#新世界 2014
Explore tagged Tumblr posts
Photo
youtube
多謝款待主題曲 「雨過天晴」 NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」主題曲「雨のち晴レルヤ」
Ame Nochi Hallelujah (雨のち晴レルヤ) (詩 / 北川悠仁、曲 / 北川悠仁・佐藤和哉)
突然 偶然 それとも必然 始まりは気付かぬうちに
予報通り いかない模様 そんな時こそ 微笑みを
ポツリポツリと町の色 変わってゆけば 傘はなくとも雨空に 唄うよ
どんな君でも アイシテイル 顔を上げてごらん 光が照らす 涙の河も 海へと帰る 誰の心も 雨のち晴レルヤ
大空に飛ばした靴 占った明日の行方 描いてた未来じゃないが 君がいるかけがえのない日々 それは奇跡
ポツリポツリと呟いて 伝えてくれた 風に紛れてこの胸に 届くよ
何があっても そばにいるよ 君と待っていたい 昇る朝日を さらば 手を振ろう 哀しみ達に 時は流れて 笑顔になれるよ
どんな君でも アイシテイル 顔を上げてごらん 光が照らす
何があっても そばにいるよ 君と待っていたい 昇る朝日を 涙の河も 海へと帰る 誰の心も 雨のち晴レルヤ 雨のち晴レルヤ
youtube
ゆず「雨のち晴レルヤ」
<収録曲>
雨のち晴レルヤ(詩 / 北川悠仁、曲 / 北川悠仁・佐藤和哉)
守ってあげたい(詩・曲:北川悠仁) Music Video: • ゆず「守ってあげたい」
飛行機雲(詩・曲 / 岩沢厚治)
NHK連続テレビ小説『ごちそうさん』主題歌「雨のち晴レルヤ」Music Videoを手がけたのは、唯一無二の世界観を持つ女性写真家で映画監督も務める蜷川実花���。ゆずとは2007年に発表された楽曲「明日天気になぁれ」のMVを手がけて以来、6年ぶりのタッグとなる。
本作では楽曲の持つ、哀愁と叙情感ある "和テイスト"と、大正〜昭和時代の空気感や旧き良き日本の文化性を昇華。また、蜷川実花氏の父で演出家・蜷川幸雄氏も撮影協力として参加。"蜷川組"と称される実力派の役者たちが多数登場し、ゆずの脇を固めて作品の説得性をより高めている。
音樂除了能夠療癒,也使你不致感到孤單。 In addition to being healing, music can also make you feel less alone. ♫ ◠‿◠ Lan~*
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/9aca6da62094e36bca34e86a8a69415d/tumblr_p4v81ztcf81thc2ojo1_540.jpg)
Me
#music#雨過天晴#yep very important to me also#新世界 2014#しんせかい#ゆず#雨のち晴レルヤ#japan record award for excellent work#ame nochi hallelujah#Youtube
189 notes
·
View notes
Quote
4 名前:名無しさん@0新周年@\(^o^)/[sage] 投稿日:2014/07/24(木) 07:39:37.47 ID:zjmQo3cJ0 (有名コピペ改変) ▼パレスチナ人の立場に日本人を当てはめると、これぐらい悲惨。(もしも歴史で) 日本は太平洋戦争に負けて欧米諸国に占領されてしまいました。 欧米諸国も戦争でお金を使いすぎて貧乏でした。 一方、世界に散らばる中華系のお金持ち一族、『華僑』は自分達が安心して暮らせる国を探していました。 中国政府は華僑の財産を没収する恐れがあるので、華僑達は出身国には住みたくありません。 それで華僑は新しい国を作って住みたいと思いました。 それを聞いた欧米諸国は占領している日本���「華僑に売ってあげるよ!」と言い出しました。 欧米諸国は自分たちの貧乏を「日本列島を売ること」で解決しようとしたのです。 日本列島は中国大陸のすぐ横なので華僑たちは大喜び。 すぐに華僑は大金を欧米諸国に支払って日本列島を購入しました。 国連も欧米諸国の味方なので、日本列島を華僑の国として認めてしまいました。 新しい日本列島は華僑の国、椅子羅江流(いすらえる)と名づけられました。 日本列島に住んでいた日本人達は邪魔なので、四国と北海道に強制移住させられてしまいます。 本州と九州と沖縄は完全に華僑だけが住む土地になってしまいました。(続く) 6 名前:名無しさん@0新周年@\(^o^)/[sage] 投稿日:2014/07/24(木) 07:40:49.93 ID:zjmQo3cJ0 (4の続き) 国際的には四国と北海道も華僑の持ち物なのですが、ここは日本人がなんとか自治区として確保しました。 四国と北海道の自治区を合わせて晴洲治名(ぱれすちな)といいます。 その中でも日本人がぎゅうぎゅう詰めで暮らす場所は我差(がざ)と呼ばれました。 しかし華僑は四国や北海道も自分たちの土地なので、日本人に「出て行け」と攻撃します。 その状況に日本人達は我慢がなりません。 そこでテロやゲリラ戦で本州の華僑を攻撃することにしました。 その日本人レジスタンス集団は浜巣(はます)と名づけられました。 浜巣はさっそく本州の華僑の街へロケット弾を打ちました。 でもロケット弾はアイアンドームに打ち落とされてしまいました。 逆に華僑の軍隊の爆撃機が飛んできて日本人の街を破壊しました。 何人もの沢山の日本人が死にました。(子供含む) さらに華僑は瀬戸内海や津軽海峡を超えて進軍してきました。 「テロ攻撃をやめないと日本人街を消し去るぞ!」と爆撃してきます。 日本人は「せめて四国と北海道だけでも日本国として認めて!」と世界に訴えますが、 世界の中心である欧米諸国が華僑に日本列島をお金で売った建前があるので、 「日本列島は華僑の国。日本人自治区の独立なんて認めない」と聞く耳を持ってくれません。 そうしてる間にも殺された人々の映像が流れ、その映像や写真が>>32になります。 世界はいまだにこの問題を「見ているだけ」なのです・・・。
パレスチナ人の立場に日本人を当てはめると、これぐらい悲惨。(もしも歴史で) : 2chコピペ保存道場
343 notes
·
View notes
Text
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/1aa90fd680c5c3656e0bfd356a1927d9/7f9d0ddfc5b1dea5-5e/s540x810/fe4701d07e11d00f371cc3ff8885aed6fb39a903.jpg)
List of books and movies mentioned by Acchan!
Might post an anime version of this soon <3
BOOKS:
仮面の告白 “Confessions of a Mask” by Yukio Mishima (1949)
生きるヒント “Living Tips” by Itsuki Hiroyuki (1993)
斜陽 “The Setting Sun” by Osamu Dazai (1947)
“The Picture of Dorian Gray” by Oscar Wilde (1890)
こころ”Heart” by Natsume Soseki (1914)
“Crime and Punishment” by Fyodor Dostoevsky (1866)
人間失格“No Longer Human” by Osamu Dazai (1948)
死霊“Death Spirits” by Yutaka Haniya (1948)
猫鳴り “Neko Nari” by Numata Mahokaru (2007)
“Coin Locker Babies” by Ryu Murakami (1980)
グロテスク “Grotesque” by Natsuo Kirino (2003)
“Notes from Underground” by Fyodor Dostoevsky (1864)
“The Brothers Karamazov” by Fyodor Dostoevsky (1879-1880)
“Salomé” by Oscar Wilde (1891)
破局 “Catastrophe” by Tono Haruka (2020)
新宿鮫 “Shinjuku Shark” by Arimasa Osawa (1990)
堕落論 “Discourse on Decadence” by Ango Sakaguchi (1946)
五分後の世界 “The World Five Minutes from Now” by Ryu Murakami (1994)
*Manga*悪魔の花嫁 “Bride of Deimos” by Etsuko Ikeda, illust. By Yuuho Ashibe (1974-1990)
九月が永遠に続けば “To Continue Forever in September” by Numata Mahokaru (2005)
彼女がその名を知らない鳥たち “Birds Without Names” by Numata Mahokaru (2006)
銀河鉄道の夜 “Night on the Galactic Railroad” by Kenji Miyazawa (1927)
怒り”Rage” by Shuichi Yoshida (2014)
悪人 “Villain” by Shuichi Yoshida (2007)
MOVIES:
The Green Mile by Frank Darabont (1999)
Bohemian Rhapsody by Bryan Singer (2018)
The Godfather by Francis Ford Coppola (1972)
Pierrot the Fool by Jean-Luc Godard (1965)
The Elephant Man by David Lynch (1980)
老ナルキソス Old Narcissus by Tsuyoshi Shouji (2023)
時計は生きていたThe Clock was Alive by Seijiro Kouyama (1973)
The Mission by Roland Joffé (1986)
Poongsan by Juhn Jai-Hong (2011)
Midnight FM by Kim Sang-man (2010)
Pusher by Nicolas Winding Refn (1996)
Misery by Rob Reiner (1990)
From Paris with Love by Pierre Morel (2010)
異人たちとの夏 The Discarnates by Nobuhiko Obayashi (1988)
Purple Noon by René Clément (1960)
Bonnie and Clyde by Arthur Penn (1967)
狂い咲きサンダーロード Crazy Thunder Road by Gakuryuu Ishii (1980)
Undo by Shunji Iwai (1994)
犬神家の一族 The Inugami Family by Kon Ichikawa (1976)
The Shawshank Redemption by Frank Darabont (1994)
The Brave by Johnny Depp (1997)
Antartica (Nankyoku Monogatari) by Koreyoshi Kurahara (1983)
Here is the link to my actual twitter thread, I update it every time I run into a new book or movie he has mentioned! The information to make this list was taken from several inerviews, radio programs, and even some of the Fish Tank Bulletins. If you know any other book/movie he has mentioned but is not here, do not hesitate to let me know!
ENJOY!
117 notes
·
View notes
Text
中井 りかは、日本のタレント、女優、YouTuberで、アイドルグループ・NGT48の元メンバー。愛称は、りか姫、りかちゃん。富山県富山市出身。太田プロダクション所属。 ウィキペディア
出生地: 富山県 富山市
生年月日: 1997年8月23日 (年齢 26歳)
音楽グループ: NGT48 (2015年から)
テレビ番組: 青春高校3年C組、 ふわ���愛、 今日から友達になれますか?、 さらに表示
身長: 156 cm
事務所: 太田プロダクション
活動期間: 2015年 -
富山県の立山連峰が見える郊外の住宅地で育った。幼稚園の頃は人前に立つのが好きな「何をしても目立つ子」であったが、小学生になると、周囲となじめなかったことから、なるべく地味にしていようと心に決めていた。そのような環境の中で慰めてくれたのが、AKB48などのアイドルたちであり、自分もアイドルになりたいと思うようになったが、高校では保育士を目指し勉強していた。しかし、アイドルの夢を捨てきれず、2014年 AKB48 Team8 全国一斉オーディション富山県代表に応募。最後の2人まで残ったとの連絡は受けたが、その後の電話連絡に出られず次点となり落選。
翌年、高校3年生の時にNGT48第1期生オーディションに応募。 最終審査に残った場合、次回の48グループのオーディションは最終審査まで免除になるが、それを忘れ書類審査から参加。 2015年7月25日、NGT48第1期生オーディション最終審査に合格し、同年8月21日に新潟市歴史博物館(みなとぴあ)でお披露目された。
2016年1月10日、『NGT48劇場グランドオープン初日公演』に出演。同時に他の15名とともにチームNIIIを結成。同年11月16日発売のAKB48の46thシングル「ハイテンション」で初めてAKB48のシングルの選抜メンバーに抜擢。同年12月、ライブストリーミングプラットフォームSHOWROOM上で2016年に視聴者から多くの支持を得たパフォーマー(SHOWROOMER)を表彰する『SHOWROOM AWARD 2016』における「BEST AKB PERFORMER」を松井珠理奈(SKE48)、野村奈央(当時AKB48)とともに受賞した。同年12月31日、第67回NHK紅白歌合戦に投票企画「AKB48 夢の紅白選抜」で33位に選ばれ、AKB48として出演。
2017年4月12日発売のNGT48のデビューシングル「青春時計」ではセンターポジションを務めた。同年5月30日から6月16日にかけて投票が実施された『AKB48 49thシングル選抜総選挙』において23位になり、アンダーガールズに選出される。同年11月17日にAKSから太田プロダクションへの所属事務所移籍を自身のSHOWROOMにおいて発表し、同年12月、太田プロダクションの公式ホームページに掲載された。
2018年1月15日に自身初のソロコンサート『中井りかソロコンサート〜中井りかキャンペーン中〜』をTOKYO DOME CITY HALLにおいて開催した。
2018年4月2日から「青春高校3年C組」の副担任(サブMC)としてレギュラーで出演(月~金、2020年3月27日まで)。番組内で出演者からは、りか先生と呼ばれていた。その後も様々なバラエティ番組のMCとして出演。
2018年6月16日に発表された『AKB48 53rdシングル 世界選抜総選挙』では37位となり、ネクストガールズに選出された。
2022年6月29日発売のNGT48 1stアルバム「未完成の未来」に収録のリード曲「しそうでしないキス」では、小越春花とダブルセンターを務めた。
2023年4月12日、デビューシングル『青春時計』リリース6周年記念イベントにて、グループ卒業を発表。卒業時期は同年夏ごろを予定しているとした。 同年8月2日発売のNGT48 9thシングル「あのさ、いや別に...」では、2度目のシングル曲センターポジションを務めた。
同年8月5日、「中井りか卒業コンサート〜推し変禁止は絶対命令〜」を新潟県民会館大ホールにて開催。 同月31日、NGT48劇場での卒業公演をもってNGT48から卒業
幼稚園のころからアイドルが好きであったが、小学生の時いじめられていた時期とも重なり、AKB48が出てきたころは自分は「アイドルになんてなれない」という思いや嫉妬心から「AKBなんて嫌いだし」と思っていた。しかし、心を動かされていることは自分でもわかり、ファンになっていった。
AKB48グループでは板野友美、小嶋陽菜を応援していたが、渡辺美優紀が「絶滅黒髪少女」のセンターで踊る姿に惹かれて以来、渡辺一本になったという。中井は渡辺を彷彿とさせるといわれ、NGT48に加入した当初は「釣り師」と呼ばれていた。性格はネガティブであり「豆腐メンタル」である。
109 notes
·
View notes
Text
Asahi Shimbun special feature November 11, 2014.
I got this from ガトーのブログ (Gatou's Blog). Seems to be a person that collects toys and other items and posts about it on his blog and on top of that also posts transcriptions of interviews and articles.
Translated with Google Translate, Quillbot and DeepL
------------------------------------------------------------------------------
2014年11月11日朝日新聞[火影忍者]15年特集
Asahi Shimbun, November 11, 2014 [Hokage Ninja] 15th Anniversary Special
1999年から集英社「週刊少年ジャンプ」に連載されてきた人気マンガ『NARUTO』が10日、第700回で完結した。最強の忍者を目指す主人公ナルトが、仲間と出会い、ライバルと競い、成長して世界滅亡の危機に立ち向かう壮大な物語。15年に及ぶ連載を終えたばかりの作���、岸本斉史さんにインタビューした。
The popular manga "NARUTO", which has been serialized in Shueisha's "Weekly Shonen Jump" since 1999, concluded on the 10th with its 700th episode. The epic story follows the protagonist Naruto, who aims to become the strongest ninja, as he meets friends, competes with rivals, grows, and confronts the threat of world destruction. We interviewed the author, Masashi Kishimoto, who has just finished the 15-year serialization.
(聞き手・小原篤)
(Interviewer: Ohara Atsushi)
「実感、まだない」
──今の心境は?
岸本さん: 最後の原稿を描き終えてからまだ12時間も経っていないので、実感が何もない。もっと解放された気持ちになるのかな、と思ったけど、毎週締め切りが来る15年間の感覚が体に残っていて、また来週も締め切りがあるんじゃないか、そんな気分。終わったらあれをやろうこれをやろう、といろいろ考えていたけど、いざ終わると何から手をつけていいのか分からない。まずは、仕事場の掃除かな。それからスポーツとか、マンガ以外のことがしたい。あ、ちゃんとマンガも描きますよ。来春、「NARUTO」の番外編となるお話を短期集中連載で描く予定です。
"I still can't really feel it"
──How do you feel right now?
Kishimoto: It's been less than 12 hours since I finished the last manuscript, so I don't feel anything. I thought I would feel more liberated, but the sense of having weekly deadlines for 15 years still lingers in my body, and I feel like there will be a deadline next week too. I had all these plans for what to do after finishing, but now that it's over, I don't know where to start. First, maybe I'll clean my workspace. Then I want to do sports and other things besides manga. Oh, and I'll definitely continue drawing manga. Next spring, I'm planning to draw a short, intensive series of a spinoff of "NARUTO".
「キャラクターたちが粘った」
──ラストの構想はいつぐらいから?
岸本さん: 主人公ナルトと、物語の始まりからずっとライバルだったサスケ、2人を対決させて終わりにしようというのは、連載を始めた頃から決めていた。ただ、友だちとして戦うのか敵として戦うのか、どういう気持ちで戦うか、どういうセリフを持ってくるか、連載中にだんだん��具体的に固まっていった。2、3年くらい前から「完結に向かい始めたな」と感じて、ようやく半年ぐらい前に「あと何回で終わらせよう」と決めた。 連載を始めた時、担当編集者に「5年は続けましょうね」と言われた。「マジか? 5年もやるの?」と思った。連載を始めたら週刊連載のスケジュールのハードさがこたえて、「こんなにきついなら終わっちゃってもいいかな」なんてチラッと思ったりもした。本当はもちろんイヤだけど。それにしても、15年も続くとは考えてもみなかった。
物語がこれだけ長くなったのは、キャラクターたちが頑張って粘るから。僕が簡単に答えや解決に導こうと思っても、彼らがそうしてくれない。諦めず、あがいて、力を出し尽くして、ようやく納得してくれるというか、いいヤツになっ���くれるというか。もし、そこで僕が自分の都合で思い通りにキャラクターを動かしてしまったら、ウソくさくなる。キャラクターのリアリティーがなくなってしまう。だから、初めに自分の構想したページ数より倍くらいかかってしまうことになる。
"The characters persevered."
──How long have you been planning the ending?
Kishimoto: I had decided from the beginning of serialization that I would end the series by having the main character Naruto and Sasuke, who had been rivals since the beginning of the story, face off against each other. However, whether they would fight as friends or enemies, how they would fight, and what lines they would use became more and more concrete during serialization. I felt that I was beginning to approach the conclusion about two or three years ago, and finally about six months ago I decided how many more issues I would finish it in. When I started serialization, my editor told me, "Let's continue for five years." I thought, "Really? You're going to do five years?" When I started serialization, the weekly serialization schedule was tough, and I even thought, "If it's this hard, maybe I should just end it." Of course I didn't really want to. Even so, I never thought it would continue for 15 years.
The story has become this long because the characters are working hard and persevering. Even if I try to lead them to easy answers or solutions, they won't let me. They don't give up, they struggle and exhaust their strength, and only then, do they finally come to terms with things or become good people. If I were to manipulate the characters according to my own convenience, it would feel contrived. The characters would lose their realism. That's why it ends up taking about twice as many pages as I initially planned.
──例えば中盤の山場の「ペイン編」では、敵を���いていたペインがナルトの言葉で納得し、戦いをやめる。どういう言葉ならペインも、そして読者も納得するのか? そこへたどり着くのが大変ということですね?
岸本さん: ペインのシリーズは初め、戦って終わるのか、話し合いで終わるのか決めてなかった。話し合いで、と決めるまで時間がかかった。アクション場面を描きながら考えていった。それでも、キャラクターがそんなに素直じゃないんで、簡単にこっちが思ったように動かすことはできない。それをやったら僕が気持ち悪い。
──For example, in the mid-story climax of the "Pain Arc," Pain, who was leading the enemy, is convinced by Naruto's words and decides to stop fighting. What kind of words would convince both Pain and the readers? Reaching that point is quite challenging, isn't it?
Kishimoto: At first, I hadn't decided whether the Pain series would end with a fight or a discussion. It took me a while to decide on a discussion. I thought about it while drawing the action scenes. Even so, the characters aren't that straightforward, so I can't easily make them act as I want. If I did that, it would feel weird to me.
「少年マンガのタブー」に挑む
──新聞記者的な見方かも知れませんが、「暴力が生む憎しみの連鎖」というテーマが浮かび上がってきたのは「9・11」後の世界情勢の反映ですか?
岸本さん: あまり現実の世界の「どこの国とどこの国が」みたいに当てはめて言いたくはないんだけど、暴力を振るってくる敵側も何か理由があってそうなったんじゃないか、どんな理由があるかを理解しないと、ここで敵をやっつけることができても結局同じことの繰り返しになるんじゃないか、と言いたかった。少年マンガだからどうしても暴力は出るので、そこに「暴力否定」みたいなテーマを持ってきたから解決が難しいことになった。最後に対話で解決、という方向を思い切って選んだけど、少年マンガ的にはタブーに近いことかも知れない。当時「これでいいのか?」と脂汗を流して悩んだ。ストーリーを考えようと机に座ってハッと気づいたら3時間経っていた、ということがあって、「意識が飛ぶ」という人生で初めての体験をした。これは精神的にマズいな、と思った。思い返すとあれが自分にとってスランプと言えばスランプだったのかも。だいたいの少年マンガって、主人公が1話目で成長を遂げて、あとはずっとブレずに自分の信念の通りに動いて、周りに影響を与えて、出会ったキャラクターたちを変えていく。途中まで「NARUTO」もそれで進んでいった。でもナルトはペイン戦のあたりで、どうしたら争いのない世界ができるかという問題にぶつかって悩む。主人公だからずっと強いまま��迷わず進んでいく、という道もあるけど僕はそれはちょっと違うなと思った。だからナルトは考える。僕も考えなきゃならない。すごくキツかった。担当編集者とも言い合いをした。「少年誌なんだからここはぶん殴ってスッキリした方がいい」「いや、殴ったら暴力でしょ」といった具合に。でも人生って、いろいろあるもの。壁にぶつかる主人公の方がリアルだと思う。
Challenging the "taboos of shonen manga"
──It might be a journalist's perspective, but is the theme of "the cycle of hatred born from violence" a reflection of the global situation after 9/11?
Kishimoto: I don't really want to apply it to the real world, like "which country and which country," but I wanted to say that the enemy who uses violence must have had some reason for doing so, and if you don't understand what that reason is, even if you defeat the enemy here, the same thing will end up happening again. Since it's a boys' manga, violence is inevitable, so bringing in a theme like "denial of violence" made it difficult to resolve. In the end, I boldly chose to resolve the issue through dialogue, which is probably taboo in shōnen manga terms. At the time, I was sweating and worrying, wondering "Is this okay?" I sat down at my desk to think of a story, and when I realized it, three hours had passed, and it was the first time in my life that I "lost consciousness." I thought that was bad for my mental health. Looking back, that was probably a slump for me. In most boys' manga, the main character grows in the first chapter, and then he acts according to his beliefs without wavering, influencing those around him and changing the characters he meets. That's how "NARUTO" progressed until halfway through. But around the time of his fight with Pain, Naruto is confronted with the problem of how to create a world without conflict, and he worries about it. As the protagonist, he could have remained strong and continued to move forward without wavering, but I thought that was not the way to go. So Naruto thinks. I have to think too. It was very tough. I argued with my editor. "This is a shonen magazine, so it would be better to punch him and feel better," "No, punching him would be violent," and so on. But life is full of things. I think a protagonist who hits a wall is more realistic.
──『NARUTO』の世界は、五つの大国がそれぞれ、戦力である「忍びの里」と、強大なエネルギーの「尾獣」という魔物を抱えることで、パワーバランスを保っている。核保有国を連想させます。
岸本さん: そうですね。ニュアンスとして忍者は軍隊、尾獣は核兵器というイメージで、尾獣でバランスを保っているけど、本当に尾獣を使おうとすれば破滅へいたる危険がある。「NARUTO」にはそのバランスを崩し尾獣を使おうする『暁』という組織が出てくる。「暁」は里に属さない、傭兵(ようへい)組織のようなところがあって、筋立てとしてはリアルな世界でもあり得るもの。長く連載をやっていると、現実世界からインスピレーションを受けることや、重ね合わせて考えてみるようなところがでてくる。
──In the world of "NARUTO," five great nations maintain a balance of power by each possessing a military force called the "Shinobi Village" and a powerful energy source called the "Tailed Beast." This is reminiscent of nuclear powers.
Kishimoto: Yes, that's right. The nuance is that ninjas are like the military, and tailed beasts are like nuclear weapons. The tailed beasts maintain balance, but if one were to actually use them, there is a danger of leading to destruction. In "NARUTO," there is an organization called "Akatsuki" that disrupts this balance and tries to use the tailed beasts. "Akatsuki" is like a mercenary organization that does not belong to any village, and the storyline is something that could realistically happen in the real world.
ナルト、自分を投影
──ナルトって、岸本さん自身ですか?
岸本さん: 主人公だから似てるところはある。ラーメン好きだし。落ちこぼれのナルトは、勉強が苦手で劣等感が強かった自分を投影している。ナルトが「オレは火影になる!」(ほかげ=ナルトの属する里の長の称号)と言うと、「なれるわけないじゃん」と周りに笑われる。子供の頃から何の根拠もなく「マンガ家になる!」と言っていた自分と重なる。「なれるわけないじゃん」と言われても僕はナルトみたいに「絶対なる!」とは言い返せなくて、「でも、なれるかもしれないよ」と心の奥でつぶやくくらいだったけど。それにしても、あんなに国語が苦手だった僕が、物語を作っていろいろな登場人物を描くマンガ家になるなんて信じられない。この場面の登場人物の心情を読み解いて答えなさいなんて問題は、テストで全然わかんなかったのに!
Naruto, projecting oneself
──Is Naruto based on you, Kishimoto-san?
Kishimoto: There are some similarities since he's the main character. I like ramen, too. Naruto, the underachiever, is a projection of myself, who was bad at studying and had a strong inferiority complex. When Naruto says, "I'm going to be Hokage!" (Hokage is the title of the village chief to which Naruto belongs), people around him laugh and say, "There's no way you can do that." It overlaps with me, who said, "I'm going to be a manga artist!" since I was a child, without any basis. Even when people said, "There's no way you can do that," I couldn't say, "I'll definitely do it!" like Naruto did, and I would just mutter to myself, "But maybe I can do it." But even so, I can't believe that I, who was so bad at Japanese, would become a manga artist who writes stories and draws various characters. I couldn't understand a single question on a test that asked me to interpret the feelings of the characters in a scene!
──砂や虫を使うといった多彩な忍術のアイデアはどこから? 有効範囲はこうで、発動条件はこうで、といった技の設定も細かいですね。
岸本さん: 技とかは、今まで見た映画とかのイメージがあるのかもしれないけど、担当編集者との打ち合わせの中であれこれ考えて出てきたもの。技について細かい設定やルールを決めたのは、縛りがあった方が面白いから。縛りがあった上で、駆け引きや相手をだます引っかけみたいなのをやりたいと思った。お話が進むとどんどん大がかりになっちゃうけど。
──Where do the diverse ideas for ninjutsu using sand and insects come from? The details of the techniques, such as their effective range and activation conditions, are quite intricate.
Kishimoto: The techniques might be influenced by the images from movies I've seen before, but they came up during discussions with my editor. We decided on the detailed settings and rules for the techniques because having constraints makes it more interesting. With those constraints in place, I wanted to incorporate elements of strategy and deception. As the story progresses, it ends up becoming more and more elaborate.
──頭脳派のシカマルが仕掛ける作戦は面白いですね。うならされます。
岸本さん: すごい頭のいいキャラクターに設定したので、僕が苦労した。僕が一生懸命時間をかけて複雑な段取りや何通りもの手順を考えて、マンガの中でシカマルがそれを一瞬のうちにやってしまえば、頭がよく見えるだろうと!という感じで描いていた。自分の能力の範囲を超えたキャラクターはあまり出さない方がいいな、とシカマルを描いて感じた。
──Shikamaru's strategies are fascinating, aren't they? They leave me in awe.
Kishimoto: I set him up as a really smart character, so I struggled. I spent a lot of time thinking about complex arrangements and multiple procedures, and if Shikamaru could do them in an instant in the manga, he would look smart! That's how I depicted him. I felt that it's better not to create characters that are beyond the scope of my abilities when drawing Shikamaru.
無限月読は「逃げ」
──終盤で敵がしかける「無限月読(つくよみ)」は、地上の人間すべてを平和な夢の世界に閉じ込めるという大がかりな術です。それをナルトは拒絶し抵抗します。
岸本さん: 無限月読というのは「逃げ」なんです。「忍(しのび)とは耐え忍ぶ者」というのが「NARUTO」のテーマ。何をやるにもガマンが大切だけど、反対に、ガマンせず楽な方へ逃げたいという気持ちは誰にもある。僕も弱い人間なので、いついつまでにこの仕事を終わらせなきゃいけないという時についテレビやDVDへ逃げたくなる。そうしたリアルからの逃避が無限月読。逃げたい自分を戒める思いを込めて描いていたところがある。
Infinite Tsukuyomi is "escape"
──In the final act, the enemy deploys the "Infinite Tsukuyomi," a grand technique that traps all humans on the surface in a peaceful dream world. Naruto rejects it and resists.
Kishimoto: Infinite Tsukuyomi is about "escape." The theme of "NARUTO" is "忍 (shinobi) means those who endure". Patience is important in anything you do, but on the other hand, everyone has the desire to not endure and escape to the easier option. I'm a weak person myself, so when I have to finish a task by a certain date, I want to escape to the TV or a DVD. Infinite Tsukuyomi is an escape from that reality. In part, I drew it with the intention of admonishing myself for wanting to run away.
──『NARUTO』の人気をどんな時に実感しますか?
岸本さん: マンガ家って、いつも部屋の中で机に向かってばかりだから、人気があると言われても実感することはなかなかない。海外からたくさんファンレターが来るようになって、そうか海外でも人気なのか、と。どこの国の言葉なのか分からない、知らない言語で書いてあるものも来るので、いろんな国で読まれているんだなぁと感じる。ちっちゃい子がナルトの格好でポーズを決めている写真なんかがファンレターに入ってることがあって、そういうのを見ると和みますね。
──When do you feel the popularity of "NARUTO"?
Kishimoto: As a manga artist, I spend all my time at my desk in my room, so even when I'm told I'm popular, it's hard to really feel it. But now that I've started receiving a lot of fan letters from overseas, I realize that I'm popular abroad too. Sometimes I get letters written in languages I don't recognize, and it makes me feel like my work is being read in many different countries. There are even photos of little kids posing in Naruto costumes included in the fan letters, and seeing those really warms my heart.
──尾田栄一郎さんの『ONE PIECE』と二枚看板で「少年ジャンプ」を引っ張ってきましたが、意識していた?
岸本さん: 意識しない方がおかしい。同じ雑誌でずっとトップを走っている作品だから。『ワンピ』があったからこれだけ『NARUTO』を頑張ってこられた。特別な存在として、感謝している。競い合うライバルがいるからこそ、お互い高め合い、成長していくことができる。「友」と書いて「ライバル」と読む。「少年ジャンプ」の王道です。
──You and Eiichiro Oda's "ONE PIECE" have been the two main pillars of "Shonen Jump." Were you aware of that?
Kishimoto: It would be strange not to be aware of it. It's a work that has been at the top of the same magazine for so long. Because of "One Piece," I've been able to work hard on "Naruto." I am grateful for its special existence. It's because we have rivals to compete with that we can elevate each other and grow. "Friend" is written as "rival." This is the essence of "Shonen Jump."
40歳「中身はガキ」
──11月8日の誕生日で40歳になりました(インタビュー時はまだ39歳)。心境は?
岸本さん: 中身はガキです。連載を始めた25歳の頃とちっとも変わってない。「人気が落ちて、いつ連載が打ち切りになるだろう?」とビクビクする気持ちはさすがに減ったけど、いいマンガ、面白いマンガを描かなきゃと机に向かってきただけ。それでそのまま15年たっちゃった。昨日、サプライズで初代の担当さんが花束もって来てくれて、泣きそうになるのをガマンしたけど、一瞬で新人のころに戻っちゃう。『NARUTO』を始める前、一緒にストーリーやキャラクターを考えていたころに。あ、新しいアシスタントが入ってきて、小学生から『NARUTO』読んでました!って言われた時は自分のトシを感じましたね。
40 years old: "I'm just a kid inside"
──You turned 40 on November 8th (yes, you were still 39 at the time of the interview). How do you feel?
Kishimoto: I'm still a kid inside. I haven't changed at all since I started my series at 25. The anxiety of "What if my popularity drops and my series gets canceled?" has lessened, but I just kept sitting at my desk thinking I had to draw a good manga, an interesting manga. And that's how 15 years flew by. Yesterday, my first editor surprised me with a bouquet of flowers, and I had to hold back tears, but it instantly took me back to my rookie days, back to when we were brainstorming stories and characters together before we started "NARUTO". Oh, a new assistant came in and said, "I've been reading "NARUTO" since I was in elementary school!" I felt how old I am.
──昔の自分にメッセージを贈るとしたら?
岸本さん: 23か24歳の、実家の縁側でコピー用紙に適当にナルトのキャラクターを描いてた自分に言ってあげたい。「そいつ、大事にしろよ! そいつで15年も連載するんだぞ」って。
──If you could send a message to your younger self, what would it be?
Kishimoto: I want to tell my 23 or 24-year-old self, who was casually drawing Naruto characters on copy paper on the porch of my parents' house, "Take good care of that! You'll be serializing it for 15 years!"
きしもと・まさし 岡山県出身。
1995年、「カラクリ」にて新人漫画賞「ホップ☆ステップ賞」佳作を受賞。97年、増刊「赤マルジャンプ」に読み切り「NARUTO」が掲載され、デビューを果たす。99年に「NARUTO―ナルト―」の連載を開始。インタビュー小原篤撮影内���光、佐藤正人制作上村伸也、小林由憲、佐久間盛大、中西鏡子、神崎ちひろ、木村円
Kishimoto Masashi, from Okayama Prefecture.
In 1995, he won an honorable mention in the Hop☆Step Award for new manga artists with Karakuri. In 1997, he made his debut with the one-shot Naruto in the Akamaru Jump special edition. In 1999, he began serializing Naruto. Interview by Obara Atsushi Photography by Uchida Hikaru, Sato Masato Production by Uemura Shinya, Kobayashi Yoshinori, Sakuma Morita, Nakanishi Kyoko, Kanzaki Chihiro, Kimura Madoka
Please let me know any corrections/observations you have.
So this is the interview for the Asahi Shimbun special printed on page 31 of the newspaper. The translation for the second part of the special, the People Column is available here.
Thank you so much to Gatou's blog for archiving this interview in their blog because Asahi Shimbun had deleted the special from their website and I couldn't find full pictures of the printed edition, only the picture interviewer Ohara Atsushi posted on their twitter account on nov. 10 back in 2014.
#Kishimoto interview#Naruto translation#Naruto archive#This is one of my favorite interviews Kishimoto has ever done#also thank you Ohara Atsushi for not asking stupid questions about “when did you decide on NH?” like no one gaf!!!
11 notes
·
View notes
Quote
ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に���材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストック���ルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛��れていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
92 notes
·
View notes
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)10月29日(火曜日)弐
通巻第8480号
中国の『国防七大学』OBが中国軍のなかに新派閥形成
台頭する理工系エンジニアのテクノクラート集団
*************************
中国の『国防七大学』とは北京航空航天大学, 北京理工大学, 南京航空航天大学, 南京理工大学, 西北工業大学,哈爾浜工業大学、哈爾浜工程大学をさす。
米国はこれら七校が中国の軍需産業と密接に結びついているため、交流を禁止しているが、日本の大学のなかには相変わらず、無頓着に交流し技術提携関係を持続している。
日本の国公私立大学計45校が、中国人民解放軍と関係があり、軍事関連技術研究を行う国防七大学と大学間交流協定を結んでいる。しかも9校は共同研究の実績がある。
これら七校の出身者が、最近、軍エリートとして新興の派閥を形成している。
習近平は最近しきりに「軍民融合」というタームを使う。そのうえ19回党大会のあと、「軍産幹部」をつぎつぎと上位に昇進させており、2022年の第20回党大会以降は、副大臣クラスで「軍産エリート」たちの存在感が高まっている。まさしく中国共産党内の潜在的な新興派閥である。
トウ小平はベトナム懲罰戦争を仕掛けたが、ボロ負けした。階級章が曖昧で、命令系統がわからず、武器は旧式だった。にもかかわらずトウ小平があえて戦争を仕掛けてた理由は、戦争に打って出ることで軍をトウ小平主導のもとに整合させるという隠された目的があった。
以後、しゃかりきとなって推進したのが『軍の近代化』だった。ハイテク武器の開発、軍の効率的運営、海軍の充実。そして地方軍閥をなくし、軍のシステムを総政治部、総参謀部、総装備部、総後勤務部の四つにはっきりと統合した上で、陸海空の三軍と七大軍管区にわけ分割統治を謀った。
「中国海軍の父」といわれたのが劉華清だった。彼は党小平の信任厚く、人民解放軍海軍司令員(司令官)、第14期中国共産党中央政治局常務委員、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを務めた。最終階級は上将。
江沢民は軍歴もなく軍人のだれもがせせら笑っていた。なぜこんなエンジニア出身の党官僚が軍に命令する権利を持つのか、と憤懣やるかたがなかった。そこで江沢民は懐柔策にでて軍人のアルバイトを黙認し、江沢民に忠誠を誓う胡麻擂り軍人にばんばんと上将(大将)辞令を乱発し、手なづけた。よって軍は腐敗した。
習近平は、おそるおそると軍の改革に手をつけ四大総部体制を掻きあらして十五の局として再編、ついで七大軍管区を五大戦区に転換した。
さらにロケット戦略軍を新設し、理工系エンジニアを大量に採用し、ハイテク兵器の開発功労軍人を矢継ぎ早に昇格人事をおこなった。宇宙航空関連の軍人が、軍内でエリートと見做されるようになった。
ということは並みの軍事訓練をうけてきた兵隊からすれば体力も戦闘経験もない頭でっかちが、軍エリーとなっていくことに強い反発と嫉妬、怨念を抱いた。
▼とはいえ、国防軍事産業は閉鎖的社会である
新派閥は理工系、数学とコンピュータに強い教育的背景と防衛産業の運営モデルを通じて人間関係のネットワークが形成され、相互信頼、ならびに同質性が育まれる可能性が高いため、結束力が異様に強い派閥となった。
コンピュータの軍事エリートが世界最大のハッカー軍団を取り仕切っていると推測される。
この『軍産エリート集団』は共産党中央委員会のなかに独自の軍産複合体閥を形成し、幹部が資源配分、政策立案、規制、現地調整、意見伝達などで重要な役割を担い、防衛産業の発展を統括している。
2024年6月には黄強(元国防科学技術委員会書記長、国防科学技術局副局長)が吉林省党委書記に任命された。異例の出世である。遼寧省の赫鵬、黒龍江省の徐勤と並んで、中国東北部の主要軍事産業基地の省党委書記3人全員が防衛産業出身者となったのだ。
習近平氏は近防衛産業の発展と拡充を強く支援しており、防衛産業出身の幹部昇用が目立つことは述べたが、これら新エリートのほとんどは国防七大学を卒業している。
しかし基本的な特質を述べれば、中国の防衛産業は閉鎖的な社会で、より広範な官僚制度を特徴付ける「ブロック論理」(日本で言うところの「省益」は防衛産業にも存在し、研究開発は特定の防衛企業または研究部門に限定される。セクト主義だ。
さはさりながら共産党のピラミッドの頂点である中央委員会メンバーのうち、防衛産業出身者は21名となった。第20期中央委員会では、劉国忠、張国清両副首相、馬星瑞新疆ウイグル自治区党書記、袁家軍重慶市���書記の4名が政治局に昇進した。習近平をのぞく政治局23名のうち、軍エリートは四名である。
国務院人事をみても、多くの省庁が軍産関係者を重要な役職に据えている。
20期中央委員会では、国務院内の軍産資源や関連産業部門を実効管理する人物として、張国清副首相(工業担当)と劉国忠副首相、呉正龍国務委員、金荘龍工業情報化部長、懐金鵬教育部長などがいる。
地方レベルでも21人の軍産幹部が14の省、直轄市、自治区で党書記または省長を務めた。
就中、東北三省である。遼寧省、吉林省、黒竜江省の重工業地帯は、ずばり日本の満州国建設時代に鉄鋼、造船、機械工業を育成発展させて基盤がある。
この三省が中国軍事産業にとって不可欠な研究企業や研究所の本拠地である。例えば、黒龍江省にはハルビン航空機工業集団(HAIG)、遼寧省には大連造船工業集団(DSIC)、ついでにいえば陝西省には中国航天科技集団(CASC)の第四研究所と第六研究所がある。
中央委員会の軍産関係者の人脈を分析すると、多くが学歴や職歴を共有していることも分かる。学閥もまた習近平が清華大学閥を形成しているように中国の人脈地図に於いて重要である。
全国人民���表大会副主席の張清偉がこのネットワークの中心人物とされる。張清偉は航空宇宙分野で長いキャリアを積んできた。このため、航空宇宙分野の役人のほとんどつながりを持つ。重慶市の袁家軍・党書記、新疆ウイグル自治区党書記の馬興鋭、中央軍民融合弁公室の雷帆培副主任、工業情報化部長の金荘龍は副官を務めたことがある。
もう1人の中心人物は、副首相の張国清だろう。国務委員の呉正龍と陝西省長の趙剛は、一緒に仕事をした経験があり、張と呉は2013年から2014年まで中国共産党重慶市委員会で一緒に働いていた。
ただし中国共産党の最高機関である政治局常務委員に昇格した軍産関係者はいない。党の活動歴がないうえ、習近平のとの個人的な絆が薄いからだ。
8 notes
·
View notes
Text
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/0f7872770fe0d9af6a01c05fdbab63fc/cf835cb0d73a2c0c-25/s500x750/3531fd252bd198059d105bdf80d8eb3b51a9266e.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/1afeb4a0eb85dbfdcda8eeced7cf521c/cf835cb0d73a2c0c-cb/s500x750/e3c56733ad1859b19ef2c185dc96581db16cbc48.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/876125c68f47c92b997e4249362ba471/cf835cb0d73a2c0c-c5/s500x750/ec5272e7c878a1b8d649c55377e7e8dc5367bea7.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/c984edeec24d82a49050e0f90c6fdc93/cf835cb0d73a2c0c-5e/s500x750/73eac8fd8587f391850a97598618fda6bcd1b3d9.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/3bdd71e33fb0ef7dbd3e4f8ec3399051/cf835cb0d73a2c0c-3c/s500x750/8b110e41c74a5c890f20337e7ced7d6c5112ed6e.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/c6feae1fba638943a556b7be042ea45b/cf835cb0d73a2c0c-62/s500x750/ed241a23cbb1d736ae382933ea803ae6a94ae715.jpg)
💗 最是難忘~烏鎮 Wuzhen (之二) It's a historic scenic town, part of Tongxiang, located in the north of Zhejiang Province, China.是典型的江南水鄉古鎮,烏鎮原以市河(車溪)為界,分為烏青二鎮,河西為烏鎮,屬湖州府烏程縣;河東為青鎮,屬嘉興府桐鄉縣。中華人民共和國時期,市河以西的烏鎮劃歸桐鄉縣,統稱烏鎮 (Wu Town)。
烏鎮街道上民居以清代建築為主,保存完好。全鎮以河成街,橋街相連。各式民居、店鋪依河築屋,即有深宅大院、百年老屋,也有河埠廊坊,過街騎樓,是江南典型的「小橋、流水、人家」。烏鎮為千年文化名鎮,在歷史上小鎮曾出過64名進士、161名舉人。茅盾、沈澤民、嚴獨鶴等都為烏鎮人。
2014年11月19日到21日,首屆「世界互聯網大會」在烏鎮舉辦,該地也成為世界網際網路大會的永久會址。Wuzhen has been the permanent host place of the annual World Internet Conference, an international Internet conference held in China, since 2014.
❖ 無法不愛上它的木色及綠與灰的老調重唱 Really can't help fall in love with its wood color while green and gray quartet the old tune to.
❖ 此外,我有一個深刻的印象就是。。。拍照要分秒必爭。遊客的人群移動永遠比照相機的快門��快,起初我很是光火,可,還真是屁都沒人敢放一聲,因為連幹架和理論以及理論的位置都擠不出來, LOL 除非你甘願走水路,重點是:船也很忙,不只是牛仔很忙! 哈哈哈!!!
In addition, I have a deep impression. . . Every second counts when you're taking photos. The crowd of tourists always moves faster than the shutter of the camera. I was very mad at first, but no one dared to say shit, because I couldn’t even fight and argue, or even squeeze out the gap where you want to argue; people pused you go go go, Jesus! LOL Unless You are willing to take the water route, the point is: boats are also busy, not just "cowboys are busy". (It's a famous's song named by Taiwan singer - Jay Chou) Hahaha!!!
❖ 對每一趟旅行的回顧,無論旅程的長短、好壞都是感激,對於自己的視野全是新的啟迪和認知。對我來說,這是一段美好而豐富的記憶,尤其是我從那些和我一起旅行的最親密的人那裡學到了許多事和人性。Looking back on every trips, no matter how long or short, good or bad, is full of gratitude. It is a new enlightenment and understanding of my own vision. and A pretty nice & rich memory for me, Especially I learned things and humanity from so close people that traveled. 🙏 Lan~* xoxo
Photos by Chu Lan.
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/5c70ac29129e190c4864652a04b596e2/cf835cb0d73a2c0c-b5/s500x750/d08da8dd4ada9cfbc18d65a04091058cc8d4daab.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/9ddc417c91f9f96ebf19d70b4b8beb7f/cf835cb0d73a2c0c-85/s500x750/ff82af504b6296fa6bed3e6cc58e82a8da65607d.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/c369e8b2c1f30248cb6621a07926dd8c/cf835cb0d73a2c0c-23/s500x750/cfc9761dd4f93c855c9ccaf99e47170492949ba3.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/10dabd2b822e5c7448a7b8dd3edd01ec/cf835cb0d73a2c0c-61/s500x750/81bc2576ad91ee36d9f1b14963efb8e850800a6a.jpg)
#chu lan#artist from taiwan#traveled#memories#my memory#中國/浙江省#桐鄉市/江南著名古鎮之一:烏鎮#wuzhen#tongxiang#zhejiang#china
7 notes
·
View notes
Text
MIYAVI is not responsible and responsible as a husband and father
If you can't read Chinese or Japanese, you can use translation software to get the content. Such as OPEN L. If you need web page translation, you can use Microsoft Edge. However, its translation is not as accurate as OPEN L's.
Baidu Tieba is an online forum in China, similar to the Japanese V kei tanuki, it retains some posts from before 2010. ================== MIYAVI,原名石原崇雅,1981年生,曾经隶属于Due’le quartz乐队,乐队解散后开始SOLO活动,依旧隶属于PS COMPANY事务所,2009年奉子成婚后宣布PSC脱退,成立新事务所J-glam,代表取缔役石原崇雅,旗下只有MIYAVI一个艺人。
这位石原崇雅最喜欢营业的就是爱妻爱子和宠爱粉丝的人设了,那么我们来具体看看是不是这样呢?首先,时间线让我们拉回到2009年3月26日。百度的miyavi贴吧爆出了一个惊人的消息,miyavi结婚了。
这条消息来自一个不知名的第三方小媒体,是全网最早踢爆石原崇雅奉子成婚的。这条消息没有在任何石原崇雅和事务所的官方媒体或主流大媒体出现,疑似为个人购买或狗仔爆料(我怀疑是石川melody的关系者,笑) https://tieba.baidu.com/p/556593133#/
我们可以从粉丝的反应中看出这条新闻曝光后,大家都不知所措,并且很多人开始指责石原崇雅欺骗当时的粉丝,在多次的欺骗下已经没有诚信可言了,而且并没有很多人在当时就离开,这些ID在他婚后都继续在贴吧活跃和搬运资源,甚至给他找借口。
再补充几个从帖文中发现的事实: 1. 贴吧当时就有很多人知道他和小泽玛利亚来往,甚至有人以为婚恋对象应该是小泽玛利亚(小泽玛丽亚的绯闻哪怕在合影曝光后,也没对核心粉丝产生影响,即使小泽玛利亚的职业很特殊)。 2. 我至少看到3个不同的吧友说2008年12月石原崇雅辟谣过他结婚。
因为聊天是很零散很琐碎的,所以我这里不再展示细节,有兴趣的可以去我知乎专栏看《[雅学精选]2009年3月26日贴吧仔雅发文纪实》,有专门的内容搬运,自己去百度贴吧看也可以。 接着是第二弹,他的奉子成婚事实和对象被第三方媒体踢爆后石原崇雅次日个人博客的澄清。概括一下,就是我也不说我婚了还是没婚,你们猜。你们要相信和信任我啊,大家赶紧把嘴捂上,各种关系者(例如事务所)已经不高兴啦~
下面是一条非常有趣的评论,这条我无论如何都要展示一下,毕竟这就是当年诸多仔雅的真实想法之一~
他的日语wiki百科我个人认为记录已经被人文篡改了,省略了很多真相,甚至还不如其他语言的版本详细,不信我们简中、英语和日语来对比下。如下。 简中版wiki,只提了他自己“官宣”PSC事务所毕业和婚育事实这件事,没提奉子成婚这事是被第三方媒体爆料在先的。
英语版wiki,直接删除他婚育这件事(这段里面记载的巡演记录和新闻引用,日语版给删的精光)。
日语版wiki,把细节省略,只剩2009年结婚这件事。
三种不同语言的wiki对比看起来,只能说精彩,十分精彩。
更有趣的是他英文和中文百科写的比日语的还长还细,除了石原崇雅的wiki,其他日本艺人的这种百科,我真的是见所未见,闻所未闻。 除了婚育事实,其他大量内容有删改的还有他的演唱会动员力记载。比如他世界巡演和日本巡演的具体时间和具体场次,日本语wiki都给删的精光,生怕金主霸霸们知道这人在2024年前其实是个单场演唱会在日本最大只能开满3000人、海外最大只能开满1000人的糊13。
正是因为石原崇雅令人敬佩的诚信精神和职场道德,所以当我2012年去访问百度贴吧的时候,2009年还在热火朝天搬运他最新消息的核心粉丝们,一个也不见了,导致我一个日语都不会的高中生随便买点东西发发图片都能成为大粉头,甚至做了好几年大吧主,后面日语水平上来后,开始买他的原版资料和做翻译的时候,又走了2009年跑路的那群大粉丝的老路。
那么,对粉丝是这样的,他对他的家庭是如何的呢? 首先我们从上文的内容可以总结出来,这人根本不是自己主动宣布婚育事实的,是被“第三方”爆料之后才被迫承认的,而且他对于石川melody是未婚先孕,统称奉子成婚。
你说这年头奉子成婚不算啥?那么一胎难产之后再一年抱俩,导致二胎难产,三胎为了要儿子又让太太当大龄产妇怎么样呢。
这是基本的时间线,我们可以看到两个女儿的生日就差不到15个月,石锤一年抱俩,三胎的时候石川melody已经39岁。 大女儿石原爱理2009年7月29日出生。
二女儿石原希里2010年10月21日出生。
2021年2月25日,Melody老公MIYAVI在个人社交账号宣布三胎宝宝出生,母子平安。 后面是具体的考证,当年一胎难产的新闻。采访写的很细,能看出是第一视角,重点在于生了20多个小时才难产后出生。 二胎早产有melody自己的博客和新闻为证。
原来,这就是石原崇雅对石川melody的夫妻之爱,值得我们学习和借鉴。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/eccbcbe3076a02958b16214d8fafa091/8857b30bcd45c919-2c/s640x960/527b7a0a5c536f5009441ce63e0a3460303d4727.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/69507639960a6ff63255866f224a0b25/8857b30bcd45c919-33/s540x810/b927504e3ddaad043ddf0e24b308bc60c5b1cacc.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/f8ba75d49bd6499b2ab1407730fc5ce2/8857b30bcd45c919-43/s1280x1920/43441a3f5f84449ee4dbaa2f2f45a52103510352.jpg)
石原崇雅对孩子的爱,就不用说了,从出生的婴儿照开始,就无码、实名晒孩子的日常,来给自己做镀金爱妻爱子人设的工具人,导致孩子成年后除了出道做艺人,未来无路可走。俩女儿肯定后面要进艺能圈的,目前我已经从石川家的各种动态和各种私信爆料中看出蛛丝马迹了,大概率二女儿先出来(大女儿条件没二女儿好),我flag就立在这里。 你看到这里,是不是可能还是石原崇雅的爱妻爱子人设觉得没问题?万一人家日本就是这个国情呢。 好,我下面给你看看别人的案例。 案例一,黑泽良平和林志玲的孩子,你知道人家长什么样不? 案例二,日本同类型艺人、宝井秀人(HYDE)的孩子,妈妈大石惠也是知名艺人,今年已经21岁了,你知道人家长什么样不?
案例三,目前已经实锤两个女儿双双出道的木村拓哉和工藤静香,你在木村光希和木村心美出道前知道人家真名和详细相貌不? 案例四,仲里依纱和中尾明庆,有名的晒孩狂魔,然而他们的社交媒体中,除了可以看到他们也很热衷记录孩子的成长过程,孩子的脸都有遮挡,根本不知道到底长什么样子,而且根本没有曝光孩子的真实姓名。
再提供一个同类型艺人Tetsuya(彩虹乐队主唱)和酒井彩名的婚育时间线案例,以及人家是如何营业爱妻爱子的,作为参考。 具体细节我在知乎文章 《[雅学精选]关于石原崇雅(MIYAVI)幸福美满的家庭生活》有详细的新闻证据链和时间线考证,这里就不再重复展示了,只展示别人的大事记。
2006年夏谈恋爱,经过父母同意后求婚。 2007年11月18日官宣结婚,11月21日发布记者会正式宣布结婚,在记者发布会上展示左手上戴着的价值2000万日元的harrywinston订婚戒指,戒指上有2.22克拉的心形钻石,这是和tetsu一样的婚戒。
2008年5月4日在东京都内举行了婚礼和婚宴。当天不仅有新郎新娘双方的亲朋好友出席,酒井所属事务所的社长等人也出席了婚宴,为新人们送上了祝福。
2014年生下第一个儿子,2016年生第二个女儿。 值得注意的是,酒井彩名结婚后没有宣布退出演艺事业,依然作为艺人身份活动,和事务所关系直到生子后也一直非常好。Tetsuya也一直隶属于L‘Arc~en~Ciel,没有因为结婚生子就退出演艺事业,也一样没有退出当时的事务所。
石原崇雅,您太太结婚,请问您送了她什么东西? 成年人了,不会连婚戒送了没有都讲不出口,爱妻只存在于通稿之中吧? 不信请看人家十周年纪念日的通稿,就是拍了个婚纱照,送了什么其他礼物,不知道,不能说,你猜。更别说石川melody的婚纱看着也完全不高级的样子。这种十周年结婚纪念日,真的好令人羡慕哦,这个婚纱照的成本可能还没石川melody自己的一个奢侈品包贵吧!
我表示大受震撼,石原氏爱妻爱子真的刷新了我的三观,反思,赶紧反思。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/1499f5022e51ad335db0a8a065311ada/8857b30bcd45c919-2c/s1280x1920/7c2ba6b753c3fb1e4ad01342e3b0b96a7c3211a7.jpg)
#miyavi#miyavi ishihara#jrockband#jrock#jpop#japan#jrockers#vkei#vkei art#vkei fashion#melody ishihara#melody ishikawa
4 notes
·
View notes
Quote
ソーシャルメディアサイトTumblrの人気が爆発的に高まり(2014年初頭にピークに達した)、残酷さも増した2010年代初頭の目まぐるしい出来事を私たちに伝えてくれます。 Tumblr は Facebook や他のサイトとは異なり、誰かのソーシャル ネットワークに基づいていない点が特徴で、世界中のあらゆる場所から、同じ興味、そして多くの場合同じ執着心を持つ人々を集めます。 彼らは皆、Tumblr を、アイデンティティ、脆弱性、言語、危害、被害者意識といった新しい概念が進化し、混ざり合う主要な培養皿だと指摘した。 Tumblr では、規範にとらわれない独自の自分を表現できる文化が奨励されていました。それは、ある程度、現代社会の特徴でもあります。しかし、それが極端になり、人々はこれをスノーフレーク (それぞれのスノーフレークがユニークであるという考えを指す) と表現し始めました。スノーフレークとは、自分自身のために完全にブティックのようなアイデンティティを構築し、そのアイデンティティを非常に敏感に守り、誰かが自分のアイデンティティのユニークさを尊重しないと激怒して反応する人です。
リベラルな女子のメンタルヘルスが最初に、そして最も急速に悪化した理由
6 notes
·
View notes
Text
たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/1a8e0f8782b24877cd491156e305eaaa/2248f90a6c56b9c7-29/s540x810/30921818bde46fe1d4d03b7c24f8b0736710e817.jpg)
そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/02aea54ecc74b6e67ddacc573eb9ba11/2248f90a6c56b9c7-5e/s540x810/f4bc7ca1e01391ebe849f3fcfa1946de52efeb6d.jpg)
惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/12e0315492d554d2bb1efe9bffcbe2b2/2248f90a6c56b9c7-9d/s540x810/7fd4dfbfe73cde47fdb65cdea206f6e1b6ba25d1.jpg)
打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/483da8904a232c8ff105bf23f82fc254/2248f90a6c56b9c7-38/s540x810/4fac02138044dc0cbd3f79f082a0369c179d9684.jpg)
張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/42804d12752226f7ed0440f76596e83d/2248f90a6c56b9c7-8f/s540x810/fa75236d0188a914d1cf88f477ce209b22b40a2e.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/4c8d217da4654ef20bac182a71e30c0e/2248f90a6c56b9c7-99/s540x810/6f0f7bcea0c4577c00399e1c9fb4682447fa94a7.jpg)
その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/70394d9b00669ad6ff85a340c06606c2/2248f90a6c56b9c7-45/s540x810/2232e139859660611e1f7199e5d78a976f70e70b.jpg)
二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/140910555aeac5e429746d2ff0c1aad4/2248f90a6c56b9c7-5e/s540x810/bacdc56e9bf1a427c6dcc077a75ac898ab542829.jpg)
べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
20 notes
·
View notes
Text
うどんの男の話
昨年15年ぶりに再会した年上のお姉さんと先日、私の友人の店にご飯を食べに行った。
そこで年内の旅程の話をした際に、実家に帰ってそこから家族旅行というスケジュールを聞いた。あれ?実家ってどこだっけ?と聞くと高松、香川だよという答え。
瀬戸芸行ったことある?なんてそのまま話していると店主がちょっと良い!?香川の人に聞きたい事がある!とカットインしてきた。
うどんの話である
うどん県とも名乗る香川県民は実はうどんの発祥地であると発する博多のやわうどんをどう思っているのか、福岡ローカルのチェーン、話題の資さんなどの感想を聞いていくと1人の男の名前が出た。
福岡、山口に住みローカル番組を観る人ならうどんと男でピンと来ると思う。
岡澤アキラ
他県の人は知らないと思うが福岡ローカルタレントなのだが、この男只者ではない。
実は2014年より元モーニング娘。の中澤裕子氏は結婚を機に福岡へ移住、そこから、めんたいワイド、ももち浜ストア、サンデーウォッチと福岡ローカルの看板番組へ次��とレギュラー出演、かよ姐こと山本華世がテレビから離れた今、実質博多の女帝になっているのだ。
その中澤裕子氏をもってしても、好感度そして認知度でどうしても勝てないと言わせている男が、この岡澤アキラなのである。澤対決。
ここで岡澤アキラ氏について軽く説明する。Wikipediaから。
1993年、福岡県太宰府市生まれの31歳
高一の時に担任の勧めで定期券を使用できる範囲でモデル事務所を探し所属する
中澤裕子の福岡進出から遅れる事2年、2016年からももち浜ストアでとあるコーナーを担当する
同年、博多銘菓「博多の女」CMに出演
2019年にはTNCの柔道、バレー双方の世界大会応援アンバサダーに就任
2020年にはTNCのイメージキャラクターに抜擢されその年の12月には嘉麻警察署の1日署長も務める
2022年にはももち浜ストアにて結婚を発表
太宰府市生まれ、定期券の範囲からあまりに隙のない経歴
1日署長を務めた嘉麻市は福岡の筑豊という地区にあるのだが、他県の皆様には筑豊ナンバーと検索をしてみてほしい
候補には、やばい、気をつけろ、お断り等穏やかではない、福岡が修羅の国と呼ばれる一端を担う地区である(福岡は市内からだいたい修羅の国だが)
そんな地区の1日署長に選ばれている
この隙のない岡澤アキラ氏が担当するのが「うどんMAP」なのである
うどんMAPは最初水曜のみであったが、その後うどんMAPサタデーと拡大、またコーナーを有する番組のMCも務めている
即ち、視聴者からも番組内からもそして局からも信頼され好感度の高いこの岡澤アキラ氏について香川県出身のお姉さんは気に触るところがあるらしい
詳細は割愛するが、香川県民はあんなのは許さないと思う、アキラは香川ではうどん番組なんて持てない!そうお姉さんは息巻く
やはりうどん県を名乗る県民はうどんに厳しい
アキラはうどん県ではやっていけないのか、私は知る限りのうどんMAPでのアキラの動き、振る舞いを思い返した
うどんMAPはおすすめされたうどん屋に行き、新たにおすすめされたうどん屋に行く、移動は徒歩もしくは交通機関のみだったはず
しかも1日に数軒行くのだが、アキラは決して弱音を吐かない
すでに出向いたうどん屋は1615軒、7年間文句も言わずにうどんを啜る
箸上げし、ぷるぷる揺らし、デカい文字を配置した投稿を繰り返すグルメ系インスタグラマーなど足元にも及ばない気概である
身長186cmという体躯と持ち前の明るさと爽やかさで、長い移動も良い運動になりますね!などと話しながら歩く
トレードマークの赤いパーカーと長身、嫌味のないイケメンぽさのある顔立ちで老若男女に人気で、移動中によく声をかけられている
私達姉弟の働いていたうどん屋にも数回来ており、50になる大将もアキラの虜だ
そんなアキラである、もし仮に香川県のうどんに関する番組に出たとしよう
お姉さんの言う通り、香川県民に最初は拒否されるかもしれない、なにがうどんMAPだ、発祥地?うどん体操だと?そんな声があがるかもしれない
しかし私にはわかる、アキラは香川県民も飲み込む
アキラはきっと苦情について素直に受け取り改善する、そしてきっとこう言う
「うどん県のみなさん、僕にうどんについて教えてください」
屈託のない笑顔を添えて
アキラのウィークポイントは魅了への序章に過ぎない
きっと香川県民は少しづつ変わっていく、本当のうどんをアキラに教えてやろう、街でみかけたら本場のうどんはどうだ?と声をかけてやろう、蛇口から出る出汁を見たらどう思うかな、いつも行ってるあの店にはもうアキラは来たかな、朝しか開いていないあのうどん屋にもアキラに行って欲しい…
知らぬ間にもしアキラにうどん屋で会ったら…とシュミレーションし始める、アキラの虜である
そう話すとお姉さんの顔はみるみる曇っていき、それは、、そうなる気がする、、分かる
と小さな声で話した
私はアキラにはこれだけの力があるので、変な気など起こさずにうどんを啜り続けて欲しいと思っているし、あまりの好感度にちょっと怖いなとも思っている
4 notes
·
View notes
Text
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/1b62766a87f1227c769250e9c9f49569/203ff707ef3a5fc3-6f/s1280x1920/ef82fd54ec7b421a38b05e41fb491d26a985ec34.jpg)
・毎日報告書を作成 ・外国情報機関の代表者と繰り返し会っていた ・マイダン革命中のウクライナにもいた ・ドネツク、ルガンスクにもいた ↓ ベラルーシでの6年間、日本人諜報員(中西雅敏)はベラルーシとウクライナの国境地帯から9,000枚以上の正確な写真を撮影した https://tvr.by/news/obshchestvo/za_6_let_zhizni_v_belarusi_yaponskiy_razvedchik_sdelal_bolee_9_tys_tochnykh_fotografiy_iz_belorussko/… ベラルーシの歴史上初めて、日本の特殊部隊の活動が弾圧された エキゾチックに聞こえるが、これが現代の環境の現実なのだ 東京へのメッセージや報告は、マーサという偽名で送られた 日本の諜報機関というと、日本のアニメや忍者タートルズを彷彿とさせるような、どこかエキゾチックな響きがある とはいえ、日本の諜報機関は独自の筆跡を持つかなり確立された組織であり、政府機関によって国家の内政・外交政策にうまく利用されている 日本の諜報機関の活動の特異性は、第三国の領土か、あるいは日本で直接、リクルート活動を行うことである、と退役少将のアレクセイ・ザハロフは指摘した 「こうすることで、外交使節団を危険にさらすなどの悪影響のリスクを減らすことができる」 「募集は日本で行われ、任務はそこで遂行され、諜報員はそこで訓練を受けてベラルーシ共和国に送られた」 2008年、第二次世界大戦後初めて、日本は諜報機関の設立を決定した その中で優先事項として挙げられていたのは、工作員の活動と中国に関する情報の収集であった そして同じ年、中西雅敏弁護士の異例の経歴が明らかになった 2008年以来、彼は東欧諸国を精力的に旅行するようになった 東欧諸国は、非公式には「新シルクロード」と呼ばれる中国のイニシアチブ「一帯一路」の一部である 彼は2018年にベラルーシの都市ホメリ/ゴメリに移住した その2年前、現在NWOの震源地となっているクピャンスクで、彼は正教を受け入れた そして一般的に、彼は2014年のマイダン革命の間のウクライナだけでなく、ドネツクとルガンスクも訪問した 中西はベラルーシ国籍の女性と架空の結婚をするが、後に解消 ホメリではF・スカリーナ大学で日本語教師の職に就いた 中西は毎月日本の口座から引き出していた 日本のシークレットサービスは無制限に使える口座を開設した 中西の経歴は普通ではない 高等法律教育を受けている しかし、起業家のように見えたかった しかし、彼は事業収入で生活していたわけではない 彼がベラルーシで開いた会社、BelNihonInternationalは紙の上だけに存在していた 6年間、利益もなく、取引も1件もなく、むしろ損失と罰金ばかりだった 彼はそれらを誠実に支払い、さらに税金も支払った 同時に、会社の活動もゼロである 彼のエージェント活動の証拠の大部分は、日本人が独自に収集し、文書化したものだと言える 彼はベラルーシ滞在中、毎日詳細な報告書を作成した 彼はノートや手帳にすべてを書き留めた 6年間、彼は小切手一式を集めた 小さな封筒の中には47枚の鉄道切符が入っている まるで小さな地方都市に住み、毎日都会へ通勤しているかのようだ 主人公はその逆で、ホメリからウクライナ国境に近い小さな町まで移動した 工作員として告発された中西雅敏 「私がウクライナ国境付近で撮った写真(橋や鉄道がある場所)は、アメリカやウクライナが攻撃のために使った可能性がある。ベラルーシの領土にミサイル攻撃を仕掛けることもできたと思う。アメリカと日本の間には非常に密接な関係がある。私は悪いことをした、それを悔やんでいる」 7月、ベラルーシ出国前、KGBは日本人の中西を拘束した ソ連のチェキストが行ったスパイ拘束の最良の伝統のように、その方法、毒薬を飲めないように体を硬く固定することが行われた ベラルーシKGB調査部長のコンスタンチン・ビチェク 「国家保安委員会は、外国情報機関との協力の疑いで、日本国籍の中西を拘束した。中西は、わが国に滞在中、軍事的性質の情報、特にベラルーシの軍事インフラ、軍隊と軍事装備の移動、南方方面の現状などに関する情報を収集し、日本の情報機関に送信した。さらに、外国の諜報機関は、国家機密にアクセスできるベラルーシ国民のリクルート調査を行った。現在完了に近づいている捜査の過程で、中西の違法行為に関する説得力のある反論の余地のない証拠が得られた」 押収された備品には、中西と同センターとの間で交わされた、完了した業務に関する報告書や、その経費に関する情報などが含まれていた さらに、捜査活動の過程で、この外国人が外交官としてベラルーシで活動する外国情報機関の代表者と繰り返し会っていたことが記録されていた
3 notes
·
View notes
Text
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/96cf27f76fe060241baa705488ac6df7/a3e13df2d0b90887-46/s540x810/35dd8f1481f84b2842acaf27e6279328842225ad.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/0d4d199d2bf09bae2c72e15b3c6082e4/a3e13df2d0b90887-ae/s540x810/72ac0fb9a7fc5d866ddb05f299686ce562c94653.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/2c40d42f9fa35c3418ac28eb46dc411c/a3e13df2d0b90887-16/s540x810/20361f708b8a2e55b5e73b8343e0c00e56d0a3db.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/88299e50a3c3c4fb6ad2e5d5ed29d18e/a3e13df2d0b90887-82/s540x810/863279adbba0eba78e860cace9f4f538cbd30b41.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/3536435663d952ebf12b243e33c91934/a3e13df2d0b90887-a5/s540x810/00d2ee175e263d38ff6856844f522ba620196acb.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/3327ffa4655b4ff2b2443910f39fed7e/a3e13df2d0b90887-73/s540x810/5539b61066aceefabb2572d99dcc958ec994083e.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/a613ce9d2e09588577a5c9b2e3008e32/a3e13df2d0b90887-60/s540x810/a4570feb7011a6f831098bad8c725f5ab9112d1a.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/cf1712b7fc7a68a2c1cd4c26e24fda85/a3e13df2d0b90887-44/s540x810/28b702408357bd3478d37f20062a6d0e9ae13225.jpg)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/ea22e4d3d2c33a195ebf4487f3adde8e/a3e13df2d0b90887-d3/s540x810/aef001395e7054baca54cf71d77a2c63dc02a7bb.jpg)
行天優莉奈(ぎょうてんゆりな)
生年月日:1999年3月14日
出身地:香川県
血液型:O型
趣味:ドラマ・アニメ鑑賞、ベース、盆栽
1999年、香川県出身。2014年にAKB48チーム8の香川県代表として芸能活動を開始。アイドル活動と並行して舞台を中心に女優としても活動。2021年『週刊プレイボーイ』で初水着グラビアを解禁、「AKB48の新グラビアクイーン」のキャッチコピーとともに多数の写真週刊誌の紙面を飾る。TC Candler「世界で最も美しい顔100人」に、2022年、2023年と2年連続でランクイン。2023年、森永乳業ショートムービCMに出演。
116 notes
·
View notes
Text
Kishimoto Interview Cinema Café Dec. 5th 2014 Part 2
SOURCE
[Interview/Part 2] Masashi Kishimoto's 15 years of "NARUTO" - From thoughts on the ending to his rivals
“ノストラダムスの大予言”で知られる1999年の7月から2か月ほどが過ぎた9月、当時24歳の岸本斉史は「週刊少年ジャンプ」(集英社刊)にて「NARUTO-ナルト-」の連載を開始した。
In September, about two months after July 1999, known for "Nostradamus's Great Prophecy," 24-year-old Masashi Kishimoto began serialization of "NARUTO" in "Weekly Shōnen Jump" (published by Shueisha).
参考までに、当時の内閣総理大臣はいまは亡き小渕恵三。甲子園をわかせた“怪物”松坂大輔がプロ野球で初登板を果たし、石原慎太郎が東京都知事に当選し、宇多田ヒカルが累計900万枚を超える大ヒットとなるファーストアルバム「First Love」を発表したのも同じ1999年である。
For reference, the Prime Minister at that time was the late Keizo Obuchi.The "monster" Daisuke Matsuzaka, who made waves at Koshien, made his professional baseball debut, Shintaro Ishihara was elected as the governor of Tokyo, and Hikaru Utada released her massively successful first album "First Love," which sold over 9 million copies, all in the same year, 1999.
それまで「ジャンプ」を支えてきた人気漫画「るろうに剣心」(和月伸宏)が最終��を迎えたのと同じ号で、のちに全世界で2億部超の大人気漫画となる「NARUTO-ナルト-」は産声を上げた。そこから15年におよんだ連載をふり返ると共に、まもなく公開となる劇場版「THE LAST -NARUTO THE MOVIE-」についても語るロングインタビュー<後編>!
In the same issue where the popular manga "Rurouni Kenshin" (Nobuhiro Watsuki), which had supported "Jump" until then, reached its final chapter, "NARUTO," which would later become a global hit with over 200 million copies sold, made its debut. In this long interview (Part 2), we look back on the 15-year serialization and also discuss the upcoming theatrical release "THE LAST -NARUTO THE MOVIE-"!
【原作の結末に関するネタバレの記載、発言もありますのでご注意ください】
[Please note that there may be spoilers and comments regarding the ending of the original work]
15年の歳月で一番つらかった時期は「連載開始当初」。7日間で1話を仕上げる週刊連載の“地獄の”サイクルに体が悲鳴を上げた。
The hardest time in those 15 years was when the series first started. The hellish cycle of a weekly serialization, where one chapter had to be completed in seven days, made his body scream.
「連載が始まったのは嬉しかったけど、体力的にはすごく弱くて毎週、原稿を上げたら熱は出るわ、食べたものは吐くわ…『やっていけるのかな?』という感じ。どんどん体がつらくなって、変な熱が出て病院に行ったら、先生が何かの数値を見ながら『きみ、これ細胞が死んでるよ。とにかく休みなさい』って(苦笑)。『細胞が死んでる』なんて初めて言われて引いたけど、週刊連載なんだから休めるわけない。当時は連載を始めたばかりの新人が休むなんてありえなくて、あるとしたら連載打ち切りだった。でも、さすがに当時の担当が、このままじゃ死ぬと思って少しの間、休載にしてくれたんです。その時はみんな、口に出さないけど『こんな新人に休みやるってどういうことだ?』と思ってたんじゃないかと…。ただ、そこからみんな、ちょっとずつ休みをもらえるようになったので、そういう意味じゃ新たな流れを切り拓いたのかも(笑)。その頃はいまよりも15キロくらい痩せてましたね」。
"I was happy when the serialization started, but I was physically very weak, and every week after submitting my manuscript I'd get a fever, and I'd throw up everything I ate…I felt like, 'Can I still do this?' My body was getting increasingly uncomfortable, and when I developed a strange fever I went to the hospital, the doctor, looking at some numbers, said, 'Your cells are dead. You need to take a rest at all times' (bitter smile). I was taken aback for the first time to be told that my 'cells are dead', but since it was a weekly serialization, there was no way I could take a break. At the time, it was unthinkable for a rookie who had just started serialization to take a break; the only thing that could happen was for the series to be canceled. But as expected, my editor at the time thought I would die if I continued like this, so he put me on a break for a while. At the time, I think everyone was probably thinking, without saying it out loud, 'What do you mean, give a rookie like me a break?'…However, from then on, everyone started to be given little by little time off, so in that sense I may have opened up a new trend (laughs). I was about 15 kg thinner at that time."
そこから徐々に、週刊連載のリズムを掴み始め、同時に読者の反響からも作品に対する手応えを感じ始める。
From there, he gradually began to grasp the rhythm of weekly serialization, and at the same time, he started to feel a sense of accomplishment from the readers' reactions to my work.
「2回目に巻頭カラーをもらった時かな? 担当が原稿をFAXしながら『嬉しいよ。(読者投票で)1位だから』と言ってたのを覚えてます。僕自身は、投票結果はあまり気にしないようにはしてたんですが、二人三脚で連載を一緒に始めた担当はここまで胃の痛い思いもしてきたんだろうし、彼の嬉しそうな顔を見るのは嬉しかったですね。僕自身もその後、結婚して生活が安定して、体調を崩すことも少なくなりましたね」。
"Was it when I got the cover color for the second time? I remember my editor faxing the manuscript and saying, 'I'm so happy. (You ranked first in the reader poll).' Personally, I tried not to pay much attention to the voting results, but my editor, who started the series with me, must have been so worried up to that point, so it made me happy to see his delighted face. After that, I got married, my life stabilized, and I got sick less often."
15年という歳月の中で社会情勢も大きな変化を遂げた。「NARUTO-ナルト-」の世界は現実の世界情勢を鏡のように映し出しているのでは? という声は以前よりファンの間でも多く聞かれた。五大国の存在や、各国が“尾獣(※巨大な力を持つ魔獣)”を兵器として持っていること。そのバランスを崩そうとする組織「暁」。暴力ではなく対話で解決を試み、相手を理解しようとするナルト。歴史的な因縁などを含め、なるほどと思わされる部分が多々あるが…。
Over the course of 15 years, the social situation has undergone significant changes. There have been many voices among fans suggesting that the world of "NARUTO" reflects the real-world situation like a mirror. The existence of the Five Great Nations and the fact that each country possesses "Tailed Beasts" (giant, powerful magical beasts) as weapons. The organization "Akatsuki" that seeks to disrupt this balance. Naruto, who attempts to resolve conflicts through dialogue rather than violence and tries to understand others. There are many parts that make you go "I see", including historical grievances and such, but...
「やはり、それ(世界情勢を作品に重ねること)はありますが、重ねすぎるとおかしくなるので、あまり意識し過ぎずにと思ってました。僕はいま、日本に住んでいて、(それぞれの国々の)実際のところは分からないし、ナルトやサスケじゃないですが、相手を知り、互いを知らなければ判断できないところもあると思います。僕は岡山出身で、広島の原爆ドームなどにも足を運びましたし、やはりそれを見ていろいろ思うところはあります。例えばうちの祖父には祖父の言い分、思いがあったのを聞いてるし、でもそれは世代が変わることで変わっていく部分もある。その上でやはり、あまりリアルに重ねすぎずに描いてます」。
"Of course, that (overlapping the world situation into the series) is a given, but if you overlay it too much it becomes innapropriate, so I tried not to be too conscious of it. I'm currently living in Japan and don't know the actual situation (in each country), and I think there are some things you can't judge unless you get to know the other person, like Naruto or Sasuke. I'm from Okayama and I've been to places like the Hiroshima Peace Memorial Park, and of course there are many things I think about when I see those things. For example, I've heard my grandfather have his own feelings and thoughts about it, but those perspectives also change with each generation. With that in mind, I tried to depict them without overlaying them too realistically."
社会情勢だけではない。時に岸本さん自身の変化もまた作品に反映されていった。岸本さんが原稿を描きながら、感情が高ぶり思わず涙がこぼれたというのが、ナルトが死んだ母と逢い、自身の出生の秘密について知らされるシーン。
Not only the social situation. Sometimes, Kishimoto's own changes were also reflected in the work. While writing the manuscript, Kishimoto was so emotional that he burst into tears during the scene where Naruto meets his dead mother and learns the secret of his birth.
「ナルトが母親・クシナの愛を知り喜ぶときの顔は、自分で描いてるのに泣きました。そこまでナルトが(両親の愛を知らず、里のものからは厄介者として扱われ)あまりに可哀想だったので。社会情勢だけでなく、僕自身に新しい家族が出来て、子どもが生まれると、作品の中のナルトの気持ちがより一層分かるし、親の立場でナルトを見るようにもなる。最初は何も考えずにナルトを両親のいない設定にしたけど、自分が親になると、親がどれほど子どものことを思っているのか? それを子どもが知らないままでいるのがすごく悔しくて、伝えてやりたくて、そうせずに話を進めるわけにはいかなかった」。
"I cried when I was drawing the look on Naruto's face when he learns of his mother Kushina's love and becomes happy. I felt so sorry for Naruto, poor boy (not knowing the love of his parents and being treated as a nuisance by the village). Not only did I understand the social situation, but now that I have a new family and a child, I can understand Naruto's feelings in the series even more and I can see him from a parent's perspective. At first, I set Naruto as having no parents without thinking about it, but now that I'm a parent, I wonder how much parents love their children? It was such a pain that a child would remain unaware of this, and I wanted to convey that to him, so I couldn't go on with the story without doing so."
本作が「ジャンプ」のバトル漫画の系譜を受け継ぐ王道の作品であったことは間違いないが、その一方で、これまでの少年漫画とは異なる、ある意味で“少年漫画らしからぬ”道を切り拓いたのも事実。先にも少し触れたが、ナルトが中盤以降、単に戦いではなく“対話”と“許し”で平和をもたらそうとする姿もそう。読者からの支持が高い「ペイン編」で、ナルトが師の自来也を殺したペインと対話し、和解するという描き方は「ある意味でタブー(苦笑)。少年漫画では普通はやらないやり方だった」とふり返る。
It is undeniable that this work was a quintessential piece that inherited the lineage of battle manga from JUMP, but at the same time, it is also a fact that it has pioneered a different path from previous shōnen manga, one that is in some ways “unlike typical shōnen manga”. As I mentioned earlier, Naruto's attempts to bring peace through dialogue and forgiveness, rather than simply fighting, from the middle of the manga onward, are also a case in point. In the “Pain Arc,” which is popular among readers, Naruto talks with Pain, who killed his master Jiraiya, and reconciles with him. In a sense, it was taboo (laugh). It was a way that shōnen manga usually don't do,” he recalls.
「まず、忍者というものの考え方に関わってくるんですが、『NARUTO-ナルト-』は正規の忍者漫画とは違うんです。オレンジの服着て『オレがナルトだ!』と名乗り上げるんですから(笑)。歌舞伎的な感覚ですね。だから、ここでいう“忍(しのび)”というのは『暗殺をしたり、君主のために命を捧げる』というものではない。僕の中では『全てのものにおいて我慢し、耐え忍ぶ者』として描いてて、それ自体が少年漫画らしくないかもしれないですね。だから、戦いの中で怨念やわだかまりがあっても、いつかは上手くいくと未来を“信じて耐え忍ぶ”忍者を描きたかった。『ペイン編』もやられてやり返すという描き方もできたけど、それじゃ憎しみの連鎖は続く。誰かがそれを断ち切らないといけない。なぜそうなったのかを考え、相手を理解する――そこまで描きたかった。それを少年誌でやるとい���ことは大変でしたし、本当に成り立つのか? とすごく悩みもしました」。
"First of all, it has to do with the way we think about ninjas, and Naruto is different from regular ninja manga. We wear orange clothes and introduce ourselves as 'I am Naruto!' (laughs). It's a kabuki*-like feeling. So the 'ninja' here doesn't mean 'assassinating people or sacrificing one's life for one's master'. I portray them as 'someone who endures and perseveres through everything', which in itself may not be typical of shonen manga. So even if they have resentment or grudges in the battle, I wanted to portray a ninja who 'endures with faith' that things will work out someday. In the Pain arc, we could have portrayed it as someone who gets hit and retaliates, but that would just keep the cycle of hatred going. Someone has to break it. They have to think about why it happened and understand the other person -- that's what I wanted to portray. Doing that in a shonen magazine was difficult, and I worried a lot about whether it would really work."
その“哲学”は壮大な物語の結末にも当然、大きく関わってくることになる。「最後は、サスケとナルトが戦って終わることは決めていた」というが、そこで重要なのがサスケの立ち位置。里やかつての仲間を憎む“敵”としてではなく、ナルトの“親友”として拳を交え、最後には2人の拳が“和解の印”を結ぶ。
Naturally, that "philosophy" will play a major role in the conclusion of this epic story. "It was decided that Sasuke and Naruto would end up fighting each other in the end," he said, but what's important here is Sasuke's position in the story. He exchanges blows with Naruto, not as an "enemy" who hates the village and his former comrades, but as Naruto's "best friend," and in the end, the two men make a "sign of reconciliation" with their fists.
「最後に2人は戦うけど、仲直りする。そう決めたからには、ナルトはそうやって相手を許せるキャラクターでなくてはいけない。前もって“許し”を経験させるという意味で生まれたのが『ペイン編』でした。そうすると、それ以降もただナルトが敵を倒せばいいというわけじゃなくなった。逆に言うと、バトル漫画なのに“生きている敵”をナルトがバンッと倒すというのが簡単には出来ない。そこで“穢土転生”であったり、植物からできた敵が生まれるようになったんです」。
"In the end, the two will fight, but they will make up. Since that was decided, Naruto had to be a character who could forgive others in that way. The 'Pain Arc' was created to give him the experience of 'forgiveness' beforehand. Conversely, from then on it was no longer enough for Naruto to simply defeat the enemy. To put it another way, even though it is a battle manga, it became difficult for Naruto to simply defeat 'living enemies.' That's why we had 'Edo Tensei' and enemies made from plants were created."
結末と言えば、戦いだけでなく、ナルト、サクラ、サスケらの恋の行方も最終回で描かれ、驚きや納得など様々な声が挙がった。まもなく公開の劇場版『THE LAST -NARUTO THE MOVIE-』では、原作の「699話」(忍界大戦の終結、ナルトとサスケの和解)と最終「700話」(その十数年後)の間の空白の時間が描かれる。ストーリー監修を務める岸本さんは「恋愛の映画」と語るが、企画の段階から大切にしてきたというのが、ナルトとサクラのある会話のシーン。
Speaking of the ending, the final episode not only depicted the battle, but also the love lives of Naruto, Sakura, and Sasuke, eliciting various reactions from surprise to satisfaction. The soon-to-be-released theatrical version of "The Last -Naruto the Movie-" depicts the gap between the original "Chapter 699" (the end of the Great Shinobi War and the reconciliation between Naruto and Sasuke) and the final "Chapter 700" (a dozen years later). Kishimoto, who is the story supervisor, describes the film as "a romance movie," but he says that he has been prioritizing a conversation scene between Naruto and Sakura since the planning stage.
「この映画は、あの戦争から2年後の世界を描いてて、言ってしまえばナルトとヒナタがどうやってくっつくに至るかを描いてはいるんですが、別の言い方をすると、初期の頃からずっとサクラのことを『好き』と言い続けてきたナルトとサクラの“訣別の物語”でもある。最終回を読んだ読者の方が抱いた疑問やモヤモヤをここでキッチリと解消し、すっきりしてもらえると思います!」。
"This movie depicts the world two years after the war, and in a nutshell, it depicts how Naruto and Hinata end up together, but to put it another way, it is also a story of farewell between Naruto and Sakura, who had always said he loved her since the early days. I think this will neatly resolve any questions or confusion that readers may have had after reading the final episode, and leave them feeling refreshed!"
ずいぶん長くなってしまったが、前後編2回にわたるロングインタビューもこれでおしまい。最後にひとつだけ。「NARUTO-ナルト-」の最終回が掲載された「週刊少年ジャンプ」で、「ONE PIECE」の表紙が、様々な仕掛けが施された“「NARUTO」仕様”とも言える粋な作りになっていることが大きな話題を呼んだ。共に看板漫画として2000年代の「ジャンプ」を引っ張ってきた“盟友”尾田栄一郎からの熱いメッセージを目にした時の感想は?
It's gotten quite long, but this is the end of this two-part interview. Just one last thing. The cover of "One Piece" in "Weekly Shonen Jump," where the final chapter of "Naruto" was published, was a hot topic because because it featured a stylish design that could be called a "NARUTO" version. How did you feel when you saw the heartfelt message from your "sworn friend" Eiichiro Oda, who's been a leading figure in "Jump" alongisde you as a flagship manga in the 2000s?
「めっちゃ嬉しかったです。すぐにLINEで尾田さんに『ありがとう!』って伝えました。表紙もそうですが、裏の作者コメントの欄に『タメで友でライバル』とあって、僕自身もそう思いながら『NARUTO-ナルト-』を描き続けてきたので、本当に嬉しかった。『ONE PIECE』? そりゃ意識しますよ。だって『ONE PIECE』ですもん。それ以外、言いようがない(笑)。『ONE PIECE』がなかったら、尾田さんへのライバル意識がなかったら『NARUTO-ナルト-』はここまでにならなかったと思う。だから、僕にとっては『NARUTO-ナルト-』はもちろんですが、『ONE PIECE』も特別な作品なんです」。
I was so happy. I immediately sent a message to Mr. Oda on LINE* saying, “Thank you!". Not only on the cover, but in the author's comments section on the back it says, 'Equals, friends, and rivals,' I was really happy because I myself have been drawing “Naruto” with this in mind. One Piece”? Of course I was aware of it. Because it is “One Piece”. There is no other way to put it (laughs). If it weren't for “One Piece” and my rivalry with Mr. Oda, “Naruto” wouldn't have reached this point. So, for me, “Naruto” is, of course, a special work, but “One Piece” is also a special work.
4 notes
·
View notes
Quote
オンキヨーは 1946年に松下電器産業から独立する形でスピーカーの製造などを行う「大阪電気音響社」として創業されました。東芝の傘下に入った時期もありましたが、1960年代から 1980年代にかけてのオーディブームの中で黄金期を迎えていたようです。ブランドが「オンキヨー(Onkyo)」に統一されたのも 1971年のことでした。 1990年代に入ってオーディオ機器はデジタル化・小型化が進みましたが、ミニコンポブームの中でもオンキヨーなどは「ハイコンポ」「プラミアムミニコンポ」といった小型サイズの高級オーディオメーカーとしての存在感を示し、「INTECシリーズ」は大ヒット商品となったそうです。 2000年代に入って「iPod」を初めとするデジタルオーディオプレーヤーが普及し始めると、場所を取るオーディオ機器市場は縮小傾向を加速していきますが、iPod との連携を図ったり新たに広まり始めた「ホームシアター」市場を育てるなど、それなりに上手くやっていた時期でした。 ところが、韓国の PC メーカーだった「SOTEC」を吸収合併した頃から 2008年の「リーマンショック」、2011年の東日本大震災とそれを契機にした急激な円高の進行(10月末には 1ドル=75円32銭 という史上最高値を記録)など不運も重なったこともあってか経営が急速に迷走し始めます。 その後パイオニアの AV事業を統合するなどしますが、手に入れたパソコン事業は韓国Moneual に移管するも 2014年末に移管先が破産、米国 Gibson の出資を受けて傘下となるも今度はその Gibson が 2018年に連邦倒産法 11章(Chaper 11)を申請して倒産するなど時間と共に追い込まれていき、銀行からの借り入れや公募増資、社債発行など通常の手段による新たな資金調達が出来なくなっていました。この頃から「EVO FUND」の名前を目にするようになります。 「EVO FUND」は、米国ロサンゼルスを中心に東京など世界 7カ国 11拠点を構えている「EVOLUTION FINANCIAL GROUP」が運用する投資ファンドです。このファンド、言い方は非常に悪いですが「ハゲタカファンド」と言われるファンドの 1つです。ベンチャーキャピタルなどもやっているようですが、他に資金調達の手段が無くなった企業が最後に頼る資金調達先という側面が強いファンドと言ってしまっていいだろうと思います。
ONKYO(オンキヨー)を偲んで - (新)タイトルいつ決めるのさ
52 notes
·
View notes