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#子育て夫婦
asukatrustcoaching · 5 months
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夫婦で学ぶ子育てコーチング
メディア掲載のお知らせ ㅤㅤペアレンツコーチング認定企業である三菱食品株式会社様が、総務・人事に特化した情報をお届けしている日本唯一の総務専門誌「月刊総務」( https://www.g-soumu.com/products/articles/202405 ※本誌は有料雑誌となります)に掲載されました!ㅤㅤㅤㅤ三菱食品株式会社様の健康経営の一環として昨年から取り組まれている、「ペアレンツコーチング」プログラムについて、導入の “目的” と “想い”…
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serendipityorchid · 2 years
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大晦日
今年の締めくくりの一日。
午前中には家をもう一度お掃除。
午後からは少しお料理をしたり、蘭丸と遊んだりのんびり過ごしました。
みんなは大晦日どう過ごすのでしょうか❓😊
そして夜はゆっくり夫・遊くんとお茶をしたり、しっかり今年の反省と来年の目標を語り合いたいなと思います。
とっておきのお茶も用意しました。
大晦日にはNINA‘Sのマリーアントワネットを。
明日の元旦にはお抹茶と和菓子も用意しています❣️
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今年は本当にいろんな変化のあった一年でした。
来年もさらに変化は続くでしょう。
その変化によって自分のこともよく見えてきたなと思います。
自分の不出来さを実感した年でした。
すっかり自信をなくして、傷ついて、前に進めなくなって、自分を嫌いになって、人を信じるのが怖くなって、自分をこんなに否定したのは人生で初めてかもしれません。
ひとしきり反省したり悩んだりしながら、もう一度自分らしさや私にできることをよく考えています。
こんな私ですがこれからも大切な人たちのためにもっともっと感謝や思いやりを伝えていきたいです❣️
そしてSerendipityに参加してくれるみんなや周りの人の笑顔をずっと見れるように私にできる事を少しづつやっていきますのでこれからもよろしくお願いします。
どうぞ皆さま良いお年をお迎えください✨✨✨
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liyatv · 22 days
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ゆん: 出産後、初めての質問コーナー!〜妊娠と出産について真面目に答えます〜
liya.tv
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tanakaeri · 1 year
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あなたはどんな人?
自分のことを知っていますか?どんな人ですか?と尋ねられたら、わたし、ぼくはこんな人です。と答えられるでしょうか。即答される方は、少ないかもしれませんね。 どのようなことが好きで、どのようなことをされると傷つくのか、嬉しいのか、相手に理解してもらう前に、まずは自分を知ることです。自分のことが分からない、でも相手に理解や共感を求める。 それでは、相手の方も自分も苦しめてしまいます。 「あなたはどんな人ですか?」 午後からも穏やかな時間がながれますよう願っております。くれたけ心理相談室 公認心理師 田中絵里 心理療法 9月末10月のご予約 ご予約・お問い合わせ | 田中 絵里 公式サイト(くれたけ心理相談室 名古屋・知多) (counseling1.jp)
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payo2 · 1 year
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これはいけませんねえ、ハフポストが。丸山さんは育児負担が偏る事ないように夫婦間のコミュニケーションが必要だという主旨ですから悪くないですが、まるで片親ではまともな育児は出来ないとでも言いたげなハフポストのタイトルの付け方は酷いと思います。これなんかセクハラや差別と同じで書く方がどういうつもりかは関係ないですからね。以前はもうちょっと気を使ってこんな挑発的な書き方はしていなかったと思うのですけどね。
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maki621001 · 1 year
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2023年の新年初日 なにか家族で新しい事はじめたいね!!ということでスタートした 【子育てブログ&夫婦あるある日記】 実は地味にWordPress教えてもらって、インスタも別アカウントつくってはじめてました🙋‍♀️ 子の成長てあっという間だし、この時あーだったとかってすでに記憶曖昧ww そんな時に見返してそーだったな!とかこうだったよね!とか家族でも見返せるのでいいかなと🤤 そんな記録や思い出的に始めたブログですが、記事がちょっとずつ増えてきたのでご報告✨ このInstagramは主に美容師としての情報やスポットなどの発信になります✂︎✨ 子育て的プライベートな内容は別アカウントで発信しているので、もし興味もってくださった方は来店した時にでも声をかけてくださいませ☺️     1番最近の記事は【交通公園】について🚴‍♀️ 2歳から小学生くらいかな?自転車デビューする子、練習せてる子に本当にオススメしたい!!(一輪車や変形自転車もありました😳) ムスメちゃんはまだ0ちゃんなので交通公園は4歳になったばかりの姪っ子と訪れた時のエピソードです   #子育てブログ更新中 #夫婦あるある                 #美容師ママ#子育てグラム#育児日記 #0歳児ママ#女の子ママ#アラフォーママ#画像まるで関係ない (Tokyo,Japan 東京,日本) https://www.instagram.com/p/Cqt9cQtPFQ1/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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可愛いあなたは とびきり優しくて
優しい あなたは 強くて ♡♡
強さは 時折せつなさを産んで 、、
やがて せつなさは
愛 する を知って
愛 する あなたは
誰よりも 可愛く 優しく たくましいひと
とびきり素敵 な あなた✨🦄໒꒱· ゚
だから 大丈夫。
あなたは 大丈夫 。
あなたの中で
愛は活きて 輝いてる、
なによりも あなたを
いつだって 抱きしめてる❤
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kennak · 2 months
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。 私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知らないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん。天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そ��パートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たちはなぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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xx86 · 3 months
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6/8(土)
気を張る6連勤明けだったのでおもしろいほど寝られた。体も水を吸ったように重い。
14時過ぎに少しだけ持ち直してお花屋さんへ行く。白い紫陽花と、レモンイエローのカラーと、お店のお姉さんにオススメされたなんだか分からない白い蕾のついたグリーンを買う。お花の名前は覚えられてもグリーンの名前は全く覚えられない。なぜならグリーンは好みではないから。
お家に帰ってこれは寝ておいた方が良さそうなだるさだなと思ったのでまた昼寝だか夜寝だか中途半端な時間に2時間ほど眠る。初夏の光を浴びながら眠るのは心地よい。午睡とはいい言葉。
21時におばあちゃんから電話があって、明日曽孫達がじゃがいも堀りに来るから礼ちゃんも来るかと誘われ、甥姪会いたさに二つ返事をして電話を切った後、芋掘りできるような服も靴も無いことに気づく。私は一張羅しかもたないと決めているのだ。急いでユニクロとGUをGoogleマップで検索してみるも、全て閉店していて、ですよねーと思いながら眠りについた。明日開店と同時にユニクロかGUに駆け込もう。
6/9(日)
朝5時半に起きたら昨日買った紫陽花が既に萎れててショック。水切りが上手にできてなかったのだろうか。気を取り直して、スキンケアを入念にし、ラジオ体操第一も第二も踊る。毎回迷うのだけどラジオ体操は踊るであっているのだろうか。する?
ちなみに大人になってからラジオ体操第二をやったことない人、ぜひやってほしい。三半規管めちゃくちゃになって目眩が起きるプログラムになっている。
最近の私は超健康なので夜は22時半には寝て、5時半には起きている。休みの日も。その代わり休みの日は15時までならどれだけお昼寝しても良いスタイルだ。
朝一の予約でマツエクサロンへ行って、お姉さんと筋トレをするなら夜よりも朝という話を聞いて激しく同意した。お風呂上がりのマッサージとか推奨されてるけど、夜はとにかくお風呂上がり以降の工程が多いから、プラスアルファは継続できない。体動かす系は朝に限ると思っている。気持ちもすっきりするし目が覚めるし。
マツエクを終えた後、おばあちゃんに今から服と靴買って向かうと言ったら、一式貸してくれるとのこと。ありがたい。
おばあちゃんの家に着いたら既にカッパを着た甥と姪が待ち構えていて小さい子供のカッパ姿ってなんてカワイイんだろうとときめく。
ジャガイモは面白いぐらい獲れた。私は田舎生まれ田舎育ちで甥姪と同じように収穫を手伝ってきた身なので変な色の芋虫も大きいミミズも何も怖くなく、子どもと一緒にはしゃげてよかった。ゾッとする昆虫、クジャクヤママユぐらいだと思う。
おばあちゃんの作ったお昼ご飯を食べて、甥と姪とオセロをやる。兄がひたすら私の容姿をいじってきて、兄って兄にしておくには本当に本当に嫌なヤツだよ��あとしみじみ傷つく。
紫陽花が一日で枯れた話をしたらおばあちゃんが庭の立派な紫陽花を一輪切ってくれた。義姉も便乗してあれもこれもと色んな品種を切ってもらっていた。残ったおかずも好きなだけ持って帰りなと言われたので、義姉から先にどうぞと譲ったら大量にあったエビフライ全部持ち替えられてウケた。私に残されたおかずはからあげ2個。あの兄が選ぶ女。そしてあんな性悪男と上手くやれてる女。娘が2人もいるのに信じられないような言葉で妹の容姿を野次る旦那と一緒に笑ってられる女。なんてお似合いな夫婦なんだろう。
図書館で借りていたムーミンの返却期限が迫っていたので本を返して続きを借りる。
いい歳して容姿批判ぐらいで傷つくのもどうかと思うけど今朝見た紫陽花のように気分が萎れてしまったのでさっさと寝る。
6/10(月)
急遽先輩と約束してた飲みをドタキャンされ朝から萎える。仕方ない理由だとしても飲む気分でいたから。
でもまあ1人で飲みに行けばいっかとさっさと仕事を終えて飲みに行く。仕事終わりのビールってなんでこんなにおいしいんだろう。1人だど飲むペースが早くなるので千鳥足で帰る。本当に人って酔っ払うと千鳥足になるんだな。
家に着いて、勢いのままシャワーを浴びる。本当は服用中なのでお酒を飲んではいけないのだけど、酔っ払った頭で飲んでも良さそうな薬だけピックする。
お酒のせいか体がぽかぽか熱くてクーラー21度にして寝る。3時ぐらいに震えながら目が覚めた。
6/11(火)
縁を切るために京都へ行こうと諸々予約したけど、縁切り参りは今までくらってきた代償が大きすぎるので予定を変えてオススメしてもらった苔寺へ。方向音痴すぎてやっとの思いでバスに乗るも、バスの中がびっくりするぐらいうるさくてびっくりした。例えばクラブやフェスなんかなら声を出していきたいけど、公共交通機関や美術館は多少静かじゃなきゃ嫌派である。外国の方ならしょうがないかなと思うけど聞こえる言語は全部日本語だった。イヤホンを耳に突っ込み、エンドレスでHidetake Takayamaを流しておく。まあきっとみんな嵐山で降りるんだろうなと思ったら終点の苔寺まで一緒で、マジ?静かにできる?と心配になった。
写経もお寺も素晴らしかったのだけれど、基本道が狭いので道の真ん中で一眼とか構えられるとげんなりしてしまう。私が嫌いなもの、暑さ、人混み、乗り換え、道の真ん中で立ち止まる人、容姿弄りがおもしろいと思ってる人、エビフライをぜんぶもって帰る人、である。
私は写真を全然撮らないし、写真ではなく記憶に残しておきたい派なので、人がいないスポットを見つけてはほう、っと立ち止まる。絵画を見るような感覚。
ピリピリ音を鳴らした携帯で仕事の対応を結構大きな声でしていたおじいちゃんのことを、隣のベンチに座っていたたぶんヨーロッパ系の女性が電話終わるまでサングラスを少しずらしておじいちゃんをじっと見つめていたのが良かった。彼女の隣に座っていた多分旦那さんは目を閉じ瞑想をしているようで、これが正しい苔寺の楽しみ方だろうなと思う。次来る時は絶対朝一でくると誓う。
せっかくなので近くの鈴虫寺にも寄る。平日だからか私が苔寺を人の3倍ぐらいのスピードで回ったからなのか分からないけどあまり待たずすんなりと前の方に座れた。
人が待ってると思うと緊張してあんまり上手にお願い出来なかったけど、お礼参りに来る時は絶対タクシーで来ようと誓った。
あんまり食欲ないなあと思いつつ、朝から水以外とってなかったので前から気になってたお店へ行ってみる。カウンター席に通されたけど、店員さん達がマジであけすけな話をしてて笑った。定食はほっこりおいしく体が喜んでる、と思った。
本当はもっとゆっくり京都を堪能する予定だったのだけど、とにかく暑いし人は多いしでほとほとに疲れ予定よりうんと早い新幹線に乗って帰る。人身事故が多発し、結局名古屋で足止めを食らったけど、重いの我慢してムーミンの小説もってきてよかったな〜と思いながらムーミンを読んだり寝たり自由に電車内で過ごす。結局電車が動いたのは1時間半後だった。
一度コロナがはじまったばかりの頃、縁切りしたすぎて京都へ行ったけどめちゃくちゃ空いててよかったな。静かな時に行きたい。静かな京都なんて存在しないだろうけど。
後輩の結婚報告を受けて、もう年下も結婚していく年齢になったのだなあとしみじみした。
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cafe-sao · 8 months
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〈視野広がる〉
友人夫婦がお家に遊びに来てくれました
幼稚園お迎え迄の短時間ですが
外国の方と英語で少しお話し出来たので
子育ての価値観や世界観が広がりました
英語で話せる機会を沢山作っていこうと思いました。
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asukatrustcoaching · 5 months
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夫婦で学ぶ子育てコーチング
新年度キャンペーン!子育て応援プログラム! 子育て中のママ、パパを応援するため、新年度キャンペーン!子育て応援プログラムがスタートしました! 特別価格にてペアレンツコーチングをご受講いだけます! お申し込みはこちら 子どもの未来は親の何気ない日々のコミュニケーションで作られていく ペアレンツコーチング(マザーズコーチング)では、普段、何気なくしているコミュニケーションを振り返りながら、忙しい中でも質の高い関わりができる、子どもの可能性を広げる関わり方のヒントをお伝えいたします。 幼少期の親の関わりは子どもの将来に大きな影響を与えることは、多くの方が知っていますが、「子どものため」と思っての言動が、時に逆効果になることを理解している保護者はまだまだ多くはありません。「育児の方法」と同じように「コミュニケーションの方法」も学ぶことで、子どもの将来の可能性を大きく広げることができます。…
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serendipityorchid · 1 year
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「まぁ、いいか。」
そう言って自分を許すことは大事。
神様カードのインスタの〜愛の一言〜で書きました。
細かいことは気にせずにゆるりと前に進みましょう。
完璧である必要はないのです。
そうなんですが、私はこれが苦手です。
完璧を目指してるつもりもないし、結構サボりがちなのですが、「ちゃんとしなくちゃいけない」といつも思っている気がします。
ちゃんとしなくちゃいけないと思っているので出来ていない自分にイライラしたり、自分だけならともかく、周りの人にもちゃんとした方がいいよと思ってしまいます。
そもそも、「ちゃんと」ってなんでしょうね⁉️
私が決めた私の中のルールです。なので他の人にそれを押し着せるのは良くないし、自分でさえ自分の決めた「ちゃんと」に押しつぶされてしまっては意味ないですよね。
私は6歳の男の子のママですが、つい「ちゃんとしなさい!」としかりそうになります。
ちゃんとしなさいと押し着せるのではなく、私の「ちゃんと」を言葉にして理由を説明したり、彼の意見を尊重したりしながら、子育てしていきたいなと思います。
夫は12歳年下ですので、これまた世代間ギャップのようなものもあり、ついつい「ちゃんとしてよ」となってしまいます。
そして「自分だって何にもできてないのに私って、、、。」と自己嫌悪に陥ったりします。
そんな私を見守ってくれる夫に感謝です。
息子はそんなママを大好きすぎると言ってくれます❤️
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まぁいいか。それはそれで良い。
こだわりや、こうでなくてはという執着を手放してゆるりと前に進みたいものです。
最近、寺社仏閣を巡る時に色々と勉強していると、私たちの生活の中には「神道」や「仏教」の教えなどがいっぱいあるなと思います。
私は最近「放てば手にみてり」という言葉を胸に置いています。
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liyatv · 25 days
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ゆん: 【56kg→44kg】妊娠して人生MAX体重から−12kg!😭🔥産後ダイエット成功してファッションショーに出演してきました!
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tanakaeri · 1 year
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そわそわして整理できない気持ちin名古屋こころのケア
季節は秋に近づいていると言いますが、太陽の日差しに負けそうな週末ですね。 季節の変化とともに、こころや身体の変化を感じらえていますか?ご自身にアンテナを向けてあげてくださいね。色々事情がありますし、乗り越えなくてはならないと感じることもあるかと思います。 自己選択そして自己実現を、自分以外の第三者にゆだねてしまう事のないようにして下さいね。 誰かの意見は、その人が置かれた状況や立場での意見であり、あなたの意見ではないです。 ただ、心配していくれている気持ちは、感謝の気持ちで受け取って下さい。 あなたはあなたしか存在していないから。あなたの気持ちが晴れるように、考えること、行動すること、アドバイスもチャレンジすることはすすめしますが、その方法がご自身に合っているかどうかは、行動してみないとわからないことがあります。 行動してみると、感じられることが多いです。行動する気力がない場…
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lllusioninthehead · 15 days
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2024/9/5
【資本主義リアリズム 読了】
昔、読んだ少年向けのファンタジーに灰色の魔女と呼ばれる存在がいた。遥か昔から人の身体を乗っ取り移り変わり生き長らえるその存在の使命は、世界の均衡を保つこと。
巨大な支配ではなく小さな力が拮抗し引っ張り合いをしている状態こそが健全であり世界が永続していくのに最適だと疑わない。ある国の力が巨大になればそれを弱め、対抗を育て、均衡を取り戻す。そんなことをずっとしている。
この本を読んでいるとその灰色の魔女の存在がちらつく。違うのは資本主義はシステムであり、ある一種の正義であり、健全さを気取った腐敗の名称であること。人間なくして成り立たないくせ、人間性を否定していること。
音楽、建築、芸術、スポーツにしばし資本主義に対するカウンターカルチャーが内包するが、それも資本主義なしでは成立しない。少なくとも現代ではそうだ。
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資本主義の中で食い扶持を見つけながらも、欲望や消費よりも大切なものを内包し、曖昧で何者にもならず楽しく生を生ききって死んでいく。
革命や巨大な川の流れに身を任せず、小さな正義を積み重ねていく。それが大切なのかな。
筆者が鬱で自殺してるだけに余計に教訓として身に染みる。
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【読書の呪い或いは催眠】
紹介された本を読むときは常に頭のどこかに紹介者がいる。これは呪いであり催眠だと思う。長期に渡れば呪い。短期で済めば催眠或いは心地よい幻想。
何時間か紹介者と話す機会にも恵まれたのだけど、不思議ではあった。アンバランスな家庭環境で育ちながら本人のバランス感覚は見事なもので、ありがちな依存的性質がどこにも見当たらない。分別があり経験することを厭わず常に解釈とそれに伴う行動をし、それでいて人間性は明るく、優しく、理知的である。
与えられたものに自覚的でありながら、何よりもちゃんと親を殺している。独立した自我がある。
こういう人がいるもんだなぁと二軒目が終わる頃にはこちらが背筋が伸びる思いであった。
子供がこういうふうに育つのであれば親になるのも悪くないだろうな。親は良くも悪くも自由で子供はもっと自由で、それが続いていけば。
定型的な良い大人、良い夫婦、良い親、良い夫。こんなものはゴミ箱に捨てよう。
やはり、人と会うのは楽しい。それが何を連れてくるであれ。
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haru-c-o · 1 month
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田舎のおばあちゃんの家には、フロッキーという小型のチワワがいた。母の20歳の誕生日記念にやってきたというフロッキーは、私がおばあちゃんの家へ帰るたびに短い足をパタパタを走らせて玄関まで出迎えてくれたものだった。当時、生き物を可愛いなどと思う感情がまだ育っていなかった私には、フロッキーはペットというより風景に近かった。朝や昼、テーブルの横でおばあちゃんにご飯をもらうフロッキーを見たり、見なかったりしながら、私もおばあちゃんが��てたじゃがいもにバターを塗って食べていた。
フロッキーは私が小学校3、4年生の頃に死んだ。母の20歳の誕生日記念にやってきた犬だったから、相当長生きをしたんだと思う。いつだったか、フロッキーは目が見えないんだと聞かされた。数歩歩けば廊下の壁にぶつかる姿をよく見ていたから、すぐに納得した。フロッキーのお墓はおばあちゃんの家から車で数分のところにあるフカバに立てられた。フカバとは、孵化場と書く。フカバにはいくつか堀があって、そこにいる魚たちはそこで生まれ、どこかへ旅立ったのちまたその場所へ帰って卵を産んでいくから、「卵が孵化する場所」で、孵化場と呼ばれていた。フカバはもともとひいおじいちゃんの家だったようだが、ひいおじいちゃんは私の顔を見ずに死んでいったから私もひいおじいちゃんの顔を知らない。数年早く生まれたいとこのことはよく可愛がっていたようだった。フロッキーの骨はそこへ埋められた。フロッキーの墓前で手を合わせても、フロッキーのいないおばあちゃんの家へ帰っても、フロッキーの死んだことを実感することはなかった。おばあちゃんも、おじいちゃんも、その後に死んだ。家はそのままに、別の知らない人が移り住んで暮らしている。その田舎にあった先祖の墓は、母の兄夫婦が住む土地へ移動され、おばあちゃんもおじいちゃんもひいおじいちゃんもそこで眠っている。田舎には、母がまだ小さい頃に散々世話になったという人が住んでいて、母のことを子どものように可愛がっていたその人は母の娘である私のことも孫のように可愛がってくれる。祖父母が死んでからは、今年で84歳になるというその人へ会いにいくためだけに田舎へ帰っている。フカバへ行く道は数年前に封鎖されていて、そこへ立てられたフロッキーのお墓がどうなっているかはもうわからない。
都会で生まれ育った私には、田舎で過ごす夏休みは刺激的で、常にわくわくしていた。畦道を走り、川にかかる橋を歩き、17時の鐘が鳴るまで汗を流して遊んだ。家に戻るとおばあちゃんがじゃがいもを蒸していて、ソファに腰掛けるおじいちゃんの隣にはいつもフロッキーがいた。今はもうその風景はない。都会で生まれ育った私は、きっとこの田舎には住めない。店もなく、あるのは川と畑だけ。立ち並ぶお墓に生けられたお花だけがまだここに人がいることを教えていた。
フロッキー、会いたい。思えば、最初に崩れた風景は、フロッキーだった。数年ぶりに帰った田舎で、短い足でちまちまと畳を歩く足音が、蝉の声よりよく聞こえるようだった。
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