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#広島中華そば
bontebok0 · 2 years
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【サンヨー食品 ちから監修 広島中華そば 伝や味】を食べました😋 魚介の旨みを利かせた豚骨醤油味のスープです。ちぢれた中細の油揚げ麺&具材は味付豚肉、もやし、ねぎ。〔税抜き230円〕 ⭐️⭐️星ふたつでした🎉 ※私の独断と偏見で3段階評価させていただきました。 #カップ麺 #カップラーメン #ラーメン 動画はこちら https://youtu.be/kDOtkxP7Uq4 #サンヨー食品 #ちから #広島中華そば #伝や味 #魚介 #豚肉 #もやし #ローソン限定 https://www.instagram.com/p/Cnt3SECS8Aw/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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narihira8 · 5 months
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広島の中華そば
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sarahalainn · 7 months
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Valentine Dinner Show in Kure - Sarah Àlainn Quartet 
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Valentine Dinner Show - Sarah Àlainn Quartet 
2024.2.5 Kure・Hiroshima
丁度呉でのバレンタインディナーショーから一週間が経ちました。
バレンタインにセトリとサラッと舞台裏をご紹介!
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Sarah
1. As Time Goes By
2. A Time For Us~永遠の愛
3. Nuovo Cinema Paradiso
Jazz Ballads
4. My Funny Valentine 
5. Misty
6. Up-tempo Love Medley
Love to Love You Baby 
Lovefool
Can’t Take My Eyes Off You
呉・日本
7. Eidelweiss 
8. 無限に広がる大宇宙「宇宙戦艦ヤマト」
9. 糸
Idol/Self-love
10. アイドル
11. Laisse Tomber Les Filles 
Europe
12. Tout, tout pour ma chérie
13. Spain
Encore
14. I Wish
15. Can’t Help Falling In Love
16. Lovin’ You
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今回は日本の最強ジャズメンとのサラカルという豪華編成。選曲をギリギリまで悩みました。
私にとって初となるバレンタイン・コンサート。
そもそも、私はほとんど恋愛の歌がない。カバーしたレコーディングにも限りあり。
広い意味での愛の歌に拘って来た自分に、バレンタインという課題で悩む悩む。
サラジオでも極力バレンタインの時はラブソングを避けて来た私。
そう、どちらかというと、苦手派。
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バレンタインやクリスマスは何かとプレッシャーに感じる。もっと素直に愛を表現したい。愛の記念日なら、先ず自分を大切にしてるか確かめたい。毎日ボロボロ傷だらけにしている我が身。精神的な傷の話ですが、今回のサライブは距離が近く、アッパーな選曲に合わせた足を出すサラスタイルにすると、早速怪我をされてないかと心配されたお便りがラジオ局に。あれは去年フランスの石畳で転んだ時の傷。当初は50倍酷かった。表面でも傷は中々すぐ綺麗に治らないものですね!(写真はメイクと光のせいでほぼ見えない)
さあ、どうするよ選曲。
毎回来られるサポーターさんに新しい作品を見せたいという思いで極力選曲を変えて来ましたが、アルバムの曲を楽しみにしてる方の為に、今までの録音に目を通す。
本当にラブソングが少ない。
しかし、私はシネフィル。映画音楽ならお任せを。
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丁度イタリアでピアニストのクリヤ・マコトさんと共演した2曲があるではないですか。オリビア・ハッセーに恋した(私が)、Zeferelli監督の「ロミオとジュリエット」より『A Time For Us~永遠の愛』。ヴァイオリンソロでは狂ったジュリエットを表現してます。
A Time For Us 〜永遠の愛 / Romeo and Juliet
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イタリアのドラマー🥁さんも今でも聴いて下さってるという「Nuovo Cinema Paradiso」から愛のテーマ。
作曲家のAndrea Moricconeの前で生で歌った経験は宝物です^_^
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しかし、ロミジュリはアカペラからスタート。せっかくのディナショーなので、客席を通りたい。そうして、せっかくのジャズカルなので、jazzyな一曲から。
Time・永遠の愛繋がりで『As Time Goes By』をチョイス。クリヤさんとの配信ライブで演奏した以来。モノクロ名画で「Casablanca」で流れる愛の歌。
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片手にワインらしき🍷ものを、もう方にはマイク。客席を回りつつ、サラッと英語質問。 “Here’s looking at you kid”. この表現を知ってる方は?
近くにいらっしゃった男性は気持ちよく拍手。残りの皆さんシーン。ディナショーでクイズからスタートするこの人の性格って?と思われたのだろうか。
これは名台詞「君の瞳に乾杯」。日本語訳がまた素敵ですね。呉に来てKureた皆様に乾杯🥂
サラの定番曲から次はジャズバラードへ。
『Misty』は近年レパートリーに入れてる曲で、『My Funny Valentine』はお初。どちらも低音でスモーキーなサウンドが醍醐味。ウィスキーに例えるとLagavulinと言うところでしょうか(好きです🥃)。
こう言う気怠く歌う曲は凛と立つよりハイチェアに座って歌うとより雰囲気が出やすい。しかし丁度いい椅子がない。
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大好きな舞監さんに、ピアノに寄ってみたら?との一言で、人生初めてのポジションからの歌唱。立ち方、動き方、寄り方、慣れないなりに雰囲気を味わう。
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クリヤさんのピアノソロをこんなにじっくり観れる特等席ではないですか。ライブ後クリヤさんから、あんなに近く演奏を見られたことがなく、緊張したとのこと🤣 
ビルボードの時もスペースがあればまたピアノと一体になってみたいものだ。
ここからも新曲!MC不要なメドレーですね。
この編成だからオシャレに盛り上げていけたラブメドレー。
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最初はDonna Summerの大人の愛の歌から。
オリジナルでは彼女は自分の声を重ねていくので、ルーパーの出番だ!ライブでループした音源とバンド演奏を交互して行くうちに、ループがずれてくるというリスクは毎回ありますが(あまりライブでイヤモニをしないのでクリックが基本ない)、今回は本番で見事にずれてしまいました。く〜〜。おそらくペダルを踏むタイミングが甘かった。またこれはいつかライブでリベンジしたい。
メドレーで一番聞きなれないものがあれば、こちらかな?私はドンピシャ世代。日本では分かりませんが、オーストラリアやヨーロッパではずっとラジオで流れてたヒット。これは現代のロミジュリ「Romeo + Juliet」で大ヒットした『Lovefool』。監督はオーストラリア出身のBaz Luhrmann。歌はスエーデンのバンドCardigans。英語で歌うヨーロッパのアーティストが多くて当時は全て勝手にアメリカかイギリスのバンドだと思い込んでいました。嫌というほどラジオで流れてたので歌う日が来るとは思っていませんでしたが、改めて聞いて楽譜を見ると、面白い転調やふわりがあるシャレオツなポップスだなと。
そしてラストは、自然と手拍子したくなるあの曲。君の瞳に乾杯してからの、『君の瞳に恋してる』。
サビはもちろん、バースもブリッジも全てキャッチー。これも改めて、なんとよく書かれてる一曲!インストのジャージャッジャージャッの部分は腰を振りながらヴァイオリン演奏。意外と筋肉を使う。
元気なラブソングも、悪くない。ライブでは曲の成り立ちや自分の思いを語れる唯一の場でもあるのでMCは欠かせないですが、このような説明不要で体と耳で楽しめる曲がいかに快感か。おそらくお客様にもその楽しさが伝わったかと。ますます、みんなと歌える、動けるオリジナル曲を作りたいと思えてきました。
MCといえば、今回は広島弁や呉独特の言葉もチラホラ。ブログだとイントネーションが伝わらないので、東京以外でのライブに是非!
必ずその土地の言葉で話すようにしてます。
そんな呉と言えば、色々ありますが、私にとっては一目惚れした、こちら。
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本番、カリンバを弾きながら、エーデルワイス愛を語った独り言。*呉弁でご想像下さい。
「私は一度呉で野外ライブをしたことがあって。
そこで、一目惚れしました。
その日から、私にとって、呉といえば、たちまち、Edelweiss。生物だから、広島にいても、食べれない
月日を経て、遂にEdelweiss 発祥の地で、ソロコンサートが実現しました!
本日、月曜日…休日!
明日、火曜…休み!
もう、わやじゃ!
幻のEdelweissに、手がたわん。叶わぬ恋のようだ。
ほいでな、ご存知かもしれませんが、Edelweissという歌があります。
オーストリアを象徴する花 Edelweiss 。
Sound of Musicに出てくるこの歌の歌詞。
『小さくて、白くて、私に会えて嬉しそう』
そう、あの時のEdelweissのクリームパイは、まるで私を見上げて、こう言った:
『たべんさい』
ほいでな、そんな、私の片思いが、なんと、呉阪急ホテルまで響いたらしく、奇跡が起こりました。。。*パク*」
サラジオへのお便りでも、何人かがこの場面が1番涙した、良かった、と綴られていました。
私は甘党ではありません。なのにこのパイの味が何年経っても忘れられない。呉阪急の皆様に感謝しきれません。
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ステージでは一口パクリ。片手でカリンバが弾きづらいは、右利きでないので、本当に一口しかフォークで取れないは。
そして、クリームは歌う前は避けたいもの。しかも次の曲はアカペラで始まるから逃げ場がない。
このタイミングで何かを飲むと間が悪いし、エーデルワイスへの注目が薄れる。舞台では伝わらない、裏サラの以外と大変だった一面。
次の選曲に?されてた方。
呉と言えば大和。「宇宙戦艦ヤマト」もインスパイアされてたと言うことで『無限に広がる大宇宙』。松本零士氏の記念日も近かったですね。
SAYONARA “Adieu Galaxy Express 999” 「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」The Infinite Universe “Space Battleship Yamato” 無限に広がる大宇宙「宇宙戦艦ヤマト」| Sarah Àlainnサラ・オレイン
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ラストは定番の『系』弾き語り。
そうだ、こちらも本来ラブソングでしたね。
自分にとっては日本で出逢った方とのご縁を意味する一曲です。呉・広島・日本に関連するメドレーの最後ということもあり、いつもとちょっぴりアレンジを変えました。
【糸】《LIVE》Orchestral Vers.|サラ ・オレイン|カバー|Sarah Àlainn
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エーデルワイスを始め、自分にとってはこの三曲は故郷への愛を意味しています。戦争なんかなくなればいい。こんなに世の中に素晴らしい縁と愛に溢れている。
さぁて、ここから最後、アンコールまでどれもアッパーな曲!生涯で最もエネルギーがあるサライブになりました。
ヒールで自分なりに踊り、筋肉痛の日々が続きました。
沢山涙を流して来たから、こう言う賑やかで笑顔になる曲はスッキリ。クリヤさんも今まで1番楽しくバランスが良いセトリと言われてぶち嬉しい。
日本のメドレーに引き続き、まずは日本の『アイドル』ソングへ。星野アイちゃんの愛の歌!
この曲はテレビを始め、ファンクラブでリクエストされたとんでもない曲。日本語だから尚更難易度がお客様に伝わる=盛り上がる。やります🤣
何とも癖になる。複雑な愛の歌ですね。アニメ「推しの子」お勧めします。ドロドロとした芸能界が垣間見える。今回もJazzyなアイドルをお届け。クリヤさんとはお初で不思議な転調に笑ってました。
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続いて丁度50年前のフランスのアイドルの一曲。フランス・ガルが歌う『Laisse Tomber Les Filles』。
いつもとは違う人格になり、気怠くコケティシュな表現に。演じられるからとても好き。
セクシーでキュートなサウンドですが、これはセルフラブソングと言っても良いでしょう。訳すと「女子をなめんな!」。
服装、喋り方、仕草。見た目によらず、中身が強いものをなめてはあかん。ヒールを履かない男性嫌いのフェミニストのイメージ、なくしましょう〜
アイドルといえば。。もう少ししたら一つシェアできることが。。!お楽しみ!!
そして、フランス繋がりで去年生で見に行けたポルナレフ!Tout Tout ! 楽譜は母が70年代の時に買ったもの。
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なぜか日本で大ブームだったMichel Polnareff。FFの作曲家の植松伸夫さんも母世代で、ポルナレフを絶賛。きっとリバイバルが来る!と。ライブの時の動画を見せたら一ファンとして「生ポルだ〜」と仰られたのがなんともスイートでした。まだまだ現役で活躍されてます!日本でツアーがあればぜひ行かれて下さい!最高に盛り上がり、声も演奏も美しい。
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『シェリーに口付け』して、次で最後じゃけぃ!
FranceからラストはSpainへ!サッカーではありません。
サントリーホールでフルオケとのJazz!LIVE音源があります。Jazzやアッパーな曲は殆どライブでしかやってないため、配信だけでもサラなる進化を共有できたら嬉しい。
Spain <LIVE>
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さて、アンコールへ。さっとバービーサラスタイルに早着替え。因みに本編の赤ドレスはマレーシアで一目惚れした一着。
盛り上げて終わるパターン!去年のビルボードでこのメンバーと初めて歌って演奏したStevie Wonderの『I Wish』。
以来ハマりすぎて、ソロの時その時のライブのテーマに合わせた選曲を入れて行く。
I Wishのウォーキングベースの上からどうやって上手く別の曲をはめていくか。元々短調の音楽の方が乗りやすいので、『また君に恋してる』は意外と入りやすい!
地元ネタの時にたまに演歌を歌いますが、これまた気持ちい。ジャンルが掛け離れていればいるほど、面白いフュージョンが生まれる。
その前には短いリフで、Dreams Come Trueの名曲から「Love, love, love」、Beatlesから「She love’s you yeah yeah yeah」、「All you need is love」。
ラストは会場全員とのコール&レスポンス!舞台上からもしっかり皆さんのお声届いていました。5月のビルボードでもこんな風にまた一体になりたい!!
そう、丁度今年の日本での活動のスケジュールが全て出ました。是非とも盛り上げて最高な思い出を皆さんと作りたい!
また会える日までオリジナルで一体になれる曲を作ってみますね。
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サラバンドと楽しく、激しく、ラストを迎えた後、アンコールのアンコールで、サラッとワンウーマンショーへ。
以前ヴァイオリンと歌で動画を撮ったプレスリーの『Can’t Help Falling In Love』。生でも聴きたい!とのことで、初めて披露。
伴奏にはヴァイオリンのPizz。事前に録音したハモリをルーパーから流しつつ歌唱。
Can't Help Falling In Love’
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ディナーショーなので、最後は客席へ。盛り上がる曲はたくさんあったので、最後は一人一人に囁くMinnie Ripertonの『Lovin’ You』。
歌いながら退場。待っててね、エーデルワイスよ。
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呉・広島の皆様、遠くからいらした皆様、雪の!東京からいらした皆様、
「Happy」なValentineになりました。
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バレンタイン・ヴィーガン・クッキーも無事皆さんの元に届いたみたいで何より!動画もサラッと見れたかな?バレンタインライブで歌ったあの曲もサラッと歌ってます。
私はバレンタインの手作りサラメシとワインのコンビの後気づいたら寝てしまっていて、ブログが今日になってしまいました><
今夜の手作りサラメシ
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❤︎白茄子(野菜あまり食べなかった時代から茄子好き)
❤︎ブルスケッタ
❤︎キッシュとクリームシチューの合体?
見た目は崩れてアレだけど、愛いっぱい
❤︎ヴィーガン・クッキー🍪
さて、次のサライブは恒例の八ヶ岳へ。いよいよプロデュースさせて頂いたカリンバを皆さんと演奏できる!
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サラ・オレイン天上の音楽
2024年3月16日(土) 14:30開場 / 15:00開演
八ヶ岳高原音楽堂
SARAH ÀLAINN オリジナルカリンバ
台数:限定150台(予定)
受渡:2024年3月17日(日)9:30~ 八ヶ岳高原音楽堂にて 
※当日シリアルナンバーNo.1~50迄(予定)の抽選会を行います
木材:八ヶ岳産天然カラマツ
アンバサダー:サラ・オレイン
大自然がお好きな方、落ち着いた、アコースティックスタイルがお好きな方は八ヶ岳がおすすめです。
アッパーで盛り上がるスタイルが好みの方は、Billboardと名古屋で。
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kennak · 29 days
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自民系の三世議員(市町村議員)です。 河井夫妻の事件について、元国会議員の豊田真由子さんや、金子恵美さんが地元でのカネ配り(先輩議員に地方議員にカネ配れとアドバイスされた)について発言しているので、地方議員側からの話をします。 もともと、業界には与野党問わず「目配り、気配り、カネ配り」という言葉があって、この3つができる政治家が優秀な政治家だとされていました。 でもそんな話は中選挙区時代(~1993年)であって、今はこの言葉すら死後になっています。 中選挙区時代のはなし 今の話をする前に、すこし中選挙区時代の話をします。カネ配りはこの時代に盛んに行われたので。 中選挙区制は選挙区の人口によって定数が決まっていて、選挙の上位2人~6人くらいが当選します。なので、ひとつの選挙区から同じ政党の候補者が何人も出馬します。たとえば群馬3区では当選議席数が4で、自民党からは3人(福田、中曽根、小渕)が出馬します。 有権者や、地方議員からすると、同じ自民党の候補者なので、3人に基本的に政策に違いがありません。3人の候補者は政策的な差別化が図れないので、「あの道路は俺が作った」みたいな、どれだけ予算を地元に持ってきたか(利益誘導政治)がアピールポイントになります。さらにその先が、直接的なカネ配りだったり、選挙事務所での食事だったりするわけです。とにかく政策では差がないので、政策以外の差が得票になるのです。 旧群馬3区では選挙メシも有名でした。福田料亭、中曽根レストランとwikipediaの「上州戦争」でも書いてありますね。私の選挙区でもオヤジの話を聞くと、昔は選挙事務所で鰻重が出た、なんて聞きます。うなぎ食べたい。 参議院の選挙は都道府県によっていまでも中選挙区制なので、制度的にはこうなりやすいです。現に河井さんの広島も改選2議席で、自民から2人でたからね。しかもアンリさんは新人で実績(利益誘導)をPRできないから。 政治改革 戦後、そんな選挙がずーっと続いていたのですが、1988年のリクルート事件が発覚して、カネと政治をめぐる事件が立て続けにおこりました。それで、なんでこんな金権政治になるんだろうと考えたところ、中選挙区制が原因じゃろう、となったのです。 派閥の親分が無理してカネを集める→系列の国会議員に配る→地元でカネが飛び交う のが中選挙区制の行きつく先だったのです。 それでついに1993年の選挙で自民党は大敗し、細川護熙内閣が誕生します。細川内閣は、政策も理念も異なる8会派が集まってできた内閣で「8頭立ての馬車」、7政党に大臣ポストを振り分けたので「レインボー内閣」なんて言われました。この内閣の唯一の政策の共通点は「政治改革」で、結果としてこの内閣のもとで中選挙区制をやめて、小選挙区制にします。 このときに行われた政治改革のポイントは2つです。1つは小選挙区制(1つの選挙区に各政党は1人しか公認しない)にすることで、カネではなく、政策で勝負する選挙構造にすること。もう一つは政治献金に大きな規制を設けることで金権政治の元凶であるカネ集めをできなくする、その代わりに税金から政党交付金(約300億円)をつくってこれを各政党に分配するということでした。 いまの状況 この政治改革から約30年、選挙は確実に変わりました。カネ配りも、選挙事務所での豪華メシもなくなりました。石破茂さんも雑誌とかメディアのインタビューで「小選挙区になって、お金は確実にかからなくなった。誰でも議員に挑戦できるようになった」、「中選挙区制だったら私は議員を続けていられなかっただろう」って何度も言っています。そりゃそうだよね、自民党から1人しかでないなら、カネ配んなくても地方議員はその人応援しないといけないもん。 だから、我々自民党の地方議員も、河井夫妻の事件をみてビックリしています。なんて昭和なんだろうって。うちのじいさんのときの話みたい。 んで、本題に入りますが、もちろん、地元の代議士からお金をもらうことはあります。年間10万円くらい。 正確には、党勢拡大のための組織活動費として、自民党選挙区支部(代議士が支部長)→自民党地方総支部(代議士か県会議員が支部長)→自民党市町村第XX支部(増田が支部長)という形でお金がきます。このお金は政治資金規正法に則り、年にいくらもらって、年にいくらつかったかを報告義務があり、その収支報告書はウェブでも公開されています。もちろんお金を受け取ったら領収書を発行します。 地方議員は国会議員と違って、給料以外の集金の手段(政治資金パーティーや政党交付金)を持たないので、基本的に活動はすべて自腹です((野々村竜太郎県議が城崎温泉に行って有名になった、政務活動費という税金が原資の経費があるが、一連のスキャンダルで使途についてチェックがえらく厳しく、文房具か交通費か広報紙くらいにしか使えない。せめて議員として招かれる団体の会合の参加費には使わせてほしい。))。一方で国会議員は給料以外に、文書通信費で1200万、立法事務費で800万、派閥から数百万、党本部から2000万(政党交付金)、パーティーで2000万と、だいたい年間6000万くらい集金できるので、それを原資に活動しています。どこの選挙区でも、与野党問わず、国会議員の支部から地方支部(=地方議員)に組織活動費を出します。代議士は国会が開かれる1~7月、10~12月は永田町に行っていて、週末しか地元にいませんので、その間、地元で党を守り、地域の声を直接聞くのは地方議員ですから。会社組織でいうなれば、本社から支店に補助をだしてるみたいなイメージ。 冒頭の豊田真由子さん、金子恵美さんの発言(先輩議員から地方議員にカネ配れとアドバイスされた)はこの収支に報告義務のある組織活動費の話と、領収書なしの裏金であるアンリさんのお金を混同していて、センスのなさを感じます。きっと、彼女たちはパーティーで集めたお金や、政党交付金を自分1人でガメていて、こうした党勢拡大の組織活動費を地方支部に出さなかったんでしょう。そりゃ落選するわ。 とまあ、河井夫妻の事件は自民党の地方議員もびっくりしているので、当たり前とは思わないでほしいです。 とはいうものの でも、仮にうちの代議士が、去年の統一選挙直後に「当選祝いです。領収書はいりません」といって、30万持ってきてたら受け取っちゃうよなーとはちょっと思う。 選挙ってそれほどつらくて厳しいもの(ほんとに毎回憂鬱になる。新人候補が思ってたよりつらくて途中でやめるのはよくあること)で、カネもかかるから金銭感覚もマヒしているし(普段なら絶対30万なんて怪しいとおもうけど、選挙で多額の金を突っ込んでるから感覚がマジでマヒしている)、当選の直後なんて超絶な解放感で有頂天だし(4年に1回の選挙、オリンピックでメダルをとった感覚をイメージしてほしい)、単純に「あっ、どうも、気遣いありがとうございます」って感じでご祝儀として受け取っちゃう。���け取ったときに「奥さんの集票のため」なんて思わない。広島の地方議員や首長が軒並み「集票のためとは思わなかった」って見苦しい言い訳してるけど(私ですらそう思うから、一般の人からするとマジで見苦しい言い訳にしか見えないだろう)、当事者だったらマジでそう思ってると思う。
自民系の地方議員です。カネ配りについて書きます。
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kaoriof · 1 month
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。酔った勢いで入れ墨を彫ってしまう危うさ、煙ったクラブでなにもかんがえずに踊って、好きな男と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。自らを成り立たせるピースを集めた上でそれを食い尽くすくらいの覚悟や貪欲さがあなたにはある?わたしにはそれが足りなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーしにてーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。わたしはわたしのことをぜったい見放さない、それだけで充分いっぱいすてきでしあわせで救いだということを今じゃなくてもいい何年もかけて真実にしていく、揺るがない愛に変えていきたい。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている���良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞれが居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい、わたし、山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して死ぬほどどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。木曜日、ほんとうは1限に英語の授業があったんだけど、財布を忘れたいせいで交通費が若干足りなくて新宿駅から乗り換え先の電車に乗れなかった。その旨をインスタのストーリーに載せたら、一度しか喋った事ない同じクラスの男の子から「抜け出していくわ、」とだけ連絡が来て、本当にきてくれた。クラスで唯一金髪で、派手で、いつも高そうな服を着ている。ピーナッツをぼりぼり食べながら、ダーツをする。わたしが2回勝って、可哀想だったからあとの1回は負けてあげた。それからは何も無かったかのように授業では一言も喋らない。お互い、目を合わせないふりをしているような、ふしぎな距離感を保つ。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもうの。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける!だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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774 · 9 days
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古代以来の中国の華北社会では戸(こ)と呼ばれる形態の緊密な小家族が成立し、これが社会構造の最小単位として機能していた。そのため政権が社会を把握するために個々の戸の把握が効果的であり、支配下の民の把握を個人単位、あるいは族的広域共同体単位ではなく、戸単位で行った。この戸単位の住民把握のために作成された文書が戸籍である。中華王朝や漢民族世界が華北から拡大しても、政権の民衆把握は戸籍を基礎として行われ、日本、朝鮮半島国家など周辺地域の国家でも戸籍の制度は踏襲された。
戸籍 - Wikipedia
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monthly-ambigram · 4 months
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2024-6月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「中華」です◆
今月は参加者の皆様に「中華」のお題でアンビグラムを制作していただいております。中華といえば漢字発祥の地。��代の蒼頡たちの宴をご覧ください。今月も逆さまな作字が集まっております。
ではまずはdouse氏から。
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「麻婆茄子」 回転型:douse氏
180°回転させても同じよう���麻婆茄子と読めるアンビグラムです。中華には「福到了」という福の字を上下逆さにひっくり返して貼るアンビグラム的な縁起物の風習がありますが 本作は麻婆茄子が無限に到来しそうな御目出度い回転字面になっています。対応解釈が最高ですね。この語句でこの文字組みが出来るのはきっとdouse氏だけでしょう。
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「酢豚」 回転型:peanuts氏
世界範囲で有名な中華料理の一つです。酢豚は日本で付けられた名称で 中華料理においては広東料理の「古老肉」や上海料理の「糖醋排骨」が該当するようです。本作は作字のデザインと対応解釈が高次で両立した理想的アンビグラムです。「乍/月」部分のギミックは美しくてかっこいいです。
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「酢豚」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
左右の鏡像図地で酢豚。作者いとうさとし氏はネガポ字(図地反転)の達人です。本作は真ん中から折りたたむとピッタリ嵌ります。まるでこの漢字がもとより嵌り合う構造を持っていたかのような自然さです。
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「回鍋肉」 図地反転鏡像型:douse氏
四川料理の一つ。本作は斜め鏡像の図地反転アンビグラムです。文字の組み方がテクニカルでブリリアントカットされたような光学的な装いが抜群にカッコいいです。
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「回鍋肉」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
上下の鏡像で図地反転になっている回鍋肉。日本語のアンビグラムは2022年に入ったころから飛躍的に進化発展した印象がありますが とくにネガポ字(図地反転)の進化は顕著で 英語圏でも作例はさほど多くないこのジャンルが日本ではたくさん作られるようになりました。それも本作の作者いとうさとし氏の尽力が大きいでしょう。
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「酸辣湯」 鏡像型:螺旋氏
中国料理のスープの一つで 酸味・辛味・香味が特徴。本作は斜めの鏡文字で組まれています。斜めの鏡像型は漢字のアンビグラム制作に向いた対応だと思います。うまく作ればアンビグラムだと見破られない作字が可能で 本作も「束」部分が自然で驚きます。
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「中華そば」 敷詰振動同一型:Jinanbou氏
発想が面白いです。「華」の字の中に異なる文字を幻視し抽出するその眼力には感服します。これは文字に隠された秘密のゲシュタルトを解析する行為でアンビグラム作りには欠かせないセンスです。
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「青椒肉絲」 重畳型:きいろいビタ氏
ピーマンと細切りにした肉などを炒めた中華料理。本作 重畳型は同じ図形で韻を踏み 青椒肉絲と読ませるアンビグラムです。そのまま亜細亜のどこかの国で商品のロゴとして使用されているのではと思えるほど完成度が高いレタリングです。 
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「杏仁豆腐(⿸广フ)」 旋回型:Σ氏
中国発祥のデザート。135°回転の旋回型アンビグラムです。「腐」の字が「广」の中に片仮名の「フ」を入れた略字になっているところが凄すぎます。この略字は実際にゲバ字(アジビラ文字)などで使用例があります。柔軟な発想ができる人のアンビグラムは読みやすいですが 本作は作者Σ氏のアンビグラムが優れている理由の一端が垣間見える好例です。
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「中華/北京/上海/広東/四川」 共存型(回転・鏡像):ラティエ氏
一般に四大中国料理と言われている4つの場所に お題をプラスした多面相アンビグラム。なんと5パターンの変化が起こる作字なのです。北京/上海/広東/四川は回転型で 大きく表示された中華はその鏡像になっています。 多面相漢字アンビグラムの制作はある種「挑戦」ジャンルです。多面相を作ろうとするその発想や度胸だけでも凄いですし 本作はその挑戦に成功していると思います。
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「横浜中華街」 回転型:ぺんぺん草氏
東アジア最大の中華街を回転アンビグラムに。細かい説明は無用の傑作。この完璧な対応解釈をご覧ください。けしてアンビグラマビリティは高くない語句ですが冷静的確に作字されています。最高です。
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「神戸」 回転型: 「長崎」 鏡像型: 「横浜」 重畳型:.38氏
日本三大中華街。それぞれ趣向を凝らした楽しい対応解釈で可読性も充分高い設計です。 これは文字数寄にはたまらない作字ですね。そのまま都市の紋章に使用してほしいナイスデザインです。
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「横浜中華街散策中隠処的拉麺店発見」 回転重畳型:超階乗氏
ブレードランナーに出てきても違和感のないサイバーパンクアンビグラムの名作。文字の各所に丼図案などが組み込まれていて そのおかげで回転重畳構造を把握しやすい親切設計です。回転重畳型とは ある図形の上に同じ図形をレイヤーで重ね、上に重ねた図形だけを規則正しく回転させて文字を形成するアンビグラムです。
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「西安」 回転型:うら紙氏
陝西省の省都で、旧名は長安というのは有名でしょう。 かっちりした輪郭でありながら墨のカスレを生かしたステキなタイポグラフィですね。アンビグラマビリティの高い語句ですが図案としてきれいにまとめるには作家の力が必要で、うら紙氏はその能力に長けています。
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「Qingdao/青島」 図地反転回転共存型:ヨウヘイ氏
青島(チンタオ)は中国有数の港湾都市・商工業都市・国際都市。 図地反転で漢字の隙間にアルファベットを見出そうとすると、青島は横画が多くて打ってつけの言葉なのですね。省略があっても読み取りやすい作品です。
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「シャンハイ」 旋回型:つーさま!氏
上海は中国で最高位の都市である直轄市の一つ。 五面相の旋回型。「シ/ン」の点の有無のみの差をどう表現するか難しいところですが、少し角度を変えるだけで違って見えてきますね。羽様の形状とグラデーションも読みやすさに一役買っています。すばらしい作品です。
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「万里の長城」 回転型:douse氏
中国にある城壁の遺跡。中国の象徴の一つでしょう。 回転中心の作り方が見事です。「の」が伸びているのも不自然に見えず、「長」の横画を切っているので「長」のバランスもよく見えます。「万/戈」の字画接続の切り替えが見事ですね。さすがの一作です。
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「麺/龍」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
どちらも中国を象徴するものでしょう。 自然に読めすぎて言うことがないですね。図地反転にピッタリすぎる組み合わせが今回のお題によって発掘されたと言えるかも知れません。一点、「龍」の上部の突き出した部分は作者も悔しいところだと想像しますが、それを差し引いても可読性最高の傑作です。
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「伝奇/でんき」 振動型:kawahar氏
中国の古典的な演劇である戯曲形式の1つ。 氏の得意な「読み漢」で一作。ぐにゃりとした書体が「ん/ム」の振動などにマッチしていますね。読み漢はひらがなしか読めない人にも漢字が読めてしまう実用的な手法ですが、適用できる漢字は少なく本作のように限られた言葉だけです。
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「太極図」  図地反転回転型:lszk氏
「易」の生成論において陰陽思想と結合して宇宙の根源として重視された概念である「太極」を表した図。 中央の「極」に本家の陰陽魚太極図があしらわれています。太極図の円形を「太・図」にもあしらって統一感を出していますね。図と地が絡み合い逆転しながら文字を形成しているところが、陰と陽が互いに飲み込みあい無限に繰り返す太極の思想を表しているようです。
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「造書 研究」  回転共存型:意瞑字査印氏
「造書」を90°傾けると「研究」と読める対応です。造書とは文字を造るという意味。『蒼頡、鳥獣蹏迒の跡を見て分理の相別異すべきを知り、初めて書契を造る』 そのむかし蒼頡という人が鳥獣の足跡をヒントに漢字を発明した故事からの語句選択です。なるほどアンビグラム制作とは 新文字を発明する行為とも言えますね。
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「東夷/西戎」「南蛮/北狄」 回転共存型:兼吉共心堂氏
四つまとめて「四夷」、古代中国で中華に対して四方に居住していた異民族に対する総称。 筆文字の効果を生かした表現がすばらしいです。「夷/西」「虫/北」ではカスレにより字画の本数を増減させ、「南亦/狄」では墨垂れで字画密度差を克服しています。真似が難しいテクニックです。
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「東夷」「西戎」  重畳型: 「南蛮」「北狄」  振動型:lszk氏
「四夷」は「夷狄」あるいは「夷狄戎蛮」とも。 お誂え向きの言葉がきれいにそろっていたものですね。というのは簡単ですが読みやすく仕上げるのは難しい字形もあります。氏は知覚シフトのバランス感覚が抜群なので調整の妙もさることながらこの対応にも気付けるのでしょう。
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「劉備玄徳/関羽 張飛」 回転共存型:KSK ONE 氏
「蜀漢」を建国した劉備と、劉備に仕えた関羽・張飛。三国志の武将からのチョイス。 髭文字ならではのハネなど遊びの部分を生かした作字ですね。一文字目の「劉」が読みやすくすらすらと読みを捕まえることができます。関連する名前同士でうまく対応付けできるのが運命的ですね。
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「熊猫」 敷詰図地反転型:松茸氏
ジャイアントパンダのこと。 パンダの白黒は図地反転にもってこいの題材ですね。どうやって考え付くのかわからない図案が毎回驚異的で目を白黒させてしまいます。きちんと敷詰できるのか不安になりますがちゃんと隙間なく並びますので安心してください。
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「伊布」  旋回型:YФU氏
「イーブイ」��漢字表記。 久方ぶりに参加していただきました。言葉のチョイスも氏らしいですね。図形の長さを読みやすいところに調整するバランス感覚は健在です。
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「マオ」 交換式旋回型:ちくわああ氏
かいりきベア氏の楽曲名より。「猫」の意味もある中国語らしい言葉の響きです。 線種を変えているのでかわいらしい作字になっています。対応付く字画も分かりやすいですね。それでもうまく敷き詰めてみるのは骨が折れそうです。
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「西游记」 回転型:オルドビス紀氏
16世紀の中国の白話小説、繁体字では「西遊記」です。 簡体字をうまく活用しているのですね。「遊」よりも自然に回りますし、「記」よりも「西」との相性がよく一石二鳥です。「西・记」の右下がりのラインと「游」の右上がりのラインの視覚効果が心地よく作字として最高の仕上がりだと思います。
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「 不 此 君 我 / 当 今 災 偶 成 夕 已 為 / 時 日 患 因 長 渓 乗 異 / 声 爪 相 狂 嘯 山 軺 物 / 跡 牙 仍 疾 但 対 気 蓬 / 共 誰 不 成 成 明 勢 茅 / 相 敢 可 殊 嘷 月 豪 下 / 高 敵 逃 類 」 交換型:繋氏
「山月記」より。縦に読んでください。 7×4の組全体を縦横に交換するともう一方になるという超絶技巧です。「爪」(爪痕の装飾がにくいです)を基準にすると見つけやすいでしょう。じっくりご覧ください。
最後に私の作品を。
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「截拳道」 交換式旋回型:igatoxin
≪友よ水になれ≫で有名なブルース・リーの武術、截拳道(ジークンドー)から。
お題 中華 のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「猫」です。長靴をはいた猫、シュレディンガーの猫、仕事猫、吾輩は猫である、猫男爵、猫目石、煮干し、マタタビ、夏への扉、蚤、百閒、注文の多い料理店、ハローキティ、ドラえもん、など 参加者が自由に 猫 というワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は6/30、発行は7/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}     10月{ヒーロー}     11月{ゲーム}         12月{時事}
2024年 1月{フリー}        2月{レトロ}   3月{うた}         4月{アニメ}    5月{遊園地}   6月{中華}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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ari0921 · 4 months
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<正論>中国の空母にどう対応するか
麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男
新型空母「福建」の弱点は
5月1日から8日間、中国の新型空母「福建」は初の試験航海に出た。6年以上かけて上海の造船所で建造され、2022年に進水した。その後、係留状態で艤装(ぎそう)を施し、検査、試験などが実施されてきた。今回、東シナ海という実環境下で各種システムの検証が行われたことだろう。排水量は8万トンと米海軍新型空母に比べるとやや小ぶりである。だが既に実戦配備している「山東」(6万6千トン)、「遼寧」(6万トン)の2隻をはるかに上回る。
山東、遼寧がスキージャンプ方式で戦闘機を発艦させるのに対し、福建はカタパルト方式を採用した中国初の空母となる。ただ一般的な蒸気式カタパルトではなく、電磁式を採用しているのが注目点である。現在、電磁式カタパルトを実用化しているのは、米海軍原子力空母「ジェラルド・フォード」だけである。フランスの原子力空母「シャルル・ドゴール」は蒸気式を採用しているが、独自開発できず、米国からのライセンス生産である。
空母のカタパルト運用は容易ではない。米海軍は安全に使いこなすのに約40年かかった。電磁式を初採用したジェラルド・フォードはトラブルで起工から就役に7年かかった。中国は初めてカタパルト方式を採用したが、一足飛びに電磁式を採用した。軍事常識からすれば無謀に近い。電磁式は十分な電力確保が必要で、原子力空母であることが望ましい。通常動力の福建が必要な電力を円滑に供給できるか疑問視する声もある。
スキージャンプ方式による発艦では最大発艦重量が制限され、戦闘機の能力発揮が制約される。また艦隊防空の要である早期警戒機も、探知能力に劣るヘリコプター型しか搭載できず、空中警戒監視能力に弱点を抱える。
カタパルト方式では燃料、弾薬を最大搭載した戦闘機を発艦させることができる。さらに監視能力の高い固定翼の早期警戒機(KJ―600)が運用でき、山東、遼寧とは段違いに優れた戦闘能力発揮が可能になる。時間はかかるだろうが、諸問題を解決してカタパルト方式に熟達すれば、中国海軍の洋上作戦能力は飛躍的に向上するだろう。
なぜ空母を持ちたがるか
福建の任務は台湾有事の際、台湾東側の海域に展開し、米海軍の接近を阻止し、制海権を奪取することだ。米海軍を海域から排除できれば、台湾攻略は容易になる。最終目標は2049年までに西太平洋の覇権を獲得することである。近年、中国海軍力の増強は凄(すさ)まじい。艦艇数では既に米海軍を超えた。今後、福建型を4~6隻建造し、「原子力化」を進める計画があるという。
他方、対艦弾道ミサイルの登場、水中ドローンの出現、水中発射魚雷の長射程化などにより、空母はもはや時代遅れともいわれる。こういう時期に、なぜ中国は空母を持ちたがるのか。中国の梁(りょう)光烈国防相(2009年当時)は次のように述べた。「世界の大国で空母を持っていないのは中国だけだ。永遠に空母を持たないわけにもいかない」「中国には広い海域があり、海を守る任務も重い。中国の海軍はまだ力が弱く、発展する必要がある」
中国の空母保有は「中華民族復興の夢」「国威発揚と軍威発揚」といった政治目的が軍事的合理性に優先しているようだ。中国は今後とも空母保有に向けて莫大(ばくだい)な資源を投資し続けるだろう。早ければ10~15年後には、空母の戦力化が実現するかもしれない。
「無用の長物化」させる戦略を
安全保障の要諦は最悪を想定し準備しておくことだ。将来の空母の脅威に備え、無力化対策の検討を開始すべきだろう。「空母に対しては空母」の発想は、費用対効果上も軍事的合理性からも愚策である。各種対艦ミサイル、AI型ドローン、自律型魚雷といった空母の致命的弱点を突く先進技術が手に届くようになってきた。
現在、防衛省は長距離地対艦ミサイルや空中発射型対艦ミサイル、そして反撃力としてのスタンド・オフ・ミサイルなどを開発中である。だが空母対応としては不十分である。防御の余地を与えてしまう単純な攻撃手段では対応策にならない。多種多様な手段で空母艦隊の防御能力を飽和させて初めて無力化を強いることができる。空母の無力化に焦点を絞った空中、海上、海中の非対称兵器開発に着手すべきだ。同時に硫黄島の拠点化、要塞化も必要だろう。
対応策さえ準備できれば、日清戦争前の「定遠」「鎮遠」の如(ごと)き威圧効果で、大騒ぎすることはない。必要以上に恐れ、いたずらに騒ぐのは中国の思う壺(つぼ)である。
空母の運用には艦載機や早期警戒機だけでなく、随伴する艦艇群、潜水艦などが不可欠であり、莫大な予算を要する。中国空母戦力が完整した時点で、「無用の長物化」させる手段を手にしておけば、莫大な予算を無駄金に終わらせることができる。これが日本の採るべき戦略であろう。今すぐ着手すれば、十分に間に合う。(おりた くにお)
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tomoya-jinguuji · 7 months
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天壌無窮の皇運を扶翼すべし
3月 14, 2017
FBに短文を投稿しようかと思ったけど、ここは一発話題の教育勅語を考察してみようか。 12の徳目が素晴らしいから教育勅語は正しいんだという論調は全く問題ないんだが、教育勅語が気に入らないと言っている人達が一番気に入らないのは 「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」 ここでしょう? ここを論じることなくしては、議論にならないわけだ。 正面突破しようか。 この一文の前にある 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と繋げて 「国が危機的状況に陥ったら自らを犠牲にして天皇陛下のために死ね」 と訳して、軍国主義だ〜〜〜とやるわけだ。 「一旦緩急あれば」はまさしく「国の」とは明記していないものの、確かに「危機的状況」には違いない。 「義勇公に奉じ」はもちろん「勇気を持って公の為に尽くしなさい」となる。 「以て」それにより 「天壌無窮の」天地に永遠に続く 「皇運を」後に回す 「扶翼すべし」助けなさい。 ここで皇運をどう捉えるかが問題だ。 皇=天皇陛下と捉えれば 皇運、即ち陛下の運、運命ないしは皇室の運という事になる。 ************ よく考えてみてくれ この教育勅語は 「朕おもうに我が皇祖皇宗「国」をはじむること広遠に 徳をたつること深厚なり」 皇祖:天照大神 皇宗:神武天皇以降歴代の天皇 は、遠い昔に日本国を建設され、代々その徳は深く厚いものだった。 つまり「国」を語るところから始まっている。 そして以下のように続く 我が臣民(略)億兆心を一にして代々(よよ)その美をなせるは これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここにそんす 日本国民は全国民心を一つにして代々その美しさを体現してきたのは、これはこの国の在り方そのものが発露したものであって、正に教育の根がそこにあるのです。 となる。 その後12の徳目が列挙されるわけだが、 なぜ国家を語るところから始まって 一旦緩急あれば、の段に突然天皇陛下お一人のことに話が変わるのか。 全体を読めば「天皇のために死ね」と解する事のおかしさが分かる。 この場合皇運とは皇国の運命と訳すべきで有り、即ち日本国の運命という事になる。 よって「緩急」とは単なる危機的状況ではなく 国家を揺るがす一大事に於いては、と訳すべきで有り、 義勇公に奉じ:その際には自らを顧みず皆のために全力を尽くし、 これをもって 天壌無窮の:天地に永遠につづく(べき) 皇運を扶翼すべし:日本国の運命を助けよ。 となる。 陛下だけ守って国民が居なくなれば、これは国ではなくなる。 公に奉じておいて、陛下だけの運命を守れ、では辻褄が合わない。 6年前の東日本大震災のおりに自衛隊の方々は、自分たちも余震に脅かされいつまた周辺の瓦礫が崩れ自らも二次被害に遭うかも知れないという状況にありながら、必至に行方不明者の捜索を行い、一人でも多くの被災者の命を救おうとしてくれた。 もちろん先の大戦の折にも、硫黄島に向かった兵士達は自らが生きて帰って来れないことは重々承知していた。しかしながら硫黄島が獲られればそこから本土に空襲に向かう爆撃機が飛び立つことが出来る事も知っていた。だからこそ、彼らが一日でも長く抵抗することが本国の愛する家族を守ることになる。だから5日で占領出来ると考えていたアメリカに対して1ヶ月以上も粘り続ける事が出来た。 昨今日本の道徳心が低下した等と言われるが、私は、日本人の心は根底では変わっていないと思っている。 話がずれた。 ************************* 皇運=日本国の運命 を理解するためには、そもそも天皇陛下と我々臣民(国民)との関係を理解している必要がある。 仁徳天皇の民の竈の話は有名だ。 日本独自の伝統~仁徳天皇 詳しい内容は上記リンクに譲る。 臣民(国民)の竈から煙が出ていない、すなわちご飯が食べられていない事を知り、年貢の徴収をとりやめた。おかげで皇居に雨漏りがするほど貧しくなってしまった。この事を苦にした皇后陛下に対し 臣民(国民)が貧しいことは自らが貧しい 臣民(国民)が富めるときは自らも富んでいる と答えられた仁徳天皇。 そして、竈に煙が戻り充分食べられるようになった人々は、 陛下の心に答えて自ら集って皇居を治した。 という話。 この話が事実かどうかは些末な問題だ。 それ以上に1300年近く前に編纂された日本書紀に書かれたこの話が、以降1000年以上の長きにわたって日本で語り継がれ、模範とされてきた事実が重要だ。 日本に於いて天皇陛下と我々国民の関係は、互いにその幸せを願い、助け合う存在だという事。時に人はこれを親と子になぞらえて語る。 陛下は国民を「たから」とよび我々は陛下を敬う。 この陛下と国民との関係を理想として、我々はこの国を代々継承���てきた。 この関係は住民を自らの富のために搾取してきたヨーロッパの王の姿とは大きく異なる。結果フランスでは革命が起こり王が処刑される。 時にそのような理想的な天皇陛下に恵まれなかったことも歴史の中にはあったかも知れない。 それは正に夫婦と同様、仲むつまじい夫婦という理想を追いかけながら、現実は夫婦喧嘩もし、日々の様々な問題を乗り越えていく。 同様に、陛下と我々国民の間も長い歴史の間に於いて理想通りに行っていない時期もあったかも知れないが、それでも理想的関係を模索しながら切磋琢磨してきた歴史なのではないだろうか。 そう考えると、現代の我々国民のありかたは、はたして理想的姿を体現出来ているのか、幾ばくかの疑問が残ることを否めない。 また話がそれた。 天皇陛下の国民への思いは今も変わらない。 国民に知ってほしい陛下の祈り 詳しくは上リンクに譲るが、陛下は元旦早朝より日本の国の平穏を願い祈りを捧げる。 また、毎日祈りを捧げてから一日を始められるそうだ。 国民の平和と繁栄を第一に思う陛下だからこそ、日米開戦に最後まで反対されたのは他でもない天皇陛下だった。 大東亜戦争開戦前の御前会議 上リンクより引用
昭和16年9月6日、日本は昭和天皇の前で御前会議を開きます。その席で昭和天皇は、「外交が主か、戦争が主か」と閣僚たちに尋ねられました。及川海相が「重点は外交にある」と答えました。すると昭和天皇は、懐から紙片を取り出され、御自らお詠みになられた。 よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の たちさわぐらむ四方の海は、みんな同じ人間、同じ家族であり兄弟であると思うのに、なぜ争いの波風が起こるのだろうか。そう詠まれたこの歌は、明治天皇の御製です。昭和天皇のこのお言葉に、列席した閣僚たちは、全員、ただうなだれるより言葉がなかった。しばらくの間、誰もがうつむき、言葉を発する者さえなかった。
そして終戦を決断出来なかった政府に、終戦の聖断を下したのも陛下だった。
「迫水久常の手記」(終戦時内閣書記官長)天皇の聖断で受諾した“ポツダム宣言”
上リンクより引用
そして、いまにして思えば、終戦ができたのも、一に天皇陛下の御仁徳のおかげであった。陛下の真のご信念はいつも平和にあった、ということを、私はそのときほど強く感じたことはない。戦争終結の動機も、実にそのご信念から発したものであった。
陛下は常に国と国民の平和と繁栄を望み、その為に祈っている。 だからこそ我々は陛下のため、即ちこの国のため、この国に住む家族全ての同胞の為に資力を尽くす。 これを君民一体という。 これが理解出来れば、 皇運がすなわち我々全て日本に住む国民の運命だという事が容易に理解出来るはずである。 ******************* 最後に教育勅語のそもそもの在り方を好く現していると思う末尾を語って締めくくろう。 この道は(略):即ち12の徳目 古今につうじて謬(あやま)らず:昔から今に至るまで変わらないことで 中外にほどこして悖(もと)らず:外国の人達に伝えても正しいことです。 「朕汝臣民と共に拳々服膺して みなその徳を一にせんことをこいねがう」 私は、あなた方国民と共にこの正しい道理(12の徳目)を両手で大事に抱くように大切にしします。だから我々みながこの徳を一緒に体現していくことを願ってやまないのです。 教育勅語を支配者である天皇が従属者である国民に対して、あたかも命令のように下したものであると主張する旨が如何に根拠のないものか、この最後の一文を理解すれば良く分かると思う。
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useyourimagination2020 · 10 months
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中華そば 陽気, 広島市大手町
( Tokyo Dragon Road )
(via 中華そば 陽気 広島大手町店 | Tokyo Dragon Road)
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gupaooooon · 1 year
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NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残���さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
 1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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oka-akina · 1 year
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棕櫚の姫
 そのコンクリートの塀を城壁と呼んでいた。広い広い敷地を囲って、高さもあり、壁の上には有刺鉄線が張り巡らされいかめしい。書道教室の行き帰りにいつも通る道で、城壁の作る影は湿っていた。苔が生え、蟻や蜘蛛が這っていた。蟻を目で追い、歩いていると、足元がぼこんぼこん鳴った。壁とはちがう色のコンクリートで蓋がされており暗渠だった。かつて川だったところにかけられた蓋で、ところどころ揺れる。城壁だなんて巨大に感じていたのはわたしが小さかったためだろう。
 城壁の内側は二階建ての細長い建物で、庭が広いのでぽつんとして見える。クリーム色の壁がくすんでいた。そんなに豪華な建物ではないのでかえって城だった。余計な華美は避け、質素に屹立している。ほんとうの城はこうでなくっちゃと納得し、庭の芝生がかなり禿げていてそういう滅びの気配も城だと思った。どうやらどこか大学か会社の寮であるらしく、何々寮という文字が見えた。といっても、城門はめだたないつくりで奥まったところにありそっちへ行くのはこわかった。どんな寮だか、どんな人が住んでいるのか、ちゃんと見たことはなかった。
 わたしが見ていたのは壁と棕梠シュロだった。お城の庭には一本だけ、背の高い棕梠の木があった。灰色の壁の向こうですっくと伸びている。壁よりも建物よりも高く、ぼさぼさの幹が風にしなっている。棕梠という名を知ったのはもっとあとで、わたしはあれはヤシの木だと思っていた。あの揺れ方は南国だなあと、南国のことを知らないのに感心していた。雪の降りそうな寒い低い雲の日でも、冷たい風に手の甲が痒くても、壁の向こうのヤシの木だけ南の島で、お城の中だから当然だと思った。壁の外から見上げる葉はいつも影になり、動物の毛みたいにぎゅっと密集して見えた。
 この木の下にどんな人が住んでいるのだろう。なんとなく、人魚姫の姉たちを想像した。絵本の話、もっとわたしが小さかったころの話。母が、人魚姫の姉たちが泳ぎ回るページを開いて、「この中だったら誰が好き?」とわたしに選ばせた。深い意味はなかったと思うが——人魚の姉たちは色とりどりで、きっとわたしに色の名前を言わせたかった——、わたしは青い髪のお姉さんを指した。彼女の髪の毛はそんなに長くないがAラインにふわふわ広がっていて、ひたいに垂らしたアクセサリーが大人っぽく、いちばん素敵だと思った。そうして青い髪の人魚はその一ページだけの登場で、人魚姫に短刀を渡すシーンにはいなかった。それもよかった。きっと海の底で静かに悲しんだ。悲しみはするが彼女にはその後の人生があり、死なない。青い髪の姉についてわたしは幾度も想像した。棕梠のお城にいる誰かを想像すると、彼女になった。
 やがて暗渠の町からは引越して、わたしは川に挟まれた町に住むことになった。両親が離婚し、母と二人の家になり、近くに祖母と伯母が住んでいてちょくちょく行き来した。蓋のない、どころか、おおきなおおきな川で河川敷もだだっ広い。二つの川はカーブし、町はレモンの形をしている。アーケードの商店街があり暗渠の町よりだいぶ騒がしい町だったが、学校は小さかった。わたしの学年はそれまで三十九人で、わたしが引っ越してきたことにより四十人になり、あなたのおかげで一クラスだったのが二クラスになったのだと春休み明けの転校初日に先生に言われ、自分が福音なのか災厄なのかわからなかった。
 新学期早々ずっと休んでいる子がいて、盲腸で入院しているとのことだった。クラスみんなでお見舞いの手紙を書きましょうと先生が言った。色画用紙が配られ、一人一通、工夫してメッセージカードを作るよう言われ、まだ一度も会ったことがないのにわたしも書くんですかと先生に尋ねたら、「みんなクラスの仲間でしょう」とたしなめられた。でも知らないんだよな、となりのクラスの子たちは書かないのかな、わたしが来なければひとつのクラスだったのにな……と思った。
 どうせ知らない人に書くのなら棕梠のお城にいるはずの彼女、青い髪の人魚に宛てて書きたかった。棕梠のお城の人魚たちには足があり、城壁の外では完璧に人間のふりができる。王子に恋をせず生き続け、芝生の上を駆けたり寝そべったり、真夜中、お城の中でだけ人魚に戻る。庭に水をまいて海にするかもしれない。そうか、だから芝が禿げていた。棕梠の葉ずれの音を聞きながら足の使い方を練習し、人魚の下半身がいらなくなったらお城——寮から出て行く。でも彼女たちは人間のふりも人魚でいることも好きだから、のらりくらりお城に住みつづけ、出て行かない。棕梠はどんどん伸びてゆき、葉の重さで腰が曲がる。青い髪の彼女はぼさぼさの幹をやさしく撫でてくれる。それなら手紙を書けるのだ。書けるか? わたしはなにを書くだろう?
 たとえばいつも棕梠を見上げていたこと。黒い葉。風。書道教室は畳の部屋で薄暗かったこと。流しの水がいつも細く、冷たくて、お湯は出ず、わたしは手についた墨汁をきれいに落とせなかった。黒く染まった指先をきつく握って、すれちがう人たちから隠した。なぜ隠さなければと思ったのか、わたしがあらゆる視線をおそれていたためだが、そそりたつ棕梠にはぜんぶばれている気がした。人魚を見守る南の島の木は、わたしのことだって知っていたはずだ。墨汁はいつも風呂で落とした。浴槽で足を伸ばし、そのころにはもう一人で風呂に入るようになっていた。墨の溶けた湯だからほんとうは透明ではない、目に見えない黒色の混じった湯なのだと思った。そういうことを書く。書いた。学校から帰ってきて便箋につづり、糊をなめて封をした。でもこれでは、わたしが思っていることを書いただけで、受け取る相手、青い髪の彼女に向けてなにか発信しているわけではないなとも思った。
 盲腸のクラスメイトには、画用紙を切ったり貼ったりして「飛び出すカード」を作り、おだいじにとか当たり障りのないことを書いた。
 レモンの町では書道教室に通わなかった。伯母はフラダンス教室の先生をやっており、招かれたので何度か見学したが、自分にはできる気がしなかったので(踊るのは恥ずかしい)、見学しただけだった。伯母はフラをやるからこまかいウェーブの髪がすごく長くて、想像の人魚よりも長かった。教室はおばあさんが多く、ハイビスカスの造花がたくさん飾ってあり、でもヤシの木はなかった。
 盲腸のクラスメイトとは友だちになれた。退院してすぐ話しかけられ、飛び出すカードすごくかわいかった、どんな子が転校してきたのだろうと楽しみだったと言われ、わたしはちょっと申し訳なく思った。
 だからというわけではないがかなり仲良くなった。すみれちゃんという名前で、しばしば自分の名前をSMILEと書いた。たとえば授業中に回ってくる手紙、ノートの切れ端にぎっしり書かれたいろいろの最後にSMILEとあり、それは署名だけども、受け取ったわたしには「笑って!」というメッセージにも見え、わたしはすみれちゃんの手紙がけっこう好きだった。
 きのうみた夢とか、好きな音楽とか、誰々が雑誌のインタビューでこう言っていた、ラジオでこんな話をしていた、いますごく眠い、親とケンカしてすげえムカついてる、そういう日記みたいな手紙で、いや日記でもないようないろいろで、思っていることを書くだけでもちゃんと手紙になることを知った。わたしが手紙を読むときすみれちゃんはもう眠くないし、すげえムカついた気持ちもいくらかおさまっている。その時差こそが手紙の肝だと思った。
 手紙ではたまにシリアスな悩みも吐露され、そういうときはSMILEの下に「読んだら燃やして」と強い筆跡で書かれていた。わたしはすみれちゃんの手紙を一度も燃やしたことはなかった。うちにはマッチもライターもなく燃やし方がわからなかったためで、ガスコンロで火をつけるのもこわかった。父親がいたらライターがあったろうか。ないな。たばこは吸わなかった。うちに小さな火がないのは父とは関係ない。父にはときどき会った。父も暗渠の町から引っ越したので暗渠の町に行くことはなくなった。
 中学に入り、すみれちゃんの家が建て替えすることになった。古い家をぜんぶ取り壊すからラクガキしていいよということになり、友だち何人かで誘われた。すでに家具はぜんぶ運び出されからっぽになった家の壁や床だ。油性マジックとか書道の墨汁とかカラースプレーとか、みんなでいろいろ持ってきて、こんなことは初めてだったから最初わたしたちはおそるおそるペンを握ったが、だんだんマンガの絵を描いたり好きな歌詞を書いたり、家じゅう思い思いにラクガキした。腕をぜんぶ伸ばし、肩がもげるくらい大きなマルを描いてみた。マルの中に顔も描いた。すみれちゃんの妹が壁いっぱいの巨大な相合傘を描いた。片側に自分の名前、もう片側はいろんな人の名前で、芸能人もマンガのキャラクターもあったがやがて尽きたのか、後半は「優しい人」「うそをつかない人」「趣味が合う人」と理想を並べていた。すみれちゃんは最後、床に大きく「ありがとう」「SMILE」と書き、このラクガキは家への手紙だったのかと思った。
 あとになってGoogleマップで暗渠の町を見たら棕梠のお城はなくなっていた。見つけられなかっただけかもしれないが、区画整理にひっかかったのか、暗渠の道もないように見えた。お城を取り壊すさい誰か壁にラクガキしたろうか。しなかったろう。だからすみれちゃんの家はとても幸運だったろう。そうして道の形が変わっても、地面の下にかつて川だった跡は残っているとも思った。
 あのとき人魚に宛てて書いた手紙が、このあいだ本棚のすきまから出てきて、なにを書いたかだいたいおぼえていた。恥ずかしいなと思いつつ封を開けたら、しかし便箋は白紙だった。文字はどこかに消えてしまったのか、書いたというのはわたしの思い込みだったのか、ぜったい後者なんだけど、後者なんだけど……と思う。すみれちゃんはマスカラを塗るとき、ビューラーをライターの火であたためる。小さな火を持っている。
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ペーパーウェルというネットプリントの企画に参加します。
セブンイレブン【24438044】 10/8 23:59まで
ファミマ・ローソン【DA5W82BGB9】 10/9 16時ごろまで
これは4年くらい前に書いたやつ。読んだことある人もいるかもしれない(覚えていてくださる方がいたらうれしい)。
今回のペーパーウェルのテーマが「時間」だったので、時間のことを考えながら書いた小説にしました。いやどこらへんが?って感じなんだけど、自分の中では…。過去のことを語るときの距離感、時間の長さとか流れを探りたかったというか。
つい最近読んだ川上弘美のインタビュー記事ですが、「年をとって記憶がいっぱい自分の中に貯まっているせいか、ある時期から、一瞬にフォーカスして書くよりも時間の流れを書くことが多くなってきた」とあって、なるほどなあと思いました。そして「でもコロナのもとで生活しながら小説を書いていると、なぜだか自然に、今この瞬間にフォーカスした書き方に回帰していくことになりました」と続き、とても興味深かった。
『群像』のweb記事で、「物語るために遠ざかり、小説全体であらわしていく」という題の鴻巣友希子との対談です。
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kennak · 16 days
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「キノコ雲の子」と呼ばれた高校生がいた。  原爆のキノコ雲に誇りを持つべきでしょうか――。早稲田大4年の古賀野々華さん(23)は5年前、留学先の米ワシントン州リッチランドの高校で、そう疑問を投げかけた。核産業で発展した町での勇気ある行動は、広島市で6歳の時に被爆した後東利治さん(85)の背中を押した。思い出すだけでつらく、向き合うことを避けてきた記憶の扉を開け、体験を語ることを決意した。 ■キノコ雲の校章に疑問 リッチランド高校に留学中の古賀さん。校舎にはキノコ雲の校章が大きく掲げられている(古賀さん提供)  「キノコ雲の校章を誇りに思う」「こんなにユニークな校章は他にはない」  米リッチランド高校。2019年5月、校内向けに配信された3分40秒の動画番組「AtomicTV」で、米国人の生徒が原爆のキノコ雲をかたどった校章を口々に称賛する中、古賀さんが口を開いた。  「原爆で亡くなった人は、町で生活していた一般の人だった。多くの人を無差別に殺した原爆を、私は誇りに思うことはできません」  リッチランドは、核施設で働く労働者や家族のために建設された。第2次世界大戦中に原爆を開発した「マンハッタン計画」の拠点で、長崎に投下された原爆の原料プルトニウムを製造したその施設は、1987年まで操業していた。 ■核産業で栄えた誇り リッチランド高校の校章。原爆のキノコ雲をシンボルにしている(古賀さん提供)  古賀さんが福岡県大牟田市の私立高校から留学したのは2018年8月。最初はリッチランドがどういう場所か知らず、校章を気に留めることもなかった。  半年ほどが過ぎた頃、男性教諭から校章の由来を教えられ、涙があふれた。  「原爆投下で戦争が終わって今がある」。周りの生徒は核産業で発展した町の誇りを当たり前のように口にした。2019年6月の帰国を前に、動画への出演が決まり、校章をテーマに話すと決めた。誇りを否定するつもりはない。ただ、被爆地で起きたことを知ってほしかった。  <日本人留学生、リッチランド高校のキノコ雲ロゴについて語る>。出演後すぐにワシントン州の地元紙で紹介され、ニュースは日本でも報道された。 ■40年続いた悪夢 被爆体験を語る後東さん(左)。古賀さんもその様子を見守った(7月14日、広島市中区で)  被爆者の後東さんはニュースを知って衝撃を受けた。「米国のど真ん中で原爆を批判するこの子はすごく勇気がある。自分も何か話さんといけんのんじゃないか」  1945年8月6日、天満国民学校(現・広島市立天満小)の1年生だった後東さんは、登校して間もなく学校の廊下で被爆した。窓ガラスが黄色く光り、轟音と同時に木造2階建ての校舎の下敷きになった。  何とかはい出し、避難時に見た光景が忘れられない。  あおむけで川を流れる無数の遺体、「助けてください」という叫び声。そして、やけどで頭皮���右半分がずり落ちたまま歩いている人の姿――。自宅を目指したが、がれきの上をはだしで歩くので痛くて前に進まない。様子を見かねたある男性がおぶって神社まで避難してくれた。その夜は神社で一人過ごした。  それから毎夜、目をつむると脳裏に惨状が浮かぶ。46歳頃まで続いた。思い出すことも、体験を口にすることも嫌だった。 ■返事が来ない 後東さんと古賀さんが交わした手紙  古賀さんの勇気に心が動いた後東さんは2019年8月、古賀さんに手紙を出した。<その勇気に私も背中を押され、被爆証言を始めようと決意しました>  しかし、返事は、待てど暮らせど来なかった。「原爆にこれ以上深入りしたくはないんじゃろう」。大きく膨らんだはずの決意がしぼんでいった。  古賀さんには、後東さんのほかにも手紙やメッセージがいくつも届いていた。原爆に特別な関心があるわけではなかった。日本人として素朴な疑問を口にしただけだ。反響に戸惑い、手紙は返事を書かないまま自分の部屋にしまった。  以前から興味のあった福祉を学ぶため、2020年4月、早稲田大社会科学部に進んだ。上京時、後東さんからの手紙も持っていった。「いつか話を聞きたいという気持ちがあったのかな」  コロナ禍での大学生活。児童養護施設のボランティアに応募しても受け入れてもらえない。経験を積めず、人とも会えない。やる気がなくなっていった。  2022年2月、ロシアによるウクライナ侵略が起きた。テレビで流れる戦車や爆撃の映像に衝撃を受けた。ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用をちらつかせている。「私にできることは何だろう」。後東さんの手紙を思い出した。 ■動き出した2人の時間 古賀さんが制作したドキュメンタリー「あのプラタナスの木のように」の一場面。左が後東さん  <戦争や核、平和について自分にできる事はないかと考える日々が続いておりました。被爆の話をお聞きする事が今の私にできる事だと思いました>。2022年5月、後東さんに返事が届いた。手紙を出してから3年がたっていた。  後東さんは驚きと同時にうれしさがこみ上げた。手紙の最後に書かれていた携帯番号にすぐに電話をかけた。「またまた勇気をもらいました」  翌6月、広島で初めて顔を合わせた。古賀さんの手にはハンディーカメラ。後東さんの初めての証言を記録し、ドキュメンタリーを制作したいと思った。  まず向かったのは、原爆ドームそばのお寺。被爆死した近所のお兄ちゃんの墓に手を合わせる姿を撮影した。被爆した小学校の校庭にはプラタナスの木がある。被爆で幹が空洞になりながらも緑の葉を生い茂らせる木の前で後東さんは語った。「人間もたくましく生きていかにゃあいけんなあ」  4日間密着した映像は、約15分間の作品にまとめた。タイトルは「あのプラタナスの木のように」。古賀さんには後東さんの姿がプラタナスと重なって見えた。 ■核兵器の町を再訪 核施設から放出された放射性降下物で被曝したと語るトム・ベイリーさん。約1年後に死去した(2022年12月、古賀さん撮影)  2022年10月、古賀さんは3年ぶりにリッチランドを訪れた。  後東さんの被爆証言を聞いて、「原爆投下は絶対悪だ」と強く思った。でも、世界を見渡すと多くの核兵器があるのはなぜなのか。答えを求め、大学を休学して海を渡った。  2か月かけて住民約20人に核兵器に対する考えを聞いた。肯定的な意見が相次ぐ中、一人だけ反対する人がいた。当時70歳代後半のトム・ベイリーさん。施設から放出された放射性降下物で被曝し、甲状腺がんを患っていると語った。  「私は最後のヒバクシャではない」。核開発が続く限り犠牲者が出るとの訴えが、重く響いた。ベイリーさんは今年1月に他界した。 ■人生初、英語の勉強に挑戦 田中さん(右から2人目)に通訳してもらい、留学生と交流する後東さん(中央)(広島市中区で)  後東さんも動き出した。町内会の慰霊祭や区民センターなど、機会を見つけては、どこへでも行って自らの被爆体験を語る。「今さら証言してどうなるという気持ちもなきにしもあらずだが、それを振り切ってやろうと思いよる」。昨秋には自身の証言活動に「ひろしま平和塾 きのこ雲」と名前を付けた。  昨冬に知り合った広島大4年の田中美月さん(22)に通訳を頼み、留学生に話をする機会も増えた。今年に入って毎週3時間、人生で初めての英語の勉強を始めた。 ■2年ぶりの再会 世代を超えて交流を深める後東さん(左)と古賀さん。それぞれの目線で原爆と向き合っている(7月14日、広島市中区で)=東直哉撮影  7月14日、古賀さんが後東さんの初証言を追ったドキュメンタリーの英訳付き版が完成したのに合わせた上映会で、2人は広島で2年ぶりに再会した。会わない間もLINEで近況を報告し合っていた。  「負けんように、証言しようと思っていた」。後東さんが古賀さんと出会ってからの心境を明かすと、古賀さんは「被爆証言が多くの国に伝わってほしい」。2人の思いは呼応し合う。  後東さんはさらに証言に力を入れ、古賀さんは大学卒業後に渡米し、米国での核被害の研究に挑戦したいと考えている。  核兵器が使われない未来へ。1本の動画をきっかけに生まれた世代を超えた交流は、その一歩だ。  ※この記事は読売新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
「キノコ雲の子」、原爆投下の米国で疑問投げかけ 長年口閉ざす被爆者に勇気 #戦争の記憶(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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longgoodbye1992 · 1 year
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久々の旅 最終日
最終日も朝は早く7時前にホテルを出た。
近くにあったデニーズで朝食を食べる。
母は柄にもなくパンケーキとサラダを食べ、パンケーキを半分俺に渡した。
食べ終わって向かったのは磐梯吾妻スカイライン。
一度は走りたい道として雑誌にも載る絶景が広がる道である。
過去に二回通ったことがあるが、いずれも十年以上前。
久々に走りたいと俺が言って通ることにした。
つづら折りを上っていくと福島市街地が見える。
更に上がれば浄土平。
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運転していたのでこれくらいしか撮影できなかったが、実際はもっと圧巻の景色が広がり、異国感というか浄土感とも言える感覚が楽しい道だ。
スカイラインを下りてコンビニでコーヒーを買い、道の駅でお土産のままどおるを買って猪苗代湖畔へと。
大きいスワンボートがある桟橋や野口英世記念館を超えて会津若松市へ。
俺にTumblrを教えてくれた子は確か会津の出身だった。この街で彼女は育ったんだなと思いながら先を急ぐ。
新潟方面へ車を走らせながら、寝不足の俺は母が運転する横でかなり眠ってしまった。
麒麟山温泉を過ぎたあたりで昼前。
昼ごはんにラーメンを食べたくなった母と俺はラーメン屋を調べ、通り沿いにある満月という店に入った。
辛味噌ラーメンが売りの新潟の名店らしいが、あっさりしたラーメンが食べたかったので中華そばを食べた。写真は失念したがあっさりしながらコクのあるラーメンでとても美味だった。
ここからは日本海を北上する。
海沿いを走りながら母が昔研修で働いたホテルがある瀬波温泉を通った。
そのホテルはもうないのだが、面影が残る通りを見て懐かしそうにしていた。
次にたどり着いたのは笹川流れ。
奇岩があるが波の落ち着いている海岸線。
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海の向こうに見えるのは粟島。
ここでソフトクリームを食べようと列に並ぼうとしたときに、地震警報の音がけたたましく鳴り響いた。震源は石川県と表示されていた。
目と鼻の先には海。
一瞬脳裏に死が過った。
すぐに外へ出ようとしたが、周りの人々は逃げようとしない。その様子が今の人々の危機感の薄さのような気がして少し呆れたが、落ち着いてニュースを見ると津波の心配は無いとの事。
揺れはもうおさまっていたらしく、特に気が付かずに終わった。
一安心したが、大きな被害があったことは帰ってからのニュースで知った。
気を取り直して北上する。
鶴岡の由良海岸を眺めたりしながら帰路へつく。
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帰りはステーキ店に入って母はビールを俺はノンアルコールビールを飲んだ。
また旅をしようと約束して家路へ。
東北をU字型にまわった旅は終わった。
次の旅はそう遠くないはずだ。
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myonbl · 4 months
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2024年5月22日(水)
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沖縄・奄美地方が21日(火)に梅雨入りした、というニュースを今朝知った。出勤時にガレージの紫陽花をみると、大分大きくなって額も色づき始めた。拙宅から数軒西に行ったKさん宅では、すでにかなり大きな花が見事に色づいている。大丈夫、焦ることはないよ、雨を待って君のペースで自己表現してくれたまえ。この歳になると、待つということが苦痛では無く、むしろ楽しみに思えるのだからね。
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5時30分起床。
洗濯機回す。
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朝食。
珈琲。
弁当*2。
空き瓶、45L*1。
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TNPで始めた手書きメモ、本日から3冊目に突入する。
ツレアイの職場経由で出勤する。
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高槻JCで事故渋滞、10分程度のロス。
昨日の<スタディスキルズ(看護学科)>のレジュメのチェ��ク、みな観察力が乏しい。全角と半角、大文字と小文字、指導のしがいがある。
OneDrive の挙動がおかしい。これまではスクリーンショットを撮るとすぐに<画像>フォルダにアップされたが、その機能が働かない。調べてみると、この仕様は廃止になったとのこと。macOS の場合には、スクショはデフォルトではデスクトップに保管される。そうか、それなら直接<写真>アプリにコピーすれば良いので、かえって私には一手間省けて都合が良い。
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日清食品から悪魔のささやき、賞味期限が近づいた商品の激安セール、誘惑に負けてジャンキーなセットを購入してしまった。
水曜日は2限・3限<情報機器の操作Ⅰ(栄養学科)>、今週は<私の好きな〇〇>というテーマでスライドの個人発表、人数が少ないので入力練習も追加する。
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帰路は順調、ただし燃費は良くない。途中で、記念メモリー=8888kmを記録した。
糠床メンテナンス、キュウリ漬ける。
酢タマネギ仕込む。
大根とコンニャクを煮込む。
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保健協議会から回覧用資料届く、各組長宅に配付する。
ツレアイから早めに出てバスに乗ったとの連絡、それを受けて夕飯準備開始。
彼女が帰宅、すぐにココの点滴。
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昨日の見切り品、からすかれいの西京漬けを焼き、タラはムニエルにしてバターソースがけ。我々は残りものをあれこれいただく。
録画番組視聴、新日本風土記。
「長崎 五島列島の春」
初回放送日:2024年5月20日 長崎の西、30ほどの島に人が暮らす五島列島。海流がぶつかる海には伝統の漁場があり、遣唐使の船がたどり着いた島には空海への信仰が根付く。故郷の島を愛する人々の物語 大小140を超える島々が連なる長崎・五島列島。春、進学や就職、転勤などで島を離れる人々を送る盛大なセレモニーが港で繰り広げられる。「東洋一」といわれたブリの漁場では漁師たちが「万越し」をめざし網を引き、お大師さんの信仰が根付く地域では各家の豪華な祭壇で参拝客をもてなす。一方で、水不足に悩んだ島や、島民がたったひとりになった島、児童数の減少で閉校する小学校も…。故郷の島で暮らすことを選んだ人々の物語
桂枝雀、昨晩の続きは「米揚げ笊」。これは小米時代の録音で高校時代にやったネタ。
片付け、入浴、体重は100g減。
パジャマに着替えて日誌書く。
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帰宅後、買い物に出なかったので今日も3つのリング完成ならず。
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14-sakiii · 4 months
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5月2日(木)
病院へ。左側の親知らずを一泊入院で一気に抜くことに。入院とは縁のない人生を送ってきたから、そわそわとする。その日のうちに必要な検査を受けた。血液検査が一番怖かったのだけど、全く痛くなくて良かった。検査が終わり、入院の手続きをする前に時間ができたから院内のカフェ・ド・クリエへ。ホットサンドとアメリカン。先生達の様子を見ながら食べた。お腹が空いているということを目の当たりにすると、みんな人間だなという気持ちになる。病院を出て、神社でお参りして、図書館で本を借りて、母の日用のお花と家族みんな用のお菓子を購入。夕方、迎えにきてもらい、そのままお寿司を食べた。7皿が丁度良い。おやつの杏仁豆腐がかっちりしてなくて、ラフな感じで美味しかった。
5月3日(金)
久しぶりの実家での起床。猫と一緒に寝ると、目覚めが良い。バナナサンドを作り、妹と庭で食べた。その後、40分歩いて足湯へ。足を湯に入れた瞬間の心地よさは半端なかった。また40分歩いて帰宅。お昼に炒飯を作ったり、余ったパンの耳できな粉ラスクを作ったり。夜は映画館へ。上映中の作品の中から見覚えのあるタイトルが目に入った。この映画が面白かったという日記を読んだから覚えていたのだった。ネタバレをしていない内容だったし、予告も観ずに鑑賞。わざわざ映画にしなくても良いけど、したら唯一無二で最高って感じ。余白が終始心地良く、場面転換の少なさが印象的だった。兎に角、会話に集中する。登場人物達の感情の機微を楽しめる。何より、夏が舞台で、具体的な記憶は浮かばないけど、こういう瞬間が確かに自分の学生生活の中にあったなという懐かしい感覚を思い出せたのが良かった。
5月4日(土)
父と母と霧ヶ峰へ。霧ヶ峰、凄すぎ。日本ですか?ってなる。夢に出てきそうな風景だった。エアコンを見る度にこの風景が頭の中で流れるようになった。営業力すごい。霧ヶ峰で食べたきのこパスタの味も忘れられない。引き算の大切さを教えてもらった気分。
5月5日(日)
祖母家へ。お墓参りとランチでハンバーグ。夜ご飯はおばあちゃん特製まぐろ漬け丼。朝から夜まで何から何まで話した。おばあちゃんの考え方、好きだからずっと話し続けられる自信がある。仲も良い。この日のおかげで将来が少しあかるくなった。
5月6日(月)
GW最終日。1日中、職調べ。頭がパンクしそうになる。生活を変えるって大変だ。夜中にワンピースを観て元気が出た。ワンピース、面白い。毎週欠かさず観るようになった。結局、アニメはワンピースしか観ていない。ワンピースって凄い。何年も何年もかけて作品を続ける体力が凄すぎて可笑しい。悪魔の実を食べているとしても不思議ではない。
5月7日(火)
連休明けだったから程々に頑張った。体調の悪さを自覚して早めに就寝した一日だった。これがかなりの英断だった。親知らずを無事に抜いてもらえるように体調管理にはしっかり気をつけなくちゃ。癖で頭痛薬を飲みがちだから更にこれは気をつけなくっちゃ。
5月8日(水)
日記を書くのが楽しい。仕事や将来の事で頭がごちゃごちゃとしてきたから、違うページにやるべきことなどを一気にずらりと書いた。スッキリ。わたしの今の職場に対するモチベの低さは異常。尊敬できる環境に身を置けるように動いていきたい。笑ってさようならできるように、我慢をしたりしないように。
5月9日(木)
一田さんの「大人の片付け」読了。最近の私は借りても読みきれずに返却をしていたから、なんだかすごく達成感に包まれた。求めていた感覚との再会って心地良い。朝一、母に将来についてLINEをしたら「色々悩んで決めたことだろうから応援します」とのことで、ようやく物事を動かす時がやって来た。よっし!となり、早速職場に辞める報告をした。帰り道、スーパーのポイントでラーメンと白バラのソフトクリームをゲットして���高になった。
5月10日(金)
華金はいつだって、嬉しい。今の仕事を辞めることが掃除好きの上司にいつの間にやら伝わっていた。すごく残念そうな顔をされ、「こんなこと言うのはあれなんだけど結構支えだった」と告げられた。どうやら、お互いにお互いをいい人間だなって思っていたみたい。それはそれで嬉しかったけれど、わたしの気持ちは変わらない。スーパーでおやつを買って、夕焼けを見た帰り道はいつもより大袈裟でドラマチックだった。
5月11日(土)
夕方からやる気が出てスーパーへ。珍しいサーターアンダギーを広島焼きを作ってるお店で購入。広島も沖縄も大好き。また行きたいな。高知にも行きたい。実はルーツ。お金を貯めなくちゃ。メルカリ活動を再開。真夜中にああ、そういえば…!となり、動画編集を開始、気づいたら朝4時。色味に対する自分のこだわりの高さにひぇ…と、なる。
5月12日(日)
目覚めの良い起床。洗濯物を干して家を出る。気になっていたユニクロ×マリメッコのコラボを実際に目で見てみる。やはり、たくさんの人と被ってしまうのはなあ…となり、諦める。併設されている雑貨屋さんで、ナリンのボディーミストを発見!これが、噂の…!北欧暮らしの道具店で度々紹介されているナリン。実際に香りを嗅いでみたら、初めて嗅ぐ香りでびっくり。好きな香りだった。いつかのご褒美はこれに決めた。帰宅後、与太郎さんの本を写経しながら読書。ゆったり、入浴。YouTubeとInstagramの更新。
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