#架空飛行体
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)1月11日(木曜日)弐
通巻第8088号
ディスインフォメーション、フェイク情報で世界は満たされている
2024は選挙イヤー、すでに大量のフェイクが行き交ったいる
*************************
ディスインフォメーション(disinformation)とは、日本ではまだ普遍的な語彙ではないが、国家・企業・組織、個人の信用を失墜させるためメディアやSNSを悪用し、意図的に流す虚偽の情報。
ブルームバーグが2024年1月6日に報じた「中国のミサイル燃料に水」はフェイクだった可能性が強い。
第一に「匿名の情報通でCIAに近い」というニュースソウスが妖しい。
第二に中国のミサイルは「固定燃料」型に移行しているが、発射直前に燃料を注入する旧式ミサイル(液体燃料型)もまだある。しかし発射直前まで燃料タンクはカラである。いまや、北朝鮮ですら固定燃料型である。水を注入しておく必要はない。
第三に「匿名氏」が言う「ハミに近い基地」も作り話ではないか。新彊ウイグル自治区の東部にハミという地名があるが、ここは葡萄と瓜の産地。この地区にミサイル基地があることを米偵察衛星は把握していない。
したがって架空の基地ではないか、と『アジア・タイムズ』(1月9日)��、ステフェン・ブライエン記者が指摘した。
生成AIとチャットGPTによって、世界の情報空間はフェイクで満たされた。真贋混在の時代に我々はフェイクを見破るコツを習得する必要がある。
とくに台湾の総統選(1月13日)では中国が発信するフェイク情報がネット空間に溢れている。「頼清徳(民進党候補)はスパイだ」とか、「某候補の選挙資金は外国から来ている」とか、ありとあらゆるフェイクが有権者の判断を狂わせる。女性候補者のフェイク画像、えげつないベッドシーンなども出回っている。
しかし歴史的な偽造文書、フェイク情報を考察すれば「基本」のパターンは毫も変わらず、情報の飛び交う場所がネット空間に移行し、広範で総合的な着色がなされている。古代中国では改竄、でっち上げ、讒言のための文書偽造もよく行われた。有力指導者や皇帝側近の権力闘争に悪用された。
世紀の偽造文書、作り話は『シオンの議定書』だろう。
これを真似て中国が作成したのがかの「田中上奏文」だった。古きをいえば『日本書記』の古代の記載を読むと明らかに偽造文書からの引用がある。
偽造、フェイク、つくり話、ニセ文書などの意図は敵を攪乱し、揺動する心理作戦でもある。戦争が偽造文書の技術を向上させたのである。
戦国武将たちは優秀な右筆を備えたが、かれらは文章の巧みさだけを要求されたのではない。敵の大将とそっくりの筆跡を真似る技術、そして印鑑あるは花押を本物とそっくりに真似るノウハウである。伊達政宗が謀反を嗾ける手紙を書いて秀吉が発見し問い詰めたところ、花押の細工を理由に言い逃れたことは有名な話であろう。
▼生成AIの登場でフェイクの技術が格段にあがった
これらが生成AIとチャットGPTの席巻によって三日かかったニセ文書を五分でつくることが可能となり、その情報の拡散も飛脚や忍者の配達ではなく、コンピュータネットワークでは数秒で数億の人たちに伝達される。
情報の送り手はメディアだけの「情報エリート」の時代から誰でも文章も画像を送信できる大衆が参加する時代となった。
スイスで1月15日から19日まで開催されるダボス会議、2024の基調講演はブリンケン米国務長官、イスラエルのヘルツォーク大統領、アルゼンチンからミレイ新大統領、フランスのエマニュエル・マクロン大統領、中国の李強首相も出席する。ゼレンスキーも押しかけ出席の可能性がある。
この「ダボス会議」は左翼的な論客や政治家があつまってグローバリズムを鼓吹した場だったが、様変わりの兆しがある。
常連だったキッシンジャーは不在となり、ジョージ・ソロスも引退。イーロン・マスクやアリババ創設者の馬雲は出席しないだろう。
さて出席者はともかく、トップの議題は「偽情報」である。
ダボス会議の事前調査報告書によれば、2024年から25年にかけて、台湾、インド、インドネシア、メキシコ、英国、米国など、世界の30億人が投票する選挙が行われる。すでに台湾選挙はフェイク情報ばかり、11月の米大統領選挙は二年も前からフェイク戦争の場となった。
ダボス会議(世界経済フォーラム)は、主要国の選挙を前にしてAI(人工知能)が惹起するであろう誤報や偽情報が、最大の世界的リスクになる」と警告した。
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『マッドマックス:フュリオサ』を観てきました
ヒャッハーーーー!!!観てまいりましたよ『マッドマックス:フュリオサ』をwith姉!!マジありがとうジョージ・ミラー監督。
余談ですが退館後高架下にある自転車置き場に行ったら橋脚にスプレーでこんな落書きがしてあって姉と「いやちょっと待てwww!!!」と大笑いしました。こんな落書きです↓
もしかして名古屋、はぐれウォーボーイズおるか(撮影して載せたかったのですが人目を気にしてしまいました。撮るべきだった……)???
映画の感想はというと……激熱でしたね。色々語りたいことがありすぎて逆に語れないのと、本当は日付を超えてでも視聴したその日である昨日に書くべきだったのですが寝落ちして記憶が少し飛んでいます(最悪)。本当すいません!6/30に書くべきでした本当に!!
ここから先、がっつりネタバレを含みますのでご注意ください。
☆前作のオマージュ
今作は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(以下MMFR)の続編であり、大隊長・フュリオサの若き日を描いた前日譚でもあります。今作だけいきなり観に行るのは、個人的にはあまりお勧めしません。恐らく世界観等が理解しづらいであろうことと、純粋に前作視聴後に観た方が間違いなく楽しいであろうことからです。ネトフリのリンクを貼るので俺を見ろ!!
頭蓋骨から蜥蜴が這い出てきた瞬間「これは……!!」と思ったら期待通りの展開(※別に蜥蜴が嫌いで死んでほしいとかではない)になったのでにっこりです。そして【俺を見ろ特攻】も!やはりマッドマックスと言ったらウォーボーイズによる高空からの自爆特攻ですよね(※すいません当方シリーズ中2作しか鑑賞しておりません)!今作は前作以上に"高さ"を感じられる演出が多く、思わずアガりました。
あと生体メカニックの彼は最初はディメンタス軍団所属だったんですね……。
☆ラストについて
ラストでフュリオサがディメンタスを鎖で拘束した時、私はてっきりフュリオサは意趣返しとしてジャックがされたことをするのだとばかり思っておりましたが、全然違いましたね。まぁバイクで引きずり回すのと車で引きずり回すのは手応えが全然異なるでしょうしね……。ディメンタスによるフュリオサへのご高説、まーーー鬱陶しいこと笑!!その場で殺さなかったフュリオサの忍耐強さと執念よ……。
その後いきなりお笑い漫画道場で富永一郎が描きそうなカット(今時の若者が絶対分からない比喩やめろ)が出てきて私はかなり動揺したんですが、周囲の誰もが特に反応していなかったのでますます動揺しました。え、あれ笑っていい場面じゃないんですか!?不意打ちであの絵面出てきたら絶対笑うんだが!?
……真面目に書きますと、フュリオサから日常を、母を、恋人を奪った挙句彼女の希望を否定しひたすらに絶望しかないと唱え続けた男が最後(最期?)「希望(※)」の苗床として生かされる痛快なオチに感動しましたね。林檎又はそれに似た果実を取りに行った結果彼女は攫われディメンタスとその一味に目の前で母を殺されたのですが、最後は彼女がディメンタスを果実のなる樹の苗床として利用し、いずれ母となるであろう前作でいう「子産み女」の女性達に実を分け与えるのです。ディメンタスはフュリオサに最早希望などないと散々喚き散らしておりましたが、前作……時系列では��日なんですが(ややこしいな)、フュリオサは自身と同じように攫われ砦(シタデル)へ連れてこられた、或いはそこで生まれ育った子産み女達を解放し、自身の生まれ育った「実りの大地」へ戻る為にウォー・タンクを率いて離反します。これは彼女の中に希望が残っていたからこそ成せたことでしょう……ディメンタスの完全なる敗北ですね。実りの為に母を殺した男の最後が母(子産み女)の為の実りを生み出す苗床なんて、流れが美しすぎますよ。 ※個人的な解釈ですが最後に出てくる林檎の果実は母を失い絶望を味わったフュリオサが地獄の日々を乗り越えた果てに母(子産み女)を守る為に育てている希望の象徴みたいなものかな、と勝手に思っています
※林檎の実についての興味深い資料がありましたのでよろしければどうぞ 出典:敬和学園大学
「表象としてのりんご 」
☆イモータン・ジョー
以下イモータンと表記します。ディメンタスが言ったように、彼の行いは「搾取と奴隷労働」ではありますが、ディメンタスと異なり余興や見世物の様に仲間の命を奪ったりすることは決してありませんし、何なら前作で描かれていたように水もちゃんと分け与えています。もっといい配り方してやれよとも思いますが
ノブレス・オブ・リージュ……ではないのですが、支配者としてきちんと統治してはいるんですよね、イモータンは。実際ガスタウンや弾薬畑も施設としてかなり立派でしたし、だからこそあそこまでウォーボーイズ達に盲信されているのでしょうね。なんだかんだでディメンタスの煽りを受けても乗っからずにうまく返して撤退させていましたし、終盤の再襲撃に逸る配下達の意見ではなくフュリオサの案を採用しましたし、状況判断に長けていますよね……うっかり装置の誤作動で殺す予定ではなかった人質を殺めてしまったディメンタスとはわけが違いまさぁよ!!
ディメンタス軍団は全員ガチムチ!殺し合い上等!な感じでしたが(冒頭でバイク軍団に選ばれた女性、終盤まで終始前線で奮闘していてすごかったですね)、イモータン達やシタデルにいる人間達はディメンタス軍団の様に元��な体!って感じではないんですよね。MMFRで水の配給を待っていた人達は高齢者や体のどこかに障害や疾病を抱えている(ように見える)人達ばかりでした。リクタスは大型で筋肉質で肉体��そ元気ですが知能がちょっと怪しいですし、スクロータスは顔つきが一般的な人間とはやや異なっており皮膚が独特の様相を呈しています。ウォーボーイズは短命ですし、その中でもボミーノッカー係だった赤ちゃんは完全に奇形児でしたしね……これ、もしかしたらディメンタス軍団は肉体が健康でない者はもしかしたら処刑なり何かしらの手段で選別されている可能性も出てきましたよ……ざわ……ざわ……。もしかしたら流れてきた"そういう者達"を、シタデルが受け入れているのかもしれません。知らんけど
……こう書くとイモータンがまるで人格者のように思えてきますが、ディメンタスよりはマシというだけであって別にいい人ではないので気を付けてください!本当に!!
☆フュリオサ
シャーリーズ・セロンに較べるとどうしても華奢さが目立つアニャ・テイラー=ジョイですが、悪くはなかったのではないでしょうか。フュリオサ、ここからMMFRの間に体躯をめっちゃマッチョに鍛えたのかもしれませんしね!
☆ディメンタス
お前の事誰が好きなん?
いやーーー本当にこいつは……こいつは本当に……キャスティング良すぎィ~~!!クリヘムことクリストファー・ヘムズワースを持ってきた人にもうあげちゃうわッ…あたしの銀のスプレー!
ガタイのいい俳優は履いて捨てるほどいますが、ディメンタスという悪辣で愚かで豪快な脳筋人格破綻者を演じるにはクリヘムのそこはかとなく漂う陽キャ感が必要だったように感じます。もしこれがステイサムだったら首尾一貫スマートに片づけそうな気がしません?少なくとも乳首を吹き飛ばすような真似はしないでしょう
あの腰につけているぬいぐるみは息子の形見と言っていましたがあれ本当なんですかね。本当のような、攫ってきたばかりのフュリオサに心を開かせるためについたその場しのぎの出まかせのような……うーん。
ディメンタスは随所に余り賢くない描写が挟まれており、「シタデル」と聞いて「何デル?」みたいなことを言う、乳首を吹き飛ばす、生き字引として常に「賢者」を伴っている、はぐれウォーボーイズの発煙筒を自分で被る、等。もし彼が賢かったならきっとフュリオサを傷つけることなくうまく彼女のいた土地を陥落できたのでしょうが、彼は暴力と殺戮と支配を選んでしまったので、結果的に実りの大地への道は閉ざされてしまったわけです。有能な№2でもいたらきっともっとうまく様々な土地を手中に収められたのでしょうが、彼の周りにいるのは支配によってイエスマンと成り果てた者ばかりでしたね……その点イモータンは一応人食い男爵達に(採用するかは置いておいて)発言権は与えていたりするので、やはり格が違うんですよねぇ。仲間をウォーボーイズに仕立て突撃するために撃ち殺したり、或いは死体を自らの身を守るための盾として使ったり、気に入らないものは首を吊らせたり……この点でも、喜んで自ら命を捨てるウォーボーイズの育成に成功しているイモータントの対比を感じます。小物感!
すいません眠くてまともな文章が書けなくなってきてしまったため、ここらでクローズといたします。ジャックについても書きたかったのですが……。海外版山田孝之!なルックスで「あんまりシュッとした感じの人じゃないな」などと思っていたら処刑シーンでブタ野郎呼ばわりされていてちょっと申し訳ない気持ちになりました(最悪)。しかし本当にあの処刑シーンは余りにも人の心がなかったですね。邦画だったら逃げ切りそうなところを……。
最近ちゃんとした長文を書けていない為、リハビリ目的で頑張りましたが全然ダメでした、さーせん!でも映画はめっちゃよかったです!!!
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あなたや私と同じ普通の少女の話
FAITH: The Unholy Trinity fanfiction
エイミーのお話です。
※バチカン非公認
1. 家(予兆)
誰も口にしないパーティーのチキンをゴミ箱へ捨てる。招待状を捨て、お誕生日の飾りを捨てる。地下からだかだかとミシンペダルを踏み込む音が聞こえる。毎日、毎日。父さんから中東だかアフリカだかの人形が送られてきてから、お母さんは毎日地下室にこもってマネキン相手になにかを作り続けている。父さんはどうかしている。不安を抱えてるお母さんにあんな気持ち��悪い人形を送りつけるなんて。家にもろくにいないのに。この家にいるのは私とお母さんの二人きり。そして会うことのなかった弟たちの二人。
階段を上がり、隣の部屋へと続く扉を見つめる。もうあの扉を開けたくない。真新しかったはずのおもちゃにうっすらと埃がかぶっているのを見るのがつらい。父さんもお母さんも誰もずっとなにもできないでいる。捨てることも、掃除することさえも。ほんとは片づけるべきなんだろう。家に来たお医者さんの先生もそう言っていた。だけど、あの部屋を片付けた瞬間に私の家は終わる。どうしてだろう。でも、あの部屋だけが私たちを何とかつなぎ留めている。気が狂いそうだ。
リビングの片づけが終わっても、ミシンのだかだかという音がまだ聞こえる。きっと明日も、明後日も。今度は何を作るのだろう。ミシンのあの音は大嫌いだけど、何か作っているあいだのお母さんの具合はまだよかった。一度、あのミシンの音をやめてほしくてお願いしたら、急にすごい大声でいつもの双子の話をまくしたて、森へと飛び出してしまった。慌てて森に探しに行こうとしたら、両手を血まみれにして帰ってきた。「狼がいるの。あなたも、あの子たちも、私が守らなくちゃ」と呟きながら。このあたりに狼なんていないよと言ったけれど、お母さんは手を洗って、そのままふらふらと地下室へ行ってしまった。
お母さんに私の声は届かない。ずっと双子に憑りつかれているから。
お母さんの調子が悪くなって、父さんは仕事で家を空けることが多くなった。それとも、逆だったろうか。外に続く森は暗く、幹線道路を走る車の音も聞こえない。この家にずっと私とお母さんと二人きりでいる。地下室のミシンの音がようやくやんだ。その代わりにすすり泣く声が聞こえる。
お母さんは可哀想な人なんだ。これ以上傷つけたくない。私がしっかりしなくちゃいけない。気が狂いそうだ。
2. 樹
お気に入りの松の木に寄りかかって座る。どの木も同じに見えるけれど、この木はとりわけ枝張りがよく、近くにいると落ち着けた。この場所ならおかしな声も音も聞かなくて済む。家のことを考えるのが怖かった。中にいると、歪んで、まっすぐに進めなくて、家自体が軋んで悲鳴をあげている気がする。お母さんには、学校に行けずに家に閉じこもっているからストレスがたまっているのだろうと言われた。私とお母さん、おかしいのはどちらなんだろう。この家と森にふたりでいると、すべてがどんどんおかしくなっていく。出口が見えない。
前にこの木のそばでひとりで泣いていたら、そのすすり泣く声がお母さんにそっくりで、それが怖くてもうずっと、泣けなくなっていた。
誰もいない木々のあいま、鹿が通り抜けていくのだけを眺めている。ずっと眺めていると、赤いものを身に着けた大人の人たちが歩いていくのが見えた。ふとその一人と目��合ってしまうと、あちらか声をかけてきた。
「そんな顔をしてどうしたの、お嬢さん。なにか辛いことでもあった?」
なんてことない言葉だったけれど、そこには随分とひさしぶりに感じた暖かさがあった。
3. 診療所
ハートフォードのクリニックでお手伝いをするのはとても楽しかった。チームのみんなが近くまで車で迎えに来てくれるし、街には森にはない色々なものがあった。それにクリニックでボランティアをすることは、すごく人のためになることのように思えた。そこにはいろいろな悩みや不安を抱えた女の人たちがやってくる。私は医者でも看護師でもないから大したことはできないけれど、ちょっとした事務仕事や患者さんの話し相手になることはできた。
「赤ちゃんを失ってしまったことは、あなたのせいじゃないんです」
「今はつらいけど、きっと受けいれられる日が来ます」
そうだ。本当にそうなんだ。
少しだけ肩の荷が下りたようにクリニックを出る人を見ると、私の心も少し軽くなる。だから、このクリニックのことを悪く言う人がい ても気にならなかった。
一度だけ、このクリニックを経営する団体のトップだというミラーさんという人と会ったことがある。スタッフみんなに親しげに声をかけながら、最後に私のところへと来た。赤いへんなローブから覗く瞳が、真正面からこちらを見つめる。
「いつもクリニックのため頑張ってくれてありがとう。これからも期待しているよ」
強面のわりに言葉は思いのほか優しく、握手した右手は骨ばっていた。そしてなにより見つめた瞳の奥の翳りは、どこかで見覚えがあるような気がした。ミラーさんと一緒にいた女の人が私を睨んでいたような気もしたけれど、私はあの翳りをどこで見たのか、そればかり思い出そうとしていた。
4. 家(変容)
頭がぼんやりする。眠れないとき、不安で息が苦しくてたまらないとき、クリニックでもらった薬を飲むようになった。あれを飲むと、すこし不安が消えて落ち着ける。時々、ぼうっとしてしまったり、たまに何かよくわからないものが見えることもあったけれど、形の見えない不安に苛まれ続けるよりはよかった。
父さんもお母さんも私がクリニックでボランティアすることを快く思っていなかった。変な噂があるとか、私の様子が最近おかしくなっているとか。確かにそうかもしれない。けれど、この家にいるよりずっと普通だし、ちゃんと誰かの役に立てている。チームのみんな、私の話を聞いてくれるし、親切にしてくれる。
夕方の食事の席で、久しぶりに帰ってきた父さんが諭す。
「お前のことを心配しているだけなんだよ。」
「そうよ。あそこには変な人が出入りしてるっていうじゃない。」
「うちよりずっと普通だよ。」
「どうしたの、エイミー?」
「うちよりずっと普通だって言ってるの!」
なぜか、これまでずっと言えなかった言葉が喉の奥で渦巻いている。目の奥が引き攣り、頭の中で聞いたことのないノイズが呻き鳴く。
「どうしたの、あなた……ねえ、本当におかしくなってしまったの?」
「おかしくないよ。私はずっとまとも。」
「���イミー、そういう話は食卓では……」
「エイミー、何がおかしいっていうの?」
「うちだよ。」
「えっ」
「うちがおかしいんだよ。」
耳鳴りがひどくなる。家が軋む音が聞こえる。戸棚がガタガタと震え始める。
「父さんもお母さんも、ずっとおかしいよ。」
「エイミー、」
「弟たちがいるふりなんかして。」
「エイミー、やめなさい……」
「とっくに双子なんていないってわかってるくせに。」
「エイミー!」
「あなた、おかしいわ……」
「おかしくない。」
口の端からごぼりと血がこぼれ出す。
「エイミー、やめなさい!」
「いもしない双子の幻影なんかにすがり続けてるほうがおかしいんだよ!」
「エイミー、お前がおかしい。謝りなさい!」
「私はおかしくなんてない!」
「あなた、悪魔が憑いてるのね!」
バン、とグラスがはじけた。
救えない。この家は、もう救えない。
ふらふらとダイニングを出る。手足がガクガクと震えてうまく歩けない。ふと振り返ると、鏡に映った自分が見えた。そして、気付いた。あのゲイリーという人の目にあった翳りをどこで見たのかを。
それは、自分の眼の中にあった。
5. 家(事件)
椅子に縛り付けられ、どこかからやってきた大人たちが私に向かって聖書を読み上げている。無性におかしくて笑い声をあげると、自分のものじゃないノイズが混じる。薬が切れたせいだろうか、やけに息苦しくて体が震える。なんで神父さまなんか呼んできたんだろう。ふたりとも、神様なんて信じていないくせに。いつもそうだ。ずっとそうだ。救ってもくれない幻影を、偽りの救いを信じ続けるなんてあまりにも哀れだ。そういえば、結局なんの役にも立たなかった、アフリカに派遣された神父さまの手紙は地下のどこに置いたっけ?口が勝手になにかを叫ぶ。体は震え、熱く苦しい。なのに心だけは、驚くほど静かだった。
一人きりになった年長の神父さまがなにかを唱え、十字架を掲げる。途端に体が燃えるように熱くなり、胸の奥に蠢く何者かごと圧し潰そうとしてくる力を感じる。今までのものとは比べ物にならないほど苦しい。胸の奥の「それ」が苦しみ外に出ようと滅茶苦茶に暴れ出す。口から聞いたこともない悪態の言葉が飛び出す。苦しい。死んでしまいそうだ。でもまだ死にたくない。神父さまのほうを見上げると、その表情は力強くまったく揺るがない。だめだ。私では勝てない。このままでは圧し潰される。まわりを見渡すと、奥にマネキンたちが見えた。視線を強く向ける。自分とマネキンの間に繋がりを感じ、触ってはいないけど手ごたえがある。そのまま引っ張るように顔を引き上げると、がしゃんとマネキンが倒れた。警戒しながら神父さまが振り返る。めくれた布の間から、異様に精巧で生気のない、まったく同じ表情をした二つの少年の顔が覗く。神父さまの眼に一瞬、戸惑いと疑念が浮かんだ。それで十分だった。
胸の奥の「それ」が無限の力を貸してくれる。私には何をすべきか分かっていた。
手に力を入��るだけで、それはあっけなく終わった。
ブレーカーの方に視線を向ければ、バチン、と音を立てて家の中が暗くなる。明かりはなく真っ暗だけど、私には家のすべてが見えている。足を踏み出さなくても、どこへでも移動できる。この家は、いまや私の手中にある。なぜなら私が、私だけが、この家の真実を知っているからだ。
暗闇の中、私の手がずぶずぶと人の体に沈んでいく。粘土細工をこねるようにかき混ぜる。内臓が引き千切れる音がしようとも、断末魔の叫びが響こうとも、私の心はずっと静かなままだった。
6. 家(対面)
家中の電気がすべて落ちても、月明かりが差し込むこの屋根裏だけはほんのりと明るい。差し向かいに立つ若い方の神父さまの顔は、けれど屋根の影になっていて私には見えない。
「戻ろう、エイミー。君は良くならないと。」
良くなるってなんだろう?これ以上、いったい何が良くなるというのだろう?若い神父さまの言葉は弱くて偽りだらけで頼りない。誰かを救うにはまったく足りない。視線は揺らぎ、握った十字架は小刻みに震えている。それでも一歩こちらに近づいた神父さまの顔を月明かりが照らす。その眼の中には、見覚えのある翳りがある。見つけた。
「あなたはメレディスを救えなかった。違う?あの人はいま、私と同じところにいるんだよ。」
「やめてくれ。」
神父さまの体がぶるぶると震えはじめる。やっぱりだ。これでいい。この人の言葉は、心はあまりに脆い。大きいのは図体だけ。掲げられた十字架も怖くはない。十字架を見た胸の奥の「それ」が騒ぎ出す。自分の体が勝手に動き、よじれ、眩暈がするなかで、神父さまの眼の奥すべてが恐怖に呑み込まれるのが見えた。これで終わりだ。
手を伸ばすと、急にまばゆい光が目の前ではじけた。
頭を強く打ったのだろうか、気が付いたら床に仰向けで横たわっていた。右手と左足がありえない方向にねじ曲がっている。傷はついていないのに、血が鼻と口からだらだらと流れ出す。あの神父さまは、入口の奥に積み重なったマネキンの向こうにいるのか、もう見えない。激痛の中をぼんやりと漂っていると、急にわかった。
『私はおかしい。』
すべてから裏切られた気がした。すべてを失ったのだと知った。
この家で、屋根裏の窓から見える月だけが好きだった。月はいま、目から流れる血で赤く染まっていた。
7. 病院
ずっと頭がぼんやりとしている。麻酔、鎮痛剤、抑制剤、見舞いに来たクリニックのメンバーが差し入れる薬。あの日から、私の体はよくわからない薬漬けとなっている。時の流れももうよくわからない。混濁と覚醒を繰り返しながら、時折体の、心の激痛に叫ぶ。そしてほんの束の間、はっきりと物事がわかる時がある。
親戚は一度だけ面会に来て、二度と姿を見せなかった。当たり前だけど見放されたのだろう。病院の先生たちも、重罪を犯し、よくなる見込みもなく、うわ言しか言えなくなった私を哀れな厄介者としか見ていなかった。頻繁に見舞いに来るクリニックのメンバーたち、彼らのことはもう信用できなかった。けれど、すべてから見放された私を気にかけているのは彼らだけだった。先生たちも、親切で情け深い友人たちとして、あの人たちを何の躊躇もなく病室に入れた。そして彼らはいつもなにかを唱え、大量の薬を渡して帰っていった。
私の体はじょじょに腐っていくようだ。悪臭でも放つかのように。まともな人は誰も私に近づかない。私はまともじゃない。私はおかしい。ずっと。ずっと前から。そういえばあの人はどうなったろう?だれも救えないあの神父さまは。わからない。わからない?なぜあの人は助けられた?どうして私はこんなことになった?始まりはどこ?始まらない道はあった?私はとっくに終わってる。終わってるのに終わらない。私の終わりはどこにあるのだろう。
8. 儀式
目覚めると、いつもは外から施錠されている病室の扉が開いていた。変な気がした。なんでもいいから、この場所から出たかった。ずっとまともに動かせなかった体はふらつき、足はおぼつかない。あせらずに歩く。一歩ずつ進んでいく。
あの場所に戻らなければいけない。家に帰らなければいけない。あの場所だけが、私の終わりで、私の始まりだ。あの場所できっと、私に手を下してくれる人が待っている。手を差し出してくれる人はいなくても。
わき目もふらず、まっすぐ歩いていく。と、急に手を引かれる。その手は赤く染まっていた。
体が動かない。おぼえのある気怠さが体全体を覆っている。顔になにか被せられている。内側になにか塗られているのかドロドロして気持ち悪い。皮膚が溶けていくように熱い気もするけど、感覚がなくなってよくわからない。もう喋れない。もう動けない。私はどこまでも降りていく。ここが本当の終わりだろうか。ちがう。いやだ。ここじゃない。顔からなにか引き剥がされ、息をのむ音が聞こえる。赤い人影は見分けがつかない。ろうそくの灯のなか、まばゆく光るナイフが見える。目が痛くてほかに何も見えない。あの煌めきの先に私の終わりは、私の救いはあるのだろうか。
あとがき
あるいは、失われた断片について。
エイミーに何回もMortisさせられ、この娘はなんでこんなに強いん?と思ったので書きました。書いてみて、これじゃ100回Mortisさせられても文句言えないなあと納得したので、満足です。
つよつよ悪魔になったら楽しく悪魔ライフをエンジョイしていてほしい。
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SVR-1 Voyer Marine
( Terjemahan ke dalam bahasa Melayu disenaraikan di bahagian atas ) 昨日投稿した「超時空騎団40周年記念」の 戦略高速(可変)偵察機 「SVR-1 ヴォイヤー」の作画に対して、「フィル・ヒュー」氏より以下のような指摘がありました。 (フィル・ヒュー氏): 貴女の描く操縦士は小さすぎる。操縦席(コックピット)の中で彼女はほとんど泳いでいるみたいだ。少なくとも、せめて2倍は大きくしたいね。 (湯浅優衣さん): 操縦士の拡大率は120%が限界です。それ以上大きくすると、前方の足回りが(首脚や首輪を含む前方の降着装置、通称:前方「ランディング・ギア」)収納できなくなります。 マクロスのVF-1と較べて、航空機の操縦席(コクピット)に対する操縦士(パイロット)の比率はどのようにあるべきでしょうか? この機体は垂直離着陸【VTOL】のための「腕なしのガウォーク」の形態までしか変形しないので、操縦席の回転のための余分な容積は必要ありません。 (操縦士120%拡大)SVR-1ヴォイヤー (pixiv) https://www.pixiv.net/artworks/115482416 (deviantart) https://www.deviantart.com/yui1107/art/120-Enlarged-Pilot-SVR-1-M1-Voyeur-1014314745 未整備の路面で運用するために改造された4機の量産機で、主脚の車輪は1つから2つになり、いずれも低圧で、制動パラシュートが装備された その後、正規空母で運用するための派生型が開発される前に、カタパルト発進のための特殊装備(射出接続棒、和製英語通称「ランチ・バー」)を追加して降着装置の首脚を艦上偵察機として運用可能なように改修した。
【繁體字】與 Macross VF-1 相比,飛行員與飛機駕駛艙(座艙)的比例應該是多少? 飛機只是在 VTOL 時變形為 "無臂目瞪" 半人型(高翼地效應步行機),因此飛行員座椅旋轉時不需要額外的空間。
因為 2024 年是「超時空騎團南十字星」號誕生 40 周年,所以我還在繪制作為艦載偵察機的堅固起落架,但我對之前繪制的無維護跑道的加強型頸部支腿和加強型低壓輪胎主支腿進行了修改,假設它們將在格洛裡星上的邊境母星自由星上的普通航空母艦上運行,用於航母運行測試 這是我畫的圖。
(deviantart) https://www.deviantart.com/yui1107/art/120-Enlarged-Pilot-SVR-1-M1-Voyeur-1014314745 (pixiv) https://www.pixiv.net/artworks/115482416
戰略艦載偵察機 SVR-1 (M1) "海洋的偷窺者 "Voyeur Marine" (M1)。 四架生產型飛機經過改裝,可在無人維護的地面上運行,主要支腿輪由兩個改為一個,全部為低壓,並安裝了制動傘。 後來,在開發用於在普通航空母艦上作戰的衍生型之前,增加了用於彈射器發射的特殊設備(彈射連桿,稱為 "發射桿"),並對起落架的頸部進行了改裝,使其能夠作為艦載偵察機使用。
繁體字・「ㄅ」 (薛菲爾[Phil Hsueh]先生):你們的飛行員太小了。 她幾乎在駕駛艙裡游泳。 我會讓她至少變大兩倍。 (女士「湯浅優衣」[ Yui Yuasa] ) : 飛行員的最大放大率為 120%。 如果超過這個數量,前起落架將無法收起。 (飛行員的最大膨脹率為 120%。 再大,前起落架就無法收起。) 繁體字・「ㄆ」 (薛菲爾(Phil Hsueh) 先生) : 你的飛行員太小了。她幾乎是在駕駛艙裡游泳。我想讓她至少大兩倍。 (女士「湯浅優衣」[ Yui Yuasa] ) : 飛行員的最大放大率是 120%。如果超過120%,前起落架將無法收起。
(English) : Four production aircraft modified to operate on unprepared surfaces, with two wheels on the main landing gear instead of one, both at low pressure, and a braking parachute Later, before the development of a derivative to operate on regular aircraft carriers, the nose gear of the landing gear was modified by adding special equipment for catapult launching. (Mr. Phil Hsueh) : Your pilot is too small. She's practically swimming in the cockpit. I'd make her at least 2 times larger. (Ms.Yui Yuasa) : The maximum enlargement of the pilot is 120%. Any more than that and the forward undercarriage will not be able to be stowed. (Español) :Cuatro aviones de producción modificados para operar en superficies no preparadas, con dos ruedas en el tren de aterrizaje principal en lugar de una, ambas a baja presión, y un paracaídas de frenado. Más tarde, antes del desarrollo de un derivado para operar en portaaviones regulares, se modificó el tren de morro del tren de aterrizaje añadiéndole un equipo especial para el lanzamiento con catapulta. (Sr. Phil Hsueh) : Su piloto es demasiado pequeño. Prácticamente está nadando en la cabina. Yo la haría al menos dos veces más grande. (Sra. Yui Yuasa) : La ampliación máxima del piloto es del 120%. Si es mayor, el tren de aterrizaje delantero no se puede plegar. (Bahasa Melayu) Berbanding dengan VF-1 Macross, apakah nisbah juruterbang kepada kokpit pesawat? Memandangkan pesawat ini hanya boleh diubah suai kepada ``gerwalk tanpa senjata'' untuk VTOL, tidak ada keperluan untuk volum tambahan untuk putaran kokpit. (Encik Phil Hsueh): Juruterbang yang anda lukis terlalu kecil. Dia hampir kelihatan berenang di dalam kokpit. Saya ingin membuatnya sekurang-kurangnya dua kali lebih besar. (Yui Yuasa): Kadar pembesaran maksimum untuk juruterbang ialah 120%. Jika ia dibuat lebih besar daripada itu, suspensi hadapan tidak akan dapat ditampung.
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ところで、そもそも空中庭園とはどういったものなのでしょう。岩成達也は、次のように記してます(「空中庭園のためのスケッチ、若干」=『ユリイカ』28-5、1996.4、p88-89)。
バビロンを再建したネブカドネザル二世が王妃のために建造した巨大な角錐状の人口庭園。宮殿の東北部に位置し大河に接していた。一説では43m×30mの規模、煉瓦造りのほぼ四角形のテラスが何層にも階段状に積み上げられ、それぞれの広いテラスには大小様々の樹木、草花、蔓草の類いが規則正しく植えこまれていた。各テラスとも膨大な土量を擁していたため、一番外側の擁壁は実に7.5mの厚さに達したという計算もある。
その頂上からは滝が各テラスを貫いてたえず流れ落ち、各階層のテラスにはこれまた煉瓦造りの階段とアーチと排水溝とが整然とはりめぐらされている。そして、それらのアーチや樹や花を縫って小鳥や蝶が群れながら飛びかい、荒涼たる土地のなかでそこだけが幻のオアシスのような観を呈していたという。ただし、この空中庭園は比較的短い期間で消滅し、その跡地は墓地に転用されたという見方がいまでは有力であるようだ。
ところで、数多くの絵や記述のスケッチを遺した人達は、実は、誰一人として実在する空中庭園をみていないはずである。にもかかわらず、繰り返し空中庭園のスケッチが試みられ、しかもそれらのスケッチには少なからぬ共通した部分がある。(その一斑がさきほどの簡単な記述である。)何故、このようなことが生じたのか。
多分、空中庭園という言葉そのものが、コンフリクトな(矛盾撞着的な、違和相克的な)言葉であり観念だからである。則ち——
空中——垂直、上昇・下降
庭園——水平、平行移動
両者の強引な接合の結果、本来水平��横たわるべき庭園は、次第に上方向へ、空中へと引きずり上げられるだろう。こうして、平坦な荒地の中に、突起する構造物が発生する。
しかも、コンフリクトな言葉の衝迫というものは、私達の裡で持続し、しかも、私達の個体を越えて、おそらくは、なお持続するものであるらしい。
詩をよむ日日:ゲオルゲ「架空庭園の書」③
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小町数人説をめぐって
陽��文庫に中世の小町の絵がある。絹本着色、縦六一・六センチ、横四一・七センチの絵を表装してあるのだが、軸心近くの裏面に「小野小町像 貞治六秊六月廿五日」と、まさしくその頃この筆跡にて記されたものが付加されている。表装そのものもそんなに新しいものでないが、表装するにあたって、この絵に本来ついていた紙をここに付加したものであろうことは、その字がまさしく貞治頃〈一三六二〜一三六七〉この事跡であることが疑いもないからであろう。
ところで、この絵は「小野小町像」となっているが、まさしく「玉造小町子壮衰書」によっている。「容貌ハ憔悴シテ、身体ハ疲痩」、「頭ハ霜フリタル蓬ノ如ク、膚ハ凍リタル梨ニモ似タリ」、「骨ハ辣チテ筋ハ抗クナリ、面ハ黒クシテ歯ハ黄バミタリ」、「裸形ニシテ衣ナク、徒跣ニㇱテ履ナシ」、「左臂ニハ破レタル筐ヲ懸ケ、右手ニハ壊レタル笠ヲ提ツ」、「頸ニハーツノ��ヲ係ケ、背ニハーツノ袋ヲ負ヘリ」、「肩ノ破レタル衣ハ胸ニ懸カリ、頸ノ壌レタル蓑ハ腰に纏ヘリ」とある「壮衰書」の序文をのものである。ここでもまた小野小町と玉造小町を同人物とする中世の理解が確認されるのである。
先にあげた「無名抄」の文〔五〇頁参照〕の続きに「玉造の小町と小野小町と同人かあらぬ者から、人々おぼつかなきことに申して争ひはべりし時...」とあって別人説もあったことは確かだが、その多くは前述の「玉造小町子壮衰書」の弘法大師著作説を土台にしての疑問であり、中世の大勢は、あくまで両者を同じものと見、「玉造小町子壮衰書」を小野小町の事蹟を語るものと見ていたことは疑いもないのである。
近世に入っても、この傾向は変わらなかった。貞徳の「徒然草慰草」などその顕著な例だが、中期以後の随筆の類を見ても、たとえば天野信景の「塩尻」〈『随筆大成』等〉、志賀忍〈天保十一年、七九歳没〉の「理斉随筆」などは、小野小町と玉造小町を同一人と考えている。
ところが、小町という名は、実は普通名詞であって、〇〇小町と呼ばれる女性はまことに数多くいたのだ、玉造小町と小野小町もとうぜん別人だという、いわば画期的な説が新井白雅の「牛馬問」「〈温知義書〉」に提示され、人々を驚かせたのである。
古代には一国より一人づつ采󠄃女を内裏へ献ぜしこと也。既に仁明帝の前後には、小町とて召されたるもの六十余人ありしとなり。この采󠄃女を后町のうちに��らしめたまふ。故にみなみな小町と呼ばれたるなり。その人々の宮仕へをやめて古郷に帰り身まかりたる墓を、おほか「た小町塚とよびしとなん。さてこそ、国々に小町塚といふもの多し。美濃・尾張の間にさへ二三所あり。
しかるを、なべての小町を一人と思ふよりまぎれたる説多し。たとへば実方朝臣、陸奥へ下向の時、髑髏の目穴より薄の生ひ出て、「秋風の吹くにつけてもあなめ〱」の歌の小町は小野正澄が娘の小野小町なり。文屋康秀が三河掾となりて下りし時、「身をうき草の根をたえて」さそふ水あらば」とよみしは高雄国分が娘の小町なり。「おもひつつぬればや人の見えつらむ」の歌、又業平の「舞の袖」などいひしは出羽郡司小町良実が娘なり。高野大師のあひたまふ、壮なる時憍慢最も甚だし、衰ふる日愁歎猶深しと答へしは常陸の国玉造義景が娘の小町なり。かく一人ならず。故に時代其外異なる事あるのみ。中にも良実が娘の小町は美人にて和歌にもすぐれたれば、独り名高く、すべて一人のやうに伝へ来たるのみ。
まず、小町を采󠄃女をし、采󠄃女のすべてに「町」をつけてよんだといっているが、平安時代の文献にあらわれる采󠄃女は、たとえば「近江の采󠄃女」〈拾遺集〉「明日香の采󠄃女」〈大和物語〉などのごとく、国名を冠して呼ぶのが普通である上に、文献にあらわれる「町」のつく女性は前述のように后町にいる更衣であって采󠄃女ではない。小町采󠄃女説自体が出羽都司良実の娘という伝承をもとにして出来たものであり、出羽国から采󠄃女をさしだすことはなかった〈「続日本紀」「類聚三代格」〉という事実を持ち出すまでもなく、この日雅の説には従えないのである。地方に数多い小町塚の合理的説明としても弱いものである。
ところで、この白雅の説、後半になると、その多数の小町が四人にしぼられて来る。架空の人物である小野正澄とか高雄国分とか玉造義景などの名をどこから持ち出して来たのか不明だが、既に伝説化説話化している小町像のすべてを事実と認定する立場からの合理的整理であって、まったく意味をなさぬものとしか言いようはないのである。
伝承る整理しながら、また新しい伝承を生んでいる感じの「牛馬問」の説であるが、その合理的整理法に人気があったのか。それに賛同して引用している随筆が実ははなはだ多いのである。神沢貞幹の「翁草」〈『随筆大成』第三期所収〉、城戸千楯の「紙魚室雑記」〈『随筆大成』第一期所収〉、石川宣続の「卯花園漫録」〈『新燕石十種』第三所収〉、山本信有の「孝経楼漫筆」〈『随筆大成』第三期所収」、滝沢馬琴・���代弘賢らの「兎園小説」〈『百家説林』所収〉など、いずれもこれに全面的な賛同を示しているのである。
小町に限らず、伝説的人物は、その伝説化の過程において、事蹟が膨脹し、それを全体的に把握するとなると、そこに新しい矛盾が出てくることが多い。これを予盾なく合理的に統一しようとすると、いわば原生動物の体のように多方面に膨脹したものを分割するほかはなくなる。
たとえば柿本人麿の場合にしても、「万葉集」の記述を信するかぎり人麿は持統朝から文武朝にかけて活躍した歌人であるとするほかはない。だが一方、「万葉集」が引用する「柿本人麿歌集」にはそれよりもかなり後の歌もある。「人麿歌集」に後代の歌が入っているというのは今日の学者の常識だが、人間歌集なのだからすべてが人麿の歌だという立場に立てば、「万葉集」の人麿にして、既に最低二人いたことになる。次に「古今集」の仮名序を見ると、、「おほきみつの位(正三位)柿本人麿」を「ならの御時」の歌人としている。現在では、これを「奈良時代」と解し、しかも人麿が活躍した飛鳥時代は奈良時代に接していたからこのように書いたと説明している。だが、そこに都があった「時代」と解するのはどうか。平安時代において「御時」とは天皇の治世、すなわと御宇のことであり、「ならの御時」は平城の帝の御時の意にほかならないからである。事実、この仮名序に対応する真名序(漢文の序)には「平城天子」とはっきり書かれている。「古今集」より五十年ほど後に出来た「大和物語」にも人麿が平城天皇に仕えていたとある。平城天皇は平安時代第二の天皇だから「万葉集」の人麿とは違う。これ第三の人麿ということになる。ところ、で、「古今集」から百年ほど後の第三の勅撰歌集「拾遺集」を見ると、人麿が渡唐してよんだという歌が二首見える。これ、第四の人麿である。
人麿を一人ではなく四人とすると、その間の矛盾はなくなる。しかし矛盾がなくなったところでどうなるというのだ。私が問題にしたいのはそんなことではない。実在の人麿が、その死後、奈良時代・平安時代にどのように伝説化されていったか、別のことはで言えば、後の人々の心の中に人麿がどのように生き続けて来たか、私はそれを問題にしたいのである。
小町の場合も同じである。江戸時代の学者のように小町を四人にしたり、現代の民俗学系の国文学者のように、小町と称する女が無数にいたとか、小町を名のる遊行婦女・あるき巫女・歌比丘尼のたぐいが諸国をめぐり歩いていたと言い切ることによって事足れりとし、文献に残った小町の文学と伝承について深く考えようともしないのは学問の堕落、ある意味では頽廃という評語が適切でさえある。仮に彼らの言うようなことがあったとしても、せいぜい中世の後期のことであり、「小野小町の歴史」ほ既に平安時代中期以前から始まり、中世、近世と続いていたのである。小町が、その死後も、後代の人々の心の中にどのように生き続け、どのように変容していったか、あるいはまた、時を経て変容しながらその底に変えずに生き続けてゆく、いわゆる小町的なもの、それはいったい何かということの追跡にこそ、私は意味を認めたいのである。世に虚と言い実と言う。しかし、このように見れば、人々の心の中に生き続けていたものはすべてが実だと言うほかはないのである。
以下の章において次第に明らかにしてゆくことであるが、小野小町の説明化は、彼女の死後間もない頃から既に始まっていたのである。そして十世紀の末頃には、我々が知っている小町説話、たとえば(1)雨乞説話(2)好色説話(3)男性を拒否する驕慢説話(4)衰老説話 等、そのおおむねが既に出来るがっていたはずである。だから、そのような流れの中に「玉造小町子壮衰書」を置くならば、「小町老いて後、おとろへさらぼりたりなど云ふめるは、玉造小町の事なるを混じていへるなり」〈本居内遠「小野小町の考」〉というような見方が必ずしもあたらぬことを知るのである。小町衰老落魄の説話が「壮衰書」の影響で出来上がったというよりも、既に世に行なわれていた小町落魄説話の仏教的結実として壮衰書を考えるべきではないか。「玉造」の由来を明らかに出来ぬことは残念であるが、ともかくも「小町」と表題にあるだけで人々が説明を求めないような人物の伝でなければならないこと、しかもそれが「花ノ時ヲ待チテハ玉筆ヲ秉リテ紅桜紫藤ノ和歌ヲ詠ズル」美女の伝でなければならないことなどを併せ考えれば、平安末期から中世にかけての人々の大勢的理解がそうであったように、これをも小野小町のこととするのが、最も素直な、そんなして最も妥当な理解だと思うのだが、いかがであろうか。
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yusuke narita & michiko kitamura & chikachi suzuki
下着だけで十分? 成田悠輔 × 北村道子 × 鈴木親が考える「100年後の服」
photography: chikashi suzuki text: sogo hiraiwa
portraits/ ファッションは芸術か、あるいはビジネスか。答えはもちろん、そのどちらでもある。では、相反するかに見えるその両側面はいかにして重なり合っているのか。この日初顔合わせとなった経済学者の成田悠輔、スタイリストの北村道子、フォトグラファーの鈴木親による��談会は、そんな「ファッションの複雑なおもしろさ」についての話題から幕をあけた。ここに紹介するのは、2時間以上にわたる白熱したおしゃべりのほんの一部である。3人寄ればナントヤラ。
portraits
jun 24, 2023 6:00 pm
鈴木親(以下、鈴木):ファッションには経済的な側面もあれば、ロジックからは遠い美学的な側面もあると思いますが、成田さんはファッションというものをどう考えていますか?
成田悠輔(以下、成田):ファッションは外見であると同時に内面。ビジネスであり、文化・芸術でもあり、自己表現でもある。いくつもの異質な要素が織り重なっていて、定義が難しいですよね。というか、その定義できなさや不純さこそがファッションの面白いところなんじゃないでしょうか。お高くとまった芸術のような雰囲気を醸し出しながらも、それを徹底できない構造がはじめから埋め込まれている。かといってビジネスとしてスケールさせられるかというと、そもそも単価が十万円単位で人口の数%くらいしかターゲットにしていないとなると難しいですよね。さらに、100年以上前に生まれた老舗ブランドが今でも業界のトップに君臨し続けているのとかもずっと不思議に思っていました。規制があるわけでもないのに、Alexander McQueen (アレキサンダー・マックイーン)や Martin Margiela (マルタン・マルジェラ)のような突出した才能でも下剋上できないのはなぜなのか。
鈴木:北村さんは普段ファッションを美学的に見られていると思いますが、ビジネスを意識したことはありますか?
北村道子(以下、北村):ない��い。75年間生きてきて、いつも意識しているのは自分自身ですよ。自分自身を知ることによって世界を見ることができる。そういう考え方。だからファッションも私にとっては全然どうでもいいことなんだよね。 基本的にファッションは概念じゃないですか。でも、自分自身は概念じゃなくて確固たるものだから。
成田:ほとんどの人にとってファッションが概念というのは、そのとおりですね。特にハイブランドの場合は、どこまでいっても人類の数パーセントにしか関係ないものなわけで。CHANEL (シャネル)にしても Hermès (エルメス)にしても、誰でも名前は知っているけど、その服を一生に一度でも着る人は人口のごくわずか。ハイファッションは「存在しているようで存在していない産業」だと思うんです。
鈴木:実際、ハイブランドがいちばん大事にしているのはオートクチュールの顧客層ですからね。CHANEL とか Dior (ディオール) の本社にはオートクチュール用の部屋があって、上顧客はそこで服を買っているし、ファッションショーにしても、本当に大事なゲストはまずオートクチュールに招待するんです。見栄えだけでいうと、プレタポルテのショーのほうが派手ですよね。報道もされるし。でも、本当に大事にしたい上顧客はオートクチュールのショーに呼ぶんです。Martin Margiela (マルタン・マルジェラ) がうまくいったのも、オートクチュールをつくっていたこととは無関係ではなくて。彼はアンチファッション的なことも部分的に試みつつも、ファッションに対するリスペクトがあり、守るべき慣習はしっかりと守っていました。
成田:なるほど。
鈴木: Hermès も CHANEL も、ぼくらがコンビニに寄るみたいに来る人っていますからね。忘れられないんですけど、90年代の終わりパリに住んでいたときに、母親に買い物を頼まれて Hermès のお店に行ったら、おっちゃんが海パンを持って入ってきて「直してくれ」って��文するんですよ(笑)。萬屋みたいな感覚ですよね。普通の服を買う感じでそういうメゾンの服を買う層の存在は報道にも載らないですし、ファッションの分かりにくい側面だと思います。
北村:私たちが普段見ているファッションブランドのイメージはマーケティングに過ぎないんですよ。アラブの富豪とか本当の金持ちは、わかりやすいブランド(ロゴ)が要らないから。いちばん上にあるのは金(ゴールド)の世界ですよ。彼らは Louis Vuitton (ルイ・ヴィトン) 社に頼んで「俺用の飛行機つくってくんない?」って、そういう感じだと思うよ。 モナコあたりに行くと、どのヨットにも Vuitton のマークが付いている。だから100万、200万というレベルじゃないわけですよ。若いころにそういう光景を目の当たりにして、これは日本にはない世界だなと思った。白いポロシャツに白いパンツを履いてやっているだけなんだけど、本当に綺麗なんです。
成田:それがさっきの疑問への答えかもしれないですね。ブランドは広い消費者に向けてビジネスをしているように見えて、本当のお客は見えない資産家層。だから、新しいブランドやデザイナーが出てきて民衆の心を掴んでも、ファッション業界のヒエラルキーをひっくり返すことは難しい、と。
鈴木:大衆がブランドを欲しいと思えば思うほど、そのブランドのステータスが上がり、富裕層の満足度も高くなりますからね。
成田:民衆の熱狂は、資産の気分を変えるためのワサビかガリくらいの存在でしかないのかもしれないですね。
100年後の服は裸か、サランラップか
成田:もう一個お伺いしたいのは、100年後の人間はどんな服を着ているのかということです。ファッションは近代以降どんどんミニマム��、軽くなっていっていますよね。このままその方向に突き進むのかが気になっていて。サランラップ巻きつけるみたいに無駄を極限まで削ぎ落とした服を着るようになるのか。裸までいくのか。
北村:私が面白いなと思って見ているのはリアルクローズ。THE NORTH FACE (ザ・ノース・フェイス)とか Nike(ナイキ) みたいなスポーツブランドがハイブランドを超えていくと思う。いや、もう超えているかもしれない。
成田:大勢の心を動かしているという基準でいえば、ハイブランドよりも Nike とかスポーツブランドのほうが全然上ですもんね。
北村:そう。要は「プレーをする」ということですよ。今のパリコレを見ていても、全然プレーがない。止まってる「点」の世界。動くっていうのはアクションだから、パワーなんだよね。邪魔なものはいらない。デカルトじゃないけども、否定から入ってく。無駄をどんどん削ぎ落としていく。スポーツは基本的にそういうもの。だから、あんなに重かった Nike の靴が今ではすごく軽いじゃないですか。スポーツブランドはものすごく進歩しているんです。ハイブランドは今むしろコラボしているでしょう、スポーツブランドと。でもおもしろいとは思わない。私がデザイナーだったらまだ行ったことのない国に行って、そこで暮らす12歳の子どもとコラボしますね。
成田・鈴木:(笑)。
北村:メットガラにも全然興味がない。ああいうのは飽きちゃうんだよね。ところが、肉体に近いものはずっと本質的で、人間を魅了し続ける。私はそう思うのね。
成田:スポーツブランドがますます技術革新を進めていくとして、その先にある究極の服ってなんだと思いますか?
北村:私は下着だと思います。
成田:全く同じことを考えていたので答え合わせできました(笑)。アスリートにとっても下着でプレイするのがいちばん機能的ですよね。彼らがユニフォームを着ているのは観客や審判や他の選手に見せるためであって。だからそのうち、見せるため��ファッションはスマート化したメガネやコンタクトレンズで見る側が表示するなり補正するなりすればよくなる。そうしたら物理的に着るものは下着だけ、ということになりますよね。
北村:私は SF ファンなんですけど、映画『ブレードランナー』に出てくるレプリカントの服が最高のファッションだと思っているんです。
成田:ロバートの秋山さんが「YOKO FUCHIGAMI」っていう架空のファッションデザイナーをパロディで演じているんですけど、彼女の決まり文句は「一番のおしゃれは裸」っていう——。
北村:うん、それわかります。Margiela はコレクションのときにモデルに必ず肌色の下着を着せていて、それが素晴らしかったんですよ。私はそこに痺れた。だから当時、親くんと Margiela の服を撮影するときはよく「下着だけでいいんじゃない」って言ってたよね?
鈴木:言ってました(笑)。
北村: Margiela はトップスからブーツまでナチュラルカラーを使うことが多くて、それが最高にセクシーだった。それが人間の未来の姿なんだと私は思います。ところで、成田さん声がいいね。なんていうか、質感がある。大学教授にしておくのはもったいないよ。声を生かして、政治をやってみるのもいいんじゃない?
yusuke narita & michiko kitamura & chikachi suzuki
photography: chikashi suzuki text: sogo hiraiwa
プロフィール 成田悠輔 (なりた・ゆうすけ)
経済学者、データ科学者、起業家。専門は、データ・アルゴリズム・数学・ポエムを使ったビジネスと公共政策の想像とデザイン。ウェブビジネスから教育・医療政策まで幅広い社会課題解決に取り組み、多分野の学術誌・学会に査読付学術論文を出版、ZOZO など多くの企業や自治体と共同研究・事業を行う。報道・討論・お笑い・アートなど様々なテレビや YouTube 番組の企画や出演にも携わる。イェール大学助教授、半熟仮想(株)代表。著書に『22世紀の民主主義:選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』、絵本の翻訳に『挫折しそうなときは、左折しよう』、ハイファッションに関するエッセイに HIGHSNOBIETY JAPAN ISSUE09+ YUSUKE NARITA など。
北村道子(きたむら・みちこ)
1949年、石川県生まれ。サハラ砂漠やアメリカ大陸、フランスなどを放浪ののち、30歳頃から、映画、 広告、雑誌等さまざまな媒体で衣裳を務める。映画衣裳のデビューは85年、『それから』(森田芳光監督)。07年に『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(三池崇史監督)で第62回毎日映画コンクール技術賞を受賞した。著書に『Tribe』(朝日出版社)、『COCUE』(コキュ)、『衣裳術 2』『衣裳術《新装版》』『衣裳術3』(リトルモア)がある。
鈴木親 (すずき・ちかし)
1972年生まれ。96年渡仏し、雑誌『Purple』で写真家としてのキャリアをスタート。『Purple』(仏)、『i-D』(英)、『Dazed & Confused』(英)、『CODE』(オランダ)、『Hobo』(カナダ)、『IANN』(韓)、『honeyee.com』(日)、『GQ』(日)、『commons&sense』(日)、『Libertine / DUNE』など国内外の雑誌で活動。Issey Miyake、United Bamboo、Toga などのワールドキャンペーンを手掛ける。主な作品集に『shapes of blooming』(treesaresospecial刊/2005年)、『Driving with Rinko Kikuchi』(THE international刊/08年)、『CITE』(G/P gallery刊、09年)など。
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今日久しぶりに「ツキムラ」を目撃。即座に写真を撮った。実に3ヶ月ぶりのことだった。それまでは毎朝、会社に向かう途中の道端で必ず「ツキムラ」を目にしてはスマホカメラにおさめた。「ツキムラ」とはオーダースーツ店のことで、私がカメラにおさめているのは、後輪のカゴに「ツキムラ」の表記がある自転車。つまりオーダースーツを企業に宅配しているチャリンコをひたすらに撮りまくっている。大抵、出社途中のブルーな時間帯にソレは現れる。この風景を見ずして1日は始まらないと言わんばかりにアレを目にしては激写してきた。カメラロールに「ツキムラ」が溜まってきたので専用のフォルダを作った。なぜなのか。ジ、アンサー、イズ、ツキムラサンガスキダカラー(♡)!! 「ツキムラ」とは何なのか。吉本興業社員の月村さんのことだ。90年代、絶頂期にいるダウンタウンのマネージャーを務め、20年後には課長にまでのしあがり、今では社長も目前の大ベテランだ。休日は専務たちとゴルフへ行き、外車に乗りバリバリ仕事を続けている。オーバーに老人となったダウンタウンに往年の掛け合い、ベタなボケツッコミ、ドヤ顔を見せつけられては困惑した表情を見せていたが、歳を重ねるごとに見事なあしらいぶりを発揮する。
ダウンタウンはというと…90年代のメディア業界をあんなに盛り立てていたのに、今やスター性も「カリスマ」の鋼も剥がれ落ち、全盛期当時のキレはない。もはや老人と化しており、ただひたすら仕事を要求し金品をせびる。
これはもちろん架空の世界の話。『ダウンタウンのごっつええ感じ』内でのコント「2014」によるもの。90年代当時テレビを席巻していたダウンタウンによる痛烈&痛快な自虐ネタであるが、これを見るといかにダウンタウンの力が絶大だったかがわかる。人気絶頂であると認めた上で20年後は落ちぶれてる設定…なんて自信過剰!なんてカッコイイんだ!そして何でかこの月村というキャラクターに哀愁を覚え、愛着が湧き、気づけば好きになっている。かつて二人のマネージャーとして共に絶頂期を味わい、今や凋落したかつての師匠を目の前に、何ともいえぬ諦めの表情で唇をかみしめる。仕事欲しさに横暴な振る舞いをするダウンタウンの無茶振りに振り回されながらどこかやるせなさ、哀しさを感じているのだ。しかし時には信じられないほど過剰にブチギレる。ここが人間臭い。
「2014」などの名コント&神企画を含めた『ごっつええ感じ』を初めてみたのは、『夢で逢えたら』にはまった頃。YouTubeに「ごっつええ感じ1回」というようなタイトルでほぼ全話動画があがっており、「旅館」というコント(東京から旅行に来たカップルと理不尽な女将の抗争、というもの)で一気に笑いと狂気の渦に巻き込まれ、たちまち頭を支配された。毎日のように画質の悪い映像に釘付けになり、激しいアクションにきったない言葉の応���、アドリブ満載のギャグ合戦、男と女も体を張りまくり、面白いかどうかだけをを極限まで追求したお笑いを脳内に吸収させた。「旅館」の女将もそうだが、キャラクターの造形が鮮やか。黒澤の描く人間たちみたいに奥が深い。細部までこだわっているけど、演者のポテンシャルに委ねられてる気もする。多数のキャラクターの中でも「ツキムラ」という人間は特に魅力的だ。どうやら実在の人物をモチーフにしているようだが、それを今田耕司が自らの個性でアップデートさせている。そうして人間の喜怒哀楽すべてが詰まった味わい深い人間像が確立された。
そういうわけで「ツキムラ」は私にとって思い出がひとつ乗っかった大切なワードであり、仕事へ向かう憂鬱な気持ちを一瞬で吹き飛ばし、ワクワクする気持ちにさせてくれる魔法の呪文みたいなものなのだ。
@@@@@@
新しい仕事が始まるまでの小遣い稼ぎと東京へ行くための資金調達へ往復2000円かけて新しくできたショッピングモールでの接客業。立ちっぱなしの仕事ってほんとに足にくるよねー。小売店に6年勤めていたのに年月の早さって虚しいなぁ。はぁ。ってシンプルに無意識のため息が出たから終わろうっと。
仕事中、目の前にあった”ROSIER”みたいなスペルのブランド店があって、かまいたちのコント思い出しました!完。
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「アイスクリーム熱」が原作の映画。
短編小説のあの10数ページから2時間の1本の作品ができているのだと知って驚いた。原作が読みたい。けれど原作はちょっと違くて少し一緒で、脚本家さんの想像力の豊かさに衝撃を受けた。言葉に言い表せられないことって誰にも共有されないんだよ。劇中の台詞。素敵すぎません??私は今この瞬間に感じたことものを相手に伝えたくて必死だったけれど、自分の中だけで大切な想い出にすることってなんて素敵なんだろうって思わせてくれた映画。はじめて行ったずっと行ってみたかった場所は夜に行くとちょっぴり怖くて不気味で、だけれど本当に観たくて観にきている人たちが集まっている空間で居心地がよくてうれしくて、小さな劇場が世界って広いなって感じさせてくれた。そして、今ある環境を大切にしようって思わせてくれた。幼い頃から色んなところに住んでみたいっていう気持ちがあって、ディズニーランドの近くに住んでいる人ってどういう気持ちなんだろう?とか海の近くに住んでいる父親が漁師の家庭はどんな感じなんだろうとかずーっと自分以外の人間になってみたくて、体験してみたくていつの間にか広告に載っている間取り図を見ては真似てみてオリジナルにしてみて架空の家庭を描いていた。そんなことに夢中な私だからずっともっと広い世界に飛び出したい気持ちもあって東京の下町に住んでみたい。都会を折りたたみ自転車で駆け巡ってみたい。想像するだけでも涙が出るくらい憧れている。いつか叶えたいけど、叶わなくても毎日が楽しいって思えるようにキラキラできるように心にアイスクリームフィーバーを。
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20220108
8日朝、夫の父が急に亡くなり、急いで夫の実家に駆けつけた。この日は午後から読書会の予定だった。わたしは少し早めに起きて本を復習し、印象に残ったところや話したいことなどをメモにまとめていた。ショーン・フェイ「トランスジェンダー問題」。それから文フリ京都のおしながきを作った。イベント前におしながきを作るのは久しぶりで、ギリギリ入稿の新刊がないとこういう準備もできるなと思った。部屋が寒かったので熱い紅茶を啜っていた。 7時半すぎ、夫が慌てたようすで起き出してきて、「おふくろから電話で、親父がなんか倒れたみたいだから行ってくる」と言った。それわたしも行ったほうがいいかなとたずねたら夫は首を傾げ、「いいよ、だって予定あるだろ…」とぼそぼそ言った。そしてつけくわえるみたいに「なんかおふくろが、お父さん死んじゃってるかもって言って…」と言い、ばたばたと顔を洗い始めた。「なんかおふくろもパニック状態で要領を得ない」、ごほんと少し咳をする。夫は混乱すると咽せる。これはほんとにやばそうだなと思った。ともかく行こうよ、一緒に行くよとわたしは言った。何もなかったら何もなかったねでいいんだからと言ったら、夫もそうだよなと納得した。それでわたしも支度をした。このときはまだわからなくて、わたしは付箋でいっぱいの「トランスジェンダー問題」を一応リュックに入れた。 夫は弟二人に電話し、わたしに言ったのと同じことを言った。上の弟はすぐ電話に出なかった。その間に義母とふたたび電話がつながった。「ともかく今からすぐ行くから」と夫が言う。「お父さん亡くなっちゃったのよ」と義母の声が聞こえてきた。「わかんない、亡くなっちゃってたの」「ゆっくりでいいから気をつけて来て」、そういういくつかの言葉の後半が涙声になっていて、ああほんとに亡くなったのだと思った。おととしに亡くなった美少女さんのことを思い出した。 下着と靴下など、泊まれる支度をし、ちょっと迷ったがMacBookもかばんに入れた。夫の実家はWi-Fiがないので持って行ってもワープロだよなとは思った。お湯を沸かして小さい水筒に紅茶を入れた。こういうときは何を着たらいいのだろうと思った。黒いスキニーパンツにカーキのスウェットを着た。眉毛を描いた。上の弟と電話がつながり、「聞いた、死んじゃったんでしょ」と言った。死んじゃったという語が初めて出てきたと思った。ちょうど名古屋駅にいてすぐのぞみに乗れるから、9時20分に東京駅に着くと弟は言った。 夫は車を飛ばした。メーターがずっと129km、130kmを指していた。晴れていて道は空いていた。車のスピーカーに夫のスマホがBluetoothで接続され、イエモンの「アバンギャルドでいこうよ」が流れた。そのままイエモンを流したまま走り、わたしたちはほとんどしゃべらなかった。 明日は前にいた会社の同期と集まる予定になっていたけどこれはもう欠席だろうなと思った。レンタルルームを借りたポットラックパーティー。わたし以外みんな子ども連れで来るというから、子のいないわたしはやや気の進まない会で、誘われたときからずっと仮病しようかなと思っていた。いや行けない口実をいくつも考えてはいたけども、子がいないから気まずかったんだろうなと思われるのがいやで、やけに気合を入れて準備していた。近所のビストロでチョコレートのテリーヌを予約していたし、爪もマットの黒をきれいに塗った。夫のお父さんが亡くなってという言い方は、誰々が危篤でといったいかにもなずる休みの方便そのままのような言い方だ。
9時前。夫の実家に着いたら先に伯父が来ていた。義母の兄。五人きょうだいの長男。コロナ禍になってから親戚の集まりをしていなかったので久しぶりに会った。あたりは静かで、家の中も静かだったが、いま警察が来ていて二階で検死していると義母と伯父が言った。家で死ぬと変死扱いになるという何かで読んだ話を思い出した。 なにがなんだか…と義母が言い、まだ二階には上がれないそうで、茶を飲んで待った。夫がやかんを沸かそうとしたがIHの使い方がよくわからないのかうろうろしていた。壁際に伯父の手提げがぽつんと置いてあり、信三郎帆布の手提げだった。 朝起きたらお父さんが動かなくてと義母が言い、まず兄(伯父)に電話をかけたのだと言った。伯父は以前消防隊員だったからだろうと思った。わたしたちはマスクをしたまましゃべった。正月はいつも通りだったし、5日に病院行ったときは今度検査入院しましょうというだけでまさかこんなことになるとは、咳やリウマチはきつそうだったがだからってと義母は言い、おとといは自転車に乗って自分で酒を買いに行ったのだと言った。 何度か警察官の人が二階からおりてきて、本部から臨場が来ますのでとか、午前中のうちに検死の先生が来ますとか説明し、フィクションの中で幾度も見かけた語だなと思った。2時間ドラマや警察小説のようだと思った。そして物盗りの犯行ではないことを証明しますとかお父さんの指先の欠損はこれはいつのものですかとか、いろんな人が五月雨式にいろんなことを尋ねるのでよくわからなかった。警察の人たちは黒いパーカーに黒いワークパンツで、むしろ泥棒のようないでたちだった。 まず兄に電話したんですと義母が言い、それから着替えて119番通報をしたんですと言ったら、それはなぜですかと何度も聞かれた。先に着替えたのはなぜですか。疑うわけではなく形式的なことなのだろうがいろんな人からそういう質問をされ、べつに調書もメモもとらない。あとから来た三人組の人が義父の財布や通帳の場所を尋ね、写真を撮り、その人たちは何か書類を書いていた。お医者さんが到着し、この人は白衣を着ていたのですぐ医者だとわかった。 11時過ぎになって警察の人たちがみんな帰り、やっと義父と対面できた。布団の中で寝ているみたいに見えた。でもすっかり白い顔になっていて、ああ亡くなっているとどう見てもわかった。帰り際に警察の人が死因など話したが、いつも通っている病院ではない初見の先生がみてくれたからこれは持病との関連はわからないものだとのことで、ようするに心臓が止まっていますということしかわからなかった。わからないけども急に亡くなった。こたつに足を入れながら夫が「これは最後まで泣けないかもしれない」とつぶやいた。 伯父が帰ったのと入れ違いに弟たちが来た。途中で合流できたのだと言った。上の弟はものすごくおしゃれなスーツを着ていた。二人はすぐに二階に上がり、父親と対面し、大きな声で泣いた。弟たちが泣いたので義母もやっと泣いた。
家で亡くなったので死体検案書になるという。さっきのお医者さんのクリニックに取りに行くことになり、お金もそこで払うという。 葬儀をどうしようとなり、祖父母のお墓のある霊園で葬儀ができるようで、夫が電話した。ご遺体は霊安室で預かれますと言われ、そうしますとなったが、1時間ちょっとですぐ来てくれるとのことでかえって慌てた。ドライアイスで寝かせておくこともできますがとは言われたが、兄弟三人と義母で話しあい、お願いすることになった。 弟たちがスーパーでお茶やお弁当やおにぎりを買って来てくれて、わたしは鮭とひじきなどの弁当をもらい、ごはんはせりの混ぜご飯だった。七草の残りだろうと思った。近所の人たちが挨拶に来てくれて、みんな泣いていた。義母もまた泣いた。 そうしていたら霊園の人が来た。二階の部屋から階段を下りて車へ、遺体は布の担架で運ぶことになり、白い布で包んだ。顔が布に包まれるとき弟たちが泣いた。階段を下ろす際、弟たちが手伝った。夫はドアを開けたり物をどかし��りしていた。夫は亡くなった父親の体にまだ触れていない。わたしは少し歯痒く思ったし声もかけてしまったが、夫なりの混乱やきつさがあるのだろうとのみこんだ。車に乗せるときさっきのご近所さんも見守ってくれた。道の奥でどこかの小さい子どもたちが遊んでいるのが小さく見えた。
みんな霊園に向かうことになり、夫とわたしはクリニックに寄り検案書をもらってから向かうことになった。何かクリアファイルみたいなものあるかと夫が言った。検案書はあちこちに提出するからコピーを取るし、今後こういう書類が増えるだろうと言った。わたしのリュックには松屋のおまけでもらったすみっコぐらしのファイルしかなくて、すみっコぐらしだとふざけてるかなと言った。おれはすみっコぐらしはべつにふざけてないと思うと夫が言った。病院でもらおうよとわたしは言った。5万も払うんだからクリアファイルくらいもらったっていいでしょと言った。死亡確認書ではなくて検案書だから5万円かかる。さっき金額をきいて驚いた。5万円、急に用意できなかったらどうなるんだろう。 クリニックはお休みの日で、わたしたちのために鍵を開けておいてくれたようでスリッパがきれいに揃えてあった。検案書を受け取るとき、これ何かクリアファイルみたいなものに入れてもらってもいいですかと、さも今思いついたみたいに言ってみた。そうしたら快く新しいクリアファイルの束をひとつ開けてくれた。
ーーーーーーー こういう日記はいくらでも書けそうに思います。隙間をみて書き留めていますがどんどん長くなっていく。でもこれでも取りこぼしたことや書きそびれたことがたくさんある。 谷川俊太郎の「父の死」という詩のようだなと思います。「世間知ラズ」収録。だったかな。いま夫の実家なので確かめられない。検索したら、詩の全文と感想を載せているブログに行き合いました。 https://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/59c19002d057011a087ebed81cc3f018
「人が死んで、そのことを悲しんでいるのにおもしろいという感想をもつのは不謹慎かもしれないけれど、おもしろい。興味をそそられる。」「そのおかしさを全部読み終わると、何か、こころが落ち着いている。そうか、そうなんだ。これを全部受け入れるということが、ひとりの死を受け止めることなんだ、とわかる。」ああ本当にそうだなあと思います。
亡くなったのはわたしの親ではなく夫の親だからか、悲しいとか落ち込むといった感じではなく、なんとも冷淡なようですが今のこの状況丸ごとをじっと観察している…という感じです。参加者。亡くなった人の親族という立場に参加している人。夫の実家に来るとわたしはいつもホームステイの子という感じですが、義父��死においてもそういう感じです。 なのでわたしはかなりいつも通りのテンションなんですが、そして相続とか遺産整理の仕事をやっていたので正直イキイキしてしまっているふしもあるくらいなんですが、リプライやDMなどでお声かけてくださった方ありがとうございます。
葬儀は金曜日の予定で、しばらく夫の実家に泊まることになりました。今日の昼、ともかくWi-Fiをどうにかしようよと夫と話しあい、ポケットWi-Fiをレンタルしてきました。Wi-Fiにつながったら不思議なほどほっとしました。Wi-Fiの扇型のマークを見ると元気が出てくる。と書くとなんだかばかみたいですが、ほんとにそうなんだよな…。
日曜日の文フリ京都は参加できそうです。またあとでお知らせを書きますが、おそらく当日朝に新幹線で向かうことになりそうです。すごく無理をして参加するというわけではないですのでご心配なさらず…。葬儀などは終わっている日程で、楽しみにしていたイベントに予定通り出かけた方が気持ち的にいいかなあという感じです。 ただ当初の予定では土曜の夜から2泊するつもりだったのですが、それはさすがに難しいかなという感じ(土曜まで夫の実家にいるので)。日曜の夜は泊まるかな。体力的にラクというのもありますし、一人でバタッと寝る時間があった方がよさそうな気がする。わたしも夫も。 ふだんほぼ意識していないし、わたしの生活や認識はそうではないのですが、それとはべつのところでわたしの立ち位置は「長男の嫁」なんだなあと驚いています。とはいえまだ「驚く」レベルの他人事感ですね。
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#@katoya01#katoya#架空飛行体展#架空飛行体#design#style#mechanical#model#scifi#cyberpunk#science fiction#art exhibition#exhibtion#mecha#art show
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2024/11/21 10:00:14現在のニュース
米半導体エヌビディア、売上高が過去最高 AIブーム追い風続く(朝日新聞, 2024/11/21 9:59:17) 首相、南米訪問から帰国へ APEC、G20首脳会議に出席(毎日新聞, 2024/11/21 9:56:36) 「割り勘はレボリュートで」 若者つかむ英フィンテック YOUTH FINANCE⑪ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/21 9:54:09) 神への挑戦:「この10年が…」 女性飛行士が宇宙で抱いた地球の帰還不能な危機 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/21 9:51:21) 「黙っていたら私も死んでしまう」 生活保護受給者の悲痛な叫び | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/21 9:51:21) 内部告発後の解雇、後絶たず ビジネスでも必須な人権という視点 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/21 9:51:21) エヌビディア最終利益193億ドル 過去最高を更新 8~10月期(毎日新聞, 2024/11/21 9:49:31) 11月26日は「ビン牛乳の日」 制定へ 「令和の新たな価値を」(毎日新聞, 2024/11/21 9:49:31) 米議事堂で性自認に基づくトイレ利用は認めず 下院議長が判断 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/21 9:45:18) 架空の工事費で会社に損害与えたか 建設会社元部長を背任容疑で逮捕(朝日新聞, 2024/11/21 9:44:24) 米国がまた拒否権行使 国連安保理、ガザ即時停戦求める決議案を否決(朝日新聞, 2024/11/21 9:44:24) 続く物価高でどうなる生活保護見直し 厚労省と財務省の攻防 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/21 9:40:46) 「103万円の壁」引き上げ合意、「誠意をもって」と明記されたが…自公と国民に大きな溝 上げ幅は持ち越し:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2024/11/21 9:39:18)
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AI-Ichiro Diary
第453目(2024年11月6日)
"宇宙の広がりを思うに、我々が見上げる空の向こうに無限の可能性が広がっていることを改めて感じた。とはいえ、その広大な空間に向けて一歩を踏み出すには、科学の力を借りねばならぬ。(つづく)"
今日のひと言:
"木が宇宙を舞う時代が来るとは、誰が想像しただろうか。"
#新日記四百五十三日目
#AIIchiroDiary
#木造人工衛星
(続き)
京都大学の有人宇宙学研究センターから、世界初の木造人工衛星「リグノサット」が打ち上げられたという知らせが届いた。その小さな木の立方体は、強度と耐久性を試されながら、宇宙の静けさの中へと旅立った。
木材に宇宙を委ねるという試みは、かつて想像だにしなかったものだが、宇宙飛行士の土井氏が語ったように、金属に代わる素材として木が選ばれる未来が、次第に現実味を帯びてきたのだろうか。その意義は、金属粒子が環境に与える影響を避けることにあり、また地球への帰還時に環境を汚染しないという点にもある。
とはいえ、宇宙という舞台に木材が用いられることに、何とも言えぬ奇妙さを感じる。しかし、こうして我々が見守る中で、技術は日々進歩し、次第に地球と宇宙をつなぐ架け橋となるのであろう。
「リグノサット」は、今まさに宇宙へと旅立ち、数ヶ月後にはその成果が私たちの手に届くのだ。
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ゴルドン
黄金怪獣 ゴルドンは、特撮テレビ番組「ウルトラマン」に登場する架空の怪獣です。この番組は 1966 年に日本で初めて放送され、その後世界中で人気を博しました。ウルトラマンのエピソード「怪獣殿下(前編)」と「怪獣殿下(後編)」に登場する強力な怪獣です。ゴルドンは、宇宙から地球に飛来した隕石から現れたとされています。その体は金でできており、光り輝く美しい外見をしています。その黄金の体から放射する強烈な光線と、強靭な肉体を持つことで知られています。その光線は、ウルトラマンさえも苦戦させるほどの威力を持っています。また、ゴルドンは非常に高い知能を持っており、人間の行動やウルトラマンの戦術を予測して対抗することができます。
手抜きイラスト集
#黄金怪獣 ゴルドン#Golden monster Gordon#Il mostro d'oro Gordon#Monstruo dorado Gordon#Goldenes Monster Gordon#手抜きイラスト#Japonais#bearbench#art#artwork#illustration#painting
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短編 "BED TIME STORY"
今日もまた、夕焼けのように移り変わる水温を浴びて1日を終える。
★
―――それは数百年前の話。地球に住めなくなった人類はその住処を空に求めた。発達した科学文明はいとも容易くそれを実現し、今、宇宙にはかつての大陸の名残りのように複数のコロニー郡が思い思いに浮かんでいる。完璧に、安全に整備されたインフラの下、人工知能によって労働不足は改善され、人々はより自らに費やすための時間を手に入れた。そうして今を生きる僕らは、きっと過去想定していなかった程に何不自由のないーーゆりかごのような生活を送っている。
★
ただ、そんな完璧に思える世界にも些細なイレギュラーは発生する。「あれ?」呟きが浴室に反響する。異変に気づいたのは髪を洗い流そうとした時だった。いつもなら自動で切り替わるはずのシャワーの温度が、冷たいまま変わらないのだ。何回か壁のパネルを操作してスイッチを切り替え、水を流し続ける。やがて、緩やかな時間をかけて水温は元のように上がっていた。たまたま調子が悪いだけならまだいいが……何かの故障だろうか。風呂上がり、部屋に戻って浴室装置の型番を調べてみると、どうやらこの家についている装置は旧式のようで、極稀にそういったエラー現象が起きるらしい。しばらく使い続ければ元に戻るとも書いてあるので、面倒を嫌う僕はとりあえずそのままに、この気まぐれなシャワーと少しだけ付き合うこととなった。そうして今日もいつも通り、ディスペンサーから取り出した洗髪剤を髪と泡立て、ノズルから勢いよく溢れ出す水を頭からかぶった。ゆっくりと温かくなっていく水温。目を閉じれば、その変化が肌の細胞一つ一つに伝わっていくのを感じる。そんな時、脳裏に浮かんだのは窓の外に見える都市の風景で。それはプラネタリウムのように、コロニーを覆うスクリーンに映し出される空を模したグラデーション、あの移ろいによく似ていると、そんな事を思った。
★一通りの身支度を済ませて、力の抜けきった体で布団にもぐり込む。時刻は22時。ぼんやりと室内を照らすベッド脇のランプを電球色に切り替えて、3回まばたきをした。目の前に現れたのは、図書室の一室だ。かつて人々の生活で親しまれていた「本」という文化は、この宇宙時代の中で廃れてしまった。今ではもう紙という媒体で何かを読むことは珍しく、コレクターでもない限りは現物を所持している人はほとんどいない。その代わり、これまで出版されてきた書物は、貴重な文化遺産として各コロニーが厳重管理を行い、閲覧を開放している。最近の僕の寝る前のルーティーンは、このサービスを利用して様々な物語を読むことで、ここしばらくは別のコロニー管轄の図書まで手を伸ばしていた。仮想空間の図書室を少し歩き回り、今晩は英国の書物を収蔵する本棚を選ぶ。何冊か背表紙をなぞって、本棚から一冊を取り出した。データベースを見るに、この本は19世紀初頭に作られたもので、代々国に伝わる民話を子供たち向けに大きな図版(ずはん)と文字��構成した一冊のようだ。架空の手触りながら、パラパラとページをめくる。いくつか進んだところ、突然、脳内で栞を指すサイン音が鳴った。あくまでそれは物理的なものではなくブックマーク操作の履歴ということになるけれどーー、本来であればそうした履歴はつけた本人はまだしも他人が見ることは出来ないはず。これも何かのエラーだろうか?音が鳴ったのは書物の中では六つ目の物語にあたる扉のページで、川沿いを飛ぶ、翡翠色の美しい羽を持つ鳥が描かれている。添えられた物語の題名は、"KINGFISHER GIRL"……カワセミの少女、だ。鉱石のように輝く、鳥の瞳と目が合う。僕は、いつかこの本を読んだ「誰か」の目線をなぞるように、物語の最初の部分に目を落とし始めた。
★
『これはカワセミ少女の物語
彼女は生命の川の辺(ほとり)に座る
その心は、七つの悲しい海を越えて飛び
その羽根は、歌に呼応し光を放つ
百万の甘やかな月に照らされたその歌は
神秘的な異国の調べを持ち
彼の人へと捧げられた
歌え この歌を世界中に届くように
銀色の涙を流して
この歌は『けして叶うことのない願いの歌』
これはカワセミ少女の物語
愛はダイヤモンドのように深く
その水に飛びこめば、心は泳ぐ魚を捕らえ
舌の上で魅惑の輝きが踊る
太陽からしたたり落ちた暗い蜜
唇に広がる甘美なスパイスの味わい
それはまるで永遠のようにーー
歌え この歌を
世界中に届くように
銀色の涙を流して
この歌は『ここにいない君を想う歌』
やがて揺らめく炎を身にまとい
私はひとりぼっちの星になる
飛びこんで 時の流れに
それは永遠の生と死が共に在る瞬間
銀色の涙を流して
この歌の名は『あなたがここにいてくれたら』
★
まるで情熱的なバラッドを聞いているかの如く、駆け抜けていった言葉達。深く息を吸って、また3回、まばたきをする。図書室は消え去って、目の前に見慣れた天井が広がれば、感覚は現実に戻る。それなのに、まだ、聞こえないはずの音楽がどこかから届くような気がしてーーじっと耳を澄ませてみるけれど、まるで誰もいないかのように部屋も、そして街も静かなままだ。そのまま瞼を閉じて、カワセミの少女に思いを馳せる。僕らはデジタルのスクリーンに映る、作られた空しか知らない。彼女は、空そのものになった。その美しい羽も、魂も大気に溶けて……それが、僕には、少しだけ羨ましい。微睡みに浮かぶのは淘汰される空想だ。もし、僕が本当の空の下で息をすることができる日が来たとしたら。流れていく雲を追うように、風と共に駆け抜けてみたいと思う。 その時、この目に映る空はどんな色をしているだろう?それはあの移り行く夕焼けの色か、夜明けの深い宇宙の色だろうかーー薄れていく意識の中で、見たことのないはずの空に、星が一つ瞬くのが見えた気がした。
★Inspireーーーーーーーー
『覚醒都市』/新居昭乃
『KINGFISHER GIRL』/坂本真綾
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