#春のガラス茶会
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hiraharu · 2 years ago
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レモンが旬の名残を迎えています🍋
レモンの収穫時期は冬から春にかけて。 スーパーでは年中見かけるものの、 国産や無農薬のレモンとなると 3月頃を境になかなか見かけなくなってしまいます。
直売所などで、皮ごと食べて安心のレモンを手に入れたら、 お気に入りの保存瓶で「自家製レモンシロップ」仕込んでみませんか?
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例えばレモン1kgならば、粗精糖を1kg。 セラーメイトの保存瓶は3L瓶がおすすめ。 用意するのはこれだけです。
1. レモンを洗い、よく水気を切って輪切りにする。 2. 熱湯消毒した瓶に輪切りレモンと粗精糖を交互に、何層にもなるように敷き詰めていく。 3. 砂糖が溶けてきたら時々瓶を振り、全て溶けたらできあがり。
作ったシロップを炭酸水で割れば絶品レモネードに。紅茶と合わせてもおいしいです。
セラーメイトは他にも 梅酒やピクルス作りなどで重宝します。 果実酒、お米やドライフルーツ、 コーヒー豆や乾物、手作りジャムの保存にも。
5つのサイズをご用意しています。 並べて飾って、眺めながら熟成を待つのも楽しい時間ですよ。
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#パンと日用品の店わざわざ #わざわざ #セラーメイト #レモンシロップ #自家製シロップ #シロップ仕込み
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textilecocoon · 2 years ago
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日本の夏じたく2023
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2007年にはじまった日本の夏じたくも15回目。 夏じたくの会を立ち上げ、牽引し、育ててくださった アトリエ Kinami 久保紀波さんを中心とした 「日本の夏じたく」はこの2023年で一区切りです。
▶︎▶︎日本の夏じたく2023
2023年5月19日~21日 10:00~17:00(入場は16:30まで)※21日は16:00閉場 受付:三溪記念館 9:30受付開始 会場:三溪園  神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1 アクセスは三溪園ホームページでご確認ください。 https://www.sankeien.or.jp
イベントのお申し込み等詳細は夏じたくHPへ https://n-natsu-s.jimdo.com
COCOON 西川の最新情報は インスタグラムをご覧ください https://www.instagram.com/cocoon_oharu/
▷▷出展者
▶︎三溪記念館 総合受付 和紙 中村功/ #拝宮手漉き和紙工房
▶︎白雲邸 染色 久保紀波/ アトリエKinami
染織 岩崎訓久・悦子/ 染織iwasaki
染織 石川文江/ 楮布織
染織 西川はるえ/ Textile COCOON
木  富沢麻子/ a_wood
古代装身具 片桐光治/ limul 
墨画 石塚智之/ アトリエKinami
古典織物 中島洋一
漆 箱瀬淳一/ 箱瀬工房
日本刺繍 飯島桃子
染色 大き令子/ reikokiaburada
▶︎臨春閣玄関 竹  吉田佳道/ 竹の工芸よしだ
▶︎蓮華院 硝子 濱舘寛/ ipada 硝子 村木未緒/ ipada
呈茶 杉本百合子/すすり茶 空間 田中寛子
▶︎林洞庵 錫 今井章仁
金属 石井雄次/ Metal art and Jewelry YUJI ISHII
▶︎旧燈明寺本堂 硝子 荒川尚也/ 晴耕社ガラス工房
花  珠寳 / 青蓮舎
▶︎協力: 小熊廣美 / 書 辛島綾 / しつらい
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umeko-material · 4 months ago
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✨四季送り自陣まとめ
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⚠️以下ネタバレあり
プロフィールと梅子からみた所感
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🌸春-藤璃(とうり) PL:ちぇり
26歲 179cm APP14 一人称:俺 二人称:貴方、〜くん、〜さん、〜ちゃん
穏やかで家事が得意
家族の意思が何よりも最優先で家族の為なら家族でも殺せる 夏からみて異常者
でも男友達のようにも思ってる 現在居候中
🔪スタンガン▶︎ 意識消失後心臓に花を生けて殺す▶︎その時々に応じて本数とか花の種類は変わるが、メインになるのは何らかの「白い花」▶︎人に生ける専用の太針を支柱に花を挿していく▶︎針に鎮静や神経毒になる薬品を塗布している為、刺した後覚醒して暴れることは殆どないあったとして刺した直後の痙攣程度▶︎時間が経つと花は血で赤くなる
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🌻夏-雲雀(ひばり) PL:梅子
本名:姫雛 式(ひめひな しき)
23歲 182cm APP17 一人称:俺 二人称:お前、(呼び捨て)
本編中で一回も下記の殺し方をやっていない 殺しが好きではない 一般人メンタルの��ま裏社会に来てしまった ノンデリ 冬に弱い 無自覚に好き キスした でも本編ではそれより自分の目的を優先した
4人の中で1番ガキ 直情 高appなとこも殺し屋向いてない
🔪キック▶︎気絶したら壁にもたれ掛けさせて口に火薬をいれて爆破 壁に飛び散った血が花火みたいになる 目立つ殺し方が必要だったのでこれを選んだ
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🍁秋-一色 紅(いつしき べに) PL:れれ
本名: 叶目 糸(かなめ いと)
24歲 155cm APP16 一人称:アタシ 二人称:アンタ、(呼び捨て)
無口 何考えてるかわからない
悪人でも善人でもないと思う 殺しはただ自分が生きるために必要だからやってきた 感情が無い訳じゃないから人の好意とか無碍にしてない 殺意スイッチ入ると徹底してる
🔪ナイフ▶︎ 対象の頸動脈を切る→死者の口元に紅を引く→眼球をくり抜いてガラス細工に置き換える→抜いた眼球でマリッジリングを作り(宝石の部分に目のイメージ)、十字架(手のひらサイズ)と一緒に死者の似顔絵を描いたものを置いて去る
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❄冬-篁 小駒(たかむら ここま) PL:べこ
26歲 150?cm APP14 一人称:ボク 二人称:キミ、(呼び捨て)
冷え性 ほわっとしてるけど結構しっかりもので賢い 雲雀何回か怒られた 幼そうなとことのバランス感覚ミラクル
記憶を失った時が怖いため人とのかかわりを減らしている
🔪火炎放射器改造した液体窒素放射銃 ツヨイ アマリニモ
設定画と差分
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①夏のキャラクターデザイ���②本編中に生えた差分(春が「動きやすそうでいいね」言ってたの聞いて春のも買いに行った)
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①3人兄妹の中間子-兄と一緒にサッカーするのが好きだった キックが得意なのはサッカー由来 サッカーボールと妹が描いた絵は捨てられてない②冬を探すために髪伸ばして髪染めて派手な殺し方をして回ってた
セッションに関わる絵
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①手を引いて逃げた時②秋に強い言葉を言ったら冬に脇腹に軽くパンチされて変な声でた
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①秋が家族を殺したと知った後の店裏での夏秋PvP②冬と春が消えるとき、春に花を売ってくれと言い冬に渡しに行った 泣いてるのダサくて顔を見せたくなくて抱き着いてた
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①エピローグで京都から出ていくときダイスで行く県決めたら奈良になってPLめちゃくちゃ笑われた 近すぎ②秋に絵を貰っていたのであびに帰ってきてから秋の絵を描いて渡した
イメージ(セッション外)
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①夏冬継続サムネはちぇりさん②セッション中の夏
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①もしかしたらあったかもな温泉卓球2P/②本編後の春夏の夕飯買い物(同居中)
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①春が返ってくる前に料理練習とかね②マリ○カート
ファンアート(その他)
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ふせったー(PLごとに投稿順のはず!)※細かいのは省き
🌸春(ちぇり)のふせ
https://fusetter.com/tw/MKMu1Ahk
https://fusetter.com/tw/YhVR9qUj
https://fusetter.com/tw/CItC3GHx
https://fusetter.com/tw/4mHLVODC
https://fusetter.com/tw/oO8etgmR
🌻夏(自探索者)のふせ
https://fusetter.com/tw/bTAOi472
https://fusetter.com/tw/11WeutOf
https://fusetter.com/tw/6wQkA93P
https://fusetter.com/tw/ZDPyp25w
https://fusetter.com/tw/m2gwspyG
https://fusetter.com/tw/RfQ8fDVm
https://fusetter.com/tw/vNuy99OU
https://fusetter.com/tw/4oYPGSE6
https://fusetter.com/tw/6fHOE00O
https://fusetter.com/tw/biFmWX7O
https://fusetter.com/tw/2vdVtx9w
https://fusetter.com/tw/N05zCtjf
🍁秋(れれ)のふせ
https://fusetter.com/tw/hZL8EF9D#all
https://fusetter.com/tw/UfpEyY2V#all
https://fusetter.com/tw/PT9PLxrX#all
❄️冬(べこ)のふせ
https://fusetter.com/tw/2d7HstqH#all
※補足…?全部は書ききれませんが〜!
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こんなんなので須藤にはばち切れてた 追いかけて個室で顔面殴ったとこでみんなに止められた 🌻「手に脂ついただろうが」理不尽悪態ついてた
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冬からかなり早い段階で夏は記憶のカミングアウトを受けた めっちゃショック受けてた
何かあったら自分の家にある手帳を見て欲しいってことも早い段階で言われた(いざみたら手帳の内容はシナリオで用意されてるものにべこさんのアレンジも加えられてて死んだ)
すぐ夏は手帳見せろ言うたけど冬にダメって言われた
その後別日に神社行ったタイミングで(やっぱり手帳 見た方がいいな?)と思ったので「用事思い出したから抜けるわ」と行って冬の家に向かう
多分KPから冬に夏が(冬の)家の方向に向かったみたいな秘匿があったのかな?冬が追いかけてくる
冬がDEX高くて中々撒けなくてずっと並んで早歩き
🌻「なんでついてくるんだ?」❄️「ボクの家こっちなんだ」みたいなこと言いながら早歩き
いよいよ冬の家まで撒けなくて、とりあえず冬はいるけどピッキングの用意してそのまま鍵開けを試みようとしたら冬が呆れて鍵開けてくれた
❄「目の前でピッキングする?」🌻「だよな?嫌な気分になるよな、だからお前がいない間にしようと思ったんだ」みたいな会話した
家に上がってからも冬がお茶出してくれようとしてるのに🌻「篁の部屋こっちか?」みたいな感じでノンデリ塊やった
手帳はくれた ありがとう
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夏と秋はPVPした 店の裏に2人で出てって殺し合い
夏から吹っかけた 出目はどっちもかなり良かった 夏の蹴りが秋に入って気絶▶︎そのまま一瞬考えて留め刺そうかとしたとこで春と冬が駆けつける▶︎春が夏の手当、冬が秋の手当、冬に「今やることじゃないよ」みたいに諌められる
諸々話してお開き
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冬から夏への現在の感情:冬はそもそもこんな生い立ちだしよく恋ってものはわかってないけど、向けている感情が愛だとはおもっているらしい
冬は出かけるのはデートだと宣言されなければわからない➡夏は絶対言わない自覚ない
夏がもし年下と年上の女性どっちが好きと聞かれたら「年下」って言う(妹とか想像しとる)➡冬は年上
一生すれ違ってる 藤璃はそんな様子みてニコニコたまに家で「最近小駒ちゃんとどうなの?」みたいなおせっかいするらしい 小駒はもしデートとか言われたら紅に相談しにいくらしい ウーーン
セッション中に春が卵焼き作ってくれた 3種類から味の好みをchoiceで振ったら夏��冬が一緒だった
夏まとめ
・常識の中で生きてきた良識あり、元々一般人のメンタル、4人の中で1番凡人
・家族が死んで家族の所に向かいたかったけどそれも怖い、死ねない理由を探してた
・助けてくれた小駒を探すこと、殺した人間を探すこと これが達成するまで死ねないと思ってた
・この為に裏社会に入って殺しをしていく内に良識あった故に罪の意識も積み重なる
・篁小駒は好きだって思えるはずの相手だったけどそれより自分が"死ねない理由付け"をするのに都合のいい存在として無自覚に使ってた
・本編で目的の解決や、小駒が消えることで死ねない理由が消えていったから、最後は罪を償って死のうと考えてた
・小駒に手帳やマフラーを託されて生きる理由が出来てしまった 小駒に白い薔薇を渡す(たまたま選んだ 意味は知らない)
・藤璃も小駒もいない今紅とあびにいる事も出来ずに京都を出る 去る前に紅に自分と詞が描かれた絵を貰う 大事にしてる
・蠱毒の墓参りも兼ねて1年後の祭りに京都に顔を出す、藤璃・紅・小駒にみつかる 小駒から祭りで売ってた白い花のリース?みたいなのを貰う 人混み4人で歩いてて小駒と並んで少し前歩いてる時しれっとキスした
・最後は今までしてきた逃避をやめて罪を抱えたまま、紅が1年守ってきたあびに戻る 藤璃の家に今は居候中 ご飯練習中 紅には紅を描いた絵を渡した 小駒と一緒に色々マフラー買いに行ったりしてる
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shintani24 · 7 months ago
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2024年5月9日
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新サッカースタジアムの隣にサウナ 隣接する商業施設「ヒロパ」に 「書斎ラウンジ」や「フィットネスエリア」も整備 今夏開業(RCCニュース)2024年5月9日
広島市のサッカースタジアムに隣接する商業施設内にサウナやスポーツジムを備えた施設がこの夏に開業することになりました。
「エディオンピースウイング広島」の東側に整備されている「ひろしまスタジアムパーク」内の商業施設=「ヒロパ」のB棟に開業するのが「ベネッセレ広島店」です。
店舗面積は、およそ600平方メートル。県下最大級の『サウナエリア』を設け、2つのサウナ室を完備し、初心者にも優しい施設を目指すとしています。
また、コワーキングスペースとしても使用できるだけでなく読書や趣味を楽しめる『書斎ラウンジ』や、初心者から経験者も利用できる『フィットネスエリア』も整備します。
3つの異なるコンテンツからなる「ベネッセレ広島店」は8月1日に開業予定です。
目標は5月のホーム3試合あわせて1万人 サンフレッチェ広島レジーナがWEリーグ観客動員トップを目指すプロジェクト(広島テレビ)2024年5月9日
女子プロサッカーのサンフレッチェ広島レジーナです。エディオンピースウイング開業の勢いそのままに、WEリーグで観客動員トップを目指すプロジェクトが始まっています。
5月6日のアウェー戦。レジーナは後半37分、途中出場の高橋美夕紀選手が頭で合わせ、これが決��ゴール!2試合連続の完封勝利で5位に浮上しました。
高橋美夕紀 選手 「ひさびさ(のゴール)だったので、やっと結果を出せてよかったですけど、残り3試合で少ないので、もっともっとゴールに迫る、自分らしいプレーをたくさん出して貢献できるようにがんばります」
躍動を後押しするのは新スタジアムの大声援です。今シーズンの総観客動員数は、ここまで2万2223人。クラブ史上最多の数字で、WEリーグ全体でも3位です。
リーグトップを目指し、5月のホーム3試合合計で観客1万人を目指すプロジェクトを始動。前の試合は3,978人を集めました。残りのホームは2試合。紫の声援がレジーナの背中を押します。
立花葉 選手 「特に試合終盤に体がきつくなってきたときに皆さんの応援の声が聞こえると、また頑張ろうという気持ちになる。みんなに少しでも喜んでもらえるように、楽しいと思えるサッカーができるように、ホーム残り2試合絶対勝つのでぜひ試合を見に来てください!」
次の試合は5月11日午後2時から、エディオンピースウイング広島で7位の大宮と対戦します。
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「さかさ広島駅」って?広島新駅ビル初の一部共用開始はまず南口バス乗り場から 現在の駅ビル工事&駅前大橋ルートの進捗状況も(RCCニュース)2024年5月9日
再開発が続く広島駅ですが、南口のバス乗り場が、来月、新しい駅ビルの1階に移動し暫定利用されることになりました。広電の広島駅乗り入れはどうなっているのか、駅ビルの様子はどうなっているのかも確認してきました。
小林康秀キャスター 「稲荷町交差点に��ってきました。広島駅への駅前大橋ルートへの道のりですが、線路を敷設する工事が行われています。砂利が持ち込まれていますね」
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駅前大橋ルートの進捗状況は現在5割とのことです。
小林キャスター 「白いコンクリートの部分を見てください、これが稲荷町電停になります。広島駅から八丁堀方面にいく電車などはここを使うことになります。」
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この線路の終着地点、広島駅です。
小林キャスター 「広島駅が見えるところまでやってきました。先月ある程度の囲いが外されましたね……銀色の加飾は重厚感を感じます。折り鶴を折ったイメージだそう。そしてガラス張りの階も見えまして、広島駅の文字も見えます。路面電車がが入ってくるところを上から見下ろす感じなんでしょうね」
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そして路面電車の駅ビル2階への乗り入れは?
小林キャスター 「巨大な橋桁が組み立てられています。あの橋桁がスライドして、大洲通りに渡されることになります」
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こんな発見も……。
小林キャスター 「あちらをご覧ください。エディオン蔦屋家電のガラスを鏡にして、『さかさ広島駅』が見えるんですね」
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そんな中、工事中の新広島駅ビルでは、一部の利用が始まります。
小林キャスター 「広島駅南口のバス乗り場です。駅ビル工事の進捗にともなって、移動することになりました。場所は駅ビルの1階部分です」
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広島駅南口バス乗り場は、現在 工事中の新しい駅ビルの1階部分に移動し、暫定利用を開始します。これに伴い、現在のバス停やバス停に通じる階段も閉鎖されます。乗り場番号も変更することになるため、当面の間、誘導員を配置することにしています。
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バス乗り場は、来年春の駅ビル開業後も工事で暫定利用が続くため、最終的な完成は2026年度末を目指しています。
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【独自】安倍氏、2013年参院選で候補者に現金100万円 「裏金」か 収支報告書に記載なし(中国新聞)
2013年7月の参院選で、当時自民党総裁で首相だった安倍晋三氏(22年に死去)が、東日本の選挙区で争う同党公認候補の応援に入った際に現金100万円を渡していた疑いがあることが8日、中国新聞の取材で分かった。安倍氏、候補者が関係する主な政治団体などの収支報告書にはいずれも100万円の記載はなかった。
自民党の元幹部によると、政権の幹部が候補者の応援に入る場合、「表に出ないカネ」などを使い、激励のための陣中見舞いを渡す慣行がある。複数の元政権幹部は、使途が公表されない内閣官房報償費(機密費)が使われた可能性があるとの見方を示した。5年の時効が成立しているとみられるが、政治資金規正法違反(不記載)などに当たる可能性もある。
この候補者は匿名を条件に中国新聞の取材に答えた。参院選中に安倍氏が応援演説に入った当日、個室で面会する場面があり、安倍氏からA4判の茶封筒を受け取った。茶封筒の中には白い封筒が入っており、その中に100万円が入っていたという。
候補者は100万円の趣旨について「陣中見舞いのような感じで差し出された。厳しい選挙戦の足しにしてほしいという意味と思った」と説明。「表にしないカネ」と受け止め、選挙運動費用や政治団体の収支報告書には記載しなかったという。実際には切手代や電話代など選挙費用の支払いに充てたとしている。
一方、安倍氏が関係した政治団体のうち、今も存続しているとみられる「晋和会」(東京都)に文書で取材を申し込んだが、8日夕までに回答はなかった。
機密費は、内閣が施策を円滑かつ効果的に進めるための経費で、年約12億円が官房長官の判断で使用できる。領収書なしでも支払うことができ、使途は公表されない。98~99年の小渕内閣で官房長官を務めた野中広務氏(18年死去)は10年に共同通信の取材に応じ「機密費は月7千万~5千万円くらいを使い、そのうち1千万円を首相に渡していた」と明らかにした。選挙への流用が取り沙汰されたこともある。
13年7月の参院選は、12年12月の衆院選で民主党から政権を奪還した自民党が初めて迎える国政選挙だった。参院で野党が多数を占める「ねじれ国会」が解消されるかが最大の焦点で、自民党は圧勝し、ねじれを解消した。安倍氏は期間中、候補者の応援のため、35都道府県を遊説に回った。
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オレンジジュース、高嶺の花に? 不作で輸入果汁が高騰、円安で拍車(朝日新聞)2024年5月9日
国内でオレンジジュースの販売休止が相次いでいる。オレンジ果汁の主な輸入先のブラジルで不作が続き、価格が高騰。円安も追い打ちとなり、手頃な値段で売れなくなっているためだという。
森永乳業は「サンキスト100%オレンジ」(200ミリリットル)について、確保済みの原料がなくなり次第、販売を休止する。休止は6月中旬ごろの予定という。
アサヒ飲料は「バヤリースオレンジ」(1.5リットル)の出荷を昨年12月に休止。雪印メグミルクは「Dole(ドール)オレンジ100%」の1000ミリリットルと450ミリリットルの販売を昨春休止した。
背景にあるのが原料の値上がりだ。日本果汁協会によると、輸入オレンジ果汁の1リットルあたりの価格は2020年は259円だったが、23年は491円に。足元の円安も、価格の高騰に拍車をかけているという。
一方、国産のみかんジュースを新たに売り出す動きもある。協同乳業は今年4月、和歌山県産の温���みかん果汁を100%使った「農協果汁」(900ミリリットル)を14年ぶりに復活させて売り出した。現在は関東甲信越のみで売るが、来年度以降はエリアの拡大を検討する。オレンジの値上がりは、農協果汁の発売に直接関係していないというが、同社は「国産果汁の良さを知っていただく機会になれば」としている。(明楽麻子)
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新型コロナ 広島県の新規感染者数29%減 GWの影響か 1年前の水準を下回る 9日発表(テレビ新広島)
新型コロナウイルス。広島県は9日、先週1週間(4月29日~5月5日)に広島県内の定点調査で確認された新規感染者数は204人、定点あたり1.85人と発表しました。
前週と比較して29%減り、3週ぶりに減少しました。
新規感染者数は1月29日の週をピークに減少傾向にあり、4月22日の週は、約3カ月ぶりに微増となりましたが、4月29日の週は大型連休の影響もあり1年前の「5類」移行時(定点あたり2.31人)を下回る水準となっています。(前週は287人、定点あたり2.61人)
広島県は、現時点で医療がひっ迫している状況にはないが、引き続き手洗いや換気など基本的な感染対策をするよう呼び掛けています。
このほかの感染症では、A群溶血性レンサ球菌咽頭炎(溶連菌感染症)と咽頭結膜熱について県は引き続き警報を発令し、警戒を呼び掛けています。
※「5類」移行後、広島県内の感染者数
5月8日~14日 259人 定点あたり2.31人
5月15日~21日 253人 定点あたり2.26人 前週比 横ばい
5月22日~28日 266人 定点あたり2.38人 前週比 横ばい
5月29日~6月4日 344人 定点あたり3.07人 前週比 微増
6月5日~11日 443人 定点あたり3.92人 前週比 微増
6月12日~18日 493人 定点あたり4.36人 前週比 微増
6月19日~25日 532人 定点あたり4.71人 前週比 横ばい
6月26日~7月2日 771人 定点あたり6.88人 前週比 微増
7月3日~9日 1,060人 定点あたり9.46人 前週比 微増
7月10日~16日 1,245人 定点あたり11.12人 前週比 微増
7月17日~23日 1,548人 定点あたり13.82人 前週比 微増
7月24日~30日 1,783人 定点あたり15.92人 前週比 微増
7月31日~8月6日 1,639人 定点あたり14.77人 前週比 横ばい
8月7日~13日 1,302人 定点当たり11.94人 前週比 微減
8月14日~20日 1,601人 定点あたり14.29人 前週比 微増
8月21日~27日 1,633人 定点あたり14.58人 前週比 横ばい
8月28日~9月3日 1,637人 定点あたり14.62人 前週比 横ばい
9月4日~10日 1,697人 定点当たり15.02人 前週比 横ばい
9月18日~24日 1,073人 定点あたり9.58人 前週比 微減
9月25日~10月1日 880人 定点あたり7.79人 前週比 微減
10月2日~8日 535人 定点あたり4.73人 前週比 減少
10月9日~15日 411人 定点あたり3.64人 前週比 微減
10月16日~22日 303人 定点あたり2.71人 前週比 微減
10月23日~10月29日 321人 定点あたり2.84人 前週比 横ばい
10月30日~11月5日 285人 定点あたり2.52人 前週比 微減
11月6日~12日 189人 定点あたり1.67人 前週比 減少
11月13日~19日 194人 定点あたり1.72人 前週比 横ばい
11月20日~26日 300人 定点あたり2.65人 前週比 増加
11月27日~12月3日 306人 定点あたり2.71人 前週比 横ばい
12月4日~10日 313人 定点あたり2.77人 前週比 横ばい
12月11日~17日 356人 定点あたり3.15人 前週比 微増
12月18日~24日 360人 定点あたり3.19人 前週比 横ばい
12月25日~31日 671人 定点あたり5.94人 前週比 増加
1月1日~7日 682人 定点あたり6.04人 前週比 横ばい
1月8日~14日 918人 定点あたり8.21人 前週比 微増
1月15日~21日 1,291人 定点あたり11.42人 前週比 微増
1月22日~28日 1,598人 定点あたり14.14人 前週比 微増
1月29日~2月4日 1,944人 定点あたり17.36人 前週比 微増
2月5日~11日 1,751人 定点あたり15.77人 前週比 微減
2月12日~18日 1,056人 定点当たり9.43人 前週比 微減
2月19日~25日 849人 定点あたり7.51人 前週比 微減
2月26日~3月3日 623人 定点あたり5.51人 前週比 微減
3月4日~10日 593人 定点あたり5.25人 前週比 横ばい
3月11日~17日 538人 定点あたり4.76人 前週比 微減
3月18日~24日 410人 定点あたり3.63人 前週比 微減
3月25日~31日 417人 定点あたり3.69人 前週比 横ばい
4月1日~7日 291人 定点あたり2.62人 前週比 微減
4月8日~14日 257人 定点あたり2.34人 前週比 微減
4月15日~21日 257人 定点当たり2.34人 前週比 横ばい
4月22日~28日 287人 定点あたり2.61人 前週比 微増
4月29日~5月5日 204人 定点あたり1.85人 前週比 微減
※前週との比較
急増減…1:2以上の増減
増減…1:1.5~2の増減
微増減…1:1.1~1.5の増減
横ばい…ほとんど増減なし
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tajimahiroe · 1 year ago
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窓絵---
如春園さんの大きなガラス扉に✨
初日に描き描き---♩
2年前の個展から絵柄を変えて…伺う季節毎に楽しく描かせて頂いていた贅沢大きなキャンバス✨
菜の花、蝶、紫陽花、ワレモコウ、お茶の葉、カエル、、
そして、今回の展示では、如春園さんの横顔トタンの他に、お茶の花にも魅了されていて😍
丸く可愛い白い花をまだまだ描きたくて…窓絵にも飛ばした♡🙌
如春園さんの、美味しいお茶を作る大切なメンバーである味のある機械たちと絵が合体する光景がまた好きな窓絵です✴︎
今まで使っていなかった色付きペンや、クレヨンの様な質感も登場させてみて⭐︎
お客様が行き交う中、お話しをしながら…楽しく描いていた初日でした🐸
初めてご覧くださったり、雨だから空いているかな⁇と、選んでお越しくださったり、お帰りにわざわざご感想をお伝え頂いたり…絵を通しての出会いを楽しみました♩
ありがとうございました😊
ミールスとケーキとお茶の幸せフルコースにて😍❗️
次回の在廊(店)は、まだある今年描くべき絵を無事に終えて…
またお知らせをさせて頂きたいと思います🙋‍♀️💨
明日はライブも楽しめる如春園さんです🎶♫✨
如春園さんまで —小田原散歩 Vol.2
@joshunen
たじまひろえ展
2023.12.15金ー2024.1.20土
(12/28〜1/8休み)
ランチ:11:30〜14:00 喫茶:15:00〜17:00
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metaleft · 1 year ago
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リアタイ企画【ユエヒト】
���ャラクターシート
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@Ohmypopopo @yoqips様のテンプレートをお借りしました (https://privatter.net/p/10318628)
◆身上調査書
姓名:黒鶴庵治(旧姓:木々須)
年齢:33歳
性別:男性
血液型:B型
誕生日:7/19
身長:175cm
体重:65~70を行き来している
体型:薄っぺらい。在宅仕事のため体力も無い。
髪色:焦茶
瞳の色:グレーっぽい黒
視力:普通(たまにメガネかける)
きき腕:右
声の質:落ち着いた声色。すこし高い声。
身体的特徴:目の下の傷
出身:東京都足立区
家族構成:妻・娘
職業:大手ファッションブランド取引会社
恐��:自分のせいで相手が不幸になること
癖:頬をぽりぽりする(^^ゞ
酒癖:弱い。カクテルや甘い酒が好き。
*交流向け恋人/許婚:黒鶴家の婿養子。妻・白菊 一人称:俺 二人称:~さん、~ちゃん 呼び方:苗字+さん 年下には名前
*好きなもの
食べ物:家庭料理、温かいおばんざい
飲み物:紅茶派
気候:春から夏にかけての暖かさ
色:紫
香り:ムスク等スモーキー系
書籍:ファッション系
動物:全部好き!猫派
ファッション:会社制服スーツがオシャレ。私服もオシャレ。
場所:仕事用部屋
愛用:
趣味:
黒鶴(旧姓:木々須)庵治は1990年7月19日東京都生まれ。 鈴代服飾大学卒業後、株式会社ミンスキー・ジャパンに就職。 世界的な高級ファッションブランドを扱う通販事業部に所属し海外出張も多かったが2020年からは情勢に伴いリモート業務がメインになっている。 同会社の日本支部総務部の吉良万裏と出会ったのは2015年の冬の初め。 毎年クリスマスは二人で祝う約束していた。吉良は友人と連帯保証人について揉めており、友人が事故死した事件の捜査で第一容疑者に上がっていた。裁判で庵治が当時のアリバイとして電話履歴を公開し吉良の容疑は晴れたが直後吉良は辞職し庵治の前から姿を消した。のちに風の噂で亡くなったことを知るが気持ちの整理はついていない。 兄弟の友人のつてで縁談を持ち掛けられ現在は黒鶴家の婿養子として妻・白菊、娘・雛と生活している。白菊の地元を離れたい意思を汲んで都会のマンションの一室を購入した。 傷は子供の頃サッカーボールで割れた窓ガラスの破片で切った痕。傷跡が深く見られて気遣わされるのも面倒なので隠している。
【関係】 妻・黒鶴白菊
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kentarouchikoshi · 2 years ago
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 是非鑑賞してみたい興味深い展覧会ですね��(・_・”)
 以前にも申しましたが,笠間市は茨城県でも特に美術の盛んなところと言えるでしょう。笠間焼の窯元が数多く存在することは非常に有名でそれらの作品を展示販売するギャラリーも少なくありません。それだけではなく,笠間には「茨城県陶芸美術館」と「笠間日動美術館」という2つの大きな美術館があり,心ゆくまで美術に浸ることの出来る街であるといえるでしょう。因みに前者は県立ですが後者は茨城県では珍しい私立の美術館で,東京にある日動画廊が母体となった公益財団法人「日動美術財団」によって設置運営されています。
 これら2つの美術館のうち茨城県陶芸美術館はその名のとおり陶芸作品やガラス工芸作品などを専門に展示しているのに対し,笠間日動美術館は絵画に力を入れているなと感じています。設立母体が画廊ということもあり,また同じ市内に陶芸を専門とする美術館が存在するということもあるのでしょう。そんな笠間日動美術館で,今回は陶芸をテーマにした展覧会が開催されていると知り,僕としては最初「おやまぁ!(。・о・。)!」と感じてしまいました。とはいえ「生誕140年記念 北大路魯山人展」という展覧会と伺い「あぁ,そういうことか(◍•ᴗ•◍)」と大いに納得です。笠間日動美術館は北大路魯山人(1883〜1959)と深い繋がりを有しており,同美術館の分館「春風萬里荘」が鎌倉市にあった魯山人の邸宅を笠間市に移築したものであるのは有名なお話ですね。こちらでは魯山人の晩年の暮らしぶりについて偲ぶことが出来るのと同時に,日本庭園や魯山人自らの設計による茶室「夢境庵」などを鑑賞することが可能です。
 今回開催されている展覧会においても,世田谷美術館(東京都世田谷区)所蔵の「塩田コレクション」の他,笠間日動美術館自身の所蔵する作品が数多く展示されているということです。北大路魯山人は劇画「美味しんぼ」の登場人物である海原雄山(作中では「魯山人の孫弟子」と言う設定です)のモデルになった人物であることからも伺えるとおり料理研究家にして陶芸家として知られていますが,その他にも書画も手掛けてそちらでも高い評価を得た人物です。随分と波乱万丈の人生を送った人のようですが,それと同時に芸術家としても実に幅広い活躍を見せた人です。しかもそれなりに長生きしたので彼の芸術の全貌を知ることはなかなか困難ですが,今回の展覧会では陶芸の他に書についても展示されるということで,北大路魯山人の芸術の一端について学ぶ絶好の機会ではないかと感じています。
 2023(令和5)年7月��日まで開催中の北大路魯山人展,鑑賞のために笠間を訪ねたいものです♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
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doctormaki · 2 years ago
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春分の日を境に夏時間になった。夜の7時位だと、まだ明るい。昨年の夏、こちらに滞在していた同僚が、夜明るすぎて眠れないんだよ、とボヤイていた事を思い出す。春分の日が過ぎて夏時間になった途端、天気は冬に逆戻りし、今日は寒気団が入って来ているらしく、十五分おき毎に雪が降っては、お日様が照り、青空が見えたかと思いきや、雪が降るという、目まぐるしく変わる天気だった。ハンブルガーによると、当にハンブルグらしい天気らしい。通りで、この研究所も、一度決まった事を、ちゃぶ台がえしして平気なんだと会得する。環境決定論ではないけれど、天気は、やはり、社会の在り方に一定の影響を与えるように思う。
夕食には、作りおきしてあった冷凍餃子を、スープ仕立てにして食べる。中に、春雨が入っていたので、丁寧に作っていた頃の餃子という事が分かる。つまり、こちらに帰ってきて直ぐの頃に作っていた餃子だ。コリアンダーをセリのように、さらりと茹でて食べることが、マイブーム。
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今日は朝から、一ヶ月に一回の無料掃除サービスの日だった。お掃除屋として雇われているトルコ人移民達の掃除は、とてもいい加減。逆に汚されているような気しかしないが、普段は掃除できないシャワールームのガラス窓などを一応、掃除してくれる。でも、土足で掃除するので、床はきれいなのか汚れたのか不明だし、ワシの掃除道具使いっ放しだし、部屋は丸くしか掃除しない。毎回、微妙に苛立つ。
歌代子おばあちゃんが、使用人を雇うという事は、雇う側が全部、家事でも料理でも畑仕事でも、なんでもちゃぁんとできなあかんよ。と、私によぅ言い聞かせてくれていた事を思い出す。自分ができもせん事を、他���様にやってもらっても、何も分からんのやったら、他人様なんか雇う資格あらへんでしょ。そんな事をする前に、自分で全部できるようにしてからやないと、他人様をつこうたら、あかんでしょ。と口酸っぱく言っていた。自分が手本にならなあかんでしょ、と。使用人を雇うという事は、全部、自分ができるゆうこと。それも、他人様より早く上手にできなあかんよ。と、おみつのおばあちゃんが、嫁入り前の子女教育にと、家で娘さん達を何人も預かっていた事を例に出しながら、よう言っていた。
しかしだ。相手に言葉が分からないフリをされると、もうお手上げだ。nicht sauberやろと、smuzigなんだからputzen bitteやでと言ったところで、サボりたい一心のトルコ人なので、捨てなくて良いものを捨ててみたり、交換しなくて良いものを交換してみたりと、余計な事ばかりに時間を使って、肝心の汚れている場所は、完全無視どころか、気付かなかった!、また次ね、と笑って誤魔化す。ドイツ人金持ちには、それで通用するのやろう。なにせ、今どきのニワカ金持ちなんて、成金なので、使用人や家政婦を使う術なんか持っているはずがない。人を雇うという事は、人を育てる事という意識が、人を使う側に欠落し過ぎや。
ワシは、毎回、このヘラヘラメンヘラ、トルコ人女子が掃除しに来るたびに、イライラする。この類の人々は、ドイツで教育を受けているのでドイツ語と母国語のトルコ語しか話さない。英語は、勉強したらしいのだが、全く分からんらしいのだ。ドイツの学校制度、14歳で大学行くか、職業訓練学校行くかを決めさせる制度は、勉強嫌いの子供達には最高の制度だし、私も良い制度とは思うが、外国人子女教育の結果の有り様を見ると、なんとも微妙だ。私のカタコトのドイツ語会話は、時に良いように無視され、時にアホみたいにおだてられ、適当にあしらわれる。面倒くさい事を言っていると判断すると、お前のドイツ語分からないの一点張りだ。まぁ、そうやって、彼女達も、ドイツ人にあしらわれて来たのだろう。可哀想に。人は人にされて嫌だった事を、仕返しするものだ。
彼女によると、彼女は18で子供を産み、今は36歳。私より随分と若いのだが、彼女は、私が彼女より年下だと確信して、私の事は舐めきっている。彼女の息子も18になる。そして、息子も、やはり肉体労働者としてドイツの底辺でドイツを支える移民3世なのだ。そして、いい加減に仕事をして、適当に日銭を稼いで、大麻を吸って憂さ晴らしの毎日なのだ。私は、彼らを見ていて、色々な意味でイライラする。ドイツの社会に置かれた移民の立場、彼らの絶望とある種の諦め。そして、ある種の、そうした立場に居て��っているから、お前ら楽シテンじゃん的な開き直りと、姑息さ。全てがイライラする。残念だ。
タイでは、快適やったなぁ。。。ワシが掃除し残してしまった所を、キレイにピカピカに掃除してくれてあったなぁ。アルゼンチンでは、掃除後、お茶友達になって貰ってスペイン語練習したっけ。。。そして、アルゼンチン人の友人に、マキのespanolはborrichoみたいな時があると指摘されて、家政婦さんがボリヴィア人だと知ったっけかねぇ。溜息。各国家政婦事情を色々と体験しているけど、トルコ人は手強い。ワシは、同僚達から、留守中にモノが紛失する話を聞くので、申し訳ないのだけど、信頼していない。何か盗まれても困ると、いつも在宅しています。そういう意味では、貴金属もそのまま、何なら、パンツも干したままで出かけられたタイが一番快適だったなぁ。
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すっかり春の陽気ですが、まだ3月前半で梅の季節。日本で1番歴史がある盆梅展に行ってきました😄⁡ ⁡ 盆栽は世界からも注目される日本が誇る植物アート❢もっと外国にも発信されるといいな。⁡ ⁡ ⁡ 滋賀県琵琶湖の北東、歴史もありガラスでも有名な長浜。⁡ ⁡ そこに明治20年、明治天皇さんが京にお戻りになる時、この地の富豪が行在所として建設した慶雲館でやっている。⁡ ⁡ 慶雲館の名は、初代総理大臣伊藤博文の命名と伝わっているそうな😮⁡ ⁡ 庭園は、平安神宮の神苑など多くの名園を手がけたあの京都の庭匠、七代目小川治兵衛作。国の名勝。⁡ ⁡ 盆梅展以外の時期でも入場する価値あり✨⁡ ⁡ ⁡ 盆梅展はちょうど見頃のものを順繰り出されていて、その何倍もの鉢植えを普段から管理されている。⁡ ⁡ 今回も4世紀も生きているという梅が出ていたり!そう思うと気が遠くなるほどの人々の手間。⁡ ⁡ 1つ1つに名前がついていて、愛情込めて育てられてるんだろうな😌⁡ ⁡ 会場中に梅の香りが広がって、2階には期間中のみ、お土産売り場と、お茶できるスペースも🍵⁡ ⁡ ⁡ ⁡ 📍慶雲館(滋賀)⁡ ⁡ 【アクセス】長浜駅西口から南へ徒歩3分⁡ 【盆梅展 期間・料金】⁡  令和5年1月8日(日)〜3月12(日) 慶雲館⁡  期間中無休/9時〜17時(入館は16時半まで)⁡  入館料/大人800円、小・中学生400円⁡ ⁡ ⁡ ⁡✵✧✵✧⁡✵✧✵✧⁡✵✧✵✧⁡✵✧✵✧⁡✵✧✵✧⁡⁡⁡⁡ ⁡ 📣皆様へお知らせ📣⁡ インスタの仕様変更により今迄のようにフィード投稿が表示されない可能性があります。⁡ ⁡ 今迄通り投稿をお届けしたいので⁡ 下記手順で設定いただき、ぜひ通知を受け取って下さい🤲⁡ ⁡ ▼設定手順⁡ ①@akane.suenaga ←こちらをクリックしてプロフィールへ⁡ ②右上にある🔔をタッチ⁡ ③お知らせをオンに⁡ これで投稿したら通知が届くようになります😊⁡ ⁡ ⁡ ◇きれい・楽しいetc→いいね♥⁡ ◇私も!・詳しく聞きたい🖐etc→コメント⁡ ◇行ってみたい・また見返したい→保存❣⁡ ⁡ 【保存の仕方】⁡⁡ ⁡インスタ:写真右下の旗マークを押す⁡ FB:投稿右上の「…」マーク→「保存」⁡ ⁡ ⁡⁡ 〚プロフィール〛⁡ ⁡ 📷一眼歴33年のフォトグラファー/ライター⁡ 🗺️旅歴31ヵ国83地方じっくり滞在⁡ 🖊SNS総フォロワー50000人⁡ 💖海、光、町並、南国、ヨーロッパが特に好き⁡ ⁡ 〚投稿内容〛⁡ ●ときめく刺激&まったりのちょうどいい旅😍😌⁡ ●詳しい下調べ後のベストチョイス!⁡ ●体験したリアルな旅行情報・失敗談⁡ ●海外旅行・国内旅行・お出かけ⁡ ⁡⁡⁡⁡ フィードは主に風景写真⁡ ストーリーはグルメ・お土産他⁡ ⁡ @akane.suenaga⁡⁡⁡⁡⁡ ⏪他の投稿を見る⁡ ★フォローして人生楽しくして下さい💕⁡ ⁡ ⁡⁡⁡⁡ ⁡✵✧✵✧⁡✵✧✵✧⁡✵✧✵✧⁡✵✧✵✧⁡✵✧✵✧⁡⁡⁡⁡ ⁡ #japanesewriter about travel.⁡ Twitter 48000 follower⁡ →https://twitter.com/AkaneClub⁡ ⁡ #Bonsai exhibition at Nagahama,Shiga,Japan⁡ @⁡ #トラベルフォトグラファー⁡⁡Akane⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡ #トラベルライター⁡⁡⁡⁡ ⁡ #夫婦旅 #夫婦旅行 #大人旅⁡ #アラフィフ #アラフォー⁡ #長浜盆梅展フォトコンテスト2023⁡ #滋賀観光 #長浜 #盆梅展 #梅 #盆栽 #⁡慶雲館 #長浜観光 #湖東 #歴史建築 #梅見 #しっぽり #関西観光 #滋賀観光スポット #旅行支援 #全国旅行支援 #庭園 #小川治兵衛 #日本建築 #花展 #日本庭園好き ⁡⁡ ⁡ (長浜盆梅展) https://www.instagram.com/p/Cpmum8-vcg8/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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toku36 · 3 years ago
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#ツナガリナイト #春のガラス茶会 長い沈黙から醒め、 約1年4ヶ月ぶりの #ツナガリナイト を再開致します。 京都 #亀岡で #ガラススタジオカローレ を営む #松本大督 氏を トークゲストにお招きします。 聞き手は宮川徳三郎 #夜茶会 も同時開催致します。 ◯ イベント詳細 日時:4月30日(土)19:00~22:00 ツナガリトークは19:40~、 茶会は20:00〜 場所:宮川徳三郎商店 参加費:2.000円 (茶席代、ワンドリンク・おつまみ付き) お問い合わせは @toku36com のDMにて ◯ ツナガリナイトとは
2014年より毎月最終土曜日に 宮川徳三郎商店が主催する ものづくりのための交流会です。 #宮川徳三郎商店 #宮川徳三郎
#アンティーク着物
#デニム着物
#着物レンタル
#異業種交流会
#ものづくり #着付け師 
#着付け 
#婚礼 
#伝統工芸 
#伝統文化 
#京都
#kimono 
#wedding 
#kyoto 
 (京都着物 宮川徳三郎商店 Kyoto Kimono Store & Rental) https://www.instagram.com/p/Ccy8MA9Pnh5/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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isakicoto2 · 2 years ago
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つまさきになみのおと
そういえば、自分から電話することだって滅多になかったのだった。 ディスプレイに浮かぶ名前を、そっとなぞるように見つめる。漢字三���字、向かって右手側の画数が多いそれは、普段呼んでいるものよりもなんとなく遠くに感じる。同じ、たったひとりの人を指す名前なのに。こんな場面でやけに緊張しているのは、そのせいなのだろうか。うんと昔は、もっとこれに近い名前で呼んでいたくせに。本人の前でも、居ないところでだって、なんだか誇らしいような、ただ憧れのまなざしで。 訳もなく一度ベンチを立ち上がって、ゆるゆると力なく座り込んだ。ただ電話をかけるだけなのに、なんだってこんなに落ち着かないんだろう。らしくないと叱咤する自分と、考え過ぎてナーバスになっている自分が、交互に胸の中を行き来する。何度も真っ暗になる画面に触れなおして、またひとつ詰めていた息を吐き出した。 寮の廊下はしんと静まり返っていた。巡回する寮監が消していく共同部分の照明、それ以外は規定の中だけで生きているはずの消灯時間をとうに過ぎている。水泳部員の集まるこのフロアに関して言えば、週末の夜にはもう少し笑い声も聞こえてくるはずだ。けれど、今日は夜更かしする元気もなく、すっかり寝息を立ててしまっているらしい。 午前中から半日以上かけて行われた、岩鳶高校水泳部との合同練習。夏の大きな大会が終わってからというもの緩みがちな意識を締める意味でも、そして次の世代に向けての引き継ぎの意味でも、今日の内容は濃密で、いつも以上に気合いが入っていた。 「凛先輩、今日は一段と鬼っスよぉ」 残り数本となった練習メニューのさなか、プールサイドに響き渡るくらい大きな声で、後輩の百太郎は泣き言を口にしていた。「おーい、気張れよ」「モモちゃん、ファイト!」鮫柄、岩鳶両部員から口々にそんな言葉がかけられる。けれどそんな中、同じく後輩の愛一郎が「あと一本」と飛び込む姿を見て、思うところがあったらしい。こちらが声を掛ける前に、外しかけたスイミングキャップをふたたび深く被りなおしていた。 春に部長になってからというもの、試行錯誤を繰り返しながら無我夢中で率いていたこの水泳部も、気が付けばこうやってしっかりと揺るぎのない形を成している。最近は、離れたところから眺めることも増えてきた。それは頼もしい半面、少しだけ寂しさのような気持ちを抱かせた。 たとえば、一人歩きを始めた子供を見つめるときって、こんな気持ちなのだろうか。いや、代々続くものを受け継いだだけで、一から作り上げたわけではないから、子供というのも少し違うか。けれど、決して遠くない感情ではある気がする。そんなことを考えながら、プールサイドからレーンの方に視線を移した。 四人、三人と並んでフリースタイルで泳ぐその中で、ひときわ飛沫の少ない泳ぎをしている。二人に並んで、そうして先頭に立った。ぐんぐんと前に進んでいく。ひとかきが滑らかで、やはり速い。そして綺麗だった。そのままぼんやりと目で追い続けそうになって、慌ててかぶりを振る。 「よし、終わった奴から、各自休憩を取れ。十分後目安に次のメニュー始めるぞ」 プールサイドに振り返って声を張ると、了解の意の野太い声が大きく響いた。
暗闇の中、小さく光を纏いながら目の前に佇む自動販売機が、ブウンと唸るように音を立てた。同じくらいの価格が等間��に並んで表示されている。価格帯はおそらく公共の施設に置いてあるそれよりも少しだけ安い。その中に『売り切れ』の赤い文字がひとつ、ポツンと浮き上がるように光っている。 ふたたび、小さく吐き出すように息をついた。こんな物陰にいて、飲み物を買いに来た誰かに見られたら、きっと驚かせてしまうだろう。灯りを点けず、飲み物を選んでいるわけでも、ましてや飲んでいるわけでもない。手にしているのはダイヤル画面を表示したままの携帯電話で、ただベンチでひとり、座り込んでいるだけなのだから。 あと一歩のきっかけをどうしても掴めない。けれど同時に、画面の端に表示された時刻がそんな気持ちを追い立て、焦らせていた。もう少しで日をまたいで越えてしまう。意味もなくあまり夜更かしをしないはずの相手だから、後になればなるほどハードルが高くなってしまうのだ。 今日は遅いし、日をあらためるか。いつになく弱気な考えが頭をもたげてきたとき、不意に今日の後ろ姿が脳裏に浮かんだ。途端に息苦しさのような、胸の痛みがよみがえる。やはり、このままでいたくなかった。あのままで今日を終えてしまいたくない。 焦りと重ねて、とん、と軽く押された勢いのまま、操作ボタンを動かした。ずっと踏み出せなかったのに、そこは淡々と発信画面に切り替わり、やがて無機質な呼び出し音が小さく聞こえ始めた。 耳に当てて、あまり音を立てないように深く呼吸をしながら、じっと待つ。呼び出し音が流れ続ける。長い。手元に置いていないのだろうか。固定電話もあるくせに、何のための携帯電話なのか。そんなの、今に始まったことじゃないけれど。それに留守電設定にもしていない。そもそも設定の仕方、知ってんのかな。…やけに長い。風呂か、もしくはもう寝てしまっているとか。 よく考えたら、このまま不在着信が残ってしまうほうが、なんだか気まずいな。そんな考えが浮かんできたとき、ふっと不安ごと取り上げられたみたいに呼び出し音が途切れた。 「もしもし…凛?」 繋がった。たぶん、少しだけ心拍数が上がった。ぴんと反射的に背筋が伸びる。鼓膜に届いた遙の声色は小さいけれど、不機嫌じゃない。いつもの、凪いだ水面みたいな。 そんなことを考えて思わず詰まらせた第一声を、慌てて喉から押し出した。 「よ、よぉ、ハル。遅くにわりぃな。あー、別に急ぎじゃないんだけどさ、その…今なにしてた? もう寝てたか?」 隙間なく沈黙を埋めるように、つい矢継ぎ早に並べ立ててしまった。違う、こんな風に訊くつもりじゃなかったのに。いつも通りにつとめて、早く出ろよ、とか、悪態の一つでもついてやろうと思ってたのに。これではわざとらしいことこの上なかった。 「いや…風呂に入ってきたところだ。まだ寝ない」 ぐるぐると頭の中を渦巻くそんな思いなんて知らずに、遙はいつもの調子でのんびりと答えた。ひとまず色々と問われることはなくて、良かった。ほっと胸を撫で下ろす。 「そ。それなら、良かった」 電話の向こう側に遙の家の音が聞こえる。耳を澄ませると、何かの扉を閉じる音、続けて、小さくガラスのような音が鳴った。それから、水の音、飲み下す音。 …あ、そっか、風呂上がりっつってたな。向こう側の景色が目の前に浮かぶようだった。台所の、頭上から降る白い光。まだ濡れたまま、少しのあいだ眠っているだけの料理道具たち。水滴の残るシンクは古くて所々鈍い色をしているけれど、よく手入れがされて光っている。水回りは実家よりも祖母の家に似ていて、どこか懐かしい。ハルの家、ここのところしばらく行ってないな。あの風呂も、いいな。静かで落ち着くんだよなぁ。 「それで、どうしたんだ」 ぼんやり、ぽやぽやと考えているうちに、水かお茶か、何かを飲んで一息ついた遙がおもむろに投げかけてきた。ハッと弾かれるように顔を上げ、慌てて言葉を紡ぎ出す。 「あー、いや…今日さ、そっち行けなかっただろ。悪かったな」 「…ああ、そのことか」 なるほど、合点がいったというふうに遙が小さく声を零した。 そっち、というのは遙の家のことだ。今日の合同練習の後、岩鳶の面々に「これから集まるから一緒に行かないか」と誘われていたのだった。 「明日は日曜日なんだしさ、久しぶりに、リンちゃんも行こうよ」 ねぇ、いいでしょ。練習終わりのロッカールームで渚がそう言った。濡れた髪のままで、くりくりとした大きな目を真っすぐこちらに向けて。熱心に誘ってきたのは主に彼だったけれど、怜も真琴も、他人の家である以上あまり強くは勧めてこなかったけれど、渚と同じように返事を期待しているみたいだった。当の家主はというと、どうなんだと視線を送っても、きょとんとした顔をして目を瞬かせているだけだったけれど。きっと、別に来てもいいってことなのだろう。明確に断る理由はなかったはずだった。 けれど、内心迷っていた。夏の大きな大会が終わってやっと一息ついて、岩鳶のメンバーとも久しぶりに水入らずでゆっくり過ごしたかった。それに何より、他校で寮暮らしをしている身で、遙の家に行ける機会なんてそう多くはない。その上、一番ハードルの高い『訪問する理由』というものが、今回はあらかじめ用意されているのだ。行っても良かったのだ。けれど。 「わりぃ、渚。今日は行かれねぇ」 結局、それらしい適当な理由を並べて断わってしまったのだった。ミーティングがあるからとか、休みのうちに片付けなきゃならないことがあるとか、今思えば至極どうでもいいことを理由にしていた気がする。 始めのうちは、ええーっと大きく不満の声を上げ、頬を膨らませてごねていた渚も、真琴に宥められて、しぶしぶ飲み込んだみたいだった。 「また次にな」 まるで幼い子供に言い聞かせるようにやわらかい口調につとめてそう言うと、うん、分かったと渚は小さく頷いた。そうして、きゅっと唇を噛みしめた。 「でもでも、今度こそ、絶対、ぜーったいだからね!」 渚は声のトーンを上げてそう口にした。表向きはいつものように明るくつとめていたけれど、物分かりの良いふりをしているのはすぐに知れた。ふと垣間見えた表情はうっすらと陰り曇って、最後まで完全に晴れることはなかった。なんだかひどく悪いことをしてしまったみたいで、胸の内側が痛んだ。 ハルは、どうなんだ。ちらりとふたたび視線をやる。けれど、もうすっかり興味をなくしたのか、遙はロッカーから引き出したエナメルバッグを肩に引っ掛け、ふいっと背を向けた。 「あ、ハル」隣にいた真琴が呼びかけたけれど、遙は振り返らずに、そのまま出入り口へ歩いていってしまった。こんなとき、自分にはとっさに呼び止める言葉が出てこなくて、ただ見送ることしかできない。強く引っ掛かれたみたいに、いっそう胸がちくちくした。 「なんか、ごめんね」 帰り際、真琴はそう言って困ったように微笑んだ。何が、とは言わないけれど、渚の誘いと、多分、先ほどの遙のことも指しているのだろう。 「いーって。真琴が謝ることじゃねぇだろ」 軽い調子で答えると、真琴は肩をすくめて曖昧に笑った。 「うん、まぁ、そうなんだけどさ」 そう言って向けた視線の先には、帰り支度を終えて集まる渚、怜、江、そして遙の姿があった。ゆるく小さな輪になって、渚を中心に談笑している。この方向からでは遙の顔は見えない。顔の見える皆は楽しそうに、ときどき声を立てて笑っていた。 「言わなきゃ、分からないのにね」 目を細めて、独り言のように真琴は口にした。何か返そうと言葉を探したけれど、何も言えずにそのまま口をつぐんだ。 その後、合同練習としては一旦解散して、鮫柄水泳部のみでミーティングを行うために改めて集合をかけた。ぞろぞろと整列する部員たちの向こうで、校門の方向へ向かう岩鳶水泳部員の後ろ姿がちらちらと見え隠れした。小さな溜め息と共に足元に視線を落とし、ぐっと気を入れ直して顔を上げた。遙とは今日はそれっきりだった。 「行かなくて良かったのか?」 食堂で夕食を終えて部屋に戻る道中、宗介がおもむろに口を開いてそう言った。近くで、ロッカールームでの事の一部始終を見ていたらしかった。何が、とわざわざ訊くのも癪だったので、じっとねめつけるように顔を見上げた。 「んだよ、今さら」 「別に断る理由なんてなかったんじゃねぇか」 ぐっと喉が詰まる。まるで全部見透かしたみたいに。その表情は心なしか、成り行きを楽しんでいるようにも見えた。 「…うっせぇよ」 小さく舌打ちをして、その脚を軽く蹴とばしてやる。宗介は一歩前によろけて、いてぇなと声を上げた。けれどすぐに、くつくつと喉を鳴らして愉快そうに笑っていた。 「顔にでっかく書いてあんだよ」 ここぞとばかりに、面白がりやがって。
それから風呂に入っても、言い訳に使った課題に手を付けていても、ずっと何かがつかえたままだった。宗介にはああいう態度をとったものの、やはり気にかかって仕方がない。ちょっとどころではない、悪いことをしてしまったみたいだった。 だからなのか、電話をしようと思った。他でもなく���遙に。今日の後ろ姿から、記憶を上塗りしたかった。そうしなければ、ずっと胸が苦しいままだった。とにかくすぐに、その声が聞きたいと思った。 寮全体が寝静まった頃を見計らって、携帯電話片手にひと気のない場所を探した。いざ発信する段階になってから、きっかけが掴めなくて踏ん切りがつかずに、やけに悩んで時間がかかってしまったけれど。 それでも、やっとこうして、無事に遙と通話するに至ったのだった。 「…らしくないな、凛が自分からそんなこと言い出すなんて」 こちらの言葉を受けて、たっぷりと間を置いてから遙は言った。そんなの自分でも分かっているつもりだったけれど、改まってそう言われてしまうと、なんとなく恥ずかしい。じわじわと広がって、両頬が熱くなる。 「んだよ、いいだろ別に。そういうときもあんだよ」 「まぁ、いいけど」 遙は浅く笑ったみたいだった。きっと少しだけ肩を揺らして。風がそよぐような、さらさらとした声だった。 「でも、渚がすごく残念がってた」 「ん…そ���は、悪かったよ」 あのときの渚の表情を思い浮かべて、ぐっと胸が詰まる思いがした。自分のした返事一つであんなに気落ちさせてしまったことはやはり気がかりで、後悔していた。いっつもつれない、なんて、妹の江にも言われ続けていたことだったけれど。たまにはわがままを聞いてやるべきだったのかもしれない。近いうちにかならず埋め合わせをしようと心に決めている。 「次に会うときにちゃんと言ってやれ」 「そうする」 答えたのち、ふっとあることに気が付いた。 「そういえば、渚たちは?」 渚の口ぶりから、てっきり今晩は遙の家でお泊り会にでもなっているのだと思っていた。ところが電話の向こう側からは話し声どころか、遙以外のひとの気配さえないようだった。 「ああ。晩飯前には帰っていった」 「…そっか」 つい、沈んだ声色になってしまった。何でもないみたいにさらりと遙は答えたけれど、早々にお開きになったのは、やはり自分が行かなかったせいだろうか。過ぎたことをあまり考えてもどうにもならないけれど、それでも引っ掛かってしまう。 しばらく沈黙を置いて、それからおもむろに、先に口を開いたのは遙の方だった。 「言っておくが、そもそも人数分泊める用意なんてしてなかったからな」 渚のお願いは、いつも突然だよな。遙は少し困ったように笑ってそう言った。ぱ��りぱちりと目を瞬かせながら、ゆっくりと状況を飲み込んだ。なんだか、こんな遙は珍しかった。やわらかくて、なにか膜のようなものがなくて、まるで触れられそうなくらいに近くて、すぐ傍にいる。 そうだな、とつられて笑みをこぼしたけれど、同時に胸の内側があまく締め付けられていた。気を抜けば、そのまま惚けてしまいそうだった。 そうして、ぽつんとふたたび沈黙が落ちた。はっとして、取り出せる言葉を慌てて探した。だんだんと降り積もるのが分かるのに、こういうとき、何から話せばいいのか分からない。そんなことをしていたら先に問われるか離れてしまうか。そう思っていたのに、遙は何も訊かずに、黙ってそこにいてくれた。 「えっと」 ようやく声が出た。小石につまづいてよろけたように、それは不格好だったけれど。 「あ、あのさ、ハル」 「ん?」 それは、やっと、でもなく、突然のこと、でもなく。遙は電話越しにそっと拾ってくれた。ただそれだけのことなのに、胸がいっぱいになる。ぐっとせり上がって、その表面が波打った。目元がじわりと熱くなるのが分かった。 「どうした、凛」 言葉に詰まっていると、そっと覗き込むように問われた。その声はひどく穏やかでやわらかい。だめだ。遙がときどき見せてくれるこの一面に、もう気付いてしまったのだった。それを心地よく感じていることも。そうして、知る前には戻れなくなってしまった。もう、どうしようもないのだった。 「…いや、わりぃ。やっぱなんでもねぇ」 切り出したものの、後には続かなかった。ゆるく首を振って、ごまかすようにつま先を揺らして、わざと軽い調子で、何でもないみたいにそう言った。 遙は「そうか」とひとつ返事をして、深く問い詰めることはしなかった。 そうしていくつか言葉を交わした後に、「じゃあまたな」と締めくくって、通話を切った。 ひとりになった瞬間、項垂れるようにして、肺の中に溜め込んでいた息を長く長く吐き出した。そうしてゆっくりと深呼吸をして、新しい空気を取り入れた。ずっと潜水していた深い場所から上がってきたみたいだった。 唇を閉じると、しんと静寂が辺りを包んでいた。ただ目の前にある自動販売機は、変わらず小さく唸り続けている。手の中にある携帯電話を見やると、自動で待ち受け状態に戻っていた。まるで何ごともなかったみたいに、日付はまだ今日のままだった。夢ではない証しのように充電だけが僅かに減っていた。 明るさがワントーン落ちて、やがて画面は真っ暗になった。そっと親指の腹で撫でながら、今のはきっと、「おやすみ」と言えば良かったんだと気が付いた。
なんだか全身が火照っているような気がして、屋外で涼んでから部屋に戻ることにした。同室の宗介は、少なくとも部屋を出てくるときには既に床に就いていたけれど、この空気を纏って戻るのは気が引けた。 寮の玄関口の扉は既に施錠されていた。こっそりと内側から錠を開けて、外に抜け出る。施錠後の玄関の出入りは、事前申請がない限り基本的には禁止されている。防犯の観点からも推奨はできない。ただ手口だけは簡単なので、施錠後もこっそり出入りする寮生が少なくないのが実情だった。 そういえば、前にこれをやって呼び出しを受けた寮生がいたと聞いた。そいつはそのまま校門から学校自体を抜け出して、挙げ句無断外泊して大目玉を食らったらしいけれど、さすがに夜風にあたる目的で表の中庭を歩くくらいなら、たとえばれたとしてもそこまでお咎めを受けることはないだろう。何なら、プールに忘れものをしたから取りに行ったとでも言えばいい。 そうして誰もいない寮の中庭を、ゆっくりと歩いた。まるで夜の中に浸かったみたいなその場所を、あてもなくただ浮かんで揺蕩うように。オレンジがかった外灯の光が点々とあちこちに広がって、影に濃淡をつくっている。空を仰ぐと、雲がかかって鈍い色をしていた。そういえば、未明から雨が降ると予報で伝えていたのを思い出した。 弱い風の吹く夜だった。時折近くの木の葉がかすかに揺れて、さわさわと音を立てた。気が付けば、ほんの半月ほど前まで残っていたはずの夏の匂いは、もうすっかりしなくなっていた。 寝巻代わりの半袖に綿のパーカーを羽織っていたので、さして寒さは感じない。けれど、ここから肌寒くなるのはあっという間だ。衣替えもして、そろそろ着るものも考えなければならない。 夏が過ぎ去って、あの熱い時間からもしばらく経って、秋を歩く今、夜はこれから一足先に冬へ向かおうとしている。まどろんでいるうちに瞼が落ちているように、きっとすぐに冬はやってくる。じきに雪が降る。そうして年を越して、降る雪が積もり始めて、何度か溶けて積もってを繰り返して、その頃にはもう目前に控えているのだ。この場所を出て、この地を離れて、はるか遠くへ行くということ。 たったひとつを除いては、別れは自分から選んできた。昔からずっとそうだった。走り出したら振り返らなかった。自分が抱く信念や想いのために、自分で何もかも決めたことなのに、後ろ髪を引かれているわけではないのに、最近はときどきこうやって考える。 誰かと離れがたいなんて、考えなかった。考えてこなかった。今だってそうかと言えばそうじゃない。半年も前のことだったらともかく、今やそれぞれ進むべき道が定まりつつある。信じて、ひたむきに、ただ前へ進めばいいだけだ。 けれど、なぜだろう。 ときどき無性に、理由もなく、どうしようもなく、遙に会いたくなる。
ふと、ポケットに入れていた携帯電話が震え出したのに気が付いた。メールにしては長い。どうやら電話着信のようだった。一旦足を止め、手早く取り出して確認する。 ディスプレイには、登録済みの名前が浮かんでいる。その発信者名を目にするなり、どきりと心臓が跳ねた。 「も、もしもし、ハル?」 逡巡する間もなく、気が付けば反射的に受話ボタンを押していた。慌てて出てしまったのは、きっと遙にも知れた。 「凛」 けれど、今はそれでも良かった。その声で名を呼ばれると、また隅々にまで血が巡っていって、じんわりと体温が上がる。 「悪い、起こしたか」 「や、まだ寝てなかったから…」 そわそわと、目にかかった前髪を指でよける。立ち止まったままの足先が落ち着かず、ゆるい振り子のように小さくかかとを揺らす。スニーカーの底で砂と地面が擦れて、ざりりっと音を立てた。 「…外に出てるのか? 風の音がする」 「あー、うん、ちょっとな。散歩してた」 まさか、お前と話して、どきどきして顔が火照ったから涼んでるんだ、なんて口が裂けても言えない。胸の下で相変わらず心臓は速く打っているけれど、ここは先に会話の主導権を握ってしまう方がいい。背筋を伸ばして、口角をゆるく上げた。 「それより、もう日も跨いじまったぜ。なんだよ、あらたまって。もしかして、うちのプールに忘れもんしたか?」 調子が戻ってきた。ようやく笑って、冗談交じりの軽口も叩けるようになってきた。 「プールには、忘れてない」 「んだよ、ホントに忘れたのかよ」 「そういうことじゃない」 「…なんかよく分かんねぇけど」 「ん…そうだな。だけど、その」 遙にしては珍しい、はっきりとしない物言いに首を傾げる。言葉をひとつずつひっくり返して確かめるようにして、遙は言いよどみながら、ぽつぽつと告げてきた。 「…いや、さっき凛が…何か、言いかけてただろ。やっぱり、気になって。それで」 そう続けた遙の声は小さく、言葉は尻切れだった。恥ずかしそうに、すいと視線を逸らしたのが電話越しにも分かった。 どこかが震えたような気がした。身体の内側のどこか、触れられないところ。 「…はは。それで、なんだよ。それが忘れもの? おれのことが気になって仕方なくって、それでわざわざ電話してきたのかよ」 精一杯虚勢を張って、そうやってわざと冗談めかした。そうしなければ、覆い隠していたその存在を表に出してしまいそうだった。喉を鳴らして笑っているつもりなのに、唇が小さく震えそうだった。 遙はこちらの問いかけには返事をせずに、けれど無言で、そうだ、と肯定した。 「凛の考えてることが知りたい」 だから。そっとひとつ前置きをして、遙は言った。 「聞かせてほしい」 凛。それは静かに押し寄せる波みたいだった。胸に迫って、どうしようもなかった。 顔が、熱い。燃えるように熱い。視界の半分が滲んだ。泣きたいわけじゃないのに、じわりと表面が波打った。 きっと。きっと知らなかった頃には、こんなことにも、ただ冗談めかして、ごまかすだけで終わらせていた。 ハル。きゅっと強く、目を瞑った。胸が苦しい。汗ばんだ手のひらを心臓の上にそっとのせて、ゆるく掴むように握った。 今はもう知っているから。こんなに苦しいのも、こんなに嬉しいのも、理由はたったひとつだった。ひたひたといっぱいに満たされた胸の内で、何度も唱えていた。 「…凛? 聞いてるのか」 遙の声がする。黙ったままだから、きっとほんの少し眉を寄せて、怪訝そうな顔をしている。 「ん、聞いてる」 聞いてるよ。心の中で唱え続ける。 だって声、聞きたいしさ、知りたい。知りてぇもん。おれだって、ハルのこと。 「ちゃんと言うから」 開いた唇からこぼれた声はふわふわとして、なんだか自分のものではないうわ言みたいで、おかしかった。 できるだけいつも通りに、まるで重しを付けて喋るように努めた。こんなの、格好悪くて仕方がない。手の甲を頬に当ててみた。そこはじんわりと熱をもっている。きっと鏡で見たら、ほんのりと紅く色づいているのだろう。はぁ、とかすかに吐き出した息は熱くこもっていた。 「あのさ、ハル」 差し出す瞬間は、いつだってどきどきする。心臓がつぶれてしまいそうなくらい。こんなに毎日鍛えているのに、こういうとき、どうにもならないんだな。夜の中の電話越しで、良かった。面と向かえば、次の朝になれば、きっと言えなかった。 「こ、今度、行っていいか、ハルの家」 上擦った調子で、小さく勢いづいてそう言った。ひとりで、とはついに言えなかったけれど。 「行きたい」 触れた手のひらの下で、どくどく、と心臓が弾むように鳴っているのが分かる。 無言のまま、少し間が開いた。少しなのに、果てしなく長く感じられる。やがて遙は、ほころんだみたいに淡く笑みを零した。そうして静かに言葉を紡いだ。 「…うん、いつでも来い」 顔は見えないけれど、それはひらかれた声だった。すべてゆるんで、溢れ出しそうだった。頑張って、堪えたけれど。 待ってる。最後に、かすかに音として聞こえた気がしたけれど、本当に遙がそう言ったのかは分からなかった。ほとんど息ばかりのそれは風の音だったのかもしれないし、あるいは別の言葉を、自分がそう聞きたかっただけなのかもしれない。あえて訊き返さずに、この夜の中に漂わせておくことにした。 「それまでに、ちゃんと布団も干しておく」 続けてそう告げる遙の声に、今度は迷いも揺らぎも見えなかった。ただ真っすぐ伝えてくるものだから、おかしくてつい吹き出してしまった。 「…ふっ、はは、泊まる前提なのかよ」 「違うのか」 「違わねぇけどさ」 「なら、いい」 「うん」 くるくると喉を鳴らして笑った。肩を揺らしていると、耳元で、遙の控えめな笑い声も聞こえてきた。 いま、その顔が見たいな。目を細めると、睫毛越しに外灯のオレンジ色の光が煌めいて、辺りがきらきらと輝いて見えた。 それから他愛のない会話をひとつふたつと交わして、あらためて、そろそろ、とどちらともなく話を折りたたんだ。本当は名残惜しいような気持ちも抱いていることを、今夜くらいは素直に認めようと思った。口にはしないし、そんなのきっと、自分ばっかりなのだろうけど。 「遅くまでわりぃな。また連絡する」 「ああ」 そうして、さっき言えなかったことを胸の内で丁寧になぞって、そっと唇に乗せた。 「じゃあ、おやすみ」 「おやすみ」
地に足がつ���ないとは、こういうことなのかもしれない。中庭から、玄関口、廊下を通ってきたのに、ほとんどその意識がなかった。幸い、誰かに見つかることはなかったけれど。 終始ふわふわとした心地で、けれど音を立てないように、部屋のドアをいつもより小さく開けて身体を滑り込ませた。カーテンを閉め切った部屋の中は暗く、しんと静まっていた。宗介は見かけに反して、意外と静かに眠るのだ。あるいは、ただ寝たふりなのかもしれないけれど。息をひそめて、自分のベッドに潜り込んだ。何か言われるだろうかと思ったけれど、とうとう声は降ってこなかった。 横向きに寝転んで目を閉じるけれど、意識がなかなか寝に入らない。夜は普段言えない気持ちがするすると顔を出してきて、気が付けば口にしているんだって。あの夏にもあったことなのに。 重なったつま先を擦りつけあう。深く呼吸を繰り返す。首筋にそっと触れると、上がった体温でうっすら汗ばんでいた。 なんか、熱出たときみてぇ。こんなの自分の身体じゃないみたいだった。心臓だって、まだトクトクと高鳴ったまま静まらない。 ふっと、あのときの声が聞こえた気がした。訊き返さなかったけれど、そう思っていていいのかな。分からない。リンは奥手だから、といつだかホストファミリーにも笑われた気がする。だって、むずかしい。その正体はまだよく分からなかった。 枕に顔を埋めて、頭の先まで掛け布団を被った。目をぎゅっと瞑っても、その声が波のように、何度も何度も耳元で寄せては引いた。胸の内側がまだいっぱいに満たされていた。むずむず、そわそわ。それから、どきどき。 ああ、でも、わくわくする。たとえるなら、何だろう。そう、まるで穏やかな春の、波打ち際に立っているみたいに。
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(2018/03/18)
両片想いアンソロジーに寄稿させていただいた作品です。
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hisoca-kyoto · 3 years ago
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先週もご来店いただきありがとうございました。本日7日(月)、明日8日(火)はお休みいただきます。次回は9日(水)11時よりのオープンです。よろしくお願いいたします。
入荷に合わせてメインのテーブルを春いろに模様替えしました。クラフトユーさんから耐熱ガラスのアイテムが色々入荷しています。まあるいシルエットに真鍮の持ち手が美しいまんまるポットは、1Lと0.5Lの2サイズ。こちらは茶葉のジャンピングに適したポットで口元には取り外し可能なストレーナーが付いていて注ぎやすく、お手入れもしやすくおすすめです。蓋にはストッパーが作られていて注ぐ際に外れにくい工夫もされています。
ガラスのストレーナーがセットになったハーブポットは1L、0.5L、0.3Lの3サイズあります。このタイプはストレーナーに注いだ後の茶葉が残るので後片付けがし易いのが嬉しいです。1人用に丁度良い0.3Lは手のひらサイズで可愛らしいです。3サイズ揃いましたのでお探しだった方はこの機会にご覧になってみてください。
台形のシルエットのティーサーバーば0.8Lと0.5Lの2種類。こちらもガラスのストレイナーがセットされています。ストレーナーに入れた茶葉にお湯を浸かる程度入れ、蓋をしてまず蒸らしてから、改めて熱湯をポッといっぱいに注ぐと味と香りが引き立つように淹れることができます。ガラスのポットだとお茶の色合いも楽しめるのが嬉しいです。ストレーナーを外して暑い季節はハーブやスライスフルーツと共にハーブウォーターを作るのにも良いですよ。
前回の入荷ですぐに完売してしまったお花を挿して楽しむ箸置きも再入荷しました。お水を入れると生花も楽しめます。箸置きだけでなく、トレーや器に並べて小さな花器のように楽しむのも良さそうです。
カップは高台付きの角碗と持ち手の下部にスリットが入っていて重ねやすいスタックカップの2種類。飲み物以外にもデザート、お料理の器としても活躍してくれます。ガラスの茶器は色々な器や素材とも組み合わせやすいのも嬉しいです。
ご紹介前に旅立っていますが、古い器も先月から店頭に並んでいます。こちらも合わせて出会いを楽しんでいただけますように。
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oneoneotta · 3 years ago
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東京のみなさん🥰石川のいいもの&おいしいもの、たーっくさんあります!one one ottaからは焼菓子!よろしくお願いします。 #Repost @fukumitsuya_shop with @make_repost ・・・ ・ 【玉川店】 今年も開催決定🌕🍶 『月夜にオトメの金沢展』 14年目のオトメの金沢展。石川のいいもの&おいしいもの、いつもの品もはじめての品も、今年もたっぷりお届けします。9/20は敬老の日、9/21は中秋の名月、9/23は秋分の日。行事めじろ押しの9月。月夜のおともに、贈り物や手土産にも。ちらりとでものぞいていただけましたら幸いです。 2021.9/16(木)-10/3(日) SAKE SHOP 福光屋 玉川店 ▶︎工芸・雑貨 青山健一(てぬぐい・カード)/あうん堂本舗(本)/赤池佳江子(イラストグッズ)/赤地 径(九谷焼)/atelier KiU(バッグ・ポーチ)/アトリエタフタ(刺繍ブローチ)/石川まゆみ(手漉き和紙)/石引パブリック(リソグラフ印刷グッズ)/伊能一三(へいわののりもの)/井上美樹(ガラスの器)/今井美智(ガラスの器)/今江未央(九谷焼小皿)/今城晶子(金工ブローチ)/岩﨑晴彦(うつわ)/岩本清商店(桐工芸品)/えちゃけ編集部(『えちゃけ』)/大迫友紀(ガラス)/奥の麻衣子(漆の器)/乙女の金沢(カード・かるた)/オヨヨ書林せせらぎ通り店(古本)/加賀てまり毬屋(てまり・針山)/金澤町家研究会(瓦マステ・本)/金沢民景(『金沢民景』)/上出長右衛門窯(九谷焼)/kappa堂(お香)/龜鳴屋(本)/木本百合子(型染め)/艸田正樹(ガラス)/Qure aromablend(ハンドジェル)/グリグリレザーズ(革小物)/工人(まな板・トレー)/工房あめつち(九谷焼)/ことのは不動産(物件)/kotohari(小皿・はしおき)/collabon(てぬぐい・冊子)/近撥弦楽器(ウクレレ・アクセサリー)/sasakihitomi(アクセサリー)/坂井直樹(鉄の花器)/笹島友紀子(金工)/定池夏子(うるしアクセサリー)/静観朋恵(ガラスジュエリー)/庄田春海(九谷焼)/杉田明彦(漆器)/杉原万理江(陶磁器)/スズキサト(うつわ)/すはらゆう子(お箸など)/たくまポタリー(うつわ)/竹俣勇壱(カトラリー)/田辺京子(京九谷焼)/千と世水引(水引細工)/田 聡美(ガラスの香立・豆皿)/ドウガミスミコ(陶磁器)/中嶋寿子(陶磁器)/中田雄一(陶磁器)/名雪園代(うるし)/西川美穂(金工アクセサリー)/能登デザイン室(縄文の香りスプレー・オイルなど)NorikazuHatta(ミニだるま)/乗越(乗越グッズ)/原田直治(陶磁器)/半田濃史(陶磁器)/廣島晴弥(カットグラス)/弘田朋実(手紡ぎ藍染アクセサリー)/black coffee(ガラスアクセサリー)/benlly’s&job(雑貨)/豆本工房わかい(豆本)/饅頭verymuch(CAP・靴下)/目細八郎兵衞商店(めぼそ針・裁縫セット)/森岡希世子(白磁の器)/山岸紗綾(蒔絵の箸・板皿)/山﨑菜穂子(型染め)/山崎麻織物工房(麻小物)/山﨑美和(陶磁器)/山田睦美(珠洲焼)/結城彩(器)/吉本大輔(加賀友禅柄ハンカチ)/らくや(てぬぐい)/ろくろく工房(陶ブローチ)他 ▶︎食品 甘納豆かわむら(甘納豆)/甘味こしらえしおや(米粉のお菓子)/うつろふ(サルサソース・干し野菜)/大畑食品(くるみのおやつ)/家族野菜 tsugutsugu(さつまいも)/金沢小町(欧風菓子)/金沢大地(米飴ジャム)/CAFE DUMBO(ラムレーズンサンド)/越山甘清堂(焼きま ん)/こびり(焼菓子)/坂の上ベーカリー(パン)/酒屋彌三郎(干しイチジクと焼きクルミのようかん)/自然農園もとや(玄米粉クッキー・���草茶)/townsfolk coffee(コーヒーシロップ)/髙木糀商店(甘酒・花街味噌)/Chomsky Coffee & Library(コーヒー豆)/月とピエロのパン研究小屋(月の砂漠)/直源醤油(醤油煎餅)/中初商店(糀味噌・胡麻味噌・梅肉かつお)/NIKUO(ローストビーフ)/ニワトコ(梅干し・酒のアテ)/HUG mitten WORKS(クッキー・ベーグル)/波瀬農園(無農薬野菜)/ハーブ農園ペザン(ハーブティ・スプレー・オイル)/東出珈琲店(乙女ブレンド)/ビストロユイガ(熟成酒ケーキ・カヌレ)/ひらみぱん(パン・ケーキ)/ファミーリエ(れんこんソーセージ)/豆半(和菓子)/丸八製茶場(加賀棒茶)/ムシャリラムシャリロ(梅干し・チャイmix・酒肴)/諸江屋(しょうゆ落��)/oneoneotta(焼菓子)/Cafe たもん(パンケーキミックス)/福光屋(純米酒など)他 ※出品者は変更になる可能性もあります。また、作家により出品点数の少ない場合もございます。なにとぞご了承くださいませ。 #乙女の金沢展福光屋 #乙女の金沢#乙女の金沢展 #福光屋玉川店 #器#酒器#工芸#sweets#パン#焼菓子#漆#硝子#雑誌#日本酒女子#金沢#日本酒#酒蔵#福光屋企画展#福光屋#加賀鳶#福正宗#craft#food#art#sake#二子玉川 https://www.instagram.com/p/CTTSjtmpgKN/?utm_medium=tumblr
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monqu1y · 4 years ago
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戦後の事件簿  「日本が受諾したポツダム宣言は、イギリス首相、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席の名において発された。ソ連は後から加わり追認した。中共は、抗戦相手ではなかった。大日本帝国の一部を形成する朝鮮半島の住民と内地の住民も、戦火を交える敵同士ではなかった。しかし、どこまでも敗戦革命にこだわる報道関係者たちは、中国や韓国や北朝鮮に戦勝国とウソをつかせたうえで、日本に対する理由のない非難と恐喝をするよう唆している。そして、韓国人や朝鮮人は本名を隠し日本人名を名乗っている。彼らの犯罪は、日本人による犯罪のように報道されるか、犯罪そのものが報道されない」という話を聞いた  図書館に行って朝鮮人の犯罪を調べたら、次のような記録が見つかった  1945年10月22日、大阿仁村事件が起こった。秋田県北秋田郡阿仁合町の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁村の伏影集落へ行き、共同管理の栗林に侵入し、栗を拾っていた所を村人に発見され、注意したところ乱闘となり、双方数名が負傷した。午後1時になると、約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧の為に急行した  1945年12月24日、生田警察署襲撃事件が起こった。午後9時頃、50名を超える朝鮮人の暴徒が「岡山の刑事を出せ」と叫びながら署内に侵入。署員を拳銃・日本刀・匕首を突きつけて軟禁した上で、岡山県警察部の捜査員を探し始めた。捜査員らが脱出に成功した一方で、暴徒によって署内の警察電話線が切断されたため、警察署は外部との連絡手段を絶たれてしまった。その後、事件を聞きつけた連合国軍部隊によって暴動が鎮圧された。襲撃以前、岡山市内にて7人組による拳銃強盗事件が発生しており、強盗犯を追って岡山県警の捜査官が神戸市まで出張にきていた。この捜査員に生田署が協力していたため、暴徒の襲撃を受けることになった。もっとも以下に挙げた資料には、確かに報復を仕掛けたのは朝鮮人の一団であったが、元の拳銃強盗事件の犯人が朝鮮人であったのかどうかまでは記されていない  1945年12月29日、直江津駅リンチ殺人事件が起こった。午後7時頃、新潟発大阪行の列車が国鉄信越本線黒井駅に到着した。3人組の朝鮮人が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで彼らは列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある男性の乗客に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。列車が直江津駅に到着すると、3人組は自分たちを阻んだ男性に対して、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」と詰め寄った。 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、その男性を直江津駅のプラットホームに引きずり降ろし、駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した  1946年1月3日、富坂警察署襲撃事件が起こった。正午、春日町交差点において多くの不審者を乗せたトラック2台が富坂警察署方面へ向かうのを、交通整理にあたっていた警察官が発見、直ちに署に連絡した。連絡を受けてまもなく、例のトラックが富坂警察署に到着、警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求した。危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。これにより外部との連絡が絶たれた。交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた。在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出し、「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した  1946年1月9日、生田警察署襲撃事件が起こった。翌年、三宮ガード下で賭博団が検挙されたことを受け、30 - 40人の朝鮮人が犯人の奪還を目的に再度署内に侵入したが、この事件も進駐軍の協力を得て鎮圧し、首謀者3人を検挙した  1946年5月13日、長崎警察署襲撃事件が起こった。午前10時30分、280人の警官隊が一斉取締を開始し、日本人150人、朝鮮人26人、中国人6人を検挙、長崎警察署に連行した。その直後、在日本朝鮮人連盟や中国人団体が長崎警察署に押しかけ、被疑者の即時釈放を要求したが、署長は取調前の釈放はできないと拒否した。午後2時30分頃、朝鮮人や中国人など総勢約200人がバッドや鉄棒を持って長崎警察署を包囲・襲撃した。これにより警察���1人が死亡、10人が重軽傷を負った。その後、余勢をかって東浜町派出所や港町派出所も襲撃し、警察官に対し暴行を加えている  1946年8月5日、富山駅前派出所襲撃事件が起こった。午後6時50分頃、富山駅において闇米取り締りを実施し、朝鮮人3人を検挙した。しかし、それを見ていた朝鮮人2人が妨害し、3人を逃走させた。そのため自治隊員2人を公務執行妨害罪で逮捕し、富山駅前派出所に連行したところ、朝鮮人約30人が包囲し険悪な雰囲気となった。署に救援を頼んだが、その前に大乱闘となった。その直後に、救援隊が駆けつけて朝鮮人たちを実力で排除した。この乱闘で警察官1人が負傷した  1946年9月22日、坂町事件が起こった。午前0時50分頃、村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲いかかって来た。警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、彼等の武器にされる始末であった。その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。軍政部のお墨付きが出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、12人が検挙された  1946年9月26日~29日、新潟日報社襲撃事件が起こった。在日本朝鮮人連盟などの朝鮮人16人が新潟日報社を訪れ、新潟日報社と読売新聞社の両社に対して、「坂町事件の報道に誤りがあると認め、ラジオ放送を通じて新潟県民に誤報であったという声明を出せ」と要求した。両社は「即答はできない」として、29日まで猶予してもらうことになった。その後読売新聞社は、9月28日になって譲歩し、誤報を認め謝罪記事を掲載することで話がついた。9月29日、朝鮮人16人が再度新潟日報社を訪れ、新潟日報社側の返答をせまった。新潟日報社は「警察の調査結果をまって善処する」と答え、彼等の要求を拒んだため、朝鮮人側は憤慨し、茶碗を投げつけたのを合図に一斉に暴れだし、社内の備品を破壊した。新潟警察署は、朝鮮人らを暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕した  1946年12月20日、首相官邸デモ事件が起こった。の全国大会では、約1万人の朝鮮人が結集した。日本共産党の徳田球一も出席しており、徳田球一の演説の後、生活権擁護の決議文を採択し、午後1時頃に集会は一旦終了した。午後1時30分、「朝鮮人虐殺政策絶対反対」「吉田内閣は日本の敵だ」といったプラカードを掲げてデモ行進を開始。午後2時頃に首相官邸前に差し掛かると、突如警察官の制止を無視して官邸正門前に殺到した。警官隊は侵入を阻止するため門を閉鎖しようとしたが、デモ隊は投石やプラカードを振り回すなどして暴れ、遂に首相官邸に侵入した。午後2時30分頃にアメリカ軍憲兵隊が出動し、まもなくデモ隊全員を解散させた。この事件で、警察官23人が重軽傷を負い、拳銃2丁が奪い取られた  1947年10月20日、尾花沢派出所襲撃事件が起こった。朝鮮人7人は警察によるヤミ米摘発の鬱憤を晴らすべく、派出所の襲撃を計画し、午後3時頃に楯岡警察署の尾花沢派出所に乗り込んだ。警察官が不在だったため、派出所内の器物を破壊し、門標を取り外した後引き揚げた。その後、外出から戻った警察官が、派出所内の惨状を見て驚き、直ちに署に連絡した。その直後、前述の朝鮮人7人と他の朝鮮人30人が派出所を取り囲み、火鉢を投げつけるなどの暴行を働いた。楯岡警察署は隣接の新庄警察署や進駐軍の応援も得て、29人を逮捕した  1948年4月23日~25日、阪神教育事件が起こった。9時、大阪府大阪城前の大手前公園で、朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催された。集会には在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余が集結した。16人の代表が選出され、大阪府庁舎で大阪府知事・赤間文三との交渉を行うことになった。12時30分、大阪府庁知事室において副知事と朝鮮人代表者16人との交渉が始まったが合意には至らず、15時になって在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中からシュプレヒコールが起こった。同時に50人余の青年が行動隊を編成し、スクラムを組んで大阪府庁前の阻止線を突破した。15時30分には行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も大阪府庁に暴力で突入し、3階までの廊下を占拠。副知事は警察官の誘導で、戦時中に作られていた地下道を通って脱出した。17時頃には群衆が知事室になだれ込み、ドアや調度品を破壊するといった行動に出る。日本共産党大阪地方委員会に派遣されていた増山太助は川上貫一衆議院議員とともに知事室に駆けつけたが、収拾がつかない状態だった。夜になって大阪城周辺の各所で在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人によってかがり火が焚かれ、朝連としては川上を代表として交渉の場を作ろうとした。しかしそこへアメリカ軍や武装警官が到着し、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らと乱闘。在日朝鮮人のうち1人が死亡し20人が負傷した。警官側の負傷者は、31人だった。179人が騒擾罪で検挙された。4月25日には朝連や日本人約300人が南警察署に押しかけ逮捕者の釈放を要求したが、抗議に来た群衆に向けて警官隊が威嚇射撃を行い追い返した。翌4月26日に朝連は大阪東成区や旭区などで「朝鮮人学校弾圧反対人民大会」を開催。午後には朝鮮人代表者と赤間府知事との間で再度交渉が行われたが、15時40分に別室で待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示。これに対し在日朝鮮人1600人のデモ隊が再び大阪府庁に向かい、武装警官隊の阻止線で投石を開始。武装警官隊は消防車に放水をさせ、デモ隊に突入し拳銃で発砲した。この衝突で当時16歳であった在日朝鮮人金太一が死亡する。検挙者は軍事裁判にかけ���れ、日本人9人と在日朝鮮人8人が重労働4年以下の判決を受けた。このうち当時の朝鮮総連の朴柱範兵庫県本部委員長は神戸刑務所に服役し、1949年11月25日に病気を理由に仮釈放されたが僅か数時間後に死亡した。事件解決後、大阪市警察局は、アメリカ陸軍第25師団司令部より感謝状が贈呈された。兵庫県非常事態宣言布告を報じた朝日新聞号外アイケルバーガー司令官の神戸視察を報じた神戸新聞10日に兵庫県知事・岸田幸雄は、朝鮮人学校に対して封鎖命令を発令。これを受けて14日に朝連は兵庫県庁を訪れ、岸田との交渉を要求した。言動はしばしば威圧的・脅迫的になった。4月23日に警官隊と米軍MPが朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖すると、翌24日に封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が兵庫県県庁前に集結。9時30分に兵庫県庁知事室で、岸田知事と神戸市長・小寺謙吉、検事正ら15人が朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題と在日朝鮮人の抗議集会対策を協議。協議が行われているとの情報は朝連にも伝わり、約100人の在日朝鮮人や日本人が兵庫県庁内に突入。知事応接室を占拠して備品などを破壊した後、壁を打ち破って知事室になだれ込み岸田知事やMPを拉致監禁するに至る。知事室に乱入した在日朝鮮人や日本人は電話線を切断して外部との連絡を絶ち、「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを岸田知事に要求。半ば監禁状態にあって岸田は、17時に諸要求の受け入れを誓約。しかしその日の22時に岸田知事と吉川覚副知事・市丸検事正・田辺次席検事・出井兵庫県警察長・古山神戸市警察局長らが、占領軍兵庫県軍政部に召集され、23時に兵庫県軍政部が「非常事態宣言」を発令。軍政部の非常事態宣言によって兵庫県と神戸市の全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入り、兵庫県庁への乱入者の徹底検挙命令と共に岸田知事が一旦受け入れた在日朝鮮人の要求への誓約を無効とした。25日早朝にMPと米軍憲兵司令官指揮下の警官による県庁乱入者の検挙を開始し、29日までに、1590人もしくは7295人 を検挙。日本共産党の神戸市議会議員・堀川一知も拘引された。4月28日には米軍軍政部の非常事態宣言も解除。検挙した者から主だった者を拘留し、23人を軍事裁判にかけた。唯一の日本人被告人だったは堀川は重労働10年の判決を受け、在日朝鮮人には最高重労働15年の判決が出されて刑期終了後は本国に強制送還されることになった  1948年10月11日~12日、評定河原事件が起こった。の10時から開会式が始まった。北朝鮮国旗の掲揚をめぐり仙台市警察が警告を発するなどのトラブルがあったが、1日目は特に混乱も無く終了した。2日目の10月12日は運動会が開かれた。国旗掲揚の代わりに国旗を頭上に捧げ持って行進したため、米軍の憲兵が行進の中止を命じた。その後、運動会は再開され、16時30分頃に閉会式が開かれた。そのとき、酒を飲んだ数人の朝鮮人が会場内に入って歌を歌い始めた。これに同調する者が次々と現れ、赤旗を掲げてデモ行進するなど不穏な空気に包まれた。その中で、北朝鮮国旗を持った一団がデモ行進をし、米軍憲兵の制止を無視し行進を続けたため、米軍憲兵は国旗を押収し、参加者4人を検挙した。その後の米軍憲兵隊の捜査で、更に2人が検挙された  1948年12月9日、宇部事件が起こった。約200名の朝鮮人が宇部市民会館に参集し生活擁護人民大会を開催していた際に、在日本朝鮮人連盟山口県本部委員長を進駐軍憲兵および警察隊が逮捕した。大会参加者は集団的に同被疑者を奪還しようとして警察側と衝突し、双方に多数の負傷者が出る騒ぎとなったが、警察側の発砲によって鎮圧された  1949年1月25日、益田事件が起こった。島根県美濃郡益田町の朝鮮人集落において密輸入物資が隠匿されているとの密告に基づき、進駐軍島根軍政部将校2名と経済調査官2名が同行して、令状なしで摘発に乗り出したが、「令状のない捜査は違法である」と拒否されたため、警察官10名が応援して違反物資を押収したが約100名の朝鮮人に奪還された。翌日、被疑者9名を検挙したものの、夜に入って約200名が警察署に押しかけて被疑者の釈放を要求し、署内に侵入しようとしたために警察官と乱闘になり48名が検挙された。逮捕されたもののうち9名が起訴され、騒乱罪で有罪となった  1949年4月6日~13日、枝川事件が起こった。午後6時頃、3人の捜査員は主犯を発見、逮捕しようとした。しかし主犯は別人を主張、周りの朝鮮人数人も捜査員を見ていたため、任意同行に切り替えた。そして、屋外に出ようとしたところ、主犯は捜査員を突き飛ばし、裸足のまま逃走した。捜査員は拳銃を3発威嚇発砲して制止しようとしたが、逃走を続けたため、遂に主犯に向けて発砲した。そしてなんとか逮捕することができたが、主犯はその際に負傷した。それを見ていた約40人の朝鮮人が「仲間を殺したやつは殺してしまえ」と捜査員2人に襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加え重軽傷を負わせた上に在日朝鮮人連盟の施設に連行した。もう1人の捜査員は、事態の重大性を察知し、近くの民家の電話を借りて枝川地区を所轄する深川警察署と月島警察署に通報した。まもなく深川警察署と月島警察署の応援部隊が在日朝鮮人連盟の枝川支部に急行したが、激しい抵抗にあい、警察側に負傷者を続出させたが、アメリカ軍憲兵隊が来ると急に態度を軟化させた。その後の交渉で朝鮮人側は暴行犯人の引渡しを確約したが、4月8日になっても引き渡さず、逆に捜査員の処分を求める有様であった。4月9日より、警察は枝川地区に架かる橋に検問所を設置、通行者全員に検問を開始した。それと並行して内偵調査を行った。その結果、警察官に暴行した容疑者が割り出されたため、4月13日に一斉捜査が行われ、容疑者5人が逮捕された。4月19日までに更に10人が逮捕された  1949年4月7日~11日、高田ドブロク事件が起こった。午前6時頃、取締部隊は朝鮮人集落に到着し一斉取締を開始した。早朝であったため、この取締そのものは整然と行われ、午前8時30分頃には引き上げた。午前10時40分頃から朝鮮人たちが高田市警察署に集結し始め、正午頃になると200人に膨れ上がり、検挙者の釈放を要求した。しかし警察側が断固拒否したため、警察署に向かって投石を行い窓ガラス十数枚を破損させた。4月8日も朝鮮人約200人が警察署前に集結し、釈放を要求した。4月9日正午、一人の朝鮮人女性が高田税務署に現れた。一人であったことから税務署を警備していた警察官も、一般の利用者と思って油断していたところ、あっという間に14・15人の朝鮮人女性が集まり、署長との面会を要求してきた。警備の警察官が退去を勧告したところ、「人殺し」と叫び座り込みをはじめた。午後1時になると多くの朝鮮人男性が押しかけ、税務署内に突入しようとしたので、小競り合いになり双方に負傷者を出した。4月10日、検挙者の自供により、高田市においても密造酒の醸造が行われていることが判明したため、在日朝鮮人連盟信越支部などを家宅捜査した。4月11日、約500人もの朝鮮人が高田市に集結、デモ行進を行った。彼らは市民に対して「警察が朝鮮人に対して不当な弾圧を加えている」「放火して高田市を灰にする」などと叫び牽制していた。ここに至り、警察もデモの首謀者12人を検挙したため、この事件も収束に向かい始めた  1949年6月2日~11日、本郷村事件が起こった。国家地方警察福井県本部若狭地区警察署の本郷派出所の警察官が朝鮮人地区の地図を作成したことについて、在日本朝鮮人連盟の幹部が抗議した。幹部は一旦戻り、在日朝鮮人70人を引き連れて、派出所を包囲した。そして中の警察官に暴行を加え、そのまま居座り続けた。若狭地区警察署は署員を急派したが、なおも居座り、6月4日になってようやく解散した。朝鮮人側は 暴行警察官の罷免 被害者に対する損害賠償 朝鮮人に対する謝罪 朝鮮人問題については、事前に朝連と連絡協議をすることなどを要求したが、警察は6月10日に朝鮮人2人を逮捕するために現地に向かった。待ち構えていた朝鮮人200人が、石や糞尿を投げつけて逮捕を妨害したが、なんとか強行突破し、2人を予定通り逮捕した。その後朝鮮人たちは、「民族弾圧、ファッショ警察の再現」と叫んで警察署前に居座ったり、「ファッシズム国警若狭地区警察の真相」と題するビラをばら撒くなど示威行動を続けた  1949年8月20日、下関事件[騒乱]が起こった。19日午後11時頃、朝連事務所前に約150人の在日朝鮮人が集結し、民団を非難する集会を開いた。集会そのものは特に問題なく終了したが、警備に当たっていた朝連の構成員と民団の構成員が路上で遭遇、乱闘となり、民団側が所持していた日本刀で朝連側に負傷者を出した。朝連は、これに報復すべく8月20日午前2時30分頃、構成員約200人を招集し、民団下関支部や民団構成員の自宅を襲撃した。そして被害家屋から金品を略奪するなどの狼藉を働いたあと解散した。このため、未明にも係らず市内は一時大混乱になった。下関市警察は、直ちに国家地方警察山口県本部に応援を要請した。国家地方警察は、自治体警察を含む山口県内の全警察に非常招集を発令、警察学校の学生をも動員した。県内各地から来る応援部隊の到着後、朝連や民団の施設を一斉に捜索を開始し、939 人の警察官のうち 14 人が負傷したが、73人を検挙した。翌日8月21日には、下関市警察と国家地方警察の合同による「下関事件合同警備本部」を設置するとともに、市内各所に検問所を設けて逃亡を阻止した。最終的に208人が検挙され、殺人未遂罪のほか、騒擾罪などで75人が起訴された  1950年3月20日、台東会館事件が起こった。10日午前9時、東京都の係官が台東会館に赴いた。警視庁では不測の事態に備えて多数の警察官を警戒に当たらせた。係官は会館を引き渡すよう命じたが、旧朝連はそれを無視したばかりか、投石を行い抵抗した。そのため、この日の接収は一旦取りやめになり、3月20日に再度接収を行うことになった。旧朝連側は接収予定日の前日から、会館入口にバリケードを設け、周辺道路を巡回して警戒していた。3月20日午前7時、係官が台東会館に入ろうとしたが妨害を受けた。そして、警戒に当たっていた警察官に向かって、石や唐辛子粉を投げつけて抵抗した。そのため警察は強行突入を断行し、朝鮮人119人を検挙した  1950年8月15日、連島町事件が起こった。1949年9月8日、GHQの指示を受けた法務府は告示第51号を出し、在日本朝聯と在日本朝鮮民主青年同盟に対し団体等規正令を適用して解散命令を下す。また朝鮮学校と民団総連も解散請求を受けた。これらの措置は在日朝鮮人の生活に直接の打撃を与えた。将来に不安を抱いた朝鮮人同胞らの中には、革命を叫んで公共施設を不法占拠し火炎瓶で武装した事件が起きた。こうした世情不安の中、岡山県浅口郡連島町で、朝鮮解放5周年を祝って約700名の朝鮮人が集まり集会を強行したため、これを制止しようとした警察と乱闘になり8名を検挙した。この事件で警察官15名が負傷した  1950年11月20日~27日、長田区役所襲撃事件[第二神戸事件]が起こった。午後1時、約200人の朝鮮人が神戸市長田区役所に押しかけた。要求は「市民税免除」と「生活保護の徹底」である。しかし区長がこれを認めなかったため、区長を軟禁状態にして騒ぎ出した。神戸市警察は直ちに出動、30人が逮捕された。11月24日午前11時、約300人の朝鮮人が再度長田区役所に押しかけ、区長との面談を要求した。区長が拒否したため、朝鮮人たちは区役所に乱入し、窓ガラス等を破壊した上、出動した警察官に対しても暴力を振るったため、不退去罪の現行犯として26人が逮捕された。11月27日朝、24日に逮捕された仲間の奪還などを求め、姫路市、明石市、尼崎市などから約600人の朝鮮人が神戸に向かっているとの情報が警察にもたらされた。警察は甲号非常招集を発令、神戸市警察および国家警察兵庫県本部の警官約3000人に待機命令をかけた。長田区にある西神戸朝鮮人学校に神戸市在住の者も含め約千人の朝鮮人が集結。「祖国統一決起大会」を開催し、投石用の石や棍棒を用意するなど不穏な状勢となったため、正午頃に解散を命じたが、「犬め、殺してやる」「貴様等人民裁判にかけてやる」と暴言を吐いて命令を無視、午後3時20分頃には、学校から出てデモ行進を始めた。遂に警察は神戸市電湊川大橋停留所付近で検挙を開始したが、デモ隊は激しく抵抗し、約60人が逮捕された。その残党は新湊川沿いに北上、長田区役所や長田税務署を襲い、窓ガラスを割るなどした。最終的に179人が逮捕された  1951年1月23日、四日市事件が起こった。旧朝連四日市支部を接収しようとしたところ、居合わせた朝鮮人約20名が、器物やガラスの破片を投げつけたり、灰・唐辛子による目潰し攻撃をしたり、濃硫酸を浴びせて接収の妨害を行った事件。そのため、執行係官7名が全治2 - 3週間の重軽傷を負った。警察が出動して、公務執行妨害容疑で15名を検挙した  1951年3月7日、王子朝鮮人学校事件が起こった。当日、王子警察署は周辺の道路を封鎖し、同校生徒以外の群集の流入を阻止しようとしたが、群集はそれを無視し最終的に2000人が集まった。集会は午前10時から始まった。一方、学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の噴霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。応援に来て��た蔵前警察署員が救出しようとしたが、逆に返り討ちにあい、重軽傷を負わされた上、拳銃や警棒などが奪われた。警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。警察はこの事件で28人が重軽傷を負った  1951年6月13日、神奈川事件が起こった。横浜市神奈川区にある青木小学校分校において、神奈川県朝鮮人学校PTA連合運動会が開かれていたが、参加者の一人が警備をしていた警察官に対して暴力をふるったため、公務執行妨害で検挙しようとしたところ、これを妨害しようとして大乱闘となった。これにより、双方ともに数名の負傷者を出した。運動会終了後、約500名の在日朝鮮人が横浜市警察本部に殺到し、玄関前でスクラムを組んで奇声をあげた。 そのため、横浜市警は約1000名の警察官を動員し、公安条例違反容疑で28名を検挙した  1951年10月22日、下里村役場集団恐喝事件が起こった。下里村において、在日朝鮮人約200名が、「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために村役場に押しかけた  1951年12月1日、東成警察署襲撃事件が起こった。午前11時頃、朝鮮人たちは旧御幸森朝鮮人小学校に集まり、東成警察署までデモ行進した。その後、元御幸森朝鮮人学校に集合し、12時15分ごろ東成警察正門前に到着した。さらに同署の東方道路から約20名、南方道路から20名が殺到し気勢を上げて署内に突入しようとしたので、大阪市警視庁機動隊はそれを阻止した。その際デモ隊は、クロールピクリン酸入りサイダーびん3本、投石や唐辛子を投げつけて抵抗した。この事件で3人が公務執行妨害罪で逮捕された 。12月16日午後、不法デモをおこない3隊に分かれ、生野区、巽町の工場を襲撃した  1951年12月18日、日野事件が起こった。10月18日午前11時30分、滋賀県蒲生郡桜川村に、在日朝鮮統一民主戦線や祖国防衛隊のメンバーが集結し、自転車にスピーカーを取り付けて自転車デモを行おうとした。滋賀県公安条例の届出を出していない違法デモであった。国家地方警察滋賀県本部蒲生東地区警察署では、これを制止しようとしたが、デモ隊は強行突破し、日野町内に侵入した。デモ隊は日野郵便局前で「朝鮮人強制送還反対」「軍事基地化反対」などの演説を行った。その間、周辺在住の朝鮮人が集まり、ピケを張ったりバリケードを作ったりした。そして警官隊に棍棒で襲い掛かったため、公務執行妨害罪で20人が検挙された  1952年2月21日~23日。木造地区警察署襲撃事件が起こった。国家地方警察青森県本部木造地区警察署は、傷害容疑で在日朝鮮人2名を逮捕した。これに対し、在日朝鮮人数十人が検挙者の即時釈放を要求して連日署に押しかけた。2月23日に入り、在日朝鮮人約70名が署内への侵入を図って警備の警察官と揉み合いになり、警察署の玄関のガラス戸が破壊された。また同日午後7時、応援に駆けつけていた弘前地区警察署の署員11人が、国鉄五能線木造駅を警備していたところ、在日朝鮮人に取り囲まれ、警棒を奪われる事件も発生している  1952年3月26日~30日、多奈川町事件が起こった。以前より多奈川町警察は、隣接の国家地方警察泉南地区署の応援を得、幾度も朝鮮人による密造酒の摘発を行っていたが後を絶たず、増加するばかりであった  1952年3月24日、大阪国税局は、同局泉佐野税務署・大阪地方検察庁岸和田支部・国家地方警察泉南地区署と合同捜査会議を行い、一斉摘発を決定。同年3月26日午前5時40分ごろ、泉南地区署に、国税局員45名・検事1名・副検事1名・検察事務官12名・制服警察官50名の合同捜査チームが集合。10班に分かれ、トラック10台に分乗し、多奈川町9ヶ所、深日町1ヶ所、計10ヶ所の密造場所に向かう。納屋や豚小屋に偽装された密造工場の各所で、朝鮮人による抵抗に遭うも、検察庁職員によって容疑者の逮捕、国税局員によってドブロク・コウジ・蒸留機などの酒造器具を証拠品として差押さえるなどし、各班は逐次南海電気鉄道多奈川線多奈川駅前に集合。この時、婦女子を先頭にした朝鮮人約200人がトラックの前に座り込んだり、大きな石をいくつも道路上に置いて交通を妨害。これを排除しようとした警察官が激しい抵抗に遭っている間、手薄な警備に勢を得た朝鮮人の数はさらに増え、ついには「生活権」を訴える怒号に扇動された朝鮮人が「殺してしまえ」とわめきながらトラックに殺到し、タイヤの空気を抜く、窓ガラスを叩き割る、トラックの運転手を袋叩きにする、差押えた証拠品を叩き落して破壊・強奪する、被疑者を逃がすなどの暴挙に出た。 この危機を脱したトラック3台は集合場所の大阪拘置所に向かったものの、残る7台は駅前の国道で立ち往生となる。1個班につき警察官が5人と言う手薄な警備体制が招いた失敗であった。不測の事態を受けた合同捜査チーム総指揮官大坪検事及び泉南地区警察署長は、深日町警部派出所から国家地方警察大阪府本部に応援を要請。検挙は後日に譲ることとし、後日の検挙に備え多数の現場写真を撮影、道路上の妨害を排除しつつタイヤの空気を入れなおし、午前7時半ごろ、捜査チームは泉南地区署に引き揚げた。午前8時過ぎごろ、朝鮮人約30名が多奈川派出所に押しかけ「俺たちの生活をどうしてくれる」と抗議。間もなく代表者3名を残し引き揚げる。午前9時ごろ、取材に来ていた毎日新聞社大阪本社の記者がドブロク密造地区捜査取材のため多奈川派出所に向かう途中、朝鮮人の暴徒に囲まれて殴打され、石を投げつけられ、全治2週間の怪我を負う事件が発生。また、この騒ぎで城東税務署員も右手に怪我を負っている。事態を重く見た国家地方警察大阪府本部は27日・28日の2日間にわたり、現場証拠写真、現場に出動した警察官、第三者の証言から被疑者の割り出し、証拠収集にあたる。結果、被疑者17名を特定し、29日、暴力行為等処罰に関する法律違反、公務執行妨害および傷害ならびに酒税法違反容疑で逮捕状・捜査令状を大阪地検より受けた。同年3月30日午前2時、検事らをはじめ、大阪府下8地区署から制私服警官警察官・警察学校生徒など、約450名が大阪市城東区関目の大阪府警察学校に集結。午前5時すぎ、自動車・トラック約30台に分乗して多奈川町小田平、朝日、東、湊、深日町兵庫の5地区21ヶ所に急行し、逮捕、押収捜索にあたった。捜査員が被疑者を逮捕しようとした際、人糞を降りかけられる、手を噛まれる、水桶・たらい・マキなどを手当たり次第投げつけられる、クワ・こん棒などを振り回して暴れる、トウガラシの粉を投げて目潰し戦術に出るというようなことがあり、捜査員3名が打撲傷などを負ったが、前回ほどの組織的集団抵抗はみられなかった。この検挙の際、26日の暴行首謀者とされる3名が逃走。緊急逮捕を含む27名の逮捕者は取り調べののち、5名を釈放。残り25名を酒税法、公務執行妨害、傷害、業務妨害などの容疑で大阪地検に送庁、19名が起訴された。3月30日の検挙活動の際、朝鮮人1名が職務質問を受け逃走、追いついた警官ともみ合いになり拳銃の引き金が引かれ、弾が右腹部を貫通、重傷となり、数日後に死亡した  1952年5月1日、血のメーデー事件が起こった。GHQによる占領が解除されて3日後の、第23回メーデーとなったこの日の中央メーデーは、警察予備隊についての「再軍備反対」とともに、「皇居前広場の開放」を決議していた。大会は午前10時20分ごろ開会され、途中、全学連を中心として人民広場への乱入を扇動しようとする乱入者が相次いだものの、午後0時10分に閉会し、同25分より、北部・東部・南部・中部・西部の各コースに分かれて、予定のデモ行進に移った。デモ行進の途上でも、人民広場への乱入を扇動しようとする試みが相次ぎ、一部のデモ隊は当初のコースから外れて投石などを行ったほか、西部コース指導者は人民広場への乱入を拒否したために暴行を受けるなどの混乱が生じたものの、最終的には午後2時から4時にかけて順次に予定の解散地点に到着し、解散した。しかし特に混乱が著しかった南部コースを中心として、日比谷公園で解散したデモ隊の一部は、その中の全学連と左翼系青年団体員に先導され、朝鮮人、日雇い労務者らの市民およそ2,500名がスクラムを組んで日比谷公園正門から出はじめた。警視庁は、会場や行進中には主催者の自主的統制に待つこととしていたが、5,600名の部隊を編成して雑踏警備にあたっていたほか、各署員1万名以上を待機させて即応体制を整えていた。日比谷交差点を通過して無届デモを開始した群衆に対して、まず丸の内警察署長以下60名が制止したが、投石や竹槍・棍棒による攻撃を受け、13名の負傷者を出した。デモ隊は外国人の自動車19台に投石して窓ガラスを次々に破壊しながら北上した。馬場先門においては、第一方面予備隊と三田・東京水上・高輪の3警察署による470名の部隊が警備にあたっていたが、方面予備隊の一部が拳銃および若干の催涙弾を装備していたほかは警棒を携帯しているのみであった。またデモ隊は極めて先鋭的であったことから、周囲の一般通行人への被害も憂慮した方面予備隊長は車道の警戒線を解き、デモ隊は皇居前広場になだれ込んだ。乱入したデモ隊は、二重橋正面で警備にあたる丸の内警察署員��よび増援の第一方面予備隊2個中隊に対して投石を開始した。祝田町警備巡査派出所ではボックスが押し倒され、警察官は袋叩きにされて拳銃を奪われた。警察部隊は催涙弾を使用して鎮圧にあたり、午後3時頃には暴徒を中央自動車道まで後退させ、にらみ合いの状態となった。しかしこの頃、桜門および祝田橋でも警戒線が突破されたことで暴徒は8,000名に増加した。警察側も逐次に予備隊を配置転換して体制を強化したが、暴徒との攻防は激しく、一部ではやむなく拳銃を使用した。この結果、暴徒が混乱に陥ったことから、警察側は体制を整えて一気に鎮圧を図り、午後3時40分までには暴徒の大部分を広場外に排除した。しかし広場外に排除された暴徒はその後もしつこく攻撃を繰り返し、祝田橋では第一方面予備隊の隊員4名が包囲され、角棒で乱打のうえで凱旋濠に投げ込まれ、更に投石を加えられた。また他の隊員4名も包囲されて同様の暴行を受けそうになり、拳銃の威嚇射撃でやっと難を逃れる状況であった。またこのほかにも、警察官への暴行が相次ぎ、拳銃を奪われる例もあった。午後3時50分頃には、桜門前濠端側に駐車されていた外国人自動車14台を転覆させて火を放ち、炎上させたほか、付近をサイドカーで通行していた交通第一課員を取り囲んで暴行を加え、サイドカーにも放火した。その消火のため出動した消防隊も投石や殴打を受けて13名が負傷、ホースも切り破られた。これらの暴徒も午後4時頃には離散しはじめたが、その後も有楽町巡査派出所が襲撃されたり、また一部は日比谷公園に逃げ込んで投石を続けていた。皇居前広場・日比谷公園が平静を取り戻したのは午後6時過ぎのことであった。これらの騒動の結果、デモ隊側は死者1名、重軽傷者約200名、警察側は負傷者832名を出す流血の惨事となった。当日は警察予備隊の出動も検討されていたが、一般警察力によって収拾されたため、出動を命じられるには至らなかった。 なお、この事件に出動した「予備隊」とは「警視庁予備隊」のことであり、後の機動隊である。警察予備隊のことではない
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 1952年5月12日~25日、大村収容所事件が起こった。法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局が���れを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した  1952年5月13日、広島地裁被疑者奪回事件が起こった。午後2時55分から広島地方裁判所第二号法廷で勾留理由開示を開くことになっていた。対象となった被疑者は、4月30日と5月1日に、国警広島県本部安佐地区署古市町駐在所と民家に、それぞれ火炎瓶を投げつけて放火した容疑で逮捕された朝鮮人4人であった。勾留理由開示は予定通りに開廷されたが、傍聴席には多くの朝鮮人が陣取り、赤旗や北朝鮮旗が掲げられるなど異様な雰囲気での開廷であった。閉廷直前の午後5時20分、傍聴席の朝鮮人約200人が被疑者と傍聴者を分ける柵を乗り越え、被疑者に手錠をかけようとした看守を妨害して、被疑者4人を奪還した。広島地方裁判所の事務室には、万が一の時のために広島市警察の警察官約70人が待機していたが、現場に駆けつけたときには、既に逃走された後だった  1952年5月26日、高田事件が起こった。民団愛知県本部の顧問は、北朝鮮系の在日朝鮮人の脅迫を受け続けてきた。同年3月には自宅を襲撃されたり、殺害予告のビラが貼られたりしていた。午前5時40分頃、北朝鮮系朝鮮人数十人が顧問宅に侵入、ドアやガラスを破壊したりするなどの狼藉を働いた。顧問は何とか逃げ出し、名古屋市警察瑞穂警察署高田派出所に助けを求めてきた。まもなく顧問を追跡してきた一団が高田派出所に押しかけ、備品を破壊したり火炎瓶を投入したりして焼き討ちした。顧問は警察官の誘導で裏口から退避し、道を隔てた高田小学校正門より用務員室に向かったが、追いつかれ暴行により全治10日の傷を負った  1952年5月31日、奈良警察官宅襲撃事件が起こった。25日、桜井町で民団磯城支部書記長が、旧朝連系の在日朝鮮人に襲われる桜井町事件が発生した。国家地方警察奈良県本部は犯人を検挙し、奈良地検に送致した。5月30日、奈良市警察に国警磯城地区警察署から「在日朝鮮人の一団が奈良市に向かっている」との連絡が入った。在日朝鮮人の一団が奈良地検に突入したため、奈良市警は実力で排除した。このことから、旧朝連系は奈良市警に反感を持つようになった。襲撃を受けた奈良市警の警察官宅は、桜井町事件が発生した桜井町に所在していた。5月31日、桜井町の奈良市警警備課巡査部長宅に約10名の在日朝鮮人が覆面姿で押しかけて戸を叩いた。巡査部長の父親が戸を開けたところ、いきなり暴行を加え意識不明の重体にした。そして窓ガラスや障子を破壊して逃走した  1952年5月31日~6月5日、万来町事件が起こった。当時、宇部市には約3100人の在日韓国・朝鮮人が居住しており、大半が生活保護受給者だったが、市当局は彼らが「日中ブラブラしていた」ことから、「潜在収入がある」として、生活保護費増額を見送っていた。朝鮮人側はこれに激昂し、以降、連日宇部市福祉事務所に押しかけ、市職員を吊るし上げた。6月3日になると約400人に達したため、宇部市警察は全職員を動員して対処したが、朝鮮人側はその隙をねらって、留守中の上宇部派出所を襲撃した。6月5日、宇部市万来町において、朝鮮人解放救援会山口県本部が「民主愛国青年同盟」を結成し、当日は県内各地から朝鮮人が多数集結した。うち約70人が午前11時に宇部興産の工場に乱入、守衛を殴打し、電話線を切断するなどの行為をおこなった。続いて民団の団員宅を襲撃した後、引き揚げた。警察は襲撃犯を逮捕するため、午後2時に解放救援会事務所を包囲した。警察は解散を呼びかけたが、朝鮮人側は投石などの手段で抵抗した。午後3時半より警察は実力行使を開始し、午後4時からは催涙ガス弾も導入してようやく鎮圧した  1952年6月10日、島津三条工場事件が起こった。午後4時頃、トラックに乗った祖国防衛隊所属の在日朝鮮人約50人が、京都市中京区にある島津製作所三条工場に押しかけ、守衛の制止を振り切って中に突入、破防法反対のアジ演説を行った。工場側の要請を受けた京都市警察堀川警察署の署員約15人が現場に急行、五十代くらいの朝鮮人が妨害したため、ただちに検挙し京都市警南部警邏隊のパトカーに収容した。すると、付近にいた朝鮮人約100人が騒ぎ出した。パトカーがサイレンを鳴らして発進し、春日通三条にさしかかったとき、多数の朝鮮人が前に立ちふさがり、車内に火炎瓶を投げ込んだ。パトカーはたちまち火の車となり、道を大きくそれて京都市バスの車庫に入り込み、バスに激突した。乗っていた8人の警察官は重軽傷を負った。検挙者も火傷を負ったが逃げおおせることに成功した  1952年6月13日、醒井事件が起こった。滋賀県坂田郡醒井村では、民団系と在日朝鮮統一民主戦線系の在日韓国・朝鮮人間で対立が起きており、10日と6月11日の2日連続で乱闘事件が起きていた。午前5時頃、国家地方警察滋賀県本部坂田地区警察署の警察官は、被疑者逮捕のために現地に向かったが、朝鮮人は事前に察知し、ピケを張るなどして自宅に立て篭った。朝鮮人側が、投石や棍棒を投げつけるなど被疑者の逮捕を妨害したため大乱闘となったが、警察はこれを鎮圧し公務執行妨害罪で48人を逮捕した  1952年7月7日、大須事件が起こった。日本社会党の帆足計と改進党の宮越喜助の両代議士が、ソ連及び中共を訪問して日本国政府の方針に反する「日中民間貿易協定」を結んだ後に帰国し、6日に名古屋駅に到着した。両代議士の歓迎のために約千人の群集が駅前に集合、無届デモを敢行したが、名古屋市警察によって解散させられた。その際に12人が検挙されたが、その中の1人が所持していた文書から、翌日の歓迎集会に火炎瓶を多数持ち込んで、アメリカ軍施設や中警察署を襲撃する計画が発覚した。7日、名古屋市警察は警備体制を強化し、全警察官を待機させた。午後2時頃から、会場の中区大須球場に日本共産党員や在日朝鮮人を主体とする群衆が集まり始め、午後6時40分頃に歓迎集会が挙行された。午後9時50分に集会が終わると、名古屋大学の学生がアジ演説を始め、その煽動によって約千人がスクラムを組みながら球場正門を出て無届デモを始めた。警察の放送車が解散するよう何度も警告したが、デモ隊は放送車に向かって火炎瓶を投げ込み炎上させた。警察は暴徒を鎮圧すべく直ちに現場に直行したが、デモ隊は四方に分散して波状的に警察部隊に対して火炎瓶・投石・竹槍・プラカードで攻撃を行い、路上の一般の乗用車に放火するなど、大須地区は大混乱に陥った。また、大須のデモ隊とは別に、アメリカ軍の駐車場に停めてあった乗用車を燃やしたり、中税務署に火炎瓶を投下��る事件も発生している。この事件で、警察官70人、消防士2人、一般人4人が負傷し、デモ隊側は1人が死亡、19人が負傷した。名古屋市警察は捜査を開始、最終的に269人を検挙した。その内、半数以上が在日朝鮮人だった。捜査の結果、この事件は共産党名古屋市委員会が計画し、朝鮮人の組織である祖国防衛隊とも連携しながら実行に移されたことが分かった  1952年11月9日~12日、大村収容所事件が起こった。5月12日、法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した  1952年11月19日~26日、五所川原税務署襲撃事件が起こった。仙台国税局は警察の協力を得て、青森県北津軽郡板柳町周辺の在日朝鮮人が経営する密造酒工場を摘発し、密造酒約100石、酒粕約400貫、その他容器約200点などを押収、酒税法違反として45名を検挙した。また、摘発を妨害したとして、在日朝鮮人7名を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。その後、在日朝鮮人は「生活権の保障」と「職の斡旋」を要求し、国警板柳地区警察署と五所川原税務署に連日抗議活動を行った。11月26日には約60名が五所川原税務署に押しかけて署内に乱入し、署を占拠した
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kachoushi · 4 years ago
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各地句会報
花鳥誌 令和3年5月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和3年2月3日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
帯の色白と黒との寒稽古 世詩明 初夢や逆夢にして安堵せり 同  受話器より来る熱燗の酔ひつぷり 清女 もう雪も落ちついたかとココア飲む 同  湯のたぎる薬罐の音の冬支度 誠   ゆつくりとガラスを滑る霙かな 同 
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月4日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
寒の明け空の青さのどこまでも 柏葉 雪の舞ふ上へ下へと北陸路 喜代子 寒戻り雄島は浪に翻弄す 都 
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………  
令和3年2月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
祈る人白く光らせ春の寺 小鳥 壺菫傾ぐ黄昏の密会 季凜 饅頭屋の幟ぱたぱた春疾風 美智子 嬰児へ春の揺籃なりしかな 順子 寒紅や鏡の中の女たち きみよ 春を描く赤で縁取る黄土色 千種 ギャルソンのベストの在庫春埃 荘吉 バーの椅子冬日も遊ぶ道具街 荘吉 春潮のかをる手をもて貝洗ふ 順子 ペンダントはづして春の風邪に寝る 光子 黄泉の国へとラビリンスめく雪間 眞理子 オキーフとゴッホの黄なる春の蝶 伊豫 ロマノフ朝語る早春のため息 慶月 仲見世の半分閉ぢて亀鳴けり 梓渕
岡��順子選 特選句
江戸つ子へ黄水仙咲く格子窓 光子 春の日の跳ねたりしつつ神田川 小鳥 壺菫傾ぐ黄昏の密会 季凜 吾輩は道具街の猫日脚伸ぶ 荘吉 春浅き野へと黄衣の遊行僧 慶月 花瓶売れざり春の日を黄昏れて 俊樹 笊は受く春の日差や道具街 季凛 菜の花や主のゐない家に棲み 伊豫 大方は縁なき道具街うらら 秋尚 隠れ耶蘇語る窓辺の余寒かな はるか 遣り手婆春画を鬻ぎつつ春眠 俊樹 黄塵万丈浅草に人沸き出す 梓渕 産土の海光を背に絵踏せり 光子 生国を刻みし墓へ梅香る 慶月 祈る人白く光らせ春の寺 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
散歩みち犬に吠えられ日脚伸ぶ 三四郎 子等はしやぐ声の大作雪だるま みす枝 寝るだけに戻りし部屋の虎落笛 ただし 初詣巫女の化粧の濃かりけり 世詩明 贔屓目にみても毛皮の似合はざる 上嶋昭子 大氷柱剣のごとく堂宇守る 時江 崖の上に耐へて咲きたる水仙花 久子 神杉に裂けし傷あり斑雪 時江 風花の散華の中を柩ゆく 信子 湯たんぽを母の温もる如く抱く さよ子 廃屋の雪の声きく真暗がり ただし 嚏して饒舌の人黙りけり 三四郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月9日 萩花鳥句会
住所録ゐぬ人ばかり春時雨 祐子 降り立てばカルスト台地草萌ゆる 美恵子 春まだ来産卵仕掛ける川漁師 健雄 春時雨ビニール傘に裂け目あり 吉之 下萌えて平幕力士の賜杯かな 陽子 雪雫八分音符と四分音符 ゆかり 微睡の草木起こせし春時雨 明子 面接の練習の声寒明くる 克弘
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令和3年2月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
護摩焚きの煙の深き節分会 あけみ 節分や子の夢に出る方相氏 登美子 節分や炒豆撒いて稽古終ふ 令子 車窓には雪しろの山々続く あけみ 大雪も奮闘えち鉄動き出す 紀子 野兎の駈けし跡あり野辺深し 同  ひらがなの娘の手紙春隣 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
白杖の突けば凍土鼓動して 都   磯竈海女と蜑との声太く 益恵 獣園の柵に並ぶ子草青む 栄子 春の雪店はいつものビートルズ 佐代子 日脚伸ぶ明るき方へ人も鳥も 都   寒木瓜の棘の交差に交差して 悦子 白髭を撫で庭を掃く春隣 幸子 寒月へ町定位置に静もりて  都   春雷や酒供はりて力士像 宇太郎 さよならと筆置く音に落椿 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月13日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
人生は借り物かしら春一番 修子 日の永き台所にて聖書読む 同  永く生きすぎた気もして春の風 同  どの家も砦のやうに雪積みて 寛子 街路樹の上に余寒��空低し 同  針供養叔母は短気でお人好し のりこ 掌に一滴春の化粧水 岬月
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
ひたすらに鶴は鶴とし凍つるのみ 雪   寒鴉申し合はせしごと啼かず 同  観念をしたる如くに大枯木 同  温石に温石と云ふ石の貌 同  薄氷や着物をつまみ避け乍ら 千代子 深々と音消し積もる真夜の雪 同  春炬燵くの字しの字の混み合へり みす枝 ランドセルに筆箱入れて春を待つ 同  銀の波揺らし川辺の猫柳 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月17日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
薄氷の割れて漂ひ重ね合ひ 千加江 数独に挑んで老の春を待つ 清女 節分や柱時計がつと止る 啓子 薄氷を張り尽したる法の池 泰俊 鴬や何か賑やかなる甍 同  凍て鶴として人の世を凍つるのみ 雪   華やかに古りし虹屋の桐火桶 同  凍て様も金輪際や檻の鶴 同  人の世の枷を解かれし古火桶 同  寒鴉啼くを忘れてゐはせぬか 同 
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月19日 さゞれ会 坊城俊樹選 特選句
冴え返る言葉の綾に躓きて 雪   勿体なや冬籠りにも厭きしとは 同  乾杯の種の尽きたるちやんちやんこ 同  うららかや犬が好みの猫まんま 清女 虹屋へと二月礼者の関西弁 千代子 水仙の花に折鶴遊ばせり 希   路地裏を斜めに走るうかれ猫 啓子 水尾も無く流れのまゝの鴨滑る 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月21日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
飄々とした人の訃や冬の果 佑天 学舎の武張りて遠く春の富士 圭魚 アトリエに遺せし絵の具冴返る ゆう子 シスターの病むや余寒の廊長し 和子 手の皺の翳は目立ちて春を待つ ます江 存分に椿の落ちて椿寺 佑天 堂裏の日溜り豊か落椿 圭魚
栗林圭魚選 特選句
よき喫茶閉ぢし通りの余寒かな 慶月 磐座の裳裾にこぞる蕗の薹 幸風 菰踏めば春泥ぬると動きたる 三無 朝光の瀬音そびらに蘆の角 幸風 アトリエに遺せし絵の具冴返る ゆう子 寺領ひっそり孕猫つとのそりゆく 文英 細波の煌めき尖る浅き春 斉   シスターの病むや余寒の廊長し 和子 春みかづき童話の色の夜の街 和子 春光や眉毛一本づつ描く 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月22日 鯖江花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
二度三度黙の呼び鈴冴返る 一涓 遠き日の武原はんの風花す 同  雪掻きて掻きて怨嗟を紛らせり 同  佐保姫来式部の像の辺りより 同  古里ぞ遠海鳴りも温石も 雪   其の頃はへつつひ二つ竈猫 同  お駄賃は袋のお菓子春の風 上嶋昭子 アプレゲールと言はれし卒寿日向ぼこ 同  春一番絵馬カタカタと恋の宮 信子 夕焼けを少し暈して春の色 紀代美 春着着しより梵妻の顔となる 中山昭子 水仙や少女一心勉学す みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
東風に扉を開けよ羽衣なびくまで 美穂 面影のちよと夫似なる古ひひな 千代 波音のままに揺蕩ふ若布かな 桂   大津絵の鬼の飛び出す春の雷 喜和 梟の吾を呼びたる父祖の山 千代 遠き目でみる耶蘇浦の若布船 かおり 薄氷を踏むもふまぬも人の道 睦子 冬灯しらじら明けの裏酒場 勝利 恋猫の敗れ幣履のごとく消ゆ 伸子 その沖は霞み衣桁の陣羽織 由紀子 寂しらの汀に寄する若布かな 久美子 浮かみくる七色の泡春の池 愛   集落を貫く碧き雪解川 由紀子 タンデムで若布を買ひに島日和 美穂 結ひ髪のほろほろ解けて絵踏かな かおり 紙漉の若き水ほどよく躍る 佐和 蹼に薄氷つきしまま歩む 睦子 星辰の恵みに育つ若布かな 美穂
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
なかみち句会(投句のみ) 栗林圭魚選 特選句
探梅の坂より駅を見渡せり 貴薫 焼山の命の早さ確かめり ます江 風尖りをれど遠山霞みをり 怜   枝影の網目ぼんやり春の土 秋尚 受診日や梅林抜けて隣り駅 せつこ 料峭の森覚ましゆく水の音 三無 野焼見る怪しくはやる気持あり あき子 日を浴びて胸張る如し犬ふぐり せつこ 青海苔を採って沖には白い波 史空 梅林や古木の幹に力あり 迪子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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ko-shio · 4 years ago
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2021.3.15 合図
地下倉庫の南京錠をカチリと開けるとき、牢屋の扉を解錠したような気持ちになるのはどうしてなんだろう。棚に雑然と積まれたコンテナや袋を開いては、置きっぱなしにしていた私物を探す。一番上の段は、脚立を使えばどうにかなるけど、埃っぽいし重そうだったので少し考えて、触れ��のをやめた。ずっと無くしたと思っていた、サーモスの水筒だけ、結局見つかった。赤い塗装がところどころ擦れて剥がれていて、明らかに自分以外の誰かが使用した形跡があった。たぶん今後自分では使わないような気がしたのに持ち帰ったのは、外装の汚れに対して綺麗な内側を見て、こっそり盗んでしっかり使ってしっかり洗ってしっかり干して返しただろうそのいびつな優しさを覚えておこうと、嫌なことばかりじゃなかったと、思いたかったからだと思う。さようなら、���つもひんやりしてて狭くて、静かで、好きだったよ倉庫。扉の鍵を閉めてしまうと、さっきまでひとつひとつ影を持って、色とりどりに並んでいた備品たちの姿はぼんやりブラーがかって、記憶の隅へ歩いていく。反対側に歩いたり、階段を昇ったりして、のりこさんにも挨拶をしにゴミ集積室のドアをノックしてからそっと向こうに押す。良さげな粗大ゴミを持ってない様子を見て、なにしにきたんね、とのりこさんはいじわる女のふりをする。うそよ嘘って分かってること知ってておどけるのりこさんと、不燃ゴミと可燃ゴミとなんだか分からないくずとかにおいに囲まれて話すと、いつもしてる青いゴム手袋を片方外して、右手を差し出してくれた。のりこさんだから、きっと誰よりもこのビルで消毒している手だった。サコッシュに入れてた携帯用のジェルで濡らした手を、その手のひらに重ねる。年上の女の人の、少し薄い皮膚と冷たさ。のりこさんの手が湿っているのか、出しすぎたアルコールがだぶついているのか、よく分からないことがたぶん、悲しかった。これからこのビルを通り過ぎることがあれば、色んなことを思い出すだろうけど、集塵室に連れ込んでくれて、冷たい紅茶を自販機で買ってきてくれて、思う存分泣かせてくれた、何百人分かのごみくずの中で凛としてるのりこさんこと必ず思い出します。のりこさん、さようなら。わたしは次の待ち合わせがあるので帰ります。部屋を出てから、最後まで目がちゃんと合ったことなかったかもしれないなとぼんやり歩いて電車に乗る。何も示し合わせていないのに、同じ紺色のボーダーを落ち合ったときにはもうふたり着ていて、華子も青いボーダーを映画の中で着ている日があって、スクリーンの前ではなるべく自我をどろどろにしたかったのに、少し恥ずかしかった。とても嬉しかった。東京が舞台の映画が終わっても帰るのは東京だから、彼女たちもどうにか今日も生きているんだろうね、とかっこつけずにただ思って、新宿の駅前を風や車や人並みやに流されるまま、きっちり3周した。ショーウィンドウの向こうはもう暗くて、入り口も出口も施錠されたたくさんの店らしき建物たち。黒いガラスにボーダー柄がきっちり反射する。アスファルトの継ぎ目に誰かから舞った冬のほこりが引っかかっている。雨に降られて、自転車に轢かれて、硬くなった元ふわりの破片が、また誰かからまった春のほこりを捕まえる。そうした継ぎはぎを目線が辿っていくと、伊勢丹がライトアップされたまま眠っている。Apple Storeがいつでも最大明度でいることは、彼には関係がない。見えていても、見ていないことになっているかもしれない。変なところに、というのは、カラオケ館の前に、まだ若そうな桜の木が数本ぴかぴかに咲いていて、通りかかろうとしていた人が立ち止まってiPhoneをかざしているのを、それよりも話に夢中だったから通り過ぎてこの街のこととか話しながら歩き続けた。寝る前に古地図を見たら、明治にも江戸にも、わたしたちが桜の木を通り過ぎた大通りはどんと走っていた。新宿が新宿になったのは、大きな街道があって人があちらこちらから何のためか、やってきて、歩いてすれ違っていたからということを何となくいつも忘れている。思い出した途端に、幻の新宿通りが2倍速で動き出して自然といま目の前にある風景になる。そうはいかない場所も多いけど、今日はうまくいった。東京の背骨をずいずいなぞって降りた場所で、乗客2人のバスに追加で乗り込む。2段になった窓の上段がところどころ開いていて、2021年3月15日の柔らかくてとろりとした風が舞い込む。1人がけの椅子に深く身を預けちゃって、斜め上の半端に開けられた隙間を見やれば、星がひとつだけフレームに収まっている。やったー!パンチャパンチャだ!これは紛れもなく、そうでした、と韓国語の先生に반짝반짝を今度報告しようとなるべく静かに視線で光をなぞっていると、急に空が揺れて、郊外の白けた平日夜の道路に体が降りていった。次の下り電車が到着して、何人かがその足でバスステップを踏んだ。少しの揺れも、宇宙を壊しかねないということを、ここ2年くらいでよく学んだ。すべてが多様なものに変化していく過程に置かれている。いまは早く新しい土地に引っ越して、大きな春に思うまま会ってみたいです。
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