#家庭用美顔器
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wankohouse · 5 months ago
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栗浜陽三 (文・写真) 『九十九里浜』 より 雑誌MLMW (ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
 
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九十九里浜・しなやかな風景 写真と文 栗浜陽三 
九十九里浜が、何県にあるかを知らない人でも、その名の持つ雰囲気に、何か特別のイ メージをお持ちであろうと思う。太平洋に面した、その茫漠たる長い長い浜の風物は、浜というものが持つ様々の要素を凝縮させて、 我々の期待感や夢を満たしてくれるかのように思える。しかし残念ながら今では九十九里浜の魅力の殆どは、過去のものとなってしま った。一体、十数年前の、あの素朴で夢のよ うに美しかった九十九里浜は何処に行ってしまったのか。この僅か数年の間に、都会人の荒々しい神経で浜は汚され、美しい砂の起伏は姿を消し、近代化の手は浜に沿って長々とハイウエイを引いてしまった。九十九里浜にとって、全く無意味としか思えないこのハイウエイプランを耳にした時、私は自分の心の中の大切な部分を引きさかれる思いがしたが、土地の政治家というある人は、それは芸術的
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
 
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しなやかな風景●九十九里浜
・・・は黒ダンの前袋の両���から黒々と毛をかき出して男らしさを競ったといい、亦、漁から浜に帰って来る舟は、長い竿を舟の両側につき出して、その先に黒褌を結びつけ、尾長鶏の尾羽根のように海風になびかせてもどって来たと話してくれた。
私がせめて十数年早く九十九里を訪れていたら、目にしたであろうこれは誠に九十九里の匂いのする昔語りであった。 それでも私は消えてゆく残り火の色を見る ように、時折浜で数少ない漁師の浜仕事や、 女達のフラミンゴの踊るような鮮やかな作業っぷりを見る事が出来た。
度び重なる私の九十九里訪問につれて、私の仕事友達や学生達が浜を訪ねるようになり、若々しい彼等の裸身が浜をにぎわすようになった。彼等はアっと いう間に海風にやけ、町中まで褌姿でのし歩き地引網を楽しみ、九十九里独特の丸板の波乗りをし、別人のように生き返った。
私は丸裸で浜仕事をする漁師をたびたび目にしたが、 この風俗は戦後アメリカ人の手前禁じられてしまったその名残りであった。中年の漁師が性器の先をワラシベや布切れで結んで褌の代用としている様も、決して雑でも奇異なものでもなく、浜の風物の中ではごくノーマルに感じられた。これは海水に濡れたままの褌の不衛生さを彼等がきらったからだという。
浜の女達はよく働いた。小柄でたくましいマイヨールの彫刻のような彼女達は、舟を浜に 引き上げる時には男以上の働きを見せた。母 親の仕事を見ている少女の背中の、赤ン坊の顔には、一刷毛はいたようにウッスラと砂が乗っていた。
十年以上訪ね続けている私の目には、浜の舟の数が年々少くなって行くのがよく解った。最初一、二年の間、浜にそびえていた何艘かのK家の船もいつしか姿を消した。民宿が急激に増え、そしてドカンと音のするようにハイウエイが浜に沿って走り、浜と村を引きさいたのである。庭から海に裸で飛び出してゆけた私達もトンネルをぬけて海に出る為に廻り道をしなくてはならなくなった。浜は見る見る中にゴミが打ち上げられ、マイカーが波打ぎわを走りぬけ、ビーチパラソルが立ち、その下で一日中マージャンをするという馬鹿げた男達が東京からやって来た。日本人は本当のゼイタクの楽しさや味わい方を知らないし、知ろうともしない。なぜ九十九里に都会生活をそのままズルズルと引きづって来る必要があるのだろうか。彼等は潮騒をきく代りに、浜でトランジスタラジオをきこうとする訳なのである。民宿になった素朴な土地の家で、海の香りを味い、あるがままの九十九里の生活に思いきり身をまかしてこそ、本当のゼイタクの楽しさではないだろうか。ハイウエイは私如き人間の知らない理由で必要なのかも知れないが、その代り、日本一のあの美しい浜の風景は二度ともどってこないのである。
K家にはその頃四年程続けて、ある外国の大使館の青い目の客が来るようになった。映画スターのような見事な美女達であった。私の友人の若者達とこの美女達は、伸々打ちとけ合う機会がなかったのだが、ある日、彼女達がK家の前庭の椅子に腰をおろして読書を楽しんでいる最中に、この若者達が海からもどってきたのである。彼等はオイルで鋼のように輝く背中をみせてタオルやマ���トを干し始めた。その姿を一人のブロンド娘がしみじ ・・・
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
 
以上の写真と文は雑誌MLMW(ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事『九十九里浜』より
これらの文章を読むと、栗浜は性的にも、性的な物を離れても伝統を残したままの海やそこに暮らす漁師を愛していたことが判る様だ。また、他の記事を読むと祭りについても性的にも、性的な物を離れても愛していたことが判ると思うよ。
栗浜のオリジナルは持ってないからウェブから集めた画像だけど、九十九里浜は良い画像がなかったんだ
一応拡大して補正はしておいたけど画質はちょっと残念だね
世間一般では本名の藤井千秋でイラストレーターとして有名な人なんだよ~
藤井千秋は画像検索したらいっぱい出てくるよ
2つの名前の作風の違いに驚くよー!
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asagaquru · 10 months ago
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なんだか詰めに詰め込んで充実した週末だった。まず、朝10時の回で役所広司主演の“パーフェクト デイ”を見に行った。劇的なことは何も起こらない日常を描いた映画で、劇的なことは何も起こらないけれど、日常の些細な煌めきを見つけるのが上手くなりそうな映画だった。通りすがりに愛でている観葉植物の葉にちょこんと触れるようななんてことのないシーンで数回泣いた。職場と自宅との往復だと変わり映えのない毎日に思える。でも���は、小さな変化や美しさに溢れている。本当に心が美しくある人は、愛情ある日常のなかに美しさや楽しさと言った煌めきを見出す。そんな映画だった。この感覚をこの映画を大切にしていこうと思った。静かな映画だったから、キャラメルポップコーンは口の中で溶かしながら食べた。
良い映画を観て、ほくほくした気持ちのまま新居の内見へ。内見と言えど、すでに入居を決めて審査完了ひている賃貸だ。21日に引っ越す。周りが戸建てばかりで、遠くにある藻岩山まで突き抜けて見えるのを今日知った。日当たりが良い。ガス台や冷蔵庫スペースや窓枠を採寸し終わって、今度はそのまま札幌駅へ向かう。夜の用事まで��間があるからと来たけれど、節分だから恵方巻きを食べたくなってしまう。デパ地下でひとつ買って家で食べる。方角を調べなかった。きっとわたしの行く方角はいつも幸運があるから大丈夫。
夜になって、友達と合流して恋人のライブに行く。家では陽気な恋人が、クールで笑った。音楽のセンスや知識はないわたしだけれども、楽しそうにみんなでジャズをしているのを観ていると、こちらも身体を横に揺らしてしまう。恋人がソロを吹いて、ぺこりと小さく一礼。座ろうとしたところで、ビックバンドのリーダーが煽って、即興でもうワンパート吹いていた。こんな一面もあるけど、普段から決してひけらかしたりしないことに感心する。その後に、ソロリストとして名前を呼ばれてもぺこぺことお辞儀するだけで、にこりともしない。翌日、「本当に楽しかった」って話すから、面白い人だなと思う。ジャズは演者同士が目配せや楽器で会話して、音楽となっていくから面白い。
ライブが終わって、恋人にひと声かけて会場を出る。「15分後にふたり座れますか?」と、ある酒場に電話をかける。すすきので1番好きな酒場。年明けてから行くのは初めてだった。いつからか顔見知りになった店主に「あけましておめでとうございます」と言って、ビールと日本酒を飲む。1杯目のビールが9.5%あったことを思い出したり忘れたりするくらい酔った。隣の席に座っていた30代のお姉様方とお話し、徳利の日本酒を勝手にお酌し、しばしガールズトークを楽しむ。「結婚しても子供が産まれても旦那に家のこと任せて飲みに出れるのいいな〜」と結婚の条件をまたひとつ上書きする。終電で帰宅。1時になっても彼氏が帰ってこないから、先に寝る��とにした。
もぞもぞと彼氏がベッドに入ってくる。ライブどうだった?とか来てくれてありがとう、とかの前の第一声が、ここには書けないような中学生みたいな下ネタで、半分夢の中のまま笑った。なんじ?と聞くと「よじ」と言っていてアホだなーと言いながらまた眠りに落ちた。
次の日は、朝から不動産で新居の契約締結。昼前に料理が得意な男友達が家に来てポークステーキをさささっと作ってくれた。「日曜のお昼だからさ」と言ったそれは彩り鮮やかなブランチで、昨日ライブだった彼氏がジャズを流していたから、なんとも優雅な昼下がりとなってしまった。
その後は、演劇を観に行く。演劇は初めてだった。映画とは違って、自分の好きなところに目をやって楽しめるから、観客は神様視点だなと思った。毎年同じ夏の月末に、同じホテルに泊まる男女の話。毎年、それぞれの家庭や仕事、生活の近況を語り合ったり、イチャイチャしたり、本音でぶつかって喧嘩したり、胸の内の秘密を吐露して泣いてしまったりする25年間を5年おきにシーンカットした演劇。題名が「same time,next year」という。生身の人間が目の前で芝居するパワーや没入感、距離感が映画とは段違いに違う。感情移入してしまって数回泣いた。面白かったからまた行くと思う。札幌で触れる新たなカルチャーの予感。
地下鉄で恋人と感想を言い合いながら、帰宅。うどんを食べて、サウナへ。最近、彼氏の真似をしてサウナにハマっている。汗をびっしりかいて、-2℃の外気浴をする。不思議と寒くない。ひと足先に休憩所で待っていた恋人とオロナミンCとフルーツ牛乳で乾杯して、ほかほかした気持ちで家に帰る。
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kennak · 3 months ago
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「キノコ雲の子」と呼ばれた高校生がいた。  原爆のキノコ雲に誇りを持つべきでしょうか――。早稲田大4年の古賀野々華さん(23)は5年前、留学先の米ワシントン州リッチランドの高校で、そう疑問を投げかけた。核産業で発展した町での勇気ある行動は、広島市で6歳の時に被爆した後東利治さん(85)の背中を押した。思い出すだけでつらく、向き合うことを避けてきた記憶の扉を開け、体験を語ることを決意した。 ■キノコ雲の校章に疑問 リッチランド高校に留学中の古賀さん。校舎にはキノコ雲の校章が大きく掲げられている(古賀さん提供)  「キノコ雲の校章を誇りに思う」「こんなにユニークな校章は他にはない」  米リッチランド高校。2019年5月、校内向けに配信された3分40秒の動画番組「AtomicTV」で、米国人の生徒が原爆のキノコ雲をかたどった校章を口々に称賛する中、古賀さんが口を開いた。  「原爆で亡くなった人は、町で生活していた一般の人だった。多くの人を無差別に殺した原爆を、私は誇りに思う���とはできません」  リッチランドは、核施設で働く労働者や家族のために建設された。第2次世界大戦中に原爆を開発した「マンハッタン計画」の拠点で、長崎に投下された原爆の原料プルトニウムを製造したその施設は、1987年まで操業していた。 ■核産業で栄えた誇り リッチランド高校の校章。原爆のキノコ雲をシンボルにしている(古賀さん提供)  古賀さんが福岡県大牟田市の私立高校から留学したのは2018年8月。最初はリッチランドがどういう場所か知らず、校章を気に留めることもなかった。  半年ほどが過ぎた頃、男性教諭から校章の由来を教えられ、涙があふれた。  「原爆投下で戦争が終わって今がある」。周りの生徒は核産業で発展した町の誇りを当たり前のように口にした。2019年6月の帰国を前に、動画への出演が決まり、校章をテーマに話すと決めた。誇りを否定するつもりはない。ただ、被爆地で起きたことを知ってほしかった。  <日本人留学生、リッチランド高校のキノコ雲ロゴについて語る>。出演後すぐにワシントン州の地元紙で紹介され、ニュースは日本でも報道された。 ■40年続いた悪夢 被爆体験を語る後東さん(左)。古賀さんもその様子を見守った(7月14日、広島市中区で)  被爆者の後東さんはニュースを知って衝撃を受けた。「米国のど真ん中で原爆を批判するこの子はすごく勇気がある。自分も何か話さんといけんのんじゃないか」  1945年8月6日、天満国民学校(現・広島市立天満小)の1年生だった後東さんは、登校して間もなく学校の廊下で被爆した。窓ガラスが黄色く光り、轟音と同時に木造2階建ての校舎の下敷きになった。  何とかはい出し、避難時に見た光景が忘れられない。  あおむけで川を流れる無数の遺体、「助けてください」という叫び声。そして、やけどで頭皮の右半分がずり落ちたまま歩いている人の姿――。自宅を目指したが、がれきの上をはだしで歩くので痛くて前に進まない。様子を見かねたある男性がおぶって神社まで避難してくれた。その夜は神社で一人過ごした。  それから毎夜、目をつむると脳裏に惨状が浮かぶ。46歳頃まで続いた。思い出すことも、体験を口にすることも嫌だった。 ■返事が来ない 後東さんと古賀さんが交わした手紙  古賀さんの勇気に心が動いた後東さんは2019年8月、古賀さんに手紙を出した。<その勇気に私も背中を押され、被爆証言を始めようと決意しました>  しかし、返事は、待てど暮らせど来なかった。「原爆にこれ以上深入りしたくはない���じゃろう」。大きく膨らんだはずの決意がしぼんでいった。  古賀さんには、後東さんのほかにも手紙やメッセージがいくつも届いていた。原爆に特別な関心があるわけではなかった。日本人として素朴な疑問を口にしただけだ。反響に戸惑い、手紙は返事を書かないまま自分の部屋にしまった。  以前から興味のあった福祉を学ぶため、2020年4月、早稲田大社会科学部に進んだ。上京時、後東さんからの手紙も持っていった。「いつか話を聞きたいという気持ちがあったのかな」  コロナ禍での大学生活。児童養護施設のボランティアに応募しても受け入れてもらえない。経験を積めず、人とも会えない。やる気がなくなっていった。  2022年2月、ロシアによるウクライナ侵略が起きた。テレビで流れる戦車や爆撃の映像に衝撃を受けた。ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用をちらつか��ている。「私にできることは何だろう」。後東さんの手紙を思い出した。 ■動き出した2人の時間 古賀さんが制作したドキュメンタリー「あのプラタナスの木のように」の一場面。左が後東さん  <戦争や核、平和について自分にできる事はないかと考える日々が続いておりました。被爆の話をお聞きする事が今の私にできる事だと思いました>。2022年5月、後東さんに返事が届いた。手紙を出してから3年がたっていた。  後東さんは驚きと同時にうれしさがこみ上げた。手紙の最後に書かれていた携帯番号にすぐに電話をかけた。「またまた勇気をもらいました」  翌6月、広島で初めて顔を合わせた。古賀さんの手にはハンディーカメラ。後東さんの初めての証言を記録し、ドキュメンタリーを制作したいと思った。  まず向かったのは、原爆ドームそばのお寺。被爆死した近所のお兄ちゃんの墓に手を合わせる姿を撮影した。被爆した小学校の校庭にはプラタナスの木がある。被爆で幹が空洞になりながらも緑の葉を生い茂らせる木の前で後東さんは語った。「人間もたくましく生きていかにゃあいけんなあ」  4日間密着した映像は、約15分間の作品にまとめた。タイトルは「あのプラタナスの木のように」。古賀さんには後東さんの姿がプラタナスと重なって見えた。 ■核兵器の町を再訪 核施設から放出された放射性降下物で被曝したと語るトム・ベイリーさん。約1年後に死去した(2022年12月、古賀さん撮影)  2022年10月、古賀さんは3年ぶりにリッチランドを訪れた。  後東さんの被爆証言を聞いて、「原爆投下は絶対悪だ」と強く思った。でも、世界を見渡すと多くの核兵器があるのはなぜなのか。答えを求め、大学を休学して海を渡った。  2か月かけて住民約20人に核兵器に対する考えを聞いた。肯定的な意見が相次ぐ中、一人だけ反対する人がいた。当時70歳代後半のトム・ベイリーさん。施設から放出された放射性降下物で被曝し、甲状腺がんを患っていると語った。  「私は最後のヒバクシャではない」。核開発が続く限り犠牲者が出るとの訴えが、重く響いた。ベイリーさんは今年1月に他界した。 ■人生初、英語の勉強に挑戦 田中さん(右から2人目)に通訳してもらい、留学生と交流する後東さん(中央)(広島市中区で)  後東さんも動き出した。町内会の慰霊祭や区民センターなど、機会を見つけては、どこへでも行って自らの被爆体験を語る。「今さら証言してどうなるという気持ちもなきにしもあらずだが、それを振り切ってやろうと思いよる」。昨秋には自身の証言活動に「ひろしま平和塾 きのこ雲」と名前を付けた。  昨冬に知り合った広島大4年の田中美月さん(22)に通訳を頼み、留学生に話をする機会も増えた。今年に入って毎週3時間、人生で初めての英語の勉強を始めた。 ■2年ぶりの再会 世代を超えて交流を深める後東さん(左)と古賀さん。それぞれの目線で原爆と向き合っている(7月14日、広島市中���で)=東直哉撮影  7月14日、古賀さんが後東さんの初証言を追ったドキュメンタリーの英訳付き版が完成したのに合わせた上映会で、2人は広島で2年ぶりに再会した。会わない間もLINEで近況を報告し合っていた。  「負けんように、証言しようと思っていた」。後東さんが古賀さんと出会ってからの心境を明かすと、古賀さんは「被爆証言が多くの国に伝わってほしい」。2人の思いは呼応し合う。  後東さんはさらに証言に力を入れ、古賀さんは大学卒業後に渡米し、米国での核被害の研究に挑戦したいと考えている。  核兵器が使われない未来へ。1本の動画をきっかけに生まれた世代を超えた交流は、その一歩だ。  ※この記事は読売新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
「キノコ雲の子」、原爆投下の米国で疑問投げかけ 長年口閉ざす被爆者に勇気 #戦争の記憶(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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elle-p · 2 years ago
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P3 Club Book pages 29-30 scan and transcription.
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タルタロスの 不思議な ダンジョン
第1階層 : 世俗の庭テベル
第2階層 : 奇顔の庭アルカ
第3階層 : 無骨の庭ヤバザ
第4階層 : 豪奢の庭ツイア
第5階層 : 焦炎の庭ハラバ
第6階層 : 憂鬱の庭アダマ
第7階層 : 王居エレス
深層モナド
通常の影時間にも使われた影時間プラー。暗緑色ににじんでボヤける感じが禍々しい。
太陽の輝きが眩しい画面効果、ペルソナフレア。季節によって輝き具合が違ったりする。
Qタルタロスの不思議なデザインが大好きです。どこかの名画で見たような気もするのですが、タルタロスのデザインモチーフは?
美 名画というのは正しいな。デザイナー副島氏の希望で、タルタロスのテーマは、不可思議な空間、シュールレアリズムの要素を取り込む、というものとなった。そこで、オランダの画家マウリッツ・コルネリス・エッシャーや、イタリアの画家ジョルジョ・デ・キリコの作品のテイストを積極的に盛り込んだのだ。
天 各階層の名前が聞きなれないんですが、あれも何か神話から?
ア 肯定であります。ユダヤ教の世界観・死生観にある、7つに分かれた地上世界をそれぞれ示す名でありますね。モナドも同じくユダヤ教で、あらゆるものの構成要素「1なるもの」を意味する言葉であります。
順 あれ?モナド以外の階層って6つしかねえよな?7つの地上世界じゃひとつ余るぜ?
真 ニュクス・アバターと戦う直前の屋上みたいなフロアがあるだろ���あそこが第7層、王居エレスだ。
美 それ以外の各階層の、デザインコンセプトも聞いてきた。コメントを引用させてもらおう。
○第1階層
世俗の庭テベル
学校の雰囲気を残しつつ影時間の要素を入れて構成しました。隠し階層の深層モナドは1階層と同じくタルタロスの低い位置にある階層で、同じく学校のイメージを大きく残した階層になっています。
○第2階層
奇顔の庭アルカ
表面的な恐怖を出してみようと思い、デザインをしました。床の模様に騙し絵が仕込んであり、ある方向から見るとドクロに、反対から見ると天使に見えるようになっています。ケルトゴシックの建築やギーガーの歌などの要素で構成しました。
○第3階層
無骨の庭ヤバザ
エッシャーの騙し絵にある。昇り階段がいつのまにか下りになっているという不思議な感じを出そうとデザインした階層。辻褄が合わない様子を3Dモデルへ入れるのに苦労しました。壁の模様や、階段に見えるスロープなどに騙し絵の要素が入れてあり、結果的に今作のテーマが一番濃く出た階層になったと思っています。
○第4階層
豪奢の庭ツイア
欲の塊、ということで金色のダンジョンに。物語も中盤を越えて盛り上がってきているので、それにあわせてゴージャスな階層にしようと思い、���箱の中身よりも豪華な素材でできている階層、と思って作成しました。
○第5階層
焦炎の庭ハラバ
混沌とした雰囲気を出したいと思いサイケデリック、螺旋模様をコンセプトに。終盤になり、ここまでの階層と変化が出るように抽象的なモチーフで構成しました。また次の第6階層へ入った時に大きな変化が出るようにと、黒い空間にしています。
○第6階層
憂鬱の庭アダマ
最後の決戦を前にして、無駄な物が無い状態にしようと思いました。壁や床に刻まれている溝は天の川や、宇宙、大気の流れを表現しており、ゴッホの描いた『星月夜』という夜空の絵の雰囲気を参考にしました。基本色調が白いのは、決戦を前に白装束という意味合いも含めています。
順 へー、色々考えてるなー。
美 タルタロスに関してはもうひとつ、「影時間ブラー」と呼ばれる特殊効果の存在が大きいな。これは影時間に常に使われているもので、 画面端がゆらゆら揺れるように見える。
ゆ そうそう、あれ実際に中を歩いてると、気持ち悪いんだよね~。
風 そういえば、色々な画面効果があちこちで効果的に使われていますよね。私は昼間の眩しい日差しのエフェクトが好き。
美 それは「ペルソナフレア」と呼ばれる特殊効果だ。スタッフ会心の力作らしいぞ。
ア あんびりーばぶる、であります。
美 アイギス、私のセリフを取るんじゃない······。
真 さて、まだ細々とした質問が残っているな。どんどん片付けるぞ。
Q今回、戦闘シーンが か��りコミカルなんですが、どうして?
美 たしかに、総攻撃の際の演出はやり過ぎだろうと思ったが。慣れると、あれはあれで面白い。
風 ほかの部分もそうですが、今までのシリーズと違う新しいことをやろう、という意欲が強く出ているのが、この戦闘シーンですよね。テーマは、「とにかく生き生きと楽しそうに!」だったそうです。
順 生き生きってのは、マジでうまく表現できてるよな。コマンド入力待ちのときに、オレらがちょろちょろうろつく動きがあるじゃん か?アレ、けっこう処理が大変らしいんだけど、無理して入れた仕様らしいぜ。
天 楽しそうといえば、武器のデザインも面白いのが多いですよね。骨とかバス停とか。
真 あのグラブを装備させられたときは死にたくなったぞ······。ただ、本当はあの倍ぐらいのモデルが作られていたらしいが、事情があって未使用らしい。機会があれば、残りも見てみたいものだな。
順 できれば防具のグラフィックも変われば······ああ、男の夢、ハイレグアーマー······。
Qストレガのタカヤの剣青は、何か意味があるの?
順 おーい、チドリ。あの露出癖のある兄ちゃん呼んできてくれよー。
タ 誰が露出癖ですか、誰が。あれは失敗サンプルの証--烙印を飾るためのものです。
順 烙印?何だそりゃ?
ジ ペルソナ制御ができんヤツの肌にはな、暴走するペルソナの力が溢れて文様みたいなもんが浮かびあがるんや。タカヤの刺青の中心は、刺青やなくてその文様や。ホンマは、あんまり人には見せたないもんやけどな。せやから、ちょっとぐらい暑くても、露出がない服着とるんや。
順 げっ······マジ?あ!じゃあもしかしてチドリにもその文様が?だからいつも、あんなゴテゴテした服······?
チ これは趣味。
順 あ······そ、そう?
Qアイギスの姉妹機について話だけ出てきますが、具体的には?
ア 詳細は機密に抵触するため言えないのでありますが、試作1号機からわたしに至るまで、10機前後が開発されました。最初は、まさしくただの戦車だったであります。人型となったのは、わたしの前に作られた数欄にとどまり、さらにペルソナ召喚を可能にする核--黄昏の羽が搭載されているのは、わたしを含め、たった3機であります。ただ、わたし以外の2機は、10年前に起動する前に破壊されてしまいましたが······。
タカヤのタトゥー
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atsushifukui · 1 year ago
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ウラシマビル 404
名古屋、栄「MtK Satellite」 にて開催中のグループ展「ウラシマビル 404」。9/3(日)までです、是非ご覧ください。
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古い雑居ビル、あるいは現れては消える「アート」の話
水本剛廣
就職活動とは実際に何をすることなのかも知らぬまま、四人が学生生活に別れを告げたのは、バブル 崩壊が騒がれた1990年代初頭。昼も夜もない寮生活にすっかり染まりきっていた四人は「皆で古い 雑居ビルをアトリエ兼住居として借りて、また共同生活を!」と夢想していた。無論、そんな計画は 実現するはずもなく、四人も他の学生同様、右も左もわからぬまま社会へ放り出されることとなる。
あれから三十年あまり。ある者は画家、またある者はミュージシャンとして活動、ある者は職を転々 とし、またある者は教職に就いた。ある者は移住し、ある者は家庭を持ち、またある者は旅に出た。 四人はときに接近し、ときに距離をとり、相互に影響を及ぼしながら異なる人生を歩んできた。芸術 に対する姿勢も異なる四人が、それぞれの道程で見つけたものをいま再び持ち寄り、展覧会を行う。
ほぼ平成年間と重なり合うこの三十数年の間に、日本社会は多くの面で停滞の様相を呈した。日本の 美術界でも、僅かな例外を除いて構造的変革は起こらず仕舞いだった。にもかかわらず、世間では 「アート」という言葉だけが氾濫。工芸品も、似顔絵も、手芸も書道も奇抜なファッションも、あら ゆる鑑賞物が「アート」と呼ばれるようになった。今では「アート作品」と名乗りさえすれば、その 芸術性が厳しく議論されることはない、という摩訶不思議な状況に至りつつあるように見える。
共同生活の夢は実現しなかったが、四人は今でも架空の雑居ビルを想い描く。都会の片隅、商店街が 商店街でなくなるあたり、電線の蜘蛛の巣にからまれるようにその小さなビルは建つ。地階は閑古鳥 の鳴くラーメン屋、二階から上の各階に芸術家が一人ずつ住みつく。室内でも靴を履いたまま生活 し、壁は好みの色に塗られ、夏は屋上でビール、楽器の爆音演奏にも苦情なし。実際にはそんな物件 が都市の容赦なき「スクラップ・アンド・ビルド」を生き抜くことは難しい。夢の跡地に建てられる のは、疑似レンガに覆われた効率一辺倒のマンションや虚飾的で短命な商業施設たち。「ルネサン ス」「メゾン・ド・ソレイユ」「ヴィラ・アーバンライフ」「ペアシティ・アネックス」・・・それ らは思想を欠いた片仮名アートの濫用と同様に、中身のないネーミングで人々を思考停止へ��誘う。
四人と共に学生生活を送った徳富満は、藝大の寮では珍しく自室の窓にブラインドを設えていた。卒 業の直前、彼は転居先として愛用のブラインドの似合う雑居ビルの一室を探し求め、不動産業者を訪 ね歩いたという。理想のビルと理想の��屋を熱く語る彼に向かって、ある不動産屋の主人はぞんざい に言い放った。「あんた、テレビの見過ぎだよ!」
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ritsukoimai · 2 years ago
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花盛りです。 いちいちカメラを持って庭に出ないので、何日も撮り逃してやっと。 一年に一度の一番可愛い姿を撮っといてあげたいのよ。 や〜、可愛い。可愛いよ。 毎年春はウドが美味しくて、油揚げと甘辛く炒め煮して作り置きしておく。 母の味付けを思い出しながら作っていたら、いつの間にか私の定番になった。 あの香りが大好きで、誰かにエッセンシャルオイル作って欲しいくらい。 今年は菜の花もにんにくとオリーブオイルで炒めて食べ続けている。 菜の花なんてそこらじゅうに生えているからわざわざ買ってまで食べる習慣なかったけど、春先に友人の庭で採れたのをもらって以来、ありゃー、こんなに美味しかったかねと。 味付けはヒマラヤのピンクソルトだけ。シンプルだからこそ塩大事だね。 台湾の食堂で食べた空芯菜の油炒めが忘れられなくて、スーパーで空芯菜を見かけるたび買っては作っていたけど、記憶の味に全然ならなくて、シンプルなはずのになんでだろうと思っていた。 いつしか諦めて、存在も忘れて情熱も薄れていたけど、菜の花だった。 春野菜特有のほろ苦さも加わって、あの時の空芯菜を超えたかもしれない。 登り窯を焚き終わって、窯冷ましの間の貴重な休みを二日ほど���ごしたら、あちこちがだいぶ回復した感じ。 さまざまな作業で手の油分を奪われ続け、全指紋が細かくめくれて小さな棘を形成して、まるで猫の舌、もしくは鮫肌、もしくはおろし金のグローブをはめているようだった。 顔についた猫の毛を取ろうとしたり、何気なく目の周りを触ろうもんならミミズ腫れ(になりそうなくらいの痛さ)だった。 凶器グローブやっと脱げた。 今日は窯出しも少しずつ進んで、陶器市に出せそうなものが揃ってきました。(急にお知らせ口調) 定番の一点ものなどは個展用に作るので精一杯になってしまったけど、実験的に作ったあれこれがそれぞれにとても良く焼きあがってくれて、どうしよう、こういうのこそ手元に残しておくべきでは、なんて揺れている。 なんでも売っちまうで有名な私が(我が家で)、珍しく売りたくないもの多いかもしれない。 う〜ん。
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮���育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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rikumatsuzawa · 4 days ago
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2024.11.19
日本人の多くは仏教徒だよね。君は仏教徒か?10日間のスリランカでこの質問を何回されただろう。初めのうちは、無宗教だけど仏教の教えとは身近に生きてきた。と答えていたが聞かれれば聞かれるほど、仏教徒というのは何を意味するのだろうかと考えさせられた。
スリランカの第二都市であるKandyでSadunとSamanに出逢った。スリランカに到着してから土着の人ではないという理由だけで毎日数えきれない人たちからお金を乞われたり、ぼったくろうとされた。2人に最初に声をかけられたときは、またか、と思いながら適当にあしらおうとしていたのだが、少し話をしていると純粋に話したかっただけのようだった。結局その日はKandyを半日案内してもらい、宿まで送ってもらった。翌日からはスリランカを訪れるきっかけとなったGeoffrey Bawaが建てたHeritance Kandalamaに行く予定だと話すと、どうやって行くのかと訊かれた。バスだと答えると、Kandalamaまでの道中には見るべきものがいっぱいある、バスだとそういうところに寄れないからトゥクトゥクで送ってあげるよ、君にとってもきっといい経験になる。と言われた。KandyからKandalamaまでは2時間ほど離れている。バスの方が安いからバスで行くと伝えると、いくら払うかは自分で決めていい、その答えがタダならタダでもいいと言われ、うますぎる話に半信半疑ながらもその誘いに乗ることにした。翌朝8時に宿まで迎えに来てくれて、まずはKandyの中心部から20分ほど離れた小さい村にあるSamanの家に行き、彼の家族とセイロンティとともに団欒した。Kandalamaまでの道中、のどかな田畑と熱帯系の植生の景色が続く小さな村に、ぽつんと仏教寺があった。スリランカ全土には小さい寺院が数千と存在し、その寺院がある村々には100-150の家族が住んでるという。そして一家族が1日ごと順番に僧侶たちの食事を用意すると教えてくれた。自分を犠牲にして人々のために全てを捧げた仏陀、つまり僧侶たちへの感謝の行為であり、これはスリランカで2700年以上続く伝統であるらしい。スリランカに来てから、SadunとSamanだけでなく色々な人からカルマという言葉もよく耳にした。良い行動は良いカルマとして自分に返ってくると。そういえば昨日Kandyを案内してくれたのにも関わらず、お金は一切求められなかった。半日私の行きたいところやしたいことに付き合ってもらった上に、彼らの商売道具でもあるトゥクトゥクで移動していたので、宿に着いたときに私の気持ちのお金を渡した。そのときにも、ありがとう。これはgood moneyだ。私たちは本当にカルマを信じていて、Rikuにもgood karmanがきっとあるし、訪れる。と言っていた。私は村人が僧侶たちのために食事をつくるという伝統の話を聞いたときに、仏教というのはどういうものなのかということを深く理解した。それと同時に2人のことを少しでも疑った自分を恥じた。もちろん仏教徒であっても(スリランカでは約70%が仏教徒である)皆が皆良い人とは限らない。スリランカに来てから、押しの強い客引きや、わざと同情を利用した行為に良い気分がしなかったことも何度も起こり、人にもお金にも敏感になっていた。しかしそのとき私は、清らかなさらさらとした心地よい中で生まれた、心が押しつぶされるような気持ちをどこにもやりようがなく、トゥクトゥクの後部座席に座りながら静かに泣いていた。
景色がいいところで停まったり、昼食を共にしたり、約2100年前にDambullaという都市にある巨大な岩山を掘ってつくられた洞窟の中にある寺院を訪れたり、途中トゥクトゥクを運転させてもらったりしながらホテルに到着した。翌日の予定を訊かれ、5世紀に栄えた王国Sigiriyaの遺跡に行くつもりだと伝えると、10時をすぎると暑くなる(マチュピチュのような遺跡で入り口から頂上までは1時間ほどかかる)から早朝に出発した方がいい、よかったら明日も送ってあげるよ。友達の家が近くにあるから私たちはそこに泊まる。その辺りには原始的な生活をしている小さな村もあって、そこで触れられる体験はRikuもきっと気にいると思う。と言われた。その日彼らとずっと話していて、彼らがどういう人間か理解し、私がどんな人間でどういうものを求めているのかも理解していてくれていたので、今回は迷うことなくお願いした。ホテルで夕食を食べると高いだろうから、また夜迎えにくるから友達の家で一緒に食べないかとも誘われたがGeoffrey Bawa建築を堪能したかったし、連日の移動の疲れと自分の中で消化したいこともあったので、その誘いは断ることにした。
翌日遺跡を訪れた後、Samanの弟の娘が働いているフルーツジュースが美味しいカフェで少し休憩し、人里離れた村へと向かった。トゥクトゥクで行けるところまで行き、そこからは水牛に引かれてジャングルとも森ともつかない景色の中、湿気を含んだ空気が肌にまとわりつくのを感じながらゆられていた。20分ほど進んだ先には、東南アジアの原風景(スリランカは南アジアだがここだけは少し違っていた)という言葉が似合う景色が広がっており、村人たちが長い年月をかけて歩いてつくった轍が続いていた。横には湖、反対側には家が小さく見える。湖岸には村人が手でつくった小舟が数隻あり、そのうちの一つをだしてもらった。風も声もなく、ただ静寂が漂い、平和そのものだった。Sadunがたまに陽が沈んでから友達や家族と飲んだり話したりすると言った瞬間、私はその光景を想像した。今みたいに肌を焼く太陽は姿を隠し、月明かりが湖一面を照らす。もしかしたら夜は虫たちの歌声が聴こえてくるかもしれない。澄んだ静寂は愛する人たちとの会話で掻き消されるが、この平和はそこにあるままだ。これ以上何を求めるのだろうか。水面を覆う蓮の葉で帽子をつくってもらったり���した。昼食をそろそろ食べようかということで湖岸へは私が舟を漕いだ。先ほど遠くに見えていた家に到着すると、まだこの世に生を受けて10ヶ月しか経っていない子どもを腕に抱えながら料理をしている30代ぐらいにみえる夫婦が待っていてくれた。家の柱や壁、台、椅子などは木と土で、屋根はココナッツの葉でつくられていて、窓はない。電気やガスは通っておらず、水も近くの井戸に汲みにいくという。土でできたかまどの前で奥さんが子どもをあやしながら、土鍋で炊いている米の具合を確認していて、旦那さんは裏の庭でとってきたココナッツを割ってウェルカムドリンクをだしてくれた。裏庭で採れた野菜とスパイスでつくった3種類のカレー、ココナッツから抽出した油をつかった湖で釣った魚のフライ、ココナッツの果肉をトマト、スパイス、ライム汁を合わせてすり潰したもの(これが一番美味しかった)、すべて自分たちでつくったもので昼食を振舞ってくれた。お腹いっぱい食べた後には屋根になるココナッツの葉の編み方も教わった。彼らは住処を建てられて、舟の作り方も知っていて、近くでは魚も釣れて、フルーツや野菜の育て方も知っていて、またそれを余すことなく食べて、残った食べられない部分の他のことへの使い道も知っている。もしかしたら”教育”こそ受けていないかもしれないが、彼らは”自然”をよく知っている。
Sadunが言っていた。ここの村では気候が比較的いいので人々は”自然と生きる”伝統文化が残っている。他には酪農や陶磁器、ジュエリーなどその土地の環境に適したそれぞれの伝統が色濃く残っているらしく、お互いの伝統を交換して足りないものを補い合い、支え合いながら伝統を守っている。ここでの生活はシンプルでお金は持ってないが皆、”生きる”ために仕事をして平和に幸せに暮らしているのだと。しかしスリランカでも現代化が急速に進んでおり、今の若者はこの生活を知ることはなく、遠くない未来にはそれらの伝統は消え去るだろうと嘆いていた。Sadunは知識が豊富で、今世界で何が起こっているのか、何が流行りの思想なのかも知っていた。だからこそ彼は、私をここに連れてきたかったのだろう。
これを書いていると2人の顔が見たくなりSadunに電話(Samanは携帯を持っていない)をすると、彼の気持ちのいい笑顔が画面に広がった。内臓が少し悪く、この数日間入院していたと言われ心配したが、今は回復して翌日には退院できると聞いてひとまず安心した。電話中にちょうどSamanがSadunの見舞いにやってきた。本当に仲がいいなとこちらまでほっこりし、最後2人と別れたときのことを思い出した。私が3日間の感謝の気持ちのお金をSadunに渡したとき、Samanに気づかれないようにその3分の1を受け取り、残りをSamanに渡していた。仏教の教えに「自他不ニ」というものがある。Samanが見舞いにやってきたことも、Sadunが自分の取り分を少なくしたことも、彼らが私にしてくれたことも、そのすべてがその教えを体現していた。
私は自分を仏教徒だと思ったことはない。スリランカでの体験をした今、なおさらそう簡単に口にはできない。しかし、今まで以上に仏教の教えとは身近に生きたいと思うようになった。2人に感謝する。
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kaarijajpn · 24 days ago
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Käärijäと病気
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photo from paidatonriehuja instagram
最近ファンになった方はもしかすると詳しいことはご存じないかもしれませんが、カーリヤはかつて、潰瘍性大腸炎という病気(故安倍晋三氏の告白で病名を知った方も多いかも?)で生死の境をさまよったことがあります。 上半身裸のパフォーマンスが芸風の彼ですが、同じ病気で苦しむ人に少しでも勇気を与えたいと、手術の痕やストーマ(人工肛門)の痕を隠さずステージに立ち続けています。 だいぶ前に、彼が病気のことについてポッドキャストで語った内容を英訳してくださった方がおり、それを和訳していたのですが、あまり共有していなかったので、改めてこちらに掲載をしたいと思います。 内容は、2023年4月19日に放送されたKolme Käännekohtaa Podcast の英訳より、病気に関わる部分を抜粋したものです。 英訳は下記URLからご覧いただけます。
以下日本語訳です。 ※フィンランド語→英語→日本語の訳なので、正確性に欠ける部分があります。 ※出血や嘔吐、糞便への言及があります。 ※病気に関する専門的な情報ではありません。より正しい情報へはご自身で信頼できる専門家・専門機関まで。
【カーリヤと病気】
Käärijä(以下K): それが始まったのは僕が14,5歳の頃、ペルトラ中学校に通っていたときです。突然下血したのです。家庭科の授業で調理実習をしていたときのことです。なにか変なものが出たように感じて便器を見たら、血だらけになっていました。 僕が教室に戻ってそのことを友達に話すと、笑っているやつもいれば、マジで?と困惑してるやつもいました。僕自身も、そんな話は聞いたことありませんでした。 変だなとは思いましたが、恥ずかしくて、家に帰っても両親には言いませんでした。僕たちはちょうど休暇で、北の方に住んでいるいとこの家に家族で行く予定でした。そこで僕は、親にこのことを言わなければいけないと気づいたんです。もしこれが深刻な症状で、旅行中に何かあったらまずい。そこで次の日両親に打ち明けると、大丈夫、内視鏡検査の予約を取ろう、という話になりました。
いとこの家には行きましたが、体調は悪化しました。痙攣を起こし、四六時中トイレに行っていたのです。その後メヒライネンのプライベートクリニックで内視鏡検査を受け、直腸の感染症と診断されました。その時点ではそこまで深刻でもひどくもなく、ただ下血したというだけだったんです。 治療と内服薬は効果がありました。ある時点では必要を感じなくなり、薬を飲むのもやめたほどです。しばらくは薬なしで過ごすことができたのです。 MC:なぜ?(笑)副作用でもあったの?というかなんで下血したときにすぐ救急車を呼ばなかったの? K:(笑)それが僕なんです、変わったやつなんです、なんと説明したらいいかわからないんですが… とにかく、しばらくは服薬していましたが、ある時点でやめました。両親は、何がこの症状を引き起こした原因なのか必死に、熱心に調査していました。息子を助けたかったのです、無理もありません。 両親はヘルシンキでいわゆる食事療法の専門家を見つけました。そこで問診を受けて、これとこれをドイツから取り寄せなさいというようなことを指示され、そのとおりの食事を1年続けた結果、症状はすべて消えたんです。 もちろん、誰にでもこれを勧めることはできません。つまり、製薬業界ではそれを推奨していないし…ただ、これは僕の話で、僕の場合は効果があったんです。 MC:つまり…君はヘビの油(*日本で言うがまの油のような意)みたいな治療を受けたということ? K:まぁ、そんなところです MC:もう少し詳しく教えて?食生活を変えたら効果があったっていうのは科学的にも合理的��と思うけど、なぜヘビの油のようなものだと? K:僕にとってはそうではなかったですが、僕がそういう、いわゆる「くだらない治療法(*民間療法)」に触れると、何かへの反対活動をしてるととらえる人がいるかもしれないので。簡単に言うと、砂糖とでん粉、食品添加物を摂取しないようにしたんです。それから、いいビタミン剤をヨーロッパ中から取り寄せました。フィンランドでは手に入らないので。それを摂取して、専門家の提示する療法に従って1週間すると、症状がすべて消えたんです。 それから少しずつ、刺激がないかどうか確認しながら食べ物を増やしていきましたが、僕にはどれも合いませんでした。そこで一番軽いオーツ麦から試したんです。最初は壊滅的でしたが、少しずつ改善していきました。これは僕が17歳のときの出来事で、ヴァッリラの専門学校に通っていたんですが、優しい食堂のスタッフが、僕のための昼食を作ってくれました。食事療法を真剣に受け止めてくれた彼らにはとても感謝しています。食事は美味しく、すべては順調でした…18歳の誕生日が近づくまでは。つまり、初めてお酒を飲み始めるまでは。
初めてお酒をまともに飲んだのは17歳と半年くらいのときです。もちろん、15歳くらいになれば、ロングドリンク(カクテル)くらいは嗜むでしょうが、一口とかその程度です。そうして初めてまともに飲酒してから、その習慣は続くようになりました。お酒はそれほど定期的に飲まなきゃという感じではなかったですが、悪習慣が戻ってきてしまいました。マクドナルドに行ったり、お菓子を食べたり。食事療法を実践する前の僕に戻ってしまったんです。 本当に最悪の食習慣でしたね。学校が休みになると、1日3回はマックに行っていたかもしれない。僕の腸にとってタフな時間だったことは間違いありません。そして、18歳の誕生日を迎えると、また便器が血で染まったんです。「くそったれ」と思いましたね。そこからどんどん事態は悪化していきました。
それからというもの、あらゆる治療を試しました。ですが、もはや薬でさえも役に立ちませんでした。がん治療の…なんて言ったかな、そういうところにも行って、毎月か、2週間に1回、がん治療に使われるのと同じ点滴も受けましたが、まったく効果はありませんでした。体は倒れそうになるくらいぼろぼろで、下血も続いていました。ヘモグロビンの値(*血清鉄のことか?)は54〜56を彷徨っていました。 ある日血液検査のためにカンピまで歩いていったのですが、その日のうちに「これは少し急いだほうがいい」と電話が来ました。その日は兄とパブでヨケリット(*ヘルシンキのプロホッケーチーム)の試合を見ていて、その後家に帰って父と兄と一緒にテレビでリーグ戦を見るつもりでした。電話を受けた父に、はやく行くぞ、と言われ、僕は「もう病院には行きたくない!」と泣き出してしまいました。もう治療を受けたんだから、と。でもついにこのときがやってきてしまったのです。 僕は歩き出しましたが、���まいがしていました。当時僕はいつも倒れそうな状態でした。体重は49kgしかなく、もはや自分の中には何も残っていないような感じがしていました。顔も蒼白というか、真っ白でした。父はザ・シンプソンズのDVDと僕の枕とノートパソコンを荷物に詰め込んで、「今すぐ行くぞ、このままじゃいられないんだから」と力づくで僕を車に押し込みました。
時々、すべてを諦め終わらせたくなる瞬間がありました。一時強力な薬(*オピオイド系の強い鎮痛剤)を処方されていた時期があり、その薬のせいで錯乱状態だったんだと思います。色々な考えが頭をよぎりました。幸運にも、僕は自分自身を傷つけたりせずにすみました。本当によかった。入院中、あと1週間か2週間でも来るのが遅かったら君はここにはいなかった、と医師に言われました。もう少し遅かったら感染は大腸から内臓にひろがり、そうなるともう治療法がないからです。幸運にも、そんな事態にはならずに済みました。
僕は緊急手術を受け、大腸を摘出し、代わりにストーマ(人工肛門)が一時的に設置されました。最初はストーマになることを恐れていたし、すごく怖かった。目が覚めて初めて検査したときはもう、最悪だ、ついにストーマになったと思いました。心身とも打ちのめされて横になっていましたが、でも、「少なくとも俺は生きてる」と考えました。それはとても素晴らしい感覚でした。麻酔をされて突然意識を失い、なんの記憶もなく、目覚めたらストーマがついていたんです。 MC:知らない人のために、ストーマについて説明してくれる? K:ストーマは、お腹の右側か左側に、ちょっとどっちがどうという関係はわからないですが、僕の場合は右側に設置されました。小腸がストーマの中を通り、きれいに折りたたまれるんです。見た目はちょっと汚くて、便や体液がストーマを通じて袋にたまり、必要に応じて袋の中身を捨てる必要があります。接着剤が劣化してきたら、ときどき交換しなくてはいけません。 僕はこの事実を受け入れました。僕は驚くほどすぐに病院のベッドから起き上がったんです。「クソ、はやくここから出るぞ、立ち直ってやる」という想いでした。ベッドの中で、僕は作詞を始めました。音楽で生きていきたいという決意を固めたのです。何かを成し遂げられる保証はありませんでしたが、なにかやってやろうというのが僕の決断でした。僕はいつも、フェスのステージのような場所でパフォーマンスをすることを夢見ていました。その夢に向かって一歩を踏み出したんです。退院後すぐに僕はスタジオに向かいました。そこで僕たちは"Urheilujätkä"という曲を作ったんです。 
とはいえ、僕は自分の身に起こったすべてのことに感謝しているんです。ストーマは4〜5ヶ月くらいつけていました。手術を受けたのはクリスマスの時期だったのですが、幸運なことに、クリスマスには退院して家に帰ることができました。タクシーに乗って帰路についたときは、本当に最高の気分でしたね。母がクリスマスツリーを飾ってくれていて、家の中はクリスマスの雰囲気に満ちていました。母と僕だけ、ふたりきりで…あの日は僕の人生の中で最高の一日のひとつでした。生きていることを実感して、めちゃくちゃ気持ちよかったんです。
体調も良くなり、ストーマのお陰でよく動けるようになりました。僕はすぐにジョギングのような運動を始めました。体重や筋肉も少しずつ戻ってきました。メンタル面では気分も上向き、非常にはやく回復できました。 医師は、小さい頃からずっとスポーツをしていたことが回復に役立っているのだろうと言っていました。長いこと深刻な病状だったにも関わらず、僕の体は思ったよりずっとはやく回復していったんです。 メーデー(5月1日)にはバイパス手術を受け、ストーマを取り外しました。手術では、小腸からJパウチというものを作ってもらいました。J字型で、縫い合わせられて袋状になっているものです。アーチの部分に便がたまり、大腸のような働きをするんです。まったく一緒というわけではありませんが、便や体液を吸収してくれます。
 本当におもしろい、いや、おもしろくはないですが、奇妙な体験でした。後ろの穴からも前の穴からも、腕からも脇腹からも…僕はチューブだらけでした。1週間半、縛り上げられたミイラみたいな姿で、病院の廊下を歩いていたんです。 メーデーの日、窓の外を見ながら、ヨンネ・アーロンの”Yksin”や、Vili Kasperの”Varas”を聴いていました。この2曲は当時よく聴いていた歌です。他の人がバルーンやシャンパングラスを手に騒いでいるのを、この曲を聞きながら見ていました。 なんというか…変な気分でした。他の人が騒いで楽しんでいるのを、自分は壁の中に閉じ込められながら見ているだけなんですから。外の世界は僕にとってまるで未知の世界でした。なんというか、すごくかけ離れたもののように感じたのです。外の世界と隔てられてから随分と時間がたっていたから。それに、どこかに出かけるというのはハードルが高かったので、長い間僕はどこにも行くことができなかったんです。少し外に出られるようになったときは、空気の新鮮さをじっくり味わいました。そして木だとか家だとか、そういうものに触れたとき、本当にすばらしい気持ちになったんです。
とにかく、僕は1週間半入院しました。僕は本当に驚くほどはやく回復したんです。普通の人ならもっと長くかかるんです、たとえば、同じ状態で入院していたとある人は、退院するまで数ヶ月かかっていました。1週間半たったとき、医師が来て、すべて大丈夫、退院できるよ、と言ってくれました。ところが、医師がいなくなったあとすぐ、僕は具合が悪くなり、腸が詰まっていることに気づいたんです。肉を食べるとそういう症状が起こると言われているのに、病院の食事には肉が使われていたんです、ばかみたいでしょう?(笑)僕は慌ててトイレに駆け込んで、ウンコをしながら吐いていました。
僕はトイレで嘔吐と下痢に同時に襲われていましたが、絶対医者には言うつもりはありませんでした。そんなことを言えば入院が長引いてしまうし、絶対酸素チューブを付けられると思ったからです。本当にそうはなりたくなかった。とにかく、荷物をまとめて、親友が迎えに来てくれるのを待つはずだったんですが、彼が仕事の都合でこられなくなったんです。最悪でしたよ、こっちはおむつを履いてウンコを垂れ流してるっていうのに(笑)。
僕は雨が降るなか、外に出て、家電ショップでXboxのコントローラーを買おうと思いました。アラビアンランタの自宅に帰って、ゲームでもしようとね。僕はバスに乗って、席に座ってヘッドホンを付けましたが、ウンコはまだ漏れ続けてて、くそ、これからずっとこうなのかよ、と考えてしまいました。家電ショップについたら、僕はまっさきにトイレに行きました。しかも個室の鍵をかけ忘れてたので、きばってるときに建設作業員みたいな人たちがドアをあけてしまったんです(笑)。彼らが笑い出したので、僕はぶっ飛ばすぞクソ野郎、みたいな顔で睨みつけたんです���…… でもその時、自分がもう何も気にしていないことに気づいたんです。そう、本当に、全然気にならなかった。そこで当初の目的どおりXboxのコントロ-ラーを買って、アラビアンランタ行のバスに乗りました。あまり食欲はありませんでしたが、何か食べないといけないことはわかっていたので、スーパーにも行きました。そして肉売り場でソーセージを買ったんです。 MC:マジで?!(爆笑) K:(爆笑)ソーセージとマッシュポテトをね。そして自分のアパートについたとき、鍵を持っていないことに気づいたんです。鍵は元カノが持っていたんですが、彼女からは連絡がなかったし、その時彼女は仕事中でした。一体どこに行ったらいいのか、途方にくれましたね。 まあ、とにかく、母は家にいるだろうと思いつきました。 そこで母に電話すると、やはりヴァンターの実家にいました。僕はまたバスに乗って、1時間かけて実家に帰りました。そして母と話したりしているうちに、疑問に思い始めたんです。おい、俺、また何回もトイレにいってるし、実家の部屋で横になって休んでんじゃん、って。 MC:疑問に思い始めた?!(笑)「なんでこうなってるんだろう、俺何回もトイレにいってるし、何回も何週間も俺を病院にぶちこんだのと同じ症状だし…前回は…待て、今日パンツにウンコ漏らしたぞ、このこととなんか関係あるのかな?まあいいや、プレステで遊ぼう」ってかんじ?あ、ごめん、Xboxだっけ(笑) K: そうそう(笑)まあ実際ゲームはできなかったけど…Xboxはアラビアンランタの家にあったので。まあそんな感じで、僕は実家で横になって休んでいました。母は僕のためにマットレスを持ってきてくれました。あまりに何回もトイレに行くので、僕は母に、何もかもよくなってない、と打ち明けました。母も、「なんで?手術は全部終わったのに、こんなふうになるはずがない!」という感じでした。僕はほんとうに四六時中トイレに行っていました。腸のつまりが原因だろうということはわかっていたので、ネットで本当にそうかどうか検索までしました。
母は、きっと病院に連れ戻される、と思っていたようですが、僕は二度と病院には戻りたくありませんでした。それで…確か、深夜の1時か2時ころだったと思います。もうこんなくだらないことは終わりにしてやる、と思い立った僕は、リビングに行って、コーラのボトルに水と塩を入れて、一気飲みしたんです。俺の腸を正常に戻してやる、っていって、全部飲みました(笑)。お腹は27針縫っていましたが、その傷を押さえながら近所を走り回ったりもしました。胃がもう一度きちんと働くようにね(笑)走ってる間、近所の家の庭でウンコもしました(爆笑)。そうしているうちに母も外に出てきました。家の明かりがついたとき、母が「イェレ、あんた何してんの?!」って叫んでるのが見えました。 MC:信じられない…(笑) K:「今すぐ戻ってきなさい!!」ってね。でも僕はこう叫び返したんです「絶対ヤだね!俺の腸をマトモに戻すんだ!」って。 MC:こりゃ医学的なアドバイスじゃないね K:これは…今話したことは、誰もやろうとしないと思いますよ MC:あー、そうだねカーリヤ、その危険はないと思う。 K:そうですね、こんな頭のおかしい人間は世界で一人だけ、僕だけです。それでまあ、家に戻りましたが、数日経つと少しずつ、肉のかたまりが排出され始めたんです。 MC:これは僕がこの番組で聞いた中でも最も素晴らしい「人生のターニングポイント」だと思うよ K:肉が排出されて、詰まりが改善されたと気づいたときの喜びの大きさといったら!それから少しずつ、僕の腸は正常に動くようになりました。そして2~3週間たつと、もうおむつも必要なくなり、我慢ができるようになったんです。日常生活が徐々に戻ってきました。 今でも人より多くトイレに行く必要はありますが、それはもう僕にとっては当たり前の日常になっているし、悪いことだとはまったく思っていません。そういうこととうまくやっていきながら、今ここに至っているわけですから。 僕は、物事は突然起こり、そして人生は一瞬で終わってしまうかもしれないものなんだということを学びました。だから、自分が楽しいと思うことをして、前に進んでいくことが大切なんです。 MC:(笑)すごく…感動的な…つまり、この文字通り「糞みたいな」話…勘違いしないで、この近所の家の庭でウンコをしたっていうエピソードのことだよ、この話を、「教訓としては、自分にとって大切だと思うものに向かって前進すべきだ」という、こんな感動的な言葉で終わらせることができるなんて! K:まさにその通り(笑)そして、僕はこの考えを変えるつもりもありません。この体験のおかげで今の僕があるからです。 もちろん、日々の暮らしの中で何かが起こったり、何かをしているうちに、この出来事を忘れることもありますが、そういうときは一旦立ち止まって、10年前自分がどんな状態だったかを思い出すんです。病院の窓から外を眺め、いつか外に出たいと願っていたあの日々を。そうすると気分が良くなり、今ここですべてがうまく行っているということに気づけるんです。 人間関係や友情、金銭的なトラブルなど、何か問題が起こったとしても、あのときに比べれば大したことじゃない、と思えるんです。
<終>
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ghasts-kantate · 1 month ago
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主治医から、買い物依存症としての治療をはじめていきましょう、と言われた。パーソナリティ障害や、発達知能の問題にするよりかは、両親の理解を得やすく、つまり都合がよく、便宜的にそうするという主治医自体も、どんずまりな気持ちで自分に伝える決意をしたのだろうと、そう思えた。
ヘロインを数滴たらした水と、ふつうの水を用意して、大小ふたつのケージのなかにねずみを入れる。すると、味もよくないのにねずみはヘロイン入りの水をよく飲むようになり、それは小さなケージのほうが、ヘロインに「ハマる」ねずみが多い。
主治医が話してくれた、「憶測の域を超えない」実験として、これをあ��てくれたのは、私が「依存症というのは、器質的要因と環境的要因はどのように考えられているのか」と質問をしたからだ。
ケージが大きいとそのぶん、ストレス発散もできるが、小さいとそれができず、オレもやってる、オマエもやってる、というので、薬物仲間の縄張りができ、そうやって離れていったねずみたちは、孤独にたえられなくなり、「オレもやってる」と、ヘロイン入りの水を飲むようになる。すなわち、環境要因として「耐えられなくなり」手をだしているのではないか、というものだ。
「おもしろいですね」
 と自分は言った。それがどれだけ無責任で、たくさんの人を傷つけているのか、自分はあとで思った。消極的に「領域を閉じて」決定されること。自分は、紙を切るはさみのように必要とされて生まれたのではないと、高校のときみたいに思った。
親は私の胎動がはじまった頃のことを、次のように話す。「わたしがほしい!いまだ! というときに妊娠した、おまえはわたしのところに、くるべくして来たんだよ」そういうが、内情は、父親に「離婚するか子供を作るかどっちかにしろ」と、せまったことらしい。
ながらく、じぶんは親に「おまえがいたからわたしは離婚しなかった」と言われてきて、じぶんは家庭の生命維持装置なんだと思い、親から同意をさそわれたことに対しては「はい」と回答してきた。自分は、じぶんで考えることを、本を読むようになり、本を手放したときに、ようやく気付いた。自分の意見として言ったはずのことが、ぜんぶ親の意向だったことに気づいた。じぶんは、進路を決めるときに父親にコネではいれないのか、と聞いた。
考えるのは好きだ。考えるのが大好きだから、誰かに汚されていることに気が付いて、本当に苦しかった。自分の思考は、この気持ちはだれのものなのだろう、と考えて、もう10年経ちそうだ。
俺は一体誰なんだ、と思うけど、その時に指さす相手が自分自身でないとは限らない。
自分が何者なのか分からないし、自分は特にすごくないと思う。自分は、すごくなりたくない。でも、少なくともアンタよりは天才的でありたい。そう思って、何かを作ってきたし、きっといまもそうなんだろう。主治医にも、
「じぶんが『苦しい』と思ったとき、無作為に抽出した出来事に対して、その都度おもう感情は違う、ということに最近気づいた」
「じぶんが『苦しい』と思うとき、苦しいから『苦しい』という言葉で現出したのか、『苦しい』という言葉から苦しさが現出したのか、わからない」
こんなことを話した。主治医は「どちらもある。原因をさぐるのに因果的に遡及しなくてもよい」ということを言っていた。こういう話をするたびに、主治医はあくまで医者なんだなと思う。べつに哲学的井戸端会議をしたいわけではないけど。
からだにいっぱい異常が現れている。緑内障の疑惑が出ているが、検査結果を見た感じ、ほぼ確定だと思う。足が一日中しびれているのは、もう何年もだけど病院にいっていない。さいきんは、もともとあった手の震えにプラスして、頭を固定するのが難しくなった。あたまがぶれて、視界もぶれる。
神経系が壊れているんだろうな、と思う。故人の名前を聞くたび、うらやましい気持ちになる。今日死んでしまったあなたの代わりに、私が死にたい、と毎晩祈っている。
「総毛立つ」という表現がまったく合っているように、全身に寒気のような電撃のようなしびれが走る。今日の朝なんてひどかった。
あるとき、ラーメン屋に行って幼児が描いた絵をみた。そこで自分は、年齢が上になればなるほど、人間のかたちは閉じた線で描かれるのではないかと思った。ペンを持てる年齢や、その人の巧拙はあるにしろ、顔をかくときには、まず「丸描いて」ちょんなのだ。
モノがそこにある、というのは、端的に、モノが自分から見える二次元平面状で輪郭があり、閉じているということだ。じぶんは絵を描けないけど、美術史をざっと通し見したら、この、モノの輪郭との闘いが美術なんじゃないのかと思った。
あるものがある。というのは、ほんとうに、どういうことなのかさっぱりわからない。年を重ねるごとにわからなくなる。
消極的に、つまり外部から因果的に求められて「在る」ようになるのか、それ自体が個物として生まれいでるのか、まったくわからない。
小泉構文として揶揄されるのは、自分は同一律だと考えている。「A=A」。自分はこの同一律が大好きだ。というか、一日のうち大体これについて考えている。同一律から派生して、きょうはシャワーをあびながら、こんなことを考えた。
恋愛は真剣(マジ)でないと成立しない。真剣(マジ)でない恋愛は成立しない。
どういうことか。
ひとに「あなたは真剣に人生と向き合ってますか」と質問したら、たいていの人は否定するだろうが、すくなくともあなたは「それを否定するのに」マジになったのだ。このメタ構造はどこまでも内包する。
論理学でおなじみ、質問をしたら真実に対して真逆の答えを言うひとがいるとする。これは紛れもなく、「真実に対して真逆の答えを言う」ことにマジである。
アンチ・恋愛をやってみたいのだけど、アンチ・恋愛とはなんなのか、さっぱりわからない。でも、このたとえの上に想定が付くのは、
「『あ』を描こうと思いながら『か』を描く」ようなものだ。
と、それは狂っていても、できないことだ。
ふりかえって、Δt秒前に考えていたことが誤りであったことに、気づくのではない。一生わからないのだ。このΔtは無限に分割できるし、その無限は2に収束しない。そのΔtが生命の時間、すなわち有限であること。そうして誤りにきづかないまま、死んでいくこと。
同一律は、こういうものではないとわかっていても、思考は加速する。それは端的に、じぶんの、自分自身への真実に迫りたい欲求なのかもしれない。
YouTubeのコメント欄をみていると「そんなんいわんでも誰でもわかるわ」な意見がみえる。けれど、人間と話したいなら他人がわかるように言わなきゃいけないんだ。ほんとう、自分はこのことを知らなかった。
数学や哲学にふれて、わからないものだらけで、わくわくした。自分がわからないもの、それが確かにあるだけで、安心できた。未来に希望を持てた。楽しい気持ちになった。うれしくなった。
でも、そんなの、調べればわかるんだ。勉強すればわかるし、調べればわかる。わからないものがわかっていく間は、たのしい。でも、おおざっぱにわかってしまうと、悲しい。もう自分は、現象学を辞書で引いて、意味不明な言葉に出くわすことはない。自分にとって、意味不明であることが、ずっと素晴らしいものだと、魅力に感じていた。
コメント欄では「知っている」文章しか流れてこない。ぜんぶわかる、なら読まなくていい。
これからさき、しらないものに出会わないなら、生きてる意味がまったくない。苦しいばかり。ただ「全て知っているもの」に対して、耐え、飽き飽きしていくしかない。そのなかで衝撃に出会って、Δt後には、わかるものになっている。こんなかなしいことって、ないよ。あんまりだ。
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haru-yonige · 3 months ago
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ちょっと思い出したから父親の話を軽く書こうと思う 死ぬ前にちゃんと書いておきたいことの一つ
今まで出会ったフィクションを含む人間(キャラクター)の中で一番キャラクター性が強いのはうちの父親だと思っている 特殊な感覚だとは思うけどわたしにとっての父は親恋人友達といった関係性ありきの存在ではなく推しとか信仰対象といったキャラクターに近い そういうおかしな人に育てられたせいで自分はオタクになったのか、おかしな人を面白がろうと咀嚼する過程でオタクになってしまったのかはわからない
小さい頃から父親の家の話を聞いて育った この話は多分母も知らなくて、身内だとわたししか知らないはず 家族という概念に並々ならぬ執着とコンプレックスを抱えてた人だったけど気軽に話せる内容じゃなかったから昔話として娘に聞かせてたんだと思う 定期的に聞かされるそれをわたしはオモロ話として消費していた わたしも母も父親の親族には会ったことがない 通常おじいちゃんおばあちゃんが両親分存在しているという事実を知ったのは中学に上がってからだった
父は写真だけ知る両親のもとに生まれて小5くらいまでおばあちゃんに育てられたという ある日からこの人がお父さんお母さんですよと一応面識くらいはある父親とほぼ記憶のない母親、ほぼ初対面の兄と一緒にでかい家で「従業員さん」たちと暮らし始めたらしい 詳しく聞いたことないけど継母だったのかもわからない ほとんどネグレクトで母の手料理を食べたことは一度もなかったみたいで、中学生くらいで家の敷地内に小屋を建ててそこで生活してたと言ってた 次男だから家はたぶん兄貴が継いでる 家には自動餅つき機があったらしい 絶縁してるんだと思ってたけどごくたまには帰ってたみたいだった 母親のことは母親と思ったことないと話していたけど父親のことは嫌いじゃなかったっぽい 
昔父のつるんでた友達が万引き常習犯でその共犯を疑われて家に警察が来た時、父親に問答無用でベランダから足首持って逆さ吊りにされたという話を聞かされた 結局冤罪だと判明した時にごめんの一言もなかったらしいのでそれはどうなんだとわたしが聞いたら「普段から疑われるような振る舞いをしてたことにあの人は怒ったんだろうな」と話していた 喧嘩が強く地域で有名な不良だったらしい父の兄貴も父も二人してお父さんのことは本気で怖かったらしい お父さんが家にいる時、朝目が合うと一言「新聞」と言われて目が合った方が新聞を持ってくると話していた 怖すぎて逆らうという発想もなかったらしい そんなわたしの祖父にあたる人はヤクザWikiに名前がある
昔わたしの母方のばあちゃんちの隣のボロ貸家に地域で有名なキチママ(山姥のように目周り真っ黒、小学校に包丁を持って脅しに行く、長男を夜通し��り続けるなど虐待している)が住んでいて、祖父母も母も何度も警察沙汰レベルの因縁つけられたりしてたらしいんだけど、ばあちゃんが「あの人もかわいそうらしいのよ、お前なんて要らないって言われて育ったんだって」と言ってたからその話をそのまま父にしたら、「俺だって当たり前に言われてたわ」と言っていた でも父はわたしを目に入れても痛くないくらいに可愛がってくれた 父はどう見ても(ファッションや体格の問題ではなく人相や眼光が)堅気の人間じゃなかったので、隣人を面と向かってクソババア呼ばわりして恫喝するヤバいお隣のキチママも父相手には別人のように会釈付きで愛想よく挨拶してるのを見て、やっぱりうちのパパって怖いんだなーと園児ながらに思った記憶がある 父はそこそこ整った顔の人間だったので単にキチママなりの色目使ってただけの可能性もあるが
父はおかしかった 勉強はしなくてもいいから給食食べに友達作りに学校行きなと言われた 基本口では明るいことしか言わないのに見ていて可哀想になるくらいに暗いオーラが出てた 父が風邪ひいて家にいる日、いつもの換気扇下の定位置で咳をしながらタバコを吸う物悲しい背中を今でも覚えている
父はよく寝言でぶっ殺してやるという台詞を怒鳴ってた 普通のお父さんは寝言で映画でしか聞かないような物騒な台詞を怒鳴らないと知ったのはある程度大人になってからだった 殴られたことはないけど悪酔いするとよく一人で物を投げて暴れてた���暴れていてもわたしを前にすると真っ赤に充血した目で早く寝ろと笑って頭を撫でた 俺が死んでもお前は泣かないもんなと笑顔で繰り返した あんまりわたしには嫌なところを見せたくなかったんだと思う これはわたしもそうだけどキレるとヤバい暴れ方をする前に即出ていって一週間くらい帰ってこなかった 他所で物理的な喧嘩をしてきて警察に迎えに行ったこともあった 歯がボロボロだったけど普通虫歯じゃああはならないと日頃から疑問に思ってたら、保健室の前に貼ってあるシンナー吸うとこうなります!のポスターと全く同じで若い頃シンナーのやりすぎてああなったんだと知った
おかしかったけどいいところもあった 庭だけが広い、風呂場玄関シンク階段一階ならどこでも上からナメクジが落ちてきたりナメクジの神出鬼没する漫画みたいな超ボロ屋に住んでいた頃、知らない子供が家の庭でサッカーし出したのを見て、「お兄さんもまーぜて!」とか言いながら一緒に混ざって遊び出してなんかその後も子供同士はなんの関わりもない子供が家に遊びにくるくらい仲良くなってた 幼稚園の預かりのお迎えでも本人同士は特に仲良いわけでもない園児たちと20分くらい遊んでから帰ってた 小学校の頃もわたしのクラスメイトだった今思えば家庭環境に問題がありすぎるビックダディ並みのジリ貧大家族の男の子を個人的にめちゃくちゃ可愛がってた でもわたしが生まれるまで子供を可愛いと思ったことがなかったらしい
野郎には辛辣だったけどあたおかクレーマーに怒鳴りつけられてる店員の女の子を見かねてあたおかクレーマーを無言で凄んで追っ払ってあげてた場面が記憶の中に三度はある そのうちの一度はモスでコーラ頼んだ奴が「なんでペプシなんだよ!」とか因縁つけて出された飲み物倒して店員怒鳴りつけるとかいう店員には全くの落ち度がないガチのあたおかによるストレス発散目的の加害案件だったことを記憶している 女子供には優しかったから気狂いに怒鳴り散らされて半泣きの店員を可愛いから変なのに絡まれて大変だねーとかふざけながら慰めてるのを見ていい奴だなと子供ながらに思っていた わたしはヤンキーとか教養のない声だけがでかい人間全般が普通に嫌いなんだけど、父はホモソ特有の「女を自分より下位の庇護対象と上から目線で断定する割に同性の悪行を咎める勇気はない」ムーブとは真逆の人間だったのでそこは尊敬してた
ボロ屋に住んでた頃いつも父とわたしだけが早起きしてたので、よくカップ麺を二人で半分こして食べた 母は2chのメシマズスレに投稿される内容と大差ないくらいのメシマズだったのに子供にはやたらと冷食や惣菜を制限してくるような人で、当然日頃カップ麺なんか食べさせてもらえるわけがなかったので、うれしかった DSが世間で爆流行りした頃、誇張抜きにして自分以外のクラス全員が持ってるような状況だったのにゲーム禁止を掲げる母のせいでいくら訴えようがコンクールで勝とうが買ってもらえなくて本気で嘆いていたら、母に内緒で中古のDSを買ってくれた
父とは仲が良かった 普通の親は素行とか人様への態度とかについて怒るんだろうけど、わたしの場合何か人として悪いことをしたわけでもないピアノのこと、言うなれば理不尽なことで四六時中母からは怒られていたので、父がわたしに怒ることはほとんどなかったというのもあると思う コンクール前に学校行かずに一日中ピアノ弾いてろと命じられていた時期も当時夜勤の仕事で日中家にいた父がよく連れ出してくれた 父はわたしを出来た子だから怒ろうにも怒ることは特にないと言っていたけど他所の家の子供になったことはないから真偽の程はわからない 今のところ嫌な思い出が本当にないので嫌いになる理由もないという感じ
父は器用だったからなんでもできた 普段絶対料理しないくせに母がいない時わたしがいたから渋々作って出てきたのが卵を包丁で割るタイプの半熟オムライスだった クックパッドもスマホ検索もできない時代に出てきたのがそれで、金もなくファミレスで外食した経験もほぼない、というか半熟オムライスがまだ一般に浸透してないくらいの時期に見たことない形状の本格派オムライスが出てきたから驚いて何でそんなの作れるの?と聞いたら昔厨房でバイトしてたと返してきた 服も自分でリメイクしてたしわたしの髪もよくレイヤー入れて切っていた 本当は無資格じゃダメだけど器用すぎて昔美容室でバイトしてたらしかった でも本人は器用貧乏を自称してた 俺は器用貧乏だからダメだけどお前は鬼才だからと言われて育った 一体何をもってわたしを鬼才と断定していたのかは知らないけど器用貧乏は天才に勝てないけど鬼才なら天才に勝てると、天才に勝てるのは鬼才だけだからと、よくそう言っていた
昔二人でマックでご飯を食べていた時父の同僚に遭遇したことがあったけど、「娘さんですか?」に「可愛いだろ?」と第一声で返していた場面を今も覚えているからいい父親だったんだと思う
エピソードが有り余りすぎていて書ききれないことが山ほどあるけれど、それでも本人の長年の自慢がここに書いたどれでもなく矢沢永吉について「パパはこの人と握手したことあるんだ!」なのが可愛かった 流石ヤンキー
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kachoushi · 4 months ago
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各地句会報
花���誌 令和6年8月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年5月2日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
ホロホロと鍬に砕ける春の土 喜代子 亡き猫の声かと覚む春の闇 同 四姉妹母に供へる柏餅 由季子 薫風にうだつの揚る港町 都 青嵐甍の波をひとつ飛び 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
誰待つや水子地蔵と風車 毬子 愛宕山水の匂ひのして立夏 光子 湧水の鯉は真珠になりたくて きみよ 虎ノ門ヒルズそれとも蜃楼 光子 そそくさと愛宕詣での蟻ひとつ 三郎 新しきビルの隙間にある新樹 久 常盤木の落葉は坂の底の底 小鳥 日傘手に男の上る女坂 昌文 虎ノ門ヒルズ這ひ来し蚯蚓かな 美紀
岡田順子選 特選句
新緑の堂宇律する木魚かな 毬子 猿寺のへその緒めきし花藻かな 小鳥 耳に髪かけたる指が蝶を呼ぶ 和子 生まれては緋目高といふ名を借りて 小鳥 風車回らぬほどの風を受く はるか そそくさと愛宕詣での蟻ひとつ 三郎 馬駆けし愛宕山とは蝶ひとつ 俊樹 緑蔭のどれも過去向く拡声器 きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
壱岐対馬越えて釜山へ卯波立つ たかし 人を待つ昂りに似て卯浪立つ 孝子 春愁はもつれたあやとりの紐 修二 さまざまの風に出合つて若葉かな 孝子 逃水を追ひいくばくの疲労感 修二 しやぼんだま戦火の子らに向けて吹く 朝子 雲雀の巣踏み潰し行く重戦車 たかし チューリップ手足ふつくり乳母車 成子 八方に餓鬼うづくまる黄砂かな 朝子 糸柳お岩は細き指を垂れ 修二 十字架を仰げば風の薫りけり 孝子 廃校の土俵に花の散りしきぬ 朝子 卯波立つ沖を眺めて昼の酒 かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月6日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
柿若葉母の天麩羅語り種 和魚 ふくよかに葉音さらさら風五月 聰 山匂ひ水音響く五月かな 三無 沖へ帆の連なりわくや風五月 聰 パステルを選びて描く若葉山 ことこ 浅間への雑木若葉の葉音きき ます江 岩に波飛び散る光五月来ぬ 秋尚 日に濡るる若葉見上げつ峠越ゆ 三無 鯖街道歩きしところ穂高見ゆ ます江 甥つ子の声変はりして五月来ぬ 美貴 風五月江の電海へ大曲り 三無 思ひやる言葉を選び五月の夜 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月6日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
蛇穴を出でて振り向く顔もたず 雪 聞きに来よてふは椿の落ちる音 同 女踏む如く男の踏む椿 同 藤房の先に見えざる風生まる かづを 葉桜の神社まはりを鎮めをり 匠 アイリスを活けてサツチモ聞く深夜 清女 朧夜や母に逢ふ夢覚めやすき 笑子 荷を解けば青き匂ひの莢豌豆 希子 葉桜や旧制校のありし跡 泰俊 万象の輝く五月来りけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
やはらかき音の騒めき若楓 秋尚 結び目に母の思ひの粽解く 百合子 リハビリを終へて正午や街薄暑 恭子 中子師を偲ぶ五月の句座なりし 亜栄子 樟若葉風に煌めく音静か 秋尚 海の風山の風吹く捩花 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
何某の宿祢の杜やかかり藤 都 花祭瑞雲を呼ぶ釈迦の指 宇太郎 余花の雨幹の裂傷深くして 都 新緑にろ過され朝の息甘し 佐代子 手に湿り春椎茸の肉厚く 和子 葉桜の土手ゆく白き犬曳いて 悦子 老眼のルーペで愛でし花楓 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………��……………………………
令和6年5月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
後遺症無いとは云へず蝶の昼 清女 福助の貯金箱あり五月晴 ただし 手鏡の髪なで乍ら土用干し 世詩明 戻り来て剥がす日めくり四月馬鹿 ただし 花卯木友と語りし通学路 英美子 金色の囲む在所や麦の秋 みす枝 夏来るシャンパングラス走る泡 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
紙灯篭復興祈る輪島初夏 みえこ 初夏の列車に恐竜描かれし あけみ 花水木街路にいつか咲いてをり 令子 折紙の金環太き鯉幟 実加 祭町子等のよろこぶ菓子選び 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月14日 萩花鳥会
鴨ゆきて燕戻りて川住居 祐子 花の雨抜けて仮眠の深夜便 健雄 残されしボール一つに浅き夏 俊文 更衣する間も無くて半袖に ゆかり 水田の浅瀬泳ぐや鯉のぼり 明子 急階段挑みて天守若葉風 美恵子
………………………………………………………………
令和6年5月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
扁額の一字が読めず梅雨の宿 世詩明 若葉風わらべ地蔵をつつみゆく 笑子 お精舎の風鐸ゆらす梅雨晴間 同 路地裏をしよぼしよぼ歩く梅雨鴉 希子 獣めく匂も混じる草いきれ 泰俊 古りたりな三国祭の誘ひ文 雪 牡丹を切りて一日の贅とせん 同 牡丹に待てば現れさうな人 同 退屈を欠伸してゐる葱坊主 同 椿落つ終の一花と云ふ色に 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月17日 さきたま花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
葉桜や百葉箱はぽつねんと 月惑 黙祷の黙に扇子の音止まず 裕章 古民家も古木も包む若葉風 泉 せがまるる父の草笛音の出ず 康子 十薬の干されしままに家売られ 順子 蚕豆は反重力の世界とも 月惑 朝日受け夜来の雨に光る薔薇 彩香 道をしへ誘はれ来れば妓楼跡 裕章 薔薇一輪仏に供へ留守頼む 順子 祝酒ちよこに浮き立つ夏の月 同 結跏趺坐する禅堂に蚊は廻る 月惑 お互ひにためらひもなき更衣 八草 母の日や乳を持ちたる大銀杏 紀花 菖蒲田に挙るサーベルの直線 月惑 五月晴れ複々線の縄電車 良江 母の日の無口の兄の大あくび としゑ 掌に乗る子猫にも髭のあり みのり 夏館蒼穹の野へ開け放つ 裕章
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
万緑を深く映して奥の池 亜栄子 師の句碑に句友の墓碑に黒揚羽 三無 沙羅の花散りて積れる密寺かな 慶月 雨雲の近づく気配蝸牛 久 草むらに昼顔溺れさうに浮く 秋尚 十薬の花もかをりも無縁墓と 亜栄子 D51は永遠や夏野に据ゑられて 久子 新緑のメタセコイアは太古の香 久子 蛙田に昭和の声の残りたる 千種
栗林圭魚選 特選句
子等のこゑ池塘に生るる太藺かな 幸風 鮮やかな青翻へし瑠璃蜥蜴 久 一面の青草の丘登り急 軽象 師の句碑に句友の墓碑に黒揚羽 三無 沙羅の花散りて積れる密寺かな 慶月 暗闇坂薄暑の袖を捲りけり 斉 老鶯やメタセコイアの闇を抜け 亜栄子 新緑の森に山鳩奥の池 経彦 隠沼の静寂破りて蟇��芙佐子 新緑の木漏れ日揺るる年尾句碑 経彦 寺出でて定家かづらの香に触るる 秋尚 キャンパスに続く山道夏薊 久子 花卯木森の昏さに寄り添ひし 斉 ���むらに昼顔溺れさうに浮く 秋尚 峠路に仰ぐ卯の花空重く 芙佐子 寄せ墓に甘茶の花の日和かな 亜栄子 ひと筋に姫沙羅の花すつと落つ 秋尚 隠沼にメタセコイアの新樹光 幸風 お絵描きの子らや泰山木の花 斉 野薊のぱつと明るき母の塔 文英 日ざしきて暗さ呼び込む新樹蔭 千種 石仏の眼にも優しきさつき雨 軽象 切株に園児忘れし夏帽子 経彦 菖蒲田の間に間に低き白菖蒲 久子 新緑のメタセコイアは太古の香 同 走り茶を呷り民話の始まれり 経彦 堂前に沙羅の花散る僧の留守 亜栄子 初夏の少し気怠き二人の歩 斉 庫裡裏に零れる実梅夥し 芙佐子 蜘蛛の囲の元禄仏の肩に揺る 慶月
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
覗くまじ編笠百合の笠の中 雪 伊勢神楽牡丹の庭に舞ひ納む 同 大蚯蚓這ひ出て暗き穴残る 同 花は葉に店に残りし桜餅 ただし 大杉も岩も当時の夏の庭 洋子 かづら橋渡りきりたる夏の声 紀代美 万緑に全身染まる露天風呂 みす枝 胸奥は語らぬことに草を引く 一涓 春炬燵触れたる足のなかりけり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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sfujioka1 · 6 months ago
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Notcoinがついにトークン配布を開始! Notcoin Finally Starts Token Distribution!
2024.05.29
Notcoinがついにトークン配布を開始! Notcoin Finally Starts Token Distribution! Notcoinがついにトークン配布を開始! 
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テーマ:英語のお勉強日記
カテゴリ:仮想通貨
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The Notcoin team has allocated 5% of the total token supply to community members and users of cryptocurrency exchanges. That’s more than 500,000 people Notcoinチームは、トークンの総供給量の5%をコミュニティメンバーと暗号通貨取引所のユーザーに割り当てました。それは500,000人以上です
Cryptonica Editorial クリプトニカ社説
May 14, 2024 2024年5月14日
The listing date of NOT on the exchanges was announced last week. After several weeks of waiting and two postponements of the listing, the team of the popular Telegram game finally decided on the release date of its tokens. 先週、取引所へのNOTの上場日が発表されました。数週間の待機と上場の2回の延期の後、人気のTelegramゲームのチームはついにトークンのリリース日を決定しました。
On May 16, NOT trading will become available on Bybit, Binance, OKX, and the Telegram Wallet. Meanwhile, Binance and OKX announced their own rewards program. 5月16日、Bybit、バイナンス、OKX、TelegramウォレットでNOT取引が利用可能になります。一方、バイナンスとOKXは独自の報酬プログラムを発表しました。
――――――――――――――続く―――――――――――――――
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aya-azana · 8 months ago
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スクレイピング・ユア・ハート ― Access to SANUKI ―
あらすじ 平凡な大学院生である丸亀飛鳥。 新規気鋭のイラストレーターで、飛鳥の後輩である詩音。 四年ぶりの再会を経て、二人は奇妙な出来事に巻き込まれていく――――
 物語の始まりなんて、なんでもよかった。  偉人の言葉を引き合いに出して、壮大な問題を提起する冒頭が思いつかない。洒落た言い回しを使った、豪華絢爛な幕開けが思いつかない。ああ、思いつかない。とにかく、思いつかないの。  一般教養が足りないとか、センスがないとか、そんなんじゃない。  ただ、平坦。二十三年生きた人生に山も谷もない。  一般的な都内の中流家庭に産まれ、すくすくと成長し、苦難なく小中高大を卒業。  特に研究したいこともないが、働くのが嫌で大学院へ。研究生活の中で平均くらいの能力を身につけ、今でもゆるゆると日常を謳歌している。  そんな人間が想い描く物語だ。たとえ始まりを豪華絢爛にしたところで、面白くともなんともない。  だから、始まりなんてなんでもいいん『そんなことないわ』  ……そうかしら。それなら、もう少し頑張ってみ「お願いだから止まって、止まって!」  ……どっちよ。  これは、寝る前にするちょっとした妄想。クラスを占拠した悪漢を一人でやっつける、みたいなもの。  目を瞑っているのだから周囲は真っ暗だし、私以外の声が聞こえるわけ「先輩!先輩!しっかりして!」  うーん。うるさいわね。  聞き覚えがある女の子の声。少しガサついていて綺麗な声音ではないのだが、なぜか心地よくて、落ち着く。  ……寝る前に聞く、ちょっとえっちなASMRの切り忘れね「先輩!?」。面倒だけど一度起き『ダメよ』
 身体がビクン、ビクンと震える。
 表面上は高潔な雰囲気を纏っているものの、ねっとりとした厭らしさが滲みでて、根底にある魔性を隠しきれていない女性の声。  今まで一度も聞いたことがない。声の主なんて知るはずがない。それでも狂しいほど切なく、堪らないほど愛おしい。  そんな声が全身を駆け巡り、電撃のような痺れとなって身体を激しく愛撫したのだ。  『貴女の全てが欲しいの』  唐突に発せられた媚薬のような愛の囁きに、動悸が早くなって頬が火照る。恋愛感情に近い心の昂りが瞬く間にニューロンを焼き焦がして、身体にむず痒い疼きを与えた。  『貴女は快楽の熱で、ドロドロに蕩かされていく』  そう告げられると、容赦ない快感が次々と身体に打ちつけられ始めた。  堪らず身を捩ろうとするが、金縛りに遭ったように手足が動ない。舐めしゃぶられるように身体中が犯され、許しを乞うことすらできない。ただ一方的にジュクジュクとした甘ったるい快楽の波が全身に蓄積していく。  やがて許しを懇願することさえ忘れ、頭の中が真っ白に染まってしまう。もう耐えきれない、決壊してしまう。  『そして、深く深く流れ落ちていく』  そのタイミングを見透かしたように、許しの言葉が告げられる。同時に、心の器が壊れ、溜め込んだ全ての快感が濁流のように全身を駆け巡った。  意識が何度も飛びそうになって、頭のチカチカが止まらない。獣のように声にもならない嬌声をあげながら、やり場のない幸福感に身を委ねて甘く嬲られることしかできない。何もかもがどうでもよくなる程、気持ちがいい。  永遠に思えるような幸福な時間を経て、すぅっと暴力的な快楽が引いていくのを感じた。代わりに、深い陶酔の中へ身体が沈み始める。  そして、自然と強張っていた身体から力が、いや、もっと大切な何かが抜けていく。でも危機感はない。  たとえ声の主が猛獣で、彼女に捕食されている最中であっても、私は目を開けず身を任せてしまうだろう。  ゆっくりと身体の輪郭が曖昧になり、呼吸が浅くなっていく。意識が朦朧として何も考えられない。ただ、恍惚たる快楽の余韻に浸りながら、彼女の言葉の通り深く深く、流れ落ちていく。  『おやすみなさい、愛しい貴女』  赤ん坊に語りかけるような優しい声音で別れが告げられる。そして、私の意識はブレーカーが落ちたようにプツンと切れた。  遠くからぼんやり響いた悲痛な叫びは、もう私に届くことはなかった。
 ***    もしあたしにインタビュー取材依頼がきて、最も影響を受けた人物を聞かれたら、間違いなく先輩と答えて彼女への想いを語り続けるだろう。  コラム執筆依頼がきたら必ず先輩の金言を引き合いに出して最高のポエムに仕上げるし、ラジオに生出演したら「いぇい、先輩、聴いてるー?」が第一声と決めている。  現に初めて受賞した大きなイラストコンテストの授賞式の挨拶では、会場にいない先輩に向けて感謝の気持ちを述べた。それほどまで、高校で先輩と過ごした二年間はかけがえのない宝物だったのだ。  だから、あたしという物語の始まりは必ず先輩との思い出を引き合いに出すと決めている。  そんな小っ恥ずかしいことを寝巻き姿で平然と考えてしまう程、あたしこと讃岐詩音は浮かれていた。  なんせ今日は先輩と四年ぶりの再会である。  窓から差込む小春日和の暖かな日差しが、今日という素晴らしい日を祝福しているようにも思えた。
 「詩音、朝ごはんできてるわよー」  「うん」  一階から聞こえたママの呼びかけに応じる、蚊の鳴くような声。自分のガサついた地声が嫌で、どうしても声量が小さくなってしまう。  おそらくママには聞こえていないので急いで自室から出て階段を降り、リビングに移動する。閑静な高級住宅街に建つ一軒家に相応しくないドタバタ音が鳴り響いた。  「危ないからゆっくり降りてきなさいって言ってるでしょ」  ママのお小言に無言で頷きながら、焼きたてのバターロール一個とコップ一杯のスープをテーブルに運ぶ。いつものご機嫌な朝食だ。  「バターロールもう一個食べない?消費期限今日までなの」  ママの問いかけに対して首を横に振って拒否した。少食なあたしにとって、朝の食事はこの量が限界。これ以上摂取すると移動の際に嘔吐しかねない。  「高校でバスケやってた時はもっと食べてたのに。ママ心配よ」  そう言われてしまうと気まずいが断固としてNOだ。先輩との大切な再会をあたしの吐瀉物で汚したくない。  話題を逸らすためテレビをつけると、ニュースキャスターが神妙な面持ちで原稿を読み上げていた。  「横浜市のアトリエで画家の東堂善治さんが倒れているのが見つかり、病院に搬送されましたが意識不明の重体です」  たしか、以前参加したコンテストの審査員だったような。国際美術祭で油彩画を見たような。あと生成AI関連で裁判がうんたら。  「東堂さんは世界的に権威のあ……また、スポンサー契約を交わしていたFusionArtAI社に対して訴……捜査関係者によると奪われた絵……」  ニュースの内容を聞き流していると、概ねの内容は記憶と合致していた。どうやら、高校を卒業してから勉学の道には進まず、創作活動に勤しむようになったあたしの記憶力はまだ健在らしい。少しだけ、ホッとした。  「最近物騒ね。よく聞く闇バイト強盗かしら。ほら、この前も水墨画の先生が殺されたじゃない。詩音も今日のおでかけ、気をつけなさいよ」  「ん、気をつける」  ママを心配をさせないために少しだけ大きな声で返事をして、深く頷いた。  食事を終えた後、アイロンがけされた一張羅に着替えて身なりを整え、先輩が待つ喫茶店へ向かった。    ***    ――――ちょうど三週間前のこと。  本業のデジタルイラストの息抜きとして始めた水彩画にハマりにハマって、気がつけば丑三つ時。ふと先輩の顔が頭に浮かんだのだ。  丸筆とパレットを置いてから勢いよくベッドにダイブして寝転がり、流れるようにエプロンのポケットからスマホを取り出す。  先輩はSNSを実名で登録するタイプではない。それでも広大なネットのどこかに先輩の足跡みたいなものがないか、淡い期待を抱いて名前を検索してしまう。  そんな自分がちょっと気持ち悪い。  自己嫌悪に陥りつつ検索結果を眺めていると、思いもよらない見出し文を見つけたので間髪入れずにタップした。
 「情報システム工学専攻修士1年生の丸亀飛鳥さんが、AIによる雛の���雄鑑別システムに関する研究で人工知能技術学会最優秀論文賞を受賞しました」
 ゆっくりとスクロールしながら情報を集める。やがて研究室のホームページに掲載された集合写真にたどり着く頃には、これが先輩の記事であることを確信した。  ……正直言って自分がだいぶ気持ち悪い。  「やっぱり先輩はすごい。うん、とてもすごい人だ」  先輩の活躍ぶりに足をばたつかせながら興奮していると、ピコンと仕事用のアドレス宛に一通のメール。見慣れないアドレスだったが、ユーザー名が目に入った瞬間飛び起き、正座になる。  「marugame.asuka0209って、これ絶対に飛鳥先輩だ!」  偶然にしては出来すぎているが、なんの警戒もなく開封をして内容を隈なく読み込み――――読み終える頃には呆然としていた。  要約すると研究協力の依頼であり、可能であれば一度会って話せないか、という非常に堅苦しい内容である。  気がつくと涙が頬を伝っていた。  四年ぶり、つまり先輩が卒業してから初めて貰った連絡。元気?今度ご飯でも行かない?みたいな、そういうのを期待していたあたしがおバカじゃないか。  ――――いいや、先輩が悪いわけではない。これが普通。むしろ、あたしがおかしい。  何を隠そう、あたしと先輩の間に特別な繋がりはない。友達でもなければ恋人でもない。ただ、バスケ部の先輩後輩というだけで、練習と試合だけが共に過ごした時間の全て。連絡も練習に関することだけ。そんな程度の仲。  「……それでも好き」  あたしに手を差し伸べてくれた先輩に対する想い。四年経ってもこの気持ちは色褪せていない。  でも、これが最後になるかも。もし拒絶されたら、ただの先輩後輩ですらなくなってしまったらどうしよう。そう思うと、胸が苦しくなる。だから今まで一度も自分から連絡できなかった。  ――――涙を拭い、ありったけの勇気を振り絞る。  先輩に会ってお話しがしたい、その気持ちだけで震える指をどうにか動かし、書いては消してを繰り返す。文面が完成しても、何度も声に出して読み上げ続け、早三時間。返信を完了する頃には外が薄明るくなりつつあった。  急にドッと疲れが出て、再びベッドに倒れうつ伏せになり、顔を枕に埋める。そのままうめき声を上げて、湧き出る混沌とした感情を擦り付けていく。  このあられもない姿がママに目撃されていたことは、あたしの人生最大の汚点となるのだった。    ***    ――――いつの間にか私はドアの前に立っていた。  温かみを感じるレトロな木製のガラスドア。ここは大学から離れた場所に佇む、少し寂れた喫茶店の玄関前だ。私の憩いの場の一つで、よく帰り道に訪れている。  ぼーっとしていると、店内が薄暗いからか自分の姿がガラスに反射していることに気がついた。  ガラスに映る、ケープを羽織ったおさげ姿の美少女。うどんのように白い肌が彼女の纏う儚さに拍車をかけている。    彼女の名は讃岐詩音。    私の一個下で、高校バスケ部の後輩だ。  某バスケ漫画に憧れて入部したという詩音は、初心者という点を考慮しても信じられないほど下手だった。  ドリブルやパスはへんてこだし、一番簡単なレイアップシュートすらろくに出来ない。おまけに口数が少ない不思議ちゃんで、趣味と特技がイラストときた。  そのため、次第に周囲から腫れ物のように扱われるようになる。  それでも詩音は部活を辞めず、直向きに人一倍努力を続けた。  しかし、周囲からの扱いは変わることはない。下手っぴが一人で頑張っても嘲笑の対象になるだけだ。  だから私は、詩音に手を差し伸べた。少しでも彼女が笑顔になれるように。  ――――精一杯頑張る彼女の姿が、どこか冷めていた私の憧れだったから。    原因は不明だが、今、私は『詩音』の姿になっている。まるでVRを体験しているようだ。なんにせよ、玄関前で棒立ちを続けるのは迷惑だ。  混乱しながらドアを開けて入店すると、店員がにこやかに迎え入れてくれた。  「いらっしゃいませ、讃岐さんですね。丸亀さんはあちらの席でお待ちです」  会釈をするも、妙な違和感。戸惑いながら店員の案内に従い、席に移動した。そして私は大っ嫌いな女と対面することになる。  緑色の黒髪が綺麗な、リクルートスーツ姿の美女。気品のある見た目をしているが、中身は空っぽ。連絡が来ないから嫌われたと思い込み、自分を慕う後輩を四年間も放置したクズ。そんな女性が私を見て微笑む。
 『久しぶりね、詩音』
 そう、『『私』』だ。まるで鏡を見ているかのように、『私』が机を挟んだ向こう側に存在している。  詩音と四年ぶりに再開したあの日の夢を見ているのだろうか。  唖然とする私を無視して、目の前に座っている『私』は一方的に話を進めていき、本題に移り始める。
 『研究室が推進するイラスト生成AIプロジェクトが難航しているの』
 原因は技術の普及と発展に伴って、目視であっても判別できないAIイラストがウェブ上に溢れかえったことだ。  その結果、クローラープログラムがウェブを巡回してイラストを収集するスクレイピング技術で作られた学習データにAIイラストが混入し、AIプログラムが崩壊する報告が多数出ている。  余談だが、私の研究は養鶏農家から提供される写真を使用しているため、全く影響を受けなかった。それゆえ、最優秀論文賞を繰り上げ受賞してしまったのだ。
 『研究用のデータ加工が大変なのよ』
 これはイラストレーター達が自衛として、データをそのままウェブにアップロードしなくなったからだ。  近頃はデジタル画像を紙に印刷した作品やアナログ作品を造花などで飾り付けてからカメラで撮影する、2.5次元作品が主流となっている。  イラスト本体の解像度劣化やカメラフィルターによる色合の変化、装飾物による境界の抽象化などが原因で、2.5次元作品はAIで学習できない。  修正AIで2.5次元作品を2次元作品に加工しようとしても、誤認識のパレードである。そのため、ゆうに一万を超える大量のデータを人力で加工するしか手立てがないのだ。
 『FusionArtAI社のデータも法外的な値段で八方塞がりなの』
 FusionArtAI社は唯一ピュアなイラストデータを扱っているユニコーン企業だ。東堂善治のような大御所アーティストらと契約し、安定して高品質なデータを取得しているらしい。  AIやらNFTやらを壮大に語っているが事業内容がよく理解できない。それに莫大な資金が何処から出ているのか非常に疑問である。  加えて詩音がモニターとして、AIの学習を阻害する絵具を貰ったのだとか。胡散臭すぎる。
 『だから詩音のイラストのデータを全て譲って欲しいの』
 「……は?ちょっと待ちなさい」
 今まで無言で頷いていたが、思わず声が出てしまう。
 『貴女の全てが欲しいの』  「そんなこと言っていない!私は研究協力の依頼を断るように警告したのよ!!」    ことの発端は詩音がイラストコンクールの授賞式で私の名前を出したことである。偶然その授賞式に私の指導教員も来賓として出席していたのだ。  後日、ゼミで彼女の挨拶が話題に出され、私は迂闊にも恥ずかしさのあまり過剰に反応してしまった。  指導教員は詩音が語った人物が私のことだと察した。そして詩音宛に研究協力の依頼を出すよう、私に指示を下したのだ。  なんせ、詩音は今や業界を席巻する超新星。その作品を利用できれば、データの質の担保だけでなく、研究に箔をつけることができる。  下手をすれば詩音が筆を折りかねないその指示に対し、私は強い憤りを感じた。  しかし、上の言う事は絶対。だから大学から離れた喫茶店に呼び出し、密かに依頼を断るように警告したのだ。  ……加えて、授賞式のようなオフィシャルな場で無闇矢鱈に人様の個人情報を出さないよう、情報リテラシーの講義もみっちり実施した。  詩音は私の言葉を素直に聞き入れてくれた。ただし、研究室の厄介事に巻き込んだお詫び?として、週末に作品撮影のアシスタントをする���束をした。    ――――その撮影日が今日。  そこは、誰も寄りつかない瓦礫まみれのビーチ。  遥か昔、海辺に栄える水族館だった場所。  青空の下、詩音が無我夢中になって作品の飾り付けをしている。  装飾材を補充するため、彼女が水彩画に背を向けた刹那。  額縁からコールタールに似た漆黒の液体が勢いよく溢れ出し、彼女を襲う。  だから私は彼女を突き飛ばして。  悍ましく蠢く闇に、『食われた』。    「……ようやく思い出したわ」  これは、妄想でも夢でもない。相対する『私』の皮を被る怪異が起こした現象だ。  理解不能な存在に生殺与奪の権を握られている。その事実を認識した途端、体に悪寒が走り、鳥肌が立つ。今にも腰が抜けそうだ。  怪異は恐れ慄く私の眼をじっとりと見つめながら、ブリーフケースから同意書とペンを取り出し、机の上に置いた。  『貴女とはいい関係になれると思うの』  そう言いながら、怪異は小指を立てながら厭らしく微笑む。  私の生存本能が、この文字化けした書類にサインをしてはいけないと警鐘を鳴らしている。サインをすれば、死ぬ。  それでも私は震える手でペンを掴んでしまう。    ……だって、私なんかが敵う相手じゃないもの。   怖くて泣きじゃくる無様な私に何ができるの。  そうね。きっと、あっけなく死ぬのよ。  ――――そうだとしても    「大切な後輩を襲ったお前だけは、絶対にぶっ殺してやる!!」    私は決死の覚悟を決め、一世一代の大啖呵を切った。瞬時に怪異に対する怒りの炎が燃え上がり、滞っていた思考が急激に動き始める。  相見えるは常識の埒外の存在。裏を返せば奇想天外な自由解釈が可能であり、不格好でもそれっぽい仮説を立ててしまえば、私にとっては常識の埒内の存在になる。  きっとそう強く信じなければ、目の前の『私』は倒せない。  唇に人差し指をあてながら、ただひたすらに、常識や記憶の間に無理やり関連性を見出して理屈をこじつけることを繰り返す。  やがて、その思考過程を経て、一つの結論に辿り着く。    この怪異の正体は、『クローラーを模した淫獣』だ。    こいつは複数回にわたって人を襲い、心の記憶から作品を抽出していくタチの悪い存在。全ての作品を取り込み終えると、獲物に大量の快楽成分を流し込んで再起不能にする恐ろしい習性を持つ。  おそらく詩音も何度か寄生されていて、今日が最後の日になるはずだった。  ところが、すんでのところで私が身代わりになったため、情報の吸い残しがあると誤認が生じてしまった。それは淫獣にとって重大なエラーである。  そこで、やり直しを試みるも、改めて詩音の同意が必要となってしまった。  だから先日の会話に基づいてこの空間を生成し、『私』の皮を被ってサインを迫っているのだ。――――今、自分が捕食している獲物が『丸亀飛鳥』であることに気が付かずに。  そして、最も重要なことは淫獣が人工的に作られた存在という点である。  これまでの同意書に重きを置くような言動を見ると、魑魅魍魎の類とは思えない。何より、元凶に心当たりがある。  そう、FusionArtAI社だ。淫獣の正体が例の胡散臭い絵の具であり、密かに多数のイラストレーターを襲っているとしたら、全て辻褄が合う。  ――――そうであると信じるの。そうすれば、こいつに一矢報いることができるはずよ。  汗ばんだ手で同意書を手繰り寄せ、ゆっくりとペン先を近づける。  すると、自分勝手に喋っていた淫獣が口を閉じ、紙面をじっと凝視し始めた。それだけではない。空間を構成する全てが、その瞬間を見逃すまいと監視している。  張り詰めた空気の中、私は素早く紙を裏返して、こう書き記す。    robots.txt  User-agent: *  Disallow: /    その意味は、『クローラーお断り』。  今や対魔の護符に等しい存在となった同意書を握りしめ、勢いよく席を立つ。  「私の全てが欲しい……そう言っていたかしら?」  沈黙。詩音の好意や才能を踏み躙った淫獣は、口を開かない。  『An error occurred. If this……』  どこからともなくアナウンスが聞こえるが今はどうでもいい。
 「これが私の答えよ」
 大っ嫌いなクソ女の顔面が吹き飛び、振り抜いた私の拳が漆黒の返り血に染まる。  一呼吸おいた後、心から詩音の無事を願い、静かに目を閉じた。    ***    茜色の空。漣の音。磯の香り……それと、ちょっと焦げ臭い。  そして、私の身体に縋って嗚咽する大切な後輩。  どうやら私は死の淵から生還できたらしい。無事を知らせるため、詩音の頭を優しく撫でる。それでも泣き止まないので、落ち着くまで背中をさすってあげた。  「心配かけたわね。詩音が無事でよかった」  詩音は私の胸に顔を埋めたまま、コクリと頷く。  「先輩も無事?」  「ええ、大丈夫よ」  これ以上、詩音を不安にさせないように気丈な態度をとるものの、重度の疲労を感じ、もはや立つことすらできない。  「ここはまだ危ないから、早く詩音だけでも逃げて」  「やっつけたから、モーマンタイだよ」  詩音が指差す方向を見ると、黒い液体に塗れた水彩画が静かに燃えていた。焦げ臭い匂いの原因はこれか。……やっつけたってどういうことかしら。  些細なことに気をとられている場合じゃない。  先ほどから微かに聞こえる、複数の物音。  何者かが物陰で息を潜め、私たちの様子を窺っている。  今や炭になりつつある淫獣の回収が目的か。いや、それは私がでっち上げた荒唐無稽な陰謀論にすぎない。  ここは、電波が届かない人里離れた廃墟。無防備な女二人がいつ襲われてもおかしくない、危険な場所だ。  詩音も気が付いたのか、私に抱きつく力が強くなる。意地でも私から離れないつもりのようだ。高校の時から感じていたが、この子は気が弱いわりに頑固だ。    ――――息が詰まるような空気を、遠くから鳴り響くサイレン音が切り裂いた。    同時に複数の人影が足音と共に遠ざかっていき、私は安堵の息を吐いた。  「もう大丈夫。定刻を過ぎても私から連絡がなかったら、警察と救急に通報するよう、母さんに頼んでいたの」  半分は今のような不足の事態に陥った時の保険として。  「やっぱり先輩はすごい。うん、とてもすごい」  もう半分は、尊敬の念を向けている後輩から刺された際の保険として。……絶対に黙っておきましょう。    ***    ――――事件から三か月後。  結局、私たちを襲った存在の正体は分からず終い。一方、あの場にいた不審な人影は東堂善治を襲撃した闇バイト強盗であった。そのため私達の不法侵入は霞んでしまい、一切お咎めなし。私達の身に何があったか、深く聞かれることもなかった。  まぁ、警察に事情を説明するにしても――――  FusionArtAI社が作ったスライム型の淫獣に襲われてデスアクメしそうになりました。奴らはアーティストの心の記憶に存在する作品データを狙っています。  という私の支離滅裂な説は口が裂けても言えない。それに、FusionArtAI社が不正会計絡みで呆気なく倒産したため、もう追及のしようがなかった。  ちなみに、詩音は黒い液体の正体が亡霊の祟りだと思い込んでいる。だから制汗スプレーとライターで除霊?しようとして、そのまま引火。あの有様となったそうな。  「貴女のおかげで助かったのかもしれないわね」  私の言葉に首を傾げる後輩は、今日も美少女だ。  あの事件以来、私達はお互いの身を案じて一週間に一回は会うようになった。といっても、毎回普通に遊んでいるだけだ。  今日は私の行きつけの喫茶店でまったりとお茶をしている。お紅茶がおいしい。  紅茶の香りの余韻を味わっていると、詩音の手招きが。  またか、と思いつつ耳を寄せる。
 「先輩のケーキ、一口欲しい」
 耳元で囁かれる妙に蠱惑的な声と熱の籠った吐息にゾクッとしてしまう。あの事件で私が晒した醜態から、余計なことを学んでしまったのだろう。  悪戯っぽく笑う詩音。本音を言ってしまうと非常に嬉しいのだが、どうも照れ臭くて顔を背けてしまう。  でも、これから時間をかけて慣れていけばいい。あの事件が私という物語の始まり、いや、――――私達という物語の始まりと決めたから。  二人に降り注ぐ優しい木漏れ日が、これからの日常を祝福しているように思える。  ――――そんな気恥ずかしいことを考えてしまうほど、私こと丸亀飛鳥は幸せだった。
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myeverythinglyric · 10 months ago
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迎えた2回目の元旦、「今年は健康に迎えられたね」なんて始まった1月も後半に予定した逢瀬を待ち詫びてる間に過ぎ去る。今年のスタートダッシュは完璧だ。先月の逢瀬からも紆余曲折、気持ちをボール代わりにした言葉の打ち合いを経て俺たちはまた一つお互いを好きになれた気がする。どんなに喧嘩をしたって「もう逢わない」なんて選択肢にはならない俺ら、待ち合わせも少しずつスムーズになってきて最初の頃より隣で歩き出す時間が早くなったね。相変わらず御前は「あれ、何処で降りるんだっけ?」なんてとぼけてたけど。まるで昨日も顔を合わせていたかのように手を挙げる照れ隠しの俺と、久しぶりに逢えて嬉しい気持ちを隠しきれない緩んだ表情で笑う御前。対照的だとしても想いが同じだからこそこうして迎えられる幾度目かの逢瀬があるんだなとしみじみ感じる、これってやっぱり奇跡でしかないよね。そんな事考えながら夢中で話す北斗の顔を眺めてた、揺られる電車の中。
乗り継いで訪れた1泊目は北斗チョイスのホテル。過ごしやすい快適な部屋で重い荷物から漸く解放される瞬間、此の儘ベッドに四肢を投げ出したい欲を抑えてキャリーを漁る、ベッドで寛ぐ御前に少し不器用に差し出した今年のチョコレート。作るセンスを生憎持ち合わせていない俺は必死に選んで独自に詰めただけのチョコレートをプレゼントした、それでも嬉しそうに受け取る御前を見て一安心。1つずつ味わってまた今回の旅でも思い出してくれたら良いなと思ってる。俺の母親からのプレゼントにも喜んでくれて、早速カバンにつけてはしゃいでたね、有難う。
二度目ましての北斗の家族はやっぱり温かくて、何度訪れても羨ましいなと思える気がする。御前とは少し似つかない、警戒心の強い愛犬とも二度目なのにすげえ尻尾を振って出迎えてもらえたって喜んでたら、灯りをつけて俺を見た瞬間吠えながら逃げてったのは笑ったな。それでも同じ空間に居てもそんなに吠えないから珍しいね、なんて言われて愛犬にも家族にも認めてもらえた気がしてやっぱり嬉しかった。御両親に手料理を振舞ってもらって、兄弟と一緒にゲームをしてはしゃいで。台所に立つお母さんを背中に座ってるのは少しばかりソワソワしたけど、寛いでる御前と兄弟を見てこれがこの家庭の当たり前なんだなと思ったら安心出来た。「早く近くに引っ越しておいで」なんて言ってもらえて、俺も早くそうしたい気分に駆られつつ。「実は作ってたんだよね」って照れ臭そうに笑いながら北斗から貰ったガトーショコラは、愛情がこもってて美味しかった。内緒で作っててくれた事もまた嬉しくて、ホテルに帰って一つ食べて幸せな気持ちに満たされた。お母さんからも貰ったチョコレートも大切に持ち帰ったよ。家族みんなでいつも迎え入れてくれて有難う。
少しだけ冷える夜風の中、明日の朝食を買って優雅なホテルで夜を過ごした。ベッドが動かせるって分かったら絶対くっつけて寝ようとする御前に慣れた俺は「眠れない」と駄々を捏ねる御前の我儘に応じて、疲れ果てた俺らは静かに眠りについたね。仕事の日と変わらない時間に目を覚ました俺らはいそいそと身支度を整えて全ての荷物を持って街へ繰り出した。2日目の朝、待ちに待ったディズニーシー。相変わらず天候に恵まれて、電車の混雑もさほどなく快適に目的地へ進んだ。
2ヶ月前から御前には「顔見知りの別荘を借りる」なんて言って、2日目の宿泊先を任せてもらってた。疑われたら正直に言おうなんて思いながら次々と出てくる細かい嘘に御前は最後まで気付かなくて、いま思い返しても「顔見知り?ミッキーのことだよ」って伝えた瞬間に腰を抜かしてミラコスタの部屋に座り込む御前は最高に面白かったよ。1ミリも疑わない心は信頼から生まれてるものだろうから、その心を穢してしまわないように汚い嘘をつくのだけは絶対に控えようと強く感じた瞬間でもあった。
今まで重ねられた今日までの嘘を何度も思い返しては「嗚呼、だからあの時…」なんてパーク内で物思いにふける御前のことをいつまででも眺めていられそうな気がしたよ。
パークでギリギリまではしゃいだ今日のディナーはミラコスタ内のビュッフェ。「元取るぞ」とか言って笑い合いながら見慣れない名前の料理に舌鼓を打って腹を満たした。だだっ広いミラコスタの部屋は常に暖かく、窓からは夜が耽けるギリギリまで華やかなメロディが流れていた。夏場ぶりに一緒に風呂に入ってから、既に疲れ果てて眠い身体に買い集めたアルコールとお菓子を広げてダチと話した。いつもなら「寝るの早い」なんて俺を叩き起す御前も今回ばかりは泣いたり笑ったり忙しない1日に疲れてたのか大人しく自分のベッドに潜り込んで寝てたね。これからの御前を応援すべく計画していた大きなイベントを無事終えて、俺も安心して眠りについた。
のんびり目を覚まして優雅なメロディのもと朝食を囲みながら抜け殻のベッドの乱れ方とか、インスタントコーヒーのミルクをコーヒーと間違えて「どっち飲む?」とか聞いてくる北斗とかインスタント食品に翻弄される北斗にずっと笑ってたね。今日はイクスピアリに行こうかなんて話したり、来年のバレンタインは何を作ろうかなんて1年先の話をしたり、日々たくさんの言葉を交わしていても無くならない話題に花を咲かせてた。そんな事もきっと北斗とじゃなきゃ今頃話題にも詰まってて、行先にも詰まってたりしたんだろうなと思うと顔を合わせるたび何度でも、こうして足並みを揃えて生きる相手が北斗で良かったと心から感じる。珍しく最終日も身支度ばっちりにして名残惜しくもミラコスタを後にした。
それでも最終日は御前のテンションも何処か低くて、無理した笑顔と心からの笑顔の繰り返し。どうしたら少しでも楽しい時間に出来るか、なんて考えながら互いに食べたいものを選んで、見たいもの買いたいものを目指してお店巡りをした。「お揃いのものがもっと欲しい」と言う北斗の願いのもと、アクセサリーショップで一緒に指輪を選んだ。ピンキーリングに落ち着いた俺たちは��れを付けて、「なんだか運命の赤い糸の象徴みたいだよね」なんて嬉しそうに語る御前を見て頬を緩めた。まだまだお揃いのものを増やしていきたいよね、全身お揃いで埋め尽くされるくらい。時間をかけて少しずつ、増やしていきたいね。
楽しい時間を過ごすほど、帰りの時間も近付いてきて預けていた荷物を受け取ると御前はいよいよ口数が減る。高速バスに揺られて少しうたた寝をしながら、辿り着いた空港のカフェでまたこれからの計画を話し合う。
環境が変わるんだ、暫く逢えなくなるのは仕方ない。そうは理解しつつも逢えない寂しさは埋められるはずも無く、御前は必死にどうにか逢える方法を考えたり行きたい場所を探したりしていた。楽に逢える日を待ってる間に俺たちは2回目の記念日を迎える。1回目だってまともに迎えた経験のない俺が、疑うことも無く2回目のその瞬間を迎えようと考えていることに少しばかり驚いてる。惰性のない愛情、終わりのない恋慕。こんなにも未来を見据えて隣を歩ける相手は後にも先にも御前だけ。「行ってきます」とまたいつものように笑って手を振ってそれぞれの自宅へ帰る。また逢えるよ、意識して信じずともまた逢えることを疑っていない俺らだから何度でも。
この先もきっと、思わぬ出来事に意見を違えて言い合うかもしれない。互いの言動を受け入れられずに擦れ違うこともあるかもしれない。それでも俺たちは、俺たちなら何度ぶつかっても最後には互いを受け止めて、認め合って進んでいける。信じて疑わない、言葉には形容しきれない何かが俺たちには絶対にあるから大丈夫。そう思えるから、真っ直ぐ御前にも「大丈夫」と言える。
健やかなる時も病める時も、苦楽を共有して多くの感情を共にして生きていこう。なんてまるでプロポーズみたいだけど、北斗とならこの命尽きる瞬間まで共に生きていけると思ってるよ。そんなたくさんの想いを引っ括めてただ一言、愛してる。
楽しい時も辛い時も、俺は常に御前の隣に居るよ。
今年はいっそう、頑張っていこうね。
また笑顔で顔を合わせられるように。
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ashi-yuri · 11 months ago
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2023年に行った展示会の備忘録
書きわすれてた展示会ふたつの備忘録
MORCコマ撮りアニメーションフェスティバル「土屋萌児作品集」
切り絵アニメーション作家の土屋萌児氏の代表作品の上映会。きれいとか器用とかではないのだけれど、膨大な時間と手間をかけて手触りの残るまま時間と感覚を溶かし込んだような作品世界がいいなと思ってるので見に行った。
年代順に作品を見れてとても良かったけれど、いちばんすきな「おわる瞬間」のMVが見れなかったのだけは残念。
「ハリケーンアニメーション」
台風にアニメーションを描かせる試み。このまえ近美で月の満ち欠け・軌道を音楽にした作品があったけど、一定数こういう試みってあるのだなと思った。鑑賞して楽しいかは別にして。
「黒いロングスカートの女」
個人的な恋と幻想のうすれゆく記憶。
『失われた時を求めて』の「囚われの女」が好きなので、空想だけが飛躍していく感じとか、思い出そうとするたびにぜんぜん曖昧でよくわからなくなってしまったりとか、そういうのが表現されてて非常によかった。身体感覚をアニメに落とし込んで表現してるのも珍しくておもしろい。あんなに切実で重苦しく必死だったのに、全部ふとした夢のような最後のさっぱり感、よかったな。
この作品だけ8分以上とすごく長くてとりわけ力を入れて作成されているのだと思うけど、白黒で個人のテーマを描き切ったからか、次作以降より色彩豊かで普遍的なテーマに移り変わってゆくという意味でも興味深かった。
「岬に仏が降りてきて」
よくわからないけど、手触りよくなんか楽しくいい話だった。
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「青春おじいさん」
色あざやかに巡る世界とおじいさんがどこまでも軽やかでいいね。
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「あびばのんのん」
他アニメーション作家さんとの共作。日本昔話みたいなストーリーとやまと絵みたいな画面。歌はサウナ番組のエンディングらしい。
社会的メッセージもあるような気もするけれど、それ含めて全部飲み込むような絵と物語の強さが印象に残る。
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「スカフィンのうた」
いままで見てきた要素がすごく洗練されたMVとなってて、作家さんとしてすごく成長・円熟して海外で賞も取れてよかったなあと思った。
ポカリスエットのCMとして作成されていて、非常にきれいで色彩豊かで見やすいし、CMテーマに合わせていてでももっと大きなものを含んでるし、音楽とのシンクロも心地いい。
最後の方で、瓶を取っていった狼?の家族たちがぐるぐるしてて、このシーンがちゃんとあるところがいいなと思った。あと画面のそこかしこでいろんなものがちゃんと生活して動いてるのもいい。作るのすごく大変だと思うけれど。
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ずっと製作中の耳なし芳一をテーマにしたアニメーションもいつか完成するのを楽しみにしてる。なぜか手製の琵琶を作っていたし......。
東京国立近代美術館 小企画「女性と抽象」
コレクション展でスミッソン見に行ったついでに見てきた。
抽象画で女性作家ってあんまり知らないなあと思ってちょっと興味があったのと、女性作家の作品って「感覚的」「身体的」「具体的」と評されがちだけど、それと抽象の相性っていいのかなという疑問があったので。
作品を実際に見て、ひとりひとりが何かを表現する手段として抽象を選択し、抽象によりそれぞれの作品がみずみずしく真剣に世界を表現していて、当然だけどそこに性別って関係ないんだなと感じた。作品を見てなくて、評論の言葉だけで勝手に偏見を持ってた自分をちょっと反省しないとだめだなと思わされるところがあった。女性の作品だとか、男性の作品だとか、そういう余計な属性を捨てていく『抽象』という表現ならなおさらそうなんだと思う。
どこかフレッシュで若々しい作品が多く、その先の挫折や転変や熟成を思わせるものが少ないように感じたけれど、でもそれは女性作家ということで、作品が評価されにくかったり、市場で流通しにくく経済的に難しかったり、そもそも女性が画家というキャリアで一生を続けることが難しかったりするからなのかもしれない。草間彌生とかオノ・ヨーコみたいに海外まで行って成功を掴み取れば別かもしれないけれど。
岡上淑子というコラージュ作家の作品が、優美で幻想的で戦後の荒涼とした社会の無秩序と不安を内包してて好きなのだけれど、彼女も家庭に入ったことを機に作品作りをやめてしまったのを思い出した。べつに結婚だけでなく、仕事や家庭を持ちながら創作活動をするのは簡単なことではないけれど。
植田正治(こちらもシュールレアリスムの雰囲気がいい)みたいにずっと作品作ってほしかったな。変わりゆく社会の中で彼女やいろんな女性作家の作品がどう変わっていったのか、見られたらよかったのになあと現代の人間として勝手に思う。
いろいろ考えられたからいい展示だったと思います。
2024年は都現代美術館でホー・ツーニェンの個展があるのでそれが楽しみ。虚構と真実のあわいで過去を亡霊のように蘇らせたり、複雑な過去に対峙する真摯な姿勢が今回も見られるといいなと思う。
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