#年賀状2017
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横浜港バラバラ殺人事件(よこはまこうバラバラさつじんじけん)とは、2009年(平成21年)6月に神奈川県横浜市金沢区で発覚したバラバラ殺人事件。 裁判員制度の導入後初めて死刑判決が言い渡されたと同時に、裁判員裁判で初めての死刑確定となった[2][3][4]。また、控訴も取り下げたため、裁判員裁判だけの審理で死刑が確定した最初の事例にもなった[5]。 事件発生 犯行グループはベトナムなどから覚醒剤の密輸を行っており、本事件において起訴された人数は7人(2023年現在も逃亡中の1名を加え、計8人による犯行)に上った[1]。 2009年6月18日から19日にかけて、前述の犯行グループのIと共犯者は、歌舞伎町の麻雀店経営者の男性と会社員の男性を千葉県船橋市内のホテルに呼び出して監禁した。 Iは「家族に電話させてほしい」「殺さないでくださいせめて殺してから切ってください」と懇願する経営者の首を、「動いちゃ駄目だろ、切れないじゃないか」と生きたまま電動のこぎりで切断、殺害し、共犯者に「人形みたいでしょ」と語った[6]。 会社員の男性は刺殺された後に遺体は解体され、横浜港や山梨県の山中に遺棄された。 捜査 その後、Iを含む犯行グループ8人は覚せい剤取締法違反などで逮捕され、共犯者は同容疑で警視庁などに指名手配されたが、タイに逃亡中とみられた[7]。 2009年10月15日、Iは前述の事件で死体遺棄容疑で再逮捕された[8]。またIは被害者の2人を殺害し、うち1人から1340万円を奪ったとして、2009年11月11日に強盗殺人容疑で再逮捕された[9]。 2009年12月9日、神奈川県横浜水上警察署捜査本部は国外に逃亡している共犯者に関して強盗殺人容疑などで逮捕状を請求し[7]、2009年12月15日付で国際刑事警察機構(ICPO)を通じ強盗殺人・殺人容疑などで国際手配した[10]。 刑事裁判 主犯格I 2010年(平成22年)10月14日、横浜地方裁判所(朝山芳史裁判長)は、覚醒剤密輸事件について有罪とした部分判決を言い渡した[11]。これは裁判員制度の裁判員の負担を減らすために区分審理を採用したためである[11]。 2010年11月1日、被告人Iの強盗殺人・死体遺棄事件に関する審理の初公判が横浜地裁(朝山芳史裁判長)で開かれた[1][12]。 2010年11月4日の公判で被告人質問が行われ、被告人Iは殺害動機を「私利私欲のため」と述べた上で反省の態度を示した[13]。 2010年11月10日、横浜地裁(朝山芳史裁判長)で開かれた論告求刑公判にて横浜地方検察庁は被告人Iに死刑を求刑した[14]。裁判員裁判における死刑求刑は新橋ストーカー殺人事件(東京地裁で無期懲役判決、確定)に続き2件目だった[14]。 2010年11月16日、被告人Iに関する判決公判が開かれ[15] 、横浜地裁(朝山芳史裁判長)は検察側の求刑通り死刑判決を言い渡した[16][2][17][18][19]。裁判員裁判における死刑判決はこれが初めてだった[16][2][17]。 判決後、朝山裁判長は被告人Iに対し「重大な結論なので控訴を勧めたい」と異例の説諭を行った[20]。また、裁判員6人と補充裁判員1人のうち裁判員を務めた50歳代男性が判決後に記者会見に応じ、「すごく悩み、何度も涙を流した」と感想を述べた[21]。 死刑確定 被告人Iは死刑判決を受けた後、収監先・横浜刑務所横浜拘置支所で接見した弁護団に対し「控訴はしない」と意思を伝えていたが弁護人は説得を続け[22]、2010年11月29日(控訴期限は翌2010年11月30日)に判決を不服として東京高等裁判所に控訴したが[23][24]、2011年(平成23年)6月16日付で被告人I本人が控訴を取り下げたため死刑が確定することとなった[25][5]。弁護人はこの控訴取り下げを「無効」と主張し東京高裁へ審理継続申し立てを行っていたため2011年8月末時点では判決未確定となっていたが[26]、2012年7月以降は収容先・東京拘置所で「死刑確定者処遇」となり[27]、裁判員裁判で初めての死刑確定となった[5]。 2017年(平成29年)9月22日現在[28]、死刑囚Iは東京拘置所に収容されている[29]。 共犯者 死体遺棄・逮捕監禁罪に問われた共犯被告人の男3人(いずれも滋賀県出身、判決当時は21歳ないし22歳)は2010年5月17日、横浜地裁(佐脇有紀裁判官)で懲役3年・執行猶予5年(求刑・懲役3年)の有罪判決を受けた[30]。強盗致死と死体遺棄、逮捕監禁の罪に問われた被告人の男(判決当時28歳、滋賀県東近江市出身)は2011年1月24日に検察側から懲役15年を求刑され[31]、2011年1月27日に横浜地裁(小池勝雅裁判長)で懲役12年の判決を受けた[32]。被告人は判決を不服として2011年2月7日付で東京高裁に控訴した[33]。この被告人の公判においては当時控訴中で横浜刑務所横浜拘置支所に収容されていた被告人Iに対する出張尋問が行われ[34]、2011年1月20日に裁判官3人・裁判員6人・補充裁判員3人の計12人が横浜刑務所横浜拘置支所へ出向き、被告人Iから尋問を行った[35]。
横浜港バラバラ殺人事件 - Wikipedia
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東京五輪から2年 湾岸はいま
悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②���島
東京では五輪の��から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
③晴海選手村
カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
選手村をめぐっては、東京都��適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさん��ってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海���らの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への��着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東��からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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HAPPY・HAPPY New Year☆
2024/01/01 00:00
みなさん、ごきげんよ~‼ そして…、新年、明けましておめでとうございます。 もうすぐ年末だなぁ…と思っているうちに、あっという間に年があけちゃいました!! 本当に時が経つのは早いものですね。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします!! と、いうことで、年明け1回目のGG-AGOは…、 FCのみなさんにお届けした過去10年分の年賀状を、一気にお届けしようと思います!!
2013年 着物で撮影!! この時…、スタイリストのロッキーさんと着付けに悪銭苦闘!!(汗)
2017年 FCならでわの“かわいい系”→“カッコイイ系”にちょっとイメージチェンジ☆
ということで…、10年間の年賀状AGOでした!! みなさんはどの年の『New Year GACKT』がお好みでしょうか?
それでは…、 2024年、みなさんにとって良い年になりますよう��!
ごきげんよぉ〜♪
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TIERS
表参道裏通りに面したショールーム機能を有する店舗の計画である。以前、この計画の両隣をあわせた敷地にクリニックがあり、その一部をショールームとして使用していた。そのクリニックの建物が老朽化したため、クリニックの建て替えに伴い、荒川技研工業の店舗として独立した建築を建てることとなった。この計画では、建築やデザインの専門の人だけが訪れるショールームとしてだけではなく、表参道を通る人々が自由に訪れることができる街に開いた建築をつくる、というのがテーマであった。同時に機能的な面で1層目を一番広いフラットな空間にしたいという要望があった。まず、道路に面するボリュームを両隣の壁面線とあわせるように斜めの形状とし、道とつながるオープンスペースをつくり出した。
そして、道路から最上階まで連続するウッドデッキの大階段を挿入し、途中階にカルバート状のテラスを配置することで、内部と外部、階段上と階段下の空間をつないでいる。南側のバルコニーにはワイヤーの幾何学的なパターンを用いたファサードを設置することで半外部的な場所をつくり、緩やかに街と連続する空間を生み出している。このような空間を内包するために、RC造の壁床ラーメン構造として3層のカルバート状の構造形式を採用している。壁の部分には壁柱との段差を利用してニッチをつくり、カウンターやショールームの製品を展示する棚としている。
オープニングイベントで行われた様々なアーティスト、デザイナーによる展示がきっかけとなり、街に開けた、新たな試みを発信する場所となることを願っている。
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場所 / Site : 東京都渋谷区神宮前 / Jingumae, Shibuya-ku,Tokyo
竣工年 / Year : 2017
用途 / Program : 物販店舗 / Shop
構造 / Structure : RC造 / RC
延床面積 / Floor Area : 298㎡
設計・監理 / Architect : 田邊曜建築設計事務所 / hkl studio
設計協力 / Design collaboration : 四方 謙一/ Kenichi Shikata、木下道郎 / ワークショップ / Michio Kinoshita / Workshop
構造 / Structural engineer : 構造設計プラス・ワン/ Structural Design Office PLUS ONE Co.,Ltd.
設備 / M&E engineer : ZO設計室 / ZO CONSULTING ENGINEER'S
照明計画 / Lighting design : 岡安泉照明設計事務所 / Izumi Okayasu Lighting Design Office
サインデザイン・ファサードデザイン協力 / Sign design・Facade design collaboration : 野老朝雄 / Asao Tokolo
VI ・グラフィックデザイン / VI・Graphic design : 三星安澄 / Azumi Mitsuboshi
施工 / Construction : 辰 / SHIN CORPORATION
写真 / Photo : 平賀 哲 / Tetsu Hiraga
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『「呪術」の呪縛』下巻の読書ノート
江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(下)リトン、2017年。
第一部 呪術概念の再検討
鶴岡賀雄「「呪術」の魅力:「永遠のオルタナティブ」の来歴と可能性についての試論」
「マギア」を人類学的・宗教学的分析概念としてではなく西欧精神史の構成要素として見て、古代ギリシアから、中世神学、ルネサンス、近世キリスト教、現代芸術に至るまで、マギアの位置づけを跡づける。 そこでは、マギアがつねに、公共宗教や哲学といった正統的な知や生き方に対して、劣位に置かれた人々による代替行為として位置づけられる。しかし、この民衆の低級知は正統知でないがゆえに、かえってそれを批判的に超える超高級知ともなりうるものであった。 近世神秘神学における神的/悪魔的/自然的という三分法が、人類学・宗教学における宗教/呪術/科学の三区分に改鋳されていったのではないか、という指摘はなるほどなあと感じ。また、世間的・民衆的な低級知たるマギアがつねに物を介するというのも、フェティッシュとの関係で興味深い。 「神秘主義」概念の検討については別稿に譲るとされているが、その「別稿」とはこれですね。→ 鶴岡賀雄「「神秘主義」概念の歴史と現状」『東京大学宗教学年報』vol. 34、東京大学文学部宗教学研究室、2017年、pp. 1–24。 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/47687# なお、本論文の中で、サラマンカ大学の学士アマドール・デ・ベラスコが持っていたグリモワール(魔術の指南書)をめぐる事件の話が出てくるが、最近、魔術のことを考えすぎて、先日、江川さんから「grimoireとは魔術書のことなんですよ」と教えてもらう夢を見た。 山崎亮「社会学年報学派の呪術論素描」
ユベールとモースの「呪術論」は混乱に満ちた論文であり、その一因として呪術のアポリア(呪術は私的なものであるが、社会的な性格ももつ)が挙げられる。この混乱を理論的に整理したのがデュルケームの聖理論であるが、ユベールとモースは納得していなかった。 江川純一「「magia」とは何か:デ・マルティーノと、呪術の認識論」
イタリア宗教史学におけるマジーア概念を、特にエルネスト・デ・マルティーノの『呪術的世界』とその後の転回にしたがって明らかにする。宗教学において一般的に、「呪術」は「宗教」のネガとして語られがちだが、宗教史学はこの対比・対立を認めない。 デ・マルティーノは『呪術的世界』において、呪術的世界は「自分の魂の喪失の危機とそこからの解放」という実存のドラマによって根拠づけられるとして肯定的に評価したが、この世界を歴史的時代であるとしたがゆえに、進化主義的宗教論と見分けがつかなくなってしまった。 「呪術的心性と原始的心性を混同している」という師ペッタッツォーニらの批判を受け、デ・マルティーノは後年、「呪術的世界」という想定を取り下げ、神話ー儀礼の結合物としての「呪術ー宗教現象」を探究するようになる。 注にある、「今後、20世紀の宗教学思想を振り返るときには、ペッタッツォーニ、デ・マルティーノ、エリアーデのトライアングルによる、神話ー儀礼的技術としての「呪術ー宗教」の考察が軸となるであろう」という指摘が興味深い。
なお、A. C. ハッドンが報告したボルネオのトゥリク族の男の話(ある男は鉤形の石を頑なに手放そうとしなかった、その石は魂が自分の身体を去るのを引き留めているのだという)がラトゥールのファクティッシュのようで面白い。
第二部 事例研究:古代~中世
渡辺和子「メソポタミアにおける「祈祷呪術」と誓約:「宗教」と「呪術」と「法」」
なかなか論争的ですごい論文であった。一言ではまとめづらいが、アッシリアの『エサルハドン王位継承誓約文書』(ESOD)の構成や文法を分析することで、誓約と儀礼、「言うこと」と「すること」の宗教的な結びつきを考察する。 アッシリア学者の重鎮オッペンハイムは、西洋人として祈りと儀礼が結びつくことに耐えられず、「メソポタミア宗教」は書かれるべきではない、とまで言う。また、ESODの誓約と儀礼という形式こそが、契約(誓約)宗教としての一神教の成立と後のキリスト教の成立にも影響を与えたという。
高井啓介「その声はどこから来るのか:腹話術の魔術性についての考察」
叙述がトリッキーで面白い。腹話術が古代の神学者たちによって魔術として扱われ、近代に脱魔術化していった過程が示される。旧約聖書サムエル記上の「降霊術」がギリシア語に翻訳される際にἐγγαστρίμυθος(腹話術)と訳されたために腹話術の魔術化が始まった。 降霊術が腹話術と見なされることで、腹話術師は腹の中に悪霊をもつことになり、霊媒は魔女扱いされるようになる。しかし、腹話術の魔術性を否定し、単なるトリックだとしたのが、『百科全書』で数学に関する項目を多く書いているジャンバプティスト・ドゥ・ラ・シャペルの『腹話術』であった。
山本伸一「カバラーにおける神名の技法と魔術の境界」
ユダヤ教のカバラーにおいて、正当な呪術と禁じられた魔術の境界は不分明である。このことを15世紀のカバラー文学、ルネサンスの自然魔術の影響下のカバラー、18世紀のエムデン=アイベシュッツ論争という3つの事例に即して考える。 15世紀スペインのカバラー文学の共通点は、主人公であるカバリストが終末とメシア来臨を促すために悪魔を追放しようと立ち上がるも、悪魔に騙されて取り逃がしてしまい、逆に魔術に手を染めた悪人として非難される、という物語。中2っぽいというか、『進撃の巨人』(デビルマン)フォーマットだなと。 青木健「ゾロアスター教神官マゴスの呪術師イメージ:バビロニア文化の影響と呪術師イメージの由来」
マゴスには「呪術師」「神秘主義の達人」「放蕩」といったイメージが付与されるが、ゾロアスター教の神官の職能を検討してみると、実態は王朝に仕える官僚であり、吉凶暦や蛇占いといった副業の方がイメージの形成要因となったと考えられる。 青木健『古代オリエントの宗教』は、渡辺論文の注で、紀元前2世紀から13世紀までのオリエントの宗教史を扱うものなので、「書名と内容が一致していない」と批判されていた。 毛利晶「古代ローマにおける凱旋の儀式:トリウンプスに関する最近の研究動向を中心に」
ローマで戦争で勝利を収めた将軍が行う凱旋の儀式トリウンプス(triumphus)。そこでユピテルの扮装をする凱旋将軍の役割は神か王か。近年の論争を踏まえて、著者は元々ユピテルの儀式であったものが後に将軍自身を讃える儀式へと変化していったと推測する。 凱旋式挙行の要件が、①命令権(imperium)、②鳥占権(auspicium)、③軍隊指揮(ductus)、④幸運(felicitas)の4つだったというのが、統治��王)・呪術(宗教)・軍事の三権が一人に集中しているようで興味深い。 野口孝之「近代ドイツ・オカルティズムの「学問」における「魔術」」
19世紀後半から20世紀初頭に展開されたオカルティズムにおける「魔術」の位置づけを、キーゼヴェッター、エスターライヒ、シュティルナーという3人の思想を中心に検討する。 ドイツの代表的なスピリチュアリスト、カール・ドゥ・プレルの概念das transzendentale Subjektを「超越的主体」と訳しているけど、「超越論的主観」では。このドゥ・プレルの理論を援用するキーゼヴェッターはオカルティズムをGeheimwissenschaftと呼び、先人としてスウェーデンボルグを挙げている。 ちなみに、スウェーデンボルクを批判したカントの『視霊者の夢』の第一部第二章のタイトルはgeheime Philosophie(オカルト哲学)である。
寺戸淳子「「呪術ではない」祭儀:「秘義」としての聖体拝領」
大変勉強になった。キリスト教の「聖体拝領(聖餐)」「実体変化」「神秘的肢体」といったややこしい話を基本的なところから丁寧に教えてくれるので、これらの神学的議論に関心がある人におすすめの入門的論文。 12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。 12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。 逆に、教会はCorpus mysticumと呼ばれるようになった。つまり、聖体と教会の呼び方が入れ替わったのである。この教会を指す「神秘的肢体」がやがて法人のような擬制的人格一般を指すようになっていった。カントーロヴィチぽいなと思ったら、カントーロヴィチが参照されていた。 佐藤清子「19世紀合衆国における回心と「呪術」:チャールズ・G・フィニーの新手法擁護論とその批判を中心として」
きわめて明晰な論文。19世紀アメリカの第二次大覚醒の時代を代表する牧師フィニーは「新手法」と呼ばれる礼拝方式を導入して革新をもたらしたが、それは回心を意図的・合理的に促す手法であり、限りなく呪術に接近していく。 フィニーはスコットランド啓蒙思想の影響の下、自然法則の学習・応用という方法論を採用し、自らの回心の方法を「科学」あるいは「哲学」であると称した。他方で、呪術・宗教・科学の三区分で知られるフレイザーもまた、同じくスコットランド啓蒙の思潮に影響を受けていることは興味深い。 フレイザーは呪術を稚拙な科学��あるとしたが、もし仮に「回心」を心理学的な技術によって達成できるようになったとしたら、それは科学なのか呪術なのか。実は科学と呪術の区別は、その知識や技術の程度の差異によるのではないのではないか。 フィニーの「祈り」についての議論も面白い。回心は聖霊の働きによるが、人間は聖霊をコントロールできないがゆえに、回心も究極的には神に委ねられている。しかし、フィニーは回心と聖霊の間に「祈り」という人間の行為を介入させる。とはいえ、人間は祈りによって神を操作できるわけではない。 フィニーによれば、祈りはそもそも聖霊の働きによって可能になるのだから、祈ることができること自体がそれが叶えられる可能性があることの証拠となる、という。ここには、祈りのアポリア(祈りは効果があるならば、祈りにはならず、効果がないならば、祈る必要がない)を解く鍵があるように思われる。 久保田浩「近代ドイツにおける「奇術=魔術」:奇術とスピリチュアリズムの関係に見る〈秘められてあるもの〉の意味論」
19世紀ドイツで機械仕掛けの奇術を行う奇術師は、トリックを説明(klaeren)可能なものとしながら、それを驚嘆すべきものとして提示する者であり、スピリチュアリストの種明かし(erklaeren)をして詐欺を暴く啓蒙(Aufklaerung)の意義も担っていた。 奇術師がスピリチュアリストを科学的に暴いたり、宮廷からお墨付きを得た「宮廷奇術師」が登場したりと、『鋼の錬金術師』が好きな人にお薦めしたい論文。スピリチュアリストが、奇術師は本人も気づいていないけれど実は霊媒であり、本人が奇術だと思っているのも霊媒現象なのだと主張する話が面白い。
井上まどか「ロシアにおける呪術概念の検討」
前半が現代ロシアの事典や概説書における「呪術」概念の分析、後半が16世紀に編纂された『百章』における「呪術」の用法について。「準備的覚え書き以上のものではなく」という著者の言葉通りの文章であった。 『金枝篇』の著者名が「D. D. フレイザー」となっていて、目を疑った(ロシアだとJもGもDなんですか)。それ以外にも本書は誤植が非常に多い印象。上巻目次のタイトルからして既に間違っている。
西村明「呪術としてのキリスト教受容:ミクロネシア・ポンペイ島を中心に」
最終章でいよいよ真打ち「マナ」登場。ミクロネシアのポンペイ島における宣教でキーワードとなった「マナマン」から、マジックワードとしての「マナ」概念の歴史的形成の議論へ。 まず、宣教師は植民地主義的視点で現地の宗教的・呪術的実践を裁断するが、しかし、その視線は一方向的なものではなく、現地民もまた、自分たちの価値体系の中��キリスト教を位置づけて理解する。ポンペイ島で、二つの異なる価値体系を通訳した概念が「マナマン」であった、という話が面白い。 さらに後半、この「マナマン」(ミクロネシア)と同族語である「マナ」(メラネシア・ポリネシア)という概念が辿った数奇な運命が論じられるが、これも面白い。 「マナ」とはそもそも、コドリントンが『メラネシア人』(1891)において初めて学術的議論に導入した語で、その後、超自然的力を指す普遍的な概念として人類学・宗教学で多用されていった。しかし、コドリントンが現地調査したモタ島とバンクス諸島は、当時、ポリネシア人と宣教師の影響を受けていた。 メラネシアの「マナ」が形容詞や動詞としての含意があったのに、ポリネシアでは名詞として用いられた。メラネシアの宣教師たちは先にポリネシア語に通じていたために、「マナ」を名詞的に理解してしまった。こうして、コドリントンがやってきた頃には、既にバイアスのかった「マナ」となっていたのだ。 このように、「マナ」とは、ポリネシアとメラネシア、現地民と宣教師、そして世界各地の多様な宗教間といった、異質な価値体系を通訳=通約する概念として強力な力をもつようになっていったのである。異質な体系の間の界面に生じる通約的概念という意味では、「フェティッシュ」にも似ているように思う。
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JR唐津線・筑肥線 ~ 山本駅 寸景
かつては唐津線と筑肥線の唯一の接続駅で、現在の筑肥線(東区間=姪浜・博多駅方面)から直通でまさに一つの筑肥線としてこの駅までつながっていました。廃線区間は「虹ノ松原-久里-山本」で、直通列車や急行も走ってました 。また、唐津線の岸嶽(きしたけ)支線(廃線)の起点駅でもありました。接続駅として賑わっていたころの様子は駅舎や敷地跡に垣間見られます。
↑ 唐津方面 ↓ 佐賀・佐世保方面
2017年に地元の高校生(唐津工業高校建築科)が寄贈した駅名標
唐ワンくんと曳山のデザイン ~ 状態が悪くなってるようです。
駅舎の南側の現在
↑ 佐賀・佐世保方面 ↓ 唐津方面
2023.2.22
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バイオディーゼルってなに?(執筆先 - 株式会社エスプール 「環境みらい会議」2024年5月9日)
└バイオディーゼルの概要
バイオディーゼルとは、ディーゼルエンジン用のバイオ燃料の総称で、BDF (Bio Disel Fuel)と呼ばれる。化石燃料である軽油の代替として期待されている燃料である。
原料は主に菜種油やパーム油等の植物油で、料理油や工業用油などの廃油を利用するケースもある。それらに化学処理を施してグリセリンを取り除くことで精製される。
バイオディーゼルは硫黄分酸化物をほとんど含まず、軽油と比較して硫黄酸化物の排出を1/2~1/3削減できるため、ディーゼル車の排気ガス対策として有効である。すでに国内外で利用されており、特に欧州ではドイツを中心に利用が進んでいる。
└バイオエタノールとの違い
バイオエタノールは、サトウキビなどの糖質原料、とうもろこしやじゃがいもなどのでんぷん質原料、また稲藁などのセルロース系の原料を糖化、発酵させ作られるガソリンの代替物である。ほとんどがガソリンと混ぜられ、自動車の燃料として利用されている。
バイオエタノールは原料をアルコール発酵して生成する。精製方法が比較的容易なのはバイオディーゼルであり、広く普及しているといえる。加えて、バイオディ―ゼルは他の燃料と混合せず使えるのに対し、バイオエタノールは通常のガソリン車の場合、直接混合で含有率3%ほどまでと高い割合で用いることはできない。
└日本でのバイオディーゼルの導入状況
(1)京都市における取りくみ
一般家庭及び食堂等の事業所から排出される廃食用植物油を市民、事業者、行政で構成される地域ごみ減量推進会議等が主体となって回収している。またそれをバイオディーゼル燃料として再生し、京都市のごみ収集車や市バスの燃料として活用している。
自治体が運営するバイオディーゼル燃料化施設としては国内最大の精製能力であり、施設の特徴としては以下の点が挙げられる。
・ 不純物を最大限除去できる高度な機能を有していること。
・ 市バスの燃料とするために軽油と一定の割合で混合する装置を設置していること。
・ 精製工程のほとんどを自動化していること。
・ 火災防止に配慮した電気機器の採用、製造棟内にガス検知器・酸素濃度計等を設置し、安全に十分配慮していること。
(2)協業組合仙台清掃公社における取りくみ
飲食店、スーパー等から排出される廃食用油を収集し、バイオディーゼル燃料化を行い、家庭ごみ収集のパッカー車の燃料として利用している。
(3)佐賀市における取りくみ
2004年から、使用済み食用油を軽油代替燃料に精製する佐賀市廃食用油再生工場が稼働している。
原料となる使用済み食用油の回収は、各家庭からスーパーや市の施設 48 箇所の回収ボックスに持ち込まれ、同市で委託したごみ収集業者により回収され、同工場へ搬入している。
同工場では、搬入された使用済み食用油から固形物などを除去して、一旦貯蔵タンクに保管する。そこから分離タンクに移され、水分や不純物を除去した後メタノールを加え、軽油代替燃料化装置によって化学反応を起こし、軽油代替燃料を精製している。
精製された軽油代替燃料は、同市のごみ収集車に利用し、資源のリサイクルを図っている。
(4)出雲市(旧平田市)における取りくみ
旧平田市では、宍道湖の水質浄化や水質保全を目的に設立された宍道湖沿岸自治体首長会議から、宍道湖の環境汚染の浄化対策についての提起を受け、宍道湖の水質を守る取り組みを検討し、汚染の主な原因となっている植物性廃食油のリサイクル処理を推進している。
2012年に処理機械を借りて、 1600 世帯を対象に廃食油処理等の導入試験が行われ、2013年からは廃食油軽油代替燃料化事業により、施設を導入し実施している。精製後に残るグリセリンと油かすの処理は、業者に委託し処理している。
また廃食油用の容器を世帯に無料配布し、市民が公民館に設置された大型の収集容器に移し替えた後、月に1回市が回収を行っている。
精製したバイオディーゼル燃料は、当初同市のゴミ収集車に使われていたが、2014年に同市を含む広域ゴミ処理施設が稼働したのを契機に、市営マイクロバス7台のうちエンジンを改良した2台に活用されている。
└バイオディーゼルの課題
・動物油脂や低品質廃油脂は利用できない点。
・精製によって生じたグリセリンの処理や資源化。
・自動車燃料として、酸化安定性に問題がある点。酸化してしまうと、油の粘度上昇によるエンジン不調等、機械・装置上の不具合がでる。
・窒素酸化物と呼ばれる有害な排出ガス点、軽油使用時と比べて多く排出する。
・飢餓に苦しむ人が多い中、食料として使える植物を燃料化して良いのか、という社会的観点。
上記課題を解決するため、「次世代バイオディーゼル燃料」に注目が集まっている。
次世代バイオディーゼル燃料とは、食物と競合しないバイオマスを原料とし、軽油からの100%置換が期待されるバイオディーゼル燃料のことである。特徴は、分子構造が市販の軽油と同じ炭化水素であり、利用に混合を必要としない。
ディーゼル車のエンジンが排出するCO2と、次世代バイオディーゼル燃料の原料となる植物が成長過程で吸収するCO2を同量にすることで、CO2排出量を「実質ゼロ」とみなすことができると考えられている。
└参考文献
国立環境研究所
「K22070 廃油脂類を原料とした動脈静脈連携型の次世代バイオディーゼル燃料製造技術の開発と評価に関する研究」
https://www.env.go.jp/policy/kenkyu/suishin/kadai_hyouka/h24/pdf/k2305image.pdf
「収集・運搬におけるバイオマス燃料の導入推進」
https://www.env.go.jp/content/900534301.pdf
「3.バイオディーゼル燃料化の事例」
https://www.env.go.jp/recycle/report/h19-01/chpt4-3.pd (2024年5月1日閲覧)
JRW Innovation Platform (2023)
「次世代バイオディーゼル燃料の導入に向けた取り組みをご紹介!」西日本旅客鉄道株式会社
https://media.jrw-ip.jp/blog/3607/#:~:text=%E6%AC%A1%E4%B8%96%E4%BB%A3%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB%E7%87%83%E6%96%99%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E8%BB%BD%E6%B2%B9%E3%81%A8%E6%88%90%E5%88%86,CO2%E3%82%92%E5%90%B8%E5%8F%8E%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 (2024年5月1日閲覧)
サステナブルタイムズ (2023)
「新しい時代のエネルギー「次世代バイオ燃料 」とは。特徴や従来型との違いを紹介」ユーグレナ
https://www.euglena.jp/times/archives/20292 (2024年5月1日閲覧)
SDGS ACTION!(2023)「脱炭素化に向けて注目のバイオ燃料 原料や問題点、作り方などを解説」朝日新聞
https://www.asahi.com/sdgs/article/14661874 (2024年5月1日閲覧)
環境展望台(2017)「環境技術解説」国立研究開発法人 国立環境研究所
https://tenbou.nies.go.jp/science/description/detail.php?id=7#:~:text=%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB%EF%BC%88Bio%20Diesel%20Fuel,%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E6%9C%9F%E5%BE%85%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 (2024年5月1日閲覧)
Sustainable Japan (2014)「【エネルギー】バイオ燃料の種類・実用性・課題」株式会社ニューラル
https://sustainablejapan.jp/2014/08/09/biofuel/11532 (2024年5月1日閲覧)
交通安全環境研究所 (2016)
「ディーゼル車の環境性能に与えるバイオマス燃料の影響実態把握とその評価に関する研究」
交通安全環境研究所
https://www.ntsel.go.jp/kankyo/ondanka/k_on9.html#:~:text=%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB%E7%87%83%E6%96%99%E3%81%AF%E7%A9%BA%E6%B0%97,%E3%81%8C%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 (2024年5月1日閲覧)
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2024年3月7日
「ふざけるな」法廷に怒号 伊方原発訴訟8年、訴え届かず(共同通信)
「ふざけるな」「不当判決」。判決理由を読み上げる裁判長の淡々とした声に、次々と怒号がかぶさった。四国電力伊方原発3号機の運転差し止めを求める訴えを退けた7日の大分地裁判決。「なぜ私たちの思いを聞いてもらえないのか」。提訴から約8年。原発の危険性を訴え続けてきた原告たちは、憤りをあらわにした。
地裁前には、朗報を待ちわびる原告や支援者らが駆け付けた。敗訴が伝わると、「腹立つなあ」と落胆の声を漏らした。
「司法は福島事故を忘れたか」と大書した紙を弁護士と共に掲げた原告の大原洋子さん(70)は「私たち市民が怖い思いをしながら闘ってきたことが、なぜ聞いてもらえないのか」と強い口調で訴えた。
伊方原発3号機の運転差し止め認めず 大分地裁判決「具体的危険なし」(愛媛新聞)
四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)で大量の放射性物質が放出される事故が起きれば生命や生活が侵害されるとして、大分県の住民549人が運転差し止めを求めた訴訟の判決が7日、大分地裁であった。武智舞子裁判長は「安全性に欠けていると認められず、原告らの生命などに侵害が生じる具体的危険があるとは認められない」として住民側の請求を棄却した。
2011年の東京電力福島第1原発事故を契機とした伊方原発に関する同種集団訴訟はほかにも松山と広島、山口の3地裁・支部で審理されており、判決は初めて。原告側は即日控訴した。
大分地裁では16年に大分県の住民が提訴し、27回の口頭弁論を経て23年6月に結審。事故のきっかけとなる地震や火山噴火の想定の妥当性と、施設の安全性確保が争点となっていた。
愛媛 伊方原発3号機 運転停止求めた訴え退ける 大分地裁(NHKニュース)
裁判長「具体的な危険あるとは認められない」
住民側が「近くには国内最大級の『中央構造線断層帯』のほかにも活断層が存在する可能性があるにも関わらず、地下構造を詳しく把握する『三次元探査』を行っていない」などと主張していた点については、裁判所は「各種の調査を組み合わせることによって地下構造を把握することは可能だ」などと指摘し、四国電力の調査は合理的だと判断しました。
また、熊本県の阿蘇山の巨大噴火を想定した対策などが必要だとする住民側の主張については、「『巨大噴火の発生頻度は極めて低く差し迫った状態ではない』という四国電力の評価には合理性がある」としました。
判決は愛媛、広島、山口で起こされた一連の集団訴訟では初めてで、能登半島地震後の原発の安全対策をめぐる司法判断としても注目されていました。
専門家 地震については「最新の調査研究のフォローが重要」
地震や地質調査に詳しい東京大学地震研究所の纐纈一起名誉教授は、7日の判決について、「原発の規制基準やそれに基づく国の審査に特に欠点はなかった、ということを意味する」と述べました。
また、争点の1つで、地下構造を詳しく把握する「三次元探査」については、「地震はまだまだ分からないことだらけなので最新の調査や研究の動向を真剣にフォローすることが一番重要だ。住民側が求めている『三次元反射法探査』を必ずしも実施しなくても、地下の構造を把握できるのは確かだが、実施できるならばやった方がより正確な評価ができる。電力会社はもちろん、規制側も、不断の努力を続けてほしい」と話していました。
【これまでの経緯】伊方原発 対岸の大分市中心部からは70kmほど
愛媛県伊方町の佐田岬半島にある伊方原子力発電所は当初、1号機から3号機まで稼働していましたが、1号機と2号機は廃炉が決まり、現在、運転中なのは3号機だけです。
東京電力福島第一原発の事故を受けて原発の安全性を問う声が高まり原発がある愛媛県のほか、広島、山口、それに大分県の住民による集団訴訟が起こされました。
伊方原発3号機の安全性をめぐっては異なる司法判断が相次ぎ、運転の停止と再開が繰り返されてきました。
広島県の住民などが運転の停止を求めた仮処分の申し立てについて広島高等裁判所が2017年12月、火山噴火のリスクを指摘して運転の停止を命じる決定を出しました。
しかし、四国電力が異議を申し立て、2018年9月に広島高裁の別の裁判長が決定を取り消し、運転を認めました。
また、2020年1月には、山口県の住民による仮処分の申し立てについて、広島高裁が「地震や火山噴火によって重大な被害が及ぶ危険がある」などとして、再び運転を認めない決定を出しましたがこの決定も翌年に取り消されました。
伊方原発3号機はその後も電源の一時喪失や原発の保安規定違反などのトラブルが相次いだ影響で運転が停止することもありましたが、地元説明や定期検査を経て現在、運転を続けています。
原告の1人 しいたけ生産者「風評被害だけではすまない」
原告の1人で、原告団の共同代表を務める大分県杵築市の中山田さつきさんは、伊方原発3号機の運転停止を求め、8年前から司法の場で闘い続けてきました。
農業を営み、コメや大分特産のしいたけを栽培する中山田さんが原発の運転停止を求めたきっかけは、福島第一原発の事故の際に経験した風評被害です。
福島第一原発の事故のあと、東北や関東の広い範囲で原木しいたけから国の基準値を上回る放射性物質が検出されましたが、基準値を上回らなかった大分のしいたけにも影響が及びました。
中山田さんが栽培した原木しいたけの価格は、事故前の1キロあたりおよそ4000円から半分に暴落したといいます。
当時、中山田さんは、「価格が下がるのは予想外で収入がかなり減ってしまった。どこで大きな地震があってもおかしくないので、どこの原発であれ、再稼動はあってはならない」と話していました。
大分地方裁判所が7日、住民側の訴えを退ける判決を言い渡したことについて、中山田さんは「裁判所は福島第一原発の事故を忘れたのかという判決でした。伊方原発で事故が起きれば大分では風評被害ではなく、実際に被害が出ます。県民あげての裁判で、大分県への影響は大きいので、本当に悔しいです」と話しました。
伊方原発の運転停止を求めて運動を続けていくということです。
【判決前】原告団が集会 能登半島地震にも言及
判決が言い渡される前、大分地方裁判所近くの公園では原告らが集会を開き、弁護団の共同代表を務める徳田靖之弁護士が、「ことしは能登半島地震がありましたが、私たち人間がどのような時期にどのような規模で地震が発生するのか予測することはできません。伊方原発を止めるために命ある限り闘うんだということを皆さんに伝えたいです」と話していました。
午後1時50分ごろ、原告団およそ50人が、「ふるさと大分は原発被害を許さない」とか、「理性と良識が原発を止める」などと書かれた横断幕や旗を掲げながら大分地方裁判所に入りました。
一般傍聴席 倍率は3.85倍
大分地方裁判所では多くの人が傍聴券を求めて抽せんに参加しました。裁判所によりますと一般の傍聴席62席に対して239人が並び、倍率は3.85倍でした。
損傷した変圧器は撤去済みだった 能登地震2カ月、志賀原発を初めて公開 外部電源は一部供給できぬまま(東京新聞)2024年3月7日
北陸電力は7日、能登半島地震で設備の故障が起きた志賀原発(石川県志賀町)の敷地内を、地震後初めて報道陣に公開した。激しい揺れで変圧器の配管が壊れて油漏れを起こし、外部電源の一部から電気を受けられない状況が続いている。完全復旧の見通しは立っていない。
油漏れが起きた志賀原発2号機の変圧器=7日、石川県志賀町で
この日公開されたのは、油漏れを起こした1、2号機の変圧器や、揺れで水が飛散した2号機の使用済み核燃料プール、地震後の試運転で止まった非常用ディーゼル発電機など。変圧器の損傷部分はいずれも撤去され、油漏れの状況は分からなくなっていた。1号機原子炉建屋脇の地面に数センチの段差が生じていた。
油漏れが起きた志賀原発1号機の変圧器=7日、石川県志賀町で
公開までに地震発生から2カ月以上かかったことについて、中田睦洋・原子力部長は「余震リスクがあり、町内のインフラ復旧が滞っていたため、安全面に配慮した」と述べた。
地震で志賀町は最大震度7を、1号機地下では震度5強を観測。敷地前面で最大約3メートルの津波を確認したが、敷地内への浸水はなかったという。
志賀原発は1、2号機とも2011年3月から停止中で、2号機は新規制基準の適合性審査が続いている。(渡辺聖子)
地震後で初めて志賀原発を公開、担当者「安全上必要な電源は確保」…地面には数センチの段差(読売新聞)2024年3月7日
能登半島地震で破損した志賀原発2号機の変圧器(7日午後、石川県志賀町で)=佐々木紀明撮影
北陸電力は7日、能登半島地震後初めて志賀原子力発電所(石川県志賀町)を報道各社に公開した。地震では複数の変圧器が破損したが、担当者は「安全上必要な電源は確保できている」と語った。
同原発には1、2号機の2基の原子炉があり、2011年から運転を停止している。1月の地震では外部からの受電に必要な2台の変圧器が破損し、5系統のうち2系統の電源網が使えなくなった。原子炉などの建屋に損傷はみられなかったが、敷地内の地面には数センチの段差ができた。
この日は破損した2台の変圧器も公開され、担当者が復旧の見通しを説明。1台については2月末に仮復旧を終えた一方、もう1台はこれから修理方法を検討するため復旧時期は未定という。
見事なヒスイの石仮面をマヤの王墓で発見、「闇の時代」解明の手がかりとなる嵐の神(ナショナル ジオグラフィック日本版 3月7日)
「きわめて珍しい」と考古学者、盗掘を免れたグアテマラのチョチキタム遺跡で発掘
翡翠(ヒスイ)のモザイクでできた小さな仮面。目と歯にはウミギクガイの殻が使われ、嵐の神を表している。紀元350年ごろにチョチキタムに埋葬された王の胸の上に置かれていた。(PHOTOGRAPH BY RUBÉN SALGADO ESCUDERO)
チョチキタム遺跡は、中米グアテマラのヤシの木が茂る熱帯雨林の中、落ち葉と石の塊に埋もれた場所にある。これまでほとんど知られていなかったこの遺跡は、考古学的な大発見が起こるような場所にはとても見えないかもしれない。ましてや、長い間、研究者たちを悩ませてきた闇の時代の手がかりが見つかるとは、誰も考えなかったはずだ。
しかし、それが現実になった。この場所で、翡翠(ヒスイ)を組み合わせて作ったミステリアスな仮面が発見されたのだ。これまで知られていなかったマヤの王のものだと考えられている。
この発見から、1700年近く前の古典期初期のマヤ文明における篤い信仰と王位継承の実態が浮かび上がってくる。それだけでなく、この時代のマヤの王族が、マヤよりもさらに強力なメソアメリカの王朝の支配下にあった可能性があるという説の信憑性を高めそうだ。
「この点に関しては、さまざまな説があります」と話すのは、考古学者でナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー(探求者)でもあるフランシスコ・エストラーダ゠ベリ 氏だ。「この仮面によって、マヤの歴史に関する古い解釈が葬り去られる日はますます近づくことでしょう」
王のピラミッドと棺の発見
チョチキタム遺跡とその歴史は、時の経過による荒廃と深い熱帯雨林にはばまれて、長い間謎に包まれていた。遺跡があるペテン県は、グアテマラ北東部に位置する低地帯で、メキシコとベリーズに挟まれている。遺跡自体は20世紀初頭から知られていたが、マヤ文明とのつながりについては、ごく最近までわかっていなかった。
理由のひとつは、遺跡ができた年代にある。マヤ古典期は紀元250年から900年ごろで、マヤ文明の最盛期と重なる。しかし、この時期の文献はほとんど皆無で、栄光のほとんどは盗掘によって失われてしまった。
実際、チョチキタムも盗掘者の餌食になっていた。2021年に、レーザー光線による測距技術である「ライダー(LiDAR)」を使った調査では、遺跡の中心である王家のピラミッドと思われる建造物に、盗掘用のトンネルが掘られていたことがわかった。しかし、エストラーダ゠ベリ氏と同僚のブハニー・ジロン氏は、盗掘者たちが見逃した場所があることに気づき、発掘調査を行った。
「簡単なことではありませんでした」と、米テュレーン大学中米研究所の教授で、マヤの先古典期と古典期に詳しいエストラーダ゠ベリ氏は話す。
ピラミッドを7メートル以上も掘り進んだところで、ジロン氏が頭蓋骨と何本かの歯、そして棺のような形の石の箱を見つけた。箱の上部は壊れていたが、エストラーダ゠ベリ氏は副葬品を見つけた。壺、巨大なカキの殻を組み合わせたもの、いくつかの骨の破片、そして、美しい翡翠が丁寧に並べられていた。
王にふさわしい翡翠の仮面
2022年6月下旬、研究室に戻ったエストラーダ゠ベリ氏は翡翠に注目した。これは考古学者がテッセラと呼ぶもので、ほかのマヤ遺跡では、王族を埋葬する際のモザイクの仮面に使われてきた。神や先祖の象徴として、埋葬者の富や権力を表していることが多い。
何度か翡翠のタイルを動かすと、渦巻き状の目と鋭い歯を持つ顔ができた。
また、目ざとい同僚が、墓の主のものと思われた骨の一部に、黒曜石で刻んだと思われる細かい彫刻に気づいた。骨のうち2つは埋葬された王のものではないこともわかったが、その彫刻から、支配者である王の身元が明らかになった。なんとその彫刻に描かれていたのは、マヤの神の頭を掲げる支配者だった。それは、エストラーダ゠ベリ氏がよみがえらせた仮面の神そのものだった。
しかし、この王や神は何者なのだろうか。エストラーダ゠ベリ氏は、米アラバマ大学の考古学者で、マヤの碑文に詳しいアレクサンドル・トコビニン氏の協力を得て、彫刻の解読にあたった。そして、謎の支配者と神の身元が明らかになった。支配者は、イツ��ム・コカジュ・バフラム(「太陽神/鳥/ジャガー」の意)。そして渦巻く神は、考古学者たちにヤクス・ワヤーブ・チャウクG1(「最初の魔術師 雨の神」の意)と呼ばれている存在で、マヤの嵐の神だった。
エストラーダ゠ベリ氏は、この発見は「きわめて珍しい」と言い、まだ明らかになっていない時代や場所の貴重な情報源になるだろうと述べている。
地方と中央、それぞれの王
墓から見つかった香や骨の放射性炭素年代測定を行ったところ、イツァム・コカジュ・バフラムは、紀元350年ごろのチョチキタムの王だったとみられることがわかった。
埋葬の場所から、その主がエリート階級や王権を持つマヤの支配者であることは明らかだ。しかし、遺跡で見つかった工芸品や建築物から、当時の地方指導者の多くはさらに強力な王に従属していた、あるいは操られていたという説の信憑性が増している。また、この遺跡から見つかった品の中��は、ほかの強力なメソアメリカ都市で見つかった品を思わせるものもある。そのひとつが、全裸のイツァム・コカジュ・バフラムの姿を描いたものだ。
「これがティカルやテオティワカンの影響下にあったマヤの王だったことは明らかです」とエストラーダ゠ベリ氏は言う。古代メソアメリカの都市テオティワカンは現在のメキシコにあり、マヤの都市ティカルは同じペテン県にある。どちらも、僻地と言えるチョチキタムよりも大きく、影響力も強かった。
「遺跡からは、隷属的な地位にあったという証拠は見つかっていません。しかし、状況から考えれば、ティカルには直接的に隷属し、テオティワカンには間接的に隷属していたと思われます」
チョチキタムの王たちの詳細や、謎につつまれたマヤ古典期初期の強力な支配者たちとのつながりについては、まだわからないことが多い。エストラーダ゠ベリ氏のチームは、遺跡で見つかった骨の古代DNA調査や、打ち捨てられたピラミッドからさらに宝が見つかる可能性など、あらゆることを調査し尽くすつもりだ。
それが明らかになるまでは、失われたマヤ王の翡翠の仮面を堪能することにしよう。エストラーダ゠ベリ氏によると、この仮面と彫刻が施された骨は、地道で骨の折れる考古学調査の世界ではめったに味わうことができないスリルに満ちているという。
「今、目の前にあるのは骨ですが、それを調べることで、彼がきらびやかな衣装を着て、王位の象徴である品を手にし、王権を掌握していた様子が見えてきます。これはたまらなくわくわくする瞬間で、考古学者としての特権です」と、エストラーダ゠ベリ氏は話す。「ときには、幸運に恵まれることもあるのです」
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けさ、福井県敦賀市の敦賀原子力発電所1号機で、「煙が見える」と通報がありました。けが人はいないということです。 消防などによりますと、午前6時20分すぎ、福井県敦賀市にある敦賀原子力発電所1号機で、「タービン建屋から煙が見える」と通報がありました。消防車が到着した時には、煙はすでに消えていたということです。 日本原子力発電によりますと、1号機は2017年から廃炉作業が進められていますが、当時、中で作業をしている人はおらず、けが人も確認されていないということです。 タービン建屋内の空気を外に出す排気ファンのモーター部分から煙が出たという情報もあり、消防が当時の状況を調べています。
「タービン建屋から煙が見える」敦賀原子力発電所1号機で発煙 周辺の放射線量に異常なし(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース
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2023/1/3
アニメアイコンにしていて、サブカルオタクだけど、ミソジニーがないと言われたことを急に思い出したが、それはマイナスからゼロに戻っただけな気がしなくもないということを思った。
近隣をふらふらしていた。古本屋に行きあいかわらずセーターを買ってしまった。あとはブックオフにもひさしぶりに行った。これは本棚があいたので、それだけの気持ちで。その意気込みに反して目ぼしいものはあまりなく、ヴァージニア・ウルフ短編集を見つけたのでそれだけ買った。あとはありがちな間違いを見つけた。サリンジャーとシェイクスピアのあいだに挟まるジェーン・スー。新潮社の文庫だしね。
1/1からミュージックレインの三期生の一年振り返りインタビューが公開されており、今日は宮沢小春のものが公開されていた。
昨年の宮沢小春の支えになった曲ランキングは措いておくとして、結びにある言葉。
私は、人の悩みにはポジティブなんですけど、自分のことは悪い方向にばかり考えてしまうんです。でも、そういう私を明るい方向に導いてくれたのが皆さんだと思っています。2023年は「宮沢小春を応援していて良かった」と思ってもらえるように精一杯精進しますので、ぜひ側にいてください。今後もよろしくお願いします!
私に送ってくれた年賀状にも、恩返しできるように、という旨が書かれていた。帰結として応援ということにはなるかもしれないが、私はそんな意識はほとんどなく、私の基準に従って、良い悪いを自由に言うだけであるので、彼女も自分の思うところで自由にやってくれと思うが、それも措いておき、応援という意識が希薄なせいか、「応援していて良かった」というものがよくわからない。
曖昧な言い方なので、分節してみれば二つ思いつく。一つは行為の継続に対する報い deserveのようなものと、もう一つは偶然的なギフトのようなもの。一つ目について。推しが武道館にいってくれたら死ぬとかいうものがあるし、私は彼女にいつか朗読会をやってほしいと思っている。もし彼女が今年朗読会をやってくれたら、これまで応援していたからこうやってやってくれて良かった、と思うことがあるかもしれない。ただ私はあまりそうは思わず、この場に巡り会えて良かった、としか思わないだろう。応援という行為の継続に関わらず、良かったという喜びの享受は生まれうる。行為の継続は、そうした喜びの感情を高めうるものではありえても、喜びそのものには結びつかないように思われる。だから、彼女の頑張りが行為の継続そのものに対す��報いに相当するとは思わない。もちろん継続していなければ、そうした場に巡り会えないということもあるが。
もう一つは、曖昧模糊としたもので、よりカタルシスや偶然性に近いものがあるとも思われる。例えば、「応援していて良かった」というの言葉が最も効果を持つのは、これまであまり日の目を見ることはなかったが、ある時に活躍したことによって、生まれうる感情とか。なんだか成長した親戚の子供を見るような感覚かもしれない。いないから知らんけど。あるいは、先に述べたように、見続けてきたからこそ、その場に会えたということもあるかもしれない。そして、もっと曖昧なもので、天啓のように降り注ぐものもあるかもしれない。
思いかえしてみると、応援していて良かったではなく、聞き続けていて良かったと思ったことはある。それは、Good Dog Happy Menの「自由も孤独もいらなくなって」という曲の歌詞に、「遠回りした僕らのたしかさがここにある」とある。これはメンバーが減っていた末に出された最後のアルバムの最後の曲で、それを見ていたからこそわかったもので、リアルタイムで同じ経路を経験してきたからこそ、その言葉を実感をもってわかるというものだった。
そう考えると、宮沢小春をリアルタイムで見続けて、何か到達できた一つの場所で、発された言葉の意味を、身をもって理解できる、ということは「応援していて良かった」と言えるかもしれない。分節化してみたが、そんなに截然と分けられるわけではなく、ごっちゃになり、書いてみたら私は意味を納得できた。
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2017年の1月に描いた、2017年の年賀状用のイラストです。創作漫画のキャラクターとニジキジを描きました。
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2024年1月25日
新広島駅ビルとつながる歩行者専用橋、まずは広島JPビルディング側に橋桁(中国新聞)
広島JPビルディング(奥)の2階につながる歩行者専用橋
JR広島駅(広島市南区)の南口で建て替え中の駅ビルと周辺4施設をそれぞれ結ぶペデストリアンデッキ(歩行者専用橋)の工事のうち、最も先行する広島JPビルディング側の橋桁が架けられた。市は、新駅ビルが開業する2025年春の利用開始を目指す。
【写真】新広島駅ビルと広島JPビルディングをつなぐ歩行者専用橋
オフィスや店舗が入るJPビルは22年9月に、駅西側の広島東郵便局跡地にオープン。市が専用橋(長さ約26メートル、幅約4メートル)を新駅ビル西棟の2階とつなげ、今後、屋根などの工事を続ける。
同様に25年春には東側の「エキシティ・ヒロシマ」、26年度末までには南側の「エールエールA館」「ビッグ・フロントひろしま」と新駅ビルをそれぞれ行き来できる専用橋が完成する。新駅ビルの2階には、路面電車の新ルート「駅前大橋線」も高架で乗り入れることになる。
市交通施設整備部は「新駅ビルと周辺施設の回遊性を高めたい」としている。
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変わるエキキタ 広島駅北側で新たなオフィスビル建設始まる(広島テレビ)2024年1月25日
JR広島駅の北側で25日、新たなオフィスビルの建設に向けた地鎮祭が行われました。「IKEA」が出店を断念した場所で、いよいよ建設が始まります。
工事が始まるのは、JR広島駅北側の二葉の里地区に「大和ハウス工業」が所有する土地です。
25日、工事関係者や地元住民ら約20人が出席し、工事の安全を祈願して玉串を捧げました。
大和ハウス工業 下西佳典 専務 「エキキタというのは今後もまだまだ発展していくのではないかなと思っています」
国有地だったこの土地は、2013年に一般競争入札で落札した「イケア・ジャパン」が店舗を建設する予定でした。しかし「イケア」は出店を断念。土地は2021年に不動産大手の「住友不動産」に売却されました。
建設が始まるのは西側の区画で、大和ハウス工業が飲食店などの商業施設を備えた地上10階建てのオフィスビルを計画。ワンフロアが700坪以上の広さで、2025年11月に完成予定です。
そして、東側には住友不動産がマンションやホテル、温浴施設などを備えた33階建ての複合施設を計画していて、2027年の開業をめざすということです。
JR広島駅の再開発工事も着々と進んでいます。新しい駅ビルと2022年オープンした広島JPビルディングを結ぶペデストリアンデッキも姿を見せました。駅ビルの2025年春の開業に向け、まだまだ変化が続きます。
イケアの出店計画があった広島駅北口、10階建てオフィスビル着工 来年11月末の完成予定(中国新聞 1月27日)
大和ハウス工業(大阪市)は、スウェーデン家具大手の日本法人イケア・ジャパン(千葉県船橋市)が出店を計画していたJR広島駅北口の二葉の里地区(広島市東区)の土地で、10階建てオフィスビルの建設を始めた。2025年11月末の完成を目指す。
25日に着工した。ビルの建築面積は6300平方メートル、延べ床面積は4万平方メートル。大和ハウスは1・88ヘクタールの土地のうち西側の約1・1ヘクタールを使う。1階の商業施設のテナントは未定。約360台分の立体駐車場も建てる。
東側の約0・8ヘクタールでは、住友不動産(東京)がホテルやマンション、温浴施設などが入る34階建ての複合ビルを計画する。24年中に着工し、27年の完成を予定する。
土地はもともと国有地で、13年の一般競争入札でイケア・ジャパンが取得した。中四国地方初の出店を発表していたが「戦略を見直した」として21年10月、住友不動産に売却。昨年10月まで時間貸しの駐車場になっていた。
「デブリ」取り出し、現行計画を断念 理由は…ロボットアームの性能が足りなかった 福島第1原発2号機(東京新聞)2024年1月25日
東京電力は25日、福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)2号機の溶け落ちた核燃料(デブリ)の試験的な取り出しについて、3月中に始める計画を断念すると発表した。使用するロボットアームの性能が不足し、準備作業も難航したため。工法を変え、10月の開始を目指す。延期は3回目。
ロボットアーム 溶け落ちた核燃料(デブリ)を遠隔操作で、先端に付けた金属ブラシなどを使い回収する。伸縮式で最大長さ約22メートル。国の補助事業の一環として、国際廃炉研究開発機構(IRID)や三菱重工業��英国企業が2017年4月から共同開発した。開発費を含めた原子炉の内部調査事業には、約78億円の国費が投じられている。
現行計画では、遠隔操作のロボットアームを、格納容器内部につながる横穴から入れ、デブリを採取する予定だった。アームの動作確認で、原子炉内の7センチほどの隙間を通る性能などに課題があると判明した。
さらに、直径約55センチの横穴は事故で発生した堆積物でふさがり、除去する必要がある。除去作業を1月に始め、計画より時間がかかる見通しになった。
東電は工法を、過去の調査で使った釣りざお状の装置に切り替える。伸縮する棒で、横穴に堆積物が残っていても炉内に入れる。この装置でデブリを採取した後、ロボットアームを使った調査や採取も目指す。
25日に記者会見した東電福島第1廃炉推進カンパニーの小野明・最高責任者は「ロボットアームの精度を上げないといけない。前例のない難しい作業で、安全に進めるために工程変更が必要」と説明した。
2号機のデブリ採取は当初、2021年内に始める計画だったが、ロボットアームの開発や訓練が難航し、これまでに2回延期した。(小野沢健太)
◆海洋放出、24年度は7回計約5万4600トン計画
東京電力は25日、福島第1原発で保管する汚染水を浄化処理した後の水について、2024年度は7回に分けて計約5万4600トンを海洋に放出処分すると発表した。放出で空いた保管タンクの解体も始める。
2024年度の放出は4月に始め、毎回約7800トンずつ放出する。年度内には、二つのタンク群で計21基の解体を始めるという。
放出は昨年8月24日に開始。2023年度は4回に分けて計約3万1200トンを処分する計画で、2月下旬に4回目の放出が始まる。
処理水は、汚染水を浄化処理する「多核種除去設備(ALPS)」で除去できない放射性物質トリチウムが主に残る。大量の海水で薄め、トリチウム濃度を国の排水基準の40分の1未満にし、海底トンネルを通じて沖合約1キロに海中に放出する。(小野沢健太)
「川内原発の避難計画は絵に描いた餅」 能登半島地震で志賀原発の外部電源一部使えず…鹿児島の市民団体、県内全市町村議会に陳情提出へ(南日本新聞 1月25日)
九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の20年運転延長を巡り、市民団体「ストップ川内原発! 3.11鹿児島実行委員会」は24日、地震で想定する最大の揺れ「基準地震動」を超える地震が起きないという保証が得られない限り、運転延長に反対することなどを求める陳情を県内全市町村議会に提出すると明らかにした。
能登半島地震を踏まえた対応。2月上旬ごろまでに各議会に提出する。
運転延長を容認した県と薩摩川内市の両議会には原子力規制委員会に活断層の再調査を求めるよう要請。県議会宛ては24日提出した。
陳情では、今回の地震で一部の外部電源が使えなくなった北陸電力志賀原発(石川県)を挙げ「重大な事故となったが、運転停止中が幸いした」と指摘。多くの集落が孤立した点にも触れ「川内原発の避難計画は絵に描いた餅」とした。
県庁で会見した向原祥隆共同代表は「川内原発の活断層評価は不十分。事故が起きれば全市町村の問題となる」と話した。
能登地震の被災者把握で「マイナカード」を断念、Suicaで代替--「リーダー用意できず」と河野大臣(CNET Japan 1月26日)1月25日に追記
能登地震の被災者把握で「マイナカード」を断念、Suicaで代替--「リーダー用意できず」と河野大臣の画像
デジタル大臣を務める河野太郎氏は1月26日、令和6年能登半島地震の被災者にJR東日本の交通系ICカード「Suica」を配布すると発表した。
被災地では1次避難所から1.5次、2次避難所へ移動する人、あるいは避難所以外で生活している人が増えている。この過程で、被災者の居場所や、避難所の利用状況の把握が難しくなっている。
こうした課題に対して、デジタル庁と防災DX官民共創協議会は、石川県からの要請を受け、JR東日本のSuicaを活用した避難者情報把握ソリューションを来週にも構築する。
具体的には、石川県内の1次避難所の利用者にSuicaを配布し、氏名や住所といった情報を紐付ける。そして、1次避難所の入退出などの際に、リーダーに自身のSuicaをかざすようにする。
河野大臣は「1次避難所では、夜間は親戚の家に泊まったり、車中泊をする人など、さまざまなユースケースがある」とし「この取り組みによって、物資などの支援の効率化が可能になる」と述べた。
また「石川県の要請から数日で具体的な提案をできた。デジタル庁では、同プロジェクトのために職員を2人を石川県へ派遣する」とも述べた。プロジェクトの実施にあたっては、JR東日本からSuicaカードを約1万8000枚、リーダー約350台の無償提供を受けたことも明かした。
河野氏「本来はマイナカードを使うべきだが」
なお、政府はマイナンバーカードの防災活用を掲げているが、なぜ今回はSuicaを使用するのか。こうした疑問に対して河野大臣は「本来はマイナカードでやるべき」としつつ「(NFC)Type-Bに対応したカードリーダーが用意できなかったため、今回はSuicaで代替した」と説明した。
一方で、Suicaで代替したことで、被災者情報とSuicaを手作業で紐付けるなどの事務作業が発生すると指摘。「マイナンバーカードならこうした作業は発生しない」と述べた。
また河野大臣は、マイナンバーカードを常に携行する重要性も訴えた。
「マイナカード機能を搭載したAndroidスマートフォンでも良いが、マイナカードを平時からお財布に入れて携行していただくのが大事。(災害が起きて)家族がバラバラになっても、避難所のリーダーにかざせば、誰がどこにいるの��把握できる。カードを持っていない人は手書きで登録すればいいが、カードの携行率が高ければ、事務作業なしに避難所への入所登録が可能になる」(河野大臣)
河野氏は「今後はマイナカードの普及率だけでなく携行率を何らかの形で見ていく必要がある」と付け加えた。
輪島朝市、金沢で復活 5月の連休目指す「働いとらんと死んでしまう」同じ港町で協力(北國新聞 1月25日)
能登半島地震による大規模火災の被害を受けた「輪島朝市」の商店主の一部が、金沢市金石地区で朝市を復活させることが24日、北國新聞社の取材で分かった。商店主らは全域が焼失している現地での早期再開は困難として、石川県漁協金沢支所や金石町商工振興会の協力を得て、漁協などの施設を借り、海産物の加工や販売を行う。復活時期は未定だが、5月の大型連休での開催を目指し、準備を進める。
金沢市内で24日開かれた第1回の打ち合わせには、輪島市朝市組合や県漁協金沢支所、金石町商工振興会などから21人が出席した。
朝市組合の冨水長毅(とみずながたけ)組合長は「消えかけた朝市の灯をともし続けたい。いずれは輪島で元気な朝市を復活させたい」と話した。
●漁協や振興会協力
1日の地震で観光名所「朝市通り」周辺は大規模火災に見舞われ、組合員らの商いの場はすべて失われた。自宅や加工場が被災した人も多い。
商店主らは金沢市などで避難生活を送っており、「生きがいだった朝市をどこかでできないか」と再建策を模索していたところ、県漁協金沢支所や金石町商工振興会が協力を申し出た。
金沢支所の嶋崎正朗運営委員長は「金石港で水揚げされた魚を仕入れることができる」と説明。支所の資材置き場を、干物作りの場所にして、港近くに露店を設置する見通しを示した。近くにある「加賀建設」は調理施設を提供する。
朝市で鮮魚を扱う露店を営む二木洋子さん(71)=輪島市輪島崎町=は金沢の娘の家に身を寄せている。朝市の再開について「諦めて引退しようと思ったが、マグロと一緒で働いとらんと死んでまう。腕がうずいとる」と笑顔を見せた。
輪島朝市の商店主らは「輪島朝市を応援する会」を設立し、募金を集めている。寄付金は朝市復興や2次避難の支援に使う。
輪島朝市 輪島市の観光名所で行楽シーズンには100を超える露店が軒を並べる。日本三大朝市の一つで、千年以上の歴史を持つ。能登半島地震では朝市通り周辺で大規模火災が発生。国土交通省の国土技術政策総合研究所(茨城県つくば市)は焼失面積は約5万800平方メートルに及び、約300棟が焼損したとする現地調査結果を公表した。
富山湾の海底 斜面の一部 深さ40mにわたり崩壊 海保の調査(NHKニュース 1月25日)
能登半島地震の震源域に近い富山湾の海底を海上保安庁が調査した結果、斜面の一部が深さ40メートルにわたって崩壊していたことがわかりました。
富山市では大地震の発生からわずか3分後に津波が押し寄せていて、専門家は「海底で地すべりが起きて津波が押し寄せたことを裏付ける重要な調査結果だ」と指摘しています。
海上保安庁は今月15日から17日にかけて能登半島地震の震源域の南側にあたる富山湾で測量船に搭載した音波を発射する装置を使った海底の調査を行い、詳細な地形図を作成しました。
それを2010年に作成された同じ海域の地形図と比較したところ、富山市の北およそ4キロ沖合にある海底の斜面が、南北およそ500メートル、東西およそ80メートル、深さが最大およそ40メートルにわたって崩れていることがわかりました。
能登半島地震では震源から離れた富山市で地震からわずか3分後に津波が観測されていて、気象庁は震源付近とは別に津波の発生源があった可能性があるとしています。
海上保安庁の調査結果について、津波のメカニズムに詳しい中央大学の有川太郎教授は「富山湾の海底で地すべりが起き、津波が押し寄せたことを裏付けるもので、シミュレーションの結果とも整合している。津波のメカニズムの解析に役立つ重要な調査結果だ」と指摘しています。
海上保安庁は調査結果を来月開かれる政府の地震調査委員会に提出し、津波の発生原因の特定につなげてほしいとしています。
広島県内で新型コロナの新たな変異株「JN.1」検出 患者数は10週連続で前週上回る(RCCニュース)2024年1月25日
広島県によりますと、直近1週間の県内の新型コロナ患者数は、10週連続で前の週を上回りました。新たな変異株、「JN.1」が県内でも検出されています。
今月15日から21日までの1週間に報告された新型コロナの患者数は、1医療機関当たり11.42人で10週連続で増加し、定点あたり10人を上回りました。新型コロナの患者数が定点あたり10人を上回るのは、去年9月以来です。
新型コロナには基準がありませんが、インフルエンザの場合は定点あたり10人を超えると注意報が出されます。また、県は新型コロナの新たな変異株「JN.1」が、今月、県内で9件、全体のおよそ3割程度、検出されていることを明らかにしました。
県では感染者の増加傾向が続いていることから、感染対策を取るなど注意を呼びかけています。
新型コロナ 広島県内の新規感染者41%増 10週連続で増加 25日発表(テレビ新広島)2024年1月25日
新型コロナウイルス。広島県は25日、先週1週間(1月15日~21日)に広島県内の定点調査で確認された新規感染者数は1291人、定点あたり11.42人と発表しました。前週と比べて感染者数は41%増で、10週連続で増加しています。
(前週は918人、定点あたり8.21人)
広島県は、現時点で医療がひっ迫している状況にはないが、引き続き手洗いや換気など基本的な感染対策をするよう呼び掛けています。
一方、このほかの感染症ではインフルエンザ、咽頭結膜熱、A群溶血性レンサ球菌咽頭炎について、県は引き続き警報を発令し警戒を呼び掛けています。
※「5類」移行後、広島県内の感染者数
5月8日~14日 259人 定点あたり2.31人
5月15日~21日 253人 定点あたり2.26人 前週比 横ばい
5月22日~28日 266人 定点あたり2.38人 前週比 横ばい
5月29日~6月4日 344人 定点あたり3.07人 前週比 微増
6月5日~11日 443人 定点あたり3.92人 前週比 微増
6月12日~18日 493人 定点あたり4.36人 前週比 微増
6月19日~25日 532人 定点あたり4.71人 前週比 横ばい
6月26日~7月2日 771人 定点あたり6.88人 前週比 微増
7月3日~9日 1,060人 定点あたり9.46人 前週比 微増
7月10日~16日 1,245人 定点あたり11.12人 前週比 微増
7月17日~23日 1,548人 定点あたり13.82人 前週比 微増
7月24日~30日 1,783人 定点あたり15.92人 前週比 微増
7月31日~8月6日 1,639人 定点あたり14.77人 前週比 横ばい
8月7日~13日 1,302人 定点当たり11.94人 前週比 微減
8月14日~20日 1,601人 定点あたり14.29人 前週比 微増
8月21日~27日 1,633人 定点あたり14.58人 前週比 横ばい
8月28日~9月3日 1,637人 定点あたり14.62人 前週比 横ばい
9月4日~10日 1,697人 定点当たり15.02人 前週比 横ばい
9月18日~24日 1,073人 定点あたり9.58人 前週比 微減
9月25日~10月1日 880人 定点あたり7.79人 前週比 微減
10月2日~8日 535人 定点あたり4.73人 前週比 減少
10月9日~15日 411人 定点あたり3.64人 前週比 微減
10月16日~22日 303人 定点あたり2.71人 前週比 微減
10月23日~10月29日 321人 定点あたり2.84人 前週比 横ばい
10月30日~11月5日 285人 定点あたり2.52人 前週比 微減
11月6日~12日 189人 定点あたり1.67人 前週比 減少
11月13日~19日 194人 定点あたり1.72人 前週比 横ばい
11月20日~26日 300人 定点あたり2.65人 前週比 増加
11月27日~12月3日 306人 定点あたり2.71人 前週比 横ばい
12月4日~10日 313人 定点あたり2.77人 前週比 横ばい
12月11日~17日 356人 定点あたり3.15人 前週比 微増
12月18日~24日 360人 定点あたり3.19人 前週比 横ばい
12月25日~31日 671人 定点あたり5.94人 前週比 増加
1月1日~7日 682人 定点あたり6.04人 前週比 横ばい
1月8日~14日 918人 定点あたり8.21人 前週比 微増
1月15日~21日 1,291人 定点あたり11.42人 前週比 微増
※前週との比較
急増減…1:2以上の増減
増減…1:1.5~2の増減
微増減…1:1.1~1.5の増減
横ばい…ほとんど増減なし
全国のコロナ感染者数、9週連続で増加 入院患者は昨年末の2倍に(朝日新聞 1月26日)1月25日に追記
厚生労働省は26日、全国に約5千ある定点医療機関に15~21日に報告された新型コロナウイルスの新規感染者数は計6万268人で、1定点あたり12・23人(速報値)だったと発表した。前週(8・96人)の約1・36倍で、9週連続で増加した。入院者数も昨年末の約2倍になっている。
1定点あたり10人を超えるのは9月18~24日の週(11・01人)以来。
都道府県別の最多は福島の18・99人で、茨城18・33人、愛知17・33人と続く。東京8・33人、大阪7・96人、福岡10・40人だった。全47都道府県で増加した。
21日までの1週間に定点医療機関に報告された新規入院患者数は3462人で、前週(2862人)から600人増加。集中治療室(ICU)に入院している患者数は115人で、前週(136人)から21人減った。
全国の医療機関からの報告では、24日時点で2万1446人(うち重症者は257人)が入院しており、昨年12月27日時点の1万77人(同119人)の約2倍となった。
季節性インフルエンザの新規感染者数は、1定点あたり17・72人で、前週(12・99人)の約1・36倍だった。(藤谷和広)
【コロナ新変異株流行】医師が警鐘“2つの株に感染”する可能性 長い「コロナ禍」により呼吸器感染症も急増か(FNNプライムオンライン 高知さんさんテレビ 1月27日)
第10波の感染が拡大している新型コロナ。高知市の医師2人に現状を聞くと、従来株に加え新しい変異株が流行し、第10波の期間中2つの株に感染する可能性が出てきたという。
さらに様々な呼吸器感染症の患者も爆発的に増えている。第10波のさなかで戦う医療現場の今を取材した。
世界中で流行 新変異株「JN.1」
1月21日までの1週間に報告されたコロナの感染者数は、1医療機関あたり13.95人で前の週の1.27倍に。今シーズン初めてインフルエンザの感染者数を上回った。
県は第10波の感染が拡大し、今後、医療逼迫のおそれがあるとしている。
この第10波の背景に、新しい変異株の存在を指摘する医師が、高知市の朝倉医療クリニックの武市牧子院長だ。
武市院長「日本では12月末からJN.1が主流になってきて、現状、非常に拡大しているという(国立感染症研究所からの)報告が出ている。」
JN.1は世界中で流行しているオミクロンの新しい変異株で、高知県内でもすでに感染が確認されている。
武市医師は10波の期間中、従来のオミクロンとJN.1の2つの株に感染するおそれがあると指摘する。
武市院長「JN.1の症状はこれまでのオミクロン株とあまり変わらず、せき、高熱、関節痛、のどの痛みなどがみられる。前回オミクロンBA.2にかかった方でも、新しい株にはかかる可能性があるので気をつけてもらいたい。」
呼吸器系疾患 異常な数で増加
注意すべきは、コロナやインフルエンザだけではありません。高知市の近森病院の石田正之医師は、今シーズンのある特徴に警鐘を鳴らしている。
石田医師「呼吸器感染症を起こす病原体の感染症が5類になって以降、非常に異常な数で増えていることが分かっている。」
全国的にこの冬、咽頭結膜熱、RSウイルス感染症、溶連菌感染症などの呼吸器感染症が急増。症状は、いずれも発熱、せき、のどの痛みなどで、子どもが多く感染している。
県内では溶連菌感染症が特に多く、1医療機関あたり3.73人と、安芸福祉保健所管内で急増、中央東で増加している。
呼吸器感染症が急増する原因について、石田医師は「コロナによって過去3年あまり(感染対策の徹底で)呼吸器感染症にかからないような生活をしてきた。そういうものに対しての抵抗力が著しく全体的に低下しているから、感染が爆発的に発生しやすい状況が起こっている」と指摘する。
感染拡大ピーク 例年より長引く可能性
コロナ10波の今後の見通しを武市医師に聞いた。コロナやインフルエンザはだいたい年明けに感染が拡大して、2月頃ピークアウトする傾向にある。
しかし、2024年の2月は3連休が2回あり、人の移動が多くなる。さらに、中国の旧正月、春節もあり海外から観光客も増えることが予想される。このためピークアウトが3月以降に遅れる可能性があると��こと。
変異株JN.1はアメリカで大流行し、感染力は強いとされている。手洗いうがいなどの基本的な対策が重要だ。
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近藤恵介+冨井大裕『あっけなく明快な絵画と彫刻、続いているわからない絵画と彫刻』刊行記念トーク
近藤恵介+冨井大裕『あっけなく明快な絵画と彫刻、続いているわからない絵画と彫刻』刊行記念トーク 日程:2023年7月26日(水) 開場:19時 開演:19時30分 終演:21時 会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28- 10 鈴木ビル3F/三軒茶屋駅徒歩5分)+配信 会場参加:2,000円(定員20名さま) 会場+『あっけなく明快な絵画と彫刻、続いているわからない絵画と彫刻』(当日お渡し) 配信参加:1,000円 配信+『あっけなく明快な絵画と彫刻、続いているわからない絵画と彫刻(イベント後の発送) *すべて見逃し配信(1ヶ月間)付き
予約:https://peatix.com/event/3632232/view
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日本画家・近藤恵介と美術家・冨井大裕、2人の作家により2010年に制作された共作《あっけない絵画、明快な彫刻》シリーズは、2013年に川崎市市民ミュージアムで再展示され、その後、同館に寄贈されましたが、令和元年東日本台風(2019年)によって収蔵作品7点すべてが被災しました。
現代美術の修復というあまり例のない状況を経て、2023年3月、川崎市市民ミュージアムWEB上で展覧会を開催。 作品の修復過程を追いながら、以前のかたちを失ってしまった作品の新たな展開と経験をふまえて制作された新作、その経緯と心情の記録をまとめた一冊が『あっけなく明快な絵画と彫刻、続いているわからない絵画と彫刻』です。
「かつて、私(たち)がしたことが、作品として、記録写真として、テキストとして残り、ときにそれらが別の関係性を結び、新たな可能性をひらくこと、そしてその事実に向き合い、考え続けた作品の被災からの3 年間でした。」近藤恵介(本文より抜粋) 「これを「作品」として鑑賞するか、「資料」として調査するか、「挑戦」と受け取るか。仕掛けた側としては、以前と同じく「続くもの」としたい。「現役として」問いを投げかけ続けるもの。作品はそうでなければならないと思う。」冨井大裕(本文より抜粋) 近藤さんも冨井さんもこの図録を「可能性」と捉えていると思います。一連の経緯と心情をまとめた一冊があることによって、きっと新たな展開へ踏み出すことができる。今回のトークによって、お二人の「問い」を共有し、「続いている」ただなかを体感できたら。 -- プロフィール: 近藤 恵介 Keisuke Kondo
冨井大裕作《近藤さん》撮影:柳場大 1981年、福岡県生まれ。2007年、東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。画家。現在、佐賀大学芸術地域デザイン学部准教授。近年の主な個展に「絵画の手と手」(LOKO GALLERY、2022年)、連続展形式の「卓上の絵画」(MA2 Gallery、2017-2020年)など。作品集に『12ヶ月のための絵画』(HeHe、2014年)、論文に「卓上の絵画、線の振幅」(佐賀大学芸術地域デザイン学部研究論文集 第4号、2021年)など。 -- 冨井 大裕 Motohiro Tomii
近藤恵介作《冨井氏像》撮影:柳場大 1973年、新潟県生まれ。1999年、美術大学大学院造形研究科彫刻コース修了。 現在、武蔵野美術大学造形学部彫刻学科教授。近年の個展に「コンポジション -モノが持つルール-」(ATELIER MUJI、2018 年)、「Re construction 再構築」(練馬区立美術館、2020年)、個展「線を重ねる」(Yumiko C hiba A ssociates v iewing room shinjuku、2021年)、DOMANI plus @ 愛知「まなざしのありか」(愛知芸術文化センター、2022年)など。
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