Tumgik
#幼稚園年中さん
kennak · 1 month
Quote
兵庫県西宮こども家庭センター(児童相談所)に一時保護されていた長女を連れ去ったとして、未成年者略取などの罪に問われた読売新聞社員の30代の父親と、母親に対する判決公判が18日、神戸地裁であった。  松田道別裁判官は、父親に懲役2年執行猶予3年(求刑懲役2年)、母親に懲役1年6カ月執行猶予3年(求刑懲役1年6カ月)を言い渡した。  事件をめぐっては、センターが県弁護士会に対し、両親に略取を助言したとして、所属弁護士を懲戒請求したことが朝日新聞の取材で判明した。  センターは懲戒請求の理由について、「このような略取がまかり通ってしまうと一時保護制度そのものがなしくずしになってしまう」と回答した。  判決によると、両親は3月16日、センターに一時保護されていた長女を、西宮市内の幼稚園で開かれた卒園式の終了後、抱きかかえてタクシーに乗せて連れ去った。さらに、制止しようとしたセンター職員を転倒させるなどして、軽傷を負わせた。  松田裁判官は判決で「経緯には弁護士の助言があったが、許されない行為であることは当然認識してしかるべきだ」と指摘した。  父親は公判の中で、連れ去り行為は、相談していた弁護士から提案を受け「合法だと信じ込んでしまった」と述べていた。公判での弁護は別の弁護士が担当した。 保護児奪い去り、「提案は弁護士。合法と信じた」父親に懲役2年求刑  懲戒請求は、弁護士や弁護士法人の行動に問題がある場合、所属する弁護士会に対応を求めることができる制度。依頼者や相手方に限らず、誰でも請求できる。弁護士会は本人らに事情を聴くなどして懲戒の要否を判断する。懲戒には除名、退会命令、2年以内の業務停止などがある。  センターから懲戒請求を受けた弁護士は兵庫県弁護士会に所属。朝日新聞の取材に対し「守秘義務違反になるので答えられない」などと話した。  県弁護士会は「個別の照会には回答しない」としている。  読売新聞大阪本社は、取材に「本社社員が有罪判決を受けたことは誠に遺憾です。厳正に対処します」とした。(宮坂奈津、原晟也)
「弁護士が子の連れ去り助言」児相が懲戒請求 両親の読売社員ら有罪 [兵庫県]:朝日新聞デジタル
25 notes · View notes
koch-snowflake-blog · 8 months
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
中井 りかは、日本のタレント、女優、YouTuberで、アイドルグループ・NGT48の元メンバー。愛称は、りか姫、りかちゃん。富山県富山市出身。太田プロダクション所属。 ウィキペディア
出生地: 富山県 富山市
生年月日: 1997年8月23日 (年齢 26歳)
音楽グループ: NGT48 (2015年から)
テレビ番組: 青春高校3年C組、 ふわり愛、 今日から友達になれますか?、 さらに表示
身長: 156 cm
事務所: 太田プロダクション
活動期間: 2015年 -
富山県の立山連峰が見える郊外の住宅地で育った。幼稚園の頃は人前に立つのが好きな「何をしても目立つ子」であったが、小学生になると、周囲となじめなかったことから、なるべく地味にしていようと心に決めていた。そのような環境の中で慰めてくれたのが、AKB48などのアイドルたちであり、自分もアイドルになりたいと思うようになったが、高校では保育士を目指し勉強していた。しかし、アイドルの夢を捨てきれず、2014年 AKB48 Team8 全国一斉オーディション富山県代表に応募。最後の2人まで残ったとの連絡は受けたが、その後の電話連絡に出られず次点となり落選。
翌年、高校3年生の時にNGT48第1期生オーディションに応募。 最終審査に残った場合、次回の48グループのオーディションは最終審査まで免除になるが、それを忘れ書類審査から参加。 2015年7月25日、NGT48第1期生オーディション最終審査に合格し、同年8月21日に新潟市歴史博物館(みなとぴあ)でお披露目された。
2016年1月10日、『NGT48劇場グランドオープン初日公演』に出演。同時に他の15名とともにチームNIIIを結成。同年11月16日発売のAKB48の46thシングル「ハイテンション」で初めてAKB48のシングルの選抜メンバーに抜擢。同年12月、ライブストリーミングプラットフォームSHOWROOM上で2016年に視聴者から多くの支持を得たパフォーマー(SHOWROOMER)を表彰する『SHOWROOM AWARD 2016』における「BEST AKB PERFORMER」を松井珠理奈(SKE48)、野村奈央(当時AKB48)とともに受賞した。同年12月31日、第67回NHK紅白歌合戦に投票企画「AKB48 夢の紅白選抜」で33位に選ばれ、AKB48として出演。
2017年4月12日発売のNGT48のデビューシングル「青春時計」ではセンターポジションを務めた。同年5月30日から6月16日にかけて投票が実施された『AKB48 49thシングル選抜総選挙』において23位になり、アンダーガールズに選出される。同年11月17日にAKSから太田プロダクションへの所属事務所移籍を自身のSHOWROOMにおいて発表し、同年12月、太田プロダクションの公式ホームページに掲載された。
2018年1月15日に自身初のソロコンサート『中井りかソロコンサート〜中井りかキャンペーン中〜』をTOKYO DOME CITY HALLにおいて開催した。
2018年4月2日から「青春高校3年C組」の副担任(サブMC)としてレギュラーで出演(月~金、2020年3月27日まで)。番組内で出演者からは、りか先生と呼ばれていた。その後も様々なバラエティ番組のMCとして出演。
2018年6月16日に発表された『AKB48 53rdシングル 世界選抜総選挙』では37位となり、ネクストガールズに選出された。
2022年6月29日発売のNGT48 1stアルバム「未完成の未来」に収録のリード曲「しそうでしないキス」では、小越春花とダブルセンターを務めた。
2023年4月12日、デビューシングル『青春時計』リリース6周年記念イベントにて、グループ卒業を発表。卒業時期は同年夏ごろを予定しているとした。 同年8月2日発売のNGT48 9thシングル「あのさ、いや別に...」では、2度目のシングル曲センターポジションを務めた。
同年8月5日、「中井りか卒業コンサート〜推し変禁止は絶対命令〜」を新潟県民会館大ホールにて開催。 同月31日、NGT48劇場での卒業公演をもってNGT48から卒業
幼稚園のころからアイドルが好きであったが、小学生の時いじめられていた時期とも重なり、AKB48が出てきたころは自分は「アイドルになんてなれない」という思いや嫉妬心から「AKBなんて嫌いだし」と思っていた。しかし、心を動かされていることは自分でもわかり、ファンになっていった。
AKB48グループでは板野友美、小嶋陽菜を応援していたが、渡辺美優紀が「絶滅黒髪少女」のセンターで踊る姿に惹かれて以来、渡辺一本になったという。中井は渡辺を彷彿とさせるといわれ、NGT48に加入した当初は「釣り師」と呼ばれていた。性格はネガティブであり「豆腐メンタル」である。
  
74 notes · View notes
tokidokitokyo · 19 days
Text
Tumblr media
Photo by Bruno Souza on Unsplash
2024年8月31日
To be honest, August was really just an exercise in staying afloat. I was able to continue my little habits since I've been doing them so long that they are just something I do in my spare time. But anything else was really hit or miss! I also realized I had forgotten to set goals for August so I guess it worked out since I didn't miss any goals! Sometimes life just happens, so I try not to worry too much about it. Now with September and a new Japanese preschool year beginning (yes they follow the American system at this school), I want to try to focus on making significant improvement again.
実は8月が忙し過ぎて勉強じゃなくて他のところに集中しました。毎日の小さな勉強習慣をいつも通り続きましたが、他の目的は少し雑でした。後、7月に8月の目標を書いてなくて、実は目標を達成しなくても大丈夫でしたね。たまにそういうこともあるから、何とかなるのであんまり気にしないように頑張ります。そして9月になって、息子の幼稚園の新しい学年(そうです、日本風の幼稚園だけどアメリカの学年なんだ)が始まったので、これからまた上達するためにまた動力しようと思います。
Tumblr media
August Progress
I spent most of my time in August on Listening and Speaking, and the least time on Vocabulary and Kanji. Listening was primarily listening to (children's) TV shows, podcasts, and conversations, and the Speaking study time I recorded was primarily conversations (with ママ友s and this time I recorded in-depth conversations with my son and husband because my son can participate in actual conversations when did that happen).
I feel like I did a lot of Reading in August but less Grammar and Writing, because I had so much going on and I was just trying to keep on top of all my responsibilities and also trying to get enough sleep.
In July I didn't do a study habit check-in, but let's see how I did in August:
Study Habit Check-In:
〇 = Great, △ = Decent, ✖ = Not Great
Read daily - read something almost every day 〇
Write sentences 4 times a week - definitely not, but that's ok, I was busy! ✖
Review kanji and vocabulary flash cards daily - nope, no, not at all ^^; ✖
Review 1-2 N3 grammar points weekly - I did review grammar points but it wasn't as often as once a week △
Learn 1-2 N2 grammar points weekly - I reviewed a couple of N2 grammar points but did not learn any new ones △
Listen to 1 podcast a week - yes! 〇
Continue to work on hiragana with my son - not sure where we are at this point, we are reading books and I am trying to pinpoint which characters he knows and which ones he doesn't know; characters like ちゃ and じ (I learned today these are called 拗音・ようおん) are understandably difficult for him; since we practice every day I call this a win 〇
Tumblr media
September Goals
I'm super motivated for September, let's gooo!
I want to get back into my study materials such as:
新にほんご500問 (Kanji, Vocabulary, Grammar drills)
日本語総まとめN2 (Kanji, Vocabulary, Grammar, Listening, Reading workbook)
外国人のための日本語敬語の使い方 (85 Basic Expressions of Japanese honorifics for Quick and Easy use, aka Keigo)
日本の歴史366 (daily history lesson)
I also got really excited and checked out way too many textbooks on the Japan Foundation (Libby) so I'd like to go through those as well.
And finally, I'd like to take a tip from some of the ママ友s (those are mom friends) and start taking time on weekends to work on hiragana recognition with my son (very mindful). Making it fun helps keep his interest, and we are fortunate to have collected a lot of Japanese children's books in a range of levels to practice with.
How is your studying going? Any new study tips or new classes? Feel free to comment or DM me! Happy studying!
皆さんの勉強はどう?新しい勉強方法や授業を始めたの?コメントやDMをどうぞ!上達できますように!
15 notes · View notes
moko1590m · 27 days
Quote
世界の超富裕層1%、資産の37%独占 コロナで格差拡大 2021年12月27日 19:00 超富裕層の資産は世界全体の個人資産の37%を占めた=ロイター 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、世界の富裕層と貧困層の格差が広がったことがわかった。フランスの経済学者トマ・ピケティ氏らが運営する「世界不平等研究所」(本部・パリ)が発表した。世界の上位1%の超富裕層の資産は2021年、世界全体の個人資産の37.8%を占め、下位50%の資産は全体の2%にとどまった。 報告書によると、特に最上位の2750人だけで3.5%に当たる13兆ドル(約1500兆円)超を占めた。上位10%では全体の75.6%を占めた。1990年代半ば以降に世界全体で増えた資産の38%を上位1%が占めていた。 コロナ禍で経済活動が制限される一方、景気刺激のための財政出動や金融緩和によるマネーが株式市場などに流れ込み、多くの資産を保有する富裕層に恩恵をもたらした。報告書は「不平等は今後も広がり続ける」とした。 世界全体の所得に占める割合は、上位10%の富裕層が52%に上り、下位50%はわずか8.5%だった。 地域別にみると、最も格差が大きいのは中東・北アフリカ地域(MENA)で上位10%が全体の所得に占める割合の58%を占めた。格差が最も小さいのは欧州で、上位10%が36%を占めた。日本は同44.9%だった。 日本は上位10%の資産が57.8%でそのうち最上位1%は24.5%を占めた。下位50%は5.8%だった。報告書は日本の富の分布について「欧州ほどではないが非常に不平等だ」と指摘した。1980年代から収入格差が広がっているとした。 労働で得た収入に占める男女比を分析したところ、賃金格差や家事負担の不平等を背景に女性の割合は全体の35%にとどまった。日本は28%で、主要7カ国(G7)で最低だった。中国(33%)や韓国(32%)も下回った。 世界不平等研究所は超富裕層の富の増え方を長期間にわたって分析しており、4年ぶりに報告書を出した。100人以上の研究者が各国公表の国民所得や税務統計などを基に、国際比較できる共通指標で分析した。
世界の超富裕層1%、資産の37%独占 コロナで格差拡大 - 日本経済新聞
富の偏在とその世襲が増加する
それを肯定したい人間の割合が増加する
世界がパワハラ化・権威主義化していく
既得権益の野放図な拡大が進行するのを誰も止められない
経済学がいかに無力で白痴かということ
自由平等、とくに平等は実態としてはどんどん失われている
幼稚園児でもわかること
LGBTだの移民だのの「平等」へ注意を向けようとするのは陰謀か白痴かのどちらかではないのか
8 notes · View notes
yoooko-o · 10 months
Text
3人の節目の年
社会人1年目の今の時期、その電話は突然やって来ました。 電話元は幼稚園から中学まで同じ学校だった同級生の子。 開口一番に「落ち着いて聞いてね」 ある同級生が亡くなったとの連絡でした。 亡くなった彼は幼稚園からの中学まで同じ学校でしたが、彼の場合、腐れ縁の典型で、生前の彼とは親しくありませんでした。むしろお互いをいがみ合う程の険悪の仲でした。
その後も高校時代の友人の訃報が入りました。彼女の本当の命日は9月頃だけど、彼女の遺体が家族の元に帰ってきたのがこの時期でした。 彼女は元々複雑な家庭環境だったこともあり、私と出会ったときには既に躁鬱を繰り返していました。 そんな生前の彼女が、私には心を開いてくれて卒業後も定期的に連絡は取り合っていました。
そして、また別の同級生の訃報の一報。 彼女は「純真無垢」の言葉を体現した子。 いたずら好きだけど誰にでも無邪気に懐いてくる、同性から見ても本当に可愛くて仕方がありませんでした。
私にとって同級生の初めての冠婚葬祭は彼らの通夜でした。 そして3人に共通していることは病死ではなく、自殺でした。
ここでは詳細は控えますが、亡くなった動機・経緯があまりにも壮絶すぎて、当時の私は最後までその場で聞くことができませんでした。
特に心残りなのは、躁鬱を繰り返していた彼女。 彼女にも、彼女の家族にも、謝っても謝りきれないというのは重々承知の上です。
彼女が亡くなる数日前、彼女は私の携帯電話に着信を残していました。 夜中2時ということで当時は就寝中だったことに加え、普段から夜中は着信音を切っていたため、その時に電話に出ることができませんでした。その日の勤務中の昼休みに私から折り返し電話を入れました。 元気そうな声でしたが、今にして思えば本当は何か言いたかったんだと思います。 「夜中に電話してごめんね。特に用事はなかったんだけど、声が聞きたくなって。」 その時は昼休みの時間が終わることもあり、彼女の言葉に甘えて 「じゃあ、また電話するね」 それが彼女との最後のやりとりになりました。
これまでも彼女から何度も電話は来ました。だけど、電話がくる時間帯は決まって休日の午後で、平日の深夜に電話があったのはこの1回だけでした。 夜中の電話で彼女は一体何を言いたかったんだろう、というよりも、 「あの時、ちゃんと電話に出ていたら…」 「彼女が本当に言いたかったことをしっかり聞いていたら…」 「折り返し電話したときも、何で電話をすぐ切ったんだろう…」 「もっと落ち着いた時間帯に折り返し電話をしてちゃんと話を聞いていたら…」
元々複雑な家庭環境の中で育っていたため、彼女が埋葬されている場所は彼女の父親以外、誰も知りません。 言い知れぬ虚無感や罪悪感、そして複雑な思いだけが私に残され、年月の経過と共に悲しみと後悔だけがますます大きく深くなっています。
一人の通夜が終えて帰路についたとき、一緒にいた一人の同級生が涙をこぼしながら声を荒げて 「自殺を選ぶなんて最低」 やり場のない悲しみから来ている発言だというのが痛いくらいに分かります。 決して自殺を推奨するわけではありませんが、私は彼らを責めることは到底できません。 もし私も3人と同じような極限の状況に立たされたとき、平常な状態でいられる自信はありません。私には想像ができない程の極限の状態にまで追い詰められた中でも、3人は最後まで懸命に生きようとしていたのも事実です。
遺族の厚意で遺体に対面させてもらえたとき、私たちの今の状況を知らぬような穏やかな顔で眠っているのね。 先の見えない苦しみからようやく解放されたのかな、とも思いますが、今年は3人が亡くなったひとつの節目の年。やっぱり今も会いたいです。
May your sweet smile never fade away. Rest in peace☘️🕊
明日もですが、来週はプチ弾丸旅行が控えていますので、早く寝ないとっ♪
さて、ここまで読んでくださった方へ☘️ 金曜日の夜に重い内容の投稿でごめんなさい、そして最後まで読んで頂きありがとうございました。 皆さんも良い週末を過ごしてくださいね🤲
31 notes · View notes
chibiutsubo · 5 months
Text
Tumblr media Tumblr media
#たべもの #カフェ #Café Bisous
母親と姪っ子の3人で、八百津のカフェ ビズさんに行ってきました。
前々から気になっていたカフェだったんですが、思い立って行こうとした時がお店の長期休みに被っていたりと、中々行けずじまいのまま数年が経ち……。今回やっと初めて訪れることができました。
Tumblr media
古民家を改装したお店のようで、落ち着いた感じの雰囲気。ぱっと見で(幼稚園児連れて入っていいのか……?)という外観でしたが、いざ入ってみると、子供用のおもちゃも置いてあるからと座敷の席に案内していただきました。待ち時間も姪っ子は騒がずおもちゃで遊んでいてくれたので、大人側としてはとてもありがたい〜〜!!
Tumblr media
古民家の落ち着いた雰囲気もありつつ、天井は星でキラキラしていたりと可愛いところも。店内は年配の女の人のグループから恐らくお仕事中のおひとりの方、そして私たち子連れグループまで、どんな人がでも浮かずに居られるような雰囲気でした。
フランスの焼き菓子がメインのお店で、オーナーさんはフランス人。フランスで作られている焼き菓子のレシピそのままなのか、日本人向けにアレンジされているのかは分からないですが、何にせよ焼き菓子大好きな私からしたら、こういうセットは嬉しいことこの上ない!
今回のこれは「ビズセット」で、おまかせ焼き菓子5種と飲み物で1500円也。飲み物は、メニューにあるどの飲み物でもプラス料金なしで選べるのが嬉しい。せっかくなのでさくらのカフェラテにしてみました。(なんとカフェラテの上にさくらの塩漬けが乗っているという驚きの仕様。塩とカフェラテが合うかどうかはさておき、見た目は春っぽい)
他にはアフタヌーンティーセットもある(2名〜)ので、友人とのカフェならそれでも良いかも。
Tumblr media
ところでこのカフェ ビズさん、木曽川にわりと近い立地なので、座敷席の大きな窓からは木曽川がちらりと見えるのですが。お庭に花が咲き乱れていてめちゃくちゃ綺麗でした。
Tumblr media
窓にかぶりつきの姪っ子。きれいな花畑を眺めながらの美味しい焼き菓子タイム。最高か。
最後「花を近くで見たいから庭の方に行っても大丈夫?」という姪っ子のたどたどしいお願いにも快く応じてくださったオーナーさんに感謝です。
8 notes · View notes
diarytheroomoffuji · 5 months
Text
Tumblr media
道徳心と言うのか
常識と言うのか
tumblr繋がりである方が、ご近所さんの事を語られていて、とても共感させて頂いた・・・
私の所では、日本では考えられないような事が極ふつ~にあります。殆どが日本人的には考えられない事です。マイナスの方(苦笑)
その理由は多国籍社会が一因ですけど、そもそも北米社会の常識って日本の一般的な常識とは全く違います。日本で紹介されるこちらの華やかな事って何処の事?って感じですよ(笑)以前も日記に記しましたが、その辺に疲れて日本へ戻る方々も多々います。
ゴミのポイ捨て。これって日本人の私達は幼稚園や学校でも教わりますし、社会人でなくても子供の頃から常識だったりします。毎度言いますけど、最近の日本社会は全く知りません。私が言ってる日本社会は30年前で止まっていますから、ズレていたら申し訳ないです。
私の家のお隣さん、一方はもう20年以上前から暮らしているヨーロッパ系のご家族で、いつもお庭も綺麗にしていますし、私も色々な事を教わっております。
そしてもう一方のお隣さんは、以前はおばあちゃんと息子さんの2人暮らし(30年程)でしたが数年前に南アジアのカレー系の若い女性の投資家が買いました。・・が、彼女、お庭の掃除とか殆どしません(苦笑)。これは、差別ではありませんが、一般的に彼らの国民性で、庭の芝をコンクリートに敷き替えてしまう方々もいるくらいです。場所によっては、それを禁止している条例もあります。街の景観が崩れるので・・・(こちらの住宅地、家の前や後ろにに芝があります)
その投資家が突然その家を貸し出しましたが、引っ越してきたのは中近東系(たぶん)の家族でしたが、彼らはオーナーよりも更に家の事を殆どしませんし(レンタル物件あるある)、ゴミの問題も多々(苦笑)
私は、我慢に我慢を重ねていましたが、うちの敷地にもゴミは散らかってるし、その家の幼い子供達がうちのフロントヤードまで遊びに来ていたりと。一般的な日本の住宅事情より恵まれているので、フロントヤードもかなり広いので子供達が遊ぶ事はよくあります。しかしこれは別の問題で、その子達はゴミもポイ捨てします。子供達には怒れませんし、ある時子供達の親に話をしようと隣の家に行ったのですが全く英語が通じなく、彼らの原語もどこの国なのか??でした。
そんな事が何度か続いたのですが、ある朝彼らのゴミ箱をアライグマがひっくり返し、我が家の庭に散乱(ヒぃ~!)。私は、英語で手紙を書いてカナダの一般的なルールを彼らに伝えました。きっと彼らの仲間の誰かに英語が分かる人がいると思い。普通なら怒っても良いのですが、私も移民でこれまでにカナダの人達に色々教わってきましたから、本当に丁寧に接しました。
そんな事があってから数ヵ月経ちましたが、今まではこちらが挨拶しても殆どリアクションがなかったお隣さん(大人)も、手を上げて「ハロー」と言うようになりました。
このような問題で近所で抗争があることもありますし、警察が来ることもあります。これは良い例なのかもしれません。でも常識の違い、道徳心の違いってのは本当に大変です。まして同じ日本人同士なら尚更大変だと思います。
私の国では移民を大量に受け入れますけど、そのような常識をまず入国時にキッチリと彼らに教えて頂きたい。差別がどうこうと以前より騒ぐ世の中になりましたけど、差別が起きる原因もあり、政府機関が現場に丸投げしているから余計に問題が起きると思っています。
因みにこちらの幼稚園や小学校等では、子供達に教室や廊下の掃除の教育はありません。私がこちらに来て驚いた事の一つでした。ガッカリ・・・
自然環境を守る事も重要ですが、自分達が生活する所、しかも教育の場でそのような重要な事が行われていません。なので私は自分の子供達には掃除やゴミの話を常にしてきました。
世の中って難しいよね
11 notes · View notes
lumi-kissa · 7 months
Text
今日は朝からジムに行って、マシントレーニング、有酸素運動、エステマシンのフルコース。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
終わって徒歩帰宅したら正午だったので昼食にサラダを食べました。
Tumblr media
千切りキャベツとレタスを敷いて、スティック野菜とマカロニサラダとチキンを乗っけた特大サラダボウル🥗𓌉𓇋 ‎←全部ファミマっす☺️
韓ドラ見ながらゆっくり食べて、午後から仕事💻
最初はモニターひとつでできる簡単なチェック作業なのでアニメを見ながら⚽
Tumblr media
そのあとモニターを両方使ってもうひとつの作業。ちゃんと怠けずに仕事するよう、管理表を作ってハンコを押したりしながら楽しくやってます💮
Tumblr media
毎日、今日みたいに午前と午後にメリハリをつけて生活出来たらいいんだけどなぁ。家にいたい気持ちが強すぎてなかなか難しいけど、これが理想だからがんばってみたい。
そうこうしてたら間もなく息子たちのシーズンイン。また土日が忙しくなるよー。
公立高校は学費の負担が少ないけど、部活をやってたら部費5万、スパイク3万、合宿3万、遠征7万…って感じで年間10~20万円位はかかります💸💸💸
入学の時、部活ジャージ一式8万だったのはほんとびっくりした(Ꙭ )!! うちは2人いるので全部倍。キャー!!
だけどこうして部活に打ち込む我が子を間近で見て応援することは掛け替えのない経験であり、まさにプライスレスだと思っています。
中高6年間の部活生活も今年で最後だし、幼稚園の2年間と中学高校、計8年間作ってきたお弁当生活も、今年度で終わり🍱🥢
親として、子供の生活にぴったり寄り添って生きるのは今年までなんだなぁと思うと、感慨深い。
最後の1年間、全力でエンジョイしようと思います‪☺︎‬‪
9 notes · View notes
よしもとかよ 「日々是好日」。vol.139 (2024/7/31 + 8/7)
2024   31st july + 7th august  
M1 白南風の吹く朝 (吉本佳代)
  M2 サマタイム (キセル)     M3 a hundred years from today (Alice Babs)
  M4 recordare (Mateo Stoneman)     M5 風船は何処へ (Michel Legrand)     M6 I won't grow up (Rickie Lee Jones)     M7 里帰り (やまも)       M8 dry county (The B-52's)      
[好日の素…思い出すこと。]     
Tumblr media
      先日、富山シティエフエムさんの 開局記念特番にお邪魔させていただいた際、 中央通りからの生放送なので 思い出などあれば…と事前に伺っていて、 いろいろと思い出したことを 当日はお話しさせていただいたのですが、 遠い昔のことでも 意識的に思い出そうとすると それなりに出てくるものだなぁ、と思ったのです。   その記憶の扉、意識して開けることもあれば、 思いがけず開いてしまうことがあったり、 逆にどうしても開かず 思い出せない、なんてこともあったり。 思い出したくないのに ふとしたきっかけで開いてしまう、という こともありますね。   生放送の際には ご一緒させていただいた方々との トークによって思い出された情景も ありました。  
じぶんの頭や心の中が どうなっているかは わかりませんが、 たくさんの引き出しや扉があって それを開けて引っ張り出しているような イメージがあります。 いったいどんな順番に なっているんでしょうね。   遠い過去のことに限らず つい数分前のことさえも 「えーっと…」と 思い出せなくなっているのは 年齢のせいかな、とも思いますが(苦笑…。
   
* * * * * * * * * * *
[日々是食べたい!… ヨーチビスケット]    
Tumblr media
    ときおり、無性に食べたくなる 懐かしの味のひとつ、ヨーチビスケット。 どうぶつヨーチ、アニマルヨーチとも呼ばれますね。 パステルカラーの お砂糖のコーティングと ひとくちサイズが愛らしいお菓子です。
もともとイギリスの イースタービスケットが 日本で幼稚園のビスケットになったことから 「ヨーチ」と呼ばれるようになったそう。 シンプルな丸いものから さまざまな動物のカタチのものまで、 それも、いい意味でアバウトと言いますか、 ざっくりなところがたのしい!  
ビスケットの生地の くちどけがいいので、 コーヒーや紅茶のおともにも ちょうどよく、 見かけると買ってしまいます。
正直、子どものころは そんなにすすんで食べたわけではないのですが、 この頃は口にすると なんだかほっと気持ちがほぐれるようで ついつい手が出る、 素朴でレトロな 大好きなおやつのひとつになりました。  
6 notes · View notes
harawata44 · 3 months
Text
『幼稚園』10・11月号の付録に「おやこで!AEDたいけんセット」が付属
Tumblr media
以下引用
株式会社小学館は8月30日発売の『幼稚園』10・11月号にて、付録として「おやこで!AEDたいけんセット」が付属することを発表した。日本で唯一の国産AEDを製造している医療機器メーカー「日本光電」とのコラボとなる。
「おやこで!AEDたいけんセット」は、公共施設などに設置されている「普及タイプAED」をほぼ原寸大の約25cmで再現した組み立て工作キットだ。内部のデザインやギミックまで忠実に再現されており、普段じっくり見ることのできないAEDの中身を触れながら知ることができる。 最大の特徴は、本物のAEDで使用されているものと同じガイダンス音声が流れることだ。付属の体ポスターと合わせることで、実際の救命活動の流れを実践を通して学ぶことが可能になっている。
Tumblr media Tumblr media
雑誌『幼稚園』は、4~6歳の子供向けの学習雑誌。NTT東日本とコラボした「こうしゅうでんわ」や、セブン銀行とコラボした「セブン銀行ATM」など、企業とコラボして実際の設備を再現した付録が近年話題となっている。
Tumblr media Tumblr media
日本で民間人がAEDを使用できるようになったのは2004年7月からであり、今年の7月1日で20周年だ。今回の付録は、いまや当たり前に設置されているAEDを「いざというときに当たり前に使う」ものにするため、子供のころからAEDのことを知ってほしいという思いで作られたという。 「おやこで!AEDたいけんセット」が付属する『幼稚園』10・11月号は8月30日ごろ発売。この機会に、自分でできる救命活動の手順を見直してみてはいかがだろうか。
・『幼稚園』 | 小学館の幼児雑誌
・小学館『幼稚園』編集部(@youchien_hensyu) / X
3 notes · View notes
rosysnow · 25 days
Text
魔法じかけの林檎
誰もがその林檎を欲しいと思ったけど
Tumblr media
 千鈴は林檎しか食べない。どんな食事を用意しても食べないのに、林檎を切ってあげると、それは食べる。だから、お見舞いのときは、私は必ず林檎を持っていく。
 精神病棟だから病室には行けない。けれど、看護師さんに手を取られて、千鈴は面会室には現れる。精彩のない無表情でソファに座る。待っているあいだに切り分けた林檎を並べたお皿を、私は千鈴の前に置く。
 その甘い香りか、お皿を置いた音か、それは分からないけど、千鈴は林檎に目を落とし、ひと切れ、手に取る。そして、言葉はなく、しゃり、しゃり、とゆっくり林檎を食べていく。
 姉の千鈴。妹の五鈴。私たちは、十三年前に一卵性のふたごとして生まれた。
 幼い頃は、ふわふわのカールの髪に結ぶ、色違いのリボンが見分けるコツだった。それと、泣いているのはたいてい私で、褒められているのはたいてい千鈴。
 千鈴は泣き虫の私を揶揄ったりもしたけど、けして意地悪ではなかったし、優しい姉だった。私は、よく千鈴のあとを追いかけて走っていた。私たちの毎日が壊れた、あの日もそうだった。
 ふたごって何かかわいいねと言われながら、同じ小学校に上がった春だった。私たちは一緒に下校していた。
 にぶくて泣き虫な私をまた揶揄って、千鈴は駆け足で先を走っていた。春風に、千鈴の髪を結う白いリボンがひるがえった。ひと気が減ってきた角を曲がり、「千鈴、待って」と息を切らす青いリボンの私は顔を上げ、はっと立ち止まった。
 こちらを振り返って笑っている千鈴のすぐ背後に、知らない男の人が立っていた。私は千鈴の名前を叫ぼうとした。遅かった。男の人は、強引に千鈴を抱え上げ、そのまま路地に駆けこんでしまった。
 茫然とする私の耳に届いたのは、服を引き裂く音、千鈴の泣き声、男の人の荒い息──
 そのとき、偶然同じクラスの男の子たちが通りかかって、私は泣きながら千鈴が引きこまれた路地を指さした。私は何もできなくて、男の子たちが声を上げたり、大人を呼んだりしてくれた。
 けれど、千鈴の心にはすべてが手遅れだった。その日から千鈴は、感情も記憶も喪失した、息をしているだけの人形のようになった。外出はもちろん、家庭で過ごすことさえ困難と診断され、精神病棟で過ごしていくことになった。
 しばらく、千鈴は何も食べなかった。点滴で栄養を摂っていても、見る見る痩せていった。ふっくらした薔薇色の頬は蒼くこけて、腕も脚も折れそうになって、しっとり白かった肌もぱさぱさになっていった。
 そんな千鈴を見るのをつらいと言い出したのは、私より両親が先だった。何かと言い訳をつけ、千鈴のお見舞いに行かなくなった。私が千鈴に会いたいとせがむと、「病気が伝染って人形になるから」とおとうさんは目をそらした。おかあさんは「千鈴のぶんまで、いい子にしてね」と虚ろな瞳で私の頭を撫でた。
 それでも私は、千鈴に会いたかったから、そばにいたかったから、お小遣いを全部交通費に当て、両親には「友達と遊んでくる」と言って、こっそり千鈴のお見舞いに行った。
 私と千鈴が幼稚園の頃に読んだ、子供向けにした神話の絵本の中に、こんな話があった。どんな病も傷も治す、魔法の林檎を果樹園で守る女の子がいた。彼女は、林檎を盗みにきた泥棒に殺されてしまった。その死を哀しんだ女神様によって、彼女は花のすがたとして生まれ変わった──
 魔法の林檎は、半分食べれば、どんな病気も癒える。全部食べれば、永遠に若く生きられる。そんな、不思議な黄金の林檎。
 ひとりになってしまった部屋で、その絵本を読み返した私は、その林檎が欲しいと思った。林檎が心まで癒すかは分からなかったけど、そんな魔法に頼らないと、千鈴は壊れてしまうのではないかと怖かった。
「ねえ、千鈴」
 季節はあっという間に巡り、着こんだコートのポケットに、懐炉を入れておく冬になっていた。吐く息が白く、雪が舞う日も多かった。
 家から駅まで歩いて、病院の送迎バスが来る駅までふた駅。ありがたいことに、マイクロバスの利用は無料だった。私はその日、お年玉をもらってお金があったので、千鈴のお見舞いに差し入れを持ってきていた。
「お花に生まれ変わった女の子のお話、憶えてる? もしあの子が魔法の林檎を食べてたら、殺されても死ななかったよねって一緒に話したよね。だからね、千鈴も林檎を食べたらつらくても咲えるかもしれないって、今日は林檎を持ってきたの」
 かたわらに置いていたビニールぶくろから、駅前のスーパーで買ってきた林檎を取り出した。千鈴がめずらしく、ゆっくりとだけど視線を動かし、それを見た。私は精一杯咲って、「ちょっとでも食べよう」と千鈴の手に林檎を持たせた。
「林檎を食べたら、千鈴にも治る魔法がかかるから」
 千鈴は何も言わなかった。でも、それから、林檎だけは食べてくれるようになった。
 それが、千鈴の必死の声だったのだと思う。本当は千鈴も、食べたいし、しゃべりたいし、咲いたいのだ。でも、できない。あの体験がおぞましく焼きついて、自分を思い通りに動かせない。
 いつか心が癒えるように、掠奪された自分を取り返して傷を乗り越えられるように、千鈴は願いをこめて林檎を食べた。
「……千鈴だったら、こんな間違いしないのに」
 一方、千鈴が欠けた家庭で、おかあさんの態度がおかしくなりはじめたのは、事件から一年が過ぎた頃だった。
 私のテストの答案を見ていたおかあさんが、ふとそんなことをつぶやいた。「えっ」と私がちゃんと聞き取れずに問い返すと、おかあさんは突然、答案用紙をびりっと音を立てて破った。
「千鈴なら、こんなテストぐらい百点が取れるでしょう!」
 言われていることがとっさに分からず、ぽかんとおかあさんを見た。おかあさんはゆがんだ顔を覆って、フローリングにくずおれて、わっと泣き出した。どくどくとあふれる涙で、床に散らばった不正解だった私の字がふやけていった。
 私はしばし突っ立ってしまったけど、「おかあさん」とこわごわその肩に手を置いた。おかあさんはその手を振りはらって、「あんたなんかいらない!」と金切り声で叫んだ。
「千鈴! 千鈴を返して‼ 私のかわいかった千鈴はどこなの、ねえ、どこに行ってしまったの!」
 私ははたかれた右手を握りしめ、視線をとまどわせた。おかあさんは、砕けたガラスみたいに床に這いつくばって泣いている。その嗚咽に、千鈴の名前が混じる。
 私なんかいなかったみたいに。自分の娘は千鈴だけであるみたいに。
 ああ、おかあさんは千鈴に会いたいんだ。いつでも会える私なんか、どうでもいいんだ。おかあさんに必要なのは、一年前まで、無邪気に咲って、当たり前に私たちの中にいた、健やかな千鈴──
「ほ……ほんとに、五鈴は、ダメだよね」
 何で、そんなことを言ってしまったのか分からない。
「私からも、五鈴にこれくらいできないとって、しかっておくから」
 それが幼い頭でやっと考えついた、発狂しそうなおかあさんのなだめ方だったのかもしれない。
「おかあさん、泣かないで」
 おかあさんが震えながら泣きやんで、鼻をすすって顔を上げた。
「私はここにいるよ」
 おかあさんが手を伸ばし、私の頬に触れた。
「千鈴……?」
 私はおかあさんに向かって微笑み、うなずいた。その拍子、おかあさんは私を抱きしめて、また泣き出した。
 でも、耳にきりきりする、痛ましい泣き方ではなかった。安堵で声をつまらせ、やっと家にたどりついた子供のような慟哭だった。
 こんなに、おかあさんは千鈴を探していたのか。傷ついてしまう前の千鈴を求めていたのか。
 だったら、私にできることはひとつだ。おかあさんの前では、私は千鈴を演じる。千鈴のふたごの片割れである私にしか、それはできない。
 千鈴がいなくては、おかあさんが壊れてしまう。だから、千鈴が治るまでは、帰ってくるまでは、おかあさんの前では私が千鈴になる。
「五鈴は……つらいかもしれないけど」
 その夜、おとうさんが帰宅する頃にはおかあさんは泣き疲れて、リビングのソファで眠っていた。「『千鈴だよ』って言ったら、おかあさん、すごくほっとしてくれたの」と私がつたなく説明すると、おとうさんは言葉を失くしたものの、私の頭に大きな手を置いて言った。
「おかあさんの前では、千鈴でいてくれるかな」
「うん。おとうさんも、私のこと五鈴って呼んじゃダメだよ」
「……ごめんな、五鈴」
「千鈴、だよ」
「ごめん、……ごめん千鈴。守ってやれなくて、本当にごめん──」
 おとうさんにぎゅっとされて、スーツの糊の匂いの中で、「大丈夫だよ」と私は言った。
 その言葉が、五鈴としてだったのか、千鈴としてだったのかは、分からない。おとうさんの腕に力がこもったのも、五鈴に対して���ったのか、千鈴に対してだったのか、分からなかった。
 それから、私は家庭では千鈴を演じるようになった。千鈴のように勉強も運動も、口調も身だしなみも頑張った。「五鈴」はいなくなったわけではなく、いつも偶然その場にいないかのように振る舞われた。私だけでは修復しなかった家庭が、私が千鈴になることで、少しずつ明るくなっていった。
 もちろん、私を「千鈴」と呼んで、買い物に行けるようにもなったおかあさんについて、近所の人は怪訝そうにひそひそ話をした。私がひとりのとき、「無事だったのは五鈴ちゃんよね?」と心配そうに声をかけられることもあった。私はあやふやに咲ってかわし、家に駆けこんで、おかあさんに百点を取ったテストを見せた。おかあさんの穏やかな笑顔が、私のきしみそうになる心を支えた。
 本物の千鈴のお見舞いに行くのは、相変わらず私だけだった。家のことを、千鈴には話したほうがいいのかと思ったけど、刺激を与える話は先生を通してからと看護師さんに言われていた。
 近所の人の訝る目を思い出し、あんまりお医者さんには言いたくないなと思った。やっと見つけた落ち着く手段を、やめたほうがいいとか言われたくない。
 千鈴は事切れた瞳のまま、静かに林檎を食べている。私たちは、いつ千鈴が帰ってきてもいいようにしているだけ。だけど、千鈴が戻ってきたら、私はどうなるのだろう。
 どんどん希薄になっていく五鈴という私は、まだあの家に存在しているのだろうか。帰ってきてほしいと思って、私だけがこうして本物の千鈴を見捨てていないのに、千鈴が帰ってきたら、きっと私が一番報われない。
 私が演じる千鈴は、周りの理想を裏切らないように、美しく築かれていった。言葉ひとつ、仕草ひとつ、細心の注意で千鈴らしくした。千鈴以上に千鈴だったかもしれない。
 おかあさんが外では私を「千鈴」と呼ぶし、家に来たクラスメイトたちは、「あれ……五鈴ちゃんだっけ? 千鈴ちゃんだっけ?」と混乱して、いつのまにか「えーっと、千鈴ちゃんだよね!」と思いこんでいった。
 テストや教科書に名前を書くときも「千鈴」と書いた。さすがに本名を把握している先生たちは、最初は「え?」という顔をするものの、私もクラスメイトも──何より親が「あの子は千鈴ですよ」と言うので、触れてはいけない、あるいは関わりたくないと思うらしく、次第に何も言わなくなった。
 私は人前では淑やかに咲う反面、部屋でひとりになると、自分の鼓動がうるさくて過呼吸になるときがあった。
 私は綺麗。私はいい子。私は──違う、全部千鈴だ。綺麗なのは千鈴。いい子なのは千鈴。じゃあ私は? 私は何なの? 私はどこに行ったの?
 千鈴の偽物として生活していて、私自身の価値はどうなってしまったの?
 どんなに演じても、千鈴本人になれることもないのに、なぜ私は不毛な嘘をまとっているの?
 千鈴として咲うほど、私は咲えなくなっていく。千鈴として振る舞うほど、私は何も感じなくなっていく。
 自分を切り崩していく中で、中学生になった。最近の公立中学は物騒だからと私立に進んだ。私を千鈴としてあつかうことは、ご家庭の事情があるから、と小学校の先生が伝えたらしい。生徒証などの公的な書類になるもの以外では、私は千鈴として通った。
 葉桜の緑が鮮やかな五月、一年生の中間考査では首席を取れた。ほっとして貼り出しから教室に戻ろうとしたとき、「あ、おいっ」という声がして肩をつかまれた。
 私は立ち止まって振り返り、そこにいたブレザーの男の子に首をかしげた。黒いさらさらとした髪、まだ童顔の大きな瞳、誰なのか心当たりはなかった。けど、「千鈴なのか?」と声変わりもしていない声が言う。私は貼り出しにある名前が、千鈴であるのを一瞥した。
「……そう、だけど」
「えっと……元気にしてたか」
「ええと、あなた──」
「洋介だよ。谷村洋介。その、……あのとき、妹のほうが俺とか和義を呼び止めて。俺は、学校まで先生を呼びに行ったんだけど」
 私はその男の子を見つめた。引っかかる記憶はなかった。
 あのとき、どんな男の子たちに声をかけたかもよく憶えていない。クラスメイトではあったはずだけど、特に彼に印象はない。
「ちゃんと、学校にも来れるようになったんだな」
「……もうずいぶん経ったから」
「そうか。あ、千鈴は何組なんだ?」
「A組よ」
「すげ、進学クラスじゃん。俺は一般のC組だけど、また今度、ゆっくり話でもできたら」
「そうね」
「よかった、ちゃんと生活できるようになったなら。ずっと心配してたんだ」
 洋介くんは優しく微笑むと、「じゃあ」とそばにあった階段を降りていった。妹のほう。五鈴のことは、名前さえ出てこないのだろうか。
 それから、ときおり洋介くんが声をかけてきて、私たちは話をするときがあった。この人、千鈴が好きなのかな。そう気づくまでに、時間はかからなかった。
 幼い頃からの想いなのだろうか。再会して始まった恋心だろうか。
 後者だとしたら、君が好きになったのは千鈴じゃなくて五鈴なんだよ、と伝えたい心がふくれあがってきた。幼い頃からの気持ちだったとしても、それなら彼には、本物の千鈴のことを言っておきたかった。
 どうして、本当のことを知ってもらいたいと思うのだろう。知られたところで、状況をかき乱すだけなのに。
 梅雨の合間に晴れた日、雨粒が芝生できらきらする中庭のベンチで、洋介くんとお昼を過ごしていた。洋介くんはお弁当を食べはじめていたけど、私はお弁当ぶくろを膝に置き、躊躇っていた。「食べないのか?」と言われて、曖昧にうなずいた私は、気を引き締めて洋介くんを向いた。
「あのね、洋介くんに知っていてほしいことがあるの」
「ん、何だよ」
「……これ、なんだけど」
 私は胸ポケットから生徒手帳を取り出し、生徒証のページを開いて、洋介くんに渡した。洋介くんはそれを受け取り、怪訝そうにページを見つめた。
「これが?」
「名前を見てほしいの」
「名前──」
 洋介くんの目が、そこに記される私の名前をたどった。まぶたが押し上げられる。
「え……これ、五鈴って」
「私ね、ほんとは五鈴なの」
「は?」
「みんな千鈴だって思いこんでるけど、私もそう思われるように千鈴を演じてるけど、違うの。私は五鈴──」
「え……ちょっと、待てよ。演じてるって、じゃあ、ほんとの千鈴は?」
「千鈴、は──」
「てか、わけ分かんねえし。何でそんな演技してんだよ」
「ち、千鈴を演じないと、誰も私なんか見ない、し」
「はあっ? 千鈴はあんなことがあったんだぞ⁉ お前なんかどうでもよくなるのが普通だろ。……くそっ、最低じゃないか」
 最低? 私が? 何で?
 ぽかんとしてしまうと、洋介くんは忌ま忌ましそうに立ち上がって、中庭を出ていってしまった。私はそれを見送り、本当にわけが分からなくて、洋介くんの反応が正常なのか異常なのかさえ判断できなかった。
 だって、私が千鈴にならないと、大人たちはまるで歯車が合わなかったじゃない。なのに、私が間違いだったの?
 そのとき、突然気づいた。魔法の林檎になっているのは、私なのだ。おかあさんにとって。おとうさんにとって。あの事件から目をそらしたい人、すべてにとって。
 私という林檎が、麻薬のようにみんなの意識をごまかし、ひととき忘れさせて、麻痺させている。私が千鈴になることで、千鈴が傷つけられた事実はゆがめられ、偽りの安心をみんなに与えている。
 やがて、太陽が白光する夏が来た。季節外れでちょっと高い林檎を買って、私はまた千鈴のお見舞いに行った。
 千鈴は林檎を食べる。しゃく、と噛み砕く音と共にこぼれる甘酸っぱい香りに、私は涙が出てくる。
 このままでは、私が壊れてしまう。私が見せる幻覚は、薬でなく毒だ。そんな調和は、今すぐやめないといけない。
 ふと、口元に冷たい酸味が触れた。はっとすると、虚ろな表情のままだったけど、千鈴が私の口に林檎を分けようとしていた。私は千鈴の瞳を見つめ、久しぶりに、五鈴として咲った。
 林檎を受け取り、さわやかな味を頬張った。口の中に、新鮮な味がふわりと広がる。
 林檎を食べていたら、女の子は死ななかった。でも、もう死んでしまった。だけど、女神様によって花に生まれ変わった。
 千鈴もきっと生まれ変われる。綺麗な花としていつかまた咲える。私も弱い大人の犠牲になり、千鈴が花になれたすがたを演じてみせなくていい。そんなことをしなくても、千鈴は咲けるから。その千鈴の生きる力を信じることが、魔法じかけの林檎になって、五鈴としての私を癒やしてくれる。
 千鈴じゃなくていい。弱い心に見せる幻にはならなくていい。そんなことをしていても、今度は私が死ぬだけだ。
 再び咲えるようになる千鈴と共に、私は私のまま、嘘偽りなく生きていっていいんだ。
 私がこくんと林檎を飲みこむのを見た瞬間、確かに千鈴の瞳が、ほころぶようにほのかにやわらいだ。
 FIN
2 notes · View notes
kennak · 10 months
Quote
9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確��した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
11 notes · View notes
87maru · 9 months
Text
友人の結婚式の2次会後。
珍しく街に繰り出していた日の夜。慣れないヒール靴、慣れない気遣い、慣れない夜遅くまでの外出に疲労困憊の中、駐車場まで後メートル。自分の殻に閉じ籠り、自分を鼓舞しながら、黙々と歩みを進める。
突然、殻から解き放たれたようにはっとして、横を通り過ぎた男性を目で追う。無意識。一瞬何が起きたか分からない程、無意識。振り返ると、驚くことに、目で追った男性も同じタイミングで、こちらを振り向いて来る。疲れで思考が止まった私は(え、誰?何?)の驚きに、数秒間見舞われる。もう一度、振り返って見る。綺麗な2度見。恥ずかしい。そこで驚くのが、その彼も同じタイミングで、綺麗な2度見をしている。(何だか見覚えがある)頭の中は、その正解を探す思考に必死。
(もしかして、同級生?…)
SNSに結婚式のストーリーを投稿すると、間もなく、「そうよね?」とメッセージが届く。
(…繋がった)
幼稚園から高校までの15年来の同級生。
「僕達、幼馴染ですよ、一応。」と一言。
同級生。幼稚園以降、クラスは見事にすれ違い。2人の思い出も記憶も皆無。お遊戯会で一緒に踊ったビデオに映る映像が、唯一の記憶。でも、その言葉が嬉しかった。幼馴染。私には居ないと思っていたから。心から嬉しかった。
幼馴染か…
検索すると
①近所に住んでいた☞自転車5分圏内
②3年以上の付き合いがある
③学生時代を長く共にした
 ☞約15年の付き合い
 ☞本人と離れてからは、妹と大学職場が被る
④小さい頃の思い出が共にある☞(ある?)
4分の3が当てはまるのならば、幼馴染?!
そんなこんなで、週末のご飯の約束を立てる。こういう出逢いが気楽なの?…
13 notes · View notes
jaguarmen99 · 2 months
Text
905:名無し:24/06/15(土) 01:20:42 ID:i2S6 夫の職場に喧嘩売ったこと 夫はITエンジニアなんだけれど、インフラ関連のそこそこ大きい会社に務めてたのに、コロナ前の2010年代の年収が280万程度 しかもITエンジニアを軽んじる風潮の会社&定年間近の長の独裁だったみたいで、夫の周りはどんどん辞めていって、 五年目の夫が長の次にベテランという有り様 大体皆3年と続かず辞めていく中、いつか報われると頑張ってた夫が鬱病っぽくなったので病院に連れて行って休職させた 一方夫の話を聞いてた私は夫の日記を見てパワハラやサビ残の証拠を集めて夫の知らぬ間に会社と喧嘩してきたわ 詳しくは書けないけど、会社としては夫は「保守なんて派遣でもできる仕事をやってる、利益を生み出さない社員」という判断で、 心を壊したなら自己都合退職するよう言われたが、そんなのそっちの都合でしょ、夫には休めるだけ最大限休んでもらうと伝え、 最終的に会社都合での退職にしてもらって、60日分の賃金に相当する解雇予告手当ももらった 休職中の夫には夫のいた部署は潰して室長一人+派遣でやりくりするから君は首だという風に連絡がいった 夫には三ヶ月ほど無職を満喫してもらって休むことに飽きた頃から転職活動してもらって、今新しい会社で五年目になったけど 上司との仲も良くて大分働きやすいみたい 「さっさと転職してればよかった」と言ってたけどホントそれ まぁ、夫が転職活動始めたタイミングで今の会社がIT部門新設して求人出したところだったから、 あのタイミングでの転職でなければ今の会社と御縁も無かったんだろうけど それにしても5年前、私もまだ20代の小娘でお金も無かったとはいえ、弁護士雇うでもなく夫の会社に身一つで 喧嘩売りに行く妻ってヤバイよね… 私が働いてた元職場なら絶対にヤバイ妻伝説として語り継がれると思う 後悔はしてはいけど絶対に封をあけてはならない黒歴史ノートを大人になってから増やすことになるとは思わなかった 一応今後のため、念の為、当時の記録とか全部とってあるけど、万が一不慮の事故とかで私が早死しちゃったときに 見られたらと考えると今すぐ処分した方がいいんだろうかって最近悩んでる…
906:↓名無し:24/06/15(土) 08:41:28 ID:soGS いやいい奥さんだよ お幸せに その会社は社長ごとつぶれろ
907:↓名無し:24/06/15(土) 10:12:40 ID:923z うんちっとも黒くないわ これからも夫婦お幸せにね
908:↓名無し:24/06/15(土) 19:39:07 ID:z7Dj >>905 墓場まで持っていかなくても10年ぐらいで機密開示しちゃっても良いと思うわ いつまでもお幸せに
909:名無し:24/06/15(土) 23:14:06 ID:i2S6 皆様ありがとう 傍から見て恥ずかしい行いでないとしれて少し救われたわ 実は夫のことがあったあと、父が会社で機材に頭をぶつけて、翌日頭の中で出血が見つかり緊急搬送されて 重い後遺症が残ったのだけれど ぶつけた直後に病院行った際に医者からCT撮って問題ないと言われていたから、労災になるかどうかで揉めてね その際母と私で父の職場に乗り込んでバチバチに喧嘩したんだけれど、会社の人から 「女の人に我々の仕事がわかるんですかね」とすごく馬鹿にされるように言われて、 仕事の説明もわざと専門用語マシマシで語って理解できないと伝えると盛大なため息つかれたのよ その後父が退職の手続きするのに何度か会社に行ったら、「女子供が出しゃばってきて恥ずかしいご家族」「幼稚園児みたい」 って受付の女性たちにまでプークスクスされたらしくてね 父はプライドを酷く傷つけられたらしくて、帰ってきたあと私や母にひどい暴言を吐いたのよ もともと父は自覚なくDVとネグレクトするような親だったから子どもたち全員から嫌われてるんだけど、 それさえ理由を理解できないような人なんだけど それでも命の危機に面した場面でさえ支えた家族に感謝こそすれ罵倒するなんて思わなくて、 妻や娘が出しゃばるのってそれくらい男のプライド傷つけるんだと思ったの 父とは縁を切ったし葬式にも出ないと伝えてるから父のことはどうでもいいのだけれど 夫も鬱になってた期間の自称ヒモ生活(私は休養期間と言うけど夫はそう思ってないみたい)と、 その後ローンの審査通らなくて私だけがローン組んで家建てたりしてるから 私が夫の会社に出しゃばってバチバチにやりあったことは夫のメンタル的に絶対墓場まで持っていく黒歴史だと思ってるの 私も今思えばもっと上手にできたんじゃないかって思うし、拙いやり方はやっぱり黒歴史だわ やったことは後悔はないけど、やり方が幼稚だったわ!
2 notes · View notes
oka-akina · 10 months
Text
1130-1205
1130 うちはトイレと物置が隣にあって同じドアが並んでいて、物置に何か取りに行ったつもりが隣のトイレのドアを開けていて、あれおしっこしたかったっけ…とか思いながら用を足している。物置に何か用事があったのを忘れてしまう。こういうことはスマートフォンの上でもよくあって、メールをチェックするつもりがツイッターを開いている。 なんか電車が空いていた。べつに理由はないんだろうけどなんでだろうと思ってしまう。理由を探してしまう。窓の外の荒川が濃い色をしていて冬だなーと思う。そしてその窓に、明らかにデマというかインチキ医療の本の広告が貼ってあり、こういう本が堂々と出版されているのにどうしてわたしの小説は同人誌なんだろうなーとか思う。やつあたりみたいに思う。
ずいぶん前に買ったエッセイの本を読んでいる。とても自由であたたかい家庭の話だと思うのに読んでいるとどんどん心がささくれだっていく。夫婦でやっているお店の話で、お店の仕事は女の人がメイン。本の語り手の男の人はサポートと広報をやっていて、その流れで本を出したようす。 なんかこうなんかこう、あなたの話はいいからこの女の人の話がききたいよとか思ってしまう。この女の人がどのように考えて店をやっているのか、あなたの口からじゃなくてこの女の人の言葉でききたい。声をききたい。いやそんなのは役割分担だとは思うのに、まったく何も取り繕わない自分の気持ちとしては、こいつなんかいけすかねえな〜!と思ってしまう。仕事の役割が夫婦で逆だったら、サポートしている女の人に本を書きませんかって話はきたかな〜とか訝ってしまう。そうしてあるいは、これが女の人同士のカップルだったら、わたしはこんなふうに思うんだろうか。 じゃあつまり自分にはひどいミサンドリーがあるんだよな…。この本に限らず日常の中のほんとにいろんな瞬間で自分のミサンドリーにぶちあたり、しょんぼりする。ハッとしたときはもう遅くて、本当になにかこう、ごく自然に、嫌悪の感情がある。 自分にべったりしみついた差別心や偏見はもうどうにもならないんじゃないかと怖くなる。わたしは自分の性格をなんて意地悪なんだろうと思っているけど、意地悪どころでは済まないひどいものが自分のすみずみまでがっつりしみついていて、このような土をいくら耕したってここから生えるものはみんなだめなんじゃないか。わたしのやっていることは本当にぜんぜんだめなんじゃないか。ときどき絶望的な気持ちになる。
夕方、通販と書店さんへの荷物を送った。思ったより手間取ったし部屋もとっ散らかった。そんなにたくさん送ったわけではないんだけどたぶん要領が悪い。本の梱包とか荷造りとかがとても苦手で、何年やってんだって感じだけど本当に慣れない。引き続き腹も痛いし尻も痛い。夕飯は豚肉とチンゲンサイとえのきと春雨を炒め煮したやつとかつおのたたきと厚揚げ。
1201 今日も通販の荷物を送る。このところほとんど毎日やってるのにぜんぜん梱包うまくならないのどうなってんだ。ガムテープをまっすぐ貼るのがへたくそすぎるし本を袋詰めするのもなんかきれいにならない。手のしびれ、震えのこともあるとは思うけど、送る荷物が格好悪くてまいどほんとに恥ずかしい。お手に取ってくださった方は薄目で見てほしい…。
書店さん宛に送った荷物が届きはじめているようで、犬と街灯さん(表紙を描いてくださった谷脇栗太さんのお店)がさっそくネットショップに追加してくださっていた。ツイートを見て、ほんとにある!と驚いた。驚くって言い方はなんか変なんだけど、遠くのお店にほんとにあるんだな…と感慨深くなる。本屋lighthouseさんからも本が届いたよと連絡がきていて、ほんとに置いてもらえるんだな〜とドキドキした。書店委託はまったくの初めてではないんだけどなんかこうどうしたんだろう。 「顔たち、犬たち」関連はずっと気持ちが張り詰めている。新しい小説の本を出すときはいつもtumblrにステイトメントみたいな記事を書くんだけどそれも書けていない。言いたいことや話したいことがいっぱいあって、どっからどうしたらいいのか、やりたいことが目詰まりしている…。そうしてそんなに激重感情でやってるのに小説自体はほんとにしょ〜もない話で、よわよわおちんぽの〆切直前もそうだったけど、悲壮感を出すような作品ではないのでなんかチグハグしている。
でもこの「しょうもない話」はちょっといい傾向かなとも思っている。執筆の佳境とか書き終わる直前ってなんかこう気持ちが盛り上がってしまって、作品を「大層な話」にしたくなってしまいがちというか…。なんていうの、谷川俊太郎の「魂のいちばんおいしいところ」みたいに書きたいみたいな、高望みした欲がある。
私たちの上に広がる青空にひそむ あのあてどないものに逆らって そうしてあなたは自分でも気づかずに あなたの魂のいちばんおいしいところを 私にくれた
長めの話に時間をかけて取り組むと自分の中のそういう…純っぽいもの…?を差し出したくなってしまうというか、自分の芯を取り出したものでありたいみたいな、そういう欲がわいてしまう。やけに体重をのせてしまう。 で、最近それを回避したくて、けっこう意識的に「しょうもない話」をやっているふしがある。単純に作品がくどくなるのを避けたいのもあるし、なんかこう自分の差別心や意地悪ってそういうとこからきてるんじゃないかみたいなことも思って。これはまとまってないのでもうちょっと考える。
夕飯はおでん。夜中、ふと思い立って虐殺反対のステッカーを作った。ネットプリントにした。
12/2 ゴルフの練習に行って洗濯をして掃除機をかけた。お昼はきのうのおでんの残りとチャーカラ(チャーハン唐揚げ弁当のこと)。きのうのステッカーをプリントアウトしてみたらいい感じだった。ロボット掃除機が壊れたかもしれない件はやっと言えた。まるでいま壊れたかも?みたいな感じで言った。えもからもらった柿をジャムにした。柿プリンも作ってみたけどあんまり固まらなかった。やけに疲れてしまって2時間くらい昼寝した。寒いので夕飯は鍋。アド街を見ながら食べた。
夜中、通販などの荷造り。本を袋に入れて送るだけのことがどうしてわたしはこんなにへたくそなんだ…と散らかった部屋で途方に暮れた。毎日同じことを思っている。
12/3 プリパラプリチャンプリマジのライブ。毎年恒例の幕張メッセでのライブで、前回の幕張がついこのあいだのように感じる。一年が早すぎる。きのうの残りの鍋を食べて車で出かけた。幕張メッセの駐車場は一日千円なので、二人分の電車代やコーヒー代を考えたらこっちの方が安い。昼公演と夜公演の間の待ち時間を過ごせる場所があるのも気楽だし。スタンレーの水筒にお茶を入れて持って行った。夜になっても湯気が立った。
今年は演出がとてもよかった。とくにプリマジの各キャラクターのソロ曲、ほかのキャラクターがうしろで盛り上げてるの最高最高最高だった。庄司宇芽香さんの演じるあまね様が本当に素晴らしくてたくさん手を振った。声出しOKライブでよかった。今日の公演のためだけに髪の毛真っ赤にしてくれたのかと思うと胸がいっぱいになる。夜公演はアリーナの花道そばだったので、一回だけ目があって本当に泣いちゃうかと思った。 プリマジは9月のリーディングイベントのときも思ったけど、女性が女性にキャーキャーいうのがどまんなかにきているので本当に居心地がいい。なんていうのかな、「本来は女児向けのアニメにいわゆる大きなお友だちのオタク男性が大挙して…」みたいな感じでもないんだよな。男オタが女の子(女の子のキャラクターだったりそれを演じる若い女性の演者だったり)を愛でてやるぜ的な感じがあんまなくて、みんながキャーキャーいいながら女の人たちの格好よさ、かわいさ、楽曲のよさを喜んでいる。本当にすごい。長いシリーズを通して作品が変化しているのもあるし、観客を育ててきた感があるなーと思う。演者も客も年齢を重ねたのもあるかも。 そしてプリティーシリーズ通してだけど、ファンにセクマイが多いのをなんとなく認知してくれているように思う。もちろん演者によって濃淡はあるのでたまーに発言にハラハラすることはあるんだけど、あなたのための席がありますと言い続けてくれているシリーズだと思う。リングマリィの「コトバブーケ」は「おとぎ話の通りじゃなくても私はヒロイン」「おとぎ話の通りじゃない方が自分らしい」と始まる曲で、まっすぐ女性同士のウエディングを描いていてすごくうれしい…。それを冷やかすような反応や百合!みたいな茶化した感じの反応が今回はあんまなかった気がして(あることはあるんだけど前より減った感じで)よかった。
そして大好きな大好きな厚木那奈美さんが本当に本当に…いつも変わらずお姫さまみたいで…本当に素敵だった…。内側から光ってるんだよな…存在が光、祝福なんだと思う。厚木那奈美さんを前にするとわたしはいつも幼稚園の子どもになってしまう。厚木那奈美さんがお姫さまの国でリスとかネズミとかコロボックルとかになって暮らしたいよ…。「ブランニューガール」はミディアムテンポのちょっとセンチメンタルな曲なんだけどけっこうしっかりめの振り付けで、でも厚木那奈美さんはニコニコ笑顔で歌って踊っていて、本当に本当に宇宙に神さまに星々に絶対絶対絶対愛されているほんもののお姫さまなんだな〜!って泣いた。厚木那奈美さんの長い手足がすらーっとすーっとどこまでも伸びていって、ほんとにもう東京湾くらいなら全然余裕でまたげるんじゃないかと思う。厚木那奈美さんが微笑めば木からどんぐりが落ちてきて、リスとかネズミとかコロボックルはそれをぎゅっと抱きしめます。 厚木那奈美さん、友だちや知り合いにわたしはこの人が好きなんだよ〜って教えると「うわ好きそー」って納得されるのすごい面白い。わかりやすくどタイプ。厚木那奈美さんとかムンビョルさんとか美少女さんとか、おかわだくんはこういうスラッとした人が本当に大好きだよね…。
あと泣いたといえば、コスモさんの「君100%人生」やってくれて! 久しぶりにライブで聴けて爆泣した。君100の何がいいって、「次は負けないよ」「取り戻せ」「自信出して 元気になって」「体 心 鍛え直すよ人生」のとこ。わかりやすく励ます歌詞ではあるんだけど、それ以上に「今回は負けたよね、いろんなもの奪われたし失くしちゃったよね、自信も元気もないよね、体も心もおしまいだよね」っていうのをまんま受け止めてくれるのがすごい好き。おまえは今回負けたよねって目をそらさず認めてくれるのとても安心する。 日記やけに長くなってるからここらへんにしとくけど、小林竜之さんのアサヒの仕上がりがやばすぎてすっげーよかった。ほんとに「マジヤッベーチョースッゲー」だった。34歳男性のあの感じ最高ですわ。小林竜之さん40歳のアサヒ役ぜってえぜってえ観たいのでプリティーシリーズを今後とも応援していこうと思った。
ライブがあまりにもよかったので、やっぱプリティーシリーズミリしらアンソロやりたいな〜と思った。わたしは二次創作的なのは書けないので、「プリティーシリーズのことを考えて書いた小説」とかになっちゃうんだけど、それを本にしたい…そしてなんかいろんな人にゲスト原稿を依頼したい…すごく同人誌って感じするやつ…。いったい誰が読むんだって感じなんだけどそういう変なアンソロをやりたいよね…。 そしてウキウキの気持ちで帰ってきたらKADOKAWAがろくでもねえトランスヘイト本を刊行しようとしているのでテンションだだ下がりになった。ふざけるなよとインスタのストーリーズでキレ散らかした。
12/4 えもとなむあひさんと遊んだ。朝パン屋で待ちあわせて多摩川に行った。いい天気で冬って感じの空だった。広々していて気持ちいい。二子玉川の駅を降りてすぐこの景色なのほんといいよな。橋を渡る電車がずっとごとんごとんいっていて、遠くの橋や向こう岸で車が流れている。水や物がずっと動いている。サギがたくさんいた。白くて大きな鳥が冬の濃い青い空にたくさん舞っているのが、なんだかうそみたいにすがすがしい眺めだった。 えもから個展のDMをもらった。先々週会ったときに元の絵を見せてもらっていたけど、すごくきれいに色が出ていてほんと展示楽しみだなーと思った。あと「あいじょうぶ」ブローチももらった。「俺の愛があるから大丈夫!あいじょうぶや!」のブローチ(ナポリのすぎるのやつ)。草の上に置いて写真を撮った。 なむあひさんが「顔たち、犬たち」の感想を伝えてくださってうれしかった。なんかこうがんばって書いていきたいよな…という話をした。本を持ってきてくださったので表紙の優人さんに川を見せてあげた(?) そのあと昼から磯丸水産に行って飲んだ。トマトハイめっちゃ薄かったけど美味しかった。えもとわたしで何杯飲んだんだ…。このあいだなむあひさんと焼き鳥食べたとき、注文したはずのタコウインナーが結局来なくて、わたしはすっかり忘れていたんだけど次の日なむあひさんがそういえばタコウインナー来なかったですねって思い出していて、じゃあ今度リベンジしましょうって言ってたんだけど2週間で早くもそれが叶うの面白いな。川行って、(磯丸だけど)イカとかウインナーとか網で焼いて、実質バーベキューみたいだった。あとプリティーシリーズミリしらアンソロやりたいんですよ〜という話をした。いきなりどうしたって思ったろうな…。 夕方もっかい川に行って、あまりにも楽しくて手つないでワーイとかした。えもの手が小さくて冷たくてびっくりした。
KADOKAWAに問い合わせメール送った。刊行中止してくださいとははっきり書かず(できないだろうと思った)、なんでこういうのを出そうと思ったのか経緯を知りたかった。それで質問を送った感じ。
12/5 これぜったい乾かないよなと思いながら朝洗濯物を干して出かけた。曇っていたし寒かった。昼にチバユウスケの訃報を知って驚いた。これがきのうえもと一緒にいるときに知ったらどうだったろう。明るい川べりで知ったら、真昼間の磯丸水産で知ったらどんなふうだったろう。コンビニでコーヒーを買って小袋成彬の「Night Out」を聴いた。今日はとても寒くて、外もずっと暗かった。むかしの友だち、ミッシェルを好きだった人たちの顔がつぎつぎ浮かんだ。なんかツイートではなにも言えなくてリツイートのカウンターがまわるのをじっと見ていた。ものすごい熱心なファンとかではないけどなんかこういっぱい思い出深い…みたいな距離感だからだと思う。いま小説のあれこれでやりとりしている人や現在進行形で作品を生み出している人、みんなひとり残らずいつかいなくなるのだ…とすごく当たり前のことを思った。夜になって、長いこと連絡をとっていなかった人からチバのこと悲しいねってメールがきていた。携帯電話のキャリアメール宛で、迷惑メールかと思った。そういやこの人のLINE知らないや。そうだねみたいなことをちょっと書いて送って、それ以上はべつにやりとりしたくない気がした。これを機に旧交をあたためようなんていうのはなんかこう格好悪いだろと思った。いやこれがめっちゃ好きな人からきた連絡だったらしっぽ振って返事送るんだろうけどさ…。洗濯物は厚手の靴下がやっぱり乾いていなかった。Mリーグを見ながらキムチ鍋を食べた。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
10 notes · View notes
emeraldecheveria · 3 months
Text
月の光と海うさぎ【4】
新しい家
 新居がある隣町は、田園が広がるのどかな風景の町だった。
 父が運転する車の助手席に母、後部座席に私と美夜がいる。私は父の後ろで、美夜は母の後ろで、それぞれ窓に顔を貼りつけてその景色を見つめた。引っ越しトラックが私たちの車に後続している。
「あの家だぞ」と父が言って、私も美夜も急いでフロントガラスを向いた。ざあっと稲穂が続く中に、晴れた空と同じ水色の家があった。
 胸がどきどきしてくる。まるでルルが喜んで跳ねているみたいに。実際、心の中にあの陰気な雨は降っていなかった。出窓を見つけたように、私の胸にはさわやかな風が抜けて、爽快なほどだった。
 だって、やっとあの学校を解放されたのだ。みんなからのいじめ、先生たちの嫌味、静くんの視線からも逃げおおせた。このすがすがしい光景の町で、ようやく自由を手に入れた!
 どんどん近づくほど、新居がびっくりするほど大きな家だと気づいた。一階が車庫になって、その上に二階建ての家があって、実質三階建てだ。遠くから見えた通り壁は水色で、屋根は青、窓枠は白、コントラストがまるで大空と海原と白雲みたい。周りの稲穂の音も、本物の海みたいだった。
 ああ、そうか。海なら心配ない。私の中のルルが海うさぎなら、この家は帰ってきた場所になる。だからきっと、ルルにも友達ができる。私にも友達ができる。ここが私の居場所になるんだ。
 新居の前に到着して、大人たちが荷物を抱えていそがしく動きまわる中、私と美夜は家の中を駆けまわって探検した。
 いくつもある部屋。木目の階段。大きなベランダ。ぴかぴかのお風呂。トイレだって真っ白だ。
 何より嬉しいのは、三階に自分だけの部屋があることだった。今までは美夜と同じ部屋だったから、一気に自分が立派になったような感じがした。私も美夜も「すごい」「すごい」ばかり言うので、母の反対を押し切ってこの家を建てることにした父は、すっかり上機嫌だった。
「自分の荷物は自分でほどきなさいね」
 新築の匂いがする自分の部屋で、南向きの窓を開けていると、私の名前が書かれた段ボールが続々と運ばれてきた。私の荷物がすべて部屋につめこまれると、顔を出した母がそう言った。「うん」と私が段ボールに駆け寄り、さっそくガムテープを剥がそうとしたとき、「よかったね」と不意に母が言った。
「えっ?」
「これで、いじめられることもなくなったから」
 私は母を見た。母は目は合わせず、そそくさと隣の美夜の部屋に行ってしまった。私は手の中のガムテープを視線を落とし、気にしてくれてたんだ、と思った。
 ざざあっと潮騒のような音と共に、涼しい秋の風が舞いこんでくる。そのそよ風がするりと私の長い黒髪を揺らし、深く呼吸すると、白い天井を見上げて自分は救われたのだと思った。
 本当にそう思った。段ボールを荷ほどきしたり、住所変更の手続きをしたり、数日、学校に行かなかったあいだは。
 そのまま、学校なんて私の生活から消えてしまえばよかったのだ。でも、心が解放感で清らかになって、学校への警戒心さえ流れてしまっていた。というか、何の根拠もなく新しい学校ではうまくいくと思っていた。
 新しい中学校には、転入前に母と挨拶に行った。小さな中学校で、学年ごとにクラスはふたつしかないらしい。私は一年二組だと告げられた。田舎なので、特に高齢化で子供が町から減っている。そのため、学校の生徒数も少ないらしく、「でもそのぶんアットホームなんでね」と校長先生はにっこりした。私はその言葉を信じて、ここなら大丈夫そうだと改めて安心した。
 アットホーム。確かにそうだったかもしれない。物は言いようだ。
 私は分かっていなかった。町にひとつしかない幼稚園、小学校、そして中学校に、エスカレーター式でもないのに一緒に進学してきた子たち。それはひとつの家族であるように、とても密接な関係を作っていた。そのぶん、ホーム外のよそ者に対しては──その危険性を、私はまだ知らなかった。
 転校初日、私は黒板の前で丁寧に教室に向かって挨拶したし、できる限りの笑顔だって頑張れたと思う。転校生に奇妙なムードがあるのは、前の学校を去るとき、女の子たちが泣いたことで分かっている。きっとこちらの学校でも、あの空気に押されて誰か私に話しかけてくれるはずだ。
 そわそわしていると一時間目が終わり、休み時間になった。ちゃんと答えられるかな。言い間違えたりしませんように。そんな心配をしていると、十分間の休み時間はあっという間に過ぎた。
 あれ、と顔をあげて、ふと私は、教室でひとりだけ「違う」ことに気がついた。その違和感が、微妙な被膜を作っていることも。
 二時間目が終わっても、私に近づいてくる子はいなかった。無視されているわけではないようだ。みんなのほうも違和感を感じ取っている。そして、どうしたらいいのか分からないというふうに遠巻きに私を見る。
 目が合ったら慌ててそらされるので、私から話しかける勇気も持てなかった。だいたい、こちらからみんなに言えることなんて、朝の挨拶で言ってしまった。だから、今度はそれに対してみんなが好奇心を持って尋ねてくれないと、私は誰に何を言えばいいのか分からない。
「え、えーと……み、光谷さん?」
 味わうゆとりもなかった給食のあと、昼休みになって、ようやくそんな女の子の声がかかってきた。自分の席で、つくえに伏せって寝たふりすらできずに固まっていた私は、はたと振り返る。
 天然パーマっぽい長い髪なのに、どこかおどおどした雰囲気のせいで地味な女の子が、私のかたわらに立っていた。彼女が笑うと、乱杭歯が覗いて、私はぎこちない表情になって「はい」とだけ答えた。
「あ、あの、校内を、あ、案内……させてもらって、いい、かな?」
 私はまばたきをして、確かにそれはしてもらわないと困るな、と思った。「お願いします」とうなずくと、「う、うん。じゃ、行こう」と彼女は教室のドアをしめした。
 私は席を立ち、彼女についていく。くすくすという笑い声が聞こえた気がした。けれど、ちらと振り返っても、そんなふうに嗤っている人はいっけん見当たらなかった。
 彼女は金子さんというらしい。並んで廊下を歩いていると、「お前、ドーモが感染るぞ」と揶揄ってきた男の子がいた。
 どうも? 別にそんな挨拶はされなかったけど。そう思って私は首を傾げたものの、やたらと「ドーモじゃん」「うわ、ドーモ」と言われている金子さんが、どうやらこの学校で“生け贄”の立場にあることは察した。
 それでも、一生懸命に話しかけてくれるから、私も緊張しつつ金子さんの質問に答えた。前に通っていた学校のこと。おろしたばかりのここの制服のこと。質問されることにただ答えていた。頭が素早くまわっていなくても、おかしなことも悪いことも言わなかったと思う。
 なのに、広くない校内をまわって教室に戻ると、金子さんはすっと私を離れて、教室にいた女子グループに私の返答を報告しはじめた。ときどき笑い声が聞こえて、私は急に冷たい手に心臓をつかまれたように、ひやりと不安を覚えた。
 あとで分かってくることだけど、金子さんは吃音があって、「どもる」から「ドーモ」と呼ばれているらしい。察知の通り、やはりみんなにいじめられていた。そして、私の情報を流して、いじめっこのグループの仲間になろうとしていたみたいだった。
 ちなみに、こちらのほうが田舎町のせいか、勉強の進みが遅かった。前の学校でどこまで進んでいたか訊いてきた数学の先生は、「みんな分からないことは光谷に訊くといいぞ」とかとんでもないことを言った。
 学校の勉強は進んでいても、私はそれに追いつけていなかった生徒だ。その先生は何を調子に乗っているのか、授業中に問題を答える挙手がないと、集中的に私を当てて「光谷なら分かるよな?」と黒板に呼んだ。
 しかし、当然ながら私はまったく分からない。いくら当てられても、決まって答えられない。脳が張りつめて吐き気がして、「分かりません」の声さえ出なかった。
「あいつ、頭悪いんじゃねえの」
 そんなささやきは一気にクラスに伝染した。あっという間に、私は頭の悪い無口な子だとうわさを立てられた。
 ちなみに、金子さんは私の情報を使ってもいじめっこグループに昇格はできなかった。それでも、いちいち私に話しかけてきて、それを女の子たちに報告することはやめなかった。教室で失笑が聞こえてくると、私はびくりとすくみそうになった。
 教室になじめることがないまま、長く厳しい冬に入った。二学期が終わる直前、その日も私は心の中にもやもやしたものを抱えながら帰宅した。
 空は灰色で、すぐにでもあたりは暗くなりそうだ。収穫まで豊かだった田園は、今は耕耘されて土が剥き出しだった。周りに何もないぶん、吹き抜ける風音がすごい。
 家に入る前にポストを覗いた。新聞の下に藍色の封筒がある。手紙かな、と手に取ってみると、私宛てだった。誰だろう、と裏返して差出人を確認し、目を開く。
『山田静司』
 静……くん? え、何で。ここの住所は教えずに引っ越したのに。
 とっさに、私を見つめていた静くんの目がよみがえる。じわりと気分が悪くなった。何だろう、いまさら。何も言わずに引っ越したんだから、いい加減つきまとうなって意味だって察してよ。
 びゅうっと寒風が長い髪と紺のスカートを巻き上げ、刺すような冷えこみで我に返る。気味が悪いと思いつつ、一応、静くんの手紙はポケットに入れた。インクのにおいが濃い新聞も腕に抱え、暖房と石油ストーブで暖まった家に入る。
 今夜の夕食が決まらないのか、母はキッチンにまだ立たず、リビングのソファでレシピ本を見ていた。「ただいま」と声をかけると、こちらに顔を向けた母は「おかえり」と返す。
 私は新聞を座卓に置き、「美夜は?」とリビングだけでなく見渡せるダイニングにも目を向ける。
「友達の家に遊びに行ったわよ」
 友達。……そっか。そうだよね。できるよね、友達。
 母は私のそんな内心を読んだのかどうか、本を膝に置いた。
「希夜は友達できたの?」
「え……、あ、話す……人は、いるよ」
 その人は、私の発言を全部、クラスを牛耳るグループに報告しているけど。
「そうなの。いつでもここに連れてきなさいね」
 気まずくて黙ってうなずき、「宿題しなきゃ」とその場を離れた。冷たい爪先で階段をのぼり、自分の部屋に入ると、ほっとしたぶんだけ憂鬱が押し寄せる。
 何なの。母も分かっているくせに。どうせ私に友達なんかいない。なのに、何で美夜と較べるみたいに訊いてくるの。
 ため息をついて、板張りのドアにもたれる。寒いな、と思ってもストーブまでの数歩さえだるい。
 そういえば、とポケットに手を突っ込んで、くしゃっと触れた手紙を取り出した。ぼんやりした目つきで、不器用な文字による自分の名前を見つめる。
 捨てようかな。あるいは、ポストに返そうか。そうも思ったものの、小さく息をついて封を切った。淡い水色にグレーの罫線が引かれただけのシンプルな便箋に、あんまり綺麗じゃない字が並んでいる。
『希夜ちゃんへ
 いきなり手紙なんて書いてごめんなさい。
 住所は野中さんにききました。
 僕にも教えてほしかったけど、急な転校だったみたいなので、仕方ないですね。
 そっちでは元気に過ごしていますか?
 希夜ちゃんが、今までみたいな思いをしてないといいなと思います。
 僕は相変わらずですが、大丈夫です。
 希夜ちゃんに言われた通り、何をされても強くなりたい。
 でも、希夜ちゃんがそばにいないのは、我慢できないくらい寂しいです。
 もしこっちに来ることがあったら教えてください。
 会いたいです。
 静司』
 私は眉をゆがめると、便箋をたたんで封筒にしまった。
 何だろう。何でそう思うのか分からないけど、喉の奥に水疱ができたような不愉快がせりあげてきた。
 何というか、……気持ち悪い。野中さんも、ただで静くんに住所を教えたわけではないだろう。そこまでして、私の住所を調べて、手紙なんて──気持ち悪い。
 手紙は、ゴミ箱にこそやらなかったものの、本棚の使っていない引き出しに投げこんだ。返事を書く気はなかった。また手紙は来るかもしれない。だが私が無視していれば、いくら静くんでも、いつかあきらめて一方的な手紙なんてやめるはずだ。普通に考えて、気が引けてくるだろう。私が好きなら、迷惑はかけないでほしい。
 ようやくストーブをつけて、冷え切っている部屋を暖めた。制服のままでストーブの前に座り、熱で赤く灯る光を見つめる。冷たくこわばる頬が、その光に染まって溶けていく。
 私は教室で、みんな──金子さん以外には、遠くから眺められているだけだ。何をされているというわけではない。確かに友達はいない。しかしべつだんいじめもない。なのに、こんなにも胸がもやもやして、学校に行くことが息苦しい。
 同じ種類のものを感じるのだ。教室にいると、前の学校でけして溶けこめなかった自分ばかり思い出す。深い深い水中で、一滴の油になってしまったみたいだ。
 石を投げつけられないか、教科書を破られていないか、そんな心配ばかりしてしまう。誰も私に近づいたりしない。こんなの自意識過剰だ。はちきれそうな不安を、そう思って抑えようとしても、カマイタチのような鉤爪が腫瘍をつぶし、恐怖が膿のようにどろりとあふれる。
 まもなく、冬休みになった。雪が降り積もる中で年を越し、三学期が始まった。相変わらずだった。私は勉強ができなくて、そのことを男子はバカにして嗤い、金子さんは私にあれこれ訊いて、報告された女子グループはくすくすと嗤う。
 ��んな毎日に、私はまた、朝���きてふとんから出るという習慣がつらくなっていった。母が再びいらいらしはじめているのは分かったけど、朝の通学路をとぼとぼ歩いていると、心が締めつけられてルルの軆が強直するのも感じるのだ。
 こんなのダメ。私の心に棲むこの子を怖がらせてはいけない。この子が「つらい」と感じたら、私の精神はまた暗く冷たく沈んでいく。
 二年生になったら、クラス替えがある。そうしたら、何か変わるのかな。でも、それって状況が好転するの? あるいは悪化するの? この学校の人はみんな家族だ。そして私はよそ者だ。それは揺るぎなく、変わることはない。
 この狭い中学校において、私は招かれざる客なのだ。きっと二年生になったって一緒だ。身内で和気あいあいとしていたい一家は、居座る私に白い目を向け、とっとと去って消えろと訴えてくるに違いない。
Tumblr media
【前話へ/次話へ】
2 notes · View notes