#小ネタ
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【470km】稚内から札幌まで信号を一回も通過せずに走行できる道があるらしい→実際に行ってみた結果ww
以下転載 https://x.com/Asuka_Shiromaru/status/1840672251706015809
というわけで #宗谷岬から札幌まで信号を一回も通過せずに行ける説 は、札幌市北区到達により2日間かけて立証されました。 他のルートもあるでしょうし、何なら別の地域でも似たような事はできると思います。(ただし雪国の冬は厳しい) ありがとうございました。 記録はそのうちnoteにまとめます。
・https://x.com/Asuka_Shiromaru/status/1840682605622272126
旅行記や創作はnoteにまとめています。よければこっちもフォローしてくれると喜びます。 ・しろまる旅行記|note
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アニータ「そうカッカしても、解決策は何も出ないわよ」(クッキーを頬張りながら)
レオン「この娘の言う通りだぞウルフ」(ティーカップ片手に)
ウルフ「だからてめぇらここでお茶会すんなって何回言えば分かるんだよ‼️‼️‼️💢💢💢💢💢💢」
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せっせと小ネタづくりです。
色付けはコピック。
コピック久しぶりに使ったら、
感覚鈍りまくっていてあたふた💦
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営業中。相撲のまわしは、人に手伝ってもらってしっかり締めるものだそうです。
日本相撲協会のまわしの締め方に「締め方を図解した資料がなかったので経験者に教わって締めるのが通例」とあり、日本人てそういう資料作り得意そうなのに、へ~と思いました。
まあ、相撲まわしの締め方知りたい需要がそうあるとも思えず。
そいか、業界の秘密的な扱いだったのかもしれませんね(1本の帯状の厚みのある布で、激しい動きをしても緩まない崩れない締め方って、やろうと思うと難しいし・・・
日本相撲協会のPDF資料「まわしの締め方」
いつか、このまわしの締め方が最先端技術の粋を集めた何かに転用できるとなり、英語で「相撲knot」「まわしknot」とか呼ばれる日がやってくるやも知れません(たぶん、来ないと思うけど笑
(一人で締められない相撲の褌に、人は一人では生きていけないを見た気分)
#相撲 #褌 #豆知識 #小ネタ #雑貨屋 #和雑貨 #江古田 #新桜台 #西武池袋線 #練馬区 #商店街 #贈り物 #プレゼント #ギフト
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男子生徒「ちょっとぉ!あたしの身体でなんて格好してんのよ!?」
女教師「いやぁ、次の時間、水泳の授業だから俺も出ようと思って。妹のスク水勝手に借りて着てみたけど、やっぱアラサーボディじゃ見苦しかった?笑」
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男子生徒「う、うるさい!いいから早く着替えて!そんな姿���誰かに見られたらあたしの人生が終わっちゃう~!!」
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random find, recomm.
youtube
#yt sidepanel gems#youtube#cute#mood#aesthetics#random#nice#pretty#lovely#music#audio#tunes#songs#music video#【作業用BGM】ポポロクロイス物語 イベントBGM集#PS1 ポポロクロイス物語に登場する全てのイベントBGMをまとめました。#そのBGMが登場するエリアや、小ネタ、感想などの文章つき。#※曲名はシーンに合わせてこちらで適当にチョイスしています。#PoPoLoCrois Story#1996#Youtube
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🐍巳(み)!snake au
蛇亜双義ネタ/ 分身の小蛇ちゃんらくがき
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「むしろ頼んでみたい…」ふらっと入った『すき家』の注文端末にとんでもないミスがwww
以下転載 https://x.com/thisiskogatti/status/1877824714611318909
すき家入ったら絶対そんな訳ないメニューが目に入って眠気吹き飛んだ
関連:新メニュー販売開始のお知らせ(コーヒーゼリークリームラテ) | 新着情報 | すき家
・https://www.sukiya.jp/campaign/sweets.html
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のんびり!わだつみらいふ編 の落書きもあった
描いてない小ネタも9月からの独りぼっち作業中に色々思いついてた気がするけど どうせ載せられないしな で描かなかったから忘れた 悲しみらいふ編
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リゾートだから競パン
リングを嵌めてからSサイズの競パンでホテルのプールでまったりタイム。
竿も玉も、極小の競パンに圧迫されてなんとも気持ち良い。
もちろんネタも仕込んでいる。
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「こうした生放送というのは?」
「いやもう、ナマは好きなんですけど、生放送というのは、ちょっと緊張しますね」
「・・・・」
------ BS1 魂を継ぐもの 〜 破滅の無頼派・西村賢太 〜
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私の両親は、いわゆる、「人権派」、活動家だった。 もっと正確に言うと、人権派と陰謀論者の中間、あるいは地域の名物おじさんみたいなものだった。 父は予備校塾の講師、母はデザイナーだった。 この家に育って何が起きたか。 物理的な虐待とか、経済的困窮とかそういうことは、当然ない。 それは認めるし、親としては感謝している。 だが、私はこの家に育って、世間とまったく感性が通じないというか、後天的なコミュ障のような人間になった。 少し前に、発達障害者の人たちが「健常者エミュレーター」という概念を紹介していたが、それを見た時、私は膝を打った。 また、統一協会やエホバの証人の二世問題について知った時、私はこれに近いんじゃないかと思った。 自分が世間から見て「おかしい」ことはわかっている。だが、私に植え付けられた何かが、「いや世間なんて」と茶々を入れ続ける。 私の両親は、あらゆる凶悪事件がまるで発生していないか、あるいはまるで被疑者が英雄みたいに私に話すのだった。 大きな例を挙げると、神戸の連続殺傷事件(酒鬼薔薇)について、両親は冤罪説、つまり少年Aは犯人ではないということをしきりに唱えていて、まだ小さかった私にも、「これは嘘なんだよ」「警察はしっかり調べていないんだよ」と吹き込んだ。 池田小の事件も、父親は死刑廃止について盛んに唱えていた。 私の父は予備校の会報か講師たちの同人誌か、そういう冊子に、そのことをずっと書いていた。そしてそれを小学生の私に読ませた。 食卓で悲惨なニュースを見ながら、「〇〇ちゃんは、人の心について考えられる人間になってね」と、両親は笑顔で私に話しかけるのだった。だが、「人の心について考えられる」というのは、イコール、死刑廃止活動やあらゆる有名な事件にまとわりつく陰謀論に近い冤罪説を信じろ、ということだった。 母は、左翼の地方議員の勝手連みたいなことをやっていて、時々家が集会場所となった。学校から帰ると、おばあさんとかおばさんが五人くらい集まっていて、きついコロンの香りを漂わせていた。 別に悪い人たちではない。本当なら、私よりもずっと世間に貢献している人なのだろう。��菓子やお土産とかもいっぱいもらった。だが、結局のところ、ある宗教の座談会の人権版が家で行われているのと変わらない。そしてこの集まりから何か発展的なことが生まれたようにも見えない。 こういう家に育って、私は中学生のころまで、いわゆる純粋培養で育った。親の言うことが全てという世界で。 極端に聞こえるかもしれないが、世間のあらゆる犯罪は、冤罪であるか、犯人の非ではない何かの理由があって発生した者であり、警察と政府は悪。端的にそう言う世界だった。 ネット上には、死刑廃止運動に絡めて、ある左翼の議員が、「殺されてしまった人よりは、生きている犯人の人権の方が大切なのだから」と発言した、という情報がある。実際はその議員はそんな発言をしていないらしいのだが。 しかし私の両親は実際、そういう価値観だったとしか思えない。 私が初めて、ちょっとした疑問を覚えたのは、小学校高学年の時だった。 それまで放課後開けていた小学校の校門や校庭を、これからは明確に管理しようという話が、小学校で出たらしい。 しかし、私の両親、特に母親が待ったをかけた。というより、その現場に居合わせた。 母親はその情報を知るや否や、私もつれて、なんと校長に面談を申し入れた。 私は校長室の革椅子に座って、横で母親が延々と「開かれた学校という理念はどうしているのか」「治安というのはつまり何を基準に申しているのか」と校長にまくし立てていたのを覚えている。 なぜ私がそこに連れていかれる必要があったのか、そして半分笑顔でねちねちと喋り続ける母の姿は、子供ながらに、不安だった。その時はそういう言葉を知らなかったが、今考えると、敬語を使うだけのモンスターペアレントではないか、と思う。 そして自分が世間と徐々に乖離していると気づいたのは、中学校に上がってからだった。 両親。家の食卓で両親がわざわざ解説してくれるニュース。両親が取ってる新聞。送られてくる雑誌。友達。漫画。それだけが全てだった私に、携帯電話が買い与えられた。 そして私は、「世間」がどういう理念で動いているかを知った。 両親は万能ではなかったし、全てではなかった。むしろ、ピエロの様な、少数者だった。 だが私はそれを知っても、どう処理すればよいかわからなかった。 「いい?憲法にはこう書いてある」と両親は時々言っていた。多分、世間一般の人々より、両親は「知的階級」だ。良いことを言っている。正しいことをしている。多分。恐らく。 だが、世間はそう動いていない。そう育てられた私に対しても。 大学生となり家を出て、私は飲み会に行った。 そこで、当時話題になっていた、ある凶悪犯罪を揶揄するネタを余興としてやる男性がいた。 私は、今考えると、自分でもわからないのだが、「そういうのはやめた方が良いよ。まだ犯人だって決まったわけじゃない」と真顔で伝えた。 場はしらけ、そして私は飲み会に呼ばれなくなった。 SNSなら、これはリベラル的な武勇伝となるのだろう。だが私は、はっきり言って、普通に、なりたかった。 人権は、そしてそれを擁護する存在は重要だろう。犯罪だとか治安だとかに対して、「疑う」ことは重要だろう。だが、それは、宗教と同じく、大人になってから自分で学ぶべきことだったのではないか。
「人権派」の家に育って
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