#棚橋弘至防衛記録
Explore tagged Tumblr posts
Text
中邑真輔になろうとした棚橋弘至!おれはなにをやってたんだろう!
棚橋弘至おれはなにをやってたんだろう!
ここ数年の棚橋弘至を見てるファンは
画像出典元number
棚橋弘至に曰く感を覚えた日々を送っていたに違いない
IWGPヘビー級王座の陥落や、田口監督との共闘
内藤哲也とのIWGPヘビー級インターコンチネンタル王座の戦いなど
それなりに話題を振りまいてきた棚橋弘至
しかし、もう棚橋弘至は終わった
オカダ・カズチカの時代
内藤哲也の時代が来た。
ファンは棚橋弘至何をやってる?
Sponsored Link
そう感じるプロレスファンは多くいた
棚橋弘至は、もうIWGPヘビー級王座に挑戦しないのか?
アントニオ猪木や藤波辰爾、長州力
武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也
第三世代
など、アントニオ猪木を緩やかに脱皮する時代の流れに
プロレス暗黒時代の時代がやってきた
プロレス最強と信じていたファンの目に飛び込んできたのは
プロレスのスター達が…
View On WordPress
#AJ#IWGPヘビー級インターコンチネンタル王座#WWE王座AJスタイルズ#オカダカズチカIWGPヘビー級王座連続防衛#オカダカズチカ画像#オカダカズチカ防衛記録#プロレス暗黒時代#レインメーカーストップ#中邑真輔WWE#棚橋弘至IWGPヘビー級王座#棚橋弘至復活#棚橋弘至画像#棚橋弘至防衛ストップ#棚橋弘至防衛記録#AJスタイルズ
0 notes
Text
vol.1 堕落さん
――プロレスを見始めたのはいつからですか。 これが結構謎なの(笑)。初代タイガーマスクのデビュー戦(1981年4月23日/vsダイナマイト・キッド)をリアルタイムで観た記憶があるんだけど、定かではなくて。俺は最初から藤波辰巳(現・辰爾)ファンだったから、それ以前に藤波の試合を観ているはずなんだけど、藤波のジュニア時代はまったく記憶にないの。観ているのかもしれないけど、おぼえてない。藤波の試合でちゃんと記憶に残っているのは、83年の小学校3年のとき。俺、夏に肺炎で入院して、入院患者がくつろぐようなスペースで藤波vs長州(力)の攻防を観たんだ。それは確実に観たおぼえがある。 ――その試合は、ある程度プロレスのルールがわかっている状態で観たんですか。 もちろん。ルールをわかっていて、好きで観た。最初のきっかけは思い出せないんだけど、親父が金曜8時にテレビをつけていたんだと思う。親父はプロレス、あんま好きじゃないんだけどね。ほかに見るものがなかったのかもしれない。 ――どんなところに惹かれましたか。 単純に、藤波辰巳は格好良かった。元祖アイドルレスラーだからかね。女の子がイケメンに惹かれるのと一緒で、男の子も格好いい人に惹かれるじゃん。藤波はスラッとしていて、筋肉質で、動きも早くて。(アントニオ)猪木は結構動きがバタバタしているように感じて。俺は、猪木は運動神経が良くないんじゃないかって思っていて。あの人は、ドタバタが味というか、フックになるんだよ。一方で、全日を観たら(ジャンボ)鶴田、(ジャイアント)��場、ファンクスとか。同世代だとテリー(・ファンク)からプロレスを好きになった人は多いんだけど、俺は当時、あの外連味がすごく嫌で。プロレスファンとしてキャリアを積んで、プロレスの仕組みやワビサビがわかってから好きになったけどね(笑)。「テリー最高!」って。 ――当時は同級生も金曜8時の『ワールドプロレスリング』を観ていたんですか。 そう。今じゃ信じられないけどね。当時の小学校は土曜が半ドンで、3時間だけ授業がある世代だから、クラスの男子の半分以上がプロレスの話やプロレスごっこをしていたね。実家は神奈川の田舎町なんだけど、1学年に6、7クラスある結構でかい小学校に通ってたの。男子は1クラス20人くらいはいたんだけど、その半分がプロレスに興味を持っていたね。ちょうどキン肉マンもあったから。 ――なるほどなあ、キン肉マンですか。 空前のプロレスブームだったね。猪木、藤波、長州、タイガー、そしてキン肉マン(笑)。当時は、新日が金曜8時。全日は土曜の夕方だったけど、全女は月曜の7時代。クラッシュ(・ギャルズ)全盛で、(長与)千種がダンプ(松本)に坊主にされるシーンがゴールデンタイムで流れてた。 ――テレビは毎週観るのが当たり前でした? 毎週観てた。金曜8時は、俺がチャンネル権をガッツリ確保して。弟と妹がいたけど、まあ勝負にならないから。でも、親父に対してはどうしてたかな。昔ながらの親父で、機嫌悪いとぶん殴られるし。小学校の入学式で、全校児童の前でビンタされたこともあったから。母ちゃんの腹の中に妹がいて来られないから代わりにパンチパーマに髭の親父が来たの(笑)。俺がはしゃいでいたら、「うるせえ」って感じで。弟をいじめたらキレられて、往復ビンタを食らって。翌日、学校に行った時も顔面に手の跡が残ったりしてたし。 ――そういう体験があったから、対抗するために強さに憧れたとか? それは関係ないかも。 ――鬱憤晴らしでプロレスごっこなんかも? そう(笑)。プロレスごっこといいながらひどい技かけてた。敷布団と掛布団を四重くらいにして、そのうえにドラゴンスープレックスとか(笑)。 ――ひどい(笑)。 ひどいよね。そりゃあ弟もプロレス嫌いになるよ(笑)。そんな弟が、将来プロ格闘家になるとは思ってもみなかった。一昨年くらいに引退しちゃったけど。リングスにも上がってんだよ。 ――そのあたりも追々伺いますね。初めて生観戦したのはいつですか。 1985年の7月かな。『バーニング・スピリット・イン・サマー』茅ケ崎青果市場大会。ブルーザー・ブロディが初めて新日のシリーズに出場したとき。 ――どういう経緯で観戦すること��なったのですか。 そのへんも全然記憶にないんだけど、近所のオッサンというか、親父の友だちに連れてってもらったの。チケットは、誕生日が近いからそのへんに絡めてもらったんじゃないかな。自分で買ったとは思えないから。 ――その時のメイン、おぼえてます? 猪木、藤波、ザ・コブラvsブロディ、キングコング・バンディ……あ、キングコング・バンディはセミかな。バッドニュース・アレンかマット・ボーンかな。ネットでもすぐに出てくると思う(注:正しくは、ブルーザー・ブロディ、ブラック・タイガー、マット・ボーン)。 ――会場の規模はどれくらいですか。 バスケットコート2面くらいあるのかな……そんなにないか。青果市場だからね。湘南地区でプロレスっていうとそこだった。鶴見五郎の聖地。国際プロレス、IWA格闘志塾がずっと使ってたとこ。そこで全日も観たし、IWA JAPANの旗揚げシリーズも観た。 ――堕落さんのなかではどんな思い出になっていますか。 そりゃ大きいよ。だって、チェーンを振り回しているブロディに追っかけまわされたんだもん(笑)。俺個人が追っかけられたわけじゃないけど、近くで見たら「でけえ!」「怖ぇ!」って(笑)。 ――テレビ観戦との差異でここに感動したとかは? 音。プロレスは音だよ。「バシーン」ってすごい音がするじゃない。第1試合から「ワー」って……第1試合のカード、なんだったかな。(ドン)荒川さんかな。当時、ドン荒川ってストロングスタイル転向宣言とかしてて、名前変わったのもそれがきっかけなのよ。その1年後くらいにIWGP Jrに唯一挑戦したことがあったの。ザ・コブラ戦。当時はまともな試合をしてたの。俺が唯一観たドン荒川の試合が、まともな試合だったんだよ(笑)。当時は、ジャパンプロレスに行く維新軍団が抜けて、何もなくなっちゃった頃だね。それでブロディを引き抜いて、85年の4月に両国で初めて猪木とシングルをやって、救世主になって。 ――それから会場にはコンスタントに行くようになりましたか。 全然。次に行ったのは91年くらいじゃないかな。なぜかというと、中学で部活に入ったから。 ――部活は何を? バスケ部(笑)。まあ2年でやめちゃったけど。 ――バスケで憧れている選手がいたとか? 全然。単純に運動をやりたいなって思って。 ――プロレスラーを目指して体を鍛えるような感じ? いや、背も伸びてなかったし。なりたかったけど。だって、中学3年で162cmしかなかったからね。中学入学したときに145cmしかなかったから。まだ覚えてるけど、中1の初めての身体検査で145cm、中2で152cmになって。1年間で7cm伸びたから、「おお、やっぱバスケすげえな」って。あ、背を伸ばしたかったのかもしれない。今もそうだけど、当時も太ってて、145cmで45kg。それが中2で7cm伸びたのに3kg減ったから、相当痩せたんだよ。公立だけど県大会で準優勝とか3位とかに入ってたから。俺はユニホームすらもらえなかったけど。 ――バスケ部っていうのはすごく意外です。 隣町に光GENJIのメンバーになった佐藤アツヒロがいて、そこそこ強いバスケ部がある学校に通ってた。俺らの1つ年上だった。 ――部活を一所懸命やっていたから観戦にも行けなかった? だって、中高生ってお金ないじゃん。部活やっている時間に『ワールドプロレスリング』が放送されてて、ビデオに録画して観てたけど。当時は、藤波が長期欠場した頃で。 ――腰ですね。 そう。89年の6月に長野の佐久大会で(ビッグバン・)ベイダーのバックドロップを食らって、そこで腰やっちゃって。猪木の選挙応援に駆けつけて悪化して(笑)。飛龍革命があって、俺的には「やっと藤波の時代が来た!」って感じだったのに。俺、いじめられっ子だったから。 ――それ、想像つかないです(笑)。 いじめられっ子だったし、喘息持ちだったから、一日おきに死ぬことを考えた。俺は性善説の人間だったから、いじめられると「なんでこんなひどいやつらがいるんだろう」って傷ついてた(笑)。むかつくっていうより、悲しいっていう。身体も弱かったし。でも、「藤波が天下を取るまでは死ねねえ!」って(笑)。で、(88年8月8日の横浜文化体育館で)猪木と引き分けて、IWGP王者になった、ついにエースになった、ついに待ち焦がれていた日が来たんだけど、それも長く続かずにあの人は腰をやっちゃって、欠場して。 ――傷ついている人がプロレスラーに自分を重ねるケースは多いと思うんですけど、堕落さんも多少なりともそうだったということですね。 マジで支えだったもん。俺、見た目も性格もオタクっぽいと思うんだけど、俺が漫画やアニメやゲームにいかなかったのは、プロレスがあったから。ウルトラマンよりも、仮面ライダーよりも、戦隊物よりも、プロレスラーがいたから。実在のヒーローとして。〇〇マンよりルチャドールの方がカッコいいじゃん(笑)。 ――週プロとゴング、どっち派でした? 雑誌どころか、小学生3、4年の頃から東スポとレジャーニューズ読んでた。 ――小学生で?(笑) 家族と出かけるとき、駅のホームにいったらキオスクでプロレスの見出しが出てるわけ。「なんだこれ、安いし買っちゃおう」って。東スポはまだいいんだけど、レジャーニューズは完全にプロレスと風俗だけだから(笑)。 ――親に何か言われませんでした? とくに何も言われなかった(笑)。エロ記事は隠れて読んでたしね(笑)。で、雑誌はゴング。初めてプロレスを観に行った人とは違う、家族ぐるみで付き合っている一家がいて、そこの親父がプロレス好きでゴングをたまに買ってて、もらってた。たぶん、小学3年くらいから自分で買い始めたんじゃないかな。当時、喘息の治療をするために、隣の市の病院まで行って注射を打ってたの。減感作療法ってやつ。それが毎週金曜日で、行くついでに買ってた 。当時、ゴングと週プロは木曜発売で、俺はゴング派だった。 ――ゴング派だった��由は? 誌面がきれいだったから。紙質が良かったし、写真もきれいだったし。当時、週プロが250円、ゴングが300円で、週プロの方が50円安かった。ゴングの方が高級感があった。ゴングは創刊したのが週プロより後なんだよね。週プロはまだそんなにアクの強さはなかったんだけど、ちょっとクセはあって、それが小学生には引っかからなかった。俺はもっとプロレスラーの生の声や情報が欲しいし、きれいな写真が見たいって。ゴングは「ルチャリブレ広場」もあったし(笑)。 ――毎週ゴングを購入されて、一字一句漏らさず読むくらいの勢いで。 もちろん。 ――どんどん知識もついていくなかで、プロレスの話ができる友人はいたんですか。 高校までいなかった。 ――じゃあ、さっき話していた91年の観戦はその友人と一緒に? そう。クラスでいつも体育を休んでて、全然しゃべらなくて、お笑いのネタにされているようなやつがいたの。俺もどっちかっていうとからかっていたけど、そいつと話すようになったら、プロレスが好きで、同レベルで話せるくらい結構詳しいの。それで意気投合して。で、ほかにもうひとりプロレスの話ができるやつがいて、翌年の1月4日、新日の後楽園に3人で行って。それが2回目だと思うんだよね。話せる人がいたら、また盛り上がるじゃん。 ――よくわかります。 当時は、チケットを取るのに新日の事務所に普通に電話してた。学校のロビーの赤電話から休み時間にかけたんだけど、神奈川の田舎と東京じゃ距離があるから10円玉もすぐになくなって、何回か通話が切れて、(新日の)事務員の姉ちゃんもキレてた(笑)。特リンを買ったんだけど、すごい悪い席で。前年の秋に藤波が復帰したけど、アニマル浜口にピンフォール負けするくらいの感じで、徐々に復調してて。年末の浜松かな、メインが長州と藤波のIWGP戦。藤波が復活を賭けて長州に挑戦、みたいな。生中継だったけど、お約束でメインの途中で放送が終わった(笑)。同じ日にルー・テーズの最後の試合もあって。テーズが74歳にして……。 ――おぼえてます。バックドロップをやりましたね。 そう。あと、猪木がニック・ボックウィンクルとやるはずだったけど、急遽猪木が欠場して、マサ(斎藤)さんとやって。 ――メインは? メインはなんだったかなあ……。藤波はセミだった。浜松で王者になって、初来日のムッシュ・ランボーっていう、ヨーロッパのCWAを主戦場にしていたでかい選手とやった。で、ツーカーのやつと3月にもうひとつ行ってて。『スターケードin闘強導夢』。藤波vs(リック・)フレアー。藤波がWWEの殿堂入りしたときも、一番のトピックとして扱われてた。フレアーに勝って、IWGPとNWAの2冠王になって。チケットはどうしたのかな。母親に泣きついたけどお金貸してもらえなくて(笑)、友だちに借金したのかな。当時のドーム大会って映像観てもらえるとわかるけど、すげえセットバック組んでアリーナも傾斜になってんの。何だかんだで観えるんだろうなって思ってたけど、一段嵩上げしている程度で全然観れない。だから、後ろ向いてヴィジョン観てた。 ――高校生で藤波さんが好きっていうのは渋好みに思えます。 そんなことないよ。だって、当時の藤波辰爾は38だし。昔のレスラーはちょっと老けてるから。 ――15、16歳のころっていうのは、まだ素直にプロレスを観ていましたか。 いわゆる高橋本(ミスター高橋『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』)以前・以降って話になるけど、以前の人の見方で、「相手の技はちゃんと受け合うけど、最後は力尽きた方が負けるんじゃないか」みたいな。頑なにガチだとは思ってなかったけど、勝敗は決まってないんじゃないかなって。 ――その頃って、将来こうなりたいとかって考え始めるじゃないですか。さっき、プロレスラーになりたかったって話もありましたけど。 無理。今も抱えている持病が高1の頃に発症しちゃって、かなり世捨て人だった。クラス替えで仲良い奴が1人もいなくなり、溶け込めなくなって。高3の頃は孤立してて、学校もちゃんとは行ってなくて。まあ卒業はできたけど。 ――高校卒業後はどんな生活をしていましたか。 2年宅浪して、家で何もしないで、『電気グルーヴのオールナイトニッポン』を録音して、テープが擦り切れるくらいまで聞いてた(笑)。その少し前だけど、92年に藤波のファンクラブに入ったんだよ。藤波が腰痛から復帰したあとにまた欠場して、その復帰戦が異種格闘技戦(vsリチャード・バーン)で、おそろいのTシャツをつくって入場を先導する感じで。よくあるじゃん、昔の(ミル・)マスカラスとかテリーの親衛隊みたいな。ハチマキまいてダッセーやつ(笑)。横浜文化体育館なんだけど、花道の前で待機したりして。そのつながりで、そこでドームのチケットを取ってもらって行くようになったりしてた。その翌年に、藤波がG1で優勝して。 ――決勝で馳(浩)とやったときですね。 そう。それは観に行ってないんだけど、「ついに藤波が完全復活!」みたいな感じでファンは盛り上がってたの。で、渋谷で祝勝会をやるっていって、ファンクラブのメンバーとして行って。そのファンクラブで仲良かった人がいて、コアな人たちと手伝いに行ったりしてたのかな。そんな中で無我をやるって話が出て、大阪までわざわざ夜行バスで旗揚げ戦に行ったりして。95年10月29日。大阪ATCホール。 ――よくおぼえてますね(笑)。 その前の93年にはドームと、WARの東京体育館大会に行った。2月14日、バレンタインだった。それもファンクラブにチケット取ってもらって、おそろいのジャンパー着て。メインは、天龍(源一郎)、石川(敬士)VS藤波、馳。しかも、馳って当時は藤波と組んだことがなかったの。俺は長州派に対して疑心暗鬼だったから、藤波が負けさせられるんじゃないかっていう嫌な予感が��てたの(笑)。それは1カ月後か2カ月後に、藤波、長州VS天龍、石川で石川にフォール負けっていうのがあって。石川、あまり評価してなかったから、こんな屈辱はないと思って。なんで天下の藤波辰爾が石川敬士に負けなきゃいけないんだって。石川は巧いとか言われるけど、全然巧いと思ったことなくてさ。彼はいろいろやるんだけど、器用貧乏の逆。貧乏器用。ヘタなのにいろんなことをするけど、どれもたどたどしい。中堅でやっている分には活きが良くていいけど、藤波に勝つのは……しかも2回勝ったからね。イリミネーションマッチでも藤波からピンフォールとってる。当時、阿修羅・原が失踪してSWSに復帰してからそれほど経たないくらいだったし、身体がボロボロで使い物にならなかったから。石川を格上げしなきゃいけないって事情はわかるんだけど、だったら長州が負けろよって思った(笑)。その頃はもうそういう見方をしてたね。東京体育館は、セミが(ジョン・)テンタVS(キング・)ハクだったかな。モッサリした試合で、いっぱい来てた新日ファンからかなり野次られてた。当時、俺たち新日ファンはかなり差別意識をもって(WARを)見ていたからね(苦笑)。 ――本当に藤波さんが好きなんですね。 藤波史観だから(笑)。 ――当時だと、全日とかFMWはいかがでしたか。 大仁田(厚)と(ターザン)後藤の最初の電流爆破のビデオは買ったよ。親に見せて、「こんな思いしてやってんだぞ」ってアピールして(笑)。俺ね、FMWはホセ・ゴンザレスを使った時点でかなり冷めた。ブロディの命日って、俺の誕生日なの。当時、うちは日刊スポーツを取ってて、ブロディが死んだことを知って大ショックを受けて。まだネットがないわけじゃん。朝刊スポーツ紙と夕刊の東スポと週プロ、ゴングが情報源で、突発的なニュースが入ったら編集部に電話してたもん。「〇〇が亡くなったって本当ですか?」って聞いたら「はい、そうです」って沈んだ声で言われたり。 ――僕も試合結果はよく週プロの自動音声を聞いてました。 テレフォンサービス? あれは俺もかけまくったよ。なかなかつながらないこともあったよね。 ――ありました。懐かしいですね。今なら試合結果もすぐにネットで見れますけど。 勝手に客がツイッターとかで「〇〇が勝った」って書いちゃうからね。 ――で、藤波さんがいる新日を中心に観ていた、と。 全体的な流れは追ってたよ。ルチャが好きだったからユニバーサル(・プロレスリング)観てえなって思ったり。話がさかのぼるけど、俺は『世界のプロレス』がアメプロばっかりだったのが不満でしょうがなかったから。ロス・ファンタスティコスの試合とかが流れて。俺は毎週ルチャをやってほしかったけど、やってくれなかったからね。カト・クン・リーのロープ歩きとかがゴールデンタイムで流れることもあった凄い時代だね(笑)。 ――90年代前半からは、いろんなインディー団体が出てきたりもしましたね。 インディーも結構行ってた。IWA JAPAN旗揚げシリーズの茅ケ崎行ったでしょ、NOWの旗揚げシリーズの茅ケ崎も行ったでしょ、あと、オリエンタルプロレス、湘南プロレス、UNW、PWC、WARも後楽園に1回行った。当時、怨霊とかが第1試合で。天龍VS仲野信市がひでえ試合だったよ。「天龍、殺しちまえー」みたいな怒号が飛んでて。本当に殺すんじゃないかって試合で、仲野の顔面を蹴ったらパコーンって音がして、仲野は鼻から一気に大流血で、鼻が折れてたもん。 ――いろいろ観てるんですね。 俺、冬木(弘道)の講演会かなんかも早稲田大学に見に行ってるもん。その時に抽選が当たって特リンのチケットもらったんだけど、後楽園に行ったらダフ屋に捕まって、チケットむしり取られて1000円渡されたっていう(笑)。ダフ屋がそんなに悪徳だとはまだ知らなかったから。 ――プロレスを観ていない時期はなさそうですね。 新日のドームは毎年行ってるけど、2000年以降はあんまり記憶がないかな。週プロ、ゴングを買わなくなったのが2001年くらいか。友だちの家に転がり込んでから金もなかったし。あとはスポナビとか2chを見たりするくらい。棚橋(弘至)、(中邑)真輔の暗黒期とか、空気も暗黒だったし、自分の熱も低かったから。もちろん、彼らがどういうストーリーをたどってきたかはわかってるんだけど、一つひとつが記憶になくて。この前、真輔VSカート・アングルの試合をYouTubeで観たんだけど、「こんな試合だったっけ?」っていうくらいおぼえてなかった。 ――トピックとしては総合もありましたけど。 俺は格闘技も好きで、最盛期は週プロ、ゴング、ファイト、格通、紙プロを買ってた。K-1の1回目が93年、フジテレビの夢工場とかいうゴールデンウィークの企画の中の一つだった。 ――まったく別の競技として観ていた? うん。やっぱリングスが大きかったかな、プロレスと格闘技のハブという意味では。藤波のファンクラブの人がいろいろプロレスのビデオを回してくれて、その中でリングスを観て。正道会館がトーワ杯に出たりさ。藤原組からも高橋義生と石川雄規が出たり。そこで正道会館勢が猛威を振るって。もっと前だと、全日本キックの武道館大会とかをフジテレビが夜中にやってたの。立嶋(篤志)が成り上がってくる頃の試合だった。 ――UWFは? TBSで特番とかやってたね。俺は、新生UWFは何が面白いのかさっぱりわからなかったけど、プロレスに文句を言うやつにはUWFを観ろって言ってた(笑)。でも、これだったら修斗を観た方がいいなって当時から思ってた。UWFが明確に旧来のプロレスと同じだとは思ってなかったんだけど、暗くて緊迫感がねえなって。だったら、旧UWFの方が情念が感じられて特別感があった。 ――当時UWFが世間的に受けていたことをどのように感じていましたか。 文化人とかに支持されるプロレスだなって。 ――糸井重里とか? 糸井重里とか、クマさん(篠原勝之)とか。プロレスの胡散くささを排除して。「プロレスは八百長じゃねえ!」って言ってる人でも、言い切れないことってあるじゃん。馬場さんの十六文とか、「なんでロープに走るの?」とか。でも、UWFはロープに飛ばないし派手な大技がないから。 ――堕落さんもクラスメイトにそういうことを言われましたか。 そういうのと闘ってた。 ――闘ってた(笑)。 当時のプロレス少年は理論武装をしないと駄目だったの。「あんなの八百長だよ」って言うやつは絶対いるから。それは今でもそうだけど。 ――前田日明にカリスマ性は感じた? 時代のスターだとは思った。ルックスも良かったし、デカいし、借り物かもしれないけど言葉も持っているし。やっぱり、週プロとか格通とかが盛り立てたしね。「プロレスっていう言葉が嫌いな人、この指とまれ」とかさ(笑)。前田は突破者だったよ。でも、実際に試合を観ると面白いとは思えなかった。 ――で、K-1とUFCの始まりが93年。すごいものがでてきたっていう衝撃はありました? すごいものっていうより、プロレスラーが負けたじゃん。だから、プロレスの範疇にある異種格闘技戦を抜け出して、明らかにガチ(競技)で、しかも強いと思われていた(ケン・)シャムロックがあっさり負けたことに、呆然とした感じはあった。しかも、シャムロックが90kg台で、ホイス(・グレイシー)が70kg台だったでしょ。(ジェラルド・)ゴルドーもやられたし。噛みつきも金的もやって負けたからね。当時はリン魂(『リングの魂』)と『SRS』っていう番組があって、あとはなぜかNHKでUFCをやったんだよ。たしかBSかな? 当時はアルティメット大会って言ってた。 ――言ってましたね。UFCが始まっても総合オンリーにならず、プロレスはプロレスで楽しんでいた? うん。藤波辰爾とルチャが好きだから、元々ね。 ――2000年には桜庭(和志)がホイスに勝利しますが、ドームには行きました? 行ってる。その前のドームの高田(延彦)vsホイス(・グレイシー)、のちの船木(誠勝)vsヒクソンも観てる。 ――その頃、格闘技の好きな知人にNOAHの話をして「まだそんなの観てんの?」みたいに言われたことをよくおぼえています。 つうか、二極化したじゃん。NOAHと総合を両方好きって人は、たしかにあまりいなかった。俺は両方観てたけど。 ――当時「プロレスはもういいや」ってなった人は多かったと思うんです。そんな中で堕落さんは、プロレス界の流れを把握しつつ、総合の細かい技術面まで理解してチェックしているのが面白いなって。 自分がやりたかった人間だから。プロレスは体が大きくないとできないし、病気もあったから無理だったけど。格闘技に関しては、病気さえ治れば体のサイズ関係なしにできるじゃん。街で教えてくれるから。住んでいた赤羽って、U-FILE CAMPもGRABAKAもあったから。 ――なるほど。 プロレスも総合も、どっちも構造に興味があるんだよ。何をしたらどうなるのか。定型というか、詰め将棋みたいな。プロレスのロジックと格闘技のロジックって対極かもしれないけど、構造はある意味同じじゃないかな。こうしたらこうなる、こうしたらこう返す、みたいなさ。それ��相手を組み伏せるものか、試合を構築するためなのかの違いだけであって、定型はあるから。その定型の積み重ねの破れ目みたいなところがプロレスの醍醐味じゃない? いわゆる不穏試合とか、不穏試合じゃないけど思いがけない展開になってすごい盛り上がって素晴らしい試合になるとか。 ――たとえば? 藤波vs天龍の3戦目とか。藤波と天龍って3回試合をしてるんだけど、じつは全部不細工な試合になってんの。2人とも受けのレスラーでしょ? 必ずいい試合をする名勝負製造機って言われる2人だけど、3戦とも不細工。初戦は唯一藤波が勝ったんだけど、天龍が突っ張りをやったときに藤波の歯で手首を切っちゃって、最後救急車で運ばれたの。2戦目は天龍が勝つんだけど、パワーボムをすごい急角度で落としちゃって3カウント。3戦目は、藤波がドラゴンロケット3連発をやって鼻を折って。藤波は負けたし大流血戦だけど、俺はその3戦目が大好きなの。アクシデントで予定とは違う終わり方になった気がするけど。でも、そのまとめ方がすごいテンポが良くて、やっぱり2人も一流だなって思った。天龍は藤波にドラゴンスリーパーをかけられたときに鼻血がドバーッとついたりして、相当嫌だったと思う。最後は天龍のラリアットで唐突に終わるんだけど、流れがすごくいい。唐突に藤波がトップロープからニードロップをやって、天龍は避けたように見えないんだけど当たってない感じになって、藤波が着地したところにラリアットを浴びせかけて、たぶん「これで終わらせよう」みたいな合意がその瞬間にあったんじゃないかな。 ――今、おもに情報ってどこから仕入れていますか? ネットだよ。スポナビとか。あとは昔の情報なら昭和プロレス掲示板ってところがあって、そこは国際プロレスの話をずっとしてたりするので、たまに追って読んじゃう(笑)。雑誌だったら『G-SPIRITS』は毎号買いたいくらい。この前、(Vol.18を)ちょっと立ち読みしたんだけど、石川が藤波のこと呼び捨てにしてるのはカチンときた。お前より先輩だろって(笑)。 ――また藤波さんだ(笑)。個人的には、同じ号の記事で馳が冬木(弘道)を高く評価しているのが面白かったです。 冬木の評価もわかるんだけど……。冬木vs橋本(真也)がすごい嫌いでさ。冬木が意地を見せた試合なんだけど、橋本がDDTをやって冬木が返して、2回目も返して、3回目でフォール負けっていう、俺が一番嫌いなタイプ。それだったら、1回目で返したあと、あと2連発で勝負を決めろよって。爽快感がない。 ――細かく見てますね(笑)。 あれは冬木が意地悪なのか、もともとそういうふうにやるつもりだったのか知らないけど。時々あるんだよ、そういう試合。藤原(喜明)vsダン・スバーンもそうだったんだけど、あれも酷くて。スバーンは水車落としをフィニッシュにしてたんだけど、同じパターン。1回目は返される、もう1回やって返される、3回目でフォール。 ――確かに爽快感はない。 ほかにもよくあるじゃん、カウント3でギリギリで返したように見えてもゴングが鳴って「今のは入ってないだろう」ってアピールするとか、3カウントで負けた後にすぐに���タスタ帰っちゃう武藤(敬司)とか、長州とか(笑)。ああいうプライドを見せつけるのは駄目だよ。その点、藤波は偉いと思うよ。石川にもちゃんとフォールを取られたし(笑)。藤波と対戦した選手で藤波を悪く言う人はまずいないと思う。 ――「無人島に流れ着いたと思ったら仲間がいた」って言った人もいますしね。 あの日(2017年4月20日ドラディション『藤波辰爾デビュー45周年ツアー』後楽園大会)ね、前田に長州と藤波がつっかかったの。最後にみんなのあいさつが終わってリングを降りるとき、藤波が前田を突き飛ばして、「かかってこい」とかやってさ。長州も「やれよ」みたいになって。3人ともニヤニヤ笑ってるんだけど、前田にそんなことできるの、ほかにいないと思うよ。前田はそういうのに本気で怒るタイプだから。 ――そんな藤波さんの社長時代についてもどう思っているか聞きたいんですけど。 俺、赤プリでやった藤波の社長就任記念パーティーに出席したから(笑)。キラー・カーンと堀辺正史とそれぞれ2ショット写真撮ってる(笑)。司会が生島ヒロシで、チェリッシュとかも来てた。2度とこんなところでパーティーに参加することはないと思った。 ――新日の暗黒期は記憶が薄いって言ってましたけど、ほとんど見てなかったですか? テレビを見なくなってたから、ネットばっかりやってて。深夜に30分だし、アルティメット・クラッシュとかやっちゃってるし(笑)。ちょっと冷めてたね。やっぱり藤波史観だから。社長でほとんど試合してなかったし、2000年に引退カウントダウンも始まったし。トップの座から落ちて、年齢的にもトップに返り咲くことはないような。今の棚橋より上、40代後半だったから。今の棚橋だって、トップに返り咲く感じはしないじゃん。1回くらいIWGPを獲ることはあるかもしれないけど、エースとしてではない。 ――そうですね。 暗黒期といえば……藤波が永田(裕志)に1回も勝ててないっていうのが俺は不満だね。永田と3、4戦はやってるんだよ、G1とかで。1度も勝ってない。永田の実力は認めてるけど、なんか腑に落ちねえなって(笑)。安田(忠夫)に負けた時点でもう駄目だと思った。藤波ってさ、凱旋帰国試合で「アイ・ネバー・ギブ・アップ」ってさ、ガキの頃、ずっと信じてた。実際に藤波はギブアップしなかったし、記録にもほとんどなかったし。だけど、実は普通にしてるんだよね。3本勝負の1本をギブアップで取られたり、海外でNWAインタージュニアを1回獲られるんだけど、その時に4の字でギブアップしてるし。最初に明確にしたのは、G1の橋本戦(1994年8月7日の『G1 CLIMAX』 Bリーグ公式戦)なんだよ。形は腹固めなんだけど、当時の公式発表では逆肩固めとかになってた。俺が明確に見たのはそれ。それってUWFとか総合の影響。関節技が極まったら本当は返せるものではないっていうのが世の中に広まったから、プロレスでもギブアップ決着が多くなった。昔はトップレスラーってあんまりギブアップ負けしなかったよ。両者リングアウトがなくなったのと、ギブアップ負けが多くなったのは、UWFと総合の影響だと思う。決着がつくカタルシスが格闘技にはあって、判定がつくじゃん。ドローもあるけど。最初に総合の影響を受けたのは意外にも全日なんだよ。馬場の鶴の一声で両者リングアウトがなくなって。 ――ああ、たしかに。 当時の雰囲気だと……四天王プロレスをガチだと思っちゃう感覚がすげえなって。俺は思ってなかったけど(笑)。人間って、インパクトにやられるんだなって。いや、実際すごかったよ、四天王プロレス。人間の限界に挑戦していたと思うけど、ガチだと勘違いさせるくらい恐ろしいことをやっていた。相手を殺す気がないけどハンマーで頭をぶん殴る(笑)。「あれは殺しにいってるだろう!」「いや、殺しにいくつもりは全然ない、でも本物のハンマーで力を加減して頭を殴ってる」っていう。 ――そのハンマーが、三沢(光晴)vs小橋(建太)の、三沢が小橋にかけた花道から場外へのタイガースープレックスだったり。 小橋vs秋山(準)の、小橋がやったエプロンからのブレーンバスターもそうだしね。 ――「NOAHだけはガチ」って言葉、当時流行りましたね。 ある意味、ガチな結末になっちゃったじゃん。三沢が亡くなって�� ――今日はそのへんの話も伺いたかったんですけど、リング上におけるレスラーの事があったとき、どうやって自分の中で折り合いをつけていますか? 三沢の死は…93年かな、鶴田が欠場したときの三沢vs川田(利明)の頂上対決。三沢が投げっぱなしジャーマン連発で勝った試合。それを観てから、四天王プロレスは嫌いになった。 ――その理由は? 美しくない。さっき言ったように、DDTを3発やるとして1発1発返していったら美しくないでしょ。1発返されたら2発連続でやってダメ押しするみたいにしないとダラダラした印象になる。それと同じで、危険な技を散発的に出すことに理屈が感じられない。 ――フィニッシャーに説得力が感じられない、と。 説得力でいえば、四天王プロレスの技自体にはあったじゃん。でも、首が折れるんじゃないかって技をなんで何発もやるんだっていう。そうなってくるとタフマン・コンテスト、残酷ショーでしょ。「信頼している人間だからこそ危険技を掛けられる」って言うけど、信頼している人間を殺す寸前までやる必要はないだろうって。四天王プロレスのきっかけって、豊橋でやった小橋vs(スティーブ・)ウィリアムスだと思う。ウィリアムスのバックドロップドライバー、殺人バックドロップが最初に出た試合。あれ当時ね、夜中に全日の中継見てて、解説の百田(光雄)と一緒に思わず「うぉー!」って言ったくらい衝撃的な試合だった。あの試合の小橋はすごい好きなの。すごい表現力があって、バックドロップを食らった後、意識を失うんじゃなくて、ガクガクしながらロープに這っていって逃げ惑うの。ウィリアムスはそこにもう1発バックドロップを食らわせてフォールを取るんだけど、それだったら俺は納得がいく。でも、小橋は散々受けてきたのに自分がやる方になって、それがちょっとげんなりしてさ。後に2chとかで“勝ちブックおじさん”っていわれるんだけど、NOAHでの絶対王者時代、小橋自身がブックを書いていたっていう。しかもあんな危ない技で勝ちまく���小橋、みたいなさ。そこに小橋の魅力はないわけ。確かにあの頃の小橋もすごかったし、小橋のことは認めてるんだけど、四天王プロレスは嫌いなの。小橋はミスター・プロレスだと思うし。スタイル自体は違うけど、小橋は藤波とキャラクター的には同系統だと思う。2人とも生粋のベビーフェイスで、ヒールだったことが1度もない。藤波はメキシコでルードになったこともあるんだけど、ものすごく非難をされた時期がないじゃん。で、2人とも生粋のプロレスファン上がりのレスラーじゃん。格闘技の実績があったわけじゃなくて、入団当初期待されていたわけでもなかったのに、練習熱心で身体をつくって、努力で上がったと。レスリングのスタイルとしては、藤波から受け取ったのは武藤、棚橋、SANADA。それってじつは、猪木とは違う系統。 ――今言った藤波さんに連なる系譜は同感ですけど、小橋と同系統っていう解釈は新鮮に感じます。 俺は今の新日は面白いと思うんだよな。藤波がすごい棚橋批判をしているらしいんだけど、それは乗れない。いくら生粋の藤波ファンとはいえ。WWEっぽさとかが駄目なようだけど。 ――僕はWWEをちゃんと観ていなんですけど、やっぱり近づいてきてますか? フィニッシャーを大事にするところとかね。フィニッシャーを決めて、そこから逆をたどって試合をかっちりつくってる。さっき言った破れ目が試合に全然ない感じ。アクシデント性、アドリブ性は昔に比べてなくなったなあって。昔はいわゆる基本的なチェーンレスリング、こう来たらこう返すっていう型がいくつもあるんだけど、その組み合わせ自体は完璧に決めないでお互いのアドリブ感覚で試合をつくっていくっていうのがあったっぽいんだけど、今はかなりきっちりつくられている。 ――いつくらいからですかね? 2010年前後? そのくらいじゃないかな。2000年代半ばはちゃんと観てないんだけど、あの頃は「しょっぱいな」って試合が多かったから、移行期だったのか、まだだったのかって感じ。少なくとも2012年には今のスタイルになってた、レインメーカーショックは完全にWWEのスタイルの流れを汲んでいると思う。そうそう、俺、オカダ(・カズチカ)の凱旋試合観て、「アメプロのテレビマッチだな」ってツイートしてるの。いわゆるスカッシュマッチっていうんだけど、見せ場もほとんどなしに終わらせる試合。一応、相手のYOSHI-HASHIの凱旋試合でもあるのに、波もなくあっさり終わったの。勝った方と負けた方で明確に格の差があるのが、向こうの試合っぽいなって当時思った。そうしたら今の流れになったから、あながち間違ってなかったなって。 ――新日が盛り返したのは本当にうれしいです。 ただね、けが人が多すぎる。 ――最近だと、柴田ですね。 まだオカダ戦も観てないんだよね。観れない。別に凄惨な試合じゃないってのはわかってるんだけど。 ――僕はリアルタイムで観ましたが、すごくいい試合でした。 想像はつくんだよね。今の対立軸としても最高のふたりだったし。ものすごくもったいないし惜しいけど、ある意味では最高の終わり方かなって気もする。問題は本人がどう思っているか。ありがちなのは、会社は止めるけど本人がやりたがるとかさ。ただ、彼との試合で過去にひとり亡くなっていることは考えてほしいと思う。あまりいい言い方はではないけど、すごい因果だよね。でも、それはそれでそういうストーリーとして受け止めるしかない。 ――僕自身は、ああいうことが起こるたびに「このまま観ていてもいいのかな」って自問するんですけど、結局、いつも忘れて流されちゃってるんですよね。 俺が最初に通ったリング禍は、プラム麻里子。尾崎魔弓のライガーボムだけど、写真を見る限りはきれいに受け身も取ってる。脳の障害は慢性的なものもあるだろうし、人間の体って紙一重で助かるケースも多いと思うの。とくに脳はね。たとえば、棚の下を掃除してて、棚があることを忘れて頭を上げた瞬間にぶつけるっていう……日常でよくあるドジ。でもそんなことで死んだ人だって世の中にいるから。脳なんて水に豆腐を浮かべてるようなもんだし。ちょっとした角度とか、寝不足だったとか風邪気味だったとかで、人間は死んだり再起不能になったりするんだろうなって。首とか背骨もそうだけど。だから、どうすればいいって言いきれないんだけど、なるべくそのリスクを軽減されていることが平常であるべきだとは思う。だから、「危険技がどうのこうの言ったらプロレス見れねえ」っていうけども、できるはずだから。それでも事故は起きるよ。でも、確率を減らすことはできるはずだから。危険技があれば面白くて感動するものではないってことは、もうわかってるはずだから。だったら、減らすべきだろうし。そういうのを徹底した上で、どうしてもそういう技を入れたいっていう時にやったら、それはそれでインパクトがすごいだろうし、温存することにもなるから。料理にたとえたら、激辛のハラペーニョを500g入れたラーメンとすごく繊細な出汁をとったまろやかなラーメン、どっちが旨い?って話で。(前者は)刺激はあるけど、(後者を取るのが)人間の英知でしょって。それは何だってそうだけど。 ――ケニー(・オメガ)なんかは試合によってそのへんをうまく使い分けているように感じます。 ただね、(2017年の)1.4の雪崩式ドラゴンはやり過ぎだと思う。あれはさすがに……。オカダもよく大丈夫だったと思うもん。ジャーマンだと胴体を持つから相手の可動域も広くて途中で回転しやすいけど。ドラゴンって、本当に勢いつければ支点がてっぺんの方にあるからうまく体が回るはずなんだけど、首は固定されたら何もできない場所だから、中途半端に落ちる可能性がものすごく高い。ジャーマンをかけられた方が途中で切り返すときって、かける方は必ず相手の胸の方をグリップしてる。ドラゴンは首を固定しているから本当に危ないんだよ。 ――堕落さんがこの前ツイートしていたみたいに、藤原、(ザ・グレート・)カブキレベルになれば、リングに立っているだけでいいわけですもんね。 妖気漂う爺さんが隈取をしてね。首が曲がっちゃってて、言い方は悪いけど背虫男みたいになってるけど、逆にそれが不���味さを醸し出してる。藤原も胃がんをやって、体なんかダルダルになっているけど、藤原なわけじゃん。そのふたりが何もせず睨み合っているだけで成立する。ふたりの歴史もあるし。そういうものを使って見せるのがプロレスだと思う。だから、棚橋とオカダは正しいんだよね。レベルが高いし、危険技をほとんど使わずにあれだけテンションを保って、毎回アレンジを加えて名勝負をしているんだから。一昨年(2015年)のドーム、オカダが試合後に泣いた試合、あれは最高のアクセント。危ない技も派手な技も派手な仕掛けもなく、ただ泣いただけ。でも、あのオカダが泣いたから、ストーリーが翌年につながって。 ――オカダに一つだけ注文をつけるとすれば、マイクやバックステージのコメントで「この野郎」って言うのは似合わないからやめてほしいなって(笑)。 うん、慇懃無礼かつ愛されキャラでいいと思う。最近、地方では子どもにマイク振ってるみたいだよ。「なぜだかわかる?」って振って、「レベルが違うよ」って言わせてる。それでいいと思う。だって、どう考えても愛されキャラだから。ちょっと悪ぶっている気のいい兄ちゃん。 ――プロレスと言えば、テーマ曲も大切ですよね。好き選手のテーマ曲以外で、この曲を聴くとブチ上がる、みたいなものはありますか? 俺も基本的にオリジナルが欲しくて、一曲のためにアルバムを買うタイプだったから、「IRONMAN」が欲しくてブラック・サバスを買ったり(笑)。あと、ヘルレイザーズが出てきたときは、オジー・オズボーンのアルバムも買ったし。藤原の「ワルキューレの騎行」とか。「スーパーファイターズテーマ集」とか買ったけど、納得いかなくて、藤波の「ライジング」って曲――飛龍革命をやっていたころに使っていた――悲壮感があって、「ドラゴンスープレックスより合っていたと思うけど、オリジナルはビクターレコードから出てて。だけど、キングとビクターって、お互いにオリジナル原盤を持っていない方が必ずカバーを出すの。ほかのレコード会社が出した「ライジング」は、あきらかに音が違うわけ。ちゃんとしたスタッフがいる団体はそれを使わないはずなんだけど、DRAGON GATEに藤波が出た時にはそれが使ってやがって。ビクターから2回出てるんだけど、1回は橋本、蝶野(正洋)、藤波のテーマでミニアルバムが出て。その時に、藤波のテーマのあとにエピローグとして音が入っていたんだけど、表記が「ライジング~エピローグ」で。そうなると、知らないやつが曲名をそれだと思ってて、藤波のテーマ曲が「ライジング~エピローグ」って表記されてたりする。許せない、それは(笑)。あと、(グレート・)ムタのテーマ曲は、プロトタイプバージョンと音源バージョンだと全然違う。 ――知りませんでした(笑)。 会場使用がプロトタイプで、試作品をずっと使ってたのに、商品にする際に新録してるから、「会場でかかっているのと違うな」って思ったら、やっぱり違った。 ――やっぱり細かい(笑)。個人的にこれを聴くとテンションが上がるっていう曲はありますか? スタン・ハンセンの「サンライズ」かなあ。でもね、俺、UWFが嫌いだったのに、田村(潔司)がKOKトーナメントでヘンゾ(・グレイシー)とやったときだけ特別に使った『U.W.F.プロレス・メインテーマ』は良かった! 別に山ちゃん(山崎一夫)が使っててもそんなに気にならないのに(笑)。田村がついにグレイシー狩りに行ったとき、「ヒクソンより強いかもしれない!」と言われていたヘンゾと1回戦であたったんだけど、リングアナが「田村潔司選手の入場です!」って言った後に、数秒の間を置いてあの曲がかかったら、会場が「ウォー」ってなって、実況も「オオー!」とか言って(笑)。「Uを背負ってやる」って姿勢に瞬時に感動したわけだよね。 ――田村も面白い選手ですよね。UWFインターのときのドームに出なかったことも含め。 田村は本当にいいプロレスラーだと思う。自分でストーリーなりフックなりをつくるし。 ――プロレスラーは愛すべき個性を持っている人が多いですけど、いろいろな逸話を楽しんだりするのも好きですか。 嫌いじゃないけど、社会運動にかかわって、いろんなコード(規範)みたいなものをより意識するようになって。それと照らし合わせると、「あり」とは言えないものも多々ある。過去のシゴキの話とかも、昔は笑っていた気がするんだけど、今は「駄目でしょ」って思うし。 ――僕も以前は好きだったんですけど、今だったら駄目だよね、と思うことが増えています。たとえば、以前の新日の巡業でレスラーが女風呂を覗いていたっていうのも、もちろんナシでしょうし。 ホモソーシャルな中で笑い話にはできるかもしれないけど、表向きは絶対できないよね。 ――レスラーの政治志向なんかも気になりませんか? たとえば、ハンセンは(ドナルド・)トランプに投票したんだな、とか。 そうそうそう。でも、それはそうだろうなとしか思わなかったよ。 ――テキサス出身だったらトランプなのかな、とは思いましたけど。 俺も気になって調��た。レスラーとか格闘家って基本的には保守的な連中だと思っているから、その中でリベラルっぽい人をチェックしたの。俺は英語が苦手だから自動翻訳だとわかりにくかったんだけど、ジョシュ(・バーネット)は左派を揶揄してるように見えるツイートをしてた。今も付き合ってるか知らないけれど、白人のジョシュはアフロアメリカンの格闘家の彼女がいたし、リベラルな人なのかなって思ってたんだけど、そうでもなかったのかな。 ――そういう情報まで含めて細かいところまでチェックされて、そこからさらに深く考えてますよね。僕自身は、後楽園とかに行って、半裸の男女がプライドをかけて闘っているのを見るだけで「プロレスいいなー」って思っちゃう単純さだから、余計にそう思います。 いま「半裸」って言葉が出たけど、セックスワーカーの話にもつながるよね。仲の良いゲイの人が過去にウリをやっていて、その時の思ったことを著書(ハスラー・アキラ『売男日記』)につづっていたの。それを読むと、セックスワークにおける充実感とかがつづられていたりするわけ。俺は昔からセックスワーク、セックスワーカーが大嫌いで、蔑んでいたの。自分でも絶対利用したくないって思ってた。けど、いろいろな情報を得たり、そういう人たちと出会って、だいぶ考えが変わって。「あ、これ��ありだな」って思った。いわゆる売春自体が、人類最古の商売っていわれるくらい根源的なものとしてあるでしょ? あと、なぜ嫌悪するのかっていうところを突き詰めて考えると、性的なプライド、尊厳、肉体的なきつさを金にしていいのかっていうのがあると思うんだけど、いざ、自分が日雇い肉体労働派遣仕事しかできないような状況のときに、病気で体力もないのに現場派遣に行って、40kgあるガラを一輪車に乗せてダンプを駆け上がってっていうのを一晩中やらされて、死にそうになってしゃがみ込んでいたら、俺より明らかに若いアンちゃんに「てめえ、何さぼってんだよ」って言われたときに、肉体的にも死にそうになって、プライドもズタズタにされて、それで一万円も稼げないわけ。その時のことを思い返して考えたの。肉体労働とセックスワークは何が違うのかって。セックスワークは、いいお客さんに当たったら、相手を気持ち良くしてそれなりにお金をもらって、もしかしたら自分も気持ちいいかもしれない。だったら、それは素晴らしいことでしょ? もちろん現実はそんな理想的ではないだろうし、ゲイの人のとヘテロ男性向けの女性のとで事情も違うだろうけど。誰も損しなければね。搾取で行ったら、一般の肉体労働派遣の方が酷いこともあるし。だとしたら、その二つにどんな違いがあるのか、どっちが蔑まれるべきものなのか。そういうことを突き詰めたらね。もちろん、無理やりやらされてたり、酷い扱いをされるとかだったら駄目だけど、その存在自体は否定されるべきではないんじゃないかなっていうことをここ数年で思った。でも、世間的には未だに賤業なわけじゃん。それってプロレスと同じなんだよ。 ――なるほど。 プロレスってこんな熱く何時間も語れてさ、一緒に観に行けば「うわー!」って叫べて、生きる糧にもなってるわけじゃん。でも、やっぱりバカにされる。「いい年したおっさんが裸になって八百長やって何がいいんだ?」って扱いをされるわけじゃん。実際レスラーは身体ボロボロにしながら夢を売ってるのに。 ――今後もずっとプロレスは見ていこうと思っていますか。 ほかに趣味がないんだよね。映画も観ないし、本も読まないし、音楽も全然知らないし。漫画もアニメもゲームも……ゲームはスマホで野球のゲームをやるくらい。最近、ツイッターもプロレスのツイートばっかりしてるもん(笑)。 取材日:2017年4月下旬 取材・文:チリドックYT イラスト:鈴木侑馬
0 notes
Text
【満員御礼】棚橋弘至選手 サイン会&握手会 『史上最強のメンタル・タフネス』(PHP研究所)刊行記念
【満員御礼】となりました。
終わらない仕事、複雑な人間関係、溢れかえる情報、解決しない課題……、一億総疲労社会では誰もが大きなストレスを抱えたまま生きている。 私たちは疲れ切ったまま日々を過ごすしかないのだろうか。 しかし、日本には100年に一人の逸材・棚橋弘至がいる! 「生まれてから疲れたことがない男」の強靭なメンタルの謎を解明し、逸材流のメンタル強化術を読者に提供するために編まれたのが本書である。
仕事や人生に失敗はつきものだし、ときには自分は何も悪くないのに逆風にさらされることもあるでしょう。人間ですから、そのときに気持ちが萎えてしまうのは仕方がないことです。ただ、ずっと下を向いたままでは何も変わりません。 どこかで気持ちを奮い立たせて、ふたたび前に向かって進んでいく必要があります。 僕の等身大の話をすることで、メンタルの弱さを克服したい方の悩みが少しでも軽くなればいいなと思っています。――「まえがき」より抜粋
日時:2017年4月21日 (金) 19時00分~(開場:18時30分) 会場:本店 8F ギャラリー 募集人員:100名(申し込み先着順) ※ご好評につき満員となりました。
申込方法 対象書籍『史上最強のメンタル・タフネス』を八重洲ブックセンター本店でお買い求め��方のうち、サイン会参加ご希望の方に整理券を差し上げます。また、お電話によるお申し込みも承ります。(電話番号:03-3281-8201)対象書籍以外の本、色紙、グッズへのサインはできません。
主催:八重洲ブックセンター 協賛:PHP研究所
棚橋弘至(たなはし・ひろし) 新日本プロレス所属 プロレスラー。 1976年、岐阜県大垣市生まれ。立命館大学法学部時代はアマチュアレスリング、ウェイトトレーニングに励み、1999年、新日本プロレスに入門。同年10月10日、真壁伸也(現・刀義)戦でデビュー。日本人離れした肉体で、団体最高峰のベルト、IWGPヘビー級王座に何度も君臨。第56代IWGPヘビー級王者時代には“歴代最多防衛記録”である“V11”を達成した。リングを降りると、飾らないキャラクターと、「生まれてから疲れたことがない」などの名言で人気に。キャッチフレーズは「100年に一人の逸材」。
著書に、『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか』『全力で生きる技術』(以上、飛鳥新社)、『棚橋弘至の100年に1人の逸材★BODYのつくりかた』(ベースボールマガジン社)などがある。
イベント情報の詳細はこちら
from honyade.com http://ift.tt/2ooUK9N
0 notes
Text
棚橋弘至の涙、今日の後楽園ホール絶対に覚えておく、後楽園ホール観客数396人
後楽園ホール観客数激減、棚橋弘至の涙 NEVER無差別級シングルタイルマッチに挑むエース棚橋弘至 王者鷹木信悟は、熱く棚橋弘至と激しいバトルを展開 逸材ではなく偽りと棚橋弘至を揶揄する 棚橋弘至がNEVER無差別級王座をきっかけに復活と言えば 鷹木信悟は敗戦したら、G1クライマックス欠場やタイトルマッチへの挑戦封印を要求 鷹木信悟にとってはNEVER無差別級シングル王座の価値を高める為にも、棚橋弘至から防衛する必要があるはず、鷹木信悟の戦いは常に熱く熱量が伝わる相手とスイングした戦いをやりたい その為には棚橋弘至をもっと熱くする必要がある。 しかし棚橋弘至が見据えるものはまた違ったものだった。 IWGPヘビー級王者最多戴冠記録を持つ棚橋弘至 新日本プロレス、プロレス界がどん底からここまでプロレスを盛り上げてきた棚橋弘至 ハイフライ・フローをBUSHIにずばりと決めて勝利し…
View On WordPress
#NEVER無差別級シングル棚橋弘至#エアギター棚橋弘至#エース棚橋弘至#プロレス愛#新日本プロレス観客数#棚橋弘至の涙#棚橋弘至低迷#棚橋弘至復活#棚橋弘至愛してます#棚橋弘至記憶#鷹木信悟NEVER無差別級シングル
0 notes
Text
IWGPヘビー級王座に拘りを持つオカダ・カズチカ
2冠を拒み、IWGPヘビー級王座に拘ったオカダ・カズチカ
2019年終わりから2020年レッスルキングダムでIWGPヘビー級王座&インターコンチネンタル2冠王者が誕生した。
それは、IWGPヘビー級王座を長期政権したオカダ・カズチカではなく、内藤哲也が王者となった。
オカダ・カズチカは、2冠王者には最後まで否定的で拒み続けた
しかし、内藤哲也発信で始まった、IWGPヘビー級とインターコンチネンタルの2冠闘争は
G1クライマックス覇者飯伏幸太に飛び火、そこに当時インターコンチネンタル王者のジェイ・ホワイトが乗っかる形で、ファンに火を付けた。
IWGPヘビー級のベルトが最高でそれ以外は考えられないと最後まで、2冠戦に否定的であった
オカダ・カズチカだが、ファン投票と言う結果でその実現が決まった。
IWGPヘビー級王座を全レスラーが目指すそれがオカダ・カズチカの理想
「プ…
View On WordPress
#2冠不要オカダ・カズチカ#International Wrestling Grand Prix#IWGPヘビー級王座の重み#IWGPヘビー級王座=オカダ・カズチカ#IWGPヘビー級連続防衛#オカダ・カズチカとIWGPヘビー級王座#オカダ・カズチカとベルト#オカダ・カズチカと棚橋弘至#オカダ・カズチカの拘#連続防衛記録新日本プロレス
0 notes
Text
この落とし前はどうつける?オカダ・カズチカの逆襲が始まる。
オカダ・カズチカの逆襲が始まる。
2017年6月、オカダ・カズチカがケニー・オメガに敗北
IWGPジュニアヘビー級チャンピオンのベルトを奪われた。
画像出典元 新日本プロレス
一年以上新日本プロレス最高峰のベルトIWGPヘビー級防衛に成功したオカダ・カズチカ
レッスルキングダムin東京ドームでは、2016年G1クライマックスを制覇した内藤哲也と対戦
人気絶頂の内藤哲也との頂上決戦を制した。
春の、newJapanCUPで、棚橋弘至、内藤哲也、飯伏幸太を破った、ザック・セイバーJrと
IWGPヘビー級選手権も防衛に成功。
棚橋弘至の持つIWGPヘビー級王者連続防衛記録もその記録保持者棚橋弘至と直接対決をし
連続防衛記録を更新したオカダ・カズチカ
画像出典元 新日本プロレス
もはや、オカダ・カズチカに勝てる選手は新日本プロレスにはいないとまで思わせたオカダ・カズチカであった。
View On WordPress
#4年連続レッスルキングダムメインオカダ・カズチカ#オカダ・カズチカ#オカダ・カズチカのエース#オカダ・カズチカの落とし前#オカダ・カズチカの誤算#オカダ・カズチカの逆襲#オカダ・カズチカのIWGPヘビー級王座陥落#オカダ・カズチカVS棚橋弘至#レッスルキングダムin東京ドームのメイン#外道がオカダ・カズチカを?#完全王者となったオカダ・カズチカ#棚橋弘至の器#棚橋弘至エース#逸材棚橋弘至#邪道&外道#IWGPヘビー級王座連続防衛記録
0 notes
Text
IWGPヘビー級チャンピオンへ復活棚橋弘至がケニー・オメガに噛みつく。
G1クライマック覇者棚橋弘至IWGPヘビー級チャンピオンケニー・オメガ舌戦
画像出典元東スポWEB
G1クライマックを制覇してから棚橋弘至の動きが目まぐるしく展開する。
夏の王者になった棚橋弘至はまさに主役である。
権利証を獲得し、発言力に説得を増す棚橋弘至
一方ケニー・オメガはIWGPヘビー級の防衛をG1クライマックで敗れた石井智弘と行った。
石井智弘を破り、IWGPヘビー級チャンピオンのベルトを守ったケニー・オメガ
ケニー・オメガは、棚橋弘至に対し権利証を失う可能性が高いと言う。
オカダ・カズチカを指名した事が誤算であると。
棚橋弘至にお前とはプロレスに対する観念が合わない」とまで言ったケニー・オメガ
棚橋弘至はこう反論する。
ケニー・オメガのプロレスを否定した。
かねて棚橋が「俺は彼のプロレスが好きじゃない」とケニーに対する否定的発言を繰り返したことが伏線となって…
View On WordPress
#オカダ・カズチカ完全王者#ケニー・オメガIWGPヘビー級チャンピオン#ケニー・オメガVS棚橋弘至#レッスルキングダム#棚橋弘至エース#棚橋弘至エース復活の狼煙#棚橋弘至VSオカダ・カズチカ#棚橋弘至VSケニー・オメガ#権利証防衛オカダ・カズチカ#G1クライマック棚橋弘至#IWGPヘビー級連続防衛記録
0 notes
Text
棚橋弘至と柴田勝頼の遺恨から友情へ柴田勝頼の復帰は?
棚橋弘至と柴田勝頼の遺恨
棚橋弘至と中邑真輔、柴田勝頼は新日本プロレスに新しい時代を託される
選手であった。
新日本プロレスは3人を新闘魂三銃士と名付けた。
しかし3人とも新闘魂三銃士と呼ばれるのを拒否しそれぞれのプロレス格闘技を求めた。
中邑真輔は、いち早くIWGPヘビー級チャンピオンになり
それに追いつけとばかりに棚橋弘至もU30以下のベルトを創設した。
闘魂三銃士の橋本真也が逝き、武藤敬司や蝶野正洋が新日本プロレスのメインから退き
第三世代が新日本プロレスを引っ張て来たが
新日本プロレスが発信したUWFから時代は、K1、prideブームになっていた。
プロレス不遇の時代であった。
新日本プロレスは迷走しながら、プロレス復権を目指す。
その矢面に立ったのが棚橋弘至、中邑真輔であった。
Sponsored Link
中邑真輔は若きチャンピオンとなったが、まだ新日本プロレスを…
View On WordPress
#新日本プロレスにケンカを売りに来ました。#新日本プロレスロスアンゼルス道場#新闘魂三銃士#柴田勝頼&棚橋弘至#柴田勝頼の復帰#柴田勝頼怪我#柴田勝頼新闘魂三銃士#柴田勝頼黒タイツ#柴田勝頼PK#棚橋弘至#棚橋弘至&柴田勝頼#棚橋弘至復帰#棚橋弘至IWGPヘビー級連続防衛記録
0 notes
Text
オカダカズチカIWGPヘビー級連続防衛記録達成・棚橋弘至の野望を打ち砕く
IWGPヘビー級選手権オカダカズチカ連続防衛記録達成
オカダ・カズチカVS棚橋弘至で
オカダ・カズチカが新日本プロレスの歴史に名を刻んだ
画像出典元 東スポWEB
IWGPヘビー級王座は、アントニオ猪木が設立した
新日本プロレスのローカルベルトから
今では、世界が注目するベルトに変化した
初代王座アントニオ猪木とハルク・ホーガンの争い
アントニオ猪木の後継者だった
藤波辰爾の長州力との抗争7回の防衛記録達成
橋本真也のIWGPヘビー級王座へのこだわり
9回の連続防衛記録
小川直也との抗争まで盤石であった橋本真也体勢
闘魂三銃士をへて
第三世代と言われる、永田裕志の10回の防衛記録
新日本プロレスの不遇の時代から新日本プロレスを再生させた
棚橋弘至の11回の王座防衛
現在絶対王者の、オカダ・カズチカの元にあるIWGPヘビー級王座のベルト
棚橋弘至との防衛記録保持者同士…
View On WordPress
#エース棚橋弘至#オカダカズチカ画像#オカダカズチカ絶対王者#オカダカズチカ連続防衛記録達成#オカダ・カズチカVSケニー・オメガ#オカダ・カズチカVS棚橋弘至#オカダ・カズチカレインメーカー#オカダ・カズチカ世代抗争#オカダ・カズチカ主役#オカダ・カズチカ勝利#棚橋弘至の野望#棚橋弘至敗戦#棚橋弘至画像
0 notes
Text
最強オカダ・カズチカ時代のライバルたちIWGPヘビー級&インターコンチネンタル2冠王者の意味は?
IWGPヘビー級をめぐってライバルたち登場でオカダ・カズチカが時代を作る。
IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ
G1クライマックス覇者飯伏幸太の頂上決戦が行われる
レッスルキングダム1.4東京ドーム大会
オカダ・カズチカが飯伏幸太を勝つつもりで来いと挑発すれば
飯伏幸太ももうオカダ・カズチカでは飽き飽きと挑発
年齢的に上の飯伏幸太はオカダ・カズチカをオカダさんと言う
オカダ・カズチカも飯伏幸太を飯伏さんと呼ぶ
スポーツライクな戦いが展開される
IWGPヘビー級王者のオカダ・カズチカは凱旋して以来
新日本プロレスを牽引、棚橋弘至時代を終わらせ新しい新日本プロレスを創造した。
しかしオカダ・カズチカが最強と言われる所以は、ライバルがいなかった。
AJスタイルズ��去り、棚橋弘至の強さに陰りが見えた時
オカダ・カズチカは横綱として1人勝ちIWGPヘビー級連続防衛記録をも達…
View On WordPress
#IWGPヘビー級オカダ・カズチカ#IWGPヘビー級王者#IWGPヘビー級王者&インターコンチネンタル王者#IWGPヘビー級2冠#インターコンチネンタル王者ジェイ・ホワイト#オカダ・カズチカ意地#オカダ・カズチカ最強#オカダ・カズチカ歴史#ジャンボ鶴田怪物#スタン・ハンセン#内藤哲也、無冠#天龍源一郎#新時代の新日本プロレス#飯伏幸太新時代#3冠ヘビー級王者ジャンボ鶴田
0 notes
Text
G1クライマック29オカダ・カズチカのレインメーカーに沈む棚橋弘至今の自分の力を知った。
オカダ・カズチカ貫録勝ちレインメーカーを棚橋弘至に決める
両者優勝を宣言したG1クライマック29
オカダ・カズチカと棚橋弘至はチームを組んで戦うほど
両者の関係は良好である。
新日本プロレスを支えてきた棚橋弘至であったが
試合後のコメントでは
オカダ・カズチカを恐ろしい選手��なったと評価した。
オカダ・カズチカは、IWGPヘビー連続防衛記録を持つ級棚橋弘至の持つ記録塗り替えたが
ケニー・オメガに敗戦
王座から陥落ベルトを失った
しばらく低迷を続けているように思えたオカダ・カズチカ
しかしオカダ・カズチカは、そのベルトがケニー・オメガから棚橋弘至そしてジェイ・ホワイトに移動している間に
王者の頃には出来なかったプロレスを楽しんでいた。
その結果オカダ・カズチカはレスラーとして大きくなり
進化して再びIWGPヘビー級のベルトを腰に巻いた。
その進化したオカダ・カズチカが…
View On WordPress
#オカダ・カズチカ正調式レインメーカー#棚橋弘至ハイフライフロー解禁#棚橋弘至今の自分#棚橋弘至引退#G1クライマック#G1クライマックオカダ・カズチカVS棚橋弘至#G1クライマックダラス#G1クライマック29#G1クライマック29オカダ・カズチカ#G1クライマック29棚橋弘至
0 notes
Text
オカダ・カズチカVSケニー・オメガの再戦はあるのか?新日本プロレスとAEW
オカダ・カズチカVSケニー・オメガの再戦は?
ケニー・オメガが新日本プロレスを退団して新団体AEWへと移籍した
ケニー・オメガは団体の副社長として世界最大と呼ばれるWWEへ宣戦布告
ケニー・オメガはWWEを嫌い日本で大きくなったプロレスラーでもある
新日本プロレス最高峰のIWGPヘビー級王者にも君臨
オカダ・カズチカや棚橋弘至らとも名勝負を展開した。
オカダ・カズチカのIWGPヘビー級連続防衛記録をストップさせたのもケニー・オメガである。
オカダ・カズチカとケニー・オメガの時間無制限3本勝負のIWGPヘビー級選手権は
歴史に刻まれたと共にあの勝負を出来るのは2人しかいないと認識させられた。
しかしどうであろう光ったのはオカダ・カズチカよりケニー・オメガであったが
あの試合の後またオカダ・カズチカとケニー・オメガの試合をすぐに見たいと思ったファンは少なかったのではないか?
View On WordPress
#AEWケニー・オメガ#AEW初代王者は#オカダ・カズチカとケニー・オメガ#オカダ・カズチカマジソン・スクエア・ガーデン大会#オカダ・カズチカ最強#オカダ・カズチカIWGPヘビー王座防衛#オカダ・カズチカNEW JAPAN CUP優勝#クリス・ジェリコとオカダ・カズチカ#ケニー・オメガVSジョン・モスクリー#ケニー・オメガ再来#ジョン・モクスリー#新日本プロレス
0 notes
Text
防衛回数0回が続くIWGPヘビー級選手権、棚橋弘至欠場だが新たな展開が勃発
IWGPヘビー級選手権防衛回数0回
防衛回数0回が続くIWGPヘビー級選手権
2018年にはオカダ・カズチカが棚橋弘至の記録
連続防衛記録を破り12回を記録した。
オカダ・カズチカが凱旋依頼、棚橋弘至、AJスタイルズとIWGPヘビー級のベルトを巡り攻防を続けケニー・オメガ、内藤哲也、ジェイ・ホワイトがベルトを取ったがまたオカダ・カズチカがの元にベルトは戻った。
棚橋弘至はケニー・オメガを破り久しぶりにIWGPヘビー級王者になったと思いきや
防衛回数0回でジェイ・ホワイトに奪われ
ジェイ・ホワイトも防衛回数0回でオカダ・カズチカに奪われる。
オカダ・カズチカが防衛の相手にSANADAを指名
SANADAとの前哨戦が毎日のように行われている
画像出典元 NJPW 新日本プロレス
いま新日本プロレスは棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカ、AJスタイルズ4強時代から大きく
変換しよ…
View On WordPress
0 notes
Text
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
波乱が起こった大阪レインメーカーオカダ・カズチカ復活
棚橋弘至が初防衛戦で敗戦した大阪
ジェイ・ホワイが新たなIWGPヘビー級王者となった。
オカダ・カズチカは、棚橋弘至とのドリームタッグの都合上
棚橋弘至IWGPヘビー級王者でいる限り挑戦はないと発言IWGPインターコンチネンタルの挑戦もあると一歩譲った発言をしていた。
そもそもオカダ・カズチカの失速は必殺技レインメーカーが決まらないジレンマがあった。
IWGPヘビー級初栄冠の時も、IWGPヘビー級連続防衛記録を打ち立ていた時も
ツームストンパイルドライバーからレインメーカーがさく裂していた。
画像出典NJPW
レインメーカーは完成された技であった。しかし一流レスラーの揃う新日本プロレス
オカダ・カズチカのレインメーカーを尽くカウンターで返してきた。
言わば知り尽くされて来たという事である。
ラリアットには様々な形があるがそれぞれのレスラーで進化した技になってきた。
スタン・ハンセン
ラリアットはスタン・ハンセンが相手をロープに振り返ってくるところにカウンターの強烈なラリアットが元祖ウエスタン・ラリアット
ハルク・ホーガン
相手をロープに振り返ってくるところに助走をつけひじを鋭角に曲げて放つ
アックス・ボンバー
長州力
ダウンした相手が立ち上がるタイミングで自らロープに走り勢いとタイミングで放つ
力ラリアット
小橋建太
試合の終盤フィニッシュ技として相手を立たせて助走を付けない
豪腕ラリアット
どのレスラーもラリアットを進化させ必殺技に新ン化させていった。
レインメーカーもまたオカダ・カズチカが進化させていくだろうが
久々に決まったレインメーカーの破壊力はすさまじく
巨体のバットラック・ファレをKOした。
画像出典 NJPW 新日本プロレス
Sponsored Link (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
勢いづくオカダ・カズチカレインメーカーで復活
オカダ・カズチカ自身もバレットクラブの乱入などの障害もあったが
YOSHI―HASHIの救援で心に火が付いたオカダ・カズチカ
THE NEW BEGINNING in OSAKA 第7試合スペシャルシングルマッチ!@rainmakerXokada VS @TOKSFALE !チェーズ&裕二郎が試合に介入にオカダ大ピンチ!しかし、オカダのピンチを救うべくある男が登場! 登録&視聴▷https://t.co/UAvG1I5XYI #njnbg #njpwworld #njpw pic.twitter.com/8ztYbgyoUE
— njpwworld (@njpwworld) 2019年2月11日
オカダ「やっと、シングル(マッチ)でレインメーカー決まったね。レインメーカーから3カウント(奪取)。(ここまで)長かった…。ただね、BULLET CLUBが何人入って来ようがね、YOSHI-HASHIさん1人で十分なんだよ。オカダとYOSHI-HASHI、ナメてもらっちゃ困るね
ファレの巨体を雪崩式ブレーンバスターで投げる離れ業を見せるや、ローリング式から正調レインメーカーにつないで貫禄を見せつけた。1・4ドームではジェイに敗れ、2019年は屈辱のスタートとなったが、これでトンネルを抜け出した。「あんなデカイの倒して、あんな大男倒して、勢いつかないわけがない」とNJCでの巻き返しに自信をのぞかせた。
混沌とする新日本プロレスの本隊とCHAOS
オカダ・カズチカの復活で新たな希望も見えてきた
IWGPヘビー級連続防衛記録を持ってるオカダ・カズチカは俺を誰と思ってるんだ?
と強気な発言も久しぶりに聞こえた。
NJPW JAPAN CUPのオカダ・カズチカに期待
Sponsored Link
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
レインメーカーがバットラック・ファレに炸裂オカダ・カズチカ復活の予感 波乱が起こった大阪レインメーカーオカダ・カズチカ復活 棚橋弘至が初防衛戦で敗戦した大阪 ジェイ・ホワイが新たなIWGPヘビー級王者となった。 オカダ・カズチカは、棚橋弘至とのドリームタッグの都合上 棚橋弘至IWGPヘビー級王者でいる限り挑戦はないと発言IWGPインターコンチネンタルの挑戦もあると一歩譲った発言をしていた。 そもそもオカダ・カズチカの失速は必殺技レインメーカーが決まらないジレンマがあった。 IWGPヘビー級初栄冠の時も、IWGPヘビー級連続防衛記録を打ち立ていた時も ツームストンパイルドライバーからレインメーカーがさく裂していた。 レインメーカーは完成された技であった。しかし一流レスラーの揃う新日本プロレス オカダ・カズチカのレインメーカーを尽くカウンターで返してきた。 言わば知り尽くされて来たという事である。 ラリアットには様々な形があるがそれぞれのレスラーで進化した技になってきた。 スタン・ハンセン ラリアットはスタン・ハンセンが相手をロープに振り返ってくるところにカウンターの強烈なラリアットが元祖ウエスタン・ラリアット ハルク・ホーガン 相手をロープに振り返ってくるところに助走をつけひじを鋭角に曲げて放つ
#おかだかずちか#オカダカズチカ絶対王者#オカダ・カズチカ#オカダ・カズチカとYOSHI-HASHI#オカダ・カズチカとジェイ・ホワイト#オカダ・カズチカと棚橋弘至#オカダ・カズチカ再起#オカダ・カズチカ必殺技#オカダ・カズチカ最強#オカダ・カズチカCHAOS#オカダ・カズチカVSバットラック・ファレ#ラリアットオカダ・カズチカ#レインメーカー復活
0 notes
Text
2018年度プロレス大賞MVP棚橋弘至、ベストバウトオカダ・カズチカVSケニー・オメガ、技能賞内藤哲也
プロレス大賞MVP棚橋弘至、内藤哲也は3年連続は成らず。
2018年もっとも活躍したプロレスラーに贈られる
プロレス大賞MVPに棚橋弘至が選ばれ受賞した。
画像出典元 NJPW 東スポWEB YouTube
現在のプロレスのブームは新日本プロレスが牽引している特性上新日本プロレス選手が
数多く選ばれている。
その中で1年を通してもっとも活躍した選手に贈られるMVPである。
新日本プロレスで言えば前半はオカダ・カズチカVS内藤哲也のIWGPヘビー級選手権でオカダ・カズチカがスタート奪取
オカダ・カズチカIWGPヘビー級連続防衛記録達成。
VS棚橋弘至
ニュージャパンカップでザックセイバーjrが優勝
棚橋弘至準優勝
オカダ・カズチカVSケニー・オメガのIWGPヘビー級選手権時間無制限3本勝負
新チャンピオンケニー・オメガの誕生
2018年���ストバウトに選ばれる試合となる。
後半に入ると棚橋弘…
View On WordPress
#オカダ・カズチカ5年連続ベストバウト賞#オカダ・カズチカベストバウトマシーン#ケニー・オメガベストバウトマシーン#ケニー・オメガ新日本プロレス退団#ケニー・オメガAEWへ#ケニー・オメガWWEへ#プロレスブーム#プロレスムーブメントを起こす。#プロレス大賞#プロレス大賞技能賞#プロレス大賞敢闘賞#プロレス大賞殊勲賞#ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン飛躍#全日本プロレスとプロレスリング・ノア#全日本プロレスとプロレスリング・ノアの復活#内藤哲也MVP逃す#棚橋弘至情熱大陸#棚橋弘至MVP#清宮海斗VS宮原健斗#諏訪間VS丸藤正道#AEW参加#AEW(オールエリートレスリング)旗揚げ
0 notes
Text
オカダ・カズチカIWGPヘビー級王座陥落から起こったCHAOS分裂
CHAOS分裂か?異分子ジェイ・ホワイト
中邑真輔が新日本プロレスを退団し、そのCHAOSの実質的リーダーを引き継いだオカダ・カズチカ メンバーは中邑真輔とCHAOSを結成した。矢野通��始め、石井智弘、邪道、外道、YOSHI-HASHI、ウィル・オスプレイ、後藤洋央紀2018年加入のジェイ・ホワイトとなる。
リーダー中邑真輔の新日本プロレス退団後、最強王者としてIWGPヘビー級チャンピオンに君臨したオカダ・カズチカ
IWGPヘビー級チャンピオン連続防衛記録も達成し、盤石と思われたCHAOS
しかし、オカダカヅチカIWGPヘビー級チャンピオン陥落後、状況は変化しているよう思える。
G1クライマックでジェイ・ホワイトに敗戦したオカダカヅチカは、ジェイ・ホワイトの反則での勝利を同じユニットだから許すとコメント。
続く勢いで棚橋弘至も撃破したジェイ・ホワイト
G1クライマックで優勝…
View On WordPress
#rise#ジェイ・ホワイト反逆#中邑真輔CHAOS#後藤洋央紀CHAOS#真・野毛決起軍#矢野通CHAOS#石井智弘CHAOS#CHAOS#CHAOSオカダ・カズチカ#CHAOSリーダー#CHAOS分れる#CHAOS前身#CHAOS解散#G・B・H#YOSHI-HASHI#YOSHI-HASHIと棚橋#YOSHI-HASHI本体#YOSHI-HASHI離脱
0 notes