. O Holy Night
聖なる夜に聖なる場所で皆さんと過ごせた幸せ。
本編最後はやはり、この一曲。
昔からもっとも好きなクリスマスソング。これ、歌っててとても気持ち良いのです。
歌詞も音符・キーも含めて、とにかく歌いやすいんですよね。発生しやすい?というのだろうか。
綺麗に音が響く、計算されて作られた一曲なのかもしれません。
こちらはウィーン少年合唱団と歌わせて頂き、レコーディングをさせて頂きました。
男の子になりたかったチビサラ。それは叶わないと思った時、せめてボーイソプラノになりたいと思った。
その時からなのか、声を真似て高音が出るようになりました。ビブラ��トが殆どない、ピュアな歌い��。
こちらの方が誤魔化しが効かないので難易度が高い。後半に連れて疲れてくるとビブラートに逃げたりもします。
今回はウィーン少年合唱団のアレンジをベースに、最後は「Amen」を足してみました。🙏
ENCORE
13. Ave Maria (Vavilov)
きっとアンコールがあるだろうと、お客様は思ってくれるでしょう。
でも教会だから、ここで終わりなのかなと思われたりして。。
色々考えながら、焦りながら、大移動+早着替えを。
オルガンももうないので、ロングのウェディングドレスに合わせてハイヒールに。
ヴェールも被り、慎重に急ぐ。
今度はTakanaがパイプオルガンへ。
Sarah’s AngelsのSAK.と磨裕美さんがヴェールを丁寧に持って下さり、素敵な絵になりました。
この曲は是非ともオルガンと、この時期に、こんなお衣装で歌いたかったです。
2000年以上前の今頃、お腹が大きかった聖母マリア様は大変な思いをされて旅をします。
そんな偉大な母の存在も、決して忘れたくありません。
バージンロードを歩きながらの「Ave Maria」。
静かに見守るお客様。
この歌にもっとも相応しい会場。
大好きなこのAve Maria。よくCacciniと表記されてますが、実際はもっと最近のロシアの作曲家、Vavilovの作品。
あまり知られてないので分かりにくいかもしれませんが、これからはこんな素晴らしい曲を作られたVavilovの名前で表記します。
いつもならMinor(短調��、切ない感じで終わるのですが、打ち合わせも特になかったのに、TakanaがMajor(長調)で終わり、顔を見合わせながら、「だよね!」と二人頷く。
切ないけれど、絶望的でもあるけど、ハレルヤのように希望を感じさせる、そんな気持ちにさせるクリスマス。
14. Silent Night
ここで演出として、会場と一体になりたく、「きよしこの夜」を皆さんと一緒に歌いました。
みなさんが立ち上がり、事前に作った歌詞カードを手にされ、声を一斉に。
伴奏もあっても良かったですし、合唱がハモるのもありでしたが、
ユニゾンで、同じ音で、アカペラで一緒に歌うことに、力を感じました。
シンプルに、ストレートに、心を一つに。
心の中でうるっと🥲
唯一今思うと、私も合唱もマイクを通さないで歌ったらさらに一体化しましたね。
なので、それは絶対にまたどこかで実現したい。
響き渡る皆さんの歌声。Bravi 👏
ここからさらに高いキーに転調し、Takanaのパイプオルガンのベース��鳴る。
合唱がSAK.の指揮によって入られる。
これまたエグいアレンジ(すみません)。
でもSarah’s Angelsは「こういうの好き!」と、
優しさからなのか、チャレンジ精神豊かだからか、天使の笑顔で微笑んでくれた。なんて良い人たちTT
本当に美しかったです。
15. Nessun Dorma
2023年ファイナルということもあり、音響が美しいということもあり、
「Silent Nightでも、誰も寝てはならぬ!」
本人はこの後10時間爆睡しましたけどね。
ツーランドットの女性バージョンを歌いきり、カーテンコールへ。
本当に皆様お疲れ様でした!
関係者の皆様、来られた皆様、
一生忘れない、クリスマスプレゼントをありがとうございました。
16. You Raise Me Up
本来は「Nessun Dorma(誰も寝てはならぬ)」で終わるはずだった舞台。
大きく二つの理由があって、もう一曲アンコールを。
ちょうど一ヶ月前の11月21日、1/f FANCLUBの限定イベントが開催:
https://www.sarahalainn.net/
リクエスト曲ライブ。
最後、ノーマイクで歌って演奏した「You Raise Me Up」。
いつもサポートして下さってる方に最後は肉声で思いをお届けできればと。
限定ライブだったため、もう一度似たような演出を今回も。
満員のホールにもか変わらず、響く教会にビックリ。
ここだったら完全にunplugged (PA・マイクなし)のコンサートは全然あり得ますね。
そして、もう一つ。
コンサートとはいえ、教会でのクリスマスということで、
拍手とお辞儀で終わるのが、ちょっと違和感を感じました。
聖なる夜に、本当の意味のクリスマスをお届けしたい。
メッセンジャーというスタンスで。
最後は、会場に下り、バージンロードを演奏・歌いながらその場を去りました。
ディナーショーなら手を差し伸べたい気持ちは分かりますが、
教会でのマナーを意識されたお客様のおかげで、こんな演出が可能でした。
安心して楽器の演奏も。エンターテイナーとして今後も安心しながら面白い演出をしたいので、とてもありがたいです🙇♀️
サラジオのプロデューサーも来て下さって、とても嬉しい感想だったのでシェアさせて下さい:
「お客さんもあの終わりかただと満足度が極まって、アンコールの拍手も止んでしまいますね。
アンコールの拍手が出ないと言うことは、満足したと言う証明ですから、昨日はそれを実証しました。」
ここまで読まれたのですが?!
ありゃま。ワオ。お疲れ様です!
いつもこんな感じでコンサートの準備などしてます!
年末年始ということで、いつも以上に舞台裏を書けました^_^
そして終わっていつもこうなる:
「次どうしよう。。。><」
笑
今年も沢山のサポート、愛をありがとうございました🫶
Merry Christmas! Happy Holidays! Happy New Year!
Happy New/Old YOU!
良いお年を!新しい自分、今までの自分に乾杯!
#サラ・オレイン#sarah àlainn#sarah alainn#サラオレイン#サラ#サラスタイル#sarah styling#pipe organ#パイプオルガン#violin#ヴァイオリン#multi instrumentalist#マルチプレイヤー
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The worst scans you've ever seen and transcription of the Persona 3 part of Cut April 2015
2006年にPlayStation2用のゲームソフトとして発売された『ペルソナ3』。20万本以上のセールスを記録したRPGにして、小脱・コミック・ドラマCD・TVアニメなどさまざまなメディアに拡大してきた人気タイトルである。そして2013年より劇場版アニメとして公開されている本作は、原作ゲームの発表から10年近くを経てなお拡大を続けている稀有な作品でもある。斬新なビジュアルや深い感情移入を促すストーリー、中毒性をもたらすゲームシステムなど、本作の面白さを象徴するトピックは数多い。その中でも特に強調したい『P3』の魅力-それは、発売当時ユーザーに衝撃を与えた革新的な音楽と、受け手の想像力をかき立てるパーソナリティを持った主人公の存在だ。今回は劇場版の第3章公開を機に、『P3』の音楽を一手に担うコンポーザーの目黒将司と、主人公を演じる声優・石田彰に登場願った。『P3』が広く深く愛される理由を、彼らの言葉から読み解いてみよう。
『PERSONA3 THE MOVIE』
目黒将司
『ペルソナ3』を特別たらしめた音楽の「革命」とは何か
テキスト=清水大輔 text by Daisuke Shimizu
『PERSONA3 THE MOVIE #3 Falling Down』4月4日公開、アニプレックス配給 ©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
SHOJI MEGURO
1本のRPGとして2006年に登場した『ペルソナ3』 (以下『P3』) がさまざまなメディアに選出しながら現在まで愛され続け、劇場版アニメが公開されるほどの支持を獲得できた理由。それを考える上で、同作品の音楽の斬新さは絶対に外せない要素のひとつだ。では、『P3』の音楽とは何だったのか-それは、本文中で何度か述べさせてもらっているとおり、一言で表すならば「革命」である。最も象徴的なのはフィールドやバトルのBGMにボーカル曲が採用されていることだが、それぞれの楽曲がユーザーの潜在的な欲求に応え、『P3』の世界観を押し広げる大きなうねりとなったことで、本作へのユーザーの熱量が持続してきた側面もあると思う。実際、『P3』やシリーズの他作品の楽曲を演奏する「PERSONA MUSIC LIVE BAND」のライブが日本武道館で開催されていることからも、その支持の深度が窺えるのではないか。そんな『P3』の音楽を手掛けているのが、アトラスのチーフコンポーザーである目黒将司。同社のあらゆるゲーム作品に寄り添う名曲を送り出してきた作曲家・目黒による『P3』の楽曲は、単に「ゲームのBGM」の枠にとどまらない「ポップ・ミュージック」としての力を内包している。 劇場版第3章の公開を機に、革命的な音楽が生まれた背景を聞いた。
目黒さん自身も関わられた劇場版の第1章、第2章ですが、ご覧になってどんなことを感じましたか?
「ウチが作ったゲームを、監督さんからスタッフの皆さんまで全員が理解して、すごく的確なアレンジをしてくれた作品だなあ、と思いました。ファンの目線で見たらすごく喜んでもらえるような映画だと思うし、このスタッフさんたちにやってもらえてほんとによかったなっていう」
目黒さんが『P3』の音楽を最初に作られたのはそれこそ10年くらい前になりますけど、劇場にかかること自体はやはりすごく特別なことだったんじゃないですか。
「そうですね。劇場版の音楽をやらせていただけるのはすごく光栄なことで、もちろんふたつ返事でやらせていただいたんですけども。曲作り自体は特別ガラッと変えることはなかったんですが、ゲームでは表現しきれなかったところを、秒単位で細かく表現できたのは嬉しかったです。それから『ペルソナ』のファンに恩返しができるような感じもあって、そういう感情は大きかったかもしれないですね。技術的には、作った当時よりきれいにできたけど、『P3』とあまり変わってない��かなっていう気はします。結局、僕が『P3』の音楽だと思って作る以上は違ったものはできないし、ファンの方々が求めているであろう『P3』から逸敗しないものを作るのは大前提にあって、それは特に意識しないでもできるというか」
無意識のところに『P3』の音楽はかくあるべし、というものがあるということでしょうか。
「そうですね。当時『P3』を作る段階で、僕の中の造語なんですけど、『フューチャーポップ』を作ろうと思ったんです。後日検索したらフューチャーポップってジャンルがあって、『どうしよう、かぶっちゃった』っていうのはあったんですけど(笑)。なので、基軸となっているのは僕の中で考えるフューチャーポップっていうジャンルで、それを作れば『P3』の音楽になるという感覚です」
作品がたまたま歌を呼んでいた。ゲームに呼ばれて歌を入れた、っていう感じです
いちユーザーとして当時『P3』をプレイして、ほんとに革命的なゲーム音楽だなあと思ったんです。ゲームのBGMでありつつ、単に作品に添えられたBGMというだけではなくて、音楽として本当に素晴らしいものだと感じたんですけども。
「革命という意味では、たぶん『P3』自体がウチの会社の中で革命的だったのかなとは思います。もちろん、当時から革命を起こそうぜっていうノリではなかったですけど、結果的に『1』『2』の流れから見たら革命的なゲームになったので、その作品についた曲だったから革命に見えたのかもしれない(笑)。ただ、音楽の面でファンに驚きを与えたい、楽しませたいっていうのは常に考えているので、その驚きの部分でそれまでとは違った感覚で受け入れられたのかなあ、とは思うんですけど。『P3』は、基本的には『ペルソナ』のゲーム音楽の中でも斬新なところをやってるっていう考え方はあって、やっぱりBGMに歌が入ってるのは大きいと思います。このゲームはわりとインターフェースも変わっていて、初期の段階にいろんなサンプルを見て、サウンド面でも新しいことをやってやろうと思ってました。で、ボイスが入っていたら、たぶんみんなビックリするだろうなあ、と」
おっしゃるとおり、たとえば戦闘シーンのBGMがボーカル曲だったのは当時衝撃的でした。「この音楽でイケる!」って確信を持てたのはどんな瞬間でしたか?
「それはもう、作ってる段階ですね。画面なりシナリオなりを見ていて、もちろんこの『P3』の世界観が一番大きかったんですけども、『これは歌入れるよなあ』っていう感覚は普通にありましたね。それよりも、歌を録音して、何曲もBGMとして入れることのコストやノウハウが当時のウチにはなかったので、『歌入れなきゃなんないけど、どうしよう?』っていうのが一番大きかったかもしれないです。ボーカルのツテもないし、どうスタジオをブッキングしたらいいかもわからない。何もわかんないけど、俺しかやる人いないから、しょうがないなあ、頑張るかあって思ったところが、当時の自分に対して一番褒めてやりたいところですね(笑)。ただ、その部分は『P3』が特別なわけではなくて、他の『女神転生 (真・女神転生Ⅲ・NOCTURNE)』だったり、いろんな作品でも『あっ、これ歌入れなきゃ』ってことになったらやるし、『尺八の音必要だよな』ってなったら尺八を演奏できる誰かを探して、スタジオをどうやって取ったらいいかとか知らなくても飛び込んだと思うし。なので『P3』がたまたま『あっ、歌入れなきゃいけない』と思う作品だった、というところで勇気をもたらされた感じですかね」
でも、『P3』の音楽を作ったことで、目黒さん自身の作曲家としての幅は広がったわけですよね。
「そこは転機になりましたね 。いつもどおり、他の作品と分け隔てなく音楽を作ってましたけども、結果的にはすごくいろんな面で転機にはなってます。今は40を過ぎたので、作っていると初期の段階から『こういうふうに受け入れられるだろうなあ』というのは経験則で見えてくるし、大体の予想をしているんです。他の作品なら、たとえば『ペルソナ4』(以下『P4』) のときも『あっ、歌をやっていいんだ。じゃあ次も歌ものをやろう』っていう感じではなくて、作品がたまたま歌を呼んでいたと。もう、ゲームに呼ばれて歌を入れた、っていう感じですね」
『P3』の音楽を作ったときも、想像していた反応と実際の反応が重なった体験をされたんですか?
「そうですね、サントラを出したときは正直売れると思ってました」
(笑)それはすごい!
「(笑)なぜかというと、僕の白がい いから、とかではなくて、ちょうどその頃バスタソースの《♪うた~らこ~》が毎日のようにCMで流れていて、CD化されたらバーンと何万枚も売れたんですよ。それと同じことで、ゲームでずうっと同じボーカル曲を聴かされたら、『なんだろう?ちょっと買っちゃおうかな』ってなるだろうなとは予想してました」
それはすごく面白いお話で、その時点でゲームBGMの枠を飛び越えてますよね。というのも、メロディであったり楽曲自体が、ゲームで流れてる音楽っていう意味を超えて届いていってるということでもあると思うんですよ。たらこは世の中のそこら中に流れてたかもしれないですけど、『P3』の音楽は『P3』をプレイしている人にしか届かない。でも売れたというのは、それだけ深くささったということですよね。
「かもしれない。たらこのCMを聴いて届いちゃってボーンと売れたのと、ウチのゲームが20万本以上売れて、ボーカル曲が響いちゃって『なんだこれ?』と思って買っちゃった方の割合はそんなに変わらないかもしれないですね。『P3』の音楽を作ってる段階では、『なんだこりゃ?』って思う人もたくさんいるだろう、でも作品内のBGMとしては合ってるという評価は得られるだろうなあ、っていう感覚はあって。で、サントラを出すときは、あれだけ何回も聴いて刷り込まれているから、きっと今までになく売れるだろうなあ、とは当時思ってました。ただ、『P3』で特別みんなに突き刺さるカッコいいボッブスを作ってやろうという気はなく-いや、もちろんカッコいいボップスを作りたいとは思っているんですが、それは『P3』に限ったことではなくて」
ただ、結果としてこの音楽を好きになって買った人がたくさんいるわけで、もはやそれはポップミュージックであると言えますよね。
「ああ、なるほど」
物語に添えられることで、すごく意味がある。そして、物語が一緒になっていなくても聴き手にとって意味がある。『P3』の音楽ってそういうものだったと思うんですけども。
「それは『P3』がそういう範囲の曲まで許されるゲームだった、ということでもあるんじゃないんですかね。許容範囲が広かった。『真・女神転生』や『デビルサマナー』にしても、こういう世界観でこういうお話だからこんな音楽���っていう、どこの部分をやるとプレイヤーを驚かせられるか、楽しませられるか、作品に呼ばれてる中でどこを狙うか、の範囲が、『P3』は広かったんじゃないかと思います。結局、『ゲームにつける音楽はこうだよね』というのは、シナリオなり設定なりを見ていって、それに合わせるという感じなので」
なるほど。
「ちょっと象徴的なお話になるんですけど、『ペルソナ』は『3』も『4』もいくつかスピンオフの作品が出ているんですね。そこでは僕じゃなくて部下の小塚 (良太) や喜多條 (敦志) が担当しているんですけど、特に喜多條は “『ペルソナ』らしさとは何か” とか、過去の作品にとらわれすぎていて、いかに目黒が作った曲を真似するか、から入っていったので、まあ最初はクソみたいな曲しかできなかったんですよ(笑)。で、『それは劣化目黒の曲になっちゃうからダメだ、喜多修くんが思う “ペルソナ” の音楽はこうあるべきだっていうのを自分で考えてやらないと』っていうことをずっと言っていて。それで彼は目覚めていい曲が書けるようになって、作品にもなってるんです。なんか、そういうことなんじゃないかなあと思いますね。作品の担当者、作曲家が思う “『ペルソナ』の曲ってこういうことだ” っていうことをしっかり表現すればいいだけなのかな、という。『ペルソナ』という作品からどういう曲が呼ばれているか、それに対して自分なりのアウトプットをすることが重要なのかなあと思いますね。話を戻すと、『P3』の場合はみんなが音楽としても普通に聴けるような曲がBGMとして合ってる、と作品が言ってたから作れた音楽なんじゃないかと思います」
こういう音楽が合ってる、と言ってきた作品は『P3』が最初ですか。
「最初ですね、ええ」
それって革命ですよね(笑)。
「(笑)だからやっぱり『P3』のゲームが革命なんですよ。僕はあくまで革命に乗っかったんです」
ライブでは、予想しなかった部分で「こういうふうに愛していただいてるんだ」っていう発見がある
『P3』の音楽が届く範囲はどんどん広がっていて、もとはゲームのBGMとして作られた楽曲をいろんな方が歌って、武道館でバンドが演奏していますよね。それってほんとにすごいことだと思うんですけど、実際お客さんの目の前で演乗したときはどんなことを感じますか?
「僕自身はライブは買っていただいたファンの方々とのコミュニケーションの場なのかなと思っ���ます。予想しなかった部分で、『ああ、こういうふうに愛していただいてるんだ』っていう発見がいろいろありますね。ライブに関しては、『P3』のサントラが出るときに、足立 (和紀/アニプレックスブロデューサー)さんと、『これはライブをやったらソニーミュージックのオフィスのカフェテラスくらいは埋まるよね、ウケるよね、やりましょうよ』っていう話を実はしていて(笑)」
そして気づいたら武道館まで行ってしまった、と(笑)。
「あそこまでデカくなるとは思ってなかったですけど(笑)、どうファンに恩返しができるかなっていうのはずっと考えていて。そこでみんなに楽しんでいただけたらいいし、逆に僕も皆さんのペルソナ愛ってこういうものなんだっていうことを、すごく勉強させてもらってます」
わかりました。ではシンプルにお聞きしますが、目黒さんにとって『ペルソナ3』とは何ですか?
「『ペルソナ3』は担当したゲームのうちのひとつですが、僕自身のいろんなキャリアも含めて、転機になっ��作品だとは思います。一番は、目黒将司っていう名前を世の中に少しだけ広める転機になったのかな、ということですね。それってけっこう大きくて、いろんなお仕事もいただけるようになるし、すごく大事なところだなあと思いますね。僕自身の作曲のスキルは、『P3』だけじゃなく、いろんな作品をやりながら徐々に上がっていってると思います」
『P3』だけでなくさまざまな作品を手がけてきた経験を、次回作 の『ペルソナ5』にどう反映していきたいと考えていますか?
「常に思ってることなんですけど、僕はまだまだ全然だなと。自分を卑下してるわけじゃなくて、僕自身、作曲家としてもっとよくなれるっていう感覚でいます。なので、『P3』『P4』でゲーム音楽業界の確固たる地位を得た、みたいな感覚はまったくないです。『ペルソナ5』も、今までに得たノウハウを導入して、よりよいゲームになるように音楽を作っていくだけですね」
めぐろしょうじ
1971年生まれ。1996年株式会社アトラス入社、現在同社クリエイティブ部サウンドチーム ディレクター/チーフコンポーザー。『女神異聞録ペルソナ』(96年) で一部楽曲を担当、以降『ペルソナ』『真・女神転生』シリーズなど数多くの作品で音楽制作を担当。
石田彰
「ゼロの存在」を肉体化させた10年間。その道のりで得たものとは
テキスト=清水大輔 text by Daisuke Shimizu
AKIRA ISHIDA
『PERSONA3 THE MOVIE』の原作『ペルソナ3』は、いちユーザーとして見ると特殊なゲームであるように思う。基本的に、劇中の主人公にほぼセリフはなく、何事にも一歩引いたパーソナリティの持ち主である彼が、さまざまな出会いを通して変化と成長を遂げ、やがて大きな運命を背負っていく-この構造に感情移入し、作品にのめりこんだユーザーがものすごく多いということは、発売から10年近くを経た今劇場版としてアニメ化されたという事実が証明している。受け手の想像力をかき立てる存在としてのこの主人公には、『ペルソナ3』という作品だからこその魅力があるのだ。劇場版では結城 理という名前を与えられた主人公を演じてきたのが、『新世紀エヴァンゲリオン』の渚カヲル役や『機動戦士ガンダムSEED』のアスラン・ザラ役で知られる声優・石田彰。現在の日本のアニメ界には欠かせない名優のひとりだが、彼はこの「主人公」から何を感じ、受け取り、どのような過程を経て「ゼロの存在」だったキャラクターを肉体化させていったのか。原作ゲームとの出会いから劇場版に臨んだ際の心情まで、幅広く語ってもらった。
最初は、「とにかく邪魔にならないようにしよう」という発想だった
まずは、彼に出会ったときにどんな印象を受けましたか?というところからお話を聞かせてください。
「原作ゲームでは “主人公のセリフ。” というのはないんですね。なので、プレイヤーの人が気持ちよくゲームをできるような声を求められてるんだなと、一番最初はそういうふうにとらえていたので、『とにかく邪魔にならないようにしよう』っていう発想でしたね。その後、ドラマCDをやらせていただくことになって、そのときに初めて『ああ、こういうことを言う人なんだ』『なるほど、こういうタイプの人間なのね』っていうことがわかってきて。“主人公” というキャラクターが自分の中でどんどん厚みが出て固まってきて、あとからイメージが大きく育っていったところがありますね」
なるほど。
「彼は、普段こう、自分から進んで何かしようというキャラクターではないので、そこはメリハリというよりも、むしろ何かあったときに頼りがいがあることに違和感が出るくらい、普段はさめている感じをちゃんと持っておかないと、成り立たなくなるんです。まずそこが、“主人公” としての意識を持つときの一番のポイントですね。で、それをやっているとだんだん面白くなってくるんです。ある意味変な人なので(笑)。『なんかひとりだけ消費カロリーが少ないなあ』っていうところがあるんですけれども、そこに面白さを感じてたりしましたね」
変ではあるけれど、同時にすごく受け入れられて、愛されているキャラクターでもありますよね。
「静の部分での特徴はすごく大きい人ですが、決して『こういうキャラです!』っていう動的な特徴の出し方ではありません。だから皆さんに受け入れてもらえているのはなぜかと考えると、最初に立ち戻って、“主人公” としてあまり色を出さなかったのがよかったんだと思います。このキャラクターをどう作った、ということではなくて、削いでいって、要素をなくしていった結果、ゲームの楽しさに引っ張られて皆さんが彼を受け入れてくれたのかな?という気がします」
今こうして劇場版で絵がついて、ご自身でセリフを入れた「主人公」が結城 理という名前を与えられて動いてしゃべっている。その姿というのは、10年近く彼と向き合ってきた石田さんにとっても感慨深いものがあったんじゃないですか?
「何より名前がついたのが嬉しかったですね。それこそドラマCDでも “主人公” っていうクレジットでしたから、やっと名前がついたことがとてもとても嬉しかったです。それだけで、映画になってよかったなって思うくらい(笑)。『ペルソナ3』は長年続いてきて、自分の中でもそうそう終わらないものという意識があったし、本当にこう、想像以上にいい子に育ってくれた気がします(笑)」
(笑)劇場版の主人公である結城 理は、原作ゲームやドラマCD以上に、特に物語の序盤では厭世感が強い人物として描かれている印象を受けました。今までの “主人公”と理を演じ分ける上で、意謡の違いはありましたか?
「いや、僕の感覚ではそんなに違いをつけるつもりはなんです。むしろ第1章を録り終えたときに、ずいぶんとフレンドリーになったなっていう感覚があったくらいで」
なるほど。特に第1章は距離があるというか、何か1枚挟んだ向こう側からしゃべっている感じがあると思いまして。だからこそ、第2章、第3章で仲間を思う気持ちが強くなっていく描写が効くというか。
「正直、第1章と第2章、3章との違いで言えば、第1章は劇場版ということで気負っていた部分はありますね。最初、けっこう気負ってガチガチになって球を投げていたところがあるんだと思います。でも、得体の知れないものとガチで戦わなきゃいけなくなりました、さあどうします?っていう物語の導入部である第1章が終わって、第2章では高校生の楽しい日常みたいなやわらかい話も入ってきて。なおかつ第3章では理と対比されるキャラクターも出てきて、こっちはこうだけど、そっちはそうだよねっていう見せ方ができてきたんですね。だから第2章、第3章になって変化球も使えるようになったというか、自分の武器が増えたのに比べて、第1章ではストレートでいくしかない、打たれないためにはとにかくスピードを出さなきゃっていう、そういうところにしかすがれないと思っていたわけです。なので、自分自身の緊張感という部分での差は、第1章と他の豊とを比べるとあると思いますね」
第3章では理に加えてファルロスと綾時を含めた3役を演じられたわけですけど、ファルロスと綾時がいることによって、石田さんの中で理の人物像がよりハッキリしていったところもあるのでしょうか。
「理と綾時は、お互いに持ってない部分を表しているキャラクターだと思うんですね。大きくとらえてしまえばファルロスもその一部なんですけど、理というのは、自分が関わってることはすべて自分でコントロールしてなんとかするべき、という部分を表す人だと思っていて。で、綾時は人と接しやすいように壁を薄く薄くして、その壁はフィルム状にしてすごく薄く見せることで人とベタッとくっつける、相手と距離を縮められるっていう、そういうやり方ができるキャラクターで。その両方を演じるというのは、自分の中でもバランスが取りやすいんです。2役やる、3役やるというのはフィジカル的には大変で、ちょっと負担になったりもするんですが、物語の中で理と綾時は対をなすキャラクターと言われたときに、それを自分の手の中でやれるのは、自分にとってすごくわかりやすいですね。逆にひとりでやっている分、その両方のキャラクターが自分の範疇を超えていかないので、思ってもみなかったものが生まれない部分もありますけど、なんとか納得のいくものにさせていただけたなと思います」
第3章を拝見して印象的だったのが、理が心の底から笑うシーンで。原作のゲームからこのキャラクターを知ってる身からするとすごくグッとくるシーンなんですが、石田さんにとってもすごく大事なシーンだったんじゃないですか?
「そうですね。理が『どこまでみんなに溶け込んでいくのか?』っていうところが物語のポイントになるので、確かにすごく大事だと思います。大事だし、第2章の屋久島に行くシーンあたりから、『壁取り払い始めてるよね、君』みたいなことは理に対して思ったりもしてました。ずっと仲間と一緒に行動をしているし、徐々に徐々に距離は詰めていってるんだけど、理なりのみんなへの近づき方として、僕にとって一番わかりやすい近づき方をしたのが今おっしゃったシーンだと思います。いろいろ迷って、迷って迷って、最終的に『自分はこうするんだ!』って決めて行動に出たのがそこなのかなっていう気もちょっとしていて。でもそれは、映画を観てくださる皆さんがそれぞれの理像を受け取ってもらって、理の理らしいところってここだよねっていうポイントを持っていただけたらいいと思いますね」
薄い色を何回も何回も、何十回も重ねていきながら濃くしていった。そういう作業です
今後、物語は佳境に入っていくわけですが、どのようなイメージを持って臨みたいと考えていますか?
「そうですね、話��流れを意識して、観てるお客さんを泣かせてやろうとそういうスケベ心を出さないようにしようかなと」
(笑)。
「そういうことを考えると、よく失敗するので(笑)。そうしたいっていう感覚は湧いてくると思うんですよ。思うんですいく、そこは抑えてやらなきゃいけないんじゃないかな」
わかりました。では最後に、「声優・石田彰にとって『ペルソナ3』とは何か?」というお話を伺いたいと思います。10年間演じる中で主人公の彼がどんどん肉付けされていって、石田さんにとっても、観ている人にとっても人物像が見えてきましたよね。そういうキャラクターを演じる経験というのは、やはりすごく大きいことなのでは、と思うんですけども。
「ひとつのキャラクターを、その成長も含めて長ーいスパンでやらせていただくというのは、限られた運のいいキャラクターでしか経験できないんですよね。これだけいろいろとこの主人公について考える、特に劇場版になってそういう機会を与えてもらえたなと。すごくこう、ひとつのキャラクターを深く掘り下げることができた作品だし、そういう作業を強いられたキャラクターでもあって(笑)、いい修行をさせてもらったと思います。感覚としては、薄い色何回も何回も、何十回も重ねていきながら濃くしていったっていう、そういう作業ですかね。最初の頃は、ここにも塗り残しがある、こんなところにも範囲があったっていう発見がいっぱいあって、それが出揃って見渡せてからも作品が続いているので、そこにどんどん色を塗り重ねていってる感覚ですね。そこに面白さを感じながらやっています」
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05/04/2024
人間ドッグに来ました🏥 病院に早く着いてしまい、他の方たちと入口で並んで待っていました。 その横で咲く桜の花が綺麗でした🌸
殆どの方は職場の健康診断で私とは別の階での検診だったようで、チェックイン後、すぐ別れました。
早かったおかげでチェックインも私の階では一番乗り。 基本の検査の待ち時間も殆ど無く順調に進み、2時間後には大腸&胃の内視鏡の洗浄液の服用に入りました。
キャンディは舐めればOKなので、美味しくない薬を飲みながら、糖分補給をして過ごしていました。
幸いなことに、私は早い段階で内視鏡検査に入れました。
今日は早起きして検診していることもあって、ベッドに座った時点で既に睡魔が襲ってきます笑 私の場合は毎回、鎮静剤使用後、次に気付いたときには検査は終わっているパターンです。
今回は初めての検査もあり、時間が長かったこともあってなのか、ベッドが別部屋に運ばれていくところが朦朧とした記憶に微かに残っています。
検査を行った看護師さんに言われて初めて知りましたが、今回は大腸検査の最後の段階で目が覚めたそうです。 2人が慌ててフォローしようとしたら、 「眠いです…」 と言い残して再び熟睡していたそうです笑 記憶にないのがまた恐ろしい笑
14時15分、遅い昼食時間です🍴 病院の食事なのに、本当、美味しいんです🥰
私は勿論『肉』をチョイスです🍖
サラダとデザート、ドリンクはバイキングコーナーからもらって頂きました🥗🍰
去年の秋から15時からピアノ演奏のサービスがあるそうで、サザンオールスターズの真夏の果実を演奏してもらいながらの昼食でした🎶
検査結果の資料は後日郵送してくれますが、結果は早く聞きたいので、今年も聞いてから帰ることにします。
去年の4月の検査ではCT検査した大腸が引っかかったのと、去年の秋から減量に励み、順調に8-9kg落ちましたが、喜ばしく思う反面、もしかして癌で痩せたのか…と心配もしながらの検診でした。 私が半年近くの間に急激に痩せたことから、田舎に住む一部の親戚から、私の重病説が広がっています…苦笑 それもあって今回は内視鏡で調べてもらいました。
結果は陰性で、癌の兆候も一切ないとのことでした。 去年、CTで引っかかった理由は、大腸に残ったかすかな食物でしょうとのことでしたので、また安心していっぱいご飯が食べれます🍚
ここの病院の検診代、お値段もそれなりにしますが、自分の体への投資だと思っています。 既に亡くなりましたが、私の父の難解な病気の早期発見もしてくれた病院で、父が最期まで元気に過ごせたのはここの医療従事者のレベルの高さもあってのことだと思っています。
ここはマストです笑
あまおういちご ホワイトチョコレート ショコリキサー🍓
イオンモール熊本なので、村上選手の垂れ幕⚾
ストーンマーケットで可愛いブレスレットがあったので購入✨
明日から使おう♡
#備忘録#photography#japan#reminder#kyushu#美味しさは正義です#スイーツには夢がないとダメ#sweets#kumamoto#人間ドッグ#godiva chocolixer#godiva#stone market#イオンモール熊本
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𝐓𝐡𝐞 𝐍𝐞𝐯𝐞𝐫𝐦𝐢𝐧𝐝𝐬 - 𝐢𝐧𝐭𝐞𝐫𝐯𝐢𝐞𝐰★
2022年にバンドを結成されたカナダを拠点に活動するシューゲイズバンドThe Neverminds。
儚くドリーミーなシューゲイズサウンドは最新EPではよりヘビィでノイジーに厚みを感じるサウンドへと進化し魅力を増している。
『never mind,the summer 』 『nevermind, the winter 』では夏と冬の別々のコンセプトでリリースし、どちらも儚い青春時代の夢をみているような感覚に......
6/8〜日本ツアーをすることが決定!
来日公演が目前に迫ったThe Nevermindsにインタビューを行った。メンバーそれぞれが答えてくれている。
G - Ginny
V- Vincent
R - Ronan
A - Avi
1.いつから音楽を作り始め、どのようにしてバンドは始まりましたか?
G - バンドを始めるま��、自分で音楽を作ったことはありませんでした。 それまでは、ギターを少し弾くことはあっても、音楽はいつも私の趣味でした。そのおかげで、このバンドにいる間に曲作りについて多くのことを学ぶことができたと思います。
V - 中学生の時に自分で曲を作り始めて、高校生の時にGarageBandでプロデュースを始めたんだ。プロデュースを始めると、ベースやピアノ、ドラムなど他の楽器も独学で覚えた。高校ではバンドのためにたくさんの曲をアレンジした。Logic Proを使ったレコーディングや、様々な楽器のパートを書いたりアレンジしたりする方法を知っていたから、これらの経験はすべてネヴァーミーズで役立ったよ。
R - 9歳か10歳くらいから自分で曲を書き始めて、徐々にミュージシャンになることを真剣に考えるようになったんだ。
A - 去年の9月にバンドに加入して、みんなと一緒に音楽を作る喜びを感じている。6歳からドラムを叩いていて、人生のほとんどを音楽制作に費やしてきたんだ。
2.メンバーが音楽を始めたきっかけは?
G - 僕の両親は昔から音楽が好きで、僕が小学生の時にギターを習い始めた時、父がギターの弾き方を教えてくれたんだ。中学では学校のロックバンドに入り、文化祭で演奏していました。仲の良い友達とバンドを組んだことが学生時代で一番楽しかったし、その頃からずっとバンドを組んで友達と一緒に音楽を作りたいと思っていたんだと思う。だからnevermindsを始めた。
V - 最初に習った楽器は中学の時のウクレレ。それから独学でギターも弾けるようになって、学校で他の友達とジャムを始めたんだ。クラスメイトが給食のテーブルを囲んで、適当な曲を歌ったりジャムったりして、最終的には高校でバンドを作ったんだ。
R 小さい頃、父親がアコースティックギターを持っていて、時々弾いていた。
A - 生まれたときから音楽に夢中だった。
3.ニューEP『nevermind, the winter』のコンセプト、制作、レコーディングについて教えてください。
G 「"nevermind, the winter. "は、1st EP "nevermind, the summer. "の姉妹作/続編にあたります。
夏のEPではノスタルジックでメランコリックな夏と青春をとらえようとしました。一方、冬のEPでは、孤独、孤立、失恋、もう思い出せない夢から覚める感覚など、重い感情についてより語っています。両EPのコンセプトを思いついた後、歌詞のアイデアが続き、アルバムの意図に合うように書きました。曲を完成させた後、EP全体がうまく流れ、一緒にストーリーを作れるように、トラックリストを編集しました。どの曲も同じ本の異なる章として機能しているので、EPを聴いてくれた人たちが、まるで私たちの物語を読んでいるように感じてくれたら嬉しいです。
V - “nevermind, the summer. "について、夏のEPでは
ギターとベースは、ドラム・トラックにオーディオ・インターフェイスを通して同時に録音し、生ドラムは別々に録音した。ギターとベースのパートは、フェンダーのツイン・リバーブとアンペグのBAを使って、DIとマイクの両方で個別に録音した。今回、ドラムのレコーディングに導入した新しいテクニックは、ルームマイクを使ったことだ。全体的に、よりユニークなトーンやエフェクトを実現するためにマイクの配置を変えてみたり、新しいギター・ペダルをたくさん試してみたりした。
また、"hunt me "のイントロや "dusk "のエンディングで聴ける音を作るために、ギターにバイオリンの弓を使った。ヴォーカルはShure SM7Bを使って録音した。Shure SM7Bは遮音されていない部屋で使うのに適したマイクで、私のタウンハウスのベッドルームですべてを録音したので、私たちにとっては完璧だった。
でも、このEPのレコーディングでは、大音量で長時間録音したため、近隣から騒音の苦情を何度���受けたよ。
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4. 周りのシーンをどう感じていますか?
他のバンドとのつながりはありますか?
V - トロントのバンド・シーンにはとても刺激を受けている。White Rabbit、Poor You、Brotherなど、トロントの様々なインディー・バンドと共演したことがある。これらのバンドは、単に知り合いだからというだけでなく、本物で、個人的で、心に響くような、生々しく素晴らしい音楽を作っているので、大ファンなんだ。彼らのようなバンドは、国際的にもっと注目されるべきだと思う
R- トロントのシューゲイザー・シーンは、かなり小さいとはいえ、今でもかなり素晴らしいと思う。例えば、Luster Dustと一緒にプレイできたことは信じられないことだと思う。
A - 地元トロントのシューゲイザー/オルタナティヴ・ロック・シーンにいるバンドたちに会うのが大好きなんだ。Luster Dustのようなバンドに触発されて、自分たちのライブ・サウンドをもっと頑張ろうと思うようになったよ。
G- トロントのシーンで好きなバンドはもうみんな答えてくれたから、私は別のことを話すと、私たちは最近、"loveless collective "という音楽とアートの集団を作りました。このコレクティブは、トロント内外のシューゲイザー/ドリームポップバンドとつながり、彼らを巻き込んだショーやイベントを企画��るために作りました。自分たちの音楽を発表する場を持つことで、シューゲイザー・シーンがもっと活性化する手助けをするのが私の目標です。
5.よく聴く日本のアーティストはいますか?
G - 日本のシューゲイザーバンドが大好きで、揺らぎ、my dead girlfriend、Tokyo Shoegazer、宇宙ネコ子、きのこ帝国、For Tracy Hydeなど。ボーカロイドのシューゲイザーも大好きで、mikgazerは史上最高のシューゲイザー・アルバムだと思います。シューゲイザー・シーン以外では、ヨルシカとEveも大好き。
V - 日本のアーティストで好きなのは、杉山清貴と山下達郎。日本の80年代シティポップ時代の音楽が大好きです。
R -15歳か16歳くらいのときに二藤一花にハマって、今でも時々彼の曲を聴いているんだ。
A-いや、でもツアーが終わったら変わってくれるといいな。
6.来日して楽しみにしていることは?
G- 日本にいる間に大阪と名古屋を訪れる予定です。 旅行したり、街を探索したり、そこの食べ物を楽しんだりするのがとても楽しみです。他のバンドがいろんなライブハウスで演奏するのを見るのも楽しみ。みんなにとって素晴らしい経験になると思います。
7.これからの夢や現在の目標は何ですか?
G - ツアーに出る��とは僕らの最大の目標のひとつだったから、キャリアの早い段階でそれが実現できて本当に感謝している。もうひとつの目標は、もっと音楽を作って、シューゲイザー・シーンでもっと多くのアーティストとつながって、ミュージシャンとしてもっとうまくなることだね。
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G - Ginny V - Vincent R - Ronan A - Avi
1. When did you start creating music and how has that led to the neverminds it exists today?
G - I had never really made my own music until right before we started the band. Before that, music was always just a hobby for me even though I played guitar a little bit. I think I'm learning so much about songwriting while being in this band because of that
V - I started writing my own songs in middle school and began producing in high school on GarageBand. When I began producing, I taught myself other instruments such as bass, piano and drums. I would also arrange a bunch of songs for my band in high school. All of these experiences would help me in the neverminds as I knew how to use Logic Pro to record our music as well as write/arrange various instrument parts for our songs.
R - I started writing my own stuff when I was about 9 or 10 and slowly got more and more serious about being a musician.
A - I joined the band last September and have had the pleasure of creating music with everyone. I’ve been playing drums since I was 6 and making music most of my life.
2. How did the members first get into music?
G - My parents always loved music and my dad taught me how to play guitar when I first started learning guitar in elementary school. I joined a school rock band in middle school and played at school festivals. Being in the band with my close friends was the most fun part of my school years and I think since then I always wanted to be in a band and make music together with friends. That’s why I started the neverminds in the first place.
V - The first instrument I learned was the ukulele in middle school. I then taught myself how to play guitar as well and started to jam with my other friends at school. Our classmates would gather around the lunch table and we would sing and jam out to random songs and eventually we created a band in high school.
R - when i was a little kid my dad had an acoustic guitar that he sometimes played and i just wanted to play super bad
A - I’ve been into music since birth.
3. Please tell me about the concept, production and recording of the new EP “nevermind, the winter”?
G - “nevermind, the winter.” is a sister/sequel album to our first ep “nevermind, the summer.” In the summer ep, we tried to capture a nostalgic and melancholic summer and adolescence while the winter ep talks more about heavy emotions - loneliness, isolation, heartbreak and the feeling of waking up from a dream you can’t remember anymore. After coming up with these concepts for both EPs, the ideas for the lyrics followed and were written to fit the intention of the album. After we finished our songs, we carefully curated the tracklist so that the whole EP could flow well and create stories together. Every track works as different chapters of the same book, and I hope people who listen to our EP can feel as though they are reading our story.
V - For “nevermind, the summer.” " guitars and bass were recorded simultaneously straight into an audio interface over a drum track while live drums were recorded separately, however, for the new EP we experimented with more complex recording techniques and overdubbing to have more creative control over our sound. We recorded all guitar and bass parts individually through both DI and microphone using a Fender twin reverb and an Ampeg BA. A new technique we implemented for recording drums this time was using a room mic. Overall, we played around a lot with different mic placements to achieve more unique tones and effects as well as experimented with a lot of new guitar pedals. We also implemented the use of a violin bow on the guitar to create the sound that can be heard in the intro of “haunt me” and the ending of “dusk”. Vocals were recorded using a Shure SM7B which is a good microphone to be used in untreated rooms which was perfect for us since we recorded everything in my townhouse bedroom. However, we got several noise complaints from neighbours during the recording of this EP because of the long hours of recording very loud sounds.
4. how do you feel about the scenes around you? Do you have any connections with other bands?
V - I am very inspired by the band scene in Toronto. We have played with various toronto indie bands such as White Rabbit, Poor You and Brother. These are all bands who I am a big fan of not just because they are our acquaintances but because they make raw and amazing music that feels genuine, personal and heartfelt. I think bands like them need more attention internationally.
R - I think the shoegaze scene in Toronto, even if it’s pretty small, is still pretty great. I think it’s incredible that we’ve gotten to play with Luster Dust, for example.
A - I’ve loved meeting some of the bands in the local Toronto shoegaze/alternative rock scene. Bands such as Luster Dust have really inspired us to work harder on our live sound.
G - Everyone already answered my favourite bands in the Toronto scene so I want to talk about something different. We recently made a music and art collective called ‘loveless collective’. We made this collective to connect with shoegaze/dreampop bands in and out of Toronto and organize shows/events involving them. Our goal is to help the shoegaze scene become more active by having a platform to showcase their music.
5. Are there any Japanese artists you listen to?
G - I love Japanese shoegaze bands, such as Yuragi, my dead girlfriend, Tokyo Shoegazer, Uchuu Nekoko, kinokoteikoku, For Tracy Hyde and so on. I also love Vocaloid shoegaze, I think mikgazer is the best shoegaze album of all time. Apart from shoegaze scene, I also love Yorushika and Eve.
V - Some of my favourite Japanese artists are Kiyotaka Sugiyama and Tatsuro Yamashita. I love music from the 80s city pop era of Japan.
R - when i was about 15 or 16 i got really into ichika nito and i still listen to his stuff from time to time
A - No, but I hope that will change after the tour.
6. What are you looking forward to doing when you come to Japan?
G - We are visiting Osaka and Nagoya while we are there. We are very excited to travel and explore the city, and enjoy the food there. We are also looking forward to watching other bands play at different live houses. I feel like it will be a great experience for all of us.
7. What are your current/dream goals for the upcoming?
G - Going on a tour was one of our biggest goals, so we’re really grateful that we get to that so early in our career. Another goal would be to make more music, connect with more artists in the shoegaze scene and become better as musicians.
The Neverminds
Instagram@thenvrminds ←
X @thenvrmindsband←
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「家」開催によせて
12月8日に下北沢spreadで企画します。
普段はバンド主催の形で企画することが多いけど今回は個人として企画します。
企画は割とよくするけど、どうしてもバンド出演も兼ねると、気も張るし単純に体力が持たなくて観たかった人たちの演奏を平常心で見れるケースがかなり少ない、特に東京で演奏するとなると、バンド単位で移動だと車が基本になるからかなりキツい。(この前は初めて新幹線で移動して演奏したけど、負担も少ないし良い演奏できるし絶対マストだ、と思った。)あと、京都に来てもらうとなると交通費とかの経費がかかってそれも負担になる。大阪に比べると人もあんまり入らないし。うーん、という感じで最近は過ごしてました。
そんな時に、たまたま京都市の補助金を見つけ、一気に企画の構想が浮かんで、応募すると受託された(正確に言うと受付の要件を満たした事業者の中で抽選があって当選した)、ということで東京で企画することになった。
ちなみに応募したのはこれ↓
https://aak2024.kyotoartsupport.com/
今回は「若手交流促進枠」での採択を受けた。
なので京都から行く象の背と自分の交通費実費分が補助されることになります。
コロナ禍で文字通り、若手交流だったりバンド活動自体が中断したのは自分も象の背もなので、この機会を活かさないわけにはいかない!と思った。
話を戻す、思いついた企画の構想は嘘偽りなく今決まっている人たちで新しいコンセプトの企画をする、ということだった。
ライブハウスやそれに付随する文化とか空気が苦手な自分が、それでも企画して何をしたいんだろうと考えたとき、思ったのは「その場にいる一人ひとりが1人でいれる場所を作りたい」「そこにいることが意思になる場所を作りたい」ということだった。そのために作ったグランドルールも一読いただきたいです。
音楽もそうやけど、一般的に優劣のジャッジに付随するのは、大きさ・強さ・数という尺度だと思う。そこに反抗するための小ささ・弱さ・少なさにも魅力はあるけど、その尺度を手放したいとずっと考えている。
1人で目をつぶっていてもいいし、その場から離れてもいいし、あいさつしなくてもいい。暴力や差別が存在しないことが努められている空間の中で、そこにいる人が好きに過ごしてほしいと思ってます。
そして、その尺度から離れさせてくれるような人たちを今回は呼んだ。
M.A.Z.E.のbushbashでやってたコロナ禍のライブ映像、かなりしびれたのを今でも覚えている。
言葉にして発することの責任とか行く先が画面を通して貫通した。
メンバーの演奏が掛け算や割り算じゃなく、ちゃんと足し算として形になる喜び。(象の背もWETNAPもそうかも。最近はこの感覚を信頼している。)
なによりも音源もライブもめっちゃイケてる。東京で観れたらめっちゃ上がると思ってお誘いさせていただきました。まだお会いしたことが無いですが、真摯に対応いただき、胸が熱くなる瞬間がすでにたくさんあります。出てもらえてうれしい。
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WETNAPも最高。カセット出した時のライブをネガポジで観たことがあるけど、過出力でシステマチックを拒絶したパンクでうれしくなった。レコードの作品も当然カッコいい。あんまり自分の語彙ないけど、パンクを聴きたいじゃなくて、WETNAPを聴きたいと思う。あと、一方的に3名ともカッコいいと思わされるエピソードがあってかなり信頼しています。まだ対面して話したことないけど。すみません。ライブハウス苦手と言ったけど、ライブハウスでWETNAPの名前があったらめっちゃ安心するんじゃないかと思う。
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象の背、この組み合わせで観たかったから本当に良かった。
勘違いされているとは思わないけど、関西でグッとくる組み合わせで象の背観るの少ないからマジで楽しみ。比較的距離の近い位置で演奏や活動を観ることが多いけど、やりたいことをしっかり選んで活動をしている姿、かなりカッコいいと思う。年上だけじゃなく同世代の人たちにもっと観てもらいたい。現在の京都で最もいいバンドと断言できるのでマストで観てもらえれば!
DJにminorsuicide。村上くんとは先日初めて会った。でも、ずっと前からその活動や言葉に、いつも背中を押されています。詩やZINE制作を主体に活動されているけど、いつかのツイートでDJをやられていたような…と思いだした。
DJの姿は見たことないけど、自分も参加させてもらったZINEに付属されていた彼の曲を聴いて、DJとして参加をお願い���せてもらった。どんな場所にいてもここに居座る、黒くて形のない感情みたいな暗闇が融和していくような感覚。そういう瞬間が自分の企画にも訪れてほしいと思ってます。自分だけのリズムを見つけたいし、見つけてほしい。
自分も今回DJをする。Spreadは平日の夜に一回遊びにいった事があって、あまりにも空間としてカッコよくて衝撃を受けた。音もびっくりするぐらいよかった。そんな場所でDJできるのマジでうれしい。安心と緊張を繰り返す時間になるかも。
あと、クレジットしてないけどオープンの時間に友達のなかにしがDJしてくれる。本当はオープンの時間はDJとは別に自分が好きな曲流そうかと思ってたけど、この前会ったら「DJやりたい」って言ってくれたからお願いした。決まってからCDJ買ってて気合入ってるぽい。なかにしに甘えて、オープンの時間は会場でバタバタしようと思う。
今回の企画は入場料を固定していません。
500円から3000円の間で任意の金額を受付のboxに入れてください。
「実際いくらいれたらいいんやろ」となる人も多いと思うので、標準価格として2000円を提案しています。参考になれば。
この形は以前、京都芸術センターでやっていた公演で実施されていた形式を参考にしました。お金の価値は大事にしたいけど、それによって機会が奪われることはあってはならないと思ってるので、入場料が来場検討の足かせになる人にとっての負担を軽減できればという気持ちです。(Spread入場の際の1ドリンクチャージは別途お願いします。)
会場内にも投げ銭BOXを配置する予定なので追加で払ってもらうことも可能です。当然イベントなので会場費や出演いただく人たちの経費(出演する��でに発生している練習代などもあります)も発生しています。あなたにとって素晴らしいイベントになれば、追加で支払ってもらえると嬉しいです。
また、会場では「フリマ・出店自由」としています。
自分の作品を出展いただていもいいし、フリマ収入で入場料を賄ってもらってもいいです。入場料を支払ってもらう皆さまにもイベントを作り上げてもらえればと思います。自分もフリマと参加した作品の販売をしようと思ってます。
spreadは下北沢駅からスグですが、階段を下る必要があります。
会場ではシートを敷いて地面に座れる場所を作ろうかと思ってます。(当日の会場の状況次第でフリマスペースも兼ねるかもしれません。ご了承ください。)
来場いただくにあたり考慮すべきこと、不明な点があれば事前にご連絡いただければ幸いです。[email protected]
当日来場者には企画用に制作したパッチとZINE(フリーペーパー)をお渡しします。パッチは既に制作しましたがかなりカッコいい。イベントもカッコいいイベントだからパッチ無くなるくらい来てほしい。ZINEは今から作ります。毎回企画の直前に書いて印刷する。
最後に、企画のタイトルは「家」です。これからも続ける予定。
村上くんがブログに書いてくれた文章が全てと言っても過言ではないけど、
帰るための家、安心できる家、それは関係性でも血でもなく場所でしかない。
誰かにとっての家は、どこにでもあるべきで保証されるべきだと思う。
収益の一部は、家の鍵をもって避難を続けるパレスチナ・ガザの人々を支援する機関への寄付を予定しています。暴力と差別、そういうものを拒絶し反省する家。何度だってはじめたい。予約不要。あなたの歩みを心待ちにしています。
2024.12.08(Sun.) 12:00-15:00
@下北沢spread
入場料:\500-3000(標準価格\2000)+1drink
来場特典ZINE パッチ有
フリマ・出店自由
「家」
M.A.Z.E.
WETNAP
象の背
minorsuicide(DJ)
knit(DJ)
※収益の一部はパレスチナ・ガザの支援機関へ寄付します。
連絡/問い合わせ先:[email protected]
フライヤー配布場所:リンキーディンク下北沢1st,2st、下北沢ERA、Irregular
Rhythm Asylum、エトセトラブックス bookshop
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桜林美佐の「美佐日記」(262)
「憧れの人・自衛官」を目指して:米軍基地行事からの学び
桜林美佐(防衛問題研究家)
────────────────────
おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、262回目となりま
す。
前回の日記にも感想を頂戴しました。「私も、か
みさんの話は、意見を求められていないという前提
で聞くようにしていますが、話す側も、『今から話
すことは意見を聞きたいのではなく、共感して欲し
いの』と言われると、聞き手に徹する心構えができ
て、その後のやり取りが円滑に進むと思います。こ
ういう配慮をする人が増えて欲しいと思いました」
「今日の脱線話はなかなか興味深かったです。聴き
手と話者の関係でいえば、自衛官と
いうのはだいたい良い聴き手です。反応が分かりや
すい」
ということで、ありがとうございます。そうです
ね、確かに自衛官の皆さんはよく話者を見て聞いて
下さいます。私は初めて自衛隊で講話させて頂いた
時は、自分が皆さんの前に立つような立場ではない
と非常に恐縮し、えも言われぬ緊張感があったこと
を思い出します。
考えてみれば、だからこそこれに値する指揮官を
年月をかけて養成するのであり、政治家にも帝王学
の心得が必要な所以なのでしょう。
さて、先日は米陸軍基地で開催された独立記念日
行事に行ってきました。基地解放日とあって多くの
人々で賑わい、出店やフードコートに長い列ができ
るなど、大いに盛り上がっていました。
かつて沖縄の普天間基地で開催された米軍行事にも
行ったことがありますが、その時も子供たちは大喜
びで、沖縄と言えば「反対運動」と思い込んでいた
同行した放送局のスタッフたちも全く想像と違う現
実に驚くばかりでした。
確かに、普天間にはヘリなど乗り物があるので、
そうした展示を目当てに来るのかなとも思いました。
日本でも例えば横田や厚木など、航空部隊が所在
する基地がイベントでは、いわゆる「マニア」の皆
さんが集まる、というイメージがありました。
しかしそれも勝手な推測だったようです。飛行機
が並んでいなくても人々は集まるのです。
よく「ブルーインパルスが来てくれないと盛り上
がらない」とか「戦車の展示が欲しい」など、行事
の「目玉」を求める声が聞かれますが、実際は、そ
ういうアイテムはそんなに必要ないのでは?と感じ
させられました。
この米軍行事では、日没が近づき、いよいよフィ
ナーレを飾る軍楽隊の演奏が始まろうという時、人
々がグラウンドに向かい走って行きました。
何かと見ると、グラウンドからUH60ヘリが離陸
しようとしているのです。その瞬間をとらえるため
に、あっという間に人だかりができます。
そのうちにゆっくりとヘリが浮上していくのです
が、それって自衛隊関係者にとっては、いつも見慣
れた光景であり、特段、そんなことで人が喜ぶとは
思っていないのではないでしょうか。
でも、最後のステージと花火が始まる前に観客の
頭上を旋回するたった1機のブラックホークが見事に
会場を沸かせたのです。私にとってもちょっとした
衝撃でした。見せ方、演出によって超魅力的なもの
になるのです。
ああ、こんなパイロットになってみたい、と思っ
た子供もいたのではないでしょうか。
迷彩服姿の軍人さんを見て、カッコイイと感じた若
者もいたのではないでしょうか。
幹部自衛官が平身低頭で「自衛官募集」ティッシ
ュ配りをすることがあるべき姿なのか?と考えさせ
られます。やはり自衛官は「憧れの人」であって欲
しい。
ところで、このヘリのパフォーマンス(飛び立っ
ただけなのですが)で感じたのですが、佐賀に配備
しようとしているオスプレイには、未知数の可能性
があるように思います。
「オスプレイ・エアショー」を毎年開催し、米軍
と共に飛行展示を行うのも一案かもしれません。約
90万人が来場する佐賀の「バルーンフェスタ」、
約50万人が訪れる「唐津くんち」に続く観光名物
になる日も夢ではないかと!
今日も最後まで読んで頂きありがとうございまし
た。皆様にとって素晴らしい1週間となりますように。
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今日のおはジャズ「Everybody Digs Bill Evans」'58
自分のアルバムに「皆んな大好き宮地スグル」ってタイトルは一生付けないと思うけど、これはプロデューサーに押し切られて無理矢理作らされたアルバムだとか。とてもそうとは思えません。
まず、エバンスは絶対良い音で聴きたい!しかし、エバンスのレコードはどれも物凄く高いのです。しかし、この名盤を探すうちに円盤組合で2000円ちょっとで売ってて、しかもクーポンも出てたので漸く買えました。
家に持ち帰り聴いてみると、モノラルの筈なのになんだかステレオで聴こえるから不思議だなぁと調べてみたら、Ermitageのリマスターでステレオだそうです。殆どのなんちゃってステレオにはロクなものが無いのですが、あまりの音の良さと臨場感にビックリしています。リマスターの技術力ってこんな上がったんだ。今朝は、ちょっと大きめの音で聴いています。先日、DMMリマスターのレコードがCDと同じ痩せっぽっちの音で、オリジナルテープから落として無い事が丸分かりでガッカリしたとこなので、喜びもひとしおです。
さて、演奏の方ですが、プロトタイプ・トリオと言われてますが、フィリー、サム・ジョーンズからなるリズムセクション、めっちや良い仕事してます。そして、もうあのエバンス・トリオのサウンドが出来上がってます。明確なコンセプトが彼の中に最初から完全に有るんですね。後にゲッツと演る「ナイト&デイ」のブレイクも既に演ってます。「Peace Piece」というドソロのオリジナル曲はとても58年の演奏とは思えません。エバンスがタイトルに言葉遊びを入れるのはこの頃からだったんですね。
エバンスが好きな所は、複雑な事をしていても全てが明確で、モチーフ・デベロップメントによってストーリーに意味を持たせる所。明らかにインプロビゼーションであるのに、壮大なシンフォニーの様な完成度を感じます。I dig Bill Evans too…です(笑)
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ツーショット😂
ノアくんがつかまり立ち、つたい歩きをしているようで、起きている間はあまり目が離せません😂🙏それだけ成長しているということで、喜びであります^^
何があったかな。と思った時に
そうだ!先週はたくさんの人が助けてくださり、ミュージックビデオを作らせていただきました。毎年どうしようかなと思うのですが、
1年ごとに歌集が新しくなるので、この時に出さないと一生作らないと思い、毎回、どうしようと思いながら、祈りながら、できるのか、完成するのか?思いながら、1回目の締め切りを過ぎてから作り始めています。。
そして毎回締切日の夜中に完成します。
たくさんの方に無茶振りをお願いしながら、、、信仰の一歩?!ということで、やっています。笑
毎年信仰でやるなら、もっと早くからやれば良いのにと思うのも、終わってから思い出します🥺周りの皆さんに多大なご迷惑をおかけしていますが、できたことも感謝です🥲
でも、本当に神様からそれぞれの賜物と働きと役割が教会の中で与えられているんだなぁと。今回のことで心から思いました。
映像を撮る賜物の方。
役者?さんというか、映像に映るのが得意な方。
映像の編集の賜物の方
音楽の音をつくられる方
演奏される方
実際に助けてくださる方
祈ってくださる方
今回は映像に関してだけですが、さまざまな働きがある中で、そこに神様の適材適所の方がおられるんだなぁと。
私は、曲をつくるのみだなと。笑😂神様が言われた作詞作曲だけやろうって思いました^^笑
本当に映像の賜物はないし、マスタリングとAIじゃないと無理だし、映像にうつるのとか演技とか絶対できない。笑😂
演奏もミュージシャンでもないし、会計とか、事務とか、デザインとか、裁縫とか、パソコンとか、それぞれ賜物があるなと👍
母みたいにずっと家の中で永遠に祈ってられないし。ルークみたいにパソコン💻を使ってずっと座ってられないし笑😂
その気づきが与えられて、とても感謝です^^
そうそう、全く関係ない話ですが、金曜日は学級閉鎖でした^^ 先生が25人も休まれていたとか。早く良くなりますように!
明後日からは長崎です!!ノアははじめて。
天の喜び、天が開かれる
その神様の臨在のなか、神様の語りかけを受けれますように!
宣教師の方々は、能登半島の地震があってから、そちらのヘルプに行かれているみたいで、今回の長崎は来れないようなのですが、御心の時に参加できますように🙏そして地震で被災された方々が守られますように🙏
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お気に入りのミュージシャンやアーティストに会って、その優しさに驚くのはどんな感じだろう、と考えたことはありませんか?
@johnmayer はまさにそんな感じです。これまで一緒に仕事をする機会に恵まれたアーティストはたくさんいますが、演奏したり一緒に過ごしたりしてジョンほど喜びを感じたアーティストはほとんどいません。ファンから友人になれたことは幸運です。
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0歳児 こども園楽しいな♪
7月は七夕やアフリカ太鼓などの行事にも参加したひよこ組さん。初めての体験にドキドキの表情も見られました。
七夕コンサートでは、子どもたちも音楽に乗りながら体を揺らして喜んで参加する姿が見られました。
アフリカ太鼓では、リズミカルな太鼓の音にノリノリで手を叩いたり、実際に太鼓にも触れて楽しみました。
子ども夏祭り1日目。
年長さんの太鼓の演奏に大喜びの子ども達。幼児組さんたちの「アンパンマン音頭」も喜んで見てきました。
子ども夏祭り2日目。
2日目は、出店を見て周り、夏祭りの雰囲気を楽しみました。
おばけ屋敷やボーリングの体験も楽しんでいました。
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小野塚晃×メロウデュ Summer Live ~Acoustic Night~ メロウデュとしては初の試みだったと思います。少人数のアンサンブルは大変なこともたくさんありますが、音楽をコントロールしてクリエイトする楽しみもたくさんあります。 ミュージシャンとして色々考えなければならない事は多々あるのですが、ついつい夢中になって全力で楽しんで演奏した昨晩のライブでした。 あまりにも全力だったので一枚もライブの写真を撮っていません。ということで昨日の昼に出かけたT38からの景色です。こうやって見ると大都市札幌でもすぐ近くに素晴らしい自然があります。昼間はさすがに暑いですが、夜になると気温が下がって快適になります。もう夏の間はずっと北海道にいるしかないですね。 今日も札幌で演奏出来るのは大きな喜びです。残席わずかということですがお近くの方、お時間のある方は是非! 小野塚晃×メロウデュ Summer Live ~Band Night~ 小野塚晃 (Key) メロウデュかおり(Key) Yagi-chang (Drums) よっちゃん (Bass) 7月21日(日) 札幌市 円山夜想 18:00 OPEN / 18:30 START 料金 @ 前売り¥5,000、当日¥5,500 (別途ワンドリンク) 問 @ [email protected] (メロウデュ事務局)、011-623-0666 (円山夜想)
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初春の笑顔がいっぱいの宝船
にっぽん丸
3ヶ月ぶりの船旅のはずでしたが、
船の推進制御装置に不具合が認められたため、急遽、安全点検が必要になり運航を見あわせる事となりました。
残念ですが、安全第一!
またいつか共に船旅をできる日まで
予定していたセットリストと流れで、
空想の旅になれば🚢
Today I was meant to board this cruise, but due to technical issues the show and cruise itself were cancelled. Sad but safety first!
The theme was “aboard the treasure boat + smiles”.
Have posted the setlist and tried to portray what it would’ve been like on the musical boat :)
「宝」、「笑顔」 をテーマに✨出発🚢
衣装はキラキラな宝箱のようなサラスタイルを予定していました
マリリンのピアノアドリブにのって、スキャットしながら時々「春よ来い」のリフを。本編最後に繋がる。
そこからRiverdanceの神秘的な歌のイントロへ。
今回伊勢神宮の近くに行くということで、神様に近い音楽からスタートしたく。マリリンの綺麗なハーモーニでデュエット。こちらはアルバムにも収録していますが、よく聴きなれてる綺麗な3度のハーモーニだけではなく、4度が特徴的な響きなのでこれも神秘的に聞こえる理由の1つ^_^
Riverdance / Drowsy Maggie / Sarah Àlainn
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そして、この曲はヴァイオリンのフィドル的な表現で軽快な世界へ。キラキラ、ニコニコ。宝石のような煌めきを放つアクティブな一曲。
サポーターさんなら、この曲の変拍子できっと手拍子をして下さったはず。色々なアーティスト、バンドのライブで手拍子する曲があるように、私もライブでそんなノリノリの曲があればなと思いましたが、こんな変拍子な曲を選ぶ何てドSとしか思えないですよね。それでも、これで手拍子できる皆さん、最高にカッコ良いです!(とはいえ、今後はもっと楽に楽しめる手拍子曲を作りたいと思ってますー^_^;)
MCなう。サラッと面白い洒落でも言えたかな?🤔
海と宝ということで、ディズニー『リトル・マーメイド』より、アリエルが歌う「Part of Your World」。普段ライブで楽器も色々弾くので、この曲の「あれも!これも!」という場面ではそんな楽器の宝を指しています。
そして、この次のシネマ音楽にも「お宝」が。『The Greatest Showman』より、スターが歌う「Never Enough」。スポットライトを浴びても、星も金も手にしても、全て物足りない。あなたがいないと、物足りない。
私、今年初めて宝くじをやってみました(プレゼントで券?をスタッフさんから頂きました)。1億?あたったらどうするという話で盛り上がる。簡単に使えきる自信もあるけど、結局は本当に欲しいものはお金では中々買えない。因みに600円当たりました。
笑顔で始まる初春だから元気な曲多め。ジャズ出身のマリリンだからこそ、情熱的で踊りたくなる「Spain」へ。去年大阪でDream Caravanに出演させて頂いた時、久しぶりに寺井尚子さんともお会いでき、フルオケ+ジャズバンドをバックに彼女が演奏するSpainは最強でしたね!!とても勉強になり刺激になりました。もっともっとセッションをしてジャズを追求していきたいこの頃。来月2月呉・広島でのバレンタインはクリヤマコトさんを始めとしたジャズカルなので、ワクワク。
ここで一曲、オリジナルの弾き語り。
元々去年から予定していた楽曲でしたが、年始の心が痛むニュースとも重なる一曲でもあります。
「The Final Time Traveler」。ゲーム『タイムトラベラーズ』からのエンディングテーマは阪神淡路大震災に思いを寄せて作られた一曲です。こちらはゲームが大好きな羽生結弦さんとアイスショーでコラボさせて頂き、彼のサポーターさんをはじめ、ゲームをプレイされない人にも知られるようになった一曲でとても嬉しいです。オリジナルは日本語歌詞でしたが、海外で羽生さんが滑られるとのことで、英語歌詞を書かせて頂きました。
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高音のサビの部分には本来歌詞を入れて欲しいと言われましたが、あえてAh〜だけにしたいとお願いしました。ヴォカリーズで、楽器のように、言葉では伝えきれない思いを届けられたら。
いつからかこの曲を弾き語りに挑戦するようになりましたが、ピアニスト、ミュージシャンに良く言われるのが、とても弾き語りするような曲ではないですねと。この曲、かなり複雑!伴奏ではなく、オーケストラの部分を演奏するような感覚。なので、毎回ドキドキ緊張する一曲です… ただ唯一、とても揺れる曲なので、それは自分で演奏すると歌と合わせやすい心地よさはあります。
この曲に「秘められたtreasure」という歌詞が出てきます。宝物、大切なものという意味ですが、英語の to treasure = 「大切にする」という動詞になります。
最後も笑顔で締めくくりたい。
第九は日本ではカウントダウンの一曲かもしれませんが、年始でも、どや^ - ^ これは去年のクリスマス・教会・合唱バージョンですが、ピアノとのデュオの時も、RnBからゴスペル、讃美歌からオペラチックな歌い分けが楽しい、人格がなん度も変わるJoyfulな選曲です。
【LIVE】Joyful Joyful/よろこびの歌/ Ode to Joy 第九 |Sarah Àlainn サラ・オレイン
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本編ラストは、初披露のマッシュアップ。
元旦のファミリー向けコンサートで初披露した「NeverEnding Story」 🐲でしたが、『初春』に因んで、こちらを「春よ来い」とマッシュアップ。編曲、ちょっと頑張ったのでこれはお見せできず残念>< 😖今回はキーボードでオリジナルの80年代ディスコサウンドを表現する予定でしたが、マリリンとも話して、少し変えてみて八ヶ岳でチェンバロでやってみても良いかもと思えました。
そして、アンコールへ。
「Smile」。定番ですね。ただの笑顔の歌ではなく、とても切ないCharlie Chaplinのタイムレスな作品。歌詞と真逆になりますが、悲しい時は無理して笑わなくていい、と言うのが個人的なスタンスではありますが。そんな裏の思いをこの歌詞に乗せて歌う予定でした。
今回のライブはいつも以上にお時間が遅い開始のものであり、美味しい食事とお酒で、船に揺らされてそろそろお眠の時間になって来たかと思います。
そんな簡単には寝かせませんよ。うふ。
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オペラ『ツーランドット』より「Nessun Dorma〜誰も寝てならぬ」。我々ミュージシャンにとっても眠気覚ましになる壮大な一曲です。この後優雅に食事というところでしたが、これから代わりにサラメシを作りに材料を調達しにスーパーに行って参ります。この時間になると嬉しいシールが貼られる頃でしょうw ちりも積もれば山やまとなる。この場合この表現はあってるのだろうか…
(未来に行って来ました。やはり笑顔になるシールが貼られていた)
ジャンルと楽器も色々登場した、宝箱のようなセトリになったでしょうか?
あなたとの時間をtreasureしています!✨
〜 Sarah
NIPPON MARU
- Treasure Boat Cruise with SARAH ÀLAINN -
2024.1.8
〜マリリン イントロ(「春よ来い」リフ Sarahスキャット〜)
1. Riverdance
2. Part of Your World 『リトル・マーメイド』
3. Never Enough
4. Spain
5. The Final Time Traveler (Sarah 弾き語り)
6. Joyful Joyful ~ 喜びの歌〜第九
7. NeverEnding Story〜春よ来い
Encore
8. Smile
9. Nessun Dorma
次は初の鹿島・佐賀へ🎻
スケジュールはHPよりチェックしてみてね
#にっぽん丸#サラ・オレイン#sarah àlainn#sarah alainn#サラオレイン#中林万里子#羽生結弦#the final time traveler#タイムタラベラー#タイムトラベラーズ#yuzuru hanyu#Youtube
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【翻訳】This is Peter Hewitt!
今回はThrasher2024年4月号に掲載された「This is Peter Hewitt!」の翻訳です。この記事はいわゆるQ&A形式のインタビューではなく、テキストだけ読むとPeter Hewittの独白のようになっています。翻訳だけを載せても何について話しているのか分かりづらいのでは?という理由から各節に番号・タイトルをつけてあります。画像は内容に関連するものを選んだつもりです。楽しんでいただければ幸いです。 ―TQ
1. My First Board
初めてのスケートボードをゲットしたのは6歳ぐらいの時で2年ぐらいは膝を使って乗ってた。いつも顎にかさぶたをつくってたから、母さんが「なんでいつも顎にかさぶたがあるの?乗り方、間違ってるよ���ってデッキを持って道路をカービングしたんだ。「うわあ!ああやって乗るものだったんだ」って思った。少しずつ立って乗ることも覚えていったけど、膝を使って乗る方が全然うまく滑れた。歩道に乗り上げたりできたしね。最初のうちはほとんど移動手段として使ってたよ。バックパックにGIジョー人形をいっぱいに詰めて町の反対側に住む友達に会いに行ってたんだ。
オレらは峡谷で戦争ごっこしたり、木材を工事現場から盗んでた。その木材を引きずれるところまで引きずっていって、「もうここでいいだろ。もう無理だよ」って場所にランプを建てた。ドライブウェイに兄弟で作ったランプがあったんだけど、そこがランプなんかを持ってる人たちに出会う場所になった。オレは他の子たちよりちょっとイカれてたんじゃないかな、喜んで痛い目をみようとするみたいなところがあったね。
母さんはオレたちを週末にDel Mar(Del Mar Skate Ranch ※カルフォルニア州デルマーにあったスケートパーク)に連れてってくれた。はじめて胸を打って息ができなくなったのは、60~90㎝ぐらいのマジで狭いプラットフォームに立ってた時。Neil Blenderがいろんなインバートをやってて彼は口笛を吹いてたんだ―インバートでストールするたびに曲でも吹くみたいに。たぶん彼の足が当たったんだと思うんだけど、バランス失っちゃって後ろ向きに倒れこんで背中で着地して息ができなくなった。なにが起こったのか分からなかったよ、今までそんな目にあったことなかったからね!それから這い出していってわけのわからない状況のなかで呼吸を整えなきゃならなかった。Del Marの一番のショーはKeyhole Poolだったんだけど、オレらみたいなキッズはそこでセッションするなんてできなかったから他のセクションで滑ってた。Chris Millerが現れてパーク全体を滑ってたのを覚えてる。これこそ見たいものだった。この人たちは後ろにあるボウルをどうやって滑るんだろう?オレらがいつも滑ってるボウルは?ってね。あれはクールな見ものだったな。
2. Z to Team Hosoi
始めて袋叩きにあったのはFred Olande(※元Z Products・New Deal Skateboardsのライダー)が持ってたランプでのこと―目の周りにアザをつけて帰ったよ。そこはJay AdamsとGeorge Wilsonに出会った場所でもあるんだけど、オレたちはそれがJay Adamsだって分からなかったから「ジッパーヘッド」って呼んでた。理由は彼の頭にはジッパーのタトゥーがあったから。彼らは一度もパッドをつけなかったし、Jayはいつもかわいいコを連れてた。そんな流れでZ Products―オレの最初のスポンサーがついたんだ。特に問題なくZ-Roller(※ハンガー部分が回転する仕様のトラック)でも滑ってたよ、見た目も好きだったし、ロゴも好きだった。ライダーにはButch Sterbinsがいたな。タフなファッキン・チームだったよ。Hosoi(Skateboards)がスポンサーになりたての頃、Fredに言われたことを覚えてる。「ただZを抜けるってわけにはいかないぜ、注目されないとダメだぞ!」ってね。
Linda Vista Boys Club(※サンディエゴにあったスケートパーク)から本当にいろんなことが繋がっていったんだ。近所の住人はラフだった。有料のパークで、ほとんどのローカル・キッズたちはそれが支払えないって環境だから緊張があった。オレたちは彼らのテリトリーにいるわけだから。スケートしてるとキッズたちが駐車場で車に侵入してるのが目に入るんだ。あそこは無法地帯だったね。オレたちは好き放題やってたよ。幸いなことに、ルールを教えてくれる年上の大人が何人かいたんだ。「同じ場所から2回ドロップインするな」みたいなこと言ってくれるGraham Stanners(※初期Foundationのライダー?)がオレたちの中で一番のインフルエンサーだったな。彼はどうやってそのランプをカービングするかとかを教えてくれたんだ。16歳の時、あの場所でHosoiのハンマーヘッドに乗ってマックツイストを覚えた。習得には一ヶ月かかったよ。そこでは別のルールもあって、「同じトリックを繰り返してセッションを妨害してはならない。自分のランの最後にトライするか、セッションの最後ですること」。それが決まりだった。同じトリックを何度も何度も続けてセッションを台無しにしたくないよね。その後すぐローカル・キッズがあるランプを全焼させて、そこは閉鎖になっちゃたんだ。
Grahamは、オレたちをはじめての冒険に連れて行ってくれた。オレ、Matt MoffettとSteve Bailyを連れて、(オレたちにとって)はじめてのヨーロッパをスコットランド人たちと一緒に回ったんだ。はじめてMarseilles(※マルセイユ。フランスの港町)をスケートしたんだ-当時はグラフィティなんて全然なくて真新しかったよ。Grand-Bornad(ル・グラン=ボルナン。フランス東部)では、はじめてのプロ・コンテストに出場したし、大勢の酔っぱらった小さなキッズが町のあちこちで暴動を起こしてるのも見た。あれはヤバかった。
3. Back to San Diego
ヨーロッパから戻って「よし、オレはプロ・コンテストに出てたんだからプロになったんだぞ」みたいな感じでいた。Santa Cruzからデッキももらってた。同時に両方の膝の手術も受けなくちゃいけなかった。オレの膝はその頃すでに壊れてたんだよ。両ひざを一緒にやっちゃってて、Santa Cruzからは、なんていうか「お別れのギフト」みたいにファミコンが送られてきたんだ。後から思えば「お別れのギフト」だったんだよ。「ほら、これがお前のファミコンな」って感じで送ってきた。彼らがオレを追い出すことはなかったよ―必然的に俺から電話しなくなっただけ。医者は半月板を縫合したんだけど、治療が終わったらまたすぐにスケートして、また両方ダメにしちまった。一年以上もスケートから離れることになったんだ。
もっと上手くなろうって決意してて、それがオレを前に進ませていたんだと思う。よく怪我してたけど、いつもすぐに「まあ、そういうもんだ」みたいに考えてた。でもそれから「治療モード」に頭を切り替えて、単純に完治させるぞって決意したんだ。そのほとんどは「信じる」ってことだと思う―自分が「治るんだ」って信じることが一番大きい意味を持つんだ。「もう、おしまいかな」って感じた時もあったけど、「じゃあ、違うことするか」って気持ちになったことないな。一度もスケートをやめたいって思ったことはないんだ。
何年か山で仕事をして、San Diegoに戻った。オレたちには暮らしていけるだけのかなり多くのルームメイトがいたんだ。オレにとっての「大学時代」。Eddy Alioto、Sam Hitz、Darren Nvarrette、Al Partanen、それにオレらの友だちSlayarで一軒家を持ってたからね。3年間そこに住んで20人ぐらいのファッキン・ルームメイトと暮らした。そこではクレージーなパーティーをしてたよ―単純に野蛮な破壊行為。25歳の誕生日にNihilist(デスメタルバンド)が祝ってくれたけど、その頃の彼らはコナン・ザ・バーバリアン(映画)みたいな髪型をしたSlayerを演奏するまだ小さなキッズだった。あれはすごかったな。
4. The First Backyard Pool/Antihero/Red
最初に行ったバックヤード・プールの一つがNude Bowl。オレらが小さかった頃にオレ、Matt、Baileyでそこに連れて行ってもらって夜通しスケートしたんだ。のちにPrestonやRhinoそして彼らの仲間のプール・スケーターたちと出会うことになった。それまでそんな全く別のシーンがあるなんて考えもしなかった。彼らは物凄くたくさんのSan Diegoにあるプールを知ってたよ!衛星電話みたいのができる以前から路地裏を回ってプールを探してたんだ。オレらの可能性をかなり広げてくれるできごとだったよ。
Antiheroで滑る発端ができたのは99年で、最初に開かれたMarseille(※マルセイユ・フランス)でのコンテストだったと思う。John(ジョン・カーディエル)と Julien(ジュリアン・ストレンジャー)と一緒に滞在してて「お前をチームに加えたいけど、それには少し時間が必要なんだ」って言われたから「わかった」って返事したんだ。それからただ待ってたよ。最初に(商品が入った)ボックスが届いたのは2001年、Rabbi、Shaggyと一緒にSeattle(シアトル・アメリカ)に住んでいた時。それまでスケートボード会社にスポンサーされたのは、なんていうか短期間だった。その時は、まさか終の棲家になるとは思わなかったよ。20数年経った今でもまだ一緒に続けてるんだ。なかなかスゴいよね。
長い間、コンクリートのスポットって聞いたことはあるけど実際にはもう滑れるものじゃなかったんだ。クラストがいる場所もあったからね。Jakeはどこへ行けば見つけられるか知っていた。彼はオレたちのツアー・ガイドだったね。その後MonkとRedがそれぞれGrindline、Dreamlandでコンクリート・パークを建設していって、オレたちのロードに出る言い訳のほとんどはRedが建設中のパークを見に行くことだった。何年か、いやもっと多くの年月だな、そんなことを続けていたんだ。Redと彼の仲間たちの背中を追いかけてね。Redの作ったパークに到着する、そこを滑る、それから彼の仕事が終わるのを待つ。そうすれば彼の動きが見れるからね。それ皆で「おお、この場所はあんな風に滑ればいいんだ」ってなるんだ。
5. The Loop
あのループはTony Hawkが闘牛場に建てたランプで経験済みだったけど、Tampa(※スケートパーク)のイベントではギャラが支払われることになってたんだ。「マジか。どう滑ればいいか知ってるぞ」って思った。前夜にオールナイトでファッキンJake Brownとパーティーしてたんだ。オレは2回ぐらいでやめたけどJakeはまだ滑り続けてた。オレが見た時はまだパーティー・モードで攻め続けてたよ。たしか3回目のトライの後、「よし、じゃあスウィッチでトライしてみてもいいかもな」ってなった。で、あの古典的なパンプをしちまった―それは一番やっちゃダメなやつなんだけど。パンプして頂点で撃ち落とされて頭のどこかを打ち付けたんだと思う。担架の上で目が覚めて救急車に詰め込まれた。救急車で出発を待ってたら、「待て!もう一人いるぞ!」ってなったんだ。で、運ばれてきたのはBrian Schaeferだった。彼は「ヘイ、頭のストラップを緩めてくれないか?」って繰り返し尋ねてたよ。オレは「ヘイ、Brian。リラックスしなよ」って感じだった。それからオレたちは病院に担ぎ込まれたんだ。
6. Jake and P-Stone
一日を始めるにはJakeとP-Stoneは最高の人たちだよ。二人とも、自分たちがどこにいるかの知識を持っていたんだ。どこに行ってもその地域の豆知識と実際の状況を知ってた。オレたちがイタリアのコンテストに顔を出した時なんだけど、P-Stoneは到着するなりたくさんのビールを砂の中に埋めさせたんだ。「オレらは一体なにやってんだ?」って思った。それから一日が終わって、楽しかったし、あれやこれやしてたらビールが切れちゃった。砂にビールを埋めまくったことなんて皆忘れてたよ―P-Stone以外はね。彼はそれを掘り出しに行って、持ち帰ったビールはキンキンに冷えてた。砂って天然アイスボックスみたいなもんなんだ。準備、P-Stoneは常に準備を怠らなかったね。
Baileyが日本行きのミッションをまとめたんだ。あいつは北海道の「温度計(※温度計のような形状をしたセクション)」についての情報を持ってた。そこに行って「温度計」をスケートする、それがオレたちのメインの目的。その他すべては特典だった。Jakeはこの旅行にものすごく興奮してたね。この旅行はBailey、Luke、Diego、それにオレとJakeっていう構成で、この後たしか取り上げられたんだけどThrasher名義のクレジットカードを持ってた。かなり贅沢に過ごしてたよ。すごく良いホテルに泊まってた。ペントハウスのバーに行って飲んだりしたけど、Jakeは「なあ、あそこにサングラスしてるやつらがいるだろ?あれヤクザだぜ」なんて感じだったよ。
7. Washington Street
オレはWashington Street(※DIYスケートパーク)が、あの場所にどうして存在できてるのかさえ理解できてないよ。どうしてオレたちのプライベート・パークになったのかも分かってないし、保険についても完全に謎だし、どうやって未だに成り立ってるのか分かってないんだ。Chris Copeがあのパークで一番ヤバいスケーターなのは間違いない。あそこで滑ってる奴らの中じゃ、オレのリストではトップにいる。彼は隅々まであのパークを知り抜いてるんだ。さらに情熱を持って愛していて―オレは全部変えてしまいたいあのパークの何ひとつ変えたくないんだ。それも彼を大好きな理由だね。だけど、DIYスケートパークが年月を経たら変化が必要だし、進化していかなきゃいけないし、そうなるんだ。物事は変わっていくし、ただそれには時間がかかるんだ。
8. The Balance
オレがNikeから追い出されたのは家のローンの書類にサインした直後。ヘコんだよ、短い間だけどね。なぜって、「バランス」が機能したんだって知ってたからね。そこにはなにかバランスを保つ必要があったってこと。ギブ・アンド・テイクっていう均衡がとれた状態に戻っていくんだ。「うまくいかなかった。てことは、ある程度バランスを取らなきゃいけなかったんだな」ってオレは考える。物事はそういう見方をするべきだと思うな。オレはそういう風にしか見れないし、それ以外は単純にエネルギーの浪費だね。
9. Bucky's Bowl
Bucky(バッキ―・ラセック)のボウルがあった頃、滑りたいと思うのはあの場所だけだったよ。Buckyのボウル最高、以上。あそこはマジでお気に入りの場所だった。最高の2つの世界があった―「でかいトランジションと、どでかいボウル」というね。Darren(ダレン・ナヴァレッテ)とオレはすぐに、毎回あの場所を掃いておく必要があるって気づいた。目では見えないものがボウルの底に落ちてるんだ。あらゆる動物やらモノを引っ張り上げたよ。オレたちの間では「鷹が獲物の息の根を止めるために一度落下させて、それから急降下してそれを持ち去ってる」って説が有力だった。いつもその上空で鷹たちが急降下を繰り返していたからね。
10. Another Bridge
亡くなった友達の全員、それぞれの形でオレに影響を与えてるよ。たとえば、Grosso(ジェフ・グ��ッソ)は、あるエリアの人たちとオレを繋げる橋になってた。彼がいなければ、もうその橋はない。でも時が経っていくと、他の人たちとの橋や道、違うコネクションを見つけていくもんなんだ。それと同時に、JakeとP-Stoneがいないスケート・トリップは全然違うものになったね。けど、なんて言えばいいのかな、彼らと何年も―25年以上の楽しい時間を過ごしてきたんだ!それってかなりファッキン長い年数だけど、さらに追加することもできたんだ。だから考えちゃうよね。でもまあ、不思議なことだけど、ある人たちが去って行っても―他の人たちがその代わりになるわけじゃない―たぶん、その人たちはできた溝みたいなもの埋めていくんだね。たとえばJeff(ジェフ・グロッソ)が生きてた頃、Mike Lohrman(初期Black Labelのライダー)はスケー��してなかった、だけど今オレは彼と一緒に滑ってる。それってかなりクールだよね。違う橋とまた繋がったってことだから。
11. Skating with Neil
Neil(ニール・ブレンダー)とのスケートは、朝起きて一日を始めるのにナイスなやり方。なんでかっていうと、オレはいろいろやりたいけど良い感じのペースでやりたい。それと、Neilは朝方スケートする。だいたい9時から11時ぐらいの間、一緒に滑ってるよ。ほとんどの場合、まあ楽しもうって感じでね。カップのふたを見つけたらフリスビーみたいに投げて遊んでるみたいな、わかる?よく落ちてるものを見つけるんだ。(訳注:サン・ディエゴにある)OB(スケート・)パークは世界で最も衝突事故の起こるスケートパーク。ちなみに毎年3、4回は衝突事故が起こるね。計算してみてよ―あのパークは20年以上あるんだ。相当の数、自動車事故が起こってるってことになるよね。だから、あそこにはいつもなにか拾って投げたり遊んだりするものが転がってるんだ。
12. Frank Gerwer
Frank(Antiheroのライダー、フランク・ガーワー)とオレは間違いなく20年以上ツアー・バンの後部座席に一緒に座ってるよ。ともかくオレたちはお互いを楽しませる必要がある。ナンセンスなくだらないことばかり言ってるね。ナンセンスであればあるほど、面白い会話になるんだ。二人でちょっとした企画をやってて、さっと描いた絵から台詞を思いつくんだ。ある時は数日間、そのキャラクターになりきってるし、それが次のトリップまで続くこともある。時にはそのキャラクターが変形していくこともある。時々、運転手の顔を見上げてるFrankの気を紛らわす必要がある。彼の目に恐怖が宿ってるのを見ることがあるからね。Cardiel(ジョン・カーディエル)が運転してる時―彼は素晴らしいドライバーだけど、たまに後ろから見てるとさ…気を紛らわしてやる必要があるんだよね。
13. My Wife
歳は50で既婚者、家を持ってて二人にはナイスな住宅ローンがある。オレの奥さんはヨガ・インストラクターで、そのおかげで週に1回はヨガをやってる。今のところ週1ヨガ野郎だね。だけど楽しんでるよ。健康にものすごく役立ってる、うん。オレは単純にハッピーでいたいし、いまだに楽しめることを探してる。ただ楽しみを追求する、それがオレがやろうとしてきたことだよ。人生はあっという間に過ぎていくもの、だからあんまりシリアスになり過ぎない方がいいと思うよ♠
♠記事と関連した動画もお見逃しなく!
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最善の方法は、主な焦点領域から少し離れて、ギアを切り替えることです。 本当に助かります。 ただ、あまり遠くには行かないでください。 私の経験では、読書(特にフィクション)は効果があり、芸術(楽器の演奏、歌、絵を描くなど)は効果があり、身体活動(退屈なフィットネスではなく、むしろ旅行、ウォーキング、���イキング - それは少なくとも少し視点を変えることです)です。家族や友人と過ごす、あるいはお気に入りの映画やシリーズを再視聴するなど、最高で健康的な時間の 1 つです。 洗い流して繰り返します。 戻ってきたら、自分のやるべきことを行うために失われたエネルギーを取り戻すか、あるいは、もう喜びを感じられなくなったプロジェクトに最後の別れを告げる力を得るでしょう。
失われたモチベーションを取り戻すにはどうすればよいでしょうか? - 開発コミュニティ
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When spring arrives, it's fun to see nature change rapidly and become more and more colorful. Today, I chose a piece by to play that brings joy to the arrival of spring.
Chopin op28-1《Full version》 The birth of spring wakes up one after another. poem by me.
There is also an Agitato [rapid] instruction in this music.
The fine arts is my own image [I drew]. And I played the piano.
春が来ると、自然がめまぐるしく変化し、色づいていくのを見るのが楽しいです。 今日は春の訪れを喜ぶような曲を選びました。
「春の誕生が次々に目覚め・・・」 私による詩です。
ショパン 作品28-1 《フル》
今回も🎹演奏し、絵をイメージして描いていました。
この曲には「急速な」の指示もあります。 ©mizuki
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★Feeble Little Horse-2nd album “Girl with Fish” interview ★
2021年にペンシルベニアのピッツバーグで結成されたばかりのノイズロックバンド『Feeble Little Horse 』 1st Albumである『Hayday』を初めて聴いた時に衝撃を受けたのを覚えている。鋭さと柔らかさがギリギリをひしめき合う心地よさ。重たくノイジーなサウンドにボーカルの柔らかい歌声とポップなソングライティングのアプローチが彼らの音楽。
ピッツバーグで結成された彼らのルーツはこのシーンとは離れたところにある。
それはアメリカンシューゲイザーの新たな波の中心の場所ととなっているフィラデルフィアだ。They are gutting of water 、Full Body 2、などの枠に囚われない独自のスタイル、(形態、奏法)で新たなを切り開く音楽に感化されたFeeble Little Horse。
結成まもないにも関わらず、Big thiefの魅力を世界に広めたレーベル、Saddle Creek 契約し、前作以上に、仲間と共に音楽を作る喜びが反映されたこのア��バム、スリリングで予測不可能な楽曲が詰まっている。今回のインタビューでは音楽的なところ以外のメンバーのパーソナルな部分についても興味があり、質問したところ快く答えてくれた。
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★まず最初に、バンドFeeble Little Horseの始まりについて教えてください。
Lydia - バンドはコロナ禍の中で始まりました。私とセバスチャンがお互いのSoundCloudの曲のファンで、一緒に音楽を作りたい!となったところから始まりました。 最初のバージョンの「Dog Song」をiMessageで送り合い作成した後、私は中央ペンシルベニアの学校から戻り 、現実でミーティングをすることになりました。
ライアンとジェイクのアパートに行って、「Hayday」のほとんどを録音しました。ライアンがベースを私に売ってくれて、その夏の最初のショーのために私は曲を全て覚えました。
★音楽に目覚めたきっかけは?
Lydia - 9歳のときに、とてもクールな父が998曲入りのiPodを作ってくれて、幼い頃からインディーやパンクの音楽に夢中になりました。
Jake - 5歳の時に父が持っていたKISSのアルバムを見つけてからロックミュージックが好きになり、その頃からドラムを始めたんだ。
Ryan- 子供の頃の古い記憶は音楽と結びついている。
Seb- 父がトムペティのFree fallingをギターで弾くことを教えてくれたんだ。それが最初に弾いた曲で、8歳か9歳の頃だったと思う。
★ニューアルバムのコンセプト、制作、レコーディングについて教えてください。
Lydia- お互いに意見を出し合いながら、すべてのクリエイティブなプロセスを自分たちで行っています。それぞれのアイデアは、かなり広範囲にわたって洗練されたプロセスを経ていきます。
Seb- ほとんどが私の古いアパート(3228 parkview avenue Pittsburgh PA 15213)で、私のベッドルームかリビングルームで録音しました。曲を書きながらレコーディングするので、レコードで聴ける部分はたいてい初めて演奏されたものだ。
★あなたのバンドのビジュアルやアートワーク、コラージュが大好きです。
Lydia - 私はアートを作るのが大好きで、プロとしてやっていくつもりなので、私たちのためにアートを作るのはいつも理にかなっていることだと思います。
★あなた方のパーソナルなヒストリーについて教えてください。
Lydia - 私には姉が一人いて、母方の家族はイギリス出身、父はニューヨークの田舎出身です。祖父は英国国教会の主教で、父は英国国教会の司祭です。父はBMXやマウンテンバイクもやっていて、私の地下室で自転車店を経営しています。私は小さなキリスト教学校で育ち、バンド活動はそのような泡の外に出た最初の経験の一つです。
Ryan:ペンシルベニア州の炭鉱労働者の家系に生まれた。
Jake - ペンシルベニア州北東部の田舎町で育った。
★創作活動はどのようなものですか?
Lydia - 手元にあるものを使って、いろいろなものを楽しく混ぜ合わせるのが好きなの。言葉にするのは難しいけど、表現することでそれを明確にできる、私が作るものはそうでありたい。
Seb- ギター、ミディ、歌詞、ドラムの順。そして仕上げのタッチ
Ryan - すべての曲は、異なる創造的なプロセスを持っています。ある曲は、個人によって作られた曲のラフスケッチから始まり、他のものはより共同作業である。
★あなたの音楽的な影響を受けた人は誰ですか?
ryan - Women, Mary Lattimore, Four Tet, Alex G
jake- KISS, cherry glazerr, digable planets, green day, frankie and the witch fingers
lydia — brittle brian, diane cluck, horse jumper of love, babyxsosa
Seb- A Country Western,They are Gutting a Body of Water , pink panthress, sotb, helvetia
★周りのシーンについてどう感じていますか?他のバンドとの繋がりはあるのでしょうか?
ライアン - 私たちが住んでいるアメリカの地域の音楽シーンはとても活発で、良い音楽がたくさんあります。私たちは幸運にも、A Country Western、HotlineTNT、They are Gutting a Body of Waterなどの同業者から受け入れられ、励まされました。
Lydia - julia's warのあるフィラデルフィアのシーンは、私にとって常にホームのように感じられる。彼らは私たちの足元を固めてくれて、スタートするときにとても勇気づけられた。
Jake-ピッツバーグのシーンは僕にとって最も特別な場所だ。とても多くの種類のバンドがいて、この辺りのバンドはみんな他のバンドをとてもよくサポートしてくれる。
★日本のアーティストで聴いている人はいますか
jake- kikagaku moyo
lydia — 800 Cherries, CARTHIEFSCHOOL, Melt-Banana, Cornelius, Lily Chou-Chou
ryan - 青葉市子, toe, hiroshi yoshimura, les rallizes denudes
seb- hirono nishiyama & Kazumasa Hashimoto. あとDeerhoof も好きだけどこれもカウントしていいのかな
★今後の目標や夢は何ですか?
Jake- 国外でライブをすること、そしてもっと素晴らしい人たちに会うこと。
Lydia - 自分たちのベストを尽くすために、自分たちをプッシュし続けることです。
Ryan - メルトダウンを起こさないようにする。
Seb - 日本に行くこと
★日本ではあなたの音楽の魅力が話題となり、熱狂的なファンがたくさんいます。
jake- サポートに感謝しています。そして、皆さんのために何度かライブができることを望んでいます。
Lydia - あなたは誰よりもクールです。私の音楽を聴いてくれて、私もクールな気分にさせてくれてありがとう。
Ryan-私たちの音楽を聴いてくれてありがとう。私たちがアパートで作ったものが、世界中の皆さんの耳に届くなんて、信じられないことです。
Seb-日本のファンが大好きです!あなたは他の誰よりも素晴らしいです。
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