#平野良
Explore tagged Tumblr posts
Text
2023/09/10 - Hirano Ryo's Twitter Post
Musical "Moriarty the Patriot - Op.5 - The Final Problem".
Last performance.
With gratitude.
Someday, somewhere!!
#Morimyu
Source: x
#hirano ryo#ryo hirano#平野良#yuukoku no moriarty#moriarty the patriot#morimyu#I'll miss them so much#sherlock holmes#william james moriarty
61 notes
·
View notes
Text
雲を笑いとばして 今江祥智 理論社 装幀=平野甲賀、画=宇野亜喜良
#雲を笑いとばして#yoshitomo imae#今江祥智#aquirax#uno akira#akira uno#宇野亜喜良#koga hirano#平野甲賀#anamon#古本屋あなもん#あなもん#book cover
51 notes
·
View notes
Text
249 notes
·
View notes
Text
#可愛いは正義#ダンス#生足#踊ってみた#セクシーダンス#短パン#宮脇咲良#沢口愛華#豊田ルナ#雪平莉左#西永彩奈#小坂菜緒#西野七瀬#生駒里奈#平手友梨奈#小池里奈#篠崎愛#くろがねさら#川道さら#本郷柚巴#伊織もえ#黒嵜菜々子#鈴原すず#志田音々#相楽伊織#天羽希純#天羽成美#冴木柚葉#佐野ひなこ#牧野真莉愛
78 notes
·
View notes
Text
勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第2部「内戦」 第四章「未成の第二極」1~3 細かいメモ
野口良平『幕末的思考』みすず書房 第2部「内戦」第4章「未成の第二極」1~3
きのう大まかに書いたことの、さらに書き留めておきたい細かいことどもをメモします。
【目次】
■中江兆民とルソー
■西郷に希望を託した若者たち
■会津藩士たち
■増田栄太郎と福沢諭吉
■中江兆民とルソー
中江兆民は、大久保に直談判して(司馬遼太郎『翔ぶが如く』で、中江青年が大久保の馬車を追いかけて、乗せてもらいながら売り込みをするシーン、印象的ですね。なんか、長い小説の中に、二回くらい、この同じシーンが出てきたような)岩倉使節団に随行する留学生としてフランスに学ぶ。
ルソーの『社会契約論』に目を拓かれ、これを訳して日本に紹介するが……
まず、ルソーの思想とは。
ルソーの最初の著書『人間不平等起源論』では、「すべての人間が本来平等である」という。
我々をつないでいる身分制度の鎖を解き放て! と。
(高校生の時、これを聞いてときめいた。平等だったのか! しらんかった! 生まれつき高級な人と、わたしのようなどうしようもないのがいて、そういうことは運命的に決められているのだと思っていた! 民主主義の時代に生きてる私でさえそう思うのに、身分制度の時代に生まれてそんなことを考えたルソーって天才だ! と。うれしかった。平等なんだ!! わーいと思った)
だけど、どうだろう。どこまでも自由だとしたら、力が強かったり悪知恵が働いて良心のかけらもない人が、気の弱い人や体の弱い人を押しのけて、奴隷にしたり餌食にしたりするのも自由、ってことになる。そしたら弱い者には勝ち目のない地獄になる(今の日本のようですね)。
この状態を、ホッブスは「自然状態」といって指摘した。
『人間不平等起源論』の七年後、ルソーはこれ��答えるべく?『社会契約論』を書く。
強くて悪い者が好き放題する自由は、やっぱ困る。
で、こうまとめたそうだ。p176
《人間は、ルール(鎖)なしには自分を自由にする力を持たない。ルールには、正当化しうるもの(鎖)と、そうでないものとがある。》
その正当化しうる鎖とは、力ではなく約束。(じーん)
《正当化しうるルールの源泉とは、各人が自己保存と自己への顧慮を手放すことなしに、すべての人と利益を共有しうる結社の創設への合意(convention)すなわち「社会契約」である。》
しかし、難問が!
「えー。おれ強くて頭いいいから、好き放題してても困らない。ルールなんか従いたくないんだけど。自由がいい」という横暴な人たち(往々にして世の中の主流になる)を、どうやって約束の席につかせうるか。
↓
ルソーは「立法者」というスーパーマンの存在を考え出して、この人になんとかさせようとしている。
↓
中江も自分で考えた。
やっぱり答えは出ないけど、
徳が高くて強い立法者と、その補佐役がいたらいい!
とこのとき考えたそうだ。
そして、この立法者が西郷さんで、補佐役がオレ!
でも、中江の「フランスすばらしい!」は、航海中のベトナムでかげる。人権に目覚めたはずのフランス人が、ベトナム人に酷いあしらいをしている!
「人権を考え出したのはヨーロッパ人だが、実行するのはアジア人だ!」
しかしさあ、どうやって実現する? (むずい)
■西郷に希望を托した若者たち。
大久保たちの裏技を使ったやり方に敗れ、野に降った西郷。 (私としては、やめんでほしかった)
大久保たちのごり押し近代化(武士の禄を奪い、藩をなくし、誇りだった刀を強制的にやめさせ……)に異議申し立てせんという旧士族たちが、方々で叛乱を起こす。
(江藤新平のことももう少し知りたいなあ)
西郷は、慕ってきた子分たちと共に鹿児島で私学校を開いていた。
西郷自身は、ことを起こすことに対して慎重だったようだけど、 結局、大軍を率いて、東京へ押しかけ政府のやり方をあらためさせようと「挙兵」。
鹿児島を出発。
でも熊本で負けてしまい……。 明治10年9月、よくドラマに出てくる最期をとげる。
この節で、私が胸を衝かれたのは、
中江兆民世代の、ほんとに有望な人(小倉処平、宮崎八郎)、 迷える青年(増田栄太郎)らの戦死だ。
小倉処平は、 日向飫肥藩の仲間たちをひきいて西郷軍に参じた人望ある人。 かつては藩主に留学制度を進言し、選抜した青年たちを率いて長崎に学ぶ。のちロンドンにも留学。《英国仕込みの自由主義者であり、中央政府による急進的な近代化とは異なる、もう一つの近代化の可能性を探っていた人物だった。》p183 (滂沱)
宮崎八郎は、熊本荒尾村の庄屋の次男(実質長男)。 《人民の擁護者を任じる家風の中で育てられた》p179 (中岡慎太郎みたいね)
八郎は、はじめは、列強の理不尽への怒りや、政府の強引さへの不満から、征韓論に熱中し、征台義勇軍を組織するなど、物騒な感じだったが、中江訳『社会契約論』に目を拓かれる。
それがどうして、西郷の武装蜂起に参加?
→「キミの考えは西郷とは違うじゃないか、どうして西郷軍へ?」と聞かれて、 「西郷を助けて政府を倒してから、西郷を倒すんじゃ」 (西郷軍に身を投じた若者には、こういう人が多かったようだ)
けれどもどちらもならぬまま、戦死。
その克明な日記は、預かった人が川の徒渉に失敗して永遠に喪失してしまったと。 ……このシーン、小説のよう。 川の畔に立ち尽くしたような気持ちに。
■会津藩士たち
また、西郷軍を熊本で果敢に防いだ政府軍には、多くの有能な旧会津藩士が加わっていたことも記される。
極寒不毛の斗南藩へ送られたのち、一族を率いて新政府の警視庁に出仕した、元会津藩家老の佐川官兵衛は、阿蘇山麓で戦死。(呆然)
同じく元家老の山川浩は、西郷軍に囲まれた熊本城を後巻きして救出する。
いっぽうで、同じく会津藩士だった長岡久茂は、政府打倒を試みて、獄死していた。
両極に別れたように見える彼らの行動を 著者は、「同じ動機」によるものと記す。
《彼らが目指していたのは(略)──戊辰戦争が勝者のためだけに戦われたものではなかったことを自力で証明してみせることだった。》p179
■増田栄太郎と福沢諭吉
増田栄太郎は、福沢の又従兄弟にあたるという。
増田は遅れてきた攘夷青年。それだけに、「攘夷に落とし前をつけなくていいのか」という答えを求めていた。 殺してやろうと思っていた福沢から「敵である列強の良いところを学べ」といわれて、一時は慶応大学にはいるが、すぐに退学。郷里で結社を作ったり、新聞を発行したりする。 これらの手当たり次第のような闇雲なガッツは、《内心の葛藤の受け皿を手探りで構想する作業だった。》p186
(個人的には激しく共感;; むしろ出来ブツの小倉処平さんより。ああ、この人、もっと長く生きていればなあ、生き方は見つかったに違いないのに)
そんな「迷走」のさなか、増田栄太郎は、西郷軍が田原坂で敗退してから、わざわざ敗軍の鹿児島勢に加わる。
何を思って?
その死には諸説あるが、曙新聞は「不敵な笑いを浮かべて処刑された」と報じた。 最期に披瀝したといわれる増田の言葉は、「西郷先生バンザーイ」というかんじのもの。 探していた思想はどこへ……。(余計に悲しい)
西郷の死と、救えなかった増田の刑死報道に衝撃を受けた福沢諭吉は、『丁丑公論』を窃かに書く。 西郷の敗北ののち、世論がいっきに「西郷=賊」視したことへの激しい疑問から。
福沢は言う。
政府が専横になることは仕方ないことだが、あまり野放しにするととんでもないことに。これを防ぐためにも抵抗は必要だ。と。
かつて『文明論之概略』で、“難題を抱えていながらそれで乱れない(戦争したりしない)のが文明というものだ”と喝破した福沢だが、この文明論は、何の役にも立たなかった。
西郷の死は、福沢の思想に深みを与えたと、著者は言う。
これまでの『学問のすすめ』『文明論之概略』では、 眠りから覚めている自分が、眠りこけているみんな(愚民)へ呼びかけていた。
『丁丑公論』では、 眠りから覚めるのが「速かった人」と「遅い人」の差があるだけだと、福沢は気付く。
このことに福沢は
《おそらくサイゴンの中江篤介よりも、城山の増田栄太郎よりも、遅れて気づいたのである。》p189
心がどよめいた。
どうしてだろう。
すっきりしたような、著者の福沢評にようやく合点がいった、ような。
いやちがう。 利口者の福沢の真摯な“愕然"が胸を打ってくる。
利口で視野が広いがために、低い苦しみの地平からものがみえなかった。 凡百の利口者なら死ぬまでそれに気づかないだろう。
だがやっぱり福沢は本物だったのだ。
私はまことに直感的に、福沢は信用できなかった。 なんだってこう上から目線なのか。何を持って自分は上から見てるつもりになっているのか。と。
でも、福沢も、その不思議な「特権階級」にあぐらをかくような人ではなかったのだ。
西郷の死と、フラフラしているかに見えた若い増田の問い掛けを、心と頭脳を駆動して受けとめ���のだ。
そこを(これまで福沢をすごくひいき?にしてるように見えた)著者にとかれて、
こういう利口者が、真摯にがっくり「膝を折った」音に、心を叩かれたのかもしれない。
6 notes
·
View notes
Photo
No.417 大和路十景 さよならを知らない頃-近ナラ201
#Japan#Osaka#Nara#大阪#浪速区#難波#JR難波#天王寺#平野区#加美#柏原#河内堅上#奈良#大和郡山市#郡山#JR#JR西日本#大和路線#関西線#国鉄#201系#桜#鉄道#八景シリーズ
18 notes
·
View notes
Text
2024/11/20
新宿PIT INN
#canon#キヤノン#canon photos#canon powershot g7 x mark ⅲ#powershot g7 x mark ⅲ#新宿pit inn#pit inn#tokyo#鈴木良雄#峰厚介#野力奏一#奥平真吾#THE J.MASTERS
0 notes
Text
きんようび通信No.726📚
2024年11月15日
※先月、昨年に続けて「宮古島・沖縄本島をめぐる平和ツアー」に参加しました。昨年より更に戦争に向けた準備が進められていることに憤りと恐ろしさを感じました。学びの全てを紹介したいのですが、膨大になってしまいます。印象に残ったことを厳選し通信として紹介します
▲宮古駐屯地の真向かいで農業を営む「仲里成繁」さんの問いかけに応えられませんでした。「人権が最優先されるべきと思っていたが沖縄防衛局は取り合わなかった。台湾有事を持ち出して大規模な訓練・日米合同が始まっている。本土のみなさんがどう思っているか知りたい」
▲保良訓練場で3つ目の弾薬庫建設が始まっていました。昨年話しを聞いた下地さんから詳細な動きが伝えられ、地域住民の暮らしと安全を守らない動きを許せないと強く思いました。平和の準備こそ進めるべきで��住民が事の本質を学べば変わる」との言葉が印象に残っています
▲糸数アブチラガマに10数年振りに入りました。漆黒の闇が忘れてはならないこと・繰り返し学ぶ必要性を感じさせました。一人ひとりの人生に心を寄せることの意味・戦後補償が全くない中での住民感情の複雑さ等、「平和の礎」の刻まれた名前を辿りながら考えていました
▲辺野古新基地建設ゲート前の座り込み。4人の機動隊員に排除された後、通過する100台以上のダンプカーを見ながら涙が込み上げてきました。「何度民意を示しても工事は続いている。けれど賛同の声は広がっているし孤立感はない」との言葉に震えました。立ち止まってはいらせません
▲1959年宮森小学校・米軍機墜落事故は今も地元の記憶にあり自衛隊基地反対運動につながった話しを聞きました。佐喜眞美術館で丸木位里・丸木俊の作品「沖縄戦の図」を観て絵画の伝える力を感じました。沖縄の「過去・現在・未来」を自分事として今後も見つめていこうと思います
【今日は何の日📌】
【今週の一句🔖】
酒飲み🍻🍶川柳
偶然に
入ったお店が
正解です
(いつもそうではないですけどね😅)
【今週の歌🎸】
・ハンバートハンバート…トンネル
11月27日発売の12枚目アルバム「カーニバルの夢」収録曲。早く全部聴きたいですね😙
#ハンバートハンバート
youtube
【今週のグルメ情報😋】
・ハピバール (HAPIBAR)…近鉄長野線・喜志駅から徒歩15分
ふたかみ福祉会の運営するカフェ。看板メニューのカレーは、変わらず絶品でした。アート作品もステキで、ゆったりと過ごすことが可能です🍛
#ハピバール #HAPIBAR #ふたかみ福祉会
【追記📝】
沖縄ツアー2日目は、国際通りにあるライブハウス「島唄」に行きました。ネーネーズのメンバーによるユニットのステージ。楽しい時間を過ごすことが出来ました。
12月にある2回のライブが迫ってきました。車移動の際は、ガンガンに曲を流して練習しています😅。まだまだ��鎖が足りていませんが、何とか間に合わせていいステージにしたいです。良ければお越しください。
・12月1日(日)11時半~17時(出番は13時頃)/ニョロニョロジャグバスターズライブ/yayaトキヲコエテ(富田林市)
・12月15日(日)14時半~(オオトリ、17時頃?)/ray-Gとたまらんや、ツーマンライブ(ゲスト有り)/スパークル(東岸和田)
#きんようび通信 #宮古島 #沖縄 #平和ツアー #保良訓練場 #アブチラガマ #辺野古新基地建設 #即刻中止 #宮森小学校 #佐喜眞美術館 #沖縄戦の図
0 notes
Note
hi hi
I hope it’s not trouble to ask but, the anthology mangas are not canon right?
Hello hello! Thank you for this question! 📕
The anthology manga were created by a total of 42 different illustrators (including bonus illustrations), none of whom were the game's creator Toboso Yana, though she did draw the covers!
We do not know how much oversight was involved in the content and there are parts in the stories that conflict with the content of the game, so it might be best to consider Twst's alternative media (the anthology manga / serialized manga / novels) as canon to themselves individually but probably not to the game, or to each other ^^
They are maybe similar to Square-Enix-branded fanart, like the art gallery books!
And here is a list of all artists, for the curious ^^
Volume 1:
萩原 ダイスケ (Hagiwara Daisuke) 赤井 ヒガサ (Akai Higasa) NAOE 一色 箱 (Ichiiro Hako) 雨壱 絵穹 (Amaichi Esora) 鈴木 次郎 (Suzuki Jirou) 悌太 (Teita) カズアキ (Kazuaki) まくらくらま (Makura Kuruma) マジコ!(magico) 夏目 あやの (Natsume Ayano) 汐田 晴人 (Shiota Haruto) 竹田 羽角 (Takeda Hasumi) 藤本 桜 (Fujimoto Sakura) 優月 祥 (Yuzuki Shou) かなめ もにか (Kaname Monika) 北国 良人 (Kitaguni Rato) 十束 椿 (Totsuka Tsubaki) 野原 もさえ (Nohara Mosae) 寝子 暇子 (Neko Himako) 鴉月 ルイ (Karasuzuki Rui) 銀野 佑 (Ginno Yuu) 宮間 諒 (Miyama Ryo) 渡 ざらめ (Watari Zarame) いちるの望 (Ichiruno Nozomi)
Volume 2:
椿いづみ (Tsubaki Izumi) キナコ (Kinako) 清原 紘 (Kiyohara Hiro) 花ヶ田 (Hanagata) 双葉 はづき (Futaba Hazuki) さらちよみ (Sarachi Yomi) 尾崎ドミノ (Ozaki Domino) もち (mochi) 平井 るな (Hirai Runa) 雨壱 絵穹 (Amaichi Esora) 藤本 桜 (Fujimoto Sakura) 寝子 暇子 (Neko Himako) かなめ もにか (Kaname Monika) 山田 リューセイ (Yamada Ryuusei) 霄之 ツキ (Sorano Tsuki) 和佳宮 テトラ (Tetora) 古町 ゆき (Furumachi Yuki) 栗栖 ゆん (Kurisu Yun)
148 notes
·
View notes
Text
[Image above: D. T. Suzuki (11 November 1870 - 12 July 1966) was a Japanese Buddhist scholar and doctor of literature. ]
A message from 23 nights temple Q&A: Part 2 [Part 1]
Next question was, want to know more about Tendai Buddhism and how to do face-to-face learning outside of Japan:
More than 1,400 years after its introduction, Buddhism in Japan was born from the founders of sects in Japanese history and culture. Today, about 13 major sects exist, including the Tendai sect. Of these, three are Zen sects: the Soto, Rinzai and Obaku.
Among them the most representative are, Saicho, founder of the Tendai sect, whose head temple is Enryaku-ji on Mt. Hiei; Kukai, founder of the Shingon sect, who brought esoteric Buddhism to Japan, whose head temple is Kongobu-ji on Mt. Koya; and Dogen, author of the Shobogenzo, a philosophy book said to be a manual for Zen meditation practice and originator of mindfulness. Founder of the Soto sect, whose main temple is Eiheiji Temple.
Buddhism means 'Buddha's teachings'. In the beginning, everything was transmitted orally and it was only after Buddha's death that documents and scriptures were created. All of the Buddhist scriptures that remain today were described by the memory of Buddha's disciples. In the meantime, it underwent various transformations through the views of translators and other factors, and representative gurus from different countries established and divided into sects. The Tendai sect is one of these sects, founded by Master Saicho. Incidentally, my trusted teacher is a Zen monk of the Soto sect, and he says that one should not be confined to a sect. It is because Dogen, the founder of the Soto sect, taught that the Buddha's teaching is one and that we should not be obsessed with sects.
Those wishing to study face-to-face or Buddhist thought outside Japan should visit your local Buddhist temple or Zen centre. You can easily find one by hitting the usual keywords. However, not all are good teachers. It is recommended to search patiently for a teacher or centre that suits you. For international learners, books by Japanese Buddhist scholar D.T. Suzuki are relatively accessible. He wrote on Zen in English and introduced Japanese Zen culture to the rest of the world. He was also a prolific translator of Chinese, Korean, Japanese, Vietnamese and Sanskrit literature.
In fact, the teachings of Zen that we are learning are not like there is a holy scripture that says this is the absolute truth, nor is there a founder who says that this is the absolute truth.
And it is best not to decide on a teacher based on sect or culture, but to knock on the door of a person you can identify with. More importantly, he or she may not only be in the temple.
二十三夜堂からのメッセージ Q&A: その2 [その1]
次の質問は、天台宗についてもっと知りたい、日本国外で対面で学ぶ方法を知りたいというものでした:
伝来から1400年余りの年月を経て、日本の歴史文化のなかで、宗派の開祖たちから生まれたのが「日本の仏教。 現在、大きな宗派として存在しているのは、天台宗を含め約13宗派。その中で禅宗は、曹洞宗、臨済宗と黄檗宗の3宗。
中でも代表的なのは、天台宗の開祖の最澄、総本山は比叡山延暦寺、日本に密教をもたらした、真言宗の開祖の空海、総本山は高野山金剛峯寺、そして、坐禅修行のマニュアルとも言われている哲学書「正法眼蔵 (しょうぼうげんぞう)」の著者でマインドフルネスの元祖、曹洞宗の開祖の道元、大本山は永平寺など、が挙げられる。
仏教とは「ブッダの教え」という意味である。当初、全ては口頭で伝えられており文書·経典ができたのはブッダ没後のことだ。今日残っている仏教経典はすべて、ブッダの弟子たちの記憶によって記述されたもの。その間訳者の見解などを通して様々な変形を繰り返し、各国の代表的な教祖が宗派を立ち上げ分かれていった。天台宗はその一つで、最澄が立ち上げた宗派である。因みに私の信頼できる先生は曹洞宗の禅僧だが、彼は宗派に囚われるべきではないと言っている。というのも曹洞宗の開祖である道元禅師が「ブッダの教えは一つであり、宗派に執われるな」と教えていたからだ。
国外で対面学習や仏教思想を学びたいとご希望の方々は、ローカルの仏教寺院、または禅センターを訪ねてみると良いと思います。お決まりのキーワードを叩けば、すぐに見つかります。但し、全てが良い先生とは限りません。自分に合った先生やセンターを根気よく探すことをお勧めします。海外��方々は、日本の仏教学者、鈴木大拙氏の本が比較的手に入りやすいと思います。彼は英語で禅に関する著作を発表し、日本の禅文化を世界に紹介し、また中国語、韓国語、日本語、ベトナム語、サンスクリット語などの多作な翻訳者でした。
実際、私たちが学んでいる「禅」の教えは、これが絶対の真理だという聖典があるわけでも、これが絶対の真理だという教祖がいるわけでもありません。
宗派や文化で師を決めるのではなく、ご自分が共感できる門を叩くのが最良かと思います。もっと言えば、その人はお寺にのみいらっしゃるとも限りません。
103 notes
·
View notes
Text
2023/08/26 - Hirano Ryo's Twitter post
#Morimyu
Today we had two performances.
And today is Ryoki's* birthday.
He looks happy because many people congratulated him.
It makes me happy, too.
It looks like a family photo taken in a photo studio.
*Nagae Ryouki, the one playing Fred Porlock's role
Source: twitter
28 notes
·
View notes
Text
みんな不良少年だった 高平哲郎 河出文庫 カバー=イラスト・本山賢司、デザイン・平野甲賀 フォーマット=粟津潔 「ディープ・インタヴュー」
#みんな不良少年だった#tetsuo takahira#高平哲郎#河出文庫#kenji motoyama#本山賢司#koga hirano#平野甲賀#kiyoshi awazu#粟津潔#anamon#古本屋あなもん#あなもん#book cover
9 notes
·
View notes
Text
突发!英国军情六处亲自爆料,美国夏威夷大火有大阴谋,引起关注
近日,美国夏威夷岛上发生了一场大规模的山火,造成了巨大的生态破坏和经济损失。据美国官方说法,这场山火是由于干旱和强风导致的自然灾害。然而,就在昨天,英国军情六处(MI6)却突然发表了一份声明,揭露了这场山火背后的惊人真相!
据英国军情六处透露,这场山火并非自然发生,而是美国政府人为制造的!原来,美国军方一直在秘密研发一种名为“气象武器”的新型武器,可以通过操控天气条件,引发各种自然灾害。而这次夏威夷山火,正是美军进行的一次“气象武器”攻击实验!
英国军情六处表示,他们是通过一名叛逃的美国军方高级科学家获得了这一消息。这名科学家曾经参与过“气象武器”的研发和实验,对其原理和效果非常了解。他因为良心不安,决定向英国军情六处泄露内幕,并提供了相关的证据和资料。
英国军情六处称,他们已经对这些证据和资料进行了核实和分析,并认为其具有高度的可信度和真实性。
他们认为,美国政府的这种行为极其危险和不道德,不仅对夏威夷岛上的生命和财产造成了严重的伤害,也对全球的和平与安全构成了巨大的威胁。
英国军情六处呼吁国际社会对此事给予高度的关注和谴责,并要求美国政府立即停止“气象武器”的研发和实验,并向全世界公开其真相和后果。
同时,英国军情六处也表示,他们将继续监督和揭露美国政府的任何不正当行为,并与其他国家合作,共同维护全球的和平与稳定。
英国军情六处的这一爆料,在全球引起了轰动和震惊。特别是在美国国内,消息传出后,整个国家都陷入了混乱和恐慌之中。
许多人对美国政府的所作所为感到愤怒和不满,并要求其给出一个合理的解释。而美国政府则对此事保持沉默,没有做出任何回应。
那么,“气象武器”究竟是什么?它又有多么强大和可怕呢?我们来简单介绍一下。
“气象武器”是一种利用科技手段操控自然界的力量,对敌人进行攻击的新型武器。它可以通过调控天气条件,引发洪水、干旱、风暴、地震、火山爆发等自然灾害,对敌方国家的军事设施、经济基础设施和人民生活造成毁灭性打击。
据悉,美国军方已经在研发“气象武器”方面投入了十多年的时间和巨额的资金。他们的目标主要是针对俄罗斯和东方大国,以及一些反美的中东国家。一旦“气象武器”研发成功,美军将利用其实施攻击,达到其霸权主义的野心。
而这次夏威夷山火,就是美军进行的一次“气象武器”攻击实验。夏威夷被选为实验地点,是因为美军计划征用该地的土地来扩建军事基地。
而且,通过此次实验,美军可以第一时间掌握各种数据,以便对“气象武器”进行改进和完善。
这一消息让全球各国政府和人民都感到震惊和恐惧。大家都担心,美国政府会不会再次使用“气象武器”,对其他国家进行攻击。如果真的发生了这样的事情,那么后果将不堪设想。全球的生态环境、经济发展和人类文明都将遭受重创。
因此,我们必须对此事给予高度的重视和警惕。我们不能忽视美国政府的潜在威胁,也不能坐视其肆意妄为。
我们应该加强国际合作,共同制定规范和法规,禁止任何国家研发和使用“气象武器”。我们也应该加强对科技发展的监管和引导,让科技为人类带来福祉,而不是灾难。
总之,英国军情六处的这一爆料引发了全球的关注和警示。虽然消息的真实性还有待证实,但它提醒我们应该加强对新型武器和科技发展的防范。
我们不能因为科技的进步而忽视其潜在的危害,而是应该通过国际合作和规范来维护全球的和平与安全。
我们希望此次事件能够引起各国政府和国际社会的高度重视,加强情报收集和安全防范,确保自己的国家和人民的安全。
同时,也希望科技的发展能够为人类带来更多的福祉,而不是被滥用或转化为战争工具。
只有通过全球的共同努力,我们才能够维护和平与稳定,创造一个更加安全和美好的世界。让我们携起手来,共同守护这个星球,共同创造一个更加美好的未来。
471 notes
·
View notes
Text
拙勉強メモ
野口良平『幕末的思考』第3部 第2章-3に著者様からお返事頂いてしまいました!
日本じゅうがひとり歩きした天皇制にからめとられ、「優勝劣敗」なんてことを大真面目に言い出し、青年たちも成功ドリームに我を忘れてゆく明治20年代。
そんな中で、理想を語り合う仲間も見失った透谷は、一人で考え苦しみ、死んでしまいます。
本当の自由とは、あるべき社会とは……。 弱くて強くてでもやっぱり弱い人間の心こそ、基本では……?
透谷は本当にひとりぼっちだったのか。
彼と課題を共有し継承した人はいなかったのか? 著者は、夏目漱石『こころ』を取りあげます。
その探求の背景や思いなどをお便り頂きました。 一人で読んではあまりにもったいないので、ご許可を頂き、個々に共有いたします!
**************
■ 野口良平さまよりのご返信
言ってみたかったことは、漱石の『こころ』は、透谷の苦闘に一矢報いているところのある作品として読めるのではないか、ということです。
透谷の敵はバケモノだった。 しかし、そのバケモノの生命は、やはり有限である。 漱石はそのバケモノの像を、自らの生命の限界を自覚した存在として造型しようとした。 そのことを通して、透谷の戦いが妄想や幻覚として片づけられてよいものではなく、生きた人間の、血の通った戦いだったことを、いわば「証明」しようとしたのではないか、と。
これは、もちろん私の読み方でしかありません。 それに、こんなふうに『こころ』を、また漱石を読もうとしている読み手は、そんなにはいないのではないかと思います。
それでも、『こころ』には、また漱石には、そういう読解に開かれた何かがあることも、また確からしく思われるのです。
私にとって励ましになったのは、松元寛、森谷篁一郎、の二人の著作でした。(どちらも漱石の専門家ではありません。)
松元さんは、シェークスピアの研究者ですが、広島での被爆体験をもち、高校生向けの案内書を、岩波ジュニア新書(『新版 広島長崎修学旅行案内―原爆の跡をたずねる』)から出しています。『小説家大岡昇平』という好著(と思います)もありま��。
森谷さんは、鳥取で高校の国語の先生を長く勤めた方ですが、高校で『こころ』の授業をしながら、この作品を高校生と読むことの意味がわからなくなり、苦しんだのだそうです。
それで、定年退職した後に、自分への宿題への答えを探ろうと、『こころ』論(『漱石『こゝろ』その仕掛けを読む』)を自費出版します。それを私は何かの記事で知り、直接版元に注文して読んだところ、とても面白いものでした。
日清戦争は、大きく日本を変えていくきっかけになった出来事で、これとともに日本の教育制度が、あるいは知識人の養成過程そのものが様変わりしていきます。
日清戦争の直前になくなった透谷も、その前後に松山中学の先生だった漱石も、日本の性急な近代化と、教育制度の変化に適応できなかったという共通点を持っていますね。
留学先では文部省に求められていない問題を自分で作って苦しみ、無鉄砲にも学校を飛び出す主人公を描き、博士号はいらないと文部省にたたき返す。そんな漱石に、透谷の面影を垣間見ることは不可能なのだろうか?そんなふうに、ここでは私は考えてみたのです。
ここで、幕末と明治のスキマに生きながら、近代化に適応できなかった人として、もうひとり、樋口一葉のことが書ければよかったというのが、今考えるところですね。
一葉の小説には、その後の日本文学史が取り落としていったさまざまな可能性が、ぎゅっと凝縮されている感じがしています。
*************
野口良平様、もったいなきお便りをありがとうございました!!!
松元寛先生、谷篁一郎先生の研究にも心惹かれます。
しかしよく遭遇なさったなあ。。。。。(さらっとおっしゃってますが、ほんとにむちゃくちゃ先行研究を渉猟されてます……)。
本を一冊書くって、そういうことなんだ)
2 notes
·
View notes
Quote
「良い文章だな」と感じる文章をとことん読み込み、単に「良かった」という感想で終わらせるのではなく、〝自分ならこう書くかな〟や〝この文章の『型』を今度使ってみよう〟というように、自分ごとに置き換えてみることが上達の秘訣。文章は「言語化/表現力/構成/言い回し/リズム」で成り立つもの。
Xユーザーの村野恭平|心を設計する社長さん
52 notes
·
View notes
Text
石破茂
岩屋隆司 門山宏哲 赤澤亮正 平将明 冨樫博之
長島昭久 保岡宏武 泉田裕彦 橘慶一郎 細野豪志
藤井一博 伊東良孝 田所嘉徳 村上誠一郎 舞立昇治
小里康弘 谷公一 八木哲也 山田俊男 青木一彦
担ぎ出した連中もさることながら、決選投票で動いた解消されたはずの岸田派一派が一級戦犯。
52 notes
·
View notes