#死
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Everything okay?
If you or someone you know is struggling, you are not alone. There are many support services that are here to help. For 24/7 peer support and other resources, message KokoBot on Tumblr.
If you are in the United States, please try:
National Suicide and Crisis Lifeline or dial 988 or (en Español)
The Trevor Project (LGBT crisis intervention) or dial 1-866-488-7386
Trans Lifeline or dial 1-877-565-8860 (en Español)
The National Domestic Violence Hotline or 1-800-799-SAFE (7233)
Rape Abuse & Incest National Network or 1-800-656-HOPE (4673)
S.A.F.E. Alternatives for Stopping Self Abuse or 1–800-DONT-CUT (366–8288)
National Eating Disorders Association
If you are outside the United States, visit IASP to find resources for your country.
For more resources, please visit our Counseling & Prevention Resources page for a list of services that may be able to help.
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Kanji of the day: 死
死 - Death, die
Kun: し.ぬ、し.に- On: シ (Pinyin: sǐ | si3 )
Pictographic: A carcass 歹 with a person 人 kneeling next to it
(死 as it appeared in bronze script during the Early Western Zhou dynasty, ~1000BC)
Strokes: 6 Radical: 歹 death
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人間は相変わらず、ゼロで生まれ、訓練獲得して死んでいく。 すべての知性を集積し続けるAI様の下、これからも次々とゼロから訓練獲得し死んでいくのだろう。
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死生観のとち狂い
大きな災害で友だちがたくさん死んだり
ちょいちょい死にたいと相談されたり
病気などたくさんの人の生き死にをSNSで見れたり
そんなこんなで
死生観がとち狂い気味かも。
人間なんてすぐ死ぬ
なんとか生き残りたい
みたいな
なんか強めの気持ちに至っている。
小さい頃より死ぬことは怖くないのだけれど
死への警戒心は強い。
死生観が極端というか、
やっぱりとち狂い気味かもしれない。
死を気軽に話題にするけど、全然惹かれてない。何あれって感じ。
この感覚は生きてる人からみても死にたい人から見ても、ちょっとズレてるのかもと感じる時がある。
不老不死にはずっと興味ある。
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なにかの冗談だったらって、ながいながい悪ふざけだったらって、何度も何度も思った。でも、もう彼女はいないんだ。残された僕たちは、それを受け入れて生きていくしかない。人はいつか死ぬ。でも、その人の作品は残りつづける。そこに生きた証があるはずだ。そして、僕も作品を残したい。
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i am quite sad about my life
everything i do has a bit of “非…不可” about it
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ちゃんと咲いて ちゃんと散る つぎに咲いて また散る。
だから尊い。
だから美しい。
絵描きの写真。( Pictures of painters. )
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はじめに
生きててすることがなかったので、映画ばかり観てたら、映画が大好きになりました。18歳です。ここでは僕が好きな映画を紹介していこうと思います。ちなみにYouTubeやTwitterで紹介されてるような擦られまくった面白い映画は極力紹介しません。
記念すべき1本目は
『ホワイト・ノイズ』
監督・脚本 ノア・バームバック
キャスト アダム・ドライバー
グレタ・ガーウィグ
ドン・チードル
ラフィー・キャシディ
サム・二ヴォラ
監督・キャストにつ��て
ノア・バームバックは、Netflixオリジナル映画『マリッジ・ストーリー』の監督として有名です。ちなみに、今作もNetflixオリジナル映画となっています。主人公の大学教授を演じるのが、スター・ウォーズシリーズのカイロ・レン役でお馴染みのアダム・ドライバー。その妻を演じるのが、『バービー』の監督であり、ノア・バームバックの実の妻であるグレタ・ガーウィグ。さらに、主人公の同僚の教授を演じるのが、MCUシリーズのローディ役でお馴染みのドン・チードルです。ちなみにOutkastのAndré3000が出演しています。
ネタバレなしでどんな映画か
舞台は1980年代。大学でヒトラー学を教える主人公とその家族を描いたコメディ映画です。この映画は、パニック映画やクライム映画の要素も含んでいます。主人公とその妻は、両者共に3回離婚しており、4度目の結婚で二人は結ばれています。子供は4人います。上3人は前の子供たちで、1番下の子は、主人公夫婦の元に授かった子供です。主人公が大学教授をしているだけあって、子供たちも天才です。ハイレベルな会話をする子供たちと、会話についていけなくて適当になっている主人公の掛け合いが、この映画の魅力でもあります。私はこの映画が好きなんですが、あまり日本では評価が高くありません。その理由は、ブラックジョークにあると思われます。日本人の特性的にブラックジョークの面白さを理解しにくいのだと思います。この映画を観て、僕もあまり笑うことはなかったです。
好きな理由
僕がこの映画の何が好きかって、それは死というテーマを取り扱っているところです。この映画の主人公が、死を恐れているように自分も死を恐れています。死について考えていると、寝れない日もあるぐらいです。けれども、この映画は死について考えすぎてしまう自分の悩みを解決してくれました。死を紛らわせるために大切なのは、消費行動をすることだと。物を買って幸せになること、まさにこの映画のラストのように。エンディングがめちゃくちゃ良いです。
おわりに
はじめてブログ形式で文章を書いてみました。何か書いてみようかな程度の気持ちで書き始めたら、意外と楽しかったので、またやる気が出たら書いてみようと思います。学がないので拙い文章ですが、読んでくれると嬉しいです。
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肺が疲れてくるとどんな感情が出てくるのでしょうか?
漢方から見たものです。 肺が疲れてくるとどんな感情が出てくるのでしょうか? 肺 漢方の観点からは、肺は呼吸に関する機能を担当しており、気を運ぶという役割も持っています。 肺が疲れてくると、以下のような感情が出てくる可能性があります。 ★悲しみや憂鬱感:肺は悲しみや憂鬱感などの感情を調整する役割があるとされています。 肺が疲れると、この調整機能が低下し、悲しみや憂鬱感が強くなることがあります。 ★不安感や恐怖感:肺は、気を運ぶ役割を持っているため、呼吸の乱れが起こると不安感や恐怖感が強くなることがあります。 ★焦りやイライラ感:肺は、気を運んで体内の酸素を補充する役割があります。 肺が疲れると、体内の酸素供給が不足し、焦りやイライラ感が強くなることがあります。 ★息苦しさや胸の圧迫感:肺が疲れると、呼吸が浅く���り、息苦しさや胸の圧迫感が出ることがあります。 以上のよう…
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#アソコ トーキョー寒波到来でカラダもココロもシバれる本日は、死ぬ前に食べておきたいアソコのオムライスを〜☆ #チキンライス #ケチャップライス #オムライス #food #食 #洋食 #omlette #omlet #plate #東京 #tokyo #頭痛 #headache #死 #death https://www.instagram.com/p/CnhYEzIS7tY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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死後に何が起こるのか?🕯️
前世の記憶があるロビン・カイザーさんの話
オリジナル動画:https://youtu.be/dQARYL3BdCc
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
死が訪れた後、何が起こるのでしょうか。
誕生と死は、あなたの魂の旅において最も本質的な2つの転機であり、この境界を越えるときに起こる変容のプロセスは、通常、あなたが生涯で経験したどんなことよりも深淵で変容的なものです。
地上での身体的実体から離れたとき、転生した意識が何を経験することになるのか、その全体像を知るための旅に皆さんをお連れしたいと思います。
以下のシナリオはすべて違った形で表現され、体験されることもあるでしょう。なぜなら、死後に体験しうることの範囲は、根本的に地上世界での体験の範囲をはるかに超えているからです。
かつて地上には、死ねばどうなるのか問うことなど全くしない時代がありました。それは、自分の人生がそれらの世界からの延長線上で続いていることを当然のように洞察していたからです。
この問いが、多くの思想や思索、宗教的概念の出発点となったのは、人間が徐々に自己を忘れ去っていったからに他なりません。
多くの宗教は、人が魂の旅を続ける世界について洞察を欠き、それに応じて地上での生涯を枠にはめてしまうことに基づいています。
現代人が落ち着きや人生の方向性を完全に失っ���のは、自らの転生の仕組みがわからなくなってしまったからです。
こうして、方向性が失われた状況の中で、少数の者たちには利益がありました。
地球上の人生なんて80年経てば終わるし、今まで生きてきたこと、経験してきたことはすべて無に帰する、と思っている人は、当然、自分の存在に不安を抱くでしょう。
また、自分がしてきた本質的な経験の層から、その意識というものを切り離すことが出来ていないと、輪廻転生についての疑問を投げかけたり��出来ません。
転生に関する知識には科学的な証拠がありますが、これらの議論は、自ら創り出した経験世界の眠りから意識を目覚めさせるには、ほとんど役に立ちません。
というのも、地球上であなたを導く転生ゲームの魅力の一つは、まさにゲームのボード上の限界を見極めることができないことにあるからです。
あなたは、ボード上で転生へと導いてくれる道を心得ているし、また、あなたが亡くなった後に開かれる道も、すでに何千何万回と歩んできた道なので、熟知しています。
同じスーパーにもう1000回も行っていれば、次に買い物に行くとき、いったいどうやって行くんだろう、買い物から帰ってきたらどうなっているんだろう、と思うことはないでしょう。
たとえ道中の経験が変わりやすく、他の存在に出会うなどして、毎回異なる自分を経験したとしても、道は常に同じです。
大袈裟な言い方をすれば、すべての魂は、人間として生まれるために、同じ宇宙の針の穴をくぐらなければならないのです。
そして、その入り口と地上の経験によって、出口となる門がどこなのか、その門からどのような道が展開されるのか、が決まります。
一生の間に経験したことはすべて、その人の退場の仕方に反映されます。このようにして、閾値の移行期に多くの人が表現する「人生の映画」現象が発生するのです。
意識は早送りで人生の主要な出来事に導かれ、個々の場面を健全な距離で再び観察するチャンスを与えられます。
人生映画は線状に構成されているわけではなく、人生の場面をその感情のエネルギーの連鎖の中で見せてくれるので、観察している意識にとっては、なぜある事柄がその人生の中で別の事柄につながったのかが明確になるのです。
ほとんどの場合、この段階にはすでにソウルグループからのガイドがいて、一緒に人生の連鎖を振り返ることができます。
この世の世界とあの世の間には、いわゆるバルド*と呼ばれる中間世界があり、意識は、それに応じて転生の用意をしたり、振り返って反省するために、そこを通過しなければなりません。
*Bardo :和訳は『中陰(ちゅういん)あるいは中有(ちゅうう)』:チベット仏教の教えで、現世と来世の間で起こりうる意識の状態を指す言葉。
生前に精神的、感情的な硬直状態に陥った人は、この中間領域に長い間留まり、魂が旅を続けられなくなることがあります。
例えば、肉体生活におけるある側面への強い���着が死後も意識の中にある場合、意識はそのレベルの経験に縛られたままになります。奇妙な話ですが、このように意識を肉体世界に閉じ込めている、非常に地上色の強い人の中には、肉体の死を全く意識せず、自分の死を否定することで生前のように暮らし続けている人もいます。
幽界からは物理的なものを動かせなくなったこと、そして他人に見られたり聞かれたりすることがなくなったことは、自らの死を受け入れることがあまりにも耐え難いため、単に無視されることになります。
もし、肉体がなくなるとすべてが終わると強く信じている上で、自分の死を否定してはいないなら、その考え方が原因となって、何も存在せず何も起こらないバルドに移動し、その魂は旅の途中でこのバルドから非常に長い間、抜け出せないままでいることがあります。
人為的に無にされているバルドに魂が逃げ込んでいる時、それは一種の遊休駅のようなもので、高次元の存在と混同してはならないものです。そこでは特別なものは存在しないし、特別な何かが起こることもありません。
経験を積もうと転生した魂の向上願望は、遊休駅に長く滞在することによって低迷し、自己否定の度合いを高めてしまうこともあります。
基本として、地上でその存在が具現化されている最中なのか、それとも他の状態にあるときなのかにかかわらず、存在自身に起こることは常に本人の信念によるものなのです。
そして、地獄行きを硬く信じてい生きている人ならば、そこで煉獄観を修正するのに大抵はそれほど長くはかからないとしても、自分が抱いた観念がすぐに結果として現れることを経験するので、死後に何が起こるかは明白なはずです。
つまり、永遠の煉獄というものは存在しないのです。
また、人間が生前に意識的・無意識的に魂を売ったり、ある契約を結んだとしても、その契約が有効であると信じなければ、その契約は超次元的な効力を持つことはありません。
物理的な次元を離れた存在が再び入ることのできる経験世界は無数にありますが、それでも大抵の場合、自分の内なる意識の状態に最も近い世界へと自動的に導かれます。
むしろ、前の地上界と同じような構造をしている近くの幽界に入る可能性の方が高いのです。
それは、地上での記憶がこの経験世界を作り出しているからであり、宇宙的カルチャーショックを引き起こすような経験世界に直面しないように、世界はとても慈悲深いものになっているからです。
ほとんどの世界では、突然その中に身を置いてしまうと、人間は深く揺さぶられ、怯えることになり、高次の天界にさえ恐怖心を抱いて反応し、自らのエネルギーシステムを閉じてしまうのです。
地上での活動を終えたばかりの存在のエネルギーシステムがある程度オープンであるためには、慣れ親しんだ環境が必要であり、ソウルガイドは、超自然的な美しさと慣れ親しんだ環境を兼ね備えた世界に新しく亡くなった人を招���入れ、そこでさらなる旅路の可能性を伝えることに熟練しています。
死後、海辺のビーチで美しい夕日を眺めるという体験的な空間に移動する人もいます。
また、山の高いところなど、生きている間に同じような体験をした自然の中にいる人もいます。
また、多くの愛する人々が登場する場合も多く、最初はただ地上の状況について語るだけだったのが、徐々に全く異なるレベルの経験が広がっていることが分かってくるようになります。
幽体を通して得られる官能体験は、少なくとも肉体を通して得られる体験と同じ鮮明さ、鋭さのあるリアリティを持っています。
初期の順応段階を経ると、終わったばかりの人生のフラッシュバックが何度も起こるもう一つの現実があり、すべての経験を魂レベルで統合するために、精神と情緒のレベルで人生を徹底的に解明することが目的となります。
死後、地上での経験は、意識作業によって、魂が吸収できる情報形式に変換されます。
経験豊かな魂であればあるほど、この統合と転換のプロセスはスムーズに行われ、人は高い意識からもう一度、地上での経験を歩むことができるのです。
人生の場面はどこでも何度でも再生できますし、そのとき、自分の目からではなく、その場面にいる他人の目から眺めるという体験ができる特別な機能もあるのです。
地上での経験を統合することの一端は、自分が自分の振る舞いについて帰結を導き出すために、相手の経験的な観点から自分が経験したすべてを追体験することです。
ある程度の自覚と洞察力があるならば、どの強姦魔も自分の行いを被強姦者の皮膚から体験することを自由意志で選択するでしょう。
そして、この視点の転換によって、それに伴う学習プロセスが始まり、カルマの均衡がもたらされるのです。
生きている間に、自分の言動をすべて相手の目から認識する者は、二元的な経験における片寄りから脱却することができるでしょう。
これ以上カルマを積み重ねることことなく、統合意識へより深く到達することができます。
自分本位で多面的に捉えることができない者は、転生後、人生のすべての場面をまさにその同時多面的に経験する意識に導かれます。
その意味で、死後、審判や評価の権威が存在することはなく、あなた自身が、拡張された知覚、すべてを包括する視点に基づいて自分の行動を評価し、あなたの価値観に従って、新たな人生設計を記すことになります。
もしかすると、転生後に自分が社会的、感情的な面で悲惨な失敗をしたことに気づき、特にその経験を克服することを含む来世の人生設計をすることになるかもしれないのです。
人生と人生が直列に擦り合わされるのではなく、自分自身でいくつもの人生をデザインし、いくつもの体験レベルに同時に浸り、それに応じて死んだ後で自分自身に出会うということもあり得るのです。
死後、他の世界で体験した自分自身と、何とも言えない深いつながりを感じる分身に出会う可能性が非常に高いのです。
魂の旅には、転生後に定期的に集まり、それぞれの世界での体験を伝え合う俯瞰的な場があるのです。
だから、あなたには死後、地上での経験を変換する任務があるだけでなく、それを共有し、あなたの多次元的存在の別の側面に地上での経験を伝える、という名誉も与えられているのです。
そして、これだけはすでに言えることです。地球学校を卒業した存在は、その完成度の高さから、宇宙の他の場所でも尊敬され、評価されます。
なぜなら、地上での体験は他のレベルの創造物にとって超然たる高い価値を持っているからです。
ある意味で、そしてある種の世界では、あなたが戻ってきたとき、祝福されることでしょう。
死の後、あなたの魂はずっと前からあなたの帰還の祝宴の用意をしているかもしれません。
この饗宴で、あなたは転生の旅の苦しみから完全に立ち直ることができますが、野心的で成長を望む魂の存在の中には、非常に早く��の具現化を決心する者もいます。
あの世の暦はまるっきり違うので、この世の暦で死んだ人が何日か後にまた転生してくるということもあり得ます。
しかし、魂が転生するのは平均して一世紀に一度程度です。
地球での生活が過酷なものであればあるほど、あの世での回復と再生の期間も長くなり、2世紀、3世紀を平気で飛び越えてしまう人もいるかも知れません。
ここで、もう一度強調しておきたいのは、異世界の多くは時間をも超越しており、昇天した者はどの時代に新しい人生を送るかを自由に選択できることです。
つまり、「いつ」「どこで」というのは、常にその人生設計に対応したものになるわけです。
人生設計とは、人がその可能性を現実するために、そして自らの潜在能力を実現するために、自己を滑り込ませることができる経験としての可能な枠組みのようなものです。
しかし、人生設計で重要なポイントが満たされなければ、次の人生設計に持ち越されます。 転生に高度なカルマを持ち込んだ人の多くは、長い人生設計に過去の転生でおろそかにしたポイントを抱えています。
人生設計のあるポイントを達成するために、魂からある種の圧力がかかることがありますが、その尺度は常に対処可能な範囲にとどまり、該当者が壊れてしまうほど高度なものになることはありません。
もし、人生における重圧が過度に耐えがたいものに思えるなら、その重圧はあなたの魂から来るものではなく、あなた自身が作り出したものであると断定してよいでしょう。
魂は、地上での経験をまったく別の目で見ています。なぜなら魂にとって、すべての経験は経験に過ぎず、あなたがどう評価しようとも、すべての経験はそれ自体で価値があるものだからです。
そして、肉体がなくなった後に再び利用できるようになるのは、まさにこの魂の景色なのです。
もしあなたが生きている間に、魂のレベルで観察することになるなら、とりわけあの世であなたに寄り添ってくれるような体験シーンが見えてくるはずです。
魂レベルとの結合は、この世とあの世���間の分離のベールを剥がし、特に肉体の逝去によって、私があなたに明かすすべてのことが、身体的存在としてのあなたに開示されるようにしてくれます。
もし生前のあなたが、魂的なレベルで物事を眺めていれば、あなたには、特にあの世に行ってから身近にもたらされるような経験��側面が見せられることでしょう。
魂レベルでの結合は、この世とあの世を隔てるベールを取り払い、特に身体的存在の逝去に伴って明らかになるすべてのことを、あなたに開示するようにしてくれます。
このため、魂との神秘的な結合は、常に死のプロセスのように描写されます。
死後はどうなるのかという問いに対する答えは、魂との結合という「錬金術の結婚*」にあるのです。
*『クリスティアン・ローゼンクロイツの化学の結婚』:参考🔗
また、肉体の中で魂の生活を営む者は、肉体から離れても死ぬことはありません。
身体的な死のプロセスが始まると、人間という存在は自分をクラウン・チャクラを通して身体からリズミカルに押し出そうとします。
肉体に入ろうとするときも、肉体から最終的に離れようとするときも、人は針の穴のようなところを通らねばなりません。
そして、そこを通り抜けるには、それなりに労力が要るものなのです。
あなたをこの世の具現的姿へと生み出したエネルギー的ポータルである産道を、あなたは逆方向へ通って去っていきます。
そして、死は終わりに小さな光がある長い暗いトンネルである、と表現する人はすべて、このエネルギー的な誕生経路のことを指しているのです。
さて、皆さんの中には、死ぬ間際にこの光に焦点を合わせ、その中に入っていくべきだという説があります。
また、そこには輪廻転生の罠のようなものが隠されているから、光の中には一切入ってはいけないという説もあります。
幽界には、死者を地球の近くに留めておくために作られた、一種の捕獲網、あるいはエネルギーグリッドが確かに存在しています。
そして、特に地上のしがらみや 執着が残っていると、亡くなった人はそのグリッドにはまり込んでしまい、高次の領域が閉ざされたままになってしまうのです。
肉体が亡くなれば、魂レベルとのつながりが即座に完璧な形で実現されるわけではなく、人間は死後、やはり自分が生前に築き上げていた魂レベルに、ほぼ相当するつながりの深さを許容するしかないのです。
つまり、エネルギー的なアストラルグリッドや低い波動の存在圏から抜け出せるのかという基盤は、生きている間にすでに築かれています。なぜなら、具現化された状態からしか変えられないものが、確実にあるからなのです。
サッカーの得点も、休憩時間ではなく、試合中にしか変えられません。
あの世での休止期間中に、自分の人生のインサイダープレーを根本的に反省し、新しい戦略や計画を考案することはできても、人生をマスターするためには、具現化された土俵の上でしかそれらを実践できないのです。
ワンハーフが終わって光の方へ行くか行かないか、あるいは休憩中に何をするのか、それは次のハーフに間接的な影響を与えるだけです。
トンネルの先にある光は、幽界のグリッドが仕掛ける誘惑の罠ではありません。
そして、自分自身が純��で、心がもつれていない人は、これらの層を問題なく突き進むことができるのです。
しかし、それは暗いトンネルでもありません。なぜなら、この世とあの世のあらゆる内的な感覚的現象は、意識から生み出されるからです。
あなたの生と死に寄り添う最も確かな道しるべは、あなたの心の声なのです。
そして、その心の声と深く結びついている者は、来世においても、あらゆる心のもつれや罠を乗り越えて、それに導かれていきます。
しかし、もしあなたが生きている間に、何度も何度も盲目的な自己忘却の罠に陥り、自分自身から自分を切り離していたのなら、自分自身と再結合することを学ぶ道に、あなたは死後、捕えられるのかもしれません。
あの世ではある程度の内なる分離が許されますが、その量が多すぎると、あなたは引っ捕まって地上の土俵に直に投げ出されてしまうことになるかもしれません。
人によっては、回想と再統合のための時間を比較的短く済ませることができる者もいます。
一方、輪廻転生を繰り返しながら、自己統合の道をミリメートル単位で進んでいる人もいます。
魂の旅は、8000メートル級の山々を上った道と同じ程度の距離であり、一度転生するたびに、その一歩を踏み進めたことになります。
したがって、海辺の砂粒の数は、あなたが具現化した魂の数よりも少ないのです。
それでもなお、自分の内なる魂と神秘的に結ばれることで、この旅を完成させる義務が。あなたにはあるのです。
そして、あなたが自らを忘れて生きる、ということは、もともと想定されていたことではありません。
元々、すべての経験は、一つの身体から次の身体へと引き継がれていくものでした。
そして、あなた方は自分の具現化したものが相互に関連し、どのように成り立っているのかを意識できていたのです。
それなのに、輪廻転生を介した学習と記憶の糸が極めて規則的に遮断されることで、あなたの具現化体験は全く異なったものとなってしまうのです。
具現化状態に入るとき、あなたの意識を覆ってしまう忘却のベールは、前述したエネルギーグリッドと関係があり、これはあなたの地球の周りに人工的な磁場を張り巡らせています。
この磁場を中を魂がさまようことは、ある種の削除ボタンのようなもので、そのボタンがあるレベルで過去のすべての経験を記憶から抹消し、より高い波動のレベルへと移行させるのです。
冒頭でお話したバルドは、地球を取り巻く磁界層に存在する意識を抹消する空間です。
こうした消去空間において、存在は真に自分に属さないものはすべて失うことになります。
そして、自分自身の内なる意識の深いところに生き、自分自身と一体になった存在だけが、消去空間で自分を見失うことなく通過することができるのです。
異空間では、生前に自分と繋がれていたのかどうかが試され、繋がっていない場合は、再び具現化へと戻されることになります。
あなた方の大半は、自分の輪廻転生の記憶の糸についてほとんど認識していないにもかかわらず、あなた方の今生は、この糸とドッキングしている、あるいはそれを引き継いでいるのです。
そして、記憶の糸全体があなたの意識の中に再び現れる時は来るでしょう。
人生は常に途切れている形態では限られた意味しかなしません。あなたの記憶の糸が放つ光を、すべての人生の原点まで遡れば、あなたの存在の意味は疑いなく開かれていくことでしょう。
あなたの地球上での遊び場の境界が、磁気消去領域とともにどんどん溶けてくることで、あの世の記憶があなたの元へやってくるようになります。
閾値を越える際の遷移が、よりスムーズになりつつあり、かつては大きな一歩だったものが、現時点ではほとんど負荷がなくなっています。
この世とあの世、地上のものと霊的なものが今、あなたの中で統合されようとしています。
そして皆さんは、具現化した後に自分を待ち受けているものが何なのかも、無言のうちに深く洞察することができるようになるでしょう。
皆さんの中に生じる「死後はどうなるのだろう」という疑問が静かな内なる確信へと変わり、その疑問がまったく生じなくなるような感覚になれるよう、私たちの言葉をもって寄り添うことができたことを、心から願っています。
あなたという存在が、この確信に深く満たされますように
完
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