#有害かつ勤勉
Explore tagged Tumblr posts
Quote
事件概要 女子生徒は2018年1月5日早朝、ソフトテニス部の合宿に参加する予定だったが集合場所に姿を見せなかった。同日、自宅近くのマンションから飛び降りて死亡した。発見時、生徒の腕にはリストカットのようなためらい傷もあったとされる。 遺書など��なかったが、生徒の死亡後に学校がおこなった調査では「この生徒がい��めを受けていた」とする複数の証言が寄せられたという。中には、いじめ加害者とされる生徒の名前を実名で告発したものもあったとされる。 事件の背景 当該生徒は中学校1年の1学期までは大阪府内で生活し、当時住んでいた市の市立小学校・中学校に通っていた。大阪府での生活では、同級生との関係、中学校で所属していたバドミントン部の部活動での様子、小中学校の教員との関係などは良好で、クラスの中心にいるような生徒だとみられていた。 生徒は中学校1年だった2017年の夏休み、家族の転勤に伴って名古屋市に引っ越すことになり、同年9月に当該中学校に転校した。 転校後のクラスでは、クラスになじもうとしていた一方で、「クラスになじみすぎてウザい」と陰口を言う生徒がいたという。また転校前の学校との学習進度の違いなどもあったとされる。担任教諭は転校生であるこの生徒を気にかけて積極的に声をかけるようにしていた。しかし担任教諭の声かけの内容を当該生徒が快く思っていなかった様子だったことも指摘された。 転校前の学校で所属していたバドミントン部は当該校にはなく、転校から約2ヶ月たった2017年11月にソフトテニス部に入部した。その際入部を止めようとした生徒がいたともされる。 ソフトテニス部は「病気やケガ、テスト勉強などでも、欠席は一切許されない」「上下関係に関すること」などの暗黙のルールがあるなど部内の決まりが厳しい・部員間の人間関係がよくないなどの状況がみられ、一部報道では「ブラック部活」に該当するとも指摘された。生徒の入部以前にも、ミスをした部員をほかの部員がにらむなどの状況を苦にして退部した事例も複数例あるなどしたという。 生徒はソフトテニス初心者だったことから、当初は個別練習とし、必要に応じて主に同学年の部員が練習相手になるような練習体制とした。しかしほかの部員に練習相手を頼んでも無視されるなどの事例が続いたという。一方で急速に実力を付け、周囲からの嫉妬対象になっていじめが激化したとも指摘された。 2017年12月におこなわれた部活動の大会では、別の部員とトラブルになっていたとも指摘された。 第三者委員会 名古屋市教育委員会が事案発生直後におこなった調査では「具体的ないじめの目撃情報や遺書がない」として、いじめの有無も含めて自殺理由は特定できないとした。 名古屋市教育委員会のいじめ対策検討会議は2019年4月15日、「いじめは認められない。部活動での過度の練習で心���に不調をきたした可能性がある」などと判断する調査委員会報告書をまとめた。「無視された」などの訴えは「確認できない」と判断し、また生徒が生前に記入して提出していたアンケートでもいじめの訴えがなかったことなどをあげ、いじめは認められなかったと判断した。 遺族側はこれを不服として再調査を求めた。名古屋市では2020年9月、市長部局で再調査委員会を設置するための予算を名古屋市議会に提出した。 名古屋市の再調査委員会では2021年7月30日、部活動で無視されたことなどをいじめと認定する調査報告書をまとめた。いじめと自殺との因果関係については「いじめのみを原因とした直接のものではない」としながらも、転校後の環境の変化・部活動でのストレスなど多くの要素が加わった複合的な要因でストレスが限界に達して起きたとした。 民事訴訟 生徒の遺族は2022年7月19日、「自殺前に学校側がおこなったいじめアンケートで生徒へのいじめを察知できた。自殺後の学校や教育委員会の対応も不十分で精神的苦痛を受けた」として、名古屋市を相手取り約1540万円の損害賠償を求める訴訟を名古屋地裁に提訴した。 名古屋市は2022年11月15日に開かれた第1回口頭弁論で、「いじめを予見することは困難だった」などとして、請求棄却を求め、争う方針を示した。 名古屋地裁は2023年12月に和解案を勧告した。しかし名古屋市は和解に応じないと通知し、和解協議は不成立となった。 名古屋地裁は2024年3月19日、「教員が当時、いじめを具体的に認識することができたとはいえず、安全配慮義務に違反したとはいえない」などとして、遺族側の請求を棄却する判決を出した。 遺族は一審判決を不服として、2024年3月30日付で名古屋高裁に控訴した。 名古屋高裁は2024年12月20日、一審判決を支持し、遺族側の請求を棄却した。
名古屋市立中学校いじめ自殺事件(2018年) – 教育資料庫
4 notes
·
View notes
Text
2024.03.13(水)
100%勇気!10000%やる気!10%元気!(労働残り2)
結局前回の日から空いちゃった。なぜってケータイを会社に忘れたからである。書きたいことも流れてしまって、今なんか書きたいなと思えたから書いている。
最近気づいたのだけど、やりたいことを今すぐにやれないとやる気のピークが過ぎて、そのままやりたいことが流れ去ってしまうのがわたしらしい。やる気の継続性がない。ただ、やらなきゃいけないことはよく知っていて、わりと優先度も分かっていて、それでも���りたくないとやらない。そういう時はもっとやりたくないことを強制されてるときにやる。そういうことで、労働中に新生活に必要な家電と寝具を調べて購入したり、忘れてた歯医者の予約などをした。(基本的に多動で、何かやってるときに違うことを出されると、そちらに注意や興味が削がれちゃう。どーしよ)
この前、某夜学バーで『蓮と刀』という作品の講義を聞いた。橋本治さんは『「わからない」という方法』という本だけしか知らないし、なんならそれも前半しか読み終えてないけど、わたしが小さい頃ぶち当たって納得しないままやってたことに対して触れていて、あー!そうそう!なんかこの人わたしのこと分かってくれてる!?と思ったのを覚えている。それくらいの知識で観に行った(そんなのでも良いと書いてあったから)。
メモもしてないので言葉とかニュアンスがぐちゃぐちゃのふわふわだけど、講義中に「みんなホモになれ!」なんて言葉が何度も飛び出した。もちろん本の中で出てるから講義にも出るわけだけど、まだ同性愛への差別がすごい時代だろうに、そんなストレートな言い回しできるのはすごいなと思う。今の時代ならそこだけネット記事とかに取り上げられて、本来言いたかったことは少しも触れられずに、「橋本はパヨク」とか「ホモセックス推奨おじさん」とか言われちゃうんだろうな。
どんな本か言われたらすごくむずかしいけど、「本当に自由になるためになるには。今の不自由さについてやそうなってしまった背景から読み解いて、解決までを指し示した本」だと、わたしは感じた。
どきりとしたのが、「『おとうさんがこわい」と言い出せないまま大人になった男がおじさん」という言葉。「おじさん」というのがなぜ偉そうなのかは、年を取るだけで権力を得られることに気付かずに精神は子どものままだから、みたいなことも書かれていて、そうそう!と頷いていたら、急に耳の後ろあたりをぷちっと針に刺された気がした。
それを「お母さん」に置き換えたら、わたしもおじさんになってしまうのだ。
今年で33になるのだけど、まだお母さんが怖い。わたしに関することで体裁が悪いことだと自分のことでもないのにヒステリックに詰められるのだ。
「あんたはもっと賢いと思ってた」「お母さんに惨めな思いさせる気?」 「むかし〜〜したのが馬鹿みたい」
などなど、大抵のトラウマはお母さんから与えられた。これだけだと毒親と思われてしまうから、そうでないことを話しておくと。やってみたいと言った習い事はさせてくれたし、それの送り迎えをして、朝早くからパート行って朝夜のご飯を用意し、それをずっと続けていた。いま思えば、お母さんも��しくて大変でつらくて苦しかったんだった。そりゃあ習い事と学校以外じゃ遊んでばかりで、ろくに話もせずご飯が済んだらすぐ遊びに戻って家事の手伝いをまったくしないんだから、そりゃあ腹も立っただろう。その鬱憤が晴らすタイミングが必要で、それがほんとに叱らなきゃいけないときか、こっちの不手際を責めれるときだったんだろうなあ。
わたしにとって、お母さんは権力だった。
手伝いをしようとすれば「どんくさい」「要領が悪い」と指摘され、テストで90点だったら何で一問だけ間違えたのかと指摘され。怒られまいと、「それ本当は知ってたのに勘違いした」と本当にそうなので言えば「言い訳するな」「何で確認しなかったのか」と怒られ、また要領について掘り返されて怒られる。
100点を取ると、褒められるでもなく「よーし」だった。それなのでテストは90点がボーダーで、それ以下は馬鹿だと思っていた。100点を取らないと認められないと思っていた。塾も通ってたし、その上で学校の授業も宿題も真面目にやってたから、そんなに苦労はしてないのだけれど。この積み重ねでカンペキの反対はダメ、0か100かの二進法価値観になったのは否めない。自分でもできるのに、なぜできないのだと思ってしまう節がある。
もう少し褒めてもらっていたら。小さい頃は今よりも思ったことをうまく言えないし、あまりお母さんと会話をした記憶がない。どんなひとなのかよく知らず、褒められるより怒られてばかりなので、お母さん=怖い・絶対という城ができてしまった。弟の方がわたしよりも弱くて泣き虫で、わたしまで何かあったらお母さんは嫌だろうな、とうまく甘えられないのもあった。いま思えば、わたしがお母さんを知ろうとしないのも良くなかった。
高校になってから、わたしの中でお母さんの権威がハリボテだったと分かって怯えたりすることはなくなったし、そこそこ対等に話せるようになった。だけど、お母さんにとってわたしは子どもで不完全で、親は子より上にいなきゃいけないと思っている。そういう態度が抜けないから、お母さんに話さなきゃいけないことが話せないままでいる。
お母さん、わたしは遂に仕事を辞めたよ。お母さん、わたしは最近一人暮らしに戻ったよ。あんだけ反対されたのに。
どうせゴールデンウイークに実家に帰らないといけないので、その時に言うつもりだ。
お父さんに怖いと言えずに育った男がおじさんなら、お母さんに怖いと言えずに育ったわたしはおばさんだろうか。
不安や恐怖に対して、立ち向かうではなく逃げ続けて、その向こうに行けば何かあるかもしれないのに。
お母さん、わたしはあなたのことが怖かった。今でも怖い。あなたは不安から逃れるために労働をしている。その労働を嫌だと、辞めたいと思っているのに、見えない不安が怖くて頼まれてもないのに指定時間より早く準備をし、指定時間にタイムカードを切る。なんて勤勉な労働者でしょう。
お母さん、それを続けても不安はなくならないよ。それで幸せならばそれでいい、それを続ければいい。なのに、わたしが「普通の社会人」から外れると惨めになったり嫌な気分になるのは、お母さんが満たされていないからだ。それをわたしのせいにしないでくれ。お母さんは災害なんかが起こると「こうして屋根があってご飯が食べられるだけ、ありがたいよね」というでしょう。ありがたがるのなら、本気でありがたがれ。幸せになれよ。自分を安く見積もるなよ。自分の人生を歩んでくれよ。
昨日かな、会社で後輩に話しかけたら「中尾さん、最近ウキウキしてますよね」と言われた。そりゃあ有給が2ヶ月も消化できるのだし、毎朝8時に起きて日付をまたぐかのスレスレの時間に帰る生活も終わるのだ。
新しいことがたくさん始まる。
正直なところ、見切り発車なところも多いし、把握してないことも多い。辞めてしばらく経って、やべー!!!と思うことは間違いない。でも考えられるときに考えたらいいし、頼れるひとにうまく頼ればなんとか大丈夫だと思う。
トラブルは予測するに越したことはないが、起きるかどうかも分からないトラブルに怯えて立ちすくむなんて、そんな馬鹿なことはもうしたくない。
言い訳なんてしてる暇はない。怖いことだらけだけど、やるしかない。
これからは全部の責任を自分で負うのだ。そうして、わたしはわたしを幸せにすんのだ。
5 notes
·
View notes
Text
Citizen Sleeperと模範的な宇宙都市
都市に溶けて
現代欧州の都市を一宇宙船へと翻案しサイバーパンクに味付けした模範的SF小説がするっと読めました。良質都市小説でもある。
以下、実験的なテキストゲーム、SF・都市小説についてのとりとめない感想。DLC含めてネタバレ
直前にディッシュの「SFの気恥ずかしさ」を読んでたせいか、SFに期待しすぎてるめんどくさいマニアの感想になっちゃった。
最初の眠りでの自我の語りのシーン、いろんなひとが指摘してるとおりすごくDisco Elusiumオマージュ。テキスト表示欄も意識的に寄せてるはず。
テキストメインの実験的ゲーム���して、Disco ElysiumとかKentucky Route Zeroあたりと比較されるのも見るけど、本作はわりと素直な模範的ゲームだと思う。


ゲームシステムはダイスロールや選択肢によるダイナミックな変化とかはなく、遊びやすく簡素な印象。
硬派めSF小説を読ませるため、ページをめくる代わりにダイス振りと魅力的な立ち絵とクールでシンプルなUIを用意することは、テキストへの感情移入を容易にし、あまり小説読まない人など含めてより広い層へテキストを届ける試みとしてうまくいってるのだと思う。
淡々としたプレイフィールも文章を読むことを阻害せず、端正な読書体験として自分は楽しめた感じ。
基本的に、UIやインタラクティブ性やゲームプレイではなく、テキストそのもので素直に語りたいゲームという印象だった。


逆に、UIそのものが語りと演出の機能を強くもつ前作“In Other Waters”と比べると、実験性は薄れた代わりにふつうに読みやすく遊びやすくなってるんだと思う。
SF小説・SFゲームとしては自分は前作の方が好きだけれど、Citizen Sleeperはより広い層に向けて訴求するゲームとして進もうとしてるのかもしれない。前作の3倍以上のSteamレビュー数は、この試みがちゃんと目的を達成したことを証明しているのだろう。日本語翻訳もとてもSFとして質が高くてよかったし。


肝心のテキストについても、素直で模範的なところは物語そのものに結構ダイレクトに出ていて、善人と悪人はかなりはっきりわかるようになってるし、でてくる人たちの9割は模範市民だし、展開も最後まで素直だし、現代欧州都市が持つ労働・移民・環境・政治などの課題はSF的に翻案されつつ現実そのままの手触りで持ち込まれ、SFとしては手堅くオーソドックスな手法で解決される。バイオオルタナ生物としてのきのこの話や自我論とかも出てくるけど、SFとしての奇抜さや飛躍は少なめ。
SFとしてはAIの擬人化などベタに感じる部分もあるけど、生々しいテーマを、フィクションとして丁寧で魅力的なコーティングを行なうことでより広い層に届ける役に立っているのだと思う。
SF小説好きとしては、本作のテキストは手堅く良質だけど、もうちょっと科学とフィクションの力で跳んでくれたら嬉しかったなという印象。一方、その手堅さや淡々とした模範性が本作のいいところかなあと思う。
自分はプレイ始めてから、記憶もなく得体の知れない異邦人である主人公に対して出会う人みんな最初から好意的でやさしすぎるし、やたらと仕事を頼んで頼りにしてくるのがずっと引っかかっていて、人情噺としてはいいけど、資本主義崩壊後の辺境都市としてのリアリティは削がれてると感じる。そのあたりは、Disco Elysiumはじめ都市を描いたゲームや都市小説と比較すると、都合の良いフィクションぽい感じが強い。


でもそれは物語の都合なのかもしれないし、深読みすれば、登場人物たちはみな傷ついた労働者であり、おなじく傷ついた労働者たる主人公に対する共感・連帯によるものなのかもしれない。
逆に後半は、主人公が「瞳」という都市に対して献身的で、勤勉な労働者であることが実感できてくるので、出会う人みんな親切で頼りにしてくれることに納得感があった。(逆にDLCまで行くと主人公がなんでもできすぎる無双感が出てくる)
「どんな者でも労働による社会参加を通じて、その場所に受け入れられることができる」という感覚が本作にはある。だから真面目に都市の中で働けば、市民として受け入れられ、物語は報いてくれる。そして、労働を放棄した賞金稼ぎや奪うことしかできない傭兵、労働者として団結しえない者は悲しい結末を迎えてしまう。
この作品は資本主義が行きすぎた都市のリアリティより、危うい立ち位置にある現代都市でもこうあってほしいという労働者の模範性を描く。困っている隣人には手を差しのべ、勤勉に働き、労働者みなが都市というコミュニティの健全な存続を願い、行動することの価値を。都市が生み出す不道徳・罪悪を書くことを選ばず、あるべき労働者の姿を描写することを、作品はすでに選んでいる。だから本質的にプレイヤーの選択は不要で、ゲームはほぼ一本道のルートとなる。
欲望と資本主義の最果てを題材とするサイバーパンクにおいて、まっとうさと真面目な労働を真正面からよしと描くことは稀有な試みでもある。プレイヤーの欲望・願望により奉仕的なゲームというメディアでは特に。

In other watersのようなオリジナルな実験性を勝手に期待してたところがあるので、Citizen Sleeperの真面目で模範的な姿勢にどこか物足りなさを感じつつも、でもやっぱりそういうゲームがしっかり人気を博す位置にいることは大事だなと思う。
その模範的な姿勢は今のゲーム、フィクション、そしてそんなフィクションが描かれる現代の都市に求められているものだとも思うので。
DLCクリア後の追記
労働、対話、寛容こそが私たちの信じる価値

すごくよかった!
基本的なことは上の印象から大きく変わってはいないけれど、自分たちの住む場所から離れざるを得なかった避難船団の人々、ヨーロッパに押し寄せる難民をモチーフとするであろう彼らの背負うものが多様で切実で魅力的で、ひとつの都市をさまざまな視点から否応なく見させられることで、都市、そしてHomeを描くテキストとしてぐっと厚みが増している。




故郷を捨てざるをえなかった人、終の住処として残る人、矛盾に縛られながら守る人、しがらみとともに捨てる人、生きるために去る人、過去を見る人、未来を見る人、誰もが物語を持ち、出会いと別れが交錯する、儚く忘れがたい場所としての都市の物語。
価値重視の理想主義的なところ含めて、ヨーロッパの先進都市から生まれるべくして生まれた作品なんだと思う。
最近ちょっと町の持続性とかよその国の都市のこととかいろいろ思うところがあったので、今の自分の気分にもはまってよかったな。
行動範囲が広くなってお散歩気分が増えたことと、限られたターン内にひたすら単調な物資集め・労働ターンを反復するタスク感も、「労働してる」という感じがして好感触。期限内にタスク全部こなせるとやっぱりうれしいね。
Citizen Sleeper2では銀河のはみだしもの・賞金稼ぎ的な世界が描かれるみたいなので、「労働による社会参加」が困難なひとたちのサイドからまたこの宇宙が描かれるのかなあと予想してる。今作で拾えなかったことをしっかり拾っていこうとする、そんなテーマ設定も真面目で模範的だね。
あとがき
いろいろぐだぐだ書いた結果、最初クリアしたときより満足してきたかも。
非常にウェルメイドで気持ちよくプレイできたし、やっぱり一市民として都市に溶けていくようなエンディングはとてもよかったし、きのこになれるのも楽しかった。次回作も楽しみ。


(おまけ)
Night Call
薄いフィクションの膜で包んだだけの、現代パリを克明に描くビターでずっと薄暗いタクシー会話シミュレータ。都市の包容力と矛盾、都市市民の失望��矜持を表わす80人を超す多様な登場人物のリアルな会話テキストがほんとにいい!すごいテキスト量にもかかわらず、苦闘の末に個人翻訳MOD作っていただいてほんとうに感謝。
バグの多さやゲームシステムのこなれなさなど大きな欠点をいくつも抱えているけれど、現代欧州の一都市を描いたゲームとしてとても好み。
※スクリーンショットは非公式日本語MOD使用



日本語MODへのリンク
5 notes
·
View notes
Quote
山口周 @shu_yamaguchi センスとスキル。センスがあってスキルがない人はリーダーに、センスもスキルもある人は参謀に、両方ない人は現場に据える。最悪なのはセンスがないけどスキルは高いという面倒くさい人で組織を悪い方向に引っ張るので隔離が必要。センスのない人がスキルを高めると価値が下がるというパラドクス。
Xユーザーの山口周さん: / X
軍隊の「無能/有能」「怠惰/働き者」の応用みたいな。
ゼークトの組織論とは|無能な働き者の特徴、4分類についてわかりやすく解説 | オンライン研修・人材育成 - Schoo(スクー)法人・企業向けサービス
ゼークトの組織論における、人材を以下の4つに分類します。 ・有能な怠け者(利口・怠慢)→「指揮官」 ・有能な働き者(利口・勤勉)→「参謀」 ・無能な怠け者(愚鈍・怠慢)→「兵卒」 ・無能な働き者(愚鈍・勤勉)→(もっとも害のある存在)
- - - - - - - - - - - - - - - -
「無能/有能」が「スキルの有無」に対応するのはわかるけど、「怠惰/働き者」と「センスの有無」は言い換えなのか、置き換わる軸なのか、興味を持った。 そうすると、「怠惰/働き者」と「センスの有無」の二軸でマッピングもできるのかな。 あるいは「怠惰/働き者」と「センスの有無」と「無能/有能」の三軸を図にすると。 「有能/無能」を分解すると「センス」と「スキル」に分けられる。そこに「意欲」という情緒の軸も加わる。
- - - - - - - - - - - - - - - -
山口周さんのポストの「スキル」は現場スキルなのか管理者スキルなのか。
4 notes
·
View notes
Text
ポイントを9にする
夜に働くのは却下だ。単純に、私の体質が朝型なため、深夜労働が向いていない。学生時代のマック夜勤メンバーとして荒稼ぎしていた時に「もう絶対に夜勤はしたくない」と朝日に誓ったにも関わらず社会人になってから「また深夜労働してる…!」という事態が発生し、それもやはり時給が良かったので(昼に比べれば)結構続けたが、体は見事にぼろぼろになり(※本来私の体質的に禁忌であるアルコールを大量摂取する仕事)、再起に3年以上かかった。今回、生活保護を受���するにしても、引越し時の費用がどうしても払えないなと思い(梅子に立て替えてもらうことは頼めるにしろ)、副業で��た深夜労働の体入(業界用語)に行ってきたが、業務内容は全く問題なかったものの、身体への負担がきつすぎて「却下」の結論になった。特に今回は昼の仕事に絶対に影響を及ぼしたくないため、無理をして労働することはやはり良くないなと当たり前のことを思った。しかし、医者から許されている週28時間労働では時間があまりすぎる。深夜労働以外で、かつ、労働にカウントされにくい副業となると、ココナラまたはSKIMAでの「感想屋さん」「タイトル屋さん」開店の運びになるだろうか、と考えている。感想屋さんは一昨年の春から夏、数ヶ月ココナラでやってみたところ、かなり手応えがあり、満足度を高く感じて貰えたおかげで全ての方から設定金額以上のおひねりを頂いた。ただ、その時期、学習塾、書店、同居人への週5コマの授業を並行して行っていたため、容易にキャパオーバーし、体調を崩して終わった。完全にいつものパターンだった。今回は就職先の書店に週28時間労働のみ許されている旨等すべて伝えた上での障害者雇用なので、他で正規に労働する訳にはいかないという事情もある(そこでとりあえず夜職が候補にあがったというわけ)。ちなみに昨日体入に行った店はオープン4週目のまだまだオープニングキャストと言える店で、規模は小さいがなかなか流行っているということだった。ただ、まだ時給は1500しか出せないとのことで、新居まで歩いて帰れる立地も、他メンバーとの相性も良かったのだが、その金額で深夜労働という健康リスクを背負えないなと思い、本入店は見送っている。ちなみにガールズバーの規制も近年厳しいらしく、運転免許証またはパスポートまたはマイナンバーカードがないと本入店はできず、マイナンバーカードかあ…まだ作ってないなあ…となって、それもあってやめた。なかなかにいい店だとは思ったが。それにしても最初に働いた恵比寿の店が全ての面において良すぎて(青春だったのだ)、どうしても比べてしまうというか、優良店の指標になる。あと20kg痩せていてあと5歳若かったら何度でもあの店のキャストになっていると思う(それはまさに5年前の私の姿だ)。びっくりするほど成長したなと思う。得るところ大きな体験だった。何より、有象無象はびこる裏社会を生き抜いてきた御仁たちにご指導ご鞭撻いただいたのはかなり有難かった。そういうところでは、なかなか昼職でははっきりと言葉にはされない「真意」でストレートに殴られるので、容赦がなくてよかった。彼らはみんなとても優しい人たちだったので、そういう人らが常連でついてくれている店というのはかなり貴重だと思った。グループの信頼もあるだろうが、さらに大きかったのは店長の仁徳だ。18から夜で生きてきた叩き上げの40歳という世代は、上の世代への仁義がある。昨日会った新しい店の店長は若くてチャラついたただ��資本主義者という感じだったので、まあ、私の肌には合わないなという感じだった。実際に店を仕切っていたのは私より若いママで、その方のほうが常識や実務に熱意があると感じたが、いかんせん若いし、古いやくざの価値観で育ってきてはいない感じがした。昨日の店は様々な面で、時代のうつろい、私たちの世代の「耐えられない軽さ」を体現していた。それはもちろんいい面もあり、ルールが厳しくなかったり、柔軟にキャストに対応してくれる、令和的価値観を含んでいる。「重石」を己の中に残しながら、軽くなるためのモラルを体現するためには、どのような振る舞いや思考が必要だろうか。これは今後の課題である。
Twitterを見ていると、どうもみんな偏りがちだなと思うことがある。オタク女で政治トピックもツイートする方はだいたい大変にラディカルな左翼だが、私は生まれも育ちも完全な保守のため、そこらへんとの心的な距離というものはある。というか単純に、一つの情報源というか情報系統しか持たない左翼は、「あたまわりーな」と思ってしまうのである。昔は左翼も右翼もよく勉強していたと思うが、最近頭が切れるというか、より現実に則して世界を分析できているのは右翼の人間だと思う。一概には言えないが、まあそういう流れはある。どちらも極端までいけば結局使い物にならない馬鹿しか残らないが、中道左派、中道右派においては、右派のほうに分があると思う。左翼は夢、右翼は現実、その2つが引っ張りあって進んでいくのが政治だと思うし、私の性質からして、大学で学んだ時点でどう足掻いても左翼に転向しそうなものだったが、取り入れるべき思想は取り入れ、するべき主張はするべき主張としても、心はやはり、県庁職員を勤めあげた祖父のもとにある。だからかなり形骸化された「右翼」の自称なのだが(祖父は朝日新聞を「共産党新聞」と呼んでいた時代の人である)。私の心は右翼にありながら、主張を総合すると中道左派と言える場合が多いと思う。ただ、左右を分ける最も大きな問題、「国防」に関しては完全に右だ。高校生の頃から、早く自前の軍隊を持ってアメリカの支配を逃れ、真の独立国になるべきだと思っていて、それは35の今も変わっていない。ただ、日本がアメリカの支配下にあったこの80年で、軍事的知見は完全に失われ、かりに日本が軍隊を持ったとしても、それをコントロールできる人物はもはやいない。一回途切れてなくなったものなので、ゼロから作るしかない訳だが、戦後完全に「平和主義」として軍隊を持たないことが善だとして育った私たちに、持てる手段は絶望的に無い。そういう現実があるため、日本が即刻軍隊を持つべきとはもちろん思わない。今自衛隊の戦力を増強しているが、本来必要なのは、シビリアンコントロールの能力を持つ政治家(文官)の育成であって、戦力増強=軍事費を増やせば良いというものではない。私はもちろん完全に戦争反対の非戦派であるが、戦争をしないためにはこの土地に一定の戦力を置くことが必要であるという大前提を揺るがすことはない。それと、アメリカももう世界のヒーローたることから降りたがっている現今、日本も肚を決めて自前の軍隊を持ち、つまり、「自立」すべきという主張も継続する。この世の全ての国家が一斉に戦力を不保持すれば、日本も軍隊を持つ必要は無いが、日本以外の全ての国家が戦力を保持している以上、日本だけが戦力不保持のままアメリカから独立したとして、明らかにここが戦争の火種になるだけで、世界平和にはまったく貢献できない(どころの話ではない)。人を殺したい人なんていない。軍役に行きたい人なんていない。それでも持たざるを得ないのが軍隊で、自国の人間の命を、自国の防衛と引き換えにすること。それを出来ないままでは日本は一生「大人」にはなれないと思っている。自国の戦力を持ち、人間の命を賭けるということは、その覚悟を持って世界平和を実現していくという表明である。戦争がしたいから軍隊を持つのではなく、戦争を起こさないために軍隊を持つ。そのために各国は戦闘員と兵器を有している。なぜこんな簡単な理路が理解できないのか、と左翼の人を見ると不思議に思う。どこかで無理に思考停止をしているのだろうか。この局面で軍事増強をしないということは、「ここを狙ってください」と戦争を誘発するようなもので、こんな大前提をわざわざ文字にすること自体頭が悪すぎて嫌だなあと思うが、日本では軍事に関する教育が高等教育(大学)でしか為されていないので、この理路を知らない人が多い。北朝鮮をはじめ、中国、ロシアというのは、いつでも「戦争をして覇権国になりたい」という旧時代のイデオロギーそのままの思想をしている人達で、彼らから「戦争反対」などという発想は出てこない。彼らは「自分たちが世界を支配することで世界に平和が訪れる」という、日本の戦国時代のマインドのまま、21世紀を迎えている。それらの国に囲まれたこの絶望的な立地にある日本が軍隊を持たないことは、アメリカの軍事力がそれを肩代わりすることによってしか戦争を��げないレベルの危険性である。まあ、だからこのままアメリカの駐屯地として存在したほうがいいのかもしれないが、それでも私はアメリカに支配されたままは嫌だし、日本は大人になるべきだと思うし、いい加減、世界の中で独立した一員として、己の意見を言えるようになるべきだと思う。
2023.5.12
6 notes
·
View notes
Text
"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整���横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属���互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
198K notes
·
View notes
Text
2025/02/26 BGM: John Lennon - 女は世界の奴隷か!
ごめんなさい!! 今日はダラダラ長くなりました。
今日は遅番だった。今朝、いつものように英会話関係のZoomミーティングに参加し、そこで英語学習にいそしむ(今日の話題はトラックの自動運転化の採用の是非について)。その後、グループホームの本家におもむく。今日は副管理者の方が出勤しておられたので、事前にお話していたこととして足の先(指先のあたり)がすこしばかり痛むことが気になっていたことがあって、その��を見てもらった。その副管理者の方は靴をチェックされた後、靴ひもをゆるめてくださってこれで様子を見てみて、だめならまた医師に診てもらいましょうと話された。その後これまたいつもの過ごし方のパターンにのっとり、食堂を使わせてもらってそこで昼ごろまで佐伯一麦の本『ノルゲ Norge』をぼちぼち読む(地味でさほど起伏もなく、いわゆる「血湧き肉躍る」たぐいの小説でもないがなぜか「滋養ある」というか「沁みる」おもしろみがある小説と唸らされてしまった)。それも一段落すると、図書館に行ってそれでお目当てだったチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』を借り、その後なんとなく見つけたトーマス・ジョイナー『男はなぜ孤独死するのか』という本も借りてしまった。いつ読むんだろう。
その後、イオンに行きそこで昼弁当をいただいた後に仕事前のスタンバイ。スマートフォンでTwitterを見たらまだ例の東洋水産の赤いきつねと緑のたぬきのことが話題に上って、フェミニストたち(なんとなくだが、気軽に「ツイフェミ」と呼ぶことはためらわれる。この言葉って「蔑称」じゃないですか?)が自論をたたかわせていた。そこにさまざまな人たちが異論をぶつけていて大盛りあがり。もちろん、こんなのはアルゴリズムが勝手にはじき出して差し出した投稿ばかりであり世間一般の話題からずれているかもしれないが、それでも気になってしまう(たぶんそういう話題が頭の片隅にあったこともあって、アディーチェの本を読みたいと思ってしまったのだろう。英語を学ぶ練習の一環も兼ねてTEDなんかでフェミニズムをめぐるトークを聴いてみるのもおもしろそうだ)。このコンパクトながらあなどれそうにない、実にアクチュアルな本から多くを学べればと期待に胸がふくらむ。
その後、ひまつぶしにそのTwitterで投稿にいそしむ(昔ほど50も60も投稿することもなくなり、いまはせいぜい日に10くらいしか投稿しなくなってしまった)。あるユーザーが別の男性にたいして、彼の内面に問題があって(刷り込まれた「有害な男らしさ」というのだろうか?)それがフェミニズム理解をさまたげていて素直にフェミニズムを理解できないのではないかというかたちの意見を書いておられた。興味深い意見だし、もちろんぼくにはね返ってくることでもある。イヤミ抜きでぼくもこうした「否認の病理」にとらわれず、虚心坦懐にフェミニズムを学びたいとも思ってしまう。だが、それを踏まえたうえで書くがぼくはその論に宗教で言うところの「折伏」にも似た、ある人間が下々の者たちに「正しいイデオロギー」を「説教」「注入」するという「上から目線」を感じる。一般論として、ぼくは絶対的に正しい(あるいは普遍的な)イデオロギーがあるとはなかなか信じられない。
もちろんなんでもかんでも懐疑的・相対主義的になってしまうのも子どもじみたふるまいだとも思うが、そうしたイデオロギーは実地で実現される際にしばしば有害な間違いとして発揮されることもあると思う(つまり、「人間ごとき」が生み出すものがそんなに完全無欠なものだとは思えない。たぶんこれはぼくの思考の生理にもとづくペシミスティックな考え方なのだろう)。フェミニズムに的をしぼって書くならば、すくなくともぼくにとってはそんな「不完全な」人間同士が男女問わず「コラボレーション(共同作業あるいは協調関係)」において助け合い・教え合って前進していくものだと思っている。いや、きれいごとだろうか(あるいはそれこそ屁理屈の極みか?)。でも、被害妄想めいた書きぶりで恐縮だがそれでも「上意下達」というか「正しい上位の存在たち(女性?)」から「下々の者たちへ(男性?)」に「説教」する図式というか支配関係よりはその考え方を選びたいと思うのだった。
もちろん、こんなことを恥ずかしげもなくほざけるのはぼくが男だから・野郎だからなのかもしれない。女性たちの人生がどう厄介きわまりないものなのかついに知らないというか、あるいは想像はできても肌で・骨身に沁みて感じることがついにない性の持ち主なのでだからおのずと限界もあろう。たとえば、ぼくは生理に悩まされることはないので生理用品を買ったことはない(買うにはカネもかかるし、聞いた話でしか理解できていないが生理にともなう痛みやストレス・不調に悩まされるのは実にやっかいなはずだ)。あるいは電車の中で痴漢に遭ったこともないし、他にも性から来る「性的搾取」「性的消費」のありようもおのずと違ってくる。だから、ぼくはいまだに自分がフェミニストになれるとは思えない。すくなくとも「ぼくは女性の味方になれます。ぼくはトラウマだってなんだって理解できます」なんて言えない(とはいえ、そこで「あきらめて」しまうのではなくできる限り「他者」の痛みを想像する生き方をしたいとは思う)。ただ、このオトコとしての性ゆえに「あなたは間違っている(男だからわからないのだ)」とかあるいは「もっとフェミニズムを勉強してください」と頭ごなしに(ここがポイントだ)言われたら、どうしたらいいんだろう。性転換すべきなんだろうか。
ああ、今日はなんだか締まりのないことをだらだら牛のよだれのように書き継いでしまった。Twitterを見すぎて取り憑かれてしまったのだろう。でも、仕事をしながらもぼくはしつこいので自分の中で対話をかさねつつフェミニズムについて考えたり、そこから「有害」とも言われるぼくの男らしさ・男臭さ(もっと言えばマッチョさというか、下品な言葉を使うなら「男��主義」)についてあれこれグルグル考えたりした。なんだかむずかしい。そして、こんなことをアップロードしたらそれこそ「炎上」したりしちゃったりするのかもしれないけれどそれでも今日は残すことにしたい。というのは、いまもってなおスッキリしないからだ。ここからなんらかの建設的なアイデアが生まれることを祈りたいと、いまはそんな気持ちでいっぱいだ。いや、ホンネであります。
1 note
·
View note
Text
書物礼賛③
岩浪れんじ/コーポ・ア・コーポ①/GOT2020
テレビとマンガは記号の王国。記号=共通の意味。視聴者・読者に意味が伝わらねばならないから、測って寄せてくる。最大公約数という言葉のとおり、王国といっても盲人の国では何とやら。私より少し後の世代からは、テレビとマンガの合体といえるビデオゲームで育った男性が多数を占め、次第に作る側にも回ってきたのでますます貧困化。
書物礼賛①で触れた、私の好きな現役のラジオ番組、兄弟漫才師・中川家のお昼の番組に女芸人・友近がゲスト出演、テレビの食レポでティラミスだかミルフィーユだかを関東ローム層にたとえたところプロデューサーに苦い顔をされたと語っていた。アルコ&ピース平子も同様の案件でアメトークの加地Pに叱責されていたな。実際アメトークの客は彼がカニクリームコロッケの熱さをマグマにたとえたことにポカンとしたのでしょう。私は好きだが。視聴者が高齢化し減少してくるし、制作側が誘導しなくても負のスパイラルが起り、今はもう「叩かれ役」として延命させられている段階。
それに対しマンガは本来深夜ラジオに近い本音のメディアであった筈が、初期から少年向け少女向けに分かれていたり雑誌単位の棲み分けも進み、出版社の官僚主義も手伝ってテレビと同レベルに貧困で、しかも狭いから意味さえ分からない、1ページ目から入っていけない結果になる。本書はウシジマくん的な経済弱者の群像劇を、よりサブカル的なモチーフと絵柄で見せていく体裁で、一応入っていける。しかし例えばウシジマくんの貧しい女たちの言葉「甘いパン甘いパン」「前に聞いた前に聞いた前に聞いた」「ポークって何?」には、私にとって今のテレビとマンガが根本的に抱える障壁=視覚と言葉で具体的に説明されると馬鹿にされているように感じてしまう=を超える生々しさがあるのに対し、本書の言葉・人物像は超えていない。良くできていると思うが、小さくまとまって食い足りない。
ニック・ハーカウェイ/タイタン・ノワール/ハヤカワ文庫2024・原著2023
タイタン化と呼ばれる遺伝子改変によって不老長寿を実現すると共に身長も2メートル半ばと巨大化した数千人の超富裕層「タイタン」の一人が殺された事件に端を発するクライムサスペンス。
ひさしぶりに手に取るハヤカワSFということでワクワク。この世に絶対とか永遠とかありえない。相互的に影響し合いながら常に流れている、それが時間であり生命であり、変化できなくなったとき命は終る。どのようなトリックによってそれをありえるよう錯覚させるのか、そこに興味があったのだが、この著者にもっともらしいトリックを考案する能力などなく、登場人物にこれこれこういう設定なんですと語らせるのみ。聞けば肉体改変などを扱うボディ・ホラーと呼ばれるサブジャンルがあるのだそうで、そうした舞台設定を借りて陳腐なパルプフィクションが展開される。もしパルプフィクションに徹しているのであればそれなりに雰囲気を堪能できる筈だが、翻訳に「元カレ」「置き配」といった今の軽薄な用語が頻出するなどで台無し。途中で投げ出した。現代イギリス人らしい幼稚で新自由主義的な作風ではあるが、挟み込まれた新刊案内などから察するにそもそも早川書房自体がジャンル細分化と経済至上主義を先導する存在で、今は細々と延命(前項でも使った言葉)しながら縮小再生産を繰り返すだけということのようだ。
マックス・ウェーバー/プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(上下)/岩波文庫1955・原著1905
タカアンドトシの古いラジオ番組の中で語られたエピソード。トシが家族でディズニーランドを訪れ、中1の次男が打ちひしがれた様子なので聞いてみると、杖を買うためにハリーポッターのアトラクションに並んだのだが抽選に外れて買えなかったのだという。母親が励まして一緒に並んだがまたも外れ、3度目でようやく買うことができた。計1時間ほど行列に。
買うと言っているのに抽選があり、行儀よく並ばされる。Lord is my shepherd…羊飼いを自称したキリスト、刑死した彼を看板に立てて復活だの最後の審判だの嘘を並べて集客したキリスト教こそ新自由主義の元祖であり、私にとってディズニーランドもパチンコ屋も同じように虚無だ。本書、い���ゆるプロ倫は戦争と加工貿易の世紀、20世紀初頭にドイツで発表され、「神が与えた使命である職業の平等」「正直であり時間に正確であること」「禁欲の否定と質素の奨励」といったプロテスタントの徳目は、単なる道徳や処世術という以上に独自かつ普遍的な〝エートス〟であるとして、利潤追求や投資を正当化している。「資本主義は中国にもインドにもバビロンにも、古代にも中世にも存在した。しかしそれらの資本主義には独自のエートスが欠けていた」。
そうかな…。江戸時代前期に自作農の比率が高まり勤勉革命と呼ばれる労働生産性の向上を(産業革命に先んじて)実現したわが国なので、パチンコ屋とディズニーランドに相似が観察されるのではないか。さらに本書では既に米国の拝金と物質主義も批判されているが、現在の米英およびイスラエルは、キリスト教文明全体の閉塞を証明するかのようにナチスの災いを再来させている。プロテスタントだけ正当化することはとうてい無理だ。本書の論旨は説得力を持たない。まあ批判のために読んだのですが。私見では共産主義もキリスト教の異母弟のようなものと思います。
大森庸雄/ロック豪快伝説/立東舎文庫2017
米英ロックスターのご乱行が軽薄な文体でこれでもかと詰め込まれている。いきなり飛びますけど井ノ原とかいうのはアレでしょ、記者会見で「子どもさんも見ているから生々しい質問は控えて」的なことをほざいて隠蔽・保身を図った糞野郎でしょ。ジャニタレとしては不細工。面食いでない主婦層からの好感度高そう。逆にホストや半グレみたいのもいるし、いろいろ取り揃えておけばメディアや広告、不倫や不祥事、常に露出させることができて便利で儲かる。中居をCM起用した企業が損害賠償請求? ふざけてんのか、盗っ人猛々しい。お前らはジャニー喜多川の一味であり共同正犯だ。
マッチポンプ。イギリスがけしかけてアメリカが梯子を外す。怒っている欧米白人よ、お前らはずっとそういう争いの種をばら撒いて有色人種を食いものにしてきたんだ。わが国はそのやり方を進んで受け入れた。ジャニー喜多川はお寺の息子で朝鮮戦争に従軍。ロックンロールミュージックもまた、キリスト教帝国主義の飲む打つ買う慰安と戦後のベビーブームが合体して世界に広まった。音楽そのものは新機軸でバラエティーに富んでいるが、ミュージシャンの振る舞いは古今東西変わらない、空しい。今の私にとって音楽は一人に戻るためのもの。ライブ・カラオケ・ミュージシャンの私生活などまったく無用。
辨野義己/大便革命 腐敗から発酵へ/幻冬舎新書2018
現代人の生活状況を一言でいえば、「女はたまる。男はくだる」とでもいえるでしょう。ヒトの大便は水が80%、固形成分が20%、固形成分の3分の1が腸内細菌であり、この腸内細菌の塊は大便の6~7%に過ぎませんが、われわれの人生にとって決定的なものなのです。(中略)戦後の日本では、食生活の欧米化にともない、悪玉菌にとって、とてつもないご馳走が供給されるようになりました。(中略)ほかの動物の場合、大便を体内にためこむと体臭がきつくなり、周囲に存在を知られやすくなります。それは自らの生命を危険にさらすことになるため、ためこむということがありません。
大便移植を試みている医療施設のなかには、現実的に効果がある大便が出てきたところもあるようです。ただし、それはAさんに与えると効果があるが、Bさんに与えても効果が出てこないという程度にとどまっています。大便移植の場合、それに含まれる腸内細菌の長期保存が困難です。凍結してもバランスが崩れてしまうのです。(中略)ヒトの腸内細菌にとって大事なことは、重要度でいうと腸腰筋を鍛える運動が50%、そして40%が食物繊維、つまり野菜です。そして残りの10%がヨーグルト・乳酸菌飲料です。
本書によれば香港住民は中国復帰後に男女とも5~6年平均寿命が延びたという。逆にかつて世界的長寿地域として知られた沖縄県は、フライドチキンやスパムなど脂っこい食べ物を好み野菜を食べないアメリカナイズが災いして男性全国36位、女性同7位に下がっているとのこと。便秘も日本人女性の半分近くが悩む深刻な状況で、30代以下ではお腹がすいたらパンやお菓子を食べ、炭酸飲料を飲むという生活のためウンチの元になる食物繊維が不足し、腸内環境が高齢者なみに悪化している者が少なくない。足腰を使った運動をして腸腰筋を鍛え、野菜・豆・海藻など食物繊維とヨーグルト・納豆など発酵食品を豊富に摂って腸内環境を良好に保つことが推奨されている。
0 notes
Text
ちょっと思い出したから父親の話を軽く書こうと思う 死ぬ前にちゃんと書いておきたいことの一つ
今まで出会ったフィクションを含む人間(キャラクター)の中で一番キャラクター性が強いのはうちの父親だと思っている 特殊な感覚だとは思うけどわたしにとっての父は親恋人友達といった関係性ありきの存在ではなく推しとか信仰対象といったキャラクターに近い そういうおかしな人に育てられたせいで自分はオタクになったのか、おかしな人を面白がろうと咀嚼する過程でオタクになってしまったの��はわからない
小さい頃から父親の家の話を聞いて育った この話は多分母も知らなくて、身内だとわたししか知らないはず 家族という概念に並々ならぬ執着とコンプレックスを抱えてた人だったけど気軽に話せる内容じゃなかったから昔話として娘に聞かせてたんだと思う 定期的に聞かされるそれをわたしはオモロ話として消費していた わたしも母も父親の親族には会ったことがない 通常おじいちゃんおばあちゃんが両親分存在しているという事実を知ったのは中学に上がってからだった
父は写真だけ知る両親のもとに生まれて小5くらいまでおばあちゃんに育てられたという ある日からこの人がお父さんお母さんですよと一応面識くらいはある父親とほぼ記憶のない母親、ほぼ初対面の兄と一緒にでかい家で「従業員さん」たちと暮らし始めたらしい 詳しく聞いたことないけど継母だったのかもわからない ほとんどネグレクトで母の手料理を食べたことは一度もなかったみたいで、中学生くらいで家の敷地内に小屋を建ててそこで生活してたと言ってた 次男だから家はたぶん兄貴が継いでる 家には自動餅つき機があったらしい 絶縁してるんだと思ってたけどごくたまには帰ってたみたいだった 母親のことは母親と思ったことないと話していたけど父親のことは嫌いじゃなかったっぽい
昔父のつるんでた友達が万引き常習犯でその共犯を疑われて家に警察が来た時、父親に問答無用でベランダから足首持って逆さ吊りにされたという話を聞かされた 結局冤罪だと判明した時にごめんの一言もなかったらしいのでそれはどうなんだとわたしが聞いたら「普段から疑われるような振る舞いをしてたことにあの人は怒ったんだろうな」と話していた 喧嘩が強く地域で有名な不良だったらしい父の兄貴も父も二人してお父さんのことは本気で怖かったらしい お父さんが家にいる時、朝目が合うと一言「新聞」と言われて目が合った方が新聞を持ってくると話していた 怖すぎて逆らうという発想もなかったらしい そんなわたしの祖父にあたる人はヤクザWikiに名前がある
昔わたしの母方のばあちゃんちの隣のボロ貸家に地域で有名なキチママ(山姥のように目周り真っ黒、小学校に包丁を持って脅しに行く、長男を夜通し殴り続けるなど虐待している)が住んでいて、祖父母も母も何度も警察沙汰レベルの因縁つけられたりしてたらしいんだけど、ばあちゃんが「あの人もかわいそうらしいのよ、お前なんて要らないって言われて育ったんだって」と言ってたからその話をそのまま父にしたら、「俺だって当たり前に言われてたわ」と言っていた でも父はわたしを目に入れ���も痛くないくらいに可愛がってくれた 父はどう見ても(ファッションや体格の問題ではなく人相や眼光が)堅気の人間じゃなかったので、隣人を面と向かってクソババア呼ばわりして恫喝するヤバいお隣のキチママも父相手には別人のように会釈付きで愛想よく挨拶してるのを見て、やっぱりうちのパパって怖いんだなーと園児ながらに思った記憶がある 父はそこそこ整った顔の人間だったので単にキチママなりの色目使ってただけの可能性もあるが
父はおかしかった 勉強はしなくてもいいから給食食べに友達作りに学校行きなと言われた 基本口では明るいことしか言わないのに見ていて可哀想になるくらいに暗いオーラが出てた 父が風邪ひいて家にいる日、いつもの換気扇下の定位置で咳をしながらタバコを吸う物悲しい背中を今でも覚えている
父はよく寝言でぶっ殺してやるという台詞を怒鳴ってた 普通のお父さんは寝言で映画でしか聞かないような物騒な台詞を怒鳴らないと知ったのはある程度大人になってからだった 殴られたことはないけど悪酔いするとよく一人で物を投げて暴れてた 暴れていてもわたしを前にすると真っ赤に充血した目で早く寝ろと笑って頭を撫でた 俺が死んでもお前は泣かないもんなと笑顔で繰り返した あんまりわたしには嫌なところを見せたくなかったんだと思う これはわたしもそうだけどキレるとヤバい暴れ方をする前に即出ていって一週間くらい帰ってこなかった 他所で物理的な喧嘩をしてきて警察に迎えに行ったこともあった 歯がボロボロだったけど普通虫歯じゃああはならないと日頃から疑問に思ってたら、保健室の前に貼ってあるシンナー吸うとこうなります!のポスターと全く同じで若い頃シンナーのやりすぎてああなったんだと知った
おかしかったけどいいところもあった 庭だけが広い、風呂場玄関シンク階段一階ならどこでも上からナメクジが落ちてきたりナメクジの神出鬼没する漫画みたいな超ボロ屋に住んでいた頃、知らない子供が家の庭でサッカーし出したのを見て、「お兄さんもまーぜて!」とか言いながら一緒に混ざって遊び出してなんかその後も子供同士はなんの関わりもない子供が家に遊びにくるくらい仲良くなってた 幼稚園の預かりのお迎えでも本人同士は特に仲良いわけでもない園児たちと20分くらい遊んでから帰ってた 小学校の頃もわたしのクラスメイトだった今思えば家庭環境に問題がありすぎるビックダディ並みのジリ貧大家族の男の子を個人的にめちゃくちゃ可愛がってた でもわたしが生まれるまで子供を可愛いと思ったことがなかったらしい
野郎には辛辣だったけどあたおかクレーマーに怒鳴りつけられてる店員の女の子を見かねてあたおかクレーマーを無言で凄んで追っ払ってあげてた場面が記憶の中に三度はある そのうちの一度はモスでコーラ頼んだ奴が「なんでペプシなんだよ!」とか因縁つけて出された飲み物倒して店員怒鳴りつけるとかいう店員には全くの落ち度がないガチのあたおかによるストレス発散目的の加害案件だったことを記憶している 女子供には優しかったから気狂いに怒鳴り散らされて半泣きの店員を可愛いから変なのに絡まれて大変だねーとかふざけながら慰めてるのを見ていい奴だなと子供ながらに思っていた わたしはヤンキーとか教養のない声だけがでかい人間全般が普通に嫌いなんだけど、父はホモソ特有の「女を自分より下位の庇護対象と上から目線で断定する割に同性の悪行を咎める勇気はない」ムーブとは真逆の人間だったのでそこは尊敬してた
ボロ屋に住んでた頃いつも父とわたしだけが早起きしてたので、よくカップ麺を二人で半分こして食べた 母は2chのメシマズスレに投稿される内容と大差ないくらいのメシマズだったのに子供にはやたらと冷食や惣菜を制限してくるような人で、当然日頃カップ麺なんか食べさせてもらえるわけがなかったので、うれしかった DSが世間で爆流行りした頃、誇張抜きにして自分以外のクラス全員が持ってるような状況だったのにゲーム禁止を掲げる母のせいでいくら訴えようがコンクールで勝とうが買ってもらえなくて本気で嘆いていたら、母に内緒で中古のDSを買ってくれた
父とは仲が良かった 普通の親は素行とか人様への態度とかについて怒るんだろうけど、わたしの場合何か人として悪いことをしたわけでもないピアノのこと、言うなれば理不尽なことで四六時中母からは怒られていたので、父がわたしに怒ることはほとんどなかったというのもあると思う コンクール前に学校行かずに一日中ピアノ弾いてろと命じられていた時期も当時夜勤の仕事で日中家にいた父がよく連れ出してくれた 父はわたしを出来た子だから怒ろうにも怒ることは特にないと言っていたけど他所の家の子供になったことはないから真偽の程はわからない 今のところ嫌な思い出が本当にないので嫌いになる理由もないという感じ
父は器用だったからなんでもできた 普段絶対料理しないくせに母がいない時わたしがいたから渋々作って出てきたのが卵を包丁で割るタイプの半熟オムライスだった クックパッドもスマホ検索もできない時代に出てきたのがそれで、金もなくファミレスで外食した経験もほぼない、というか半熟オムライスがまだ一般に浸透してないくらいの時期に見たことない形状の本格派オムライスが出てきたから驚いて何でそんなの作れるの?と聞いたら昔厨房でバイトしてたと返してきた 服も自分でリメイクしてたしわたしの髪もよくレイヤー入れて切っていた 本当は無資格じゃダメだけど器用すぎて昔美容室でバイトしてたらしかった でも本人は器用貧乏を自称してた 俺は器用貧乏だからダメだけどお前は鬼才だからと言われて育った 一体何をもってわたしを鬼才と断定していたのかは知らないけど器用貧乏は天才に勝てないけど鬼才なら天才に勝てると、天才に勝てるのは鬼才だけだからと、よくそう言っていた
昔二人でマックでご飯を食べていた時父の同僚に遭遇したことがあったけど、「娘さんですか?」に「可愛いだろ?」と第一声で返していた場面を今も覚えているからいい父親だったんだと思う
エピソードが有り余りすぎていて書ききれないことが山ほどあるけれど、それでも本人の長年の自慢がここに書いたどれでもなく矢沢永吉について「パパはこの人と握手したことあるんだ!」なのが可愛かった 流石ヤンキー
0 notes
Quote
名古屋市名東区の名古屋市立中学校1年だった女子生徒が2018年1月に自殺し、所属していた部活動でのいじめが背後にあったと指摘された事件。 事件概要 女子生徒は2018年1月5日早朝、ソフトテニス部の合宿に参加する予定だったが集合場所に姿を見せなかった。同日、自宅近くのマンションから飛び降りて死亡した。発見時、生徒の腕にはリストカットのようなためらい傷もあったとされる。 遺書などはなかったが、生徒の死亡後に学校がおこなった調査では「この生徒がいじめを受けていた」とする複数の証言が寄せられたという。中には、いじめ加害者とされる生徒の名前を実名で告発したものもあったとされる。 事件の背景 当該生徒は中学校1年の1学期までは大阪府内で生活し、当時住んでいた市の市立小学校・中学校に通っていた。大阪府での生活では、同級生との関係、中学校で所属していたバドミントン部の部活動での様子、小中学校の教員との関係などは良好で、クラスの中心にいるような生徒だとみられていた。 生徒は中学校1年だった2017年の夏休み、家族の転勤に伴って名古屋市に引っ越すことになり、同年9月に当該中学校に転校した。 転校後のクラスでは、クラスになじもうとしていた一方で、「クラスになじみすぎてウザい」と陰口を言う生徒がいたという。また転校前の学校との学習進度の違いなどもあったとされる。担任教諭は転校生であるこの生徒を気にかけて積極的に声をかけるようにしていた。しかし担任教諭の声かけの内容を当該生徒が快く思っていなかった様子だったことも指摘された。 転校前の学校で所属していたバドミントン部は当該校にはなく、転校から約2ヶ月たった2017年11月にソフトテニス部に入部した。その際入部を止めようとした生徒がいたともされる。 ソフトテニス部は「病気やケガ、テスト勉強などでも、欠席は一切許されない」「上下関係に関すること」などの暗黙のルールがあるなど部内の決まりが厳しい・部員間の人間関係がよくないなどの状況がみられ、一部報道では「ブラック部活」に該当するとも指摘された。生徒の入部以前にも、ミスをした部員をほかの部員がにらむなどの状況を苦にして退部した事例も複数例あるなどしたという。 生徒はソフトテニス初心者だったことから、当初は個別練習とし、必要に応じて主に同学年の部員が練習相手になるような練習体制とした。しかしほかの部員に練習相手を頼んでも無視されるなどの事例が続いたという。一方で急速に実力を付け、周囲からの嫉妬対象になっていじめが激化したとも指摘された。 2017年12月におこなわれた部活動の大会では、別の部員とトラブルになっていたとも指摘された。 第三者委員会 名古屋市教育委員会が事案発生直後におこなった調査では「具体的ないじめの目撃情報や遺書がない」として、いじめの有無も含めて自殺理由は特定できないとした。 名古屋市教育委員会のいじめ対策検討会議は2019年4月15日、「いじめは認められない。部活動での過度の練習で心身に不調をきたした可能性がある」などと判断する調査委員会報告書をまとめた。「無視された」などの訴えは「確認できない」と判断し、また生徒が生前に記入して提出していたアンケートでもいじめの訴えがなかったことなどをあげ、いじめは認められなかったと判断した。 遺族側はこれを不服として再調査を求めた。名古屋市では2020年9月、市長部局で再調査委員会を設置するための予算を名古屋市議会に提出した。 名古屋市の再調査委員会では2021年7月30日、部活動で無視されたことなどをいじめと認定する調査報告書をまとめた。いじめと自殺との因果関係については「いじめのみを原因とした直接のものではない」としながらも、転校後の環境の変化・部活動でのストレスなど多くの要素が加わった複合的な要因でストレスが限界に達して起きたとした。 民事訴訟 生徒の遺族は2022年7月19日、「自殺前に学校側がおこなったいじめアンケートで生徒へのいじめを察知できた。自殺後の学校や教育委員会の対応も不十分で精神的苦痛を受けた」として、名古屋市を相手取り約1540万円の損害賠償を求める訴訟を名古屋地裁に提訴した。 名古屋市は2022年11月15日に開かれた第1回口頭弁論で、「いじめを予見することは困難だった」などとして、請求棄却を求め、争う方針を示した。 名古屋地裁は2023年12月に和解案を勧告した。しかし名古屋市は和解に応じないと通知し、和解協議は不成立となった。 名古屋地裁は2024年3月19日、「教員が当時、いじめを具体的に認識することができたとはいえず、安全配慮義務に違反したとはいえない」などとして、遺族側の請求を棄却する判決を出した。 遺族は一審判決を不服として、2024年3月30日付で名古屋高裁に控訴した。名古屋高裁は2024年12月20日、一審判決を支持し、いじめの予見可能性を認めず、原告側の控訴を棄却する判決を出した。
名古屋市立中学校いじめ自殺事件(2018年) - きょういくブログ
3 notes
·
View notes
Text
むめの花きらきら
4時に目覚める。暖房と加湿器をつけ、顔を洗い、もこもこ靴下を履いて、お湯を沸かしルイボスティー(もどき)を作る。おなかがすいている。あんスタを叩く。40分経つ。おなかがすいている。ルイボスティー(もどき)を飲みきる。食べることはせずに電気を消して布団に入る。加湿器は消しておく。(加湿器の性能に対して部屋が狭いので、つけておくと床がぺたぺたするくらい湿度過剰になってしまうのである。)
今日は眠くて眠くて(気圧と生理のせいだろうか)、本当にぎりぎりシャワーを浴びて、最小限の化粧をし、髪を8割の乾きのまま結び、履歴書と証明写真とはさみを持って家を出た。面接する書店の最寄りのドトールでさ〜履歴書書くか、と履歴書の袋の中を見たら、古いほうの、つまりもう新しい履歴書が入っていない、見本と証明写真だけが入っているものを持ってきたことが判明し、軽く挫けた。しかしまあ時間はあるし、ドトールに荷物を置いたままファミマまで走り、履歴書を買い、何食わぬ顔でドトールの席に戻った。こんな反社会的なことはもう今後したくはない。今回限りということで許してくれ、ドトール。そこで10分で履歴書を書き、証明写真を切り、付属のシールで貼り付け、時間までただ沖縄黒糖ラテを飲んでいた。面接してくださった方はかなり感じがよく、私は自分の喋れなさと、逆に喋りのブレーキの効かなさとにはらはらしながら受け答えした。いつも思うが、私の社会性は低い。アルバイトの面接だし、と思って最初からすでにやや「甘え」を持っているのがやばいと思うし(以前はそんなことはなかったのに、最近はもう、新卒の就活の時のようなハキハキした演技をするのを辞めた)、なんとなく「弱者女性ががんばっています。いぢめないで…」みたいな雰囲気を出そうとしている感じになっていて、おいおい、こいつ社会に向いてないな?みたいなオーラを出しまくってしまった。実際の私はどちらかというと、常に過剰にやる気に満ち溢れていて、受け答えもうるさいくらいに体育会系だし、のろのろしているのは嫌いで、なんでもバシバシ進めたいほうである。しかしアルバイトの面接。これはかなり奥が深い。まず面接担当者の方と会った時点で、今日の自分はどの人格で行くか決める。そして面接の部屋(空間)に入り、どういうスタイルで面接するのか決まってくる中で、「雰囲気」を悟る。ある程度「しっかりめ」か「フランクめ」かだ。これは面接担当者のスタンスによる(それが面接担当者生来のものか意図的なものかはまたその時によるので見極める)。本日はフランクめだと判断した。あまりにも体育会系にハキハキ、つまりやや強圧的に行ってしまうと、相手とのバランスが悪くなるという判断による。今日の私は「私はあなた(面接担当者)よりも弱い動物ですよ」を全面的に売りとして話していた。弱いなりに頑張っていて真面目です。この戦法が今日は効くと思った。しかし後になって振り返ってみると、いやもう少し「しっかりめ」のほうがウケたかもしれないな、と思った。あまりに弱々しいと「注意しにくい・育てづらい」という印象を与えてしまう。逆に、下手に経験がある(年齢も35)ので、強めの印象を与えてしまうと「扱いにくいかも」の方向に行ってしまう。この年でアルバイトで採ってもらうには、この短い面接時間の中で、かなりフレキシブルに戦略を練り実行する力が必要だ。まあそんな足掻きをしても無駄に終わることが多いので、あまり1件ごとに構えないようにしている。今日受けたところはかなり店舗自体も好きで、面接担当者の方も好きな感じだったので、ぜひ受かりたい(何より勤務時間数が希望に合っている)。しかも今日26日に面接を受けて、29日までに連絡をくれるらしい。めちゃくちゃ早い。前回の契約社員の面接は採用可否通知は1週間から10日以内というナメたスケジュールだったのに。フリーターにとって、不採用の場合次の応募までのタームは短いほどありがたい(当たり前だが)。10日待たされて不採用になっている間に消える求人もあるし、応募が早ければ早いほど採用も早くなるので、早く仕事にありつける、という可能性を(可否通知を待たされて)がんがん削られると、こいつら……という気持ちになる。一刻を争うというほどに切迫していないとはいえ、むだに人生を間延びさせられると嫌な気持ちになる。不採用の通知が郵送で来た時には、普通に並行して別店舗に応募すればよかったと思った。今回の面接担当者は、その辺の事情もよく汲んでくれているのが伝わってきた(ご本人が自分もアルバイト経験が長いとおっしゃっていた。書店員の経歴としては稀によくある)。
受かるといいなあと思う。何はなくともとりあえず生活費を稼ぐか、という気持ちに最近はなってきた。休養期間終わりの合図だ。人と社会的に関われないと心が死ぬ。社会の歯車として必要とされないと死ぬ。無職のほうが健康でいられるのだが、残念ながら障害年金は月5万だし、実家で暮らすことは不可能だし、残りの7万くらいは自分で稼いでいかないといけない。今のところ貯金があるのと、月5万はかなりでかく、フルタイムで働かなくてもやっていけるという安心感と実際の効力はすごい。ありがたい。どう考えても私の体は週3〜4日までしか行動できない。それ以上行動すると、体力というよりおそらく脳内の情報が多くなりすぎて、そのストレスというか圧迫で薬が効かなくなり動けなくなる。この過剰に刺激を全部受け止めようとする性質はともかくとして、その刺激全部に反応しようとする謎のプレッシャーは自分でコントロールしてなんとか減らしていかなければならないと思う。これでもかなりましにはなったと思う。勝手に「他人からの期待」を作り出し、その幻想に過剰に応えようとするから疲れるのである。そんなものはないし、過剰に応えたところで信頼が深まるとかそういうボーナスがある訳ではない、といい加減この体には学んでもらいたい。私がケア労働に従事したらどうなるのだろう。一瞬で磨り減って終わる気がする。ケア労働まで行かないで、教育、個別指導程度だったら、領域も勉強なので天職かもしれない。というか天職だった。しかし学習塾の収入では食っていけなかったため、今まではあくまで掛け持ちの候補だった。改めて、あと10年早く障害年金制度を知っていればここまで無理して治癒を遅らせることもなかったのかもしれない。でも、限界まで無理して働くのはかなり楽しかった。かなり楽しかったし苦しかったし、若さによる体力のおかげでできた面もあるので、経験できたのは良かったと思う。こうして過去を振り返っても、どの時代も家族との関係がネックだった。今こうして障害年金の受給が始まり、家族とほぼ縁を切れたことは、タイミングとしては遅いが、必要な分の時間だったのかもしれないと思う。しかしはちゃめちゃな33年間だった。ここ2年くらいはまあ落ち着いている。周りの人々に明らかに迷惑をかけすぎだし、まさに「頭がおかしい」を繰り返していた。店長にキレてクビになったり、客にキレてクビになったり、客にキレて嫌になってゆくゆく辞めたり、それらどの場面も、生来の私ならやらないと思われる、状態異常の「キレ」だ。全て薬をイフェクサーに変えてからだし、明確に半年に1度の周期で公私どちらかで有り得ないほどキレている。イフェクサーの副作用は、道を歩いていて通りすがりの人と喧嘩になってしまい、前主治医が警察まで事情説明しに行く事態も発生した、という程のものなので、個人の意思で抑えられるものではない。この副作用に対してかなり悲観的になった時期もあったが、普段から抑圧傾向が強いからそうなるんだろうなあとも思う。私の場合は肉体疲労がピークに達してそれでも働かなければならない時にこの「泣きわめきギレ」が起こるので、肉体疲労の蓄積を防ぐよう努めている。この肉体疲労も正直防ぎようがない。もともとの体力は少ない方で、筋力はあるのだが持久力がない。何よりも不眠。不眠が全ての元凶と言っても過言ではない。不眠のまま動き続けるのはかなり体がきついし、頭痛も発生しやすいし、睡眠不足を糖分で補おうとするのでさらに疲れやすくなる。それでも、合う睡眠薬がない。みな副作用と戦いながら睡眠薬を服用していると思うが、私は1日4時間は今のところ自力で寝れるので、無理して睡眠薬を使ってはいない。短期〜中期系は全滅(効かない)で、クエチアピンが睡眠薬代わりになることがあるので一応ストックしている。しかし、クエチアピンを常用すると何かに取り憑かれたように食べるのをやめられなくなり非常に苦しいので、できれば服用したくない。試しにフルニトラゼパムを飲んだところ、これは効きすぎてもう日中の意識がかなり飛んでいた。そのうち起き上がれなくなったので4日で服用を中止した。ということで、今は結局睡眠薬なしの生活で、働きすぎずにがんばって寝る、というところに落ち着いている。働きすぎたり動きすぎたりすると、寝る体力がなくなり、1日2時間でさえ眠るのが難しくなる。レヴィナスはずっと不眠だったというが、なぜ不眠なのにあそこまでの思想的業績を残し、さらに公生活(家庭や仕事)をこなせていたのかわからない。体力がすごくあったのだろう。6時になろうとしている。頭が痛い。耳鳴りがすごい。でもこれくらいはいつものことで、私の中では「調子がいいほう」に入る。3時間半は寝れているのであと3時間半眠りたいところだが、果たして。朝8時までの可燃ごみの収集までにごみを出すのはもう諦めたい。お腹がすいている。最近また太ってきたのでできるだけ食べたくない。食べるの(甘いものを飲むの)を我慢して運動し、少しでも体を軽くしたい。今異様な程に下腹も上腹も出ている。ちょっと妖怪みたい。頭の中に変な映像が出てきたので眠れそうです。
2023.12.26
1 note
·
View note
Text
虐殺の国③

【注意】この作品には差別・虐殺などの描写があります。
第一章 権力構造、あるいは歴史的背景
第三節 視覚的スティグマ①
鉄骨のシルエットが青空を切り裂くようにそびえ立っている。紺色の制服を着たダニエルは、ユリシーズと共に炭鉱の構内を馬に乗って巡回していた。竪坑櫓の周囲を見回し、特に異常なしとその場を去ろうとしたとき、一人の男が彼らに近づいた。
「すみません、ちょっと」
そう言って二人を呼び止めたのは、セルピエンテの現場監督だった。
セルピエンテは、蛇のような二股に分かれた舌を持つ種族だ。ドラコと同じく鱗を持つが、角を持たない。角以外の外見的特徴が殆どドラコと同じなので、彼らはユーゴニア市民権を持っている場合が多い。身体的特徴がドラコに近ければ近いほど高い「身体点数」が与えられるので、市民権の獲得に有利に働くのだ。セルピエンテの多くは、ドラコと他の種族の中間的な地位の仕事に就いていることが多かった。例えば、それこそ炭鉱の現場監督のような。
「一人怪我人が出たんです。崩れてきた石が頭に当たったとかで」
土埃にまみれ、ランタンを腰から下げた彼はそう言ってダニエルたちを竪坑櫓から少し離れたところへ案内した。
◇◇◇
怪我をしたのはリエブレという種族の女性だった。リエブレは、うさぎのような長く大きな耳をした種族だ。ガタと同じく、鱗がない代わりに被毛で全身を覆われている。
その女性は、木に背中を預けながら薄茶色に汚れた布を頭に押し付けていた。汗や砂、油が染み込んで取れなくなったその布には、真っ赤な血が滲んでいた。坑道の中のような危険で力の要る仕事を女がこなしているなどとは少しも予想していなかったらしいダニエルは、思わずユリシーズの顔を見た。
「別に女の仕事場が選炭所だけとは言ってねえよ」
彼は肩をすくめた。
ダニエルは学校の教師や看護師など一部の職業を除いて、女性が働いているところを見たことが無かった。しかし彼が彼自身の故郷に存在するスラム街を、そしてそこで生活する女たちを見たことがないはずはない。同じ街に生きていて、誰に省みられることもなく毎日必死で働く女たちのことを、一度も見たことがないというはずはないのだ。それでもダニエルが彼女らのことを思い出せないのは、同じ街に住んでいても、階層によって世界は隔たれてしまうからだ。サフランの街の中で、ダニエルのようなドラコと貧困層の移民たちの住む場所は、明確な境界線が規定されているわけでもないのに混じり合うことがない。だから、ドラコと貧困層の人間とが言葉を交わす機会はほぼ存在していない。すれ違うことはあれど互いの背景を知る機会はない。だから記憶に残らない。
現場監督はダニエルたちに事故の状況説明を済ませると、後は本人に聞いてくれと言ってさっさと坑内へ戻ってしまった。ダニエルはユリシーズを見た。
「病院に連れて行きましょう」
ところがユリシーズは首を横に振った。
「このくらいならわざわざ連れて行くってほどじゃないだろう。家で寝てりゃ治る」
坑内で負傷した者を病院で治療するとなると、様々な手続きが必要になる。ユリシーズは炭鉱会社の「余分な」仕事を増やすのを拒んでいるようだった。
「でも血が出てますよ!」
「頭は派手に出血するからな」
「じゃあ何のために病院があるんですか!」
ダニエルは苛立ちまぎれに叫んだ。
「足が吹っ飛んだ奴の足をひっつけるためとかかな」
そう言ったユリシーズはけろりとした様子だった。ダニエルはため息をついて、女性に声をかけはじめた。それを見たユリシーズは目を見開いた。
「おいおいやめろよ面倒な仕事増やすな!あんまそういうことしてっと響くぞ!昇給に!」
喚くユリシーズを尻目にダニエルはその女性を自分の乗っていた馬に乗せ、自分は手綱を引いて病院へと向かいはじめた。
「別に良いですよそれでも。俺が勝手にやったことにしておいて下さい」
ダニエルは振り向きながら言い放った。
◇◇◇
「まともな感性のやつが一人いて助かったよ」
治療が終わるとようやく会話をする余裕が出てきたのか、女はダニエルにそう話しかけた。事務員に呼ばれるのを待つ間、ダニエルと彼女は待合室に置かれた木製の古ぼけた椅子に座っていた。
「俺はダニエル・レイクサイドだ。君は」
「ヨルカ・フロントライン」
ヨルカ――頭に白い包帯を巻かれた彼女は、丸っこい顔に茶色い大きな瞳の目をしていた。温厚そうな顔立ちとは裏腹に、はっきりした大きな声で話す様子は意思の強さを感じさせた。ウェーブする柔らかそうなたてがみをうなじの上で無造作にまとめており、スカートを加工した大きめのズボンを身に着けている。彼女からは汗と土埃のにおいがした。
「アレクシアから来たのか?」
ダニエルの問いにヨルカは一度目をそらしたが、すぐに彼を見た。
「親の代がね。わたしはユーゴニア生まれだよ。市民権は無いけど」
アレクシアは、ユーゴニア西海岸に接する太東洋/Titanic Oceanの向こう側に位置する国だ。リエブレが人口の多数派を占めている。この国で数十年前に起きた大きな災害がきっかけとなって、ユーゴニアにはリエブレの移民が数多くやってきた。しかし現在ユーゴニアに住むリエブレの多くは、市民権を持っていない。リエブレの一般的な容姿では、規定の身体点数を満たすことができないからだ。
ユーゴニア国籍法における身体点数は、移民に帰化する権利があるのかを判定するための基準として設けられた。10点を最大として採点されるその基準には、歯並び/顔立ち(マズルの長さ)/目の色/角の有無/鱗の有無などのいくつかの要件があり、それらはドラコの「標準的な容姿」を基準として設定されている。ドラコの移民であれば大抵は全ての要件を満たしているし、ドラコでなくてもセルピエンテであれば、多くの場合基準とされる点数を余裕で満たすことができる。だがリエブレは、身体点数という概念においてドラコと一致する特徴がかなり少ないため、基準値を満たせない者が多い。身体点数が低いと、他の評価で点数を補わなくてはならなくなる。そしてそれは、決して簡単なことではない。
ところが、この国の人々の多くは、市民権を得るために必要なのは良好な素行や勤勉な態度といった概念だけだと思いこんでいる場合が多い。なぜなら、そう思い込んでさえいれば市民権を持たないのは怠惰の証であると主張することができるからだ。ドラコでない者がドラコの身体を手に入れることはできないが、勤勉さは努力次第で手に入れられる可能性がある。彼らによれば、それらを手に入れられなかった人間は、手に入れる努力をしなかったのだというのだ。
この国にやってきたリエブレ移民だけではなく、ユーゴニア生まれでユーゴニアの外へは一度も出たことがない彼らの子供たちですら市民権を持たない者が殆どだ。しかしそれはあくまでも彼ら自身の責任でしか無いのだと、誰もが考えていた。
「ま、こんなクソ底辺の暮らししてる奴らにお国が市民権なんか下さるわけ無いよね」
ヨルカの冷笑が響く。一瞬の沈黙が降りた。
「働くところなら選炭所だってあるだろう。なぜ坑道で?」
「危険な分稼ぎが良いからね。といったって、一日5オロくらいだけど」
その金額はダニエルが一日に稼ぐ金額の半分にも満たなかった。もしダニエルと同じだけの金額だったとしても、仕事をする上で遭遇する危険に見合わないかもしれなかった。受付でヨルカの名前が呼ばれたので、二人の会話はそこで終わった。
冬の気配の忍び寄る朝はひどく寒かった。大通りの坂道を歩いていたダニエルは、肩をすくめて一つ身震いをした。警察署があるのは、この坂の奥にある炭鉱の門の一歩手前だ。
署が見えてきた辺りで、レイクサイド、と呼びかける声が聞こえた。ダニエルは立ち止まり、後ろを振り向いた。
「ライムライト所長」
彼を呼び止めたのは、細身のスーツを着たドラコの男――ライムライトであった。彼はダニエルに歩み寄った。
「ユリシーズから話は聞いたよ」
ダニエルは眉をひそめた。
「何のことです?」
「別に誤魔化さなくても良い。怒っているわけじゃないさ。怪我人を病院に連れて行っただけの男を何故咎める必要が?」
「では何故わざわざそのような質問を?」
「言葉を交わせば人と人は和解できる。そう信じているだけだよ」
ライムライトはダニエルの目をじっと見つめていた。ダニエルは彼が自分と同じ金色の目をしていることに気づいた。胃の底が重くなる感覚がしたが、彼はあえて目を逸らさなかった。
「ドラコの男が目の前にいる弱者を救わないことなど、あってはなりません。それだけです」
ダニエルは毅然と言い放った。
「つまり君は、君の思うドラコの男としての理想のために行動したのか」
「そう思っていただいて差し支えないかと」
ライムライトは微笑んだ。不気味な笑みだ。
「立派な心がけだ��安心したよ……」
ライムライトは歩きしなダニエルの肩をぽんと叩いた。
「ドラコとドラコは分かり合うことができるんだよ、レイクサイド……。きっと君だってすぐに私のことを理解できるようになるだろう。ユリシーズのことも。同種間の理解を妨げることができるものなど何もないのだから」
警察署の廊下には二人分の冷たい靴音が響いていた。身柄を拘束されている男の家族が面会にやってきたというので、ダニエルはユリシーズとともに留置所へ向かっていた。面会に来ているのは、ダニエルが炭鉱街にやってきた日に盗みをはたらいた男の両親だそうだった。
「ヴァーブ/Verbが盗みを働いて捕まることはよくあるんだよ」
ダニエルに先んじて廊下を歩くユリシーズがつぶやいた。
「ヴァーブ?」
ダニエルが問うた。
「ここいらの山に住んでるガタの奴らのことだ。ガタは脳みそが動物に近い造りをしていて怠惰だから、ろくに働きもせず他人のものを盗んで生活していやがるのさ。ああいう奴らを生かしておく価値はあるのかね?俺にはそうは思えない」
「そういう人間を守り導くのが俺たちドラコの責務じゃないんですか」
ダニエルは低い声で言った。ユリシーズは彼を振り返った。
「何ですか」
「いいや、別に」
二人は留置されている男の両親を連れ、両側を牢屋に挟まれた狭い廊下を歩いた。彼らはある牢屋の前で立ち止まった。一人の男が中でうずくまっている。
「チャント……」
母親のほうが男の名前を呼んだ。男――チャントは顔を上げた。その顔や服にはところどころ乾いた血の跡がついており、ひどく薄汚れていた。あの日警官たちに暴行を加えられたまま何の手当ても受けていないようだった。
チャントと両親は言葉を交わし始めた。ユリシーズは彼らの会話に耳を傾けていた。彼らが話しているのはヴァーブの言語――ヴァーブ語だが、彼はある程度理解できたのだ。
民族的出自より種族的出自が重視される「種族=国家社会」において、「他民族語」の習得は生涯にわたって継続的に行われることが一般的だ。それは、民族ひいては言語が異なっても、種族が同じでさえあれば同じ共同体に属していると認識されるからだ。隣に住んでいる人間の話す言語が自分と異なるのなら、お互い何を言っているのかどうにか理解しようとしながら共に生活するしかない。そしてそれはこの社会では全く特殊なことではない。そもそも「種族=国家」であることを前提として社会が構築されているのだから。この社会の人々は、相手の言語を学び自らの母語を相手に教えながら生きている。人々は多種多様な言語を混合させながら対話を試みるのだ。必ずしも完璧で正しい言葉を話す必要性は無い。もし相手が何を言っているのか理解できなくとも、表情や目線、仕草などからその意図を読み取ることもできる。言語というのは他者とコミュニケーションを取るための一手段に過ぎない。
警官にとって、言語を学習する姿勢は特に重要なものとされる。言語は犯罪計画を立てる際の暗号として利用されやすいと考えられているためだ。彼はヴァーブの言語だけでなく、炭鉱で働いている者たちの使う多種多様な言語をある程度理解していた。
まだヴァーブ語を聞き取れないダニエルは、牢の中で格子に指をかけて両親と話す男をじっと見ていた。しばらくの間、三人の会話だけが留置所に反響していた。
時計を見たユリシーズが息子との会話に集中していた父親の肩に手をかけて乱暴に後ろへ引いた。
「終わりだ。さっさと山に帰れ」
事務室に戻りしな、ユリシーズが口を開いた。
「なんでお前はあいつらみたいなのの味方をしようとするんだ」
「強い者が弱い者を守るのは当たり前でしょう」
「お前は俺たちが強いと思ってるのか?」
ユリシーズは鼻で笑った。眉をひそめながらもダニエルが黙っていると、ユリシーズは話を続けた。
「俺は親が嫌いでたまらなかったから、学校を出てすぐ家を飛び出した。だが仕事にありつけなかった。仕事はどれも、低賃金で働く異種族たちのものになってたからだ。誰もドラコの俺を雇ってくれなかった。ドラコなのにだぞ?この国はドラコの国なのにだ。ライムライト所長が拾ってくれなかったら、俺は今頃とっくに飢え死にしていただろうよ」
ユリスは床を睨みながら言った。それから、ダニエルのほうへ顔を向けた。
「ドラコと異種族は敵同士だ。早い目に言っとくがな……労働者や異種族とよろしくやってると、暴動やストライキの計画に加担していると見なされて監視されるぞ」
「誰に」
ユリシーズは笑った。蛇のような目がダニエルを見ている。
「俺たちに」
1 note
·
View note
Text
@Ohmypopopo @yoqips様のテンプレートをお借りしました (https://privatter.net/p/10318628)
◆ キャラクターシート
ウィークエンド CS末尾番号【0】
◆身上調査書
姓名:ウィークエンド・シンドローム
年齢:享年29歳
性別:男性
種族:ゴースト
血液型:A型
誕生日:2/29
身長:182cm
体重:埃くらい軽い
体型:がっちりしているが腰は細く脚が長い
髪色:#BFC5CA
瞳の色:グリーン×グレー
肌の色:ゴーストらしい青白い肌
視力:とても良い
きき腕:右
声の質:ホール全体に通る大きな声
身体的特徴:胸に大きな穴
尊敬する人:生前働いていたホテルの先輩
出身:西の日差しの強い国
家族構成:妹(ラングドシャ・シンドローム)
職業:コンシェルジュ
恐怖:人質事件
癖:都合が悪くなるとヘラヘラすること
酒癖:酒には強いが、酔うとサービス精神が過剰になる。積極的に酒を作り人を褒めまくる。
人間に対して:他人事じゃないので、みんな頑張れ〜!と言っている
ホテル役割:キャスト
*交流向け恋人/許婚:いたら楽しそう! 一人称:私/僕/俺 二人称:様、呼び捨て 呼び方:同僚達にはフレンドリーに話す
*概要 胸に大きな穴の空いたゴースト。 コンシェルジュは一応の肩書きであり、基本的にどんな業務も行う。 接客が好きで死後も仕事し足りない!と悪魔に頼んでバタースカッチ・コキュートスのホテルを紹介してもらった。 生前から名のあるホテルに勤めており大体の仕事はそつなくこなせるため他の給仕の教育係に回ることが多い。 ホテルにいる皆は家族みたいなもんやから…とかなりフレンドリーに接する。 初対面から距離が近くなりがちだが、敬意は忘れない。
*性格 愛想が良くフレンドリーな男性。ワーカーホリックで仕事が楽しくてしょうがない。 自分のことを「人の気持ちがわからない」と説明するのは天性の無神経さからこれまで対人関係の問題が多発したため。 接客自体は経験則でうまくやっている。
*モンスター生態 単純なゴースト。幽霊。 殺害されたが未練垂れ垂れだった所を悪魔に掬われ、永遠に彷徨う代わりに働ける場所を紹介してもらった。 死因である胸に空いた大きな穴は塞がることがなく、よく物が貫通しがち。 『時間が止まった人間』という定義ではあるが意識すれば霊体として身体を希釈することができる。
*能力 生前から語学に長けており5カ国の言語を使い分けていた。 ホテルに来てからも主な意思疎通は問題ない上で、種族特有の言語や伝達方法を教えてもらい、勉強して次にお越しになった時はその言語でサービスする。
*ホテル外での活動 休日もなんだかんだ働きがち。
*好きなもの
食べ物:レモンのケーキ、ローストビーフ
飲み物:アイスコーヒー
気候:タヒチの海風
色:グリーン
香り:Givenchyの香水
書籍:語学教本
動物:犬を撫でまくる
ファッション:いつも仕事着
場所:秘密に包まれた自室
愛用:仕事用万年筆
趣味:接客
---従業員詳細--- 姓名:ウィークエンド・シンドローム 属:ゴースト(元人間 1844/2/29)
『キャドー・オペラ人質事件』 【1873年12月19日】キャドー・オペラ(cadeau opéra)を襲撃、人質を取って立てこもるという一連の事件は22日、治安当局の特殊部隊が現場に強行突入し、容疑者計3人が死亡、人質のうち4人が犠牲になるという衝撃の結末を迎えた。 死亡した被害者は、襲撃時容疑者を取り押さえた47歳の銀行員、35歳と29歳の同ホテルコンシェルジュ、21歳の学生の4人である。
血の淵池の悪魔に掬われ当ホテルに斡旋。 勤続150年。 基本的にゴーストに終りは無い。 問題行動がない限り契約は自動更新。
【関係】 ・トッポギ (後輩)
*
0 notes
Text
人、ネコに会う
私が以前、地方で勤めていた仕事場での話だ。その職場は玄関を出たら目の前が海で、背後は山がちの地勢だった。なので、私はお昼の休憩時間になると屋外に出て、防波堤のブロックに腰かけて、海を見ながら昼食を取っていたものだ。この職場の周りには立地条件からか猫が多く、私の他にも社員に猫好きがいたと見えて、お昼時には餌をやっている人間の周りには猫だかりが出来ていた。私は猫好きで犬嫌いなので、その光景を横目に見ながら、ちょっと離れた場所でお昼を取っていた。しばらくしてから、私の傍に一匹の猫が寄ってくるようになった。と言っても危害を加えられない様な位置にずっと止まっていたので、人慣れしていた訳ではない。じゃあ何故この猫は私の所に来たのだろうかと考えて、恐らく餌を満足に食べられなかったので(その猫は体格が良くなかった)ご相伴に与りに来たのだろうと察した。多分、以前釣り人に釣果の一部を分けてもらった事でもあるのだろう。なので私はお昼の残りを置いて立ち去った。離れて後ろを振り返ると、その猫は一心不乱に私のお昼の残りを貪っていた。私はその後、お昼を買う時に猫用の餌も買う事にした。私は大抵食事は一人で取るが、相席も嫌いではない。特にそれが猫である時は、人と違って気を使わなくていいと言う点でも心地良い。そうやって、私はしばらく警戒心の強い猫とお昼の一時を楽しんだ。世の中には「好奇心猫を殺す」と言う俚諺があって、英国の諺であるらしい。言葉通りの意味なのだが、これは猫を良く知らない人間が勘違いしての誤った認識だ。猫は慎重で用心深い。何かと比較される犬と比べても格段に臆病だ。尤も、犬嫌いの私は、犬は臆病とは無縁に無神経なのだと思っている。話を猫に戻すが、臆病なほどに慎重な猫は好奇心旺盛な動物では無い。特に成猫は、見知らぬものには用心して決して自ら近寄ったりはしない。猫が対象をじっと凝視するのは警戒心の表れだ。用心し警戒しているからこそ目を離さない。やがて、それが危険性の無いものだと認識できた時、猫の興味は他に移る。これが、彼等が好奇心旺盛だと人間に誤解された行動の真相だ。私がその猫との間に奇妙な友情を育んでいたある日、私達の下に珍客が現れた。それは一匹の年老いた立派な体躯をした雄猫で、件の猫だまりの中でもリーダー格の猫だった。何故そいつが私達の下にやってきたのかは分らない。この猫はリーダー格であったので、群の中でも餌に対する優先権を持っている。空腹の為に訪れたとは考えにくい。これは後で知ったのだが、最初に私の所に来た体格の乏しい猫は雌猫で、後に子供を産んだので、実はこの猫と後から来た雄猫は家族だったのかもしれない。ともあれ、その時はそんな事を知らなかった私は、この雄猫が餌を横取りしにやってきたのかと思って、しばらくは邪険に扱った。この雄猫は余程人慣れしていて、初対面の私にも全く恐れを見せず近寄ってきた。猫好きな私なので猫を差別したりはしないが、餌が絡んでくると猫にとっては死活問題なので、雌猫と雄猫には別々に餌を分け与える事にした。邪険にしたとはそういう意味だ。なので、その日から一人と二匹でお昼を過ごす事が日課になった。だが、雨の日は除いての事だ。傘を差してまで外で昼食を取る程、私も酔狂ではない。この年老いた雄猫との間には幾つかの思い出と発見がある。その内の一つが、この雄猫は決して餌を食べつくさない、と言う事実だ。私が子供の頃、ある皿から料理を食べて、それを食べつくさずに別の料理を食べようとしたら、祖母は「行儀が悪い猫みたいだ」と言って叱ったものだった。恐らく祖母自身も良く分っていなかったのだろうと思うが、これは仏教的考えから来たもので、猫は畜生で、畜生である猫の様な食べ方をしている様を行儀が悪いと叱ったのだろう。私はその雄猫が何故餌を食べつくさないのか、と考えた。野生動物は、普通は餌は食べつくす。そうしないと、次にいつ餌にありつけるか分らないからだ。一方で、満腹の場合は餌を残す。後から空腹になった時に、残り物を食べようという考えからでは無い。そんな事は彼等には想像もつかない。単に暴食すると体に不具合が出るので、そちらの方が生命危機に繋がり易いからだ。この雄猫は猫だまりの方での食事を終えてから私の所に来ていたので、空腹だった訳では全く無い。にも関わらず、餌は食べる。が、全部は食べない。他の猫の為に餌を残しているのだろうかとも考えたが、猫は基本単独行動者で、別個体の為に餌を残しておく必要性が薄い。何処からこの行動が来ているのか、今考えても分らない。それからしばらくの時が過ぎての事だ。その頃には雌猫の方は子育てに忙しく、お昼の時にも姿を見せなくなっていたので、専ら雄猫とのお昼だったのだが、その雄猫が若い恐らくは別の雄猫を連れてきた。そんな事は今までに一度も無かったので私は訝しんだのだが、とりあえず餌をやった所、その二匹は並んで仲良く餌を食べていた。次の日から、若い猫を伴ってきた年老いた雄猫は姿を見せなくなった。これは猫だまりの方にいた社員も気付いたらしく、私��の間で、突如姿を消した年老いた猫の事は話題になった。恐らく死んだのだろうと思う。野良猫の最後など大体がその様なものだ。不思議に思うのは、その猫が姿を消す前日に、若い猫を伴って私の所に来た事だ。偶然だろうか?そうかもしれない。或いは、自らが長くないと悟った老猫が、若い猫に餌場の場所を教える為に連れてきたのだろうか?今以て考え続けているが、答えが出ない。私は猫にそんな習性があるなどとは聞いた事も無い。私は彼等に対しては不勉強で、時間をかけて猫についてちょっとずつ調べてきたが、同様の話にお目にかかった事は無い。彼等はその多くの行動を本能(生得的な行動様式)の下に動いているが、私が体験したこの奇妙な事柄も、全てがそうではないと言う例の一つなのかもしれない。猫についても色々と調べたい事は山ほどあるのだが、如何せん、私は歴史と文章、更には物理を優先してやると決めているので、それに費やす時間が無い。時間が倍有ったら或いは、と思わないでも無いが、時間が倍有ったとしても矢張り歴史と文章と物理を優先させるだろう。私にとってこの問題は、恐らく永久に解く事の出来ない謎なのだろうと思う。
0 notes