#溝口ゆうま
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(translation+lyrics) Nídhögg by OddAi
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This one reminds me a lot of Valkyrja which we covered a while ago, I'd say along which Tishtrya that makes the holy trinity for oddai, just insanely banger tracks which feel taken out of an epic boss battle.
While not as popular as Valkyries, Níðhöggr is the dragon in norse mythology which gnaws at the roots of Yggdrasil, an attempt against life itself, you could say it's a bit like Activision. However it also feeds on the dead people who have commited heinous crimes, which is very unlike gaming companies which only acquire very much alive and innocent companies to lay off their employees. Erradicating the souls and bodies of the wicked to turn them into sustenance for its own lifeforce, I guess it's impossible to really say whether Níðhöggr is actually bad or not.
Have a couple requests coming up but every day at work I'm like "I'll do it when I get home" and then I get home and don't even turn on my pc orz. Know that I heard you, I'm just unfortunately a bit busy. Lyrics down below the cut and see you next time, hopefully rather soon.
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Music : 溝口ゆうま
Vocal :大瀬良あい
Chi wo hau tami yo nani wo kate ni ikiru? Shikkoku ni odoru konton no yuragi Hizumu Nídhögg
Those who crawl the ground, what do you live for? Dancing in the darkness, swayed by chaos The corrupt Nídhögg
Kuchihateta seimei ga Asu he tsunageru setsuri Fukai fukai yami nomikomu subete Ne wo hamu kiba mushibamu Daremo shirazu ni
Life rots away Such is the providence that weaves the future The deep deep darkness engulfs everything Fangs gnawing at the roots, corroding away Unbeknownst to all
Kami no sai de yureru sekai Fumitsubushita hakoniwa An’nei wo saku konton no ishi Ooinaru nagare
A world at the mercy of dice rolled by the gods The garden is trampled For peace is cleaved by The Will of Chaos As it overwhelmingly flows through
Sono chi wo sasage yo kami naru ryuu no sugata Kongen wo kudaki shuuen wo tsugeru Hizamu Nídhögg Inori wo sasage yo subete wa arishi hajimari no hi he Kaikou wo nozomu shisutemu ni yudane Chi ni shi ni yuku
Offer up your blood to the shape of the godly dragon As it smashes our origins and brings forth demise The corrupt Nidhogg Offer up your prayers, all is for the sake of the day it will all begin Entrust yourself to the system that will bring forth the fateful reunion And perish on this very land
Aa sono sugata wa… Kono sekai no Apoptosis Chi wo hau tami saika ni yudane Mu to nare Ah… that shape is… The apoptosis of this world Those who crawl the ground surrendering to disaster Becoming one with nothingness itself
Umare kawaru tame…
For the sake of rebirth…
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CHOOSE A SONG
the winner will get jsab comic fanart drawn after it
the jsab comic belonging to each song is a secret so you guys should judge based on which song is ur fav lol
also ill be revealing which comic belongs to which song later on lol
SONGS:
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港まちアートブックフェア、今年も出品します!
新書である個展「SPACE」の記録冊子は初めての販売となります。
その他、「アインシュタインかの手紙」、「きらめきの結晶体/紡がれる物語」も出品いたします。
ぜひお手に取ってご覧ください。
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港まちアートブックフェア2024
「本」を中心にアーティストやデザイナー、出版者の作品や活動を紹介し、鑑賞者と出会う場を作ることを目的に名古屋の港まちで開催している「港まちアートブックフェア」を今年も開催します。
これまで港まちと関わりのある方々をはじめ、今回は140組以上が参加し、アーティストやデザイナー、出版社、レーベルなどが手がけたアーティストブック、作品集、ヴィジュアルブック、ZINEなどの本が一堂に集まります。
会場ではゆったりと本を楽しむことができる展覧会形式のブックフェアです。
「本」によってたくさんの表現や作品と出会うことのできる機会に、ぜひご来場ください。
2024年8月27日(火)–10月5日(土)
11:00–19:00(入場は閉館30分前まで)
会場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 3F:Exhibition Space
休館日|日曜・月曜・祝日
入場|無料
主催|港まちづくり協議会
出品者
ノブセノブヨ、つくじか出版、LOVERS'NAGOYA、よはく舎、夕書房、長島有里枝、artical inc.、K.Art Studio、本屋メガホン、平川祐樹、山下拓也、NEUTRAL COLORS、soda、迫 鉄平、蜜柑出版、KANA KAWANISHI ART OFFICE、佐藤李青、crevasse、寺脇扶美、Landschaft、これでいいんだ村、SeeSaw gallery + hibit・小野冬黄、若尾武幸、CLUB METROアーカイブ実行委員会、さとういもこ、Life Stories Project、paper company、EMI YOKOGOSHI、山をおりる、まるいわ書店、大福書林、hikita chisato、イシグロカツヤ、鈴木悠哉、Manila Books & Gift、Kana Kurata、ELVIS PRESS、小栗沙弥子、平松純一 平松絵里奈、田中瑞穂、anaguma 文庫、CAVE-AYUMI GALLERY、Type Slowly、吉岡千尋、madras、久常未智、村瀬ひより、谷澤陽佑、斉と公平太、秋吉風人、平尾 菫、Aokid + さとうかい、浄土複合、金 佳辰、土屋誠一(お蔵出し)、CYRO、今村 航/土屋小春、溝田尚子、いったーんプロジェクト編集部、新多正典、MOTEL、2ndLap、原田和馬、世界西垣感と伊藤健太、verse-paradox、小栢健太、上田 良、オル太、浅沼香織、momos(平出規人&今村 文)、平出規人、へいめん子、Yoshiki Fujiwara、365 wishes(神村泰代)、masayoshi suzuki gallery、のだはる、森田新聞社、小林真依、福田 柊、C-DOTS DESIGN PROJECT、The Liminal Voice、道音舎、C7C gallery and shop、坂田健一、komagoma press、oar press、彦坂敏昭、宮田明日鹿、lurie1969、早川美香、MYY Books(白澤真生、尾崎芳弘、荒木由香里のユニット)、Akane Yamazaki、this and that、ADHDじん編集部、リア制作室、ケルベロス・セオリー、千賀凱喜 | Kaiki Senga、くま書店、佐藤克久、タン・ルイ、片山 浩、PARADISE AIR、アートオブリスト実行委員会、mufubooks、霜山博也、between in between、名古屋芸術大学 文芸・ライティングコース、三村萌嘉、川崎光克、tunnel PRESS(天野入華・張 祐寿/psyain)、when press、デザイン・クリエイティブセンター神戸、Dog Ears Archive and Distribution、泉麻衣子・中島久美子、なかむら出版、Chizu Ogai research+design、山口由葉、のわ、服部浩之、詫���のり子、torch press、ウエヤマトモコ、細井章世、田本雅子、シバタリョウ、加納俊輔、北條知子、WEI-NI LU 陸 瑋妮+上田佳奈+六根由里香、Art Space & Cafe Barrack、川村格夫、ミヤギフトシ、山村國晶、川上幸之介、Sakumag+佐久間裕美子、Project Space hazi、Tiny Splendor、山口麻加、喫水線、蓮沼昌宏 ほか
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0330新宿南口デモ
新宿南口が混み合っていて、バスタ側に移動できる人は行ってくださいとなった。これは2/18のデモのときもそうで、甲州街道を挟んでコールしあうのがまるで「川から海まで」声を響かせるみたいな、とても鼓舞されるいい時間だった。
今日もそんな感じで促されたんだけど、昼間だったからかバスタ側では路上ライブをやっている人たちがいたんだよね(2グループいた)。邪魔しちゃ悪いかな。デモは声出しなしでもいけるかな…。なんとなく大きな声でやるのはちょっとためらわれた。その場にいた乃衣さんたちとちょっと話した。 そうしたらコールが始まり、たぶん先導してくれてる方はバスタ側でやってきますねと声をかけてきたのだろう。声出ししよう、盛り上げよう、そういった何か責任のようなものを感じていたかもしれない。2月もここにいたのかも。いい記憶や経��は再現したくなるよなあと思う。
どうしようと思ってちょっとライブの方に近づいてみて、マイクを使って歌っているからコールやってても歌声はお客さんに聴こえるようだったけど、まあやっぱり邪魔だろうなとは思った。デモの役割の一つとして街でノイズになるのはあるけど、いまここでライブを飲み込むくらい大きな声を出したら、この人たちは「パレスチナ」に悪感情を抱いてしまうのではないか。いまあなたがたの歌よりデモの方が「正しい」みたいな態度をやるのは苦しい。実際、コールが始まったらわかりやすくマイクの音量が上がった。もともとライブは2グループ並んでやっていたわけだけど、ライブ同士は許容できてもデモの喧しさはやはり別物なんだろう。
もし自分だったら邪魔されてると思うだろうか。わたしの小説も自ら発信しているもので、いわゆる路上的な表現ではある。メジャーではない表現をやる人たちを、おおぜい集まった大きな声で押しつぶしたくない。ただ、路上で音楽をやるのと小説を書いて同人誌を売るのはあんまり一緒にはしづらいよなとは思い(もしも文フリでデモやっても影響の度合いがぜんぜんちがう、本っていつ読んでもいいのでライブのような一回性の表現とは一緒にしづらい)、わたしはこの人たちのことをあんまり想像できていない気がして後ろめたい。これに限らずだけど人の気持ちを想像しようとするときわたしは細かいことが気にかかって、いつもうまく整理できない。 そして、迷惑だろうかとあまり心配するのも、わたしにはこの人たちを見くびるような気持ちがあるんじゃないかと考え込んだ。この人たちもパレスチナに連帯する気持ちはあるかもしれない。たまたま場所と時間が重なってしまっただけかもしれない。いまここで歌っているイコール無関心と言い切っていいのか。まあぜんぜん希望的観測ではあるけど…。
なんとか歩み寄れないだろうかと思った。歌の合間に2分くらい譲ってもらえたらいいのにな。なんだったらちょっとだけ一緒にコールしてくれたらいいのにな。お互いに邪魔だなと思って無視しあうのは溝を広げるだけじゃないのか。なんとか、ちょっとでも話せないかな…。 とはいえそんな交渉はできなくて、コールを先導している人たちに声をかけるのもなかなか勇気が出なかった。それで本当に根本的な解決ではないんだけど、わたしたちはルミネ側に場所を移った。難しいね…。 (そしてほんとにどうでもいいことなんだけど、わたし今日財布忘れて出かけてきちゃって…。現金を一円も持っておらず募金もできないという体たらくで、それでなんかこう気持ちが弱いのもあったかも。財布忘れたような奴が何言ってるんだみたいな)
デモで大きな声を出すときの高揚感みたいなものはまちがいなくある。ここのところマイクを持つ機会もあったから本当にそれは噛み締めている。高揚することで鼓舞されるものが確実にあり、だからこその危うさもある気がしていて悩む。何であれ「一色に染まる」みたいなものがわたしはとても怖い。 あるいはSNSの言葉でもそうで、さすがにそれはキャッチーすぎないかと足踏みするものがけっこうある。大意としては賛成なんだけどその語を用いるのはなあみたいな…。なんだけど、いろんな人が精いっぱい言葉を発しようとしていて、口が滑ったり言いすぎたり言い間違えたりするのはどうしたってあることだよな、なんかこう「ジャッジ」の目線になっていやしないか?と考え込む自分もいる。難しい。ほんとに難しい。浅草や北千住でマイクを持ってスピーチしたとき、わたしは本当にうまくしゃべれなかったけど、そういうことはみんなあるだろう。そしてわたしくらいたどたどしい人がスピーチすることでハードルを下げていけたらみたいな気持ちもあるし。ぐるぐる考え込んでいる。
それでいまやってる「五人の男」アンソロ(庄野潤三オマージュで父性、男性性を捉え直すアンソロ。5月文フリ東京刊行予定)で、まさとさんが書いてくださった論考を思い出した。
「面白がりと見下しの距離は近い。楽しさと不遜の距離も近い。」「だから、ていねいに自分の首を絞めたい。でも、それさえヒロイックに行いかねない。」 「自分もよくわからなくて仲間も「いいね」を示してくれないものに耳を傾けること。静かに不安感と憂うつを抱え続けて初めて変えられることがある。何も気にせずにすむというある種の特権(神谷、2022)から、まなざされることへと自らを曝露して嫌な気持ちになる。自分の酷さが心地悪くて辛い。そう感じることでしか始まらないものがある。」 「私の意図が・誤解が・相性がと言ってプレゼンテーション(説得・論破)するより、コミュニケーションしたい。話すために聴くより、聴くために話す。あるいは黙る。」
(「公的な別離へ──からかいへの男性性──」まさと(まなざしのフェミニズム)より)
まだほぼ情報出してないアンソロの原稿をいきなり引用してしまって本当に勝手にとても申し訳ないんだけど、考え続けたい、話し続けたい気持ちの背中を押してくれる文章で、ビリビリ痺れました。こういうアクションのこと、SNSのこと、それ以外でも、何かモヤモヤのある人にぜひ読んでもらいたいです。 (デモの日記から急にアンソロの話になって本当になんなんだって感じなんだけど、こういうことをまとめたzineも作りたいなと思っています〜)
今日お会いできた乃衣さん堀川夢さん万次ノ輔さんくくるさん山田パセリさんフィリフヨンカさん、たいへんお世話になりました。また何かお話できましたら幸いです…!
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山形だしぶっかけうどん
うどんはコンシールされて見えない仕様。
だしはナス、みょうが、きゅうり、おくらを刻んでめんつゆ、白だし、砂糖で和えて冷蔵庫で冷やす。
今日は出勤だったのだけど、御徒町から梶ヶ谷まで移動して放り出されてしまったので溝ノ口から南武線に乗るというのが稀有な体験をした。
もう本気で暑くて熱中症寸前で帰ってきたので、とにかく冷たいものしか受け付けないのである。
氷枕で寝よ。
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昨日、久しぶりにノクチ駅前のTSUTAYAに入ったら、年内一杯で閉店の貼り紙が貼ってありました。ちなみにここは頑張った方です。ググってみたら、まだ営業している店舗で一番近いお店は自由が丘店と出てくる。
遂に、来るべき日が来たな……、という感じですね。レンタル・ビデオ時代は、私の上京とほぼ同時に流行が始まりました。
当時は、溝ノ口だけで3軒か4軒、+高津駅のガード下にも一軒という状況でした。それがTSUTAYAに集約されたのがもう20年以上前のような気がします。
いずれにせよ、一つの時代が終わるんだな……、と感慨深いです。ただ、少し困るのは、何でもかんでも動画サイトで片付かないんですね。それが片付くのはFANZAだけw。
海外ドラマとか、結局、Huluや Netflix でも扱っていないドラマがあったりして、じゃあそれをDMMやぽすれんで借りられるのか? いやそっちは別の大事なものを借りたいしぃ……、で。
もう一つ困るのは、本と同じで、やっぱり店頭まで出かけないと、その存在を認知できない作品って一杯あるわけです。B級アクションやSFとか。そういう作品を知る場が無くなってしまう。
例えば昨夕、訪れた時に、「ドラキュラ デメテル号最期の航海」という作品が入っていて、全部借りられていた。あれは不思議なもので、全部貸し出し中だと、無性に見たくなるんですね。
所が、私はこの作品を全く知らなかった。店頭で認知しなければ、たぶん一生気付かないでし���う。帰宅してAmazonで検索したら、吹き替え版まで上がっている。レンタル400円。レビューの評価はあまり良くなくて、見たものかどうかちと迷っているのですが。そういう作品を知る機会が無くなるわけです。
オンライン・サイトって、本に関しても昔から言われたことですが、閲覧性が異様に悪いんですね。これが本棚なら、パッと見、百冊かそこいら認知できるのに、Amazonが推してくれる本なんてせいぜい十冊かそこいら。
われわれはもう去りゆく世代だから良いけれど、母親と子供が来て、見せたいアニメを借りることも出来なくなる。それは動画配信サービスで代替できるのだろうか? と疑問に感じています。
あと、店舗の後は何が入るのだろう。一階は時計屋が閉店した後、長いこと空き家だったけれど、今は居酒屋。上の階はカラオケだったけれど、あの一等地にまた居酒屋とか入るのだろうか。
本屋は行かなくなった。欲しい本はネットで買えるが、知らない本を見つけられるのがリアル本屋。
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この土地で、
『BL研究者によるジェンダー批評入門 言葉にならない「モヤモヤ」を言葉で語る「ワクワク」に変える、表象分析のレッスン』(溝口彰子著 笠間書院)を読んだ。 前半は対話形式で、「どんな部分」がモヤモヤするのか、それはどうしてか、というのが説明されており、後半にそのやりとりを反映させた批評文が収録されている。 この本に取り上げられているコンテンツで触れたことがあるのは「作りたい女と��べたい女」くらいだったけれど、作品に触れていなくてもわかりやすく書かれていてとてもよかった。
なかでも「his」という映画が印象的だった。 岐阜県の田舎(限界集落だろう)の山村に引っ越してひっそりと生活する迅。その家に、大学時代��恋人同士だった渚が子どもそらを連れてやってくる。大学時代に突如別れを告げた渚と、そら、三人での生活がはじまるが、離婚調停中の妻にそらが連れて行かれてしまう。 地方で生きるセクシャルマイノリティが、いかにその地域というコミュニティで生活していくか、という物語だ。 わたしは『浜辺の村でだれかと暮らせば』という小説を、二年ほどまえに書いた。ほとんど滅びているような地方で生きているわたしは、わたし自身の切実な問題として『浜辺の村でだれかと暮らせば』を書いたけれど、移住――「地元に都会(別の土地)からやってきた人といかに暮らすか」というのは、地方の人間にしてみれば大きな問題で、行政からの援助の手厚さが分断を生み、どうしても軋轢がうまれてしまう。その分断をいかにして乗り越えるか、ということをひとつの理想として描いたのが『浜辺の村でだれかと暮らせば』という小説だった。 本を読み終えてから、「his」を見た。 「his」も、「田舎の暮らし」のリアルを描いているかというと、幕一枚隔てたような感覚がある。それはこの物語も「こうあればいい」という理想の世界を書いている部分がそうさせているのだけれど、ここに書かれている関係が、どれだけ見る人を勇気づけるだろうかと胸が熱くなった。 地方(地元)で生きるのは難しい。それはきっと誰もが感じていることだ。私だって、「地元」で生活することが、過去と切り離されない自分を引きずって生きてゆくことの連続で、投げ出したくなる、やめたくなる。 だれもが都市で生きられるわけではない。地元で、そして地方で、生きていくしかないひとはたくさんいる。「his」は、違う土地からやってきて新しく人間関係を構築し、そこに溶けこんでいく……という物語だけど、LGBTQIA+が、「地方で生きていくこと」を勇気づけてくれる物語が存在していることにほっとした。 とくに移住という行動をする場合、「子連れ(夫婦)大歓迎!」「この土地で仕事を作ったり、都会から仕事を持ってきてくれる人大歓迎」という声がはっきりと聞こえてくる。 土地に有益な人、人口を増やす可能性があって、自分で仕事を作れる(税収をあげてくれる)ひと――そういうひとたちを求めがちだ。だけど「his」のふたりは、「子ども」をこの土地に増やさず(人生の選択として渚が選んだことである)、仕事も創出しない。それでも、「長生きせえ」と肯定されて、この土地の一員として受容されていく流れがとてもよかった。
私は今、生まれ育った「地元」で生き、これからも「生活していく」三人の物語を書いている。都市→地方、地方→都市、地方→地方、そんな移動によって自分を獲得する物語は、多く書かれていると思う。だけど、「地元」で生きつづけるひとの物語は、まだとても少ないように思う。 この物語を書こうと思ったのは、「地元」を脱出できず、過去を引きずらされたまま生きる人へ届けたいと思ったからだ。そして、「そんな人たちがいることを見過ごさないで」というメッセージでもある。 誰もが生まれ育った土地を、「去る」ことができるわけではない。息苦しく思っても、そこがどれだけ過酷でも、「そこで生きねばならない」ひとはたしかにいるのだ。 その人たちに、届きますようにと思って物語を書いている。
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サドンデス
Believability/第九話
冬
Sudden Death
Believability/Chapter Nine
Winter
Tsukasa: と、とにかく、気を取り直して。。。。。 現状を整理しましょうか、先輩方
Tsukasa: I.. in any case, let’s regroup…… Shall we put our current situation in order, Senpai?
Tsukasa: 我らが抱えた問題は、ふたつ
Tsukasa: We have two problems.
Tsukasa: ひとつは、先ほど “Crazy:B” の皆さんと話したとおりーー
Tsukasa: As I said a moment ago, one deals with everyone in “Crazy:B”.....
Ritsu: この関西地域が、紛争状態に陥ってるって話だよねぇ。ESアイドルと地元のアイドルの間で溝が深まってて、対立してお互いに潰しあってる
Ritsu: You could say that this Kansai Region has fallen into a state of conflict. ES idols and local idols are antagonizing and destroying each other and the gap between us is getting wider.
Tsukasa: ええ。痛ましいことです。夢ノ咲では決闘ばかりしていた我らの場合、どの口で言うーーという感じですが
Tsukasa: Yes. It’s heartbreaking. In our case we’ve only had duels at Yumenosaki…. Or what to say… Feels something like that.
Ritsu: でも。いくらそんな現状を見過ごせなくても、俺たちには紛争に介入する方法がない
Ritsu: But we don’t have the means to intervene in these conflicts no matter how much we can’t overlook the current state of affairs.
Tsukasa: はい。。。。。。 その、えぇっと、私からは言いつらいのですが
Tsukasa: Of course…… That… well, uhm… is difficult for me to say.
Arashi: というか、司ちゃん本人の口からは言えないわけだけど。アタシたち “Knights” は、"裏指令" によってライブ対決を禁じられてるわ
Arashi: Or rather, Tsukasa-chan isn’t able to say it from his own mouth but we “Knights” are prohibited from live showdowns due to our “hidden orders.”
Leo: あぁ、そっか。それぞれの "ユニット" のリーダーには、"指令" の他に "裏指令" が与えられてるんだったよな
Leo: Aah, I see. In addition to our “orders,” each “unit” leader was given “hidden orders” as well, right?
Ritsu: うん。あまけに、その "裏指令" の内容は言っちゃ駄目だしバレても駄目
Ritsu: Right. In addition, he’s not allowed to reveal the contents of those “hidden orders” and they’re not allowed to be leaked.
Leo: めんどくさっ
Leo: That sucks.
Leo: おれはもうリーダーじゃなくて良かった〜♪ 重たいだけの肩書きなんか要らんっ、煩わしいだけ!
Leo: I’m glad I’m not Leader anymore!~♪ I don’t need a title that carries that much weight. That’s just annoying!
Ritsu: とにかく。そんな "裏指令" のせいで、俺たちは俺たちの十八番である "デュエル" を封じられてる
Ritsu: Anyways, We’re forbidden from using our speciality*, “Duels,” because of such “hidden orders.”
Ritsu: 俺たちは "デュエル" に、つまりライブ対決に勝ちつづけることで成り上がってきたけど。今回は、その慣れ親しんだ戦法が使えない���てこと
Ritsu: We rose up in the world by winning “duels,” or, basically, live showdowns. This time, that strategy we knew and loved can’t be used.
Ritsu: それだけで、だいぶ面倒な話だよねぇ。。。。。。 気に食わないやつを "デュエル" で倒すのがいちばん手っ取り早いのに
Ritsu: That’s a huge drag by itself…… Especially considering that the quickest way to beat guys you can’t stand is with a “Duel.”
Arashi: あら、野蛮♪
Arashi: Ara, how savage! ♪
Ritsu: 。。。。。。問題なのは。この関西地域の現状を鑑みるに、そんな "裏指令" が俺たちにとっては致命的な足枷になるってこと
Ritsu: …… The problem is that, bearing in mind the current state of affairs in the Kansai region, those kinds of “hidden orders” will become fatal shackles on us.
Ritsu: 今、関西地域ではライブ対決が一種の流行(ブーム)になってる
Ritsu: Now, live showdowns are becoming a trend of some sort (a fad, basically) in the Kansai region.
Ritsu: 地元紙やネットで特集が組まれてるせいか、関西地域のファンも血気盛んなのか何なのかーーーけっこう注目してるみたい
Ritsu: Maybe it’s because the local newspapers and the internet are producing features about them, but I wonder if the fans in the Kansai region are also just hot-blooded. …. They seem to be paying close attention either way.
Ritsu: みんな、どの "ユニット" が対決に勝つかとか、��馬やプロレスみたい予想したりして盛り上がってる
Ritsu: “Guys, which “unit” will win the showdown?” Everyone is charged up making predictions like in horse racing and pro wrestling.
Ritsu: 紛争だ〜、ライブ対決だ〜、とか言っても実際に血が流れるわけでもないしねぇ。スポーツを観戦するみたいに、わりと無邪気に楽しんでる
Ritsu: “It’s conflict!~” “It’s a live showdown!~” But even when saying things like that, it doesn’t mean that blood will actually be spilled. They're enjoying something simple-minded like when watching sports.
Ritsu: そういう荒っぱいのは苦手、みたいなひとは他のもっとゆるい雰囲気の地域の予選会を見に行けばいいんだしね
Ritsu: That kind of crudeness is not my cup of tea. People like that should go see the preliminary rounds in other regions with a more lax atmosphere.
Ritsu: そのための補助金、旅費とかは申請すれば給付されるし
Ritsu: The subsidy states that travel expenses and the like will be reimbursed upon request.
Izumi: まぁ、俺たちアイドル以外はどの地域に移動しようが自由だしねぇ
Izumi: Well, excluding us idols, you have the freedom to move to whichever region you want.
Ritsu: うん。逆に噂を聞きつけて、血の��の多いファンが関西地域に集まってきてたりもするっぱい。関西地域では派手な戦いが見られるそ〜、って
Ritsu: Yeah. But I’m hearing rumors of the opposite that there are plenty of hot-blooded fans gathering in the Kansai region. “You can see flashy battles in the Kansai region!~,” is what they’re saying.
Arashi: ヤだわァ、みんな血の気が多すぎよねェ?
Arashi: No wayyy~. Everyone’s too hot-blooded, riight?~
Arashi: 。。。。。それもまた、どの口で言うのかって話だけど
Arashi: …… That depends on how you say it though.
Ritsu: 実際、"戦う集団" として名高い俺たち “Knights” の参戦は、ファンには強く望まれてるっぽいよ
Ritsu: Actually, taking part in this competition as “Knights,” who are famous as a “group who go to war,” seems to be strongly desired by fans.
Ritsu: とはいえ。俺たちはESビッグ3とか呼ばれてる強豪だし、特にESアイドルは “”Knights” と戦っても勝ち目がない" って思いこんでくれてる
Ritsu: Be that as it may, ES idols in particular are convinced that: “There is no chance of winning even if we wage war against “Knights”” since we’re part of the powerhouse referred to as the ES Big 3.
Leo: 眠れる獅子って感じだな〜。でも実際のところ、おれたちは逆にライブ対決には絶対に勝てない
Leo: I feel like a sleeping lion.~ But as a matter of fact, the opposite is true: we absolutely cannot win a live showdown.
Leo: ライブ対決を禁じる "裏指令" のせいで、勝負を挑まれた時点で負けたのと同じになるから
Leo: It’s the same as losing whenever we’re challenged to a match because of the “hidden orders” that prohibit live showdowns.
Tsukasa: ええ。仮に我らが "裏指令" を無視してLive対決をした場合、当然、普通に対決には勝利するでしょうけど
Tsukasa: Yes. For argument’s sake, in the case where we disregard the “hidden orders” and have live showdowns, naturally, we would win showdowns without any difficulty, however…
Tsukasa: その後、"裏指令" 違反として罰が与えられます
Tsukasa: After that, punishment will be given for violation of the “hidden orders.”
Izumi: ちなみに、興味なくてあんまり覚えてないけどさぁ? "指令" の場合は罰金が取られるらしいけど、"裏指令" の場合は違反するとどうなるんだっけ?
Izumi: By the way, I don’t really remember much because it’s not very interesting?? In the case of our “orders,” it seems that we’ll receive a penalty, but regarding “hidden orders,” what will happen if we break them?
Tsukasa: 。。。。。。 "裏指令" を与えられた人間によって異なるようですが、基本的に "とても大事なものが奪われる" ことになっているようです
Tsukasa: …… It appears to differ depending on the person who was given the “hidden orders.” Basically, it seems to be: “something incredibly precious is taken away.”
Tsukasa: 私の場合は、まぁ、えぇっと。。。。。。詳しくは明かせませんが
Tsukasa: In my case, well, uuhhm……. I can’t reveal that in detail.
Tsukasa: Live対決に勝利することで得られる報酬と、とても釣りあうようなものではない重たい罰が与えられるようです Tsukasa: It seems like rewards attained by winning Live Showdowns and the heavy punishments given are not at all proportional.
Tsukasa: (小声)。。。。。。それでも万が一の場合は、私は
Tsukasa: (Whispering) …… But still, if worse comes to worst in my case, I…
Izumi: 何? ぶつぶつ独り言しないでよねぇっ、意見があるならハッキリ言う!
Izumi: What? Don’t mutter to yourself! If you have an opinion, say it clearly!
Leo: まぁまぁ。。。。。。 "裏指令" も内容がバレたら罰が与えられるって話だし、スオ〜もそのへんは詳しく言えないんだろ。なぁ?
Leo: Now, now…… It says that punishment will be given if the contents of the “hidden orders” are exposed. Suo~ isn’t able to talk about them at length either. Right?
Tsukasa: はぁ。。。。。。 とにかく、そういうことですので、私たちは関西地域で流行しているLive対決が行えません Tsukasa: Haa……. Regardless, that’s why we can’t do the Live showdowns that are in vogue in the Kansai Region.
Leo: うん。自分から挑むのは論外だし、逆に余所の"ユニット" から勝負を挑まれるのもマズいんだよな
Leo: Yeah. It’s out of the question to challenge others ourselves. On the other hand, it’d be awful if we got challenged to a match by another “unit.”
Ritsu: そうそう。こっちは "裏指令" があるからライブ対決はできないんだけどーー対決を拒否した場合、手特ちの “SSL$” の半分を挑戦者に渡す義務がある
Ritsu: That’s right. We can’t have live showdowns because we have these “hidden orders.”--- We’d be obligated to give half of the unique “SSL$” to the challenger if we refused the showdown.
Ritsu: 不戦敗、ってことになるから
Ritsu: That means we lose by default.
*十八番: pronunciation: Ohako (meaning a box). Written as number 18 as an abbreviation for Kabuki Juuhachiban (歌舞伎十八番), or the 18 best kabuki plays. From the Ichikawa family of kabuki families who stored their scripts in a box.
#translations#sudden death#enstars#tsukasa suou#ritsu sakuma#arashi narukami#leo tsukinaga#izumi sena#sudden death believability chapter 9
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からし麺930円
◎ラーメン屋 麺一 溝口店
2023/05/31 21:00
*先日、大雄・南加瀬店で食べた「からし麺」が気になって派生店のココへ。かなり以前は大雄の支店だったが独立したとも聞く。メニュウ全般を眺めると、ラーショのようなネギラーメンが推しのよう。スープの味はしょうゆ・味噌・塩から選べるので、まずはしょうゆで。スープはショップ系などと同系列の関東とんこつで、オーソドックスなつくりだけど、ほどよい獣臭さもあってマヂメにとられたスープ。麺は大雄と同じ大橋製麺多摩で、西山とかの札幌ラーメンに似た黄色味と硬質なコシ、ちぢれが強い中太麺。肩ロースのチャーシューも見た目に反してふっくら炊けておりワカメの質もよい。メインの辛子味噌は大雄よりも辛味・にんにくがマイルド。ザクザク刻んだザーサイの食感がよい。辛子味噌をしょうゆスープに溶いていくと、とんこつでもなく味噌でもないぼんやりとした雰囲気になっていくので、スープは味噌ベースでもよかったのかな、などとカンジたり。
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今年の8月末日、短編小説と音源がセットになった『JAGUAR』というZINEを制作した。200冊限定ナンバリング入りで、現時点(10/13)での在庫が30冊程度となった。ところが4月にリリースした『ほんまのきもち』と違って、本作についての感想がほとんど聞こえてこない。もちろん直接口頭、あるいはソーシャルメディアのダイレクトメッセージで読後感を伝えて下さった方々は沢山いる。しかし書評と呼べるものは実はいまのところ皆無に等しい。批評することを躊躇わせる斥力のようなものが作品に内包されていたのかもしれないと密かに勘繰ってみたりした。虚しかった。そこで、である。敢えてこの場を借りて、稀有で貴重な『JAGUAR』評を紹介しようと思い立つ。当ブログへの転載を快諾してくれた評者の方々にはとても感謝している。ほんまにありがとう。早速おふたりの素晴らしいレビューを読んで頂きたいのだが、いましばらく当方の四方山話にお付き合い下さい。
まず最初に『JAGUAR』という物語がかれこれ10年以上も前に執筆していたものであるということを前提に、すでに読んで下さった方々には当時の僕の意識混濁っぷりが窺い知れる内容になっていると思う。ビルメンテナンス会社の営業職に就いて忙殺される日々、精神と肉体が泥のように疲弊していくなかで書き上げた小説。大袈裟でなく、このままでは生きるという行為を自ら手放してしまうのではないかという危うい精神状態だったが、幸運にも当時に知ることができた偉大な哲学者、思想家、精神科医たちの言葉に背中を押され、結果的に今日まで生きのびた。以下に引用した名著の言葉たちが『JAGUAR』と僕を根底から支え、励まし、作品を世に放つ機会を与えてくれた訳だ。特に大気を裂く稲妻のように強烈な『千のプラトー』は、書かれている内容がわかるわからないというスノッブな価値観を遥かに超越した位置から自分を叱咤激励してくれた。こんなにぶっ飛んだ内容の読み物は他にないし、未読の方は絶対、ぜぇぇったいに読んでほしい。
小説は、自分の名も、自分が探しているものも、していることも、すべて忘れ、記憶喪失、運動失調症、緊張症となった登場人物、なすすべを知らない登場人物の冒険によって定義されてきた。(中略)。宮廷愛小説の騎士のすることといえば、自分の名前、自分がしていること、人が自分に言ったことを忘れることであり、どこに行くのか、誰に話しているのかも知らずに、たえず絶対的脱領土化の線を引き、またたえず道を失って立ち止まりブラック・ホールに転落することである。『千のプラトー』ドゥルーズ+ガタリ著
各人は、他者の世界の中での一客体であるばかりではなく、自分の世界の中で自分の体験や構成や行為がそこから生じるところの、時空間における一つの場所でもある。人は自分自身の視点をもった自分自身の中心である。そしてわれわれが見つけたいと思っているのは、まさに、他人と共有する状況において各人がもつところのパースペクティヴである。『狂気と家族』R.D.レイン/A.エスターソン著
私にはひとつ、ことばを≪見る≫という病気がある。ある風変わりな欲動があり、それは、願望がまちがった対象に向かうという点で倒錯的な欲動なのだが、そのせいで、本来なら単に聴くべきものが、私には一種の≪ヴィジョン≫として現れるのだ。(中略)。言語活動に関して、私は自分が幻視者で、また、のぞき見の倒錯者であるような気がしている。『彼自身によるロラン・バルト』ロラン・バルト著
そして小説版『JAGUAR』と一蓮托生の身である特級呪物、音源版『JAGUAR』については、僕が最も敬愛する女性DJにその制作を依頼した。マルコムXの演説を逆再生させたところから始まるMIXは、いくつかの世界線が交錯と混濁を繰り返し、正気と狂気の狭間を湿気をたっぷり含んだ低空飛行でかいくぐり、やがてひとつの景観ヘと辿り着くまでの過程をコラージュを交えた手法でドキュメントした、とんでもない内容に��上がっている。揺るぎないベースライン、不意に降り注ぐ天啓となる言葉の数々、妖艶極まりない夜の気配、そして匂い。ぜひとも爆音で体験してほしい。以上のことをふまえて、OBATA LEO、moanyusky両名による書評をご覧下さい。
「JAGUAR」評① :評者OBATA LEO(ROLLER SKATE PARK作者)
土井政司の新作「JAGUAR」を読んだ。内容の理解云々以前にまず、地を這いずるような具体性の塊、描写に喰らった。自分が普段労せずざっくり物事を把握するための便利な道具として使っている言葉という同じものを使って、この作品はレンズのように細密にものを描き出す。ひとがきちんと見ずに済ませているような部分にまで光を当てる。そんな驚きもありつつ、やはり気になる。「JAGUAR」とは何なのか?
-「彼女は常に超越的な地位にあり、私たちとは隔たれた外部に位置している。そうであるにもかかわらず内部であるここにも存在しているのだからタチが悪い。絶えず外にいて内にあるもの、それがJAGUARだ。」最も端的にJAGUARについて書かれたこの部分を読んで、体内・体外の関係を想起した。普段「体内」と何気なく口にしているが、胃袋のように体には空洞がある。皮膚や粘膜などの体表に覆われて血液が流れている内部を体と呼ぶのだとしたら、その空洞は体に囲まれた「体外」ともいえて、私たちは体内に体外を抱えているという言い方もできるというわけで。それで繋がるのは、口腔内の歯の溝に落ちたタブレットを舌で触る場面である。「体内」でありながら自分では視認することのできない、舌で探るしかないその空間は確かに「体外」であるし、JAGUARもまた、己にとって内なるものでありながら断絶した他者でもあるような何かとして捉えられるのかもしれない。そんな線で読んでいくと、-「だが実際に私の目の前で何者かの手によって鍵の施錠は実行され、おまけに用心深くレバーハンドルを何度か動かしてしっかりと鍵がかかっていることを確認した。」という作品の終盤に出てくるこの部分で、文法的なエラーに感じる違和感は、そのまま私とJAGUARとの関係の違和感そのもののように思えてくる。得体の知れない何かに鍵をかけて、何食わぬ顔で電車に乗って仕事場へ行くなかでの体の軋み、のような何か。体といっても、いわゆる「(近代的な)身体」というキーワードで片付けるにはあまりに繊細な、大いにパーソナルな部分を含む体の感覚が、この作品にはあると思う。
出かけた「私」は、電車のなかで女性が着ている服のボーター柄の反転を目にするが、ここまで読み進めてくると、気持ちの良い幻惑に襲われはじめる。異常にディティールが詳しいのでそうと気づいていなかったが、やはりこのフィクションの中で起こる出来事たちは、出来事の形をとった何か夢やイメージのようなものだったのではないか。そして冒頭のリフレインまで突き当たると、この作品は初めから何についての話だったのだろうかと、今までひとつひとつ理解しながら読んできたはずの物語が全く違う相貌を携えているように見えてくる。そんなぐにゃんとした気持ちになるのは、良い小説を読む醍醐味のひとつだ。
「JAGUAR」評②:評者 moanyusky(音楽レーベルprivacy主催)
当たり前の様に無造作にある事で、それを見るか見ないか、それだけのことだと思います。土井政司の最新作「JAGUAR」を読みました。ここではJAGUARとなっていますが、人によってそれの名称は変わると思っています。よくわからぬ相手との対話や闘いがあるかどうかというところが、この作品の感じ方が分かれるところだと思っていて、私はどちらかといえば、その相手に困らされた事があったので、この作品を読んで、え!土井さんもやったんやとびっくりしました笑。ここは勘違いして欲しく無いところなのですが、人それぞれという言葉があるようにそれは一緒ではないのですが、構造はかなり近いと言ったような事でした説明がつかないわけですね。私は人の「想像」は人を殺しにかかるような死神として、隙があれば、それは現れるわけです。世の中ではアートであったり、想像力は良いように言われていますが、全くもってそれは何かが隠されているわけで、私は良かった試しが無いわけです。出来れば普通のルートで現代社会を楽しみたかったです。でも多分知っていくという事はそういう事なのかもしれない。想像力に悩まされてきた身としては、この作品は、別の場所で、それと闘って、きっちり答えが出ているというところ、しかも、10数年前の作品という事で、私は土井さんに出会って、色々な対話を交わして、初めて彼の濃厚な苦悩との生活に出会う事となったわけです。各人の時間軸が理解の範疇を超えて、重なり合って手を取ったのだと思っています。その時に置いてきぼりになってしまう、その真ん中で産まれゆく、刻まれた何かがずっとどこかで成長していたら、人は正気を保てるだろうかと思ってしまいます。誰かが入ったであろう、部屋のノブをあなたは回せるかどうか。私はそれには名前をつけなかったが、もう二度と会いたくないですし、いつまた来るのだろうと、恐れを感じます。彼は人が地面を無くした時に現れるように思います。浮遊した瞬間、命をもぎ取ろうとする。
でもそれはオカルト的なアレとか、スピリチュアル的なアレなんてものではないのですね。確実に自分、自分を構成する設計図の謎のようにも思え、それが薄らぐために生活をやり、音楽をやり、愛し合い、話し合い、何かを育てるのだと思います。現実社会で経験した摩擦は地面をはっきりさせ、そいつのいる世界から距離が出て、薄めてくれるように思うわけです。だからこそ。JAGUARの言葉を借りれば「痛みと不安から自分自身を取り返し、その自分に立ち止まるために語りを紡ぎ出す」。が救いの言葉となっているように思います。2部構成で出来上がる、この作品のバランス感覚は、人と創作の関係性をSFとして描いているように感じます。同じ場所にて語る事は嫌がられるかもしれませんが、私が映画を観に行った時に続々と子供たちが外へ出て行った宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」を出したタイミングと、土井政司がこれはいけると思ったタイミングで出されたJAGUAR。それは何もかもを抜きにして考えると、世の中の人たちに対して彼らは同じことを思っているのだと思います。今それを出さなければならなかった。その「灯り」の意味を考えなければならないのです。
〆はもちろんこの曲で!
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(translation+lyrics) Tishtrya-GØDEES SΛVE THE AFTERGLOW- by Apo11o program vs. Yuma.Mizo ft. Ai Ohsera
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Well I did Nidhogg so I might as well do this one too and complete the trinity. While Nidhogg is from the game Deemo, this one seems to be from Deemo II. Maybe I ought to play one of those because damn, that soundtrack is fire, this is genuinely one of my top listened songs for 2023. Lyrics down below the cut and see you all next time.
Composer:Apo11o program vs.Yuma.Mizo ft.Ai Ohsera
Vocals:大瀬良あい
Yami wo terase rairakunaru kousei yo kono negahi wo Reimei he sasage yo hikari are koe wa sazanami ni kieru
Brighten up the darkness and grant this wish, oh unyielding star Offer starlight to this dawn as our voices fade into ripples
Kibou ni sugaru efemera no hitori to daremo shirazu Nagashita namida wo tane ni maki fubuku toki wo machitsutsuke
Ephemeral is the hope people cling on to, unbeknownst to them These flowing tears shall serve as the seed of the time we await
Kono hanzon no kate ni moyuru kibou Hesaki ni hana sono ashimoto ni aru
The Will of Humanity keeps our hope fired up Beyond the edges of our blades, flowers shall bloom beneath
Dan’ei->kaikou->sentei->orokanaru Shinkou->aizou->guuzou->Tishtrya
Eternity>Reunion->Choices->Foolishness Faith>Love and hatred->Idolatry->Tishtrya
Hiraki yo, ta ga tame hi wa noboru? Nehan no sono minamo he tsudoishi hito no gumou yue ni Sono me ni mienu yoru no tsuki
Tracing on, for whom does the sun rise? It is people’s foolishness that keeps us from Nirvana Can those eyes not see the moon at night?
Amaneku jishou no chihei he to tami wa akaki michi ni Kasane yo, ta ga tame hi wa noboru? Tou no itadaki wa doko he—
Plentiful is the horizon as people walk the crimson path towards it Greatness, for whom does the sun rise? Where could the crown of this sunlight lead us to?
#apo11o program#yuma mizo#ai ohsera#溝口ゆうま#大瀬良あい#posting THREE days in a row? superheads we are so back#watch me not post anything for a year now lol#Youtube
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最近排水溝詰まった人〜 詰まりの原因で意外と多いのが「マウスウォッシュ」 コレ意外と知らない人が多いです タンパク質を分解する性質があるが故お口はキレイになるのですが、パイプの中ではジェル状になって詰まるのです。 やった後には多めの水を流すのを常日頃意識しましょう〜(ゆき)
Xユーザーのみんなのハンズさん🈐さん
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TEDにて
デイヴィッド・エプスタイン: アスリート達は本当により速く、強くなっているのだろうか?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
過去、数十年のスポーツでの競技実績を見てみると、まるで、人間のあらゆる運動能力が進化して来たかのような印象を受けます。
デイヴィッド・エプスタインは、この爽快で反直感的なトークで、私達が、過剰な自画自賛を思いとどまってより一層、謙虚になるべき理由を指摘します。
テクノロジーや脳科学などの裏ずけによるメンタル面のメカニズムの解明、競技場のインフラ分野のテクノロジーの整備の充実など、様々な要因が多重に重なり新記録に貢献して来ました。
人間に本来備わる能力の発達や進化は、そのほんの一部なのです。むしろ、退化している可能性があるかもしれません。
オリンピックのモットーは 「キティウス、アルティウス、フォルティウス」「より速く、より高く、より強く」です。スポーツ選手たちは、このモットーを急速に実現して来ました。
2012年。オリンピックマラソンの勝者は、2時間8分で走り終え、1904年オリンピックマラソンの勝者ともし競争したなら、1時間半近くの大差をつけて ゴールしていたでしょう。
私達は、皆こう感じています。人類は、容赦ないまでに確実に進化し続けている。しかし、この1世紀で人類が新しい種へと進化したわけではありません。では、何が起こっているのでしょう?
スポーツ記録の絶え間ない向上の裏��を見てみたいと思います。1936年。ジェシー・オーエンスは、100メートル走で世界記録を手にしました。もし、ジェシー・オーエンスが
去年。100メートル走世界選手権に出場したならゴールするジャマイカ人スプリンター、ウサイン・ボルトの4メートル後ろをオーエンスは、まだ走っていたでしょう。スプリンターにとっては大きな開きです。
ウサイン・ボルトは、スターティングブロックから蹴り出し、走者が人類に可能な限り速く走る事ができるように特別に作られた敷物の上を走りましたが、 一方、ジェシー・オーエンスは
コークスを敷き詰めたシンダートラック上を走り、そのソフトな表面は遥かに多くのエネルギーを脚から吸収してしまいました。
更に、オーエンスは、スターティングブロックの代わりにスタートラインに穴を掘るのに園芸スコップを使いました。オーエンスの関節が動く速度を生体力学的に分析すると
ボルトが走った時と同じ舗装上を走っていれば、4メートル27センチではなく、わずか一歩の差でボルトの直後を走っていたことになります。
明らかに、選手たちは、能力向上薬物についても知識を深め、それはある種の競技で時折、効果を表しましたが、テクノロジーの進歩は、全ての競技で違いを生み出しました。
より速く。滑るスキーやより軽いシューズなどです。100メートル自由型競泳の記録を見てみましょう。タイムは常に短縮され続けていますが、ところどころ突然、大きく記録が向上しています。
最初の劇的な記録の向上は、1956年に導入されたフリップターンが要因です。一旦、止まってから方向転換する代わりに選手は水中でとんぼ返りし、即座に逆方向へ向きを変え泳ぎ出します。
2番目の飛躍は、プールサイドの排水溝の導入が理由です。それにより水が捌け、競泳中の選手の動きを妨げる水流が起こらなくなりました。
最後の飛躍には、全身を覆う低摩擦抵抗性の競泳水着の導入が貢献しています。スポーツの歴史を通してテクノロジーは、パフォーマンスの流れを変えて来ました。
でも、テクノロジーだけが選手たちの後押しをしているわけではありません。確かに、私たちは1世紀で新人類に進化したのではありませんが、スポーツ競技における遺伝子プールは確実に変化しました。
20世紀前半。体育教師やコーチたちは、平均的な体型が全ての運動競技において理想的だという考えを持っていました。
どのような競技であれ、中肉中背が良いとされ、これは選手たちの体つきにも表れていました。1920年代。平均的に優秀な走り高跳び選手と平均的に優秀な砲丸投げ選手は全く同じ体格をしていました。
しかし、平均的な体躯よりもそれぞれの競技ニッチに適した高度に専門化された体躯が好ましいとスポーツ科学者やコーチたちが気付き、古い考えが衰退し始めると一種の人工的な選別が起こり始め
競技ごとに最適な体つきが自然と選別され始め、スポーツ選手の体型は次第に多様化して行ったのです。
バスケットボール等。高身長が好まれるスポーツでは、背の高い選手は更に背が高くなりました。水球選手の腕全体に対する前腕の平均的な長さは、より力強くバネの利いた投球の為に更に長くなりました。
大きな選手はより大きく、小さな選手はより小さく、特徴はより極端に強調され、水泳選手の理想的な体格は長い胴と短い脚です。
水上を速く進むことのできるカヌーの長い船体のように、その逆の体つきは走る事に適しています。長い脚と短い胴。今日のアスリートたちの体格に見られる傾向です。
また、私達がケニヤ人を偉大なマラソン走者と見ているように、ケニアではカレンジン族が優れたマラソン走者だと見られています。
カレンジン族は、ケニアの人口の12%に過ぎませんが、世界の優秀な走者の大多数は彼らです。一般的に、特徴ある体つきでとても長く、極めて細い脚を しています。
これは彼らの祖先が、とても緯度の低いとても暑く、乾燥した気候に住んでいたので、そこに適応するように進化した結果が、非常に長く末端に向かって細い四肢で体を冷やし易いように なっているのです。
ラジエーターに長いコイルが、あるのも同じ原理で体積に比べて表面積を増やし、熱を逃がしています。脚は振り子のようなものなので、末端の下肢が細く長いほどスイング時のエネルギー効率が 良いのです。
このように、進化するテクノロジー。進化する遺伝子。そして、進化するマインドセット。スポーツにおける技術革新。それが、新しいトラック素材。そして、スポーツの民主化。
または、新しい泳法技術であれ。新たな体格の伝播。世界中の人々が新たに参加すること。スポーツにおける想像力。真に人体に可能なことの理解。
これら全ての要素のおかげで選手たちは、より強く、速く、大胆にと向上してきたのです。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール���との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
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エピソード1Episode1 - オリンピックとパワー(Olympics and Power)について(パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学 - Amazon)
<提供>
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新刊『光や風にさえ』試読
プロローグ アサイラムにて
おぼえているかしら、ねえさん、裏庭にあったブランコのこと。古びたユーカリの木の枝からぶら下がっていた。嵐の晩にどこかへ飛ばされてしまって、どんなに探してもみつからずに、枯れ葉の下で朽ちて、土に還っていった。 妹の声がよみがえってきたのは、シャワールームにいるときのこと、わたしはバスタブに寄りかかってシャワーの水があたたまるのを待っていた。給湯器の調子が悪くて、適温になるまで何分もかかったから。わたしは両足を開いて床に座り、陰部にできたしこりをいじっている。クリトリスを挟むようにできたしこりは痛みこそないけれど、時間をかけ、ゆっくり成長している。 妹とは夕方に十五分くらいビデオ通話で話した。電話代だってばかにならないのに、水曜日になるとかならずかかってくる、儀式めいたもの。でも、このところの彼女は、どうにも歯切れが悪く、あたりさわりのない話題ばかり選んでいるようだ。衛星がぐるぐる回るように、迂遠な語りばかり重ねている。だからふたりの会話はいつも迷走して、着地点を見失って終わる。頻繁に話しているわりには印象に残りづらい、無意味な語りかけは、けれどもトゲのようにわたしの胸に刺さった。 かつて家族で暮らした一軒家には、たしかにユーカリの木があった。赤土にどっしり根を張り、枝という枝からボロ布のようにウスネオイデスをぶらさげていた。けれども、その枝にブランコをぶらさげたことは一度もなかったと記憶している。妹と一緒に暮らす両親すらおぼえていないと言うのなら、もうたしかめようのないことだ。火の不始末で、わたしたちの生家は祖母ごと燃えてなくなってしまったことだし。 でも、たしかめようがないからこそ、おぼえているかしら、と妹は語りかけてきたのかもしれない。記憶という本来わかちがたいものを共有したいと思い、願ったから。不幸にもその記憶はだれにも受けとめられず、宙に浮いてしまった。蓋然性を失し、空想の、あたかも物語であるかのような語りに変質していった。ただ生きているだけの、とるにたらない人間の記憶の正誤など、いちいち検証してはいられない。記憶を共有する誰かが、たしからしいと証明しないかぎりは。だから、記憶を共有できないというのは、物語と区別がつかなくなることに近しいのではないか、とわたしは思う。 眩暈が波のように押し寄せてくる。貧血からくるそれを床に伏せてじっとやり過ごす。気を取り直して、シャワーが適温になったことを手のひらでたしかめた。 バスタブに入り、半身に湯水を浴びて、肉体の痛みがどこか遠い場所に去ってくれることを期待する。湯気にかすむ天井をぼんやりながめていると、ふと、半年くらい前におなじ体験をしたのだ、ということに思い至った。あのときの彼女も、わたしに対してこのように語りかけた。Tal vez te acuerdes(おぼえているかしら)、と。耳朶に直接吹きつけられたかのように、息づかいや吐息の熱とともに、なまなましくよみがえるその声。 泡沫のように予期せず浮かび上がってきた記憶が、異なる記憶と共鳴し合い、痛みからの逃避を求めるわたしをその渦に飲みこんでいく。 ――きっかけはロドリゴだった。半年ほど前だったか、彼から電話がかかってきて、たまたまそれを受けた。テニュア審査に落ちた彼が市内の別の大学に転籍するのと、わたしが自分の研究室を閉めたのはほぼ同時期で、以来、一年半にわたって彼からの連絡を無視していた。だからわたし電話口に出ると、彼はとてもびっくりした。 彼は興奮ぎみに近況を話し、非常勤講師としてなんとか食いつないでいると言った。わたしはすでに大学を退職していたけれど、自分からは話さなかった。用件はこうだ――調査に同行してくれる日本語通訳者をさがしている。 たしかにわたしは日系三世で、日系移民の帰国事業を見越して親も桂(ケイ)なんていう日本的な名前をつけ、日本語の教育を受けさせた。でも、第一言語は彼とおなじスペイン語で、妹ほど流暢にはしゃべれない。正直にそう話すと、いいから、とロドリゴは言った。実は、日系移民の女性に会いに行くんだ。貴重な一世さ。スペイン語が通じなかったとき、ちょっと手助けしてくれるだけでも――本音をいうと、きみに会えるかもしれない、ってのがうれしくてたまらないんだ。ロドリゴの声は弾んで、涙まじりだった。すこし前だったら、不愉快になっていたかもしれない。あなたが想像したり、ときに期待したりするほど、あっというまに死ぬわけじゃないんだと嫌味を言っていたかもしれない。でも、電話に出る気になったのと同じ理由で、わたしは柄にもなく浮かれていた。病気が寛解し、経過観察になったから。血流に放たれたエクソソームが臓器を耕し、いずれはまた悪いものの芽を生やすとしても、たとえいっときでも心身をどろどろにする化学療法から離れられた。 ロドリゴは以前とかわらず、『トラタミエント』と呼ばれる処置を受けた臓器提供者たちの追跡調査を続けていると話した。くだんの日系移民の女性もそのひとりだった。長く非合法の臓器提供者として生計を立て、その最後の段階として、いまは心臓の提供先を探しているという。わたしの祖母と世代が近く、長く市内のアサイラムで暮らしているとの話で、どこかで祖母とかかわりがあったかも、と考えたことをおぼえている。昔からここに住んでいる日系人はめずらしかったので。 約束をとりつけて、数日後には彼女のもとに足を運んだ。彼女の暮らすアサイラムまでは、最寄りのバス停からけっこう距離があって、何度も階段路地をのぼったりおりたりするはめになった。歩きながら、ロドリゴは飼っているデグーの話をした。わたしは適当に相づちを打ちながら、どうしてこのあたりはこんなに臭いんだろうと考えていた。アサイラムは移民街のなかほどに位置していたが、腐った歯のようにバラックが密集して、有機物の発酵しゆく臭いが充満していた。 さんざ迷った末に目的地に到着し、受付にいたアサイラムのスタッフに彼女の所在をたずねると、あのひとならいつも中庭よ、と言われた。日陰で根を生やして、じっとしているはずよ。案内された中庭は狭く、きたならしかった。年老いた女性が地面を転がりながら煤けた肌をかきむしっていた。なにをそんなに恐れているのか、ずっと声を震わせながら怒鳴っている男性も��た。でも、大抵のひとは、死んだように目を閉じて、その場でじっとしていた。コントロールしやすいように毎日多量の鎮静剤を与えて、市街からかき集めてきた浮浪者や精神異常者を押しこめているから。公的給付金を得るためだけに運営される福祉施設のひとつ。 狭い中庭をロドリゴは歩き、すぐひとりの女性に目をつけた。大柄な彼の影にすっぽり収まってしまうくらい小柄な女性で、膝を抱えて座りながら、じっと地面の一点をみつめていた。 ――なにをみているんですか? 地面に膝をつき、ロドリゴが問いかけるが、女性はひび割れたタイルを凝視するだけで答えない。まばたきをしないので、眼球がすっかり乾いて、充血していた。目許には脂(やに)が溜まって複雑な地層をなしていたことをおぼえている。 ロドリゴがしばらく無意味な呼びかけを続けていると、屋内からスタッフが出てきて、備えつけのホースで水をまきはじめた。ロドリゴがさっと立ち上がる。彼女の隣には排水溝があって、地面の傾斜に従って水���そこに流れていった――でも、彼女はくるぶしまで水に浸かっても平然としていた。みじろぎひとつせず、修行僧のようにじっと座り続けている。 事前に渡された診断書には、彼女が多数の臓器を喪失している事実とともに、認知能力が極端に低下していることが記載されていた。くずれゆく脳では記憶が更新されず、判断力と遂行力も消失する。外界からの刺激に鈍くなっていた。 スタッフがおもむろに歩み寄ってくる。水の通りが悪くなったのか、排水溝に引っかかるものをつかんで放る。 放り投げられたものは、偶然、彼女の目先に落ちた。 すると、はだしの指の先が、ぴくりと動いた。 彼女はまぶしそうに片目をすがめると、ささやくようにこう言った。 ――あれは蘭。アングロアの根。 何年ぶりかに話したかのように、声はかすれている。 ロドリゴはかすかに身じろぎし、前のめりになると自然と傾聴の姿勢をとった。彼女はスペイン語を話しはしたがひどくなまっていたので、正確に聴き取るためには用心深く耳を澄まさねばならなかった。 ――もともとは寒いところの花……だから、低地で育てると夏越えができなかった。毎年そうだった。 それだけ言うと、また押し黙ってしまう。 ――蘭を育てたことがあるのですね。私の実家の裏庭にも、原種の蘭がたくさん咲いていましたよ。 彼女の目線の先にあるものは、たしかに植物の根のようにもみえた。腐ってカビが密集し、もとが何だったのかは判別がつかなかったけれど。 ――私の家の庭には、アロエやベゴニアがあって……それから。 意外にもしっかり会話がつながったことにおどろいていると、彼女はゆっくり顔を上げ、相手と目を合わそうとすることさえ試みた。 でも、視線の先にいたのは話しかけたロドリゴではなく、どうしてかわたしった――彼女は表情らしき表情を浮かべていた。不自然に顔をしかめるだけだったが、驚愕ともとれた。 ――おぼえているかしら? 口の端にほほ笑みをにじませ、彼女は語りかけた。分かちがたく、不可侵の記憶の一片を、わたしが受けってくれることを願いながら。 ――わたしの庭に蘭があったこと、おぼえているかしら、アングロアの、赤ん坊の花。 あとになってわたしは思う。もしかしたら、あの瞬間、彼女はみずからをとりまいていた深い暗闇をぬけだして、くずれゆく自己をほんの一片でもつかみとったのかもしれないと。 この不可解なできごとを前に、ひとつ思い出すものがある。 いつかSNSで拡散されていた、ある動画のこと。再生をはじめると、どこかの高級な養老院とおぼしき明るいホールが映る。そこでは老人たちが談笑しており、カメラのレンズはそのなかのひとり、車椅子に座った老女に近づいていく。赤子のように無垢な目で虚空を眺めていた老女は、ホールに音楽が鳴り出すやいなや、不自由な上半身を繰って、何とも生き生きと踊りはじめる。見間違いようもなく、アルゼンチン・タンゴのふりつけで。タンゴは足さばきに目がいきがちだが、軸が置かれるのは上半身だ。上半身の動きがあってこそ、複雑なステップが生まれる。だからこそ老女が上半身をよじり、そらすだけで、タンゴという共通言語をもつ者の目には自然と優雅な足どりが浮かぶ――動画の最後には、老女がかつて一世を風靡したアルゼンチン・タンゴのスターであり、現在は深刻な認知症で自分の名前すら思い出せない旨が記される。奇跡の数分間。でも、そのうつくしい再現はけっして奇跡の賜物ではないことをわたしは知っている。単に彼女が長い時間をかけて軟骨をすり減らしながら、必死にタンゴのリズムを身体に記憶させたという証左でしかない。身体記憶は、自我や認知とは異なる場所に保管されるものだから。ゆえに自分の名前を忘れても、タンゴは忘れないという不可解な状況も成立する。 だから、彼女はあの腐った根をみて、土をいじる感触、花と緑葉の香りを想起したんじゃないだろうかとわたしは想像する。身体記憶をきっかけに、ほどかけかた自己が偶然にも結び直されて、泥河に沈んでいた物語に光が当てられたのではないかと。 そうでなければ、説明できないとも思う。 ――だいじょうぶ、ちゃんとやるわ、私。あなたのためなら、心臓をあげたってかまわない。約束したものね。 ――約束って? ロドリゴの質問に、彼女は穏やかに話した。 ――仏さまに近づけるって、あなたが言ったんじゃない、マヤ。 ――マヤって? ――私の娘。そうでしょう? わたしはとっさにかぶりを振る。 すると彼女は語りはじめた。 真偽不明で信憑性に欠けた、一編の長い物語について。
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「イサド住み」について、あとがきのようなもの
■本作はトランス男性のボーイズラブです。と、そのように小説を紹介するとき、少し勇気がいるような気がしています。わたし自身が何者であるのか、わたしのジェンダーアイデンティティはどういうものなのか、詳細に語らずにこの作品を発表するのは不誠実ではないのか……みたいなことを悩んでいる。あれっおかわだって何かあるんだっけと思った方もいるかもですが言いたくないことは言わないに決まってんじゃん、インターネット上でもリアルでも……。
このあたりの話はすごく微妙で、こういうものですと表明すること……ようするにカミングアウトは、言いたい人が言う、打ち明けたい人が打ち明けるものであって、ぜったいみんながやんなきゃいけないわけではないと思っています。
で、そういったことへの自分の態度もさだまっていなくて……。「言いたい人だけが言えばいいことなので全員があえて表明する必要はありません」と繰り返し発話することによって誰かの口をふさいじゃわないだろうかという恐れがあります。そして、発話は自分自身にも返ってくる。言わなくていいのだと繰り返し言うことですでに打ち明けている人たちとの溝をつくってしまうみたいな……なんか自分で自分に暗示をかけちゃうんじゃないか……?っていう。逆の立場でもそう。自分は打ち明けました、こういう理由で打ち明けましたとはっきり表明したとたんに、黙っている人たちのことが急に遠く、もしかしたら古びた考えのように見えてしまう。つい先日も、「ハートストッパー」の出演者がカムアウトを強いられてしまった出来事がありましたが、あまり安易にこうですと言うのは危ういよなあと思っています。
(ハートストッパーの件については、バイフォビアやバイセクシャルの存在の見えにくさということもあると思っています。これ何かの折に自分なりにでも語りたいんですが難しいね……。以前「バイ・ミー」という短い話を書いたときに(金継ぎアンソロジーを書いた時なので2018年か、けっこう前だな)、ほんとはもうちょっと、そういうことも言いたかった。作品というよりは作品の外で言及したかったんだけど、勇気がなかったですね)
何か表現するにあたり、自分は何者であるのか、必ずしも表明しないといけないわけではないと思うんですが、自分のことになると、なんだかずるをしているような気がしてしまう。気にしすぎかもなんだけど。
各人がそれぞれよく考えればいいじゃないかというのはそれはそうなんですが、そんなことはわかっている。わかっていて葛藤している。そこに「各人がそれぞれよく考えればいい」と断ずるような、あまりにさっぱりした物言いを繰り返されると、なんか怖いなあと思う。理屈や原理原則をなぞっているだけに見え、それぞれの葛藤を見ていないように思う。冷淡だし幼い。いやまあ、自らを奮い立たせているのかもとも思うんだけどね……。
じゃあどうすればいいのか? 誰とも関わらずにずっと沈黙している方が、結局は傷つかないし得なのか? おそらく、そういう結論を急ぐ感じがあんまりよくないんじゃないかと思うので、たぶんSNSとはなじみが悪いんだろうな……。
わたし自身、それはどういう立場でどこから言ってる言葉なの? ということがしばしば気になってしまう。ツイッターのつぶやきなんかはとくに。表現が、とくにフィクションの作品が、作品だけでそこに立っている、作者や作者のパーソナリティとは離れて作品だけが存在しているというのは、ほんとに可能なのか。みたいなこともいつも思う。「ものによ���」というのが現状のわたしのスタンスですが、しばしば考え込みます。
まあなんか、そういうわけで、葛藤している状態だよというのを表に出していくのもいいかもなーと思いました。葛藤には口籠もっている状態もあるし、言っていることがころころ変わる、場合によっては本当ではないことも言う、何かに擬態しようとする……といったことも含むのではないかと、言っときたいですね。わたしの態度は今後変わる可能性があるけども(変わったように見える、も含め)、あいつあのときああ言ってたじゃんみたいなことをいちいち指摘しないでくれ……、と同時に、裏切られたような気持ちになっちゃうのもわかるよ……という感じ。非常にぐちゃっとしていて、何も言っていないのと同じに聞こえるかも。でも言えることを言っている。
話がどんどん脱線していきますが、本作「イサド住み」でもそんなようなことを言っている気がします。
また脱線ついでですが、以前に書いた短編のいくつか、たとえば「パラシュートたち」のParkとMoonや、「指の下」のおれくん、「メリンガータくん」のおれくん(覚えてる人いるかな……)、この人たちは男の人でも女の人でもどっちでもいいです、決めてませんと言っていましたが、かれらをはっきりトランス男性として書きたかった気持ちもあった……ということは、ちょろっと伝えておきたいです。これこそ後出しジャンケンのような気もするんだけど、その場その場でなんでも言えるわけじゃないよなあと思います。こういうすごく小さいことではあっても。
何が言いたいのかよくわからないと思いますが、わたしはわたしなりの立場から作品を書き、発表していきたいと思っています。
■トランス男性の表象が出てくる小説を読むのが、もしかしたらこの作品が初めてという方もいらっしゃるのかなあと思うと、すごく緊張します。トランス男性の不可視化、存在の見えにくさ。それにはさまざまな背景があり、埋没を望む当事者が多いという事情もあります。SNSでは苛烈な差別が吹き荒れています。でもそれはSNSでの強い言葉が目につきやすいというだけで、以前から、どこであっても、ずっと、そうでしょう。そして差別的な言説を撒き散らしたいときだけ、トランス男性が持ち出されることもしばしばです。「不思議なんだけど、トランス男性は男子トイレに入りたいなんて言わないし、男湯に侵入したなんてニュース聞いたことがないよね」というような、素朴な疑問のふりをしたヘイト。
近頃のツイッターではこういうヘイトを匿名のアカウントだけでなく、名前も顔も仕事も明らかにしている、とても有名な人、長年文芸の批評をやっている人まで言い出すようになり、とてもうんざりした気持ちです。
(余談だけど、そういう人が文芸雑誌の新人賞で審査員をやるようですが、えっ大丈夫ですか? 有名な人だから差別的な発言を繰り返してもべつにいいんですか? 仕事は変わらず任せ続けるんですか? それも新人作家を選ぶ側の仕事を? 何かを書くこと・書けることはそれ自体が特権ですが、それに賞というお墨付きを与えて商業出版することの権威性を考えたら、おい、そういう立場の人が差別的な発言を堂々繰り返してんの、ヤバだろ。わたしはその雑誌も出版社も好きでいたいんですが、ぜんぜんだんまりなので、絶望的な気持ちです)(あとそういう文芸の批評家たちが次々わけわかんない差別的なツイートをし出したのを受けて、好きな作家や書店が、中立の立場ふうの意味わっかんねえツイートしてんのとかも、もうほんとにいやなんだわ。。。。。)(何か言わずにはおれない、痒いところを掻かずにはいられないみたいな、ツイートにはそういう生理的なものがあるとは思うんだけど、とはいえ作家が、現実に生きている人の差別に対して頓珍漢なこと言ってんのやっぱりがっかりはするな……)また脱線しました。何かを言おうとするといやなことがたくさんまとわりついてきます。
■うまく言えない代わりに、いくつかおすすめの書籍を紹介します。ツイッターのヘイトの嵐、素朴な疑問や思考実験のふりをした無礼な滅茶苦茶……からは決して見えてこないこと。実存のこと。
もしおかわだの小説を読んで、何かもっと知りたくなったら……というのもかなりおこがましいのですが、もしかしたらあまり関心はなかったけど(下手なことを言ったらと思うと怖くて触れられないというのも含め)、たまたまこの本を手にとったという方もいらっしゃるのかもなあと思うので(同人誌なのでそういうこともありそうで、それならばそういうなんとなくを幸運なものにしたくて)おすすめを挙げます。紹介文は版元からの引用です。
・「誰かの理想を生きられはしない: とり残された者のためのトランスジェンダー史」吉野靫 著(青土社)
「本当の」トランスジェンダーなんてない。「本当の」男女を追求する必要なんてない−。見えないようにされていたもの、見てこなかったものについて、真摯に、丁寧に、しぼりだすように紡ぎだされたトランスジェンダー史。
・「トランス男性によるトランスジェンダー男性学」周司あきら 著(大月書店)
性別移行後の実生活に根差して「男性」の範疇でトランス男性をとらえ直すとともに、トランス男性を含むマイノリティ男性の存在を想定していない「男性学」に対して、当事者の視点から新たな見方を提起する。
・「トランスジェンダー問題——議論は正義のために」ショーン・フェイ 著 高井ゆと里 訳(明石書店)
トランス女性である著者が、トランス嫌悪的な社会で生きるトランスジェンダーの現実を幅広い調査や分析によって明らかにする。事実に基づき社会変革に向けて開かれた議論を展開する一冊。
・「Complex」no.////(よはく舎)
"女性"として生まれ、現在は"男性"として生活している"トランスジェンダー男性「FTM」"のコンプレックスに焦点を当てた、フォトエッセイ。また、コンプレックスだけではなく、"トランス男性「FTM」にしかない魅力"をご覧いただけますと幸いです。(クラウドファンディングを利用した自費出版の書籍ですが、いくつかの独立系書店さんで取り扱いがあります)
またこういったジェンダーやクィアにまつわる書籍の取り扱い書店としては、loneliness booksさん、マルジナリア書店さんが充実していますしおすすめです(オンラインストアもあります)。
■なんかもうちょっと言いたいことがある気もするんですが、言おうとすると忘れちゃいますね。本当は、こういうあとがきはもうちょっとしっかりまとめた文章で、本の中にちゃんと載せるべきとも思うんですが、イベント直前にバタバタ入稿したものでそういうことができませんでした。小説としても一冊の本としても足りないことばかりで、もっと書きたかったことがあったなあ、もっといいやり方ができたかなあと歯痒いのですが、ともかく打席に立つのだという気持ちで書いていました。
またトランス男性の語りとして、小説を読んでいる方にはもしかしたらあまりなじみのない語もあるかもしれないのですが、そこはあんまり説明しませんでした。用語解説的なこともしたくなかった。これは今くんの語りなので今くんが言いたくないこと、気が進まないことはぜったいに言わない話にしよう……と思って書いていて、それがボーイズラブの、ラブストーリーの形をとろうとしていることも含めて、小説としてうまくいったのかどうかはわかんないですが、なんかそういう気持ちを大事にしたいと思っています。やってるうちにうまくなればいいな……。
■なにかまた思い出したらtumblrにでも書きます。とはいえ、さっき言ったような葛藤の話だったりもっとつっこんだ話だったり、オンラインでするのもな〜という話はやはりあります。言えることを言える場でやる、そういうときに、紙の本というのはインディペンデントで安心できる場だと思っています。pixivもnoteもカクヨムもKindleも現状あんまり好きじゃなくて、プラットフォームに依存しないやり方というのを模索しています。だから同人誌だったりzineだったり作る人がおおぜいいるし、増えているんだろうなあというのも考えています。
そういう、ほかのどこでも言えないような話や、まだ意識としてのぼってこない、潜在的な言いたいことらしき何かがつまったような小説……を書いた紙の本をお手にとってくださり、本当にありがとうございます。とても幸運に思います。なにかしら楽しんでいただけましたら幸いです。
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11/20文学フリマ東京の新刊「イサド住み」について、あとがきのようないろいろです。何か態度のようなものは表明した上で発表すべき作品だよなとは思うので、本当だったら本の中に書いておきたかったんですけど、ドタバタ入稿でできず…。というわけでペーパーを作りまして、通販から挟み込みしています。文フリでお手にとってくださった方や、これから興味を持ってくださる方に届くといいなあと思いまして公開するものです。ペーパーのPDFはこちら
BASEでの通販もスタートしています。よかったら覗いてみてください〜 ▶︎ https://okwdznr.base.shop
試し読みはこちら
変な話、この小説大丈夫なやつか?っていうのが気になるんじゃないかなと思うんだよね。大丈夫かというのは、作品の巧拙とはまた別の…態度とかスタンスが大丈夫なのかどうかっていう…。わたしは自分が読者のときそういう警戒をする。ヘイターの作品にわざわざ近寄りたくないなと自分だったら思う。
作品だけで勝負すべきみたいな、作家や読者の自尊心のようなもの…はいったん置いておいてもいい気がして。現実にヘイトが吹き荒れている話題を扱っている以上、差別を許さない態度、連帯を表明することは大事かなあと思ったという話です。いや作品とかふだんのいろいろとかふだんから見てくださっている方にはなんとなく伝わっているだろうなあとは思うんだけども、なのでほんとにおそるおそるではあるんだけどね…。
大丈夫なのか?がまず気になるようなことになっちゃってる(とくにSNSではそれが目立つ)のは、なんでかって話でもあるよな…。
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あと何頭の牛を嬲り殺せば幸せになれるのだろう?
未熟と成熟の基準はどこにあるかというそのスタンスがお互いに違うので、私たちは互いに困った顔をしたその一瞬を発語で振り払う。私を未熟だと言うあなたのことを私は成熟していると思わないが、互いに自分は成熟しているのだと思い込んでいるのだから口論しても仕方がない。その晩、店には洒落た映画が流れておらず、カウンターに座った中年男たちが「女に性欲はあるか」という話題で盛り上がっているのを苦々しく聞いていた。
あと何頭の牛を嬲り殺せば幸せになれるのだろう?
曇天の夜にいくら自転車を漕いでも風はしめりけで重重しく、空気に一筋の切れ目を入れることすらできないまま排気ガスとともに私の肉もそこに混ぜ込まれるのだった。あと何個、私の首を差し出せば幸せになれるのだろう。体から切り離される以前には私の頭を数等分に割ってそれぞれ持ち帰っていた男たちは、頭が切り離されると今度は体を数等分に割って持ち帰るのだった。
自分の首を切って銀の盆に載せて、踊りながらサロメは言う、「私が死ねばそれで男の世界は平穏無事であるか」と。「私の迸る血で穢れたその毛皮も棄て焼いてしまえば無かったことにできよう」。謀略なき抵抗運動は砂に帰すと知っている私が悪いのか。痛みを叫んだところで何になる? 男の不機嫌で捻じ伏せられるだけだろう。
賢くて(物分かりのよい)、可愛くて(手懐けやすい)、美しい(見目麗しく飾りとして機能する)、そのような女であれと言うかわりに「わかってる」「ごめん」がしたたかに機能するポストトゥルースがにこやかに蔓延るこの世界の歪さにフェミニズムが下す鉄槌は綿菓子のように溶けて溝川に流れてゆく、あと何頭の牛を嬲り殺せば?
鶏を絞め殺すより牛を嬲るほうが暴力的だとイメージが言う。私の首を撥ね上げてもまたにょきにょきと新しい首が生えることを知っている世界が、お前の首を撥ねるよりも牛を嬲るほうが同情を勝ち得るだろうと判断するのだった。私の撥ねられた首たちはそれを受けて沈黙する。鴉が嘴で突くだろう。まずは目を啄くだろう。次に舌を啄くだろう。腐乱し始めた頬肉を、鴉の子供が啄くだろう。切り離した首が嘴で突かれるたびに痛むことを世界は知っていて無視するのだった。
大阪市東淀川区菅原7丁目9-18で詩人の女が死んだ。401号室で死んだ。男であるあなたが言った、「彼女が死を選んだのが残念だ」と。東京都の402号室に住む私は思う、撥ねて、撥ねて、撥ねて、彼女にはもう撥ねられる首がなくなってしまったのだと。誰が撥ねたか、男には想像もできないのだろうと。私は彼女の首を拾い集める資格がないことに落胆する。鴉に啄まれる前に、私が拾い集めて抱きしめたかった。
そう思うとき、哀れみよりも慈しみよりも先んじるのは、お願いだから誰か私のかわりに私の首を拾い集めてくれという、至極利己的で、自己本位な、醜いいじらしさなのだった。反吐が出る、共感。
あと何羽の鶏のかわりに絞め殺されればいい? あと何頭の牛のかわりに嬲り殺されればいい? どうしてこんなにも、棒と手指と刃物たちが、私を無かったことにしようと嬲るのだろう。首を差し出しても差し出しても終わらない。生きても生きても終わらない。永遠とは私のための言葉ではなかった。あなたのための言葉だった。
401号室の女が死んで、次いで402号室の女が死ねば、あなたはきっとこう言う。「残念だ」と。402号室の女が死んだかたわらには嬲り殺された牛が死んでいる。あなたはきっとこう言うだろう。「腐った獣の臭いがする」と。
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