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Hello, my friends and loved ones in all parts of the world, in light of genocide and devastating war, we are suffering from famine due to lack of food or money. Please help my children buy some necessary necessities like food, drink and clothes🍉🍉
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即時停戦
#free palestine#free gaza#moomin#moominpappa's memoirs#oshun oxtra#hodgkins#joxter#moominpappa#mymble's daughter#the muddler#hemulen#klippdassar#Niblings
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小説ムーミンの感想③
日本語の旧版(文庫新装版)
ムーミンパパ海へ行く
▼読了2025/1/13 ムーミンパパ海に行く
シリーズの巻はそれぞれの特色があるけどまたこれも今までのどれとも違う
情景の描写が猛威を振るっている最高
北の寒々しい自然の描写がすごくしっくりくる こんなに言語化できるものなのか
ただそうある海や島や風などの自然に対して、向き合える相手として捉えているが面白い
ミイを養子にした4人家族の話になっているのもまたいい 谷の他の人が出てこないのでこの家族間の関係と、4人の性質にじっくり着目できる
とある場所での家族という共同体のはなし、でもあるしその中の個人個人の時間や世界のはなし、でもある
ムーミンパパ、若い頃は特に自己顕示が先に立っているけれど、ムーミン"パパ"は父親としての立場を重要視しており、ただそれは偉ぶりたい気持ちだけではなくて、その立場での責任を負うためにも努めているのがいい
空回りもするが、共同体のトップをちゃんと担おうとしている
ムーミンママが今までと違う環境で、いつもの彼女と知らなかった彼女が見れてすごく魅力的
ムーミンパパに同情しているのを見せるための行動をとるし、ムーミンにしげみの中でゆっくり話を聞いたりはムーミン"ママ"らしさなんだが、この話の中では独白や個人の時間をたくさん見られる
庭に入っていってしまうところは個人の時間と空間の描写をこう魅せられるかよ!?と慄いた
彼女はムーミンパパの妻で、ムーミン達のママで、しかし個人でもある、というのがそれぞれ全てしっかりよく分かる
ここにきてやっぱミイがとてもいい!彼女が人気なわけだ 自己の確立だ、と思う
ムーミンを机の下で蹴ってけしかけるところなんか分かりやすい
自由きままに俯瞰の立ち位置で、かつ気まぐれになんとはなしに人に触れるのは少しヨクサルを思い浮かべる 性格はかなり違うけども
よく考えたら幼少時は共にいるわけで……3回で当ててごらん、は二度見した
ムーミンと、うみうまやモランとの関わり、基本的には会いに行ってるというだけ話ではあるのに、その中のちょっとした出来事と繰り返しの時間経過の中で心理描写でものすごく魅せてくるしムーミンの内面的な成長が伺える
うみうまとモランのそれぞれの魅力的な描き方はすごいなと
憧れで好きだと思ってるひとと、ちょっとおっかないしやだなと思ってるひととのそれぞれとの関わり
うみうまとの関わりがちょっと見てて怖くて、おそらく憧れのものに触れる時の自分がみっともなく思える心理とそれへの怖さもある
モランとの関わりはその種類の恐怖心はなくて、それとは別に情がある 義理人情が一番近いような 落ち着いて冷たさのある親愛の情
うみうまをただ遠目でみることとモランにもう心配ないと思うこと、相手と必ずしも心理的また物理的に距離感を縮め続けたりそばに居続けるだけでない種類の人間関係への気づきと肯定 そこへの成長
パパと鳥たちの下で話して、パパと相談をしたことに喜ぶけれど、多分本当にすごく成長というか変化をしているんだよなムーミン自身が
パパはムーミンとそういう話をしたことに意識がなく、ママは春の目覚めと気づいてるのは流石
毎度ながら物語の回収がうますぎる
自分は推理ものを推理できないタイプなのでほんとに直前まで漁師の彼が彼であることには気づかなかった
小説旧版「ムーミンパパ海へ行く」より
一番好きな文章引用
「おたがいに話をするということは、ほとんどありませんでした。おたがいにただ相手をそういう人間だとみとめて、好意をもちながら、しかもおたがいに無関係という関係だったのです。おたがいに相手を理解しようとか、相手に印象をきざみつけようとか、めんどうなことを考えなかったのですが、それも���つの生きかたですよね。」
この手の人の関わりが実際的にも���ィクションでもすごく好きで、それが言語化されて肯定されていることに泣きそうになる それも一つの生きかた
「それ"も"」というのがミソで、この「めんどうなこと」を考える側の人もムーミンシリーズでは出てくる。ムーミンパパなんか特にそうだし、ムーミンもそう。逆にミイと同じくヨクサルとかもそうでないほうのひと。
ただこれらを「それ"も"一つの生きかた」だとするのがまさに「"ただ"相手をそういう人間だとみとめ」ることにまたも掛かってくる。
これ以上ない、太刀打ちできないとすら思えるほどの言語化。壁に飾りたい。
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小説ムーミンの感想②
日本語の旧版(文庫新装版)
ムーミン谷の仲間たち
▼12/14 ムーミン谷の仲間たち
短編集とはいえそれぞれの性質がまばらで、ごく単純な話から期待の止まらない話までごちゃ混ぜ キャラ絵本だなって回と、普段のムーミシリーズ一巻長編を短編小説でやっとる……という回の差が激しい
▽春の調べ
スナフキン回
あの世界でまず激モテなんじゃねえかこの人
彼の自由も、ミイともヨクサルともまたそれぞれ違う種類のものだ
彼がムーミンと親密なわけのひとつは、なんだかんだ出会った誰か達のことを慮る根の優しさ、敢えて言うならお人好しな性質だからなのか?
1人で自由でだけど孤独にはなりきらないようなところも魅力なのかもしれない
▽ぞっとする話
ホムサ族はかなり人間的 見た目が
兄っ子ホムサくんの思考回路とかの「分かる」感
小さい頃こういう世界観持ってたりしたよなと 空想とそれを演じることと現実の区別のつかなさ 区別をつけるなら嘘になってしまう世界の見え方
基本は前半〜半ばの"子供の見る世界"の思い出し回というか共感回だったけど、ミイも出てきてキャラ性もやって、尚且つ相も変わらずオチが完璧
▽この世の終わりにお��えるフィリフヨンカ
最高
夏祭り巻のフィリフヨンカのくだりが大好きなのでワクワクだったんだけど最高だった
フィリフヨンカさん回は見る世界がまるきり変わる、をやってくれる
ムーミンシリーズの、蒐集家だったり物や空間の見た目や心地よさについて拘る人たちが居ることの肯定感も好きなんだけど、それはそれとして、それらからの解放まで読ませてくれるんだ!?破壊と再生?
ガフサ夫人といい感じになんねえかな〜これから!一皮剥けたフィリフヨンカと、フィリフヨンカさんへの評価を改めたガフサ夫人とで、今までの形式ばったお茶会とは全然違う、全く新しい関係が築かれていったりしませんか?してくれ
▽世界で一番最後の竜
ムーミンが始終盛り上がってんの可愛い〜ね
世界で一番最後の竜はさておき、君の隣にいる方が楽しいよってわけですか?
ムーミンとスナフキンが仲の良さを見る話
▽しずかなのが好きなヘムレンさん
最高
すごく好きだ
挿絵もかわいい
騒ぐこと⇔静にすること、協力すること⇔1人で進めること、人のためのこと⇔自分のためのこと、誰かといること⇔1人で居ること、どちらの良さも拾い上げててすごい
変なはなしだが、どちらを好むのか極端に偏ってる人たち同士が関わることで、"どちらでもある"ことが成されてる
「だけど、だれだって自分のすきかってにやるのがいちばん楽しいんだからな」
▽目に見えない子
バレパのショーで初見をやっていたのでした
コートを着たおしゃまさんの挿絵カッコよ過ぎるだろ
とにかくムーミンママの魅力が描かれている話だなと思う
ムーミンとミイは相変わらず!ニンニがどういう子なのかはもっとこれから見ていきたい
▽ニョロニョロのひみつ
ニョロニョロとパパの邂逅
相変わらずニョロニョロのことはよくは分からない
すごく憧れもしないし軽蔑もない よく分からないものだなあと思う
ただお辞儀の様子を見て、パパがよく分からないなりに敬意を示そうとしたのと同じようにニョロニョロもそうだったらいいなと
分からなくてでも相反もしないならこれが理想かも
パパはいつでも冒険家
ママの振る舞いなどはムーミントロール特有の信頼感でムーミンもきっと同じなのかな
▽スニフとセドリックのこと
めちゃくちゃ短い スナフキンがとっといて聞かせてる様がまさにだけど、子供に聞かせる話だ
浪漫溢れる蒐集家がそれだけに囚われなくなる話がまたもや これはシリーズ作品のそれぞれで繰り返しても尚伝えたいことだったんだろう重要なことなのかも
ムーミンは落ち着いて話を聞けるからスナフキンに好かれるのだろうか
▽もみの木
種族名なのか個人名なのか分からんがムーミン谷、そういえば色々な人が多く住んでいるのか……
クリスマスをよくわからんままにクリアするムーミン家愛しい
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小説ムーミンの感想①
日本語の旧版(文庫新装版)
〜ムーミン谷の冬まで
読んだ時の気分と慣れにより感想の文章量に差がある
▼ムーミン谷の彗星 2024/9〜
絵も文もうまいの怖
ムーミンシリーズに対するキャラクターコンテンツとしての関心にかかわらず、まず一本の物語として単品でバチバチに面白い感服完敗すみませんそらそうですよね
ムーミンシリーズエアプ人間の想定してた作品イメージよりは、単体の冒険ものの印象が強い
こんなに登場人物がそれぞれ個性的なのに、実際に居るねこういうタイプのひとも、と思える人間臭さがある
知人友人の顔が浮かんだり幼き自分の振る舞いを思いだす
▼たのしいムーミン一家
冒頭からムーミンとスナフキンがすごく仲良くなってるな いつのまにそんな
隣に座って空気と時間を感じている様子だけでめちゃくちゃ見せてつけてくれる 後朝を越えてくる
舞台がムーミン谷なのでこの巻からはムーミンシリーズのスタンダード(あるのか?)になっていくのだろうか
日常の中での事件がかなり非日常ファンタジーなので不思議な気持ちになるが、子供の頃のごっこ遊びの中で起きる"事件"ってこういうファンタジー感あったなあと
この巻は登場人物がなんかワチャワチャ沢山いるなあと思った 一巻が順当に冒険の仲間が増えてく感あったからより多人数に感じる?
谷というかこの家まわりに人の出入りが多い
蒐集家だったりなにかこだわりのあるキャラクターが多く嬉しい ヘムレンさん好き
飛行おにはビジュがかっこよすぎ
▼ムーミンパパの思い出
三巻目で親世代過去回想ものやることあるんだはやくね
『特定の年齢を越した者は、勇気ある未来ある楽しみある存在ではない』というような言説を世から見聞きするたびに、(環境などでの難しさなどを踏まえたとしても)それを世界の真理だと思わないでいいはずなんだ……になっていたので、この巻の物語からのメッセージが本当に大好き かなり救済
すべてのキャラデザもキャラ性も良すぎるのは言わずもがなとはいえ
ロッドユールのビジュの良さにビビ�� しかもとんだ萌えキャラ
パパの可愛さが過ぎる 息子にも受け継がれているな 何者かに憧れる性質の理由も元の生育環境だという説得力
ヨクサルは思ったより猫だ あとそんなにはスナフキンと似てない
フレドリクソンはよく見ると自由人ぽい 実力でねじ伏せてるだけで
元々シリーズに関心を持ったのがオバケさんからなのでやっと会えて嬉しい!!キュートすぎるだろ
▼11/5ムーミンバレーパークに行く
原作以外から初見やるのは解釈に影響起きるのかも
絵本映画やショーでストーリー初見してきた
▼11/6〜ムーミン谷の夏まつり
洪水の表現は物語的というか絵本的?想像的?なんだけど家が綺麗に沈んでてそれに纏わる描写が楽しすぎる
ところでプーさんで育った者なんですけど洪水回ってマストなの?
劇場の発想がとんでもないしそれが小説となって実際のものになってるので最早畏怖
赤カーテンの逆光の絵大好き
フィリフヨンカの世界が広がる瞬間も最高
毎度新規キャラがこんだけ出てきてちゃんと話の中でスポット当てて、最終的にも回収するのとんでもない
ムーミンとスナフキンの間の愛情の見積もりを見誤ってたかもしれない相思相愛なんだなわかったわかったすまんて
想定よりだいぶ焦がれの表現が多い
ロマンス文法も使われているけれど、文脈は友情ですよ、と言われるので??となる まあどちらにせよ相思相愛だからどうでも
▼〜12/1
夏まつりを読み進めたのち、思い出を周回していたところ2〜3周目で突然気づいたらフレドリクソンに転げ落ちていてそこに留まる
一回休み
▼12/14 ムーミン谷の冬
季節や空間の描写をめちゃくちゃに味わえる巻 冬の描写が食べたいならここに来るとよいぞ…….と人に伝えたい
おしゃまさんカッケェな バレパでも思ったけど下手すると初恋泥棒だぞ
ムーミン谷の話だけどムーミンファミリーの話でなく明確にムーミン主人公回
今までの家族と違う人たちと会って暮らして一皮剥けるムーミンよすぎる 成長ってこうだ!人の面倒を見て家に入れちゃうの血筋すぎる
ところでムーミンは面食いで結構色んな人に惹かれるな
ミイはいつでもミイなのですごい 彼女が人気なわけが分かってきた気がする ブレねえしつええのでカッコいい
相変わらずストーリーの回収が上手すぎる それぞれ出てきた登場人物を余さず魅力的に描く力 個��的な好き嫌いとかの相性ではなくストーリーの力でわからせられる 怖い
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バレーパークでの2019年ハーベストの配色は渋めで好き。
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英語版表紙の彼らの配色が独特で好き。ミムラ姉さんはあまり奇抜ではない。
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天才発明家と、その仲間のホラーな人達
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「日本テレビ開局70周年記念舞台 西遊記」の所感
・日テレドラマ版西遊記の舞台ではなく、単体の舞台版西遊記
・演者さんがた最高流石すぎる 演技力によってキャラクターそれぞれが魅力的
・脚本のバランスとまとまりが悪い
・ギャグは面白い時と全くギャグ成立してない(笑いを��べてない)時がある
・演出は舞台演出自虐メタネタが過分 舞台演出とそれを信じる観客を馬鹿にしたい?
・令和の作品としての仕上がりではない 昔の番組の再放送見てるような感じ
▼
2024年になってまで文化的表現者が「これしかできない」言うのはもうやめた方がいい
文化的表現者が"それだけしていれば世に一石を投じたこととなり、責任を持ち果たしていることとなる"わけではないし
所謂、謙遜文化としての言葉なんだろうけど、これしかできない、わけがないので
地震の話も出てたけど、じゃあ例えば支援をするだのなんだのできるし、それぞれ皆するでしょう
なのに敢えて「それしかできない」という表現をすると責任の放棄に聞こえる
この謙遜は今時もういらん
▼
'78版ドラマ西遊記の舞台版、ではない。
'78放映のドラマ版西遊記は、この記念舞台作品にほぼ関連がない。
ごくたまに思い出したかのように小ネタとして'78の要素が出てくるが、良い意味で気づかなくても特に問題はない。
一幕前半はアレンジを効かせつつも、比較的忠実に進行するが、三蔵法師が出てくるきたあたりで、流石に「なるほど"オリジナル西遊記ものの舞台"をやるんだな」という心づもりになる。
しかしその"オリジナル西遊記ものの舞台"としては脚本勿体なさすぎる。
全体的にとにかく脚本が勿体無かった。
役者陣の、抜群の演技力による登場人物の魅力、によって作品としての質が保たれている感。
脚本のテンションがスポットでは面白いが物語作品としてのバランスが悪くまとまりがない。物語を通して伝えたいことが分からない。
楽しさ面白さへの衒いない喜びより、惜しむ気持ちが強い。別の脚本でこの演者さん達で見たかった。
これほどの人達がいて、これほどに魅せてくれるのに、物語がこれかよと。
▼
作品としての筋として伝えたいことが分からない。
孫悟空と三蔵法師の関係性を中心にして、「異なるもの同士でどう相手を知り想い共に生きるのか」という物語かと思ったが、これは一幕で、悟空がお師匠さんと呼ぶことでほとんど描写し終えている。
三蔵は夢でも悟空のためにお札を剥がそうとするし、それができなくても悟空のために出来ることをしようとする。
相手が妖怪人間なにであろうと関係はなく、ただ目の前の相手に与える親愛や敬意があると、悟空が理解し受け止め、それを返すためお師匠さんと呼ぶ。
ということでこれはあくまでメインではなく、続く後半の物語で重要となる悟空自信の変化だと読んだ。
そのため、二幕で再開した牛魔王と孫悟空の、一幕との対比を観て、
「魔王と孫悟空をキーとして、往来と異なる別の場所に堕ちることも含めて、誰かが今とは違う理想や目指す場所を求めて、どう変化し何を大切にして生きてていくのか?」
という物語なのかと思った、が。
結局のところ妖怪は妖怪で人間は人間なのか?人間とは?と
それっぽいい感じのセリフも、物語の中で効いてない
紅孩児の「私は人間でいたい!」とか
今まで別に人間とは?妖怪とは?という話して無かったのに急に何?
「人間"として"生きていきたい!」なら分かるんだが
あの言い方だと「生き物の性質として、人間=理性的存在、妖怪=我を失って暴れるような存在、だからあれに成り下りたくない」と聞こえる
じゃあ自害まで選んだ牛魔王の想いはなんだったって言うんだ 貶めるな
その癖、非人間の鎮元子が結局トップ経って丸く収まりましたなので、鎮元子今まで人間とは違うから手出しできないつってたのなんだったんだよに 死んだ民衆への無駄死に感と、それに対しての「致し方なかったんだ」より「鎮元子はハナからそうしろや」が勝った
人間と、妖怪神仙などの違いをキーにするにしては、結局どう扱いたいのかさっぱりわからない 意味不明
牛魔王の民を想う気持ちにがあろうがなかろうが、愛するをものを失った悲しみを持って我を失い周りを傷つけるように、私はそうはなりたくないのだと。それを悔やみ死すら選んだ父親を見てすらも、妖怪は妖怪でしかないのだと。それから逃れるため人間として生きたいと?なんというか、人間という種族への賛歌?
じゃあ国の治世はどうするのか。肝心の人間様は居ないわけで……となったが結局ここでちんげんしである。
何年も国の有様に自分はそのような存在ではないと一線を引いた彼がここで選ばれる。
何で??????
結局のところこの作品の伝えたいこと、魅せたいことがなんなのかわからなくなってしまい、そのまま幕を閉じた。
▼
一幕でもやんわり感じてはいたが、二幕が特に恐ろしくギャグとシリアスのバランスが悪い。
登場人物がはっきりに「メタネタギャグをする登場人物」「手堅くシリアスな扱いをする登場人物」に分かれている。
後者である「牛魔王、羅刹女、紅孩児(+孫悟空、ちんげんし)」のが、作品から浮いている。
▼
個人的に演出で1番ツボにだったのは、八戒が夢を見ているシーンで、中華料理がとりどりサイネージ全体に渡りメニュー表のように並ぶところ。
演出に「おお!」と思ったのが筋斗雲にのって悟空が舞台袖にスライドしていくシーン。自分はこの演出に素直に感動したけれど、そこでいきなり「今、紐で引っ張ってなかった?」とメタネタを挟まれ、こちらが馬鹿を見た気にはなった。
舞台慣れしてるひとには見慣れた演出だからこのイジリは楽しめるのかもしれん。
演出はサイネージを非常によく使う。それほど使用するのに、サイネージの映像は、雑な顔はめ加工ネタとして消費される。そしてネタも繰り返され、ネタを噛みすぎて味がしない。
大道具やサイネージは客の想像力を補完する重要なのものなのに、それをいちいちイジる。
演出によって空間を信じる気持ちを、とにかく繰り返し、繰り返し削がれる。
閉幕後に、「ワイヤーでの飛行や大道具の移動を今時珍しく手動で行なっている」ことを座長片岡愛之助さんが仰って、担当した方々への拍手が起こる。
しかし「それに敬意を示すならば尚更、脚本でああまで舞台演出を繰り返しネタに貶めているのをどうにかした方が良かったよ」という気持ちで悔しく思いながら、敬意を持って拍手を贈った。
▼
キャラクターは本当に魅力的だった
全員に言ってたらキリないくらい
こんなにお兄ちゃん要素が強い孫悟空いるんだ 良すぎる 兄貴分というかお兄ちゃんなんだよな悟空おにいちゃん……
これは牛魔王との関係もあるがそれよりは三蔵があまりに幼い(?)からだと思う
おんぶとか
あんなに人生を楽しんでそうな沙悟浄初めてみた 厭世感が低い!一番に踊り出す沙悟浄!!??
女性口調のキャラがキレるとドス声になって怖い、は使い古されてるし令和的じゃないからやめたほうがよかったと思う 勿体無かった
"欲"が沙悟浄に分配されて、他にもコメディリーフが居る分八戒はややおとなしめに見えたな……落ち着いてるし
玉龍は舞台上にいる時ずっと可愛くてずっと面白かった なんなんだ
おかげでむしろサイネージネタは微妙
ドラマ版と同じで仲間たちが一緒にいてワチャついてるところが可愛かったのでもっと見たかった
▼Twitterで書いてた感想から引用
https://x.com/tobitori52/status/1746380292217282998?s=46&t=h4slQya3LMsqIYXXZIwVIg
テレビ局の70周年記念舞台の脚本ってこの程度の出来でいいのか……と思った
積み重ねた技術により作られた料理もそうでなく作れと言われたから作っといた料理も、デザートも主食も期限切れもか出涸らしも一切関係なく、全部同じ皿に盛って出されて、ウワ勿体ねえ…………みたいな…………
役者陣の500000000点の素晴らしく圧倒的演技力によるキャラクターの魅力の表現で作品の質が保たれ成り立ってる印象
ギャグは結構面白いがシリアスとのバランスが非常 に悪い そして場面転換が雑
とにかく脚本にまとまりがない伝えたいことも分からないで、作品/物語としていい評価ができない感じだった
どうせなら全面的に喜劇としてギャグ方面に舵を取ったほうが良かった気がするが、面白いギャグパートもあるけど7:3くらいで別に面白くないとかそもそも成立してないギャグもあったからそれもどうだろう
ギャグパートめちゃくちゃ面白いところはマジで面白い 個人的には玉竜のところは全部良かった
シリアスも感動も結構無理くり感があった 感動するところなんですねはいわかりましたって感動する感じ 感情が誘発はされない
それっぽいい感じのセリフも、物語の中で効いてない
後半は特に牛魔王一家をほとんどギャグ扱いしないせいで世界観から浮いてる ある意味メインなのに
ここのキャラはそういう担当なのね、もしくはギャグセリフ言う扱いできない立場なのね、みたいな
メタネタとは別に作り手側の事情が身透けてみえた気になって萎える
若い女性キャラの翠蘭が小生意気なミーハーとか、沙悟浄のよねだわ口調とかは、"令和版"とか謳う作品でわざわざやることか?
沙悟浄に関しては理由に全く説明がないので「なんだただのキャラの付けかよ」状態
しかし役者陣の演技がめちゃくちゃいいのでキャラクターとしてはすごく魅力的 なんだこれ
沙悟浄が所謂雑にオネエキャラ!!という扱いの描写が出てこないかヒヤヒヤしながら観てた
翠蘭に「イケメン!!!!あんたなら襲われてもいいよ♡」とか言わせる脚本なら全然やりかねない
女性キャラクターの取り扱いは全く今時じゃなかった 昔の作品のよう
演出なら悟空の戦闘パートで、対多人数戦のある余裕っぷりにより悟空の強キャラである説得力が出ててよかった
思えば棒術はあまりメインの映えにしてなかったようだけど、特に気にならなかったなそういえば
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「いちばんやさしいアロマンティックやアセクシャルのこと」
明石書店
読んだ所感
⚠︎本文内容の引用あり。
▼
「おわりに」207pに
「決定版というわけではなく、一つの通過点・到達点」
「改訂版も視野に入れて引き続き取り組んでいきたい」
「この本だけでなくさまざまなタイプのAro/Aceに関する書籍が出版されることが望み」
とある。賛同する。
AroとAceについてを主に取り扱った本が発売された、��いう意義は大きい!
▼
とりあえず、当事者や当事者である可能性について考えている人達には、軽く読むには勧めない。
自分は平日の真ん中にバラバラと捲る読み方をした結果、アホほど掛かったストレスに脳が支配されたので。
そして、用語の索引もしくは用語集などの、さっと字引きできるページは設けて欲しかった。
第2部は面白かった。
第2部第1章について、自分は基本的に、自分以外の誰か別の人の場合……という内容にあまり関心がなかった。
しかし、それぞれ本人から語られることで、「大前提、実際のところ当事者もそれぞれ異なる」ということがより明確に体感できたので、結果的に一番興味深く読めた。
自分にとっての「他の人の場合を聞く」ことの重要さが改められた。
第2部第2章については、
第2部第1章の個々の人間について読む対談よりも、こちらのほうが読みやすい人も居ると思う。"存在する"ことの可視化となるものは、あったほうが喜ばしいし、なにより数値化は分かりやすい。
「Aro/Aceについての調査は、Aro/Aceについての調査をしている」という根本的な感動がある。すげ〜。
第1部は手放しで歓迎できるような内容ではなかった。
Q&A形式をするに当たっての表現や構成、そこから感じ取れる態度を支持しない。
恋愛/性愛的規範に則した偏見を強く持つ人達(マジョリティ)側への迎合や忖度が強い、という印象。
偏見に基づいた質問内容などに対して、アテンション(注意喚起)が機能していない場合もある。これについては心底困るし不快な思いした。
世にある偏見や差別的な発言や認識について、まずもってNoと明言していない、という箇所もある。
恋愛/性愛的規範に則した偏見を強く持つ人達が、とりあえず多少なりと知るために読む、という場合にはいいのかもしれない。
少なくとも自分は、その場合にも敢えてこの本を勧めることはしない。
▼
冒頭2p、
「この本は、A ロマンティックやAロマンティックについてどなたにでもやさしくお伝えすることを目指してつくった本です。」
「この本は主にAro/Aceについて初めて知る人向けに書いています。」
とある。
「初めて知る人」は下記のいずれかの特徴を持つことを想定されているように思う。
・(自覚の有無に関わらず)性愛/恋愛的規範に則している、偏見的な思考を持つ人
・Aro/Aceにまつわる言葉の意味や、取り巻く状況について、知識や認識がほとんど全く無い人
・Aro/Aceは、自分とはほとんど接続しない無関係なものだと認識している
「はじめて知る人向け」は成功しているかもしれないが、その成功は、ある程度マジョリティに寄り添ったものかと思う。特に第1部は。
自分はこの本を「どなたにでも」とは言わない。
▼
第1部第1章。Q14pの上部で「Aro/Ace=アロマンティック/アセクシュアル・スペクトラム」という説明がある。
この用法は一例との注釈もあるが、この用法が普及することに個人的にはデメリットを感じているので、それについて。
自分はAro/AceノットイコールAro/Ace specを提唱している。
Aro/AceイコールAro/Ace specとすると、Aro/Aceにグレーやデミなどの"場合によって感覚や体験を持ち得る"人達を含むこととなり、「ほとんど/全く無い」としてのAro/Aceが成り立たなくなる。
その場合に、Aro/AceやAro/Ace以外のAspectrumのそれぞれに下記のデメリットがある。
・完全に無いと伝えたいのに、場合によって感覚や体験を持ち得る可能性を残されて認識される
・場合によっては感覚や体験を持ち得る、またはAspec上で不確定だったり流動性があると伝えたいのに、完全に無いと認識される
そのため、
・A romantic/sexual = ほとんど/全く無いを指す独立したもの
・A romantic/sexual spectrum = allo以外の、allo(有る)からA(無い)までのグラデーション
とAro/Ace ≠ Aro/Ace specが明確に分けられていて欲しいと思う。
というか、そうでないと、全く無い者としては困る。
自分は今年に入ってから既に一度、別の件で「この用法があるとしても、別の表現に変更はできないだろうか?」という問い合わせをしているが、今のところは反応がない。
そもそも、議論するようなことではないということなのか?この点について他の人の意見を多く見かけたことがない。
▼
18〜19p「Aro/Aceコミュニティでは、(日本ではまだあまり一般的ではありませんが)」という前置きでalloについて解説している。
「新しい言葉なのでまだコミュニティ内でも通じない場合がある」と伝えたほうがいい気がする。
言葉についてのコミュニティ内での平均的な認知度合に、"一般的"という表現を選ぶのは不適切と思う。一般的()ではないマジョリティの話をしているのだし……。
19p「より専門的に言えば性的指向と恋愛的思考の区別」という説明があるがスプリットアトラクションモデル(SAM)という言葉は出てこない。
(Aro/Aceは学術的な専門分野というわけでもなしに、専門的という表現も不適切だろうと思う)
Aroという概念や存在の認識が確率していることを前提とするならば、"SAMに則った恋愛/性愛的指向の区別"は専門的どころかむしろ大前提だろうと思う。だからこそ今更説明を省いたのかもしれない?
▼
92pでAroとAceのシンボルがそれぞれ解説されている。しかし93pではAceのシンボルは2つ解説されているがAroのシンボルは無かった。
フラッグとホワイトリング以外にも、
「矢、アイスクリーム、黄色の花、グリフィン」
などがあります!!よろしくな!!!!!!
▼
88p〜91p第3章最後の質問
「当事者に言わない方がいいことはありますか?
について。
89pに
(人によって異なりますので、気にしない人も、もちろん居ます。)
とある。
この言葉は、89〜90pで、他者に向けた、規範に則した偏見に基づく無遠慮��失敬な態度や言葉たちを並べたてる、そのための前置きとして書かれている。
91p
「これらの言葉は、相手のセクシュアリティにかかわらず気をつけた方がいいと思いますが、皆さんはいかがお考えでしょうか」
ということで自分の思うお考えを書く。
89ページの
(人によって異なりますので、気にしない人も、もちろん居ます。)
という言葉で自分はこの本への信頼が大幅に失われた。
自分は89〜91pの態度を支持しない。
これから89ページの無遠慮な言葉達を読んで傷つくだろう人達に対しては特にカッコ付けのアテンションはない。
性愛/恋愛的規範に則した偏見に妥当性はなく、差別行為や無遠慮な態度そのものの悪性は覆らない。
悪意故意自覚の有無には関わらず、差別意識もワーストの国で不可抗力でその思考が育てられたということを、どれだけ鑑みてもだ。
「言ってしまっても関係性が崩れるとは限らない」
「全く気にならない人もいる」
「一律に禁止にしようとしているわけではない」
「考えてもらいたい」
この本は、性愛/恋愛的規範に則した偏見に対して、それは良くないことだと名言することを避け、己の立ち位置を曖昧にしようとしているように思う。
中立を気取りながらマジョリティ側に寄り添う振る舞いは、自分は大嫌いだ。
▼
書籍冒頭3pで、
⚠︎マーク→(性行為などの)性的ことについて取り扱いがある内容
オバケマーク→Aro/Aceに対する偏見につ
いて取り扱っている内容
と、注意喚起のマークについての解説がある。
しかし、横書きの本で視線誘導が左→右であるにも関わらず、これらのマークは右上に配置されている。左ページの場合は書籍のノド側。
マークに気づくより文章を認識する方が早く、特にQ&Aのページではマークは意味をなしていない。
第4章では、当事者が言われ飽きててそれでも心底嫌になる、規範や偏見に則った"素朴な疑問"がひたすら書かれている。
注意喚起のマークに気づくよりも先に、その偏見に塗れた質問を避けられもせずに投げつけられることになる。
この第4章の質問内容について、自分は全ての質問が規範や偏見に則った差別的な内容だと認識したが、一部の質問にはアテンションのマークが無い。
第4章の一つ目の質問(96p)について、こんな最悪な質問をいきなり投げつけてくるような本か、と思う。この質問にもアテンションのマークは無い。
第4章の章タイトルページ(95p)にはこれから"偏見に基づいた質問"が記載されることについて、改めて注意喚起はされていない
ページごとのオバケマークで注意喚起は果たされていることになっているらしい。
第3章の最後91pに「第4章の質問はいずれも要注意フレーズ」「当事者に聞かない方がいい質問」と書かれている。
何故3章に書いたのか。目次から飛ぶかもしれないのだから第4章の冒頭に書くべき。
相当親しんだ相手に伺いを立てた上でも既存の関係性破壊がされる可能性が少なくない程度には、クリティカルに最悪な質問達だと思うが、注意喚起はこの程度でいいのか。
マジョリティの立場にやさしく寄り添って質問に答えてくれているようだが、この本が何を持ってして偏見や差別としているのか、基準が理解ができない。
少なくとも、当事者��傷つけない構成になっているとは思わない。
▼
オバケマークについて何故オバケ?と思っていたが89〜90pでも、〇〇オバケが沢山登場する。
この本では、規範や偏見に則った態度や思考、内容などをオバケとして表現しているらしい。
ただ、実際は規範や偏見に則った態度や思考というのは、親しみをもった相手にしろ赤の他人にしろれっきとした人間いち個人から向けられるもので、存在の曖昧なオバケから向けられるわけではない。
ずっと「我々、貴方達、人間」の話をしている。
偏見に則った態度や思考をしている者だろうが、Aro/Aceがマジョリティをオバケ扱いしてると誤解されても困る。
どちらかといえばオバケのモチーフは、Aro/Aceに限らず不透明化されるマイノリティが自身を表すために、敢えて使われる場合もある。自分らを表すのと、自分ら以外を表すのとではわけが違う。
▼
この本への思いついて友人に話し、「あまりにもストレスかかるなら本自体を手放す」という選択肢も助言として提示して貰った。
しかし今後他にも書籍が発売された時などに、2024年時点での参考として見返すかもしれないし、自分の読み方が変わるかもしれないので、所有しておくことにした。
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ハズビンホテル感想
▼6話
アダムがあれだと天国相当ヤバそうなんだが果たして というかもうボス戦なのか?そうでない?
チャーリーバギーめっちゃ恋人!!嬉しい公式カップルだ共にあれ
ほら貸して→オラァ!なんかこういうとこでいちいちウケてしまう やたらテンポよく笑いどころが含まれる 敢えて間を置いての爆風
冒頭からエンジェルが最悪!モードで、そうやって弱音を吐くようになったんだなという感慨
チェリーボムに皆連れ出してもらったのはホテルで何もできないから遊んできて!か
そういえばサーペンシャスと戦ってましたねエンジェルとチェリーボム 忘れてた
サーペンシャスの動揺の方向よくわからない
友人があまりいないからの同様?
(※追記 見返��てて初めて顔赤くしてることに気づきました)(血赤いのかなかわいいね)
天国良いところ!の歌 美男美女のくだり何?見た目醜い人間はおらんってことか?あ?
バギーの表情よ なんか明確に恋人だと分かるとこう チャーリー色んな人と仲良くなるから いや多分そこも彼女の魅力だとバギーも思っているだろうが
ずっと居たくなる→それは例え話、うわあ居られたら困ると
天使にチャーリーバギー彼女らの関係性が「下劣で冒涜的」と言われるの本当に腹立たしいな わざとなんだろうが多分同性愛への差別も含んでのセリフなんだろう それに対してのアダムの「めちゃくちゃそそる」も女性同性愛への都合のいいコンテンツ消費をする人間達の鏡だよ この表現力相変わらずとんでもないこの作品……
そしてアダムがチャーリーにクッソ嫌がられてて笑う そらそうなんだよな
こういうところで作り手に安心できる
セックスクラブの名前が「同意」なの中々良いどころかマジで最高すぎる……………………唸るぞこのセンスは…………
サーペンシャスはチェリーボムのこと少し気になっている?どういう感情かは分からない
性愛または恋愛、それに準じてる魅力を感じる対象は女性なのかな
サーペンシャスがエンジェルのこと拒否してたのは女性ではないから?
そういえばハスクはよくわからない Aceなのかな?とは思うけれど、自分の指向以前に、あのエンジェルの振る舞いを見ててノる気にならなかった、特に対象ではないとかも可能性あるからな
全体的に性同一性もなんならよくわかってないっちゃそうなんだけれど、別に分からんでもいい チャーリーバギーは5話からレズビアンカップルとされているはずなので女性なんだろうけど
公式HPにキャラクターページとか無いんだなあ 悪魔とか天使ってそもそも性別あったっけか
ニフティのことをそれぞれが、まだ未熟な子供として面倒をみてるのがすごくいいなと思う というかホテル面子がすっかり仲良しで一緒に酒飲んでてもうこれだけで泣きそうになる
サーペンシャス普通に誘ったわ 性対象としても魅力的に見てたのね 同意をとってる!!!!��!現実の人間もこれくらいやれよ 彼の敢えて言うなら臆病と言える性質が、かえって真っ当な合意形成の確認を生んでいる 物語が上手すぎる
しかしああサーペンシャスの発言の調子がいいばっかりに 誰か助けてやってくれ
エンジェルがニフティに昔の自分のような目には、と言ってたけどそれはやはりニフティが子供だからなんだな
エンジェルは4話でもチャーリーに悪い目にあって欲しくないようだったりしてその辺かなり真っ当なんだよな 経験もあるだろうけれども……
まあしかしサーペンシャスは自己責任だった これは大人だからかな
エンジェル格好いいよ よく言ったよ
友達なんだ……
チェリーボムとのやりとりも良かった
彼女はホテルに来なかったけどエンジェルが所謂"白ける"ような、こういうこと言って���友達なんだよ
あれこれ「君は君で良い」では……?
複雑な話なんだ、単純じゃないんだってこれ常套句として百遍聞いたな
エミリーとチャーリーはすごく近くてすごく対照的かもしれない ずっと見てた疑念のあってそれに向かってきた人と今初めて知った人で てもエミリーがチャーリーに賛同してくれて……良かった
しかし同時に今2人とも信じていた人への疑念がもたらされたな……
というか相変わらずとんでもハイペースだけどこのペースが見やすくて助かっている
とんでも情報過多だけど全然想像上の地獄天国の話じゃなくてほとんど現実の社会と人間、自分らの話だ
現実はこの碌でもなく汚く最悪な酷い有様なんだ!という大前提のろくでもなさの描写が露骨で、でも実際こんなもんなんだよな
しかしやっぱりハスクとエンジェル恋愛カップリングにはあまりなって欲しくないな……
ホテル面子でハスクとエンジェルが交際したら、アラスター(別格)とニフティ(子供)はともかくサーペンシャスが残ってしまうことになるのが嫌だ
あの言ってしまえば小物然としたキャラクター性質があり、しかし尚且つ他者に向けての感情のあるサーペンシャスだけ残られたら嫌だ
逆に彼がたとえばホテル外のキャラクターと恋愛的に結ばれたらそれはそれで、彼だけ外部となのかよ、そんでメインキャラほとんど全員恋愛カップリング成立かよ……と恋愛規範にガッカリする
ホテルの外でもいいから作品のどこかで、明確に非恋愛に向けられた救いがないかな あるといいな
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ハズビンホテル感想
▼5話
チャーリーとバギー同じベッドやんけ
パートナー関係≠恋人関係だと思って居るので恋人なのかはまだ疑問系なんだけど、パートナー関係はほぼ明確とみてよさそう 多分敢えての描写だし
ハスクのFuck MONDAYマグカップが欲しい
グッズ出してくれ〜
上手くいってない父親と娘の微妙な会話としての謎の再現性 嫌われたくない割に話聞いてねえ辺りの
鬱病とサヨナラだ!は鬱状態とサヨナラってことなのか鬱病なのか
サーペンシャスクッキー焼いてる
もう完全に可愛いです
アラスターの「ことの他嬉しい〜」なんかツボだった 言い方?
思ったより小さい うるせ
低身長の弄り本当に嫌
恋人だったーーーー!めちゃくちゃ明言して親への紹介やんけ そう��ゃないがしれないと警戒していたのすら恥ずかしくなってきた 警戒する羽目になってたのは今まで触れてきたコンテンツ達のせいなんですが
お幸せに!!!!(?)(すでに恋人だよ)
パパの私も女が好きってセリフ不思議な肯定だ
魅力を感じる対象について話して、同じじゃ〜んのとかあまりしたことがないからそう思うのかもしれない
チャーリーの恋人が女性であることはルシファーは知らなかったようだけどそれでもこのセリフなんだな
よく考えなくても、なんでもなく主人公に同性の恋人がいて、なんでもなくただ主人公が恋人として紹介して、それをただそうなんだな!と父親が言って……
国内アニメがあんなに苦労してそれでも結ばれてると明言できなかったのを思い出して差を感じる 社会の差?作り手が囲まれている環境の差?全部?
パパは人との物理的距離感を見誤るな ハグ好きなんか?
バギーは定期的に男嫌い的に描写されてる気がするけどそもそも普通に他者にベタベタされたくもないし、様々に女としての押し付けもされたくはないだろ……と思う
パパvsパパ曲、良い
楽器演奏対決になっているところが好きだ
2人は家族同然、のとこ、2人と言ってるけど背景はホテルの皆なので、2人も家族達のうち、というような言葉なのかな?元英語だとどんな表現なんだろう?
……誰!?本当にそうで笑う ホテルのみんな全員置いてけぼりすぎる
ホテルの皆の話が続いたから、アラスター(と新規のパパ)の回なんだな
ああやっぱり鎖に繋がれて居るんだハスク……アラスターのことが判明しつつあるのにまだまだ謎が増える
ニフティがエンジェルとサーペンシャスに持ち上げ庇われてかわいいね
私の窓とは 綺麗にしてるから?
パパの発言があまりに"父親"なんだけれど、その発言がどういう経験などからきているのか、の説得力があるんだな 過保護のようにになるのには理由がある 実体験での
「頑張れチャーリー」の前の、ため息がいい
色々を堪えて言葉を掛けてるんだなあと思うので
チャーリーとバギーの掛け合い、良い
相方なので多少の無茶としても君には付き合って貰うぜ!なチャーリーの感じ
ィェ〜ィ…………
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ハズビンホテル感想
▼4話
サーペンシャスまだビビってていい
そう簡単に変わらないというのも説得力
最初の客として居るしなんだかんだずっと更生へのさまざまやりとりにも積極的ではあったエンジェルの回だ 早い このテンポ感で進むから見やすいのかもしれないこのアニメ
ボスとの呼び名から若干立場が危なっかしいところなんだろうなとは思っていたが明確に
チャーリーの怒りどころ、そういうところで怒るんだよ彼女は……!!さすがだ
これもしかしてハスクとエンジェルの回ですか?
メイン回の予想大外しした
見終わった泣いた
エンジェルの「演技じゃない自分を守ってるんだ」はあまりにも色んなことにささる 切実
彼の場合は性的な奔放さ(強いられも含まれるのでひとまとめにはできないが)もそうだけど、アウトローな振る舞いや自分を演じることは、彼の言葉通り自己防衛の振る舞いの一種で、そしてある意味珍しくはないものでもある気がする
自己防衛のための演技、というか振る舞いはチャーリーもある意味しているしな(彼女は相手への気遣いの側面も強いが)
ハスクとアラスターもまあ単に友達(?)ではないんだろうとは思っていたが ああ……
自分の外側の実際的問題の解決(この場合は囲われている縛られている状況からの脱出)はされていないんだけれど、この回はそれ以前の、自分との向き合いや弱みの受容の回
ハスクの「だから良い加減止めろ」の良い方がめちゃくちゃ優しくて
「演技をやめろ」は演ずることを仕事に矜持に自分を守っているエンジェルを怒らせるトリガーになる言葉ではあったけど
実際エンジェルが誇りにしている矜持にしている部分が無くても折れたって「ホテルのやつらは気にしちゃいない」それだけを価値として見限ったり捨てたりなんかしない
ハスクがずっとエンジェルに伝えていた「演技するな」の意味が「何が悪い?」「君は君で良い」なんだよ。泣くわこんなん。
この回は性描写が強いせいかアマプラ18+指定だった。なるほど。というか全然思い切り性暴力だしな。
これ注意書きとかもっとデカデカ冒頭にいれるとかしたほうがいいのでは!?
そういえば性的な奔放さそのものは否定はしないんだよなハスク。彼もギャンブルに溺れた身なので当たり前なのかもしれないけれど
彼が性的に奔放なこと、それをハスク自身に向けて煽られたりすること、彼が己を偽っていることは切り離されて、それぞれ別に認識してる。
ずっとそうなんだけどミュージカルの曲と演出が良すぎる。ミュージカル、こういうカートゥーンなアニメでMVチックにしての演出が見てて楽しい。色使いとか。
4話とんでもなく良かったが、エンジェルとハスクのカップリング増えそう
公式がどうなっていくかは分からないけれど、恋愛カップリングとなれば、祝福をするけれど、自分は救われないだろうと思う
全部恋愛に回収されたら嫌だ
魅力も惹かれも何もかも恋愛じゃない。
恋愛的指向そのものを大切に扱ってくれないだろうかな どうだろう
まあ性的関係を結ぶかはなんでもいいんだが あれは親愛におけるいち行為だと思うので自分はあまり重要視してない
多分エンジェルはハスクと寝ようと思えば思うほど寝れるだろうし ハスクは現状全くその気は無さそうですが
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ハズビンホテル感想
▼3話
サーペンシャスかわいいね
もうだいぶかなり好きだこれ 助けて
しかしこの手の、言ってしまえばしょうもないと言われるキャラクターを見捨てない
仲良し計画がどんどこ身を結んでいる
バギーは落ち込んでるところでエンジェルがやったぜ!って成功してんじゃねえか!しかもサーペンシャス運んで連れてきて!と素直に喜んじゃった
エンジェルのSM、バギーのまるで軍事訓練、個々人の嗜好や性質開示をしている
で、それに各自が、楽しんでみたり挑戦してみたりする 自分が楽しめる範囲でだったり、文字通り身を投じられたりするわけだが、それによって他者への理解を深めている 相手はこうなんだと知る 自分に少し影響させてみる
サーペンシャスがもうここで、ハスクの褒め言葉を本当に!?と驚きつつも受け取って、今度は手を引かれてでなく自ら「助かったよ」って伝えるのでもう泣きそうに
ニフティはずっと引かれてはいるが
この作品やはり他者と己との関係性に対してとんでもなく真摯な、希望の物語だろ
サーペンシャスがエッグボア達に当たり強くて本当このキャラクター描写のバランスね〜に こういう人だよ
なんだろうねこのばいきんまんとかびるんるんみたいな 便利に使いつつ謎に可愛がってるやつ
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ハズビンホテル感想 2話まで
キャラデザいいとか話面白いとかそれもそうとして、好き好み通り越してこの作品の存在による意義?影響?がとんでもない
垂れ流し所感
▼2話まで
��ってることは暴力や性的なセリフ描写なんだけど、良くない発言を良くないものとして扱ってるんだなと思える
倫理的に非倫理描写をやっている?守るところを守っている
あるキャラクターのジョークなどの発言や振る舞いに、視聴してるこっちがウゲーになったところに、同じく別のキャラクターがウゲーになってる、と分かるから
作り手の「これは本来良くなかったり、相手にとって、ばあいによって良くないことなんですよ」という認識を踏まえた上での、キャラクターとしての発言なんだなと
キャラクターが他者の行動に素直に嫌がる顔をよく見れるのって喜ばしいことなのかもしれない
自分たちもこれぐらい露骨に嫌な顔していいんじゃないのか?
自分はそれは嫌 嫌なもんは嫌という振る舞い
しかしそれと同時にチャーリーが、露骨でなく気を遣った、相手を否定拒絶せずに自分の意思をどう伝えるかの努力している様も見ることができる
全体のモチーフやエログロ非倫理の世界観に敢えてチャーリーがめちゃくちゃディズニーの主人公キャラ然 しかし違和感はない むしろものすごく効いてる しかもプリンセスなのか……
エンジェルがミソジニー的発言もするの気になるけどチャーリーに気遣いしようともする
個人的にバギーとエンジェルが掛け合いとかが見てて好きだ 水と油のようだけど、仲良くなれそうだとも思う 根が冷静?な人達なのかな
アラスターはずっと怖いが、具体的な性質に嫌悪するよりはとにかく力を持って居る者相手への恐怖 強者への脅威を感じる
強いて言うならその強大な力に伴う恐れのない振る舞い、いやでもやっぱりまず力そのものがまず怖い
現状の振る舞い見てると、とにかく身にしろ心にしろ弱い人のことはあまり理解できなさそう 今はそういう人に見えるけどどうなのか 恐ろしいことに人外キャラ!ではなく元人間でもある こんなに嘘だろ?と言いたくなることもない
アダムの嫌さは逆に、力そのものへの恐怖感より現実的な嫌さが先にくる
チャーリーの、アダムかああそう通りで……の反応笑ってしまった わかる わかるぞ
最初の"男性"として、権威的な振る舞い以外にも「有害な男らしさ」を表現するキャラクター?
しかし天国の優生思想は頷き 知ってた
2話の時点でマジでもうめちゃくちゃ平等な救済!?人を諦めない!?なんにせよ前向きな物語なんですが何!?これは
いいんですか!?泣きそう
サーペンシャスが好きだな〜と思ってる
正直捨てキャラだと思っていましたすみませんでした
こういう歯に絹着せぬ物言いをすればやられ役として居るキャラ割と嫌いじゃないんだけど、速攻で救われて、今までにないスピード感に動揺している しかもちゃんと彼みたいな人が救われて、それも素晴らしいことなんだよな 当たり前のはずだけど……忘れがちかもしれない……
"捨て"キャラと自分が認識してしまったのがまさになんだけど、それに対して全く捨て置かないんだこの作品では……!!
ヴォックスの媒体がテレビなの出オチだと思ってたけどどうなんだろう?
自分個人が全くテレビみないから、割とオワコンだと思ってたけど、周りの話聞いてるとなんだかんだみんな家で付けてはいるしドラマとか金ローとかニュースもテレビで全然見るようで、わからない
でもみんなスマホ弄っとるしな……?
ラジオは職場で流れてるけれど、パーソナリティやCMの価値観が本当に数十年前で止まってんのか?というレベルなのに、聞いてる人間は老若男女ぽいので、ろくでもねえ前時代的価値観保持して広めてんじゃねえよ!!!!と思っている しかしこれも国内コンテンツへの印象だしな
ラジオ、テレビという媒体への一般的または多数の印象というか、この作品での立ち位置?はどんななんだろう 一応オワコンとしてアラスターが煽られて居るけども
エンジェルのメイン回とハスクのメイン回楽しみだな
エンジェルはチャーリーバギーとの関係性、ハスクはアラスターとの関係性がキーになるのかな?
演出面でアラスターの声は漫画の吹き出しの仕様違いみたいで面白いと思った
あと引きの時のみんなの顔が可愛すぎる
チャーリーとバギーは当然にお互いのこと好きなんだろうなだけど、所謂女性主人公とその女友達、って感じよりもう少し親密?おそらくパートナーだと思うんだけど、恋人なのかはよく分からない
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劇団扉座第75回公演
『Kappa~中島敦の「わが西遊記」より~』
の感想走り書き。
先に絶対許されないと思った所について書きます。
5/27公演の人魚に扮するシーンで、「あり得る、アリエル」とリトルマーメイドを思い起こすセリフがあったんだけれど
「今の時代は多 様 性 だから」
という現状の、リトルマーメイドの黒人主演を、ネタにして観客もそれを笑うという状況が心底最悪だった。
台本になかったのでアドリブ?日替わり?台詞だったのかな多分。
現在の実写リトルマーメイドにも纏わる"人種差別という根深い、現実に命に関わる問題"をを軽々しくネタ扱いし揶揄するこの台詞に憤慨している。
その後に場面が変わってお師さんが出てきて、オッ登場か!となれるはずなのに、「ちょっと待ってさっきの最悪な台詞なんだった…………?」で思考が止まる。場面が切り替わるのに全くそれはさておきが全くできない。それで済まして流せないほど酷い台詞を聞いた後だから。
それ以外にも体型に関するネタ台詞なんかは「演劇舞台の界隈ってまだこれが面白がって笑っていいと思ってる段階なのか?」というがっかり感はあった。普段様々見たりしていないから実際全体的にどうなのかはわからない。少なくとも今回の公演のは アレはおそらく"冗談"や"ネタ"としてやっているらしくて、観客もそれを笑っていたが。
途中の八戒のあの軽々しい台詞達にも全く劣らない「しょうもない」台詞だった。
八戒の台詞などは、元小説での男色言及や、大前提そもそもの好色な人物像があり「八戒なら言う」台詞なので舞台上の台詞、として彼の性質を理解するためにはなるんだが、「多 様 性」のくだりはあれ本筋にもなんの関係もないただの台詞だったわけで。
多様性の揶揄って完全に劇団側の差別問題への不理解と軽視によるものだろう。
これだけの物語を魅せてくれたのに、所詮考えずにすむ立場の、考えることをやめた傍観者の立場にいる側の公演だったのか?間違っても許しちゃいけなかっただろうに、あんな台詞を言えてしまう、演出として許してしまっていたのは心底残念。
だってあんな台詞なんてなくても、流沙河に"人喰いツアー"にきてる3人組がワチャワチャしてるという食生活の異種ものギャグは面白かった。
ただ2023年になってまでまだ"この手の笑い"やんの!?が定期的に挟まるので全面的には笑えない。
ようは差別的な問題を他所ごと扱いに揶揄するような台詞かんか無くても"お笑い"はできる、そういう揶揄を含んだ笑いはもう大衆に向ける時代は終えるべきだろうに。やるなら身内相手にしててくれ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
以下感想
めちゃくちゃ面白かったーーーーーー!!!!
ブロマイドくれ、円盤くれ、グッズ出して……。
これが人間の脳とかいうすぐショートする代物にしか残らないんですか?嘘でしょ……。
普段円盤とかWEBでアーカイブ残るものに慣れてるので信じられないよ。もはやスマホ動画でもいいから見たいよ。舞台は現地でこそなのはわかるんですが、にしても最高すぎて、自分の脳が4K保存できるスペックだったら良かったのに……どうして……。
「悟浄出世」の劇が始まった
↓
思ったより「西遊記もの」でもある?でもやっぱ「悟浄出世・悟浄歎異」
↓
先生→悟浄のクソデカ感情もの……?
↓
「中島敦作品」の劇じゃん!!!!!!
↓
からの「悟浄歎異」で締めなの鮮やか最高天才優勝
テンポにストレスをまったく感じなかった。
ギャグのテンポが良かった!笑っていいのかな?とかにならずに、観客のふふっと吹き出してしまうところが揃う感じ。悟浄と先生がつい黙ってしまう……からの次行きましょうか!とかの、間のとりかたとか。
背広着てる悟浄、なんとなく分かる、という気持ちに。眼鏡リボン懐中時計がいい味出していた。たしかに弟子達の中で1番背広きて欲しいのは悟浄だ。
しかしはなからすでに、遠慮がちだからそうとは思わせずにもさりげなく"体裁"作ってしまう彼の性質がもう描写としてある。
先生のこと、多分途中で出てきた「詩集」「八戒と悟空が変化するのが虎」「元人間」などで察せる人も居たんだろうな、と思います。自分はさっぱりでした。皆どれくらいで気づいていたんだろうか。
前半で先生が一緒に行くことになった時に、これあとあとどうするんだろうかこの人の立ち位置……思った。
ここまで沙悟浄と一緒にいて使い捨てはしないだろうけどもそれにしてもどうするのか全然予想がつかなかった 旅の仲間になるんでもなさそうだしな、と。
いやしかし最高だった予想外だった。
悟浄出世から旅立ちで別れる時の「せ、先生はいいのか!?こんなに一緒にいたのに1人だけ行ってしまうのか!?置いてくのか!?」の気持ち、観ている側でさえ思うのに先生はまさに当事者なわけで。
何年も連れ立った相手が1人で先に行ってしまったらそら妬みも羨望も爆発する。
ただ、沙悟浄からしたら藁に縋っていく数年を経ても進歩が見られず、そこに現れた一筋の蜘蛛の糸なんて掴まないわけにはいかない。
しかし最終的には「行きます!行かせてください!」と言ったにしても、それでもまず先に言ったのは「先生!行って良いですか!?」なのが、彼は先生を連れ立つ恩人として敬意を持って接してる、というのが分かるからより辛い。
どっちが悪いというわけでもないのにすれ違っているというか、通じ合えてはいないのが良い。
ことここにおいては観音様と が先生に説明もせず普通にコイツは駄目っすわで切り捨ててるのが悪いとも思うけども。二人これだけ一緒にいるのを見ておいて、あえてわざわざ引き裂くから!ほれみたことか。
しかし西遊記でもこうというか、沙悟浄の流沙河堕としやらも含めて無条件で救うような釈迦仏達ではないのは知っての通り。しかし大概酷い。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
元々、「西遊記」の最推しが沙悟浄で、その上で中島敦の文体や作品が好きなので「悟浄出世・悟浄歎異」は推し+推し大優勝なのですが。
今回の劇に関して個人的MVPが八戒でした。
あの、今まで様々な訳の西遊記と映像や派生した作品群を見てきたんですが、本当に1、2を争うレベルで好き………………………………。話し方立ち居振る舞いなんだろう。有り様が理想系すぎる。(腹は出てないけども)
あの猪八戒が脳に焼き付いてしまったので今後の人生で猪八戒のこと考える時思い出してしまうだろう。記憶が歪まないことを願うばかり。
肉まんのデリバリーの「881」とかそれを片付けることに「あっ片付けてくれてありがとね」とか、「名前なんだっけ」とかコメディリリーフなのはお待たせいつもの感じ。
ちゃらんぽらんで、「こいつは本当に、しょうもないやつだな!」と思えるのに、それにを呼び起こさない。新宿の女〜なんかは発言としてはまったくどうかと思うし最悪だと思うのに、彼なら言うとさらりと飲み込まされてしまう。
西遊記関連の作品群では、たまにこのちゃらんぽらんな性質が、嫌味な捻くれもののように描写される猪八戒もいるんだけれどそうではなかった。妙に魅力的、嫌いになれない。
こうはなりたくないけれど、そもそもここまで特出して自分の素直な欲のためだけに人生を楽しむことは、自分にはできないだろうとい一周回って敬意すら生まれる。酔っ払ってお喋りする彼が本当に悟浄歎異の彼だった。
ところで夜に起きてる悟浄に話しかける八戒、というのがかわいいな〜と。お師さんには下世話な話はできないし、悟空と話すとおそらく怒られがちなのかもしれない。悟浄とは思考回路がだいぶ違いそうだけれど、お互いの考えをなるほどだの分からんだのと思いながら、へえ、と聞く仲でいられそう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
孫悟空については��の、堺正章…………。
堺正章さん版インスパイアだなと…………。
ということで、あまり"悟浄歎異"の孫悟空では無かったかもしれない?と思う。和製孫悟空の像というか。今回主軸にあんまり絡まんというのはあるとはいえ。
彼の性質についての語り彼は火種……の苛烈激烈な性質についての裏付けのシーンがあまり無かったのかなと。十分乱暴者であったはずなので何故だろう。どうもなんだかんだ気のいいような性質に見えたのかも、焼いてしまう火よりは日光のような。あの、かわいいかったもんだから。
しかしめちゃくちゃ「俺たちの想像する孫悟空像」の擬人化なので、動いてる時に全く違和感を感じない。孫悟空が居るな〜!と。
しかし香取慎吾さん版以降の世代でそれしか観ていなかったら、違和感があったりするのかも?日本国内孫悟空の二代イメージ。
和製孫悟空のイメージ……舞台化作品でも、完全に若年向けだったりだと金髪になりがちな気がする。
きんこじ痛がるからの追放はやはり見れたのでhappy。西遊記モノといえば皆大好き悟空の追放回!
そしてら「俺のお師さん」発言は嬉しい。どうもやっぱりかわいいんだよな。
動き回る跳躍だ高い早い軽やかで脳が騙される。当然のように跳ね回っていますが、ジャンプ、高くないか?
あとこれは八戒などもですが棒術戦闘がすごく格好いい。
ところで途中どこだかで、耳あたりから如意棒をピョンっと伸ばして出すの、あまりに現実でびっくりしてしまった。ちっちゃくして仕舞っていた如意棒が伸ばして掴んで、すっ飛んで行ってしまうの、孫悟空でしかない。孫悟空が居たな……孫悟空が居ました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
檻の内外で様々に話すところについて
ずっと「いいからそこから早くでろよ!出てよ!」と言ってるもうずっと昔に諦めてしまったことのある先生が、ついに会話のために檻の中に入っていく。
所謂腹を割って話す、で言う所で、檻の中は"腹のうち"なのかもしれない。
檻のあたりのシーンは、沙悟浄と先生にとって重要なんだけれど、"お師さんがいてこそ"の状況の打開、というシーンでもあるように見える。
先生が言う「そこからさっさと出て逃げてくれ!」は" 囚われているという実際的な状況"では至極ごもっともなんだけれど、あそこで一緒にいるのはあの"強いお師さん"で
この時直面している"先生の気持ちが置いてかれている状況"の打破としては、あそこであえて留まり語り合う、という選択がまさに「物理、実際的な問題に対しても己のうちをみる」お師さんのありようそのもの。
きっとここが悟浄と先生だけなら、先生が心象を吐露することにはならずに、沙悟浄もよく分からんまま慌てたまま、2人別れてしまいそうな気がする。
お師さんがただの弱い人でも、ただのお人よしだけでもなく、この人は本当に間違いなく強い人なんだ、という悟浄の解釈が説得力を帯びるシーンでもあった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
先生と悟浄は旅が終わったら天上で一緒にお勤めしてほしいし、たまにはお茶でもしてほしい美味しいものを食べてあれこれ云々話していてほしいです。
そして円盤かブロマイドください。ネップリでもいいから…………。
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