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#沢日和は地形図虫干し日和でもある
k0 · 4 years
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#地形図 #沢日和は地形図虫干し日和でもある さのさん、あざましたー。うれぴー 何かでお返ししたいですが… (西宮市東山台) https://www.instagram.com/p/CAjT77Ugk1K/?igshid=rkco7xx3g5od
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2ttf · 12 years
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tanshi-hdmi · 5 years
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ゴールドエクスペリエンス
去る3月23日、そして24日、私は世界フィギュアスケート選手権を観戦にさいたまスーパーアリーナへ赴いておりました。夢のような出来事にかまけて気付いたら3月は終わり、新たな元号まで発表されてて色々信じられません。ちょっと何言ってるか分からない。
皆さんも現地またはTV越しでも感じられたかと思いますが、あの空間で巻き起こった事象、とそれがもたらす質量と熱量、を自分なりの言葉で残しておきたいなぁと今回思ったのです。はじめはどんな言葉も陳腐に成り下がってしまう…完璧に自分の感覚と齟齬なく言葉に落とし込むことが出来ない…と文字に起こすことを躊躇ったのですが、それより己の内から記憶がぽろぽろ零れおちて、振り返った時にその当時に自分が何を感じ、どのような言葉が湧きあがっていたのかが分からないことの方がよっぽど辛いと思って筆を取った次第であります…己の心象世界には常に正直でありたい。
今回の記事ではまず23日にフォーカスしたいと思います。アイスダンスも勿論観戦していたんですが、カップル競技に疎いため男子シングルに…いやもっと言えば最終G、羽生さんの事に関して…更に言えば技術やルールに明るくないので受けた印象や解釈に偏るかと思いますズビバゼッ!
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ソチで完全に魂を売り渡したのを皮切りに、現地で試合を観戦したのは2014年NHK杯FS、2015&2017年国別FS、2016年NHK杯SPの合計4回でありました。ここに今回のワールドが貴重なひと試合として新たに追加された訳ですね。
今大会は羽生さんのロステレぶりの実戦、4ヶ月間の岩戸隠れからの公の場、とあってその注目度の高さは計り知れません。様々な意味で貴重な彼の、生命を糸状にしてそれを丁寧に編み込み形作るような演技、そして生き様を目に出来ることの有り難さを絶対に忘れないように、そしてそのような心の動きを大切にしようという思いを胸に現地へと飛び立ったのでした。
私が羽田に到着したのは23日の午前10時40分頃。ここからさいたま新都心駅まで約1時間かかるため男子FSの公開練習を観る事は叶いませんでしたが、会場までの移動のあいだ、Twitterに上がるレポをひとつひとつ、目を皿のようにして読みました。そこには"Lo"という記号の羅列、また涙が出た・胸を締め付けられた・このような場面は見たことがない等の感想の山、山。一体どうしたことだと身震いしました。本番前の練習だけでここまで人々の心の深いところまで根を下ろし、感情を揺さぶることのできる力とは…。直接観ていないので想像でものを言うようなことはしませんが、その場に居られた方々はまさに黄金の体験が出来たのではないでしょうか。インターネットを介して文字情報として触れた私でさえ、その執念とも言える透明な、純度の高い圧に見事にあてられてしまったのですから。
この日の座席はちょうどキスクラの対岸、限りなくショートサイドに近いロングサイド。200レベルの19列目、近すぎず遠すぎずで視界も開けており快適です。だからこそ緊張もダイレクト、選手の出入りもバッチリ分かるため最終Gの中で羽生さんが最後に裏から出てきた時のひりつくような空気の微細な振動、正しい呼吸の仕方が途端に分からなくなりました。
2年ほど前から始まった6練前の選手紹介。名前がコールされると客席からは割れんばかりの拍手、歓声。途方も無い期待や願いが一身に注がれていることが否応なしに分かる中、彼は完全にスイッチの入った表情で、自らのやるべきことを完遂するのみ、と言った風情。痺れる。
ここでもやはりひたすら4Loの確認。この時かなりの確率で決められており —必ずしも本番に反映されるとは限らないけども— 個人的には気を確かに保つのに充分な効能がありました。写真でしか見たことのなかったOriginの衣装、いやその御姿は、それはそれは豪奢に瞬いており、全身を疾る血脈の如き真黒い羽はそれそのものが意思を持つ独立したいち有機体のようで、戦いを前に今にも爆ぜ蠢めかんと奮い立っているようでした。
6分間が経過し、1番目の滑走者を残して選手たちはリンクを後にします。彼がいつも通り深々とお辞儀をした際に見えた、かっちりと固められた射干玉の黒髪とその艶がやけに鮮烈に目に焼きついたのが忘れられません。
ヴィンスの素晴らしい演技にスタオ���し、昌磨の一心不乱さに盛大に拍手を送り、マッテオ君の場をひとつにする力に身を委ね、やってくる滑走順。冷える、冷える。会場内は外に比べればずっとあたたかいのに、冷える。
名前をコールされ、オーサーコーチと固く握手を交わし、戦友の頭にぐっと力を込め、ひらりと身を翻して、いざ。大歓声に迎えられながら普段通りのルーティンでしずかに感覚を研ぎ澄ませてゆく様はさながら神事のよう。過換気になりかけていたのかやや痺れと冷えを伴っていた私の身体は、その厳かな所作に不思議と解きほぐされてゆく感じがしました。
スタートの時が迫るに従い次第に収束する歓声、静寂(しじま)の底にただひとりの彼。無の世界に産み落とされた卵から孵るときを待つ雛鳥のような姿勢を取れば、荒涼とした大地に一陣の風が吹き荒ぶ…。
後日S-PARKを見て初めて気が付いたのですが、名前をコールされてからスタートポーズを取るまで本当にギリッギリ(残り0.7秒程)だったんですね…。試合が終わった後に見たのに、かなりゾッとしました。シミュレーションを何度もしたと言うことですが、人間ってそんなトレーニングによって0コンマ何秒レベルでの調整が出来るようになるものなのか…?いつも人間の(というか生命体の)無限の可能性に想いを馳せさせてくれる無二の存在だと再認識させられました。実にいち生物として興味深い。
話を戻します。"ドンドン"という鼓動らしき音に合わせて頭を振り起こす動作、初見の時も言いましたが異形感がたまりません。この部分に限らず、Originは全編通してひとならぬものの本能の奔流を見ているようで、その原始性やある種の蛮性が演技中の彼が覗かせる烈しさ、狂おしさとこの上なく親和して、"演技"という枠を超え"初めからそのような形姿・挙動をする生き物の躍動"なのだ、とさえ感じるのです。
冒頭2つのエッジジャンプはご本人も仰っていた通り私もとても緊張していて、無意識のうちに両手には力がこもっていました。
4Lo、壮大な物語の幕開けを思わせる銅鑼の音とシンクロし美しく決まる。天逆鉾を抜き取るような動作を挟み4S、やや沈み込む形になりフリーレッグが危うく氷を掠めるか、と言うところだったが堪える。4Sは後に回転不足だと分かりましたが、とりあえずはこの2つを降りることが出来たという事実にこの上なく安堵し、私の両手は不安によりかけられる握力にではなく、歓喜に満ちた拍手による心地よい痛みに酔いしれていました。冷え切っていた身体にじわりじわりと、熱が左胸から徐々に全体にゆき渡っていくのを感じます。でも本当に、4Loが決まって良かった。彼にとっても、彼を見守るすべての人達にとっても。
それ以降のジャンプについては全く心配していなかったと言うか、失敗する気配を感じなかったのです。ステップの一部かと見紛うシームレスなトリプルジャンプとそのコンビネーション、後半に組み込まれているとは思えない程の質を誇る単独の4T、そして王様のジャンプ・アクセルへの愛と敬意をあらわすかのような4T+3Aのシークエンス、3A-1Eu-3Sの3連続。ジャンプとしては最後に配置されているこの3連を降りた瞬間、私は膝から崩れ落ちたのです。座席には座ったままの状態で。私は性格上、家に家族といる時や気を許す友人と閉じられた空間で会話をする時くらいしか感情を露わにしない(出来ない)ので、現地で、周囲に見ず知らずの観客や何より選手がいる中で、まさか自分がそのような状態に陥るとは想定外でした。
しかし演技はまだ終わっていません。すべてを見届けなければならない、この場にいる時間を一瞬でも無駄にしてはならない。
薔薇の精が蠱惑的に咲みいざなうようなレイバックイナバウアー、わずかな時間の筈なのに、悠久の時に触れたような、食虫植物が捕食、消化、そして成長する過程をタイムラプスで一度に見たような。
キャメルスピン、まるで鎌鼬のような、うねりを伴って空間が切断され、それに巻き込まれてしまいそうな、1回転する度に彼の周囲の空間が質量を増し、姿が次第に大きくなるような。
畳み掛けるような弦楽器の荒ぶる旋律そのもののように、はたまたそれに抗うまつろわぬ神のように、彼は目まぐるしくその姿を変え、最後はなにかを目指し、渇望するかの��うに天に向かって力強く手を伸ばす。
瞬間、世界はこれまでの摂理や道理をくつがえして、新たな世界として再誕したような、そんな気がしました。弾ける客席、鳴り止まない歓声、揺れるアリーナ、くらむような熱気、意図せず溢れる涙。私はこれまで素晴らしい演技を見たあと圧倒されて言葉を失ったことはあっても、涙したことはなかったのです。しかし今回ばかりは無条件に、何かものを考えるより先に涙が溢れ、止まりませんでした。
泣きながら少し笑いが込み上がって来てしまいました。嘘だろ、嘘だろ、と口をついて出てきてしまう。この人は本当に何という人なのか。万全な状態では決してないだろうに、想像を絶する期待やプレッシャーなどの中にあるのに、なぜそれ以上に成せてしまうのか。そしてどのような結果になろうとも、"君の思い描く理想"は達成出来たのではないか。それこそが私が最も叶ってほしい、と今回強く願っていたことであり、すべてでした。
キス&クライ、満開の桜を背に自らの演技を回顧する姿。たおやかな薄紅色と綾羅錦繍のコントラストがえもいわれぬほど美しい。得点が発表される間際、両側に座るふたりのコーチ、観客、会場、またこの場に居らずとも声援を送ってくれたすべての人に深く感謝をあらわす様子に胸がいっぱいになります。得点がアナウンスされると、場内は祝祭の様相。ルール改正後はじめてFS200点、総合300点というひとつのラインを突破出来たことはやはり喜ばしいことです。しかしそれ以上に、いま出来うる最高を日本という地で見せてくれたこと、またその生き様になんとしても敬意を表したかった。得点発表の場を斎庭(ゆにわ)として、交歓の輪がやさしく広がったように感じられました。それは世界で一番あたたかく、やわらかい気持ちだけが集う特別なシーンであったように思います。
次の滑走者であるネイサンは、非の打ち所のない素晴らしい滑りでした。SP・FSを揃え自己ベスト、ひいてはワールドレコードを更新するこれ以上ない完全な勝利。本当にカッコいい。彼が凄いのは、何かミスや不足点があれば必ず次の機会までに修正、改良を徹底し、一度物事の"核"を掴めばそれを失わず別の場面でもずっと適用・応用していけるところだと思っています。それらの積み重ねで、大きな大会前のメンタルコントロールや3Aの安定など、課題とされてきた部分を悉く克服している。一世代で進化を遂げているような、完全体に迫っていくような、そんな印象を受けます。これからも確実に眼前に立ちはだかる存在であると思いますが、腕が鳴るではありませんか。互いにリスペクトしあい、理解しあい、その上で真正面からぶつかりあえる幸せは何物にも変えがたい。可能な限り、そんな光景を見守り続けたいと思いました。
最終滑走者のジェイソンは今シーズンからクリケットクラブへ移籍し、髪もばっさり切り、4Sにも挑み、本当に別人になったかのように雰囲気が変わりました。(内面はそのままのようで安心します!笑)サイモン&ガーファンクルの『冬の散歩道』は個人的に好きな曲でして、今の彼によくハマりますね。明るくハッピーな面も残しつつ、寂寥感や翳りも感じさせる新しい彼。いまはなかなかすぐに結果に直結しないもどかしさがあるかもしれませんが、歌詞にある通り人生は分からない、春はやってくると、これまで慣れ親しんだ環境を脱して挑戦を選んだ彼を見て強く思うのです。
最終的にネイサンが2連覇、羽生さんが銀、ヴィンスが銅という結果になりました。アメリカのふたりはまだまだ若くて、沢山伸びる余地を残していることが脅威でもあり喜ばしくもありますね。羽生さんは怪我からの復帰戦であれだけのクオリティを発揮出来るのは流石としか言いようがないです。本当にお疲れ様でした。五輪を2連覇してなお休まず走り続け、こうしてまた120%の全力で挑む姿を見せて下さって、感謝してもしきれません。どうかゆっくり癒されて、ご自身が心から納得出来たと言えるほどの突き詰めたトレーニングや研究が1日も早く出来るようになることを祈るばかりです。
これを書いている間、治療に関する見通しについてのニュースが届きました。詳しい症状や治療期間についての記事を見るのはいつも手が震えて目を逸らしたくなりますが、彼が一番悔しくて辛くて、でもその時ごとの目的地に向かって懸命に歩みを進めていることを思って自らも強くあらねば、と覚悟を新たにもするのです。君のゆきたい道を進むがよい…私はどんな選択でも尊重するしついてゆく所存です。これはファンになってから一度も揺らいでいないスタンスです。どんな道を選んでも、それぞれの良さ、美しさが間違いなく待っているはず!だから!
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試合を観る、選手を応援するという行為は実に不思議なものであると思います。己のこと、もしくはそれ以上に心を砕き、信心深くなくても知らず知らずのうちに選手の心身の健康を願い、健闘を祈って神社仏閣を巡ったり。プログラムの題材になった原作や原曲、またそこから派生した様々な分野に気付いたら詳しくなっていたり。リアルタイムは緊張に耐えられない、と言っていたのにいつのまにかライストを探すのがクセになっていたり現地観戦に赴くようになったり。心臓がおろし金にかけられるような日々を送っているのに、むしろ豊かにいきいきと生活出来ていたり。普通に生きていたら会うことのないような方々と繋がりが生まれたり。ファンになっていなかったら今頃どうしていたのだろう、と思うとすぐには何も浮かばないくらい、人生における占有面積が大きいんですね。大変なこともあるけど、それらも含めて他では巡り会えない出会いや経験が出来ることに"生きている"のだなぁ、と実感するのでした。
しかし本当にいい試合を観ることが出来ました。気持ち的には2017年の四大陸選手権に近いでしょうか、結果としては2位だったけれどもとても清々しく、収穫も多く、今後どのような未来が開けていくのかわくわくするような…勿論そこには大きな悔しさも伴って!笑 なんと幸せなことでしょう。これからも頑張って生きる生きられる。ライフイズビューティフル。
またこれは多くの方々も仰っていることですが、現地の観客の皆様が非常にあたたかかったです。どの選手に対しても平等に、良かった時には盛大な賛辞を惜しまず、実力が発揮しきれなかった時にはそっと寄り添うように。今回の運営に対する様々な意見や思いがあることは知っていますし私も何も思わなかった訳ではありませんが、大会そのものはこれ以上ない程素晴らしいものであったと言えるのではないでしょうか。海外への遠征がほぼ不可能な身からすれば、日本でこれだけの規模の大会が開催されること自体ありがたいことです。この大会に関わって下さったすべての方々にお礼を言いたいです。本当にありがとうございます、お疲れ様でした。最高の思い出になりました〜〜!!
追記:メダリスト写真撮影会のときうまく国旗を扱えなくて少し困ったようにしてる&アメリカンふたりの邪魔にならないようにリンクの端でみのむしみたいに丸まってた羽生さんめちゃくちゃ可愛かった
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kachoushi · 3 years
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各地句会報
花鳥誌 令和4年1月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡���順子選
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令和3年10月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
秋蝶のひと差し舞うて女坂 順子 筆塚に鏡花名残りの桔梗とも 要 秋草や妓楼のなごり今も濃く 悠紀子 筆塚に秋思の女佇ち替はり 順子 鉄の日時計錆びて天高し 要 蓮の実へ東天紅の影をひく はるか 女坂思ひありしか秋の蝶 三郎 蓮の実を飛ばせぬままに朽ちにけり 和子 実を抱きしままの蓮が水の底 和子
岡田順子選 特選句
実の飛んで慕情の蓮となりしかな 俊樹 蓮の実や弁財天の琵琶に飛び 眞理子 水澄んで鯉肉色の口開く 和子 野分後嘘つぽくなるりんごあめ きみよ 秋高き処に棲みて水のうへ いづみ 秋晴を細く傷つけ昼の月 小鳥 野の秋へからからと鳴る旅鞄 はるか 鶏頭を咲かせて人を葬りけり 和子 竜田姫広小路まで人力車 きみよ オレンヂのカンナの横が台東区 いづみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月6日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
近松像離れぬ秋の蝶一つ ただし 啄木鳥や祈りの道の仏たち 同 切株の匂ふ日照りに秋の蝶 同 彼岸花終りし畦に道祖神 清女 夜の森静かにきのこ生まれけり 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月7日 うづら三日の月 坊城俊樹選 特選句
祝詞声秋風に乗り天に消ゆ 喜代子 蔵の戸を引くや新酒の香り立つ 都 長き夜や身を乗り出して艶話 同 鬼ごつこ影長くして秋うらら 同 山の辺の刈田に映ゆる入日かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月7日 花鳥さヾれ会 坊城俊樹選 特選句
九頭竜の水面芒と光り合ふ かづを 九頭竜に秋晴と云ふ寂しさよ 同 月見草サーカス小屋のたちし頃 清女 小鳥来よ玻璃を磨きて待つ我に 同 落葉舞ふ左内の像や江戸を向く 千代子 江戸を向く左内の像や身にぞしむ 同 河口より秋潮つれて虹屋まで 笑 少年の秋蝶追うて一乗谷 同 柏翠忌思ひおもひの星月夜 匠 忌の心持ちて迎ふる十月を 和子 秋潮の白波高し柏翠忌 啓子 柏翠忌墓石と知るや秋の蝶 希
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月8日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
新しき杉玉軒に新走り 益恵 秋の暮澪引く船に集魚灯 宇太郎 一人居の軒賑はひて吊し柿 すみ子 曼荼羅華とは雨跡の草紅葉 悦子 一面のすみずみ揺れて蕎麦の花 都 猪に荒れし跡ある法の庭 すみ子 人知れず烏瓜にもあをき時 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月9日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
中子逝くとしあつの待つ天の川 独舟 秋刀魚船銀波を超えて今寄港 同 大空を全て我が物鰯雲 晶子 母の字をなぞるノートや夜半の秋 のりこ 魔女の住む庭の真つ赤な唐辛子 岬月 拾ひたる木の実に森の物語 同 弾け出て校庭の子ら秋高し 慧子 一位垣途切れるところ野紺菊 同 時刻表より消えし駅秋桜 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
干されたる地下足袋に来る赤とんぼ 上嶋昭子 小鳥来て神なび鳥語弾みをり 時江 遠堤の紅は静かに曼珠沙華 三四郎 滅亡の火の色をして狐花 上嶋昭子 時空越えお伽の国へ菊人形 中山昭子 野にあれば力むがごとし男郎花 時江 したたかに生き残りたる蚊にさされ 英美子 猪垣に全校生徒十五人 清女 鶏頭の全身燃ゆる赤の庭 三四郎 松手入身を伸ばしつつ縮めつつ みす枝 街角のペンキの匂ひ秋の風 三四郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
採血の血管逃しうそ寒し 貴薫 目覚めれば仄かに香る菊枕 せつこ 木の実落つ音におびえしお留守番 和魚 木の実独楽いつとき影を正しうす 有有 うそ寒や日の傾ける山の翳 ます江 菊枕闘ふ君の息遣ひ 美貴 橡の実も薪も干されて山の宿 あき子 碧色の潜む湖あり木の実落つ 貴薫 傘寿なる姉に縫ひあぐ菊枕 三無 児童館木の実工作靴多彩 聰
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月12日 萩花鳥句会
柿紅葉狭庭はんなり染めにけり 祐子 手を繋ぎ竹灯城下夜夜の月 美恵子 稲田へと鳥たち今は庭へ来ぬ 健雄 彼岸花年ふる毎にいとほしく 陽子 初紅葉抱きしみどりご目も見えて ゆかり 今年また総代のみの在祭 克弘
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令和3年10月12日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
秋潮や櫓を漕がずとも進む舟 登美子 秋の野にちらりと見えるかくれんぼ 裕子 黙祷は東の空の秋虹へ 登美子 ベトナムの友と見上ぐる渡り鳥 同 山装ふ街に住む子に電話する あけみ 車窓より刈田黄金に流れゆく 同 鳥覗き我も覗くや水澄めり 紀子 休みつつ鍬打つ母や千代見草 登美子 朝参褒美なるかな終の蓮 みえこ 次男坊白菊かかへ祖父の墓 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
わが裳裾翻しをり萩の風 千代子 わが里と連なる大河鮭のぼる 同 柿すだれ過疎の一戸を守りけり 真喜栄 荒磯みち名残りの句碑や野菊晴れ 同 月明り金星月に相寄りて 玲子 長き夜や肩を丸めて爪を切る 富子 暗闇を一枚にして虫時雨 みす枝 すがりたき女ごころや男郎花 世詩明 隠し田の稲も刈られてゐたりけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
末枯を見すゑ子育地蔵尊 慶月 本堂に秋灯暗く濡れてをり 斉 矢印に従ひ行けば秋の声 菟生 昨夜の酔ひ残して雨の酔芙蓉 秋尚 大寺にごつごつ競ふ青花梨 幸風 武士の鬨の声かと鵙鋭声(とごえ) 眞理子 秋雨の空白色に降り続く 貴薫 姦しく森はみ出してゐる小鳥 斉 瓢簞の細きくびれを打てる雨 圭魚 かくれんぼ鬼と芒の残さるる 千種
栗林圭魚選 特選句
秋雨の音聞くばかり年尾句碑 秋尚 濡れそぼつ幼の合羽のうそ寒く 斉 大寺にごつごつ競ふ青花梨 幸風 多重塔おほふ大樹や小鳥来る 芙佐子 白つつじ暗闇坂の返り花 文英 姦しく森はみ出してゐる小鳥 斉 かくれんぼ鬼と芒の残さるる 千種 年尾句碑静寂を好む小鳥来る 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月19日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ひよんの笛吹きつゝ左内偲びをり 千代子 洒落れた街しやれた雲浮く洒落れた秋 和子 夫の忌や空いつぱいの鰯雲 令子 鉄塔の先つちよ点り星月夜 清女 金色の仏の流転秋の風 雪 菊に立ちふと薫陶と云ふ言葉 同 朝倉の世も金風のかく吹かん 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月22日 鯖江花鳥俳句會 坊城俊樹選 特選句
戸袋にひそんでゐたる名残りの蚊 上嶋昭子 名画座に清張ものや秋深し 同 母に付き落穂拾ひの遥けき日 一涓 小鳥来る私雨の只中を 同 巫(かんなぎ)のまたあるときは稲刈女 同 秋深む軒に干すもの吊すもの みす枝 鳴らぬまま秋風鈴となりにけり 洋子 耳たぶの大いなる子の帰省かな 世詩明 かぐや姫もしやと思ふ月夜かな 信子 風音も乾いて来たる刈田かな 同 朝は銀夕べ金波の花芒 同 雨よりも雨音淋し冬に入る 中山昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
双つ児の生声高し天高し 孝子 地図に読む夜長の旅の物語 ひとみ いぼむしり意図なく背の枯れはじむ 成子 いつしかに末枯の野に踏み入りぬ 光子 赤鬼も青鬼も棲む唐辛子 喜和 無花果の固き扉の半開き 千代 パンドラの箱の底より秋の声 ひとみ 虚空に日輪枯野には未来図 睦子 金風は檻のものらに吹いてゐる 佐和
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
朝寒や鐘の音とよむ磧径 幸風 団栗を五百羅漢に配る子等 同 母の塔真赤に熟るる烏瓜 同 その中の尾花に乱れなかりけり 百合子 ほろほろと零るも雅式部の実 三無 持ち寄りの千草の彩や中子師に 亜栄子 朝寒にペダル踏み出す重さかな 白陶 盛り沢山秋草活けて師を偲ぶ 教子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年9月1日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
銀漢の尾に街の灯を繋ぎたし 世詩明 色白が七難隠す砂日傘 同 昼寝してしばし地獄を見に行きし 同 一乗谷無縁仏や茄子の馬 ただし 生き残りかけし秋蚊の刺しつぷり 清女 曼珠沙華蘂が派手や数少な 輝一 漕ぎ出だす柳橋より花火船 誠 遠き日の桑食む夏蚕みしみしと 同 線香の煙漂ふ終戦日 信義
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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zz-nosan · 3 years
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ミレニアムシリーズ感想
昭和シリーズ感想を全部書く前にミレニアムを見てしまう悪行ですすみません。そしてまた順序メチャゴジラ
ミレニアム→メガギラス→GMK→×メカゴジラ→東京SOS→FINALwars
ゴジラ✕メカゴジラ
これ映画館で見たかったな~。映画館映えするようなシーンや音が沢山ある。ゴジラが熱戦を吐く前の背鰭のバッバッバみたいな音や、アブソリュートゼロのド迫力など。映像も少しCGっぽさはあるけど綺麗。破壊シーンも怖さを感じる。まじで大人になってから気づくの~つらい~。
ゴジラがすぐ海に逃げちゃう。生物っぽいと言えばぽいんだけど、一部で言われてるようにまだ戦い慣れてない若いゴジラかもしれない。
機龍が初めてアブゼロをお披露目するシーン、可愛いw最初おじきしてるのかと思ったwしっぽで地面叩いてるのね。
式典が中止されてなかったらおじきしたり模擬戦してたかな。式典やってほしかった…機龍のお披露目会…。
機龍が初陣でやらかしてしまうの、めちゃくちゃ絶望的だな。電池切れまで何もできない人類。電源オフとかにできないんだろうか。それすら無視してるのか。
暴走すると目が赤くなる。フラッシュバックのように自分が死んだ瞬間を思い出してしまうの…辛かったろうなぁ。機龍は見た目が格好いいだけでなく、出生がちょっと悲しいとこも好きです。他の人の受け売りですが目の赤いラインが涙っぽい。哀愁ヒーローって感じ。
家城茜はゴジラ映画にしては珍しい王道タイプ。というかゴジラもちょっと異色なんだけど、ゴジラがどちらかというとサブキャラで人間の主人公がちゃんと主人公らしく描かれてる。そういえば機龍二部作は一度もゴジラのテーマが流れない。この映画のポリシーとなんか合ってないもんね。
機龍が家城の呼び掛けに答えるようなシーン、すごく好きです。機龍が心を開いた瞬間なのか…?でも前世の記憶や感情が残ってて本当は戦いたくないっていう気持ちもありそう。つらい。
人間の手で死んだり生き返ったり細胞を一部書き換えられたり、めちゃくちゃ可哀想なんだよな…。人間とゴジラの間で板挟みになってる。家城が自分との共通点を見出だしたのは、機龍がどちら側にもつけない孤独な存在であることと、だったのかな。生まれてこなければよかったのに、という自責の念もあったのだろうか。
機龍の充電はワイヤレス。背鰭が白く光って供給される。日本中?が真っ暗になっていく様は、日本国民が団結してゴジラを倒す!みたいなムネアツシーンでもあるね。
満月をバックに投下される機龍が格好よすぎる。その後ゴジラに漫才のツッコミのように突進するの少し笑えるけど好き。もう機龍の動き一つ一つが格好いい。
バックユニットが無くなって不利になったと見せかけ実は格闘も強い機龍。さすがにびょーん跳び跳ねるのはアレ?って思ったけど。ていうかゴジラの熱戦を結構食らってるのにピンピンしてるのがすごい。めちゃくちゃ頑丈だな。本体は熱には強いけど体が軽いから圧力でなかなか起き上がれないっていう弱点付きかな。青いバックユニット似合ってるけどね、無くなっちゃうんだよね。何気にガンダムみたいにサーベル出せる。こういう物理が一番強いんじゃない?w
機龍隊の帽子ほしい。
東京sos
機龍二作目完結編。正直色々詰め込み過ぎましたね?モスラが出てるのはいい。むしろ人間だけじゃ導き出せない答えをサラっと教えてくれるんでいいんだけど。前作のシリアスだった人間関係が、シリアスなのかコメディなのかどっちつかずで必要性に疑問。だって、だって、…機龍完結編なのに、もっと義人と機龍の関係を掘り下げてよ!(泣)家城と如月さんじゃキャラが違いすぎるよ~!!機龍は如月さんと秋葉には心開かないよ(笑)
義人が機龍のフラッシュバックをリンクするシーン、ごめんな機龍するシーン、すごく好きなんだけどそこに至るまでもう少し葛藤が欲しかった。日本国民みんなの願いであることと、義人自身の葛藤がぶつかる場面がもう少しあったらなぁ。機龍は前作で家城っていう理解者がいたのに今回は義人が機龍の心を理解するのが遅かった。もっと早く気づいてあげてほしかった。うわあああ。
やっぱり機龍は初作の方がデザインが好きです。手がドリルに変わるのはつえぇ。白いボディに青いランドセル似合ってたし、目の赤いラインも自我がある時だけになっちゃたしなぁ。リアルな現場の事情が伝わるから前と同じじゃなくていいし、これはこれで渋いカッコよさがあるよね。目のラインに関しては暴走時≠自我という区別なんだろうか。単純に暴走してゴジラ化すると目が真っ赤になるけど、機龍としての自我は目が黄色のままってことですね?私の願望なんだけど、機龍は機龍として最後の選択をしたと思うんです…。前世のゴジラしててではなく、前世の自分が何だったのかを理解し、受け入れた上で、機龍としての人生を全うしたんだって思います。最後はゴジラに戻った…って感じでもいいし。機龍とゴジラの人格が別にあったらいいなって。思わせてください。すみません。違っててもイイ!はぁはぁ( ) 機龍としての選択じゃなかったらゴジラってことになるもん。最後はゴジラっぽい鳴き声してたけど…これで眠れるねって意味だったのかな……うん、…色んな解釈できますね。
モスラ成虫がめっちゃ年寄り感。毛がしなだれてるもん。可愛さ半減(笑)FWも同系統の造形だけど元気で可愛いから、意図的にそういう違いを出せる東宝美術さん本当に愛のなせる技!ボロボロになってゆく様が丁寧に作られてる。羽とか鱗粉を消費して傷んでる。珍しく親子が会話してるシーン。ゴジラ映画ではここだけですね。モスラは思ったより出番多かった。むしろ機龍をもっと増やしてほしかったくらいだ。私はモスラファンだけど機龍に関してはもっと丁寧に描写してほしかったな。テーマがめちゃくちゃ重いから。とは言ってもやり残したことも無いようには感じるんだけどね。
機龍もっと増やしてほしいのもファンとしてフィルターかかってしまったからかも。物語の終わり方には感動したし納得。最後の最後も、ゴジラ映画の定番…って考えればアリかな。この世からゴジラが無くなることは決してない。
カメーバは何で出てきたんだろう。ファンサービス?この頃のゴジラって昭和のマニアックなネタが多かったな…。
ゴジラFINALwars
これは私が初めて映画館で見たゴジラ。初めて自分自身の気持ちで映画館に行った映画でもあり、上映最終日に一度だけ観ました。私の家は映画館で映画を見ない家庭だったので…これでゴジラ最後だから一回だけならって感じだった。
今見返しても、人間パートが若干配分多めなのが気になる。
当時はこれが最後のゴジラだと思ってたし東宝もそのつもりだったから、モヤモヤ感は正直ありました。人間パートを増やしたら同じくらいゴジラを出してほしかった。私はモスラの出番をもっと出してほしかったけど。それでもゴジラの良きサポーターとして奮闘したモスラはなんか感慨深いです。成虫モスラがゴジラと協力してる図はムネアツなんです。
モスラのおかげで吹っ飛ばされた敵を見たゴジラさん、なんか倒れてる!?ラッキー!!って感じなのかな。
ケイン・コスギが最後…なのは寂しかった。
エンディングでモスラの羽が治ってるのはミスですよね?
ゴジラと人間の愛憎劇はこの作品をもって終了したということでいいんでしょうか?
もう許してやれよ!と言われ何も言わず帰宅…。ゴジラらしいといえばらしい。
今でこそ新作ゴジラに溢れててファイナルウォーズをノリのいいポジティブ映画として楽しめるけど、やっぱ当時は寂しかったなぁ。もう20年前なのか。でも見返すとやっぱり楽しい。ゴジラが勝ちまくる明るい展開は気持ちいい。そしてなんだかんだ人間を助けるところも。
ところでミレニアム以降平成vsシリーズはずっと無視されてきたけど(そりゃ世界観違うし)FWではオープニングで普通に拾われてるしジュニアの咆哮シーンがやけに強調されてるんだよね。劇中でもvsシリーズの怪獣のフィギュアとか出てきたり。拾ってくれるのはすごく嬉しい。メカゴジラは今回出番は無いけどbgmで出演してる。各世代の東宝怪獣を懐かしく楽しめるとってもいい作品だと思う。ただ、キングシーサーとかカマキラスとか…昭和怪獣ばかりなんだよね…。もう少し現代怪獣出せなかったかな、ってのは少しある。こうなった理由も察するけどね。ミレニアムシリーズはマジで昭和回帰多かった。子供だった私でもおじさん世代への配慮かと思ったもん。モスラも昭和チックだし。ゴジラはミレニアム独特のデザインされたのになあ。モスラも、いい改良だと思うけど、すぐヤられそうで心配になる。テクで改造ガイガンぶっ倒したけどさ!危なかったよ!無事でなによりです。
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benediktine · 4 years
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【湿地帯生物としてのウナギという魚の魅力】 - BuNa - Bun-ichi Nature Web Magazine : https://buna.info/article/1394/ : https://archive.vn/wip/eMvbz 2018/7/18
 {{ 画像 1 : ニホンウナギの幼魚(福岡県産) }}
私は日本列島の湿地帯とそこに暮らす生き物が大好きである。分け隔てなく愛している。最近はドジョウにとり憑かれてドジョウの研究ばかりしているが、ドジョウと同様ににょろにょろとした底生魚であるウナギは特別に好きな部類だ。ウナギは日本中のほぼすべての人が知っている有名な魚であるものの、湿地帯(※)生物としての魅力はほとんど知られていないと感じている。昨今ウナギが激減していると散々叫ばれながら、実際のところ保全がまったくうまく進んでいかないのも、食料としてのウナギとしか捉えていない人が多いからなのではないだろうか。ウナギの本質は、かば焼きではない。生きた魚である。そこで、本稿では湿地帯生物としてのウナギという魚の魅力を、分布・形態・生態の観点から解説したいと思う。 (※なお、湿地帯とは河川、沼沢地、氾濫原、水田、ため池、用水路、干潟、水深6mより浅い沿岸域のことをいう)
■《どこにいる?:分布》 ウナギ、ウナギと一緒くたに呼ばれているウナギであるが、日本列島に自然分布するウナギは3種いる。今回の主役であるニホンウナギ:Anguilla japonica 、それから南西諸島の渓流域でよく見かけるオオウナギ:Anguilla marmorata 、さらに第3のウナギとして2000年に彗星のごとく記録されたニューギニアウナギ:Anguilla bicolor pacifica  である。このウナギ類3種の国内での分布域を見てみると、オオウナギは主に本州・四国・九州の南部から南西諸島、ニューギニアウナギは主に九州南部から南西諸島にそれぞれ分布域をもつが、ニホンウナギは北海道南部から南西諸島まで広く分布する。この「日本中に分布する」という点は淡水魚としては珍しく、実に魅力的である。
 {{ 画像 2 : ニホンウナギ(大分県産) }}  {{ 画像 3 : オオウナギ(与那国島産) }}  {{ 画像 4 : ニューギニアウナギ(西表島産) }}
日本産ウナギ属3種の顔。ニホンウナ��とニューギニアウナギには目立つ斑紋がないが、オオウナギには目立つ斑紋がある。また、ニホンウナギとオオウナギの背鰭の開始位置は臀鰭(しりびれ)の開始位置より前方にあるが、ニューギニアウナギでは背鰭と臀鰭の開始位置はほぼ同じである。
■《どんなかたち?:形態》
次に形態を見てみよう。ニホンウナギはその見た目と質感がとても変わっている。あのような細長くぬるぬるとした淡水魚は日本列島にはあまりいない。その細長さや粘液の量はドジョウをも凌駕している。私が主に調査を実施している九州では、およそ180種類の淡水魚の記録があるが、純淡水域で見られる種類でニホンウナギと同様の細長くぬるぬるとした魚類は外来種のタウナギ及び円口類のスナヤツメのみである。また、ニホンウナギは鰭(ひれ)もすごい。頭の後方に1対の胸鰭があるのは普通であるが、腹鰭は存在せず、背鰭と尾鰭と臀鰭(しりびれ)がひとつながりになっている。このような鰭をもつ淡水魚は九州ではウナギ類のみである。この体型、鰭の配置は魚好きにはたまらない魅力を放っていると言えよう。
 {{ 画像 5 : 九州でみられる細長くぬるぬるした淡水魚類。上からドジョウ、タウナギ、スナヤツメ(いずれも福岡県産) }}  {{ 画像 6 : 調査中に出会った大きなニホンウナギ。何年生きた個体だろうか? 顔がかわいい }}
■《どんな生きざま?:生態》
最後に生態である。ニホンウナギはその生態も際だって特異である。近年の研究でついに明らかにされたニホンウナギの産卵場は、日本列島からおよそ2,500キロメートル南方のマリアナ諸島西方海域だという。そこまで産卵に行くのもどうかしているが、生まれた稚魚がそこから日本列島まで泳ぎ着く(もしくは流れ着く)というのもどうかしていると言えよう。魚類の生活史として魅力にあふれすぎている。また、日本列島にたどりついたニホンウナギがどのようにして暮らしているのかは未だ不明な点が多いが、おおよそ河口や内湾で暮らすもの、川を遡上するもの、川の周囲の水路や池沼で暮らすもの、に分かれるようである。これもおかしい。ふつう淡水魚類は、それぞれ大まかに好みの環境が決まっている。すなわちタカハヤやカワヨシノボリは上流に、オイカワやカマツカは中流に、ヌマムツやツチフキは下流や周辺水路に、クロダイやマハゼは河口に、ムツゴロウは干潟に、といった具合である。しかし、実際に調査をしているとわかるのだが、ニホンウナギはこうした法則性を無視して上流から下流、河口、周辺水路、池沼や干潟などあらゆる湿地帯で採集されるのである。こんな魚は他にいない。これは実に魅力的である。
 {{ 画像 7 ~ 9 : 様々な場所で採れるニホンウナギ。上から上流、中流、河口。いずれも福岡県内 }}
■《ニホンウナギのレッドリストのランクの妥当性》
このように、ニホンウナギという魚が日本の淡水魚の中でかなり特異で、その分布、形態、生態いずれの観点からもきわめて魅力的な魚であることがおわかりいただけたと思う。 ところがこれほどまでに魅力的なニホンウナギは残念ながら絶滅の危機にあり、2018年現在、環境省版のレッドリストで絶滅危惧IB類に選定されている。これはカワバタモロコやイシドジョウと同程度である。こういうことを言うと「淡水魚に詳しい人」には違和感があるかもしれない。「そんなに少ないか?」と。確かに九州全域におけるカワバタモロコの生息河川は5水系、イシドジョウは4水系であるのに対して、ニホンウナギは福岡県内だけで少なくとも50水系以上での生息を確認している。また、ニホンウナギのかば焼きをお店で見ることも、生きた個体を野外で見ることも、それほど難しくない。絶滅の危機にあるとは考えにくいという結論に達する人も多いだろう。しかし、私自身はこの評価は妥当と考えている。
ニホンウナギのレッドリストのランクの妥当性は、「本来の個体数からの減少率」という観点から見ればよく理解できる。四万十川の川漁師である山崎武氏が執筆した『四万十 川漁師ものがたり(同時代社)』という本には「河底をのぞくと二、三メートルの深さの処に撒きちらしたほど多くのウナギがみられた」、「(シラスウナギが)五十センチメートルぐらいの幅で白い布でも引きずるように大群で遡上したものである」といった衝撃的な記録が残されている。私も調査中に「かつては水中の石垣のすべての隙間からウナギが顔を覗かせていた」という話を地域の古老から何度か聞いたことがある。つまり、「ものすごくたくさんいる」のがニホンウナギの本来の姿であり、現在の「そこそこいる」という状況はすでにかなり異常な事態なのだ。実際に、シラスウナギ(ウナギの稚魚)の漁獲量データもそれを裏付けている。漁業者や需要の減少を割り引いても減りすぎである。
ニホンウナギはその産卵生態がほとんど不明である。例えばの話であるが、雌雄それぞれ100万匹以上が産卵場所に集合しないとうまく繁殖できないという生態であったならば、90万匹ずつ生き残っていたとしても再生産が不可能になり、ある個体数を割った途端にまったく繁殖できなくなる可能性も考えられるのである。つまり、一般的な淡水魚であるオイカワやカマツカの1000匹とニホンウナギの1000匹は、同じくらいの個体数がいたとしても、その意味あいがまったく異なるのである。したがって、激減は明らか、産卵生態は不明、この2点をもってして、絶滅危惧IB類にランクづけ保全対象種として扱うことは十分に根拠のある話なのだ。
 {{ 画像 10 : 美しい水底から顔を出すニホンウナギ(宮崎県にて) }}
■《ウナギを絶滅させないために必要なこと》
それでは、ニホンウナギの絶滅を回避するためには何をすればいいのだろうか? 広域分布種であり、産卵生態も不明であり、即効性のある対策としてとれる手段は少ない。そのような状況の中でもっとも効果が期待できるのは、「厳密な資源管理」と「生息環境の再生」の2つを強力に推進することだと私は考えている。特に後者においては、河口干潟の再生、河川上流から海域までの縦方向のつながりの再生、さらに河川と周辺水路・池沼の横方向のつながりの再生、の3点が重要である。ニホンウナギは肉食魚であり、日本列島のあらゆる湿地帯において頂点に近いところに位置する高次の捕食者である。餌となる多様な生物がウジャウジャといるような湿地帯の再生、すなわち日本列島のあらゆる湿地帯の再生が、ニホンウナギの再生に直結することになるだろう。
こんなにも個性的で魅力的な魚が、未来永劫日本列島の湿地帯からいなくなってしまうのは実に悲しい。21世紀に生きる我々には、ここでニホンウナギを絶滅させずに100年後、200年後に引き継ぐ義務がある。ぜひとも一度立ち止まって、この魅力的な魚の絶滅を回避するためにできることを、それぞれの立場で考えてみて欲しい。そして、そのための第一歩として必要なのは、生きた湿地帯生物としてのウナギという魚の魅力を知り、深く愛することであるのは間違いない。
●Author Profile  中島 淳  1977年生まれ.東京都出身,福岡県在住.九州大学大学院生物資源環境科学府博士後期課程修了.博士(農学).日本学術振興会特別研究員PD(九州大学工学研究院)を経て,現在は福岡県保健環境研究所研究員.特に好きな生き物はカマツカ,ドジョウ,ゲンゴロウ,ヒメドロムシ.著書に『 {{ 湿地帯中毒:身近な魚の自然史研究 : https://www.amazon.co.jp/dp/4486019997/ }}(東海大学出版部)』,『 {{ 日本のドジョウ 形態・生態・文化と図鑑 : https://www.amazon.co.jp/dp/4635062872/ }} (山と渓谷社)』、『 {{ ネイチャーガイド日本の水生昆虫 : https://www.bun-ichi.co.jp/tabid/57/pdid/978-4-8299-8411-6/Default.aspx }} (文一総合出版)』。 個人web サイト: {{ http://kuromushiya.com/koushiki/top.html }}
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 照明を落とした会議室は水を打ったようで、ただ肉を打つ鈍い音が響いていた。ビデオカメラに濾され、若干迫力と現実味を欠いた殴打の音が。  とは言え、それは20人ほどの若者を釘付けへするには十分な効果を持つ。四角く配置された古い長机はおろか、彼らが埋まるフェイクレザーの椅子すら、軋みの一つも上げない。もちろん、研修旅行の2日目ということで、集中講義に疲れ果て居眠りをしているわけでもない。白いスクリーンの中の光景に、身じろぎはおろか息すらこらしているのだろう。  映像の中の人物は息も絶え絶え、薄暗い独房の天井からぶら下げられた鎖のおかげで、辛うじて直立の状態を保っている。一時間近く、二人の男から代わる代わる殴られていたのだから当然の話だ――講義用にと青年が手を加えたので、今流れているのは10分ほどの総集編という趣。おかげで先ほどまでは端正だった顔が、次の瞬間には血まみれになっている始末。画面の左端には、ご丁寧にも時間と殴打した回数を示すカウンターまで付いていた。  まるで安っぽいスナッフ・フィルムじゃないか――教授は部屋の隅を見遣った。パイプ椅子に腰掛ける編集者の青年が、視線へ気付くのは早い。あくびをこぼしそうだった表情が引き締まり、すぐさま微笑みに変わる。まるで自らの仕事を誇り、称賛をねだる様に――彼が自らに心酔している事は知っていた。少なくとも、そういう態度を取れるくらいの処世術を心得ている事は。   男達が濡れたコンクリートの床を歩き回るピチャピチャという水音が、場面転換の合図となる。とは言っても、それまで集中的に顔を攻撃していた男が引き下がり、拳を氷の入ったバケツに突っ込んだだけの変化なのだが。傍らで煙草を吸っていたもう一人が、グローブのような手に砂を擦り付ける。  厄災が近付いてきても、捕虜は頭上でひとまとめにされた手首を軽く揺するだけで、逃げようとはしなかった。ひたすら殴られた顔は赤黒く腫れ上がり、虫の蛹を思わせる。血と汗に汚された顔へ、漆黒の髪がべっとり張り付いていた。もう目も禄に見えていないのだろう。  いや、果たしてそうだろうか。何度繰り返し鑑賞しても、この場面は専門家たる教授へ疑問を呈した。  重たげで叩くような足音が正面で止まった瞬間、俯いていた顔がゆっくり持ち上がった。閉じた瞼の針のような隙間から、榛色の瞳が僅かに覗いている。そう、その瞳は、間違いなく目の前の男を映していた。自らを拷問する男の顔を。相手がまるで、取るに足らない存在であるかの如く毅然とした無表情で。  カウンターが121回目の殴打を数えたとき、教授は手にしていたリモコンを弄った。一時停止ボタンは融通が利かず、122回目のフックは無防備な鳩尾を捉え、くの字に折り曲がった体が後ろへ吹っ飛ばされる残像を画面に残す。 「さて、ここまでの映像で気付いたことは、ミズ・ブロディ?」  目を皿のようにして画面へ見入っていた女子生徒が、はっと顔を跳ね上げる。逆光であることを差し引いても、その瞳は溶けた飴玉のように光が滲み、焦点を失っていた。 「ええ、はい……その、爪先立った体勢は、心身への負荷を掛ける意味で効果的だったと思います」 「その通り。それにあの格好は、椅子へ腰掛けた人間を相手にするより殴りやすいからね。ミスター・ロバーツ、執行者については?」 「二人の男性が、一言も対象者に話しかけなかったのが気になりました」  途中から手元へ視線を落としたきり、決して顔を上げようとしなかった男子生徒が、ぼそぼそと答えた。 「笑い者にしたり、罵ったりばかりで……もっと積極的に自白を強要するべきなのでは」 「これまでにも、この……M……」  机上のレジュメをひっくり返したが、該当資料は見あたらない。パイプ椅子から身を乗り出した青年が、さして潜めてもいない声でそっと助け船を出した。 「そう、ヒカル・K・マツモト……私達がMと呼んでいる男性には、ありとあらゆる方法で自白を促した。これまでにも見てきたとおり、ガスバーナーで背中を炙り、脚に冷水を掛け続け――今の映像の中で、彼の足元がおぼづかなかったと言う指摘は誰もしなかったね? とにかく、全ての手段に効果が得られなかった訳だ」  スマートフォンのバイブレーションが、空調の利きが悪い室内の空気を震わせる。小声で云々しながら部屋を出ていく青年を片目で見送り、教授は一際声の調子を高めた。 「つまり今回の目的は、自白ではない。暴力そのものだ。この行為の中で、彼の精神は価値を持たない。肉体は、ただ男達のフラストレーションの捌け口にされるばかり」  フラストレーションの代わりに「マスターベーション」と口走りそうになって、危うく言葉を飲み込んだのは、女性の受講生も多いからだ。5年前なら考えられなかったことだ――黴の生えた理事会の連中も、ようやく象牙の塔の外から出るとまでは言わなくとも、窓から首を突き出す位のことをし始めたのだろう。 「これまで彼は、一流の諜報員、捜査官として、自らのアイデンティティを固めてきた。ここでの扱いも、どれだけ肉体に苦痛を与えられたところで、それは彼にとって自らが価値ある存在であることの証明に他ならなかった。敢えて見せなかったが、この行為が始まる前に、我らはMと同時に捕縛された女性Cの事を彼に通告してある――彼女が全ての情報を吐いたので、君はもう用済みだ、とね」 「それは餌としての偽情報でしょうか、それとも本当にCは自白していたのですか」 「いや、Cもまだこの時点では黙秘している。Mに披露した情報は、ケース・オフィサーから仕入れた最新のものだ」  ようやく対峙する勇気を振り絞れたのだろう。ミスター・ロバーツは、そろそろと顔を持ち上げて、しんねりとした上目を作った。 「それにしても、彼への暴力は行き過ぎだと思いますが」 「身長180センチ、体重82キロもある屈強な25歳の男性に対してかね? 彼は深窓の令嬢ではない、我々の情報を抜き取ろうとした手練れの諜報員だぞ」  浮かんだ苦笑いを噛み殺し、教授は首を振った。 「まあ、衛生状態が悪いから、目方はもう少し減っているかもしれんがね。さあ、後半を流すから、Mと執行者、両方に注目するように」  ぶれた状態で制止していた体が思い切り後ろへふれ、鎖がめいいっぱいまで伸びきる。黄色く濁った胃液を床へ吐き散らす捕虜の姿を見て、男の一人が呆れ半分、はしゃぎ半分の声を上げる。「汚ぇなあ、しょんべんが上がってきてるんじゃないのかよ」  今年は受講者を20人程に絞った。抽選だったとは言え、単位取得が簡単でないことは周知の事実なので、応募してきた時点で彼らは自分を精鋭と見なしているのだろう。  それが、どうだ。ある者は暴力に魅せられて頬を火照らせ、ある者は今になって怖じ気付き、正義感ぶることで心の平穏を保とうとする。  経験していないとはこう言うことか。教授は今更ながら心中で嘆息を漏らした。ここのところ、現場慣れした小生意気な下士官向けの講義を受け持つことが多かったので、すっかり自らの感覚が鈍っていた。  つまり、生徒が悪いのでは一切ない。彼らが血の臭いを知らないのは、当然のことなのだ。人を殴ったとき、どれだけ拳が疼くのかを教えるのは、自らの仕事に他ならない。  手垢にまみれていないだけ、吸収も早いことだろう。余計なことを考えず、素直に。ドアを開けて入ってきたあの青年の如く。  足音もなく、すっと影のように近付いてきた青年は、僅かに高い位置へある教授の耳に小さな声で囁いた。 「例のマウンテンバイク、確保できたようです」  針を刺されたように、倦んでいた心が普段通りの大きさへ萎む。ほうっと息をつき、教授は頷いた。 「助かったよ。すまないな」 「いいや、この程度の事なら喜んで」  息子が12歳を迎えるまで、あと半月を切っている。祝いに欲しがるモデルは何でも非常に人気があるそうで、どれだけ自転車屋に掛け合っても首を振られるばかり。  日頃はあまり構ってやれないからこそ、約束を違えるような真似はしたくない。妻と二人ほとほと弱り果てていたとき、手を挙げたのが他ならぬ目の前の青年だった。何でも知人の趣味がロードバイクだとかで、さんざん拝み倒して新古品を探させたらしい。  誕生パーティーまでの猶予が一ヶ月を切った頃から、教授は青年へ厳しく言い渡していた。見つかり次第、どんな状況でもすぐに知らせてくれと。夜中でも、仕事の最中でも。 「奥様に連絡しておきましょうか。また頭痛でお悩みじゃなきゃいいんですけど」 「この季節はいつでも低気圧だ何だとごねているさ。悪いが頼むよ」  ちらつく画像を前にし、青年はまるで自らのプレゼントを手に入れたかの如くにっこりしてみせる。再びパイプ椅子に腰を下ろし、スマートフォンを弄くっている顔は真剣そのものだ。  ふと頭に浮かんだのは、彼が妻と寝ているか否かという、これまでも何度か考えたことのある想像だった。確かに毎週の如く彼を家へ連れ帰り、彼女もこの才気あふれる若者を気に入っている風ではあるが。  まさか、あり得ない。ファンタジーとしてならば面白いかもしれないが。  そう考えているうちは、大丈夫だろう。事実がどうであれ。 「こんな拷問を、そうだな、2ヶ月程続けた。自白を強要する真似は一切せず、ただ肉の人形の用に弄び、心身を疲弊させる事に集中した。詳細はレジュメの3ページに譲るとして……背中に水を皮下注射か。これは以前にも言ったが、対象が仰向けで寝る場合、主に有効だ。事前に確認するように」  紙を捲る音が一通り収まったのを確認してから、教授は手の中のリモコンを軽く振った。 「前回も話したが、囚人が陥りやすいクワシオルコルなど低タンパク血症の判断基準は脚の浮腫だ。だが今回は捕獲時に右靱帯を損傷し中足骨を剥離骨折したこと、何度も逃亡を試みた事から脚への拘束及び重点的に攻撃を加えたため、目視では少し判断が難しいな。そういうときは、圧痕の確認を……太ももを掴んで指の型が数秒間戻らなければ栄養失調だ」  似たような仕置きの続く数分が早送りされ、席のそこかしこから詰まったような息が吐き出される。一度飛ばした写真まで巻き戻せば、その呼吸は再びくびられたかのように止まった。 「さて、意識が混濁しかけた頃を見計らい、我々は彼を移送した。本国の収容所から、国境を越えてこの街に。そして抵抗のできない肉体を、一見無造作に投棄したんだ。汚い、掃き溜めに……えー、この国の言葉では何と?」 「『ゴミ捨て場』」 「そう、『ゴミ捨て場』に」  青年の囁きを、生徒達は耳にしていたはずだ。それ以外で満ちた沈黙を阻害するのは、プロジェクターの立てる微かなモーター音だけだった。  彼らの本国にもありふれた集合住宅へ――もっとも、今画面に映っている場所の方がもう少し設備は整っていたが。距離で言えば100キロも離れていないのに、こんな所からも、旧東側と西側の違いは如実に現れるのだ――よくある、ゴミ捨て場だった。三方を囲うのはコンクリート製の壁。腰程の高さへ積んだゴミ袋の山へ、野生動物避けの緑色をしたネットを掛けてあるような。  その身体は、野菜の切りくずやタンポンが詰められているのだろうゴミ袋達の上に打ち捨てられていた。横向きの姿勢でぐんにゃり弛緩しきっていたが、最後の意志で内臓を守ろうとした努力が窺える。腕を腹の前で交差し、身を縮める姿は胎児を思わせた。ユーラシアンらしい照り卵を塗ったパイ生地を思わせる肌の色味は、焚かれたフラッシュのせいで消し飛ばされる。 絡みもつれた髪の向こうで、血管が透けて見えるほど薄い瞼はぴたりと閉じられていた。一見すると死んでいるかのように見える。 「この国が我が祖国と国交を正常化したのは?」 「2002年です」 「よろしい、ミズ・グッドバー。だがミハイル・ゴルバチョフが衛星国の解放を宣言する以前から、両国間で非公式な交流は続けられていた。主に経済面でだが。ところで、Mがいた地点からほど近くにあるタイユロール記念病院は、あの鋼鉄商フォミン一族、リンゼイ・フォミン氏の働きかけで設立された、一種の『前哨基地』であることは、ごく一部のものだけが知る事実だ。彼は我が校にも多額の寄付を行っているのだから、ゆめゆめ備品を粗末に扱わぬよう」  小さな笑いが遠慮がちに湧いた矢先、突如画面が明るくなる。生徒達同様、教授も満ちる眩しさに目を細めた。 「Mは近所の通報を受け、この病院に担ぎ込まれた……カルテにはそう記載されている。もちろん、事実は違う。全ては我々の手配だ。彼は現在に至るまでの3ヶ月、個室で手厚く看護を受けている。最新の医療、滋養のある食事、尽くしてくれる看護士……もちろん彼は、自らの正体を明かしてはいないし、完全に心を開いてはいない。だが、病院の上にいる人間の存在には気付いていないようだ」 「気付いていながら、我々を欺いている可能性は?」 「限りなく低いだろう。外部との接触は行われていない……行える状態ではないし、とある看護士にはかなり心を許し、私的な話も幾らか打ち明けたようだ」  後は病室へ取り付けた監視用のカメラが、全てを語ってくれる。ベッドへ渡したテーブルへ屈み込むようにしてステーキをがっつく姿――健康状態はすっかり回復し、かつて教授がミラーガラス越しに眺めた時と殆ど変わらぬ軒昂さを取り戻していた。  両脚にはめられたギプスをものともせず、点滴の管を抜くというおいたをしてリハビリに励む姿――パジャマを脱いだ広い背中は、拷問の痕の他に、訓練や実践的な格闘で培われたしなやかな筋肉で覆われている。  車椅子を押す看護士を振り返り、微笑み掛ける姿――彼女は決して美人ではないが、がっしりした体つきやきいきびした物言いは母性を感じさせるものだった。だからこそ一流諜報員をして、生き別れの恋人やアルコール中毒であった父親の話まで、自らの思いの丈を洗いざらい彼女に白状せしめたのだろう。「彼女を本国へスカウトしましょうよ」報告書を読んだ青年が軽口を叩いていたのを思い出す。「看護士の給料って安いんでしょう? 今なら簡単に引き抜けますよ」 「今から10分ほど、この三ヶ月の記録からの抜粋を流す。その後はここを出て、西棟502号室前に移動を――Mが現在入院する病室の前だ。持ち物は筆記具だけでいい」  暗がりの中に戸惑いが広がる様子は、まるで目に見えるかのようだった。敢えて無視し、部屋を出る。  追いかけてきた青年は、ドアが完全に閉まりきる前から既にくすくす笑いで肩を震わせていた。 「ヘンリー・ロバーツの顔を見ましたか。今にも顎が落ちそうでしたよ」 「当然の話だろう」  煤けたような色のLEDライトは、細長く人気のない廊下を最低限カバーし、それ以上贅沢を望むのは許さないと言わんばかり。それでも闇に慣れた眼球の奥をじんじんと痺れさせる。大きく息をつき、教授は何度も目を瞬かせた。 「彼らは現場に出たこともなければ、百戦錬磨の諜報員を尋問したこともない。何不自由なく育った二十歳だ」 「そんなもんですかね」  ひんやりした白塗りの壁へ背中を押��つけ、青年はきらりと目を輝かせた。 「俺は彼ら位の頃、チェチェン人と一緒にウラル山脈へこもって、ロシアのくそったれ共を片っ端から廃鉱山の立坑に放り込んでましたよ」 「『育ちゆけよ、地に満ちて』だ。平和は有り難いことさ」  スマートフォンの振動は無視するつもりだったが、結局ポケットへ手を突っ込み、液晶をタップする。現れたテキストをまじまじと見つめた後、教授は紳士的に視線を逸らしていた青年へ向き直った。 「君のところにもメッセージが行っていると思うが、妻が改めて礼を言ってくれと」 「お安い御用ですよ」 「それと、ああ、その自転車は包装されているのか?」 「ほうそうですか」  最初繰り返したとき、彼は自らが口にした言葉の意味を飲み込めていなかったに違いない。日に焼けた精悍な顔が、途端にぽかんとした間抜け面に変わる。奨学金を得てどれだけ懸命に勉強しても、この表情を取り繕う方法は、ついぞ学べなかったらしい。普段の明朗な口振りが嘘のように、言葉付きは歯切れが悪い。 「……ええっと、多分フェデックスか何かで来ると思うので、ダンボールか緩衝材にくるんであるんじゃないでしょうか……あいつは慣れてるから、配送中に壊れるような送り方は絶対しませんよ」 「いや、そうじゃないんだ。誕生日の贈り物だから、可愛らしい包み紙をこちらのほうで用意すべきかということで」 「ああ、なるほど……」  何とか混乱から立ち直った口元に、決まり悪げなはにかみが浮かぶ。 「しかし……先生の息子さんが羨ましい。俺の親父もマツモトの父親とそうそう変わらないろくでなしでしたから」  僅かに赤らんだ顔を俯かせて頭を掻き、ぽつりと呟いた言葉に普段の芝居掛かった気負いは見られない。鈍い輝きを帯びた瞳が、おもねるような上目遣いを見せた。 「先生のような父親がいれば、きっと世界がとてつもなく安全で、素晴らしい物のように見えるでしょうね」  皮肉を言われているのか、と一瞬思ったが、どうやら違うらしい。  息子とはここ数週間顔を合わせていなかった。打ち込んでいるサッカーの試合や学校の発表会に来て欲しいと何度もせがまれているが、積み重なる仕事は叶えてやる機会を許してはくれない。  いや、本当に自らは、努力を重ねたか? 確たる意志を以て、向き合う努力を続けただろうか。  自らが妻子を愛していると、教授は知っている。彼は己のことを分析し、律していた。自らが家庭向きの人間ではないことを理解しなから、家族を崩壊させないだけのツボを的確に押さえている事実へ、怒りの叫びを上げない程度には。  目の前の男は、まだ期待の籠もった眼差しを向け続けている。一体何を寄越せば良いと言うのだ。今度こそ苦い笑いを隠しもせず、教授は再びドアノブに手を伸ばした。  着慣れない白衣姿に忍び笑いが漏れるのへ、わざとらしいしかめっ面を作って見せる。 「これから先、私は傍観者だ。今回の実習を主導するのは彼だから」  「皆の良い兄貴分」を気取っている青年が、芝居掛かった仕草のお辞儀をしてみせる。生徒達と同じように拍手を与え、教授は頷いた。 「私はいないものとして考えるように……皆、彼の指示に従うこと」 「指示なんて仰々しい物は特にない、みんな気楽にしてくれ」  他の患者も含め人払いを済ませた廊下へ響かぬよう、普段よりは少し落とした声が、それでも軽やかに耳を打った。 「俺が定める禁止事項は一つだけ――禁止事項だ。これからここで君たちがやった事は、全てが許される。例え法に反することでも」  わざとらしく強い物言いに、顔を見合わせる若者達の姿は、これから飛ぶ練習を始める雛鳥そのものだった。彼らをぐるりと見回す青年の胸は、愉悦でぱんぱんに膨れ上がっているに違いない。大袈裟な身振りで手にしたファイルを振りながら、むずつかせる唇はどうだろう。心地よく浸る鷹揚さが今にも溢れ出し、顔を満面の笑みに変えてしまいそうだった。 「何故ならこれから君達が会う人間は、その法律の上では存在しない人間なんだから……寧ろ俺は、君達に積極的にこのショーへ参加して欲しいと思ってる。それじゃあ、始めようか」  最後にちらりと青年が寄越した眼差しへ、教授はもう一度頷いて見せた。ここまでは及第点。生徒達は不安を抱えつつも、好奇心を隠せないでいる。  ぞろぞろと向かった先、502号室の扉は閉じられ、物音一つしない。ちょうど昼食が終わったばかりだから、看護士から借りた本でも読みながら憩っているのだろう――日報はルーティンと化していたが、それでも教授は欠かさず目を通し続けていた。  生徒達は皆息を詰め、これから始まる出し物を待ちかまえている。青年は最後にもう一度彼らを振り向き、シッ、と人差し指を口元に当てた。ぴいん、と緊張が音を立てそうなほど張り詰められたのは、世事に疎い学生達も気がついたからに違いない。目の前の男の目尻から、普段刻まれている笑い皺がすっかり失せていると。  分厚い引き戸が勢いよく開かれる。自らの姿を、病室の中の人間が2秒以上見つめたと確認してから、青年はあくまで穏やかな、だがよく聞こえる声で問いかけた。 「あんた、ここで何をしているんだ」  何度も尋問を起こった青年と違い、教授がヒカル・K・マツモトを何の遮蔽物もなくこの目で見たのは、今日が初めての事だった。  教授が抱いた印象は、初見時と同じ――よく飼い慣らされた犬だ。はしっこく動いて辺りを確認したかと思えば、射るように獲物を見据える切れ長で黒目がちの瞳。すっと通った細長い鼻筋。桜色の形良い唇はいつでも引き結ばれ、自らが慎重に選んだ言葉のみ、舌先に乗せる機会を待っているかのよう。  見れば見るほど、犬に思えてくる。教授がまだ作戦本部にいた頃、基地の中を警邏していたシェパード。栄養状態が回復したせいか、艶を取り戻した石炭色の髪までそっくりだった。もっともあの軍用犬達はベッドと車椅子を往復していなかったので、髪に寝癖を付けたりなんかしていなかったが。  犬は自らへしっぽを振り、手綱を握っている時にのみ役に立つ。牙を剥いたら射殺せねばならない――どれだけ気に入っていたとしても。教授は心底、その摂理を嘆いた。  自らを散々痛めつけた男の顔を、一瞬にして思い出したのだろう。Mは驚愕に目を見開いたものの、次の瞬間車椅子の中で身構えた。 「おまえは…!」 「何をしているかと聞いているんだ、マツモト。ひなたぼっこか?」  もしもある程度予測できていた事態ならば、この敏腕諜報員のことだ。ベッド脇にあるナイトスタンドから取り上げた花瓶を、敵の頭に叩きつける位の事をしたかもしれない。だが不幸にも、青年の身のこなしは機敏だった。パジャマの襟首を掴みざま、まだ衰弱から完全に抜けきっていない体を床に引き倒す。 「どうやら、少しは健康も回復したようだな」  自らの足元にくずおれる姿を莞爾と見下ろし、青年は手にしていたファイルを広げた。 「脚はどうだ」 「おかげさまで」  ギプスをはめた脚をかばいながら、Mは小さく、はっきりとした声で答えた。 「どうやってここを見つけた」 「見つけたんじゃない。最初から知っていたんだ。ここへお前を入院させたのは俺たちなんだから」  一瞬見開かれた目は、すぐさま平静を取り戻す。膝の上から滑り落ちたガルシア・マルケスの短編集を押し退けるようにして床へ手を滑らせ、首を振る。 「逐一監視していた訳か」 「ああ、その様子だと、この病院そのものが俺たちの手中にあったとは、気付いていなかったらしいな」  背後を振り返り、青年は中を覗き込む生徒達に向かって繰り返した。 「重要な点だ。この囚人は、自分が未だ捕らわれの身だという事を知らなかったそうだ」  清潔な縞模様のパジャマの中で、背中が緩やかな湾曲を描く。顔を持ち上げ、Mは生徒達をまっすぐ見つめた。  またこの目だ。出来る限り人だかりへ紛れながらも、教授はその眼差しから意識を逸らすことだけは出来なかった。有利な手札など何一つ持っていないにも関わらず、決して失われない榛色の光。確かにその瞳は森の奥の泉のように静まり返り、暗い憂いを帯びている。あらかじめ悲しみで心を満たし、もうそれ以上の感情を注げなくしているかのように。  ねめ回している青年も、Mのこの堅固さならよく理解しているだろう――何せ数ヶ月前、その頑強な鎧を叩き壊そうと、手ずから車のバッテリーに繋いだコードを彼の足に接触させていたのだから。  もはや今、鸚鵡のように「口を割れ」と繰り返す段階は過ぎ去っていた。ファイルの中から写真の束を取り出して二、三枚繰り、眉根を寄せる。 「本当はもう少し早く面会するつもりだったんだが、待たせて悪かった。あんたがここに来て、確か3ヶ月だったな。救助は来なかったようだ」 「ここの電話が交換式になってる理由がようやく分かったよ。看護士に渡した手紙も握りつぶされていた訳だな」 「気付いていたのに、何もしなかったのか」 「うちの組織は、簡単にとかげの尻尾を切る」  さも沈痛なそぶりで、Mは目を伏せた。 「大義を為すためなら、末端の諜報員など簡単に見捨てるし、皆それを承知で働いている」  投げ出されていた手が、そろそろと左足のギプスの方へ這っていく。そこへ削って尖らせたスプーンを隠してある事は、監視カメラで確認していた。知っていたからこそ、昨晩のうちに点滴へ鎮静剤を混ぜ、眠っているうちに取り上げてしまう事はたやすかった。  ほつれかけたガーゼに先細りの指先が触れるより早く、青年は動いた。 「確かに、お前の所属する組織は、仲間がどんな目に遭おうと全く気に掛けないらしいな」  手にしていた写真を、傷が目立つビニール張りの床へ、一枚、二枚と散らす。Mが身を凍り付かせたのは、まだ僅かに充血を残したままの目でも、その被写体が誰かすぐ知ることが出来たからだろう。 「例え女であったとしても、我が国の情報局が手加減など一切しないことは熟知しているだろうに」  最初の数枚においては、CもまだMが知る頃の容姿を保っていた。枚数が増えるにつれ、コマの荒いアニメーションの如く、美しい女は徐々に人間の尊厳を奪われていく――撮影日時は、写真の右端に焼き付けられていた。  Mがされていたのと同じくらい容赦なく殴られ、糞尿や血溜まりの中で倒れ伏す姿。覚醒剤で朦朧としながら複数の男達に辱められる。時には薬を打たれることもなく、苦痛と恥辱の叫びを上げている歪んだ顔を大写しにしたものもある。分かるのは、施されるいたぶりに終わりがなく、彼女は時を経るごとにやせ細っていくということだ。 「あんたがここで骨休めをしている間、キャシー・ファイクは毎日尋問に引き出されていた。健気に耐えたよ、全く驚嘆すべき話だ。そういう意味では、君たちの組織は実に優秀だと言わざるを得ない」  次々と舞い落ちてくる写真の一枚を拾い上げ、Mは食い入るように見つめていた。養生生活でただでも青白くなった横顔が、俯いて影になることで死人のような灰色に変わる。 「彼女は最終的に情報を白状したが……恐らく苦痛から解放して欲しかったのだろう。この三ヶ月で随分衰弱してしまったから」  Mは自らの持てる技術の全てを駆使し、動揺を押さえ込もうとしていた。その努力は殆ど成功している。ここだけは仄かな血色を上らせた、薄く柔い唇を震わせる以外は。  その様をつくづくと見下ろしながら、青年はどこまでも静かな口調で言った。 「もう一度聞くが、あんた、ここで何をしていた?」  再び太ももへ伸ばされた左手を、踏みつけにする足の動きは機敏だった。固い靴底で手の甲を踏みにじられ、Mはぐっと奥歯を噛みしめ、相手を睨み上げた。教授が初めて目にする、燃えたぎるような憎悪の色を視線に織り込みながら。その頬は病的なほど紅潮し、まるで年端も行かない子供を思わせる。  そして相手がたかぶるほど、青年は感情を鎮静化させていくのだ。全ての写真を手放した後、彼は左腕の時計を確認し、それから壁に掛かっていた丸い時計にも目を走らせた。 「数日前、Cはこの病院に運び込まれた。お偉方は頑なでね。まだ彼女が情報を隠していると思っているようだ」 「これ以上、彼女に危害を加えるな」  遂にMは口を開き、喉の奥から絞り出すようにして声を放った。 「情報ならば、僕が話す」 「あんたにそんな役割は求めていない」  眉一つ動かすことなく、青年は言葉を遮った。 「あんたは3ヶ月前に、その言葉を口にすべきだった。もう遅い」  唇を噛むMから目を離さないまま、部屋の前の生徒達に手だけの合図が送られる。今やすっかりその場の空気に飲まれ、彼らはおたおたと足を動かすのが精一杯。一番賢い生徒ですら、質問を寄越そうとはしなかった。 「彼女に会わせてやろう。もしも君が自分の足でそこにたどり着けるのならば。俺の上官が出した指示はこうだ。この廊下の突き当たりにある手術室にCを運び込み、麻酔を掛ける。5分毎に、彼女の体の一部は切り取られなければならない。まずは右腕、次に右脚、四肢が終わったら目を抉り、鼻を削いで口を縫い合わせ、喉を潰す。耳を切りとったら次は内臓だ……まあ、この順番は多少前後するかもしれない。医者の気まぐと彼女の体調次第で」  Mはそれ以上、抗弁や懇願を口にしようとはしなかった。ただ歯を食いしばり、黙ってゲームのルールに耳を澄ましている。敵の陣地で戦うしか、今は方法がないのだと、聡い彼は理解しているのだろう。 「もしも君が部屋までたどり着けば、その時点で手術を終了させても良いと許可を貰ってる。彼女の美しい肉体をどれだけ守れるかは、君の努力に掛かっているというわけだ」  足を離して解放しざま、青年はすっと身を傍らに引いた。 「予定じゃ、もうカウントダウンは始まっている。そろそろ医者も、彼女の右腕に局部麻酔を打っているんじゃないか?」  青年が言い終わらないうちに、Mは床に投げ出されていた腕へ力を込めた。  殆ど完治しているはずの脚はしかし、過剰なギプスと長い車椅子生活のせいですっかり萎えていた。壁に手をつき、立ち上がろうとする奮闘が繰り返される。それだけの動作で、全身に脂汗が滲み、細かい震えが走っていた。  壁紙に爪を立てて縋り付き、何とか前かがみの姿勢になれたとき、青年はその肩に手を掛けた。力任せに押され、受け身を取ることも叶わなかったらしい。無様に尻餅をつき、Mは顔を歪めた。 「さあ」  人を突き飛ばした手で部屋の外に並ぶ顔を招き、青年はもぞつくMを顎でしゃくる。 「君達の出番だ」  部屋の中へ足を踏み入れようとするものは、誰もいなかった。  その後3度か4度、起き上がっては突き飛ばされるが繰り返される。結局Mは、それ以上立ち上がろうとする事を諦めた。歯を食いしばって頭を垂れ、四つん這いになる。出来る限り避けようとはしているのだろう。だが一歩手を前へ進めるたび、床へ広がったままの写真が掌にくっついては剥がれるを繰り返す。汗を掻いた手の下で、印画紙は皺を作り、折れ曲がった。 「このままだと、あっさり部屋にたどり着くぞ」  薄いネルの布越しに尻を蹴飛ばされ、何度かその場へ蛙のように潰れながらも、Mは部屋の外に出た。生徒達は彼の行く手を阻まない。かといって、手を貸したり「こんな事はよくない」と口にするものもいなかったが。  細く長い廊下は一直線で、突き当たりにある手術室までの距離は50メートル程。その気になれば10分も掛からない距離だ。  何とも奇妙な光景が繰り広げられた。一人の男が、黙々と床を這い続ける。その後ろを、20人近い若者が一定の距離を開けてぞろぞろと付いていく。誰も質問をするものはいなかった。ノートに記録を取るものもいなかった。 少し距離を開けたところから、教授は様子を眺めていた。次に起こる事を待ちながら――どういう形にせよ、何かが起こる。これまでの経験から、教授は理解していた。 道のりの半分程まで進んだ頃、青年はそれまでMを見張っていた視線を後ろへ振り向けた。肩が上下するほど大きな息を付き、ねだる様な表情で微笑んで見せる。 「セルゲイ、ラマー、手を貸してくれ。奴をスタートまで引き戻すんだ」  学生達の中でも一際体格の良い二人の男子生徒は、お互いの顔を見合わせた。その口元は緊張で引きつり、目ははっきりと怯えの色に染まっている。 「心配しなくてもいい。さっきも話したが、ここでは何もかもが許される……ぐずぐずするな、単位をやらないぞ」  最後の一言が利いたのかは分からないが、二人はのそのそと中から歩み出てきた。他の学生が顔に浮かべるのは非難であり、同情であり、それでも決して手を出すことはおろか、口を開こうとすらしないのだ。  話を聞いていたMは、必死で手足の動きを早めていた。どんどんと開き始める距離に、青年が再び促せば、結局男子生徒は小走りで後を追う。一人が腕を掴んだとき、Mはまるで弾かれたかのように顔を上げた。その表情は、自らを捕まえた男と同じくらい、固く強張っている。 「頼む」  掠れた声に混ざるのは、間違いなく懇願だった。小さな声は、静寂に満ちた廊下をはっきりと貫き通る。 「頼むから」 「ラマー」  それはしかし、力強い指導者の声にあっけなくかき消されるものだった。意を決した顔で、二人はMの腕を掴み直し、背後へと引きずり始めた。  Mの抵抗は激しかった。出来る限り身を捩り、ギプスのはまった脚を蠢かす。たまたま、固められたグラスファイバーが臑に当たったか、爪が腕を引っ掻いたのだろう。かっと眦をつり上げたセルゲイが、平手でMの頭を叩いた。あっ、と後悔の顔が浮かんだのもつかの間、拘束をふりほどいたMは再び手術室を目指そうと膝を突く。追いかけたラマーに、明確な抑止の気持ちがあったのか、それともただ単に魔が差したのかは分からない。だがギプスを蹴り付ける彼の足は、決して生ぬるい力加減のものではなかった。  その場へ横倒しになり、呻きを上げる敵対性人種を、二人の男子生徒はしばらくの間見つめていた。汗みずくで、時折せわしなく目配せを交わしあっている。やがてどちらともなく、再び仕事へ取りかかろうとしたとき、その足取りは最初と比べて随分とスムーズなものになっていた。  病室の入り口まで連れ戻され、身を丸めるMに、青年がしずしずと歩み寄る。腕時計をこれ見よがしに掲げながら放つ言葉は、あくまでも淡々としたものだった。 「今、キャシーは右腕を失った」  Mは全身を硬直させ、そして弛緩させた。何も語らず、目を伏せたまま、また一からやり直そうと努力を続ける。 不屈の精神。だがそれは青年を面白がらせる役にしか立たなかった。  同じような事が何度も繰り返されるうち、ただの背景でしかなかった生徒達に動きが見え始めた。  最初のうちは、一番に手助けを求められた男子生徒達がちょっかいをかける程度だった。足を掴んだり、行く手を塞いだり。ある程度進めばまた病室まで引きずっていく。そのうち連れ戻す役割に、数人が関わるようになった。そうなると、全員が共犯者になるまで時間が掛からない。  やがて、誰かが声を上げた。 「このスパイ」  つられて、一人の女子生徒がMを指さした。 「この男は、私たちの国を滅ぼそうとしているのよ」 「悪魔、けだもの!」  糾弾は、ほとんど悲鳴に近い音程で迸った。 「私の叔母は、戦争中こいつの国の人間に犯されて殺された! まだたった12歳だったのに!」  生徒達の目の焦点が絞られる。  病室へ駆け込んだ一人が戻ってきたとき手にしていたのは、ピンク色のコスモスを差した重たげな花瓶だった。花を引き抜くと、その白く分厚い瀬戸物を、Mの頭上で逆さまにする。見る見るうちに汚れた冷水が髪を濡らし、パジャマをぐっしょり背中へと張り付かせる様へ、さすがに一同が息を飲む。  さて、どうなることやら。教授は一歩離れた場所から、その光景を見守っていた。  幸い、杞憂は杞憂のままで終わる。すぐさま、どっと歓声が弾けたからだ。笑いは伝染する。誰か一人が声を発すれば、皆が真似をする。免罪符を手に入れたと思い込む。  そうなれば、後は野蛮で未熟な度胸試しの世界になった。 殴る、蹴るは当たり前に行われた。直接手を出さない者も、もう目を逸らしたり、及び腰になる必要はない。鋏がパジャマを切り裂き、無造作に掴まれた髪を黒い束へと変えていく様子を、炯々と目を光らせて眺めていられるのだ。 「まあ、素敵な格好ですこと」  また嘲笑がさざ波のように広がる。その発作が収まる隙を縫って、時折腕時計を見つめたままの青年が冷静に告げる。「今、左脚が失われた」  Mは殆ど抵抗しなかった。噛みしめ過ぎて破れた唇から血を流し、目尻に玉の涙を浮かべながら。彼は利口だから、既に気付いていたのだろう。まさぐったギプスに頼みの暗器がない事にも、Cの命が彼らの機嫌一つで簡単に失われるという事も――その経験と知識と理性により、がんじがらめにされた思考が辿り着く結論は、一つしかない――手術室を目指せ。  まだ、この男は意志を折ってはいない。作戦本部へ忍び込もうとして捕らえられた時と、何一つ変わっていない。教授は顎を撫で、青年を見遣った。彼はこのまま、稚拙な狂乱に全てを任せるつもりなのだろうか。  罵りはやし立てる声はますます激しくなった。上擦った声の多重奏は狭い廊下を跳ね回っては、甲高く不気味な音程へと姿を変え戻ってくる。 短くなった髪を手綱のように掴まれ、顎を逸らされるうち、呼吸が続かなくなったのだろう。強い拒絶の仕草で、Mの首が振られる。彼の背中へ馬乗りになり、尻を叩いていた女子学生達が、体勢を崩して小さく悲鳴を上げた。 「このクズに思い知らせてやれ」  仕置きとばかりに脇腹へ爪先を蹴込んだ男子生徒が、罵声をとどろかせた。 「自分の身分を思い知らせろ、大声を上げて泣かせてやれ」  津波のような足音が、身を硬直させる囚人に殺到する。その体躯を高々と掲げ上げた一人が、青年に向かって声を張り上げた。 「便所はどこですか」  指で示しながら、青年は口を開いた。 「今、鼻が削ぎ落とされた」  天井すれすれの位置まで持ち上げられた瞬間、全身に張り巡らされた筋肉の緊張と抵抗が、ふっと抜ける。力を無くした四肢は生徒達の興奮の波に合わせてぶらぶらと揺れるが、その事実に気付いたのは教授と、恐らく青年しかいないようだった。  びしょ濡れで、破れた服を痣だらけで、見るも惨めな存在。仰向けのまま、蛍光灯の白々とした光に全身を晒し、その輪郭は柔らかくぼやけて見えた。逸らされた喉元が震え、虚ろな目はもう、ここではないどこかをさまよってる――あるいは閉じこもったのだろうか?  一つの固い意志で身を満たす人間は、荘厳で、純化される。まるで死のように――教授が想像したのは、『ハムレット』の終幕で、栄光を授けられ、兵達に運び出されるデンマーク王子の亡骸だった。  実際のところ、彼は気高い王子ではなく、物語がここで終わる訳でもないのだが。  男子トイレから上がるはしゃいだ声が熱を帯び始めた頃、スラックスのポケットでスマートフォンが振動する。発信者を確認した教授は、一度深呼吸をし、それから妻の名前を呼んだ。 「どうしたんだい、お義父さんの容態が変わった?」 「それは大丈夫」  妻の声は相変わらず、よく着こなされた毛糸のセーターのように柔らかで、温かかった。特に差し向かいで話をしていない時、その傾向は顕著になる。 「あのね、自転車の事なんだけれど、いつぐらいに着くのかしら」  スピーカーを手で押さえながら、教授は壁に寄りかかってスマートフォンを弄っていた青年に向かって叫んだ。 「君の友達は、マウンテンバイクの到着日時を指定したって言っていたか」 「いえ」 「もしもし、多分来週の頭くらいには配送されると思うよ」 「困ったわ、来週は婦人会とか読書会とか、家を空けるのよ」 「私がいるから受け取っておく、心配しないでいい。何なら再配達して貰えば良いし」 「そうね、サプライズがばれなければ」 「子供達は元気にしてるかい」 「変わらずよ。来週の休暇で、貴方とサッカーの試合を観に行くのを楽しみにしてる」 「そうだった。君はゆっくり骨休めをするといいよ……そういえば、さっきの包装の事だけれど、わざわざ紙で包まなくても、ハンドルにリボンでも付けておけばいいんじゃないかな」 「でも、もうさっき玩具屋で包装紙を買っちゃったのよ!」 「なら、それで箱を包んで……誕生日まで隠しておけるところは? クローゼットには入らないか」 「今物置を片づけてるんだけど、貴方の荷物には手を付けられないから、帰ったら見てくれる?」 「分かった」 「そっちで無理をしないでね……ねえ、今どこにいるの? 人の悲鳴が聞こえたわ」 「生徒達が騒いでるんだよ。皆研修旅行ではしゃいでるから……明日は一日、勉強を休んで遊園地だし」 「貴方も一緒になって羽目を外さないで、彼がお目付け役で付いていってくれて一安心だわ……」 「みんないい子にしてるさ。もう行かないと。愛してるよ、土産を買って帰るからね」 「私も愛してるわ、貴方」  通話を終えたとき、また廊下の向こうで青年がニヤニヤ笑いを浮かべているものかと思っていたが――既に彼は、職務に戻っていた。  頭から便器へ突っ込まれたか、小便でも掛けられたか、連れ戻されたMは床へぐったり横たわり、激しく噎せ続けていた。昼に食べた病院食は既に吐き出したのか、今彼が口から絶え間なく溢れさせているのは黄色っぽい胃液だけだった。床の上をじわじわと広がるすえた臭いの液体に、横顔や髪がべったりと汚される。 「うわ、汚い」 「こいつ、下からも漏らしてるぞ」  自らがしでかした行為の結果であるにも関わらず、心底嫌悪に満ちた声がそこかしこから上がる。 「早く動けよ」  どれだけ蔑みの言葉を投げつけられ、汚れた靴で蹴られようとも、もうMはその場に横たわったきり決して動こうとしなかった。頑なに閉じる事で薄い瞼と長い睫を震わせ、力の抜けきった肉体を冷たい床へと投げ出している。  糸の切れた操り人形のようなMの元へ、青年が近付いたのはそのときのことだった。枕元にしゃがみ込み、指先でこつこつと腕時計の文字盤を叩いてみせる。 「あんたはもう、神に身を委ねるつもりなんだな」  噤まれた口などお構いなしに、話は続けられる。まるで眠りに落ちようとしている息子へ、優しく語り掛ける母のように。 「彼女はもう、手足もなく、目も見えず耳も聞こえない、今頃舌も切り取られただろう……生きる屍だ。これ以上、彼女を生かすのはあまりにも残酷過ぎる……だからこのまま、手術が進み、彼女の肉体が耐えられなくなり、天に召されるのを待とうとしているんだな」  Mは是とも否とも答えなかい。ただ微かに顔を背け、眉間にきつく皺を寄せたのが肯定の証だった。 「俺は手術室に連絡を入れた。手術を中断するようにと。これでもう、終わりだ。彼女は念入りに手当されて、生かされるだろう。彼女は強い。生き続ければ、いつかはあんたに会えると、自分の存在があんたを生かし続けると信じているからだ。例え病もうとも、健やかであろうとも……彼女はあんたを待っていると、俺は思う」  Mの唇がゆっくりと開き、それから固まる。何かを、言おうと思ったのだろう。まるで痙攣を起こしたように顎ががくがくと震え、小粒なエナメル質がカチカチと音を立てる。今にも舌を噛みそうだった。青年は顔を近付け、吐息に混じる潰れた声へ耳を傾けた。 「彼女を……彼女を、助けてやってくれ。早く殺してやってくれ」 「だめだ。それは俺の仕事じゃない」  ぴしゃりと哀願をはねのけると、青年は腰を上げた。 「それはあんたの仕事だ。手術室にはメスも、薬もある。あんたがそうしたいのなら、彼女を楽にしてやれ。俺は止めはしない」  Mはそれ以上の話を聞こうとしなかった。失われていた力が漲る。傷ついた体は再び床を這い始めた。  それまで黙って様子を見守っていた生徒達が、顎をしゃくって見せた青年の合図に再び殺到する。無力な腕に、脚に、襟首に、胴に、絡み付くかのごとく手が伸ばされる。  今度こそMは、全身の力を使って体を突っ張らせ、もがき、声を限りに叫んだ。生徒達が望んでいたように。獣のような咆哮が、耳を聾する。 「やめてくれ……行かせてくれ!! 頼む、お願いだ、お願いだから!!」 「俺達の国の人間は、もっと酷い目に遭ったぞ」  それはだが、やがて生徒達の狂躁的な笑い声に飲み込まれる。引きずられる体は、病室を通り過ぎ、廊下を曲がり、そして、とうとう見えなくなった。Mの血を吐くような叫びだけが、いつまでも、いつまでも聞こえ続けていた。  再びMの姿が教授の前へと現れるまで、30分程掛かっただろうか。もう彼を邪魔するものは居なかった。時々小馬鹿にしたような罵声が投げかけられるだけで。  力の入らない手足を叱咤し、がくがくと震わせながら、それでもMは這い続けた。彼はもう、前を見ようとしなかった。ただ自分の手元を凝視し、一歩一歩、渾身の力を振り絞って歩みを進めていく。割れた花瓶の破片が掌に刺さっても、顔をしかめる事すらしない。全ての表情はすっぽりと抜け落ち、顔は仮面のように、限りなく端正な無表情を保っていた。まるで精巧なからくり人形の、動作訓練を行っているかのようだった。彼が人間であることを示す、手から溢れた薄い血の痕が、ビニールの床へ長い線を描いている。  その後ろを、生徒達は呆けたような顔でのろのろと追った。髪がめちゃくちゃに逆立っているものもいれば、ネクタイを失ったものもいる。一様に疲れ果て、後はただ緩慢に、事の成り行きを見守っていた。  やがて、汚れ果てた身体は、手術室にたどり着いた。  伸ばされた手が、白い扉とドアノブに赤黒い模様を刻む。全身でぶつかるようにしてドアを押し開け、そのままその場へ倒れ込んだ。  身を起こした時、彼はすぐに気が付いたはずだ。  その部屋が無人だと。  手術など、最初から行われていなかったと。  自らが犯した、取り返しの付かない過ちと、どれだけ足掻いても決して変えることの出来なかった運命を。 「彼女は手術を施された」  入り口に寄りかかり、口を開いた青年の声が、空っぽの室内に涼々と広がる。 「彼女はあんたに会いたがっていた。あんたを待っていた。それは過去の話だ」  血と汗と唾液と、数え切れない程の汚物にまみれた頭を掴んでぐっと持ち上げ、叱責は畳みかけられる。 「彼女は最後まで、あんたを助けてくれと懇願し続けた。半年前、この病院へ放り込まれても、あんたに会おうと這いずり回って何度も逃げ出そうとした。もちろん、ここがどんな場所かすぐに気付いたよ。だがどれだけ宥めても、あんたと同じところに返してくれの一点張りだ。愛情深く、誇り高い、立派な女性だな。涙なしには見られなかった」  丸く開かれたMの口から、ぜいぜいと息とも声とも付かない音が漏れるのは、固まって鼻孔を塞ぐ血のせいだけではないのだろう。それでも青年は、髪を握る手を離さなかった。 「だから俺達は、彼女の望みを叶えてやった。あんたと共にありたいという望みをな……ステーキは美味かったか? スープは最後の一匙まで飲み干したか? 彼女は今頃、どこかの病院のベッドの上で喜んでいるはずだ。あんたと二度と離れなくなっただけじゃない。自分の肉体が、これだけの責め苦に耐えられる程の健康さをあんたに取り戻させたんだからな」  全身を震わせ、Mは嘔吐した。もう胃の中には何も残っていないにも関わらず。髪がぶちぶちと引きちぎられることなどお構いなしで俯き、背中を丸めながら。 「吐くんじゃない。彼女を拒絶するつもりか」  最後に一際大きく喉が震えたのを確認してから、ぱっと手が離される。 「どれだけ彼女を悲しませたら、気が済むんだ」  Mがもう、それ以上の責め苦を与えられる事はなかった。白目を剥いた顔は吐瀉物――に埋まり、ぴくりとも動かない。もうしばらく、彼が意識を取り戻すことはないだろう――なんなら、永遠に取り戻したくはないと思っているかもしれない。 「彼はこの後すぐ麻酔を打たれ、死体袋に詰め込まれて移送される……所属する組織の故国へか、彼の父の生まれ故郷か、どこ行きの飛行機が手頃かによるが……またどこかの街角へ置き去りにされるだろう」  ドアに鍵を掛け、青年は立ち尽くす生徒達に語り掛けた。 「君達は、俺が随分ひどい仕打ちをしでかしたと思っているだろう。だが、あの男はスパイだ。彼が基地への潜入の際撃ち殺した守衛には、二人の幼い子供達と、身重の妻がいる……これは君達への気休めに言ってるんじゃない。彼を生かし続け、このまま他の諜報員達に甘い顔をさせていたら、それだけ未亡人と父無し子が増え続けるってことだ」  今になって泣いている女子生徒も、壁に肩を押しつけることで辛うじてその場へ立っている男子生徒も、同じ静謐な目が捉え、慰撫していく。 「君達は、12歳の少女が犯されて殺される可能性を根絶するため、ありとあらゆる手段を用いることが許される。それだけ頭に入れておけばいい」  生徒達はぼんやりと、青年の顔を見つめていた。何の感情も表さず、ただ見つめ続けていた。  この辺りが潮時だ。ぽんぽんと手を叩き、教授は沈黙に割って入った。 「さあ、今日はここまでにしよう。バスに戻って。レポートの提出日は休み明け最初の講義だ」  普段と代わり映えのしない教授の声は、生徒達を一気に現実へ引き戻した。目をぱちぱちとさせたり、ぐったりと頭を振ったり。まだ片足は興奮の坩堝へ突っ込んでいると言え、彼らはとろとろとした歩みで動き出した。 「明日に備えてよく食べ、よく眠りなさい。遊園地で居眠りするのはもったいないぞ」  従順な家畜のように去っていく中から、まだひそひそ話をする余力を残していた一人が呟く。 「すごかったな」   白衣を受付に返し、馴染みの医師と立ち話をしている間も、青年は辛抱強く教授の後ろで控えていた。その視線が余りにも雄弁なので、あまりじらすのも忍びなくなってくる――結局のところ、彼は自らの手中にある人間へ大いに甘いのだ。 「若干芝居掛かっていたとは言え、大したものだ」  まだ敵と対決する時に浮かべるのと同じ、緊張の片鱗を残していた頬が、その一言で緩む。 「ありがとうございます」 「立案から実行までも迅速でスムーズに進めたし、囚人の扱いも文句のつけようがない。そして、学生達への接し方と御し方は実に見事なものだ。普段からこまめに交流を深めていた賜だな」 「そう言って頂けたら、報われました」  事実、彼の努力は報われるだろう。教授の書く作戦本部への推薦状という形で。  青年は教授の隣に並んで歩き出した。期待で星のように目を輝かせ、胸を張りながら。意欲も、才能も、未来もある若者。自らが手塩にかけて全てを教え込み、誇りを持って送り出す事の出来る弟子。  彼が近いうちに自らの元を去るのだと、今になってまざまざ実感する。 「Mはどこに棄てられるんでしょうね。きっとここからずっと離れた、遙か遠い場所へ……」  今ほど愛する者の元へ帰りたいと思ったことは、これまで一度もなかった。  終
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kuroda-kanbee · 7 years
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数年分のコピペ014
7月 16, 2017 9条教は   なぜか憲法1条~8条は守らない。   憲法96条も守らない。   1条~8条は天皇、96条は改正手続き。9条教が守らないのも納得。   19条(思想および良心の自由)、20条(信教の自由)、21条(集会・結社・表現の自由)あたりにも敏感と思われるが、   12条(自由・権利の保持の責任および乱用の禁止)のことは忘れている。      それより13条(個人の生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利の尊重)を忘れているほうが問題。   この条文は、アメリカ独立宣言由来の民主主義にとって一番重要な条文。   これに比べたら、平和主義は枝葉末節の思想。   89条(公の財産の支出又は利用の制限)が私学助成と矛盾しかねないのも無視する。   とにかく、9条だけは御題目のように毎日読むが、他の条文は目を通したことも無い。   憲法三大原理を理解しておらず、特に「国民主権」を守る気が無い。   「在日主権」は遵守する。   9条以外の憲法はどうでも良いが、「護憲派」を自称したがる。 過コピペ@2ch 生活のため真実に背く 他 【タブーかもしれないコピペ集】 (via realedge) (元記事: kakopipe.blog38.fc2.com (nawakatから))
7月 16, 2017 「南京大虐殺」ではない・・・これが「南京事件」です【日本人が襲われた】 覚書。私的ログ倉庫です。 2014年 8月29日 http://gofar.skr.jp/obo/archives/11404
58 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@:2014/08/27(水) 1926年7月から、ソ連の莫大な援助をもとに蒋介石(しょうかいせき)が、張作霖の打倒を目指して北伐を開始しました。 そして、3月の南京占領の際に、支那兵は突然、日本領事館を襲いました。 日本領事館内には、領事夫妻を始め、領事館員の家族や武官、南京市内に住む日本人が避難していました。 金庫はハンマーで叩き壊され、女性は服を剥ぎ取られ裸にされ、金目のものを持っていないか確認され、子供たちは泣き叫び、地獄絵図となりました。 領事夫人は、27人に輪姦(レイプ)され、 30数人いた日本人婦人は、少女に至るまで陵辱されました。 その際、日本領事館員も、日本軍人も、避難してきた日本人居留民も、まったく抵抗しませんでした・・・海軍陸戦隊は、武器も持たずに領事館にいたのです。 荒木大尉一行は、武器を持っていなかったため、茫然と見ているしかなく・・・後に、荒木大尉はそれを恥じて「申し訳ない」と自決することになります。
これが「南京事件」です・・・これこそが「南京事件」です。 ちかごろはインチキ、ウソ話の「南京大虐殺」ばかりが取り上げられるようですが、 それ以前に、南京攻略まで至る様々な出来事があったのです。 死者だけは出なかったので幸いでしたが・・・英、仏、米の領事館、民間人には死者が出ました。そのため、揚子江のイギリス軍艦は、南京城内へ砲撃しています。 しかし、日本の軍艦は何もしませんでした・・・なぜなら? 当時の幣原外交は弱腰で「支那(しな)を刺激しないように」という訓令があったためです。 日本の外務省は、事を荒立てないため、広報に「わが在住婦女にして陵辱を受けたるもの一名もなし」と、まったくの嘘(うそ)を書きました。 退去令が出され、揚子江流域からは、日本人は全員着の身着のまま、財産を放り捨てて内地に引き揚げざるを得ませんでした。 幣原外交は「日支友好」「不干渉主義」でした。 こうした外交は、支那(しな)の対日政策を増長させていき「ちょっと暴れれば、弱虫の日本は逃げていく」と思われ、 暴力はエスカレートしていったのです。
[ 捏造 南京大虐殺] 反証 いろいろ + 中国共産党工作  【朝日新聞は南京事件でも捏造していた】本多勝一、写真捏造を認める! [南京大虐殺] 捏造写真を 元朝日新聞記者 本多勝一が 捏造と認める 『週刊新潮』グラビア  南京攻略戦・兵士たちの証言 「城内空っぽ。誰もいなかった」「虐殺あるはずない…」[中国プロパガンダ「南京大虐殺」の真実] 日本人が説明した日中戦争の経緯と中国ネット + 支那大陸近代歴史&雑学 [日本人必修かも] 反日在日朝鮮・韓国人+サヨク の ディスカウントジャパンの論法  反日工作機関 [売国・朝日新聞] 従軍慰安婦捏造 以外の 悪行 [工作手法] 朝日新聞 外国メディアを使った 反日記事ロンダリングの仕組み [南京攻略戦] 南京事件で40万人虐殺…安倍首相、米歴史教科書の歴史歪曲に「本当に愕然とした」 「創作された『歴史』の修正を主張する時期に来た、反撃せよニッポン!」ケント・ギルバート 毛沢東と#・譿ホ + 抗日戦勝記念行事と習近平 + 南京 + 反日左翼 [アエラ・工作記事] 日本からの「独立論」強まる 描く青写真 「独立宣言し、各国に働きかけて国家承認を求める」「朝日新聞ウィークリー AERA」 支那(中国)大陸 歴代 南京大虐殺 一覧 [南京大虐殺問題・従軍慰安婦問題・靖国問題]日本国を貶める三大歴史カードの元凶  朝日新聞    [中国情報戦] 日米開戦とベトナム戦争の裏側で (元記事: gofar.skr.jp (rainbowflower-gardenから))
7月 16, 2017 拉致なんてないと言ってた人たちリスト 土井たか子 辻元清美  村山富市 田辺誠 田英夫 志位和夫 野中広務 中山正暉 朝日新聞 日教組 和田春樹 坂本義和 吉田康彦 河野洋平 Twitter|元気な日本を愛する日本国民 @ashitaninareba7 (via ashzashwash) (petakirinから)
7月 16, 2017 天皇制・天皇制度どちらも共産党が作った言葉。日本人なら皇室が正解 アカは、憲法上の仕組みがあって皇室が存在していると思いたいから 「制」「制度」と言う言葉にあてはめようと言葉遊びを繰り返す。 皇室は日本の文化そのものだから制度云々の前に継続して存在しているんだが。 761 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/09/22(木) 02:34:52 ID:yGde+St30 ≫740皇室を解体するために、アカが作った造語なんだよね?制度を廃止する!というニュアンスの『天皇制』という造語。 765 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/09/22(木) 06:35:10 ID:TZ79WnNw0 ≫740 かなり昔から天皇制って言葉になんとなく違和感を感じてたけど、あんたのおかげで氷解した。ありがとう。 過コピペ@2ch 小学生の頃 左翼教育受けてた奴 (via bochinohito) 「天皇家」という表現も同じようなものだね。 「天皇」を苗字みたいに思ってるやつw ただしくは血筋を表すなら皇室、皇統と書く。 そもそも一般家庭と一緒に論じてしまうのが間違ってるんだな。 あと、保守を名乗ってる奴でも間違いが多いのが「御皇室」という書き方。 Ch桜も「今週の御皇室」などとふざけたタイトル名のコーナーがあるが、「皇」の字の前に良かれと思って「御」の字を重ねちゃうのがいいと思ってる輩を増やしてしまう原因にもなるので本当にやめて欲しい。本来「皇」の字の上につける文字は「天」以外に存在しないため、頭に御の字をつけると逆に不敬であると言われている。つまり、庶民からみて「皇室」は十分敬った言い方だ。 また、崩御、薨去なども頭に御の字を付けないのが正しい。 (via lumpleteza)
7月 16, 2017 日本の皇室は現在の日本国につながる国家が始まって以来ずっと続いているため、たとえば中国の唐王朝などの歴代の王朝や、現存する日本国外のウィンザー朝(イギリス)、チャクリー王朝(タイ)のような「国内に存在した他の王朝と区別するための王朝の名前」を持たない。強いて言えば、「日本」という国名そのものが王朝名である。 皇室 - Wikipedia (via invoke)(元記事: Wikipedia (awarenessxxから))
7月 15, 2017 #トランプ大統領の政策を日本に置き換えてみる ・中国、韓国、北朝鮮からの入国禁止措置 ・反日思想の在日韓国朝鮮人を強制送還 ・安い中国製品に対して関税20% ・日本企業や外国企業に日本国内の雇用を増やさせる ・韓国との国境に壁を作る \最高じゃんwww/ 500円さんのツイート (via windsock)(元記事: twitter.com (windsockから))
7月 15, 2017 これが日テレの忖度かw→ 玉木の親は香川県獣医師会の副会長 玉木の弟は獣医師 玉木の秘書は元日テレプロデューサー 玉木の秘書の夫は日テレ報道番組制作会社の会長 獣医師会は玉木に100万円の献金 玉木は父親に1000万円の借金(無利子のため実質的な献金の疑い) 獣医師会は加計学園の獣医学部新設に反対 玉木は獣医師会の会合で獣医学部新設は潰すと発言 怪文書の出所は今以て不明だが、持ってきたのは玉木 怪文書を真っ先に本物だと肯定した北村元議員は現獣医師会顧問 玉木と獣医師会の関係が明るみになっても日テレの報道番組では不自然な安倍叩き (via shinjihi)(peckoriから)
7月 15, 2017 今日、伊集院さんがラジオで言っていた、『自分は無信心で神様も信じてない、だけどお地蔵さんを蹴れるかっていうと無理だし賞味期限切れのおにぎりを踏めるかっていうと無理』という話、なんか大事な気がする。 そういうのが根っこにあるものとして暮らすけど、たまにそれが無い人に出会うと怖い。 幸福太郎さんのツイート (via mug-g) 興味深い (via hispwsbi)(元記事: twitter.com (salazosulfapyridineから))
7月 15, 2017 「腰痛」は、経験した人しか分からない痛みと辛さがある。そして、痛みが酷い上に、「どうすれば完治するのか」がはっきり分からないため、絶望的な気持ちになるものである。 私もそんな経験をした1人。私の場合は腰椎の椎間板ヘルニアだった。それも「手術をした方がいい」と言われるレベルの。ところが、ある整体院で教わった体操を実践しているうちに、みるみる痛みがとれて治ってしまったのだ。今回は、その方法をご紹介しよう。 最初に断っておくが、この記事で紹介する方法は、私にとっては効果が大きかったが、腰痛に悩む全ての人にとって有効である保証はない。あくまでも「実践したら私は治りました」という話である。 ・26歳で椎間板ヘルニア発症 ちなみに私が椎間板ヘルニアになったのは、26歳の時。「腰の痛みが酷い」と思って病院に行ったら、「MRI検査が受けられる大きい病院に行ってください」とのこと。 言われるがままに行った病院で検査を受けると、「腰椎4番5番の椎間板ヘルニア」と診断されたのだ。MRIの画像を見ると、確かに背骨から軟骨が飛び出しているではないか! 「マジかよ」という気分に追い打ちをかけるように、「手術した方がいい」と整形外科の先生からのご宣告。 ただ、生来のビビりであることに加えて、「腰椎椎間板ヘルニアは手術しても治るとは限らない」程度の知識があった私は、なんとか手術なしで治そうと考えた。整形外科だけでなく、整体院や鍼灸院などに行けば、どこかに有効な方法があるのではないかと思ったのだ。 ・病院を何件も回る それからというもの、ネットで「ここの鍼灸院がいい」という評判を見つければそこに行き、腰の具合が変わらなければまた別のところに行くという生活。全部で10件近くまわっただろうか。保険が効かないところが多かったため、経済的な面でも相当な負担だった。 ・思い出したくない坐骨神経痛 当時は、腰の痛みも酷かったが、強烈なのは坐骨神経痛! 私の場合は座れないタイプだったため、仕事面でも生活面でも支障が大きかった。足の指先までしびれる神経痛は、今でも思い出したいくない程である。 そんな時、ある整体院に行ったところ、先生に「手術しなくても、今から教える2種類の体操をすれば大丈夫」と言われた。最初は「腰椎の椎間板ヘルニアが体操程度で治るわけない」と思っていたが、やってみると本当に治ってしまったのだ! その体操は以下の通り!! ・体操1 まず、仰向けになり膝を立てる。そのまま腰を動かさずに、膝だけ左右にゆっくりと振ろう。左側が床についたら今度は右側というように、膝を180度の範囲で動かす。これだけである。この時大事なのは、ちょうど腰の当たりがほぐれているような感覚があること。「気持ちいい0」とまで感じられればベストだ ・体操2 次の体操も仰向けの状態で行う。まず、膝をゆっくりと持ち上げて、両腕で抱え込む。ちょうど、寝ながら体育座りをしているような格好だ。それから膝をゆっくりと胸に近づけていき、「これ以上は無理」というところで姿勢をキープ。この体操は、腰の部分が伸びて心地いいような感覚を感じながら行うのが重要。痛みを感じない範囲で、ゆっくりとやろう。 ・体操をする時間は? 長時間体操を行う必要は一切ない。腰痛の酷さにもよるが、1つの体操につき5分で合計10分。それを朝と寝る前の1日2回行えばOK! 非常にお手軽である。 ・効果は徐々に出る ただ、この体操はやってすぐに効果が出るというものではない。私の場合は、1週間くらいすると「ちょっと楽になったかな」という感覚があり、1カ月くらいすると、確実に快方に向かっているという実感があった。3カ月くらいするとほぼ痛みを感じなくなり、完全に痛みを感じなくなったのは6カ月後である。なので、根気よく続けることが大事! ・痛みをおして行うのは厳禁 なお、痛みが強い場合は、体操を完璧にやらなくても大丈夫。痛みで膝を左右180度まで動かせなかったり、膝を抱え込もうとしても膝が胸に着かないかもしれないが、最初はそれでも問題ない。続けているうちに徐々に可動範囲が広くなっていくので、無理のない範囲で行うこと。むしろ痛みをおしてやるのは厳禁だ。 ・痛くて全く動かない場合はどうするのか? 私自身そうだったのだが、中には「痛みを感じない範囲って言われても、ちょっとでも動かしたら痛いわ!」という人もいるだろう。そんな時、使えたのは「牽引」だ。整形外科や整体院の器具を使って行う、腰痛持ちにとっては、おなじみの方法である。 私の場合、牽引だけをしていても効果は薄かったが、牽引するとほんの少しだけ痛みがマシになったので、それから体操をするという手順を踏んだ。腰痛に悩んでいる人からは「牽引しても治らない」という声をよく聞くが、私にとっては「体操できる程度に痛みを抑える方法」と考えると有効であった。 ただし、牽引器具は全ての病院や整体院にあるわけではない。「やってみよう」と思っている人は、事前に電話やホームページで確認して、設置している病院を選ぶのがいいだろう。 ・快方に向かっている感覚を得られたら? 体操を続けて、よくなっているという感覚を得られたら、次は腹筋と背筋の筋トレをしてみよう。体操を教えてくれた先生いわく「腹筋や背筋が衰えると背骨の負担が大きくなる。それも腰痛や腰椎椎間板ヘルニアが発症する一因」なのだそうだ。なので、腹筋や背筋をトレーニングすることで腰の痛みを和らげるともに、再発のリスクを軽減させるのである。 やり方は、よくある腹筋と背筋の運動と同じ。ただし、これも痛みのない範囲で、ゆっくりと行うこと。回数も、状態に合わせて無理のない程度で問題ない。腰の具合が快方になっていくのに合わせて、少しずつ回数を増やせばOKだ! ということで、以上の内容をまとめると、体操できる程度に体を動かせる人は、体操 → 腹筋・背筋の筋トレという流れであり、体操もできない程に痛みが強い人は、牽引 → 体操 → 体操である。 ・「体操なんかで治らない」という思い込みを捨てる 腰痛に悩んでいる人の中には「腰痛体操は知ってた」という人も多いだろう。ただ、知っていたとしても、どこかで「体操なんかでは腰のヘルニアは治らない」とか「ヘルニアを治すにはブロック注射や手術などの痛みを伴う治療が必要」思っている人が多いのではないだろうか?  確かにそのような人もいるだろう。だが、シンプルなこの体操でも、毎日続けることで私のように効果を発揮する例もある。時間もお金もかからないため、腰痛に悩んでいる人は、ぜひ試してみてはいかがだろうか。 【腰痛持ち必見】体操してたら腰椎ヘルニアが治った / 時間もお金もかかけずに腰痛を治す超簡単な方法はコレ! - ロケットニュース24 (via darylfranz) (元記事: rocketnews24.com (aki-zizi-memoから))
7月 15, 2017 まず言いたいのは、私たち一人一人が「アルコールは薬物である」ということをきちんと認識しなければならないということです。20歳以上は摂取できる合法的な依存性薬物です。コカインや大麻、覚醒剤やシンナー、睡眠薬の仲間で、中でも依存性が高いです。知ってほしいのはアルコールの薬理作用として、依存症までいかなくても、ひどい行為に及ぶことがあるということです。例えば自殺とアルコールは関係性が高い。DVや虐待などに、アルコールが介在しているというデータも出ています。お酒との付き合い方を考えるためには、まず子どものころからアル��ールについてきちんと学ぶ教育や体制を整えることが必要です。 東海イズム:オピニオン 「インタビュー(42)アルコールによる社会問題 依存症者の支援研究 実践教育に生かす 健康科学部社会福祉学科 稗田里香准教授(特集企画)- 毎日新聞 (via gkojax)(元記事: mainichi.jp (gkojayから))
7月 15, 2017 212 :名無しさん@1周年:2017/03/06(月) 12:18:22.27 ID:Kg2VV5aU0 いやね、そもそも飲食店の10年生存率って15%程度なんだわ。 20年保つのは1%も無い。しかもこの不景気。 飲食って一見儲かる。だから簡単に参入する。が、ほとんど脱落する。 個人経営で出店して最初の2,3年は驚くほど儲かる。余程不器用でなければ。 新しい店で活気もある、店長も店員もやる気にみなぎってる。客は入る。 現金商売羽振りも良く、客のねぇちゃん引っ掛けて、ブイブイ。青年実業家気取り。 2年目くらいで最初のダレが出て来る。従業員。 飲食最大の敵は従業員の飽き。近隣店舗ではない。 毎日同じ作業で刺激も無いから。 手を抜く、質を落とす、ダレてるのは客にも伝わる。 ほんの少し質を落としても翌日の売上に直結するわけでは無い。 クレームになるわけでも無い。ジワジワと落ちる。 が、落ちる原因が分からない。 ヘタに成功体験があるから軌道修正もできない。 徐々に時代と合わなくなってくる。 なんとか10年もったとしても、今度は経営者も飽きてくる。 多店舗展開で刺激を求めるが目が届かなくなりリスクが増大する。 最悪は食中毒。 品質管理、売上管理。大企業で組織的にそれらの訓練をした経験が無い。 リーマン経験でちっと利口なヤツだと企業がそれら一見無駄に思える活動が 実は組織を長期的に維持する要であることを学ぶ。 が、それがわかるヤツは脱サラはしない。 飲食経営の分の悪さ、リーマンの気楽さも理解できるからだ。 若くして飲食初めて高級車に美女乗せてるヤツが不憫でならない。 10年後は85%の確率で借金まみれで逃走。 【飲食】 “マネーの虎”川原ひろし社長、ラーメン店全店舗閉鎖 [無断転載禁止]c2ch.net (via pinball-1973) (元記事: daily.2ch.net (fumi-tanoから))
7月 11, 2017 わかった!* 部落、皮製品、肉屋、精肉、焼肉店、屠殺業、野中広務、北朝鮮、辻元清美、獣医師、生コン、万景峰号、産廃業者、これらの利権、はぜーんぶ繋がってるのかな!?
7月 11, 2017 ■老眼が自然に治ることはない 【Yes】治ったように感じたら核白内障 ■ブルーベリーは目の健康にいい 【No】確かなエビデンスがない ■目が疲れたらマッサージ 【No】網膜剥離や白内障の原因に ■近視は病気ではない 【No】強度近視は病気 ■目に優しいコンタクトならドライアイでもOK 【No】ドライアイはコンタクトに向いてない ■コンタクトは保存液に入れておけば安心 【No】保存液に洗浄力はほとんどない ■眼球体操では目はよくならない 【Yes】よくなるどころか網膜剥離の危険 ■白内障は放置すると緑内障へのおそれが 【Yes】白内障は緑内障の始まり ■白内障の予防薬で進行が止まる 【No】白内障は薬では治らない ■手術は症状が悪化してからでいい 【No】早く発見手術をすれば視力が回復 ■白内障の手術はどこでも同じ 【No】執刀医によって結果は全く違う ■アトピーや花粉症でも網膜剥離になる 【Yes】目をこする、かくのは禁物 ■網膜剥離はすぐに手術するべき 【Yes】最高の腕の眼科外科医を見つけて 詳しくはソースにてhttps://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170709-00010086-jprime-life まとめたニュース : 「眼球体操やブルーベリーが目にいい」はウソ 目のジョーシキがくつがえる! (via 774rider) (元記事: matometanews.com (nerazurinerazuriから))
7月 9, 2017 オウム真理教に殺された坂本堤弁護士が住んでいた団地の他の住人(7世帯)は、 全員事件の起こる半年前より後に越してきた人たちだった。 そのうち5世帯が創価会員。 神奈川県警は失踪事件当初、この住人達全員に行動確認をかけていた。 その矢先に突然県警本部長のレイプ疑惑や生活安全課幹部がノミ屋を張っていた疑惑が次々と出始め、行確をはずしたら、マスコミからの疑惑追及もとまった。 それで勢付いたオウムは脱会信者の家族らを次々とVXガス(今回の金正男殺害で使われたのと同じもの)で襲撃。 当時の官房長官だった野中広務は北朝鮮詣でから帰ると出所不明の大量の金を政界にばらまき始め、自民党の実質的な党首となって公明党を政権に引き入れた。 ネトウヨもまだいないし、韓流ブームもまだ無い頃だったけど、この頃から俺達の国はもうおかしかった。
7月 9, 2017 ▼母親と 「私の母は、口に出して約束したことは必ず守ってくれました。そして、自分に誤りがあるとわかったときは、大人に謝るのと同じように、はっきり子どもに謝りました。これは信用の根本であり、したがって『躾け』と『教育』の土台です。私はいま見習っています」 対話の中で - 恐山あれこれ日記 (via ginzuna)(元記事: blog.goo.ne.jp (esakiから))
7月 9, 2017 戦争をせずに国を侵略する方法 copipeism: スイス政府発行の民間防衛白書 第一段階 「 工作員を送り込み、政府上層部の掌握と洗脳 」 第二段階 「 宣伝。メディアの掌握。大衆の扇動。無意識の誘導 」 第三段階 「 教育の掌握。国家意識の破壊 」 第四段階 「 抵抗意識の破壊。平和や人類愛をプロパガンダとして利用 」 第五段階 「 教育やメディアを利用して、自分で考える力を奪う 」 最終段階 「 国民が無抵抗で腑抜けになった時、大量移住で侵略完了 」 (ds9-garakから)
7月 9, 2017 前にも書いたけど、従姉妹がマルチ商法にハマった時、辞めさせるのに効果的だったのはYoutubeで様々なマルチ商法がアップしている説明動画を逆に観せまくること。観せていくと「このやり方はうちだけって言ってたのに全部一緒だ…」と青ざめて一気に洗脳が解けた。 マルチ商法にハマった時辞めさせるのに効果的なのは「毒をもって毒を制す」的方法だった - Togetterまとめ (via 46187)(元記事: togetter.com (takeawalk365から))
7月 9, 2017 鎖国が教科書に復活するようですが、 これも鎖国がなぜ行われたのかそこを解説すべきでしょう。 ついでに島原の乱を起こした天草四郎どもがどういうことをやっていたのか きちんと教科書に書いてあげるべきだとも思います。 なぜか島原の乱については戦後は一方的な構図で書かれていますが、 むしろ幕府軍には多くの農民も参加していました。 子供を人質に取られかけたり、略奪や焼き討ちにあったりした事で 天草一党許すまじという意識があったからでしょう。 宗教を利用して分裂を作ってそこに付け入って植民地を獲得していく ということを当時はアジアのそこかしこでやられていたわけで、 日本でも同じ事をさせない必要が確かにあったのです。 教育分野を日本人の手に取り戻さねば (via kramerunamazu)(kay-ikegamiから)
7月 9, 2017 背乗り(はいのり)とは? & 背乗りは外国人スパイにとっては絶好の身分保障 北朝鮮が関与した背乗り事件の例で、もっとも有名なのは、辛光洙(シン・ガンス)事件だ。 この男は金正日の命を受けて日本に潜入し、大阪で暮らしていた日本人の戸籍を乗っ取って、日本で日本人の拉致を指揮していた。1978年に起きた13歳の横田めぐみさんの拉致を実行したのもこの男だった。 日本の警察や公安は、この辛光洙(シン・ガンス)の背乗りを把握していなかったが、背乗りとは一度成功すると、長期間に渡って身元が発覚しないことが多い。 同じく日本人拉致の実行犯だったチェ・スンチョルという北朝鮮の工作員は、1人のみならず、2人の日本人の戸籍を背乗りしている。 2012年に逮捕されたオウム逃亡犯の高橋克也や菊地直子も、やはり他人の戸籍を背乗りしていた。 日本にはスパイ防止法がないので、こういった背乗りは外国人スパイにとっては絶好の身分保障になる。日本人に「なりすます」悪意のある人間を、厳しく取り締まらなければならない理由はまさにここにある。 拉致も、スパイ行為も、扇動も、収奪も、情報漏洩も、何もかもがやりたい放題になって日本は何一つ対抗できない。 こういった「なりすまし」日本人が役所に就職すると、日本人の戸籍をすべて引き抜かれて国外に持って行かれ、さらなる背乗りが可能になる。 あなたの目の前にいる人間が、もしかしたら本人ではなくて、誰かの「なりすまし」だったら、薄気味悪くて仕方がないはずだ。しかし、そういった事態が日本の裏側でずっと起きているのである。 背乗り(はいのり)とは? ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8C%E4%B9%97%E3%82%8A 被災者の戸籍が、大量に乗っ取られる危険な事態になっている。DARKNRESSより。2013年 9月21日 https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/09/20130921T1536000900.html#OILSvfI.twitter_tweet_count_m%C2%A0 (via awarenessxx)(powliticsから)
7月 9, 2017 陸幕の人から聞いた「ここが変だよシン・ゴジラ」で笑って納得したのは「会議中のテーブルに菓子が山積みになっていない」です。今度はいつ食事できるかわからない状況なのに、会議時間を利用してカロリー補給しないことはありえないんだそうな。菓子なのは「調理時間なんかとれるか!」だそうな。 ねおんさんのツイート (via tar0)(kay-ikegamiから)
7月 9, 2017 日本って普通に、死刑廃止も菜食主義も全世界に先駆けて取り入れて、失敗こいた経験のある国だということが普通に見過ごされてると思う。 外人「なんで日本は死刑廃止も菜食主義も鼻で笑ってるんですかホワイ?」 日本人「死刑は1400年前、菜食主義は300年ぐらい前にやったら、死刑廃止では国が滅亡寸前になる程犯罪者が増え、菜食主義では結局ピグミー族レベルまで身長が縮んだからや!」 Herokey Aveさんのツイート (via toronei)(元記事: twitter.com (kunigakuから))
7月 9, 2017 引きこもり時代に人から言われて、心に響いた言葉。「助けてって言いなさい。勝手に遠慮して諦める前に言いなさい。今は、助けたくても、お節介が焼き辛い時代なの。伸ばされた手は取れるけど、手を伸ばしてくれないと掴めない。必ず掴んでくれる人はいるから、信頼できる人を探す努力をしなさい。」(via joy-fftl)(元記事: twitter.com (ryoh8218から))
7月 8, 2017 泉放送制作 サンモニ 金富 マスコミによる洗脳報道 2017-06-20 テーマ:腐れかけのテレビ フジテレビ  東京都 港区台場2-4-8 ※韓国MBC 東京都港区 台場2-4-8 18F      朝日新聞  東京都中央区築地5-3-2 (AFP、NYT) ※東亜日報  東京都中央区築地5-3-2      毎日新聞   東京都千代田区一ツ橋1-1-1 ※朝鮮日報  東京都千代田区一ツ橋1-1 4F     読売新聞   東京都千代田区大手町1-7-1 ※韓国日報  東京都千代田区大手町1-7-1 8F      日本放送協会  東京都渋谷区神南2-2-1 ※中国CCTV  東京都渋谷区神南2-2-1 ※韓国KBS   東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C           【日本のテレビメディアの外資比率 】      フジテレビ 29 . 8% ( 違法状態、外資が2 , 3位 ) TBS    13 . 5%( 上位2社が外資 )  日本テレビ 21 . 9%( 違法状態 ) テレビ朝日 12 . 5% 電通    19 . 6%( 筆頭株主は外資 ) MXテレビ  0% https://ameblo.jp/kiyosiro-e/entry-12285275614.html 泉放送制作 サンモニ 金富 マスコミによる洗脳報道|今日ボクが見た風景 Ⅱ (via worldwalker2)(toutiku-m44から)
7月 8, 2017 叔母の入院してる病院から「大部屋がいっぱいで個室に移すから差額ベッド代が一日に2000 円かかりますって。」電話がきました。 それで、「本人の希望以外の、病院の都合上の移動で個室に入るときは、厚生労働省が支払いの義務はないと言ってるよ」と抗議したら、ただになりました。(via otsune)(元記事: twitter.com (playwithから))
7月 8, 2017 背乗り(はいのり)とは?
犯罪的な行動を次々と企画・実行することが可能 そもそも、他人になりすまして、どんなメリットがあるのか。もちろん、いろんなメリットがある。 背乗り(はいのり)した人間が外国人だったら、当然、日本人になりすますことで、日本の行政サービスを受け、生活保護を受けたり、年金を受けたり、日本人として日本企業に就職することが可能になる。 また、背乗り(はいのり)した人間が犯罪者だったら、当然、過去の自分の犯罪を抹殺することが可能になる。 さらに、背乗り(はいのり)した人間の戸籍を使い捨てするのであれば、その人間になりすまして多額の借金をしまくり、最後にその戸籍を捨ててカネを持って逃げることが可能になる。 背乗り(はいのり)する戸籍が裕福な家系であれば、その家系を名乗ることによって身分詐称で箔を付けたり、遺産を乗っ取ったりすることもできるようになる。 あるいは、背乗り(はいのり)することによって元の自分の戸籍と、背乗りの戸籍をふたつ使い分けることができるので、マネー・ロンダリングも可能になる。 背乗り(はいのり)した人間がスパイだったら、日本人の国籍を取って日本人として安心させて政治家・公務員に近づき、情報を盗み取ることが可能になる。 要するに、背乗り(はいのり)するというのは、他人の戸籍を乗っ取って犯罪的な行動を次々と企画・実行することが可能になるのである。 だから、多くの犯罪者は背乗り(はいのり)の���会があれば、それを実行する。 実際に、背乗り(はいのり)の事件は多発している。北朝鮮・韓国系の犯罪者が、まず目指すのがこの「日本人なりすまし」なのである。 背乗り(はいのり)とは? ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8C%E4%B9%97%E3%82%8A
被災者の戸籍が、大量に乗っ取られる危険な事態になっている。 DARKNRESSより。 2013年 9月21日
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/09/20130921T1536000900.html#OILSvfI.twitter_tweet_count_m%C2%A0 (via awarenessxx)(xf-2から)
7月 5, 2017 「ドラゴンクエスト」の作曲家 すぎやまこういち さん 「日本が嫌いな、日本を壊したいというメディア、いわゆる反日メディアというものがあると感じています」 水島さん 「以前、参議院選挙でNHKが選挙前日に放送する『党首走る』という番組で、小泉さんは全て見下ろす���で撮り、岡田さんは見上げる形で撮った。そして小泉さんの顔はワイドレンズで撮った、微妙に魚眼レンズみたいにゆがむんです。岡田さんの方は50ミリの標準レンズできちっと撮る。こういうことをやっていたんです」 すぎやまこういち さん 「安倍晋三さんのスピーチの時だけ、僕が聞いて感じたのは、中音部以下のやや低音域にちょっとイコライザーをかけつつエコーをつけて、リバーブをつけて、もやもやっと聞こえにくくしている。僕は見てて商売柄、やってるなと思いました。音楽やって録音の作業はプロとしてやってますから、ハッキリそれは分かりました」(via shinjihi)(petakirinから)
7月 5, 2017 先生が、授業中に質問をします。普通に「分かるひとー」とだけやっちゃうと、手を上げる子が固定してしまうからなのか、ちょくちょく変則的な当て方をします。「じゃあ、今答えた〇〇の後ろに順番で当ててくぞー」みたいな。 で、当然のことながら、とっさに質問に答えられない子も出てきますよね。あーとかえーーと、とか言いながらしばらく黙っちゃうような子。 普通の先生なら多分、分からないことを責めないまでも、「あ、分かんないか?じゃあ他にわかるひとー」と言って、すぐに次に行っちゃうと思うんですよ。少なくとも、私が子どもの頃の先生はみんな、例外なくそうでした。
ところが、その担任の先生の場合、当てられた子が困っているのを見ると、こういうんです。 「じゃ、〇〇にアドバイス出来るひといるかー?」って。
で、はい!って答えた子は、決してその子本人が答えたりはしないんですね。わざわざ席を立って、分からなかった子のところまで行って、ひそひそ声で答えを教えてあげるんです。 で、最終的には、最初当てられた子が答える。で、先生は「その通り!××(教えてあげた子)もよく教えられたなー」といって両方褒める。
「え、そんなこと?」と思われるかも知れないですが、私、このやり方凄いと思ったんですよ。 ちょっと考えただけでも、 ・最終的に答えるのは最初に当てられた子なので、答えられなかった子の自尊心が傷つけられにくい ・教えた方は単純に「教えてあげられた!」ということで自尊心が満足する ・分からないことを生徒同士で教え合う、という習慣づけになる ・問題によっては、教え方を考えることで問題への理解が深まる ・生徒同士のコミュニケーションにもなる これくらいのメリットはあるなーと。
後から長男に聞いてみたところ、恐らく背景というか下準備として、「人の考えをちゃんと聞いて、考えて、受け入れられるというのは大事なこと」だということを、普段からその先生は言っているようなんです。 小学校の学校公開で目撃した、先生の工夫が凄かった | Books&Apps (via kikuzu)(元記事: blog.tinect.jp (akiocarsから))
7月 4, 2017 虐められて、暴行されたら、必ず病院へ行って、医師から『殴打による、○○負傷』とか何でもいいから、『診断書』を書いてもらえ。 そして、 警察に行け。診断書がある以上、『暴行の事実が確認できないので、被害届は受け取れない』とは警察は言えなくなる。 自ら死ぬな、殺してでも、生きろ。Twitter / kwan2nd (via yellowblog)(sananoteから)
7月 3, 2017 * 【事実】, 拡散希望, * 政治家、国会議員は日本国民が投票して政策や議論を委託した日本国民の代表です。, * マスコミは高い給与を貰っている、どこの国の人かは分からないサラリーマンであり、日本国民の代表ではありません。, (via shinjihi)(tra249から)
7月 3, 2017 うちの娘も夜中の1時過ぎまで会社にいた事があった。迎えに行って無理矢理帰宅させた。労基に行く、と言ったら、その後過剰過ぎた仕事が分散された。そういう時はモンスターペアレンツと揶揄されようが子どもが嫌がろうが親は介入していい。死んでからでは遅い。埒不埒さんのツイート (via do-nothing)(元記事: twitter.com (imajojoから))
7月 1, 2017 言っとくけどこれ民主党が改悪したせいで日本人の税金が使われてるからな(´・ω・`) 【爆病】 来日中国人が日本の医療制度に「タダ乗り」・・・経営ビザで国民健康保険に加入し3割負担で治療を受け帰国 | 保守速報 (via himmelkei)(元記事: hosyusokuhou.jp (aki-zizi-memoから))
7月 1, 2017 「マーク・ザッカーバーグはFacebookを19歳で作ったんだから若いやつらはもっと挑戦するべきで・・・」って説教してくる熟年には「ではカーネルサンダースは65歳でケンタッキーを作ったので年だからって言い訳できないですね」って反論するようにしている おもしろツイートさんのツイート (via gkojax)(hkjから)
7月 1, 2017 「ナポレオンは3時間しか寝なかった」というアレがブラックな労働環境を後押ししたことは間違いないので、対抗策として「シーザーは毎日必ず8時間寝た」とか「成吉思汗の9時間睡眠を邪魔した者は誰であれ首を刎ねられた」みたいなやつを広めていきたい。 前川誠さんのツイート (via gkojax)(hellisinyourbrainから)
7月 1, 2017 大学生がリビアについて、「なんで国連は市民への攻撃をやめさせないんですか?」と質問してきた。国連や国際法の勉強はしたことがないというから、やむを得ない疑問かと思ったので、私なりに説明してみた。そもそもね、から初めて。
・そもそも、人間社会が自然状態から社会契約によって成り立ったものと仮定するなら、国際社会というのは社会契約で成立した「国家」を一義的な当事者とし ている。これが古典的な考え方だ。国家とは(色々な定義の仕方があるが)、領土と国民と主権と政体によって成り立つ。主権が誰に属するかは国家の形態に よって違うが、国家の主権(state sovereignty)は絶対である――これが古典的な国際社会に対する考え方。
・それに対して、社会契約思想が成立した啓蒙主義の時代になると、「普遍的価値」や「普遍的人権」というものが世の中にはあり、君主がそれを侵害すれば社会契約は破綻し、君主は主権行使の正当な権限を失う――という考えがブームになった。これが、英米仏の革命を経て18世紀末以降にポピュラーとなった「革命」の思想だ。
・以来、国家主権vs普遍的人権のせめぎ合いが、現代国際社会における大テーマとなった。つまりは、普遍的人権を保護する為なら国家主権の侵害は正当化されるのだろうか、という命題だ。
・1945年までは一般的に、その答えはノーだった。国家主権>普遍的人権だった。人権とは、国家が社会契約に則り国民に保障するものだった。しかしニュルンベルク裁判などを通じてホロコーストの実態が明らかになり、それではダメだということになった。
・余談。たまに誤解されているのだが、第二次世界大戦において連合軍はホロコーストの被害を食い止めるためにドイツを攻撃したのではない。ナチス・ドイツ の領土拡張・侵略を食い止める為に反撃したのであって、ドイツ占領地域を解放してみて初めて、強制収容所の実態を知ることになった。ユダヤ人をはじめナチ スが迫害する人々を強制移住させ虐殺しているという情報を連合軍は得ていたし、ユダヤ人民族絶滅計画の情報も得ていて、非難声明も出していたが、実態が本 格的に明らかになったのは戦後の話。
・この経験を経て、国際社会は国家の枠を超えた普遍的人権を守るのだ、人権に対する最大の侵害は戦争である、よって国際社会は戦争の再発と人権侵害を防止しなくてはならないと、国際連合と世界人権宣言が作られた。
・けれども、理念は別として、国際連合は主権国家の集合体だ。加盟国(=主権国家)の多数意見に反したことを国連事務総長や国連職員が糧に決めて遂行できるような、そんな超国家的機関ではまったくない。
・そこに国連のジレンマがある。国家主権の枠を超えた普遍的人権の保護をミッションとしているが、主権国家の委任がなければ動くことはできない。そして国家主権を侵害することも、よほどの特例がない限り、できない。というか、ほとんどできない。
・その特例のひとつが、国連平和維持活動(PKO)だが、これも別に国連事務総長が「あの国に侵攻してその国民を守り なさい」と命令して動かすものではない。国連安保理や国連総会において、必要な数の加盟国の合意を必要とする。国連PKOというのは実は国連憲章に明確な 規定がなく、国連憲章の「6章半」と呼ばれ(これを説明しているとさらに長くなるので、検索されたし)。明確な規定がないので運用や解釈も時代によって変 化してきたが、大まかに言えば、国家間の紛争後の和平維持や、内戦調停後の平和維持に派遣される。内戦の真っただ中でどちらかの側にPKOが味方してドン パチやるわけでは、ない。そしてリビアの場合のように、まだ国際的に「政府」として認められているものが存在している状態で、PKOがその国の領内に侵攻 していって国民を保護したり、政府を倒したりすることは、今の国連憲章では認められていない。国際法も、国際機関がそんなことをするとは想定していない。 そして今更だが、「国連軍」などという、ウルトラ警備隊的なものは存在しない。PKO部隊とは加盟国が提供する部隊の寄せ集めだ。
・今の国際社会と国際法でそれが可能なのは、つまり一国の国家主権を侵害して領土に押し入りその国民を保護する、なんて行為ができるのは、同じく「国家主 権」をもつ「主権国家」だけだ。国家が他国の主権を武力で侵害すること、それはすなわち戦争だ。国家が国家に戦争を仕掛ける権利は、国家にとっての自然権 のようなものだ(生命・自由・財産などが人間にとっての自然権であるように)。そもそも国際法とは、国同士が戦争の法を定める過程で整備されていったもの だ。
・しかし現実主義(realpolitik)で動く世界では、国家が自国兵士の生命や納税者の血税を使って、他国に侵 攻しその国の国民を保護するからには、相当の理由が必要だ。「普遍的人権」という道義的理由だけで、兵士の命と巨額の軍事費を使って他国に戦争を仕掛けて もいいと国民合意が得られる民主国家は、現実にはそうはない。むしろ、独裁者を追放するために戦争したせいで民主国家の指導者が次の選挙で権力の座を追わ れたりする。なので、「大量破壊兵器の開発を防ぐため」「自分たちへのテロを防ぐため」「地域の安定を図るため」など、道義的なもの以外の実利的な大義名 分が必要となるのだ。
・それとは別に、国際社会が承認する実体ある統一政府がもう存在しない状態での介入がある。これは古典的な国際法でいうと「戦争」にはならない。「戦争」 とは古典的にはあくまでも国家vs国家のものだからだ(余談だが、「対テロ戦争(war against terror)」という抽象的なものに対する「戦争」とは本当なら、「war against hunger(飢餓に対する戦争)」とか「war against crime (犯罪に対する戦争)」などと同じレトリックや政策スローガンだったはず。なのに、「war against terror」に法的概念としての実体を与えようとしたのがチェイニーだったのだが、それを話すと長くなるので、よければ本を読んでください。なんて な)。
・たとえばユーゴスラビア内戦におけるボスニア紛争やコソボ紛争では、主権国家同士の軍事同盟機構=NATOが、周辺勢力に侵攻を重ねるセルビア勢力を空 爆・介入したわけだが、そのとき旧ユーゴスラビアは完全な分裂状態にあり、国際社会が認める「政府」は存在しなかった。ゆえにこれはNATOによる軍事介 入であって、同盟国の集団であるNATOが「主権国家」相手に(国際法的な意味での)「戦争」をしたわけではない。
・主権国家に対して戦争を仕掛けるのと、主権国家がもう正当に存在しない状態の地域に軍事介入するのとでは、その行為の重みがまったく違う。何より、自国 民にとっての、そして国際社会においての、イメージが違う。イメージなんて、と思うかもしれないが、国内政治や国際政治において「perception(ど ういうイメージで見られているか)」は実はすごく大事なことなのだ。イメージの善し悪しが、正当性を決めたりするのだから。それからイメージの問題とし て、軍事介入というのは数日や数週間で終わるとイメージがあるが、「戦争」となると(6日��戦争とかは別にして)短くても数カ月、下手をすると数年かかる というイメージがある。民主国家において、国民に「戦争」を受け入れさせるには、上記したように相当の大義名分と準備が必要となる。「限定的な介入」と言 えば、まだ議会の合意を得易い。民主国家とはそういうものだ。
・となるとリビアの場合、国際社会の大多数がカダフィ政権の正当性を認めず、かつカダフィ政権の代わりになれる対抗勢力がまとまった形で台頭しなければ、 つまりリビアは内戦状態にあってその主権は一時的に消失していると認定されなければ、軍事介入は難しいということになる。ぐるりと話を戻せば、一国の主権 というのは国際社会において古都ほど左様に強固な、尊重されるものなのだ。
・では、カダフィ政権が正当な政府であり続ける間、国際社会がその主権を侵害せずに何ができるか。それは残念ながら、制裁くらいしかない。禁輸とか、海外資産の凍結とか(飛行禁止空域の設定が議論されているとの情報もあるが、これは主権侵害にあたると思う。イラクに対しては第一次湾岸戦争後の武装解除を順守させるために実施したのであって、リビアに対してはそもそもの法的根拠がないのではないか?)。
・「responsibility to protect(守る責任)」の議論もある。つまり国家には国民の身体生命 人権を保護する責任あるのだから、それを脅かす国家に対して、国連をはじめ国際社会は人道上の理由から介入し、人々を守る責任があるという考え方だ。集団 虐殺、戦争犯罪、民族浄化、人道に対する罪――がその対象となる。カダフィ政権による反体制派虐殺は「人道に対する罪 (crimes against humanity)」に相当すると私は思う。アナン前国連事務総長が提唱し、05年に国連総会が宣言し、06年に国連安保理が支持し、09年に総会決議となって採択されたが、実施例はまだなく、定説になっているかは疑問。もしかしたらリビアが、初の明確な適用事例になるのかどうか。
・集団虐殺、戦争犯罪、人道に対する罪を国境を越えて裁く機関として2002年に設置されたのが、国際刑事裁判所(ICC)だ。しかし国家の主権を超えて、そうした行為を裁くことはできない。設置条約の締約国でない国に、ICCの司法管轄は及ばない。そして、はいそうです。リビアはもちろん、締約国ではないのだ。
・くどくどと書いてきたが私が今思うに、国際社会がリビアに軍事的に手を出す為には、カダフィ政権はもはや政府としての機能を失った、リビアは内戦状態に ある、ないしは無政府状態にあると宣言する必要がある。ただしそうした時に、いったいどの国が主導してあの国に軍事介入しようとするだろうか。アメリカや イギリスが、今一度ムスリム国家に軍事介入したがるだろうか。まさか。したくても、状況的にできるはずもない。ムスリム国家に軍事的に手出しできるのは、 同じムスリム国家しかないと思う。しかし同じように国内に反政府デモを抱える長期独裁政権の国々が、いったいどんな大義名分でリビアに介入できるのか。国 境の安定化とか地域の安定化しか思いつかない訳だが、となると今までだったらエジプトしかない。そのエジプトに今、そんな余裕はないはずだ。とすると国際 社会には、(いつもの)非軍事的な手段しかない。
・なので国際社会が国連を舞台に、非難声明とか経済制裁を検討している間に、リビア国内の戦いは続く。
・もちろん、非軍事的手段→軍事的手段と段階的にエスカレートしていくのが外交の常識なのだから、いきなり軍事介入があるはずもなく。とはいえ、であるがゆえに、今そこにある虐殺に対して、国際社会は常に無力だ。
・誤解のないように。私は「さっさと軍事介入しろ」と言ってるわけじゃない。「なんで国連はさっさと国連軍を派遣して虐殺を止めさせないんだ」という声や 不満に対して、「いや、あのね」と言いたい訳だ。他国の国家主権を否定するなら、自国のを否定され侵攻されても文句は言えないのだし。
・ところで内戦といえば(私にとっては)日本の幕末なわけだが、あの時はイギリスが明確に薩長革命勢力を支援し、フランスが(あまり役に立たなかったが) 幕府を支援した。よってその結果、イギリス大使館は皇居の目の前にあり、フランス大使館は(当時は江戸の外で、別にオシャレな街ではなかった)広尾にあ る。カダフィを支える外国勢力はどこか。そして欧米各国は今、後押しするべき対抗勢力を見定めるのに、必死なのだろうと思う。 ・国連はウルトラ防衛隊じゃない - 水川青話 (via nakano)(quote-over100notes-jpから)
7月 1, 2017 麻生財務相はまた、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)が米格付け大手ムーディーズ・インベスターズ・サービスから最高格付けを取得したことに関しては、「ボツワナより日本の国債が低いと出したのは確かムーディーズじゃなかったか。その程度のところだと思っている。他に興味はない」と指摘した。 麻生太郎財務相が経済情勢について「経済政策は大きく変えない」 - ライブドアニュース (via rompers-heroine)(元記事: news.livedoor.com (impossiblemodelfactoryから))
7月 1, 2017 福岡市HPの市民からの意見で 「公共施設にハングル語の看板が多いのはなぜ?」との質問に 「韓国人はよく物を壊したり、トラブルが多いので ハングル語の注意書きが必要なのです」 って回答されてて、そういう事か!!と膝を打ちましたw U-1速報 : 公共施設にハングル語の看板が多いのはなぜ? (via isikasa)(元記事: u1sokuhou.ldblog.jp (gkojax-textから))
6月 30, 2017 「しかし、アリペイを利用するのはやめた方がいいと私は思います。「新潮45」でも詳しく描きましたが、アリババ・グループの創業者ジャック・マー(馬雲)は中国共産党とベッタリで、顧客の個人情報を平気で政府機関に引き渡すからです」 「たとえば中国では、人権派弁護士が地方で起きた事件の調査に行くためにアリペイで電車のチケットを買うと、その情報がすぐに当局に伝わり、駅で警察が待ち構えていて妨害されたりします。さらにひどくなると、突然アリペイが使えなくなる。困った弁護士が、家族のアリペイを借りて電車のチケットを購入したら、詐欺罪で逮捕されて晒し者にされたこともありました」 「私も中国政府に批判的な風刺漫画を描いていたら、ある日、突然アリペイが使えなくなり、非常に困りました。それ以来、私はアリババ・グループのサービスは一切使わないようにしています。日本の皆さんもぜひ気をつけて欲しいと思います」 「中国IT最大手アリババの決済サービスは使ってはいけない」中国人漫画家が日本人に警告 | デイリー新潮 (via dotnuke) (元記事: dailyshincho.jp (dotnukeから))
6月 30, 2017 今、���テル・ルワンダを見終わって、一番あぁって思ったセリフが、「虐殺された映像を世界に流せば世界が救ってくれる」の返答に「いや世界はそれを見て「残虐ね」と言ってディナーを続けるよ」との部分でした。 nobさんのツイート (via hutaba)(元記事: twitter.com (kininaru10から))
6月 28, 2017 いま電車で後ろに立ってる二人のお爺さんが「敵の女房は味方」「使えない上司には使えないイエスマンを当てがうに限る」など心に響く謎の格言を次々と産み出しててヤバイ Twitter / kyrierich (via netinago99) (元記事: twitter.com (rainbowflower-gardenから))
6月 25, 2017 【きみがよ丸】  強制連行がウソであるという動かぬ証拠がきみがよ丸。
在日一世や二世は自分たちのルーツを知っています。 済州島と大阪を結ぶ定期便の名前が、 【きみがよ丸】だったからです。 日韓併合時代の済州島民にとって きみがよ丸の名前を知らない人はいなかったでしょう。
この船の名前がおおっぴらになると 在日朝鮮人達に何が起こるか。 強制連行がウソであるという動かぬ証拠がきみがよ丸。 (この出稼ぎ用の定期航路は大人気で、 のちに第二きみがよ丸も就航するほどだった)
・詳しく調べれば、きみがよ丸に乗ってきた  善良な人達はあらかた帰還事業で 帰国したことが解る。 ・さらに調べれば、朝鮮戦争当時に日本へ  密入国してきた朝鮮人達がクローズアップされる。 ・もっと調べれば、李 承晩ラインの時に釈放された  在日の凶悪犯達のことも 白日の下に晒される。 ・つまり自分たちの先祖達が凶悪犯だらけってのが、  実に論理的に判明してしまう。 在日朝鮮人達がなんとしても隠し通したい上記のことを、 君が代を聴いたり目にしたりするたびに思い出してしまうから 君が代をあそこまで憎む理由。
在日は君が代のメロディでも歌詞でもなく、 【きみがよ】という4文字を見たり聞いたりするのが 何よりもイヤだったのです。 君が代の出だしを聞くだけで 自分たちの祖先が悪人であると思い知らされる。 それが日本人にばれるんじゃないかと気が気ではない。
6月 25, 2017 フィンランドに行って一番驚いたのはバギーで子どもを連れている人は電車やバスの公共交通機関は無料、博物館や美術館も無料。子連れママができるだけ外出できるための政策らしい。国をあげて教育に力を入れるってこういうことなんだなって心底思った。邪魔とかそういうレベルの低い話じゃない。 tonkoさんはTwitterを使っています (via toronei)(元記事: twitter.com (another-gentlandから))
6月 25, 2017 性をアンタッチャブルなものとして扱うのは小学生までで、それ以上になったら、自身の性や性欲と向き合わざるを得なくなる。それを未成年は性について考えなくていいとか、性欲がないとか、綺麗事で蓋をして風通しを悪くするから健康的に受け入れることができず歪むんじゃないかな 音楽ナスカさんのツイート (via gkojax)(yellowblogから)
6月 25, 2017 独、仏の20倍!欧州で最もレイプ犯罪率の高い国はスウェーデン。 他のヨーロッパ諸国における、 レイプ被害の報告は、年間100件強に対し、 スウェーデンではなんと5000件以上である。 (´・ω・`)え?北欧がなんだって? 【マンガ規制】石原「北欧はキリスト教のおかげで倫理観がしっかりしてる」 (via peperon999)(元記事: instapaper.com (onibi-onibiから))
6月 25, 2017 任天堂の岩田前社長が残した言葉 「自分の長所を見つけるには、自分が楽にできることを探すこと」 感情的な人間が陥りがちな努力主義・苦労主義をぶっ飛ばす冷徹で理知的な言葉だと思います Twitter / nijieith (via drhaniwa)(enzoooooから)
6月 20, 2017 警察は告訴状の受理を非常に嫌うが、究極的には(法的には)拒めないことはさすがにわかっている。 だから、法律家としては、被疑者の行為が犯罪構成要件を満たすことを説得的に記述した、ビシっとした告訴状を書いて、 「これは犯罪事実の申告にはあたらないから告訴として取り扱いません」という逃げ道を塞いでやればよい。 そういった告訴状を持って、告訴人を同行して警察署に行くと、さすがに警察官も素直に受け取る。 と常識人なら思うだろうが、なんとそれでも受け取らないのである。警察は常識の通用する機関ではない。 「この、告訴状と書いてありますけど、これはひとまず、事実上、コピーだけ頂いて参考にさせていただきますので」 とか言って抵抗することが多い。 「告訴状の受理を拒絶されるということでよろしいですか。では警察署長宛に内容証明でお送りするしかないですね」 と言うと警察官は慌てる。しかし、私の場合は、その場で警察官と交渉した結果、きちんと捜査をしてくれる、進捗報告もしてくれるという内々の約束を得て、告訴状提出の強行はいったん引っ込め、コピーだけ取ってもらって帰ることが多い。 別にこちらの目的は、告訴状を受理してもらうことではない。捜査をしてもらうことが目的だから、捜査をしてくれる目処さえ立てば告訴状はどうでもよいわけである。きちんとやってくれなかったら、そのとき初めて内容証明で告訴状を出してもよい。 やりたくない事件にだけ「抑制的」な警察を動かす方法 - 弁護士三浦義隆のブログ (via otsune) (元記事: miurayoshitaka.hatenablog.com (ganeshstから))
6月 19, 2017 最近わかってきたんですが、なんかこう、(個人的な)価値観と異なる生き方をしている人を「あー自分とは違う生き方の人なんだな」とは思えず「あの人は非常識だ≒(社会の)迷惑だ」という構図に落とし込まないと納得できない人っているんですね。そういうの、本人も大変でしょうが周囲もしんどい。 Twitter / bono_kichi (via hutaba) (元記事: twitter.com (okatyo54から))
6月 17, 2017 【韓国】 李氏(りし)朝鮮の時代は、 本当に「韓国人にとって良い国といえたのか?」 ねずさんの ひとりごと | 2008年11月04日 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-220.html
辻本さんのブログ「中韓国を知り過ぎた男」(右側にリンクがあります)に、韓国に関する記事があり、そこに昨日僕は以下のようなコメントを掲載させていただきました。 現代の北と南に分かれる前の「李氏朝鮮」というのは、中韓戦争になった折、韓国側の将軍だった李氏が、戦闘中に自国を裏切り、中国と通じることで政権を奪って王位についたという、���わば泥棒政権なんですね。 以後400年にわたり、李氏は中国の属国として対中国土下座外交を行います。庶民の生活なんぞほったらかしだった。いわば同国人による植民地支配が行われていたのが李氏朝鮮の時代の韓国です。 政治体制は、いまの北朝鮮に似ています。ヤンバンと呼ばれる韓国人貴族だけが贅沢な暮らしをし、一般市民は貧窮のどん底。 下のURLをクリックして写真をご覧になるとわかりますが、半島一の大都市ソウルですら、その中心街である南大門前が、まるでホームレス広場となっていました。これが歴史の事実です。 当時の韓国庶民は、ヤンバンという貴族たちにとっての奴隷以下の存在でしかなかった。 そのあまりの下品さに、次々と東亜各国を植民地化した列強ですら韓国にはまったく手を出していない。なぜかといえば、国が貧しく、市民はコジキ同然で、植民地化する魅力がまったくなかったから、といわれています。 いまの韓国の歴史番組などを見ますと、まるで李氏朝鮮の時代は人々が王侯貴族のような生活をし、女性たちは美しいチマチョゴリを着て優雅に暮らしていたかのごとく描かれていますが、これも真っ赤なウソ。 当時のチマチョゴリは、ヤンバンが町にいる女性を我がものとするため、女性の乳を露出させるために着させた服でしかない。 どこの世界に温帯地方でありながら女性に乳を露出される服を着させた国がありますか。 長男を産んだ女性はその時点で乳を露出した。要するに女性が性の捌け口程度にしか扱われていなかった時代の産物がチマチョゴリで、国辱ものの服でしかない。 乳の露出を禁止したのは日本の朝鮮総督府です。 これも写真が残っている。そんなに昔の李氏朝鮮時代が良いのなら、現代韓国の女性も全員乳を露出して町を歩いてもらいたいものです。腹がたちます(怒)
少し解説します。 韓服は、男女共通の上着であるチョゴリと、巻きスカートであるチマ(裳)によって構成されます。 日本国内にある朝鮮学校でも、女子学生の制服としてチマチョゴリの様式を取り入れています。 もともとは、このチマ・チョゴリ、李氏朝鮮の後期から妓女服の影響で丈が短く袖の細いチョゴリ(上着)狭い袖が流行したものですが、19世紀にはチョゴリが乳房を覆えなくなったため、両班層の女性はチョゴリとは別に、胸覆いを使ったと言われています。 しかし、下級階層、特に男児を生んだ女性は乳房を露出するのが誇りとされていたそうです。 現在一般に見られるチマチョゴリは原色を使い派手な物が多いのですが、李氏朝鮮時代の韓国時代のチマ・チョゴリは、朝鮮民族が「白衣民族」と自称してきたように、白一色が標準だったようです。この点でも韓国の歴史ドラマの華やかな民族衣装は、史実と異なります。 さらにいえば、韓国朝廷は、庶民に対して色つきの服の着用を禁止していた。 ただし女性のチマはこの限りでは無く、娘と未婚女性は赤いチマ、既婚女性や中年女性は藍色のチマ、老女はあさぎや灰色のチマを着用するとされた時代もあったそうです。また、生成りの漂白されていないチマとチョゴリは主に未亡人や喪中の女性が着用したといいます。 問題は、現代韓国人の多くが誇りとするチマ・チョゴリが、実は、李氏朝鮮王朝における貴族階級(ヤンバン)たちが、自国の庶民に対し、女性が胸を露出した服を着用することを推奨していたという事実です。 朝鮮半島も温帯地方にあたりますから、冬はやはり寒いです。その寒い土地で育まれた衣装が、女性が胸を露出するもの・・・というのは自然に考えて、やはり考えにくい。 だいたい家事を行うのに、胸がぶらぶらしていたら邪魔でしょうがない。 李氏朝鮮は儒教国家であるといいますが、やはり、こうした胸の露出は、多くの儒学者の非難を受けたのだそうで、1910年日本総督府が置かれた後、1930年代に至って、ようやく女性の社会進出と相まってチョゴリの丈が長くなり、女性の胸の露出がようやくなくなりました。 この服が、ほんとうに民族の誇りといえる服なのか、どうにも疑問の残るところです。 韓国が教科書で、日本総督府の施政が国辱ものであり、それ以前の李氏朝鮮の時代が素晴らしい日々であったというなら、是非、世界を歩く際に、本来の韓服(白装束・胸出し姿)を現代韓国に復活してもらいたいものです。 おそらく自国の国民から猛烈な反発が起きると思いますが。。。。
もうひとつ言うと、朝鮮半島の人口は、 1753年:730万人 1850年:750万人 1906年:980万人(第二次日韓条約により1905年より朝鮮は日本の保護国へ) 1910年:1312万人(日韓併合条約により、1910年より朝鮮は日本の一部となる) 1920年:1691万人 1930年:1968万人 1940年:2295万人 1944年:2512万人(1945年、日本の敗戦により総督府の統治権は米軍へ移譲) 現代 約4600万人
李氏朝鮮は、1392年に建国されましたが、当時から日本統治の時代まで、韓半島の人口はほとんど増加していません。それが、1910年の日韓併合以降、わずか30年で人口は2.5倍に膨らんでいます。これは何を意味するのでしょうか。 ボクは韓国人が嫌いとか、そういう意識はまったく持ち合わせていません。 日本国民であれ、どこの国の人であれ、それぞれが幸せになろうと必死で生きている。 一生の間に、学び、恋し、妻子を愛し、家を育み、誰かが死ねば悲しむ。 それがあたりまえの、普通の人間の姿だと思っています。 世界中、人が人であるならば、対話によって、お互いに理解しあい、愛しあい、学びあうことが可能であると信じています。 しかし、そういう人間としてあたりまえの感情を阻害するものがあります。 それがイデオロギーの対立や、妙に植え込まれたプライド、自尊心です。 そんなくだらないものに染まり、非難しあい、果ては殺しあう。愚かなことです。 隣人同士、互いに反発しあうことより、互いに学びあう姿勢が第一だと思います。 田母神氏の論文もしかりです。歴史観は、ヒダリの人たちのもつそれとは大いに異なるものでしょう。しかし、そうした説もあるというなら、冷静に何が真実であったのか、互いに研究し、そこから何かを学び取るという姿勢が、まず必要なのではないでしょうか。 頭ごなしに否定するのは簡単です。でもそういう姿勢からは何も生まれない。 何も理解できない。偏狭なナショナリズムに凝り固まることなく、謙虚な気持ちで歴史を学ぶ。。。戦後60年・・そろそろそうした素直な気持ちをみんなが持ってもよい時代にはいってきたのではないかと思います。
【追記】 なにか言葉足らずな感じなので、もう少し細くします。 ねずきちは、李氏朝鮮の時代というのは、貴族であるヤンバンたちがもっぱら庶民から搾取をし続けた時代だと思っています。いまの北朝鮮と同じです。庶民は家畜奴隷以下の存在でしかなかった。当時の李氏朝鮮時代の庶民の平均寿命は24歳であったともいわれ、とにかく国民の多くを占める庶民は、食うことすらままならなかった。 これは人間の本能で、人は自己の遺伝子のコピーを残そうとする生き物ですから、飯が食えず若死にするしかないような環境の中で人が生き残ろうとすれば、てっとりばやいのが、男であればヤンバンの仲間に入れてもらうこと。女であればヤンバンに宮廷に連れて行ってもらいヤンバンの女になること。そのためには、ヤンバンが通りがかったときに胸を露出するくらい(生き残り子を残すためには)やむを得なかった。 そのヤンバンたちは、日本統治後、かなりの人数が国外退去した。 そして日本が敗戦となったあと、再び半島に戻ってきた。北にいる者は北の役人となり、南にいる者は政治、経済をとりしきった。 もどってきたかつてのヤンバン達にとっては、李氏朝鮮の時代は、まさに天国です。最良の時代だった。彼らにとって李氏朝鮮時代の王宮は、美しい女たちが着飾り、平和と富を謳歌した素晴らしい時代であった。そして日帝は、そのすべてを奪い去った・・・ 要するに現代韓国で語られる過去の栄光というのは、国民のほんの一握りのヤンバンの栄光の歴史なのだといいたいのです。 そのヤンバンのおかげで、半島の多くの人々(庶民)は約400年の長きにわたり、収奪され、殺され、富を奪われ続けた。その様相は、英国のインド支配どころの話ではない。庶民は人間とすら認識されていなかった。 その証拠と言ってはなんですが、韓国には、日本で言う「昔ばなし」がない。昔話、童話は、庶民の言い伝え文化です。これを言い伝えるのは庶民であり、老人です。庶民が老いるまで生きることが叶わなかった国には、童話はない。昔話もない。ちなみに日本でも、応仁の乱の頃や、戦国時代の「民話」というものはありません。 ドイツやデンマーク、オランダ、イギリス、スペイン、日本には、数多くの民話があり、童話があります。ちなみにフランスも、ルイ王朝の搾取時代によって、庶民が生かされず、このため、民話がほとんど伝承されていません。 ねずきちは思います。庶民が、ふつうの人々が、あたりまえに子を残し、老いるまで生きることができる国というのが、良い国なのではないかと。 ヤンバン達にとっては、自分たちの過去の栄光を奪い去った日帝は、未来永劫許されざる存在なのでしょう。 しかし、そのヤンバンたちは、韓国の多くの庶民に、いったい何をしてきたか。 そのことを多くの韓国のみなさんに冷静に振り返っていただきたいものだと思っています。
関連記事
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5歳 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1761年:クラシック音楽作曲家)  最初の作曲を行う。ピアノ曲「アンダンテ ハ長調 K.1a」 。他に5曲作っている。   9歳 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1765年=9歳0か月:クラシック音楽作曲家)  最初の交響曲を初演。作曲は8歳の時。   出雲阿国(1581年:女芸能者、歌舞伎創始者)  9月(新暦の10月)に御所で「ややこ踊り」を演じた記録がある。この時、数えで8~11歳と記録されているので、7~10歳の間と考えられる。   10歳 フランシス・ドレーク(1553年:海賊、イギリス海軍提督)  この頃に家出し、近所に住む老船長の船に乗る。  のちに下層農民の身分から海軍提督にまで上り詰める。封建時代・絶対王制の西欧社会での一番の出世物語の始まり。   11歳 森鴎外(森林太郎/1873年=11歳7か月:医者、小説家���  東京帝国大学医学部予科へ入学。日本における最年少の大学入学記録。 マララ・ユスフザイ(2009年:平和人権活動家)  武装勢力タリバン支配地域の惨状を英BBCに匿名で投稿していたが、パキスタン政府が表彰のために本名を公開してしまった。  表彰のある講演会の会場にあらわれ、以降、本名での平和人権活動に変わる。同時にタリバンから命を狙われるようになる。   12歳 ベンジャミン・フランクリン(1718年:科学者、政治家)  10歳で学校を終えて兄の経営する印刷所(現在の出版社)で働き始める。  兄が政府批判の書籍を印刷した罪で投獄されると、12歳で編集長兼発行人を任される。 13歳 ミケランジェロ・ブオナローティ(1488年:美術家)  幼いの頃から絵画や彫刻に興味を示し、この年にドメニコ・ギルランダイオに弟子入りする。   ジュリエット・キャブレット(1595年:シェイクスピア著)  演劇「ロミオとジュリエット」   14歳 ジャンヌ・ダルク(1428年=14歳4か月:聖人)  大天使ミカエルの啓示を受け、オルレアンを訪れる。 マリー・アントワネット(1755年=14歳5か月:オーストリア大公王女、フランス王妃)  フランス王子ルイ15世と政略結婚させられる。 アン・サリヴァン(1880年=14歳5か月:ヘレン・ケラーの家庭教師)  病気で9歳の時に視力を失い、マサチューセッツ州にあるパーキンス盲学校に訓練のために入学する。  その後の手術が成功し、わずかながら視力は回復する。 坂井三郎(1933年=14歳8か月:戦闘機乗り、太平洋戦争の撃墜王)  飛行機を近くで見たいという一心で、周囲の反対を無視して海軍へ入隊する。 八百屋お七(1683年=数えでは16歳:八百屋の娘)  大火で避難した寺で会った男と再開したいため、放火未遂の罪を犯して火刑に処せられる。 大石主税良金(1703年=数えでは16歳:赤穂浪士)  大石内蔵助の息子。赤穂浪士の最年少。吉良邸討ち入り。切腹。   15歳 近藤勇(1849年=15歳1か月:幕末志士)  農民の子供であるが、武士を目指して剣術道場へ入門する。 マララ・ユスフザイ(2012年=15歳3か月:平和人権活動家)  中学からスクールバスで帰宅するところを武装勢力タリバンに襲撃され、頭部と首に銃弾を受ける重傷を負う。治療のためにイギリスへ渡る。 ジョン万次郎(1841年:漁師、翻訳家)  鳥島へ漂着して143日間のサバイバル生活を送る。  その後アメリカの捕鯨船に救助されるが、船長に気に入られてアメリカへ連れていかれた。 乃木希典(1865年:武士、軍人)  長州軍の一兵卒として初陣。幕府軍と戦う。   16歳 山下清(1938年=16歳9か月:放浪画家)  銀座にある画廊で初の個展を開催。画家として高い評価を受ける。 ニール・アームストロング(1947年=16歳10か月:宇宙飛行士)  ホロウェイ・プランという海軍入隊を前提とした奨学金制度を利用して、大学へ進学する。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1787年:クラシック音楽作曲家)  ウィーンへ旅行し、モーツァルトに弟子入りを求めるが断られる。 ウォルト・ディズニー(1917年:漫画家、実業家)  第一次世界大戦のフランスから復員。帰国後、漫画家として活動を始める。   フローレンス・ナイチンゲール(1837年=16歳8か月:看護師、統計学者)  生涯4度あったという神の啓示のうち、最初の啓示を受ける。この時はまだ啓示によって行動が変わることはなかった。   蝶々夫人(マダム・バタフライ/1904年:ジャコモ・プッチーニ作)  オペラ「蝶々夫人」。アメリカ海軍士官ピンカートンの現地妻になった歳。   17歳 手塚治虫(1946年=17歳2か月:漫画家)  4コマ漫画「マアチャンの日記帳」で漫画家デビュー。 マララ・ユスフザイ(2014年=17歳4か月:平和人権活動家)  史上最年少でのノーベル平和賞受賞。 ウラジーミル・レーニン(1887年=17歳8か月:革命家)  学生運動に参加したことで逮捕・投獄され、大学からも退学処分を受ける。  この投獄、監視中にカール・マルクスの資本論などを読みあさり、マルクス主義へ急速に傾倒していく。 マルコ・ポーロ(1271年:商人)  ヴェネチアからアジアの旅へ出発する。 伊達政宗(1584年:戦国大名)  武将としての素質を見抜いた父輝宗から、伊達家17代の家督を継承する。この時の父輝宗は40歳。 天草四郎時貞(1638年:キリスト教徒総大将)  島原の乱の首謀者として処刑される。生年不詳。17歳ぐらいとされる。   18歳 ヴィクトリア女王(アレクサンドリナ・ヴィクトリア/1837年=18歳0か月:イギリス女王)  前任のウィリアム4世の崩御により、イギリス女王となる。イギリス黄金期の象徴的存在。 山下清(1940年=18歳0か月:放浪画家)  徴兵検査がイヤで逃亡。放浪生活が始まる。(1954年まで) ビル・ゲイツ(1975年=18歳5か月:実業家)  ポール・アレンと共にトラフォデータ社を創設。同年にはハーバード大学を休学し、マイクロソフト社を創業する。 マザー・テレサ(アグネス・ボヤジュ/1929年=18歳8か月:カトリック教修道女)  インドのロレート修道会へ入会。この頃にダージリンで見たインドの貧民の生活に衝撃を受ける。 カール・フリードリッヒ・ガウス(1796年=18歳11か月:数学者)  正17角形の作図法を発見。この発見を機に数学者の道を進むことに決める。  またこの発見の前に統計手法として重要な「最小二乗法」も発見している。   19歳 中大兄皇子(645年:のちの天智天皇)  中臣鎌足とともにクーデターを起こし、蘇我入鹿を殺害した。ここから大化の改新が始まる。 ハインリッヒ・エドムント・ナウマン(1875年:地質学者)  明治政府に招かれて東京帝大の初代教授に就任する。  ナウマンに関する経歴には不明な点が多い。結果としての業績は大きいが、この時はまだミュンヘン大学の学部生だったという話もあるが……。 ハワード・ヒューズ(1925年:実業家)  前年の父の死により莫大な遺産を手にし、それを元に最初の事業として映画制作を始める。  のちに航空宇宙産業にも手を出し、「地球上の富の半分を持つ男」という二つ名を与えられる大実業家となる。   20歳 フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1829年=20歳1か月:クラシック音楽作曲家)  J.S.バッハの作品を再評価し、マタイ受難曲を死後初上演する。 ビル・ゲイツ(1975年=20歳2か月:実業家)  マイクロソフト社設立。 マザー・テレサ(アグネス・ボヤジュ/1931年=20歳9か月:カトリック教修道女)  誓願を立て、聖人になることを誓う。 アン・サリヴァン(1887年=20歳10か月:ヘレン・ケラーの家庭教師)  ヘレン・ケラーの家庭教師として、パーキンス盲学校から派遣される。  サリヴァンの派遣は、電話の発明者グラハム・ベルの仲介による。   ジョージ・H・W・ブッシュ(1944年:政治家、アメリカ第41代大統領)  太平洋戦争に攻撃機パイロットとして従軍したこの年、2回撃墜されるも生還している。 三島由紀夫(1955年:小説家、劇作家)  世界一周旅行中にギリシャで見た彫像に感化され、この頃からボディビルによる肉体改造を始める。   21歳 エルビス・プレスリー(1956年=21歳3か月:ロックミュージシャン)  前年サン・レコードからRCAへ移籍。その移籍1曲目で一気にブレイクする。 スティーブ・ジョブズ(1977年=21歳10か月:実業家)  アップル社設立。7か月前にApple Iを発表してパソコンを生み出す。それで得た資金を元手にした。 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1861年:クラシック音楽作曲家)  法務省に勤めながら、サンクトペテルブルグ音楽院に通い始める。 沖田総司(1863年:幕末志士)  新撰組1番隊隊長となる。この時、19歳という説もある。 ユージン・オーマンディ(1921年:ヴァイオリニスト、クラシック指揮者)  マネージャーに騙され、演奏旅行で来ていたニューヨークの街に無一文で放り出される。  糧を得るためにニューヨーク・キャピタル劇場管弦楽団のヴァイオリン奏者となり、腕を買われてその年の内にコンサートマスターになる。  アメリカンドリームを象徴する大出世譚の始まり。   22歳 フランツ・シューベルト(1819年=22歳0か月:クラシック音楽作曲家)  ピアノ五重奏曲「鱒」作曲。  この頃にシューベルトの音楽は一度完成の域に達し、以降、新しいスタイルを確立しようと苦悩する。  同じ頃に仲介者が起こしたトラブルに巻き込まれ、楽譜出版界から干されたに等しい扱いを受ける。  以降に作った歌曲以外の曲(オペラを含む)は、この時から20年以上(死後10年以上)一つも出版できなかった。  死の10年後、遺族を訪問したシューマンが楽譜を発見しなかったら、そのまま埋もれた作家になっていた可能性がある。 チャールズ・ダーウィン(1931年=22歳10か月:生物学者)  測量船ビーグル号に乗り、ここから5年間世界を旅する。 アレクサンダー3世(紀元前334年:マケドニア大王)  東方遠征を始める。2年後にはエジプト、3年後にはペルシャを征服する。   23歳 エイブラハム・リンカーン(1832年=23歳1か月:政治家)  義勇兵の身分のままイリノイ州議員選挙に立候補するが落選。2年後に初当選するとイリノイ州軍大尉になる。 毛沢東(1918年=23歳3か月:政治家、思想家)  師範学校卒業前に、学友たちと政治結社「新民学会」を創立。ここから1年間、共産主義について猛勉強する。 高杉晋作(1863年=23歳7か月:尊王の志士)  下関戦争で米仏から報復を受けた関門海峡の防衛を任される。 高杉晋作(1863年=23歳8か月:尊王の志士)  奇兵隊創設。 島崎藤村(1906年=23歳11か月:詩人、小説家)  長編小説「破戒」を自費出版。作家デビュー。 劉備(184年:三国志英雄)  黄巾の乱が起こり、関羽、張飛らと義勇軍を起こす。 福沢諭吉(1858年:蘭学者、啓蒙思想家)  蘭学塾「一小家塾」(のちの慶応義塾大学)を創立。 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1863年:クラシック音楽作曲家)  法務省を辞職し、音楽活動に専念する。   24歳 小澤征爾(1959年=24歳0か月:クラシック音楽指揮者)  第9回ブザンソン国際音楽祭の指揮者部門でコンクール第1位となる。 吉田松陰(1854年=24歳7か月:長州藩士)  ロシア船に密航を企てるが失敗する。のちに松下村塾を起こす。 鳥山明(1980年=24歳8か月:漫画家) 「Dr.スランプ」連載開始。同年発売の第1巻は短期間に100万部を突破して話題となる。 チャールズ・チャップリン(1914年=24歳9か月:喜劇俳優)  映画「ヴェニスの子供自動車競走」で扮したチョビ髭の紳士の格好が受け、以降のスタイルを確立する。 ユージン・オーマンディ(1924年=24歳10か月:ヴァイオリニスト、クラシック指揮者)  指揮者デビュー。急病で倒れた指揮者の代役で、ニューヨーク・キャピタル劇場管弦楽団を指揮する。  これを機にバイオリン奏者から指揮者へ転向する。 ビル・ゲイツ(1980年:実業家)  MS-DOSを開発。   25歳 織田信長(1560年=25歳11か月:戦国武将)  桶狭間の戦いで今川軍を破り、天下取りに名乗りを挙げる。 アルフレッド・ヒッチコック(1925年:映画監督)  この時はまだ映画会社の広告デザイナーだったが、サイレント映画を監督するチャンスが与えられる。 ビル・ゲイツ(1980年:実業家)   IBMが自社パソコンに使うOSの独自開発に断念し、デジタルリサーチ社のCP/Mを採用しようとするが交渉が折り合わず不採用。  代わりにMS-DOSを採用され、ここから実業家としての大躍進が始まる。   アイザック・ニュートン(1668年:物理学者)  この頃、ペストの流行により故郷へ戻る。そこで万有引力、光学、微分積分学などの着想を次々と得る。「創造的休暇」の年。 毛沢東(1919年:政治家、思想家)  この年、帰郷して故郷の初等中学校で歴史教師をしていた。   26歳 パブロ・ピカソ(1907年=26歳0か月:画家)  抽象画の実験作「アビニヨンの娘たち」をマティス、ブラックなど一部の友人たちに公開。反応が良くないため、激しく落胆する。  ほぼ1年後にブラックも挑戦した抽象画を画廊で公開したところから抽象画の制作が始まる。 ナポレオン・ボナパルト(1795年=26歳2か月:軍人)  フランス軍の将軍に昇進する。兵学校を卒業して砲兵士官として任官してから10年での偉業。 長谷川町子(1946年=26歳3か月:漫画家)  福岡県の地方紙『夕刊フクニチ』にて「サザエさん」の連載開始。 マザー・テレサ(アグネス・ボヤジュ/1937年=26歳8か月:カトリック教修道女)  最終誓願を立てる。これより世界の貧困救済のための聖人生活が始まる。 クリスティアン・ホイヘンス(1655年=26歳10か月、天文学者、物理学者、数学者)  土星の衛星タイタンを発見。土星の周りに見えるものが環であることを発見。オリオン大星雲を発見しスケッチを残す。 アルバート・アインシュタイン(1905年:物理学者) 「特殊相対��理論」「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」等、5つの論文を提出する。「奇跡の年」。  なお、この時に提出した「特殊相対性理論」は大学側が理解できず、論文は受理されなかった。 スティーブ・ジョブズ(1981年:実業家)  IBMがパソコン市場に参入してきたため急速にシェアを奪われていく。対抗策としてLisaプロジェクトを立ち上げる。  ただし仲間との不和により翌年にはLisaプロジェクトからはずされ、別���立ち上げたMacintoshプロジェクトに専念する。   ジョン・F・ケネディ(1943年=26歳2か月:政治家、第35代アメリカ大統領)  魚雷艇の艇長としてソロモン諸島へ配属されて4か月目。駆逐艦「天霧」と衝突して海に投げ出される。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1802年:クラシック音楽作曲家)  この頃から難聴が始まる。ただし高音が聞き取れなくなる西欧人に多い遺伝病であって、完全に聴力が奪われたわけではない。   27歳 チェ・ゲバラ(1955年=27歳1か月:キューバ革命家)  亡命先のメキシコでフィデル・カストロと出会い意気投合。軍医としてゲリラ戦に参加することを決意する。 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1823年=27歳4か月:医師、博物学者)  鎖国中の日本へ来て、オランダ商館の医師となる。 クリスティアン・ホイヘンス(1656年=27歳8か月、天文学者、物理学者、数学者)  天文観測のために振り子時計を製作。  振り子時計はガリレオの発明だが、振り子の不規則な振動を抑えて実用化に成功する。 土方歳三(1863年=27歳10か月:幕末志士)  新撰組の前身となる壬生浪士組を結成する。 諸葛亮(諸葛孔明/208年:軍師)  赤壁の戦いでいくつもの奇計を講じて、10倍もの兵力差のあった曹操軍を退ける。  この時、曹操(53歳)、劉備(47歳)、孫権(26歳)、周瑜(33歳)。 湯川秀樹(1934年:物理学者) 「中間子理論構想」の論文を発表。   28歳 アーサー・コナン・ドイル(1887年=28歳7か月:小説家)  シャーロック・ホームズ・シリーズの第1作、「緋色の研究」を発表。 ヨハン・ゼバスチャン・バッハ(1714年=28歳10か月:クラシック音楽作曲家)  ヴァイマールの楽師長に就任。しかしお家騒動に巻き込まれて投獄されるハメになる。 フランシス・ドレーク(1568年:海賊、イギリス海軍提督)  乗船していた交易船がスペイン海軍の奇襲を受けて壊滅。これにより生涯続くスペインへの復讐心に火がつく。 宮本武蔵(1612年:剣豪)  巌流島で佐々木小次郎と戦う。生年には諸説あり、25歳~30歳の幅がある。 松平定信(1787年:大名、政治家)  徳川家斉のもとで家老となり、寛政の改革に着手する。 アルバート・アインシュタイン(1907年:物理学者) 「等価原理」を着想。これがのちの「一般相対性理論」になる。   ジミー・カーター(1953年:政治家、第39代アメリカ大統領)  父の死により勤めていた海軍を退役し、南部のピーナッツ農場の経営を引き継ぐ。政治家として活動を始めるのは35歳から。   29歳 グラハム・ベル(1876年=29歳0か月:発明家)  電話の実験に成功。最初の言葉は「ワトソン君、用事がある、ちょっと来てくれたまえ」。 ミケランジェロ・ブオナローティ(1504年=29歳6か月:美術家)  製作期間4年を経て、ダビデ像完成。 坂本龍馬(1867年=29歳7か月:土佐藩士)  亀山社中(のちの海援隊)を創設。事業経営を始める。 ゴータマ・シッダールタ(釈迦/年齢は特定されるが年代は不詳:宗教家、仏教創始者)  王宮を抜け出して出家。仙人修業を始める。 木曽義仲(1183年:平安武将)  1180年に挙兵。1183年7月に京都に入り、ついに念願の天下人となる。  しかし、それまでの戦乱と飢饉が重なったために治安を回復できず、そこから反撃を受けて一気に転落人生となり、翌年に討ち取られる。 ジェームス・ワット(1765年:技術者、発明家)  蒸気機関の発明に成功する。ただし資金難で実用化まで10年以上かかる。 ハワード・ヒューズ(1935年:実業家)  航空産業に乗り出し、ヒューズ・エアクラフト社を創設。同年、偽名でアメリカン航空へもぐりこみ、パイロットをやっている。   30歳 スティーブ・ジョブズ(1985年=30歳0か月:実業家)  30歳の誕生日。アップル社の取締役会によって、創業者でありながらアップル社から追放されてしまう。  3か月後にNeXT社を立ち上げ、のちのMacOSXとなるOSの開発を始める。 ビル・ゲイツ(1985年=30歳0か月:実業家)  Windows発表。前年に発表されたMasOSが自社パソコン専用だったのに対して汎用であったため、5年でOSの市場占有率第1位となる。 徳川慶喜(1868年=30歳2か月:徳川第15代将軍)  大政奉還。 坂本龍馬(1866年=30歳2か月:土佐藩士)  西郷隆盛、桂小五郎(のちの木戸孝允)を説き伏せ、薩長同盟を成立させる。 スティーブ・ジョブズ(1986年=30歳11か月:実業家)  ルーカスフィルム社のコンピューター部門を買収し、CG映画会社ピクサーを立ち上げる。 フランシス・ドレーク(1570年:海賊、イギリス海軍提督)  2年前に受けた恨みから、スペイン船を狙った海賊活動を始める。 出雲阿国(1603年:女芸能者、歌舞伎創始者)  春に「かぶき踊り」を上演。世界初の歌劇上演記録で、のちの歌舞伎となる。歌舞伎は1600年には演じられていた可能性がある。  当初の歌舞伎は女優のみが歌って踊る「宝塚歌劇」に似た構成だった。  ただし歌舞伎を風俗業界がこぞって真似た影響で、半世紀後には女性が演じることを禁じられ、以降は野郎歌舞伎のみとなった。 トーマス・エジソン(1877年:発明家、実業家)  蓄音機を開発し、発明家としての名声を得る。 アンドリュー・カーネギー(1865年頃:実業家)  通信技師として就職したペンシルベニア鉄道を退職。実業家として歩み出す。  鉄道会社にいた時代に橋が木製から鋼鉄製へ変わると予想して鉄橋会社を設立。製鉄事業の拡大に乗り出す。 ジークムント・フロイト(1886年:精神科医、精神学者)  ウィーンで精神科医院を開業。ここで実践した治療法より精神分析を確立する。 アガサ・クリスティ(1920年:小説家)  作家デビュー。デビュー作は「スタイルズ荘の怪事件」   31歳 ジョン・レノン(1971年=31歳0か月:シンガーソングライター)  楽曲「イマジン」発表。 足利尊氏(1336年:室町幕府初代将軍)  南北朝の動乱を鎮め、室町幕府を確立する。名実ともに認められるのは1338年。 手塚治虫(1961年=31歳4か月:漫画家)   奈良県立医大で医学博士の学位を取る。 手塚治虫(1961年=31歳7か月:漫画家)  手塚動画プロダクション(のちの「虫プロダクション」)創設。 中臣鎌足(645年:政治家)  中大兄皇子とともにクーデターを起こし、蘇我入鹿を殺害した。のちに藤原姓を名乗る。 ユージン・オーマンディ(1931年:ヴァイオリニスト、クラシック指揮者)  病欠したトスカニーニの代役で、フィラデルフィア管弦楽団定期公演を指揮。  この指揮ぶりが評価されて、ミネアポリス交響楽団(現、ミネソタ管弦楽団)の常任指揮者に就任する。   ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1802年:クラシック音楽作曲家)  この頃に悪化した難聴に悩み、自殺を考えていたらしい。   32歳 アドルフ・ヒトラー(1921年=32歳3か月:政治家)  所属政党名を国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に改名し、党首となる。 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1788年=32歳6か月:クラシック音楽作曲家)  三大交響曲(39番~41番)を作曲。この完成度に満足したのか、これ以降は交響曲を作曲していない。 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1828年=32歳8か月:医師、博物学者)  季節はずれの台風により、シーボルト事件発生。 トーマス・エジソン(1877年=32歳8か月:発明家、実業家)  エジソン電球(白熱電球)を開発。 アーネスト・トンプソン・シートン(1892年:画家、動物学者)  動物専門の画家としてのかたわら、動物に関する専門書や手記を書き始める。この手記が日本で「シートン動物記」として編纂される。   33歳 ジョージ・ルーカス(1977年=33歳0か月:映画監督)  映画「スター・ウォーズ」公開。 ミケランジェロ・ブオナローティ(1508年:美術家)  バチカン宮殿システィーナ礼拝堂の天井画制作を命じられる。 ジェームズ・クラーク・マクスウェル(1864年:理論物理学者)  古典電磁気学を確立する。この理論で電磁波を予想し、それまでオカルト扱いだった電波の実用化に道を作る。 アーネスト・トンプソン・シートン(1893年:画家、動物学者)  アメリカの実業家からの依頼でニューメキシコへ行く。そこで「狼王ロボ」の元となる狼と出会う。   34歳 フローレンス・ナイチンゲール(1854年=34歳6か月:看護師、統計学者)  クリミア戦争で看護師として従軍中、生涯3度目の神の啓示を受ける。  以降、戦場病院の補給状況と看護状態の改善に努め、最大42%あった死亡率を翌年には2%まで減らすことに成功する。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1804年=34歳11か月:クラシック音楽作曲家)  唯一のオペラ「フィデリオ」を上演。  ただしベートーヴェンの付けたタイトルは「レオノーレ」だったが、それを劇場支配人が勝手に「フィデリオ」へ変えてしまった。  そのことへの抵抗か、ベートーヴェンは序曲「レオノーレ」を5度にわたって作曲している。  現在、もっとも演奏されているのは序曲「レオノーレ」第3番。 ウィリアム・ハーシェル(1773年:クラシック音楽家、天文学者)  数学への興味が高じて始めた天文学を、この頃から本格的に研究するようになる。  この頃のハーシェルは人気のオルガン奏者(本職はヴァイオリン)で、交響曲も20曲以上(最終的に24曲)作っていた。   35歳 ナポレオン・ボナパルト(1804年=35歳3か月:軍人)  フランスの皇帝となる。 フィンセント・ヴァン・ゴッホ(1888年4か月:画家)  名作「ひまわり」の1作目に着手する。  この半年前に精神病から耳を切り落としている。 フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1844年=35歳7か月:クラシック音楽作曲家)  名曲、ヴァイオリン協奏曲ホ短調完成。曲の着想から6年をかけていた。 ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1942年=35歳5か月:クラシック音楽作曲家)  交響曲第7番「レニングラード」世界初演。戦時中のソ連のプロパガンダ曲という評価がある。  のちにマイクロフィルムに納めたこの楽譜をめぐって、連合軍とドイツ軍が奪い合う事件が起こる。   36歳 ウォルト・ディズニー(1937年=36歳0か月:漫画家、実業家)  長編アニメ「白雪姫」公開。 ウィルバー・ライト(1903年=36歳8か月:発明家/自転車屋)  世界初の動力飛行に成功。弟オーヴィルは32歳。 安藤広重(歌川広重/1833年:浮世絵師)  東海道五十三次作成。前年に京都まで往復の旅をする機会を得ていた。 川端康成(1935年:小説家)  小説「雪国」を発表。同作品は1968年にノーベル賞を受ける。   37歳 フランシス・ドレーク(1580年=37歳6か月:海賊、イギリス海軍提督)  エリザベス女王に謁見。海賊行為で集めた30万ポンド以上の金銀財宝を献上。その功績によりサーの称号を受け貴族となる。  農民の子から貴族へと出世した、絶対王政時代の最高の出世物語。 ニコラウス・コペルニクス(1510年:天文学者) 「太陽中心説」(地動説)を初めて公言する。   38歳 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1818年=38歳0か月:クラシック音楽作曲家)  田園交響曲(第6番)と運命交響曲(第5番)を同時初演する。  初演は田園交響曲の方が先であったため、当初はそちらが第5番と番号が振られていた。 夏目漱石(1905年=38歳11か月:小説家)  作家デビュー。デビュー作は「吾輩は猫である」 ジャン・アンリ・ファーブル(1861年:生物学者)  研究の資金稼ぎのために昆虫の研究を休み、アカネから染料を取り出す研究に没頭。染料を精製する技術開発に成功する。  しかし先にドイツの企業に染料の人工合成に成功され、事業化には失敗する。 ユージン・オーマンディ(1938年:ヴァイオリニスト、クラシック指揮者)  前任者ストコフスキーの辞任により、フィラデルフィア管弦楽団音楽監督に就任。以降人気指揮者として在任期間42年の最長記録を打ち立てる。 ビル・ゲイツ(1994年:実業家)  Windowsの大成功により、この年より14年間世界一の億万長者となる。   39歳 田中角栄(1957年=39歳2か月:政治家)  郵政大臣就任。戦後初の30代大臣。 グラハム・ベル(1887年=39歳11か月:発明家)  旧知のヘレン・ケラーの家庭教師として、アン・サリヴァンを推薦する。サリヴァンが家庭教師として赴任したのは、ベルの40歳の誕生日だった。 フェルディナンド・マゼラン(1519年:生年不詳、1480年頃とされる/冒険家)  世界一周航海へ出港。翌々年、フィリピンで戦死する。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1810年:クラシック音楽作曲家)  初演時の「フィデリオ」の名前でオペラの楽譜が出版される。ベートーヴェンはあくまで自分の付けた「レオノーレ」で出したかった。   40歳 ジェームス・ワット(1776年=40歳0か月:技術者、発明家)  蒸気機関の業務用第1号が完成する。 フローレンス・ナイチンゲール(1860年=40歳1か月:看護師、統計学者)  ロンドン聖トマス病院内にナイチンゲール看護学校開校。学生数は10名。  この頃、ナイチンゲールが唱えた公衆衛生の改善案がイギリス議会で採択され、翌年から都市部の死亡率が劇的に下がる。 ムハンマド・イブン=アブドラーフ(モハメット/610年頃:イスラム教創始者)  大天使ジブリール(ガブリエル)からの啓示を受け、預言者としての活動を始める。この時の年齢は不詳。40歳前後と思われる。 クラウディオ・モンテヴェルディ(1607年:歌手、作曲家)  世界最古のオペラ「オルフェオ」を上演。  オペラは1600年にメディチ家の結婚式で演じられたリヌッチーニの「エウリディーチェ」が最古とされるが、非公開である。   41歳 マルコ・ポーロ(1295年:商人)  アジアへの旅から24年ぶりにヴェネチアへ戻る。  行きはシルクロードを通ったが、戻りはインド経由の海路だった。 クリストファ・コロンブス(1492年:生年不詳、1451年頃とされる/冒険家)  西回りでアジアへ向かい、アメリカ新大陸に到達する。(1回目の航海) 大石内蔵助良男(1701年:赤穂藩筆頭家老)  藩主浅野内匠頭が江戸城松の廊下で刃傷沙汰を起こし、お家断絶。再興のために動き始める。 フローレンス・ナイチンゲール(1861年:看護師、統計学者)  生涯4度目の神の啓示を受け、飢餓救済のために植民地(インド等)の潅漑用水整備を政治家たちに呼びかけ始める。 宮崎駿(1982年:アニメ監督)  漫画「風の谷のナウシカ」連載開始。   バカボンのパパ(1967年:赤塚不二夫著)  漫画「天才バカボン」   42歳 ウィリアム・ハーシェル(1781年=42歳3か月:クラシック音楽家、天文学者)  天王星を発見する。これを機に音楽家の道を捨て、本格的に天文学者となる。のちに観測から天の川銀河の構造を予想する。 スティーブ・ジョブズ(1997年:42歳4か月:実業家)  経営悪化で株式の暴落したアップル社の買収に成功。最大株主の立場を利用して自分を追放した役員たちを全員追放する。  もっとも経営が破綻したアップル社はもう立て直せないと思ったのか、役員追放後、株式1株を残して、あとの150万株をすべて売ってしまう。  その後のアップル社は、ジョブズと関係のあるエリソンらが経営者に就任する。   43歳 宮崎駿(1984年=43歳2か月:アニメ監督)  アニメ映画「風の谷のナウシカ」公開。 ヨハネス・ブラームス(1976年=43歳5か月・クラシック音楽作曲家)  交響曲第1番を完成、初演。作曲開始から21年もの歳月をかけていた。  ブラームスは完成後も、何度も楽譜に手を加えている。 夏目漱石(1910年=43歳6か月:小説家)  伊豆修禅寺で大吐血。作家デビューからの出版ストレスによって急速に胃潰瘍を悪化。1916年、49歳で没。 大石内蔵助良男(1703年=数えでは45歳:赤穂藩筆頭家老)  吉良邸討ち入り。切腹。   44歳 大塩平八郎(1837年=44歳0か月:儒学者)  幕府の腐敗を嘆き、私財を投げ打って大塩平八郎の乱を起こす。 伊藤博文(1885年=44歳2か月:政治家)  初代内閣総理大臣となる。現在も就任時の最年少記録。 宮崎駿(1985年=44歳4か月:アニメ監督)  スタジオジブリ設立。 アイザック・ニュートン(1687年=44歳6か月:物理学者) 「プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)」出版。これが古典力学の基礎となる。 マルコ・ポーロ(1298年:商人)  ヴェネチアとジェノヴァの戦争に巻き込まれ、志願兵として従軍するもジェノヴァの捕虜となる。  この時に獄中で出会った著述家ルスティケロ・ダ・ピサにより、口述された内容が『東方見聞録』として出版される。  なお、『東方見聞録』にはピサによる創作や聞きかじった間違いの逸話が書き加えられている。 ジョキアノ・ロッシーニ(1836年:オペラ作曲家)  音楽家を引退。以降は養豚場、レストランを開き、美食家の道を進む。   45歳 アドルフ・ヒトラー(1934年=45歳4か月:政治家)  ドイツ総統となる。 フランシス・ドレーク(1588年=45歳5か月:海賊、イギリス海軍提督)  アルマダの海戦でイギリス艦隊の実質的な司令官を務め、スペイン無敵艦隊を壊滅させる。17年続いた復讐劇の完遂。 ニコラ=ジョゼフ・キュニョー(1770年=45歳9か月:軍事技術者)  世界初の自動車事故を起こす。  前年、蒸気機関で動く3輪自動車(小型の試作車)を開発。4kmを1時間で走破した。  事故を起こしたのは5tある大砲を牽引するために作られた大型で、ルイ15世の前で披露するまさにその時だった。 ガリレオ・ガリレイ(1610年=45歳10か月:科学者)  木星の4大衛星を発見。 三島由紀夫(1970年=45歳10か月:小説家、劇作家)  三島事件。自衛隊市ヶ谷駐屯地(現防衛省本庁)東部方面総監部に乱入。クーデターに失敗し割腹自殺。   ダルタニャン老人(1884年:アレクサンドル・デュマ著)  小説「三銃士」~主人公ダルタニャンの父   46歳 スティーブ・ジョブズ(2001年=46歳0か月:実業家)  ずっと拒んでいたアップル社の最高経営責任者(CEO)に就任。ここからアップル社は10年で、世界最大の株式会社へと急成長する。 ベンジャミン・フランクリン(1753年:科学者、政治家)  嵐の中で凧を揚げ、雷が電気現象であることを確認する。   47歳 滝川馬琴(1814年:小説家) 「南総里見八犬伝」を執筆開始。完了まで28年を費やす。   48歳 西郷隆盛(1877年=48歳11か月:政治家)  挙兵し、西南戦争を起こす。 アレクサンダー・フレミング(1929年:細菌学者)  ペニシリンを発見する。   50歳 チャールズ・ダーウィン(1959年=50歳9か月:生物学者) 「種の起源」出版。 ユリウス・カエサル(前49年:軍人)  ルビコン川を渡って元老院と対立。のちにローマ内戦を起こして既得権で私腹を肥やす元老院議員を次々と破る。 佐々木小次郎(1612年:剣豪)  生年不詳。宮本武蔵と巌流島で戦った時、最低でも50歳であったらしい。仮に師匠冨田勢源の直弟子であった場合は60歳以上になる。   51歳 エイブラハム・リンカーン(1860年:政治家、第16代アメリカ大統領)  大統領選の中、11歳のグレース・ベデルの手紙を見て、トレードマークになるヒゲを生やすようになる。   52歳 アントニン・ド���ォルザーク(1893年=52歳3か月:クラシック音楽作曲家)  交響曲第9番ホ短調「新世界より」初演。   磯野フネ(1946年:長谷川町子著)  漫画「サザエさん」   53歳 豊臣秀吉(1590年=52歳5か月:戦国大名)  天下統一の完成。   54歳 エイブラハム・リンカーン(1863年=54歳9か月:政治家、第16代アメリカ大統領) 「人民の、人民による……」のゲティスバーグ演説を行なう。 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1506年:美術家)  この頃に「モナ・リザ」を描き上げたとされる。   磯野波平(1946年:長谷川町子著)  漫画「サザエさん」   55歳 ジャン・アンリ・ファーブル(1879年:生物学者)  これまでの研究成果を紹介するために昆虫記の出版を始める。最初の話題はフンコロガシ。   56歳 乃木希典(1905年=56歳0か月:軍人)  日露戦争で旅順要塞を陥落させる。  この戦いで乃木将軍は無能扱いされているが、装備不足の上に期日を決められると、大勢の戦死者を出す戦い方しか選べなかったとも言われる。 伊能忠敬(1800年=56歳4か月:商人、測量家)  日本全国の測量開始。 ジョージ・ワシントン(1789年:軍人、政治家、アメリカ初代大統領)  アメリカの初代大統領になる。 パブロ・ピカソ(1937年:画家)  名画とされる『泣く女』制作。   57歳 東郷平八郎(1905年=57歳4か月:軍人)  日露戦争、日本海海戦で、ロシア・バルチック艦隊を東郷ターンで撃破する。   59歳 マシュー・ペリー(1853年=59歳3か月:軍人)  ペリー艦隊を率いて浦賀に来航する。 チャールズ・ウォルコット(1909年:古生物学者)  カンブリア紀の生物化石を良い状態で保存したバージェス頁岩を発見する。   60歳 セザール・フランク(1883年:クラシック音楽作曲家)  若い頃に作曲を学んで細々と作曲活動をしていたが、この年から本格的に作曲活動を始める。  最高傑作の交響曲ニ短調は65歳の作品。   63歳 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1795年=63歳1か月:クラシック音楽作曲家)  最後の交響曲となる第104番「ロンドン」を完成させる。 アルフレッド・ヒッチコック(1963年=63歳7か月:映画監督)  ヒッチコックの代名詞となるサイコサスペンス映画「鳥」公開。 葛飾北斎(1823年:浮世絵師)  富嶽三十六景の制作を始める。完成は1833年(73歳)。   68歳 ガリレオ・ガリレイ(1632~3年:科学者)  フィレンツェで著書「天文対話」を発表。異端審問を受け軟禁される。   70歳 ニコラウス・コペルニクス(1543年:天文学者)  死亡2か月後に著書「天体の回転について」を出版する。   71歳 ベンジャミン・フランクリン(1777年:科学者、政治家)  アメリカ独立宣言の起草委員の1人となり、ヨーロッパでの外交交渉役として活躍する。
あの人たちは何歳で何を
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kachoushi · 4 years
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各地句会報
花鳥誌 令和3年1月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和2年10月1日 うづら三日の月句会 坊城俊樹 選特選句
広々と切株香る刈田道 英子 約束の当てにならぬも温め酒 都 秋深し手に残りたる化粧水 同 草紅葉園児手つなぐ楕円形 同 秋の夜や人に秘す物古りし文 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年10月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
色鳥来聖観音は石の膚 千種 青き龍彫り込む廟の冷まじく 順子 秋さぶの解脱門てふ朱の翳り 炳子 秋蝶の思ひありしか秀忠に 三郎 護符を買ふ小鳥の空を背にし 順子 霊廟の魂とし木の実落つる日よ はるか 光背に東京タワー秋の寺 梓渕 鵯騒ぐ正室死後も人寄せず 千種 セルロイド褪せて水子の秋日向 光子 土饅頭裏の湿りに蚊の残る 光子
岡田順子選 特選句
ずつしりと鐘つき堂にある秋思 美智子 色鳥来���観音は石の膚 千種 鰯雲石段やはき襞なせり 千種 解脱門出で松茸を食ひに行く 俊樹 秋蝶のお江の方へすぢ広げ 慶月 鋳造の龍より涙雁渡し 千種 和宮の矜持の墓やとべらの実 眞理子 鱗雲解くやタワーの赤き針 慶月 古墳ともただの丘とも草紅葉 梓渕 色なき風地蔵千躰かいくぐり 眞理子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年10月7日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
曼珠沙華消えずに咲いてくれし事 清女 生あれば何時か行く道彼岸花 同 天高く三途の川を遠くして 同 背に止まる地蔵菩薩に法師蟬 誠 風立ちて思ひの揺るる芒かな 同 オパールの如き目をもち恋の猫 秋子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年10月9日 芦原花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
あかあかと燃え立つ畦のまんじゆさげ 孝子 落葉掻太白星は山の端に よみ子 白砂ゆく凪の海射す秋日かな けんじ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年10月9日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
秋霖や孤児ら遊びし鄙の浜 宇太郎 鄙の駅降りて秋霖ありしこと 幸子 秋彼岸墓で出合ひし友久し すみ子 もう誰の碑とも分からぬ露の石 都 鵙去るが合図ものみな暮れにけり 栄子 何かの実爆ぜて赤赤秋日和 都 街の灯を望む谷間や虫すだく 宇太郎 砂丘秋径あるごとく人の散る 悦子 海鳴りを扱き混ぜ靡く芒原 悦子 一村が棚田百景曼珠沙華 益恵 曼珠沙華燃える一叢屋敷跡 和子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年10月10日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
秋天や峡の水音遠き日に 独舟 秋の風二軒長屋は路地の奥 清 卒塔婆ただそれだけや草紅葉 同 駆け上がる改札口の秋の空 修子 飲み込んだ言葉が梨の重さかな 同 秋の灯や触れし半紙の裏表 のりこ 草叢に残る温みや秋の蝶 岬月 読み返す便箋七枚秋灯下 慧子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年10月10日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
秋黴雨煉瓦の学舎呆けをり 亜栄子 年尾忌や魂句碑になほ灯る 白陶 散り敷きて雨に際立つ金木犀 秋尚 記念樹の影広がりて年尾の忌 多美女 金木犀雨に濃く散る仏会かな 文英 木犀の香を削ぎ落す雨しとど 秋尚 金木犀煉瓦の門を焦がしをり 亜栄子 年尾忌や錆びることなき黒御影 ゆう子 灯を絶やさぬ想ひ年尾忌に 白陶 雨の色昏く宿せる竹の春 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年10月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
廃屋の屋根まで覆ふ蔦紅葉 さよ子 無月かと誰かが言ひてより寂し 信子 秋深し女人ばかりの喫茶店 久子 榠樝の実三角四角戯けたる みす枝 秋高し蓮如上人像凜と 信子 手枕の犬の鼾をきく夜長 清女 名月や故山ゆつくり離れゆく 信子 秋彼岸お供へもなき軍馬の碑 清女 満月の夜の講座の曙覧聞く 久子 彼岸花あれほどの赤着てみたし 錦子 芋の露こぼして去りぬ農婦かな 昭子 提灯の磴に斑をなす秋祭 時江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年10月12日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
いろり端焦げて集へるきりたんぽ ます江 吊橋や大きく揺れる初紅葉 有有 八幡平下山の後のきりたんぽ せつこ 古き文やうやく棄てし日の秋思 貴薫 水の音離れぬ径の初紅葉 秋尚 初紅葉ある処日の射す処 三無 雨音の途切れぬ秋思ありにけり ます江 晩歳に集ふ炉端や切たんぽ 怜 出汁染みて箸に崩れるきりたんぽ 三無 遺されし靴磨く黙秋淋し 美貴
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年10月13日 萩花鳥句会
美術館カラフルブレザー爽やかに 祐子 螇蚸の飛び付くゾウの滑り台 美恵子 観光の飛機の空路に鳥渡る 健雄 名月やラインで届く宴模様 陽子 言の葉も何も浮かばずそぞろ寒 ゆかり 鍬担ぎ家路を急ぐ秋の暮 克弘
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令和2年10月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
軽やかに電車の影絵刈田行く みえこ 秋の蝶命日参り二頭舞ひ 同 秋涼し写経の御堂開け放し 令子 秋晴や子と作りたる砂の山 裕子 仕事終へ重き体に秋の風 あけみ 真直ぐに続く並木の月夜かな 紀子 紅の深き深きや鶏頭花 同 道問へば指差す方に柿の秋 登美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年10月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
啄木鳥や故郷に帰る兵の墓 ただし 箱膳の流れ着きたる秋の川 同 自ら燃ゆるべく燃ゆ曼珠沙華 雪 蔦紅葉雁字搦めの出作小屋 みす枝 浜の路地ひとつ魔境へ秋の暮 一仁 コスモスや風と綾取りしてゐたり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年10月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
時々は石仏掠め木の実降る 亜栄子 秋の雲掴みきれずに母の塔 亜栄子 菩提子を手品のごとくぶら下げて 秋尚 秋風や武士の声はるかなる 炳子 草の実といへぬ実袖につけてゐる 和子 圭魚選 白も黃も矜持のありて供華の菊 三無 吾亦紅蕊に埋み火残しをり 秋尚 木端の香あまく山寺冬仕度 和子 ますかたに集ふ碑のあり年尾の忌 文英 悠然と墓碑の天辺疣毟り 幸風 一本の竜胆正室の墓崩れ 慶月 古寺の庵の廂や郁子秘色 亜栄子 隠沼の水辺明るく末枯るる 斉
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年10月21日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
名月の一と日限りの夜でありし 世詩明 駅の名の謂れ繙く夜の秋 千代子 越前の山々なべて秋高し 和子 十五夜の月の渡れる屋根いくつ 昭子 十五夜やむかし兎も臼も在り 令子 大花野小さき流れ真ん中に 美代 曼珠沙華刈り横たはる阿鼻叫喚 雪 猫じやらし野にあらば野の遊びせん 同 鈴虫は鳴いてますかと古き文 同
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令和2年10月22日 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
十六夜の月は雲間に甍波 洋子 無花果や乳首噛みたる子も遥か 成子 無花果ややをら柔肌包む和紙 さえこ 山彦の栖の標烏瓜 ひとみ 射干玉の夜や石榴の熟れすぎぬ 伸子 天を衝く寺の石階鰯雲 成子 渡り鳥来て賑はひの鼓舞たける 睦子 鎖樋から大甕へ秋の水 愛 腕白の風に案山子の揺れてをり さえこ 母の手を振り切り駆けし鰯雲 順子 無花果の窪みのほどの愁ひかな 桂 空つぽになるまで鳴いて蟬骸 豊子 無花果や口約束はすぐ乾く 寿美香 望の月あげて地軸に狂ひなし 豊子 野の風を束ね小菊の香を母へ 朝子 秋の寺絵解き上手の僧のゐて 孝子 福音の風を信じて小鳥来る 朝子 無花果のお八つ昭和の子沢山 豊子 秋刀魚焼く流離の色を裏返し 寿美香 床屋出て見上げてをりぬ秋の雲 勝利 嚔する手の平うすき少女かな 睦子 群集の嘆きか風の蘆の花 勝利 まぼろしの麒麟出で来よ秋の雲 美穂
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鯖江花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
舟小屋の朽ちたる舟や秋の風 ただし 白を着し悪魔の衣裳菊人形 同 銀木犀銀の雫をこぼしけり 信子 赤とんぼ噂話の輪の中へ 同 パラグライダー花野の空を使ひ切る 昭子 自分のこと俺と言ふ子や七五三 同 露の世の翁の色紙塚に触れ 昭子 菊人形美女も野獣も香り良し みす枝 老僧を追かけ廻る赤蜻蛉 世詩明
(順不同特選句のみ掲載)
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