#木下雄介
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mRNAコロナワクチン副反応で死亡・重傷
BUCK-TICK櫻井敦司氏が脳幹出血で急死。心筋炎や動脈硬化などなど、コレ系で急死するmRNAコロナワクチン副反応が本当に増えました
フジテレビの渡邊渚氏も指が動かなくなってきたと報告しており、神経も当然やられますし、ただの老化である癌も、病院で検査・検診を受ける機会が増えるほどがん患者にされるリスクが高まります
中日ドラゴンズの木下雄介投手がワクチン副反応死した時に厚生労働省は隠蔽しましたが、現在に至るまでに世界中で大勢の接種者が死んでますネ(いいかげん、認めましょう笑)
これらの有害事象は西洋医学のレベルでは評価不能なので因果関係不明ですが、見れば分かるレベルで本当に増えましたので、分からないほどレベルの低い学問であればレベルアップしてから発言すべきでしょう
中には未接種者でも急死する人間はいるのですが、添加物や人工甘味料、病気家畜の死骸=野蛮な肉食、白砂糖に乳製品、ラーメン等のトランス脂肪酸などなど、身体を糖化・酸化させている自称健常者には変わりないので、ct値40PCR偽陽性を非医学的に見なし感染の新型コロナウイルス風邪=ただの風邪=弱毒性の感染症でもインフルエンザでも重症化リスクがあるのは、至極当然の見解なので納得できます
私の世界観ではありませんが
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善人か…?悪人か…? 孫文が慕い、天皇陛下が認めた… “日本のヒトラー”と呼ばれた一般人とは? 時は1881年、福岡にて… 26歳の青年がある“秘密結社”を立ち上げた… とりたてて騒がれることもなく静かに産声を上げたのだが、この時誰ひとりとして想像するものはいなかっただろう… この青年が、天皇陛下もが認める「国民的英雄」へと上り詰めることも… 彼の立ち上げた秘密結社が、のちに日本近代史における重要な局面を次々と左右していくことになるということも… そして、遡ってみればアメリカで活躍する大谷翔平選手にまで影響を与えているようなのである… ではいったい、そんな青年とは誰だったのか?この秘密結社とはなんだったのか? その謎を紐解いていくことにしよう… 福岡で産声をあげた秘密結社 〜戦後GHQが世界から消し去ったワケ〜 この秘密結社を作った青年だが… 政治家だったわけでも、思想家だったわけでも、はたまた軍人だったわけでもなかった… どこにでもいるような一介の一般人にすぎなかったのである。 しかし、気づいたときには雑誌の「現代の豪傑」という人気投票で、当時の大政治家や大将軍を差し置いてダントツで1位に選ばれるなど、戦前の日本では“知らない者はいないほどの国民的人気”を集めていた… さらに、当時、一般人は不可能だった天皇陛下と直接謁見した世界で2人しかいないうちの1人となり… その生涯でどんな役職にもつくことのなかった“一般人”にもかかからず天皇陛下から祭祀料が下賜されるという異例中の異例の対応がなされ… 大東亜戦争の終戦前年、頭山がこの世を去ったときには、当時、交戦中であ���たにもかかわらず“中国”の各所でも慰霊祭が営まれた… このように、秘密結社を立ち上げて以降50年以上もの間絶えず高い評判と人望を集め、晩年には半ば神格化されたこの伝説の男こそが…. 頭山満(とうやま みつる)である。 頭山は「玄洋社」という秘密結社を福岡で立ち上げると、 幕末期に西欧列強との間で結ばれた不平等条約の改正運動を行い 一躍、日の目を浴びることになる。 加えて、 ・アジア諸国が西洋列強による侵略や植民地支配から解放されるべき ・アジア人が手を組むことによって独立と繁栄を実現するべき といった“大アジア主義”を掲げて独立を支援。 インドやベトナム、ビルマ、バングラデシュ、インドネシア、マレーシア、朝鮮、フィリピンといった東南アジア諸国だけではなく、遠くアフガニスタン、エチオピアといった国々の独立に頭山と玄洋社の面々が大きく関わったのであった… さらにその影響力は現代にまで及んでおり、、、 大リーグで活躍する大谷翔平選手が渡米前に読んでいた書籍『運命を拓く』を書いたのも頭山の弟子として玄洋社で活躍していた人間であった。 ここまで頭山満と、彼のつくった「玄洋社」の活躍ぶりについてご紹介してきましたが、、、 いかがだったでしょうか? 国民的英雄として扱われ、日本のみならずアジアの発展を願い、私財を投げ打ってまでその生涯を捧げてきた頭山でしたが… 実は戦後、その評価は180度変わってしまいました。 ・玄洋社は日本で初めて誕生した“危険思想団体”だった ・そんな組織を率いた総帥の頭山は侵略戦争を推進していた といったような具合に、“右翼の巨頭”であり、大陸侵略を推進した“日本版ヒトラー”として扱われているのです。 いったいなぜなのでしょうか? それは、GHQが歴史を捻じ曲げ、真実が抹殺されてしまったからなのです。 GHQや連合国にとって、大東亜戦争は“日本による侵略戦争”であり、玄洋社はそんな侵略戦争を後押した秘密結社でなければなりませんでした。 だからこそGHQは、戦後の世界秩序を形成するうえで障害となりそうな玄洋社に「超国家主義団体」というレッテルを貼り、強制的に解散させました… 頭山や玄洋社が“大アジア主義”を掲げて、植民地アジアの解放や独立を助けてきたという事実はGHQにとって隠されるべき「不都合な真実」だったのです。 さらに、終戦の前年に死去していた頭山満は、そのまま歴史の闇へと葬り去られ… 玄洋社を支えてきた広田弘毅は文官としては唯一のA級戦犯として死刑に処されてしまったのです… その結果、、、 ���らが日中和平に精魂を傾け、インドやアジアの独立に寄与してきたという事実は歴史から抹殺され…ただGHQの都合の良いように作られた“ウソの歴史”だけが残ってしまったというのです… そして残念なことに、終戦から80年近くが経過した今でも、日本では“ウソの歴史”が教えられています。 だからこそ私たちは、「頭山満」や「玄洋社」について教科書で学ぶことはありませんし… もちろん、メディアが取り上げることもありません… (先日バラエティ番組で頭山満の写った写真が紹介されていましたが、そこに「頭山満」の名前はなく、戦前の大物国家主義運動家と書かれていただけです…) このように戦前は英雄として扱われていたにもかかわらず、戦後「戦争犯罪人」のように仕立て上げられ、この世から消されてしまったのです… と、ここまで頭山満の話をしてきましたが、実は“消された英雄”となってしまったのは彼だけではありません。 吉田松陰や乃木希典、契沖といった日本の歴史を語るうえで欠かせない面々も、戦後GHQの政策によって消されてしまいました。 https://in.kamijimayoshiro.jp/mmkami_opt_1300_2309 どの人物も消された理由はただ1つ。 頭山と同じように「GHQや戦勝国にとって知られると困る不都合な真実」だったからです。
https://in.kamijimayoshiro.jp/mmkami_opt_1300_2309
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The Conquest of Iga, as recorded in Seishū Gunki
同年の冬、伊賀住人福地某が信長の味方になり伊賀追討の兵を要請した。故に信長は信雄に伊賀を与え、各家臣に諸方から攻め込ませた。伊勢、名張口は北畠中将信雄である。同じく馬野口は滝川左近将監一益である。長野口は長野上野介信包である。鹿伏兎口は神戸三七信孝である。甲賀山の口は多羅尾久右衛門尉が先陣を受けた。下口は蒲生忠三郎氏郷である。大和笠置口は筒井順慶である。 伊賀の侍は防ぐ場所を失い其々城にこもった。信雄は丸山城を落とした。一益は富益城を落とし、富益氏は討ち死にして滅亡した。また、具野尾城は落ちず、信孝は柘植城を攻め落とした。氏郷は土山城を攻め数刻鉄砲合戦があった。伊賀は大軍を受けてかなわず有るものは討たれ、あるものは降伏しみな信雄の支配下に入った。故に信雄は丸山城を瀧川三郎兵衛尉に与え、柘植城を池尻平左衛門尉に与えた。また、仁木友梅(前守護・義視)を取り立て平楽寺城に入れた。
In the winter of the same year (1581), a certain Iga resident called Fukuchi became Nobunaga's ally, and requested for an army to launch a punitive expedition against Iga. Nobunaga granted Iga to Nobukatsu, and sent vassals to invade from all directions. From Ise, Nabari entrance, was the troops led by Lieutenant General Kitabatake Nobukatsu. At the same time, from Umano entrance, was the troops under Takigawa Sakon no Sh��gen Kazumasu. From Nagano entrance, came Nagano Kōzuke no Suke Nobukane (Oda Nobukane). From the Kabuto entrance, Kanbe Sanshichi Nobutaka. The army coming from the entrance of Kōkayama was led by Lieutenant Tarao Kyūemon, while from the exit came Gamō Chūzaburō Ujisato. From the Yamato Kasagi entrance came the troops under Tsutsui Junkei. The samurai of Iga lost their defences, and holed themselves in their respective castles. Nobukatsu felled Maruyama Castle. Kazumasu felled Tomimasu Castle, and the entire Tomimasu clan were destroyed and killed. Gunō Castle did not fall, but Nobutaka attacked and conquered Tsuge Castle. Ujisato attaked Tsuchiyama Castle, and a gunfight lasted for a few hours there. Iga was no match for such a massive force, and some were defeated, while others surrendered themselves under Nobukatsu. After which, Nobukatsu granted Maruyama Castle to Lieutenant Takigawa Saburōbē and Tsuge Castle to Lieutenant Ikejiri Heizaemon. Also, he brought back Nikki Yūbai (the former shugo Nikki Yoshimi) and installed him in Heirakuji Castle.
(Seishū Gunki vol. 8)
In light of the recently released Assassin's Creed trailer, this really needed to be said:
Nobunaga does not invade Iga because he hated "ninjas"/shinobi. Nobunaga never participated in the Iga invasion and never directly led it.
Both are erroneous narratives that are constantly propagated both by Japanese and non-Japanese media, and this is just frustrating at this point. Some newer takes tried to "clean it up" by saying that Nobunaga invaded Iga as part of his nationwide conquest. That's a somewhat less wrong take on it, but if you put Nobunaga in direct command of the army, then it's still incorrect.
Both times the Oda forces attacked Iga, it was under the command of Nobunaga's son, Nobukatsu. After this final conquest, where Iga was thoroughly defeated in 1581, Nobunaga only came later to inspect the region. Everything had already been cleaned up, and the Shinchōkōki even recorded that there were lavish accommodations prepared for Nobunaga to stay in for the occasion.
Now going back to the narrative.
Seishū Gunki is somewhat less reliable than Shinchōkōki in various areas, but it's still a valuable material regardless. The are differences between this account and Shinchōkōki, though. For example, here Nobutaka was also listed as a participant. In the Shinchōkōki, Nobutaka was not listed as an officer that took part in the charge.
Another difference is that while Shinchōkōki corroborated Fukuchi surrendering himself to Nobunaga, it also mentioned that he was actually from Tsuge. Meaning that there was no need to attack and conquer Tsuge. Shinchōkōki also said that one of the Oda vassals went to Tsuge to protect it, and his name was listed as "Fuwa". In the above gunki narrative, this was the castle/region that Nobutaka attacked. It's likely that this part is in error in the gunki, and Nobutaka was not actually present here.
That aside, there has been various theories about why Nobukatsu attacked Iga, and there's an odd story of an Iga resident(s) who requested that the Oda invade his own homeland that was not explained in prior articles that I've seen. This request from the Iga folk themselves was what encouraged Nobunaga to grant permission for an official invasion of Iga, something that highly disapproved of 2 years prior.
This full text in the gunki provides an insight for the possible reason: It's possibly to restore the rightful shugo of Iga to power.
In the last part of the above text, a man named "Nikki Yoshimi" was referenced. The Nikki family was originally the official shugo (governors) of Iga. In a previous chapter of the gunki, it was mentioned that at some point they lost power, and the so-called council leadership of Iga became established.
If you've read the various floating narratives about how Iga is an "independent" society that is free from samurai rulership, this is how that supposedly came to be. The Nikki family were still there. They just got overrun by the people. If the above text is to be believed, the people who rebelled weren't peasants either. They were still considered of "samurai" class (they even own castles), just that they're perhaps of lower status (some texts would call them jizamurai).
If this narrative is actually accurate, then perhaps the men who came to the Oda for help were associates of the Nikki family. What they wanted was perhaps to the get rid of the "insurgents" who had rebelled and snatched power from the "rightful rulers".
So much for the mysticism of the secret "ninja" village and all, huh? It's just more of the typical power struggle between clans that are constantly happening in this time.
Incidentally, this situation is not entirely unique to Iga. A similar situation had occurred in Kaga almost a century prior, where the Ikkō from the Honganji affiliated temples there overthrew the shugo and ruled the land for a very very long time. Like in Iga, the shugo family were actually still there. They just effectively no longer had any power. The Ikkō rule remained until the Oda forces came and got rid of them as well.
#oda nobunaga#oda nobukatsu#japanese history#sengoku period#sengoku#sengoku era#nobunaga oda#ninja#iga ninja#iga province#shinobi#sengoku fake news
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「抜歯の手術で命を落とすとは想像もして��なかった」。堺市堺区の「堺市重度障害者歯科診療所」で昨年7月、全身麻酔で親知らずを抜く治療中に低酸素状態に陥り、約1カ後に死亡した富川勇大さん=当時(17)=の父、勇雄さん(48)は、産経新聞の取材に悔しさと悲しみを口にした。一方で書類送検には「私の思いと同じ内容でありがたく思う」とし、今後の刑事手続きについて「検察の判断を見守りたい」と語った。 令��4年末、かかりつけの地元の歯科医院で勇大さんの親知らずが見つかった。機械の音を嫌がる勇大さんは一般診療所での治療が難しく、昨年3月に堺市重度障害者歯科診療所で全身麻酔をかけて右側の親知らずの抜歯に成功。同7月13日、左側の親知らずの抜歯手術も全身麻酔で行った。 異変は手術の開始直後に起きた。正常なら96%以上とされる血中酸素飽和度が急激に低下し始めたのだ。診療所側は気管支けいれんと判断し、手術を継続。だが、実際はチューブの先端が外れていたために酸素が肺に十分に送られていないという状況で、医師らが気付くことはなかった。 「(血中酸素飽和度が)20%ぐらいの心肺停止の手前で、初めて救急車を呼んでいる。なぜもっと早く気付かなかったのか。結果的に1時間近く低酸素の状態が続いている。命より治療を優先したのかと思う」 事故後の対応にも不信感を抱いた。事故後の同7月15日、診療所側からA4用紙1枚の報告書を手渡され、謝罪を受けた。しかし、手術の詳細な時系列やミスの原因は説明されなかった。 勇雄さんは、突然いなくなってしまった勇大さんの面影を感じない日はない。「車に乗っても、助手席に勇大が乗ることはないのかと思い出してしまう。こんなにつらいことなのか」 勇大さんはプロ野球阪神タイガースのファン。リビングの祭壇には、勇大さんが亡くなった後に成し遂げた優勝、日本一の快挙を報告する記念グッズを供える。身長は180センチと高く、体を動かすのが大好きだった。「警察官になりたいと言っていた。それは難しくても、体を動かせるような職につければと思っていた」と勇雄さんは振り返る。 なぜすぐにチューブを確認しなかったのか、なぜすぐ救急車を呼ばなかったのか。「聞けば聞くほど、ありえへん事故」との思いが今でも募る。「診療所は地域の障害者にとって必要な医療機関。だからこそ、真摯(しんし)に再発防止に取り組んでほしい」と強調する。 「ミスで勇大を亡くして、地獄にいるようにつらい。こんな思いをもう誰もしてほしくない」(木津悠介)
「抜歯で命を落とすなんて…」息子を亡くした父親、悲しみと憤りを吐露 - 産経ニュース
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百老匯的貓
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此刻,我坐在空蕩蕩的台北家中,距離出發只剩下倒數二十八天。
車子收走最後一箱回收,三十坪的的老房,頓時像剪掉多年長髮的少婦,輪廓活靈活現,展露最原始的模樣。回憶如老照片被翻出,熱戀的歡愉,熟稔的默契,爭執的苦語,新生的喜悅,呱呱墜地的女兒溫溫,際遇如候鳥過境,隨著即將而來的遷徙,沾了邊又得離去。
「喵喵,你也要離開我了嗎?」肥肥的肚腩,在我大腿間形成一顆抱枕,接著掙脫,跳了下去。
大概是低估了紐約租房市場的險惡,以及租客間的競爭火熱。這幾個月,每天早上醒來,我就像緊咬股市開盤的投機客,杵在電腦前,看好目標,下好離手。剪下貼上剪下貼上,有時一口氣連發十幾封郵件和私訊,不小心把開頭的房東人名給貼錯,也是常有的事。
例行公事,我打開收件夾,畫面好似當機:
Inquiry about rental in New York
Inquiry about rental in New York
Inquiry about rental in New York
每封信標題內容都大同小異,不外乎身家背景介紹,幾歲哪裡人什麼職業,不煙不酒品行良好,搞得跟相親一樣,最後的最後才會提到我有一個可愛又文靜的一歲半女兒,會跟著我們一起前行。心想說篇幅這麼少,房東應該不會介意吧。事實證明是我想太多。
一個人找房,深諳室友之道,想離曼哈頓近一點不是難事;兩個人找房,下點功夫還是能找到合租公寓,當起二房東的大有人在;三個人找房,已讀不��是常態,歉聲連連說房子太小不適合,建議我們自己租個1B1B好區套房,人生就此飛黃騰達。偏偏,我沒那個錢,也不求飛黃到哪,只想尋個短暫停留的家,得在兩個人找房的預算間,找出三個人的各種可能。
一天一天過去,那些可能,隨著我的Inquiry們,一同消失在茫茫網海裡。
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『沒有室友就是爽!三四月曼哈頓套房短租。』
我被這則發文的豪邁給吸引住。 「······我們找房好一段時間了······衷心希望有機會入住您的套房。」
雖然依舊是剪下貼上,但文字背後的焦慮無助,或多或少成功傳遞到銀幕外的另一個空間去了。同一時間,我正糾結於三四個物件當中,短租的日期該如何兜湊,才能無縫接軌這半年;森林小丘上課要通勤一個小時,曼哈頓一樓要擔心老鼠和醉漢入侵,威廉斯堡房租要六個月全付會不會是詐騙,我像童話故事裡撿石頭不能往回走的女孩,再挑下去可是一顆石頭都沒有了。距離出發還有兩個多禮拜。 「小孩我是沒問題,只是我家在四樓沒有電梯,你們會不會不方便?」 莎拉簡短的答應,讓我想起她發文時的爽朗用字。「住很重要!我會幫你們打點好,請好好享受我的公寓。」這麼一句話,彷彿給我吞了顆定心丸,安撫行前騷動的思緒。搭機前一晚,包袱所剩不多,不安盡拋腦後,心情輕鬆的不可思議。我看著逐漸縮小的地表樓房,龐雜的台北城,我的故鄉,想著哪天我會不會愛上這輕飄飄的感覺。 於是,我們擁有了第一個結尾是New York的地址,位於曼哈頓百老匯區。
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「早知道不要租四樓了!」西恩氣喘吁吁,將最後一個三十公斤重的行李箱拖上樓,一進房門就癱坐在地。「下次搬家可不可以找一樓的。」「我盡量囉。」想到三個禮拜後又要再將所有家當搬下樓,我不禁打了個冷顫。一回生二回熟,我一邊安慰西恩,順手從行李箱拿出一小包烏龍茶,轉頭尋找廚房裡的熱水壺。
十二點十分,東部標準時間。與台北相隔十二個小時的曼哈頓午夜。從甘迺迪機場搭上華人計程車,行駛在平板無憂的快速道路上,兩旁盡是皇后區黝黑大遠景,此時還感覺不到紐約的形貌。空氣粒子旋轉收縮,直到出了中城隧道,我們隨著車流,一舉穿進曼哈頓的心臟。高樓百窗,霓虹街燈鼓譟,打亮了巨大看板上的秀顏,女明星眼眸深邃��企圖引人犯罪。三十七街經過第五大道,塞車的步調,讓我用慢動作欣賞了帝國大廈,那棟建築是你一看到就會認得,不需贅述的經典,這不是夢,卻像夢遊迷幻沈醉,我正在電影場景裡。 夜深,暖氣徐徐放送,驅散我體內的累積疲倦,遠方傳來救護車的高頻呼喊與零星槍響。我閉上雙眼,腦海不由地響起《計程車司機》中憂鬱的薩克斯風,寂寞都顯得立體。喝完母奶的溫溫被西恩抱在懷裡,早在柔軟大床上睡去,只留我與這城,遲遲捨不得入眠。 ♦
初春的光,灑進十坪米的套房,我吸進一口冰涼,清醒地環視四周。對我來說,到一個落腳處,第一件事就是確認廚房。烤箱冰箱洗碗機,醬油麻油中西調味料,麻雀雖小五臟俱全,滿意極了。房子中央擺著一張小巧的鵝黃色木桌,波浪弧形的斑駁桌腳,想必是古董老件吧,突然想起莎拉是學藝術的,牆上掛滿湖水藍綠的動物畫像,獨角獸的尖角孤傲揚起,擠得扁扁的壓克力顏料罐則充滿了生活的氣息。紐約的氣息。
溫溫的雙手扶在起霧的窗上,留下不完整的掌痕,熊熊圖案的米白睡袍還穿在身上,模樣甚是可愛,繼續在窗上拍了幾個小手印,看來她很喜歡這裡,一切如此新鮮有趣。
簡單梳洗,我們輕裝上街。地底白煙卷卷升起,南北向的道,費里尼電影般的靜止車陣,幾何玻璃帷幕,抬頭讚歎資本主義的雄偉;東西往的街,消防梯鏽得煙灰,鷹架層層堆疊,衰���與生長同時交織成紐約的血肉。小販高聲兜售自由女神,芭蕾女伶頂著包頭,黑衣曲線魚貫沒入窄門,三件式西裝的俊俏男子,用力咬了手上的貝果,一步作兩步橫越馬路。 售票亭外熱熱鬧鬧,我和巷口的《貓》四目交接,黑底黃目如紐約客犀利,這貓名氣響亮,而我竟然一次也沒走進去過;徘徊中城一��,在Wholefoods超市採購生鮮、酒足飯飽後,金黃燈光齊下,十字路口變成大型伸展台,時髦男女自信耀眼,提著大包小包的我們硬生生穿過《芝加哥》滿溢的開演人潮,美腿包圍爵士樂,上一秒還沈浸在感官享受,下個轉身就被《西方壞女巫》的綠臉紅唇給嚇個正著,衛生紙差點從紙袋裡滾了出來。
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開學在即,除了扮演觀光客,還有正事要辦。郵件傳來,通知我去中國城的廚藝用品店,領取已經繡好名字的制服,還得試穿廚師鞋。
「你好了嗎?」西恩熟稔地將溫溫裝在背巾裡,露出兩隻小腿晃呀晃。
「都好了,我查一下。等等可以在附近找個中菜館。」我穿上鞋,低頭盯著手機推開房門。
「打不開!」我大力扭轉把手,門還是一動也不動。
「怎麼可能,你的鑰匙咧?」西恩接手開門,我摸摸外套牛仔褲口袋,脫了鞋在地上裡翻找包包。
「看來我們被反鎖了,你打給房東吧。」西恩將溫溫放下,開冰箱裝了杯柳橙汁。
我打給莎拉求救,太過緊張以致於忘了她在地球的另一端,好在莎拉接了起來,給了我Super的電話號碼,說是管理員會幫忙,要我別擔心。許久沒說英文的我,要打給陌生人,還真有點語言障礙。不管了。電話接通,我的心跳也跟著嘟嘟響。
「我是莎拉的房客,曼哈頓八大道,我們房門被鎖起來,你能來開門嗎?」第一句話順暢說完,我輕鬆許多,等待對方回應。
「我在長島······放假······再見。」這個Super大概是拉丁裔,捲舌音吃掉了話中好多字,我只聽��幾個令人崩潰的重點,接著是一陣沈默。莫名其妙被掛電話後,我也不好再打擾莎拉,決定打給附近的鎖匠碰碰運氣。殊不知,鎖匠在電話那頭嘰哩咕嚕一長串,我一個字也沒聽懂,濃郁口音令人費解。西恩和溫溫坐在餐桌喝果汁吃餅乾,彷彿看我在演哪一齣鬧劇。
我用力敲了房門幾下,宣洩怨氣,金色門把都快被我轉鬆。此時,我聽見開門聲從隔壁傳來,像是轉開保險箱的勝利喀噠聲。
「哈囉,請幫我開門,嘿嘿!」我一邊拍門,試圖將聲音穿透金屬門板傳送到外。所幸,鄰居老先生正要外出,把插在大門上的鑰匙取下,解救了我們。一出家門,熟悉的《貓》埋伏街角,琥珀雙眼大膽直視初來乍到又莽撞的我,這回連貓都在取笑,笑問我準備好了沒有,迎接紐約這場大戲。
走著走著,在百老匯,我們的新家,歌詞的最後一句悠揚地唱著。
A new day has begun. 明天又有什麼等著我呢? 寫在2017年.春
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若い頃に刺激を受けたものは、晩年になっても影響されるのかも。坂本龍一の朽ちるピアノは、1973年の山下洋輔「ピアノ炎上」とどこか通じるものがありそう。「ピアノ炎上」の「もの派(李禹煥や菅木志雄)」風味というか。あと楽器を大事にしない感覚。ジミヘンの燃えるギターのパフォーマンス。
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自然に還る坂本龍一のピアノ 5年後の姿を公開 - amass 2024/05/05
2019年春、坂本龍一はニューヨークの自宅の裏庭にピアノを置き、風雨にさらしたままにして、ピアノがどのように自然に還っていくかを観察し始めました。ピアノは数年後、ニューヨーク州北部に住む友人のアーティストの庭に移されました。最初���置かれてから5年後の2024年4月に、このピアノを撮影した写真が坂本龍一のSNSアカウントで公開されています。
映画の國 || コラム ||
私は確認していないのだが、燃えるピアノを弾いている山下洋輔の映像がネットでも見られる、あるいは見られたことがあったらしい。テレビのクイズ番組から取られたフッテージだそうだ。グラフィックデザイナー粟津潔による16ミリ作品『ピアノ炎上』からの抜粋だろう。多分「燃えるピアノと山下」という連想はそれなりにジャズファン、山下ファンの間では共有されているのだと考えられるものの、この奇妙なパフォーマンスの裏にいたのが実は八木正生であったことに関してはあまり知られていないようだ。こ 35年後の2008年、金沢21世紀美術館で開催された「粟津潔大回顧展」のためにケンは『ピアノ炎上2008』を企画する。山下もケンの依頼に応え、今度は海岸での炎上ピアノの演奏が実現した。この映像は、韓国のニュース番組の文化トピックのコーナーで取り上げられた際のものが、山下へのインタビューと共にアップされていて今でも見られる。ただしちょっとだけ。オリジナルの『ピアノ炎上』(監督:粟津潔、73)は、粟津の仕事がアメリカで紹介されたのを契機にニューヨーク近代美術館に所蔵されたとのことだが、日本でもちゃんとイメージ・フォーラムが持っているのではないかと思う。
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奇幻之旅
H:看了「馬特萊斯特的奇幻旅程.下集:神祕咒語」,「班傑明的奇幻旅程」(2小時46分),「大智若魚」125分等,對「奇幻之旅」會有初步的印象,人生精彩,濃縮在一部書或一部電影之中。人生之路漫漫長路,有驚奇有無聊,記那驚濤駭浪的時刻,靜如處子般的決摯伏,都是人生的經歷,高超的歷程,天真的觀察,心情愉快平和都是奇幻之旅的好題材。朱熹的「半畝方塘一鑑開,天光雲影共徘徊。」,無聊坐著也能有「天光雲影」的眼界。王維「行到水窮處,坐看雲起時。」累了看看天,也有開闊的心境。
沈復「余憶童稚時,能張目對日,明察秋毫。見藐小微物,必細察其紋理,故時有物外之趣。」無緣山川遊歷,家中庭院小坐也有奇趣。「日本熊谷守一 (1880年-1977年) 的一天。他是究極之「宅男」,足足30年沒步出家門,每天在庭園靜觀草木枯榮與螻蟻步姿,總是流連忘返。」奇幻不在其大,心開眼開處處皆奇幻。樂趣在心中,人生電影自己拍。蟄伏與驚人飛天,全在心境轉幻。
禪語中「見山是山,見山不是山,見山還是山」三個不同階段,最終歸於平靜。 20240607W5
網路資抖
朱熹的《活水亭观书有感二首·其一》
朝代:宋代
作者:朱熹
半畝方塘一鑑開,天光雲影共徘徊。
問渠哪得清如許?爲有源頭活水來。(那 通:哪)
《終南別業》唐王維
中歲頗好道,晚家南山陲。興來每獨往,勝事空自知。行到水窮處,坐看雲起時。偶然值林叟,談笑無還期。
看《綠野仙師:熊谷守一》,如像炎夏喝一口冷泡茶,同樣沁人心脾。
電影根據真實事蹟改編,以1970年代的東京為背景,描述90多歲日本神級野獸派畫家熊谷守一 (1880年-1977年) 的一天。他是究極之「宅男」,足足30年沒步出家門,每天在庭園靜觀草木枯榮與螻蟻步姿,總是流連忘返。
蟄伏
動物藏伏在土中不食不動。《淮南子.天文》:「百蟲蟄伏,靜居閉戶。」
奇幻之旅
匯集各國經典文化風情,熱鬧的香榭大道、五光十射的美式酒吧、熱情奔放的印度舞蹈,實現願望的俄羅斯娃娃,舞蹈 特技與魔術的精采結合,一場驚險又華麗的旅行即將展開。
文化(英語:culture,日語:文化/ぶんか Bunka)是由古羅馬哲學家西塞羅首次使用拉丁文「cultura animi」定義,原意是「靈魂的培養」,由此衍生為生物在其發展過程中積累起跟自身生活相關的知識或經驗,使其適應自然或周圍的環境,是一群共同生活在相同自然環境及經濟生產方式的人所形成的一種約定俗成潛意識的外在表現。
風情 :
釋 義
風采、神情。如:「但願一見先生風情,以遂平生之願。」《晉書.卷七三.列傳.庾亮》:「元帝為鎮東時,聞其名,辟西曹掾。及引見,風情都雅,過於所望,甚器重之。」
風雅情韻。如:「大夥兒都聽出這番話中暗藏情意,唯獨當事人不解風情,毫無反應。」清.趙之壁《平山堂圖志.卷六.藝文志四》引清.符曾〈上元後一夕南圻招遊平山堂看月四首〉詩之三:「見說山行不待呼,帽簷花壓笑胡盧。風情未許消磨盡,還有春愁到客無。」
風土人情。如:「這家餐廳之裝潢,充滿著異國風情。」
風月景色的意趣。
人與人彼此間情愛之事。元.關漢卿《望江亭》第一折:「非是貧姑硬主張。為他年少守空房。觀中怕惹風情事。故使機關配白郎。」《水滸傳》第二四回:「王婆貪賄說風情,鄆哥不忿閙茶肆。」《金瓶梅詞話》第九八回:「料此婦人一定好風情,就留下一兩銀子在屋裡吃酒,和王六兒歇了一夜。」
香榭麗舍大道
法国巴黎的大街
香榭麗舍大街(法語:Avenue des Champs-Élysées,法語發音:[av(ə).ny de ʃɑ̃z‿e.li.ze]),是法國首都巴黎的一條大道,位於城市西北部的第八區。它被譽為巴黎最美麗的街道。「香榭麗舍」原意是希臘神話中聖人及英雄靈魂居住的冥界中之至福樂土。
五光十色
形容景色鮮麗複雜,光彩奪目。語本南朝梁.江淹〈麗色賦〉。後亦用「五光十色」比喻內容豐富,變化萬端。
△「五彩繽紛」
說明「賦」是傳統文學體裁之一,形似散文,但內含詩的韻律,是一種介於詩歌與散文之間的文體。盛行於漢魏六朝,魏晉南北朝時,因應新興的駢偶文風而發展出「俳賦」,此體多採四六對仗的句式,講求嚴格的平仄音律,並喜用典故。江淹為當時著名作家,〈麗色賦〉即其作品之一,內容描繪一位絕色美女的容貌、姿儀。其中一段,文曰:「其始見也,若紅蓮鏡池;其少進也,如綵雲出崖,五光徘徊,十色陸離。」大意是:初見佳人,如見生長於無波如鏡之池中的紅蓮,佳人一動,則如絢爛的雲彩自崖間飄出,色彩鮮麗,燦爛奪目。短短數語,即生動呈顯了麗人的綽約風姿。後來「五光十色」這句成語就從這裡演變而出,用來形容景色鮮麗複雜,光彩奪目。亦用來比喻事物的內容豐富,變化萬端。
麗色賦
作者:富嘉謨 唐本作品收錄於《全唐文/卷0235》
姊妹计划: 数据项
客有鴻盤京劇者,財力雄倬,誌圖豐茂,繡轂生塵,金羈照路。清江可涉,綠淇始度,拾蕊歲滋,摘芳奇樹。錦席夜陳,苕華嬌春,瑤台吐鏡。翠樓初映,俄而世姝即,國容進,疑自持兮動盼,目爛爛兮昭振。金為釵兮十二行,錦為履兮五文章,聲珊珊兮佩明璫,意洋洋兮若有亡,蹁躚兮延佇,招吾人兮由房。凝釭吐輝兮明燭流注,願言始勤兮四坐相顧,時峨峨而載笑,唯見光氣之交騖。夜如何其夜遲遲,美人至止兮皎素絲,秉明心兮無他期。引鄉何其夜已半,美人至止兮青玉案,之死矢兮無彫換。既而河漢欲傾,琴瑟且鳴,餘弄未盡,清歌含韻。歌曰:「涉綠水兮采紅蓮,水漫漫兮花田田。舟容與兮白日��,桂水浮兮不可度。憐彩翠於幽渚,悵妖妍於早露。」於是覽物遷跡,徘徊不懌,起哀情於碧湍,指盛年於光隙,擊節浩歎,解珮嘉客。是時也,楊雄始壯,相如未病,複有鄒、枚,藉藉荀令。鹹娛座客,嬉妙情,灑豪翰,動和聲。使夫燕姬趙女,衛豔陳娥,東門相送,上宮經過。碧雲合兮金閨暮,紅埃起兮彩騎多,價奪十城之美,聲曼獨立之歌,況複坐弦酌而對瑤草,當盛明而謂何?
熱情奔放
(1) ∶充滿熱情的熱情奔放的僱員
(2) ∶充滿活力、首創精神或應變能力的
採訪記者都是些熱情奔放的波希米亞人
基本含义:形容人的情感激烈、活泼开朗,表现出极大的热情和豪放的性格。
详细解释(Detailed Explanation):热情奔放形容人的情感表达十分激烈,性格开朗大方,表现出无拘无束、豪放不羁的气质。
使用场景(Usage Scenarios):常用于形容个人性格、情感表达或行为举止,多用于褒义。
南美熱情的踢踏舞,節奏明快,動作清爽相當令人振奮。
夏天季節的特性:萬物齊長、百花齊放,轉化為夏之茶層次豐富、百花齊放的味道。
1熱情洋溢 熱情奔放
2. 熱情奔放 熱情洋溢 情不自禁
解释:奔放 : (思想、感情、文章氣勢等)盡情流露,不受拘束:熱情~ 。充滿熱情的,充滿活力、首創精神或應變能力的樣子。
特技舞蹈(Acrobatic Dance或稱Acro Dance),顧名思義即為特技與舞蹈融合的藝術新象,每年招收來自全國各地高中職畢業生,項目包含傳蹈、特技、有氧體操、韻律體操、啦啦舞蹈、傳統武術等。特技舞蹈這項運動藝術是在近代表演藝術全球化浪潮之驅使下,有效結合運動技能、創意、科技、表演藝術等元素,在特技與舞蹈特定的情境中,創造人體的姿態、造型、速度、力量與情感強度所體現的藝術形態,並使舞蹈在特技中扮演起伏跌宕的角色,創造另具特色、生動鮮明的藝術新象,具有造型美、流動美、身體美的巨大價值。其表現手法的突出特點是誇張、驚奇、變形,追求超乎常形之上的藝術真實,旨在挑動觀眾的視覺與想像,共同完成身體審美意象的創作,因而獨具藝術魅力。隨著科、技整合與「文化產業化」之衝擊,這項充滿表現力、身體美與藝術美之藝象,已受到廣大喜愛。
魔術
藝術表演形式
魔術(英語:Magic),是一門獨特的藝術表演形式,通過特殊的手法及道具等,使觀眾覺得不可思議[1]。廣義的定義為泛指各種以專業技巧或知識展示出讓人覺得歡笑、不可思議的藝術的活動。魔術的技巧並不包含特異功能的成份。魔術亦可定義為「在滿足物質不滅定律及能量守恆定律的條件之下,呈現出違反經驗法則的表演」。
「幻術」重新導向至此。關於其他用法,請見「幻術 (電影)」。
魔術不是只有障眼法,而是一項務求違反客觀現象的表演藝術,必須有純熟的手法和精製的道具,瞭解觀眾的心理還有良好的表演心態。一個成功的魔術能令觀眾看得如癡如醉,要靠很好的表演和新的創意。���術並非一定需要特殊道具、助手、台前幕後的協助,有時候憑藉手邊的小東西也可以變出一個好魔術。
魔術師則是指從事魔術活動,並且不將魔術濫用者。魔術師在古代稱為「眩者」、「幻人」等。
Jerome Bosch: L'Escamoteur, 1475-1480
西方魔術歷史
起源
葛飾北齋的作品《北齋漫畫》描繪出江戸時代的座敷芸幻術。
正確的魔術起源時間無從考據,推測從有人類活動開始就有了魔術。魔術的起源是宗教和信仰,所謂「魔術」一詞源來自拉丁語magi,常被拜火教使用。在古代(特別是印度),人們相信自然界中所有的事情,都是因為有精靈或神靈操縱,因此巫師或祭師利用人類迷信的心理,利用人們所不知道的原理製造神跡,讓人們相信這些是由精靈或神靈所行出來的,藉由魔術強化宗教的儀式,信眾們更加確認他們的信仰。
歷史上最早的魔術紀錄是在埃及,大約是在西元前2600年,也就是距今四千多年前。1823年發現的《威斯卡手稿》,文獻上記載了一位名叫德狄(Dedi of Dedsnefu)的魔術師,受召為法老王進行表演。他能將鵝的頭砍下,而斷了頭的鵝依然能走動,最後再把頭接回去恢復為原本的鵝。該紀錄描述了這名魔術師對鵜鶘和公牛也進行了相同的戲法。古希臘的神殿也利用了魔術的原理。例如祭師打開神殿大門時,風箱會吹向地面,祭臺上便出現了火焰。還有應用風管製造的會說話的神像。
而最早的戲法紀錄則是「杯與球戲法」(Cups And Balls),這是��前人們所知最古老的戲法。在埃及的壁畫中(Tomb of Baqt III at Beni Hassan B.C 2500)也有紀錄。而真正其歷史表演的紀錄則可追溯到1世紀時。此戲法在中世紀時大受歡迎,被魔術師們廣泛表演於市集中。當時的魔術師被稱為雜耍者(Juggers)。這些四處旅行的表演者與樂師、詩人、特技表演者到村莊的空地上以簡單的戲法娛樂村民。
中世紀
到了中世紀末期,歐洲魔術師開始面臨來自教堂的強烈反對。因為那時人們十分相信巫術與超自然現象,而教會相信超自然事件不是出於聖靈便是出於邪靈的信念,使得任何未被教堂所認可的魔法,就會被認為是黑魔法。只要一個人指證,魔術師就被會面臨審判。許多魔術師都遭到指控,被指証他們與惡魔結盟。
儘管受到迫害,魔術師依然是個既危險,又受到歡迎的職業。一些魔術師受到大地主與貴族的青睞與保護。這時期四處遊走表演的魔術師,只有有限的戲法可以進行表演。當時撲克牌還不普遍,需要大型道具的戲法又昂貴。所以魔術師要依賴靈巧的手法和說故事的技巧。用鳥類和動物表演的戲法相當受到歡迎。
近三百年前,宗教對於魔術的迫害逐漸加深,在英王亨利八世統治期間,表演魔術的懲罰是死刑。到了16世紀末,對女巫的迫害到了大屠殺的地步。由於這些瘋狂的行徑,很多魔術師都受生命威脅,若不透露魔術的秘密,恐怕會被處死。因此促使了第一本英文魔術書籍的誕生,1584年的「巫術探索」(The Discovery Of Witchcraft)。該書作者雷吉諾·史考特(Reginald Scot)的目的,是為了要拯救魔術師的性命,為了將魔術師的技巧與女巫的邪惡力量作為區分,在書中揭露了不少魔術秘密,以證明這些看似奇蹟的神蹟,事實上是由一些自然的技巧來達成,而非藉助於邪惡的力量。而他的作品,的確令很多的魔術師脫離被燒死的命運。書中介紹許多祕密,部分至今仍有再使用。
在歷史上,只要是人群聚集的地方,魔術師的表演就會高堂滿座。在18世紀,人們最常聚集的地方是每年的市集。各種馬戲表演,特技表演都會來這。但是在這競爭中,唯一的明星就是魔術師。18世紀最偉大的魔術師,是埃賽克·福克斯。他在1720年代聲名大噪,在各城鎮的主要市集上,都能見到其蹤影。埃賽克的經典魔術是蛋袋(Egg Bag),從空無一物的袋中,不斷拿出雞蛋與小物品。要觀看福克斯表演需付一先令。他是這項技法的先師,因此成了高收入者,甚至還有死忠的支持者。在他於1731年逝世時,報紙報導了他留下了一萬英鎊的遺產,相當於今日的100萬美元,由此可知他多受歡迎。
到了19世紀,隨著劇院的興起,魔術師找到了新的舞台。最早將魔術帶進戲院,並在劇院打出名號的魔術師,被稱為「北方的大巫師」(The Great Wizard of North)的蘇格蘭魔術師,約翰亨利安德森(John Henry Anderson 1814-1874)。他的創新表演風格,影響了後世眾多的魔術師。魔術師將巧手結合燈光和舞台效果,展開了魔術的新紀元。有史以來魔術師登上了歷史的巔峰,許多魔術為了因應戲院而誕生。十九世紀末是魔術表演的黃金時期,各地的魔術表演都是高堂滿座。魔術師當時穿著正式的燕尾服,就像當時上戲院的觀眾們一樣,這也是魔術師穿燕尾服表演的起源。有些魔術師甚至成了家喻戶曉的名人。
二十世紀初期最著名的魔術大師是脫逃大師哈利·胡迪尼(Harry Houdini 1874-1926),傳奇魔術大師胡迪尼,在美國是家喻戶曉的人物,胡迪尼擅長於脫逃術表演,手銬、緊身衣、牛奶罐、中國水牢,和最著名的水底脫逃。胡迪尼同時也是揭發以魔術為方法欺騙大眾的所謂特異功能人士的先驅者。直到今日人們依然記得他的事績。
但是,1930年代電影工業的起飛,造成魔術表演市場的快速衰退。因為在電影中,任何魔法都可能發生。唯有真正的魔術大師,才能讓觀眾著迷。
現今
人們對魔術的需求又再度上升。隨著賭城拉斯維加斯等娛樂城及電視的發展,造就了魔術巨星。魔術大師一般收費高昂,而且在世界各地都有支持者。現時,魔術依然能滿足了人們對於驚奇和娛樂的需求。
中國古代的魔術
魔術在中國有悠久的歷史,在漢代已有「魚龍蔓延」、「東海黃公」等成型魔術[2]。
在中國,南宋時就已經有類似魔術的表演,稱為「戲法」,現在的正式稱謂為古彩戲法。古彩就是古代堂彩的簡稱。這種節目是過去達官顯貴遇有婚、喪、嫁、聚之事時,表演者在廳堂表演的節目。[3]
中國古彩戲法自南宋以來杭州的瓦舍、街頭以及喜慶堂會都有演出。變戲法都遵循傳統,一直穿大褂表演,表演前必須上、下、反、正都要亮相,把蓋布里外讓觀眾看過。道具如魚缸、瓷碗、花瓶、火盆等。[4]
代表人物有清末民初時古彩戲法的表演者朱連魁(藝名林福或金陵福:Ching Ling Foo)。他最著名的表演就是古彩戲法的「大碗飛水」。
光緒年間,唐再豐編成《鵝幻彙編》一書,又稱《戲法圖說》或《中外戲法圖說》收錄當時許多中國魔術。
效果術語
傳統上,魔術的基本效果有下列幾種:
出現(Production):變出多更多人或物,與「消失」相對。
消失(Vanish):使人或物消失,不被看見,與「出現」相對。
變同、共鳴(Sympathetic Reaction):兩人或兩物或以上作出同一結果。
反自然物理(Physical Abnormally):包括人離開影、無頭美人、人首蜘蛛、拿開拇指等。
造成失敗(Spectator Failure):魔術師用某力量令觀眾不能做某種事。
傷害無效(Invulnerability):包括食火、行茅火炭、行劍上、食玻璃、食刀片、針釘割舌等而不受傷害。
移位(Transposition):從一處消失而從別處出現。
控制力(Control):魔術師運用非物理性的力量支配生物或死物之動作,如響鐘、自動伸手等。
自動(Animation):使無生命物體如同有生命般活動。
變化(Transformation):改變大小、形狀、性質、顏色、記號等。
復原(Restoration):某物件之部份或全部破爛肢離還原。
穿透(Penetration):在不損毀硬物及防止其造成損毀的情況之下,使另一硬物通過之。
辨示(Identification):如認出觀眾之牌桌(多用於牌類、亦用於顏色,魔術師或觀眾可認出)。
讀心術(Thought Reading):魔術師能知道觀眾所想,觀眾亦可將所想寫下以作對照。
思想轉移(Thought Transferring):使某甲能知道某乙所想之事物。
預言(Prediction):先記下某事物之發生,如頭條新聞等。
反地心引力(Anti-Gravity):人或物之動作反地心引力。
感官易位(Extra-Sensory Perception):如用手指頭來看東西,用鼻嗅顏色,用手指感覺牌點等。
特技(Acrobatics):用真技術或道具幫助,做出特別效果。
魔術的技巧和手法
花招
花招是指魔術表演者或玩紙牌老手利用一系列的方式偷偷的處理物體,來達到看似不可思議的效果,常用的物體包括卡片、紙牌及硬幣等。[5]
魔術師的誓詞
魔術師的誓詞(Magician's Oath)的版本有很多,長短不一,而內容主要都包含「保守魔術秘密」、「至力發展魔術」及「表演前必先熟練」三個基本原則。以下是其中一個較為常用的版本:
「作為魔術師,我願以信譽為誓,一切行為以保持魔術長期發展為依歸故,
我定必堅守魔術奧秘,尤其對不諳魔術及尚未起誓的人;
於人前表演前,我必熟習技法到至極,對自己及觀眾負責任,
並把自己的力量用於行善,貢獻人類。
此誓。」
薩斯頓三原則
全世界魔術師所公認並且共同遵守的就是所謂的「薩斯頓三原則」(Thurston's 3 rules in magic)。無論是職業或是業餘魔術師,都必須要遵守。
魔術表演之前絕對不透漏接下來的表演內容。
不在同一時間、地點對相同的觀眾變同樣的魔術2次以上。
魔術表演過後,絕不向觀眾透露魔術的秘密。
霍華·薩斯頓是20世紀初一位著名的美國魔術師。他本人並沒有說過這三項原則,是後人為了紀念他,才將這全世界魔術師所遵守的原則冠上他的名字。
魔術濫用
由於魔術手法能製造錯覺、假像和心理暗示,有些懂得魔術手法的人,會以此從事詐欺等不法活動圖利:
偷竊:利用魔術手法來行竊(Pick-pocket(英語:Pickpocketing))。
詐財:透過心理暗示來達成詐財的目的。
作弊(千術):利用魔術手法在賭場作弊。
特異功能:利用魔術方法製造效果,並宣稱自己使用特異功能。
偽氣功:利用魔術方法製造效果,並宣稱自己是使用氣功。
驚險華麗
驚險
危險而令人緊張。如:「驚險畫面」、「驚險鏡頭」。
驚險的
thrilling UK
/ˈθrɪl.ɪŋ/US
/ˈθrɪl.ɪŋ/ B2 adjective
extremely exciting:
The book is a thrilling adventure story.這是一部情節緊張的冒險小說。
adventurous UK
/ədˈven.tʃər.əs/US
/ədˈven.tʃɚ.əs/ adjective
exciting and often dangerous:
She led an adventurous life.她的一生充滿冒險刺激。
romantic UK
/rəʊˈmæn.tɪk/US
/roʊˈmæn.t̬ɪk/ adjective
exciting and mysterious and having a strong effect on your emotions:
We thought that Egypt was an incredibly romantic country.我們以前認為埃及是個充滿傳奇色彩的國家。
hair-raising UK
/ˈheəˌreɪ.zɪŋ/US
/ˈherˌreɪ.zɪŋ/ adjective
very frightening:
She gave a hair-raising account of her escape through the desert.她講述了自己穿越沙漠脫險的驚險過程。
hairy UK
/ˈheə.ri/US
/ˈher.i/ adjective informal
frightening or dangerous, especially in a way that is exciting:
I like going on the back of Pedro's motorbike, though it can get a bit hairy.我喜歡坐在佩德羅的機車後座上兜風,雖然有時有些驚險。
華麗
華美豔麗。《晉書.卷四一.劉寔傳》:「及位望通顯,每崇儉素,不尚華麗。」《紅樓夢》第五一回:「鳳姐看襲人頭上戴著幾枝金釵珠釧,倒華麗。」
馬特萊斯特的奇幻旅程.下集:神祕咒語
A Matt Lester Spiritual Thriller: The Secret Mantra
作者:大衛.米奇
原文作者:David Michie
譯者: 王詩琪
語言:繁體中文
出版社:時報出版
出版日期:2021/11/23
劇情簡介──
量子科學家馬特,終於發現自己的身世之謎,來到了不丹虎穴寺,為打開千年傳承的伏藏預作準備。然而就在開啟伏藏的前夕,慈林喇嘛卻被人殺害!珍貴的藥師佛像也不翼而飛,而佛像裡頭藏著的蓮師伏藏也隨著佛像被盜走了。
馬特由不丹來到加德滿都,企圖尋回伏藏與藥師佛,不料卻被惡人盯上,邪惡之人的目標,究竟是佛師佛?還是伏藏?還是馬特的性命?馬特為了擺脫惡人,從加德滿都,來到杜拜,再到都柏林,與學者愛麗絲會合,令人驚恐萬分的是,愛麗絲也遭遇危險!愛麗絲的研究計畫,竟然阻礙了藥廠的龐大利益!兩人再度逃亡,而逃亡其間,也漸漸發覺,愛麗絲關於身心醫學的研究計畫,與伏藏之間,有著一絲隱密的關聯。
作者的話──
《馬特萊斯特的奇幻旅程》是一部虛構小說。如果其中的角色、情節和主題令人不禁信以為真,那是由於我將現實的元素依據我個人的經驗、加上我的想像力,編織在這個故事裡的緣故。
讀者們有必要知道的部份是,小說中關於藥師佛修行儀軌的部分全然屬實。作為事部密續(Kriya Tantra)傳統中的一部分,藥師佛的存在難能可貴,祂的修行儀軌可以大大地增進我們的禪修,尤其是當我們專注在療癒自己或他人時。世世代代以來,這項修行儀軌已經深切裨益了無數個世代的禪修者。藥師佛心咒已經傳唱了數百年,就如同小說裡描述的一樣。我衷心地希望,藉由創作這本小說,能激起許多人對這項非凡的修持方法的興趣,樂意去深入瞭解它所帶來的轉化力量。
《光影與魔法: 電影奇幻之旅》是一部六集的訪談式紀錄片系列,帶大家認識光影魔幻工業(簡稱「光魔工業」),這是喬治盧卡斯為了拍攝《星際大戰》而成立的視覺特效公司。 透過個人訪談與未曾公開的畫面,本系列導演勞倫斯卡斯丹以光魔工業最經典的特效展開序幕,同時探究這些創作藝術家與改革者迷人的背景故事。
《班傑明的奇幻旅程》(奇幻逆緣)
2008年美國電影
《班傑明的奇幻旅程》(英語:The Curious Case of Benjamin Button,中國大陸譯《本傑明·巴頓奇事》,香港、新加坡譯《奇幻逆緣》) 是一部於2008年上映的美國奇幻愛情劇情電影,劇情自法蘭西斯·史考特·費茲傑羅的1922年同名短篇小說改編,華納兄弟發行。為大衛·芬奇執導,並由艾瑞克·羅斯編劇,布萊德·彼特、凱特·布蘭琪、泰拉姬·P·漢森、茱莉亞·歐蒙、傑森·弗萊明、伊萊亞斯·科泰斯(英語:Elias Koteas)與蒂妲·絲雲頓等人主演。故事講述一名自出生便是老人、但會隨著時間流逝愈加年輕的男子班傑明·巴頓與兒時玩伴黛絲·富勒,兩者在生命中交織的經歷。
劇情
故事以倒敘方式,由臨終前的女主角黛絲·富勒與其女兒卡洛琳讀出主角班傑明·巴頓遺下的日記,而開始其傳奇故事。班傑明的身體相當奇特,出生時就像85歲的老嬰兒。母親為了生他而難產去世,後被父親湯瑪斯視為怪胎遺棄到養老院。無��生育的黑人女護工昆妮收養了他,並為他取名班傑明。接着,班傑明開始逆着常人成長的定律長大,身體隨着年齡的增長變得稍有活力。他在養老院裡度過童年。1930年,12(73)歲的班傑明遇上了富勒太太8歲的孫女黛絲,善良而親切的黛絲溫暖了班傑明。逐漸成長的班傑明後成為雀喜號的水手。一次,他的父親托馬斯偶然與班傑明相遇,邀他飲酒,但沒有與班傑明相認。
1936年,18(67)歲的班傑明離開黛絲,隨船出海週遊,期間他不斷寄回明信片給黛西,他們之間的情緣從此埋下種子。摩爾曼斯克的旅館中,班傑明遇到了已婚婦人伊麗莎白·亞伯特,兩人譜出一段戀情。之後伊麗莎白與班傑明離別。不久日本偷襲珍珠港,雀喜號被美國海軍徵用,從事打撈搜救的工作。在一次戰爭中,其拖船與敵方相遇,兩者同歸於盡,最終只有他一人生還,往昔的同事紛紛先他而去。這些經歷使他對人生生命有了全新的認識。1945年5月,26(59)歲的班傑明回到療養院巧遇黛絲,這時班傑明已成了50多歲的成年男人。黛絲成為芭蕾舞團中的唯一一位美國人,事業如日中天,與另一位男演員相愛,看到此景,班傑明離開了黛絲,並在外度過一段風流歲月,慢慢地他的身體變得如同40歲的成熟男人。
他獲得父親托馬斯的邀請,在酒席上他得知了自己的身世。此時托馬斯已身患重疾,將自己140年的家族生意——鈕扣廠交給班傑明。不久,湯瑪斯去世,班傑明與昆妮一同出席了葬禮。不巧,黛絲在巴黎表演期間由於一系列偶然之下,在街上遭車禍,讓她無法重回芭蕾舞舞台。班傑明·巴頓接到電報後到訪,但兩人未能更進一步的相戀。1962 年春,黛絲回到養老院,與44(41)歲的班傑明重逢,兩人自組家庭並開始了浪漫的婚姻生活,這時他的身體變成了30多歲的男人。隨後,黛西成為舞蹈學校師,並有了一個女兒,班傑明·巴頓意識到他將繼續變小,最後將變成小孩子一樣,為了能給黛西一個正常的生活,他將所有房產、產業變賣,然後將賣得的錢交給黛西後離去。他又一次開始週遊世界的旅程,而黛西則改嫁給一位鰥夫。
10多年後,兩人再次相見。班傑明給了黛絲寄來準備交給女兒的提前填寫的明信片。數年後,班傑明隨後體型變成小孩,回到療養院中倒頭便睡,記憶開始衰退之下,警察在其背包上找到其日記並把其交給黛絲。黛絲像照顧自己孩子一樣照顧他,最後在2003年,班傑明變成嬰兒躺在黛西懷中閉上眼睛。此時作為回憶人的黛西躺在醫院裡,颶風卡崔娜吹襲美國南部之時,悄悄離開人世。
大智若魚
《大智若魚》(英語:Big Fish)是一部於2003年上映的美國奇幻片,提姆·波頓執導,伊旺·麥奎格主演。劇情改編自丹尼爾·華勒斯(英語:Daniel Wallace (author))(Daniel Wallace)於1998年撰寫的小說《大魚老爸(英語:Big Fish: A Novel of Mythic Proportions)》(Big Fish)[2],以一個小孩的口吻,來敘述其爸爸傳奇的一生。
劇情
愛德華(伊萬·邁克格雷戈 飾)生性熱愛自由,成年之後,他選擇離開家鄉,踏上了環遊世界的旅程。一路上,愛德華遇見了各種各樣稀奇古怪的角色,經歷了無數精彩絕倫的的冒險,而他日後最大的興趣,就是向他人喋喋不休的重複講述他的這一段奇幻旅程。
威爾(比利·克魯德普 飾)是愛德華的兒子,他並不相信父親所講述的那些光怪陸離的故事,甚至對此感到無比厭煩。婚後,他同父親中斷了聯繫,一晃眼就是數年過去。當再次得到愛德華的消息之時,威爾才知道父親即將不久於人世,他決定去見愛德華最後一面。然而,這一次,威爾終於發現了隱藏在這些故事背後的奧秘和真相。
浮生六記/卷二 閑情記趣
浮生六記
卷一 閨房記樂
浮生六記卷二 閒情記趣
作者:沈復
卷三 坎坷記愁
姊妹計劃: 數據項
余憶童稚時,能張目對日,明察秋毫。見藐小微物,必細察其紋理,故時有物外之趣。夏蚊成雷,私擬作群鶴舞空,心之所向,則或千或百,果然鶴也。昂首觀之,項為之強。又留蚊於素帳中,徐噴以煙,使其沖煙飛鳴,作青雲白鶴觀,果如鶴唳雲端,為之怡然稱快。又常於土牆凹凸處、花臺小草叢雜處,蹲其身,使與臺齊。定神細視,以叢草為林,以蟲蟻為獸,以土礫凸者為丘,凹者為壑,神遊其中,怡然自得。一日,見二蟲鬥草間,觀之,興正濃,忽有龐然大物,拔山倒樹而來,蓋一癩蝦蟆也。舌一吐而二蟲盡為所吞。余年幼,方出神,不覺呀然驚恐,神定,捉蝦蟆,鞭數十,驅之別院。
年長思之,二蟲之鬥,蓋圖奸不從也,古語云「奸近殺」,蟲亦然耶?貪此生涯,卵為蚯蚓所哈(吳俗稱陽曰卵),腫不能便,捉鴨開口哈之,婢嫗偶釋手,鴨顛其頸作吞噬狀,驚而大哭,傳為語柄。此皆幼時閒情也。
及長,愛花成癬,喜剪盆樹。識張蘭坡,始精剪枝養節之法,繼悟接花疊石之法。花以蘭為最,取其幽香韻致也,而瓣品之稍堪入���者不可多得。蘭坡臨終時,贈余荷瓣素心春蘭一盆,皆肩平心闊,莖細瓣淨,可以入譜者,餘珍如拱璧,值余幕游於外,芸能親為灌溉,花葉頗茂,不二年,一旦忽萎死,起根視之,皆白如玉,且蘭芽勃然,初不可解,以為無福消受,浩嘆而已,事後始悉有人慾分不允,故用滾湯灌殺也。從此誓不植蘭。次擾鵑,雖無香而色可久玩,且易剪裁。以芸惜枝憐葉,不忍暢剪,故難成樹。其他盆玩皆然。
惟每年籬東菊綻,積興成癖。喜摘插瓶,不愛盆玩。非盆玩不足觀,以家無園圃,不能自植,貨於市者,俱叢雜無致,故不鰓。其插花朵,數宜單,不宜雙,每瓶取一種不參色,瓶口取闊大不取窄小,闊大者舒展不拘。自五、七花至三、四十花,必於瓶口中一叢怒起,以不散漫、不擠軋、不靠瓶口為妙,所謂「起把宜緊」也。或亭亭玉立,或飛舞橫斜。花取參差,間以花蕊,以免飛鈸耍盤之病;況取不亂;梗取不強;用針宜藏,針長寧斷之,毋令針針露粳,所謂「瓶口宜清」也。視桌之大小,一桌三瓶至七瓶而止,多則眉目不分,即同市井之菊屏矣。幾之高低,自三四寸至二尺五六寸而止,必須參差高下互相照應,以氣勢聯絡為上,若中高兩低,後高前低,成排對列,又犯俗所謂「錦灰堆」矣。或密或疏,或進或出,全在會心者得畫意乃可。
若盆碗盤洗,用漂青松香榆皮面和油,先熬以稻灰,收成膠,以銅片按釘向上,將膏火化,粘銅片於盤碗盆洗中。俟冷,將花用鐵絲扎把,插於釘上,宜偏斜取勢不可居中,更宜枝疏葉清,不可擁擠。然後加水,用碗沙少許掩銅片,使觀者疑叢花生於碗底方妙。
若以木本花果插瓶,剪裁之法(不能色色自覓,倩人攀折者每不合意),必先執在手中,橫斜以觀其勢,反側以取其態;相定之後,剪去雜技,以疏瘦古怪為佳;再思其梗如何入瓶,或折或曲,插入瓶口,方免背葉側花之患。若一枝到手,先拘定其梗之直者插瓶中,勢必枝亂梗強,花側葉背,既難取態,更無韻致矣。折梗打曲之法,鋸其梗之半而嵌以磚石。則直者曲矣,如患梗倒,敲一、二釘以筦之。即楓葉竹枝,亂草荊棘,均堪入選。或綠竹一竿配以枸杞數粒,幾莖細草伴以荊棘兩枝,苟位置得宜,另有世外之趣。若新栽花木,不妨歪斜取勢,聽其葉側,一年後枝葉自能向上,如樹樹直栽,即難取勢矣。
至剪裁盆樹,先取根露雞爪者,左右剪成三節,然後起枝。—枝一節,七枝到頂,或九枝到頂。枝忌對節如肩臂,節忌臃腫如鶴膝;須盤旋出枝,不可光留左右,以避赤胸露背之病;又不可前後直出。有名雙起三起者,一根而起兩、三樹也。如根無爪形,便成插樹,故不取。然一樹剪成,至少得三、四十年。餘生平僅見吾鄉萬翁名彩章者,一生剪成數樹。又在揚州商家見有虞山遊客攜送黃楊翠柏各一盆,惜乎明珠暗投,余未見其可也。若留枝盤如寶塔,扎枝曲如蚯蚓者,便成匠氣矣。
點綴盆中花石,邪可以入畫,大景可以入神。一甌清茗,神能趨入其中,方可供幽齋之玩。種水仙無靈壁石,余嘗以炭之有石意者代之。黃芽菜心其白如玉,取大小五七枝,用沙土植長方盤內,以炭代石,黑白分明,頗有意思。以此類推,幽趣無窮,難以枚舉。如石葛蒲結子,用冷米湯同嚼噴炭上,置陰濕地,能長細菖蒲,隨意移養盆碗中,茸茸可愛。以老蓬子磨薄兩頭,入蛋殼使雞翼之,俟雛成取出,用久中燕巢泥加天門冬十分之二,搗爛拌勻,植於小器中,灌以河水,曬以朝陽,花發大如酒杯,縮縮如碗口,亭亭可愛。
若夫園亭樓閣,套室迴廊,疊石成山,栽花取勢,又在大中見小,小中見大,虛中有實,實中有虛,或藏或露,或淺或深。不僅在「周、回、曲、折」四宇,又不在地廣石多徒煩工費。或掘地堆土成山,間以塊石,雜以花草,籬用梅編,牆以藤引,則無山而成山矣。大中見小者,散漫處植易長之竹,編易茂之梅以屏之。小中見大者,窄院之牆宜凹凸其形,飾以綠色,引以藤蔓;嵌大石,鑿字作碑記形;推窗如臨石壁,便覺峻峭無窮。虛中有實者,或山窮水盡處,一折而豁然開朗;或軒閣設廚處,一開而可通別院。實中有虛者,開門於不通之院,映以竹石,如有實無也;設矮欄於牆頭,如上有月台而實虛也。貧士屋少人多,當仿吾鄉太平船後梢之位置,再加轉移。其間台級為床,前後借湊,可作三塌,間以板而裱以紙,則前後上下皆越絕,譬之如行長路,即不覺其窄矣。余夫婦喬寓揚州時,曾仿此法,屋僅兩椽,上下臥室、廚灶、客座皆越絕而綽然有餘。芸曾笑曰:「位置雖精,終非富貴家氣象也。」是誠然歟?
余掃墓山中,檢有巒紋可觀之石,歸與芸商曰:「用油灰疊宣州石於白石盆,取色勻也。本山黃石雖古樸,亦用油灰,則黃白相閱,鑿痕畢露,將奈何?」芸曰:「擇石之頑劣者,搗末於灰痕處,乘濕糝之,干或色同也。」乃如其言,用宜興窯長方盆疊起一峰:偏於左而凸於右,背作橫方紋,如雲林石法,廛岩凹凸,若臨江石硯狀;虛一角,用河泥種千瓣白萍;石上植蔦蘿,俗呼雲松。經營數日乃成。至深秋,蔦蘿蔓延滿山,如藤蘿之懸石壁,花開正紅色,白萍亦透水大放,紅白相間。神遊其中,如登蓬島。置之簷下與芸品題:此處宜設水閣,此處宜立茅亭,此處宜鑿六字曰「落花流水之間」,此可以居,此可以釣,此可以眺。胸中丘壑,若將移居者然。一夕,貓奴爭食,自簷而墮,連盆與架頃刻碎之。余嘆曰:「即此協營,尚干造物忌耶!」兩人不禁淚落。
靜室焚香,閒中雅趣。芸嘗以沉速等香,於飯鐝蒸透,在爐上設一銅絲架,離火中寸許,徐徐烘之,其香幽韻而無煙。佛手忌醉鼻嗅,嗅則易爛;木瓜忌出汗,汗出,用水洗之;惟香圓無忌。佛手、木瓜亦有供法,不能筆宣。每有入將供妥者隨手取嗅,隨手置之,即不知供法者也。
余閒居,案頭瓶花不絕。芸曰:「子之插花能備風、晴、雨、露,可謂精妙入神。而畫中有草蟲一法,盍仿而效之。」余曰;「蟲躑躅不受制,焉能倣傚?」芸曰:「有一法,恐作俑罪過耳。」余曰:「試言之。」曰:「蟲死色不變,覓螳螂、蟬、蝶之屬,以針刺死,用細絲扣蟲項系花草間,整其足,或抱梗,或踏葉,宛然如生,不亦善乎?」余喜,如其法行之,見者無不稱絕。求之閨中,今恐未必有此會心者矣。
余與芸寄屆錫山華氏,時華夫人以兩女從芸識字。鄉居院曠,夏日逼人,勞教其家,作活花屏法甚妙。每屏—扇,用木梢二枝約長四五寸作矮條凳式,虛其中,橫四擋,寬一尺許,四角鑿圓眼,插竹編方眼,屏約高六七尺,用砂盆種扁豆置屏中,盤延屏上,兩人可移動。多編數屏,隨意遮攔,恍如綠陰滿窗,透風蔽日,紆迴曲折,隨時可更,故曰活花屏,有此一法,即一切藤本香草隨地可用。此真鄉居之良法也。
友人魯半舫名璋,字春山,善寫松柏及梅菊,工隸書,兼工鐵筆。余寄居其家之蕭爽樓一年有半。樓共五椽,東向,余後其三。晦明風雨,可以遠眺。庭中有木犀一株,清香撩人。有廓有廂,地極幽靜。移居時,有一僕一嫗,並挈其小女來。僕能成衣,嫗能紡績,於是芸繡、嫗績、僕則成衣,以供薪水。余素愛客,小酌必行令。芸善不費之烹庖,瓜蔬魚蝦,一經芸手,便有意外昧。同人知余貧,每出杖頭錢,作竟日敘。余又好潔,地無纖塵,且無拘束,不嫌放縱。時有楊補凡名昌緒,善人物寫真;袁少迂名沛,工山水;王星瀾名岩,工花卉翎毛,愛蕭爽樓幽雅,皆攜畫具來。余則從之學畫,寫草篆,鐫圖章,加以潤筆,交芸備茶酒供客,終日品詩論畫而已。更有夏淡安、揖山兩昆季,並繆山音、知白兩昆季,及蔣韻香、陸橘香、周嘯霞、郭小愚,華杏帆、張閒憨諸君子,如樑上之燕,自去自來。芸則���釵沽酒,不動聲色,良辰美景,不放輕越。今則天各一方,風流雲散,兼之玉碎香埋,不堪回首矣!非所謂「當日渾閒事,而今舊憐」者乎!
蕭爽樓有四忌:談官宦陞遷、公廨時事、八股時文、看牌擲色,有犯必罰酒五廳。有四取:慷慨豪爽、風流蘊藉、落拓不羈、澄靜緘默。長夏無事,考對為會,每會八人,每人各攜青蚨二百。先拈鬮,得第一者為主者,關防別座,第二者為謄錄,亦就座,餘作舉子,各於謄錄處取紙一條,蓋用印章。主考出五七言各一句,刻香為限,行立構思,不准交頭私語,對就後投入一匣,方許就座。各人交卷畢,謄錄啟匣,並錄一冊,轉呈主考,以杜徇私。十六對中取七言三聯,五言三聯。六聯中取第一者即為後任主考,第二者為謄錄,每人有兩聯不取者罰錢二十文,取一聯者免罰十文,過限者倍罰。一場,主考得香錢百文。一日可十場,積錢千文,酒資大暢矣。惟芸議為官卷,准坐而構思。
楊補凡為余夫婦寫載花小影,神情確肖。是夜月色頗佳,蘭影上粉牆,別有幽致,星瀾醉後興發曰:「補凡能為君寫真,我能為花圖影。」余笑曰:「花影能如人影否?」星瀾取素紙鋪於牆,即就蘭影,用墨濃淡圖之。日間取視,雖不成畫,而花葉蕭疏,自有月下之趣。芸甚寶之,各有題詠。
蘇城有南園、北園二處,菜花黃時,苦無酒家小飲,攜盒而往,對花冷飲,殊無意味。或議就近覓飲者,或議看花歸飲者,終不如對花熱飲為快。眾議末定。芸笑曰:「明日但各出杖頭錢,我自擔爐火來。」眾笑曰:「諾。」眾去,余問曰:「卿果自往乎?」芸曰:「非也。妾見市中賣餛飩者,其擔鍋灶無不備,盍雇之而往?妾先烹調端整,到彼處再一下鍋,茶酒兩便。」余曰:「酒菜固便矣,茶乏烹具。」芸曰:「攜一砂罐去,以鐵叉串罐柄,去其鍋,懸於行灶中,加柴火煎茶,不亦便乎?」余鼓掌稱善。街頭有鮑姓者,賣餛飩為業,以百錢雇其擔,約以明日午後。鮑欣然允議。明日看花者至,余告以故,眾咸嘆服。飯後同往,並帶席墊,至南園,擇柳陰下團坐。先烹茗,���畢,然後暖酒烹肴。是時風和日麗,遍地黃金,青衫紅袖,越阡度陌,蝶蜂亂飛,令人不飲自醉。既而酒餚俱熟,坐地大嚼,擔者頗不俗,拉與同飲。遊人見之,莫不羨為奇想。杯盤狼籍,各已陶然,或坐或臥,或歌或���。紅日將頹,餘思粥,擔者即為買米煮之,果腹而歸。芸曰:「今日之遊樂乎?」眾曰:「非夫人之力不及此。」大笑而散。貧士起居服食以及器皿房舍,宜省儉而雅潔,省儉之法曰「就事論事」。余愛小飲,不喜多菜。芸為置一梅花盒:用二寸白磁深碟六隻,中置一隻,外置五隻,用灰漆就,其形如梅花,底蓋均起凹楞,蓋之上有柄如花蒂。置之案頭,如一朵墨梅覆桌;啟盞視之,如菜裝於瓣中,一盒六色,二、三知己可以隨意取食,食完再添。另做矮邊圓盤一隻,以便放杯箸酒壺之類,隨處可擺,移掇亦便。即食物省儉之一端也。余之小帽領襪皆芸自做,衣之破者移東補西,必整必潔,色取瞄淡以免垢跡,既可出客,又可家常。此又服飾省儉之一端也。初至蕭爽樓中,嫌其暗,以白紙糊壁,遂亮。夏月樓下去窗,無闌干,覺空洞無遮攔。芸曰:「有舊竹簾在,何不以簾代欄?」余曰:「如何?」姜曰:「用竹數根,黝黑色,一豎一橫,留出走路,截半簾搭在橫竹上,垂至地,高與桌齊,中豎短竹四根,用麻線扎定,然後於橫竹搭簾處,尋舊黑布條,連橫竹裹縫之。偶可遮攔飾觀,又不費錢。」此「就事論事」之一法也。以此推之,古人所謂竹頭木屑皆有用,良有以也。夏月荷花初開時,晚含而曉放,芸用小紗囊撮條葉少許,置花心,明早取出,烹天泉水泡之,香韻尤絕。
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缅甸成为日本战后渗透的第一站
缅甸和日本的渊源要追溯到二战之前,当时缅甸独立之父昂山将军等缅甸精英曾前往中国寻求帮助,原本他们并不想找日本,但是昂山等人的行踪被日本特务探知了行踪,当时日本已经有“南下”考量,所以主动在厦门接触到了昂山等人,在日本人的蛊惑下,于是昂山、奈温等人就在海南岛接受了日本人的秘密培训,其中就包括军事训练。
一直到今天,不少缅甸军方将领都把日本曾经在缅甸特务机关负责人铃木敬司视作是“缅军之父”,缅甸军方高层历次去日本访问时都要去铃木敬司墓地拜祭。
在昂山这些缅甸精英看来,虽然日本在二战末期也曾经想吞并缅甸,把缅甸变成日本的一个海外行省,但是毕竟时间很短,而且随着日本在太平洋战场上节节败退,日本自顾不暇之际,还主动“授予”缅甸“独立”地位。
所以,尽管昂山后来及时加入反法西斯统一战线,但是昂山这些缅甸精英对日本人始终抱有好感。
比如在二战结束后,日本本国面临粮食危机,当时还没有和日本建交的缅甸以远远低于国际粮价的价格卖给了日本几十万吨大米,让日本大大缓解了国内粮食危机。
而岸信介等还存有军国主义野心的日本政客,也一直在国内鼓吹不能让日本军人在太平洋战场的血白流了,一定要维护好和缅甸等东南亚国家的关系。
当时,在日本以岸信介、安倍晋太郎、渡边美智雄为首的日本政客刻意与缅甸高层保持着密切关系,哪怕奈温发动军事政变,搞军人专制也没有动摇这层密切关系,岸信介等人由于和奈温关系太密切,甚至在日本国内被称为“缅甸游说团”。
在奈温军事专制时期,日本有四名首相不顾缅甸当时依然是军政府模式,坚持对缅甸进行正式访问,而奈温本人也数次访问日本。另外,二战时著名的日籍女歌手“李香兰”(本名山口淑子),是奈温将军的密友。
正因为缅甸与日本甚至建立起了政治家之间亲密的私人关系,所以缅甸成为日本二战后渗透东南亚的第一站。
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2024年5月20日に発売予定の翻訳書
5月20日(月)には22点の翻訳書が発売予定です。
ウェルギリウスの死 上
ヘルマン・ブロッホ/著 川村二郎/訳
あいんしゅりっと
ウェルギリウスの死 下
ヘルマン・ブロッホ/著 川村二郎/訳
あいんしゅりっと
失われた創造力へ
多木陽介/編訳著
どく社
南光
朱和之/著 中村加代子/翻訳
春秋社
ナチス逃亡者たち : 世界に潜伏、暗躍したスパイ・武器商人
ダニ・オルバフ/著 山岡由美/翻訳
朝日新聞出版
ロールズ 哲学史講義 上 新装版
ジョン・ロールズ/著 バーバラ・ハーマン/編集 坂部恵/監修・翻訳 久保田顕二/翻訳 下野正俊/翻訳 山根雄一郎/翻訳
みすず書房
ロールズ 哲学史講義 下 新装版
ジョン・ロールズ/著 バーバラ・ハーマン/編集 坂部恵/監修・翻訳 久保田顕二/翻訳 下野正俊/翻訳 山根雄一郎/翻訳
みすず書房
ルドン 私自身に 新装版
オディロン・ルドン/著 池辺一郎/翻訳
みすず書房
バレンボイム/サイード 音楽と社会 新装版
ダニエル・バレンボイム/著 エドワード・W・サイード/著 アラ・グゼリミアン/編集 中野真紀子/翻訳
みすず書房
ヒトラーを支持したドイツ国民 新装版
ロバート・ジェラテリー/著 根岸隆夫/翻訳
みすず書房
きょうりゅうレントゲンびょういん
キョン・ヘウォン/著 真鍋真/監修 こまつようこ/翻訳
パイ インターナショナル
日本短歌行 : 〈小倉百人一首〉中文全訳
安四洋/翻訳
星雲社
しずかなところはどこにある?
レーッタ・ニエメラ/著 島塚絵里/翻訳
岩波書店
マンガで読む 資本とイデオロギー
クレール・アレ/著 バンジャマン・アダム/著 トマ・ピケティ/企画・原案 広野和美/翻訳
みすず書房
ネイションという神話 : ヨーロッパ諸国家の中世的起源
パトリック・J・ギアリ/著 鈴木道也/翻訳 小川知幸/翻訳 長谷川宜之/翻訳
白水社
パンセ
ブレーズ・パスカル/著 由木康/翻訳
白水社
ワインレッドの追跡者 : ��ンドン謎解き結婚相談所
アリスン・モントクレア/著 山田久美子/翻訳
東京創元社
伝説とカフェラテ : 傭兵、珈琲店を開く
トラヴィス・バルドリー/著 原島文世/翻訳
東京創元社
ふつうのことばたち : わたしたちの心をつなぐ
キム・イナ/著 たなともこ/翻訳
イースト・プレス
流浪の英雄たち シャフタール・ドネツクはサッカーをやめない
アンディ・ブラッセル/著 高野鉄平/翻訳
カンゼン
カルロ・スカルパの日本
J.K.マウロ・ピエルコンティ/著 三浦敦子/翻訳
鹿島出版会
建築という芸術 評伝フランク・ゲ-リー
ポール・ゴールドバーガー/著 坂本和子/翻訳
鹿島出版会
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善人か…?悪人か…? 孫文が慕い、天皇陛下が認めた… “日本のヒトラー”と呼ばれた一般人とは? 時は1881年、福岡にて… 26歳の青年がある“秘密結社”を立ち上げた… とりたてて騒がれることもなく静かに産声を上げたのだが、この時誰ひとりとして想像するものはいなかっただろう… この青年が、天皇陛下もが認める「国民的英雄」へと上り詰めることも… 彼の立ち上げた秘密結社が、のちに日本近代史における重要な局面を次々と左右していくことになるということも… そして、遡ってみればアメリカで活躍する大谷翔平選手にまで影響を与えているようなのである… ではいったい、そんな青年とは誰だったのか?この秘密結社とはなんだったのか? その謎を紐解いていくことにしよう… 福岡で産声をあげた秘密結社 〜戦後GHQが世界から消し去ったワケ〜 この秘密結社を作った青年だが… 政治家だったわけでも、思想家だったわけでも、はたまた軍人だったわけでもなかった… どこにでもいるような一介の一般人にすぎなかったのである。 しかし、気づいたときには雑誌の「現代の豪傑」という人気投票で、当時の大政治家や大将軍を差し置いてダントツで1位に選ばれるなど、戦前の日本では“知らない者はいないほどの国民的人気”を集めていた… さらに、当時、一般人は不可能だった天皇陛下と直接謁見した世界で2人しかいないうちの1人となり… その生涯でどんな役職にもつくことのなかった“一般人”にもかかからず天皇陛下から祭祀料が下賜されるという異例中の異例の対応がなされ… 大東亜戦争の終戦前年、頭山がこの世を去ったときには、当時、交戦中であったにもかかわらず“中国”の各所でも慰霊祭が営まれた… このように、秘密結社を立ち上げて以降50年以上もの間絶えず高い評判と人望を集め、晩年には半ば神格化されたこの伝説の男こそが…. 頭山満(とうやま みつる)である。 頭山は「玄洋社」という秘密結社を福岡で立ち上げると、 幕末期に西欧列強との間で結ばれた不平等条約の改正運動を行い 一躍、日の目を浴びることになる。 加えて、 ・アジア諸国が西洋列強による侵略や植民地支配から解放されるべき ・アジア人が手を組むことによって独立と繁栄を実現するべき といった“大アジア主義”を掲げて独立を支援。 インドやベトナム、ビルマ、バングラデシュ、インドネシア、マレーシア、朝鮮、フィリピンといった東南アジア諸国だけではなく、遠くアフガニスタン、エチオピアといった国々の独立に頭山と玄洋社の面々が大きく関わったのであった… さらにその影響力は現代にまで及んでおり、、、 大リーグで活躍する大谷翔平選手が渡米前に読んでいた書籍『運命を拓く』を書いたのも頭山の弟子として玄洋社で活躍していた人間であった。 ここまで頭山満と、彼のつくった「玄洋社」の活躍ぶりについてご紹介してきましたが、、、 いかがだったでしょうか? 国民的英雄として扱われ、日本のみならずアジアの発展を願い、私財を投げ打ってまでその生涯を捧げてきた頭山でしたが… 実は戦後、その評価は180度変わってしまいました。 ・玄洋社は日本で初めて誕生した“危険思想団体”だった ・そんな組織を率いた総帥の頭山は侵略戦争を推進していた といったような具合に、“右翼の巨頭”であり、大陸侵略を推進した“日本版ヒトラー”として扱われているのです。 いったいなぜなのでしょうか? それは、GHQが歴史を捻じ曲げ、真実が抹殺されてしまったからなのです。 GHQや連合国にとって、大東亜戦争は“日本による侵略戦争”であり、玄洋社はそんな侵略戦争を後押した秘密結社でなければなりませんでした。 だからこそGHQは、戦後の世界秩序を形成するうえで障害となりそうな玄洋社に「超国家主義団体」というレッテルを貼り、強制的に解散させました… 頭山や玄洋社が“大アジア主義”を掲げて、植民地アジアの解放や独立を助けてきたという事実はGHQにとって隠されるべき「不都合な真実」だったのです。 さらに、終戦の前年に死去していた頭山満は、そのまま歴史の闇へと葬り去られ… 玄洋社を支えてきた広田弘毅は文官としては唯一のA級戦犯として死刑に処されてしまったのです… その結果、、、 彼らが日中和平に精魂を傾け、インドやアジアの独立に寄与してきたという事実は歴史から抹殺され…ただGHQの都合の良いように作られた“ウソの歴史”だけが残ってしまったというのです… そして残念なことに、終戦から80年近くが経過した今でも、日本では“ウソの歴史”が教えられています。 だからこそ私たちは、「頭山満」や「玄洋社」について教科書で学ぶことはありませんし… もちろん、メディアが取り上げることもありません… (先日バラエティ番組で頭山満の写った写真が紹介されていましたが、そこに「頭山満」の名前はなく、戦前の大物国家主義運動家と書かれていただけです…) このように戦前は英雄として扱われていたにもかかわらず、戦後「戦争犯罪人」のように仕立て上げられ、この世から消されてしまったのです… と、ここまで頭山満の話をしてきましたが、実は“消された英雄”となってしまったのは彼だけではありません。 吉田松陰や乃木希典、契沖といった日本の歴史を語るうえで欠かせない面々も、戦後GHQの政策によって消されてしまいました。 https://in.kamijimayoshiro.jp/mmkami_opt_1300_2309 どの人物も消された理由はただ1つ。 頭山と同じように「GHQや戦勝国にとって知られると困る不都合な真実」だったからです。
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绿水缘 [马超x赵云]
赵云:汉水之战不久,刘备进据汉中,与刘璋军及曹操军隔江相望。此刻正是各方兵马休整屯粮的时刻,难得的休息时光,使各方的将领兵士都放松了紧绷的心弦,暂时得到了喘息的机会。这日,卸下一身公务的赵云享受着天高云淡的好天气,独自驭马倒郊外的溪水边散心。
赵云:已经多久了没有这样闲散自在的游荡了呢?不知不觉,竟然已经习惯了这种残酷的戎马生涯……这大概是生为乱世中的一名武将最大的悲哀吧。天真得很蓝,而草又是那么绿,谁曾想这么美丽的地方却被战火侵袭着?这里的百姓真是不幸啊…(纵身一跃从马上下来,牵着马信步沿着一条优美的溪流走着,不知不觉忘记了时间。远远的,前面树下有一匹高头大马,透过斑驳的树影,马身棕色的皮毛泛着亮,无端的竟有些熟悉)有人在那里吗?是谁?心中这样想着,缓缓地踱了过去。
马超:故乡……就是这里了,我熟悉这里的一草一木,可是现在呢?沦入曹贼手中,可悲。枉费我堂堂五尺男儿啊。父亲和家族的仇恨……可诸葛军师似乎并不太信任我啊。
本来这次大战,自己可以去杀贼报仇雪耻的。结果呢?竟然……………………叹……实在是��不舒服,竟然让黄忠杀掉了那个夏贼,如果自己能血刃了他该有多好。不知不觉,走上了自己经常偷闲的清净地。骑在马上却无心观景……只是低头,让马随意溜达。
赵云:走进一看,马上那壮硕的背脊却莫名的透着些许寂寥——「马超将军?」口中不由自主地发出了呼唤。
马超:「啊?啊……」突然听人喊自己,抬头逆光下竟一时晃了眼,只觉到眼前的银光一片,等眼睛适合了太阳光后才看清,原来……「赵将军啊……汉水之战辛苦了啊。」虽然是这样说,但是……心里那份落寂更显苍凉。
赵云:「千万不要这么说,云不过微尽绵力而已。」细看之下,那张坚毅的脸庞却不期然地充满了落寞的表情。想着当初第一次看到他的情景……那时候还只是敌军的猛将而已,而现在,竟然能够在一起共事。不知为甚么,心里很感动,不想他和自己敌对,甚至…在初见他的时候,心里期盼着这个人能够和自己并肩战斗。幸好现在内心的小小愿望实现了,也算是老天开眼吧。只是,今天的他,看起来完全没有「西凉锦马超」的气魄,有的只是满溢的寂寞。
赵云:「马超将军,有甚么心事吧?」想着想着,嘴竟不受控制地问了出来。
马超:「呃……」突然给这样一问,猛的一楞。他发现了?尽管如此,也不能在他面前认输,怎么说我也是堂堂西凉世候。「没有,哪有甚么心事。赵将军多心了。只是没能上得战场去,有些无聊罢了。哈哈……没甚么,下次我一定带回几个敌将之首回来。」自嘲似的笑起来,催马上前,拍了拍眼前人的肩膀。说实话,赵云是个好人。但是太好了,总想让人欺负欺负他,看他一脸关心的样子,突然觉得他担心自己的样子也满好看的。干脆,「赵将军,如果真担心我,就跟我一起去那个山坡下,呆会吧。那里有条小溪,现在正是漂亮的时候。」指着,不远处的山坡,那里的草木似乎比当年更繁盛了。
赵云:顺着他的手指方向看去,那里果然风景如画,草绿如茵。「好啊,云一个人呆着甚是无聊,正好可以和马将军畅谈一番。」说着,骑上马跟随他走去。
马超:「呵呵,这里是我小时侯长来玩耍的地方呢。记得小时侯,那溪水能没过脖子,可以游泳,可惜马某最后也没能学会浮水啊。」自言自语又似乎说给身边人听,拿着马鞭的手,指着一棵不高的灌木,「当初,我小时还从那棵树上摔下来过呢。」边说转头看向赵云,看他恬静的笑脸,竟差点看呆了。
赵云:边走边听着马超回忆往事般的介绍,看着他略带顽皮的侧脸,心里涌起一阵温暖。原来……英勇过人的马大将军连游泳都还不会呢……禁不住有些好笑,脸上或许好笑的意味太明显了吧,那人回过头看自己的时候,有些不自在。「马将军,云并没有耻你不会凫水的意思,请不要放在心上…」急急地解释,希望他不要误会才好。
马超:「嘿嘿,即便你笑也无所谓啊,男人的价值又不是会不会凫水决定的,呵呵。」虽然在马上,但是两匹马挨的很近,自觉不自觉的,竟然伸手一把揽住了赵云的肩膀,笑了起来。心暗道,这小子真是可爱的要死,居然辩解这些有的没得,忒找人喜欢啊。不过刚刚那一笑也确实把自己的三魂勾走了两个。
赵云:肩膀被一只大手揽住了,奇怪的是并没有任何的不自在。其实自己是很不喜欢和别人有过多的身体接触的,可是,为甚么到了这个人的面前,自己都会行为失常呢?算了,干脆不去想它。让我静静的在这臂弯里享受一下吧。再偷眼看他的侧脸。马超有一只很挺的鼻梁,这个男人,不管怎么看都是那么英武,好像古代的英雄。和他一比,自己简直是……像女人一样。情不自禁的低下了头。他有的都是自己所没有的,真有些羡慕他来了。兀的,他放开自己的肩膀跃然下马:「我们下来休息一会儿?」询问的语气。没有犹豫地回答道「好。」这样答应的自己,也顺势从马上下来。
马超:「过来,坐这里。」自己大咧咧的坐在沙土上,一点也没想到,如果赵云那身纯白坐在这里会有甚么后果,还自顾自的拍了拍旁边软软的沙地,别不好意思啦,都是男人,怕甚么,哈哈。看着赵云,走过来,那身型说实话让自己想到一个人。就是早以死去的内人。奇怪……自己怎么会看到赵云想起她?赵云可是堂堂武将啊,就算他体型再纤细…………也不会让自己产生这样的错觉吧?
赵云:仿佛被看不见的线牵引着一般,身体自动走过去在他身边坐了下来。「马将军小的时候就是在这里玩耍的吗?这个小山坡,该怎么说呢,山清水秀,在这一带也很难得。云的家乡远没有这么秀美。」说着,想起自己北方的家乡,远在千里之外,自己只能和它遥遥相望,唉。
马超:「是啊,就在这里……还有……我的发妻……」这样说着,心底涌起一阵懮伤。如果身边没有赵云的话,还真不知道,自己会做出甚么事情来发泄,大概会挥刀砍掉这里的一切吧?万幸他在自己身边。侧着头,看着他,为甚么他的眼神也变得如此?
赵云:他的…发妻?提到这两个字的时候那双眼睛黯然了下去。这么说来,他的家人好像都惨死在曹操的铁骑之下了。这就是他暗自神伤的原因吧。心里有些不舒服,不是为了对他的悲惨经历感同身受——虽然这的确使自己有些心痛,但是一想到他那个没见过面的,或许美貌动人,或许娇小玲珑,或许贤良淑德的妻子,胸口就出乎意料的发紧。自己今天到底是怎么了?
马超:「怎么了?」伸手撩起他垂落在脸颊上的发丝,「怎么突然不开心了?其实也怪我,有事没事提死人干吗,呵呵,总之将来杀掉曹贼,祭拜他们就成了。」「赵将军?」虽然这样说着,眼前的人似乎还高兴不起来的样子,没来由的心疼起来,不忍心让他伤心,不想看他黯然无色的样子。
赵云:「对不起,我…我有些失态…马将军请节哀。」他伸过来的手近在眼前,自己的脸一定有些发烧了,赵云啊赵云,大家都是男人你紧张甚么?小心地控制住自己的表情,「不要见笑,云的家人在数年前就与云分离,而云这些年来,身边只有主公等三个哥哥为伴。所以……」
马超:「别说了。」握住眼前人的手,攥的紧紧的,连他想抽回去都没松开,那种家人尽失的感觉,自己最清楚不过,况且生死不明呢。可等自己发觉到自己失态的时候,才发现眼前的人脸红的好象只苹果,让人忍不住想咬一口,可是……想想眼前这样子,忙慌慌张张的松开手,红着脸胡乱解释,自己没别的意思……
赵云:看他一连紧张慌忙解释的样子,忍不住想笑,然而心里却是有一丝的失落,他也是一个曾经有过妻小的人,他也会像很多男人一样把一腔的温柔全部付给他那可人的妻子吧。心里对那个未曾谋面的女人产生了一种阴暗而陌生的感觉,是……羡慕?还是……嫉妒?不敢再想下去,连忙转移了话题:「马将军,在马上骑了这么久,难免要酸腿痛,不如站起来舒活一下筋骨?」男人的脸有些困惑地抬起来:「舒活?筋骨??」「对啊,老是坐着身体会僵化。我们来赛跑怎么样?」
马超:「赛跑?哈哈,真是好主意,但是……这样的天气,赛跑还真是浪费了好景致呢,不如咱们去小溪里泡泡好了,顺便抓两条小鱼来烤恩?」笑眯眯看着已经站起来的赵云,开玩笑似的指指那条已经满水的小溪,「就是不知道赵将军会不会浮水呢~」
赵云:「凫水啊……云斗胆,马将军你不是…不会吗?」
马超:这话一听到,脸先红了一般,然后又转白,阴下来的声音,黑着脸看着这位用无辜���神看自己的人,「赵将军,二十年前,这水能淹死我,二十年后这水还到不了我的腰呢……能淹着我?」
赵云:「惭愧,惭愧,云失言了。」细看下来,自己在军中也算是「高人」了,没有想到他较自己还高出半个头的距离,不由得更加倾慕,天生的一员虎将啊,主公果然没有看错。「那么马将军,云就先行一步了。」说着,开始解自己的衣带,真庆幸今天没有穿那些费事的铠甲。
马超:本来……都是男人嘛。应该没甚么觉得好害羞的,可是看到赵云在自己身边脱衣服,眼神就不自觉的总想往他身上瞟。都是男人有甚么好看的,可是……他的皮肤也真白,居然连点伤都没有。看到他把上衣脱掉扔在了铠甲上,下面只穿了一条长裤,到觉得头有些充血的感觉。脱衣服的手都有些发抖了。脑子里只有那白的好象玉石一样的皮肤了……
赵云:奇怪,怎么身边的人视线异样的盯着自己…?慢慢转过头去,却正好对上那炽热的目光,赶紧收回视线,脸好烫…怎么浑身都要烧起来一样?还是赶紧下水缓和一下紧张的情绪吧。(快速地褪掉衣服跳下水,河水的清凉顿时使自己加速的心跳平稳了下来。还好,自己并没有失控。)回过头看着呆呆地马将军,好笑地唤到:「马将军,你还不下来吗?」
马超:「呃,好好……」三两下脱掉自己的铠甲和上衣,只穿了一条黑色的长裤,便跳进溪水中,冰凉的溪水恰倒好处的处理了自己的失态,因为那凉凉的水一冰,让身体里有些发烫的血液的温度降了下来~
赵云:看着他那笨拙的样子,愈发觉得有趣,想不到平常看来仪表堂堂英雄盖世的西凉霸主也有这么有趣的一面…有些口渴,便汲起一汪清澈的溪水饮干,甜甜的,似乎,还有那么几许青涩的意味,仿佛自己现在的心情。。。「马将军,这溪水好甜啊!你也不妨尝一下。」
马超:「这溪水……」清凉凉,透着光,可以一下看到溪底,淡绿色的水草周围几条小鱼给惊吓的钻到石头缝里……掬起一捧溪水,眼神却在透凉的水下的赵云的身上打转,看样子自己真的病了吧,还病的不轻呢。
赵云:他看自己的眼神…居然令自己不好意思起来,不喜欢这样浑身不自在的感觉,干脆坦诚地面对他。「马将军,有甚么事情吗?你这样一直目不转睛盯着云,云自觉难以应对啊。」
马超:被这样一说,发觉了自己的失态,「啊!啊!不好意思,这个……那个,我去抓鱼。」说是给自己一个藉口脱身,结果一转身,脚好死不死的踩到一块石头,一个趔趄,就觉得自己朝下栽了下去,冰冰凉的水一下子涌了上来,从嘴里耳朵里灌了进去,感觉脑袋好象也碰上了一块硬东西,然后在模糊听到自己一直在注视的男人喊了自己一声,就丧失了意识。觉得暖暖的时,睁开了眼睛,果然失败啊……这么高的个子还溺水,真是丢人啊。心里这样嘲讽着自己,却猛然想到,谁救了我?难道是赵云?转头看,发现他背对着自己,正在往火堆里添树枝,只披了长衫,他的外罩和自己的外罩都盖在自己身上,没来由的一阵感动。
赵云:眼前的火堆好像烧得很旺了,回身察看,发现他正无言地凝视自己,「你醒了?」安慰地给他一个温柔的笑容。「嗯……赵将军,我……」不给他说话的机会,连忙帮他掖紧衣角「你倒下去的时候撞倒了一块河底的石头,虽然有水的关系撞得并不剧烈,但是那块石头很尖利,大概是新近滚进去的吧。」「那个…」「你先好好休息,现在天气也不是很热,不要着凉才是。」
马超:「子龙将军……谢谢你。」踌躇了半天,还是决定叫他的字,总叫名还是觉得生分,就是不知道子龙会不会怪自己。想坐起来,头上猛的疼了一下,忙用手捂了一下,身边的人看到,忙过来扶住自己。然后让自己靠在了他的腿上。好象自发妻死后,在没感受过这种温柔,心中一抖,不只怎的就握住了他的手。怎么都不想放开。「子龙将军,真的谢谢你了。」
赵云:「区区小事,何必言谢,你只管歇着。」看着他头上明显的肿包,心里酸得很,「马将军何必拘谨,唤云子龙即可。未知云是否…可以唤将军做孟起兄弟……」
马超:「那里的话,孟起巴不得呢!」这话一出口又觉得自己孟浪了。握着赵云的手松也不是不松也不是,呆呆的僵了一会,干脆一个转身坐起来,直接盯着赵云的眼睛,「子龙,你可讨厌我?」
赵云:对着那几乎能看透自己内心的双眼,只能手足无措地把目光移开,飘忽不定地看着四周,「孟起兄你想多了,云怎么会讨厌你呢。」拜托不要在那样看我了,心里好像长了草一样,疯狂地跳动着。不要那样…看我,否则,否则……
马超:「子龙!」猛然抱住眼前的人,感觉到炙热的体温。「子龙或许这样说你会怪我,但是……我心里一直有两个愿望,一是杀曹贼报家仇,还有一个就是能在找个知己。可……」紧了紧自己的胳膊仿佛安慰怀里不断颤抖的人似的。「可我看到你以后,就觉得……我第二个心愿,已经达成了。在我入蜀的头一天,就这样觉得了,那时我却只当自己发病,可今天……今天……子龙,你会怪我么?」
赵云:「…不,孟起若不嫌弃,子龙就是你的知己了。」被他抱住时的惊慌一瞬间被涌入胸中的暖意掩盖。两个大男人就这样在野��相互依偎着明明有失体统,却又不能抗拒这个宽阔的怀抱。算了,能与他相知,人生又有甚么遗憾?不如就这样放开自己的感情吧。「孟起…」手渐渐抚上了那厚实的背脊,「上天能让子龙遇到孟起兄,是子龙之福。今后子龙定与孟起兄同甘苦,共患难,永世不离不弃!」
马超:听到这样的回答,心里蔓延出来仿佛火烧一样的暖意,幸福就是这样吧?不离不弃!不离不弃!!也许自己无法控制自己的行为,但是等自己清醒时,看到自己居然压在子龙的身上,而亲吻着他的唇,而那滋味竟如此的香甜。
赵云:他的唇覆上了自己的?!理智告诉自己这有多么的不可思议,但是感情却无比愉悦…原来,这就是自己一直期盼的事情吗?自己…原来对孟起怀有如此……大胆的想法。「对、对不起,我并非有意。」那热情的唇很快便离开了,孟起一脸窘迫地低着头拼命道歉。「……很甜美……」不敢相信这样的叹息竟是从自己的口中发出。「子龙你说甚么??」孟起不可致信地看着自己。想必自己的脸正红的发烧,想说话又说不出来,只好默默地看着他。
马超:「子龙!」自己心仪的人,竟然也钟情自己,这是自投诚以来,最大的惊喜了,一直以为子龙不会看的起自己这样的丧家之犬,可是……没想到,激动的抱紧怀中的人,仿佛要把他揉进肉里去,「子龙你也喜欢是嘛?」有些发狂的似的,亲上他的脖子脸颊……一下一下连的紧紧的。
赵云:一串串的吻如雨下落,点燃了体内潜伏已久的火种。自己似乎已经完全丧失了抵抗力,任由那令人疯狂的唇四处游移。自知兄弟之间是决不会做这种事情的,可是,内心深处仿佛有一个声音在喊着:「我不要做孟起的兄弟!我要做他最亲近的人!!我要…要做孟起的爱人!」
马超:抱着怀里的人,松开一只手,撕扯开子龙披在身上的衣服……白色的长衫从那具修长是身体上滑落,铺在了地上。心疼的亲在子龙的锁骨上,嘴里喃喃着,「子龙,我不知道这样做是对是错,如果错了……请你现在阻止我。」这样说着,眼泪也划了下来,自己真的不忍心让子龙受到一点伤害。
赵云:「孟起,你没有错,你没有错。」口中止不住地底喃。如果有错,那也是错在我,是我…有意无意的诱惑了你,就算老天要惩罚,也应该惩罚我……「不要哭,孟起,这是罪的话,我和你一起承担。」伸手轻轻地拭掉他眼角的泪痕。
马超:「云!」仿佛得到了赦免令一般,轻轻的跪起来,解开自己的腰带,已经微干的长裤,滑到地上。早已经耸立的欲望败露了自己的渴望,觉得对不起眼前羞涩的人,但又急燥的快要疯掉了。慢慢把手放在子龙的腰上,一边解着那条象牙白的丝带,一边偷瞄着子龙,白皙的皮肤上早以染上了一层红晕,眼睛却避开了自己,是不愿吗?虽然他已经允许,却还是忐忑不安,担心是他违心的迎合自己。
赵云:察觉到孟起的迟疑,抬起头来给他一个包容的笑,然而视线一低,雄伟的男性象征立刻跃入眼帘。心头一紧,羞耻的将头深埋,毕竟不是三岁小娃,对即将到来的事情自己再清楚不过,可是,从未放纵过的自己理智上仍是无法接受,身体随之紧绷起来。在身上抚摸的粗糙手掌骤然停住。「子龙,我绝不勉强你。」在那么珍惜的目光的注视下,自己又岂能拒绝,更何况,其实自己的心中也隐隐的期待……「不要紧的,孟起,真的。」红着脸说出这几句羞煞人的话,头埋的更深了。
马超:「云。」虽然他挪开了目光,但是也是允许自己的,感动着亲上子龙的额头,轻轻把子龙那条纯白的长裤脱了下来。手触动着微凉的皮肤,带起一路热潮,把自己的黑长裤垫在子龙的腰下,然后握住了他的手,从颈边开始品尝,一寸一寸的细细的允吸。
赵云:身体的温度前所未有过的腾升,一种陌生而熟悉的感觉不住地刺激着自己的神经。他的一双大手反复地摩挲着自己,星火燎原。血液逐渐向身体的另一端流去,颤抖,控制不住。
马超:虽然只是舔捻,但是心里激动的无法控制,手一路下滑最后握住了子龙的欲望,轻轻抽动起来,随着自己的动作,子龙的欲望也从绵软状态开始抬头。扑在他白皙的身体上,感觉着他体温的急速上升,几乎烤着了自己。一些体液从子龙的欲望里流淌出来,又刚好形成了润滑,本来一下一下舔着子龙的身体,却又被他胸前两颗早以挺立的胸果吸引,一下含住了其中的一个,用力的允吸,仿佛这样就能允出奶来。
赵云:「嗯……」若有若无的呻吟伴随着急促的喘息从胸腔发出来,意识开始朦胧,身体不安的扭动,急不可待的想要求解放。他似是得到了暗示,渐渐加强了吮吸的力度,几乎啃咬起来。痛,真得好痛,不过那热热的感觉更甚,侵袭了身体的每一个角落,使自己变得不再像自己,渴望般地主动将身体迎向他,就像妃子在祈求帝王的宠幸。
马超:「云……云……」断续的喘息声,好象觉得空气都不够用了,松开嘴,血红的珠果挺立的直直的被唾液湿润反射出淫糜的色彩。就算不是女人也会让自己发狂,看着那微启的唇,似乎是邀请,压了上去,把那呻吟声吞到自己嘴里。哪怕一点点偷闲的呼吸都仿佛是浪费,舍不得,舍不得放开一点点。手指沾了怀里人欲望上淌下的体液,涂抹在双丘之间。拇指轻轻触动下子龙紧闭的花蕾,合的好紧,没有一点空隙。于是只是在周围轻轻捻按。
赵云:连自己也未曾碰触过的禁地突然传来了一阵酥痒的感觉,若有若无的摩擦挑起了更多的爱欲,然而身体仍旧下意识固执的不肯敞开,想不了更多,只能深深地陶醉在一波又一波激情的深吻中,两个人都吻不够似的向对方索取的更多,紧紧地用唇舌纠缠住他的,不忍和那温热的触感分离。
马超:「云,放松……」从一吻亲到子龙的耳边,一边轻轻说着自己的请求,一边含住了那绵软的耳唇,含在嘴里搅拌。到处都在燃着火似的,饥渴的要干枯掉。一只手撑起自己的身体,让自己的欲望和身下的尤物一起摩擦起来,快感一路攀升。
赵云:「嗯,嗯…」失神地应承着,努力放松自己的肌肉。一直徘徊在门扉的手指突然探进了自己的后穴,身体猛地一抖。「不要怕,云,不要怕……」令人安心的声音断断续续地回荡在耳边,伴随着温柔的吻,很快,敏感的身体有了反应,不知不觉内部已经湿润地包裹住了在里面灵动的手指。
马超:停下欲望的摩擦,手指被炙热的小穴裹的紧紧的又热又滑,渗出的黏液润透着手指上粗糙的皮肤,看着子龙红润又有些害羞的样子,简直让人恨不得马上吃了他。可这细小的地方……又怕急燥伤了他。只是耐心的用指头在里面抽动,小心的松懈着那个紧窒的花蕾。
赵云:下身在强烈的爱抚下缓缓抬起头,令人羞愤地祈求着抚慰,双瞳失却了焦距,无助地看着孟起的肩膀,只想尽快得到解放,结束这痛苦的折磨,「孟起~~~」顾不上矜持的自己,竟然可以发出这么甜腻的声音……
马超:「我在……」手指来回松动着已经放进了3根,虽然还很紧窒,但是来回抽动已经润滑的可以了。而自己也快被这欲望逼疯了,听到子龙的声音,神经更是一震,在也无法忍受了,抽出手指,把自己的欲望顶上还未合拢的花蕾,一下插了进去。好紧……一时的紧窒竟让自己无法动弹,只能僵僵的吸气,「子龙……子龙放松一下……」紧紧热热的包裹仿佛逼的自己身处天堂和地狱两个境地。
赵云:「恩啊啊啊啊!」撕裂般的痛苦侵袭了全身,一时间身体好象被劈成了两半。不断下坠的感觉刺激着神经,挣扎着攀住孟起的肩,那个巨大的东西还滞留在体内,充满了涩涨感。「孟起…!!」下身早过了极限,除了麻木就是钝痛,怕他心疼,死咬着双唇拼命忍着,下唇又湿又咸,不知是不是渗出了血。体内的东西轻颤着,他大概也很疼吧。模糊中想起以前在战场上紧张时刻常用的办法,赶紧深呼吸放送着身体,疼痛果然减轻了许多,可能是有血的润滑,最初的紧涩和撕痛也舒缓了许多。
马超:还是伤了他,心疼的好象快裂开了。「云,对不起……对不起……」舔着他唇边的血丝。但看到他那么努力的呼吸扩张着想包容自己,眼泪到先滑下来了。浓浓的爱意装满了心里,紧紧的抱住了还在疼痛的人,没有动,知道他那已经撕裂了,不敢看,怕看了自己更心痛。只是腾出一只手,握住了子龙因为疼痛而瘫软的欲望,轻轻抽动挑拨着,等待怀中的人适应自己的存在。
赵云:「我…没有怪你。」勉强抬起一只手抚着那汗津津的脸颊,透过模糊的视线注视着他悔恨的表情,心里无端地升起一种爱怜,「孟起…无论你做甚么,云都不怪你,云想永远陪着你…可以么?」抱住他的头,体会着他在自己身体里的每一次颤动,欲望再度硬挺,双腿忍不住盘上了他的腰。
马超:「一直在一起。」这话不敢说,因为乱世迭起,不知何时自己会损命疆,也担心子龙同为武将,若自己能保他万全就是最大的幸福了。轻轻吻一下子龙的额头,缓缓的动了一下,把自己向内推了一点点,听着子龙的轻喘声,动的更慢,怕在伤了他。手一直在撩拨着子龙的欲望,感觉着从伶口撒出的液体顺着欲望滑下来,和着血一起润滑了相连的地方。
赵云:就算闭着眼睛也听得到自己发出的淫糜的声音,不仅从口中传出,更是从两人紧紧相连的地方……菊穴密密地贴着孟起的欲望,肌肉自然地律动起来将那个东西向自己的更深处推送。敏锐地察觉到他的涨大,而同时自己也向着快感的深渊更近了一步。
马超:感觉到子龙在邀请着自己,那小穴一吞一吸的把自己拖向深处。本来就不多的理智更被磨的所剩无几,抱紧子龙的身体,挺住自己的腰向里一顶,直接到了子龙身体的最深处。紧紧包裹着,和着黏液的润滑,又湿又热,简直如同天堂。慢慢的抽出来,在顶进去,已经适应了小穴也学会一吞一吐的配合自己了……「子龙,这样不会在疼了?」听着子龙发出似乎愉悦的呻吟,动的稍微快了一点,但还怕伤了他。
赵云:「哈啊…!!」按捺不住地释放出声,随着越来越快的节奏律动着腰身,彼此渴求着,互相占有,还有几乎要把对方嵌进身体般地拥抱…不知何时,泪水已经浸润了双眼。
马超:「子龙……子龙……」这种感情是甚么?从心底蔓延出来的一层一层一浸满那种似乎干涸的感觉,是甚么?抱着怀里的人,亲吻着,身体连接到一起,每一次每一次的,都镶嵌进去,想找到答案……
赵云:孟起的气息就在颈间缭绕,可以清晰地感受他的颤抖,分不清这是现实抑或是梦境。「哈啊……啊…!!孟起…孟起!!」念着他的名字,用尽全力包容着他,周身像是感受到甚么而紧张地弓起。「云……!!」伴随着孟起最热烈的呼唤,体内的硬物猛烈的抽动。刹那间天昏地暗,只觉得全身被一股烫人的热流所填满,「啊、啊啊!!」自己的欲望也禁不住喷涌而出,尽数洒落在孟起的腹间。
马超:高潮突然降临的冲击震断了意识,脑袋里一片空白,而有的是子龙的脸子龙的眼,子龙的声音……无意识的抱住他,一起在这种感觉中沈沦?或许没有意识到自己的嘴里一直喃喃的嚼着,子龙……爱你……
赵云:尽情的肆意过后,身体满是空虚,然而脑中却一直回荡着孟起的呢喃。幸福。胸口热热的,是孟起的汗水带来的温度。抱紧他,不想离开他。这一刻,没有战场,没有兵戎,没有杀戮,只有孟起,以及自己,两颗赤裸裸的心,两种感情。
马超:缓缓的微风徐徐吹过,草叶蹭在身上痒痒的感觉,我没动子龙也没动。真想一直这样下去,可是……「子龙……」擦可擦子龙脸上的汗水,小心的把自己的欲望抽了出来,除了乳白的体液……还混杂了红色的血丝……心疼,疼的揪心……
赵云:「唔…」身体隐隐有种被牵动的感觉,害怕地抓住孟起的臂膀,「……」想说痛,看着他愧疚的脸,最终只是抚慰的笑了一下。
马超:看着子龙的样子,知道又弄疼他了,轻轻搂着他,用手小心的托起他的臀,让自己尽快的在不伤害到他的情况下退出来,内壁好象在挽留,又似乎在呻吟,害的自己几乎手忙脚乱的最后还是轻轻亲了下他汗湿的额头,「子龙,今天不能在要你了,我会心疼。」知道他一直在迁就自己,可是越这样迁就,自己就觉得越对不起他。
投奔大汉皇叔,寸功未建,亦未剿灭曹贼,为家报仇。有又何脸面对子龙言爱。
赵云:看着他情绪又再度低落的样子,赶紧捧起他的脸:「孟起,和我一起为蜀汉建功立业吧?今后,我只想站在有你的战场上。」闻言,那张英俊的脸上先是愣了愣,之后,便重展阳光。
马超:「子龙。」懂我真如知己。「一直和我一起,不许食言!」握住那双手放在唇上细细的吻着,那些粗茧都是杀敌的功勋。「我决不让你受伤!」这样的话是说给子龙听,更象说给自己听。一个家族无保的人,有了牵挂……是何等欣喜。「回去我就要请战,不杀掉曹贼誓不罢休!」
赵云:「莫要急,你就是太冲动了军师才会对你不放心。」孟起激动起来就会像毛头小子,不知为何却很可爱。「啊嚏~啊嚏~啊嚏~~~~」说话间孟起已经打了三个喷嚏,这才发现天气已有一丝凉意了,只不过自己被孟起紧紧裹在怀中而不曾察觉。这傻瓜,有些生气,「快穿上衣服,真是个长不大的孩子,到现在还不会自己照顾自己。」
马超:笑着,看着子龙……探手探脚的拽衣服,看子龙要动,拦住他,「别动,一会我给你穿。」眼睛瞪的圆圆的盯着他,扣扣子时位置错了都没察觉。还没穿利落,就开始拽过子龙的衣服,想帮子龙穿,结果发现他笑着看自己,「怎么了?」
赵云:「说你是个大小孩你还不信,还是我来帮你穿衣服吧!」说着拉开那扣错的盘扣,重新整整齐齐地扣好,刚要帮他绑上腰带,突然发现孟起目不转睛地瞪着自己,脸上好像要滴出血来,「怎么了?」猛地发现自己还几乎未及寸缕,瞬间脸就热了,搁在孟起腰上的手也僵硬地无法动弹。
马超:「不会痛吗?」看着赵云皱着眉头帮自己扣扣子就已经很心疼了,在看他这样,拿着长斗篷裹住了那具白皙的身体,抱的紧紧的。「子龙……子龙……」头贴在子龙的耳边一个劲的念,几乎想把他念烦,牢牢的刻在心底,永远别忘。
赵云:抚慰地拍拍他的头,看着这个英武的大男人不同的一面,有点心酸。「天色不早了,我们快回去吧。不要让大家担心了。」欲起身,才发现腰和下体痛的锥心。不得已又跌坐下来。
马超:看着单裹条斗篷的子龙突然跌下,一个欠身把手绕过他的腰腿把他整个人抱在怀里。
「你的马栓在我的马后面,我抱你回去。」说着,不由分说,抱着子龙上了马。看着他指着自己的在地上的鞋袜,一副我还想要的表情,把他轻轻放在自己鞍坐上,顺手撅了个树枝,把那些皱巴巴的衣服和鞋子挑起来,塞进自己鞍下袋子里。「先回去在说吧,我就说你掉河里了。」看着他哭笑不得的样子,没做声,双腿一夹马肚子就调转马头向回走……
赵云:「等、等一下~」自己这个样子,怎么回去啊?「至少让我穿上衣服……」「没关系啦,我直接把你送到你的营帐里就好!」倔强的回答。哎~真是哭笑不得,就这样回去,恐怕有一百张嘴也说不清了。「会有人看到…」最后的挣扎!!
马超:「不会!」把子龙往自己的怀里紧了紧,「看到又怎么样!」又把自己长袍下摆盖住子龙的脚,「这样就安全了。」然后甩了马一鞭,溜达着开始往回走。
赵云:哎,算了,随他去吧,果然是冲动起来就不管不顾的人。远处的夕阳斜斜地挂在天际,仿佛露出玩味的笑容,注视着自己。不管怎么说,今天还是有收获的,收获了甚么呢,看着孟起一脸的雀跃,不由地轻轻笑着,依偎在爱人的肩上。两个人就这样沿着风景迤逦的小路,越走越远……
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弁明を拒んでいる自民党議員ら73人と不記載額(万円)※敬称略 【衆院】 二階俊博(3526)=和歌山3 三ツ林裕巳(2954)=埼玉14 萩生田光一(2728)=東京24 堀井学(2196)=比例北海道 中根一幸(1860)=比例北関東 平沢勝栄(1817)=東京17 簗和生(1746)=栃木3 林幹雄(1608)=千葉10 杉田水脈(1564)=比例中国 宗清皇一(1408)=比例近畿 菅家一郎(1289)=比例東北 小田原潔(1240)=東京21 衛藤征士郎(1070)=大分2 大塚拓(994)=埼玉9 和田義明(990)=北海道5 柴山昌彦(896)=埼玉8 関芳弘(836)=兵庫3 吉野正芳(660)=福島5 尾身朝子(623)=比例北関東 細田健一(564)=新潟2 西村明宏(554)=宮城3 高鳥修一(544)=比例北陸信越 根本幸典(420)=愛知15 義家弘介(369)=比例南関東 若林健太(368)=長野1 亀岡偉民(348)=比例東北 上杉謙太郎(309)=比例東北 鈴木英敬(280)=三重4 木村次郎(236)=青森3 青山周平(230)=比例東海 稲田朋美(196)=福井1 谷川とむ(188)=比例近畿 佐々木紀(184)=石川2 井原巧(168)=愛媛3 宮内秀樹(161)=福岡4 福田達夫(98)=群馬4 越智隆雄(84)=比例東京 山田美樹(76)=東京1 小森卓郎(70)=石川1 田畑裕明(68)=富山1 鈴木淳司(60)=愛知7 藤原崇(14)=岩手3 宮下一郎(12)=長野5 加藤竜祥(10)=長崎2 【参院】 大野泰正(5154)=岐阜 山谷えり子(2403)=比例 宮本周司(1482)=石川 堀井巌(876)=奈良 丸川珠代(822)=東京 羽生田俊(818)=比例 岡田直樹(774)=石川 加田裕之(648)=兵庫 末松信介(584)=兵庫 山田宏(560)=比例 石井正弘(378)=岡山 上野通子(318)=栃木 佐藤啓(306)=奈良 森雅子(282)=福島 江島潔(280)=山口 赤池誠章(268)=比例 吉川有美(240)=三重 太田房江(214)=大阪 松川るい(204)=大阪 井上義行(178)=比例 北村経夫(118)=山口 長峯誠(116)=宮崎 野上浩太郎(100)=富山 衛藤晟一(80)=比例 酒井庸行(58)=愛知 山本順三(58)=愛媛 石田昌宏(26)=比例 高橋はるみ(22)=北海道 山崎正昭(4)=福井
裏金議員73人、政倫審に応ぜず閉会 「レッテル貼られるだけ」 [自民]:朝日新聞デジタル
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桜の季節を迎えました。
今週は、私がTBS系テレビドラマ「VIVANT(ヴィヴァン)」の放映で注目された陸上自衛隊の秘密情報部隊「別班べっぱん」について、ダイレクト出版のビデオ講座で〝証言〟したものをご紹介します。
下記は、ダイレクト出版のPRですが、ご覧頂ければ幸甚です。
連載中の「金王朝の歴史」は、「金正日による日本人拉致」のうち、「日朝首脳会談」について書きました。
近日中に五島列島・宇久島をモデルに「故郷の防衛戦略」というビデオ講座を発売します。乞うご期待!!
//////編集部からのお知らせ//////
「皆さん、私が嘘を言っていると思いますか?
“コレ“が嘘であればいいですね。」
自衛隊元陸���・福山隆先生が
不敵な笑みを浮かべながらそう話した時、
スタジオは静まり返っていました…。
というより、“先生の話す
「あまりに現実離れしたストーリー」に、
その場の全員が飲まれていた“と
言った方が正しいかも知れません…
先生の口から語られたのは…
誰も知らなかった日本人スパイの裏面史…
私たち日本人が知らなければならない…
自衛隊のもう一つの姿でした…
↓
=====
From 福山隆
「ミサイル発射や
核開発を進める北朝鮮。
日朝関係は、常に緊迫した状態だ。
正しい状況判断をするための手立ては
『金王朝の歴史』を熟読することである」
金王朝の歴史(50)
金正日による日本人拉致(4)日朝首脳会談
今から20年以上も前、
時の総理の小泉純一郎と
北朝鮮の金正日が
初めて対面する
「日朝首脳会談」が行われ、
拉致被害者5人の帰国が実現した。
北朝鮮はその後、
金正日に引き続き
後継者の正恩も
核ミサイル開発に狂奔し、
世界の中では孤立化の道を
突き進んでおり、
日朝の対話も進展が見られない。
残念なことに、
今も12人の拉致被害者は
帰国できないままである。
〇 第一回日朝首脳会談
2002年9月17日、
小泉純一郎首相(当時)が
北朝鮮の平壌を訪問し、
金正日と会談した(日朝首脳会談)。
金正日は、その席で、
日本人13人を拉致したことを認め、
「遺憾なことであり
率直におわびしたい。
私が承知してからは、
関係者は処分された」と
口頭で謝罪した。
また、犯人については、
「特殊機関の一部の盲動主義者らが、
英雄主義に走って
このような行為を
行ってきたと考えている」とし、
関係者はすべて
処罰したと述べた。
金正日の
「特殊機関の一部の盲動主義者らが、
英雄主義に走って
このような行為を行ってきた」
という言い訳は、
明らかに嘘である。
金正日自らが首謀し、
指揮を執ったのである。
「嘘と誤魔化し」は、
彼らの本性とさえ言える。
この際、日本側が
安否確認をしたことに対して、
北朝鮮側は地村保志さん、
浜本富貴恵さん、蓮池薫さん、
奥土祐木子さんの4人の
「生存」を明らかにし、
横田めぐみさん、田口八重子さん、
市川修一さん、増元るみ子さん、原敕晁さん、
松木薫さん、石岡亨さん、有本恵子さんの
8人を「死亡」と発表した。
更に、日本側も
把握していなかった
曽我ひとみさんの拉致・生存と、
横田めぐみさんの娘の生存も
明らかにした。
久米裕さん、曽我ミヨシさんについては
入国自体を確認できないとした。
北朝鮮側は「死亡」したとされる
8人に関する「死亡診断書」などの
情報を提出したが、
これらはすべて
捏造であったことを
日朝実務者協議
(2004年11月)で認めた。
この首脳会談で、
「2国間の懸案を解決し、
国交正常化へ努力する」ことを記した
「日朝平壌宣言」を
発表した。
同宣言には
書かれていないが、
小泉首相は「拉致を認め
被害者を帰国させれば
100億ドルを払う」と
約束していたという
(元北朝鮮外交官・太永浩)。
日朝平壌宣言では
「国交正常化の後」、
「経済協力を実施」することと
なっているが、
日本政府は
「拉致問題の解決なくして
国交正常化はありえない」と
当然のスタンスを
維持している。
その後の交渉で、
北朝鮮が生存していると証言した
5人の拉致被害者については、
一時帰国を条件に
2002年10月15日に
帰国が実現した。
交渉は外務省アジア大洋州の
田中均局長(当時)と
“ミスターX"の間で行われた。
田中局長は
「生きている拉致被害者を
4人から5人程度出せばいい」と提案、
北朝鮮側が了承し、
5人の一時帰国が実現した。
こんな提案を行った
外務省の田中局長は、
実に薄っぺらで、いい加減で、
無責任極まりない人物と
言わざるを得ない。
こんな外交官が日本の外務省の
局長になるのであれば、
我が国の外交は寒心に耐えない。
日本政府は
世論や拉致被害者家族会の
要望などにより、
一時帰国した5人の被害者を
「北朝鮮へ帰す」ことを拒否し、
5人の家族の帰国も
要求する方針をとった。
このため、北朝鮮側は
「日本政府に対し約束違反だ」と
主張した。
このような北朝鮮政府の抗議により、
その後の交渉は、
北朝鮮政府が
「日程を決めない」
などした為に中断した。
第一回日朝首脳会談で、
金正日が、
一連の拉致事案や工作船事案を
認めて謝罪した事で、
拉致を巡る世論は一変した。
マスメディアは連日、
日本人拉致問題を報道して
北朝鮮を激しく糾弾し、
国民の多くは
北朝鮮に対する制裁を
強く訴えるようになった。
韓国の東亜日報は、
当時の日本国民の激怒の有様を
「憤怒」と報じた。
報道の世界における
「タブー」として有名であった
北朝鮮の呼称方法
――「朝鮮民主主義人民共和国」――が
一斉にマスメディアから姿を消し、
単純に「北朝鮮」と
呼ぶ様になった。
日本人拉致問題を
「でっちあげ」と言い続けてきた
朝鮮総聯は、
本国から梯子を
外された格好となった。
朝鮮総聯は、
「拉致事件に怒りを覚えた
一部の日本人によって
チマチョゴリを着用した
女子生徒への嫌がらせ事件
(チマチョゴリ切り裂き事件)や
朝鮮学校生徒への暴言・
暴行がある」と主張したが、
日本の警察は、
それらの事件について、
「政治的背景はない」と
クールな判断を示した。
在日朝鮮人社会のショックは、
相当なものであった。
在日朝鮮人で
詩人の金時鐘は
「植民地統治を強いられた
被虐の正当性も、
これで吹っ飛んだ
気にすらなった」と嘆いた。
北朝鮮に対して、
比較的友好的な立場を採っていた
日本人の一部(左翼)は、
日本の世論の大転換を
目の当たりにして、
日本人拉致事件について
言及せざるを得ない状況に
追い込まれた。
日本人拉致事件を
「捏造・デッチ上げ」と
主張していた人々は、
事実認識の誤りを撤回して、
謝罪を迫られる状況に
追い込まれた。
〇 第二回日朝首脳会談
2004年5月22日、
小泉首相は2度目の
平壌訪問を果たし、
日朝首脳会談を行い、その帰途に、
蓮池・地村夫妻の子供たちを伴って、
祖国日本への帰還を叶えた。
また、曽我ひとみさんの場合は、
夫が脱走・亡命した
元アメリカ兵であるゆえ、
アメリカ軍による
軍法会議訴追の問題があるため、
北朝鮮政府側に執拗に
北京での面会を求めたが拒否され、
同年7月に
インドネシアのジャカルタで
家族と再会し、
その後、
日本に帰国を果たした。
〇 拉致被害者問題は解決が困難な重い課題――
一段と進む被害者家族の高齢化
北朝鮮が核ミサイル開発する中、
我が国は米国などと
制裁を課しているが、
これを解決する
決め手はない。
拉致被害者等は
令和の時代に至るも
全く進展していない。
拉致被害者等は、
事実上の「人質」であり、
日本国民・政府にとって
極めて重い課題として
今後も推移することだろう。
この20年余で、
政府が認定している
拉致被害者のうち、
安否が分かっていない
12人の親で、
子どもとの再会を果たせずに
亡くなった人は、
8人に上る。
このうち、市川修一さんの
父親の平さんは
2014年に99歳で亡くなった。
2020年には、有本恵子さんの
母親の嘉代子さんが94歳で、
横田めぐみさんの父親の
滋さんが87歳で死去するなど、
高齢化が進む中、
肉親との再会を果たせないまま
他界する親が相次いでいる。
健在な親は、
横田めぐみさんの母親の
早紀江さん(88)と
有本恵子さんの父親の
明弘さん(96)の
2人だけとなっている。
被害者のきょうだい世代も
高齢となり、
体の不調を訴える人が
多くなっていて、
2021���12月には、
被害者の家族会代表を
14年にわたって務めた
田口八重子さんの兄の
飯塚繁雄さんが83歳で死去した。
拉致問題は、今年、
最初の事件発生から47年、
北朝鮮による
拉致被害者家族連絡会が結成されて
27年が経過した。
家族は「親の世代が
被害者と抱き合うことなしに
拉致問題の解決はない」として、
政府に全力の
取り組みを求めている。
戦後の平和憲法・
憲法9条下の日本は、
外敵から国民の生命財産を
守れない体制にある。
一刻も早く、この
〝ハンディキャップ状況〟から
脱しなければならない。
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・社会としては、増えすぎた生産しない高齢者には国営の姥捨て山でも作って低コストで楽しく健やかな余生が送れる仕組みを構築しないともう持たない。特に単身高齢者世帯
・同時に、年寄りの問題は家庭の問題でもあり、世代間格差を煽っても高齢者の介護は勤労世帯の負担軽減にもつながってるから世代間格差の話だけで議論しても意味はない
・問題は子どもが少ないことなのだが、政府が国民に対し政策で「結婚しろ」「子どもを産め」とは強制できないから、効果のない子育て支援や教育拡充などでお茶を濁して無駄な金をいっぱい使ってる
https://www.minnanokaigo.com/news/yamamoto/
単身高齢者の乳母捨て山は早く作るべき。賃貸に入れない高齢者向けの保証人制度とかやってる場合ではない。
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