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『マッドマックス:フュリオサ』を観てきました
ヒャッハーーーー!!!観てまいりましたよ『マッドマックス:フュリオサ』をwith姉!!マジありがとうジョージ・ミラー監督。
余談ですが退館後高架下にある自転車置き場に行ったら橋脚にスプレーでこんな落書きがしてあって姉と「いやちょっと待てwww!!!」と大笑いしました。こんな落書きです↓
もしかして名古屋、はぐれウォーボーイズおるか(撮影して載せたかったのですが人目を気にしてしまいました。撮るべきだった……)???
映画の感想はというと……激熱でしたね。色々語りたいことがありすぎて逆に語れないのと、本当は日付を超えてでも視聴したその日である昨日に書くべきだったのですが寝落ちして記憶が少し飛んでいます(最悪)。本当すいません!6/30に書くべきでした本当に!!
ここから先、がっつりネタバレを含みますのでご注意ください。
☆前作のオマージュ
今作は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(以下MMFR)の続編であり、大隊長・フュリオサの若き日を描いた前日譚でもあります。今作だけいきなり観に行るのは、個人的にはあまりお勧めしません。恐らく世界観等が理解しづらいであろうことと、純粋に前作視聴後に観た方が間違いなく楽しいであろうことからです。ネトフリのリンクを貼るので俺を見ろ!!
頭蓋骨から蜥蜴が這い出てきた瞬間「これは……!!」と思ったら期待通りの展開(※別に蜥蜴が嫌いで死んでほしいとかではない)になったのでにっこりです。そして【俺を見ろ特攻】も!やはりマッドマックスと言ったらウォーボーイズによる高空からの自爆特攻ですよね(※すいません当方シリーズ中2作しか鑑賞しておりません)!今作は前作以上に"高さ"を感じられる演出が多く、思わずアガりました。
あと生体メカニックの彼は最初はディメンタス軍団所属だったんですね……。
☆ラストについて
ラストでフュリオサがディメンタスを鎖で拘束した時、私はてっきりフュリオサは意趣返しとしてジャックがされたことをするのだとばかり思っておりましたが、全然違いましたね。まぁバイクで引きずり回すのと車で引きずり回すのは手応えが全然異なるでしょうしね……。ディメンタスによるフュリオサへのご高説、まーーー鬱陶しいこと笑!!その場で殺さなかったフュリオサの忍耐強さと執念よ……。
その後いきなりお笑い漫画道場で富永一郎が描きそうなカット(今時の若者が絶対分からない比喩やめろ)が出てきて私はかなり動揺したんですが、周囲の誰もが特に反応していなかったのでますます動揺しました。え、あれ笑っていい場面じゃないんですか!?不意打ちであの絵面出てきたら絶対笑うんだが!?
……真面目に書きますと、フュリオサから日常を、母を、恋人を奪った挙句彼女の希望を否定しひたすらに絶望しかないと唱え続けた男が最後(最期?)「希望(※)」の苗床として生かされる痛快なオチに感動しましたね。林檎又はそれに似た果実を取りに行った結果彼女は攫われディメンタスとその一味に目の前で母を殺されたのですが、最後は彼女がディメンタスを果実のなる樹の苗床として利用し、いずれ母となるであろう前作でいう「子産み女」の女性達に実を分け与えるのです。ディメンタスはフュリオサに最早希望などないと散々喚き散らしておりましたが、前作……時系列では後日なんですが(ややこしいな)、フュリオサは自身と同じように攫われ砦(シタデル)へ連れてこられた、或いはそこで生まれ育った子産み女達を解放し、自身の生まれ育った「実りの大地」へ戻る為にウォー・タンクを率いて離反します。これは彼女の中に希望が残っていたからこそ成せたことでしょう……ディメンタスの完全なる敗北ですね。実りの為に母を殺した男の最後が母(子産み女)の為の実りを生み出す苗床なんて、流れが美しすぎますよ。
※個人的な解釈ですが最後に出てくる林檎の果実は母を失い絶望を味わったフュリオサが地獄の日々を乗り越えた果てに母(子産み女)を守る為に育てている希望の象徴みたいなものかな、と勝手に思っています
※林檎の実についての興味深い資料がありましたのでよろしければどうぞ 出典:敬和学園大学
「表象としてのりんご 」
☆イモータン・ジョー
以下イモータンと表記します。ディメンタスが言ったように、彼の行いは「搾取と奴隷労働」ではありますが、ディメンタスと異なり余興や見世物の様に仲間の命を奪ったりすることは決してありませんし、何なら前作で描かれていたように水もちゃんと分け与えています。もっといい配り方してやれよとも思いますが
ノブレス・オブ・リージュ……ではないのですが、支配者としてきちんと統治してはいるんですよね、イモータンは。実際ガスタウンや弾薬畑も施設としてかなり立派でしたし、だからこそあそこまでウォーボーイズ達に盲信されているのでしょうね。なんだかんだでディメンタスの煽りを受けても乗っからずにうまく返して撤退させていましたし、終盤の再襲撃に逸る配下達の意見ではなくフュリオサの案を採用しましたし、状況判断に長けていますよね……うっかり装置の誤作動で殺す予定ではなかった人質を殺めてしまったディメンタスとはわけが違いまさぁよ!!
ディメンタス軍団は全員ガチムチ!殺し合い上等!な感じでしたが(冒頭でバイク軍団に選ばれた女性、終盤まで終始前線で奮闘していてすごかったですね)、イモータン達やシタデルにいる人間達はディメンタス軍団の様に元気な体!って感じではないんですよね。MMFRで水の配給を待��ていた人達は高齢者や体のどこかに障害や疾病を抱えている(ように見える)人達ばかりでした。リクタスは大型で筋肉質で肉体こそ元気ですが知能がちょっと怪しいですし、スクロータスは顔つきが一般的な人間とはやや異なっており皮膚が独特の様相を呈しています。ウォーボーイズは短命ですし、その中でもボミーノッカー係だった赤ちゃんは完全に奇形児でしたしね……これ、もしかしたらディメンタス軍団は肉体が健康でない者はもしかしたら処刑なり何かしらの手段で選別されている可能性も出てきましたよ……ざわ……ざわ……。もしかしたら流れてきた"そういう者達"を、シタデルが受け入れているのかもしれません。知らんけど
……こう書くとイモータンがまるで人格者のように思えてきますが、ディメンタスよりはマシというだけであって別にいい人ではないので気を付けてください!本当に!!
☆フュリオサ
シャーリーズ・セロンに較べるとどうしても華奢さが目立つアニャ・テイラー=ジョイですが、悪くはなかったのではないでしょうか。フュリオサ、ここからMMFRの間に体躯をめっちゃマッチョに鍛えたのかもしれませんしね!
☆ディメンタス
お前の事誰が好きなん?
いやーーー本当にこいつは……こいつは本当に……キャスティング良すぎィ~~!!クリヘムことクリストファー・ヘムズワースを持ってきた人にもうあげちゃうわッ…あたしの銀のスプレー!
ガタイのいい俳優は履いて捨てるほどいますが、ディメンタスという悪辣で愚かで豪快な脳筋人格破綻者を演じるにはクリヘムのそこはかとなく漂う陽キャ感が必要だったように感じます。もしこれがステイサムだったら首尾一貫スマートに片づけそうな気がしません?少なくとも乳首を吹き飛ばすような真似はしないでしょう
あの腰につけているぬいぐるみは息子の形見と言っていましたがあれ本当なんですかね。本当のような、攫ってきたばかりのフュリオサに心を開かせるためについたその場しのぎの出まかせのような……うーん。
ディメンタスは随所に余り賢くない描写が挟まれており、「シタデル」と聞いて「何デル?」みたいなことを言う、乳首を吹き飛ばす、生き字引として常に「賢者」を伴っている、はぐれウォーボーイズの発煙筒を自分で被る、等。もし彼が賢かったならきっとフュリオサを傷つけることなくうまく彼女のいた土地を陥落できたのでしょうが、彼は暴力と殺戮と支配を選んでしまったので、結果的に実りの大地への道は閉ざされてしまったわけです。有能な№2でもいたらきっともっとうまく様々な土地を手中に収められたのでしょうが、彼の周りにいるのは支配によってイエスマンと成り果てた者ばかりでしたね……その点イモータンは一応人食い男爵達に(採用するかは置いておいて)発言権は与えていたりするので、やはり格が違うんですよねぇ。仲間をウォーボーイズに仕立て突撃するために撃ち殺したり、或いは死体を自らの身を守るための盾として使ったり、気に入らないものは首を吊らせたり……この点でも、喜んで自ら命を捨てるウォーボーイズの育成に成功しているイモータントの対比を感じます。小物感!
すいません眠くてまともな文章が書けなくなってきてしまったため、ここらでクローズといたします。ジャックについても書きたかったのですが……。海外版山田孝之!なルックスで「あんまりシュッとした感じの人じゃないな」などと思っていたら処刑シーンでブタ野郎呼ばわりされていてちょっと申し訳ない気持ちになりました(最悪)。しかし本当にあの処刑シーンは余りにも人の心がなかったですね。邦画だったら逃げ切りそうなところを……。
最近ちゃんとした長文を書けていない為、リハビリ目的で頑張りましたが全然ダメでした、さーせん!でも映画はめっちゃよかったです!!!
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同宇宙朋友和造物主接触的条件
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亲爱的读者,
现在我向你们概括一下同宇宙朋友和造物主接触的条件。这些条件在此后的“来言”章节中会有详细的解释。如果你的思想过于物质化,并将自己的感情严严地禁闭起来,那么你应该集中精力消除这些障碍。这些条件实质上是对我们造物主宇宙法律的遵守;通过它们你可以提高并稳定自己的振动 - 精神层次。宇宙人非常向往同达到这些条件的人类接触。
1。生活应该是充满爱心的,和谐的,正派的,和基于精神感情之上的。要爱你的精神和肉体;这样才是爱你的造物主,因为你是他的一个组成部分。 不要过度饮酒,最好不饮;不要过度吸烟,也最好不吸。克制自己!!!
2。爱其他的人类同胞,包括那些伤害过你的,因为他们的所作所为都局限于他们的所知。原谅他们吧!
3。热爱一切被造物,“有知觉的”和“无知觉的”,如自然,植物,动物和比我们更高 级 的存在体 -- 地球。
4。尽量少吃肉,甚至不吃 (在此之后大约10日交流就将会开始).
5。清理 -- 销毁负面影响的出版物,如关于战争,色情和具反面形象的外星人 (UFO - 绑架,太空船降落等) 的书籍。不要同负面的外星人交流。
6。不要读具负面影响的书刊杂志,不要看具负面影响的电影;不理会政治是合理的,因为它充满了粗劣的振动。
7。不要拥有过度的财富 (如两个或以上的房子,两辆以上的汽车等)。
8。根据你的能力帮助他人。
9。为散发有关宇宙朋友信息的人工作,不过应该以一种温和和不招人注目的方式。
10。不要伤害其它生命。
此类接触不需要无线电望远镜,也不需CETI或SETI项目!!!!!
致言可以这样将:
“亲爱的造物主,我爱你;我为我能与你接触
- 与我们的宇宙朋友接触;
- 与阿西塔,普塔接触。。。
而祷告。”
同时,你必须在心中存有无暇的思想和爱,并拿好铅笔和纸。
再有,报告由其他人核实也是必要的!!因此团组合作是很重要的。
歡迎來到天堂天使網,探索天使神聖世界的終極泉源。網站致力於提供有關天使及其對我們生活的深遠影響的深刻訊息。天使般的外星人和他們的太空船、守護者、銀河系、冥想、UFO、行星、恆星、宇宙、天堂、光、愛、和平、靈性、和諧,你可以了解一切。深入研究廣泛的資源,了解不同類型的天使、他們的角色以及他們如何與我們溝通。 Heavenly-angels.cn 擁有關於天使資訊、標誌和指引的豐富知識。無論您尋求保護、靈感還是安慰,我們的文章和指南都將幫助您與守護天使聯繫並理解他們的訊息。讓 Heavenly-angels.cn 成為您心靈之旅中值得信賴的伴侶,為您提供擁抱天使在您生命中所需的智慧和支持。太空、不明飛行物及其太空站、星系、平靜、神性、智慧、外星飛船、大天使、精神圖像和精神符號都在等著你。深入閱讀豐富的文章和指南,深入探討天堂的本質及其對永恆和平與幸福的承諾。 Heavenly-angels.cn深入洞察天國,幫助您領悟天堂所代表的美麗與寧靜。了解通往天堂的道路、天使在引導我們到達天堂方面的作用,以及可以讓您更接近體驗人間天堂的精神實踐。 靈性成長的資訊資源,為您提供與天堂神聖應許連結的知識和靈感。探索神的神聖臨在。網站致力於提供對神的本質、祂的愛以及祂對我們靈性旅程的影響的深刻見解。關於神聖智慧各個面向的綜合資源,從理解神的信息到經歷祂的恩典。無論您尋求精神成長、指導還是安慰,我們的內容旨在幫助您與上帝無限的愛和智慧聯繫。耶穌基督和祂帶翅膀的使者帶給你啟示。知識和靈感使人感覺更接近上帝。探索不明飛行物、外星人、天使、守護者和所有重要事物的世界。網站致力於不明飛行物和外星現象。深入研究我們全面的文章和目擊者敘述,以擴展您對 UFO 目擊和遭遇的了解。關於愛宇宙中外星人天堂的教導正在等著您。這會為你的生活帶來黎明、寧靜和靈性。
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ウルトラマン
ウルトラマンは、日本の大人気特撮フランチャイズに登場する架空のヒーローキャラクターです。ウルトラマンは、地球を守るために戦う巨大な宇宙人として描かれています。ウルトラマン フランチャイズは、数十年にわたるテレビシリーズ、映画、漫画、玩具、ゲームなど、さまざまなメディアで展開されています。
ウルトラマンのコンセプトは、1966 年に最初のテレビシリーズ『ウルトラQ』が放映されたときに始まりました。その後、続編の『ウルトラマン』が続き、タイトル キャラクターであるウルトラマンが紹介されました。
ウルトラマンのストーリーは通常、地球をさまざまな宇宙の脅威や怪獣から守るウルトラマンと呼ばれる勇敢な宇宙人の周りに展開します。ウルトラマンは通常、人間の主人公と一体化し、危機が発生したときに巨大化して怪獣と戦います。
ウルトラマンには、銀色と赤のスーツ、特徴的なカラータイマー(胸にある色付きのタイマー)、独特のポーズをとる傾向など、象徴的なデザインがあります。彼は通常、飛行、超人的な力、ビーム攻撃などの超自然的な能力を持っています。
ウルトラマンは、その永続的な人気により、日本のポップカルチャー アイコンの地位を獲得し、世界中の視聴者に愛される象徴的なキャラクターとなりました。
手抜きイラスト集
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来世に乞うご期待
──嘔吐中枢花被性疾患、通称「花吐き病」。
元はとある物語に登場する架空の病気だった。しかしその原作がとある学校の生徒間で爆発的に流行り、結果「呪い」として現実に発症。めでたく高専預かりの事件として運び込まれた。
担当したのは、特級呪術師の五条悟。彼が所持する術式「無下限」は、術師本人への干渉を端的に言えば許さない。故に適任として派遣されたのだが、そこで五条はひとつ、致命的なミスをした。
率直に言えば、潜入先にて廊下の角でぶつかった女学生に一目惚れされ、胸元で吐かれたその花にうっかり触れてしまったのだ。
あまりのスピード発症故に、無下限を張る暇もなく。正に電光石火の刹那だった。
ぎゃー! と臆面なく叫んだ後、五条はすぐさま冷静な頭脳で、己がやらかしたことを悟ったものの。しかし今ならまだ何とかなるか、とも思い直した。
この「呪い」は被呪者が片思いを患った時に、花吐き病を発症させる。故に、現在惚れた異性どころか気になる女子すらいない自分ならば、ひとまず影響としては少ないだろう。そう皮算用していたのだが。
祓除完了後。
「おかえり、悟」
寮で夏油に出迎えられた瞬間、五条は盛大に「呪い」を吐いた。
それは小ぶりで白い花弁を携えた、イチゴの花の形をしていた。
発症したことを自覚した五条は、まず目の前の夏油に相談した。本来ならば、医療系に詳しい家入も含むべきなのも判ってはいる──現に部屋へ戻る前に、吐き気止めと胃薬とうがい薬をしこたま譲ってもらいはした──だが、なけなしの男子高生的な意地が、彼女をも巻き込むことを躊躇させた。様は、女相手に色恋ごとなんか相談できるかこっ恥ずかしい、である。
ひとまずは夜蛾への報告もそこそこに、五条の部屋へ夏油とふたりで立てこもった。地べたへ座り込み、図書室から拝借した本や、任務前に支給された資料などを床にばらまく。俗にいう、作戦会議の始まりだ。
手始めにこの「病」の前提、対処法などを、五条が掻い摘んで夏油に説明してやる。ふんふん、などと適当に相槌を打ちつつ。彼の指先が資料のページをぱらぱらとめくる。
「にしても、こんなトンチキな呪いもあるんだね」
「トンチキ言うな。結構えげつないんだぜ、コレ」
「えっ、それは……大丈夫なのか? 確かにさっきもえらい大量に吐いてたけど」
目の前で随分と景気よく吐かれるものだから、友を心配しつつ、夏油はついマーライオンを連想していた。白髪の五条ならば、ホワイトライオンか。
「いや、もう吐き方っつーか、体内も無下限の影響下に置く方法は、吐いてる最中にマスターしたから。次はそんなでもないかもだし」
「そんなん慣れるもんじゃないよ。体に悪い」
己の愉快な妄想は棚に置いてぴしゃりとたしなめつつ、夏油が五条の顔を覗き込む。
「で、相手って硝子だろ」
迷いなく言い切られたものだから、五条も負けじと即答する。「違う」
「何でいきなり硝子なんだよ」
「いやどう考えても消去法だとそうだろ。身近な女子なんて彼女くらいだし」
「まあ俺も最初はその線かなとは思ったんだけどさ。硝子はやっぱ無いわ」
「えーっ、そうか? 別に無いことは無くない?」
「オマエ基準で考えんな。てか三人しかいねえ同級生で、んな修羅場りたくねぇわ」
「それには同感」
にやり、と夏油が意地悪く笑う。
「まあさすがに、硝子の方が無いか。もし私が女の子でも、悟は観賞用もしくはアイドル枠だって判るし」
「ガチの正論はやめろ」
ちょっぴり傷付いた自尊心を庇う様に、五条は胃を押さえる。最近自身に芽生えた男子高生のハートは、どうにも傷つきやすくて面倒くさい。
そんな五条を、はは、とからかう様に笑ったかと思えば、
「私さ、今の三人でいる空気感が結構すきなんだ」
ぽつり。やわらかい声音で、夏油が呟く。
「だからよかった。もしふたりがくっついちゃったら、さすがに遠慮しないとかな、とか思ってたから。ちょっと、ほっとした」
何だよ、寂しんぼか? そう軽口を叩こうとしたのに、目の前の夏油があんまりにも素直にしょげている様に見えて。膝を立ててうずくまっているその様が、何だか。だから、五条は──
勢いよくゲロった。
脈絡なく口から飛び出てきた花に、夏油が体ごと後ずさる。
「うわっ、マジでつるっと出てきた」
「だから言ったろ。俺プロいって」
「そんなん極めるなって。いやでも、本当に大丈夫かい?」
「まあこんくらいは別に。今回出したのもちっせぇしな」
五条は吐き出した「呪物」をまじまじと見やる。六眼でも確認したが、花自体はあくまで「呪い」を発現させる媒介に過ぎない、と結論付けた。
その花だが、小ぶりで白い花弁故に、初回で吐いたものと同じかと思ったが、どうやら違うらしい。図書室からかっぱらってきた花図鑑を浚っていた夏油が、該当の写真をおずおずと指差す。
「これじゃない? ユキヤナギってやつ」
オマケとして、写真の下に花言葉も記載されている。意味は、愛らしさ、気まま、殊勝など。
「なるほど、見たまんまってかんじだね」
次いで、ユキヤナギを興味本位でつつこうとした夏油の指先を、五条は咄嗟に握り込む。
「コラ、花には触んなよ。それ感染型だから」
「そうなのか? そいつはまた厄介な……今のところ、私別に好きなひととかいないんだけど、それでもヤバイかんじ?」
「現状で条件に当て嵌まらない場合は、潜伏して合致した瞬間に発症するんだと」
「随分と気合の入った呪いだな……」
夏油のぼやきに、まったくだと五条も嘆息した。
かくして五条の片思い相手探しは、候補者の少なさの割に混迷を極めた。最有力の家入が早々に消えてしまった為、対象者を東京校の先輩、後輩、補助監督、果ては窓や卒業済の術師にまで範囲を広げたのだが、五条のアンテナに引っ掛かるものが一人もいなかったのだ。
そんな中、発症して三日目。
「ねぇ、もしかして庵先輩じゃないかっ?」
珍しく浮足立った様子で、夏油が五条の机を勢いよく叩く。揺れた机を押さえつつ、五条は目の前の友に胡乱な眼差しを返す。
「いや、何でだよ」
「だって悟、彼女には何だかんだ構いに行くし、何かからかってばかりだし、何だったらそれって好きな子にちょっかい掛ける小学生マインドじゃないか? って」
「「What」ばっかじゃねェか」
もうちょい証拠を固めてこい証拠を、と雑に手を振りかざせば。夏油はえー?と判りやすく唇を尖らせた。
「結構自信あったんだけどな」
のちに、諦めきれなかった彼が「悟って、庵先輩のこと好きそうじゃないか?」と家入へ話を振ったものの。
「でも歌姫先輩、ガチで五条のこと嫌いだよ」
なんて告げた彼女の目があまりにも酷薄で。
──あ、これはマジだ。
そう悟った懸命な夏油少年は、掲げた仮定をそっと己の胸の内へ仕舞った。
進展が無いまま、発症して一週間後。
またもや五条の部屋にて、作戦会議が開かれることとなった。
一旦現状を整理する為、どういった場合に花を吐くのか検証を行うべく、時系列ごとに状況を紙に書き出していく。どこで、誰と、何があったか。どんな花を吐き、その誰かに対して、何を思ったか。なんてことを、すっかり丸暗記した花図鑑のとある内容と照らし合わせれば、自ずと答えは見えてくるというもので。
ここまでお膳立てされれば、さすがに当の本人は気が付いた。
「オマエじゃねェーーーか!!!」
「えっ」
ダン! とローテーブルに力任せの拳を叩きつければ、ボールペンが放物線を描いて軽やかに飛んでいく。五条渾身の叫びに、夏油はびくりと肩を竦めた。
「なんか今すっごい冤罪掛けられなかったか?」
「冤罪じゃねえわ。ガチギルティだわ」
「なんかよく判らないが、喧嘩なら言い値で買うよ」
「喧嘩じゃないっつの。オマエの罪の話だっつの」
「だから私に何の罪があるって言うんだ」
吹っ飛んでいったボールペンを回収した夏油が、これ見よがしに渋面を作る。その彼の眉間を、五条は人差し指でまっすぐに突き刺した。
「オマエ」
「ん?」
「だから、俺の片恋の相手、オマエだっつってんの」
ぐりぐりと念を押してやれば、途端に夏油の小さな瞳がまんまるになる。音にすれば、正にきょとんだ。
「……えっ? 悟、私のことそういう意味で好きだった、のか?」
なんか違くない? というニュアンスを多分に含んで、夏油が首を傾げる。
「まあ俺も正直よく判らんというか、ダチっつーか、人間で一番すきなのは傑かなー、程度というか」
「ええ、君……友情の延長線上でこの呪いが発症しちゃったのか……なんてお労しい……」
よよよ、とわざとらしく夏油が口元を覆う。その割に、眼だけはしっかりと五条に同情を示していた。どうやら割とガチで憐れまれているらしい。常ならば拳骨のひとつでもお見舞いしてやろうかという所業だが、今は問題解決の方が先だ。五条は広い心で、夏油の視線を流してやる。
「でも私、正直悟のことはめっちゃ友達だと思ってるけど、それだけなんだが……」
「そりゃそうだろうよ。てかそうじゃないと嫌だわ。一応俺目線でも傑のことはダチ認識なんで」
「相違ないようで何より。うーん、なんかこう、両想いだってごまかせる様な方法があればいいんだけど」
とりあえず、まずは告白してみようかとの結論に至り。
「こーいう時ってなんて言うんだ?」
「好きです、付き合ってください、かな」
「好きです、つきあってください?」
「はいよろこんでー」
棒読み���五条に対し、居酒屋の様なノリで夏油が雑に応えを返す。
「どう?」
「ウンともスンともしねえ」
「やっぱダメか……」
ハナから期待していなかったが、やはり何の成果も得られなかった。「オマエの返事にムードが無さ過ぎる」「君の告り方に本気が感じられないからだよ」などと、お互いに責任を擦り付けはするものの、結局はどっちも悪かったで両成敗にしかならない。
「困ったね、出来れば友情パワーで何とかなればいいんだが……」
「それか、ダチ同士でならまずしないこととか?」
「えー……なんかあるかな……?」
それからふたりは膝をつき合わせて、やれもっと強い言葉で告れば何とか、愛してる、月が綺麗ですね、アイラビュー、それでもダメならハグでどうだ? エトセトラエトセトラ。
不毛なやり取りが続き、正直五条の方はちょっと飽きてきたくらいだった。現状そこまで不便さを強いられているわけでもない。たまに吐き気がするくらいで、何なら車酔いみたいなもんでは? などと宣えるくらい、この呪いをコントロール出来る自負もあった。
──ならもう、別にこのままでもいいんじゃね?
額に親指を当て、真摯にうんうんと頭を悩ませている友を尻目に、そう内心で嘯いていると。
はっと何かに気付いた様に、夏油が薄い面を上げる。
「悟」
「あん?」
何だよ、と続けた言葉は、唇の先へ触れた感触に吸い込まれた。
ぐっ、と首が後ろへ傾く。ずれたサングラスの隙間から、夏油の緩く伏せられたまなこを認めた。意外とびっしりと生え揃ったまつ毛に感慨を覚えて。そうしてようやく、今の自分たちが客観的に何をしているのか、脳で判断が付いた瞬間。
五条は勢いよく夏油を引きはがし、大きく咽た。その一瞬を体の反射だけで動いてしまったことに気付いた頃には、後の祭で。いつの間にやら用意されていた夏油の手のひらで作られた皿に、唾液ごと呪いを吐き散らかす。
「あ、やった」
「……は?」
ひとまず冷静になった頭で、夏油の手から先ほど吐き出した「呪物」を叩き落す。べしゃりと床に失墜したのは、大振りで立派な花弁を携えている、黄味がかった白銀の百合だった。
「つか、触んなって言ったろこのバカ! どうすんだよ、オマエも多分感染したぞ」
「でも完治した証拠の花だし、ワンチャン無事だったりしないかな?」
「知らねーーーわ!」
五条は夏油の手をひっ掴み、用意していたアルコールをがむしゃらに噴射する。適当にティッシュを抜き取り、べしょべしょになった彼の両手を甲斐甲斐しく拭いてやれば、夏油がふふ、と小さく笑った。
「いやさ、小学生の頃、何故か「ピカ、●ュー」って言いながらチューするのが流行ってさ。クラスの半分くらいとはやったのかな? で、だから男子とのキスは割とノーカンというか、あんまり忌避感無くてね」
何だ、思い出し笑いかよ。どこか憮然とした心地で、五条はオェッと舌を出す。
「どんだけ爛れてんだよそのクラス」
「女子とはしてないからセーフだろ」
「そうか…………そうか?」
「だから私としては、ホントのファーストキスは女の子としたヤツ、って思ってたんだけど」
触れたままだった人差し指が、きゅっ、と控えめに握られる。
「でもまあ、それも今回のコレってことにするからさ、許して」
少しだけ照れた様子を見せる夏油に、五条は何となく、押し黙った。ただいま完治したばかりの病が、何故だかぶり返しそうだったので。
「──なんてこともあったね……」
けほ、と軽い咳を吐いて、夏油が苦笑する。己のしょうもなさを嘲る様な笑みだった。
彼の膝元には、赤いポピーが散らばっている。生憎この場に花図鑑は無かったが、五条の優秀な脳味噌は、彼の花に託された言葉を、よく覚えていた。
「まさか本当に発病するとは……結局ワンチャンも無かったな……」
本当にコイツ、イイ性格をしている。
これからオマエを殺す男に、感謝などと。
包帯で隠されていない六眼を、五条はこれ見よがしにしかめてみせる。その様子に何を勘違いしたのか、夏油が小さく頭を振った。
「誓って、君が疾患していた頃は普通に友情だったんだ」
ただ、と夏油が一拍置く。
「好きって言われてから気になっちゃった、典型的なパターンだよ」
なんて、遠い目をして優しく呟くものだから。
多分それで、魔が差した。
思いやり故に自分を殺すのだと思い込んでいるこの男に、胸の内を正しく、思い知らせてやりたくなったのだ。
夜明け前だからか、路地裏の奥は未だぽかりと闇が口を開けている。最も陽が遠いこの瞬間。五条の心は、確かにその暗晦へと足を踏み入れた。
「……傑」
「ん?」
「僕は今でも、オマエがすきだよ」
目の前の親友がこれでもか、と細い目を見開く。びっくりし過ぎだろ、なんて内心では吐き捨てつつ。けれど同時に、あまりにも間の抜けた表情を晒すものだから。少しだけ、かわいいと感じたことも確かで。
げほ、とひとつ。
赤いポピーがまたこぼれて。
げほ、とふたつ。
掌に吐き出されたその花々を認めて、夏油が小さく噴き出した。
ぱらぱらと彼の手から、赫と白に彩られた、鮮やかな雨を見送ったのち。
「最期くらい、呪いの言葉を吐けよ」
あんまりにもあどけなく笑う夏油に、五条は小さく息を呑む。
そして彼の胸目掛けて、そっと中指を弾いた。
「……結局最後まで本気にしなかったな、オマエは」
物言わぬ下唇を親指でこじ開ければ、端から血が音もなくこぼれる。つう、と伝い落ちる様を、五条はただただ無心で見ていた。
──ああやっぱりさっきの内に、キスのひとつでもしとけばよかった。
舌でも突っ込んでやれば。そうすればこの鈍感な男も、少しはこの慕情を理解出来ただろうに。いつだって俺は、自分の望みに気付くのが遅過ぎる。
夏油を救いたかったのだと気付いたのは、彼が去った後だった。触れたかったのだと気付いたのも、彼が失われた後で。だから五条は、「最後のチャンス」とやらをいつもすべて逃し続けるのだ。もうそういう星の元にでも生まれたのだろうかというくらい、己もまた、鈍かった。
故に、鈍かったなりに、呪いの言葉は上出来だと思ったのだが。
「人の決死の告白を何だと思ってんだよ、マジで」
赤いポピーと、青みがかった白銀の百合。
アスファルトに散らばっている、夏油が生み残した花弁に、五条はそっと手を伸ばす。術式を介さない指先には、確かに湿った心地を感じた。同時に、冬の空気で凍てついた冷たさも。
摘んだ花々をジャケットに突っ込み、しかりと握り込む。
彼が自身へ残した、情の忘れ形見。成れの果て。そして、愛の存在証明。
そのはずなのに、
──せっかく両想いだってのに、なんでフラれた心地になるんだか。
すっかり軽くなってしまった体を大事に抱えて、五条は忸怩たる思いでぼやいた。
「あーあ」
叶うならば、来世に乞うご期待、だ。
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駒田蒸留所へようこそ(ネタバレあり)
2023年/日本/カラー/91分
日本のウィスキー蒸留所を舞台にしたアニメ映画、「駒田蒸留所へようこそ」を劇場で見てきました。
元バンドマンでネットニュースサイト「ニュースバリュー」の新人記者、高橋光太郎(声:小野賢章)は編集長の安元(声:細谷佳正)からクラフトウィスキー蒸留所の取材を命じられる。ウィスキー知識の乏しい高橋のサポート役として、そして取材の本命として長野県の駒田蒸留所の新社長、駒田琉生(声:早見沙織)と広報の河端朋子(声:内田真礼)が付けられる事になる。この二人は安元編集長が過去取材した事があって旧知の仲だった。やがて河端の提案で高橋は駒田蒸留所で仕事体験をすることになり、現場の人達と直接触れあうことになる。
駒田蒸留所は流生の祖父が作ったウィスキー「独楽KOMA(こま)」が評判だったが、父の代で起きた大地震で蒸留器と貯蔵していた樽が崩壊し、ウィスキー事業から撤退していた。焼酎といった事業に絞って経営をしていたが、仕事の無理がたたって父親が亡くなってしまう。母親が継承したが経営の見通しも良くなかったので廃業を考えていたところ、美大生だった流生が帰ってきて残ったウィスキー原酒を使って事業を始めたいと言い出す。作ってみたウィスキー「わかば」は評判を呼び事業も持ち直したところで銀行からの借り入れとクラウドファンディングで蒸留器を再び導入する事が出来ていた。
高橋が蒸留所にいると琉生と険悪な仲の男性を何度か見かける事になる。高橋は別れた男性かと思ったが、琉生の兄、駒田圭(声:中村悠一)ということが解ってくる。圭はウィスキー事業から撤退する父親に反発し、家を飛び出していた。大手の大森酒造に入社し、上司にかけあい駒田蒸留所を買収しようとしていた。その事から兄弟の仲は悪くなっていたのだが…というお話でした。
ありそうであまり無いウィスキーの映画になります。ウィスキーを扱った作品だと難破船に積んでいたウィスキーを巡るコメディ「ウィスキー・ガロア(1942年)」とこの作品のリメイクになる「ウィスキーと2人の花嫁(2018年)」になりますし、ケン・ローチ監督の「天使の分け前(2012年)」はウィスキーの貯蔵庫になるので、ウィスキーの製造現場を描いた映画としてはもしかしたら初めてになるかも。
【ここからネタバレを含みます】
ただ、作品としてはいまいちな感じがしました。前半の主人公は記者の高橋で、ウィスキーに無知な高橋に蒸留現場の説明をさせて舞台が整った上で、後半の主人公は駒田琉生に切り替わっていくのは上手いと思ったのですが、高橋の記者としての成長に比べると駒田琉生とその家族の成長が負けている感じがしました。確かにウィスキー「独楽KOMA」の復刻まで行き着いているのですがジャンプというより一周回って元に戻っただけ、という感じが成長感に欠けるのかもしれません。あと両者の成長のバランスを考えるともっと高橋をコメディキャラにしても良かったかもしれません(91分作品という短めの作品だったので見続けることが出来たのですが、妙にシリアス過ぎて笑うポイントが無しというのは正直つらかったです。笑えるのは琉生が描いたBL作品風テイスティングノートくらいか?そのBL風ノートも実は笑えない事情と展開になるのですが…)。
高橋の成長と琉生の成長のバランスが悪く見えたのは、高橋の成長が観客と共有出来る話である一方で、琉生の場合「架空のウィスキー商品の復刻」になっちゃうのでどんなに前振りを踏んでいたとしても気持ちの共有という点でハードルが高いんです。さらに兄の圭がウィスキー調合の手伝いをするために帰ってきた事は家族の復縁という観客の共有がしやすい大きなゴールがウィスキーの完成というゴールの前に来ちゃっているのも疑問があります。かなり脚本に手を入れる事になるけれどウィスキー「独楽KOMA」の完成をきっかけに兄が帰ってくる、というストーリーの方がしっくり来たかもなぁ。ウィスキー好きだけに向けるのであれば今作のような持っていき方でも良かったと思うのですが、これでは飲まない層には響かないと思います。
もうひとつ残念と思ったのが琉生と圭がウィスキー原酒を調合して「独楽KOMA」再現まで近づけたものの、最後のひとピースが足りなく、父親が残した調合ノートを読んでも悪筆(消えかけていた?)で解らないところは、蒸留所で働いていた人に聴けばわかったんじゃない?という点です。最後のひとピースは調合し終わったウィスキーを最後の味付け・香り付けするために自社の焼酎樽で追加熟成する、というものだったのですが、当時の従業員が残っている設定だったので、当然の用に「これ、使いますよね?」と準備していてもおかしくないのです。ウィスキーのブレンド比率はオープンにしちゃっている所もありますが、基本ブレンダーのみぞ知る秘密です。しかし最後の追加熟成は蒸留所の全員が知っていないと出来ない作業になりますし、なんなら商品として売り文句にしているので(ラム酒樽・ワイン樽などなど)秘密でもなんでもない。なんなら琉生や圭も入社前に蒸留所に出入りしている話もあったので「独楽KOMA」の焼酎樽を見ていてもおかしくないのです。
高橋の物語を見せかけて実は琉生の物語、ウィスキーの話を見せかけた駒田家の物語というアイデアはとても良かったと思うんですが、脚本・設定を詰め切れないまま作品にしちゃった感じが勿体なかったと思います。
了
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井上泰至「恋の季題」連載ⅢⅩⅤ
花鳥誌2023年10月号より転載
日本文学研究者
井上 泰至
鹿の恋
奥山に紅葉葉踏みわけ鳴く鹿の
声きく時ぞ秋は悲しき 猿丸 太夫
俳句に出てくる動物で恋をするのは、鳥類を除いては、猫と鹿が双璧だろうか。猫の恋は、ロマンがない分、滑稽で、いかにも俳句的な素材である。それに比べて鹿、特に立派な角を頂いた雄は絵になる。俳句以前に、貴族的な和歌の世界で題となったのもうなずける。虚子編『新歳時記』を確認しても、秋に鹿の角が、ひときわ立派になることに触れている。
そもそも鹿がなぜ秋に分類され、季語として立項されているかと言えば、この立派な牡鹿が雌を求めて哀調を帯びて鳴く「恋」の情に、古典和歌が「詩」を発見してきたからに他ならない。
歳時記にどういう季語を、どんな形で登録するかという問題には、新しさや地域差を重視する立場と、伝統を継承しその中心となった都市の価値観に力点を置く立場の、大きく二つがある。俳句は科学ではないので、一つの正しさが、ほぼ例外なく適用されるべきということにはならない。
季語の共通理解によって伝え合うことが可能になり、どこに美を見出してきたかといった価値観を理解しておくことも重要だ。
服装に例えれば、礼装や和装は一つのフォーマルな美と価値観、具体的に言えば、どういう「かたち」が、時間・空間を越えて、この列島に住む人たちによって磨かれてきたか、という点には、十分な関心を払うべきであろう。
虚子も『新歳時記』の冒頭で、季語の季節の決定においては「実感」を重視しつつ、旧来からの「感じ」や「伝統」を重視したケースもある、と断っている。牡丹は藤より早く咲くのに、牡丹を夏とし、藤を春にしたり、七夕は新暦では夏に行われているのに、旧暦に従って秋の季語にしたりしたのは、そういう例だというわけだ。「鹿」もまた、同様の事情で秋に分類された。
鹿を聞く三千院の後架かな 虚子
「後架」、すなわち寺の厠で用を足した際に聞いた鹿の声、というところが俳句なのである。鹿は奈良や宮島で知られるように神仏の使いでもある。そこに飲食男女という下半身の問題を持ってくるユーモアがある。神域や寺内というものは、ここが神仏の宿り給ふところですという演出あってのそれである。「神鹿」といい、「後架」という、その言葉に神聖さの演出があると言ったら、罰が当たると怒られそうだが、そういう心の余裕が、虚子の句を理解する時には大切だろう。
最近必要があって、谷崎潤一郎の訳した『源氏物語』を読んでいるが、王権の中のタブーこそ、恋の究極とばかり展開する、神をも恐れぬ罰当たりな「不倫」が、物語の核心にあることを、自らも「不倫」の作家として通っていた谷崎は十分弁えて、筆の冴えを見せていた。『虚子俳話録』によれば、虚子も谷崎の小説だけはマークしていたことが知れる。『源氏物語』や谷崎を好む英国は、階級社会だからこそ、『チャタレイ夫人の恋人』が生まれたのである。
虚子の句に戻れば、建礼門院が晩年隠棲した尼寺などでは、生々しくていけない。瀬戸内寂聴のような人が出てきそうで、台無しだ。やはり、同じ京都の奥座敷大原でも、大刹である三千院の「格調」あってこその、鹿の恋であり、「後架」なのである。「安藝の宮島」は「神鹿」の名所として画題にもなってきた。「安藝」は「秋」「飽き」に通じる。「安藝」とは、実りの象徴だという説が、江戸時代以来多い。近年真面目な地理学者は、崩落地を開発した「吐き」から来たなどと唱えているが、身も蓋もない解釈である。いくら正しくても、後世の人は、秋の実りに通じ、恋の終わりに通じる、歌語の「飽き」と「秋」のイメージが欠かせない。
こうした詩的想像力の果てに、紅葉に彩られる水の神域宮島の鹿がある。「崩落地の開発」などという地べたを張った理解では、言葉の持つ「飛躍」の力を持つことは難しい。
恋も終わりがあるから、哀切がある。格式にがんじがらめになったところから、やむにやまれぬ熱情が生まれる。なんでも丸裸にしてそれでよし、という感性では、鹿にも劣ることとなるのだ。
雄鹿の前吾もあらあらしき息す 橋本 多佳子
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし)
1961年京都市生まれ
日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。
専攻、江戸文学・近代俳句
著書に
『子規の内なる江戸』(角川学芸出版)
『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会)
『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫)
『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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TEDにて
ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
7万年前、人類の祖先は取るに足らない程のちっぽけな存在で、アフリカ大陸の片隅で他の動物と同様、ただ生きるのに精一杯でした。
しかし、今や人類が地球を支配しているということに異を唱える人はほぼいないでしょう。
地球全土において、ほか全ての動物の運命(ひょっとしたら地球自体の運命さえも)を左右しています。
いかにして、そんなちっぽけな存在から地球を支配するような存在に至ったのか?
歴史学者のユバル氏が、サピエンスという人類が台頭したその驚くべき理由を提示します。
妄想とは、「ない事に対して病的原因からいだく、誤った判断・確信」のこと。ここでは、どちらかというと空想の方です。
空想とは、「現実には、あり得ないような事柄を想像すること」と辞書では書かれています。
7万年前、我々人類の祖先は取るに足りない程のちっぽけな動物でした。先史時代の人類について知っておくべき、最も重要なことは、人類は重要な存在でなかったということです。人類がおよぼす地球への影響は、クラゲやホタルやキツツキとほぼ変らなかったのです。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
ところが、今日では、人間がこの地球をコントロールしています。ここで疑問が湧きます。いかに、その先史時代からここまでに至ったのか? アフリカ大陸の片隅で自分たちが生きるのに精一杯な取るに足らない存在の類人猿から、地球の支配者になったのか?
大抵、この疑問に対し、人間とそのほか全ての動物を比較して、個々の違いに目を向けます。我々が信じたいのは、人間には特別な何かがあるということです。人間の身体や脳に犬や豚やチンパンジーより、ずっと優れている特別な何かがあると信じたがります。
しかし、実は、個々の能力のレベルでは恥ずかしながら チンパンジーと差はないのです。
さらに言えば、もし私ひとりと一匹のチンパンジーを孤島に置き去りにした場合 生き残りをかけて必死になりますが、どちらが上手く生き延びる可能性があるか?私ならチンパンジーに賭けますね。
これは私に問題があるわけではなくて、ほとんどの人がたった一人でチンパンジーと孤島に置かれたら、チンパンジーの方がよっぽど生存可能性が高いでしょうね
人間とそのほか全ての動物の本当の違いは、個々の能力のレベルではなく、集団としての違いにあるのです。人間が地球をコントロールしているのは、人間が唯一柔軟かつ大勢で協働できる動物だからです。
さて、ほかの動物でも蜂や蟻のような社会性のある昆虫がいますね。多数で協働しています。ただ、柔軟性があるわけではないんです。彼らの協働は、とても柔軟性に欠けています。ミツバチの巣は基本的に、ひとつの方法でのみ機能しています。
もし、ミツバチが新しい環境や初めて遭遇する危険に出くわしても、一夜にして新しい社会システムに作り変えることはできません。
例えば、女王蜂を処刑してミツバチ共和国を設立したり、働き蜂の共産主義独裁政権を設立したりそんなことはできません。
ほかにも、社会性のある哺乳類はいます。オオカミや象やイルカやチンパンジーです。彼らは、もっと柔軟に協働できます。でも、それは少数に限っての場合です。ネアンデールタール人も同様でした。この広い大地であんたのことをよく知りもしないで協働なんてできるわけないでしょ?という具合にです。
ふたつの能力を持ち合わせ、柔軟性を持って大勢でも協働できるのは、唯一我々、ホモ・サピエンスだけなのです。1対1。あるいは、10対10ならチンパンジーの方が良い成果を出す場合もあります。
しかし、規模が巨大で1,000人の人間に対し、1,000匹のチンパンジーなら容易に人間が勝ちます。理由は簡単です。数が1,000匹となるとチンパンジーは協働できないからです。
10万匹のチンパンジーをオックスフォード・ストリートや ウェンブリー・スタジアム。はたまた、天安門広場やバチカンに連れてきて押し込んだら、もうそこは完全なるカオスです。想像してみてください。ウェンブリー・ スタジアムに10万匹のチンパンジー大混乱ですよね。
対照的に、何万もの人間が普通にスタジアムに集まりますが、それでもカオスにはなりませんよね。
その代わりに、極めて洗練された効率的な協力の輪を築きます。これまで人類が成し遂げた偉業は、ピラミッドであれ月への飛行であれ、それらは全て個人の才能によるものではなく、大勢が柔軟性をもって協働できるという人間の能力によるものなのです。
さらに、情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
このプレゼンテーションひとつをとってもそうです。今、300から400人の観衆の皆さんの前に立っていますが、ほとんどの方が私にとって初めてお会いする方々です。同様に、このイベントを運営している人々のことも私はよく知ってるわけではありません。
それにもかかわらず、お互いに知らない同士でもここでアイデアをグローバルに交換するために、私達は協働することができます。チンパンジーにはこれはできません。
もちろん、チンパンジーもお互いにコミュニケーションをしますが、遠く離れたチンパンジーの群れにバナナや象やその他チンパンジーが興味がありそうなことについて、遠路はるばるプレゼンするためにやってくるチンパンジーなんていません。
たしかに、協働がいつも万能で絶対良いわけではありません。これまで人間がしてきた忌まわしいことも、実際、我々がしてきた酷いことも、大規模な協力から生まれたものです。
監獄も協力体制の上に成り立っていますし、大虐殺もそうですし、強制収容所も然りです。チンパンジーの世界には、大虐殺も監獄も強制収容所もありません。
皆さんは納得されるでしょうか?人間は大勢でも柔軟性をもって協働することができるから、地球をコントロールするまでになったと。すると、探究心のある方々は、すぐに次の疑問が湧いてきますよね。まさに、どうやって協働しているのか?
ほかの動物にはできないような協働を可能にするのは何か?答えはズバリ、想像力です。妄想とは異なります。
人間は、無数の知らない人たちとも柔軟性をもって協働することができます。それは、この地球上で人間だけが唯一想像したり架空のストーリーを作り、それを信じることができるからです。
全員が同じフィクションを信じたりすれば、同じルールや基準や価値観に従って、全員が行動します。
つまり、概念です!!集合的無意識というか、通常は、各国の社会システム内の義務教育の国語、算数、理科、社会で洗練抽出されたエッセンスを学びます。
その他の動物が行うコミュニケーションは、良くも悪くも事実を伝えることだけに使います。チンパンジーの場合「見て!ライオンがいる!逃げろ!」とか。「見て!あっちにバナナの木がある! バナナ取りに行こう!」とかです。
対して、人間は事実を伝えるためだけではなく、良くも悪くも、新しい現実や架空の現実を創り出すために言葉を使うのです。人間は「ほら、雲の上に神様がいる。もし、私の言う通りにしなかったら、死んだ時に罰として地獄に送られてしまうよ」と言えるのです。
もし?全員が、今、私が作ったこのストーリーを信じたら、同じ規範、法律、価値観に従うことになり、協働が可能になります。人間にしかできないことです。
バナナを渡すようチンパンジーを説得するのに「死んだら天国に行けるよ」と約束してもダメです。「その善行によって、天国でたっくさんのバナナをもらえるよ・・・だからバナナちょうだい」チンパンジーは、絶対にこの話を信じませんよね。人間だけがこういった話を信じる。
これが、繁栄に良い場合も悪い場合も人間が地球をコントロールし、一方で、チンパンジーが動物園や研究所の檻の中に閉じ込められている理由です。精神病と言われる人間もです。
同意いただけると思いますが、宗教では、同じフィクションを信じることで信者は団結しています。何百万人という人が一緒になって、大聖堂やモスクを建てたり、十字軍やジハードで���うのは、神、天国、地獄といったことを皆が信じているからです。
しかし、ここで強調したいのは、人間がなし得る大規模な協働はどれもまったく同じメカニズムにもとづいているということです!宗教に限ったことではないのです。つまり、概念だから!!
ところで、宗教とは何でしょうか?神や天国と同じように、宗教もホモ・サピエンスが作ったストーリーなのです。客観的な現実ではありません。人類になんら生物学的影響をおよぼすものでもありません。
人間のカラダを切って開いて、中を見ると心臓、腎臓、ニューロン、ホルモン、DNAでも宗教は見つからないでしょう。宗教が見つけられるのは、我々が作って広めてきた社会システムのストーリーの中だけです。
それらは、とても前向きでとてもいいストーリーかもしれませんが、やはり、我々が作り上げた架空の社会システム内のストーリーです。
これは、政治の分野でも当てはまります。近代政治において最も重要な要素は国家です。ところで、国家とは何でしょうか?これらも客観的には実在しません。山は物理的に存在します。見ることができ、触れることができ、匂いを嗅ぐことができます。
しかし、国家?イスラエル、イラン、フランス、ドイツなど。国家は、人間が作ったストーリーにすぎませんが、その考えは非常によく定着していきます。
経済の分野も同様です。グローバル経済で重要な役割を担っているのが、企業や法人です。おそらく、ここにいらっしゃる多くの方が、どこかの法人に勤めていると思います。
グーグルやトヨタやマクドナルド。これらってつまりは何でしょう?法律家は、これを法的擬制と呼びます。法人も人間が考案した作り事ですが、強力な魔法使い達によって守られています。まぁ法律家たちのことですが・・・
法人は、一日中いったい何をやっているのか?大部分は、金を稼ごうとしているんですよね。
ところで、お金って何でしょう?
またしても、お金とは客観的には実在せず、客観的価値もありません。この緑色のドル紙幣見てください。何の価値もありません。食べられないし、飲めないし着ることもできません。
でも、これが優れた語り部の手にかかると、大手の銀行マンや財務大臣や首相が語ると、とても説得力のあるストーリーになります。
実際のところ、お金は、人間が考案し受け継がれてきたものの中でもっとも成功した例の一つです。全ての人が信じる唯一のストーリーだからです。全員が神を信じているわけではありません。全員が人権を信じているわけではありません。全員が国家主義というわけではありません。
ところが、お金やドルはほぼ全員が信じるところとなっています。
つまりは、人間は二重の現実にいるので世界をコントロールしているんです。他の全ての動物は、客観的実在の世界だけに生きています。彼らの現実は、実在的に存在するもので構成されています。川や木やライオンや象のような実在です。我々人間も実在の世界に生きています。川や木もあればライオンも象もいます。
しかし。何世紀にもわたってこの実在の世界に加えてフィクションの世界というもうひとつの層を形成していったのです。概念の世界です。国家、神、お金、法人のようなものです。
そして、驚くべきことに歴史の過程でこの架空の現実がよりパワーをもつようになり、今日の世界ではこの概念の存在が、もっとも力を有しています。今や川や木やライオンや象が生き残れるかどうかは、まさに、概念の世界の決定や願いにかかっているのです。
アメリカ合衆国やグーグルや世界銀行のような人間の想像の中だけにある存在にかかっているのです。
数学は、この二重の現実を虚数、複素数という概念の発明で数値化できるようにしています。信号処理、制御理論、電磁気学、量子力学などにも取り入れられています。
ラファエル・ボンベリ、デカルトは初めて虚数という概念を数値化し活用し、ゼロや負の数ですら架空のもの、役に立たないものと考えられていました。
オイラーやガウスが発展させていったことでも有名です。
スイスの偉大な数学者レオンハルト・オイラー。
その才能ゆえに1700年代には、あらゆる数学者達が彼を師と仰ぎました。とても尊敬されて、現代では欧州で紙幣になりました。
この時代の解析学においては膨大な業績がありすぎて、微分積分の創始、この分野の完成に貢献している天才。級数や母関数の方法・近似計算・特殊関数や微分方程式・多重積分や偏微分法もこの人ひとりの業績です。
名前もオイラーの公式などに残っている。物理学者のリチャード・ファインマンはこの公式を評して「我々の至宝」かつ「すべての数学のなかでもっとも素晴らしい公式」だと述べてもいます。
フェルマー以降進展がなかった整数論において、ラグランジュの出現まで単独で研究し続け、オイラー関数にも名前が残っている。ゼータ関数を初めて扱い始めたのもこの人です。
幾何学では、「ケーニヒスベルクの橋の問題」が特に有名。グラフ理論の起源となってトポロジーへと発展している。
ライプニッツによって定義された関数を初めてy=f(x)の形で表したのもオイラーの業績。
現代で主要な数学表記記号のほぼすべて(πやSinθ、Cosθなど)を作った人。
古典力学や光の波動論などの数学的な土台を構築していて、物理学でもよく使用されています。
そのほかの数学表記記号には、和の記号Σや虚数単位i、自然対数の底eといった記号もこの人の貢献です。
現代のコンピューターでよく使われるアルゴリズム的な計算方法もオイラーが考え出しています。この人が大昔にいたからこそ、量子力学も存在できるような天才的な業績を上げています。
ニュートン、ライプニッツ以後の解析学を大きく発展させ、複素数の世界を自由自在に使いこなす手法もこの人が一人で構築しています。
位相幾何学の初期の土台構築もこの人の貢献です。
1911年に始まった「オイラー全集」という書籍は、生前に残した原稿は、整理できないままま保管され続けていて、ベートーベンの作曲のように未完成となっています。
やがて、コンピューターの登場で数学の世界では、爆発的な進歩を遂げます。コンピューターが主役になり、人類の計算能力が飛躍的に高まったのです。
位相幾何学は、その後、コンピューターを活用し発展します。
<おすすめサイト>
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
マーク・パーゲル:言語能力が人類に与えた影響について
サラ・パーカック:宇宙から見た考古学
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現時点2015年での時間の概念の解釈について
ディヴィット・チャーマーズ:あなたは意識をどう説明しますか?
ファン・エンリケズ: 我々の子孫は別の種になる?
ジュヌヴィエーヴ・フォン・ペツィンガー:ヨーロッパ中の洞穴に描かれた32個のシンボルの謎
<提供>
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カンボジアのVANNDAさんとタイのOG BOBBYさんの、Rolling Loud Thailand 2023!
曲は「BONG」 in Levi's STAGE。生きているうちに”もう1度”だけでも、カンボジアの
ラッパーのパフォーマンスを見る機会が「ある」のかな?とか、考えながら見ていました。
あとエロい事と、みんなトラップミュージックとスモークとCBDが好きね、とか思いながら.
カンボジアの他にもマレーシアやシンガポールとかのラッパーのステージを生で見る
ハードルは、決して低くは「ない」。
4月11日 (DAY1 in Thailand)
外国語が、テレビの『オモシロ動物特番』に出てくる”サル”並に話すことができない。
あとタイって街中に地図がない。そのため、目的地に着くのが大変なのを現地で知る。
さらにグラフィティはどこに描かれているのか正確な場所&情報は、ネットにほぼ無い。
30℃を超える高温多湿の中を数時間近く捜索して、日本・羽田空港発の深夜便で
タイに到着してわずか3時間後に、脱水&身体の熱でアタシ死にかける。ちなみに・・・
グラフィティ・スポットとして有名な、高架鉄道BTSのラチャティーウィー駅近くにある
チャールムラー公園に、”BLACKPINK”がモチーフのグラフィティがありました!
1日目は、タイ東北部のイサーン地方やお隣の国・ラオスの伝統歌謡であるモーラムの
ショーを見ることができるパブ『イサーン・ラムプルーン』へも行くことに。しかーし、
店がある地区へのルートが徒歩だとトンネルの中ある横道の階段を登っていかないと
着かないような激ムズのコースで、マジ分からない。最寄駅から到着するのに2時間・・・
夜も気温は30度近く、高温多湿で、1日目から死にかける×TWICE!TT
4月12日 (DAY2 in Thailand)
Rolling Loud Thailandへ向けてバンコクから南東へ160キロ、開催地であるパタヤへ。
パタヤといえば、タイ湾に面したパタヤビーチが有名なリゾート地。BAD HOPで知った
「Ocean View」がセールスポイントのホテルを取りました。でもね、アタシの部屋は
海の反対側に配置。窓の外に広がる景色は、社会経済発展の裏側、住民が生活する
平屋のゴミ置き場でした!海が見えない。当然、ホテルにはアメニティもない。
4月13日 (DAY3 in Thailand)
世界最大級のヒップホップフェス『Rolling Loud』が、2023年にタイで開催される初日。
パタヤビーチからRolling Loud Thailandの会場となるレジェンド・サイアム・パタヤへ。
『レジェンド・サイアム・パタヤ』はテーマパークだが、近くに電車の駅やバス停はない。
シャトルバスも出てない。日本へ帰った今も、他の人たちがどうやって会場入りしたか
疑問なのですが、アタシはバイクタクシーを選択。バイクタクシーa.k.a.モーターサイ は
バイク(HONDA Wave)にドライバーの後ろに乗る2ケツで移動する交通手段である。
ただし客にヘルメットはない、シートベルトも荷物置き場もない、スピードは80km/hを
超えると思うが保険の加入もない、スピードメーターとか計器は動かない、また運賃は
決まっていない、すり抜けはデフォルト、あと客の2~3人を一台に乗せてたりするし・・・
道路は、白線がなかったりもする。またアタシが乗ったバイクタクシーのドライバーは、
レジェンド・サイアム・パタヤを知らない、Googleマップで場所をお伝えしました。
現地の人でも知らない、シャトルバスもない、でも世界最大級のHipHopフェスとあって
来場している人は多くいる。となりますとですよ、交通手段の供給を需要が上回る。
Rolling Loud Thailand 1日目が終了した午前24時過ぎ、パタヤに”難民”が出現です。
もちろん、Me Too!
タクシーかバスが捕まるか、ホテルまでひたすら歩く人たち。道端やコンビニで休憩、
また2kmくらい歩いていた人も見ました。アタシも、徒歩&タクシーでホテルに着くまで
約2時間かかりました。そして午前2時過ぎからシャワーを浴びて、携帯機器を充電、
荷物を詰めて、寝たら飛行機を乗り過ごす可能性があるため、睡眠なしで帰路につく。
4月14日 (DAY4 in Thailand)
まだあたりは暗い、早朝5時前。飛行機へ乗り継ぐ、パタヤ市内のバスターミナルへ。
タイ4日目で、寝床はついにバスターミナルのベンチ!しかも、途中からホームレスの
女性が来て、そして4列くらいベンチはあるのに同じベンチで添い寝。ディープな現地の
女性とタイの朝を迎えました!
タイには現在10万人近いホームレスの人がいるそうです。その中には、隣国である
ラオスやカンボジア、ミャンマーなど外国人も多くいるようです。背景にはタイが抱える
貧困、またアルコールやドラッグの問題や、そして各国の政情などがあるみたいです。
タイで苦労がある方も多いようですが、アタシも苦あり。パタヤからバンコクの空港へは
移動できたものの、飛行機が遅延。タイの空港で5時間待機し、1日を掛けて移動して
羽田空港へ到着したのは深夜の23時30分頃。そして税関&手荷物検査を終えたのは、
日をまたいだ翌日の午前0時過ぎ。とうぜん、家までの電車もバスもない。そのため
空港から、逆”Cardi Bさん「Money」状態”のお金に余裕はないけどタクシーで帰宅。
そして帰宅し約4時間の睡眠をとり、つまり2日で5~6時間程の睡眠で帰国1日目から
オール、約18時間を超える徹夜仕事(空き缶を拾う)へ出たのでした。そんな・・・
from Japan to Thailandの444+222日。
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/てっちゃんとさとちゃんの展示会/
気圧され言葉がでないとはこのことか。寄り目になるくらい凝視し、天を仰いでしまった。▶︎てっちゃんのどことなくノスタルジックな気配を醸す油彩画と紙粘土製の極彩色のデコオブジェは、自由に時空を超える束縛されぬ魂。▶︎さとちゃんの幽霊地蔵、しばられ地蔵といった「江戸変わり地蔵」の写真を観ていると、ぶっすぶっすと時間を貫いた民の祈りの声が耳元に聞こてきそうだ。▶︎現在、世界中を飛びまくっているアートプロジェクトの「引き受け地蔵(司教)」の地蔵様たちが壁面に浮遊し、幾体かは教会の十字架のように集められて光のなかで輝き美しかった。会場では恵比寿天様かと見紛う破顔の上遠野先生こと、さとちゃんにお会いし、この上ない僥倖。嬉しさのあまり木製の子鹿を1匹連れて帰った。
gallery &cafe茶廊法邑は、ぐるりと空間を囲む下窓から小庭の雪見ができて素晴らしい。こんな贅沢な環境が札幌以外にあるなら教えてほしい。行きます。
帰りはてっちゃんのお店、「てっちゃん」に寄り、〈生〉てっちゃんを拝顔し、〈生〉餃子のテイクアウト。家で焼いて食すとピリッと辛くて酒好きにはたまらない味だ。ギャラリーから車ですぐなのでぜひお立ち寄りを。てっちゃんの奥様も菩薩のような方。雪降る祭日のなんとも味わい深いギャラリー巡りであった。
“札幌国際芸術祭2017「札幌の三至宝」の一つ「大漁居酒屋てっちゃん」の作家・阿部鉄男と500m美術館で大量のお地蔵さんやフェルトのぬいぐるみを並べた上遠野敏のコラボ展”(リリースより抜粋)
企画: 上遠野敏 2023.3.5まで。
Artist ig
@satoshi_katono
「てっちゃん」
東区本町2条5丁目7-13 操ビル1F
営業時間: 10:00-18:00
12月にオープンしたばかりですが、アンティークとてっちゃんの絵に囲まれた落ち着く餃子🥟の旨いお店
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2023/02/12 日曜日、以前から関心があった「うつろ舟」展を、常陽史料館で開催してるとニュースで知って、早速出かけてみました! 初めてUFOが目撃されたのは、1947年からのアメリカ人の目撃情報ですが、それより150年前の1803年に、常陸国の鹿島灘の海岸沖に漂流していたお釜状の円盤(3m×5m)UFO(未確認飛行物体)を引き上げたら、全く言葉の通じない赤い髪をした美女が、60cm四方の箱を茨城県神栖市波崎舎利浜と特定されて、架空の話ではないと話題になっており、昨年11月の茨城新聞、2月1日のと2月7日のNHK���ュースでも放映され、常陽藝文史料館で3月19日まで開催しているので、興味がある方は是非ご覧ください。 #iPhone日記 #常陸国 #うつろ舟 #UFO #未確認飛行物体 #常陽藝文史料 #不思議ワールドうつろ舟 #「常陸国うつろ舟奇談」の謎 (常陽史料館) https://www.instagram.com/p/CoqMQo3SOpz/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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思い出とは消化できずに残った記憶
Twitterのサークル機能をつかって備忘録てきなつぶやきを連投してサークル外の人に見えるツイートを圧迫するのは本望ではないので過去ツイを振り返りながら消化していこうと思う。
「日向でいきいきする植物はすごいと思う」
植物は地球上の動物が生成した二酸化炭素を酸素に変換している。人間には酸素が必要だが、植物には二酸化炭素が必要だなんて、なんて都合のいい設定…。素晴らしい共生だ、共依存みたい。
「もしも俺が明日死ぬなら、爆弾かかえて向かうんだ永田町に小泉首相に会って目の前で吹き飛びたい」
RADWIMPSの曲や詩は帰ってくる場所みたいだ、思春期にたくさん影響をうけた。思春期を超えて考えがアップデートされたとしても、振り返ってルーツとして選んでしまうなら、思春期こそ人生だ。
「イカよりもほんとはトビウオがつりたい」
ひとの影響でイカをたくさん描いた、今日めおさんと話した様に、他人は鏡であって外界からの影響で好きになったものだったとしても、それも含めて自分の選択であると捉えていいし「見なくても描けるようになった」モチーフを増やしていきたいし、それみたいに興味のあるものを描写したい。
「この時間の肌が一番青白くみえる、水中での発色に近い」2022/7/11 19:01 わかる。
「身体性が伴うものってそれが嫌いになる過酷さとそれが好きになる過酷さがあると思うんですけど、今日の下校は後者。どーぷ」
帰りに土砂降りのあめのなかバイクで走ったときの。夏の雨が肌を伝いながら走るあの時間が、自然と一体化するような、風になって雨と雨の中をすり抜けていくような。
「ドロドロのホットケーキ食べたい」
ホットケーキは生焼けがうまいんだ
「山上の手紙読んだ、凶悪事件の犯人の手記等は古本で買うのが境界線を越えないささやかな対策だったのだけれど、彼の手記が発売されたら新品で買ってしまいそう」
これは後に友達が反応してくれたのだが、社会的にどうしても取りこぼしてしまう人というのは居て、そういう人からこそ生まれるドラマがあるし、それに安全なところで触れられるのは贅沢な体験だ。
みたいな話をした、あとドキュメンタリーなど、全然情報を追えてないけど卒制終わったらそういうインプットしたいな。
「ディベートが苦手という人もそうでない人もいると思いますが自分をそう評価するに至ったこれまでの討論が‘印象‘の植え付け合いでの勝敗」でなかったか思い出してみてくださいね。」
コミュニケーションというのはある訓練があって初めて出来る様になる。それが幼い頃からできていた人もいればそうでない人もいる。ディベートというものも同じで苦手意識を持つ必要はないのだ。最近の高校生の国語の授業の形態というのは、そういった訓練を取り入れる様になっているらしく、これから出てくるルーキー達はしっかりと他人と一緒に考える力がある人が多いかもしれない。
「山上のTwitterをみた感想を述べたのだけど、歴史は今、ここ、私に向ってはいないになってしまった。まぁそりゃそうなんだけど」
構造主義の話。歴史というのは無限の選択肢の中から一つずつ選んできた結果であって「今」に向かって一直線に恣意的に選んできたわけではない、らしい。山上のTwitterも「今」から見ると色々と見えるが、偶然の重なった結果、かもしれない。
「芸祭あと二回参加させてくれ」
魂の叫び
「もこうの余興に対してオーイシが、あの時彼は誰かに何かを伝えるために存在していた、あれこそ人間のする表現。って言ってて赤べこになっちゃった。生身が生身に伝える表現PDCAサイクルをなぞるだけのニュートラルなものじゃないゾ」
表現というのは学習ではないのだ。あたりまえなんだけどさ
「檜皮一彦」
車いすの作品
「小学生の頃姉に、‘道徳の授業‘ってなんかキモイよねと言っていたらしくて笑った」
アナーキー!
「友達に久しぶりにキラキラしてるって言われた、キラキラしてるならええか」
switchを得た時のツイ。この間この友達の社長のはなしをきいて「大人なのに目がキラキラしてる」って評してた。わたしも目をキラキラさせよう。世界のすべて遊ぶための道具にするのじゃ。
「友達にお絵描きAIおもしろいよーと教えたら、ナニコレこんなんみこっちゃんの方がいいやん、と言われてハオ」
勇気かよ。まぁでもAIどうのこうのって話見てもなんとなく「私の絵は出てこないだろうな」と思っている、なんとなくそういう自信がある。
「旅先でヤンヤンツケボーを食べるのは、現実へ戻ってこられるように残したトリガーなんだよ」
旅が好きだけど、景色をみてその土地をいいなと思って、その土地のものまで食べてしまったら、なんとなく帰れなくなるような気がしてつぶやいたんだけどもしかして千と千尋か?
「職業:旅人 がいい~;;」
��ーちゅーばーになります、か。
「過去のブログのスクショ先生からいわれた適材適所みたいな話」
今日友達とはなしたけど卒制はこれから絵で食っていく自分へのエールになるものにしたいんだよね。いままでに一円でも私の絵にお金を出してくれた人がいるなら私は絵で食っていきたいし、サンクコスト効果の祝福と呪い
「やっぱり、裏切りおにぎりというあだなはおもしろい」
まさおくん人くさくて結構すきだけどな。あとオラ夏でまさおのそっくりさんが「僕はロボットが好きなんだ、だから僕もロボットなんだ」って言ってたのすごい哲学だった。
「ヴォーリズの設計による駒井家住宅」
まじでこういう家に住みたい。
「ぼくはハート舌なんで天然スプタンです」
身体的特徴。わたしにとっては普通だけど、べろが割れてない人からしたら特徴になる。
「積層が苦手でいつからか不完全燃焼のまま終わるようになったって話したら描写が乗る描写しなきゃっていわれたからそれやってみる」
今日めおさんとまた話した、絵画でいうグレーの話と「このバイク動かないもん!」(笑)
「コロナ禍でよかったのは誰もいない砂浜にバイクで行って寝転がりながら授業うけたりできた事」
「僕が高級車を破壊するギャル描いてあげるよ」
イラストと絵画のちがい。
「思春期こそ人生」まーた言ってら
「今日たまたま見た占いしし座が、三人以上で行動すると吉、だったので6万5千人と行動を共にして大吉かも~」
今までで一番面白い試合だったな
「理屈と絵の具はどこへでも付く」
「アクセルは私のフェチ構築に食い込んだキャラだと思う」
キャラとキャラクターのはなし
without undo って展示やりたいな
アンドゥをしないで描いたイラスト。
「何も生まないオタクという言い回しを知って泣いている」
哀しいこと言うなよ;;
「くだらない絵しか描けない、それでもイイ!」
「すずめの戸締り音楽も良かった、新海誠がRADと縁がつながってから新海もRADすきなんやなーよ思いながら観てたけど今回のはRADを聴いてきたからこそ通じ合える部分みたいなところが沢山あった。それがRADのMVにならずに実現したのは陣内一真も関わってるからなんだろうなと勝手に予測してるオタク」
「教授との面談、こぼさないようにと思えば思うほどこぼれていきそう(笑)整理するために誰かとはなしたい」
ガスト言って話せた
「新海誠本読んで全体的に良かったけど、異形の者との旅にした話はほりさげられてなくてかゆい。個人的にはそこも知りたいのに」
「物語、もといキャラクターは架空の人格で現実を心体験できるデータがつまったカセットなんだよねん」
ってことを調べてたら『テヅカイズデッド』が出てきたわ。よむゾ
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旅行記
写真めっちゃ多いのと一言シリーズです。言っておきますけどクソ長いですからね。今年のGW後半は法事で母と地元に帰還しました。実親は私の生まれ故郷を離れているためにもはや帰る家は無く、ほぼ旅行みたいなものなんですけど。
往路での初飯は空港のおにぎり屋さんみたいなとこでした。カフェインがダメな体質なので売店のお茶で唯一ノンカフェインのとうきび茶をセレクト。赤飯は結構好きです。
名も知らぬ飛行機を乗り合わせた方々。飛行機降りてからの長い通路、好きです。
モノレールか新幹線か、どっちかです。カーテンあるので多分後者。
10年とは行かないまでも7〜8年振りくらい。改装後は初なので懐かしいけど思い出よりも綺麗になってて笑いました。
初日の宿は、
ドーミーイン!人生初でしたが快適すぎて最高でした。一生住める。ゾンビ溢れる世紀末になったらドーミーインか映画館に避難したいです。
この向かいの建物なっっつ!ってなりました。入口地下のライブハウスとか1Fスタバとか、高校時代にお年玉持ってここでカバン買ったりとかしました。Tommy Hilfigerのボストンとか()エモくて死にました。
昔はここの通りにセブンなんてなかったと思うんですけどね。あと右側に大きい黒人の人が通行人に声かけてブランド品をぼったくり価格で売ってる店みたいなのがあったんですがここではなかったかもです。
単焦点での駅前。
広角での駅前。クソ田舎のくせに一丁前に流行りの格好した若者が沢山いてネットの普及と時代の流れを感じましたが歩き方やら声のボリュームやらのイキリ方があまりにも青臭くて「これぞ長野県民のクオリティだ」と実感すると同時に長野の嫌なところを再認識させられました。こんなとこに住んでたまるかって感じです。
この世で美味いビールのTOP3に入る志賀高原ビール。
美味い酒とでかいステーキにご機嫌になります。480gとかだった気がしますがこれ以上でかいサイズがなかったので致し方なく。1kgくらいは余裕です。
肉肉しくってよ〜。
食後は観光がてらライトアップしてる善光寺へ。
さっきの棒みたいなのが貴重?だとかなんだとか。触れるようなので触っておきました。行列できててウケました。
お戒壇めぐりってのを小学生の時にやりましたね。何も見えない真っ暗な中で前歩く人の肩に手を置いて進み奥にある鐘みたいなの鳴らすんですよね。
ここぞとばかりにいろんな写真を撮ります。
Youtubeライブ配信は善光寺にまで。ケーブルテレビという呼称がエモ。
牛に引かれて何とやらの牛くんじゃないか!かぁいいねぇ。
仲見世通の赤ライト。
善光寺仕様のスタバ。他店よりほうじ茶系が美味そうという偏見。
目が逝ってる鳥。
風神だったべか。
じゃあこっちが雷神だべな。
この地域では有名な式場です。従兄弟の結婚式で来たことがあります。
チン......ライポくんね。
この水溜まってるやつ、よく分からないけど長野って感じ。
懐かしさ。
なんかカフェと併設した絵画の展示場だったかの入口。怖い。
ぞうのぞう。
門前町なのでこんな不思議な駐車ができるのです。長野って感じ。
食べたことは無いです。美味しそう。
知らないキャラです。
アッ!八十二銀行!八十二銀行じゃないか!元気だったか?お前の名前を見たり聞いたりすると長野って感じがして、すごく懐かしいよ。
これ好きな写真です。通りに花を飾るイベントみたいなのの前日だかだったのでお花がいっぱいありました。綺麗でした。ロマンチック。
Hana.
flower.
furawa-.
これも好きな写真です。
PCR検査場あって何だか笑いました。何でだろう。
旅行2日目の朝食バイキング。野沢菜おやきが懐かしすぎて良かったです。前夜の夜鳴きそばは写真撮ってないです。
朝食もそこそこに法事のためながでんへ。出発数十分前に早々に乗り込んだのでだーれもいやしません。
別に乗り物は好きでは無いのですが折角カメラあるし他に人いなかったのでチャンスとばかりに撮影。多くの人が利用するはずの場所に全く人がいないというシチュエーションは大好きです。
無人。
で、コレですよ!電車の開閉ボタン、懐かしすぎ。今の職場に新潟出身の人が居たんですけど(過去形)このボタンの話できてちょっと盛り上がりました。
ホーム。
ホーム逆サイド。これだけだと夜の外ホームに見えますね。
電車。人居たらこんなの撮ってません。興味もないですし。
法事終わり。寺の写真を勝手に撮るのは勿論よくないんですけど、ここ父の実家なもんで。親族ですから。
これ書いてる時に気づいたんですけど善光寺の水溜まってるやつは、これを想起させるから懐かしかったんですね。お墓参りの水汲むとこです。
新緑、って感じですね。よく晴れている。
上の従兄弟。野球選手のマエケンをもっと強面にした感じの副住職。子供は下の従兄弟の息子なので叔父と甥ですね。
除夜の鐘でついたことがあります。
父と息子の履き物。いい写真。
本堂への通り道。関係者しか入れない場所です。
「三つ葉葵」があるんですよ。
玄関の喫煙スペース。従兄弟がここでタバコを吸います。俗物。一緒にアメスピを吸った思い出が甦ります。
法事終了。2日目の宿はかつて高3の卒業までの半年を過ごし、以降は帰省先となった村へ。移動手段が母の職場の後輩であり、自分の高校の2個上の先輩であると判明した方に送ってもらいました。懐かしい道のドライブでした。
夕景ってなんでこんなに美しんでしょうかね。
これ美味いんですよ。
夕飯。旅館・民宿って感じでいいです。白米は美味いわ山菜は美味いわで良かったです。それ以外は普通。
温泉。誰も居ませんから...。
ここの温泉まんじゅう、死ぬほど美味いんですよ。村内にいっぱいまんじゅう売ってるんですけど自分はここが一番好きですね。
エモすぎる!ヤマザキショップ!村内唯一のコンビニですけど普通に閉まるんですよね。2016年頃に一時帰省してた時はここでモンスターとかおやつとか買ったな〜。タバコも買ったっけか。
かつての冬季五輪のキャラらしいですよ。
お気に入りショット。
3日目朝。
これはガチ近所。
山々。
綺麗な景色です。田舎は嫌いですがこういうの見ながら育ったのは良かったですよ。四方を見回せば山に囲まれてるの、安心します。
この朝の景色撮るために前日夜に確認したバス乗り場をあえてスルーして次の知ってる乗り場に行ったんですけどそのバス停が無くなってて「戻るほどの時間はないけど乗り遅れたら新幹線も乗れなくなる!」ってなってクソ焦りました。結局早足で先に進んでさらに次のバス停に到着できました。
駅前。学生時代の寂れた駅舎の面影はありません。時代��変わりますね。生きてる間にあと何回ここに来ることができるでしょうか。特段用事もないというのに。
ハイ!東京!渋谷からバスに乗りました。今回のお目当てのSleek Eliteさんに向かってます。ハードケースは往路の時に東京駅に預けてました。GWでクソ並んでる中で颯爽と荷物を預けてギターを回収した時の、行列からの視線と地震の中に湧き上がる爽快感といったら。エクボクロークいいですよ。
Sleek Eliteでの用事は10分も経たずすぐ終わってしまいました。中心部に戻るためにバスで、人生初の阿佐ヶ谷に着弾。スタバは写真撮るだけで寄ってはないです。今回の旅はスタバに縁があったな。
本日の宿は東京駅近くです。
僕はドーミーインのが好きでしたが、後で聞いたら同行した母はこっちが良かったとのことでした。
夕景。今回はずっと晴れててくれました。なんだったらこの日は25°とかまであったので暑かったです。スキューバ素材の黒の長袖なんか着ちゃってました。
本当は夜に長年会ってない友達と会う予定でしたがお仕事の都合で急遽キャンセルに。予定もアテもないままご飯を求めて外に出ました。
設定変えて同じ景色を撮影。大人になってから紫好きです。
何でこのタイミングで撮ったのかは分からない。
東京にはたっかいビルがいっぺあんな。
憧れ?の丸の内OLの波動を感じる......。
散歩中に見つけた路地。誰も居なくて最高でした。都会の路地って感じの路地っていいですよね。龍が如くとかでもそういう道好きでした。大阪だけど。
駅前の繁華街まで来てしまいました。ちょっとエッチなお店があって怖い人に声かけられないかとかドキドキしました。
高架下。
いっぱいご飯の店あったんですけどあまり惹かれず全スルーして散歩継続。路地があれば入っていくぅ!
移動しまくって室町テラスへ。ここ相棒16のロケ地かと思って写真撮ったんですけど東京スクエアガーデンてとこだったので勘違いでした。
彷徨った結果巡り合ったのはミニストップでした。人生初で興奮しました。いい散歩になったと思います。
マンゴーとバニラだったかな。東南アジア系の外国人さんがワンオペ店員で日本人の田舎者の自分にソフトクリームを作ってくれるという構図にTOKYOを感じました。
旅も終わります。13階の景色いいです。バカなので高いとこ好きです。
最終日の朝食は早めに空港へ行きブランチをば。
ホットケーキって言え!
そこそこおしゃれな店でしたが忙しそうな店員さんに「メープル追加でかけられませんか?」と尋ねてしまう愚かな私をどうかお許しください。ドバドバかけて最後は皿に残ったのを飲みたいくらいメープルシロップ好きなんですよ。ちなみにダメでしたね。
そんな旅でした。
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シン・エヴァンゲリオン劇場版:||
パリ市��戦(アバンタイトル1)
物語中では赤く染まった姿で登場するパリ市街とエッフェル塔。エッフェル塔は戦闘で大破し、マリには武器がわりに使われる。赤く荒廃したパリ市街地に、上空のWILLEの旗艦ヴンダーから艦隊とマリの乗るEVA8号機、そしてリツコが率いる作業員たちが降下し、「ユーロNERV第1号封印柱」の復旧作業を始める。途中NERVのEVAによる妨害を受けるが、8号機がすべて撃破する。復元作業を終えたパリ市街地は元の美しい姿を取り戻し、WILLEは旧NERVユーロ支部に保管されていたEVA2号機の修理パーツと8号機改造のための追加パーツを入手できた。
第3村(アバンタイトル2からAパート)
前作『Q』のラスト後、アスカはシンジ・レイ(仮称)を連れ、救助を求めて赤い大地を放浪していた。やがて三人は大人になった相田ケンスケに救助され、ニアサードインパクトの避難民村「第3村」へ辿り着く。同じく大人になった鈴原トウジ・ヒカリ夫妻らに歓迎され、彼らと共に第3村での生活を始める。レイ(仮称)は鈴原家の世話になり、挨拶を教わったり、赤ん坊(鈴原夫妻の娘・ツバメ)の世話や、村民に農作業などの仕事を教わる交流を通じて、人間らしい感情や言葉を覚えていく。一方シンジはアスカとともにケンスケの家に泊まるが、重すぎる罪の意識やショックから声が出せなくなり、廃人に近い状態が続いていた。その様子をアスカに責められたシンジはケンスケの家から家出し、NERV第二支部跡地で一人で過ごすようになる。そんな中でもシンジはレイ(仮称)やケンスケたちに見守られ、次第に元気になっていくが、その矢先、レイ(仮称)がLCLとなって死亡する。その日、NERVとの最終決戦に向け準備を進めるヴンダーが第3村に寄港し、船に戻るアスカに対し、シンジは乗船を志願する。再びヴンダー(Bパート)ヴンダーに戻ったシンジは爆薬が設置された隔離室に収容される。ヴンダーは衛星軌道上で決戦準備を進め、NERVのEVA第13号機を無力化する「停止信号プラグ」を完成させる。また、2機のEVAも「新2号機」「改8号機」への改造が施される。一方、ネルフ本部は「黒き月」とともに旧南極のセカンドインパクト爆心地へ移動する。
ヤマト作戦(Cパート)
WILLEはNERVを壊滅させる「ヤマト作戦」を発動させる。旧南極のNERV本部に対し、大気圏外からヴンダーで強襲、冬月が乗る同型の2番艦による迎撃を切り抜け本部を爆撃、さらにアスカの新2号機とマリの改8号機を投下する。両機はMark.07の大軍を突破するが、新たな小型EVAの敵軍により改8号機が足止めされ、新2号機は単独で第13号機へと向かう。アスカは、まだ停止している第13号機に停止信号プラグを打ち込もうとするも失敗。アスカは自身と新2号機を第9の使徒と化すことで事態の解決を図ろうとするが、突如第13号機が再起動して新2号機は大破し、現れた式波シリーズのオリジナルによって第13号機の中へ連れ去られる。第13号機が新2号機からプラグを抜き取ると、新2号機はLCLとなって崩壊する。
ヴンダーと交戦していた2番艦と3番艦が戦線離脱し、光の羽を展開、黒き月をもとに2本の槍を生成する。ヴンダー側はこれを好機と見て反撃しようとしたが、4番艦の不意打ちを受けて大破、Mark.09-Aによって再び制御システムを乗っ取られてしまう。改8号機はMark.09-Aを捕食吸収してアダムスの器の能力を手に入れる。無力化されたヴンダーの甲板に突如ゲンドウが現れ、ヴンダーの主機であった初号機を奪い、第13号機に乗り込みさらに深層の「マイナス宇宙」へと向かってゆく。甲板に出たシンジはEVAに乗ってゲンドウを追うことをミサトに願い出る。ミサトはそれを認め、シンジの行動の責任は全て自分が負うと宣言した上で、彼に託したいとクルーを説得する。シンジはミサトと最後の会話を交わし、マリの改8号機に同乗してゲンドウを追う。
マイナス宇宙(Dパート)
シンジとマリの乗った改8号機はマイナス宇宙へと突入するが、ゲンドウの第13号機は量子テレポートを繰り返して接近を阻んでいた。そこでシンジは初号機に残っていたレイに呼びかけ、改8号機内から初号機に乗り込む。シンジは初号機を覚醒させ、第13号機と格闘しながらマイナス宇宙内を流れていく。やがて初号機と第13号機両機は「ゴルゴダオブジェクト」と呼ばれる巨大な構造物へと到達する。気が付くと、シンジは14年前のNERV本部の第7ケイジでゲンドウと対峙していた。人類はマイナス宇宙をそのまま認識することはできないため、シンジの過去の記憶が再現されているのだとゲンドウは説明する。
第3新東京市、ミサトのマンション、レイの団地など目まぐるしく変化していく記憶の場所を舞台に、初号機と第13号機はそれぞれの槍を手にして戦う。しかし初号機は第13号機に敵わず、決着をつける手段は力ではないとゲンドウに諭されたシンジは、彼との対話へと踏み出す。場面転換し、シンジとゲンドウは古い電車の中で対話を始める。ゲンドウはシンジに、自らの過去や内心や願いを吐露する。そして実在しない架空のEVA「エヴァンゲリオン・イマジナリー」へと到達したゲンドウは、自身の目的は虚構と現実とが渾然となる「アディショナル・インパクト」にあることを明かし、エヴァンゲリオン・イマジナリーに2本の槍を使ってアディショナル・インパクトを起こす。一方でマリは2番艦へ辿り着き、冬月と久しぶりに再会する。冬月は自身の役目を終えたことを告げ、「後はよしなにしたまえ」とマリに伝えてLCL化し死亡する。
改8号機は冬月が用意していたMark.10 - 12を捕食吸収し、2 - 4番艦を撃破する。ヴンダーはほぼ壊滅状態であったが、残った力で初号機に必要な新たな槍を生成する。クルーを退避させ一人操縦席に残ったミサトは、ヴンダーもろともエヴァンゲリオン・イマジナリーへと突撃。生成された「ガイウスの槍」はシンジの元へと届けられる。ミサトが命を捨てて送り届けた槍を受け取るシンジを見て、ゲンドウはシンジが他者の命を受け止めるほど成長したことを知り、同時に自らの計画が頓挫したことを悟る。ゲンドウはシンジのなかにユイの姿を見いだし、それまでの自身の行いをシンジに詫びて、一人電車から降りてゆく。それと入れ替わりにシンジの前にカヲルが現れ、後の役割を引き継ぐと語る。
ここからは、アスカ、カヲル、レイの魂の救済が描写されていく。
まず、シンジがアスカの魂に呼びかけると、彼女は自身の過去や内面を吐露する。そこでは、泣いている幼いアスカの横に大人のケンスケが寄り添っていた。赤い海の砂浜で横になるアスカにシンジとマリが別れを告げ、アスカが乗った第13号機のエントリープラグが射出され、救済は幕を閉じる。
次に、カヲルとシンジ、カヲルと加持の対話が続く。実はカヲルは複数人存在し、繰り返されて来たエヴァンゲリオンの作品世界で、シンジを幸せにするために何度も手助けして来たと告げる。しかし、本当は自分自身が幸せになるためにシンジを幸せにしたかったのだと気付いたカヲルは、加持と話しながらシンジのもとを去っていく。
最後に、シンジは初号機の中のレイに語りかける。シンジは、世界をEVAのない新しい世界へ作り変えることを伝えてレイを見送る。シンジは世界を作り変えるため自らと初号機を槍で貫こうとするが、彼を守るかのようにユイが現れ、シンジを元の世界へと送り返す。そして初号機はユイを、第13号機はゲンドウを中に残したまま自らに槍を刺し、消滅する。続いて他のEVAも立て続けに槍に貫かれて消える。
送り返されたシンジは、青い海の浜辺に座っていた。そこにマリが帰還し、彼女が機体から飛び降りた後、最後のEVAとなった彼女の機体もまた消滅する。大人の姿になったシンジは宇部新川駅のホームのベンチに座っていた。向かいのホームには会話しているレイとカヲルの姿があり、それとは別にアスカの姿もある。シンジのもとにマリが現れ、マリはシンジのDSSチョーカーを外す。2人は手を繋いで階段を駆け登り、駅の外へ走っていった。
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湿った幾何学 / 大村高広
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見事に咲き誇っている八重桜の向こう側に、おなじような色をした、薄紅色の外観が見える。敷地のまんなかに多角形のボリュームが置かれ、余裕ができた南北にはささやかな庭がつくられている。塀やフェンスを取り囲むように植物が生えているし、プランターもたくさん置かれているけれど、植物も塀も、一見すると、誰のものかわからない。実際には既存の境界要素、つまりは隣家のものだと思われるが、「武蔵野の戸建」に所属する要素のようにも見える。まだ小さな木を見ながら、両方から水をかけてもらえるといいねと思う。
東側の前面道路には外壁がせまり、庇が道へと差し出され、ボリュームに切れ目を入れている。南東の敷地端部には袖壁が伸びている。たんに伸びているというよりも、敷地のかどに「食いついている」と表現するほうが適切かもしれない(軒先を延長すると、既存のフェンスの上端にぴったりと接続するように見える)。隣家の既存フェンスと共同してつくられる1,000mmという幾分��えめな幅の隙間は、門扉の慣習的なサイズを想起させ、公私の境界をゆるやかに提示する。通り抜けて敷地のなかに入ると、奥にいくほど幅が広がる空隙のかたちと6尺(=1,820mm)以下に抑えられた軒先の高さが庭に寸法以上の広がりを与えつつ、西側隣家群の緑地帯へと視線を誘導する。
色彩が統一されていることもあり、ほどほどの距離で眺めるとき、この住宅はひとまとまりの連続した単体に見えてくる。が、近づいてみるとむしろ「面」の個性が強く、文字通り面食らってしまう。八重桜とセットで眺めるときと、北側のアイアン・フェンスの背景になっているときと、前面道路との関わりで対面するときと、南側の隣家越しに見るときとで、「武蔵野の戸建」の印象はびゅんびゅん変わってしまう。周囲に点在する複数の個別性への応答が建物の各部分に組み込まれ、相互に自律したさまざまな場面が具体的な環境要素とセットで搭載されているからだろうか。いずれにせよ、距離や位置によって外観のまとまりがほどけていくのは確かだ。
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内部に関しても同様の指摘ができる。一階南側の室は庭のコンクリート平板がそのまま内部に引き込まれた土間になっている。敷地の奥行きいっぱいに展開するサッシュに余分なディテールが一切見えないことや、敷地南西部に設けられた庭のふくらみとシンクが向かい合っていることなどが相まって、地面と連続した場であることを強く感じさせる。軒の低さと深さのおかげだろう、明るすぎない。平板に当たった光が低く抑えられた天井へとはねかえり、内部をぼんやり照明している。道や庭といった、外のもっと明るい場所を眺めるのに適した、木陰のような場所だ。
一段上がった北東部の室もまた、吹き抜けとルーバー状の床を介して間接光で満たされている。南側の部屋と北側の部屋で、光量の違いを強く感じない。一部が艶のあるグレーで塗装されたラワン合板を主調とした未仕上げ的なインテリアも、方位によるギャップのキャンセルに貢献している。局所的な合理性に基づいて、素材と寸法は相互にばらばらに設定されているようにも見える。とはいえ用いられている素材の数は限定されているから、全体としてはやはり一体感がある。テーブル・棚・ソファ・階段といった設えが──間柱や合板といった架構の構成要素と連続するような──共通の言語で設計されていることも大きい。差異はそこら中にひしめいているが、首尾一貫もしている、という独特な状況は、外観と内観でまったく共通している。
この傾向は二階に上がるとより明確になる。南側は地面から解放された明るく大きな空間で、半外部空間にいるような浮遊感と開放感をもった場所だ。対して北側では、部屋よりは小さく家具よりは大きなひろがり(の限定)が隙間だらけのひしめきあいをみせ、四方八方から飛び込んでくる眺めや音が空間を満たしている。各々にふさわしい居場所を与えられた種々雑多な物品らが、建築を構成する材料と優劣なく目に飛び込んでくる。微妙な角度の違いと傾斜をともなった軸組、ブレース、合板の無塗装の面とグレーに塗装された面、現しになった根太と合板の断面、テーブルと同じようなつくりの階段、太めの手すり、天井と壁を一定のリズムで分割する間柱と垂木、小ぶりの障子、たまたまそこに止まったかのような照明……。建築の構成材は、生活を支える器や家電、梱包箱、衣服といった物品らと同等のレベルまで存在感が分解・調整されているように見える。そして、そうして生まれる空間のニュートラルさ(架構と事物の優劣のなさ)こそが、内部の各領域に固有の性格をもたらす決定的な要因としての、窓の外の風景の個別性を際立てている。
3
プラトンの『メノン』のなかで、いつものように問答を繰り返すソクラテスが、召使の少年を呼び出して、この正方形の倍の正方形を描いてごらん、と問いかける有名な一節があるが、このとき彼が地面にせっせと図形を描いていたこと──線を描くという行為が実演されていたこと──はあまり注目されない。この幾何学の例題は、簡単なようで実は難しい。ある正方形の一辺の長さと、その倍のおおきさの正方形の一辺の長さは、整数比をもたない。つまりこの例題は、通約不可能な(共通の自然数によって測ることのできない)ふたつの長さを正確に描画せよ、と言い換えることができる。ソクラテスは再び地面をひっかいて少年にヒントをだす。田の字型に分割されたおおきな正方形の辺の中心同士を結ぶと、45度回転した新たな正方形が現れる。
少年は地面に残されたかたちを観察し、回転した正方形の面積が、ちいさな正方形のちょうど倍になることを発見する。彼は基礎的な数学の知識すら持ち合わせていないのだが、最終的には消されてしまう2×2のマトリクスの跡を通して、1:√2という(自然数では表現不可能な)比例関係を直感的に理解し、実際にそれを描画できるようになる。ここでの知識の獲得や形態やサイズの発展は、少年が創造したものでもなければ、ソクラテスが一方的に教授したものでもない。むしろ、仮設された幾何学図形の物性によって“引き出された”ものだ。後に壊されることが宿命づけられた「仮止めの秩序」の力能である。
4
幾何学を用いた形態の構想とそこでの寸法の調整は、言うまでもなく、建築の設計において重要な課題だ。建築物は柱や梁といった架構部材を組み合わせて構築された立体物であり、要求される様々な機能に対応するため、内部では異なる用途とサイズをもった室が組織化される。建築の設計においては、機能的・構造的にバランスのとれた形態を計画・実体化するため、幾何学的な図形や比例が抽象的な道具として用いられ、計画の対象となる諸現象を整理し、それらを秩序立てる構成形式として役割を果たす。でも、「武蔵野の戸建」の設計の過程で運用され、のみならず、実際に現実的な空間が現象していく過程に一定の枠組みを与えている幾何学は、そうした伝統的な形式=幾何学のありようとは異っているように思う。
ばらばらかと思いきや、ばらばらではない。場当たり的だが、一貫している。「武蔵野の戸建」の形容しがたい建ち方を理解する鍵は、過程においてのみ現れる幾何学にあると思���れる(『メノン』で登場する仮設のマトリクスはそのもっとも古い記録だ)。手がかりは平面に残された3×3の痕跡にある。ナイン・スクエア・グリッドとも呼ばれる分割パタンをもつ三間四方の正方形平面(いわゆる九間)は、日本の民家の最も基本的な構成形式のひとつであり、構造的にも、心地よい寸法という意味でも、木造住宅の持っている自然な存在様態といえるものだ。おそらくだが、検討の初期段階においてはひとまず歪みのない九間が敷地に設置されたのではないか、と想像される(もちろんこれは筆者の仮説なので留保が必要だが、とはいえ、初期段階からこの複雑な立体構成が構想されていたとも考えにくい)。暫定的な形態として敷地に投げこまれたこの幾何学は、周囲の環境と局所的な関係を取り結びながら、ほぐれ、もつれ、ゴムのように伸縮する。「武蔵野の戸建」におけるナイン・スクエア・グリッドは、もはや内側からの発展がない──それゆえに構築物の丈夫さと安定性を求める建築家からすると最良な──不活性な幾何学ではなく、あくまで仮止めの秩序であり、この建築が構想される段階において終始一貫活動的なものであった、と予想される。人間的な情緒や観念に由来する曖昧な部分など持ちあわせていない乾いた幾何学は、個別的な状況との部分的な必然性によって、事後的に湿り気を帯びる。
5
湿った幾何学は、際限のない断片化に抵抗する拠点として、多数の人間的/非人間的作用が絡まり合う結び目となり、周囲の環境と建築との局所的な関係性を探索・検討・制作するための足場として、その役割を果たす。
たとえばある形式を、風景のなかにそっと置いてみる。構成形式としての幾何学と、周囲の環境に布置された複数の個別性。両者が衝突し、徐々に安定的な状態をつくっていく持続のなかで、素材としての形式=幾何学は本来の姿とはかけ離れたものへと生成変化していく。 建築は、というか生命一般は、そういう仕方で暫定的に安定的な状態をつくりだすことでこの世界で成立しているのではないか。であれば建築家はただ、形式のほぐれ・もつれ・ほつれを肯定し、その変化の過程に最後まで随伴すればいい。
こうした形式および風景への態度なしに、「武蔵野の戸建」は成立しなかったのではないだろうか。規模は違えど、小坂と森中が乾久美子建築設計事務所時代に担当した「唐丹小学校/唐丹中学校/唐丹児童館」(2018)でも同様の指摘ができるはずだ。どちらのプロジェクトにおいても、初期段階で仮設されたであろう形式=幾何学は恣意的なものではなく、むしろ徹底して受動的な仕方で、現実の諸条件に応答した結果として浮上したものだろう。形式の選択は無数にありえるが、偶有的なものではない。それは、建築家が自身の生を賭けて引き受け、覚悟をもって対峙すべき現実そのものだ。
最後に、なぜこの住宅はこの色でなければならなかったのか、ということについて。
まず端的に、この外壁の薄紅色は、八重桜の色彩にたんに「合わせる」ためだけのものではないと思われる。一年のうち、桜が咲くのはほんの僅かな季節なのだから。この色彩の外壁への全面的な採用が意味しているのは、だから、「桜は咲くかもしれないし、咲かないかもしれない」という曖昧な身振りではけっしてない。そうではなく、「桜は絶対に咲く」。来年も、再来年も、10年後も、あるいは100年後も、桜が咲くということを信じる、という宣言なのだ。この色彩は、桜が咲いているときに桜が散る可能性を、桜が咲いていないときに桜が咲く可能性を示すためにこそある。形式=幾何学の風景との対峙が「ここ」を遠くはなれたところへと開くための技術だとすれば、この色彩に関する決断は、「いま」に潜在している未来への可能性(への信)を世界に残そうとする態度にほかならない。現在という瞬間を超えた場所・時間を掴みとることを目指した葛藤の痕跡と、この場所で生きていくことの希望=可能性が、この建築には刻まれている。
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大村高広さんによる「武蔵野の戸建」についてのテキストと写真。
山岸剛さんの撮影と同じタイミングで実際に住宅を見て頂いて、書いて頂いたものです。
山岸さんの写真と同様に、この住宅での経験をとても丁寧に言語化して頂くとともに、自分たちにとっての「設計」というものを思いもよらない拡がりに向けて読み解いてくださいました。
ぜひ多くの方に読んで頂けたら嬉しいです。
all text / photo / image ©Takahiro Ohmura
全てのテキスト/写真/イメージは大村高広さんの著作物です。無断転載等はご遠慮ください。
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大村高広さんCV
https://www.ohmura-takahiro.com/CV_Japanese
前職で担当した学校や書籍についての大村さんのテキストを読んで、いつかぜひ自分たちの建築も批評して頂けたら...と思っており、今回初対面でしたがご快諾してくださいました。ぜひこちらのテキストも合わせてご覧ください。
前職で担当した唐丹小中学校についてのテキストと写真
https://www.ohmura-takahiro.com/entry/20181206/1544087937
前職で担当した『Inui Architects ─乾久美子建築設計事務所の仕事』の書評
「なぜそこにプーさんがいるのか」
https://www.10plus1.jp/monthly/2019/08/issue-03.php
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