#幼稚園バス
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送迎バス取り付け義務化 関西地区近県出張取り付け可能です。 #置き去り防止 #送迎バス #保育園 #義務化 #置き去り防止装置 #園児 #幼稚園バス #ホーネット置き去り防止 #加藤電機 #mirion.jp/okizari https://www.instagram.com/p/CovbNFJyhqP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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「このままではヤバい…」各地で路線バスが崩壊寸前…いったいなぜ?【#みんなのギモン】 - ��事詳細|Infoseekニュース
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私は25年バス運転士を続けて来ましたが、2年前に退職しました。
主に大型バスで路線バス・観光バス・貸し切りバス等全般運転。
班長で2つの営業所の路線も運転してきました。
大手鉄道会社だったのでダイヤ数は平日、土日祝日をあわせて200ダイヤ近くありました。
勤務ダイヤの改善や運行管理者、新人教育までしました。
辞めて行く人の理由をこんなに不思議がられても困ります。
運行ダイヤは会社が決めます。はっきり言って道が空いてても間に合わない設定にされていました。
駅周辺に車が押し寄せてくる時期には駅前から幹線道路に出るまで30分掛ったこともあります。
県境位遠い終点に行くバスを運転している時は最大2時間遅れたこともあります。
挽回する余地は全くありません。休憩も取れなくて食事も抜きで走りっぱなしのこともありました。
兎に角道路に車が溢れています。バスレーンなんか守るどころかバス停に平気で駐車する輩も多い。
それに加えてクレーマーならまだしも喧嘩を売って来る客も多数いましたし、やってられんと言う感じになりますわな。
小泉政権の時にバス5台あれば、バス会社が作れるようになってから、やたらバス会社が増えて運賃の値下げ合戦が始まると仕事の取り合いみたいになり、例えば観光バスを借りるのに10万円だったのが5万円に下がる、そうなると当然私どもの給料もどんどん下がって行きました。
勤続年数と役職の高い運転士は1000万円近くもありました。
今では三分の一位しかありません。
仕事がきつくて給料が安ければ皆やめたくなりますよ
入って1週間で辞めた人もいたし、無断欠勤を繰り返して転職する人もいた・・・
仕事終わって車庫に帰って料��箱精算後洗車したり、ほうきで掃いたり、窓ガラスを拭いたり、コロナの最盛期には室内消毒までしていました。
どこかの幼稚園で降車確認しないで園児を閉じ込めて死なせた奴がいたが、私どもはいちいち終点に着く度に忘れ物はないか確認したり、寝ている客を起こしたりするのは当然のこと。
乗っているか乗っていないかのレベルじゃないだろうが、怒りが込み上げてくる。
言えばキリがないが、テレビ局は気楽なものでなぜ運転士不足になっているのか核心を掴んでいないのには呆れ果てる。
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バスで幼稚園生くらいの女の子に指差されて「カッコイイ〜!」って言われたんだけど、お母さんが小声で「カッコよくないでしょ」って叱ってた — 無柄 (@Gouhou_Drug) August 15, 2019
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2024.09.28
10月に地元で会う約束をしているYから、彼女の好きな小説家のサイン本を買ってきてほしいと頼まれた。それで、今日の昼から池袋の本屋を回ったけれど、どの店でもとうに売り切れているようだった。時間を持て余して、大学図書館へ向かう。
大学時代の同級生と数年に一度出している同人誌の次号を、今年の12月に発刊することになった。私はもう短歌をやりたくなく、短歌以外に何を出せばいいのかも分からない。そのまま同人誌用には何も書かないで過ごしていたのだけれど、主宰が面白がったので、数日前に書いた自室の記録を加筆修正して寄稿することにした。卒業生カードで入館し、しばらく文章を直していた。こども園で働くFさんを幼稚園教諭と呼ぶことが正しいか分からず、「あなたの職業って何て書くのが正しい?」とメッセージを送る。正式には保育教諭というのだと教えてくれた後「カリスマ保育教諭とか?」とおどけた台詞を付け足すのがFさんらしかった。
ペンを持つ右手が疲れてからは散歩に出かけた。好きな本屋を経由して、自由学園明日館へ行った。正面入口に着くと「“本日は結婚式で貸し切りのため外観のみの見学”ですって、あらあ、おめでとうございます」と看板を読み上げている人がいた。その声色に少しの落胆も滲んでいないことが良かった。芝生や窓を眺めて、売店でポストカードを1枚買った。
明日館を出てから、Hと落ち合うまでを東京芸術劇場で過ごした。その場所で長い時間を過ごすのは、大学の入学式以来だった。地下1階から最上階までを目的もなく往復して、何枚か写真を撮った。最近はカメラを持つのが楽しくて、写真を撮っては投稿している。その頻度を自覚すると、自分の饒舌さに嫌気が差してくるので、記録しておきたい写真を一度に残すためにこれを書いている。この投稿は写真まみれです。
芸劇の椅子に座っていると、目の前のエスカレーターで降りてくるHと目が合い、手を振る。外では何かのお祭が開かれていて、その賑やかさから逃げるように東へ向かった。目的地とした喫茶店が閉まっているのを確認し、散歩に切り替える。テーブルと椅子を外に出しているミニストップを見つけ、カフェオレを買ってそこに腰かけた。テーブルを指差しながら「いい店知ってるんだよね」と自慢げに話すと「ダセ~」と笑われた。京都のお土産を渡した。Hと一緒に暮らすWさんの分も含めて、少し量の多いお香にした。
今日は曇り空で、街全体が白く見える日だった。電線や工事現場の壁が落書きのように浮いていた。途中、ワインの空き瓶を入口に並べている店があり、「テイクフリーかな」とふざけると「喧嘩用じゃない?」と返される。酒瓶を持って殴り合うジェスチャーをする。
都電荒川線の駅に行き着き、降りる駅も決めずに乗車する。「電車というよりは線路を移動するバスと呼ぶほうが近いね」と話しながら、googleマップ上で路線をなぞる。飛鳥山公園という場所に城のような山型遊具があることを知り、そこを目的地とした。
飛鳥山公園は、とても良い公園だった。目的としていた城は、遊具と呼ぶには気が引けるほど大きかった。かつて実際に走っていたらしいSLや子供用の船、頭を垂れた幾種もの動物たち、遊びきれないほどの遊具があった。すべり台よりも象が主体になっている遊具を見て、三崎亜記の『象さんすべり台のある街』という短編を思い出した。城の中で遊びたかったけれど、子供やその親たちが楽しそうにしているのを邪魔したくなく、また違う時間帯の様子を見たかったこともあって、「夜にまた来ましょう」と決めて公園を出た。
喫茶店で一杯ずつ��を飲み、Hの喫煙のために王子駅まで歩く。Hが「めっちゃ良い公園だったな」と呟くので「過去形にしないで」と返すと、「めっちゃ良い公園であり続けるだろうな」と訂正してくれる。それがツボに入り、しばらく笑っていた。私と同じくHもこの街が気に入ったらしく、「ここは住み良いのかな」と引越しまで検討しているようだった。
日の暮れたころに公園へ戻ると、昼にいた子供たちは姿を消していて、代わりに大学生くらいの年頃の集団が点在していた。うち1つのグループが手持ち花火をしていて、遠くからその火を眺めていた。城の中へも入って、物見へ立ってみたり、すべり台で遊んでみたりした。ずっと楽しかった。もう営業終了していたけれど、小さなモノレールの駅もあった。“飛鳥山山頂駅”と看板の出ているのを見つけて、「下は��麓駅”なのかな」とHが言うのを確かめに行くと、“公園入口駅”と掲げられていた。冬にも来たいね、早朝も良いだろうね、ここで花見をしたら楽しいだろうね、と話をした。どの季節のどの時間にも、自分たちの楽しそうにしている様子が想像できた。
Hと別れて部屋に戻り、撮った写真を眺めていた。動物たちの写真を見て、新しい部屋でここへ来たいと思う。皆それぞれ好きな動物がいて、その動物たちと彼らとが近くにいるのを見たかった。「いつかみんなで行きたいです」とメッセージを書きながら、象は何頭かいたけれど、イルカはいなかったことを思い出す。オットセイはいた。城の写真も併せて送ると、Rさんから「籠城したい」と返信があり、それがRさんらしくて好きだった。
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今日の午前は、2週間に一度のお楽しみ、漢方薬局へ行ってきた。
2週間分の食事と生活を記入した用紙を提出して、InBodyで測定、それからカウンセリングを受けて漢方薬を調合してもらいます。
太陽のように明るい先生と話す時間と、私だけの漢方薬ができるのを待つ時間が好き。
先生は、「 親のことや子供のこと、いろいろあるけどまずは自分だよ^^ 」っていつも言ってくれる。
一日三回、とても美味しいとは言えない漢方薬を飲む時間を、自分だけの贅沢な時間として楽しんでいます。効果も出てきて嬉しい☺️
午後は息子たちの学校で三者懇談。
襟のついた服に着替えて、シンプルなバッグに持ち替えて行ってきました。低身長でカエル顔の私は、意識的にまともに見える格好をしていないと「親っぽくない」と言われてしまいます。見た目の説得力を軽視したくないので、そこは努力を惜しみません。
進路の話をしてきました。来年は大学生になって、私たちの元を離れて暮らしてるんだろうな。想像もつかない。大丈夫かしら私。
初めて幼稚園の慣らし保育に送り出した時、バスを見送ってから帰ってくるまで寂しくて心配で泣き続けた私は、あの頃よりどっしりとした母親になれているかな。
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魔法じかけの林檎
誰もがその林檎を欲しいと思ったけど
千鈴��林檎しか食べない。どんな食事を用意しても食べないのに、林檎を切ってあげると、それは食べる。だから、お見舞いのときは、私は必ず林檎を持っていく。
精神病棟だから病室には行けない。けれど、看護師さんに手を取られて、千鈴は面会室には現れる。精彩のない無表情でソファに座る。待っているあいだに切り分けた林檎を並べたお皿を、私は千鈴の前に置く。
その甘い香りか、お皿を置いた音か、それは分からないけど、千鈴は林檎に目を落とし、ひと切れ、手に取る。そして、言葉はなく、しゃり、しゃり、とゆっくり林檎を食べていく。
姉の千鈴。妹の五鈴。私たちは、十三年前に一卵性のふたごとして生まれた。
幼い頃は、ふわふわのカールの髪に結ぶ、色違いのリボンが見分けるコツだった。それと、泣いているのはたいてい私で、褒められているのはたいてい千鈴。
千鈴は泣き虫の私を揶揄ったりもしたけど、けして意地悪ではなかったし、優しい姉だった。私は、よく千鈴のあとを追いかけて走っていた。私たちの毎日が壊れた、あの日もそうだった。
ふたごって何かかわいいねと言われながら、同じ小学校に上がった春だった。私たちは一緒に下校していた。
にぶくて泣き虫な私をまた揶揄って、千鈴は駆け足で先を走っていた。春風に、千鈴の髪を結う白いリボンがひるがえった。ひと気が減ってきた角を曲がり、「千鈴、待って」と息を切らす青いリボンの私は顔を上げ、はっと立ち止まった。
こちらを振り返って笑っている千鈴のすぐ背後に、知らない男の人が立っていた。私は千鈴の名前を叫ぼうとした。遅かった。男の人は、強引に千鈴を抱え上げ、そのまま路地に駆けこんでしまった。
茫然とする私の耳に届いたのは、服を引き裂く音、千鈴の泣き声、男の人の荒い息──
そのとき、偶然同じクラスの男の子たちが通りかかって、私は泣きながら千鈴が引きこまれた路地を指さした。私は何もできなくて、男の子たちが声を上げたり、大人を呼んだりしてくれた。
けれど、千鈴の心にはすべてが手遅れだった。その日から千鈴は、感情も記憶も喪失した、息をしているだけの人形のようになった。外出はもちろん、家庭で過ごすことさえ困難と診断され、精神病棟で過ごしていくことになった。
しばらく、千鈴は何も食べなかった。点滴で栄養を摂っていても、見る見る痩せていった。ふっくらした薔薇色の頬は蒼くこけて、腕も脚も折れそうになって、しっとり白��った肌もぱさぱさになっていった。
そんな千鈴を見るのをつらいと言い出したのは、私より両親が先だった。何かと言い訳をつけ、千鈴のお見舞いに行かなくなった。私が千鈴に会いたいとせがむと、「病気が伝染って人形になるから」とおとうさんは目をそらした。おかあさんは「千鈴のぶんまで、いい子にしてね」と虚ろな瞳で私の頭を撫でた。
それでも私は、千鈴に会いたかったから、そばにいたかったから、お小遣いを全部交通費に当て、両親には「友達と遊んでくる」と言って、こっそり千鈴のお見舞いに行った。
私と千鈴が幼稚園の頃に読んだ、子供向けにした神話の絵本の中に、こんな話があった。どんな病も傷も治す、魔法の林檎を果樹園で守る女の子がいた。彼女は、林檎を盗みにきた泥棒に殺されてしまった。その死を哀しんだ女神様によって、彼女は花のすがたとして生まれ変わった──
魔法の林檎は、半分食べれば、どんな病気も癒える。全部食べれば、永遠に若く生きられる。そんな、不思議な黄金の林檎。
ひとりになってしまった部屋で、その絵本を読み返した私は、その林檎が欲しいと思った。林檎が心まで癒すかは分からなかったけど、そんな魔法に頼らないと、千鈴は壊れてしまうのではないかと怖かった。
「ねえ、千鈴」
季節はあっという間に巡り、着こんだコートのポケットに、懐炉を入れておく冬になっていた。吐く息が白く、雪が舞う日も多かった。
家から駅まで歩いて、病院の送迎バスが来る駅までふた駅。ありがたいことに、マイクロバスの利用は無料だった。私はその日、お年玉をもらってお金があったので、千鈴のお見舞いに差し入れを持ってきていた。
「お花に生まれ変わった女の子のお話、憶えてる? もしあの子が魔法の林檎を食べてたら、殺されても死ななかったよねって一緒に話したよね。だからね、千鈴も林檎を食べたらつらくても咲えるかもしれないって、今日は林檎を持ってきたの」
かたわらに置いていたビニールぶくろから、駅前のスーパーで買ってきた林檎を取り出した。千鈴がめずらしく、ゆっくりとだけど視線を動かし、それを見た。私は精一杯咲って、「ちょっとでも食べよう」と千鈴の手に林檎を持たせた。
「林檎を食べたら、千鈴にも治る魔法がかかるから」
千鈴は何も言わなかった。でも、それから、林檎だけは食べてくれるようになった。
それが、千鈴の必死の声だったのだと思う。本当は千鈴も、食べたいし、しゃべりたいし、咲いたいのだ。でも、できない。あの体験がおぞましく焼きついて、自分を思い通りに動かせない。
いつか心が癒えるように、掠奪された自分を取り返して傷を乗り越えられるように、千鈴は願いをこめて林檎を食べた。
「……千鈴だったら、こんな間違いしないのに」
一方、千鈴が欠けた家庭で、おかあさんの態度がおかしくなりはじめたのは、事件から一年が過ぎた頃だった。
私のテストの答案を見ていたおかあさんが、ふとそんなことをつぶやいた。「えっ」と私がちゃんと聞き取れずに問い返すと、おかあさんは突然、答案用紙をびりっと音を立てて破った。
「千鈴なら、こんなテストぐらい百点が取れるでしょう!」
言われていることがとっさに分からず、ぽかんとおかあさんを見た。おかあさんはゆがんだ顔を覆って、フローリングにくずおれて、わっと泣き出した。どくどくとあふれる涙で、床に散らばった不正解だった私の字がふやけていった。
私はしばし突っ立ってしまったけど、「おかあさん」とこわごわその肩に手を置いた。おかあさんはその手を振りはらって、「あんたなんかいらない!」と金切り声で叫んだ。
「千鈴! 千鈴を返して‼ 私のかわいかった千鈴はどこなの、ねえ、どこに行ってしまったの!」
私ははたかれた右手を握りしめ、視線をとまどわせた。おかあさんは、砕けたガラスみたいに床に這いつくばって泣いている。その嗚咽に、千鈴の名前が混じる。
私なんかいなかったみたいに。自分の娘は千鈴だけであるみたいに。
ああ、おかあさんは千鈴に会いたいんだ。いつでも会える私なんか、どうでもいいんだ。おかあさんに必要なのは、一年前まで、無邪気に咲って、当たり前に私たちの中にいた、健やかな千鈴──
「ほ……ほんとに、五鈴は、ダメだよね」
何で、そんなことを言ってしまったのか分からない。
「私からも、五鈴にこれくらいできないとって、しかっておくから」
それが幼い頭でやっと考えついた、発狂しそうなおかあさんのなだめ方だったのかもしれない。
「おかあさん、泣かないで」
おかあさんが震えながら泣きやんで、鼻をすすって顔を上げた。
「私はここにいるよ」
おかあさんが手を伸ばし、私の頬に触れた。
「千鈴……?」
私はおかあさんに向かって微笑み、うなずいた。その拍子、おかあさんは私を抱きしめて、また泣き出した。
でも、耳にきりきりする、痛ましい泣き方ではなかった。安堵で声をつまらせ、やっと家にたどりついた子供のような慟哭だった。
こんなに、おかあさんは千鈴を探していたのか。傷ついてしまう前の千鈴を求めていたのか。
だったら、私にできることはひとつだ。おかあさんの前では、私は千鈴を演じる。千鈴のふたごの片割れである私にしか、それはできない。
千鈴がいなくては、おかあさんが壊れてしまう。だから、千鈴が治るまでは、帰ってくるまでは、おかあさんの前では私が千鈴になる。
「五鈴は……つらいかもしれないけど」
その夜、おとうさんが帰宅する頃にはおかあさんは泣き疲れて、リビングのソファで眠っていた。「『千鈴だよ』って言ったら、おかあさん、すごくほっとしてくれたの」と私がつたなく説明すると、おとうさんは言葉を失くしたものの、私の頭に大きな手を置いて言った。
「おかあさんの前では、千鈴でいてくれるかな」
「うん。おとうさんも、私のこと五鈴って呼んじゃダメだよ」
「……ごめんな、五鈴」
「千鈴、だよ」
「ごめん、……ごめん千鈴。守ってやれなくて、本当にごめん──」
おとうさんにぎゅっとされて、スーツの糊の匂いの中で、「大丈夫だよ」と私は言った。
その言葉が、五鈴としてだったのか、千鈴としてだったのかは、分からない。おとうさんの腕に力がこもったのも、五鈴に対してだったのか、千鈴に対してだったのか、分からなかった。
それから、私は家庭では千鈴を演じるようになった。千鈴のように勉強も運動も、口調も身だしなみも頑張った。「五鈴」はいなくなったわけではなく、いつも偶然その場にいないかのように振る舞われた。私だけでは修復しなかった家庭が、私が千鈴になることで、少しずつ明るくなっていった。
もちろん、私を「千鈴」と呼んで、買い物に行けるようにもなったおかあさんについて、近所の人は怪訝そうにひそひそ話をした。私がひとりのとき、「無事だったのは五鈴ちゃんよね?」と心配そうに声をかけられることもあった。私はあやふやに咲ってかわし、家に駆けこんで、おかあさんに百点を取ったテストを見せた。おかあさんの穏やかな笑顔が、私のきしみそうになる心を支えた。
本物の千鈴のお見舞いに行くのは、相変わらず私だけだった。家のことを、千鈴には話したほうがいいのかと思ったけど、刺激を与える話は先生を通してからと看護師さんに言われていた。
近所の人の訝る目を思い出し、あんまりお医者さんには言いたくないなと思った。やっと見つけた落ち着く手段を、やめたほうがいいとか言われたくない。
千鈴は事切れた瞳のまま、静かに林檎を食べている。私たちは、いつ千鈴が帰ってきてもいいようにしているだけ。だけど、千鈴が戻ってきたら、私はどうなるのだろう。
どんどん希薄になっていく五鈴という私は、まだあの家に存在しているのだろうか。帰ってきてほしいと思って、私だけがこうして本物の千鈴を見捨てていないのに、千鈴が帰ってきたら、きっと私が一番報われない。
私が演じる千鈴は、周りの理想を裏切らないように、美しく築かれていった。言葉ひとつ、仕草ひとつ、細心の注意で千鈴らしくした。千鈴以上に千鈴だったかもしれない。
おかあさんが外では私を「千鈴」と呼ぶし、家に来たクラスメイトたちは、「あれ……五鈴ちゃんだっけ? 千鈴ちゃんだっけ?」と混乱して、いつのまにか「えーっと、千鈴ちゃんだよね!」と思いこんでいった。
テストや教科書に名前を書くときも「千鈴」と書いた。さすがに本名を把握している先生たちは、最初は「え?」という顔をするものの、私もクラスメイトも──何より親が「あの子は千鈴ですよ」と言うので、触れてはいけない、あるいは関わりたくないと思うらしく、次第に何も言わなくなった。
私は人前では淑やかに咲う反面、部屋でひとりになると、自分の鼓動がうるさくて過呼吸になるときがあった。
私は綺麗。私はいい子。私は──違う、全部千鈴だ。綺麗なのは千鈴。いい子なのは千鈴。じゃあ私は? 私は何なの? 私はどこに行ったの?
千鈴の偽物として生活していて、私自身の価値はどうなってしまったの?
どんなに演じても、千鈴本人になれることもないのに、なぜ私は不毛な嘘をまとっているの?
千鈴として咲うほど、私は咲えなくなっていく。千鈴として振る舞うほど、私は何も感じなくなっていく。
自分を切り崩していく中で、中学生になった。最近の公立中学は物騒だからと私立に進んだ。私を千鈴としてあつかうことは、ご家庭の事情があるから、と小学校の先生が伝えたらしい。生徒証などの公的な書類になるもの以外では、私は千鈴として通った。
葉桜の緑が鮮やかな五月、一年生の中間考査では首席を取れた。ほっとして貼り出しから教室に戻ろうとしたとき、「あ、おいっ」という声がして肩をつかまれた。
私は立ち止まって振り返り、そこにいたブレザーの男の子に首をかしげた。黒いさらさらとした髪、まだ童顔の大きな瞳、誰なのか心当たりはなかった。けど、「千鈴なのか?」と声変わりもしていない声が言う。私は貼り出しにある名前が、千鈴であるのを一瞥した。
「……そう、だけど」
「えっと……元気にしてたか」
「ええと、あなた──」
「洋介だよ。谷村洋介。その、……あのとき、妹のほうが俺とか和義を呼び止めて。俺は、学校まで先生を呼びに行ったんだけど」
私はその男の子を見つめた。引っかかる記憶はなかった。
あのとき、どんな男の子たちに声をかけたかもよく憶えていない。クラスメイトではあったはずだけど、特に彼に印象はない。
「ちゃんと、学校にも来れるようになったんだな」
「……もうずいぶん経ったから」
「そうか。あ、千鈴は何組なんだ?」
「A組よ」
「すげ、進学クラスじゃん。俺は一般のC組だけど、また今度、ゆっくり話でもできたら」
「そうね」
「よかった、ちゃんと生活できるようになったなら。ずっと心配してたんだ」
洋介くんは優しく微笑むと、「じゃあ」とそばにあった階段を降りていった。妹のほう。五鈴のことは、名前さえ出てこないのだろうか。
それから、ときおり洋介くんが声をかけてきて、私たちは話をするときがあった。この人、千鈴が好きなのかな。そう気づくまでに、時間はかからなかった。
幼い頃からの想いなのだろうか。再会して始まった恋心だろうか。
後者だとしたら、君が好きになったのは千鈴じゃなくて五鈴なんだよ、と伝えたい心がふくれあがってきた。幼い頃からの気持ちだったとしても、それなら彼には、本物の千鈴のことを言っておきたかった。
どうして、本当のことを知ってもらいたいと思うのだろう。知られたところで、状況をかき乱すだけなのに。
梅雨の合間に晴れた日、雨粒が芝生できらきらする中庭のベンチで、洋介くんとお昼を過ごしていた。洋介くんはお弁当を食べはじめていたけど、私はお弁当ぶくろを膝に置き、躊躇っていた。「食べないのか?」と言われて、曖昧にうなずいた私は、気を引き締めて洋介くんを向いた。
「あのね、洋介くんに知っていてほしいことがあるの」
「ん、何だよ」
「……これ、なんだけど」
私は胸ポケットから生徒手帳を取り出し、生徒証のページを開いて、洋介くんに渡した。洋介くんはそれを受け取り、怪訝そうにページを見つめた。
「これが?」
「名前を見てほしいの」
「名前──」
洋介くんの目が、そこに記される私の名前をたどった。まぶたが押し上げられる。
「え……これ、五鈴って」
「私ね、ほんとは五鈴なの」
「は?」
「みんな千鈴だって思いこんでるけど、私もそう思われるように千鈴を演じてるけど、違うの。私は五鈴──」
「え……ちょっと、待てよ。演じてるって、じゃあ、ほんとの千鈴は?」
「千鈴、は──」
「てか、わけ分かんねえし。何でそんな演技してんだよ」
「ち、千鈴を演じないと、誰も私なんか見ない、し」
「はあっ? 千鈴はあんなことがあったんだぞ⁉ お前なんかどうでもよくなるのが普通だろ。……くそっ、最低じゃないか」
最低? 私が? 何で?
ぽかんとしてしまうと、洋介くんは忌ま忌ましそうに立ち上がって、中庭を出ていってしまった。私はそれを見送り、本当にわけが分からなくて、洋介くんの反応が正常なのか異常なのかさえ判断できなかった。
だって、私が千鈴にならないと、大人たちはまるで歯車が合わなかったじゃない。なのに、私が間違いだったの?
そのとき、突然気づいた。魔法の林檎になっているのは、私なのだ。おかあさんにとって。おとうさんにとって。あの事件から目をそらしたい人、すべてにとって。
私という林檎が、麻薬のようにみんなの意識をごまかし、ひととき忘れさせて、麻痺させている。私が千鈴になることで、千鈴が傷つけられた事実はゆがめられ、偽りの安心をみんなに与えている。
やがて、太陽が白光する夏が来た。季節外れでちょっと高い林檎を買って、私はまた千鈴のお見舞いに行った。
千鈴は林檎を食べる。しゃく、と噛み砕く音と共にこぼれる甘酸っぱい香りに、私は涙が出てくる。
このままでは、私が壊れてしまう。私が見せる幻覚は、薬でなく毒だ。そんな調和は、今すぐやめないといけない。
ふと、口元に冷たい酸味が触れた。はっとすると、虚ろな表情のままだったけど、千鈴が私の口に林檎を分けようとしていた。私は千鈴の瞳を見つめ、久しぶりに、五鈴として咲った。
林檎を受け取り、さわやかな味を頬張った。口の中に、新鮮な味がふわりと広がる。
林檎を食べていたら、女の子は死ななかった。でも、もう死んでしまった。だけど、女神様によって花に生まれ変わった。
千鈴もきっと生まれ変われる。綺麗な花としていつかまた咲える。私も弱い大人の犠牲になり、千鈴が花になれたすがたを演じてみせなくていい。そんなことをしなくても、千鈴は咲けるから。その千鈴の生きる力を信じることが、魔法じかけの林檎になって、五鈴としての私を癒やしてくれる。
千鈴じゃなくていい。弱い心に見せる幻にはならなくていい。そんなことをしていても、今度は私が死ぬだけだ。
再び咲えるようになる千鈴と共に、私は私のまま、嘘偽りなく生きていっていいんだ。
私がこくんと林檎を飲みこむのを見た瞬間、確かに千鈴の瞳が、ほころぶようにほのかにやわらいだ。
FIN
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2日午前8時50分頃、大津市藤尾奥町の国道161号西大津バイパスのトンネル内で幼稚園の送迎バスが乗用車に追突し、バスに乗っていた園児5人が病院に搬送された。大津署や大津市消防局によると、いずれも打撲などの軽傷で、命に別条はないという。追突された乗用車は弾みで前を走っていた別の乗用車に衝突した。同署などが他にけが人がいないか確認している。 発表では、現場のトンネルは長さ約1・3キロで、片側2車線の直線道路。バスには園児16人��運転手ら2人の計18人が乗っており、大津市内から京都方面に向かっていたという。
西大津バイパスのトンネル内で幼稚園送迎バスが乗用車に追突…園児5人が軽傷 | ヨミドクター(読売新聞)
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左にちらっと『わくわくトーマス』があるし、右写真奥には眞砂の消防車がある。どこかの屋上ゆうえんちが廃業したのかな?
ちなみに幼稚園バスは昭和鉄工製造のようちえんバス
ホープの『森のアンクル』じゃないか! 秩父仲見世で見たっきりのライドがホビオフに出ているとは!
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窓の中から
通勤途中のバスの中、僕は外の道路を見た。
黄色い帽子の幼稚園児が手を広げて、しゃがんでいる母親に抱きつき母親はそれを抱き上げていた。
ただ親子が抱きついている光景ではなかった。その子からは無邪気に遊ぶような活発な喜びが、その母親からはやすらぎを帯びた喜びが お互いが掛け算をしたように大きくなって僕に伝わってきた。
後者は愛情という名前がぴったりだ。前者は…思い浮かばないが、例えるなら よろこんで何かいいものごとに近づくような感情だ。
つまり、この幸せな現象は よろこんでいいものごとに近づくような感情とやすらかな愛情のコラボレーションである。
僕は世の中を良くする一つのヒントを見たようだ。
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119: ウィズコロナの名無しさん 2023/05/11(木) 23:15:00.10 ID:2E0NhB930 コレは幼稚園が頭ユルユル案件だなww 144: ウィズコロナの名無しさん 2023/05/11(木) 23:26:40.67 ID:3bJLua2i0 30年前ならほのぼの話で終わるのに、世知辛い世の中になったな 149: ウィズコロナの名無しさん 2023/05/11(木) 23:30:18.14 ID:1fbAPOjb0 >>144 幼稚園児がバスでやって来て集団で畑に勝手に入るとか30年前でもありえんわ
痛いニュース(ノ∀`) : 農家のレンゲ畑に、無断で園のバスが乗り付け… 子どもたちが勝手に遊ぶ事態に「実は肥料です! 有毒生物もいて危険」と注意喚起 - ライブドアブログ
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2023.4.10mon_tokyo
朝 全く眠れなかった。眠れなさと寝たさが並行したまま朝。毎日こんな。 愛ちゃんから、今日日記お願いします、ってメールがきた。今日は平凡な1日になりそうだよ、と返す。
朝が来たら食べようと思っていたセブンイレブンのいちごサンドを冷蔵庫から出して、食前にアレルギーの薬を飲む。食前1時間、食後2時間は開けないといけない薬だから、朝が一番光のきれいなキッチンでいちごサンドはステイ。
家を出る間際、急に爪を塗ろうと思い立って、明るいGREENと深い緑どちらにするか迷う。左手の親指にGREENを塗って、人差し指に緑を塗る。どっちも良い。残りの指は塗らず。そのまま家を出る。
近所のモッコウバラが綺麗に爆発していた。いちごサンドを食べながら駅に向かう。ただ駅に向かってるだけなのにピクニック。全く眠れなかったのに、ご褒美みたいな気分になっていた。春すぎる。
昼 よく行くひらけた場所で日向ぼっこしながらコーヒーを飲む。日差しが強いから木陰に座る。今日は親子がシャボン玉をしている。夏目くんの「大吉」をイヤホンで聴く。あぐらをかく。メールの返信を打っていて、思わず「春すぎるからもうなんでもいいですね」と送る。
そういえば去年の今日って何してたっけとデータフォルダをみたら、ちょうどodd_で依頼されたフリーペーパーの見開きの写真を撮りに北千住に行っていた。
ということは、その日はその前に愛ちゃんに下北沢で会った日だ。ボーナストラックで日記祭がやっていて、私は日記のCDを月日さんに納品した。愛ちゃんと金川晋吾さんのトークを途中まで一緒に見て、私は人が座った時のパンツの裾からみえる靴下って好きだなと思った。愛ちゃんは久しぶりに会う私に何も言わなくて、出品してた日記のzineをくれた。 なんだっけ。多分その頃から私は仕事を再開させたりしたんじゃなかったかな。 そのあとみちこと北千住で撮影した。その日の写真、いい写真が多い。いい時間だった。商店街で矢沢永吉みたいな音楽が流れてて、犬に触った。明日もodd_の件で北千住に行く。変なの。(4/24〜30で展示会です。来てね)
左手の親指のGREENの上から深い緑を塗って、そのまま人差し指は2度塗りして、残りの指にも深い緑を塗ることにした。全部塗ったら満足した。なんで外で爪塗ってんだろう。春すぎるからもうなんでもいいけど。はろうの「ピクニック」を聴く。
用事の合間に頭が興奮状態のまま大崎清夏さんの「目をあけてごらん、離陸するから」を読む。昨夜の続き。コーヒーを飲みすぎている。
夜 駅から家までバスだと間に合わないのでタクシーに乗った。女性の運転手さんだった。「すみません、少し急いでいて。」と伝えると「裏道へ入るようでもよろしいですか?」と言うのでお任せした。母が昔からよく使う、幼稚園の裏あたりを通る道だった。川沿いの葉桜がライトアップされていた。 帰宅即、明日のアーの新喜劇追加公演に向けてオンラインで読み合わせ。(4/22(土)1日限りの追加公演。全員来てね)
お風呂に入って、布団に入って、窓を開けたまま寝た。 昨日よりは眠れた。
-プロフィール- 7A 東京 なまえ みたいな名前。くだものをおなかいっぱい食べたい。その日見かけた犬の数を数えながら暮らしています。 instagram:@not_six Twitter:@_not_six
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2月が少ないから3月が突然来た感覚になります。 さて、3/31(金)は大阪梅田・茶屋町のAzul TerraceにてMariko Endo(Sax・遠藤真理子)Quartetでのライブがあります。久し振りにこちらの素敵なメンバーとFunkを演奏できるのが楽しみです。精進します! ところで先月はずっと訪れてみたかった場所、W OsakaにA hundred birdsでの演奏で伺うことができました♪ めちゃくちゃオシャレなホテルでした!ハンドサニタイザーもそれには見えないくらいシュッとしてました。良い経験させてもらいました☆ W Osakaの立っていた場所はまさに40年程前の父の会社のあった場所だったそうです…と、こっそり私のInstagramを見ている父が後日LINEで知らせてくれました。ここから私の幼稚園のバスの送り迎えなどもしていたみたいなので、意外と私も馴染みの場所だったみたいです。縁ですね♪ https://www.instagram.com/p/CpXhob5PU2h/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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バスで幼稚園生くらいの女の子に指差されて「カッコイイ〜!」って言われたんだけど、お母さんが小声で「カッコよくないでしょ」って叱ってた — 無柄 (@Gouhou_Drug) August 15, 2019 無慈悲wwwwwww
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Shuttle car in Totoro (poetry)
That car I passed by again today.
It's a kindergarten pick-up car.
Pink color is the base color
The front features a cat face
The sides are cat legs.
something like totoro
It looked like a catbus.
Kindergarteners will love this.
I don't know exactly when I will meet this car
No photos.
(2016.05.23)
トトロの送迎車(詩)
今日もすれ違ったあの車。
それは幼稚園の送迎車。
ピンク色が基調で
前面が猫の顔をあしらい
側面は猫の脚。
なにやらトトロの
猫バスに似ていた。
これなら園児も大喜びだろう。
正確に出会う時間が解らないので
写真は無し。
(2016.05.23)
#shuttle car#kindergarten pick-up car#cat face#cat legs#totoro#catbus#Kindergarteners will love this#poetry
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速報:(October 29 2024 at 03:17PM)
【速報 JUST IN 】幼稚園の送迎バスなど3台からむ事故 4人けが 福岡 古賀 https://t.co/3AJKwB8KwZ #nhk_news
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2024年10月15日
島根原発2号機 中国電力が原子炉に核燃料入れる作業を申請(NHKニュース)
中国電力は、12月に再稼働を計画している島根原子力発電所2号機について、原子炉に核燃料を入れる作業を今月28日から行いたいとする申請書を15日、国の原子力規制委員会に提出しました。そのうえで12月上旬にも原子炉を起動する方向で調整を進めています。
中国電力は2012年以降停止している松江市にある島根原発2号機について、ことし12月の再稼働を計画していて、準備を本格化させています。
そして一連の安全対策工事が予定どおり進んだとして、原子炉に核燃料を入れる作業を今月28日から行いたいとする申請書を、15日、原子力規制委員会に提出しました。
作業は1週間程度を見込んでいるということで、そのあとの安全確認などが順調に進めば、12月上旬にも原子炉を起動する方向で調整を進めています。
島根原発2号機は事故を起こした東京電力の福島第一原発と同じ沸騰水型と呼ばれるタイプで、このタイプで再稼働するのは、今月29日にも原子炉を起動する工程を示している東北電力の女川原発2号機に続き2基目になる見通しです。
中国電力は「引き続き安全確保を第一に検査を進めるなど、再稼働に向けた一つ一つの準備を着実に進めてまいります」とコメントしています。
島根原発、12月上旬に再稼働 2号機、10月末に燃料装填(共同通信)
島根原発2号機、12月上旬再稼働 中電、10月28日に燃料装荷開始(中国新聞 10月15日)
島根原発2号機、12月上旬再稼働 中国電、10月末に燃料装荷(産経ニュース 10月15日)
島根原発2号機 28日燃料装荷開始 12月上旬再稼働へ(BSS 山陰放送 10月15日)
島根原発2号機、再稼働は「12月上旬」10月28日に燃料装荷開始 中国電力(山陰中央新報 10月15日)
島根原発2号機、12月上旬に13年ぶり再稼働 28日から燃料装荷(朝日新聞 10月15日)
島根原発2号機再稼働認めない仮処分退ける 広島高裁松江支部(NHKニュース 5月15日)
再稼働に向けた準備が進む松江市の島根原子力発電所2号機について、広島高等裁判所松江支部は、地元の住民が地震や火山の噴火などの想定が不十分だと主張して再稼働を認めないよう求めた仮処分の申し立てを退ける決定を出しました。
松江市にある島根原発2号機は、定期検査で運転を停止した2012年から稼働しておらず、3年前に原子力規制委員会の審査に合格したことなどを受けて、中国電力はことし12月に再稼働させる計画で準備を進めています。
これに対し、島根県と鳥取県の住民4人は、地震や火山の噴火などの想定が不十分だとして、去年3月に再稼働を認めないよう求める仮処分を、申し立てました。
これまでの審理で住民側は、「中国電力が想定する原発周辺での最大規模の地震の揺れは低すぎるほか、島根県内で火山が噴火した場合に降り積もる灰の量も過小評価している」などと主張したのに対し、中国電力側は「想定される地震の揺れは科学���知見を踏まえた合理的なもので、住民側が指摘する規模の噴火が起きる可能性は十分に小さく具体的な危険はない」などと反論していました。
これについて、広島高等裁判所松江支部の松谷佳樹裁判長は、15日、住民側の主張を認めず、申し立てを退ける決定を出しました。
「あまりにも早急」島根原発2号機 28日から核燃料装てん・12月再稼働に抗議 市民グループが中国電力に申し入れ(RCCニュース 10月16日)
中国電力が島根原発2号機を12月上旬に再稼働させると明らかにしたことを受けて、市民グループが抗議しました。
抗議の申し入れをしたのは広島県内の5つの市民グループです。中国電力の担当者は抗議文書を関係部署に伝えるとして受け取りました。
中国電力は15日、10月28日から島根原発2号機の原子炉に核燃料を装てん、検査などが順調に進めば12月上旬に原子炉を起動し、再稼働させることを明らかにしました。
申し入れでは、島根原発2号機が停止して13年が経つことから、「部品の劣化や原発の運転員の未経験者が増えていることなどが考えられるため、再稼働は危険だ」などとしています。
上関原発止めよう!広島ネットワーク 溝田一成 共同代表「地震に耐えられるかどうかなどそういうことをもう一度考え直してから、燃料装荷してほしい。あまりにも早急すぎる。」
島根原発2号機の運転再開は、定期点検で停止した2012年1月以来となります。
原発5キロ圏の児童ら避難訓練 12月再稼働、島根2号機(共同通信 10月19日)
中国電力島根原発2号機が立地する松江市は19日、原発から約5キロ圏内の予防防護措置区域(PAZ)にある幼稚園や小中学校に通う子どもを対象に重大事故を想定した避難訓練を実施、一部を報道陣に公開した。島根2号機は12月に再稼働を予定している。
訓練には園児や小中学生、保護者ら約千人が参加。幼稚園や学校から、退避所となる市の体育館にバスで移動した児童らを保護者に引き渡す手順を確認するなどした。
小学生の子と参加した松江市の会社員津森哲郎さん(48)は「実際に事故が起きたとき、訓練があるのとないのとでは違ってくると思う」と話した。
【速報】金の国内小売価格が過去最高値を更新 初の1万4000円台に(テレ朝news)
中東情勢の緊迫化などを背景に、金の需要が国際的に高まり、日本国内の金の小売価格が過去最高値を更新しました。
金の国内小売価格の指標とされる、田中貴金属工業のきょうの店頭販売価格は、1グラムあたり1万4069円となり、営業日として最高値を更新しました。
金の価格は、およそ1カ月で1000円以上上昇しています。中東情勢が緊迫していることや、アメリカの金融政策が利下げに転換したことなどが要因とみられています。
金は「有事の金」ともいわれ、戦争や災害など世界経済を揺るがすような事態が発生すると需要が高まる傾向があります。
アベノマスク契約めぐる訴訟 裁判長も「全て口頭で?」と突っ込み(朝日新聞)2024年10月15日
大量の在庫が問題になった新型コロナ対策の布マスクを巡り、業者との契約過程を示す文書を開示するよう上脇博之・神戸学院大教授が国に求めた訴訟で、複数省庁による「合同マスクチーム」のうち業者と直接やりとりした職員ら3人が15日、大阪地裁(徳地淳裁判長)に証人出廷した。「やりとりは口頭が基本で、文書は残していない」と口をそろえた。
マス���は2020年4月に安倍晋三首相(当時)が各戸配布を表明し、政府が400億円超をかけて約3億枚を調達したもので、「アベノマスク」と呼ばれた。需要の乏しさから約8300万枚が残り、国会などで税金の無駄遣いが指摘された。
この日の証人尋問で経済産業省からチームに出向した職員は、「募集に応じた業者からはチーム宛てに電話やメールが毎日のように来ていた」と説明。ただ自身が受け取ったメールは「容量が限られているため2~3日に1度消去し、保存していない」と証言した。
「文書作っている余裕ない」に、反応した裁判長
原告側から業者選定のためにやりとりを記録しておかないと「不便では」と問われると、「いちいち文書を作っている余裕はなく、上司が近くにいる時に口頭で価格や数量、納期などを報告していた」と話した。
徳地裁判長からも「単価や枚数は間違えると大変なことになる。全て記憶して口頭で報告していたのか」と突っ込まれると、「そうです」と答えた。
原告側が裁判所に求めて業者側から入手したチームとのメールには、この職員が業者の担当者と会って直接打ち合わせをした記録が残っていた。
職員は「どんな業者か確認するために上司から頼まれたら打ち合わせをセッティングしていた」としつつ、原告側から打ち合わせで話した内容や同席職員を問われると「覚えていない」と証言。その時の記録は「余裕がなくて作った記憶がない」とした。
行政文書管理規則では、意思決定の過程や事業の検証に必要となる行政文書の保存期間は「原則1年以上」とし、共有フォルダーに保存するとしている。メールもこの対象に含まれうるが、職員は「スピード感を求められていた。残した記憶はない」と話した。
事業規模小さい会社に大量発注、原告側「不自然」
続いて出廷した経産省の課長補佐(当時)は、マスクチームのメンバーではなく「サポートする立場だった」と説明。募集の意思を示した業者に枚数や納期を聞き取り、チームに報告していたという。
課長補佐が担当した会社は、20年の時点で設立3年弱でウェブサイトを持たず、従業員が5人しかいなかったことが原告側のとった登記簿などで判明している。会計検査院の報告書によると、政府はこの会社と2カ月で計約30億円の契約を結んでいた。
原告側は事業規模に見合わない大量の発注をしているのは不自然だとして、受注能力を登記簿などで事前に確認したかを尋ねた。課長補佐は登記簿も決算書も「確認していない」が、「金額や枚数、納期の点では問題がなかった。ベーシックなところは確認した」と証言。やりとりを示す文書は「保存していない」とした。
上脇教授は20年7月までに複数回、情報公開請求をした。契約書は開示されたが、経過を示す文書やメールは「不存在」とされたため、「巨額の税金が使われた契約の過程を国民に説明する義務が国にはある」として21年2月に提訴していた。
裁判はこの日で現職の省庁職員6人全員の証人尋問が終わった。次回12月24日に原告・被告双方が最終的な主張をして、結審する。(大滝哲彰)
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綿野恵太(文筆家)【視点】 <「徳地裁判長からも「単価や枚数は間違えると大変なことになる。全て記憶して口頭で報告していたのか」と突っ込まれると、「そうです」と答えた」
なかなか常識的に考えられないですよね。たとえ同じ職場の人間であっても、伝達ミスを防ぐためにメールで記録を残したりするものですが……
明石順平(弁護士・ブラック企業被害対策弁護団)【視点】 全部口頭。まあ嘘であろう。火事場泥棒を隠そうとしているようにしか見えない。マスク配布を奇貨として政府関係者に金を配っただけではないか。それがばれるのが怖いから、こんな言い訳をしている。
あの布マスクはサイズが小さ過ぎる上に、素材が布であるから、感染予防の観点からも不適切であった。また、1世帯2枚しか配られなかったので、数の点からも中途半端である。
感染予防効果からすれば不織布マスク一択であるが、国が粗悪な布マスクを配ったせいで、同じく感染予防効果の低いウレタンマスクなども許容される状況が生まれたと感じる。したがって感染対策について実害が生じていたと私は思う。
安倍総理だけがアベノマスクをかたくなに着用し、周囲が不織布マスクを着用している光景は異様だった。
単なる思い付きにすぎない有害な政策ですら誰も止められない状況は、国家機能不全状況を示す象徴的なものだった。
このアベノマスク問題は絶対にうやむやにしてはいけない。
ダースレイダー(ラッパー)【視点】bコロナ対策の検証がなぜ必要か? それは今後、新たな感染症や災害に見舞われた際にどの対策がどのように有効で、どれが失敗したかを後世の人たちに参考にしてもらうためです。
全国一斉休校もマスク配布もどのような効果があったか? あるいは無かったか?今回の裁判で明らかにされたような意思決定が為され、検証可能な証拠が何も残っていないとすれば、その点を持ってして対策として失敗しています。
政治家がよく使う未来のためにというフレーズは、具体的には上記のような検証作業を繰り返すことで実現するものだと考えます。
今、まさに選挙が行われています。例えばこのマスク���件に対してどういう態度を取るか?だけでも資質がわかると思います。
岩尾真宏(朝日新聞名古屋報道センター長代理)【視点】 血税が投入された新型コロナ対策の布マスク配布をめぐって、やりとりが本当に「口頭で」なされていたとすれば、あぜんとするばかりです。ただ、役所の習性を踏まえると、この説明を真に受けるには無理があるように思います。この当時、忙しかったことは事実でしょうが、これほどの規模の事業に関することを「口頭で」進めていくでしょうか。
ちなみに、石破茂首相は首相就任前の2020年6月のブログで、この「布マスク」が早急に届いていないことに触れた上で、次のような指摘をしています。「届いたマスクには生産したメーカーの名も、連絡先も記載がありません。マスクには法的な表示義務はないものの『全国マスク工業会』の自主的な表示基準として記載すべき事項が列挙されているのですが、これら事項の表示もありません。内閣総理大臣肝いりの政策がこんな杜撰なことでよいわけがありません」
ご指摘の通りで、内閣総理大臣肝いりであろうとなかろうと、税金を投じた事業について、後にその決定過程を検証できないようなことでよいわけがありません。
いま、過去の自身の発言が色々とはね返ってきている石破首相ですが、「納得と共感」のためにも、以前の政権下での政策検証もぜひ取り組んで頂きたいと思います。
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