#歎異抄
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buddhism-lover · 21 days ago
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ある人が仏かどうかは見ただけで分かる。それは仏にしかない32の外見上の特徴があるから。それはどんな特徴なのか。あなたにも1つくらいあるのでは?
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mochicojournal · 6 months ago
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240609 ☔︎ 8:00オハヨウ
インターバル速歩やすみ
孝志さんもやすみ
ゆっくり朝食を。
言行一致であるということ。
ヴィンチェンツォ見終わる
善悪、正義について
考えるきっかけに
最終話では全然���係ないけど😂
「善人でさえも往生できるのだから、悪人が往生できるということは言うまでもないことです」
(歎異抄 第3章)
を思い出す
自分の中に悪がある自覚の有無を言ってるだと思うのだけど
ヴィンチェンツォは最後まで
自分は悪党だという自覚を持ち
クズを始末するのは趣味という位置づけ
正義じゃなくて趣味ってところが
やっぱ好き♡ってなった!!
この作品のどこが好きなのか
ずーっと考えてて
登場人物それぞれのキャラとか
ソンジュンギの卵肌とか
涙の女王が更に盛り上がるとか
いろいろあるけれど
正しさからじゃなく
言行一致
自分の望み通り
言葉通りに
行動できるって
カッコいい!!
正しくなくてもいい
自分の望みを知って
言葉にして
淡々とやる
わたしも言行一致であろう
自分との約束を守れる私であろう
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ishiduca · 9 months ago
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高橋源一郎「一億三千万人のための『歎異抄』」を読んだ。歎異抄をシンランの弟子ユイエンがくだけた言葉で語るという独自のスタイルで訳し、高橋による解説「宗教ってなんだ」と歎異抄原文を加える。他力本願ということの意味がよく分かる。解説で、法然らの「ただ念仏を唱えればよい」に対して「念仏は真の菩提心があってそれが言葉になるもの」という批判(興福寺奏状)を取り上げ、むしろ演劇などの文学はことばが先にあるのだという反例は腑に���ちる。カール・バルトの「神との一対一の契約」に対するクルマンの「神からの愛の一方的贈与」という批判も示され、「ネンブツはアミダからの贈りもの」に通じるという
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ho108 · 2 years ago
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武田定光師「「念仏もうしそうらえども 」とは 『歎異抄』第九章
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pix-ied · 1 month ago
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24年10月3週目
読書の秋が捗る。今週は『ザリガニの鳴くところ』『私とは何か「個人」から「分人へ」』『歎異抄』を読了。最近は勉強もしていないので、昼休みも本を読む時間に充てられている。「ザリガニの鳴くところ」はなぜそれほど売れたのかという気がしないでもない。ミステリーというジャンルだとそれほど...という感じがするけど、ネグレクトされた少女が大人になるまで、という視点でいけばすごくサスペンスだった。「歎異抄」は先日の葬儀を浄土真宗でやってもらったので、せっかくだから読んでみるかと手を出したやつ。光文社古典新訳文庫なので、読みやすいは読みやすいけど、それでもよく分かるという感じではないな。とにかく素直にお釈迦様にお願いしますと頼めることが大事のようです。「私とは何か」は面白かったな。個性とは分人の構成比率のことだから自分を変えたければ付き合う人間を変えろとのこと。全体的に附に落ち感が心地良かった。自己肯定感はこの分人をどれだけ多く愛せるかにかかっていると思う。私は旅行に1人で行っているときの自分がかなり好きなので、最初1人で居るときも誰かといるときの分人を引きずっているという話に、いやいやそんなことはないよ、と思ったけど、途中に分人対象は人とは限らない(例えば本とか)とも書いてあったので、なんとなく納得。旅のどこかにスイッチがあって旅用の私が現れるんだろうな。本を返してそのままようやく『マチネの終わりに』を借りて読み始めた。映画が作品の会話にかなり忠実。幸か不幸か福山雅治と石田ゆり子で再生されてしまう。蒔野のキザなセリフとギターというところでは福山の配役はぴったりだったのかもしれない。映画はおいておいても、小説の地の文も含めてなんだかとても素敵で、「私とは何か」と合わせて、平野さんのことが急に気になる存在に。何かと難解なイメージがあったけど、もっと作品を読みたいと思った。まだ「マチネの終わりに」も全然読み終わってないけれど。
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kyoto4 · 8 months ago
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『歎異抄  仏にわが身をゆだねよ』釈 徹宗 著 (NHK出版)
南無阿弥陀仏
はじめに 絶体絶命のときに浮き上がる言葉 第1章 人間の影を見つめて  『歎異抄』の謎  信心のない者には読ませるな  親鸞とその思想  「往生をばとぐるなりと信じて念仏申さん」  「この慈悲始終なし」  「親鸞は弟子一人ももたず候ふ」  自分の影を凝視し続ける 第2章 悪人こそが救われる!  親鸞思想の最大の逆説「悪人正機説」  念仏は阿弥陀仏のはたらきである  喜べない私だから救われる  「はからい」を捨てよ  念仏は仏の呼び声 第3章 迷いと救いの間で  異義を正す「歎異篇」  「造悪無礙」と「専修賢善」  状況によっては、どんなことでもしてしまう  唯円という、たぐいまれな語り手  なかなかすっきりしない道  回心・辺地・お布施について  〝リミッター〟としての『歎異抄』 第4章 人間にとっ���宗教とは何か  「信心」は一つである  「大切の証文」とは何か  「親鸞一人がためなりけり」  「宗教儀礼」という装置  なぜ『歎異抄』は読み継がれるのか  「流罪記録」、そして宗教とは──  ブックス特別章 さらに深く親鸞思想を知る  師・法然とのかかわり  よきひと(法然)の仰せ  多念義系の立場  親鸞は一念義系なのか  真の念仏と仮の念仏  親鸞特有の仏典解読  「信一念」について  浄土も通過点   読書案内
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bsamngodangbralba · 1 year ago
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小町数人説をめぐって
陽明文庫に中世の小町の絵がある。絹本着色、縦六一・六センチ���横四一・七センチの絵を表装してあるのだが、軸心近くの裏面に「小野小町像 貞治六秊六月廿五日」と、まさしくその頃この筆跡にて記されたものが付加されている。表装そのものもそんなに新しいものでないが、表装するにあたって、この絵に本来ついていた紙をここに付加したものであろうことは、その字がまさしく貞治頃〈一三六二〜一三六七〉この事跡であることが疑いもないからであろう。
ところで、この絵は「小野小町像」となっているが、まさしく「玉造小町子壮衰書」によっている。「容貌ハ憔悴シテ、身体ハ疲痩」、「頭ハ霜フリタル蓬ノ如ク、膚ハ凍リタル梨ニモ似タリ」、「骨ハ辣チテ筋ハ抗クナリ、面ハ黒クシテ歯ハ黄バミタリ」、「裸形ニシテ衣ナク、徒跣ニㇱテ履ナシ」、「左臂ニハ破レタル筐ヲ懸ケ、右手ニハ壊レタル笠ヲ提ツ」、「頸ニハーツノ囊ヲ係ケ、背ニハーツノ袋ヲ負ヘリ」、「肩ノ破レタル衣ハ胸ニ懸カリ、頸ノ壌レタル蓑ハ腰に纏ヘリ」とある「壮衰書」の序文をのものである。ここでもまた小野小町と玉造小町を同人物とする中世の理解が確認されるのである。
先にあげた「無名抄」の文〔五〇頁参照〕の続きに「玉造の小町と小野小町と同人かあらぬ者から、人々おぼつかなきことに申して争ひはべりし時...」とあって別人説もあったことは確かだが、その多くは前述の「玉造小町子壮衰書」の弘法大師著作説を土台にしての疑問であり、中世の大勢は、あくまで両者を同じものと見、「玉造小町子壮衰書」を小野小町の事蹟を語るものと見ていたことは疑いもないのである。
近世に入っても、この傾向は変わらなかった。貞徳の「徒然草慰草」などその顕著な例だが、中期以後の随筆の類を見ても、たとえば天野信景の「塩尻」〈『随筆大成』等〉、志賀忍〈天保十一年、七九歳没〉の「理斉随筆」などは、小野小町と玉造小町を同一人と考えている。
ところが、小町という名は、実は普通名詞であって、〇〇小町と呼ばれる女性はまことに数多くいたのだ、玉造小町と小野小町もとうぜん別人だという、いわば画期的な説が新井白雅の「牛馬問」「〈温知義書〉」に提示され、人々を驚かせたのである。
古代には一国より一人づつ采󠄃女を内裏へ献ぜしこと也。既に仁明帝の前後には、小町とて召されたるもの六十��人ありしとなり。この采󠄃女を后町のうちにをらしめたまふ。故にみなみな小町と呼ばれたるなり。その人々の宮仕へをやめて古郷に帰り身まかりたる墓を、おほか「た小町塚とよびしとなん。さてこそ、国々に小町塚といふもの多し。美濃・尾張の間にさへ二三所あり。
しかるを、なべての小町を一人と思ふよりまぎれたる説多し。たとへば実方朝臣、陸奥へ下向の時、髑髏の目穴より薄の生ひ出て、「秋風の吹くにつけてもあなめ〱」の歌の小町は小野正澄が娘の小野小町なり。文屋康秀が三河掾となりて下りし時、「身をうき草の根をたえて」さそふ水あらば」とよみしは高雄国分が娘の小町なり。「おもひつつぬればや人の見えつらむ」の歌、又業平の「舞の袖」などいひしは出羽郡司小町良実が娘なり。高野大師のあひたまふ、壮なる時憍慢最も甚だし、衰ふる日愁歎猶深しと答へしは常陸の国玉造義景が娘の小町なり。かく一人ならず。故に時代其外異なる事あるのみ。中にも良実が娘の小町は美人にて和歌にもすぐれたれば、独り名高く、すべて一人のやうに伝へ来たるのみ。
まず、小町を采󠄃女をし、采󠄃女のすべてに「町」をつけてよんだといっているが、平安時代の文献にあらわれる采󠄃女は、たとえば「近江の采󠄃女」〈拾遺集〉「明日香の采󠄃女」〈大和物語〉などのごとく、国名を冠して呼ぶのが普通である上に、文献にあらわれる「町」のつく女性は前述のように后町にいる更衣であって采󠄃女ではない。小町采󠄃女説自体が出羽都司良実の娘という伝承をもとにして出来たものであり、出羽国から采󠄃女をさしだすことはなかった〈「続日本紀」「類聚三代格」〉という事実を持ち出すまでもなく、この日雅の説には従えないのである。地方に数多い小町塚の合理的説明としても弱いものである。
ところで、この白雅の説、後半になると、その多数の小町が四人にしぼられて来る。架空の人物である小野正澄とか高雄国分とか玉造義景などの名をどこから持ち出して来たのか不明だが、既に伝説化説話化している小町像のすべてを事実と認定する立場からの合理的整理であって、まったく意味をなさぬものとしか言いようはないのである。
伝承る整理しながら、また新しい伝承を生んでいる感じの「牛馬問」の説であるが、その合理的整理法に人気があったのか。それに賛同して引用している随筆が実ははなはだ多いのである。神沢貞幹の「翁草」〈『随筆大成』第三期所収〉、城戸千楯の「紙魚室雑記」〈『随筆大成』第一期所収〉、石川宣続の「卯花園漫録」〈『新燕石十種』第三所収〉、山本信有の「孝経楼漫筆」〈『随筆大成』第三期所収」、滝沢馬琴・屋代弘賢らの「兎園小説」〈『百家説林』所収〉など、いずれもこれに全面的な賛同を示しているのである。
小町に限らず、伝説的人物は、その伝説化の過程において、事蹟が膨脹し、それを全体的に把握するとなると、そこに新しい矛盾が出てくることが多い。これを予盾なく合理的に統一しようとすると、いわば原生動物の体のように多方面に膨脹したものを分割するほかはなくなる。
たとえば柿本人麿の場合にしても、「万葉集」の記述を信するかぎり人麿は持統朝から文武朝にかけて活躍した歌人であるとするほかはない。だが一方、「万葉集」が引用する「柿本人麿歌集」にはそれよりもかなり後の歌もある。「人麿歌集」に後代の歌が入っているというのは今日の学者の常識だが、人間歌集なのだからすべてが人麿の歌だという立場に立てば、「万葉集」の人麿にして、既に最低二人いたことになる。次に「古今集」の仮名序を見ると、、「おほきみつの位(正三位)柿本人麿」を「ならの御時」の歌人としている。現在では、これを「奈良時代」と解し、しかも人麿が活躍した飛鳥時代は奈良時代に接していたからこのように書いたと説明している。だが、そこに都があった「時代」と解するのはどうか。平安時代において「御時」とは天皇の治世、すなわと御宇のことであり、「ならの御時」は平城の帝の御時の意にほかならないからである。事実、この仮名序に対応する真名序(漢文の序)には「平城天子」とはっきり書かれている。「古今集」より五十年ほど後に出来た「大和物語」にも人麿が平城天皇に仕えていたとある。平城天皇は平安時代第二の天皇だから「万葉集」の人麿とは違う。これ第三の人麿ということになる。ところ、で、「古今集」から百年ほど後の第三の勅撰歌集「拾遺集」を見ると、人麿が渡唐してよんだという歌が二首見える。これ、第四の人麿である。
人麿を一人ではなく四人とすると、その間の矛盾はなくなる。しかし矛盾がなくなったところでどうなるというのだ。私が問題にしたいのはそんなことではない。実在の人麿が、その死後、奈良時代・平安時代にどのように伝説化されていったか、別のことはで言えば、後の人々の心の中に人麿がどのように生き続けて来たか、私はそれを問題にしたいのである。
小町の場合も同じである。江戸時代の学者のように小町を四人にしたり、現代の民俗学系の国文学者のように、小町と称する女が無数にいたとか、小町を名のる遊行婦女・あるき巫女・歌比丘尼のたぐいが諸国をめぐり歩いていたと言い切ることによって事足れりとし、文献に残った小町の文学と伝承について深く考えよう��もしないのは学問の堕落、ある意味では頽廃という評語が適切でさえある。仮に彼らの言うようなことがあったとしても、せいぜい中世の後期のことであり、「小野小町の歴史」ほ既に平安時代中期以前から始まり、中世、近世と続いていたのである。小町が、その死後も、後代の人々の心の中にどのように生き続け、どのように変容していったか、あるいはまた、時を経て変容しながらその底に変えずに生き続けてゆく、いわゆる小町的なもの、それはいったい何かということの追跡にこそ、私は意味を認めたいのである。世に虚と言い実と言う。しかし、このように見れば、人々の心の中に生き続けていたものはすべてが実だと言うほかはないのである。
以下の章において次第に明らかにしてゆくことであるが、小野小町の説明化は、彼女の死後間もない頃から既に始まっていたのである。そして十世紀の末頃には、我々が知っている小町説話、たとえば(1)雨乞説話(2)好色説話(3)男性を拒否する驕慢説話(4)衰老説話 等、そのおおむねが既に出来るがっていたはずである。だから、そのような流れの中に「玉造小町子壮衰書」を置くならば、「小町老いて後、おとろへさらぼりたりなど云ふめるは、玉造小町の事なるを混じていへるなり」〈本居内遠「小野小町の考」〉というような見方が必ずしもあたらぬことを知るのである。小町衰老落魄の説話が「壮衰書」の影響で出来上がったというよりも、既に世に行なわれていた小町落魄説話の仏教的結実として壮衰書を考えるべきではないか。「玉造」の由来を明らかに出来ぬことは残念であるが、ともかくも「小町」と表題にあるだけで人々が説明を求めないような人物の伝でなければならないこと、しかもそれが「花ノ時ヲ待チテハ玉筆ヲ秉リテ紅桜紫藤ノ和歌ヲ詠ズル」美女の伝でなければならないことなどを併せ考えれば、平安末期から中世にかけての人々の大勢的理解がそうであったように、これをも小野小町のこととするのが、最も素直な、そんなして最も妥当な理解だと思うのだが、いかがであろうか。
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ohnodesign · 2 years ago
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書籍「図解 歎異抄」でイラスト・図版を制作させていただきました。
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gleaningsinbuddhafields · 3 months ago
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No Working Is True Working: the Tannisho
Writing my recent post about Ikkyu and Rennyo brought back a lot of old memories for me.1 I was also overjoyed when I was recently contacted by another member of my old Jodo Shinshu community. So, I started leafing through the old material I saved, much of it out of print now, and remembered this old quote from the Tannisho (歎異抄), a collection of sayings attributed to the founder, Shinran (1173 –…
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wangwill66 · 3 months ago
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人氣與名氣
H:有人氣,不見得有名氣。有名氣可能在某專業領域,並不代表有人氣。有人氣只要上網查有幾筆資料,但有名氣則可在維基百科找到。人氣可能一時,名氣卻永久。作家未在國小及中學國文課本出現,名氣略減,但不影響暢銷作家的人氣。20240818W7
網路字典
人氣
釋  義
人的氣息。 例辦公室裡人氣旺,連植物也長得生氣蓬勃。
人或事物受歡迎的程度。 例珍珠奶茶廣受國內外人士喜愛 ,是超人氣的美食。
名氣
聲譽。《老殘遊記》第七回:「這兩省練武的人,無不知他的名氣。」也作「名聲」、「名譽」。
出處與詳解
1、《老殘遊記》第七回:“這兩省練武功的人,無不知他的名氣。”
2、《中國現在記》第一回:“﹝ 胡都 老爺﹞在舊學黨中很有點名氣。”[1]
3、郁達夫 《採石磯》:“如今世上盲人多……看不出究竟誰清誰濁,只信名氣大的人,是好的,不錯的。”
維基文庫
自述詩十八���
作者:郁達夫
姊妹计划: 数据项
江湖流落廿三年,紅淚頻揩述此篇。刪盡定公哀艷句,儂詩粉本出青蓮。
前身縱不是如來,謫下紅塵也可哀。風雪四山花落夜,竇家叢桂一枝開。
王筠昆仲皆良璞,久矣名揚浙水濱。生到蘇家難為弟,排來行次第三人。
家在嚴陵灘下住,秦時風物晉山川。碧桃三月花如錦,來往春江有釣船。
人言先父喪亡日,小子膏肓疾正深。猶憶青燈秋雨夜,虛堂含淚看兄吟。
九歲題壁四座驚,阿連少小便聰明。誰知早慧終非福,碌碌瑚璉器不成。
十三問字子雲居,初讀瑯嬛異域書。功業他年差可想,荒村終老注蟲魚。
左家嬌女字蓮仙,累我閒情賦百篇。三月富春城下路,楊花如雪雪如煙。
一失足成千古恨,昔人詩句意何深。廣平自賦梅花後,碧海青天夜夜心。
二女明妝不可求,紅兒體態也風流。杏花又逐東風嫁,添我情懷萬斛愁。
幾度滄江逐逝波,風雲奇氣半消磨。揚州夢醒無聊甚,剩有旗亭學醉歌。
吾生十五無他嗜,只愛蘭台令史書。忽遇江南吳祭酒,梅花雪裡學詩初。
兒時曾作杭州夢,初到杭州似夢中。笑把金樽邀落日,綠楊城郭正春風。
欲把杭州作汴京,湖山清處遍題名。誰知西子樓台窄,三宿匆匆出鳳城。
鴛湖舊憶梅村曲,鶯粟人傳太史歌。日暮落帆亭下立,吳王城郭趙家河。
離家少小誰曾慣,一發青山喚不應。昨夜夢中逢母別,可憐枕上有紅冰。
鼙鼓荊襄動地來,橫流到處劫飛灰。秣陵圍解君臣散,予亦蒼茫過馬嵬。
蒼茫又過七年期,客舍棲棲五處移。來歲桑乾仍欲渡,別離應更有新詩。
維基文庫
採石磯 (郁達夫)
採石磯 (郁達夫)
作者:郁達夫
“文章憎命達,魑魅喜人過。”
  ——杜 甫
编辑
  自小就神經過敏的黃仲則,到了二十三歲的現在,也改不過他的孤傲多疑的性質來。他本來是一個負氣殉情的人,每逢興��激發的時候,不論講得講不得的話,都漲紅了臉,放大了喉嚨,抑留不住的直講出來。聽話的人,若對他的話有些反抗,或是在笑容上,或是在眼光上,表示一些不贊成他的意思的時候,他便要拚命的辯駁;講到後來他那雙黑晶晶的眼睛老會張得很大,好像會有火星飛出來的樣子。這時候若有人出來說幾句迎合他的話,那他必喜歡得要奮身高跳,他那雙黑而且大的眼睛裡也必有兩泓清水湧漾出來,再進一步,他的清瘦的頰上就會有感激的眼淚流下來了。
  像這樣的發洩一回之後,他總有三四天守著沉默,無論何人對他說話,他總是噤口不作回答的。在這沉默期間內,他也有一個人關上了房門,在那學使衙門東北邊的壽春園西室裡兀坐的時候;也有青了臉,一個人上清源門外的深雲館懷古台去獨步的時候;也有跑到南門外姑熟溪邊上的一家小酒館去痛飲的時候。不過在這期間內他對人雖不說話,對自家卻總一個人老在幽幽的好像講論什麼似的。他一個人,在這中間,無論上什麼地方去,有時或輕輕的吟誦著詩或文句,有時或對自家嘻笑嘻笑,有時或望著了天空而作嘆惜,竟似忙得不得開交的樣子。但是一見著人,他那雙呆呆的大眼,舉起來看你一眼,他臉上的表情就會變得同毫無感覺的木偶一樣,人在這時候遇著他,總沒有一個不被他駭退的。
  學使朱笥河,雖則非常愛惜他,但因為事務煩忙的緣故,所以當他沉默幽鬱的時候,也不能來為他解悶。當這時候,學使左右上下四五十人中間,敢接近他,進到他房裡去與他談幾句話的,只有一個他的同鄉洪稚存。與他自小同學,又是同鄉的洪稚存,很瞭解他的性格。見他與人論辯,憤激得不堪的時候,每肯出來為他說這句話,所以他對稚存比自家的弟兄還要敬愛。稚存知道他的脾氣,當他沉默起頭的一兩天,故意的不去近他的身。有時偶然同他在出入的要路上遇著的時候,稚存也只裝成一副幽鬱的���子,不過默默的對他點一點頭就過去了。待他沉默過了一兩天,暗地裡看他好像有幾首詩做好,或者看他好像已經在市上酒肆裡醉過了一次,或在城外孤冷的山林間痛哭了一場之後,稚存或在半夜或在清晨,方敢慢慢的走到他的房裡去,與他爭誦些《離騷》或批評些韓昌黎李太白的雜詩,他的沉默之戒也就能因此而破了。
  學使衙門裡的同事們,背後雖在叫他作黃瘋子,但當他的面,卻個個怕他得很。一則因為他是學使朱公最鍾愛的上客,二則也因為他習氣太深,批評人家的文字,不顧人下得起下不起,只曉得順了自家的性格,直言亂罵的緣故。
  他跟提督學政朱笥河公到太平,也有大半年了,但是除了洪稚存朱公二人而外,竟沒有一個第三個人能同他講得上半個鐘頭的話。凡與他見過一面的人,能瞭解他的,只說他恃才傲物,不可訂交;不能瞭解他的,簡直說他一點兒學問也沒有,只仗著了朱公的威勢愛發脾氣。他的聲譽和朋友,一年一年的少了下去,他的自小就有的憂鬱症,反一年一年的深起來了。
编辑
  乾隆三十六年的秋也深了。長江南岸的太平府城裡,已吹到了涼冷的北風,學使衙門西面園裡的楊柳梧桐榆樹等雜樹,都帶起鵝黃的淡色來。園角上荒草叢中,在秋月皎潔的晚上,淒淒唧唧的候蟲的鳴聲,也覺得漸漸的幽下去了。
  昨天晚上,因為月亮好得很,仲則竟犯了風露,在園裡看了一晚的月亮。在疏疏密密的樹影下走來走去的走著,看看地上同嚴霜似的月光,他忽然感觸舊情,想到了他少年時候的一次悲慘的愛情上去。
  “唉唉!但願你能享受你家庭內的和樂!”
  這樣的歎了一聲,遠遠的向東天一望,他的眼前,忽然現出了一個十六歲的伶俐的少女來。那時候仲則正在宜興氿裡讀書,他同學的陳某龔某都比他有錢,但那少女的一雙水盈盈的眼光,卻只注視在瘦弱的他的身上。他過年的時候因為要回常州,將別的那一天,又到她家裡去看她,不曉是什麼緣故,這一天她只是對他暗泣而不多說話。同她癡坐了半個鐘頭,他已經走到門外了,她又叫他回去,把一條當時流行的淡黃綢的汗巾送給了他。這一回當臨去的時候,卻是他要哭了,兩人又擁抱著痛哭了一場,把他的眼淚,都揩擦在那條汗巾的上面。一直到航船要開的將晚時候,他才把那條汗巾收藏起來,同她別去。這一回別後,他和她就再沒有談話的機會了。他第二回重到宜興的時候,他的少年的悲哀,只成了幾首律詩,流露在抄書的紙上:
  
  大道青樓望不遮,年時系馬醉流霞。
  風前帶是同心結,杯底人如解語花。
  下杜城邊南北路,上闌門外去來車。
  匆匆覺得揚州夢,檢點閒愁在鬢華。
  
  喚起窗前尚宿醒,啼鵑催去又聲聲。
  丹青舊誓相如劄,禪榻經時杜牧情。
  別後相思空一水,重來回首已三生。
  雲階月地依然在,細逐空香百遍行。
  
  遮莫臨行念我頻,竹枝留涴淚痕新。
  多緣刺史無堅約,豈視蕭郎作路人。
  望裡彩雲疑冉冉,愁邊春水故粼粼。
  珊瑚百尺珠千斛,難換羅敷未嫁身。
  
  從此音塵各悄然,春山如黛草如煙。
  淚添吳苑三更雨,恨惹郵亭一夜眠。
  詎有青鳥緘別句,聊將錦瑟記流年。
  他時脫便微之過,百轉千回只自憐。
  
  後三年,他在揚州城裡看城隍會,看見一個少婦,同一年約三十左右、狀似富商的男人在街上緩步。她的容貌絕似那宜興的少女,他晚上回到了江邊的客寓裡,又做成了四首感舊的雜詩。
  
  風亭月榭記綢繆,夢裡聽歌醉裡愁。
  牽袂幾曾終絮語,掩關從此入離憂。
  明燈錦幄珊珊骨,細馬春山剪剪眸。
  最憶頻行尚回首,此心如水只東流。
  
  而今潘鬢漸成絲,記否羊車並載時。
  挾彈何心驚共命,撫柯底苦破交枝。
  如馨風柳傷思曼,別樣煙花惱牧之。
  莫把鶤弦彈昔昔,經秋憔悴為相思。
  
  柘舞平康舊擅名,獨將青眼到書生。
  輕移錦被添晨臥,細酌金卮遣旅情。
  此日雙魚寄公子,當時一曲怨東平。
  越王祠外花初放,更共何人緩緩行。
  
  非關惜別為憐才,幾度紅箋手自裁。
  湖海有心隨穎士,風情近日逼方回。
  ���時掩幔留香住,依舊窺人有燕來。
  自古同心終不解,羅浮塚樹至今哀。
  
  他想想現在的心境,與當時一比,覺得七年前的他,正同陽春暖日下的香草一樣,轟轟烈烈,剛在發育。因為當時他新中秀才,眼前尚有無窮的希望,在那裡等他。
  “到如今還是依人碌碌!”
  一想到現在的這身世,他就不知不覺的悲傷起來了。這時候忽有一陣涼冷的西風,吹到了園裡。月光裡的樹影索索落落的顫動了一下,他也打了一個冷痙,不曉得是什麼緣故,覺得毛細管都竦豎了起來。
  “似此星辰非昨夜,為誰風露立中宵?——”
  於是他就稍微放大了聲音把這兩句詩吟了一遍,又走來走去的走了幾步,一則原想借此以壯壯自家的膽,二則他也想把今夜所得的這兩句詩,湊成一首全詩。但是他的心思,亂得同水淹的蟻巢一樣,想來想去怎麼也湊不成上下的句子。園外的圍牆弄裡,打更的聲音和燈籠的影子過去之後,月光更潔練得怕人了。好像是秋霜已經下來的樣子,他只覺得身上一陣一陣的寒冷了起來。想想窮冬又快到了,他筐裡只有幾件大布的棉衣,過冬若要去買一件狐皮的袍料,非要有四十兩銀子不可,並且家裡他也許久不寄錢去了,依理而論,正也該寄幾十兩銀子回去,為老母輩添置幾件衣服,但是照目前的狀態看來,叫他能到何處去弄得這許多銀子?他一想到此,心裡又添了一層煩悶。呆呆的對西斜的月亮看了一忽,他卻順口念出了幾句詩來:
  “茫茫來日愁如海,寄語羲和快著鞭。
  回環念了兩遍之後,背後的園門裡忽而走了一個人出來,輕輕的叫著說:
  “好詩好詩,仲則!你到這時候還沒有睡麼?”
  仲則倒駭了一跳,回轉頭來就問他說:
  “稚存!你也還沒有睡麼?一直到現在在那裡幹什麼?”
  “竹君要我為他起兩封信稿,我現在剛擱下筆哩!”
  “我還有兩句好詩,也念給你聽吧,‘似此星辰非昨夜,為誰風露立中宵?’”
  “詩是好詩,可惜太衰颯了。”
  “我想把它們湊成兩首律詩來,但是怎麼也做不成功。”
  “還是不做成的好。”
  “何以呢?”
  “做成之後,豈不是就沒有興致了麼?”
  “這話倒也不錯,我就不做了吧!”
  “仲則,明天有一位大考據家來了,你知道麼?”
  “誰呀?”
  “戴東原。”
  “我只聞諸葛的大名,卻沒有見過這一位小孔子,你聽誰說他要來呀?”
  “是北京紀老太史給竹君的信裡說出的,竹君正預備著迎接他呢!”
  “周秦以上並沒有考據學,學術反而昌明,近來大名鼎鼎的考據學家很多,偽書卻日見風行,我看那些考據學家都是盜名欺世的。他們今日講詩學,明日弄訓詁,再過幾天,又要來談治國平天下,九九歸原,他們的目的,總不外乎一個翰林學士的銜頭,我勸他們還是去參注酷吏傳的好,將來束帶立於朝,由禮部而吏部,或領理藩院,或拜內閣大學士的時候,倒好照樣去做。”
  “你又要發癡了,你不怕旁人說你在妒忌人家的大名的麼?”
  “即使我在妒忌人家的大名,我的心地,卻比他們的大言欺世,排斥異己,光明得多哩!我究竟不在陷害人家,不在卑污苟賤的迎合世人。”
  “仲則!你在哭麼?”
  “我在發氣。”
  “氣什麼?”
  “氣那些掛羊頭賣狗肉的未來的酷吏!”
  “戴東原與你有什麼仇?”
  “戴東原與我雖然沒有什麼仇,但我是疾惡如仇的。”
  “你病剛好,又憤激得這個樣子,今晚上可是我害了你了,仲則,我們為了這些無聊的人嘔氣也犯不著,我房裡還有一瓶紹興酒在,去喝酒去吧。”
  他與洪稚存兩人,昨晚喝酒喝到雞叫才睡,所以今朝早晨太陽射照在他窗外的花壇上的時候,他還未曾起來。
  門外又是一天清冷的好天氣,紺碧的天空,高得渺渺茫茫。窗前飛過的鳥雀的影子,也帶有些悲涼的秋意。仲則窗外的幾株梧桐樹葉,在這浩浩的白日裡,雖然無風,也蕭索地自在凋落。
  一直等太陽照射到他的朝西南的窗下的時候,仲則才醒,從被裡伸出了一隻手,撩開帳子,向窗上一望,他覺得晴光射目,竟感覺得有些眩暈。仍複放下了帳子,閉了眼睛,在被���睡了一忽,他的昨天晚上的亢奮狀態已經過去了,只有秋蟲的鳴聲,梧桐的疏影和雲月的光輝,成了昨夜的記憶,還印在他的今天早晨的腦裡,又開了眼睛呆呆的對帳頂看了一回,他就把昨夜追憶少年時候的情緒想了出來。想到這裡,他的創作欲已經抬頭起來了。從被裡坐起,把衣服一披,他拖了鞋就走上書桌邊上去。隨便拿起了一張桌上的破紙和一枝墨筆,他就叉手寫出了一首詩來:
  
  絡緯啼歇疏梧煙,露華一白涼無邊。
  纖雲微蕩月沉海,列宿亂搖風滿��。
  誰人一聲歌子夜,尋聲宛轉空台榭。
  聲長聲短雞續鳴,曙色冷光相激射。
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  仲則寫完了最後的一句,把筆擱下,自己就搖頭反復的吟誦了好幾遍。呆著向窗外的晴光一望,他又拿起筆來伏下身去,在詩的前面填了“秋夜”的兩字,作了詩題。他一邊在用僕役拿來的面水洗面,一邊眼睛還不能離開剛才寫好的詩句,微微的仍在吟著。
  他洗完了面,飯也不吃,便一個人走出了學使衙門,慢慢的只向南面的龍津門走去。十月中旬的和煦的陽光,不暖不熱的灑滿在冷清的太平府城的街上。仲則在藍蒼的高天底下,出了龍津門,渡過姑熟溪,盡沿了細草黃沙的鄉間的大道,在向著東南前進。道旁有幾處小小的雜樹林,也已現出了凋落的衰容,枝頭未墜的病葉,都帶了黃蒼的濁色,盡在秋風裡微顫。樹梢上有幾隻烏鴉,好像在那裡讚美天晴的樣子,呀呀的叫了幾聲。仲則抬起頭來一看,見那幾隻烏鴉,以樹林作了中心,卻在晴空裡飛舞打圈。樹下一塊草地。顏色也有些微黃了。草地的周圍,有許多縱橫潔淨的白田,因為稻已割盡,只留了點點的稻草根株,靜靜的在享受陽光。仲則向四面一看,就不知不覺的從官道上,走入了一條衰草叢生的田塍小路裡去。走過了一塊乾淨的白田,到了那樹林的草地上,他就在樹下坐下了。靜靜地聽了一忽鴉噪的聲音,他舉頭卻見了前面的一帶秋山,劃在晴朗的天空中間。
  “相看兩不厭,只有敬亭山。”
  這樣的念了一句,他忽然動了登高望遠的心思。立起了身,他就又回到官道上來了。走了半個鐘頭的樣子,他過了一條小橋,在橋頭樹林裡忽然發見了幾家泥牆的矮草舍。草舍前空地上一隻在太陽裡躺著的白花犬,聽見了仲則的腳步聲,嗚嗚的叫了起來。半掩的一家草舍門口,有一個五六歲的小孩跑出來窺看他了。仲則因為將近山麓了,想問一聲上謝公山是如何走法的,所以就對那跑出來的小孩問了一聲。那小孩把小手指頭含在嘴裡,好像怕羞似的一語也不答又跑了進去。白花犬因為仲則站住不走了,所以叫得更加利害。過了一會,草舍門裡又走出了一個頭上包青布的老農婦來。仲則作了笑容恭恭敬敬的問她說:
  “老婆婆,你可知道前面的是謝公山不是?”
  老婦搖搖頭說:
  “前面的是龍山。”
  “那麼謝公山在哪裡呢?”
  “不知道,龍山左面的是青山,還有三裡多路啦。”
  “是青山麼?那山上有墳墓沒有?”
  “墳墓怎麼會沒有!”
  “是的,我問錯了,我要問的,是李太白的墳。”
  “噢噢,李太白的墳麼,就在青山的半腳。”
  仲則聽了這話,喜歡得很,便告了謝,放輕腳步從一條狹小的歧路折向東南的謝公山去。謝公山原來就是青山,鄉下老婦只曉得李太白的墳,卻不曉得青山一名謝公山,仲則一想,心裡覺得感激得很,恨不得想拜她一下。他的很易激動的感情,幾乎又要使他下淚了。他漸漸的前進,路也漸漸窄了起來,路兩旁的雜樹矮林,也一處一處的多起來了。又走了半個鐘頭的樣子,他走到青山腳下了。在細草簇生的山坡斜路上,他遇見了兩個砍柴的小孩,唱著山歌,挑了兩肩短小的柴擔、鬥頭在走下山來。他立住了腳,又恭恭敬敬的問說:
  “小兄弟,你們可知道李太白的墳是在哪裡的?”
  兩小孩好像沒有聽見他的話,儘管在向前的沖來。仲則讓在路旁,一面又放聲發問了一次。他們因為盡在唱歌,沒有注意到仲則,所以仲則第一次問的時候,他們簡直不知道路上有一個人在和他們鬥頭的走來,及走到了仲則的身邊,看他好像在發問的樣子,他們才歇了歌唱,忽而向仲則驚視了一眼。聽了仲則的問話,前面的小孩把手向仲則的背後一指,好像求同意似的,回頭來向後面的小孩看著說:
  “李太白?是那一個墳吧?”
  後面的小孩也爭著以手指點說:
  “是的,是那一個有一塊白石頭的墳。”
  仲則回轉了頭,向他們指著的方向一看,看見幾十步路外有一堆矮林,矮林邊上果然有一穴前面有一塊白石的低墳躺在那裡。
  “啊,這就是麼?”
  他的這歎聲裡,也有驚喜的意思,也有失望的意思,可以聽得出來。他走到了墳前,只看見了一個雜草生滿的荒塚。並且背後的那兩小孩的歌聲,也已漸漸的幽了下去,忽然聽不見了,山間的沉默,馬上就擴大了開來,包壓在他的左右上下。他為這沉默一壓,看看這一堆荒塚,又想到了這荒塚底下葬著的是一個他所心愛的薄命詩人,心裡的一種悲感,竟同江潮似的湧了起米。
  “啊啊,李太白,李太白!”
  不知不覺的叫了一聲,他的眼淚也同他的聲音同時滾下來了。微風吹動了墓草,他的模糊的淚眼,好像看見李太白的墳墓在活起來的樣子。他向墳的周圍走了一圈,又回到墓門前來跪下了。
  他默默的在墓前草上跪坐了好久。看看四圍的山間透明的空氣,想想詩人的寂寞的生涯,又回想到自家的現在被人家虐待的境遇,眼淚只是陸陸續續的流淌下來。看看太陽已經低了下去。墳前的草影長起來了,他方把今天睡到了日中才起來,洗面之後跑出衙門,一直還沒有吃過食物的事情想了出來,這時候卻一忽兒的覺得饑餓起來了。
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uro-9000 · 5 months ago
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こんな感じでは無いでしょうか?浄土真宗本願寺派と親鸞会は。歎異抄で言うとしたら。
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casualcatpenguin · 5 months ago
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昼食べたカップ麺のにおいがまだ残っててやだな
歎異抄読んでたけど、俗世でどうにもならなくなったら浄土に参ればいいっていう考え、すき 結局好きなように生きていいよっていうか 煩悩にまみれた人ほど救われる価値がある そういった考え方、やさしさね
800年?くらい前の本だけど
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catonoire · 5 months ago
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石川九楊大全 前期【古典篇】
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上野の森美術館で「石川九楊大全」前期【古典篇】を見る。独特の作品や批評で知られる書家の大規模個展である。正直なところこの書家の思想にはあまりついていけないのだが、まとまった数の作品を見ることで得られるものもあろうと思い、足を運んだ。
第一室「天は暗黒。地は黄色。宇宙は広く茫漠である(千字文)」。書というのは文字でなく言葉を書くのだという石川の持論を反映してか、各展示室ごとに書の元ネタからの引用文が付されていた。ふつうの意味での可読性はほぼない作品が多いし、書というより絵に見える作品もあるが、それでも書である。このコーナーには、雁皮紙に書いたものと、磁器の杯に絵付けのように書いたものとがあった。おもしろかったのは、鳥が出てくる��所を書いた作品ではなんとなく鳥の象形文字か何かのように見える書になっていたこと。
第二室「長安に男児あり。二十にして心すでに朽ちたり(李賀)」。書なのか画なのかわからない、というより知らずに見たら書だとは想像できないであろう作風の大作が圧倒的存在感を放っている。使用した紙はすべて中国画箋とクレジットされていた。
第三室「たとへば人を千人殺してんや、しからば往生は一定すべし(親鸞)」。この室の作品の元ネタは歎異抄、屈原、蘭亭叙、葉隠、徒然草、伊勢物語。蘭亭叙は丸みを帯びたちょっとかわいらしくも見える狂草書という印象だった。この室以降の紙はほぼすべて雁皮紙だが、蘭亭叙だけ和画箋とあった。
第四室「世の末なれど、仮名のみなん今の世はいと際なくなりたる(源氏物語)」。源氏物語のすべての帖、桐壺から夢浮橋までをモチーフにした長大な連作。本文なしの「雲隠」も含まれる。各帖のごく簡単な内容と、どの場面をどういう意図でどの書法で書いたのかがキャプションで解説されているので、理解の助けになる。気まぐれに書のスタイルを選んでいるのではなく、書く意味内容にふさわしい書法を熟慮のうえ選び取っていることがわかり、この室が今回の展示でいちばんおもしろかった。
第五室「そこはかとなく書きつくればあやしうこそものくるほしけれ(徒然草)」。徒然草を中心に、方丈記、伊勢物語、万葉集の歌、葉隠、枕草子、風姿花伝などの作品が並ぶ。
なお、美術館のロビーには、2025年の大河ドラマ「べらぼう」の題字の展示もある。たしかに石川九楊らしさは滲み出ているのだが、凡人でも気楽に眺められるような書作品だったので、必要に応じてこういう一般向け(?)の仕事もするんだな……と思った。
最後に、ARTnews JAPAN による石川九楊インタビュー記事もリンクしておく。
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iiyatu · 5 months ago
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宿業者是本能
則感應道交
しゅくごうはこれほんのう
すなわちかんのうどうこう
“宿業は人間の理知によって知られるものではない。生まれながらにして与えられている本能である。人間は、理知で宿業を知ろうとしても知られない。人間ぜんたい、自己ぜんたいが宿業である。宿業の主観である。だからして、宿業の中に自己がある。それで人間は宿業を知らしてもらった時は、すでに仏の本願中にある。大慈悲心のうちにある。”
《曽我量深著『歎異抄聴記』》
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honyakusho · 1 year ago
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2023年11月28日に発売予定の翻訳書
11月28日(火)には20冊の翻訳書が発売予定です。 歎異抄の繁体字版も含みます。
ベスト版 たんぽぽのお酒
レイ・ブラッドベリ/イラスト 北山克彦/翻訳 荒井良二/イラスト
晶文社
未来のための選択、同伴成長
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鄭雲燦/著 金弘来/翻訳
博英社
裸足で歩こう 大地がくれる治癒の奇跡
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朴東昌/著 伊波浩樹/翻訳 呉宣児/監修
博英社
アメリカ聖公会の歴史
ロバート・W.プリチャード/著 西原廉太/監修 中原康貴/翻訳
教文館
戦略の要諦
リチャード・P・ルメルト/著 村井章子/翻訳
日経BP 日本経済新聞出版
繁体字版『歎異抄ってなんだろう』
高森顕徹/著 高森光晴/著 大見滋紀/著 『歎異抄ってなんだろう』翻訳チーム/翻訳
1万年堂出版
夢の扉 : マルセル・シュオッブ名作名訳集
マルセル・シュオッブ/著 澁澤龍彦/翻訳 日夏耿之介/翻訳 日影丈吉/翻訳 種村季弘/翻訳 ほか
国書刊行会
正義の人びと
アルベール・カミュ/著 中村まり子/翻訳 岩切正一郎/解説
藤原書店
戒厳令
アルベール・カミュ/著 中村まり子/翻訳 岩切正一郎/解説
藤原書店
ほんとうにやくにたつ機関車
クリストファー・オードリー/著 クライヴ・スポング/イラスト 金原瑞人/翻訳
ポプラ社
真・モンスター事典――奈落に還れ――(アドバンスト・ファイテ���ング・ファンタジー第2版)
スティーブ・ジャクソン/イラスト イアン・リビングストン/イラスト アンドリュー・ライト/著 ほか
グループSNE
キース・ヘリングとポップショップ―アートを共有するための新しいネットワーク―
梁瀬薫/監修 櫻林恵美理/著 原田麻穂/翻訳 長内研二/編集 三上豊/編集 後藤充/写真
中村キース・ヘリング美術館
サイバーセキュリティの教科書
Thomas Kranz/著 Smoky/翻訳 IPUSIRON/監修
マイナビ出版
人形からとどいた手紙 : ベルリンのカフカ
Larissa Theule/著 Rebecca Green/イラスト 野坂悦子/翻訳
化学同人
チャールズ・M・シュルツと『ピーナッツ』の世界 : スヌーピーの生みの親の創作と人生100
チャールズ・M・シュルツ美術館/著 ベンジャミン・L・クラーク/著 ナット・ガートラー/著 ほか
河出書房新社
新版 地図とデータで見るエネルギーの世界ハンドブック
ベルナデット・メレンヌ=シュマケル/著 ベルトラン・バレ/著 蔵持不三也/翻訳
原書房
じかんをまもれなかったクマのはなし
ジャン=リュック・フロマンタル/著 ジョエル・ジョリヴェ/イラスト しみずれいな/翻訳
河出書房新社
第三帝国全史 上 : ヒトラー 1933ー1939
フランク・マクドノー/著 辻元よしふみ/翻訳
河出書房新社
第三帝国全史 下 : ヒトラー 1940ー1945
フランク・マクドノー/著 辻元よしふみ/翻訳
河出書房新社
インサイド・バンガード : 世界最強の資産運用会社
チャールズ・エリス/著 鹿毛雄二/翻訳 鹿毛房子/翻訳
日経BP 日本経済新聞出版
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