#小谷家族
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人は自己家畜化で優しく従順に進化した 人工環境と社会に適応
テクノロジーと人類(48)長内洋介
2025/3/29 10:00
人類が今日の繁栄を築いた根本的な理由は何か。その謎を解く鍵として注目されているのが「自己家畜化」という概念だ。人は優しく進化して飛躍を遂げたのだという。
家畜と共通点
人類は約1万年前、ヤギやヒツジ、ウシなどの野生動物を飼育して家畜化した。奇妙なことに、人はこうした家畜とよく似た性質を持っている。この事実は古代ギリシャ時代から知られ、19世紀にダーウィンも注目して研究したが、理由は突き止められなかった。
家畜化された動物は、どの種でも共通の性質が表れる。人を攻撃せず従順で、ストレスに対して鈍感、頭や顎は小型化し、体は白くなり、顔は平面的で幼くなるといった変化だ。
これは「家畜化症候群」と呼ばれ、その多くは人でもみられる。人はチンパンジーと比べて温和で、反射的に攻撃することは少ない。数百万年に及ぶ進化の過程で顎や歯は小型化し、顔は平面的になった。
人はなぜ家畜と似ているのか。その理由を説明するのが自己家畜化だ。人は誰かに家畜化されたのではなく、自ら家畜のような性質に進化したというものだ。
動物を家畜化するときは人に従順な個体が選ばれる。人類も攻撃的な人は排除され、仲良く協力できる人が自然淘汰(とうた)で生き残ってきたと考えられる。自己家畜化が始まった時期は不明だが、われわれホモ・サピエンスが誕生した頃に大きく進展したらしい。
東京大の外谷(とや)弦太特任助教(複雑系科学)は「人類は道具を使い、協力して狩りをすることで多くの食料を得られるようになった。人口が増えて社会が複雑化すると役割分担が始まり、より仲良くすることが有利になって自己家畜化が加速した」と指摘する。
愛知県立大名誉教授で野外民族博物館リトルワールド館長の稲村哲也氏(文化人類学)は「他者と協力し、相手を思いやる人間の特性は自己家畜化の過程で残ってきたのだろう。人は自ら作った高ストレス社会に適応して、より優しくなった」と話す。
仲良くなると情報や物資の交換が活発になり、新たなアイデアが生まれイノベーション(技術革新)が起きる。自己家畜化が人類の繁栄と文明の進歩に重要な役割を果たしたことは間違いないだろう。
人は大人になってもよく遊ぶ。旺盛な好奇心の表れであり、遊びによる探索や試行錯誤が新たなひらめきの源泉になる。イヌは進化の過程で自ら人に近づいたともいわれ、人と同じようによく遊ぶ。
人類は道具や社会制度を作り、農耕や都市化によって人工的な環境を生み出してきた。人が作った環境の中で家畜が飼育されるように、人間も自ら作った社会や環境の中でしか生きられない存在だ。こうした視点からも人は自己家畜化したと指摘されている。
言語にも関係
自己家畜化は人間らしさの根源である言語の誕生にも関係しているという。小鳥のジュウシマツは野生種を品種改良した家畜で、野生種より複雑なさえずりができる。人も自己家畜化によって言語の進化が起きた可能性がある。
京都大の藤田耕司名誉教授(進化言語学)によると、野生動物は生きていくため常に天敵や餌の心配をしているが、家畜はその必要がないため余裕が生じ、多くのことに注意を払い考えられるようになる。
「これが複雑な構造を持つ人間の言語が生まれた一つの要因ではないか。言語による複雑な思考やコミュニケーションが可能になった背景には自己家畜化がある」と藤田氏は指摘する。
家畜化の研究は、ロシアで20世紀半ばに行われたキツネの家畜化実験で大きく前進した。人に従順な雄と雌を交配させ、生まれた子から従順な個体を選び交配させることを繰り返した結果、わずか数世代でイヌのように尾を振る人懐っこいキツネが生まれたのだ。
しかもこのキツネは耳が垂れ、色が白いなどの家畜化症候群も呈していた。数千年は要したであろうオオカミからイヌへの進化を人工的に再現したようなものだ。
この実験によって、従順さを求めると家畜化することが実証されたが、なぜ体の変化も同時に起きたのか。これを説明する画期的な仮説が約10年前に登場し、注目されている。
鍵となるのは神経堤細胞という特殊な細胞だ。胎児のときに脊髄付近から全身に散らばり、ホルモンを分泌する副腎や骨などさまざまな場所の形成を促す。
この働きが低下すると、攻撃性を高めるホルモンの分泌が減るなどして穏やかで従順になる。骨や軟骨の形成も阻害されるため、頭が小型化したり、耳が垂れたりする変化が同時に起きることも説明できるのだ。
この仮説が正しければ、動物の家畜化は神経堤細胞の働きが低い個体を選別する行為といえる。人の自己家畜化も、そういうタイプの人が仲間や結婚相手として多く選ばれ、進行した可能性がある。
京都大ヒト行動進化研究センターでは、チンパンジーと、近縁種で自己家畜化した性質を持つボノボの人工多能性幹細胞(iPS細胞)を使って、それぞれの神経堤細胞を作り、その働きを比べることで自己家畜化の決め手となる遺伝子を探す研究が進んでいる。
権力への依存
現代人も自己家畜化が進んでいるという。山口大の高橋征仁教授(社会心理学)によると、日本での代表的な美男子コンテストの候補者は、時代を追うごとにひ弱で優しく幼い印象の顔になっている。家畜化で生じる特徴的な変化だ。
分析の結果、女性は男性の優しい顔に恋愛や結婚の相手としての魅力を感じることが分かった。女性が穏やかで従順な男性を選ぶことで人の自己家畜化が進んでいる可能性がある。
自己家畜化の進行は人類の将来に何をもたらすのか。高橋氏は「幼くなるのは若々しくなることで良い面だが、課題は巨大な権力への甘えと依存が強まることだ」と話す。
インターネットが普及した今日、現代人は巨大IT企業が支配する情報インフラを従順に受け入れ、すっかり依存している。人はネット空間という見えない柵の中で飼育され、情報という���を与えられて生きる家畜への道を自ら選んだと言ってもいいだろう。
一方、外谷氏は「人が協力して行ってきたことの多くは生成AI(人工知能)に置き換わる。人は協力することに価値を見いださず、他者や社会に無関心になっていく」と予想する。
家畜は人間に興味を示す半面、自分と同じ種への関心は低い。人間同士が無関心になることは自己家畜化の帰結ともいえそうだ。
稲村氏は「人は自己家畜化によって社会性や共感を強めてきたが、集団を超えた協力はできていない。集団内の結び付きが強いほど、外部の集団と戦争を起こしてしまう。この矛盾をどう解決するか問われている」と警鐘を鳴らす。
自己家畜化論は人種差別や優生思想と結び付いて政治的に利用された過去があり、現在でも誤解されやすい。だが人間の本質を探る上で重要な論点であり、人類史を俯瞰(ふかん)して理解する新たな視座になるだろう。(科学報道室編集委員)
(人は自己家畜化で優しく従順に進化した 人工環境と社会に適応 テクノロジーと人類(48)長内洋介 - 産経ニュースから)
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「エヴァンゲリオン」シリーズに登場する組織を名乗り、防災情報を「国内最速」のレベルで発信し続けるSNSアカウントがある。今や気象庁も認める社会インフラの一つとなった「特務機関NERV(ネルフ)」だ。当初は19歳の大学生による無許可のファン活動だったというNERVが、最速と呼ばれる防災情報組織に発展した背景には何があったのか。アカウントの設立者でセキュリティー会社「ゲヒルン」(東京)社長の石森大貴さん(34)の歩みを追った。(時事ドットコム取材班キャップ 太田宇律) ◇学生起業「すぐにつぶれると」 大学生だった石森さんが、ツイッター(現X)上に防災情報を発信するアカウント「特務機関NERV」を立ち上げたのは、2010年2月のこと。エヴァンゲリオンに登場するNERVは、謎の敵「使徒」と戦う組織の名称だ。「突如現れる使徒は、現実世界で言う災害のようなもの。当初は、全国の警報や避難指示を自動投稿するだけのアカウントで、ただのファン活動でした」(石森さん) エヴァと出会ったのは、主人公の碇シンジと同じ14歳のとき。幼なじみがDVDを貸してくれたのがきっかけで、「新劇場版」の公開時には映画館に何度も足を運ぶほど熱中した。大学在学中に知人の勧めで起業したときも、社名はエヴァにちなんで「ゲヒルン」に決めた。「頭脳」を意味するドイツ語だが、ファンにはNERVの前身組織名として知られている。 石森さんは設立当初のゲヒルンについて、「若手エンジニアを集めたイベントの開催や、ウェブサイト制作などを手掛けていましたが、大した仕事はなかった。きっとすぐにつぶれてしまって、自分は普通に就職するんだろうなと思っていました」と振り返る。その運命を大きく変えたのは、起業から半年後、2011年3月に発生した東日本大震災だった。 ◇炎上する小学校「もうだめか」 石森さんは宮城県石巻市出身。震災当時は東京都内で1人暮らしをしていたが、同市渡波の実家には母と妹がいた。 「揺れの直後は一度だけ家族と連絡が取れましたが、すぐに通信が途絶えてしまった。報道ではなかなか石巻の情報が得られず、一晩中ツイッターにかじり付いていました」。東京にいる自分にできることはないか。石森さんはネットや報道で得られた石巻市内の被害状況や避難情報を、自身のブログに「スクラップ」していった。被災者や故郷を案じる人のため、せめてもの行動だった。 夜が明けた午前6時ごろ、炎上する石巻市内の小学校や津波で押し流された家屋の空撮映像がテレビで流れた。「実家や家族も、もうだめじゃないか」―。最悪の想像が頭をよぎったが、数日が経った後、石森さんの実家が流失を免れ、中にいた母や妹も無事だったことが分かった。しかし、石巻市雄勝町で病院職員として働いていた伯母は、大津波で帰らぬ人となった。 ◇ヤシマ作戦 震災直後から、東京では輪番停電(計画停電)が始まった。エヴァには、使徒を倒すために日本中を停電させ、その電力で陽電子砲を撃つ「ヤシマ作戦」という場面がある。石森さんはNERVのツイッターアカウントで、計画停電をヤシマ作戦に例え、連日必死に協力を呼び掛けた。 「怪しい」といぶかしむ人もいたが、次第に賛同する人は増えた。アニメの版権元は「あくまで非公式」としつつ、NERVの名称やロゴの使用を容認してくれた。石森さんはこれ以降、NERVのアカウントを徐々に「国内最速の防災情報アカウント」へと発展させていく。 災害情報共有システム(Lアラート)から避難情報などを受信できるようにし、気象業務支援センターとも専用線をつないでもらった。ゲヒルンは防災情報発信だけでなく、有名企業のセキュリティー診断を手がける企業として成長し、2016年にはさくらインターネットの子会社に。NERVの緊急地震速報は、テレビのテロップ表示を速度で上回ることも多く、災害時に多くの人が頼る情報インフラの一つとなっていった。 ◇防災アプリ、始動 ただ、ツイッターでの防災情報発信には限界も感じていたという。「全国の情報が全部流れてくることは、メリットでもデメリットでもある。一度でも煩わしいと思われたら、フォローを外されてそれっきり、その人の役には立てなくなってしまう」(石森さん)。ツイッターの運営企業の方針変更に振り回され、アカウントが突然「凍結」されてしまう事件も起きた。ニーズに合わせた防災情報を自主発信するため、自社アプリの制作を決断した。 「防災の日」に当たる2019年9月1日、ゲヒルンはiPhone用アプリ「特務機関NERV防災」をリリース。わずか1日で10万人超がダウンロードするほど大きな反響があったという。エヴァの版権元からは「社会的に意義のある活動」として正式に名称やデザインの使用許諾を得られ、気象庁も「使命を共にする頼もしいアプリ」と太鼓判を押した。2025年3月時点で、Android向けを含めたアプリの総ユーザー数は680万人を超える。 ◇「国内最速」無力感を糧に 現在、ゲヒルンの社員は15人。国内最速レベルの通知を実現しているのは、石森さんを含む少数精鋭の技術者たちが日々、システム改修と効率化を進め、人間には知覚できない「1ミリ秒」を削る努力をしているからだという。その背景にあるのは、石森さんが震災時に痛感したという「無力感」だった。 「大学で情報科学を勉強していたので、情報の取り扱いには長けていると思っていました。でもあの災害で、自分は家族や親戚にとって何の役にも立てなかった。あの日、自分がブログに情報をスクラップしていたように、全ての災害情報を一カ所にまとめたい。必要な情報を、大切な人に一瞬でも早く届けられたらと思い、開発を続けています」(石森さん) ◇「会社辞める」心折れた過去も 伯母を亡くした震災から今年で14年。スマートフォンの普及や技術の発展で、災害の情報は当時より早く、必要なときに必要な分だけ届けられるようになりつつある。ただ、石森さんはかつて、「このままSNSで防災情報をつぶやいていても、本当に人を救えるのか」と疑念を持ち、周囲と連絡を絶った時期もあった。 防災アプリ公開から半年前の2019年2月。きっかけは、親会社とのグループ会議で、防災事業の赤字をとがめられたことだった。「防災情報で儲かるのか」「社員と信頼関係は結べているのか」。役員からの厳しい言葉に、石森さんは強いショ��クを受けた。「この会社ではやりたいことができない。辞める」。そう言い残して、石巻市の実家に帰ってしまったという。 ◇情報は完全じゃない 再起のきっかけは、たまたま見に行ったリアス・アーク美術館(宮城県気仙沼市)で出会った東日本大震災の展示だった。「現代人は情報に命を託している」「しかし、あのような大規模災害が発生したなら、情報を待つ前に、想像力を働かせ、自ら行動しなければならない」―。常設展示の解説にあったこの一文が、石森さんの心に刺さった。 震災の日、伯母がいた石巻市雄勝町の雄勝病院。周辺に第1報として発表された大津波警報は「高さ6m」で、3階建ての病院屋上に逃げればやり過ごせたはずだった。しかし、実際に雄勝町を襲った津波は最大16.2メートル。雄勝病院は屋上まで津波にのみ込まれ、入院患者40人と、伯母を含む職員24人が犠牲となった。 「情報は完全じゃないし、答えじゃないし、届かないこともあるし、遅れることも、間違っていることもある。情報の役割は、その人に『判断をもたらす』ところまでなんです。情報に依存しないで、自分で考えて行動することを、自分は開発者として伝えなければならない。そう気付きました」 東京に戻った石森さんに、ゲヒルンの専務で、少年時代からの友人でもある糠谷崇志さんは「みんな待ってるよ」と声を掛けた。再起した石森さんを、ゲヒルンの仲間たちは温かく迎えてくれた。「心の整理がついて、それからは迷わず仕事に向き合えるようになった」と、今は思える。 ◇「1ミリ秒」削り続ける 防災アプリの運用コストは、精度や性能の向上とともに年々膨らみ続けている。「広告を見たら無料で使えるとか、課金したらより良い情報が得られますというのは、防災アプリとしてはあるまじき姿。一方で、ユーザーからは、『このアプリがなくなったら本当に困るので、課金させて欲しい』という声も寄せられていました」。そこで、2020年9月から「サポーターズクラブ」を開設し、運営費の一部を有志に支援してもらうことにした。 ただ、サポーターからの収益で賄えているのは、サーバー代などで年間1億円を超える運用コストの1割程度という。「あったらあっただけシステム改良に使ってしまうから、どんどんコストが大きくなる」と石森さんは笑う。 東日本大震災では、指定されていた一次避難所に身を寄せたにも関わらず、津波にさらわれ命を落とした人々がいた。情報は命を救うこともあれば、奪うこともあると、石森さんは言う。「怪しいアカウントの情報だから間違っている、気象庁や自治体、報道機関の情報だから正しいということでもないんです。情報の正確さと共に、自分の想像力も大事にして行動してほしい」。情報で人を救うことまではできなくても、少しでも早く伝えられたら、その人はどう行動するか判断できる。そのために、NERVは今後も「1ミリ秒」を削り続けていく。 <この記事は、時事通信社とYahoo!ニュースの共同連携企画です>
「情報で人は救えない」心折れた過去◆特務機関「NERV」、それでも削る1ミリ秒 #知り続ける(時事通信) - Yahoo!ニュース
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Scan and transcription of the Persona 3 part of Newtype Magazine February 2016


春、夏、秋を経て冬、理が出す答えを見届けて
監督 田口智久
死を見つめる季節のフィナーレに
第1章でコンテ、第2章で監督を務めてこられた劇場版「ペルソナ3」ですが、ファイナル・シーズンである第4章は、どのような気持ちで臨んだのでしょう?
田口 第3章で自分が監督としてかかわっていない劇場版「ペルソナ3」を見ることができたのが、刺激になりました。自分とはまったく違う方法論で構築されていて、僕がやったら確実にこうならないですし、なんというかジェラシーのようなものを感じまして。ああ、ペルソナって、こういうふうにつくることもできるんだ、と。それを受け止めることができたからこそ、第4章では、自分のやり方を突き詰めたフィルムにしなくてはと思いました。あとは、やっぱりフィナーレということでのプレッシャーが大きかったです。
第4章の物語の関となるのは?
田口 理と綾時の関係性ですね。そこヘシャドウの母体であるニュクスが襲来したり、それに伴ってみんなの心がダウナーになって⋯⋯という展開で、ずいぶん重いものになっています。でも、みんなが悩んでいる部分にしっかり尺を取って描いているので、映画ならではの見せ方ができているのでは、と思います。
理にスポットが当たっていきますが、どのように描きましたか?
田口 第3章に、理が旅館の池に落ちて笑うシーンがありますけど、あの理を経ての理をしっかり追っていこうと考えていました。今作では、抱えきれないほどの絶望を前に、悩み、立ち止まってしまうというところまで、みんなが落ちてしまうんですけど、そのなかで理が見つけ出す答えというのが、全4章通してのテーマでもあり、象徴的なセリフになっています。そして、それは、第3章で笑った理がいなければ、たどり着けなかった答えなんじゃないかな、と。
それから、綾時とアイギスも、重要な存在ですね。
田口 すごく極端な⋯⋯本当に超極端な言い方ですけど「綾時と理は両想い。アイギスは理に片想い」っていうのを、こっそり頭の片角に置いてました(笑)。もちろん僕独自の解釈なので、いろんなとらえ方をしてほしくもあるのですが。ただ、そうやって、アイギスがヒロイン然としているわけではないからこそ、ペルソナならではの仲間感が出る、というのもあるんですよね。
理と綾時に重点が置かれていくとなると、その二役を演じられている石田彰さんのアフレコもすさまじいものになったのでは。
田口 石田さんだけ別の週に理以外の綾時を中心とした声を録らせていただいてから、全体アフレコの週に理としてみんなといっしょに録らせていただいた感じなんですけれど、本当にすばらしかったです。演技に対するストイックさが本当にプロフェッショナルで、ご自身で「今のは少し綾時が出てしまったから」とリテイクを申し出てくださったり。
全体的にも、とてもスムーズなアフレコになったそうですね。
田口 圧倒的にスムーズでした。特に今回は静かなシーンが多くて、感情的にセリフを吐くような場面はほとんどないんですけど、その淡々とした空気感を成立させるのは難しいはずなのに、自然にスッとやってしまえるのがこのチームの方々の成せる技。こんなに研ぎ澄まされた現場は、なかなかないのではないかと。
細かな心情描写という意味では?画づくりにもこだわられたのでは?田口監督の描き出すダウナーな情景描写が楽しみです。
田口 カッティングが終わった後に、編集さんに言われたひと言が「暗っ!」でしたからね(笑)。刺されて死ぬとか大惨事が起こって死ぬとかのサスペンス的な死ではなくて、非常に観念的な死についての物語なので、精神的にどうやられていくかというのを、どう表現するかが課題で。光や色味の演出であったり、降ってくる雪の量で表現していきました。アニメで雪が降りつづけている作品もあまりないんじゃないかと思うんですけど、心情とマッチさせたいなあというところで、力を入れています。作画もすごいアニメーターさんたちが集まってくださっていて、誇張された動きというよりはリアル寄りの芝居をていねいに描いてくださっています。全然動いているように見えないところにも実は枚数が割かれていて、作画枚数もこれまででいちばん使っているんですよ。
最後に、今作を描くうえでの最大のポイントだったと考えるシーンを教えてください。
田口 ラストですね。それは第4章を担当すると決まったときから、見据えていたビジョンでもあります。第1章の春からともに季節を経てきた理と仲間たちが迎える、そのラストを見届けてほしいです。
#1 Spring of Birth
1日と1日のはざまに隠された影時間。そこにはびこる怪物・シャドウに襲われて、無気力症となってしまう者が町に続出していた。対抗できるのは、ペルソナという特殊な能力をもつ者だけ。春、私立月光館学園に転校してきた結城理は、ペルソナの力に覚醒し、同じくぺルソナの力をもつ者たちが集う特別課外活動部へと引き入れられる
#2 Midsummer Knight's Dream
夏休みに屋久島旅行に向かった特別課外活動部。そこでアイギスという女の子に出会う。彼女は対シャドウ特別制圧兵装のラストナンバーであり、なぜか理のそばにいることを望むのだった。理たちは影時間の謎を追いながら、さらに新たな仲間と出会い、きずなを深めていく。だがそこにストレガと名のる者たちが現われ⋯⋯
#3 Falling Down
季節は秋。特別課外活動部は、影時間を終わらせるため、シャドウや滅びを望むストレガとの死闘を重ねていた。ある者は仲間や家族の死と向き合い、ある者は護るべき者に気づき、ある者はこれまでの戦いの意味に葛藤する。そんなとき、理の前に謎の転校生、望月綾時が現われる。その出会いの先にあるものは⋯⋯
「PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth」
●1月23日土全国ロードショー
●第3章Blu-ray&DVD 1月20日水発売
WEB▶http://www.p3m.jp/
Twitter▶@P3movie
illustrated by YUKIO HASEGAWA, finished by SAORI GODA
background by BIHOU, text by HITOMI WADA
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
STAFF 原作=「ペルソナ3」(アトラス) 脚本=熊谷純 スーパーバイザー=岸誠二 キャラクターデザイン=渡部圭祐 ペルソナデザイン=秋恭摩 プロップデザイン=常木志伸 色彩設計=合田沙織 美術監督=谷岡善王(美峰) 美術設定=青木薫(美峰) コンポジット&ビジュアルディレクター=高津純平 編集=櫻井崇 音楽=目黒将司、小林哲也 音響監督=飯田里樹 第4章監督=田口智久 制作=A-1 Pictures
CAST 結城理=石田彰 岳羽ゆかり=豊口めぐみ 伊織順平=鳥海浩輔 桐条美鶴=田中理恵 真田明彦=緑川光 山岸風花=能登麻美子 アイギス=坂本真綾 天田乾=緒方恵美 荒垣真次郎=中井和哉 イゴ ール=田の中勇(特別出演) エリザベス=沢城みゆき
#persona 3#p3#ryomina#that tag's deserved i think#'Ryoji and Makoto are in love with each other. Aigis' feelings for Makoto are unrequited'#insane
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(...) 今日のインターネットでは、人目を気にする「昼の言葉」が力を持っている。魅力や価値、メリットをアピールし合うためのボキャブラリー。それは人気や注目を得ようとする言葉であり、構図を単純化してわかりやすくする言葉であり、人を動かすことに特化した言葉であり、他より自分が優れていると示すことに関心を集中させた言葉である。塩谷さんは、バズライターと形容されるほど、「昼の言葉」を巧みに操って仕事をしていた。どうすれば注目を集められるか、彼女にはなんとなくわかってしまうらしい。
だが、言葉の世界にも夜がある。家族も街も静かに眠る深夜は、「誰の目を気にすることもなく、束の間の自由を謳歌できる夜遊びの時間���だ。そういう時間にこそ、人は言葉選びを急がずに立ち止まる。「夜の言葉」は、小さくて曖昧で、あれかこれかという単純な分類ができない。私が好んで読む書き手の言葉には、いつも夜の成分がある。
騒がしい世界でかき消されそうになっている小さな声を聞き、それを誰かに届ける文章に翻訳するとき、「夜の言葉」を話す必要がある。そして、塩谷さんの言葉の軸足は、静かな夜にある。スポットライトを浴びない、「夜の言葉」を書く人だ。そういう反時代的な言葉の選び方をする塩谷さんの感性と知性を、私は素直に信頼している。
『ここじゃない世界に行きたかった』(塩谷 舞) 書評ー「夜の言葉」を書く人 文:谷川 嘉浩 (哲学者)
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AI: The New Aesthetics of Fascism
《AI:法西斯主義的新美學》
/ Gareth Watkins, 2025
它令人難堪、具破壞性,而且看起來一團糟:AI 生成的藝術,是極右派的完美美學形式。
湯米・羅賓森(Tommy Robinson)在推特上發布了一張士兵在 D 日走入海中的圖片。極右團體「英國優先」(Britain First)的共同領導人製作了描繪穆斯林男子在大眾運輸工具上嘲笑悲傷白人女性的圖像。一首結合俗氣的德式流行歌曲與粗劣種族刻板印象的 AI 生成歌曲進入德國熱門前五十名,並登上 Spotify 全球病毒式傳播榜第三名。班傑明・納坦雅胡(Benjamin Netanyahu)構想出一個民族淨化後的加薩幻景,透過子彈列車與同樣虛無的「Neom」相連。基爾・史達摩(Keir Starmer)領導的工黨發佈了一支影片,將其政策以擬人化動物的形式呈現,隨後被迫下架。幾天後,他們宣稱要將「AI注入英國的血脈中」。
右翼喜愛 AI 生成的影像。在短短時間內,整個政治光譜的一半集體迷戀上由生成式 AI 所創造出的華麗且令人不安的視覺畫面。儘管這些支持者對任何形式的藝術表現既缺乏熱情也缺乏才能,右翼視覺文化從過去記憶猶新的競選海報,到「恐懼浪潮(terrorwave)」風格,如今幾乎完全淪為劣質內容。為什麼會這樣?要理解這一點,我們必須思考右翼對工人的厭惡、其與科技產業的(超過互惠的)共生關係,以及,最根本的,他們對啟蒙人文主義的徹底拒絕。這聽起來也許過於牽強,但請容我繼續說明。
第一點是最明顯的。所謂的「AI」——以大型語言模型如 ChatGPT、以及主要以擴散模型為基礎的圖像生成器如 DALL·E 和 Midjourney 為代表——承諾只要使用者能輸入一段提示語,就能搖身一變成為文案寫手或平面設計師;而這些職業通常與年輕、受過教育、城市居住者,以及往往偏左的政治傾向相關聯。即便最好的 AI 模型仍然不具備實際職業應用的能力,這一點卻幾乎無關緊要。真正的賣點在於,使用這些模型的人不需要支付報酬給(更重要的是,不需與之互動)那些他們認為低人一等、卻不得不依賴其技術專業的工作者。
對像「英國優先」這類規模較小的組織而言,聘用一位全職設計師來滿足他們對於圖像——無論是哭泣的士兵還是咧嘴笑的外國人——的無盡需求,是一筆無法正當化的開銷。但國家領導人呢?擁有動員龐大國家資源的能力,難道連在 Fiverr 找人做圖都不願意嗎?但他們為什麼要這麼做?當他們可以用 AI 完成,藉此向其支持者傳達一個訊號:他們對勞動的徹底蔑視。
對其右翼支持者而言,缺乏「人」的存在正是 AI 藝術的賣點,而非缺陷。在過去,機械製作的藝術會刻意強調其人造性——例如包浩斯的量產現代主義(納粹曾打壓,德國另類選擇黨 AfD 也對其發出譴責),或 Kraftwerk 的電子音樂。而 AI 藝術則假裝它是寫實的。它可以以右翼偏好的方式創造圖像:像湯瑪斯・金凱德的畫作、夢工廠風格的無靈魂 3D 動畫、那些只能傳達創作者預設解釋的無深度影像。更關鍵的是,它可以在完全不需要藝術家的情況下做到這一切。
哈維爾・米雷伊是一位狂熱的 AI 圖像使用者,他希望阿根廷人民知道,他們當中任何一人都可能成為那 26.5 萬名因他引發的經濟衰退而失業(其中多為年輕人)的一員,這一切還獲得了經濟菁英的熱烈讚揚。他想傳達的是:任何人都有可能成為他電鋸下的下一個對象,即使那表示他會製作一些可笑的爛圖來滿足他那 590 萬位毫無批判性的 Instagram 追隨者。
說到 Instagram,任何年紀足夠讀懂這篇文章的人,應該也都記得馬克・祖���柏——以及整個矽谷——曾經被廣泛認為是自由派代表。「Zuck」甚至一度被視為唯一可能打敗唐納・川普的總統候選人。(值得注意的是,隨著祖克柏愈來愈右傾,他的穿著也變得愈來愈糟,這點我們稍後會再談。)
但即使是 Zuck 也無法讓 AI 成為主流。Meta 在 2023 年推出的那些奇怪的 AI 假帳號,在六個月後默默被撤下,如果不是 Bluesky 的使用者發現有些帳號倖存下來,這項失敗幾乎會從歷史中完全消失。這似乎就是所有商業 AI 項目的命運:最好的情況,是它們與人們實際需要的東西捆綁在一起,從而被冷淡接受(如 Microsoft 的 Copilot);最壞的情況,則是完全失敗,因為技術根本不到位。企業無法推出 AI 產品而不被消費者清楚告知:「沒人想要這個。」
然而他們依然持續推進。為什麼?答案是:階級團結。
整體而言,資本家階級在 AI 上下注了龐大的賭注:根據高盛的估計,投入金額達一兆美元——這甚至還是川普政府承諾為其「星門計畫」額外投入五千億美元之前的數字。雖然先前對元宇宙與 NFT 的押注未見成果,但他們在加密貨幣上的下注取得了驚人的回報——截至本文撰寫時,這個市場市值已達 3.44 兆美元,幾乎是從虛空中創造出來的。
上述所有技術都獲得了政治右翼的大力支持:唐納・川普曾聯合發行 NFT 項目與迷因幣;極右勢力則因被排除於主流銀行體系之外,幾乎全數依賴加密貨幣進行運作。這不只是因為「實用性」,更是一種立場認同與科技產業的結盟。AI 也不例外。
OpenAI 靠每月 200 美元的 ChatGPT 訂閱費依然無法獲利;高盛完全找不到合理的投資回報依據;執行長山姆・奧特曼更面臨性侵與戀童等指控。「Slop(劣質內容)」幾乎成為年度關鍵詞。然後,最致命的一擊:由中國開發的開源 AI 專案 DeepSeek,在一夜之間讓美國股市蒸發一兆美元市值。
換言之,AI 產業如今急需所有可能的盟友,再也無法挑三揀四。如果人們唯一看到 AI 圖像的地方,是���推特帳號 @BasedEphebophile1488 上——那也好,至少還有人在用。他們的思維似乎是:只要 AI 能在公眾意識中撐得夠久,就能像加密貨幣一樣,變成「大到不能倒」。政治人物如湯米・羅賓森雖不會主導這個過程,但他們可以讓 AI 的使用變得正常化,而羅賓森正好活躍於那些能對 AI 產業提供實質協助的數位社群中。
就如同我們可能會捐款支持 GoFundMe,資本家階級提供的「互助」方式就是投入數十億美元的投資、把 AI 整合進他們的產品中、並透過實際使用來推動 AI 的常態化。這種「常態化」的過程,已讓英國自稱中間偏左的工黨政府承諾投入巨資建設 AI 基礎設施。如果「史達摩派」的一大特色,是他們認為唯有保守價值才真正合法,那麼他們擁抱 AI 及其美學,也就不足為奇。 AI 影像看起來一團糟。但我想要主張的是,這正是它對右翼的最大吸引力。 如果 AI 真能創造出形式精緻、令人驚喜、富有靈魂的藝術,那麼他��根本就不會想要它。他們會被那樣的東西嚇退。
過去,保守派確實曾經創造過偉大的藝術——托爾斯泰、契訶夫、陀思妥耶夫斯基、G.K. 卻斯特頓、克努特・漢森 等,都是例子。但那個時代早已過去。經歷數十年的反智與對人文學科的仇視後,他們不再有能力創造藝術,甚至連思考藝術都不行。
藝術一直以來都存在於傳統與前衛之間的辯證拉鋸中:一邊是「藝術就是一幅寫實的風景畫或希臘神話場景」,另一邊則是「一個小便斗只要有藝術家簽名也能成為藝術」。前衛的目標,如其名稱所示,是要擴張藝術的疆界,讓人理解:羅斯科的大片色塊或小野洋子的行為繪畫,能夠與維梅爾的肖像畫產生同樣的藝術效能。
甚至在過去,右翼也曾參與這場擴張:義大利的未來主義者就是其中之一。那時還有像塞林這樣的作家與溫德姆・劉易斯這類藝術家,他們不但創作出偉大作品,甚至還推動了當時的前衛藝術風潮。
但今天呢?還有哪位右翼藝術家,不是在懷舊某個幻想中的時代——一個猶太人、女性與同性戀「尚未破壞」藝術的時代?大概只剩米歇爾・維勒貝克還能勉強算數,而且他早已過了他那兩本小說的巔峰期。
右翼的美學計畫,就��用滿天飛的垃圾,侵蝕所有反抗政治殘酷的思想根基。
藝術有規則——就像自然界的規則一樣,這些規則足夠寬容,讓蕭邦與 Merzbow 都能被歸類為「音樂」,但這些規則確實存在。即便是網路迷因,也得遵循這些規則。最失控的 shitpost 也延續自外圍口號式藝術的悠久傳統,可追溯至 1960 年代的地下漫畫、再更早至達達主義與超現實主義。它們不是「虛無」,即便醜陋,也常常是以有趣、具創造力的方式在醜陋。有人有意識地將它們做成那樣的。
即便前衛藝術再怎麼擁抱衝擊與虛無主義,從未有任何藝術家是單純為了「讓弱者痛苦」而創作。即便是最墮落的 Power Electronics 音樂團體,或最駭人的維也納行動藝術家,他們的作品中也蘊含某些除了「施加苦痛」以外的東西。
安迪・沃荷的量產藝術,並不是靠讓觀眾想像他們的階級敵人失業來帶來樂趣。但這,正是 AI 藝術的目標,也是為何它會與右翼產生共鳴。
如果藝術的本質是制定或打破審美規則,那麼右翼所使用的 AI 藝術所傳達的是:沒有任何規則存在,除了由「內群體」對「外群體」行使赤裸權力的那條規則。
它傳達的訊息是:唯一的審美樂趣,就是在知道某人因為它而受到傷害的那一刻。這種傷害可以是具體針對某族群的(例如英國優先黨的 AI 宣傳圖),也可以是針對「藝術本身」的,進而攻擊所有認為藝術應該有價值的人。
它也可以是帶著玩笑意味的——就像文學典型中殘酷小孩拔掉蒼蠅翅膀時那種玩鬧的態度——甚至帶著「反諷」姿態。馬斯克的納粹敬禮手勢,正是這種「諷刺又不完全諷刺」的極右符號挪用傳統的一部分,其源頭可追溯至 4chan,馬斯克最愛的網路據點,更遠可追溯到二十世紀的極右反文化圈。
AI 是右翼的完美工具,因為它無靈魂、無創造力、無關乎人。它的任務,不是探索美,而是助長霸權。
性別報復主義(gender revanchism)是後現代右翼的主要組織原則之一,而許多 AI 的日常應用也展現出一種極為性別化的殘酷:
例如:利用 AI 製作的深偽裸照(deepfake nudes); 將 AI「女友」當成羞辱真實女性的工具,暗示「你們已被取代」; 利用 AI 創作出泰勒絲(Taylor Swift)被性侵的圖像; 網路上最大的深偽影片庫甚至以川普為吉祥物。
這些態度也滲透至科技與 AI 產業的高層。
OpenAI 的執行長山姆・奧特曼(Sam Altman)——這位被讚為新世代的科技領袖、與賈伯斯和比爾・蓋茲並駕齊驅的創新者——據稱是一位強暴犯與戀童癖者。根據指控,他從妹妹三歲起便視她為自己的性財產。他的回應是:「照顧一位心理健康有挑戰的家人,是很困難的。」
在當代極右派的認知中,對性暴力的熱愛不僅不是污點,反而是一種身分證明。他們越極端,越傾向公開讚美強暴與戀童。奧特曼的法律問題,對某些人來說,反而強化了他「是自己人」的形象。
同一時間,馬克・祖克柏在 Joe Rogan 的節目中聲稱,科技業已被「文化閹割」,呼籲業界注入更多「陽剛能量」與「侵略性」。
再來談談祖克柏的穿著風格。他曾是灰色帽 T 的代名詞,如今卻開始穿上寬鬆 T 恤,上頭印著「非祖即無」(It’s either Zuck or Nothing)拉丁語標語,搭配造型笨重的 Meta AI 眼鏡和不必要的金項鍊。
這不是 Rick Owens 或 Vivienne Westwood 那樣有藝術野心的設計。這就是又醜又蠢。
祖克柏的身材也比過去壯碩許多,儘管他的生活毫不需要健美的體格。這種轉變不是巧合——隨著他擁抱公司文化與 AI,他也感到有能力蔑視時尚標準。
這是一種表態:我有錢、有權,就算醜也無所謂。
這讓人想起那個笑皇帝沒穿衣服的孩子。皇帝只要無視笑聲就好。
川普的髮型同樣如此。它看起來荒謬透頂,這正是重點。這是權力的象徵,一種小型的殘酷。
Cybertruck——那輛彷彿由極右大腦設計的「反藝術」車輛——最終失敗了,很大一部分原因是:開這台車讓人感到羞恥。
AI 是一種殘酷科技。
它:剝奪工人工作; 浪費數百萬公升的水資源; 釋放大量二氧化碳; 幫最糟的意識形態做宣傳; 填滿世界的醜與愚蠢。
殘酷,是右翼信仰的核心。他們甘願賠錢、付出生命,也要讓世界更殘忍。而 AI 是其中一部分:一場製造「機器神明��的衝刺,目的是永遠將資本從勞動中解放出來。
這並非譁眾取寵:OpenAI 的管理層與創辦人許多曾是 LessWrong 部落格的追隨者,那裡正是「羅科的魔鬼(Roko’s Basilisk)」概念的發源地。
與加密貨幣相比,AI 更加虛無。它沒有任何 redeeming quality(值得拯救的價值)。它是這個時代的災難,我們將需要數十年才能清除這兩三年間所製造的垃圾。
AI 是一場發燒——它只能自己退去。
就像加密貨幣一樣,精英們已深陷其中,無法自拔。儘管毫無用處,他們仍會想盡辦法讓它成真。這項技術在心理上與他們極度契合,因此更可能被他們死守不放。
不過,如我們在去年美國大選短短兩週內所見,右翼的心智極其脆弱。 他們可以接受顛倒的現實,卻無法忍受被嘲笑。
所以:說他們「很怪」真的有效; 說他們的藝術「一坨屎」也有效; 嘲笑那些把 AI 當認真工具的人,最有效。
談環境破壞、談勞動剝奪,這些都沒用——他們喜歡這些,他們覺得這樣很有破壞力。
你不該說他們在剝削藝術家。你該說:「你看起來很廉價。」
如果「讓人受傷」是他們的目的,那我們唯一該做的,就是:
別表現出受傷。 就算我們心裡真的不舒服,也不要讓他們看見。
科技進步不是線性的,也不是完全非民主的。
Google Glass 就是因為我們嘲笑使用者是「glassholes(玻璃混蛋)」才沒上市。
Cybertruck 會失敗,也正是因為太丟臉了。
我們早已看到,AI 產業其實很脆弱:中國研究生花幾毛錢就能做出相同的模型,讓整個「資料中心堆錢」的商業模式變得岌岌可危。
左派在很多領域處於弱勢,但我們有一項武器:
對現實的一針見血批判。
我們批判一切,我們有記憶,我們知道世界可以更好。
我們對抗 AI 和擁抱它的右翼勢力,最有力的武器,也許不是罷工,不是抵制,也不是辯證法。
也許只是:「這很尷尬。」 「這很爛。」 「這東西醜爆了。」
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性と暴力
小田香のUndergroundを観た。ちょっと寝ちゃった。特装版のパンフレット買った。アピチャッポンとかツァイ・ミンリャンとか、今まで観てきたスローシネマの監督や作品のことを考えながら観た。考えてみたら、ブンミおじさんもトロピカルマラディも河も郊遊も、もちろん西瓜も、性的な場面が象徴的に差し込まれるというか、性的な場面に支えられている部分があった、と気がついた。小田香にはそれがない(まだ鉱もセノーテも観ていないけど)。この点は何か大きな差異であるように思う。女性監督だから? などと狭量な考察が頭を過りもした。デビュー作の『ノイズが言うには』は、「可視と不可視のセクシュアリティの狭間で迷う自身が家族にカメラを向けた」作品であるとパンフレットにある。光や��膜のようなレイヤーと声と音が重奏(層)的に色めく画の中に、性の匂いがしない、そこへ、しかし、暴力の気配はずっとあった。タルベーラの画面にも常に付きまとうような、陰惨な湿度の高い暴力の気配があった。そもそも、カメラを向けることは暴力たりうる。そのことに自覚的な、信頼に足る監督だと思った。
*
家人がドナルド・トランプの辣腕を「暴挙である」と評しつつ、「でも今の日本にはあれくらいの人が必要かもね」などと宣ったので、俺はちょっとカッとなって、凋落する自国の再興を熱望したドイツ国民がヒトラーの台頭を招いたのではなかったか!? と早口に叫んだ。すると彼女は「それはまずいよね」といって、それ以上やり返してはこなかった。自国の利益のために他国に犠牲を強いるのは覇道です、と俺の中の長谷川博己が言葉を飲み込んだ。俺は家人ほど善良な人間をあまり知らない。善良な人間ほど権威主義に毒されやすいのかもしれない。全体主義の足音。長谷川博己ってちょっとアベフトシに似てる。
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実験するみたいに目をぎゅうと細めてコンタクトの洗浄液をケースに流し込む。とびきり良い映画を観たあとは、なんかこう、ぜんぶ立体に聴こえて、ぜんぶ鮮明にみえる。あまりに見えすぎている、という感じ。
思い立って新宿から日比谷までレイトショーを観に1時間半かけて歩く。気まぐれに入った喫茶店があまりにタバコ臭かった。「あのヘッドフォンの人かっこいいね」と言う友達に、「そう?カッコつけすぎじゃない?」と答える。そこからずっと歩いて、赤信号で立ち止まって、たまに思い切り走って笑ったりした。夜に蝶々ってそういえば見たことがないなとか思いながら、脳みそのずっと奥のほうではあなたのことばかり考えていた。疲れてしまった。自分を良いように魅せるとか、価値があるように振る舞うとか。己が太陽のようにまっさらで溌剌としているように感じられる日もあれば、ただただ静かに降り注ぐ小雨に涙が出るほど心の糸が張り詰めている日もあるし、ほんとうに疲れた。もう多分彼からの連絡は来ないけど、別にそれでいい。「何も無い花こそ本当、花だけ本当」「嘘じゃないから」という歌詞について考える。生きているだけで汚れるというのは本当かもしれない。ぜんぶ疲れたから草むらに裸で寝転んで、湿気った土に頬をぴたりとくっつけたい。パスタを素手で不細工に食べたいし、名前も知らない誰かとキスをして、産まれたての赤ん坊のように泣き出したい。もう誰もわたしの何も知らなくて良いとさえ思う。わたしは家族と友達がだいすきで、雨上がりの匂いや木の葉の揺れに感動できる感性を大切にしていて、この世界をとびきり愛している(そして世界もまた愛を返してくれる)そこらへんのただの女の子だということ。(22歳はもう女の子じゃないかもしれないけれど“おんなのこ”という響きがすき)どんなに急いでいてもコンビニのレジではバーコード面を表にして商品を差し出すし、エレベーターではみんなが降りるまで開閉ボタンを押す。荷物を抱えながら階段を登る人に手伝いましょうかと声をかけようか悩んで、通り過ぎて、でもまた戻って頑張って声をかける。一度も会ったことがない人でもそれが大切な人の友人で病に伏しているのだとしたら一番美しい花を買って見舞いにいく。自分の内側にいる幼くてあどけない、やさしいわたしがいつだってその手を握り返してくれる。100年後には何もかも閉じてしまう物語だから、せめて今だけはわがままでいたい。でも傲慢なのはいやだ。全部欲しい。一つ残らず見たい。叶うなら恐竜がどんな姿見で空を飛ぶのかみたかった。光を反射する鱗肌と、重たいその足音が大地に響き渡るのを聞きたかった。お母さんがまだわたしと同い年だった頃、彼女と会って話をしてみたかった。100の異なる人生を同時進行で生きてみたい。豪雨の中でワルツを踊りたい。自分の子どもを産みたい。ずっと一緒にいたいと思えるような人と出逢いたいし、ほんとはその運命を最後まで守り切れるほど成熟した女性でありたかった。
0時を少し過ぎて映画が終わると、終電が近いのか、エンドロールを見届けないまま人がぞろぞろ帰っていった。スクリーンライトに照らされて、綿毛みたいに細い埃が頭上で舞っているのを目で追う。降り注ぐ奇跡と、約束された明日。また「花だけ本当」という歌詞について考える。わたしも花の香りの名前を名付けてもらったのに、「本当」を生きてはゆけない哀しさ。(わたし、ほんとうはこんな性格じゃないのにな)と思う行動ばかりとってしまって、いつも後悔している気がする。でももういい、全部。どうでもいい。人がいなくなって不気味な白さを放つ駅で、なぜか笑みが、走り出した足が止まらなかった。「それ、罪滅ぼし?」 「お前みたいなやつの書いた作品が世に出回るなんて害でしかないから」 映画の台詞がしゃぼん玉みたいに脳裏を過っては消える。月9のドラマの主題歌を聴く。これはだれの人生?大好きな音楽を聴くと、いろいろな景色を想像する。割れるガラス、草原、海、笑い声、蝶々、風、カーテン、白、眩しい光、流れ星、男の子、裸足。やっぱり幸せかも、と思った。はやく戦争が終わりますように。もっと書きたいけどここ��で。明日は図書館へ行こう。
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Sarah Àlainn - Celestial Christmas Concert
サラ・オレイン
~ 天使と天上の音楽 ~
念願だった日本の協会でのクリスマス。
11年目でやっと実現できました。
色々なサライブをプロデュースして来ましたが、どれも特別な思い入れがある中。
今回は1番印象に残るステージの一つになりました。
これをきっかけに、また日本の教会でコンサートが実現できれば幸せす。
個人的にはとても長崎に行きたく、、、チャンスに巡り合えることを祈っています!
では、プロデューサラからのライナーノート。
今回のセトリ。デザインさせて頂きました^^
夏のオーストラリアで育ったため、リースのサラは半袖。
寒さにとても弱いものの(昨日のライブでもカイロを貼ってて落ちないかドキドキ)、
クリスマスはやっぱり寒いのがしっくり。
1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
5. Eight Melodies 『MOTHER』
6. Hijo de la Luna
7. Airmail Special Xmas Vers.
8. Hallelujah (Leonard Cohen)
9. Andata (坂本龍一)
10. Merry Christmas Mr. Lawrence 『戦場のメリークリスマス』
11. Joyful Joyful / 第九
12. O Holy Night
ENCORE
13. Ave Maria (Vavilov)
14. Silent Night
15. Nessun Dorma
16. You Raise Me Up

海外の協会や大聖堂といえば、キャンドル🕯️
本物はNGとのことで、こちらに。帰って我が家のツリーの下に🎄

今回のサラスタイルは、一番好きな純白。
1部はサラッと見つけた衣装!今回ネックだったのは、パイプオルガンの弾き語り。
普段はもっと高いヒールを履いてパフォーマンスをしているのですが、ペダルがもちろんキツく不可能。
因みに、ペタンコな靴でも試したところ、これもこれで初心者にはとても踏みにくく、多少ヒールがあった方が演奏しやすかったです。
長いスカートも足の動作の邪魔になるため、とても苦労しました。最終的には普段より低いヒール(これで)に動きやすいドレスに出会えました。オープニング、アンコール、エンディングの演出としてバージンロードを歩きたかったため、
それにしてはカジュアルすぎる姿かなと思い、裾が長い素敵なビジューのケープに出会えました。
アンコールではお世話になってる方々のお衣装:
Instagram
Dress: DRESS SALON Lu:Che @dress_salon.luche
Veil: @paradisewest
Hair & Make up: @west_kuboki
アー写でも着てた一点もののヴェールとウェディングドレス。
華やかな衣装も大好きだけど、普段着も含めて、基本一色でシンプルなスタイルが1番好き。
見えにくかったはずですが、アクセサリーには十字架のネックレス。

Sarah’s Angels
チャーリーズ・エンジェルともちろんかけてます。
ピアニストの宮本貴奈さんは色々な意味で今回救いの天使でした!
Soprano/ SAK.
Mezzo Soprano/ 渡辺磨裕美
Alto/ 会原実希
Tenor/ 大山桂佑
エグイアレンジにも関わらず🙇♀️サラッと歌われて素晴らしかった👏Bravi!
皆さんのシックな衣装が会場にぴったりでした。
実はAngels’のスタイリングもしてたのですが。。なんと、衣装が間に合わず(本番の次の日に到着><)
いつかまたぜひこちらも着て一緒に歌いたいものです!
では、音楽のもう少し詳しい編成や演出について。
聖なる場所で、今回はとても分かりやすいテーマとメッセージがあったこともあり、
MCを最小限にし、音楽中心のコンサートに。
アルバムやテレビと違って、コンサートでは自分の思いを自由に語れる貴重な場なので、
基本話せる時は話したいですが、今回はより音楽に集中できたため(ツアーでは毎回MC=ー「笑い」に命をかけていますw)、こういうコンサートも続けたい。

1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
Takanaのクリスマス・アドリブから始まり、イエスキリストを讃える一曲へと繋がる。
色々な作曲家のPie Jesuがありますが���Faureフォーレのも好きで迷いました)、アルバムに収録されてることと、京都音舞台での思い出もあり(お寺でのPie Jesuなんて、日本の神は心が広い)、Andrew Lloyd Webberバージョンに。
皆さん驚かれたかもしれませんが、後ろから登場し、キャンドルを灯し、歌いながらバージンロードを歩きました。
教会の大きな十字架✝️を見ながら歌う感覚。
色々な感情が心に重く、深く、宿る。
2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
クリスマスは基本違和感と寂しい思い出しかなかったですが(夏のオーストラリアで、クリスマスを祝わない家族)、
昔からクリスマスソング・キャロル・讃美歌が大好き。とても嬉しいことに、オリジナルのクリスマスソングを歌わせて頂いています。それも、憧れのムーミンの。映画『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』で英語版と日本語版で主題歌を歌わせて頂くクリスマスの奇跡が起こりました。
そんなムーミン一家も、クリスマスはお祝いしません。
クリスマスが何なのかすら、知りません。
でも、「クリスマスさんがやってくる!」
人と勘違いしてる?
ツリーの飾り方も分からず独特。テッペンには薔薇。
そんなムーミンは、何よりも大事なクリスマスのメッセージに気づきます。
そんなハートフルなクリスマスソングを教会でも歌えるなんて。
年に一度しか使えないと思ってゲットした鈴は、今日も大活用。
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
さあ、ここからが難関。思いだすだけで冷や汗。
人生初のパイプオルガン演奏。弾き語り。そして途中で指揮。
本来予定してなかったのですが、教会の下見に行った時、オルガンを見て、これは演奏してみたい!、と燃えてしまいました。
どの楽器もマスターするのに難しいですが、その中でもパイプオルガン奏者にはリスペクトしかありません。
ピアノ、チェンバロと違って、鍵盤が三段階。それぞれ音色は違いますが、その音色をさらに左と右横にあるストッパーで調整する。演奏中引っ張ったり押したり大忙し。シンセも昔から好きだったので、感覚が似てて、音色を選べるのはとても楽しいです。演奏してる間は別問題ですが^^;そして、私にとって何よりも困難だったのはペダル。ペダルも鍵盤になっているんです!ひ〜
エレクトーンの経験もないので、シクシク家で妄想練習。手書きの鍵盤。
あるピアニストがピアノがなくて紙の鍵盤で練習したという都市伝説を聞いたことがあったけど、
本当だったかもしれない。
最初はオルガンソロのみ予定してて、何が良いかなと思って、冗談で「バッハのトッカータとフーガニ短調BWV 565」なんて!と言ったら、ピアニストの塩入俊哉さんが、「それで良いんじゃない」と真面目に答えられてから、やることになっちゃいました(塩入さん、体調回復されて、元旦でお会いします^^)
どうやって鍵盤を弾きながらペダルを踏んで歌うのだろうか。。。練習ができないため、
今回はずっと足を見て演奏するしかない。
そのため、普通のマイクではなく、ヘッドセットをお願いしました。
ここで合唱が登場したらカッコ良いなと思い、バッハからウクライナの新年の曲「Shchedryk」、別名「Carol of the Bells」(ホームアローンやテーマパークでもよく流れるクリスマスの定番)に繋がる。
ペダルを踏んでない時は指揮。オルガンが大きくて見えにくい位置でしたが、さすが聖歌隊、
Sarah’s Angels見事について来ています。
「Carol of the Bells」 「鐘のキャロル」というだけに、パイプオルガンにも鐘があるので、このチャイムをペダルと鍵盤でもONに。
今回は合唱のアレンジをさせて頂き、こちらも燃えました。
GLORIA CHAPELだけに、アレンジに「Gloria」(讃美歌)も取り入れました。
ウクライナ語、早口英語(合唱お見事)、脳みそがフル回転に働かされる一曲でした。
足元の動画をとってあとで見返してみると、おそらくこの姿勢で筋肉痛になったかと。
YouTubeにアップしました!
動画編集に苦戦。いくつかのカメラが音と映像がシンクしない。多分カメラの位置とホールの響きの影響も?
また、見返して思い出したのは、音のディレイ。特にオルガンは、鍵盤を弾いてる時と、実際に聞こえてくる音とズレがあります。ゆっくりなところは大丈夫でしがた、早いパッセージは心臓バクバク。
【LIVE】Shchedryk Carol of the Bells /Pipe Organ, Voice & Choir|Sarah Àlainn サラ・オレイン | パイプオルガン弾き語り
<初!パイプオルガン弾き語りinウクライナ語+指揮🎄>
youtube
4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
ここでやっと普通のMC。
次からは合唱メインの選曲へ。
今回リーダーのSAK.に合唱についてご相談させて頂きました。SAK.とのご縁はゲーム音楽のコンサート。
そんな繋がりもあり、一番最初に合唱とやりたい!と浮かんだ曲は、ゲーム音楽でした。
私の歌のデビューは光田康典さんのゲーム音楽『ゼノブレイド』の「Beyond the Sky」。
よくライブで歌わせて頂いている大切な楽曲。SEGAの 『蒼き革命のヴァルキュリア』でもコラボが実現。
ラテン語で英語で作詞させて頂き、とても好きな世界観。でも、ライブでは一度も歌ったことがありません。
レコーディングでは自分の声を何重に重ねたセルフ・クワイヤー。
ループするようなラインでもないため、ルーパーでも一人でライブでは歌えません。
今日までは!
合唱のおかげで、やっと生でこの歌が届けられる!テーマも「Requiem(レクイエム)」なので教会にもぴったり。
ゲームの中では死神の歌なので、プレイヤーとしてはあまり聞きたくない曲かもしれませんが^^;
さらに、この曲は完全にアカペラ。オリジナルと同じように表現できた喜び。
アカペラが大好きで、合唱の皆さんにまたハードルが高い曲を2曲目に持って来たのにも関わらず、Bravo!
正面向きながらの指揮。
5. Eight Melodies 『MOTHER』
ルーツのvgmが続きます
ご縁があり、作曲家のChip Tanaka(田中宏和さん)の前で彼の作品をいくつか演奏する貴重な機会がありました。私が最初にプレイしたゲーム機はGAME BOY(ゲームボーイ)。唯一入ってたゲームがDr. Mario。今でも完璧に覚えてるあのチップチューン。それがまさかのChipさん作曲。そんなDr.MarioとRPG『MOTHER』をご本人の前で演奏させて頂く夢のようなステージがありました。
その時はサラカルの編成だったため、歌とヴァイオリンはルーパーを使ってました。
この名曲をSt. Paul’s Cathedral Choirが歌われてるバージョンをサラジオでも以前お届けしましたが、
これぞ教会で聞きたい一曲!ゲームでは8つのメロディーが物語のキーとなるのですが、アレンジバージョンには英語歌詞がつきました:
Take a melody, simple as can be
Give it some words and sweet harmony
Raise your voices, all day long now, love grows strong now
Sing a melody of love, oh love…
作詞:Linda Hennrick
作曲:鈴木慶一さん/Chip Tanaka
簡単なメロディーをとって、歌詞をつけて、
優しいハーモニーを当てて、
声をあげて、愛のをメロディーを共に歌おう。
何とも純粋な美しい歌詞。。。
以前のループも生かしつつ、合唱とピアノ演奏を加えた教会バージョンにアレンジ。
Chipさんに映像を送らなければ〜年末は休めるのだろうか^^;
今回は出番が短かったですが、ここでサラ・オリジナル八ヶ岳カリンバが重要なところに登場。
シンプルなメロなので、これもいずれ皆さんとカリンバで演奏するのが夢です^^
6. Hijo de la Luna
合唱がミステリアスなピアノアドリブの中ゆっくり去っていく。
ガラッと雰囲気を変えて、不思議なスペイン語の世界へ。
スペイン語は話せないので、早口言葉がとても難しい一曲です。
子供の時ラジオでも流れてたヒットで馴染みがある一曲なのに、大人になってから歌詞の意味を知り、びっくり:
かなりダークです
当日のセリフをそのまま:
『母といえば、息子が欲しかったお月様の話、ご存じでしょうか?
ある女性の望みと引き換えに、息子を手にした、お月様
女性は望み通り、夫をもらった。
でも、その間に産まれた子は、夫と違い、肌色が真っ白だった。月のように。
あまりの怒りに、夫は女性に怒り、最悪な結末に。
お月様は、こうして母になった。
「お月様、腕がなくて、あなたはどうやって息子を抱くの?」
「三日月になって、息子を揺らすのよ。」
Hijo de la Luna 月の息子』
やっぱり怖い。
ヨーロッパで大ヒットしたMecanoの名曲。オリジナルがとにかくカッコ良い。
Takanaからお借りしたシェーカー(振り方、角度によって音が変わる!欲しい)も登場。
音楽的にはシンプルに1番、サビ、という構成ですが、違和感がある転調があったり、
演奏してみると意外とミスしやすい(そして目立ちやすい)、難関な曲。

7. Airmail Special Xmas Vers.
今回のセトリからカットされそうになった一曲。
でも、リハで試しに一回Takanaとやってみて、これはやっぱり入れなきゃとcome-backしたジャズナンバー。
「天上の音楽」とはかけ離れたイメージだけど、普段のライブなら元気に盛り上がる・アップテンポな曲が入ってからの重ための曲の流れを意識してるので、やっぱり息抜きできる一曲が必要。
炭水化物好きでもたまには野菜を挟んだほうが良い、的な?
ただ、中々息する暇もない、かなりのアップテンポで音かずが多い一曲。
以前ハマジャズで急遽この曲をやることになり、必死にElla Fitzgeraldの音源を完コピ。
バンドが���めて歌ったと信じてなく、嬉しくも複雑な(嬉しい)ライブでした。あんなに必死に歌を覚えたのは初めてです。
ヴァイオリンでは速い曲はたくさんありますが、歌はどうしてもバラードが多く、
こういう一曲を待ってました!
クリスマスネタをあちらこちらにアドリブで飾っていく。
さすがJazz出身のTakana。刺激されて、色々湧きでくる、セッション!
ちょうど次の曲のセットチェンジもあるので、ここで会場に降りました。
ワンピ+ヒールが低いと本当に簡単に動き回れる〜
Airmail Specialと並んでYoasobiさんの「アイドル」が同じ部類のもの。癖になる。
続きはPART 2 で!
#サラ・オレイン#sarah àlainn#sarah alainn#サラオレイン#サラ#サラスタイル#violin#ヴァイオリン#sarah styling#multi instrumentalist#マルチプレイヤー#パイプオルガン#pipe organ#carol of the bells#shchedryk#Youtube
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笠間日動美術館(茨城県笠間市)には世界で類を見ない「パレットコレクション」がある。その数、なんと約360点。収集の経緯をたどると、日本の近代洋画を取り巻く歴史が垣間見えてきた。
ピカソ、ユトリロ、鴨居玲 無二のパレットコレクション 立ち上る個性と内面 茨城・笠間日動美術館 - アートの森 https://growing-art.mainichi.co.jp/20240418-2/




笠間日動美術館 : コレクション
笠間日動美術館の収蔵品は、明治初期から現代に至る日本の著名洋画家の代表作品やヨーロッパの印象派、後期印象派からエコール・ド・パリ、戦後アメリカ美術まで、彫刻などを含めて約2000点に上りますが、その中で専門家にも愛好家にも最も喜ばれ、ご高評を頂いているのがパレット画のコレクションです。 パレット画の収集は、かつてユトリロが画商ペトリデスに愛用のパレットに絵を描いて贈ったのを知った長谷川仁(日動美術財団及び日動画廊創立者)が、多年親交を深めた画家たちに願い出て、日動画廊創立40周年の1967年に譲り受けたことが端緒となりました。その後も画家本人や遺族などからの寄贈が続き、世界に例の無い一大コレクションとなっています。 ほとんどのパレットには、その画家の好む主題が描かれていて、小品ながらとても楽しい展示物として親しまれています。長年使い込まれたパレットからは、作家が作品に注いだ情熱が否応なく伝わってきますし、色とりどりにちりばめられた絵の具や筆使いの跡からは、作家の個性や制作の秘密までもが窺えます。
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“独裁”すらもできぬまま
私も一応、メディアの世界で衣食している人間なので、他メディアの人などに会えば「小川さん、最近何か面白いネタはありませんかね?」などと聞かれる。雑誌の編集者ともなれば、そうやってほうぼうに聞いて回るのが仕事みたいなところはあるので、自分などにもそういった声があいさつ代わりにかけられるのも当然のことだ。 それで先般発行した季刊『宗教問題』誌2024年冬季号に、私は曹洞宗、真宗大谷派、そして浄土宗という、3つの伝統仏教教団に関する騒動の記事を載せた。いずれも結構、珍妙なスキャンダルである。 曹洞宗に関しては、東京都港区の一等地にある教団本部ビルに移転計画が持ち上がっていたところ、そこにかなり不明瞭な形で外部の金融機関たる大和証券が食い込んできて、恐らく曹洞宗を手玉にとっての土地ころがしでも考えていたのではないかという疑惑が持ち上がったのである。幸い、この曹洞宗と大和証券の契約は一度リセットされはしたのだが、一体だれがどういう形でこういう座組を考え出したのだという謎は残っていて、ある種の責任問題に発展して宗門は今でも紛糾中だ。一応、『宗教問題』誌的にはある程度のシナリオは読み解いていて、「株などの投資が大好き」という世評がある曹洞宗の宗務総長(事務方トップ)に「宗教法人への食い込み方がすごい」という評判のある、業界ではかなり有名な大和証券のやり手営業マンが近づき、ようするに曹洞宗側をハメて落とそうとした話だったのではないかと、私のほうなどでは考えている。 浄土宗では先の宗議会(宗門の予算や方針を決める会議)で、教団としての規則改訂を審議したところ、本規程が否決されたのに補助規程だけ可決するといった、別に宗教どうこう関係なく、およそ「議会」というものではありえない椿事が発生。あきらかに事務方のミスであるとともに、そもそも議員が、自分たちが何の議案を審議しているのか、まともに考えていないのではないかという状況が露呈した。宗教法人の規則は(浄土宗のような教団組織の場合)文部科学大臣の認証をうけねばならないもので、この3月の年度内に何とか状況を改善しないと、筋の通らない規則を抱えた宗教法人が放置される状況になり、ようするに国のほうから問題視される恐れもある案件なのだが、取材してみても何か浄土宗には危機感がない。 真宗大谷派の話はかなり滑稽で、その業務上の関係から大谷派の教団組織とやりとりのあったらしい、「大谷」という名字を持った損保ジャパンの社員が、いつしか大谷派の教義的象徴である「門首」職を世襲で務める、開祖・親鸞の子孫「大谷家」の一族であると吹聴して回るようになり(当然ながら名字が「大谷」というだけで、何の関係もないのだが)、いろいろな場所で「本願寺当主」などと名乗って講演活動をしたり、美術展の審査員などをして回っていたという事実が発覚した話を記事にしている。これについては大谷派はもらい事故同然ではあるのだが、この「謎の大谷氏」の言動は相当ずさんで、ちょっと調べればすぐ騙りの詐欺師と気付くようなものだった。これを受け入れて金など払うほうも何かがおかしく、大谷派は毅然と対応して抗議の一つもするべきと思うのだが、何を怖がっているのか、一切抗議などはしないという。 さて、それがここ数カ月くらいに、私などが見聞きした「宗教界の面白い話」だったのだが、正直言ってどれもこれも、「悪の野望によって動かされた大事件」というよりも、「情けなくてしょぼい話」なのである。野心あるお坊さんが、剛腕で巨悪をなそうとしたというより、単にどれもこれも、宗教界側の不手際、見識のなさ、決断心に欠ける態度などにより引き起こされた、本当に「どうしようもない話」なのである。一般メディアの方々も、これではちょっと扱いに困るようなところがあるらしく、話しても苦笑しながらどこかへ消えて行かれた。 思えば私も宗教界の周辺居住者となってから20年近い月日が流れたわけであるが、昔の宗教界には、――それこそ池田大作などを筆頭にして――よくも悪くも「デカい人」がいた。彼らはまったくの野心ある悪人で、壮大な悪の構図を描いて、本当にいろいろ悪どいことをしていた。私などは、本当にいいのか悪いのか、そんな宗教者たちの最後の��跡を見ることができた世代だった。しかし、最近の宗教界で起こる事件というのは、本当にそんなものではなくなった。その多くは、そんな地位に就く力量もないような人が、何かの間違いで重い肩書だけを付けてしまい、地位にあった能力を発揮することもできずに、おかしな失敗をしてしまうような話ばかりだ。これは実は伝統宗教、新宗教の別を問わない。昔の宗教界には「悪の独裁者」みたいな人が本当にいたりしたのだが、いまでは「独裁」をやる器量のある人すら失われてしまった。 それは別に、「悪人」に限った話でもない。ここ数日も人と話していたのだが、本当に宗教界には人がいなくなった。昔であれば、高田好胤や今東光、寺内大吉などといった、「普通の人でも知っているお坊さん」がいたものなのだが、いまそういう人は本当にいなくなった。もっとも、今は政界でも経済界でも「大人物がいなくなった」と言われる時代なので、別にそれは宗教界に限った話ではないのかもしれないのだが。 しかし、能力のない人が失敗して、自分で転ぶだけならば自業自得なのだが、ここ最近になってそれこそ大和証券だの損保ジャパンだの、そういう「おかしな体たらくになった宗教界」に目を付けたハイエナたちが、怪しげな底意をもって宗教界を食い物にしようとしている事例が出てきているのではないか、などと、ここ最近の「宗教界の面白い話」を見て、私は感じてもしまったのである。 宗教心、教義といったものは、野に一人でも真剣にそれを奉じて生きている人がいれば、永遠不滅である。しかし、「寺」「教団」などといったものは、本当に内側がダメになるとあっさり立ち行かなくなるものなのかもなあと、ここ最近の「宗教界で起こる事件」の性質を見ながら、私はひそかに思う。まあ、そうしたものが本当に、守るに値するものなのかどうかも、わからなくなっている時勢なのですが。
2025年2月18日
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Legends and myths about trees
Forest spirits and natives (3)
Menehune - Legendary dwarves who live in the deep forests of Hawaii
Menehune are a mythological race of dwarf people in tradition who are said to live in the deep forests and hidden valleys of the Hawaiian Islands, hidden and far away from human settlements.
The Menehune are described as superb craftspeople. They built temples (heiau), fishponds, roads, canoes, and houses. Some of these structures that Hawaiian folklore attributed to the Menehune still exist. They are said to have lived in Hawaii before settlers arrived from Polynesia many centuries ago. Their favorite food is the maiʻa (banana), and they also like fish. Legend has it that the Menehune appear only during the night hours to build masterpieces. But if they fail to complete their work in the length of the night, they’ll leave it unoccupied. No one but their children and humans connected to them can see the Menehune.
While archaeologists have never found remains of a distinctively small race of ancient people in Hawaii, many think the Menehune legend may well have a basis in fact. In 2003, a species of dwarf human was discovered on the Indonesian island of Flores. Homo floresiensis was only about 1 meter in height and fully bipedal. The skull has human-like teeth with a receding forehead and no chin.
Fossils have been discovered from 38,000 to 18,000 years ago, though archeological evidence suggests it lived on Flores between at least 95,000 and 13,000 years ago. It used stone tools and fire, and hunted pygmy elephants, Komodo dragons, and the giant rats found on Flores. Its discoverers believe that h. floresiensis is a dwarf form of Homo erectus. It is not uncommon for dwarf forms of large mammals to evolve on islands. Modern humans arrived on Flores between 55,000 and 35,000 years ago, and presumably interacted with h. floresiensis (Refrence: “The Three Menehune of Ainahou (Maui)” by Charles Kauluwehi Maxwell Sr).

木にまつわる伝説・神話
森の精霊たちと原住民 (3)
メネフネ 〜 ハワイの深い森に住む伝説の小人族
メネフネとは、ハワイに伝わる神話上の小人族で、ハワイ諸島の深い森や隠れた谷に住み、人里から遠く離れたところに住んでいると言われている。
メネフネ族は、優れた職人で、神殿 (ハワイ語:ヘイアウ)、養魚池 (メネフネ養魚池)、道路、カヌー、家などを建設した。ハワイの民間伝承では、メネフネのものとされるこれらの建造物は、今でもいくつか残っている。彼らは、何世紀も前にポリネシアから入植者たちがやってくる以前からハワイに住んでいたと言われている。好物はバナナ (ハワイ語: マイア) で、魚も好物である。伝説によると、メネフネたちは夜の間だけ現れ、傑作を作り上げると言われている。しかし、夜の長さの中で作品を完成させることができなければ、その作品は無人のまま放置される。彼らの子供と彼らにつながることが出来る人間以外には、メネフネを見ることはできない。
ハワイでは、考古学者が小人類の遺跡を発見したことはないが、メネフネ伝説には根拠があると考える人は多い。2003年、インドネシアのフローレス島で、小人の一種が発見された。ホモ・フロレシエンシスは、身長が1メートルほどしかなく、完全な二足歩行であった。頭蓋骨には人間のような歯があり、額は後退し、顎はない。
3万8000年前から1万8000年前の化石が発見されているが、考古学的な証拠から、少なくとも9万5000年前から1万3000年前まではフローレス島に住んでいたと考えられている。石器や火を使い、ボルネオ象やコモドドラゴン、フローレス島に生息する巨大ネズミを狩っていた。発見者たちは、ホモ・エレクトスの小人型であると信じている。大型哺乳類の矮小型が島で進化するのは��しいことではない。現生人類は、5万5千年前から3万5千年前の間にフローレス島に到着し、ホモ・エレクトスと交流があったと推定される (参考文献: チャールズ・クルウェヒ・マックスウェル・シニア著「アイナホウ(マウイ島)の3人のメネフネ」より)。
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実写版『聖闘士星矢THE BEGINNING』の主人公、実写版『ONE PIECE』のZORO役で国際的な人気俳優となった #新田真剣佑 と #田中泯 が主演する、日本の隠れた政財界の黒幕“フクロウ”を描いたシリアス連続ドラマ #フクロウと呼ばれた男 https://x.com/takigawa_w/status/1790397107632996456?s=46&t=8Vf8aUwk_B-ZbQ5UAGv05w フクロウは真夜中であっても、いつでも見える目ですべてを見ている。 70歳のカリスマ・大神龍太郎 (田中泯) には4人の子どもがいる。 長男の一郎 (#安藤政信) は頼りなく、妻とも不仲で、銀座のホステスを愛人にしていた。父の影響から脱するため、父から資金を借りずに新しい高級レストランを計画していた。 しっかり者の長女・由美子 (#長谷川京子) は、イケメン商社マンの夫との間に二人の子どもをもうけ、一見幸せそうに見えたが、夫は由美子に隠れて (メジャーリーグの有名選手の通訳とは別の) 裏取引をしていた。 父親とうまくいかない次男・龍(新田真剣佑) は、アメリカ留学後、家族に連絡せずに小さなNPO法人で働くために帰国。ある日、龍は公園でジョギング中に美しいアメリカ人女性と出会い、携帯電話が道に落ちて壊れてしまう。龍は弁償すると約束し、女性の連絡先を聞くと、女性は龍に「記者」と書かれた名刺を渡す。 シンガーソングライターを目指す末次女・理沙子 (#中田青渚) はすでに25歳だが、天性の歌声と作詞作曲の才能を持ち、メジャーデビューが期待されていた。理沙子は父・龍太郎に夢を語るが、龍太郎は理沙子が芸能界の闇に飲み込まれるのではないかと恐れる。 ある夜、次期首相候補・竹内 (#中村雅俊) の息子が酒席での喧嘩の末に殺される。息子には薬物疑惑もあった。犯人は捕まったが、刑務所で「自殺」してしまう。 全体的にクールなテイストでシリアスな展開。政治家のスキャンダル、一郎の愛人、由美子の夫の破滅的な取引、美人記者と付き合い始めた龍、夢に向かって突き進む理沙子など、それぞれの人生が生き生きと描かれる。 龍太郎の妻・京子を演じる #萬田久子 の抑えた演技が光る。 東京のクラブ (ホステスのいる方)のシーンを木村多江がホステス役で演じることで、よりリアルさが増している。 龍太郎が情報源として重視するホステス役の #木村多江 は、実際に東京のクラブで働いているかのような臨場感がある。 「フクロウと呼ばれた男」が他のドラマと違うのは、大げさな演技や大げさな音楽を使わずに、家族の葛藤を真剣に描いていることだ。 日本のドラマにありがちな大げさな音楽や大げさな演技、大げさな (意味不明の) ジョークもないし、日本でスキャンダルを起こした有名芸能事務所の男性タレントもいないし、下手な歌やダンスを披露する数十人の女性アイドルグループからの女性キャストもいない。 それだけに、フクロウのカリスマ・黒幕・大神龍太郎とその家族の生き方を冷静に観察できる。 本物のフクロウに天敵がいるように、「フクロウ」を狙う天敵も多く登場する。 これまでのエピソードを注意深く見てきた人なら、後半の一連の出来事にショックを受けるかもしれない。 シリーズのクライマックスは、衝撃的な出来事の連続で、次のシーズンが待ち遠しくなる。政治や金融の世界に巻き込まれた家族の複雑な生活を垣間見ることができるドラマを探している人は必見だ。 セカンドシーズンが待ち遠しい。 ■エグゼクティブ・プロデューサー&脚本:#デビッドシン(『#時をかける愛』) ■演出:#森義隆(『#宇宙兄弟』)、#石井裕也(『#船を編む』)、#松本優作(『#Winny』) #長塚京三 #益岡徹 #大友康平 #原田美枝子 #池田良
#長塚京三#木村多江#大友康平#kuromaru#davidshin#mackenyuarata#mackenyu#mintanaka#houseofowl#フクロウと呼ばれた男#新田真剣佑#真剣佑#田中泯#萬田久子#長谷川京子#安藤政信#中村雅俊#原田美枝子#池田良#中田青渚#デビッドシン#黒幕#フクロウ
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「横浜に住むのは情弱」と言われて久しいが 横浜移住を考えている友人に向けた、中の人(都心勤務の西区住民。ただしみなとみらいではない。居住歴20年)からの所見。 多数の間違いや偏見があると思う。ブコメやトラバでつっこまれることで、錬成されることを期待してみる。 横浜といっても18区あるため、それぞれの区によって状況は異なる。 ・西区、中区(みなとみらいを擁する)→みんなが想像するヨコハマ。海に面した大都市のイメージ。ただし本牧を除く。 ↑こっちと↓こっちの中間領域な神奈川区 ・鶴見区、都筑区、港北区(川崎属国エリア)→人口が爆発的に伸びた都内通勤族の街。子育て世代にうれしい商業施設が多い一方で、インフラが追いついていない。保育園の倍率が高く、どこにいっても人と車が多い。 ・青葉区、緑区(だいたい町田)→小田急と東急が高度経済成長期からバブル期にかけて必死に開発した結果、小田急と田園都市線の混雑に悩まされることに。横浜中心部とのアクセスが弱いため、横浜市民という自覚が薄い。 ・旭区、瀬谷区、緑区、泉区(山と森)→神奈川県全体で東高西低の格差が問題になっているが、横浜市内でも同様。このエリアは少子高齢化の傾向があり、横浜市の行政が正直手薄になっている感がある。もうちょい西に進んで大和市や海老名に住んだ方が幸せになれる。だからこそ上瀬谷花博でドカンと一発大きな花火をあげようとしているが、嫌な予感しかない。相鉄が代わって必死に都市開発をすすめており(そうしないと相鉄自身が死ぬ)、このエリアの住民はそうにゃんを尊師として崇めることになる。逆に言えば、都心へのアクセスを確保しつつ自然と暮らせる地区とも言える。 ・それ以外(それ以外でまとめると怒る人が出てきそうだ)→元々は高度経済成長期に横浜都心部の郊外として発展したのち、インフラの老朽化や世代交代問題に直面しているエリア。目立った特徴はないが、特異なパラメータがないぶん平均的に住みやすいかも。 小学校レベルの地理の話だが、横浜市の区は、東京都の区とは根本的に異なる。 ・東京都の区は行政権があるが、横浜市の区は市の出先機関。横浜市のあらゆる施策は横浜市全体に適用される。たまに混同している人を見かける。 ・港区や江東区などのリッチな区の補助金ニュースが横浜市と比較されて「横浜市に住む奴は情弱」と言われたりするが、横浜市は市民375万人を平等に扱わないといけない。 ・夜間人口が企業立地に対して多すぎるので、どうしても行政サービスは薄く広くなる。 ・給食がその象徴。これから市内500の小中学校全てに給食を整えるのは永遠に不可能。仕方なくハマ弁で誤魔化している。誤魔化しではあるが、ハマ弁の内容は割とよくできており、給食化した方がたぶんQOLは下がる。 ・図書館や公民館は基本的にボロい。 ・東京の財政力が桁違いに強いので、教育費の無償化や住宅の補助金などで差があるのは事実。 ・公園の遊具にも財政力の差が現れている。公園自体は多いもののどこも遊具がしょぼい。都内の友人近くの公園にいくと概ね横浜市より遊具が綺麗で充実している。 ・まあその分都内は住宅が高いんですけど。都立大学(都民は学費無償)に進学しない限りペイできないのでは? ・川崎市との行政サービスの格差についてはゲフンゲフン。あっちは製鉄所と発電所もってるもんな〜うらやましいな〜(鶴見にあるのは知ってるけど規模が違うもんな〜) ・横浜市+給食+図書館ー文化=川崎市 ・とはいえ、さいたま市や千葉市と同等レベルの給付や福祉はキープしている。賄うべき人口から考えれば相当がんばっている。 ・なので「特別市」という政令指定都市を超えた枠組みを作り、神奈川県からの独立を目論んでいる。 交通の便について。 ・東京〜横浜間のアクセスは超極太。これがさいたまや千葉に対する優位性。 ・鉄道ならJR3路線、東急、京急線と多数に分散しており、どこかの路線がグモっても家に帰れる。 ・高速も横羽線、湾岸線、第三京浜、東名がある。 ・JR東海道線は朝の通勤ラッシュが殺人的だが、それ以外は(都心通勤ソルジャーからみれば)常識的なレベル。 ・田園都市線はもうダメです。こんなこと言ってごめんね。でも本当です。 ・地下鉄については当たり前だが東京が圧倒的。横浜は代わりにバスで市内移動を賄うことになる。 ・自動車。平均的に都心と比べると道路が広くて運転しやすい。ただし横浜町田ICとR1の保土ヶ谷橋交差点はものっそ渋滞するので、このエリアを通過するような生活圏の選択は避けた方が良い。 ・首都高とNEXCOと高規格道路が交差しているので高速道路網の把��が難しい。ジャンクションを間違えるのは横浜市民あるある。 ハザードマップについて ・横浜市は元々神戸市みたいに丘陵と海が近いエリアだったのを埋め立ててきた歴史があるので、埋立地とそうでない箇所の高低差がすごい。「横浜は坂が多い」と言われる所以。 ・この坂のエリアは崖崩れが起きやすい。横浜市の最大の地理的弱点だと思う。 ・そして単純に坂のある地域は住みにくい。子供がキックボードやストライダで死にかける。 ・ハザードマップを見ると崖くずれ注意のエリアが点在しており、この付近の住民は大雨のたびに避難指示発令に悩まされる羽目になる。 ・埋立地のエリアも大きく2つに分かれており、昭和以前に技術の未熟な西区や中区の中心地(横浜駅〜関内エリア)を埋め立てたところは海抜が低く、地盤が弱く、大雨の時の内水や液状化の恐れがある。ここに住む増田は大雨のたびに毎回ヒヤヒヤしている。ただ横浜市にとってこのエリアは経済と行政の中心地なので、必死に土木工事をして改善中。 ・みなとみらいエリア(新しい埋立地)は十分な高さの盛り土、地盤改良、排水設備が揃っており、内水や液状化の心配は少ない。ただみなとみらいエリアはコンビニが少なくOKストアーが殺人的に混雑する(ハザードマップ関係ない話題)。 ・山手や浅間台、野毛山エリアのような高台エリアはハザードマップ的には最強。ただし地価も最強。 ・まとめると 坂の上 > 新しい埋立地 > 古い埋立地>>> 坂 横浜市西区、中区はチートレベルで住みやすいと思う。 ・住宅が都心よりも安い(除く高台エリア)割に、横浜駅エリアや関内エリアの文化施設や商業施設を利用でき、カーシェアリングやLUUP、UBERなどサービスも充実しているので、自宅に必要な機能を都市のなかにアウトソーシングできる。 ・その割に夜間人口が少ないので、保活は楽勝。川崎属国エリアのような教育戦争に巻き込まれることもない。もちろん積極的に中学受験をやることもできる。 ・とにかくあらゆることに対する選択肢が多い。でかいショッピングモールで便利に過ごすもよし、ローカルな店を探して商店街をうろうろするもよし。電車でもバスでも自家用車でもカーシェアでもLUUPでも移動できる。急な雨が降ってもアイカサがある。 市長が山中氏になってから変わったこと (今夜追記する) それでお前がこれから家を買うならどこにする ・西区、中区は引き続きオススメだが、地価が上がっちゃったからな… ・二俣川駅の南側。新横浜線ができてアクセスが改善し、相鉄がジョイナスを作ったので買い物もしやすくなった。こども自然公園というバカでかい公園がある。まだ世の中は「免許を更新しにいくところ」で認識が止まっているので狙い目。 ・鶴見川の氾濫で形成された平野のあたり。具体的には港北、新羽、北新横浜、大倉山、綱島。広大な平野なので「坂の横浜」とは無縁。昔はそれこそ内水の心配があったが、いまは日産スタジアム(という名の貯水池)が俺たちを守ってくれる。だが既に地価は高い。 ・センター北とセンター南。もはやセンターの意味を知る住民は少なめ。地下鉄が2路線あり、第三京浜と東名の両方が使える。ここも地価は高め。 ・星川。保土ヶ谷というとマイナスイメージしかないが星川だと急にイケてるイメージになる。 ・蒔田駅と南太田駅に挟まれた領域。蒔田公園が素晴らしい。歴史的経緯から外国の人も多い。 ・なんか細かく地区ごとに書いてくとキリがないな。 横浜の良いところ書いてなくね? すまんかった。横浜の良いところは「手薄な行政を補ってあまりある民間の活力、選択肢の多さ」だと思う。 ・東急、京急、相鉄といった私鉄の開発力。 ・商業施設の集積。一大観光地でもある。 ・文化やスポーツイベントも多数ある。金がなくても参加できるものも多い。 ・賑やかな商店街が多数あり、ローカルなお店探しは永遠に楽しめる。 ・そのわりに東京より過密度が緩い(過去に高円寺に住んでいたので、ここで東京は狭いという偏見が強化された) ・半官半民、NPO的な施設も充実している。息子が発達が遅めなのだが、近所に発達支援施設がすぐに見つかったのは助かった。 ・うまく文字に出来ないが「東京とか川崎より横浜!」という郷土愛みたいなものも地域全体から感じる。 ・海の存在。海と都市が近い。東京川崎千葉は湾岸が工業地帯で埋まってしまった。 まあ つらつら書いたけどコンビニとまいばすけっとが徒歩圏内にあることが普段の生活を左右する最大のパラメーターだったりする。
横浜の住みやすさについて
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いつも投稿拝見しています。以前ベストバイを投稿していたと思うのですが、今年度の上半期ベストバイも、もしよければ教えてください。
あー、やりました!
ご質問というかご提案ありがとうございます。
最近買ったものをいくつか思い出してみます。
①ペイズリー柄のシャツ2枚

キャプテンサンシャインというアパレルブランドを最近買ってます。歳を重ね���と(特に男は)服装難しいなぁと感じる日々。落ち着きすぎたくないんですよね。なので、下品でない柄シャツは好きです。喫茶店や飲み屋で視界の端で誰か入ってきたなと思い視線をやる。薄い色のジーンズにシャツを着たその男は注文を終えるとカバーがかかった本を取り出して読み始める。『こういう人ってどんな本読んでるんだろうな』なんて思いながらコーヒーをひとくち飲み彼の生活に思いを馳せる。の彼側になれると素敵だなと思います。のためのシャツです。
②最近読んでる本3冊

本が積み上がっていく日々。ヤマシタトモコさんは下北沢の本屋さん(Peacockのところ)で、違国日記と出会ってから虜です。最近、インタビュー本が出たので買いました。まだ、未読。
森博嗣さんは昔から読んでる理系ミステリーを主に書く作家さん。の、純文学っぽい文章が好きです。
妙に人に惹きつけられる瞬間というのがある。特に際立った美人でもないのに、話し方なのか所作なのか見た目なのかどうにもむず痒くわからない。でも、会ったあとに悪くないと思う。ただ、会うまでは同じ気持ちになれない。なので、ずっと会っていればこの感覚は失われないのではないかと人間関係を進めてみようと一歩乗り出す。でも、そうした時に限ってもう2度と会えなくなる。
まぁ、そんな感じの本が好きなのです。

↑これも好きな本で、社会学者の方が書いたものです。社会学ってやつは現代の文化をしっかりと後世に残すというのも仕事なようです。この方は自己破産した中小企業の社長や風俗嬢、会社員、学生、受刑が終わった人とあらゆる人にインタビューしてまとめるのをライフワークにしてるそうなのですが、話の中身や主文よりも何故か頭に残ってしまう情景や言葉があるそうで、それを愛おしく思いまとめた本です。
これって我らがTumblrに残してることだなぁとおもって。面白かったんですよね。
③沖縄で買った月桃茶。

月桃は南国ならどこにでも映えてる植物だそうですが、その名の通り桃のような甘さと香りがします。抗酸化作用がとてもあるそうで、あと単純に美味しくて飲んでます。母にも買ってあげたのですが、こういうのってすぐに試す人と永遠にタンスの肥やしにする人がいますよね。母は後者で家族ながら気に入らないところです。野菜やフルーツは腐らせるし。いまは関係ないか。
④叙々苑のドレッシングと高カカオチョコ

叙々苑のドレッシング高いです。チョレギサラダの味です。単純に味が美味しいっていうのもありますが、さらに言えば味が強い。なので、少量で済むんです。なかなか減らないので高いけど結果からすればお得なのでは?と思い常備してます。KALDIにこれの偽物がありますがやはりなんかちょっと違う。
高カカオチョコは健康のために。肌の炎症を抑える作用があります。アレルギー体質なので夏場は特に嫌になるんですよね。95%のこれは友人に食べさせたら『錆を食べてるみたい』と吐き出した代物。美味しくはないけどそこまで言われる筋合いもないと思ってます笑
⑤未解決事件は終わらせないといけないから。

度々書いてますが、ラジオユーザーです。これは伊集院さんのラジオでオススメしていたゲーム。そう、実はSwitchとかやるんですよね。ただ、メジャーゲームはほぼやってなくて、名前を言ってもわからないようなゲームをやる癖があります。
これはノベルズのようなゲームで殺人事件を追うミステリー。事件関係者の話を聞き、パズルを組み合わせるように意味と意図をくっつけて解決させていく。
らしいのですが、まだ序盤。これから楽しくなるのかな。伊集院さん曰く、1つの出来事をきっかけにすべてが腑に落ちる瞬間があり、それが快感だそう。
⑤喪服(写真なし)
裾上げしてから届くらしいですがまだ未着。楽しみにしてるわけではないですが、クリーニングとか預けてるとむず痒くなる人間なので、頭の片隅にずっとある感じがして(未了のタスクのように)嫌なんです。早く届かないかなと。
⑥NEW BALANCE×AIME LEON DORE RAINIER

NewBalanceの登山靴です。
登山はしません。
革靴以外も履くかなと思って買った靴2足目。そう言えば1足目もNew Balanceだ。そっちはBB550WT。
紫が好きなのですが、なんだか連れ合いはあまり好きじゃないみたい。私といるときは着ないで履かないでという靴や服が一定数あります。靴は大きめ派。28.5または29センチくらいの靴が1番形よくないですか?
⑦小松製菓 割りまめ醤せんべえ(醤油)

南部せんべいってあまり好きじゃなかったのです。
味がないし、豆もなんか邪魔くさいし、なぜこれが青森名物なのか…。ちょっと看板に偽りないか?名物?って思ってましたが、これはめちゃくちゃ美味しかった。お土産もらってまた食べたくなってネットでまた買って。甘辛で香ばしい醤油の美味しさが最初にあって、それが薄まってきたときに今度は豆の旨味がググって持ち上がってくる感じです。永遠に食えます。
⑧今年は安いぜ、シャインマスカット

500円ですよ。祖師ヶ谷大蔵の八百屋やばい。ちゃんと美味しかったし。
⑨大衆ジンギスカン酒場ラムちゃん
町田、御徒町、有楽町なんかにあるチェーン店。5000円くらいで食べ放題+ハイボール飲み放題ができます。
ラム肉が生でちゃんと美味しいんですよ。北海道で食べたのと遜色ないくらい(怒れるか?)
タレに入れる薬味が生姜と春菊を混ぜた絶妙な味で。すごく好き。ちゃんと服は臭くなります。
⑩アンメット(ドラマ版)
我が家に杉咲花さんブームを巻き起こした恐ろしい作品。毎日記憶がなくなる脳外科医という皮肉の効いた存在である女医さんが患者や周囲の人と関わりながら生きる意味や記憶の意義や定義を見つけて再生していく。人間ドラマとミステリーと恋愛の配分が絶妙でした。上半期No.1ドラマ。一番好きな花も好きだったよ。
なにかまだまだ忘れてるような…。がこのへんで!
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在日をやってると100
最近、文章やスピーチをお願いされることがチラホラとあって、内心、「僕なんかに依頼して大丈夫なのか」と戸惑いながらもせっかくだしと引き受けては後になって後悔するというのを繰り返している。
自分で読み返すと、語彙力も無いしなんて程度の低い感想文なんだろうと思うし、後になってあれも書けなかったこれも書けなかったと気が付いて反省することが多い。
このブログでもシェアしたけれど、関東大震災の朝鮮人・中国人虐殺から99年目の2022年の9月1日にはGQ JAPANに「関東大震災朝鮮人虐殺事件から99年目──僕たちは差別を止める側、弱者を助ける側に回れるのか?(https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220901-great-kanto-earthquake-massacre)」というコラムを書かせてもらった。2年経ったいまは在日クルド人をターゲットにしたヘイトスピーチがかなり危険ところまできていて社会はなかなか良い方向に進まないなと暗い気持ちになってしまう。 過去も現在も未来も、あの問題もこの問題も繋がっているというのがわかるようなのが書きたいなと思いながらなんとか書き上げて掲載してもらえたけれど、読み返すと、あのこともこのことも書けなかったし書くべきだったなと密かに反省していた。特に虐殺された中国人や社会主義者のこと。虐殺された社会主義者のことは僕の記事では完全に抜け落ちてしまっているし...。まとめて語られがちだけれど、数の多い朝鮮人の話がメインで語られる傾向があるけれど、そうなることでみえなくなっていることがある。虐殺された中国人ついてはぜひ @fukuyoken3daime さんのツイートの連投を読んでみてほしい。 (https://x.com/fukuyoken3daime/status/1830043385396342866)
今年はいまのところ、2つのコラムを書かせてもらっている。一つは8月6日に発売された、広島から平和を希求するマガジン「TO FUTURE ZINE 2024 -ISSUE 18-」で、2023年と2024年の入管法改悪についての文章を書かせてもらった。もう一つは、先日開催された「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の配布資料に掲載される文章。
TO FUTURE ZINEの方はネット(https://online.recordshop-misery.com/items/88231992)で購入可能です。「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の方ですが、公開して良いとのことなのでせっかくなので掲載しておこうと思います。作品をすでに観た人もまだ観たことない人も少しだけ違う視点をで作品を観れる文章が書けたらいいなと思いながら書いたけれど、読み返すとやっぱり上手く書けていないなと思ってしまって、あちこち手直ししたい気持ちになってしまう。でもいまそれをする時間の余裕もないのでそのままにしておきます。
無題(スナック社会科横浜映画祭#2 特集: 飯山由貴映画祭 によせて)
初めて飯山由貴さんの作品を観たのは、2022年10月15日、16日と京都の龍谷大学響都ホールでの「オールドロングステイ」の上映会に実行委員会の一人として参加させてもらった時だった。
ヘイトスピーチデモのカウンター行動で知り合った友人が、 僕が入管収容の問題に関心を持ち 大阪入管に収容されている人たちや一時的に収容から解放された仮放免の状態で生活してい る人たちの支援をしていることを知っていて映画に興味があるのではと声をかけてくれた。
入管の被収容者や仮放免者を支援するようになって、 難民、 犯罪等で在留資格を取り消され た人、 技能実習先から逃げ出すなどさまざまな理由で非正規滞在となりそれが発覚し収容され た人、ほんとうにいろいろな人と出会ってきた。 いつも支援をしながら 「特別永住」という在留 資格で生活する自分の状況と彼ら彼女らの状況を照らし合わせて考えてしまう。
支援を始めてすぐの頃、「永住者」 が犯罪で在留資格を取り消され退去を迫られている現実に 衝撃を受けた。「日本にしか生活基盤がない人に帰れってどういうこと?」 という僕の素朴な疑 問は世間一般の日本人にはなかなか理解してもらえない。
難民が入管に強制的に収容されているというのも衝撃だった。 「特別永住」の在日朝鮮人の 中には戦後、政治的な迫害(済州島四・三事件など)から逃れるために「密航」してきた人たちも いる。 元技能実習生の面会では彼らが戦前戦後の朝鮮人労働者の状況と重なった。
特別永住の資格ができる狭間で在留資格を得られなかった韓国人の老夫婦の帰国の支援を したことがある。 最初は「密航」で日本に来日し、親戚を頼って生活していたが、あるとき摘発さ れて大村収容所に収容され強制送還となってしまった。 「特別永住」の資格ができたあとに観光 で来日し、在留期限が過ぎた後もオーバーステイのまま滞在しずっと大阪でひっそりと生きてた という。 僕と出会った時の夫婦の年齢は80歳前後。 病気で倒れるまで現場作業でバリバリ働 いていたけれど、 非正規滞在のため健康保険も非加入で公的支援も何も受けられず、どうにも ならないと帰国することになってしまった。 1度目の強制送還がなければもしかしたら 「特別永 住」を取得する道もあったんじゃないだろうか。 僕よりも長く (最初の来日から数えると50年 以上)、ただ働いて生きてきただけなのになぜ医療も生活保護も受けられず日本から追い出さ れないといけないのかいまだに理解ができずにいる。
日本人と外国人の間に引かれた線、 特別永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた 線、 永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた線、 あちこちに引かれた見えない線がほ んとうに正しいのか社会に問いかけるにはどうしたらいいのか。 そういうことを日々考えてい たときにたまたま観ることになった「オールドロングステイ」は大きなヒントをくれたように感じている。 外国人登録令による日本国籍喪失とその後の参政権や社会保障からの排除、 民族教育を否定 する通達、日本国憲法の制定過程など植民地主義を根にするさまざまな問題、ハンセン病療養 施設における朝鮮人差別と格差是正運動、 帰化制度における差別、 在日朝鮮人の中の障害者差別など、 在日であり障害者であることで受ける差別の背景に広く深く迫ることで引かれた線を次々に可視化しているのが良かったし、普段はなかなか可視化されない声なき声を描くのに、安易にわかりやすくして伝えない、受け手の本気度が試されるような表現の仕方もおもしろいと思った。 その後に観たのは、戦前に都内の私立精神病院に入院していた2人の朝鮮人患者の診療日 誌のことばをモチーフに、ラッパー・詩人の FUNI の声と身体で映像化した作品「In-Mates」。 この作品は東京都の指定管理施設「東京都人権プラザ」で開催された企画展「飯山由貴 あな たの本当の家を探しにいく」 (2022年8月30日~11月30日) において上映が禁止とさ れて大きな話題となった。 (詳細は記事を参照→東京都人権部による飯山由貴 《In-Mates》上 映不許可事件は、何を問うのか https://t.co/7fk561FzCn )
上映禁止について語られることが多いこの作品。 自分自身が在日朝鮮人であり、さらには父 親がアルコール依存症で精神科病棟に強制入院となってその中で死亡していること、そして、今 現在、入管の収容施設に強制収容されている人たちや、仮放免という身分で一時的には外に出 られたものの、 就労も、 健康保険加入も、移動の自由も制限され、ほとんど何もできない生活を 強いられている人たちの支援をしていることもあって、 強く心を打つ作品となった。 患者 A、患 者Bの生きてきた環境やそれによって形成されたアイデンティティを想像すると言葉にならな い感情が湧いてきた。
入管の被収容者や仮放免者の支援をするようになって”自由”に対する感覚が随分とかわっ た。 アクリル板の向こう側、 握手すらできないところで何ヶ月も何年も小さな部屋に閉じ込めら れている人との会話。 仮放免された瞬間の表情としばらくして就労もできず結局は自由がない 生活に苦しんでいる表情。
「In-Mates」のエンディング、ニーナ・シモンの「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」は支援で出会った人たちの表情を思い出してしまいとても重かった。
無いことにされてしまっている声、 叫びに気付き可視化していく飯山由貴さんの作品。 この先も追いかけたい。
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西武現實主義(Seiburealism)
/ Victor Burgin, 1989
四月的東京。在上野公園,櫻花低垂如雲,野餐席遍布其下。啤酒潑灑成水漥,載著狂歡人群的塑膠布筏子順著櫻花樹大道漂流(每艘筏邊整齊地擺放著一圈鞋子)。這些瀝青河流的兩岸擠滿觀光客,他們既為櫻花短暫盛放的美感所吸引,也沉醉於花見野餐所展現的景象——櫻花短命的綻放成了這場狂歡的道德藉口、一種死的提醒(momento mori)。櫻花影像被傳輸到西武百貨澀谷店,以環境影像的形式出現在店內各處。透過十二層樓的螢幕、交錯的手扶梯與電梯中,櫻花在商場每個角落綻放;如同富士山的影像(櫻花融化為山景,伴隨著約翰·藍儂《Imagine》的旋律);又或是街上的路人影像,被隨機捕捉,短暫地使螢幕成為千扇窗戶,讓人望向外部世界。(從外頭望上,百貨外牆橫跨數層樓的數位螢幕上,行人可能只看見巨大的魟魚,在海底悠然擺動,然後畫面轉化為像素化的動畫新聞,播報最新的人質危機。)
班雅明(Benjamin)曾視十九世紀的購物商廊為從街道過渡到百貨公司之間的中介階段。商廊——一條室內街道——白天靠天窗照明,這種大片透明玻璃得以實現,乃因為鐵架的支撐使其成為可能。抬頭望去,人們可見白日的雲朵,或夜晚的星空。在西武百貨中,這些鐵框玻璃矩形彷彿已從格子中爆裂而出;我想像它們在電腦動畫中慵懶地翻滾,變形為無所不在的視訊螢幕。在一種與時間無關的均勻冷光照射下,這些螢幕可以顯示雲朵、火星地貌,或任何可用二進位編碼定義的影像。東京位於富士山以東約百公里之處。從江戶時代(1600年)起至明治末年(1912年),富士山仍可間歇而清晰地從市內望見——成為一種固定的時空精神指標(在東京,能望見富士山之地即為「名所」)。如今,建築與空氣污染抹去了富士山的輪廓,至少在肉眼中是如此。新的參照點、新的「山」,在城市中自身誕生,成為僅能從百貨公司中看到富士山的景觀。儘管如此,觀看富士山的現象學經驗仍保留於百貨空間中——人們在穿越商場、從一處螢幕移動到另一處時,如同昔日穿越建築縫隙偶爾瞥見山景一般。
日本人稱為「立讀(tachiyomi)」的行為,是一種移動中、隨機式、斷續式的閱讀方式:翻閱漫畫與雜誌,只是路過隨手翻看,並無購買意圖;或在地鐵上從鄰座撿起報紙隨意瀏覽。安德烈・布勒東(André Breton)曾回憶戰時與賈克・瓦謝(Jacques Vaché)在南特的日子,他們的習慣是「無論正在播放什麼,都隨意走進電影院,看到哪裡算哪裡,一旦感到無聊便馬上離席,前往下一家影院,如此不斷輪替」。如今我們不斷切換電視頻道。(有段時間,在紐約某些餐廳流行「瀏覽式點餐」——這嚐一點、那吃一口。)觀光客也像這樣「套餐式」地體驗文化:在這座城市待兩天,再去另一座城市幾日(就像我如今在這區閒晃,在那區遊蕩)。而日本人不也常被說是「瀏覽」西方文化、取其所需再「本土化」的代表嗎?如果文化本身是複雜的文本,那麼它們如今已成為富裕與閒適者邊走邊翻的文本——無須承諾,只是移動中的一瞥。
在這間西武百貨的書籍部(藏書四十萬冊,我甚至找到兩本由密西根安娜堡的UMI學術出版社出版的超現實主義論文),一整面牆成為了放映螢幕,播放經典好萊塢電影的片段——以主題分類,其中之一是「戰爭」。畫面上,美國轟炸機正準備夜襲(東京曾在戰爭中遭遇毀滅性燃燒轟炸),畫外音堅定表示:「無論敵人藏在哪裡,我們都會追擊。」螢幕右側,在轟炸機飛出畫面之處,擺放著一座展示模型——燒焦的塔樓,其頂部爆炸場景正是電影《魔鬼剋星》(Ghostbusters)結尾的鏡頭之一。
(布勒東初識瓦謝是在1916年的軍方精神病院,當時布勒東是實習醫生,瓦謝是病人。其他病人中,有一人堅信所謂的「戰爭」不過是模擬場景;砲彈是道具,傷口是化妝;死者是從醫學院解剖台上帶來的屍體,趁夜散佈在假的「戰場」上。)美軍轟炸機由畫面左側飛向右側,如同西方的閱讀方向。而在書區翻閱時,我又看到一部漫畫,開頭描繪的是日本轟炸機自右向左起飛。它們先摧毀珍珠港,然後轟炸美國本土。接著,日本士兵踢破美國住家的大門。一戶家庭——男子、女子與一名幼童——蜷縮在客廳中,被士兵襲擊。男子遭殺害。士兵開始撕扯女人衣服,孩子哭喊。一名日本軍官抓起孩子的腳踝,以一個橫跨雙頁的弧線將他甩向牆壁。孩子的臉部從頭顱撕裂開來,飛越畫面,拖出一道墨筆揮灑般的筆觸,讓人聯想到禪宗書法。接下來半頁畫面中,女人遭輪暴(其哀號以英文呈現),最後士兵們聚集起來,坐在倒塌自由女神像的伸展手臂上合照。下一頁,也是最終頁,我們看到裕仁天皇騎馬現身。有人說,東京之所以安全,是因為所有暴力都被收納於這些漫畫中。
布勒東在《超現實主義第二宣言》中曾寫道:「最單純的超現實主義行動,就是手持左輪手槍,走到街頭,盡你所能隨機射擊群眾。」如今,這樣的行為雖然不常見,卻也成為日常生活中的一種現象。有評論指出,第二次世界大戰的爆發令超現實主義失效,因為現實世界的暴力早已超越藝術所能預見。(盟軍登陸時,超現實主義攝影師李・米勒(Lee Miller)遊走於滿目瘡痍的街道,每扇門像是通往駭人而奇幻的風景。有次她不慎踩到一隻人手,撿起後憤怒地將其拋向街道。)但人們往往忘了,超現實主義始於第一次世界大戰,其戰間期的重要使命之一,正是將日常生活中的恐懼與失落加以昇華——轉化為幻想,特別是在性愛的範疇中。
在街頭,人群偶爾會突然分開,使人瞥見某個身影、某張臉,但那一瞬即逝,卻觸動了情慾神經。班雅明稱之為「最後一瞥的愛情(Love at last sight)」。百貨公司則提供這一現象的變體:透過那些輕薄帷幕圍成的小空間,女性離開觀眾群,成為被觀看的對象——不僅為了自己與其他女性目光的觀賞,也為那因帷幕掀開而勾引來的非法凝視所設(羅蘭・巴特曾問:「身體上最具情慾性的部分,不正是衣物掀開之處嗎?」)。我匆匆轉移視線;某些光線在鏡面空間內反射、延遲,在我視網膜上形成混亂(與其說是超現實,不如說更像立體主義),只能依靠記憶,在其中提取出一段熟悉的、被愛的身體片段。班雅明在論述超現實主義的文章中寫道:「在秘儀式的愛情中,女人本身並不重要。布勒東亦如此。他與娜佳(Nadja)親近的,不是娜佳本人,而是娜佳身邊的事物。」我們可以將這種「秘儀愛」以臨床術語命名——「戀物癖(fetishism)」。百貨公司,作為商品戀物的神殿,也召喚著佛洛伊德所言的戀物心理。男性漫遊者(flâneur)若欲前往正當之地,勢必得穿越洋裝海洋與香水濃霧的沙漠。他別無選擇,只能進入這些禁忌之地。他的藉口天衣無縫,而內心的罪惡快感則無可迴避。當他在衣架間無意識地翻看服飾時,或許以為自己在為情人挑選禮���,但同時他也正盲目地觸摸著母親的身體。某刻我在西武感到口渴,找到了飲水機,其透明上層水流覆蓋著石礫——彷彿是一段溪流被切割下來,擺放於展示台上的自然部件。
在街道層,有一家以廢墟為造型的酒吧(採用「後末日建築」風格),其立面突出一段飛機機翼,下懸的引擎艙象徵性地讓人聯想到曾夷平越南的 B-52 轟炸機。在奈傑爾・柯茲(Nigel Coates)設計的 Café Bongo 中,「內部空間」衝破與「外部空間」之間的脆弱邊界。在同一個六本木(Roppongi)地區,為時裝設計師安傑洛・塔拉齊(Angelo Tarlazzi)設計店鋪的建築師八束一(Hajime Yatsuka)曾說,他將整棟建築構思為城市的「內部」。班雅明曾評論:「對於漫遊者(flâneur)而言,街道就是他的住所;他在房屋立面間的感受,猶如市民置身於四面牆內一樣自在。」百貨公司已成為那些從榻榻米小房間逃出的富裕難民的共同居所,他們在地鐵裡入睡。在城市各處,人們沉睡的景象隨處可見。男性躺在西武百貨各樓層扶梯轉折處旁的寬大沙發上,看似專為此而設(否則用途為何?),進入沉睡。
在這家百貨公司底下的有樂町地鐵站內,年輕的女性上班族也入睡著。她們從城市邊緣通勤,來回奔波於狹窄的住處與辦公地點,週末則重返澀谷、銀座、池袋,或其他西武分店。她們購買的是三宅一生(Issey Miyake)、Comme des Garçons 等品牌的服飾,而這些品牌對歐美的同齡女性來說幾乎遙不可及。從她們狹小房間出發,搭乘約一個半小時的列車,度過一天如遊蕩者般的生活,徘徊於西武那奢華至極的空間——這些空間透過無所不在的環境影像,開啟通往無限空間的通道。作為來自英國北部工人階級家庭的流離者,我想起了那位較富裕的姑媽家中的「前廳」(frontroom)。那是一間擦得發亮、充滿蠟香的房間,平時封閉,只在打掃或有訪客來時才會開啟。來客可以看,但不能碰,只能站在敞開的門前觀看,而不能踏入其中(這間「起居室」沒人坐,這間「客廳」裡也無人交談)。這房間彷彿是一個全息投影的模擬空間,只為提供心理上的額外生活空間,如同西武百貨所帶來的慰藉一般。在西武百貨,正如其西方對應對象(至少在這方面),家具部就如同無數富人家庭的前廳;彷彿從其原始情境中抽離,再「傳送」到這座城市的樓層中——這座由無數「前廳」構成的城市,雖然沒有牆壁,卻以內部街道相互隔開,主要用途就是用來閒逛(flânerie)。
尚–盧・高達(Jean-Luc Godard)曾表示過這樣的想法:既然任何東西都可以被拍進電影,那就所有東西都應該被拍進電影。比起電影,西武百貨更是一場由異質集體所創作的組合展——包括買手、租戶精品店業者、駐場視覺藝術家、圖書管理員、旅行社人員等。這裡沒有「作者控制」或「敘事封閉」的概念(因此也不需要布勒東與瓦謝式的逃避);其組織原則早已是非整體的、務實的、機會導向的。在某種程度上,這場組合也可視為一種整體,由此構成的過程類似於超現實主義者的集體書寫實踐。
西武百貨是超現實主義於後現代階段的作品,一件無盡變奏的作品,由遊蕩者(flâneur)「自動書寫」而成,其對於商品的興趣與對所處空間的興趣無高下之分。(班雅明有句格言:「建築是在分心狀態中被欣賞的。」)
在日本,想看一場重要的藝術展覽,你有很大機率會在百貨公司,而不是美術館看到它。當西武百貨展出尚・杜布菲(Jean Dubuffet)的作品時,東京上野公園內的東京都美術館也於1988年4月開展名為《1920年代的日本》的展覽。我在那裡得知,1923年摧毀東京的關東大地震,被視為日本「機械時代」藝術的開端。布勒東的《超現實主義宣言》與《超現實主義革命》首期,也是在1924年的巴黎發表。在東京都美術館,我發現大量機械美學影響的證據,特別是包浩斯(Bauhaus)對視覺藝術——攝影、繪畫、建築、工業設計、電影、劇場設計、時尚等的深遠影響。同時也能看出德國表現主義的廣泛影響,尤其在劇場與電影領域;而隨著1920年代結束,愈來愈多政治啟發下的「寫實主義」創作開始盛行。然而我幾乎找不到任何關於超現實主義的明確跡象。並沒有理由認為當時的日本在1920年代對於超現實主義的了解會比其他歐洲美學運動來得少。1970年,瀧口修造(Shūzō Takiguchi)——在布勒東與艾呂雅所編的《簡明超現實主義辭典》中被列為「超現實主義作家」——曾寫道:「在日本,從未出現過像法國那樣的超現實主義團體。」我無法判斷超現實主義在戰間期或今日的日本意味著什麼,也無從推測它未能代表什麼;我確定的是,它的意義絕對與我自己的理解不同。許多超現實主義研究者認為,這場運動的編年史應該終結於1968年五月事件。而就在同一年,一個法國電視台團隊前往東京郊區採訪三島由紀夫。他是傳統價值的擁護者(兩年後,他將以近乎完美的切腹行動實踐他的理念),當時他住在一間宛如法國蔚藍海岸別墅的宅邸中。一樓以十八世紀法國風格裝潢,而樓上則採用現代國際風格設計。三島說道:「在這裡,只有看不見的部分才是日本的。」
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