Tumgik
#岡山節
kwgsyk · 9 months
Text
instagram
instagram
2 notes · View notes
jf0xze · 2 years
Photo
Tumblr media
昨日は夫婦で山岡家の新商品。 和節とんこつ醤油つけ麺。 奥側は普通・薬味ねぎ、手前側は中盛ほうれん草増しセット・背脂変更・海苔。 ほうれん草増しセットはイイね♪。 全粒粉麺が美味い。 #新潟ラーメン #ラーメン #ramen #つけ麺 #和節とんこつ醤油つけ麺 #山岡家 #山岡家ジャンキー #私は株主 #背脂変更 #ほうれん草増し #ネギ #節系 (ラーメン 山岡家 新潟新和店) https://www.instagram.com/p/Cp-DL2ZgkTn/?igshid=NGJjMDIxMWI=
2 notes · View notes
utuwatokurashi · 2 years
Photo
Tumblr media
立春を過ぎ、東京では梅が咲き始めたようです。 福岡、太宰府天満宮の梅の開花は、御神木の「飛梅」が咲いたとニュースになりましたが、全体的には、中旬以降かしら? 少し前ですが、博多の中洲にある料亭「老松」さんでお昼の会席料理を。 落ち着いた個室では、お正月のしつらいがされていました。 ゆっくりお料理をいただき、女将さんの楽しいお話では心が和みました。 建物は1945年の博多大空襲で焼け、1947年に再建。創業者は建物に造詣が深かったそうで、数寄屋造りです。 献立 #季節の先付 #平目鉄引き #伊勢海老真丈清水仕立て #鰆西京焼  #海老芋饅頭蟹あんかけ #京鴨難波蒸し  #ふぐあちゃら #ちりめん山椒ごはん #香の物 #瓢箪 #赤出し #季節の水物 #博多 #料亭 #老松 #中洲 #福岡ランチ #fukuoka #hakata #japan #ig_japan #日本料理 #会席料理 #kaiseki #kaisekicuisine #japanesefood #instaseason #お正月 #traditionaljapanesehouse #japanesehouse https://www.instagram.com/p/CoPyMkGvdP_/?igshid=NGJjMDIxMWI=
2 notes · View notes
onedayonenoodle · 2 years
Photo
Tumblr media
和節とんこつ醤油ラーメン #ラーメン山岡家富士店 #くせになる味ラーメンの山岡家 #富士市 #期間限定 #自慢の豚骨 #魚粉を加えた醤油ベースの濃厚スープ #全粒粉を使用した特製麺 #シャキシャキネギ #刻み玉ねぎ #和節のインパクト #ほうれん草 #麺 #ラーメン #らーめん #一日一麺 #ラーメン好き #ラーメン好きと繋がりたい #ramen #noodle #noodles #NoRamenNoLife #EverydayRamen #ThankGodItsRamen #LocalGuides #tankensurujapan #ラーメンインスタグラマー #麺スタグラム #instanoodle #instanoodles #foodstagram (ラーメン山岡家) https://www.instagram.com/p/Cp4f9kIyj0G/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
tufboy02 · 2 years
Text
youtube
【節分】一畑山薬師寺節分祭2023年1月29日 ・ ご来賓招待状を頂いたので、名鉄名古屋本線藤川駅から徒歩で登山 ・ 毎年参加しています ・ 豆の入った枡を持ち ・ 「福は内」を2回 ・ 「鬼は外👹」を2回 ・ 「福は内」を2回 ・ 節分祭でないと個人的に豆まきは盛大にやれない ・ 帰りは帰宅RUNしま���た
0 notes
nakajimaster123 · 2 years
Photo
Tumblr media
⁡ 先日の筑波山登山の時に⁡ ⁡ #筑波山神社 の #御朱印⁡ ⁡ #季節限定御朱印 🍁⁡ ⁡ 山頂にある #男体山御本殿 ⁡ ⁡ #女体山御本殿 の御朱印⁡ ⁡ そして、筑波山神社の隣にある⁡ ⁡ #筑波山大御堂 の御朱印を⁡ ⁡ いただいてきました。⁡ ⁡ ⁡ メチャクチャ近場なのに、⁡ ⁡ 男体山御本殿は初めてでした。⁡ ⁡ 筑波山は天気が良いと⁡ ⁡ 関東平野が一望です👀⁡ ⁡ ⁡ ⁡ #神社仏閣 #御朱印巡り⁡ #紅葉狩り #登山  #ハイキング⁡ #barber #バーバー #ヘアサロン⁡ #理容 #美容 #床屋 #石岡⁡ #ダブルライセンス #ナカジマ⁡ #スキンフェード #フェード⁡ #濡れパン #お顔そりエステ⁡ (筑波山神社) https://www.instagram.com/p/Clnr5LkOgrf/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
tomo2411 · 2 years
Photo
Tumblr media
☆パフェ活☆ レストラン酒星之燿 さん 「酒星之燿 和風パフェ」 提供時間14時~17時 パフェをお昼ご飯にしようと 酒房 独歩館に併設のレストランへ 14時15分くらい?に着いたのに その日のパフェはラス1だったらしく なーーーんてラッキーって 喜んだよ 席に案内される前から パフェ食べに来たって 伝えてたから 他のメニューは案内されず お水が運ばれてきた このお水は旭川の伏流水を 地下100メートルから汲み上げてる 美味しいお水 この日はこのお水でお薬飲むって決めてたから ちゃんと忘れずに持参して飲んだよ 待っていたら もくもくとスモークをたなびかせながら 酒星之燿和風���フェの登場 なんとも素敵な演出 2回目でも感動する 楽しくてクルクル回してみたよ 和風パフェなので 酒麹の寒天や わらびもち ずんだあん 白玉 抹茶アイス 季節のフルーツが盛りだくさん おなかいっぱいになりました レストラン 酒星之燿 岡山市中区西川原185−1 086-270-8111 11:30~21:00 定休日:水曜日 #パフェ活 #季節のパフェ #酒星之燿和風パフェ #演出 #ドライアイス #ドライアイスの演出 #おかやまグルメ #岡山カフェ #岡山グルメ #岡山パフェ #パフェ巡り #find_new_okayama #sumasumatai_love #おかやまハレ旅 #おかやまアキ旅 #日本を元気にしたい · · · 駐車場に車を入れてた時 後からご夫婦は一足遅く お断りされてた 食べ終わって出た時も まだ駐車場にいて パフェのカタログみたいなのを広げて どこへ行くか話し合ってる風だったよ ご高齢の方だったけど 仲良くていいなぁ (酒工房 独歩館) https://www.instagram.com/p/CjZ-Nhkuo9N/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
elle-p · 4 months
Text
Scan and transcription of the Persona 3 part of Newtype Magazine February 2016
Tumblr media Tumblr media
春、夏、秋を経て冬、理が出す答えを見届けて
監督 田口智久
死を見つめる季節のフィナーレに
第1章でコンテ、第2章で監督を務めてこられた劇場版「ペルソナ3」ですが、ファイナル・シーズンである第4章は、どのような気持ちで臨んだのでしょう?
田口 第3章で自分が監督としてかかわっていない劇場版「ペルソナ3」を見ることができたのが、刺激になりました。自分とはまったく違う方法論で構築されていて、僕がやったら確実にこうならないですし、なんというかジェラシーのようなものを感じまして。ああ、ペルソナって、こういうふうにつくることもできるんだ、と。それを受け止めることができたからこそ、第4章では、自分のやり方を突き詰めたフィルムにしなくてはと思いました。あとは、やっぱりフィナーレということでのプレッシャーが大きかったです。
第4章の物語の関となるのは?
田口 理と綾時の関係性ですね。そこヘシャドウの母体であるニュクスが襲来したり、それに伴ってみんなの心がダウナーになって⋯⋯という展開で、ずいぶん重いものになっています。でも、みんなが悩んでいる部分にしっかり尺を取って描いているので、映画ならではの見せ方ができているのでは、と思います。
理にスポットが当たっていきますが、どのように描きましたか?
田口 第3章に、理が旅館の池に落ちて笑うシーンがありますけど、あの理を経ての理をしっかり追っていこうと考えていました。今作では、抱えきれないほどの絶望を前に、悩み、立ち止まってしまうというところまで、みんなが落ちてしまうんですけど、そのなかで理が見つけ出す答えというのが、全4章通してのテーマでもあり、象徴的なセリフになっています。そして、それは、第3章で笑った理がいなければ、たどり着けなかった答えなんじゃないかな、と。
それから、綾時とアイギスも、重要な存在ですね。
田口 すごく極端な⋯⋯本当に超極端な言い方ですけど「綾時と理は両想い。アイギスは理に片想い」っていうのを、こっそり頭の片角に置いてました(笑)。もちろん僕独自の解釈なので、いろんなとらえ方をしてほしくもあるのですが。ただ、そうやって、アイギスがヒロイン然としているわけではないからこそ、ペルソナならではの仲間感が出る、というのもあるんですよね。
理と綾時に重点が置かれていくとなると、その二役を演じられている石田彰さんのアフレコもすさまじいものになったのでは。
田口 石田さんだけ別の週に理以外の綾時を中心とした声を録らせていただいてから、全体アフレコの週に理としてみんなといっしょに録らせていただいた感じなんですけれど、本当にすばらしかったです。演技に対するストイックさが本当にプロフェッショナルで、ご自身で「今のは少し綾時が出てしまったから」とリテイクを申し出てくださったり。
全体的にも、とてもスムーズなアフレコになったそうですね。
田口 圧倒的にスムーズでした。特に今回は静かなシーンが多くて、感情的にセリフを吐くような場面はほとんどないんですけど、その淡々とした空気感を成立させるのは難しいはずなのに、自然にスッとやってしまえるのがこのチームの方々の成せる技。こんなに研ぎ澄まされた現場は、なかなかないのではないかと。
細かな心情描写という意味では?画づくりにもこだわられたのでは?田口監督の描き出すダウナーな情景描写が楽しみです。
田口 カッティングが終わった後に、編集さんに言われたひと言が「暗っ!」でしたからね(笑)。刺されて死ぬとか大惨事が起こって死ぬとかのサスペンス的な死ではなくて、非常に観念的な死についての物語なので、精神的にどうやられていくかというのを、どう表現するかが課題で。光や色味の演出であったり、降ってくる雪の量で表現していきました。アニメで雪が降りつづけている作品もあまりないんじゃないかと思うんですけど、心情とマッチさせたいなあというところで、力を入れています。作画もすごいアニメーターさんたちが集まってくださっていて、誇張された動きというよりはリアル寄りの芝居をていねいに描いてくださっています。全然動いているように見えないところにも実は枚数が割かれていて、作画枚数もこれまででいちばん使っているんですよ。
最後に、今作を描くうえでの最大のポイントだったと考えるシーンを教えてください。
田口 ラストですね。それは第4章を担当すると決まったときから、見据えていたビジョンでもあります。第1章の春からともに季節を経てきた理と仲間たちが迎える、そのラストを見届けてほしいです。
#1 Spring of Birth
1日と1日のはざまに隠された影時間。そこにはびこる怪物・シャドウに襲われて、無気力症となってしまう者が町に続出していた。対抗できるのは、ペルソナという特殊な能力をもつ者だけ。春、私立月光館学園に転校してきた結城理は、ペルソナの力に覚醒し、同じくぺルソナの力をもつ者たちが集う特別課外活動部へと引き入れられる
#2 Midsummer Knight's Dream
夏休みに屋久島旅行に向かった特別課外活動部。そこでアイギスという女の子に出会う。彼女は対シャドウ特別制圧兵装のラストナンバーであり、なぜか理のそばにいることを望むのだった。理たちは影時間の謎を追いながら、さらに新たな仲間と出会い、きずなを深めていく。だがそこにストレガと名のる者たちが現われ⋯⋯
#3 Falling Down
季節は秋。特別課外活動部は、影時間を終わらせるため、シャドウや滅びを望むストレガとの死闘を重ねていた。ある者は仲間や家族の死と向き合い、ある者は護るべき者に気づき、ある者はこれまでの戦いの意味に葛藤する。そんなとき、理の前に謎の転校生、望月綾時が現われる。その出会いの先にあるものは⋯⋯
「PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth」
●1月23日土全国ロードショー
●第3章Blu-ray&DVD 1月20日水発売
WEB▶http://www.p3m.jp/
Twitter▶@P3movie
illustrated by YUKIO HASEGAWA, finished by SAORI GODA
background by BIHOU, text by HITOMI WADA
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
STAFF 原作=「ペルソナ3」(アトラス) 脚本=熊谷純 スーパーバイザー=岸誠二 キャラクターデザイン=渡部圭祐 ペルソナデザイン=秋恭摩 プロップデザイン=常木志伸 色彩設計=合田沙織 美術監督=谷岡善王(美峰) 美術設定=青木薫(美峰) コンポジット&ビジュアルディレクター=高津純平 編集=櫻井崇 音楽=目黒将司、小林哲也 音響監督=飯田里樹 第4章監督=田口智久 制作=A-1 Pictures
CAST 結城理=石田彰 岳羽ゆかり=豊口めぐみ 伊織順平=鳥海浩輔 桐条美鶴=田中理恵 真田明彦=緑川光 山岸風花=能登麻美子 アイギス=坂本真綾 天田乾=緒方恵美 荒垣真次郎=中井和哉 イゴ ール=田の中勇(特別出演) エリザベス=沢城みゆき
75 notes · View notes
shinjihi · 2 years
Text
何故、中共は「中国4000年の歴史」とか「中華民族」とか見えすいた嘘を吐くのか?侵略の準備なんだよ! 
本当は夏朝、殷、隋、唐、金、遼、元、清など全て騎馬民族など異民族支配で元々の漢民族は殆ど後漢で滅んでる
その王朝でも支配してたのは北京周辺であり今のチベット、内モンゴル、ウイグルなどの地域も異民族に支配されており、北京周辺王朝は貢いでたり、王族などから女を贈って、勘弁して貰ってた
女を贈って置いて「あの地方王朝の王は俺たちの婿様だから、あそこも中華王朝の一部」とか無理な事を言ってる
しかし中共はその論理でチベットを盗り、内モンゴルを裏切り、東トルキスタン(ウイグル)を強奪して、中共から人を沢山送り現地人をレイプ強姦して妊娠させ混血児を増やし、現地人には強制堕胎、強制不妊手術を行い純粋な現地人人口を減らし、言葉を奪い、文化や宗教を禁止して文字通り民族浄化して、根絶やしにしようとしている
「元々は中華の一部」「太古より中華民族(なんだソレ?)が住んでた」と言い張り、侵略している
同じ論理をプーチンがウクライナに言って「元々はロシアの一部」「昔からウクライナにもロシア人が住んでた」と言い張り、ロシア系住民保護と主張して、ウクライナに侵攻した
おんなじパターン
中共は「尖閣は中共の土地」「沖縄は中国(どの支那だよ?)に朝貢してた中国の一部」と主張している
北海道には沢山、移民させてる
次はどうなるかって?
そりゃ中共による尖閣、沖縄、北海道の侵略が始まるんだよ!
だから「中国4000年の歴史」とか「ずっと中国はあった」とか「偉大な中華民族(何ソレ?)」という嘘に加担しては駄目だ!
それは彼らの宣伝
それは彼らのプロパガンダ
なんだよ?
欧米なんか知ってか知らずか
鵜呑みにしてる
日本国民は洗脳されて
鵜呑みにしてる
まずそこを否定して
防衛強化して
教育を強化して行こう!
【関連】
828 :本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:12:24 ID:fsTA3r1B0(4)
支那人にも孔子、老子、孟子を生んだ立派な文明があると誤解している日本人が多いのだと思います。
漢文を通じて中国人を理解することぐらい、絶望的な行為はありません。何故なら漢文はこの二千年間というもの中国語とは全く関係がない。日本人のほとんどは漢文を中国語の古語と思ってきたのです。
つまり日本人が尊敬し 知っている漢民族は紀元二世紀でこの地球上から姿を消し、中国住民はそっくり北方の騎馬民族の子孫に何回も何回も入れ替わってしまったのです。
そして秦や漢時代の中国人は,そのほとんどが大陸から居なくなったということです。
ところが日本は遣隋使や遣唐使たちの使節が派遣され膨大な漢籍を大陸から持ち帰り,それを今日まで途切れることなく勉強してきたのです。
つまり日本人は騎馬民族の子孫である中国でなく2000年以上前のいなく なった漢民族の文化を勉強してきたのです。
日本人なら誰でも知っている儒教の開祖である孔子は,紀元前6~5世紀 中国各地の有力諸侯が覇権を争っていた春秋時代のことです
830 :本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:13:38 ID:fsTA3r1B0(4)
使節団が中国から持ち帰った無数の漢籍を日本人は今日まで約1300年間も読み込んできたのです。
早い話が遣隋使や遣唐使が持ち帰った「論語」や「漢詩」などによって 皮肉なことに中国人でなく日本人の人格が磨かれてきたのです。
中国語と漢文は全く関係がない、つまり漢文の読めない中国人にとって孔子や孟子の教えなど身につくはずもありません。
いわゆるこの二千年間というもの,漢文は中国語とは全く関係がないと いうことを多くの日本人は知らなかったのです。
私はこれらのことを中国史研究の第一人者である岡田英弘先生から教えてもらいました。
私も20年前 漢文を通じて身につけた中国イメージのまま中国に進出してそのギャップの大きさに仰天した記憶があります。
中国進出する前は、信義に厚く,礼を尊ぶ文化人の国であると信じていました。しかし現実にいるのは,油断も隙もならない、詐欺師の野蛮人ばかりでした。
中国人に取って漢文とは外国語同然なのです.中国で話されている言葉とは全く無縁の言語体系なのです。
831 :本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:14:22 ID:fsTA3r1B0(4)
現在の中国人は,彼らが使っている中国語が,実は文体もボキャブラリーも日本語からの借用であるということを隠そうとしています.現代日本文の真似をして前置詞や助動詞を明確に記すことによって、やっと文章が書けるようになったのです。
日清戦争後,日本に大量の清国留学生がやってきて,日本語を学び中国語を誰でもが読める中国語の表記法を改良していったのです.その中にかの有名な魯迅もいたのです。
日本語をマスターした魯迅の頭の中は日本語の文章があり,それを漢字に置き換えて表現することによって原文一致体の「白話文」が生まれました。
そして試行錯誤の結果 現在における中国語は北京語を元にした「普通話」がやっと確立されたのです。
つねに色んな異民族に取って変わられた中国の歴史を眺めたとき,中国政府が宣伝している四千年の歴史は中国人の歴史ではなく中国大陸の歴史だということがわかります。
中国には単一民族としての中国人は一度も存在しなかった.中国語には
北京語,上海語,福建語などの言葉があることを知られていますが、実際はもっと言語は細分化されています。これらは単なる方言というのでなく,ほとんど共通点がありません。
そこで中国政府は各国が持っている「国民国家」というシステムを作るために国民を北京語に統一して教育してきたのです。それもまだ100年足らずのことです。
833 :本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:16:10 ID:fsTA3r1B0(4)
そして言語だけでなく異文化、異言語の人々の寄せ集め集団である中国を統一するために歴史も歪曲せざるをえなかった。
毛沢東は少数民族を含めて全ての中国人を漢族にしてしまうために少数民族の文化を奪い、抵抗するものは容赦なく抹殺してきたのです。
もし少数民族の自治や、言論の自由といったものを実現させれば、中国政府が意図する最強の「国民国家」システムの改造計画が頓挫してしまいます。
この中国共産党の意図が理解できたとき、日本人やアメリカ人が思っている「中国は資本主義開放経済への道を進めば自然に民主国家になっていく」という考えが いかに愚かな事であるかということがわかっていただけたとおもいます。
http://2nnlove.blog114.fc2.com/blog-entry-2836.html
491 notes · View notes
bizenwakakusa · 4 months
Photo
Tumblr media
栗かのこ
火襷鉢 Yoshiteru Takariki ー栗かのこー
  今日は警報級の大雨になりました岡山です。
  さて、冷たい食べ物がおいしい季節になりましたね。
  シャトレーゼで買ってきた水ようかんを備前焼へ。
  高力さんの火襷鉢。
  やや小ぶりの造形。
  素朴な土の表情と濃厚な火襷の景色が楽しめるうつわです。
  素朴な土の表情は使うほどに味わい深く変化してきますよ。
  冷ややっこなど、シンプルな料理の盛り付けにおすすめです。
  この機会にいかがでしょうか。
6 notes · View notes
shodoshima-camera · 1 year
Photo
Tumblr media
島に住んで気がついたことのひとつ、夕日の沈む位置が季節によって変化していくこと。高い建物の間から見てた夕日、そんなこと考えたこともなかった気がするなぁ〜。今は島の北側で夕日がみえる季節。 対岸の岡山に沈んでいく、海に映る光の筋が最高に美しかった◎ [map]
29 notes · View notes
kennak · 11 days
Quote
官報によると、静岡県焼津市に本拠を置く食品加工の「株式会社山政」は、8月26日付で静岡地方裁判所より特別清算の開始決定を受けたことが明らかになりました。 1908年(明治41年)に創業の同社は、百貨店やホテル・生協などを取引先として、佃煮・鰹節・鰹タタキ・惣菜などの製造を主力に事業を展開していました。 しかし、景気低迷によるギフト需要の落ち込みで売上が減少したほか、原材料価格の高騰による採算の悪化も重なり業績が悪化すると、新型コロナウイルス感染症の影響が追い討ちとなり資金繰りが逼迫したため、2023年には事業を停止し事後処理を進めていました。 負債総額は約4億円の見通しです。
静岡・焼津の佃煮製造「山政」に特別清算決定、負債4億円 国内倒産 - 不景気.com
2 notes · View notes
shunya-wisteria · 2 years
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
どこかにビューーン! at 北上・横手
「どこかにビューーン!」を利用し、北上⇒横手⇒盛岡⇒花巻を旅してみた、パート1。
JR東日本管内の新幹線駅 どこかへ所定のJREポイントで往復できるお得なサービス 「どこかにビューーン!」 を利用してみました。私が選ばれた目的地は。。。東北新幹線 北上駅。1泊2日旅、さて何をしようか。 桜シーズンであれば北上展勝地が有名ですが、まだちょっと早い。そこで車窓から錦秋湖をはじめとした景色が楽しめそうな北上線で、一路 横手を目指してみた。
新幹線を降り立った3月中旬の北上は、ひんやりした空気が心地よい気候、折角なので北上川にかかる珊瑚橋までお散歩。橋の上から雪化粧の山脈をバックに北上川の豊かな流れを拝む。もう1月弱あとであれば、川辺の遊歩道は桜で埋め尽くされるらしい(なぜこの季節に来てしまったのだろうか)。
駅に戻り、北上線へ乗車、1時間ののんびり旅。ほとんど雪を見なかった北上市街地とは打って変わり、徐々に雪深い世界へ。東北の山間部の春はもう少し先みたいね。ロングシートの真ん中で周りに配慮しながらあまりきれいとは言えない窓越しの写真撮影は辛く、早々にあきらめ純粋に景色を楽しみました。
列車は横手駅に到着。横手といえば、かまくら ですが、これもまたちょっとシーズン外していまして。。。とりあえず横手城公園まで足を延ばしてみる。お城までの道中、一見 除雪されているようにみえ、角を曲がると突然深い雪のエリアというトラップが数か所。。。多少の雪は期待(覚悟)していましたが、10cm以上には対応できず、靴の中へ浸水。
何とかたどり着いた小高い丘の上の広場からは、雪をかぶった鳥海山の絶景が。どんよりとした曇り空も相まってなんとも言えない幻想的な光景が広がっていました、雪の女王とかが住んでいそう。最近「絶景」というワードを安易に使いすぎている気がしなくもないですが、これは最近で一番のものかと。思わず声がこぼれました。
この日のお昼は、B級グルメ 横手焼きそばをいただきました。とろとろ黄身を甘めのソースの焼きそばに絡めて、相性ばっちり。適当に街ぶらしていたところ、程よい時間に。この日の宿泊地 盛岡へ奥羽本線・田沢湖線経由で向かいます。
39 notes · View notes
utazisai · 29 days
Text
2024/08/17
山吹色に恋を揺らし、散りゆく花を追いかけて、君の手を握った。離したらもう、会えない気がした。だけど、君がまたね、と笑うから、またね、と魔法をかけた。君の名前を口に出すと、温度を上げてい���から、夢の中でそっと呟いた。君が季節を呼ぶのなら、再会するときには、きっと夏模様。
------------------------------------------------------
坂岡優さん(@yu_psychedelic ) の企画 #夏むかい 第六回テーマ「再会模様」
3 notes · View notes
koiai15 · 1 month
Text
僕の夏休み。
きいちゃん
お互い仕事が詰まりすぎてて全然会えなかったんですけどやっっっっと時間が取れたのでロンドン土産持って会いに行ってきました!朝から電車を間違えそうになるトラブルも抱えながら、でもきいちゃんも朝から動いてくれてたおかげで遅刻はせずに済みました!※ここ大事です!
きいちゃんこの間お仕事で岡山に行ってたみたいで岡山土産もらったんですけど吉備団子を見たぼくの一言
「すごい!これが噂のまさかり担いだ金太郎の地!!」
さすがのきいちゃんも呆れてました。だれが悪い?ぼくですね!久しぶりに会ってもボケにボケを重ねてしまうぼくにちょっと疲れながら途中えいとくんに電話して3人であーでもないこーでもないって話をしてたんですけど、早く会いたいねーってなったので9月?10月?24さいっ。ちーむ友だちの会楽しみにしてまぁーす!ちなみにえいとくんは朝起きれないみたいなので彼を誘う場合は午後からにしましょう。ここ、テストに出ます!貸切かと思ったら人がいたのも面白かったし、鶴は1000年、亀は万年のくだりも信じられないくらい笑いました。あとドトールできいちゃんがアイス頼んでてマッジで意味がわかりませんでした!そんなぼくはりんごジュース頼んでたのでゼンカイチームは本当に訳わからんです!ね!あ。ちなみに海鮮丼、有言実行すべく、ぼく、奢りました。ドヤ。きいちゃん美味しそうに食べてて可愛かったでぇーす!ちなみに朝10時にお酒キメたのだれーー?
ぼくだーーーーーーーー!!!
Tumblr media Tumblr media
しゅーとくん
念願のしゅーとくん!二人でゲーセン行ってUFOキャッチャーしたりマリオカートで対戦したり、ハシゴ酒もしてきました!お互いのグループのことたくさん話して、めちゃくちゃ有意義な時間だったなあ。途中ぼくがへろった時スマートに助けてくれたしゅーとくん見て
「惚れちゃうかも!!!」
って言ったら「あ、大丈夫です!」ってしっかり断られました!照れ隠しだったらいいんだけど!!二人で大きなジョッキに入ってるお酒飲んで語り明かしたなあ。楽しかったなあ。そう言えばしゅーとくん日本酒も好きみたいなので今度飲んでこようと思います!ぼくも本格的に日本語!あ、日本酒です。日本酒デビューするぞー!
Tumblr media Tumblr media
綱くん
絶対誰かにオススメしたかったケーキ屋さんに綱くんを連れていけてよかった!スリッパ持参してきたのも面白かったし、二人でホラー映画観ました。後半、ぼくは全然観てなかったです!懺悔!綱くんの「気持ち悪い発言ランキング1位」を聞いて面白すぎて倒れそうでした。本当にノリとテンションがぼくみたいで、最近よく間違われます。もしかしたらぼくも綱くんなのかもしれないですね!31のアイス買ってきてくれた綱くん優男でした。残していったけど!また来るねー!って元気に帰っていったけれどもう大丈夫なので!ここで!返信しておきます!
Tumblr media Tumblr media
りんちゃん
ジブリご飯の再現メニューを頼んで感動!りんちゃんに
お食べ!!!!!
しました。りんちゃん大爆笑。お腹いっぱい食べたせいで帰りの電車で二人とも爆睡。そんなこと…あるもんですね!実は今週りんちゃんに3回会ってます。今月だけで言うともう5回?それでも僕がりんちゃんに「会いたい!!!」って言うんですけど、何を心配したのかりんちゃんが「あっちゃん何かあった…?」と返信をしてくれて、ぼくそれだけで笑いが止まらなかったです。会いたい=何かあったもんだと解釈してるりんちゃんかわいいですね。とても!本当にりんちゃんといると笑いがたえなくて幸せだなって思うんです。そんな人に出会えたことがまた幸せですね!
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ロンドンから帰ってきてバタバタしてる中でみんながぼくのために時間を作ってくれて会ってくれること、当たり前じゃないなあって思ったし、空がずっと続くみたいに、今この瞬間がずっと続くと良いのにな。そして、
何度季節が巡ってもみんなのそばにいたい。
新しい季節の訪れをまたみんなと過ごしたい。暖かな日差しの降り注ぐ日も、雨風の強い乾いた日にも、朱色の絨毯のかかる日も、白の空気に染まる寒い日でも、どんな時でも何度も同じ季節を巡り続けて、それでも最後はいつもみんなの側にいたいです。
みんないつもありがとねん。ラブッッッッッ!
6 notes · View notes
foucault · 9 months
Text
Tumblr media
今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係���小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
7 notes · View notes