#武庫庄
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'23.2.18
今日は6年生最後の公式戦🏀
とっても良い試合を見せてくれてありがとう✨
そして、そのまま今日は卒団式!
今までお疲れさまでした。
中学生になっても遊びに来てください🏀
そして、明日からは新チーム発足&新人戦‼️
今年はやるぞー✊
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今回の報告書で「消滅可能性自治体」とされた自治体は、以下の通り。 【北海道】 函館市、小樽市、釧路市、夕張市、岩見沢市、網走市、留萌市、稚内市、美唄市、芦別市、赤平市、紋別市、士別市、三笠市、根室市、砂川市、歌志内市、深川市、富良野市、登別市、伊達市、北斗市、当別町、新篠津村、松前町、福島町、知内町、木古内町、鹿部町、森町、八雲町、長万部町、江差町、上ノ国町、厚沢部町、乙部町、奥尻町、今金町、せたな町、島牧村、寿都町、黒松内町、京極町、共和町、岩内町、泊村、神恵内村、、積丹町、古平町、余市町、赤井川村、南幌町、奈井江町、上砂川町、由仁町、長沼町、栗山町、月形町、妹背牛町、雨竜町、北竜町、沼田町、当麻町、比布町、愛別町、上川町、上富良野町、和寒町、剣淵町、美深町、音威子府村、幌加内町、増毛町、小平町、苫前町、羽幌町、遠別町、浜頓別町、中頓別町、枝幸町、豊富町、利尻町、美幌町、津別町、清里町、小清水町、訓子府町、佐呂間町、遠軽町、湧別町、滝上町、西興部村、雄武町、大空町、豊浦町、白老町、洞爺湖町、むかわ町、日高町、平取町、浦河町、様似町、えりも町、新ひだか町、士幌町、広尾町、池田町、豊頃町、本別町、浦幌町、釧路町、厚岸町、浜中町、標茶町、弟子屈町、白糠町、羅臼町 【青森県】 青森市、弘前市、八戸市、黒石市、五所川原市、十和田市、むつ市、つがる市、平川市、平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町、鰺ヶ沢町、深浦町、藤崎町、大鰐町、板柳町、鶴田町、中泊町、野辺地町、七戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、大間町、東通村、風間浦村、佐井村、三戸町、五戸町、田子町、南部町、階上町、新郷村 【岩手県】 宮古市、大船渡市、久慈市、遠野市、一関市、陸前高田市、釜石市、二戸市、八幡平市、奥州市、雫石町、葛巻町、岩手町、西和賀町、平泉町、住田町、大槌町、山田町、岩泉町、田野畑村、普代村、軽米町、野田村、九戸村、洋野町、一戸町 【宮城県】 石巻市、気仙沼市、白石市、角田市、登米市、栗原市、蔵王町、七ヶ宿町、村田町、川崎町、丸森町、松島町、七ヶ浜町、大郷町、色麻町、加美町、涌谷町、女川町、南三陸町 【秋田県】 能代市、横手市、大館市、男鹿市、湯沢市、鹿角市、由利本荘市、潟上市、大仙市、北秋田市、にかほ市、仙北市、小坂町、上小阿仁村、藤里町、三種町、八峰町、五城目町、八郎潟町、井川町、大潟村、美郷町、羽後町、東成瀬村 【山形県】 鶴岡市、酒田市、新庄市、上山市、村山市、長井市、尾花沢市、山辺町、中山町、河北町、西川町、朝日町、大江町、大石田町、金山町、最上町、舟形町、真室川町、大蔵村、鮭川村、戸沢村、高畠町、川西町、小国町、白鷹町、飯豊町、庄内町、遊佐町 【福島県】 会津若松市、白河市、喜多方市、二本松市、田村市、伊達市、桑折町、国見町、川俣町、天栄村、下郷町、檜枝岐村、只見町、南会津町、北塩原村、西会津町、猪苗代町、会津坂下町、三島町、金山町、会津美里町、泉崎村、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町 【茨城県】 日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、潮来市、常陸大宮市、稲敷市、桜川市、行方市、鉾田市、城里町、大子町、美浦村、河内町、八千代町、五霞町、利根町 【栃木県】 日光市、矢板市、那須烏山市、益子町、茂木町、市貝町、塩谷町、那珂川町、 【群馬県】 桐生市、沼田市、渋川市、藤岡市、富岡市、安中市、上野村、神流町、下仁田町、南牧村、甘楽町、中之条町、長野原町、嬬恋村、草津町、東吾妻町、片品村、みなかみ町、玉村町、板倉町 【埼玉県】 行田市、秩父市、越生町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町、東秩父村、神川町、寄居町、松伏町 【千葉県】 銚子市、勝浦市、富津市、八街市、南房総市、匝瑳市、香取市、山武市、いすみ市、栄町、神崎町、多古町、東庄町、九十九里町、芝山町、横芝光町、白子町、長柄町、長南町、大多喜町、御宿町、鋸南町 【東京都】 檜原村、奥多摩町 【神奈川県】 三浦市、中井町、山北町、箱根町、真鶴町、湯河原町 【新潟県】 小千谷市、加茂市、十日町市、村上市、糸魚川市、妙高市、五泉市、阿賀野市、佐渡市、魚沼市、胎内市、田上町、阿賀町、出雲崎町、湯沢町、津南町、関川村、粟島浦村 【富山県】 氷見市、南砺市、上市町、入善町、朝日町 【石川県】 七尾市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、志賀町、宝達志水町、穴水町、能登町、 【福井県】 大野市、勝山市、あわら市、池田町、南越前町、越前町、高浜町、若狭町 【山梨県】 都留市、大月市、韮崎市、上野原市、甲州市、早川町、身延町、南部町、富士川町、道志村、西桂町 【長野県】 大町市、飯山市、小海町、佐久穂町、立科町、長和町、阿南町、阿智村、平谷村、天龍村、上松町、南木曽町、王滝村、大桑村、木曽町、生坂村、筑北村、小谷村、坂城町、高山村、山ノ内町、木島平村、信濃町、小川村、飯綱町、栄村 【岐阜県】 美濃市、瑞浪市、恵那市、山県市、飛騨市、郡上市、下呂市、海津市、養老町、関ケ原町、揖斐川町、池田町、七宗町、八百津町、白川町、��白川村 【静岡県】 熱海市、下田市、伊豆市、御前崎市、牧之原市、東伊豆町、松崎町、西伊豆町、川根本町 【愛知県】 津島市、新城市、南知多町、美浜町、設楽町、東栄町、豊根村 【三重県】 尾鷲市、鳥羽市、熊野市、志摩市、木曽岬町、大台町、度会町、大紀町、南伊勢町、紀北町、御浜町、紀宝町 【滋賀県】 高島市、甲良町 【京都府】 宮津市、京丹後市、井手町、宇治田原町、笠置町、和束町、南山城村、京丹波町、与謝野町 【大阪府】 富田林市、河内長野市、柏原市、門真市、泉南市、阪南市、豊能町、能勢町、岬町、太子町、河南町、千早赤阪村 【兵庫県】 洲本市、西脇市、加西市、養父市、朝来市、宍粟市、多可町、市川町、神河町、上郡町、佐用町、香美町、新温泉町 【奈良県】 大和高田市、五條市、御所市、宇陀市、山添村、安堵町、三宅町、曽爾村、御杖村、高取町、上牧町、河合町、吉野町、大淀町、下市町、黒滝村、野迫川村、十津川村、下北山村、上北山村、川上村、東吉野村 【和歌山県】 海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、紀美野町、かつらぎ町、九度山町、高野町、湯浅町、広川町、美浜町、由良町、みなべ町、日高川���、白浜町、すさみ町、那智勝浦町、太地町、古座川町、串本町 【鳥取県】 岩美町、若桜町、智頭町、八頭町、大山町、日南町、日野町、江府町 【島根県】 雲南市、奥出雲町、津和野町、隠岐の島町 【岡山県】 玉野市、笠岡市、井原市、高梁市、新見市、備前市、真庭市、美作市、久米南町、吉備中央町 【広島県】 竹原市、府中市、安芸高田市、江田島市、安芸太田町、神石高原町 【山口県】 萩市、長門市、美祢市、周防大島町、上関町、田布施町、平生町、阿武町 【徳島県】 鳴門市、小松島市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦町、佐那河内村、神山町、那賀町、牟岐町、美波町、海陽町、上板町、つるぎ町、東みよし町 【香川県】 さぬき市、東かがわ市、土庄町、琴平町 【愛媛県】 宇和島市、八幡浜市、大洲市、四国中央市、西予市、上島町、久万高原町、内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町 【高知県】 室戸市、安芸市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、東洋町、奈半利町、田野町、安田町、北川村、本山町、大豊町、いの町、仁淀川町、中土佐町、佐川町、越知町、檮原町、日高村、津野町、四万十町、大月町、三原村、黒潮町 【福岡県】 嘉麻市、小竹町、鞍手町、東峰村、添田町、川崎町、みやこ町、築上町 【佐賀県】 多久市、玄海町、大町町、白石町、太良町 【長崎県】 平戸市、松浦市、対馬市、壱岐市、五島市、西海市、雲仙市、南島原市、東彼杵町、小値賀町、新上五島町 【熊本県】 水俣市、上天草市、天草市、美里町、和水町、小国町、産山村、高森町、山都町、氷川町、芦北町、津奈木町、多良木町、湯前町、相良村、山江村、球磨村、苓北町 【大分県】 佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、杵築市、豊後大野市、国東市、姫島村、九重町、玖珠町 【宮崎県】 串間市、えびの市、高原町、国富町、諸塚村、椎葉村、美郷町、高千穂町、日之影町 【鹿児島県】 枕崎市、阿久根市、西之表市、垂水市、曽於市、南九州市、三島村、さつま町、湧水町、錦江町、南大隅町、肝付町、大和村、喜界町、天城町
【全744自治体リスト】「消滅可能性自治体」を一挙公開…北海道から鹿児島まで 出産年代の女性人口が半数以下に 日光市や草津町も |FNNプライムオンライン
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2024年8月8日
南海トラフ地震の想定震源域と今回の震源
南海トラフ地震臨時情報の対象の1都2府26県707市町村はこちら(朝日新聞)
気象庁は8日、初となる「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を発表した。対象となった1都2府26県707市町村は次の通り。同庁は今後1週間程度、地震や津波への注意を呼び掛けている。(内閣府の資料から)
茨城県 水戸市、日立市、ひたちなか市、鹿嶋市、神栖市、鉾田市、東茨城郡大洗町、那珂郡東海村
千葉県 銚子市、館山市、旭市、勝浦市、鴨川市、富津市、南房総市、匝瑳市、山武市、いすみ市、大網白里市、山武郡九十九里町、同郡横芝光町、長生郡一宮町、同郡長生村、同郡白子町、夷隅郡御宿町、安房郡鋸南町
東京都 大島町、利島村、新島村、神津島村、三宅村、御蔵島村、八丈町、青ケ島村、小笠原村
神奈川県 横浜市、横須賀市、平塚市、鎌倉市、藤沢市、小田原市、茅ケ崎市、逗子市、三浦市、秦野市、厚木市、伊勢原市、海老名市、座間市、南足柄市、三浦郡葉山町、高座郡寒川町、中郡大磯町、同郡二宮町、足柄上郡中井町、同郡大井町、同郡松田町、同郡山北町、同郡開成町、足柄下郡箱根町、同郡真鶴町、同郡湯河原町
山梨県 甲府市、富士吉田市、都留市、山梨市、大月市、韮崎市、南アルプス市、北杜市、甲斐市、笛吹市、上野原市、甲州市、中央市、西八代郡市川三郷町、南巨摩郡早川町、同郡身延町、同郡南部町、同郡富士川町、中巨摩郡昭和町、南都留郡道志村、同郡西桂町、同郡忍野村、同郡山中湖村、同郡鳴沢村、同郡富士河口湖町
長野県 岡谷市、飯田市、諏訪市、伊那市、駒ケ根市、茅野市、南佐久郡川上村、同郡南牧村、諏訪郡下諏訪町、同郡富士見町、同郡原村、上伊那郡辰野町、同郡箕輪町、同郡飯島町、同郡南箕輪村、同郡中川村、同郡宮田村、下伊那郡松川町、同郡高森町、同郡阿南町、同郡阿智村、同郡平谷村、同郡根羽村、同郡下條村、同郡売木村、同郡天龍村、同郡泰阜村、同郡喬木村、同郡豊丘村、同郡大鹿村、木曽郡上松町、同郡南木曽町、同郡大桑村、同郡木曽町
岐阜県 岐阜市、大垣市、多治見市、関市、中津川市、美濃市、瑞浪市、羽島市、恵那市、美濃加茂市、土岐市、各務原市、可児市、山県市、瑞穂市、本巣市、郡上市、下呂市、海津市、羽島郡岐南町、同郡笠松町、養老郡養老町、不破郡垂井町、同郡関ケ原町、安八郡神戸町、同郡輪之内町、同郡安八町、揖斐郡揖斐川町、同郡大野町、同郡池田町、本巣郡北方町、加茂郡坂祝町、同郡富加町、同郡川辺町、同郡七宗町、同郡八百津町、同郡白川町、同郡東白川村、可児郡御嵩町
静岡県(全域)静岡市、浜松市、沼津市、熱海市、三島市、富士宮市、伊東市、島田市、富士市、磐田市、焼津市、掛川市、藤枝市、御殿場市、袋井市、下田市、裾野市、湖西市、伊豆市、御前崎市、菊川市、伊豆の国市、牧之原市、賀茂郡東伊豆町、同郡河津町、同郡南伊豆町、同郡松崎町、同郡西伊豆町、田方郡函南町、駿東郡清水町、同郡長泉町、同郡小山町、榛原郡吉田町、同郡川根本町、周智郡森町
愛知県(全域)名古屋市、豊橋市、岡崎市、一宮市、瀬戸市、半田市、春日井市、豊川市、津島市、碧南市、刈谷市、豊田市、安城市、西尾市、蒲郡市、犬山市、常滑市、江南市、小牧市、稲沢市、新城市、東海市、大府市、知多市、知立市、尾張旭市、高浜市、岩倉市、豊明市、日進市、田原市、愛西市、清須市、北名古屋市、弥富市、みよし市、��ま市、長久手市、愛知郡東郷町、西春日井郡豊山町、丹羽郡大口町、同郡扶桑町、海部郡大治町、同郡蟹江町、同郡飛島村、知多郡阿久比町、同郡東浦町、同郡南知多町、同郡美浜町、同郡武豊町、額田郡幸田町、北設楽郡設楽町、同郡東栄町、同郡豊根村
三重県(全域)津市、四日市市、伊勢市、松阪市、桑名市、鈴鹿市、名張市、尾鷲市、亀山市、鳥羽市、熊野市、いなべ市、志摩市、伊賀市、桑名郡木曽岬町、員弁郡東員町、三重郡菰野町、同郡朝日町、同郡川越町、多気郡多気町、同郡明和町、同郡大台町、度会郡玉城町、同郡度会町、同郡大紀町、同郡南伊勢町、北牟婁郡紀北町、南牟婁郡御浜町、同郡紀宝町
滋賀県(全域)大津市、彦根市、長浜市、近江八幡市、草津市、守山市、栗東市、甲賀市、野洲市、湖南市、高島市、東近江市、米原市、蒲生郡日野町、同郡竜王町、愛知郡愛荘町、犬上郡豊郷町、同郡甲良町、同郡多賀町
京都府 京都市、宇治市、亀岡市、城陽市、向日市、長岡京市、八幡市、京田辺市、南丹市、木津川市、乙訓郡大山崎町、久世郡久御山町、綴喜郡井手町、同郡宇治田原町、相楽郡笠置町、同郡和束町、同郡精華町、同郡南山城村
大阪府 大阪市、堺市、岸和田市、豊中市、池田市、吹田市、泉大津市、高槻市、貝塚市、守口市、枚方市、茨木市、八尾市、泉佐野市、富田林市、寝屋川市、河内長野市、松原市、大東市、和泉市、箕面市、柏原市、羽曳野市、門真市、摂津市、高石市、藤井寺市、東大阪市、泉南市、四條畷市、交野市、大阪狭山市、阪南市、三��郡島本町、豊能郡豊能町、泉北郡忠岡町、泉南郡熊取町、同郡田尻町、同郡岬町、南河内郡太子町、同郡河南町、同郡千早赤阪村
兵庫県 神戸市、姫路市、尼崎市、明石市、西宮市、洲本市、芦屋市、伊丹市、相生市、加古川市、赤穂市、宝塚市、三木市、高砂市、川西市、小野市、加西市、南あわじ市、淡路市、加東市、たつの市、加古郡稲美町、同郡播磨町、揖保郡太子町
奈良県(全域)奈良市、大和高田市、大和郡山市、天理市、橿原市、桜井市、五條市、御所市、生駒市、香芝市、葛城市、宇陀市、山辺郡山添村、生駒郡平群町、同郡三郷町、同郡斑鳩町、同郡安堵町、磯城郡川西町、同郡三宅町、同郡田原本町、宇陀郡曽爾村、同郡御杖村、高市郡高取町、同郡明日香村、北葛城郡上牧町、同郡王寺町、同郡広陵町、同郡河合町、吉野郡吉野町、同郡大淀町、同郡下市町、同郡黒滝村、同郡天川村、同郡野迫川村、同郡十津川村、同郡下北山村、同郡上北山村、同郡川上村、同郡東吉野村
和歌山県(全域)和歌山市、海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、岩出市、海草郡紀美野町、伊都郡かつらぎ町、同郡九度山町、同郡高野町、有田郡湯浅町、同郡広川町、同郡有田川町、日高郡美浜町、同郡日高町、同郡由良町、同郡印南町、同郡みなべ町、同郡日高川町、西牟婁郡白浜町、同郡上富田町、同郡すさみ町、東牟婁郡那智勝浦町、同郡太地町、同郡古座川町、同郡北山村、同郡串本町
岡山県 岡山市、倉敷市、玉野市、笠岡市、井原市、総社市、備前市、瀬戸内市、赤磐市、浅口市、和気郡和気町、都窪郡早島町、浅口郡里庄町、小田郡矢掛町
広島県 広島市、呉市、竹原市、三原市、尾道市、福山市、府中市、大竹市、東広島市、廿日市市、安芸高田市、江田島市、安芸郡府中町、同郡海��町、同郡熊野町、同郡坂町、豊田郡大崎上島町
山口県 下関市、宇部市、山口市、防府市、下松市、岩国市、光市、柳井市、周南市、山陽小野田市、大島郡周防大島町、玖珂郡和木町、熊毛郡上関町、同郡田布施町、同郡平生町
徳島県(全域)徳島市、鳴門市、小松島市、阿南市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦郡勝浦町、同郡上勝町、名東郡佐那河内村、名西郡石井町、同郡神山町、那賀郡那賀町、海部郡牟岐町、同郡美波町、同郡海陽町、板野郡松茂町、同郡北島町、同郡藍住町、同郡板野町、同郡上板町、美馬郡つるぎ町、三好郡東みよし町
香川県(全域)高松市、丸亀市、坂出市、善通寺市、観音寺市、さぬき市、東かがわ市、三豊市、小豆郡土庄町、同郡小豆島町、木田郡三木町、香川郡直島町、綾歌郡宇多津町、同郡綾川町、仲多度郡琴平町、同郡多度津町、同郡まんのう町
愛媛県(全域)松山市、今治市、宇和島市、八幡浜市、新居浜市、西条市、大洲市、伊予市、四国中央市、西予市、東温市、越智郡上島町、上浮穴郡久万高原町、伊予郡松前町、同郡砥部町、喜多郡内子町、西宇和郡伊方町、北宇和郡松野町、同郡鬼北町、南宇和郡愛南町
高知県(全域)高知市、室戸市、安芸市、南国市、土佐市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、香南市、香美市、安芸郡東洋町、同郡奈半利町、同郡田野町、同郡安田町、同郡北川村、同郡馬路村、同郡芸西村、長岡郡本山町、同郡大豊町、土佐郡土佐町、同郡大川村、吾川郡いの町、同郡仁淀川町、高岡郡中土佐町、同郡佐川町、同郡越知町、同郡梼原町、同郡日高村、同郡津野町、同郡四万十町、幡多郡大月町、同郡三原村、同郡黒潮町
福岡県 北九州市、行橋市、豊前市、京都郡苅田町、築上郡吉富町、同郡築上町
熊本県 宇城市、阿蘇市、天草市、阿蘇郡高森町、上益城郡山都町、球磨郡多良木町、同郡湯前町、同郡水上村、同郡あさぎり町、天草郡苓北町
大分県 大分市、別府市、中津市、佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、豊後高田市、杵築市、宇佐市、豊後大野市、由布市、国東市、東国東郡姫島村、速見郡日出町、玖珠郡九重町
宮崎県(全域)宮崎市、都城市、延岡市、日南市、小林市、日向市、串間市、西都市、えびの市、北諸県郡三股町、西諸県郡高原町、東諸県郡国富町、同郡綾町、児湯郡高鍋町、同郡新富町、同郡西米良村、同郡木城町、同郡川南町、同郡都農町、東臼杵郡門川町、同郡諸塚村、同郡椎葉村、同郡美郷町、西臼杵郡高千穂町、同郡日之影町、同郡五ケ瀬町
鹿児島県 鹿児島市、鹿屋市、枕崎市、阿久根市、指宿市、西之表市、垂水市、薩摩川内市、日置市、曽於市、霧島市、いちき串木野市、南さつま市、志布志市、奄美市、南九州市、伊佐市、姶良市、鹿児島郡三島村、同郡十島村、薩摩郡さつま町、出水郡長島町、姶良郡湧水町、曽於郡大崎町、肝属郡東串良町、同郡錦江町、同郡南大隅町、同郡肝付町、熊毛郡中種子町、同郡南種子町、同郡屋久島町、大島郡大和村、同郡宇検村、同郡瀬戸内町、同郡龍郷町、同郡喜界町、同郡徳之島町、同郡天城町、同郡伊仙町、同郡和泊町、同郡知名町、同郡与論町
沖縄県 名護市、糸満市、豊見城市、うるま市、宮古島市、南城市、国頭郡国頭村、同郡東村、島尻郡与那原町、同郡渡嘉敷村、同郡座間味村、同郡南大東村、同郡北大東村、同郡伊平屋村、同郡八重瀬町、宮古郡多良間村
猛暑のせい?広島の夏の交通事故、死者数が倍に 警察が注意呼びかけ(朝日新聞)
7月以降に広島県内で起きた交通死亡事故数が、昨年の同時期を大幅に上回っている。県警によると、連日の猛暑による集中力や注意力の欠如が原因の一つと考えられるといい、注意を呼びかけている。
県警交通企画課によると、7月1日~8月4日の交通事故死者数は12人で、昨年同時期の5人から倍以上に増えている。
このうち、バイクや自転車、歩行者の死者数は計9人。日中の事故で亡くなった人は9人で、夜間は3人だった。
同課は、気温が高くなり、運転などに集中できないことが事故につながっている可能性があると分析。運転する場合はこまめに水分補給したり休憩をとったりし、体調に異変を感じる時は運転を控えるなどの対策が必要としている。
担当者は「交通事故を防ぐためにも、熱中症警戒アラートが発せられるような暑い日は不要な外出を控えて」と呼びかけている。
気象庁によると、広島市内では35度以上の猛暑日が8日まで10日間続いている。(遠藤花)
「1990年に天皇の戦争責任を論じ始めたとき不安はなかったか、ですか? なかったと言えばウソになります」=吉本美奈子撮影
(インタビュー)昭和天皇の戦争関与 歴史学者・山田朗さん(朝日新聞)
「昭和天皇は戦争への主体的な関与をしなかった」「最後まで対米英戦を回避しようとした」。こうした昭和天皇像に、実証的な研究を通じて見直しを迫ってきた歴史学者がいる。明治大学教授の山田朗さんだ。「天皇の戦争指導」の実態はどうだったのか。その歴史を直視してこなかった戦後日本社会とは。
――昭和天皇(1901~89���が戦争中にどう行動し、そのことを戦後にどう考えていたのか。実証的に調べる研究を30年以上も続けていますね。
「きっかけは、昭和天皇の健康が悪化した88年から日本社会を覆った『自粛』現象でした」
「天皇が戦争にどうかかわったかについての先行研究はすでにありましたが、私には『昭和天皇には戦争責任がある』という結論ありきの研究に見えました。他方には『戦争責任などない』との意見もあったけれど、どちらも戦争中の実態を踏まえた議論とは思えなかった。史料を踏まえた実証的な研究が必要だと思いました」
――日本が米英に対する戦争を始めたのは41年12月でしたね。「昭和天皇は最後まで日米開戦を避けようとしていた」という話が広く信じられていますが、事実でしょうか。
「違います。41年9月6日に開かれた御前会議の時点までは、確かに天皇は開戦を躊躇していました。しかし側近の日記や軍の記録などから見えてきたのは、そのあと天皇が戦争への覚悟を決めていく姿でした」
「10月には宣戦布告の詔書の作り方を側近に相談しており、11月には軍の説く主戦論に説得されています。最終的には天皇は開戦を決断したのです」
――昭和天皇は戦争に主体的に関与することがなかった、という理解も広がっていますね。
「事実ではありません。大日本帝国憲法では天皇は大元帥、つまり日本軍の総司令官でした。形式的発言をするだけだったというイメージが広がっていますが、記録によれば、大元帥として出席した大本営御前会議では活発に発言しています。軍幹部への質問や注意を通じて作戦に影響を与えていた実態も、史料から見えてきました」
――昭和天皇が具体的に変えた事例を挙げてください。
「42年のガダルカナル島(南太平洋ソロモン諸島)攻防戦で、航空部隊を現地へ送るよう天皇は3回にわたって、出撃をしぶる陸軍に督促していました。3度目の督促の翌日、陸軍は派遣を決めています」
「45年の沖縄戦では『現地軍は何故攻勢に出ぬか』と言って、積極的な攻撃に出るよう要求しました。現地軍は持久戦でいくと決めていたのですが、天皇の意思が現地まで伝わったため中途半端な攻勢が行われ、無用な出血につながりました」
「天皇の言葉が作戦を左右する影響を与えた事例は、満州事変から敗戦までの間に少なくとも17件確認できます。国家意思に影響を与えていた形です」
――作戦指導だけにとどまらず「戦争指導」も行っていたと著書で主張していますね。
「ええ。戦争指導は単なる軍事作戦指導とは異なり、外交などの政治戦略と軍事作戦を束ねた、より高次の指導です」
「昭和天皇は43年のソロモン諸島などの攻防で、戦い方が消極的だと侍従武官長を厳しく叱責し、こんなことでは敵国の士気が上がって第三国にも動揺が広がってしまうと言って積極攻勢を求めました。国際情勢をにらんだ上で国家としてどう作戦を立てるかという戦争指導の領域にこのとき昭和天皇は立ち入っていたと、私は思います」
――昭和天皇はなぜ作戦指導や戦争指導をしたのでしょう。
「大日本帝国という国家の抱えていた構造的な問題が背景にあってのことだったと思います。天皇を好戦的な指導者だったとみな��のは間違いです」
――構造的な問題とは?
「ガダルカナル戦で天皇が指導に踏み込んだのは、どちらが航空機を出すかでもめていた陸軍と海軍の対立を解くためでした。大日本帝国では陸軍も海軍も天皇に直属していて、両者を統合して指揮する統合幕僚長のような指導役が不在でした。陸・海軍の対立を調整できるのは当時、天皇だけだったのです」
「軍事戦略と外交戦略の双方を統括しえたのも天皇だけでした。軍の最高指揮権にあたる『統帥権』は天皇にあり、統帥権は行政から独立していました。首相ですら軍事行動の詳細を知ることはできない構造です。外交や予算をつかさどる行政が軍部と分立していた中で、両者を架橋しえたのは実質的に天皇だけだったのです」
――「昭和天皇は戦争指導をしたのか否か」と問う以前に、「そもそも戦争指導をできる指導者は当時いたのだろうか」と考えさせられる話です。
「ええ。戦況の悪化に直面したことで昭和天皇は大日本帝国が抱えた構造的欠陥の深刻さに気づき、自らが動くしかないと考えた可能性があります。陸軍と海軍が持つそれぞれの経験値では解決できない事態があり、政治が軍事を制御できる仕組みも見当たらない。そんな状況下での戦争指導だったのです」
――昭和天皇に戦争責任はあった、と主張していますね。
「実態を踏まえれば、昭和天皇には戦争責任があったと考えるべきだと思います。あれだけの悲惨な結果を招いた戦争において、大日本帝国の軍事と政治の双方を統括できる国家指導者だったのであり、すべての重要な政策決定の場にいたのですから、およそ責任がなかったと言えるものではありません」
――連合国が戦後に日本の戦争指導者を裁いた東京裁判(極東国際軍事裁判)で、昭和天皇は訴追されませんでした。米国が占領統治のコストを下げるために見送ったとされます。
「裁判が始まる前から日本国内では、昭和天皇は平和主義者であって戦争責任を問われるべき人物ではないとのイメージづくりが、政府などによって進められました。天皇を守るためだったと語られがちですが、それだけではなかったと思います」
「戦争は陸軍の強硬派が進めたものであって天皇には止める権限がなかったというストーリーをつくることで、海軍主流派や外務省・内務省の官僚らは自らを『天皇の側にいた者』とし、責任追及を回避できました。その人たちが戦後日本の権力を担っていったのです。このシナリオを最終的に追認したのが米国主導の東京裁判でした」
――その歴史は現在に何か影響を与えているでしょうか。
「責任をとるべき人がとっていないという巨大な前例が今も生き続けています。宮内庁が編纂して今から10年前に公開された『昭和天皇実録』も、天皇は平和主義者だったというイメージを強化する内容でした」
――ウクライナ侵攻などが起きた影響もあって、今、日本政府はかつて��い規模での防衛力増強に乗り出しています。
「戦争期の近代日本史が教えるのは、軍を政治的にコントロールすることの難しさです。軍事は軍事の専門家だけが理解できるものだという論理のもと、閉じられたサークルの中で『自己展開』していってしまう傾向が、軍事にはあるからです」
「昭和戦前期と違って今は一応、行政府が外交も安全保障もあわせて統括できる体制には変わっています。しかし、国民の代表である国会のチェックが安全保障政策に反映されているかといえば、答えはノーです」
――5年前に公開された新史料「拝謁記」に注目するよう訴えていますね。なぜですか。
「昭和天皇があの戦争のことを『戦後に』どう考えていたのかを、今までにない生々しさで伝えている史料だからです。拝謁記とは、初代宮内庁長官だった田島道治が昭和天皇の戦後の肉声を記録したものです」
――何が分かったのですか。
「昭和天皇の中で戦後、『誰がどうやっても戦争の流れを止められなかった』という考えが次第に強まっていった事実です。田島の耳に最後には言い訳だと聞こえてきたほどでした」
「陸軍が戦争の牽引者だったのは事実です。しかし昭和天皇はブレーキの壊れたジェットコースターの単なる乗客だったのではなく、操縦する側でした。ブレーキが壊れていたわけでもなく、実際、天皇の聖断という形で戦争は終わっています」
――その歴史からどんな教訓をくみとるべきでしょう。
「戦前は天皇が国家の主権者でした。その主権者が戦後、『自分にはどうしようもなかった』という考えに至っていた。現在の日本では国民が主権者です。再び戦禍に見舞われたあとで『自分にはどうしようもなかった』という総括をまた繰り返すのか。主権者としての選択が問われていると思います」(聞き手 編集委員・塩倉裕)
やまだあきら 1956年生まれ。専門は日本近現代史。軍事史や天皇制論に詳しい。著書に「大元帥 昭和天皇」(94年)、「昭和天皇の戦争認識」(2023年)など。
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2023年に読んで「オォッ!」と思った本や作品……その1
『長靴をはいた猫』(シャルル・ペロー著/澁澤龍彦訳/河出文庫/Kindle版) 『台湾漫遊鉄道のふたり』(楊双子著/三浦裕子訳/装画:Naffy/装幀:田中久子/中央公論新社/Kindle版) 『聊斎志異(上下巻)』(蒲松齢作/立間祥介編訳/岩波文庫) 『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン著/岸本佐知子訳/装幀:吉田浩美、吉田篤弘〔クラフト・エヴィング商會〕/白水社) 『新版 小さなトロールと大きな洪水』(ヤンソン著/冨原眞弓訳/さし絵・カバー装画:ヤンソン/講談社文庫/Kindle版) 『象の旅』(ジョゼ・サラマーゴ著/木下眞穂訳/書肆侃侃房/Kindle版) 『リリアンと燃える双子の終わらない夏』(ケヴィン・ウィルソン著/芹澤恵訳/イラストレーション:中島ミドリ/ブックデザイン:アルビレオ/集英社) 『透明人間』(ハーバート・ジョージ ウェルズ、著/海野十三訳/青空文庫/Kindle版) 『世界の終わりの天文台』(リリー・ブルックス=ダルトン著/佐田千織訳/創元SF文庫/Kindle版) 『去年を待ちながら 新訳版』(フィリップ・Kディック著/山形浩生訳/カバーデザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『ザップガン』(フィリップ・K・ディック著/大森望訳/扉デザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(フィリップ・K・ディック著/浅倉久志訳/早川書房) 『火星のタイム・スリップ』(フィリップ・K・ディック著/小尾芙佐訳/扉デザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『マーダーボット・ダイアリー 上下』(マーサ・ウェルズ著/中原尚哉訳/カバーイラスト:安倍吉俊/東京創元社/創元SF文庫/Kindle版) 『珈琲と煙草』(フェルディナント・フォン・シーラッハ著/酒寄進一訳/東京創元社/Kindle版) 『シャーロック・ホームズ シリーズ全10巻 合本版』(コナン・ドイル著/延原謙訳解説/新潮文庫/Kindle版) 『イラハイ』(佐藤哲也著/佐藤亜紀発行/Kindle版) 『シンドローム』(佐藤哲也著/森見登美彦解説/カバー装画:西村ツチカ/カバーデザイン:祖父江慎+コズフィッシュ/キノブックス文庫) 『俺の自叙伝』(大泉黒石著/四方田犬彦解説/岩波文庫) 『ブサとジェジェ』(嶽本野ばら著/『三田文學 153 春季号 2023』掲載作品) 『珈琲挽き』(小沼丹著/清水良典解説/年譜・著書目録:中村明/講談社文芸文庫) 『不機嫌な姫とブルックナー団』(高原英理著/講談社/Kindle版) 『祝福』(高原英理著/装幀:水戸部功/帯文:渡辺祐真/河出書房新社) 『若芽』(島田清次郎著/青空文庫Kindle版) 『交尾』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『のんきな患者』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『城のある町にて』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『風立ちぬ』(堀辰雄著/青空文庫/Kindle版) 『自分の羽根』(庄野潤三著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『幾度目かの最期 久坂葉子作品集』(久坂葉子著/久坂部羊解説/年譜・著書目録:久米勲/デザイン:菊地信義/講談社文芸文庫) 『現代語訳 南総里見八犬伝 上下巻』(曲亭馬琴著/白井喬二訳/カバーデザイン:渡辺和雄/河出書房新社/Kindle版) 『キッチン』(吉本ばなな著/カバーデザイン:増子由美/幻冬舎文庫/Kindle版) 『かもめ食堂』(群ようこ著/装画:牧野伊三夫/カバーデザイン:井上庸子/幻冬舎文庫/Kindle版) 『ハピネス』(嶽本野ばら著/カバーイラスト:カスヤナガト/カバーデザイン:松田行正/小学館文庫/小学館eBooks/Kindle版) 『猫の木のある庭』(大濱普美子著/金井美恵子解説/装幀:大久保伸子/装画:武田史子/カバーフォーマット:佐々木暁/河出文庫) 『ハンチバック』(市川沙央著/装幀:大久保明子/装画:Title: mohohan Year: 2020 Photo: Ina Jang / Art + Commerce/文藝春秋) 『文豪たちの妙な旅』(徳田秋聲、石川啄木、林芙美子、田山花袋、室生犀星、宇野浩二、堀辰雄、中島敦、萩原朔太郎著/山前譲編/カバーデザイン:坂野公一+吉田友美(welle design)/カバー装画:樋口モエ/カバーフォーマット:佐々木暁/河出文庫) 『作家の仕事部屋』(ジャン=ルイ・ド・ランビュール編/岩崎力訳/読書猿解説/カバーイラスト:Guillaume Reynard/カバーデザイン:細野綾子/中公文庫) 『腿太郎伝説(人呼んで、腿伝)』(深掘骨著/左右社/Kindle版) 『硝子戸の中』(夏目漱石著/石原千秋解説/カバー装画:安野光雅/新潮文庫) 『思い出す事など』(夏目漱石著/青空文庫/Kindle版) 『文鳥』(夏目漱石著/青空文庫/Kindle版) 『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(川本直著/文庫版解説:若島正/ロゴ・表紙デザイン:粟津潔/本文・カバーフォーマット:佐々木暁/カバー装幀:大島依提亜/カバー装画:宇野亞喜良/帯文:魔夜峰央/河出文庫) 『駅前旅館』(井伏鱒二著/解説:池内紀/カバー装画・文字:峰岸達/新潮文庫)『硝子戸の中』(夏目漱石著/カバー:津田青楓装幀「色鳥」より/注解:紅野敏郎/解説:荒正人/新潮文庫) 『村のエトランジェ』(小沼丹著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『午後三時にビールを 酒場作品集』(萩原朔太郎、井伏鱒二、大岡昇平、森敦、太宰治、坂口安吾、山之口貘、檀一雄、久世光彦、小沼丹、内田百閒、池波正太郎、吉村昭、開高健、向田邦子、安西水丸、田中小実昌、石川桂郎、寺田博、中上健次、島田雅彦、戌井昭人、吉田健一、野坂昭如、倉橋由美子、松浦寿輝、山高登著/カバー画:山高登「ビヤホール」/カバーデザイン:高林昭太/中央公論新社編/中公文庫/Kindle版) 『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』(中央公論新社編/巻末付録:全集『日本の文学』資料/中公文庫) 『40歳だけど大人になりたい』(王谷晶著/デザイン:アルビレオ/平凡社/Kindle版) 『人生ミスっても自殺しないで、旅』(諸隈元著/ブックデザイン:祖父江慎+根本匠(コズフィッシュ)/晶文社) 『ロバのスーコと旅をする』(髙田晃太郎著/装幀:大倉真一郎/地図制作:小野寺美恵/河出書房新社) 『本当の翻訳の話をしよう 増補版』(村上春���、柴田元幸著/カバー装画:横山雄(BOOTLEG)/新潮文庫) 『書籍修繕という仕事 刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』(ジェヨン著/牧野美加訳/装幀:藤田知子/装画:谷山彩子/原書房)
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参考書籍
目次は こちら
参照書籍一覧
このWEBサイトで使用した資料は下記の書籍です。略称を独自に決めました。この略称は、他に通用する略称ではありません。本文との関係で、見やすいように略称を頭に記しました。
1.『朝鮮の歴史』��先史から現代まで―:田中俊明氏編、株式会社昭和堂発行、2008年4月初版第一印刷、2011年4月初版第3印刷
2.『韓国の中学校歴史教科書』:世界の教科書シリーズ13、(中学校国定国史)、三橋広夫訳、株式会社明石書店、2005年8月31日初版第1刷発行
3.『韓国の歴史教科書』:世界の教科書シリーズ39、高等学校韓国史、検定版、イム・ヘンマン氏、キム・サンギュ氏、パク・ポミ氏、パク・チュンヒョン氏、チョン・ヘンニョル氏、イ・インソク氏著、三橋広夫氏・三橋尚子氏訳、株式会社明石書店発行、2013年12月25日初版第1刷発行、2017年8月25日初版第3刷発行
4.『朝鮮史1』:世界歴史大系・李成市氏・宮嶋博史氏・糟谷憲一氏編、先史▶朝鮮王朝、株式会社山川出版社発行、2017年10月10日1版1刷印刷、2017年10月10日1版1刷発行、
5.『神話から歴史へ』―神話時代 夏王朝―、宮本一夫氏著、中国の歴史01、株式会社講談社発行、2005年3月15日第1刷発行
6.『三国遺事』完訳、一念著・金思燁訳、朝日新聞社、昭和五一年四月二〇日第一刷発行
7.『韓国の小学校歴史教科書』:初等学校国定社会・社会科探求、世界の教科書シリーズ17、三橋広夫訳、株式会社明石書店発行、2007年10月10日初版第1刷発行
8.『大漢和辞典』:諸橋轍次氏著、株式会社大修館書店発行、昭和三十五年五月二十五日初版発行、昭和四十三年縮写版第一刷発行、昭和四十六年五月一日縮写版第三刷発行
9.『朝鮮の歴史・新版』:朝鮮史研究会編、株式会社三省堂発行、1995年2月15日第1刷発行、2004年6月10日第9刷発行
10.『簡明中国歴史地図集』中国地理叢書:国社会科学院主辨、譚其驤氏主編、中国地図出版社出版、1985年2月《中国地理叢書》出版説明は編集委員会が行い、前言は1990年8月17日付けで譚其驤氏によってなされている。発行日は不明。ここでは日本で使われている漢字で表記しましたが、実際の書籍は中国で使われている簡体字です。
11.『ファーストエンペラーの遺産』秦漢帝国:中国の歴史03、鶴間和幸氏著、株式会社講談社発行、2004年11月10日第一刷発行
12.『倭国伝』中国正史に描かれた日本。講談社学術文庫2010:藤堂明保氏・竹田晃氏・影山輝国氏全訳注、株式会社講談社発行、2010年9月13日第1刷発行、2010年11月12日第3刷発行
13.『三国史記1』東洋文庫372:金富軾氏著・井上秀雄訳注、株式会社平凡社発行、1980年2月29日初版第1刷発行、1985年6月1日初版第2刷発行
14.『三国史記2』東洋文庫425、金富軾氏著・井上秀雄訳注、株式会社平凡社発行、1983年9月19日初版第1刷発行、1999年5月20日初版第7刷発行
15.『DNAでたどる日本人10万年の旅』���様なヒト・言語・文化はどこからきたのか?:崎谷満氏著、株式会社昭和堂発行、2008年1月20日初版第1刷発行、2015年10月20日初版第11刷発行
16.『朝鮮紀行』講談社学術文庫1340.―英国婦人の見た李朝末期―:イザベラ・バード氏著・時岡敬子氏訳、株式会社講談社発行、1998年8月10日第1刷発行、2005年1月20日第11刷発行
17.『人口から読む日本の歴史』:鬼頭宏氏著、株式会社講談社発行、2000年5月10日第1刷発行、2013年2月12日第29刷発行
18.『概説韓国考古学』韓国考古学会編、武末純一氏監訳、庄田慎矢氏・山本孝文氏訳、㈱同成社、2013年10月3日発行、2015年5月25日第2刷
19.『朝鮮儒教の二千年』講談社学術文庫2097:姜在彦(Kang Jae-Eun)氏著、株式会社講談社発行、2012年2月9日第1刷発行
20.『高麗史』:國書刊行會代表・市島謙吉氏編輯兼発行『高麗史』「第一」(國書刊行會)明治41年11月30日発行。非売品
21.『本当に悲惨な朝鮮史』「高麗史節要」を読み解く:麻生川静男氏著、株式会社KADOKAWA発行、2017年4月10日発行
22.『世界史の中の蒙古襲来』モンゴルから見た高麗と日本:宮脇淳子氏著、株式会社扶桑社発行、2019年6月30日初版第一刷発行
23.『朝鮮事情』東洋文庫367:フランス人のCharles Dallet氏著『Historie de L’Eglise de Coree.』、金容権による日本語訳、株式会社平凡社、1979年12月20日初版第1刷発行、1987年1月20日初版第3刷発行
24.韓国がタブーにする『日韓併合の真実』:崔基鎬氏著、株式会社ビジネス社発行、2014年1月1日第1刷発行、2014年2月11日第3刷発行勝利を
25.『THE NEW KOREA』朝鮮が劇的に豊かになった時代:アレン・アイルランド(ALLENE IRELAND,F.R.G.S.,)氏著、桜の花出版編集部編、桜の花出版㈱発行、㈱星雲社発売、2013年8月14日初版 第1すり発行、2018年10月15日第4版第2すり発行
26.『悲劇の朝鮮』―スウエーデン人ジャーナリストが目撃した李朝最期の真実―:アーソン・グレブスト著、・河在龍・高演義訳、株式会社白帝社発行、1989年9月1日初版印刷、1989年9月5日初版発売
27.世界歴史大系『朝鮮史2』―近現代―:李成市氏・宮崎博史氏・糟谷憲一氏編、株式会社山川出版社発行、2017年10月10日1版1刷印刷、2017年10月20日1版1刷発行
28.『朝鮮現代史』:糟谷憲一氏・並木真人氏・林雄介氏著、株式会社山川出版社発行、2016年7月20日1版1刷印刷、2016年7月30日1版1刷発行
29.『総督府年報1941』:『朝鮮総督府施政年報 昭和14年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
30.『総督府年報1923』:『朝鮮総督府施政年報 大正12年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
31.『朝鮮の悲劇』東洋文庫222:イギリス人のFrederick Arther McKenzie著、 “The Tragedy of Korea”、渡部学訳、株式会社平凡社発行、1972年12月18日初版第1刷発行、2008年1月18日初版第13刷発行
32.『歴史を偽造する韓国』韓国併合と搾取された日本:中川八洋氏著、株式会社徳間書店発行、第1刷―2002年4月30日
33.『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』:水間政憲氏著、株式会社PHP研究所発行、2013年2月13日第1版第1刷発行、2019年10月24日第1版第7刷発行
34.『反日種族主義』日韓危機の根源:李栄薫氏編著、株式会社文藝春秋発行、2019年11月15日第1刷発行
35.『日本統治時代を肯定的に理解する』韓国の一知識人の回想:朴贊雄氏著、株式会社草思社発行、2010年9月1日第1刷発行、2010年10月1日第3刷発行
36.『大韓民国の物語』韓国の「国史」教科書を書き換えよ:李栄薫著・永島広紀訳、株式会社文芸春秋発行、2009年3月1日発行
37.『日韓併合小史』岩波新書(青版)587:山辺健太郎氏著、株式会社岩波新書発行、1966年2月21日第1刷発行、2010年9月17日第30刷発行
38.『日本統治下の朝鮮』統計と実証研究は何をかたるか。中公新書2482:木村光彦氏著、中央公論新社発行、2018年4月25日初版、2018年7月5日3版
39.『三星の成長と日本』:2016年3月。李 恵美(Hyemi LEE)氏
(筑波大学大学院人文社会科学研究科 博士後期課程)執筆の2016 Journal of International and Advanced Japanese Studies Vol. 8, Marchに掲載されたレポート『サムスングループの形成と成長における日本からの影響』―1938年から1987年までの期間を対象に―
40.韓国人が書いた『韓国で行われている「反日教育」の実態』:崔碩栄氏著、株式会社彩図社発行、弊政26年12月22日第1刷
41.シリーズ日本人の誇り10『朝鮮総督府官吏最後の証言』:桜の花出版編集部による西川清氏へのロングインタビューの記録、桜の花出版編集部編、桜の花出版株式会社出版、2014年8月15日初版第1刷発行、2014年9月18日初版第2刷発行
42.『日本の朝鮮統治を検証する』1910-1945:ジョージ・アキタ氏、ブランドン・パーマー氏著、塩谷紘訳、株式会社草思社発行、2013年8月28日第1刷発行、2013年11月7日第6刷発行
43.『日韓併合を生きた15人の証言』―「よき関係」のあったことをなぜ語らないのか―:呉善花著、桜の花出版株式会社発行、2015年7月27日初版第1刷発行、発売元株式会社星雲社
44.『完訳三国史記上㊤』:金富軾著・金思燁訳、株式会社六興出版発行、昭和55年12月10日初版発行
45.『日本旧石器時代の起源と系譜』:安蒜政雄著、 株式会社雄山閣発行、2017年3月31日初版発行
46.『日本人の起源』DNA,古地理・古環境からさぐる―石器時代人が縄文人、弥生人そして現代人になった―:山崎茂幸氏著、株式会社幻冬舎発行、2016年12月27日発行
47.『DNA人類進化学』岩波科学ライブラリー52:宝来聡氏著、株式会社岩波書店発行、1997年7月22日第1刷発行
48.『日本列島人の歴史』: 斎藤��也氏著、岩波ジュニア新書812、株式会社岩波書店発行、2015年8月28日第1刷発行、2016年4月5日第2刷発行
49.『日本人はどこから来たのか』:海部陽介氏著、株式会社文芸春秋、2016年2月10日第1刷発行、2016年7月5日第5刷発行
50.『DNAでわかった日本人のルーツ』遺伝子で解明!縄文人が日本人の祖先だ!別冊宝島2403号:斎藤成也氏監修、株式会社宝島社発行、2016年12月29日
51.『縄文は何時から』―地球環境の変動と縄文文化―:歴博フォーラム、小林謙一氏・工藤雄一郎氏、国立歴史民俗博物館編、株式会社新泉社発行、2011年2月15日第1版第1刷発行、2012年12月10日増補版第1刷発行
52.『人類と気候の10万年史』過去に何がおきたのか、これから何が起こるのか:中川 毅氏著、株式会社講談社発行、2017年2月20日第1刷発行
53.『日本海の成立』改定版:西村三郎氏著、築地書館株式会社、1974年11月20日初版発行、1980年8月1日改定第2刷発行
54.フリー百科事典Wikipedia「細胞」
55.フリー百科事典Wikipedia「ミトコンドリアDNA」
56.フリー百科事典Wikipedia「更新世」
57.『日本歴史・第1巻』岩波講座・🔹原始・古代1:編集委員は大津透氏・桜井栄治氏・藤井譲治氏・吉田裕氏・李成市氏の各、氏、株式会社岩波書店発行、2013年11月19日第1刷発行
58.『ひと目でわかる日韓併合時代の真実』:水間政憲氏著株式会社PHP研究所発行、2013年2月13日第1版第1刷発行、2019年10月24日第1版第7刷発行
59.『図説朝鮮戦争』ふくろうの本:田中恒夫著、河出書房新社発行、発行者…小野寺優、2011年4月20日初版印刷、2011年4月30日初版発行
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私は、かつて講談社文庫に収録されたこの作品と、高校のときに出逢う。その世界を身体のすみずみに染み通るように深く感受し、とろけるように愛してしまった。畦地梅太郎のカバー、小沼丹の解説とともに忘れがたい。以来、無数の作家と作品に出逢いながら、庄野潤三という名前は別格。いわば、神棚に供えて祀り上げる存在となったのだ。
— 岡崎武志著『ここが私の東京』(2016年6月Kindle版、扶桑社BOOKS)
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廢知錄
H:奇怪有趣的笑話笑文,具有魔法的廢知錄。顧炎武以日知錄聞名,論語篇子夏曰:「日知其所亡,月無忘其所能,可謂好學也已矣。」好學典範。廢知錄就是在奇趣笑魔之間耍廢的記錄。只有腦袋笑起來,飛起來,靈活才會跟著奇思妙想,耍廢燒腦而不固化。資料庫,雲端,Meta,AI,星球都是空,萬丈高樓平地起,青雲有路趣為梯。趣之為導,廢之無為,持之以恆,日日記之是為廢知錄,又是騙笑鈔,也是所謂騙笑,博君一笑。20231207W4
網路字典
奇趣
妙趣。南朝齊.謝朓〈遊敬亭山〉詩:「要欲追奇趣,即此陵丹梯。」
笑魘,又稱微笑之物或暗夜巡獵者,是在後室的大部分樓層中都有分布的危險實體。唯一可以用來分辨笑魘的特徵是它們閃閃發光的眼睛和刻在臉上的巨大笑容——那是它們身���唯一能反射光線的東西。
奇思異想造句
例句與造句
她更象是個飄忽的精靈,在茅屋的地面上作過一陣奇思異想的游戲之后,使要面帶嘲笑地飛走了。
也正是那盞燈的昏光,觸發了丁梅斯代爾先生的上述奇思異想,使他綻出了微笑不,他簡直是對那想法放聲大笑之后就懷疑自己是否要發瘋了。
大概是由于珠兒正站在窗邊,附近就有總督的紅玫瑰,再加上她想起來時走過獄前見到的玫瑰叢,就受到啟示,生出了這樣一種奇思異想,
隨之,在被這些光怪陸離的奇思異想弄得十分陰森可怖的內室中,海絲特白蘭領著身穿猩紅袍服的珠兒飄然而過,那孩子伸出食指,先指指母親胸前的紅字,然后又指指牧師本人的胸膛。
反之,那孩子的服飾卻顯得別出心裁,給人一種充滿幻想勿寧說是奇思異想的印象,確實增加了那小妨娘早早就開始顯露出來的活潑動人之美,不過,做母親的給她這樣打扮,似乎還有更深的含義。
異想天開
「異想天開」是指發出奇想天門開啟,這種想法是怪異的,所以叫「異想」。異想的結果自然是不符實際、不合事理。清代無名氏〈都門紀變百詠〉中,提到為抵禦外敵入侵北京城,有人就建議找些漁戶潛水去破壞鐵甲船,也有人建議挖深護城河,並挑運河水來灌注,使它深滿以抵擋敵人。這些不符實際,不合事理的建議當然是「異想天開」的想法。
網路資料
「超廢語錄」魯蛇悲歌
當你悲慘時,會嫉妒別人的幸福。
那些殺不死我的,怎麼不再努力一點。
人在窮的時候,悲劇就會層出不窮 。為什麼好吃的東西,熱量都那麼高呢?
如果我死了,請將我的靈魂化為灰燼吧 。
買房子不切實際,不如死後燒一間給我 。
富者更富,窮者更多 。休息是為了不想走路 。
滷蛋還有人會買走,魯蛇就什麼都沒有 。滷蛋越滷越香,魯蛇只會越魯越淒涼 。
我的存在,就是在襯托那些優秀的人。
那些你討厭的人,正在過著你渴望的生活 。如果你的朋友都是魯蛇,那應該是物以類聚。 其實只要不要臉,很多人生難題都能迎刃而解 。忘記以前的不開心,因為以後會更不開心 。
我每次學到新東西,腦子裡就裝不下舊東西。 從年初的一無所有,到年終的身無分文 。
好運一定會降臨,只是會降臨在別人頭上。 出生時被死神摸過,一輩子帶衰 。
每個成功的男人背後,都會有一個吃飽了沒事做的老婆。 當你懷疑人生的時候,不要懷疑,這就是你的人生 。人只要活著就一定會有好事,發生在別人身上
搞笑語錄
1、我自横刀向天笑,笑完我就去睡觉。
2、时间太瘦,指缝太宽。
3、坐等丈母娘发货。
4、男人赚钱后想和老婆离婚,男人赚不到钱老婆想和他离婚。
5、我们的目标:向钱看,向厚赚。
6、我是你转身就忘的路人甲,凭什么陪你蹉跎年华到天涯?
7、间歇性郁闷症发作期间,生人勿扰,熟人勿找。
8、妈妈在也不用担心我的学习,一手拿着教科书,一手拿着打火机,那里不会点那里。
9、帅有个屁用!到头来还不是被卒吃掉!
10、如果你愿意一层一层一层的剥开我的心 你会发现我缺心眼。
小妮子的奇思妙想1:幸福是什麼?
Le bonheur selon Ninon
作者:奧斯卡.柏尼菲
原文作者:Oscar Brenifier
譯者: 梁若瑜
繪者: 楊宛靜
語言:繁體中文
出版社:愛米粒
出版日期:2021/10/12
目錄
不開心是常有的事!
接受現實
期望落空時
不再對別人抱持期待?
自怨自艾
簡單的幸福
天生就懂得幸福?
選擇讓自己快樂
快樂方式,人各有之
荒謬人生
擁有知識的不幸
對自己有自信
把心事說出來,讓心情好一點
思考
對什麼都沒興趣
幸福和快樂
幸福和受苦
懷念
超越苦難
什麼也不擁有
細膩敏感
愛自己
幸福快樂很不容易
難以捉摸的快樂
人生目標
抄���導讀
雙手交叉。表示施禮。
唐 張保嗣 《戲示諸妓》詩:“抄手向前咨大使,這回不敢惱兒郎。”《敦煌變文集·舜子變》:“ 舜子 抄手啟阿耶。”《水滸傳》第三回:“酒保抄手道:‘官人要甚東西,分付買來。’”
謂左右環抱。房屋建筑中,自二門起向兩旁延伸到正房的走廊,叫抄手游廊。
《兒女英雄傳》第二四回:“一座垂花二門,進去抄手游廊,五間正房,便是 安老爺 夫妻的內室。”
抄書的人。
湯用彤 《漢魏兩晉南北朝佛教史》第二分第六章:“后世傳抄者不悉 登 為人名,故改‘ 登 卒’為‘登位’。而‘ 登 位卒’者,則再后抄手依二本合寫也。”
方言。即餛飩。
韋君宜 《川行寄語老北京》:“一碗結結實實像小餃子的肉餛飩( 四川 叫抄手)才兩毛。”
百科解釋
餛飩(漢語拼音:hún tún 或者hún tun 輕聲;粵語:w?n3 t?n1,音同“云吞”;山東話:hún dùn;英文名:wonton)是中國漢族傳統面食之一,用薄面皮包餡兒,通常為煮熟后帶湯食用。源于中國北方。
近義成語
妙想天開、胡思亂想、匪夷所思、想入非非
「異想天開」及「想入非非」都有想法奇特、不切實際的意思。
「異想天開」側重於形容超乎常情、難以實現的想法;「想入非非」則側重於虛妄的想法,有時指不正當的邪思。
Blue-sky thinking 奇思妙想
EPISODE 220222 / 22 FEB 2022
当一个问题或状况未被解决时,可能需要一些新想法。表达 “blue-sky thinking(蓝天思维)” 就比喻这种 “放飞思绪、自由畅想、天马行空的思考过程”。
例句
The problem with the computer system won’t go away. We need some blue-sky thinking to fix this.
计算机系统的问题不会凭空消失。我们需要从不寻常的角度思考,从而解决这个问题。
奇思妙想的全部作品集
翁媳乱情
其他 / 排行榜 连载
我们俩夫妻���常相爱,爱对方胜过爱自己,妻子周梦莹今年二十七岁,是个博士生,在本市设计院担任总监,是设计院的公认大美女。长得非常漂亮,168的身高,如果穿上高跟鞋,足足有175的身高。高挑魔鬼般的S型身材,在女人中也是极少见的,她的性格外表传统,保守,又非常的温柔,在外人的眼中她就是一个端庄优雅,青涩贤惠的温柔女人。 一头乌黑的笔直长发披肩而下,再配着她非常漂亮秀丽的脸型,端庄优雅中又隐隐透露出一种娇艳的美。白皙稍带娴熟的秀丽面孔,细长的柳眉,高挺的琼瑶鼻子,两片性感的薄薄红唇令男人看了都有想一亲芳泽的冲动。
乱情家庭(家庭乱情)
其他 / 排行榜 连载
原文作者:奇思妙想| 突然感觉到敏感的屁股眼上被公公的手指抚摸着,浑身就忍不住的颤抖了一下,喉咙中又发出“唔唔”的声音……公公可能很兴奋,嘴里的口水也越来越多,还是不停的往王丽霞的嘴里灌!手指在她隐藏在深沟中的褶皱屁眼上不停的勾括着,同样,喉咙内也发出急促的“唔唔”声音! “嗯……浑身都难受……”王丽霞哼了一声说,感觉浑身像被无数只蚂蚁在撕咬着一样,这种摸不着、也抓不到的奇痒感觉快要使她崩溃了,她把整个赤裸裸的身体紧紧往公公的身体贴……公公也把抚摸在她后背上的手收紧了,紧紧把她雪白迷人的身体抱在了自己的怀里面!但是手指还不停的在王丽霞的肛门中捣鼓着
乡村乱情
其他 / 排行榜 连载
好书无须介绍!
乡村乱情(第十七部)
其他 / 排行榜 连载
沈白雪从王文的出租房里出来,娴熟漂亮的脸上显露出羞涩的红晕,刚才在 王文那又破又脏的床上,与自己儿子的好朋友发生了那种让人脸红的事,她心里 面又羞又感到不安,想起对不起老公小雷,趁他出去旅游,自己竟然与别的男人 偷情,她越想越羞涩,怀着紧张不安的心情匆匆离开了贫困区,在外面的马路上 拦了一辆出租车回到家。
真情乱事
其他 / 排行榜 连载
大家好,我是乡村乱情的作者,请大家多多关照。现在又发表一部真情乱事,希望大家喜欢,多多捧场,谢谢。
乡村乱情(第十八部)
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谷玉霞见张兵慌慌忙忙的回家去了,心里感到好笑,想不到这个平时在学校 里天不怕地不怕的他会这么怕他的老婆胡秀英,就从心底里很佩服自己的婆婆胡 秀英。看了看手机上的时间,才下午四点,想着反正现在也没什么事,先在床上 休息一个小时,到五点的时候再约阿静吃晚饭,随便与她聊聊天,谈谈心。晚上 再陪老厂长,也不知他会不会带五千块钱的工资给自己?
真情luan事
精品 / 排行榜 连载
大家好,我是乡村luan情的作者,请大家多多关照。现在又发表一部真情luan事,希望大家喜欢,多多捧场,谢谢。
我的极品老婆
其他 / 排行榜 连载
记住地址发布页 . 大城市的夜生活就是多精多彩,与城镇乡村根本无法相比。 夜幕降临时,大街小巷比白天还显得热闹繁华,喧嚣和车水马龙的另一端,绽放的霓虹灯编织了夜
「想入非非」是從佛經中「非想非非想處」變化而來。「非想非非想處」指佛教禪修者修習至最高的境界。語本《大佛頂首楞嚴經》卷九。後來「想入非非」轉而用來形容脫離現實的想像或念頭。
△「胡思亂想」、「異想天開」
目眩神迷
形容所見情景令人驚異。《孽海花》第一○回:「場上陳列著有錦繡的,有金銀的,五光十色,目眩神迷,頓時嚇得出神。」也作「目眩神搖」。
《日知錄》是明末清初學者顧炎武(1613年—1682年)的代表作品之一。顧炎武「稽古有得,隨時札記,久而類次成書」,在四庫全書中為子部雜家類。
《日知錄》始撰於崇禎十二年(1639年)顧炎武絕意仕途[1],並以書名取之於《論語·子張篇》。子夏曰:「日知其所亡,月無忘其所能,可謂好學也已矣」。《日知錄》的《目錄題辭》說「愚自少讀書,有所得輒記之, 其有不合,時有改定」,一開始有三項設計,即經義(新義詮釋古經)、治道(分析社會經濟情況)、博聞(一般知識)。《日知錄》內容宏富,貫通古今。三十二卷本《日知錄》有條目1019條(不包括黃侃《校記》增加的2條),臨終前仍未完成。顧炎武生前在好友的建議下,有八卷本行世,[2]稱為「符山堂本」,僅收錄140條,顧氏對此表示「三十卷已行其八,而尚未愜意」。[3]康熙二十一年(1682年)其弟子潘耒從其家取出書稿,再三校勘,刪改了犯忌的字眼,把內容大體劃為經義、史學、官方、吏治、財賦、典禮、輿地、藝文等八類,《四庫全書總目》則分作十五類,即經義、政事(卷八至十二)、世風(卷十三)、禮制、科舉(卷十六至十七)、藝文、名義、古事真妄、史法、注書、雜事、兵及外國事、天象術數、地理、雜考證。《日知錄》屬劄記性質,字數不定,如《蘇松二府田賦之重》最長,全條分八個段,有5000餘字,《召殺》只有「巧召殺,忮召殺,吝召殺」9字。
潘耒在《日知錄》原序曰:「當代文人才子甚多,然語學問者,必斂衽推顧先生」,並謂此書「惟宋、元名儒能為之,明三百年來殆未有也」。閻若璩《潛邱札記》有《日知錄補正》,補正此書50餘條,其他學者如李光地、惠棟、江永、顧棟高、戴震、莊存與、全祖望、錢大昕、王鳴盛、趙翼、邵晉涵、方苞、姚鼐等均曾為此書作注。李慈銘《越縵堂讀書記》中寫道:「嘗謂此三十二卷中,直括得一部《文獻通考》,而俱能自出於《通考》之外」。
顧炎武曾把寫這部書比作「採銅於山」,他說:「別著《日知錄》,上篇經術,中篇治道,下篇博聞,共三十餘卷。有王者起,將以見諸行事,以躋斯世於治古之隆。」。現在「採銅於山」一詞正說明歷史研究要重視第一手資料,可見其影響之深遠。
清代道光年間有黃汝成,以遂初堂三十二卷本為底本撰成《日知錄集釋》,其敘曰:「凡關家國之制,皆洞悉其所由盛衰利弊,而慨然著其化裁通變之道,詞尤切至明白」。梁啓超說:「論清學開山之祖,舍亭林沒有第二人。」《日知錄》的思想也超越了當時大多數學者,其中尤以區分「保國」與「保天下」為最。所謂「是故知保天下,然後知保其國。保國者,其君其臣,肉食者謀之;保天下者,匹夫之賤與有責焉耳矣。[4]」後世稱其「天下興亡,匹夫有責。」
《日知錄》也有明顯的失誤。例如《日知錄》卷二十九稱回回教為回紇之摩尼教。[5]
《日知錄》序
作者:潘耒 清
姊���計劃: 數據項
��� 有通儒之學,有俗儒之學。學者,將以明體適用也,綜貫百家,上下千載,詳考其得失之故,而斷之於心,筆之於書,朝章國典、民風、土俗、元元本本,無不洞悉。其術足以匡時,其言足以救世,是謂通儒之學。若夫雕琢詞章,綴輯故實,或高談而不根,或勦說而無當,淺深不同,同為俗學而已矣。
自宋迄元,人尚實學,若鄭漁仲、王伯厚、魏鶴山、馬貴與之流,著述具在,皆博極古今,通達治體,曷嘗有空疏無本之學哉!明代人才輩出,而學問遠不如古。自其少時鼓篋讀書,規模次第,已大失古人之意。名成年長,雖欲學而無及。間有豪雋之士,不安於固陋,而思嶄然自見者,又或採其華而棄其實,識其小而遺其大。若唐荊川、楊用修、王弇州、鄭端簡號稱博通者,可屈指數,然其人去古人有間矣。
崑山顧寧人先生,生長世族,少負絕異之資。潛心古學,九經諸史,略能背誦,尤留心當世之故,實錄奏報,手自鈔節,經世要務,一一講求,當明末年,奮欲有所自樹,而迄不得試,窮約以老。然憂天憫人之志,未嘗少衰。事關民生國命者,必窮源溯本,討論其所以然。足跡半天下,所至交其賢豪長者,考其山川風俗,疾苦利病,如指諸掌。精力絕人,無他嗜好,自少至老,未嘗一日廢書。出必載書數簏自隨,旅店少休,披尋搜討,常無倦色。有一疑義,反復參考,必歸於至當。有一獨見,援古證今,必暢其說而後止。當代文人才士甚多,然語學問,必斂衽推顧先生。凡制度典禮有不能明者,必質諸先生;墜文軼事有不知者,必徵諸先生。先生手畫口誦,探原竟委,人人各得其意而去。天下無賢不肖,皆知先生為通儒也。
先生著書不一種,此《日知錄》則其稽古有得,隨時劄記,久而類次成書者。凡經義、史學、官方、吏治、財賦、典禮、輿地、藝文之屬,一一疏通其源流,考正其謬誤。至於歎禮教之衰遲,傷風俗之頹敗,則古稱先,規切時弊,尤為深切著明。學博而識精,理到而辭達,是書也,意惟宋元名儒能為之,明三百年來,殆未有也。耒少從先生游,嘗手授是書。先生沒,復從其家求得手藁,較勘再三,繕寫成帙,與先王之甥邢部尚書徐公健庵,大學士徐公立齋謀刻之,而未果。二公繼歿,耒念是書不可以無傳,攜至閩中,年友汪悔齋,贈以買山之資,舉畀建陽丞葛受箕鳩工刻之以行世。
嗚呼!先生非一世之人,此書非一世之書也。魏司馬朗復井田之議,至易代而後行;元虞集京東水利之策,至異世而見用。立言不為一時,錄中固已言之矣。異日有整頓民物之責者,讀是書而憬然覺悟,採用其說,見諸施行,於世道人心,實非小補。如第以考據之精詳,文辭之博辨,歎服而稱述焉,則非先生所以著此書之意也。
康熙乙亥仲秋 門人潘耒拜述
勸學
朝代:先秦
作者:荀子
原文:
君子曰:學不可以已。
青,取之於藍,而青於藍;冰,水爲之,而寒於水。木直中繩,輮以爲輪,其曲中規。雖有槁暴(pù),不復挺者,輮使之然也。故木受繩則直,金就礪則利,君子博學而日參省乎己,則知明而行無過矣。
故不登高山,不知天之高也;不臨深溪,不知地之厚也;不聞先王之遺言,不知學問之大也。幹、越、夷、貉之子,生而同聲,長而異俗,教使之然也。詩曰:“嗟爾君子,無恆安息。靖共爾位,好是正直。神之聽之,介爾景福。”神莫大於化道,福莫長於無禍。
吾嘗終日而思矣,不如須臾之所學也;吾嘗跂而望矣,不如登高之博見也。登高而招,臂非加長也,而見者遠;順風而呼,聲非加疾也,而聞者彰。假輿馬者,非利足也,而致千里;假舟楫者,非能水也,而絕江河。君子性非異也,善假於物也。(君子性 一作:君子生)
南方有鳥焉,名曰蒙鳩,以羽爲巢,而編之以發,系之葦苕,風至苕折,卵破子死。巢非不完也,所繫者然也。西方有木焉,名曰射干,莖長四寸,生於高山之上,而臨百仞之淵,木莖非能長也,所立者然也。蓬生麻中,不扶而直;白沙在涅,與之俱黑。蘭槐之根是爲芷,其漸之滫,君子不近,庶人不服。其質非不美也,所漸者然也。故君子居必擇鄉,遊必就士,所以防邪辟而近中正也。
物類之起,必有所始。���辱之來,必象其德。肉腐出蟲,魚枯生蠹。怠慢忘身,禍災乃作。強自取柱,柔自取束。邪穢在身,怨之所構。施薪若一,火就燥也,平地若一,水就溼也。草木疇生,禽獸羣焉,物各從其類也。是故質的張,而弓矢至焉;林木茂,而斧斤至焉;樹成蔭,而衆鳥息焉。醯酸,而蚋聚焉。故言有招禍也,行有招辱也,君子慎其所立乎!
積土成山,風雨興焉;積水成淵,蛟龍生焉;積善成德,而神明自得,聖心備焉。故不積跬步,無以至千里;不積小流,無以成江海。騏驥一躍,不能十步;駑馬十駕,功在不捨。鍥而舍之,朽木不折;鍥而不捨,金石可鏤。蚓無爪牙之利,筋骨之強,上食埃土,下飲黃泉,用心一也。蟹六跪而二螯,非蛇鱔之穴無可寄託者,用心躁也。
是故無冥冥之志者,無昭昭之明;無惛惛之事者,無赫赫之功。行衢道者不至,事兩君者不容。目不能兩視而明,耳不能兩聽而聰。螣蛇無足而飛,鼫鼠五技而窮。《詩》曰:“尸鳩在桑,其子七兮。淑人君子,其儀一兮。其儀一兮,心如結兮!”故君子結於一也。
昔者瓠巴鼓瑟,而流魚出聽;伯牙鼓琴,而六馬仰秣。故聲無小而不聞,行無隱而不形 。玉在山而草潤,淵生珠而崖不枯。爲善不積邪?安有不聞者乎?
學惡乎始?惡乎終?曰:其數則始乎誦經,終乎讀禮;其義則始乎爲士,終乎爲聖人, 真積力久則入,學至乎沒而後止也。故學數有終,若其義則不可須臾舍也。爲之,人也;舍 之,禽獸也。故書者,政事之紀也;詩者,中聲之所止也;禮者,法之大分,類之綱紀也。 故學至乎禮而止矣。夫是之謂道德之極。禮之敬文也,樂之中和也,詩書之博也,春秋之微 也,在天地之間者畢矣。 君子之學也,入乎耳,着乎心,布乎四體,形乎動靜。端而言,蝡而動,一可以爲法則。小人之學也,入乎耳,出乎口;口耳之間,則四寸耳,曷足以美七尺之軀哉!古之學者爲己,今之學者爲人。君子之學也,以美其身;小人之學也,以爲禽犢。故不問而告謂之傲,問一而告二謂之囋。傲、非也,囋、非也;君子如向矣。
學莫便乎近其人。禮樂法而不說,詩書故而不��,春秋約而不速。方其人之習君子之說,則尊以遍矣,周於世矣。故曰:學莫便乎近其人。
學之經莫速乎好其人,隆禮次之。上不能好其人,下不能隆禮,安特將學雜識志,順詩書而已耳。則末世窮年,不免爲陋儒而已。將原先王,本仁義,則禮正其經緯蹊徑也。若挈裘領,詘五指而頓之,順者不可勝數也。不道禮憲,以詩書爲之,譬之猶以指測河也,以戈舂黍也,以錐餐壺也,不可以得之矣。故隆禮,雖未明,法士也;不隆禮,雖察辯,散儒也。
問楛者,勿告也;告楛者,勿問也;說楛者,勿聽也。有爭氣者,勿與辯也。故必由其道至,然後接之;非其道則避之。故禮恭,而後可與言道之方;辭順,而後可與言道之理;色從而後可與言道之致。故未可與言而言,謂之傲;可與言而不言,謂之隱;不觀氣色而言,謂瞽。故君子不傲、不隱、不瞽,謹順其身。詩曰:“匪交匪舒,天子所予。”此之謂也。
百發失一,不足謂善射;千里蹞步不至,不足謂善御;倫類不通,仁義不一,不足謂善學。學也者,固學一之也。一出焉,一入焉,塗巷之人也;其善者少,不善者多,桀紂盜跖也;全之盡之,然後學者也。
君子知夫不全不粹之不足以爲美也,故誦數以貫之,思索以通之,爲其人以處之,除其害者以持養之。使目非是無慾見也,使耳非是無慾聞也,使口非是無慾言也,使心非是無慾慮也。及至其致好之也,目好之五色,耳好之五聲,口好之五味,心利之有天下。是故權利不能傾也,羣衆不能移也,天下不能蕩也。生乎由是,死乎由是,夫是之謂德操。德操然後能定,能定然後能應。能定能應,夫是之謂成人。天見其明,地見其光,君子貴其全也。
當沖K線掌握套現:沒有苦逼的付出 哪有牛逼的明天 萬丈高樓平地起 輝煌只能靠自己
作者:甘戴爾
原文作者:Alee Gandel
譯者: 本出版社編輯部
語言:繁體中文
出版社:經史子集
出版日期:2019/09/30
內容簡介
我們追求的是具體的目標,不是遙遠空虛的願望。我們的字比較大,文筆比較好,內容比較充實,故事比較精彩;光看文筆,就值得收藏;本書創作的目第,在與眾不同,目標是心靈百萬富翁(Millionaire):擺脫貧窮,邁向富有!最在意的是深層的探討,就像英國詩人波普說的~:
A little learning is a dangerous thing. Drink deep, or taste not the Pierian spring.~~~~ Alexandre Pope, 1688-1744, British poet
只懂得皮毛是一件危險的事;要深透暢飲,否則就別嚐那聖泉。(一知半解,危險之至。)~~~~ 亞歷山大.波普(這是經史子集出版社的工作銘)
本書特色
清河新藏說:「魔鬼藏在細節裡頭,天使跟著口碑飛舞。」
敲開智慧大門,直擊心富技巧,就是要價值~:
(1).文筆深入淺出,取精用宏,實事求是,從經驗中得來。
(2).注重口訣條列,搭配圖表解說。
(3).判斷出最大的可能,掌握大趨勢,詳察小個案。
(4).做對的事情,順勢加碼,具有建設性。
(5).保留左口袋的錢,耐心的等待第二擊的機遇。
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155年前
明治元年は、西暦1868年10月23日になります。今からちょうど155年前のことです。この年は、薩摩・長州・土佐を中心とした新政府軍と旧幕府・奥羽越列藩同盟等が戦った戊辰戦争(西暦1868年1月27日~1869年6月27日)の最中にありました。この内戦は、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに、会津若松城(鶴ヶ城)の攻防戦などを経て、箱館戦争で終結しました。
福島県石川町は、戊辰戦争の激戦地であった福島県南部の白河に近い地にあります。今から5年前は、戊辰戦争から150年の節目の年でした。福島県内でも様々な関連行事があり、石川町でも2017年に歴史民俗資料館の倉庫から、『慶應四戊申日記』というこの貴重な資料が見つかったということです。
一昨日の10月21日、福島県歴史資料館友の会講座が福島県文化センターでありました。石川町立歴史民俗資料館の佐原崇彦氏(元教師)が、『慶應四戊申日記』~”わが家に薩摩兵が来た!”遭遇した庄屋の体験記~ と題して講演されました。友の会員でなくても参加自由ということで聴講してきました。この講演は、3年前に開催されることになってましたが、新型コロナの影響で延び延び��なっていたものです。
この『慶應四戊申日記』を書きとめていたのは、松浦孝右衛門(1818年~1890年)。文政元年に釜子村(旧東村、現白河市)に生まれ、天保10年頃に山白石村(現浅川村)の庄屋である松浦家に婿入りした人物です。なお、慶應4年は、明治になる前の西暦1868年にあたります。
松浦孝右衛門は、毎日、行書体の筆字で日常の様子を和紙に綴っていました。筆まめな方です。慶應4年6月26日(旧暦)、「松浦家に薩摩藩有川金之進、古川玄輔という武士が二人、その家来三人、その他駆り出されたであろう近隣村からの人足が四、五人やってきました。・・・」
佐原崇彦氏は、同僚の方とともに、癖のある行書体で書かれたこの『慶應四戊申日記』を苦労して現代語意訳され、『慶應四戊申日記』~”わが家に薩摩兵が来た!”遭遇した庄屋の体験記~ として出版されています。ご興味のある方は、石川町立歴史民俗資料館にお問い合わせください。
この講演を聴いて、私の高祖父と同年代の人物が、日常や非日常の出来事をこのような日記として残していることに驚きを禁じえませんでした。155年の時間などないように、今、目の前にいる人のように感じることができます。佐原氏が準備してくれた貴重な配布資料をこれからじっくり拝読させていただきます。この講演会を企画された福島県歴史資料館友の会のみなさまに感謝申し上げます。
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'23.9.17
交流試合📣
このチームで約1年半の活動。
スピードも連携も格段に上達🏎️
あと半年で卒業。。。😿
悔いなく‼️
まずは10月の市長旗杯🏆
この度は、園田フェニックスさん、朝日ヶ丘ミニさん、荻野サンダースさん、ありがとうございましたありがとうございました🤗
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「消滅可能性」744自治体 人口戦略会議 239自治体が脱却 / 日本農業新聞
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戦後の事件簿 「日本が受諾したポツダム宣言は、イギリス首相、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席の名において発された。ソ連は後から加わり追認した。中共は、抗戦相手ではなかった。大日本帝国の一部を形成する朝鮮半島の住民と内地の住民も、戦火を交える敵同士ではなかった。しかし、どこまでも敗戦革命にこだわる報道関係者たちは、中国や韓国や北朝鮮に戦勝国とウソをつかせたうえで、日本に対する理由のない非難と恐喝をするよう唆している。そして、韓国人や朝鮮人は本名を隠し日本人名を名乗っている。彼らの犯罪は、日本人による犯罪のように報道されるか、犯罪そのものが報道されない」という話を聞いた 図書館に行って朝鮮人の犯罪を調べたら、次のような記録が見つかった 1945年10月22日、大阿仁村事件が起こった。秋田県北秋田郡阿仁合町の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁村の伏影集落へ行き、共同管理の栗林に侵入し、栗を拾っていた所を村人に発見され、注意したところ乱闘となり、双方数名が負傷した。午後1時になると、約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧の為に急行した 1945年12月24日、生田警察署襲撃事件が起こった。午後9時頃、50名を超える朝鮮人の暴徒が「岡山の刑事を出せ」と叫びながら署内に侵入。署員を拳銃・日本刀・匕首を突きつけて軟禁した上で、岡山県警察部の捜査員を探し始めた。捜査員らが脱出に成功した一方で、暴徒によって署内の警察電話線が切断されたため、警察署は外部との連絡手段を絶たれてしまった。その後、事件を聞きつけた連合国軍部隊によって暴動が鎮圧された。襲撃以前、岡山市内にて7人組による拳銃強盗事件が発生しており、強盗犯を追って岡山県警の捜査官が神戸市まで出張にきていた。この捜査員に生田署が協力していたため、暴徒の襲撃を受けることになった。もっとも以下に挙げた資料には、確かに報復を仕掛けたのは朝鮮人の一団であったが、元の拳銃強盗事件の犯人が朝鮮人であったのかどうかまでは記されていない 1945年12月29日、直江津駅リンチ殺人事件が起こった。午後7時頃、新潟発大阪行の列車が国鉄信越本線黒井駅に到着した。3人組の朝鮮人が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで彼らは列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある男性の乗客に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。列車が直江津駅に到着すると、3人組は自分たちを阻んだ男性に対して、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」と詰め寄った。 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、その男性を直江津駅のプラットホームに引きずり降ろし、駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した 1946年1月3日、富坂警察署襲撃事件が起こった。正午、春日町交差点において多くの不審者を乗せたトラック2台が富坂警察署方面へ向かうのを、交通整理にあたっていた警察官が発見、直ちに署に連絡した。連絡を受けてまもなく、例のトラックが富坂警察署に到着、警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求した。危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。これにより外部との連絡が絶たれた。交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた。在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出し、「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した 1946年1月9日、生田警察署襲撃事件が起こった。翌年、三宮ガード下で賭博団が検挙されたことを受け、30 - 40人の朝鮮人が犯人の奪還を目的に再度署内に侵入した��、この事件も進駐軍の協力を得て鎮圧し、首謀者3人を検挙した 1946年5月13日、長崎警察署襲撃事件が起こった。午前10時30分、280人の警官隊が一斉取締を開始し、日本人150人、朝鮮人26人、中国人6人を検挙、長崎警察署に連行した。その直後、在日本朝鮮人連盟や中国人団体が長崎警察署に押しかけ、被疑者の即時釈放を要求したが、署長は取調前の釈放はできないと拒否した。午後2時30分頃、朝鮮人や中国人など総勢約200人がバッドや鉄棒を持って長崎警察署を包囲・襲撃した。これにより警察官1人が死亡、10人が重軽傷を負った。その後、余勢をかって東浜町派出所や港町派出所も襲撃し、警察官に対し暴行を加えている 1946年8月5日、富山駅前派出所襲撃事件が起こった。午後6時50分頃、富山駅において闇米取り締りを実施し、朝鮮人3人を検挙した。しかし、それを見ていた朝鮮人2人が妨害し、3人を逃走させた。そのため自治隊員2人を公務執行妨害罪で逮捕し、富山駅前派出所に連行したところ、朝鮮人約30人が包囲し険悪な雰囲気となった。署に救援を頼んだが、その前に大乱闘となった。その直後に、救援隊が駆けつけて朝鮮人たちを実力で排除した。この乱闘で警察官1人が負傷した 1946年9月22日、坂町事件が起こった。午前0時50分頃、村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲いかかって来た。警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、彼等の武器にされる始末であった。その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。軍政部のお墨付き���出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、12人が検挙された 1946年9月26日~29日、新潟日報社襲撃事件が起こった。在日本朝鮮人連盟などの朝鮮人16人が新潟日報社を訪れ、新潟日報社と読売新聞社の両社に対して、「坂町事件の報道に誤りがあると認め、ラジオ放送を通じて新潟県民に誤報であったという声明を出せ」と要求した。両社��「即答はできない」として、29日まで猶予してもらうことになった。その後読売新聞社は、9月28日になって譲歩し、誤報を認め謝罪記事を掲載することで話がついた。9月29日、朝鮮人16人が再度新潟日報社を訪れ、新潟日報社側の返答をせまった。新潟日報社は「警察の調査結果をまって善処する」と答え、彼等の要求を拒んだため、朝鮮人側は憤慨し、茶碗を投げつけたのを合図に一斉に暴れだし、社内の備品を破壊した。新潟警察署は、朝鮮人らを暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕した 1946年12月20日、首相官邸デモ事件が起こった。の全国大会では、約1万人の朝鮮人が結集した。日本共産党の徳田球一も出席しており、徳田球一の演説の後、生活権擁護の決議文を採択し、午後1時頃に集会は一旦終了した。午後1時30分、「朝鮮人虐殺政策絶対反対」「吉田内閣は日本の敵だ」といったプラカードを掲げてデモ行進を開始。午後2時頃に首相官邸前に差し掛かると、突如警察官の制止を無視して官邸正門前に殺到した。警官隊は侵入を阻止するため門を閉鎖しようとしたが、デモ隊は投石やプラカードを振り回すなどして暴れ、遂に首相官邸に侵入した。午後2時30分頃にアメリカ軍憲兵隊が出動し、まもなくデモ隊全員を解散させた。この事件で、警察官23人が重軽傷を負い、拳銃2丁が奪い取られた 1947年10月20日、尾花沢派出所襲撃事件が起こった。朝鮮人7人は警察によるヤミ米摘発の鬱憤を晴らすべく、派出所の襲撃を計画し、午後3時頃に楯岡警察署の尾花沢派出所に乗り込んだ。警察官が不在だったため、派出所内の器物を破壊し、門標を取り外した後引き揚げた。その後、外出から戻った警察官が、派出所内の惨状を見て驚き、直ちに署に連絡した。その直後、前述の朝鮮人7人と他の朝鮮人30人が派出所を取り囲み、火鉢を投げつけるなどの暴行を働いた。楯岡警察署は隣接の新庄警察署や進駐軍の応援も得て、29人を逮捕した 1948年4月23日~25日、阪神教育事件が起こった。9時、大阪府大阪城前の大手前公園で、朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催された。集会には在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余が集結した。16人の代表が選出され、大阪府庁舎で大阪府知事・赤間文三との交渉を行うことになった。12時30分、大阪府庁知事室において副知事と朝鮮人代表者16人との交渉が始まったが合意には至らず、15時になって在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中からシュプレヒコールが起こった。同時に50人余の青年が行動隊を編成し、スクラムを組んで大阪府庁前の阻止線を突破した。15時30分には行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も大阪府庁に暴力で突入し、3階までの廊下を占拠。副知事は警察官の誘導で、戦時中に作られていた地下道を通って脱出した。17時頃には群衆が知事室になだれ込み、ドアや調度品を破壊するといった行動に出る。日本共産党大阪地方委員会に派遣されていた増山太助は川上貫一衆議院議員とともに知事室に駆けつけたが、収拾がつかない状態だった。夜になって大阪城周辺の各所で在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人によってかがり火が焚かれ、朝連としては川上を代表として交渉の場を作ろうとした。しかしそこへアメリカ軍や武装警官が到着し、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らと乱闘。在日朝鮮人のうち1人が死亡し20人が負傷した。警官側の負傷者は、31人だった。179人が騒擾罪で検挙された。4月25日には朝連や日本人約300人が南警察署に押しかけ逮捕者の釈放を要求したが、抗議に来た群衆に向けて警官隊が威嚇射撃を行い追い返した。翌4月26日に朝連は大阪東成区や旭区などで「朝鮮人学校弾圧反対人民大会」を開催。午後には朝鮮人代表者と赤間府知事との間で再度交渉が行われたが、15時40分に別室で待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示。これに対し在日朝鮮人1600人のデモ隊が再び大阪府庁に向かい、武装警官隊の阻止線で投石を開始。武装警官隊は消防車に放水をさせ、デモ隊に突入し拳銃で発砲した。この衝突で当時16歳であった在日朝鮮人金太一が死亡する。検挙者は軍事裁判にかけられ、日本人9人と在日朝鮮人8人が重労働4年以下の判決を受けた。このうち当時の朝鮮総連の朴柱範兵庫県本部委員長は神戸刑務所に服役し、1949年11月25日に病気を理由に仮釈放されたが僅か数時間後に死亡した。事件解決後、大阪市警察局は、アメリカ陸軍第25師団司令部より感謝状が贈呈された。兵庫県非常事態宣言布告を報じた朝日新聞号外アイケルバーガー司令官の神戸視察を報じた神戸新聞10日に兵庫県知事・岸田幸雄は、朝鮮人学校に対して封鎖命令を発令。これを受けて14日に朝連は兵庫県庁を訪れ、岸田との交渉を要求した。言動はしばしば威圧的・脅迫的になった。4月23日に警官隊と米軍MPが朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖すると、翌24日に封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が兵庫県県庁前に集結。9時30分に兵庫県庁知事室で、岸田知事と神戸市長・小寺謙吉、検事正ら15人が朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題と在日朝鮮人の抗議集会対策を協議。協議が行われているとの情報は朝連にも伝わり、約100人の在日朝鮮人や日本人が兵庫県庁内に突入。知事応接室を占拠して備品などを破壊した後、壁を打ち破って知事室になだれ込み岸田知事やMPを拉致監禁するに至る。知事室に乱入した在日朝鮮人や日本人は電話線を切断して外部との連絡を絶ち、「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを岸田知事に要求。半ば監禁状態にあって岸田は、17時に諸要求の受け入れを誓約。しかしその日の22時に岸田知事と吉川覚副知事・市丸検事正・田辺次席検事・出井兵庫県警察長・古山神戸市警察局長らが、占領軍兵庫県軍政部に召集され、23時に兵庫県軍政部が「非常事態宣言」を発令。軍政部の非常事態宣言によって兵庫県と神戸市の全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入り、兵庫県庁への乱入者の徹底検挙命令と共に岸田知事が一旦受け入れた在日朝鮮人の要求への誓約を無効とした。25日早朝にMPと米軍憲兵司令官指揮下の警官による県庁乱入者の検挙を開始し、29日までに、1590人もしくは7295人 を検挙。日本共産党の神戸市議会議員・堀川一知も拘引された。4月28日には米軍軍政部の非常事態宣言も解除。検挙した者から主だった者を拘留し、23人を軍事裁判にかけた。唯一の日本人被告人だったは堀川は重労働10年の判決を受け、在日朝鮮人には最高重労働15年の判決が出されて刑期終了後は本国に強制送還されることになった 1948年10月11日~12日、評定河原事件が起こった。の10時から開会式が始まった。北朝鮮国旗の掲揚をめぐり仙台市警察が警告を発するなどのトラブルがあったが、1日目は特に混乱も無く終了した。2日目の10月12日は運動会が開かれた。国旗掲揚の代わりに国旗を頭上に捧げ持って行進したため、米軍の憲兵が行進の中止を命じた。その後、運動会は再開され、16時30分頃に閉会式が開かれた。そのとき、酒を飲んだ数人の朝鮮人が会場内に入って歌を歌い始めた。これに同調する者が次々と現れ、赤旗を掲げてデモ行進するなど不穏な空気に包まれた。その中で、北朝鮮国旗を持った一団がデモ行進をし、米軍憲兵の制止を無視し行進を続けたため、米軍憲兵は国旗を押収し、参加者4人を検挙した。その後の米軍憲兵隊の捜査で、更に2人が検挙された 1948年12月9日、宇部事件が起こった。約200名の朝鮮人が宇部市民会館に参集し生活擁護人民大会を開催していた際に、在日本朝鮮人連盟山口県本部委員長を進駐軍憲兵および警察隊が逮捕した。大会参加者は集団的に同被疑者を奪還しようとして警察側と衝突し、双方に多数の負傷者が出る騒ぎとなったが、警察側の発砲によって鎮圧された 1949年1月25日、益田事件が起こった。島根県美濃郡益田町の朝鮮人集落において密輸入物資が隠匿されているとの密告に基づき、進駐軍島根軍政部将校2名と経済調査官2名が同行して、令状なしで摘発に乗り出したが、「令状のない捜査は違法である」と拒否されたため、警察官10名が応援して違反物資を押収したが約100名の朝鮮人に奪還された。翌日、被疑者9名を検挙したものの、夜に入って約200名が警察署に押しかけて被疑者の釈放を要求し、署内に侵入しようとしたために警察官と乱闘になり48名が検挙された。逮捕されたもののうち9名が起訴され、騒乱罪で有罪となった 1949年4月6日~13日、枝川事件が起こった。午後6時頃、3人の捜査員は主犯を発見、逮捕しようとした。しかし主犯は別人を主張、周りの朝鮮人数人も捜査員を見ていたため、任意同行に切り替えた。そして、屋外に出ようとしたところ、主犯は捜査員を突き飛ばし、裸足のまま逃走した。捜査員は拳銃を3発威嚇発砲して制止しようとしたが、逃走を続けたため、遂に主犯に向けて発砲した。そしてなんとか逮捕することができたが、主犯はその際に負傷した。それを見ていた約40人の朝鮮人が「仲間を殺したやつは殺してしまえ」と捜査員2人に襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加え重軽傷を負わせた上に在日朝鮮人連盟の施設に連行した。もう1人の捜査員は、事態の重大性を察知し、近くの民家の電話を借りて枝川地区を所轄する深川警察署と月島警察署に通報した。まもなく深川警察署と月島警察署の応援部隊が在日朝鮮人連盟の枝川支部に急行したが、激しい抵抗にあい、警察側に負傷者を続出させたが、アメリカ軍憲兵隊が来ると急に態度を軟化させた。その後の交渉で朝鮮人側は暴行犯人の引渡しを確約したが、4月8日になっても引き渡さず、逆に捜査員の処分を求める有様であった。4月9日より、警察は枝川地区に架かる橋に検問所を設置、通行者全員に検問を開始した。それと並行して内偵調査を行った。その結果、警察官に暴行した容疑者が割り出されたため、4月13日に一斉捜査が行われ、容疑者5人が逮捕された。4月19日までに更に10人が逮捕された 1949年4月7日~11日、高田ドブロク事件が起こった。午前6時頃、取締部隊は朝鮮人集落に到着し一斉取締を開始した。早朝であったため、この取締そのものは整然と行われ、午前8時30分頃には引き上げた。午前10時40分頃から朝鮮人たちが高田市警察署に集結し始め、正午頃になると200人に膨れ上がり、検挙者の釈放を要求した。しかし警察側が断固拒否したため、警察署に向かって投石を行い窓ガラス十数枚を破損させた。4月8日も朝鮮人約200人が警察署前に集結し、釈放を要求した。4月9日正午、一人の朝鮮人女性が高田税務署に現れた。一人であったことから税務署を警備していた警察官も、一般の利用者と思って油断していたところ、あっという間に14・15人の朝鮮人女性が集まり、署長との面会を要求してきた。警備の警察官が退去を勧告したところ、「人殺し」と叫び座り込みをはじめた。午後1時になると多くの朝鮮人男性が押しかけ、税務署内に突入しようとしたので、小競り合いになり双方に負傷者を出した。4月10日、検挙者の自供により、高田市においても密造酒の醸造が行われていることが判明したため、在日朝鮮人連盟信越支部などを家宅捜査した。4月11日、約500人もの朝鮮人が高田市に集結、デモ行進を行った。彼らは市民に対して「警察が朝鮮人に対して不当な弾圧を加えている」「放火して高田市を灰にする」などと叫び牽制していた。ここに至り、警察もデモの首謀者12人を検挙したため、この事件も収束に向かい始めた 1949年6月2日~11日、本郷村事件が起こった。国家地方警察福井県本部若狭地区警察署の本郷派出所の警察官が朝鮮人地区の地図を作成したことについて、在日本朝鮮人連盟の幹部が抗議した。幹部は一旦戻り、在日朝鮮人70人を引き連れて、派出所を包囲した。そして中の警察官に暴行を加え、そのまま居座り続けた。若狭地区警察署は署員を急派したが、なおも居座り、6月4日になってようやく解散した。朝鮮人側は 暴行警察官の罷免 被害者に対する損害賠償 朝鮮人に対する謝罪 朝鮮人問題については、事前に朝連と連絡協議をすることなどを要求したが、警察は6月10日に朝鮮人2人を逮捕するために現地に向かった。待ち構えていた朝鮮人200人が、石や糞尿を投げつけて逮捕を妨害したが、なんとか強行突破し、2人を予定通り逮捕した。その後朝鮮人たちは、「民族弾圧、ファッショ警察の再現」と叫んで警察署前に居座ったり、「ファッシズム国警若狭地区警察の真相」と題するビラをばら撒くなど示威行動を続けた 1949年8月20日、下関事件[騒乱]が起こった。19日午後11時頃、朝連事務所前に約150人の在日朝鮮人が集結し、民団を非難する集会を開いた。集会そのものは特に問題なく終了したが、警備に当たっていた朝連の構成員と民団の構成員が路上で遭遇、乱闘となり、民団側が所持していた日本刀で朝連側に負傷者を出した。朝連は、これに報復すべく8月20日午前2時30分頃、構成員約200人を招集し、民団下関支部や民団構成員の自宅を襲撃した。そして被害家屋から金品を略奪するなどの狼藉を働いたあと解散した。このため、未明にも係らず市内は一時大混乱になった。下関市警察は、直ちに国家地方警察山口県本部に応援を要請した。国家地方警察は、自治体警察を含む山口県内の全警察に非常招集を発令、警察学校の学生をも動員した。県内各地から来る応援部隊の到着後、朝連や民団の施設を一斉に捜索を開始し、939 人の警察官のうち 14 人が負傷したが、73人を検挙した。翌日8月21日には、下関市警察と国家地方警察の合同による「下関事件合同警備本部」を設置するとともに、市内各所に検問所を設けて逃亡を阻止した。最終的に208人が検挙され、殺人未遂罪のほか、騒擾罪などで75人が起訴された 1950年3月20日、台東会館事件が起こった。10日午前9時、東京都の係官が台東会館に赴いた。警視庁では不測の事態に備えて多数の警察官を警戒に当たらせた。係官は会館を引き渡すよう命じたが、旧朝連はそれを無視したばかりか、投石を行い抵抗した。そのため、この日の接収は一旦取りやめになり、3月20日に再度接収を行うことになった。旧朝連側は接収予定日の前日から、会館入口にバリケードを設け、周辺道路を巡回して警戒していた。3月20日午前7時、係官が台東会館に入ろうとしたが妨害を受けた。そして、警戒に当たっていた警察官に向かって、石や唐辛子粉を投げつけて抵抗した。そのため警察は強行突入を断行し、朝鮮人119人を検挙した 1950年8月15日、連島町事件が起こった。1949年9月8日、GHQの指示を受けた法務府は告示第51号を出し、在日本朝聯と在日本朝鮮民主青年同盟に対し団体等規正令を適用して解散命令を下す。また朝鮮学校と民団総連も解散請求を受けた。これらの措置は在日朝鮮人の生活に直接の打撃を与えた。将来に不安を抱いた朝鮮人同胞らの中には、革命を叫んで公共施設を不法占拠し火炎瓶で武装した事件が起きた。こうした世情不安の中、岡山県浅口郡連島町で、朝鮮解放5周年を祝って約700名の朝鮮人が集まり集会を強行したため、これを制止しようとした警察と乱闘になり8名を検挙した。この事件で警察官15名が負傷した 1950年11月20日~27日、長田区役所襲撃事件[第二神戸事件]が起こった。午後1時、約200人の朝鮮人が神戸市長田区役所に押しかけた。要求は「市民税免除」と「生活保護の徹底」である。しかし区長がこれを認めなかったため、区長を軟禁状態にして騒ぎ出した。神戸市警察は直ちに出動、30人が逮捕された。11月24日午前11時、約300人の朝鮮人が再度長田区役所に押しかけ、区長との面談を要求した。区長が拒否したため、朝鮮人たちは区役所に乱入し、窓ガラス等を破壊した上、出動した警察官に対しても暴力を振るったため、不退去罪の現行犯として26人が逮捕された。11月27日朝、24日に逮捕された仲間の奪還などを求め、姫路市、明石市、尼崎市などから約600人の朝鮮人が神戸に向かっているとの情報が警察にもたらされた。警察は甲号非常招集を発令、神戸市警察および国家警察兵庫県本部の警官約3000人に待機命令をかけた。長田区にある西神戸朝鮮人学校に神戸市在住の者も含め約千人の朝鮮人が集結。「祖国統一決起大会」を開催し、投石用の石や棍棒を用意するなど不穏な状勢となったため、正午頃に解散を命じたが、「犬め、殺してやる」「貴様等人民裁判にかけてやる」と暴言を吐いて命令を無視、午後3時20分頃には、学校から���てデモ行進を始めた。遂に警察は神戸市電湊川大橋停留所付近で検挙を開始したが、デモ隊は激しく抵抗し、約60人が逮捕された。その残党は新湊川沿いに北上、長田区役所や長田税務署を襲い、窓ガラスを割るなどした。最終的に179人が逮捕された 1951年1月23日、四日市事件が起こった。旧朝連四日市支部を接収しようとしたところ、居合わせた朝鮮人約20名が、器物やガラスの破片を投げつけたり、灰・唐辛子による目潰し攻撃をしたり、濃硫酸を浴びせて接収の妨害を行った事件。そのため、執行係官7名が全治2 - 3週間の重軽傷を負った。警察が出動して、公務執行妨害容疑で15名を検挙した 1951年3月7日、王子朝鮮人学校事件が起こった。当日、王子警察署は周辺の道路を封鎖し、同校生徒以外の群集の流入を阻止しようとしたが、群集はそれを無視し最終的に2000人が集まった。集会は午前10時から始まった。一方、学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の噴霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。応援に来ていた蔵前警察署員が救出しようとしたが、逆に返り討ちにあい、重軽傷を負わされた上、拳銃や警棒などが奪われた。警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。警察はこの事件で28人が重軽傷を負った 1951年6月13日、神奈川事件が起こった。横浜市神奈川区にある青木小学校分校において、神奈川県朝鮮人学校PTA連合運動会が開かれていたが、参加者の一人が警備をしていた警察官に対して暴力をふるったため、公務執行妨害で検挙しようとしたところ、これを妨害しようとして大乱闘となった。これにより、双方ともに数名の負傷者を出した。運動会終了後、約500名の在日朝鮮人が横浜市警察本部に殺到し、玄関前でスクラムを組んで奇声をあげた。 そのため、横浜市警は約1000名の警察官を動員し、公安条例違反容疑で28名を検挙した 1951年10月22日、下里村役場集団恐喝事件が起こった。下里村において、在日朝鮮人約200名が、「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために村役場に押しかけた 1951年12月1日、東成警察署襲撃事件が起こった。午前11時頃、朝鮮人たちは旧御幸森朝鮮人小学校に集まり、東成警察署までデモ行進した。その後、元御幸森朝鮮人学校に集合し、12時15分ごろ東成警察正門前に到着した。さらに同署の東方道路から約20名、南方道路から20名が殺到し気勢を上げて署内に突入しようとしたので、大阪市警視庁機動隊はそれを阻止した。その際デモ隊は、クロールピクリン酸入りサイダーびん3本、投石や唐辛子を投げつけて抵抗した。この事件で3人が公務執行妨害罪で逮捕された 。12月16日午後、不法デモをおこない3隊に分かれ、生野区、巽町の工場を襲撃した 1951年12月18日、日野事件が起こった。10月18日午前11時30分、滋賀県蒲生郡桜川村に、在日朝鮮統一民主戦線や祖国防衛隊のメンバーが集結し、自転車にスピーカーを取り付けて自転車デモを行おうとした。滋賀県公安条例の届出を出していない違法デモであった。国家地方警察滋賀県本部蒲生東地区警察署では、これを制止しようとしたが、デモ隊は強行突破し、日野町内に侵入した。デモ隊は日野郵便局前で「朝鮮人強制送還反対」「軍事基地化反対」などの演説を行った。その間、周辺在住の朝鮮人が集まり、ピケを張ったりバリケードを作ったりした。そして警官隊に棍棒で襲い掛かったため、公務執行妨害罪で20人が検挙された 1952年2月21日~23日。木造地区警察署襲撃事件が起こった。国家地方警察青森県本部木造地区警察署は、傷害容疑で在日朝鮮人2名を逮捕した。これに対し、在日朝鮮人数十人が検挙者の即時釈放を要求して連日署に押しかけた。2月23日に入り、在日朝鮮人約70名が署内への侵入を図って警備の警察官と揉み合いになり、警察署の玄関のガラス戸が破壊された。また同日午後7時、応援に駆けつけていた弘前地区警察署の署員11人が、国鉄五能線木造駅を警備していたところ、在日朝鮮人に取り囲まれ、警棒を奪われる事件も発生している 1952年3月26日~30日、多奈川町事件が起こった。以前より多奈川町警察は、隣接の国家地方警察泉南地区署の応援を得、幾度も朝鮮人による密造酒の摘発を行っていたが後を絶たず、増加するばかりであった 1952年3月24日、大阪国税局は、同局泉佐野税務署・大阪地方検察庁岸和田支部・国家地方警察泉南地区署と合同捜査会議を行い、一斉摘発を決定。同年3月26日午前5時40分ごろ、泉南地区署に、国税局員45名・検事1名・副検事1名・検察事務官12名・制服警察官50名の合同捜査チームが集合。10班に分かれ、トラック10台に分乗し、多奈川町9ヶ所、深日町1ヶ所、計10ヶ所の密造場所に向かう。納屋や豚小屋に偽装された密造工場の各所で、朝鮮人による抵抗に遭うも、検察庁職員によって容疑者の逮捕、国税局員によってドブロク・コウジ・蒸留機などの酒造器具を証拠品として差押さえるなどし、各班は逐次南海電気鉄道多奈川線多奈川駅前に集合。この時、婦女子を先頭にした朝鮮人約200人がトラックの前に座り込んだり、大きな石をいくつも道路上に置いて交通を妨害。これを排除しようとした警察官が激しい抵抗に遭っている間、手薄な警備に勢を得た朝鮮人の数はさらに増え、ついには「生活権」を訴える怒号に扇動された朝鮮人が「殺してしまえ」とわめきながらトラックに殺到し、タイヤの空気を抜く、窓ガラスを叩き割る、トラックの運転手を袋叩きにする、差押えた証拠品を叩き落して破壊・強奪する、被疑者を逃がすなどの暴挙に出た。 この危機を脱したトラック3台は集合場所の大阪拘置所に向かったものの、残る7台は駅前の国道で立ち往生となる。1個班につき警察官が5人と言う手薄な警備体制が招いた失敗であった。不測の事態を受けた合同捜査チーム総指揮官大坪検事及び泉南地区警察署長は、深日町警部派出所から国家地方警察大阪府本部に応援を要請。検挙は後日に譲ることとし、後日の検挙に備え多数の現場写真を撮影、道路上の妨害を排除しつつタイヤの空気を入れなおし、午前7時半ごろ、捜査チームは泉南地区署に引き揚げた。午前8時過ぎごろ、朝鮮人約30名が多奈川派出所に押しかけ「俺たちの生活をどうしてくれる」と抗議。間もなく代表者3名を残し引き揚げる。午前9時ごろ、取材に来ていた毎日新聞社大阪本社の記者がドブロク密造地区捜査取材のため多奈川派出所に向かう途中、朝鮮人の暴徒に囲まれて殴打され、石を投げつけられ、全治2週間の怪我を負う事件が発生。また、この騒ぎで城東税務署員も右手に怪我を負っている。事態を重く見た国家地方警察大阪府本部は27日・28日の2日間にわたり、現場証拠写真、現場に出動した警察官、第三者の証言から被疑者の割り出し、証拠収集にあたる。結果、被疑者17名を特定し、29日、暴力行為等処罰に関する法律違反、公務執行妨害および傷害ならびに酒税法違反容疑で逮捕状・捜査令状を大阪地検より受けた。同年3月30日午前2時、検事らをはじめ、大阪府下8地区署から制私服警官警察官・警察学校生徒など、約450名が大阪市城東区関目の大阪府警察学校に集結。午前5時すぎ、自動車・トラック約30台に分乗して多奈川町小田平、朝日、東、湊、深日町兵庫の5地区21ヶ所に急行し、逮捕、押収捜索にあたった。捜査員が被疑者を逮捕しようとした際、人糞を降りかけられる、手を噛まれる、水桶・たらい・マキなどを手当たり次第投げつけられる、クワ・こん棒などを振り回して暴れる、トウガラシの粉を投げて目潰し戦術に出るというようなことがあり、捜査員3名が打撲傷などを負ったが、前回ほどの組織的集団抵抗はみられなかった。この検挙の際、26日の暴行首謀者とされる3名が逃走。緊急逮捕を含む27名の逮捕者は取り調べののち、5名を釈放。残り25名を酒税法、公務執行妨害、傷害、業務妨害などの容疑で大阪地検に送庁、19名が起訴された。3月30日の検挙活動の際、朝鮮人1名が職務質問を受け逃走、追いついた警官ともみ合いになり拳銃の引き金が引かれ、弾が右腹部を貫通、重傷となり、数日後に死亡した 1952年5月1日、血のメーデー事件が起こった。GHQによる占領が解除されて3日後の、第23回メーデーとなったこの日の中央メーデーは、警察予備隊についての「再軍備反対」とともに、「皇居前広場の開放」を決議していた。大会は午前10時20分ごろ開会され、途中、全学連を中心として人民広場への乱入を扇動しようとする乱入者が相次いだものの、午後0時10分に閉会し、同25分より、北部・東部・南部・中部・西部の各コースに分かれて、予定のデモ行進に移った。デモ行進の途上でも、人民広場への乱入を扇動しようとする試みが相次ぎ、一部のデモ隊は当初のコースから外れて投石などを行ったほか、西部コース指導者は人民広場への乱入を拒否したために暴行を受けるなどの混乱が生じたものの、最終的には午後2時から4時にかけて順次に予定の解散地点に到着し、解散した。しかし特に混乱が著しかった南部コースを中心として、日比谷公園で解散したデモ隊の一部は、その中の全学連と左翼系青年団体員に先導され、朝鮮人、日雇い労務者らの市民およそ2,500名がスクラムを組んで日比谷公園正門から出はじめた。警視庁は、会場や行進中には主催者の自主的統制に待つこととしていたが、5,600名の部隊を編成して雑踏警備にあたっていたほか、各署員1万名以上を待機させて即応体制を整えていた。日比谷交差点を通過して無届デモを開始した群衆に対して、まず丸の内警察署長以下60名が制止したが、投石や竹槍・棍棒による攻撃を受け、13名の負傷者を出した。デモ隊は外国人の自動車19台に投石して窓ガラスを次々に破壊しながら北上した。馬場先門にお���ては、第��方面予備隊と三田・東京水上・高輪の3警察署による470名の部隊が警備にあたっていたが、方面予備隊の一部が拳銃および若干の催涙弾を装備していたほかは警棒を携帯しているのみであった。またデモ隊は極めて先鋭的であったことから、周囲の一般通行人への被害も憂慮した方面予備隊長は車道の警戒線を解き、デモ隊は皇居前広場になだれ込んだ。乱入したデモ隊は、二重橋正面で警備にあたる丸の内警察署員および増援の第一方面予備隊2個中隊に対して投石を開始した。祝田町警備巡査派出所ではボックスが押し倒され、警察官は袋叩きにされて拳銃を奪われた。警察部隊は催涙弾を使用して鎮圧にあたり、午後3時頃には暴徒を中央自動車道まで後退させ、にらみ合いの状態となった。しかしこの頃、桜門および祝田橋でも警戒線が突破されたことで暴徒は8,000名に増加した。警察側も逐次に予備隊を配置転換して体制を強化したが、暴徒との攻防は激しく、一部ではやむなく拳銃を使用した。この結果、暴徒が混乱に陥ったことから、警察側は体制を整えて一気に鎮圧を図り、午後3時40分までには暴徒の大部分を広場外に排除した。しかし広場外に排除された暴徒はその後もしつこく攻撃を繰り返し、祝田橋では第一方面予備隊の隊員4名が包囲され、角棒で乱打のうえで凱旋濠に投げ込まれ、更に投石を加えられた。また他の隊員4名も包囲されて同様の暴行を受けそうになり、拳銃の威嚇射撃でやっと難を逃れる状況であった。またこのほかにも、警察官への暴行が相次ぎ、拳銃を奪われる例もあった。午後3時50分頃には、桜門前濠端側に駐車されていた外国人自動車14台を転覆させて火を放ち、炎上させたほか、付近をサイドカーで通行していた交通第一課員を取り囲んで暴行を加え、サイドカーにも放火した。その消火のため出動した消防隊も投石や殴打を受けて13名が負傷、ホースも切り破られた。これらの暴徒も午後4時頃には離散しはじめたが、その後も有楽町巡査派出所が襲撃されたり、また一部は日比谷公園に逃げ込んで投石を続けていた。皇居前広場・日比谷公園が平静を取り戻したのは午後6時過ぎのことであった。これらの騒動の結果、デモ隊側は死者1名、重軽傷者約200名、警察側は負傷者832名を出す流血の惨事となった。当日は警察予備隊の出動も検討されていたが、一般警察力によって収拾されたため、出動を命じられるには至らなかった。 なお、この事件に出動した「予備隊」とは「警視庁予備隊」のことであり、後の機動隊である。警察予備隊のことではない
1952年5月12日~25日、大村収容所事件が起こった。法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した 1952年5月13日、広島地裁被疑者奪回事件が起こった。午後2時55分から広島地方裁判所第二号法廷で勾留理由開示を開くことになっていた。対象となった被疑者は、4月30日と5月1日に、国警広島県本部安佐地区署古市町駐在所と民家に、それぞれ火炎瓶を投げつけて放火した容疑で逮捕された朝鮮人4人であった。勾留理由開示は予定通りに開廷されたが、傍聴席には多くの朝鮮人が陣取り、赤旗や北朝鮮旗が掲げられるなど異様な雰囲気での開廷であった。閉廷直前の午後5時20分、傍聴席の朝鮮人約200人が被疑者と傍聴者を分ける柵を乗り越え、被疑者に手錠をかけようとした看守を妨害して、被疑者4人を奪還した。広島地方裁判所の事務室には、万が一の時のために広島市警察の警察官約70人が待機していたが、現場に駆けつけたときには、既に逃走された後だった 1952年5月26日、高田事件が起こった。民団愛知県本部の顧問は、北朝鮮系の在日朝鮮人の脅迫を受け続けてきた。同年3月には自宅を襲撃されたり、殺害予告のビラが貼られたりしていた。午前5時40分頃、北朝鮮系朝鮮人数十人が顧問宅に侵入、ドアやガラスを破壊したりするなどの狼藉を働いた。顧問は何とか逃げ出し、名古屋市警察瑞穂警察署高田派出所に助けを求めてきた。まもなく顧問を追跡してきた一団が高田派出所に押しかけ、備品を破壊したり火炎瓶を投入したりして焼き討ちした。顧問は警察官の誘導で裏口から退避し、道を隔てた高田小学校正門より用務員室に向かったが、追いつかれ暴行により全治10日の傷を負った 1952年5月31日、奈良警察官宅襲撃事件が起こった。25日、桜井町で民団磯城支部書記長が、旧朝連系の在日朝鮮人に襲われる桜井町事件が発生した。国家地方警察奈良県本部は犯人を検挙し、奈良地検に送致した。5月30日、奈良市警察に国警磯城地区警察署から「在日朝鮮人の一団が奈良市に向かっている」との連絡が入った。在日朝鮮人の一団が奈良地検に突入したため、奈良市警は実力で排除した。このことから、旧朝連系は奈良市警に反感を持つようになった。襲撃を受けた奈良市警の警察官宅は、桜井町事件が発生した桜井町に所在していた。5月31日、桜井町の奈良市警警備課巡査部長宅に約10名の在日朝鮮人が覆面姿で押しかけて戸を叩いた。巡査部長の父親が戸を開けたところ、いきなり暴行を加え意識不明の重体にした。そして窓ガラスや障子を破壊して逃走した 1952年5月31日~6月5日、万来町事件が起こった。当時、宇部市には約3100人の在日韓国・朝鮮人が居住しており、大半が生活保護受給者だったが、市当局は彼らが「日中ブラブラしていた」ことから、「潜在収入がある」として、生活保護費増額を見送っていた。朝鮮人側はこれに激昂し、以降、連日宇部市福祉事務所に押しかけ、市職員を吊るし上げた。6月3日になると約400人に達したため、宇部市警察は全職員を動員して対処したが、朝鮮人側はその隙をねらって、留守中の上宇部派出所を襲撃した。6月5日、宇部市万来町において、朝鮮人解放救援会山口県本部が「民主愛国青年同盟」を結成し、当日は県内各地から朝鮮人が多数集結した。うち約70人が午前11時に宇部興産の工場に乱入、守衛を殴打し、電話線を切断するなどの行為をおこなった。続いて民団の団員宅を襲撃した後、引き揚げた。警察は襲撃犯を逮捕するため、午後2時に解放救援会事務所を包囲した。警察は解散を呼びかけたが、朝鮮人側は投石などの手段で抵抗した。午後3時半より警察は実力行使を開始し、午後4時からは催涙ガス弾も導入してようやく鎮圧した 1952年6月10日、島津三条工場事件が起こった。午後4時頃、トラックに乗った祖国防衛隊所属の在日朝鮮人約50人が、京都市中京区にある島津製作所三条工場に押しかけ、守衛の制止を振り切って中に突入、破防法反対のアジ演説を行った。工場側の要請を受けた京都市警察堀川警察署の署員約15人が現場に急行、五十代くらいの朝鮮人が妨害したため、ただちに検挙し京都市警南部警邏隊のパトカーに収容した。すると、付近にいた朝鮮人約100人が騒ぎ出した。パトカーがサイレンを鳴らして発進し、春日通三条にさしかかったとき、多数の朝鮮人が前に立ちふさがり、車内に火炎瓶を投げ込んだ。パトカーはたちまち火の車となり、道を大きくそれて京都市バスの車庫に入り込み、バスに激突した。乗っていた8人の警察官は重軽傷を負った。検挙者も火傷を負ったが逃げおおせることに成功した 1952年6月13日、醒井事件が起こった。滋賀県坂田郡醒井村では、民団系と在日朝鮮統一民主戦線系の在日韓国・朝鮮人間で対立が起きており、10日と6月11日の2日連続で乱闘事件が起きていた。午前5時頃、国家地方警察滋賀県本部坂田地区警察署の警察官は、被疑者逮捕のために現地に向かったが、朝鮮人は事前に察知し、ピケを張るなどして自宅に立て篭った。朝鮮人側が、投石や棍棒を投げつけるなど被疑者の逮捕を妨害したため大乱闘となったが、警察はこれを鎮圧し公務執行妨害罪で48人を逮捕した 1952年7月7日、大須事件が起こった。日本社会党の帆足計と改進党の宮越喜助の両代議士が、ソ連及び中共を訪問して日本国政府の方針に反する「日中民間貿易協定」を結んだ後に帰国し、6日に名古屋駅に到着した。両代議士の歓迎のために約千人の群集が駅前に集合、無届デモを敢行したが、名古屋市警察によって解散させられた。その際に12人が検挙されたが、その中の1人が所持していた文書から、翌日の歓迎集会に火炎瓶を多数持ち込んで、アメリカ軍施設や中警察署を襲撃する計画が発覚した。7日、名古屋市警察は警備体制を強化し、全警察官を待機させた。午後2時頃から、会場の中区大須球場に日本共産党員や在日朝鮮人を主体とする群衆が集まり始め、午後6時40分頃に歓迎集会が挙行された。午後9時50分に集会が終わると、名古屋大学の学生がアジ演説を始め、その煽動によって約千人がスクラムを組みながら球場正門を出て無届デモを始めた。警察の放送車が解散するよう何度も警告したが、デモ隊は放送車に向かって火炎瓶を投げ込み炎上させた。警察は暴徒を鎮圧すべく直ちに現場に直行したが、デモ隊は四方に分散して波状的に警察部隊に対して火炎瓶・投石・竹槍・プラカードで攻撃を行い、路上の一般の乗用車に放火するなど、大須地区は大混乱に陥った。また、大須のデモ隊とは別に、アメリカ軍の駐車場に停めてあった乗用車を燃やしたり、中税務署に火炎瓶を投下する事件も発生している。この事件で、警察官70人、消防士2人、一般人4人が負傷し、デモ隊側は1人が死亡、19人が負傷した。名古屋市警察は捜査を開始、最終的に269人を検挙した。その内、半数以上が在日朝鮮人だった。捜査の結果、この事件は共産党名古屋市委員会が計画し、朝鮮人の組織である祖国防衛隊とも連携しながら実行に移されたことが分かった 1952年11月9日~12日、大村収容所事件が起こった。5月12日、法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した 1952年11月19日~26日、五所川原税務署襲撃事件が起こった。仙台国税局は警察の協力を得て、青森県北津軽郡板柳町周辺の在日朝鮮人が経営する密造酒工場を摘発し、密造酒約100石、酒粕約400貫、その他容器約200点などを押収、酒税法違反として45名を検挙した。また、摘発を妨害したとして、在日朝鮮人7名を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。その後、在日朝鮮人は「生活権の保障」と「職の斡旋」を要求し、国警板柳地区警察署と五所川原税務署に連日抗議活動を行った。11月26日には約60名が五所川原税務署に押しかけて署内に乱入し、署を占拠した
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活況を呈していたベンチャー投資市場は、コロナショックによって一変。明暗がくっきり分かれている。 例えば観光・レジャーなど「人の移動」に関わるようなベンチャー企業は大苦戦。その一方で「非接触」「非対面」へのニーズが急上昇している。再生可能エネルギー関連や暗号資産などの金融テクノロジーにも元気な企業が多い。 本特集では、ウィズコロナ、アフターコロナ時代に飛躍するベンチャー企業を厳選。「昨年までのベンチャー100特集に選ばれていない」という条件をクリアしている企業だけを掲載しており、ニューフェイスばかりだ。 「社名」をクリックすると個別企業のページにジャンプします。「代表者」については、複数いる場合には1名のみを記載。「代表者」「資本金」「社員数」などの項目は、いずれも7月下旬の取材・執筆時点のデータ。 巨額調達 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 1 VPP Japan 送電線網を介さない太陽光発電所を運営 秋田 智一 2017年6月 8800万円 10名 2 APB 次世代型リチウムイオン電池を開発 堀江 英明 2018年10月 1億円 54名 3 ベルフェイス 営業に特化したウェブ会議システム 中島 一明 2015年4月 4億6万円 282名 4 Paidy 後払いできるオンライン決済サービス 杉江 陸 2008年3月 27億3016万円 130名 5 AnyMind Group ネット広告を柱に多彩なデジタルマーケティング 十河 宏輔 2016年4月 3684万円 750名 6 ヘイ ネット通販と決済の構築を簡単に 佐藤 裕介 2012年3月 1億円 200名 7 Ubie 「AI問診」で医療現場を効率化 阿部 吉倫 2017年5月 14億1500万円 51名 8 モジュラス 最先端の計算科学を駆使して創薬 木村 俊 2016年8月 1億円 11名 ユニコーン # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 9 リキッドグループ ビットコインなどの交換所を運営 栢森 加里矢 2014年5月 12億7000万円 135名 10 TRIPLE-1 暗号資産採掘用の半導体を開発 山口 拓也 2016年11月 18億3194万円 35名 連続起業家・元社長 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 11 LayerX 「重い産業」のデジタル化を主導 福島 良典 2018年8月 15億5480万円 28名 12 カンカク 完全キャッシュレスのテックカフェ 松本 龍祐 2019年6月 1億989万円 10名 13 NOT A HOTEL 宿泊に関わるオペレーションを自動化 濵渦 伸次 2020年4月 5億234万円 2名 14 アルプ サブスク収益最大化を支援 伊藤 浩樹 2018年8月 1000万円 16名 15 MOON-X 日本のものづくりを支援 長谷川 晋 2019年8月 1億円 4名 大学発 # 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社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 38 LAPRAS AIを活用したヘッドハンティング 島田 寛基 2016年5月 1000万円 27名 39 POL 理系に特化したスカウト 加茂 倫明 2016年9月 1億円 48名 40 HERP 現場主導の採用システム 庄田 一郎 2017年3月 1億円 25名 41 HRBrain 目標設定や評価を効率化 堀 浩輝 2016年3月 1億円 68名 42 スタジアム ウェブ面接システム 太田 靖宏 2012年8月 5億1566万円 193名 43 JOINS 副業人材をマッチング 猪尾 愛隆 2017年6月 2333万円 0名 住まい・暮らし # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 44 KabuK Style 定額制の宿泊サービス 大瀬良 亮 2018年2月 3億400万円 75名 45 WAKUWAKU リノベーション業者にノウハウを提供 鎌田 友和 2013年6月 1億9308万円 94名 46 Zehitomo 専門サービスを適正価格で ジョーダン フィッシャー 2015年8月 3億8700万円 35名 47 サマリー スマホで管理できる収納サービス 山本 憲資 2010年4月 1億円 19名 48 ビットキー 暗号化技術を駆使した電子カギ 江尻 祐樹 2018年5月 4億546万円 162名 49 インフォメティス 家電製品ごとの消費電力をAIで推定 只野 太郎 2013年4月 1000万円 48名 50 RABO 首輪で猫の行動を24時間見守り 伊豫 愉芸子 2018年2月 9025万円 7名 51 ストロボライト 園芸メディアと庭リノベが柱 石塚 秀彦 2012年7月 4億3771万円 37名 小売り・飲食 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 52 ClipLine 従業員教育を短尺動画に 高橋 勇人 2013年7月 1億円 52名 53 AWL 小売店向けAIカメラの開発 北出 宗治 2016年6月 2億3975万円 66名 54 セーフィー クラウドで録画する防犯カメラ 佐渡島 隆平 2014年10月 1億円 130名 55 Mellow フードトラックのマッチング 森口 拓也 2016年2月 4億504万円 31名 56 シン 個人店が軸の出前サービス 大見 周平 2019年6月 500万円 18名 57 スナックミー 好みのおやつをAIが選定 服部 慎太郎 2015年9月 5000万円 17名 58 GINKAN ブロックチェーンを使ったグルメSNS 神谷 知愛 2015年12月 1億9928万円 14名 フリマ・通販 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 59 ジラフ トレーディングカード専門のフリマ運営 麻生 輝明 2014年10月 2億6250万円 41名 60 モノカブ スニーカー特化のネット売買市場 濱田 航平 2018年12月 1億4009万円 11名 61 モデラート 月額制でスタイリングを提案 市原 明日香 2014年12月 1億3765万円 10名 62 picki 個人のブランド立ち上げ支援 鈴木 昭広 2017年5月 3400万円 7名 63 Sparty シャンプーをカスタマイズ 深山 陽介 2017年7月 1億円 21名 物流 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 64 Rapyuta Robotics 複数のロボットを協調制御 ガジャン モーハナラージャー 2014年7月 2億7496万円 71名 65 KURANDO 倉庫内業務を安価に効率化 岡澤 一弘 2019年7月 350万円 2名 66 ダブルフロンティア 地域密着で買い物代行 八木橋 裕 2013年4月 1億6700万円 8名 67 Azoop トラックの中古売買サイト 朴 貴頌 2017年5月 3000万円 24名 68 アイディア 船舶管制システムの開発・運用 下川部 知洋 2017年11月 1億9302万円 20名 エンタメ # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 69 Mantra 漫画に特化した機械翻訳サービス 石渡 祥之佑 2020年1月 100万円 4名 70 わたしは ユーモアを操るAIで広告提案へ 竹之内 大輔 2016年4月 5100万円 6名 71 クラスター イベントなどの仮想空間を提供 加藤 直人 2015年7月 1億円 38名 72 playground スポーツなどの電子チケットから拡張 伊藤 圭史 2017年6月 5100万円 26名 73 THECOO 芸能人とファンの交流を活性化 平良 真人 2014年1月 5億3000万円 69名 74 オシロ 月額課金のファンコミュニティーを構築 杉山 博一 2017年1月 8485万円 12名 デバイス # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 75 BONX 距離無制限の次世代トランシーバー 宮坂 貴大 2014年11月 2億5000万円 22名 76 アロマビット においを可視化できるセンサー 黒木 俊一郎 2014年2月 5億8500万円 20名 77 INFORICH スマホ充電器のレンタルサービス 秋山 広宣 2015年9月 1億6988万円 37名 データ・セキュリティー # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 78 LeapMind 端末側で深層学習ができる技術を開発 松田 総一 2012年12月 25億8700万円 85名 79 エイシング エッジAIで製造業を効率化 出澤 純一 2016年12月 1億円 16名 80 ココン セキュリティーの脆弱性を診断 倉富 佑也 2013年2月 8354万円 250名 81 Ninjastars ゲームの不正対策 森島 健斗 2018年7月 3300万円 3名 82 TRUSTDOCK 決済時の本人確認を代行 千葉 孝浩 2017年11月 1億円 15名 83 DataSign 個人データ管理ツールを提供 太田 祐一 2016年9月 8600万円 15名 84 Synspective 地方面を観察する小型人工衛星を開発 新井 元行 2018年2月 1億円 80名 医療・介護 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 85 AIメディカルサービス 内視鏡の画像診断を支援するAI開発 多田 智裕 2017年9月 1億円 51名 86 テンクー 遺伝子解析データを基に医師支援 西村 邦裕 2011年4月 1000万円 30名 87 リーズンホワイ セカンドオピニオンをネットで提供 塩飽 哲生 2011年7月 9880万円 25名 88 Buzzreach 製薬会社と治験被験者のマッチング 猪川 崇輝 2017年6月 1億6480万円 18名 89 DentaLight 歯科医院向けのIT開発 藤久保 元希 2013年10月 2810万円 20名 90 イノフィス 人工筋肉で作業負担を軽減するスーツ 折原 大吾 2013年12月 24億8120万円 33名 91 ウェルモ AIがケア事例を提示 ⿅野 佑介 2013年4月 3億円 146名 92 ファミワン 妊活を専門家がサポート 石川 勇介 2015年6月 7773万円 5名 行政 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 93 xID 無料の電子契約とデジタルID 日下 光 2012年5月 6320万円 17名 94 one visa 外国人労働者のビザ申請支援 岡村 アルベルト 2015年9月 2億5699万円 20名 95 WiseVine 予算書をデータベース化 吉本 翔生 2018年3月 1億4880万円 4名 金融 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 96 justInCase 保険料を「わりかん」するがん保険 畑 加寿也 2016年12月 1億9562万円 26名 97 エメラダ オンライン資金繰り管理 澤村 帝我 2016年6月 1億円 19名 98 Basset 暗号資産の分析・監視ツール 竹井 悠人 2019年7月 200万円 6名 99 TORANOTEC 買い物のおつりを投資へ ジャスティン バロック 2016年8月 16億4396万円 38名 100 日本資産運用基盤グループ 地方銀行に資産運用をアドバイス 大原 啓一 2018年5月 1000万円 10名 週刊東洋経済 2020年8/22号 書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。 この号の目次ページを見る プラス会員(有料)にお申し込みいただくと 下記のサービスがご利用いただけます。 『週刊東洋経済』の最新号を先読みできる 1000冊以上の豊富なアーカイブを読める 雑誌誌面のイメージでも記事を読める 限定セミナーにご招待
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参考書籍
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参照書籍一覧
このWEBサイトで使用した資料は下記の書籍です。略称を独自に決めました。この略称は、他に通用する略称ではありません。本文との関係で、見やすいように略称を頭に記しました。
1.『朝鮮の歴史』―先史から現代まで―:田中俊明氏編、株式会社昭和堂発行、2008年4月初版第一印刷、2011年4月初版第3印刷
2.『韓国の中学校歴史教科書』:世界の教科書シリーズ13、(中学校国定国史)、三橋広夫訳、株式会社明石書店、2005年8月31日初版第1刷発行
3.『韓国の歴史教科書』:世界の教科書シリーズ39、高等学校韓国史、検定版、イム・ヘンマン氏、キム・サンギュ氏、パク・ポミ氏、パク・チュンヒョン氏、チョン・ヘンニョル氏、イ・インソク氏著、三橋広夫氏・三橋尚子氏訳、株式会社明石書店発行、2013年12月25日初版第1刷発行、2017年8月25日初版第3刷発行
4.『朝鮮史1』:世界歴史大系・李成市氏・宮嶋博史氏・糟谷憲一氏編、先史▶朝鮮王朝、株式会社山川出版社発行、2017年10月10日1版1刷印刷、2017年10月10日1版1刷発行、
5.『神話から歴史へ』―神話時代 夏王朝―、宮本一夫氏著、中国の歴史01、株式会社講談社発行、2005年3月15日第1刷発行
6.『三国遺事』完訳、一念著・金思燁訳、朝日新聞社、昭和五一年四月二〇日第一刷発行
7.『韓国の小学校歴史教科書』:初等学校国定社会・社会科探求、世界の教科書シリーズ17、三橋広夫訳、株式会社明石書店発行、2007年10月10日初版第1刷発行
8.『大漢和辞典』:諸橋轍次氏著、株式会社大修館書店発行、昭和三十五年五月二十五日初版発行、昭和四十三年縮写版第一刷発行、昭和四十六年五月一日縮写版第三刷発行
9.『朝鮮の歴史・新版』:朝鮮史研究会編、株式会社三省堂発行、1995年2月15日第1刷発行、2004年6月10日第9刷発行
10.『簡明中国歴史地図集』中国地理叢書:国社会科学院主辨、譚其驤氏主編、中国地図出版社出版、1985年2月《中国地理叢書》出版説明は編集委員会が行い、前言は1990年8月17日付けで譚其驤氏によってなされている。発行日は不明。ここでは日本で使われている漢字で表記しましたが、実際の書籍は中国で使われている簡体字です。
11.『ファーストエンペラーの遺産』秦漢帝国:中国の歴史03、鶴間和幸氏著、株式会社講談社発行、2004年11月10日第一刷発行
12.『倭国伝』中国正史に描かれた日本。講談社学術文庫2010:藤堂明保氏・竹田晃氏・影山輝国氏全訳注、株式会社講談社発行、2010年9月13日第1刷発行、2010年11月12日第3刷発行
13.『三国史記1』東洋文庫372:金富軾氏著・井上秀雄訳注、株式会社平凡社発行、1980年2月29日初版第1刷発行、1985年6月1日初版第2刷発行
14.『三国史記2』東洋文庫425、金富軾氏著・井上秀雄訳注、株式会社平凡社発行、1983年9月19日初版第1刷発行、1999年5月20日初版第7刷発行
15.『DNAでたどる日本人10万年の旅』多様なヒト・言語・文化はどこからきたのか?:崎谷満氏著、株式会社昭和堂発行、2008年1月20日初版第1刷発行、2015年10月20日初版第11刷発行
16.『朝鮮紀行』講談社学術文庫1340.―英国婦人の見た李朝末期―:イザベラ・バード氏著・時岡敬子氏訳、株式会社講談社発行、1998年8月10日第1刷発行、2005年1月20日第11刷発行
17.『人口から読む日本の歴史』:鬼頭宏氏著、株式会社講談社発行、2000年5月10日第1刷発行、2013年2月12日第29刷発行
18.『概説韓国考古学』韓国考古学会編、武末純一氏監訳、庄田慎矢氏・山本孝文氏訳、㈱同成社、2013年10月3日発行、2015年5月25日第2刷
19.『朝鮮儒教の二千年』講談社学術文庫2097:姜在彦(Kang Jae-Eun)氏著、株式会社講談社発行、2012年2月9日第1刷発行
20.『高麗史』:國書刊行會代表・市島謙吉氏編輯兼発行『高麗史』「第一」(國書刊行會)明治41年11月30日発行。非売品
21.『本当に悲惨な朝鮮史』「高麗史節要」を読み解く:麻生川静男氏著、株式会社KADOKAWA発行、2017年4月10日発行
22.『世界史の中の蒙古襲来』モンゴルから見た高麗と日本:宮脇淳子氏著、株式会社扶桑社発行、2019年6月30日初版第一刷発行
23.『朝鮮事情』東洋文庫367:フランス人のCharles Dallet氏著『Historie de L’Eglise de Coree.』、金容権による日本語訳、株式会社平凡社、1979年12月20日初版第1刷発行、1987年1月20日初版第3刷発行
24.韓国がタブーにする『日韓併合の真実』:崔基鎬氏著、株式会社ビジネス社発行、2014年1月1日第1刷発行、2014年2月11日第3刷発行勝利を
25.『THE NEW KOREA』朝鮮が劇的に豊かになった時代:アレン・アイルランド(ALLENE IRELAND,F.R.G.S.,)氏著、桜の花出版編集部編、桜の花出版㈱発行、㈱星雲社発売、2013年8月14日初版 第1すり発行、2018年10月15日第4版第2すり発行
26.『悲劇の朝鮮』―スウエーデン人ジャーナリストが目撃した李朝最期の真実―:アーソン・グレブスト著、・河在龍・高演義訳、株式会社白帝社発行、1989年9月1日初版印刷、1989年9月5日初版発売
27.世界歴史大系『朝鮮史2』―近現代―:李成市氏・宮崎博史氏・糟谷憲一氏編、株式会社山川出版社発行、2017年10月10日1版1刷印刷、2017年10月20日1版1刷発行
28.『朝鮮現代史』:糟谷憲一氏・並木真人氏・林雄介氏著、株式会社山川出版社発行、2016年7月20日1版1刷印刷、2016年7月30日1版1刷発行
29.『総督府年報1941』:『朝鮮総督府施政年報 昭和14年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
30.『総督府年報1923』:『朝鮮総督府施政年報 大正12年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
31.『朝鮮の悲劇』東洋文庫222:イギリス人のFrederick Arther McKenzie著、 “The Tragedy of Korea”、渡部学訳、株式会社平凡社発行、1972年12月18日初版第1刷発行、2008年1月18日初版第13刷発行
32.『歴史を偽造する韓国』韓国併合と搾取された日本:中川八洋氏著、株式会社徳間書店発行、第1刷―2002年4月30日
33.『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』:水間政憲氏著、株式会社PHP研究所発行、2013年2月13日第1版第1刷発行、2019年10月24日第1版第7刷発行
34.『反日種族主義』日韓危機の根源:李栄薫氏編著、株式会社文藝春秋発行、2019年11月15日第1刷発行
35.『日本統治時代を肯定的に理解する』韓国の一知識人の回想:朴贊雄氏著、株式会社草思社発行、2010年9月1日第1刷発行、2010年10月1日第3刷発行
36.『大韓民国の物語』韓国の「国史」教科書を書き換えよ:李栄薫著・永島広紀訳、株式会社文芸春秋発行、2009年3月1日発行
37.『日韓併合小史』岩波新書(青版)587:山辺健太郎氏著、株式会社岩波新書発行、1966年2月21日第1刷発行、2010年9月17日第30刷発行
38.『日本統治下の朝鮮』統計と実証研究は何をかたるか。中公新書2482:木村光彦氏著、中央公論新社発行、2018年4月25日初版、2018年7月5日3版
39.『三星の成長と日本』:2016年3月。李 恵美(Hyemi LEE)氏
(筑波大学大学院人文社会科学研究科 博士後期課程)執筆の2016 Journal of International and Advanced Japanese Studies Vol. 8, Marchに掲載されたレポート『サムスングループの形成と成長における日本からの影響』―1938年から1987年までの期間を対象に―
40.韓国人が書いた『韓国で行われている「反日教育」の実態』:崔碩栄氏著、株式会社彩図社発行、弊政26年12月22日第1刷
41.シリーズ日本人の誇り10『朝鮮総督府官吏最後の証言』:桜の花出版編集部による西川清氏へのロングインタビューの記録、桜の花出版編集部編、桜の花出版株式会社出版、2014年8月15日初版第1刷発行、2014年9月18日初版第2刷発行
42.『日本の朝鮮統治を検証する』1910-1945:ジョージ・アキタ氏、ブランドン・パーマー氏著、塩谷紘訳、株式会社草思社発行、2013年8月28日第1刷発行、2013年11月7日第6刷発行
43.『日韓併合を生きた15人の証言』―「よき関係」のあったことをなぜ語らないのか―:呉善花著、桜の花出版株式会社発行、2015年7月27日初版第1刷発行、発売元株式会社星雲社
44.『完訳三国史記上㊤』:金富軾著・金思燁訳、株式会社六興出版発行、昭和55年12月10日初版発行
45.『日本旧石器時代の起源と系譜』:安蒜政雄著、 株式会社雄山閣発行、2017年3月31日初版発行
46.『日本人の起源』DNA,古地理・古環境からさぐる―石器時代人が縄文人、弥生人そして現代人になった―:山崎茂幸氏著、株式会社幻冬舎発行、2016年12月27日発行
47.『DNA人類進化学』岩波科学ライブラリー52:宝来聡氏著、株式会社岩波書店発行、1997年7月22日第1刷発行
48.『日本列島人の歴史』: 斎藤成也氏著、岩波ジュニア新書812、株式会社岩波書店発行、2015年8月28日第1刷発行、2016年4月5日第2刷発行
49.『日本人はどこから来たのか』:海部陽介氏著、株式会社文芸春秋、2016年2月10日第1刷発行、2016年7月5日第5刷発行
50.『DNAでわかった日本人のルーツ』遺伝子で解明!縄文人が日本人の祖先だ!別冊宝島2403号:斎藤成也氏監修、株式会社宝島社発行、2016年12月29日
51.『縄文は何時から』―地球環境の変動と縄文文化―:歴博フォーラム、小林謙一氏・工藤雄一郎氏、国立歴史民俗博物館編、株式会社新泉社発行、2011年2月15日第1版第1刷発行、2012年12月10日増補版第1刷発行
52.『人類と気候の10万年史』過去に何がおきたのか、これから何が起こるのか:中川 毅氏著、株式会社講談社発行、2017年2月20日第1刷発行
53.『日本海の成立』改定版:西村三郎氏著、築地書館株式会社、1974年11月20日初版発行、1980年8月1日改定第2刷発行
54.フリー百科事典Wikipedia「細胞」
55.フリー百科事典Wikipedia「ミトコンドリアDNA」
56.フリー百科事典Wikipedia「更新世」
57.『日本歴史・第1巻』岩波講座・🔹原始・古代1:編集委員は大津透氏・桜井栄治氏・藤井譲治氏・吉田裕氏・李成市氏の各、氏、株式会社岩波書店発行、2013年11月19日第1刷発行
58.『ひと目でわかる日韓併合時代の真実』:水間政憲氏著株式会社PHP研究所発行、2013年2月13日第1版第1刷発行、2019年10月24日第1版第7刷発行
59.『図説朝鮮戦争』ふくろうの本:田中恒夫著、河出書房新社発行、発行者…小野寺優、2011年4月20日初版印刷、2011年4月30日初版発行
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茶葉,曾經是台灣對外輸出的重要物產之一,想要認識茶業歷史的前世今生,就不能錯過關西的臺紅茶業文化館,嗅著文化館瀰漫著的茶香,不難窺見喝茶如何成為生活裡的必須。來到這,巧遇羅一倫館長訴說,童年時的記憶,起床第一件事,就是先拿茶壺裝水,燒開水,準備泡茶。
發現關西老茶廠 看見台灣茶葉史
見證了台灣茶產業歷史發展的台灣紅茶公司,2004年正式成為地方文化館對外開放,也成了認識關西地域特色、茶葉的歷史文化、客庄生活方式與產業的重要路徑。
大稻埕外銷茶 產自關西
談起台灣的茶業歷史,可能有人會先想到大稻埕,然而,關西的「臺紅茶業文化館」也不遑多讓,可以算是一間活的博物館,一張張的鑄鐵刷板書寫著台灣茶產業歷史的重要篇章,具有舉足輕重的文化價值,它的活力,滿溢在陣陣揉合���老茶、新茶的芬芳氣味裡,貼合著這裡的栽種節氣、生活脈動。
茶葉,是新竹縣重要的特色產業,世居在此的人們,也體現了茶文化生活的種種樣貌;清末的製茶工作在茶園旁茶寮進行,桃竹苗茶區有以咸菜硼、龍潭陂及北埔峨眉茶區為主,裝著粗製茶的大茶袋以人力運送至龍潭和大嵙崁,再以水路大嵙崁溪和淡水河流域載運至大稻埕,由當時的洋行將包種茶、烏龍茶加工後分裝出口。
福爾摩沙茶 國際注目
日治時期輕便車、鐵路陸續開通後,加上茶業獎勵計畫的影響,製茶技術與製茶機械的引進、茶業品質和產量的提升使得茶工廠轉型成為有規模的中大型茶公司,茶葉運送方式還多了卡車運載,台灣紅茶株式會社便在這樣的脈絡下成功地以「Formosa Tea」建立新的產銷網絡,並在大稻埕設立辦事處,直接與國外買家進行茶業買賣的輸出紅茶。
日治時期關西羅家集結家族力量努力以「福爾摩沙茶」為名的外銷足跡,1935年對於關西紅茶是個重要的一年,關西紅茶在當年的茶品評會、台灣名產物人氣投票與博覽會優良國產賞的得獎成績卓越,大獲好評,無論是「馬武督」和「赤柯山」茶業組合,抑或「台灣紅茶株式會社」或「台灣紅茶股份有限公司」打印認證的品質,成噸又成噸的大量輸出,在黃金時期,新竹州的外銷茶箱數量一直是全台最大宗,曾年銷達300到500萬公斤,更在茶國際市場佔有一席之地。如今,館內的歷史海報圖樣也見證了當時茶業備受地方及國際注目的輝煌發展,並且在仕女廣告的加持下,更帶動了新一波西式飲茶的風潮。
從紅茶到煎茶的轉型
茶工廠的建築體,歷經1939年的大地震陸續改建為磚木混合的鋼筋混凝土構造,一樓設置茶機械,二樓則為委凋揉捻、儲存茶葉的木構倉庫;五零到六零年代由於紅茶外銷市場轉弱,綠茶輸出量漸增,七零年代便引進了精揉機器進行炒青綠茶,成功將煎茶外銷至日本、北非等地。台灣紅茶公司受茶菁製茶產量減少與關西地區土地使用方式的改變,在1996年停止製造條形茶業,改作碎形茶葉外銷,並積極將茶廠朝觀光、茶業文化推廣發展。
茶香四溢的聲音之路
現在的臺紅,是文化館,二樓展示區木造茶倉庫外牆上超過七十片的鑄鐵刷版,有台灣紅茶公司在世界四十個國家的外銷軌跡,甚至可以發見,因為當時台灣外交的限制,茶箱上打印上「Made In China」字樣的台灣茶銷往非洲等,另外,二樓也展示早期紅茶外銷的台灣茶業歷史發展與變遷,以文物、老照片、茶葉種類與製程、茶箱鑄鐵刷板為主,常年開放給中小學校外教學的參訪外,也歡迎其他團體預約文化館的參訪導覽、綠茶DIY體驗。
現在的臺紅,更是製茶的工廠,一年在春茶、夏茶共三次的製茶生產。每到製茶機器規律忙碌的節奏聲裡,仍能聽聞到香氣四溢的茶味,甚至在館舍地板發現綠茶茶粉隨窗戶斜射光線閃閃發亮的蹤跡。若是想在充滿茶香的空間聆聽曼妙音樂,也都在臺紅的策畫當中,年底文化館固定會舉辦音樂會,動人弦樂與木造茶廠的巧妙共鳴樂音,揉合嗅覺、味覺與聽覺的饗宴,已經在當地維持近十年,儼然成了關西音樂聚會的傳統。
喝一口茶、翻看《福爾摩沙。茶—台灣茶走過的一段路》故事繪本,道盡台灣茶葉這個古老的歷史產業的興衰,而關西台灣紅茶在產業道路上峰迴路轉的傳奇,品嘗起來如此津津有味;至今,這裡依然保有悠久且優良的品茶傳統,歡迎期待生津解渴的旅人到此一遊,品茗紅茶、綠茶來感受當地獨有的茶生活。
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2019年8月1日(木)
新暦では今日から8月、旧暦では文月に入る。暑さは今がピークだが、すぐに「七夕」「立秋」がやってくる。旧暦を確認すると、暑さの向こうに秋が来ていることがイメージできる。これも一つの避暑法かな?
今朝もツレアイを職場まで送って一旦帰宅、車を置いて電車通勤。
今日の車内読書は、水谷���秋『謎の大王 継体天皇』。
武烈天皇が跡継ぎを残さずに死んだあと、畿内を遠く離れた近江・越前を拠点とし、「応神天皇五世の孫」と称する人物が即位した。継体天皇である。この天皇にまつわるさまざまな謎―血統・即位の事情、蘇我・物部・葛城などの大氏族との関係、治世中に起きた「筑紫君磐井の乱」との関わり、「百済本記」に記録された奇怪な崩御のありさまなどを徹底的に追究し、さらに中世の皇位継承にその存在があたえた影響までをも考察した、歴史ファン必読の傑作。
著者は若いが、一般向けの本を熟れた文章で上手に仕上げている。
今日のミッションは、「スタディスキルズ(児童教育学科)」の採点。
火曜日同様に、33名分の評価対象資料をチェック。一旦集計した上で Web登録、こちらもしばらく寝かせておく。
メモリアル・キルト・ジャパンの <mqj.jp> ドメインの契約更新、¥3,283なり。
教養科目「茶道」の菓子代、予算執行申請書を提出、これで前期分は終了。
ランチは冷凍庫を発掘したパン、マルホベーカリーのクロワッサンが見つかった。
今日から8月、図書館の開館カレンダーを Twitter で配信。
昨日の映画で気になっていた森崎和江さんの著作、図書館から2冊借り出す。『まっくら』は1970年が初版、1977年に再刊されたもの、炭鉱で働いた女性10人の聞き書き。昨日の映画のナレーションは、この本からいろいろ取られていたことがわかる。
早めに退出、西大路七条・ライフで買い物して帰宅。
「れいわ新選組」の活動を雨宮処凛さんが『マガジン9』で、丁寧に配信している。カンパのために、手ぬぐいとタオルハンカチを2枚ずつ注文。
息子たちの夕飯、ベーコン+ナス+トマトの炒め物をオイスターソース味で、味噌汁はタマゴ。
ツレアイの帰宅を待って晩酌開始、写真を忘れる。
録画番組視聴。
上方落語の会▽桂福丸「雨乞い源兵衛」▽桂紅雀「向う付け」
「NHK上方落語の会」から落語「雨乞い源兵衛」と「向う付け」。▽雨乞い源兵衛:あまりの日照り続きに源兵衛の所へ庄屋がやって来た。130年前に日照りが60日続いた時、源兵衛の祖先が雨乞いをして雨を降らせたというのだが…。▽向う付け:出入りのお店のご隠居が亡くなり、葬儀の手伝いにやって来た���六。斎場の帳場を任されたが、文字が書けず…。▽きょうの落語:桂福丸、桂紅雀▽ご案内:南沢奈央・くまざわあかね
福丸さん、芸域を広げているなぁ。
FIT 7月の燃費、昨年と全くかわらず。
無理しないということでほとんどノーチェック、こんなことならもう少し動けば良かった。
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『 引っ越し大名! ~役が人を育てる~ 』
みなさん こんにちは
結婚相談所
ハッピータイム県央&みなかみ分室
婚活アドバイザーの佐々木です。
時代小説「引っ越し大名三千里」を
映画化。
姫路藩は、幕府から国替を言い渡される
姫路藩は、度重なる国替からの借金と
これまでにない遠方への引越し
さらに減棒と
国の存亡が危うくなるピンチ!
この国難を乗り切れるかは
国替えを仕切る引っ越し奉行の腕しだい
前任者は激務が原因ですでに亡くなり
国替のノウハウも失われていた
そんな中、書物好きなら博識だろうと
いう理由から人と接するのが苦手で、
いつも書庫にこもっていた書庫番の
片桐春之介が引っ越し奉行に任命
されてしまう。
春之介の幼なじみで武芸の達人である
鷹村源右衛門
前任の引っ越し奉行の娘・於蘭と共に
この国難を乗り切れるのか
月曜日のレイトショー
夏休みも終わり9月の第一週
カップル3組と私一人の計7名による
視聴それぞれの状況に応じて
じっくりと楽しめたのでは
現代社会のさまざまな苦労や問題に
通じるエピソードを手際よく盛り込んで
いるなっと思いました。
藩士全員とその家族も皆新たな領地に
移動する国替えは、例えるなら
会社が他県に移転して全社員と家族が
一緒に引っ越すようなもの
想像を絶する超難関プロジェクト!
その責任者に、本の虫の引き籠り侍が
抜擢される展開面白い
大役を押し付けられて真っ青な弱々
しい状態から周囲に助けられながら
持ち前の長所を活かして
徐々に落ち着き顔つき振る舞いが
大名らしくなっていく。
役が人を育てるのも見もの
リストラの悲哀
(解雇する側とされる側の両方)
もあればBL(ボーイズラブ)要素も
士農工商の身分制度と男尊女卑が
当たり前の時代
そんな価値観に縛られない人たちが
いてもいいよね
というエピソードの数々
カップル鑑賞であれば
現在は、夫婦であっても
それぞれの立場や社会的地位を
主張でき、また それを認め尊重
される世の中、夫婦共働き、転勤と
言えば、単身赴任が当たり前に....
共に生きるからこそ、
それぞれが活かされる
一緒にいることの大切さを
感じられると思う
シングル鑑賞であれば
運命に身を任せ与えられた環境に
真摯に向き合い取り組んでいれば
結果、世の為、人の為に役に立ち
自らの喜びを得ることが出来ると
感じられると思う。
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婚活応援団ハッピータイムグループ
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TEL・FAX 0278-62-2792
携帯 080-1160-5479 支部長 佐 々 木 真 勇
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