#愛の根源の女神
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Time Outの記事の翻訳
この記事、結構基礎的情報が詰まってたな〜と思ったので翻訳してみました。()や[]内は原文中ですが【】は私の補足です。※翻訳の品質は保証しません!
2024.10.17 アダム・フェルドマン
「ウォリアーズ」は今夜現れるープレイするために。リン=マニュエル・ミランダの「ハミルトン」以来初めての長編ミュージカルはブロードウェイには存在しないーー少なくとも今は。代わりに、ミランダと共作者のイーサ・デイビスは1970年代風に作品を発表することにしたーーコンセプトアルバムとして。スリリングなナンバーと、ヒップホップのスターたちも含めたキラー・パフォーマーを沢山詰め込んで、ディストピアのニューヨークをワイルドに駆け抜け、ミュージカルとレコードの未来の立ち位置を高らかに主張する。
「ウォリアーズ」は1979年のカルト映画であり、ヒップホップ文化にも愛される「ウォリアーズ」を原作にしている。題名にもなっているストリート・ギャングたちが、ブロンクスのカリスマリーダー・サイラスーー主要なギャングたちを集め、停戦を呼びかけるーーを殺したという濡れ衣を着せられ、自分たちの縄張りまで帰ろうとする話だ。今回のバージョンは、ウォリアーズたちはみんな女性。それはサイラスも同じで、サイラスの声は映画とも負けず劣らないカリスマのローリン・ヒルがつとめている。映画でウォリアーズを誘惑する女性ギャングのリジーズは、今回は男性ギャング、ビジーズとなり、他の役はマーク・アンソニー、コールマン・ドミンゴやビリー・ポーター、などなど。オープニング・ソングでニューヨークの5地区を表すのは、バスタ・ライムス、ゴーストフェイス・キラー、クリス・リバース、カムロンやナズである(映画で不気味な悪役を演じたデイヴィッド・パトリック・ケリーもカメオ出演している)。
ミランダと、共作の俳優・作家のデイビスは2007年以来の友人同士だ。この年、彼らはオフブロードウェイで、それぞれブロードウェイに行くことになるミュージカル(In the HightsとPassing Strange)に出演していた。彼がいうに、「ウォリアーズ」を原案に作品を作ると決めた時、すぐにデイビスのことを考えたという(デイビスの作品には、伝記劇Angela’s Mixtapteとピュリッツアー賞最終候補作Bulrusherがある)。「僕よりクールで賢い人と言ったら、と考えてすぐにイーサのことを思いました」。2020年1月、二人はドラマブックショップの地下でプロジェクトのことを話し合い始め、2年後、アルバムのレコーディングを始めた。
私たちは発売前の視聴パーティが行われたパブリック・シアターにて、ミランダとデイビスに、翻案についての選択や、なぜ「ウォリアーズ」の旅物語が「ヒップホップの誕生物語」と捉えることができるか、ということについて、話を聞いた。
「ウォリアーズ」に興味を持つようになったのはどうやって?
ミランダ:4歳の頃映画を見たんです。親友が階下のご近所さんで、そのお兄さんがVHSを持っていて。ビンをカチャカチャ鳴らすデイビッド・パトリック・ケリーは自分の人生最初のブギーマンでしたね。もうとにかく何回も、何回も見たので、映画自体が僕の頭の中のニューヨーク地図になってるんです。(ギャングメンバーの)レンブラントが地下鉄の路線図を指で辿りますよね。同じルートを、当時の、80年代中盤なので少し変わっていたんですけど、路線図にそって指でたどったことを覚えています。2009年に、ハイツを1年公演した頃ですが、大学時代の同級生のPhil Westgrenがメールをくれました。「プロデューサーのラリー・ゴードンと仕事しているんだけど、彼が、というか彼の妻が、まあ元妻が『ウォリアーズ』のミュージカルにするってアイディアを持ってるんだ。どう思う?」といったものでした。で僕の返信は、「これこれこういう理由でできるわけない」(全員笑)。「僕は『ウォリアーズ』が大好きで多分他の映画よりもずっと沢山見てるんだけど、だからこそこれこれの理由でこのアクション映画をミュージカルに翻訳することができない」と返したんです。とはいえ無意識下では「挑戦しかと受けたぞ!」という感じだったんですね。ざっくり2016年だか2017年だか、「ハミルトン」を公演してた時に飛ぶんですが、僕は考えてたんです。「次の作家人生、何をしたらいいんだろう?」って。その時に脳の全部が「『ウォリアーズ』だ!ウォリアーズ!やってみようじゃないか」って感じになって。ちょうどその頃、インターネット界隈はゲーマーゲートの時代で。2010年代って僕はめっちゃオンラインだったんで。今はそうでもないんですけど(悲しそうに笑う)。ゲーマーゲートのこと覚えているかわからないんですけど、ビデオゲーム界で働いてる女性たちが晒されて人生を台無しにされてました。大した理由もなく、カオスとウケを狙っただけの男たちに。
デイビス:ただのミソジニーですよ。
ミランダ:ミソジニーはもちろん。ただそれよりも根源的な悪意というか。「これが彼女の住所だ。それで何が起こるだろうね?」と言ったような。その残酷さは「ウォリアーズ」のルーサーを思い起こさせました。奴らとルーサーを結びつけたんです。それで、そうか、もしウォリアーズが女性だったら?ルーサーがサイラスを撃って、あのふざけた口調で、撃ったのは彼女たちだと言ったら?それで、イーサと一緒にやっていく中で、もし女性ギャングだったらと考えると、ストーリーがもっと興味深いものになると発見したんです。僕は映画が大好きで、頭の中ではもう二枚の石板【モーセが授かった、「十戒」が書かれた石板で二枚からなる】みたいになってます。でも物語を描いていく中で、どう歌わせるか、そういう意味では、女性たちがホームに帰るために戦う話を描く方がずっと興味深いものになると思いました。ということであなたを引き込んだんです。あなたが話す番ですよ。
デイビス:リンは175cmの、ミュージカルシアターだけじゃなくて音楽の、時代の、私たちの文化の、巨人です。私はいつも文化としてのヒップホップと、文化としての劇場を組み合わせることを提唱してきましたけど、リンはそういったアーティストたちの末裔なんです。それが【このプロジェクトの?】芸術的魅力の大きな部分です。それに、リンは友達ですから。だからリンが、「どう?やってみたい?」ってなったら、断れませんって!もちろん、「やりましょう」って。でもまず映画を通しで見なきゃいけませんでした。ヒップホップを通じてしか知らなかったので。リンが言ったように、【十戒の】石板なんです。で、ヒップホップのサンプリングされ、彫刻になってる。
ミランダ:ウータン・クランの曲や、コモンの曲や、ミュージックビデオなどですね…
デイビス:どこにでも引用されてます。いまだにね。LL Cool Jが新しいレコードを出しましたけど、そのうちの一曲がSpirit of Cyrusですから。
ミランダ:映画の中のサイラスの聴衆の「いけ!サイラス!俺らは兄弟だ!」がサンプリングされてます。
デイビス:そう。血脈に、DNAに深く根付いている。ヒップホップの、ニューヨークのあり方にね。この映画がそう言った基盤になってるってわかっていて見ることができました。ただ、その影響から無関係だったから、新鮮な立場で見れたとも思っています。だから、いらないな、って部分がわかりますから。ちょうど[TVミニシリーズの]Justified: City Primevalに関わっていたんですけど。それもエルモア・レナードの本を原作にしたものです。彼が言っていたことはこうです。原文を吊るして骨まで削り落とせと。これでも同じことだと思いました。そして新しいバージョンは女性が動かしているということが肝だと。またアイデンティティや表象に関しても同じように逐一切り分けていって、大事にしなきゃいけないと思った点は、2024年からの視点で行う必要があるということでした。【映画の】1979年でもなく、原作小説の1965年でもなく。
ミランダ:原作の元になっている話【小説のWarriorsはクセノポンの「アバナシス」を下敷きにしている。ギリシャ傭兵隊に参加したが敵地ペルシャで敗走し故郷に向かうこととになる顛末を元にしたもの】の時代(紀元前4世紀)でもなく!
デイビス:そう。でもこの作品は神話的でもありますからね。根源的な恐怖についてのことでもあるし、仲間や家族や生き残ることに対することの本能的な渇望の話でもある。
ミランダ:僕はいつも「ウォリアーズ」はニューヨークで恐るべきことのビジュアル・ガイドだと思ってきました。誰かが地下鉄の線路に落��たり、車両で火事が起きたり、警察に追われたり、間違った界隈にいて間違ったギャングに追われたりだとかの、恐れることが全て起こるし、それが素晴らしく鮮明なイメージとして映画の中に描かれています。ニューヨークの恐怖スターターキットという感じ。
70年代は特にそうですよね。ニューヨークを舞台にした映画に描かれる地下鉄の様子って恐ろしげでした。「殺しのドレス」や「狼よさらば」、「サブウェイ・パニック」など、アメリカや世界は、恐ろしくて危険な地獄だと語っているようでした。「ウォーリアーズ」はその恐怖の文化の一つであると思いますが。
デイビス:興味深いのはその視点です。だって、例えば、恐れているのは誰か?列車に乗ったプロム帰りのカップル。ただ私が思うに、どうしてヒップホップ界がウォリアーズを愛しているかというと、ギャングについての、それもその後ミュージシャンとなったギャングについての映画だからだと思うのです。ズールー・ネイション、今はズールー・ユニオンのような。またはゲットー・ブラザーズのような。アルバムに繰り返される一節は「これはなにかが生まれる音(This is the sound of something being born)」です。ある意味ではこれはヒップホップのオリジン・ストーリーなんです。まあ今現在我々がヒップホップの始まりだと決めた、1973年にセジウィック・アベニューでCool Hercがブロックパーティをしたときよりずっと後の話ですけど。
ヒップホップのストーンウォールライオットということですか。
デイビス:まさにそう。その頃(70年代終盤)といえば、シュガーヒル・ギャングやグランドマスター・フラッシュがいました。これらの若い世代のコミュニティは、「もう抗争はしたくない」と言った世代でした。映画の中で起こった停戦は、実際のブロンクスで起こったことなんです。ゲットー・ブラザーズのベンジー・メレンデスが主導したことです。もう争いたくない。縄張りやコミュニティを代表した組織としてわかり合おうじゃないかと言ったんです。変化が文化の成熟を生み出した美しい瞬間でした。
ミランダ:イーサが注目した視点というのは、「平和の約束」が実を言うと映画のモチベーションなのだということです。彼らは平和の約束をもとに、自分たちの縄張りを離れた。僕がこの映画を愛しているまた別の部分というのはーーヒップホップや、我々のカルチャー一般がこの映画を愛する理由でもあると思いますがーー登場人物たちを全く値踏みしない、または彼らのいる条件の中で値踏みをしているという部分です。実際、ある登場人物が彼らを値踏みするときは、ウォリアーズの側についていたくなるんです。大変な状況に放り込まれて、なんてこった、家に帰らなきゃ、という気持ちにさせられる。それって世界中で一番普遍的な話ですよね。
なるほど。ウォリアーズは映画の中でギャングに脅かされますが、でも彼らもギャングですよね。外部の側からのギャングを見る目じゃない。
ミランダ:勿論。だからそのような立場に置かれますし、またそれだからこそ美しくシンプルな話を伝えられます。
映画で、サイラスはギャング間の停戦のみ提案するのでなく、停戦して力を合わせれば街を支配できる、と説きますよね。お日様とお花の世界でなくって、これは組織犯罪の大計画です。アルバムの方では、もっと協力といった部分が強調されたものにシフトしているようですが。
デイビス:ええ、何が言いたいかわかりますよ。映画でサイラスが言うことはこうです。「モブや警察よりデカくなって街を乗っ取ろう。」私たちはそれを、「街の平和のために団結しよう」、というふうに精製し直しました。街を乗っ取るためではないんです。
ミランダ:平和への約束っていうのが面白いなと思ったんです。自分たちの界隈ーー自分たちの界隈ですから、物事は守備よく進みますーーを離れることができるということは、恐れる必要もなく自由に街中を出歩ける機会だということですから。
そしてサイラスは暗殺されます。ピースメーカーの暗殺はーガンディーやキングやラビンの暗殺のようにー興味深い現象ですよね。世界中にその興味深くも恐ろしい要素があります。ここでの要素はルーサーで、彼の激しいメタルサウンドは彼の二ヒリスティックな態度とよく対応しています。
デイビス:彼は混沌の悪意ですね。
ミランダ:混沌の悪意。それが彼のD&Dタイプですね【ダンジョンズ&ドラゴンズ由来のキャラクタータイプ分けのやつ(lawful good,neutral goodとかああいうの)を言っているかと】。イーサが参加する前、ルーサーのラップを作ろうとしたんです。でもどうも理路整然としすぎてて。もっとちゃんとした計画があるやつみたいになったんです。「ハミルトン」の時みたいに、登場人物の考えのパターンにマッチしたフローを作ろうとしてたんです。そこでイーサがAlekhine’s Gunって聞いたことある?って。それがまた[とても大きなしわがれた雄叫びを挙げる]って感じで。聴いてる間、うちの天国のカトリック信者のおばあちゃんたちが十字を切るのを感じましたよ。僕はメタルの大ファンなんですが、ああそうだな、これはショーの音楽で聞くとは思わないよね、と思いました。
地底が開くような音ですね。
ミランダ:一番意外なものですよね。でも結局意外なのが一番面白いし勝つんです。本当に混沌としたエネルギーがあるのは楽しい。実際は熟練の、コントロールされたものなんですが、混沌としています。
このボーカリストも素晴らしいですね。
デイビス:ええ、キム・ドラキュラは素晴らしい。勿論、ロックミュージカルの多くはラブレターですーー
ミランダ:70年代のジーザス・クライスト・スーパースターみたいなコンセプトアルバムへのねーー
デイビス:だからロックサウンドは重要なんです。でもメタルの方向に行くと言うのは、違いかなと思います。
ミランダ:11まで音量を上げて!【映画spinal tapの台詞。音量のリミットは10までだよ…という返事になる】
デイビス:サウンドはキャラクターに命を吹き込むためにも本当に大きな役割を果たしますから。
ミランダ:僕らはまずそれぞれ好きな70年代の音楽ミックスを作ることから始めました。または今のものでも70年代の断片を残すものですね、ストロークスのように。それぞれギャングが違った音を奏でるのは、それぞれのネイバーフッドはそれぞれ違ったサウンドになるからです。
デイビス:違った音を作ってニューヨークのパッチワークキルトを作ろうとしたんです。
ヒップホップのスコアがあるのは勿論ですが、ポップの要素が全体を強く貫いてますよね、特定の文化やエスニシティを想起させるような。どうやってそれらのサウンドを選んだのですか?
ミランダ:本当に一つ一つこなしていきましたよ。まず、もしイーサが音楽の思いつきがあったら、まず鍋に入れていくんです。オープニングナンバーを聴くと彼女のボイスメモからとった声が聞こえますよ。その時は彼女は「こんな音楽がオープニングに聞こえた」みたいな感じで[フレーズを歌う]。オープニングナンバーのクラクション・ラインになりました。なんだったらボイスメモを一番上の方におきました。ビートが始まる前にイーサの声が聞こえます。
デイビス:確か最初は私が脚本を書く、という提案でしたよね。
ミランダ:そうでしたが、その考えはすぐに捨てました。持ってるものを全て頂戴、それをガンボ【鍋料理】に放り込もう!ということになりました。イーサの提案はオープニングナンバーとウォリアーズのサウンドのベースラインに沢山活かされています。”Roll Call””Woodlawn Ceremony”なんかに特に。それから、ターンブル・A.C.ですが、ちなみに僕のお気に入りのギャングなんですがーーだって改造スクールバスに乗ってるんですよ、まるで「マッドマックス・怒りのデスロード」じゃないですか。
このアルバム全体が怒りのデスロードのようですよ。
デイビス:そうですね!
ミランダ:僕の頭の中では、1979年のサウスブロンクスのスキンヘッズじゃないんです。プエルトリコ人たちなんですよ!だからファニアのことを考えたんです。ファニアは世界的なサルサのムーブメントですが、実はサウスブロンクスから始まりました。ウィリー・コロンはブロンクス出身です。70年代にサルサを改良復興した人々はみんなサウスブロンクス出身で、しかもギャングスターでした。ってことで、よし、彼らをファニアギャングにしようと。マーク(アンソニー)はファニアの偉人エクトル・ラボーを演じたこともある【「エル・カンタンテ」(2006)】ので、彼に話を持ちかけました。頭の中ではフューリーロードのギター男みたいになってる彼を想像してます。ウォリアーズを捜索する中で、文字通りバスのフロントに括りつけられて歌うバラード歌手。それから、【映画では】ユニオンスクエア駅で襲ってくるスケートに乗ったギャングを、96番街駅のハリケーンズのハウスに送って再構成しました。これは僕らなりのボールルームサウンド、「パリ、夜は眠らない。」【Paris is Burning、1980年代の有色人種のクィアの人々が関わったボールルームカルチャーを記録したドキュメンタリー映画】などのサブカルチャーへの賛歌なんです。あとはどんなギャングがいましたっけ?
デイビス:オーファンズですね。沢山ある中で、感情的に必要な、彼らにふさわしいバイブのあるものはなんだろう?と。
ミランダ:そうやって、オーファンズにはポップパンクとポリスの中間点を取りました。ポリスっぽいスカが、ブリンク182っぽいものに変化します。ニューヨークらしい言い方をすると彼らはハーブス【負け犬、キモいナード、ぐらいのスラング?】なんでね。
デイビス:西海岸でもハーブスって言いますね!そう、彼らはハーブス。カモ、道化です。
それで、勿論ビジーズがいますね。
デイビス:ボーイバンド!みんな私たちがあれをレコーディングしてる時怒ってましたよ。彼らが言うに、みんなこんな感じの曲を作ろうと長年頑張ってるのに、リンは、おはようー!じゃやるか!って感じでやっちゃうんだからって。確か(息子の)フランキーのために書いた歌がベースになってるんですっけ?
ミランダ:そう。うちの子のために書いたメロディです。チャーミングなメロディが必要だったので、その歌から拝借しました。実際は子守唄だったのですがボーイバンドのテーマに作り直しました。僕らは「ザ」・ボーイバンドが必要だったんで。これもまた2024年の視点からのボーイバンドです。ジョシュ・ヘンリーが最善のボーイズ・Ⅱ・メンソウルを持ち込んでくれてますし、スティーブン・サンチェスも美しく歌い上げてくれてます。最後にダニエル・ジャカルがK-POPのフレーバーを持ち込んでくれてます。
ポップの要素のおかげで、70年代ロックオペラコンセプトアルバムのスピリットをまた思い出させてくれますね。ポップはアンドルー・ロイド・ウェバーとティム・ライスのミュージカルには大きな役割を果たしていました。あれらの曲は、ラジオで流行ってる曲と同じぐらいモダンでしたから。
ミランダ:アンドルーとティムが成し遂げたことは本当にすごいことでした。彼らは「ジーザス・クライスト・スーパースター」を完成させる前にすでに「スーパースター」をリリースしました。だってどこのレコード会社もフルアルバムを制作させてくれなかったから。冒涜的だとか罰当たりだとか呼ばれつつも、反響がすごくて、レコード会社もしょうがない、アルバムを作れ、となったんです。本当に好きなアルバムです。でも、聞いてくださいよ。貧乏な時は、どんなキャスト・アルバムもコンセプトアルバムです。聞いているものからショーを頭に描いて、点と点をつなげるんですからね。僕が子供の頃に両親が持っていたキャスト・アルバムを聴きながらやっていたことです。劇を見る手立てのない人たちが「イン・ザ・ハイツ」や「ハミルトン」のキャストアルバムを聴きながらやっていたことなんです。面白いんですが、アンドルー・ロイド・ウェバーと朝食をともにしたんですけど。彼が街にやってくると聞いて誘ったんです。そこで尋ねたんです。「あなたの手順書から盗んでる途中なんですけど、イーサと僕はコンセプトアルバムを作っているんです。何かアドバイスはあります?」と。「あるよ。ライブバンドと一緒に作りなさい」ということでした。彼は熟練のミュージシャンたちに自分の音楽を演奏してもらい���さらに探索する喜びを教えてくれました。確かにそれは今までと違った体験でした。「これが楽譜です。演奏してみてください」っていうのとは全く違いました。
デイビス:でも、アンドルー・ロイド・ウェバーが言う前から、その方向性だったと思います。初めの頃のミーティングで、バンドとやってみて、曲が完成するのに任せてみたらどうだろうか、と話していたので。やってみると、本当に素晴らしかったですね。
ミランダ:僕らのプロデューサーのマイク・エリゾンドはナッシュビルを拠点にしています。素晴らしい人々と親しい友人を呼んでくれて、2週間曲を探索できました。一つ歌を持ってきて、セッションしてその中から生まれるものがーーまるで映画を撮る時みたいに、計画して、でもたとえばそこで照明がいい仕事をしてるな、となったらそのひらめきについていく。それがとても楽しいところでした。座ってミュージカルを書いているのとは違う体験でしたから。
今年の初め頃にレコーディングをしたんですっけ?
デイビス:まずはデモから始めました。私たちのウォリアーズがウォリアーズとなった過程はまた全く別の話です(ウォリアーズはブロードウェイ俳優のジャスミン・シーファス・ジョーンズ、フィリッパ・スー、アンバー・グレイなどが演じている)。最初にデモを取ったのですが、いやいや、これより上手くできる人がいる?って。
ミランダ:無意識にキャスティングしてたんですねきっと。デモができて、僕ら目を見合わせて、もうバッチリじゃん。ポップスターにやってもらうこともできたけど、でもーー
デイビス:これより上手くできないって。こんなケミストリーができる?そもそも演技ができる?彼女たちも多忙で、素早くやらなきゃ行けなかったけど、それでも素晴らしいものができた。
ミランダ:実際、トラックを録るよりまずウォリアーズのパートを先に録ったんです。で、ナッシュビルに2週間行ってーー
デイビス:そこでトラックを録りました。
ミランダ:そのあとギャングたちと、スターたちを追いかけました。オープニングナンバーだけでも大仕事です。ゴーストのレコーディングをするためにスタテンアイランドへ。ビッグパンの息子の、クリス・リバースがアリゾナに住んでいるので、そこへ。彼らがいるところ追いかけて行きました。
デイビス:そしてミス・ローリン・ヒルを、マネージャーを通して追いかけました。世界中を旅してますから。
ミランダ:そしてある日、Dropboxにボーカルが。バックグラウンドボーカルまで足してくれました。あちらで全部やってくれたんですよ。びっくりしました。
デイビス:とろけましたね。
ヒルの声は本当に権威的ですね。また、若い頃よりもラフな声です。
デイビス:人生が積み重なった声ですね。いぶしが効いています。
ミランダ:Apple Musicによると、「ミスエデュケーション・オブ・ローリン・ヒル」はオールタイム・ナンバーワンのアルバムです。なのでミス・ヒルがサイラスを演じて、男社会の中でトップに立ち支配している、という想像はちっとも的外れなものではありません。イーサが参加する前に別バージョンの曲を書いていましたが、イーサとの会話でこの役割に立つ女性としての姿を深く考えることができました。「私がこの立場に立ち続けるためにしたことを想像してみろ」と言う詩があります。この男社会の���界の中で。
ブロードウェイ・ミュージカルは他のジャンルよりも、女性をセンターにしてきたと思います。私が面白いと思ったのは、この作品はあなたが今までやってきたことからの大きな変化ではないかという点なのですが。
ミランダ:僕としてはやってることはずっとおんなじなんですよ。僕は劇場で劇場に恋に落ちたわけじゃないんです。学校劇に出たことで劇場に恋したんです。気づいたのですが、僕はいつだって最高の学校劇を作ろうとしてきてたんです。そりゃあ罵り語に満ちてるしギャングについての話だったりしますが、大人数の登場人物で、素晴らしい女性たちの役も沢山必要なんです。男の子の割合は1/8ぐらいですから、女の子の数の方が圧倒的です。少なくとも僕の高校はそうでした。
ゲイボーイのためのギャングもありますしね!
ミランダ:そうそう。(笑)甥がシアター・キャンプに行ったんです。シアター・キャンプの人口分布もそうじゃないですかね。
デイビス:今回【ウォリアーズを女性にすることで?】持ち上がった大きな課題はこうです。彼女たちは深夜に道を出歩かなきゃならないってこと。勿論、彼女たちはギャングですが、普段は自分のシマにいますからね。私たちは、彼女らはコニーアイランドのボードウォークを安全に保とうとしている、というふうに考えました。でも彼らは今は知らない違うテリトリーにいる。しかも丸腰だと。
彼女たちはギャングとガーディアン・エンジェルの中間にあたるような感じですね。
デイビス:そうなんです!で、ビジーズの部分になって持ち上がった問題はこうです。どうして彼女らはよく知らない男たちの家についていけるか?ということです。どうやったらついていくだろう?ニューヨークを歩くということはーー女性はみんなわかると思いますがーーどう警戒して逃げる準備をする必要があるかということなんです。夜遅くに出歩く時は鍵をこう(拳から鍵を突き出した状態で持ってみせる)持っておかなきゃならない。誰かに襲われるかもしれないから。どれぐらい付き纏われたことがあるだろうか?彼女たちは明らかに自分たちの安全のために仲間と共にいただろうし、お互いの面倒をよく見たでしょう。私はサイラスが「和平を結ぼうじゃないか」と提案した、というアイディアをすごく気に入っているんです。なぜなら暴力というのは、女性の方に余計影響を与えるものだからです。映画では、マーシーはギャングレイプの脅しを受けます。
ウエスト・サイド・ストーリーのアニタみたいに。
ミランダ:性暴力の脅威は常にすぐ表面下にあります。
デイビス:原作では実際に起きます。だから彼女たちは映画【の男のウォリアーズ】よりずっと危うい立場なんです。彼女たちのお互いへの忠誠心の理由になるところだと思います。仲間のためなら死ぬことだって厭わない。
ミランダ:それを考えるとビジーズの歌の制作はより興味深いものになりましたね。だって、映画みたいな「イケてる女たちだ、ついていこうぜ」じゃだめなんですよ。僕らはビジーズがどんな感じならついていくだろうか、ということについて沢山話し合いました。それで、そう、セーター・・・
デイビス:セーター。ふわふわのセーター。
ミランダ:セーターの約束。食事の約束。休息の約束。イーサは特にフレンチトーストのことを言ってたんで、歌詞に入れました。(二人笑)つまりはこういう会話です。「何をきっかけに警戒を解くだろうか?」
マーシーを女性のままにして、(ウォーリアーズのリーダーの)スワンとのロマンスもそのままにしましたよね。僕はすごい腑に落ちましたよ。だってもしウォリアーズがコニーアイランドで幅を利かせている女性ギャングなら、少なくともひとりはダイクがいるだろうって。
デイビス:少なくとも!そうですね。(笑)
ミランダ:それに関しては話題にすら上がらなかったですね。マーシーは【映画の】マーシーのまま。マーシーはマーシーなりの力を持っています。彼女の登場シーンで明白です。オーファンズは、うわ!マーシーだ!って感じですよね。マーシーが怖いんです。彼女はそれだけの強みがある。
デイビス:そして自分に合う相手を見つけるんです。スワンをね。スワンもかなり警戒心の強い人です。
ミランダ:マーシーもスワンが自分のことをよく知らないのに、追い払わないことに驚きを感じるんです。
アルバムを聴いていると、すごく映像が思い浮かぶんですよね。勿論映画を見たからなんですけど、それだけじゃなくて、見せ場などは舞台で表現するのが難しそうに感じます。バスや地下鉄やファイトシーンなどの部分です。「ウォリアーズ」の舞台化を考えていますか?そうだったら、何か変わる部分がありますか?
ミランダ:映画にする気はありませんが、舞台化はすごくやりたいですね。でもこれ(アルバム)が一番の形かと思いました。望んだ声たちを得られましたし、その中の大体の人たちは週に8回公演することはないでしょう。ミュージシャンシップに乗っ取ってアルバムを作る時間を十分に取れました。正直に言ったら、映像化や舞台化の制約から自由に作れたんです。もしファイトシーンがあったら、「曲が終わり、彼女らは勝った」で言うだけで済みますから。誰であれ、将来の制作チームに大きな課題を設定できたら嬉しいなと思います。とはいえまずはこのストーリーがどう歌われるかを見たかったのです。その探索の衝動が、まずアルバムという形で残したかった理由なんです。頭の中で壁にかけて、最初から最後までストーリーを組み立てるーー「トミー」や「ジーザス・クライスト・スーパースター」みたいに、「ハデスタウン」のようにーーその後に、次に進む。
先ほどお互いにミックステープを作ったという話を聴いて、閃いたのですが。「ハミルトン」は最初は「ハミルトン・ミックステープ」でしたよね。で、イーサ、あなたは「Angela’s Mixtape」を書きました。(有名な黒人のラディカルな政治活動家で大学教授の)アンジェラ・デイビスの姪として育った自分の経験を題材にした作品です。サイラスはアンジェラ・デイビスのようなタイプではないですか。あなたの家族や彼女の周りの関係性はキャラクターのヒントになりましたか?
デイビス:そうですね、そのことについて考えないことはできなかったですね。自由と正義と社会変革の価値については、生まれる前から深く叩き込まれてきましたから。アンジェラが投獄された時、母は私を身ごもっていました。
ミランダ:伝記のその部分を丸つけてますよ。釈放された時にイーサを手渡されたんですよね。(二人笑)
デイビス:そうです!とはいえその政治に囚われていたわけではないです。彼女も私の母も、この場合は私の父も、私の芸術家としての活動をよく支えてくれますし、芸術は人々が未来を夢見て前に進むために大きな役割があるということを理解してくれています。でも彼女のことは当然私の頭にありました。当然ね。
ピースメーカーでありギャングリーダーでもあるという組み合わせは、アンジェラ・デイビスの文脈で考えると特に示唆的ですよね。このユートピア的な理想はまたブラックラディカリズムの暴力的でモラル的にも危うい側面にも基づいているという・・・念の為、彼女が裁判の件で有罪だったと考えているわけではないですよ!ただ彼女もその世界にいましたね。
デイビス:そうですね。マーティン・ルーサー・キングやケネディやマルコムX、フレッド・ハンプトンの暗殺の話になると思うのですがーーほんとうにおばが生き残ることができてよかった、と思います。本当に沢山の、本当に沢山・・・私が子供の頃、おばは死の脅迫を受けていました。家を締め切って、ボディーガードをつけて。電話も盗聴されてました。
その時は一緒に住まれていたんですか?
デイビス:いいえ、でもとても近くに住んでいたんで、親のひとりみたいなものでした。私を育ててくれたんです、母と継父と一緒に。彼女の家で一緒に過ごしましたし、彼女の持っている音楽も聞きました。母と同じように、彼女も文化を愛していますから。私が芸術の道に行き着いたのもー彼女たちが芸術を愛していたからなんです。ところで【それと関連して?】映画でもあった曖昧な要素ですがーールーサーと電話で話をしていたのは誰か?誰かがサイラスを殺すためにルーサーに依頼したのか?
ミランダ:ウォリアーズのレディットにいくと陰謀論について議論されてますよ。誰かのためにやったのか?誰と話していたのか?
デイビス:そう。コインテルプロの世界を実際に経験した身として、ルーサーが誰と話していたのか仮説を立てることができます。仮説ですよ!知らないですけど。でも私たちはそれについては曖昧にしておくことにしました。あの時代は本当に沢山の組織が関わっていましたから。誰もどこと関わっているかわからなかったのです。オリバー・ストーンの「JFK」にいいセリフがあって。殺し屋でさえ誰が殺し屋かわからないっていうセリフでした。不明瞭にするのが実際の戦略だったんです。もちろんそのことも考えました。そのほかにリンと話したことは、ーー”Quiet Girls”の時に話したことですがーーハリケーンズがウォリアーズに言ったことです。「無実であることを人々に知らしめなければいけない」。逃げていれば、有罪に見える。もちろん、それはおばに起こったことです。彼女は地下に二ヶ月潜りました。彼女は無実でしたが、人々は彼女は有罪に違いないと考えました、逃げていたので。【おばのことが?】反映されていると気づいたのはまたワイルドな瞬間でしたねーーハリケーンズが言っていることは、「みんなに知ってもらえ。ただ逃げるだけじゃなくて外に出ていけ。自分たちは誰か、何をしていないかを知らせろ」ということです。それをストリートの、自分たちのアイデンティティを隠すことはできない、というクィアの人々が伝えるというのが重要でした。我々のアイデンティティを何倍にも広げて輝かなければいけない。それは生存の方法なんです。
生存といえば。ウォリアーズのリーダー��クリオンは、映画では最初に死にますがーー少なくとも死んだように見えますが。
ミランダ:死ぬまでゆっくりエルボーされたみたいな。(二人笑)
でもあなたたちのバージョンでは、クリオンは生き残って、サイラスの右腕マサイと同盟を組みますね。
ミランダ:マサイは映画では3分ぐらいしか出てこなくて、セリフも「ウォリアーズとは誰だ!」ぐらいですが、彼の話をもっと聞きたいなというのと。それでコールマン・ドミンゴを得て、本当にすごいですよ。そうすることで、和平の実行者を得たと思っています。クリオンはウォリアーズをそこ【ブロンクス】に連れて行った張本人です。クリオンは「サイラスは唯一無二だ」って感じですから、クリオンを生かせば、サイラスの夢は生きる、それが僕らのプロジェクトの大事な理論でした。彼女はウォリアーズに、僕たちに、旅をする理由、サイラスが死んだからその理由が消えるわけではないということを思い起こさせる存在なのです。これはイーサの作り出した構造でした。僕は恐怖の側から、イーサは希望の側から始まって、ちょうど真ん中で折衷することができました。(二人笑)
デイビス:本当にそうですね。
「ウォーリアーズ」は10月18日、金曜公開。
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水星の魔女の炎上を快く思っている節があり、自己分析のためにも。予防線張っておきますが、一個人のお気持ちと憶測のオンパレードです。一般化しないでね。あと、創作物と現実世界は切り離せないのスタンスです。ここらへんは思想強めなので相入れないと読み辛いかも。私はパートナー持ちのレズビアンです。カムアウトは一部の親しい人たちと、必要に迫られた場合のみ。同僚には小さい嘘をつくことが多く、隠れるのがちょっとしんどい。最近は、彼女におるふぇんちゅを見せられた後、オルフェンズ本編を見せられようとしています。助けてください。百合に釣られて見始めて後半はみんなの成長に、大きくなったねぇッ〜〜;;マルタン〜〜〜;;とキモオタの涙を流しながら毎週二人で楽しんでいました。満足の最終回、ガン��ムエースでの結婚明言で祝砲挙げられているのも何を今更と思っていましたが、その後の電子版修正→小火→お詫び, 解釈の余地→炎上で、なかなか芸術点高いなと思い知らされました。納得の炎上で、私自身も腹が立ちました。Twitter上で炎上の経緯を追っていたこともあり、モヤモヤがエコーチェンバー的に怒りの方向に向かっていった節もあります。====自分が何故こんなにキレているか分けますと、以下が理由。 1)現実で同性婚ができないのに、公式の表明で作品での結婚の表現が没収された 2)お詫びが由緒正しい同性愛差別の文脈に乗ってしまい、これを出してしまう無神経さ 3)超大型IPで同性婚・同性愛を扱ってくれるという期待からの失望1)現実で同性婚ができないのに、公式の表明で作品での結婚の表現が没収されたフィクションでくらい結婚のお祝いさせてくださいよ〜〜〜!そっちじゃ全然アリなんでしょ?きっと、男女カプだとここまで燃えていないですよね。この一因には同性同士で現実で結婚できないからがあると思います。そもそも男女カプだとここまで明確な結婚表現をすれば、雑誌での文言修正もなかったのでは?憶測にすぎませんが。同性愛者・両性愛者の中でも同性婚については意見分かれるかと思いますが、私は同性婚認められてほしい派です。なぜそこまで結婚にこだわるのか。結婚が分かりやすく祝福される関係であることに加え、強い社会保障のセットであり、それが社会生活を送る上で信頼の源になっているからです。その有無は差別を増長させる元と思っています。彼女と大きな共有財産を持とうとしたとき、結婚してないと法定相続人になれないんです。良識的で娘を愛する親御さんが、娘の幸せを願っても同性パートナーと一緒になることを渋るには、そんな法的な立場の不確かさがあるんじゃなかろうか。現実には少なくない人が合理的かつ愛情深い判断で、男女カップルと同性カップルの祝福のハードルを分けている、それが差別につながっているのだと感じています。2)お詫びが由緒正しい同性愛差別の文脈に乗ってしまい、これを出してしまう無神経さ雑誌の文言で加熱したスレミオ結婚おめでとうムードへの訂正が同性愛差別の文脈にガッツリ載ってしまったために爆炎あげとるんかなと思います。炎上前、作品内でスレッタとミオリネはすっかり家族になっていたと解釈していました。作品自体はそうであると今も信じています。お詫び文から、彼女らの関係を匂わせだけで売り出そうとしていた!?→クィアベイティングだ!と爆発した次第だと。正直、マイノリティでなければ・マイノリティの問題に関心がなければ、匂わせが火種になるとの考えには至らないかも。クィアベイティング批判自体も、ものによっては言��がかりでは?という立場です。でも、女同士が花嫁花婿というセンセーショナルさで売りながらこんな脇の甘さ、これが燃えないとお出しすること自体、ほんと当事者には興味ないんだなと思わされたのがイライラポイントです。そもそも、狂ったオタクどもは何をせずとも推しカプを醸造できるのだから、他カプで商売したかったら結婚は撤回せずに、何食わぬ顔で全カプに媚び売っとったらよかったんや。なんでそこ変に誠実になってるの?その誠実さは怖いんよ。3)超大型IPで同性婚・同性愛を扱ってくれるという期待からの失望大袈裟ですが、ガンダムで堂々と同性カップルハッピーエンドを扱うことで、世界が変わると信じていたんです。あわよくば他のエンタメに波及して、悲恋や考えさせられる止まりの作品だけじゃなく、しっかり同性でハッピーエンド、ハッピー小話が増えてほしい。(アニメに詳しくないので、今どき全然アリますよってのならごめんね)頭お花畑ですが、エンタメの力を信じているので娯楽作品全体での雰囲気が変われば、現実世界の同性愛者もほんの少し生きやすくなると信じているんです。この3番目は逆恨みっぽくて怖いなと思いますが。それほど水星の魔女のラストは最高でしたし、ガンダムの威を借りたかった。====以上、感情的に書いてしまいました。稚拙な文章で伝わったか不安です。ピンと来てない方はそもそも差別じゃないでしょと思うかもしれませんが、一当事者としては差別的な流れだと、根底にホモフォビアあるでしょと受け取っています。同性愛差別関連の話題を見るとひどい話だと思いつつ、声をあげても社会は変わらないし、これだから声の大きいLGBTはと思われて終了。虹やピンクのフラッグなんてダサくて掲げたくない等々思いもします。実際にはほぼ声上げずに、楽しくひっそり生きています。でも、静かにしていることで、10年後も若い同性愛者が同じようなモヤつき、同じような肩身の狭さを感じていると嫌だし、申し訳ないとも思います。私、ネット弁慶、怒りの投稿しました。正直溜飲を下げるためですが、願わくば、喉に刺さる小骨のような生きづらさを少なくしたい。怒ったところでこの先生きやすさを獲得できるのか、不安ではありますが。今回の炎上に私も乗っかりましたが、たくさんの人が差別的だと怒ってくれるとは思っていなかったです。SNSの特性上都合の良い意見が見えがちでしょうけど、心強かったです。====一オタクとして「もしかして、”配慮”から表現が抑制されているのでは?」という疑念が芽生えてしまったのが残念でならないです。だから現実世界の差別がなくなって欲しいんよ。めっちゃドラミングしちゃった。ほんと、この炎上がある前は1000億点満点に楽しめて、作品自体は今も最強です。機体はシュバルゼッテが好き。造形が悪っぽくエッチなので。オタクのレズとしてすっごく嬉しかったのが、ミオリネとエリクトとの関係が良好だったこと。パートナーの家族に家族として受け入れられるのが、どんなに心強くて嬉しいことか。制作者はそれを分かって表現していたんじゃないかと思っています。====追記火も落ち着いたかと思ったら、乾いた松ぼっくりがくべられましたね。パートナー呼びはそれ単体だと、あら〜〜〜!!お幸せに!なんですが、完全に公式がまいた「解釈の余地」で悪い方にも捉えられるのが残念。まきびしかな。その後、アニメーターの大野勉氏が「結婚に固執」「【結婚】という表現じゃなくて【パートナー】」とツイートしてパチパチと爆ぜていました。大野氏自身は、公式スタッフの同人誌に対する反応に苦言を呈しているだけのつもりと思うのですが、言葉選びがやばいですわ。黒人主人公の映画制作スタッフが、文脈を知らずにAll lives matterを掲げちゃうようなアホさだろうか。無頓着すぎる。狙ったのなら、言葉を使うのが上手すぎる。大人数で仕事していれば、悪意の有無に関わらず差別的な表現をお出ししてしまう人は発生するでしょう。会社なりが建前でも”政治的に正しい”姿勢をとっていることで、作品・スタッフが差別に加担のレッテルから守られるのですが。そもそも、今回の騒ぎは順序が逆ですね。ほんと、なんでこんなに脇が甘いんだ…これ脇が甘いんじゃなくて、作品を売り出す側の芯が無いのかな?
水星の魔女炎上してまえと思っているレズビアンのお気持ち
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「答えは愛」
「で、質問は何でしたっけ?」
Dr. アリーナ・レセニヒによるインタビュー
ゲスト:サンユ
オリジナル動画:https://youtu.be/ZJSXAyWoPw8
【和訳】 ALAE PHOENICIS by Telegram
サンユとは
Dr.アリーナ・レセニヒが「サンユ」を紹介:
サンユは私にとってとても特別な人。4年半前に出会ってから、私の人生はとてつもなく変化し、良い意味でひっくり返りました。それ以来彼女と共に歩んでいます。あらゆるレベルでの学びがあり、それまでの人生では想像も出来なかったことを実行できるようになりました。今やれていることは以前はとても出来ませんでした。私はとても怖がりな人間だったからです。特別な時代に、流れに逆らって泳ぎ、自分の顔を公に晒して啓蒙活動をし、多くの逆風を受けて…それでもって、結構楽しくしていられるなんて…誰も信じなかったでしょう。きっと叫びながら逃げ去っていました。
そして、考えたこともなかったような新たな人生の基準も得ました。
人との付き合い方や、自己表現の仕方はとても自由になり、彼女のおかげで濃い喜びを感じるようになったことで、人生が良きように代わりました。
本日、私のスピリチュアルな師であり、愛する友人であるサンユが来てくれてとても嬉しいです。
アリーナ:こんにちは、チョコ・マウス(笑)
サンユ:こんにちは、愛すべき人(笑)
アリーナ:来てくれてありがとう。彼女には大方50回ぐらいお願いしたのよ、私の公開インタビューに来て「愛」と言うテーマについて語って欲しいって。だって、それがサンユ自身であり、サンユが人生で体現していることであり、彼女を構成するすべてを表現しているから。
彼女は常に断っていたのだけど、あるとき私は彼女が弱気になった瞬間を捉えたわけ。とっても嬉しいわ。でも、エンジェル、どうしてこんなに時間がかかったの?
サンユ:…愛とは、永遠から来ているもの。言語とは、限られたツール。ということは、何かを言葉にする度に、私は「これは完全ではない、何かが違う」と感じる。それは「大海を風呂桶に流し入れる」ような感覚がする。そして…(口ごもって)
サンユ:それに...言語は、「味」を伝えることが出来ない。もし、私が今、あなたの知らないインドの果物の味を教えたくて、「想像してみてね、噛み心地はデーツとバナナを合わせたような感じで、甘みはラズベリーとキウイとパイナップル、でもそれほどジューシーではない」って描写するとします。…どれぐらい時間が掛かる?
アリーナ:決して無理な話ね。
サンユ:もし、果物の味さえも伝えることが出来ないならば、「たったひとつの味」をどうやって伝えられる?
一方で、言語はガイドにもなる。あなたが「塀を作りたいのだけど、��うすればいい?」と尋ねてきたとすると、「石、次に粘土、石、粘土…これを積んでいけば?」って伝えて、何が起こるか見てみましょう、となる。ここで私がどう思うのかはどうでもいいの。あなたが私を信じようが信じまいが、どうでもいい。要は、あなたが「この体験」に心を開けるのかどうか。そして、単純にまる一日、石と粘土を交互に積み上げてみれば、出来上がったものと「塀」とに結びつきを見つけられるのかどうか、あなたが自分自身のために知ることができる。こうして、「言語」は道標にはなる。
そうやって、あなたは私が弱気になる瞬間を捉えたわけ。
アリーナ:なんて、素敵!
でも…「愛」とはあなたにとって何なの?「とても言葉には出来ない」っていっているのはわかったけれど、それでも言葉にしてみようとするならば、どのように描写する?どういう意味で言っている?
サンユ:私のいう「愛」とは、二人の人間がお互いに「愛している」といい、それと同時に「他の人は愛していない、もしくはより少なく愛情を感じている、もしくは別の種類の愛情である」ということを示唆するものではないわ。私が話そうとしている「愛」とは、そういうジャンルのものではなく…
アリーナ:でもそれが、殆どの人が「愛」だと思っていることでしょ?
サンユ:そう。その通り。
私の云う愛は、ある種の、深くて普遍的な真実で、それは私たちの心の器の底の方に眠っている。そして、一つ一つの心は、巨大なダイヤモンドの一側面であり、神聖さを映している。すべての側面(ファセット)は、その神聖さを自分なりに映し出し、その他のあらゆる心を同じように照らす。なぜなら、それらも「自分なりの神聖さ」を映し出しているから。
つまり、私の云う「深い愛」とは、ひとつには「創造物全体の中に在る意識はたったひとつ、唯一の愛流である」ということ。そして私たちはこの愛を源泉として湧き出ているということ。愛という根源が私たちを織りなしてる物質。それが、私たちをここに生み出した意図だということ。
創造物は全体でひとつをなしており、人は誰でも、その「唯一の光」から生まれ出た。
私たちの身体は個性という差異のある世界に生まれ、その物質的なレベルにおいては多様性という原理がある。しかし、その物質的レベルの背後には、非物質的なもの、スピリチュアルなものがある。そして、そこにはこの、たったひとつの流れしか無い。
そして、ふたつ目の秘密。これは誰でも、望みさえすれば自分の中に発見できる。それは、私たちが永遠の存在だということ。生み出されたこともなく、死ぬこともない。私たちはスピリチュアルな精神的存在で、人間的な体験というのを80年とか90年間ぐらいをこの身体の中味わう。そして、身体が亡くなっても、私たちは未だそこに在る。つまり、私たちは永遠なる意識体として、時間制限付きで人間としての経験をしている存在だということ。
アリーナ:OK。ご説明ありがとう。でもね…
それは私たちが日常体験していることではないわ。だって、私たちはお互いに別々の存在としての体験をしている。分離され、孤立し、殆どの他人のことはどうでも良くて…なぜ、そうなのかしら?
サンユ:私たちにはある種の社会的に導入された催眠、心理的条件付けが施されている。「私は私の身体であり、私のマインドが考えているものであり、自分の過去を合計したものである」、そのように教育されている。いわゆる「ボディ=マインド・アイデンティティ」と呼ばれるもの。それはとても精鋭な輪郭を持っていて、形があり、顔があり、名前がある。「ここに居る私以外は、その他の世界」だと思っている。それを私は「分離のアイデンティティ」と呼んでいる。
エゴとはEGO - edged God out - つまり、普遍的な宇宙意識は自意識から追い出されている。まるでメルヘンにあるように、偽の王様(EGO)が王座に座り、本物の王様が追放されている状態。
アインシュタインは、こうして私たちが互いに分離していると思い込んでいることを「意識の視覚的錯覚」と呼んだ。
アリーナ:そうね… では何故、EGOと同一視するのをやめて「愛の意識」の中で生きることが大事なのかしら?
サンユ:量子物理学、そして古き叡智によると、私たちは自らの精神を以て、その現実・人生・世界を創造しているとのこと。イエス・キリストは「汝の信じる通りのことが、汝に起こる」「汝が考えるものに、汝はなるだろう」といった。
量子力学は「あなたの思考が、あなたの現実を創る」とした。
一日に、6万の思考がマインドに入ってくる。天才と統合失調症の人には一日8万にまで至ることも。
つまりそれは、まるで宇宙飛行士のヘルメットをかぶっているような感じで、その中では6万の思考が軌道に乗ってヒューヒュー飛び回っているようなもの。私たちは自己解釈の世界にいる、(頭を指して)これはストーリーテラーなわけ。これは毎秒毎秒、ストーリーを創り出していて、私たちはシミュレーションのような世界の中にある。
ここで、例え話をすると、真夏の暑い中、アイスカフェの外席に100人ぐらい座っているとして、そこへ想像を絶する驚くほど美しい女性がやって来る。ミニスカから覗く長くて���リムな足。豊満な胸。とにかく華麗そのもの。彼女は前列にあるすべてのテーブルの間を通り抜ける。最初のマインドが思うことは「ワオ!なんて美しいのかしら!…毎日鍛えてるの?どうしよう、私はもう半年もちゃんとトレーニングしてないわ。いい加減にジムに行こうとずっと思ってたのに。ああ、でも毎月の費用を払えるかしら…でももうイヤ、お腹はダボついているし、足だって…明日絶対に申し込みに行こう」。次のマインドはこう思う:「なんて女。あんなのと付き合いがなくてよかったわ」。その次のマインド:「まあ…60年前は私もああやって人生を楽しんだわ。人生の春は本当に良かったわ。でも正直なところ、80歳になった今は、あんな虚栄心市場で誰かと張り合ったりしなくていいので私は楽だわ。あの娘はせ��ぜい楽しめばいい」。次のマインド:「なによ、売春婦みたい。この世は売春宿じゃないのよ。もうちょっと肌を隠せないのかしら。親にしつけられていないの?破廉恥な」…等等。
あ、一つ忘れていた。もう一つのマインドは「おお!あの娘とベッド・インしたいな。でもあんな外見の娘が僕になびいてくれるはずがない」というやつ。
そこで、懸賞付きの質問。このアイスカフェの客たちは「誰」を見ているのでしょう?
アリーナ:誰もが、自分のことしか見ていない。
サンユ:その通り。誰もが、この美しい女性をスクリーンに見立てて、自分の価値観、自分が癒せていない心の傷…または自己の存在価値に残された傷、自分の夢や願望、世界観、人間観を眺めている。
彼女はスクリーン。(頭を指して)これはスライド投影機で、スライドを差し込む割れ目がここにある。そしてこれまで自分が溜めてきたすべての条件付け・刻印・プログラミング・パターン・過去が、このスライドに入っている。このスライドを通して、自分自身をこの女性に見ている。…ということは、私たちはかつて、自分自身以外をこの世の中に見たことがない、ということ。誰もがこの女性の中に別人を見ているだけではなく、誰もがこのアイスカフェという同じ場所に居るのに、そこには100種の世界があって、ひとつは爆発せんばかりの楽しい気分になっているのに、1,5メートル先の席では爆発せんばかりの憤りを感じている。誰もが、自分だけの世界に生きている。
そうなると、トランプについて、コロナについて…何に関しても、誰かの意見に耳を傾けたところで、世界についてそんなに多くのことはわからない。実際には、「世界とはこういうものである」と主張している人物のことが、本を開くように見せられているだけ。
私がまだ、診療所を営んでいたころ、多くの愛すべき患者さんたちがやってきた。コロナの期間に関していうと、ある人は人類史上最大の残酷で邪悪な黙示録を目前にしており、ある人はパラダイス・黄金時代へ移行する直前のように感じていた。そしてその中間には更に、様々な色彩があった。そして、全員が同じ惑星に住んでいるのに、そこには75億種類もの世界が存在しているのは驚くべきこと。
エゴ意識には、いくつかの強迫観念がある。
その内のひとつは、分極化という意識。こいつは常に審判しないと気が済まない。審判のひとつは、世界を善と悪に区分化することで、当然、善側は私だ、となる。
アリーナ:違う違う。善側は私よ!私の方が善側よ!
サンユ:あら…(笑)言っておくけど、あなたは邪道に走っているわ。私たちのどちらか一人が善側なのだとすれば、それはどちら?
アリーナ:そう、それは私よ。善側は私。
サンユ:アハハハハ!じゃあ、こうしましょう。「私たち」は善側ね?OK?(アリーナ:OKよ!どっちにせよね(笑))
それで、「善良」だと謳ってきた者たちが残してきた血痕を辿れば…善良なキリスト教徒たち、善良な回教徒たち、善良な資本主義者たち、善良な植民地主義者たち、善良な共産主義者たち、善良な国家社会主義者たち… これらを振り返ると、私たちは本当に「善側」に属したいのかわからなくなってくる。そして意図的ではなかったことは確かであろうと、どうやら地獄への道というのは「善良」という名の石畳で張り巡らされている。
人類の歴史は、人類の歴史を何一つ教えてくれていない。今のところはね。でも、それはこれから変わるかも知れない。(アリーナ:今がチャンスよ)そうね(笑)。私たちには、自分自身と世界を別の形で眺めることが出来る。その別の形とは、創造物を全体として捉えることと、すべての小さなパーツは大きな全体を反映している。ラテン語の pars pro toto (一部が全体を代表)。小宇宙は即ち大宇宙である。イエスの述べていた、天界は即ち地上界、鏡の法則、アナロジーの法則。露の玉がどれだけ小さかろうが、それは創造物全体を反映している。どういうことかというと、私がこの世で目にするもののすべてを、私は自分の中に見出すことが出来るし、私が自分の中に見出すすべてを、私はこの世に見出すことが出来る。
そして…私は何に対して戦おうとしているのだろう。
そこで、あなたの「EGOから離れて「愛の意識」への移行がなぜ大事なのか」という質問だけど、アインシュタインの言葉を借りると「原因がつくられたレベルでは、その問題を解決することが出来ない」ということ。
アリーナ:つまり、憎しみは憎しみをもって解決できないし、怒りは怒りをもって解決できない、ということね?
サンユ:そういうこと。だって、不安・憎しみ・憤りといったものは、分離のアイデンティティから起こったものであり、この問題解決には、上位の階層へ移行しなければならない。それが「一体感」という意識。ワンネス、統合、愛。
そして…病んでいるマインド(意識)は、分離のアイデンティティという幻想の中にあり…つまりワンネスを破り飛び越えてしまっていて、断片化された世界を創造してしまう。
マインドが健全ならば、それは愛の意識の中にあり、愛に満ちた世界を創造することになる。
アリーナ:ここで、ちょっとプライベートな質問をするわね。あなたは心理セラピストであり、27年間いくつかの診療所を営んできたけれど、あの巨大な「C危機」がやってきたとき、あなたはあなた自身や何よりスタッフに、今後どのような規制が及ぶのかを懸念して、診療所を閉鎖する決断を下して、それまでほぼ500㎡の敷地にある大きな家に住んでいたのに、今後何をどうするのかわからないまま、ほとんどすべてのものを手放したわけだけど…
サンユ:でも知ってる?以前、私はいつも鍵を探しまくっていたでしょう?でも今は、この惑星で私の車の鍵はひとつしか無いのよ。なんという気楽さ!(笑)
アリーナ:それがまたあなたらしいわね。生活基盤のすべてを失ったのに、鍵が減ったって喜ぶなんて。でも、あんな形で自分の生活基盤を手放すよう強要されて、あなたにとってそれはどういうことだった?
サンユ:強要された?(アリーナ:ええ)
ねえ、ちょっとしたゲームをしない?(アリーナ:いいわよ)
私は思春期の娘で、あなたは私の母親ね。
あなたは娘に、自分の人差し指で自分の鼻を触らせたいの。
娘の私はそれを最高に馬鹿馬鹿しいと思っていて…だって子供が思春期になると親ってなんだか変になるのよね。私はそれが嫌で。母親のあなたは云うことを聞かせようと頑張って欲しいの。
アリーナ:わかったわ。
サンユ、人差し指で鼻を触ってご覧なさい、いい子だから。
…サンユ?…ほら、鼻を触ってよ。ねえ、触ってったら。今すぐに!
指図を受けて、うつむくサンユ
しつこく言われて、目をそらすサンユ
サンユ:OK。ちょっと待って。
では、云う通りにしなければ、どうなるの?
アリーナ:4週間テレビ禁止。3ヶ月間外出禁止。次の誕生会は3回なし。それとxボックスも3ヶ月間禁止。
サンユ:ちょっと待って…(上の条件を復唱すると、アリーナが肯定)。
ふーん…(しばらくうつむいて考えてから)
ゆっくりと鼻を触るサンユ
サンユ:エンジェル、(満足そうに微笑むアリーナ)今、決断して行動したのは誰?
アリーナ:あなたね。
サンユ:(頷いて)正解。どこで強要されたのかしら。私がやった。自分の決断。
そしてあなたの質問は、それがCの時期にどのように反映されたのか、ということよね…(しばらく考えて)そうね、アジェンダ2030を取り上げましょう。ワーストケース(最悪の場合)は、信じがたい虐殺があり、生存者は皆バイオロボットに変身。
私はそれ同類のものを自分の中に見いだせるのだろうか?
長く探す必要はない。私も人生の最初の3分の1はお肉を食べていた。たった3センチの口内で味わう喜び。如何なる呵責も感じずに、敢えて…いえ、何も考えてさえいなかった。この3センチの喜びのために、誰かが動物を一生「収容所」で虐待し、苦しませることを容認していた。
ここで誰かが、「サンユ、だって人間とは違って、動物なんだから」って云うかも知れない。それは理解できる。けれど、動物の痛覚は人間と変わらないことも今は知っている。動物も人間と同じように愛情を感じること、そして自分以上に子供に愛情を掛けることも知っている。私にとってその点で、人間と動物の区別がない。やっぱり「感性を持つ存在」。その意味で、それを主義として自分の中に見出すのなら、何に対して私は戦闘をおこなうのだろう。それでも、だからといって私はそのアジェンダに自分を差し出すつもりはない。全くない。どちらかといえば、私はその主義を自分の中に再発見しようと決断し、自分の中で統合しても、今後はマニフェストしなくて良いということになる。これは他のテーマにも繋がってくる。
「お前はクリスマスも大晦日も、家族と過ごしてはいけない」と言われれば「はあ、そうですか。ご説明ありがとう。でも私のつもりは全然違って、当然クリスマスを家族と過ごすために会いに行きます」と言うでしょう。
そう。当時、私はマスク解除証明を発行していたことで、警察との対峙があった。そして、自分の中のどこに“警察”を見いだせるのか、自問した。すぐに明らかになったのは、彼らは「自分たちの世界」、つまり「階層構造と秩序で成り立っている法と規律と義務と権利の世界」を愛しているということ。そして、彼らは自分たちのやり方で、自分たちのツールを自分たちの世界のために駆使する。私は自分のやり方で、自分の世界を、彼らとは違う手段で確保しようとするわけで、そこには当然差異がある。それでも、自分の世界を確保しようとする主義主張を彼らは映し出していた。そこで私は争う必要がない。
私に言えるのは、「ご訪問ありがとう。当然、私は証明書を発行し続けますが、この問題をどう解決しましょうか」ということ。「私は罰金を払わねばならない?なるほど。私がそれを受け入れたいのか、よくかわからないので、様子を見ましょう。私の子供はマスクを着用すべきということですが、何故なのかご説明いただけますか?あなたの見解は興味深いですが、私にとってはそれは全くもって真実ではないし、重要でもありません。私の子供がマスクを着用せずにいられるよう、何でもやります。父兄イニシアチブを設け、動画を構成し、なぜマスク義務に反対なのか説明します。その他の組織に働きかけ、法律家に相談します。これらのすべてに効果がなければ、私は子供を学校には行かせません。そして、あなた方がホームスクーリングをさせたくないのであれば、私たちは国を去ります」。
「あなた方は、私にワクチン接種を受けさせたいのですか?なぜ?絶対にイヤですね。どうしましょうか?私は刑務所行きですか?OK。この転生では私はまだ刑務所に入ったことがないです。では、外からの条件に縛られないで自由に生きるための訓練を喜んでさせてもらいます。それは何時からスタートしますか?」
これらはひと言で言い換えると、「no war(戦争反対)」。
私は繋がり(connected)続けていたい(訳注:高次の自分と)。この、何事もジャッジしないという繋がり(connection)。ドイツ語のUrteil (音:ウルタイル/意味:審判・ジャッジ) という言葉は良く出来ている。Urーというのは原初・オリジナルなものを指し、Teilというのは「部分、分けた一部」と言う意味。原初の段階ではひとつだったものが、意識によって分割されているからジャッジが起きる。
そうして、審判・ジャッジするいかなるものにも、私はエネルギー的に連結しようと思わない。それは私を弱らせるので。
つまり、私は自分自身のエネルギーの中に留まり、そこと繋がり続けます。それは当然「民事不服従」ということになる。だって、私の世界で不正が正義として扱われるのなら、民事不服従とは「愛の行動」だということになり、服従こそが犯罪。私が愛に満ちた抵抗の道を選ぶのは当たり前じゃない?でも、そこには憎しみも分断もなく、戦争も起こらない。
アリーナ:わかったわ。そこにあるのは唯一、愛だけ、ということね。でも、それならばこの世の邪悪はどうなるの?
サンユ:(大きく頷いて)…うーんと。
同様のイメージとして… 「電流」をとってみましょう。ラジオに電流を流すと音が出る。電球に流すと明かりが灯るし、ヒーターを通すと暖を取れる。
このイメージをもって、「愛」という流れを想像すると、権力志向の人の頭に差し込まれたスライドのフィルターを通った結果、その愛は「暴君」という姿で映し出されるかも知れない。
別のフィルター、お金に執着する人のスライドの場合、愛��流れがやって来ると、その先の結果は窃盗犯かもしれない。
3つめのフィルター、3つめのマインドセットであるスライド。それは宗教的…もしくは政治的思想。愛の流れがその意識フィルターを通ると、果には狂信的なテロリストが表現されるのかも知れない。
愛流は、どんなマインドセットによって濾過されるかで、最終的表現の形が異なるだけ
どんなスライドがフィルターになっているかによって、結果は歪み、果には倒錯的なものにまで至る。
だから、いわゆる「邪悪な人物」というのも、自分がやりたいようにやる権利がある…もしくは、それをするのが正しいことになるのかも知れない。…例えば自爆テロ…そうして他人を死の巻き添えにするとか。その者のマインドセットからは、それは正しい行動ということになっているか、もしくは「自分にはその行動を起こす権利がある」とみなされている。
改めていうと、私は彼らを正当化しているのではなくて、心というのはジャッジに興味がなく、ひたすら「理解したいだけ」なのです。
2000年前のベストセラー(訳注:聖書のこと)には「隣人を自分のように愛せよ」とあったけど、私には「隣人を自分自身として愛せよ」と聞こえてくるし、その声から更に「敵を愛せよ」とも聞こえてきた。
そして、ここであなたに質問するけれど、私は「隣人(訳注:原語では「最も近くにいる人)」そして「最も遠くにいる人」を愛すべきだという。では、この最も近距離の人と、最も遠距離の人、これら両者の間のどの辺りに切れ目があるのか?
どういうことかというと、ファウチだとか、ゲイツだとか、ドイツ健康相のラウターバッハだとか、シュワブだとかなんだとか…みんながこの中に含まれている。
「主よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのか知らないのです」。
では、彼らは何故、知らないのでしょうか?
彼らは、自分たちが何者かを、知らないのです。
自分が永遠の意識体であり、しばしの間、短い体験をするために肉体に宿っているだけなのだ、ということを知らなければ、その無知から苦悩が生み出される。それは、無常のものにしがみつくことであり、死に絶えてゆく儚さへの恐怖がそこにあり、自身をそれと同一視していると、その他の創造物と自分とは分離しているという世界観にあり、そのために利己的考えに陥って、その他の世界と自分との繋がりは絶たれてしまっている。
この世の犯罪のすべては、加害者が被害者と自分を同一視しないことから起こる。
だからこそ、私たちは自分の意識に働きかけ、エゴという意識によって生み出される分離分断を手放し、ワンネスの意識に至ることに価値を置くことになる。
アリーナ:うん…それで、この世の行く先についてのあなたの予見は?終末の世がやってくるのか、それとも新世界の誕生へ向かうのか。
サンユ:…蛹にとっての「この世の終わり」というのは、この世にとっては「蝶の誕生」を迎えること。
私たちは今、本当に自分たちがどのようなプロセスの中の、どの地点にいるのか、わかっているのだろうか。
私���はわからない。
ただ、愛というのは「目的地点」にとらわれてはいない。
想像してみて。今日が月曜日だとして、木曜日にはこの世のすべての核爆弾が投下されるとする。どの島だろうが、逃げ場はない。そこで、あなたの玄関のベルがなり、開けてみると誰もいないので、ドアを締めようとした時、足元の玄関マットには赤ちゃんが寝かされていた。木曜日には世界が崩壊すると知っているあなたは、足元の赤ちゃんを有機ゴミに出すだろうか?それとも、抱き上げて栄養を与え、おむつを換えて愛撫し、木曜日に原爆が落とされたら、自分の身体で赤ん坊を覆い、守ろうとするのだろうか。
それはつまり、愛は「結果とは無関係」だということであり、結果は自ずと現れてくる、それだけのこと。
アリーナ:そう、そういうことなのよね。ありがとう。私は皆さんに、身体的健康について自分の知識をシェアしたいとは思っていますが、その他にすこしでも、感情面、そしてスピリチュアルな側面についても自分が学んだことを、皆さんんにシェア出来ればと思って。
〈2022年秋に開催されたワークショップ・セミナーの紹介〉
サンユ:私たちの核となるものは、永遠に神聖であり続ける、これは全く持って素晴らしいこと。どういうことかというと、私たちの奥深くにある自然は太陽であり、人生において何が起ころうと、この太陽は決して破壊されることはない。この核心は永遠に神聖なまま。
スクリーンに上映されているのはホラー映画だったり、アクション映画だったり、家族ドラマだったり。しかし、上映が終われば、スクリーンは真っ白に戻り、なんの破損もなく、焼き跡もついていない。全く変化はなく、壊されることはない。私たちの内なる太陽(光)とはそういうもの。
人生を歩む中には、転生という観念、つまり別の人生の存在と共鳴することがある。人生は今回一度きりと考える人たちは、スラグのようなものに撒かれている。つまり幻想が玉ねぎのような層になっていて、そうした「概念(コンセプト)」に覆われている。それは分離の意識という誤った知覚であり、傷心、被害者意識にまみれている。
私たちが取り組むべきことは、この覆われた殻を取り外していくこと���
これはミケランジェロの説明に通じるものがある。
「こんな、雑な大理石の塊から、君はどうやってこの世のものとは思えないほど美しい、あのダビデのような姿を掘り出すことが出来るのか」という問に、彼はこう答えた「ダビデは既に大理石の塊の中に居るんだ。私はそれを覆っている余分な部分を取り除いているだけ」。
私たちはみんな、まさにそれをやっている。私たちは、真実ではないものはすべて、幻想として見抜くようになり、時と共に内なる光は自ずとして輝き出してくる。
こうした概念を自覚していくワークは大事。
私たちはあまりにも多くのことを、信じ込んできた。
そしてもしかすると、信じてきたすべてのことが、真実ではなかったのかも。
それで、人類は自分が考えていることを信じてきたために、苦悩してきた。繰り返して言います:もし、私たちがこれまで考えてきたこと、これが嘘であったのなら、これを信じていれば私たちは苦悩することになる。
しかし、素晴らしことに、宇宙は私たちの内部にナビシステム、いわゆる「感情ガイドシステム」を設置してくれた。私の感情は、私にとっての方磁石のようなもので、毎秒の如く私の日常、そして私の人生に寄り添ってくれている。
そして、アインシュタインはこうも言った:「私は神の思考が知りたい。それ以外は二の次だ」。
では、神の思考とは?実際には神は思考をしておらず、存在そのものなだけだけど、イメージとして、神という存在が思考するならば、。それは愛という思考。
もし、私たちが宇宙に漂う愛の思考と一致して振動しているならば常に、私たちは感謝、感激、献身、結束、幸福を感じるはず。
しかし、もし私たちが宇宙の思考と一致して振動していないのならば。即、憤り、悲しみ、失望、傷心…いわゆるネガティブな感情に襲われることになる。
そして、そのようなネガティブな感情が降りてきたときこそ、高次の自分はあなたに向かってサインを送っている:「君は今、君の真実とは共鳴しない振動の仕方をしているよ、戻りなさい」。
私たちはこれを学ぶべき。〈部分的にワークショップの内容紹介〉
アリーナ:締めくくりに、何か私たちに向けて言っておきたいことはあるかしら?
サンユ:アインシュタインの引用だけど、「人は、最初から実現不可能に思えるかどうかで、その思想の良し悪しを見極めることができる。それゆえ私は、希望するすべての人たちとともに、愛の思想、愛に満ちた世界をあえて夢見るのである」
そして、ヴィクトル・ユゴーの引用:その時が訪れたアイデアほど大きな力を持つものはない。そして今、約1万3500の戦争と36億人の死者を経て、ついに愛の時が来た。
安全を守るために自由を放棄すれば、自由も安全も失いかねない。
そして、安全とは港に停泊する船でもある。しかし、船はそのために造られたのではない。
そして今、変化の風が吹くとき、私たちは何を望むのだろうか?
防護壁を作りたいのだろうか?それとも風車を作るのか?
防護壁とは、抵抗すること、コントロールすること、しがみつくことを意味し、風車は手放すことを意味する。
そして時には、自分らしくいられるようにするため、私たちは自分らしさを手放��なければならないこともある。
そして、ケーテ・コルヴィッツ(ドイツの女流版画・彫刻家)はかつてこのように言った:私たちの才能は、使命である。(ドイツ語で才能は「ガーべ」、使命は「アウフガーべ」)
そして、私たちのガーべが誕生時に託されるものならば、今私たちはどうすべきなのか。闇について嘆きたいのか、それとも明かりを灯したいのか、そして、私たちのガーべを昼の光に晒し、大いなる全体に捧げ、私たちが己の道を行くことで愛の意識へと到達することを望んでくれる人たちのために、どんな明かりを灯すのか。
なぜなら、きっと今こそ人類史上最も重要な革命の時代が訪れているのだから。政治革命ではない。経済革命でも、社会革命でもない。
起ころうとしているのは、自己の意識変容。分離のアイデンティティから、愛の愛テンティティへと移行しようとしている。
マハトマ。「偉大なる呼吸」と言う意味。
マハトマはこう言った:「あなたがこの世に見たいと願う変化、あなたがその変化になりなさい」。
彼は、何故そのように言ったのでしょう。
それは、私たちはひとつであり、分離した存在ではないから。
そこにあるのは大きなひとつの意識という大海。
私たちは人間という意識領域の中に、互いに繋がり合いながら集団として存在している。
あなたが成し遂げる如何なること、どんな針穴をあなたがくぐり抜けようと、それは何処かの誰かに何かをもたらし、この誰かも、自分なりの針の穴をくぐり抜けている。
そして、何処かの誰かが自分のためにくウォンタム・リープを成し遂げたとして、それはあなたに跳ね返ってきて、もしかするとあなたは自分にとっての新しいレベルへとジャンプすることになるのかも。
一人は万人のために、万人は一人のために。
そして…危機というものが来るのは大抵、ある種の生き方がもう耐え難くなった時。
そして、問いかけるべきことは「すべての社会には、それ相応の革命が起こる」ということ。そして今、私たちは愛の革命を望むに値しないだろうか?
アリーナ:私はそれにイエスと答えるわ。そして、その道へ向かおうとする誰もを、喜ばしく思う。
サンユ:そして、その道へ向かおうとしない誰かをも、喜ばしく思っていいのよ。彼らが己の道を往き、自分の魂が求める全てを得ていけるよう、願いましょう。
アリーナ:その通りね。私のエンジェル、一千回、感謝を述べさせて。
サンユ:ありがとう。百回分の感謝をお返しするわ。
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" 埼玉乱舞 -SAITAMADANCE- Vol.01 "@越谷EASY GOINGS
開場から開演まで爆寸みたいな感じでV系mixが流れている
覚えてるのだけ書くと
入った時かかってたのは手の鳴る方へ/アルルカン
埋葬/RAZOR
神歌/Phantasmagoria
V.I.P/NOCTURNAL BLOODLAST
迷彩/Sadie
鯖に乗って(RADICAL HYSTERIA)/BORN
朔/DIR EN GREY
君の子宮を触る/DEZERT
0/キズ
ザアザア前のDJ枠は知らない曲1曲もなかったからここ20年くらいバンギャし続けてる人なら1人でも体が勝手に振りをしてしまうくらいテンション上がる開演待ち
ステージはスクリーンで覆うスタイル
ザアザア
ステージに誰もいないままキズの0から暗転 感電のベース音が流れ始めたので手拍子をするフロア なかなか満員のお客さんに混じって亞んちゃんの���髪が
メンバーフロアから入場
(一葵さんだけステージ袖から現れてたと思う)
マイクにあり着くや否や今日一番かっこいいバンドザアザアです
ぬるいぬるい言われながら上下前後走らされ
全員左に寄ってください
ぬるいことしてんじゃねぇよ
誰の声かと思うくらい攻撃的な声色に軽率にときめいたけど一葵さんだったのかな 左に寄らない他バンギャさんをw強引に寄せて蜘蛛の糸
手扇子しながらようやくステージを見たら 黒いスーツに黒シャツなんだけどネクタイの柄がアメリカドル$…?もしかして4人で
お揃いのお土産買ってきたの??????
朗読は 冷熱 ジャケットの袖を肘下で捲ってベースを低くして弾く零夜さん(ゴクリ…
夕焼けは春さんのギター前振りで入るバージョン(良かった)
ただいまー おかえりー!
僕達あの アメリカ帰りなんで
まだ時差ボケしてるんだけど
帰りに お土産屋さんでこれ(ネクタイ)買ってきました
か わ い い(ネクタイがというよりその柄とお揃いにしちゃうこととそれを衣装にするということがかわいい)かわいいじゃねぇよ
アメリカで一体何がと思うほど いつになく強気で攻撃的で全員が見るからに自信に満ちていた
推しが良すぎたから今日はもうこれで帰りたいまであった
色々な十字架
転換中に下手ギターの人がエフェクターボード高く掲げて見せてくれた(笑)
メンバーのヴィジュアルは思っていたほどピンクハレルヤではなく 普通のV系に見えないこともない 笑
上手ギターの人は技術面含めて見せ方が熟れてたように思うけど前盤普通のV系じゃないのかな
上手側の後ろの方に 白い布でちゃんとV系ぽく装飾されたスクリーンが設置されそこに歌詞(MVある曲はMV)が流れる
最初の曲は「近所の犬に勝手に名前を付けて呼んでそれを浸透させた」とかいう歌詞だった
小学校5年生くらいの男の子が言う下ネタがふんだんに盛り込まれた歌詞を 90年代V系に多い独特の歌い癖に乗せてw 声量なくはないし結構な高音が地声で出てたので真面目に練習したら普通に上手くなりそう
NoGoDのアトリアをちょっと歌ってたけどそっちのが上手いw
ドラムのdagakiさんとボーカルのtinkさん 埼玉の人らしく 越谷ではなく松伏町?の出身だとか
ベースのmisujiさんはどこの人かわからんけどdagakiさんが埼玉でのバイト経歴を発表し続けているのに突っ込みを入れ2人が張り合う流れに(無理やりw)
リズム隊がバトミントンのラケットを持って前へ出てきて同期に乗って演奏される曲があったけどこれといって決着はついていない模様
tink:終わりですって言って曲が終わった(笑)
テニプリのやつでした
( 'ᵕ' )
どんどんどんどん 応募して
何を?誰に?
( ◜-◝ )
今日のためにいっぱい曲作ってきたから
前からある 前からある 前からある
前からある曲やりますこれはちょっと
何を言ってるのかわからない系ボーカルさんのMCを幾度となく拾ってきた 経験値がまったく活かせないレベルの圧倒的何を言ってるのかわからない系ボーカル(笑) MCというかスタジオセッションの雑談みたいなノリで喋るんだけど先輩や女の子に可愛がられそうなタイプです 上ギとベースいなかったらまとまらんw
弦楽器隊は思ったより全然ちゃんと演奏してて(失礼w)ステージ慣れしている様子なんだけど ボーカルさんだけステージに立たない仕事を生業にしてる感ありました(ベー��ストさんらしい ?)
白ミサっていうくらいだしもっとなんか祈りとかさせられるのかと思っていたので想像より普通のV系に近いという第一印象
NoGoD前の転換はZOMBIEとかギルガメとかlynch.とか流れてた
NoGoD
楽器隊板付き 袖から赤いスーツに身を包んだ赤髪団長(かっこいい♡)
とはいえ1~2曲目知らなかったw これだけ行ってなかったら知らない曲やらなかったら逆に心配なので良かった
さっき ザアザアが… 越谷そんなもんかって言ってたけど…
いつもこんなんじゃないよな?今日いつも以上だよな?(そっちw)ここは埼玉じゃない
タイトル思い出せないけど体が振りを覚えていていやー懐かしいーと思ったのは愚蓮だった 少し前にBLAZEで見た時にもやってたな
タイトル思い出せないけど体が振りを覚えていて(コピペ)これなんだっけなって思ったのは球根だった
ギターソロ見応えやばい 前任も涼し顔して難解な曲を弾く人だったけど今の上手ギターも笑顔でとんでもねぇことやってる凄腕
越谷 俺の地元です 正確にいうと隣町の岩槻市なんだけど 最寄り駅はせんげん台
地名は漢字だけど電車の駅は平仮名のあのせんげん台です!
いつも浦和あたりで地元です!って言うのちょっとなんか 申し訳ない気持ちがあったんだけど 今日はいいよな 自信持って 越谷 地元です!
こんなに地元アピっといて
でも…実を言うと…今の住所は 東京都ですって言ってブーイング浴びてたw
言いたいこと全部短い時間に収めるようになっただけで喋る量は変わってないからMC半分以上端折りますけど若い頃渋谷の居酒屋でバイトしててせんげん台までの終電がないから店の締め作業に参加したことが無いって話も面白かった(笑)
団長ダンスって言うから乱知気でもやるのかと思って焦った 大サァカス 体が覚えてた(笑)(笑)
神風もカクセイも通ってた頃に出た曲で団長大好きすぎた時代の自分に戻ってしまうw凄まじい演奏力だし良い曲だな かっこいい
確実に笑わせるMCを挟みながらも後半に向けて盛り上がっていくムードを創るのはどこよりもプロ
Never fade awayのコーラス (合唱になったのこれだっけ?)感動しちゃったよ
ザアザアは 勢いがあって なんか 凄かった…対バンするのは久しぶりなんだけど ああゆうのいいなって思いましたって言ってた
色々な十字架についてはアトリアの話してたかなぁ 忘れちゃった
NoGoDはアンコールがノーゴッド!なんだよね 懐かしい
さっき ザアザアが 前後左右にすごい動かしてて 俺達もああゆうのやりたいなぁ?って思っちゃったから
NoGoDにもそういう曲があります(^ω^)
両手をくるんてして折り返す時にハートにする振りがあるけど 桃源郷へようこそのその部分は♡を逆さにした桃なんだよねw
曲終わってから 4/20にもここで埼玉乱舞?あるらしくて団長がDJとMCで出るとかって言ってた
バンド演奏終わってすぐDJブースからROCKET DIVE流れて来たの熱かったな
4/20のイベントはザアザアもまた出るのかなと思うようなこと言ってたけど(?)その日チッタのバンギャルフェス行こうと思ってるんだけど?w
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P3xP4 World Analyze pages 34-35 transcription.
ニュクスへと至る異形の塔 “タルタロス”
タルタロスの誕生
月光館学園の場所で影時間にそびえ立つタルタロスは、10年前の爆発事故によってその存在が確認されることとなった。しかし、必ずしも爆発事故だけが原因というわけではない。この場所にエルゴノミクス研究所が建てられたのは、桐条鴻悦がシャドウの存在を知ってから世界各地で調査を行い、シャドウによる時��の歪みがもっとも顕著に確認された場所と同定したからであり、人工島開発計画のスタートと同時に研究所建設地に決めている。研究所がシャドウを集めて融合実験を進めたことで歪みが拡大したが、それ以前からこの場所にシャドウが集合しやすいポイントがあったのは確か。“死” のシャドウを作ることに失敗し、融合途中のシャドウが飛び散る爆発事故となったが、シャドウを集合させることですでに形作られていた時空の歪みは一帯に残り、以降影時間とタルタロスとしてこの場所に定着したものと考えられる。
シャドウの性質を考えれば、爆発事故が起こらなかったとしても、いずれは同じようなものが生まれただろう。
象徵的建造物
タルタロスの塔は、毎夜0時の “影時間” となった瞬間に造り直されるように見える。月光館学園があるはずの場���に、巨大な植物が成長する様子を早回しで見るように一気にそびえ立っていく。これは内部の構造が毎夜変化するという観測にも符合するが、影時間の間だけ月光館学園が物理的に “無くなっている” というわけではないため、実際そこに建っているものとは考えにくい。影時間は “現実” の1秒にも満たない一瞬だけが切り取られ、シャドウを構成する精神体で作られたレイヤー (層) が現実世界にかぶせられた状態。適性のない人間が “象徴化” レイヤーで覆われた状態となるのと同様に、月光館学園にはタルタロスというレイヤーが重ねられ、学園が見えなくなる。タルタロスの内部もいくつかの層で構成されており、塔が建つように見えるのは層のレイヤーが重ねられる視覚的現象と捉えることもできる。
タルタロスレイヤーで覆われた学園は、現実にそこにあったとしても影時間内からは知覚できない。
エルゴ研の名残
タルタロスの内部には、かつてその場所にあったエルゴノミクス研究所の残滓のようなものがあり、一部記録文書も発見できる。しかし、現実には月光館学園を建てる際に取り壊され、記録文書などが残っているわけはない。これは、タルタロスが基本的にはシャドウと同じ精神体によって構成されているからで、言ってみればその場所の記憶のようなものが構造に反映された結果そうなったもの。同様にタルタロス自体の内部構造も精神体からできたもので、タルタロス構造に取り込まれた精神体の記憶のようなものが反映されている。もっとも集合体が持つ混沌としたイメージなので、個人の思想などが出ているわけではない。下層は周辺に存在した精神体を材料としているせいか学園内部にも似た構造をしており、上層に行くと大型シャドウの一部が材料になっているためか異国的であったり、シュールレアリスム的なイメージが見られる。
文書の内容を見ると、強い想いはシャドウ化されていなくともタルタロスの構造に取り込まれやすいようだ。
最上階に降臨するニュクス・アバター
[守護する者たち]
“死” のシャドウ望月綾時が転じたニュクス・アバターは、タルタロス最上階に現れる。その手前には彼を守護するようにストレガが待ち受けていた。彼らも真相に���薄していたことがわかる。
[ニュクスと同等の存在]
望月綾時はニュクスに取り込まれ、ほとんど区別のつかない状態だと自身で語っている。しかし、人間の中で生きたことで造られた綾時のパーソナリティは色濃く残っていて、綾時と変わらない声で語りかけることもできる。圧倒的な力はニュクスのものだが、最後まで綾時は綾時の意識を持ち続けたようだ。
[ニュクス・コア]
最後に発現する “世界” あるいは “宇宙” のタロットには、卵のような形のウロボロスの輪に囲まれた女性の姿が描かれている。四隅にいるワシ、雄牛、ライオン、天使の組み合わせはテトラモルフとも呼ばれる黙示録で神の玉座のそばに控える動物たち。二ュクスの中心核は、そのウロボロスの形にも似ている透明な輝く卵の姿をしていた。
タルタロスを構成する “七つの地”
第七の地 世俗の庭テベル
ユダヤにおける地獄は “ゲヘナ” と呼ばれるが、そこから発展した神秘思想では “七つの地” に細分化される。テベルは7つ目にあたる浅い層で、人間の世界にもっとも近い位置にある地獄。“七つの地” は神をシンボライズした “セフィロトの樹” と上下逆向きで対応しており、テベルは根本の基礎部分にあたる “イェンド” に相当する。
第六の地 奇顔の庭アルカ
6つ目のアルカはいわゆる “魔界” と呼ばれる地獄の主要な “大地 (アルカ)” で、一般的にはこの層を指して “ゲヘナ” と呼ぶ。この層自体も七つの部分に分けられ、聖書中で地獄を意味する “ハデス” はこの小分類のひとつ “シオウル (洞窟あるいは子宮の意)” を指していることが多い。セフィロトでは左足 “ホド” と対応している。
第五の地 無骨の庭ヤバザ
5つ目以下の層は基本的に悪魔も好まない荒れ地と言われていて、ヤバザは砂で覆われた乾燥した場所になっている。タルタロスの中ではエッシャーのだまし絵を思わせる視覚の混乱を起こさせるようなイメージとなる。セフィロトで対応する神の右足 “ネツァク” はホドと互いに補完する関係にあり、ヤバザとアルカも対の関係性がある。
第四の地 豪奢の庭ツィア
4つ目のツィアは草に覆われた乾燥地とされる。タルタロスでは名前の通り、黄金色の床に赤い絨毯が敷かれた王宮を思わせる絢爛豪華な階層となっている。セフィロトで対応する “ティフェレト” は “崇高” と訳される場所で神の心臓を象徴しており、神の頭・知性を象徴する部分に次いで重要な部分。ある意味、タルタロスの様相と符合している。
第三の地 焦土の庭ハラバ
3つ目のハラバは崖のように起伏の激しい土地で、作物が実らない不毛の地とされる。セフィロトでは神の左腕と法の裁きを象徴するゲブラ一にあたり、火星や “力” と関連付けられ “神の愛” ケセドと対になる存在。タルタロスでは間の中壁や床に七色のイルミネーションが灯るサイケデリックな空間になっている。
第二の地 憂鬱の庭アダマ
2つ目のアダマは、原初の人間アダムを作った “土” を意味する名前で、赤土ばかりの荒れ地である。セフィロトは、神の “愛” もしくは “慈愛” と右腕を象徴するケセド。タルタロスでは無数の星々が輝く白色の明るい光に包まれた場所となっており、ハラバとの対照的な関係が見て取れる。全体が混沌としたタルタロスの中では整然とした印象の空間。
第一の地 王居エレス
もっとも下に位置するエレスは潰れた廃墟のごとき場所で、逆さまのセフィロトを吊るされた人間に例えれば頭にあたる位置。セフィロトでは神の神聖を象徴するケテル、コクマー、ビナーの3つをまとめて “アティルド” と呼ぶ部分に相当する。タルタロスでは月の真下にある屋上にあたり、ニュクスが降臨するために用意された場所である。
ライプニッツの提唱する “モナド”
ゴッドフリート・ライプニッツ
『モナドロジー (単子論)」を提唱したドイツ出身の哲学者で、高名な数学者でもある (1646-1716年)。数学や科学だけでなく、哲学や経済学、神学までもひとつの体系的な学問にまとめようとしたことで知られている。後年ぺルリン科学アカデミー創設に参加して初代総裁となるが、それ以前に政治家であったことでも知られており、同時代の知識人とは精力的に交流していた。
世界を構成する真の単位
ギリシャ語で “単一の” という意味の「モノス」が由来の “根源” を意味する「モナド」という言葉は、古代ギリシャの数学者として有名なピタゴラスらが使い、ライプニッツがさまざまなものの最小単位の概念として発展させた。物質の最小単位である “アトム” を物質以外にも応用した考え方で、例えばこうした思想も、概念を可能な限り分解した最小の状態が “モナド” となる。
“深層モナド” へはタルタロスを徘徊する “刈り取る者” を倒さなければ到達することはできない。
タルタロスから繋がるもうひとつの空間として、強力なシャドウばかりが現れる “深層モナド” がある。
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いつかはぜんぶ幻みたいに思えても
タイトルはSwitchの曲「オモイノカケラ」より。昨日友人と会った際に彼女がこの歌を口ずさんでいて、ああ、この曲も大好きだったなと思い出した。Switchの曲はどれも良すぎる。なんでSwitchはここまで曲に恵まれているのか?恐ろしいほどだ。たんに私の好みに合っているだけかもしれないが。キャラクターのパンチがそこまでではない(いわゆる正統派美形ではない、搦手の3人)ため、曲は厚遇されているのか?などと思ってしまった。そのあたりのバランスはありそうだが、まあわからないことを考えても意味がない。そしてオモイノカケラを叩いていて思ったのだが、宙の顔のモデリングがえぐいほど良いということだ。夏目もいいのだが、あんスタの3Dはやはり小さな子供の顔が基調だと思うので、ということを差し引いても宙の顔のパーツ配置や輪郭が黄金比すぎる。夏目も童顔なのでいい感じだが、追加ユニットゆえのモデリング改良を受けているのだろうか。つむぎは成人男性のため、他のキャラと同じくややアンバランスだが、とにかく宙の顔の美しさが群を抜いている。どの角度から映されてもあまり現実の比率と齟齬がない。Rabbitsには感じたことがない感覚なので、やはりモデリング技術のなんらかの向上があるのか、宙だけ異様にうまくできてしまったのか…とまた考えても答えのないことを考えている(もしかしたらどこかのインタビューに答えがあるのかもしれないが)。そうなるとmusicで追加されたALKALOID、CrazyBの面々のモデリングもかなり改良されていそうなものだが、こちらには童顔(小柄)キャラがいない。一彩、藍良、こはく辺りはやや童顔系だが、宙ほど幼くはないので、やはりいつものやや幼さのある謎のバランスの悪さが発揮されている。成人男性モデル組はそもそも変。私は変だと思っているが、これがあんスタのモデリングなので別にいいと思う。顔も体も、なぜか立ち絵よりも幼く作られているのは、どんなコンセプトがあるのかいつか知りたいところである。というか、アイマスからの「少女型」モデリングをそのまま継承しているイメージでもある。これはモデリングをする人の手癖とかもあるのかもしれない。
SPECTATORS vol.52のアメリカ保守リベラルの年代まとめを終えた。1929年のウォール街大暴落までは、自由奔放な野蛮な(素朴な)アメリカ、その後ルーズベルトのニューディール政策により「大きな政府」=リベラルの時代が約40年続く。1980年代になり、ベトナム戦争の敗北や全体的な生産力の低下、アメリカ内部の分裂が深刻になり、「古き良きアメリカ」への懐古と、いきすぎたリベラルへの反動で、レーガンの「小さな政府」へ。ここから現在にいたる約40年間が保守の時代。こうしてまとめると、いろいろと見えてくるものがある。つまり、私が生まれた時代というのは強烈なアメリカ保守への揺り戻しの時代で、まさに自由市場主義が推し進められた、それも過剰に推し進められた「小さな政府」の時代だった。そして、失われた30年間とかなんとか、日本では言われるようになる。が、アメリカでは依然保守が強いので、日本の政党もかなり右傾化したままここに至っている。日本では経済成長が終わり、デフレ真っ逆さまのなか、「小さな政府」路線からなかなか脱却できず、福祉や公助で人々を救うのが遅れに遅れ、その間も自由市場主義によって格差はどんどん拡大した。これが私が生きてきた35年ほどの日本の状況だったように思う。この最悪な状況のなかで、確かに精神を病む大人(親)は多かったし、その煽りを受けて家庭内虐待が大量発生し、私たちの世代(子)もかなりの割合で、若い(子供の)うちから精神疾患を発症している。おそろしい時代だと思う。これから、格差拡大により増加した貧困層にいかに税金を割いていくか、を考えなければならないのに、日本は高齢者への福祉にかなり足を取られている。この状況はあと20年ほどは続くだろう。若い人たちは限られた自分たちに使える税金をいかに分配するか、工夫しなければならない。こんな状況で被虐待児や元被虐待児に支援を、と言っても、とてもそんなところまで手が回らないと言われるのはすごくよくわかる。とくに虐待なんて、誰もが関わりたくないトピックだ。それは、「虐待者が悪い」と言ったときに、その虐待者が権力者であった場合、指摘した側、子供を助けようとする側の立場が悪くなるから。しかし、被虐待者である子供の側には、何の権力の後ろ盾もない。親と子が争った場合、ふつうに負けるのは子供の方である。そして虐待死に至るか、虐待を耐え続け逃げ延びても、その先で精神疾患になり自殺する。または自殺と常に隣り合わせで地獄を生きていくことになる。それでも、そんなことはどうでもいいとばかりに、児相は動いてくれない。これがなぜなのか私には全然わからない。児相がふつうに仕事をしてくれたら、虐待の被害はもう少し減るだろうし、こんなに民間で自助しなければならない構造は変わるだろう。児相が機能していない背景には、やはり、親権規定の強力さがあると思う。親権規定がある限り、児相がいくら子供を助けたいと思っても、親から子供を引き離すことはできない。親の虐待が検挙されるか、親がyesと言わなければ、子供を施設で保護することはできない。加えて施設も里親の数も足りない。日本にはとにかく血の繋がった子でなければ愛せないという神話が未だに渦巻いており、養子文化は全然ない。またはそれは悪いこと、恐ろしいことと思われている側面さえ感じる。私には理解できないが、血が繋がっていればその子供を愛せるらしいし、血が繋がっていなければ、その子供に対してどこか投げやりになるということなのだろうか。そんな人間ばかりではないと思う。みんな犬や猫を家族として受け入れているんだから、人間だって血が繋がっていなくても家族になれると思う。かかる金の桁が違うが、「自分の子」として受け入れるなら、愛情は注げるはずだし、誰の腹から生まれたかがそこまで重要なのか?と、養子反対の感情は私には本当に理解できない。私がさっさと結婚して養子を育てれば話は早いのだが、そもそも30代後半の精神障害者が結婚することがかなり難しいので、そこを強行突破できればいいのになあといつも思っている。あと30代後半の精神障害者と結婚してくれるような男というか、30代後半の女と番いたいと思う男に基本的にはまともな人は残っていないので、そういう男と結婚するのは憂鬱だなあと思っている。ここで虐待が再生産されたらなんの意味もない。養子縁組や里親は私以外の健全な人間たちにぜひお願いしたいと思っている。私は自分が養子を取るという面においてはあまり虐待問題に貢献できなさそうなので、仕事で被虐待者の支援を請け負う人間になりたいと思う。本当は自分の好きな仕事をして好きな人と結婚して子供を産んでまあふつうの家庭や家族をやってそれなりの人生を送りたかったのだが、それは無理だったので、せめて自分にできることを、と思っている。このような体力のない精神障害者でも、いないよりはいたほうがいい。0よりは、0.1でも、力はあったほうがいいのだと思っている。自分のためだけに生きられる人間だったらもっと楽だったと思う。でもたまたまそうは生まれつかなかった。自分の仕事をして、余暇で趣味をする。本来なら人間の生活とはそれでいいはずだ。でも、私はそうではなく、とにかく子供たちや、今も苦しむ大人たちを少しでも楽にしなくては、と思っている。それは自分にその経験があるから共感しているからなのかもしれないし、過去の自分を救済したいからなのかもしれない、それはどうでもいいのだが、とにかく、1秒でも早く、苦しんでいる誰かを実際的に救わなくては、と思う。この感情に駆られず生きられたらとても穏やかなんだろうなと思うが、たまたまそうは生まれなかったので仕方ないと思う。なんでみんな自分のことだけ考えていられるんだろう、自分が幸せならそれでいいんだろう、と不思議に思う。逆に、私も不思議に思われているはずだ、なぜ他人の救済を義務のように感じているのかと。もうこれはお互い生まれつきなので、お互い根本からの理解は不可能だと思う。
「自分にケアが必要な人ほど、他人を助けたがる」と苦言されたことがあった。でもそれは仕方がないと思う。他人を助けたいあまりに自分がダメージを受け、そのダメージが回復していないとしても、まだ他人を助けようとしてしまう、根源は同じだ。自分のケアをある程度まで進めてからでなくては共倒れになるのだから他人を助けることなど到底できない、と鼻で笑われたとしても、実際その通りなのだが、でも強烈に他人を助けなければという思いは消えない。その為にも私は自分を立ち直らせることを急いでいる。共感性の高い人がそうなりやすいと思う。自分が傷ついた経験から、他人の傷をこれでもかと想像できてしまい、その苦しさがわかるからこそ、助けたくなる。その人が少しでも楽になれば、共感によりこちらも少しは楽になる。その人が苦しんでいればこちらも苦しい。共感性も生まれつきのものだと思うので、これは仕方のないことだと思う。
共感性の高い人間には、おそらく、共感性の低い人間の感覚はわからない、逆もまた然り。利他的な人間には利己的な人間の感覚はわからない、逆もまた然り。これはどちらがいいとか悪いではなく、単に生まれつきが違うだけだからそうなってしまうのだ。そこで分断されずに、ただ、あなたはそうなんだね、とお互いの特質を理解して尊重するだけでいいと思う。私は共感性が高く、利他的な人間に生まれついたが、これがマイノリティであるということはさんざん今までの人生でわからされてきた。そして、自分も、自分と違う感性を持つ人も、別にどちらも悪くないし、どちらも正しい、みんな、自分の生きたいように生きればいいということをわかっている。
2023.1.29
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読書の記録
(日本人)かっこにっぽんじん 橘玲
想像していたよりも壮大なテーマ。
データ等を駆使し、世界情勢や歴史、宗教等様々角度から語っています。
私の頭では、ちょっと入り込めない部分もあり、中盤からダルダルな感じでなんとか読了。
そのまま記録に残すかしばらくダルダルしていたけど、見返すと興味深い内容もあったので、メモを残すことに。
新型コロナ騒動よりずっと前に書かれた本ではありますが、ウイルスのことについても触れていまいた。
【メモ】
✏日本人は戦争が起きても国のためにたたかう気もないし、自分の国に誇りも持っていないのだ。
✏貨幣空間の拡大(市場原理主義)というのは、世界の歪みを平準化する運動のことだ。 経済のグローバル化は北と南の経済格差を解消させる巨大な圧力だ。しかしこの無慈悲な市場メカニズムは、経済的な弱者を振り落とすことで先進国のなかの格差を拡大させていく。 たとえ世界全体が幸福になったとしても、ひとは自分が(相対的に)貧しくなることに耐えられない。その意味でグローバル化は、私たちの生活を破壊する侵略者なのだ。
✏貨幣空間が拡張するのは、私たちがそれを望むからだ。ほとんどのサービスが貨幣で購入できる社会では、親戚づきあいは不要になり、友だちとの関係もドライになっていく。ようするに、ベタな人間関係は面倒くさいのだ。 だがそれと同時に、私たちはこのような”無縁社会”に根源的な不安を感じてもいる。ヒトは長い進化の歴史を通じて、ずっと集団(共同体)のなかで生きてきた。群れからの追放は、ただちに死を意味した。ヒトは一人で生きていけるようにはできていないのだ。
✏ヒトは確率的な出来事をうまく理解できない
✏ウイルスが宿主を病気にさせるのは、咳やくしゃみ、下痢といった防御機構を作動させるためだ。宿主が体内からウイルスを排除しようとすることで、手足のないウイルスは遺伝子を他の宿主に移植させることができる。 このことから、ウイルスや病原菌など「寄生者」の目的が、宿主を殺すことではないことがわかる。
✏しかし感染症とのこのたたかいに、人類が最終的な勝利を収めることはけっしてない。それは、寄生者の生き残りの戦略のほうがはるかに巧妙で強力だからだ。 寄生者の武器は、数が膨大なことと寿命はきわめて短いことだ。頻繁に世代交代を繰り返すことで進化の速度は上がり、新種の抗生物質に対しても、たちまちのうちに抵抗力を持つ細菌やウイルスが現れる。
✏狩猟採集生活では、穀類や果実、動物の肉などから炭水化物やビタミン類、たんぱく質を摂取したが、脂肪や砂糖などはきわめて稀少だった。そこで私たちの脳は、このような得がたい機会に遭遇したときは、可能なかぎり多く食べるよう命令を下す。「甘いものを食べると幸福な気持ちになる」のは、大量摂取を促すプログラムなのだ。
✏白人とニューギニア人のあいだに人種的な優劣があるのではなく、歴史や文明は地理的な初期条件のちがいから生まれた
✏だがこれは、彼女たちにとってはファッションの問題ではなかった。みんながルーズソックスのときに、一人だけストレートソックスをはくのは危険なのだ。本人たちが意識しているかどうかは別として、彼女たちは”生き残る”ために同じ髪型、同じヘアメイク、同じソックスに揃えようとしたのだ。
✏ニスベットは、その他の実験においても、西洋人がこのような「分類学的規則」を素早く見つける傾向があることを明らかにした。それに対して東洋人は、規則を適用してものごとをカテゴリーに分類することが苦手で、そのかわり部分と全体の関係や意味の共通性に関心を持った。 (中略) 西洋人は世界を「名詞」で考え、東洋人は「動詞」で把握しようとしているともいえる。
✏西洋人の認知構造が世界をもの(個)へと分類していくのに対し、東洋人は世界をさまざまな出来事の関係として把握する。この世界認識のちがいが、西洋人が「個人」や「論理」を重視し、東洋人が「集団」や「人間関係」を気にする理由になっている。
✏インドで興った仏教は、中国で漢訳される際に変容し、日本に伝来したときにもういちど変容した。これは、もともとその国のひとたちが持っていた認識構造に合った思想しか受容されなかったからだ。
✏風光明媚な自然を愛でる日本人には、この世界を穢土とする思想はまったく理解不能だった。そこで日本の仏教者は、仏へと至るステップをひとつ飛ばし、現世をいわば極楽浄土に格上げすることで、死ねばすぐに(修行抜きで)仏になれるようにしたばかりか、生身の肉体のままで究極の悟りを得る「即身成仏」の思想まで”創造”した。
✏私たちは快適な家に住み、季節に合わせた服を着て、山海の珍味を楽しんでいるが、そのなかで独力で獲得できるものは数えるほどしかない。高度な文明社会では、ひとびとは”無力”になることでゆたかになっていく。 狩猟採集の民が現代人と遭遇したら、彼らは私たちがなにひとつできない(火を起こす方法すら知らない)ことを笑うだろう。
✏真の意味でのグローバルな宗教は、キリスト教と、ムハンマドが新たな預言を得て聖書を再解釈したイスラム教のふたつしかない。仏教は「法治」によって、儒教は「人治」によって身分や民族の壁を越えようとしたが、そこでは「神」が世界を支配しているわけではない。
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今年の8月末日、短編小説と音源がセットになった『JAGUAR』というZINEを制作した。200冊限定ナンバリング入りで、現時点(10/13)での在庫が30冊程度となった。ところが4月にリリースした『ほんまのきもち』と違って、本作についての感想がほとんど聞こえてこない。もちろん直接口頭、あるいはソーシャルメディアのダイレクトメッセージで読後感を伝えて下さった方々は沢山いる。しかし書評と呼べるものは実はいまのところ皆無に等しい。批評することを躊躇わせる斥力のようなものが作品に内包されていたのかもしれないと密かに勘繰ってみたりした。虚しかった。そこで、である。敢えてこの場を借りて、稀有で貴重な『JAGUAR』評を紹介しようと思い立つ。当ブログへの転載を快諾してくれた評者の方々にはとても感謝している。ほんまにありがとう。早速おふたりの素晴らしいレビューを読んで頂きたいのだが、いましばらく当方の四方山話にお付き合い下さい。
まず最初に『JAGUAR』という物語がかれこれ10年以上も前に執筆していたものであるということを前提に、すでに読んで下さった方々には当時の僕の意識混濁っぷりが窺い知れる内容になっていると思う。ビルメンテナンス会社の営業職に就いて忙殺される日々、精神と肉体が泥のように疲弊していくなかで書き上げた小説。大袈裟でなく、このままでは生きるという行為を自ら手放してしまうのではないかという危うい精神状態だったが、幸運にも当時に知ることができた偉大な哲学者、思想家、精神科医たちの言葉に背中を押され、結果的に今日まで生きのびた。以下に引用した名著の言葉たちが『JAGUAR』と僕を根底から支え、励まし、作品を世に放つ機会を与えてくれた訳だ。特に大気を裂く稲妻のように強烈な『千のプラトー』は、書かれている内容がわかるわからないというスノッブな価値観を遥かに超越した位置から自分を叱咤激励してくれた。こんなにぶっ飛んだ内容の読み物は他にないし、未読の方は絶対、ぜぇぇったいに読んでほしい。
小説は、自分の名も、自分が探しているものも、していることも、すべて忘れ、記憶喪失、運動失調症、緊張症となった登場人物、なすすべを知らない登場人物の冒険によって定義されてきた。(中略)。宮廷愛小説の騎士のすることといえば、自分の名前、自分がしていること、人が自分に言ったことを忘れることであり、どこに行くのか、誰に話しているのかも知らずに、たえず絶対的脱領土化の線を引き、またたえず道を失って立ち止まりブラック・ホールに転落することである。『千のプラトー』ドゥルーズ+ガタリ著
各人は、他者の世界の中での一客体であるばかりではなく、自分の世界の中で自分の体験や構成や行為がそこから生じるところの、時空間における一つの場所でもある。人は自分自身の視点をもった自分自身の中心である。そしてわれわれが見つけたいと思っているのは、まさに、他人と共有する状況において各人がもつところのパースペクティヴである。『狂気と家族』R.D.レイン/A.エスターソン著
私にはひとつ、ことばを≪見る≫という病気がある。ある風変わりな欲動があり、それは、願望がまちがった対象に向かうという点で倒錯的な欲動なのだが、そのせいで、本来なら単に聴くべきものが、私には一種の≪ヴィジョン≫として現れるのだ。(中略)。言語活動に関して、私は自分が幻視者で、また、のぞき見の倒錯者であるような気がしている。『彼自身によるロラン・バルト』ロラン・バルト著
そして小説版『JAGUAR』と一蓮托生の身である特級呪物、音源版『JAGUAR』については、僕が最も敬愛する女性DJにその制作を依頼した。マルコムXの演説を逆再生させたところから始まるMIXは、いくつかの世界線が交錯と混濁を繰り返し、正気と狂気の狭間を湿気をたっぷり含んだ低空飛行でかいくぐり、やがてひとつの景観ヘと辿り着くまでの過程をコラージュを交えた手法でドキュメントした、とんでもない内容に仕上がっている。揺るぎないベースライン、不意に降り注ぐ天啓となる言葉の数々、妖艶極まりない夜の気配、そして匂い。ぜひとも爆音で体験してほしい。以上のことをふまえて、OBATA LEO、moanyusky両名による書評をご覧下さい。
「JAGUAR」評① :評者OBATA LEO(ROLLER SKATE PARK作者)
土井政司の新作「JAGUAR」を読んだ。内容の理解云々以前にまず、地を這いずるような具体性の塊、描写に喰らった。自分が普段労せずざっくり物事を把握するための便利な道具として使っている言葉という同じものを使って、この作品はレンズのように細密にものを描き出す。ひとがきちんと見ずに済ませているような部分にまで光を当てる。そんな驚きもありつつ、やはり気になる。「JAGUAR」とは何なのか?
-「彼女は常に超越的な地位にあり、私たちとは隔たれた外部に位置している。そうであるにもかかわらず内部であるここにも存在しているのだからタチが悪い。絶えず外にいて内にあるもの、それがJAGUARだ。」最も端的にJAGUARについて書かれたこの部分を読んで、体内・体外の関係を想起した。普段「体内」と何気なく口にしているが、胃袋のように体には空洞がある。皮膚や粘膜などの体表に覆われて血液が流れている内部を体と呼ぶのだとしたら、その空洞は体に囲まれた「体外」ともいえて、私たちは体内に体外を抱えているという言い方もできるというわけで。それで繋がるのは、口腔内の歯の溝に落ちたタブレットを舌で触る場面である。「体内」でありながら自分では視認することのできない、舌で探るしかないその空間は確かに「体外」であるし、JAGUARもまた、己にとって内なるものでありながら断絶した他者でもあるような何かとして捉えられるのかもしれない。そんな線で読んでいくと、-「だが実際に私の目の前で何者かの手によって鍵の施錠は実行され、おまけに用心深くレバーハンドルを何度か動かしてしっかりと鍵がかかっていることを確認した。」という作品の終盤に出てくるこの部分で、文法的なエラーに感じる違和感は、そのまま私とJAGUARとの関係の違和感そのもののように思えてくる。得体の知れない何かに鍵をかけて、何食わぬ顔で電車に乗って仕事場へ行くなかでの体の軋み、のような何か。体といっても、いわゆる「(近代的な)身体」というキーワードで片付けるにはあまりに繊細な、大いにパーソナルな部分を含む体の感覚が、この作品にはあると思う。
出かけた「私」は、電車のなかで女性が着ている服のボーター柄の反転を目にするが、ここまで読み進めてくると、気持ちの良い幻惑に襲われはじめる。異常にディティールが詳しいのでそうと気づいていなかったが、やはりこのフィクションの中で起こる出来事たちは、出来事の形をとった何か夢やイメージのようなものだったのではないか。そして冒頭のリフレインまで突き当たると、この作品は初めから何についての話だったのだろうかと、今までひとつひとつ理解しながら読んできたはずの物語が全く違う相貌を携えているように見えてくる。そんなぐにゃんとした気持ちになるのは、良い小説を読む醍醐味のひとつだ。
「JAGUAR」評②:評者 moanyusky(音楽レーベルprivacy主催)
当たり前の様に無造作にある事で、それを見るか見ないか、それだけのことだと思います。土井政司の最新作「JAGUAR」を読みました。ここではJAGUARとなっていますが、人によってそれの名称は変わると思っています。よくわからぬ相手との対話や闘いがあるかどうかというところが、この作品の感じ方が分かれるところだと思っていて、私はどちらかといえば、その相手に困らされた事があったので、この作品を読んで、え!土井さんもやったんやとびっくりしました笑。ここは勘違いして欲しく無いところなのですが、人それぞれという言葉があるようにそれは一緒ではないのですが、構造はかなり近いと言ったような事でした説明がつかないわけですね。私は人の「想像」は人を殺しにかかるような死神として、隙があれば、それは現れるわけです。世の中ではアートであったり、想像力は良いように言われていますが、全くもってそれは何かが隠されているわけで、私は良かった試しが無いわけです。出来れば普通のルートで現代社会を楽しみたかったです。でも多分知っていくという事はそういう事なのかもしれない。想像力に悩まされてきた身としては、この作品は、別の場所で、それと闘って、きっちり答えが出ているというところ、しかも、10数年前の作品という事で、私は土井さんに出会って、色々な対話を交わして、初めて彼の濃厚な苦悩との生活に出会う事となったわけです。各人の時間軸が理解の範疇を超えて、重なり合って手を取ったのだと思っています。その時に置いてきぼりになってしまう、その真ん中で産まれゆく、刻まれた何かがずっとどこかで成長していたら、人は正気を保てるだろうかと思ってしまいます。誰かが入ったであろう、部屋のノブをあなたは回せるかどうか。私はそれには名前をつけなかったが、もう二度と会いたくないですし、いつまた来るのだろうと、恐れを感じます。彼は人が地面を無くした時に現れるように思います。浮遊した瞬間、命をもぎ取ろうとする。
でもそれはオカルト的なアレとか、スピリチュアル的なアレなんてものではないのですね。確実に自分、自分を構成する設計図の謎のようにも思え、それが薄らぐために生活をやり、音楽をやり、愛し合い、話し合い、何かを育てるのだと思います。現実社会で経験した摩擦は地面をはっきりさせ、そいつのいる世界から距離が出て、薄めてくれるように思うわけです。だからこそ。JAGUARの言葉を借りれば「痛みと不安から自分自身を取り返し、その自分に立ち止まるために語りを紡ぎ出す」。が救いの言葉となっているように思います。2部構成で出来上がる、この作品のバランス感覚は、人と創作の関係性をSFとして描いているように感じます。同じ場所にて語る事は嫌がられるかもしれませんが、私が映画を観に行った時に続々と子供たちが外へ出て行った宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」を出したタイミングと、土井政司がこれはいけると思ったタイミングで出されたJAGUAR。それは何もかもを抜きにして考えると、世の中の人たちに対して彼らは同じことを思っているのだと思います。今それを出さなければならなかった。その「灯り」の意味を考えなければならないのです。
〆はもちろんこの曲で!
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#45. ハロウィーンは祝っても問題ないのでしょうか。
https://seishonyumon.com/movie/2608/
Q. 質問
ハロウィーンは悪魔的なものを取り扱っており、危険だから祝うべきではないという人と、何も問題はないという人がいます。 どう考えればいいですか。
A. 回答
ハロウィーンとは、毎年10月31日に行われる祭りのことです。日本でも、コマーシャリズムに乗って急速に広がってきました。「聖書に書いてある祭りだ」と誤解されている方さえおられるほどです。アメリカでは、両親は自分の子どもにこの祭りに参加させるかどうかで、大いに悩みます。特に、クリスチャンの場合はそうです。
さあ、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、ハロウィーンの起源は異教的なものです。
約2000年前の古代ケルト人の祭りが起源だと考えられています。元々は、秋の収穫祭でした。特に、この収穫祭の時期には、「自然界と超自然界の垣根が取り払われる」と考えられていました。つまり、生きている人が死者と交流できる期間、そして、死者との交流を通して未来を覗き見ることができる期間、と考えられていたのです。
また、悪霊の追い出しや、魔女の存在といったような異教的な意味合いのものが、この時期に人々の関心の的となりました。ですから、ハロウィーンが危険だという人がいるのは当然なのです。
2番目に、ハロウィーンは、現代(特にアメリカ)では民間行事として定着しています。
現代のハロウィーンは、元々の由来とは無関係に、「子どもたちが楽しむ祭り」となっています。祭りの期間、子どもたちはさまざまな姿に変装し、家々を訪ね歩いてキャンディをもらいます。私も、高校時代にアメリカに滞在していたときに、大変楽しい体験をした覚えがあります。
ハロウィーンを祝う方々は、「ハロウィーン自体に宗教的な意味合いはない」と考えています。そういう意味で、ハロウィーンに違和感を覚えない人たちがいるのも、当然なのです。
つまり、ハロウィーンに関しては、危険視する人と、平気な人と、両方いるということです。ですから、この質問は、私がどちらに答えても、必ず批判されるものなのです。
3番目に、個人的には「第3の道」を選びたいと思います。
ローマ人への手紙14章で、パウロは「中心的なテーマでなければどちらでも良いのだ」というような話をしています。これを私は、「グレーゾーン」と呼んでいます。グレーゾーンに属する問題は、各人が判断すべきことです。ですから、「それが罪だ」と考える人は、この祭りに参加すべきではありません。「問題はない」と思う人は、自分の良心と信仰に照らして参加してもいいわけです。そして、互いに相手の選択をあれこれと批判すべきではありません。
もし、クリスチャンが問題はないと思ってこの祭りに参加する場合は、最低限、異教的な要素を排除する努力はすべきだと思います。例えば、ジャック・オー・ランタンというものがあります。カボチャをくり抜いて作ったランタンですね。あれは、「悪霊どもがやってくるときに、道を間違えないように光を与える」という考え方もありますから、要注意です。さらに、魔女や化け物などの衣装を子どもに付けさせることも、控えたほうが良いと思います。
同時に、キリストの愛と光を伝えるチャンスとしてこれを用いることもできると思います。ハロウィーンを「収穫祭」として祝うことは可能でしょう。つまり、福音を伝える機会としてこの祭りをポジティブに用いるということです。
参考になる聖句
「あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです」(ローマ人への手紙14:1〜2)
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各地句会報
花鳥誌 令和5年5月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
厨女も慣れたる手付き雪掻す 由季子 闇夜中裏声しきり猫の恋 喜代子 節分や内なる鬼にひそむ角 さとみ 如月の雨に煙りし寺の塔 都 風花やこの晴天の何処より 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 長すぎるエスカレーター早春へ 久 立春の市の算盤振つてみる 要 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ きみよ 伊達者のくさめ名残りや南部坂 眞理子 慶應の先生眠る山笑ふ いづみ 豆源の窓より立春の煙 和子 供華白く女優へ二月礼者かな 小鳥 古雛の見てゐる骨董市の空 順子 古雛のあの子の部屋へ貰はれし 久
岡田順子選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ 同 大銀杏八百回の立春へ ���樹 豆源の春の売子が忽と消え 同 コート脱ぐ八咫鏡に参る美女 きみよ おはん来よ暗闇坂の春を舞ひ 俊樹 雲逝くや芽ばり柳を繰りながら 光子 立春の蓬髪となる大銀杏 俊樹 立春の皺の手に売るくわりんたう 同 公孫樹寒まだ去らずとのたまへり 軽象
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
敬な信徒にあらず寒椿 美穂 梅ふふむ野面積む端に摩天楼 睦子 黄泉比良坂毬唄とほく谺して 同 下萌や大志ふくらむ黒鞄 朝子 觔斗雲睦月の空に呼ばれたる 美穂 鼻歌に二つ目を割り寒卵 かおり 三路のマネキン春を手招きて 同 黄金の国ジパングの寒卵 愛 潮流の狂ひや鯨吼ゆる夜は 睦子 お多福の上目づかひや春の空 成子 心底の鬼知りつつの追儺かな 勝利
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月6日・7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
潮騒を春呼ぶ音と聞いてをり かづを 水仙の香り背負うて海女帰る 同 海荒るるとも水仙の香の高し 同 坪庭の十尺灯篭日脚伸ぶ 清女 春光の中神島も丹の橋も 同 待春の心深雪に埋もりて 和子 扁額の文字読めずして春の宿 同 砂浜に貝を拾ふや雪のひま 千加江 村の春小舟ふはりと揺れてをり 同 白息に朝の公園横切れり 匠 風花や何を告げんと頰に触る 笑子 枝川やさざ波に陽の冴返る 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月8日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
雪を踏む音を友とし道一人 あけみ 蠟梅の咲き鈍色の雲去りぬ みえこ 除雪車を見守る警備真夜の笛 同 雪掻きの我にエールや鳥の声 紀子 握り飯ぱりりと海苔の香を立て 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
東風に振る竿は灯台より高く 美智子 月冴ゆる其処此処軋む母の家 都 幽やかな烏鷺の石音冴ゆる夜 宇太郎 老いの手に音立て笑ふ浅蜊かな 悦子 鎧着る母のコートを着る度に 佐代子 老いし身や明日なき如く雪を掻く すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
朝光や寺苑に生るる蕗の薹 幸風 大屋根の雪解雫のリズム良き 秋尚 春菊の箱で積まれて旬となる 恭子 今朝晴れて丹沢颪の雪解風 亜栄子 眩しさを散らし公魚宙を舞ふ 幸子 流れゆくおもひで重く雪解川 ゆう子 年尾句碑句帳に挟む雪解音 三無 クロッカス影を短く咲き揃ふ 秋尚 あちらにも野焼く漢の影法師 白陶 公魚や釣り糸細く夜蒼し ゆう子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
犬ふぐり大地に笑みをこぼしけり 三無 春浅しワンマン列車軋む音 のりこ 蝋梅の香りに溺れ車椅子 三無 寒の海夕赤々漁終る ことこ 陽が風を連れ耀ける春の宮 貴薫 青空へ枝混み合へる濃紅梅 秋尚 土塊に春日からめて庭手入 三無 夕東風や友の消息届きけり 迪子 ひと雨のひと粒ごとに余寒あり 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浅春の眠りのうつつ出湯泊り 時江 老いたれば屈託もあり毛糸編む 昭子 落としたる画鋲を探す寒灯下 ミチ子 春の雪相聞歌碑の黙続く 時江 顔剃りて少し別嬪初詣 さよ子 日脚伸ぶ下校チャイムののんびりと みす枝 雪解急竹はね返る音響く 同 寒さにも噂にも耐へこれ衆生 さよ子 蕗の薹刻めば厨野の香り みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月14日 萩花鳥会
水甕の薄氷やぶり野草の芽 祐子 わが身共老いたる鬼をなほ追儺 健雄 嗚呼自由冬晴れ青く空広く 俊文 春の園散り散り走る孫四人 ゆかり 集まりて薄氷つつき子ら遊ぶ 恒雄 山々の眠り起こせし野焼きかな 明子 鬼やらひじやんけんで勝つ福の面 美惠子
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令和5年2月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
吹雪く日の杣道隠す道標 世詩明 恋猫の闇もろともに戦かな 千加江 鷺一羽曲線残し飛び立てり 同 はたと止む今日の吹雪の潔し 昭子 アルバムに中子師の笑み冬の蝶 淳子 寒鯉の橋下にゆらり緋を流す 笑子 雪景色途切れて暗し三国線 和子 はよしねまがつこにおくれる冬の朝 隆司 耳目塗り潰せし如く冬籠 雪 卍字ケ辻に迷ひはせぬか雪女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
指先に一つ剥ぎたる蜜柑の香 雪 大寒に入りたる水を諾ひぬ 同 金色の南無観世音大冬木 同 産土に響くかしは手春寒し かづを 春の雷森羅万象𠮟咤して 同 玻璃越しに九頭竜よりの隙間風 同 気まぐれな風花降つてすぐ止みて やす香 寒紅や見目安らかに不帰の人 嘉和 波音が好きで飛沫好き崖水仙 みす枝 音待てるポストに寒の戻りかな 清女 女正月昔藪入り嫁の里 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月17日 さきたま花鳥会 坊城俊樹選 特選句
奥つ城に冬の遺書めく斑雪 月惑 顔隠す一夜限りの雪女郎 八草 民衆の叫びに似たる辛夷の芽 ふじほ 猫の恋昼は静かに睨み合ひ みのり 薄氷に餓鬼大将の指の穴 月惑 無人駅青女の俘虜とされしまま 良江 怒号上げ村に討ち入る雪解川 とし江 凍土を突く走り根の筋張りて 紀花 焼藷屋鎮守の森の定位置に 八草 爺の膝捨てて疾駆の恋の猫 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
古玻璃の奥に設ふ古雛 久 笏も扇も失せし雛の澄まし顔 眞理子 日矢さして金縷梅の縒りほどけさう 芙佐子 梅東風やあやつり人形眠る箱 千種 春風に槻は空へ細くほそく ます江 山茱萸の花透く雲の疾さかな 要 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 ぽつねんと裸電球雛調度 要
栗林圭魚選 特選句
紅梅の枝垂れ白髪乱さるる 炳子 梅園の幹玄々と下萌ゆる 要 濃紅梅妖しきばかりかの子の忌 眞理子 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 老梅忌枝ぶり確と臥龍梅 眞理子 山茱萸の空の広さにほどけゆく 月惑 八橋に水恋うてをり猫柳 芙佐子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
師を背負ひ走りし人も雪籠 雪 裏庭開く枝折戸冬桜 同 天帝の性こもごもの二月かな 同 適当に返事してゐる日向ぼこ 一涓 継体の慈愛の御ん目雪の果 同 風花のはげしく風に遊ぶ日よ 洋子 薄氷を踏めば大空割れにけり みす枝 春一番古色の帽子飛ばしけり 昭上嶋子 鉤穴の古墳の型の凍てゆるむ 世詩明 人の来て障子の内に隠しけり 同 春炬燵素足の人に触れざりし 同 女正月集ふ妻らを嫁と呼ぶ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
能舞台昏きに満ちて花を待つ 光子 バス停にシスターとゐてあたたかし 要 空に雲なくて白梅すきとほる 和子 忘れられさうな径の梅紅し 順子 靖国の残る寒さを踏む長靴 和子 孕み猫ゆつくり進む憲兵碑 幸風 石鹸玉ゆく靖国の青き空 緋路 蒼天へ春のぼりゆく大鳥居 はるか
岡田順子選 特選句
能舞台昏きに満ちて春を待つ 光子 直立の衛士へ梅が香及びけり 同 さへづりや鉄のひかりの十字架へ 同 春の日を溜め人を待つベンチかな 秋尚 春風や鳥居の中の鳥居へと 月惑 料峭や薄刃も入らぬ城の門 昌文 梅香る昼三日月のあえかなり 眞理子 春陽とは街の色して乙女らへ 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
ポケットの余寒に指を��んでをり 勝利 黒真珠肌にふれたる余寒かな 美穂 角のなき石にかくれて猫の恋 朝子 恋仲を知らん顔して猫柳 勝利 杖の手に地球の鼓動下萌ゆる 朝子 シャラシャラとタンバリン佐保姫の衣ずれ ひとみ 蛇穴を出て今生の闇を知る 喜和 鷗外のラテン語冴ゆる自伝かな 睦古賀子 砲二門転がる砦凍返る 勝利 小突かれて鳥と屋や に採りし日寒卵 志津子 春一番歳時記の序を捲らしむ 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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2023/3/6〜
3月6日 やっぱり紙に文字を書いて日記をしたい。 今日もわけもなくスカート出勤を無事果たした!
朝は少し雨が降っていて、レンガ舗装の道を滑らないように気をつけて歩いていたら、前から走ってきた自転車が目の前で滑って転倒して、とっても痛そうだった。それを見て「えーっ!!?」としか言えず、お互いにそれぞれのびっくりを抱えたままぎりぎり関わり合わずすれ違った感じ。
ポッドキャストで最果タヒのラジを聴く。 詩人ぽくない(?)ベタベタした喋り方がかわいい。俵万智のプロフェッショナル、B&Bの文月さんのトーク配信、歌人や詩人の方のコンテンツで楽しんでいる最近。 しんぺーさんが、詩を書き写す新習慣をお薦めしてくださったのを思い出す。 “都合の良い愛を使い果たせ”
突然年度末っぽくなり、いつもより遅く帰るともう営業していないと思っていた飲食店、いつもの時間はまだ営業時間外だっただで、今日はちゃんとお客さんが入っていた。 月が丸い。満月は明日らしい。
マスクを外しても良い(?)指令がそろそろ出ると聞いてびっくりした。早く保険の証明を得るために病院へ行きたいけれど、無駄にウイルス摂取したくなくて行けていない。
水野しずの結婚についてのnoteがよかったです。 能力者のやる結婚を見届けていたい。
3月7日 昔着ていて、なぜか捨ててしまったne-netのお洋服をネットで見つけ、謎のオンラインショッピングサイトで注文。カードは怖いので振り込みにしたところ、謎のメールが届く。“お手紙ありがとう”から始まるメール。メールの内容が日本語なのに意味がわからなくて怖い。
賞金(!)受注承認メールが決済システムから届く。支払いのシステムよくわからないけれど相手の会社で使っている決済システムにアカウントを登録して承認。こうゆうのって担当から案内メールとかこないのかな?長島先生とのレビューの日程調整もどうなっているのかな?
夏に修理したカメラの露出計がやはり動かないので、修理工房にメールを送る。
仕事以外の仕事みたいなメールって疲れが倍増。
今日は梅が香っていて良い天気の満月。 昨日より月の黄味が強い。
こんなにもお断りばかりしているのに、金曜日のスタバランチを誘ってもらって、やった〜、とお誘いに乗ってみる。
3月8日 東京出張と、神と印鑑が証明するものを運ぶために2カ所へ出向いた日。 出張先はこの案件がなければ出向くことのない町に違いなく、いつまでたっても行き方を覚えられない。今日は何となく流れで、ラインの返事やスケジュール調整をしながら出かけたら、途中で間違った路線に乗っていることに気がつき、少し反対方向へ戻ったり乗り換えたりした。 出張先では重いタブレットを持ちながらふらふらだったけれど、特段何もなくすぐ用件が終わってしまい、ただただご足労という感じ。 でも上司が「重いでしょ?」とタブレットを私の分まで持ち帰って��れた。女だからって甘えてはならぬ!の気持ちって、私は身体的に弱い面では全く思うことはなく、本当にしんどいので甘えさせてもらう。
このタイミングで仕事相手の方が突然「◯◯さん(私の苗字)名刺交換してませんでしたよね?」と話しかけてきて(いつも2人でいても上司にしかなぜか話しかけないんだよ!名前も呼ばないんだよ!)何なんだろう?と思った。気分かな。 ないことにしている人として貫けば良いのに!と、大人気ないことを思った。
先日大阪で会った友人が「思い立って今週末東京へ行きます!」とメッセージをくれた。
2件目の証明書を待つ間、テレビのワイドショーで花粉のことと女性デーのことを話していた。 まんまとミモザをお部屋に飾っています。
帰りの電車でうつらうつらしながら日記の文字起こしをしていたら、更新しなくては、と言っている自分がいて、あら立派!と思った。 それと、青木さんのことも書いていた。本当に残酷だけれど、青木さんのことをこんなにも思い出すようになったのはやっぱり亡くなったからなのかな?と思った。今読み返している最果タヒの詩を読んでも、忘れない、ではなく、思い出される、ひとになるには死んじゃうくらいしないといけないのかもしれない。
3月9日 3年ぶりの通院で昨日からずっともやもやそわそわしていた。 自分の体調が自分ではよくわからない。数値的には少し良くなく、なぜ何とかなってしまっているのか、なぜ良くなっていると体感できてしまっているのか、という感じ。 病院は待ち時間が長くて、数字がたくさん呼ばれていて、血を取られて口の中がずっと気持ち悪くて、疲れてしまって、気を紛らわすようにずっとiPhoneでやろうと思っていた生活のいろんなタスクを済ませた。 ずっとここにテーブルがあれば良いのにな、と思っていたところに置く用のテーブルをインターネットで購入できた。 病院の先生は、今私が住んでいるまちや、勤めているまちを面白がって、ゲームの世界みたいに真っ平、と言い、久しぶりにお会いしたからかも知れないけれど長い時間世間話みたいなお話をした。 今日はとても疲れた。
3月10日 花粉症になってしまった感がある。 お部屋のミモザもこの不快の根源に見えてきてしまうし、お薬のせいか、ぼやーっと心地よくい続けてしまう。
お部屋のレイアウトの正解が分からず、今日もデスクやベッドを動かしてバタバタと掃除をした。
お昼は同じ年齢くらいの方3人とお話をした。帰りは一期下の方と電車でお話をしながら帰ってきた。何を話して、その時自分がどう感じたか、を、確かめることなく、何かを噛み締めることなく、スムーズに他愛無くお話ができたので少し不安になっている。
上層の方々の人事異動が発表されて、ざわざわした。今日のところはそのことでかなりあたまがいっぱいで、ちゃんと社会人しているね。
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褐色属性を嫌わないでくれ
※注意※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 1. 気持ちが悪い話をするので、オタクがニチャニチャしてるのが嫌いな方はブラウザバックしてね
2. この記事には"褐色"というワードが頻繁に出てくるよ 途中で「クソ記事つまらん、読む価値ねえ」と思ったら"褐色"が記事中に何回登場するか数えながら最後まで読んでみよう!
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
無論こんなブログを書いている身なのでアニメに出てくる女の子が好きなんですよ 中でも特に好きな属性として褐色というのがあるのでちょっとキモ語りをば
褐色⊃黒ギャル 、褐色≠黒ギャル
淡麗な色白美少女に比べ褐色はそこまで人気の属性ではないのはわかってる...
ただひとつだけおっさんの小言を言わせてもらうと、黒ギャルだけが褐色じゃない
黒ギャルのイメージで褐色キャラといえばちょっと下品という誤解が若���ある気がする
むしろ褐色が性癖な人にも黒ギャル属性は苦手という人もいるくらい
褐色属性ってのは単に肌が少し浅黒いキャラを指すだけで、キャラの性格は作品でバラバラ
もちろんその中で黒ギャル属性が好きな人もいるけど、「褐色属性が好き」というのは一般に「このキャラが好き、更に褐色だからいいよね」という風な加点要素のことだと思ってる
そんなもんで、もし身近に「褐色が好きなんですよぉ~」という人がいたら安易に黒ギャルキャラを勧めないでやってほしい (というかむしろそんなキャラへの性癖を常日頃からオープンに話すのもどうかとは思うけど)
褐色属性、頭に浮かびますか?
褐色キャラの魅力を伝えるには皆さんがかつて見たアニメの褐色キャラを想像してもらうのが早いと思うんだけど
そもそも印象が強い黒ギャル以外で褐色キャラが思い浮かびますか...?
...
......
はい、そんなに出てこないよね それもそうで褐色キャラはわりと希少で「どんなキャラいたっけ」ってのがあると思うので...
イチオシ褐色キャラを並べさせてくれ!頼みます!! これをやりたいがために記事を書いてるんだよ!!
はい
じゃあ思いついた順にじゃんじゃん並べていきます
チョイ(たまこまーけっと)
たまこまーけっとに登場する南国から来た女の子。かわいい
けいおんのあずにゃんのそれと同系統の魅力がある、加えて褐色なので健康的で見ていて健康になる
阿波根うみこ(NEW GAME!)
プログラマ班の班長、主人公の青葉より年上のお姉さん。かわいい
2期から登場回数が増えてより魅力的なキャラになる。基本厳しいけどいい上司役という古き良きお姉さんスタイルのキャラクター
褐色!!!!丸眉!!!ほら、これが好きなんだろ!これが!!って感じが最高
ひびき(ダンベル何キロ持てる?)
この作品の主人公、筋トレを始めた無邪気な女の子。かわいい
この作品は全体的に露出が多くて、見ていて元気をもらえる。
ジャヒー(ジャヒー様はくじけない!)
タイトルの通り主人公、だいたい���わいそうな目にあっいる。かわいい
大人バージョンと子供バージョンの2形態あり、1作品で2度美味しいを味わえる。どちらもその肌が映えるような服装をしていてこの原作者から感じる並々ならぬ褐色愛が感じられる、いい
武本うるか(ぼくたちは勉強ができない)
シンプルなスポーティ元気っ子。かわいい
ハーレムものなのでひとりひとりはそこまで凝った属性をしていないからこそ、こういうスタンダードな褐色元気っ子いいよね
黒部夏美(先輩がうざい後輩の話)
大人な褐色お姉さん、おねショタのおね、かわいい
古き良き褐色金眼お姉さんなのに出たのは割りと最近、まさに温故知新
青沼ねいる(ワンダーエッグ・プライオリティ)
エリートでクーデレな女の子、かわいい
登場人物の中で一番女の子らしい格好してるくせに本人がクールぶろうとしているのがいい
ラルク(トップをねらえ2!)
トップをねらえ2の方に出てくるヒロイン、かわいい
だいたいノノとこの子がゴタゴタしてるせいであんまり明るい表情してる気がしないが、それはそれとしておでこがいい
長瀞(イジらないで、長瀞さん)
褐色でドSな後輩、かわいい
作品自体は主人公があまりに情けなさ過ぎて見てられなくなるが、それを補う長瀞さんの魅力でギリギリ見れたというものだった
でもどちらかというと黒ギャルに近い部類な気もする
遠井成美(はるかなレシーブ)
主人公ペアのライバルとなるクール系少女、かわいい
ビーチバレーを扱う作品上、必然的に露出が毎回多くなり健康的な褐色肌がたくさん見られる。同作品のかなたちゃんも褐色系でたいへん良い
ナディア(ふしぎの海のナディア)
海が似合う儚げかつわがままな女の子、かわいい
褐色の子と言ったらこの子だろうってくらい有名だが実際可愛い
ただ無人島編以降から以上にナディアのわがままが強くなってもはや暴君と化すので、ナディアというキャラを楽しみたいなら個人的にはノーチラス号編まででいいと思っている
夜一(BLEACH)
性癖破壊お姉さん、かわいい
褐色、紫髪、金眼、お姉さん...こんなキャラが夕方のアニメで流れたら少年たちの性癖はぐちゃぐちゃになっちまうよ...
黒猫からこのお姉さんに変身したときの衝撃はやっぱりスゴかった
夜一さんとソイフォンとのバトル好き
スレッタ(機動戦士ガンダム 水星の魔女)
褐色丸眉のニュービー、かわいい
つねにおどおどしているところとその容姿からネットでタヌキ扱いされている、めちゃカワ
ガンダムシリーズは全く見たことなかったが、スレッタに惹かれて見始めて無事ハマり今季の楽しみになっている
ネメシス(ToLoveるダークネス)
エッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ
ネメシスのせいで全部壊された。狂わされた。助けてくれ。
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Quote
相沢 友子(あいざわ ともこ、1971年5月10日 - )は、日本の脚本家。脚本家以前はシンガーソングライター、女優として活動していた。血液型はB型。東京都出身。 略歴・人物 高等学校在学中より文化放送でコンサート・リポーターを務め、詞を書いていたところソニーミュージックのスタッフに歌うことを勧められ、1991年3月、19歳の時にシングル「Discolor days」にて歌手デビュー[1][2]。その後、ホリプロ所属の女優としても活動しながら、4枚のアルバムを発表している。シンガーソングライターであり、加藤いづみとも親交が深く、アルバムにも楽曲を提供している。 デビューから長らく歌手兼女優であったが、ソニーとホリプロとの契約を解消し、フリーとなる。フリー直後に、ホリプロ時代のマネージャーに「小説を書き、賞を狙ってみては?」と勧められ、1999年に第15回太宰治賞の最終候補作に小説『COVER』がノミネートされた[2]。当時、相沢は「その当時は藁にもすがる思いでした。音楽の道がうまくいかなくて、事務所との契約が切れて、本当に一時期何もしてない時期があって。私はほぼ歌詞しか書いていなかったので、やれることといったら書くことだなと思って、小説『COVER』を書いた」と述懐している[2]。その結果���もって、前述のマネージャーの紹介で共同テレビジョンの小椋久雄に脚本執筆の指導を受け[1]、2000年に『世にも奇妙な物語』で「記憶リセット」で脚本家デビューした[2]。 2003年にアメリカ合衆国で発生した大停電を題材とするドキュメンタリー『ニューヨーク大停電の夜に』(NHKハイビジョン、構成・源孝志)で語りを務める[3]。その後、同事件をエピソードとして、2005年に源孝志と共同で映画『大停電の夜に』の脚本を手がけた[4]。 2009年に放映された『重力ピエロ』の脚本を手がけたきっかけについて、相沢がパーソナリティーを務めていたラジオ番組の常連リスナーで、伊坂幸太郎の担当編集者から、「素晴らしいからぜひ読んでほしい」と小説を送付され、即座に相沢が映像化を申し入れたとしている[5][注 1]。相沢によれば、「物語の肌触りは軽やか。けれど、世の中的な常識に人が流れされて生きていることへのロック魂が隠されていることに共感した」という[6]。伊坂は映像化に積極的でなかったが許諾し、最大の魅力を損なうことなく小説のコンテクストをそのまま映像に置換しようと努めたという[5]。なお、『読売新聞』の福永聖二は、「異論もあるだろうが、伊坂作品の精神を尊重しつつ、より自然な流れを作った」と評している[7]。 2013年に放送された『ビブリア古書堂の事件手帖』について相沢は、「ていねいに話を積み上げてファンタジックに作っていきたい」とし、古書業界の用語を各所に挿入するなどして、作品の世界観を伝えようとしたという[8]。また、剛力彩芽がキャスティングされたことについて、「たしかに栞子とは外見のイメージが違いますが、剛力さんは黙ってじっとしているとミステリアスなムードを持っている」とし、「彼女の“静”の部分を出すと新鮮なものになると確信できたので、栞子を剛力さんのイメージに近づけるのではなく、剛力さんが物語に寄り添っていけるような脚本を心がけ」たと述べている[8]。 2015年に放送された『私の青おに』について相沢は、「人の温かさが伝わるストーリー。高畠町の持っている風景の力強さを伝えたい」としている[9]。なお、主演で辻村莉子役を演じた村川絵梨は、「脚本を読んだ時から、すごく自分と重なる部分があって。そういう意味ではとても自然に莉子という役に向き合うことができました」と述べている[10]。 リアルサウンドのインタビューによれば、相沢はト書きに「私はうるさいぐらいに、『ここで相手を見る』とか、『ここで顔を上げる』とか、目の動きまで書く」とし、「あとは現場で好きにしていただいて構わないですけど、私のイメージはできる限り伝えよう」と演出に一任しているという[2]。また、以心伝心と言えるほど、互いに分かりあう役者や監督・演出家と仕事ができると嬉しいとし、『恋ノチカラ』で主演を務めた深津絵里に関して「天才的な役者さんですけど、びっくりするぐらい汲み取って返してくれて。自分の想像を超えてくるお芝居を役者さんがしてくれることもたくさんあります。お互いに響き合って、奇跡的に合致したときは感動しますね」と述べている[2]。 アーティストの友人に、加藤いづみや相馬裕子などがいる。 主な脚本作品 テレビドラマ 1999年 DG TV DI:GA「UNIVERSE」「SNOW KISS」「Love Things」 2000年 世にも奇妙な物語 春の特別編「記憶リセット」[11] 悪いこと「盗む」 やまとなでしこ[注 2][12] 2001年 17年目のパパへ[13] ココだけの話「不機嫌なめざめ」 私を旅館に連れてって[注 3][14] 江國香織クリスマス・ドラマスペシャル「温かなお皿」[注 4] 2002年 世にも奇妙な物語 秋の特別編「昨日の君は別の君 明日の私は別の私」[15] LOVE & PEACE(DVD)「君がいるだけで特別な街、特別な場所」「Thanks」 恋ノチカラ[5][16] 2003年 天国のダイスケへ〜箱根駅伝が結んだ絆〜[17] いつもふたりで[16] エ・アロール[18] 2004年 めだか[19] 2007年 秋の特別編「48%の恋」[20] 2008年 鹿男あをによし[5] 2010年 ギルティ 悪魔と契約した女[注 5][21] 2012年 鍵のかかった部屋[注 6][22] 2013年 ビブリア古書堂の事件手帖[注 7][8] 女と男の熱帯[23] 2014年 鍵のかかった部屋 SP[24] 失恋ショコラティエ[注 8][注 9][25] 2015年 紅雲町珈琲屋こよみ[26] 私の青おに[9] 2017年 人は見た目が100パーセント[27] 龍馬 最後の30日[28] 龍馬 最後の遺言 2019年 トレース〜科捜研の男〜[29] 2022年 ミステリと言う勿れ[30] 2023年 セクシー田中さん[注 10][30] 映画 2000年 世にも奇妙な物語 映画の特別編「結婚シミュレーター」[31] 2005年 大停電の夜に[注 4][4][32] 2009年 重力ピエロ[5][6] 2010年 東京島[33] 2011年 プリンセス トヨトミ[23] 2015年 脳内ポイズンベリー[34] 2017年 本能寺ホテル[35] 2021年 さんかく窓の外側は夜[36] 2023年 ミステリと言う勿れ[37] 配信ドラマ 僕だけが17歳の世界で(2020年、AbemaTV)[38] 金魚妻(2022年、Netflix)[注 8][39] ラジオドラマ LOVE = Platinum 恋愛パズル(2010年)[33]
相沢友子 - Wikipedia
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人類の『原初的在り方』を廃絶 - トランスヒューマニズム的アジェンダの目指すもの
ロビン・カイザー
オリジナル動画:https://youtu.be/OW2mCF7fbpg
公開日:2023年3月5日
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
親愛なる皆さん、
今しがた、人間の本来の在り方(原初的イデア)を廃絶しようとする試みをリストにまとめてみました。
この原初的イデアについては、他の文脈でお話ししたことがありますが、それは人間としての本質、私たちの本来の神的存在の本質に相当するものです。
現在、この地球上では、さまざまな方法、さまざまな手段を以て、この人類独自の在り方を廃絶しようとする試みが行われています。
その意味で、このビデオは他のものとは多少異なります。なぜなら、私は重要なポイントを押さえたテキストをベースにしており、人類の原初的在り方を廃絶しようとする個々のポイントを皆さんと一緒に一歩一歩進んでいきたいと考えています。
要するに、トランスヒューマニストのアジェンダと、彼らが人類の原初的在り方、つまり人間を人間たらしめるものを組織的に廃絶させようとしている個々のポイントを明確に把握することで、あなたはいつものように自分自身に注意を払い、何に共鳴するか、しないかを確認することができます。
1. 性別の廃止、第三の性別「divers (多様)」の導入。
お気づきの方もいらっしゃるでしょう。近頃、男性・女性だけでなく、divers(多様)、あるいは他の中性的な性的立ち位置(ジェンダーポジション)がチェックシートに追加されるようになりました。
そして、この混在と中立的なジェンダーポジションは、本来の人間的な在り方を廃絶しようとする一環です。なぜなら、私たちは中性のハイブリッド的存在ではないからです。
2. 人類の生殖能力への攻撃
ジェンダーカルトは人類の生殖能力へ組織的な攻撃が行われていることと密接に関係しています。とりわけ、女性の生殖能力ですが、男性の生殖能力も、さまざまな薬物や、遺伝子操作された食品を通して攻撃されています。人類は次の世代でますます不妊になることが予想されており、すでに提示されている解決策は、試験管ベビー、あるいは人工子宮です。
「私の子は目の色と髪の色と、こうした知能指数を備えているべきだ」と正確に構成し、それに応じた遺伝子を組み合わせて人工的に遺伝的に最適化された赤ちゃんを人工子宮で育てることができるのです。
それが、向かっている方向です。それが、トランスジェンダー・カルトが、介入や 遺伝子への出生前介入などを通じて、すでに今日、私たちに提供していることなのです。
そして、いつしかそれは我々の前にこのように提示されることになるのです: 「人類はますます不妊になり、自然な出産の過程でますます多くの遺伝的欠陥が発生しているのだから、試験管の中で子供を繁殖させる方がずっと安全で、ずっと良く、ずっと最適なのだ。」
これはトランスフォーマニストのアジェンダの中で非常に重要なキーとなるものです。
3. 家族の廃絶
項目2に並んで、家族の廃絶も非常に重要なポイントです。
子どもたちの養育は国家が完全に把握することになり、家族の絆、家族の結束、さらには文化の結束は解体され、普遍化されます。
教育システムを持つ国家が子どもたちの教育の役割を担うので、そういう意味での親や親の役割は、将来的には実はもう必要なくなるのです。
これもトランスフォーマニストのアジェンダの中で非常に重要なポイントです。
4. 国や文化の撤廃
この惑星、地球では地域を超えた規模で国や文化が撤廃されていっています。私たちはすでに、もはや国というものが存在しなくなってきているのを目の当たりにしており、個々の協同組合、個々の企業、個々の会社が、国や国の背後にある政治を完全に支配しています。つまり、デジタル権力複合体、企業複合体が存在し、その複合体は実際には国々を駒としてしか見ていません。その良い例が、現在ヨーロッパで起きていることです。
これが、トランスヒューマニストのアジェンダのもう一つのポイントですが、我々は「人類の原初的在り方とは何か」ということを常に心に抱いていてもいいはずです。本来のデザインにおける人間とはいったい何なのか?
そして今、人間の行動や特性をすべて体系的に廃絶して、この地球上で何が起きているのでしょうか?
そして、単一の世界政府によって、異なる国家や政府を撤廃すること、それが目標です。
単一世界秩序は何度も繰り返し述べられてきました。
私たちはこの方向へ高速で進んでいます。個々の国家や政府は全く発言することができず、影の政府、背景の政府が、チェス盤の上にこれらすべての個々の国を位置づけ、善悪の闘いのような幻想を私たちに見せているのです。
5. 各国通貨の廃止とデジタル管理された中央銀行貨幣の導入
このことについては、すでに他の人が詳しく扱っており、私は個人的には専門家ではありませんが、注意してください。ある時点から現金がなくなり、その後、通貨システムとして到来するものは、人間自身の自由の廃止を本当に意味するからです。
6. 異なる言語の廃止
異なる言語が廃止されることで、私たちの文化の言語的記憶も失われます。たとえば、ドイツ語圏でドイツ語を使わなくなり、すべてがアングラ化された形で別の文化圏に移されたとしたら、ある時点から私たちは自分たちの文化を覚えていられなくなることでしょう。
そして、トランスヒューマニズムのアジェンダが目指しているのは、最終的に英語が世界語になることです。そして、もはや異なる言語は存在せず、全世界がどこでも英語を話すようになるということです。
よく分類され、統計的に規格化された標準語が、全世界に浸透していくのです。
7. 自己の思考の廃絶
次のポイントは、非常に明白なことですが、自分自身の思考の廃止です。これは特に、学校制度や教育制度を見ているとよくわかります。私たちはいつも、廃止されたものの代用品、つまり人工的な代用品を手に入れます。人間の自然な生活の一部は常に廃止されていき、その代わりに人工的なものを手に入れるのです。そして、誰かがすでに考えたことを最もうまくオウム返しできる人たちが、最もよい成績をとるという、一般的な教育システムです。
それは、独立した思考、何よりも創造的な思考の廃止なのです。
8.人間の感情の廃絶
これは、私個人にとっても非常に心を揺さぶられるので、どうかよく見てほしい、と思う点です。すなわち、人間の感情の廃絶です。
街角で人々に目を向けてみてください。彼らにどれだけ感情を表すことが出来ているでしょうか?彼らのエネルギーや感情体はどれだけ共鳴出来ているでしょうか?
心理学は、正常な範囲から逸脱したものをすべて病的なものとして提示する役割を担っています。
そして、おそらくトランスヒューマニズムの道を歩む人類は、ある時点で感情というものが心理的な疾患とみなされ、もし感情を示す人がいれば、即効で心理学者や精神科医のもとに送られることになるのでしょう。
これが、輝かしいトランスヒューマニズムの新世界です。
9. 原初的な天然遺伝学の廃絶
このことは、他の場所での文脈の中で既に沢山お話してきました。
遺伝子プログラムには、私たちをハイブリッド化(雑種化)し、人間型機械生物に近づけるとされるものがあります。私たちは、遺伝子レベルで、このトランスヒューマンなハイブリッド化を世界的に経験したところです。
注射によって私たちの体に入れられるはずのものが、ハイブリッド化の前段階であり、人間の遺伝子をデジタル化するものです。
それは、異なる遺伝子配列の混合ですが、例えば注射だけではなく、私たちの食品によってもなされています。
したがって、例えば昆虫など、自然界において人が食べないような食材を食べるようになったとしたら、それは実は、ある特定の遺伝子プログラムの入った食材が人に押し付けられている、ということなのです。
つまり、人間がこの食品、遺伝子操作された食品、あるいは自然の食事には登場しない食品を食べると、特定の遺伝子配列が自分のゲノムをハッキングして、最終的に人間をますます非人間的にし、遺伝子プログラムのレベルで書き換えてしまうということです。
これに関連して、自然生態系の大切な動植物種の絶滅も重要な問題です。私たちは今、種の絶滅という巨大な事態に直面しています。かつてはとても多くの動物がいましたが、今では簡単に絶滅の危機に瀕しています。それは、これらの動物が存在しなくなれば、人間もいつかは存在しなくなるという事実にも関係してきます。
10. 自然治癒法の廃絶
それは何に置き換えられるのでしょうか?もちろん、製薬会社による集権化によってです。
私たちの自然治癒の知識。当時はまだどの薬草が何に効くか知っていた女性たち、当時はまだ自然で癒していた女性たち、これら全ては人類の集合意識から懸命に追放されようとしていて、単に人工の錠剤を処方すればいいだけ、ということにされてきていますが、これは結局は依存度を高め、更に病気にならせていきます。
皆さんもお気づきのように、このリストはまだまだ続きます。しかし、皆さんがこのリストを読み進めるのに、私も付き合います。
感情的にもエネルギー的にも、それは楽なことではありません。
しかし、このようなことに目を向けることは重要です。なぜなら、人間の根源的な性質に対し、今まさに正面攻撃が行われているからで、我々は人類として立ち上が��、人類の価値観に立ち返り、トランスヒューマン主義のアジェンダには追従しない、と言うことができます。
とても重要なことです。
11. 天然食材の廃絶
これについては先程すでに少し触れましたが、何よりも、そして非常に核心的なこととして、現在非常に多くの食品が認可されており、ますます多くの遺伝子操作された食品が私たちの食卓に並ぶようになってきています。
遺伝子操作された食品には、人間が食べるとDNAに影響を及ぼす遺伝子配列が導入される可能性があり、その結果、自身のRNA/DNA複製が阻害されることになります。そしてこの食品は、あまり健康に良くないだけでなく、私たちの元来の遺伝子を変えてしまうのです。
数世代後になって、私たちが食べたものが人間の本質、特に人間のエネルギーシステムを変えてしまったことに気づくかもしれません。
12. 異なる宗教の廃止
さて、これはまだ先の話かもしれませんが、この世界のある時点で、一つの世界宗教が確立されるだろうということを、私は感じ取っています。
いつの日か、多様な宗教はもはや存在しなくなり、一種の現代的な救世主カルトが発足し、導入されるという兆候がたくさんあります。
そのようなシナリオがどのように構築さ れるのかは非常に様々ですが、恐らく人類の領域がどんどん不安定になり、人々が最も助けを求めて叫び、宇宙に向かって、なぜ誰も助けてくれないのだ、と言うようなことが起こるのでしょう。
そして、ある時、何かがこの世界に現れ、こう言うのです:我々があなたを救います。我々がすべての解決策を提供します。ここにサインするだけで 新しいテクノロジーを提供し すべての問題の解決策を提供します テクノロジーによって永遠に生きる方法や ほとんど永遠に生きる方法を教えます。
そうして、ある日、この計画の場に、偽の救世主が現れるかもしれません。
そして、この偽救世主は統一宗教を形成しようとするでしょう。
今日、盲目のキリスト教徒、あるいは盲目のイスラム教徒で、宗教的な聖典を信じている人々はこれが救いだと思い、トランスヒューマニズムのアジェンダに盲目的に突っ走ることになるでしょう。
このテーマについては、もっと語るべきことがたくさんあるので、別のコンテキストで、この世界中の宗教制度が繰り広げる巨大な再編成の異なる経過をもっと詳しく観察していくつもりです。
13. 直感的理性と自然な倫理規定の廃絶
普段、私たちは絶対的な直感力のある生き物で、何が正しくて何が間違っているのかを正確に知っています。二元的なレベルでは、です。
当然、より高いレベルではそのようなものは存在していません。
しかし、このレベルにおいては、理性と道徳と道徳と倫理のようなものが存在します。
そして、それは今日では一体、どこにあるのでしょうか?
誰がまだその言葉を守っていますか?
自然な倫理観のようなものがまだどこにあるのでしょうか。
人間の誠実さはどこにあるのでしょうか?
人としての尊厳はどこにあるのでしょうか?
それとも、近頃、どこかへ消えてしまっていませんか?
そしてもちろん、人間の内なる規範である尊厳が置き換えられています。
人間の内的理性は、人工的な司法制度、規則、規制、契約などに置き換えられてしまっているのです。
これらすべては、私たちが自然な理性のセンスを養えるようにするものではありません。
なぜなら、外の世界では、すでに司法制度がすべてを規制しているからです。
もちろん、人類のために、とのことです。
14. 個々人の個性表現の廃絶
非常に重要です。そしてこれは実は、トランスヒューマニズムの他のすべてのアジェンダポイントを含んでいます。
個々人の個性の廃絶:均一的人類、ハイブリッドな均一的人類が形成されることになります。そして、実際に人間というものを構成するすべての個性的な逸脱、すべての性質、すべての特徴は、ますます病理化さていきます。
ですから、学校で8時間椅子に座っていられず、そわそわしている子どもは、ADHDと診断されます。
昔では、こういう子供は天然の「落ち着きのない子」として扱われましたが、今日では病気とされ、錠剤で治療されるのです。
そして、人間としての自然な性質、私たち人間が単に感情という幅広いスペクトルの中で持っている自然な特性が、病気として呈示されるわけです。
これは人間に対する正面攻撃であり、異なった人格の廃絶、精神性に重点をおくことを廃するものです。
15. 道徳、そして自然な価値体系の廃絶
相変わらず、人工的な価値観が確立されています。私たちはもう長い間、この人工的な価値観に慣れきってしまい、もはや人工的な価値観であることを全然認識できなくなっています。
それはお金です。お金は、実は人間の本来の価値観を完全にひっくり返してしまい、自然の価値観があるところをことごとく切り下げてしまっています。
つまり、人間の価値、社会的な価値を、人工的なお金のシステムが切り下げてしまっているのです。
それは、例えば、社会システムで人々がどれだけ稼いでいるかでわかりますね。そして、人工的な価値は、お金の力によって人為的に再評価されます。例えば、デジタル金融複合体の中で人々がどれだけ稼いでいるかを見ればそれがわかります。
16. 自然のリズムとサイクルの廃絶
これは、この世界で、我々が人工的に時間と日付を決めていることと関係があります。
17. 人間の真の歴史の廃絶
私たちの歴史学の語り口に疑問を持つすべての歴史家は、口封じされることになります。
一般的な物語である歴史学を疑うすべての人々は、特に現在、歴史家として困難な時を過ごしています。そして、人工的な歴史学に置き換えられてしまう。なぜ歴史は常に、何らかの紛争の勝者によって書かれるのでしょうか。そして、勝者が歴史を書くからこそ、現在の支配者の視点から自分にとって都合の良い異なる時空の出来事や 前置きを組み合わせた人工的な歴史を振り返っているのです。
18. 本や図書館の廃絶
これは、私の個人的な心情にも深く関わってきます。
実際、ジョージ・オーウェルは正しかった。本の廃止は、トランスヒューマニズムのアジェンダの一部です。
電子書籍に置き換えることで、デジタル空間での知識はますます増え、物理的な物質空間での知識はますます減っていくのです。
そして、それは電子書籍に取って代わられ、デジタル空間ではますます多くの知識が増え、物理的な物質空間での知識はますます少なくなっていきます。
そして、そして、ある時点でデジタル空間にあるすべての知識が消えてしまう事態が、簡単に起こったりします。
そして、本がなくなれば、知識も記憶もなくなります。
ですから、本がどんどん廃止され、すべての知識、すべての情報がデジタル空間でのみ行われるようになれば、人々が何を知るべきか、何を知らないでいるべきかは、デジタルレベルでの情報の流れのコントロールによって完全に決定され、指示されるようになることが、いとも簡単に起こりうるのです。
だから 物理的な形をした本は、もはやそのようなものが存在しないかもしれない未来にとって、本当に貴重なものとなりうるのです。
これらの点すべてにおいて、もちろん、自由、そして何よりも人類の主体性を廃絶しようとする試みがなされているのです。
そして、実は長い間研究されてきた非常に新しいコンセプトとして、グローバリズムの都市、ここではスマートシティというキーワードが使われていますが、そこではすべてがデジタル化され、すべての生活プロセスが完全な依存システムの形でそこに構築されているだけで、人間はもはや自分の環境と自然な関係にありません。
スマートシティとは実際、コンピュータープログラムによって、人々にいつ、何を、どのように提示するのか、すべてを決定するものです。
どこで働くか、どのように通勤するか、そのすべてを決定します。
つまり、スマートシティというキーワードは、トランスヒューマニズムのアジェンダの中で重要な要素なのです。
ご覧のように、これは概要です。この概観は完全なものではありません。ただ、今流れてきたもの、今書き留めたもので、人類廃絶のいくつかの主要となるポイントを表していると感じるものです。
19. 人情、そして人間の心という真のクオリティの廃絶
これは本当に大きな大きな問題です。もちろん、感情ボディの廃絶とも関係があります。
心理学を少しかじった人なら、意識の中に特定の区画を作る方法を知っています。これは、できるだけ具体的かつ集中的にトラウマを植え付けることによって行われます。
それはかつて、例えば子育ての枠組みの中で、実際にある特定の文化に組み込まれていました。子供を育てるための一種のメカニズムとして、トラウマを導入するのです。例えば、殴ることを介して。この黒い教育法は世界的に適用されています。的を絞ったトラウマが人の意識領域で繰り返し演じられることによって、最終的に人間の意識は分裂し、とりわけ人間の感情ボディは分裂した状態にあることが確実となり、トラウマは精神の分裂をもたらすのです。
おそらく、ある時点から多重人格化が起こるのでしょうが、それはあくまで参考程度にとどめておきましょう。
ここで重要なのは、トラウマや心的外傷の状態が長引けば長引くほど、その人の本質的な部分が切り離されたままになってしまうということです。
そしてそれは、戦争やテロのような事態が何度も何度も起こされることで、感情的な存在、感じ取る存在、情動が、集団としての人の意識領域から切り離されようとしていることを、私たちは現在目撃しているのです。
20. ダーウィンのサバイバル・プログラム
これは、私たちに何らかの形で演じられている原理で、私たちは、皆が皆と争い、肘鉄を食らわせ合う社会で何とか自分の道を切り開かなければならず、1等賞だけがホールケーキを手に入れ、社会には単に対立があるだけという生活をしていますが、いったん本来の人生を眺めるようになると、起こっているすべてのことは共生的でお互いのためだとわかるのです。
21. 所有物の廃止
現に、私たちはいずれ何も所有しなくなり、それを愛するようになると言われています。そこで、一種の超社会主義が登場するのです。私は以前、ある時点で国も政府もなくなるとしたら、ある時点で、この一つの世界政府によって、グローバルな超社会主義製品が発表されるということを話しました。現に、私たちはいずれ何も所有しなくなり、それを愛するようになると言われています。そこで、一種の超社会主義が登場するのです。
私は以前、ある時点で国も政府もなくなるとしたら、ある時点で、この一つの世界政府によって、グローバルな超社会主義製品が発表されるということを話しました。
人々は働く必要がなくなり、誰もがタダでお金を使えるようになります。このタダで使えるお金は、超社会主義のルールにできる限りおとなしく従っていれば、分配されます。
そうです、これは非常に大きな論点です。
社会主義システムを構築する試みは何度も繰り返されてきましたが、社会主義システムは資本主義システムの解決策にはならず、資本主義システムどころか、少なくとも更に自由が失われていきます。だからこのレベルでは、どうにも埒が明かないのです。
21. 人類の原初的在り方(イデア)の廃絶
これは、常に我々の念頭にあ���ものです。
[訳注:このテーマはロビンさんは別動画で説明。この後で���訳を予定しています]
文化史的なおとぎ話や神話は廃絶されてきています。つまり、かつてキャンプファイヤーを囲んで語り合った物語は、とうの昔に忘れ去られてしまった。
人工的な代用品として、その代わりとして私たちが手にするのは、ますます平坦になっていくエンターテインメント産業です。かつて、私たちは互いに物語を語り、歌を歌い、おとぎ話を語り、文化的に非常に重要な要素を世代から世代へと受け継いできました。そこには、たくさんの知恵がありました。
ラジオやテレビ、インターネット文化など、エンターテインメント産業が完全に平坦化されているのです。
リストはあと、まだ1ページほどあります。
分かっています、中々濃い内容ですよね。消化しきれないこともあるでしょう。しかし、私たちはそれに向き合うことを許されています。
それがとても大切なことなのです。もし私たちが人類の原点に戻りたいのであれば、どこで、どのレベルで、どのような手段や方法を通して、この人類の原点である考えを廃絶しようと試みているのかを見つめれば良いのです。
22. 乗り物と移動形態の廃絶
私たちはまだガソリン車に乗り、自分でハンドルを握ることができますが、ある日、自動運転する電気自動車が登場するかもしれません。
もちろん、仕事場までの往復はしてくれますが、行くべきでない場所には…つまり、私たちが自由に移動できる距離が決まっているはずです。あるいは、ある一定の自由なキロメートル数があり、それが私たち人間に与えられている逃げ場となるのでしょう。
しかし、自動車や移動手段は私たちに一定の自由を与えてくれるものの、その範囲を超えるとある特定の方法で遠隔操作できるようになるため、もはや私たちの意向に従わなくなるのです。
23.天然素材の廃絶
今、あなたが着ている服を見てください。合成素材でできている可能性が比較的高いと思います。そして、合成素材、つまり人工的に作られた素材は、私たちの生活から天然素材をどんどん追い出していくはずです。合成物質がどんどん増えていく、巨大なプラスチック文化なのです。
私たちが肌にまとうものは、当然、肌から吸収されます。だから、私はここで呼びかけているのです。自分の持っている服がどれだけ化繊のものなのか、そして、天然素材の服を着て、定番のファッションから少し外れた方が人間らしいのではないか、と考えてみてください。
均一な人間のプロトタイプが形成さ れようとしていることを思い起こします。
ジーンズを履いているとか、ネクタイをしているとか……ね?あなたの頭の中には、あなたのイメージがあるはずです。
この一律なファッションから逸脱する自由を手に入れ、自分に許可してください。
人間という種の違い、多様性があるからこそ、人間としての人間らしさがあるのですが、全員が同じスーツに詰め込まれ、全員が同じような均一的なファッションを身につけると、いずれはロボットになってしまいます。
そして、それが今現在の私たちの姿なのです。
統一されたファッションは、実はエネルギー上の攻撃であり、私たちのエネルギーボディはそれを通して拡張することができません。
タイトなジーンズやタイトな服を着て、どうにかしてエネルギーボディを拡大しようと試みたことはありませんか?
かつて18世紀のファッションでは、大きな舞踏会用のガウンを着ていたそうです。そして、それらは人間のエネルギーシステムを支えていたのです。
しかし、現代では… 私たちの原初的な自然を表現することのない、合成繊維で作られた均一的なファッションとなっています。
24.美しい音楽の廃絶
自然な、調和のとれた、また本当に美しい音楽。これも、私の心に深く迫る問題です。
かつては、特にドイツ語圏には素晴らしい音楽家がいました。昔はベートーヴェンがいました。
かつては、特にドイツ語圏には素晴らしい音楽家がいました。昔はベートーヴェンがいた。そして、これらの音楽を聴いてください。純粋に生き生きとしています。音楽には魂が宿っている。生きている、振動している、呼吸している。音楽の中に魂があるのです。昔の音楽です。古い音楽を聴いて、その音楽の中にある魂を感じてみてください。
そして、その対照的なプログラムとして、ラジオをつけます。そして、平坦にな音に耳を傾けてください。
例えば、ライブ会場のピッチは変わりました。すべての音楽は別の周波数になっています。
例えば、ライブ会場のピッチは変わりました。すべての音楽は別の周波数になっています。そしてこの周波数は、人間の意識を拡大する役には立ちません。むしろその逆です。現在、私たちは、痛みを感じるほど平坦化された電子ポップスのラジオ音楽を聴いているのです。
しかし、魂は新しい音楽からだけでなく、すべての人間の領域における魂と同様に、トランスヒューマニストのアジェンダによってますます廃絶されようとしています。
25.雇用の廃絶
今、多くの人がこのことを気にしています。トランスヒューマニズムのアジェンダにある他の点は全く気付かれていないのです。なぜなら、突然、自分の口座に給料明細が入らなくなったとき、人々は初めて目を覚ますからです。
つまり、雇用の廃止はもちろん、ロボットや人工プログラム、人工知能に取って代わられるのです。
もう働かず、家のソファに座って市民手当をもらい、一日中エンターテイメント業界を見ている人…そう、彼はすでに、創造的で自立した考えを持たず、何も感じず、自分の魂と接触していない、トランスハイブリッドなユニット型人間にかなり近い状態になっています。
その中で、中産階級、中堅家業の大規模な廃止が起こっています。
ということは、ある時点で、中産階級や家族経営、伝統的なビジネス、そのすべてが廃止されます。特に農業の廃止は、単に権力を集中させ、ビジネスを集中させ、最終的に中産階級を破壊しようとする組織的なものとなります。
私は常にトランスヒューマニズムのタイムラインの可能性について話しています。それがすべて実現するとは言っていません。これは、非常に重要な違いです。
そして、狙いは二階級カースト社会をつくることです。
支配カーストと労働カースト。中産階級を破壊することが目的。二 階層カースト制。
そしてもちろん、人類の大部分は労働カーストに属することになります。そして、支配カーストには少数のエリートがおさまるのです。
26.自然の天候や 気候の廃絶
これも重要な要素で、おそらくまだ集合的な認知領域に到っていないのでしょうが……。
気象操作や気候統計の操作による、自然気象の撤廃、自然気候の撤廃は、今日、私たちの天気に注目してみると非常に重要な部分です。
よく観察してもらえれば、驚くほど異常に暖かくなったりしたかと思うと、また天気が崩れたり、自然のリズムが失われていることに気づくはずです。
これは、HAARPやその他の気象操作システムのような、技術的手段によって、非常に焦点を絞った方法で天候を指示・制御することができる大規模な設備と関係があります。このことは、後の出来事に関して、絶対に留意しておかなければならないことです。なぜなら、トランスヒューマニズムのアジェンダが計画する、後の出来事において、天候が大きな役割を果たすことになるからです。
なぜなら、彼らは実際に天候を… 武器のように利用するからです。
天候を操作することで、ある種の戦争を仕掛けるようなものです。
例えば、地震が起きて、突然、気温が非常に低くなった場合、例えば、生き残る人が少なくなる可能性が高くなるのです。これは詳細を省いた一例です。
しかし、忘れてはならないのは、テクノロジーが発達して、気象操作が当たり前になったということです。これは1950年代から行われていることで、今では雨が降る場所と太陽が照る場所をかなり正確にコントロールできるまでに完成されています。
難題かもしれませんし、咀嚼するのも難しいでしょう。
でも、そうなんです。
皆さんも自分で調べてみてください。私が挙げたこれらの点すべてについて。インターネット上には、それらの情報があふれています。私たちはただ、自分たちに情報を与え、それに応じて、人間の原初的な考えを再び思い出せばいいのです。
27.自然光の廃絶
非常に重要。これは人間の意識の振動能力に対する中心的な攻撃です。
これは人間の意識の振動能力に対する中心的な攻撃です。ほぼLEDだけで、ナチュラルな生活光を持たないことで、私たちも実は何世代にもわたって遺伝的に変容しているのです。
私は個人的にお勧めします。昔の電球を復活させてください。
んな理由であれ、何かが法律で禁止されるときは、常に意識を向けるようにすることです。
従来の電球が不経済という理由で市場から駆逐される、禁止される、と聞いたとき、私は意識を向けることになりました。
それは、私たちがますます人工的な光の下で暮らすべきということと関係しています。
単純に自然の光源、例えば太陽は当然ながら放射力が全く異なり、全色スペクトルで放射しているのに対し、LEDは非常に狭い周波数スペクトルの光を放射しているのです。
そして文字通り、私たち光の存在です。
もし、私たちが常にLEDの下で生活し、仕事をし、LEDのプラットフォームやスクリーンの前に座っていれば、私たちはそれに応じて変化していくでしょう。なぜなら、それはすべて体細胞レベル、遺伝子レベルに影響を与えるからです。
28.文化特有の祭事や祝儀の廃絶
これはあまり注目されていない重要な点です。
私たちはいつの間にか、この世界にふさわしい祝儀の仕方を忘れてしまいました。
文化によっては、まだそうしたことが行われています。しかし、世界中のすべての人々が、ある特定の時期に特定の祭日を設けるだけで、そこにはおとぎ話や神話、歌や踊りなどといった文化特有の祭事はなく…これら、文化の一部を成すものが廃止されてきています。
29.異文化や異人種の廃絶
[訳注:この部分でロビンさんは、魂のレベルで強く惹かれあった異文化間の男女関係の成立を批判したり、子供をつくることなどを拒絶しているのではなく、『移民計画』などで無理矢理に異なった文化や異人種を混ぜ込もうとしている黒い闇側の意図を指摘してしています]
上の、28.の中に、実は異文化と異人種の廃絶が込められています。
そして、今、カメラの前に進み出て「そうですよ、あなた方は異人種��いうものを廃絶しようとしていますよね」とでも言おうものなら、どう描写されるでしょうか?人種差別主義者?
人間の原点は、多様性、差異から生まれるものなのですよ。
しかし、何度も何度もまじりあえば、その多様性は死に絶えてしまう。
これは人種差別とは何の関わりもありません!
どの文化にも、どの民族にも、それぞれの個性がある。そして、この特殊性が失われたとき、例えば、異なる文化を押し付けることによって、大きな混血が起こり、その結果、ある時点から均一な人間が出現することになります。
しかし、それは人類の「原初的在り方(次回和訳予定)」に相当しません。
人類の『原初的在り方』は、統一の中の多義性、多様性です。
そして、ある人種が他の人種より優れているということはなく、その違いが尊重され、祝福されるのです。
パーソナリティ特性の違いも、人種の違いも。
そして、これが無差別に、盲目的に、遺伝子のレベルでも混ぜあわされていると、ある時点で大きな不安定が生じます。遺伝子のレベルでも。そして、私たちはますますハイブリッドな 統一人間へと変化していくでしょう。
それはワンネスの意識の中で生きている人間ではなく、高次の意識を完全に失い、スピリチュアルな魂のレベルで自分が何者であるかがわからなくなった人間です。
世界には、例えばアラブ諸国など、観光が禁止されている国もあります。私はそのような国々に深く敬意を表します。なぜなら、彼らはグローバリストの計画を正確に把握しているからで、観光を許可すれば、欧米が自国を侵略し、文化全体を押し付け、離間させることをよく知っているのです。
このようなアラブ諸国は、自分たちのやり方で、人類の『原初的在り方』を守ろうとしているのです。
もちろん、それはまったく違う形で私たちに提示されていて、「“変わり者”だと思っておけばいいのさ」と言うことにされています。
昔、ヨーロッパには、さまざまな国があり、さまざまな文化がありました。
私は、これを原則として支持しているわけではありません。しかし、なぜこのようなことをするのか、その理由はよく理解できます。
30.真の深遠なスピリチュアリティと自然の廃絶 - 地球とのつながりの廃絶
当然ながら、私はずっとそこで意識を高めようとしてきました。
こうした中で最も苦しい状況にあるのは、これです。
そして人類は…この地球上で唯一、他の種を虐待している種です。そして、それを目の当たりにし、観察するのは苦痛です。
つまり、真のスピリチュアリティの廃絶です。
スピリチュアルなシーンは全くありふれており、全く平坦な状態です。私はそれをフラットランド・スピリチュアリティと呼びたい。
"私は自分の夢の世界を顕在化させます:それがスピリチュアリティ"
それは、地球・原初の自然・人間から切り離されたところで、高次元の空中に城を建てることです。
ピリチュアリティがここにあるのは、そのためではありません。
スピリチュアリティは、人間の原初的な在り方を肉体に根付かせることに関係していて、高次元の体験をするために何らかの方法で肉体を離れることではなく、そもそも肉体を完全に離れることではありません。そういうことではなく、高次元からの振動を自分の意識を介してフィジカルな物質に取り込むことなのです。
そして、私にとって非常に重要なのは、真に自然と深く結びついたスピリチュアルな生き方が意味するものとは何か、人類が気づくことなのです。
次が、最後のポイントとなります。
31.ありのままの地球の廃絶
私は何を言おうとしているのか。
今、ますます大きな宇宙計画が進んでいますが、ある時、我々に人類として提案があったらどうでしょう。
あなたはそのスペースシャトルにしか乗れず、すでに都市が建設されている他の世界がある…例えば、その世界では高い技術があり、これらの世界では、生活全体がもっとより良いものです。
あるいは、地球上の生活は成り立たないと言われるとします。地球上の生活は、あれやこれやで絶滅の危機に瀕しているとか。人間が生き続けたいのなら、他の惑星圏に大規模な移住プロジェクトを行うしかありません。
ありえるでしょうか?ありえるかもしれません。
もうすでにそうなっているのかもしれない。もしかしたら、将来的にそうなるかもしれない。つまり、人間は地球から引き離されようとしているのです。
そして、このすべては結局のところ、人間の内にある霊的なものを追い出そうとしていることに他なりません。霊性のある人間をより高いレベルの意識から切り離すのです。
そして、何かが切り離されるところ、何かが取り除かれるところには、人工的な代用品、人工的な代替品が挿入されるのです。
ーーーーーーーーーーーー
訳者より最後に:
ロビンさんの言葉遣いは独特で、訳するのは楽ではないのですが、それでも内容的には波動が非常に高く、訳をしながら深めるのが私は好きです。
このトランスヒューマニズムのアジェンダは2つ〜3つ訳しては、Telegramのチャンネルに小出ししていましたが、途中でさすがに非常に苦痛に感じてきました。
私自身が「そうした波動を感じるようになってきてしまった」のかもですが。
ロビンさんも途中で述べていますが、これらの中で既に実現が始まっているものもあれば、実際にそこまでの大きな影響があるのか定かではないもの、また既にがっつり始まっているものもあります。
これは、不安を起こさせるためのメッセージではなく、今後自分の世界線を選ぶことになった時、自覚のある選択をするためのものだと受け取っています。
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ハロー(´ー∀ー`)2023.1.2
明けましておめでとうございます🎍
元旦起きてすぐ年末ジャンボ宝くじをチェックしましたが見事に大はずれでございました。
神様、今はまだその時ではないということですね←前向き
年末はやはり何かゲームをクリアしたくなる…
ということで、大晦日にバイオハザードヴィレッジDLCシャドウズオブローズをクリアまでしました😂
年越し配信になってしまいましたが、ローズがイーサンと会えて本当によかったよね…🥹
そして大掃除する予定はなかったのに、なぜかソワソワが止まらなかったので←
窓サッシの掃除と床拭きだけしました。
しかもクレイジージャーニー年越しをするとあれだけ言っていたのに、元日にのんびりと見ました🤣
元日の夜からは気分不良になり嘔吐←どしたw
発熱は無し、なんとなくの体調不良…現在もムカムカ継続中…
そんなのんびりスタートな2023年。
今年は無理しすぎず、人に合わせすぎず、自分らしく穏やかで楽しい一年にしようと思っております。
【自分らしく】というのがキーポイントです。テストに出ます!
(何のテストやねん←
自分らしく、の中には多少の自己中心的な要素を貫くという事も含めていきたいです。
(要はやりたい放題←
そんなこんなで最近みた映画の感想を少し語らせて下さい。
ハッチング-孵化-
大きな卵をあたためてる女の子が気になってレンタルしたんだ���ども、中から生まれたのは結構なグロテスクさのある鳥でした。その鳥がどんどん自分の姿になってくるんですよね。その鳥はとても凶暴で、女の子の周りの人を傷つけたり危害を加えるんだけども、きっとその暴力の影には女の子自身の自己嫌悪だったり自信のなさや卑屈、他人への妬みなど黒い感情がありその鳥=自分という表現になっているんだよね。
最終的にはその鳥をコッソリ部屋で飼ってるのも母親にバレるんだけど、母親にこそ根深い闇があってそれを娘で昇華させようとするあまりねじれてしまっているんだけどそのねじれがまた新たな悲劇を呼びそうな感じで終わりました。
面白いか面白くないかと問われたら、面白くはなかったです←
フォーエバーパージ
パージシリーズは面白かったのは1作目だけだったよね…と思いながらもレンタルしましたが、やはりもう観なくてよさそうです😅
カムプレイ
途中まで怖かったのに、お父さんが化け物に追いかけられるあたりからお父さん賢い!ってなったけど…なんか化け物が段々怖くなくなってきたよね←
こういうホラーほんと増えたよね。
スマホとかタブレットから出てくるみたいなさ、こんなアプリ取ってないのにいつの間にか入ってて…みたいなホラー。
正直こういう現代ホラー、怖さよりも何でそこが発生源なの?って疑問しかないのよね。
オバケとか悪魔とかは一応由来があったりして、発生源もきちんとしてて(きちんとって何だw)そこに歴史があったり呪いとかが強まる理由みたいなものがあるじゃない。人間が禁忌に触れた、とかさ。
でもね、これはないのよ←
この化け物はどこから来たんだろう?
一応あるのよ、現代人のスマホ依存から生じた「寂しさ」から化け物が生まれたみたいな話が。
でも「そーなんだ!それでね!」とはならないじゃないですか。
その化け物の話は誰が考えたのってなるのよ。
しかも最後で母親の愛を見せつけられて、息子を庇って化け物に連れ去られるんだけど最後の最後で化け物になった母親と息子が戯れるみたいなちょっとした感動エンドだったけど本当謎←
連れ去られる時の母親の顔が一番怖かったよねー😇
デッドアンドアライブ
とある部屋で目覚めた記憶のない男女2人が、脱出する為に頑張る的なありきたりなやつ←
衝撃のラストが気になってレンタルしたものの、初めから最後まで面白くなかった…しかも衝撃のラストが全然衝撃がなかった←
とある男性が死体から部位を寄せ集めて生き返らせてたのがこの男女だった、みたいなラスト。
しょーもな←
デンジャラスガイズ
私の好きなお2人が出演してる!これは観なきゃ!とレンタルしました。
悪い人には何一つ共感できないっていうこと←
ブラックフォン
これは始まってすぐ睡魔がやって来て、目覚めてはまた睡魔が来ての繰り返しでストーリーは全くわかりませんでした!←殴
見返そうという気も起こらなかったのよね。
男の子が誘拐されて、その部屋に黒い電話が取り付けられててそこに色んな人から電話がかかってきてたけど、あとは気づいたらもう脱出してたよね←
イーサン・ホークが変な仮面つけてたってこと。
8割寝てたから私に感想を語る資格はないってこと🤣
ザロストシティ
恋愛小説家のおばさんが実際にアホなイケメンと冒険をして結ばれるロマンスアドベンチャー。
サンドラブロックをおばさんって言ってごめんなさいね。でもピンクのテカテカのおばさんのロマンスはキツいよね←(ピンクは無理矢理着せられてたんだけどもw
私としてはイケメン枠の人も全然イケメンではないんだけど、それよりも何よりもおバカっていうのがもう無理だよね←笑える部分もあったけど
でもそんな事どうでもよくなるくらい序盤のブラピがめっちゃかっこよくてさ!!これよ!これ!ブラピのアクション観たかったのよ!!ってなってたらあっさり撃ち殺されて目が点になったよね←
ロマンスもコメディも興味のない私にはイマイチだったけど、アラフォーとかアラフィフでロマンス擬似体験したい人にはいいかもしれないね。
でもやっぱりおばさんのロマンスって需要あるのかね?って思っちゃう。
正直ラストで結ばれても結ばれなくてもどうでもよかったよね←
Xエックス
うーん…性欲の強い婆さんがエグい。とだけ言っておきましょう。レンタル失敗←
CUBE一度入ったら、最後
日本版のCUBEをようやく観ました。設定などは本家とあまり変わりないように思えました。(本筋が異なる部分もありました
ただね…CUBE内の扉だとか内装だとかが本当にチープすぎて。日本クオリティって何でこんな安っぽいんだろうって疑問。
セットで演技してます!
って感じ全開なんですよね。扉が開いた時とかもさ、自動で開かないというか…手動でスライドさせてたりその重みだったりが見ててもなーーんか違うって思った。
それと展開や演出も、なーーんか違う。そうじゃないんだ!!CUBEは!!って言いたくなりました。
改めて本家の良さが際立ってしまいましたね。
「今際の国のアリスシーズン2」
楽しみが一瞬で終わってしまった…
シーズン2もとても面白かったです!もう山Pがすごい。とにかくすごい。
バキバキすぎてエグい。
そして始めから最後まで裸族←
こんな役もするんだなーーって尊敬しました←
山Pのところだけまた見返したいくらいです🤣
(ちなみに山Pは別に好きではありません
シーズン2でも4回くらい泣いて、この生き残りをかけたゲームが何なのか全ての謎が解ける終盤には驚きました。
面白かった〜
「ヒメアノ〜ル」
森田剛が怖すぎました。
他人の家でカレーライス食べてるシーンが怖すぎて痺れました。人を殺すまでの判断と時間が一瞬すぎて、、、とても生々しかったです
「嘘喰い」
途中で離脱しました…ごめんなさい🙇♀️
「怒り」
3つの事件がどう繋がるのか、というもどかしさでイライラしました←
しかも繋がってないし、絶叫する演技は「?」
日本の映画って絶叫させるのが好きなのかしら。
感情を爆発させればいいという問題でもないと思う。
タイトル通りのことなのか。
やはり私は邦画との相性はよくないようです。
と、このような感じで年末年始のレンタル祭りは終了しました。最後に実写版キングダム3の公開日が決定しましたね(°▽°)
キングダムが完結するまでは死ねません‼️笑
すぐにスケジュールに登録です‼️
今年も定期配信を続けつつ、したいゲームをしたい時にできたらいいなー(°▽°)ストレスをうまく回避してのんびり生きていきたいです❤️🔥
今後ともブログ活動、配信活動共によろしくお願いいたします🌄
最後にわたくしの姉がトランスフォーマーのことを
トランスフォーマット
と打ち間違いしていたのでお知らせいたします。
今年も打ち間違い全開でいくそうです←
にょほほ( ´−ω−` )
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P3xP4 World Analyze pages 30-31 transcription.
ギリシア神話における夜の女神 “ニュクス”
母なる “夜”
日の出が夜の間から太陽が生まれたように見えることから、夜は太陽の母と考えられた。また、夜空が無数の星々を抱いているように見えることから、夜は星々の母であるとも考えられた。いわゆる “地母神” という言葉は大地が植物や生命を生み出した母とする考え方だが、その大地をも生み出す原初的な母神として “夜” が存在する。いわば “祖母” = グランドマザーと呼ぶこともできるが、より概念的な存在であると考えられる。大地から生まれるものは実際に目にできるが、夜から生まれるものは想像によるものばかり。兄弟であり配偶者でもある “暗黒” エレボスとの間に生まれたのは “昼” の女神ヘメラと “大気” アイテル。ニュクス単独でタナトスやヒュプノスを始め、運命や宿命、不和や復讐、非難や苦悩といった形にならないものを多数生んでいる。ニュクスを含む原初の神々は、主要な神話のようなエピソードがあまり残っていない。
ここでのニュクスは生命に “死” の概念を与え、すべてのシャドウを生み出すきっかけとなった存在とされる。
カオスの眷属
ギリシア神話では世界が生まれるとき、最初に存在したのはカオス “混沌” とされている。これは神として人格を持った存在ではなく、空間あるいは宇宙そのものと言ってもよく、ニュクスはそこに親からというわけでなく発生した。同じように怪物を産む母神として神話に登場する大地の女神ガイアは、カオスを人格神としてその娘という立場になっているなど、より人間的に描かれている。ガイアがティターンやキュクロプス、テュポンなど具体的な怪物を産んでいるのに比べると、ニュクスが産み落とすのは人間でなくとも感じる根源的な恐怖。“眠り”ヒュプノスはそれ自体 “死” タナトスを連想させるが、“老い” ゲラスや “争い” エリス、 “定め” モロスなどもみな死に繋がる恐怖心であり、そうしたものに名前をつけて夜にルーツを求めたのではないかと思われる。“三途の川の渡し守” と言われるカロンも、ニュクスとエレポスの子とされている。
ギリシア神話に登場する “タルタロス” はカオスの子で、二ュクスやエレポスとは兄弟ということになる。
夜の子供たち
怪物的な子供たちの母親であると同時に、ニュクスは “運命” の生みの親としての役割を持っている。死も運命のひとつと考えられる が、モロスやケルも死の運命を表し、“運命の姉妹神” モイライとして有名なラケシス、クロト、アトロポスも生んでいる。“夢”オネイロスや “苦悩” オイジュス、“復讐” ネメシス等も人の運命を左右するものとして同じ系統と捉えられる。
そんなニュクスの子供たちの中では “昼” の女神ヘメラが特殊な位置にある。夜と一対になる存在で、昼と夜の境目にだけ地の果てにある館 “タルタロス” で顔を合わせ、交代するというエピソードも用意されている。ヘメラの兄弟 “大気” アイテルも、父親である中の “暗黒” エレボスと対になっているが、天空神としてはガイアの子ウラノスが有名だったせいか、あえてアイテルの物語は創られなかったようだ。
ジンのペルソナであるモロスもニュクスの子であ、りストレガ内の人間関係を示唆するものといえる。
ニュクスの産んだ子供たち
[ネメシス]
復習の女神とされることが多いが、神話における本来の意味は “悪行への報復” であり、ネメシス自身も美しい女神として描かれている。ゼウスに言い寄られるが、さまざまな動物に変身して逃げるエピソードがある。また、森の妖精につれなくしたナルキッソスに、自分しか愛せなくなる罰を与えるのがネメシスで、この逸話はナルシズムの語源としてよく知られている。
[モイライ]
“運命を描く者” ラケシス、“紡ぐ者” クロト、“変えられぬ者” アトロポスの三姉妹を “割り当てる者たち” モイライと呼び、生まれた子供の運命を決めると言われている。もっともこの三姉妹は神話のバリエーションが多く、必ずしもニュクスの娘ではないともされる。
[ヒュプノスとタナトス]
ニュクスの子は多いが、“返り” ヒュプノスと “死” タナトスは特に結びつきが強く、神話でもともに描かれることが多い。タルクロスに居を構え、ふたり一緒に住んでいる。非情な兄タナトスに対してヒュプノスは優しく、母のをとともに人を眠りに誘うという。タナトスは死者の魂を冥界へ連れていく役割があり、トロイア戦争にもヒュプノスとともに現れている。
“怪物” を産む母神
ガイアやニュクスに代表されるように、母神が怪物を産むという神話は数多い。人が神として崇めたものは災害をもたらすような自然現象が多く、恐れるからこそ崇め災厄が起こらないことを願った。したがって、母なる大地から産まれる神々が恐ろしい怪物であるのは当たり前だった。古い時代は母権の強い社会が多く、怪物を産む母神はより強大な力を持つ存在として描かれる。オリエント神話のイナンナやイシュタル、ギリシア神話のガイアやレアなどがその代表に挙げられるが、彼女たちは人に似た神の姿だけでなく、怪物としての姿も持つことが多い。母なる大地もまた時折火を噴き、地を揺るがす恐ろしい存在だったからだ。
同一視される “夜” と “死”
タナトスのように “死” という概念が神として人格を持った存在とされることは珍しくない。世界各地の神話に “死の神” がいて、いわゆる死神に似た働きをする。よく言われるのは死者の魂を冥界へと連れていくというもので、キリスト教でも天使がその役目を担っていることから、そうした働きをする存在を “死の天使” と呼ぶこともある。冥界が川や海に隔たれたイメージが多いため、“渡し守” という役割で象徴的に描かれることも ある。“眠り” が “死” に近しい存在として描かれるのは、死の定義が難しく、死んだと判断された者が生き返ったように見えたりすることがままあったからではないかと考えられる。
キュベレ
現在のトルコにあたるフリュギアの地母神で、非常に古くから広い範囲で信仰されていた。ギリシアでは、ゼウスやハデスらの母である地母神レアと同一視したり、元々信仰形態が似ていたディオニュソスと関連付けてその信仰を取り込んでいる。
クイーンメイブ
ケルト神話に登場する、アイルランド北西部コナハト地方の女王。北東部アルスター地方の英雄クー・フーリンとは敵対関係にあり、何度も戦っている。後に妖精の女王としてティターニアと混同され、オベロンの要とされるこ ともあった。
タナトス
ギリシア神話の死の神で、眠りの神ヒュプノスとは兄弟で双子ともされる。寿命が尽きた人の前に現れ、髪の毛をひと房切ってハデスに献上してから、冥界に連れていく。ただし、英雄はヘルメスの担当で、タナトスは普通の人間を担当していた。
チェルノボグ
ロシアや東欧地域に伝わる “スラヴ神話” における神で、死神としての性質も持っていたとされるが、神話文献自体があまり残っておらず詳しくはわからない。名前は “黒い神” という意味で “白い神” ベロボーグと対立関係に ある。
パールヴァティ
インドのヒンドゥー教で信仰されている女神で、シヴァの妻としても知られる。6つの顔を持つ軍神スカンダや、象に似た姿をした学問の神ガネーシャを生んでいる。パールヴァティ自身も、カーリーやドゥルガーと同一視される怪物的側面がある。
イザナミ
日本神話の女神で、兄弟で夫のイザナギとともに日本の島々と多数の神々を産んだ。神々の中にはイザナミを売に至らしめるヒノカグツチを始めとする怪物的な存在も含まれており、他の地母神と共通する要素があること がわかる。
アヌビス
エジプト神話の死者の神。死の神であるオシリスの息子で、ジャッカルの頭部を持ち死者あるいはミイラを守る存在。“死の天使” の役割を持つものとしては別にウプアウトという犬そのものの姿をした神がいるが、アヌビス と同一視されている。
リリス
聖書に登場する “夜の魔女” で、男性を狙う妖怪。原初の人間アダムの精液から生まれた最初の妻とする説があり、“男を誘惑する夢魔” サキュバスと同一視された。夜の魔物には淫夢で誘惑するものが多く、リリスはその最初にして代表的存在。
神話上の “タルタロス”
[封印された者]
ギリシア神話における冥界のひとつで、ハデスの支配する冥府のさらに下に存在するが、カオスやガイアとともに生まれた原初の神のひとりともされ、ガイアとの間にテュポンやエキドナといった怪物を儲けている。冥界としてのタルタロスは、牢獄としての役割を持たされることが多く、ガイアが生んだ怪物たちのヘカトンケイルやキュクロプスらがここに幽閉された。その後、ゼウスがティターン族をここに閉じ込め、ヘカトンケイルを番人に改めるなど、神話中に何度も登場している。
[落と��れた者]
ゼウスが罰としてタルタロスに落とした者には、キュクロプスを復讐のため殺したアポロン、人間に火を与えたプロメテウス、神の秘密を人間に漏らしたタンタロス、巨人ティテュオスらがいる。親族を殺した最初の人間でヘラと通じようとしたイクシオン王や、最初に少年愛を犯したタミュリス、神を騙そうとしたシシュポスやサルモネウスといった人間たちも、死後タルタロスに落とされた。ゼウス以外にも、アポロンやアルテミスらが罪人に罰を与えるためにタルタロスを利用している。タルタロスはいわゆる “地獄” として描かれている。
ヘカトンケイルには、海の妖精テティスに見出された “百本の腕を持つ巨人” ブリアレオスがいる。
シシュポスはタナトスを騙して捕え、幽閉したため、その間は人が死ななかったと言われている。
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