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PASH! March 2024 Persona 3 Reload part pictures and transcription.
DATA
HP : https://p3re.jp
X (旧Twitter) : @p_kouhou
©ATLUS ©SEGA All rights reserved.
STAFF : 制作=アトラス
対応機種 : Xbox Game Pass、Xbox Series X | S、Xbox One、Windows、PlayStation 5、PlayStation 4、Steam
※ Xbox Series XS、Xbox One、Windows、 SteamはDL版のみ
料金 : パッケージ通常版9,680円、パッケージ豪原版17,380円、ダウンロード通常版9,680円、ダウンロード特別版15,730円、ダウンロード豪単版12,408円(すべて税込価格)
影時間、再び
名作RPGのフルリメイク作『ペルソナ3 リロード』を特集!伊織順平役・鳥海浩輔さん、真田明彦役・緑川 光さん、スタジオディレクター・山口拓也さんのコメントと共に、本作の魅力を紐解いていく。
学園ジュブナイルの名作『ペルソナ3』が現代技術で蘇る
2006年に発売され、多くのファンを魅了した『ペルソナ3』。約18年の時を経て、オリジナル版の魅力はそのままに、現代に合わせてフルリメイクした『ペルソナ3 リロード』(以下『P3R』)が2月2日に発売された!
本作は遊びやすくシステムがブラッシュアップされたほか、登場人物を掘り下げるイベントなどが追加されている。
ここでは『P3R』の奥深い物語や、システムを紹介。新たに蘇った『ペルソナ3』の世界に触れてみよう!
↑洗練された新規オープニングや、ゲームサウンドも話題に!
日と1日の狭間にある影時間に挑め!
影時間に現れる謎の敵・シャドウの襲撃を受け、ペルソナ能力が覚醒した主人公。彼は仲間たちとシャドウを討伐しながら、謎に満ちた影時間の真実に迫っていくことになる。
出会いと別れの先で主人公を待つ運命は
Story
→↓心の強さが力になるペルソナ使いたち。彼らは満月のたびに襲来する大型シャドウとの戦いや、仲間との交流を通して成長していく。
System
学園生活を通して自分の能力を磨こう
学生である主人公は、平日は学校に通っている。放味みや休日は、買い物や自分磨きなど、自由に行動することができる。
Point 1
イベントがいっぱいの学園生活
授業を受けたり、行事に参加したり、学内でのイベントがたくさん用意されている。登場人物たちと、楽しい思い出を作ろう!
↑←主人公には、学力、魅力、勇気の専用パラメータがある。授業を受けたり、試験でいい結果を出したりすると成長。特定のパラメータが高くないと、発生しないイベントもあるようだ。
Point2
コミュで絆を育てよう
主人公は仲間たちや一部の登場人物と、絆=コミュを築くことができる。交流してコミュランクを上げることで、登場人物を深掘りする魅力的な物語が展開。さらにランクが上がると、戦闘が有利になる要素も!
新規のリンクエピソードも登場
↑オリジナル版でコミュがなかった仲間キャラには、新規のリンクエピソードを追加。彼らの知らなかった一面が明らかになる。
And More
何をするのもあなた次第
←↑本作はカレンダー形式で、1日ごとに何をするか選択可能 (一部、行動できない日もあり)。部活をするもよし、アルバイトに励むのもよし。全ての行動が主人公の成長につながっていくので、毎日の行動を充実させていこう。
ペルソナ能力を活用しシャドウを倒そう!
影時間に登場するダンジョン・タルタロスに挑むことで、シャドウを討伐し、主人公たちのバトル能力を成長させることができる。
→シャドウには弱点がある。武器やスキルで弱点をつき、戦いを有利にしよう。
シャドウの弱点をつけ
Battle
強力なテウルギア
↑必殺技・テウルギアが追加され、バトル演出がより華やかに!
しゅ じん こう
主人公
CV : 石田 彰
月光館学園高等部に2年から編入してきた転校生。昔学園がある港区に住んでいて、約10年ぶりに戻ってきた。複数のペルソナを召喚できるワイルドの能力を持ち、S.E.E.S. (特別課外活動部) のリーダーを任される。
S.E.E.S
Character
特別課外活動部の仲間たち
主人公が一緒に戦うのは、月光館学園に秘密裏に存在し、シャドウ討伐を目的とする部活動S.E.E.S.に所属する個性豊かな仲間たち!
勝気だけど仲間想いなクラスメイト
たけ ば
岳羽ゆかり
CV : 豊口めぐみ
月光館学園高等部の2年生で、主人公や順平のクラスメイト。弓道部に所属している。容姿端麗なため、学内でもファンが多い。明るくしっかり者で、個性的な仲間たちのツッコミ役になっている。父親の死、そして母親との確執から、ひとりで生きようと考えており、強気な態度を見せることも⋯。
陽気なムードメーカー
い おり じゅん ぺい
伊織順平
CV : 鳥海浩輔
影時間に迷い込んでいるところを真田に救われ、S.E.E.S.に加入する。コミュニケーション能力が高く、陽気で仲間を盛り上げるムードメーカーだが、少し調子に乗りやすいところがある。同じ学年なのにリーダーを任されて周囲からの信頼が厚い主人公に対して、ライバル意識や劣等感を抱いているよう。
ストイックなボクシング部主将
さな だ あき ひこ
真田明彦
CV : 緑川 光
月光館学園高等部3年生。無敗を誇るボクシング部の主将で、学外にも名が知れ渡っている。過去のある事情から強さを追い求めており、影時間でのシャドウとの戦いも、どこか楽しんでいる節がある。文武両道でストイックな性格の持ち主だが、頑固で融通が利かず、少しズレた反応を見せることも多い。
生徒会長を務める大企業の社長令嬢
きり じょう み つる
桐条美鶴
CV : 田中理恵
月光館学園高等部3年生で、生徒会長。S.E.E.S.を立ち上げ、自身も部長としてメンバーをまとめている。世界有数の大企業である桐条グループの社長令嬢だが、影時間には彼女の家が深く関わっているようで⋯。品行方正な優等生だが、世間知らずな面もあり、浮世離れした言動で周囲を驚かせる。
分析能力に優れたナビゲーター
やま ぎし ふう ��
山岸風花
CV : 能登麻美子
月光館学園高等部2年生。穏やかで控えめだが、芯はしっかりしている。ある出来事で影時間に閉じ込められ、主人公たちに救出された。そこでペルソナ能力が覚醒し、S.E.E.S.の一員に加わる。情報収集や分析が得意で、サポート能力に優れた専用ぺルソナ・ルキアの力を使い、ナビ役として仲間を支える。
人懐っこい忠犬
コロマル CV : 高橋伸也
寮の近くにある長鳴神社の神主の愛犬で、主人を亡くしたあとも、大切な場所を守り続けていた忠犬。ある事件がきっかけでぺルソナ能力に目覚め、主人公たちに保護され、一緒に寮で生活することになった。賢く、人懐っこい性格で、自身の気持ちを翻訳してくれるアイギスと、天田とは特に仲良し。
心を持った対シャドウ特別兵器
アイギス
CV : 坂本真綾
心を持った人型兵器として生み出され、ペルソナを召喚することができる。なぜか初対面から主人公に対して強い執着を見せるが、理由は不明。仲間に加わったあとは、月光館学園に通い、主人公たちのクラスメイトになる。機械らしく実直な言動が多いが、仲間と過ごすなかで、人間らしい感情が芽生えていく。
背伸びをして大人びた振る舞いをする小学生
あま だ けん
天田 乾 CV : 緒方恵美
月光館学園初等科5年生。事故で母親を亡くしており、主人公たちが暮らす巌戸台分寮に身を寄せることになる。あるきっかけでペルソナ能力に目覚め、幼いながらも、自らの意志でS.E.E.S.に加わることを決めた。とても礼儀正しく大人びているが、特撮ヒーローが好きなど、まだまだ子供らしい面も。
S.E.E.S.の創設メンバーのひとり
あら がき しん じ ろう
荒垣真次郎
CV : 中井和哉
月光館学園高等部3年生だが、現在は休学中。美鶴、真田と共にS.E.E.S.を創設したが、2年前のある事件が原因で現在は活動に参加していない。真田とは同じ施設で育った幼馴染みで、お互いに気にかけている。無口でぶっきらぼうだが根は優しく、料理が得意。また、コロマルを密かに可愛がっている。
順平は誰よりも人間臭くてとてもいい男
今作で初めて『ペルソナ3』に触れる方もいらっしゃると思います。改めて『ペルソナ3』という作品に、ご自身が感じられている魅力をお聞かせください。
独特の世界観、硬軟織り交ぜた見応えのあるストーリー、魅力的なキャラクター等あげたらキリがないですが⋯。新しい・古いで��なく、ゲームとして楽しめるところが魅力ではないでしょうか。
ご自身が演じられている伊織順平の魅力や好きなところをお聞かせください。
順平はバカでお調子者でみっともなかったりだらしなかったりするのですが、誰よりも人間臭くて、成長して、決してスーパーマンではないけれど、とてもいい男だと思います⋯褒めすぎかな (笑)。
登場キャラクターの中で好きなキャラや思い入れのあるキャラがいれば教えてください。
Cast Comment 1
伊織順平役
鳥海浩輔
新しい・古いではなく、ゲームとして楽しめるところが魅力
とりうみ・こうすけ
アーツビジョン所属。主な出演作 : 『うたの☆プリンスさまっ♪』愛島セシル役、『キングダム』尾平役 ほか
順平もゆかりっちも⋯てか、出てくるキャラクターみんな良いのですよ。とても魅力的なキャラクター揃いだと思います。まぁでも、手前味噌ですが順平が1番好きです。あとチドリも。
影時間 (1日と1日の間にある、普通の人には認識できない時間) にどんなことをしてみたいですか?
影時間は経験しなくていいです (笑)。
作中のお気に入りのペルソナを教えてください。
ヘルメスかっこいい。ジャックフロストかわいい。ケルベロスかっこいい。
月光館学園の生徒になったとしたら、どんなふうに過ごしてみたいですか?
やはり真田先輩と牛丼を⋯。
最後に読者にメッセージをお願いいたします。
とても楽しく、個人的にも思い入れのある作品です。是非多くの方に楽しんでいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
自分は。ペルソナ能力には目覚めなくていいです(苦笑)
今作で初めて『ヘルソナ3』に触れる方もいらっしゃると思います。改めて『ペルソナ3』という作品の印象をお聞かせください。
自分が初めて遊んだ『ペルソナ』シリーズです。自分はちょっと怖いものが苦手で、このタイトルもそういう雰囲気なんだろうなぁ。遊びたいけど大丈夫かなぁ。なんてビクビクしながらプレイしたのですが、めちゃめちゃスタイリッシュだわ、音楽はお洒落だわで、ものすごくハマりましたねえ。
ご自身が演じられている真田明彦の魅力や好きなところをお聞かせください。
結構ハードな過去を背負っている割には、あまりそれを見せないところかなぁ。
登場キャラクターの中で好きなキャラや思い入れのあるキャラがいれば教えてください。
う~ん。やっぱり荒垣 (真次郎) ですねぇ。
Cast Comment 2
真田明彦役
緑川 光
スタイリッシュで、音楽はお洒落だわで、ものすごくハマりました
みどりかわ・ひかる
青二プロダクション所属。主な出演作 : 『うたの☆プリンスさまっ♪』鳳瑛一役、『あんさんぶるスターズ!!』 天祥院英智役 ほか
影時間 (1日と1日の間にある、普通の人には認護できない時間) にどんなことをしてみたいですか?
色んな所に行って、普段と違うところを堪能したいです (笑)。
もしご自身がぺルソナ能力に目覚めたら、どんなぺルソナだと思いますか?
目覚めちゃうと、あの銃のパーン!ってやつしなきゃダメ???だったら、怖いので、目覚めなくていいです (苦笑)。
月光館学園の生徒になったとしたら、どんなふうに過ごしてみたいですか?
学生時代が、それはそれは昔過ぎてキラッキラ輝いているので (笑)、普通に友達とわちゃわちゃ遊びたいですね。普通が1番です (苦笑)。
最後に読者にメッセージをお願いいたします。
以前のものも面白かったですが、さらに面白くする自信があるからフルリメイクしたんだと思っているので、未プレイの方だけでなく、ブレイ済みの方たちも、是非、再びお手に取っていただけると幸いです。
Staff Comment
アトラス ペルソナスタジオ ディレクター
山口拓也
今のペルソナスタジオが魂を込めてお届けします
議論を重ねて丁寧に作っていく
『ペルソナ3 リロード』はどのような流れでフルリメイクが決定したのでしょうか?
『P3』のリメイク自体は元々ユーザーからの要望も多く、毎年アトラスが行っているユーザーアンケートでもリメイクしてほしいタイトルとして常に上位に上がるほどでした。ぺルソナスタジオとしてもユーザーの要望にお応えしたい気持ちはあったのですが、今までスケジュールや人員などの色々な都合で作れていなかったところに、丁度様々な都合がかみ合うタイミングが来まして、「今だ!」という感じで企画が動き始めました。
『ペルソナ3』という作品の魅力はどんなところにあるとお考えですか?
シナリオ、世界観、キャラクターなど様々な魅力があると思いますが、テーマに【死】を掲げているからこその、決して良いことばかりではない、人生の暗い部分にもフォーカスして繰り広げられる群像劇。それを通じて、自分自身はどう生きるべきなのか、限られた時をどう過ごすべきなのか、ついそんなことを考えてしまいながらプレイしてしまって、気が付くとどんどんあの世界に引き込まれていきます。そういった部分が『ペルソナ3』の魅力かと思います。
オリジナル版の発売から約18年後の今、リメイクするにあたって苦労された部分はありますか?
やはり何を変えるか、何を変えないかの取捨選択は非常に苦労しました。オリジナル版は今の『ペルソナ』のターニングポイントとなった伝説的なタイトルで当時のユーザーの方たちも思い入れが強いと思いますので、そういったすでに『ペルソナ3』をご存知の方とこれから新しく遊ばれる方の両方に最大限、現代の『ペルソナ3』として楽しんでもらうための取捨選択が一番苦労しました。関わったスタッフの中には過去の『ペルソナ3』タイトルをユーザーとして遊んだスタッフも多かったので、そういったスタッフとも一つひとつ議論を重ねて丁寧に作っていきました。
『ペルソナ3 リロード』ならではのアピールポイントもぜひ教えてください。
本作には様々な魅力がありますが、まずは何と言っても全面的に刷新されたグラフィックでしょうか。フィールドやキャラクターは等身大のスケールで作られ、UIも全て新規に作り直されています。特に3Dのキャラクターモデルはとても魅力的に作られていますので、大きな画面でじっくり見ていただきたいです。あと個人的にはコロマルの可愛さが��うたまらないので、仲間になった後は是非パーティに入れて、探索に連れて行ってみてください (笑)。
UIまわりや音楽のお洒落さも話題になっています。デザイン面やサウンド面でこだわられたポイントを教えてください。
デザインやサウンド両方に共通することですが、オリジナル版を遊んでいた方にも改めて楽しんでいただけるように、オリジナル版のイメージやニュアンスを汲み取りつつも新鮮さも感じていただけるようパワーアップさせることを意識しました。例えばリーですと、単純に見た目がカッコいいだけでなくこれまでのシリーズを通して培ってきたユーザビリティを損なわないように、遊びやすさや操作の快適さにもこだわって作っています。あと、サウンドでは今作では新曲もいくつか増やしているのですが、あまり曲自体を軸にしすぎると、懐かしさといいますか『P3』らしさみたいなものが損なわれる気がしたので、今作全体の演出や表現、ゲームプレイでパワーアップしたところや変化したところを考えてオリジナルを補完するような意識で追加しました。
キャラクターたちのイベントや寮生活も充実していますが、どのような経緯で追加されたのでしょうか?
『ペルソナ3』は主要なキャラクターたちが同じ寮に住んで暮らしているのですが、今まではあまりそのシチュエーションを活かした描写が少なかったなと思ったのがきっかけです。そこからスタッフと実際に同じ学校の同級生や先輩後輩と寮に住んでいたらどんな事をしたいかとかを話し合って、一緒にテスト勉強がしたいとかDVDが観たいなどいろいろな意見を踏まえて今の形となりました。
主人公たちと敵対する「ストレガ」のエピソードも追加されていますが、注目してほしいポイントはありますか?
今まであまり描かれていなかった、ストレガの各々が影時間やペルソナ能力に拘る理由の一端が垣間思えるかと思いますので、そういった点に注目していただけたら幸いです。また主人公とタカヤが対話する場面も増えており、この追加エピソードを通じ二人の関係も少し深くなっていく部分もありますので、そういった部分も注目ポイントかと思います。
豪華声優陣も注目されていますが、ボイス収録の際に印象に残っているエピソードなどがあればぜひお教えください。
『ペルソナ3』は割とシリアスな場面が多めのストーリーではあるのですが、そういった場面での鬼気迫る演技は、本当に収録に立ち会いながらスタジオで思わず目頭が熱くなるような凄まじい演技をしてくださり、改めて声優さんの凄さといいますか魂を吹き込むというのは比喩でもなんでもなく本当に吹き込んでいるのだなと感じたことが印象に残っていますね。これは本当に是非ゲームをプレイして体感していただきたいです。勿論何気ない日常の一コマもとても楽しく活き活きとした等身大の彼らが見られますので、そういった部分も存分に楽しんでいただければと思います。あとは、新たにキャスティングさせていただいたコミュキャラクターの声優さん方も本当に錚々たる方々に演じていただけたのはありがたかったです。勿論どのキャラクターも魅力を十二分に引き出していただきましたので、そのあたりも注目していただければと思います。
今作で初めてゲームをプレイされる方もいらっしゃると思います。プレイのコツやアドバイスなどがあれば教えてください。
『ペルソナ3 リロード』はカレンダーシステムという何か行動するたびにゲーム内の日付が進むシステムを採用していまして、ゲーム内で日々を無為に過ごし続けると月日がどんどん経過していき、気が付くと何も準備ができていないまま強敵と対峙する⋯なんてこともあります。なので、勉強やアルバイトなどの自分磨きや仲間や友人との交流は勿論、ダンジョン探索やぺルソナの合体等、様々な要素をまんべんなく進めていただいて、忙しくも充実した日々を送っていただくのがプレイするコツかなと思います。あとは難易度設定も用意してあり、ゲーム中にいつでも変更可能ですので、バトルが難しいと感じた方は遊びやすい難易度を選んでいただけたらなと思います。一番優しい難易度では絶対にクリアできるようになっていますので、ストーリーは気になるけどゲームは苦手という方も安心して遊んでいただけると思います。
最後に読者へメッセージをお願いいたします。
今の『ペルソナ』シリーズのターニングポイントにもなった『ペルソナ3』が装いも新たにフルリメイクされて『ぺルソナ3 リロード』として発売中です!“『ぺルソナ3』のリメイク”となっていますが他の『ペルソナ』タイトルを遊んでいなくても、オリジナル版を遊んでなくても全く問題なく楽しめる内容となっています。今のペルソナスタジオが魂込めてお届けする『ペルソナ3 リロード』。少しでも気になったらお手に取っていただけますと幸いです。
Keyword 1
『ペルソナ』シリーズとは
『ペルソナ』は、不思議なペルソナ能力に目覚めた少年少女たちの物語を描く、アトラスの大人気RPGシリーズ。各作品でストーリーは独立しているが、ペルソナを生み出すベルベットルームの存在など、世界観は共通している。『P3』はグラフィックやシステムなどを刷新し、新たな『ペルソナ』像をファンに打ち出した記念すべき作品だ。
↑ベルベットルームの主・イゴールは、シリーズに欠かせないおなじみの人物。
Keyword 2
スタイリッシュなUI
UI (プレイヤーが触れるメニュ―などのシステム) やキャラクターの2Dイラストがブラッシュアップされ、美しくより遊びやすいものになっているのも本作の特徴だ。
→バトルのメニューも操作性アップ!
Keyword 3
仲間たちとの寮生活
S.E.E.S.のメンバーは、全員同じ寮で生活している。本作では寮内で一緒に料理をしたり、試験勉強をしたり、仲間たちと一緒に過ごせる要素がたっぷり追加された!
↑一緒に過ごす時間が増え、仲間たちとの距離がオリジナル版より近い印象に!
Keyword 4
敵対する存在 “ストレガ”
影時間を利用して、他人の復讐の代行をするグループ“ストレガ”。彼らもペルソナ能力を持っており、影時間に対する考え方の違いから、主人公たちと対立する。彼らのイベントが追加され、想いや目的が明らかに。
↑ “ストレガ”が影時間やペルソナ能力に執着する理由とは⋯?
タカヤ
CV : 神奈延年
“ストレガ”のリーダー。独特な風貌と言動の持ち主だが、高いカリスマ性から、心酔する者も多い。影時間を特別な領域と考えており、影時間を消すために活動しているS.E.E.S.の前に、何度も立ちふさがることになる。
ジン
CV : 小野坂昌也
関西弁を話す少年で、戦闘では特製の手榴弾を使用する。頭脳明晰で、情報収集を得意とし、復讐代行サイトの運営を担当。過去の出来事からタカヤのことを強く信奉しており、彼につき従って行動している。
チドリ
CV : 沢城みゆき
絵を描くことを好む、白いドレスが印象的な少女。あまり感情を表に出すことがなく、他者に対して関心がない。ひょんなことから順平と出会い、交流するように。そのなかで、彼女の心に大きな変化が生まれていく。
#persona 3#persona 3 reload#p3#i got this when it released sorry for being so late#scanning it would ruin the spine but its too big anyway
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*受験期の頃に書いた日記です
傷 kiss
友人たちが次々と大学に合格していく事実が今もずどんと馬鹿でかい劣等感と化して心臓の上で横たわっている、昨日も同じ夢を見た。不安な気持ちばかりが先走るけれど、かっかしていても何も変わらなかった。他人と比べて自分の優れているところを必死に探していないと自己を保てない自分がほんとうにほんとうに惨めで、マスクが無ければたぶんぼろぼろ泣いてしまっていたと思う。心の���に横たわるみずうみが氷っていくの、口元が覆われているとそれだけで自分が自分じゃない感じがして冷淡になれた。わたしは自らの足音にだけ集中して、ただ早足で行き交う人々のあいだをすり抜ける。ずーっと頭の中を同じ映像が流れるのをむりやり切り落として、でんしゃを滑らせる線路をじっとみつめる。夕陽の光が錆びたその金をうつくしく縁取る様子が痛々しいくらいにまぶしい。受かった瞬間に内職をぱたんと辞める同級生。せーので問題を皆んな一緒に解き始めるとき、隣の子が必死に解答を隠すように背中を丸めて腕を机の上に伸ばす。そういうのばかり見ているとほんとうに、ほんとうに。言葉もでなくなってしまう。なにをそんなに誰かのことを気にするの?と、母の言葉が反芻する。光がまばらに散らばる街並みをみて、光も照らすものを選ぶのかしら、とかおもった。まいにちずっと罰を受けているみたいな日々、冬が近づくにつれて正気を失ってゆく街の様子にそれはもう痛いくらい同情してしまうし、ひたつやふたつ良いことがあっても誰かのそれと比べて自ら幸福の値段をどんどんさげてしまう。ずっとそばにいてほしい。幸福に値段なんてないよ、とかそんなこと言わなくていいの、わたしだってそんなことはわかっているし、いいの。天使とか悪魔とか神さまじゃなくて、ただわたしはわたしにそばにいてほしいし、そこにすきなひとたちがいてくれたらもっとうれしい。何も着ないでぶるぶる震えるわたしのからだを愛しているひとが白いバスローブで包みこんでくれたこと、カチカチに凍ってしまったアイスクリーム。減ってゆく数字。つめたいのにあつい、霧のカーテンの向こうに浮かぶ満月。目の前を歩いている女の子が落としたカードのようなものを拾い上げて渡す。肌寒くはないよ、いっぱい着込んであるから。舌に吸い付いた生ぬるい塩っぽさを誤魔化すために、瞬きもせずその息を呑んだ。
落ちてゆく流星群
不確かなものに心を揺さぶられながらもそれを掴んで決して離そうとしない自分の必死さに、自分で傷ついている。教科書を開いて新しい知識を得るたびに、脳内にびっしりと張り巡らされた細い糸のようなものがぴんと鋭く光って、しずかに緊張する。その感覚をわたしは思い出そうとすればいつでも思い出せるし、べつに勉強が嫌いなわけじゃない。ただ、生きているなあ、と、胸に広がるあたたかさを抱きながらそっと泣いたりする夜が少なくなった。そもそも生きていながら生きているという実感��欲しい、なんてことを考えている時点で可笑しい話かもしれないけれど。
中学の頃、冬になると毎年マラソン大会が開催された。今日みたいな寒い日にふと当時の怠さを思い出したりする。校庭の砂に石灰で大きく楕円が描かれ、その周りをひたすら走るだけの超つまらないイベント。冬の、鼻先をつんとすり抜けるような寒さと冷たい風の乾いた匂い。忍ばせたカイロと、白く上がる息。
このごろのわたしはちょうどその延長線上を生きているような感じがする。毎日同じ景色の中をぐるぐるとまわり続け、いっそのこと軌道から外れてすべてを諦めてしまいたいと思うけれど、そんな勇気も出ないまま、結局は体力と時間だけをひたすら消耗しながらゴールへ向かって淡々と走ることしか出来ない。気を緩めると涙がぽろぽろ溢れてくる。生きているという事実だけでくるしい。日に日に遠のいていく同級生の背中がいつだって意図せずとも視界に入ってきて、やるせない気持ちになる。地に足付かずでいたい、なんてことを随分と昔に書いたような気がするがとうとうそんなことも言えなくなってしまった。未来のことを考えましょうと言う先生の言葉を聞くたび、わたしは勝手に銃口を突きつけられているような感覚になる。もはや自分が果たしてどこにいるかもわからない。
来月には部活の大会を控えているし、予備校の冬季講習に加えて学校の講座を受けないといけない。三者面談と進路選択。期末試験。呑み込めずに舌の裏で転がるC判定という言葉を噛み砕くのにまだ必死なのに。
やりたいことを一つに絞るということは、それ以外を切り捨てるということ。ここから気になる大学を選んでくださいと、大学の名前と学科の一覧が記載された辞書のように分厚い本が配布された。今のわたしには、その厚さの分だけ未来の選択肢がある。そこに記載されている言葉の数だけ莫大なあたらしい世界が。そこから否が応でもたったひとつのものを掬い上げないといけない、その事実が少しだけ重苦しい。けれどそれに値するほどの価値が、これから先の時代を生きるわたしにあるということが同時にちゃんと嬉しい。
疲れた、という言葉にふさわしい努力をしていないのに、毎日すこしずつ疲れている身体はまさに地平線すれすれを生きているような具合で、わたしには喜びのほんの些細な余韻に浸れるほどの余裕もあまりない。なのに、そういうときに限って世界の美しさはいやに眩しい。たくさんのことを書き残したいと思うけれど降ってくる感情をひとつずつ捉えることはそう簡単なことでないし、そのくせして必ず少しの苦しみを伴うのだ。インターネットさえなければ言葉に残せなかったことを後悔することなんて無かっただろうに、それでも縋ろうと踠きながら残すべき自分を探してしまう自分をわたしは可哀想だと思う。わかっている。
もう秋も終わってしまう。寒いね、寒い、とぽつぽつ浮かんでくる言葉を拾いながら、誰かと手のひらを重ねたい。人と比べてしまう限り、わたしはこれからもずっと孤独をひとりで噛み締めないといけないから。胸をきゅうとさせる寂しさにもそろそろ慣れてしまいそうだから、はやくすべてが終わってほしい。はやく好きなことの勉強だけに追われる生活がしたい。そういう思いでひとつずつ過ぎ去っていく毎日の、行き場のないもどかしさも冬の寒さに凍ってしまえばいいのに。ううん、ほんとうはわたしが自分のからだで寒さを耐え凌いで、自分の力だけでもって愛すべきものたちや些細な記憶を守るべきなのだ。だけど、それが出来るほど強くないだけのこと。
無題
銭湯に行きたい。受験して、でもいいところにひとつも合格しなかったら巫女のアルバイトでもしながら京都で浪人生活をしたいな、とかんがえていた。ひさしぶりにおふろで哀しい音楽を聴いた。なんでもない日に哀しい歌をきくと、より一層哀しさが加速されるというよりなんだか心が細く研ぎ澄まされていく感じで今までの日々がきゅうっと音をたてる。雑巾をさいごまで力強く捻って絞り出す汚水、長距離走の最後の2分間、なみだが出る前の喉元になにかが込み上がってくる感じ、そういうの。とてもぼろぼろなんだけど、それと同時になにか澄み渡っていくものがある。だれかのがんばりと比べると劣るかもしれないけれど、ようやく夏も終わろうとしていることに救われる。ふつうの日々が、たくさんあつまって束になる。ぺたぺた歩く、濡れた髪にドライヤーをあてると耳の中に残っていた水があったかくなってきもちわるい。わたしは顔が良いわけでも、精一杯の力で努力できる力量もない。かといって特別な才能だって持ち合わせていないし、たまに数え切れないほどきらきらしたものを抱えている人をみると妬みと自分への劣等感で自らを押し潰れてしまう。だれかの人生で自分自身が、自分のうみだしたものが、かけがえのない財産になれるってとてもうつくしくてズルいと思う。数字がどこでもすべてにレッテルを張るから、それなりのレッテルを貰えなかったらどれだけ美しいものを持っていても誰にも見つけてもらえずにおわってしまう。わたしはそれを未だ求めてしまうほど本当は幼稚で、幼稚で可哀そう。ねえこういうのって黒歴史になっちゃうと思う?今年の夏は滝をみるはずだったけど、それすらまぼろしになっちゃった。ずーっと空白の未来の下準備を重ねているような現実から離れて、すこしはずれた小さな町で虫捕りしたり桃を買って丸噛りしたりしたかった。大学に入ったらどんなひとがわからないけれど、自分がもっているものと同じくらいのものをもっている人がいるのかなと思うとすこし楽しそうかも��いう気持ちになる。免許を取りたいけれど友だちにありじの運転は危なっかしそうだから乗るのこわい〜と言われた。そういうふうに笑ってくれる友だちがいるだけで、わたしはもうすでに色々な人の中で財産なのかもしれない。そうじゃなくても、かけがえのないものに出逢えるきっかけになれているかもしれないと薄ら感じてしまってまた胸がきゅうってなる。だれにもわからないことがあっても、言葉にされない何かがあっても、それを価値のないことと結びつけることは暴力じみた愚行かもしれない。自分の中にもまたいろいろな自分が内在していて、自分でも翻弄されてしまうことがあるし、文章を書いていても一貫性がなくて凛としない。英文法の参考書をぱらぱら眺めていたら、into the blue というのがあった。遠いところへ、彼方へ、という意味らしい。あーあ、しんじゃいたいね。
無題
予備校が終わって帰ろうと駅へ着いたけれど、次の電車が10分もあとにくるのでホーム内にある明るい禁煙スペースに入る。寒くなってきたので制服のブレザーを卸した。おおきな硝子に自分の閉じた長い足が映る、ひとが一人ずついなくなっていって、さいごには結局がらんどうの箱のなかでひとりただじっと電車を待つことになった。曖昧な形の◯とか△とか、がさがさ、つやつや、さらさらとか、そういうふうに不確かな輪郭だけ残してことばが次々とその形を変える。一つずつ掴んで物語を紡いで美しく完結させたいのにビー玉とか乱射する光みたいに思い浮かんだことすべてが一種の暴力を伴って脳内を猛スピードで駆け巡る。すぐそこにあるのに実態がわかんないし、むかつくむかつくむかつく、自分を飼い慣らすことでさえこんなに疲れる、もうだれとも話したくない、と消化しきれない感情がずっと身体の皮膚の内側のいちばん近いところで叫ぶこともできずにちりちりと火花を放っている。ロックとかやさしさとか愛とかそういうのぜんぶ病名みたいなものなのかもしれない、ひとつの感情にもその後ろにはそれをそれたらしめる色〜んな歴史があるし、たぶんこの不甲斐なさもいつかコピーペーストを重ねるうちにすこしずつ美化されてしまう。線路にわざと隙間があるのはとりわけ夏あたりに摩擦熱で鉄が溶けてしまわないようにするため、というのを授業できいた。がちがちに隙間のひとつも有さずに固められたものがいちばん揺るぎないもののように思えるけれど、実はちがくてそういうのが最も脆いものらしい。ともだちにしろ恋人にしろ自分の将来とか自分のアイデンティティも然り、全てに対して揺るぎなさ、安定とか、そういうのをひっきりなしに求めていたけれど、もっと流動体のような観念で受け止めたい。ずっとそこにある月でさえ欠けたり満ちたりするし、花の一つをとってでさえその形や色はすべて毎日かわってゆくけれど、それはそれらが美しくないことの理由付けにはならないし、信用に足らないことの言い訳にもならない。情報として飛び込んでくるいろいろなものを変に調律したり濃く輪郭をなぞったりするのではなくて、ぜんぶ自分のもっているものの周りに飾っていきたい
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1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」は、戦後最大の冤罪の一つと言われ、死刑判決が確定していた袴田巌さん(87)のやり直し裁判が近く静岡地裁で始まる。死刑確定事件の再審では戦後5例目だが、この事件の前にはいくつもの冤罪事件が同じ静岡県で起きていることをご存じだろうか。その一つ、「二俣事件」では、拷問によって無実の少年に一家4人惨殺を“自白”させたばかりか、拷問の事実を告発した刑事を偽証罪で逮捕した揚げ句、精神疾患に仕立て上げるという警察・検察の報復があった。家族もろとも偏見の目にさらされた刑事の妻・山崎まさは今も存命だ。今月27日、106歳になるまさは「当時の苦しみは言葉にできない」と涙ながらに振り返った。(文・写真:秦融/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/文中敬称略) まさが住む愛知県みよし市は、名古屋市と豊田市に挟まれた位置にある。市街地から少し離れた一軒家で呼び鈴を押すと、次女の天野功子(のりこ、76)が出迎えてくれた。 まさの夫であり、功子の父である山崎兵八(ひょうはち)は静岡県の警察官だった。 昭和の冤罪・二俣事件は1950年1月、同県二俣町(現・浜松市天竜区)で発生した。就寝中の夫妻が刃物で刺されて死亡、2歳の長女が首を絞められ、11カ月の次女が母親の下敷きになり窒息死した。事件後、近所に住む18歳の少年が強盗殺人罪などで起訴され、一審、二審で死刑判決。その後に逆転無罪となった。 兵八は、現職の警察官ながら警察組織を敵に回し、拷問による取り調べがあったと告発、少年の刑事裁判で証言台に立った人物だ。告発は審理の終盤。巡査だった兵八は読売新聞社と弁護人に宛てて手紙を書き、「(少年は)犯人ではない。新憲法下今なお人権を無視した拷問により罪をなすりつけられたものだ」「江口捜査課長と紅林主任は少年に会った時の第一印象で“彼は犯人だ”と判定、証拠集めの指令を発した」などと記した。 告発前、妻のまさは「そこまでしなくても」と夫の行動に反対だった。夫は「(少年が)自分の子どもだったらどうする?」と妻に問い、固い決意を伝えた。 当時を振り返るまさの受け答えは、とても100歳過ぎとは思えないほど明瞭だ。 「はい、そう言われました。『もしか、この子が私らの子どもだったらどうするかね?』と。間違いないです」 兵八は、弱い人や苦しんでいる人を放っておけない性格だったらしい。夫について、まさはこう語った。 「お父さんにはものすごく、そういうところがあった。きっと、生まれるときからそういう性格を授かってきたんだよね。私も、人を陥れるようなことは絶対にしたくないと思ってね。困っている人には、ねんごろ(親切)にしてね。人が難儀してると『ああ、かわいそうだなあ』って、すぐ思っちゃうんだよね」 しかし、告発は一直線には実を結ばなかった。 二俣警察署の捜査本部で捜査に関わっていた兵八は法廷で「拷問による自白」と証言したにもかかわらず、一審の静岡地裁浜松支部は死刑判決を下す。それどころか、判決の日、兵八は偽証罪で逮捕された。 「正義」の代償は、それにとどまらず、家族もろとも路頭に迷わせる“仕打ち”へと進んでいく。 逮捕後、兵八は名古屋大学医学部の教授による精神鑑定で「妄想性痴呆症」と診断された。裁判では、証人出廷した警察署長が「変人」などと兵八の人格を否定。一審で少年に死刑判決が下ったことから「警察の捜査は正しかった」ということになり、判決に異を唱える兵八は異常者とされたのだ。 辞表を出すと、兵八は精神疾患という診断を理由に、運転免許証をはく奪された。警察を辞めた後は、家族を養うため、トラックの運転手になるつもりだったが、免許なしではそれもできず、他の仕事も簡単に見つからない。逮捕・投獄された兵八は世間の偏見の目にさらされた。 当時10代だった長女・児玉澄子(故人)の手記によると、家族は耐え難い苦しみを味わうことになった。 「父は職も地位も奪われて、仕事を探し、失敗し、書を読み、そして苦しみの多い日は母や私達に当たり散らした」「父母を助けなくては。新聞配達を始めた(のは)五年生の冬でした。学校を休んで早引きをして手伝った畑仕事」「冷たい近所の人たちの目、 幼い弟はいつもいじめられ泣いて帰ってきた。『ボクのおとうちゃんどうしてブタ箱にいるの?』 と…」「母の土方の荒れた手とあかぎれの足のひびわれ」(手記から) 苦難はさらに続く。 1961年3月には自宅が全焼した。報道では「火の不��末が原因」などと伝えられたが、当時中学生だった次女の功子は、火災の数日前、自宅の前で見知らぬ男から「山崎さんのお宅はここか」と尋ねられたことを覚えている。また、功子の弟は「火が出る前に半長靴の男が家から出ていくのを見た」と家族に話し、警察にも伝えた。ところが、警察では「半長靴の男」の目撃証言が、弟自身の火遊びをごまかすためだったのではないかと疑われてしまう。 当時を思い起こし、功子は言った。 「最後は、母の火の不始末にされてしまいました。弟に傷がつくよりはまし、ということで母が全てをかぶったんです……父は名誉を回復するため裁判に訴えることも考え、二俣事件の資料を集めていました。“放火”はその資料を灰にすることが目的だったとしか思えません」 火災の真相は今や確かめようもないが、兵八が裁判を起こせば、警察側は捜査の正当性を主張しただろう。兵八を「変人扱い」した者たちの「偽証」も問われかねない。そのようなタイミングで火災が起きたことは事実だった。 「ようやく、ほっかむりが取れた」 山崎まささん(右)、天野功子さん 二俣事件の上告審で最高裁は、死刑を言い渡した静岡地裁の原判決を破棄し、1958年1月に少年の無罪が確定した。 無罪への転機は、東京高裁が控訴を棄却(1951年9月)した後、らつ腕の弁護士、清瀬一郎(1884‐1967年)が弁護人に就いたことだった。清瀬は衆議院議長などを歴任した大物政治家。戦勝国による極東軍事裁判(東京裁判)では東条英機の弁護人を務めた。 清瀬の無罪主張を受け、最高裁は2年余に及ぶ審理を経て「事実誤認の疑いがある」と原判決を破棄。その後の差し戻し審では、拷問によって警察の筋書き通りに自白させた供述の信用性が否定され、地裁、高裁とも無罪判決となった。筋書きと事実との矛盾が次々に明らかになり、検察は上告を断念、少年(逮捕当時)の冤罪は事件から8年を経てようやく晴れた。少年を犯人と決めつけ、筋書きに合う捜査しかしていない警察が再捜査に動くことはなかった。 傍らに座る母・まさを見やりながら、天野功子が言う。 「少年の無罪判決が出たときに、母は『これでようやく“ほっかむり”が取れた』と言ったんです。ね、そうだよね? お父さんの疑いが晴れた時に言ったよね? それまでお母さんはずっとほっかむりして生きとったんだよね」 顔を隠す頬かむりをせず、堂々と外を歩けるようになったという意味だ。当時を思い出したように、まさが涙ぐむ。 「お父さん(兵八)が逮捕され、自分一人で子どもたちを守らなくてはいけなくなったときの不安や苦しさは、言うに言えません。本当につらい思いをしました」 兵八は2001年、87歳で他界した。 その4年前には『現場刑事の告発 二俣事件の真相』を自���出版している。告発に至る経緯については、次のように記されている。 「心の片隅で『お前は正義の味方ではないのか。警察は国民の生命財産を守るのが使命ではないか。立ち上がるのだ』と叫ぶ声が聞こえてくるのだった。片一方の隅では、『黙っていて見過ごすのだ。あと五年経てばお前には恩給もつくのだ。恩給だけで暮らしてゆけるのだ。何も正義ぶりをする事はない。寄らば大樹の陰。大きな(長い)物には巻かれろ、ではないか』と叫ぶ声が五体に響いてくるのだった」 島田事件対策協議会で、無実の男性救済を話し合う兵八(正面左から2人目)ら(鈴木昂さん提供) 兵八によると、二俣事件の取り調べで少年に拷問していることを薄々知っていた警察官は他にもおり、「少年は無実」と思っていた署員もいた。しかし、誰もが「見ざる聞かざる言わざる」となり、法廷では「捜査は正しかった」と偽証を繰り返した。 この“拷問”に関わった刑事の一人が、捜査チーム主任の紅林麻雄警部補だったとされる。紅林は二俣事件だけでなく、同じ静岡県で起きた1948年の幸浦事件(被告は死刑判決、後に無罪)、1950年の小島事件(無期懲役判決、後に無罪)の捜査に関わり、多くの冤罪を生んだ。1966年の袴田事件では、拷問まがいの取り調べで自白を引き出し、警察が犯行の手口を考え出し、それに合う証拠や証言をつくって自白を裏付ける、という同じ手法が使われた。 二俣事件など同時期に続発した冤罪事件が「袴田事件の源流」と呼ばれる理由はそこにある。 同じ時期に起きた島田事件(1954年、死刑確定後の89年に再審無罪)の支援活動に奔走した元高校教師、鈴木昂は「山崎兵八さんには支援集会で講演をお願いし、熱意にあふれる話に引き込まれた。袴田事件の支援要請にも応じておられ、尽力を惜しまない人だった」と話す。 兵八・まさの夫婦は3男2女をもうけ、それとは別に2人の子どもを養っていた。そのうちの1人は勤務先の警察署で補導された、身寄りのない男児だった。まさによると、兵八が「面倒をみてやってほしい」と連れてきたという。 「放っておくのがつらかったらしくてね。(警察官という)職業柄もそうしてやらないかんと思ってだろうね」 まさの話によると、兵八の人柄をしのぶエピソードは他にもある。 「お百姓さんが、あるとき『これを食べてくれ』と駐在所に麦を2袋持ってきてね。お父さんは『絶対に手をつけるな』と言って。腐るかどうかという寸��で、やっと村の人と分けて食べた。それくらいの人でした」 弱い人、苦しんでいる人を助け、不正には手を染めない。まさが語る「警察官・山崎兵八」からは、組織内での孤立を恐れて自己保身に走るのではなく、人の心を大切にし、正しいと信じる道を貫くという人物像が浮かび上がる。 兵八の「正義」���押しつぶした警察・検察、さらには捜査側に寄った裁判所の不当な判決は、昭和から平成へと続き、真実や人権よりもメンツを重んじて自己検証を拒絶する姿勢は、令和の時代にも地続きのように受け継がれている。 96歳の原口アヤ子さんが無実を訴え続ける大崎事件の弁護人で、日本弁護士連合会の再審法改正実現本部・本部長代行を務める鴨志田祐美弁護士は「一刻も早く再審法を改正しなければ悲劇が繰り返される」と危機感をにじませ、改正の要点を次のように指摘する。 「一つは証拠開示の問題です。大崎事件の第2次再審では高裁の裁判長の積極的な訴訟指揮で、それまで検察官が『ない、ない』と言い続けてきた証拠が213点出てきました。さらに第3次再審になると新たに18点出た。なぜ、こんなことが起きるのか。証拠開示を定めたルールがないからです。大崎事件だけでなく、布川事件、東電女性社員事件、松橋事件などは、再審を求める中で重要な証拠が開示され、再審開始決定の決め手になった。規定がないために、検察は隠し通そうとし、開示が個々の裁判官の“やる気”に左右されるのです」 二つ目は検察官の抗告(不服申し立て)の問題だという。 「再審開始決定が出ても、検察官が抗告し、いつまでも再審公判が開かれない。再審は本来、無実の人を救済する制度で、検察官といえども立場は同じはず。ドイツでは検察官の抗告は禁止されている。袴田事件では最初の開始決定から9年、大崎事件は21年、名張毒ぶどう酒事件では奥西勝・元死刑囚の命が尽きてしまった。抗告の弊害による悲劇をなくさなければいけない」 二俣事件の関係者がほとんど他界した中で、まさは穏やかな日々を生きている。 「天寿をいただいているんだよね。まだこれだけ元気でね、みんなのエネルギーをもらっている。人を見放しておくよりも助けてやりたい、という気持ちで生きてきて本当に良かった、と。そう思ってね。やっぱり人に意地悪はするもんじゃないな、ってね。人を助ければ助けてもらえるな、って思うよね。毎日そう思いながらこうしていますよ」 秦融(はた・とおる)1961年、愛知県生まれ。ジャーナリスト。フロントラインプレス所属。元中日新聞編集委員。滋賀・呼吸器事件の調査報道を描いた著書『冤罪をほどく……“供述弱者”とは誰か』(風媒社)で、2022年の講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。至学館大学コミュニケーション研究所客員研究員。 「#昭和98年」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。仮に昭和が続いていれば、今年で昭和98年。令和になり5年が経ちますが、文化や価値観など現在にも「昭和」「平成」の面影は残っているのではないでしょうか。3つの元号を通して見える違いや残していきたい伝統を振り返り、「今」に活かしたい教訓や、楽しめる情報を発信します。
「拷問」を告発した警察官の夫は逮捕され、異常者扱い――105歳が語る「冤罪」の長い苦しみ #昭和98年(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
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『イスラエル/パレスチナ/アラブ諸国』2020年
紛争の原因
1897年、テオドール・ヘルツルは『ユダヤ人国家』を著し、反ユダヤ主義者たちによる迫害からユダヤ人を守るためにはユダヤ人国家を建設しなければならない、と唱えた。1917年、イギリスの外務大臣であったバルフォア卿は、パレスチナにおけるユダヤ人の「民族的郷土」の建設への協力を宣言する。しかしバルフォアは同時にオスマン帝国の支配下にあったアラブ人に対して独立の約束もしていた。1919年から1939年にかけて、イギリスの委任統治の下でパレスチナのユダヤ人人口は6万5000人から42万5000人になり、パレスチナの住民数に占める割合は10%から30%に増加した。その原因は、中央ヨーロッパやドイツにおける迫害を逃れてやって来たユダヤ人の集団移動だった。このことはユダヤ移民に対するアラブ人の敵意を生んだ。第二次世界大戦後、国連はパレスチナ分割案を採択し、領土の55%をユダヤ人に割り当て、残りの45%をアラブ人に割り当てた国家を創設することにした。アラブ側はこの分割案を拒否し、第一次中東戦争が勃発した。その結果、アラブ側は敗北し、1948年5月14日にベン・グリオンが建国を宣言したイスラエルは、やがてその領土をパレスチナの55%から78%にまで増やしていく。残りはエジプト領とヨルダン領になった。つまりパレスチナ人への約束であったアラブ人の国家は実現しなかったのだ。結果的に72万5000人のパレスチナ人が避難し、難民になることを余儀なくされた。アラブ諸国はイスラエルを承認せず、イスラエルは保身のために西欧諸国とアメリカに接近し、かつての植民地大国の同盟国とみなされた。1956年、エジプトのナーセル大統領が国有化しようとしたスエズ運河をめぐって、イスラエルはイギリスとフランスとともに軍事行動を起こした。ソ連はエジプト側についてこの戦争に介入した。1967年には、イスラエルは「六日戦争」と呼ばれる戦争に勝利し、東エルサレム、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、そしてエジプト領のシナイ半島とシリア領のゴラン高原を占領した。このときの完膚なきまでの敗北は、アラブ諸国にとって屈辱の記憶となった。国連は安保理決議242を採択し、戦争による領土奪取を認めず、イスラエルには占領地域から撤退するよう要請した。1967年、スーダンのハルツームにおけるアラブ連盟の首脳会議で、3つの「NO」が採択された:和解への「NO」、イスラエル承認への「NO」、交渉への「NO」である。
アラブ側ではパレスチナ人が武力闘争を強く推し進めており、対話を拒むイスラエルを国家として認めなかった。1973年、イスラエルとエジプト・シリアのあいだで再び戦争が始まったが、領土問題は現状維持のままで終結した。1978年、エルサレムを訪問したエジプトのサダト大統領がイスラエルに対して和平を提案し、エジプトとイスラエルは互いの国を承認することになった。シナイ半島はエジプトに返還されたが、エジプトは単独で平和条約に調印したために、アラブ連盟から除名された。するとエジプトはアメリカと同盟関係を結び、多大な経済支援を受けるに至った。
1982年、イスラエルはレバノンに侵攻し、レバノンにおける国家内国家となっていたパレスチナ解放機構(PLO)を立ち退かせようとした。1964年にPLOを創設したヤーセル・アラファトは、イスラエルのレバノン侵攻が始まると首都ベイルートから逃亡しフランスの保護下に入った。しかしイスラエル侵攻下で、パレスチナ難民キャンプ内での民間人の虐殺が発生すると、イスラエルのイメージは地に落ちた。1987年から、ガザ地区のパレスチナの青年たちを中心に、イスラエルによる占領に抵抗するインティファーダ、通称「石の闘い」が始まった。1990年から1991年にかけての湾岸戦争が終わると、サダム・フセインが、イスラエルによる占領をうまく利用することでアラブ諸国の世論をたやすく操作していたという事実を、アメリカは初めて理解した。ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、イスラエルに方針変更を強要した。イスラエルとパレスチナの直接交渉が実現し、オスロ合意が成立した。この協定により、PLOはイスラエルを国家として承認し、イスラエル(イツハク・ラビン首相)はそれまでテロ組織とみなしていたPLOをパレスチナの正式な代表として認めることになった。オスロ合意(1993年9月にワシントンで批准された)の計画では���イスラエルは段階的に占領地域から撤退し、パレスチナ人の国家が建設されることになっていた。
1994年7月1日、それまで亡命していたヤーセル・アラファトPLO議長がパレスチナへの帰還を許された。ところが1995年11月4日、イスラエルのラビン首相が過激派ユダヤ人に殺害され、和平プロセスは暗礁に乗り上げた。そこで、大統領として2期目の守終了を控えたアメリカのビル・クリントンは和平合意成立に向けて、2000年7月にキャンプデービッドで両者の首脳会談を待った。しかし交渉は決裂し、再び武力闘争が繰り返される。2001年2月、イスラエルはアリエル・シャロンを首相に選んだ。新首相シャロンはオスロ合意には反対の立場で、ラビン路線(あたかも和平プロセスは存在しないかのように厳しくテロ組織との闘いを続けると同時に、あたかもテロ活動など起こっていないかのように友好的に和平交渉を進める方法)を退けた。シャロンがオスロ合意を少しずつ切り崩していく一方で、ハマスによるテロ活動は規模を拡大していく。2002年にはアラブ連盟から和平案の提案があった。アラブ諸国によるイスラエルの承認と引きかえにイスラエルは占領地域から撤退し、そこにパレスチナ国家を樹立するという内容だ。ところがシャロンは7000人のイスラエル人入植者が140万人のパレスチナ人に囲まれて暮らすガザ地区からの全入植者の撤退を突然決断する。そしてそのあいだもヨルダン川西岸地区では入植地建設が続いた。
パレスチナで2006年1月に行われた選挙ではハマスが圧勝した。ハマスはオスロ合意に反対しており、西欧諸国とイスラエルからはテロ組織とみなされている。
西欧諸国はガザ地区にあるパレスチナ政府との関係を絶った。パレスチナは地理的にはガザ地区とヨルダン川西岸地区に分断され、政治的にはガザ地区を掌握しているハマスとファタハに分離した。イスラエルが撤退したあともガザ地区の封鎖は続き、パレスチナはこれに対してイスラエルの都市にロケット弾を発射して対抗��た。これをきっかけにイスラエルは新たに軍事侵攻を開始、ガザ地区を爆撃し、2008年12月から2009年1月にかけてパレスチナ側では1400人の死傷者を出した。さらに2009年2月に行われた選挙ではイスラエル史上もっともナショナリズム色の強い政府が成立した。当時、イスラエルとパレスチナの和平合意がゆくゆくはどのような形を取ることになるかは知られており、多くの文書においてすでに定義済みであった。その内容は、まずイスラエルの隣にパレスチナ国家を建設すること、そしてイスラエル人は67年ライン内に住む権利を有すること、さらに、領有権問題で両者に損失が出ず両者の合意がありさえすれば、境界線の変更も可能であったこと、などである。とはいうものの、この頃からまたもイスラエル・パレスチナ間では不信感が生まれ、敵意にまでエスカレートした。2014年、3人のイスラエル人が誘拐されるという事件が発生、イスラエル政府はまたもガザ地区を爆撃し、2200人が犠牲になった。2015年3月、ベンヤミン・ネタニヤフ率いるリクードが選挙戦で再び勝利をおさめ、パレスチナとの和平交渉に反対する右派と極右派による政府が発足した。大のイスラエルびいきであるドナルド・トランプのアメリカ大統領選出は、ユダヤ教原理主義者や植民地主義者たちとの結びつきが強いネタニヤフが、妥協を認めない政策を続けるうえで、強固な支えになった。アメリカ政府は駐イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移し、パレスチナ自治政府と断交し、ゴラン高原におけるイスラエルの主権を承認した。EUは現状を承認し、ロシアと中国もこれに続いた。インド、そして数多くのアフリカ諸国も密かにではあるがイスラエルに協力している。また、イランという共通の敵をめぐって、国交のなかったアラブ諸国との関係改善を図り、サウジアラビアとアラブ首長国連邦への接近も実現した。だが、アラブ諸国の政府にまで見放されたパレスチナの大義は、今でも世論に強く訴えかける力を持ち続けている。
『最新 世界紛争地図』
パスカル・ポニファス/ユベール・ヴェドリーヌ 著 神奈川 夏子 訳
ジャン = ピエール・マニエ(イラストレーター)
ディスカヴァー・トゥエンティワン2020年8月25日発行
原題:ATLAS DES CRISES─ET DES CONFLICTS
著者
パスカル・ポニファス(Pascal Boniface)
国際関係戦略研究所(IRIS)所長お呼びIRIS SUP(イリス・シュプ)学長。
パリ第8大学ヨーロッパ研究所で教鞭を執る。戦略的問題に関する著書は約60冊、YouTubeチャンネル『Comprendre le monde(世界を理解する)』も運営している。
ユベール・ヴェドリーヌ(Hubelt Vedrine)
1981年から1995年までフランス大統領府で外交顧問、報道官、事務総長を歴任し、1997年から2002年まで外務大臣(ジョスパン内閣)を務めた。
訳者
神奈川夏子(Natsuko Kanagawa)
上智大学仏文学修士課程、サイモンフレーザー大学日英通訳科修了。訳書『偉大なる指揮者たち』(ヤマハミュージックメディア)、『BIG MAGIC「夢中になる」ことからはじめよう。』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか』(草思社)、『ヴァン・ナチュールの名作300本』(エクスナレッジ)他。
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人魚の肉を食べた
数十年ほど前に人魚の青年が人間に殺された。
人間の使った刃物と共に夥しい数の彼の鱗と髪や表皮が漂って来たらしい。以来人魚たちはその浜に近づかないようにしていた。 しかし書物を持たない人魚たちは口伝えにそれを伝えたので、どの浜なのか正確なところがわからなくなり、全ての浜に上がることを控えるようになっていった。 なので無邪気な少女にすると、「その人間が恐ろしいだけで陸が全て忌むべきものではない」ことになり、あまり人間がうろついていなさそうな岩肌の海辺にこっそりと顔を出した。 「あ」そこでふたりの声が重なった。 彼女が顔を出したすぐそこに人間の青年が居たのだった。彼はすぐに彼女の手を取ると「僕と生きてくれ」と言った。
攫われていく間も人魚は自分が殺されるのかと思ったが、人間はとても彼女を大切にした。 彼はいつも一人だったが様々なことを知っていて 色々なことができた。料理も工作も、彼女に語り聞かせる話も、人間の短い生と欲に振り回される性分の中でよくぞここまで多くを得たと、人魚が感心するほどだった。そして彼は穏やかで、優しく、人魚がそばにいることが嬉しくてたまらないように話かけ、沢山構った。だんだん人魚は彼への警戒を解いた。 彼がお金を貯めて庭にプールのある家を買った時、人魚はこの人と一緒に生きていこうかという気になった。彼は「まだ君を人間にする算段がつかないんだ。もう少しこの狭い庭で我慢してくれ」と言った。
庭からは外の世界は見えない。しかし人魚にとっては、庭にあるものだけでも陸の世界は目に新しく、いつまでも眺めていた。 ある時一人の子供が庭に迷い込んできて、人魚はこの辺りに彼以外にも人間が居たことを知った。子供が深い茶色の目をしていたので珍しく思い、人魚はじっとその目を見つめた。 上半身だけをプールから出していたので、少年は人魚を人魚と気付かず「すみません!」と焦ってどこかへ行こうとした。それを人魚は青年と話して覚えた人間の言葉で呼び止めた。 「君はここの家の彼を知ってる?友達になってあげてよ」 少年は目を丸くして振り返り、一度うなづいた。
彼はたまに人魚をプールから出して、研究室で身体を診た。他にも尾鰭に触れたりキスをした。少年と人魚が出会ってからも彼の様子に変化はなかった。少年と交流を持たなかったのだろうか。 人魚は���に何も訊ねなかったが、ふと研究室の隅にある骨格標本に気づいてそれを訊ねた。「あれはなに」 「あれは骨だよ。君の体にも入っているものだ」 「…あれは 人魚の骨?」 「…」そうだよ と彼はうなづいて微笑んだ。 「本物?」 「そうだよ。…<彼>があれをのこして��ってくれてよかった。おかげで君の今の体のことも、よくわかる」
それからしばらくして彼は人魚を人間にする算段が立ったといって、準備をするから待っていて と伝えてきた。 夜だった。人魚は庭で空を見上げていた。星たちの煌めきをうっとり眺めていた時、ふと影が差し込んだ気がして、人魚はそちらを見た。 そこには一人の老人が立っていた。老人は驚いたように目を見開いて人魚を見つめていた。その目は美しい深い茶色で あの日の少年と同じ虹彩をしていた。 老人は人魚の方へ歩み寄ろうとしたが、そこで彼がやってきた。 「ああ、もう来るなと言ったろうに」と彼が言って、老人をどこかへ引っ張っていってしまった。
海辺で出会って10年、家に住み始めて20年、少年と出会って40年。彼の見目は、出会った時から変わらない青年の姿だ。
戻って来た彼は「準備ができたよ」と微笑んだ。抱き上げようと手を伸ばされて、人魚はそれを一度躱した。 「どうして私と生きたいと?」人魚は訊ねてみた。 青年は一度黙ったが、また静かに微笑んで答えた。 「僕は人と違う時間の流れで生きているから いっとき言葉を交わしてもそれっきり。でも君となら、共にいられるだろう」 「もし私が拒絶したらどうするつもりだった」 「…君に逃げることができるか?陸を動けない尾鰭で」 ふ、と彼は言葉を切ってもう一度手を伸ばしてきた。 「君は逃げられない。もし人間になってもその時には君は僕と同じ、誰とも生きられない、僕以外とは。海にだってもう戻れない。…共に在りさえすればいい 意思も情もなくても 悠久の時の中でそんなものはいずれ超越されていくさ」
人魚が彼に抱き上げられていくと、そこには人間の少女がいた。どことなく面差しが人魚と似た、美しい少女だ。目を閉じて横たわっているが、呼吸に合わせて体が動いており、生きているとわかった。 「この子に君を食べさせる」 彼に告げられて、人魚は驚き、暴れ狂った。「共に生きると言ったのに」と、青年を罵り泣き叫んだ。「嘘吐き!」 けれど青年はそれを甘んじて受けながら全く動じずに「嘘じゃない」と答えた。 「嘘じゃない。この人間が君の肉を全て食えば、いずれこの人間の中で君は目覚めて 僕と同じ時を生きることになる」 「……中で、目覚める?」 「そうだよ。僕が<彼>の中で目覚めたのと同じように、目を覚ます。君に似合う健康な人間を一生懸命探したんだ。君がこれの中で目覚めるまで、必ず守るから、ね。長い時が掛かるけれど、大丈夫さ、僕らには悠久ほどの豊かな時間があるのだ���ら」 青年は人魚を見つめ、笑顔を浮かべた表情の眉を下げて、すがるように抱きしめて言った 「お願いだ。僕はもう人魚に戻れない 人間の中にも交われない …僕をひとりにしないでくれ」
それから
茶色い目をした老人は、いなくなった孫娘を見つけられないまま亡くなった
人魚たちは、少女がまた人間に殺されたのだろうと噂した。
彼と彼女は、今もどこかで 寄り添って暮らしている。
『寄生する人魚のはなし』
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よくもさわれもしない物事共を
自分用のメモと鍵垢の友人にリプライする用のアカウント(鍵がかかっている)がさんさんたる有様である。というか、具合がいい時はあまりここに書き込むことはないので、畢竟最悪な精神状態の記録がここに残るわけだが、それにしてもこんなメモを残してるやつと友達やりたくね〜〜と思うやばい思考のられつというかもうお祭りだ。全部盛り。大体の友人はミュートしてくれていると思うが(願うが)、これを見てもまだ友達でいてくれる人達ってほんとうにすごいと思う。どこまで人間の善性を信じているんだ。別にうつ状態じゃないとか言いながらずっと死ぬことについて書いていたりするし、自分の人間関係における価値観がいかにやばいかをかなり具体的に書いている。正直見るだけで吐き気がする。なぜこんなことを投稿してしまっているのだろうと思うが、これも体調記録になるので消さない。精神疾患というものはかなり「きつい」。障害者でも、身体障害者、知的障害者は世間の中である程度システムが出来上がっており、もちろんまだ差別は残っている面は多々あるが、それでも話題に上がる。精神障害者はかなり、この点、苦しい。という話を今日友人(後輩)とした。いくら人柄や能力がよくても、週何回出勤できるのかが不安定な精神障害者よりも、週5日必ず出勤できる安定性のある身体障害者や知的障害者のほうが、採用されやすい。それは当然そうだと思う。精神障害者の多くには自殺のリスク、また多くはないが加害のリスクがあるため、雇用側としてはその見極めが難しいと思う。賃貸物件も、精神障害者であることは基本的に大家さんに伝えない。身体や知的障害ならまだいいが、精神障害者には貸せない、という大家さんは多い(不動産屋さんから聞いた感じ、この辺りではそう)。これもやはり物件内で自殺未遂や自殺をされては困るからだ。家賃滞納にもリスクがあるのかもしれないが、一番は自殺されるリスクだと思う。精神障害者(正式には精神障害者という単語はないが)の多くはそれを公にはせず、社会的な関係を築く。精神疾患により障害者手帳を持っていたり、障害年金をもらっていることは、親しい友人(というか、自分の人となりを知ってくれている人)にしか話すことはできない。もしくはかなり障害者に理解のある企業の人事部など、採用関連の方。就労支援施設を利用してスタッフの方に面接に同席していただく場合を除けば、基本的には精神障害者であることは隠して(クローズドにして)おかなければ、採用されることは難しいと思う。そういうわけで、次の面接では病気のことをなんと言おうかなあと少し考えている。持病で、ということと、病名と症状までは聞かれたら言うようにしているが、障害者であることまでは���明しない。でも、アルバイトでも入社してから結局障害者であることを私は明かしてしまう場合が多い。結局嘘をついていることに耐えきれなくなる(※嘘をついているわけではない)気持ちになるし、税控除や、障害者雇用枠になるかどうかの問題もある。一度採用してしまうと解雇するのは難しいので、騙し討ちのような感じだ。それでも私が問題なく勤務すればいいのだが、問題があると(欠勤が続くなど)本当に雇用側が可哀想だなと思う。その場合結局私は退職するのだが、採用に関わる予算や手間・人員・時間がまたかかる。そういう社会の損失を生み出しつつ、私は生きているのだなと実感しています。働かないほうが人に迷惑をかけることは少ないのではないかと思うが、残念ながら私は働いていないと生きている気がせず、容易に絶望に陥ってしまうので、どんな時も就労を目指している。
なぜか仕事の話になってしまったが、私の精神状態の不安定さがやばいという話である。人間関係(友人関係)のトラブルも、そこから始まるうつ状態による希死念慮も絶えない。これは別に私が精神疾患者だからではなく、私の人との付き合い方に問題があるからである。人との距離の取り方の異常性や、人にもとめる愛情の無限さ、飢餓感、孤独感、そういったものが常に私を取り囲んでおり、普段はそういうものを閉じ込めて蓋をして見えないようにして体面良く振舞っているのだが、調子が悪いとこの面の皮が剥がれ、あっという間に攻撃性と被害者意識の塊と化すのである。これはなんらかのパーソナリティ障害に当たるのかもしれない。そういうことを考えると絶望も深くなる。愛着障害にかかわる困難を抱えていることは確かだが、おのれの客観視をもってしても調教できない部分が自分にあることは単純な恐怖だ。なぜかというと、そういう人間にさんざん痛めつけられてきたからで、さらにそういう人間は人に嫌われることをよくわかっているから。人に嫌われるというか、「こいつはもう駄目だ。手の施しようがない」と周囲に諦められることは本当に恐ろしいと思う。怪物として世界の辺境をただむなしく這いずり回って死んでいくだけ。とても悲しいことだと思う。どうすればそうならずに済むのかは、よくわからない。なんとなくこうしておいたほうがいいかな、という勘に従って、なんとなくで進んでいる。気づいたら周りには友達が一人もいなくなっていた、という事もありうる。その恐怖はいつでも目の前にある。あまりにも怖いので、自分はできるだけ邪悪な存在ではないですよ、ということを、嘘をついてでもアピールしている、つねに。この嘘は、私にとっても相手にとっても必要なものだと思うので、罪悪感は無い。
素のままの自分を出せ、と昔、友人にすごく怒られたというか要請されたことがある。それは、素のままの自分を出しても、否定されなかった人だけができる芸当で、たぶん私のような邪悪な人間が素のままを出したら、かなり、かなり危険だし、友達��いなくなると思う。友達を失いたくない一心で頑張ってできるだけ常識のある人の振りをしているので、素のままで行動しろ、と言われると、「できません」となって固まってしまう。程度の差こそあれ、誰でもそうなのかもしれないが。生まれた時から今まで、演技をすることだけで切り抜けてきた。素のままの自分では、あまりにも邪悪すぎて人間社会からはみ出してしまうから。死ぬまで演技をする。これがかなり私の「ストレス」の多くを占めているのかもしれない。
「親にも愛されなかったのに」という、私もどこか血縁神話を信じているふしがあるのだと思う。別に親に好かれなかったからといって、他の人にも好かれないという道理はない。親は私を好きにならなかったが、親以外の人で私を好きになってくれた人は数多く居た。それでも私は親が好きで、しかし親は私をあまり好きではなかった。この片思いの感情が、私の歪みの根幹にある。好きな人に好きになってもらえないことは本当に悲しいことだが、仕方のないことで、この世の中では実に多くあることだ。
私はこの人のこと大好きだけど、この人は私のことそこまで好きじゃないんだなあと思うことはよくある。その度にずたずたになる。面白いくらいだ。でも、その人と関係を続けたいなら、私はあなたのことをそこまで大好きってわけではないですよ、とダイヤルを調節して、相手に気まずさを与えないようにする。気まずさを感じるタイプの人ではない場合はラッキーで、変わらずあなたが大好きですという態度を取り続けても許される、あまり多いことではないが。一番ラッキー大儲けなのは、自分の好きと相手からの好きが同じくらいの大きさの時である。相手からの好きのほうが大きく、私の好きが小さい場合は申し訳なく思うが、その場合は関係を消滅させたり、それ以上仲良くしたりしないようにする。変に仲良くなってから、実はあなたのことそこまで好きじゃない、となると、ダメージが深刻なのは相手のほうだ。私はこれをやられるのがいちばん食らう。すごく仲良くなったと思った相手から「いや、今はもうそんなに好きじゃない」「最初からそこまで好きじゃない」という態度を取られると、また、「やっぱり私は好きな人に好きになってもらうことはないんだ」が発動してしまい、最悪なうつ状態に陥るからである。言うまでもなく、この状態の発動の最初の相手は、母親である。でも繰り返すが、親だからといって、子供を好きになってくれる人ばかりではない。当然、私を好きになれない人間も世の中には一定数いて、母親がそこに当たってしまった。というか、母親は子供全般が好きではなかったので、私より悲惨なのは兄だった。それでも母親は私たち兄妹をよく守ってくれたと思う。好きでもないのに世話をさせられて、本当にかわいそうだったと思う。私は子供全般が好きなので、母親の気持ちは想像が難しいが、そういう人もいるのだ、というのは身をもって知っている。ただ単に興味が持てない。ただ単に味方する気になれない。人間として好きになれない。母には、残念ながら私たちを好きになる才能が生まれつきなかっただけで、母は悪くない。それはそれとして、父親には同情の余地がない。父親はわかりやすく邪悪な人間だった。私の中の邪悪は、完全に父親の遺伝子のせいであり、ということは、父親の邪悪も遺伝子のせいであるので、個人を恨むのもまた違うのかもしれない。私は運良く自分の邪悪に気づき(父親の振る舞いを見て)、それをどうにか飼い慣らすことが出来るときもある。しかし父親は、善良な父母や妹(私にとっての祖父母と叔母)に囲まれ、自分の邪悪さに気づくことができなかった。その邪悪さは40代でピークを迎え、兄や私の心を完膚無きまでに叩き潰した。子供というのは面白いほど無力だなと思った。ただ本当に、自分の根底には父親と同じ思想、同じ思考があると感じるので、父親のようにならないように、ならないようにと念じながら生きている。その試みは30年を越した今、一応の成果を見せている。と、自分では思っている。
正直こんなおもしろくない日記を書いてどうするんだ、という感じだが、まあ思ったことを全部、思った順番で喋っているのがこの日記なので、仕方がない。このように目が滑る日記を読んでくれる人はそんなにいないと思うのだが、全くいないという訳でもないようなので、今日も無駄なことを書いてしまった。私は自分の情報を開陳しすぎるきらいがある、と自分でも思うのだが、一応人に言える範囲のことしか言っていない。ので、安心して読んでください。この日記はフリー素材ですし、いつどこで話題にしていただいても構いません。本当に喋ってはいけないことというのは一応心得ていて、それらは誰にも喋っていません。これからも喋らない。だから「そんなにパーソナルな情報をお出しされても…」と戸惑われてしまう方にはこの日記は向いていないし、正直この程度のことは私にとって全然パブリックの範囲である。こんなふうにきちんと加工して、見映えよく盛り付け、冷蔵および冷凍して保存可能な形にしたもの、これは誰が読んでも大丈夫な文です。これは私が全世界に公開している私の情報です。どのように受け止めてどのように使われても全く問題ない。この程度のことはいくらでも他人に喋れる。ただし、だからと言って「あなたも情報を開陳しろ」と言っているわけではありません、決して。ここまでのことを言う私はまあまあ変わっているというか少数派だという自覚がありますし、ここまでのことを他人に知ってほしいと願うのは、幼児性の発露に他なりません。そのため、普通の人、多くの人は、自分の内情についてここまで公開しない。ただ、私は公開する、それだけの違いです。
自分のことを知ってほしいというよりは、自分の中身を整理する手立てがこれ(他人に語る形式)しかなく、また自分の中身を他人に知られても全くどうでもいいと思っている。自分で加工して見せびらかしている自分の内情などというものは、自分の外見といってもいいくらい、装飾や自己演出に過ぎない。
自分の中の邪悪を排除しようとするあまり、他人の欺瞞やごまかしや甘えの部分、偽りの部分、他人ももちろん演技をしていると知っているが、そういうものが時折許せなくなる。自分を許せるようになれば変わるのだろうか。でも、悪辣な人間にはなりたくない。
2023.10.6
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2023年7月17日(月)
世間では3連休だが私の職場(私立女子大学)では祝日授業日、そして今日から第15週突入、つまり前期の最終週である。今日の授業は<情報機器の操作Ⅰ(看護学科)>、いつもは欠席者のほとんどいないクラスだが、3限で3名、4限で5名の欠席者があった。そのうち3名は体調不良と連絡済み、他はわからないがコロナ罹患者が増えていることは間違いない。祇園祭の超密空間がどのような結果をもたらすか、想像すると怖くなる。自分の身は自分で守る、何としても元気に夏休みに突入するのだ。
4時30分起床。
日誌書く。
朝食、今日からそばは冷たいバージョン、挽き割り納豆をトッピングする。
洗濯1回。
私以外は休みなので、弁当を4人分用意する。
出勤してしばらくするとツレアイから連絡、同居猫・ココを<秋山恵蔵どうぶつクリニック>に連れてきたが、9時の段階で受付5番目とのこと。
午後の<情報機器の操作Ⅰ>、明日の<スタディスキルズ>の授業準備。
10時40分にツレアイから連絡、やっと診察・検査が終わって結果を待っているとのこと。長時間お疲れさま、猫も人間も。
妙齢女子が夜勤明けで来訪、近況報告をあれやこれや。
3限・4限は<情報機器の操作Ⅰ(看護学科)>、先週のエクセル試験の振り返り・入力問題・エクセルの復習課題、最後に授業アンケートを記入して前期は終了。同じ教科書を使って、後期は<情報機器の操作Ⅱ>の授業となる。しかし、欠席者の多いのが心配だ。
帰宅したのは17時30分頃か、すぐにツレアイも戻ってきた、友人のライブ演奏に行ってきたとのこと。
ココは体重は変わらなかったが、検査の結果は貧血気味とのこと。点滴8回分をいただき、次の受診時に貧血傾向が変わらなければ対処するとのこと。
すぐに夕飯準備、蒸し鶏・フライドポテト・トマトとレタス、ツレアイの友人から届いたビールを息子たちに、私は今週は日本酒禁止強化週間、ワインを控えめに(?)いただく。
早めに切り上げて���付け、入浴、体重は1,350g減、昨日の増加分を取り戻した。
酢タマネギを仕込んでからの就寝。
辛うじて3つのリング完成、水分は1,740ml。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)5月8日(月曜日)参
通巻第7742号
(承前)
岸田訪韓を評価すべきだが、韓国の外交転換こそ注目だろう
日本は安禄山の蜂起を三年知らなかった。これが歴史の教訓
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前号に引き続いて資料を掲載
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<<<<資料>>>>
日韓首脳拡大会合冒頭発言
▽岸田首相
・「広島サミットを見据え、インド太平洋の最新情勢や、グローバルでの連携を議論したい」
▽尹大統領
・「歴史問題が完全に整理されなければ未来への協力のために一歩も出られないという考え方からは抜け出すべきだ」
・「日韓関係は本格的な改善がはっきり表れている。両国関係が良かった時代より、良い時代をつくらなければならない」
【日韓首脳共同記者会見】
・日韓首脳は経済、安全保障分野の緊密な協力で合意した
・日韓首脳は対北朝鮮協力の強化で一致した
・日韓首脳は、福島原発の処理水に関し、韓国の専門家による現場視察団の派遣で合意した
・尹大統領は岸田首相の訪韓で「日韓関係の正常化が軌道に乗った」と述べた
・日韓首脳は、両国企業による半導体のサプライチェーン構築に関する連携強化を確認した
・岸田首相は、歴史認識について「歴代内閣の立場を引き継ぐと明確にした。この立場は今後も揺るがない」と述べた
・日韓首脳は北朝鮮に対し、抑止力と対処力を強化する重要性で一致した
・岸田首相は、元徴用工問題に関し、「当時、厳しい環境の下で、多数の方が大変、苦しく、悲しい思いをしたことに心が痛む」と述べた
・尹大統領は、元徴用工問題を巡る韓国政府の方針について「変わらない」と述べた
・尹大統領は、歴史問題に関し、「どちらかが一方的に要求できる性質の問題ではない」と述べた
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韓国大統領府の発表。
▼冒頭
尹大統領:岸田首相の訪韓を心より歓迎する。3月、東京で私と岸田首相は韓日首脳間のシャトル外交の再開に合意した。 あおれから2か月足らずの本日、岸田首相は日本首相の二国間訪問としては12年ぶりに韓国を訪問された。今回の訪韓を通じて、首脳間のシャトル外交が本格化したことを意義深く思う。
本日、首脳会談で、私と岸田首相は普遍的価値を共有する韓日両国が安全保障、経済、グローバルアジェンダに対応する過程において緊密に協力していくべきであるということで改めて一致した。 わたしたち両首脳は、韓日関係の改善が両国の国民にとって大きな利益となってかえってくるという点を確認し、今後もさらに高いレベルへと両国の関係を発展させていくことで合意した。
岸田首相はまず私に先月4月24日スーダンから日本人が���避する過程で韓国側が提供した協力に対して感謝の意を表しました。 退避の過程で行われた両国の協力は、変化した韓日関係を見せてくれた象徴的な場面であった。私たち両首脳は、3月の首脳会談で合意した外交・安全保障当局間の安全保障対話とNSC間の経済安全保障対話、そして財務相会談など、安全保障、経済分野の協力の枠組みが本格的に稼動していることを歓迎した。
とともに、両国の代表的な非友好措置だったいわゆるホワイトリストの原状回復のための手続きが着実に実行されていることを確認した。
3月の私の訪日を契機に全経連と経団連が創設することで合意した韓日未来パートナーシップ基金が正式発足を控えて大詰めの準備をしている状況だ。 私たち二人は韓日の未来世代の交流拡大のために多大の関心を傾け、必要なことを継続して行っていく。私と岸田首相は、韓日両国の人的交流の規模が今年に入り3か月で200万人近くに至るほど早く回復していることを歓迎した。
両国の国民がお互いへの理解を深め、友情と信頼を築きあげていくためには、未来世代の交流が重要だということに認識をともにした。 民間レベルの交流、協力とともに、両国の政府レベルでも青年を中心とする未来世代の交流を拡大するため、具体的な方策について協議していくことにした。
私と岸田首相は韓日両国間の人的交流が大きく増加している傾向であることを勘案し、首都圏のみならず地方間の航空路線もコロナ禍以前の水準へと回復するよう努力していくことにした。経済協力と関連し、私と岸田総理は韓国の半導体メーカーと日本の優秀な素材・部品・装備企業が共に強固な半導体サプライチェーンを構築していくように、この分野での協力を強化することで一致した。
一方、きょうの会談では宇宙、量子、AI、デジタルバイオ、未来素材など先端科学技術分野における共同研究およびR&D協力の推進に関する議論が行われた。私と岸田首相は、北の核とミサイル開発が韓半島や日本はもちろんのこと、全世界の平和と安定に重大な脅威であるという認識を共有した。
これに対応するために韓米日3国間の協力が緊要な状況のなかで、きたるG7広島サミットにあわせた、三カ国首脳会談など韓米日3カ国首脳間の緊密な疎通と協議がきわめて重要であることで一致した。
また昨年11月、プノンペンにおける韓米日3カ国首脳会談で合意された北のミサイル警報情報のリアルタイム共有と関連し、その実現策に関する当局間の議論が進められていることを歓迎し、今後も韓米日3国間の安全保障協力を続けていくことで一致した。
両国が共に共有する自由、人権、法治という普遍的価値を守るために引き続きともに努力していくことでも一致した。
両首脳はインド太平洋地域の戦略的重要性に共感し、韓国の自由、平和、繁栄のインド太平洋戦略と日本の自由で開かれたインド太平洋の推進過程において緊密に協力し疎通していくことにした。両首脳はきょうの首脳会談で福島原発汚染水関連、韓国専門家による現場視察団派遣に合意した。
科学に基づいた客観的な検証が必要であるという韓国国民の要求を考慮した意味ある措置がとられることを期待する。岸田首相は今年の広島G7サミットの議長として私をサミットに招待してくださった。
G7広島サミットでの会合を契機に韓日両国が保健、グローバルサプライチェーン、気候変動などグローバルな懸案に対する協力をさらに具体化していくことを期待する。 また、私の広島訪問の機会に、私たち両首脳は広島平和記念公園内にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑を一緒に参拝することにした。
今般の岸田首相の韓国訪問を通じて首脳間シャトル外交の復元、および両国の関係正常化が軌道に乗ったと考えている。 私は岸田総理との友誼と信頼をもとに新しい未来に向けて一層深まった両国間協力を推進していく。 それに向け、今後ともわたしたち両首脳は形式にとらわれず、緊密に疎通し協力を続けていく。ありがとうございます。
岸田首相:尹錫悦大統領、そしてお集まりの皆様、本日、3月に尹大統領を東京にお迎えしてから、かくも早くにここソウルを訪問し、シャトル外交を本格化できたことを嬉しく思う。日本の首相として12年ぶりの2国間訪問に際し、尹大統領をはじめ、韓国の皆様方の温かい歓待に心から御礼を申し上げる。そしてこの場を借りて、先般のスーダンにおける邦人退避に際し、人命がかかる困難な状況の中で韓国から多大な協力をいただいたことに改めて感謝を申し上げる。
3月に尹大統領が示された決断力と行動力に改めて敬意を表したいと思う。日韓関係の強化にかける強い思いを私も共有しており、今回、尹大統領との連帯を図り、またG7サミットに向けて忌憚なく意見を交わすべく早い時期の訪問に踏み切った。3月の会談で私と尹大統領が示した方向性に沿って日韓の対話と協力は2ヶ月足らずの間にダイナミックに動き出した。
経済面では今月2日に仁川で財務相会談が7年ぶりに行われ財務対話の再開で一致をした。さらに、金融、観光から文化・芸術に至るまで幅広い分野で対話が動いている。また輸出管理当局間の対話も精力的に行われ、その結果、日本政府として、韓国をグループAに追加することに向けて手続きを進めている。
また新たに立ち上げた経済安全保障協議の第1回会合が今月3日、双方の国家安全保障当局のトップの間で実施され、サプライチェーンの強靱化など連携強化で一致をした。外務・防衛当局による安保対話も5年ぶりに再開された。日韓中プロセスについても、議長国である韓国の取り組みを支持することをお伝えした。民間、特に経済界の交流も力強く復活できているし、議員交流も活発化している。
日韓の将来を担う青年たちの交流については、この機会に韓国との間でJENESYSプログラムによる対面交流の全面再開と交流人数の昨年度比倍増を決定し尹大統領にお伝えした。
日韓間で引き続き誠実な意思疎通をしていきたい、そう考える分野にALPS処理水を巡る話がある。日本はIAEAのレビューを受けつつ、高い透明性を持って科学的根拠に基づく誠実な説明を行っていく考えだが、韓国国内で引き続き懸念の声があることはよく認識をしている。
韓国の方々に理解を深めていただくため、今月、東電福島第1原発への韓国専門家現地視察団の派遣をお受けすることとした。日本の首相として、自国民および韓国国民の健康や海洋環境に悪影響を与えるような形での放出を認めることはないことを申し上げたいと思う。
そして3月に尹大統領が訪日された際、私は1998年10月に発表された日韓共同宣言を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいると明確に申し上げた。この政府の立場は今後も揺るがない。
尹大統領のご決断により、3月6日に発表された措置に関する韓国政府による取り組みが進む中で、多くの方々が過去のつらい記憶を忘れずとも未来のために心を開いてくださったことに胸を打たれた。私自身当時、厳しい環境のもとで、多数の方々が大変苦しい、そして悲しい思いをされたことに心が痛む思いだ。
日韓間には様々な歴史や経緯があるが困難な時期を乗り越えてきた先人たちの努力を引き継ぎ、未来に向けて尹大統領をはじめ韓国側と協力をしていくことが日本の首相としての私の責務であると考えている。
我々を取り巻く国際社会の情勢も日韓の協力をますます不可欠にしている。双方は北東アジアにおける米国の主要同盟国だ。この関連で尹大統領の先の国賓訪米の成功に祝意を申し上げた。
この地域において北朝鮮の挑発行為が続き、また力による一方的な現状変更の試みも見られる中、日米同盟、韓米同盟、日韓、そして日韓米の安保協力により、抑止力と対処力を強化することの重要性について改めて一致をした。昨年11月の日韓米首脳会合で合意した北朝鮮ミサイルデータのリアルタイム共有についても議論の進展を歓迎した。そしてG7広島サミットの際に日韓米首脳会合を開催し、さらに議論を深めることとした。北朝鮮との対話の窓は開かれていることに変わりはない。そして拉致問題については、尹大統領から改めて力強い支持を表明いただいた
ことに感謝を申し上げる。
我々のシャトル外交は続く。
2週間後には広島で尹大統領をお迎えする。本日はG7広島サミットでも議題となる国際社会の諸課題での緊密な協力を確認した。
さらに被爆地広島において平和記念公園を訪問し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑にも一緒に祈りを捧げることで尹大統領と一致をした。本日の会談では3月に大きな一歩を踏み出した日韓関係改善の動きが軌道に乗ったことを確認した。次は広島で、その後は国際会議の場も含め、尹大統領と頻繁にお会いをして信頼関係を深めながら、日韓関係強化の機運を確かなものにしていきたいと考えている。
▼質疑
Q1 : (尹大統領への質問)韓日首脳会談シャトル外交が12年ぶりに再開した。どのような意義があったと考えるか。今後日韓関係がどの方向に行かねばならないか。
韓米の首脳がワシントン宣言を採択した。核協議グループの創設に合意した。拡大抑止に日本が参加する動きはあるのか。そうであればどのような形での協力が可能なのか。
韓国の中では福島の処理水の放出への懸念が大きかったのは事実だ。今日の発表でそれが懸念が払拭されたか。
(岸田首相への質問)今後の韓日関係の改善に関する尹大統領の行動を高く評価し、早期訪問した。今後徴用工問題の解決策について日本の誠意ある呼応に対する期待が非常に大きかった。当時苦しい環境の中で働いてきた人々が大変な環境の中で働いてきて生活したことを胸痛く感じると言ったが、このような話をすることになった契機があったのか。
福島の水産物の安全性に関する韓国側の懸念が今も残っているが、今回の議題で話されなかったと聞いている。水産物の安全に関する部分について韓国側と話すことはあるか。
●両国は北の核の脅威にともに露出されている。
尹大統領A : 韓日間のシャトル外交が12年ぶりに実現し、両国の関係改善が軌道に乗り始めた。私は、韓国と日本が自由、人権、民主、法治。このような普遍的な価値を共有する国であるので両国が協力して両国の共通の利益と国際社会の平和と繁栄に共にリーダーシップを発揮することが重要だと考えている。
両国は北の核の脅威にともに露出されている。いつのときよりも安全保障の協力が重要な状況だ。ワシントン宣言は、韓国と米国の2国間をベースに合意した内容だ。しかし、日本の参画を排除することはない。とりあえず、私たちの立場としては韓米間のワシントン宣言が完結したわけではなく、引き続き議論を続け、共同の企画、共同の実行をする過程において実現してその内容を埋めていく立場なので、まずこれが軌道に乗れば、また日本も米国との関係で準備ができれば、いつでもともに協力しあえる問題だと思う。
本日の首脳会談でも岸田首相が福島原発汚染水について、隣国である韓国国民の健康と安全に対する懸念を払拭するために努力すると約束した。 このような次元で現場視察に対する専門家たちの現場視察に対する合意がなされた。
●戦略環境は日韓の協力をますます不可欠にしている
岸田首相A : まず日韓関係の強化が必要であるという考えは私も尹大統領に劣らないと考えており、その考えの下今回早期訪韓に踏み切った。
最初の質問は、この質問の趣旨は、韓国政府に比べて、日本側の日韓関係改善への動きが鈍いのではないかということだと思うが、3月に私と尹大統領が示した方向性に沿って2カ月足らずの間に日韓の対話と協力がここ数年の低迷期を脱し、経済、安保を含む多岐にわたる分野で動き、具体的な成果を挙げていることに目を向けていただきたい。そのうちいくつかは冒頭発言でも紹介したところであり、これらは日本側の意欲の表れでもある。今後とも両国政府の各レベルで、民間の協力を後押し日韓両国が共に裨益する協力を進めさらに具体的な結果を出していき
たい。
歴史認識に関しては、1998年10月に発表された日韓共同宣言を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる、この政府の立場は今後も揺るがないと申し上げた。その上で、先ほど申し上げた当時厳しい環境で多数の方々が大変苦しい、悲しい思いをされたことに心が痛むという言葉についてのご質問だったが、この言葉はこの当時苦しい思いをされた方々に対して私自身���思いを率直に語らせていただいた次第だ。
日本を取り巻く戦略環境は日韓の協力をますます不可欠にしている。
私としては困難な時期を乗り越えてきた先人たちの努力を引き継いで、まさに未来に向けて尹大統領をはじめ韓国側と協力し、両国国民の利益になる協力関係を構築していきたいという考えだ。
最後の質問は、アルプス処理水に対する対応、これで十分であるかというご質問だったと思うが、先ほど申し上げたように韓国の国内の皆様方の不安に答えるためにも韓国の専門家現地視察団の派遣を受け入れさせていただくことが重要だと考え、尹大統領と一致した。日本のこうした方針については、IAEAと科学的見地もしっかりと取り入れながら説明努力を続けてきている。6月にはIAEAの最終報告書が取りまとめられることが予定されている。この報告書もしっかり受けとめた上で、日本は国内の手続きを進めていきたい。その際にも、ぜひ韓国側とは意思疎通を
図りながらこうした取り組みを進めていく。こうした努力を続けていくことによって、韓国の多くの皆様方の懸念や不安にも答えていく努力を続けていきたい。
Q2:(岸田首相への質問) 岸田首相に伺う。歴史認識を含めた元徴用工問題、レーダー照射問題をはじめとする2国間の懸案について、本日の会談で岸田首相からどういう立場を伝え、尹大統領からどのような反応があったのか。
また、福島第一原発の処理水放出、福島産水産物の輸入について一定の前進はあったのか。また先日、米韓の首脳が「核協議グループ」の創設で合意したが、これは日韓、日米韓などの枠組みに影響するのか。
(尹大統領への質問)尹大統領に伺う。元徴用工問題への対応について、韓国国内には依然「反対」の声が根強く、日本には「大統領の方針が変わるのではないか」という見方もある。大統領の方針は今後も堅持されるということでいいか。特に、日本側に呼応を求めているが、今回の会談でどのような話をしたのか、今後どのようなことを求めていく考えか。
抑止力と対処力を強化することの重要性
岸田首相A:質問にあった事項のうち、私が会見の冒頭で申し上げた発言の中に重なっている部分もある。その部分については繰り返すことはしない。その上で今回の会談では尹大統領との間で、先般の訪日を通じて培った信頼関係をベースに、幅広い分野について胸襟を開いて意見交換を行った。3月の会談の後に経済や安保分野、様々な対話や協力がダイナミックに進展していることを共に歓迎した。そして双方の関心事項や懸案についてお互いの立場に基づき、議論を行ったところだ。
これ以上の詳細については外交上のやりとりであり差し控えたいと思う。また、北朝鮮情勢をはじめ地域の安全保障環境が一層厳しさを増す中で、日米同盟、韓米同盟、そして日韓、日韓米の安保協力により、抑止力と対処力を強化することの重要性について尹大統領と認識が一致しているところだ。
そして質問の核協議体の創設についてだが、核協議体の創設を含め米韓の間で拡大抑止の強化に関する議論が行われていること、そして拡大抑止協議や2プラス2を含めたハイレベルの協議を通じた日米間での拡大抑止強化に向けた取り組みが相まって地域の平和と安定に資するものであると考えている。引き続き、日米、日韓、日韓米で緊密に連携をしていきたいと考えている。
過去の歴史に対する認識問題は誠実さをもってするのが重要
尹大統領A:まず、強制徴用の解決策についての政府の方針が変わるのではないかという質問だったと思うが、これは変わらないと申し上げることができる。
我々が発表した解決策は1965年請求権協定と2018年大法院の判決を同時に満たす折衷案として法的完結性を持つ唯一の解決策だ。
現在、15人の勝訴が確定された方のうち10人が判決金を受領している。韓国政府は受領していない残りの方々に対しても原則に従って手続きを進め、十分な疎通をしながら解決策を忠実に履行していく。
そしてメディアで韓国側の要求について報道した記事を読んだが、私はこうした過去の歴史に対する認識問題は誠実さをもってするのが重要であり、ある一方の相手に要求することができる問題ではないと思う。
今日の冒頭発言で申し上げたが、過去の歴史が完全に整理されていないからということで、このような懸案と未来協力のために第一歩も踏み出すことができないという認識からは脱しなければならないと思っている。今、韓日両国は北東アジアの厳しい安保状況に直面しており、また岸田首相と私が共有する考えでもあるが、今、重大な歴史的な転換期に私たちが直面している、置かれている。
価値を共有する日本と韓国が協力し、両国の共同利益を追求し、国際社会において共同のリーダーシップを構築することが重要だと私は考える。
したがって両国が今後、未来に向けた協力と交流を拡大することができるようにしていくことを申し上げたいと思う。
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旧東隊の小説(二次創作)
ホッケえいひれ揚げ出し豆腐
一月か二月の頃だった。
トリオン測定ですごい数値を叩き出した新人が二人も入るそうだというのが、その夜の話題だった。出水公平と天羽月彦のことだ。
新生ボーダーが動き出して一年半になる。『旧』ボーダーという言葉が定着するほどに、時は勢いを増して流れていく。その間に、一番仕事をしたのは開発室室長の鬼怒田本吉だった。
まず、彼は異世界に通じる門の発生ポイントを特定できるようにした。次に門の発生を抑えるトリオン障壁を一時的ではあるが生成に成功、最後に門発生ポイントを誘導する装置が開発され、三門市の安心を約束する三点セットがわずか一年で出来上がる。元々の研究分野の応用とはいえ驚嘆に値する開発速度だった。
こうして、急務だった門発生のコントロールに成功した後は研究途中で放置されていた擬似トリオン訓練室の完成、隊員増加を見越してランク戦で使う対戦ブースと八面六臂の活躍である。
短期間でこれだけのことをやってのけた彼及び彼のチームは、城戸政宗司令がどこからか連れてきた逸材だった。三門市にやってきた時には一緒だった家族とは離婚している。仕事に打ち込みすぎたせいだと専らの噂だった。
開発室以外も働いた。門がコントロールできるまではいつどこで出現するかわからない。国の機関に代わって街を守るボーダー隊員たちは昼夜を問わずパトロールを行い、近界民と戦った。
三門市民は最初、胡乱な目で彼らを見ていたが、公的機関と連携した規律ある行動に徐々にボーダーの存在は受け入れられていく。根付メディア対策室室長による世論操作も功を奏していた。
出ていく人間は出ていき、かわりに大量の物資と人材が流れ込んでくる。
ボーダーにもまた人材が集まった。
まず、市民志願者第一号として柿崎国治と嵐山准が入隊する。華々しい記者会見の後、志願者はぐっと増えた。
東春秋が部隊を結成したのもその頃だ。
この時期の部隊は自由結成と言うよりは忍田や根付の意向が強く反映していた。東隊も忍田の指示によるものだった。
忍田自身も部隊を持っていたが、本部で戦闘員を統括する役職につくために解散することが決まっている。
ガラリと引き戸をあけて顔を出したのは東春秋だった。いらっしゃいませと店員が声をかけると案内はいらないと手を振って、店内を見渡す。じきに見知った顔の並ぶテーブルを見つけて近づいた。
二十二歳だと言うが、ずっと老けて見える。外見だけではない。彼に接する人間はつい彼が二十代前半の若造だということを忘れてしまう。
後ろには背が高い男女二人がやはり背の高い東を挟んで並び立つようにいた。どちらも目を引く美男美女だ。彼らは近隣の六穎館高等学校の制服を身につけていた。
さらに後ろに中学校の制服を着た少年がひっそりと控えている。前のふたりと違って背は低い。寒いのか、マフラーをぐるぐると首に巻いていた。
三人は物珍しげに店内を見回している。
「なんだ、三人とも居酒屋は初めてか」
テーブルにいた眼鏡の男が声をかけた。既に頬は赤い。手には盃を持っている。日本酒派だ。林藤匠という。ボーダーでは古参の一人だ。歳は三十一になる。そろそろ現役を引退したいとボヤいているが、いかんせん昨今の人手不足だ。
ボーダー本部建物ができたにも関わらず、旧本部ビルから動こうとしない、なかなかの頑固者だった。
「学生ですから」
と、生意気そうに答えるのは、背の高いほうの一人である二宮匡貴だった。
「あれ、根付さんから聞いてないか? ボーダーマークの貼ってある店はボーダーなら学生でも入れるようになったんだぜ」
トリオン器官の性質上、十代の隊員は増えていく。本部でも食堂は設置しているが、彼らは三門市の飲食店にも協力を求めていた。パスポート制で十代への酒類の提供はないなどの配慮がされている。
「知ってますが…」
さらになにか言おうとする二宮を東は遮った。
「今夜は明日の確認だけしに来たんです。本部で聞いたら、ここにいるっていうから」
「明日? ああ、国の視察ね。用事は、唐沢さん?」
「俺?」
テーブルの奥から唐沢克己外務営業部長が顔を出す。彼はビール派だ。既にジョッキをほとんど空けている。まだ三十そこそこだが、やり手の男だ。鬼怒田同様、城戸司令がスカウトしてきた。元ラガーマンだという以外素性を明かさない男だったが、人当たりがよい。
今夜の飲みメンバーは林藤、唐沢に加え、エンジニア冬島慎次、戦闘員の風間蒼也、木崎レイジの三人だっ��。風間と木崎は二十歳前なので、烏龍茶が並んでいる。
「まあ、たってないでこっちに座れよ、東くん」
「あー、ウチはウチでご飯を食べる予定なんです」
東はお供のように控える背後の三人を見やった。東隊のメンバーだ。
「ここで食べていけばいいよ」
「はあ」
少しだけ、東の心が揺れた。老成しているとはいえ二十二の青年だ。気楽な酒の席は魅力的だ。
「大丈夫です。俺たちは帰ります」
東の心を見透かしたように、二宮が後ろの中学生の背を押して店の入口に向かおうとする。
「東」
林藤は声をかけた。
「みんなで食べてけよ。唐沢さんの奢りだ」
「あなたじゃなくて、俺ですか?」
急に振られた唐沢が満更でもなさそうに笑った。確かにこの男前は今日の面子の中で一番地位が高く、懐も暖かい。
「あら、素敵。せっかくだから、ご馳走にならない? 二宮くん」
そこで初めて、女学生が口を開いた。こちらも生意気な口調だが、軽やかでトゲトゲしいものを感じさせない。
「加古」
「ねえ、三輪くん?」
「……」
急に話を振られた中学生は無表情のまま首を傾けた。
「わかりません」
「東さんがここでお酒を飲んでるとこを見てみたくない? 面白そう」
三輪は悩みながらうなずいた。
「ほら、三輪くんもそう言ってるし」
「言ってないだろう」
「言ってないです」
「わかった、わかった」
いつもの掛け合いが始まりそうになって、東は決断する。一応、上役たちの前だ。
「ごちそうになろう。唐沢さん、ありがとうございます」
東が頭を下げると、揉めていた三人がピタッと止まって、同時に頭を下げた。よく訓練されている。東を猟師になぞらえて獰猛な猟犬を三匹飼っていると言っていたのは誰だったか。
「遠慮せずたくさん食べなよ」
唐沢はいつもの人当たりのよい笑みを浮かべた。
「追い出された」
案内されると同時に、風間と木崎が東隊の猟犬三匹のテーブルにやってきた。テーブルが窮屈になったらしい。
今夜はボーダー戦闘員と唐沢の交流会であるらしかった。
風間の兄は林藤の弟子だった男だ。故人である。木崎は東から狙撃手としてのスキルを学んでいるので、東隊の面々とは面識がある。今は林藤に従い旧本部ビルに寝泊まりしている。狙撃以外の分野では林藤に師事していた。
一方は小柄で華奢、もう一方は筋肉隆々の巨漢だ。正反対の見かけだが、どちらも恐ろしく強かった。さらに木崎はトリオン量は二宮と同程度を持っていて近界のトリガーを使いこなす。
加古の隣に木崎が座り、二宮と三輪の隣に風間が座った。スペースの有効活用の結果である。三輪は隣が風間なので緊張する。風間蒼也は様々な思惑の絡む本部で誰からも重用され、確実に任務をこなすエリートだった。
「もう、頼んだか」
「まだです」
彼らはまだ食べるつもりらしい。
「居酒屋は初めてか」
木崎が気を使って、品書きをテーブルの真ん中におく。
店員がまとめて置いていった突き出し(お通し)を配る。
「飲み物から決めよう」
と、店員を呼んでさっさと飲み物を決めてしまう。さくさくと仕切る姿が頼もしい。三人はジュースにしたが、風間と木崎はまた烏龍茶だった。
「おすすめは、揚げ出し豆腐だな。家で作るの面倒だし」
「そういう基準か」
「寺島たちに頼まれて作ったが、たくさん食べるものじゃないし、持て余した」
寺島たちと寺島雷蔵と諏訪洸太郎のことだろう。四人は同い年で気が合うようだった。諏訪は二宮と加古の同期でもある。
「おごりなら諏訪と雷蔵でも呼ぶか」
「来ないだろ」
確かにもう遅い。
「今日の当番は?」
お酒をあおる大人席では、林藤が煙草の煙を吐き出しながら聞いた。
「忍田さんとこと迅です」
迅悠一は木崎隊であったが、先日、晴れて『風刃』所持者となり、隊を離れS級隊員となっている。
「あとは嵐山隊ですね」
なんとなく大人たちは子どもたちのいるテーブルに視線を向けた。三輪がジュースを飲んでいる。迅、太刀川、嵐山と三輪の苦手な三人だ。
「明日は俺らの勤務か」
正直、オーバーワークだ。ここにいるメンバーは皆、ワーカホリック気味ではあるが、大規模侵攻からずっと働き続けている。
「入隊志願者が増えてますからもうちょっと頑張ってもらって…。部隊が増えてくれば、部隊の輪番制に移行するって城戸さんが言ってます」
「もうすぐですよ」
冬島がエイヒレに手を伸ばしながら言う。
「そう願いたい」
品書きと書かれたメニューには写真がない。並ぶ単語は知らないものが多い。
三輪が大人たちのテーブルをチラリと見れば東は刺身の盛られた皿をビール片手につついていた。嬉しそうだ。確かに、隊長ではない東は不思議な感じがした。
「秀次は刺身か」
二宮がつらつらと品書きを見ながら勧める。二宮も初めてだからよくわかっていない。
「盛り合わせがあるぞ」
「ちょっとずつ色んなのが食べたいわ」
加古がウキウキしている。
「レイジさんおすすめの揚げ出し豆腐は頼むでしょ。風間さんのおすすめは?」
「コロッケと卵焼きだな」
間髪入れずに答える。迷いがない。
「じゃあ、それー」
「また家で作れるようなものを…」
木崎がぶつくさ言うが、三輪は蕎麦を茹でるくらいしかできない。
「二宮は?」
風間が水を向けるが、彼は熟考に入っている。
「先に頼んじゃいましょ。店員さぁん」
「加古、お前なあ」
「大丈夫だ、二宮。何度でも頼めるから」
「風間さんがそう言うなら」
注文を手早く木崎がまとめる。
「三輪は決めたのか」
「じゃあ、刺身盛り合わせ(小)で」
「あと、ホッケ」
「加古、語感で決めただろう」
「干物だな。北の魚だ」
明日、視察団が来るというのに、大人組はまだまだ飲んでいる。タバコの匂いがする。
焼肉屋ともファミリーレストランともバーガー屋とも違う雰囲気にふわふわする。
「秀次」
三輪は、二宮に揺り起こされた。ひと通り食べたあと、いつの間にか眠っていたらしい。
「中学生には遅い時間だな」
木崎が気の毒そうに言う。
「大丈夫です。すみません」
彼らも高校生なのだ。
「ほら」
おにぎりが渡された。大きい。海苔がパリッとしている。
「結局、二宮くんが選んだのがこれよ」
おにぎりを優雅に食べるという器用なことをしながら、加古が教えてくれる。
「悪いか」
「いい選択よ」
「うまいな」
風間はまだ食べている。木崎はカチャカチャと皿を重ねて、テーブルを綺麗にしている。 三輪は散々食べたあとだが、おにぎりを持って、「いただきます」と言った。おにぎりは何も入っていなくて塩がきいている。
「おいしいです」
「そうか」
「東さん、あれ酔っ払ってるわ」
三人が揃って東のほうを向くと、その様子がおかしかったのか、木崎と風間が笑った。
「明日はお前らが頑張れ」
その日はみんなボーダー本部に泊まった。
終わり
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P3xP4 World Analyze pages 34-35 transcription.
ニュクスへと至る異形の塔 “タルタロス”
タルタロスの誕生
月光館学園の場所で影時間にそびえ立つタルタロスは、10年前の爆発事故によってその存在が確認されることとなった。しかし、必ずしも爆発事故だけが原因というわけではない。この場所にエルゴノミクス研究所が建てられたのは、桐条鴻悦がシャドウの存在を知ってから世界各地で調査を行い、シャドウによる時空の歪みがもっとも顕著に確認された場所と同定したからであり、人工島開発計画のスタートと同時に研究所建設地に決めている。研究所がシャドウを集めて融合実験を進めたことで歪みが拡大したが、それ以前からこの場所にシャドウが集合しやすいポイントがあったのは確か。“死” のシャドウを作ることに失敗し、融合途中のシャドウが飛び散る爆発事故となったが、シャドウを集合させることですでに形作られていた時空の歪みは一帯に残り、以降影時間とタルタロスとしてこの場所に定着したものと考えられる。
シャドウの性質を考えれば、爆発事故が起こらなかったとしても、いずれは同じようなものが生まれただろう。
象徵的建造物
タルタロスの塔は、毎夜0時の “影時間” となった瞬間に造り直されるように見える。月光館学園があるはずの場所に、巨大な植物が成長する様子を早回しで見るように一気にそびえ立っていく。これは内部の構造が毎夜変化するという観測にも符合するが、影時間の間だけ月光館学園が物理的に “無くなっている” というわけではないため、実際そこに建っているものとは考えにくい。影時間は “現実” の1秒にも満たない一瞬だけが切り取られ、シャドウを構成する精神体で作られたレイヤー (層) が現実世界にかぶせられた状態。適性のない人間が “象徴化” レイヤーで覆われた状態となるのと同様に、月光館学園にはタルタロスというレイヤーが重ねられ、学園が見えなくなる。タルタロスの内部もいくつかの層で構成されており、塔が建つように見えるのは層のレイヤーが重ねられる視覚的現象と捉えることもできる。
タルタロスレイヤーで覆われた学園は、現実にそこにあったとしても影時間内からは知覚できない。
エルゴ研の名残
タルタロスの内部には、かつてその場所にあったエルゴノミクス研究所の残滓のようなものがあり、一部記録文書も発見できる。しかし、現実には月光館学園を建てる際に取り壊され、記録文書などが残っているわけはない。これは、タルタロスが基本的にはシャドウと同じ精神体によって構成されているからで、言ってみればその場所の記憶のようなものが構造に反映された結果そうなったもの。同様にタルタロス自体の内部構造も精神体からできたもので、タルタロス構造に取り込まれた精神体の記憶のようなものが反映されている。もっとも集合体が持つ混沌としたイメージなので、個人の思想などが出ているわけではない。下層は周辺に存在した精神体を材料としているせいか学園内部にも似た構造をしており、上層に行くと大型シャドウの一部が材料になっているためか異国的であったり、シュールレアリスム的なイメージが見られる。
文書の内容を見ると、強い想いはシャドウ化されていなくともタルタロスの構造に取り込まれやすいようだ。
最上階に降臨するニュクス・アバター
[守護する者たち]
“死” のシャドウ望月綾時が転じたニュクス・アバターは、タルタロス最上階に現れる。その手前には彼を守護するようにストレガが待ち受けていた。彼らも真相に肉薄していたことがわかる。
[ニュクスと同等の存在]
望月綾時はニュクスに取り込まれ、ほとんど区別のつかない状態だと自身で語っている。しかし、人間の中で生きたことで造られた綾時のパーソナリティは色濃く残っていて、綾時と変わらない声で語りかけることもできる。圧倒的な力はニュクスのものだが、最後まで綾時は綾時の意識を持ち続けたようだ。
[ニュクス・コア]
最後に発現する “世界” あるいは “宇宙” のタロットには、卵のような形のウロボロスの輪に囲まれた女性の姿が描かれている。四隅にいるワシ、雄牛、ライオン、天使の組み合わせはテトラモルフとも呼ばれる黙示録で神の玉座のそばに控える動物たち。二ュクスの中心核は、そのウロボロスの形にも似ている透明な輝く卵の姿をしていた。
タルタロスを構成する “七つの地”
第七の地 世俗の庭テベル
ユダヤにおける地獄は “ゲヘナ” と呼ばれるが、そこから発展した神秘思想では “七つの地” に細分化される。テベルは7つ目にあたる浅い層で、人間の世界にもっとも近い位置にある地獄。“七つの地” は神をシンボライズした “セフィロトの樹” と上下逆向きで対応しており、テベルは根本の基礎部分にあたる “イェンド” に相当する。
第六の地 奇顔の庭アルカ
6つ目のアルカはいわゆる “魔界” と呼ばれる地獄の主要な “大地 (アルカ)” で、一般的にはこの層を指して “ゲヘナ” と呼ぶ。この層自体も七つの部分に分けられ、聖書中で地獄を意味する “ハデス” はこの小分類のひとつ “シオウル (洞窟あるいは子宮の意)” を指していることが多い。セフィロトでは左足 “ホド” と対応している。
第五の地 無骨の庭ヤバザ
5つ目以下の層は基本的に悪魔も好まない荒れ地と言われていて、ヤバザは砂で覆われた乾燥した場所になっている。タルタロスの中ではエッシャーのだまし絵を思わせる視覚の混乱を起こさせるようなイメージとなる。セフィロトで対応する神の右足 “ネツァク” はホドと互いに補完する関係にあり、ヤバザとアルカも対の関係性がある。
第四の地 豪奢の庭ツィア
4つ目のツィアは草に覆われた乾燥地とされる。タルタロスでは名前の通り、黄金色の床に赤い絨毯が敷かれた王宮を思わせる絢爛豪華な階層となっている。セフィロトで対応する “ティフェレト” は “崇高” と訳される場所で神の心臓を象徴しており、神の頭・知性を象徴する部分に次いで重要な部分。ある意味、タルタロスの様相と符合している。
第三の地 焦土の庭ハラバ
3つ目のハラバは崖のように起伏の激しい土地で、作物が実らない不毛の地とされる。セフィロトでは神の左腕と法の裁きを象徴するゲブラ一にあたり、火星や “力” と関連付けられ “神の愛” ケセドと対になる存在。タルタロスでは間の中壁や床に七色のイルミネーションが灯るサイケデリックな空間になっている。
第二の地 憂鬱の庭アダマ
2つ目のアダマは、原初の人間アダムを作った “土” を意味する名前で、赤土ばかりの荒れ地である。セフィロトは、神の “愛” もしくは “慈愛” と右腕を象徴するケセド。タルタロスでは無数の星々が輝く白色の明るい光に包まれた場所となっており、ハラバとの対照的な関係が見て取れる。全体が混沌としたタルタロスの中では整然とした印象の空間。
第一の地 王居エレス
もっとも下に位置するエレスは潰れた廃墟のごとき場所で、逆さまのセフィロトを吊るされた人間に例えれば頭にあたる位置。セフィロトでは神の神聖を象徴するケテル、コクマー、ビナーの3つをまとめて “アティルド” と呼ぶ部分に相当する。タルタロスでは月の真下にある屋上にあたり、ニュクスが降臨するために用意された場所である。
ライプニッツの提唱する “モナド”
ゴッドフリート・ライプニッツ
『モナドロジー (単子論)」を提唱したドイツ出身の哲学者で、高名な数学者でもある (1646-1716年)。数学や科学だけでなく、哲学や経済学、神学までもひとつの体系的な学問にまとめようとしたことで知られている。後年ぺルリン科学アカデミー創設に参加して初代総裁となるが、それ以前に政治家であったことでも知られており、同時代の知識人とは精力的に交流していた。
世界を構成する真の単位
ギリシャ語で “単一の” という意味の「モノス」が由来の “根源” を意味する「モナド」という言葉は、古代ギリシャの数学者として有名なピタゴラスらが使い、ライプニッツがさまざまなものの最小単位の概念として発展させた。物質の最小単位である “アトム” を物質以外にも応用した考え方で、例えばこうした思想も、概念を可能な限り分解した最小の状態が “モナド” となる。
“深層モナド” へはタルタロスを徘徊する “刈り取る者” を倒さなければ到達することはできない。
タルタロスから繋がるもうひとつの空間として、強力なシャドウばかりが現れる “深層モナド” がある。
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2022
2022年は本当に苦しいことがたくさん起こって、笑うこともできないほど厄年然としていた。豊かな幸福と引き換えにおそろしい出来事が絶え間なく降り注ぎ、命の残機が尽き果ててさすがに死んでしまうかと思ったが、なんとか生き延びて年を越そうとしている。 朝からビールで乾杯して、「本当にお疲れ様」と、苦しい出来事のすべてに付き合ってくれた親友の女が労ってくれた。昼には、「あなたは人生の苦しみをすべてやりきったよ」と馴染みの蕎麦屋で親しい人が慈しんでくれた。
何が起こったか、もはや掘り返して書き並べることすら心を壊しかねないので控えるが、へとへとに疲弊して自らを生かすことすらできなくなってしまった時に「生きて」と言って手を差し伸べてくれる人がいるのだと知れたことは大きな恵みであった。言葉をあつかう友人たちが「僕たちがあなたが生きることを引き受けるから」と、地に倒れ込んだ私を引き上げて、匿ってくれた。自分の力でみずからを生かすことができなくなったことを理解して彼らを頼ったとき、私はようやく大人になったのかもしれなかった。
しみじみと思う。死ぬよりも生きるほうが遥かにたやすいのだと。人間は、生きているうちは、どうしたって生きることを選んでしまうのだと。 「私たちは、どうしたってあと50年は生きなければならないんだよ。その人生を明るいほうに向けることを考えなきゃだめだよ」と、私の生を明るい方に導こうとする美しい女に言われた。年の瀬によくあるふしぎと晴れやかな真昼の、陽光が燦々と注ぐ八丁堀のベトナム料理店でのことだった。 どうしたって、あと50年は生きなければならない。その前の週にも、昼下がりの自室で同じことを言われた。「80歳まで、一緒に生きてくださいよ」。80歳まであと50年ある。そんな途方もない年月を、「私と共に」と語り、傍にいると誓う人がいる。信じていいのだろうか、その言葉を。
何度も何度も刻み直されて骨まで達した深い心の傷と、それがもたらした鬱、正気を保っていたくないという一心でアルコールに縋って暮らしたことで依存症状態となった日々は、社会生活が崩れる寸前にまで至っていた。 2022年、何度「死にたい」と願ったか、何度、一人の夜に包丁を持ち出して茫然と部屋を彷徨ったかわからない。それほどの思いをしても、なお、私は新しい年を生きようとしている。生に絶望し、死にたいと一心不乱に思い詰めている瞬間の自分がこの様を見たら、きっとそのぬるさに落胆するのだろう。それでも生きている。どんなに滑稽で、惨めで、醜くとも、私は生きようとしている。その事実を、もう何十年も惰性で抱えている「死にたい」という感情とのあいだで折り合わせなければならないと思った。どうしたって、あと50年は生きなければならないから。あと50年は生き延びなければならない生に、私自身がしてしまった。死ねない生に。
死ぬことばかり考えている状態からは、人の助けを借りて抜け出した。抜け出した遠い目で、遠く虚な目で、あの傷が何によってもたらされた傷であったかを回想する。それは「言葉の裏切り」によるものだったようだ。 私は言葉を信じている。私は言葉を信じていた。「あなたを愛している」という言葉を信じた。「一生大事にする」という言葉を信じた。「君を幸せにする」という言葉を信じた。そこに身を委ねて自分を溶かした。けっして嘘ではなかった、この上なく真摯だったそれらの言葉たちは、しかし、結果的に現実と私の実存とを裏切った。夢見た永遠は叶わなかった。溶けてしまった私だけが、不毛の砂地に捨て置かれた。言葉を信じて、溶けてしまった私だけが。 溶けてしまった私の体に刻まれた無数の傷に、砂地の砂が傷口に入り込み、肉の奥をえぐって痛む。永遠を反故にされた恨みを、それとは矛盾する果てしない愛を、訴えようとするが形を取り戻して起き上がる気力がない。諦めばかりが体中を這い、気力を地に打ちつける。もういい。もう求めたくないし、与えたくない。やがて鳥が、砂地に横たわったこの屍体をついばみにくるだろうと、そうして消えて失くなることもできるだろうと待っていたが、乾いた砂地で、私をついばむ鳥はついぞ飛来しなかった。 どれほどの時間がたっただろう。百年はもうたっただろうか。日が昇り日が沈む空の色と、そこに舞い立つ砂埃だけを眺めているうちに、次第に溶けた体が形を取り戻した。砂によって膿みきって腐食していた傷は、形を取り戻してもまだ残った。二度ときれいなからだにならないことが一瞥するだけでわかった。私の体は澱んで醜かった。砂まみれの臓器が肋骨の下であらわになっていた。
即時と永遠。人間が身体を生きている以上、その二律背反は「真」を傷つける。私は「真」しか求めておらず、しかしそれは、現実においてはおよそ可能ならざるものだと、いいかげん思い知った。ずっと信じていたのだ、愛と知と力を尽くせば「真」を生きることができるはずだと。その信念が私を輝かせていた。今は二択に立たされている。このまま信念を貫いて孤独に耐えるか、挫けて安寧に抱かれるか。
言葉は人を縛る。言葉の本質的な役割は「呪縛」であると、周囲の誰もそれに気づいていない若かりし頃から、私だけはその恐ろしさをよくよく理解していた。それゆえ私は言葉を使役し言葉で人を縛った。言葉で人を傷つけて破壊した。言葉で人を癒し、守ってきた。私は言葉を信じていた。それしか信じるものがなかった。信じては裏切られ、また信じては裏切られ、それでもまだ言葉に縋っている。 言葉は神とは違う。わかっているはずだったが、結局は、私は言葉以外に神を持てなかった。神なる言葉は、人の力では到底届かないような一方的なものではない。私と言葉とのあいだには相互性がある。言葉も私を信じていることが感触としてわかる。だから信じるに値した。信じられているがゆえに傷つくことすら受け入れられる。私の、唯一の、神。
実存における愚かな私が悶え苦しみながら生き抜いた2022年、理性をきちんと維持していながら情念の上ではもうほとんど気が狂ってしまっている私の結論はこうだ。 信じてよいのは、他者の言葉ではなかった。私は「言葉」の範囲を拡げすぎたのだった。言葉を信じるのは間違いではない。ただし、「私の」言葉だけが信じるに値するのだった。あるいは、私の水準で、つまり神に捧げるものとして言葉を扱っている人間の水準で言葉を営んでいる者、言葉と自己を最も深いところで接続している者の言葉だけが「真実」を示すのだと、人生を言葉に捧げている者の言葉だけが信じるに値する言葉なのだと、そう判断するべきである。それが私の2022年の反省だった。
なんとも狭量な結論ではないか。こんな難解な札を掲げて、誰が私を愛そうとするだろう。自分がなぜ愛されるのか、誰に愛されたいのか、そして誰を愛しているのかさえも、今年の傷がゆえにとっくにわからなくなってしまった。しかし、私がわからなくなってしまっていようとも、そこに愛があることだけは確信できる。わからなくとも、愛している。愛する人が健やかな生を送ってくれさえすればそれでいい。何もわからなくなってしまった私のことはもういい。愛しい人たちが健やかに生きている、それだけでこの世は素晴らしいはずだ。
徐々に回復している。少しずつまた、わかるようになるだろう。理知を取り戻した時、私にはもっと、もっともっともっといいものが書けるはずだ。そう信じて神との対話に日々を費やす2023年にします。正座。
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【嬉嬉怪怪・弍 街角ノ怪】
✾𝑭𝒐𝒓𝒆𝒘𝒐𝒓𝒅
久しぶりの投稿。趣味で写真を撮っていて、先日都内に貼られているステッカーを撮ってみよう!!と思いたち、ストリートスナップを開始。
乱雑に貼られたステッカーは、コラージュ作品のように感じた。勿論のこと、街の公共物に落書きやステッカーを貼る行為は違反です。
しかし、何となく惹かれる。というかデザインも奇抜だったり、違うエリアで同じステッカーを見かけたりと色々面白く思えてしまう…。
今回はハロウィンでもあるので、怪しいステッカーや怪文書について語ろうと思う。
⚠️𝑨𝒕𝒕𝒆𝒏𝒕𝒊𝒐𝒏
当記事は街中の公共物に落書き行為や、ステッカーを貼る行為を助長する物ではありません。
1部、思想の強い物もありますが肯定する訳ではなく、ただ1枚のステッカーとして取り上げています。
特定の人物・団体を支持、批判するという意図もありません。1部不適切な内容や不気味な物も含まれます。苦手な方の閲覧はお控えください。
閲覧後のクレームは受け付けません。
✾怪文書とは?
「怪文書」とは元々"出処不明で信憑性すらも分からない胡散臭い文書"どの意味。最近では"酷い内容で気色悪くキテレツな文書"を指す言葉となっている
誰かが印刷、発行、流出させたか不明なメール、手紙、ビラなども"怪文書"と呼ばれます。ヘイトスピーチ的な物とか治安悪めのイメージがある。どうやら収集している人もいるようで、個人サイトやSNSで発見した人が投稿している時もある。
こちらのサイトは画素こそ見れ��かったが、色々事細かに書いてある。今回街中を探していて、怪文書を読んでみると色々な意味を含んで居そうで、惹かれるものがあった。
✾街中で見かける謎のテプラ「#戦争と家父長制を憎む」
テプラに印字されたこちらの思想が強いシール。"#戦争と家父長制を憎む"というフレーズの後に猫や色々な絵文字が着いている。
実はこれが初めてではなくて、別の場所でも見たことがあって、活動範囲が気になるところだ。下の写真が以前発見した謎テプラ。当時初夏だったからか、スイカの絵文字がついている。
なんだか、文書と絵文字のギャップが癖になってきた。言わんとしていることは分かるが、一体誰が何のために貼ったのだろうか…。
✿家父長制って何?
"家父長制(かふちょうせい)"とは、一家の長である家長(男性)が、家族に対して絶対的な支配権を持つ。とい���ことだ。男性優位というものと思われる。
日本では明治時代に施行された"明治民法"で定められた、"家制度"というもので確率したもの。今現在も家主はその家の男性だったりする時もあるから、名残りはあるのだろうか…。
✿目撃者多数!?活動範囲が広すぎる件
検索してみると、結構目撃者が多い。尾道や大阪など都内以外にも貼られているところが多い。
これだけ活動範囲が広いと、単独ではなく複数人で貼っているのだろうか?と考えている人もいる様だ。目を凝らして見ている結構な頻度で目にする。
ここまで来たら、テプラと絵文字のバリエーションが気になるところ。コレクターになりそう(笑)
思想強いので、あまりおすすめしませんが郊外へお出かけの際は見つけてみてください。
✾謎の手書き怪文書その意図とは?
街角のステッカーに目を凝らしていると、謎のメモも貼られている。誰が何のために直筆メモを残したのだろうか…。その中でも目を引いた怪文書メモを紹介してい���。
✿2024.09.15 打倒カメラ系が盗撮!?
一瞬どこかのカメラ係が盗撮したのか?と思ったが"カメラ系"って一体…"カメラ係"と書きたかったのだろうか…。
"打倒カメラ系"ということは、カメラアンチ?カメラ嫌いな人が腹いせにやったのだろうか…。
✿「実際目の前にしたら何も言えない」特大ブーメラン
どこかのヘタレアイドルヲタクへのヘイト?腹いせ?このゆーいち〇ーさんは、アイドルヲタクでめちゃくちゃ好きだけど、ネットとか当アイドルが居ないところで語るけど、本人の前では黙るタイプなのか、めちゃくちゃアンチでボロくそ叩くけど、本人の前では言えない…?
"特大ブーメラン"と書かれている事は、メモ書いた本人が、ヘタレアイドルヲタクに言われたけど、お前だよ!!みたいな事を言いたいのか…。
✾𝑨𝒇𝒓𝒆𝒓𝒘𝒐𝒓𝒅
Tumblrでの写真添付の枚数が限りがあるようで、載せきれなかった物もあるので、次回怪文書メモの続きを投稿していく。
推奨するべきものでは無いが、見ているとその怪文書にはどのような経緯があるのだろうか、このステッカーはどこのものだろうか…と色々かんがえてしまう。
割と同じものを何回も見かけることが多い。次回はそのよく見掛けると言われていた、街中ステッカーなども紹介していきたい。
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河野太郎が、「年末調整を廃止して全納税者が確定申告する税制にする」とXで宣言して炎上や賛同やらされている問題。これはずっと以前から理想的な税制として語られてきたもので、別に太郎が急に閃いた事ではない。 https://x.com/konotarogomame/status/1830737429361504665/photo/1 https://nordot.app/1203999108206085074 シャウプ勧告 元々はGHQが戦前の日本の旧弊で反民主的な税制を是正せんとした税制改造(シャウプ勧告)に端を発する。つまりは民主的税制案である。 戦前の日本では納税単位��イエ単位であったり、戦時増税として物品税が多く設定されている為に市場じゃなくて個人売買した方がお得とか、税務署自体もやたら威張っているなどの問題があった。イエ単位の納税は個人がイエに縛られている事を前提とするので反自由、反民主的であり、会社員世帯が税額の面で不利になる。戦前は資本主義が未発達で会社員は限られたエリート的な身分だったが、これが大衆化して給与も下がったら不公平は看過しえないものになる。また地方自治体の税収源が少なすぎる為にを国家中央が握る地方交付金に依存しすぎているのがファシズムの浸透の原因にもなった。 こういう判断でアメリカ型の税制の更に理想的な形を日本で施行して、根幹から民主的資本主義国家の骨格を持たせようとした。 それで導入されたのが、法人税、青色申告と複式簿記、固定資産税などだ。戦前では土地の税金は地租、家屋の税金は家屋税で、共に国税であった。これを廃止して地方税の固定資産税として納税先は自治体となった。 で、問題の源泉徴収、年末調整だが、これも廃止して個人の確定申告にする事がシャウプ勧告に入っていた。だが困難という事で見送りされてしまったのである。 それはまず取りっぱぐれの問題。税務署も会社を押さえておけば効率的に所得税は見逃しなく徴税出来るが、社員個人の確定申告のみとしたらバックれる奴が出てくるに決まってるし確認作業も大変だ。 もう一つは社員が確定申告に来るのが大変だという問題。確定申告の為には一日休まなきゃならない。そして税務署で延々並んで…というのをやらないといけない。当時産業が殆ど吹っ飛んでしまって生きるのも大変な時期に金を払う為に一日休めるか、会社も社員がごっそり来ないという状態を是認できるか。 こういう反対意見に押し切られて天引きの源泉徴収と年末調整のままになってしまった。 総確定申告の理想性 シャウプ勧告には有ったのに見送られてしまった総確定申告制だが、その後も理想的税制として導入を訴える声はあった。 それはまず、太郎も言っているが税の仕組みが判るようになり、使われ方にも分解能が上がるだろうという事。 ブクマページなどでは「この機会に簡素化して控除も無くそう」みたいな事言ってる人がいるが、逆だよ逆。どういう行動の支出に控除があるのか、自分はどの控除が掛かっているのかという事を知る事が出来る。「控除も無くそう」というのは天引き以外の納税を知らない意見だ。「所得税」の欄の数字が所得額から単純に出てると思ってる。だがこの数字は会社が控除額を計算して算出しているのだ。 控除がどこに掛かるかを知れば、現在の国が不公平を是正する為に会社員のどこの負担を認めて差っ引いているかが判るようになる。 もう一つは利害の誘導。国がどのような行動をして欲しいか、というのが控除に現れる。マイホームを買ってローンを組んで欲しいか(見かけ上通貨流通量の増加→インフレ)、子供を産み育てて欲しいかなどだ。これは法人税や青色申告だともっと鮮明に意図が見える。 納税者意識は確実に高まるしその使われ方にも興味が行き易い。 今までは確定申告の為に一日休んで税務署に行くというのが負担だった。年度内で転職したのに確定申告に行かない(行けば取り過ぎ分還付されるのに)人も多かった。 でも電子納税なら夜でも出来るし時間も掛からない。税務署で並ぶ必要もない。負担にならないのだ。テック万歳である。 という事は増田は太郎の意見に賛同していると思うじゃん?残念だが反対なのだ。 ネオリベラリズム残滓の問題 太郎の意見ではこの施策が 所得情報を迅速に把握できるので、必要な人にピンポイントでプッシュ型支援を行うことができる としている。だが「所得情報を迅速に把握」と「ピンポイントでプッシュ型支援」は繋がるのだろうか? この二つは別の問題じゃないのか? 更に現在でも源泉徴収の為に社員のマイナンバーは必須となっている。総確定申告化で何か変化があるのか?何もない。 因みに自治体によっては低所得者向けに交通チケットや給付金、買い物券などの支援をやっている。現在でも納税額を見てプッシュ型でそれら申込書を送ったりしている。「ピンポイントでプッシュ型支援」されているのだ。 但し地方自治体が所得額を把握するには、国税が所得税確定→それを基に自治体が住民税確定と段階を踏むので、時期は6月辺りになる。太郎はそれを前提に「所得情報を迅速に把握」としたのだろうが、白色申告時期の3月から3か月程度でしかない。この文章を読んで「たった3か月じゃん」と思えないのはダメである。 だが問題は何故こういう力点と作用点が違う事象を言っているのに通ってしまうかという事である。 それは2000年代前半の日本でネオリベが流行した為なのだ。 日本でのネオリベ流行には特徴があり、支持者に経済音痴が大変多い。商取引での慣行や法制度、更には経済事件は非破廉恥罪で社会の善悪感情と異なるという常識すらない者が多い。 また「メンバーシップ型会社から自由な」��人を謳っているくせに経済事象を給与所得者の延長で考える事が多い。多いというか専らだ。つまりはB層の問題だ。 賛同する政策というのは何かを壊す(入力)というものが多く、その結果は任意の好ましいものになる(出力)という根拠がないものだ。 例えば郵便局を株式会社化して上場させるという入力に、サービス向上という出力が発生すると素朴に考える。だが普通に考えれば配当が欲しい株主が離島や過疎地でのユニバーサルサービス継続に賛成する筈がないよなぁ。 また、賃貸の家賃を安くする(出力)為に土地建物の相続を廃止(入力)して不動産会社が取得すべきという意見も見られた。これは既得権益者の地主などにも諭されていたが、物件取得費を家賃で回収する必要があるから安い物件なんて無くなるわなぁ。 太郎が今言ってる解雇自由化(入力)で雇用流動性という出力が得られる論も同じで、入力と出力が結びついていない。それを結びつけるのにはどうするか?という設問が出ない言論空間をアテにしているのだな。 こういうややこしい社会制度を解体したら望ましく自分が得する結果になる筈!というのは90年代まではリベラルがやっていた。自分が抑圧されているのは社会のせいだ、と。また海外出羽守も同じことを言っていた。 2000年以後になるとリベラルは退潮し、代わりにネオリベが流行した。これは市場を喰われたって事である。 だが実際に導入されてみるとこんな考えだったB層達は解放されず、勝者はノウハウを集積出来る法人であった。 また単に市場をシュリンクさせ余剰を無くして全体の賃金を縮小させデフレを進行させただけだった。日本からはGAFAMは現れず、Ankerも現れず、3Dプリンタなどの新しい技術を売る会社に日本企業の名はない。成長してLGサムソンになる会社もいなかった。 これらが出来なくなる基盤だけを提供したのである。日本のネオリベと米韓のそれは性質が違うのだ。 ところがそんな入力と出力の間を繋げる努力も無しに任意の入力すれば任意の出力が得られると言って憚らない連中は残存している。彼らが持つ社会へのルサンチマンが入力と出力の必然性を彼等の中で担保しているのである。 そんな連中に向けた言葉を語っているのが太郎なのだ。 今回の太郎の表明に「複雑な税制が無くなって控除が廃止される事」を望んでいる意見が寄せられているのがその証拠である。天引きサラリーマンから見たら控除の必要性なんて判らない。それでそれを敷延して判り易い世界が来る事を期待してしまうのだ。もうこういう支持のされ方をする政治家は落とした方がいいだろう。 太郎のアカンみ 太郎はかなり面白い来歴の人物だ。Wikipediaにもあるがアメリカの大学で政治学を学んでいるしその途中でポーランドに留学している。その間に後に初代ポーランド大統領になったワレサ「連帯」議長を訪ねている。当時はまだゴルバチョフのペレストロイアの前で、連帯は反体制運動と見做されていて太郎も公安警察にしょっ引かれている。 連帯は自由主義寄りだったユーゴスラビアの自主労組のような組織で、共産党独裁が前提のソ連勢力圏では「修正主義」と見なされて弾圧されていた。だが後の東欧の自由化の先陣を切っ��運動であった。 その連帯のワレサ議長に、ゴルバチョフ以前に会いに行くというのはすごい行動力だ。筋金入りのリベラルといっていい。 だがこういうリベラルが保守側に転向した際に最悪となるエピソードというのは多い。一番判り易いのが���メリカのネオコンサバティブで、その中心人物はスターリンに左翼偏向と詰られたトロツキストだった。 『国益』誌でソ連崩壊をアメリカ的民主体制の勝利(歴史の終わり)とする一派を押しのけて軍拡競争の為と総括した連中が911の衝撃に乗じて共和党内の穏健派を追い出し、宗教右派と手を組んで共和党ジャックしてしまった。その結果イラク戦争を起こし、イラク国内を平定出来ずにISISの活動を許し、中東を戦乱の渦に巻き込んでしまった。責任を問われて失脚し、穏健派をパージしていたので今の共和党は宗教右派と陰謀論のトランピアンに乗っ取られた、アメリカの覇権の内なる脅威みたいなもんになっている。 太郎の場合も実効性や結果のフィードバックを取り込んで行動していない。設計→実行→修正の行政組織の行動葎を取り込まずに、設計しっぱなしなのだ。イージス・アショア配備で断念する旨の報道が出たのに「自分は知らないから誤報」と言って後で泣き言言っていたのを覚えているだろうか?防衛省内の報連相サイクルからパージされていたという事だ。 ワクチン担当でも残数ショートで産業医接種を突然停止させ、その余波で通常の大規模接種も長く停止してしまったのに、それは外部の問題だと言って憚らなかった。自分の行動が及ぼす影響を考えず、自分の設計は正しいと言うだけだった。 どうも安倍菅時代に初入閣してそれが通ると覚えたようである。 Xのブロック問題も初めは「変なネトウヨ」(本人談)をブロックしていただけだった。紅の傭兵の息子だから中国のスパイだろお前は、的なものを相手にする必要はない。だが入閣後は自分の行為を評価している人全てブロックになって、マスコミの質問もブロック、となるとただ設計があるだけで、それが適切な出力となって社会に作用するか?という事を問われる環境に居た事が無い。 そうすると源泉徴収年末調整廃止と総確定申告化が如何にシャウプ勧告に基づき、ずっと議論されてきた理がある方策だとしても反対するしかない。 しかもこれが「ピンポイントのプッシュ型支援に繋がる」と、入力とまるで関係がない出力が得られる、と言っていれば猶更だ。これは20年遅れのB層に設計しっぱなしの政治家が語っているというだけの下らん話である。それは騙しがデフォルトのコミュニケーションをしているだけに過ぎないのである。
河野太郎の国民総確定申告制は昔から理想的な税制とされてきた
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アメリカで推奨されている「落ち葉を片づけるのをやめよう!」その理由とは? marusatta 10月24日公開 秋と言えば紅葉の季節。そしてそれが過ぎた後、残るのは地面に落ちた大量の落ち葉だ。 森の中ならともかく、住宅地の庭や道路が枯れ葉で覆われるのは見栄えも良くないし、濡れると滑ってあぶないし。 というわけで、キレイに掃除することになると思うのだが、最近のアメリカでは、落ち葉を一か所にまとめて撤去したり燃やしたりせず、そのままにしておくように奨励されているんだそうだ。 いったいなぜなんだろう? 冬を越す生き物のために落ち葉をそのままに! アメリカの住宅地というと、キレイに刈られた緑の芝生を思い浮かべる人も多いと思う。 これが秋になると、庭木から落ちた枯れ葉が積もって見栄えが良くなくなるので、熊手やブロワー(落ち葉を吹き飛ばす機械)で集めて捨てることになる。 秋には専用の落ち葉集積所が作られたりして、毎日が落ち葉との戦いになるおうちも多いんじゃないかな。 この画像を大きなサイズで見る image credit:photoAC さて、全米野生動物連盟(NWF)では、現在「Leave the Leaves Pledge(落ち葉をそのままにする誓い)」という活動を推奨しているんだそうだ。 その理由は、爬虫類や小型の哺乳類、両生類、昆虫といった生き物たちは、何らかの形で落ち葉の山に依存して生活しているから。 こういった生き物たちにとって、落ち葉は食料になるだけでなく、冬を越す温かくて安全な避難所にもなる。 落ち葉をかき集めて捨ててしまうと、庭に生息する生物たちの多様性が失われると、彼らは主張しているのだ。 ADVERTISING 落ち葉やその他の自然の残骸は、私たちの生態系を構成する重要な要素です。 そして野生生物たちは、私たちのサポートを期待しています。あなたも落ち葉を残しておいてもらえませんか? この画像を大きなサイズで見る image credit:photoAC 捨てる代わりに再利用を とはいえ、落ち葉をそのままにしておくと、害虫や病気の温床にもなりかねない。そこでNWFでは、こんな方法をおすすめしている。 葉が厚く積もると芝生が傷んだり、道路が滑りやすくなったりするため、落ち葉は庭木がない庭や、自然に生えている木の根元など他のところに集めましょう。 庭の花壇に落ち葉を敷き詰めると、越冬する野生動物に良い影響を与えるだけでなく、雑草を抑え、大切な養分を土に戻すのにも役立ちます 確かに落ち葉によってできる堆肥や腐葉土は、大地を豊かにするし土壌改良剤としての効果もある。 さらに落ち葉をマルチングとして地面に残し、木の根元の保護や土壌の改善につなげる「落ち葉マルチ」は、日本でも実践されるようになってきている。 この画像を大きなサイズで見る image credit:photoAC ADVERTISING 持続可能な野生動物との共存を目指す 余分な葉を自生する樹木の下に敷いて、野生動物の格好の生息地にしましょう。 樹木に生息する毛虫は、冬を越すための葉の層を探してます。樹木のシェルターを好む哺乳類や鳥たちも、葉の層で餌を探すことができます。 落ち葉やゴミがまだ残っている場合は、庭の隅に積み上げておくと、分解されて素晴らしい堆肥となり、これからの季節に使用できます。 葉だけでなく、丸太や茎も残しておきましょう。在来種のミツバチなど多くの昆虫は、空洞になっている枯れた花の茎や、朽ちた丸太や枝の中で越冬します。 昆虫を助けるために、芝生を散らかしたままにする必要はありません。代わりに、落ちた枝や丸太を積み上げて自然な構造物を作り、「昆虫ホテル」にしましょう だが木の種類によっては落ち葉が分解されるのに長い月日がかかってしまい、その間棲み処とするのは益虫ばかりじゃないんである。 NWFでは���らにこんな行動も促している。 庭を野生動物にやさしい場所にしましょう。庭に植える植物は在来種にしてください。 芝生の量を減らしてください。また、芝生や花壇には殺虫剤や除草剤、化学肥料を使わないでください。 光害を防止するために、屋外の照明を減らし、夜は窓にブラインドを下ろしてください。 文明的な生活と、持続可能な自然との共存の兼ね合いは、なかなか悩ましいところである。 できれば虫たちとは離れた場所で生活したいという向きも多いだろうし、丁寧な生活は手間がかかるものだ。 この画像を大きなサイズで見る image credit:photoAC 「そのまま」にしておくのは現実問題として難しい? このLeave the Leaves Pledgeの活動について、ネット上では��まざまな意見が出ていた。 現実問題として落ち葉をそのままにしておくと、隣の家から苦情が来ちゃう 落ち葉を放っておくとカビが生えるて腐るし、太陽の光が当たらなくなるから、芝生を枯らすことになっちゃうんだよ 庭にとってはそのままにしておく方がいいんだろうけど、分解されずにそのままになっちゃうから、結局はかき集めることになるんだよね 冬を越す準備をしている虫たちのために、庭の特定の場所に集めておいて欲しい。虫たちがいないと、春になって受粉ができなくなるよ ダニとかの害虫まで自分ちの庭で育てるのかと思うとゾッとする 玄関までの通路と、排水溝の周りだけキレイにしておけば大丈夫だよ Amazonで粉砕機を買えば問題解決だ! そのままにしておけっていう人は無視した方がいい 私の住んでいるところでは、放置していると罰金を取られるわ うちもHOA地区にあるから、芝生はきれいにしとかないといけないんだ 最後のHOAとは何ぞや?という話だが、アメリカにはHOA(Home Owners Association:住宅所有者協会)という組織があって、不動産の資産価値を守るための活動をしている。 その地区の中に、芝生が手入れされていなかったりゴミが放置されていたりして見栄えの良くない家があると、地区全体の資産価値が下がってしまう。 なので少しさぼっていると、「芝生を刈れ!」「手入れをしろ!」とうるさく言って来るわけだ。 いわば町内会と管理組合が合わさったようなものだが、違反すると罰金が科されることもあり、かなり厳しめの組織である。 その一方で、NWF自体はどちらかというと環境活動家寄りで、革製品の購入をやめ、肉食を控えるようにというメッセージも出している団体だ。 芝生をキレイにするために集めた落ち葉をただ捨てるぐらいなら、庭や花壇の一角を落ち葉エリアにして虫や小さな生き物たちのために提供してほしい、ということなのだろう。 ちなみにだが、外に置いてある鉢植えを「寒くなったから」と暖かい室内に入れると、けっこうな確率で葉っぱの裏とかで冬越しをもくろんでいた虫たちが元気になって、家の中を飛び回ったりし始める。 ある冬の朝、カナブンが5匹くらいカーテンに貼りついていたときには、虫の苦手な家族が阿鼻叫喚だったな…。 References: Stop Raking to Help Your Local Wildlife: Join the ‘Leave The Leaves’ Campaign This Autumn
アメリカで推奨されている「落ち葉を片づけるのをやめよう!」その理由とは?|カラパイア
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台湾修学旅行(前日)
出発を前日に控え、修学旅行の結団式を行いました。団長として、私から話した内容です。
○高校生活で最大の学校行事、修学旅行がいよいよ明日から始まる。今回から、修学旅行先をコロナ以前に実施していた海外に戻し、台湾の台北市を中心に4日間の日程で行う。皆さんの中には初めて海外へ行く人がいると思うので、ワクワクしているという人が少なからずいるのではないか。
○ そこで、明日からの修学旅行を皆で楽しく、そして安全に実施できるよう、皆さん一人ひとりに守ってほしいことと望みたいことをお話しする。
○ 守ってほしいことは三つ:①自分の健康・安全管理、②パスポートの管理や集合場所や時間の厳守、③海外でのマナー
○ 健康管理については、まずは、今夜は十分睡眠をとっておくこと。疲れたまま、海外に出ると、気候や環境、食事内容の変化で体調を崩す人がいる。街中では飲食店などの露店が出ているが、香辛料の独特な香りが漂っている。また、アレルギーのある人は特に露店での食事は注意してほしい。
○ 気温は、大阪では18~25度前後、台北では23~30℃前後。沖縄よりもやや南に位置しているので、大阪よりも温暖である。ただし、ホテル等では冷房がすごく効いているので、長袖の羽織るものを必ず持っていくこと。天気予報では明日から金曜日まで雨が降るとのことなので雨具は必携。
○ 安全については、台湾では車は日本と反対の右側通行であり、中でも台北市街では、車やバイクの交通量が多いので気を付けること。特にバイクがたいへん多い。
○ スリや置き引きもあるかもしれない。スマホを見ながらの歩行は危険である。
○ パスポートは、「命の次に大切なもの」である。万一パスポートを紛失した場合はみんなと一緒に帰れない。また、集合場所や時間については、「しおり」をよく読んで、間違わないこと。特に飛行機での出発時は厳守。飛行機は待ってくれない。
○ 海外でのマナーについて。皆さんは友達と一緒にいる時、修学旅行という「日本の空間」にいる。しかし、私たちの周りは文化の異なる、言葉の通じない「海外の空間」であることを忘れないこと。友だち同士で盛り上がってしまい、一般の台湾の人たちに不快な思いをさせないようにすること。日本の高校って、品の悪い高校生なんだ���思われないようにしてほしい。台湾の人々は親日的であるが、それでも周囲の状況をよく確認し、マナーは守りましょう。添乗員の方やホテルの従業員さんにあいさつしよう。
○ 次に望みたいことは二つ:①台湾に行くのだから、台湾の歴史、特に日本や中国との関係、ビジネスや経済、地理、教育、文化、言語など、台湾に関するものについてなんでもいいので学んできてほしい。台湾は九州よりやや小さい国土に約2300万人が住んでおり、IT産業などが盛んで、世界を向いて商売をしている。街中には日本語の看板があふれており、日本の外食チェーンも見かけられる。②木曜日に国立台湾師範大学の学生と、金曜日に本校の姉妹校である大園国際高校の生徒との交流を予定��ている。台湾の公用語は台湾華語と呼ばれる中国語であるが、学生の英語力は非常に高い。それに負けないよう、ぜひ自分のこと、大阪のこと、日本のことを英語で堂々と話して、また、質問もいっぱいして何かを学び取って、これから進路に向けての具体的な行動を起こしてほしい。
○ 生徒の皆が明日から土曜日の帰宅まで、さらに来週火曜日に登校するまでが修学旅行である。その間の健康管理をお願いするとともに、楽しい修学旅行となるよう、一人ひとりが協力してほしい。
10月22日
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2024年9月14日
ゴンサロ パシエンシア選手/次は勝利に繋がるゴールを。
……素晴らしいゴール。
ゴンサロ●点はとれたけれど、勝たなかったことがとても残念です。ただ、こういう形で点がとれたのは良かった。
……監督がゴール以外のプレーも評価していた。試合を重ねるごとに実力が出てきている。
ゴンサロ●今日は1点しか、とれなかった。自分のプレーが勝利に繋がらなかったことは残念。もっとコンディションをあげて、チームの助けになるように頑張ってていきたい。
……初先発だったのですが、いかがでしたか。
ゴンサロ●もちろん、常に最初から試合には出たい。ただ、途中出場であったとしても、時間が5分・10分だったとしても、そこに全力を尽くしたい。今日は60分くらいのプレーでしたが、他の選手と同じように90分出たいという気持ちはあります。
……奥様と娘さんに、いいプレゼントができましたね。
ゴンサロ●そうですね。父親として初めて、娘にゴールをプレゼントできたことは嬉しかった。次は勝利を贈りたい。
松本泰志選手/99%はハヤオくんのゴール
……しっかりと決めきったゴール。
松本●99%が(川辺)ハヤオくんのゴールで、1%が僕。ほとんど、ハヤオくんの得点です。
……あのシーン、川辺選手が左から突破してくるのは予測していた。
松本●はい。クロスのコースがあまりなかったので。ハヤオくんが股を抜いた瞬間、相手はみんなボールを見ていた。うまく動きを変えることができた。ゴールできてよかったです。
……川辺選手が意識してちょっと浮かしたボールを入れてくれた。よく合わせた。
松本●あれは、決めないといけないから。
……ただ、アディショナルタイムに満田誠選手のクロスを合わせたシーンは、決めたかった。
松本●あそこで決めるかどうか、そこでチームが上にいけるかも、自分の価値も決まってくる。だから本当に悔しかったし、あのシュートを決めていれば勝点3がとれて、もっと勢いにのれる。本当に……、悔しいです。
……これほどの連戦。メンタルが相当に厳しかった中での勝点1。アウェイだったし、大きい勝点だったと思う。
松本●だけど、あのシュートを決めて3ポイントをとりたかった。疲れている中でも自分は運動量を出せる。あとは、どれだけクオリティを発揮できるか。そこが課題だったし、今日もそれが出てしまった。次のACLではしっかりと結果を残したい。
……川辺選手がトップ下近くに入った。
松本●ハヤオくんが3列目から相手の背後をつくシーンも多くて、セカンドボールもしっかりと拾ってくれた。2次・3次攻撃もできていた。後半は疲れていたけれど、1試合を通してああいうプレーができたらいい。
……ゴンサロ パシエンシア選手と初めて合わせた。
松本●本当にやりやすかった。ヘディングは強いし、足下も器用。クロスを入れる時は動いてくれる。すごくいい。プレスのところとかはこれから擦り合わせればいいし、自分がどういう動きをしたいのかも、伝えていける。
……加藤選手が「ゴンサロがどういう選手か、初めてわかった」と言っていた。
松本●俺もそうです。すごく上手くて、いい選手ですね。
……ACLに向けて。
松本●内容よりも結果。一つ勝てば、いい雰囲気で乗っていける。全員でいい準備をしたい
川辺駿選手/個人としても結果を出さないといけない試合
……ナイス股抜き。
川辺●誘っていたんで(笑)。(相手が)乗ってくれました。
……松本泰志選手が「99%ハヤオくんのゴール」と言っていました。
川辺●その前にクロスに対してまっちゃんが行けそうな感じがしていたし、あの時も(まっちゃんに)だそうかなって思っていた。まっちゃんの動きもギリギリまで見えていた。よかったです。
……意地を見た。
川辺●(笑)。こういう(個人として)結果を出さないといけない試合に対しては、ヨーロッパで最も磨かれた部分。結果を出すべき試合で出せたのは、自分の成長だと思っています。
塩谷司選手/ポジティブに捉えるしかない
……めちゃくちゃに疲れている中で、アウェイ鹿島での引き分け。大きな価値があります。
塩谷●もちろん、勝ちたかった。ただ、今はポジティブに捉えるしかない。
……川辺選手との縦関係は、すごくはっきりしていた。
塩谷●そこはハヤオ自身が監督から求められていることでもある。非常に彼の良さが出ていた。
……まず回復。
塩谷●そうですね。ちょっとゆっくりして、次に向かいます。
大迫敬介選手/���んな身体を張って走っていた
……代表の遠征から帰国して広島に戻らず、そのまま関東に残ってトレーニングという日程だった。
大迫●それはもう、代表に行く前からスタッフと話をしていました。そっちの方が身体の負担的にもいいんじゃないかって。
……違和感とかは?
大迫●なかったですね。しっかりとゲームにも入れたし、卓人さんもトレーニングに付き合ってくれたんで、感謝したいです。
……最初、セットプレーのところで混乱していたように見えた。
大迫●ウチはマンマークでの守備なので、ブロックされたり個人で負けてしまうと、フリーで打たれてしまう。そこは反省しないといけないですね。
……同点になってからは広島のペースになったと思うけれど、結果は2失点。課題は?
大迫●まずはセットプレー。そして、中2日で身体にも疲労があったと思います。それは間違いない。ただ、その中でも全員がコンパクトに守れていましたし、みんな身体を張ってよく走り切って闘ったんじゃないかと思いますね。
……代表で試合に出れなかったこともあり、コンディション調整は難しかった。
大迫●もちろん、試合に出たかった。そこを目指してやっているわけですからね。そういう意味でも、今日は勝ちきりたかった。
満田誠選手/結果を出したかった
……後半から入って、ちょっと時間が短かった。
満田●勝てればよかったし、あの時間から入っても結果を残さないといけない。
……みんな疲れている中、ACL2も控えています。
満田●日程は決まっているし、言い訳にはならない。できる限り回復して、試合に向けていい準備をしていきたい。初戦なんで難しい状況になるし、相手の情報もほとんどない。誰が出るかわからないけれど、出た選手が100%の力を出せれば、久しぶりに勝てると思う。
加藤陸次樹選手/ポジティブな勝点1
……1ポイントに終わったけれど、この結果をどう捉えていますか。
加藤●僕はポジティブに捉えています。負けなかったことがプラスだと思いますね。
……先制されたのは痛かったけれど、そこからは自分たちのペースに。
加藤●前半から僕らのペースだったと思います。ただ、そこでもう一つ、得点がとれていれば、チームも楽になった。ただ、この連戦でチームとしてやることをやった上での勝点1だった。
……ゴンサロ パシエンシアと初めて、先発で一緒にやりました。
加藤●かなりクオリティが高くて、今日初めて「こういうプレーヤーなんだ」って実感しましたね。
……これまで、ほとんどトレーニングができていなかったから。
加藤●そうですね。ちょっとわからなかったし。
……ACLがあって、横浜FM・町田と続きます。
加藤●ACLもJリーグも、どちらも大切ですけど、まずACL。しっかりと弾みをつけて、横浜FM戦に向かいたい。アウェイで負けているので、勝利に向けて準備したいですね。
ミヒャエル スキッベ監督/我々のチームを誇りに思う
スキッベ監督●二つの強豪チームが全力を尽くした、素晴らしい試合だった。
前半は行ったり来たりの展開で、お互いにチャンスをつくっていた。後半については、我々がゲームコントロールしていたし、チャンスもつくっていた、ただ、相手の若いユース育ちの選手に決められてしまった。
ただ、我々のパフォーマンスについては、誇りに思う。この10日間、非常に難しい状況で4試合を戦い抜き、今日の試合でも最後までチャンスをつくり続けた。本当に誇らしいチームだ。
結果は1ポイント。だが、パフォーマンスは素晴らしい。日本でもトップクラスのチームだと思う。この厳しい日程の中、見事なパフォーマンスを見せてくれた。
……ゴンサロ パシエンシア選手のプレーについて。
スキッベ監督●彼はゴールだけでなく、プレー全体として素晴らしい。トルガイ、川辺,そしてゴンサロと、夏に加入した選手たちはコンディション的にいい形で入っていなかった。それでも、ゴンサロ パシエンシアをはじめとした3人の選手たちはいいプレーを見せてくれた。ゴンサロ パシエンシアについてはまだ90分できる状況ではなかったので途中交代になったが、この3人についてはこれからも助けになるだろう。
……川辺駿はトップ下のような位置でプレーしていました。
スキッベ監督●あのポジションができる選手だとはわかっていました。ただ、彼がどこでプレーするかは、まわりの関係にもよる。塩谷司がケガを抱えていたこともあり、ハヤオが後ろをやらないといけないこともあった。
……2失点を食らってしまったが、疲労の影響は?
スキッベ監督●最後まで闘えたのは、(鹿島よりも)自分たちの方ではなかったか。頭も身体も疲労していただろうが、それを感じさせないプレーぶりだった。
……後半は相手を封じていたが、チャンスも少なかったのでは。
スキッベ監督●確かにシュートは少なかったかもしれないが、私の見方では後半、決してうまくいかなかったわけではない。プレスも機能していたし、やりたいサッカーを見せられた。
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