#新宿 追分だんご喫茶室
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言わずと知れた、新宿の追分だんご、喫茶室でかき氷が食べられる。
これが、新雪のようなフワフワで締まってる感じの氷。
宇治金時は、甘い粒あんに香り高い宇治茶!
たまらん!
もちろんつぶあんがかかってるだけではなく、底にはまた粒あんが!
だったけど、久々10年ぶりぐらいに行ったら、2度と行かないわ!!になった!!
だってさ、氷はガリガリ、粒あんの甘さは控えめ、宇治抹茶は香り薄い。あの時の感動はなんだったんだ??
昔は良かった効果で、今が良く無い気がするだけか?
いずれにせよ、これに1595円(税込)は嫌だ😭
もう一度言う、僕はもう行かない。
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虐殺の国②
【注意】この作品には差別・虐殺などの描写があります。
第一章 権力構造、または歴史的背景
第二節 歴史の幽霊
ダニエルは黒い霊柩馬車から父の遺体の納められた棺が運び出されるのを、真新しい墓石のすぐそばで眺めていた。
ダニエルの父親はサフラン市警の警部であった。数日前の朝、彼はうっすらと笑顔を浮かべた顔で「行ってきます」と言って家を出た。そしてそれきり帰ってこなかった。どうやら何らかの捜査のために珍しく現場に出ていたらしいのだが、まだ解決していない事件の詳細についてダニエルらが知ることは何も無かった。
母や妹のすすり泣き、それから墓地を囲む赤や黄色の葉を持つ樹の枝に隠れているであろう小鳥の愛らしい鳴き声のみが辺りを満たしていた。
ダニエルと、一番下の弟であるジョンは泣いていなかった。ジョンはダニエルやその妹であるルシアとは年が離れており、まだ5歳と幼い。彼はダニエルの服の裾を掴んで辺りをきょろきょろと見回していた。
ダニエルはジョンの小さな手を取って服から手を離させた。
「男ならしゃんとしなさい」
ダニエルはささやき声でジョンを優しく叱った。小さな手を空中に放り出されたジョンは、自分のズボンの裾をぎゅっと掴み、顎を引いて墓をじっと睨みつけた。拒絶されたのだと思って拗ねてしまったのかもしれない。ダニエルはそれを見てこっそり笑った。棺は墓石の前にぽっかり開いた穴のすぐ側まで運ばれてきて、中に納められた。
ユーゴニア人口のおよそ八割を占めるアンドロ教徒の間では、棺は死者の国への門であると考えられている。死者は門をくぐると死者の国の王であり原初の人であるアンドロという男に迎えられる。アンドロは死者の皮を剥いで新しい皮に取り替えてやる。死者は、次の人生ではその新しい姿で生きることになるのだ。
来世の身支度をアンドロに整えてもらった死者は、死ぬ前に生きた分の年月だけ「死者の国」を旅する。死者の国では時間は逆方向に流れるので、時が過ぎればすぎるほど、死者は若返ってゆくという。逆転する時間の旅を終えると、死者は再び地上へと生まれてくると信じられていた。
◇◇◇
壁のようにそびえる建物は空を覆い隠さんとしている。その下に広がる道路は馬車と人々でごった返していた。
ダニエルがサフランの街の雑踏を歩いていると、彼のすぐ側を自動車が通り過ぎた。彼はなんとはなしにその姿を眼で追った。屋根のない黒い車に乗る数人の男女の着ているスーツやドレスは、質の良い布でできているのが素人目にも分かった。
ダニエルは交差点で道を曲がり、様々な店が軒を連ねる区画を歩いていった。彼は視界を流れてゆく店の外観をぼんやりと眺めた。そうしていると、女性用の毛皮のコートが飾られたショーウインドウと、喫茶店のレンガ造りの壁に挟まれた路地に、誰かが座り込んでいるのがちらりと見えた。ダニエルは立ち止まってそちらを見た。薄暗い路地に敷かれた新聞紙の上で男が項垂れていた。ドラコの男だった。ダニエルはしばしの間、冷淡な目で男を見つめた。人影に気づいたその男が顔を上げようとするのを横目に見ながら、彼は心なしか早足でその場を立ち去った。
「ダニエル!」
再び街中を歩いていると、ダニエルを呼び止める声がした。振り返ると、恰幅の良いドラコの男が彼に向けて軽く手を振っていた。
「ムーンライトさん」
彼は自分を呼び止めた男――ムーンライトに歩み寄った。
ムーンライトはダニエルの通う大学の近くに建つレストランの店主である。彼は以前、ダニエルの友人に家を下宿先として提供していた。二人が知り合ったのもその友人がきっかけであった。
「お父さんのことは残念だったね。私も近頃は知り合いが立て続けに亡くなって悲しいよ。イマニュエルも一昨年に亡くなったから……」
ムーンライトはため��をついた。
「ルフェリの伯父さんですよね。とても残念でした。彼が亡くなってあいつは大学を辞めてしまったし」
「イマニュエルとは同級生でね。昔はよく、もう一人の友人と一緒につるんだものだった。危篤の知らせを聞いて帰る直前、ルフェリはひどく動揺してほとんど喋らなかったよ。イマニュエルはあの子を自分の子供と差別せず大事にしていたから、懐いていたんだろうな。君も大事な人が亡くなって辛いだろう。何かあれば相談に乗るからな」
「ありがとうございます。実は……」
ダニエルは石畳を横目に見やった。
「大学を辞めて仕事を探そうかと思っているんです。今日は手続きの準備のために大学へ顔を出すつもりで」
ムーンライトは身を乗り出した。
「本当か?お母さんには相談したのか」
「それはもちろんしましたよ。お互い納得した上です」
ムーンライトはしばしの沈黙の後、ため息をついた。
「そうか……。君は家族思いだな」
「そうでしょうか」
ダニエルは表情を曇らせながら俯いた。
「仕事のあてはあるのか?」
「いえ、まだ」
「なら、俺の知り合いが――さっき言ったもう一人の友人というのがそいつなんだが、確か以前人手が足りてないと言っていた。良かったら紹介しようか?」
◇◇◇
人工的な明かりが食卓の上に並べられた料理の表面を照らしている。ダニエルはムーンライトの自宅で、彼と向かい合って座っていた。人手を欲しているという友人に宛てた手紙の返事が来たため、ムーンライトの家で夕食がてら詳しい話をしようという話になったのだ。
口の中のものを飲み込んだムーンライトが話し始めた。
「俺の大学時代の友人――ラースロー・ライムライトというんだが、そいつは炭鉱の所長をやっていてね。炭鉱警察/coal-mining policeの警官を募集しているのだそうだ」
「警察?」
ダニエルはぽつりと口にした。
「炭鉱警察というのは、炭鉱とその周辺の街を管轄する警察組織だそうだ。銃を持つような仕事だから、体力のある男は大歓迎だと言っていた。ダニエルは上背もあるしスポーツも得意だからきっと大丈夫だろう。給料は月300オロだ」
「300オロ?」
「なかなか好待遇だろう?これから家族を養っていかなくちゃならない君には良い仕事だと思うんだが。ただ、家族と離れて暮らすことになってしまうが」
「それは構いません。是非お願いしたいです」
「分かった。明日また手紙を出しておくよ」
「ところで、場所はどこなんですか?」
「エーデルワイス州のアルストロメリア郡というところだ」
「そこって」ダニエルはやけに耳になじむ単語に首をかしげ、それから何かに思い当たったようにムーンライトの顔を見た。「ルフェリの故郷ですよね」
ムーンライトに別れ��挨拶をしたダニエルは、夜の街を歩いて自宅へ向かった。自宅のドアの前に立った彼は、既に眠っているかもしれない家族に配慮してゆっくりと扉を開けた。
「ただいま」
彼は小さな声でそう言った。返事は返って来なかった。やはり皆眠っているようだった。だがダニエルは自分の部屋に向かう途中で立ち止まった。電灯の光が居間から漏れ出ていたからだ。ダニエルは一人首をかしげ、居間につながるドアを開けた。
「ルシア?どうしたんだ、こんな時間に」
「に、兄さん」
妹のルシアがテーブルに本やノートを広げて座っていた。彼女の隣にはほとんどうつらうつらとしているジョンが座っている。ルシアはダニエルを見て本とノートを慌てて閉じた。
「勉強か?珍しいな。どうしたんだ」
「ええっと、ちょっと苦手な科目があって、テストが不安で……。でももう寝る」
「そうか。おいジョン、お前ベッドで寝ろ」
「んん」
ダニエルは舟をこいでいるジョンを優しくゆすった。ダニエルは椅子から降りたジョンの手を引いて廊下に繋がる扉に手をかけた。
「ルシア、おやすみ」
「うん。おやすみ」
ダニエルは居間のドアを閉めた。ダニエルが自室の前に立っても、ルシアが居間を去る気配は無かった。
寝支度が済むとダニエルはベッドに入った。彼がサイドチェストのランプを消すと、タールのような暗闇が部屋を満たした。隣のベッドにいるジョンの幼い顔が、月の光によって幽かに浮かび上がっている。
暗闇の中で子供の目に月光がきらりと反射して、隣のダニエルを見た。
「兄ちゃん寝た?」
ジョンがダニエルに声をかけた。
「起きてるよ」
ダニエルは目を開けて、ジョンのほうに顔を向けた。
「そっか」
「眠れないなら背中ぽんぽんしてやろうか、昔みたいに……」
それを聞いてジョンは唇を尖らせた。ダニエルは笑い声を漏らして、天井に目をやった。
「どうしたんだ。何かあった?」
「そういうわけじゃないよ」
しばらく沈黙が落ちたあと、ダニエルが静かに口を開いた。
「なあジョン、お前勉強は好きか」
「嫌いだよ。知ってるでしょ」
「そうだな」
ダニエルはジョンの顔を見た。
「それでも、お前は大きくなったら大学に行けよ」
そのとき、寝室の外からほんの僅かに廊下の軋む音が聞こえたが、ダニエルは気づかなかった。
「うん」
ジョンが小さく返事をした。ダニエルはジョンのほうに手を伸ばした。そしてジョンの頭をぐしゃぐしゃと雑に撫でまわした。ジョンがやめてよとクスクス笑ったので、ダニエルも笑った。
◇◇◇
汽車が到着したらしく、人がどっと吐き出されるように流れ出てきて、まるで駅という鉄骨製の怪物が大きなため息をついているようだった。
「じゃあ、行ってくる」
大きな鞄を肩にかけたダニエルは改札の前で振り向き、家族の顔を見た。今日、ダニエルはサフランの街を去って、エーデルワイスに行く。家族とはしばしの別れになる。
「体に気を付けてね」
母は心配そうにしていた。ダニエルは彼女を安心させようとするかのように、笑って頷いた。
「頑張ってね、兄さん」
ルシアは明るい声で言った。
「ああ、お前も母さんのこと支えてやってくれ」
「うん……」
彼女は少し表情を曇らせた。彼がどうしたんだと声をかける前に、ルシアの隣にいたジョンがダニエルのほうへ一歩踏み出した。
「兄ちゃん、いってらっしゃい!」
ジョンは朝散々泣き腫らしたので、目がまだ少し赤かった。
「ああ��行ってきます」
ダニエルはしゃがみこみ、ジョンと抱擁を交わした。
◇◇◇
秋の透明で冷たい空気が肺を満たしたので、ダニエルは自分でも気づかぬうちに深呼吸をしていた。
彼が列車を降りたのは、クローバーという名前の駅だった。客を乗せる列車以外にも石炭を出荷する貨物列車が運行するこの駅の正面には、山際の緩やかな斜面に沿って炭鉱街が広がっていた。そして街と山とに挟まれるようにして、青く霞んで見える大きな工場のような建物や鉄骨製の建造物、煙突がそびえ立っていた。
「ダニエル」
ふと彼の名を呼ぶ声がした。ダニエルは駅舎の正面に佇む男に目を向けた。
「ルフェリ!久しぶりだなぁ」
彼は男の元へと歩み寄った。
ルフェリ・ホワイトアウトは猫のように大きな左右色違いの眼をした男だった。顔立ちはユーゴニア先住種族であるガタのそれだったが、混血である彼は一本の角を持ち、その手は鱗に覆われている。白いたてがみはドラコの男がするように長く伸ばして、三つ編みにしていた。大学を辞めた後エーデルワイス州民兵隊に入った彼は、少年のような顔立ちをしている割にしなやかな筋肉を纏う前腕をシャツの袖からのぞかせていた。今は丁度休暇の最中らしく、こうやってダニエルを出迎えに来てくれたのだった。
「お父さんのことは残念だったな。お前、俺の分まで勉強して立派な生物学者になってやると言ってくれたのに」
「約束を果たせなくて悪かったよ」
ダニエルは肩をすくめて、困ったように笑った。
「別に責めたくて言ったんじゃないさ。ただ悲しいと思っただけで」
ダニエルはルフェリが兵士になったのを、手紙のやり取りの中で知った。各州の保有する民兵隊/militiaは、州内の治安維持を担う軍隊である。ルフェリは現在一等兵――エーデルワイス州民兵においては伍長の下の階級――であった。士官学校を出て士官として入隊するのならまだしも、裕福な家の出である彼が兵卒になった理由を、ダニエルは詳しくは聞いていない。
「このあとすぐ署に顔を出すんだったな。頑張れよ」
ダニエルはその言葉に笑顔を返した。
「ああ。また一緒に飯でも食おう」
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『おいしい話には気を付けろ!!!!!!!!』・・・体験からのメッセージ
このタイトルの言葉は、私が経験した事、習った事、本当の意味で次の世代に伝えるべき事、世の中の事について皆様の心に訴えていきたいと思います。
これは、私が『ガチョーン!!!!!!!!!』と、騙され、一瞬にして血の気が引いて、『絶望感』に浸った時の教訓ですので、今回は申し訳ございませんが精神障害者向けの文章ではございません。一般市民用に向けた文章にしたいと思われます。何故かと申しますと、私がまだ精神科にかかる前の話であり、(勿論ですが『ブチ』と3回切れた経験の後ですが)当時学生相談室(カウンセリング)に通室時代で、大学院を目指してた1987~1988年の自粛ムードで最低ブームの事ですので、精神障害者の方々にとってこの文章を書く事をお許しください。
私が大学3年生の時1987年12月に行われた英語劇祭(大会)で、特別(大道具ーー私の担当ーー)賞が取れて、次の日学校内で各部署課に、受賞報告に行きその年度最後のミーティングを開き、部長兼主幹の座を後輩に譲り引き継いだ後の事です。やっと上役の肩の荷が降りて気分が少し楽になり、学校の単位とアルバイトと大学院受験勉強のみだ、と思ってました。今までその年の後期、授業に出席出来たのは、演習(研究指導・ゼミナール)と英語5の出席必修だけでした。標準として1年に6回(70%)(前期3回・後期3回)だけでしか休めませんでした。又公欠も認められませんでした。私が履修した英語5の先生は、悲惨な先生で1年間いじめられて鍛えられました。この先生は、前期1回、後期1回しか欠席できませんでした。教室では、学生が国会か都道府県か市区町村かわからないが、議員みたいに立て看板毎回毎回必須の先生でした。部活が忙しい時の確か9月ぐらいに先生ともう一人の先生が、食堂の隣の喫茶コーナーにおられたので、直接先生に「先生、部活が忙しいので授業にあ��り出られないのですが。⁉」と言いに行くと、先生は『部長を呼んで来い。!!!!!!!」と言われ、私がそのまま立っていると、『お前が部長か???❕」と言われ、「単位(今年のこの科目)は諦めろ!!!」と言われ、粘って立っていると、もう一人の先生が「この部活動って去年優勝したそうですよ!!!!!!!」助言が入り、先生は「何、お前達が優勝した?????」そして「よし1回だけ休ませてやる!!!!!!!それ以外はダメ❕」という事で、その場を去った。私も大道具作りに忙しく授業に出たのは、火曜日の3時限目は仕方なく出席、木曜日の4時限目は時々欠席(1年間に6回まで)、学生相談室(カウンセリング)は、大体覚えている時、ぐらいでアルバイトしてる暇もなかった。私の一日の時間割は、夕方5時から朝の5時まで大道具作り、5時から11時ぐらいまで毛布1枚持参して部室で就寝、11時に目が覚めたら学食で朝昼兼用の食事、12時半から授業等以外は、あるホームセンターまで買い出しに公共交通機関で一人で行く。バスも乗り換えないとホームセンターに着けないし、途中で降車しないと金が下せない。時には紙屋や布屋までに行くのに都心部まで買い出しに行った。お風呂だの歯みがきだの更衣だのしている暇は無い。ひたすら大道具作りに必死だった。フェスティバル(大会)まで間に合わせる事で必死だった。一通り出来上がったのは、約1週間前だった。それまでは、一人の先輩だけ時々手伝って下さったが、出来上がってから、色々な先輩方が修正を手伝って下さった。完全に出来上がったのは、公演前の前日であった。その日は一睡もする余裕がなかった。それでも他人は、私を健常者扱いされた。唯一幸運な事だったのは、天気が殆ど晴れていて尚且つ、1987年は秋から冬にかけて暖冬だった事だけだ。運搬費は全て私持ちで先輩方が運転してくれた。全然段取りもさっぱり解らず、行動が静止したり頭も働かなかったので、事実上先輩達に、おんぶにだっこになってしまった。ある県の僻地の山の上から、都心部の会場まで運ぶ事については、全く想像できなかった。先輩に「ここの扉の鍵締めといてな~。」と言われ、そこだけ施錠し、会場に向かった。3往復するはずのトラックが、2往復目で中々着かなかった。土曜日の夜に劇場搬入の予定だったが、一部しか搬入出来ず、公演出来るかどうか崖っぷちの窮地に追い詰められた。主催者の大道具担当の方が、「やっぱり心配してた通りになった。どうなるのかなあ。」定刻になったので、私達のメンバーは外に追い出された。ひたすらトラックを待っていた。それまでに全員分のほか弁買い出しに行��、30分ぐらい待って、自腹切って買って(去年のフェスティバルの時は先輩方が自腹を切ったので)トラックを待っていた。やっと着いたと思ったら、『ガチョーン!!!!!!!』「バカヤロー」と、大声と名指しで度が過ぎる程怒られた。何故怒られたかというと、『ガチョーン!!!!!!!』大道具作りした場所の、電気の消灯も場所の鍵も施錠も忘れていたのだ。私が悪いとしか言いようがないのだ。『ガチョーン!!!!!!!』としか言いようがないのであった。寺の合宿所に行き、度が過ぎる程コテンパに夜中まで怒られた。次の日、6時頃目が覚めて、後片付けして、寺に宿泊代金を納めて会場に急いだ。会場に着いて、委員会はもう扉を開けてくれないかなと思ったら、9時5分ぐらいに裏の扉を開けてくれたので、大道具を何とか搬入出来た。本番公演までギリギリ設置出来たので、公演そのものは、成立したのだが、出演者とっては、『ガチョーン!!!!!!!!』大変申し訳ない事をしてしまった。大道具入りは、彼らにとってぶっつけ本番をさせてしまった。当部長としては『ガチョーン!!!!!!!!』ごめんなさい。!!!!!!!!公演終わり、搬出し、ロビーに行くと、休部してた部員が来てくれた。合同夏合宿のメンバーの女子から花束をくれた。ただ私は、「有難う。❕だけど今、滅茶苦茶忙しいので、後で頂くよ。今ちょっとごめんね。」と言って、ロビーを後にして、慌ててトラックに乗り込み、大道具を積んで僻地の山の上学校まで戻った。そして出来る限り解体作業をした。解体出来ない壁は、部室近くの廊下に置かさせてもらい、後日、管財課に頼んで、倉庫に保管させてもらうように考えた。そして1日飲まず食わずで、トラックに乗り込み、閉会式の会場に向かった。『ガチョーン!!!!!!!!』トラックの中で思い出した。会計担当から預かったお金入り財布(何万円何千円単位)の入った手提げバッグを舞台の下手に置き忘れたままだ、と気付き先輩に言わずに会場に着いた。着いたら着いたで、また別の事で『ガチョーン!!!!!!!!』先程述べた合同夏合宿のメンバーの部長から「あの子泣いてるよ!!!!!!!!貴方が逃げて別の女の人から花束をもらい会場から逃げたのではないか???」と、言われ私は、「後で行ってちゃんと話す」と、部長同士約束した。これは、『ダブルガチョーン!!!!!!!!』を私は、食らった。でもまず自分の手提げバッグを探しに、舞台の下手に公演の邪魔にならない様にして公演と公演の間を狙って、下手に行った。私の手提げバッグは、下手の床に放ってあった。私は、それを拾い上手に行き、そして財布があるかどうか確かめた。序に中身も確かめた。結果1円も盗られていなかった。先ずは『ホッ!!!!!!!』。確認出来たらあの子のところまで探して行った。そしてあの子に「今朝はごめんね。!!!!!!!貴女の部長様から聞いたよ。あれから学校に帰って大道具を潰して片付けていたの!!!!!!!別に貴女の気持ちを踏み躙った訳ではないよ。ごめんね。誤解しないで欲しい。」と、言うと「こちらこそごめんね。」と言われたので、「では私は、自分の学校の仲間の戻るよ。本当にごめんね。」と言って、学校の仲間の席に行き���席した。密かに『ホッ!!!!!!!」と、してたらある先輩が、「今年は寂しいな~賞も何も来ないのか~」「おい❕お前の時代だけだぞ~賞も何もないのは~」と、別の先輩は言った。閉会式が、始まる。その前に客席で、連盟長に堂々と睨まれた。無視して客席に行き着席してた。入賞(優勝、準優勝、3位、特別賞、大衆賞、最優秀男優(女優)賞)の受賞の対象で、去年からノミネート制だったが、今年は、特別賞と大衆賞は、ノミネートせずに発表された。その特別賞のうち、審査員の一人の方が、「この賞の理由は壁が良かった学校にこれらの特別賞の一つを与えます。」と英語で言われ、私達の作品名と学校名が英語で告げられた。受賞つまり入賞したのであった。どの学校も入賞したら大きく喜んでいたのだが、私の学校はタイミング的には、絶句状態であった。私も『マジか???疲れた❕』と思い、審査員もびっくりしたが、すぐ演出担当が「やったー!』と叫び、やっと自分も「やった!やった!やったー!」と言えて、「行こ!行こ!行こう!!!!!!!」誘い叫んで、舞台の上で5人ぐらいいて、私が「やった!やった!やったー!」と舞台の上で叫んでいると、舞台下手の委員長と副委員長3人の4人に睨み付けられ、この委員長が「持って行けー!!!!!!!!」と怒鳴っていたのだ。こんな委員長はいらない、と、無視して上手の審査員は、拍手してた。私は、特別賞の小さなトロフィーを受け取り、他のメンバーは、賞状や、副賞を受け取った。嬉しかったけど、疲れの方が大きかった。先輩から「おめでとう❕。お前の賞や~」たり、他校の部長様や部員様からも「おめでとう❕」「おめでとうございます。❕」と言われたりしたけれど、私は、あまりにも疲れてたので、頭は何とか下げたが、「有難う。」の声が出なかった。外に出て打ち上げコンパの企画を、前部長がしてくれたので、彼が「おい、お前明日の夜の定時にどこそこな。報告会しておけよ。」と言われ、私は、「明日の昼の定時に部室集合!!!!!!!!」と言った。次の日昼の定時に部室集合して、大道具作りしたホールを皆で掃除したり、預り金から1年生優先で領収書と現金を引き換えたりしてました。前部長もおられたと思います。「報告会は、お前らでやってこい。夜の定時にどこそこな。」と言って去られ、̰私達のグループは、学長室から学部長室から学生課、教務課、入試課、管財課、図書館、等ありとあらゆる学内組織に報告の挨拶に行き周りました。最後は、部室の中で本年度の終了の言葉を述べて、新部長の指名任命をして、私の部長兼(学内)主幹の任務を終えました。正直『ホッ!!!!!!!!』としていたら、夜の打ち上げコンパに行き帰る時に、『ガチョーン!!!!!!!!』先輩からまたお叱りを、受けました。せっかく終わったと思ったら、説教された。理由は、『席の配置が悪い』と怒られました。この先輩は、一生付きまとうだろう。と思えました。私がこの学校を卒業が1989年3月ですが、30年経った2019年でもK市Y区M駅の3番出口の車の中から、見張ってました。コンビニ横から府道(旧国道1号線)に曲がるとすぐM駅なので、そこに車が止まっていて、運転手と私の目が合ってしまってお互い「あっ❕」とあの先輩に私だ、っと完全に分かってしまいました。「ガチョーン!!!!!!!!」こんな人はほっといて、1987年12月下旬やっと、部長兼主幹職を終え、後期試験やレポート提出に取り組んでいて、又アルバイトも探していく予定ですし、色々忙しい年末でした。K市の実家に帰ったのが、年末30日でした。アルバイトも学校の掲示板を見て、ある会社が時給1000円交通費1日500円までと書いてあったので、試験やレポートが終われば応募しました。それと並行に大学院受験勉強も開始しました。研究指導(ゼミナール)の先生が、何十冊も本を借りて頂き、最低限この本とこの英語本は、読みなさいよ。と、指導を受け、勉学の世界にのめり込みました。又アルバイトの面接も入って来ましたので、行きました。応募理由を聞かれ、はっきりと時給1000円という事が書いてあった、と告げると、はっきり告げられました。うちの仕事は、最初研修から始まって研修中の時給300円です。と、『ガチョーン!!!!!!!!』の気分でした。最後まで話を聞いてました。能力給制で、仕事内容は、主に結婚式のビデオ撮影でした。式と披露宴に分かれて報酬が違い、式は1本20分ぐらいで600円ぐらい、披露宴はランク制で、A、B、C、と基本分かれていて、Cランクから始まるけれど、基本二つのカメラを操作するのが、補助付きだとか不十分判定だとCランク、十分出来て一人で操作出来たらBランク、三つのカメラを一人で出来たらAランク、とのことです。披露宴は、標準2時間20分であり、Aが1本3000円、Bが1本2500円、Cが1本2000円です。結婚式に行った事があるか?と質問されると、無い。と、ゲーム機の経験は?と聞かれると、無い。と、アルバイトニュースは買っているか?と聞かれると、無い。と答えると、「3拍子揃っているね。」と言われ、お互いに『ガチョーン!!!!!!!!』の気分なのに、1か月後アルバイト採用をしてもらえました。私のスケジュールが土、日、祝日が 開いていたからです。その時の面接上司に、言われましたよ。『❕おいしい話には、気を付けろ❕』と、『❕これは、社会の常識だぞ❕』『❕これは、君が生きていくために忠告しとくよ❕』「嫌だったらもういいよ!!!!!!!!」と言われたけれど、私が「よろしくお願いします。」と言いました。1988年2月に仕事を始めて9ヵ月、11月には中断してしまいました。もうカウンセリングの世界を超えてしまっているとカウンセラーが判断し、学生課を通じて親を呼び出し、強制的に実家に返されました。
ここからは精神障害者には面白くない話です。私が言うのも変だけど、O都構想に幻想を持ってませんか???❕おいしい話には気を付けろ❕と、忠告します。経済とは、ご存知の通り経世済民の事です。働け��人が税金を納めなくしてどうやって社会サービス(社会保障)を受け取るつもりでしょうか???O市という政令指定都市を潰して、二重行政解消してO府(法律上)にしてOが良くなるとでも思われるのでしょうか。???余計に低税低福祉になるだけで、社会サービスは悪くなる一方です。社会保障として皆さんに返ってきません。やり手策では良くなるどころか悪くなる一方です。何故なら失業者も増えます。路上生活者が増えるだけではありませんか。格差は拡大され、貧民窟が増える一方だけです。本当にOを良くしたいのなら、地道に生活するしかありません。O府一本化したら、払った税金は府民全体にいきわたらないといけないので、社会保障や社会サービスは悪くなるだけで、府民に返って来ません。❕おいしい話には気を付けろ❕❕社会の常識です。❕❕O市民のために忠告しておきます❕当然多くの公務員が失業します。路上生活者が増えます。元々から、元O市長が公務員が嫌いだったではないですか!!!!!!!!。弁護士と政治家は噓つきでないとやっていけない職業です。彼らは、最初から独裁政権を狙っています。税金だけ取って後返さないのが、彼らの狙いです。O市民の事はO市民で守っていかなければならないのです。彼らに取られては、ならないのです。❕❕おいしい話には気を付けろ❕❕これが私からのメッセージなのです。
久郷克己、拝、
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20191019
雑記(ウーパールーパー等、家の話)。
ジョゼ太郎。42日経過して9.5cm。ほとんど泳がなくなった。立派なフサフサにするために換水頻度を上げている。そろそろ隔離ケースが狭くなってきた。
来た時は4.5cmだったので5cmでかくなった。
ヒドジョウ。名前はみかん。
パキポディウムのエブレネウムは子葉、第一葉と展開して第二葉が生え始めた。最初に播いて残った一粒種は2ヶ月経っても本葉が生えずこの後腐ってしまった。追加で播いたドイツ種子は32粒中26粒発芽。輸入種子は敬遠すべきという情報ばかりだったが、道を知っていることと実際に歩くことは違う、とモーフィアスがネオに言った通りでありました。
新袖。継ぎの台木用に買ったけど色々教えてもらった結果柱サボテンに興味が湧き正木で育てることにした。袖ヶ浦という継ぎ木用のサボテンは広く愛好されているにも関わらず原種が謎なのだという。棘の形がデフォルメされているみたいで面白いと思う。
サボテンの芽の横にきのこ生えてた。
狼関連の本を読む。民俗学、信仰、オカルト、生物学など色んな角度から眺める。軸が一つ決まると体系的に読めるので良い。オセロの角取った感じ。
台北ストーリー、ゼログラビティをツタヤで借りて見た。
https://www.youtube.com/watch?v=IX0vZK_l7tU
台北ストーリーはこの↑Vansireの曲の動画を見て気になって見たのだが、80年代や90年代のイメージと違って昭和30〜40年代の日本みたいな暗さだった。
最近祝詞を一文暗記したが、詩吟みたいに節をそれっぽく付けて読むのは面白いのだが漢文調の方が快感があって、蛇腹の経典を買って開経偈から懺悔文と一から暗記し始めた。一応以前覚えた般若心経の倍の観音経を暗記する予定であります。何の為に?と自分でも思うのだがよくわからない。
アイデンティティが一度崩れてから新しく身に付けたものは血肉化し始めたとしても異物感をどっかに残していてそれを意識しているのが変な感じで面白い。
祝詞を完全に暗記完了した日がたまたま台風直撃の日���シンクロして神妙な気分で過ごした。以前登った甲武信ヶ岳は荒川、千曲川(信濃川)、笛吹川(釜無川と合流し富士川)の源流となっており奥秩父に振り注いだ雨が今回の台風で多くの被害をもたらした。こないだ書いた二瀬ダムの放水や昔住んでた下宿のすぐ横にあった日野橋が陥没したニュースを見て気持ちがざわざわした。
話は変わって、身内の話。
死んだ母方の婆さんは、平家の隠れ里というようなどこの土地にもあるどちらかというと少々バイアスのかかった目で見られる土地(当時)の出自なのだが、最近その本家の母の従兄弟が家系図を辿って岐阜の土岐市まで行って親戚に話を聞いたら、「妻木」という明智光秀の正室(細川ガラシャの母)の家筋だったことがわかったという。明治期に山梨に移住し堀内姓に改名したらしいのだが貧しい土地に他所から来て「堀の内」と元来の出自を誇示したかったのかもしれない。夭逝した曾祖父が近衛兵だったという話は案外大法螺でも無いのかも知れないが母親が毎回親戚に聞き忘れてしまう。そういやこち亀の初代担当編集で集英社の社長の堀内丸恵はこの地域出身だと新聞で見た。
爺さんは庄屋筋の家で結婚する時に婆さんの出自が貧乏だからとひい爺さんだかが軍刀持って追っかけるぐらいの大反対にあい駆け落ちして四国で反物の行商していたらしい。(婆さんの姉たちが織った絹織物を内緒で送りそれを売って歩いたという。)婆さんは織物や料理のセンス、商才はあったが因業の人で(湯婆婆をイメージして欲しい。)一代で旅館を大繁盛させ「〜のイメルダ夫人」などと嘲りと畏怖を込めて呼ばれたが、結局一代で取り潰してしまった。
母親は婆さんから政略結婚のように勝手に嫁ぎ先を決められていたため大学を辞め京都でヒッピーまがいの生活をしていたがロック喫茶で働いていた親父と出会ったという。
因果は巡るもので自分の両親が結婚する際、婆さんは京都から来たどこの馬の骨ともわからん私の父との結婚をかつて自らがされたように大反対したが、父親の家筋がどうやら良いことを知りくるりと手のひらを返したらしい。
父方は島根の戦国大名尼子氏に仕えた宇山久兼という家老職の人物が先祖で、その久兼は尼子家存亡をかけた毛利元就との篭城戦と��った月山富田城の戦いで兵糧攻めに遭い主君尼子義久を励まし私財を投げ打ち尽力したにもかかわらず味方の讒言に依り謀反の疑いを掛けられて誅殺された悲運の武将と云われる。この城内の混乱によって尼子側は総崩れになり結果尼子氏は滅亡した。これを知ってから八つ墓村に出てくる尼子の八人の落ち武者の無念も祟りももはや他人事とは思えない。
祖父は元は宇山姓で祖母の鳥取の湯淺家に婿入りするが祖母も元は島根の多胡家から親戚筋の湯淺家に養女に貰われているので少し込み入っている。多胡という家も尼子に関係しているらしい。
直接の血のつながりはないものの湯淺の曾祖父の亀二郎は大戦前に華道の師範としてシアトルに移住したが嫁さんが同判を拒否したためお妾さんを連れていったらしい。その後日系人強制収容所で病死して荷物だけ帰ってきたという。
ずっと父方は鳥取の米子がルーツだと思っていたが出雲だと分かった時、自分にまとわりつく死の影や陰の気は、出雲という幽 (かくり)の土地由来のものだと妙に納得した。
聞いたことを思い出しながらだらだら書いてたらしょぼいファミリーヒストリーみたいな日記になったが、親戚が家柄を今頃知って大見得を切り出すのも、私がこんなとこにわざわざこれ見よがしに書くのも傍流もいいとこの所業だろうとは思う。既にもう母親は日本三代美女の血が入っているだのとやけに誇らしげにしている。
親世代がいつかいなくなったら、かろうじて知っているのは私だけという状況がやってくるのを非常に心細く感じる。だからこうして記すのかもしれない。
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旅行記
写真めっちゃ多いのと一言シリーズです。言っておきますけどクソ長いですからね。今年のGW後半は法事で母と地元に帰還しました。実親は私の生まれ故郷を離れているためにもはや帰る家は無く、ほぼ旅行みたいなものなんですけど。
往路での初飯は空港のおにぎり屋さんみたいなとこでした。カフェインがダメな体質なので売店のお茶で唯一ノンカフェインのとうきび茶をセレクト。赤飯は結構好きです。
名も知らぬ飛行機を乗り合わせた方々。飛行機降りてからの長い通路、好きです。
モノレールか新幹線か、どっちかです。カーテンあるので多分後者。
10年とは行かないまでも7〜8年振りくらい。改装後は初なので懐かしいけど思い出よりも綺麗になってて笑いました。
初日の宿は、
ドーミーイン!人生初でしたが快適すぎて最高でした。一生住める。ゾンビ溢れる世紀末になったらドーミーインか映画館に避難したいです。
この向かいの建物なっっつ!ってなりました。入口地下のライブハウスとか1Fスタバとか、高校時代にお年玉持ってここでカバン買ったりとかしました。Tommy Hilfigerのボストンとか()エモくて死にました。
昔はここの通りにセブンなんてなかったと思うんですけどね。あと右側に大きい黒人の人が通行人に声かけてブランド品をぼったくり価格で売ってる店みたいなのがあったんですがここではなかったかもです。
単焦点での駅前。
広角での駅前。クソ田舎のくせに一丁前に流行りの格好した若者が沢山いてネットの普及と時代の流れを感じましたが歩き方やら声のボリュームやらのイキリ方があまりにも青臭くて「これぞ長野県民のクオリティだ」と実感すると同時に長野の嫌なところを再認識させられました。こんなとこに住んでたまるかって感じです。
この世で美味いビールのTOP3に入る志賀高原ビール。
美味い酒とでかいステーキにご機嫌になります。480gとかだった気がしますがこれ以上でかいサイズがなかったので致し方なく。1kgくらいは余裕です。
肉肉しくってよ〜。
食後は観光がてらライトアップしてる善光寺へ。
さっきの棒みたいなのが貴重?だとかなんだとか。触れるようなので触っておきました。行列できててウケました。
お戒壇めぐりってのを小学生の時にやりましたね。何も見えない真っ暗な中で前歩く人の肩に手を置いて進み奥にある鐘みたいなの鳴らすんですよね。
ここぞとばかりにいろんな写真を撮ります。
Youtubeライブ配信は善光寺にまで。ケーブルテレビという呼称がエモ。
牛に引かれて何とやらの牛くんじゃないか!かぁいいねぇ。
仲見世通の赤ライト。
善光寺仕様のスタバ。他店よりほうじ茶系が美味そうという偏見。
目が逝ってる鳥。
風神だったべか。
じゃあこっちが雷神だべな。
この地域では有名な式場です。従兄弟の結婚式で来たことがあります。
チン......ライポくんね。
この水溜まってるやつ、よく分からないけど長野って感じ。
懐かしさ。
なんかカフェと併設した絵画の展示場だったかの入口。怖い。
ぞうのぞう。
門前町なのでこんな不思議な駐車ができるのです。長野って感じ。
食べたことは無いです。美味しそう。
知らないキャラです。
アッ!八十二銀行!八十二銀行じゃないか!元気だったか?お前の名前を見たり聞いたりすると長野って感じがして、すごく懐かしいよ。
これ好きな写真です。通りに花を飾るイベントみたいなのの前日だかだったのでお花がいっぱいありました。綺麗でした。ロマンチック。
Hana.
flower.
furawa-.
これも好きな写真です。
PCR検査場あって何だか笑いました。何でだろう。
旅行2日目の朝食バイキング。野沢菜おやきが懐かしすぎて良かったです。前夜の夜鳴きそばは写真撮ってないです。
朝食もそこそこに法事のためながでんへ。出発数十分前に早々に乗り込んだのでだーれもいやしません。
別に乗り物は好きでは無いのですが折角カメラあるし他に人いなかったのでチャンスとばかりに撮影。多くの人が利用するはずの場所に全く人がいないというシチュエーションは大好きです。
無人。
で、コレですよ!電車の開閉ボタン、懐かしすぎ。今の職場に新潟出身の人が居たんですけど(過去形)このボタンの話できてちょっと盛り上がりました。
ホーム。
ホーム逆サイド。これだけだと夜の外ホームに見えますね。
電車。人居たらこんなの撮ってません。興味もないですし。
法事終わり。寺の写真を勝手に撮るのは勿論よくないんですけど、ここ父の実家なもんで。親族ですから。
これ書いてる時に気づいたんですけど善光寺の水溜まってるやつは、これを想起させるから懐かしかったんですね。お墓参りの水汲むとこです。
新緑、って感じですね。よく晴れている。
上の従兄弟。野球選手のマエケンをもっと強面にした感じの副住職。子供は下の従兄弟の息子なので叔父と甥ですね。
除夜の鐘でついたことがあります。
父と息子の履き物。いい写真。
本堂への通り道。関係者しか入れない場所です。
「三つ葉葵」があるんですよ。
玄関の喫煙スペース。従兄弟がここでタバコを吸います。俗物。一緒にアメスピを吸った思い出が甦ります。
法事終了。2日目の宿はかつて高3の卒業までの半年を過ごし、以降は帰省先となった村へ。移動手段が母の職場の後輩であり、自分の高校の2個上の先輩であると判明した方に送ってもらいました。懐かしい道のドライブでした。
夕景ってなんでこんなに美しんでしょうかね。
これ美味いんですよ。
夕飯。旅館・民宿って感じでいいです。白米は美味いわ山菜は美味いわで良かったです。それ以外は普通。
温泉。誰も居ませんから...。
ここの温泉まんじゅう、死ぬほど美味いんですよ。村内にいっぱいまんじゅう売ってるんですけど自分はここが一番好きですね。
エモすぎる!ヤマザキショップ!村内唯一のコンビニですけど普通に閉まるんですよね。2016年頃に一時帰省してた時はここでモンスターとかおやつとか買ったな〜。タバコも買ったっけか。
かつての冬季五輪のキャラらしいですよ。
お気に入りショット。
3日目朝。
これはガチ近所。
山々。
綺麗な景色です。田舎は嫌いですがこういうの見ながら育ったのは良かったですよ。四方を見回せば山に囲まれてるの、安心します。
この朝の景色撮るために前日夜に確認したバス乗り場をあえてスルーして次の知ってる乗り場に行ったんですけどそのバス停が無くなってて「戻るほどの時間はないけど乗り遅れたら新幹線も乗れなくなる!」ってなってクソ焦りました。結局早足で先に進んでさらに次のバス停に到着できました。
駅前。学生時代の寂れた駅舎の面影はありません。時代は変わりますね。生きてる間にあと何回ここに来ることができるでしょうか。特段用事もないというのに。
ハイ!東京���渋谷からバスに乗りました。今回のお目当てのSleek Eliteさんに向かってます。ハードケースは往路の時に東京駅に預けてました。GWでクソ並んでる中で颯爽と荷物を預けてギターを回収した時の、行列からの視線と地震の中に湧き上がる爽快感といったら。エクボクロークいいですよ。
Sleek Eliteでの用事は10分も経たずすぐ終わってしまいました。中心部に戻るためにバスで、人生初の阿佐ヶ谷に着弾。スタバは写真撮るだけで寄ってはないです。今回の旅はスタバに縁があったな。
本日の宿は東京駅近くです。
僕はドーミーインのが好きでしたが、後で聞いたら同行した母はこっちが良かったとのことでした。
夕景。今回はずっと晴れててくれました。なんだったらこの日は25°とかまであったので暑かったです。スキューバ素材の黒の長袖なんか着ちゃってました。
本当は夜に長年会ってない友達と会う予定でしたがお仕事の都合で急遽キャンセルに。予定もアテもないままご飯を求めて外に出ました。
設定変えて同じ景色を撮影。大人になってから紫好きです。
何でこのタイミングで撮ったのかは分からない。
東京にはたっかいビルがいっぺあんな。
憧れ?の丸の内OLの波動を感じる......。
散歩中に見つけた路地。誰も居なくて最高でした。都会の路地って感じの路地っていいですよね。龍が如くとかでもそういう道好きでした。大阪だけど。
駅前の繁華街まで来てしまいました。ちょっとエッチなお店があって怖い人に声かけられないかとかドキドキしました。
高架下。
いっぱいご飯の店あったんですけどあまり惹かれず全スルーして散歩継続。路地があれば入っていくぅ!
移動しまくって室町テラスへ。ここ相棒16のロケ地かと思って写真撮ったんですけど東京スクエアガーデンてとこだったので勘違いでした。
彷徨った結果巡り合ったのはミニストップでした。人生初で興奮しました。いい散歩になったと思います。
マンゴーとバニラだったかな。東南アジア系の外国人さんがワンオペ店員で日本人の田舎者の自分にソフトクリームを作ってくれるという構��にTOKYOを感じました。
旅も終わります。13階の景色いいです。バカなので高いとこ好きです。
最終日の朝食は早めに空港へ行きブランチをば。
ホットケーキって言え!
そこそこおしゃれな店でしたが忙しそうな店員さんに「メープル追加でかけられませんか?」と尋ねてしまう愚かな私をどうかお許しください。ドバドバかけて最後は皿に残ったのを飲みたいくらいメープルシロップ好きなんですよ。ちなみにダメでしたね。
そんな旅でした。
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イコロの森&LOPPIS2022-SUMMER-「小樽百貨UNGA↑(うんがぷらす)」さん
前回に引き続き、ドライブミュージックの話題です。 安室奈美恵さん以外に、ここ数年、日本民謡を聞くようになりました。 一車線が長すぎる道東道をドライブ中、三橋美智也先生の「じょんがら節」に、ハンドルを握りながら大興奮したわたしです。 北海道の民謡は青森から北上したものとばかり思っていましたが、よく知られている「江差追分」はなんと、長野県からやってきたというのが定説となっているそうです。 そしてそのきっかけとなったのが北前��だと言われています。 信州浅間三宿(追分、沓掛、軽井沢)のひとつ、追分宿で旅人相手に唄われていたお座敷唄が、北前船と共に北上し、ついには江差町までやってきたというではありませんか! なんの話だ!と、ご指摘をいただく前に、参加店さん紹介です。 小樽から初参加の「小樽百貨UNGA↑(うんがぷらす)」さん。 書きたかった前置きに無理やり繋げてみました。 それではさっそくご覧ください。
ーどんなお店か、ご紹介お願いします。 「小樽を、贈る」をテーマに、小樽の歴史や文化をのせたオリジナル商品や北前船の寄港地の良品をお取扱いしております。 北前船寄港地の良品について、クラフトは久留米絣の小物や、和ろうそく、お洋服や器etc…食品は地域の美味しい調味料や珍味、ジャムやお茶etc… などなど、季節によって様々なものを取り扱っております。
ー今回のLOPPISにはどのような作品が並びますか。
小樽madeのお菓子や珍味、缶詰のほか、新作の小樽硝子の風鈴やグラスもお持ちいたします。
ー短い北海道の夏、どのように楽しんでいますか。
夏になったら石狩のライジングサン! コロナで2年行けてないですが、今年は行けたらいいなぁ~と思っています。
ー���イジングサン、わたしも大好きなイベントです。 山下達郎さんの「さよなら夏の日」では涙しました。 さて! 「インテリアとカフェの週末マーケット「LOPPIS」にちなんで質問です。 ご自身が憧れている、または好きでたまらないお店を教えてください。
小樽に越してきて古い喫茶店が好きになりました。 花園のコロンビアによく行きます。
ー小樽には外見から素敵な喫茶店がたくさんあってうらやましいです。 歴史を感じる建物でいただくコーヒーは格別ですね。 それでは最後に、LOPPISのお客さまへメッセージをお願いします。
小樽から、初めて参加させていただきます。ロッピスで皆さんにお会いできるのが楽しみです!
様々な文化をもたらした北前船ゆかりの品や、小樽独自の名産品がずらりと並ぶ展示台は、621さんによるものだそうです。 インテリアデザインを担当されたのはいつもお世話になっているmangekyoさん。レジカウンターに張り合わされた、小樽軟石の美しさは必見です。 この夏はぜひ小樽へ。
小樽百貨UNGA↑(うんがぷらす) https://unga-plus.com/
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afrontier 15th Anniversary
モーション・ブルー・ヨコハマ発のジャズイベント「アフロンティア」による15周年記念のスペシャルライブ&DJイベント!アフロンティアに縁ある新旧選りすぐりの精鋭バンド、DJが一同に集結する。今回、モーション・ブルーはもちろん、隣接するTUNE、バルコニーも会場として開放。準スタンディング・スタイルで、店内を自由に行き来しながら、極上の音楽をたっぷりと楽しむことができる、開放的でラグジュアリーな空間をご用意。秋の夜長に、赤レンガ倉庫で繰り広げられる「音楽好きな大人のためのパーティー」を心ゆくまで堪能してほしい。 【Live @Motion Blue yokohama】 [Fontana Folle] Alvin(vo)、Ryuji Iida(g)、Yuki Lee(b) Guest:佐々木大輔(tp,fl)、會川直樹(ds)、山野友佳子(p,key) [河野祐亮ピアノトリオ] 河野祐亮(p)、座小田諒一(b)、木下晋之介(ds) [細川玄 Jazz Quintet] 細川玄(tp)、早坂勇真(tb)、堀越昭宏(p)、清水玲(b)、村上広樹(ds) Guest:中村智由[native](sax) 【DJ @Motion Blue yokohama】 TOJO[afrontier]、Jun Morita[afrontier]、大塚広子[key of life+] 【Live @TUNE】 [山内洋介(13souls)&Outrage Soul Band] 山内洋介(g)、土本浩司(b)、中村新史(key)、橋本現輝(ds) 【DJ @TUNE】 Takeshita[afrontier]、木村勝好[in the mix, POSSIBILITY]、 kiki[Mucho Mucho Mambo!] 【VJ】 Tasuke 【Organizer】 isao osada 開催日時:2018年9月30日(日) 開催時間:4:00p.m~9:30p.m Special Live Set at Motion Blue yokohama [5:00pm / [Fontana Folle] [6:35pm / [河野祐亮ピアノトリオ] [8:10pm / [細川玄 Jazz Quintet] Special Live Set at TUNE [5:55pm / 7:30pm [山内洋介(13souls)&Outrage Soul Band] ミュージックチャージ:¥4,500(税込) ※別途2ドリンクチケット(¥1,000)をご購入いただきます。 開催場所:Motion Blue yokohama 231-0001 神奈川県横浜市中区新港1丁目1-2 横浜赤レンガ倉庫2号館3F 045-226-1919 http://www.motionblue.co.jp/ 予約受付先:モーション・ブルー・ヨコハマ 電話予約 (045-226-1919) ※11:00a.m.~9:00p.m. WEB予約(http://www.motionblue.co.jp/)※公演当日の14:00まで ※スタンディング形式の公演となります。(一部を除く) ※ミュージック・チャージ(エントランス・フィー)はインターネット予約のお客様以外は 店頭で受付時にお支払いいただきます。(クレジットカード利用可) ※ご入場時にドリンクチケット(¥1,000/2枚)を別途ご購入いただきます。(現金のみ) ※インターネット予約の際には無料のアカウント登録が必要になります。 登録がお済みでない方は、「マイページ」より事前にご登録いただくことをおすすめいたします。 ※なお、ウェブサイトからのご予約の際はクレジットカードが必要となります。 ご利用可能なクレジットカード⇒VISA、MASTER、JCB、AMEX、DINERS ※小学生以上18歳未満の方は、保護者同伴の上22時までご入場頂けます(条例による)。 ※制服、ユニフォーム等でのご入店はお断りしておりますので、あらかじめご了承下さい。なお、未就学児、乳幼児のご入店は堅くお断り申し上げます。 公演のご予約はMotion Blue yokohama公式サイトから http://www.motionblue.co.jp/artists/afrontier/ afrontier公式サイト https://afrontier.com/news
出演者紹介 (LIVE)
Fontana Folle (フォンタナフォッレ) ミステリアスな多国籍メンバーが紡ぐ、躍動する新世代のボーカルジャズ。ニコラ・コンテ、ジャザノバ、ジャミロクワイが溶け込んだような新サウンドがここに誕生。 2016年結成。日本、アメリカ、ブラジル、イタリア、東南アジアで音楽を吸収してきた多様なバックグラウンドならではの新たなボーカルジャズ像を提示するトリオ。ジャズ、ラテン、R&Bを飲み込んだ豊かなサウンドの中でSadeやGeorge Michaelを彷彿とさせるセクシーで中性的なボーカルが音楽を彩る。 2017年4月に1st EP "PRIMA"を全国リリース。結成1年にして渋谷最大のジャズクラブJZ Bratへの二度の出演、Blue Noteグループの名門Motion Blue Yokohamaへの初出演も果たす。 2018年はMotion Blue Jakartaでの公演を中心にしたジャカルタツアーを敢行し、日本とアジア、アジアと世界を音楽で繋ぐバンドとしての大きな一歩を踏み出している。 Fontana Folle 公式サイト http://fontanafolle.strikingly.com/
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山野 友佳子 -Yukako Yamano- <Fontana Folle's guest> 3歳からヤマハ音楽教室でピアノを習い始める。東京音楽大学付属高等学校~同大学へ進学し本格的に音楽を学び始める。18歳からジャズを習い、演奏活動を開始。その後、自身のオリジナル楽曲の演奏活動も開始。ジャズピアノを清水 絵理子氏に、クラシックを小高 明子氏、稲田 潤子氏に師事。また、学内にてペーテル・ヤブロンスキー氏の公開レッスンを受講。2015年6月にオリジナル曲を収録した2ndアルバム、『2nd Stage』納 浩一(ba)藤井 学(ds)をリリース、完売。2015年9月~2016年4月、『読売プレミアム』よりコラムを連載。現在多くのライブハウスやフェスティバルに出演、アジア��国・ヨーロッパ・アメリカでの海外公演や海外のアーティストと共演するなど、幅広い地域とジャンルで活動を展開している。その他、KORG Cafe Style認定講師、リー・エバンス協会研究員、"Vocal School DADA"ピアノ講師。 山野 友佳子 公式サイト http://yukakoyamano.com/
河野祐亮 ピアノトリオ Yusuke Kono Piano Trio GospelやHiphopのサウンドが香る”NY JAZZ”スタイルのピアノトリオバンド。 リーダーの河野祐亮は2011年にNYへ渡り、名門The New School Jazz And Contemporary Musicにスカラシップ合格し入学する。2014年秋��帰国し『河野祐亮ピアノトリオ』を結成。2015年にSAPPORO CITY JAZZのコンペティションでグランプリを獲得。名実ともに日本一のジャズバンドに輝く。 2016年7月から初の海外ツアーであるヨーロッパツアーを行い、世界三大ジャズフェスティバルの1つ『ウィーンジャズフェスティバル』(オーストリア)、ヨーロッパを代表するクラブ『ロニースコッツ』(イギリス)へ出演し喝采を浴びた。そして2017年にはメンバー3人で渡米し、本場NYのジャズシーンでいま大活躍するサックスプレイヤーWalter Smith Ⅲと、ビブラフォニストWarren Wolfをゲストミュージシャンに迎えブルックリンの「The Bunker」スタジオでレコーディングを行う。一流のプレイと河野のオリジナル楽曲の魅力が合わさった、珠玉のニューアルバム『Be with us』が8月30日に発売。 また、このアルバムのためにクラウドファンディングを企画。目標金額であった100万円をわずか2週間で達成し、まさにファンと力を合わせて完成させた1枚である。ディスクユニオンをはじめとする全国CDショップにて発売され、TowerRecords 都内店舗では初回入荷分がすべて完売、Amazon でも JAZZ 部門第 5 位(2017 年 9 月 3 日時点)という快挙を成し遂げた。また、このCDのリリース記念として行われた 2017年11月23 日の東京・渋谷「JZ Brat」でのライブでは、1st・2nd それぞれ定員 100 名の入れ替え制にもかかわらず、チケット完売・キャンセル待ちも発生。一夜にして200名の動員を達成する大盛況のライブとなった。 河野祐亮 公式サイト https://yusukekono.com/
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細川 玄 (GEN HOSOKAWA) ジャズトランペット奏者、作編曲家として25年以上プロとして活動中。 『細川玄ジャズクインテット』を率いてブルーノート系列のジャズクラブ、モーションブルーヨコハマには15年以上継続出演中。他全国で演奏を展開している。代表作CDソロアルバム『Motion for jazz Frontier』(Impartment Inc.)はジャズ系DJをはじめ、各方面から絶大な支持を獲得した。現在もロングセラーとなっている。これまでに30タイトル以上のCD作品にトランペット演奏また作曲アレンジなどを提供。TVCMなどのBGM作曲作品提供オンエア実績も多数。商業音楽での楽曲制作曲数は延べ70,000曲に及ぶ。 2018年より自身がプロデュースするミュージックスクール『セプテンバーミュージックスクール』を主宰。25年に渡るアーティスト活動、商業音楽活動を経て後進にリアルな情報と、音楽で生きてゆくためのリアルな必要スキルを伝授している。プロも学びに来る本格的な完全個人レッスン音楽教室をスタートさせ人気を博している。 個人レッスンの他にも荒川区が運営しているジャズビックバンドの指導、コンダクターなども務めている。地域コミュニティーへの音楽活動への推進やアマチュア音楽活動の普及に尽力している。荒川区の歌『あらかわ~そして未来へ』のジャズビッグバンドアレンジも手掛けた。現在バンドテーマ曲として演奏され、地元の方々から愛されている。 演奏家としては正統派ジャズミュージシャンとして定評があり、作曲家としては類稀なるメロディーメーカーとして各方面から高評価を獲得し現在に至る。 細川玄 公式サイト http://genn.la.coocan.jp/
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中村 智由 (native) 大学卒業後よりプロのサックス奏者として演奏活動を開始。ダンスホールやジャズクラブでの活動を経て、1999年に自身がリーダーのジャズバンド"native"を結成。nativeでは、ドイツ、中国など海外での公演、サマーソニックへの出演、海外レーベル含む10枚のアルバムをリリースし、大手CDショップのセールスランキングにチャートインするなど2000年代のクラブ/ジャズシーンを牽引する。演奏活動と並行しサウンドプロデュースも行っており多数のカバーアルバムを制作。生音中心の都会的でクールな表現を得意としている。 native 公式サイト http://www.cnative.com/
山内洋介(13souls) 鳥のさえずりの如く歌うことを信条とし、海とサーフィンを愛する 湘南生まれのギタリスト山内洋介。 2009.08にデビュー作「Six strings with love」7インチをリリース。全国のDJの耳に響き、無名のアーティストにもかかわらず、スマッシュヒッツ。これを受け、60’sの黒人ミュージシャンのセッッションをイメージした二枚目の7インチをリリース。DJ MURO mix CD「MIX SHOW NIGHT CHANNEL issue 02」に収録され即完売。一気に話題のアーティストへ。 2011.7.06 1st Album「BRAND NEW OCEANS」をリリース。インディーズインストとしては異例の大ヒットを記録。7.20 Motion Blue yokohamaにて、『BRAND NEW OCEANS』のワンマン、リリースパーティが開催。当日は入場制限、1st setから立ち見が出るほどの動員数で、多くの観客を魅了した。同アルバムは2013渋谷TSUTAYAバイヤーが選ぶ今年のベストディスクに選ばれる。 2012.07 2nd album 『GOOD TIMES (I SAY) 』が発売。全国のタワーレコードを中心に、大展開。大きな反響を得る。後に2017年、ギターマガジン3月号、国内JAZZ FUNKのギタリストとして本誌を飾り、主催ライヴを大いに沸かせた。 2017 13souls 3rd album 『Rough&Beautiful』をクラウドファンディングにより制作。山内洋介の呼びかけにより、多くの人々の資金援助を得て、大反響を得る。同年、ギターマガジン12ヶ月号にてギタリスト 山内洋介がピックアップ、特集される。人気アパレルブランド、JOURNAL STANDARDとDeliciousのコラボ企画に楽曲提供。 正に13souls山内洋介の存在そのものが現代のレアグルーヴと言えよう。今、最も注目すべきアーティストの一人である事に間違いはない。 山内洋介 Facebookページ https://www.facebook.com/13souls-816172288405353/
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出演者紹介 (DJ, VJ, Organizer)
TOJO (afrontier) 90年代前半にDJとしてのキャリアをスタート。都内クラブ、カフェやライブハウスなどで活動後、2003年、トランペッターでありオーガナイザーでもあるオサダイサオ氏に見出され、Motion Blue yokohamaを拠点としたクラブジャズイベント『afrontier』に、JUN MORITA、Takeshitaと共に参加。『afrontier』のレジデントDJとして、国内外のアーティストと多数共演。Blue Note TOKYO関連イベント、来日アーティストのフロントアクトや数々のリリースパーティーに抜擢される。その他サルサやUKジャズダンス等のダンスイベントから、カフェやレストラン、ホテルのラウンジイベントまで、活動の場は多岐にわたる。また、ジャズミュージシャンやダンサーを相手にその場で選曲をするなど、セッションの経験もあり、アーティスト側からの信頼も厚い。近年はバレアリック・シーンとの交流もあり、シーンを代表する来日アーティストのサポートDJとして出演もしている。リイシュー・シリーズ【EXTRAVAGANZA!】から2016年5月にリリースされた『Randy Weston’s African Rythms / Niles Littlebig』のライナーノーツを担当。ジャズやエキゾチックな音を基調に、時空間を横断するクロスオーバーなDJスタイル。ドラマティックでストーリー性のある選曲を得意とする。 http://tojoafrontier.jugem.jp/
森田潤 (afrontier) DJ、モジュラー・シンセ奏者。ソロ・アルバムLʼARTE DEI RUMORI DI MORTE (SPF-004)ɸonon 2018年発売。ワールド・ミュージック、ジャズ、エレクトリック・サウンドなどに幅広くコミットし、クラブやホテルでプレイするほか海外にも遠征。クラブ・ジャズ系”afrontier”、ワールド・ミュージック系”Séduction Tropicale”、エクスペリメンタル系"WHOLE LOTTA SHAKIN’ GOIN’ ON”、ハウス系”Perfect Love Affair”等、多くのイベントにレギュラー参加。blackmadras名義で楽曲製作��行い、OMAGATOKIやVillage Musicからリミックス作品も発表。バンド形態のOmega f2;kは13年にポニーキャニオンよりデビュー曲をドロップ。DVD作品"THE DECLINE OF THE ORGY”を発表。また、レア・ヴァイナル復刻のマスタリング・エンジニアとしても評価され、ホセー・アントニオ・メンデス等の再発盤がベスト・セラーになっている。2018年には芥正彦企画/演出によるノイズ・オペラ「カスパー」に参加。
大塚広子 (DJ/音楽ライター/プロデューサー) ジャズをメインにDJ歴20年。アナログレコードにこだわった1960代以降のブラックミュージックの音源発掘から、現代ジャズ、クラブミュージックまで繋ぎ、ワン&オンリーな“JAZZのGROOVE”を呼び起こすDJ。徹底したレコードの音源追求と、繊細かつ大胆なプレイで全国的な現場の支持を得て、ニューヨーク、スペインの招聘、東京JAZZ、2度のFUJI ROCK FESTIVAL、Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN等出演。クラブシーンのみならず老舗ジャズ喫茶やジャズライヴハウスで、評論家やミュージシャンとのコラボレーションを積極的に行い、柔軟なセンスで音楽の楽しみ方を提示している。DJ活動の他、メディアでの執筆、選曲監修、伊勢丹新宿店をはじめ企業の音楽イベントプロデュース、自身のレーベルKey of LIfe+を主宰。現在生まれる音楽を審美眼を活かした切り口でまとめあげたコンピレーション(PIECE THE NEXTシリーズ)や、気鋭ミュージシャンを束ねたプロデュース・ユニット(RM jazz legacy)のディレクション、リリース活動なども行う。DeAGOSTINIジャズレコードコレクション(2016年創刊号及び、書店PR文)、朝日新聞(2017年7月「ジャズと私」コーナー)、読売新聞(2018年2月「くらし家庭記事」)などに掲載、執筆。ジャズ及び、アナログ・レコード普及におけるオピニオンリーダーとしても活躍。 http://djotsuka.com/
Takeshita (afrontier) 90年代後半から青山BLUEなどの都内クラブやカフェ・レストランetcを中心にイベント企画及びDJ活動に精力的に取り組み、2003年からはMotion Blue yokohamaにてジャズイベント『afrontier』のレジデントDJとして参加、活動範囲を全国区へと広げた。ラテンを中心とした新旧ワールドミュージックからジャズ、現行のダンスミュージックを現場によって使い分けている。Eddie Palmieri, Larry Harlow, Jorge Benjour, Joyceの来日公演サポートをはじめ、国内外のミュージシャン/DJとの共演歴も多く、第一ホテル東京ラウンジなど商業施設のBGM選曲なども手掛けてきた。 https://afrontier.com/
木村勝好 '90年代の終盤にキャリアをスタート。現在、青山ZERO、渋谷FAMILYといった都内のクラブフロアでプレイする他、ジャズクラブやホテルのラウンジ、レストランなど、あらゆる場所、シチュエーションに良質の音楽を届け、響かせている。ダンスミュージックの分野では、ASHREY BEEDLE、DJ KRUSH、菊地成孔他、国内外の名だたるDJやアーティストを、自身がレギュラーを務めるパーティー『in the mix』に招聘。そこでのフロントアクト・共演を経て吸収した幅広い感性は、まさに自らが提唱する「FREE FORM HOUSE MUSIC」そのものといえ、現在も変化を続けている。そのジャンルを横断しつつまとめあげる起伏と情感に富んだプレイスタイルを、是非とも体感してほしい。 http://mixcloud.com/masayoshikimura/
Kiki (Mucho Mucho Mambo!) サルサバンドに明け暮れた大学時代から、無類のラテンクラシックス好き。60-70年代のグルーヴィなラテンをベースに、現在進行形のサルサまで、ラテンの様々な味わいを表現すべく、音源捕獲&模索の日々を送る。都内及び横浜、大阪のクラブ、バー、ラウンジで活動中。ラテンを愛するすべてのダンサーに贈るパーティ「Mucho Mucho Mambo!」レジデントDJ。
TASUKE 1974年生まれ。ディレクター・アートディレクター。 主に映画・テレビ番組のオープニングタイトル映像のディレクションをメインワークとする。VJとしては2000年から、VJユニットNitro Movieのメンバーとして、キャリアをスタートする。2002年からtasuke名義で南青山のloopで行われていた「VORTECHS」のレギュラーVJをはじめ、代官山UNIT・Motion Blue Yokohaha・ageHaでプレイ、国内外の様々なアーティストと共演。2007年にはドイツのカッセルでDJピエールがオーガナイズするイベント、Tokyo NightにゲストVJとして出演。現在は2002年からオサダイサオがオーガナイズするジャズイベント、afrontierでレギュラーVJとして第1回から出演している。
isao osada (trumpet, producer) 80年代初頭からプロのトランペッター��して音楽活動を始める。93年にCLUB JAZZ UNIT『O.M.U』のファーストアルバムをリリース、欧州14ヶ国を始め米国にて発売される。以降インターナショナルジャズフェスティバルへの出演、ヨーロッパライブツアーを行う傍ら、ミスターチルドレンのツアーサポート、数多くのレコーディングにソロプレイヤーとしても作品を残すなど、ジャンルにとらわれることなく精力的に活動。2002年からは自身のバンド演奏を行っていた横浜赤レンガ倉庫のジャズクラブ「Motion Blue yokohama」にて『afrontier』のイべント・オーガナイザーとしても活動。2008年には同イベントのコンピレーションCD『isao osada presents "afrontier" 12 colours to 7 seas』をリリース。近年はホテルを全館使用した新たなイベントスタイルをプロデュースする等活動の幅を広げている。 公式サイト http://www.isaoosada.com/
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2022年2月の夢
2022年2月28日 月曜日 6:26 夢 忘れた。
- 2022年2月27日 日曜日 8:43 夢 何らかの運搬される乗り物のところに行くのだが、実際乗るには専用のジョイントがついた座席みたいなものを持参しなければならないらしい。すごい途中のところにいる。 何かをレンジにかける。 遠くからガーディアンに見つかった時のBGMが聞こえてきて、誰かがゲームをしていることがわかる。家電量販店のモニターがあるところみたいな雰囲気。実況者志望向けの抱き合わせの商品が法外な価格で売られているが、オンライン上では品切れで、驚く。大量の食材が置いてある。時間ばかりが経つ。かなり経ってから、仕方なしに何かおかずを作成することに協力しようという気分になり、着手する。明日お弁当の人がいるはずだから…。横に長いシステムキッチン×3くらいの広さ、二口コンロが3台くらいあり、人も多い。春雨を茹でて青いソースと和えた料理や、なぜか5パックほどもあったもやしを茹でてどうにかしようとしたものを同時並行で作る。黄色い鍋を五徳に置いたまま火をつけようとすると、そういうのに厳しい人、茶色い和服姿の同年代くらいの男性が火をつける際には鍋を置かない状態で火がつくのをしっかり見届けてからにしろと行動で示してくる。
- 2022年2月26日 土曜日 8:51 夢 オレンジ色の押し入れの内側があり、怖い。 水族館の写真。水を濾過するための長いユムシみたいな生き物が配線カバーのごとく壁を這っており不気味。でも私はこのエリアが一番好き。
- 2022年2月25日 金曜日 6:56 夢 青鏡という怪談がある。喫茶店の壁に角田光代の曽根崎心中の表紙みたいな絵が飾ってある。右目が赤く塗られており、これが青く見える人は憑かれている。 新しいスーツを購入している。黒に細いストライプ。すっかり忘れていた。 高い乗り物に乗っている。 どこかで甘いものを食べる。330円支払う。 ウインナコーヒーを飲む。
- 2022年2月21日 月曜日 13:07 夢 二度寝したら忘れた
- 2022年2月20日 日曜日 9:21 夢 足の毛穴がなぜかすごくよく見える。 女性の白っぽい体。 すごく混んでいる道。わざとらしいくらいにラーメンを食べる姿を見せながら歩いてくる力士や著名人たち。 韓国ラーメンの店。一店舗の面積に溢れ返るほどの辛いラーメンが直に作られており、食べている人がいる。辛い部分とそうでない部分があり、富めるものはそんなに辛くない部分、貧しいものは特に辛い部分を割り当てられ、途中でギブアップした者から追い出されていく。脚立に座って食べている。 秋田県からのレターパック。気仙沼みたいな文字列。同僚の人、本当は秋田出身だったんだ…と思う。
- 2022年2月19日 土曜日 7:15 夢 古式ゆかしい日本食店に丁稚として勤めている。三、四階建の日本家屋。薄暗くて梁とか黒光りする感じ。板前が怖い。外にはパステルカラーのVR空間が広がっている。いろいろあったが忘れた。
- 2022年2月18日 金曜日 5:51 夢 眠りが浅すぎてろくな夢を見なかった
- 2022年2月17日 木曜日 6:08 夢 せんべいの無人販売。先客がいる。しばらく待つとせんべい屋の息子が袋に入ったものを二つほど持ってくる。老母が煎餅を作っており、一日に14枚ほど。車で運ぶ。商売っけのなさ。 ハトの羽が抜けまくっている。 とんでもない男女が喧嘩している。 キャバ嬢みたいな子。黒い。明るい。知り合いとかぶってる。 変わった自販機があり、珍しく見る。
- 2022年2月16日 水曜日 6:04 夢 熊の皮。なんか見たが思い出せない。
- 2022年2月15日 火曜日 4:48 夢 実家の真横にすごいでかい鉄塔が立っている。地面をオレンジ色のレンガで舗装してある。 あんま思い出せないけどいい夢。
- 2022年2月14日 月曜日 6:49 夢 ベッドがたくさん並んでいる寄宿舎のような奥に長い部屋。一階ではない。薄暗くて紫の感じ。頭を壁際に向けて眠ると他の人の姿が目に入らない。同級生がシーツを替えている。 窓の外から隣のお宅の奥さんの姿が見える。自分より年下。子供と犬。まだ小さくて白っぽいハスキー犬。雨が降っている。旬を過ぎても生きるということ。 ダヴ90000のコントを見ようとしている。 暗い水の中を大きくて不気味な魚、その後ろを魚のような潜水艦が泳いでいる。何か名前がついていたが忘れた。一度だけ乗るなら15,000円、何度も乗るなら30,000円とのこと。かなり庶民的な街。霜降り明星が赤っぽくなっている。
- 2022年2月13日 日曜日 8:18 夢 バターフィンガーのことが頭から離れない。バルゥーフェングゥーのことが。 暗い橋の上を歩く。ものすごい人出。シルバニアファミリーのコマ送りの映像を撮影している中。左手にレインボーフェスのフロートみたいなものがあり、黒人ダンサーがひしめきあって踊っている。ちょっと懐かしめの洋���。マルーン5みたいな。 何となく未来感のある筒状の居住地。なおくんの引っ越しの様子。荷物多いらしい。手伝っている。英語の家庭教師みたいなことをしていて15分で2万くらい取っているとのこと。かわいくない白猫。 飴などを売っている卸のような店におじいさんがちょくちょく入ってくる。
- 2022年2月12日 土曜日 7:37 夢 どこかの施設。関係者としての自分。郵便受けが3箇所あり、壁掛けの1箇所は撤去されている。開けると中はホコリや蜘蛛の巣があり、奥に郵便物、ぬりえセットの箱が見える。
- 2022年2月11日 金曜日 5:50 夢 三重の門扉のある洋館の内側にいる。 車で出発する。
- 2022年2月10日 木曜日 5:49 夢 知らない長屋のような平屋建てに引っ越している。 裏庭を見るとなぜか身に覚えのない犬がいる。黒い柴、柴、ダックスフンド、さらに子犬たくさん。咎められる空気。 タイのようなところ、観光客用にカートのようなものを貸し出している。TKと二人で乗り、進む。 射的のコルク弾が二発だけだった。
- 2022年2月9日 水曜日 5:08 夢 ビューさんのメチャ子のまんがの絵柄の夢。 骨董品や石を売っている寂れた施設。 薄い紫色の丸い貝の化石みたいなものを手に取る。 屋外で知らん相手と決死のプロレスみたいなことをする。 屈筋の弱さで押され、負ける。
- 2022年2月8日 火曜日 4:54 夢 妹と妹の彼氏。角部屋で、窓を2箇所開けてある。こちらに背を向けて妹の彼氏がいる。風がよく通る。夕飯の支度。とうもろこしのかき揚げやローストビーフのようなもの。母がいる雰囲気。妖怪。
- 2022年2月7日 月曜日 6:02 夢 室内にいる。結婚式が終わった後のような折詰の食品がある。鯛のようなもの。すぐに出発しなければならないらしい。いとこがおり、箱などをくれる。 なおくんといる。会場に、事前に申し込んだ人の荷物が届く手筈になっているが、その数が多すぎてストップが掛かる。 海外っぽい宿泊施設の3階。 温泉の露天のようなところ。 変わった野菜。扁平なレタスでテクスチャはスダチみたいなもの。キクラゲみたいなきのこ類。妙に色褪せたレトロなドリンク類。中に果物が浮いたボトル。浴槽が見えるが入っている人はいない。
- 2022年2月6日 日曜日 7:22 夢 水川かたまりと何らかの企画で同席する予定があるらしく嬉しがっている。 ツイストが入る遊具ともアトラクションともつかない屋外の乗り物。DNAのらせんみたいにグルグル回るようになっているが、試みが新しすぎるのか乗ってる途中でよく詰まる。 屋外、誰かの家、古めの洋館というか北海道の開拓時代みたいな下見板張りの白い木造、トトロのサツキとメイの家みたいな、に、横から近づくと、でかいサメがいる。周りには落ち葉。 河童がおり、死にそうな目線と自分の目線が入れ替わる。何か伝えたいことがあるらしい。
- 2022年2月5日 土曜日 6:34 夢 Hさんと口論になり、その指示の出し方では結果が違ってくる、求める要件をまず述べてほしいと伝える。今回はスノースタンドの件だった。 赤黒黄のエリアがあり、他の国家らしい。 犬とか動物もその色。 天皇陛下みたいな人が車でずらずら通る。 紙を掲げて何らかの訴えをしている人たち。シームレスに誰かのゴミ屋敷になっている。
- 2022年2月4日 金曜日 6:09 夢 蜂の巣、バッタなどを大量に見る。食べるつもりでいたがやはりいっぱい見ると恐ろしい。鬼灯に頭から体突っ込んでいる蜂もいる 加藤さんがいる。加藤さんが加藤って書いてあるものを持っているの面白い気がする。 血の島裁判
- 2022年2月3日 木曜日 6:31 夢 白いペットボトルに赤の十字架が書いてあって薄ピンクの液体のスポーツドリンク。 松本人志が買い上げてやってるコンビニがある。フランチャイズの看板ではあるが完全に自分の采配でやってるらしい。店内は広く、L字型、床は暗めの板張り、入ってすぐに本の陳列棚が三つくらいあり、ラインナップに趣味が現れている。ビートメイクの本に目が止まる。 店内は人が多く、客層わりと若い。古着屋みたいだ。奥に行くと屈強な黒人の店員が多くなる。古い和だんすの引き出しに水パイプを収納している人がいる。強烈に大麻のにおいがする。 前々職の社長に似た人がいる。知り合いの社長に頼まれ、虎柄の布と赤い布を用意したらしい。
何かの写真が必要になり、撮る。 女性を引きで見て何枚か携帯のカメラで撮る。女性は知らん人で劇団員か何かしているらしい、写真のことで誰かに連絡をとっており、その影が地面に投影されている。
- 2022年2月2日 水曜日 6:33 夢 顔がざらざらしている。
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焼きそばハロウィンはいかにして無敵のアイドルになったのか(2)
ごうごうと音を立てて裏庭の果樹園が赤く蠢いていた。永遠に収穫されることのなくなったりんごたちは次々に燃え落ちていった。光線を歪めて通すガラス窓がちらちらと女性の顔に炎を落としていた。質素なドレスからむき出しになった上腕を伝い、デスクの上へとおびただしい血が流れていた。その女性はみずから三重四重にナイフで切り口を開いて、金属のボウルに血を溜めていたのだった。ふわりと娘の方を振り向いた彼女のかんばせは、尊い使命を神から与えられて、地獄に遣わされた人の純真を示すヴェールのように白く輝いていた。最も高い天にたなびく雲よりも美しく結われたプラチナ・ブロンド。晴れた日のエーゲ海の上下を混ぜ合わせてしまったような知性に溢れたブルーの瞳。 ボウルから血をおさない娘に何口か含ませると、「絶対に声を出してはだめよ」とその女性は言った。腕の痛みで眉はひどく歪み、額には乱れた前髪が数本張り付いていた。娘はこくこくとうなずいた。母親が言うことを忠実に守るために、口元には両手が当てられて、目には涙が浮かんでいた。母親が「いい子」と言って微笑んだのを見て、ああ、愛しいママ、とその娘は思った。ママが苦しむのを、見たくない。ママが喜んで、嬉しい。 その娘は、かつての志希だった。 そうだ、これはあたしの物語��った、と志希は思った。志希はその鉄臭い液体を口いっぱいに含み、母親の言う通りベッドの下に潜り込むと息を殺した。そこにはカビ臭い本が何冊もあって、それは志希が数ヶ月前にそこに隠したあと、忘れてしまった本たちだった。志希の母親は「いい子だから。きちんと、隠れていてね」ともう一度言いながら、悲痛な表情で彼女の手を握った。血でいっぱいのボウルが横っちょに押し込められた。志希は本の内の一冊を大事に抱えて、ついでボウルを脚の下に隠した。 こく、と血を少しだけ飲んだ。 「ごめんなさい」と彼女は言った。 「許してね。力のない私を許してちょうだい」と、囁いた。 そうして彼女が足早に去っていくのを志希は見送った。 自分の息がうるさすぎて、ごうごうと知恵の実が燃えていく音は遠くなった。 やがて重々しい足音で、数人の兵士たちがやってくる。全員が、統制された動きで部屋を荒らし回った。クローゼットに整然と並んでいたお気に入りのドレスたちは床にぶちまけられ、踏みつけられた。ベッドシーツはめちゃくちゃに切り裂かれ、本棚の本も同様にすべてが投げ捨てられた。がしゃんと窓が割れる騒々しい音がして、家具たちが外に放られているようだった。 志希はそれらをすべて、そのベッドの下の小さな隙間から見ていた。こく、と血を飲む。ボウルの血を口に含めば、まだ少しは、保つはずだった。誰に祈ればいいのか、志希にはもう分からなかった。 そして、母親が戻ってくる。 母親は自分の脚で歩いていない。 つま先はずるずると引きずられている。二人の兵士たちが彼女の両脇をきっと抱えている。そして、彼女は木でできた床に打ち捨てられる。志希の愛したドレスと同じように、本たちと同じように。死の直前、ひどい苦悶に喘いだであろうその美しかった顔や目に、もはや生命のしるしは無く、志希は約束を破って、「ママ」と小さな声で呟きながら、ベッドの下からその死体に手を伸ばした。志希の周囲で、正体のわからない激しい火がぼうぼうっと燃え盛っている気がした。 伸ばされた彼女の手は、炎の向こうで、親しい人にそっと取られた。 「志希」と美嘉は言った。涙で歪んだ視界の奥で、志希は母親の代わりに美嘉を見つけた。 すべてはかつてあった真実が夢に溶けた姿だった。 友愛に満ちた顔には、不安が滲んでいた。ベッドから離れて光るデスクライトだけに照らされて、美嘉の尖った鼻が作る陰翳は、記憶の中の母親のそれに少しだけ似ていたが、おさなさが濃かった。 志希はじっと美嘉の輝く瞳を覗いて、微笑んだ。「泣いちゃった」と、くすくす笑った。そのまま、ぐす、と鼻を啜って、「あー」と意味なく呻きながら人差し指で目の下を拭い、 「美嘉ちゃん台本見てたの? 今何時?」 「一時過ぎ」 「明日も撮影なんだから、早く寝ないとだめだよ」 ふ、と美嘉は笑って、「いつもとなんだか、逆だね」と静かに言った。 そっと美嘉が手を離したとき、志希の手はわずかに空を掻いて、去っていったそれを求めた。求められた美嘉の温もりは、デスクライトをか、ち、とゆっくり消したあと、志希のベッドへと戻ってきた。 志希は美嘉の胸元に抱かれて、少し恥ずかしそうに「ちょっと、美嘉ちゃん」と言った。「お母さんの夢を見ていたの?」と美嘉は聞いた。短く迷って、志希は柔らかな美嘉の胸の中でうなずいた。 「志希のお母さんは、どういう人?」 「……よく、覚えてない」 「そう」 美嘉はそのまま黙って、腕の中の志希の頭を撫でていた。 いつまでも、ゆっくりと撫でていた。 やがて、発作がやってきた。悲しみの発作が作る苛烈な嵐に、志希はほとんど息ができなくなった。ぎゅうっと美嘉のシャツを握りしめて、志希は激しく嗚咽した。その泣き方には、激しい生命の力が込められていた。生きるためには、そうするしかなかった。 「ママ」と、志希は母親を求めて泣き続けた。 結局のところ、志希はそういう星の下を選んで、産まれてしまったのだ。
* * *
何時間も回り続けるように精巧に作られた独楽が回転しているとき、巨大な運動エネルギーを秘めたまま一見静止しているように見える。それと同じように、美嘉は志希の方を向いたあと、口をくっと結んで動かなかった。心中の感情がこれほど苛烈に渦巻いているひとを見たことがなかったから、志希はその熱量の凄まじさに気がつくと、食べかけのゼリーが載っていたスプーンを咥えたまま、動くことができなくなった。 やがて、野生の動物の子どもが襲われた瞬間の母親のように、美嘉は素早く立ち上がると一言も言葉を発さずにベンチから立った。「え」と志希は小さな悲鳴めいた声を上げると、「ゼリー……」と呟いて、手元のそれを大事そうに両手で持ち、そのまま焦ったようすであとを追いかけた。 きめ細かい乾いた土の上を早足で歩く美嘉に小さな歩幅で走って追いつき、志希は「美嘉ちゃん、ゼリー」と言ってそれを差し出そうとした。美嘉は「いらない」と言うと、「着いてこないで」と表情のない声で彼女を拒否した。志希は「う」とひるんで、それでも「美嘉ちゃん……」と呟きながら美嘉の肘をそっと取ろうとした。 ばし、と腕を払われて、志希が持っていたゼリーが土の上にカップごと飛び散った。二人の向いからちょうどやってきた室内犬が低い声で唸りはじめ、その飼い主の子どもは慌てて犬を抱えると、足早に去っていった。 「どうせ、アタシがなんで怒ってるかもわかんないんでしょ」 美嘉に言われて、志希は答えを探そうと必死に頭を巡らせた。志希は半年ほどの彼女との付き合いの中で、何度も何度も美嘉を怒らせたことがあった。ふざけてわざと怒らせたことも、意図せず怒らせたことも、怒っている理由がぼんやりとわかるときもわからないときもあった。しかし今日ほど彼女を怒らせた理由が知りたいと思ったことはなかった。彼女がその魂の底から真剣に怒っていることがわかったからだった。 ほとんど一番に大事な友人にどうしても何かを言わなければならないはずなのに、なんと言っていいのかわからずに志希は下を向いた。 美嘉は、ふっ、と鼻で笑った。「……ごめんねも言わないんだ」と、掠れた声で言って、志希を見つめた。志希は何も言えずに眉を寄せて、何か見るべきものを探し、しばらく地面の上で飛び散ったゼリーが一列の蟻に運ばれていくのをじっとなぞっていた。やがて視野の端をかすめた何かに気づくと、ゆっくりと顔を上げ、その視点は美嘉の手に留まった。 志希は美嘉に駆け寄ると「ちょっと!」と美嘉が振りほどこうとするのに構わず、彼女の手を引いて近くにあった水飲み場まで連れて行った。蛇口を捻って水を出すと美嘉の左手をその下に寄せた。美嘉の手のひらは、文香に倒されたときに傷ついて、皮膚が人差し指の爪ほどの範囲でめくれていた。その傷口に、美嘉は冷たい水が触れたときに初めて気づいたのだった。桃色の皮下組織が乾いた土の下から現れて、「いつっ」と小さな声で美嘉は呻いた。志希は何も言わないまま、大事そうに傷口を水の下で何度か拭うと、綺麗になったその手に顔を近づけてよく確かめてから、美嘉を見上げた。 「なに?」と美嘉が言うと、志希は「バンソウコー、ない」と悲しそうに言った。美嘉はため息をついてタオルハンカチで傷口を拭いながら近くのベンチまで歩いていき、バッグを片手で探ると絆創膏を取り出して志希に渡した。それが自分の親指の付け根へと丁寧に貼られるのをじっと待った。 すべてを終えると、志希はほっと息を吐いた。美嘉は手を引いて「ありがとう」と言った。志希は美嘉におびえているかのように、何も言わずそのまま地面をつま先で軽く擦っていた。 「なんで今日、レッスンに来なかったの」と美嘉は言った。 志希はびくりと身を固くした。数秒のあとにもう一度、拗ねたように土をかき回し初め、やがて「……忘れてた」と一言言った。 はああ、と長いため息を美嘉はついた。 「……ちょっと勘弁してよー、ほんとにもー……あのさ」 美嘉は立ち上がると、ずっと地面を向いていた志希の視線をひらひらと治療の終わった手のひらで遮って上を向かせた。「何回も何回もチャットで言ったでしょ。明後日は最終確認だよー、明日は最終確認だよー! って。志希は全部振り覚えてるかもしれないけど、アタシは不安なの。文香さんは……」 美嘉は一瞬言葉を区切って、何か痛みに耐えるかのような表情をした。志希が不思議そうにそれを見つめているのを無視して、 「文香さんはかなりダンスが不得意だし、三人で合わせる機会はすごく大事だと思ってる。明日からの本番で、失敗しないように」 新たなため息が美嘉の口から音もなく出ていった。 「……ま、ほんとは志希もちゃんと分かってるよね……」 美嘉は志希の青い目を覗き込んだ。「なんで、忘れたの? なにかすごく大事な用事があったの? それでいつもみたいに頭からスポーンって抜けちゃったんでしょ」 はく、と志希の口が動いた。「怒らないから、言ってみな」と美嘉は小さな笑みを口元に浮かべて言った。 長い沈黙があった。 「……マ、���マ、に……呼ばれたの」と、志希は途切れ途切れに言った。 「……どういうこと?」 「……あの、ママ、今日東京に出てきたから、それで……最近はどうしてるのって、何か変わったことない、って、電話で……言われたから……あ……」 志希はベンチに座ったまま、美嘉を見上げていた。彼女の顔が変わっていくのを、どうすることもできずに見つめていた。そして、「死ね」と彼女に言われたとき、もともと白かった顔色はまっしろに変わって、口元は悲鳴の形を作り、首だけが二、三回、静かに振られた。 「馬鹿みたいじゃん」と美嘉は言った。 「アタシ、馬鹿みたいじゃん!」と、叫んだ。絆創膏が貼られたばかりの握りしめられた拳が、ぶるぶると震えていた。 「ほ、ほんとに呼ばれたんだよ! ほんとだよ!」と志希が必死の声で言うと、「アンタアタシにお母さんは死んだって言ったでしょ! それも忘れたって言いたいの!?」と美嘉は叫んだ。 小さく風が吹いて、二人の頭上を覆うクスノキの枝がざあっと揺れた。激しい太陽の光が木々の間から顔を出し、呆然と立ち尽くす志希の姿をつかの間、真実を暴くかのようにぎらっと照らした。怒りのあまりに美嘉の声は震えて、両眼には今にも溢れ出しそうなほど涙が溜まっていた。 「志希、マジ、なんなの? 全部ウソなの? ……沖縄で同じ部屋、泊まってさ、アイドル楽しいね、ずっとやっていきたいねって語って……あの夜……」 光る瞳を残酷な形に曲げて、志希を睨みつけたまま、ぐ、と言葉に詰まり、また口をひらいた。 「アタシだけが本当のこと言ってたの? アタシだけがアンタに騙されて馬鹿みたいに身の上話して……ねえ、志希」 美嘉は笑った。途轍もない悲しみを隠して、涙を零しそうになりながら笑っているので、志希はその凄惨なようすにほとんど耐えられなくなり、く、と唇を噛んだ。 「志希、アタシのこと馬鹿にしてるでしょ」 「してない」 「馬鹿にしてる! アタシの何もかもを、志希は絶対馬鹿にしてる! 馬鹿だ、馬鹿だ、真面目に人生語っちゃって、アイドルなんて真面目にやってって、馬鹿だって!!」 「馬鹿になんかしてない!」 「もういい! 志希なんか死ね!」と言って踵を返すと、美嘉はそのまま早足で歩き始めた。 「……なんでそんなこと言うの……」 志希がそう声をかけたとき、美嘉はついに両腕のすべてを使って志希からは見えなくなってしまった顔を拭った。とうとう溢れ出した涙を、どうにかしようと努めながら、その場から消えゆこうとしているようだった。去っていくその背中を見つめて、「ほんとなのに!」と志希は叫んだ。ぐっと涙をその瞳に湛えて、「あたし、ママいっぱいいるんだもん、ほんとだもん。い、今のママに呼ばれたんだもん!」ともう一度叫んだあとも、美嘉が脚を止めないのを見た。 そして、何もかもが決壊した。 「美嘉ちゃんの馬鹿ー!」と大声で詰ったあと、志希は子供のように泣き出した。嗚咽しながらぽたぽたと地面に落ちていく涙の粒をどうにかしようともせずに、ぎゅっとカーディガンの袖口を握りしめたまま志希は泣いていた。ああーという長い泣き声は公園の隅々まで響いて、遠い通路から脚を止めて彼女を見ている人々が何人もいた。志希はそのまま泣きながら立ち尽くし、葉の間の小さな隙間から漏れる燦然とした光を全身に点々と受けていて、やがてそのままどこかへとふらふら歩き出した。美嘉とは違う道を選び、泣き声のトーンをまったく落とさないまま十メートルほど歩いたところで、早足で戻ってきた美嘉が志希に追いつくと、その両手を握って「ほんとなんだね」と言った。 「ほんとだって、言ってるのに!」と志希は言って、振りほどこうと少しだけ暴れた。 「わかった」 美嘉はもう泣いてはいなかった。しゃくりあげる志希を、前からぎゅっと抱きしめて、後頭部をやさしく撫でながら「ごめんね、信じなくて」と耳元で囁いた。そのまま火を放ち続ける石炭のような志希の感情が落ち着くまで、目をつむって抱き続けていた。
子どもたちの陽気な声が空へと抜けていった。美嘉と志希の二人は疲れ切って、出口近くの噴水の縁に座り込み、一歩も動けずにいた。志希は赤い目をして、ぼうっと噴水がきらきらと落ち始めた太陽の光を反射するのを眺めていた。時折、彼女はきらりと美しく輝いた。美嘉はじっとその顔を見つめながら、 「志希のお母さん……いっぱいいるのね」 さらさらとした水音に、志希は沈黙を乗せて答えた。 「何人いるの、お母さん」 「……わかんない。もう数えてない」 はあーっと、美嘉は呆れてため息をついた。「ちょっとそれホントでしょうね……」と呟いたあと、テレビヒーローの真似をしながら追いかけっこをしている小さな子どもを眺めながら、「アタシにはわからん世界だなー」と言った。 「お母さんと、何の話してたの?」 「今度、焼きハロでやるライブ、インターネットとかで流れるかもしれないよって。だから見てねって」 「おーっ、いいじゃん」 「言おうとして……なんか怖くて、話せなかった」 がくっと下を向いて、「すっぽかされ損じゃん、アタシ……」と、美嘉は軽く笑った。 拗ねたようにずっときれいな水の流れを見ている志希を、美嘉はもう一度見上げた。きっとこの子は、どこかの喫茶店でお母さんと話しているときもこうなんだろうなと思った。目の前で起きていることに、とことん興味のなさそうなその視線。たどたどしい返答。退屈そうにほうっと吹かれる、ただ生きるための微かな吐息。だがその中心で、何かを求めようとする強い願いが燃え盛っているのを、少なくとも美嘉だけはもう知っていた。 「美嘉ちゃんはさー」 「ん?」 「美嘉ちゃんがアイドルやってるのをすごーく見てほしい人っている?」 「んー、このアタシを日本中に見せつけてやろう! とは思ってるけど」 「うまくできてる?」 「どうだろうね」 美嘉はくすくす笑った。「努力はしてるよ。マジで」 「……あたし、アイドルやっててほんとにいいのかなー」 「なんで?」 志希はゆっくりと美嘉の方を向いた。水面が彼女の顔を怪しく照らしていた。 「ママ、あたしがアイドルやってるってこと、知らないんだ」 またそのパターンかー! と美嘉は思った。くうー、と下を向いて、ガシガシ頭を右手でかきむしったあと、 「あのさ、実は文香さんも――」 ぐううう、ととてつもなく大きな音が美嘉の声を遮った。着崩したシャツのおなかのあたりを抑えて、志希は少し悲しそうに美嘉を見た。美嘉はしばらく目をぱちぱちとさせていたが、にこりと笑うと、「アタシの家、行こうか!」と陽気に言った。 「美嘉ちゃんのアパート? 手料理?」 「手料理は正解。アパートは不正解」 美嘉は勢いよく立ち上がると、志希に手を差し出して「行こ」と言った。志希は吊るし売りの人形のように美嘉を見上げたあと、弱々しくその手を取った。
「なんか、幼稚園みたい」と志希は言った。 『児童養護施設 飛翔』と書かれた看板の横の壁に、子どもたちがペンキで描いた絵が連なっていた。志希はそれに顔を近づけながら「美嘉ちゃんはどのへん描いたの」と聞いた。 「その壁建て直したのけっこう最近だから、アタシのはないよ」 「なあんだ」 つまんないの、と言いながら、志希は熱心に横歩きをして、壁をじっと見つめていた。美嘉は腰に手をかけると、ふふ、と笑って、何棟もの宿泊棟へと視線を移した。裏庭で遊んでいるのだろうか、姿の見えない子どもたちの声が建物に反響していて、美嘉は活気を感じた。 「おっ、美嘉ねえじゃん!」 遠くから声をかけられて、美嘉は志希の先から歩いてくる少年のほうを振り向いた。志希もそれに気づいて、壁から離れると美嘉の後ろにさっと隠れた。 「トオル、今部活終わり?」 「そうだよもー、めちゃつかれた」 巨大なバッグを背負い直すと「昨日ぶり〜」と言ってトオルは美嘉に上腕を差し出した。ごつ、とぶつけて「いえい」と二人は親しげに声を合わせた。 「美嘉ねえの友達? こんちは」と、トオルは子供らしさの微かに残る笑顔を志希に向けた。 「トオルは志希の二個下だよ、バドミントンがうまいんだ」と、美嘉が志希に紹介すると、志希は「こんにちは、一ノ瀬志希です」と小さな声で挨拶した。差し出された大きな手を恐る恐る握る。 「志希はねー、アイドル仲間」 「うおー、マジか!」 トオルはぱあっと顔を輝かせると、「一ノ瀬さん、お会いできて感動っす!」と言うと、握ったままの手をぶんぶん振り回した。志希はあうあうと焦ったあと、さっと美嘉の背後にもとのように隠れてしまった。 「ちょっとアンタ、あんま乱暴しないでよ。つうかアタシも一応アイドルなんだけど、なんだと思ってんの?」 「やー、本物はやっぱ全然違うね! めちゃかわいい!」 「あんま調子乗ると彼女に言いつけるよ。昨日ライン交換したんだから」 「すみません、やめてください」 神妙な言葉とは裏腹にあははと笑うと、トオルは口元に手を添えて、小声で「ほんとは初彼女のことみんなに自慢しにきたんじゃないの〜?」と美嘉に囁いた。 「初彼女……」 志希は目を丸くした。数秒ほど固まった美嘉は全身を真っ赤にして「んなわけないでしょ! バカ!!」と叫び、既に宿泊棟のほうまで逃げていたトオルを追いかけていった。 「昨日のお返し〜! 美嘉ねえのアホー!」 トオルが宿泊棟に駆け込むと、はー、とため息をついた美嘉はとぼとぼと戻ってきて「ごめんね、バカで」と志希に謝った。 「美嘉ちゃん、昨日も来てたの? よく戻ってきてるんだ」 「ん? んー、今日はほんとにたまたまだよ。アタシは家が場所的に近いからすぐ来れるっちゃ来れるけど、フツーは一回外に出たら、あんまり戻らないかな」 「なんだか、不思議な家だね」 志希の正直な感想に、美嘉は少しの間黙った。黄金に色を変えつつある太陽光線が、ピンクに染められた髪を掠めて志希の瞳を焼いたので、志希は微かに目を細めた。「そうかもね」と言って、美嘉は猛烈な光の中心で笑い声を上げた。 「さて……チサはどこにいるかな……」 美嘉は志希を促して敷地の中を歩いていった。何人もの子どもたちが美嘉を見つけると親しげに挨拶をして、志希はそのたびにたどたどしく自己紹介をした。女の子たちばかりが遊んでいる場所をいくつか通ったあと、美嘉はついにちいさな図書室の暗がりで、赤い絨毯の床にぺたりと座って図鑑を読んでいる女の子を見つけた。 「チサ」 図書室の中にはほかに誰もいなかった。からからと引き戸を大きく開けながら、小声で美嘉が彼女の名前を呼ぶと、チサは顔を上げて、「美嘉ちゃん」と嬉しそうに言った。 「あさ、起きたら美嘉ちゃんいなくて、悲しかった」 「あはは、ごめんね。お仕事があって忙しかったんだ」 「そっかー……」 チサは下を向いて、「わがまま言って、ごめんなさい」と言った。「昨日の夜、アタシに帰るなってみんなが言ったこと?」と言いながら、美嘉は靴を脱いで中庭から図書室へと上がった。 「大丈夫、遅刻とかはしなかったから」と、チサの頭をぽんぽんと叩いた。チサは悄然として床を見ていた。美嘉は苦笑いを浮かべながら「さて」と言った。 じゃじゃーん、と、美嘉は大きく手を広げて志希を指し示した。 「アタシが連れてきた、この子は一体誰でしょう!」 「……知らないおねえさん」 「や、まあ、見たことないだろうから、そうなんだけど」 「美嘉ちゃん」 志希も訝しげに美嘉を呼んだ。美嘉は志希に向かって笑みを浮かべ、 「覚えてない? 夏休み子供アイドル相談室で、石鹸のつくり方を聞いてきた……」 あ、と志希は声を出した。 「そうか、キミはあの子か」と、靴を脱ぎながらふふ、と笑うと、急に自信に満ちた態度で図書室に上がった。膝で立って目線を合わせ「こんにちは」と挨拶をすると「一ノ瀬志希です。夏休みのラジオ番組で、キミの質問にこたえたのは、あたしだよー」と言うと、床に置かれていたチサの手にそっと触れた。 チサはぼうっと志希を見ていたかと思うと、ぱあっと顔を輝かせた。「石鹸、できました! あぶないって言われたところは先生たちに手伝ってもらって――」と、流れる川のように喋り始めた。やがていくつかのあらたな質問が溢れ出て、志希はそのひとつひとつに丁寧に答えていった。美嘉は微笑みながら二人のようすを見ていたが、志希に「ご飯作ってくるから」とひとこといい添えて、図書室を出ていった。 中庭を楽しげな長い影が、小さな鼻歌と共に横切っていった。
「ハンバーグ美味しかった? 時間かかっちゃってごめんね」 「ううん。みんなとお話してたから、楽しかったー」 皆に挨拶を済まし、二人は施設をあとにしていた。日はすっかり暮れて、薄暗い中に街灯がぽつぽつと点いていた。志希はカーディガンのポケットからセロファンの袋に包まれたマーブル模様のきれいな直方体を取り出すと、街灯にかざしてほうっと息を吐いた。 「いいなー。それ半分に切ってアタシにもちょうだいよ」 「絶対だめ」 「ええー」 けち、と言いながら、美嘉はとても嬉しそうに笑った。志希は赤く細いリボンを少し緩めて、すっとその香りを鼻腔に満たした。 「ダージリン、ヘーゼルナッツ、ハニー。このブラウンはココアか……」 しばらく余韻に浸ると、大事そうにそれをポケットに戻して、 「きっとこれで身体を洗ったら、お菓子みたいになっちゃう」と言うと、泡だらけになった自分を想像したかのようにふふふ、と笑って、くるっと回った。 「美嘉ちゃん、ありがとう!」と美嘉の目を見て言い、また歩き出した。美嘉は驚いてしばらく立ち止まっていたが、「びっ……くりしたあ。志希がお礼を言うなんて……」と、あとを追った。 「次はごめんねが言えたらもう一歩成長かな……ていうか、元気が戻ってよかったよ」 「んー、どうだろにゃー」 志希は機嫌の良い子どものように大きく手を振って歩く。しかし、目を細められ、口元は薄い冷笑を作っているのがわかった。いつまでも消えないそのアンバランスさがひどく哀れに思えて、美嘉は悲しくなった。 「ママ……ママたちね、きっとみんな、あたしのこと嫌いだと思う」 「……なんで?」 「みんなあたしがほんとうの子どもじゃないということを、おなかの底からよくわかってるんだと思う。だから嫌いなの」 「……そうかなあ」 言葉を区切ると、近くの草むらで秋虫が鳴く声がはっきりわかるようになった。美嘉は次の街灯が自分の身体を照らし始めるところまで黙って歩いた。 「アタシは逆に血縁のことなんて信じてないから、もっと大きなつながりのほうを強く信じてるよ。だから志希は大丈夫だと思うんだけど」 「大きなつながり?」 「愛だよ、愛」 「うっわ」 恥ずかし、と茶化すと、にゃははと笑った。 「まー、よくわからないけど、今日のあたしは、アイドルできてた! すっごく嬉しかった!」 たたっと走って、次の街灯に先にたどり着くと、 「だから、あたし、アイドルを馬鹿になんかしてないよ。美嘉ちゃんのこと、馬鹿になんてしてない」 「もー、わかったから」 その街灯に美嘉が歩み寄ったので、二人はお互いがはっきりと笑っていることを知っ��。 「早いとこお母さんに言いなよ」 「努力しまーす」 「ったく、保護者の同意書どうやってくぐり抜けたのよ」 「署名のギゾー」 何かを言いかけた美嘉はぴた、と止まって、数秒してから「忘れてたあ……」と座り込んだ。 「なになに、なにかトラブル?」 「今日の練習、文香さんも来なかったんだよ」 「ほほー」 「午後に文香さんち行ったんだけど、『親にやめろって言われたから、アイドルやめる』って言われちゃって」 「あは〜ん、で、それを今の今まで忘れていたと」 志希はふむふむ、と何かを考える振りをしながらくるくると視線を動かしていたが、やがて、「美嘉ちゃんは、馬鹿なのかにゃ?」と言った。美嘉はゆっくり立ち上がると、思い切り振りかぶった拳を志希の頭に振り下ろしながら、「お前が言うなっ!」と叫んだ。
その駅のホームに降り立ったとき、志希はすうっと一息空気を吸い込んで、立ち止まった。「どうかした?」と美嘉が聞いて、志希は首を振ってこたえた。炎が暴れ狂う匂いだ、と志希は思った。どこかでだれかの財産と生命が、燃えているのだ。蛍光灯に照らされながらとんとんと階段を降りていく、志希の顔は暗い。 東口を出ると、美嘉は「ちょっと、とりあえず作戦立てよ、作戦」と言った。 「ファミレスはそこにあるけど、えーと……」と、スマートフォンを取り出して操作していると、志希は「美嘉ちゃん」と遮った。 「文香ちゃんの家って、あっちのほうだったりする?」 「ん、んー? 多分そうだと思うけど……」 志希が指さした方で、空や建物が恐ろしげに赤く照らされているのが美嘉にもわかった。遠く、何台もの緊急車両のサイレンが聞こえた。「行こう」と、微かに不安の滲む声で、美嘉が言って走り出したとき、志希はその場で過去の体験がぐわあっと自分を追い越していくのを感じた。あの燃え盛るりんごの木々、てんてんとボウルに血液が落ちる音、本に生えたかびの臭い、錆びた鉄の味、床に捨てられたママの美しかった瞳が、恐怖に歪んであたしを見ていて、彼女はその口を開き「いい子」と――。 「志希!」と激しい声で呼ばれて、はっと顔を上げた。「くっ」と声を漏らすと志希は美嘉を追って走り始めた。 やがて、二人はその家にたどり着く。 「嘘でしょ……」と美嘉は最後の角を曲がると呟き、志希は「ああ」とその激しさに絶望して、声を上げた。 分厚い人垣の向こうで、鷺沢古書店は燃えていた。屋根は柱を何本か残して既に落ち、二階にあったはずの文香の居室は跡形も無くなっていた。一階の店舗部分からは今もめらめらと恐ろしい勢いで炎が吹き出し、庭木のいくつかはすべての葉を落としていた。太い電線がまさしくちょうど焼け切れて、ばぢん、という何かを切り落としたような音が辺りを裂いていった。何もかもが燃え尽きていく凄まじい臭気が空間を満たしていた。 美嘉がだっと駆け出して人混みをかき分け、そこに近付こうとすると、すぐに警察の張った黄色い規制線に遮られた。開けた周囲をぐるりと見渡し、救急車、消防車、警察車両がすでに到着して、必死の消火活動が行われていることが分かった。 「すみません!」 美嘉はテープを広げようと忙しく働く警察官に声をかけた。「危険だから、少し下がって!」と強く言われた。 「友達が、住んでた家なんです! けが人とか……どうなったのか教えてください!」 「なんだって……近所の人には、持ち主が帰ってこない空き店舗だと聞いたけど」 その警察官が無線でどこかへ連絡し始めたとき、美嘉はぎゅうっと両手を胸の前で組んだ。文香がまだ見つかっていないということがはっきりと分かったからだった。 「お願い……」 美嘉の開ききった目は燃え盛る火宅をじっと見つめ、震える喉からは悲しい祈りが漏れ出た。そうやってぼうぼうと踊り狂う炎が何もかもを奪っていくのを、力無く見守っていた。祈ることしか、彼女にはできなかった。 志希は、そうではなかった。 志希は美嘉が背中を丸めて、全霊で何かに祈っているのを見つめていた。やがて、ふ、と踵を返すと、元来た道を走って戻った。冷たい空気が肺で暖められて、彼女の周りに形無くたなびいていた。いくつもの街灯が、規則的に彼女の冷静な顔を明滅させていた。角へと立つたびに、彼女は、すん、と鼻をうごめかした。 四つの角を曲がり終わると、彼女は人通りの少ない道へと出た。誰も目にすることのない狭いビルとビルの間で、やがて志希は目的のひとを見つけた。 かちゃ、と、ノブが回される音が鳴った。 乱れた呼吸を、ふ、ふ、と戻すように努力して、志希はその奥を見つめながら、ふ、と自嘲気味に笑った。 通る者のいない路地を囲む植木鉢と、枯れた植物の奥、トマソンと化したドアの奥、ブゥーンと低い音で鳴る室外機、ゆっくりと回るガスメーター、なにかよくわからない液体の汚らしい流れと、何年もの��繰り返し捨てられて拾うもののいない缶や瓶のごみのさらに奥に、まさにそこに、文香はいた。 焼け焦げて濡れたストールに身を包んで、服も炭で汚れていた。背を壁にぴたりとつけ、地面に座り込み、小さな空間で彼女は一心不乱に広げた本を読んでいた。角が焼けてしまったその青い表紙のソフトカバーを、文香はまるで数日ぶりの食事をしているかのように、大事そうに一行一行をなぞっていた。志希が目の前に現れたことにも気づかない様子で、時折その文を小さく声に出して読み上げていた。 そして、今や彼女がふつうの人間ではないことは明らかだった。その頭で、猫のような大きな耳が揺れていたからだ。 文香が感覚の一切を集中してその本に身を投じているのに、その耳だけが別個の意志を持っているかのようにく、く、と動いた。志希がちり、と音を鳴らして耳に下がっていたピアスを片方外すと、文香の右耳がこちらの方を向いて、あたかも獲物を凝視する一匹の肉食獣であるかのようにそのまま止まった。志希はピアスについていた小さなアンプル状の装飾をぱきっと砕いて開けながら「キミも、そうだったんだね」と文香に向かって言った。 瓶の中で、ぬらりとした液体が怪しげに揺れていた。 パトカーが一台サイレンを鳴らしながら現れて、志希の姿をばあっと照らした。その光を志希は一瞬眩しそうに見つめて、そのまま猛スピードで通り過ぎていくのを目で追った。 文香のいる谷間に一歩入りこんでから、志希は液体をこくりと飲み干した。志希の身体は、それで仄かな緑色に光り輝きはじめ、両側の壁面を美しく照らした。 ぴちゃ、ぴちゃ、とローファーで汚水を踏みしめて、志希はその隙間のもっとも奥へとたどり着くと、文香の頭をやさしく撫でた。彼女の頭で、ぴ、ぴ、と大きく動いていた耳は、志希が両手でそれをそっと包んで、何事かを唱えながらゆっくりと触っていると、やがて透明になっていき、消えた。 「あたしたちみたいなのが、アイドルだなんて、笑えるよ」と言って、志希はほんとうに笑った。 文香は志希のやわらかな光にようやく気づいたのか、顔を上げると「志希さん」と言った。 猛烈なスピードで近づく電車の前にみずから佇む人は、頭の中が後悔でいっぱいになり、自分がなぜそこにいるのかついには理解できなくなる。それと同じように、文香は何もわからないようすで志希の表情を反射するかのように笑みを浮かべた。口元は笑っているのに、すだれのようにすべてを覆い隠す前髪の奥で、ロシアンブルーのそれのような瞳が彼女の魂を映しているかのように悲しげに瞬いていた。
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久々にたくさん映画を観れた11月(2021年11月の日記)
■2021/11/1 月曜日。今週は仕事を休みます。娘が学校に行ってから有楽町へ。映画祭は3日目です。まずは「都そば」でかき揚げうどんを食べる。関西風の出汁、いいね。朝日ホールにてフィルメックス『瀑布』を観る。春本監督と梅田さんがいて、そうだ『かぞくへ』パンフにサインをもらおう、と思ったらすでにサインがされていた。まるゆさんが買ってくれた日にサインももらってくれていたのだ。春本監督、梅田さんにはお礼のみを伝える。同じ回を観ていたけんす君と「きじ」へ行ってお好み焼きを食べる。「きじ」と云えばPFFのときに食べるのが定番(僕とけんす君とチートイツさんの中でのみ)なのだが今年はPFFのときに行けなったからな。さらに時間があったので交通会館地下の喫茶店でコーヒーを飲む。こういう時間が良いですよね。けんす君と別れTOHOシャンテへ。TIFFコンペ『アリサカ』を観る。新宿へ移動。移動しながらU-NEXT『キャンディマン』(古い方)を見終わる。そしてTOHO新宿で『キャンディマン』(新しい方)を鑑賞。
■2021/11/2 火曜日。映画祭は4日目。今日も有楽町へ。まずはガード下の「蕎麦や はないち」で春菊天うどん。読売ホールへ。TIFF ガラ・コレクション『リンボ』鑑賞。久々に読売ホールで映画を観ましたよ。「谷ラーメン」でラーメン+半チャーハン。ここは平日しかやっていないので映画祭のときに一度は行っておきたいところ。久々に行ったらがっつり改装されて綺麗になってました。ミッドタウン6Fのパークビューガーデンへ。春本監督が参加するアジア交流ラウンジを見る。野外でとても気持ちいい。話も面白かった。途中退席してTOHOシャンテへ。TIFFワールド・フォーカス『箱』を鑑賞。「ジャポネ」で明太子のレギュラーを食べる。ここも映画祭期間中に一度は行かないと気がすまない。日比谷エリアをclubhouseをしながらふらふら。たまにclubhouseで話すsatoshiさんも近くにいることがわかり合流してお茶する。そう、去年までの映画祭と違うことのひとつがclubhouseがあること��。clubhouseは流行りにのって使っていた人たちが去り、普段使いする人のみが残っている。在宅勤務が続いている自分としてはこのclubhouseをまだ楽しく使っているし、こういう機会には会うこともできる(あとから同じカフェの同時間にHOKUTOさんもいたらしいと知りびっくり)。再びTOHOシャンテへ。TIFFコンペ『一人と四人』を観る。この回はまるゆさん、matsuさんも観ていて、僕とmatsuさんは1年半以上ぶりの再会。久々にシネマクティフ東京支部の3人がリアルでそろった。まぁオンラインでは顔見たり話しているのでそこまでの久しぶり感はないのですが。でも嬉しいものです。
■2021/11/3 水曜日。本日は祝日。僕は映画祭を休み、娘とすごすぞ!と思っていたら午前中は学力テストがあるとのこと。しょうがないのでキノシネマ立川へ。『かそけきサンカヨウ』を鑑賞。観れてラッキー。TIFFの『リンボ』ソイ・チェン監督のオンライントークを聴きながら帰宅。午後は娘と遊んだり、DAZNでFC東京の試合を見たり。オンライン試写にて『十人十色の物語~今年90歳になる館長と9人のドラァグクイーン~』を見る。コリアン・シネマ・ウィーク(オンライン)で『私は私を解雇しない』を見る。ナツノカモさんと志の春さんのTwitterスペースも聴いちゃう。志の春さん、���しくてお酒がすすんでべろべろ。
■2021/11/4 木曜日。立川の病院への通院日。採血待ちの時、近くにいた見た目70歳ぐらいの男性が「また寒くなるのやだなぁ」と云っていた。それだけ生きても寒くなるの慣れないのかな。血液検査は今回も問題なし。薬局で薬を受け取り、渋谷へ移動。牛丼を10分で食べ���イメフォへ。『MONOS 猿』を鑑賞。このタイミングで観れなかったらどうしよう、と思っていたので観れて良かった。千代田線で日比谷へ移動。よみうりホールへ。TIFFコンペ『復讐』を鑑賞。けんす君と同回だ。映画終わってからけんす君と「博多うどん よかよか」へ。ごぼ天うどんを食べる。やさしい感じのうどん。ミッドタウン地下、和菓子の「鈴懸」さんへ。おうちにお土産を買う。けんす君とわかれTOHOシャンテへ。TIFFワールド・プレミア『ベネシアフレニア』を鑑賞。WOWOWオンデマンド『兄が教えてくれた歌』を見る。
■2021/11/5 金曜日。再び映画祭は休み、本日は一般公開作を観る日。まずはシネマシティへ。『エターナルズ』aスタ極爆上映、初日初回を観る。MCU作を初日にシネマツーで観る。これけっこう好きなんですよね。久々ですよ。食べたかったカレー屋を見に行ったら並んでいたので断念。平日も並んでるのかよ。しょうがないから「松屋」でスープカレー。うまい。ご飯大盛りにするとカレー足らない。吉祥寺へ移動。吉祥寺オデヲンで『リスペクト』鑑賞。シネマクティフ東京支部4周年として東京支部で選んだMCT11月のお題作品となります。よろしくお願いします。下北沢へ移動。「みん亭」でカレーチャーハンを食べる。駒木根さんが話していたスパイスカレーラーメンの店も行きたかったけどなぁ。トリウッドで『カウンセラー』鑑賞。そのカウンセラーの話をしていた「僕モテFRIDAY」を見ながら帰る。
■2021/11/6 土曜日。今日も有楽町へ。Twitter上やスペースでは話していたche bunbunさんとランチ。初対面でしたが映画祭の話いろいろできて楽しかったー。やっぱ会うと話しやすいことってありますよね。そしてヒュートラへ。フィルメックス メイド・イン・ジャパン『春原さんのうた』鑑賞。濱口監督も観にきていた。この作品を観ることは特別な体験になるんじゃないか、という予想があったけどやはりそうなった。どこかで話す機会があるかな。まぁあるだろうな。同回を観ていたチートイツさんと喫茶店に移動。コーヒーを飲みつつ二人とのそれぞれのスマホで『春原さんのうた』Q&Aを見るという不思議な状態。僕の質問も読まれていた。このシステムはイマイチな気がするけどなぁ。視聴人数を確認するとあまり見れている人がいないもの。チートイツさんとわかれ再びヒュートラへ。TIFFアジアの未来『異郷の来客』を観る。otokeiさん、まるゆさんと合流して短時間で夕飯が食べられるところを探すがなかなかない。しょうがないので「丸亀製麺」へ。あわててうどん食べ、皆がそれぞれの次の映画へ。これが映画祭か。朝日ホールへ。フィルメックス特別招待作品『麻希のいる世界』なのですが、もう客層の雰囲気が違う。そうか「さくら学院」のファンの方がいっぱいなんですね。Matsuri StudioのTシャツを着ているのは僕ぐらいだったんでしょうね。電車で「9時ゆる」を見ながら帰宅。今週も映画祭の話で楽しい。最寄り駅に着く少し前、まだ「9時ゆる」の途中だったが杉田監督のTwitterスペースがはじまる。そっちに移動。いつものように杉田監督が僕をスピーカーとしてあげてくれたのだけど、これは話せないだろうというぐらい『春原さんうた』関係者がたくさん集まってきた。杉田監督はQ&Aに参加できなかったから、という気持ちがあったみたいだけどなんとも素晴らしい数時間でした。後半は完全に杉田監督と東直子さんの対談という感じになっていて聴き続けてしまった。内容については口外できませんが。25時半ぐらいまで続き終了。杉田監督にお知らせしたいことがあったのでそれをDMだけして寝る。
■2021/11/7 日曜日。個人的に映画祭への最終参加日。有楽町へ。TOHOシャンテでTIFFコンペ『ヴェラは海の夢を見る』鑑賞。いっしょの回を観ていたmatsuさん、otokeiさんと「そば 俺のだし」へ。食べても食べても底が見えない蕎麦を食べる。もう夜までおなかすかない感じ。3人で朝日ホールへ移動。フィルメックス特別招待作品『時代革命』鑑賞。これまた客層がいつもと違う。本作は作品名が発表されたのがその前日。でもチケット発売は作品名をふせたままされていた。僕とかmatsuさんは作品を予想しチケットを発売日から買っていたのですが、おそらく映画好きの多くがこの作品を予想していたと思う。でもそれをSNS上などに書いていないところに映画好きの連帯感を感じました。ヒュートラへ移動。TIFFガラ・セレクション『チュルリ』鑑賞。すげー誰かと感想話したいけどまわりで観ている人少なそう。TOHOシャンテへ移動。TIFFコンペ『市民』鑑賞。ということでこれでおしまい。TIFF13作品&フィルメックス7作品。期間中に一般公開作を7本も観てしまったので映画祭作品が少なくなってしまったけど、この期間しか僕はたくさん映画観れないと思っていたので後悔はないです。フィルメックスはこのあとオンラインでも見れる作品があるのでそれも追います。でも9日間、楽しかった。1週間ほど家に滞在してくれていた義母に今年も感謝。帰りの電車、ある人をサポートするために、ある人に質問をしたら丁寧な回答をくれた。本当にありがたい。これがとある結果を生むとしたら、とても不思議な縁である。帰宅し、風呂に入り、軽くパンを食べ寝室へ。ドラマとか見ようかと思ったけど、どうしようか考えながらもう眠ってしまったようだ。
■2021/11/8 月曜日。あー仕事に復帰。4日休んだだけですが、いろいろたまってるんでしょうね。たまってましたね。仕事に体がなれません。Apple tv『ディキンスン~若き女性詩人の憂鬱~』S3E1を見る。ドラマ鑑賞に力を入れていこう。夜、フィルメックスのオンラインで1作見ようとしたが眠すぎる。早々に寝てしまう。
■2021/11/9 火曜日。生活のリズムを取り戻していく。娘が下校して、すぐに英会話に向かう日であったがちょうどMeetingで自分が発表している時間に帰ってきて大変申し訳ない。フィルメックス・オンライン『見上げた空に何が見える?』を見る。たしかにこれは面白い。夜中になってしまったが、タキさんのPodcastを聴きながら僕モテの情報コーナーを仕上げる。mixiやらBBSの回、大変面白い。
■2021/11/10 水曜日。どうも体調がイマイチ。午後ぐらいから右目が痛いし。Apple tv『ディキンスン~若き女性詩人の憂鬱~』S3E2を見る。夜、娘を寝かしつけながら、これは寝てしまうだろうという予感があったがやはり寝てしまった。朝まで寝てしまった。
■2021/11/11 木曜日。8時間ほど寝てしまったがまだ右目が痛い。困ったな。Apple tv『ディキンスン~若き女性詩人の憂鬱~』S3E3を見る。Amazon Prime Video『社会から虐げられた女たち』を見る。
■2021/11/12 金曜日。午前半休で吉祥寺へ。京都からやってきているyukaさんと「ワールド ブレックファースト オールデイ 吉祥寺店」へ。チートイツさん、けんす君、そして大川編集長もきてくれた。前日の飲み会も行きたかったがどうしても出れなかったので、朝ごはんのようなランチのような食事を。エジプトの朝ごはんを食べながら久々に話せて良かった。もう2年前だけど、手術する前に京都に行ったときに関西の友人らが集まってくれたのは忘れない。また京都も行きたい。午後は帰宅し仕事。夜はキンザザの『エターナルズ』回収録に参加。わいわい。Disney+『アルベルトの手紙』『ホーム・スイート・ホーム・アローン』を見る。Netflix『ボクたちはみんな大人になれなかった』を見る。
■2021/11/13 土曜日。映画を2本観れるチャンス到来。MOVIX昭島で『マリグナント 狂暴な悪夢』と『アイス・ロード』を短いインターバルで鑑賞。夜は「9時ゆる」を途中まで見てから、シネマクティフ東京支部の音声配信収録。さくっと収録する。Amazon Prime Video『��われた老人の館』を見る。札幌国際短編映画祭(オンライン)で『全身犯罪者』を見る。これ見たかったやつ。
■2021/11/14 日曜日。午前中から娘と両親とみかん狩りへ。天気が良くて気持ちいい。回転寿司でランチを食べてから実家へ。のんびり過ごす。夕方、車を借りて娘とMOVIX昭島へ。『映画 すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ』鑑賞。夕飯用にケンタッキーを買って帰る。夜はシネマクティフ東京支部の音声配収収録。札幌国際短編映画祭(オンライン)で『かの山』と『乳首囁き師』を見る。
■2021/11/15 月曜日。娘を学校に送り出してから車を実家に返却。すぐに帰宅して在宅仕事。夜はラロッカさんとDiggin' Netflix収録。収録ばっかしてる気が。
■2021/11/16 火曜日。数か月ぶりの出勤。本日から火曜と金曜、週2回の出勤を開始。久々すぎていろいろ不安。昼は会社の近所の「丸亀製麺」でランチ。ちょっと日常が戻ってきた感じ。WOWOWオンデマンドで『ペイン・アンド・グローリー』を見る。夜中の日本×オマーン戦を見てから寝る。
■2021/11/17 水曜日。在宅仕事も楽だけど、集中力があるのはオフィスだろうな。娘にも邪魔されないし。キンザザ界隈でおなじみのラフランスさんがPodcastをはじめた。『007』に特化している。特化しすぎている。フィルメックス・オンラインで『ユニ』を見る。札幌国際短編映画祭(オンライン)で『透明な私』と『ミーチューブ3:オーガストが歌うオペラ「人知れず涙」』を見る。
■2021/11/18 木曜日。いろいろ追いつかない。夜、blockfmの「京浜ネバーランド」でおたよりが読まれた。嬉しい。フィルメックス・オンラインで『ホワイト・ビルディング』を見る。U-NEXT『ロング・ライダーズ』を見る。札幌国際短編映画祭(オンライン)で『トップ・ダウン・メモリー』を見る。
■2021/11/19 金曜日。出社日。昼はやはり「丸亀製麺」だ。仕事を早めに切り上げ立川へ。シネマシティで『聖地X』鑑賞。大川さんが参加しているパンフも忘れずに購入。夜は音源編集などを頑張る。でも眠くて寝てしまった。
■2021/11/20 土曜日。娘は土曜登���日で音楽会。保護者が1名だけ見に行けるということで僕が見にいく。良いLIVEでした。田辺・弁慶映画祭(オンライン)がはじまって忙しい。『ミューズは溺れない』『浮かぶ』を見る。その合間に『マリグナント』2回目をMOVIX昭島で観る。分刻みのスケジュールだ。夜はおなじみ「9時ゆる」をYouTubeで見る。U-NEXTで『ドミニオン』と『エクソシスト・ビギニング』も見る。
■2021/11/21 日曜日。午前中、映画を1本観に行ける時間あり。新宿へ。武蔵野館で『リトルガール』鑑賞。すぐ帰宅。娘を連れて実家へ。娘を母に見ていてもらい、僕は父親といっしょに近所のおじさんの葬儀へ。幼稚園から一緒の友人の親父さんの葬儀だ。ほぼ話せなかったけど、久々に友人の顔も見れた。実家で夕食をごちそうになり帰宅。田辺・弁慶映画祭(オンライン)で『スタートライン』を見る。
■2021/11/22 月曜日。ミーティングの連続な日。フィルメックス・オンラインで『時の解剖学』を見る。これまた難解だ。
■2021/11/23 祝日の火曜日。娘が部屋を片付けたい、というのでどこにも出かけず片付けを手伝う。宿題とかも手伝う。そしてオンライン試写で『悪なき殺人』を見たり、WOWOWオンデマンドで『スポンティニアス』を見たり。片付けがけっこう早く終わったので、夕方から家族で近所のスーパー銭湯的なところに。祝日ということもあるのだろうけどけっこう混んでいてサウナはやめておいた。ぼんやり1時間ぐらい風呂に入っているのは気持ちいい。食堂的なところでカレーうどん食べたり、コーヒー牛乳飲んだり。満喫。
■2021/11/24 水曜日。昨夜は早く寝た、というか寝落ちしてしまったので早起き。朝からWOWOWオンデマンド『ディヴァン・フューリー 使者』を見る。ダースの新作の発売日だったので近所にコンビニ行ってみたが売ってなくてがっかり。夕方、Disnely+で『ホークアイ』がはじまったのでS1E1とE2を見る。楽しい。夜はイシヤマさんとDiggin' U-NEXT収録。
■2021/11/25 木曜日。ミーティングたくさんな日。娘が寝る前にいっしょにちょこちょこ見ていたU-NEXT『映画ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』を見終わり。うちの娘の中で『ちびまる子ちゃん』ブームきてるっぽい。ちょうど小3だしな。娘を寝かせてMCTOS『ボクたちはみんあ大人になれなかった』回に参加。なんか懐かしい話をしてしまった。
■2021/11/26 金曜日。出勤日だけど通院日なので早起きして先に八王子の病院へ。もう8時には採血完了。7時半からやっているらしい。診察も早々に終わり10時には出勤。半休使わないですんだ。お昼は「丸亀製麺」である。来店スタンプ×10でかけ並無料。ありがたい。夜はYouTubeで「僕モテFRIDAY」見たり。WOWOWオンデマンド『誰かの幸せ』を見たり。
■2021/11/27 土曜日。娘の塾に今日は僕が連れていく。塾は立川なのだけど、1時間45分だけなのでその間��映画館に行くことは不可。はー。娘を迎えに行き、ついでに図書館に行く。娘の本を5冊ほど借りる。夜はYouTubeで「9時ゆる」。Netflix『独身の行方2』を見る。WOWOWオンデマンド『インビジブル・スパイ』を見る。
■2021/11/28 日曜日。朝から娘と歩いてMOVIX昭島へ。途中、イチョウの落ち葉がたくさんで楽しい。『ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM Record of Memories』を見る。娘は楽しそうに見ていたが、尺が長いので途中ぐったりしていたな。夜はDiggin' Amazon Prime Videoを収録。
■2021/11/27 月曜日。締め切りのスライドを頑張って仕上げる。どうも体調はよくないらしい。WOWOWオンデマンド『きっと、またあえる』を見る。
■2021/11/30 火曜日なので出勤日。正直、今は会社の方が仕事に集中できる。昼は「丸亀製麺」でカレーうどん。寒いときに食べたくなる。音声配信の編集終わっているやつがあるけど配信する余裕がない。仕事終わってから渋谷へ。この仕事帰りに映画観に行く、ってやついつ以来だろう。コロナ禍になってからははじめてだろう。映画の前に「かむくら」でラーメンを食べる。これも久々だ。ニラをいっぱい入れちゃう。ユーロスペースで『JOINT』鑑賞。事前アナウンスなかったけど監督、キャストのトークもあった。少しずつでもこうやって映画観れるといいな、と思ったけど、そうもいかないような連絡がスマホにきていてがっかりしながら帰宅。U-NEXT『Mr.ノーバディ』を見る。コロナはこのままの状態でいってくれるのか。僕のしんどい状況は良くなっていくのか。まだまだわらないまま11月も終わり。
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香川旅行記
ゴールデンウィーク後半を使って香川を旅行した。計画したのは出発前日の夜中で、今回のテーマはうどん巡りと温泉だ。私は昨年末に二泊三日で高松、琴平、直島、豊島を巡り、うどん7杯を食べて大満足で帰ったのだが、以来香川のことが忘れられず、また行きたいと思っていたところだった。
1日目(5月2日)
午前4時という、朝がひどく苦手な私にとっては信じがたい時刻に友人の車で出発。9時ごろ善通寺に到着し、食べログ一位のうどん屋、長田 in 香の香へ。巨大な駐車場と50mにも及ぶ行列を目の前にして一軒目ながら若干ひるむ。待ち時間を使って宿探しをするも、さすがGWだけあってどこも満室。無計画な私たちも悪いが、10軒ほど電話して空いていたのは一室のみだった。しかし結局宿泊料があまりにも高かったため断念し、並んでいた他のお客さんに健康ランドに泊まれることを教えてもらったので、最悪の場合そこにすることに。一時間弱待った後入店し、釜揚げ大と冷やし大を一杯ずつ注文。各1.5玉で350円だ。つゆはいりことかつおのダシがよく利いており、もちもちの麺からは小麦の香りが強く感じられたいそう美味かった。皆うどんだけ食べてさっさと出るおかげで回転率がかなり良く、11時ごろには食べ終えることができた。
続いて二軒目のはなや食堂へ。地元に愛されるおばあちゃんのお店といった印象。冷やしとタコ天を注文。うどんは200円、天ぷらは300円と安い。小ぶりなタコを丸々一匹揚げた天ぷらは衣が黄色くふわふわの食感。うどんも無論美味い。食後に宿探しを再開し、栗林公園近くのところに電話するとあっさりOKが出た。電話口の主人の対応が少し気になったが、一人一泊2600円、ガッツポーズだ。せんべい布団でも座布団でも部屋でゆっくり寝られるだけありがたいので、即座に予約した。
腹ごなしがてら金蔵寺(こんぞうじ)を覗く。お遍路さんが多くおり、皆お堂の前で一心に真言を唱えていた。友人曰く「水曜どうでしょう」に出ていた寺とのことで、ファンである彼の記念写真を撮った。ここに至るまでの道端の電���には、八十八か所巡りの巡礼者を図案化した標識があった。小さなところにご当地感があってほんわかした。
次はこんぴらさんにお参りすることに。 暖かくなったのと休暇も重なったことで人がごった返している。登り口にあるアカボシコーヒーで一服してからほぼ休みなしで駆け上がる。中腹では神馬2頭を見た。その隣には大型船のスクリュー(直径6m)とアフリカ象の像があった。前者は94年に今治造船が奉納したそう(今治造船HPより)で、当社が海の神を祀っていることやお座敷遊びのこんぴらふねふねでお馴染みの金比羅船に因むことが予想できたが、後者の意図はわからず、奉納品であれば何でも良いのかと思った。関連するとすれば、この山の名が象頭山であることぐらいか。
程なくして本宮へ到着し、参拝の列に並ぶ。普段神社で手を合わせる時は何も祈らないようにしているが、今年に入ってからずっと精神が低調なままので、久しぶりに願をかけてみた。神様はこういう時の心のよりどころなのでありがたい。どうか届きますように。今回は、前回その存在を知らなかった奥社まで行こうとしていたが、道が閉鎖されていたためあえなく断念、またまた次回への持ち越しとなった。さて、全785段の石段往復は少々足に応え、途中で石段籠を見かけた時には思わず乗せてくれと言いそうになるくらいだったが、良い運動になったと思えば悪くはない。籠は参拝客の会話によれば片道3000円程だそうだ。乗っていたのはお婆さん、担いでいたのはお爺さんだった。
麓に下りてから、こんぴらうどん参道店でとり天ぶっかけを食べる。一杯690円だ。二人とも腹が限界で、なぜここまでしてうどんを食べているのかわからなくなっていた。最早それはこの旅のテーマとして設定したうどん巡りの義務感からでしかなかったと言える。満腹中枢が刺激される前に片付けねばならないと、タケル・コバヤシ(※フードファイター)並みの速度でかき込んだ。とり天はジューシーで、麺にはコシがあって美味かったが、胃の圧迫で心臓が止まりそうになり、「うどん死(デス)」という言葉が頭をよぎった。
疲労が甚だしかったため、喫茶店でまたも一服。琴平駅周辺には、「カキ三(さん)コーヒー使用」を看板に掲げた店が多くあり、前回の旅行でもそのオタフクソースのパッケージのようなオレンジと黒の色合いに親近感を覚えつつずっと気になっていた。おそらくそのカキ三を使ったであろうアイスコーヒーで意識を保ちながら、風呂にでも入ってリフレッシュしようということに話がまとまり、近くにあったこんぴら温泉湯元八千代へ。屋上に市街が一望できる露天風呂があるのだ。塀が低く、少しでも浴場のへりに近づけば周囲からは丸見えとなる(といっても建物より標高が高い所からだけだが)ため、内心ヒヤヒヤしていたが、やはり最高に気持ち良かった。受付で混浴と聞いて下品な期待もしていたが、二人組の女の子が少し覗いて引き返していったくらいで、終始客は私たちだけであった。なお、内風呂はごく普通の湯船がひとつあるだけだった。
体力をわずかばかり回復し、瀬戸内の眺望を求めて五色台を目指す。16時半頃、大崎山の展望台に到着し、青空から海へと沈む夕日を眺めた。なんとも雄大なパノラマだ。遠くを見やると、薄水色の瀬戸大橋があやとりの糸のような慎ましさで陸地を繋いでいる。カメラで何枚も写真を撮った。ふと、ここ数日間で覚えた個人的な悲しみに対して、目の前に開けた海は、その豊満な胸で以て私を迎え、倒れ掛かる身体を圧倒的な光景によって生に押し戻してくれているような気がした。そうして下を見れば、山と山に挟まれた湾内の湿地に、草の生い茂る田んぼのようなものが広がっていた。これは木沢塩田跡地といい、秋頃にはアッケシソウという好塩性植物が紅葉することで一帯が赤く染まるそうだ(大崎山園地の説明看板より)。一度そんな不思議な絵を見てみたいと思った。この日は風が非常に強かったため、目だけでなく全身で自然を感じられて嬉しかったが、そのせいで体が冷えたのと日没直前に雲がかかったため、18時半頃に引き上げた。
高松市内中心部に車で乗り入れ、今宵の宿へ。見るからに怪しげな建物に三友荘という傾いた看板がかかっている。隣の広東料理屋の前に中華系とみられる男が3、4人たむろしており雰囲気が悪い。中に入ると、フロントというよりは雑然と物が置かれた生活スペースが大きく広がっており、その山の中から主人が顔を覗かせて、一言いらっしゃいと言った。それから、かなり雑な態度で駐車場を案内され、やべーところに来てしまった、と思う間もなく会計を済ませて鍵を受け取り3階へ。廊下は廊下で床がはがれていたり、アメニティが散乱していたりとさながらお化け屋敷に入ったような気分になる。部屋に入ると、これまた昭和から時間が止まっていると思われるほど古くカビ臭い和室で、その異様さに一瞬たじろいだ。とにかく寝られれば良いのだと割り切ることにして、外へ風呂に入りに行った。
車を20分ほど走らせて向かったのは、市内中部にある仏生山温泉だ。前回も訪れて、その泉質と洗練された建築様式が気に入っていた。町の歴史が古いため、ここも昔からあるのかと思いきや、2005年開業と比較的新しい温泉らしい(仏生山温泉FBより)。入浴施設とは思えない白い箱のような建物入り口の外観が特徴だ。中に入ると、ドーンと奥行きのあるシンプルな休憩スペースがお出迎え。端には小洒落た物産品が並んでおり、また壁伝いには文庫本の古本が並べられている。客がひっきりなしに出入りし、脱衣場と浴場はまさに芋の子を洗うような状態であった。なんとか湯船の空いたスペースに身体を沈め、一日で溜まったとは思えないほどの疲れを癒す。とろりとした湯で肌がツルツルになり気持ちが良い。露天風呂のある広い空間は現代的な中庭といった印象で、入浴体験を一段上のものへ引き上げてくれる。インスタレーション的な、「空間そのものに浸かる」といった感じだろうか。内部はそのように隅まで配慮が行き届いており、とても面白く楽しめた。
さっぱりした後、宿に車を停め、土地の名物である骨付鳥を食べるために歩いて片原町近くの居酒屋蘭丸へ。本当は一鶴という店に行きたかったのだが、長蛇の列を目の前にして断念、ここに並ぶこととした。小一時間ほど待って入店し、とりあえずビールと親鳥・若鳥、それから鰆のタタキ、造り4種盛り、サラダを注文、香川の味覚に舌鼓を打った。特に親鳥は肉がぶりんぶりんの食感で旨味が凝縮されている。スパイシーな和風ローストチキンといった感じで、下戸なのに否が応でもビールが進む。皿にはたっぷりと鶏油が溜まっているが、それにキャベツをつけて食べるとまた美味いのだ。この骨付鳥の他にうどんと言い今日の行程と言い、なかなか歯応えのある旅だと思った。最後に親鳥をもう一皿と焼酎水割り、注いだ先から凍る日本酒を追加し、11時半頃ほろ酔いで宿に戻った。部屋では撮った写真を整理した後、もう一杯酒を飲んでから眠りについた。夜通し風がごうごうと窓を揺らしていた。
2日目(5月3日)
7時半、なぜか小学校の廊下でスーフィーの集団と象に追われるという夢を見て飛び起きた。昨日神馬の横で象の像を見たせいか。しかしスーフィーは全くわからない。2か月ほど前に蠱惑的なズィクル(※スーフィズムの修行)の動画を見たからなのか。とにかく旅にはふさわしくない目覚め方だ。最近何かに追われる夢をよく見るのだが、おそらく疲れているのだろう。今日もよく眠れなかったようだ。他の理由としては強風もそうだが、宿が高架下にあるため電車が通るたび振動で部屋が揺れるのだ。夜中と朝方に何度か覚醒した気がする。昨日20時間近く活動した身体は、子供騙しのような睡眠では回復しきれなかったようだ。
さて、今日は9時出発の船に乗り、犬島へ渡る予定だ。重い身体を叩き起こし、さっさと準備を済ませて高松築港へ。船の時間が近づいている。車を停めてから本気ダッシュで駅のそばにあるうどん屋味庄へと向かうも定���日だったため、近くにあったさぬきうどんめりけんやに入る。待ち時間にやきもきしながら冷肉ぶっかけ小を注文。430円だ。しっかり美味い。ここでも前日のごとくモリモリ腹に押し込み約3分で退店。ひょろい男の異常な食いっぷりに他の客は少なからず引いていたことだろうが、そんなことには構っていられない。再度、悪心を催すほどの全力疾走でフェリーの切符売り場へ。出航3分前、なんとか間に合うことができた。やる時はやる男なのだ、私たちは。などという安堵感も束の間、ここで無情にも定員オーバーが告げられる。肩で息をしながら愕然とする私たち。あーやってもうた、としか言えず、無意識に抑え込んでいたであろう胃の中で暴れるうどんに気付き普通に吐きそうになる。ただ次の便でも行けることが判明したことで難を逃れた。そうでなければ危うく待合所の床にBUKKAKEするところであった(読者よごめん)。そんなこんなで泣く泣く次便のチケットを買い、待つ間しばしの休憩タイムとなった。負け惜しみを言わせてもらえば、朝の海を見ながら飲んだコーヒーと吸ったタバコは格別に美味かった。これも良い思い出だ。
10時過ぎの便に乗り込み、豊島の唐櫃港に到着。レンタルサイクルを借り、次便の出航する家浦港まで急ぐ。豊島美術館に寄ろうとしたが、1時間待ちと聞きパスした。せっかくの機会にもかかわらず無念だ。前回は誰も客がいなかったというのに、やはりGWは恐ろしい。立ち漕ぎで先を急ぐ。山のてっぺんまではギアなしの自転車と寝不足のエンジンにはかなりきつい坂が続いたが、なんとか越えることができた。途中、唐櫃聖水という空海伝説もある井戸に沸く、不思議なほど青々とした水を拝んでから家浦へ。初便に乗ることができていればこのように複雑な乗り継ぎも必要なかったが、私の性格上致し方ない。人生はエクササイズだと考えれば万事ハッピーだ。そうして無事チケットを買い、物産品店を冷かす。豊島の民謡集に熱を感じ、買おうか迷って結局やめた。そしてしばらくして船に乗った。
13時前に犬島着。昼飯に港すぐの在本商店にて犬島丼なるものを食べた。白飯に甘辛く煮た大根や人参とともに舌平目のミンチを乗せ、甘めの汁をかけた瀬戸内の家庭料理だ。これに舌平目のフライと犬島産テングサを使用したコーヒーゼリーが付いたセットで1000円。どれも田舎風の優しい味わいで満たされた。出てから他の店も覗いてみたが、どこもコーヒーゼリーを出していた。単にさっきの店のデザートというわけではなく、これもご当地グルメのひとつのようだ。
そしてようやく楽しみにしていた犬島精練所美術館へ。ここはかつて銅の精錬を行っていた跡地で、美術館内部は入り口から出口まで一定方向に自然の風が流れるように設計されているという。詳細は省くが、三島由紀夫の作品がモチーフになっており、意表を突くような仕掛けが多く、かなり強烈な印象を受けた。しかしその中でも悔しかったのが、便器の枯山水と銅製の文字が文章となってぶら下がる部屋があったことだ。この二つは自分の内に展示のアイデアとして全くと言っていいほど同じものを密かに温めていたのに、こんなにも堂々かつ易々と先を越されていた。やはり所詮は人が考えること、どんなにオリジナリティを確信していたとしても結局は似てしまうのだ。しかしちゃんと形にした人はすごいし、その点素直にあっぱれと言いたい。やや興奮した状態のまま外に出て周辺を散策する。レンガ造りの廃墟にノスタルジーを感じ、その歴史を想像した。少し歩いて砂浜へ行き、海を眺める。風が強いので瀬戸内の海といえど波が高く荒れていた。夏に来て本来の穏やかさを取り戻した海を一度泳いでみたい。その後、定紋石や家プロジェクトという名のギャラリー数軒を見て回る。F邸にあった名和晃平「Biota (Fauna/Flora)」が個人的にグッと来た。発生は常に見えない、と私は詩に書いたことがあるが、言いたいことがそのまま形になっていた。2つの小部屋にはそれぞれ植物相と動物相のバイオモーフィックなモニュメントが数点あった。シンプルな発想ながらそこから湧き出す観念とイメージ喚起力の豊かさに驚かされた。創作において見習いたい点だ。
船の時間が迫っていたため、港まで早歩きで向かった。全体的に時間の流れがゆるやかで静かな島であった。ここからは直島を経由して高松まで戻る。船内では景色も見ずに二人で眠りこけていた。直島に着くぞ、との声で飛び起き、本村港のチケット売り場へ猛然と走る。乗り継ぎ便が10分後に出るためだ。しかしここでも昨日と同じく定員オーバー、30分後に出る次便を待つこととなった。大型フェリーの前にはゆうに200mを超える列ができており、この島の人気の高さが伺える。そうして、ふと並んでいる時に自分のカバンが思ったより軽いことに気が付いた。はてなと思い中を探るとカメラがない。目の前が真っ白になった。置いてきたのは犬島か、船の中か、それとも盗られたか。考える間もなく、カメラ忘れた! と友人に叫びながら乗ってきた高速船乗り場へとダッシュした。出航していたらどうしようかと思ったが、一条の光が見えた。まだ停泊したままだったのだ。息も絶え絶えに駆け寄る私を見た人民服風の上下を着た船員が、カメラの忘れ物ですかあと声を上げる。良かった。あったのだ。すみませんでしたあ! と謝って相棒を受け取る。ほっと胸をなでおろした。どうやら寝ぼけて置き去りにしていたようだ。私は普段あまりものをなくさないので、こういう時必死に探して見つからなければひどく狼狽してしまう。特にカメラのような高価なものだとその後の旅に影響が出るほどだったのではないかと思う。今回は本当にラッキーだった。友人に詫びてから並び直し、島を後に。航行中は展望デッキからモノクロで日を撮った。夜のような昼の写真が撮れた。
16時頃高松に着いた。後は帰るのみだ。最後にご飯を食べようということで、屋島を過ぎたところにあるうどん本陣山田屋本店へ。大きな屋敷を改築した店構えは壮観だ。本陣と名付くのは屋島の合戦ゆえか。前回の旅で、仏生山で終電を亡くした時に乗ったタクシーの運転手が、うどんならここらが本場だと言っていたため期待度が高まる。ざるぶっかけと上天丼を注文。うどんは570円、丼は720円だ。麺はもちもちとしており、良い塩梅にダシの利いたつゆと絡んですこぶる美味い。天丼にはサクサクの天ぷらがこれでもかと乗っており、ご飯が足りないほどだ。今流行りのロカボの逆を行く、ハイカーボダイエットにより思考が停止するほどの満腹感が得られた。これでコシの強いうどんともお別れかと思うと寂しい。京都の柔いうどんも薄味のダシがしみて美味いのだが、やはり一度讃岐のものを食べると物足りなく感じる。またすぐにでも来よう。次はざっくりと計画を立てて。それでは、さようなら香川。
高速道路は予想通りところどころで渋滞が起こっていた。運転は最初から最後まで友人に任せっぱなしだったため大変な苦労を掛けた。ここに感謝したい。約5時間かけて京都に到着。0時半頃に岡崎で蛸安のたこ焼きを食べた。京都の味だ。ようやくカーボ地獄から抜け出すことができたと二人して喜んでいたが、よく考えなくともたこ焼きは炭水化物であった。うどんのオーバードーズのせいで腹だけでなく思考能力さえもやられてしまったようだ。喫茶店はなふさでマンデリンを飲み、旅費の精算をして解散となった。
今回の旅も、弾丸(もはや散弾)にしてはうまくいった方ではないだろうか。休みに行ったのか疲れに行ったのかわからないが、気を紛らわすには最適な強行軍であった。うどんは5杯も食べられたし、その他のグルメも満喫できた。全ては偶然尽くしだったが、無計画だからこそ楽しめたものもある。私の場合は、ある程度見たいところを決めるだけで、そこに行っても行かなくても良いのだ。というよりはその方が楽だから、皆そうすればいいのにと思う。そこには予想もしない出会いがきっと多くあるはずだ。ただ、GWの人出を完全に舐めていたため、宿に関してだけは事前予約の必要性を痛感した。あと、食べ過ぎは単純に苦しいのであまりおすすめない。今回の旅でもうしばらくうどんは結構だ。などと思いつつ、翌日の昼には冷凍うどんを食べていた。どうやら脳までうどんになっていたようだ。しかし季節はそろそろ梅雨(つゆ)に入るので、ある意味おあつらえ向きなのかもしれない。
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やまがたり-出羽國如月独り旅
旅に出る場所。
私は寒いのが大の苦手、という理由だけで
それまでは、自分の生まれ育った関東より西南の、どちらかというと温暖な地域に偏っていた。
真冬の北国だなんて、聞いただけで寒気がしてきていた。
ところが、である。
たまたま近所のカフェで何気なく手に取った、写真家・シャルル・フレジェの写真集「YOKAI NO SHIMA」の中に
藁でできた衣装を身に纏った人たちが、踊り回っている場面を見つけ
なんだこれは・・・面白そう、観に行きたい、という気持ちが頭をもたげてきた。
山形県上山市で毎年2月に行われる民俗行事「カセ鳥」。
寒いの嫌だ、と常日ごろ口にしていた私は
2019年の年明け、生まれて初めて、ユニクロの「ヒートテック」なるものを新宿まで買い求めに行き
「ヒートテック」なる繊維が生地に織り込まれている靴下と肌着を手に入れた。
それまで、ヒートテックというものがどういう形状をしているのか、まったく想像がつかなかった。
東北へ足を運ぶのは人生2度目、10年ぶり。
銀座にある、山形のアンテナショップの観光案内でバスの時刻表や地図をもらい
旅の相談をした。
まずは、昔ながらの旅館の外壁に鏝絵が施されているという銀山温泉。
翌日にちょうど、カセ鳥が行われる上山温泉。
2月の初旬、新幹線「つばさ」に乗り込んだ。
那須塩原を過ぎたあたりから雪が舞い始め、福島では止み
その後、また雪が深くなっていった。
新幹線といえば、東海道新幹線ばかり乗っている私にとって
山形に近づくにつれ、くねくねとカーブを描いてゆっくり走行していく新幹線はとても新鮮だった。
最初の目的地、大石田駅に到着。
もう雪が人間の背丈ほども積もっていて「わあ」と驚く。
シーズン中とあって、銀山温泉行きのバスを待つ人はかなりの長蛇の列で、当然バスの中はぎゅうぎゅう詰め。
入口近くで、なんとか足を踏ん張って30分強の道のりをやり過ごす。
銀山温泉は観光客でなかなかの賑わい。
共同浴場があるようだが、さすがにシーズン中は地元住民限定、と張り紙がしてある。
こんなに観光客が押し寄せてしまったら、昔から住んでいるかたがたは大変だろうなぁ、と思いを馳せた。
本日の宿は天童温泉。
そのまま銀山温泉に泊まればいいのに・・・とお思いかもしれないが。
あろうことか、観光案内でいただいた宿リストの上から順に電話をかけていき、シーズン中の一人客という理由で、見事にすべての宿からお断りの返答をいただいたのであった。
致し方あるまい。
もちろん銀山温泉周辺もかなりの寒さなのだが
日が落ちて、すっかり暗くなった天童の街を歩くと
しんしんと身体の奥まで染み渡る冷たさ。
スマホの地図の温度表示はマイナスを指している。
翌朝、かみのやま温泉へと向かう。
上山の街はこぢんまりし、昔ながらの建物がそこかしこに残っていて
どことなく、親しみがもてそうである。
高台にある上山城まで歩いたり、とにかくうろうろして
なんとなくの土地勘を掴む。
ここ良さそうだな、となんとなく目星をつけたカフェで
1人でも入りやすい、おすすめの夕食どころを尋ねる。
教えていただいた小さなご飯屋さんでは、年配の女性が温かく迎えてくれ
郷土料理の一つ、お麩を揚げたものをいただいた。
次の日。
いよいよカセ鳥の執り行われる当日。
上山城で祈願式が行われるのは朝10時からだったが、私はワクワクして待ちきれず
9時から敷地内にスタンバイし、着々と準備が進められる様子を眺め、関係者がやってくるのを待ち構えていた。
まず最初に、カセ鳥に扮する若者(だけではないと思うが・・・)が
頭に手ぬぐい、上半身裸(女性はタンクトップ)、ショートパンツにわらじを履いた姿で、お城の建物の前の石段にずらりと並び
一人ずつ順番に出身地と名前、カセ鳥に参加した回数を言っていく。
「埼玉県出身、○○ ○○、10回!」と参加者が声を上げるたびに、周囲から拍手や笑い声が起こって
それがまた一層、私たち見物客の心をワクワクさせるのだった。
その後、若者たちは「ケンダイ」と呼ばれる、藁でできた蓑を頭から被せてもらい
何グループかに分かれて、街へと下りて行く。
私も迷わず、第一陣のグループのあとをついて、街へと下りる。
しばらく歩き、街の交差点のように少し広くなっているところへ差し掛かると
先頭にいたおじさんが、スピーカーで
「カセ鳥さまのーお通りだー!」と声を張り上げたのを合図に
ソレ カッカッカーのカッカッカー
カセ鳥 カセ鳥 お祝いだ
商売繁盛 火の用心
ソレ カッカッカーのカッカッカー
と、カセ鳥たちが声を揃えて囃し立てながら
輪になってユーモラスに踊る。
彼らが踊っているとき、街を練り歩いているとき。
住民たちは構わず、彼らに柄杓やらバケツやらを使って水をかけまくる。
カセ鳥たちは黙って受け入れる。
いや、むしろ自ら進んで水をかけられに行く、という方が正しいだろうか。
当日、雪でも降っていたら、カセ鳥さんたちはさぞかし辛いだろう・・・と思っていたのだが
幸い、穏やかに晴れ上がり、寒さもそれほど厳しくはなかった。
周りで見守る地元住民も、カセ鳥に扮した面々も、私のように後をついて回る見物客たちも
みな、満面の笑みを浮かべている。
藁の衣装を纏っていないにしても、まるで自分がお祭りの主役の一員になったかのような
一体感、高揚感を身体に感じつつ、結局正午くらいまで、ずっと一緒になって街を歩き回った。
しかし---さすがに、ずっと歩き通しではそろそろ空腹を感じる時分に差し掛かった。
一段落したタイミングを見計らって、駅から40分あまり歩いたところにあるドーナツ屋さんを目指した。
カセ鳥を追って歩き回った上、さらにそこそこの距離を歩いたものだから
店に辿り着くや否や、空腹に耐えきれず、普段どちらかというと少食ぎみの私が、気づけばドーナツを4つも注文しており
お店のかたが「大丈夫ですか?」と面食らっていた。
案の定、3つ目を食す頃にかなりの満腹を感じたため
残りの1つは持ち帰りにしてもらった。
そして、空腹だけではなく---もう一つの危機感を覚えることになる。
カメラのフィルムの残り、である。
カセ鳥の活躍っぷりを余すところなく捉えたい、と意気込んで撮影し続けるあまり
フィルムの残が心もとなくなっていた。
ここはほぼ土地勘のない東北、山形・・・
上山は大都市というほどの規模ではないから、フィルムを置いているお店がまったくない、という可能性も十分ありうる。
とりあえず足で探すしかない、とばかりに
近くのコンビニ、土産物屋、写真館などをあたってみるが、手応えはないまま。
どうしよう・・・と焦りばかりを募らせていた、のだったが。
あれ?
そういえば・・・駅のすぐ近くに、レトロな佇まいの写真屋さんがあったよな・・・
もしかしたら、あそこなら、置いてあるかもしれない・・・
どきどきしながら、ドアを開ける。
左手のショーケースには年季の入ったカメラ(おそらくフィルムカメラなのではと思う)が数台並び
年の頃が私と同じくらいか、少し若いくらいのお兄さんが正面のカウンターに立っている。
「フィルム?ありますよ!」
やった!
鹿児島・枕崎に次いで、ここ山形でも運良く命拾いをしたのであった。
お祭りがお開きになる15時ごろ、一連のカセ鳥たちが一斉に駅前の広場に集まって
カッカッカー、カッカッカーと締めの踊りを披露する。
カセ鳥役の若者たちが、次々と藁のケンダイを頭から脱いでいく。
役割を終えたケンダイは軽トラに無造作に放り込まれ、そのままどこかへ持って行かれてしまった。
名残惜しいけれども、終バスに間に合うよう、次の目的地の宿に向かわねばならない。
在来線のボックス席に腰掛け、どこまでも広がる雪の積もった平野を眺める。
夕陽が薄く差してはいたが、雲は厚くたれ込め、真っ白い畑の向こうに数軒の家がぽつぽつ見える。
もし私が、こういう雪国に生まれ、生活していたとしたら・・・
なんとなく、気分が塞いでしまうのではないか。
ここに住むひとたちは、厳しい環境下にあっても
それなりに日常を愉しめているだろうか・・・
地元のかたには失礼極まりないかもしれないが、そんなことをぼんやり考えていた。
17時ごろ、米沢駅に着き
白布(しらぶ)温泉行きのバスに乗り込む。
この温泉地は、たまたま銀座にある山形のアンテナショップの観光案内でお薦めされ
当初、訪れるつもりはなかったけれども予定に組み込んだ地である。
バスは、すっかり暗くなり、灯りも差さない山道をくねくねと進んでいく。
ほんとうにこんな山奥に、温泉なんてあるんだろうか・・・
バスには乗客は私一人しか乗っておらず、道中不安で心細くて仕方なかったが
バス停に着くと・・・ほど近いところに門柱があり、男性が懐中電灯を持って待っていてくれた。
すっかり雪の積もった石段を下る。
「足下、気をつけて下さいね」と懐中電灯で照らしてくれた。
なんて温かい心遣いなんだろう・・・
宿の入口を入ると、正面に囲炉裏のある和室があり
女将さんが、甘酒を振る舞ってくださった。
それまでの不安は一気に払拭され
温かな感謝の気持ちでいっぱいになった。
宿はなかなか年季の入った建物だが、丁寧に手入れされている。
当日は祝日で、翌日が平日だったからか
宿泊客はあまりおらず
大浴場も、利用した際は私一人だけだった。
こんなに広々としたお風呂や空間を独り占めしてよいものか…
少々戸惑いながらも、仄かな白熱灯の灯る空間の湯船でゆったり身体を休めた。
翌朝。
せっかくなので、露天風呂に入ってみようと思い立ち
大浴場の隣の、簡易な脱衣所の引き戸を開ける。
やはり、今日も誰もいない。
屋外に出てみると
予想通り、身を斬るような冷たさが全身を襲う。
しかし、ひとたび湯船に身を沈めると…
筆舌に尽くし難いほどの幸福感、安心感。
辺りには雪を冠った針葉樹が広がり
時折、ばさっ、と音を立てて雪が雪崩れ落ちる。
そんな様子を眺めながら
ぼんやりと、朝の雪国の空気と、じんわり身体を包み込むお湯の温かさを膚で感じていたのであった。
旅の道中、積もった雪を観るばかりで
あまり雪に降られることはなかったのだが
米沢の街に来たところで、しんしんと
けっこうな量の雪が降り始めた。
バスの便が悪く、お昼を食べようと思った喫茶店まで
駅から40分あまりの道のりを、降雪をかき分け歩くことになった。
米沢牛、と書かれた看板のお店を尻目に
橋を渡り、喫茶店へ。
お昼を食べて、また40分あまりかけて
駅へと戻る。
雪は勢いを衰えさせることなく、ただしんしんと降り続けている。
駅の軒先で、ふう、と一息つくと
いつの間に現れたのか、見知らぬご婦人が
「ねえ、ちょっと、雪払っていい?」と仰って
雪をサッサっと払ってくださり
そのまま、何も言わずに去ってしまった。
自分では分からなかったのだが…私はその時、全身かなりの雪まみれだったようである。
土地勘のない雪国で、住民と一体になってカセ鳥を楽しんだこと。
温かなおもてなしをいただいたこと。
思わぬ親切を受けたこと。
2月のこの思い出は、静かに穏やかに
いまも私のこころを暖かくさせる。
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「流れる雲のように」 第18話 末井昭
高校卒業し出版界に入るまでの苦悩と葛藤を描いた連載小説! 挿画/東陽片岡
「流れる雲のように」 第18話 末井昭
18. 描くテロリズム
清風書房でイラストの仕事を始めてから、憂うつな日々が訪れるようになりました。
描きたいもののイメージはあるのですが、具体的に何を描くかが決まりません。いつものようにノートを持って喫茶店に行き、考えていることをメモします。しばらくご無沙汰していた「情念」だ「死」だ「闇」だといった言葉が、再び頭の中で飛び交うようになりました。
俺が「死のイメージ」と言うと、人は多少の軽蔑を込めて「好きだねぇ」と言う。そこで会話は止まってしまう。俺が生まれた山奥の村。死霊が村を覆っているときがある。人が死ぬ。雨が降る。そしてまた誰かが死ぬ。「あの人に呼ばれたんだなあ」と誰かがいう。死のイメージなんか誰も好みはしない。が、しかし、死のイメージは厳然としてある。
死のイメージもそうだが、不吉なもの、醜悪なもの、おどろおどろしいものなど、誰も見たくはないだろう。しかし、いま東京で生活していて、人間の醜悪さに蓋をして、表面的な人間付き合いをしている自分に不安がある。それは自分をどんどん孤独にしてゆく。
毎日意味のない会話に明け暮れ、どうしようもない虚無感の中で生活している。これは絶望ではないだろうか。絶望を感じた者にとって生きる為の手段は、その日常を打ち壊していくこと、己の内に闇を抱えその中に潜むこと。俺は闇の中に潜むのだ。
いま読むと、わかったような、わからないような文章ですが、内向的で、コンプレックスが強く、人とうまくコミュニケーションが取れない自分の居場所を、「闇」と呼んでいたのではないかと思います。
その「闇」をひっくり返して「宮」にして、宮五郎と名乗ることにしました。五郎は、藤田五郎原作の映画「無頼 人斬り五郎」から取りました。闇の中に潜み、イラストレーションという表現で人斬り五郎のように見る者を斬る、といったイメージがあったのだと思います。
(これは余談ですが、宮五郎という名前にしてから1年ぐらい経ったころ、ぴんからトリオが「女のみち」という歌でデビューし、一躍有名になりました。そのメンバーの中に、うしろで突っ立ってギターを弾くマネをしている人がいるのですが、その人の名前が宮五郎といいました。ボケーッとした顔で、ギターのネックの同じところを押さえている姿をテレビで見るのが恥ずかしくて、宮五郎という名前はそれから使わなくなりました)
描くものはみんな暗くてドロドロしたものばかりでした。そのころ読んでいた夢野久作の小説「ドグラ・マグラ」の最初に出てくる、「胎児よ 胎児よ 何故踊る 母親の心がわかって おそろしいのか」という詩のような文章にドキッとして、その文章を元にイラストを描いたりしていました。
こんな日記もあります。
いま描きたい絵は、ダイナマイトを腰に巻き付けたロングコートの男、相手が来るのをじっと待つ日本刀を背にした男、スパッと斬った田中角栄の首が空を飛ぶところ、そんなテロルのイメージがある絵だ。凝縮した情念、恐ろしいまでの孤独、そういうものがテロリストと重なるからだ。
絵が完成するまでは闘いだ。白い紙との闘い。白い紙に己の怨念を染み込ませる闘いだ。白い紙はいつでも白け切って己の前にある。それを闇で塗り潰すことが絵を描くことだ。出来上がった絵は己の分身だ。その分身と誰かの対話が始まる。それもまったく通じ合わない対話が。
そのころ学生運動は武装闘争が過激になっていたので、その影響もあって、絵を描くことが、自分にとってのテロリズムのように思っていたのかもしれません。
「通じ合わない対話」とは、自分が描いたイラストがまったく評価されないということです。評価されないことが最初からわかっているのです。それは、自分で評価していないということでもあるのです。そういう出口の見えないモヤモヤで、いつも憂うつな気持ちになっていたのでした。
イラストの仕事だけでは生活できないので、クラウンの看板描きも続けていました。忙しいときには、あの「黒い太陽」の近松さんに手伝ってもらっていました。
クリスマスが近付くと、看板の注文が多くなります。クリスマス前後はピンクサロンの書き入れどきです。値段も通常時の1.5倍から2倍になります。看板も、メニューも書き換えなければなりません。
クリスマスイブの12月24日も、クラウンの地下室で看板を描いていました。店は満員の様子で、上からバカ騒ぎの声が聞こえてきます。かじかんだ手に息を吹きかけながら看板を描いていると、何もかもぶっ壊れてしまえ! といった気分になってきます。
その日の午後7時15分に、新宿伊勢丹横の追分交番でクリスマスツリーに模した時限爆弾が爆発しました。クリスマスというキリスト教の行事を、商業主義が消費のためのお祭りに仕立て上げ、バカどもは浮かれ騒いでいる。クリスマスなんてぶっ壊れてしまえ! と思っていた僕には、この爆弾事件には感慨深いものがありました。そしてこの爆弾を仕掛けたであろうテロリストに、強いシンパシーを感じたのでした。
堂々巡りばかり続く自己表現の束縛から解放されるきっかけは、東京三世社の仕事をするようになったことです。清風書房を紹介してくれたカメラマンの山崎さんと同じパターンで、クインビーの宣伝課にいた阿部くんというカメラマンが、東京三世社というエロ雑誌を出している出版社にヌードカメラマンとして入り、仕事を紹介してくれたのでした。
東京三世社は老舗の出版社で、『実話雑誌』『SMセレクト』『MEN』『PINKY』といったエロ雑誌を出していました。同じエロ雑誌でも、清風書房のものに比べてクオリティーが高いと思いました。
編集部はクインビー宣伝課のあるビルから御徒町に少し行ったところにある、古いビルの1階にありました。
編集者が出てくるのはたいがい夕方からで、午後7時ごろから12時ごろまでがみんながいる時間帯です。校了のときなんかは朝までいる人もいて、完全に昼夜逆転していました。
僕が頼まれた仕事は、捨てカットや書き文字です。仕事を貰ってきて家でするのではなく、現場に行くのです。電話が来るのはたいてい入校日の前日で、ペンや筆や定規や墨汁やケント紙などを持って編集部に行き、空いている机を借りて待機します。
隣ではベレー帽を被った人が、原稿用紙に向って『実話雑誌』の原稿を書いています。明日入校だというのに、まだ原稿を書いている状態です。
「実話」というのは、ノンフィクションということだと思っていました。下着泥棒を捕まえてみたら元警察署長だったとか、主婦が産婦人科の先生に診てもらいに行ったら犯されてしまったとか、そういう事実を取材したり、当事者から聞いたりして書いているものが実話だと思っていたのですが、実際は隣にいるベレー帽の人のような実話作家たちが、さもあったかのようにサラサラ書いているのです。職人の仕事のようです。その原稿を編集者が割付して、空いたスペースに入れるカットを僕が描くのです。
「宮さん、それが終わったらこれをお願いします」と、次から次に仕事を頼まれます。まるで突貫工事のように、みんな忙しそうに仕事をしています。次の日に入校しないといけないので、みんなテンションが高くなっていて活気があります。「飯でも食べに行こうか」と言って、連れ立って外に出ていく人がいたり、仕事が終わったのか、「よ~し、トルコ(ソープランド)に行くぞ」と言っている人もいます。そういう声を聞きながら、僕は黙々と仕事をしていました。
もう表現がどうのとか、死のイメージがどうしたとか言ってる場合じゃありません。とにかく早く描かないといけないのです。それに捨てカットやレタリングに表現もクソもありません。
朝の3時か4時に終わって、タクシー代を貰って帰るのですが、タクシーに乗るのはもったいないので、上野まで行って日比谷線の始発電車を待って帰っていました。眠りこけてしまい、中目黒の車庫に入った電車に一人取り残されていたこともあります。
東京三世社の仕事をするようになって、自己表現にはこだわらなくなりました。編集者が求めているものを早く仕上げる、そのことだけを心がけるようになりました。
(続く)
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2019年・夏【往路】
【はじめに】
8月9日、仕事を片付けて帰宅。さて、明朝から旅に出るぞ!と、上機嫌に洗濯を回していると何やら・なぜか・何かがおかしい。アマゾンプライムで流していた「いろはに千鳥」の音が急に消えたのだ。アレ、アイフォンで流してるはずだけどな?そろっとアイフォンに目を遣ると画面は真っ暗、全く充電されていないのである。アラ、旅直前にして壊れちまった!これは困るなあ、とトチ狂ったようにガシャガシャ充電のケーブルを抜き差し。しばらく格闘し爽やかに汗を流した直後、気付く。愕然。もしかすると。ハア。ご名答である。普段、マックにぶっ刺したハブ経由でアイフォンを充電しているのだ。その通り。なんと「ひんし」だったのはアイフォンではなくマックの方だったのだ(通りでアイフォンまで電気が通らない)。さて、ド真夜中。ポケモンセンターなら24時間営業・無償かもしれんが、アップルストアは要予約、はてさて一体おいくら万円掛かるのかしら。どうあれ、マックをマサラタウン(実家)まで連れて行くのは取り止めだ。旅行先で細かい仕事を片付けるつもりだったのになあ。しかし、自宅に置いておくとはいえ旅から戻ってもマックが壊れたまんま、というのは色々とマズイ。ライトニングケーブルと闘い続けたボクサーは、明朝アップルストアに殴り込むべく改めて拳を高く掲げるのであった。余談だが、ポケモンセンターのお仕事って、とってもブラックではないだろうか。ずっとナースのネーチャンいるよなあ。兎にも角にも、明日はホワイトな林檎マークに向かい「めざせ!ポケモンセンター」すると決めて、私は軽やかに寝落ちしたのであった。
【1】
明朝。日付で言えば8月10日。フツーに寝坊した。11時半、めちゃくちゃ素敵なお昼時である。マックどうのこうの、の件で出発を遅らせたが、そもそも朝の出発は難しかったのではないか、いやはや。さて、9時過ぎ。早速アップルストアに問い合わせる。お姉さんの声・電子音ver.が流れた後、人間のお姉さんが対応する。「あの、マックがブチ壊れてしまって」(中略)「赤坂見附のビックカメラであれば本日受付可能です」。というわけで、「まずは湘南を目指して」「熱海をカメラに収めたい」はずの青春のひとり旅は、「まずはポケモンセンターを目指して」「赤坂のビックカメラに任せたい」を経由して始まることが確定。マック赤坂当選ならぬ、マック・赤坂見附・通せんぼである。
最寄りの中野駅発、中央線・丸ノ内線を乗り継いで赤坂見附へ。ビックカメラに到着するや否や、特筆すべき話題もなく私のマックはカウンターの奥へと引き取られ消えて行った。達者でな、というかお前壊れるタイミング考えろや、という本音ダダ漏れで見送った後、急に腹痛が。こちらのダダ漏れはヤバイ。一旦四ツ谷駅まで移動し、やけにオシャレなトイレへと駆け込んだ。ハイ。ここまでの文章を、電車を乗り継ぎ、だらだらと、最終的にはトイレでウ◯コしながら書いている。この上「性春18禁」などとタイトルを決めてしまったので最早ほとんどスカトロAVである。フツーに出発してフツーに終わると思っていたけれど、どうも私はいつでも地獄を突き進むらしい。こんな調子ではございますが、「性春18禁ひとり旅」開幕です。
【2】
四ツ谷で始まるとは思っていなかった「性春18禁ひとり旅」。元々1日目で京都まで行きたい!と思っていたけれど本日の残された時間を考えると中々に難しい。難しいならいっそ四ツ谷でめしを食ってしまうか!と思い切り、街へと飛び出した(「飛び出した」と言っても駅前の横断歩道を一本、二本渡っただけだが)。パッと目に入った店に入ろう、と決めてテキトーに歩いていると「アジア大衆料理」を謳う独特なカラーリングの看板を見付けた。冷静に考えると、「アジア料理」って何やねん。店の前にはベトナムと書いてある。ドアにはパッタイの写真。最早和食すらあるんちゃうか?という謎の店構え。ええやん、入ったるわ、と猛スピードで飛び込んだ。横断歩道を渡るのとはワケが違う。店に入ると気のイイ感じのオバチャンが「イラッシャーイ」とお出迎え。「アジア料理屋のオバチャン」って一体ナニジンやねん、というツッコミは色々とアレなので避けておき、颯爽と席へ着く。一人も客おらんがな。オバチャン大丈夫かいな。メニューをパッと開いて目に入ったのはパッタイ(タイ風やきそば)だった。どうやらイチオシらしくデカデカと載っているのだ(キャッチコピー付き)。なるほどタイ人の方なのね、とアジアンオバチャンを呼ぼうとしたその時。オバチャンが客入っとんのに華麗にYouTubeをみているではないか。「オイ注文やで」と声を掛け「コレくださいな」とオーダーするその間、私はタイ風焼きそばのことなど一寸と考えていない。オバチャンが何を視聴しているのかが気に掛かって仕方ないのだ。目を細めて画面をみる。みえないので姿勢を変える。おっ、みえた。アレ?並んでんの漢字だな。ん?コレ中国版「朝まで生テレビ!」的なヤツじゃね?うむ、どうやらオバちゃんは中国の方らしい。しかし中華料理はメニューに並んでおらず、「エスニック」と括られる系の異国の料理の写真ばかりが載っている。一体全体彼女はどういうルーツの方なのよ、と小さな飲食店で「坩堝」的な何かすら感じてしまっている。
【3】
色々な生き方があるもんだね、と妙に感心して間もなく気付く。アレ、この店厨房ないやんけ!ぐるぐる店の中を見回しても、ない。暫くぎょろぎょろと周りを眺めているとアジアンオバチャンが、私が口を開くまでもなく質問事項を読み取り、「リョウリハ、ウエヨ」と先回りして教えてくれた。二階で料理しとんのかいな。わざわざ持って降りるんかいな?と思ったその時。ウィーン。リフトである。こういうタイプの店でリフト採用しとんのかいな。高架下と駅二階両方に入り口あるタイプのマクドナルドかい。
色々とツッコミどころのある店だったが、こういう類のぐちゃぐちゃ感はなぜか憎めない。遂にオバチャンはYouTubeをみながらめしを食い始めた。ぜんぶ許しましょう。もう暫く滞在したい気持ちもあったが、せめて今日中に熱海までは出てしまいたいのである。金を支払い出発する直前、オバチャンが話し掛けてきた。「ナツハ、オヤスミカイ」「あい、休みでこれから旅しますねん」。そう伝えると急にオバチャンが奥からゴソゴソと箱ティッシュを取り出した。旅にティッシュ?旅人を見送る中国特有の伝統か?ワケもわからずティッシュを引き出す私。困惑する私に、オバチャンが「ハナミズ」と。私が鼻水垂らしてるだけかいな。気付かんかったわ。どんな��イミングでティッシュ差し出しとんねん。ありがとう。
やることなすこと一つとして納得できない店だったが、妙に愛らしく思えてしまう。今回の旅はこんな素朴な出会いから始まった。いや、まだ始まってないのか。ちなみにマクドナルド四ツ谷店のパッタイは大変すこぶるビミョーであった。
【4】
「青春18きっぷ」には、「四ツ谷」と判子が押されている。さて、まずは新宿へ。湘南新宿ラインと東海道本線を乗り継ぎ熱海を目指すのだ。そう言えばフツーに「性春18禁ひとり旅」なんて言っているが、これって一体なんぞやと。ハイ、私の故郷は東京より西に下ったその先の、鳥取という地にありまして。そちらを終点と定めて夏・冬に鈍行ひとり旅(帰省)を決行しているのでございます。この度も御多分に洩れず東京は四ツ谷を始点(図らずも)として旅が始まろうとしているのでした。「性春18禁」に深い意味・意図はございませんので悪しからず。
さて、熱海に着いた後間に合えば名古屋まで走りたいところだが、はてさてどうするか迷いどころ。ビミョーなパッタイを濃い味・名古屋めしで搔き消したいのだが、そもそも電車の本数があるかないか次第なのである。一旦流れに身を任せ。
ひとり旅漸くスタート!と言ってもぶっちゃけ電車の中は暇。今回はマックがブチ壊れてしまったので、車内で映画みる・ゲームするなんてことも難しい。もうホント、やることがない。画面真っ暗のせいで、お先真っ暗である。
代わりにいくらか本棚から摘んだエッセイを持ち込んだ。この辺りを読み込んで時間を潰したが、暫くして飽きた。コーヒーを飲んだ。お茶を買い忘れた。もうそろそろ熱海に着く。名古屋まで行きたいな、などとぼやいていたが辿り着くにはやっぱり時間が足りないらしい。というワケで、本日の終着点を浜松と定めた。その前に、どうあれ熱海で2時間ほど休むことにしたのである。
【5】
間もなくして熱海に到着した。大して歩いてもいないのに、身体が痛い。さてこの地では何が起こるか。地獄へGOしてしまう性分の私に何が待ち受けているか。地獄巡りとは、本来そんな意味ではないのだが。温泉だよなあ、温泉。温泉?いや、やっぱり熱海に来たからには海なのか?海に臨まねば。テキトーに歩いている内に、目的地は海へと変わっていた。しかし土地勘のない私はひたすらに歩き回る。テキトーに辿り着けない立地ではないはずだ。潮風の方へ(グーグルマップを見ろよ)。
暫くして海に到着した。しかし、防音壁なのか何なのか、真っ白の壁に覆われているではないか。壁の向こうに海があるのに見えない状況。思い付いたのは超古典的「高台」作戦である。シンプルに高い所から見下ろせばいいのでは?と、目に入った「何に繋がるのかワカラナイ階段」を登った(今思えばアレ、廃病院とかだったんちゃうか)。まあ良き夜景の広がること。スゲー!と言いたいものだが、流石に熱海じゃ街の光量が足りず、海は真っ暗、街明かりもまあまあ許せる程度といった感じである。この弱さ・儚さがイイんだよな、と私はにやけているが、私の周りにいたお兄さんお姉さん方はこの夜景をどう思っているのかしら。隣りのニーチャン・ネーチャンは海を見ながらラーメンの話をしていた。
【6】
海を見たら満足した。やけに満足してしまった。折角来たのに熱海は終わりかなあ。しかし、海だけで終わらせるのはどうにも勿体ない。時間もあるのでフラフラと散策した後、軽食を摂ることにした。道中、坂を登ったり階段を走ったり。熱海特有・街の高低差に体力を奪われながら、昭和の香り漂うスナック喫茶「くろんぼ」へと辿り着いたのである。
渋さと可愛らしさを兼ね備えた看板を眺めつつ階段を降りていくと、「よくある喫茶」と「よくあるスナック」が融合した憩いの空間が広がっていた(当たりだ!)。出迎えてくれたのはアジアンオバチャンとは異なるタイプのお淑やか・オバチャンだった。このオバチャンも看板・内装に負けず劣らず渋&キュートを極めている。席に着いて思わず「フーッ」と息を吐いた私に、「旅です?」と投げ掛ける渋キュー。「ええ、東京から来てんス」と返すとその後は特に何を語ることもなく、一人微笑んでいた。
ザ・日本食、花柄の皿に盛られたカレーライスと緩く冷えたアイスコーヒーをいただく。渋キューさんに向けて道中について話そうと試みたが、ぶっちゃけ道中であったことなど何もなかった(マックが壊れた、パッタイがビミョーだったなどは決して旅の話ではない)。ふと我に返る。そっか、まだ旅してないんだなコレ。そう思い始めると少し笑ける。目的も持たず、観光地を巡らず、ただ歩く。一般的に言えばコレは旅ではないのかもしれん、と思うと笑けてきた。どうせフツーに旅などできないのだ、もうこの砕けた旅を続けるのも一つアリではないか。そんなことをぼうっと考えている内に、緩く冷えたコーヒーは放ったらかしすぎて半分水になっていた。
また来ますね���、と目処の立たない口約束を交わして喫茶「くろんぼ」を後にする。てくてくと熱海駅に戻る道中にホンモノのマクドナルドを発見した(パッタイはない)。立ち寄らねば。決してハンバーガーを食べたいわけではない。充電がないのだ。先程コーヒーを飲んだところなので、またコーヒーを頼むのと胃が破れる。紙パックのミルクをオーダーし、暫し場を繋いだ。結局充電は10%ほどしか溜まらず、胃の中の水分だけが増えたのだった。
【7】
さて。電車は走る。お次は沼津へ向かうのだ。時刻は22時。現在静岡。近くで花火大会があったのだろうか、電車の中は浴衣を纏った中高生やマイルドヤンキーたち(見た目の話)で溢れている。マイルドヤンキーといえば、いつの時代もその類の人々は見た目で何となしに分かってしまうものだが、随分私のガキの頃とはルールなのか、流行りなのか色々と変わっているらしい。昔はキティちゃんのサンダルにプーマのジャージを着た輩風のニーチャン・ネーチャンがなんかイケてる扱いをされていた。当然私は、といえば冴えないフツーの子だったために(エッヘン)。そんな文化に染まることなくコンバースのスニーカーを履いていたのだった。
充電の溜まらなかったアイフォンを触っていては後々困るからと、手持ちの本を読み進める。しかし一度読んだ本。流石に早々飽きが来る。満員電車内で座ることもできず、いつの間にか旅が面倒臭くなっている自分がいる。誰が決めたんだ、ああ。お前がやる言うたからやんけ、と自身を奮い立たせるべく、ウコンの力スーパーを激しく一気飲みした。効果は未知数(何もない)。旅に対するだらけた気持ちが芽生えた頃、取り敢えず身体だけでも沼津へと到着した。さて、ここから静岡・浜松と移動して今日の旅はお終いなのだ。後一踏ん張り、飽きずに頑張って欲しいものである。ぜひ良ければ心も、追い付いていただきたい。
【8】
浜松に到着、日付変わって8月11日0時26分。青春18きっぷに2つ目のスタンプが押された。この時期はやっぱり18きっぷで旅する人々が多いらしい。改札にスイカを翳して(あるいはイコカなのか)、すっと抜けて行く人々の横、駅員さんによる目視での確認を待つ行列が伸びていた(青春18きっぷはJR一日中乗り放題の権利を、なんと5日分も手に入れられるという魔法の切符なのである。使い方は簡単。1枚の切符に例えば「8月10日」のスタンプが押されれば、後はそのスタンプを駅員さんに見せることでどこへでも行けてしまうのである)。もちろん私も青春18きっぷを確認していただくべく、その行列に追随する。おや、私の前のオッチャンが何やら揉めているのだ。どうやら、8月10日中に浜松に到着したかったのに乗り換え等々失敗してしまったらしい。繰り返すが、日付変わって8月11日0時26分。たったの26分過ぎたことで、青春18きっぷには次の日のスタンプを押されてしまうのだ(私の場合は明日もどうせJR乗り回すからスタンプ押されてもオッケーなのだ。どうもこのオッチャンは翌日JRを乗り回す予定がなかったらしい。すると1日分の切符が無駄になってしまうんだね)。どうもこの仕組みに納得できず、ギャーギャーごねていたのだ。遂には話を捻じ曲げて、「電車が遅延したんだ!」と言い出す始末。スタンプ押さずに通せ!と。おお、駅員さんも大変やね、という気持ち半分。早くしてくれ、という気持ち半分以上(足して100%越えているのは悪しからず)。しかし強面の駅員さんは、青春18切符にそんなルールはねえんだ、とハードボイルド対応で眉間に銃を突き立てていた(嘘ですよ)。結局たったの26分にスタンプ1個を捺印され、オッチャンは儚くも浜松の地に散っていった。次に並んでいた私もスタンプを1個押されてしまう。ま、先述の通り、私は明日も旅をするので全く関係ないのだけれども。
さて、浜松に着いたはいいが、ここから何をするということもあるまい。お宿を探すのだ。残り数%しかないアイフォンでグーグルマップ。近くのカラオケを探し出す。北口に「まねきねこ」があったので今夜はここで歌い叫びながら一泊することにした。烏龍茶を注いで、14号室へ。よし、折角歌える宿に来たのだ。何か歌ってから寝よう、と何も考えなく���も歌える、くるりやら何やら数曲を予約した。「ロックンロール」を歌っていると、途中金髪のニーチャンが間違えて入って来た(天国のドアを叩いている途中に地獄のドアを開くなよ)。歌い疲れて靴を脱ぐ、靴下を脱ぐ。ソファの上に横になる。グー。就寝前、タオルで身体を拭き、Tシャツを着替えたが、本当は流石に一風呂浴びたかった。明日は米原経由で京都に向かう。京都に着いたらサウナに行こう。梅湯に行こう。
【9】
アラームが鳴る。5時40分。さて、3時間ほど寝れたので旅を再開する。浜松駅から米原までは直通で2時間半。寝ようと思ったがどうも寝付けず、じゃあ本でも読むか、と読み始めて間もなく眠気が襲った。ふと目が覚めた時には既に米原。車内の人々が乗り換え時の席の奪い合いのためか、ほとんど競走馬然としている。ここが勝負だからな、とハイテンションに語るジーチャンはいざドアが開くと若者たちにガンガン抜かれていった。京都駅まで1時間。米原まで散々寝た私は、まあ座れんでもええか、くらいに考えていたのでこの熱気に共感できなかったが、案の定座れなかったジーチャンは、悔しそうに、クソ、クソ、などと申していたのが逆に笑けてしまった(言葉、ママではない)。とはいえ、ジーチャンなのですから誰か譲ってあげてもいい気がするが。
座れなかった、もとい座らなかった私は、本を読んだりアイフォンを突っついたりして時間を潰す。すると、急にオッサンがマスターベーションに興じている動画がエアドロップで送り付けられてきた。ははん、最近巷で噂のエアドロップ痴漢ってヤツだな、と若干興奮を覚えながらも充電食いそうだったので拒否しておいた。スマンな、オッサンのチ◯コ。躍動感ある下腹部の様子はサムネイルのみ拝見させていただいた。
そんなこんなで松沢呉一を読み耽り1時間を費やす。
【10】
いよいよ古都・京都府へと馳せ参じたのだった。駅構内を進んでいると、ぽてっと落ちている免許証を発見。改札出るついでに渡しておいた。これは割とどうでもよい話。
まだまだ発育している途中、伸び続けていると噂の京都タワー(嘘です)。デカブツを横目に東へと、北へと進み目指すは「サウナの梅湯」である。「性春18禁ひとり旅」の際、毎回立ち寄る素朴な銭湯。その名の通り、レトロな浴槽並ぶ向こうにサウナが併設されているのだ。カラオケで一夜を過ごした私は、汗ばんだ身体を癒すべく、この古びた湯屋の暖簾をくぐるのであった。
至福の瞬間である。汗を流して、湯に浸かる。壁面にはスタッフが手作りで仕上げた新聞が並んでいた。他に眺める物もないので、手書きの文字をじーっと追う。「京都に住んでいたわけではない、大学に入ってはじめてこの土地に来たのだ」という女子学生の手記。暫く読んで、「最近くるりの“京都の大学生”を聴く」、と続く。わかっているねえ。京都の大学生、心に来はったわ。
サウナと水風呂を繰り返し、腕時計(防水)に目を遣る。そろそろか。実はこの無計画の旅にも多少の計画が成されておりまして。なんと、同期のイラストレーター・もちがわが、丁度京都にて個展を開いているのであった。折角なら酌み交わそうと、電車乗り換え・梅湯の隙間に時間を作り、フラフラ新京極へと向かう。
【11】
五条から四条。地下鉄で走り新京極に降り立つ。「この店で昼呑みをしたい」と事前にもちがわから提案されていた酒屋(定食屋?)があった。「京極スタンド」である。12時開店に合わせて行ったのだが既に行列が続いている。早めに向かって正解だった。ちなみにスタンドへ向かう途中に、有名な判子屋さんで「ターバン男」という名の判子を買った。これもそこそこどうでもよい話。
中は素朴。「イイ意味で」小汚い単なる定食屋である。昼呑み目的で来ていることは店員・顧客ともに同意の上なのか、席に着くや否や酒のオーダーについて声を掛けられる。大瓶とグラス2つ、暫くしてポテサラ・ハモ天・冷やしトマト・うにくらげ・ホルモン焼き・ハムカツという奇跡の役満オーダーを叩き出した。いつも東京で呑んだくれている二人が敢えて京都の地でアルコールを摂取する。
「昔から京都にちらほら来てたんよねえ」「そうそう」同期・もちがわのこれまで、などというと大袈裟か、どうか。そんな類の話を聞いた。いつも会っている同期のはずが、場所と食事を変えればまた違う。そして、どう話しても、どう黙っても塩山椒の乗るハモ天は旨い(旨いなあ、と思いつつ最後の一切れをもちがわに譲った私はとてもエライのである)。ホルモン焼きはこれまでか!という量のガーリックにまみれていた。うにくらげも、クセなく絶品。
【12】
ごちそうさんでした、と出口へ。そろばんでのお会計。丁度よい程度に酔いが回った。地下鉄が来ちまうから一旦四条駅近くまで移動しよう、と炎天下のアーケードを闊歩する。東京のカラっとした熱気とは異なる、じんわりと体力を奪う熱、夏。会話も、あっちいなあ、あっちいなあ、ばかり。途中、言うても次の列車まで時間あるよなあ、ということでパッと目に入った喫茶に入った。夏バテ予防に、普段頼まないトマトジュースを注文し、飲み干す。程良い酸味が頭をしゃっきりさせる。書き忘れていたが、京極スタンドに入店する直前に八つ橋を買った。東京からの帰省なのだから、実家で待つ家族たちは東京土産を待っているだろう。依然無視して土産は京都の生八つ橋である。正直有り難みはない(地元鳥取は言うても関西が近いので、八つ橋くらい簡単に入手できてしまうのである)。でも旨いよなあ、ニッキの八つ橋。色もイイよなあ。
さて、「めざせ!ポケモンセンター」から始まったこの旅も終盤に差し掛かっている。マサラタウン(実家)に戻るため、改札前、もちがわに見送られつつ私はエンジュシティ(京都)を旅立つのであった(というと、そもそもマサラタウンのモデルは静岡県だったはずだ。マサラタウンに向かう、というのは、はてさて「カラオケ「まねきねこ」まで戻るという意味に捉えられるのではないか。いえ、それはご勘弁願いたい)。
京都から姫路、姫路から上郡。上郡からは智頭急行に乗り換える。JRではないため、上郡から鳥取までは青春18きっぷが使えない。とはいえ、1200円のフリー切符で移動できてしまうのだから、お安いもんである。今回タイミングが合わなかったのか、上郡から鳥取まで直通で移動できる列車に乗れなかった。一旦「大原行き」に乗り込んで降車。大原から鳥取まで向かう列車を待つ。その間、何となしに待合室にあったご当地鉄道ピンズガチャガチャを回す。「スーパーはくと」が当たった。ちょっとカワイイ。
【13】
最後の列車に乗り込んだ。流石にもう何もない。後はこの列車に乗っていれば故郷、鳥取に辿り着くのだ。寝るか。ちょっと本読むか。旅の終わりをどう過ごすか考えていた、その最中。ボックス席に一人で座っている私に、一人のオバチャンが近付いてきた。私の向かいの席にドーン!と何かを投げ付ける。からあげクンである。「これ、ローソンに売っててん」。うん、からあげクンはローソンに売ってるだろね。「食べ物に悪魔ってネーミングしてんねん!(ガチギレ)」。おう、めっちゃキレてんな。その後暫く黙っていたが、車内の全員に向けて演説を始めたのだ。「コンビニは変なものを売っている!日本を取り戻せ!」といった趣旨のお話である。添加物がどうのこうの!この話をSNSで拡散しろ!だの色々とまくし立てている(正直笑い話に昇華してよいのか甚だ絶妙なラインである)。散々お言葉を述べられたオバチャンは結局、再び私の元へ来て、からあげクンを回収した(くれないのかよ)。その後、なぜか裸足で大量のおかきを食べ漁っていたのである(おかきはいいんだね)。しかし、他にも乗客がいた中でなぜ私が「からあげクン事件」のターゲットになってしまったのか。そして、なぜコンビニ嫌い・悪魔ネーミング嫌いのオバチャンは、このからあげクンを購入し売り上げに貢献してしまったのか。平和に終わると思われた私の旅は幾多の謎を残したまんま、やっぱり地獄に終わってしまうのだった。食べ物に対する意見は様々だろうが、公共の場を荒らすのはなるたけご勘弁いただきたい。ここまで書いて、今度はオバチャンから「スパイシーひまわりの種」が飛んで来た。はてさて。他の人を当たってくれ。
【おわりに】
途中、列車に乗っているだけの時間が続き張り合いのない文章になってしまうなあと思っていたところに、最高に悪魔風でスパイシーな話題が飛び込んだのだった。事故である。それはさておき、知らない間に故郷へ着いてしまった。
さて、「おわりに」という形で〆にしようとしているが、どうせ実家に滞在している間もたくさんの地獄に出会うのであろう。ちょこちょことメモして残しておくとする。さて、長々と書きましたが一旦この辺で終わります。
一体何のために書いたのか。実はこの性春18禁ひとり旅、実に3回目なのである。毎度それぞれドラマが生まれるので文章で記録したら面白そうだなと。本当にそれだけの気持ちで始めたものだったのだが、多少は笑けるエピソードが生まれたのではなかろうか(やけにオバチャン多めだったのはなぜだろうか)。ぜひぜひ、復路もご期待いただきたいのである。こんな形で「往路」編、終わります。再び地獄で会いましょう。
フチダフチコ
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バックシート・フェアウェル
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◆ 「おいでよ」 トクサはいつもそう言って私を誘った。そうとだけ言われることが、私にとって一番効果的だと知っていたからだ。
最初のときのことをよく覚えている。トクサと二人、夜中まで携帯電話のメールで話をしていた。 多分映画とか音楽の話をしていたのだと思うのだけど、その途中で突然「ねえねえ、アサコちゃんさ、アイス食べたくない?」とメールが来たのだ。 私も何か予感みたいなものを感じて「食べたい」とだけ返すと、トクサからは「じゃあさ、今からおいでよ。途中のセブンイレブンで買って来てよ」という返事が返ってきた。 そのとき不思議と、普通こういうのは男の子の方が来るもんなんじゃないの?とは思わなかった。こんな夜中に小間使いされるのだ、とも。すぐに「わかった」とだけ返事をした私は、寝巻きのジャージの上に薄いパーカーだけを羽織って、蒸し暑い夜へと踏み出して行った。 トクサはセブンイレブンの前に立っていて、「こんなにすぐ来てくれるなんて思わなかった」と言って笑った。コンビニの強い光に照らされた、トクサの優しい横顔をよく覚えている。 「女の子がこんなにすぐ男の呼びかけに応じちゃダメなんじゃない?」と笑いながら、トクサはアイスを奢ってくれた。カップのバニラアイスを手に取ろうとすると、「歩きながら食べるんだから棒付きのにしなよ」と言って、銀紙に包まれている駄菓子みたいな棒付きアイスを私に渡した。トクサは自分用にビールを買った。二人でそれを食べたり飲んだりしながら、くるくると私たちの住む街、まだ住み始めたばかりのその街を散歩した。この定食屋さん、安くて旨いんだよ、アサコちゃん行った?あそこの角、すっごい変な本ばっかり置いてる古本屋なんだけど、休みが不定期すぎて入れるかどうかいつも運次第なんだよね。ここのカフェ、確かにお洒落っぽいけど、もうちょっと行った先の喫茶店のほうが渋くて居心地いいよ、こんど一緒に行こうよ。 その時の取り留めなさとか、昼間の灼熱が夜の冷たさにゆっくり溶けていく感じとか、人気のない夜の街を行く高揚感みたいなものが、私の心の中にとても美しい思い出として残っていて、そろそろ大人が十年選手になる今でも、時々思い出される。
◆ 「おいでよ」 久しぶりに届いたそのメールをどのように返そうかうじうじと悩みながら一日が過ぎた。不覚にも仕事中もずっと、アトリエで鉄を打つトクサや、手早く美味しいおつまみを作るトクサの姿が思い浮かんでしまって、全くはかどらなかった。 流されるように、もうこのまま返事をしないでおこう、と思って布団に入っぽいたころにもう一通、「会いに来てよ、アサコちゃん」というメールが届いた。 会いに来てよ、か。 時計を見ると、一時になるほんの少し前だった。 ちょうど終電が行ってしまったところだ。
◆ 「どうしてこんなところに住んでるんですか?」と、タクシーの窓の外を眺めながらイシダくんは言った。 「もっと会社の近くに住めばいいのに。不便じゃないですか?」 「学生のときからここに住んでるんだよ」 トクサと通った定食屋の看板が、窓の外を流れていく。あの定食屋は、私たちの在学中にご主人が病気になって店じまいしてしまった。閉店時には、現役生はもちろん、OBやOGもたくさん集まって「ありがとうの会」を開いた。ご主人が今も生きているかどうかは知らない。 「ええ、大学がこの辺ってことは、キシモトさん美大出なんですか?」 「そうだよ」 イシダくんは「ええー!」と大げさな声を出してしきりに感心した。知らなかった!すごいな、キシモトさん。言われてみれば、美大生って感じのオーラありますね。 「それって私がちょっと変わってるみたいなことが言いたいの?」と冗談のつもりで返すと、イシダくんはいたって真面目な調子で、「僕はモノが作れる人って、無条件に偉いと思っているんですよ」と言った。 今ってインターネットで、誰でもみんな映画や音楽についてごちゃごちゃ言うじゃないですか。ほら、いっぱしの批評家みたいに。ああいうの、別に良いと思うんですけど、僕は作る側がいつも絶対的に偉いと思ってて。たぶん、僕がそういうことに憧れてるっていうのが大きいだけなんですけど。でもやっぱり、ゼロをイチにすることが一番偉いですよ。 イシダくんはまだ酔っ払っているのか、大きな声でそんな話をした。そして、そうかあ、そうだったかあと何か得心したみたいにつぶやく。 「そんな風に言ってくれるのはイシダくんだけだよ」 みんながみんな、本当に真剣に何かを作りたくてここに来るわけではないのだ。なんとなく絵が好きだからとか、図画工作くらいしか得意科目がなかったからとか、そういう理由でこの大学に来て、なんとなく卒業していく人のほうが遥かに多い。そう、私のように。就職課の職員に「この大学で養われたクリエイティビティは、どんな会社に入っても必ず役に立ちます」と言われてなんとなくそう思っていたけれど、私はまだちゃんとそれを実感できていない。木を削ったり鉄を打ったりする仕事がこれからあれば別だろうけど。 「だいいち、私はもう何も作っていないし」 イシダくんはもう私の言うことなんて聞いていなくて、「あそこ、いい感じのカフェがありますね」とか「あ、ボルダリングジムがある」とか、指を差しながら私の街をつぶさに観察していた。そうか、これがキシモトアサコをかたちづくった街か。なるほどな、なるほど。確かにそう思うと、素朴ですてきな街に思えてくるな。 「そこの雑居ビルを右に曲がってください」 少し行くと、林に囲まれた小さな鳥居が見えてくる。私の家が近づいてきた証拠だ。私は鞄を膝に置いて、車を降りる準備をする。この神社で拾った猫を、軽音楽部の部室で飼っていた。今もあの猫はあの部室で暮らしているのだろうか。 「住みやすそうではありますけど、やっぱり通勤大変じゃないですか?」 「ごめんね、こんなところまで」 ああ、そういう意味じゃないですよ、と言ってイシダくんは笑った。タクシー券もらってますし、何より課長命令ですから。 扉を閉めてしまうと、私とイシダくんの間を隔たる境界線ができた。私は曇りガラスに向かって、見えないイシダくんに手を振る。 なかなか出発しないな、と思ったときに窓ガラスが開いて、改まった表情を隠しきれていないイシダくんが現れた。 「キシモトさん、もし良かったらいつかお茶しましょう、二人で」
◆ 自分でお金を稼ぐようになって初めて、自分にはお金の使い道がないのだということに気づいた。気づいてしまった。 毎月、それなりにあくせく働いてみると、別に貯金口座を分けているわけでも、爪に火を灯すような節約生活をしているわけでもないのに、いつの間にか残高が積み上がっていた。 働く前は、欲しいものがもっともっとたくさんあるような気がしていた。そして自分はそのために働くのだと。学生時代は、いくらバイトをたくさんしていても制作費でお金がすっ飛び、それこそ米櫃を傾けながら暮らしていたはずなのに。 社会人になって、制作をやらなくなってしまったのだから、当然と言えば当然だ。 それに気づいたのも、タクシーに乗ったときのことだ。持ち金が3000円ちょっとしかなくて、コンビニのATMでお金を下ろさなければいけなかった飲み会の帰り。216円の手数料に尻込みしながら10000円を下ろしたあと、タクシーの中でふと明細を見て驚いた。いつの間にこんなに溜まっていたんだろう。 ほくほくした気持ちになるなんてことはなかった。タクシーの中で、会社と家を往復するだけの生活を振り返ってみて、そのさもしさに何だか情けない気持ちになっただけだった。そういえばこないだの日曜日も、夏服を買う気で街に出たはずなのに、帰って来たら好きな漫画家の最新刊しか持っていなかったのだ。それもトクサからおもしろいよ、と教えてもらった漫画家だった。 窓の外を景色が流れていく。いつも引っかかる、なかなか青にならない大きな横断歩道を、タクシーは黄色信号で渡っていく。自転車の二人乗りをしているとき、トクサは漕ぐのをやめると私と自転車の重みを支えることができなくて、よくこの横断歩道の手前でひっくり返った。そんなことを思い出している間にも、みるみるメーターは上がっていく。 新宿から私の家までの運賃、5450円を払った。酔ってフラつく足でアパートの階段を上がりながら、何をしているんだろう私は、という気持ちがせり上がって力が抜けた。立ちっぱなしの弁当屋のバイトを半日やってやっと稼げるくらいのお金を、たった数キロの移動で使ってしまった。これであの定食屋に何度通えただろう。いつかお金持ちになったら、ここで定食にビール付けて頼もうね、と言っていたことまで思い出されて、涙まで出てきた。
◆ そして私はいつの間にか、タクシーにお金を使うことを躊躇しなくなっている。 ちょっと間に合わなさそう。なんだかこのヒール靴擦れしそう。坂道が続いている。寒い。蒸し暑い。 「どうせ使い道がないのだから」と、私は大した距離でなくてもタクシーに乗り込むようになった。そうやって時々思い出したようにタクシーに乗り、適度に手持ちのお金を減らしていった。高い化粧品を買うとか、良い靴を買うのではなく、物として残らないのがよかった。不思議なもので、そうやって微妙に財布の中身を減らし続けていると、かつてお金がなかった頃の飢餓感みたいなものを思い出して、ふつふつと物欲が湧いた。タクシーを使って浮いた外回りの時間で、ちょっといいランチを食べたり、一度に本を二冊買ったりした。 熱心にお金を貯めている人を見たり、テレビで節約術を披露する主婦などを見ると、気分が悪くなった。大抵、その人たちがそうやって貯めたお金を何に使おうとしているかは教えてくれなかった。目標が不明瞭なまま、ただただ漫然と努力をしている人を見ると、少し前の自分のことを思い出して怖くなるのだ。 そんなに深く考えなくても良いじゃないと人は言うのだろうけど、自分が何のために生きているのかということがふとわからなくなってしまった人間としては、こうして小さな歯車で動きつづけていないと、全てが簡単に狂ってしまいそうな気がした。 昔よりも今の方が、ある意味切実な作品が作れそうだなと思った。
車を買って交通手段が増えるというのはこういう感じだろうか。タクシーに乗るようになって、東京という街がそれまでと違って見えるようになった。
とにかく、どこにでもあるタクシーを見て、歩くのとは比べ物にならない速さで私を遠くまで連れて行ってくれるのだと思うといつも、なんだかマリオがスターを取って、無敵になった時みたいな気持ちになるのだった。 東京暮らしもそれなりに長くなってきたと思っていたけど、タクシーの窓の外には知らない街や道や路地や家や店が、そこかしこにあった。 トクサが見たら、唾を吐いて通り過ぎそうなカフェ。嬉しがってまたがりそうな、塗装の剥げた不気味な動物たちの遊具しかない公園。アサコちゃん、おもしろそうだから入ってみようよ、と言いそうな古いラブホテル。 タクシーが通り過ぎた瞬間にその路地や建物は過去になっていて、私は後から思いを馳せることでしかその場所にいられない。行ってみたい、と思っても時間もエネルギーも足りず、一瞬の間に記憶の片隅に追いやられてしまう。そういう場所が、東京にはたくさんあるのだった。 そして私の心に引っかかってこない、何の変哲もないビルやマンションにも、当然人々の暮らしがあるのだと思うと、何だか途方もないような気持ちになった。理由もなく、なんとなく涙が出そうになる���すらあった。当たり前なのだけど、私は絶対にこの街の全ての営みを知ることは出来ないのだ。それどころか原理的には、私は私自身の暮らししか知ることができない。 そのほんの一滴に過ぎない私は、東京という街の神様にとって、どのように見えているのだろう。そう思いながら、私はタクシーに乗るのだった。
◆ トクサがいなくなったのは、私たちが大学に入って四回目の秋口のことだった。
「そうやって、自分の都合が良いときにいつでも来てもらえると思ったら大間違いだよ」 電話の向こうで、川が流れる音が聞こえた。 「トクサ、私はトクサのぬいぐるみじゃないんだよ」 ふっとトクサは短く笑って、なに、そのメロドラマみたいな台詞、と言った。 「アサコちゃんも、そういうこと言うんだ」 それが、そのメロドラマみたいな台詞のことを言っているのか、私がきっぱり断ったことについて言っているのかよくわからなかった。 「もういいよ」とだけトクサは言って、電話を切った。
次の日にはもう電話が繋がらなくなっていて、トクサは古いあのアパートから消えてしまっていた。そういう風に突然消えたりすることをかっこいいと思いそうな人だったから、私は余計に腹が立ってしまって、探そうともしなかった。探せばトクサの思惑通りだ、という気がした。 トクサがアトリエの隅に残していった、未来からやってきたみたいなモニュメントは、卒制展示が終わると同時にぺしゃんこに潰されて廃棄された。誰の作品かわからなかったり、習作として作られたものは全て捨てて、次に入学してくる学生たちのためにスペースを明け渡さなければいけないのだ。 トクサが作ったその、立方体が宙に浮かんでいるみたいなどことなく気味の悪い作品の仮タイトルを、私だけは知っていた。「セーブポイント」だ。 今のゲームってさ、いつでもどこでもセーブできちゃうんだよ。それってなんか間違ってると思うんだよね、おれは。 セーブポイントがなくなったら、トクサは復活できなくなってしまうのだろうか?
◆ 「キシモトさん、気にしないでくださいね」とイシダくんは言った。十分、楽しかったです。また明日からは普通に先輩と後輩でお願いします。 イシダくんはその日もちゃんと私を送ってくれた。もうどうせフラれるんだったら、いっそちゃんとそのトクサって人の話聞きたいですよ、僕は。 イシダくんとスタバのアイスコーヒーを飲みながら歩いているときも、やっぱり私はトクサと二人でガリガリくんを食べながら歩いた日々のことを思い出してしまうのだった。 「僕は歩いて帰ります」 いやいや、初台って歩いたら2時間くらいかかるでしょ、と言うと、イシダくんは放っておいてくださいよと言って笑った。吹っ切るのにはそれくらいの時間がちょうど良いんですよ。携帯見たり電話したり一切しないで、歩きながら忘れていくことにします。 「初台まで、多分4000円くらいかかりますかね」 いやー僕はやっぱりタクシー代で4000円は、ぽん、とは払えないな。やっぱりキシモトさん変わってますよ。そう言って、キシモトくんは笑顔で去っていった。
◆ 会いに来てよ、か。私はパーカーを羽織る。
「トクサはどうせ、もう私が会いに来ないと思ってるんでしょ」 指が勝手にそう返信を打っていた。 「いつもこうやって、私を試してるんだ。来るかな、どうかなって。来たら来たで、なんだか物足りないような気持ちになるんでしょ。来なかったら来なかったで、自分で勝手に寂しくなってるんだ。いつも真ん中にいるのは自分なんだよ、トクサは」 トクサは何も返事してこなかったけど、ちゃんとメールを見ているのが私にはわかった。 タクシーの窓の外で、いくつもの星が流れていく。星たちはちゃんと自分たちの意思で瞬いているのだ。勝手に適当に点いているものなんて一つもなかった。 料金メーターはテンポよくくるくると回った。エレベーターの階数表示が壊れてしまったみたいに、どの位の数字も、ルーレットのようにランダムに入れ替わっていた。 トクサ、悪いけど、私は行くよ。トクサは私が、自由にタクシーを使えるようになっていることを知らない。いつでも、すぐに、どこにでも行けてしまうことを知らないのだ。 「私がこうやって身体だけをトクサのところに向かわせていても、結局もう私の心はそっちには行けないんだよ。もう遅すぎるよ。どうしてもっと早く帰ってきてくれなかったの」 意味不明なことを言っているのはわかっていた。私はやはりトクサの言う通り、割とメロドラマっぽい台詞が好きなのかもしれない。 「トクサだって同じだよ。あんな風に、突然消えたつもりになっていても、上手く消えられなかったからこうやって私にすがるみたいなことするんだ。私は、トクサのセーブポイントじゃないんだよ。会いに来てって、どこに?心と身体、どっちのトクサがそこにいるの?」 車が走るほど、空に浮かんでいる月も位置がずれていった。月というのは、少し移動しただけでこんなに見える場所が変わるものだったろうか。私の錯覚のように���思える。 「行こうと思えば、どこにだって行けるんだよ、私は」 この街に住み続けていたところで、私はちゃんと大人になってしまっていた。
「ごめんね」という返事が来たので、タクシーを停めてもらった。 4250円払って、私は目的地の途中で降りる。
高架の上から国道を見下ろすと、深夜なのに何台もの車が通り過ぎていった。 私が見ている間に流れていく車の中には、やはりちゃんとタクシーがあった。こんな夜中に、家以外のどこかに向かうタクシーがあるのだろうか、と想像した。 一台くらいは、どこか行きたい場所とか、行かなければならない場所へ行くタクシーがあってもいいだろう。 私は空車のタクシーを手を挙げて停めた。
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