#悟浄出世
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劇団扉座第75回公演
『Kappa~中島敦の「わが西遊記」より~』
の感想走り書き。
先に絶対許されないと思った所について書きます。
5/27公演の人魚に扮するシーンで、「あり得る、アリエル」とリトルマーメイドを思い起こすセリフがあったんだけれど
「今の時代は多 様 性 だから」
という現状の、リトルマーメイドの黒人主演を、ネタにして観客もそれを笑うという状況が心底最悪だった。
台本になかったのでアドリブ?日替わり?台詞だったのかな多分。
現在の実写リトルマーメイドにも纏わる"人種差別という根深い、現実に命に関わる問題"をを軽々しくネタ扱いし揶揄するこの台詞に憤慨している。
その後に場面が変わってお師さんが出てきて、オッ登場か!となれるはずなのに、「ちょっと待ってさっきの最悪な台詞なんだった…………?」で思考が止まる。場面が切り替わるのに全くそれはさておきが全くできない。それで済まして流せないほど酷い台詞を聞いた後だから。
それ以外にも体型に関するネタ台詞なんかは「演劇舞台の界隈ってまだこれが面白がって笑っていいと思ってる段階なのか?」というがっかり感はあった。普段様々見たりしていないから実際全体的にどうなのかはわからない。少なくとも今回の公演のは アレはおそらく"冗談"や"ネタ"としてやっているらしくて、観客もそれを笑っていたが。
途中の八戒のあの軽々しい台詞達にも全く劣らない「しょうもない」台詞だった。
八戒の台詞などは、元小説での男色言及や、大前提そもそもの好色な人物像があり「八戒なら言う」台詞なので舞台上の台詞、として彼の性質を理解するためにはなるんだが、「多 様 性」のくだりはあれ本筋にもなんの関係もないただの台詞だったわけで。
多様性の揶揄って完全に劇団側の差別問題への不理解と軽視によるものだろう。
これだけの物語を魅せてくれたのに、所���考えずにすむ立場の、考えることをやめた傍観者の立場にいる側の公演だったのか?間違っても許しちゃいけなかっただろうに、あんな台詞を言えてしまう、演出として許してしまっていたのは心底残念。
だってあんな台詞なんてなくても、流沙河に"人喰いツアー"にきてる3人組がワチャワチャしてるという食生活の異種ものギャグは面白かった。
ただ2023年になってまでまだ"この手の笑い"やんの!?が定期的に挟まるので全面的には笑えない。
ようは差別的な問題を他所ごと扱いに揶揄するような台詞かんか無くても"お笑い"はできる、そういう揶揄を含んだ笑いはもう大衆に向ける時代は終えるべきだろうに。やるなら身内相手にしててくれ。
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以下感想
めちゃくちゃ面白かったーーーーーー!!!!
ブロマイドくれ、円盤くれ、グッズ出して……。
これが人間の脳とかいうすぐショートする代物にしか残らないんですか?嘘でしょ……。
普段円盤とかWEBでアーカイブ残るものに慣れてるので信じられないよ。もはやスマホ動画でもいいから見たいよ。舞台は現地でこそなのはわかるんですが、にしても最高すぎて、自分の脳が4K保存できるスペックだったら良かったのに……どうして……。
「悟浄出世」の劇が始まった
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思ったより「西遊記もの」でもある?でもやっぱ「悟浄出世・悟浄歎異」
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先生→悟浄のクソデカ感情もの……?
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「中島敦作品」の劇じゃん!!!!!!
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からの「悟浄歎異」で締めなの鮮やか最高天才優勝
テンポにストレスをまったく感じなかった。
ギャグのテンポが良かった!笑っていいのかな?とかにならずに、観客のふふっと吹き出してしまうところが揃う感じ。悟浄と先生がつい黙ってしまう……からの次行きましょうか!とかの、間のとりかたとか。
背広着てる悟浄、なんとなく分かる、という気持ちに。眼鏡リボン懐中時計がいい味出していた。たしかに弟子達の中で1番背広きて欲しいのは悟浄だ。
しかしはなからすでに、遠慮がちだからそうとは思わせずにもさりげなく"体裁"作ってしまう彼の性質がもう描写としてある。
先生のこと、多分途中で出てきた「詩集」「八戒と悟空が変化するのが虎」「元人間」などで察せる人も居たんだろうな、と思います。自分はさっぱりでした。皆どれくらいで気づいていたんだろうか。
前半で先生が一緒に行くことになった時に、これあとあとどうするんだろうかこの人の立ち位置……思った。
ここまで沙悟浄と一緒にいて使い捨てはしないだろうけどもそれにしてもどうするのか全然予想がつかなかった 旅の仲間になるんでもなさそうだしな、と。
いやしかし最高だった予想外だった。
悟浄出世から旅立ちで別れる時の「せ、先生はいいのか!?こんなに一緒にいたのに1人だけ行ってしまうのか!?置いてくのか!?」の気持ち、観ている側でさえ思うのに先生はまさに当事者なわけで。
何年も連れ立った相手が1人で先に行ってしまったらそら妬みも羨望も爆発する。
ただ、沙悟浄からしたら藁に縋っていく数年を経ても進歩が見られず、そこに現れた一筋の蜘蛛の糸なんて掴まないわけにはいかない。
しかし最終的には「行きます!行かせてください!」と言ったにしても、それでもまず先に言ったのは「先生!行って良いですか!?」なのが、彼は先生を連れ立つ恩人として敬意を持って接してる、というのが分かるからより辛い。
どっちが悪いというわけでもないのにすれ違っているというか、通じ合えてはいないのが良い。
ことここにおいては観音様と が先生に説明もせず普通にコイツは駄目っすわで切り捨ててるのが悪いとも思うけども。二人これだけ一緒にいるのを見ておいて、あえてわざわざ引き裂くから!ほれみたことか。
しかし西遊記でもこうというか、沙悟浄の流沙河堕としやらも含めて無条件で救うような釈迦仏達ではないのは知っての通り。しかし大概酷い。
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元々、「西遊記」の最推しが沙悟浄で、その上で中島敦の文体や作品が好きなので「悟浄出世・悟浄歎異」は推し+推し大優勝なのですが。
今回の劇に関して個人的MVPが八戒でした。
あの、今まで様々な訳の西遊記と映像や派生した作品群を見てきたんですが、本当に1、2を争うレベルで好き………………………………。話し方立ち居振る舞いなんだろう。有り様が理想系すぎる。(腹は出てないけども)
あの猪八戒が脳に焼き付いてしまったので今後の人生で猪八戒のこと考える時思い出してしまうだろう。記憶が歪まないことを願うばかり。
肉まんのデリバリーの「881」とかそれを片付けることに「あっ片付けてくれてありがとね」とか、「名前なんだっけ」とかコメディリリーフなのはお待たせいつもの感じ。
ちゃらんぽらんで、「こいつは本当に、しょうもないやつだな!」と思えるのに、それにを呼び起こさない。新宿の女〜なんかは発言としてはまったくどうかと思うし最悪だと思うのに、彼なら言うとさらりと飲み込まされてしまう。
西遊記関連の作品群では、たまにこのちゃらんぽらんな性質が、嫌味な捻くれもののように描写される猪八戒もいるんだけれどそうではなかった。妙に魅力���、嫌いになれない。
こうはなりたくないけれど、そもそもここまで特出して自分の素直な欲のためだけに人生を楽しむことは、自分にはできないだろうとい一周回って敬意すら生まれる。酔っ払ってお喋りする彼が本当に悟浄歎異の彼だった。
ところで夜に起きてる悟浄に話しかける八戒、というのがかわいいな〜と。お師さんには下世話な話はできないし、悟空と話すとおそらく怒られがちなのかもしれない。悟浄とは思考回路がだいぶ違いそうだけれど、お互いの考えをなるほどだの分からんだのと思いながら、へえ、と聞く仲でいられそう。
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孫悟空についてはあの、堺正章…………。
堺正章さん版インスパイアだなと…………。
ということで、あまり"悟浄歎異"の孫悟空では無かったかもしれない?と思う。和製孫悟空の像というか。今回主軸にあんまり絡まんというのはあるとはいえ。
彼の性質についての語り彼は火種……の苛烈激烈な性質についての裏付けのシーンがあまり無かったのかなと。十分乱暴者であったはずなので何故だろう。どうもなんだかんだ気のいいような性質に見えたのかも、焼いてしまう火よりは日光のような。あの、かわいいかったもんだから。
しかしめちゃくちゃ「俺たちの想像する孫悟空像」の擬人化なので、動いてる時に全く違和感を感じない。孫悟空が居るな〜!と。
しかし香取慎吾さん版以降の世代でそれしか観ていなかったら、違和感があったりするのかも?日本国内孫悟空の二代イメージ。
和製孫悟空のイメージ……舞台化作品でも、完全に若年向けだったりだと金髪になりがちな気がする。
きんこじ痛がるからの追放はやはり見れたのでhappy。西遊記モノといえば皆大好き悟空の追放回!
そしてら「俺のお師さん」発言は嬉しい。どうもやっぱりかわいいんだよな。
動き回る跳躍だ高い早い軽やかで脳が騙される。当然のように跳ね回っていますが、ジャンプ、高くないか?
あとこれは八戒などもですが棒術戦闘がすごく格好いい。
ところで途中どこだかで、耳あたりから如意棒をピョンっと伸ばして出すの、あまりに現実でびっくりしてしまった。ちっちゃくして仕舞っていた如意棒が伸ばして掴んで、すっ飛んで行ってしまうの、孫悟空でしかない。孫悟空が居たな……孫悟空が居ました。
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檻の内外で様々に話すところについて
ずっと「いいからそこから早くでろよ!出てよ!」と言ってるもうずっと昔に諦めてしまったことのある先生が、ついに会話のために檻の中に入っていく。
所謂���を割って話す、で言う所で、檻の中は"腹のうち"なのかもしれない。
檻のあたりのシーンは、沙悟浄と先生にとって��要なんだけれど、"お師さんがいてこそ"の状況の打開、というシーンでもあるように見える。
先生が言う「そこからさっ��と出て逃げてくれ!」は" 囚われているという実際的な状況"では至極ごもっともなんだけれど、あそこで一緒にいるのはあの"強いお師さん"で
この時直面している"先生の気持ちが置いてかれている状況"の打破としては、あそこであえて留まり語り合う、という選択がまさに「物理、実際的な問題に対しても己のうちをみる」お師さんのありようそのもの。
きっとここが悟浄と先生だけなら、先生が心象を吐露することにはならずに、沙悟浄もよく分からんまま慌てたまま、2人別れてしまいそうな気がする。
お師さんがただの弱い人でも、ただのお人よしだけでもなく、この人は本当に間違いなく強い人なんだ、という悟浄の解釈が説得力を帯びるシーンでもあった。
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先生と悟浄は旅が終わったら天上で一緒にお勤めしてほしいし、たまにはお茶でもしてほしい美味しいものを食べてあれこれ云々話していてほしいです。
そして円盤かブロマイドください。ネップリでもいいから…………。
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愛染明王坐像〔重文)奈良国立博物館蔵
建長8年、 山城国相楽郡〔現在の京都府木津川市)で、大仏師・快成と小佛師快尊・快弁の手によって東大寺大仏殿の焼け残りの柱材を用いて造像・建立された愛染明王。
願主は真言律宗の開祖・叡尊の高弟で阿闇梨の寂澄。
尚、叡尊の高祖は空海です。
真言律宗は真言密教とその戒律である三昧耶戒(さんまやかい)を修学する宗派。
三昧耶戒とは、サンスクリット語のサマヤ(約束・契約という意味)からきており、仏との約束に基づく戒めと誓約という密教だけに存在する戒律のことを三昧耶戒といいます。
鎌倉・室町時代に一大宗派に躍り出た真言律宗ですが、明治時代にこの宗派も例外なく薩摩・長州の輩連中による廃仏毀釈によって復活が不可能というくらいの壊滅的な被害を受けました。
しかしその後、さまざまな知識人や常識ある人々の助けもあり、現在、北は福島、南は熊本まで100近くの末寺を擁する宗団にまで復活しました。
数多な国宝を有する京都・浄瑠璃寺も真言律宗の寺院です。
浄瑠璃寺はもともと奈良・興福寺の末寺でしたが、薩摩・長州からの廃仏毀釈で壊滅的な被害を受けた興福寺と同じ被害を受けないようにと、真言律宗に転じ貴重な文化財を守りました。
鎌倉時代作、奈良国立博物館蔵の重文・愛染明王。
真紅の身体と三眼六臂の憤怒相、怒髪天の頭上には、ひとたび雄たけびをあげれば、どんな猛獣や邪鬼もおとなしくなるという獅子の冠、後部には執着や愛欲を焼き尽くす日輪形光背、腕には煩悩を打ち砕く五鈷杵に衆生の眼を覚まさせる鈴の五鈷鈴、悟りの世界の象徴である蓮の花、そしてトレードマークであるキューピットのような弓矢などを持っています。
仏教における仏は、そのいくつかが古代ローマ神話に出てくる神が起源になっています。
愛染明王もローマ神話の神クピードー(キューピット)が地中海からシルクロードを通り中央アジアでヒンズー教の神仏に姿かたちを変え、日本に伝わってくる過程で、このスタイルになったといわれています。
愛染明王は左手の第三の手だけは何も持っていない金剛拳のように見えますが、この拳の中には衆生の思いや願いに応じるための摩尼宝珠を隠し持っています。
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読書の記録
(日本人)かっこにっぽんじん 橘玲
想像していたよりも���大なテーマ。
データ等を駆使し、世界情勢や歴史、宗教等様々角度から語っています。
私の頭では、ちょっと入り込めない部分もあり、中盤からダルダルな感じでなんとか読了。
そのまま記録に残すかしばらくダルダルしていたけど、見返すと興味深い内容もあったので、メモを残すことに。
新型コロナ騒動��りずっと前に書かれた本ではありますが、ウイルスのことについても触れていまいた。
【メモ】
✏日本人は戦争が起きても国のためにたたかう気もないし、自分の国に誇りも持っていないのだ。
✏貨幣空間の拡大(市場原理主義)というのは、世界の歪みを平準化する運動のことだ。 経済のグローバル化は北と南の経済格差を解消させる巨大な圧力だ。しかしこの無慈悲な市場メカニズムは、経済的な弱者を振り落とすことで先進国のなかの格差を拡大させていく。 たとえ世界全体が幸福になったとしても、ひとは自分が(相対的に)貧しくなることに耐えられない。その意味でグローバル化は、私たちの生活を破壊する侵略者なのだ。
✏貨幣空間が拡張するのは、私たちがそれを望むからだ。ほとんどのサービスが貨幣で購入できる社会では、親戚づきあいは不要になり、友だちとの関係もドライになっていく。ようするに、ベタな人間関係は面倒くさいのだ。 だがそれと同時に、私たちはこのような”無縁社会”に根源的な不安を感じてもいる。ヒトは長い進化の歴史を通じて、ずっと集団(共同体)のなかで生きてきた。群れからの追放は、ただちに死を意味した。ヒトは一人で生きていけるようにはできていないのだ。
✏ヒトは確率的な出来事をうまく理解できない
✏ウイルスが宿主を病気にさせるのは、咳やくしゃみ、下痢といった防御機構を作動させるためだ。宿主が体内からウイルスを排除しようとすることで、手足のないウイルスは遺伝子を他の宿主に移植させることができる。 このことから、ウイルスや病原菌など「寄生者」の目的が、宿主を殺すことではないことがわかる。
✏しかし感染症とのこのたたかいに、人類が最終的な勝利を収めることはけっしてない。それは、寄生者の生き残りの戦略のほうがはるかに巧妙で強力だからだ。 寄生者の武器は、数が膨大なことと寿命はきわめて短いことだ��頻繁に世代交代を繰り返すことで進化の速度は上がり、新種の抗生物質に対しても、たちまちのうちに抵抗力を持つ細菌やウイルスが現れる。
✏狩猟採集生活では、穀類や果実、動物の肉などから炭水化物やビタミン類、たんぱく質を摂取したが、脂肪や砂糖などはきわめて稀少だった。そこで私たちの脳は、このような得がたい機会に遭遇したときは、可能なかぎり多く食べるよう命令を下す。「甘いものを食べると幸福な気持ちになる」のは、大量摂取を促すプログラムなのだ。
✏白人とニューギニア人のあいだに人種的な優劣があるのではなく、歴史や文明は地理的な初期条件のちがいから生まれた
✏だがこれは、彼女たちにとってはファッションの問題ではなかった。みんながルーズソックスのときに、一人だけストレートソックスをはくのは危険なのだ。本人たちが意識しているかどうかは別として、彼女たちは”生き残る”ために同じ髪型、同じヘアメイク、同じソックスに揃えようとしたのだ。
✏ニスベットは、その他の実験においても、西洋人がこのような「分類学的規則」を素早く見つける傾向があることを明らかにした。それに対して東洋人は、規則を適用してものごとをカテゴリーに分類することが苦手で、そのかわり部分と全体の関係や意味の共通性に関心を持った。 (中略) 西洋人は世界を「名詞」で考え、東洋人は「動詞」で把握しようとしているともいえる。
✏西洋人の認知構造が世界をもの(個)へと分類していくのに対し、東洋人は世界をさまざまな出来事の関係として把握する。この世界認識のちがいが、西洋人が「個人」や「論理」を重視し、東洋人が「集団」や「人間関係」を気にする理由になっている。
✏インドで興った仏教は、中国で漢訳される際に変容し、日本に伝来したときにもういちど変容した。これは、もともとその国のひとたちが持っていた認識構造に合った思想しか受容されなかったからだ。
✏風光明媚な自然を愛でる日本人には、この世界を穢土とする思想はまったく理解不能だった。そこで日本の仏教者は、仏へと至るステップをひとつ飛ばし、現世をいわば極楽浄土に格上げすることで、死ねばすぐに(修行抜きで)仏になれるようにしたばかりか、生身の肉体のままで究極の悟りを得る「即身成仏」の思想まで”創造”した。
✏私たちは快適な家に住み、季���に合わせた服を着て、山海の珍味を楽しんでいるが、そのなかで独力で獲得できるものは数えるほどしかない。高度な文明社会では、ひとびとは”無力”になることでゆたかになっていく。 狩猟採集の民が現代人と遭遇したら、彼らは私たちがなにひとつできない(火を起こす方法すら知らない)ことを笑うだろう。
✏真の意味でのグローバルな宗教は、キリスト教と、ムハンマドが新たな預言を得て聖書を再解釈したイスラム教のふたつしかない。仏教は「法治」によって、儒教は「人治」によって身分や民族の壁を越えようとしたが、そこでは「神」が世界を支配しているわけではない。
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聖剣RoM その47
※その45と対になる物語
そこは世界樹に滅ぼされようとする世界だった。
世界樹の根から生まれるという魔物『フェノメナ』に襲われる人々。
魔物たちに懸命に抗う者もいたが、そういった勇気ある者たちは、世界樹のふもとに居する女神『フォロン』と「フォロンの子ら」と呼ばれる重剣士『ビブラ』、拳闘士『トリュー』によって蹂躙される運命にあった……
「案ずるな。貴様らの汚れた魂は、我が『パラトピア』にて浄化され、永遠の安寧秩序を得るのだ」
フォロンは、生気をなくした人々に穏やかな声で呼びかける。
今や、世界の命運は尽きようとしていた。
あるとき、ひとりの少年がフォロンを倒す手がかりを得るため、決死の覚悟で世界樹へと近づく。
そこに現れたひとりの少女。
彼女の後を追って現れるフェノメナたち。
少女を守りつつ、数体の魔物を倒した少年だったが、徐々に追いつめられていく。
彼らが死を覚悟した瞬間ー
少女の眼が紅く輝き、巨大な光の狼が彼女の内から出現する。
『心獣ドラン』と名乗るその巨狼が一吠えした瞬間、少年と少女は見たこともない森の中にいた。
何が何やらわからぬまま、旅を始めるふたり。
これが世界を救う旅になるとも知らず……
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241124 EXTRA
位置情報出てるの教えてくれた方、どうもです。設定変えました
自分にポジティブな興味持ってくれる人がいなけりゃ気づけないアレでした
既に公開されてしまったものはポスト消さない限り残り続けるっぽいですね。本意じゃないけどまあいいです...
いや、消せたわ。ただしPCからのみ。位置情報吐いてるのはスマホなのに消すにはPC必須って罠だろ
まあいい。他人がお膳立てしたものにはオールウェイズ隙と穴がある。そ���から悪い学び得るか良い学び得るかは当人の態度次第っす
◆今日の冷蔵庫:
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今朝の朝食は冷凍ブロッコリーとチキンナゲットとベーコン
娘は野菜にドレッシングかけずに食べるのが好きで「これかけるよ」言ったら「ドレッシング苦手」と言うから「苦手じゃなく単に経験値少ないだけでしょ」言ってかけて食べさせたら「おいしい」と言って食べていた
「今満ち足りているにもかかわらず他者から押し付けられる"未知のもの"は概ねよくないもの」という学びは最悪である
なぜならば成長するには「飢餓」こそが大事であり「充足を人生の完成と捉えることに勝る破滅フラグはない」からである
だから私は「ガワ」は頑強にするがその中身に関しては定期的に「からっぽ」にしたい
なるほど。自分の子供というものは見た目こそ自分のガワを受け継いでいるが、中身はからっぽなのだ
だから私は(無垢で空っぽな)子供が好きなのだ
玉石混交でゴミと宝石が癒着した「どろどろ」で満たされた肉袋なんて大嫌い... でもないか、なんなら心の底から愛せるし、愛していたわ
ゾンビに救われたゾンビが「人」に憧れ「人の子」を育ててゆく
そういう善意の連鎖と浄化の物語が、好きだ
このバジル&チーズは「ほしいものリスト」からプレゼント頂きました。正直現物見るのも使うのも初めてですが「脳内に最初からあった完璧な味」です
かつて最高に自分好みの調合バランスでそこそこコストかけてサラダ作ったら「まんまマックのハンバーガーの味」になったという体験があり、わたしの無意識が欲している理想の味はマックなんだ...と悟って凹んだことがありました
今は「そりゃそうだ世界中で愛されているド・メジャーな味だもの」と自分のありきたりな感性を許してい��す
このドレッシングはかけるだけでマックの味に容易に肉薄可能な加速装置です
【✓】
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窓辺に置かれた観葉植物を見つめながら、主人公はふと、遠い記憶の中に眠る静かな風景を思い出していた。かつて、心の奥底を濁らせていた陰りが、どこか遠い山の霧のように少しずつ薄らいでいくのを感じる。心に巣食う不安や孤独、虚しさが、葉の一枚一枚に触れ、埃を拭いながら癒されていくようであった。
葉をそっと撫でると、その冷たさと柔らかさが指先に心地よく伝わり、かすかな息吹がその小さな葉に宿っていることに気づく。主人公は、植物の成長が、じんわりと自分自身の内面にも新しい感覚をもたらしていることに気づいた。「植物は黙して何も語らぬが、ただそこに在り続けている」。その静かさが、心の奥底を洗い流すように沁み渡ってくる。
部屋の中の掃除も、同じように心をほぐしていった。日々の埃を払い、消毒を施し、床を丁寧に磨く。そうしているうちに、心の中で鬱々と積み重なっていた不安や、過去の傷が少しずつ剥がれ落ち、薄いヴェールのように消え去っていくように思える。以前はただの作業でしかなかった掃除が、今ではひとつの儀式のように、心を浄化し、整えてくれる大切な時間へと変わり始めていた。
静かな時間が流れる部屋で、心の病が少しずつ緩やかに解けていくのを感じると、主人公の目に浮かぶ世界もまた、少し明るさを帯びてくる。日々繰り返される何気ない動作に、ただ静かな幸福を感じられるようになった自分に気づく。
またある日、料理を作りながら、塩のひとつまみをそっと鍋に落とす。味見をするたびに、絶妙な塩梅が少しずつ整えられていき、ほのかな旨みがゆっくりと口の中に広がる。その瞬間、主人公は、ひとしずくの塩が、どこか心の奥にも作用し、長く渇いていた部分にじんわりと沁みているような感覚に包まれた。細やかな調味料の一滴が、心のざわめきをも落ち着かせ、内面に小さな安堵をもたらしてくれているのだ。
観葉植物と静かに向き合い、日々の掃除と料理を続けるなかで、主人公の心は穏やかに、しかし確実に回復に向かっていた。ふと窓の外を眺めると、淡い光が部屋を優しく照らしている。心の病があったからこそ気づけたこの静けさが、日々のささやかな営みを通して、少しずつ、主人公の心を温め、支えてくれているかのようであった。
川端康成が描くような、静謐でありながらも心に深く響く世界が、主人公の中にゆっくりと広がっていく。そして、何もかもが「これで良いのだ」と、ふと、そう思える瞬間が訪れる。その小さな悟りを胸に抱き、主人公はまた、今日も観葉植物の葉にそっと手を添え、日々の生活を織り上げていくのであった。
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【解説】Rowing
はじめに
かなり前に仏像(弥勒菩薩半跏思惟像��をテーマに曲を作ったことがありま��。僕は仏像が好きなので。 別に信心や信仰があるわけではないし、スピリチュアル的なものもそこそこ苦手なのですが、仏像ってやっぱりすごい。デザインのためのデザイン。通常、デザインはなにか利便性を軸になされるものですが、信仰のデザインは純粋な必要から来ているような気がします。 衆生(人々)を見逃すことなく救えるように、顔が十一つある観音立像。立ち上がろうと腰をほんの少し浮かせた阿弥陀三尊像には、今まさに極楽浄土からお迎えに来たその瞬間を表わしている……。 こういった直接的でダイナミックな抽象化が仏像にはあります。そしてそれと音楽って親和性高いなあとよく思っています。 なので過去に書いた曲に加えて、二曲の仏像テーマの曲を追加して、アルバムにしてみました。
1.普賢菩薩騎象無蓋
普賢菩薩騎象像がモチーフです。 普賢菩薩の一つの解釈は、「行」つまり実践的な修行(慈悲の実践)を司る存在ということです。 そして諸説ありますが普賢菩薩は、古くから女性の間で信仰されていました。 仏教における女性の位置づけというのは、ここで語るには大きすぎるテーマなので詳しくは触れません。しかし当時から、今もなお苦しい立場の女性たちの結束の一つの拠り所になっていたことは事実です。
象に乗った普賢菩薩が道なき道を行き、苦難を進む姿を、三拍子ベースで歩みとして表現しました。
2.釈迦苦行魔境
釈迦苦行像がモチーフです。 まさに骨と皮と言った様相の像です。 釈迦のエピソードの数々はあまりにも有名ですが、そのなかでもすごいなと思っているものがあります。 釈迦は29歳のときに苦行の修行に出ました。断食をしたり、息を止めたり……。 これからは厳密な考証はしていないのが前提ですが、釈迦は息を止める修行で口と鼻をふさいだそうです。そうすると、なんと内にこもった息が凄まじい音を立てて耳から流れ出たとか。
そして耳の呼吸までもを止めると、次は激しい風気が頭の頂きを衝き上げ、鋭い刃に刺されるようだったとか……。
ヤバすぎ。
でも本当にすごいのは、これらのことではありません。釈迦は6年間こういった修行をしたそうですが、その後「なんか違うのでは」と思ってやめたそうです。 これがすごい。 そもそもこれらの修行は解脱のため。達成すれば永遠の生の苦しみから解脱して、完全開放! 消滅! 永遠にオッケー! そういったモノがかかっているわけです。苦行を6年も決死の覚悟でがんばったときに、人は「やっぱ違ったわ」って言えるも���なのかと。 さらにすごいのが、釈迦はそこから別の道でちゃんと涅槃に至るわけです。つらすぎて無理……。もう仏教とかどうでもええわ……ってならないの!?
というわけで、苦行の曲です。 極限の音楽という感じにしてみました。苦しみってダウナーではないんですね。極限の負の感情は、振り切ったハイテンションと同じだと思います。エクストリームなものなんです。 声や、声を模した音は、「やめちゃえよ」「意味ないよ」のささやきをイメージしています。まさに魔境状態。 でもこれが正しかったんですね……。魔境を超え魔境へ着地する。やっぱりすごい。
3.Idea
チュウニズムの公募に応募した曲です。 複数のキャラクターから一人選んで、その子をテーマに作りましょうというスタイルの公募でした。 僕が選んだのはニニカという女の子でした。情報として提示されているのは、曖昧な詩のような文章。彼女は自称哲学者で、シニカルで、懐疑的で、拗ねたような人物。 自分のアイデアがアイデアをさらに増やし、考えるからこそ考えることが増える。そういうような文章に見えました。 なので曲も、複雑なパッセージのなかに、いろいろなフレーズが湧き上がるようなものにしました。 あとは音ゲーの公募にふさわしく、音ゲーっぽいラスボス感も入れました。
4.渡るべくして渡る川
アレンジ祭というイベント(そういうものがあります)に出した曲です。 自分の作るものに川というモチーフはすごくよく出てくる気がします。 時間、超えるべきもの、日常のなかでうっかり落ちそうな場所など、ちょうどいい感じがしますね。
5.透明な航路を辿って
これもアレンジ祭に出した曲です。 シャーマンの曲。 シャーマンというのは、シャーマニズムにおいて超自然的な存在と直接交流・交信・コンタクトを取る役割を担う役職です。これに近い存在はいろいろな国、地域のコミュニティで見られます。 この曲を作った当時、世界の若い人のなかでシャーマン的な立ち位置になる人が増えているみたいなニュースを読みました。まさにシャーマン的な降霊をしたり、普通にそういう動画を投稿したりだとかもするとか(インターネット!)。 そこそこマジかよと思ったものですが(ちょいこわ)、それでもなんか、そういうアニミズムっぽいプリミティブなものを媒介する存在って、すごく普遍的で、目に見えないネットワークで世界中にあるんだな……的なことを考えたものでした。
曲のイメージとしては、海の下に見えないネットワークがある、という情景です。 コーラスが和洋折衷なのはそこんとこです。
6.Wat Prathat Phasornkaew
ワット・プラタート・パーソーンケーオというタイの寺院がモチーフです。 これはもう絶対画像検索してほしいです。タイ、ペッ���ャブーン県タンデーン村の山の上にある、修行のための寺院だそうです。 これの記事を読んだときは本当に衝撃でした。おもしろさとか、奇抜さの驚きよりも、本来の意味での世界観、つまり「世界の観方」の顕現そのものだなと。調べてみると、一つ一つの建造物に意味があります。きっとこの場所で行われる修行に意義をもたらしているのでしょう。 元々二時間DTM(そういうのがある)の「ギターのみでの作曲」のお題が出たときに、ちょうどこの寺院の記事を読んでいたので、エレキギターのみの曲と相性がきっといいぞお! と思って作った曲でした。 これもやっぱり極限! というイメージで、寺院の印象を思ったように作りました。 また、このアルバムに収録するにあたって、最後の方にベースを足しました。やっぱベースはあった方がいいね。
7.Touch
アンビエント・ミニマルのコンピレーションアルバムに出した曲です。 アンビエント、ミニマル両方作っていいなら、それらを横断する曲にしようと思って作った曲です。 序盤のアンビエントは音の誕生。曖昧なほわほわからモチーフが生まれてくるような感じ。赤ちゃんの意識みたいな感じ。泡沫。 中盤のミニマルは、繰り返されることでモチーフが確立されていく感じ。 後半にはモチーフの音楽である古典音楽っぽい部分があります。古典音楽付近の音楽には、同じモチーフ(小さなメロディ)を繰り返したり、反転させたり、いじったりして、最小単位を少なくして作曲するのが美しいという美意識がありました。それとミニマルミュージックって似てるなあと思って、そんな感じになりました。 最後はやっぱり複合的な感じで終わります。大団円だもんね。 赤ちゃんが育っていくみたいな、理屈の成長、複雑化みたいなことをテーマにしています。
8.弥勒菩薩半跏思惟世界
一番最初に作った仏像シリーズの曲。アレンジ祭の曲でした。 これは単純に仏像ってかっこいい! っていう動機で作った感じです。 名前の通り弥勒菩薩半跏思惟像がモチーフです。弥勒菩薩が悟りについて考えてるところ。 弥勒菩薩は文字通り菩薩(修行者)で、悟りを得てブッダとなった釈迦の入滅後56億7千万年後にこの世界に現われ、悟りを開き、人々を救済するとされています。
数字、デカいねぇ~~~!
でも、それだけかかってやってくる救済ってのは、やっぱりすごいんだろうなということで、楽曲の後半はエンジンがかかったようにテンポが早くなります。 56億7千万年の長い時に負けないように、ポリフォニックで、絡み合うような、素敵な音楽を目指しました。
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2024年10月7日
ガザ戦闘から1年 現地通信員が見た戦場(朝日新聞 10月7日)
「世界は僕たちが死ぬのを見ていただけ」 だれも止めぬガザ侵攻1年(朝日新聞 10月7日)
パレスチナ自治区ガザでのイスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘開始から7日で1年経つが、終わりが見えない。死者4万1千人超――。街が破壊されたガザの人は何を見て、何を感じてきたのか。朝日新聞のムハンマド・マンスール通信員が報告する。
友人に「見てくれ」と促され、スマートフォンに表示されている動画に目をやった。9月19日のことだ。見たことのある光景があった。パレスチナ自治区ガザ南部ラファ。私が住んでいた街だ。
戦闘が始まって1年近く経ったパレスチナ自治区ガザ南部では空爆や砲撃を完全に免れている建物は少ない=2024年9月25日、ハンユニス、ムハンマド・マンスール撮影
マンスール通信員が語るガザ 食料不足に加えて、衛生状況も悪化しているガザで、市民たちはどう生きているのか。記事の後半に出てくる、もう一つの動画では、朝日新聞のムハンマド・マンスール通信員が、街を歩き、テントを訪れ、人々の生活を追いました。
次の瞬間、動画の中で爆発音がして、煙が上がった。
「ここにあるの、お前の家だろ!」
友人が泣き出しそうな声で叫んでいる。その通りだった。
動画はイスラエルの極右グループのテレグラムチャンネルに投稿されていた。イスラエル兵と思われる男の声がした後、建物や地上に仕掛けられた爆弾が爆発した。ヘブライ語で視聴者にこう話していた。
〈このラファでの爆発をあなたたちに贈ります〉
隣で心配そうに私の顔をのぞき込む友人��声が、とても遠くに聞こえた。
私の家が完成したのはこの戦闘が始まる直前だった。借金を背負い、少しずつ建てた家の完成には4年間かかった。
壁は明るい白を基調にして、居心地のいい空間になるよう、内装の細部にまでこだわった���自分たちのルーツであるアラブと、暮らしやすい西洋の様式を組み合わせたような雰囲気で、壁には馬や鳥の絵画を飾った。
イスラエルに周囲を壁やフェンスで封鎖されて「天井のない監獄」と呼ばれるガザ���環境下でも、昨年8月に結婚した妻と一緒に、なんとか穏やかで幸せな生活を求めて暮らそう。そんな願いと、覚悟の詰まった家だった。
だが、そのすべてが完全に破壊された。
奪われることがこれほどの痛みを伴うのならば、初めからなかったらよかったのに、と思う。
ここガザでは、「ただ生きるということ」には大きな代償が必要とされるらしい。
生きるため、転居5回
私は、生まれ育ったラファから今住むハンユニスのテントまで、この1年間で何回住む場所を変えたのかを数えてみた。
5回までは覚えていた。だが、その後は記憶にない。戦闘が激しくなるたびに、私は家族と一緒に、時に家族とばらばらに生活した。避難所、知人の家、そしてテント。目的は「生きること」だった。
一方、「死」は大安売りだ。そこら中に転がっている。私たちは生きていくため、水やパンを手に入れるために何時間も長蛇の列に並ぶ。浄水施設は空爆で破壊され、きれいな水は手に入らない。
そのため、どこならそれなりに「使える」水が手に入るのかを知人たちと情報交換しながら探す。無料で手に入れられるはずの支援物資の食料も、今や市場で高値がつ��。高騰した価格をみると、私たちの命より高いのではないかと思う。
【動画】ルポ「侵攻から1年 ガザで暮らす人々の今」=ムハンマド・マンスール撮影
ガザでイスラエルとハマスの戦闘は過去に何度も繰り返されてきた。2014年の戦闘では、50日間でパレスチナ側で2千人以上、イスラエル側で71人が死亡、21年の戦闘では11日間でパレスチナ側で約250人、イスラエル側で13人の死者が出た。
だが、今回の戦闘の発端となった昨年10月7日のハマスの越境攻撃では、イスラエル側で約1200人が死亡した。イスラエルの報復がこれまで経験したことがないものになることは想像できた。戦闘は長く、苦しいものになるだろう。私だけではない。ガザの人たちの多くはそう思っていた。
それでも戦闘が1年も続き、4万1千人以上が殺されることは予想できなかった。国際社会がここまで止められなかったことも。
パレスチナ人だから、しかたないということなのだろうか。もう、私は世界を信じられない。それでも信じるべきだと言うならば、その方法を教えてほしい。ただ、それでも、私は言葉を書き、写真を撮り続けるしかない。他にできることがないのだ。(ハンユニス=ムハンマド・マンスール、構成・エルサレム=高久潤)
孫たちが嫌う「豆ごはん」
避難所になっている国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の学校で、食事を作るマリヤム・ディーブさん=2024年9月9日、パレスチナ自治区ガザ南部ハンユニス、ムハンマド・マンスール撮影
どこにも逃げることができない。イスラエル軍の攻撃にさらされるガザの人たちはこの1年、どんな生活を強いられてきたのか。
ガザ南部ハンユニスの国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営する学校で、8人の孫と避難生活を送るマリヤム・ディーブさん(54)は、毎朝午前4時ごろ起床する。
家族の命をつなぐ水を手に入れるためには、長蛇の列に並ぶ必要があるからだ。
待つこと、数時間。水を持って戻ると、太陽はすでに空高く昇っている。
一休みしながら考え始めることは、その日の食事をどうしようか、ということだ。ただ、それは平和な土地に暮らす親たちの悩みとはかなり異なる。
まず、献立には悩む余地がない。今のガザで手に入るのはたいてい、豆の缶詰だ。次に手に入るのは米だ。炒めた米に、豆を付け合わせる。おいしいとは言いにくい代物で、その証拠に孫たちはその「料理」を非常に嫌っている。
孫たちは「豆ごはん」を前にするたびに、けわしい顔をしながら食べる。ディーブさんは言う。
「おいしいものをおなかいっぱい食べさせてあげたい。でも今、私にできることはこれ以外にない」
避難所になっている国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の学校で暮らすマリヤム・ディーブさん(左から2人目)と孫たち=2024年9月9日、パレスチナ自治区ガザ南部ハンユニス、ムハンマド・マンスール撮影
避難所の衛生状態も深刻だ。利用できる公衆トイレが見つからない。男性は物陰で用をたすのが当たり前になっているが、女性はそうもいかない。何時間も公衆トイレを探す人も少なくない。
トイレを見つけたとしても非常に汚い。そんな環境で、孫たちはバケツの中で用を足し、父親が離れた場所まで処分しに行っているという。
居住空間と排泄などの空間が交わり合っていることで、人々は常に、病気に感染しやすい状況にさらされている。
「石器時代みたいな生活」
そこから北に3キロ。地中海沿いの海岸で家族とともにテント暮らしをしているショルク・ダワスさん(19)は、ガザ北部からここに移り住んできた。ダワスさんは自身の生活を「石器時代みたいだ」と語り、涙を流した。
海岸で父親が立てたテントに小さい妹たちと暮らす。眠るのは、使い古されたマットレス。「どこの誰のものかは知らない。避難をしているとき、空爆で破壊された建物の跡で拾った。海岸の砂の上だと硬くて眠れないから」とダワスさんは言う。
最近4歳の妹が成長して靴のサイズが合わなくなった。そこで父親が廃材を使って、妹用のサンダルをつくった。
ダワスさんは、戦闘が始まる前までガザの海が好きだったと語る。だが、今は嫌いだという。空爆の音が風にのってよく響くからだ。「1年経っても、この音は慣れない」
ガザは、「物があまりない」生活に残念ながら慣れている地域だ。
イスラエル軍が2007年にガザを封鎖し、人や物の行き来を徹底的に管理するようになった後、私たちはできるだけ自分たちの地域の内部で採れる農産物や、国際機関による外から入ってきた支援物資で生計をたてることが日常になっている。しかし、この1年は農地が破壊され、検問所がほぼ閉鎖され、210万人の人口の9割以上が食料不安に陥っている。
ダワスさんのテントの近くには夜になると、いい香りがする場所がある。
地元でおなじみの料理ファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)などの露店が並ぶ。ガスはなく、まきをみんなで割って分け合いながら運営している。「食事」と呼ぶには、一人前は少量なのだが、安い値段でありつくことができ、人々の笑顔が見える。
家族の生活を支えるため、露店を始めたフサム・ナイムさん=2024年9月8日、パレスチナ自治区ガザ南部ハンユニス、ムハンマド・マンスール撮影
店を出している人たちのなかで、ひときわ若い少年がいた。フサム・ナイムさん(14)。自分で作った木のテーブルに、菓子などの食品を並べた簡素なものだ。この1年について、「まるで何千年も経っているような感じだ」と疲れ果てた表情で話した。
ナイムさんの言う通りだ。ガザの人々は、人間が到底耐えることができない量の死と、恐怖と、苦しみにさいなまれてきた。
私は日本の新聞で伝えるジャーナリストだ、と彼に伝えた。最後に聞きたい。世界の人々に、伝えたい言葉はある?
ナイムさんは、少しの沈黙のあと、首を横に振った。
「みんな、僕たちが死んでいくのを無慈悲に見ていた。誰もこの戦争を止めてくれ���しない。伝えたいことも、伝えるべきことも何もない」(ハンユニス=ムハンマド・マンスール、構成・エルサレム=高久潤)
生産能力を奪い、外部依存を強いる「反開発」
「ガザはこの1年だけで破壊されたのではない。破壊され続けてきた」。米ハーバード大中東研究センターのサラ・ロイ上級研究員は、今回のガザ戦闘について、イスラエルの60年近い軍事占領の歴史的な文脈から考えるべきだと指摘する。
ロイ氏は、ガザでの現地調査を踏まえ、1980年代からガザの占領問題の政治経済学的研究を手がけてきたことで知られる。両親は第2次世界大戦のホロコースト(ナチスドイツのユダヤ人大虐殺)の生存者で、親族もイスラエルにいる。イスラム組織ハマスの攻撃でイスラエル側で約1200人が殺され、ガザに200人以上が拉致されたことに「耐えがたい感情をかき立てられた」と振り返り、「ハマスの残虐行為は責任を問われるべき戦争犯罪だ」と批判する。
一方でハマスが実効支配するといわれるガザは、イスラエルが実質的に支配し、抑圧を強めてきた現実を無視するべきではないと言う。
イスラエルは67年の第3次中東戦争で、ガザを占領した。その後、2005年にイスラエル軍と入植者はガザから撤退。ハマスがパレスチナ自治政府内の権力争いの末、この地域を掌握して07年から統治し、イスラエル側は安全保障上の理由で、ガザの四方を封鎖し、人やモノの行き来を厳しく制限してきた。
ロイ氏は、イスラエルのガザ支配の特徴を「反開発」という言葉で説明する。低い開発レベルの貧困を意味する「低開発」に対して、開発をできないよう生産能力を意図的に奪うことを意味するという。パレスチナの人たちが、自らの力で自分たちの未来を形づくる能力を奪い、生活を外部に依存する状態を強いる支配だ。
「反開発」の支配が完成に向かうきっかけになったのは、封鎖が行われた07年前後だという。封鎖で、ガザの経済の民間部門は壊滅的な打撃を受けた。ロイ氏によると、英NGOのデータで、燃料の搬入制限を通じてガザの約3900の工場のうち95%が閉鎖に追い込まれた。封鎖前に雇用者数の58%を占めていた民間部門が21%に減少した。自分たちで経済を発展させられない構造になっていったという。
ガザは今回の戦闘が始まる前の時点で、人口の8割が国際機関の支援に頼り、失業率も5割近くに上った。こうした状況はとりわけ、移動や貿易の緩やかな制限も含めると、90年代から始まり、「時間をかけてつくられてきた」と指摘する。
イスラエルは今回の戦闘が始まって以降、自分たちはかつてはガザに入植していたもののすでに撤退しており、ガザとは関わりないのに、ハマスが攻撃してきたと強調する。ロイ氏は、「イスラエルがその後もガザの領空、通信、海上・陸上交通を支配している。徹底的な境界管理も続けている現実は占領」とし、イスラエルの説明は誤りだと指摘する。
この1年の戦闘で、ガザ全域が破壊された。ロイ氏は、もう一つのパレスチナ自治区のヨルダン川西岸でユダヤ人入植者たちがパレスチナ人を��撃し、さらに入植地を拡大させようとする動きにも警鐘を鳴らす。今回の戦闘で破壊されたガザに加え、西岸でもパレスチナ人が住める場所が年々小さくなっているからだ。
「欧米は(イスラエルとパレスチナが将来的に国家として共存する)『2国家解決』を主張しているものの、実際はパレスチナの人たちが住む場所が失われつつあることに対抗できていない」という。
今後のこの地域に平和をもたらすことはできるのか。「とても難しい」としつつ、「パレスチナ人に自分たちの命や生活に関する決定権を保障することが最低限の条件だ」と話す。そのためには、イスラエルの軍事占領を終わらせることが不可欠だ、と述べた。
Sara Roy 1955年、米国生まれ。米ハーバード大中東研究センター上級研究員。パレスチナ自治区ガザで、80年代から現地調査を繰り返し、ガザの政治経済の構造分析で知られる。著書に「ホロコーストからガザへ パレスチナの政治経済学」「なぜガザなのか パレスチナの分断、孤立化、反開発」(いずれも編訳岡真理・小田切拓・早尾貴紀、青土社)がある。
コメントプラス
平尾剛(スポーツ教育学者・元ラグビー日本代表)【視点】 心がかきむしられて冷静に読むことが難しい記事だった。
フサム・ナイムさんの「みんな、僕たちが死んでいくのを無慈悲に見ていた。誰もこの戦争を止めてくれはしない。伝えたいことも、伝えるべきことも何もない」という言葉に、途方もない後ろめたさを覚える。彼が言う「みんな」と、記事のテーマにある「世界」には、当然のことながら「私」も「私たち」も含まれているから。どうしよう���ない無力感とともに、各国首脳など権力を有する個人や団体への憤りが同時に湧いてくる。たまらない。
いまの私には虐殺の現実をこうして伝えたり、授業やゼミで学生たちに伝えることくらいしかできない。あまりの悲惨さにたじろぎ、何の役にも立たない自らへの苛立ちを抱えながら、地道に伝えていくことにはほとんど意味がないかもしれない。それでも私はこうして伝えていく。
ともに生を営むこの地球上で、目も当てられない事態が引き起こされている。まずはこの現実を知ること、そしてこの現実に心を痛める人を増やしていかなければ、解決には至らない。たとえささやかな抵抗であってもそれを表明し続けたい。イスラエルを受け入れることは、私にはどう逆立ちしてもできない。ガザで暮らす人たちの苦悩が、1日でも早く霧消することを心より願っている。
浅倉拓也(朝日新聞記者=移民問題)【視点】 ガザやシリアと言えば、ついコンクリートが崩れ落ちた街を想像してしまう。でも、破壊されたマンスール記者の自宅は、4年がかりで借金をして、内装の細部にもこだわって、戦争が始まる直前についに完成したものだったという。また、ある4歳の女の子はこの1年間で足が大きくなって靴が合わなくなり、父親が廃材でサンダルを作ったという。被弾で子どもが大けがをして血だらけになったわけではないけれど、4歳の子の新しい靴が手に入らないのは確かに大問題だ。ニュース映像でちらっと見る彼らは私たちで、私たちは彼らなのだと思い知らされる記事です。
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--深海人形-- 賢い老人は、愚かな若者に勝り、愚かな老人は、此の世で最も要らない重荷である。
※閲覧&キャラ崩壊注意
※ショタリョナ・男リョナ他過激ネタ注意
※後半クロスオーバーネタ注意
※名指しでの誹謗中傷、各所での晒し行為、不自然な迄に頻繁な通報行為、その他サイバー加害行為等の、余りに嫌がらせが酷い場合は、人権擁護団体か弁護士に相談します。場合によっては、開示請求及び提訴するかもしれません。
政府「此れから、75歳以上の皆様は医療費3割負担です!!(※例の奴採決済)」
年寄り「キシャァァァアアアアアア!!!!!!!老人差別!!!!!!!!!(※許さんぞ政府!!!!!!!!!!!!!)。」
政府「老兵は去るのみと言う言葉知ってますか?()。」
…。
97のニューフェイスチームエンディング見たら彼等の(特にシェル美さん)の印象変わる(※180度完全に)。そして、無論、参考にしてる(※見てない人は是非見て欲しい)。
彼等は一見軽そうに見えるけど、決して其うでは無いんだなって言う事が分かる(※此処等辺はネスツ編並に重い)。
…。
サイキックフォース 2012は、全体的に精神に堪える。対ウィンディ戦後にエミリオが言う「…うっ……頭が……。」とか対マイト戦勝利後のパティの「マイト……。」が一番精神に堪える。だけど故に好き(※色々と常軌を逸脱してる名作だし)。
…。
サムスピシリーズで色々働いて下��る黒子サンの特技は、『死者蘇生(王大人と同じ)』で、此の点は、サムスピも男塾も同じですね。じゃ、断末奥義も絶命奥義(※特に羅刹丸婆娑羅外道水邪の)も喰らわせ放題じゃん(※大歓喜)。
同じ事前にも言った(※様な気がする)けど、そーけつとふーけつと館主様に『臓腑抉り』、『獄門』喰らわせたいです(※絶命⭐︎勝利)。
…。
ウォーザードのムクロにも、羅刹丸と同じ演出あったのに、全然問題にならなかった所は……ウォーザードのマイナーさを物語ってますよね()。
…。
前何処かで書いたけど動物連れてる人達が絶命奥義食らったり斬殺された後にちゃんぷる、ままはは、ぱぴぃが「…みな、みなぁ〜!!」みたいに泣いて縋ったり、吠えたり、遠吠えしたりと主人達の嘆き悲しむ演出がとてもsnkらしくて細かくて良い(※天サムでそうげつがかづきを斬殺した時の勝利デモも途方も無く悲愴感が漂って居て大好き)。
…。
ガソダムシリーズのパイロット達でセイヴァーか零SPみたいなゲー出して欲しい(※モーコンとかサムスピ好きな海外勢は、こぞって、かつて無い程に群がって買うから)。
…。
炎邪たその絶命奥義はね、炎邪たそらしい純粋な『パワーッ!!!』みたいな演出で良い。好き。同じく、水邪様の絶命奥義もですね、今迄笑い者にしてたけど、あの絶命奥義見た途端、一気に「如何か御許下さい(※すみませんでした)。」…と息を呑んで、掌返しした位に好き(※其れ位、正に、神憑った技)。
…。
反応しないのも歴とした一種の反応です。…と言う訳で、絶命奥義 獄門か炎邪たそか水邪様の奴行きます(※何れも検索厳禁)。
…。
ガソダムシリーズ式究極神拳・Fatality(※=絶命奥義)一覧
ビームサーベルで焼いて消し炭にする
MSの手で人間を握り潰す
某フレッシュトマト味の様に「やめなさい!」と潰す
コックピットに物理攻撃を直撃させてミンチより酷い状態にする
コロニーレーザーで焼く
サイクロプスでレンチンする
……未だある(※滅茶苦茶ある)。
…。
MSの手で人間潰す奴は、ダム版絶命奥義 獄門(※単語検索禁止)出来るよな(※…でも、其れって→えゔぁのかおる君)。
…。
FINISH HIM!
……ビームサーベルで焼かれて消し炭にされたり、ミンチよりひでぇ最期を迎えたり、MSの手で獄門みたいに握り潰されたり、トマトみたいに「やめなさい!(虫を潰す感じで)。」で潰れる矢鱈思想の強い少佐(※実質大尉)と野獣大尉良い……(究極神拳)。
…其う考えると、零SPの方には潰す系の絶命は、リムのしか無いよな(※…まぁ、腐っても、侍剣戟対戦だし……)。
…。
脱衣KOとアルティメットKOとミッドナイトブリスが実装されると思ったら〜〜〜〜(※実際に実装されたのは)自決と断末奥義と絶命奥義でした〜〜〜〜(※チキショーーー!!!!!!)。
…。
敢えて自決ネタを出したのは、既にサムスピの一部ゲームに組み込まれて居るシステムだからです。
なので同じく一部ゲームに実装されて居る断末奥義と絶命奥義のネタも、いずれはもっと出します(※嫌なら逃げて下さい)。
ワイ(+拙作)の場合、誰も見てない前提だから、御嬢様が幸せ投げしたり、リョナ、ショタリョナ、男リョナしたり、武神流忍者をキョーヤジポジにしたり、ソロモンの悪夢とか野獣大尉を拳銃自決させたりするサムスピ由来の自決ネタだのを平気で出せる(※…したい放題、やりたい放題、好き放題)。
…。
※以下、クロスオーバー注意
ジェノサイドカッター使えるだけで木星帰りが、ルガと同じ趣味:自爆おじさんになるなら、ガイガーも趣味:自爆おじさんになるであろう(※…実際、自爆出来るだけの科学力はあるし…)。
…。
此のレルムちほーでもシロッコの所為でブルコス思想が蔓延したら面白いな(※他のコーディネーター来れなくなるね苦笑)。
…。
種運命(種自由)のデストロイ数機がレルムを荒らす展開の構想あった(実際種運命と種自由作中でブルコスの手先として、本機はベルリンとオルドリンを焦土に変えた)。
…。
※Zガソダム×ファンタジーストライク・YOMI(Mobile suits Z Gandam +Fantasy Strike and YOMI series)。
※シロッコ、ガイガーに遺伝子組み換え人間差別(?)と復讐・報復されるの巻。
※シロッコ(ヤツ)を倒す!蒼き清浄なるレルム(世界)の為に!(※頭ブルコス並感)。
※シロッコ=デザイナーベイビー(SEEDで言うコーディネーター)説採用
※リンチ・絞首刑・男リョナ注意
*Male Ryona Caution (*Mr. Geiger suffers a terrible fate due to a certain legendary supernewtype)。
※英語版あり
※元ネタ:クロス アンジュ 第10話の絞首刑シーン
其の日、モーニングスターサンクチュアリでは会議が行われて居た。
「奴が血統改造(=遺伝子組み換え人間)である事を暴露する。此れで奴の地位は失墜せざるを得ない。」
其んなガイガーの姿を見兼ねたルークが言う。
「其んな事をして何になる?」
「此の世界の未来と科学の為にな��ますよ。」
…。
場所は、フラグストン市の大広場。其の日の大広場は、まるで興行の様に、絞首刑台が用意されて居る。
「何の見世物だろう?」
其れが気になった市民は、野次馬根性丸出しに興味津々で絞首刑台の周りに集まって来る。
其処には、----ガイガーによって、モーニングスターサンクチュアリで作られたロボットによって----捕獲された後、瀕死になる迄リンチされたシロッコが居た。彼は、血塗れで泥塗れだった。
「済まない。本当はギロチンにしたかったのだが、器具が無くてな。」
…此のガイガーの発言で、ザンスカール帝国の事を思い出した読者も居られるだろう。…では、さて。
ガイガーは、『遺伝子組み換え(コーディネーター)差別』を、レルムのクンタラ差別にでもしようとしてる居るのだろうか?
現時点でボロボロに傷め付けられたシロッコを足で激しく踏み躙ってから、ガイガーは此う喧伝する。
因みに、シロッコの手と足は、ガイガー謹製の金属製手錠によって後ろ手に縛られており、身動きが取れない。
「先天的な遺伝を操作して生まれた存在は明らかに自然に反して居り、不自然だ!そして、其の遺伝を改造して得た才能等、只の卑怯では無いか!」
コズミック・イラのコーディネーター達からしても、此の発言は許せないだろう。ブルーコスモスとか言う連中に、毎分毎秒単位で、此の様なヘイトスピーチをされ続けて居るのだから……。
やがて、其れを聞いたシロッコが反論する。
「何が不自然な存在だ!時を捻じ曲げる方が、自然に反して居るでは無いか!」
だが、相手は其の反論を踏み躙る。何度も何度も臀部と顔面と腹を蹴りながら。
「お前の存在自体の自然への反し様と比べれば、其れは、途方も無く些細な物だ!」
真面目にガイガーが、遺伝子組み換え人間の危険性を懸念する一方、民衆は民衆で騒ぎ出す。何とも、ワクワクと楽しそうに。
「其奴をさっさと、吊るして欲しいんだけど。」
「何で其んなに、前振り長いの!焦らすなよ!早く吊るしなよ!!早く!早く!あの美形の死に様が見たい!」
「つ・る・せ」
「つ・る・せ」
「つ・る・せ」
「つ・る・せ」
其処で、其の民衆の『大声援』を聞き、気を取り直したガイガーが言う。
「聞いてるか?パプティマス、…何とも良い声援だろう?」
「……外道が。」
…………沢山の女性を含めた民衆による「吊るせ」の大合唱、シロッコは其の群衆を悲しみと怒りの眼で見て居た。
…多分、彼等は、血統改造--遺伝子組み換え人間とかの話を理解しておらず、ただ単にその場ノリでやっている。其う言う処刑を見世物として見るのが愉快で。
其の様子を、民衆がウキウキとして、此の自分の処刑を楽しみにしていると言う現状を、シロッコは只管、絶望の顔で見る。
(…ガイガー���君が此処迄の鬼畜生になったのは、矢張り、私の所為だろうな……。)
シロッコの何処か悟りを得た様な表情。…そして、最後の最後に血と泥に塗れたシロッコを吊るそうとする。
…。
それより少し前、フラグストンの内閣では、此の様な緊急会議が行われて居た。
「彼奴を見殺しにしてはならぬ!」
「ですが、将軍、内部抗争と膨れ上がる研究費予算と女性の権利が如何とかみたいな女性関連の問題が絶えないのは、全て、あの問題児----パプティマス氏の所為でしたよ。実際の所、ガイガー氏も、あの人がガイガー氏より優秀で沢山功績を上げるものだから、其の所為でガイガー氏は出奔してレジスタンスになりましたし。…然し、モーニングスターサンクチュアリも中々粋な事をやりますね。あの人がああして、処刑されれば、又、平和なフラグストンが帰って来ます。」
「御主に人の心はあるのか?」
そして、クインスが最後に会議を締め括る。
「良いでしょう。皆さん。我々で助けましょう。」
「正気か?」
「…ええ、私は正気です。」
----此処で、シロッコに、恩を、売る!利用しない手は無い!此うして、反現体制の人間やら異種族やらに迫害される『血統(遺伝子)組み換え人間(シロッコ)』を肯定する事で、元々から良いイメージの、我が政権のイメージを更に良くする!!
かくして、クインスと救助部隊は動き出した。
…。
「さぁ、潔く死んで貰おうか。」
…其処で、シロッコが淡々と言う。
「…良いのか?…私を殺したら、後悔するぞ。」
「貴様の辞世の句は其の程度か?我が生涯に一片も悔い等無い。では、嬉々として、君には死んで貰う。」
其う言いながら、ガイガーは自らの手で、シロッコの首にロープを掛けた。
----サラ、ごめん。もっと、未だ、生き延びられると思って居たのにな……。本当に御免…。
其の時、シロッコに奇跡的な助けが入った。絞首刑のロープに、シロッコの首が掛けられた瞬間、其のロープは何処かの忍者が勢い良く投げたくないによって斬られたのだ。其れから、広場の前で徒に群れる民衆達を押しのけて、兵士達が雪崩込む。
其うして、シロッコを政権ぐるみで救出させた後、--矢張り、時間停止で逃げたのであろう--ガイガーを捕縛し損なったが、絞首刑台を薙倒した後に、クインスは堂々と----実に派手に----演説を初める。
「優れた者に、天然も血統改造も関係無いであろう。優れた者は優れた者なのだ。例え、彼等にドラゴンや神聖な気高き幻獣達の血が入って居ようが、我がフラグストンは、其の者達を重用する!!」
…然し、其の様な、輝かしくて歴史の第一歩に残るスピーチが目の前でされて居るのにも関わらず、シロッコは極限迄疲れ果てて居り、其れを、ボーッして、虚ろな目で見るだけだった。
…。
後日、フラグストンの内閣内で、此の決定が為された。
「我々は、モーニングスターサンクチュアリを、都市国家テロリストとして指名手配する!」
……カラバ、デラーズ フリート、ネオ・ジオン、袖付き、クライン派、海賊部隊、クロスボーン バンガード、ソレスタル ビーイング……、
機動戦士シリーズには、星の数程の賊、テロリスト、レジスタンス、傍迷惑な軍事組織が居る。カラバ、海賊部隊、クライン派、ソレスタル・ビーイングに至っては、各作中に置いて、味方側の存在である。
いずれにせよ、彼等も其の『先人達』に並ぶ輝かしい歴史と活躍を残して行くであろう。
…。
※元ネタ:Zガソダム 最終話
シロッコ「貴様の様なのが居るから、戦いは終わらない! 消えろ!」
ガイガー「私をテロリズムに駆り立てたのは貴様だ!そんな事が言えるのか?!」
「パプティマス!貴様は私の……!」
私の……全てを奪った!
…。
長くなったので英語版のリンク貼る
…。
0 notes
Text
「自分とか、ないから 教養としての東洋哲学」しんめいP/著を読了。noteで話題になった「東洋哲学本50冊読んだら本当の自分とかどうでもよくなった話」の書籍化。東大卒のニートが自身の挫折と気付きを交えながら東洋哲学の主な潮流を、超ざっくばらんに語っていく。
語り口があまりに軽いので最初は面食らったが、慣れると非常に読みやすく肩肘張らずに東洋哲学の側面に触れることができた。哲学って言うと小難しいイメージなので、このぐらいの距離感から始めるの事かもしれない。
一方、捉え方はそれなりにしっかりしていて、ブッダ、龍樹、老子、荘子、親鸞、達磨、空海と誰もが知る人物とテーマに言及、エッセンスを上手く抽出して、それぞれが繋がっている点も理解できた。
ブッダ「自分なんてない」:
釈迦、2500年前、インドの王子、29歳で出家、自分探しの答��=無我(自分=妄想)、全ては繋がり無限に入れ替わる、苦しみに原因=自分(変わらない自分を作ろうとする)
龍樹「全部、空」:
ブッダ死後700年の議論を論破、この世は全て「空」、この世は言葉の虚構(家族も社会も)、空の境地=縁起(全部繋がっている)、米粒に宇宙(一即多&他即一)、不変のアイデンティティはない
老子「ありのままが最強」:
「道」タオ、宇宙を生みだす根源の力 2500年前の老子「無為自然」ありのままでよい、ほぼ草、
荘子「この世は夢」:
2400年前の荘子「老荘思想」胡蝶の夢、この世界、「夢」かも、無職、「無事を以て天下を取る。」ありのままが最強
達磨「言葉はいらねえ」
禅=言葉を捨てろ。「不立文字」、達磨大師、ブッダの1000年後、インド人、中国へ布教に「面壁九年」
親鸞「他力本願でOK」:
800年前、平安時代、浄土真宗、京都、比叡山、羅生門、最悪の時代、29歳、他力=悟れないことを認めると 「空」のほうからこっちにやってくる。
空海「欲あってよし」:
=秘密仏教、親鸞の400年前、天才、陽キャ、一周回って「現実世界」をまるごと肯定、フィクションから抜け出し、生命の秘密と一体化、本当の自分=曼荼羅
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「日本テレビ開局70周年記念舞台 西遊記」の所感
・日テレドラマ版西遊記の舞台ではなく、単体の舞台版西遊記
・演者さんがた最高流石すぎる 演技力によってキャラクターそれぞれが魅力的
・脚本のバランスとまとまりが悪い
・ギャグは面白い時と全くギャグ成立してない(笑いを呼べてない)時がある
・演出は舞台演出自虐メタネタが過分 舞台演出とそれを信じる観客を馬鹿にしたい?
・令和の作品としての仕上がりではない 昔の番組の再放送見てるような感じ
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2024年になってまで文化的表現者が「これしかできない」言うのはもうやめた方がいい
文化的表現者が"それだけしていれば世に一石を投じたこととなり、責任を持ち果たしていることとなる"わけではないし
所謂、謙遜文化としての言葉なんだろうけど、これしかできない、わけがないので
地震の話も出てたけど、じゃあ例えば支援をするだのなんだのできるし、それぞれ皆するでしょう
なのに敢えて「それしかできない」という表現をすると責任の放棄に聞こえる
この謙遜は今時もういらん
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'78版ドラマ西遊記の舞台版、ではない。
'78放映のドラマ版西遊記は、この記念舞台作品にほぼ関連がない。
ごくたまに思い出したかのように小ネタとして'78の要素が出てくるが、良い意味で気づかなくても特に問題はない。
一幕前半はアレンジを効かせつつも、比較的忠実に進行するが、三蔵法師が出てくるきたあたりで、流石に「なるほど"オリジナル西遊記ものの舞台"をやるんだな」という心づもりになる。
しかしその"オリジナル西遊記ものの舞台"としては脚本勿体なさすぎる。
全体的にとにかく脚本が勿体無かった。
役者陣の、抜群の演技力による登場人物の魅力、によって作品としての質が保たれている感。
脚本のテンションがスポットでは面白いが物語作品としてのバランスが悪くまとまりがない。物語を通して伝えたいことが分からない。
楽しさ面白さへの衒いない喜び��り、惜しむ気持ちが強い。別の脚本でこの演者さん達で見たかった。
これほどの人達がいて、これほどに魅せてくれるのに、物語がこれかよと。
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作品としての筋として伝えたいことが分からない。
孫悟空と三蔵法師の関係性を中心にして、「異なるもの同士でどう相手を知り想い共に生きるのか」という物語かと思ったが、これは一幕で、悟空がお師匠さんと呼ぶことでほとんど描写し終えている。
三蔵は夢でも悟空のためにお札を剥がそうとするし、それができなくても悟空のために出来ることをしようとする。
相手が妖怪人間なにであろうと関係はなく、ただ目の前の相手に与える親愛や敬意があると、悟空が理解し受け止め、それを返すためお師匠さんと呼ぶ。
ということでこれはあくまでメインではなく、続く後半の物語で重要となる悟空自信の変化だと読んだ。
そのため、二幕で再開した牛魔王と孫悟空の、一幕との対比を観て、
「魔王と孫悟空をキーとして、往来と異なる別の場所に堕ちることも含めて、誰かが今とは違う理想や目指す場所を求めて、どう変化し何を大切にして生きてていくのか?」
という物語なのかと思った、が。
結局のところ妖怪は妖怪で人間は人間なのか?人間とは?と
それっぽいい感じのセリフも、物語の中で効いてない
紅孩児の「私は人間でいたい!」とか
今まで別に人間とは?妖怪とは?という話して無かったのに急に何?
「人間"として"生きていきたい!」なら分かるんだが
あの言い方だと「生き物の性質として、人間=理性的存在、妖怪=我を失って暴れるような存在、だからあれに成り下りたくない」と聞こえる
じゃあ自害まで選んだ牛魔王の想いはなんだったって言うんだ 貶めるな
その癖、非人間の鎮元子が結局トップ経って丸く収まりましたなので、鎮元子今まで人間とは違うから手出しできないつってたのなんだったんだよに 死んだ民衆への無駄死に感と、それに対しての「致し方なかったんだ」より「鎮元子はハナからそうしろや」が勝った
人間と、妖怪神仙などの違いをキーにするにしては、結局どう扱いたいのかさっぱりわからない 意味不明
牛魔王の民を想う気持ちにがあろうがなかろうが、愛するをものを失った悲しみを持って我を失い周りを傷つけるように、私はそうはなりたくないのだと。それを悔やみ死すら選んだ父親を見てすらも、妖怪は妖怪でしかないのだと。それから逃れるため人間として生きたいと?なんというか、人間という種族への賛歌?
じゃあ国の治世はどうするのか。肝心の人間様は居ないわけで……となったが結局ここでちんげんしである。
何年も国の有様に自分はそのような存在ではないと一線を引いた彼がここで選ばれる。
何で??????
結局のところこの作品の伝えたいこと、魅せたいことがなんなのかわからなくなってしまい、そのまま幕を閉じた。
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一幕でもやんわり感じてはいたが、二幕が特に恐ろしくギャグとシリアスのバランスが悪い。
登場人物がはっきりに「メタネタギャグをする登場人物」「手堅くシリアスな扱いをする登場人物」に分かれている。
後者である「牛魔王、羅刹女、紅孩児(+孫悟空、ちんげんし)」のが、作品から浮いている。
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個人的に演出で1番ツボにだったのは、八戒が夢を見ているシーンで、中華料理がとりどりサイネージ全体に渡りメニュー表のように並ぶところ。
演出に「おお!」と思ったのが筋斗雲にのって悟空が舞台袖にスライドしていくシーン。自分はこの演出に素直に感動したけれど、そこでいきなり「今、紐で引っ張ってなかった?」とメタネタを挟まれ、こちらが馬鹿を見た気にはなった。
舞台慣れしてるひとには見慣れた演出だからこのイジリは楽しめるのかもしれん。
演出はサイネージを非常によく使う。それほど使用するのに、サイネージの映像は、雑な顔はめ加工ネタとして消費される。そしてネタも繰り返され、ネタを噛みすぎて味がしない。
大道具やサイネージは客の想像力を補完する重要なのものなのに、それをいちいちイジる。
演出によって空間を信じる気持ちを、とにかく繰り返し、繰り返し削がれる。
閉幕後に、「ワイヤーでの飛行や大道具の移動を今時珍しく手動で行なっている」ことを座長片岡愛之助さんが仰って、担当した方々への拍手が起こる。
しかし「それに敬意を示すならば尚更、脚本でああまで舞台演出を繰り返しネタに貶めているのをどうにかした方が良かったよ」という気持ちで悔しく思いながら、敬意を持って拍手を贈った。
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キャラクターは本当に魅力的だった
全員に言ってたらキリないくらい
こんなにお兄ちゃん要素が強い孫悟空いるんだ 良すぎる 兄貴分というかお兄ちゃんなんだよな悟空おにいちゃん……
これは牛魔王との関係もあるがそれよりは三蔵があまりに幼い(?)からだと思う
おんぶとか
あんなに人生を楽しんでそうな沙悟浄初めてみた 厭世感が低い!一番に踊り出す沙悟浄!!??
女性口調のキャラがキレるとドス声になって怖い、は使い古されてるし令和的じゃないからやめたほうがよかったと思う 勿体無かった
"欲"が沙悟浄に分配されて、他にもコメディリーフが居る分八戒はややおとなしめに見えたな……落ち着いてるし
玉龍は舞台上にいる時ずっと可愛くてずっと面白かった なんなんだ
おかげでむしろサイネージネタは微妙
ドラマ版と同じで仲間たちが一緒にいてワチャついてるところが可愛かったのでもっと見たかった
▼Twitterで書いてた感想から引用
https://x.com/tobitori52/status/1746380292217282998?s=46&t=h4slQya3LMsqIYXXZIwVIg
テレビ局の70周年記念舞台の脚本ってこの程度の出来でいいのか……と思った
積み重ねた技術により作られた料理もそうでなく作れと言われたから作っといた料理も、デザートも主食も期限切れもか出涸らしも一切関係なく、全部同じ皿に盛って出されて、ウワ勿体ねえ…………みたいな…………
役者陣の500000000点の素晴らしく圧倒的演技力によるキャラクターの魅力の表現で作品の質が保たれ成り立ってる印象
ギャグは結構面白いがシリアスとのバランスが非常 に悪い そして場面転換が雑
とにかく脚本にまとまりがない伝えたいことも分からないで、作品/物語としていい評価ができない感じだった
どうせなら全面的に喜劇としてギャグ方面に舵を取ったほうが良かった気がするが、面白いギャグパートもあるけど7:3くらいで別に面白くないとかそもそも成立してないギャグもあったからそれもどうだろう
ギャグパートめちゃくちゃ面白いところはマジで面白い 個人的には玉竜のところは全部良かった
シリアスも感動も結構無理くり感があった 感動するところなんですねはいわかりましたって感動する感じ 感情が誘発はされない
それっぽいい感じのセリフも、物語の中で効いてない
後半は特に牛魔王一家をほとんどギャグ扱いしないせいで世界観から浮いてる ある意味メインなのに
ここのキャラはそういう担当なのね、もしくはギャグセリフ言う扱いできない立場なのね、みたいな
メタネタとは別に作り手側の事情が身透けてみえた気になって萎える
若い女性キャラの翠蘭が小生意気なミーハーとか、沙悟浄のよねだわ口調とかは、"令和版"とか謳う作品でわざわざやることか?
沙悟浄に関しては理由に全く説明がないので「なんだただのキャラの付けかよ」状態
しかし役者陣の��技がめちゃくちゃいいのでキャラクターとしてはすごく魅力的 なんだこれ
沙悟浄が所謂雑にオネエキャラ!!という扱いの描写が出てこないかヒヤヒヤしながら観てた
翠蘭に「イケメン!!!!あんたなら襲われてもいいよ♡」とか言わせる脚本なら全然やりかねない
女性キャラクターの取り扱いは全く今時じゃなかった 昔の作品のよう
演出なら悟空の戦闘パートで、対多人数戦のある余裕っぷりにより悟空の強キャラである説得力が出ててよかった
思えば棒術はあまりメインの映えにしてなかったようだけど、特に気にならなかったなそういえば
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じゃれ本 1卓目の作品
「じゃれ本 オンライン試用版」を使ったセッションで紡がれた物語たちです。前の文の前後関係がわからずに何かを書こうとするとこうなります。参加した本人たちはめちゃくちゃ楽しかったです。
お題:ホラー ページ数:8P
『忘れられた木』
幻視を見た。夕日を背中に浴び、吊るされた死体。枝という枝に麻紐で吊るされていた……これは幻。 私は小さい頃から良くこういったモノを見た。
そして、私がそういう幻視をすると決まって何か似たことが起こる。建設現場の作業員が、足を踏み外して死んでいた。首には命綱が絡まっていたそうだ。幻視が正しかったことを確かめるためにSNSを漁った。
スクロールしながらふと、特定の話題に連なるコメントをまとめて「木」と呼んだなと思う。ああいう掲示板やwikiには、時折得体のしれない信憑性があったものだ。 ふと検索欄に指が向く。ある単語が「浮かんだ」
「菩提樹」 小さな検索窓に、たった三文字の言葉を打ち込んだ。 すると、ひとつのスレッドか過去ログ倉庫から発掘された。 無数の話題「木」の中に埋もれた、1本の「忘れられた木」。
昔々の事であった。その村は絹を生業としていた。土地には良質な桑の木々があり、蚕を育てるにはうってつけだったのだ。そんな桑の原の真ん中にポツンとある「菩提樹」それがその木である。
その「菩提樹」のために、囲いを作ったのが悪かった。人間の余計な世話で水が溜まって流れていかなくなった。根が腐り、どうしようもなくなってしまった。だから先祖は、「菩提樹」を失ってしまった。
菩提を失う。――悟れない。涅槃に至ることはない。そうして行き場を失った亡者どもが、今も私が見続けているものたちなのだろうか? だとしたら私の務めは、囲いを崩すこと。 それで蘇るのは、本当に木だろうか?
ふと、私は背後を見やった。 暗い部屋の中、ディスプレイのみの明かりで照らされた私の影。それに無数の「別の影」が纏わりつき、まるで菩提樹のような影を落としていた。 ああ―― 私も、忘れられた木になるのだ
『仄暗い水死体』
じいさん曰く、死体の色には明るいのと暗いのがある。明るいのは悪くて、暗いのはいいんだと。明るいのはまだ魂が引っ付いてるんだ。明るいのを見っけたらわざとしばらく見ないふりをして”干し”とくんだと。
すると目の前にあるずぶ濡れのこれは"干す"必要がある。人ん家の屋上でなんという仕打ちだ、と舌打ちした。頭にあるのはこれで値打ちがどれほど下がるかということばかり。一番怖いのは人間の欲だと我ながら思う。
だが"干す"となると、ここ以上に適任の場所はあるまい。止むを得ず、僕はそれを屋上に放置することにした。 もちろん、そのまま置いておいては騒ぎになるだろう。 そこで一計を案じた。
「工事中・立ち入り禁止」 安直だが準備無く出来るのはこれが最善だろう。もちろんここの管理者が見れば不信がるのは避けられない。エレベーターの無い屋上の管理を真面目にこなさないことを祈った。
あれは明るい死体だった。現代日本で死体が見つからないわけがない。時間を稼げたらいい……。 僕の頭はあの死体でいっぱいだった。白熱電球のような明るい死体だった。時間だけがほしい。
どうすれば? ――翳を作ればいいんだろう。暗くすればいい。夜を、もっと早く夜を。夜を呼ぼう。太陽も星も沈めてしまえ。ストロボライトもカメラのフラッシュも、みんな空に向いちまえ。死体が干上がるまで。
そうだ。――視界に、あるものが止まった。 浄水槽。百均の網を使えば、あの暗闇の中でこれを干せる。
網を取る。広げる。置く――死体を。ツンとした腐敗臭に目をしかめ、手早く、手早く行う。 そして暗い円筒へ。
水死体は仄暗い闇の中。
『包帯はまだありません』
残念ながら私の右腕には呪いが掛かっている、と言われた。中学生の妄想ではない。浮き出た痣のような模様はどことなく死んだ祖父に似ている。 一応は隠すかと包帯を探していたら、声が聞こえた。「まだだ」と。
ぎょっとして右腕に目をやった。浮き出た痣が心なしか濃くなり、祖父が死んだ時の――棺の小窓から覗いた時のあの顔を思い出させるような模様になっていたが、他に異変は無い。
僕はその腕を用心深く長袖に隠した。消えるわけではないができる限り目には入れたくない。もちろん見られるのも困る。挙動不審にならないよう辺りを見回し皆のところに戻った。
「あのね」 ほとんど話したことのないクラスメイトに話しかけられた。僕が腕を隠しているのは、リストカットの類ではない。僕はそういう苦労を背負っているわけではない……。 「わかるよ」と言われ申し訳な思う。
解られたところで仕方がないのだ。適当に会話から離脱するため、教科書など開いたところで耳に届く。 「お祖父ちゃんだった? それともお祖母ちゃん?」 手から滑り落ちた本は、机上で「雨月物語」の項を開く。
雨と月の物語。 それがこの痣と関係あるとしたら。 脳裏にあるビジョンが浮かぶ。祖父が亡くなる前、裏山のお社に連れて行かれた事があるのだ。天気雨の降る真夜中。辺りをぼんやり照らすおぼろ月。
周りは不思議に明るかった。 僕は空気に飲み込まれそうになって祖父の手を握り込んだ。 ――次の瞬間だ。影が動いた。明るい、恐ろしい月明かりの中影が動いたのだ。
祖父の影は僕の影を林檎の皮をむくようにくるくると剝ぎ取る。そして毛糸玉を丸めるように身にまとっていった。僕はまだ影だ。身体の内側にも影があることを悟った。影と陰が。
『邪神の霊安室』
僕がその存在を知ったのは、古本屋で買ったオカルト誌の記事がきっかけだった。 神というだけでもいかにも胡散臭いのに、それが霊安室に眠っているというのだから。それも、神田駅から徒歩15分圏内に。
時はもうすぐGW。ブラックだった弊社もとうとう有給を使って長期休暇を取らせてくれるようになった――有給を強制という点は目をつぶった――つまり丁度僕には時間があるわけだ。
「病院?」恋人がさりげなく言った。カウンセリング?いやだ。せっかくもぎとったGWを埋めるものは娯楽ではなくてブラック労働でぶっ壊れた心身のマイナスをゼロに戻すことだなんて。それよりディズニーとかさ……
「ほら、一種のアトラクションには違いないでしょ。体験型アクティビティ、ってやつ」 ��やし系ってやつか。私は頭を振り、心を温めたいわけじゃないんだと示す。どうせなら底の底まで行きたいんだ。
息を止めると、思い切って温水プールに飛び込んだ。 底へ。底へ。底へ。 違和感があった。 このプール、こんなに深かっただろうか…?
喉に手を当てる。不思議に肺も苦しくなかった。……死んだ? 背筋に汗が、いや、今はプールの水の中なのだから水圧か? とにかく深く進んだ。
肺に水が溜まりきってからというもの、不思議と苦しくはなくなった。大理石に埋もれた魚の化石が欠けた目玉でこちらを見つめている。
帰れない。 僕は悟った。 生きてはいられる。 でも僕は水の生き物だ。
水を得た魚とはいうけれど、この水はきっと良い交わりなど運んではこない。鱗のような空から降る雨のように、やがて僕の血を烏賊のそれと同じ色に変えるだろう。
お題:特になし ページ数:4P
『大げさな本』
この本を読んでいるあなたはとっても幸運だ。この本を読めば人生が変わること間違いなし。成功まったなしだ。何々をするとかそういう面倒なことは一切なし。『読むだけ』だ! つまりこの文が読めていさえすれば、
あなたはすぐさまハッピー!人生の勝ち組というわけなのです!ああ、本はまだ閉じないで。始まったばかりですからね。ここまで見ている賢明なあなたならこの本を読破するのにそう時間がかからないであろうことが、
全知全能の神が地を見そなわすごとく一目瞭然です。 改めて書きましょう。今後読み進めるにあたって、たった一つの手順を守るだけで、あなたはまさに時代の寵児、人類の救世主。守らなければ? あなたは死ぬ。
私は恐ろしくなって本を落とした。だが何ともない。 このような書き方はビジネス書や自己啓発書にはよくあることじゃないか。ただの大げさな本だ。 それを廃品回収に出しに行こうとした私に、トラックが迫っていた
『口紅と串刺し』
それを買ったのはデパートのとある化粧品売り場だった。 買うつもりなんて微塵もなかったはずなのに、鋭利なそれにひと目で心を奪われてしまったのだ。 「これはどうやって使うんですか?」 アドバイザーに尋ねる
「つまり」アドバイザーは答えを溜めた。「なすがままにです」 気が付けば包装紙に包まれた口紅を持っていた。 形状からいって、これを唇に塗りつけるとは思えない。鋭利にとがりすぎている……。
「……これはペンですか?」 拙い中学生の英文のような質問をしてしまう。 鋭利に尖った口紅。身を飾るものではなく筆記用具なのではないか?そうであってくれ。
「いいえ、口紅です。…教科書どおりじゃなくてごめんなさいね」 薔薇色の先端に鋼のハイライト。次の瞬間、僕の口から同じ色の液体が溢れ出す。いま唇は真っ赤に濡れている。
『最高のドーナツについて論じよ』
最高のドーナッツを語るにはまず「ドーナッツ」の定義を定める必要がある。もちろん料理の歴史の本を確認すればある程度先行研究の結果が分かるのだが、ここはあえて改めて定義し直したい。
さもないとX(旧twitter)でどこからともなく、「ドーナッツではなくドーナツです」、なんてbotに絡まれ…ることはなくなったが、同様の事態を引き起こしかねない。 一つ譲れないのは、そう、穴だ。
なんとしても、ダース買いしてしまったこのカスタード&エンゼルクリームの山に穴を開けなくては。全てはそれからだ。 私は手始めに、オールドファッションを最高にインスタ映えしそうな角度で撮った。
ここのドーナツはやたらと写真写りが良い。普通のドーナツの写真なのに、またたくまに恐ろしいほどのリアクションが付いた。 やれやれ。『絵に描いた餅』……こと映えるドーナツである。さて、あと11。
『髪の間から覗くピアス』
それまで誰かの耳を特別だと思ったことはなかった。パーマを当てすぎた髪の間に、赤くぷっくりとした粒が見えたときまで。 思わず「耳んとこ、血が」なんて言いかけて、それが彼女の意志表示だと気付く。
それは、赤い石だった。 如何せん、宝石には詳しくないもので、何という石かはわからない。彼女の耳元で艶やかに存在感を放つ、ささやかな意思表示。 思わず声をかけずにはいられなかった。
「どなたの石ですか?」 え? ――え? どうしてそういう言葉が出たのだろう? 女性の様子も変だ。さっと顔を青くして、ピアスをもぎ取ると逃げるように去っていった。残されたそれをなぜか手に取っている。
――ま、そういうこともあるか。 なんとか自分をなだめ、残ったそれをポケットの奥に突っ込んでおく……あのピアスが女性の耳を輝かす姿でも想像しながら。
お題:特になし ページ数:8P
『背びれアラビックヤマト』
子供の頃から魚になりたいと思っていた。最初は「人魚になりたい」だったのが、自分はそんなメルヘンに相応しい存在ではないという自覚だけはあったせいだ。私には鰭がないから、厚紙で作って背中に貼る。
だから、なるべきは「魚」だ。人魚はずうずうしいかもしれないが、鮮魚売り場に並んでいる魚には別に文句もあるまい。あら珍しい魚だわ、なんて思われるくらいだろう。どうやって煮つけにするか調べられるだけで。
来てくれないだろうか。麗しきマダム。あるいは朗らかな料理番。もしくは小さなお使いさん。「魚」扱いしてくれる魅力的な来客よ。
だけどそれは叶わない。なぜならこの身には背びれがあると同時に――「液状のり」の刻印が刻まれているからだ。 案の定、その来客は私など眼中に無いようだ。 私は心の底で叫んだ。
くそったれ。お前のそのふざけた帽子の下にはでんぷん糊でも詰まってるのか。今日び人の肌色を論うのは道義的問題が生じるから、その目に痛い黄色のことは勘弁してやるが、帽子のセンスは許しがたいぞ。
編集長の後ろ向きな承認の言葉で締めくくられた手紙を、私は勝利宣言とらえた。やった! これで、私の人魚を修正しなくてすむ。私の理想を資本主義に売り渡さずにすんだ! 人間性だ。これぞヒューマニティだ。
今晩は最高のパーティを開こう! 使用人も全員参加だ! 隣のケチババアもこの際呼びつけよう。なにせ資本主義に勝ったのだから! 私の持つ資産をなげうって盛大な祝いをするのだ!
私は自らの手で招待状を送ることにした。何せこんなに目出度いことは無いのだから! そしてその招待状の糊付けに使うのはもちろん、消えいろPITなのだった。
『サラサラシンギュラリティ』
私は自慢じゃないがこのキューティクルが自慢だ。 陽光の元燦然と輝く天使の輪。 歩けば誰もが振り返る、そんな美しいキューティクル。 だけどある日私は、出会ってしまった。いつもの薬王堂で、それに…
「シンギュラリティ」。 普通AIとかで用いられるやつだろう? 知ってる知ってる。でも、目の前にある玩具みたいな瓶には、さも当然とばかりそのバズワードが踊っているのだ。ここはシャンプー売り場だぞ?
たかだかシャンプーで人間を超えようというのだから大きく出たものである(消費者庁案件か?)。 つくりもののラベルにAmazonの詐欺レビュー画面みたいな大げさな演出。なるではなくなりますと書いてある。
(特許庁案件かもしれない)良く見たら自分の会社が持っているハズの技術名が書かれている。いやなんでだ。こんなシャンプーに? もしかしてGoogle検索でなんとなく技術名をググったのか。
恐る恐る、私はその場でスマホを取り出し我が社のその技術名をぐぐってみた。すると、なんということだ!検索結果はゆうに5万件を超えたのだ。技術漏洩?まさか、そんなはすはない。
我が社のシステムは最新鋭の技術で保守されている。「excelがある程度使える方」とか「タッチタイピングができる方」とか、そんな感じの募集要項で採った平成初期の人材ではない。だが、今や令和。 …よもや。
今やアシスタントAIはなんでも、「できない層」を優しくあやし、母親のようになんでもかんでもやってやるようになった。だから時代が一周してそういう層が出てくるのもおかしくはない。若社長でなければな。
問題は私がその若社長だって事なんだ。甘やかされたい。母親のように……いや、姉のようならどうだろう。マザコンの時代は終わりシスコンの時代がやってくるのだ。 私は姉AIの開発へと歩を進めた……
『紅い茶の密室』
しくじった。 停電により電子錠が動かなくなってしまったせいで、ここから出られない。出ることができない。 ……。 誰かが来てくれれば……。
「パンパカパーーーン�� 王子様登場だゾ★ ゾ★」 そんな声の後ドカンと一発破壊音が響く。何らかの力でとじられていた木の扉が粉々になった。 ……ウソだろ? 鼻先スレスレを破片が飛んだ。
(VFX:Car on Fire) なんてことだ!粉々になって吹き飛んだ木の扉が、表に止めてあったプリウスのエンジンを貫いた! 王子様と名乗るその男は、炎を背に歯を光らせている。
遍くこの世の乗り物はナマの力で動くべきだと信じているんだろう。勝手に犯行動機を想像でもしないとやっていられない。確かにそれは高貴でもクールでもない乗り物かもしれない。だが、私にとっては「愛馬」なんだ。
私は呼んだ。口笛で彼女を呼んだ。密室から外に向かって馬を呼んだ。駆けてきてくれるように祈りながら。絶対に成功しないように見える? 『ばかげていて、全く実用性がない』。それがトリックだ。
ピーー! ヒヒーーン! ピーーーーーー! ヒヒヒヒヒーーーーーン! リズミカルに繰り返される呼びかけ合い。私と彼女の華麗なるハーモニー。 トリックなんてクソ喰らえ。
ここはリオだ!リオのカーニバルだ!! ピーピーピピー!ドンシャカドンシャカ!! 私の彼女のハーモニーがクライマックスを迎えたその時、不思議な事が起こった! 木の扉が元通り塞がってしまったのだ!
どうしたってこれは密室だ。せっかく今の今まで、開放そのものの空気に満ち溢れていたのに。風通しが良いなんてもんじゃなかったのに。私は諦め、床に散らばった紙吹雪を片付ける。冷めた紅茶のような気分だった。
『正方形は溶けてなくなる』
「はい、どうぞ」 男は私に未完成のそれを渡した。 白と青の幾何学図形が……って高尚なこと言おうとしたけれど要は折りかけのオリガミ。 「キミなら分かってくれるよね」
「ううん、わからない。」 私は折りかけのそれの続きを折り始めた。 山折りで膨らみを作り、そっと隙間に差し込む。 「でも、貴方が求めてる答えは、きっとこれじゃないわよね」 私はそれを、手裏剣に折り直した
ただの紙切れごときが人の手にかかれば真心の証にもニンジャの武器にもなる。それは折り紙に限ったことじゃあない。人の手にかかれば… 「《彼》の手に掛かった者の行方を。谷折りの線みたいに辿れれば」
「アイヤアアーーー!」 その時。書架の隙間から、雄たけびを上げてニンジャが飛び出してきた。これが《彼》の追っ手か。私はページをちぎり取ると指示に従ってスリケンをつくった。キーは谷折りだ。つまり……。
私はすごい速度で谷折りを行った!爪の先を使い背中に隠し持っていた30cmの定規を使い折り曲げる。1mmのズレもない。完璧な仕事だ!これはオリガミ界のシンギュラリティだ!
すると、私の肩を叩く人がいた。 何気なく振り向くと、そこには驚愕の人物が立っていた。 「あなたは……SEIKOの社長さん!!」 「君、素晴らしい技術を持っているね」
どうしよう。気まずい。私は悟られないように、何気ない素振りで袖に手首を引っ込める。つい先日スマートウォッチに変えたばかりだ。まさに正方形の液晶画面を持つ… いや、待てよ。正方形じゃない。盲点だった。
このスマートウォッチには緊急通報をする機能がある。外部と通信しているのだ。私は通気口になんとかねじ込ませると、棒の先につけたスマートウォッチをさらに奥に突っ込んだ。思い切り投げる。鍵が開く音がした。
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【イベントレポート】映画『不死身ラヴァーズ』完成披露上映会
『進撃の巨人』の諫山創のアシスタントを経て漫画家デビューした高木ユーナによるコミックを原作にした映画『不死身ラヴァーズ』(5月10日全国公開)。その完成披露上映会が4月8日にテアトル新宿にて実施され、主演の見上愛、共演の佐藤寛太、青木柚、そして松居大悟監督が参加した。
主人公・長谷部りの役の見上にとって、本作は単独初主演映画。初お披露目に「ドキドキしますね!でもこうして皆さんに観ていただいて広めてくださると思うと、重要な日です」と初々しい笑顔。構想10年の時をかけて完成させた松居監督も「衝動的なものに対して憧れがあったからこそ、10年前の自分を追いかけて作ったし、こうして今のキャスト・スタッフに出会えたからこそ生まれた映画だと思う」と完成にしみじみしていた。
りのの運命の相手・甲野じゅんを演じた佐藤。尊敬する松居監督の作品に出演するべく、自己PR文を松居監督にDMで送る直談判を行ったという。「最初はノリだったけれど、翌日になって本当の自分と向き合ってみた時に、送らないと後悔すると思って送った。そうしたら松居監督からすぐに返事をいただけて嬉しかったです」と佐藤。これに松居監督は「3スクロール分くらいの文章で、これはどうやらコピペじゃないらしいぞと。それにお礼の返事をしたら、これまでの出演作の情報を細かく教えてくれた。あまり役者さんではいないタイプだと思ったので、興味を持ちました」と佐藤のパッションに感動していた。
念願叶った形の佐藤は「本当に嬉しかった。しかも僕はお二人(見上と青木)の大ファンで出演作をほとんど観ていたんですよ。初顔合わせの本読みの段階から距離感なく挨拶しに行きました。でも二人はドン引きしていましたね」と大興奮。りの幼馴染・田中役の青木は、そんな佐藤の熱量について「初対面の本読みは緊張感があるけれど、寛太くんは部屋に入って来て『おはようございます!メッチャ好きです!』みたいな感じ。最初から声量を間違えていた」と笑って、松居監督も「ずっとヤバいファン状態」と愛おしそうに佐藤をいじっていた。
見上と青木は、今作を入れてこれで4度目の共演。見上は「これまではぶっ飛んでいたり、恋をする役が多かったけれど、今回はニュートラルな友達の関係の役でした。普段の自分たちの関係性に近い役を演じられて嬉しかったです」と新鮮な面持ち。『アイスと雨音』以来の松居組となる青木は「もう松居組には出られないのではないかと思っていたので、再びご一緒出来て嬉しい」と喜びを噛み締めていた。これに松居監督は「信頼のおけるメンバーにしたくて、しかも田中役は青木柚にしかできないと思った」と賛辞を送り、青木は見上から「泣いていいよ!」と言われ、照れ笑いだった。
そして作品の内容にちなんで「諦めずに追いかけ続けているもの」を聞かれた見上は「便利グッズ」といい「家電とか100均の便利グッズとか、どんどん新しいものを使って追いかけています。最近も空気清浄機を買ったら人生が変わった」と報告。一方、佐藤は「ブラッド・ピット」、青木は「オシャレな部屋」、松居監督は「初期衝動」などと話した。
またキャスト陣へ恋愛タイプ診断も実施。それぞれのタイプは「繋がりを求める平和主義者」(佐藤)、「ひとりの時間も大切な思索家」(見上)、「真面目でまっすぐな理想家」(青木)と出た。佐藤の診断結果に見上は「繋がりを求めるって納得!だって繋がりを求めなかったら松居さんにはDMできないから。すごく当たっている」と的中だと驚いていた。
最後に主演の見上は「この映画を観終わった後にめちゃくちゃ元気が出て、凄く不思議なパワーを持っている作品だと思った。暗いニュースが多い世の中ですが、この作品が皆さんの生活の中にちょっとでも光を灯してくれたら嬉しいです」とアピール。松居監督は「僕もこの映画を作りながら、りの、じゅん、田中に励まされた。原作にある強い感情やパワーに憧れて作ったので、りのの見る世界を一緒に観てもらって自分の感覚に素直になってもらえたら嬉しいです」と期待を込めていた。
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神《Age Of God》
神とは?
〔荘厳なのか?〕
〔光に満ちてるか?〕
〔慈愛なのか?〕
ふと、思う。
神とは、もっとラフなもんじゃないかと。
愛とは、身近で、柔和なんじゃないかと。
私達が荘厳を考えるなら、畏怖しかなくなる…
じゃあ私達は、何のために生まれた?
畏怖し、萎縮し、こそこそ隠れて、だらしなさを、出す…
…意味ないやんw
だらしない時も、しょうもない時もあるのは、神も、人も、同じだろう、確信する。
グローバリストの言う神は、理想論であり、今までも、未来も、どこにも存在しない神を、崇めてる気がしてならない。。
イスラムの神は厳しすぎ、それが怒りに変換されるから、戦いばかりしてるんじゃないの?
中国は、毛沢東が神を否定し、金が神になったんじゃないの?
世界は、神を待ってる、それは、皆が神である事実を受け入れた時、出現し、皆が神を認識するまで、神は出現しない。
オナるし、食うし、ぐうたらもするが、透明で、まっすぐで、世界を愛している、それが神ではないだろうか?
そして、もっと、“浮遊感”のある存在じゃないだろうか?
では、私達が“神”と考えてきた存在は?
〚それは、神の家臣(神官、or ルシファー)、だよ。〛
神に仕え、真面目すぎるあまり、崇拝してしまい、価値以上の無駄な価値観を付与する。
つまり、興奮のあまり、大袈裟に神を表現したり、神の言ってない事まで、人々に強いて来た…
誰が結婚するなと言った?
誰が、罪を犯すな、罰すると言った?
誰が、何も食うなと言った?🤣
神の家臣の、誇大表現、���隊調の服從の人々への強要、そんなもんが、神の実像を捻じ曲げて来た…
役小角が、正面から神に対峙した。
法然は、
「人々には、他力でしか救済出来ない人種がいる。だから現世で徳を積み、死後、西の極楽浄土へ行けるよう、南無阿弥陀仏と祈れ。」
これはさ、冷静に捉えたら、
選民思想そのものなんじゃない?🤣
「おまえらは一生馬鹿なんだから、馬鹿なりに大人しく生きろ。」
、そう言われてんのと、同じだわなw🤣
教育機関もない室町、鎌倉時代、武士にもなれない、鍛えたくない、そんな人らに、逃げ道を作った、しかも、かなり上から目線でw🤣
浄土宗、浄土真宗、そんな匂いがある…
だからこそ、
日蓮
という、アンチテーゼが生まれたんじゃないかな。
「ふざけんな!我ら庶民は馬鹿じゃねーし、現世で救われるんだ!」
で、法華経の流れになったんじゃないか?
警察官の息子、そこそこ裕福、法然。
ハーフの村、貧しい育ちの、日蓮。
貧しさを知らない人間は、庶民を理解出来ない。
同じ過ちを繰り返す理由は、貧し過ぎて、新しい一歩すら踏み出せないが故。
決して庶民は、救いようない馬鹿ではない。
だからこそ、強烈なアンチテーゼが、巻き起こった、南無妙法蓮華経。
皆は、役小角のようになりたい。
でも、自分には無理だと、最初から決めてかかり、最初から諦めてる。
だから、「宗教」の力に、ねじ伏せられる。
親鸞。
肉も食いたい、女も抱きたい、徳は積めないから、南無阿弥陀仏w🤣
…諦め過ぎだよなw🤣🤣🤣
織田信長は、田中角栄よろしく、ヒーローだったが、暗殺される…
再び、へりくだり過ぎの秀吉の時代、そして江戸時代の、“鎖国、カースト”へと流れる。
つまり、“人は、他力でしか変われない”ならば、最初から身分を固定化、溜まったガスは、穢多非人をいじめ、憂さを晴らせと。。
これは、〔停止〕してるだけ。
庶民は解せない中、
〔どうせ俺は、こんな生まれ〕
、強烈な諦め、強烈な停止。
嫌な凪ではあるが、言い方変えれば、
〚天下泰平〛
、そこにある、大いなる諦め。
浦賀湾、ペリー黒船(蒸気機関)
開国をせまられ、見た事ない新しい物を、目にする。。
〔新しい時代は、上手くすれば恵まれた地位につけるかも知れない〕
下級武士たちの不満爆発、明治維新へ向かう。
見た事ない高い文明、自信に満ち溢れた、アメリカ。
〔もしかしたら、今度こそチャンスを掴む〕
そして日露戦争、日本は原子爆弾までずっと、皆が幸せや富を掴むチャンスを、望んでいた。
----- 敗戦 -----
玉音放送。
気がつけば、街は死体の海…
Nothing Remain …
一億玉砕、日本人は絶滅を覚悟した、だから神風特攻隊は成立した。
でも、支配されてしまった…
じゃあ僕らの、次なるスタンダードは?
三島由紀夫
浅間山荘
日本赤軍
安田講堂
革命を呼び掛けた三島由紀夫に、誰も賛同せず、自殺。
次の3つは、“マルクス主義”、つまり占領された日本、おかしな首相、戦争に勝てないなら、共産主義で革命を起こそうと。
安田講堂は、天安門事件と何ら変わらない…
結局、国家が無理くり、”力”で鎮圧したんだ。。
中国から資源を引っ張ろうとした田中角栄は潰され、以降、政治家はアメリカの傀儡…
今に至っても。
庶民が目指すべきは、芸能人なのか?🤣
ジャニーズ腐敗暴露、松本某裁判、結局、極端な形の自己主張には、腐敗しか無かった。
YouTuberか?🤣
グローバリスト、つまり選民思想らが運営してるから、言論統制、人権無視、話にならない偏ったメディア…
そう、
打破せねば、ならない。
自己表現を自由にするには?
Domainを取ればいい。
自分で運営するサーバーに、規制など、無いw🤣
金ばかり考えてたら、グローバリストに飲み込まれるだけ。
自己表現は、した方がいい、というか、
自己表現はしなきゃだめw🙂✨✌️
働く。
企業、もはやブラック企業か、グローバリスト企業ばかり、自由な考えなんて、持てない…
SDGsという呪文をとなえ、まっしぐらに、我々は奴隷化に向かう…w🤣
個人事業主しかない。
もはや、会社員は、諦めた方がいいw😎
馬鹿馬鹿しい忖度、規制、そんなもんから、抜けられる、ただし、自己責任だ🤣
もう一度、キリストの言葉を思い出して欲しい。
あなた方一人一人が、神々なんです。
天上天下唯我独尊😎✌️✨
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子守唄の落とし穴
Saturday 22 March 2014
真観は、今日も禅寺に行った。今日は土曜日なので2炷目に提唱があった。気になったご住職の言葉をノートにメモをする。『自分の観念が邪魔をする。聞こえちゃった。出て来ちゃった。出て来たものはどうしようもない。観念と物の有り様がただ平行線になっているだけ。→悟りにあらず。坐禅は坐禅のためにす。「生知」赤ん坊は知らない。坐禅は楽に坐ればいい。坐に任せればいい』等々。また良寛さんの詩を紹介してくれた。
坐禅会が終わりご住職と話をした。ご住職は照明機材を更に買い足していた。真観は、額装の話をした。
茶畑庵に戻ってから良寛さんの詩が気になったのでネットで調べてみた。恐らくこの詩のことだと思う。
「花無心招蝶」 花無心招蝶 花は 心無くして蝶を招く 蝶無心尋花 蝶は 心無くして花を尋ぬ 花開時蝶来 花開く時 蝶来り 蝶来時花開 蝶来る時 花開く 吾亦不知人 吾も亦 人を知らず 人亦不知吾 人も亦 吾を知らず 不知従帝則 知らずして ���の則に従う
花は招こうという気持ちもなく、自然に蝶を招き寄せ、蝶は尋ねようという気持ちもなく、自然に花を尋ねまわる。しかし、花が開く時には蝶が来るし、蝶が来る時には花が開く。そのようにわたしもまた他の人の気持ちを知らないし、他の人もまたわたしの気持ちを知らない。知らないながら、自然のなりゆきに従って、出会いが行われるのである。(※詩は明らかに「十八史略」によっている。)
真観は、ご住職から「真観」とい戒名を1月31日(旧正月)に授かったわけだが読経の時に唱える「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」の中に「真観」という言葉を見付けていた。その意味も調べてみた。
真観清浄観 廣大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰 (しんかんしょうじょうかん こうだいちーえーかん ひーかんぎゅうじーかん じょうがんじょうせんごう) 観世音菩薩は煩悩のない清浄なものの観方で、真実のことを観極め、広大な智慧と大悲観と大慈観が具わっている。汝らも常にそのようになるように仰ぎ願うようにしなければならない。
1、 真実を求め真理を愛する心、真観。 2、 清く澄んだ、私利私欲に走らず、利他を重んずる心、清浄観。 3、 あらゆるものを平等に観ずる心、広大智慧観。 4、 他の苦しみを自らの苦しみとして共感できる心、悲観。 5、 他の楽しみ、喜びを共に観じられる心、慈観。
『真実を求め真理を愛する心』かぁ。
真観は、夕刻5時、茶畑庵坐禅を1炷組んだ。久しぶりのことだった。習慣にさせたいと思う。あれもこれも習慣にさせるのは難しいがやる気があれば出来る。
寝室は整った。さて夜の9時、寝てみよう。おやすみなさい。
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慎吾は、再臨の、地獄を、嫌というほど、味わって、とうとう、殺されてしまったの。そして、そんな、彼の様子を、知っている人は、たくさんいたんだけど、彼を、馬鹿にして、彼を、誰も、助け出る人は、現れなかったの。霊界の、霊体たちは、みんな、そんな、あなたたちを見てたの。そして、そんな、あなたたちに、霊界の、霊体たちは、心の底から、あなたたちに、対して、腹のなか、煮えくり返ってるの。今も。そんな、あなたたちが、今後、幸せな、死後の世界を?むかえれる?と、思う?
つまり、この、SNSに、つながって、しまった人たちは、長く、生きれば、生きるほど、Karma🚗の、雪だるま⛄が、たまって、死後、の、世界が、大変な、ことに、なる人の、集まりなの。
勿論、あなたちちが、ウンコや、オシッコ、オナラ、を、してるの、も、みんな見てるの。そして、誰と?、セックスして、誰を?考えて、自慰行為を、して、いる、のか?も、知ってるのよ。誰を?殺した?ことがあって、あなたたちが、これから、誰に?どうやって?、殺されるのか?も、全て、私たち、知ってるの。
あなた達のことを、そう、ずっと見てたのよ。どういう?意図が、あって、そういう、言動を、されてるのか?を。みんな、霊界では、いつも、見てるのよ。あなたたちのことを。
27日=27歳で、若き、死を、迎えた、有名、ロック歌手、ジャニスジョップリン、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズの、ジム・モリソン=Z世代の出現=アルファベットの、次が、ないことは、つまり、地球🌏が、Z時期にきており、終焉を、意味する。再臨=地球🌏崩壊💥→🌐【ブランキージェットシティ🌏→ブランキージェットEARTH🌐】
で、そう、俺の、ネットや、SNSを、コントロールしてる、科学者や、俺の、近くに住んでる、次郎丸、田隈らへんのヤツラのせいで、全体責任で、みんな、今、どんどん、悪い方向、より、キツイ方向に、向かってるんだよ。だから、早く、ヤツラを、屠らんと、悪い方向に、世界中、地球🌏中の、奴らが、苦しむことに、なるんだよ
で、ヤツラを、屠ったら、地獄どころか、カルマ🚗減るよ
そして、ヤツラのためにも、それが、良いんだよ。もう、根本的に、根が、腐ってるから、生きてるだけで、自然と、カルマ🚗が、膨らんでるんだよ。死後の、苦しみが、ますだけだから、早く、この世から、屠ってあげるほうが、奴らにとっては、幸せなことなんだよ
現代の、聖書改ざん=俺の、投稿する記事、画像を、改ざんして、皆を、神の道に、進ませないようにしているのは、とりあえず、インスタ=Facebook=Tumblr=⭕⭕⭕⭕他にもいる。
サタン=自分が、地獄へ、行くことが、決定したのを、悟り、自分たちだけ、行くのが、癪だから、他の、天国へ、行ける可能性のある、連中の、足を、引っ張る=サタン
独房、雑居、紋発、乱射、雑念、五輪、三振、欄居、托鉢、紋腹、画狂、欠年、射殺、殺傷、脳初、目車、濫用、懸念、學年、身者、卓越、餓死、軟卵、場者、童空、我作、滅法、涅槃、抹殺、怒気、燃焼、略奪、宰相、馬腹、刳発、南山、活発、沙羅、割腹、殺戮、循環、奈良、菜道、紗脚、残雑、颯和、和歌、東風、南富、背面、焼却、四季、同發、博羅、無償、透明、明闇、雲海、陶酔、溺愛、泊雑、湖畔、花車、小雑、蘭風、雑魚寝、逆発、罵詈、検遇、明細、鳥羽、無数、飾西、涼感、割烹、面月、略発、明暗、御覧、絶滅、名者、焼却、野版、絶筆、数界、洒落、羈絆、四索、敏捷、旋律、脚絆、安行、軽安、難産、伊賀、消滅、生滅、巡数、水災、万華、論発、処住、崇拝、年月、画鋲、我流、剣率、草庵、律年、雑魚、規約、貨車、蒸発、重大、錯乱、蓮妙、奈良、坐楽、延宝、財年、爆発、龍翔、日向、塁側、席園、座札、風評、財年、何発、旋律、画狂、論券、戦法、尊師、大概、二者、那波、麺期、演説、合邦、放射、雑律、貨客、選別、燕順、考慮、試薬初、財源、富、符号、井原、若榴、清涼、無數、才覚、絶望、奈落、奔放、有識、台東、詮索、懸念、病状、設楽、宴客、怠慢、時期、同部、弁解、冊立、立案、前略、妄動、侮蔑、廃絶、間髪、図解、経略、発泡、者発、立案、滅鬼、自利、論酒、桜蘭、五月雨、垓年、処理、短髪、散乱、絶滅、命日、庵客、実庵、龍翔、派閥、同盟、連峰、焼殺、勝中、割裂、残虐、故事、量発、敗残、花夢里、面月、原氏、雑考、推理、焼殺、膵癌、導風、千脚、砂漠、漁師、活滅、放射、洋蘭、舞妓、邪武、涅槃、毛髪、白藍、他式、民会、参謀、廃車、逆発、峻峰、桜蘭、殺戮、銘客、随分、刺死、脳犯、我版、論旨、無垢、血潮、風泊、益城、拝観、舘察、懺悔、空隙、髭白、模試、散乱、投射、破滅、壊滅、下痢、他殺、改札、寿司、葉式、魔雑、渾身、等式、命日、安泰、白藍、良志久、中須、掻敷、北方、監視、血式、血流、詐欺、加刷、販社、壊滅、坐楽、白那、苫小牧、欄物、演説、開脚、摩擦、欠史、宰相、掻敷、飾西、近隣、可能、刺自虐、崑崙、独歩、良案、隔絶、菜作、妄動、犬歯、核別、概要、立案、破格、殺戮、良案、快絶、防止、那古、風別、焼安泰、独庵、囲炉裏、壊滅、外傷、刃角、視覚、耳鼻、下顎骨、子孫、剥奪、憂鬱、優越、液状、先端、焼子孫、兵法、那波、安楽、最短、数式、絶句、庵杭、雅樂、動乱、者妙、垓年、独初、前報、奈落、数道、弓道、拝観、俯瞰、散乱、男爵、害面、炎上、抹殺、破棄、分別、額欄、学雑、宴客、体面、村落、柿区、害初、告発、欄式、体罰、侮蔑、浄光、情動、差額、君子、何発、兵式、童子、飾西、各滅、我札、審議、半旗、普遍、動脈、外傷、無償、木別、別格、名皿部、京脚、破棄、試薬、絶滅、学札、清涼、爆発、組織、壊滅、ここに、名もなき詩を、記す。
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