#大安ジャム
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20/01/2024
今日はあこ食堂で安定のベジランチ🍴
新年最初の名もなき小さなケーキ店🍰 アポなし訪問でしたがケーキは全種類残っていました。
まだ食べたことがなかったいちごロールをいただきました🍓 ロールの中にもいちごの果実がゴロゴロ🍓ロールケーキの側面に手作りいちごジャムが仕込んであり、いちごづくしでした🍓
2024年の鹿児島県最強のパワースポット神社とゲッターズさんが紹介した新田神社も年始詣とは言い難いかもしれませんが参拝してきました⛩️🤲✨ 紹介されなくても新田神社は元旦の混雑は有名なので、元旦から3週間経ったこの時期なら良いかな~なんて思っていましたが、参拝者が多く、普段はいない警備員さんがいました👀❗
そして、久しぶりの藤川天神も参拝しました⛩️🐕️ 梅の花がちらほら咲き始めていてきれいでした🌸🤗
さて、昨日(1/19 金)に買ったベッド一式。
明日、組み立てするまでは玄��口に置いていましたが、出入りが困難で転倒者続出💧玄関から外に出るまでがアトラクションです汗 因みに私も2回こけました。 家族からも 「玄関入ってすぐの所だから、もう少し安全に歩けるようにして泣」 との要望があり、急遽マットレス(15.5kg)だけ自室に上げました。 自室は2階にあるので、これを運ぶの���ひと苦労😫 結果、腰と両腕が痛いです苦笑 ベッド組み立てをする当日に、筋肉痛にならないことを祈るしかありません🤲
そして、この投稿文をスマホで作成中に、座っていたベッドが バキッ⚡‼️ と大きな音がしたので、ベッドを調べてみたら、何とすのこ部分が見事に割れていました😨‼️ このタイミングで壊れるんですか泣⁉️ 怖いので今夜は床に寝ます😭
明日は意地でもベッドを組み立てないといけません💪
しかし、そんな効果が出たのか、今日は散々ケーキを食べたのにも関わらず(+新田神社で階段昇降)、体重が減ってました👏
#備忘録#photography#japan#reminder#kyushu#kagoshima#美味しさは正義です#スイーツには夢がないとダメ#sweets#satsumasendai#vegetable lunch#vegetable foods#vegetable#あこ食堂#名もなき小さなケーキ店#namonaki_okashiya#新田神社#藤川天神
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二度目のチャレンジで。
2024年10月 コメダ珈琲店 堺中百舌鳥店 iPhone11
どうも、こんにちは。10月27日(日)は、朝7時にコメダ珈琲店に行きました。開店前から高齢者が列をなして開店と同時に雪崩れ込んでいましたが、僕もその一人になりました(汗)。ブレンドコーヒーの「たっぷり」サイズは苦味があって美味しい。トーストはジャムにしたんだが、バターの方が良かったかな?お値段は640円で結構いいお値段ですね。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
構図を考えて撮ったつもりが、Googleマップのストリートビューみたいになっちまいましたが(汗)、西池にやってきました。コンビニのパンとコーヒーも味気ないし、これから西池に行く時はコメダ珈琲店に寄ってからいくかな。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
この週末は誰からもお誘いがなかったので単独釣行です。水藻フィッシングセンターに行くつもりで家を出たんですが、車のアクセルを踏んでると右足がまだ痛い…。なので、足を労って半分の時間で行ける西池に変更しました。西池なら、ひょっとしたらhowellsさんが来てるかな〜と思ったんですが、車がない。この画像を添付して「今日はどこですか?(まだ家やったら西池に来てくださいw)」ってメールしてみたら、今日はお仕事だそうです。残念!さて、釣席ですが、天気は保ちそうなので屋外一択。っていうか、僕はなんでいつも屋内釣り場の暗がりに座るんだろうw。夜行性なのかもしれませんw。
西側の51番席が空いていたので、49番席の先客に声をかけて51番席に。先週は常連さんが陣取って長竿でよく釣れていたんです。料金を払う時池主さんに聞いてみたら18尺までいけるのだとか。(振り切りはたぶん無理)
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
長い竿が振れる席に座りたかったのは、この竿を買ったから。物凄く欲しいわけじゃなかったので、落札できたら儲け物って感じで安い指値を入れていたらホンマに落札できてしまった(^▽^;)。なんで?「流れ雲」って良い竿なのに。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
16尺なので浮子が遠い。浮子はトップの太い舟水の「太PC底」で竿が長いので13番をチョイス。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
ウドンを炊いてないので、今日はグルテンにダンゴを混ぜる感じでやってみる。ベルモントの絞り器とアルミのポンプの組み合わせを使ってみたけど、出てくるグルテンが細くて使いにくい。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
「流れ雲」の竹竿は14尺も持ってるんだけど、穂先が細くて柔らかい。タスキで振り切る時に穂先がフニャって曲がるので、後ろのトタンの壁に当たることがある。何回か撃ちましたw。穂先が曲がらんように同じ浮子の11番に変更したら、浮子が軽くなって当たらなくなりました。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
My New Gearした「流れ雲」に入魂したいのに浮子がほぼ動かねえ。浮子がなじまなくて「おやっ?」て思ったら宙で喰われました。センターバッチリですけど、僕にはスレ扱いです。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
釣れてないのは僕だけで周りはポツポツ釣れてる。このままではボウズになる…ヤバッ(^▽^;)
僕に近い人は8〜9尺で釣っているので、8尺に替えます。浮子は舟水の「底釣り」の9番です。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
8尺の竹竿は「東峰」の8.4尺です。グルテンポンプと絞り器も使いやすいいつものマルエムのものに替えました。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
浮子がやたら動いて踊るんだが…釣れないままお昼ごはんの時間に。午前中ボウズや…。
今日の注文は親子丼ときつねうどんのセットです。まいうー!
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
エサが宙で揉まれてるんだろうけど、浮子が激しく踊ってイライラする〜。根気よくなじむのを待ちながら釣ってると、グッ、グッ、グーって感じの大味な魚信でやっと釣れました。ガサベラが…ってマブナですね。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
浮子の踊りにイライラ〜w。尺数変更しますわ。「五郎」の高野竹10尺です。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
浮子は舟水の「はやて底」の9番。浮子がモゾモゾしてから動かなくなったんでエサを切ったら掛かってた。居食い…。一応は底で釣ったので悩ましいが、写真も撮らずにスレ扱いでノーカウント。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
もうボウズちゃうし長い竿振りたいな〜。なので、入魂に失敗した「流れ雲」を再登板させる。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
おお、釣れたわ。両目が開いて入魂できました。
このあと、また掛けたんだが穂先がスッポ抜けた!ああ〜。そのうちに浮子が浮いてきたんだが魚がついたままで浮子はウロウロ。南側にいた常連さんが自分の仕掛けで引っ掛けて寄せてくれた。僕も携行している振り出しの短いルアーロッドにリールをセットしてボラ掛け鉤を結び、テグスを引っ掛けて回収に成功。そういえばさっきまで使ってた「東峰」も西池で穂先抜かれて回収したな。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
穂先を回収できた代わりに仕掛けがグシャグシャになったので作り直し。エサがまだ残っているので打ってたら、浮子がツンと入って乗った〜!長い竿で掛けると気持ち良い〜。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
綺麗なヘラブナでした。3枚目。15時を過ぎたのでもう竿を納めます。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
ということで、10月27日はヘラブナ3枚でした。別途、口掛だけどノーカンでスレ扱い3枚。他の人たちはボチボチ釣れてました。
では、また。
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震災経験者「非常食を準備するなら『乾パン』はやめたほうがいい。食べにくいしストレスになる。オススメな非常食は◯◯◯」 : はちま起稿
以下転載 https://x.com/raityou1gou/status/1747383152094699587?s=20
震災経験者から一言 自分の非常食を準備するならカンパンはやめといた方がいい 水分無いと食べにくいし、口の中も切れやすくて、災害のストレスで口内炎になるん。 焼き鳥の缶詰なんか甘くて元気が出やすいからお勧め。 使わなくなったメガネを家の外の安全な所に置いとく。 無いよりマシ。
・https://x.com/raityou1gou/status/1747869335165829432?s=20
防災セットとか高いから、普通に好きな缶詰を備蓄しといて、賞味期限が近くなったらそれを食べるローテーションがいいと思いますよ。
・https://x.com/chax3rin/status/1747735612478931066?s=20
かんぱんは一緒に入ってる氷菓子と一緒に食べるんやで? 食べにくいんは分かるけど、食べ方も知った方がいいなとおもた
・https://x.com/acupofwine__/status/1747735445235257663?s=20
本震直後に皆コンビニに殺到するやん? 飲み物・弁当・パン・惣菜が秒で売り切れて最後に残るのはジャム、サラミとかのおつまみ、それと袋に入った粒のチョコレートなの。 全てコンパクト&高カロリー、絶対ゲットすべきだわ。 東日本大震災で空腹だった俺を15km先の家まで歩かせたエネルギーがこれ。
・https://x.com/kaz_type/status/1747641631011213362?s=20
高ストレスな上に、初期の食料配給はどうしても炭水化物ばっかりになりがちだからビタミン剤も非常持ち出し袋に入れとくと良いよって聞きました
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1130-1205
1130 うちはトイレと物置が隣にあって同じドアが並んでいて、物置に何か取りに行ったつもりが隣のトイレのドアを開けていて、あれおしっこしたかったっけ…とか思いながら用を足している。物置に何か用事があったのを忘れてしまう。こういうことはスマートフォンの上でもよくあって、メールをチェックするつもりがツイッターを開いている。 なんか電車が空いていた。べつに理由はないんだろうけどなんでだろうと思ってしまう。理由を探してしまう。窓の外の荒川が濃い色をしていて冬だなーと思う。そしてその窓に、明らかにデマというかインチキ医療の本の広告が貼ってあり、こういう本が堂々と出版されているのにどうしてわたしの���説は同人誌なんだろうなーとか思う。やつあたりみたいに思う。
ずいぶん前に買ったエッセイの本を読んでいる。とても自由であたたかい家庭の話だと思うのに読んでいるとどんどん心がささくれだっていく。夫婦でやっているお店の話で、お店の仕事は女の人がメイン。本の語り手の男の人はサポートと広報をやっていて、その流れで本を出したようす。 なんかこうなんかこう、あなたの話はいいからこの女の人の話がききたいよとか思ってしまう。この女の人がどのように考えて店をやっているのか、あなたの口からじゃなくてこの女の人の言葉でききたい。声をききたい。いやそんなのは役割分担だとは思うのに、まったく何も取り繕わない自分の気持ちとしては、こいつなんかいけすかねえな〜!と思ってしまう。仕事の役割が夫婦で逆だったら、サポートしている女の人に本を書きませんかって話はきたかな〜とか訝ってしまう。そうしてあるいは、これが女の人同士のカップルだったら、わたしはこんなふうに思うんだろうか。 じゃあつまり自分にはひどいミサンドリーがあるんだよな…。この本に限らず日常の中のほんとにいろんな瞬間で自分のミサンドリーにぶちあたり、しょんぼりする。ハッとしたときはもう遅くて、本当になにかこう、ごく自然に、嫌悪の感情がある。 自分にべったりしみついた差別心や偏見はもうどうにもならないんじゃないかと怖くなる。わたしは自分の性格をなんて意地悪なんだろうと思っているけど、意地悪どころでは済まないひどいものが自分のすみずみまでがっつりしみついていて、このような土をいくら耕したってここから生えるものはみんなだめなんじゃないか。わたしのやっていることは本当にぜんぜんだめなんじゃないか。ときどき絶望的な気持ちになる。
夕方、通販と書店さんへの荷物を送った。思ったより手間取ったし部屋もとっ散らかった。そんなにたくさん送ったわけではないんだけどたぶん要領が悪い。本の梱包とか荷造りとかがとても苦手で、何年やってんだって感じだけど本当に慣れない。引き続き腹も痛いし尻も痛い。夕飯は豚肉とチンゲンサイとえのきと春雨を炒め煮したやつとかつおのたたきと厚揚げ。
1201 今日も通販の荷物を送る。このところほとんど毎日やってるのにぜんぜん梱包うまくならないのどうなってんだ。ガムテープをまっすぐ貼るのがへたくそすぎるし本を袋詰めするのもなんかきれいにならない。手のしびれ、震えのこともあるとは思うけど、送る荷物が格好悪くてまいどほんとに恥ずかしい。お手に取ってくださった方は薄目で見てほしい…。
書店さん宛に送った荷物が届きはじめているようで、犬と街灯さん(表紙を描いてくださった谷脇栗太さんのお店)がさっそくネットショップに追加してくださっていた。ツイートを見て、ほんとにある!と驚いた。驚くって言い方はなんか変なんだけど、遠くのお店にほんとにあるんだな…と感慨深くなる。本屋lighthouseさんからも本が届いたよと連絡がきていて、ほんとに置いてもらえるんだな〜とドキドキした。書店委託はまったくの初めてではないんだけどなんかこうどうしたんだろう。 「顔たち、犬たち」関連はずっと気持ちが張り詰めている。新しい小説の本を出すときはいつもtumblrにステイトメントみたいな記事を書くんだけどそれも書けていない。言いたいことや話したいことがいっぱいあって、どっからどうしたらいいのか、やりたいことが目詰まりしている…。そうしてそんなに激重感情でやってるのに小説自��はほんとにしょ〜もない話で、よわよわおちんぽの〆切直前もそうだったけど、悲壮感を出すような作品ではないのでなんかチグハグしている。
でもこの「しょうもない話」はちょっといい傾向かなとも思っている。執筆の佳境とか書き終わる直前ってなんかこう気持ちが盛り上がってしまって、作品を「大層な話」にしたくなってしまいがちというか…。なんていうの、谷川俊太郎の「魂のいちばんおいしいところ」みたいに書きたいみたいな、高望みした欲がある。
私たちの上に広がる青空にひそむ あのあてどないものに逆らって そうしてあなたは自分でも気づかずに あなたの魂のいちばんおいしいところを 私にくれた
長めの話に時間をかけて取り組むと自分の中のそういう…純っぽいもの…?を差し出したくなってしまうというか、自分の芯を取り出したものでありたいみたいな、そういう欲がわいてしまう。やけに体重をのせてしまう。 で、最近それを回避したくて、けっこう意識的に「しょうもない話」をやっているふしがある。単純に作品がくどくなるのを避けたいのもあるし、なんかこう自分の差別心や意地悪ってそういうとこからきてるんじゃないかみたいなことも思って。これはまとまってないのでもうちょっと考える。
夕飯はおでん。夜中、ふと思い立って虐殺反対のステッカーを作った。ネットプリントにした。
12/2 ゴルフの練習に行って洗濯をして掃除機をかけた。お昼はきのうのおでんの残りとチャーカラ(チャーハン唐揚げ弁当のこと)。きのうのステッカーをプリントアウトしてみたらいい感じだった。ロボット掃除機が壊れたかもしれない件はやっと言えた。まるでいま壊れたかも?みたいな感じで言った。えもからもらった柿をジャムにした。柿プリンも作ってみたけどあんまり固まらなかった。やけに疲れてしまって2時間くらい昼寝した。寒いので夕飯は鍋。アド街を見ながら食べた。
夜中、通販などの荷造り。本を袋に入れて送るだけのことがどうしてわたしはこんなにへたくそなんだ…と散らかった部屋で途方に暮れた。毎日同じことを思っている。
12/3 プリパラプリチャンプリマジのライブ。毎年恒例の幕張メッセでのライブで、前回の幕張がついこのあいだのように感じる。一年が早すぎる。きのうの残りの鍋を食べて車で出かけた。幕張メッセの駐車場は一日千円なので、二人分の電車代やコーヒー代を考えたらこっちの方が安い。昼公演と夜公演の間の待ち時間を過ごせる場所があるのも気楽だし。スタンレーの水筒にお茶を入れて持って行った。夜になっても湯気が立った。
今年は演出がとてもよかった。とくにプリマジの各キャラクターのソロ曲、ほかのキャラクターがうしろで盛り上げてるの最高最高最高だった。庄司宇芽香さんの演じるあま��様が本当に素晴らしくてたくさん手を振った。声出しOKライブでよかった。今日の公演のためだけに髪の毛真っ赤にしてくれたのかと思うと胸がいっぱいになる。夜公演はアリーナの花道そばだったので、一回だけ目があって本当に泣いちゃうかと思った。 プリマジは9月のリーディングイベントのときも思ったけど、女性が女性にキャーキャーいうのがどまんなかにきているので本当に居心地がいい。なんていうのかな、「本来は女児向けのアニメにいわゆる大きなお友だちのオタク男性が大挙して…」みたいな感じでもないんだよな。男オタが女の子(女の子のキャラクターだったりそれを演じる若い女性の演者だったり)を愛でてやるぜ的な感じがあんまなくて、みんながキャーキャーいいながら女の人たちの格好よさ、かわいさ、楽曲のよさを喜んでいる。本当にすごい。長いシリーズを通して作品が変化しているのもあるし、観客を育ててきた感があるなーと思う。演者も客も年齢を重ねたのもあるかも。 そしてプリティーシリーズ通してだけど、ファンにセクマイが多いのをなんとなく認知してくれているように思う。もちろん演者によって濃淡はあるのでたまーに発言にハラハラすることはあるんだけど、あなたのための席がありますと言い続けてくれているシリーズだと思う。リングマリィの「コトバブーケ」は「おとぎ話の通りじゃなくても私はヒロイン」「おとぎ話の通りじゃない方が自分らしい」と始まる曲で、まっすぐ女性同士のウエディングを描いていてすごくうれしい…。それを冷やかすような反応や百合!みたいな茶化した感じの反応が今回はあんまなかった気がして(あることはあるんだけど前より減った感じで)よかった。
そして大好きな大好きな厚木那奈美さんが本当に本当に…いつも変わらずお姫さまみたいで…本当に素敵だった…。内側から光ってるんだよな…存在が光、祝福なんだと思う。厚木那奈美さんを前にするとわたしはいつも幼稚園の子どもになってしまう。厚木那奈美さんがお姫さまの国でリスとかネズミとかコロボックルとかになって暮らしたいよ…。「ブランニューガール」はミディアムテンポのちょっとセンチメンタルな曲なんだけどけっこうしっかりめの振り付けで、でも厚木那奈美さんはニコニコ笑顔で歌って踊っていて、本当に本当に宇宙に神さまに星々に絶対絶対絶対愛されているほんもののお姫さまなんだな〜!って泣いた。厚木那奈美さんの長い手足がすらーっとすーっとどこまでも伸びていって、ほんとにもう東京湾くらいなら全然余裕でまたげるんじゃないかと思う。厚木那奈美さんが微笑めば木からどんぐりが落ちてきて、リスとかネズミとかコロボックルはそれをぎゅっと抱きしめます。 厚木那奈美さん、友だちや知り合いにわたしはこの人が好きなんだよ〜って教えると「うわ好きそー」って納得されるのすごい面白い。わかりやすくどタイプ。厚木那奈美さんとかムンビョルさんとか美少女さんとか、おかわだくんはこういうスラッとした人が本当に大好きだよね…。
あと泣いたといえば、コスモさんの「君100%人生」やってくれて! 久しぶりにライブで聴けて爆泣した。君100の何がいいって、「次は負けないよ」「取り戻せ」「自信出して 元気になって」「体 心 鍛え直すよ人生」のとこ。わかりやすく励ます歌詞ではあるんだけど、それ以上に「今回は負けたよね、いろんなもの奪われたし失くしちゃったよね、自信も元気もないよね、体も心もおしまいだよね」っていうのをまんま受け止めてくれるのがすごい好き。おまえは今回負けたよねって目をそらさず認めてくれるのとても安心する。 日記やけに長くなってるからここらへんにしとくけど、小林竜之さんのアサヒの仕上がりがやばすぎてすっげーよかった。ほんとに「マジヤッベーチョースッゲー」だった。34歳男性のあの感じ最高ですわ。小林竜之さん40歳のアサヒ役ぜってえぜってえ観たいのでプリティーシリーズを今後とも応援していこうと思った。
ライブがあまりにもよかったので、やっぱプリティーシリーズミリしらアンソロやりたいな〜と思った。わたしは二次創作的なのは書けないので、「プリティーシリーズのことを考えて書いた小説」とかになっちゃうんだけど、それを本にしたい…そしてなんかいろんな人にゲスト原稿を依頼したい…すごく同人誌って感じするやつ…。いったい誰が読むんだって感じなんだけどそういう変なアンソロをやりたいよね…。 そしてウキウキの気持ちで帰ってきたらKADOKAWAがろくでもねえトランスヘイト本を刊行しようとしているのでテンションだだ下がりになった。ふざけるなよとインスタのストーリーズでキレ散らかした。
12/4 えもとなむあひさんと遊んだ。朝パン屋で待ちあわせて多摩川に行った。いい天気で冬って感じの空だった。広々していて気持ちいい。二子玉川の駅を降りてすぐこの景色なのほんといいよな。橋を渡る電車がずっとごとんごとんいっていて、遠くの橋や向こう岸で車が流れている。水や物がずっと動いている。サギがたくさんいた。白くて大きな鳥が冬の濃い青い空にたくさん舞っているのが、なんだかうそみたいにすがすがしい眺めだった。 えもから個展のDMをもらった。先々週会ったときに元の絵を見せてもらっていたけど、すごくきれいに色が出ていてほんと展示楽しみだなーと思った。あと「あいじょうぶ」ブローチももらった。「俺の愛があるから大丈夫!あいじょうぶや!」のブローチ(ナポリのすぎるのやつ)。草の上に置いて写真を撮った。 なむあひさんが「顔たち、犬たち」の感想を伝えてくださってうれし��った。なんかこうがんばって書いていきたいよな…という話をした。本を持ってきてくださったので表紙の優人さんに川を見せてあげた(?) そのあと昼から磯丸水産に行って飲んだ。トマトハイめっちゃ薄かったけど美味しかった。えもとわたしで何杯飲んだんだ…。このあいだなむあひさんと焼き鳥食べたとき、注文したはずのタコウインナーが結局来なくて、わたしはすっかり忘れていたんだけど次の日なむあひさんがそういえばタコウインナー来なかったですねって思い出していて、じゃあ今度リベンジしましょうって言ってたんだけど2週間で早くもそれが叶うの面白いな。川行って、(磯丸だけど)イカとかウインナーとか網で焼いて、実質バーベキューみたいだった。あとプリティーシリーズミリしらアンソロやりたいんですよ〜という話をした。いきなりどうしたって思ったろうな…。 夕方もっかい川に行っ��、あまりにも楽しくて手つないでワーイとかした。えもの手が小さくて冷たくてびっくりした。
KADOKAWAに問い合わせメール送った。刊行中止してくださいとははっきり書かず(できないだろうと思った)、なんでこういうのを出そうと思ったのか経緯を知りたかった。それで質問を送った感じ。
12/5 これぜったい乾かないよなと思いながら朝洗濯物を干して出かけた。曇っていたし寒かった。昼にチバユウスケの訃報を知って驚いた。これがきのうえもと一緒にいるときに知ったらどうだったろう。明るい川べりで知ったら、真昼間の磯丸水産で知ったらどんなふうだったろう。コンビニでコーヒーを買って小袋成彬の「Night Out」を聴いた。今日はとても寒くて、外もずっと暗かった。むかしの友だち、ミッシェルを好きだった人たちの顔がつぎつぎ浮かんだ。なんかツイートではなにも言えなくてリツイートのカウンターがまわるのをじっと見ていた。ものすごい熱心なファンとかではないけどなんかこういっぱい思い出深い…みたいな距離感だからだと思う。いま小説のあれこれでやりとりしている人や現在進行形で作品を生み出している人、みんなひとり残らずいつかいなくなるのだ…とすごく当たり前のことを思った。夜になって、長いこと連絡をとっていなかった人からチバのこと悲しいねってメールがきていた。携帯電話のキャリアメール宛で、迷惑メールかと思った。そういやこの人のLINE知らないや。そうだねみたいなことをちょっと書いて送って、それ以上はべつにやりとりしたくない気がした。これを機に旧交をあたためようなんていうのはなんかこう格好悪いだろと思った。いやこれがめっちゃ好きな人からきた連絡だったらしっぽ振って返事送るんだろうけどさ…。洗濯物は厚手の靴下がやっぱり乾いていなかった。Mリーグを見ながらキムチ鍋を食べた。
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ハニーマスタード
(全部フィクションです!なんか殴り書きの短編小説みたいなことがしたくなったんです)
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ストローを噛む癖 調味料は贅沢に パンのジャムはキワキワまで塗りたくて そんな生活ができるのは 祝福されて生まれてきて 愛されて育ったから 贅沢病なんだねって気づきはじめた
優しさを探すのが好きになった 十人十色の優しさがあって 裏側に必ず傷つく人がいることも気づいた
自分の優しさが伝わって 相手に馴染んでいくのが 恋から愛に変わる瞬間なんだと 大して歳をとっていない分際で分かったような気がしている
勢いが欲しい 勇気が欲しい なんて昔は思っていたけどその裏側に 未来を守るだけの安定とか気概が欲しかったんだ 酸いも甘いも いつになったら全部知れるのかな どれだけ恋をしたら君を守れるのかな 君に会いに行く片道切符の握る手に力が入る
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遠距離恋愛の人って本当に多いんだなぁと
職業柄色んな人の恋愛を垣間見ることが多い
逆に 住んでるすぐ近くに 素敵な人と���会えたのならそれは本当に奇跡みたいな確率だ
より良い人 自分に合う人 好みな人
探し続けるなんてキリがないし そもそも振り向いてくれるかなんて 確証もない
俺もそんな悩みの渦中にいる
それでも俺には 歌があってよかった
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言葉 容姿 仕草 全部君を丸ごと愛したい
顔で選んだんじゃないよ じゃなくて 顔がタイプだよって素直に言いたい
性格で選んだじゃなくて 2人の性格がこんなに合って良かったと喜び合いたい
情けない姿は見せたくないんだ 心の裏側まで曝け出して君に嫌われたくない
でも繊細さや脆さは美しさとしなやかさだ
驕りや自己愛ではなくて 波長がなぜか合ってしまう君ならわかってくれるはずだ
あまい生活 棘のある言葉 ヒリつく現実
優しい声 身の丈より少し大きい夢
君に振り向いてもらうために全部捨てることはもうできなくなってしまったけど
それも丸ごと2人の話に なんて俺のわがまま
どうやって君に伝えたらいいんだろう
誰も知らないところで君を見つめて
そんな俺の悩みを 君のこれからを
話していたいんだ
やさしさのカタチ
M-1.ハニーマスタード
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2024/6/3
デスクにいると私の部屋の窓から、向かいの家が見えるが、数日前から子供が手を広げたくらいの大きさの大鷹を模した鳥よけが設置されていて、風に吹かれてははためいている、というより滑空する素振りを見せている。この時期実る枇杷を守るためだと思われる。数年前になりすぎたと枇杷をもらったものの、選抜していないせいでそのまま食べても味が薄く、必要以上にもらってしまったのでジャムにしても味が薄かった記憶がある。適度に鳥にかいつまんでもらって、味を濃くしてもらったほうがいいのではないだろうか。
今日の朝は地震警報で目を覚まして、そこからもう一度寝て9時に起きる。ラジオを聞きながら、天気予報で雨予報を耳にしたものの、まあ大丈夫だろうと高をくくっていたら、小雨の帰り道を半分も過ぎないところであっという間に雨が強くなり、ずぶ濡れになる。帰るだけだからずぶ濡れになるのは全く構わないのだけど、眼鏡が水滴まみれになってしまってすっかり前は見えないし、眼鏡を取っても前は見えないしで危ない。
たまに将来についての不安が急にこみあげてくることがある。うまくいっていないとかうまくいかないかもしれないとか、どうにもならないとか。都度都度、物事を整理して、これは今これくらいまで進んでいる、これはいつまでに取り掛かればいい、これは今考えてもどうしようもないと。騙し騙しやっているような気がしてならない。
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同店は「全て防腐剤、添加物不使用で市販の焼き菓子の半分以下のお砂糖の量で作っており、離乳食完了期のお子様より安心してお召し上がりいただけます」などと無添加や乳幼児向けと「安全」をPRしていたが、今回の騒動を受けSNSで「5日間ずっと製造しないと間に合わない」と告白。さらに「保管場所は18℃以下を保っていましたが、外気温が高かったため何個か傷んでしまった可能性がございます」と説明したことで、常温で保管していた可能性も浮上している。 リュウジ氏はXに「食品添加物は『積極的に使え』とは言わないけど衛生的観点から『適切に使った方が下手な無添加食品より安全』という認識は広がった方が良いと思う」と投稿。さらに「無添加だから安全、オーガニックだから安全は幻想です」とつづった。
料理研究家・リュウジ氏 マフィン食中毒騒動に「無添加だから安全、オーガニックだから安全は幻想」(スポニチ) | 毎日新聞
防腐剤入れたくないなら砂糖増量になるし、砂糖減らしたいなら防腐剤添加しないとだし。防腐剤不使用と砂糖減量を両立するなら冷凍保存だろうし。もともとどうして大量の砂糖が使われてきたか、防腐剤や冷凍庫が開発されてきたか、ちょっとでも考える脳みそがあればわかるはずなんだがなぁ。
かくいう私はバイオ系の性で、瓶入りの調味料やジャムを無菌操作で扱わないと精神的に無理。コンタミこわい。火炎滅菌せずにスプーンを瓶の中に入れるなど以ての外ですよ(真顔)
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ハンブルグに戻り、ほぼ誰もいなくなったもぬけの殻のマンションで、ここ数日暮らす。実に静かで良い。このマンションの立地は丸の内一番地的で素晴らしいのだが、上階や隣人の足音や声が聞こえて、言うなれば、音響が素晴らしく良い。上階のギリシャ人Chrisと共に起き、彼と共に上下階に別れて朝シャワーをし、Chrisが出かけていく足音を聞きながら、左側上階のスウェーデン国籍ナイジェリア人のMinnaがZoomしているのを聞きつつ、隣人の南ア人ゲイのLouisが彼のパートナーとお喋りしているのを聞く毎日。私は神経質なので、他者の生活音がかなりのストレスだった事を、思い知る。
世の中はイースター休暇である。小学生の頃、イースターの頃のヨーロッパ旅行でイースターエッグのチョコレートを貰うのが、小さな喜びだった事を思い出す。私が子供の頃は、チョコレートも飴も、ちょっとした特別感があったものだ。コーヒーも紅茶も、ちょっとした潤いというか贅沢だった。豊かになり、チョコレートが毎日飽きる位に食べられるようになったり、コーヒーが一杯百円で売られるようになったりと、日本の異常な豊かさに驚くと共に、そんな事は長続きするはずが無いと確信している。豊かさの飽和が、民心を貧しくしているというパラドクスは、しかし、アメリカもドイツも同じだ。
日本のバブル崩壊から30年。それでも豊かでいられるのは、過去の現役日本人、祖父母や両親達が頑張ってくれたお陰だと身に染みて思う。私と同世代の団塊ジュニアは、バブル世代の犠牲になって差し上げ、バブルの軽くおバカなノリを冷ややかに見ているが、それは、ほぼ、社会の底辺から見ているに過ぎない。私達の直ぐ後の世代は、就職氷河期でも無いくせに、就職氷河期であった事を主張し、自分達が社会の犠牲者である事を恥ずかしげもなく標榜し、発想力も無く、知的レベルが低く、上(バブル世代)に媚びへつらう事で生き延びようとする組織のコマ程度の人材ばかりが、起用されていく。ハンナ・アーレントの組織的悪のパターンが平和的に実行されているに過ぎぬ。日本の経済力、組織力、民度の低下は、今後ますます酷くなるだろう。そうした危惧も無く、今をこの世の春と謳歌��きる楽観主義者と、未だに核家族化における社会的要請(少子化対策)を真剣に受け止めるマジメな方々だけが、せっせと子作りに励み増殖していく。それは、アメリカでも、ドイツでも同じ。
私の周りの知人達は、ほぼ皆、社会不安や将来不安から子を持たない選択をしている。この人には親になってほしいと、こちらが願うような人格者ほど、子を持たない。私の分析では、子供を持つ事とは、親に成らせてもらう事によって、自らの自己成長のために、子供を、ある種の犠牲にしているようなものだと思う。従って、DVなどの負の連鎖は、綿々と続くし、どこかで、負の連鎖のカルマを断ち切り、気付きの機会が無い限り、家は負の意味で没落しゆく。逆に、家が消滅するとは、カルマが終了したという風にも捉えられると思う。十分に、学びの機会を持ち、ついえれば、終わって良いのだ。日本は宗教がいい加減だが、多くの聖職者が子を持たないのは、そういう意味合いがあるのだろうと思う。私は、聖徳太子の好む維摩経が好きだ。在家で在野に在りながら、清くいる。私は、二十代の半ば、病気をしてから、維摩経を心に置いている。
私は、色々な角度から考えても、子供を持たなかった選択を、良かったと思う。どうせ天然記念物並の知性と感性の持ち主なのだから、天然記念物らしく朽ちれば良いのだ。ガハハ。生物とは、ただの遺伝子の箱なのだとしたら、チェコのブルーノでメンデルが発見した法則のように、また、どっかで、突然変異が生まれ、私のように、社会を斜めに観察する人間も、生まれて来るだろう。問題は、小池がほざくような(負の)レガシーではなく、何を足跡として残せるのかという事とも思う。しかしながら同時に、忘却される事の粋美も思ったりする。忘却されていても、本物であったならば、本物を探す者が時空を超えて探し当てるものだと確信している。それは、必ずしも親族や同民族では無いという事も。
春の訪れを日本を思いつつ祝う時、チューリップを紅白に活けてみた。また、研究所での食事が無くなったので、自分の食べたいものを料理して食べられる幸せを感じている。料理を極端に嫌う事や、料理しない事を良しとする事は、私には理解不能だ。自分の体調に合った、身体が季節変化に合わせて求めるものを、食べたいときに食べられないのは苦痛でしかない。食べたいものを、自らが調理して食べられる幸せ。買いたいものが売られていて、それを購入できる幸せ。その背景にある多くの人々の仕事に感謝しつつ、また、食べて下さいと五体投地してくれる生命を、有り��く調理し、美味しくいただく。これ以上の幸せはあろうか。自分が確実に大きな社会のネットワークの小さなゴマ粒に過ぎず、大きなものに生かされていることを思う。毎食、毎食が、感謝でしかない。
研究所のコックのミヒャエルと、彼の彼女レベッカさんは、私の事をとても好きみたいだ。まぁ、地下回廊に簡易に作られた薄暗く狭いキッチンに、昨年からせっせと通い詰めているのは、研究者でも私だけだしね。。。私は丸山眞男好きなので、市井の小さき名もなき人々の日々の小さき行いこそが、国家の根幹であると信じて疑わない。政治家も学者もアイドルも、みんな、ウンチである。見て社会の病を推測する事はできても、社会を支える根幹は、表立つウンチどもからは、絶対に見えない。大衆とは、実にウンチが好きなんだなぁと感心する。まぁ臭いから、ベムりんみたいに、気になるという事なんだろう。あるいは、自分の中のウンチと呼応するので、ウンチを見て賞賛したくなるのかもしれん。
ワシはウンチはどうでも良いので、社会を動かす、根幹の部分にある、隠蔽された良心を見たい。そして、そこにこそ、社会の希望と未来を見出だしたい。そんなワシに、ミヒャエルは、イースター休みにも関わらず、レベッカと愛犬ペッピーノと共に、車で拙宅まで送り迎えし、自宅に招き、春の料理を振る舞ってくれた。ミヒャエルは北部ドイツ、レベッカは黒い森周辺の南部ドイツ出身。ミヒャエルは、バンコク、リスボンなど世界中を渡り歩いたコックさん、レベッカは2014年台北で開催された25歳以下世界お菓子選手権大会で世界3位を取ったパティシエ。ペッピーノはミックスの捨てられていた犬で推定1歳半。皆、何故か分からんが、ペッピーノなんか身体が壊れそうな位に喜びまくるし、ワシの方が感謝せんならんのに、ミヒャエルとレベッカは、来てくれてありがとうと、感謝して来訪を喜んでくれる。
イースターのためにミヒャエルが作ってくれたのは、春の魚、サワラのソテー。これに森のキノコと白ワイン、玉ねぎを煮込んでとった出汁をベースに、刻んだ玉ねぎと白アスパラと緑アスパラを小口切りし、たっぷりのバターで炒め、春にしか取れない森のキノコをふんだんに入れたところで出汁投入。そして削ったパルメジャーノと黒胡椒で味を整えたスープ仕立てソースを、別フライパンでソテーしたサワラの上にかけて、いただく。食器は、家にある食器で一番高いという、ミヒャエルがお祝いで貰った、美濃焼の器。彼の料理は、優しく繊細で、兎に角、優しく奥深い味わい。研究所で出している料理と異なり、心がこもる料理とは、同じ作り手でも、味わいが異なる事を実感した。この料理を、私は生涯、忘れ無いだろう。
おまけに、何故か、ミヒャエルからは日本から輸入した枯節一本、レベッカからは彼女の作った特大イースターエッグのチョコレートとワシが好きだと覚えていて、ラズベリーとパッションフルーツのジャムを頂戴する。イースターにも、プレゼント交換するのをワシは知らんかったので、メチャクチャ恐縮。
でも、多分、ワシが作ってあげた、カツオダシのお澄ましとニラ餃子、あんこ玉を作っておいて白玉粉を器用に、トリュフ作る時みたいに白玉で包んで茹でて作った、あんこ入り白玉団子が、美味しくて、嬉しかったって事なんだろうなぁと、しみじみと思う。しみじみと、しみじみと、ワシの心が、彼らの心に触れたのであれば、これこそが、ホンマモンの外交努力である。そして、こうした触れ合いが人知れず継続される事でしか、外交なんて、本当は成立しない事も、ワシは知っている。昨今の、金持ちブリタイ外交官や商社マンが、適当な高級レストランで適当にクッチャベッて外交した気分で喜んでいるのは、ブリと鯛レベルに過ぎぬ。その一晩に使った金額の多い少ないで関係性が計測されてしまい、資本主義の薄っぺらい関係性でしか無くなる。
そうじゃないんだよ。時間を共にするということ。同じ釜の飯を食うとは、共に材料を集め、共に調理する時間を過ごしたという事を含意する。ミヒャエルが、マキに何を食べさせようかと思案しつつ、イースターで閉まる直前の忙しい市場に出向き、ウロウロして食材を買い揃え、前日には、アルコール飛ばしたソースなら食べられるか?と確認のメールをし、当日には朝からワクワクと、ソワソワと、魚を自慢の刺し身包丁で解体し、切り身にしてからバットの上で休ませ、レベッカに運転させて、マキを30分かけて車で迎えに行く。この間、ずーっと、思って貰えた事に、感謝なんだ。その優しさと、かけてくれた時間、思いを寄せてくれていた事こそが、掛け替えの無い友情の証だと、アホなワシは確信する。
ワシが、ケーキを作らなくなって久しいのは、忙しいからを口実にしとるが、ちゃうねん。ワシが掛けた時間が、工業製品の如���に、チャチャッと評価され、つまらない物として消費され、こんなんだったら、〇〇パチシエで買う方がいいじゃんと言われる事に、耐えられなくなっただけ。じゃ、おフランスで修行して、バカ高い価格つけて売っているブリタイ共から、買え。と思っただけ。
でも、もうこんな心的逃走も、春の訪れを以て終了します。他人は、裏切るものよ、信用なんかしちゃダメと、お風呂の師匠は私を諭す。他人に期待して傷つくのは自分だから、他人に期待しない事だよ。社会なんてゲームなのさと、エルちゃんは私を諭す。私は、ずーっと、ずーっと、彼らの言葉を哀しく聞いていた。人間はそんなものなのかと。父はハッキリと、お父さんは性悪説だと、10代のワシに宣言した。だから、ワシは18歳で、性善説を貫くと心に決めた。天邪鬼は、いつの世でも大変です。でも、ワシはやはり、性善説を生きようと思う。他人の、良心に触れようと。触れるためには、自分が良き人でなくてはならない。与えて、与えて、悲しんで、傷付きまくって、泣きまくって、それでも、与え続けられる人になりたい。何故なら、私はやはり、人間を恐れつつも、人間が好きだからだ。芥川の蜘蛛の糸のように、どんな悪人にも良き心があるはず。親鸞の悪人正機説は私はバーカ親鸞と思っているが、何故なら、悪の正当化を許容するから。近代日本をダメにしたのは、極端な悪人正機と他力本願で、親鸞こそが浄土真宗こそが、悪だとワシは思うちょりまんねん。まぁ大衆宗教だから、しゃーないけど、酷いもんだで。
いずれにせよ、ワシはもう、こだわりを捨てるのだ。東大にも日本にも、もはや期待は持てない。つまりだ。究極の個人主義の時代ならば、夏目漱石の超個人主義の時代が到来したのだと理解して、ワシこそが、良き者であり、あろうとし続ける弛まぬ努力をし続けることで、世界の良心になろうと思う。
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街とその不確かな壁/君たちはどう生きるか/ジブリ・春樹・1984
最初のジブリの記憶は『魔女の宅急便』(1989年)だ。母がカセットテープにダビングした『魔女の宅急便』のサントラを幼稚園の先生に貸していたから、幼稚園の頃に見たのだ。
まだ座席指定の無い映画館に家族で並び、私は映画館の座席で親に渡されたベーコン入りのパンを食べていた。4・5歳の頃の記憶だ。
その夜、私は夢の中で魔女の宅急便をもう一度見た。私は親に、夢でもう一度映画を見たと伝えた。
『おもひでぽろぽろ』(1991年)も映画館で見たが、あまりよく分からなかった。『紅の豚』(1992年)も映画館で見た。帰りにポルコ・ロッソのぬいぐるみを買ってもらい、縫い付けられたプラスチックのサングラスの後ろにビーズで縫い付けられた黒い目があることを確認した。
『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)『耳をすませば』(1995年)までは両親と一緒に見たと思う。
父はアニメに近い業界にいたため、エンドロール内に何人かの知人がいたようだった。アニメーターの試験を一度受けたそうだが、他人の絵を描き続けることは気が進まなかったらしい。
家のブラウン管の大きなテレビの台の中にはテレビ放送を録画したVHSテープが並び、ジジやトトロの絵とタイトルを父が書いていた。テレビ放送用にカットされたラピュタやナウシカを私は見ていて、大人になってから初めて見たシーンがいくつかあった。
“家族で映画を見る”という行事はジブリと共にあった。ジブリ映画の評価は今から見て賛否両論いくらでもあればいいと思うが、批評も何も無い子ども時代に、母がとても好きだった魔女の宅急便や、戦争は嫌いだが戦闘機が好きな父と紅の豚を見られたことは幸福な年代だったのだと思う。
評価が何も確定していない映画をぽんと見て、よく分からなかったり面白かったりする。
親は『おもひでぽろぽろ』を気に入り、子どもにはよく分からない。父からは昔の友だちが熱に浮かされたように「パクさんは本当に凄いんだよ」と言い続けていたと聞かされた。
※
大人になった私は『ゲド戦記』(2006年)を見て「面白い映画に必要なものが欠けているこの作品を見ることにより今までに見たジブリ映画のありがたみが分かった」とぐったりし、『崖の上のポニョ』(2008年)を新宿バルト9で見て、全然楽しめず、新宿三丁目のフレッシュネスバーガーで「神は死せり!」と叫んでビールを飲んだ。
2020年には『アーヤと魔女』の予告編に驚愕し、『モンスターズ・インク』(初代、2001
年)からずっと寝てたのか!?と罵倒した(見ていない)。
私が持っていたジブリという会社への尊敬は過去のものになり、多彩な才能を抱えていたにもかかわらず明らかにつまらないものばかり作る血縁にしか後任を託せない状況にも嫌悪感を抱いた。
期待値は限りなく低く、『君たちはどう生きるか』を見ようかどうか迷っている、とこぼしたら「見て文句も言えるからじゃあまあ一緒に行く?」という流れになり、見た。
あまりにも期待値が低かったため、文句を言いたくなるような作品ではなかった。私は2023年、もっともっとつまらない映画を何本も劇場で見ている。つまらない映画を劇場で見ると、もう2度と見なくて良いという利点がある。
『君たちはどう生きるか』の序盤、空襲・火災・戦火で街が焼ける場面、画面が歪で、不安で、安定感がなく、私はホッとしていた。綺麗に取り繕う気のない、表現としての画面だった。
複数の場面に対してセルフ・パロディーであるというテキストを読んでいたが、私にはあれらはオブセッションに見えた。小説家でも芸術家でも脚本家でも、何を見ても何度も同じことを書いているな、という作家に私は好感を持っている。少なくとも、いつも結局テーマが同じであることは減点の理由にはならない。
『君たちはどう生きるか』になっても高畑勲の作品に比べればどうにも女性の人格が表面的で、天才はこんなにもご自身の性別をも超えて何もかもわかり物語に落とし込めるのかと感激した『かぐや姫の物語』(2013年)に比べてしまうと胸の打たれかたが違うのだけれども、でも私は取り憑かれたテーマがある作家のことが、いつも好きだ。
スティーブン・スピルバーグは『フェイブルマンズ』(2022年)でもう大人として若い頃の母親を見つめ直せていたように思うが(フェイブルマンズで取り憑かれていたのは別のものだ)、
宮崎駿は小さい頃に一方的に見つめていた母に取り憑かれ、母の内面には踏み込めないまま、少年・子どものまま母を見つめ続け、自分が老年の大人として若い母親を見つめ直す気は無い。
そして、母親の方を少女にして映画の中に登場させる。しかも「産んでよかった」という台詞を創作する。
貴方は大人なのにずっと子どものままで母親に相対したいのですか、と思いはするものの、子どものままの視線で母を見つめ続けたいのなら、それがあのように強烈ならば、それがオブセッションなら全くかまわないことだと思う。
最初に屋敷に出てきた7人のおばあちゃんがあまりにも妖怪じみているので驚いたが、あれは向こうの世界とこっちの世界の境界にいるかた達という理解で置いておいてあげよう。
それにしてもアオサギが全く可愛くもかっこよくも無いことに最後まで驚いていた。頭から流れる血液も、赤いジャムも気持ちが悪い。途中途中、激烈に気色が悪い。世界や生き物は気持ちが悪く、性能の良い飛行機みたいに美しくは無い。カエル、内臓、粘膜、血液、食物もグロテスクだ。嫌悪ではない、全部生々しい。生々しく、激烈だ。その生々しさを必要としたことに胸をうたれた。
塔の中のインコについて、愚かな大衆だとかジブリはもう人が多すぎてしまったんだとか商業主義的な人間の表現だというテキストも読んだのだけど、私はあのインコたちがとても好きだった。
インコたちは自分達で料理をして、野蛮で、楽しそうだった。終盤、緑豊かな場所にワッセワッセと歩いていくインコさんが、「楽園ですかねぇ」「ご先祖さまがいますねぇ」と言ったようなことを言うシーンが面白く、可愛らしく、インコたちの賑やかな生活(時に他者に攻撃的であっても)を想像した。
私は水辺の近くをよく散歩していて、大きな渡り鳥が飛来してまた消えていくのをじっと見つめている。鳥たちがある日増えて、いなくなる。国を越えて飛んで行き、地球のどこかには居続けているのがいつも不思議だ。
映画の中で、鳥やカエルはあのように生々しく、実体をつかんでアニメーションに残すことができるのに、全てを生々しく捉える気が無い対象が残っている。どうしてもそれを残すことが寄す処なら、それはそのままでかまわない。
※
小説では、村上春樹の『街とその不確かな壁』を読んだ。
私の父は村上春樹と同い年で高校卒業後に東京へ出てきたので、『ノルウェイの森』で書かれている、まだ西新宿が原っぱだった頃を知っている。その話を友人にしたところ、『西新宿が原っぱだったというのは春樹のマジックリアリズムかと思っていた』と言っていた。
私が村上春樹を読み始めたのは及川光博が「僕はダンス・ダンス・ダンスの五反田君を演じられると思うんだけど」と書いていたの読んだのがきっかけだ(曖昧だけれども、1999年くらいか?)。
『風の歌を聴け』は家にあったので、そのまま『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』を読み、その後短編集をあるだけと、『ノルウェイの森』『世界の終わりとハートボイルドワンダーランド』を読み、『ねじまき鳥クロニクル』は途中途中覚えていないが一応読み、『スプートニクの恋人』(1999年)を高校の図書館で読んだがあまり面白くないと感じた。
最近ではイ・チャンドン監督の映画『バーニング』(2018年)が素晴らしかったし、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021年)も面白かった。
『ドライブ・マイ・カー』の原作(短編集『女のいない男たち』収録)は映画を見た後に読んだが、反吐が出るほどつまらなく、気持ちが悪い短編だった。
イ・チャンドン監督も、濱口竜介監督も、「今見たらその女性の描写、気持ち悪いよ」を意識的に使っていたのだろう。『バーニング』は『蛍・納屋を焼く・その他の短編』時期の初期春樹、『ドライブ・マイ・カー』はタイトルこそドライブ・マイ・カーだけれども、ホテルの前の高槻の佇み方はダンス・ダンス・ダンスの五反田君であろう(港区に住む役者である)。
村上春樹のことは定期的にニュースになるのでその度に考えているのだけど、2023年に、フェミニズムのことをある程度分かった上で過去作を読むのはかなり厳しい気もしている。
次から次にセックスをしているし、主人公はガツガツしていない風なのに何故かモテているし、コール・ガールを呼びまくっている。
『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくるユキは13歳の女の子で、ユキの外見・体型に関する記述はそこまで気持ち悪くはないのだが、『騎士団長殺し』に出てきた未成年の女性に対する描写はとても気持ちが悪かった(はず。売ってしまったので正確ではないのだが、あまりに気持ちが悪くて両書を比較をした)。
いくら今「この人は世界的巨匠」と扱われていても、作品を読んで気持ち悪いと思えばもう読む価値のない作家であるので、まだ読んだことがない人に読むべきとは全く思わない。
けれども、20年前に読んだ村上春樹は面白かったし、『ダンス・ダンス・ダンス』に書かれる母娘の話に私は救われたのだと思う。
最近友人に会い、「村上春樹は読んだことないんだけど、どうなの?」と聞かれたので、「春樹の物語は色々な本で同じモチーフが多い。主人公がいて、どこかへ行って、帰ってくる。戻ってきた世界は同じようでいて少し変わっている。私たちが現実だと思っている世界は世界の一部分に過ぎず、どこかでみみずくんが暴れているかもしれないし、やみくろが狙っているかもしれないし、誰かが井戸の底に落ちたかもしれない。だけど主人公は行って、戻ってくる。どこかで何かが起こっていても、行って戻ってくる。一部の人は行ったっきり、帰ってこられない。」
「この世では 何でも起こりうる 何でも起こりうるんだわ きっと どんな ひどいことも どんな うつくしいことも」は岡崎京子の『pink』(1989年)のモノローグだけれども、何でも起こりうる、現実はこのまま永遠に続きそうだけれども、ある日小さなズレが生じ、この世では何でも起こりうるんだわ、という小説を次々に読みながら大人になったことを、私は愛している。日常を暮らしていると現実の全てに理由があるかのように錯覚してしまうけれども、「何でも起こりうる」世界には、本当はあまり理由がない。何か理由があると錯覚し過ぎてしまうと、公正世界仮説に囚われて、善悪の判断を間違ってしまう。
「主人公が、行って、帰ってくる」形は数えきれないほどの小説・映画の構造なので特徴とも呼べないところだけれども、『君たちはどう生きるか』もそうだし、『ダンス・ダンス・ダンス』も、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も、昔読んだ『はてしない物語』だって勿論そうだし、『オズの魔法使い』もそうで、『君の名は。』もそうだったような気がする。
『はてしない物語』の書き方はわかりやすい。
「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。」コレアンダー氏はいった。「いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それから、ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。」
※
『街とその不確かな壁』は春樹の長編も最後かもしれないしな、と思って読み始めたが、半分を超えるまで全然面白くなく、半分を超えてもちょっと面白いけどどう終わるんだろうこれ、の気持ちだけで何とか読み終わった。
17歳の少年のファーストキスの相手の音信が突然途絶えようと、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の世界の終わり側の話をもう一度読まされようと、どうしてそれを45歳までひっぱり続けるのか、読んでいて全然情熱を感じなかった。
イエロー・サブマリンのパーカを着た少年が何のメタファーなのかは勿論書かれていないが、春樹は昔に還りたいんだろうか?何故か「あちらの世界」から物語がこちらに、鳥に運ばれてきたみたいにするすると現れ世界を覗けたあの頃に?活発な兎が息を吹き返すように?
※
宮崎駿のオブセッションや視線は今も跳ね回っており、村上春樹の滾りは、もう私にはよくわからないものになった。
私は昔『ダンス・ダンス・ダンス』を何ヶ月もずっと読み続け、どのシーンにどんな形の雲がぽつんと浮かんでいるかも記憶していた。欲しいものだけ欲しがればいいし、くだらないものに対してどんなことを友だちと言い合いビールを飲めば良いかを知った。
岡崎京子に「幸福を恐れないこと」を教えてもらったみたいに。
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果物は太るから食べない? それまちがってますよ
多くの果物は甘くて美味しいもの、甘酸っぱくてみずみずしいものがあり食べると幸せな気分を味わえるだけではなく、ビタミンやミネラルなどの体に必要な栄養素をとることができる嬉しい食べ物です。
しかし、糖質が多く含まれているものもあり、選び方や食べ方を一歩間違えると肥満の要因になると考えて控えてる方も多いとおもいます。
健康的な体を作るため、上手に果物をとり入れるポイントがあるんですよ。目次
果物にまつわる ウソVSホント
日本人は果物不足(ホント)
果物はカロリーが高い(ウソ)
果糖のとりすぎは肥満になる(ホント)
果物を上手にとり入れるコツ
果物を上手にとり入れるコツ1.朝食や間食として活用しよう
果物を上手にとり入れるコツ2.加工品に注意
果物を上手にとり入れるコツ3.単品ダイエットはしない
果物を上手にとり入れるコツ4.高カロリーの果物を避ける
最後に
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果物にまつわる ウソVSホント
日本人は果物不足(ホント)
果物の摂取は1日200gが目標とされています。
しかし、実際の平均摂取量は30代男性で32.9g、30代女性で53.2gと大幅に下回っており、特に若い世代や男性において不足している傾向にあります。
200gの量の目安は以下です。
みかんなら2個
りんごは1個
バナナは2本程度
果物はカロリーが高い(ウソ)
カロリーが高いと思われるのは、果物に含まれる果糖が理由です。
果糖は砂糖の1.15~1.73倍の甘みを感じますが、実際の1gあたりのカロリーは、砂糖と同じ4kcal。
果物は脂質の量が少ないため、甘いお菓子を食べるよりは低カロリーでヘルシーな食べ物だといえます。
また、果物は食事だけでは不足しがちなビタミンCやカリウムの供給源です。
ビタミンCは不足すると壊血病・貧血・倦怠感・食欲不振の原因となり、カリウム不足はむくみを引き起こします。
果糖のとりすぎは肥満になる(ホント)
果物は私たちのカラダに色々な効果をもたらしてくれる食材です。
しかし、摂取不足が指摘される一方で、果物に含まれる果糖のとりすぎは体重増加や体脂肪の蓄積に関連するという研究報告もあります。
目安は1日200g程度。適量を心がけながら正しくとり入れていくことが、健康を維持する秘訣といえます。
果物を上手にとり入れるコツ
果物を上手にとり入れるコツ1.朝食や間食として活用しよう
「朝の果物は金」といわれるのは、果物の果糖がすばやくエネルギー源として利用されるからです。
また、昼食から夕食の間が長くなると夕食を食べ過ぎてしまうため、日中の空腹対策として果物を利用するのもお勧め。
間食は、不足しがちな栄養素を補えるものを選んだほうが栄養バランスもよくなります。
ビタミンや食物繊維を多く含む果物は、間食にぴったりです。
ただし、夜に果物を食べると太りやすくなります。果物を食べるなら、朝食や間食など日中にとり入れるのが一番です。
果物を上手にとり入れるコツ2.加工品に注意
甘いシロップに漬けてある缶詰はもちろん、コンポートやジャムなどに使用されている果物は、砂糖を加えて甘くしているのでカロリーが高くなっています。
さらに加工の段階で大切な栄養素が失われている可能性も考えられるので、果物を食べるなら生の状態で食べるのがベストです。
果物を上手にとり入れるコツ3.単品ダイエットはしない
朝バナナダイエットやリンゴダイエットなどは、栄養バランスに偏りが生じてしまいます。
食事量が減ることから、一時的な効果は見られるかもしれませんが、長く続ければ続けるほど体へ悪影響を及ぼしますので注意しましょう。
果物を上手にとり入れるコツ4.高カロリーの果物を避ける
同じ100gの量を食べるのでも、選ぶ果物によってカロリーは異なります。
例えば、いちご5個は約35kcalであるのに対し、バナナ1本は約85kcalと倍以上。低カロリーのものと上手に組み合わせてとり入れましょう。
〈おすすめはグレープフルーツ〉 グレープフルーツは100gで38kcalと低カロリー。
抗酸化作用のあるビタミンCを含みます。
一年中手に入れることができ、値段も手頃なので、とり入れやすい果物の一つです。
〈おすすめのグレープフルーツだけど注意も必要〉
※高血圧のために血圧を下げる薬を飲んでいる場合は、薬の効き目が悪くなることがあるため、食べないようにしてください。その他の薬でも食べ合わせに注意が必要なことも多いので、常時薬を服用されている方、分からない場合は医師や薬剤師に必ず相談してください。
〈その他、糖質の少ない果物〉 いちご・あんず・パパイア・スイカなども糖質が少なく、ダイエット中にもおすすめです。
最後に
果物のとりすぎは肥満に繋がるため注意が必要ですが、私たちの体にうれしい効果をもたらしてくれます。
適量を守り、他の食事とのバランスやカロリーに注意しながら、上手に毎日の食生活にとり入れてみましょう。
どんなに体に良い食べ物でも食べ過ぎては意味ないのは、すべての食べ物に言える事だと思います。
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私たちはどうして旅に出るのでしょうか。
見知らぬ土地に胸を鳴らせるため?知らない言葉を音として聞き、そこの人々が食べているであろうご飯に出会うため?生きるため?暇つぶしとして?向こうで拾って来たものを持って帰ってくるため?
旅先で何をすればいいのかふと分からなくなってしまうことがあります。美味しいものをお腹いっぱいに詰め込む旅も嫌いではありませんが、本当はわたしはお腹を空かせてぺこぺこで街中を歩き回るのが好きです。へとへとになった夕方に、灯りのつき始めるお店に入って、席に座ったときの安心感や、料理が運ばれて来たときの机の上がぱあっと輝くその瞬間を楽しみたい。
街中でもそうです。ただその辺の道を歩いて、名前もない公園や海辺で座っているだけで十分だなと思うときもあります。
台湾へ行く前に、そんな気持ちを忘れないように。
心のガイドブックを作っておこう.
(目次)
1.こころだけ飛行機へお先に
2.私たちはどこまでも歩いていける
3.遠い道の果てにある宿に泊まりに行こう
4.開かない目のままイヤホンを耳に
5.台湾鉄道で駅弁を食べよう
6.降りた駅に何があるか知っている?
7.明日へ向かう靴下を買いに行こう
8.見知らぬ街で大人の昼遊びをしよう
9.海へ絵を描きに行こう
10.帰って来て貴方と一緒にお茶会をしよう
おまけ.暇なときは何をしたらいいの?
1.こころだけ飛行機へお先に
小さかった頃、お出かけの用事があるとその日が楽しみで楽しみで、前日の夜は眠らないといけないことが苦しくなるような、そんな風にして出発の日を迎えていました。
私たちは大きくなったけれど、まだそんな風にして旅へ出かけます。眠れないシーツの中で、心だけこっそり先に向かうね。
(基本情報)
2.私たちはどこまでも歩いてゆける
旅先の移動手段のいちばん頼りになるものと言えば、の足!立ち止まってしまったときも、行先が合っているのか不安なときも、てくっと一歩。私たちはこの歩みでどんどん何処までも進んでいきます。
ひとまずあの白い壁を目指して歩いていきましょう。
(美術館)
3.遠い道の果てにある宿に泊まりに行こう
楽しさを目標とする毎日は少し息苦しいなと思います。誰かとうまくいかなかったり、楽しいことがあまりなかったそんな1日もとびっきりの1日だとわたしは思います。
乗り換えがうまくいかなくても、もし全く違う駅に来てしまっても、なんだか必要なものすべて家に置いて来てしまったとしても、大丈夫。
真っ暗な道の先に光る部屋がきっと待ってるよ。
宿に辿り着くのが旅の目標、そんな日もあってもいいのかも。
4.開かない目のままイヤホンを耳に
旅先の夜は自然と長くなります。歩き疲れ果てた身体で、眠りにつきたいと思いながら、この夜が終わりませんようにと願って光を焚いた夜を私たちは過ごします。
そうして、まだ寝かして欲しいとシーツを引きつけながら次の朝がやって来ますね。
パジャマを何とか脱いで、鏡を半分こしながら黄金色の朝の街に出掛けていく準備、準備。そうして向かう台湾の朝には二人のおしゃべりよりも音楽がぴったりだと思います。
まだ眠たくて話す言葉がでてこないとき、昼下がりの道を空を見て歩きたいとき、夜のお腹が空いて少し悲しい道端で。私たちは一緒に沢山の音を聞きましょう。
(音楽)
5.台湾鉄道で駅弁を食べよう
台北から出て、私たちはまだ見知らぬ台湾へ向かいます。ドキドキするときには、お弁当だよね。どんな冒険にもお弁当は必須。森へ行くとき、必ずパンとジャムを持っていくように。草原に行くとき、必ずパンケーキを包んでいくように。私たちは台鉄弁当と共に、出かけるのです。
台湾の駅弁は暖かいんだって、ほんとう?
6.降りた駅に何があるのかなんて知らないね
知らない路地裏は何だかわくわくしますね。知らない空は優しい感じ。知らない街と知らない人達はどこかつめたいような。そして、知らない駅に降りるとき。知らない街も道も空気も場所も、その入り口には駅があります。初めて降りる駅の先に何があるのか、心臓をはくはくさせながら、改札をくぐり抜けましょう。
(観光情報)
7.明日へ向かう靴下を買いに行こう
素敵な靴はあなたを素敵な場所へ連れて行ってくれます。そして今は靴は贈れないのでと言ってあなたは靴下を私に贈ってくれました。それから私にとって素敵な靴下は素敵な場所へ連れて行ってくれるスーパーアイテムになりました。
私たちは台湾でスーパーアイテムを手に入れて、この先に続く私たちの未来にずんずんと歩んでいきましょうね。
+10・more(テンモア)
ブランドテーマに「誰しもが持っている宇宙観で生活の細々とした所をもっと大きく!自分を中心とした世界で視野を広くして生きていきたい!」をあげるテンモア。
台湾のじめっとした雨や、キンと響く冬を楽しくしてくれる靴下が沢山あります。タイトルや、商品説明が一つ一つ面白くて、ショップページをまるで小説のように読み込んでしまう。
8.見知らぬ街で大人の昼遊び
私たちはいつの間にか大人になってしまいました。それがいいことなのか、心はまだ置いていかれているような。でも大人になった私たちにしか楽しめないこともあります!!
お昼のビール!
ここでは、台湾のクラフトビールが飲めます。
そのあとは小籠包を食べながら街中のビール!
こういう日は夕方にはへべれけになっています。足取りがまだしっかりしているうちに、早めにホテルに戻って明日に備えましょう。
もちろんホテルの夜はパーティーなので、ここでテイクアウトのと、コンビニで追加のビールを買うのを忘れずに!
9.海へ絵を描きに行こう
いくつかの国へ旅行へ行ったことはあるけれど、海を見た国は半分もないと思います。海は季節によっても人によっても、場所や時間や天気ひとつで本当にたくさんの姿を見せてくれます。あなたと過ごす、台湾の海はどんな色なんだろう。二度と同じ海には出会えないので、その日の海を絵に描いて、二人でこっそり持ち帰りたいです。
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11月29日、チェルシーのダイナーで買いています。テレビでは大学生のバスケの試合が流れ、ラジオからはガンズアンドローゼズが流れ、天井のファンはゆっくりと回る。なるべく個人的なことを忘れないうちに。
10/28(日本)「行ってみないとわからない」渡航前に俊平さんとミーティングをして出た結論がこれだった。ビザも飛行機も住む場所も整った。でもそれ以外はほぼ白紙。いくつか送ったメールはほぼ返ってこず。申請書にあんなに大きなことを書いたのに、実際にそんな立派なリサーチが自分にできるのか。いくつか送ったメールはほぼ返ってこず。成果を求めないとACCの方は言って下さったけど、自由に貼りついた責任の二文字を撫でながら、自分がとんでもないほら吹きになったような気分で渡航の日を迎えてしまった。
数日前に偶然出会ったカメラマンTommyに言われた言葉’Stay active, talk to people’ をノートに書いて家を出た。期待と不安と興奮ともう一つ何かが体の中を泳いでいる。
10/28(NY) JFK空港に到着したのは夕方4時頃。約12時間のフライトはほぼ寝られなかった。いくつか映画を見たけど、E.T.で号泣して着陸。シンプルでエバーグリーンな物語にもだけど、その中にある大胆な省略にめちゃくちゃ感動した。見終わった後、遠くの空に思いを馳せるような作品に携わりたい。シリアスな現実も大事、だけど圧倒的な夢の一部になりたい。子供の中に大人はあって、大人はどこか子供である。
遅々として進まない税関を抜けて滞在先のBrownsvilleにたどり着いたのは6時頃。電車の中、揺れるスーツケースを抑えながら、夕日に染まる街並み眺めた。どこかに似ていてどこにも似ていない景色。その景色の一部になっていく。その後何度となく思うことになる「来てよかった」はこの時が最初。
10/29 目が覚めたのはおそらく8時とか9時だったと思う。とても深く眠った。やっと深く眠れた。起きてすぐ家の周りを散歩。ダンキンでシナモンとチョコレートのドーナッツ、そしてホットチョコレイトを注文。食べながらまた歩いた。家の目の前には学校と公園。ちょっと歩けばランドリーやデリがあり、小さな教会がいくつもある。
この日は生活に必要なものを揃え、昼過ぎからBushwickの辺りをぐるぐる歩いた。いくつかの古着屋とレコード屋を巡っていたらもう日が暮れていた。下北とか高円寺でもできることをここでもやる。というかどこの土地に行ってもやっている。レコ屋や古着屋、コーヒー飲みつつ本を読んだり作業ができる場所(遅くまでやっていたら更によし!)、を探して自分なりの地図を作る。
家に帰って���平さんと乾杯をし、この2ヶ月でどんなことしたいかを話した。言葉にすると叶いそうな気がする。
眠くなるまで明日以降で受けたいワークショップやスタジオを探した。自分が勘違いしていたこともあり、ドロップインで受けられる演劇のクラスがなかなか見つからない。少し焦る。
10/30 8時頃起床。10時からTrisha Brown Dance Companyのクラスを受けにマンハッタンへ。 会場のEden’s Expresswayはソーホーに立ち並ぶある巨大なビルの一つにの中にあった。チェックインを済ませ、今にも崩れ落ちそうな階段を上って4階へ。辿り着いたのは陽の当たる美しいスタジオだった。明るい色の木の床と白い壁、そして大きな窓が三つ。その前に並ぶ植物たちを邪魔しないように参加者はそれぞれの荷物を置いていた。
Mariah Maloneyは自分の体の重さを感じるようにを指示を出す。体の心地よさ、衝動に従って体を動かしながら床との関係をとりながら自由に動く。ペアになってマニュピレーション、そこから即興的な動きに展開し、次第に皆でインプロ。そしてしれっと振付。出てくる動きがユーチューブで見たいくつかの動画を連想させるもので「トリシャブラウンっぽい!」っとなんだかグッと来た。振付をもとに改めてペアワーク。更にスローモーションで沈んでいくタスクと新しい振付を手渡して三つを自由に行き来しながらセッション。2時間はあっという間に過ぎた。Mariahはワークの度に自分がカンパニーにいた時のことや、Trisha Brownに言われた言葉をシェアしていく。会場がカンパニーが使用していた稽古場だということが彼女の描写を細かくしていく。単にテクニックを紹介するだけじゃなく、人間性やそこにあったやりとりや景色すら手渡していく。ニューヨークに来てはじめてのワークショップがこのクラスでよかった。 クラスが終わってからMariahやワークショップを主催しているmovement researchのインターンの方に話をきく。会場のことやおすすめのクラスなどを教えてもらう。 その後Alexander Techniqueを受けにGibney at 280 Broadwayへ。このスタジオは今回の滞在でとても重要な場所かも。大小いくつもの部屋があり、大きなスタジオには照明を吊るためのバトンとロールバックの客席も用意されていた。天井の一部はガラス張りになっていて、見上げると空が臨める。この日は青空。世田谷パブリックシアターの天井のことを思い出す。
アレクサンダーテクニックのクラスは小さな部屋で自分含めて4人。正直英語は6割ぐらいしか分からなかった。ペアになり身体を解いて行く。Sarah White-Ayónの声がけに従いながら身体はあるべきところに戻っていく。驚いた。終わってすぐにメモをとってみるけど、体へのアプローチを文字にするのはとても難しい。
クラスが終わって同じペアだったJと改めて自己紹介。「コンタクトインプロビゼーションのすごいジャム」を紹介してもらう。
俊平さんとセントラルパークを少し歩いて帰宅。9時頃にはもう眠かった。
10/31 この日も深く眠って1時からWe Speak English。会場のWebster Libraryはマンハッタンの右上にあった。英語が第一言語じゃない人のために行われる無料の英会話教室。参加者はフランス、中国、韓国、ベネズエラ、日本、チリと様々なところから来ていて、自分のように用があってしばらく滞在している人もいれば住んでいる人もいるようだった。
主なワークは以下の通り。①自己紹介→他己紹介(名前、出身、NYの最高��と思うところと最悪だと思うところをペアになって話し、その後皆にペアの相手を紹介。)②そこから「自分がここに何年も住んだとして、ニューヨーカーになったと感じたとする。それはどんな瞬間か。その時に自分に起きている変化は何か」というお題でディスカッション。自分は「今の自分のよりタフになったとき、そう感じるのかもしれない」と答えた。参加者の年配の方にものすごく同意された。先生の「自分は小さい時にドミニカからニューヨークに来て今に至るまでずっとニューヨークにいる。ニューヨーカーだけどドミニク人だと思っている」という言葉が印象的だった。「それぞれの文化や習慣をもったままここにきた時、どこまでこの土地の、この国の文化を許容し、合わせるのか」というお題も出た。英語で答えるのが難しいし、なかなかに深い問いかけ。しばらく皆黙ってしまった。口火を切ったおじさんの英語はなまりが強くほぼ分からなかった。自分もあれこれ話したかったけど「いろいろ手にとってみたいタイプっす」としか答えられなかった。そこから今日はハロウィンだよーという流れになりお菓子が振る舞われ、③最後はビデオを見ながらなぞなぞとディスカッション。ビデオは非英語圏の方が病院に行く時の困難が描かれていた。
曖昧なリアクションはしないで、分からない時は分からないと伝え、聞き取れない場合は「もう少しゆっくり話してください」と言えばいい。大切なのはちゃんとやりとりがしたいという意思を伝えること。平易な言葉でものすごく重要なメッセージのこめられたビデオだ。これからの日々を過ごす上でとても大切なものを与えてもらった気がする。
イーストリバーをぼんやり眺めてからセントラルパークを横断し、Museum of Natural Historyへ。度肝を抜かれる物量。地球上のあらゆる生物、地球そのもの、宇宙までもがミクロにマクロにシームレスに語られている。超面白かった。インターンの青年がバイソンやエルクについて熱く語ってくれたのもよかった。この博物館にあるもの全てが区分けされているようで全て繋がっている。そして連綿と続いていたものを人間が壊しまくってきた歴史を見るようでもあった。ニューヨークの歴史の語り方を批評し直す展示もあった。膨大すぎて見切れず。また行こう。
夜はブルックリンに移動してTouche Amore。完璧。完璧すぎるハロウィンの夜。この瞬間に次はない。だからこれは自分の歌だと言わんばかりキッズたち。一人の歌が一人一人の歌になる時、音楽にしか起こせない革命は起きる。
11/1 朝10時からGagaを受けにGibneyへ。じっくり展開していき、言われるがまま踊りに踊った。充実感とともに寝そべる。天井の窓は曇っていた。お昼もGIBNEYでMELT。あらゆる方法でずっと筋膜をリリースする2時間。英語、全く聞き取れずとても落ち込んだ。夜は俊平さんと在外研修制度で来ている友野翔太と合流してMOMAへ。ユニクロナイト、超すごかった。ヘトヘト。やはり見切れず途中で断念。展示の内容もさることながら時代やジャンルをシームレスに繋がっていく空間のあり方、偉大な作品群の中で突然現れるお絵かきワークショップ、子供に向けて書かれた注釈なども興味深かった。ロビーではlot radioとMOMAのがコラボレーションでDJが曲をかけている。来た時にはハウスがかかっていて、帰る時には優しいフォークっぽいのがながれていた。広い空間があっていい音楽がなっていたらひとは踊る。踊るひとを眺めながらおしゃべりしたりお酒を飲んだりする人もいる。いい時間だった。とってもよかった。美術館でDJしたいっす。翔太と俊平さんと屋台のハラルフードを食べつつ、作品の感想やベンチの重要性なんかについて話した。
11/2 朝、Yoshi Amaoさんが主催されているSamurai Sword Soulのオープンクラス。 会場はブルックリンのChez Bushwick Studio。このクラスはMasaya Okuboさんに誘っていただいて知った。Masayaさんは弟の紹介。人のつながり。まさか初めての殺陣のクラスがニューヨークだとは思わなかった。恥ずかしいほど何もできず。この滞在、できることを確かめるより、できないことを集めていく60日なのかもしれない。悔しいと思うものがあれば何かしら動いていく。殺陣、日本戻ったら始めます。
11/3 コインランドリーに挑戦したのがこの日だったと思う��感想も含めて6ドル弱。靴下が若干縮んでしまった。その後、スタージナタリーの記事を書き、4時にはOpen movementというイベントに参加すべくPerformance Space new yorkへ。全く何が行われるか分からなかったけど、インスタの写真を見ていくと決めた。あまり詳しく調べない。調べたら怖気ずく。
会場はイーストビレッジのビルの4階、お茶が飲めるスペースの奥に巨大なクラブのような空間があって、既に50人ぐらいの人が静かにストレッチなどしていた。この時点ではまだ何のイベントなのかはまだ分からず。 謎の人が現れ、一人一人に耳打ちして指示を出していく。自分は「誰か一人の動きのコピーをして。ただしバレてはダメ。そして2メートル以上近づかないで」という指示だった。50人が黙々と指示通りに動いていく。集団になって動いたり、動物の鳴き声を模倣したり、寝転がったり、時間をかけてゆっくりと歩いたり、自分と同じように誰かをコピーしたり。ひたすら静かにカオスな時間が流れて謎の司会者が少しお喋り。「じゃあしばらくみんなで即興!」と言って爆音で音楽がかかる。絞られたピンクの照明の中、爆音でかかるハウスミュージック。せっかくの広い空間、自分は思いっきり走り回った。 数曲かけたところで再び司会者登場。どうやらここまでがウォームアップだったようで、言われるがまま空間の東西南北に分かれて「儀式」を作るワークショップ。チーム名を考え、大切なものを一つ用意する。それの崇め方をみんなで考え披露する。その後空間の位置も工夫して、他のチームを巻き込んだ儀式をシェアしていく。実に3年ぶりの英語でのグループワーク。相変わらず付いていくので必死だった。頭の中にアイディアはいくつもあったけど、なんて言おうか考えているうちに話はコロコロ変わっていってしまう。自分たちのチームは一冊の本を神と崇め、その本を経典とし、ランダムで選んだ文章を読み上げ、他のチームに復唱してもらうというパフォーマンスを行った。復唱しながら次第に動きが生まれ、移動式の聖歌隊(だいぶよく言っています)のようになっていくというものを披露。
思ったより上手くいったこともあり、パフォーマンスが終わった途端に喉が渇き、会場を出てロビーで一息ついていると、同じグループの女性もやってきた。引っ張っていってくれてありがとうと伝えると、適当に言ったことをみんなが喜んでくれたから上手くいったね、と言う。自分が日本から来たこと、滞在の目的、英語に難儀したことなど伝えると、彼女は最近まで高円寺に滞在していたと教えてくれた。CAVEのことも知っていた。狭いぞ、世界。話が盛り上がっているうちにワークショップは終わっていた。 アートやダンスが好きな人が昼から集まり、自由に過ごすことができる。そしてある時間になるとゲストがやってきてワークショップが行われるというのがこの日の趣旨だったらしい。
この日もやはりヘトヘトになって帰宅。明日以降の予定を考えて寝たと思う。
やるべき事、行くべき場所、会うべき人は増えていくばかり。そりゃそうだ。ニューヨークなのだから。瞬きするスピードで1週目を終えた。初日の不安が嘘のよう。
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2024.10.22-31
22日 カーテン/わずらい/安心
わずらったあたしが繰り返しきみを想ってカーテンが揺れている あなたがわたしを信仰して神様にしてくれるから生きている あの日に隠れたカーテンの秘密はまだ宝箱にしまってある
23日 皮膚/途中/輪郭
白い箱の秘密がばら撒かれるのをカメラを構えて待っている 時間切れです、さようなら/この日のために誂えた靴を揃えて SNSで撒き散らされた君の秘密が形を持ち始めた
24日 共犯者/花びら/一片
もうもどれないね と、ふたつの花弁が散ったやわい春はもう終わり わずかでも残っていたなら「戻れたのかな、あたしたち」(もう遅いよ)
25日 目減り/放課後/雨上がり
傘を手に水溜りに反射する赤が緑に変わるなと願う 制服で食べるフライドポテトは少し罪の味がした気がする きみが泣くたびにすり減っていく心臓を取り替えられたらいいのに あれはまだ濡れた地面に反射するネオンに夢を見ていたころ
26日 カードキー/影/硝子
脆い夏に透けて光る青春の儚さを翳してお終い 薄い影に透けるぼくたちはいつになったら大人になるのだろう あの月の影でできたあたしたちは手を繋いで歩いているのに
27日 ビル/埋める/季節
前になにがあったのかもうわすれたビルの透き間の新しいビル 春から冬へとあたしときみの合間を埋めるように巡る季節
28日 目減り/運命/夏
わたしの中でいたずらに目減りしてゆく夏の日とサイダーの泡
29日 生クリーム/帰れない/漂流
ぐるぐる回る生クリームがホイップになるまで帰れないあたし ホイップを通り過ぎて見失った頃/バシャバシャとバターの音がする 行先がないあたしたちがやわらかな甘いかたまりに埋もれてる
30日 鍵/思想/ぬけがら
抜け殻になったきみをそっと鍵付きの箱にしまう僕は愚か
31日 未定/ファミリーレストラン/透明
不都合な真実はきみ���いちごパフェのクリームとジャムで満たされる なにも見えないの/だからなにも起きないの/起きたことさえ知らないの お互いに何をしてるか知らないきみとぼくの空白の翌る日
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【東京出店】2024年10月山の楽市(2日目)
↑始まりました!山の楽市2日目!
今日の町田の気温は30℃に迫る勢いで、10月も後半なのに異例の暑さとなりました。午後からは雨がぱらついてきたりと、不安定なお天気の中、沢山のお客様にご来場いただきまして誠にありがとうございました!
↑今日のブースはこんな感じ。昨日の反省を踏まえて商品の配置換えをしました。
↑ばば特製こがね漬&いぶり漬けは、大人気過ぎて残りわずか。
↑お漬物各種も超人気。ばば特製なすのふかし漬は、「昨日買って食べたら美味しかったから、もう3個買いに来ました!」というお客様がいらっしゃって、おかわり購入してくださいました。ありがたやありがたや。
↑手作り自家製ブルーベリージャムも、昨日ご購入くださったお客様から「おうちにあるどのジャムよりも美味しかったよ!また買いに来ました!」というお声をいただきました。ありがたやありがたや。おかげさまで残りわずか。
美味しかったよ!と言って頂けるそのひとことが、明日もがんばれるやる気の源になっております。大感謝。
↑くまちゃんとにゃむちゃんが田んぼをパトロールして育て上げた「俺の黒猫米(あきたこまち・ゆめおばこ)」も沢山お買い求めいただけて、にゃむくまエピソードをお話しするとお客様にもお喜びいただけて、お米農家の秋田黒猫屋、感無量です。
山の楽市の特徴は、3日間連日開催というところ。単日開催のイベントと違って、初日にお買い上げいただいたお客様のリピートや感想をいただける場合が多々ございます。「昨日買ったら美味しかったからまた買いに来たわよ!」というお客様が沢山いらっしゃって、秋田黒猫屋一同喜びのあまりテンション爆上がりです!うおおおお!
製品の評価をいただき、改めて美味しくて安心安全なものを誠心誠意作り続けてゆくことに、秋田黒猫屋の活路あり!!!ということを再認識いたしました。ご来場いただきましたお客様、誠にありがとうございました。明日もがんばります!
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「自分の思うように、好きにやったらええんすよ」
初めて一緒に遊んだ時、初心者だと語る割に視野の広さがとんでもなくて、不思議な感覚を覚えた。やがて視野はどの場面においても発揮されているものだと感じ、誰かの想いを汲み取る力に非常に長けている人だからこその、思いやりとして使われている技能なのだと腑に落ちた。単に人をよく見てくれている結果だ。
マナ君は抜群の協調性を持ちながら、一人で過ごしている姿も時折見掛ける人で。自分に軸を置いて孤独も程良く受け入れられるところも、彼の魅力のひとつだ。強い責任感のある人は、度を越えた無理をしない。必要とされる場所で期待通りかそれ以上のパフォーマンスをする為のエネルギー管理をしているんじゃないかと思っている。聡い子だ。波の揺らぎにも敏感だ。繊細でなければ出来ない行動や声掛けを、さも当然かのようにしてくれる。このひとつひとつの所作を当たり前に感じるなんて罪深い事、出来ようもない。それ程に上質な贈り物を、相手にそうと悟らせず与え続けてくれている子だなと思う。誰かを否定せず、他者の選択肢を奪わないのがどれ程に深い優しさか、想像すればする程に深みのある汲み取りスキルなんだよなあ。マナ君は本当にすごいんだ。俺に出来ない形のとても静かで染み入るような心遣いの出来る彼を、実は心から尊敬していたりする。
俺は最初から一貫して本人に許可も取らずマナ君を可愛がっているし、これからも貫き通すつもり満々なのだけれど。そうしたくなった理由はちゃんとあって。そもそものところ、頑張り屋さんが損をする世界は好きじゃないのだ。報われない日があったとて、相応のご褒美がなきゃ嘘だろうと思いたい。努力家のマナ君にはせめて、目が合った瞬間や共に時間を過ごしている間くらいは無条件に可愛がられていて欲しいし、静かにえへへと笑っていて欲しい。
マナ君の秀でたところやあまりに優秀過ぎる一側面なんていくらだって書き連ねられるけれど、猫にへんてこな着せ替えをしてかわいい~とにこにこ笑ってる、マイペースで無邪気なマナ君が何よりも好きなのだ。他者にスポットライトを当てるのが大好きであろう裏方気質な君だからこそ、俺の用意した特大のライトとお立ち台の上で、いつでも心のままに歌ったり踊ったりしに来て欲しい。マナ君の素敵な部分ありきで好きになった訳ではなくて、何の気なしにしている所作ひとつに可愛げを見出だしてしまったからには、この心にとことん正直でいよう。この理屈や根拠のないなんとなくの好きが、いつかのマナ君の心の栄養のひとつになってくれますように。君が俺に自由に好きにやったらいい、と伝えてしまったのが運の尽きだ。ヒーローが安心感に包まれてぬくぬく出来る場所があったって良いじゃないか!と声を高らかに叫びたい。アンパンマンだって顔を与えてばかりじゃ疲れてしまうもんな。ジャムおじさんもバタコさんもチーズも必要なんだ。せめて報いのひとつにはならせて欲しい。
初めての求婚ポーズをつい捧げてしまったマナ君強火担の図。同担大歓迎なので、同志の方は共に全力で彼を愛でていきましょう。これは公認の推し活だ!
♩SHOCK!/Ayase
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帰国後の準備、まずはスマホ修理の予約と海外旅行保険の手続きから……なのはなかなかに悲しいな。海外旅行保険の手続きに使うモバイルSuicaの利用証明さえスマホ先に治らないと取れないデッドエンド。LINEとかいう複数端末でつかわせてくれないメッセンジャーが覇権とってるのが悪い。まぁWhatsappもそうなんだけど……。今どきの子はLINEよりインスタのDM使うというの、合理的に思える。VRはじめてからDiscord使うようになってこっちがメッセンジャーの覇権取ればいいのになぁと思う。
ランドリーにパジャマ出したのを帰るのが遅くて受け取れずパジャマ洗い損になってもうた。もうパジャマで飛行機のるか、、、パジャマといってもランニングパンツとパーカーだから外出られるし。パジャマよりも困るのはジャム梱包のための全力服まきまきが明日にならないとできないことだ。まぁシャワーもするし今日中の荷造り諦めて寝るほうが優先度遥かに高い。
インドの空港、荷物にいちゃもんつけられやすい印象だけどなんとかなるといいなぁ。台風は消滅してるし、順調に日本に帰れるといいね。
てかモバイルSuicaが���マホ破損で使えない可能性高いから久々に切符買わなきゃか???めんど。電源さえつけばいいかもだからやってみるか。
あとは日本でせめてSIM日本のに入れ替えられるか。トルコで何度やっても開かなかったのを一瞬で、しかも安全ピンで開けたバイク屋の店員、なんだったんだ。
こうも活躍するとなるとPixel3のSIMトレイ取り寄せて自分で交換しといてもいいかもなぁ。マイクも破損してて通話がイヤホン使わないとできないんだった。いくらか動画とったけど音がガビガビですごいことになった。
サブ機あって助かったけれど、でもほんとSIMに依存した機能はめんどいな、、、
そういえばRevolutカード尽く使えないのなぜ?と思ってたら不正利用で無効化された古いやつ持ってきていたことに気づいた。古いやつはさっさと処分しないとだめだね。。。
Pixel6aにはクレカタッチ決済を搭載して決済できたのだけどPixel3ではできず。
そしてアコムマスターカードでキャッシングがなぜかできず、エポスでキャッシングした。エポスの繰り上げ返済もペイジーみたいだからできそうもない。Revolutちゃんと有効なの持ってくりゃよかった。
お金周りがいろいろと厄介だね、インド。ペイジー使わせてくれ。
明日はひたすらに帰国日。ターミナル移動がないのがありがたい。非常口席にしたけどフットレストあるならそっちでもよかったかな。夜行便用の首枕と睡眠薬と耳栓アイマスク忘れないようにしないとだ。あと家のカギ。
トルコ旅行のときと同じく、帰国するのは寂しくもあるがホッとする面もある。トルコは3週間ほぼ狙い通りにお腹いっぱいになったけどラダックはまだまだ大物楽しみ残し放題だ。今回購入を見送ったストールや絨毯のことも考えるとイランも早く行きたいが。ほんとチベット仏教圏すごくよかった。仏教圏のくくりだとベトナムとタイくらいしか行ったことなくて、それらとはまた違う仏教圏すぎて、とても良かった。ゴンパ巡りはそこそこお腹いっぱいかな。
今日は昼間の直射日光1時間のせいか、再度の高度順応なのか、微妙な頭痛が続いていた。あれだけいろいろ薬持ち歩いてるのにロキソニンがなくてアホだなぁと思った。
寝支度めんどうくさい病にかかっている。歯磨いて着替えて寝るだけなのだが。ほんとうに歯磨くのめんどうくさすぎる。ジェットウォッシャーないと特に嫌。次インド来るなら矯正終えてからにしたいね、、、
荷造りも寝支度も移動もめんどい。夜行便からの仕事からの夜にはスマホ修理とかいうハードな帰国直後の予定をどうにかできるだろうか。旅先の自分のコンディションのため、というフェーズじゃないからこそ面倒なんだよね、、、
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