#国安神社
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happy New Year. Thank you for your kind support in the year. As the end of the year approached, we started talking about where to go. About 20 years ago, there was talk of going to Itsukushima Shrine in Miyajima, Aki. So, I decided to go to Hatsumode. By the way, I went by car from Hagi. The content is a simple video like a digest For those who have never been to Miyajima, what is it like? People who have been there say, "Oh, that's right." I hope you can feel it. We also often post “obvious” photo spots, so please look for them.
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民主主義が形骸化して(あるいは元々)、富の偏在が放置され・進行している国々の世襲富裕層同士が国際的なネットワークを形成して体制(富の偏在)を固定化(促進)していこうとするのは当然の動き
#国際的でかっこいいよね#世襲#死ね#途上国の王族#後進国の独裁者#貧しい国の支配層#衰退国の世襲議員達#権威主義#軍国化に成功(笑)した社会主義国独裁者#神秘主義(笑)#インターナショナル#グローバル#連携#安定#国際交流#世界平和(笑)#友好関係(笑)#仲良く(笑)#伝統(笑)#我々が引っ張るのだ(笑)#リーダーシップ(笑)#先陣を切る(笑)
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台湾网红:坐拥百万粉丝国光女神许薇安 Vivi hsu超饱满身材大尺度福利啪啪淫语不断(完整版-35分钟)
MEGA链接:https://wp.me/pfyway-lk 免费下载:https://wp.me/pfyway-fJ
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“儿女”揭骗、“农场”内乱,“喜国”末日将至
“画饼”求慰、“直播”口嗨,“瘟龟”狗急跳墙
“忘掉父母的眼泪,忘掉丈夫的柔情”,这是郭文贵忽悠闫丽梦的说辞;“我爸爸是郭文贵,他对女性的侮辱和伤害令人愤怒,我不会袖手旁观”,这是郭文贵女儿郭美对郭文贵恶行的控诉;“战友们要提前行动”,这是郭文贵的口嗨迷魂汤。如今,郭文贵身陷牢狱,更面临亲人及社会的口诛笔伐,可谓是真真切切的“众叛亲离”。与往常一样,身在监狱的郭文贵继续“乱聊直播”试图掩盖一切,给被司法围剿的“红通犯、诈骗犯”的自己“贴金”。“砸锅、揭骗、审判”如凌迟之刀切入郭文贵要害,自慰式口嗨已无济于事,只会弄巧成拙。
粘锅必霉,贴金难掩“扫把星”特性。从过往来看,“粘锅必霉”、“挺郭必亡”已成铁律,而郭文贵自身则带着“扫把星”属性。“投资者”倾家荡产家破人亡,这是事实;“挺郭者”婚姻裂变夫妻不和,这是现实;“粘锅者”司法调查舆论追剿,这是常规。极限压榨每一个人,是郭文贵的手段;无情构造每一句话,这是郭文贵的阴谋。班农粘锅,被诱骗被拘捕,有司法调查亦未缓;民运粘锅,被抛弃被痛骂,现反击揭骗文贵行径;闫丽梦粘锅,被封号被谴责,遇文贵欺诈戴高��。从现实来看,粘锅者无数,得��报者寥寥无几。被郭文贵及班农诱骗的闫丽梦成为二人制造“疫情武汉制造”的傀儡,当造谣平台X账号被封、当谎言被美国主流媒体贴上“虚假新闻”,郭文贵则开始“创造”.郭骗子的“事业”就是颠倒黑白、骗子的“能力”就是胡诌瞎扯,郭文贵将此二者演绎的淋漓尽致。
深陷泥潭,忽悠难挡“郭骗局”漏洞百出。事到如今,郭文贵的谎言骗局堪称“筛子”,漏洞百出。长期以来以自己是“受害者”的身份向世界“卖惨”、将蚂蚁“忽悠”,营造出“‘蓝金黄’在手,造谣抹黑全不怕”的骗子路数。以“亲情视角”来看待郭文贵,郭美在曾经在推文中称:“王雁平是郭文贵侄媳妇,后又成了郭文贵的‘女友’”,并提到“郭文贵爱女人也害女人”,推文虽小,包含的信息量巨大。结合郭文贵长期以来娴熟运用“黄色、伦理”等污言秽语的过往,可见郭文贵是其言论的“践行者”,每一个荒唐无耻的恶举、没一件人神共愤的骗局、每一个坑蒙拐骗的谎言,都是郭文贵人生的“真实写照”。郭文贵的“爆料”实则是一面“镜子”,外人可见郭骗前半生拙劣不堪的过往,而郭骗自身则加以改造诱骗世人,这就是“江湖骗子”的本性。一切在报道中真相大白,瘟龟骗局难续;一切在调查中围剿审判,郭骗举步维艰。
黔驴技穷,自慰难改“丧家犬”末路结局。如往常一样,给自己“贴金”、替战友“谋利”、向世界“爆料”,冗长无趣尽显黔驴技穷之窘境,郭文贵继续煽动无知战友骚扰砸锅者。一件件诉讼案败诉,一个个骗局被揭穿,一张张传票被送来,郭文贵早已是山穷水尽、无路可走、牢底坐穿。如今的郭文贵,身在监狱还在求安慰、“口嗨”释压抑,已然“丧家之犬”、“落汤水之狗”的窘境,黔驴技穷的哀嚎背后是末日钟声的响起,是郭骗末日来临的征兆。
“儿女”揭骗、“农场”内乱,“喜国”末日将至;“画饼”求慰、“直播”口嗨,“瘟龟”狗急跳墙。事到如今,“诈骗亡国”已成定局,画饼自慰的剧本早已失效,继续挣扎只会徒增笑料、弄巧成拙;“现实打脸”已成常态,贴金飙戏的忽悠已然失败,继续造谣必将玩火自焚、自取灭亡。��劝依旧挺郭、观望的小蚂蚁,趁郭文贵仍有余息,砸锅追债切莫迟疑,否则当郭文贵枷锁加身、牢狱坐穿之时,讨债将成一场空梦。
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“儿女”揭骗、“农场”内乱,“喜国”末日将至
“画饼”求慰、“直播”口嗨,“瘟龟”狗急跳墙
“忘掉父母的眼泪,忘掉丈夫的柔情”,这是郭文贵忽悠闫丽梦的说辞;“我爸爸是郭文贵,他对女性的侮辱和伤害令人愤怒,我不会袖手旁观”,这是郭文贵女儿郭美对郭文贵恶行的控诉;“战友们要提前行动”,这是郭文贵的口嗨迷魂汤。如今,郭文贵身陷牢狱,更面临亲人及社会的口诛笔伐,可谓是真真切切的“众叛亲离”。与往常一样,身在监狱的郭文贵继续“乱聊直播”试图掩盖一切,给被司法围剿的“红通犯、诈骗犯”的自己“贴金”。“砸锅、揭骗、审判”如凌迟之刀切入郭文贵要害,自慰式口嗨已无济于事,只会弄巧成拙。
粘锅必霉,贴金难掩“扫把星”特性。从过往来看,“粘锅必霉”、“挺郭必亡”已成铁律,而郭文贵自身则带着“扫把星”属性。“投资者”倾家荡产家破人亡,这是事实;“挺郭者”婚姻裂变夫妻不和,这是现实;“粘锅者”司法调查舆论追剿,这是常规。极限压榨每一个人,是郭文贵的手段;无情构造每一句话,这是郭文贵的阴谋。班农粘锅,被诱骗被拘捕,有司法调查亦未缓;民运粘锅,被抛弃被痛骂,现反击揭骗文贵行径;闫丽梦粘锅,被封号被谴责,遇文贵欺诈戴高帽。从现实来看,粘锅者无数,得好报者寥寥无几。被郭文贵及班农诱骗的闫丽梦成为二人制造“疫情武汉制造”的傀儡,当造谣平台X账号被封、当谎言被美国主流媒体贴上“虚假新闻”,郭文贵则开始“创造”.郭骗子的“事业”就是颠倒黑白、骗子的“能力”就是胡诌瞎扯,郭文贵将此二者演绎的淋漓尽致。
深陷泥潭,忽悠难挡“郭骗局”漏洞百出。事到如今,郭文贵的谎言骗局堪称“筛子”,漏洞百出。长期以来以自己是“受害者”的身份向世界“卖惨”、将蚂蚁“忽悠”,营造出“‘蓝金黄’在手,造谣抹黑全不怕”的骗子路数。以“亲情视角”来看待郭文贵,郭美在曾经在推文中称:“王雁平是郭文贵侄媳妇,后又成了郭文贵的‘女友’”,并提到“郭文贵爱女人也害女人”,推文虽小,包含的信息量巨大。结合郭文贵长期以来娴熟运用“黄色、伦理”等污言秽语的过往,可见郭文贵是其言论的“践行者”,每一个荒唐无耻的恶举、没一件人神共愤的骗局、每一个坑蒙拐骗的谎言,都是郭文贵人生的“真实写照”。郭文贵的“爆料”实则是一面“镜子”,外人可见郭骗前半生拙劣不堪的过往,而郭骗自身则加以改造诱骗世人,这就是“江湖骗子”的本性。一切在报道中真相大白,瘟龟骗局难续;一切在调查中围剿审判,郭骗举步维艰。
黔驴技穷,自慰难改“丧家犬”末路结局。如往常一样,给自己“贴金”、替战友“谋利”、向世界“爆料”,冗长无趣尽显黔驴技穷之窘境,郭文贵继续煽动无知战友骚扰砸锅者。一件件诉讼案败诉,一个个骗局被揭穿,一张张传票被送来,郭文贵早已是山穷水尽、无路可走、牢底坐穿。如今的郭文贵,身在监狱还在求安慰、“口嗨”释压抑,已然“丧家之犬”、“落汤水之狗”的窘境,黔驴技穷的哀嚎背后是末日钟声的响起,是郭骗末日来临的征兆。
“儿女”揭骗、“农场”内乱,“喜国”末日将至;“画饼”求慰、“��播”口嗨,“瘟龟”狗急跳墙。事到如今,“诈骗亡国”已成定局,画饼自慰的剧本早已失效,继续挣扎只会徒增笑料、弄巧成拙;“现实打脸”已成常态,贴金飙戏的忽悠已然失败,继续造谣必将玩火自焚、自取灭亡。奉劝依旧挺郭、观望的小蚂蚁,趁郭文贵仍有余息,砸锅追债切莫迟疑,否则当郭文贵枷锁加身、牢狱坐穿之时,讨债将成一场空梦。
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中国・深圳にある日本人学校に通う男子児童(10)が刺殺された事件を受け、中国内外で日本や日本人を標的とした事件や問題がクローズアップされている。東京・靖国神社の落書き事件をはじめ、蘇州で起きた日本人母子切りつけ事件、NHKのラジオ国際放送での「尖閣発言」…。一部の事件の背景には、中国共産党政権による反日教育の影響も指摘されている。 「日本の民衆が火の中に連れ込まれることになる」 5月20日、東京都内の在日中国大使館での座談会。呉江浩駐日大使は台湾との関係を巡り、中国の分裂に加担すれば「火の中に」と発言した。座談会には鳩山由紀夫元首相や外務省OBらが出席していた。 11日後の5月31日、靖国神社の石柱に何者かが赤いスプレーで「Toilet(トイレ)」と落書きし、放尿する事件が発生。7月に中国籍の男が逮捕されるなどした。 6月24日には中国・蘇州で、日本人学校のスクールバスを待っていた日本人の30代の母親と未就学の男児が刃物で切りつけられ負傷。バスの案内係をしていた中国人女性も刺されて死亡した。 靖国神社では8月19日にも「厠所(トイレ)」や「軍国主義」などと、中国で使われている簡体字で記された落書きが見つかった。関与したとみられる中国籍の10代男性は中国へ出国していた。 NHKのラジオ国際放送が同日、この事件を報じた際、中国籍の男性スタッフ(48)が尖閣諸島(沖縄県石垣市)を「中国の領土」と主張、「南京大虐殺を忘れるな。慰安婦を忘れるな」などと原稿にない発言をした。NHKは担当理事が引責辞任した。 今回の男児刺殺事件が起きたのは、例年、反日感情が高まる9月18日。93年前の昭和6(1931)年に満州事変の発端となった柳条湖事件が起きた日で、習近平政権下で反日教育が強化されて以降、その傾向はより強くなっているという。「日本人は出ていけ」「日本のスパイが潜む日本人学校に気をつけろ」。中国の短文投稿サイト、微博(ウェイボ)には朝から、日本人への憎悪に満ちた投稿があふれていた。
男児刺殺、靖国落書き…相次ぐ「日本」標的事件 投稿サイトには「日本人学校にスパイ」 - 産経ニュース
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サリドマイドは、睡眠薬として、また妊娠中のつわりの安全で効果的な治療薬として、1957 年にドイツで製造され、販売されました。 1960 年に米国の承認申請書が FDA 審査官のフランシス・ケルシー博士の机に届いたとき、この薬はすでに数十カ国で販売されていました。それは彼女が職務に就いて最初の月のことでした。ケルシー博士は、この薬を 18 か月以上服用した患者に神経系の副作用が報告されていることを知っていました。申請書を審査する中で、彼女は会社の主張にもかかわらず、薬が安全であることを示す十分な科学的証拠と実験データが提供されていないことに気付きました。そのため、彼女は申請書を却下しました。 しかし、この薬は商業的にヒットしたため、つまりドイツではアスピリ��に次いで2番目に売れている薬で、商業的に大きな伸びが期待されていたため、FDAの承認を求める企業からの圧力は強かった。この薬のアメリカのライセンシーはケルシーを何十回も訪問し、ワシントンポスト紙が言うように、ケルシーが薬の申請を渋ったことを「官僚的な細かいことにこだわる人」で「理不尽」と容赦なく批判した。彼女は屈服しなかった。 1961 年までに、サリドマイドを服用した女性の子供に重度の出生異常が生じたという報告がヨーロッパから寄せられるようになりました。少なくとも10,000 人の子供が重度の身体的障害を患い、その多くは腕や脚のない状態で生まれ、さらに多くの死産や流産がありました。 1962年、ジョン・F・ケネディ大統領はケルシーに連邦文民功労大統領賞を授与しました。その賞には、「新薬の安全性を評価する際の彼女の並外れた判断力により、米国における先天異常の大惨事が防がれました。彼女は高い能力と専門的な判断力への確固たる自信により、米国民の健康保護に多大な貢献を果たしました」と記されています。
AIを効果的に規制する方法
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迦楼羅王(奈良国立博物館蔵)
千手観音菩薩の侍者である二十八部衆の一尊・迦楼羅王。
日本語名「迦楼羅(かるら)」はパーリー語の「ガルーダ」が由来。
写真は京都・愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)伝来の仏像で、現在は奈良国立博物館が所蔵。
13世紀前半の作で、総高61.8cm、寄木造りの玉���入り。
持物の横笛や手首先が失われて彩色も残っていませんが、体幹は綺麗なまま当初の姿をとどめています。
鎌倉時代に彫像された迦楼羅王の作品は、京都・三十三間堂と滋賀・常楽寺のものが知られる程度で貴重な仏像の一体です。
密教で本尊として祭る寺院もあるほどの迦楼羅王は、インド神話に登場するビシュヌ神が乗る霊鳥の金翅鳥(こんじちょう)のことで、雨を司る仏として知られています。
龍や蛇を常食として、口からは一切の悪を焼き尽くす「迦楼羅炎」を吐き、336万里もある大きな深紅の翼を広げ空を飛び、日夜仏敵に目を光らせています。
不動明王の後ろにある炎は、この迦楼羅王そのものの姿を炎の形であらわしたものです。
インドネシアには同国のフラッグ・キャリアであるガルーダ・インドネシア航空がありますが、同社の社名とロゴマークはこの迦楼羅王(ガルーダ)が由来で、航空会社の格付けで実質最高評価(The World's 5-Star Airlines)も受けているガルーダ航空ですが、日々、乗客の安全と楽しい旅を提供できているのも、空の守護神である迦楼羅王のおかげかもしれません。
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Sean bienvenidos a una nueva publicación en la cual aclararemos las diferencias entre un templo y un santuario japonés dicho esto pónganse cómodos que empezamos. - Seguramente, todos hemos visto alguna vez en fotos templos y santuarios que están por todo el archipiélago nipón y más de una vez nos hemos preguntado: ¿Cuáles son las diferencias entre ellos? - Primero la palabra santuario ¿Qué significa?: Es el lugar en el que los japoneses adoran a todos los kamis por lo cual cada uno tiene el suyo propio, también cabe destacar que puede ser una montaña un lago ect.. Cuando buscamos esta palabra en español, hace referencia a un templo,entonces ¿Cuáles son las principales diferencias? la principal sería que los santuarios sintoístas, disponen de una puerta principal llamada torii a diferencia de los templos budistas, que disponen de una pagoda. Ejemplos de templos budistas por ciudades Templo de Kiyomizu-dera (Kioto) Templo Kinkakuji (Kioto) Templo Senso-ji (Tokio) Templo de Hokokuji (Kamakura) Templo Todai-ji (Nara) Templo de Sanjusangendo (Kioto - Santuarios japoneses por ciudades: Santuario de Ise – Ciudad de Ise Santuario Meiji – Tokio Santuario Itsukushima – Miyajima Santuario Sumiyoshi Taisha – Osaka Santuario Hie Jinja – Tokio Santuario Izumo – Ciudad de Izumo - Para aclarar las dudas, entre un santuario y un templo: También hay que tener en cuenta los distintos nombres y otras de las cosas que caracterizan un templo son las siguientes : Komainu, Temizuya o chōzuya, Salas principales, Amuletos,Komainu, Temizuya el honden y el haiden. En próximos capítulos podemos hablar de cada uno de ellos, aparte de seguir realizando publicaciones de historia, arqueología, geografía entre otros temas de japón os deseo un cordial saludo. - Welcome to a new publication in which we will clarify the differences between a temple and a Japanese sanctuary. That being said, make yourself comfortable and let's get started. - Surely, we have all seen temples and sanctuaries that are all over the Japanese archipelago in photos and more than once we have asked ourselves: What are the differences between them? - First, the word sanctuary What does it mean?: It is the place where the Japanese worship all the kamis, so each one has their own, it is also worth noting that it can be a mountain, a lake, etc. When we look for this word in Spanish, it refers to a temple, so what are the main differences? The main one would be that Shinto shrines have a main door called torii. unlike Buddhist temples, which have a pagoda. Examples of Buddhist temples by city Kiyomizu-dera Temple (Kyoto) Kinkakuji Temple (Kyoto) Senso-ji Temple (Tokyo) Hokokuji Temple (Kamakura) Todai-ji Temple (Nara) Sanjusangendo Temple (Kyoto) Shitennoji Temple (Osaka) - Japanese shrines by cities: Ise Shrine – Ise City Meiji Shrine – Miyajima Sumiyoshi Taisha Shrine – Osaka Fushimi Inari Shrine – Kyoto Hie Jinja Shrine – Tokyo Izumo Shrine – Izumo City - To clarify doubts, between a sanctuary and a temple: We must also take into account the different names and other things that characterize a temple are the following: Komainu, Temizuya or chōzuya, Main rooms, Amulets, Komainu, Temizuya the honden and the haiden. In future chapters we can talk about each of them, apart from continuing to publish publications on history, archaeology, geography, among other topics about Japan, I wish you a cordial greeting. - 寺院と日本の聖域の違いを明確にする新しい出版物へようこそ。そうは言っても、安心して始めましょう。 - 確かに、私たちは皆、日本列島各地にある寺院や聖域を写真で見たことがあり、それらの違いは何だろうかと自問したことが一度や二度ではありません。 - まず、聖域という言葉はどういう意味ですか?: それは日本人がすべての神を崇拝する場所であり、それぞれに独自の神があり、それが山や湖などであることも注目に値します。この単語はスペイン語で寺院を指しますが、主な違いは何でしょうか? 主なものは、神社には鳥居と呼ばれる表扉があることです。 塔のある仏教寺院とは異なります。 都市別の仏教寺院の例 清水寺(京都) 金閣寺(京都) 浅草寺(東京) 報国寺(鎌倉) 東大寺(奈良) 三十三間堂(京都) 四天王寺(大阪) - 都市別の日本の神社: 伊勢神宮 – 伊勢市 明治神宮 – 東京 厳島神社 – 宮島 住吉大社 – 大阪 伏見稲荷大社 – 京都 日枝神社 – 東京 出雲大社 – 出雲市 - 聖域と寺院の間の疑問を解消するには、次のような名前や寺院を特徴付けるその他のものについても考慮する必要があります: 狛犬、手水舎または手水舎、主室、お守り、狛犬、本殿と拝殿。 今後の章では、歴史、考古学、地理、その他日本に関するトピックに関する出版物の発行を続けることに加えて、それぞれのテーマについてお話します。心からご挨拶を申し上げます。
#清水寺#京都#金閣寺#伊勢神宮#伊勢市#日枝神社#東京#出雲神社#出雲市#寺院#神社#日本#歴史#ユネスコ#Kiyomizuderatemple#Kyoto#KinkakujiTemple#IseShrine#IseCity#HiJinjaShrine#Tokyo#IzumoShrine#IzumoCity#temple#Shrine#japan#history#unesco
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21024.05.18(土曜日)
大塩八幡宮(おおしおはちまんぐう、福井県越前市)
入母屋造杮葺拝殿が有名(杮(こけら)は「木片」を意味しているとのこと。世界でも類を見ない日本独特の技術、国指定重要文化財)
平安時代末期の武将 木曽義仲が陣を構えた場所。
御朱印は通常のものの他に、木曽義仲と巴御前が同じ馬に乗っている絵と藤の傍で筆を持つ紫式部が描かれている絵の3種類がある。
拝観料は取られない。
「木曽義仲本陣跡伝承の地」の標識の先に大塩山への遊歩道が続き山頂には、義仲が築いた「大塩城址」があるという。
拝殿は一見の価値がある神社です。
さて先月買った白龍の「米てきてき」を飲み終えたので、5月のお酒は鯖江にある加藤吉平商店さんまで出向き、酒造好適米 五百万石によるに日本酒「梵(BORN) 無濾過 純米大吟醸」 と梵の猪口を購入。
「ふくい酒蔵ある記」にラベル貼ってもらい黄金色のとっくり印を押してもらう。
HPによると「キリっと透明感のある果物のような素晴らしい香りと、(中略)深くてなめらかな味が抜群」とある。
飲みやすいお酒で、一口飲んで気に入りました。
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無題
社命を帯びて米国へ出張していた。新婚旅行と合わせて今年2回目の渡米。クソ円安のこの折に。500mlの水が500円とかそんな世界。俺の支払ったピン札のドル紙幣はどこへどう経巡っていくのだろう、パレスチナの支援に使われるかもしれない、ハマスの兵士を殺すかもしれない。会社の金で300$くらいするステーキを食った。食ってやった。お土産にビール1ダース買った。帰りの飛行機のチェックインで測ったスーツケースの重さが22.8kgだった。あと200gで追加料金60$取られるところだった。数字の話ばかり。
*
出国した日は都心における11月の最高気温を100年ぶりに更新した日だったらしい。帰国の日は今季一番の冷え込みだったらしい。自律神経が死ぬ。荷解きのついでに衣替えをした。
*
適応障害なんじゃないか、と彼女にいわれた。毎朝コンビニで菓子パンひとつ買って出勤するんだけど、職場へ着くと食欲なくなる。酒量は変わらない。空腹の反対は満腹ではなくて吐気なんだと思う。電車で鞄から本を取り出す時に、俺が何かナイフや銃といった凶器を取り出すんじゃないか、と周りに思われているんじゃないか、と思う。
*
本屋の前のベンチに座って、人待ちに本読んでいたら、2人がけの狭い隣の席に小学生くらいの肥った子どもが座って、買ったばかりのマンガを読みはじめた。自他境界の弱いクソガキめ、と思って、俺は俺の自意識を強く意識した。
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はじめて大麻を吸ったときのレポ
―――小学校からの幼馴染である“しのはる a.k.a. BUDDHA ON SHROOM”(以下“しのはる”)が、当時留学していたカリフォルニアから日本にいる僕に電話をかけてきては、大麻の使用の煽り・唆しをしてきていた。
彼の話を聞いているうちに、僕は大麻を吸ってみたくて仕方がなくなっていたので、大麻の使用を目的として、しのはるが住んでいるカリフォルニアの家に居候しに行くことにした。
そうして日本を離れ、しのはるの家に到着するなり、しのはるは「初めての人は吸い方が悪いのか、効いてるかわからないって人が多いから、肺に死ぬほど煙を溜め込むイメージで吸って、少し息を止めてから吐くといいよ」などと僕に忠告をすると、「景気づけにいっちゃってください」とか言いながら、早速ジョイントを渡してきた。
僕は少し不安を抱えながらも、不慣れな手つきでジョイントの先に火をつけ、忠告通りに大量の煙を肺に溜め込んでみたのだが、急に肺に苦しさを覚えたために、息を止める間もなく強烈に咳き込んでしまった。
咳き込みすぎてもはや吐きそうになりながら過呼吸的な浅い呼吸を繰り返している僕を見ながら、しのはるはニヤニヤと可笑しそうに「うわー吸ったねーこれ絶対ハイになるやつじゃん」などと言いながら、残りのジョイントをゆっくりと吸っていた。
5分ほど経ってようやく肺が楽になってきた頃、僕は座禅を組みながら、大麻の効果が効いてくるのを神妙に待っていたのだが、さらに15分ほど経過してもとくに変化がなかったので、「全然効いてる感じしないなー」などと言って残念がっていた。
しかし、気づくとなぜか上半身が右に傾いていたのだ。僕は上半身が倒れそうになったところでハッとして姿勢を直したのが、それでもまた徐々に上半身が右に傾いてしまっていた。僕のその様子を見ていたしのはるは、「時計の秒針みたい」などと何の気なく僕を茶化してきていたのだが、僕はその言葉を受けると、まるで暗示にかかってしまったように、1秒ごとに1秒分の角度で小刻みに上半身が右に傾いていってしまった。
僕は秒針になるのをやめるために立ち上がってみたのだが、今度は沼地に立っているかのように足がカーペットに沈んでいく感じがしてきた。その感覚はとても愉快で、僕は幼児のようにはしゃぎながら左右交互に足踏みをしていたのだが、次第に足踏みをするのを止められなくなってしまい、しかもその途中で、“ただのカーペットの上で成人男性が足踏みをしてはしゃいでいる”という状況の可笑しさに気づいてしまったので、止められない足踏みをしながら腹を抱えて笑っていた。
すると、壊れたおもちゃのようになってしまった僕を見ていたしのはるも、まるで伝染したかのように笑い転げ出したので、それにつられて僕もさらに笑いが止まらなくなった。何が面白くて笑っているのか、もはや途中で忘れてしまっていたのだが、なにが面白くて笑っているのか分からないのに笑っていることがもはや可笑しくて、ヒステリックに笑い狂っていた。
そうして大麻のハイの愉快さを知ると、僕は毎日のように大麻を喫煙したくなり、2週間ほど滞在していたカリフォルニアでは、ほぼ毎日大麻を喫煙する生活を送っていた。
―――しかし帰国してから2年間ほどは、大麻とは無縁の生活を送っていた。旅行に行った時などには大麻を吸いたくなることもあったが、わざわざ日本でリスクを犯してまで吸おうとは思わなかったし、当時は周囲の交友関係の中に大麻を嗜む人がいなかったのもあって、大麻のない生活に特に支障を感じていなかった。
そんな中、しのはるが日本に帰ってきた。しのはるは、「間違えてポッケにTHCグミを入れたまま飛行機に乗ってたみたいで、図らずも密輸入しちゃった」などというメッセージと共に、トリッピーなデザインをしているグミの写真を送ってきて、その数時間後には、「もう食べちゃったんだけど、日本でハイになるの色んな意味でおもしろいわ」などと羨ましくなることを言ってきた。
しのはるのせいで大麻を吸いたくてうずうずしていると、��日後にしのはるから電話がかかってきて、「あのグミはもう食べちゃったんだけど、weed調達できたから、今日一緒に吸わない?」などと誘ってくれたのだが、僕はそのありがたさはさておいて、ツテがなくても日本で大麻を入手できることと、彼がひとりでに行動に移していたことに仰天した。
当時はまだ珍しかったのだが、Twitterで「都内 大麻 手押し」などと検索をして出てきたプッシャーとDMでコンタクトを取って、新宿駅の構内で落ち合って引いてきたらしい。
僕は意図的に法の外に出る経験は実質初めてだったので、少し不安に思ってもいたのだが、再び大麻の感覚を味わえることを想うと、多少のリスクを冒してでも大麻を吸いたいと思ったし、日本で吸ったらどういう感覚や気持ちになるか興味があったので、ありがたくいただくことにした。
そうして、僕は少し緊張しながらも集合先の公園で待っていると、しのはるはニヤついた顔でやってきて、早速ポケットからパケに入った大麻を取り出しては、「こちらが乾燥大麻らしき植物片です」などと言いながら、なんの悪びれもなく大麻を僕に見せつけてきた。
日本で大麻を見ること自体もそうだが、しのはるが違法行為である“大麻所持”をしていることの非日常性というか異常性が可笑しくて、僕はなんだか精神が昂った。
それから早速、その大麻で作ったジョイントを一緒にまわしたのだが、2年ぶりということもあってか、「本当にこれは大麻なのか?」と勘繰るほどにサイケデリックなト��方をした。
あとでその時の僕の様子をしのはるに聞いたら、ついに頭がバグってしまったんじゃないかと不安になったくらいには、様子がおかしかったらしい。
実際、せっかくだから日本ならではの食事をしようということでくら寿司に行ったのだが、なぜか店内でインド風のBGMが流れていて、僕はその要因だけでインドのくら寿司にいると思っていたし、普段は割と苦手なとろサーモンを口に入れたら、脳細胞の多くが死滅したのではないかと思うほどに、2分くらい「美味い」ということしか考えられなくなっていて、店を後にする頃には、美味すぎたことによって心身ともに疲弊しきっていた。
アメリカでハイになるのとはちがって、馴染みのある環境でハイになると、“シラフのときとハイのときとでは感覚や情報の捉え方が違う”ということがよりハッキリと分かったし、法律で禁止されている日本でハイになるというのは、背徳感がスパイスされた解放感があった。
それから、僕は大学を卒業して東映株式会社に入社し、寮生活の元に社会人として初めての労働を行っていた。ただ、ゆっくりと大麻を嗜む生活とは無縁だったために、(寮でこっそり吸っていたこともあったけど)苦しくなってしまい、あっさりと会社を辞めて、もう少しゆるい会社に転職した。
時間に余裕を持てるようになると、僕としのはるは頻繁に大麻を吸って遊ぶようになり、僕は一人でも大麻を引きに行くようになった。そうして、しのはるとプッシャーの情報を共有し合ったり、一緒に引きに行ったりする中で、僕らにはお気に入りのプッシャー��できた。
そのプッシャーはLSDなるものも持っていて、LSDのことを「大麻の8倍くらい凄いヤツ」とかいうテキトーな説明をしていたのだが、僕らはそれを聞いて、俄然やってみたくなっていた。
・
つづく(この物語は雑誌「さいばーひっぴー」の「さいばーひっぴーができるまで」に載っている内容とほぼ同じものです)
・
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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実写版『聖闘士星矢THE BEGINNING』の主人公、実写版『ONE PIECE』のZORO役で国際的な人気俳優となった #新田真剣佑 と #田中泯 が主演する、日本の隠れた政財界の黒幕“フクロウ”を描いたシリアス連続ドラマ #フクロウと呼ばれた男 https://x.com/takigawa_w/status/1790397107632996456?s=46&t=8Vf8aUwk_B-ZbQ5UAGv05w フクロウは真夜中であっても、いつでも見える目ですべてを見ている。 70歳のカリスマ・大神龍太郎 (田中泯) には4人の子どもがいる。 長男の一郎 (#安藤政信) は頼りなく、妻とも不仲で、銀座のホステスを愛人にしていた。父の影響から脱するため、父から資金を借りずに新しい高級レストランを計画していた。 しっかり者の長女・由美子 (#長谷川京子) は、イケメン商社マンの夫との間に二人の子どもをもうけ、一見幸せそうに見えたが、夫は由美子に隠れて (メジャーリーグの有名選手の通訳とは別の) 裏取引をしていた。 父親とうまくいかない次男・龍(新田真剣佑) は、アメリカ留学後、家族に連絡せずに小さなNPO法人で働くために帰国。ある日、龍は公園でジョギング中に美しいアメリカ人女性と出会い、携帯電話が道に落ちて壊れてしまう。龍は弁償すると約束し、女性の連絡先を聞くと、女性は龍に「記者」と書かれた名刺を渡す。 シンガーソングライターを目指す末次女・理沙子 (#中田青渚) はすでに25歳だが、天性の歌声と作詞作曲の才能を持ち、メジャーデビューが期待されていた。理沙子は父・龍太郎に夢を語るが、龍太郎は理沙子が芸能界の闇に飲み込まれるのではないかと恐れる。 ある夜、次期首相候補・竹内 (#中村雅俊) の息子が酒席での喧嘩の末に殺される。息子には薬物疑惑もあった。犯人は捕まったが、刑務所で「自殺」してしまう。 全体的にクールなテイストでシリアスな展開。政治家のスキャンダル、一郎の愛人、由美子の夫の破滅的な取引、美人記者と付き合い始めた龍、夢に向かって突き進む理沙子など、それぞれの人生が生き生きと描かれる。 龍太郎の妻・京子を演じる #萬田久子 の抑えた演技が光る。 東京のクラブ (��ステスのいる方)のシーンを木村多江がホステス役で演じることで、よりリアルさが増している。 龍太郎が情報源として重視するホステス役の #木村多江 は、実際に東京のクラブで働いているかのような臨場感がある。 「フクロウと呼ばれた男」が他のドラマと違うのは、大げさな演技や大げさな音楽を使わずに、家族の葛藤を真剣に描いていることだ。 日本のドラマにありがちな大げさな音楽や大げさな演技、大げさな (意味不明の) ジョークもないし、日本でスキャンダルを起こした有名芸能事務所の男性タレントもいないし、下手な歌やダンスを披露する数十人の女性アイドルグループからの女性キャストもいない。 それだけに、フクロウのカリスマ・黒幕・大神龍太郎とその家族の生き方を冷静に観察できる。 本物のフクロウに天敵がいるように、「フクロウ」を狙う天敵も多く登場する。 これまでのエピソードを注意深く見てきた人なら、後半の一連の出来事にショックを受けるかもしれない。 シリーズのクライマックスは、衝撃的な出来事の連続で、次のシーズンが待ち遠しくなる。政治や金融の世界に巻き込まれた家族の複雑な生活を垣間見ることができるドラマを探している人は必見だ。 セカンドシーズンが待ち遠しい。 ■エグゼクティブ・プロデューサー&脚本:#デビッドシン(『#時をかける愛』) ■演出:#森義隆(『#宇宙兄弟』)、#石井裕也(『#船を編む』)、#松本優作(『#Winny』) #長塚京三 #益岡徹 #大友康平 #原田美枝子 #池田良
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あ��から35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。 私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知らないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん。天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃��た人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たち��なぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻していま��。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは、1914年の第一次世界大戦勃発の前夜、西洋勃興の中核は、プロテスタント世界の発展だと的確に見抜きました。プロテスタント世界とは、この場合、英国、米国、プロイセンによって統一されたドイツ、北欧諸国を指します。 フランスがラッキーだったのは、これらの先頭集団を走る国々に地理的に近かったから、くっ付いていけたところです。 プロテスタントの国々では、教育水準が人類史上類例のないほど高くなり、識字率もきわめて高くなりましたが、それは全信徒が聖書を一人で読めなければならないとされたからでした。 また、地獄落ちの不安があるゆえに、自分は神に選ばれているのだと実感したくなり、それが勤勉に労働する意欲につながり、個人も集団も強い道徳規範を持つようになりました。 もちろんプロテスタント文化には負の側面もあります。米国の黒人差別やドイツのユダヤ人差別など、最悪の人種差別はプロテスタント文化に端を発しています。プロテスタントの思想には、人を地獄落ちの者と神に選ばれた者に分けるところがあり、そのせいでカトリック式の人類みな平等の考え方が放棄されたのです。 近時はプロテスタント文化が崩れ、それによって知的水準が下がり、勤勉な労働意欲が消え、大衆が欲深さを露わにしています(この事象の正式名称はネオリベラリズムと言います)。その結果、西洋は発展せずに、没落に向かっているのです。
「ロシア衰退は幻想で西洋が崩壊に向かっている」 ソ連崩壊を予見した歴史学者が警告(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース
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