#比較的食べやすい枯れ草
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petapeta · 1 month ago
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陸稲(りくとう / おかぼ)は、畑で栽培さ���るイネ(稲)。野稲(のいね)とも呼ばれている。水稲に較べて水分条件により厳しい畑状態に適したイネと位置づけられているが、植物学的な差異は無い。また、古くから陸稲として栽培されてきたものもあれば、水稲から品種改良されたものもある。
水稲に比べて草型が大きく、葉身が長大で根系が発達しており、粒も大きめである。また、収穫率・食味は落ちる(特に粳米)ものの、水田を作らずに畑に作付けできることから育成が容易であることが特徴。治水の問題で水田が作れない国や地方において栽培されている。日本でも作られていたが、治水が進み、水稲の品種が改良されるにつれて、陸稲栽培面積は減少している
水稲の場合、直播と移植の両方の栽培方法があるが、陸稲では種籾を畑に直播するのみであり、移植栽培はない。陸稲では、水稲の移植栽培のように、苗の育成や田植えなどの手間のかかる作業を省けるという利点がある。また、品種によっては、縞葉枯病やいもち病に強いなどの利点もある。さらに、特定種類の他作物と同時に作付けした場合、害虫の侵入を防ぐという利点も確認されている。逆に、弱点としては、連作障害が発生しやすいほか[3]、雑草が生えやすいので除草が大変なことがあげられる。
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nostalblue · 10 months ago
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ちょろぎ
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このイモムシ、あるいはドリルビットのような物体はチョロギという植物の塊茎だ。関東以北では、おせち料理の食材として使われるらしいが、そもそもおせちに縁のない生活をしてきた私にとって、食べたことはもちろん、その存在すらこれまで知らなんだ。もう結構な齢だけどね(笑)。
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このユニークな形状は栽培欲求をかき立てるのに充分だった。ただ世間ではそれほど特殊な物ではなく、フリマサイトから容易に入手できた。
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入手したのが晩秋だった為、冬越しさせてやらなくてはならない。売り主に相談したところ、寒さにかなり強いので軽く土を被せておく程度で良いらしい。畝の一角を使っても良いのだろうけど、まあ初めての栽培だし、念のためバケットに入れて土を被せ、玄関の内側に置いた。
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���つも痛むことなく冬越しした塊茎をポットに播種したのが3月の初旬。順調に発芽・生育して、一か月後の4月初旬には畝に定植した。上の写真はさらに一か月後の5月初旬の状況。
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同じ畝の6月中旬の状況。定植後草取りすらしていないが、畝全体に広がり繁茂している。花穂も立ち始めた。
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葉の形状はバジルに、花の形状は青ジソに似る。いずれもチョロギと同じシソ科だ。花の蜜を吸いに蜂や蝶などいろいろな虫が訪れるが、葉に食害された形跡は見当たらない。
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秋になり葉の色が変わり始めた頃、試しに株元を少し掘ってみたが、まだとても収穫出来るような大きさではなかったので、上の写真のように完全に茎葉が枯れ果てるのを待ってから収穫することに(12月下旬)。
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茎同様、根も細めなのだけど、がっしりと広がっているせいで引き抜くのは容易ではない。なのでショベルを使って掘り起こしながら収穫していく。
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とりあえず根付きのまま集めて、そのあと塊茎を分離していく。かなりチマチマした作業だ。
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「チョロギ独特のくびれに泥が残るのでブラシで丁寧に洗い落とす。。。」なんて記事を見かけビビっていたが、バケツに水と一緒に入れてグルグル掻き回したら、意外にもそれだけで充分綺麗になった。このあたりは育てる土質に依るかも知れない。粘土質が強いところだと泥落ちしにくいかも。
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鍋で5~6分茹で、一部を晩酌のつまみに。味付けは軽く振った塩だけだが。。。見た目の奇抜さとは裏腹に素朴で淡白な味だ。うっすらと甘みも感じる。この茹で時間においてはホクホクとした仕上がりになったが、食感はキクイモのそれによく似ている。
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残りは自家製の梅漬けの副生成物である梅酢に浸し漬け込む。数日後に食べてみたが、梅酢の味がしっかり浸みて良い感じになっていた。ただ漬ける場合にはもう少し茹で時間を短くしてカリカリ感を残した方がより適しているかも知れない。
実際にチョロギを育てて食べてみた総合的考察としては、クセのない味と食感は歓迎できるところだが、長い栽培期間と面積当たりの収量、そして収穫作業の手間などは他の作物と比較すると著しく効率が悪い。自給自足生活においては自分が食べる量を確保することが最重要なので、その観点からはこれを大がかりに育てていくことは得策では無いだろう。ジャガイモなら同じ期間で2度収穫出来るし、キクイモ��らもっと大きな固まりがゴロゴロと簡単に収穫出来るからね。
とは言え目立った害虫もなく、強健で手が掛からないメリットもあるから、他の野菜には適さない場所を使って育てることができるなら逆に合理的かも知れない。あるいはプランターで育てれば土ごとひっくり返して収穫できて作業がラクになるかも。いずれにしてもメインで栽培するような野菜ではなく、食生活に多様性を持たせる為に隅っちょで少量だけ育てるというのが無難なところかと思う(ビジネスでやるなら別だけどね)。
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palta-eh2 · 8 years ago
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お前、肥えすぎ。とのことで、友人が買ってきてくれた。 美味しく頂ける方法調べてみたら、みなさま積極的にカロリー添加してて笑う。 #オールブラン #比較的食べやすい枯れ草
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2ttf · 13 years ago
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oka-akina · 6 years ago
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1月23日
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 浴衣を着ているのかと思ったと祖母が言った。わたしのシャツが白地に紺色の柄だったためだろう。大柄のチェックで、たしかにいげたがすりのように見えなくもない。浴衣にはまだ早いよとわたしは言った。でも浴衣でもちょうどいいような気温だなとも思った。五月はこんなに暑かったろうかと毎年思う。ことしはずいぶん訃報が多いなと毎年毎年思うのと似ている。  祖母はベッドの上で体を曲げて横になっている。肩や腹やあちこち痛いと言った。二月に骨折してからずっと入院している。こんなに長いこと家に帰れなくなるとは思わなかったと祖母は言い、近所の人たちが心配しているんじゃないかと不安そうにした。母や伯父がときどき家に物を取りに行っているから、近所の人と挨拶くらいしてるはずだよとわたしは言い、祖母はまばたいて、ちょっと唸った。耳が遠いのだ。  花を持って見舞いに行った。来る途中にあったホームセンターでガーベラを買った。花瓶はどうするかと夫が言い、病院で貸してもらえるだろうとわたしは言った。ばかのふりをしてナースステーションでたずねれば、いっこくらい出してくれるんじゃないかと。  ばかのふりをして図々しくなにかをお願いする、ばかのふりをして手取り足取り教えてもらう。子どもの頃、世のおばちゃんたちはなんてずうずうしいのだろうと思っていたが、あれはみんなわざとそうしていたのかもしれない。またばかのふりかと夫が笑う。わたしのばかのふりを、夫は喜ぶ。わたしは喜ぶ夫が面白いから、ばかのふりをしているフシがあり、一人だともっとキザだし気取っていると思う。どっちがどうというわけではないが、ばかのふりをたくさんするうち、ほんとうにばかになっているような気もするし、もともとおばかさんだった気もする。花瓶を貸してもらえませんかとナースステーションでたずねたら、すんなり出てきた。ばかのふりをするまでもなかった。  背の高いガーベラで、どうにもおさまりが悪かったが、ハサミは借りなかったのでそのままひょろっとさせておいた。枕元の物入れの上に置いた。「あんまり見えないかもしれないけど、ここに花があるということが大事だから」、わたしはでたらめなことを言った。祖母はやはりまばたいた。耳の遠い相手に好き勝手べらべらしゃべったり、ぼんやり沈黙したりしている時間がわたしはわりと楽しいのだけど、それはわたしがときどきしか祖母に会わないから言えることで、ほんとう、病院の職員さんや週に何度も見舞う母や伯父には頭が下がる。  リハビリのようすを見学して帰った。歩行訓練や輪を棒にかけるのや、祖母は黙々とリハビリをおこなった。理学療法士のおにいさんが履いていたスニーカーが、わたしとまったく同じもので、なんだかわたしは面白かったのだけど、おにいさんは気まずそうに笑った。プーマの白、ソールが濃いピンク色。
 という五月の日記を読み返している。  あのとき祖母はベッドの上で、自分の手や腕をさすりながら「血管が糸のようにほそくなってしまった」となげいた。「糸のように」。声や言葉や見えない血の管のようすをわたしは反芻する。祖母はむかし洋裁の学校に通っていて、家には足踏みの古めかしいミシンがあった。そのミシンで、わたしは学祭で使うなんやかやを縫ってもらったことがあったが、二十年ぐらい前の話だ。ミシンはもう捨てているだろうと思う。少し前から伯父が家の片付けをやってくれている。そして、これはなにか手縫いしているときだったろうけど、祖母が歯で糸をぷつんと切る仕草を、思い出す。畑の世話で灼けた指にごろんと指輪が光り、手首には輪ゴムが食い込み、銀歯が覗いて糸が切れる。糸のようにほそくなってしまった、祖母はどんな糸を思い浮かべたろう? ボタン糸より弱い糸だろうか?
 そうして蚕の吐く糸を思い出す。わたしが最初に通った小学校は田舎で、養蚕農家の子がちらほらいた。そういう子たちは生きもの係になると蚕を連れてくる。わたしのいた教室でも、何匹か蚕を飼った。白くて大きな(ほんとうに大きいのだ)蚕たちはおとなしく、でもごそごそ動き回り、担任は教室で蚕を飼うことをとてもよろこんだ。わたしたちに観察日記をつけさせた。蚕を手に乗せ、どんな感じだったか書きましょうと言った。わたしはその町に越してきたばかりで蚕というものを初めて見た。そのころあらゆる虫がこわかった。とくにアゲハ蝶の幼虫がこわくてこわくて、理科の教科書を開けなかったほどだったから、蚕はもっとおそろしく見えた。「こわくてできません」と言ったら、ものすごい剣幕で叱られた。「お蚕さまを気持ち悪いと言うなんて」と怒鳴られた。わたしは気持ち悪いとは言わなかったのだが、でも同じことなのだろうと思った。虫が苦手なのを、男の子たちにからかわれた。怒鳴られた子はからかっていい子だ。登校すると机の上に理科の教科書や昆虫図鑑の、幼虫のページが開いて置かれている。わたしは泣きながら本を閉じる。男の子たちは面白がって、それが続く。わたしの教科書の該当のページは、母が糊で貼ってくれた。テスト中など教室が静かなとき、蚕がごそりと動くおとがきこえた。わたしもわるいし男の子たちもわるい、蚕はわるくない、あんまり泣いているとバカにされるから、こらえた。鼻の奥が痛んだ。それで比較的こわくなかったおたまじゃくしを、田んぼですくっては男の子たちの前で道路にばらまいてみせ、わたしはこわさを克服したように見せかけた。点々と散ったおたまじゃくしたちはすぐにひからびた。おたまじゃくちたちにはかわいそうなことをした。わたしがわるい。男の子たちは桑畑に連れて行ってくれ、桑の実をわけてくれた。指が真���黒になったが酸っぱくてうまかった。やがて蚕は繭になり蛾になった。糸を吐くようすを見たわけではない、見たかもしれないけどおぼえていない、でも、糸というと教室の蚕がまっさきに接続する。よわよわしい家畜の吐く息、その白。歯で切れそうだ。    祖母が亡くなった。けっきょく家には帰れなかった。母からのLINEで知った。わたしは寝ていたので気づくのに50分ばかり遅れた。祖母は先週から意識がなかった。ゆっくり徐々に亡くなったのだと思った。実家に電話をかけたら父が出た。お母さんは?とたずねると、「いない」「出かけてる」「どこにいるかわからない」「たぶん病院かばあちゃんち」と頼りない返事だった。実家には、年末に出産したばかりの妹もいる。妹は葬儀には行かれないだろうなと思った。じゃあ携帯にかけるよと電話を切り、病院というのは祖母のいた(いた、だ)病院なのか、母が通院している病院なのかききそびれた。昨年から母は体調を崩している。母の携帯に電話をした。母は祖母の家にいた。斎場が混みあっているから葬儀は来週になると言い、家族だけでとりおこなうことになりそうだと話をした。母はあわてているのか、どうも話が要領をえなかった。母が「平日だからお葬式は来なくてもいいけど……」と言いかけ、わたしはなにをとんちんかんなことをと思わずいらだってしまった。行かないわけないでしょうと言った。母がぶつぶつと謝り、前にもこんなことがあったなと思う。電話を切ってから、もうちょっと優しくしてやればよかったと思った。
 腹が減ったのでおむすびとオムレツをつくって食べた。春らしい色合いになったが、とくにぼうっとしていたわけでもないのに卵を焦がした。といってもわたしには上出来なほうで、塩加減もうまくいった、ちょっといい気分になった。桑の実よりうまい。さっきうまかったと書いたけど、ほんとうはけっこう青臭かった。男の子たちのことはきらいだった。  夫に祖母が亡くなった旨をLINEしたら、すぐに既読がつき電話が返ってきた。わたしより悲しんでいるみたいな声をしていたので驚いた。たまたま明日は有給休暇で、実家と祖母の家を明日訪ねようということになった。それでいつものように小説を書いたり本を読むなどし、そういえば髪が伸び放題だったなと思い、美容室に行った。色が抜けてほぼキンパツの髪も黒っぽく染めることにした。「最近どうですか」、いつもの美容師さんがたずねた。甥が生まれたこと、祖母が亡くなったこと。「いいニュースとわるいニュースがあるんですけど……」、わたしは生まれて初めてそのせりふを口にして、にやにやした。やはりひとりだとキザになる。そうして甥がいかにかわいいかという話で盛り上がり、祖母のことは話さないまま帰った。  帰り道にスーパー銭湯に寄り、平日の夜だからガラガラだった。脱衣所で、男の子が風呂に入りたくないとだだをこねていた。お母さんと妹と三人づれで、母親はもうパンツだけになっているし、女の子ははだかんぼうでうろうろしている。自分は風呂には入らない、今すぐ帰るのだと男の子はさけんでいた。母親はどうにかなだめすかそうとしているが、男の子はきかない。かれなりのどうしてもゆずれないなにかがあるらしい。どうしても虫がこわかったこと。もうお金払っちゃったから入ろうよ、お母さん寒いよ、いやだいやだ、繰り返し。そのやりとりが、たまたま昼間に読んだインターネットの記事と重なり、思わずきょうみぶかく聞き耳をたててしまった。けっきょく、「すぐに出るからここで待ってなさい」とお母さんは女の子を連れてあわてて浴場へ向かった。男の子は体育すわりでじっとしていたが、わたしがトイレから出てくると、ドライヤーと扇風機の風を戦わせていた。  仕事から帰ってきた夫と夕飯を食べながらそれらの話をした。そりゃ女湯なんか入りたくねえよな、熱風と冷風を戦わせる発想はいいなと、夫は終始男の子の味方をした。近所の中華屋で、ここはすべてのメニューに問答無用でゆで卵がつく。お冷と一緒にゆで卵を出されるので、わたしたちは卵の殻をむきながら食べるものをえらび、あれこれと話した。かたやきそばの上でかたゆで卵を半分に割り、粉っぽい黄身が野菜のあんに崩れた。髪を染めたことについて、「喪に服しているのか」と夫がまじめな顔をするので笑った。    教室の蚕は蛾になってからも飼われつづけた。台所用スポンジが与えられ、蛾はほそいほそい足で引っかかるようにしてとまり、じっとしていた。そういえば蛾になったのは一匹だけだった。祖母の見舞いに持って行ったガーベラは、誰かが水をかえたり枯れたものを捨てたりしてくれたのだろうなと思った。
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hinagikutsushin · 6 years ago
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帰ってきた者
 ザクザクと草を踏む。
 少しずつ色付いた葉が風でお互いを擦り合わせて乾いた音を鳴らしている。随分と涼しくなったこの山も、秋模様になりつつある。
 スーッと大きく息を吸うと、新鮮な空気が肺を満たすのがわかった。とても気持ちがいい。
「ヤスヒコ」
 数歩先を進んだヒナギがこちらを振り向いた。杖を支えに、比較的いうことを聞くようになった足をゆっくりと動かし彼に近づく。私が後ろを付いてきているのを確認した彼は、再び獣道を前に進んだ。
「ヒナギ、どこに行くの」
「そうだな、この先に少し開けた景色のいい野原がある。そこで昼でも食おうか」
 私はヒナギの右手にある風呂敷の中身を想像してへらっと笑うと、それに気づいたヒナギもによっと口元を上げた。
  本日、晴天なり。最高の散策日和である。
   暫く歩くとヒナギの言った通り開けた場所に出た。どっしりと構える大きな木があり、彼は今は枯葉をつけているがそれは見事な桜の木なのだというのを教えてくれた。
 その木の根元に座ると、彼は風呂敷を開けながら私に手を出すように言われた。両手を差し出すとポンと白い握り飯が手渡された。私の手の大きさをゆうに超えるそれは少しだけ歪な形をしている。口に含むとほのかに塩っけがあり、噛めば噛むほど米特有の甘さが広がった。
「おいしい」
「そうか」
 私が食べ始めるのを確認したヒナギも手に持っていた握り飯を一口食べた。うんと1回深く頷く所を見ると、今日も満足のいく味のようだ。
 とても長閑だ。小鳥が合唱をして、雲はゆっくりと流れ、色付いた木葉が時々風��吹かれて踊る。気持ちよさに目を細めた。そのままぼうっと森の方を見ると、キラキラと何かが輝いているのが見えた。何かが反射しているのだろうかと思ったが、それにしては不規則だし、何しろ動いている。
 ヤスヒコ、と声をかけられ私は再び彼を見た。握り飯に手を付けずただ先をぼんやりと見つめる私を心配したらしい。ヒナギにお昼の後に向こうの方に行きたいと伝えれば、何か見えたのかと聞かれた。なんて表現すればいいのか分からずまごついていたが、どうせ一緒に行くんだからそんなに今わざわざ説明しなくてもいい、と彼は笑った。
 こくりと頷いて、握り飯を再び口に含み、そういえばまだ光ってるのだろうかと森に目を向けたが、いくら眺めても再び煌めくことはなかった。ううん、と首を傾げるも変わらない視界。狐に化かされたような気分だ。
 まぁ後であちらの方に歩くのだし、今は別にいいかと、最後の一欠片を口の中にほおり投げた。
   昼も食べ終わり、ヒナギの手を引いて森の中に入った。入ってみれば、先程彼が先導した所とは違い、何やら普通の森とは違う、何かがズレているような雰囲気に少しだけたじろいだ。
「ヤスヒコ、お前は一体何を見たんだ」
「なにか、キラキラしてるもの。いきものみたいに、うごいてた」
 目の前で光るものが通った。ほら、今みたいにと彼の手を離し指さしたが、ヒナギの反応がない。後ろを振り向くと、濃い霧が出ていて彼の姿が見えなかった。
 彼の名前を呼んで見たが返事がない。
 ……何かがおかしい。
 気付けば辺り一面に霧が漂っていて、先も見えないような状態だった。
 その中でポツポツと光るものや、ぼんやりとした鬼火のようなものが漂い、光の筋を作っている。
 確かに、私が見たものだ。
 攻撃してこないのを見ると悪いものではなく、ただ空中を漂っているだけのようだが、突然1人になったせいで心細い。逃げるように何歩か後ずさりすると、トンッと背中に何かがぶつかった。
 もしかしたらヒナギかも。希望を胸にくるっと振り返ろうとしたその瞬間、
 「ばぁ!」
  突然、2本の大きな角が生えた逆さまの幼女の顔が私の鼻先に現れた。
  喉がひきつり、悲鳴も出ない。驚いて腰を抜かすと、空中にふわりと浮かんだ彼女は悪戯っ子のようにケタケタと笑った。
「わぁ、とっても可愛い山の子がいる!」
「山の子……って私?」
「他に誰がいるの?」
「……ヒナギは?」
「あぁ、彼? ほんの少しだけ山を迷ってもらってるだけ! 心配しないで」
 それよりもお話しましょうと馴れ馴れしく私の腕を取る彼女。見知らぬ人、いや妖のあまりの図々しさに少し顔を顰める。
「あ、その顔は私に誰って顔だな?」
 違う��
「私はこの森の妖精! あー、名前はないからお隣さんって呼んで」
「……おとなりさん?」
「そう、お隣さん。私達は山の中に、水の中に、里の中に、そして人の隣に閴暮らす悪戯好きなお隣さん」
 サクかな。
「多分君の想像しているそれは違う子かなぁ……」
「なんでわかった」
「いや、君結構顔に出やすいよ。しっぽも揺れてるし」
 そう指摘され、私は気まずそうに横を向いた。すると、ふわふわと私の周りを漂うだけだった筈の光の粒が、いくらか増えているのに気づいた。いくつかは私にくっ付いたりしたかと思えば離れたりと、不思議な動きをしている。嫌な感じは、しない。
「ふふ、君はとても精霊に好かれてるんだね」
「精霊……?」
 私が不思議そうにしているのを感じ取ったのか、光の粒を指さした。
 彼女曰く、精霊とはこの世に溢れる力の元で、生命そのもの。本能で生き、理性はもちあわせておらず、ただそこに在るだけのもの。場所によって増減し、特にこの山は神殺しの一件で、激減したことがある。
「精霊が突然激減すると、精霊を糧とする私たち妖精は存在が出来なくなるの。漸く山が立ち直ってきたってツグモネから聞いたから帰ってきたんだよ」
 だいぶいい空気になったと、大きく息を吸った後、彼女は勢いよく私の腕をぐいっと引っ張った。前のめりになった体のまま、何をするんだと避難するように目前で浮いている彼女を睨めば、きししっと歯を見せ笑い、まるで森の奥へ奥へと誘っているかのように何度も腕をくいくいと引っ張る。
「この先に私たちの仲間がいるの。一緒に遊ぼう」
「だけど、ヒナギが」
「大丈夫大丈夫、彼が迷ってる間だけ! そんなに遠くないよ。それに今から行くところはこの山の中でも特別な場所なんだよ、気にならない?」
 そう言われると気になってしまう。彼女の仲間がもっと居る。そして山の中でも特別な場所。好奇心が疼くのを感じ、けれどヒナギに対しての申し訳なさも感じてきゅっと握り拳を作った。
――ちょっとだけ。そう、ちらっと見て帰ればいい。あわよくば話も聞きたいけど、ちょっとだけ。
 結局誘惑に負けた私は、ゆっくりと彼女の誘導を頼りに奥へと歩みを進めるのであった。
   霧はどんどん深くなっていく。
 あんなに美しく色づいていた筈の木の葉も、この霧の中では見えない。が、幸い、行先が先なのか精霊が先ほどよりも多く、ぼんやりとした視界の中光がゆらゆらと浮かんでは消え、震え、飛び回り、跳ねる光景は幻想的でもあった。
 前で私の手を引っ張る彼女は随分とおしゃべりで、その口が止まることは無い。私は口下手であまり話すのが得意でないからほとんど聞くだけだったが。
 そういえばどこに行くんだろうと、彼女に聞いてみたが、彼女はとっても楽しい場所としか答えない。
 かなり歩いただろうか。最早先の道��見えず、夜のように暗い。精霊のおかげで所々はゆらゆらと蠢く異次元の光に照らされているが、それでも見えづらいのは変わりなく、私の手を握る彼女を頼りに進むしかない。
 そんな中、ふと彼女の足が止まった。
「ねぇ、もしこの先あらゆる苦しみや悩みから解放されて、気ままに自由に楽しく生きられるとしたら、君はどう思う?」
「どういう、こと」
 彼女がゆっくりとこちらを向いた。紅葉のごとく紅い瞳が暗闇の中でゆらゆらと怪しく揺れた。
「記憶もなく、傷だらけ。足はまともに動かないし、それに人間にも妖にもなりきれない。可哀想な可哀想な、山の子、我らの子」
 掴まれている手から何かが這い上がってくる感触がして目線を手の方に向けると、彼女の手はいつの間にか木の根に変化し、私を飲み込まんとしている。木の根が太いからか、振りほどこうにも振りほどけない。地面から生えてくる植物は私の足に絡みつき、身動きを取らせないようにしている。
 彼女の細い指が私の頬を撫でる。嬌笑を浮かべて迫ってくる彼女は美しいが恐ろしい。
「さぁ、私の目を見て。そして連れて行ってと一言だけ言えば、君は全てから解放される。自由になれる。
 私たちと一緒に山へ帰りましょう、ねぇ?」 
 最早私の体は草木に絡め捕られ動かない。
 私は彼女の視線から逃げるようにしてぎゅっと目を瞑った。
 苦しみもなく、悩みもないだなんて。どれだけ素晴らしい世界だろう。
 それでも、私は……――。
 ゆっくりと目を開け、彼女の瞳をまっすぐに見つめる。
 期待心からか、彼女瞳をさらに煌めかせて私を見つめ返した。
 その様子を見て、私は口元を少し上げて、彼女に告げる。
 「わたしは、行かない」
 「どうして? 君はとっても辛いんでしょう? そんな状況から抜け出せるというのに?」
 意味が分からない様子で、彼女は首を傾げた。絶えずその瞳は誘惑するかのようにゆらゆらと輝いている。
「たしかに、辛いことのほうがおおい。きおくはないし、ちゃんとあるけないし、にんげんなのか、あやかしなのかもよく分からない。先がみえなくて、こわいときもある。だけど、わたしはおもってるよりも、この生活をたのしんでる。わたしは何も知らないから、見えるものすべてが、あたらしくて、きれいで、うつくしくて、それに……」
 少しだけ、今度は軽く瞼を閉じる。脳裏で風に揺れる緋色が揺れた。
「わたしは、まだあの人のとなりにいたい」
「……怪我が治るまでなのに? その後はどうなるかわからないのに?」
「それでも。……それに、わたしはまだ、あの人になにもしてあげられてないから」
 苦笑いを零すと、目の前の彼女はやはり理解できないのか困ったように眉を顰め、今度は反対側に首を傾げた。
「やっぱり人間って変」
「そう……?」
「そうだよ、どうして辛い所にずっといようとするの」
「ツグモネも同じこと言ってた……なんでだろう、わたしにも分からない」
「変なの」
 普通なら苦しい事とか辛いことから逃げたい��て思うでしょ~、とそうぼやいた彼女は私自身に絡みついていた草木をほどいた。私は自由になった両手と両足を軽く揺らした。うん、痛くない。大丈夫。
「ヤスヒコ!」
 私の後ろから聞きなれた力強い低い声が響いた。パッと後ろを振り向く。
 少し離れた場所から、精霊の光を帯びつつこちらへ向かってくる大柄な人間。
「……ヒナギッ!」
 言う事の効かない足を必死に前へ動かし、彼の元へ飛び込んだ。ぎゅっと私を抱きとめた彼の胸元に顔を擦り付ける。あぁ、安心する匂いがする。
「すまない、少し探すのに手間がかかった」
 ふるふると首を振る。そんな私の頭を軽く撫で、ぐっと抱き上げた。
「森の妖精の一人か。悪いがこいつをお前さんらに渡すつもりはない」
「そのようだね。ざーんねん、熊みたいに強い保護者が来ちゃったし、打つ手なしか。ま、今回は諦めることにするよ」
「今回は、か」
「山の子が辛い思いをするのは嫌だもの。逃げ場を作ってあげるのは大切でしょ?」
「一生出てこれん逃げ場か」
「一生辛い思いをしてここで生きるよりは、あちらに行って生きるほうがいいもの……断られちゃったけどね」
 残念そうに溜息を吐き、彼女はふわりと空中へ浮いた。
 向こうのほうで、なにやら騒がしい声が聞こえる。笑い声だろうか。それと何かを呼ぶ声だ。よく見ると、木々の間から光が漏れているのが見えた。恐らく精霊の光だが、沢山いるのか非常にまばゆい。
「あーあ、呼ばれちゃった。私もう行かなきゃ。連れて帰れなかったって言ったらなんか言われるだろうなー」
「え」
「ヤスヒコ、気にしなくていいぞ」
「そう、気にしなくていいの。
 ……ねぇ、君。もしこれから先逃げたくなったら私たちを呼んでね。いつでも君をあっちに連れて行ってあげるから。私たち山に住まう妖精はいつだって君の味方だよ」
 私の方へ飛んできて、両手で頬を優しく挟んで彼女は笑いかけてきた。そして軽く額に口付けを落とすと光のほうへ飛び立とうとする。
 そんな彼女の手を私はとっさに掴んだ。びっくりした様子で紅い目を見開く彼女。これだけは伝えておかねば。
「おとなりさん。わたし、かわいそうな子じゃないよ」
「!」
「だってわたし、今がとっても、たのしいから」
 零れ落ちそうなくらい見開かれた瞳が、ゆっくりと元の形に戻る。にんまりとした笑みを作った彼女は「君がそう言うなら」、と一言そう言って、勢いよく光の向こう側へと飛んで行った。すると光が消えると同時に精霊がパッとはじけ、あたりに散らばった。
  暗闇の中できらきらと光りながら浮かぶ精霊たちは、まるで夜空に光る星のようだった。
   精霊の光が見えなくなったころ、徐々に元の景色が見えてきて、最後には赤黄橙と葉にお化粧をした森の姿へと戻った。
 思ったよりもあの不思議な空間に長くいたのか、それとも時間の流れが違う所にいたのかは定かではないが、朝早くに家を出たはずなのに何時の間にか日は大きく傾いており、目に入ってくる西日が眩しい。酷使してしまった足はもう使い物にならず、大人しくヒナギに抱き上げてもらい、帰路を辿っている。
「おとなりさんは、わたしをどこにつれて行くつもりだったんだろう」
「彼らが住まう世界だ。……確かにあちらには苦しみも何もないというが、そもそも時間の流れが違うからな、人間がそこで生きるには姿かたちを変えねばならん……帰ってこれなくなるというのはそういう意味でもあるんだ」
「でも、どうして」
「単純にお前さんを助けたかったんだろうよ。彼女達なりの親切心だ。あいつらは山を大事にする者に対しては優しいからな。お前さんはその尻尾のせいかどうかは定かではないが、山の気を多く体に含んでいるようだし……まぁ、そういうことだろう」
 私は歩くたびに振動で揺れる自身の尾に目をやった。ツグモネによれば山の主とそっくりだというそれ。今回の事といい、何かとても重要なもののようだが、やはり思い出そうとするとその先は誰かに黒く塗りつぶされたかのように思い出せない。
 ここの山主がもし生きていたなら、私の問題なんか直ぐに解けていたろうに。
 そんな叶いもしないような事を思いながら、私はヒナギの肩に顔を傾けた。
「だが、あいつらも悪気はないんだ。許してやんな」
「ん、わかってる」
「しかし見つけるのに苦労した。いや、その前にちゃんとヤスヒコの手を離さず握っておけって話だな。俺が迂闊だった」
「だいじょうぶ、きにしないで。……そういえば、どうやってわたしをみつけたの」
「ん? んー……秘密だ」
 ニッと笑ったヒナギは、私をもう一度抱きなおし、あやすようにぽんぽんと背中をたたいた。
 疲労が溜まっていたせいか睡魔が襲ってきたのはその後直ぐで。
 少しはぐらかされたような気もしたが、私はそのまま彼に身を任せるようにして目を瞑った。
 瞼の裏で、あの暗闇の森の中でみた精霊の幻想的な光がきらきらと瞬いた。
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hummingintherain · 3 years ago
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明かされた真相
 危ないから入っちゃいけないよ。山に囲われた村の婆は、いつも子供達にそう言い聞かせる。  村のはずれに取り残された廃工場は鉄格子で囲われ、入り口も硬く閉ざされているという。鍵をかけられたまま放置され続けている。人によっては、かの戦争において兵器を創っていた場所で不発弾が捨てられていて危険だともいうし、幽霊が出没するから怖ろしいともいうし、野犬の住処と化していて立ち入ればたちまち喰われてしまうともいう。どの噂が正しいか定かではないが、何かしらの危険が秘められているらしいということだけ共通している。誰も足を踏み入れなくなったため、想像だけ際限なく膨張し、噂として拡散していくのだった。  白の軽ワゴン車が、一車線の舗装路をゆるやかに走る。コンクリートの脇はびっしりと雑草が伸びていて、斜面には奔放な木々が群生している。急カーブが繰り返される山道は細く、対向車が来たら行き違いに苦労するだろうが、その不安は殆ど無かった。なにしろ人が殆ど立ち入らない場所である。万が一に誰かと対面するとしたら、十中八九肝試しを目的とした向こう見ずな連中だろう。  ���草を右手で挟み、窓の外へ灰を落とす。左手でハンドルを切りながら、男は鬱蒼とした緑を見つめる。  濃密な緑に酔ってしまいそうな感覚すらあった。似た道を延々と辿っていると、自分の居場所を見失う。携帯電話が台頭してきた日本にあって、電波も危うい辺境地である。事故でも起こせばひとたまりもないだろう。助けを呼ぶことも、誰かが助けを呼んでくることも望めない。  男にはにわかに後悔が過っており、引き返すべきか否か、脳内で自問自答を繰り返している。  彼は少年時代をふもとの村で過ごし、若い内に出た。戻ってくるつもりは毛頭無かった。実家とは折り合いが悪かったし、山深く閉鎖的で、老人の支配する凝り固まった田舎社会に辟易していた。さっさと煌びやかな都会に行くのだと心に決めて生きてきたというのに、まさか再びこの地を踏むことになろうとは微塵も考えていなかったのである。  突如として携帯電話に届いたショートメッセージに記された数字とアルファベットの羅列。一見していたずらだと切り捨てるところを、男は何故かその羅列をコピーし、検索にかけてみた。それは座標であった。座標が示していたのが、男の故郷を更に山奥へと進めた地点であった。  付近に詳しくなければ、ただ等高線が連立している、変哲もない山の一角に過ぎないと切り捨てていただろう。しかし、男はその地点に何があるかを、遙か遠い記憶を呼び出して瞬時に読み取った。村の年寄りがこぞって立ち入りを禁じていた廃工場。子供の足では行きようがない場所ではあった。彼自身、近くに行ったこともない。しかしその地点に例の廃工場があるとはっきり理解した。慣れ親しんでいるわけでもないのに、啓示のように、唐突に、あの廃工場を示していると解ったのである。  ショートメッセージの送り主は非通知になっていた。そこに人間性を感じさせる文章は欠片も無い。だが、赴かなければならないという無言の脅迫に腕を引かれて、貴重な週末の休日に車を発進していた。途中、何度も、引き返せと、己へ警告するのに、いつまでもアクセルを踏み続けていた。夜に出発してから高速に乗り、途中のサービスエリアで仮眠と軽食をとりつつ、昼過ぎにはその山間にやってきた。  実家には脇目も振らず、廃工場のみを目指している。  何故こうも執着しているのか、彼自身も解らなかった。まるで自分ではないようだった。  やがて、ひび割れた舗装路が途切れる。その先は鬱蒼とした森となっており、車で進むことはできない。だが、細い獣道がずっと奥へ続いており、歩いて進むことは可能であった。  男は末路で駐車し、獣道をぼんやりと眺める。奥に視線を送るが枝葉が重なっており見通しが悪い。少なくとも、工場らしきものはまったく見え��い。  もしかして、年寄りが言っていた噂は戯れ言に過ぎず、廃工場などどこにも無いのではないだろうか。子供達が山奥に遊びにいかないように創り出した法螺話なのではないだろうか。  そもそも何故自分はここにいる。  男にはいくつもの疑念が過る。勿論、その間も、まだ間に合うから引き返すべきだと警告が鳴り続けている。錯綜する精神を置いてきぼりにして、身体は動いていた。彼は枯葉と雑草の敷かれた獣道を歩み始める。やはり身体と精神が分離しているかのようだった。  遭難の予感があったが、不思議なことに道は明らかに一本であり、迷うことなく真っ直ぐと進んでいれば良かった。鼻腔には無意識のうちに濃厚な緑の香りが通り抜けていき、彼自身がこの森と一体化していた。木々の成すトンネルは木漏れ日がちらちらと揺れていて、遠くでは鳥のさえずりもちらつき、ただの森林浴であれば絶好の舞台のようでもある。  進めば進むほど、こんな僻地に工場があるわけがないという確信が過る。まず、あまりにも不便なのだ。人里離れた場所で過ごしたいという家屋ならまだしも、何かを生産し排出する機関を設置するには場所が悪すぎる。それとも、以前はこの自然は無く、円滑に行き来ができたのか。それにしてもあまりに遠い。  足下には湿った音。日差しがうまく入らないのだろう。男は心細さを感じながら、ひたむきに道を進む。  そして途中で目を丸くする。  唐突に、樹海の向こうが開け、木々に邪魔をされて見えなかった曇天が広がった。森とその向こうを明確に区分する鉄格子に、枝が伸び、茎が伸び、葉が茂り、植物が浸食している。  その中央、獣道の末、門がある。門といっても仰々しいものではなく、鉄格子が扉のようになっているというだけだ。男は近付き、南京錠に手をかける。錠は見せかけで、触れるとぷらんと垂れ下がった。開いているのである。  怪訝な表情を浮かべ、男は格子の向こうに目をやる。  仄暗い沈黙が続いている。先程まで森を静かに演出していた鳥や虫の声すらも聞こえない。  鉄格子の向こうは平らかに舗装されており、奥には確かに煙突が林立し、無機質な工場らしき建物が並んでいる。人の気配は無く、生き物が棲んでいそうな雰囲気も無い。  何故山奥にこのような場所が。  山間は決まって斜面があり、だだっ広い平地とは無縁である。しかしこの工場は、まるで山をそのまま横に輪切りにしたように、山間部であるということを忘れさせるほどにずっと奥まで見通せるような平地なのであった。勿論工場という遮蔽物があり奥がどうなっているかは解らないのだが、異常な場所であることには違いなかった。  ポケットに入れた携帯電話を取り出す。電波状況を示す表示は一本も立っていない。  男の肌を冷たい緊張が走る。  まだ引き返せる。  今なら間に合う。  行くべきではない。  しかし、男の手は扉を引いていた。錠前��あっけなく地に落ち、年季の入った不気味な金属音と共に入り口は開かれる。  鈍色の曇天と同じような色をした床は所々罅が入っており、放置されて久しい場所だと窺える。鉄格子の外は濃密な自然であったにも関わらず、内側はまるで植物の気配が無いのが不思議であった。種の一つ、罅の隙間に落ちれば芽吹く可能性はあるだろう。しかし薄汚れた無機物ばかりが転がっているだけだった。  近くまで行くと、彼が想像していたよりも遙かに巨大な建造物であった。廃工場から伸びる煙突からは勿論なんの煙も出ておらず、巨大なクレーンなどもぴくりとも動かない。風雨に晒されて消えてしまったのか、文字による表記がどこにもなく、これがなんの工場なのか見当もつかなかった。  工場へ入る扉に手を触れると、それもまた開いていた。重々しい金属音と共に、中へと入る。  静かに早鐘を打つ心臓を胸に、男は工場内を見上げる。中は暗く、ぽつんぽつんと設置された窓から白い陽光が差しており、塵が舞っている。  足の竦む沈黙。脈がこだましているようだった。  壁の一部は崩れ落ちている。内部はいくつかの小部屋に分かれており、進んでいくと、打ち捨てられた薬品の瓶や、硝子の破片が散らばっていた。雨漏りによるものか、所々乾ききらない濁った水溜まりが点在している。思わず鼻を摘まむような異臭は無い。どこか整然とした外観とは異なり、内部は比較的かつての面影が残っていた。野犬の住処だとかいう噂も立っていたが、野犬どころか虫一匹存在しなかった。  窓や、割れた壁の隙間から差す僅かな光を頼りに進む。夜になれば、すべて闇に包まれるだろう。僅かな月光や星光では太刀打ちできない暗闇に眠るのだと想像が及ぶ。  男には目的があるわけではない。あの座標に呼ばれて来ただけだった。危険だと口を酸っぱくして言われた年寄りの言葉を裏切り、やってきた噂の場所。恐怖とは別に、未知への好奇心が無いといえば嘘だった。目的が無くとも、一体この廃工場はなんなのか、何を作っていたのか、この先には何があるのか、少年のような冒険心が刺激されるのである。都会にあっては得ることのできない、謎めく古びた情景。  人間、挑戦する瞬間が最も怖ろしいもので、足を踏み入れてからは案外想像よりも挑戦的になるものだ。必勝法などどこにも無くとも、手探りで模索する過程に昂揚感を抱くようになる。  それでいて、やはり、どこか、身体が自分のものではないような気味の悪い感覚が男の内側には存在し続けている。  長い時間を歩いているような気分になり、男は左手につけた時計に視線を遣ると、目を疑った。  長針も短針も思い思いに、前へ後ろへ、ふらふらと動いている。急に一周したり、急停止してから振り子のように左右にぶれたり、あまりにも不規則な動きをしているのだ。此の世のものではない怖ろしいものを見たように、男ははじめ思わず目を逸らしたが、��静にまじまじとその動きを見つめる。法則性は一切無く、当然現在の時刻など解ろうはずも無い。  代わりに携帯電話を開いて、はっと気付く。電源が落ちていた。電池が切れたのか。まさか。車内でずっと充電コードを繋いでいたし、圏外である分通信できず、著しく電池を消耗することもないはずだ。電源ボタンを長押しするが、画面は暗いままでうんともすんとも言わない。  好奇心で塗りつぶそうとしていた恐怖心がさざなみのように押し寄せてくる。  危ないから、入っちゃいけないよ。  老婆の言葉が蘇る。  危ない、とはなんだ。何が危ない。ここにいれば、何が起こる。  ここは一体どこだ、という根本的な問いかけ。  今すぐに出るべきだ、という直感。同時に、進まなければならない、と脅迫めいた決意。いずれも湧いている。  男の足は尚も前へと向かう。  やがて、小部屋ばかりの続いていた場所の、とある扉を開くと、一階や、二階の床も、その更に上までずっとくり貫かれて、おそらくは建物の一番てっぺんまで続く高い天井の広がる、広い空間に出た。  高い天井へ視線を向けると、どこかから繋がったクレーンの先に、人形がぶら下がっているのが見えた。  男はその人形に焦点を定める。人間のかたちをしたものと、四つ足の生き物のかたちをしたものとある。ライオンのようだった。可愛らしい、百獣の王。鳥もぶらさがっている。それに、いもむしのようなもの、見たこともない生物。  足下に硝子片が当たり、男は弾かれたように下を見る。これまでと同様、中身の無い瓶が割れたまま転がっている。しかし、よく目を凝らしてみると、人形のようなものはクレーンに限らずあたりに転がっていた。片付けられずに放置された古いおもちゃ箱のようである。重々しく無感情な廃工場と、おもちゃの軽やかさやむなしさは、不釣り合いだった。  窓の外が暗くなってきていた。果たしてそれほど長い時間滞在していただろうか。再度時計と携帯電話を確認するが、両方壊れたままである。やはり何かがおかしい。夜になれば、内部の輪郭を示してくれる光は消えるだろう。その前に戻らなければならない。男は、別のポケットに隠していたライターを取り出した。煙草に使うものである。身体の輪郭をこえて緊張が増幅していたせいか、無性に煙草を吸いたくなっていた。唯一の光源になりうるライターの火をともし、唇に挟んだ煙草に点火しようとした瞬間、心許ない僅かな火が消えた。  直後、辺りが一切の光の差さない黒に塗りつぶされた。  何も見えない。  クレーンも、足下の硝子も、人形も、何も見えない。  男は驚きに声を出せないでいると、ふっと壁につけられた割れていたはずの電灯がついた。当然、ここに電力は供給されていないはずである。謎の工場の明かりが次々とつけられ、最後、スポットライトが集中するように大部屋の中心に眩い円形の光が照射された。  そのちょうどまんなかに、人形が立っている。腕の中に収まるようなサイズではなく、男と同じ���らいの背丈をしている。  三日月の���の口でにやにや笑う、人形である。  それから、なんの気配も無かった工場が、蠢き始めた。人形が囁き、ひとがたの影がうねりうねりいびつなダンスを踊り、きゃあきゃあ鳥のような猿のような声が光の当たらない暗闇の奥から聞こえてきて、ライオンが吠えた。さながら奇妙なサーカスの残骸が、ひずんだまま賑わいでいるようだった。  男は混乱した。  硬直する男に向けて、スポットライトの中央の人形は頭を下げた。シルクハットを下ろしてあばかれた顔は、パーツをおかしくちりばめられた福笑いのように目鼻の位置が普通ではなかった。  ようこそようこそお越しくださいましたようこそ。  手元に掴んでいるステッキを軽やかに踊らせ、ピエロのような人形は来客に挨拶をする。  あなたは招待を受けてここに戻ってきてくださいました。たいせつなたいせつな村のこども。わたしたちのこども。おおきくなって成長してわたしたちすごくうれしいです。  けたけた周辺からねばついた笑い声が響く。男は金縛りにでもあったように足が動かなかった。  村を出て行ってわたしたちとてもさみしかった。  あちらこちらからしくしくわざとらしい涙声がしみこむ。  でもあなたは戻ってくれた。もうなにもさみしくはない。ここにこればみんな一緒。こどもたちみんなここにいる。ここは理想を創り出す工場。さあ、いっしょに踊ろう。今日は祝祭。  そう明るく言い放つと、周囲は歌い始めた。美声とはほど遠い不協和音であった。  ピエロがステッキを持たぬ手を差し出した。誘われた男は深い動揺と恐怖とは裏腹に、スポットライトの中に歩き出していた。笑うピエロは頷き、両腕をおおらかに開いた。真似をして、男は腕を開いた。咥えたままだった煙草が足下に音も無く落ちる。自分が自分で無くなっていた。そうして自覚している一方、身体が勝手に動いている。ピエロはぐるりと首を回し、にやにや、男に笑いかける。  ここにはたくさんの生き物が集められた。集められた生き物は人形になった。誰かの思い通りに動く人形になった。人間は人形であり、人形は人間。なに、難しいことはない。何も考えなくても良い。何も不安にならなくても良い。何も問題は無い。きみは自我が強くて村を出て行ってしまったけれど、これで元通り。  なに、こんなのきみじゃないって?  身体と精神が分離しつつある男の手を握り、ピエロは大笑した。  その思考が自分のものであるといつから錯覚していたんだい?  その思考が自分のものであると何故断言できたんだい?  その脳は、きみのもの。その身体も、きみのもの。だけれど、その脳を操るのもきみであると、なんの疑いもなく生きてきたのかい?  その確証は一体どこにあるんだい?  きみはきみであると、一体どこの誰が証明してくれたんだい?  わからないだろう?  もうすでに、きみはきみでないのさ。
 男は踊る。踊り続ける。笑いながら、泣きながら、ピエロの顔して、踊り続けた。  やがて明かりが消え、夜が明ければ工場は再び静まりかえる。割れた窓から差し込む太陽光に照らされた内部では、すっかり遊び疲れた人形が沈黙しているばかりだった。
 了
「明かされた真相」 三題噺お題:百獣の王、必勝法、工場の明かり
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purplekittennight · 3 years ago
Text
執り成しを受けて、災いを思い直してくださって
アモスは言った。 「主なる神よ、どうぞ赦してください。 ヤコブは どうして立つことができるでしょう。 彼は小さいのです。」 ��はこれを思い直され、 「このことは起こらない」 と言われた。アモス書7:2~3
 ���ウロは書く: まず第一に勧めます。 願いと祈りと執り成しと感謝とを すべての人々のために 神に献げなさい。Ⅰテモテ2:1
 マタイ7:7~12  使徒24:1~27(通読箇所)    (ローズンゲン『日々の聖句』7/26;月):
   ―――― ☆  ――—―
 紀元前760頃のこと、 北イスラエル王国は、ヤロブアム王の治世の元、 外国の侵略という危機もなく、 比較的平和で繁栄した中にありました。
しかしこれも、、一部の支配階級のことで、 彼らのぜいたくな生活は、 弱者に対する冷淡極まりない圧制によって もたらされていました。
それで、神である【主】は、 アモスを預言者として北イスラエル王国に派遣し、 言われました。 「イスラエルの子らよ、聞け。 わたしがエジプトの地から連れ上った、 あなたがたすべての部族についてのことばを。
わたしは、地のすべての種族の中から、 あなたがただけを選び出した。 それゆえ、あなたがたすべての(とが)のゆえに、 わたしはあなたがたを罰する。」
「その町の大いなる混乱とそのただ中の混沌を見よ。 彼らは正直に事を行うことを知らない。 彼らは自分たちの宮殿に、 暴虐と暴行を宝物のように蓄えている。」
「お前たちは弱い者を虐げ、貧しい者を迫害し、 自分の主人に『何か持って来て、飲ませよ』と言っている」
「それゆえ、神である主はこう言われる。 敵が、この地を取り囲み、あなたの権威を地に落とす。 あなたの宮殿はかすめ奪われる。」
「【神】である主は、ご自分の聖にかけて誓われる。 見よ、その時代がおまえたちに来る。 おまえたちは釣り針にかけて引き上げられる。 最後の一人までが、銛(モリ)でで突かれる。 おまえたちは城壁の破れ口から それぞれまっすぐに出て行き、ハルモンに放り出される。」
「あなたがたは貧しい者を踏みつけ、 彼らから小作料を取り立てている。 それゆえ、切り石の家々を建てても、 あなたがたはその中に住めない。 麗しいぶどう畑を作っても、そのぶどう酒を飲めない。 わたしはあなたがたの罪が重いことをよく知っている。 正しい者を迫害する者、賄賂を受け取る者、 彼らは門で、貧しい者を押しのけている。」(アモス3:1~2、9~10、4:1~3、5:11~12)
 それで、【神】である主は、いなごを備えられた。 そのいなごが地の青草を食い尽くそうとしたとき、 アモスは、その北イスラエルを神に執り成して言った。 「【神】、主よ。どうかお赦しください。 ヤコブはどうして生き残れるでしょう。 彼らは小さいのです。」
それで、神である【主】は、北イスラエル王国を 災いで打つことを思いなおされたのだそうです。
神である【主】は、雨を降らせ無くし、 飢饉で地を打たれることがあり、 立ち枯れと黒穂病で、また、いなごが食い荒らすことで、 あるいは疫病で打たれることがあります。
けれども、それは憎くて、 罰を与えたくてそうされるのではなく、 そのまま行けば滅びてしまうので、何とか救い出したいと、 立ち返るようにと願ってのことなのだそうです。
それで、嘆いて言われます。 「それでも、あなたがたは、 わたしのもとに帰って来なかった」と。(アモス4:6~11)
 そしてまた、アモスのように、人の罪の破れ口に立って、 その人に代わってとりなす者を願っておられるようです。
それで、使徒パウロを通して言われます。 「すべての人のために、 王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、 とりなし、感謝をささげなさい」と。
神である【主】は、すべての人が イエスによる救いを受け取って救いに入り、 真理を知るようになることを 望んでおられるのだそうですから。(Ⅰテモテ:1~4)
 イエスは言われます。 「求めなさい。そうすれば与えられます。 探しなさい。そうすれば見出します。 (門を)たたきなさい。そうすれば開かれます。 だれでも、求める者は受け、 探す者は見出し、 たたく者には開かれます。
あなたがたは、悪い者であっても、自分の子どもたちには 良いものを与えることを知っているのです。
それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、 ご自分に求める者たちに、 良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。
ですから、人からしてもらいたいことは何でも、 あなたがたも同じように人にしなさい。」(マタイ7:7~12)
 使徒パウロは、ローマ総督フェリクスの前で弁明しました。 「私は、彼ら(パウロを訴えているユダヤの指導者たち)が 分派と呼んでいる (イエスに信頼して救われるという)この道に従って、 私たちの先祖の神に仕えています。 私は、律法にかなうこと、 預言者たちの書に書かれていることを、すべて信じています。
また私は、正しい者も正しくない者も復活するという望みを、 神に対して抱いています。
そのためには、私はいつも、神の前にも人の前にも 責められることのない良心を保つように、 最善を尽くしています。」(使徒24:14~16)
 私たちも、パウロのように、このイエスに信頼し、 イエスがお遣わしくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって 心に、【父である神】の御思いを置いていただき、 【父である神】と思いを一つにして生きるのですね。
アモスのように人の破れ口に立って神に執り成していく者にも していただいて。 必要なものを神に願い求めながら。
今日も。
~~~~~~~~
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geniusbeach · 7 years ago
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香川旅行記
 ゴールデンウィーク後半を使って香川を旅行した。計画したのは出発前日の夜中で、今回のテーマはうどん巡りと温泉だ。私は昨年末に二泊三日で高松、琴平、直島、豊島を巡り、うどん7杯を食べて大満足で帰ったのだが、以来香川のことが忘れられず、また行きたいと思っていたところだった。
 1日目(5月2日)
 午前4時という、朝がひどく苦手な私にとっては信じがたい時刻に友人の車で出発。9時ごろ善通寺に到着し、食べログ一位のうどん屋、長田 in 香の香へ。巨大な駐車場と50mにも及ぶ行列を目の前にして一軒目ながら若干ひるむ。待ち時間を使って宿探しをするも、さすがGWだけあってどこも満室。無計画な私たちも悪いが、10軒ほど電話して空いていたのは一室のみだった。しかし結局宿泊料があまりにも高かったため断念し、並んでいた他のお客さんに健康ランドに泊まれることを教えてもらったので、最悪の場合そこにすることに。一時間弱待った後入店し、釜揚げ大と冷やし大を一杯ずつ注文。各1.5玉で350円だ。つゆはいりことかつおのダシがよく利いており、もちもちの麺からは小麦の香りが強く感じられたいそう美味かった。皆うどんだけ食べてさっさと出るおかげで回転率がかなり良く、11時ごろには食べ終えることができた。
 続いて二軒目のはなや食堂へ。地元に愛されるおばあちゃんのお店といった印象。冷やしとタコ天を注文。うどんは200円、天ぷらは300円と安い。小ぶりなタコを丸々一匹揚げた天ぷらは衣が黄色くふわふわの食感。うどんも無論美味い。食後に宿探しを再開し、栗林公園近くのところに電話するとあっさりOKが出た。電話口の主人の対応が少し気になったが、一人一泊2600円、ガッツポーズだ。せんべい布団でも座布団でも部屋でゆっくり寝られるだけありがたいので、即座に予約した。
 腹ごなしがてら金蔵寺(こんぞうじ)を覗く。お遍路さんが多くおり、皆お堂の前で一心に真言を唱えていた。友人曰く「水曜どうでしょう」に出ていた寺とのことで、ファンである彼の記念写真を撮った。ここに至るまでの道端の電柱には、八十八か所巡りの巡礼者を図案化した標識があった。小さなところにご当地感があってほん���かした。
 次はこんぴらさんにお参りすることに。 暖かくなったのと休暇も重なったことで人がごった返している。登り口にあるアカボシコーヒーで一服してからほぼ休みなしで駆け上がる。中腹では神馬2頭を見た。その隣には大型船のスクリュー(直径6m)とアフリカ象の像があった。前者は94年に今治造船が奉納したそう(今治造船HPより)で、当社が海の神を祀っていることやお座敷遊びのこんぴらふねふねでお馴染みの金比羅船に因むことが予想できたが、後者の意図はわからず、奉納品であれば何でも良いのかと思った。関連するとすれば、この山の名が象頭山であることぐらいか。
 程なくして本宮へ到着し、参拝の列に並ぶ。普段神社で手を合わせる時は何も祈らないようにしているが、今年に入ってからずっと精神が低調なままので、久しぶりに願をかけてみた。神様はこういう時の心のよりどころなのでありがたい。どうか届きますように。今回は、前回その存在を知らなかった奥社まで行こうとしていたが、道が閉鎖されていたためあえなく断念、またまた次回への持ち越しとなった。さて、全785段の石段往復は少々足に応え、途中で石段籠を見かけた時には思わず乗せてくれと言いそうになるくらいだったが、良い運動になったと思えば悪くはない。籠は参拝客の会話によれば片道3000円程だそうだ。乗っていたのはお婆さん、担いでいたのはお爺さんだった。
 麓に下りてから、こんぴらうどん参道店でとり天ぶっかけを食べる。一杯690円だ。二人とも腹が限界で、なぜここまでしてうどんを食べているのかわからなくなっていた。最早それはこの旅のテーマとして設定したうどん巡りの義務感からでしかなかったと言える。満腹中枢が刺激される前に片付けねばならないと、タケル・コバヤシ(※フードファイター)並みの速度でかき込んだ。とり天はジューシーで、麺にはコシがあって美味かったが、胃の圧迫で心臓が止まりそうになり、「うどん死(デス)」という言葉が頭をよぎった。
 疲労が甚だしかったため、喫茶店でまたも一服。琴平駅周辺には、「カキ三(さん)コーヒー使用」を看板に掲げた店が多くあり、前回の旅行でもそのオタフクソースのパッケージのようなオレンジと黒の色合いに親近感を覚えつつずっと気になっていた。おそらくそのカキ三を使ったであろうアイスコーヒーで意識を保ちながら、風呂にでも入ってリフレッシュしようということに話がまとまり、近くにあったこんぴら温泉湯元八千代へ。屋上に市街が一望できる露天風呂があるのだ���塀が低く、少しでも浴場のへりに近づけば周囲からは丸見えとなる(といっても建物より標高が高い所からだけだが)ため、内心ヒヤヒヤしていたが、やはり最高に気持ち良かった。受付で混浴と聞いて下品な期待もしていたが、二人組の女の子が少し覗いて引き返していったくらいで、終始客は私たちだけであった。なお、内風呂はごく普通の湯船がひとつあるだけだった。
 体力をわずかばかり回復し、瀬戸内の眺望を求めて五色台を目指す。16時半頃、大崎山の展望台に到着し、青空から海へと沈む夕日を眺めた。なんとも雄大なパノラマだ。遠くを見やると、薄水色の瀬戸大橋があやとりの糸のような慎ましさで陸地を繋いでいる。カメラで何枚も写真を撮った。ふと、ここ数日間で覚えた個人的な悲しみに対して、目の前に開けた海は、その豊満な胸で以て私を迎え、倒れ掛かる身体を圧倒的な光景によって生に押し戻してくれているような気がした。そうして下を見れば、山と山に挟まれた湾内の湿地に、草の生い茂る田んぼのようなものが広がっていた。これは木沢塩田跡地といい、秋頃にはアッケシソウという好塩性植物が紅葉することで一帯が赤く染まるそうだ(大崎山園地の説明看板より)。一度そんな不思議な絵を見てみたいと思った。この日は風が非常に強かったため、目だけでなく全身で自然を感じられて嬉しかったが、そのせいで体が冷えたのと日没直前に雲がかかったため、18時半頃に引き上げた。
 高松市内中心部に車で乗り入れ、今宵の宿へ。見るからに怪しげな建物に三友荘という傾いた看板がかかっている。隣の広東料理屋の前に中華系とみられる男が3、4人たむろしており雰囲気が悪い。中に入ると、フロントというよりは雑然と物が置かれた生活スペースが大きく広がっており、その山の中から主人が顔を覗かせて、一言いらっしゃいと言った。それから、かなり雑な態度で駐車場を案内され、やべーところに来てしまった、と思う間もなく会計を済ませて鍵を受け取り3階へ。廊下は廊下で床がはがれていたり、アメニティが散乱していたりとさながらお化け屋敷に入ったような気分になる。部屋に入ると、これまた昭和から時間が止まっていると思われるほど古くカビ臭い和室で、その異様さに一瞬たじろいだ。とにかく寝られれば良いのだと割り切ることにして、外へ風呂に入りに行った。
 車を20分ほど走らせて向かったのは、市内中部にある仏生山温泉だ。前回も訪れて、その泉質と洗練された建築様式が気に入っていた。町の歴史が古いため、ここも昔からあるのかと思いきや、2005年開業と比較的新しい温泉らしい(仏生山温泉FBより)。入浴施設とは思えない白い箱のような建物入り口の外観が特徴だ。中に入ると、ドーンと奥行きのあるシンプルな休憩スペースがお出迎え。端には小洒落た物産品が並んでおり、また壁伝いには文庫本の古本が並べられている。客がひっきりなしに出入りし、脱衣場と浴場はまさに芋の子を洗うような状態であった。なんとか湯船の空いたスペースに身体を沈め、一日で溜まったとは思えないほどの疲れを癒す。とろりとした湯で肌がツルツルになり気持ちが良い。露天風呂のある広い空間は現代的な中庭といった印象で、入浴体験を一段上のものへ引き上げてくれる。インスタレーション的な、「空間そのものに浸かる」といった感じだろうか。内部はそのように隅まで配慮が行き届いており、とても面白く楽しめた。
 さっぱりした後、宿に車を停め、土地の名物である骨付鳥を食べるために歩いて片原町近くの居酒屋蘭丸へ。本当は一鶴という店に行きたかったのだが、長蛇の列を目の前にして断念、ここに並ぶこととした。小一時間ほど待って入店し、とりあえずビールと親鳥・若鳥、それから鰆のタタキ、造り4種盛り、サラダを注文、香川の味覚に舌鼓を打った。特に親鳥は肉がぶりんぶりんの食感で旨味が凝縮されている。スパイシーな和風ローストチキンといった感じで、下戸なのに否が応でもビールが進む。皿にはたっぷりと鶏油が溜まっているが、それにキャベツをつけて食べるとまた美味いのだ。この骨付鳥の他にうどんと言い今日の行程と言い、なかなか歯応えのある旅だと思った。最後に親鳥をもう一皿と焼酎水割り、注いだ先から凍る日本酒を追加し、11時半頃ほろ酔いで宿に戻った。部屋では撮った写真を整理した後、もう一杯酒を飲んでから眠りについた。夜通し風がごうごうと窓を揺らしていた。
2日目(5月3日)
 7時半、なぜか小学校の廊下でスーフィーの集団と象に追われるという夢を見て飛び起きた。昨日神馬の横で象の像を見たせいか。しかしスーフィーは全くわからない。2か月ほど前に蠱惑的なズィクル(※スーフィズムの修行)の動画を見たからなのか。とにかく旅にはふさわしくない目覚め方だ。最近何かに追われる夢をよく見るのだが、おそらく疲れているのだろう。今日もよく眠れなかったようだ。他の理由としては強風もそうだが、宿が高架下にあるため電車が通るたび振動で部屋が揺れるのだ。夜中と朝方に何度か覚醒した気がする。昨日20時間近く活動した身体は、子供騙しのような睡眠では回復しきれなかったようだ。
 さて、今日は9時出発の船に乗り、犬島へ渡る予定だ。重い身体を叩き起こし、さっさと準備を済ませて高松築港へ。船の時間が近づいている。車を停めてから本気ダッシュで駅のそばにあるうどん屋味庄へと向かうも定休日だったため、近くにあったさぬきうどんめりけんやに入る。待ち時間にやきもきしながら冷肉ぶっかけ小を注文。430円だ。しっかり美味い。ここでも前日のごとくモリモリ腹に押し込み約3分で退店。ひょろい男の異常な食いっぷりに他の客は少なからず引いていたことだろうが、そんなことには構っていられない。再度、悪心を催すほどの全力疾走でフェリーの切符売り場へ。出航3分前、なんとか間に合うことができた。やる時はやる男なのだ、私たちは。などという安堵感も束の間、ここで無情にも定員オーバーが告げられる。肩で息をしながら愕然とする私たち。あーやってもうた、としか言えず、無意識に抑え込んで��たであろう胃の中で暴れるうどんに気付き普通に吐きそうになる。ただ次の便でも行けることが判明したことで難を逃れた。そうでなければ危うく待合所の床にBUKKAKEするところであった(読者よごめん)。そんなこんなで泣く泣く次便のチケットを買い、待つ間しばしの休憩タイムとなった。負け惜しみを言わせてもらえば、朝の海を見ながら飲んだコーヒーと吸ったタバコは格別に美味かった。これも良い思い出だ。
 10時過ぎの便に乗り込み、豊島の唐櫃港に到着。レンタルサイクルを借り、次便の出航する家浦港まで急ぐ。豊島美術館に寄ろうとしたが、1時間待ちと聞きパスした。せっかくの機会にもかかわらず無念だ。前回は誰も客がいなかったというのに、やはりGWは恐ろしい。立ち漕ぎで先を急ぐ。山のてっぺんまではギアなしの自転車と寝不足のエンジンにはかなりきつい坂が続いたが、なんとか越えることができた。途中、唐櫃聖水という空海伝説もある井戸に沸く、不思議なほど青々とした水を拝んでから家浦へ。初便に乗ることができていればこのように複雑な乗り継ぎも必要なかったが、私の性格上致し方ない。人生はエクササイズだと考えれば万事ハッピーだ。そうして無事チケットを買い、物産品店を冷かす。豊島の民謡集に熱を感じ、買おうか迷って結局やめた。そしてしばらくして船に乗った。
 13時前に犬島着。昼飯に港すぐの在本商店にて犬島丼なるものを食べた。白飯に甘辛く煮た大根や人参とともに舌平目のミンチを乗せ、甘めの汁をかけた瀬戸内の家庭料理だ。これに舌平目のフライと犬島産テングサを使用したコーヒーゼリーが付いたセットで1000円。どれも田舎風の優しい味わいで満たされた。出てから他の店も覗いてみたが、どこもコーヒーゼリーを出していた。単にさっきの店のデザートというわけではなく、これもご当地グルメのひとつのようだ。
 そしてようやく楽しみにしていた犬島精練所美術館へ。ここはか��て銅の精錬を行っていた跡地で、美術館内部は入り口から出口まで一定方向に自然の風が流れるように設計されているという。詳細は省くが、三島由紀夫の作品がモチーフになっており、意表を突くような仕掛けが多く、かなり強烈な印象を受けた。しかしその中でも悔しかったのが、便器の枯山水と銅製の文字が文章となってぶら下がる部屋があったことだ。この二つは自分の内に展示のアイデアとして全くと言っていいほど同じものを密かに温めていたのに、こんなにも堂々かつ易々と先を越されていた。やはり所詮は人が考えること、どんなにオリジナリティを確信していたとしても結局は似てしまうのだ。しかしちゃんと形にした人はすごいし、その点素直にあっぱれと言いたい。やや興奮した状態のまま外に出て周辺を散策する。レンガ造りの廃墟にノスタルジーを感じ、その歴史を想像した。少し歩いて砂浜へ行き、海を眺める。風が強いので瀬戸内の海といえど波が高く荒れていた。夏に来て本来の穏やかさを取り戻した海を一度泳いでみたい。その後、定紋石や家プロジェクトという名のギャラリー数軒を見て回る。F邸にあった名和晃平「Biota (Fauna/Flora)」が個人的にグッと来た。発生は常に見えない、と私は詩に書いたことがあるが、言いたいことがそのまま形になっていた。2つの小部屋にはそれぞれ植物相と動物相のバイオモーフィックなモニュメントが数点あった。シンプルな発想ながらそこから湧き出す観念とイメージ喚起力の豊かさに驚かされた。創作において見習いたい点だ。
 船の時間が迫っていたため、港まで早歩きで向かった。全体的に時間の流れがゆるやかで静かな島であった。ここからは直島を経由して高松まで戻る。船内では景色も見ずに二人で眠りこけていた。直島に着くぞ、との声で飛び起き、本村港のチケット売り場へ猛然と走る。乗り継ぎ便が10分後に出るためだ。しかしここでも昨日と同じく定員オーバー、30分後に出る次便を待つこととなった。大型フェリーの前にはゆうに200mを超える列ができており、この島の人気の高さが伺える。そうして、ふと並んでいる時に自分のカバンが思ったより軽いことに気が付いた。はてなと思い中を探るとカメラがない。目の前が真っ白になった。置いてきたのは犬島か、船の中か、それとも盗られたか。考える間もなく、カメラ忘れた! と友人に叫びながら乗ってきた高速船乗り場へとダッシュした。出航していたらどうしようかと思ったが、一条の光が見えた。まだ停泊したままだったのだ。息も絶え絶えに駆け寄る私を見た人民服風の上下を着た船員が、カメラの忘れ物ですかあと声を上げる。良かった。あったのだ。すみませんでしたあ! と謝って相棒を受け取る。ほっと胸をなでおろした。どうやら寝ぼけて置き去りにしていたようだ。私は普段あまりものをなくさないので、こういう時必死に探して見つからなければひどく狼狽してしまう。特にカメラのような高価なものだとその後の旅に影響が出るほどだったのではないかと思う。今回は本当にラッキーだった。友人に詫びてから並び直し、島を後に。航行中は展望デッキからモノクロで日を撮った。夜のような昼の写真が撮れた。
 16時頃高松に着いた。後は帰るのみだ。最後にご飯を食べようということで、屋島を過ぎたところにあるうどん本陣山田屋本店へ。大きな屋敷を改築した店構えは壮観だ。本陣と名付くのは屋島の合戦ゆえか。前回の旅で、仏生山で終電を亡くした時に乗ったタクシーの運転手が、うどんならここらが本場だと言っていたため期待度が高まる。ざるぶっかけと上天丼を注文。うどんは570円、丼は720円だ。麺はもちもちとしており、良い塩梅にダシの利いたつゆと絡んですこぶる美味い。天丼にはサクサクの天ぷらがこれでもかと乗っており、ご飯が足りないほどだ。今流行りのロカボの逆を行く、ハイカーボダイエットにより思考が停止するほどの満腹感が得られた。これでコシの強いうどんともお別れかと思うと寂しい。京都の柔いうどんも薄味のダシがしみて美味いのだが、やはり一度讃岐のものを食べると物足りなく感じる。またすぐにでも来よう。次はざっくりと計画を立てて。それでは、さようなら香川。
 高速道路は予想通りところどころで渋滞が起こっていた。運転は最初から最後まで友人に任せっぱなしだったため大変な苦労を掛けた。ここに感謝したい。約5時間かけて京都に到着。0時半頃に岡崎で蛸安のたこ焼きを食べた。京都の味だ。ようやくカーボ地獄から抜け出すことができたと二人して喜んでいたが、よく考えなくともたこ焼きは炭水化物であった。うどんのオーバードーズのせいで腹だけでなく思考能力さえもやられてしまったようだ。喫茶店はなふさでマンデリンを飲み、旅費の精算をして解散となった。
 今回の旅も、弾丸(もはや散弾)にしてはうまくいった方ではないだろうか。休みに行ったのか疲れに行ったのかわからないが、気を紛らわすには最適な強行軍であった。うどんは5杯も食べられたし、その他のグルメも満喫できた。全ては偶然尽くしだったが、無計画だからこそ楽しめたものもある。私の場合は、ある程度見たいところを決めるだけで、そこに行っても行かなくても良いのだ。というよりはその方が楽だから、皆そうすればいいのにと思う。そこには予想もしない出会いがきっと多くあるはずだ。ただ、GWの人出を完全に舐めていたため、宿に関してだけは事前予約の必要性を痛感した。あと、食べ過ぎは単純に苦しいのであまりおすすめない。今回の旅でもうしばらくうどんは結構だ。などと思いつつ、翌日の昼には冷凍うどんを食べていた。どうやら脳までうどんになっていたようだ。しかし季節はそろそろ梅雨(つゆ)に入るので、ある意味おあつらえ向きなのかもしれない。
2 notes · View notes
hachisu38 · 7 years ago
Text
創作、ブラッディサニー組
【She that stays in tha valley shall never get over the hill.】
��らふら、ゆらゆら
酔っ払いや病人のごとき動きの布の塊がほぼ灯りのない路地裏をゆっくりと移動している、勿論それは幽霊でもゴーストでもなく長いフード付きのマントを羽織る生きた人間だ。もしこの光景を眺めている者がいたならば灯りの乏しい暗闇に包まれた路地裏でうっすら浮かび上がるその人物を静かに着けていく数人の姿を確認できるだろう、ごろつきや一通りの武装を整えた者比較的身なりの整った者ほぼ浮浪者に近い者――集まりの真ん中にはこの場に不釣り合いな装いの女がいた。きらびやかなドレスや装飾品は見るからに上等な品であり艶のある髪や肌から香るもの他全てがその日暮らしの住人達には想像もつかない程の金と時間をかけられていると解る彼女は表通りや余所の大きな街の貴族や実業家の居住区と勘違いしてるんじゃないか?有り体に言えば良いカモ、集って下さいと言わんばかりの無防備でゆっくりとした歩みで決して広くはない路地裏を進んでいる。
日頃なら呼ばれずとも出てくる路地裏のごろつきや乞食達も顔すら出さない、彼女と彼女の取り巻きに関わるのがとても面倒で厄介だと知っているからだ。路地裏街の住人なら殆どが知っているし表街でも彼女の事は一部界隈に知れ渡っている、有体に言えば有名人。
路地裏と表、街全体に顔の利く女の名はヴァレリー。謎と噂の多い女だがその名声と権力のおこぼれに預かろうとする者も数多く、彼女の取り巻きはちょっとした集団と言っても差し支えない程に膨れており小さないざこざを起こし騒動になる事もしばしばで――それを従えるヴァレリーもまた知名度と権力に見合う野心を持っていた。
ヴァレリーはアスの勧誘を諦めていなかった。
以前ふざけた風なやり取りでも本気でアスことアル・シャインを手駒として欲しがっていたのだ、彼女のみならずこの街のある程度の権力や裏事情に通じてる人間の殆どはアル・シャインを抱えこみたいと考えるだろう。それ程に優秀な暗殺者だしかし、アル・シャインは物ではないし本人は組織や誰かと与する等真っ平ごめんだと単独行動をよしとしている暗殺者だ。一度きりならば限定的に複数の人間と仕事にあたる事はあれど相方、相棒、誰かの手駒、なんて言葉はアル・シャインには全く似合わないものだ。
そんな姿勢を貫いていたアスが例外的に一緒に行動している子供がおり更には執着心のようなものを垣間見せるらしいと言う情報を漸く掴んだのはつい最近の事だ、その子供は他所から来た異邦人だと言う。それ以外の事は名前はおろか素性も掴めず情報屋はアスの相棒の情報をと頼めば軒並み断り逃げ出した。訳も口にせず唯、勘弁してくれあんたも命が惜しいなら止めときなと迄言う始末――そもそも情報屋はアル・シャインはおろか裏家業と言った所謂顧客の情報には全員の口が重いものだと言うのをヴァレリーは失念していたのだ。ある程度の事が思う通りに行く期間が続いている為融通が利かない物事の存在を忘れていたしそれと同じ理由で酒場のマスター達も皆揃って口をつぐむ、手下が脅しても口を開こうとはせず徒労に終わった。情報屋もだったが酒場のマスターと言う人種そのものが客の情報を口外しない生き物だったのもすっかり抜け落ちていたし、殊にあの二人に関しては口が固かった。しまいにはヴァレリーの一派がアル・シャインと相方の情報を欲しがってる噂が立ち始め、噂好きな街娼や子供達までヴァレリー達の姿を見るとその場からあからさまに立ち去る様になった。彼女達がアスに目をつけられた際巻き込まれるのを恐れての行動だがこれは拙い傾向だとヴァレリーは内心焦りを覚えた。
畏怖されるのはいい、だが侮られ疎外されるのはよくないそれは避けなければならない。焦れた彼女は手下を使って情報を集め始めたが素人の情報収集などたかが知れてる、その異邦人の子供は頻繁に宿を変えるのか居場所すら特定出来なかった。焦れに焦れたヴァレリーは到頭虱潰しに捜索を始めやっと昨日、目的の人物が比較的使うだろう道の存在を掴んだ。何人かの手下が戻ってこなかったのは気にかかるがこの子供を手懐ける事が出来たらはっきりするだろう、子供の扱いは得意な方だと自負してるしこちらは数で勝っている。あのアスが傍においている子供なのだそんなに頭は弱くないだろう……ヴァレリーはどんな手段を用いてもアスが欲しかった、街の権力者がどうやっても手に入れられない腕のいい暗殺者を自分こそは所有するのだと胸に秘めた野心が煌々と燃え上がっていたのだ、その野心に手をかけ弾みをつけ更なる権力の高みへと登るるつもりだった。その思想が己に過ぎたものだと言う事と知らずに……
「あんた、アスの相棒なんだって?ちょっと顔を貸しておくれよ」
悪いようにはしないからさ。ヴァレリーの言葉が聞こえていたのかいないのか、布の塊は立ち止まる事もなくふらふらと路地裏に消えていこうとする。よくある色味の草臥れたそれから生える足はほっそりとした棒のようで今にも折れそうな枯れ木か黒い履物も相俟って焼け焦げた木にも見える、アスも大概痩せて見えるがこの子供はそれに輪をかけて痩せた風体だ。こんな子供が本当に相棒として役に立つのだろうか?他の用途でアスが傍に置いてると考えた方が自然なのだろうか?ヴァレリーの思考はくるくると様々な角度へ動き回るがその間も目的の人物は立ち去っていこうとする、大層マイペースか肝が据わっているのか耳が聞えていないのか他なのか……
「おい、聞こえなかったのか?」
「ヴァレリーさんが呼んでるんだぞ!」
およし、みっともない。がなる手下を遮りつつ先程よりもやや大きな声で呼びかけると路地裏に彼女の声は良く響いた、数え切れない程の人間を虜にした美声は薄汚れた路地裏には不釣合いな程美しい――だからこそと言えばいいのか、次の瞬間まで彼女はあまりにも傲慢で愚かだった。
「別に捕って食おうって訳じゃないんだよ坊や、あんたの事を知りたいだけだよ。ただで聞こうとは言わないさ、いい取引があるんだよ?それとも言葉が解らないのかい」
この後の行動は一体何が切っ掛けだったのか、未だに解らないがこの時の事をヴァレリーは夢にすら見る。夢とは──悪夢の事だ。
ヴァレリーの言葉には一切反応を見せない子供は一言も発せずに、しかし何を思ったのかゆっくりと踵を返すとふらふらと変わりない足取りで道を戻ってきた。そして取り巻きの一人の横を通り過ぎたと思った時にはその取り巻きの首から勢いよく血が噴出しているではないか!皆が目を疑い悲鳴を上げる前にもう一人倒れ更に一人が武器を構える間もなく地面に倒れた時、見据えた子供の手元が弱い街灯の光りに淡く輝く。その輝きが何か、なんて勿体つけた問答はしていられないしまるで歩きながら野辺に咲く花に触れ手折る様に頬を撫でる風の様に目の前で連れてきた取り巻きや手下の命が摘まれていく、それはかそけき音を立てて茎から花がもがれる風にとても容易く一瞬であまりにも簡単に人が死んでいく様に流石の彼女もパニックを起こす。こんな危険に晒された事等今まで一度も無かった、どうしたらいいか頭が思考が追いつかない。
鋭く周囲に視線をやると残りの護衛は逃げているし腰を抜かし命乞いを唱えている護衛の一人にも容赦なく、まるで枕元に迫る死神の如く子供は迫っている。そんな部下達を無視しヴァレリーは脇目も降らず路地裏を縫い走った、昨日下ろしたての靴も初めて纏ったドレスも数える程の人間しか持っていない様な装身具もお構いなしにヴァレリーは一人で夜の街を駆け抜け続け――彼女は生き残った。
家に飛び込み、自室に鍵をかけ閉じこもったヴァレリーは震える体を抱きしめながら何日も何日も過ごし酒に逃げ煙草に逃げ見えない幻影に怯え……平静を取り戻すのにかなりの時間を要した、こんな時でも彼女の回転の速い頭は様々な可能性を導き出しては自身に問いかけ投げかけ続け頭を芯から休ませようとしないがそれのお陰で彼女は狂気に陥らず持ち直したのかもしれない。
あれは、一体なんだったんだろう。屹度話が通じる相手ではなかった、あれは人なのか?人ではないのか?それすらも解らないし確かめたくても出来ない、使用人に人払いをさせ金に物を言わせた護衛に警備を任せているが安心感は一向に訪れない。当たり前だ、なんたってあのアスが目をかけてる輩だしそもそもアス自身が動かないとも限らない。確証が持てるまでヴァレリーの首には縄がかけられ続け心臓には刃物が突きつけ���れ続けるような日々が続き――あの路地裏の出来事からどれくらい経っただろうか……
ヴァレリーは再び夜の街に顔を出すようになっていた。相変わらず取り巻きの中心ではあるが一人カウンターで酒を煙草を嗜む姿も増え取り巻きの中にそうとは解らない様な出で立ちの護衛を紛れ込ませるようにし用心を重ねる彼女から一つ間隔を空けて腰を下ろした人物がいた、護衛がさり気無く間の席に腰掛けようとしたが相手の顔を見るや否やそそくさと取り巻きの輪の中に戻っていってしまった。どう言う事だとヴァレリーがグラスに落としていた視線をちらりと横に向けると悪夢の元凶に一番近い男、アスがいた。
静かに視線をグラスの中で揺れる氷と明かりに反射する光りに戻し動揺を隠すように煙草を吸い直す、視線を向けなくてもマスターがアスにグラスを差し出しているのが解った。店内に流れ始める演奏に耳を傾ける者が増えたのか喧騒は落ち着き誰彼ともなくヴァレリーに視線をやり始めたが、歌う気になれない彼女は視線を無視し手挟む煙草の煙を見上げているだけに留め暗い天井に溶けていく紫煙のようにふんわりとした酩酊感がヴァレリーの目蓋にベールをかけようとしている。外でこの感覚は久しい、どうやら随分とこの煙草は酒と合わせるとキくようだと新たな商売の品物の検品をかねていた行いに現実逃避していた彼女の耳に届いた声に、気怠さと心地良さの狭間に揺られる心地だった思考は一気に覚醒する。
「その様子では、噂は本当なようだな」
「…………」
空席を挟んだ向こうからの、掠れ気味の低く小さな声の問いかけに対し沈黙は肯定を意味しているが反論出来る事は無い、何時もなら自分にマイナスイメージのつく噂や情報は早いうちにもみ消し無かった事にしていたのだが目の前で起こったのはあまりにもショッキングでそれどころではなく全てを消す事が出来なかった、日が経つにつれあれは夢だったのではないか?思いの外アルコールが回っていたり妄想の一種だったのでは?と事実を湾曲、曲解していこうと努めたにも拘らずあの日の出来事は悪夢のようにヴァレリーの脳の片隅にへばりつきふいに思い出し想像してしまう、この道の角にいたら?背後に潜んでいたら?瞬きの内にあの子供が通り過ぎて私の首を掻き切っていたら?これは本当に現実なのか?なにが真実なの?
あふれる疑問、疑心はこぼれ取り乱しそうな恐怖を胸の奥に押し込みながらそれ等を振り払う様に一回り程蕩けた氷の浮かぶグラスを口許に運ぶ。薄まった琥珀色はそれでも喉を焼き胃に火を灯す、新たに注がれたそれにくるりくるりと氷は踊るが眺めるのもそこそこに再びグラスを傾ける。口から吐いて出る言葉全てが自身を品下げるような気がして──口を開きたくなかった。
沈黙の流れるカウンターに薄く微かな溜息が漏れ、響く演奏に消えてしまいそうな程の声がふわっとカウンターの灯りの下に影を落とす。
「柄ではないが、忠告してやろう」
一度しか言わない
「命が惜しければ金輪際、私達に関わるな」
簡潔な忠告が耳に吸い込まれ頭の中を廻る。勿論関わらずに済むなら遠慮なくそうするつもりだしそうしたい、今すぐにでもお開きねとこの場を立ち去りたい気すらあるだがしかし……聞かずにはいられない事が一つだけ彼女には残っている。
「……アレはなんなの?」
人なのか、化け物なのか、悪魔なのかはたまた他の何かか──考えすぎて堂々巡りを続けるヴァレリーにはもう答えを定める余裕が無いのだ。努めて表面には出さぬが言葉の端々に漏れ出でる焦燥の儘背を押され訳も無く外へ飛び出したい衝動を胸に残っている一掬いの意地と矜持だけが阻止しているのだ、答えを気かなければ納得しなければそれすらも失ってしまいそうで……それに対し彼女の気を図りも慮りもする必要の無いアルは最低限の事だけをこぼす。
「腕の良い同業だ、部下ではない手下でもない、私の言う事は今のところ比較的聞く。それだけだ」
「何も知らないなんて可笑しいわ……何で知ろうとしないのよ」
「この仕事をしていれば誰でも詮索を嫌う、なんでもお前の思う通りになる訳ではないそれに…………知らずとも支障はない」
詮索を嫌う、もしかしたらそれが原因だったのかもしれない。自分が口にした一言一句全てを覚えてはいないが触れられたくない事に関した言葉がどこかにあったのやもしれない、それこそ本当に些細なたった一つの言葉で……私の悪夢は始まり終わらなくなってしまったのだろう。
なんて不運だろう、切っ掛けは路傍の石の様にあまりに身近であまりに単純であまりにも些細でささやかだったなんてそんな事で躓き転げ落ちてしまうなんて……悔しいと言うより最早やり切れない。
「あんたに声をかけ続けるべきだったわね」
あんな猛獣を飼ってるだなんて、気付かなかった。口惜しさからこぼれた言葉は険を帯びまるで負け犬の捨て台詞に聞えるがもう飛び出してしまった言葉は取り戻せない、マスターはカウンターを離れ取り巻きや護衛は背後の席で盛り上がってる為二つ隣の席のアス以外に聞えていなかったのだけが不幸中の幸いだがこんな言葉を、歌を口にする惨めさをこの歳になって味わうとは思いもせず眉間に力がこもり乱暴に傾けたグラスは氷が跳ねる程だ。
「生憎私もあれも、首輪が落ち着かぬ性分だ。誰の誘いも興味はない、時間の無駄だ。私やあれの動向をお前が気にする事は最早ない」
淡々とした言葉の後グラスの残りを呷り代金を置いたアルは音もなく立ち上がる、どういう意味だと言外に含めた視線で追うヴァレリーに扉に手をかけた状態でアルはいつぞやの歌を諳んじてみせた。
「あれは街に居着かないタイプらしいからな」
じきにお前の街からは姿を消すだろう。
アスが残していった言葉通りなのかどうか、暫くしてヴァレリーはアスが別の場所へと塒を移した事を風の噂に聞いた。屹度あの子供も傍にいるだろう、そんな気がする。しかし私には関係のない事だ、ここにいる限り彼等には金輪際関わる事は無いだろう。そう、私の街と、城と呼べるこの場所にいる限りは二度と──
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hakobitsu · 7 years ago
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儀式
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※縦書きリンクはこ��らから https://drive.google.com/open?id=1jHkaTWMSfZG5WgNhHsJnNk1J4rIpP5J2
 結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。  今考えると、あのとき食べておけばよかった。
                     アーサー・ゴッドフリー
■  そうですね。腐る前に食べておけばよかったのです。  女は怖い。わたしもそう思います。女は怖いって。
 指先の粘つきを洗い流しながらわたしは言う。生臭さが鼻についた。
◆血 「今日使用する食材はギヅヅギです」  と言っても普通のギヅヅギ料理ではありません。特別な日のための、ごちそうギヅヅギです。
 ギヅヅギ?わたしはギヅヅギなんて生き物、聞いたことがない。 「ギヅヅギってだいすきなのよね」 「ついつい食べすぎちゃうのよね」 「うちはギヅヅギ炒めを作り置いて、お弁当のおかずにするわ」
 先生は日焼けした太い腕でギヅヅギ——瘤が寄り集まってひとつの大きな瘤になっているみたいな、首の長いだらんとした死体——をまな板の上に乗せる。プロジェクターには、まな板を俯瞰で捉えた映像が映し出されていた。 「今日のギヅヅギは新鮮ですよ。知り合いにギヅヅギ輸入業者がいるので、特別に生きたまま送ってもらいました。頭数が少ないので、今日は一頭を何人かずつで共有してもらいます」
「あらやだ、外国産のギヅヅギなのね」 「輸入物のギヅヅギって、筋増強剤使って育ててるって聞いたことがありますわ」 「まあでも、先生が新鮮だっておっしゃってますし」  侃々と話すマダムたちの口から唾が飛ぶ。わたしは自分の包丁や皿を、マットごと手前に引いた。  テーブルの真ん中には、ギヅヅギの長くて黒い死体が横たわっている。
「ギヅヅギは目で新鮮さがわかります」  先生はギヅヅギのまぶたをひん剥く。カメラがアップになり――ゲル状の目玉を映し出す。 「ほら、瞳の周りが透明でしょう。白く濁っているのは、鮮度が落ちている証拠です」
 マダム2が、テーブルの上のギヅヅギのまぶたを剥く。 「あら、うちのはちょっと白くなりかけてるみたい」  確かにプロジェクターに映る目よりもかなり曇っている。隣のテーブルのギヅヅギを見せてもらうと、そちらもほのかな煙が立ち上るみたいに濁っていた。こちらのまな板の上でだらんと身を横たえているギヅヅギよりも随分小ぶりだ。親子みたいに見える。  わたしも自分の指で、自分のテーブルの上のギヅヅギのまぶたを剥いてみる。端に、人間と同じように赤い血管が浮かんでいる。強く引っ張ると、のけぞった瞳が見切れていた。ゼリーのような瞳の光沢は、目に涙を浮かべているようにも見える。
「血抜きはしてあります。スーパーで売っているギヅヅギは基本的にあらかじめ血抜きされていますね。包丁の先は、かすかに当てるだけで大丈夫です。内臓を傷つけないように気をつけて。それでは実際に捌いてみましょう」
「いやだわ、何だかまだ生暖かい気がする」  マダム1が祈り手を組みながら身をくねらせる。 「わたし触れない」
 マダム1は比較的まだ若く、わたしと同じくらいの年齢だ。でも既に子どもが二人いて、お腹の中にもう一人潜んでいる。三人目を身ごもった時点で思い切って仕事を辞めて、この料理教室に通っているらしい。 「ほんとに、ご飯を作るのがいーちばん大変よね」  仕事を辞めて、外食や手軽な冷凍食品に頼らなくなってからの方がよっぽど忙しく感じるわ。でも後々の子どもや夫の身体のことを考えたらねえ。ちゃんと身体に良いものを食べてもらった方が良いでしょう?
「わたしがやるわ」  マダム3が自分の包丁を握った。
 マダム3はマダム1~3の中で一番年を取っている。どうしてこの教室に通っているのか、理由はよくわからない。みんな包丁捌きが怪しい中にあって、マダム3の手つきには迷いがないからだ。丸々と太った指で、器用に食材を捌いていく。また、こういう生ものみたいなものを触るのにも抵抗がないようで、いつもむしろ生き生きとした表情ではらわたを除いている。
 マダム3が包丁を当てると、あらかじめマジックカットされていたみたいにギヅヅギの背中が裂けていく。やがてギヅヅギの身体は真っ二つになった。 「この口のところのコリコリしてるのが、変わった味で美味しいのよね」と、マダム2が赤く塗った爪で口吻を拾い上げながら言った。興奮は細長く鋭く尖り、まだ生きていた頃のしなやかさを残している。
 マダム2は新婚で、かなり年上の夫がいる。  時々冗談めかしながら、「うちの旦那はもう半分死んでるようなものだから」と言うことがあった。しわがれた老父がマダム2の妖艶な指先で給餌されている姿を、わたしは時々想像する。 「わたしは料理で彼の胃袋を掴んで結婚したの」  その赤い爪が、枯れて縮んだ胃袋の入口を掴んでいるところをイメージする。 「あの年代の人は家庭的な女が好きなのよ。美味しいだけじゃなくて、身体を気遣った料理にするのがこつね」  マダム2の作った料理を食べれば食べるほど、何故かますます老父は痩せていく。  隣のテーブルで声が上がる。 「わあ、すごい血」  テーブルの端からしたたるほどの血が、となりのギヅヅギからはあふれ出している。 「ああ、すみません。うまく血抜きができていなかったみたいですね」  テーブルを回っていた先生が、ゆっくり落ち着いた口調で言った。  ギヅヅギの血管構成は複雑で、固体によって動脈と静脈の位置や絡まりがかなり異なるらしい。喉を切ってぶら下げておくだけでは血抜きが不十分なことがあって、こうして血が溢れてしまうことがあるのだと言う。  マダムたちは案外平然としている。さっきギヅヅギを触れないと言ったマダム1も、やっぱり新鮮だとあんまり匂いがないわねと呟いていた。  マダム1とマダム2がおしゃべりしている間も、マダム3はプロジェクターで再生され続けている手さばきをちらちら見ながら包丁を振るっていく。鉤鼻の頭に汗をかいていた。  こちらのテーブルのギヅヅギは、少しも血が流れなかった。意識して初めて気が付くくらいの、ほんの少し鼻につく匂いがするだけ。 「あら、サトウさん。そこ、血が付いてるわよ」 「え」  いつの間にかわたしの服の袖に血がついている。  こすっても、それが指に付いたりかすれたりすることはなかった。もともとからそこに浮かび上がっていたみたいに。
 わたしは家に帰って今日作ったギヅヅギのキッシュをゴミ箱に捨てたあと、血のついたシャツを丁寧に畳んで箪笥にしまった。
■  あなたたちはわたしたちが作ったものを食べる。それをエネルギーに換えて駆動する。  気づいてなかったですか?あなたもわたしによって駆動しているんです。わたしの作った料理によって呼吸し、心臓に血液を送り、生きている。  だから、言うことを聞かなくなったらそれまで。  どうして気づかなかったの?  わたしがどうして料理を習っていたのか、もっと早く気付くべきでしたね。
◆肉 「先生はどうして先生なんですか」  わたしがそう訊ねると、先生は細長いワインのグラスを持ったまま笑う。わたしの乳首を摘むのと同じ指の形だ、とわたしは思う。 「なんですか、その質問。どうして先生になったかってことですか?」 「はい」  先生はラム肉をナイフで切る。ほんのわずかに、かちゃかちゃと皿にナイフが当たる音が聞こえた。やがて肉は小さく千切れる。 「こう見えて僕は昔、すごくワルだったんですよ」  先生はラム肉をくちゃくちゃと噛みながら話し続ける。 「触るものみな傷つける、なんて。ははは。喧嘩ばっかりしていたんですよね。僕を恨んでいたやつに後ろからバットで殴られて、入院したこともあるくらい」  先生の腕は精悍としている。料理には必要ないくらい。この人の逞しい身体は、喧嘩と自分の作った料理でできているのだ。 「家族との折り合いが悪くて、小さな頃からずっと夜遊びばっかりしていたんですよ。まともな食事なんて給食くらいしか食べたことがなかった。それも中学生までの話です。高校くらいからはまともに家に帰っていませんでした」  わたしはテーブルの上にひじをついて、時々ワインで唇を濡らしながら先生の話を聞いていた。料理はどれも味が濃い。メインディッシュのラム肉は、獣臭さを消すためのにんにくの臭いがきつく、食べれそうもなかった。
 マダム2は、こんなもの食べて喜んでいたのだろうか?
「それでふらふらしていたんですが、街である洋食屋さんに出会いまして。あまりにも良い匂いがしたんで、お金もないのに入ったわけです。そこで食べたハンバーグがあまりにも美味しくて。一口食べるたびに自然と涙が流れたんです。ああ、何かを食べるというのはこういうことだな、と。食べたものがエネルギーになって自分を駆動させていくというのはこういうことか、と。そこからはよくある話ですよ。無理を言ってその洋食屋で修行をして、ちゃんとした調理学校に行って、今に至ります」  先生はグラスに残っているワインを飲み干した。顔がワインと同じ色に変色している。まるで飲んだワインがそのまま先生の表皮と肉の間を満たしていくようだ。 「実は自分で店を持ったこともあるんですが、あんまり上手くいかなくて。それで、こうして雇われ料理教室の先生をやっているってわけです。やってみたら、これが���外性に合っていたみたいで。作り方を教えるということは、やっぱり心の込め方を教えることですよね。こういう家庭料理レベルの料理教室だと、単純に美味しいものをたくさん知っているよりも、かつてのあの洋食屋のように、心のこもった料理の味を知っている方が役に立つんですよ」 「そうだったんですか」
 そんな話、全部知っている。みんな知っている。
 先生は顎ひげをこする。それが自分の男性をアピールする仕草だと知っているからだ。 「口に合いませんでしたか?」 「いえ、なんというか、胸がいっぱいで」 「そうでしたか。次はこういうのじゃなくて、お蕎麦とかにしましょう。目黒川沿いに、良い蕎麦屋があるんですよ」  はい、ぜひ、とわたしは答える。この声は何のエネルギーで出来ているのだろう?
 先生の息は獣臭かった。不思議とにんにくの香りはしなかった。ということは、この獣臭さは先生自体のものだろうか? 「サトウさん」  この人はさっき食べたラム肉のエネルギーで腰のモーターを駆動させているのだ。わ��しは足を開いているだけで良いので楽だった。 「サトウさん」  先生が耳元で息を吐くたび、ベッドごと深く沈んでいくような感覚があった。 「サトウさん、何か言って」  わたしが先生の耳元に呼気を吹きかけると、先生はわずかに震える。これはエネルギーを使った動作ではなく、ただの反応だ。  わたしが吐く生温かい息も、さっきわずかに口にしたラム肉で出来ているのだろうか。 「先生、わたしたち」
 今、ひとつですね。
「サトウ、さん」  先生はやがてわたしの中で果てる。エネルギーの塊をわたしの中に放ち、小さくしぼんでいく。わたしはマダム2の夫である、しわくちゃの老父がますます乾いていくところを想像していた。
■  もうすぐ完成です。  先生が教えてくれたのは、真心の込め方でしたね。  それって本当に料理に宿るのだろうか。わたしは正直、当為は先生が言っていた真心というのがどういうものなのかよくわからずにいました。  でも、今ならなんとなくわかります。ああ、心を込めるというのはこういうことなんだなと。一本ずつあなたの指を開いていくと、そこにまだ温もりが残っているのを感じました。この温もりは命の灯火によるものではなくて、わたしの作った料理を食べて蓄えたエネルギーが尽きるまで燃焼しているだけなのでしょう。とても神秘的ですね。  ずいぶん食べましたね。若いときに比べてよく肥えたお腹を見ていると、感慨深い気持ちになってしまいます。これはわたしが悪いのでしょうか?わたしが、美味しいものを作りすぎたからでしょうか?
 あなたは一度も、わたしが作った料理を残しませんでしたね。
◆魂  一方でわたしのお腹は、別の生き物によって膨らんでいく。
 鍋に水を張り、鶏ひき肉を強火で煮込む。
 ボウルに水を張り、じゃがいもをつけておく。
 一合分の米を釜に入れ、水を加える。二、三回底から混ぜたら、糠の臭いが米についてしまわないうちにすぐに水を捨て、研ぐ工程に入る。米同士の摩擦によって、余計なものが剥がれていく。もう一度水を入れて、白く濁った水を流しに捨てる。それを二回繰り返す。釜に米を入れて水を線まで注ぐ。炊きムラができないように、水の中の米を優しく揺らしながら平らにする。炊飯器に釜をセットして、スイッチを押す。
 ひき肉を鍋から取り上げたら、ダシスープ、コーンクリーム、ごま油、塩を入れ、よく混ぜて、強火で温める。沸騰しそうになったところで片栗粉を入れて中火にする。スープにとろみがついたら、溶き玉子をまわし入れ、ひと煮立ちさせたら缶詰のコーンを加える。
 じゃがいもの表面の、柔らかくなった泥を落とす。包丁を使って、毒素のある芽を取り除いていく。皮は剥かずにおいて、輪切りにする。皮にもたくさん栄養があるからだ。
 肉は大きめのフライパンで焼く。あらかじめ常温に戻しておいた肉を、ごくごく弱火で温めたサラダ油の上に置く。肉汁を外に出してしまわないように、表面を焼いてコーティングする。肉が少し白くなってきたら、中火にして焼き色をつける。この時、動かさずに表裏それぞれ1分くらい焼いて、塩胡椒を振る。  焼いたばかりの肉はすぐに切らず休ませる。アルミホイルに包んで保温し、肉汁を中に閉じ込める。その間に、肉を焼いた油でじゃがいもをソテーにして、付け合せにする。
 ご飯をよそい、コーンスープをスープ皿に注ぎ、肉とじゃがいもを皿の上に横たえる。
 自分の中に、二人分生きている命があるというのは、妙な気分だなと思う。  わたしは自分が作ったものを食べる。口から繋がっている細長いホースを通って、直接エネルギーがお腹の中にある命に渡っていくところを想像しながら。それは得体の知れない闇にも似ている。
 あなたもさっき食べたものをちゃんと思い出した方がいい。  それがなんだったのか、そしてそのエネルギーがあなたの中の何に注がれているのか、ちゃんと考えた方が良いと思う。
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mashiroyami · 5 years ago
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Page 116 : 空と底
 ブラッキーの牙が、アランの身体に突き刺さった。  激しい飛沫が五感を遮ろうと、栗色の双眸は獣の動きを克明に捉えていた。直前の行動は意志というよりも反射であった。アランは辛うじて身を捩り、それは首ではなく左の肩口を襲った。致命傷こそ避けたが、アランは堪らず痛みに声をあげた。深く、ヤミカラスを食い破ったいくつもの牙が穿たれたまま離れない。ブラッキー自身から溢れるものと合わせて、赤い色水をぶちまけていくように傷からあっという間に赤が広がっていく。  それでもアランは強くブラッキーを頭から抱擁した。しかし、服が水を吸い込み、痛みは一気に体力を奪う。だんだんブラッキー諸共、沈んでいき、辛うじて顔を出すのに精一杯であった。  湖畔から呆然と見つめていたエクトルは水タイプのポケモンを持ち合わせていない。だが、漸く脳内でスイッチが入ったように、背後を見やった。 「ガブリアス、来い!」  背中越しにドラゴンを呼ぶと、逆鱗直後とは考えられぬほど従順に命に従い、涙目で地面にへたり込んだフカマルを置きざりにしてガブリアスはすぐさまエクトルの傍へ来た。一瞬振り返った後にまた湖面に視線を投げると、目を疑った。  平穏な湖に異変が起きている。  彼女らを中心として、湖面にゆるやかに渦が発生している。いわば渦潮である。ほとんど水流の生まれていない今、それも比較的浅い岸辺、自然現象としては起こるはずのない出来事だった。  しかし、エクトルはその光景に対して既視感を抱いた。何故と動揺し判断を失念した間に、初めは細波程度であった勢いが、瞬く間に強くなった��見えない巨大な力で乱暴に掻き回される。上空は不変に広がる蒼穹、照る太陽の光が波間で反射する。まるで湖にだけ嵐が起こり始めたようだった。勇敢なヒノヤコマやピジョンが柵を越えて救助を試みようとするが、水の勢いがあまりに強く近付くことすら叶わない。  二対の声が小さくなって、とぷん、と、中心に吸い込まれるように、不意に掻き消された。  ざわめくのは、渦巻く激流の荒れた音と、空疎な羽ばたきと、錯乱するエーフィの叫び声のみ。  エクトルの脳裏で湖へと引き込まれていく主人の姿が重なった。  浮かんでいた血は荒い白波にほだされて、深い青に沈んでいった。
 *
 湖面が遠ざかっていき、鮮血が煙のように上がっていく。  突如として襲った渦潮に巻き込まれ、激しく突き動かされながら、その流れから漸く手を離された時には、戻りようもないほど深い場所��と彼等は身を沈めていた。  身体を覆う服が重く、浮き上がることは叶わない。  傷つけられた身体は更に渦潮に打ち付けられ、空気を吸いこむ間もなく水中に引き摺り込まれた。少女は獣を離さなかったけれど、最後に苦しげに口から水泡が絞り出されて水面へ浮かんでいった頃には、とうにはっきりとした意識は失われていた。  晴天が放つ陽光が遙か遠くで木漏れ日のように輝いていた。誰も居ない暗闇へと誘われていく。月輪が朧気に光り、暗闇で位置を示しながら、抵抗無く沈みゆく。底に向かう程に冷たくなっていく感覚を、彼等の肌は感じていることだろう。
 *
 きっかけは、地震だった。  吉日と指定されて熱に浮かれた秋季祭の中心地にも、その地響きは僅かに伝わった。静かに一人座り込んでいれば辛うじて感じ取れるかといったような、ほんの少しの違和だった。だから、ザナトアはその不自然な一瞬を自らの足先から電撃のように伝わった直後は、気のせいだと思った。ポッポレースを終えて選手も観客も労いの空気に包まれていて、誰も気付いていなかったからだ。  揺れる直前には、ザナトア率いる野生ポケモン達のチームが参加する自由部門のレースは殆ど終了していた。  ポッポレースが終わってしまえば、ザナトアにとって秋季祭という大イベントは殆ど終わる。  ヒノヤコマを初めとして、群れを牽引する者の不在を、ザナトアは少しも不安に思っていなかった。たとえ群れに馴染めなかったとしても厳しい野生の世界で逞しく生きていくために育成を施してきた子達の、集大成にあたる舞台なのだ。結果的に、誰一匹として離脱することなく、チェックポイントを全て回り、ゴール地点まで還ってきた。順位は下の上といったところだろう。充分な結果だ。遠くないうち、冬が本格的に始まる前に野生に返す準備をしなければならない。彼等にとってのザナトアの役割は終わりを迎えようとしている。喜ばしいことだ。しかし少しだけ寂しい。彼女はおやではないが、おやごころが芽生えるのだ。たまにヒノヤコマのようにそのまま卵屋に棲み着いて離れない者もいるけれど、ザナトアは微妙な胸中に立たされる。複雑なおやごころである。  当初の予定よりずっと少ない面子の乱れた羽毛をブラシで丁寧に梳かしてやり、一匹一匹に声をかけていた最中だった。 「……地震?」  ぽつりと呟いて、周囲を見渡した。  だが、誰も顔色を変えずに歓談している。地面が、一瞬だけ突き上げるような、浮かぶような力が加わったように感じた。視線が上がり、白く塗られた電灯同士を渡る旗の飾りが、揺れているのを発見した。留まっていたポッポが羽ばたいたために大きく揺さぶられていた。  果たして、ブラッキーはどうなっただろうか。水面下での懸念事項がはっきりと浮かび上がる。  ザナトアは、アラン達なら大丈夫だと考えていた。楽観的だととられるかもしれないが、アランは依然未熟なトレーナーであるものの、ポケモン達は彼女を見捨てていなかったからだ。獣が強いほど、弱い人間は嘗められる。だが、エーフィ達は決してトレーナーを見下しているわけではない。  アラン達が寂れた育て屋を訪れた日、ザナトアはかのポケモン達に問いかけた。あのトレーナーのことが好きか、と。アメモースはどっち付かずな反応を見せたが、エーフィとブラッキーはすぐに首肯した。良くも��くも複雑な思考をする人間より、獣はずっと素直で正直だ。彼等の詳しい経緯をザナトアは知らない。これからも知ることはないかもしれないが、ただ一つ確実なことがあったとすれば、あのトレーナーとポケモン達の間には、ザナトアが一瞥しただけでは理解できなかった繋がりが存在している。  ポッポレースの表彰式を促す放送が周囲に響き、熱気の冷めやらない人集りが移動し始めた。  顰めた面をしたザナトアの手が止まったことに不満を抱いたのか、毛繕いを受けていたムックルが鳴いた。声に弾かれ、ザナトアは我に返る。  不意に気付く。大丈夫だと思い込みたいだけなのだ。  無性に胸が掻き立てられて仕方がなかった。
 *
 薄暗くなってきた祭の露店に明かりが灯る。自然公園に設営された屋外ステージで行われたポケモンバトルも幕を閉じ、熱い拳握る真昼から一転、涼やかな秋風が人々の蒸気を冷まし、ちらほらと草原に人が集まり始める。子供から老人まで、配布された色とりどりの風船を持つ姿は微笑ましい光景だ。  秋の黄昏はもの悲しさを秘める。生き生きとした夏が過ぎて、豊かな穂先は刈られ、花々は枯れ、沈黙の冬に向けて傾いていく。雨は冷たくなり、やがて雪に変わる。積雪の下には、次の春へ向けた生命がひそやかに眠る。季節は循環する。儚く朽ちてゆく間際、最も天高くなる時期、人々の願いと感謝が込められた風船は夕陽が沈む瞬間を見計らって、高々と空へ昇る。来る瞬間へ向け、準備が個々で進められていた。  その中には、エクトルの友人であるアシザワの姿もある。  幼い子供は沢山貰ったお菓子をリュックに詰めて、同じ年頃の友達と自然公園を無邪気に駆け回っていた。きゃあきゃあと黄色い声が飛び回る。  湖面に迫る夕陽を前にして一人佇んでいると、普段は思い出しもしないことが浮かんでくる。たとえばそれは聞き流していた音楽だったり、記憶だったり、要はノスタルジーに包まれる。思い出といえば、大役を解かれ休暇を貰ったというのだから無愛想なあの男も暇潰しにでも来るかと思ったが、的外れだったようだ。 「何をぼーっとしてるの」  ぼんやりと芝生に座って三つ分の風船を持ち子供達の姿を眺めていたところ、声をかけられて顔を上げた。朱い夕焼けより少しくすんだ、けれど綺麗な赤毛をした女性に、アシザワはおどけた表情を返し、アンナ、と呟いた。 「何も」 「そう? なんだか珍しく寂しそうだった気がしたけど。はい」  と言って、アンナはアシザワに瓶ビールを手渡した。既に王冠は外されている。湖面を渡るポッポの絵が描かれたラベルが貼られた限定品だ。 「ありがと。お、ソーセージ」 「美味しそうでしょ。列凄かったんだから」 「かたじけない」  アシザワが仰々しく頭を下げると、わざとらしさにアンナは吹き出した。 「李国式だ」 「古風のな」  にやりとアシザワは笑む。  彼女は大ぶりのソーセージがいくつも入ったパックを開ける。湯気と共に食欲を刺激する強い香りが漂う。祭で叩き売りされる食事というのは、普段レストランで味わうものとは違った、素朴でジャンクで、不思議な希望が詰められた味がするものだ。子供も大好きな一品。添えられたマスタードをたっぷり絡めるのがアシザワは好きだった。その良さを知るには子供はまだ早いのが残念なくらいである。 「風船持とうか」 「いい、適当にするから」  瓶を傾け、一気に喉にビールを流し込む。まだ明るいうちに喉を通る味は格別だ。これもまた子供には早い。無邪気に遊び回る子供は自由で時折羨ましくなるけれど、不自由なことも多い。やがて適当に流すことを覚え、鬼ごっこやおもちゃとは違う楽しみを覚える。 「手紙、書いた?」  風船に括り付けるもののことである。人によっては、感謝だったり、祈願だったり、愛の告白だったり、様々な思いをしたためる。  昔は、湖に沈んだ町や大洪水に呑まれた魂を悼み、天空へ誘うポケモンを模していたと聞いている。だが、現代になるにつれ外部の観光客も楽しめるポップな様相へと変わっていった。それでいいとアシザワは思う。水神の未来予知だって、現代は科学が発展して天気予報は殆ど当たる。災害予測も技術が進めば可能だろう。宗教を盾に権力を振りかざして胡座をかいているクヴルールは正直気に入らないところがある。若者を中心に、そう考えている人間は少なくはない。時代が変われば文化も考え方も変わる。  瓶ビールを半分ほど一気に流し込んだところで、口を離した。 「そんな恥ずかしいことはやらねえ」 「ええ? 去年は書いたじゃない。家内安全って��  アシザワは苦い表情を浮かべる。 「そうやって覚えられるから嫌なんだよなあ」 「子供みたい」  くすくすと笑う。真新しい薬指に銀の輪が嵌められた左手が夕焼けに煌めいて、金の輝きを放つ。  赤と、青と、黄色、三原色の風船が穏やかな風に揺れている。湖面の方角からやってくる秋風が心地良い。  秋季祭が終わっていく。 「あーっチューしてる!」  目敏く幼い少年が叫んだ。  いつの間にそんな言葉を覚えたんだ、と思いながら、アシザワは振り返った。その先で黒い影法師が二人分ずっと伸びているのを見て、これは風船があってもばれるなと気付いた。まあいいか。ビールを置いて、走っても走ってもなお体力を有り余らせている子供に向けて、誤魔化すようにソーセージを高々と見せた。ご馳走を目にして歓喜の声をあげながらやってくるユウにも、隣で笑うアンナにも、思いがけず強い感情が込み上げる。この瞬間を、幸福と呼ばずしてなんとするだろう。
 *
 長い時を経て、縁の途切れていたエクトルとザナトアが再会したのは、秋季祭が夜に沈んでいこうとする頃。   喚くようにヒノヤコマ達がザナトアを探しに来た。宥めても混乱が収まらず、明らかに様子がおかしかった。彼等に連れられて、老体に鞭打ち、通行規制が解かれた湖畔に足を運んだ。場は騒然としていた。罅の入った道路を早急に隠すように工事準備が進められ、車道は片面通行となっている。エーフィは芝生に座りこみ、憔悴した顔で、鳥ポケモン達の声に気が付き縋るように振り向いた。隣にはアメモースもいる。目玉を模した触角は垂れ下がって動かない。彼女の傍をフカマルも離れないようにしていた。腕白小僧には似つかわしくない気落ちした表情をしている。鮮明なテールランプが夕焼けを切り取って回転している。ザナトアは立ち尽くし、言葉を失った。更に奥で、水ポケモンに指示を終え、救急隊が全身ずぶ濡れになって蒼白になった少女と黒い獣を担架で運んでいる。その様子を、嘗ての愛弟子は、ザナトアが本当の息子のように想っていた男は、至極冷静な表情で見つめていた。  遙か向こう、祈りの風船が群を成して、夕景に昇っていった。 < index >
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benediktine · 5 years ago
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【激増する森林火災、火災に適応した森も再生できない恐れ オーストラリア森林火災は世界的な変化の象徴、研究者らが危惧】 - ナショナルジオグラフィック日本版 : https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/020300074/ 2020.02.04
 {{ 図版 1 : オーストラリアの森林火災で焼けてしまった木々。1月9日にバカン近郊で撮影。一部の森は元には戻���ないだろうと専門家は言う。(PHOTOGRAPH BY CARLA GOTTGENS, BLOOMBERG/GETTY IMAGES) }}
 オーストラリア南東部に広がる高く湿った森、いわゆる湿性高木林には、世界で最も背が高い顕花植物がある。セイタカユーカリだ。その学名Eucalyptus regnansは、ラテン語で「ユーカリの支配者」という意味。この巨木が高さ90メートル以上にも達することを考えると、ぴったりの名前だろう。(参考記事: {{ 「タスマニアの巨木林を守れ」 : https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/7769/ }} )
 オーストラリアに生えるユーカリの多く、とりわけ比較的乾燥した森は、森林火災に耐性があり、炎に包まれてから数週間以内に新芽や新たな枝を出す。だが、こうした火に強い種にも限界はある。
 さらに、セイタカユーカリやその近縁種アルパインアッシュ(Eucalyptus delegatensis)の原生林は、火災に対する耐性がより低い。ビクトリア州では、これらの木は伐採や開拓により、すでに著しく減少していた。今季オーストラリア東部を襲った森林火災は、数カ月で10万5000平方キロ以上(本州の面積の半分弱)を焼き、現在、森はさらに大きな危機にさらされている。(参考記事: {{ 「森林火災で火災積乱雲が発生、まるで地獄絵図、豪」 : https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/010800012/ }} )
 今回、壊滅的な被害を受けた場所のなかには、過去25年間で4度も火災に見舞われたところがある。そんな目にあえば森は回復できないと、オーストラリア国立大学の生態学者デビッド・リンデンマイヤー氏は言う。
「これまで森林火災は、75?125年に1度のペースでしか発生してきませんでした。今起きているのは、まさに異常事態です」と同氏は話す。「セイタカユーカリは、樹齢15?30年にならないと、森林火災から再生するだけの十分な数の種子を作れません」
 森を特徴づけるこうした優占種の喪失は、重大な問題だ。ススイロメンフクロウ(Tyto tenebricosa)、ジャイアントバロウィングフロッグ(Heleioporus australiacus)、もふもふの樹上性有袋類フクロムササビ(Petauroides volans)など、絶滅が危ぶまれる種の重要な生息地となっているからだ。
「元の生態系は、事実上、崩壊してしまいました。何か別のもの、どこにでも生えてくる雑草のような植物の群生地に変わってしまう可能性が高いです」と、チャールズ・ダーウィン大学の保全生物学者ジョン・ウォナースキー氏は話す。「面白みも特徴も少ない植生に収束し、絶滅が危惧される動植物をわずかしか支えられなくなるでしょう」
 {{ 図版 2 : ギャラリー:オーストラリア森林火災で深刻な被害を被る動物たち 13点  オオフクロモモンガは、オーストラリア原産の滑空する有袋類の1つで、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで「近危急種(near-threatened)」に指定されている。森林火災の発生地帯にあるユーカリの森に暮らし、大きな古木に巣を作る。過去3世代で、個体数は30%も減少した。生息地の喪失により、この危機的状況がさらに悪化するかもしれない。(PHOTOGRAPH BY JOEL SARTORE, NATIONAL GEOGRAPHIC PHOTO ARK) : https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/020300815/index.html?P=7 }}
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 オーストラリアの状況は、カリフォルニア、カナダ、ブラジル、ボルネオなど、世界中の森林で起きていることを象徴している。森林火災から繰り返し再生して生き残ってきた森でさえ、気候変動による地球温暖化に伴い、ますます増えて激しくなる森林火災に直面し、回復力を失いつつある。(参考記事: {{ 「森林火災が地球におよぼすこれだけの影響」 : https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/a/062700039/ }} )
 先月発表された論文によると、気候変動のせいで、高温と乾燥が進み、異常気象が増え、森林火災の危険性が著しく高まっているという。世界中の植物が生える地域の4分の1超において、森林火災の発生シーズンは過去40年間で20%延びた。
 例えば、米カリフォルニア州は、2018年に史上最悪の森林火災に見舞われた。乾燥した地中海性生態系を持つ他の場所、ギリシャやポルトガルなどでも、記録的な森林火災が相次いだ。(参考記事: {{ 「カリフォルニアの山火事はなぜ激しくなっている?」 : https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/102800621/ }} )
 熱帯雨林もダメージを受けている。最近の衛星データを見ると、アマゾンの森林破壊がここ11年で最悪のペースで進んでいる。破壊された森の多くでは、土地を開拓するために意図的に火が放たれている。(参考記事: {{ 「アマゾン森林火災、実態は「伐採規制前への逆行」」 : https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/090200509/ }} )
 北方林やツンドラでさえ、森林火災は発生している。2019年には、アラスカとシベリアの広大な地域が炎に包まれた。(参考記事: {{ 「北極は数十年で4℃上昇、温暖化は加速モードに」 : https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/120900713/ }} )
「森林火災が発生するとは考えられていなかった場所が、今燃えています」と米ニューメキシコ州ロスアラモスにある米地質調査所フォートコリンズ科学センターで、気候変動が森林に及ぼす影響を研究する生態学者クレイグ・アレン氏は話す。
■《気温の上昇がもたらす悪循環》
 世界的な変化の1つが、気温の上昇だとアレン氏は言う。気温が高くなるほど、空気中の水分はより増える。そして、環境から水分を吸収し、土壌が乾燥して、木にストレスがかかる。そのせいで生態系全体がより燃えやすくなるだけでなく、木が昆虫に攻撃される可能性が高まり、枯れ木が増え、森林火災のリスクがますます高まる。
「温暖化により、燃えやすいものが増え、森林火災のシーズンが延びています」と同氏は話す。「北米西部の森林火災シーズンが、30年前より2?3カ月も長くなっているのです」
「深刻な森林火災の発生頻度も増加しています」と、生態系がかく乱にどう反応するかを研究する米コロラド州立大学のカミーユ・スティーブンス=ルーマン氏は言う。「そうした森林火災が発生する頻度は、以前は10年に1度、あるいはもっと少ないくらいでした。ところが今では、少なくとも1年おきに大規模で深刻な森林火災が発生しています」
 2019年は、オーストラリアにおける120年の観測史上、最も暑く乾燥した年になった。かつてないほどの干ばつにより、森は乾燥し、火がつきやすくなっていた。森林火災は9月に始まり、12月下旬にピークを迎え、クイーンズランド州、ニューサウスウェールズ州、ビクトリア州の広大な地域が炎に包まれた。
「焼けたところでは、今年の痕跡が何百年も残るでしょう」と西オーストラリア州パースにあるマードック大学の森林火災生態学者ジョー・フォンテーヌ氏は話す。「多くの場所で、湿った森はより乾燥した燃えやすい森になるでしょう」
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 同様に、北米でも森林火災の頻度と激しさが、ますます増大している。そのせいで、今優勢な植生がゆっくりと姿を消しつつあると、アレン氏は言う。
 北米では、ポンデローサマツ(Pinus Ponderosa)の森で発生する火災の大部分を100年以上にわたり抑えるように管理してきた結果、樹木の密度が大幅に増加した。だが、異常気象により、森林火災を抑えることが難しくなっている。一度火がつけば非常に激しく燃え広がり、森林火災の後に次世代の種をまくのに不可欠な「マザーツリー(母なる木)」をも枯らしてしまう。
「ポンデローサマツの森は、低層にある松の葉や草を焼くような、よく起きる小さな森林火災に完全に適応しています」と同氏は話す。「しかし、炎が激しさを増し、樹冠にまで達する場合には耐えられません。成熟しきった個体として死を迎え、再生しないのです」
 {{ 図版 3 : 2009年にカリフォルニア州のエンジェルス国有林バーリーフラッツで起きた大規模な森林火災「ステーションファイア」の焼け跡のうち、ポンデローサマツの苗木を植えたエリアを調べる米森林局「ステーションファイア森林再生プロジェクト」のリーダー、スティーブ・ベア氏。(PHOTOGRAPH BY ALLEN J. SCHABEN, LOS ANGELES TIMES/GETTY IMAGES) }}
 ポンデローサマツの種子が、約150メートルを超えて飛ぶことはめったにない。このため、木が枯れると、大きな隙間が残る。北米西部の山岳林の一部では、「トウヒ、モミ、マツなどの針葉樹林から、草や低木が大部分を占める地帯へと、大きく姿を変えつつあります」とアレン氏は話す。
■《積み重なるかく乱》
 森林が火災から完全に回復できていないところでは、その生態系に依存する動物種が、ますます多くの試練に直面することになる。問題の1つは、森林火災に苦しんでいる種が、干ばつ、熱波、害虫のまん延など、他の気候関連の影響���よるストレスをすでに受けている場合が多いことだ。こうしたかく乱の積み重ねが回復をさらに悪化させるかどうかは、「決定的かつ極めて重要な質問」だと、フォンテーヌ氏は言う。
 同氏のチームは、西オーストラリア州に生息する火に耐性のある低木、Banksia hookerianaを研究している。その種子は松ぼっくり状のものに入っており、なんと森林火災の後にのみ開くという。だが、気候変動により、1980年代に比べて種子の数が50%も減少したことがわかった。
「このような数字を見ると、頬を叩かれたような気になります。気候変動が机上の空論ではなく、現実のものだと実感します」とフォンテーヌ氏は話す。
 この傾向は、ニシアメリカフクロウ(Strix occidentalis)やカナダオオヤマネコ(Lynx canadensis)など、北米の原生林を好む多くの動物にとって悪いニュースだと、スティーブンス=ルーマン氏は言う。オーストラリアの現在の森林火災により、約50種の絶滅危惧種の生息地が、80%以上もこれまでに焼けてしまった。カンガルー島に固有の肉食有袋類Sminthopsis aitkeniや、火に弱いハーブTrachymene scapigeraなど、一部の種はすべての生息域で壊滅的な被害を受けた。
 こうした個々の動植物が地域から消えると、様々な種の間で起こる重要な相互作用も失われる可能性がある。生態系全体の機能や森林火災からの回復に、予期せぬ影響が出るかもしれない。
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 ポルトガルでは、森林火災の後、野花が大量に咲き、元に戻ったかのように見えた。だが、2019年に発表された論文によると、授粉に不可欠なガが、森林火災が起きていない地域に比べ、わずか5分の1の花粉しか運んでおらず、再生は前途多難であることがわかった。
 しかしながら、森林火災が増えると、すべての種が減るわけではない。北米では、100年以上森林火災を抑え続けた結果、セグロミユビゲラ(Picoides arcticus)が減少してしまった。彼らは、焼けた木に紛れるような保護色をしているのだ。ところが、森林火災が増えた現在、個体数は回復しつつあると、スティーブンス=ルーマン氏は言う。
 オーストラリアでは、オオトカゲ、一部の猛禽類、外来のネコやキツネなど、多くの捕食者が、獲物を求めて森林火災の跡を積極的に探している。遮るもののない地で露わになった生存者を狩るためだ。
 森林火災に見舞われた地で繁栄する他の動物には、ナガヒラタタマムシ属の甲虫が含まれる。焼けたばかりの木に卵を産み、幼虫はその木で育つ。もっと一般的な種のなかにも、森林火災の後で利益を得るものがいると、スティーブンス=ルーマン氏は付け加える。
「森が開け、低木や草が豊富にあるとなれば、シカは回復するはずです」
■《「これは大きな挑戦です」》
 森林火災は規模と激しさを増し、ますます頻発するようになりつつある。だが、状況にまったく希望がないわけではないと、専門家は口をそろえる。自然災害がより頻発する世界では、より野心的かつクリエイティブに、冒険心を持って保全に取り組む必要があると、ウォナースキー氏は言う。
「これは大きな挑戦です。すべてのことに短期的な解決策があるわけではないのです」
 例えば、森林火災後の種まきは、北米ではよく行われるが、オーストラリアではめったに行われない。ヘリコプターからセイタカユーカリの種をまくことが、将来検討されるかもしれないと、リンデンマイヤー氏は言う。より急進的なアイデアとしては、火に耐性のある外来種の植林が挙げられる。また、土地を管理することも、解決策の1つだ。
「フィンランドには、素晴らしいことわざがあります。『火は良き僕だが、悪しき主にもなる』です」とスティーブンス=ルーマン氏は語る。つまり、人が火を道具として有効に利用できるのは、火を制御下に置いている時だけだ。
 オーストラリアの先住民アボリジニは、何万年もの間、頻繁に小規模な野焼きを行うことで、枯れ草や落ち葉などの燃えやすいものを減らし、大規模な森林火災を効果的に防いできた。現在、こうした伝統的な野焼きへの回帰を呼びかける声が高まりつつある。
「米国で発生した森林火災の98%は抑え込まれます。つまり、大規模な森林火災に発展し、ニュースになるのは、たったの2%だけなのです」とスティーブンス=ルーマン氏は話す。「しかし、この98%を有効に利用して、燃えやすいものをあらかじめ焼いてしまい、森をモザイク状にすれば、大規模かつ猛烈な森林火災を阻止できる可能性があります」
 それでも、気候変動は待ったなしで進行中であり、干ばつや熱波、その他の森林火災の原因の増加は避けられそうにない。今から数十年後、2019年は普通の年だった、あるいは比較的涼しく雨の多い年だったとさえ言われるようになるかもしれないと、アレン氏は語る。
「あっという間に忍び寄ってきた、本当に不吉な未来です」と、ウォナースキー氏は付け加える。「私たちの愛すべき生態系の多くが変貌し始めているのを、目の当たりにしています。我々にとっては悲劇ですが、我々の子孫にとっては悲劇では済まされません」
 {{ 図版 4 : ギャラリー:オーストラリア森林火災で深刻な被害を被る動物たち 13点  IUCNのレッドリストで「近絶滅種(critically endangered)」に指定されているブーラミスは、わずか2000~3000匹しか野生に残されていない。ビクトリア州北部やニューサウスウェールズ州南部のいくつかの山にのみ生息する。完全に高山の生息地で生活するオーストラリアで唯一の哺乳類だが、その生息地の多くは森林火災で燃えてしまった。森林火災を生き延びたものは、食糧不足に直面し、木々が焼け落ちた地で効率よく狩りをする野生化したネコやキツネの餌食となっている。(参考記事:「絶滅寸前の有袋類、化石の地への移住で保護へ、豪」)(PHOTOGRAPH BY JOEL SARTORE, NATIONAL GEOGRAPHIC PHOTO ARK) : https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/020300815/index.html?P=11 }}
文=JOHN PICKRELL/訳=牧野建志
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nyantria · 7 years ago
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* 秋元寿恵 東京帝大出身の血清学者     1984年12月の証言 部隊に着任して人体実験のことを知った時は非常にショックを受けました。 あそこにいた科学者たちで良心の呵責を感じている者はほとんどいませんでした。 彼らは囚人たちを動物のように扱っていました。 ・・・・死にゆく過程で医学の発展に貢献できるなら名誉の死となると考えていたわけです。 私の仕事には人体実験は関係していませんでしたが、私は恐れおののいてしまいました。 私は所属部の部長である菊地少将に3回も4回も辞表を出しました。 しかしあそこから抜け出すことは出来ませんでした。 もし出て行��うとするならば秘かに処刑されると脅されました。 * 鎌田信雄 731部隊少年隊 1923年生      1995年10��� 証言 私は石井部隊長の発案で集められた「まぼろしの少年隊1期生」でした。 注: 正式な1期から4期まではこの後に組織された 総勢22~23人だったと思います。 平房の本部では朝8時から午後2時までぶっ通しで一般教養、外国語、衛生学などを勉強させられ、 3時間しか寝られないほどでした。 午後は隊員の助手をやりました。 2年半の教育が終ったときは、昭和14年7月でした。 その後、ある細菌増殖を研究する班に所属しました。 平房からハルビンに中国語を習いに行きましたが、その時白華寮(731部隊の秘密連絡所)に立ち寄りました ・・・・200部隊(731部隊の支隊・馬疫研究所)では、実験用のネズミを30万匹買い付けました。 ハルビン市北方の郊外に毒ガス実験場が何ケ所かあって、 安達実験場の隣に山を背景にした実験場があり、そこでの生体実験に立ち合ったことがあります。 安達には2回行ったことがありますが、1~2日おきに何らかの実験をしていました。 20~30人のマルタが木柱に後手に縛られていて、毒ガスボンベの栓が開きました。 その日は関東軍のお偉方がたくさん視察に来ていました。 竹田宮(天皇の従兄弟)も来ていました。 気象班が1週間以上も前から風向きや天候を調べていて大丈夫だということでしたが、 風向きが変わり、ガスがこちら側に流れてきて、あわてて逃げたこともあります ・・・・ホルマリン漬けの人体標本もたくさんつくりました。 全身のものもあれば頭や手足だけ、内臓などおびただしい数の標本が並べてありました。 初めてその部屋に入ったときには気持ちが悪くなって、何日か食事もできないほどでした。 しかし、すぐに慣れてしまいましたが、赤ん坊や子供の標本もありました ・・・・全身標本にはマルタの国籍、性別、年齢、死亡日時が書いてありましたが、 名前は書いてありませんでした。 中国人、ロシア人、朝鮮族の他にイギリス人、アメリカ人、フランス人と書いてあるのもありました。 これはここで解剖されたのか、他の支部から送られてきたものなのかはわかりません。 ヨーロッパでガラス細工の勉強をして来た人がピペットやシャ-レを造っていて、 ホルマリン漬けをいれるコルペもつくっていました。 731部隊には、子どももいました。 私は屋上から何度も、中庭で足かせをはめられたままで運動している“マルタ”を見たことがあります。 1939年の春頃のことだったと思いますが、3組の母子の“マルタ”を見ました。 1組は中国人の女が女の赤ちゃんを抱いていました。 もう1組は白系ロシア人の女と、4~5歳の女の子、 そしてもう1組は、これも白系ロシアの女で,6~7歳の男の子がそばにいました ・・・・見学という形で解剖に立ち合ったことがあります。 解剖後に取り出した内臓を入れた血だらけのバケツを運ぶなどの仕事を手伝いました。 それを経験してから1度だけでしたが、メスを持たされたことがありました。 “マルタ”の首の喉ぼとけの下からまっすぐに下にメスを入れて胸を開くのです。 これは簡単なのでだれにでもできるためやらされたのですが、 それからは解剖専門の人が細かくメスを入れていきました。 正確なデータを得るためには、できるだけ“マルタ”を普通の状態で解剖するのが望ましいわけです。 通常はクロロホルムなどの麻酔で眠らせておいてから解剖するのですが、 このときは麻酔をかけないで意識がはっきりしているマルタの手足を解剖台に縛りつけて、 意識がはっきりしているままの“マルタ”を解剖しました。 はじめは凄まじい悲鳴をあげたのですが、すぐに声はしなくなりました。 臓器を取り出して、色や重さなど、健康状態のものと比較し検定した後に、それも標本にしたのです。 他の班では、コレラ菌やチフス菌をスイカや麦の種子に植えつけて栽培し、 どのくらい毒性が残るかを研究していたところもあります。 菌に侵された種を敵地に撒くための研究だと聞きました。 片道分の燃料しか積まずに敵に体当りして死んだ特攻隊員は、天皇から頂く恩賜の酒を飲んで出撃しました。 731部隊のある人から、「あの酒には覚醒剤が入っており、部隊で開発したものだ」と聞きました ・・・・部隊には,入れかわり立ちかわり日本全国から医者の先生方がやってきて、 自分たちが研究したり、部隊の研究の指導をしたりしていました。 今の岩手医大の学長を勤めたこともある医者も、細菌学の研究のために部隊にきていました。 チフス、コレラ、赤痢などの研究では日本でも屈指の人物です。 私が解剖学を教わった石川太刀雄丸先生は、戦後金沢大学医学部の主任教授になった人物です。 チフス菌とかコレラ菌とかを低空を飛ぶ飛行機からばらまくのが「雨下」という実験でした。 航空班の人と、その細菌を扱うことができる者が飛行機に乗り込んで、村など人のいるところへ細菌をまきます。 その後どのような効果があったか調査に入りました。 ペスト菌は、ノミを介しているので陶器爆弾を使いました。 当初は陶器爆弾ではなく、ガラス爆弾が使われましたが、ガラスはだめでした。 ・・・・ペストに感染したネズミ1匹にノミを600グラム、だいたい3000~6000匹たからせて落とすと、 ノミが地上に散らばるというやり方です ・・・・ベトナム戦争で使った枯葉剤の主剤は、ダイオキシンです。 もちろん731部隊でもダイオキシンの基礎研究をやっていました。 アメリカは、この研究成果をもって行って使いました。 朝鮮戦争のときは石井部隊の医師達が朝鮮に行って、 この効果などを調べているのですが、このことは絶対に誰も話さないと思います。 アメリカが朝鮮で細菌兵器を使って自分の軍隊を防衛できなくなると困るので連れて行ったのです。 1940年に新京でペストが大流行したことがありました。(注:731部隊がやったと言われている) ・・・・そのとき隊長の命令で、ペストで死んで埋められていた死体を掘り出して、 肺や肝臓などを取り出して標本にし、本部に持って帰ったこともありました。 各車両部隊から使役に来ていた人たちに掘らせ、メスで死体の胸を割って 肺、肝臓、腎臓をとってシャ-レの培地に塗る、 明らかにペストにかかっているとわかる死体の臓器をまるまる持っていったこともあります。 私にとっては、これが1番いやなことでした。人の墓をあばくのですから・・・・ * 匿名 731部隊少佐 薬学専門家 1981年11月27日 毎日新聞に掲載されたインタビュ-から 昭和17年4月、731と516両部隊がソ満国境近くの都市ハイラル郊外の草原で3日間、合同実験をした。 「丸太」と呼ばれた囚人約100人が使われ、4つのトーチカに1回2,3人ずつが入れられた。 防毒マスクの将校が、液体青酸をびんに詰めた「茶びん」と呼ぶ毒ガス弾をトーチカ内に投げ、 窒息性ガスのホスゲンをボンベから放射した。 「丸太」にはあらかじめ心臓の動きや脈拍を見るため体にコードをつけ、 約50メ-トル離れた机の上に置いた心電図の計器などで、「死に至る体の変化」を記録した。 死が確認されると将校たちは、毒ガス残留を調べる試験紙を手にトーチカに近づき、死体を引きずり出した。 1回の実験で死ななかった者にはもう1回実験を繰り返し、全員を殺した。 死体はすべて近くに張ったテントの中で解剖した。 「丸太」の中に68歳の中国人の男性がいた。 この人は731部隊内でペスト菌を注射されたが、死ななかったので毒ガス実験に連れて来られた。 ホスゲンを浴びせても死なず、ある軍医が血管に空気を注射した。 すぐに死ぬと思われたが、死なないのでかなり太い注射器でさらに空気を入れた。 それでも生き続け、最後は木に首を吊って殺した。 この人の死体を解剖すると、内臓が若者のようだったので、軍医たちが驚きの声を上げたのを覚えている。 昭和17年当時、部隊の監獄に白系ロシア人の婦人5人がいた。 佐官級の陸軍技師(吉村寿人?)は箱状の冷凍装置の中に彼女等の手を突っ込ませ、 マイナス10度から同70度まで順々に温度を下げ、凍傷になっていく状況を調べた。 婦人たちの手は肉が落ち、骨が見えた。 婦人の1人は監獄内で子供を産んだが、その子もこの実験に使われた。 その後しばらくして監獄をのぞいたが、5人の婦人と子供の姿は見えなくなっていた。 死んだのだと思う。 * 山内豊紀  証言  1951年11月4日   中国档案館他編「人体実験」 われわれ研究室の小窓から、寒い冬の日に実験を受けている人がみえた。 吉村博士は6名の中国人に一定の負荷を背負わせ、一定の時間内に一定の距離を往復させ、 どんなに寒くても夏服しか着用させなかった。 みていると彼らは日ましに痩せ衰え、徐々に凍傷に冒されて、一人ひとり減っていった。 * 秦正  自筆供述書   1954年9月7日  中国档案館他編「人体実験」 私はこの文献にもとづいて第一部吉村技師をそそのかし、残酷な実験を行わせた。 1944年冬、彼は出産まもないソ連人女性愛国者に対して凍傷実験を行った。 まず手の指を水槽に浸してから、外に連れだして寒気の中にさらし、激痛から組織凍傷にまでいたらしめた。 これは凍傷病態生理学の実験で、その上で様々な温度の温水を使って「治療」を施した。 日を改めてこれをくり返し実施した結果、その指はとうとう壊死して脱落してしまった。 (このことは、冬期凍傷における手指の具体的な変化の様子を描くよう命じられた画家から聞いた) その他、ソ連人青年1名も同様の実験に使われた。 *上田弥太郎 供述書  731部隊の研究者   1953年11月11日  中国档案館他編「人体実験」 1943年4月上旬、7・8号棟で体温を測っていたとき中国人の叫び声が聞こえたので、すぐに見に行った。 すると、警備班員2名、凍傷班員3名が、氷水を入れた桶に1人の中国人の手を浸し、 一定の時間が経過してから取り出した手を、こんどは小型扇風機の風にあてていて、 被実験者は痛みで床に倒れて叫び声をあげていた。 残酷な凍傷実験を行っていたのである。 * 上田弥太郎   731部隊の研究者 中国人民抗日戦争記念館所蔵の証言 ・・・・すでに立ち上がることさえできない彼の足には、依然として重い足かせがくいこんで、 足を動かすたびにチャラチャラと鈍い鉄の触れ合う音をたてる ・・・・外では拳銃をぶら下げたものものしい警備員が監視の目をひからせており、警備司令も覗いている。 しかし誰一人としてこの断末魔の叫びを気にとめようともしない。 こうしたことは毎日の出来事であり、別に珍しいものではない。 警備員は、ただこの中にいる200名くらいの中国人が素直に殺されること、 殺されるのに反抗しないこと、よりよきモルモット代用となることを監視すればよいのだ ・・・・ここに押し込められている人々は、すでに人間として何一つ権利がない。 彼らはこの中に入れば、その名前はアラビア数字の番号とマルタという名前に変わるのだ。 私たちはマルタ何本と呼んでいる。 そのマルタOOO号、彼がいつどこからどのようにしてここに来たかはわからない。 * 篠塚良雄     731部隊少年隊   1923年生    1994年10月証言から ・・・・1939年4月1日、「陸軍軍医学校防疫研究室に集まれ」という指示を受けました ・・・・5月12日中国の平房に転属になりました ・・・・731部隊本部に着いて、まず目に入ったのは 「関東軍司令官の許可なき者は何人といえども立入りを禁ず」と書かれた立て看板でした。 建物の回りには壕が掘られ鉄条網が張り巡らされていました。 「夜になると高圧電流が流されるから気をつけろ」という注意が与えられました ・・・・当時私は16歳でした。 私たちに教育が開始されました・・・・ 「ここは特別軍事地域に指定されており、日本軍の飛行機であってもこの上空を飛ぶことはできない。 見るな、聞くな、言うな、これが部隊の鉄則だ」というようなことも言われました。・・・・ 「防疫給水部は第1線部隊に跟随し、主として浄水を補給し直接戦力の保持増進を量り、 併せて防疫防毒を実施するを任務とする」と強調されました ・・・・石井式衛生濾水機は甲乙丙丁と車載用、駄載用、携帯用と分類されていました ・・・・濾過管は硅藻土と澱粉を混ぜて焼いたもので“ミクロコックス”と言われていました ・・・・細菌の中で1番小さいものも通さないほど性能がいいと聞きました ・・・・私は最初は動物を殺すことさえ直視できませんでした。 ウサギなどの動物に硝酸ストリキニ-ネとか青酸カリなどの毒物を注射して痙攣するのを直視させられました。 「目をつぶるな!」と言われ、もし目をつぶれば鞭が飛んでくるのです ・・・・私に命じられたのは、細菌を培養するときに使う菌株、 通称“スタム”を研究室に取りに行き運搬する仕事でした。 江島班では赤痢菌、田部井班ではチフス菌、瀬戸川班ではコレラ菌と言うように それぞれ専門の細菌研究が進められていました ・・・・生産する場所はロ号棟の1階にありました。 大型の高圧滅菌機器が20基ありました ・・・・1回に1トンの培地を溶解する溶解釜が4基ありました ・・・・細菌の大量生産で使われていたのが石井式培養缶です。 この培養缶1つで何10グラムという細菌を作ることができました。 ノモンハンのときには1日300缶を培養したことは間違いありません ・・・・ここの設備をフル稼働させますと、1日1000缶の石井式培養缶を操作する事が出来ました。 1缶何10グラムですから膨大な細菌を作ることができたわけです ・・・・1940年にはノミの増殖に動員されました ・・・・ペストの感受性の一番強い動物はネズミと人間のようです。 ペストが流行するときにはその前に必ず多くのネズミが死ぬと言うことでした。 まずネズミにペスト菌を注射して感染させる。 これにノミをたからせて低空飛行の飛行機から落とす。 そうするとネズミは死にますが、 ノミは体温の冷えた動物からはすぐに離れる習性を持っているので、今度は人間につく。 おそらくこういう形で流行させたのであろうと思います ・・・・柄沢班でも、生体実験、生体解剖を毒力試験の名のもとに行ないました ・・・・私は5名の方を殺害いたしました。 5名の方々に対してそれぞれの方法でペストのワクチンを注射し、 あるいはワクチンを注射しないで、それぞれの反応を見ました。 ワ��チンを注射しない方が1番早く発病しました。 その方はインテリ風で頭脳明晰といった感じの方でした。 睨みつけられると目を伏せる以外に方法がありませんでした。 ペストの進行にしたがって、真黒な顔、体になっていきました。 まだ息はありましたが、特別班の班員によって裸のまま解剖室に運ばれました ・・・・2ケ月足らずの間に5名の方を殺害しました。 特別班の班員はこの殺害したひとたちを、灰も残らないように焼却炉で焼いたわけであります。     注:ノモンハン事件 1939年5月11日、満州国とモンゴルの国境付近のノモンハンで、日本側はソ連軍に攻撃を仕掛けた。 ハルハ河事件とも言う。 4ケ月続いたこの戦いは圧倒的な戦力のソ連軍に日本軍は歯が立たず、 約17,000人の死者を出した。 ヒットラ-のポーランド侵攻で停戦となった。 あまりにみっともない負け方に日本軍部は長い間ノモンハン事件を秘密にしていた。 731部隊は秘密で参加し、ハルハ河、ホルステイン河に赤痢菌、腸チフス菌、パラチフス菌を流した。 参加者は、隊長碇常重軍医少佐、草味正夫薬剤少佐、作山元治軍医大尉、 瀬戸尚二軍医大尉、清水富士夫軍医大尉、その他合計22名だった。 (注:ハバロフスクの裁判記録に証言があります) * 鶴田兼敏  731部隊少年隊  1921年生 1994年731部隊展の報告書から 入隊は1938年11月13日でしたが、まだそのときは平房の部隊建物は建設中でした ・・・・下を見ますと“マルタ”が収容されている監獄の7、8棟の中庭に、 麻袋をかぶった3~4人の人が輪になって歩いているのです。 不思議に思い、班長に「あれは何だ?」と聞いたら、「“マルタ”だ」と言います。 しかし私には“マルタ”という意味がわかりません。 するとマルタとは死刑囚だと言うんです。 軍の部隊になぜ死刑囚がいるのかと疑問に思いましたが、 「今見たことはみんな忘れてしまえ!」と言われました・・・・ 基礎教育の後私が入ったのは昆虫班でした。 そこでは蚊、ノミ、ハエなどあらゆる昆虫、害虫を飼育していました。 ノミを飼うためには、18リットル入りのブリキの缶の中に、半分ぐらいまでおが屑を入れ、 その中にノミの餌にするおとなしい白ネズミを籠の中に入れて固定するんです。 そうするとたいてい3日目の朝には、ノミに血を吸い尽くされてネズミは死んでいます。 死んだらまた新しいネズミに取りかえるのです。 一定の期間が過ぎると、缶の中のノミを集めます。 ノミの採取は月に1,2度行なっていました ・・・・ノモンハン事件の時、夜中に突然集合がかかったのです ・・・・ホルステイン川のほとりへ連れていかれたのです。 「今からある容器を下ろすから、蓋を開けて河の中に流せ」と命令されました。 私たちは言われたままに作業をしました ・・・・基地に帰ってくると、石炭酸水という消毒液を頭から足の先までかけられました。 「何かやばいことをやったのかなあ。いったい、何を流したのだろうか」という疑問を持ちました ・・・・後で一緒に作業した内務班長だった衛生軍曹はチフスで死んだことを聞き、 あの時河に流したのはチフス菌だったとわかったわけです ・・・・いまだに頭に残っているものがあります。 部隊本部の2階に標本室があったのですが、 その部屋でペストで殺された“マルタ”の生首がホルマリンの瓶の中に浮いているのを見たことです。 中国人の男性でした。 また1,2歳の幼児が天然痘で殺されて、丸ごとホルマリンの中に浮いているのも見ました。 それもやはり中国人でした。 今もそれが目に焼きついて離れません。 * 小笠原 明  731部隊少年隊 1928年生れ  1993~94年の証言から ・・・・部隊本部棟2階の部隊長室近くの標本室の掃除を命じられました ・・・・ドアを開けたところに、生首の標本がありました。 それを見た瞬間、胸がつまって吐き気を催すような気持になって目をつぶりました。 標本室の中の生首は「ロスケ(ロシア人)」の首だと思いました。 すぐ横の方に破傷風の細菌によって死んだ人の標本がありました。 全身が標本となっていました。 またその横にはガス壊疽の標本があり、太ももから下を切り落としてありました。 これはもう生首以上にむごたらしい、表現できないほどすごい標本でした。 拭き掃除をして奥の方に行けば、こんどは消化器系統の病気の赤痢、腸チフス、コレラといったもので 死んだ人を病理解剖した標本がたくさん並べてありました ・・・・田中大尉の部屋には病歴表というカードがおいてあって、人体図が描いてあって、 どこにペストノミがついてどのようになったか詳しく記録されていました。 人名も書いてありました。 このカードはだいたい5日から10日以内で名前が変ります。 田中班ではペストの人体実験をして数日で死んだからです ・・・・田中班と本部の研究室の間には人体焼却炉があって毎日黒い煙が出ておりました ・・・・私は人の血、つまり“マルタ”の血を毎日2000から3000CC受取ってノミを育てる研究をしました ・・・・陶器製の爆弾に細菌やノミやネズミを詰込んで投下実験を何回も行ないました ・・・・8月9日のソ連の参戦で証拠隠滅のためにマルタは全員毒ガスで殺しました。 10日位には殺したマルタを中庭に掘った穴にどんどん積み重ねて焼きました。 * 千田英男 1917年生れ  731部隊教育隊  1974年証言 ・・・・「今日のマルタは何番・・・・何番・・・・何番・・・・以上10本頼む」 ここでは生体実験に供される人たちを”丸太”と称し、一連番号が付けられていた ・・・・中庭の中央に2階建ての丸太の収容棟がある。 4周は3層の鉄筋コンクリ-ト造りの建物に囲まれていて、そこには2階まで窓がなく、よじ登ることもはい上がることもできない。 つまり逃亡を防ぐ構造である。通称7,8棟と称していた・・・・ *石橋直方      研究助手 私は栄養失調の実験を見ました。 これは吉村技師の研究班がやっていたんだと思います。 この実験の目的は、人間が水と乾パンだけでどれだけ生きられるかを調べることだったろうと思われます。 これには2人のマルタが使われていました。 彼らは部隊の決められたコ-スを、20キログラム程度の砂袋を背負わされて絶えず歩き回っていました。 1人は先に倒れて、2人とも結局死にました。 食べるものは軍隊で支給される乾パンだけ、飲むのは水だけでしたからね、 そんなに長いこと生きられるはずがありません。 *越定男    第731部隊第3部本部付運搬班 1993年10月10日、山口俊明氏のインタビュ- -東条首相も視察に来た 本部に隣接していた専用飛行場には、友軍機と言えども着陸を許されず、 東京からの客は新京(長春)の飛行場から平房までは列車でした。 しかし東条らの飛行機は専用飛行場に降りましたのでよく覚えています。 -マルタの輸送について ・・・・最初は第3部長の送り迎え、、郵便物の輸送、通学バスの運転などでしたが、 間もなく隊長車の運転、マルタを運ぶ特別車の運転をするようになりました。 マルタは、ハルピンの憲兵隊本部、特務機関、ハルピン駅ホ-ムの端にあった憲兵隊詰所、 それに領事館の4ケ所で受領し4.5トンのアメリカ製ダッジ・ブラザ-スに積んで運びました。 日本領事館の地下室に手錠をかけたマルタを何人もブチ込んでいたんですからね。 最初は驚きましたよ。マルタは特別班が管理し、本部のロ号棟に収容していました。 ここで彼らは鉄製の足かせをはめられ、手錠は外せるようになっていたものの、 足かせはリベットを潰されてしまい、死ぬまで外せなかった。 いや死んでからも外されることはなかったんです。 足かせのリベットを潰された時のマルタの心境を思うと、やりきれません。 -ブリキ製の詰襟 私はそんなマルタを度々、平房から約260キロ離れた安達の牢獄や人体実験場へ運びました。 安達人体実験場ではマルタを十字の木にしばりつけ、 彼らの頭上に、超低空の飛行機からペスト菌やコレラ菌を何度も何度も散布したのです。 マルタに効率よく細菌を吸い込ませるため、マルタの首にブリキで作った詰襟を巻き、 頭を下げるとブリキが首に食い込む仕掛けになっていましたから、 マルタは頭を上に向けて呼吸せざるを得なかったのです。 むごい実験でした。 -頻繁に行われた毒ガス実験 731部隊で最も多く行われた実験は毒ガス実験だったと思います。 実験場は専用飛行場のはずれにあり、四方を高い塀で囲まれていました。 その中に外から視察できるようにしたガラス壁のチャンバ-があり、 観察器材が台車に乗せられてチャンバ-の中に送り込まれました。 使用された毒ガスはイペリットや青酸ガス、一酸化炭素ガスなど様々でした。 マルタが送り込まれ、毒ガスが噴射されると、 10人ぐらいの観察員がドイツ製の映写機を回したり、ライカで撮影したり、 時間を計ったり、記録をとったりしていました。 マルタの表情は刻々と変わり、泡を噴き出したり、喀血する者もいましたが、 観察員は冷静にそれぞれの仕事をこなしていました。 私はこの実験室へマルタを運び、私が実験に立ち会った回数だけでも年間百回ぐらいありましたから、 毒ガス実験は頻繁に行われていたとみて間違いないでしょう。 -逃げまどうマルタを あれは昭和19年のはじめ、凍土に雪が薄く積もっていた頃、ペスト弾をマルタに撃ち込む実験の日でした。 この実験は囚人40人を円状に並べ、円の中央からペスト菌の詰まった細菌弾を撃ち込み、 感染具合をみるものですが、私たちはそこから約3キロ離れた所から双眼鏡をのぞいて、 爆発の瞬間を待っていました。その時でした。 1人のマルタが繩をほどき、マルタ全員を助け、彼らは一斉に逃げ出したのです。 驚いた憲兵が私のところへ素っ飛んで来て、「車で潰せ」と叫びました。 私は無我夢中で車を飛ばし、マルタを追いかけ、 足かせを引きずりながら逃げまどうマルタを1人ひとり潰しました。 豚は車でひいてもなかなか死にませんが、人間は案外もろく、直ぐに死にました。 残忍な行為でしたが、その時の私は1人でも逃がすと中国やソ連に731部隊のことがバレてしまって、 我々が殺される、という思いだけしかありませんでした。 -囚人は全員殺された 731部隊の上層部は日本軍の敗戦をいち早く察知していたようで、敗戦数ヶ月前に脱走した憲兵もいました。 戦局はいよいよ破局を迎え、ソ連軍が押し寄せてきているとの情報が伝わる中、 石井隊長は8月11日、隊員に最後の演説を行い、 「731の秘密は墓場まで持っていけ。 機密を漏らした者がいれば、この石井が最後まで追いかける」と脅迫し、部隊は撤収作業に入りました。 撤収作業で緊急を要したのはマルタの処理でした。 大半は毒ガスで殺されたようですが、1人残らず殺されました。 私たちは死体の処理を命じられ、死体に薪と重油かけて燃やし、骨はカマスに入れました。 私はそのカマスをスンガリ(松花江)に運んで捨てました。 被害者は全員死んで証言はありませんが、部隊で働いていた中国人の証言があります。 *傳景奇  ハルピン市香坊区     1952年11月15日 証言 私は今年33歳です。 19歳から労工として「第731部隊」で働きました。 班長が石井三郎という石井班で、ネズミ籠の世話とか他の雑用を8・15までやっていました。 私が見た日本人の罪悪事実は以下の数件あります。 1 19歳で工場に着いたばかりの時は秋で「ロ号棟」の中で   いくつかの器械が血をかき混ぜているのを見ました。   当時私は若く中に入って仕事をやらされました。日本人が目の前にいなかったのでこっそり見ました。 2 19歳の春、第一倉庫で薬箱を並べていたとき不注意から箱がひっくりかえって壊れました。   煙が一筋立ち上がり、我々年少者は煙に巻かれ気が遠くなり、   涙も流れ、くしゃみで息も出来ませんでした。 3 21歳の年、日本人がロバ4頭を程子溝の棒杭に繋ぐと、 しばらくして飛行機からビ-ル壜のような物が4本落ちてきた。 壜は黒煙をはき、4頭のロバのうち3頭を殺してしまったのを見ました。 4 22歳の時のある日、日本人が昼飯を食べに帰ったとき、 私は第一倉庫に入り西側の部屋に死体がならべてあるのを見ました。 5 康徳11年(1944年)陰暦9月錦州から来た1200人以上の労工が 工藤の命令で日本人の兵隊に冷水をかけられ、半分以上が凍死しました。 6 工場内で仕事をしているとき動物の血を採っているのを見たし、私も何回か採られました *関成貴  ハルピン市香坊区  1952年11月4日 証言 私は三家子に住んで40年以上になります。 満州国康徳3年(1936年)から第731部隊で御者をして��金をもらい生活を支えていました。 康徳5年から私は「ロ号棟」後ろの「16棟」房舎で 日本人が馬、ラクダ、ロバ、兎、ネズミ(畑栗鼠とシロネズミ)、モルモット、 それにサル等の動物の血を注射器で採って、 何に使うのかわかりませんでしたが、 その血を「ロ号棟」の中に運んでいくのを毎日見るようになりました。 その後康徳5年6月のある日私が煉瓦を馬車に載せて「ロ号棟」入り口でおろし、 ちょうど数を勘定していると銃剣を持った日本兵が何名か現れ、 馬車で煉瓦を運んでいた中国人を土壁の外に押し出した。 しかし私は間に合わなかったので煉瓦の山の隙間に隠れていると しばらくして幌をつけた大型の自動車が10台やってきて建物の入り口に停まりました。 この時私はこっそり見たのですが、日本人は「ロ号棟」の中から毛布で体をくるみ、 足だけが見えている人間を担架に乗せて車に運びました。 1台10人くらい積み込める車に10台とも全部積み終わり、 自動車が走り去ってから私たちはやっと外に出られました。 ほかに「ロ号棟」の大煙突から煙が吹き出る前には中国人をいつも外に出しました。 *羅壽山  証言日不明 ある日私は日本兵が通りから3人の商人をひっぱってきて 半死半生の目にあわせたのをどうすることもできず見ていました。 彼等は2人を「ロ号棟」の中に連れて行き、残った1人を軍用犬の小屋に放り込みました。 猛犬が生きた人間を食い殺すのを見ているしかなかったのです。
生体実験の証言 | おしえて!ゲンさん! ~分かると楽しい、分かると恐い~ http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_h/5899/
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kurihara-yumeko · 7 years ago
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【小説】咲かない
 幼い頃から「幽霊みたい」とよく言われていた。
 入退院を繰り返してばかりの俺の身体はポンコツで、顔色が悪く痩せ細っている姿は、自分でも幽霊じみていると思った。
 成人するまで生きることはできないだろうと医者に言われて育った俺は、二十七歳になった今もこうして生き延びている。奇跡的になかったことになった余命宣告のことを、両親はひどく喜んでいたけれど、俺の身体は健康体と呼ぶには未だほど遠い。学校を休みがちなのは今だって相変わらずで、勉強についていけず周囲よりも一年、二年遅れることにももう慣れた。
 だから余計に思うのだ。まるで亡霊みたいだ、と。
 今まで、一体いくつの春を見送ってきたのだろう。肩を並べて入学したはずの同輩が俺を残して進級し、あっという間に大学を去って行ったのをただ見送ったのは、確か三年も前だ。後輩の門出だって祝福した。出て行った人間たちと同じ数だけ、新しく入ってくる人間たちも見てきた。
 俺はいつまでここにいるのだろう。この場所に縛り付けられているかのように、季節が過ぎて行くのを眺めているだけ。卒業できず大学に残り続ける俺は、まるで地縛霊だ。
「卒業おめでとうございます」
 俺に向けられたものではない言葉。後輩たちにそう声をかけられて、どこか照れたように笑う彼ら。彼らもまた、俺からしたら後輩に変わりない。
 俺の所属するサークルでは毎年、卒業式を終えた卒業生を講堂の前で待ち構え、後輩たちが祝福する。桜並木を前に、晴れ着姿で笑い合う後輩たちを、今年も卒業しない俺は、少し離れたところから煙草片手に見つめていた。
「丸谷先輩」
 人の輪の中から、頭ひとつ分背の高いやつが抜け出して、俺の方にやって来た。
 がっしりとした身体は、柔道をやっている人間なんだと聞けば、なるほど無駄にでかい図体をしている訳ではないんだな、と頷けるが、それを知らなければただの独活の大木にしか思えない。短く刈り上げた髪と無骨な表情、鋭い目つき。他人を寄せ付けない雰囲気を常に纏うこの男も、今や大勢となってしまった俺の後輩のひとり。こいつも今日、大学を卒業してうちのサークルを出て行く。
「卒業おめっとさん、鷹谷」
「ありがとうございます。先輩、ここ、禁煙ですよ」
 後輩――鷹谷篤は訝しげにそう言ったが、俺はそれを無視して煙を吐いた。煙草くらい吸わせてほしい。後輩の門出を祝福して、ただでさえ肩身が狭い思いをしているというのに、手持無沙汰だなんて空しいだけだ。
「来年は、俺も卒業するから」
「先輩、それ、毎年言ってますね」
 鷹谷は俺の冗談ににこりとも笑わない。無粋な野郎だ、面白くない。
「まさか、俺が四年生の時に入学してきた一年生が、もう卒業していくなんてな」
「俺も、一年生の頃からお世話になってきた丸谷先輩が俺たちの卒業まで見守って下さるとは思いませんでした」
 今のは嫌味か、それとも笑わせようとしているのか。背の高い後輩の表情を見上げて窺ってみたが、相変わらずの無表情で、何を考えているのかはさっぱりわからない。
「先輩の卒業式には、俺、必ず行きますから」
「そうだな、後輩には見送ってもらうもんだ」
 そんな下らない話をしながら、俺は考えていた。俺はこの四年間、一体ここで何をしていたのだろう。入学してきた後輩たちがそれぞれの進路を決めて学び舎を去っていくまでの、この四年間に。
「わー」という声が聞こえたので目を向けると、人の輪の中からまたひとり、頭ひとつ分出っ張ったやつがこちらへ向かって来るところだった。
 そいつも、今日卒業した俺の後輩だ。多くの女子学生が色鮮やかな袴姿の中、その女はグレーのパンツスーツを着用していた。華やかさに欠ける服装だが、その分、引き締まった腰と長い脚がよく映えている。
「丸谷先輩、いらしてたんですか」
「お前らが卒業する年だけ、式に顔出さない訳にもいかねぇだろ。魚原も、卒業おめっとさん」
「ありがとうございます」
 女はきっちり四十五度の一礼をした。その姿勢の良さに、思わずこちらの背筋まで伸びそうだ。
 この女は女性にしては背が高く、色気も洒落気もない容姿をしているが、決して醜い女ではない。むしろ、短い髪と精悍な顔つきには洗練された清潔感がある。
 魚原美茂咲という風変わりな名前のこの女も、鷹谷同様に武道をたしなんでいる。しかも、ミモザなんて名前の割に結構な腕前だというのだから、侮れない。この二人が並んでいるのを見ていると、このサークルは武闘派だったのかと錯覚しそうになる。
 うちのサークルは「文化部」だ。名前だけでは何をする団体なのか判別つかないこのサークルは、特に何をするサークルでもない。目的も活動内容も存在しない。ただ日々をだらだらと過ごす、それだけが活動だ。いや、それだけでは活動とさえ呼べない。そんな集団なのだ、俺たちは。
 この二人の後輩は、そんなうちのサークルでは���いていた。良くも悪くも、こいつらは異色だ。他のやつらと違ってだらしのないところがないし、妙に着飾ることもしない。そして二人は、毛色の違う者同士、仲がいい。
「お前らは相変わらずだな」
「そうでしょうか」
 お互いに寄り添うようにぴったり並んで立っている二人を見て、俺がからかい半分にそう言うと、鷹谷は、何を言われているのかわからない、といった口調だった。
「いい加減、お前たちは付き合ったらどうなんだよ」
「うーん、でも、鷹谷はそういうのじゃないっていうか……」
「魚原は、よき友人です」
 二人は表情ひとつ変えずにそう返してくる。
 この二人は、一年生の頃から親しかった。交際しているのではないかという噂が、サークル仲間内で立ったこともあった。だがいくらはやし立てても肝心の二人が一向に気に留めないものだから、周りの方が先に冷めてしまったのだ。
「お前らは、春からはどうするんだ?」
「俺は故郷へ戻ります」
「私は、東京です」
「東京?」
 訊き返すと魚原は頷いた。その表情は、どこか嬉しそうに見える。
「そうか……東京か。頑張れよ」
「はい、ありがとうございます」
 魚原はまた、四十五度に腰を折って一礼する。
 離れたところで集まっている後輩の女子たちが、ミモザせんぱーい、と魚原のことを呼んだ。彼女は、そちらに「はーい」と返事をしてから、俺の方へと向き直り、それじゃあ失礼します、と礼儀正しく頭を下げて、人の輪の方へと小走りで駆けて行く。
 その後ろ姿を見送りながら、俺は鷹谷の横へ移動してそいつの脇腹をつついた。
「いいのかよ」
「何がですか」
 鷹谷はぴくりとも動じない。
「魚原、東京にいっちまうんだろ」
「そうですね」
「簡単に会えなくなるんじゃねぇの」
「はい」
「……それでなんとも思わないのかよ」
「なんとも思わないこともないですが」
 鷹谷はそこで、何か言おうと口を開き、だがそれからしばらく何も言わなかった。やがて、少しばかりためらうように口にした。
「会えなくなったからといって、なんにもなくなってしまう訳では、ないですから」
「……はぁ」
「もう二度と会えなくなる訳でもありませんし」
「まぁ、そりゃそうだけど――」
「魚原にも、」
 鷹谷の瞳が、俺が吐き出した煙の向こうで、貫くように俺を見ていた。
「――丸谷先輩にも」
 一瞬、呆気に取られた。
 俺? 俺にも?
 人の輪から鷹谷を呼ぶ声が聞こえてくる。それじゃあまた、と頭を下げて、後輩は踵を返して歩いて行った。
 俺はしばらくの間、そこにただ呆然と立ち尽くし、去って行く後輩の背中を見送っていた。
 人が集まっている中から、ひとりの女子が飛び出すように鷹谷のところへと駆けて来る。背の高い鷹谷の顔を見上げて、何かを一生懸命に伝えようとしているようだ。その頬は緊張しているのか赤く染まり、だがどこか、嬉しくてたまらないというような表情にも見える。
 そんな女子に向き合う鷹谷は、相変わらずの仏頂面であったが、ほんの少し、いつもより穏やかな表情をしているようにも見える。あの堅物の鷹谷にも、そんな風に接する相手がいたのか。
 俺はふと我に返ってから、吸いかけの煙草を口に咥えたまま、後輩たちとは反対の方向に歩き出すことにした。
 卒業式の後、卒業生たちはそれぞれが所属する��科や研究室での集まりがあるので、サークルで集まるのはこの時間が最後だ。親しい後輩の顔を見ることもできたし、祝福の言葉もかけてやった。もうこれでいいだろう。
 俺の次の行き先は決まっていた。大学敷地内の隅に設置されている喫煙所だ。
 入学した頃、大学内のあちこちに用意されていた灰皿は、今ではほんの数ヶ所にしか残されていない。年々、嫌煙の気が高まり撤去されていくのだ。敷地内全面禁煙となる日も近いだろう。それまで俺がこの大学に在籍しているかは、ともかくとして。
 講堂から最も近いその喫煙所は、学務棟の裏手にある。喫煙所と言っても、ペンキがほとんど剥げているベンチと、強風の日には転倒する一本足の灰皿スタンドが立っているだけのスペースだ。
 学生たちがよく利用する講義棟や実験棟から離れていることや、屋根がなく雨風や暑さ寒さをしのげないことから、日頃からここの喫煙所を利用している喫煙者はそういない。せいぜい、大学職員の連中くらいだ。だからここはいつでも空いている。誰もいなくて心地がいい。そういう理由で、俺はこの場所を愛用していた。
 人がいないというのは好都合だ。同期が大学を卒業していった三年前から、大学にいるとどうも肩身が狭いような気がしている。一年留年したくらいどうってことないと当時は思っていたが、それも大学在籍八年目をもうすぐ迎えようとしている今では、いよいよそうも言えなくなってきた。
 腰を降ろすとベンチは軋んだ音を立てた。俺はすっかり短くなっていた煙草を灰皿で揉み消し、コートのポケットから煙草の箱とライターを取り出す。煙草を一本咥え、火を点けようと軽く息を吸い込んだ時、春の陽気が鼻先をくすぐるのを感じた。菜の花のにおいがする。辺りに咲いている姿は見えないが、どこかで咲いているのだろう。今日は天気も良く、温かい気候だ。卒業式にはちょうど良い。
 だがそれでも、俺が吐く息は震えていた。もう何日、熱が下がっていないのだろう。身体は重くけだるく、頭の奥がしびれるように痛む。
 煙草を吸いながら煙の動線に目をやっていると、ふと、頭上の枝が気になった。
 俺が座るベンチの側には、一本の桜の木が生えている。花は六分咲きというところだろうか。講堂の側の桜はほとんど満開だったような気がするが、学務棟で日射しを遮られた薄暗いこの場所では、開花が遅れているのかもしれない。根元もほとんどがアスファルトで固められており、木にとっては居心地が悪いだろう。
 頭上の枝、たくさんの花や蕾をつけているその枝の中、一本だけ、一輪の花もなければ蕾さえもない枝がある。それを見上げて思う。ああ今年も、この枝だけは咲かなかった。
 俺が初めてこの枝を見つけたのは、自身の入学式の時だった。花が咲いていない枝があることを「あいつ」が指摘して、俺は今と同じようにここで煙草を吸いながら空を仰いだのだ。枝は枯れているのだろうか。あれからほとんど毎年のようにここで見上げているけれど、この枝が花をつけているのを見たことは一度もない。
 あいつと初めて会ったのは、この場所だった。
 退屈な入学式を途中で抜け出し、ここで煙草を吸っていると、俺と同じようにやつはやって来た。やつはどこか、人間離れしている印象があった。二メートル近い長身で、手足がやたら長く、色白で細身な体格だった。飄々とした表情で現れると、そいつはさも当たり前のように俺の隣、同じベンチの上に腰を降ろして煙草を吸い始めたのだ。
「あの一本だけ、桜、咲いてないね」
 お互いスーツ姿だったから、新入生なんだろうということはすぐにわかった。
「きみも新入生でしょ? いいの? 煙草なんて吸ってて」
 煙を吐きながらそいつはそう言った。俺は鼻で笑った。
「俺はもう二十歳だよ。未成年のなのはお前の方だろ」
 俺の声はひどくしゃがれて掠れていた。そいつは驚いたような顔をして俺を見て、それから、
「そうかぁ、年上だったかぁ」
 と、どこか楽しそうに笑った。悪戯っ子のような笑顔には、つい数ヶ月前まで高校生であったその面影が見てとれる。俺が高校生だったのは、その時既に二年も前のことになっていた。
 そいつは悪びれている様子もなく、煙草を吸い続けていた。そう言う俺自身、未成年の頃から喫煙の習慣があるので他人を咎める気はない。だいたい、俺が二十歳になったのだって、つい四日前のことだ。
 俺もそいつも、慣れているなというのが一目でわかる煙草の吸い方をしていた。同類だということは、一瞬でわかった。
「学部は?」
 そう尋ねられた。
「工学部」
「そうなんだ。俺は文理学部」
 その学部は、うちの大学で入試時の偏差値が最も低い学部だった。選考時の試験内容が異なるので単純な比較はできないが、俺が在籍する学部とは十五近く偏差値が離れているとされていた。こいつはたいしたことないやつだな。そんな考えが俺の脳裏を掠める。
 やつはその後、自身が所属するやたら長い学科の名を口にしたが、今ではそれがなんていう名前の学科だったのか、もう思い出せない。あれから七年が経とうとしている現在、やつが当時在籍していた学科は、他学科と統合され名称が変更されている。今はもうないのだ。ただ、その名称からだけでは一体どんな研究をする学問分野なのか、よくわからないという印象があった。
 その学科の印象のように、やつには得体の知れないところがあった。掴みどころがない。ただ妙に、憎めないやつだという印象もあった。悪いやつではなさそうなのだ。
「大学の入学式って退屈だね。あれなら出なくてもよかったよ」
「全くだ」
 やつの言うことに俺は同意だった。大勢の人間が一箇所に集められているというだけで、特に面白いことは何もない。おまけに襟元のネクタイが締めつけてきて窮屈で耐えられない。ああいった式典は慣れないし好きにもなれそうにない。出なくて済むのなら出ない。その考えは今だって変わらないが、当時はもう少し、世の中に対して斜に構えていたいという願望も混ざっていたような気がする。要するに俺は、若かったのだ。今から八年も前の話になる。
「どうして人間って、ああいう式典が好きなんだろう。式の中で行われていることは、ほとんど無意味なのにね」
 やつは一本目の煙草を吸い終わり、二本目の煙草を取り出しながらそう言った。そのひしゃげたオレンジ色のパッケージには見覚えがあったが、自分がそいつと同じ十八歳の時に、そんな銘柄の煙草を吸っているやつは周りにはいなかった。それは年寄りが吸う煙草だと思っていた。
 やつは続けて言った。
「人がたくさん集まる場所はどうも苦手だな。ここではない、と思うんだ。自分がいるべきなのはここではないんじゃないか、自分はこの人たちの一員ではないのではないか、って」
 言葉と同時に吐き出されていく煙が、空中に霧散して見えなくなっていく。その過程を俺は横目で追いつつ黙っていた。何を語ってるんだ、こいつは。その時は、それくらいに思っていたかもしれない。
 俺はやつの言葉には何も返さず、もう吸い終わった煙草を灰皿の中へ捨て、立ち上がった。もう一度、講堂に戻って入学式を覗いて来ようと思ったのだ。このままこの場所でこいつと時間を潰すことになるのもなんだか嫌だった。
「ねぇ、」
 座ったままのやつが俺を見上げてくる。
「工学部のお兄さん、名前はなんていうの?」
 そう言ったやつの、あの目が忘れられない。思わず引き込まれそうな瞳の中で、何かがきらりと光っているように見えた。それは明らかに、俺を興味の対象として捉えている目だった。
「丸谷文吾」
「丸谷さん」
「敬称はいらない」
「年上なのに?」
「同期だろ」
 俺がそう言うと、そいつはにっこりと笑った。右手に持っていた煙草を左手に持ち替えて、やつは空いたその手を俺に差し出してくる。
「俺は郡田三四郎。よろしく、丸谷」
 それが、最初だった。
 郡田とはその後も度々、喫煙所で顔を合わせ、話をするようになった。俺のしゃがれた声は聞き取りにくかっただろうが、それでもやつは話しかけてきた。学務棟の裏にあるその喫煙所に足を運ぶ時、俺はたいていひとりで煙草を吸っていて、やつもいつもひとりでやって来た。
「丸谷は成人しているんだろう? 酒は飲むの?」
「飲めない」
「弱いんだ」
「違う。服用している薬の影響で、アルコールが摂取できないんだ」
 俺がそう言うと、郡田は不思議そうな顔をした。それからほんのしばらくの間、何かを考えているようだったが、やがて煙草を口から離して煙を吐き出しながら、俺の口に同じように咥えられているそれを指差した。
「酒は駄目だけど、煙草はいいの?」
「いい訳ねぇだろ」
 そう答えると、やつは目を丸くして、それから噴き出すように笑った。俺も一緒に笑った。
 俺の病気について郡田に話したのは、それが最初で最後だった。やつはそれ以降の四年間、一度も俺の体調や病状について触れてきたことはない。やつは察しがよかった。俺が病気の話をしたくないことを、ちゃんと感じ取っていたのだ。
「俺の名前さ、変わってるでしょ」
 やつは唐突にそう切り出した。
「郡田三四郎。三四郎、か。親が夏目漱石のファンなのか?」
「違うよ」
 俺は自分のジョークに笑っていたが、その時あいつは笑わなかった。
「俺は三人兄弟の三番目で、兄貴が二人いるんだけど、本当は四番目なんだ」
「上にもうひとり、兄貴がいたってことか」
「そう。もうひとりいた。俺たちは双子だったんだ」
 その双子の兄は、生まれてすぐに亡くなった。だからやつは、本来は四番目だったにも関わらず、三番目の子供として育てられた。やつの名前、「三四郎」という名は、そのことを示しているのだという。思った以上にヘビーな由来の名前だった。
「そのせいなのかな。子供の頃から、なんだか妙なんだ」
「妙って?」
「ここが――」
 郡田は左手を自分の胸に当てて言った。
「――なんだか空っぽな気がするんだ。俺には何かが足りていない。決定的に何かが間違っている。そんな気がしているんだ。何をしていても、誰といても」
 俺は思わず笑いそうになったが、当の本人があまりにも大真面目にそう語るものだから、なんだか悪いような気がして笑えなかった。
 生まれてすぐに失った双子の片割れ。三番目の子供であり、四番目でもあることを示すその名前。
 俺はその時、あいつが深刻に思い悩んでいるとは思いもしなかった。恐らくは、俺の病気の話を聞いてしまったことで、何か自分のことを打ち明けようと思ったのだろう。本当は誰にも語りたくないことを、あえて俺に話したのだ。それが公平だと、あいつは思ったに違いない。俺はやつの言葉をそんな風に解釈したし、実際、あいつはそういうやつだった。
 その後は、いつも通りだった。他愛のない会話をして、煙草を吸い終わると別れた。その後もしばらく、いつもと変わらない日々を過ごした。俺にも郡田にも、特に問題はなかったような気がする。
 大学生活も順調だった。新しい生活に慣れるには少し時間がかかったが、お互い毎日を楽しんでいたように思う。二人揃って一限目の講義に盛大に遅刻した日には、喫煙所でだらだら煙草を吸って講義が終わるのを待ちながら、お互いを馬鹿にし合ったものだ。
 だが俺はその後、郡田が発した言葉の意味を、あいつは決定的に何かが欠落してしまっているのだということを、理解することになる。
「俺さ、自分のサークルを立ち上げようと思うんだけど」
 あいつがそう言ってきたのは、大学一年の夏休みが始まる前のことだったと思う。梅雨明けしたばかりの、空気がまだ湿気を帯びて熱のこもっている頃だった。空調の効いた教室を出て、学��棟の裏へと足を運ぶとその熱気に嫌気が差した。
 俺は煙草をメンソールのものに変えていた。郡田は相変わらず、オレンジ色のパッケージの古臭い煙草を吸っていた。
「サークル? なんのサークルだよ?」
 喫煙サークルか? なんて冗談をその時俺は口にしたが、やつはそれにも笑わなかった。
「活動内容自体はなんでもいいんだ。なんかそれらしい名前で、ちょっとよくわかんない活動をしている感じが出れば」
「お前の学科みたいにか?」
 これにはやつも少しばかり笑った。俺はいまいちやつの意図が掴み切れず、さらに尋ねた。
「そんなサークルを作ってどうするつもりだよ。やりたいこともないのに、サークルを作るのか?」
「どのサークルに入っていないような人が、ここなら入ってもいいかなって思えるような、そういうサークルがほしいんだ」
 当時、俺も郡田もどこのサークルにも所属していなかった。俺の所属していた学部でサークルに所属している学生はだいたい半数くらいだったが、やつの所属していた学部ではなんのサークル活動にも所属していない学生は、恐らく少数派だったはずだ。
 俺は最初からサークルなんかに所属する気はなかった。興味のあることもなかったし、一緒につるむ仲間が必要だとも思わなかった。いつ爆発するのかわからない爆弾みたいなこの身体では、何をしたところでたいして長続きしないことは嫌というほどわかっていた。郡田の方は、四月頃にいくつかのサークルに見学へ行ってみたりしていたらしいが、どこにも所属はしていなかった。気に入る集団が見つけられなかったのだろう。
 郡田の言っていることは、やっぱりよくわからなかった。ただ、その表情があまりにも真剣だったので、やつが本気で言っていることだけは伝わった。
「ただの飲みサーになるんじゃねぇの」
「それでもいいよ、別に」
 ずいぶん投げやりな声音だった。本当になんでもよかったのかもしれない。
「サークルを立ち上げるのに、最低五人の部員が必要なんだって。丸谷さ、名前だけでもいいから、貸してくれないかな」
 俺は少しの間だけ逡巡し、煙を吐きながらその行く先を目で追っていた。頭上で枝を這わせている桜の木は、青々とした葉を茂らせていたけれど、やはりあの枝だけは今も裸のままだ。もう、とうに枯れているんだろうか。まるで冬の季節のまま、時が止まっているみたいだ。
 俺はその枝を見つめながら答えた。
「いいよ」
「え、本当に?」
「名前だけじゃなく、なるべく参加するよ、そのよくわかんないサークルに」
「丸谷ぃ」
 やつがいきなり抱きついてきたので、俺は思わず煙草を地面に落とした。
「何すんだ、やめろ」
「ありがとう」
「いいから、離れろ」
「丸谷は、人と群れるのが嫌いなのかと思っていたから」
 そう言いながら郡田は身体を離し、落ちた煙草を拾い上げると、ごめんね、と謝った。やつは煙草を差し出してきたが、俺はいいから灰皿に捨てろ、と指で示し、次の煙草を取り出す。
「俺は人と群れるのが嫌いなんじゃない、人が嫌いなんだ」
 そう言いながら火を点けていると、隣で郡田は笑っていた。冗談のつもりではなかったので、心外だった。
 そうして、大学の長い夏休みが終わり、後期の講義が始まった頃に発足したのが、「文化部」というサークルだった。
 郡田が集めた部員は俺を含め七人。四人は男子、三人は女子で、そのほとんどは俺と同じ一年生。部長は郡田が務めた。
 予想通り、それはほとんどサークルとして機能していなかった。サークル棟の五階の最奥、北向きの部屋が俺たちの部室として宛がわれることになったが、いつそこへ足を運んでも、活動らしい活動は行われていなかった。他愛のない話を遅くまでしたり、終わりのないカードゲームに延々と興じたりしているくらいで、ただただ怠惰な時間を過ごした。
 七人の部員たちは学部や学科、出身地が異なり、唯一の共通点は郡田と知り合いだという点のみだった。それでも一緒に過ごすうちに親しくなり、部室で談笑する以外にも、共に出掛けたり食事に行ったりするようになった。
 部員全員が顔を合わせる機会が一番多かったのは、飲み会だろうか。部員のほとんどは未成年であったけれど、皆少しずつ酒に手を出すようになった。俺は飲酒できないので、飲み会の席では煙草をふかしてばかりで暇を持て余していることが多かった。だが、だんだんと酔っ払っていく仲間たちを見ているのは少なからず面白かった。
 郡田も酒を飲んではいたけれど、その量は決して多くなかった。飲み過ぎることはあまりなく、本当に時々、足元がふらつくような時があるくらいだった。そんな日は、背後から抱きついてきた郡田をずるずると引きずるようにして家まで送らなければならず、俺は非常に厄介な目に遭わされた。やつが長い腕を俺の肩の上に這わせ、肩甲骨の上で「丸谷ぃ」とどこか甘えた声で呼ぶ時、俺はいつも、こいつが二歳年下の男なのだということを思い出した。
 そうやって皆で遊ぶ時、郡田はいつも必ずその中心にいて、楽しそうに笑っていた。
 郡田に何かが欠けていることに気付いたのは、その頃が最初だった。やつは同じ部に所属している三人の女子部員と順番に寝たのだ。それはサークル発足からひと月にも満たない間のことだった。
「何を考えているんだよ」
 ある日、部室で顔を合わせた郡田を学務棟裏、いつもの喫煙所まで連れ出してから俺はそう言った。やつはきょとん��した顔をしていた。
「何をって、何が?」
 そのすっとぼけた表情が気に食わず、俺は語調が荒くなった。
「お前が作りたくて作ったサークルだろ、文化部は。なのに、お前がそのサークルをぶち壊すようなことしてどうするんだよ」
「壊れたりしないよ」
 やつは紫煙を吐きながら、飄々とした口調でそう言った。
「俺がまきちゃんやさよちゃんや真島さんとセックスしたことを言ってるんだったら、それでうちの部は壊れたりしないよ」
「なんでそう言い切れる」
 郡田はちっとも悪びれていない様子で、
「だって皆、誰のことも憎んでなんかいないもの」
 と言った。
 そしてそれは、やつの言った通りだった。
 やつが三人の女子部員に順番に手を出したことは部の全員が知っていた。女子部員たちもお互いに、だ。発足したばかりの少人数のサークルで、部長が女子部員全員と肉体関係を持ったなんて、狂っている。他人同士だった部員たちが打ち解け始め、親しくなり始めた頃だったというのに、これで部員同士の人間関係は最悪の状態になる。俺はそう思っていた。
 だがそんなことがあった後も、部員たちの人間関係はいつも通りだった。何があったのか、お互い知っているはずなのに、まるで何事もなかったかのように、今までと同じように笑い合い、楽しそうに手を叩き合ってはしゃいでいた。飲み会、カラオケ、遊園地、旅行。楽しい行事はいくつでもやってきて、彼らはそれを本当に楽しそうにこなしていった。その光景は、ある種の「異常」だった。狂気に憑りつかれているようにさえ思えた。
 誰も郡田のことを責めようともなじろうともしなかった。そのことを口に出す者さえいなかった。ただいつもの日常の続きがあるだけだった。やつが冗談を言えば皆が笑い、やつが何かを提案すると皆がそれに同意して従った。
 だけれど、俺は駄目だった。どうしてもそこに馴染むことができなかった。この関係を普通だとは思えなかった。俺がおかしいのか、と考える時もあった。郡田はただ女とセックスしただけだ。強姦した訳ではないし窃盗や恐喝をした訳でもない。暴行も殺人も犯していない。「ただ」短期間に不特定多数の女と関係を持ったという「だけ」だ。それだけのことじゃないか。そう思おうとした時もあった。だけれど、やはり理解できなかった。そんな話を聞いて、平然とやつらと毎日のように顔を合わせ笑い合うだけの余裕が、俺にはなかった。
 喫煙所で顔を合わせた時だけは、郡田と今まで通りに他愛のない話をした。喫煙所で会う時のやつは、いつもと同じようだった。そうやって話をしている限り、俺はやつが特別女好きだとは思わなかったし、セックス狂いという訳でもなさそうに思えた。ではどうしてあんなことをしたのか。それがわからなかった。俺は何度か郡田にそれを尋ねたことがあったが、いつであってもやつはその理由を明白に語ろうとはしなかった。
 俺は徐々に部の活動に顔を出さなくなっていった。飲み会は三回に一度行く程度になり、部室にも週に一度足を向けるだけになった。郡田は文化部から足が遠のいていった俺を、除け者にしようとはしなかった。部に顔を出すようにと強いることもなかった。
「来たい時に来ればいい、関わりたい時に関わればいいよ」
 やつは、ただそう言った。そして実際、俺はその後そんな風に、文化部と関わっていくことになる。今思えば、郡田の俺に対する扱いは、他の部員に対してとは少し違ったものだったのかもしれない。
 部内でのやつは、どこか他人に有無を言わせないところがあった。それは決して威圧的ではなかったが、相手が逆らうことをなんとなく遠慮して、結果的に言われた通り従ってしまうような、そういう雰囲気だ。そういうものが、やつには備わっていた。だが俺は、郡田に何かをするようにと言われた記憶がない。いつも自分の自由にさせてもらっていた気がする。そもそも、各個人が自由でいることは当たり前のことなのだが。
「丸谷さんは、郡田と仲いいから、特別ですよね」
 なんて言葉を、部員から言われたこともあった。
 俺はほとんどの部員から「さん」付けで呼ばれていた。学年が同じでも俺が年上なので、呼び捨てでは呼びにくかったのだろう。文化部の同期たちとは、その後どんなに親しくなっても敬語を使われた。俺のことを呼び捨てで呼び、敬語を全く使わないのは、同期では郡田ただひとりだけだ。だからこそ他の連中には、郡田と俺が特別に親しい関係のように見えたのだろう。実際には俺たちは、周囲が思うほど特別な関係ではなかった。
 そんな俺と敬語を使わずに話をする郡田以外の唯一の部員が、真島ヨウコだった。ヨウコという名前は漢字だったが、俺は結局最後まで、難しい「ヨウ」の字を覚えられなかった。
 彼女は文化部の中では唯一の三年生だった。俺に敬語を使わないで話すのは、俺より年上だからというだけの理由だ。学年では俺たち一年生の二つ上だが、年齢も俺より二歳年上だった。郡田のように現役で大学に入学してきた一年生たちからしてみれば、四歳年上ということになる。
 文化部に入部するきっかけは、バイト先で郡田と知り合ったことなのだという。二人は同じ居酒屋でバイトをしていたのだ。
 真島ヨウコは金色に近い茶髪を短く刈り上げた髪型をしていて、耳にはピアスがいくつもあいていた。うちの部の他に軽音サークルにも所属していて、バンドを組んでいたはずだ。一体なんの楽器を担当していたのかまでは、もう覚えていない。大学では文学部哲学科に在籍していた。
 女のくせに煙草を吸うし、酒もやたらと強かった。タールが三十二ミリもある、妙なにおいがぷんぷんする不味そうな煙草を吸っていて、この女の身体にはそのにおいが染みついていた。一升瓶をひとりで空けてもけろっとした顔している澄ました女で、俺は彼女のそういうところが嫌いだった。飲み会では誰よりも酒を飲むのに、先に潰れた後輩たちの面倒をよく見ていた。
 三人の女子部員の中で、最初に郡田と寝たのがこの女だった。
 この女が言うには、郡田はバイト先の女もその大半は既に抱いてしまった後なのだそうだ。そしてそこでも、誰にも咎められることなく、皆が平然とした顔で日々仕事に励んでいるという。
「皆、頭がどうかしているんじゃないですか」
 俺がそう言うと、彼女は笑った。
「そうかもしれないね」
 真島ヨウコとは、サークル棟の前にある喫煙所でよく出くわして、話をし���。部室や飲み会で隣同士の席に座っても言葉を交わすことはほとんどなかったが、喫煙所では別だった。
 俺と真島ヨウコはここでいろんな話をした。その大半はどうでもいい、他愛のない話だ。新発売のメンソールの煙草はカプセルを潰すとリンゴの味がするんだとか、バイト先の居酒屋の常連に片足のない親爺がいるんだとか、アパートの上の階の住人がベランダの鉢植えにやった水が漏ってきて面倒だとか、そんな話ばかりだった。しゃべるのはいつも真島ヨウコの方で、俺は彼女の話す内容について質問をしたり、相槌を打ったりしていることがほとんどだった。俺から何かを打ち明けるほど、この女に心を開くことができないでいたのかもしれない。
 俺の方から真島ヨウコに何か口にすることがあるとすれば、それは大抵、郡田のことだった。
「……真島さんは、なんであんなことしたんですか」
「あんなことって?」
「郡田と寝たんでしょ」
「ああ、そのこと」
 真島ヨウコは煙を吐きながら天を仰ぎ、それから首を傾げて言った。
「なんで、だろうねぇ……」
「理由とか、ないんですか」
「理由、ねぇ……」
 うーん、とあの女は唸った。
 俺も女につられて上を向く。澄んだ青空には雲ひとつない。
「郡田くんは、空っぽだよ」
「え?」
 俺は思わず訊き返した。以前、同じような言葉を郡田の口から聞いたような気がしたからだ。
「郡田くんにはなんにもない。未来も、過去も、何も」
 俺は郡田がかつて言った言葉をやっと思い出していた。
 ――なんだか空っぽな気がするんだ。俺には何かが足りていない。決定的に何かが間違っている。そんな気がしているんだ。何をしていても、誰といても……。
 次の春がやって来て、七人だった文化部は三十人近くに部員が増えた。大所帯となり、部室は一気に賑やかになった。いつ足を運んでも人がわいわいと集っている部室はどこか居心地が悪く、俺は喫煙所でぼんやりと時間を潰すことが多くなった。学務棟裏の桜は、やはりあの枝にだけは花をつけなかった。
 郡田は新入部員の女子たちにも手を出した。どうやったらそんなに上手く寝れるんだと思うくらいに、次々と。だいたいは酒を飲ませて酔わせて、送っていくよと言い、相手の部屋に上がり込んでコトに及んでいるらしかった。
 郡田はサークル外でもどこからか新しい女を見つけてきては抱いていたようだけれど、同じ女と二回以上夜を共にしたという話は聞かなかった。大抵がその場限り、一夜限りの関係ばかりで、特定の相手を作るということもしなかった。女と二人きりどこかへ出掛けたりすることもほとんどなかった。身体の関係を持った相手から交際を迫られるということもなく、郡田から告白したという話も聞いたことがない。それがまた、なんとも不気味で、やつの新たな噂を呼ぶ原因となっていた。
 唯一の例外が真島ヨウコだった。あの女だけが、郡田と二人きりで遊園地に遊びに行ったり買い物をしたり、部屋で一緒に映画を観たりしていた。あんな女のどこがいいのか、あの女も、郡田のことを「なんにもない」などと言っておきながらよく仲良くできるもんだと思いながら、俺はその話を聞いていた。
 サークルの中では一時、郡田と真島ヨウコは付き合っているのではないかという噂が立ったが、俺がいつもの喫煙所で真島ヨウコにそれを尋ねた時、あの女はあっさりとそれを否定した。
「付き合ってないよ」
「あんなに一緒にいて、付き合う気もないんですか」
「郡田くんは、誰といても深い関係を築けないと思うよ」
 口には出さなかったが、その時俺はこの女の言うことに同意していた。郡田は誰と寝ても深い仲にはならなかった。なろうとしていないのか、なれないのかは判断できないが、身体だけの、そして一夜だけの関係を、次々と違う相手と結んでいくやつを見ていると、そう思わざるを得なかった。
「そう言って、真島さんは仲良くしてるじゃないですか」
「ただ一緒にいるだけだよ」
「楽しそうにしてるじゃないですか」
「ただ楽しいだけ」
 俺は何か言おうと口を開き、そして、結局は何も言えなかった。
 郡田の人懐っこい笑顔を思い出す。
「たぶん、郡田くんは誰と一緒にいても楽しいんだと思うよ」
「でも、ずっと一緒にいるのは、真島さんだけじゃないですか」
「一緒にいてくれるのが、私だけだからだよ」
「真島さんはどうして、郡田と一緒にいるんですか」
「彼は、誰かが一緒にいてあげないと駄目になるよ」
 真島ヨウコはまつげを伏せたままそう言って、煙草の煙を吐いた。
 この時、この女は四年生に進級していたけれど、髪の毛を紫色に染めていて、就職活動も卒業研究もろくに手をつけていないようだった。郡田と同じ居酒屋でのアルバイトも辞めてしまっていて、講義もろくすっぽ出ていなかった。ただ時々ふらっと部室に来て後輩たちと談笑しては、そのままふらっと帰ってしまう。一体毎日どうやって生活していたのだろう。生活費をどうやって捻出していたのか、今となってはわからない。
「そう言う丸谷くんは、どうなの」
 女の瞳が俺を捉えた。
「どうって、何がですか」
「人のことあれこれ訊くけど、付き合っている人、いないの?」
「いませんよ。……俺のことは関係ないだろ」
「もしかして、童貞なの?」
 咄嗟に言い返そうと向き直った俺の目の前に、真島ヨウコの顔があった。その近さに思わず身体が強張る。キスでもされるのかと思ったが、真島ヨウコは何もせず、そのまま身体を引いた。そして何事もなかったかのような顔で、手に持っていた煙草を咥え、火を点ける。
「ふふっ、可愛い」
 そんな風に言って唇の端だけで笑っていた。真島ヨウコは本当に、いけ好かない女だった。
 そしてその年の冬、真島ヨウコは駅のホームから線路に身を投げて自殺した。よく晴れた日の、突き刺さるように空気が冷たい朝のことだった。
 自殺した理由は知らない。遺書のようなものが見つかったらしいということは噂になっていたが、誰もその内容までは知らなかった。卒業研究がほとんど進んでおらず留年確定であったことや、就職先が決まっていなかったこと、バイトを辞め、親からの仕送りも絶えたことで、金に困り貯金が底を尽きていたこと。自殺の理由になり得そうな問題はいくつか思いつきはしたけれど、実際のところはわからない。あの女は確かに馬鹿そうな面をしていたけれど、そんな風に死ぬような、思い詰めた人間だとは思わなかった。
 誰だってそうだろう、あの女が自殺するなんて思ってもいなかった。部員たちの動揺は大きかった。文化部では最年長者であった彼女は、後輩たちには慕われていた。
 他サークルでの経験もあって、大学の合宿所の使用を予約するのも手慣れていたし、文化祭で模擬店を出店する手続きについても詳しかった。人を惹きつけて従わせる魅力を持っていたのは郡田であったが、部員たちが郡田の言う通り行動できるように陰で指示を出していたのは真島ヨウコだった。司令塔を失った文化部は、ぽっかりと穴が空いたようだった。
 だがやはり、郡田だけは違った。やつだけは、真島ヨウコの死に動じた素振りを少しも見せなかった。いつもと同じ、飄々とした表情で日々を送っていた。
「知っていたのか、真島さんが自殺するって」
「知ってる訳ないよ。知ってたら、さすがに止める」
「……だよなぁ」
 学務棟裏の喫煙所は、真冬だと身が縮こまるほど寒い。日が暮れてしまうと特にそれが顕著だ。奥歯ががちがちと音を立て、とても煙草を咥えてじっとしていられるような状態ではない。それでも、俺は時々ここへ来て煙草を吸っていた。そうしているとどこからか郡田もやって来て、俺たちは震えながら話をした。入学式の日にここで始めて出会って以来、それだけが、俺とやつの間にあった変わらない習慣だった。
「でも、それにしてはお前、落ち着いてるからさ」
「落ち着いてる?」
 コートをどこかへ置いてきてしまった郡田は、セーター姿の背中を丸めて突っ立っていた。震える指ではなかなかライターを点火させることができず、忌々しく舌打ちをしている。
「そうかなぁ、これでも結構、びっくりしているんだけど」
「そうは見えねぇよ」
「正直、まだあんまり実感がないんだよね」
 やっと火の点いた煙草を口元から離し、煙を吐き出しながらやつは言った。
「真島さんがいなくなった、その実感がね。今でも自分の部屋に帰ると、彼女が炬燵に入っていて、また勝手に俺のセーブデータを消して、ゲームを最初から遊んでるような気がするんだよね」
「あの女、そんなひどいことしてたのかよ」
「真島さんの荷物の中から、俺があげた合鍵が見つからなかったらしいんだ」
 そう言った郡田の顔を、俺はまじまじと見つめてしまった。
「合鍵って……お前、そんなもの渡してたのか」
「だってあの人、週の半分くらい俺の部屋にいてゲームしてるんだもの」
 それは半同棲と言うのではないか。俺はそんなことを思いながら、そうか、だから郡田は女と寝る時、自分の部屋ではなく女の部屋に上がり込むのか、などとどうでもいいことを考えていた。
「だから、まだ帰って来そうな気がするんだよ」
 そう言う郡田の表情は、いつも通りであったが、目だけがひどく虚ろなことに俺は気が付いた。初めて出会った時に俺を見ていた、光が宿っているかのように見えたあの瞳と同じだとはとても思えない。
 いつも通りなんかじゃない。俺はその時までわからなかった。郡田は真島ヨウコの死に動揺していないのだと思い込んでいた。そこには、喪失感だけを抱え込んだ姿があった。
 ――郡田くんは空っぽだよ。
 あの女のどこか優しい声音が耳元で蘇る。
 突然、もう駄目なのかもしれない、という考えが俺の脳裏を掠めた。もう駄目かもしれない。郡田は、もう元には戻らないかもしれない。
「俺のせいなのかな」
 唐突に、郡田はそう言った。俺は思わず、「え?」と訊き返す。
 やつはそれには答えず、喉をか細く鳴らして笑った。そう、笑った。この時、この男は笑っていた。くくく、と震えた笑い声を漏らす。その表情は寂しげで、今にも泣き出しそうにすら見えるのに、郡田はこの時、確かに笑ったのだった。
「帰って来てほしいよ、真島さん」
 俺は何も言えずに、ただ黙って煙を吸って、そして吐き出した。
 また春が来て、俺たちは三年生に進級した。
 真島ヨウコがいなくなってからも、郡田の女癖の悪さは相変わらずだった。いや、むしろ悪化していたと言ってもいい。また新たに入部してきた後輩の女たちを、やつは飲み会の度に「お持ち帰り」していった。部内の女を全員抱いても、それでもやはり、やつは誰にも責められず、咎められることもなかった。ひとりぐらいは声を上げるやつがいてもおかしくないとは思うが、誰も何も言わなかった。
 全員、郡田に何か弱みでも握られていて、だから誰もやつには逆らえないのではないか。そんなことを疑いたくなるほど、誰ひとりとして声を上げることを拒んでいた。そこには、ただ嵐が通り過ぎるのを、戸締りをしっかりして家の中で待っているかのような、緊張した静寂があるだけだった。
 そう、郡田は嵐のようだった。自由奔放で、好き勝手で、それでいて誰にも有無を言わせない絶対的な何かが、やつには常にべったりとまとわりついていた。やつが一声かけると、文化部の連中はまるで奴隷のように従った。やつが提案した遊びにも飲み会にも、多くの部員が参加した。そこには違和感を覚えるくらい、いつでも笑顔が溢れていた。それでも時々、珍しく飲み過ぎて酔っ払ったやつは、どこか薄暗い瞳をして不気味に笑うことがあった。
 だが俺は、この時期の郡田に一体何があったのか、詳しくは知らない。持病が悪化し、長期入院を余儀なくされたからだ。俺たちが三年生であったこの時期に、後輩たちが最も郡田を恐れ、その後やつを文化部の禁忌として扱うようになるきっかけである何かがあったはずだけれども、幸か不幸か、俺は大学に足を運ぶことさえできていなかった。
 そうしている間に、また春が来た。俺を置いて郡田は四年生に進級し、そうして、やつは出会うこととなった。冗談が通じない無骨な男の後輩、鷹谷篤と、姿勢が正しく凛々しい女の後輩、魚原美茂咲に。
 鷹谷篤は目つきの険しい堅物で、人付き合いの悪そうな態度も相まって、うちの部では少々煙たがられていた。年上の部員と暴力沙汰になりかけたこともある。けれど郡田はやつをひどく気に入って、よく飲みに連れて行って可愛がっていた。そうやって郡田が可愛がるものだから、部員たちは鷹谷のことも一目置くようになってしまった。今思えば、それくらい郡田の存在は大きかった。
 魚原美茂咲は、その鷹谷と最も親しい新入部員だった。鷹谷に比べれば可愛げもあるし愛想のいい女だが、女としての性的魅力には欠けていた。郡田は魚原とだけは寝なかったので、郡田ほどの無類の女好きであっても魚原だけは食えないのか、もしくは、それだけ郡田は彼女のことを大切に思っているのではないか、という噂や憶測が部内では飛び交った。
 郡田と鷹谷と魚原、この三人はよく一緒に過ごしていた。傍から見ても、仲の良い三人だった。どこを気に入ったのか、どうしてあの二人だったのか、それはわからないが、郡田はその二人をひどく好いていた。
 この二人と出会ってから、郡田は少しずつ変わっていった。少なくとも、傍観していた俺にはそう見えた。相変わらずやつは新入部員の女と次々に寝たけれど、夏が過ぎて秋が来たあたりから、やつは徐々に女と寝ることをやめていった。それが一体どうしてなのか、どういった心境の変化がやつに起きたのか、俺は知らない。ただなんとなく、空っぽなはずのやつの胸の内を埋める何かを、あいつらが持っているということなんだろう、と思った。
 冬が来て、年が明けた頃だっただろうか。鷹谷と魚原が一夜を共にして一線を越えたのだという話を、俺は郡田から聞いた。場所はいつもと同じ、学務棟裏の喫煙所だ。
 その時に煙草を吸っていたのは、俺だけだった。郡田は大学三年生の時、俺が入院していた間に、煙草を吸うことをやめていた。それでもやつは、部室にいて部員たちと談笑している時、俺が煙草を吸いに行こうと腰を上げると、時々それについて来た。ベンチに座り腕を組んだまま、することもなく暇そうに俺と話をした。
 俺はその話をする郡田の表情や声音が、穏やかなものだったことを覚えている。
「鷹谷は、魚原を大切にしてくれるよ」
 やつは自らの足下を見つめながらそう言った。
「誰とでも寝る、お前とは違ってか?」
 俺が茶化してそう言うと、郡田は笑った。それはどこか悲しい、自嘲的な笑みだった。やつが日頃決して、人前で見せることのない表情。その笑顔は、見ているだけの俺まで空しい気持ちにさせた。
「お前は、魚原が好きなんじゃないのか」
「好きだよ」
 郡田は俺の問いに、少し遠くの景色を見ている時の瞳のままで、そう答えた。
「魚原が好きだし、鷹谷のことも好きだ」
 つまり、後輩の鷹谷が魚原のことを好いているから、郡田は魚原から手を引いた、という意味なのだろうか。手を引くも何も、やつは魚原にだけは手を出してもいないのだが。俺はやつの表情を窺いながらそんなことを考えた。だが、それ以上は追及しなかった。
 いつの頃からだったのか、俺はもう郡田の女癖の悪さを責めようとは思わなくなっていた。やつが何を考えてそんなに女と寝ているのか、その理由を考えることも放棄していた。考えてもどうしようもないと思うようになっていたのだ。理由を聞いたところで、理解できるとも思わなかった。
 その年も俺の体調はあまり良くならず、入退院を繰り返した。卒業はおろか、進級も見送らざるを得なかった。
 春が来て、郡田は飄々と大学を卒業していった。就職先は東京だと聞いた。詳しくは聞かなかった。もう今までのように簡単に会うことができないということはわかっていたし、大学という共通の場所がなくなって以降も、付き合いを続けるような関係性じゃないことは明らかだった。もう一生、あいつに会うことはないのだろう。その時俺はそう思っていたし、実際その後、一度も俺たちは会っていない。
 やつが卒業した途端、文化部の空気は一変した。やつの存在は部内では禁忌とされるようになり、誰もがやつの話題を避けるようになった。男も女も、郡田との間にあったことは全てなかったことにしようとしていた。皆、まるで金縛りを解かれたように、郡田のことを嫌うようになった。否、やつを憎んでいたということを、表に出せるようになったと言うべきだろうか。
 鷹谷と魚原は、それでもやつのことを嫌ってはいなかったように思う。だが、部の雰囲気が変化していくのに抗議の声を上げることはなかった。ただ静かに、周囲の変化を見守っているように見えた。
 そうして、それからもう、三年が経った。今年は鷹谷も魚原も大学での四年間を終え、卒業していく。信じられるだろうか。俺はまだ、今年も咲かない桜の枝を、ここでこうして見上げているというのに。
「桜、咲いてないね」
 四本目の煙草に火を点けた時、そう声がした。
 懐かしさに思わず笑みが零れそうになる。
 俺は頭上の桜を見上げた姿勢のままなので、声の持ち主の姿が視界には入らない。ただ、その声は記憶の中とそいつの声とそっくり同じだった。
 ベンチが軋んだ音を立て、成人男性ひとり分の重みでベンチがたわむのを尻で感じた。
「あの一本の枝だけ、やっぱり咲かないんだね」
 そう聞こえて、ライターを点火した音がする。俺は変わらず、天を仰いでいる。
「きみ、卒業生じゃないの? いいの? こんなところで煙草なんか吸ってて」
「俺は今年も卒業しねぇよ」
「あ、そうなんだ。それは失礼したよ」
 嗅いだことのあるにおいが漂ってきた。煙草を吸わない人間には全部同じようにヤニ臭く感じるものなのかもしれないが、俺にはちゃんとわかる。こいつは未だに、あのオレンジ色のパッケージの煙草を吸っているんだろうか。おかしいな、俺の記憶では、確か大学三年生の時、こいつは禁煙に成功していたような気がするのに。
「……今、お前のことを考えていたんだよ」
 卒業してからは、一度も連絡を取らなかった。連絡するような事柄もなかったし、そもそも、一緒に大学に通っていた頃も連絡を取り合うことはほとんどなかった。俺たちは、時折ここ、学務棟裏の喫煙所で顔を合わせ、煙草を吸いながらくだらない話をする、ただそれだけの仲だった。
「お前のことを考えていたら、いろんなことを思い出したよ」
「いろんなことがあったからね」
 ここに座って咲かない枝を仰いでいる間に脳裏をよぎっていったものたちは、もう思い出したくもないと思っていた記憶ばかりだった。できればもう二度と触れたくはない記憶の断片。でもそれでも、懐かしいと思ってしまう。
「丸谷は真島さんのこと、好きだったでしょ」
 それは唐突な言葉だった。ひどい冗談だな、と俺は笑ったが、やつの声は笑っていなかった。
「おかげで俺は、いろんな女と寝る羽目になった」
「それは俺のせいじゃねぇ」
 自分の声が思っていた以上に苛々した声音であることに気がついて、俺は一度、静かに息を吐いた。煙草の煙が目に染みる。無意識に眉間に力が入る。その後吐き出した言葉は、予想以上に掠れていた。
「どうしてお前は、最初にあの女と寝たんだ」
 お前はあの時、真島ヨウコの恋人でもなんでもなかったくせに。
 そう思ってすぐに思い直す。もちろん俺も、あの女の恋人でもなんでもなかった。
 きっかけなんて覚えていない。いつからだったのだろう、どうしてだったのだろう、そしてどちらが先だったのだろう。ただ、先に手を出したのが俺ではなく郡田だった。それだけの話だ。郡田は真島ヨウコと寝た。そうして、その後に知ったのだ。実は俺たちは、真島ヨウコに対して似たような感情を抱いていたのだということを。
「お前は、自分が誰とでも寝る男であるように振る舞って、誤魔化そうとしたんだろ」
「そうだね」
 肯定する声は、淡々としていた。
 ずっと気になっていたことがあった。郡田は何人もの女を酔わせては、ベッドの中まで連れ込んでいたけれど、あの女相手にどうやったのだろうか、と。どれだけ飲んでもけろっとしていて全く酔った様子のない真島ヨウコを、酔わせることなんてほとんど不可能だ。だから俺は、飲み会で郡田が他の女を酔わせているのを見かける度に思っていた。本当は、最初に真島ヨウコと寝た時、ひどく酔っていたのは真島ヨウコではなく、郡田の方ではなかったのか、と。
 たった一度犯した過ちをなかったことにするために、こいつは一体いくつの過ちを塗り重ねようとしたのだろう。それは過ちなんかじゃない。こいつは悪くないのだ。だって知らなかったのだから。俺があの女にどんな感情を抱いていたのかなんて、誰も知らなかったのだから。
 だが郡田は気付いてしまった。だから、他の女とも関係を持つようになった。「自分は誰とでも寝る男だ」と自分のことを偽ったのだ。真島ヨウコがただの「最初のひとり」であるように振る舞った。そうすることが、俺にとっての償いになるとでも思っていたのだろうか。やつの真意はわからない。
 最初からそうだった。胸の内が空っぽな気がするんだと打ち明けられたあの時から、こいつがさっぱりわからなかった。俺はなんにも、郡田のことをわかっていなかった。
「あの女は、お前のことを好いていたよ」
 真島ヨウコの横顔を思い出しながら、俺はそう言った。
 あの女のことで、思い出すのは横顔ばかりだ。その見つめる先の視界に、果たして俺は入っていたのだろうか。あの女は郡田のことばかり見つめていた。やつのことをよく心配していた。やつの隣にはいつもあの女がいて、そしてその時は、やつも穏やかそうな笑顔を浮かべていた。
 郡田は誰かが側にいないと駄目になると言っておきながら、俺たちの前からあっさりといなくなりやがった、あの、気に食わない女。あの女は郡田が他の女と寝ることを、一体どう思っていたのだろう。時には嫉妬することもあったのだろうか。そのことが苦痛だったこともあるのではないだろうか。そうして、あの女は死んでいったのではないか。あの女を殺したのは、郡田なのではないか。そして郡田にそんな行動を取らせる要因となった、俺の感情が、あの女を死に追いやったのではないか。正答がわからないそんな考え事を、今まで何度してきただろう。
「魚原も、お前のことを好いていた」
 俺は思い出す。卒業後、東京へ行くと言った時の魚原の表情を。東京は、郡田、お前の住んでいる街なんだろう?
 こいつはどうして、魚原美茂咲に手を出さなかったのだろう。やはり遠慮していたのだろうか。鷹谷が魚原のことを好いていたから? 鷹谷が魚原と身体の関係を持ったから? だが、鷹谷と魚原は関係を持ってもその後、付き合うことはなかった。今も変わらず仲が良さそうな二人だが、二人はお互いに今でも友人関係であり続ける姿勢を貫いている。郡田がもしも本当に魚原のことを好いていたのであれば、魚原と結ばれても良かったのではないか。
 俺にはわからない。やつの考えていることも、後輩二人の心境も。
「……なぁ、ひとつ訊いてもいいか」
「何かな」
 黙っていた隣の声が、そう返事をした。
 その時、日陰で風通しの悪いこの場所にも、生温かい春風が吹いた。桜の枝は俺の目の前で大きく揺れる。花びらが吹雪のように俺たちの頭上に降り注ぐ。
 また春が来て、桜が咲いた。今まで何度こうやって見上げてきたのだろう。手を伸ばしたところで届かないところで咲く花を、いつも見上げてばかりいるような日々だった。
 それでも、あの一本の枯れ枝にだけは、一輪の花も見つけられない。あの枝は冬のままだ。春が来ていない。俺も同じだ。春が来ない。来る気配もない。ただいくつもの春が過ぎて行くのを、こうして見上げているだけだ。
 さっき、鷹谷は言っていた。魚原が東京へ行ってしまっても、もう二度と会えなくなる訳じゃないから、と。そしてそれは、俺とも同じだと。でもそうだろうか。本当に、そう言えるのだろうか。
 真島ヨウコとは、あっさりもう会えなくなった。俺が自分の感情を何ひとつ彼女に伝えられないまま。あんなに一緒にいた郡田だって、あの女にはもう会えないのだ。
 だが会えなくなって清々した。俺はあの女のことが、本当に、大嫌いだったのだ。
「――郡田、あんたは今も、空っぽのままか?」
 隣から、もう返事はなかった。
 においも、煙も、重みの感触までも、全てが幻のように消えている。
 今のは夢だったのだろうか。
 自分の額に手のひらを当ててみる。熱が上がっているような気がした。身体の節々が痛み、悪寒がする。俺はなんだか唐突に、もう二度と郡田とは会えないような、そんな気がした。
 煙草の煙を吐きながら、咳をひとつした。口の中で血の味が広がっていくのを感じながら、俺はもう二度と迎えることができないであろう、次の春をただ祈った。
 了
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tezzo-text · 6 years ago
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180819 東北へ
忙しいと思っていたら突然暇になったので、先日東北地方にはじめて行ってみた。大学生のとき、春休みに恐山に行こうとしていたら、地震があったので伊勢&那智に変更したのだが、それ以来ずっと行ってみたかったのであった。でも、今回は満を辞してという感じでなく、ふと行った。
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地方都市に行った時になぜかうっすらと感じる寂しさ、物悲しさがある。おそらくその場に住んでいないと、その都市がどういった内容物(人が街に具体的に期待してるもの…食欲、綺麗な景色を見たい気持ち、クラス感、静けさを邪魔されたくない、性欲、漠然とショッピング、など)で充実しているかがわからないので、空虚に見えるからだと思う。本当に空虚になってしまっている都市もあるだろうが。
まず盛岡へ行ったが、その物悲しい感じはなかった。郊外というか、辺縁部分を歩けばまた印象は違うかもしれないが。
盛岡城址では、本当に石垣が何重かに回っていて、その下に街があるという、天守閣と城下町の構造がくっきりと残っていた。街の真ん中に遠くを見晴るかすものがあるというのは、どんな都市でもあるが、盛岡城址から街を眺めるのは、東京で六本木ヒルズから街を眺めるのと全く違う体験であった。東京シティビューからだと、基本どこまでも街が続いてゆき、遠くの方はなんとなくボワーッとして消えていく。しかしそんな都市は実際普通ではない、というか多くない。京都に行ってもいつも思うことだが、まっすぐな道路の先やひらけた場所の最遠景では、いつも最終的に山が視界を塞いでいる。盛岡城からは、よりくっきりと盛岡市をふちどる山なみが見えた。この眺めは、我々の共同体の範囲は山までで、その向こうは別の共同体か、大自然…という感覚を、見る人に悟らせると思う。それがどういう人間性(市民性?)に結びつくかは分からないが。ミラノやフィレンツェのドゥオモなんかも、内陸部だしそういう感じなんだろうか、とも思った。
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盛岡に一泊し、翌朝は移動し、途中仙台で途中下車した。短時間だったので、何を見られたというのかよ?という感じだが、しかし仙台は素晴らしかった。例えば金沢も盛岡も素晴らしい都市だけど、駅から伝統的な中心街までの道路の感じがふつうで、鉄道を使って期待しながら到着しても、のっけからふつうな気持ちになる。仙台はそうではない。
仙台中心街のメインストリート、特に駅から東西方向に走る青葉通り、定禅寺通りの壮麗かつ楽しげな感じといったら、羨ましくなるほどだ。歩道と、片道4車線ぐらいあるたっぷりした車道の中央分離帯が、それぞれ相当高く育ったケヤキ並木になっていて、木々の間隔もわりにゆったりめで、とても堂々としたニュアンスである。これぐらいでかいスケールの構造と迫力が支配的にあれば、道にどんなゲスい店があろうと、看板とか外壁の色がどうのこうの言わなくても、むしろそれもまた、けやきのスケールとヒューマンスケールとをつなぐ美しい風景という感じになると思った。イオンのマゼンタ色さえ、なぜか他の場所で見るよりも美しく鮮やかに見えた。雨の日も素晴らしい雰囲気になりそうだ。ただ、冬に葉が落ち、枝を剪定して樹冠の密度が減った時どういう印象になるかはわからない。
東北大のキャンパスを抜けて、広瀬川近くの道に出た。この川も素晴らしい川だった。大都市圏の横を流れているくせに、荒川とか多摩川みたいなのんびりした川ではないのだ…。奥多摩とまでは言わないが、青梅の多摩川ぐらいの、水が流れてまっせ!という感じの野生的な、生々しい川だ。市街に再接近する部分でかなり急角度の蛇行をしていて、水が河岸を強くえぐっている。相当の高度差がある段丘崖の上にマンションや市民会館が建っていて、河原側に階段があって降りられるようになっているのも趣味がいい。崖面も基本的には舗装されていなくて、急斜面に生えた木がめちゃくちゃにのびていた。これは夏は青々と猛々しくていいし、冬は枯れ枝が絡み合って淡い紅褐色にけぶったような凄烈な趣があるだろうと思った。19才の東北大生になって、この景色の四季を日常のものとしながら通学したい…。
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仙台から在来線で浪江町へ行った。去年の四月に常磐道周辺以東の平野部で避難指示が解除されて、立ち入りの制限もなくなったとのことだが、浪江駅から下り方面4駅分、富岡駅までは今も常磐線が不通。正午過ぎに浪江について、富丘までの代行バスが出る16時半ごろまで、駅から海岸までの5kmぐらいを細かく観察しつつ行き来した。帰ってきて、ひねり出したのではない感想として、二つある。
一つは、風景の美しさの暴力…というのか。この日の午後、とても天気がよく、しかもカラッとしていて涼しく、風が強かった。どこまでも起伏なく広々していて、遠くには阿武隈の山々が並んでいて、そもそもとても景色のよいところだと分かった。市内の家の庭や、道や、もともと田んぼだったところは、手入れされず木や草が旺盛に茂っていて、それがたっぷりと風にそよいでいた。海岸から離れたあたりは家も残っているが、役場の中を除いて人は全くいない。海岸に近づくと、ますます人がいない。ここがどこかを忘れて、とてものどかで美しいところだったというのがとにかくの感想ということになってしまいそう、と思った。
自分が建築家を尊敬しがちなのは、目で見えている面の奥に、構造があるということが彼女ら・彼らには見えるからだ。家の中においては壁の奥に断熱材があり柱があり障壁なのか構造壁なのかが見える。都市においては街並みから地区の用途が見え、建物がセットバックしていたり工事をしているところから都市計画の意図と進行段階が見え、法令が見える。まあスキャナーのように見えているというよりか、そういうことを専門的に調べられ、圧倒的に目安がついているという意味ですが。
私はそのことにコンプレックスがある。表面の印象の背後で何がどう推移しているか、その表面を成り立たせているものがどういう構造なのか、見極められないことをいつも恐れている。でも目で見えた、コンテクストなしの、網膜に映った瞬間までの印象に考えが暴力的に押し流されてしまいそうになる。
人が大量に死んだこと、目的を持って作られたものや大切なものが目的なく壊されたこと、人が無理やり住みたい場所でない場所に移住していること、という状況の上でのこの風景を、俺は美しくのどかと思ったのか…と思った。それでは押し流されている。自分にとって、浪江の町というのは問題なく美しいところだった、ということなってはいけない。
だから、一つの印象で包むということが、ものを見る、知るということの総括であってはいけない。その背後に何があったか、観察力と想像力を使いつつ学ぶことを、見ることと拮抗させないといけない。美しさはたしかにこの町がかつて賑やかで美しかった事実からの印象でもあるが、さらその賑やかさが、部分的には問題含みの電源開発行政に支えられていたことも本当のことだ。さらにその電源立地と発電所のはたらきを自分もまた受益していたことも本当のことだ。そのように、次元を刻んでいくしかない。
ただそれでも、私が美しさを専門に注目しがちであるということ自体は、危険ながらも排斥しないよう努めたい。なぜなら、悲愴と問題点に強く注目しつつも当然評価されるべき美しさを不当に見逃しがちな人の役に立てると思うからだ。
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もう一つの感想は、地名についてのことです。調べてみたら、自分が歩き回った地帯の、地名の密度がすごいとわかった。
http://www.kodokensaku.mlit.go.jp/motas/index.php?action=addr&module=codesearch&page=5&kencode=07&guncode=07813&soncode=07&mcode=0578&scode=000
歩いたのは、浪江町の大字のうち、権現堂、幾世橋、北幾世橋、棚塩、請戸のそれぞれ一部だが、例えばこの五つの大字で、合わせて字(小字)が304もある。面積でいうと地図上の目視で10-15㎢ぐらいだが、単純計算で200㎡ごとに地名があることになる。世田谷区内の同じ面積では町名は15いかないぐらいだ。今の家の東京も実家の川崎もだいたい町丁以降は丁目だし、そんなに細かく土地に名前がつくという発想がなかった。大字と町丁というのは成り立ちが違うので歴史的な比較はできないし、都内ももともとは細かい町名もあったと思うけど、浪江も世田谷もこの町制になってから50年以上経っているので、それぞれの住人の想定する、地名の解像度の差は確実にあると思う。例えば地図で見ても、田んぼの区画ごとに細かく字が割り振ってあるところが多いのがわかる。
https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=644996&isDetail=true (2000年撮影 https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=644996)
住んでる人にとって、地名と土地がどういうかすがいで結びついているのか、改めて考えるとあんまりよく分からない。もちろん台帳には書いてあるが…でもそこが大田区なのか���黒区なのか、それを知ってる人にはわかるけど、知らない人には分からない。当然ながら、住居案内板とかはあるが、その場の建物、地形、モニュメントが地名を叫んでいるのではないので、誰でもそこに行けば地名がわかるということはない。だから地名は住んでる人の頭の中にあるのかなと思う。
そうなると、リストを見ているだけで想像力を掻き立てられるものすごく高密度なこの地名群、とくに今整地が進んでいる沿岸の大量の字は、今どういう状態だと言えるのだろうか。ちゃんと地名を覚えておき、いつか区画整理が終わった時そこへ戻って、全く見分けがつかず違う線引きになった土地をその名で呼ぶのだろうか?新しい区画に応じて地名をつけるのか?その折衷?いずれにせよ、それを考えると本当に…なんと言えばいいか分からないような種類の損失という気がする。知…名前…人の頭の中にだけある秘密のようなものが奪われている…と。それは人が死に、物が壊れるということと同じぐらい凄惨なことに思う。ある言語が死語になるということと同じことのような。うまく言えないが…。
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その後駅まで戻り、バスに乗って富岡駅へ行き、東京へ帰ろうといわきまで常磐線で行ったが、乗り換えで一旦下車したら、なんとなくもうちょいうろつきたくなり、そのまま改札を出て終電の時間までいわきを歩いた。本当に短時間だったが、よかったのは川と(また川…単に川ならなんでも好きなのかも……)、いわき市立美術館で「戦後アメリカ美術のきらめき」という常設展を偶然見られたことだ。モーリス・ルイスの左右からファサッ…となってるやつとかはじめて見られた。なにより、前どこかで見たときは別に〜って感じだったがサイ・トゥオンブリーのいい絵があって、すごくよく思えてきたことがよかった。今までは、こういうシャシャッとした線を絵画に持ち込むっていう戦略ってことでしょ…と斜に構えてたが、よく見ると、そのシャシャッとしたのを本当に美しいのだと思って描いていたのだと思えた。わしも美しいと思った。
その後特急ひたちに乗って帰宅。空腹すぎて帰宅した瞬間スパゲッティを茹でた。そして食べて寝た。
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