#東中野駅列車追突事故
Explore tagged Tumblr posts
Photo
. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 12月5日(月) #仏滅(壬辰) 旧暦 11/12 月齢 11.2 年始から339日目(閏年では340日目)にあたり、年末まであと26日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 50/53週目の月曜スタートです✋今年も 残りは3週になりますが、今週と 来週、再来週過ぎの3週が稼ぎ時💦 クリスマスの最終週は、もう惰性デショウw 先週末は思いがけない事件に遭遇 と締めの「大忘年会」でKOされたが 割と大した事件にもなりませんで したから安泰です✋それでけ歳を 取ったんでしょうね🤣😆🤣はしゃぎ 方が生易しい😅💦それで丁度良い のでしょうね✋残り3週は、慎重に 行きたいっすね☢️今週お手柔らかに お願い致します🙏🙏🙏...チョット怠ッw . 今日一日どなた様も💁♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #アルバムの日. フエルアルバムをはじめとして、製本、シュレッダーなど情報整理製品の総合企業であるナカバヤシ株式会社が制定。 日付は一年最後の月の12月はその年の思い出をアルバムにまとめる月。 そして「いつか時間が出来たら」「いつか子どもが大きくなったら」「いつか・・・」と後回しにされることなくアルバムづくりをしてもらいたいとの願いを込めて、その5日(いつか)を記念日としたもの。 . #仏滅(ブツメツ). 六曜における大凶日。 もとは「虚亡」といい勝負なしという意味で、さらに「空亡」とも称されていたが、これを全てが虚しいと解釈して「物滅」と呼ぶようになり、仏の功徳もないという意味に転じて「佛(仏)」の字が当てられたものである。 仏滅は万事に凶であるとされる。 この日は六曜の中で最も凶の日とされ、婚礼などの祝儀を忌む習慣がある。 この日に結婚式を挙げる人は少ない。そのため仏滅には料金の割引を行う結婚式場もある。他の六曜は読みが複数あるが、仏滅は「ぶつめつ」としか読まれない。 字面から仏陀(釈迦)が入滅した(死亡した)日と誤解されることが多い。 しかし、六曜は仏教に由来するものではなく上述のように無関係である。 釈迦の死亡日とされる2月15日が旧暦では必ず仏滅になるのは、偶然そうなっただけである。 「何事も遠慮する日、病めば長引く、仏事はよろしい」ともいわれる。 また『物滅』として「物が一旦滅び、新たに物事が始まる��とされ、「大安」よりも物事を始めるには良い日との解釈もある。 . . #東中野駅列車追突事故. #納めの水天宮. #バミューダトライアングルの日. #アルバムの日. . . #みたらしだんごの日(毎月3日、4日、5日). #長城清心丸の日(毎月5日). #社会福祉週間(12/5~12/11). #経済社会開発のための国際ボランティアデー. . . #聖コラオスの日の前夜祭. #シンタクラース(#オランダ). #クランプスの日(#オーストリア). #プーミポン国王誕生日・父の日(#タイ). . . ■本日に成句■. #生まれながらに貴い者なし(ウマレナガラニタットキナシ). 【解説】 一所懸命努力して知識を身につけ、人格をみがくのである。 どんなにお金持ちでも欲深ければ貧しい人であり、貧乏でも心が満ち足りていれば、豊かな人である。 . . 1958(昭和33)年12月5日(金)仏滅. #原田真二 (#はらだしんじ) 【ミュージシャン・シンガーソングライター】 〔広島県〕 . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/ClwqhuGy0LFy36i7v-y0pr_-k-IMF7hqvqyhXc0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#仏滅#アルバムの日#東中野駅列車追突事故#納めの水天宮#バミューダトライアングルの日#みたらしだんごの日#長城清心丸の日#社会福祉週間#経済社会開発のための国際ボランティアデー#聖コラオスの日の前夜祭#シンタクラース#オランダ#クランプスの日#オーストリア#プーミポン国王誕生日・父の日#タイ#生まれながらに貴い者なし#原田真二#はらだしんじ
0 notes
Text
"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変���男基私各始島直両��革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
184K notes
·
View notes
Text
🎼 01319 「北の宿」。
闘鶏のやうな賭け事の模様から始まります、とある (口の悪い) しがないタクシー運転手の賭け事な日々と それからを描いた 東映映画 「河内のオッサンの唄」 を観ています。齊藤武市監督作品。河内松原駅前でしごと (メーター無しのタクシー運転手) をしていた 川谷拓三さん似のトクさんは ミヤコ蝶々さん似のオバちゃんが怪我を負ってリアカーで運ばれて来たのを見、仲間を連れて左手を怪我した現場の山村建設に 殴り込みをかけます。大阪府警察松原警察署に連行され��ものの、直ぐに出て来た トクさんでしたけれど、原っぱに車を泊めて寝ていたところ、急にバックして来たトラックに追突されてムキーッと激怒します。そんなトクさんの愛車にトラックを ぶつけた青年は とんでもない秘密を抱えていたりして 物語が急展開を迎えることと相成ります。そんなこんなで 「東京はつまらん、東京なんか出て来ても何もオモロイことなんてあらへん」 なんて台詞が飛び出す中で、東京もんが めっちゃ嫌いなミヤコ蝶々さん似のオバちゃんがスクリーン狭しと暴れに暴れて 主役喰いな活躍を見せますこの映画、オバちゃんは 少女マンガふうな キャラクターが描かれたかわゆい水筒の中にお酒を仕込ませていたり (一日六升、本人曰く七升八升はいけるらしい)、三輪車で酔っ払い運転をしたり、終いには身体を張って走る車を停めやうとして ダイナミックに撥ねられたりと 目が離せません。
つづいて
訓練中の兵士たちの訓練風景をそれなりに映したあとの1980年5月、裏磐梯・フーバー米大使山荘で立て篭り事件が発生。人質を救出すべく陸上自衛隊 (特殊工作隊) の中の松方弘樹さん似の隊長率いる部隊が犯人を蹴散らすところから始まります、とある特殊工作隊隊員が 想像を絶する過酷な訓練の最中に訪れた村で出会った少女との日々を描いた 角川映画 「野性の証明」 をいつかのテレビで観たきり、久しぶりに観ています。佐藤純彌監督作品。とある村で起きた大量殺人殺人事件から 一年後の東北・羽代市。"祝 民間航空機就航記念、羽代空港民間機就航おめでとう" といった賑やかな雰囲気の中、高倉健さん似の保険会社の男は 何かを調査しているのですけれど、街の不良に襲われたりして怪我を負います。そんな高倉健さん似の男の家には 薬師丸ひろ子さん似の めだか組の組長が住んでいたりして、偶然に探りを入れていた 夏木勲さんだったころの 夏八木勲さん似の刑事は どうしてそこに 村で起きた大量殺人事件の生き残りな娘さんが住んでいるのだらうと不思議がります。そんな 一年前のとある村で起きた大量殺人殺人事件も未解決なままだったりして、夏木勲さんだったころの 夏八木勲さん似の刑事は、もしかしてもしかしたら 高倉健さん、もしくは デューク・東郷似のあの男性が何か関係しているるのではないかと睨むのですけれど、そんな途端に 捜査本部が解散します。といった感じで 羽代という街が 三國連太郎さん似の政治家の息がかかっていることがどうのとかいう���りも、薬師丸ひろ子さん似の女子高生の持つ予知能力が物凄かったりして いつの間にか サイキック映画と化して 映画も何もを吹き飛ばしますこの映画、物語後半の無駄に凄い戦車の場面は 今観ても気狂い沙汰な感で溢れていて痺れます。
つづけて
ふたりの仮面ライダー (第1号、第2号) が道路とも呼べない道路を 旧サイクロンで駆け抜けるところから始まります、人間の自由のためにショッカーと戦っている正義のバッタ人間、仮面ライダーの勇姿を描いた 東映映画 「仮面ライダー対ショッカー」 を観ています。山田稔監督作品。雷鳴轟く中 "大道寺 地球物理学研究所" では実験が大成功したやうで、彼らが開発したっぽい "人工重力装置GX" を大きくすれば地球の地軸すら変えることが出来るみたいです。まあ どうしてそんなものを作ってしまったのかしら、何て わたしの思いはさておき、そんなところに 「我々ショッカーは オマエの研究をじっと待っていたのだ」 と、きっと研究が成功するまで そこでじっと待っていたのかもしれない ショッカー日本支部の指揮官 死神博士が暗闇からヌッと現れ、そして 「オマエの研究は ショッカーが有り難く頂戴することになる」 と、床から滲み出て来た泡で助手を溶かします。何故か炎を上げて大爆発を起こす研究所。いつものアジトにタッタラーっと戻った死神博士は 「このデータから 直ちに人工重力装置の組み立てに取り掛かれ!地球の地軸を変えて、この日本列島を海の底に沈めてやる!」 と、何らかのデータをショッカーな研究員に手渡します。これで 日本列島は 小松左京さんの作品通りになるわい。ガハハハハッ!と思ったら、データを瞬時に読み取った優秀な研究員から 「お言葉ですが、死神博士!このデータには 最も重要な GXの方程式が載っておりませんが!」 ということで、早速ショッカーのポンコツぶりがブラウン管を飛び出したスクリーンな世界でも遺憾無く発揮されます。という訳で、その方程式をどうのこうのしやうと全力で狙うショッカーの活躍を描いたこの映画、過去に仮面ライダーに敗れた怪人たち (再生怪��軍団) が 数えるのも大変なほどに めっちゃリバイバル登場していてヤバミです。
・そんな正義の改造人間にバッタバッタと倒されちゃった再生怪人軍団たちを物語順にテキトーに書き留めます。
・第2号に倒されちゃった怪人
モグラング と サボテグロン
ハエ男
・第1号に倒されちゃった怪人
アリガバリ
・第1号に (たぶん) 倒されちゃった怪人
地獄サンダー
・ダブルライダーに倒されちゃった怪人
ギルカラス と プラノドン
・ダブルライダーに (何となく) 倒されちゃった怪人
サラセニアン と トリカブト
・ダブルライダーに (たぶん) 倒されちゃった怪人
ドクダリアン と キノコモルグ
・ダブルライダーに倒されちゃった新怪人
新怪人 ザンジオー (人喰い山椒魚)
・仮面ライダーに倒されずに出番を失ってしまった怪人たち
アリキメデス
アルマジロング
イソギンチャック
エイキング
エジプタス
狼男
カニバブラー
ガマギラー
カメストーン
カメレオン (男、死神カメレオン)
蜘蛛男
ゲバコンドル
蝙蝠男
ゴースター
さそり男
ザンブロンゾ
スノーマン
ドクガンダー (成虫と幼虫)
トドギラー
ナメクジラ
ムカデラス
ムササビドール
ヤモゲラス
ユニコルノス
..
#崩壊3rd#liliya olenyeva#リリア・アリーン#河内のオッサンの唄#川谷拓三#野性の証明#高倉健#薬師丸ひろ子#三國連太郎#丹波哲郎#松方弘樹#田村高廣#ハナ肇#北林谷栄#田中邦衛#仮面ライダー対ショッカー#千葉治郎#小林昭二#藤岡弘#佐々木剛#ミヤコ蝶々
4 notes
·
View notes
Text
[翻訳] コロナ禍と印中対立のなかのインド華人
中国系インド人の愛と憧憬
2020年7月25日 アスミター・バクシー
ガルワーン渓谷事件後の印中関係緊迫化、コロナウイルス・パンデミックによる反中感情の高まりとともに、インド系中国人コミュニティは集中砲火を受けている
3月17日、41歳のミュージシャン、フランシス・イー・レプチャは、急遽切り上げたプリー〔※オリッサ州の都市〕旅行からコルカタに戻る列車の中にいた。新型コロナウイルスは全国でその存在感を示しつつあり、ナレーンドラ・モーディー首相が厳重な全国ロックダウンを発表する日も近かった。レプチャが家族と一緒にまだプリーにいた間も、彼がチェックインしようとするとホテルの宿泊客は反対の声を上げ、路上では「コロナウイルス」と呼ばれ揶揄された。
フランシスは中国系インド人で、母方と父方の祖父は1930年代に他の多くの人と同様に日本の侵略から逃れてインドに来た。彼らはダージリンで大工として働き、地元のレプチャ族の女性と結婚した。のちに彼の両親はコルカタに移り住み、そこで彼は生まれ育った。
このミュージシャンは1980年代に幼少期を過ごし、ドゥールダルシャン〔※インド国営TV局〕で『ミッキー・マウス』や『チトラハール』を見たり、マドンナに憧れたり、クリフ・リチャードの「ダンシング・シューズ」に合わせて頭を振ったりと、これらを6歳で楽しんでいたわけだが、童歌「ジャック・アンド・ジル」に関係があるという理由が大半だった。彼は流暢なベンガル語と「荒削りなヒンディー語」を話し、そして、彼によれば「ほとんどお向かいのチャタルジー一家に育てられた」という。
列車がガタンゴトンと進むなか、冷房寝台車の他の乗客たちは、彼には自分たちが何を言っているのかわからないと思い込んで、「中国人」について疑いの声を上げはじめた。フランシスはすぐさま口を挟んだ。「私は流暢なベンガル語で、自分がコルカタ出身で、中国に行ったことはなく、彼らに感染させることはないと説明した」のだという。「彼らの顔を見せてあげたかった」。
コルカタに戻ると、フランシスはプリントTシャツを注文した。彼はコルカタ・メトロのセントラル駅の真上に住んでいるのだが、それが明るい否定のメッセージとなり、かつ人種差別に対して有効なツールとなるだろうと考えた。フランシスのさっぱりとした白いTシャツの上の端正なベンガル語のレタリングには「私はコロナウイルスじゃない。コルカタ生まれで中国には行ったこともない」とある。
6月15日、国土の反対側では、俳優兼歌手のメイヤン・チャンが、過去13年にわたって本拠地と思ってきた都市ムンバイで、夕食をともにするために友人宅を訪れていた。彼らはテレビのニュースを見ていたが、その放送は特に憂慮すべきものだった。2つの核保有国が数十年間争ってきた境界である実効支配線に沿ったラダックのガルワーン渓谷でインド兵20人が中国軍に殺害されたのだ。
「衝突の後、ダウン・トゥ・アース誌のインタビューに答えた時、私の最初の反応は怒りでした。『どうして私が自分の愛国心を証明しないといけないのか。どうして私がインドを愛し、中国を憎んでいると言わなければならないのか』。私はその国のことを知りもしません。中国というレンズを通して自分が引き継いでいるものは理解していますが、それだけです。私にはインド以外の故郷はありません」と彼は言う。しかし、彼の経験上、怒りは何の役にも立たない。「その代わりに、私は異文化交流の美しさについて話しました。それはインド全土に存在するものです。私たちの外見だけを理由に自分たちの仲間ではないと考える人々には驚かされます」。
チャンもまた中国系である。彼はジャールカンド州ダンバードに生まれ、ウッタラーカンド州で学校教育を受けた。彼の父親は歯科医で、チャンもベンガルールで歯学の学位を取得している。彼は自分の家系を詳細に遡ることはできていないが、先祖が湖北省の出身であることはわかっており、そこは1月以来、��ュースを席捲している。新型コロナウイルスが最初に報告された武漢とは、同省の首都である。
37歳の彼は、主流エンタテインメント産業で名声を得たおそらく唯一の中国系インド人コミュニティ出身者である。2007年にTV番組『インディアン・アイドル』の第3シーズンで5位になり、2011年にはダンス・リアリティ番組『ジャラク・ディクラー・ジャー』で優勝し、さまざまなTV番組やクリケットのインディアン・プレミアリーグなどのスポーツイベントの司会を務め、『バドマーシュ・カンパニー』『探偵ビョームケーシュ・バクシー!』『スルターン』『バーラト』という4本の大作ヒンディー語映画に出演してきた。
しかし、この数ヶ月の間、彼もまたCOVID-19についての世間の興奮と、そして目下の印中対決についてのそれを感じている。パンデミックのせいで人々が人種差別的発言を黙認しているため、彼はオンラインや路上で野次られてきた。実効支配線での印中対峙後は、これに無言の圧力、あるいは彼が言うところの飽くなき 「愛国欲」が続いた。「医療、経済、そしてある程度の人道的危機の最中に国境での小競り合いや恐ろしい話が出てきて、どう考えていいのかわからなかった」と彼は言う。
中国系インド人3世として、チャンとフランシスは共通点が多いように見える。二人ともインドで生まれ、家系は中国に遡り、家業を継ぐという中国的伝統から逸脱し、ディーワーリー、イード、クリスマス、旧正月をまぜこぜに祝って育ち、フランシスが的確にもこの国の「微小マイノリティ」と呼ぶものに属している。
この二人はまた、パンデミックが世界中で反中国の波を引き起こし、米国のドナルド・トランプ大統領が新型コロナウイルスを繰り返し「中国ウイルス」と表現している時にあって、中国系インド人が味わっている苦難を象徴している。インドでは中国との国境問題が状況をさらに悪化させている。怒りの高まりにより、政府は59の中国製アプリを禁止し、大臣たちは中華食品やレストラン(大半はインド人によって経営されている)のボイコットを求め、中国の習近平国家主席の肖像が燃やされ、COVID-19と紛争は危険なまでに一体視された。
この敵意の副作用はチャンやフランシスのような市民や北東部インド人が被ることになり、路上で暴言を吐かれたり、家から追い出されたりした。デリー在住の中国系ジャーナリスト、リウ・チュエン・チェン(27歳)は、地元のスーパーで人種差別的な悪罵を浴びせられた。「私の母はいつもならウイルスから身を守るためにマスクをするように電話で言ってきたはずですが、国境紛争の後は顔を隠すためにマスクをするよう言われました」と彼女は言う。
印中関係が緊迫するなか、世代を越えて広がりつづけているトラウマである1962年の中印戦争の記憶が前面に出てきた。では、こんな時代にあって中国系インド人であることは何を意味するのだろうか。
中国人の到来
インドにおける中国系インド人コミュニティの起源は、1778年に海路でインドに上陸した商人、トン・アチュー〔塘園伯公〕、またの名を楊大釗に遡る。伝承によれば、アチューは当時のイギリス総督ウォーレン・ヘイスティングスより、日の出から日没まで馬に乗るよう、そしてその間に彼が通過した土地は彼のものになると言われたと、あるいは(より公式なヴァージョンでは)彼のホストとなったイギリス人に茶を一箱プレゼントしたおかげで土地を与えられたとされている。
フーグリー川沿いにあったアチューの土地は、現在はアチプルとして知られている。彼を讃えて記念碑が建てられ、中国系インド人の巡礼地となっている。アチューの後を追って何千人もの中国系移民が続いた。彼らの上陸港はコルカタであり、長年にわたっていろいろな職業の多様な集団が植民地インドの当時の首都にやってきた。
「1901年の国勢調査はカルカッタに1640 人の中国人がいたと記録している。中国人移民の数は20世紀最初の40年間、特に内戦と日本の中国侵略のために増加しつづけた」と、デバルチャナ・ビスワスは2017��8月に『国際科学研究機構人文社会科学雑誌』に掲載された論文「コルカタの中国人コミュニティ:社会地理学によるケーススタディ」1の中で書いている。
ダナ・ロイの祖父母も、日本による侵略の時期にインドにやってきた。コルカタの学校で演劇を教えている36歳の彼女は、『亡命』と題した作劇のプロジェクトに取り組んでいるときに、母方の中国人家系を辿った。「中国の家庭は一夫多妻制だったので、私の祖父は三度結婚しました。そのうち一人は中国で亡くなり、二人目は第二次世界大戦中に日本の侵略から4人の子供を連れて逃れました」と彼女は説明する。彼らの家は、広東省の小さな村唯一の二階建ての建物で、日本軍はそれを司令部としたのだという。
ロイの祖父は、その頃には既にインドで輸出入業を営んでおり、インドにはヒンディー語と広東語の両方を話す中国系の妻がいた。彼の職業柄、家族を船で渡らせるのは容易だった。「叔父の一人には眩暈症があり、大きな音を怖がっていたのですが、(道々)聞いたところでは、村から逃げる際に日本の戦闘機に追われたからだとのことでした」と彼女は言う。
長い間、彼らは均質的集団として見られてきたが、インドに来た中国人は実際には相異なるコミュニティの出身だった。その中でも最大のものは客家人で、まず皮なめしに、最終的には靴作りに従事した。彼らはコルカタのタングラ地区に住み着いた(市内に2つあるチャイナタウンのうちの1つであり、もう1つはティレッタ・バザール)。このコミュニティは他のいくつかのグループのように一つの技術に特化してはいなかったが、ヒンドゥー教のカースト制度が皮革を扱う仕事をダリトのコミュニティに委ねていて、客家人にはそのような階層的制約がなかったため、彼らはコルカタで皮なめし工場の経営に成功することができた。
チャンが属する湖北人コミュニティは歯医者と紙花の製造に従事していた。「ラージ・カプールやスニール・ダット主演の古いヒンディー語映画に出てくる花は全部私たちが作りました。俳優がピアノを弾き、メフフィル〔舞台〕の上に花々が吊り下がっていたなら、それは全部我が家の女たちが作った物です」とコルカタ湖北同郷会会長、65歳のマオ・チー・ウェイは言う。
広東人は大半が大工で、造船所や鉄道に雇われたり、茶を入れる木製コンテナづくりに雇われたりしていた。1838年、イギリス当局はアッサムの茶園で働かせるため、多くが広東人の職工や茶栽培農夫からなる中国人熟練・非熟練労働者を導入している。
1949年に毛沢東率いる共産党が政権を握ると、中国への帰国は問題外であることが明らかになった。そのため、女性たちはインド在住の家族と合流しはじめ、すぐに東部諸州の中国人居住区にはヘアサロンやレストラン、ドライクリーニング店などが点在するようになった。
寺院が建てられ、コルカタのタングラとティレッタ・バザール、アッサム州のティンスキアには中国人学校ができた。賭博場や中国語新聞、同郷会館などもでき、春節や中秋節を祝うほか、中国の儀礼に従って結婚式や葬儀を行うようになった。
「彼らがコルカタに定住し始めた18世紀後半から、1960年代初めまで、中国人移民は、とりわけ同じ方言グループでの内婚や、文化実践、独特の教育システム、住居の排他的なあり方を通じて『中国人アイデンティティ』を維持することに成功した」と、張幸は彼の論文「中国系インド人とは誰か?:コルカタ、四会、トロント在住中国系インド人の文化的アイデンティティ調査」の中で述べている2。
このコミュニティと祝い事の時代は、1962年の印中紛争で突然終わった。戦前には5万人と推定されていた中国系インド人の人口は約5,000人にまで減少した。彼らの多くはその後、海外に移住した。
融合する文化
「アイデンティティとは、単に『私は中国人か、それともベンガル人か��というよりも複雑なもの��す」とロイは言う。「アイデンティティを主張したり断言したりする必要性を本当に感じるのは、それが奪われつつあると感じたときだけです。アイデンティティについて聞かれたとき、特にこのような時世には、『他のインドのパスポート保持者はこんなことを聞かれるだろうか』と疑問に思うのです」。
ロイは中国系移民と地元民との不可避的な混ざり合いの象徴である。彼の母親は中国系で、ベンガル人と結婚しており、一家はタングラやティレッタ・バザールから離れたコルカタ南部に住んでいる。ロイがこれらの地区を訪れるのは、たいてい中国式ソーセージを買うためか、たまに友人と中華の朝食を食べたりするためだ。
今日の中国系インド人は、中国的伝統が失われていく一方、国籍と文化遺産の間の摩擦が増えていくという二重の現実に直面している。例えば、かつてコルカタのチャイナタウンで行われていた旧正月の祝賀会は、ほとんどがプライベートなものになっている。チャンはただ友人を家に招待することが多い。ロイは親戚とご馳走で盛大に祝ったり、「みんなが忙しければ」ただオレンジを食べて祝ったりしている。
若い世代が広東語や北京語ではなくヒンディー語や英語を学びながら成長し、儒教のような中国の伝統的な宗教的習慣から遠ざかるにつれ、彼らのアイデンティティの中国的側面はますます衰えつつある。以前はそのアイデンティティの別称として機能していたタングラも、今や混合文化に道を譲った。また、環境問題により1996年には皮なめし工場が閉鎖された。
それでもフランシスのように、自分たちの文化を守るためにできることをしている人もいる。彼は友人と毎年の旧正月にはコルカタで龍の踊りを披露する。「私たちは衣装と太鼓を身につけ、旧チャイナタウン、新チャイナタウンその他、コミュニティが散在しているコルカタの各地で4日間にわたって上演するのです」とのことだ。彼らは彼が子供の頃に喜んで受け取っていた赤い封筒入りのお金を配る。
しかし、帰属と受容という、より大きな問題は残ったままである。チャンによれば、自身がエンタテインメント産業に加わっていることと「ヒンディー語とウルドゥー語に堪能」であること(彼はボリウッド作品を観て育ち、父親はマフディー・ハサンのガザル歌謡が大好きだった)は、人々が常に彼を「インド人」として受け入れてきたことを意味する。彼のファンは年齢層やエスニック・グループを跨いで存在する――『インディアン・アイドル』に参加していたときには中国人コミュニティが彼を支持し、より若いファンは彼が「K-POPスターやアニメ・キャラクターを彷彿とさせる」ゆえに彼を愛している。しかし、ソーシャルメディアで意見を表明することは、特に最近では危険であり、時に大騒ぎになる。
「CAA(修正市民権法)のような問題については、間接的に言及して自分の意見を伝えるようにしています。これは大事なことだからです」、彼は言う。ガルワーン渓谷での衝突の後、陸軍大尉を名乗る匿名アカウントが、彼のYouTube動画の一つにコメントして、国家に忠誠を誓い、インド人兵士への支持を公に表明するよう彼に求めた。「私はそれを大したことではないと思い、〔陸軍大尉という〕彼の名乗りに引っかけて『敵との戦いに集中してください、あなたの仲間の国民とではなく』と言いました」。
ジャーナリストのリウ・チュエン・チェンは、アイデンティティとインド政治の両方についての自身の率直な物言いは、コミュニティ内では異例であり、しばしばオンラインやオフラインで嫌がらせの標的になることにつながっていると述べる。「一度、エアインディアの飛行機に乗るとき、係員たちが私に有権者証ではなくパスポートを見せろと言い張ったことがありました。彼らは私がインド出身でないと信じていたからです」、彼女は言う。「私はパスポートを取ってすらいなかったのに」。
年長世代の政治との関わり方はやや異なっている。彼らは今でも中国政治を追いかけてはいるが、距離を置いている。「調査中、国民党シンパと共産党シンパの間にあるコミュニティ内の分断を感じました」とジャーナリストのディリープ・ディースーザは言う。彼は1962年の印中戦争の歴史を、当時強制収容されていたジョイ・マーの口頭の語りとともに記録した『ザ・デオリワーラーズ』3の共著者である。
「しかし、それだけです。彼らは台湾とPRC(中華人民共和国)の対立を私と同じように見ています。そこに親戚はいるかもしれませんが、台湾市民になりたいとか、PRCに忠誠を誓いたいというようなものではありません」。
このような関わりの多くは目に見えない。このコミュニティに共通する話として、彼らは頭を低くして注目されずにいることを好む。これは1962年に中国系コミュニティと関係者が強制収容された結果という部分が大きい。
消えない恐怖
1962年の戦争後、中国軍が国境東部のNEFA〔北東辺境管区〕、国境西部のアクサイチンに進出したとき、インド世論は怒りと疑念に満ちていた。インド人は当時のジャワーハルラール・ネルー首相の保証に憤慨し、中国に裏切られたと感じていた。今回もまた、この敵意の矛先はインドの中国系コミュニティに向けられていた。
作家クワイユン・リー氏が学位論文『デーウリー収容所:1962~1966年の中国系インド人オーラル・ヒストリー』4で書いているように、「国民的な熱狂に駆り立てられ、主流派インド人は中国人住民を追放し、時に暴力を振るい、また、彼らの家や事業を攻撃したり破壊したりした」。
リーは付け加える。インド当局は「毛沢東支持に傾いた中国語学校や新聞、中国系団体を閉鎖した。蒋介石(台湾)を支持する学校、クラブ、新聞は活動を許された。これらの学校やクラブは、マハートマー・ガーンディーの肖像とインド国旗を孫逸仙〔の肖像〕と十二芒星の〔ママ〕国民党旗の横に加えた」。
これらの状況は、当局に「敵国出身者」を逮捕する権限を与えるインド国防法が1962年に成立し、1946年外国人法と外国人(制限区域)令の改正が行われたことと相まって、ラージャスターン州のデーウリー収容所で中国系インド人を抑留するための「法的なイチジクの葉〔方便〕」になった、とディースーザは言う。
3000人近くの中国国民または中国系の親族をもつインド国民がスパイ容疑で逮捕され、最長で5年間拘束された。
「ガルワーン渓谷の小競り合いが起こったとき、私はそれについて思いもしませんでした。祖母が最初にそれを口にしました。『もし雲行きが悪くなったら、私たちは逮捕されるかもしれない』」、チャンは言う。「たとえ私達も同じことを考えていようがいまいが、そんなことは起こらないと彼女を説得するのが私のおじと私の役目でした」。
フランシスは1962年に当時10代前半だった母親がダージリンの祖母を訪ねており、二人とも収容されたという思い出話を語る。イン・マーシュも同様であり、1962年11月に13歳でダージリンのチャウラスタ地区から父、祖母、8歳の弟と一緒に収容所に連行された5。
マーシュのように、このコミュニティの多数の人がインドを離れカナダ、米国、オーストラリアに向かった。しかし、歴代の政府がこの歴史の一章を認めたり、謝罪したりしていないことを考えると、圧倒的なトラウマと裏切られたという感情は今日に至るまで残っている。
中国系インド人はなおも傷を癒やす途上にある。アッサム州の同コミュニティ出身の48歳の女性(匿名希望)は、ガルワーン渓谷事件の後、89歳の父方のおばから電話を受けた。彼女はまたも強制収容されるのではないかと心配していた。「私はそれを笑い飛ばし、心配させまいとしました。私はね、もしまたそんなことになったら、皆一緒に行ってダルバートを食べましょうって言ったんです」と彼女は言う。
大昔の法改正はまた、1950年以前にインドに来た、あるいはインドで生まれた中国人移民のほとんどは決してインド市民権を与えられないということを確実にした。例えば、彼女のおばは今や87年間インドに住んでいる。「彼女は今でも毎年外国人登録事務所に行って滞在許可証の更新をしなければいけません。ここは彼女が知っている唯一の故郷ですが、法的には決して帰属することはなく、常に部外者のままです」と彼女は言う。
以上のような要因が、生まれた国への忠誠心を公にするようインドのこのコミュニティをせっついている。例えば、ガルワーン渓谷の衝突の後、コルカタでは中国系インド人が「我々はインド軍を支持する」と書かれた横断幕を掲げてデモ行進をした。
「人々には中国共産党(CCP)が中国系インド人のことを大して気にかけていないことに気づいてほしい。彼らはおそらく我々が存在していることすら知らない。もし私が完全ボリウッド風でやりたいと思ったら、『マェーンネ���・イス・デーシュ・カー・ナマク・カーヤー・ハェー〔※私はこの国の塩を食べてきた、の意〕』と言う〔=愛国心を歌い上げる〕ところまでやります」とフランシスは言う。「私の優先順位は単純です。私はインド市民であり、インド憲法に従って暮らしており、私の支持は常にこの国にあります」。
印中間の緊張がすぐには緩和されそうにないなか、アイデンティティと帰属意識の問題が頻繁に前景化されるかもしれない。チャンの不安もまた、このような思慮をめぐるものだ。「エンタテインメント産業の誰もが仕事はいつ再開できるのかと心配していたとき、敵のような見た目の顔をしているから自分には誰も仕事をやりたくないのではないかなどと、余計な不安を私が感じていたのはどうしてでしょうか」と彼は問いかける。
http://www.iosrjournals.org/iosr-jhss/papers/Vol.%2022%20Issue8/Version-15/J2208154854.pdf ↩︎
張幸(北京大学外国語学院南亜学系副教授)は女性。引用論文は2015年刊行の論集に掲載されたもの。これを補訂したと思われる2017年の雑誌論文あり。 ↩︎
http://panmacmillan.co.in/bookdetail/9789389109382/The-Deoliwallahs/3305/37 デオリワーラー(デーウリーワーラー)はデーウリー収容所帰りの意。 ↩︎
1950年カルカッタに生まれ、強制収容は免れたが1970年代にカナダに移民した著者が、トロント在住の客家人元収容者4人の聞き取りをもとに2011年にトロント大学オンタリオ教育研究所に提出した修士論文。 ↩︎
元デーウリー収容者で、収容経験を述べた『ネルーと同じ獄中で』(初版2012年、シカゴ大学出版会より2016年再刊)の著者。 ↩︎
2 notes
·
View notes
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市���姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像���則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘��暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号// ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
#FAQ#ifontmaker2#Symbols#Dingbat#Cyrillic#Greek#Coptic#thai#character set#character sets#list#language
6 notes
·
View notes
Text
RDR2:41:ニューハノーバーの旅
川辺でモーニングコーヒーを飲みながら、今日の計画を考えてるふりをしてみたり。 調理鍋近くのコーヒーは無事に朝から飲めました。いいですなぁ。そんなわけで朝の日課の一つにでもしようかと思います。 日課といえば雑用ですが、雑用中は挨拶できないのが残念です。何故だ。別に口が塞がってるとか、喋ってる余裕もないほどハードなことしてるわけじゃなし。バケツ片手に提げてても挨拶くらいできるだろ。
とりあえずまずはジョサイアの話を聞こう。 「有言無実行だと思ってるだろ?」、「まあ口から先に生まれてきたのは間違いないよな」みたいな話から、それはさておき、駅馬車強盗をしたことあるか? まあ渋々付き合ってならね(´・ω・`) ……というのはRPの話で、「強盗したことがないとでも?」というのが当然の返事。 ジョサイアが言うには、駅馬車強盗の難点は、その馬車が確実に金になるかどうか分からないこと。馬車そのものをシェイマスに買い取ってもらえることはさておき、中に乗っているのが金持ちでないとか、ろくな荷物がないとかは、確かにありそうです。 そんなわけで、彼に誘われてローズへ。
グレイ家、ブレイスウェイト家に関わるならもっと慎重になるべきだ、というのはね、うん、俺もそう思うんだけど、ダッチがやると決めたら俺の言うことなんてもう聞かないしさぁ( ತಎತ)
さて、ジョサイアとともに行ったのは駅舎の郵便局。他愛もない会話をする知り合いのようでいて、金を払うと、獲物になる駅馬車の情報をもらえる仕組みになっているようです。それが「意気消沈した友人」という合言葉というか、ネットワークのこと。ストロベリーの郵便局員も仲間だそうな。 というわけでこれからは、彼等から確実に金になる馬車の情報を仕入れられるようになりました。……まあ、やらないけどな(´・ω・`)
ストロベリーの話が出たので、こんなこと言うアー��ー……おまえなぁ、ついこの間、5日ほどもあのへんに滞在して、ストロベリーの町もさんざんうろついて、ホテルも舐めるように見て回ってたろうが……。
待ち伏せ開始。それにしてもジョサイアのベスト派手だな。鮮やかなブルー。こういう派手なベストを取り入れて小粋に着こなすとか……無理(´・ω・`) 今度着こなし真似してみようかなぁ。濃い色、細めのストライプのジャケットに、白のスタンドカラーのシャツ、黒いパフタイ、派手で光沢のあるベスト、ズボンは白に近いような無地で、靴はさすがに見えないけど、アーサーならウィングチップにするか、あるいは裾を外に出した乗馬ブーツとかかなぁ。 ただ、こういう格好は綺麗に髭をあたって髪もセットしてこそ似合うので、タイなしの開襟にして、ラフさを加えたほうがうちの長髪アーサーにはいいかもなぁ(´ω`*)キセカエ タノチイ ちなみに馬車強盗は、荒事の得意でないジョサイアが噛むだけあって、「気付かれず」にやるものでした。ジョサイアがあれこれ喋って気を引いている間にそーっと失敬するという、ショーン救出のときと同じパターンですな。
さて、メインを一つ進めたからには、放浪しないと!! という最早使命感に近いわくわくを伴って、本日の行き先はヴァンホーンとかアンスバーグの近くです。そのへんの水辺沿いは通ったけど、陸側はまだマップがぼやけてるのでね。
断続的な射撃音がするので見てみたら、ここにも射撃練習中の人がいました。……これ、以前はそもそも瓶が見えねぇんだよ!! てことで負けましたけど、ここなら視認しやすいかな。 デッドアイ使えるのかどうかも気になったりしたけど、今回はスルー。また今度来よう。
そういえばここ、伝説の動物がいる……イヌ科っぽい絵が書き込まれてるんだけど、狼? と思って見てみたらキツネ。これなら襲われることはなさそう��と追跡し、無事にゲット٩(ˊᗜˋ*)و 伝説の動物は一匹しかいないため、運��中に殺されたりして皮をロストしたように見えても、ちゃんと罠師のところに届いているそうですね。だからかえって安心してこのままハノーバー北の旅を続けます。 そしたら幸いにも道中で罠師のお店発見しました。キツネの皮だけで作れるようになるものはないのかな……チャップスくらいか。しかも裾を出す設定、というかシューズを履いてきてたので、フィッティング中も自動的に裾の中に入ってしまってて見た目が分かりませんw まあいいや、とりあえず作っとこ。
ふらふらと建物マークに近づいて、古い交易所でスケッチした後、すぐ傍のこの小屋へ。 見晴らしいい素敵な場所。きちんと木の塀で囲いもしてあって、
小さな建物なんだろうと思ったらトイレかw ドアはないけど、まあ、この時代ですからねぇ。しかもこんなとこ、そうそう人が通らないだろうし。 で、中に入れるのかな、入った途端強盗と見做されて住民に攻撃されたりしないかなと思いつつ、ドアに接近……。
どじゃーん……!( ゚д゚) 動画とかでは見たことある……隕石の落ちた家だ! 煙出してるとこ調べると隕石が手に入りました。 海外版の動画を見てて「どうせ日本版だとバラバラになってたりしねぇんだろ(ಠᾥಠ)」と思ってましたけど、まあ、足がちぎれてる程度の表現はあるので良しとしましょうかね。 どうやらここ、一度中に入ることで「隕石の落ちた家」としてスケッチできるようになるみたいです。 それにしても、この状況下で平然と物色していくのもどうかと思うぞ?
これは★3クロクマ見つけて追っていたら、線路伝いに移動されましてね? 列車来ないといいなぁと思って追跡したのですが、間の悪いことの貨物列車が来てしまいました。 高架橋みたいな場所だったのでクマを追い抜いて慌てて脇に降りたのですが……戻ってみてもクマの死体すらないのは、クマもどこかから脇へと逃げたのか、轢かれるとともに死体になるのではなく消滅したのかですな。イーグルアイで見てみても、距離を広げすぎたせいか痕跡見えなくなってたのがどうなったのかは分かりません。 しかしこのへんにいるんだな……クロクマの皮は罠師のお店で必要だったはずだし、思ってたよりずっと小さかったので、また今度狩りに来よう。 そういえば、ホゼアと追った伝説クマ、早めに狩りなおしたいなぁ。ホゼアはなんかもう病死しそうな気配がビンビンなので、元気でいる内に狩れば、もしかしたら「あのクマ狩ったぞ!」て報告できるかなぁって。
◯と□のある建物ところに行ったら……天文所? とか思いましたけど、これは……電波塔とか、なんかそういうのかな。シガレットカードも「発明」シリーズの電球だし。 中に入れないし誰もいないし、つまんないなー。なにかないかなぁ。 と進んでいたら伝説の動物のテリトリーに入ったという表示が。なにかと思えばヘラジカ? ヘラジカってたしか、いるはずの場所でなかなか見つからないとか言ってる人をまとめサイトで見かけたことがあるぞ。だから、もしかするといたりいなかったりするんじゃないか、と言われています。 まあ探してだけみるべーよ、と痕跡を集めて行ったら……。
普通に狩れちゃった(´ω`*) ちなみに推奨は改良矢でしたが、毒矢で動けなくしてから、近づいてヘッドショットでトドメ。すまん、残酷ではある。たぶんライフルで撃ったところで、伝説のヘラジカは一匹しかいないのだから、この角が手に入らなくなるとかはないと思うんだけどね。気分として、角をできるだけ��つけずに狩りたいよなと。 気分の問題というと、こういう希少な……というか年月を経てここまで育っただろう動物には、せめて敬意を表するというか、なにかアクションできても良かったかなと思います。事故死してしまう人なんかもそうだけど、死体の始末はできないにせよ、十字くらい切るとか、無信心ならそれなりに一言かけるとかでもいいし。
ともあれ解体。毛皮の後は、このすげー立派な角。リアルではこういう角や牙目当てに乱獲されて絶滅危惧種とか、あるあるですな……(´・ω・`)
このおうちはなんなん��ろうなぁ。けっこう小奇麗だから廃屋ではなさそう。ドアには鍵がかかってて入れないし、特になにか落ちてるってこともなく。
こっちは入れたおうち。後になって通ったときに撮影してるので時刻が前後してるうえに雨になってますが。
ここでは宝の地図発見! んー……この形の池みたいなとこの近くなら、それほど見つけるの難しくなさそうだから、これもまた今度探しに来ようっと。木を目印にして……裏返すと、北へ何歩、東へ何歩、みたいなことが書かれてますね。楽しみ~(´ω`*)
で、ここ。あー……察したよねこれは。「世捨て人」って、あの犬けしかけてきたばあさんもそうだったし、なんかすげー態度が同じだよこのじいさん。 だからってころころすると名誉下がりそうなんで……ちょっと失礼、と縛って転がしておいて家探しするのは名誉に関係ないこの世の中。 よしよし、地図の半分ゲットだぞ。これで一枚の地図が完成。見てもちょっと分かりづらい地図だけど。
そんなことしつつふらふらしてたらすっかり夜、しかも雨ですよ。体力に雪の結晶マークが出現したのでぎょっとした気温見てみたら-4度。慌てて着替えました。 遠くに見えるのはサンドニの街の明かり?
きっとそうだろな。このへんに他に高さのある建築と、あんなたくさんの明かりがあるような場所ないしね。
明かりがついてるから誰かいるんだろうけど、入れもしないし特になにも起こらないおうちを2つほど発見したり。
そして噂のブッチャーズ・クリークを初めて通り抜けました。ここって奇妙な人��っぱいいるんでしょ。つかなんか怪しい人たちの集まりなんでしょ。夜に通るのは怖いけど、通り抜けるだけならなんでもなくてほっとしました。 それにしてももう1時。そろそろキャンプ張らないと、寝ないor昼まで寝るになっちゃうな。
とキャンプして迎えた朝。ふと見ればすぐ傍に、他の誰かのキャンプ跡でもないし、でも金庫みたいなのあるぞ……って、……なんか白骨が3つほど並んでる……:( •ᾥ•): 夜中だったから全然気づかずにキャンプしたというか、キャンプしようとすると自動的に「付近の適した場所」に移動させられるんだけど、とにかくこんな添い寝友達がいたことにはまったく気づかなかったわ……。
それから、昨日の罠師のところへ。伝説のヘラジカの皮を売らないといけないので、彼のところ目指しつつ、まだ通ってない道を潰していたのです。 って、そこにそうやって立ってるくせに営業時間外かよ!! ただ立ってるだけなら商売してくれよ!! しばらく待ってても開店しないし、近くにいたらダメなのかなとちょろっと離れた直後、8:10くらいにお店始まりました。
おっ、いいジャケット作れる!! しかもこれ防寒着だ。防寒着っていうと裾長のコートしかなかったから、これは嬉しいなぁ。さっそく作ってもらおう(´ω`*) でも気温は20度。昨日の夜のあの寒さはなんだったんだ。そんなわけで適当に馬積みの服に……って、着替えたりするとすぐセットが勝手に入れ替わるから困ります。
おかげで犯罪用のダサセットしかないし。 このおじさんは、ヴァンホーンの駅馬車近くにいた酔っぱらい。ヴァンホーンに来るつもりなかったのですけど、途中でまたレース挑まれましてね。アンダルシアンで勝てるのかよと思いましたけど、無事勝利。特になにがもらえるってわけでもないから、逆に言えば負けてもそれだけのミニゲームかな。 で、この酔っぱらいは「駅はどっちだ……」とか言ってるので教えてあげたら、名誉アップ。……このおっさん、ほっといて大丈夫か? とつい駅まで見届けてしまうアーサーさんであり��した。そしたらゲロ吐いて酔いつぶれ寝てしまいましたけどね。 ……こうしてまた天使アーサーの噂が一つ追加されるんですよ。 「あの薄汚ぇ酔っぱらいの相手するだけでもどうかしてるってのに、後をついていくからよ。俺ァてっきり、こりゃ人けのない駅の傍で強盗でもする気だなと思ったね。けどあんな爺が金なんて持ってるはずもねぇ。馬鹿な奴だ、どうせなら見に行って笑ってやれと思ったら……なんにもしねぇんだよ。もう飲むなよとか、起きねぇと列車来るぞとか、爺がすっかり寝入っちまうまで相手して、黙って去っていったんだ。信じられるか? ありゃ頭がどうかしてるか、筋金入りのお人好しだぜ。ったく、調子狂っちまうよな。なんか俺も今日はよ、一つくらいはいいことしたい気分だぜ」 みたいなね?(マテ
そんなアーサーさん、釣り人さんには忘れず声をかけます。幸い、驚いて魚が逃げるとかいうこともなく、返事してもらえますしね。 近くに波紋も出てるし、俺も今度ここで釣ってみよっと。 って、「今度」「今度」と、今度やることがどんどん増えていきますな(´ω`*) アンダルシアン親密度4になってしまったので、馬屋に寄って、と。……ほんとなつくの早すぎないか? 名誉レベルの割引価格で買って、MAX育てて売って、30~$くらい。野生馬はそもそもが安いためたとえ売りものの馬と同じ品種でも価格は上がらず、やっぱり利益はそれくらいです。効率のいい商売ではないけれど、誰も死なないし、不幸にもならないしなぁ。 なついた馬にとってはアーサーと離れるのは嫌かもしれない? それを言われると(´・ω・`) 街道を流してたら突然主を振り落として近づいてきた馬が実は売った馬だった、とかあったら大笑いしますけどねw 大丈夫、良い馬だから新しいご主人にも気に入られ、大事に可愛がられて、みんなもっと幸せになってると信じてる。そもそも俺の馬だといきなりギャングに襲われたりと怖いことも多いしな。 ちなみにレース挑まれる前にどこに向かっていたかというと、賞金首のところです。 リンジーなんとかっていう、サンドニでもらってきたビラの奴。デッド・オア・アライブで100$の大物ですよ。 どうなってるんだろうなと思ったら、手下とともに古びた砦にいましてね。やべぇな、複数人入り交じるとうっかりころころしちまうぞ、まあ持っていくのは死体でもいいんだけど、できれば生きたまま連行したいなと、思いました。 そしたら、���切にもリンジーだけは赤いドクロマークでレーダー表示されますので、手下からぷちぶちと。
そして、生リンジーだけでなく、建物に隠されていた南北戦争の帽子とナイフもゲット!! 運んでいる途中にしゃべるのを殴らずに放っておくとどうなるんだろうと思ったら、好きなだけ喋るだけですね。 しかも、リンジー目当ての別の賞金首に襲われました。「よく生かしておいてくれたな」とか言っていたので、死体にしていると襲われなかったか、あるいは台詞くらいは違ったのかも。 まあ三人くらい今更ひょこっと出てこられてもな。 政府に踊らされて賞金稼ぎ同士で殺しあうなんて馬鹿な野郎どもだとか、この国はもうなんでも金になっちまった、とか。たぶんアーサーからしたら頷ける内容だったと思います。 でもまあ、無法者の時代であっても、弱い奴が食い物にされるのは一緒だしな。おまえが今俺の馬のケツに乗せられてるのは、時代がどうのじゃなくおまえと手下が弱いからだろ。その点俺はまだ生きてるし、まだいくらかの自由もある。いずれ時代に飲まれて終わるとしてもな。
というわけでお待ち遠さまー、配達品でーす! 100$おくれ!(´ω`*)
ここ数日は大物狩ったり宝の地図見つけたりといっぱい遊……働いたので、自分ご褒美でおねーちゃんつけました(๑ ิټ ิ) 風呂は定期的に入らないとだし、町に寄ったときに入るようにしないと、拠点には川しかないからなぁ。……川で泳いでも綺麗になるんだろうか? 馬はそれでOKなんだけど、俺は? スタミナつけるためにも、今度から拠点では朝の水泳でも日課にしてみようかなぁ。しかし、脱げないんだよな。ベストとかコート、靴は着ないことを選べるけど、シャツ、サスペンダー、ズボンは着替えることができるのみ。だったらできるだけ薄着にして、裸足で泳いだら雰囲気出るか……? そしてみんなに、またアーサーがなんか変なこと始めたぞ頼むからその体力を仕事に回してくれ、とか思われるんだな、うん。
2 notes
·
View notes
Link
BSの支那人社員の余卿(よ・きょう)を少女誘拐で逮捕!静岡の未成年連れ出し札幌で発見!
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180903-00000004-dal-ent TBS社員、少女誘拐容疑で逮捕 静岡の未成年連れ出し、札幌で発見 9/3(月) 5:59配信 デイリースポーツ TBS 静岡県警は2日、少女を自宅に連れ込んだなどとして、未成年者誘拐の疑いで東京都渋谷区在住のTBS社員余卿(よ・きょう)容疑者(30)を現行犯逮捕した。 逮捕容疑は8月中旬から9月2日までの間、静岡県中部に住む10代少女を、未成年と知りながら、自宅に連れて行った疑い。県警は余容疑者の認否を明らかにしていない。 TBSによると、余容疑者は2015年4月に入社し、現在は事業局映画・アニメ事業部に所属している。 同県警焼津署によればこの日午前10時ごろ、余容疑者と少女が札幌市北区の路上を歩いているところを任意同行した。少女の家族から8月中旬に行方不明の届けが出ていたという。少女はすでに自宅に戻り、容疑者は同署に移送されたという。 余容疑者を知る人は口々に「驚いた。真面目でおとなしいタイプだった」と口をそろえる。余容疑者と仕事をしたことがあるという人は、「悪い感じの人ではないが、キレがあるというよりは、可もなく不可もない印象」と証言。別の人は「社内に親しい人は多くないと思う」と話した。 同社は「社員が逮捕されたことは誠に遺憾で、関係者の方に深くおわびする。事実関係を調べた上で厳正に対処する」とのコメントを出した。
>静岡県警は2日、少女を自宅に連れ込んだなどとして、未成年者誘拐の疑いで東京都渋谷区在住のTBS社員余卿(よ・きょう)容疑者(30)を現行犯逮捕した。
またTBSか?!
少女誘拐で逮捕されたTBS社員の余卿(よ・きょう)は支那人らしいが、そもそも日本のテレビ局に支那人や韓国人や朝鮮人などの外国人がいること自体がおかしい!
公共の電波は、日本国民の財産だ!
TBSなどの日本のテレビ局は、日本国民の財産である「公共の電波」を格安の電波利用料で使用させもらっているくせに、外国人を社員に採用するのは絶対に間違っている!
テレビ局などの放送事業者は、外国人の採用を一切禁止とするべきだ。
日本は、テレビ局の外国人株主比率については規制しているにもかかわらず、なぜか外国人役職員については全く規制しておらず、日本のテレビ局は大量に外国人を採用している!
今回は、その支那人社員が少女誘拐という犯罪をして逮捕されたのだから、言語道断だ!
しかも、支那や北朝鮮や韓国は、日本の敵性国家だ。
TBSでは、報道番組(ニュース番組)である「Nスタ」も、韓国人にディレクターをさせており、日本の安全保障にも悪影響を及ぼしている!
【報道テロ組織!TBS!】
TBS「Nスタ」は、韓国のソウル出身で元韓国空軍将校の朴眞煥がディレクターをしている番組だ。
【朴眞煥】
朴 眞煥 TBSの平日夕方のニュース番組「Nスタ」ディレクター
ソウル出身 京都大学大学院修了 元韓国空軍将校
韓国で記者などを経て2005年から日本在住
平成26年(2014年)11月27日、朴眞煥ディレクターのTBS「Nスタ」は、日本の【和紙】がユネスコの無形文化遺産登録に決定した際、「和紙は風船爆弾の材料に使われ、アメリカで女性と子供を殺害した」と繰り返し報道!
平成28年(2016年)6月15日、舛添要一が辞職願を提出したその日の夕方、早くもテロ朝のニュース番組と朴眞煥ディレクターのTBS「Nスタ」が新橋駅前での街頭インタビューで「蓮舫マンセー!」を唱える同一人物(仕込み女)を8分間に連続出演させた!
上:テロ朝
下:TBS「Nスタ」
テロ朝とTBS「Nスタ」に「蓮舫マンセー!」女(仕込み)が連続出演!
(平成28年6月15日夕方5:10と5:18、新橋駅前)
TBSなどマスゴミは蓮舫をごり押し!
↓ ↓ ↓
平成28年(2016年)9月7日、朴眞煥ディレクターのTBS「Nスタ」は、蓮舫の二重国籍(違法)を追及することについて「出生を巡る問題を取り上げて資格を問う運動をアメリカでは『バーセリズム』と言って非常に軽蔑されることだ。」などと批判!
平成29年(2017年)9月12日夕に放送された、朴眞煥ディレクターの報道・情報「Nスタ」(TBS系)。
16時12分ごろ、CMに入る前に、「イスラム国戦闘員の家族に日本人か」のナレーションとともに、佳子内親王殿下がイギリス留学に出発されるときの映像が5秒程度流れた。
佳子内親王殿下が空港で関係者に笑顔で挨拶している映像だった。
また一瞬、画面右上にも「『イスラム国』家族に『日本人』?」というテロップが入った。
TBS「Nスタ」で、【「イスラム国」家族に日本人?】のテロップと「イスラム国戦闘員の家族に日本人か」のナレーション!
しかし、映像は、笑顔の佳子内親王殿下!
平成29年(2017年)12月4日放送、朴眞煥ディレクターのTBS「Nスタ」、井上貴博アナウンサー「圧倒的な軍事力を見せつけるアメリカと韓国。それに怯むことなく軍事的な挑発も辞さない構えの北朝鮮。この対立の構図は~」
【ものは言いよう】 井上アナ「圧倒的な軍事力を見せつけるアメリカと韓国。それに怯むことなく軍事的な挑発も辞さない構えの北朝鮮。この対立の構図は…」 『ICBM発射実験を見せつけ挑発する北朝鮮。それに怯むことなく軍事演習を行うアメリカと韓国』とは言わないのがまさにTBS#Nスタ
5,324
4,409人がこの話題について話しています
Twitter広告の情報とプライバシー
https://twitter.com/N74580626/status/937609102192021509 雨雲 @N74580626 【ものは言いよう】 井上アナ「圧倒的な軍事力を見せつけるアメリカと韓国。それに怯むことなく軍事的な挑発も辞さない構えの北朝鮮。この対立の構図は…」 『ICBM発射実験を見せつけ挑発する北朝鮮。それに怯むことなく軍事演習を行うアメリカと韓国』とは言わないのがまさにTBS😓#Nスタ (動画) 18:06 - 2017年12月4日
●関連記事
元韓国軍将校がTBS報道番組「Nスタ」のディレクターだった!ソウル出身で元韓国空軍将校の朴眞煥
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-6453.html
街頭インタビューに同一人物!TBSとテロ朝で「韓国に行くと皆優しい」「どうにかならないか」
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-6523.html
TBSのNスタが佳子内親王殿下の映像を流し「イスラム国の家族に日本人」のテロップとナレーション
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-6793.html
TBS「圧倒的な軍事力を見せつけるアメリカと韓国。怯むことなく軍事的な挑発も辞さない北朝鮮」
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-6897.html
日本のテレビ局が外国人を採用するのは、おかしい。
テレビ局というのは、安全保障などの観点から放送法第52条で外国人株主比率を規制するなど、外国人の影響を大きく受けないようにしている。
日本は、テレビ局の外国人株主比率については規制しているにもかかわらず、外国人役職員については全く規制しておらず、NHKも民放も大量に外国人を採用しているため、放送法第52条で外国人株主比率を規制している意味が全くなくなってしまっている!
テレビ局などの放送事業者は、外国人の採用を一切禁止とするべきだ。
テレビ局等マスコミへの在日朝鮮人の就職優遇は、「在日特権」の一つとなっている。(
詳細記事
)
渡部昇一氏 馬渕睦夫元大使
■動画
元外務省「放送業界は在日韓国・朝鮮人が牛耳っています」
https://www.youtube.com/watch?v=ZocyPf_gDsY
――――――――――
馬渕:ある「ザイニチ」の方が私に「息子がNHKに入りました」と喜んでおられた。
まだその頃はNHKも目立たなかった。今その影響が出て来ている。
渡部:反日の「ザイニチ」系のひと。またその手の回っているひとが、非常に高い地位にいっぱいいるような気がするんですよ。
馬渕:アメリカでは、私が聞いている範囲では、テレビ局には外国人は入れない。
いかに民間の放送とはいえ、公共の電波ですからね。外国人がそれを牛耳るのはオカシイ。
日本も本当はそうすべき。
すぐにそうすることが無理なら、「日本名」ではなく、本名で仕事をしてもらう。
「創氏改名」が嘘であること・強制ではないことを、彼ら自身が証明している。
彼らが日本名で仕事をしている。日本名で日本で生活しているでしょ。
これは「創氏改名」が嘘だった、強制じゃなかったということを証明しているんですよ。
渡部:そうです。
馬淵:日本の「公共テレビ」は職員は日本人とすべき。日本名を語って出自を隠すことは止めるべき
(以下略:
関連記事
)
――――――――――
https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/18.html ■TBSの不祥事年表 年次 月日 内容 補足 1966 10 自衛隊観艦式中継を、TBSとRKB毎日放送の労組の圧力により放送中止 民放労連は共産党系 1968 01 米原子力空母を特集する予定だったが、スポンサーに無断で中止 1968 03 成田闘争においてTBS報道班が中核派系過激派の支援 1985 08 病死を殺人事件とし、岐阜県の男性を殺人者として報道。男性は誤報への抗議の遺書を残し自殺 1989 10 「NEWS23」第1回目に筑紫が「屠殺場」発言をし、解同から「大糾弾」 1989 10 「NEWS23」が山口組五代目継承式を無断で放送し、山口組から訴えられる 1989 11 オウム真理教の坂本弁護士一家殺害を幇助 ★殿堂★ 1990 05 TBSビデオテープ事件 1991 06 損失補填事件(証券会社に6億5000万の損失を肩代わりさせる) 1994 06 松本サリン事件で第一通報者の河野義行さんを犯人に仕立て上げ、殺人者呼ばわりを続ける 1995 01 筑紫哲也が阪神大震災で「温泉街」発言 ★殿堂★ 1 1995 05 「報道特集」でサブリミナル手法によりオウム真理教教祖の麻原の顔を挿入 1996 03 「NEWS23」で筑紫が「TBSは今日、死んだに等しい」と発言し波紋を呼ぶ 1996 04 オウム村井刺殺事件関与疑惑 殺害映像 1996 05 「ニュースの森」等でサンディエゴ事件の被害者夫人を犯人の様に報道 1996 06 TBSが放映済み映像を見せなかったとして女優の元夫が損害賠償請求で勝訴 1997 09 「報道特集」で上越市のゴミ処理場に関して虚偽報道。上越市から訴えられる 1998 01 「ニュースの森」等で帝京大学ラグビー部員暴行容疑事件無関係者を犯人扱い 1999 03 上岡龍太郎の発言に和歌山・奈良県知事がTBSに抗議文 1999 07 芸能人乱交パーティーにアナ含むTBS社員複数参加事件 1999 07 警視庁記者クラブ在籍のTBS記者が民家に侵入。女性の入浴を盗撮し逮捕 2000 04 「ガチンコ!」収録中に一般参加者の女性が着地に失敗し裂傷を負う 2000 11 「ニュースの森」等で旧石器捏造と無関係の「つくる会」を結びつけて報道 2001 06 TBS若手女子社員が、職場でのセクハラや陰湿なイジメを苦に自殺 2001 08 網走刑務所の墓地を無断撮影 2001 09 TBSがテレビ朝日の番組内容を盗用 2001 10 「うたばん」収録中にゲスト出演者が足に12針縫う怪我を負う 2002 03 「とくばん」でゲストに対し司会者がセクハラ発言を行い、BPOに抗議が殺到 2002 05 「筋肉番付」の収録中に一般参加者2名が負傷し番組が打ち切り 2002 07 神栖町ヒ素汚染問題で「旧日本軍の毒ガス兵器が原因」と捏造報道 2002 07 TBSと北朝鮮による、身代金目的の共同謀議発覚 2002 10 「NEWS23」で筑紫が「拉致被害者に過失(不作為?)があるとすれば、日本人に生まれたということでしょう」と問題発言 2002 11 筑紫が、拉致被害者に執拗な取材を行い批判を浴びた「週刊金曜日」を擁護「NEWS23」で筑紫自身が週刊金曜日の編集委員であることには触れず 2003 02 TBSメディア推進局副理事が約7000万円の所得隠し 2003 04 通り魔事件の犯人が統合失調症であるかの様に報道。某団体からTBSに抗議 2003 07 TBSが放送した豆乳ローションを作ろうとした視聴者2名が重傷の火傷を負う 2003 08 撮影中にワゴン車からカメラマンが転落し脳挫傷で死亡。スタッフを書類送検 2003 11 石原都知事の日韓併合発言で捏造テロップ ★殿堂★ 1 、2、3、4、5、6 2004 03 オウム真理教ドキュメンタリードラマでやらせ 2004 05 筑紫哲也が年金未納で「NEWS23」を一時出演休止 1 2004 06 男性アナウンサーが酒気帯び運転で物損事故 2004 06 TBSとP&Gが行った双方向CMで、応募者1万868人分の個人情報流出 2004 06 TBSラジオの番組のクイズ企画に応募したリスナーの個人情報が流出 2004 07 TBSが業者に100万円渡し、中国にある大使館への脱北者の亡命を演出未遂 2004 07 ロケバス無許可運行で逮捕者 2004 07 向井亜紀が自身の講演内容を歪曲し報道されたとしてTBSを提訴 2004 09 ネットで外国宝くじ購入、刑法違反で謝罪 2004 10 「ケータイ刑事銭形泪」で、間違って予定と異なる回を放送 2004 12 石原都知事の名誉棄損容疑で、TBS社員4人を書類送検 1 2005 01 脱北者提供「日本人拉致被害者写真」が偽物 2005 02 TBS元社員らが企業年金の減額は違法としてTBSを提訴 2005 05 TBS携帯サイトから個人情報流出 2005 05 公式ホームページに載せるコラムを新聞記事から盗用 2005 06 ドラマの解説文を外部のホームページから盗用していたこと等発覚 2005 06 「朝ズバッ!」でみのもんたの失言に激怒した番組スポンサーが降板 2005 10 東条英機の孫の発言を捏造 2005 11 「NEWS23」で台湾新幹線の開業延期問題を日本の責任にする虚偽報道 2005 11 「NEWS23」で世論調査捏造疑惑 2006 01 「朝ズバッ!」でみのもんたがボビー・オロゴンに対して人種差別発言を行う 2006 02 トリノオリンピックでTBSスタッフと中居正広がルール違反で出入り禁止処分 2006 02 男性社員による結婚詐欺疑惑 2006 02 自局・川田亜子アナ(当時)のWikipediaに、TBSが中傷書き込み 2006 03 「��らくりTV」の元スタッフが番組出演者ら約540人分の個人情報を流出 2006 03 「NEWS23」でナヌムの家報道。「NEWS23」スポンサー不買運動が行われる 2006 04 大家族・青木家に数々の疑惑 2006 04 TBS系列会社「BS-i」と「C-TBS」が民放連指針違反 2006 05 白インゲンダイエットで下痢や嘔吐などの入院患者100人超 2006 06 「NEWS23」でハイド議員の靖国発言を超訳して放送 2006 07 TBSのホストから甲府FW・茂原岳人の項目で「レイプ癖は健在」等と編集 2006 07 「イブニング・ファイブ」の731部隊報道に安倍氏ポスターをカットイン 画像 2006 08 亀田疑惑の判定で世界王者、抗議6万件超 2006 09 亀田大毅の判定に客が野次を飛ばし乱闘騒ぎに 2006 09 番組取材協力者103人分のメールアドレス流出 2006 09 「KUNOICHI」収録中に感電事故、一般参加の女性が病院で手当て 2006 09 TBSが上祐オウムに会見場所を提供 2006 10 TBSアナウンサー川田亜子さんが社内の苦悩に涙する様子を放送 2006 10 「NEWS23」新キャスター・山本モナさんが民主・細野議員との不倫で降板 2006 11 世界バレー女子、6位・日本からのMVP選出に大ブーイング 2006 12 「はなまるマーケット」で便器破損の恐れがあるトイレ掃除法を紹介 2007 01 反則の柔道王・秋山成勲がヌルヌル&グローブ細工疑惑で失格処分 2007 01 「朝ズバッ!」で「不二家が賞味期限切れのチョコレートを回収し再出荷していた」と捏造 ★殿堂★ 1 2007 01 TBS特番でみのもんたが夕張視察。みのの問題発言とやらせ連発 2007 02 頭のよくなる音・ハイパーソニック音で過剰表現・論文無断使用 2007 02 「サンデー・ジャポン」で柳沢発言を不適切編集 2007 02 「華麗なる一族」にてサブリミナル効果で公明党の宣伝 2007 03 桜庭選手に失望したとのネット掲示板の書き込みを捏造 2007 03 「朝ズバッ!」の不二家報道が事実と異なるとして総務省が調査 2007 03 「新SASUKE」収録で5人重軽傷。警察に届けず事故隠し 2007 03 みのもんたが女性アナウンサーへのセクハラ疑惑。TBSの対応にみの激怒 2007 04 「サンデー・ジャポン」にて、同一人物によるやらせインタビューが発覚 2007 04 TBS取材車が池袋で駐停車禁止場所に堂々と駐車。注意で逆ギレ 1 2007 04 「イブニングニュース」で、支那大陸の砂漠化、黄砂は日本の責任と主張 2007 04 J-CASTや週刊現代など他マスコミからの取材の拒否を宣言 2007 04 伊藤一長長崎市長狙撃事件で、延々と市長の血だらけの顔を全国放送 2007 04 江口ともみさんがTBS番組収録中に事故に遭い、腎臓摘出 2007 04 番組収録中に金子昇が左手首骨折するも警察に未届けだった事が判明 2007 05 番組名「ニッポン劣島改造計画」と明記。苦情相次ぎ番組名変える 2007 05 「NEWS23」で左翼団体メンバーを「普通の学生」かのように偏向報道 1 2007 05 「NEWS23」で右翼風改憲ラップを自ら発注し情報操作した上で放送 1 2 2007 06 「ピンポン!」が盗聴工作未遂&「イブニング・ファイブ」がヘリでプレー妨害 1 2007 07 「リンカーン」で亀田興毅の自慰をモノマネ。抗議が有り翌週に謝罪放送行う 2007 08 「ピンポン!」取材陣、葬儀にTシャツ、ジーンズ・短パンで取材、遺族に謝罪 2007 08 「ピンポン!」番組内で「現役客室乗務員」と紹介された女性、実はニセ者 1 2007 09 一連の不祥事を受け役員|19人処分するも社外に向けて自主公表せず 2007 09 「ピンポン!」が民主党の主張のみ放送。舛添厚労相の出演依頼拒否を捏造 1 2007 09 神戸高3自殺に関し、学内名簿・成績表等の収集目的で「裏2ch」で取材を試みる 2007 09 「NEWS23」にて麻生太郎の発言をぶった切り編集し、歪曲報道 1 2007 09 「朝ズバッ!」のスタッフが変死。「2時っチャオ!」のスタッフが自殺 2007 10 ボクシング亀田大毅vs内藤大助で大毅反則多発、TBSも関与か 2007 10 「アッコにおまかせ」で、「初音ミク」ユーザーをオタクネタ化し批判を受ける 1 2007 10 TBS関連会社元契約社員が、盗撮目的でTBS内の女子トイレ侵入 2007 10 「ズバリ言うわよ!」が無許可で朝青龍インタビュー 2007 10 「朝ズバッ!」の男性スタッフが女子アナ盗撮で逮捕 1 2 2007 10 消えゆくアルプス民族楽器のはずが、全く消える予兆無し 2007 10 「ピンポン!」で取り上げた獣医師は抗議署名3699人も集められていた人物 2007 10 イベント応募者1033名の個人情報を流出 2007 10 「HOTEL」の再放送が4話で終了。出演者が逮捕される数日前突然の打ち切り 2007 11 「朝ズバッ!」でみのが香川姉妹祖母殺害事件で父親が犯人かの様に報道 2007 11 TBSのスタッフが「路上喫煙禁止推進区域」にて堂々と路上喫煙 2007 12 TBSが映画「南京の真実」の撮影を妨害していたことがチャンネル桜にて発覚 2007 12 TBSに批判的な記事を書かせない為��他マスコミへの情報提供の制限を宣言 2007 12 中国産ゲーム機Viiについて、中国で4000万台販売されたと虚偽報道 2007 12 「朝ズバッ!」で取材拒否VTRを放送。みの発言に激怒した男性が提訴 2008 01 亀田大毅に100%責任のある追突事故を「巻き込まれた」と偽装報道疑惑 1 2008 02 住宅火災で亡くなった女児と違う、別の女児の写真を誤って使い報道する 2008 03 射幸心を煽る不適切な表現をしたとして謝罪 2008 03 富山市が高架化事業について「一方的な報道をされた」としてTBSに意見書 1 2008 03 「朝ズバッ!」で硫化水素の作成方法を報道。自殺を激増、殺人も引き起こす 2008 03 「著しい誤解や不快感を与えた」として会津若松市がTBSに謝罪・訂正求める 2008 03 生放送中に出演者が胸を強打し右肋骨を骨折。全治4週間の怪我を負う 2008 03 「王様のブランチ」生放送中 カンフー少年が頭部から流血 1 2008 04 チベット人の振りして障害者からトーチを奪おうとした中国人の自作自演に手を貸す 2008 05 元TBSアナウンサー川田亜子さんの自殺現場を、TBSだけ違う場所を撮影 2008 05 番組で紹介された「ティッシュ箱飛ばし」で、視聴者の負傷続出 2008 06 「報道特集NEXT」で「高村正彦外相が万景峰入港の全面解禁を主張した」と捏造 2008 06 「NEWS23」で問責決議案可決後の福田首相のコメントを意図的に編集 2008 07 東京都八王子市で起きた無差別殺傷事件で、被害者として報じた写真が別人 2008 07 内藤の世界戦に“亀田乱入”でTBSに抗議殺到 2008 08 井上弘社長(68)の不倫疑惑発覚 2008 09 「どうぶつ奇想天外」で死に至る危険性のある寄生虫を宿すペットを飼っている少女を紹介 2008 09 「2時っチャオ!」眞子さまジャニーズファン報道に紀子妃激怒! 宮内庁TBSへ抗議 2008 11 「アッコにおまかせ!」スタッフが小室哲哉容疑者に差し入れ。行き過ぎに謝罪 2008 11 アパワイン会で田母神俊雄氏と同席した民主党・鳩山夫妻にボカシ 1 2008 11 『余命1ヶ月の花嫁』の長島千恵さんはAV女優と判明 2008 12 幼児殺害事件の容疑者に執拗な取材。警察と弁護団双方からクレーム 2008 12 税収減り道路の穴放置報道。TBSが田原市に謝罪 1 2009 01 TBS社員のPCからTBS女子アナ××写真流出 2009 02 麻生総理講演会を印象操作して報道 2009 02 「朝ズバッ!」でみのもんたが小沢騒動に関して問題発言連発 2009 04 「朝ズバッ!」で未承諾で容姿を映されたことに対し、肖像権侵害などでTBSに賠償命令 2009 04 「情報7days ニュースキャスター」で、「これが二重行政の現場」と悪質なやらせ報道 1 2009 06 総務省が事実を正確に報道しなかったとしてTBSを厳重注意 2009 07 「キミハブレイク」の収録で深夜に荒川河川敷で打ち上げ花火。警視庁が注意 2009 08 「サンデージャポン」の大阪府強制執行報道で問題発言。BPOから勧告 2009 08 「アッコにおまかせ!」で酒井法子容疑者の息子をモザイク無しで放送 2009 10 「2時っチャオ!」の女性リポーター(38)が取材先の大津市内の女性に軽傷を負わせ書類送検 2009 10 「サンデージャポン」で、中川氏死亡の速報に「速報は注目しないでください」と発言 2009 11 「朝ズバッ!」のディレクターが市橋容疑者に突撃取材で逮捕。広報部は隠蔽 2 2009 11 石川遼が出場するゴルフ大会で、TBSのカートがギャ��リーに突っ込み女性ら負傷 2009 11 内藤×亀田戦で、TBSによるリングアナ富樫光明氏への言論弾圧工作が発覚 2009 12 TBS警察呼ばず、犯人国外逃亡「ブラック紙幣」詐欺番組で論議 2010 01 TBS系制作会社の記者が個人の郵便物を盗み見、更に発信機を取り付けていたことが発覚 1 2 2010 02 TBS61.6%の大幅減益、視聴率低迷で。純損益予想でもTBSは赤字に転落 ★ 法則発動 ★ 2010 02 バンクーバー五輪・カーリング女子日本代表チームの非公開練習を盗撮、出入禁止処分 2010 02 津波警報を知らせる日本地図で対馬を除外 2010 03 朝鮮学校の授業料無償化の件でテロップを捏造 2010 04 巨人・木村拓也コーチ急死と報じ謝罪 2010 05 赤松農水大臣GW中の外遊でゴルフをしていたと捏造報道 2010 06 『NEW23クロス』にてW杯でポルトガルに0-7で大敗した北朝鮮を7-0で大勝と捏造報道 2010 08 PSPソフト『けいおん! 放課後ライブ!!』Youtubeにアップしたセガ&TBS 公式 のゲームプレイ動画をTBSがセガに無断で削除 2010 08 「朝鮮学校」無償化を捏造報道 2010 08 TBSカメラマンを在宅起訴 高知地検 2015 08 単発ドラマに登場する汚職政治家にブルーリボンバッジ ★殿堂★ 2018 09 TBS社員余卿(よ・きょう)、少女誘拐容疑で逮捕 静岡の未成年連れ出し、札幌で発見 ★NEW!!★
8 notes
·
View notes
Text
2021/5/15
朝、目覚ましより一時間ほど早く目が覚め、もういちど眠りに就き、目覚ましで目が覚める。ちょっと左目が開かない感じ、昨夜は早寝すればよかったと反省。時間がけっこうギリギリめ、大慌てで支度をして、スニーカーをけんけんしながら玄関から外に飛び出す。夏の空気感に胸がそわそわ、ひりひり。
偶然の奇跡的な出会い方はできるのに、何故か待ち合わせはできない僕たち私たち。30分近く駅構内を彷徨って、ようやくN、それからTと再会することができる。二人と会うまでは左目が開かなくて、テンション上がらんって感じだったのが、二人の顔を見たらふつうに元気になっている。青の羽衣を羽織る季節でもなくなって、シャツはいちおう青系統だけども、今日はちょっと青みが足りないかも~と思っていたら、Nの指に小さなブルーが光っているし、Tの目尻にもブルーが光っていて、なんだか嬉しいな~。Tの本日のアニマルはシマウマ、アニマルシリーズをコンプリートしたい。Nの紙袋の中から、さいきんそれのことばかり考えていて、何なら今日どこかのおもちゃ売り場で買おうと思っていたマジックテープのキャッチボールセットが出てきて腰を抜かしそうになる。えー、超能力ですか!
夏の陽射しのはなしをしていたら、さらに元気モリモリでてくる。上りも下りもしない大好きな床滑りのエスカレーター。スイスイ歩く~。
世界の珍しアニマル展示・販売会の会場に到着。動物園みたいな匂いがしてきて、気持ちが盛り上がってくる。ヒョウモントカゲモドキがいて、かわいいな~って眺めていたら、視界の隅のほうに黒色の足に毛の生えた昆虫のお仲間がいて、ぎゃっとからだが宙に浮かぶ。さらに砂漠在住の尻尾に特徴のある昆虫のお仲間がいて、ぎゃーっと変な声がでる。ヘビに睨まれたカエルのように身動きがとれなくなる。愉快な仲間たちは色んなところに潜んでいるらしくて、びっくりし過ぎて絶叫してしまうから、なるべく視界の隅をシャットアウトするように努める。足が百本ある愉快なお仲間が視界の隅にいて、硬直しながら真っ直ぐに目のまえを見据える。でも、なんでこんなにびっくりしちゃうんだろう。べつにきらいなわけではないのにからだが勝手に反応してしまう。じぶんの七不思議のなかでも、かなり大きな不思議である。Tがフェレットを抱っこ、さすがに慣れた手付き、フェレットのお股に金玉のようなのがあって、この子は男の子なんだろうかって思っていたら、飼育員さんがその金玉のようなのを摘み取って捨ててしまう。どうやらうんこがこびりついていただけだったらしい。Nも抱っこ、たまにNが見せるびっくりして顔が硬直するときの表情になっている。なんか流れでじぶんも抱っこすることになり、Nの表情が乗り移ったみたいに硬直していたと思う。でかめのカメレオン?がふつうに野放しになっている。左右の目の動き方がバラバラで、いったいどんなふうに景色が見えているんだろうと不思議になる。顔のまえで指をぐるぐるしてみると、びっくりして仰け反るような仕草。やい、びっくりするじゃねえかってNがカメレオンの気持ちをアフレコする。カゴの中のコウモリが仲良さそうにもつれ合っている。が緑のインコ、ルリコンゴウインコに名前が似ているけど親戚だろうか。ミーアキャット、飼育員さんの目がさっきのカメレオンみたいでなんか混乱してくる。数種類の大型のフクロウ、飼育員さんもフクロウのようにからだが大きくて、なんか顔や佇まいもフクロウみたいで、このフクロウさんたちの長老みたいに見える。
電車で大移動。Tのタトゥーのはなしから、その文字に込められた意味のはなし。thousand summerは千夏。千夏というのは、いまでは疎遠になっている高校時代に大好きだった友達の名前。この数行の言葉で言い表せてしまう小さなしるしに、じぶんの大事にしていることの核みたいなものが完璧に刻まれていると思った。窓から夏の白い雲がずっと遠くに見える。このあいだのHの幻聴のはなしといい、Tの千夏ちゃんのはなしといい、いちばん聞けて嬉しかったことをどちらともNがしれっと聞き出していて、あとからいま何のはなししてたの? って、なんとなく気になって聞くケースが続く。
駅に着いて、ほとんどオンタイムでHと合流。HのTシャツ姿を見て夏仕様だっとT。錨のあるコンビニで、すっかり気に入ってしまった言い表し空気清浄機ことYちゃんを待つ。待ち切れなくって、マジックテープのキャッチボールセットを出してもらう。コンビニのまえで投げ合う。楽しい……、楽しすぎる! なんて楽しいんだぁ~! なんて、なんて楽しいんだぁ~!!!! Yちゃんがなんか弱っているというか項垂れながら到着、PVで見ているからかもしれないけど初対面という感じはまったくしなくて、聞いたことのない声もすでに知っているような感じがする。似たような顔の骨格のひとを知っていて、その声を知っているからかもしれない。華奢でかわいらしくて、道端に咲いている花みたいに風が吹いたら飛んでっちゃいそうなんだけども、なんか仕草の端々にどっしりしているというか、でーんとしたような粗野さのあるのが可笑しな感じ。
中華街でご飯を買って、公園に行くことにする。ふつうの中華ちまきと、王さんの中華ちまきとかいうのを食べ比べることにする。ふつうの中華ちまきを持って、王さんのお店に行くと、店番の王さん?にカタコトの日本語でずいぶん可愛らしい中華ちまきねって言われる。たしかに出てきた王さんの中華ちまきはでかい。Yは餃子みたいのを買いもとめ、その場に立ったまま軽く背中を丸めてぱくぱく餃子みたいのを箸で食べはじめている。YとNも王さんの中華ちまきを買いもとめる。中華ちまきって大好き。子どもの頃、朝ごはんが中華ちまきだと嬉しかったことを思い出す。
Hと小説のはなしをしながら公園の方面へ。公園に行けども落ち着けそうな場所がなく、うろうろと歩きまわる。噴水に虹ができている。芝生のあるらしいエリアが立入禁止になっていて、ふ頭のほうに行ってみる。さすがに待ち切れなくなって、小さいほうの中華ちまきの笹の包みをといて歩きながら食べはじめる。Yも歩きながら箸で餃子みたいのを食べている。ふ頭の手前の広場みたいなところに腰を落ち着かせる。小さいほうの中華ちまきは笹の包みが一枚だけだったのに、王さんの中華ちまきは何重にも笹に包まれていて、脱いでも脱いでもパンツをはいている人みたいに、なかなか肝心の中身がでてこない。箸で笹の葉をほじくるように食べる。おいし、朝ごはんに食べたい。早くキャッチボールしたくて、モリモリ食べる。キャッチボールしようよって誘うけれど、みんなまだ王さんを食べている。先に食べ終わって海を見ながら煙草を吸っているHに相手になってもらう。ちょっとずつ距離を広げてゆく。楽しいよぉ、楽しすぎるよぉ、今日なにかあって死んでしまってももはや思い残すことないくらい楽しい。Hが休憩タイムで、Tに代わる。このあいだの石投げのときTの投げた石があり得ない方向にとんでいったのを思い出して、ちょっと不安になっ��けども、意外にもいい球が真っ直ぐとんでくる。陽射しに汗が滲んでくる。ボールにはいちおうシームがあって、スライダーの握りで投げてみると、ちょっとだけククッと曲がる。山なりのカーブも投げてみる。ためしにチェンジアップの握りで投げてみると、それまでとおなじ軌道でボールがこないからかTがキャッチし損ねる。ごめんって思いながらもちょっとうれしい。
汗じっとりの喉カラカラでふ頭に行く。自販機で買った麦茶が美味しくって、美味しくって、ひと息に半分くらい飲んでしまう。急に眠たくなってきて、大あくびが止まらなくなる。図書館に寄ってきたというYのトートがべらぼうに重い。ふ頭の内部の静かな廊下みたいなところでYが鈴の音に気がつく。ふ頭から海を眺める。窓に映る雲とじぶんたちの姿。風景にあまり興味のなさそうなHが海の写真を撮っていて、ちょっと意外に思う。ふ頭の高いところにのぼる。双眼鏡に100えんを入れる。覗く。間近に青い海がゆらんゆらん波打っていて、海だ! って思う。代わるがわる双眼鏡を覗くみんなも海だ! って反応する。客船に乗っているひとの顔まで見える。飛行機に乗ってるひとも見えるかなって誰か、あいにく飛行機はとんでいない。柵に身をあずけながら海を眺める。YとNがサザエさんのオープニングをなんか唐突に歌いはじめて、サビ前のホーンから伴奏で参加する。ふたりの歌声がぴったりユニゾンしている、ルール ルッル ルー 今日もいい天気~。すごい楽しくって、またしても今日なにかあって死んでしまっても思い残すことなしって思う。エンディングも歌う。たしかにぜんぜんちがう曲なのに、なんか似ているような気がして、どっちを歌っているのかわからなくなる。東京湾にひとを沈めるはなしから、この海にどれくらいひとが沈まっているいるか、千人はくだらないんじゃないって。トンビが華麗に空中でバランスをとって餌を狙っている、餌になりそうなものは何にも持っていないし、他人事のように思っていたら、背後から急降下でペットボトルを狙われて思わず尻もちをつく。すごい! ものすごく近くてびっくり! トンビはまた空中にいる、尻尾の羽を微妙に左右に傾けながらバランスをとっている様子が宮崎駿のアニメとか当時の映像でみる昔の飛行機の様子と重なる。
徒歩で映画へ。波止場の入口辺りに波止場会館というカフェみたいのがある。大あくびをしながら、疲れたし眠いから映画寝ちゃうかもな~って言っていたら、Tがプール帰りみたいに身体が火照ってるって言い、それ、それ、まさにそれ! ってなる。Yの大量の本が入ったトートをNが持ってあげる。重みから解放されたYは信号待ちのところで股を割り、肩を入れる。ハッと驚いて、目が覚める。これが映画なら泣いているなっと思う。
2度めの『コントラ』。みんなもいることだし序盤はどうにか堪えていたけれど、すぐに堰が切れて顔とマスクがびちゃびちゃになる。日記を書くように全ショットを文字起こししたい衝動に駆られている。
マスクで顔面を隠しながら退場。もう、へなへなで真っ直ぐ立つこともできません。めいめいに感想を言い合いながら駅までの道のりを歩く。名残り惜しい。駅がちょっと遠くてよかった。ひとりだけ逆方向のYを見送る。あんまり話せなかったけれど、また会いたいね。お母さんとの関係のはなしがとても印象に残っている。ついで、電車の窓からHとサヨナラ。ふだんは猫背で俯きぎみのHの姿がこのときだけ大きく花を咲かせる。サヨナラが絶望的に下手くそだったじぶんたち、数か月まえは目も当てられない惨状だったのに、Hからの素晴らしき影響のおかげで、こんなにも変わっている。
SSラインのボックス席で帰りたい。Nは前に住んでいた土地柄的にボックス席に対する愛着がとくにはないよう。乗換駅のホームに上がったところでちょうど電車が来て、その電車に飛び乗る。真ん中あたりの車両に乗ってしまったからボックス席のある端の車両を目指す。そしたら、まさかのボックス席のないタイプの列車で、残念すぎて絶望していたら、まさか、まさかの逆方面の電車にまちがって乗っていることが発覚する。SSラインの通らない小規模な駅をやり過ごし、川の流れる駅で乗り換える。ほかの車線には快速AやO原行きの列車もある。貨車が通過し、あの荷台にこっそり乗っていきたい。図らずも距離を水増ししてSSラインのボックス席に乗ることができる。数十分して、ようやっともとの駅まで帰ってきて、そのまま通過する。
宇宙人のはなしになる。会えないのは次元が違うからという推論。たとえば人間は、宇宙というこの果てしのないものに対して、衝力を差し向けるようなかたちで五感を発達させてきた。なかでも視覚から得られるイマージュは人間にとってのこの地球、この宇宙の姿そのものであるように思われる。けれども、じっさいには視覚で見たこの宇宙は、果てしのないものに対してわずかながらの衝力を差し向けたものにすぎないから、私たちはあくまでも人間仕様の見方で勝手に壮大な宇宙の一部分を切り取って、それをあたかも総体のように眺めている。
たとえば、犬の視覚は色彩感覚が人間のそれよりはるかに希薄で白黒に近いと言われる。誰も犬になったことはないからほんとうのところは誰にもわからないけれど、こういうことがあり得るなら、私たちには漆黒の暗闇にしか見えない宇宙の彼方に色を見出す種族がどこかにいても何ら不思議ではないし、そもそも五感という切り口とはまったく違った宇宙の捉え方をしている可能性のほうがはるかに高そうに思われる。
次元が違うっていうのは、こういうことなのかなって。それはもしかするとすぐ近くにいて日々すれ違っているかもしれなくて、ただ、おたがいにこの宇宙の捉え方が違うばかりに、私たちの視覚の範疇からそれは外れていて、向こうの何かしら感覚の範疇からも私たちは外れている。
こういうことを考えていくと、私たち自身もおたがいに同じものを見ているようで、その捉え方はぜんぜん違っている。となり合って散歩をしていても、あなたの目から見えるこの世界には道端に咲いている小さな青い花は存在していないかもしれないし、そのとき、あなたが見ていた電柱の可笑しな落書きは私の目から見えるこの世界には存在していないかもしれない。そう考えると、私たち自身も次元を介しておたがいにすれ違う宇宙人同士かもしれなくて、そんな宇宙人同士がおなじものを見て、おなじように感動したりすることがあるのなら、それはそれこそ宇宙人に遭遇してしまったような驚くべき世紀の大発見なのだと思う。
ラインやってないばなしにもなる。とくに深い意味もなく頑なに拒んできたライン。なんでだろうと今更ながらそのことについて考えてみる。たぶん、究極的には紙に書く手紙にもどりたいのだとお思う。手紙は面倒だし、手間がかかるし、相手に届くまでに時間もかかる。でも、だからこそ手心を加えようと思うし、手紙をひとつ出すのには気持ちの上で手続きを踏んで越えなければならない覚悟というと重々しいけれど、何か気持ちの整理のようなものを経由する必要があるように思う。
ライン、やったことがないからわからないんだけども、手紙の時代にはあった手続きみたいなものがポロッと抜け落ちてしまうような気がして、それはなんだかもったいないように思ってしまう。たとえば、旅行の楽しみには、計画や準備、目的地に行くまでの移動の時間なんかも含まれると思うけれど、どこでもドアで瞬間移動ができちゃえば旅も味気なくなってしまうような予感に近いものをラインにも感じているのかもしれない。
ほかにも色々なはなし、そんな楽しい帰りの時間もあっという間に過ぎて、下車の駅に着いてしまう。Nがいままででイチバンのボックス席の思い出になったと言って、それがとてもうれしい。これからも積極的にボックス席に座っていこうね。
階段のところでNをお見送り。はじめは前を向いて振り返り、振り返りしていたNがコントラの真似をするように後ろ向きに階段を上りはじめる。その姿がコントラにそっくりで、転んじゃうところまでそっくりで、あれはわざと物真似しているのか、素で転んでしまったのかわからない。どっちでもいいけども、Nは何にしてもあらゆる物真似が上手だなって思う。そういえばシンジくんの物真似も上手だった。高さの差異でおたがいの姿が見えなくなる。でも、そんなとき、どうしたらいいかはHがすでに教えてくれていて、屈んでみれば、あとちょっとだけおたがいの姿が見ることができる。
とうとうふたりだけになってしまい、駅に向かっている最中、Tが出し抜けに言う、こういう関係もいつかは疎遠になっちゃうのかなぁ。そうだねぇ、みんな引っ込み思案だからねぇって応えながら「かくれてばっかり」のことを思い出している。でも、だからって、たぶんTもじぶんも未来を悲観しているわけではなくて、それは決められた約束事なんか何もないってことで、だからこそ未来はいつもわからなくて、いまのこの瞬間は奇跡的なんだって思う。でもな〜、みんながヨボヨボのおじいちゃんやおばあちゃんになった姿を見たいからな〜、誰よりも長生きしてみんなの骨も拾いに行ってやるぞ〜!
じぶんの下りる駅がきて、車窓を挟んでTともサヨナラ。その向かい合ったときの真っ直ぐな視線は心なしかまえよりも柔らかにくだけたものになっているような気がする。列車が発車する、その窓を追いかけて走ってみる、手を振るTの姿がもうちょびっとだけ見える。わあッ、前を向いて走っている。コントラを観ていたばっかりに前を向いて走っているじぶんに驚く。
今日はいちごの日かぁ~。誕生日おめでとう!! 何にもない日もプレゼントの交換しようよ、大人になったね。
0 notes
Photo
. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 12月5日(日) #赤口(丁亥) 旧暦 11/2 月齢 0.8 年始から339日目(閏年では340日目)にあたり、年末まであと26日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 六日も運動しないと応えるのか 昨日はジムでお風呂にもゆっくり 出来ずに早々と退散⤵️折角、和風 風呂のミストサウナがある方だったのに . 残念です😅💦洋風風呂のスチームアウナ だと頭ばかり熱くなって下半身が 寒くって入ってられないミストサウナは 全身が温まり今凄くお気に入り✋ . ガッツリ寝入ったら目覚めに物凄く 腹が減ったので台所にあった チゲ鍋風みたいな煮込みとTKGを 喰らいました😅?カレーこれもグー👍 . 今日一日どなた様も💁♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #東中野駅列車追突事故. 1988(昭和63)年12月5日(月)午前9時30分頃に東日本旅客鉄道中央本線東中野駅で発生した列車衝突事故である。 東中野駅構内で停車中の電車に後続電車が追突し、死者二名(乗客と運転士)をはじめ多数の負傷者を出しました。 この頃のATSは運転士が任意に解除出来た事が一番の要因で、ありえない事故につながったとされて居ます。 国鉄分割民営化後、JRになって初めて乗客に死者を出した鉄道事故である。 . #赤口(シャッコウ・シャック). 「火の元や刃物に注意すべき日」と言われており、凶や死のイメージが付きまとうため、お祝いごとでは次で紹介する「仏滅」より避けられることが多いです。 この日は午の刻(午前11時ごろから午後1時頃まで)のみ吉で、それ以外は1日大凶となります。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。 通例、甲辰・甲申・乙未・乙丑・丙辰・丙午・丁卯・丁未・戊辰・己卯・己酉・庚戌・辛未・辛酉・辛亥・壬午・壬申・癸巳・癸酉の一九日とされるが、異説もある。 この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #三隣亡. 九星の俗信の一つ。 建築関係において大凶日。 この日に建築をすれば火事を起こし、近所隣を滅ぼすと云われる日。 棟上げや土起こしなど建築に関することは一切忌むべき日。 「さんりんぼ」とも言う。 . #納めの水天宮. . #バミューダトライアングルの日. . #アルバムの日. . #みたらしだんごの日(毎月3日、4日、5日). #長城清心丸の日(毎月5日). #社会福祉週間(12/5~12/11). #経済社会開発のための国際ボランティアデー. #聖コラオスの日の前夜祭. #シンタクラース(#オランダ). #クランプスの日(#オーストリア). #プーミポン国王誕生日・父の日(#タイ). . . ■今日のつぶやき■. #亀の甲より年の功(カ��ノコウヨリトシノコウ) 【解説】 亀は万年生きると言われており、それに比べれば人生の八十年程度は短く感じるとしても、年長者の経験から身につけた知恵や技術は貴ぶべきだという意味。 本来は、「亀の甲より年の劫」と書く。 年長者の豊富な経験は貴重であり、尊重すべきものだと云う事 . . 1953(昭和28)年12月5日(土) #小林幸子(#こばやしさちこ) 【歌手、女優、タレント、実業家】 〔新潟県新潟市〕 《本名:林 幸子》 . . (牧野記念庭園) https://www.instagram.com/p/CXFMsqBP6jhGd6gLoc0Poz6VrQcgHQtFaAch6A0/?utm_medium=tumblr
#赤口#東中野駅列車追突事故#大明日#三隣亡#納めの水天宮#バミューダトライアングルの日#アルバムの日#みたらしだんごの日#長城清心丸の日#社会福祉週間#経済社会開発のための国際ボランティアデー#聖コラオスの日の前夜祭#シンタクラース#オランダ#クランプスの日#オーストリア#プーミポン国王誕生日・父の日#タイ#亀の甲より年の功#小林幸子#こばやしさちこ
0 notes
Text
旅先から修羅場まで...みんなの野宿エピソードが面白すぎた
集計期間:2020年12月20日~12月22日 回答数:17115
突然ですが、皆さんは「野宿」をしたことがありますか?
筆者は遠い昔、家族が寝静まった深夜に帰宅するも鍵を紛失しており、実家の敷地内で野宿をしたことがあります…
そこで今回は「やむを得ず野宿をした経験はある?」というテーマで調査してみました。
やむを得ず野宿をした経験はある?
回答者17115名のうち、やむを得ず野宿をした経験が「ある」人は全体の約14.8%、「ない」人は約85.2%という結果でした。
ここからは、やむを得ず野宿をした皆さんから寄せられた貴重なエピソードを見ていきましょう。
<旅先で>
・北海道でのツーリング中でガス欠して。
・夏の北海道で。その日は、夜の宿を予約しておらず、まぁ、銭湯にでも行こうと思っていたのですが、とても暖かく、夜風にあたりながら、そのまま。
・野宿と言ってよいかどうかわかりませんが、50年近く前の学生時代に北海道旅行した時、金がないので札幌駅前の芝生(?)で寝たことがあります。今はどうかわかりませんが、当時は問題なく過ごせました。ただ、熱くて寝苦しかったのを覚えています。
・高校卒業旅行で弾丸で和歌山へ車で出かけて宿をとっていなく、浜辺で寝た
・学生の頃、四国へ青春18切符を利用した旅行した際、予定の目的地に間に合わず、野宿する
・学生の頃、東北三大祭りの一つ「ねぶた祭り」を見に行ったら宿に空きがまったくなく、仕方なしに公園にたまたまあった土管の中で一晩過ごしたことがある。
・高尾山付近で山小屋で新聞紙を体に巻いて一夜を過ごしました。下山後駅前での食事が美味しかった事この上ありませんでした。
・1人旅の途中に散歩がてら徒歩で山の景色を楽しんだら迷子になり宿泊先に戻れず1晩と野宿するはめになった。
・山を越えて日本海へ!と友人と車で出掛けてみたが、道に迷い途中でガス欠寸前に。ガソリンスタンドが開くまで動かずにいようと朝まで待ちました。
・無計画な旅行で、夏場だったので、公園で朝を迎えた事がありましたよ!朝陽を浴びて、とても清々しい気持ちになりました。
・宿がなければ駅に止まればいいと思い旅行に出たが駅を24時に締め出され野宿した
<グローバル野宿>
・東南アジア旅行した時に、タイやインドで駅の中で野宿した
・グアムで初日ホテルとってなくて、しょうがなく
・海外にて予約していたはずのホテルに業者のミスで予約が入っておらず、折悪く周辺ホテルも満室で止むなく教会の敷地内に野宿した。今思いだしても、あれはないわ。。。
・イギリス旅行した時に、公園のベンチで一晩過ごしました。今よりズッと治安も良かった気がします。
・オーストラリアでメルボルンからエアーズロックまで車で行こうと思ったが日本の距離感が全く会わずに砂漠で野宿しました。満点の星空に感激しました。
・フィリピンでパナツボ火山に登った時に日が暮れてしまって火山灰の上に野宿
<天災や事故で大変でした>
・大震災の次の夜、知り合いも避難であてにならず、車移動の途中で道路脇で一夜を明かした
・東日本大震災のとき、避難先の小学校の屋上で一晩過ごしました。近くのコンビナートで火災があったため、迫りくる炎の中での野宿は翌日ヘリで救助されるまで生きた心地がしませんでした。
・昔、東北の峠越えの最中に雪で脱輪落下。明るくなるまで、車内で野宿。
・大雪ので道路が通行止めになって、コンビニの駐車場で野宿した。食べ物とトイレはコンビニで済ませて助かった。
・ドカ雪が降り家まで帰るに帰れず車中ですが野宿しました寒さと恐怖で寝るに寝れなかった
・台風で道路が通行止めになり仕方なく駅で寝たことがある
・真夏の海沿いで、渋滞にハマり、帰宅までの時間が見通しつかずに、仕方なく翌日の朝に帰るようにと思い、海沿いにあった灯台の駐車場で野宿。が、真夏、海ということもあったせいか、ヤブ蚊の餌食になった。車に入ってきた、数、21匹。主人ともども、無数、刺されまくった、、、最悪だった。
<家出>
・学生時代に家出して一晩野宿しました。冬ではなかったのでなんとか……。
・高校生の頃家出をして…田舎なので国道沿いの山奥で朝まで隠れてたことがある。
・中学生の頃家出して、泊まる所がなくトラックの荷台で野宿した事がある。
・野宿と言うか、車中泊だったんだけど。社会人になって間もない若かりしある日、仕事から帰って母親の作ったご飯を食べようとした瞬間、母親が「さっさと家を出ていけ」と言ったことに対し、仕事も上手くいっていなかったせいもあってカッとなり「今すぐ出ていったるよ!」とカバンだけ持って自家用車で行く宛もなく出ていき車中泊した。
・ガキの頃親と喧嘩して、うちを飛び出したのだが行くあてもなく河原の土手で一晩過ごした!
・両親と喧嘩して、お互い頭に血が上ってて、出てけって言われたから荷物とか大量に詰めて出ていったが、携帯は持っていくなと言われ誰にも連絡つかなくてしょうがないから近所の公園で一晩過ごした。
・10代の秋頃に友達と2人で家出中、行く所が無くなり寒くて風を凌ぐためにマンションのエントランスに入って野宿した事がある
・中学生の頃に家出をして、祖父の山に野宿した。夏場だったが寒く枯れ草を集めて暖を取り、火を焚いて蚊を追い払い、夜空の星を見上げていたらこの世界で自分は何でも出来るのだと思った。2日も経たないうちに、お腹が空いて帰り怒られた。
<ライブで興奮>
・ライブ終わり興奮しすぎて高速バス乗り過ごした
・つま恋の拓郎&かぐや姫のライブに前日から行き友人とここで寝るしか無いと暗闇の中寝た。朝起きたらすぐ横を走るトラックの音で起きびっくりした。道の端で寝ていた!
・19歳で好きなバンドのツアーで初めて千葉から名古屋まで行き、金銭面でもそうだけどホテルさえ手配していなくてバンドの人達の出待ちをして、電車も終電なくなり当時は改札からホームは閉鎖していたけど改札入る前の駅自体は閉鎖されていなかったから駅構内で野宿をしました
・他県のライブに行った際、終電を逃して友達とずっと公園で話していた。
<終電よ行かないで>
・電車で最終で寝込んで終点まで行きお金なく公園で野宿した
・終電を逃した時に限ってホテル満室のため、駅の待合室で1泊した。
・列車の旅をして終電乗る過ごして野宿した
・田舎のローカル線で21時頃の終電を逃して駅前の公園のベンチで朝6時頃の始発まで野宿
・終電で寝過ごして帰れなくなったときに横浜のランドマークタワーの下でダンボールにくるまって寝た
・残業で終電がなくなったが、職場からは追い出された。始発まで公園のベンチにいた。
・終電で寝過ごし、知らない駅で降ろされ、二人先の方でタクシーが出払い、待っていてもタクシーが来ず、駅から歩き出すも方向が判らず結局、駅から1時間強くらい歩いた河川に掛かる大きな橋の下に泊まることに・・・。翌朝起きると地元ではなく、隣の新潟県でした・・・。
<酔っ払い>
・酔っていて外で寝てしまった
・若い頃結果的に酔っ払って数回した事がある。
・野宿とは意味合いが違うけど酔って建物の軒下で寝たことが何回かある
・呑みに行き、終電で帰路に就いたが開発中の終着駅にて…ショッピングモールもホテルも建造中でタクシーすら通らずで
・飲みすぎて路上で寝てしまい荷物を全てなくしてしまい一晩屋外で過ごしたことがあります。翌朝知人に会うことができ、電車賃を借り帰ることが出来ました。
・大学生の時にお酒を飲んで終電を逃した。翌日1限からだったので大学の実験棟外階段で野宿をした。朝7時に部室棟が空き部室で寝たが2限も寝坊した。
・酔っ払って財布を見たら1000円しか無く周りに何も無くしばらく歩いて会社の最寄駅まで行き(定期が使えるので)風を凌げる所のベンチで始発まで寝た酷い二日酔いだった
・ありがちなのですが、飲み会で飲みすぎて、終電逃しタクシーで最寄り駅まで着いたのは、いいのですが、歩いて5分の自宅の方へは、なぜか行かず、駅のバス亭の、ベンチへ、気がつけば朝日が昇っております。結果、一晩ベンチで野宿しました。因みに、私は、おんなです。
・飲み過ぎて今どこにいるのか分からなくなり、財布と眼鏡も盗られたのか落としたのか何処かで失くし、仕方がないので公園のベンチで朝まで寝ました。(8月で良かった)
・友達のアパートへ3人程で一晩お世話になるつもりが、酒を飲んだ後酒を飲まない自分の車でコンビニに買い物に出かけた後、締め出しにあった。本人曰く眠ってしまったらしいが…。仕方なく車の中で3人で一晩過ごした。今思うと夏だったから良かったけど、冬なら無理と思う環境だった。
<お金がない>
・大学生の時。金がなくて。仕方なく。夏だからできたし、若かったからね。おかげさまでお金のありがたみがよく分かりました。
・日雇いの仕事で一日の予定が、明日も予定が入って電車の金がないから仕方なく。
・乗り過ごし真冬に山梨県大月駅で終電で降りてホテルに泊まる金も無く、始発迄、寝たら凍死するかもと思うくらい寒い中で野宿した事が有る
・長距離バイクツーリング時に、昼食後うっかり財布を鞄ではなくポケットに入れてしまい、給油の時に財布を落としていることに気づき、やむを得ず野宿しました。
・コロナがはじまって仕事が無くなり職も住まいも無くして知人のお宅にお世話になるまでこの寒空に1週間野宿をした。こんなに困ってる国民がいるのに国は助けてくれない!もう一度給付金が出れば助かるのに…生まれ変わったら必ず国会議員になる!とつくづく思う。
・コロナで、家賃が払えなくなり、ミニミニに追い出されて野宿しました。
<鍵がない>
・帰るのが遅くなり鍵を持ってなかったので家の前で寝る羽目になった。
・家の鍵を会社のロッカーに忘れてしまった。
・家の鍵を無くし、携帯の電源が切れ、朝まで家近くをウロウロしたり、べんちに座ったり、夜が明けて実家に行きました。
・夜遅くまで飲んでいてタクシーで帰ったのですが、玄関前で鍵を家に忘れていることに気づき一緒に住んでいた彼女は寝てて起きなかった
<ガチ勢>
・寝袋はかならず持っていて何処でも寝られる体制にしている
・子供の頃はしょっちゅう。それこそ公園のベンチ、お寺の境内、コインランドーリ、夏場は、公園の噴水で体を洗ったこともある。
・しょっちゅうしてる
・昔ホームレスやったし
・寝るのは学校の階段下がいいよ
<修羅場>
・小さい頃、家のカギが閉まったままで中に入れず一晩犬小屋にいる犬にくっついて寝たことがある。父は出張、母親は違う男の人と一緒にいたみたいだった。シロがそばに居てくれた事を今も忘れない。
・母親が酒乱だった。夜中に酒を飲んで帰ってきて、寝ていた私を起こして「今すぐこの家から出ていけ」と着の身着のまま追い出された。その日は2月の氷点下まで気温が下がった午前1時半。追い出されたけど行くあてもなく(当時16才)仕方が無いから公園で夜を明かした。
・中学生のころ、父が自宅で酔っていた夜に日付が変わっても乱暴な音や暴力的な独り言が止まず怖かったので、勝手口から抜け出して明け方まで近所の公園の東屋にいました。屋根のある「家」があるありがたみをひしひしと感じました。
・家から締め出されて近くの公園で野宿しました。女です。まだ10代でした。信じられない。
・東京に上京した時に渋谷駅のハチ公前で寝ていたら寝ている間に財布を盗まれました。
・当時付き合ってた彼女に知らない場所に捨てられて真冬の中公園で野宿して死にかけた
・明け方に職務質問されました
アンケートにご協力いただきありがとうございました。
グノシーの「アンケート」タブにて、毎日新しいアンケートを更新しています。ポイントが手に入るものもあるので奮ってご参加ください。
こちらの記事に関するお問い合わせは [email protected] までお願いします。
0 notes
Text
廣島山陽一日遊!日本三景-嚴島神社.安芸太田三段峽.駅前ひろば-廣島燒手作體驗.
【 旅遊部落客專欄 / 小虎】
如果有個十天八天的想到日本走走,我多半會推薦來個「山陰山陽五縣之旅」,事實上我也曾跑過兩次這樣的行程。第一次是從福岡進-然後山口-廣島-岡山-鳥取-島根,如此山陽山陰逆時針繞了一圈,這第二次有一點不一樣是山口-廣島-島根-鳥取-岡山有一點鋸齒狀的走法,說來有趣除了一些固定非得去不可的景點,這次也發現了許多祕境和隱藏版美食,尤其是在「廣島」縣裡發現了重大的祕密(笑)。
說到廣島..阿,不,應該是提到整個山陰山陽五縣最廣為人知,觀光客也最多的恐怕非日本三景之一的「宮島」吧,而這裡也是我來過山陰山陽最多次的景點,算吧算吧有五次之多。
不管天氣好不好,不管春夏秋冬,宮島隨時都有這麼多觀光客....
這短短的遊輪也是目前為止我搭過最喜歡的渡輪了,往後可以看到廣島市的山景和整排傾洩而下的房屋和港邊渡輪形成的絕景,往前則是名滿日本的海上大鳥居。
有人這麼說宮島有三寶:「嚴島神社、海上鳥居、相對奈良溫和許多的鹿」,這些鹿從下了碼頭就開始緊緊的捉住每個觀光客的心和鏡頭,不管男女老幼都如此。
這些可愛(?)的鹿幾乎無所不在,在海邊、在商店街,甚至在廁所都會看到牠們一臉沒吃飽嗷嗷待補的神情...。
鹿喜歡吃紙好像變成了常識..但牠們連煙盒也吃就有一點誇張了,偷偷告訴大家一個笑話,某次我朋友的JR PASS 還被咬了一大片..幸好即時發現,然後車站的大哥大姐們也沒追究...(笑)。
當然也是有一些鹿可能吃太飽,懶洋洋的躺著讓遊客與其合照(笑)。
然後累和海上大鳥居拍個照也是必要的,這鳥居在退潮時是可以走到鳥居底下的哦!
我到過不少日本觀光地,但像宮島一樣有這麼多觀光客,而且年齡層如此之廣的景點不多,並且是日本國內外的遊客都有,顯見「宮島」在世界旅遊佔著極重要的地位、依稀記得「宮島」還曾多次入選觀光客到日本必遊的十個景點之一。
宮島之所以會如此有名而深受觀光客歡迎,除了日本三景的大名外,國寶級的嚴島神社和其身後的彌山更列入世界遺產之林也是原因之一。
海上鳥居、嚴島神社間的潮起潮落,不知迷���多少遊客的眼,殺了多少攝影者的底片。
當然也撫慰了無數觀光客朝聖之心,自然也包含來了五次的我。
來了宮島五次,每次都說這次不想拍了,但又越拍越多,尤其是天氣好的時候...。是不!
這地方是個人最喜歡宮島的角度,每次光在這就能拍上大半個鐘頭....,請搭配遠方的五重塔一起服用,效果更佳....。
嚴島神社(舊名宮島)的神社。神社創建於約公元593年,擁有約一千四百年的歷史,為日本國內其他約五百座嚴島神社的總本社。神社主要祭奉宗像三女神(田心姬命、市杵島姬命、湍津姬命),其中嚴島之名即來自市杵島姫命。
特別值得一提的是嚴島神社的後方有一座紅橋,這座橋是給天皇來時走的,平常是封閉的,日本人習慣稱這樣的紅橋為「吳橋」。
一般來宮島觀光的遊客,多半會在這就繞了回去,其實在島上還有許多值得一探的巷弄
好的宮島BYEBYE、鳥居再見、小鹿莎喲哪啦、妹妹「またね」。
【嚴島神社(宮島神社)】:/visit-miyajima-japan.com/flash/chinese/welcome.html
日文網頁/www.miyajima.or.jp/index.html
広島県廿日市市宮島町1162-18,電話:(0829)44-2011
拜觀時間: 1月6日-2月28日/10月15日-11月30日 6:30~17:30 3月1日-10月14日6:30~18:00 12月1日-12月31日6:30~17:00
拜觀料金:境內免費,參觀神社300円,參觀寶物館・昇殿需入場料金500円
地點指引:JR山陽本線【宮島口】站下車,出站直行5分,轉搭渡輪約10分抵達。
潮汐時刻表:/www.miyajima.or.jp/sio/sio01.html
那天的晚餐我們選擇在廣島車站對面的百貨商場六樓的「駅前ひろば」用餐。
理由是這六樓整排賣的都是廣島最有名的料理「廣島燒」,當然其他一切日本料理也是能找到的。
這位大哥也太酷了吧,居然就在美食街揮起棒來..完全沒在管來往的行人(笑)
在這除了可以品嚐到道地美味的廣島燒外,有一些店家還可以體驗廣島燒DIY哦,做完後也許你就會了解,廣島燒和大阪燒、文字燒有什麼不一樣了(笑)
看起來很簡單的廣島燒,但其實程序挺多的,看起來很復雜的過程,其實只要跟著師傅一個一個動作也算是容易。用麵漿在鐵板上畫圓成餅皮,再放入大量高麗菜絲,然後舖上五花肉。
真要說難得可能唯一一個動作就是翻面,弄個不好就高麗菜絲四散(笑)。
接著炒一團麵舖上,再煎個蛋繼續疊上去。
最後就是刷上特製的廣島醬汁,再依喜好灑上海苔粉就完成了(大心)。
最後的最後當然是享受自己的成果,因為食材都是準備好的,流程也是造成師傅教的SOP,大致上味道都是一樣的,唯一可能不一樣的就是賣相....。對我來說廣島燒不同於大阪燒和文字燒在於更大量的高麗菜絲,麵糊的口感比較不那麼的厚重,醬汁偏酸微甜更對我的味。
除了廣島燒外也是有一些鐵板類料理可以享用,比方說廣島同樣很有名的「牡蠣」也是不容錯過的。
廣島職棒鯉魚隊LOGO的廣島燒鏟子,好可愛好想要的哦!
晚上我們住的地方就在廣島車站南口的VIA INN HIROSHIMA (ヴィアイン広島),基本上這間飯店就在車站的後方,出入口則和車站間的通道聯在一起,出口外面就是台灣人最愛的便利商店「LAWSON」。
廣島人引以為傲的路面電車就在車站前相當方便,一整排的計程車也是在其他車站不曾見過的!!!
房間、浴屋的大小就一如日本飯店的房間,比東橫略大,但也大不到那去XXD。
打個窗戶看出去就是JR廣島站的月台。
房間小歸小,但衛浴設備,清潔用品側是很齊全,床頭、桌面都有各種插座可以用。
第二天早上我們前往的是「安云太田」這個我去廣島五、六次但相對陌生的地方,相信不止對台灣人如此,恐怕好些日本人也不曾到過,但卻是這幾年廣島很努力推動觀光的地方,主因在於地圖上藍色的新高速公道,它讓廣島在穿過中國山脈到島根縣更加快速便利,也是此次我們行程的重點,而它也讓我明白原來除了山口縣外,廣島縣也是有一小部分山區歸屬於「山陰」地區。
說到「安云太田」第一景點非名勝「三段峽」莫屬,尤其是在深秋紅葉時節遊客絡繹不絕,不過我們早來了兩星期左右,整條觀光步道幾乎沒有其他行人。當然,這也是因為當天非假日之故吧。
三段峽位日本廣島縣山縣郡安藝太田町(我怎一直想到茨城縣的太甲市...)的峽谷,位在太田川上遊的支流柴木川,長約16公里,三段峽、帝釋峽匹見峽、寂地峽同為廣島縣中國山地國定公園代表的觀光地。
這一路上盡是落葉、小道,也許在雨後的下午還有一點濕滑,但空氣中帶著森林的氛多精,讓人忍不住想多吸幾口新鮮的空氣,混身舒暢。
雖然還不到紅葉的時節,但好些樹已迫不及待的偷跑,比方說林間休息處(廁所)前的樹林就紅了一半將盡。
帶我們來的導遊說,三段峽雖然秋天最美,但夏天的溪流也很棒,許多登山和野外的愛好者更喜歡夏天來此感受難得的沁涼,就像台灣人深愛的青森奧入瀨溪流,其實我更愛夏天的綠蔭片片呢!
不過呢,三段峽的沿途路都不算寬大,好些地方甚至狹下,加上都是沿著山壁開出的道路,雖然一邊是綠葉、一片是溪流,一路上蟲鳴鳥叫加上流水澗澗,但行走時還是得當心,尤其是雨後。
是說,這像不像一隻迷路於山林的小山豬呢?超可愛的啦!
當天因為紅葉季還沒到,加上下雨,所以我們捨棄了「二段峽」而直攻終點「三段峽」(但查了一下好像二段峽更美說..只是相對比較遠),整個行程約莫是半小時左右,就會來到這最後一段感覺是人力搭出的紅橋,而這一段也是我覺得最漂亮的地方,差的就是兩岸的紅葉。
三段峽一帶以落差30公尺的三段瀑布為主,加上黑淵、猿飛瀑布、二段瀑布、三瀑布、龍門瀑布的5瀑布和2深淵的七景廣為人知。還有長淵、大淵、耶源、王城等無名勝,喜歡瀑布的朋友、攝影這邊非常值得一來,尤其是紅葉季!
三段峽官網:/www.akioota-navi.jp/html/kankou_mobi_sandankyo_attention.html
建議交通:
從廣島巴士中心出發(8:18),約9點30分到達。
請在廣島巴士中心(SOGO百貨公司3樓)的售票處購買前往「三段峽」的車票(單程為1400日圓)。從7號乘車處搭車,在終點站下車。 上午出發的快車(日語為「急行巴士」),一天只有一班,故請不要遲到。
回程為下午15:00,到達時時間為:16:20
更多交通方法:
広島市中心部から広電バスでお越しの方 広電バス時刻表:/www.hiroden.co.jp/404.html
當天我們是自行開車走的是戶河內IC前往島根,走完了「三段峽」便在叫「來夢」的地方午餐,而這座「道之驛」的休息中心讓我聯想到咱們羅東由名著名設計師黃聲遠建造的「羅東文化工場」XD
都有一點像宇宙戰艦XD,是不是!
主建物旁有一座小公園和小小的花卉中心,吃飽飯可以在這逛逛。
買買當地的水果,還有貴森森的松茸..。
帶我們來的來朋友說廣島的松茸在日本也是很有名的,而且相對價位不算貴,至好像關西人都專程開車來這買哦!這時我的腦袋突然想起櫻桃小丸子全家吃松茸大人、小孩全然不同反應的畫面(笑)。
好的,餐廳的一樓是賣場,賣的是當地的農作物、伴手禮還有一些安云的手工藝品,當然也有一些安云太田的旅遊資訊可以參考。
二樓是餐廳有著落地窗的窗景,看出去就是來夢交流道的出口,背後則是太田村的村景,據說雲霧來時特別的美。
餐廳裡多名人的簽名板,可惜沒一個我認得XD
漫畫、雜誌專區,是說這店家興許是「島耕」迷....。
這間食堂賣的多半是日本的B級美食,除了一般的定食外也有下午茶專售的冰淇淋。
如果你是廣島人,一定知道在「太田」這個地方有一道特別的料理叫「漬物燒炒麵」。是的,它其實就是廣島炒麵的變化版。
看起來沒什麼不同的炒麵,其實是加入了「太田」當地有名的「漬白菜」,當然中間那顆蛋黃也是一個特色。
吃法就是把蛋黃和漬白菜和炒麵略伴過,再搭配著一起吃;吃起來的味道像是鹽味炒麵,但帶有一點點微鹹的醬,吃到酸而多汁的漬白菜是口感、味覺端的驚豔,整體來說比我預期來的好吃許多,清爽許多!
我看許多人都拿來當配菜,挾在白飯上一起吃,我自然也入境隨俗跟著照辦煮碗,頗有樂趣的說!
如果喜歡這裡的漬白菜,在一樓的超市也能買到哦!
另外據說這隻的柿子也很有名,所以這兩種不同口味(抹茶和白巧克力)的柿子條是這個道之驛NO1的伴手禮哦,立馬當場買了兩包給小虎吃貨團的團友抽獎。
另外,道之驛的對面還有一排伴手禮和食堂,有多餘的時間也可以過去逛狂。
餐廳後面的咖啡屋我好喜歡哦,要是自己來我可能會走進去喝杯咖啡!
咖啡屋旁的太田川,據說紅葉季會美得亂七八糟!
和風レストラン来夢: 廣島縣山縣郡安蕓太田町上殿 632-2(道の駅),電話:0826-28-1800 (+81-826-28-1800),營業時間:10:00~20:00
吃完漬物炒麵後,我們到了一個叫「加計」的小地方,這地方別說台灣人不知,我看八成的日本人也沒聽過,但這裡卻藏了一間排隊的人氣店,據說遠從關東來這採訪的媒體也是所在多有。
這小小的店每到假日總是排著滿滿的人龍,也是到附近「三段峽」的遊客口中必吃的名店呢!
是不是,連TABELOG都送上「話題店」的黃色貼紙。
還有許多名人的掛保證簽名板,看了一下多半是來採訪的電視節目主持人之類的。
除了名滿廣島的鯛魚燒外,這裡的霜淇淋也小有人氣,尤其是在夏天時常常一杯難求,其中又以金時(紅豆)最搶手,另外冬天時烤章魚丸也是許多熟客口中必吃的美食!
衷心建議要來這家小店朝聖,千萬別選假日,排隊是不打緊,萬一人多吃不到就只能吃手手了...因為店裡就只得夫婦兩人每天只能提供限量的500隻...。
看倌可別小瞧這山裡小鎮的小店,用麵粉和鮮奶油都是北海道的,紅豆同時北海道十勝產的,擠上的紅豆那是滿滿的誠意,看著、聞著就覺得好吃。
烤好的鯛魚燒老闆故意不把邊邊都給剪光,只是用剪刀略修成正方型,理由是邊邊角角酥酥脆脆的口感正是這間鯛魚燒會火紅的主因之一。
如果你真心喜歡這鯛魚燒邊邊角角酥酥脆脆的餅乾口感,也可以跟親切的老闆夫婦要一點當車上的零食喲,而且當然是免費的(笑)。
最後我們試著來聊聊這家鯛魚燒為什麼會如此火紅的原因?首先他的麵皮是札實的,但咬起來卻不會太乾,帶點恰如其份的微滋潤,紅豆非常非常非常綿細略乾口但卻不甜不膩,是少數我覺得吃完會有飽足感的鯛魚燒,真心喜歡尤其是外面的麵衣超香超好吃!大推!
鯛魚燒對面的「最中」據說也是老店,本想順便買個來嚐嚐,沒想到居然完售......。
加計よしお:廣島縣山縣郡安蕓太田町加計 3538-4,電話:0826-22-0571 (+81-826-22-0571),營業時間:9:00~18:00(基本上不休息)
(PS:謝謝關先生送我的廣島冠軍毛巾)
文章出處: 【小虎食夢網】台北捷運美食地圖
5 notes
·
View notes
Text
報告 【3.25「聖火リレー」スタートに抗議:「聖火」をとめろ!五輪は中止!デモ】
3月25日、多くの反対の声があがる中、聖火リレーが強行された。
スタートは福島県Jビレッジ。今も復興が終わっていない原発事故の起こった土地を「復興五輪」の象徴として利用するのは、被災者、被災地への冒涜でしかない。さらにコロナ禍の真っ只中、人が大勢集まることに自粛を迫られている中でのリレー強行は暴挙でしかない。聖火リレーがスタートしたからといって黙ることなんて不可能、オリンピック開催を阻止する!とデモを行った。
新橋駅前に70名程が集まり、参加した各団体からのスピーチ後出発、「聖火を止めろ!」「オリンピックいらない!」「オリンピックより命が大事!」と声をあげた。 コースは、新橋SL広場 → 東京電力前 → 外堀通り → 花椿通り → 銀座中央通り → 晴海通り → 晴海トリトンスクエア。
東電、沿道で声をあげアピール、銀座のネオン街を声を抜け、オリンピック最上位スポンサー「オメガ」の店舗前では「スポンサー企業許さないぞ!」のコール。
途中、築地市場女将さん会の人たちの飛び入り参加もあり、豊洲市場へ移転させられたことへのスピーチ、「築地でええじゃないか」コール。
道路車線から大幅に内側に入り込み、ピッチリと横に張り付いてくる警察は、デモ隊の声をかき消すかのように「もっと内側へ」「詰めろ」と大声を張り上げてくる。 道路脇から長蛇の列で監視しながらついてくる公安、コールも聞こえない程に間近で雄叫びをあげ続ける警察には、方々からたまらず「おまわり引っ込め!」「公安出ていけ!」と声があがる。
トリトンスクエアに到着後、威圧的に高く聳え立つトリトン前でも怯むことなく声をあげ、さらに一部の者は来るものを拒むような長い階段をのぼり、入り口前でも組織委に抗議を行った。
終了間際にはどこからともなく増員された機動隊がズラリと並び、 白手袋をした手を胸から前に突き出して威圧してきた。
オリンピックのために人々を排除し、さらに反対の声も封じようとすることは許されない!
また、同日、福島でも抗議が行われた。韓国では自転車デモが取り組まれ、パリからは連帯のメッセージが送られた。LAでは時同じくしてエコーパークで野宿者強制排除が起こり、多くの仲間が警察の暴力に抗っていた。
ナチスの考案した聖火リレーは嘘で塗り固められた希望でしかなく、実際には、貧しい者を追い出し、被災地の復興を妨げ、コロナの感染拡大、差別の助長、優勢思想の植え付け、子供たちへのオリパラ教育、学徒動員のような無償ボランティアでオリンピック貴族たちが肥えるばかりの、民衆には何の悦びもなく禍いしかもたらさない絶望の火だ。こんなものをリレーさせ続けるわけにいかない。
終了後にはトリトン前でトリトン(鳥豚)をおかずにメシを食った。
五輪が中止されるまで、反五輪トーチを掲げながら、聖火リレーを止めろ、オリンピックは廃止しろ、との抗議の声を緩めることはない。
photos by @kojiskojis, @galbraithian999 and @mkimpo_kid Than you!
2 notes
·
View notes
Text
2019年・夏【復路】
【はじめに】
8月16日、5時起床。眠い。いよいよ性春18禁ひとり旅の再開である。どうせ起きれないからと昨夜カーチャンに叩き起こしていただけるよう依頼しておいたのが吉と出た。その上、朝飯まで用意してくださったものですから、頭が下がって地面に食い込んでいるのでございます。さて、本日東京まで帰るなどと、はたまた無計画を企てているのだが、あれま、にわかにドデカい台風が近付いているではありませんか。にわかに、というより直撃も直撃、大打撃である。果たして今日中に東京に着くのか甚だ疑問。その上、途中どこかで観光をしようとしているのだから呑気なものである。皆様、台風にはお気を付けて。
そんなこんなで朝から忙しなくドタバタしていた。実は、7時2分発のJRに乗ろうとしたら案の定運転取りやめだったのだ(はははは)。家を出る際に親父が、駅まで車で送ってってやるよ、と言うので甘えさせていただいたのだが、駅に着いた瞬間見知らぬオバチャン(復路オバチャン1人目)が、運休やで、と。結局再び車に乗り込んで、もう少し先の大きな駅(こちらは列車が動いていた)まで連れて行ってもらうことに。大変とても助かったのでした。親父さん、ありがとさんです。いや、車で送ってなかったらどうするつもりだったのよ、はははは、と突っ込まれましたが、どうするつもりもなかったんですね、コレが。スミマセンねえ。止まってたらいつまでも待つつもりだったんですよ。
さて、時刻は7時22分。汽車(電車ではなく汽車なのよね)は問題なく走り始めて、ひとまず智頭を目指します。智頭からは急行を使って上郡まで出てしまうのです。ところが、どうやら上郡から走る山陽本線が止まっているらしいのだ。アレ、旅は終わりかな?どうすんのかな?どうするつもりもございません。待つか、進むか、その時に考えるのです。早朝からだらっと、ぐだっと、性春18禁ひとり旅、復路の始まりです。
【1】
旅と銘打っているものの、汽車に乗っているだけの時間が続くので暇で仕方ないのだ。気休め程度に外を眺めて紛らわすが風景も田んぼ、畑のド田舎である。鳥でもいねえかなあ(移りゆく風景における楽しみがこの程度である)、と眺め続けていると、急に自然に溶け込み切れない大手ドラッグストアが目に入ったのである。場に相応しくないドラッグストアは一瞬で通り過ぎてしまったので、幻だったかもしれない。ドラッグで幻覚とは嫌にサイケデリックな響きである。
しかし、こんなところにこんなものが、という事象は結構見掛けるもので、田舎道中のコンビニなんかはよく気に掛かる。家族でシフトを回しているようか小さなディスカウント酒屋などは別にして、コンビニが一軒ぽつりと建っているのをちょこちょこと目にすると(田んぼの横に、である)、頭を悩ませる。コンビニといえば在庫を持たない形態なのだから、密集させてトラックで回りながら補充という運営ではなかろうか(違うかもしれん)。こんなところに建てていては、効率よく回れないのでは、はてさて。経済だの何だのには疎いので詳しい話は分からんが、田舎のぽつりとしたコンビ二は誰が何を買うのか、どう儲かっているか不思議なものである。田んぼの横っちょのコンビニでサトウのごはんをチンできるようなら皮肉なものである(皮肉ではないか)。下手すりゃ鍬や鋤、はたまた唐箕なんてものまで売っているのではないか、と妙な期待すらしてしまうのであった。海の近くのコンビニに水着やら浮き輪やら売っているのと、きっと至って同様である。
【2】
ポーッと汽笛を鳴らし、列車は智頭へと到着する。車窓から眺める風景は相も変わらず田んぼ、田んぼである。列車を降り、ぼうっと歩いていると知らず知らずの内に閑散としたホームに立っていた。あれま、このホーム違いますねえ、と調べると、反対側のホームの奥の方に(遠い!)乗るべき列車が到着しているではないか。ただでさえ台風で遅れている汽車・電車、一本乗れなければ命取りである。ぜひ、気を抜かないでいただきたい。
さて、無事に可愛らしいワンマン列車へ乗車することができた。ここから暫し1時間ほどの暇である。何をすることもない、一旦眠りに就くとする。グー。
いつの間にやら上郡に着いていた。上郡まで、一切遅延することなく無事に旅が進んでいる。出発から既に2時間、台風は日本列島に沿ってゆったり北上。追われる形で姫路に逃げることとなる。姫路まで無事に抜けてしまえば追い付かれることはないようだ。どっかで遊んで時間を使いすぎなければ。そんなこんなで、途中に再度京都に寄ろうとも考えたのだが断念した(というより、よい電車がなかった)。一日で鳥取・東京間を走ろうと思うと列車も限られているのだ。今回は旅行というより台風から無事逃れられるかの闘争なのである。ちょっとでも降りて休んでいると時間がなくなってしまうので、京都を諦める英断を下したのであった。
【3】
名古屋まで降りない、と決めて10時7分。網干に着いた。一度降りるか、姫路で降りるか。降りる選択をしている私がいるのである。おしっこが漏れそうなのである。トイレ休憩というものを一切忘れてしまっていたのである(なんと!)。ダダ漏れはヤバイ。あと10分すれば姫路に着く、そして外を見てみればあっと驚け、日本晴れではないか。もう台風来ないんじゃね?名古屋まで一切降りないのも何ですし、一回降りてもいいんじゃないの?と思った次第でございます。非常に迷っている。非常に迷っているのである。というのも、姫路で快速に乗ってしまうと、米原まで2時間半乗車し続けるのである。東京までの旅を尿意に左右されるとは思わず、苦悩している(漏れそう、という苦悩も含め)。
結局ここまで書いて、次の駅で降りることにした。つまり姫路で一休みである。というのも、実は先程列車内で人が倒れ急停車した関係で、乗り換えようと思っていた列車への乗り換えが難しくなったのだ。熱中症だろうか。女性の回復を祈り、私も自身の健康のため(膀胱炎にならないように)姫路を目指すのであった。
と、ここまで書いて何やらまた事件。またまた列車が急停車したではないか。どうやら非常ボタンが押されたようである。車掌さんたちが満員電車の中を掻き分け、助けを求めた方を探す。夏だしなあ、そりゃ体調崩すよなあ、とぼんやり待っていると周りから溜息が聞こえてくる。まあ、数分の間に2回も止められれば気持ちはわからんでもないが。別によいではないか、おしっこを我慢し続けている私がよいと言っているのだから(限界である)。兎にも角にも、乗ろうと思っていた列車は既に出てしまっている。さて、1時間。性春18禁ひとり旅、急遽姫路の地に降り立つことになったのであった。
【4】
実は、前回のひとり旅でも姫路に立ち寄っていた。トイレ休憩がてら姫路城でも見に行こうかと下車したが、ちょいと寄って行く程度には姫路城までなかなか距離があったのだった。今回も姫路城へ立ち寄るかなあ、と思いつつ、そうは言っても台風が追いかけているのである。長居はできない。15時ごろに名古屋に着くよう調整してテキトーに散歩することにした。時間、僅か30分程度。
さて、フラフラ歩いていれば何かしら見付かるだろうと散策したのだが、びっくりする。何もない。自身ド田舎に生まれ、それ以下はないと知っているから敢えて言うが、姫路駅周辺もなかなかのものである(失敬)。チェーン店はいくらか見付かるが、旅行先の昼食である。ある程度のものは食いたいが、本当に店がないのである。特に入りたい店が見付からないまんま、時間が過ぎる。何か食いたい気分。お昼時。腹が減った。仕方なく駅に戻るとパッと目に入ったのは吉野家。え〜、ここまで来て吉野家食うのか〜。しかし腹が減った。減っているのだ。姫路で食うのは、まさかの牛丼である。牛丼を頼む。紅生姜を乗せる。茶を飲む。食い終わる。さて、もうすぐ列車が来る時刻である。おしっこをして、牛丼を食うなど、この一連を姫路で行う必要があったのだろうか。大変遺憾である(にっこり)。
食ったのが牛丼だろうが、吉野家だろうが、ひとまず腹が満たされたこと自体には大変満足した。姫路から神戸線新快速に乗り、米原を目指す。この間、2時間半である。14時到着まで、はて、どう時間を潰したものか。幸い鳥取にて、書籍をいくつか買い足していた。この辺りを読み潰している内に、どうせ寝てしまうのだろう。グー。
意外と寝なかった。ずっと起きている。書を読み、アイフォンをぽちぽち触っている内に米原に着いてしまった。
【5】
この2時間何もなかったのか、というと何もなかったわけではないのだが、往路のからあげクン事件ほどの衝撃があったかどうか、と言えば至ってフツーの旅を送ってしまった(しまった?)のだった。只今米原を出て、大垣へ。大垣からいよいよ名古屋へ向かう。結局姫路で観光できず、京都で降りることができず、旅とは何なのか考え直さざるを得ないポンコツ旅行になってしまっているので名古屋で挽回を、という寸法である。しかし、名古屋にいられるのも1時間程度。あんまり時間ないので目的なく散策するのはやめにして、この前の旅で立ち寄った喫茶に再度寄ろうと思う(呑気なことを書いている最中、列車は関ヶ原の地を通っている)。
割とどうでもよいが、事は深刻。列車の中が暴力的に暑い。局所的酷暑である(言いにくい)。冷房がブチ壊れているのか、窓際だからなのか、眠たいからなのか、身体が火照っている。多めに水分を取るが、その分汗ばみ気持ちが悪い。サウナ状態の列車の中へろへろになっているのだが、同じ列車に乗る小さな子どもたちはワイワイとおしゃべりをして盛り上がっているのである。身体の構造が違うのか、年齢か、夏休みパワーなのか(夏休みパワーなら、こうして旅を満喫している私が授かってもおかしくないようなものだが)。どうあれ、私のパワーは既に枯渇している。夏休みの使者は次世代に託し、この酷暑の中、死なない程度に昼寝をしようと試みるのだった。
車内、ポカリスエットを飲んでいる人を見掛け、無性にそれを飲みたくなった。夏である。
【6】
乗り換えた(ポカリを買った)。万歳、涼しい車両である。大垣より、名古屋を目指して30分。もうそろそろ名古屋めしに辿り着くのであった(吉野家め)。それにしても、鳥取を出て早7時間。景色は相変わらず田んぼである。途中、京都やら大阪やらを経由したはずなのだが、果てしなく田んぼが広がっているのである。日本のほとんどは田んぼで完成しているのであった(テキトー)。そして到着、名古屋。駅改札を出て、地下鉄へ。矢場町へと移動しようコーヒーの旨い店を知っているのだ、はははは、向かおうか。いえ、その前にちゃんと昼めしを食おうではないか(吉野家め)。
矢場町に向かう地下鉄。まずは栄を目指すのだが、間違えて伏見で降りてしまった(しまった!)。どうしようもないので、伏見から目当ての喫茶まで歩いて行くことに。その道中、あのスガキヤがあるらしいので寄ることにした。皆様は知っているだろうか、ラーメンフォークで有名なあのスガキヤである。一度行ったことのある人なら分かるだろうが、メニューにクリームぜんざいのあるラーメン屋なのである。というのも、スガキヤはそもそも甘味処から始まっているらしいのだ。元々あんみつだの何だの甘味を出していた店がラーメンを出したら売れてしまったとかなんとか。その名残で今でもメニューにぜんざいだの、ソフトクリームだのが並んでいるらしい。さて、スガキヤでラーメンを頼んで啜る。大して旨いもんではない(失敬)。しかし、懐かしいというか何というか、マズイとも言い難い素朴な食べ物でいる。駄菓子感覚の値段故か、はてさて。結局名古屋めし、といっても菓子のような食事をしてしまったのだった。吉野家とスガキヤを食って旅が終わりとは、何とも虚しく寂しい気持ちである。さて、このぽっかり空いた心を埋める、絶品のコーヒーを知っているのだ。牛丼、ラーメンを忘れさせるそれを目指して残り数メートル、てこてこと進むのであった。
【7】
目当ての喫茶へ。ここは、BAPEやAVIREXが並ぶ通りにあるくせに、妙に洒落ている隠れ家なのである。入店、カウンターの向こうではミルクとコーヒーの層を丁寧に作り上げるオッチャンと、煙草を吹かしながら客を捌くネーチャンが並ぶ。さて、運ばれて来たのは白と黒に別れた私に似つかわしくないお洒落コーヒーである。先程までスガキヤラーメンを啜っていたなどは、ぜひ店員さんにはお伝えしないでいただきたい。
暫し休憩、そう長くは休めない。20分後には出なければ静岡までの移動に支障が出る。やっぱり1日で鳥取・東京間を渡るには無理があるなあ(旅について記録するにも、何一つ面白いことが起こらないなあ)など、反省しつつ、諦めつつ。大して休まることもなく、次の列車に乗り込むべく、店をでるのであった。
名古屋駅へ戻る道中、名古屋の女性は化粧の仕方が似ているなあ、など甚だどうでもよいことを考えていた。しかし、実際何かが同じ気がするのである。私は化粧だのメイクだの(化粧とメイクは同じか)には疎いので何が一体どうなのか全体分からないのだが、きっと何かがあるだろう、と踏んでいるのである。ぜひ、その道のお偉い方(誰だ?)に検証していただきたいものである。
【8】
名古屋から浜松、浜松から静岡に向かう。性春18禁ひとり旅は、鈍行で行く帰省の旅である。この「鈍行で行く」を最大限感じられるのが、静岡県を横断する、この瞬間なのである。鈍行で行けば分かる、静岡の長さ。一説には日本列島の4分の1を占めるなどと言われている(感覚的には割と正しい)。ここから東京までもうどこかに立ち寄ることはない。とあれば、後は本でも読みながら時間を潰すだけである。鳥取で数冊本を仕入れておいて助かった。なんとか場を繋ぐことはできそうである。
そんなこんなで静岡���熱海、品川と来た。この間ひたすら本を読んでいたら、あっという間に着いてしまったのだ。久方振りの東京である。と言っても一週間すら経っていないのだが。こんなに早く帰って来たのに、こんなに長く感じるのは、実家にいた時間どうのこうのではなく、この道中の長さであろう。しかし、この復路、書き溜めてはみたものの、往路に比べて何も起こらなかったのである。列車から降りることができなければ、こうなるのは当然であった。無念。
本当に何も起こらなかったなあ、というか、疲れ切っていたのか何かを探そうとすらしなかった。この旅は復路に何かを求めても仕方ないのかもしれん。往路に色々と起こり過ぎたことも問題である。こうして呆気なく、この度の「性春18禁」は幕を閉じる。やけにオバチャン多めだったこの旅、しかしピークはマックが壊れたことだったのではないだろうか、などと少々心配事を抱えている。そう言えば道中何を食ったかなあ、と振り返り、牛丼とラーメンで腹を満たしていたことを思い出す。これでは夏の身体に悪いなあ、と帰り道、コンビニで気休め程度の青汁を買ったのであった。グー。
【おわりに】
そして、翌日である。お家に帰るまでが、という文句はあるが、翌日まで旅を記録する意味があるだろうか(果たして、これは旅だろうか)。実は余った青春18きっぷを売りに来たのである。新宿の某金券屋で換金をすると、5200円になった。7000円程度で性春の旅を謳歌したことになる(値段相応ではあったが)。新宿に馳せ参じた私にはやらねばならぬことがある。マックを迎えに行くのだ。さて、丸の内線を乗り継いで。余程の便意に襲われぬ限り、はたまた余程タイ風焼きそばを食いたくならぬ限り(まずない)。四ツ谷は素通りするであろう。
「性春18禁ひとり旅」。往路、復路思い返して、まあ大して地獄でもなかったかなあ、と思いつつ。地獄の対義は天国ではなく、日常だよなあ、などと妙に感傷に浸りつつ。今年の夏を、ある程度は、謳歌したのであった。(完)
フチダフチコ
0 notes
Text
2018.4-5ドイツ(3/5)
2/5より
【フランクフルト滞在4日間~帰国】
4日目はミュンヘンからICE(日本で言う新幹線)を使って340km離れたフランクフルトへ移動する。運賃は初日に買った乗り放題400€チケットで払っているので特に切符を購入することもない。ただ、座席を予約しないと座れない可能性があるので、予約だけは別料金で予めとっておいた。始発駅から終点まで乗っていたのかな、3時間半かかったけど、ずーっと延々と大富豪をやって中央駅に着いてしまった。トランプは現地で購入したもので、ドイツではジョーカーが3枚入ってる。ちなみに自分めちゃくちゃ強かった。とりあえず荷物が大きくて邪魔だったので、 ミュンヘンのときと同じように まずは宿泊予定のホテルへ向かい、預かってもらう。ホテルへは中央駅から2つ隣の駅だったので、そんなに時間はかからない。
フランクフルト1日目は午前中を移動で使い果たしてしまったので、午後は適当に市内観光を行う。一応3日目も市内観光を予定していたので、あまり1日目に回り過ぎると後々暇になってしまうのだが...。フランクフルト1日目は5/1でメーデーの日。ドイツでは飲食店やスーパー以外はすべての仕事がお休みなんだって、すごくない!?ただし、路上にはゴミがすごい散らかっているし、地元の人がほとんど外出していないみたいで街中でも閑散としている。変わって3日目に観光したときはちゃんと清掃されていたので安心(マッド・シティ感があったので)。
ミュンヘンは誰もが思うヨーロッパの美しい街並みであったが、比べてフランクフルトはかなり都会的で池袋や新宿に近い。ミュンヘンにはほぼゼロだった高層ビルが、フランクフルトは密集している。ゴミが散らかっているし、道もごちゃごちゃしてる。スプレーの落書きが多くちょっと治安が悪そう。あとフランクフルト上空はヨーロッパの主要空路なのか、飛行機雲の数がすごく多い、常に8本くらいある。
ゲーテハウス
まず向かったのはゲーテハウス 。
「ドイツを代表する文豪ゲーテの生家を復元した建物。ゲーテの生家があった建物は第二次世界大戦で破壊されてしまったが、戦後、もとの18世紀の典型的な中産階級の住宅が忠実に復元され、3階のゲーテの書斎には、ゲーテの青年期当時の後期バロック時代の家具や調度がしつらえられて、ゲーテに関わりの深い当時の絵画などを展示している。」
ゲーテ読んだことないんだけどな...。入場は7€で、もう3€払えばオーディオガイドがついてくる(日本語対応)。博物館といったら今まで金銀財宝の家具や部屋しか見てこなかったので、 中~上流階級というガラッと変わった雰囲気。やっぱ王様の感覚っておかしいよなぁ。王宮とのギャップがありすぎて特に語ることは無いんだが...。どうやら自分の感覚までおかしくなってしまったようだ。ゲーテハウスの隣にゲーテ博物館もあったのだが、閉館時間が来てしまい観れなかった。
その後は引き続き市内観光だが、これといって目的地は無くブラブラ(1日目に廻りすぎても3日目も市内観光だから)。ゲーテハウスを南に歩くとすぐ近くにマイン川が流れているので、川沿いを散策。「鉄の橋」というのが架かっているので行ってみたら、メーデーでほとんど人気がなかったのにこの橋は観光客が密集してけっこう混んでる。混雑具合からもそこそこ有名な橋らしく、欄干には大量の南京錠がかけられていた。対岸に見えるのは福音協会らしく、都会から少し歩いただけでガラッと観光地に変わる、面白い街である。フランクフルト1日目の夕食で今が旬であるホワイトアスパラガスのスープを食すのだが、これがとんでもなく絶品!スープの湯気と一緒に漂ってくるアスパラの香りが非常に濃厚である。
ケルン大聖堂 Kölner Dom
フランクフルト2日目は、ミュンヘンのノイシュヴァンシュタイン城やヴィースの巡礼教会と並び、ドイツ旅行のハイライトである世界文化遺産ケルン大聖堂。フランクフルトからはICEで1時間くらいだったかな(約200km)?駅舎から出ると目の前に巨大な大聖堂が鎮座しており、あまりの迫力に思わず声が出てしまった。てか、こんなに駅前にあるものなのか(笑)
「正式名称は、ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂(Dom St. Peter und Maria。聖ペトロとマリア大聖堂の意)。現存の大聖堂は3代目で、初代が完成したのは4世紀のことであった。3代目は2代目が焼失した年である1248年に建設がはじまった。全てが完成したのは建設開始から600年以上が経過した1880年のことであり、高さが157mの大聖堂はアメリカのワシントン記念塔(高さ169m)が完成する1884年まで建築物としては世界一の高さを誇った。大聖堂は第二次世界大戦時のケルン市に対する英米軍の空襲で14発の直撃弾を受けた。修復の一環として破損したステンドグラスの一部はゲルハルト・リヒターによって近代的なモザイク風の市松模様の物に置き換わったのだが、これについては未だ��賛否両論がある。」
本当にでかすぎて、広場の端まで移動しても全体が写真に収まらないレベルである...。はやる気持ちを抑え、まずは外観を観察。これほど大きな建造物であるのに、紋様や人物の彫刻がびっしりと掘られていて壮観である。当時の有名な彫刻家が掘ったらしいんだが、仮に何百人いたとしてもこれほどのものとなると一体どれだけの時間がかかったのだろうか。この彫刻群だけ見ても大変な芸術作品である。
実はケルン大聖堂は登ることができ(有料)、せっかくなのでてっぺんまで行ってきた。かなり狭い石の螺旋階段を500段くらい延々と上がるのだが、途中に休憩するスペースが無いのでかなり疲れる。地上100mの尖塔付け根にたどり着き、ここからはケルン市街やライン川の流れを一望することができる。 またこのときのチケットで宝物室も入ることができるが、ここも宮殿みたいに金銀財宝でなかなかすごかった。司祭が持つ杖とか冠とか(写真撮影禁止)。
礼拝堂の見学は無料。教会内は、もはや自分の書く文字では表現することができない。「美しい」とか「立派な」とかのもう2, 3次元上の世界である。「人類の創造的才能を表現する傑作」という文化遺産の登録基準の言葉だけではとても表しきれない...。 時代は違えど、世界が変わろうとも、人々が何を求めるかは変わらないんでしょうね。昔の人達がなにを考えてこの教会を建てたのか感じとることができる。いろんなことを考えて、気がついたら長椅子に座って1時間くらい経っていた。それだけ、この教会には引き込まれる。
この教会はステンドグラスでも有名である。教会内を歩いていると常にきらびやかなステンドグラスが目に入ってくる。中でも、ルードヴィッヒ1世が1842年に奉納した「バイエルンの窓」という5枚のステンドグラスが最も有名らしく、戦火を免れてちゃんと残っていた(写真右上)。1枚1枚に「ルードヴィッヒ1世寄贈」と紋章が描かれており、それぞれどこにあるのか探してみるのも面白かった。キリストの受胎の告知、アダムとイブ、4人の預言者、東方三博士の礼拝、ピエタ、聖霊降臨、聖ステファノの殉教などが描かれているんだと。 奥には半円形の回廊があり、その通路には「シュヴェ」と呼ばれる7つの礼拝堂が放射状に突き出している。それぞれにどんな意味があるかまでは追うことはできなかった。中央祭壇には世界最大の黄金で飾られた豪華な聖棺が置かれており、東方三博士の頭蓋骨が奉納されているんだとか(写真��下)、かなり厳重に囲まれていた。
総じて、ケルン大聖堂は今回の旅の中で間違いなく一番印象に残った場所となった。ミュンヘンのツアーみたいに1日に何箇所も巡るのであれば、ここを訪れるのはもったいないかな。1日丸々使ってここだけを観光した方がいい。あと余談だが、ここでGaffelという銘柄のビールを飲んだんだが、人生で飲んだビールの中で最も美味しかった。
哲学者の道 Philosophenweg
フランクフルト4日目(ドイツ観光最終日)は、ICEで80kmくらい南下してハイデルベルグへ向かう。目的はハイデルベルク城だが、途中に哲学者の道があるのでそちらを通っていくことに。
ハイデルベルク駅を下車し、そこから徒歩だと城も哲学者の道も遠いので路面電車に乗る。市バスも同じ道を並走しているのでどっちでもいいかも。下車駅から歩いて10分くらいすると哲学者の道だが、意外と路地裏みたいなところに入り口があるので、地図持っていなかったり標識を見落とすときっと見つからないと思う。
「牧歌的なハイデルベルクのアルトシュタットを望む最適な場所の一つが哲学者の道である。この道は、ハイデルベルク城の対岸にあたる河畔からハイリゲンベルクをやや上った位置を通っている。ゲーテを始めとした詩人や哲学者がこの道を歩き、その思索を深めた。 」
最初の10分くらいは住宅街で車もたくさん路駐してあるので、あまり思索を深めることはできなさそう(笑)。あと、急な上り坂なので運動不足の人は途中でバテてしまうかもしれない。哲学者の道の大部分は丘の中腹を通っているので、まずは高度を上げるこというわけだ。住宅街や上り坂を過ぎるとあとはずっと平坦な道となり、ハイデルベルグ城やその旧市街を一望できるとても眺めが良い道となる。ところどころベンチが設けられているので、休憩してしばらく景色を眺めるのもよし。地元の幼稚園児たちが先生に引率されて歩いて、微笑ましいのと同時に、下から登ってきたのならみんな元気だなーと思った。ま、子供が一番体力あるものだよね。
自分たちがイメージする哲学者の道は下りの道にあった。登りは閑散とした住宅街、丘の中腹の平坦な道は景色は良いが転落防止の柵が立つ遊歩道。下りの道は石畳や石壁で囲まれており、景色は見えないものの周りは茂った樹々で囲まれた古道である。けど、やっぱりスプレーの落書きはある...。 登り10分、平坦な道20分、下り10分くらいだったと思うが、観光地の割には意外と人がほとんどおらず、道の途中で見かけた人たちは足しても30人程度だと思う。その分ゆっくり、静かに散策することができた。ドイツ最終日というのをひしひしと感じて、なんか寂しくなる。
ちなみに登り道下り道と表現したけど駅側が登り、城側が下りという意味ね(読んでればわかると思うけど)。
ハイデルベルク城 Heidelberger Schloss
哲学者の道を抜けると賑やかな城下町に出る。聖霊教会や14世紀からのハイデルベルグ大学、カフェが並び、丘の上にはハイデルベルグ大学がそびえ立っている。観光客は多いのだが、おそらくそれ以上に学生さんと思われる若者たちで賑わっていた。
「ドイツで最も有名な城趾の一つであり、ハイデルベルクの象徴的建造物となっている。プファルツ継承戦争で破壊されるまで、この城はプファルツ選帝侯の居城であった。ケーニヒスシュトゥール(「王の椅子」)という山の北斜面、マイン渓谷の底から約80mの高さに位置し、旧市街の風景を決定づけている。」
城へ向かうにはまた丘を登らなければならない(さっき下ってきたばっかりなのに)。ケーブルカーもあるのでそれを使ってもよいが、別に徒歩でも大した時間かからなかったのでもう一度足で登ることに。2・300段くらいの階段を登りきると目の前は城門。城の庭園を散策する分にはお金がかからず、城内を見学する場合は入場チケットを買う。日本語の音声ガイドもあるみたい。
まずは城内の見学。修復されているとはいえ(一番最近の修復は100年前)城からは樹が生え、レンガの隙間からは根っこが垂れ、ところどころ破壊されている。でも逆にそれが、悠久の時の流れを感じさせる。庭園の方は常に手入れされているようなので、綺麗に整っていた(ここまでは無料でも見れるところ)。この城で有名なのが城内大樽棟にある大樽だろう。ワインを貯蔵していたとのことだが、その容量なんと219m^3、1mx1mx1mの立方体が219個分というとんでもないもの。直径5m、長さ10mくらいの樽が横に寝かされているが、あまりにもでかいのでこれまた写真にすべて収めるのは難しい!樽の上には登ることができるのだが、その大きさおわかりいただけるだろうか?(写真右下)。実はこれの手前に、この大樽よりも小さい樽があり(といっても十分にでかいのだが)、最初はそれが有名な大樽だと思って「すげー」となり、すぐ隣にアホみたいな大樽があり、これ完全にフェイントだよね。また樽以外にも、何百年前もの化学の実験器具が展示されていて、長い時間が経っても器具の形があまり変わっていないのに関心。
最後に城外の庭園を散策、結構広い。綺麗に整った芝生にはレジャーシートを敷いて寝転ぶ人だけではなく水鳥も屯していて、どちらも気持ちよさそう、てかドイツって芝生があればとにかく水鳥おるのな。庭園のテラスからはハイデルベルグ城と旧市街、ネッカー川がすべて一つの絵に収まる。美しい。自然と人工と、さらに時間という次元がちょうどいい具合に、見事に融合している。地元の人は好きなときにここへ訪れることができるなんて、なんて羨ましいんだろう。いっそのことドイツへ住みたいくらい、マジで。
帰国
とても名残惜しいが、ミュンヘン3日間・フランクフルト4日間の全日程を終え、翌日は帰国の途につく。フランクフルト空港は市の中心部から非常に近い、なんとフランクフルト中央駅から3つお隣、泊まっていたホテルからは5駅隣。お土産としてビールを何本か買って帰ろうと思い、空港ならお店にたくさん置いてあるだろうと期待していたが、予想に反して全く置いていない...。かろうじて空港内唯一の小さなスーパーを見つけたのでそこで購入(種類は多くなかった)。レストランでは普通に飲めるんだけどね。
出国エリアにはドイツ製(Bechstein)のピアノが展示されていた。ベヒシュタインは世界的にも有名なピアノメーカーらしく、「ピアノのストラディバリウス」と呼ばれるほどの名器で、最高のピアノの代名詞である。とのこと。もしかしてかなり高価なピアノだった?自由に弾いてよいらしく、旅行者がピアノを弾いていて周りには人が集まっていた。あぁ、こういうのって素敵だよね。知らない曲だけど旋律が空港中に響き渡り、つい聞き惚れてしまった。ドイツの最後の素敵な思い出をありがとう。とても素晴らしい旅だったよ...。
���りもエアチャイナで、1355フランクフルト発~0515北京着の便。帰国時は特に何事も起こらず穏やかだった。もう知っていたので驚くことはなかったが、敢えて書き残すとするれば北京空港のトランジットがやっぱりクソだった。しかも今回は到着便のタイミングがいくつか重なったため、自分たちはまだマシだったけど、その後ろにすごい人が並んでいて列が何回も折り返されていて...。なかなか悲惨である。ちなみにこの並ぶスペースは中国への入国ゲートもあるので、そっちの列も合わせて人がやばい、余裕で1000人超えてるでしょ。相変わらず乗り換えゲートの先の保安検査もひどく待たされた。自分が保安検査を抜けて出発ロビーに出れたのは、何故か目の前に並んでいた友人たちが抜けた時間よりも20分くらい遅かった。何が起きたのか自分でもよくわからん(おそらく、ほんの一瞬のスキに別の早い列へ移されていたらしい)。搭乗ゲート近くの椅子に座っていたとき、目の前の(ドイツ人?)女性が、今まで見てきた中で最強に格好良くて見惚れてしまった。
日本へはエアチャイナ0820北京発~1230羽田着の便。飛行機からは富士山が見え、やっと帰ってきたのかと、懐かしくホッとする。茂原直通の高速バスに乗り、時差ボケで眠たい体をなんとか動かして夕方無事に帰宅、このとき日本は日曜日、翌日は会社である(特に問題ないと思い有給は取らなかった)。
これで今回の旅は全て終了。ドイツは本当に良い国だった。最初��ヨーロッパに行こうと聞いて驚いたが、やはり体力や自分で使える金があるエネルギッシュな若いときにいろんな経験をするべきだと思う。楽しいのはもちろんだが、とにかく視野が広がる。人生の糧になる。とりあえず行程については以上で、あとはドイツの公共交通機関などについて、気がついたことなどをメモしていく予定。
4/5へ続く
0 notes
Text
【日本新玩法】搭荒川線電車穿越時空體驗東京復古風情!(省荷包交通小撇步"都營一日乘車券"、8個不擁擠遊日熱點、銅板美食 )
在東京轉個彎換個心情! 這天坐上百年歷史充滿復古懷舊的都電荒川線路面電車,就像��時鐘撥慢我們不趕行程更沒有緊湊的步代,走走停停來來回回全靠當下的一念之間!對日本居民是最樸實的日常,對觀光客而言它也沒有那麼搶眼,更能感受最道地的日本。
安排自由行程計劃時不妨將荒川線排進其中的一天,體驗另一種東京的老味道新風情,一路上會發現親子景點、轉角的城堡、巷弄的在地美食、像日劇的下町散策、還有"日本之最"的樂園喔~
"荒川線"就像一本歷史故事,也像一鐵道電車百科全書,喜歡老時代氛圍的會愛上它的內涵,是鐵道迷的更會來此捕足它深度的風采;在東京公營的路面電車僅存珍貴的"都營交通-荒川線",全線共30個站,"早稻田"及"三ノ輪"分別為起迄站。
雖然我們全家都不是鐵道迷,但二年前的京阪旅行中搭過嵐電之後,孩子對路面電車留下深刻印象;同樣的坐在荒川線電車上輕輕晃動、發車時的悅耳"叮叮聲"、窗外一幕幕的街景及風光、軌道旁的玫瑰花,都覺得新鮮有趣。
搭乘的方式很簡單,在月台上侯車,每3~5分鐘就會來一輛電車,上車由前門,下車由後門(記得先按下車鈴);上車時��要付車費,單趟大人170円/小孩90円,可投幣也可使用suica、ic卡支付!
電車內的拉環超貼心,長短錯置,方便每個不同身高的客人抓取!
[ 1日乘車券-磁卡 (當日券) ↑ ]
[1日乘車券-需用硬幣刮除乘車日期的紙卡(可先預售) ↑ ]
要好好的玩上一天,除了"荒川線",也許還會坐到"都營巴士"或"都營地鐵"的情況下,那麼省荷包的付費方式就是購買【都營一日乘車券】 。 【都營一日乘車券】→ 大人700円/ 小孩350円 優點: 一日之內不限次數搭乘都營地下鐵、都營巴士、日暮里-舍人線、都電荒川線。 樣式:磁卡 及 刮除日期的紙卡票券 如何買:在都營地鐵各站服務窗口、都營巴士營業所和分所、荒川電車營業所、都營地鐵、都營巴士、都電及日暮里-舍人線各站的月票銷售處出售;當日票可以在都營地鐵及日暮里-舍人線各站的自動售票機和都營巴士、都電的車廂內購買。 使用方式:只要把有日期的地方給電車車長或巴士司機看一下;若是搭都營地鐵時磁卡則需過票匣,而紙卡一樣給站員看一下即可。 好康:荒川線沿線中像是"荒川遊樂園"就能出示一日券則能免費入園。 重要:一日券在搭乘的當天越早使用越超值,可以使用的時間較長。
(路線圖截取自都營官網 ) 如何到荒川線呢? 荒川線全線共30個站,以東西向串聯東京都的北部地區;如上圖所標示有8個站與地鐵相鄰,最便利的方式就是找接近的地鐵站即可。
例如: 搭地鐵 日比谷線在三ノ輪駅下車,即接”荒川線-三ノ輪橋” 搭地鐵 南北線、JR在王子駅下車,即接”荒川線-王子駅前” 搭地鐵 三田線在新西巢鴨駅下車,即接”荒川線-新庚申塚”
(路線圖截取自都營官網 ) 謝謝東京都交通局的邀請! 有機會可以對日本的交通又多了一個新選擇,更棒的是還發現東京的不擁擠的新玩法; "荒川線"超適合像我這樣搞不懂東西南北,又怕搭錯車的;很單純的上下車,若是坐錯方向,就通過軌道到對向去搭車即可;這30個站加註粉紅色框框是我們造訪的站,意外的發現在地人的銅板美食、鮮少觀光客但又好玩的"日本之最",依序記錄在接下來的內容中! 同時我們也善用一日券來乘坐都營巴士及都營地鐵來漫遊東京,當然點到點有其它更快的方式,但從巴士上看到不一樣的風景也是一種旅行的新體驗!
東京都交通局 日文官網-http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/index.html 中文官網-http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/ch_h/ 中文粉絲團 都營交通-東京旅遊電子書
■ 荒川線-三ノ輪橋 ✪三ノ輪商店街-銅板美食可樂餅、餃子、炸物、紅薑天婦羅、炒麵麵包 ✪影片連結
很開心!能看見這麼美麗的路面電車~ 雖然我們永遠不清楚型式的故事及來歷,但還是好奇的欣賞接近身邊的他! [三ノ輪橋]是荒川線的起站也是終點,一家人的東京漫遊小旅行就從這裡開始~
很容易就在這個車站留戀,除了猜猜看待會回來車路的列車是什麼顏色,看著軌道旁一整排的玫瑰花,也成為另一個賞心悅目的畫面。
孩子說:「這裡的玫瑰花好大朵,顏色又多」;可以想像,當春天花季百花爭豔肯定美極了,後來發現不是只有這一站,而是綿延了幾個站都種了花,生活很平常卻也浪漫的不得了~
木頭柵欄、木頭候車亭、木頭長椅,孩子就像在挖寶一樣圈著與平時看到的不同之處~ 這裡處處充滿日式舊時代古樸的氛圍,第一眼就會印象深刻,[三ノ輪橋]默默的當選在我心中荒川線的代表車站,就從這穿越時空回到最真的時光裡。
復古風情、百年歷史與玫瑰花的美,讓此成為"關東地區100個有特色的鐵路車站之一",鐵道迷必訪!
日本舊時代的廣告看板釘在柵欄完全無違和,就像走進小時候的柑仔店的感覺,連洗手間也有懷舊風!
車站旁有條乾淨亮晴天雨天都適合逛的商店街(上有遮雨棚),基本需求都有,也可以說是傳統市場! 這裡很少觀光客、很少年輕人、也沒有喧鬧的叫賣聲,來這裡更貼近日本媽媽們的日常,體驗老東京情調~
三ノ輪橋商店街 荒川線-三ノ輪橋下車,步行1分鐘
有些小店仍保有東京傳統樣貌,像是賣味噌的小店就好復古! 第一次看到這麼多口味的味噌及日式醃漬物,主婦魂會不由自主上身,出來招呼老闆娘就像日劇電視中的婆婆一樣,好親切啊~
我們來日本必朝淪陷的超市、藥粧店、100円店、餅干糖果店這條街上當然也有喔!
肚子餓了嗎? 老實說,即使不餓也要大吃一番! 親民價又美味,來市場跟著阿公阿嬤一起買準沒錯^^ 這家とりふじ 有賣"炸物"、"燒烤"種類真的很多,而且都是銅板價;接近收攤時,部份商品還會有優惠價喔~ 話說,日文我看不懂,就亂比了一串燒烤,結果咬下一口才發現是"烤豬肝",天兒~這是我吃過最沒豬肝味的豬肝,好吃!(這是什麼形容詞) 斜對面也有一家超便宜,有肉有菜的便當是300円上下!
可樂餅在攤位上有三、四種,我們不到百円的來試試看! 很飽滿的馬鈴薯內餡,外皮炸的酥酥脆脆又不會油膩,冷冷的天暖呼呼的咬它,真的好滿足~
隔天,我們竟然又去了一次(好瘋狂的一家人)
喜田家和果子店裡的"六人眾"完全擄獲全家人的心,連不愛吃甜食的惱公有歐露! 黑糖麵皮加上自製紅豆餡,甜而不膩且可以吃到紅豆泥及紅豆顆粒的口感;高質感的甜點也是銅板價 (驚) ps.隔天去的時候本想打包回台灣,但已售完,殘念@@
"紅薑天婦羅"是 お惣菜の店 きく的招牌,"紅薑"是日式料理中常看到的配菜,個人覺得單單當配菜非常OK,當天婦羅就不是很愛;果然,這一個只有我默默的吃光,好處是"薑"吃到肚子裡,熱熱的又暖和全身的功能XP 全家一致讚揚"餃子",8入 300円的餃子非常啾西,蔬菜的鮮甜、煎的酥脆帶焦的外皮,咬下一口還會爆漿;這是第二天發現的好物,據說吃遍日本的大胃女王節目有來採訪過喔~
點心的種類不少,除了傳統造型還有可愛造型的;另外還有一間具有60年歷史老店的可樂餅麵包及炒麵麵包,都是自家自製的點心;小時候的願望一直想要吃的食物近在眼前,都現在竟然吃不下.....><
另外,在這條街上還有看到澡堂及適合背包客住宿的青年旅館! 我們還碰到很友善的咖啡店老闆,一聽我們是台灣來的,他更是開心,雖然我們語言不太通,但他很熱情的表示,這裡有寄賣都營的一日乘車券,用這個搭車很省錢,很適合觀光客;所以如果突然想買一日券時,可以來找找老闆!
■ 荒川線-荒川遊園地前 ✪荒川遊樂園-持都營一日乘車券免門票、日本最慢的雲霄飛車、迷你動物園 ✪影片連結
親子景點必停留的一站[荒川遊園地前],下車之後步行約6分鐘就可以到達荒川遊樂園! 樂園就在學區附近,所以一路上可以看到圖書館、運動場、書局,我們用散步的慢慢走,雖然當天冷吱吱,但延路又是不同的感覺,���是觀光勝地但也別有一番溫馨的風味~ 入園費非常親民,入園費大人200円/小朋友100円,遊樂設施則是另計; 持"都營一日乘車券"則是免費入園,給工作人員看一下就可以進場~
荒川遊樂園 / 連結 地址:東京都荒川区西尾久六丁目35番11号 電話:03-3893-6003 營業時間:9:00~17:00 荒川線-荒川遊園地前下車,步行6分鐘
可以先入場之後,再來看看想體驗哪種遊樂設施,然後再去投販賣機買票券即可(單券100円/回數券 6枚500円),消費方式不陌生與圓山兒童樂園一樣!
大人乍看會擔心孩子也許會覺得無聊,但小孩可不這麼認為,樂園三寶"摩天輪"、"旋轉木馬"、"雲霄飛車"一個也沒少,再加上"咖啡杯"、"空中腳踏車"、"迷你小火車"共6項設施;還有小小孩的遊樂設施,是個迷你但很精彩的複合式樂園!
這雲霄車大有來頭,猜猜看! 有看直播朋友就知道,其實看它的外型"毛毛蟲"就已經呼之欲出,它是以日本最"慢"的雲霄飛車而聞名,3Y以上就可以玩囉~
再看一下,女兒的帽子並沒有被吹走就知道,真的不快! 女兒還說,媽~這一台妳絕對不會再亂叫了,快來搭吧! (口責) 但,約會就不能約女朋友來搭了,因為完全沒有機會展現男子氣概趁機來個愛的抱抱了...哈
除了遊樂園,園區還有"可愛動物區"也是免費參觀,還有定時的與動物近距離接觸;羊爸爸的叫聲超有力!
如果不想玩樂園,直接進來逛園區及可愛動物園也是一種不錯的玩法,孩子光看動物也是心滿意足,還可以餵食及摸摸牠們,興奮之情溢於言表~
好想知道安安在對小猴子們說什麼? 表情超誠懇的!
園內有一座都電資料館,展示關於電車及模型;另外還有小型電車遊玩的體驗! (鐵道模型的運轉場只有在假日,開放時間只到16:00,可惜當天也沒機會見到;照片截取自官網)
這個園區夏天來肯定也很棒,天然的戲水池可以玩玩水消消暑氣,小孩最愛玩水了!
離園時,可以再來與退役的6000型電車拍拍照,前方的一顆車頭燈就是特色之一,因此有個可愛的外號叫做「一球さん」!!
■ 荒川線-荒川車庫前 ✪荒川回憶廣場-展示5500形及旧7500形兩輛電車免費參觀
好喜歡這輛電車的顏色,很有氣勢的藍色! 正巧遇見車長換班,車長鮮氣十足神采奕奕...(咦,看哪兒去了)
平日是不開放的,只有假日才有;主要是展示50~60年代的都電歷史! TOARAN(とあらん)都電荒川線吉祥物也會在這裡喔~
都電回憶廣場 / 連結 地址:東京都荒川区西尾久8丁目33−7 營業時間:周六、周日、例假日10:00~16:00 荒川線-荒川車庫前下車,步行1分鐘
1954年生產的5500形電車,白色車體具有低噪聲的特色! TOARAN好可愛,原本以為他也走復古風,梳著古代男子丁髷的髮型;但後來發現,TOARAN頭上的角其實是電車的"集電弓"!
1962年生產的旧7500形,會發出強烈光線的車燈是特點;它有另一個名字叫"学園号",源自於學生上下課的交通尖峰時刻,作為學生專用列車使用,是學生們依賴的好伙伴~
難道土黃色是50年代的潮流色系,安安今天穿了一身橘,有點搭!!
載上車長帽,體驗一下坐在駕駛座的感覺! 當天忘了留意,那時是如何收費? 是剪票還是已經有投幣機了呢?
看著窗上的黑白照片說著珍貴的故事
除了拍照留念,還可以蓋紀念章喔~ 桌上也有準備紙張提供使用!
■ 荒川線-梶原 ✪明美-購買伴手禮都電造型最中(都電もなか)
等電車時看見一些宣傳,海報上寫著[梶原]站的和菓子店-「明美」有"都電名物"、"都電伴手禮",立刻換了目標,通過軌道到對面車站候車;突然發現荒川線的好處,就是完全不怕搭錯車,即使坐過站,再到對面候車即可,非常單純!
明美 地址:東京都北区堀船3-30-12 電話:03-3919-2354 営業時間:10:00~19:30 荒川線-梶原下車,步行2分鐘
道地的日式點心"最中",40年前在「明美」的巧思下有了荒川線電車的造型,非常受歡迎! 單輛、7種造型一次擁有或者是10輛包裝的任君挑選。 包裝盒上是電車的樣貌,包裝紙是手繪的電車路線圖,有童趣也很有溫度~
同時也替客人都設想周全,所以還準備了電車的錀匙圈及部份商品,讓客人可以一次購足,不用為了購買紀念品而奔波;明美本身就是一間很有歷史的道地日式和菓子店,可以再嚐嚐不同口味的日式點心。
烘烤香脆的糯米餅殼包著超細的紅豆餡及麻吉,姐妹倆吃的餅干屑屑掉滿身,寒風中品嚐電車最中應該格外刻骨銘心,愈晚真的愈冷,超想配熱茶~~~~
「明美」在這條梶原銀座商店街的入口處,雖然很冷但一家人還是多走幾步,看看前面賣什麼? 發現這家玩具店有賣電車,但老闆以作勢要休息了,便也沒再多停留,其實這條街約莫17時左右就陸續休息了~
■ 荒川線-飛鳥山 ✪飛鳥山公園-日本最早的公園之一、賞櫻聖地、櫻花電車、具有特色的超大遊具、IG打卡熱點 ✪影片連結
江戶時代保留至今,亦是日本最早的公園之一、最佳的賞櫻地點之一! 如果是櫻花季來,園內的600多顆齊綻放肯定粉紅的令人陶醉到暈倒~~ 冬天的樹木呈現最簡單的樣子,走在公園中不免覺得更是冷冽,但好喜歡這樣蕭瑟的色調,眼前的畫面就像時常出現在日劇裡的情節一樣,突然好想跟前方的女孩說:原諒他吧!
飛鳥山公園 地址:東京都北区王子1-1-3 荒川線-飛鳥山下車,步行2分鐘
今天不賞銀杏、不賞櫻! 公園好玩的還有這座特色遊具,搭荒川線收獲好豐盛,又搜集了一座厲害的遊具!
這座冰雪城堡繞一圈之後,發現每一面都可以玩,又高又長的溜滑梯不止一座; 有高度又有長度溜下來會加快速度,大人玩也會感到很剌激;斜坡處有石頭或凹洞,可以讓孩子們爬爬。
範園寬闊的挖沙區! 櫻花季時,孩子們櫻花樹下嬉戲,好幸褔的畫面啊~
孩子們在這肯定玩上1個小時沒問題,每一項遊具輪著玩,也需要一點時間! 如果加上一直重覆爬上溜下的迷戀溜滑梯,那就不止! 帶著孩子去旅行,有時也很喜歡這樣沒有目的的安排,不趕行程不跟風,牽著手用孩子的視線去感受,其實也是另一種收獲!
不是鐵道迷,但也不自覺的捕獲電車及列車身影!
飛鳥山公園有免費搭乘的纜車, 由於我們是下山搭乘,所以行進時是由上往下,有騰空飛翔的FU超酷~
荒川線的拍攝電車最熱門的地點之一在這!!! 要站在飛鳥山旁邊的天橋上,然後找一下左邊是飛鳥山、左前方是警察局的視線就對了;電車等紅綠燈時與其它車輛並行或交錯的畫面,或者,電車大轉彎,又或是兩輛電車並排的畫面...等,都會讓人多佇足一會兒! 如果現在是櫻花季,肯定天橋上會站滿了鐵道攝影同好,想像""櫻花樹、櫻花雪、櫻花(粉紅色)電車同框"",風情萬種美不勝收~
■ 荒川線-庚申塚 ✪巢鴨地藏通商店街-老奶奶的原宿、開運紅內褲、廟會
在這站下車,看見的不是月台而且"餐廳",覺得很新奇! 跟餐廳老闆訂位時,是不是可以跟他說,我再2站就到了 (嘻)!
這裡有三個地方可以參拜,とげぬき地蔵尊/高岩寺、 江戸六地蔵尊/眞性寺、巣鴨庚申塚; 而這天想逛逛有「老奶奶的原宿」之稱的商店街,一聽名字就讓人感興趣,直覺就聯想到這裡的物件應該很講究,或是很有日本味!
巢鴨地藏通商店街 / 連結 地址:東京都豊島区巣鴨4-22-8 荒川線-庚申塚下車,步行3分鐘
果不其然,好多老爺爺和老奶奶啊!
每月4日,14日,24日是拔刺地藏尊的廟會日,街上約有上百個攤子,幾乎是每5步就有一個攤位的緊湊,難怪這天更加熱鬧滾滾~ 有些是二手攤位,衣物都非常便宜,店家賣的物品也超親民,有些雪靴、毛料背心都才1000円。 還有整間紅通通的店,專賣紅色貼身衣物、手帕,還有很多日本影視名人來逛過;不過,貼身衣物有引起我興趣的,反倒是攤位上的純綿累褲,一件200円,難怪生意超好,老奶奶們都好愛!
這天也大開眼界看到許多小吃攤位及小吃店,有些大排長龍就會有些門可羅雀,爺爺奶奶們的味覺還是很敏銳的,來到爺奶的地盤的業者還是要懂得迎合才會受青睞的!
好想跟著爺爺奶奶們排隊,當場查詢了一下,像是塩大褔就是很名的日式菓子!
這條商店街大概不到1000公尺,兩旁都有店家,專屬於長者的店居多,也有一些日常的生活用品店及藥粧店,稱之為「老奶奶的原宿」真的太貼切了! 話說,OS藥粧店應該要來逛一下才是,也許會更便宜也說不定 (眼睛亮)
■ 荒川線-鬼子母神前 ✪鬼子母神堂-祈求保佑生產及育兒、日本最古老菓子屋(230餘年的柑仔店)
隱身在住宅區的鬼子母神堂,從車站延路過來非常的幽靜! 大多是妊娠期女子及新手媽媽前來祈求保佑生產及育兒。
鬼子母神堂 地址:東京都豊島区雜司谷3-15-20 荒川線-鬼子母神前下車,步行6分鐘
紅色鳥居長廊
這是我下車的動力,就是要找尋柑仔店「上川口屋」,因為這是江戶時代就有的,距今約有233年歷史,現在已傳到第13代! 但........這天沒開(大殘念),超想買古早味零食,更想抽糖果!!!
只好來一旁的公園玩一下! 真的是很隨興的旅行,沒有柑仔店,來公園玩也不錯! 這是鐵皮的寬版溜滑梯,現在溜是冰屁股,若是夏天溜就是燙屁股了~
孩子總是怡然自得,隨遇而安! 反倒是媽媽在糾結沒有吃到古早味零食....
覺得這裡很適合散散步,冬天的陽光好閃耀,穿過枯枝灑下的光影,好有異國風情的小巷!!!
都營巴士的吉祥物是「MINKURU(みんくる)」,眼睛大大的超可愛! 上次來東京就搭過都營的巴士,覺得既方便又安心;巴士開車及抵達的時間很準時,不用擔心會延誤到行程,所以這回搭巴士完全不陌生;東京都內有129個系統,想要搭巴士漫遊東京也是個不錯的選擇,當個好旅人很重要,上車下車都要好好排隊,不要插隊喔~ 看好巴士前面、後面、側面所標示的目的地及巴士號碼,這樣就不怕搭錯車!
巴士為單一票價210円上車付費(使用一日券就給司機先生看一下票券上日期的地方),下車前就先按鈴,每一站也都會跑馬燈的站名提示,和在台灣搭公車時差不多! 在都營的巴士竟然能連得到『免費WIFI』,一次可以使用180分鐘,一天使用次數無上限,更棒的是還有中文介面,完全可以一秒就上手使用WIFI,對於我這種重度使用者真是一大褔音啊~
出發前也可以利用這個網站(連結),搜尋方法有分類,而且是中文介面方便使用,就能把想去的地方排一下!
■ 都營巴士-草63 ✪浅草雷門站-浅草寺、浅草花やしき(日本最老的遊樂園) ✪影片連結 (浅草寺) ✪影片連結 (浅草花やしき)
來浅草寺的人很多很多,日本人及觀光客都很多! 這天約莫9:30就到了,算是與雷門合照的好時機,再晚一點就是大合照了!
初次造訪浅草寺,感到興奮不已!!! 這天要當標準的觀光客XDD
浅草寺 地址:東京台東區浅草2-3-1 都營巴士-草63浅草電門下車,步行1分鐘 都營浅草線-浅草駛A4出口,步行5分鐘
通過雷門之後,就跟著人群走應該是不會錯的! 商店街兩旁有許多商家陸續營業,仙貝、人形燒、炸饅頭..等浅草特色點心,都已有排隊的人潮!
這裡有"明文規定"禁止邊走邊吃,大家相當守規矩也不會亂扔垃圾,是非常乾淨舒服的商店街,也充滿濃濃的復古氛圍,熱鬧但不喧囂令人覺得悠然~
紀念品小物店販賣很多周邊商品,可以順便買伴手禮紀念品的地方~
店家的穿著打扮也是挺講究的,有些器具及烹調方式也是傳承古法,彷彿回到江戶時代! 忍不住買了一直看到的"人形燒",裡面包著紅豆餡的有很多造型的雞蛋糕,每一個都有獨立包裝,放在身上,待會找地方吃! 炸饅頭的人潮好多,只好pass它,有機會下次再來~
淺草寺是東京最古老的寺,來這和觀音娘娘說說話,祈求大家身體健康平平安安! 我們也入境隨俗,抽籤及焚線香,孩子們喃喃自語有模有樣!
最古老的寺院旁有最古老的遊樂園,一聽到這裡,原本在追鴿子的安安立刻停下腳步,催促著我們往樂園前進!
東京地標"晴空塔"在淺草相當好拍,都一直覺得晴空塔就在身邊,與它同框的頻率超高的~
距今已163年的「浅草花やしき 」樂園是江戶時代就存在的,大門和一般歡樂活潑童趣色彩的既定形象截然不同,是超級復古的建築,瞬間置身昭和時代,這真的是相當有特色;而樂園的位置就在浅草寺旁邊,所以,先跟媽媽去祈褔然後再走到樂園玩是對的,這是一整個很順的路線,樂園10:00營業,看看我們,包場的意圖很明顯~
浅草花やしき /連結/粉絲團 地址:東京浅草2丁目28-1 營業時間:10:00~18:00 備註: 為慶祝163周年紀念直到2017/3/30有"花やしきでイルミネーション"夜間燈秀的饗宴,會延長營業時間至21:00
興奮! 興奮! 搭過日本最慢的雲霄飛車,即將要搭日本最古老的雲霄飛車,完全出乎意料的旅行,太驚喜了!
入園費( 大人1000円/小孩 500円)及乘車回數券(1枚 100円 / 11枚 1000円)都是另計,每個設施所需的票券不同;如果有計畫玩透透,建議可以一票到底的票券比較划算 (票價詳情連結)
163周年真的很厲害,園內的遊樂器具也是發現得到復古的味道! 但別以為是個老coco(不好玩)的樂園,遊樂設施的剌激程度絕對會顛覆你的存疑~
雲霄飛車車上有"60"的標誌, 雲霄飛車至今64歲,是爺爺的年齡,但一樣速度且令人心臟狂跳的魅力,不然聽聽園內的尖叫可依舊沒停過;總之我還是沒搭就是了,怕怕~
我們稱它為"迴旋飛碟",不但自己會轉,還會左右擺盪,感覺轉一轉會直接把人遠拋一樣,可能下一秒要到晴空塔找女兒了~
目前玩過的樂園中,沒有印象玩過這種,頗受女兒讚賞 (咦)
人潮愈來愈多,這天是周日,攜家帶眷的日本小家庭及年輕學生們一直陸續湧進! 不敢玩大型自由落體沒關係,旁邊有迷你的,小小孩也是包場在體驗XDD
溫和的遊樂設施也有多種,但完全入不到女兒的眼; 在媽媽好奇心的拜託下,安安才勉為其難坐上麵號超人的機台,因為投幣之後不但可以玩還有一顆日本製的扭蛋喔~
日本的幽靈就是一頭長髮及白衣,想體驗看看日本道地的鬼屋嗎? 進到鬼屋是不能拍照的,但在這裡我是一定要賣關子的,惱補一下昭和時代的樂園加上日本櫻之怨靈....嘿嘿嘿 (尖叫聲)
天冷了,園內的貼心設施在這裡! 靠近它,就會有暖意,超舒服的~
這裡的紀念幣只要100円,還有三種圖案可以選;女兒的樂園到此一遊紀念,就是帶它們回家~
■ 都營巴士-池86 ✪表參道-竹下通(可麗餅)、明治神宮
當年輕人的時候沒來過原宿,沒想到當歐巴桑時竟有機會來這走走,但我只是帶女兒來吃吃可麗餅的~
原宿一帶的可麗餅相當多,是因為年輕旅群聚集的關係嗎? 看看每一間的豐富的口味,光看模型就讓我們流口水了...
草莓加上超士蛋糕的組合是店內的招牌之一
餅皮和在台灣吃的感覺不同,這裡的特軟,香滑的奶油不膩口,用湯匙就能輕鬆的挖起來吃,同時吃到餅皮的綿、奶油的純、草苺的甜及濃郁的起司!
「年輕人的原宿」和昨天「老奶奶的原宿」一樣,短短400公尺的竹下通有滿滿人潮,穿梭在青少年中,我們快速的從頭走到尾;假日的竹下通真的超擠,若是帶孩子去,一定要把手牽好~
年輕人的地盤,進駐的大部份是流行的服飾、偶像小物店、甜點店...等,價格也相對便宜許多,雖然沒有認真逛,但也感受到有台北西門町之稱的竹下通!
竹下通的另一頭可以往「明治神宮」的方向去,距離約5分鐘,但可惜即將要回國,沒能好好的拜訪一下。
雖然只有輕輕一瞥,但確信我很喜歡這裡,下次一定會再來~
==========================================================
【同場加映】上野住宿-Dormy Inn 上野御徒町
交通樞紐「上野」一向是國人旅日時最喜愛的訂房位置之一;這天來住連鎖飯店中風評很好精緻又大心的「Dormy Inn 上野御徒町」,走到"阿美橫町"只要1分鐘喔~
櫃檯在2樓,check in時,看到櫃檯會說"中文"的工作人員,就像在大海抓到浮木般的令人安心;辦理手續時,貼心的先遞上小毛巾讓客人擦擦手舒服一下,完成手續後會提供房卡、女湯使用密碼及繁體中文版的住房須知! ps.這裡全館都有免費wifi,不需依樓層不同而更改連結。
這天住的房型是雙人房(2大2小共住2間雙人房),正常尺寸的雙人床型,床墊很講究是採用serta床墊,軟硬適中非常助眠;巧妙的設計下讓空間運用得宜,活動式拉門將房間分為兩區,床舖、書桌、沙發一區,洗手臺、乾濕分離浴廁一區,需要的時間就可以把拉門拉上,增加隱密性~ 現代人3C不離身,房間內的多功能插頭正好派上用場,這還是第一次看到有這樣的服務;對了,我算了一下,房間內至少有8個插座,足夠充飽旅行的裝備們。
這裡的浴衣是運動服型式,去12樓泡湯或晚上到餐廳吃拉麵都是可以的穿著它;check in時櫃檯人員看到小隻的安安時就主動提供一套小size的用品讓我們帶上來,真的超貼心~ 日本比較乾燥,飯店內都會有加濕器,冬天的晚上真的要運轉一下,睡的更舒服。
飯店有提供"免費宵夜",我也是第一次遇到! 宵夜超級讚,是日本美食"拉麵",每晚的9:30~23:00提供;我們時間未到就到餐廳等候了(是有多餓 ><),開放式廚房時間一到拉開布幕,就能向廚師領號碼牌,之後等廚師叫號碼即可!
當天在粉絲團有現場直播,所以麵放了10分鐘之後才吃,但麵條不會軟爛,依然有Q彈的口感,醬油湯頭加上筍乾海苔很好吃,完全不馬虎的拉麵,比有些美食街的拉麵好吃太多了;而且還可以省了一餐的費用,覺得很超值。
超值的另一個重點在這,12樓有提供大浴湯可以"免費"泡湯!!! 室內及露天各有一個浴湯,加上水風呂、蒸氣室,媲美星級飯店;看說明寫著浴湯的水屬於"超軟水",可以保濕美容,讓皮膚水水喔~ PS.浴湯的照片有先經過飯店人員許可才進入拍攝!
女湯及男湯都在12樓,女湯需用密碼才能進入,每一天都會更換密碼,所以連住時記得向櫃檯詢問;外面有長椅及漫畫櫃,對面的房間內有販賣機、微波爐、免洗餐具及製冰機,看看漫畫、吃東西、喝冰牛奶,不論是誰等誰都不無聊! 對了,泡湯時還利用時間,把衣服洗一洗,洗衣機烘乾機都在同一個空間 (洗衣機及洗劑免費使用、烘乾機付費使用);眼前另人為之一亮,桌上提供的是神器P牌97,真的會讓人忍不住多待一會,讓頭髮也舒服一下XP
這裡的早餐以"飯糰"及"蛤蜊湯"果然名不虛傳,飯糰的口味眾多,份量剛好不會浪費,滿滿的蛤蜊味噌湯早上來上一碗好暖胃,還有熱呼呼的關東煮可以取用,非常豐盛;除此之外,麵包、生菜沙拉、玉米濃湯、點心、水果、牛奶及冷熱飲也都有,滿足每一個客人的胃口。
Dormy Inn 上野御徒町的位置真的不錯,厲害的餐廳、超市只要下樓就看得到,所以要大買藥粧及日本零食,真的可以選這裡,再加上距離各地鐵出口也都超近,很適合親子旅日時的住宿選擇!
Dormy Inn 上野御徒町
徒士の湯 ドーミーイン上野・御徒町 http://www.hotespa.net/hotels/ueno/ 〒110-0005 東京都台東区上野6丁目7番22号 TEL.03-5807-5489 FAX.03-3834-3393 [email protected] 早餐:06:30~10:45 (600円/人;訂房時也可依照需求選擇) 宵夜:21:30~23:00 (無料) 浴湯:15:00~10:00 (無��) 【交通】 都營大江戶線上野御徒町站A8出口步行1分鐘 東京地下鐵銀座線上野廣小路站A8出口步行1分鐘 東京地下鐵日比谷線仲御徒町站A8出口步行約1分鐘 JR御徒町站北口檢票口步行約5分鐘 JR上野站廣小路口步行約7分鐘
【日本新玩法】搭荒川線電車穿越時空體驗東京復古風情!(省荷包交通小撇步"都營一日乘車券"、8個不擁擠遊日熱點、銅板美食 ) 原文出處: 睡天使醒惡魔成長日誌 :: 痞客邦 PIXNET :: http://naughtyangel.pixnet.net/blog#ixzz4XzXaxum0 Follow us: @Me4child on Twitter | Me4child on Facebook
2 notes
·
View notes
Text
サニーサマーレイン
☂8月23日
「ゲームセット!ウォンバイ青春学園、越前リョーマ」 歓声が、遠い残響のように聞こえた。 真っ二つに割れたボールが足元でひっくり返っている。それを茫然と眺めているうち、勝つことしか考えられず熱を持っていた頭が、少しずつ冷えていった。全身から力が抜けて、その場に立ち尽くす。はー、と勝手に息が洩れた。 「ねえ」 対岸から呼ばれる。越前くんが手を差し伸べていた。 重い足を動かして、ネット際に歩み寄った。 こうして対戦相手とまともに握手ができるのはいつぶりだろう。五感を失い這いつくばった姿を見下ろすのがお決まりだった。今までのろくに顔も覚えていない選手たちを思い出しながら、手を伸ばす。 手のひらを強く握られ、俺も同じぐらいの力で返した。越前くんは目の縁を尖らせる。試合は終わっても、瞳の中には火が点っていた。ぎらぎらした目で俺を見据えて、それから、笑顔を弾けさせた。 俺より少し小さなボウヤの手は、俺と同じぐらい節くれだっていた。それだけ多く、ラケットを振って、ボールを打ったということだ。血が噴き出しそうなほどの努力を、まだ成長途上の体で重ねてきた。そういうことだ。 今さらながら、とんだ化け物を相手にしていたことに気がつく。もっとも、試合中の彼は化け物というより、天使とか神様の申し子とか形容した方がしっくりくるのだけれど。今だって、俺に向ける笑顔はひたすらに温かくて、やさしい。 握っていた手を離した。彼いわく「楽しいところ」へ俺をいざなおうとする手を、今はまだ取ることができない。 越前くんは、しょうがないな、という顔で俺を見て、仲間のもとへ駆けて行った。待ってる。そう、その背中に言われているような気がした。 立海のベンチへ戻ると、対岸のお祭り騒ぎとは打って変わって、ひどく沈んでいた。みんな俯いて、悲痛な面持ちをたたえている。嗚咽を隠しもせずに泣いている部員もいた。 誰も俺を見ようとはしなかった。ただひとり、真田を除いて。その真田も、瞳がゆらゆらと揺れている。 しばらくして、迷子のような足取りで真田は俺に近づいてきた。おずおずと差し出された手に、ラケットを託す。 「準優勝だ、幸村」 真田がそう言って俺を見つめた。 「……負けたんだね」 頭では分かっている筈なのに、負けた、という言葉がただの音としか捉えられなかった。三文字は俺の心の中をうわすべりして、霧散した。 代わりに、真田の眉間に深い皺が寄る。負けという言葉を使わなかったのは、真田なりの気遣いだったんだと気づいた。もしかしたら、真田自身だって聞きたくなかったのかもしれない。 それでも、真田は深く頷いた。 わあ、といっそう大きく青学が湧く。越前くんが胴上げされていた。青空めがけて、高く、たかく。 あれは、去年までの俺たちの姿だ。優勝だ、と真田が俺に告げる姿が頭をよぎる。普段の落ち着いた様子からは���像できないほど浮かれた真田の声。そして、俺も。頬が熱くなるのを感じながら、笑顔で待つ仲間に飛びつくのだった。 これ以上、何を言ってどうしたらいいのか、分からなくなった。 「両校、整列してください」 審判の号令で、動けなくなっていた体を半ば無理やりに動かすことができた。相手に情けない顔を見せてたまるものかと、負けず嫌いの部員たちは唇を引き結び、厳しい顔をした。 青学と礼をし合って、それから、ふと客席を見る。父さん、母さん、お祖母ちゃん、妹。やはり、悲しそうな顔をさせてしまった。 感傷にひたる間もなく、すぐに表彰式が始まる。 式の間、テニスコートはおごそかに静まりかえる。聞こえるのは、選手を称える拍手ばかり。割れるようなそれに包まれながら、誰もがひと夏の軌跡を振り返り、噛み締める。 「準優勝、立海大附属」 前へ出ようとすると、背後から遮られた。 「俺が行く。いいな」 問いかけではなくて、決まったことを確認する口調だった。俺が答えもしないうちに、真田は壇上へと歩み出す。 その眼前に、盾が差し出される。にぶい銀色をした盾が。真田にとっては、突きつけられた、と言ってもいいぐらいかもしれない。 しかし真田は表情ひとつ変えず、それを受け取った。両手に抱えて、いつも以上に背中を真っすぐに伸ばして、頭を垂れた。 「優勝、青春学園」 続いて、手塚と大石が壇上に上がる。まだ高い太陽に照らされて、手塚の持つトロフィーも、大石が掲げる優勝旗も、さんさんと輝く。 俺の手の中は空っぽだった。真田は、盾をじっと見ていた。振り返ると、赤也が、泣きそうになりながら表彰台を見上げていた。 赤也をはじめ、レギュラーとして戦うのは初めての部員も多かった。初めての夏を、胸を張って終わることは叶わなかった。 ぜんぶ、俺のせいだ。 「真田、やってくれ」 だから、ミーティングを始める前に、そう告げた。 周りにいた部員たちが、血相を変える。でも、真田はもともとそのつもりだったのだろう。ためらいも滲ませず、こくりと頷いた。 「遠慮はせんぞ」 「掟に遠慮も何もあるものか」 打ちやすいように、真田の正面に立った。真田は手首を握り、調子と覚悟とを整える。 俺と真田に気づく部員が増えるにつれて、ざわめきも大きくなった。 「静かにせんか!」 真田の一喝で、ほぼ全員が俺たちに視線を注いだ。却ってよかったと思う。証人が多い方が、けじめをつけるにはふさわしい。 「歯を食いしばれ」 真田が手のひらを振りかぶる。焼きつけておくために瞼を見開いた。 病室で俺を打った姿が重なる。絶望の淵から俺をすくい上げた、その手、その熱さ。 今さらになって、走馬灯みたいに記憶がよみがえってくる。本当はおそろしくて仕方がなかった手術。俺がいれば、と悔やんだ関東大会の敗北。死に物狂いでリハビリをして、やっと踏みしめた緑の芝生。 長い、本当に長い夏だ。 打たれる瞬間、どうしても反射で目を閉じてしまう。 頬に触れたのは、熱い風だった。たったそれだけ、だった。 目を開ければ、あともう少しで俺に届きそうだった真田の手が、ぱたりと落ちる。 「……できん」 「……どうして」 「理由がない」 聞いたことがないぐらい、声が震えていた。黙って、続きを促す。 「お前は負けた。だがお前の戦いに、驕りも油断も、微塵も感じられなかった」 真田の呼吸が徐々に乱れていく。 「むしろ……っ」 とうとう、言葉はただの吐息に変わった。真田はそれでもどうにか言葉を継ごうとして、面持ちをぐしゃりと歪ませた。涙がひとつ零れる。 「……っ、すまないっ」 真田は片手で瞼を覆って、俯いた。それでも抑えきれない涙が、頬にいくつもの線を描いていく。 ふくぶちょう、と赤也がつぶやく。真田よりもっと大粒の涙が、そのまなじりからぼろぼろと落ちる。咄嗟に赤也をかたわらで支えたブン太も、ともすれば一緒に崩れてしまいそうだった。 水面に石が投げられたみたいに、��は広がった。気がつけば、仁王までもが、目の端を赤くし鼻をすすっている。 俺の敗北がどれだけ大きいものだったか、ようやく実感した。真田に打たれて終わりにしようとした、自分の浅はかさも。 「すまなかった」 自然と深く腰が折れる。 やめてください、そんなことしなくていい、と何人かが叫んだけれど、しばらく頭が上げられなかった。 部員たちの嗚咽が、もの悲しく降ってくる。こんなにも苦い思いを味わわせてしまったことに、ただただ詫びることしかできない。 「幸村、もういい」 真田に体ごと引き上げられて、抱き締められた。痛みを感じるほど、きつく。 体を震わせて咽喉を引き攣らせて、真田は泣く。覆うものが何もなくなったせいで、たちまちにジャージの肩が濡れた。幼い頃ですら、ここまで泣く真田を見たことがない。 俺は、泣けなかった。 ああ、と思わず嘆息した。いたたまれない。 俺の中で何かが欠けている。申し訳ない、それしかなかった。こうして目の前で真田が、みんなが、俺のために泣いてくれてもなお、一緒に泣くことができない。他人事みたいに茫然としている。 取り巻く空気が湿度を増す中で、目が乾く、とすら思った。
☂8月24日
全国大会の翌日は焼肉屋で打ち上げ、というのが立海のはるか昔から続く伝統だ。 レギュラーたちは、ものすごい勢いで肉に食らいつく。瞼さえ腫れていなければ、昨日あんなに泣いていたのが嘘みたいだった。 ウーロン茶とジュースで乾杯をして、誰もが雰囲気に酔っていた。負けたのに、などと野暮なことは言わない。 目の前では、ちょうどブン太と赤也のカルビ争奪戦に終止符が打たれたところだった。赤也は、覚えとけよ、と空の取り皿を抱えて涙目で言い残し、蓮二に席替えをお願いしに行った。 俺はといえば、ジャッカルばかりが焼かされているのがかわいそうで、それを手伝っていた。 「幸村くんさあ、なんで真田と仲いいの」 真田が別のテーブルにいるのをいいことに、ブン太がなかなかに突っ込んだ質問をしてきた。 「あ、別に変な意味じゃなくて。言っとくけど俺あいつのこと嫌いじゃねーよ。苦手だけど」 「おい」 あまりにもブン太が正直なのを、ジャッカルが咎める。俺は、あけすけだけどわりと愛のこもった言い方だと受け取った。 「幸村くんと真田、好きなもんとか何ひとつ被ってなさそうじゃん」 「実際、被ってないね。一緒に遊ぶと時々困る」 印象派の美術展に行ったとき、終始真田は首を傾げていた。反対に、骨董の壺だらけのお店に連れて行かれたときは、俺の目にはどれも同じに映って、盛り上がる店主と真田の横であくびを噛み殺していた。 「好きなものがはっきりしない頃からの幼馴染だから……かな」 「だったら趣味は似るような気もするけどな」 「俺とジャッカルもやってたゲームとか同じだぜい」 たしかに、目の前のダブルス以上に俺と真田の付き合いは長い。ただ不思議と、俺のガーデニングも真田の剣道も、一緒にやろうと誘い合ったことはなかった。 俺と真田が一緒にすることって、と思い浮かべてみたら、答えはあっという間に出た。 「テニスはふたりとも好きだと思う」 遊んだ日の締めくくりには、お互いの退屈を晴らすため、テニスコートへ赴くことも多い。 そう言うと、何故かきょとんとした顔をされた。 「……好きなんだ」 「好きじゃなかったら部長なんかやらないだろ。もともと俺は部長向きのたちじゃないよ」 全体を俯瞰して見ることはできても、最後には自分が興味のあるところばかりに目が行ってしまうし、集中したい。もっとひどい話をすると、入院というブランクはあれど、未だに全部員の名前を覚えていない。覚える必要がないとも思っている。 大好きなテニスで三連覇をすることしか考えていないような人間が、部長に選ばれた。理由はいたって単純だ。実力主義のこの学校で、いちばん強いのが俺だったというだけ。 部長になってからは、ひたすら好き勝手にやらせてもらった。実力で周りを黙らせてきたけれど、さすがに運動部らしいしがらみを無視する訳にもいかなかったそれ以前とは違って。 誰に対しても分け隔てなく厳しくできる真田や優しくできる蓮二が隣にいなかったら、この部はどうなっていただろう、ということをよく考える。 「真田の方が部長に向いてると思う」 ジャッカルもブン太も勢いよく首を横に振った。まあ、短気ですぐに手が出るところは玉に瑕だろうか。 「なんで真田じゃだめなんだい」 「怖い」 ジャッカルのシンプルな即答に、思わず笑った。 「ブン太は?」 ううん、とブン太は唸る。 「……ひとりでなんでもしようとするから」 急に声音が真剣になった。ああ、と���ャッカルもいささか引き締まった顔をして、頷く。 「時々一緒のチームでいる意味が分かんなくなるんだよ。勝ちたいって気持ちとかは一緒だと思うんだけど、もうちょっと、こう……」 「頼ってほしいよな」 「それ!」 ジャッカルがしみじみと言うのを聞いて、昨日、真田の試合が終わった後、断られてもアイシングを持って追いかけていった姿を思い出した。 「手塚に勝った後、あいつひとりで泣いてた」 「へえ、そうだったのか」 次の試合が始まるのも見届けずにどこかへ行ってしまったのに、そんな訳があったとは。手塚は、真田にとって俺の次に倒すべき相手だった。長年の雪辱が晴れて、感極まったのも無理はない。 「嬉しいのは俺たちも同じだし、一緒に喜びたかったよな」 「そうだね」 相槌を打った途端、ブン太が俺を見て目を三角にする。少したじろいだ。 「なに」 「幸村くんもそういうとこ、あるぜ。俺基本的にお前のこと好きだから、もっと頼ってくれたらもっと好きになるかも」 冗談めかしてウィンクされる。 「あ、もう焼けてる」 すぐに興味を移したブン太は、ロースを俺の小皿に放った。すっかり食べ物のことを忘れていた。 「まあ、明日からすぐに俺たちにも任せろとまでは言わないけどさ。せめて真田とぐらい分け合ってみたら」 「……うん」 やけに暗い声が出た。 「わり、なんか説教っぽい。引退だし許して」 それにすぐ気づいたブン太は、もう一度ウィンクして、ぺろりと舌を出す。 入院中、誰よりもみっともない姿を真田には見せた。時には縋ったこともある。いや、縋ってしまった。そう思っているあたり、ジャッカルとブン太に言われたことは的を射ている。俺も真田も、本当の弱みは誰にも見せたくないんだ。 「んだよジャッカル、にやにやして」 ブン太の声で、引き戻される。 「好きなものは被ってなくても、似てるんだな。幸村と真田」 「……俺がどうかしたのか」 「げ」 いつの間にか、真田がブン太とジャッカルの間、赤也が座っていたところに立っていた。 向こうのテーブルを見ると、蓮二がひらひらと手を振る。その隣、安息の地で、赤也がブン太に取られた分を取り返そうと、がつがつと肉と米をかき込んでいた。たぶん、さっきまで真田が座っていた席だ。甘やかされてるなあ、赤也。 むっとした顔の真田に、とりあえず座るよう促す。 「俺も真田もテニスが好きだよねって話をしてた」 助かった、という視線が目の前のダブルスから寄越された。別に悪口を話していた訳でもないし、堂々としていればいいのに。 「うむ」 真田が肯定したのかただ単に相槌を打ったのか、よく分からなかった。少なくとも、機嫌が直ったから、悪い気はしなかったはずだ。
☂8月25日
家族に手間も心配もかけたくなくて、ひとりで行ける、と言ったものの、案の定入口で足が竦む。病院独特の消毒の匂いとけぶった白色。かつてここに閉じ込められていた記憶を無理やりに引きずり出されて、苛まれる。 主治医からは、絶対に今日来てくださいね、と念を押されていた。二学期から大手を振って学校に通うためには、今日中に検査を受けなければならないらしい。 通院を減らして全国大会に集中したい、というのは本音でしかなかったけれど、検査から目を背けるための口実でもあった。 これは、健康というお墨付きをもらうためだけのものだ。一昨日まであんなに激しいスポーツをしていたくせに、何を怖がることがあるんだ。自分に言い聞かせても、怖いものは怖いのだった。 どうにか一歩踏み出そうとしたそのとき、狙ったかのようなタイミングで電話が鳴った。ディスプレイには真田の名前。 長くかかる用件のような気がしたものの、つい通話ボタンを押す。真田の声を聞けば、きっと少しは楽になれる。逃げ場にしようとしていることは悟られないようにしなければならないけれど。 「部の引き継ぎの件で相談があるのだが」 やっぱり、長めの用件だった。真田が何もなくて連絡を寄越すことはほとんどない。 「ごめん、これから検査なんだ。今、病院に着いたところ」 「む、すまん。あとでかけ直す」 もう切るのか。少しがっかりしたことは、おくびにも出さない。 「夕方には終わるから、俺からかけるよ」 じゃあね、と言うと、真田が言葉を継ごうとする気配がした。 「ご家族はそこにいらっしゃるのか?」 「ううん、用事があるみたいだったから付き添いは断った」 「ではお前ひとりか」 「そう」 ごそごそと何かをしている音が続いた。 「すぐに向かう」 びっくりして、すぐに返事ができなかった。 病院に足を踏み入れる憂鬱も、検査を受けることをどうしようもなく恐れているのも、きっと真田には見透かされている。普段はにぶいくせに、どうして分かってしまうんだろう。 「……予約の時間に間に合わなくなるよ」 側にいて、不安をやわらげてほしい。わがままが口から零れそうになるのを抑えて、言った。 せめて真田とぐらい分け合ってみたら。昨日のブン太の台詞が頭をよぎった。やっぱり、すぐには無理だ。どうもこの幼馴染の前では、負けず嫌いの俺が色濃く出てしまう。 電話の向こうで小さく唸る声がする。しばらく、真田は考えているようだった。 「大丈夫だから」 真田だけに言うつもりが、俺自身にも言い聞かせている。 「……待っている」 やけにやさしい声。 「ありがとう」 今度はなんのためらいもなく、言葉が口から零れた。 「は、早く部のことを話し合わなければならんからな」 照れたのか、取ってつけたことを返してくる。下手くそだなあ。 あらためて真っ白な建物と対峙する。俺を暗い気分にさせるだけだった白に、ほのかな明かりが差して見えた。消毒くささも、さっきよりずいぶんとましなような気がした。 「もう、大丈夫」 電話を切って、つぶやく。 ほんの少し軽くなった足取りで、病院の自動ドアをくぐった。
部屋を次から次へと移動して、腕や足を動かしたりよく分からない機械で何かを計測されたりしているうちに、検査はすべて済んだ。意外と早かった、と体感として思う。入院中にも何度か受けたものばかりで、説明されなくてもするべきことが分かるぐらいには慣れていたのが大きいかもしれない。 残るは、主治医の問診だった。これですべてが決まる。気が尖っていくのをなだめながら、先生の向かいの丸椅子に腰かけた。 「これから普通に学校に通っていいですよ」 「部活……テニスをしても?」 「それはもうしちゃっただろう」 カルテから顔を上げて、先生は困ったように笑った。君の回復力には本当に驚かされる、と付け加えて。 「全国大会、どうだった?」 「準優勝です」 「ええ!すごいね。おめでとう」 驚いてくれたので、俺も愛想笑いを返した。俺たちにとって優勝が当たり前だったことを知らない人にとっては、こんなものなんだ。 「きちんと結果が出るのは、五日後。異常がなければ電話でいいかな」 「はい、お願いします」 ほら、何も怖がることなんてなかった。胸を撫で下ろし、そっと息を吐く。
病院の最寄駅で両親に結果を知らせたあと、真田にも電話をした。 「待たせたね」 「いや」 一拍置いて、どうだった、と訊かれる。 「ちゃんとした結果はまだだけど、普通に学校に行って生活していいって」 「そうか。では、テニスもできるのか」 さっきの俺と同じ質問がすぐに投げられる。真田も怖いのか、語尾がわずかに震えていた。 「テニスも問題ないみたいだ。試合にももう出ちゃっただろって先生にはちょっと呆れられたよ」 「そうか」 さっきと同じ相槌でも、声が違っていた。安堵したのが明らかだった。 「心配させてすまないね」 「気にするな」 さて、と言って、また声音が変わる。今度は副部長の声。 「蓮二に聞いたのだが、次の代は仕事の割り振りを見直したいそうだ」 「了解。蓮二のことだから、もうプランまでできてるんだろ」 俺も部長らしく返してみる。 「ああ、お前が検査を受けている間にその確認を取っていた。今よりずっと効率的にできると言っていたぞ」 「三人で会って話そうか。俺はいつでもいいから」 「俺も午後なら構わん。蓮二の予定次第で調整しよう」 それから一言ふた言を交わして、電話を切った。 部長の仕事、入院でほとんどできなかったけど、まとめておかなきゃな。あれこれと思考しているうちに、電車がホームに入ってくる。 乗車して初めて、ずいぶん長い間ホームに立っていたことに気づく。つい最近まで駅ですら怖いと思っていたのに。 こうやって、ひとつひとつ、平気になっていく。
☂8月28日
宿題と部の仕事の合間に、庭をいじったり絵を描いたりクラシックを聴いたり詩集を読みふけったりと好きなものにまみれていたら、あっという間に二日間が過ぎた。いくら好きといっても延々と続けていられるものでもなくて、最後の方はブラームスさえも俺の退屈を満たしてはくれなかった。 ただ、テニスだけはしなかった。決勝の日からずっと、ラケットもボールもバッグの中で眠っている。 少しの空き時間があればテニスをしていた俺にとっては有り得ないことで、家族も、口には出さずとも不思議そうな顔をしていた。 そういえば、テニスをしないとなると全然真田に会わない。三日空くというのも有り得ないことだ。 久しぶり。目の前の真田に、頭の中で言ってみた。 真田は眉間に皺を寄せて、蓮二が作ってきた資料とにらめっこをしている。超優秀な参謀の立てたプランに欠点なんてないに決まっているのに、ばか真面目にひとつずつ検分しないと気が済まないんだ。ちなみに俺は十分以上前に読み終えた。 「精市、何か飲むか」 「じゃあ、アイスティー。ありがとう」 蓮二は俺の分のコップも持って、ドリンクバーへと向かった。 「そのプラン、もっと改善した方がいいところとかあった?」 進捗確認も兼ねて、真田に話しかけた。 「今のところないな。さすが蓮二だ」 「そう。……真田、最近どうしてる」 「もっぱら道場にいる」 顔を上げないまま、真田が答える。 「飽きない?」 「……お祖父様には絶対に言えんが、さすがに飽きてきたな」 真田にとっては後ろめたいことなんだろう。誰に聞かれる心配もないのに声を潜めるのがおかしかった。 「だよね。いきなり夏休みって言われても何したらいいか分からないよな」 テーブルに残った水滴を指先ですくって、アコーディオンみたいに縮まったストローの包み紙に垂らす。包み紙はゆっくりと間抜けに伸びていった。こんな風に緩慢に、俺の夏休みは終わっていくのだろうか。 いつの間にか俺の手なぐさみを見ていた真田に、行儀が悪い、とたしなめられた。 「いっそ旅行にでも行くか」 真田が資料を置いて、切り出す。唐突すぎて、言われたことを理解するのに少し時間がかかった。 「いつ」 「明日から二泊三日でどうだ。母の田舎にあてがある。旅行といっても何もないから、観光はできんが」 「また急だな」 と言っても、特に予定がある訳でもない。宿題もあと数ページ。今日中に終わらせられる。 「でも、行けるな」 「何の話だ?」 ちょうどいいところに戻ってきた蓮二を誘ってみるも、すぐに首を横に振られてしまった。 「せっかくだが、家庭教師をしなければならない」 「なに、赤也かっ」 真田が吼えそうになったので、どうどうとなだめた。唯一の二年生として俺たちについてきてくれた赤也は、特に宿題どころじゃなかっただろう。間違っても勉強の得意な子ではないけれど、多少目を瞑ってあげなければ。 それに、旅行をするにあたって、もっと大変なことがある。 「俺と真田のふたり?」 「ああ」 「ふたりきり?」 「それがどうかしたのか」 何を今さら、という態度を真田は崩さない。がっかりした。こう、照れたりとかなんかあるだろう。 「恋人ができたらそんな態度じゃだめだよ」 「たわけたことを」 ふん、と真田が鼻を鳴らす。だからそうじゃなくて。 「おい、いつまで俺はお前たちのやり取りを聞いていればいいんだ?胸やけがしてきたぞ」 甘いな、と冷ややかに言う蓮二の声で我に返った。一体真田に何を期待してるんだ、俺は。 蓮二が持ってきてくれた紅茶を口にして、頭を冷やした。 「それで、来るのか来ないのか」 「たぶん行けるよ」 真田が資料に没頭している間に、家族の了解を取りつけるべく、メールを打った。数分後、あっさりと明日からの真田との旅行が決まった。
☂8月29日
電車を乗り継いで四時間と少しで、その町に着いた。車だと早いのだが、とさすがの真田も疲れた顔で言い訳をした。 俺たちの宿は、ときょろきょろしている間に、真田はどんどん前へ進んでいった。慌ててその隣に並んでついていく。 住宅街を抜けて、さらに奥へ。駅に降りたときから田畑が多く見られるのどかな場所だったのが、もっと緑が豊かになってきた。 ようやく、真田は立ち止まった。 「……これ登るんだよな」 「一時間ほどの辛抱だ。徒歩ならこちらが近道だぞ」 荷物は軽めに、と言われた理由が一瞬で分かった。うっそうと茂る木々の間に、とてもよく言えばハイキングコース、見たままで言えばけもの道が、山奥へと続いている。 旅行というかもはや合宿だ。今年は参加できなかったから、ちょうどいいかもしれないということにしておこう。 そんなことをのんきに考えられていたのは初めだけで、しばらくすると家を出るときにもらったお小遣いに頼りたくなった。山の中で暑さはやわらいでいるといえど暑いものは暑いし、しかもこの悪路。検索してみようと携帯電話を見て、仰天した。まさか、今どき��波が通じなかった。もともと必要なとき以外は使わないから、構わない。けれど。 「本当にふたりきりじゃないか」 思わずつぶやく。 「何か言ったか」 「なかなかすごいところに来たなって、それだけ」 「あまりに田舎で驚いたか」 からからと真田は笑う。そうじゃないけど、まあいいや。なんて、やっぱり俺は何を思ってるんだろう。 喋る余裕もなくもくもくと歩いているうち、整備された大きな道に合流した。あと十五分だ、と真田。 道中、二泊分の物資を調達するために、個人の商店に立ち寄った。色あせた看板と外壁。店内の電気が点いていなかったら、見落としてしまいそうだった。 おそるおそる入店すると、失礼ながらお店の見た目に反して、商品はきれいに並べられ、埃のひとつも落ちていなかった。 「すみません」 真田が声をかけると、しばらくして、奥からお婆さんが出てきた。歳はうちの祖母と同じぐらいだろうか。化粧っけがなくて人がよさそうで、いかにも田舎のお婆さん、という見た目だった。 お婆さんはレジ越しに真田を見て、ぱちぱちとまばたきをする。 「あなた、真田さんのところの。大きくなって」 「お久しぶりです」 今度は俺を見る。 「あなたはお友達?」 「はい、幸村と言います」 「……真田と幸村」 含み笑いをされた。 「げんちゃんから何回か聞いたことがある。テニススクールのお友達でしょう」 「今は同じ部活ですよ」 げんちゃん、と呼ばれた真田は、俺に聞かれたのが嫌だったのか、少しぶっきらぼうな口調になった。 お婆さんは、自分たちで食事を作るならあれがいいとか今の季節はこれが美味しいとか、一緒に店内を回って教えてくれた。さらに親切に、真田にお菓子を握らせたり、お友達にも、と言って俺にもくれたり。 籠の中が充実してきたので、買い忘れはないだろうか、ともう一度売り場を見回す。あるものに気づいた。 「これやろうよ」 花火を手にして、真田の前に持っていく。 「ふたりだけでするのか?」 「まだ今年はやってないんだ」 「ご近所の迷惑にならないだろうか」 眉間に皺を寄せて、真田は渋る素振りを見せた。 「いいだろ、げんちゃん」 不意打ちだったらしく、言葉に詰まる。作戦成功だ。 「幸村、後で話がある」 「もう季節も終わりだから安くするよ、げんちゃん」 お婆さんに勢いを削がれたらしい真田は、こくりと頷く。つい笑ってしまうと、俺と違って狙った訳ではないお婆さんは、不思議そうな顔をした。 会計を済ませると、お婆さんはお店の外まで出て見送ってくれた。 「げんちゃん」 ぽつりと言ってみただけで、真田がすごい勢いで振り返る。 「間違っても学校で言うなよ」 「いいじゃないか、かわいくて」 目の端が吊り上がってきたので、からかうのはそのぐらいにしておいた。
真田のお母さんのお祖父さんとお祖母さん、つまり曾祖父母が住んでいたというその家は、今では別荘のように使われているらしい。 床に荷物を置く前に、手で埃を払う。 「さすがに二年来ないと、埃は積もるな」 「掃除すればいいよ……あ、これ」 立ち上がろうと顔を上げると、本棚にずらりと並んだ小説や図鑑が目に入った。 「整理をしなければならないとは話しているがな」 真田の言う通り、別荘と言うわりには家の端々に生活の匂いが残っている。 「俺はこういう方が好みだけど」 一冊を手に取って、ぱらぱらと捲る。日焼けした歴史書。真田の歴史好きはもう片方のお祖父さん譲りだと思っていたけれど、実はここにルーツがあるのかもしれない。紙の上に、達筆な文字が書きつけられていた。誰のものかは分からないけれど、これも、さすが真田と血がつながっているだけあって、字がどことなく似ている。 「おい、始めるぞ」 俺が本を眺めているうちに、真田は掃除機を持ってきていた。 「えー、ちょっと休憩」 「駄目だ」 休むにしてもこう汚くては、と背中を叩かれた。仕方なく重い腰を上げる。 掃除機をかけて水拭きをすると、なかなかに良い時間になった。学校の当番や母さんの手伝いをすることはあっても、普段からこんなに大規模にしている訳ではないから、やけに時間がかかった。 ぴかぴかになった床に座って、足を投げ出す。もうどれぐらい動き続けているだろう。やっぱり、休んでおけばよかった。 「お腹すいたな。なんか作る?」 「ああ」 真田の頬にも空腹だと書いてある。ただし頷きはするものの、乗り気ではなさそうだ。 「真田って料理できた?」 「少しだけ」 俺も、たまにお弁当の具の一部を作るくらいだ。掃除の二の舞になる予感がした。 商店で買った野菜や調味料をかき分けて、奥にしまっておいたカップ麺を取り出す。 「我ながら名案だと思うけど、どうかな?」 ポットにはもうお湯が沸いている。そう付け加えると、真田はさっきよりも深く頷いた。 カップにお湯を注ぐ俺の一挙一動を逃すまいとでもいうかのような視線。そのままでは味気ないので卵を割り入れると、おお、と感嘆された。たったこれだけで。今日は自炊をやめて正解だった。 「食べたことなかった?」 「うむ」 真田は、いかにも見よう見まねという素振りでお湯を注いでみせた。嫌な予感が深まる。結局、卵は俺が割った。 真田はじっと時計の秒針を見つめていた。適当でいいよ、と教えたのだけれど。 蓋を剥がす。湯気と一緒に、鶏と醤油の匂いが立ちのぼってくる。割り箸を折るより先に、耐えかねた腹の虫が、大きい音で鳴いた。真田が俺を横目で見て、ふっと笑う。はずかしい。 「いただきます」 三分きっかりを測り終えた真田は、俺に倣って蓋を剥がした。おそるおそる箸先をスープにつけて、麺を一本引き出す。 「毒見じゃないんだから、普通に食べたら。ジャッカルのお父さんのラーメンほど美味しくはないけどね」 「うむ」 今度はきちんと束で取って、口へ運ぶ。眉尻がぴくりと動いた。 「これは意外と」 言い終わる前に、言葉は麺をすする音に変わった。真田も俺に負けず劣らず空腹だったんだろう、はふ、とスープの熱さを冷ましつつかき込んでいく。 「真田とふたりだけで食事なんていつぶりだろう」 「思い出せん」 ジャンクフードを一緒につつくことに至っては、初めてだ。お堅い真田は、部活の後の買い食いすら良しとしない。 「たまにこういうジャンクなものが食べたくなるよね……って分からないか」 「うむ。そもそも縁がない」 そう考えると、俺と真田はあんまり中学生らしい付き合いをしていないのかもしれない。 「テニスばかりしているからな」 真田は言ってから、しまった、という顔をした。別にかまわないのに。 真田のばつの悪さを蹴り飛ばしてやるつもりで、言った。 「じゃあ明日から一緒にしようよ、テニス以外のこと」
☂8月30日
隣でごそごそと動く音がして、目が覚めた。薄っすら瞼を開けると、カーテンの隙間からやわらかい陽の光が差し込んでいた。 運動部の体力をもってしても昨日は疲れたらしく、布団に入ってすぐに眠って、それきり目が覚めることはなかった。 「起こしたか」 真田の声がした方に視線を移せば、すでにトレーニングウェアに着替えていた。ベッドサイドの時計は八時。どのみち起きなければいけない時間だ。首を横に振る。 「走ってきたのか」 「ああ」 上体を起こして伸びをする。朝は決して得意ではないけれど、今朝はしゃっきりと目覚めることができた。 「俺も走ろうかな」 「付き合おう。道も分からんだろう」 「うそ、ダラダラしたいよ」 わざと、もう一度シーツにくるまった。 「たっ……」 たるんどる、と言いかけてやめる。下手くそめ。 「嘘だよ、ダラダラはしない。朝ごはん食べたらさ、散歩がしたいな」
朝ごはん食べたらさ、と簡単に言ってのけた��のの、まずこれが大変だった。トーストと目玉焼きとサラダというシンプルな献立に、俺も真田もやたら苦戦して、包丁の特訓をしよう、と誓い合った。片付けも、言わずもがな。 昼食は、とあまり考えたくなくなっていたことを相談したら、どうやら外にうってつけの場所があるらしい。朝食で残った食材でサンドイッチを作ったり、その他もろもろの出発の準備をして、と忙しくしていたら、目的地に着いたときには十一時を回っていた。 八月も終わりになると、空気は熱くても、川の水温は十分に冷たい。 真田は持って来た胡瓜とトマトをざるに入れて、川の水に浸した。その絵だけで、いかにも夏休みといった風情だった。さっきまでの慌ただしさが、嘘みたいに流れていく。 滑るなよ、と子どもみたいな注意を受けながら、飛び石の上に立つ。落ちていた木の棒を片手に持っていたせいで少しふらついて、岸にいた真田がすぐ隣の飛び石までやって来た。 「あのボウヤ」 「誰だ」 「越前リョーマ」 その名前を出しただけで、空気が変わる。真田はなんでもない風を装って、相槌を打った。 「軽井沢で修業してて記憶喪失になったんだって?こういうところだったのかな」 しゃがみ込んで、水の中から小石を拾いあげる。 「修行って何してたんだろうね」 テニスの要領で、木の棒を振って小石を打った。小石は二十メートルぐらい真っすぐに飛んで落ちて、勢いよく水を跳ねあげた。試合だったらサービスエースを獲れていただろう。 「ラケットを持ってきてもよかったな」 木の棒で素振りをする。ラケットよりずっと軽くて、手からすり抜けていきそうだ。 「テニスではないことをするのではなかったのか」 「そうでした」 どうしてもすぐにテニスへと道が逸れてしまう。いや、もしかしたらテニスこそが俺たちの正しい道で、それ以外のことをしようとする今が脱線しているのかもしれない。 これ以上真田を困らせるのもかわいそうな気がした。棒を水の中に放ると、真田の面持ちに安堵が滲む。 「気遣ってるだろ。俺からテニスの話を遠ざけようとか、のんびりさせてあげようとか」 首を横に振ろうとするのを、遮った。 「いいよ、もう分かってる」 「お前には敵わん」 真田は苦々しげにつぶやいて、あっさり白旗をあげた。気を遣うのも隠し事をするのも、真田は大の苦手だ。とっくに限界だったんだろう。 俺にしてみれば、俺がほぼ無意識にテニスを避けていることを敏感に感じ取った真田にこそ「敵わん」のだけれど。 今度は俺が素直になる番だ。そう思った。 「実はね、まだ負けたっていう実感がないんだ」 真田は黙って、続きを促した。 「いや、実感はあるのかな。君たちに申し訳ないって気持ちは今だってずっとあるよ。でも、何もかも腑に落ちた訳じゃない」 うろうろと言葉がさまよう。ずっと抱えていた気持ちを吐き出すうちに、心細さばかりが嵩を増していく。 みんなと一緒に泣きたかった。泣けなかった。何がみんなに、真田に、涙を流させているのか分からなかった。 だから、あの日以来テニスには触っていない。逃げているだけだと、自分でも痛いほどに分かっている。ずっとこのままではいられないことも。 どうしたらいい、と真田に縋りたいとすら思った。なけなしの自尊心が、それを咽喉で押しとどめた。 俺がすべてを吐き出し終えるまでずっと、真田は俺を見つめていた。 「冷たく聞こえたら悪いのだが」 前置きをして、咳払いをひとつ。 「俺の知ったことではない。答えを俺に求められても、それはお前が導くものだ、幸村」 視線以上に言葉は真っすぐで正しくて、鋭利だった。伸ばしかけた手を払いのけられる。俺はたったひとり、谷底へと突き落とされたにも等しかった。 「そのとおりだね」 俯いて足元を見て、そう頷くのがやっとだった。飛び石の岩肌とその間を流れるせせらぎとが見えることに、ほんの少しだけ安心する。 「いつか答えが出たら、そのときは一緒に抱えてやる。それぐらいはできるぞ」 はじかれたように顔を上げる。真田と目が合う。目線はほとんど同じ高さなのに、はるか上を見上げる心地だった。 突き落とされても、這いあがれるのなら。そう言って、そう信じて、真田は俺に手を差し出す。 青学のボウヤ、立海の仲間、真田。ほんの少しあたりを見回すだけで、こんなにもたくさんの人が、俺ならできる筈だと、盲目的と思えるほどに信じてくれている。過度な期待だと言い換えてもよかった。彼らもそれをよく分かっていて、尚言うのだった。 まったく、ひと月前まで体を動かすこともままならなかった人間に、なんて無茶をさせるんだ。――絶対に答えを出してみせる。 はは、と勝手に笑みが零れた。それは武者震いにも似ていた。 「……そういえば」 「どうした」 「ん、いや、もう冷えたかな、野菜」 「お前は……」 呆れて絶句されてしまった。だって、これ以上何も言う必要はないだろう。 もう少しだけ、上で待っててよ。真田の立つ飛び石に乗って、その肩を軽く叩いた。伝わったのやらそうでないのやら。岸へ引き返す俺に、真田は黙ってついて来た。 引き揚げた胡瓜を齧ると、まだ生ぬるかった。体感ではひどく時間が経った気がするのに、現実にはせいぜい十分ほどの出来事でしかなかったらしい。 「どれ」 真田は俺の手首を握って、ずいと顔を近づけてきた。後ずさる間もなく、胡瓜の天辺はその口の中へ。 「もうしばらく待たねばならんな」 「真田、きみ」 俺が食べた後から、そんな風にためらいもなく。と言いかけたけれど、お互い幼馴染相手にはよくやることだった。たとえばスポーツドリンクの回し飲みなんて、もう何百回もしている。 「わ、悪かった」 ところが、さっきまで平然とした顔をしていた真田までもが、急に赤面して謝ってきた。 「いや、いいけど!いきなりだから、ちょっとびっくりした……」 そう、たぶん、いつもとは違うシチュエーションに驚いてしまっただけだ。急にどきどきし始めた心臓に、真田の赤い顔に、無理やり理由をつける。 一度齧ったものを戻すのもな、とぬるい胡瓜を手に持ったまま、形のいい真田の歯形を見つめていた。
「夏休みが終わるよ」 西の空ではたった今、夕焼けの最後のひとかけらが夜に呑まれたばかり。 真田と妙にぎくしゃくしてしまった昼間の出来事を振り払うのに、半日を要した。ずいぶん時間がかかったものだ。 「まだ一日と少し残っているだろう」 バケツを床に置くと、ぱしゃんと水が撥ねた。 「そういう気分ってこと」 花火というものは、どうしたって感傷を呼ぶ。 お婆さんのお店で買った、打ち上げ花火が五つ。ふたりしかいないのにあまり多くても、とこの数になった。夏休みのフィナーレを飾るべく、それらを点々と並べていく。 俺の背後でマッチを手にした真田が、ぽつりとつぶやいた。 「どうやって点火するのだ」 すごい勢いで振り返ってしまった。これはもしや、カップ麺に引き続き。 「やったことない?」 「……その通りだ」 家族とやるときは男手として駆り出されるものだろう、と思ったけれど、そういえば真田は次男、しかもお兄さんとは歳が離れている。 「この線に火を点ければいいんだな」 「いいよ、俺がやるよ。あっちで見てて」 ここで怪我をされてはたまったものじゃない。うう、と不服そうに唸りはしても、真田は素直に従った。急に真田が弟のように思えてきた。 まずはひとつ。火を点けて、真田のいるところまで走った。ひゅう、という音で空気を裂いて光の玉が宙へ飛んで行った。 「きれいだね」 そう言って隣を見ると、なぜだか浮かない顔。 「俺もやる」 腕を組んで唇をへの字に曲げて、こうなったらもう真田は譲らないだろう。次の花火は駄々っ子につきっきりで点火を見守った。 「なんだ、簡単ではないか」 たくさんの光が空を彩っては、消える。真田が次から次へと火を点けるので、たった五つの花火はすぐにあとひとつになってしまった。 花火より、得意げな真田の横顔を見ている時間の方が長かったかもしれない。もう少し多く買えばよかった。そうすれば、かわいい真田をもっと見ていられたのに。――一体誰がかわいいって? 「……なんだかもう、決定的だ」 「幸村、最後だぞ」 ああうん、と心ここにあらずな返事をしてしまった。真田は気にすることなく、マッチを擦る。最後なだけに、あからさまに張り切っているのがかわいい。 空でうつくしく舞う光たちがついに目に入らなくなり、申し訳ない気分だった。
布団に入ってしばらくして、なあ、と真田が声をかけてきた。いつもは直滑降で眠りに落ちるのに、どうやら寝つけないらしい。しかも、珍しく弱気な声音だった。 「退屈しなかったか」 「なんのこと」 真田の言っている意味が分からなかった。 「旅行と言って連れ出したのに、何もないところで驚いただろう」 最初にそう言っていたじゃないか。ますます分からない。首を傾げてしまった。 「それに、俺はお前に頼ってばかりで……のわっ」 真田のすぐ横に転がって、うつぶせに倒れた。そのまま布団の端を持ち上げて、侵入する。 「おい、入ってくるんじゃない!」 「昔はよくこうやって寝てたじゃないか」 「何年前の話をしているんだ」 しばらく真田と攻防を続け、最後には無理やりに体すべてを布団の中におさめる。こういうときに真田が俺に勝てないのは分かっていた。本人が気づいているのかは知らないけれど、そういうルールと言ってもいい。真田は俺に甘い。 案の定、はああ、と長いため息をついて、諦めたようだった。 「楽しい」 退屈だなんて、とんでもない。そんなつまらない心配を口にするな。 「次に同じこと言ったら、怒るよ」 まったくの本心だった。 真田のため息が、安堵から来るものに変わる。 「真田のこと、ずいぶんたくさん分かったし。十年も一緒にいて、今さらだけど」 たとえば、ほら、こういうこととか。 真田の髪に指をくぐらせた。触れた瞬間だけ真田は体を強ばらせたけれど、嫌がられはしなかった。 見た目どおり硬い感触だった。針金みたいで、少しちくちくとする。真田らしいな、と思って、口元がゆるんだ。 つい五秒前には知らなかったこと。記憶がひとつ、積み上げられていく。 「俺も、ほとんどお前を知らなかったのだな」 真田の指先が俺の髪に触れる。まさかやり返されるとは予想していなくて、今度は俺が緊張する番だった。できるだけ悟られないように、体の力を抜く。 ごつごつと硬い手のひらもぎこちないやり方も、決して心地いいものではないのに、まったく嫌だと思わなかった。 どちらかといえば、商店で適当に買ったシャンプーを使っているせいで、髪の毛がごわごわしているのが気になる。女の子じゃあるまいし、と思うけれど、触れられるのは初めてだから。真田の中に、俺の髪がこういうものなんだという印象がついてしまったら、なんだか嫌だ。 昼間にどきどきしたみたいに、段々と鼓動が速くなる。決定的だ、とふたたび胸中でつぶやいた。昼のあれは決して驚いた訳じゃないことに、もうとっくに気づいている。 いつからだったのかな。ここへ来たときには確かにもう、心の中にあった。決勝の直後に抱き締めてくれたとき、病室に足しげく通って不器用に励ましてくれたとき、同じ学校へ行こうと誓い合ったとき。同じ���団で眠るのが当たり前だった頃から、もしかしたら、ずっと。 真田の中にもそれはあるだろうか。俺はうぬぼれてもいいのだろうか。教えてほしい。 「もっと知りたいよ、真田のこと」 ひとつひとつ、丁寧に知りたい。 瞼を閉じて、そっとつぶやいた。 真田が聞いていたのか、それとももう眠ってしまったのかは、分からない。いつの間にか、髪を撫でる手は動きを止めている。さっきまでより温かくなった体温に、ただ安らいだ。 「俺もだ」 まどろみの中で、ひどくやさしい真田の声を聞いた気がした。
☂8月31日
翌朝も、真田は俺より先に起きていた。 「起こしたか」 首を横に振って、既視感のあるやり取りをした。真田の様子はまるで昨日と変わらなくて、夜の出来事が夢だったように思える。 「もう帰る日か、早いね」 寝ているベッドが初日とは違うものだということが、かろうじて証拠になるだろうか。ぼんやりしたまま掛布団の端をめくると、ふわりと真田の匂いがした。ひと息に記憶がよみがえり、襲ってくる。振り払おうとして、布団をすべて跳ねのけた。 「そのことだが」 真田は俺の挙動不審を気にしなかった。命拾いした。 「帰りにひとつだけ寄りたいところがある」 「いいよ。どこ?」 「挨拶をしておきたい人がいてな」
荷物をまとめておいたお陰で、出発にそう時間はかからなかった。けもの道を、来たときとは違うルートで下って行く。着いたのは墓地だった。 かつてあの家に住んでいた人たち、真田の曾お祖父さんや曾お祖母さん、もっと昔のご先祖様たちが眠っているらしい。 「なるほど、挨拶をしておきたい人ね」 「すまん、俺のわがままに付き合わせて」 お墓はきれいに手入れされていて、ほとんど掃除は必要なく、花立ての中身を新しい花と水に取り替えるだけで��かった 「曾お祖父さんたちに会ったことはある?」 「生まれたばかりの頃にな。だから、あまり記憶はないのだが」。 真田は線香の火を手であおいで消し、皿の上に寝かせた。 「今日は幸村を連れてきました」 言いながら墓石に水をかけて、その前にしゃがんだ。 「俺の……親友の」 親友、という言葉を使うのに、どこかためらいがあった。真田は、変わりつつある俺との関係をうまく言い表せないみたいだった。 「真田くんにはいつもお世話になってます」 俺も一緒で、あいまいに誤魔化した。 真田は手を合わせて、目を伏せた。俺もその横にしゃがんで、真田に倣った。 ちらりと横目で窺うと、真田は難しい顔をしていた。ご先祖様にたくさん報告したいことがあるみたいだった。 俺は何をどう言えばいいんだろう。弦一郎くんと俺の行く末を、どうか温かく見守ってくだされば嬉しいです?大事な子孫はお前にやれん、って祟られたらどうしよう。いや祟るなんて、ご先祖様に失礼だな。 悩んでいるうちに突然、携帯電話が鳴った。母さんからの着信だった。知らない間に電波が復活していたようだ。 真田が片目だけ開けて、俺を見る。 「……ごめん、こんなところで」 「いいから、出ろ」 促されて、通話ボタンを押す。ハイのハの字も言わないうちに、精市あなたどこにいるのいつ帰るの真田くんは一緒なの、と矢継ぎ早に質問をぶつけられた。 母さんはおかんむりだった。連絡がつかなくなったことというより、そのせいで検査の結果を伝えられなかったことに。そういえば、異常がなければ電話で、と先生と話した覚えがある。 珍しく音量が大きくなった母さんの声は外に洩れまくっているらしく、知らないうちにご先祖様への話を終えていた真田に苦笑いされる。 どうにか母さんをなだめて、電話を切った。 「解決したのか」 「うん、帰ったらあらためて雷が落ちるだろうね」 「ならば、早く帰らんとな」 「……帰りたくない」 また来ます、と律儀に挨拶をして、真田は桶と柄杓を手に立ち上がった。俺がわざとのろのろしているうちに、踵を返して行ってしまう。強引だ。 「この前の検査、ちゃんと結果が出たそうだよ」 真田が借りたものを元の場所に戻すのを待って、言った。歩みを進めながら。 「どうだった」 「寛解って言うんだって」 字面がうまく浮かばなかったのか、カンカイ、とおうむ返しされる。 「ほとんど完全に治ったっていう意味」 真田は吐息を零した。すぐに言葉が浮かばないようで、咽喉を詰まらせる。結果は分かりきっていたけれど、やはり心配させていたようだ。 「……よかったな」 「うん、よかったよ」 でも。 真田に比べると俺の声は冷ややかで、自分でも驚いた。安堵はあっても、いざ結果が出ると手ばなしでは喜べなかった。 検査の数値は、決勝戦から二日後の俺の体を表している。たった二日間であの病気がどうにかなるとは思えない。 つまり、決勝戦のあの日、俺は病に倒れる前と同じコンディションで、テニスコートに立った。 「いつもどおりに戦って、俺は負けたんだね」 真田の瞳が揺れる。痛みに耐えるように、切れ長の目が鋭くなって、眉間には皺が寄った。 「そうだ」 それでも、真田は確かな声で肯定した。 決勝の日の情景が、鮮烈に蘇った。誰も俺を見ようとはしない中、真っ先に俺を見つめ頷いた真田と、今目の前にいる真田とが、重なる。 ――負けた。その三文字が、急に胸の中いっぱいに広がった。 その場に縛りつけられたかのように足が動かなくなる。追いかけなければ、と思うのに、俺と真田の歩幅は開いていく。 「……幸村?」 怪訝そうに、真田が振り向いた。 「ごめん、なんか、いきなり」 奥歯がかちりと鳴る。震えだす肩を、自分で抱いた。 いつか答えが出たら、そのときは一緒に抱えてやる。昨日真田が言った「そのとき」は想像していたよりずっと早く訪れて、答えはいたって単純だった。 「……悔しいなあ」 悔しい。ただそれだけ。 言葉にした瞬間、こめかみがぎゅっと熱く、痛くなる。 勝ちたかった。欲しかった、みんなに、真田にあげたかった。誰もが俺たちの勝利を祝福する拍手喝采。トロフィーの金色の美しさ。風を受けて翻る優勝旗の重み。そこに刻まれた「優勝」のふた文字が、どんなに誇らしいか。 すでに知っているからこそ、それらすべてを俺の手で葬ってしまったことが、悔しくて仕方がない。そのためだけに生きて、テニスをしてきたと言っても過言ではなかった。いっそ死んでしまいたいぐらいだ。 は、と息が洩れたのが引き金だった。まなじりを涙が伝う。それが地面に落ちるより先に、新しい滴が流れる。すぐに頬も顎もしとどに濡れた。 とうとう歯の根��合わなくなった。浅い呼吸が勝手に繰り返されて、息の仕方が分からなくなる。苦しくて唇を結ぶこともできなくて、嗚咽が勝手に溢れ出す。こんな子どもみたいな泣き声が到底自分のものだと思えなくて、驚いた。子どもの頃だってこんな風に泣いたことはなかったかもしれない。 真田どころか誰の目にふれるか分からない場所で醜態を晒す恥ずかしさで、頬が灼けた。それでも、悔しさの方がずっと大きくて、抑えきれなかった。 「幸村」 真田はほんの少し猫背になって、俺の両肩を手のひらで包んだ。指が筋肉に食い込んで、少しだけ痛い。 ぼやけた視界の中で、真田の真っ黒な瞳だけがはっきりと映った。ふたつの黒は俺をとらえて離さない。あまり泣き顔を見せたくないのに。 両手で顔を隠そうとしたとき、真田の顔が近づいてくるのが分かった。 「なっ、なに……」 近すぎる、と思ったときにはもう、距離はゼロになっていた。震えてろくに言葉も作れない俺の唇に、真田の唇が被さる。 涙が、もしかしたら鼻水まで口に入ってしまうかもしれないだとか、真田の唇も俺と同じくらい震えていて、とてつもなく緊張しているんだな、とか。とりとめもないことが次々に頭をよぎっては消える。 生まれて初めてのキスを奪われたのに、怒りも嫌悪もそこにはなかった。 ひたすらに、安堵していた。 俺はずっとひとりで戦っていたんじゃない。みんなが言葉で態度で示してくれていたことが、今やっと腑に落ちる。 ふっと息を逃がして、真田は退いた。唇が重なっていた時間は、きっと三秒にも満たなかった。 「すまん、こうしたら治まるかと思った」 言い訳ではなくて、本気でそう思っただろうことが伝わってくる声音だった。真田は時々とんでもないことをする。 しかも治まるどころか、逆効果だ。悔しさに安心が加わったせいで、体中の水分が出てしまうんじゃないかと心配になるぐらい、涙の量が増えた。 「……さなだあ」 真田、さなだ、とばかみたいに名前を呼んだ。真田は、ああ、とそのひとつひとつに律儀に応えてくれた。俺が一緒にいる。そう言外に含ませて。 しかしそれだけではどうにも心細くて、今度は俺から顔を近づけた。真田の唇を啄む。うまくいかない俺の呼吸が正しい真田のそれに同期されるぐらい、深く。 肩にあった真田の手が、遠慮がちに背中に回る。俺も腕を伸ばすと、抱き締められた。 乾いてささくれた唇が、その奥の正反対にやわらかい粘膜が、俺よりも高い体温が、背中に食い込む腕の力が、真田が俺の側にいて、俺を決してひとりにしないことを教えてくれる。 耳鳴りの向こう側で、蝉の鳴き声が聞こえた。もうすぐやって来る命が燃え尽きる瞬間に憔悴したかのように、けたたましく鳴き続ける。 「……っ、は」 お互いに息継ぎの仕方を知らないせいで、そう長い間唇を塞いではいられなかった。離れがたい、とためらいながら、距離を置く。 口づけの間も流れ続けた俺の涙は、真田の頬までも濡らしていた。点々と残る滴が、まるで俺と一緒に泣いたみたいだった。 真田は俺のよるべだ。今までも、これからも。 思わず、真田に触れる指をぎゅっと丸める。確かな感触と温度がそこにある。 「痛いぞ、幸村」 真田がほほ笑むのが分かった。仕返しのつもりなのか、さっきよりも強い力で抱かれた。 どちらからともなくまた唇を合わせると、一瞬だけ蝉の声が止んだ。 夏が終わる。長い、本当に長い夏、だった。
☀9月1日
「どうしたんスか」 ステージの下にやって来た幸村部長を見て、訊かずにはいられなかった。 瞼をぱんぱんに腫らし、女子たちが騒ぐ整った顔立ちも形無しだった。マジひっでえ顔。 たぶん、昨日泣いたんだというのは察しがつく。俺もつい一週間ぐらい前の決勝の次の日、同じような顔になったから。 「やっぱり分かるかい?」 「分かりすぎてやばいっスけど……どうしたんスか」 分かっていながらも、衝撃的すぎて二回も同じことを訊いてしまった。そもそもどんな理由でこんなになるまで泣いたのかっていう好奇心もあって。 「……秘密」 ふふ、と笑う部長。いつもみたいに様にならないと思ったら、照れているみたいで、頬がほのかに赤くなっている。あ、悪い理由じゃないんだ。少し安心した。 「大会終わってから、なんかしました?」 「すごい田舎に行って、夏休みらしく過ごしたよ」 「へえ、いいっスね。俺宿題やばくて休みどころじゃなかったっス」 「それは終わったのだろうな」 いきなり真田副部長が割って入ってきて、びくっとしてしまった。 「蓮二に相当頼ったと聞いたが」 「あー、そりゃもうお陰様で!すげえ助かりました……へへ……」 ぎろりと睨みつけられるのを、笑って受け流した。頼りはしたけど答えは絶対に教えてもらえなくて、泣きながら、これはたとえじゃなくて五回ぐらいマジ泣きしたけど、まあそんなかんじでどうにか片付けた。 というエピソードを話してもよかったけどやぶへびになりそうで、会話を打ち切る。表彰、とっとと呼ばれねーかな。 文武両道を良しとする学校なだけあって、夏休み明けは表彰の数がとんでもないことになる。女テニが賞状渡されてるから、次ぐらいだろうか。 女テニの成績は、全国には進出したものの、決して華々しくはなかった。それでもレギュラーの面々は目に涙を浮かべていた。嬉しいのか悔しいのか、たぶん両方だ。 俺はどういう顔をしてあそこに立てばいいんだろう。 「男子硬式テニス部」 答えを出す暇もなく呼ばれた。部長を先頭にしてシングルス組、その後ダブルス組、という隊列で壇上に進んだ。 「団体戦、準優勝」 そう告げられるなり、空気が急にざわめき立つ。優勝できなかったことを今知った奴らだ。それどころか、結果をとうに知っていた校長も、俺たちに残念そうな顔を向けてきやがった。どいつもこいつもうるせえんだよ。なんにも分かんねえくせに。 「言わせておけばいい」 俺がイラついてるのをいち早く察しただろう柳先輩に、小声で諭された。 「……あざっす」 先輩の言うとおり、誰がなんと言おうと、俺たちが精一杯やった結果には変わりなかった。誇らしい結果。せめて、と思って、胸を張ろうとして、失敗した。 幸村部長が、ひとりいちばん前へと躍り出たからだ。迷いのない足取りだった。 かたわらの真田副部長は、微動だにしなかった。てっきり今回も副部長が受け取るものだと思っていたから、マジでびびった。誰も口にしなかったけれど、俺たちの間には、優勝旗以外は部長に触らせたくないという気持ちが確かにあった。 「準優勝、おめでとう」 二本の腕をぴんと伸ばして、幸村部長は校長から盾を受け取った。盾に大きく書かれた準優勝の文字をじっと見て、それから、この世界でいちばん大切なものみたいに、銀色の盾を抱えた。 部長はゆっくりと振り返る。壇上から、真っすぐに全校生徒を見据えた。 「ありがとうございました」 校庭中に響く声だった。ひどく震えた声、だった。 瞳に張った涙の膜を揺らして、唇をぎゅっと引き結んで、緊張した肩を震わせて。こんなに悔しそうな幸村部長を、俺は見たことがなかった。涙を零さないのは、きっと部のトップとしての最後の意地だった。 真田副部長は眩しそうに目を眇め、部長を見つめていた。見守っていた。 たちまちに目の奥が熱くなる。 みんなが見てる中で泣きたくなかったのに、結局俺は、柳先輩にあやすみたいに背中をさすられるぐらいぼろぼろになった。勘弁してくれ、クラスの奴らになんて言われるか、ああクソ治まる訳がねえよ、だって、幸村部長が俺たちと一緒に泣けてよかった。 もうどこにも、幸村部長がひとりで戦う必要なんてなくて、よかった。
(2014/11/30)
0 notes