#国学の四大人
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#少彦名神社 すくなひこなじんじゃ
✡主祭神 少彦名命
✡ご利益 無病息災 病気平癒 技芸上達
十二支の彫刻が有名な少彦名神社は医薬の神少彦名を主神とし、神部神社の末社十四社の神様を合祀している
摂社とはいえ入母屋造で銅瓦葺の屋根を持つ立派な建物で、蟇股には立川流干支彫刻が施されており、12ある干支のうち10は建物の外側に施されてるが子と丑は建物内部に施されており見ることができない
元は神宮寺薬師社と称し、薬師如来と十二神将を安置していたが、明治時代初期に近隣にある臨済寺へ還して少彦名神社となり、古来医薬の神として薬業関係者や病気平癒を祈る人々が多く訪れている


#玉鉾神社 たまほこじんじゃ
✡主祭神 #国学の四大人
羽倉東麿 岡部真淵 本居宣長 平田篤胤
✡ご利益 学業成就 合格祈願
明治9年(1876)に静岡県内の神職が官許を得て創祀された最も新しい神社で、社殿は昭和51年(1976)に伊勢神宮の御古材で再建
祭神は国学の四大人といわれる羽倉東麿・岡部真渕・本居宣長・平田篤胤を御祭神として祀り、学問の神様として信仰を集め、3月29日の例大祭には短歌が献詠(けんえい)される

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京都の伏見は酒蔵の町
京都の伏見といえば、伏見稲荷大社が有名ですね。
その一方で、酒蔵の町としてもよく知られていたりします。

月桂冠に黄桜に、松本酒造に。有名な酒造メーカーが並んでいます。

↓のページが見やすいです。
去年の秋くらいに仕事で近くに行ったので、少しぶらぶらしてきました。
これは松本酒造。


桃の滴が有名なのですかね。

川沿いにあって、春になると菜の花も咲くようで、絵になる景色が見られるかもしれません。
大正時代からある酒造で、正面の佇まいからも歴史が感じられます。
見学もできるようですね。


ここから少し離れたところに、月桂冠大倉記念館やキザクラカッパカントリーなどもあります。

そのあたりも行ってきたので、次の記事でも写真を載せていきますね。
ここのブ��グは、1記事につき10枚までしか写真がアップできないので、記事をわけなければいけません。
さて、酒蔵の町・京都伏見は、日本三大酒どころの一つだそうです。
あと二つは、兵庫県の灘、広島県の西条です。
京都の観光地というと、やはり祇園・四条・清水エリアが人気ですが
京都伏見のこの辺りも、もっと観光客が増えてくるのでは?と、勝手に見込んでいます。
最近は、インバウンド観光客向けなのか、日本酒の飲み比べができるお店やお酒の美術館もできているほどですから。
京都四条の錦市場にも、日本酒の飲み比べができるお店があります。人気ですよ。
錦屋台村が人気ですね。
京都伏見の酒蔵の町には、あの寺田屋や十石舟、伏見桃山城もありますし、
もう少し人が入ってきてもいいのになぁと思いながら、散策しておりました。

春になったら人が増えるのかもしれませんね。
桜が咲く頃の十石舟の風景写真は、Instagramでもよく見かけます。
最近はInstagramでの宣伝効果もすごいみたいで
そこまで有名でなかったはずの長岡京市の光明寺や
同じ伏見区の城南宮などがおしゃれになって参拝者も増えたので驚いています。
城南宮は、昔から知ってたりしますが、
今までと違う参拝者が増えたように感じられますね。
Instagramの影響ですね、きっと。
インスタ映えを意識した写真をよく見かけます。
そういう演出もされているようです。
伏見稲荷は、外国人の参拝者ばかりです。⛩️のキーホルダーもよく売れてますし、狐の小物もあったような気がします。
あと、狐のお面があったような。
伏見稲荷の狐さんもPUMAのロゴみたいでかっこいいです!

で、伏見稲荷から酒蔵の町の伏見桃山あたりまでは、歩いて行ける距離ではありません。
電車で14分位ですね。歩くと結構遠いです。
行きたい場所によっては、伏見桃山駅よりも中書島駅のほうがいいかもしれませんね。
1つ隣の駅になりますので、もう少し時間がかかります。
京阪本線で移動するのがスムーズではないかと。
ただし問題があって、京阪本線は京都駅からは乗れないので
観光される方は、京都駅から地下鉄東西線で四条駅に出て
人気観光エリアの祇園・四条・清水あたりを観光されてから
徒歩圏内にある京阪本線の祇園四条駅か、三条駅から
伏見稲荷、伏見桃山駅方面へ向かわれると良いのかも。
途中、東福寺もあります。
もう少し便利な移動手段があれば、伏見桃山あたりももっと賑やかになるのかもなぁとか思ったりして。
思ってたよりもちょっと静かなんですよね。
素敵な街だからもったいないなぁ。
秋ぐらいに行ったからだろうか。
もう少し賑やかになってほしいですね。
長々とすいません。色々気になったので調べました。
ですから、こういうのも
前記事で書いたように
Googleのマイマップに
まとめたいわけなのです👓
#日本酒#にほんご#京都#歴史探偵#歴史#japan photos#kyoto#sake#japanese sake#伏見稲荷大社#fushimi inari taisha#景色#風景#ひとりごと#日記#観光スポット#観光#懐かしい#japanese#日本人#日常の記録#穴場#Instagram#gekkeikan#酒#大正時代#aph japan#考え事
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キムチの本当の起源は韓国ではなく中国だそうです。中国人留学生が言うには、「彼らが中国の文化を盗んだ」とのことです。なぜ日本ではキムチの起源の誤解が広まったのでしょうか? 皆様がご指摘のとおり、野菜を塩漬けにし、乳酸発酵させた食品は世界のどこにでもあります。だからどこが起源かなんて主張するのも馬鹿馬鹿しい話ではあるんですが、ご質問についてはもっと複雑な、そしてやっぱり馬鹿馬鹿しい話がございます。 中国の四川地方に、「泡菜」という漬物があります。 腌制四川泡菜有诀窍,掌握这几点,酸脆不生花,放一年都不会坏!_哔哩哔哩_bilibili さまざまな野菜を塩漬けにし、軽く乳酸発酵させるいわば「四川浅漬け」です。もちろん、中国各地に浅漬け的な野菜の食べ方はあったんですが、この四川式の「泡菜」が中国全土に広まったことで、中国では野菜の漬物を一般的に「泡菜」と呼ぶようになりました。 この「泡菜」は日本語でいう「漬物」みたいな意味ですから、外国の漬物についても「泡菜」と表現することになります。だいぶ昔の日本では、朝鮮半島の漬物を「朝鮮漬」などと呼んでいましたが、それと同じように、韓国のキムチは中国で「韓国泡菜」と呼ばれるようになったのです。 一方、韓国語で「김치」というと、本来は漬物全般をさす一般名詞です。四川泡菜は韓国の水キムチにソックリですから、最初は「中国にも김치がある」「중국김치(中国キムチ)だ」みたいな紹介があったかもしれません。あるいは、中国産キムチが大量に輸入されていることからすると、中国産キムチを「중국김치」と呼んでいたり。 さて、こういう状況で、ある韓国人がこう主張するとしましょう。 「韓国泡菜は、韓国起源の食品だ。」 「韓国泡菜」、つまり大半が「배추김치」(ペチュギムチ、白菜キムチ)であるところの、唐辛子で真っ赤なあの漬物は、朝鮮半島ルーツでしょう。その意味で、この言葉は間違っていない。 でも、残念なことに、日本同様、まともに母語が読めない中国人もたくさんいます。 「韓国人が、泡菜を自国起源だと主張しているぞ!」 と、沸き上がっちゃったわけですね。 しかも、「泡菜」「김치」のどちらも、たんに「漬物」を意味する一般名詞です。これが、コミュニケーション不全を大いに盛り上げる要素となりました。 たとえば、「この漬物は、日本起源です」という文章を、韓国語と中国語に翻訳してみましょう。 이 김치 일본 원산지입니다. 这种泡菜起源于日本。 太字の部分、わかりますか?韓国語では「김치」(キムチ)、中国語では「泡菜」になっていますね?これを中国韓国の人がそのまま読むと、「キムチは日本起源です」「泡菜は日本起源です」となり、泡菜キムチ戦争に日本が参戦を宣言する意味になります。 つまり、たとえば中国人が 泡菜は中国の食品だ! と主張したとしても、それを韓国語に翻訳すると、 キムチは中国の食品だ! になっちゃうわけです。もちろん、逆���然り。 要するに、「韓国泡菜」であるところの「김치」は韓国の食品で、四川由来の「泡菜」は中国の食品である、というだけのことで、それは誰も否定しないことなのに、読解力の乏しい中国人と韓国人が燃え上がってしまったという話だったのでした。 誤読は拡大し、中国人からは「김치は中国起源」、韓国人からは「四川泡菜は韓国起源」などと互いに常軌を逸した主張まで見られるようになります。さらに憎悪は尾を引き、韓国において、中国人向けに「김치」を「泡菜」と表記しただけで炎上、発売元の二社は同商品の発売を中止する事態にまで至りました[1]。さらに、日本からもやはり母語が不自由な差別主義者が参戦、それぞれが好き勝手なことを言って相手を侮蔑しています。差別を批判すれば、「差別って言う奴が差別主義者」といういつものアレ。 母語で「漬物」って言うだけで何してるんでしょう! 外国や異文化に対する憎悪を燃やす前に、まずは自分の読解力と論理的思考能力を省みよう、というお話でした。 ちょっと待て その憎しみは 誤読かも
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安藤 笑は、日本の女性アイドル、モデル。 愛知県豊田市出身。アクアルナ・エンターテイメント所属。Ange☆Reveのメンバー。キャレス ボーカル&ダンススクール名古屋校出身。NEXT GENERATION、PENTY'Sモデル、CUTE×BEAT、Star☆T、愛乙女☆DOLL、Jewel☆Cielの元メンバー。 ウィキペディア
生まれ: 1995年8月7日 (年齢 29歳), 愛知県
身長: 164 cm
事務所: アクアルナ・エンターテイメント
所属グループ: Ange☆Reve
現年齢: 29歳
血液型: O型
愛知県豊田市出身。アクアルナ・エンターテイメント所属。Ange☆Reveのメンバー。キャレス ボーカル&ダンススクール名古屋校出身。NEXT GENERATION、PENTY'Sモデル、CUTE×BEAT、Star☆T、愛乙女☆DOLL、Jewel☆Cielの元メンバー。血液型O型、愛知教育大学教育学部卒業。韓国ハーフ。
幼稚園教諭二種、小学校教諭一種、中学校教諭一種免許を持っている
座右の銘は「心構えこそが全て」
得意なスポーツはダーツ、ビリヤード
趣味はギター、カフェ巡り
特技は弟の耳掃除
水着撮影会でドアラをオマージュしたコスチュームで登場するほどの中日ドラゴンズファン。
好きな色は白
好きな動物は犬 (実家では愛犬「キャンディ」を飼っている)
好きな漬物はたくあんと柴漬け
好きな本は推理小説とファッション雑誌
好きなお笑い芸人はぺこぱ、チョコプラ、四千頭身、パンサー
好きな芸能人はaiko、少女時代、SHINee、安室奈美恵、佐々木希、三浦春馬
カラオケ十八番はaiko『二人』
合言葉は、エモーレ、スイーツ部活動中
Star☆T、愛乙女☆DOLL時代での担当カラーは紫。自身にとっても紫は愛着のある色である
弟が3人いる
捨てられない物はパジャマ
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戦闘服の男たちNo.0
現職自衛官の告白体験手記
「遠くで突撃喇叭が」
原題「遠くでラッパが」
作 島 守

新隊員の便所はノリだらけ
朝五時、起床まであと一時間である。いやあ、変な夢を見たるんだなと思って、ギンギンになっているセガレに手をのばすと、ああ、やっちゃった。まったくしょうのない奴だぜ、昨日センズリかいたばっかりだろうが!
畜生!今起きると、となりのベッドの奴が目をさましてカッコ悪いし、しょうがネーな、起床で戦闘服に着替える時にでも一緒に履きかえるか。
それにしても新隊員は外出が制限されてるせいで、夜なんかとても遊びに行けないし、極度に欲求不満の日々が読いている。
雄臭い野郎を見るだけならここは本当にいい所だけれど、それ以上のことはちと不可能。けっきょく、夜、誰もいないトイレにはいってシコシコ激しくセンズリをカクしかないのだ。風呂で見たガッチリしたオアニイさんや、カワユイ隊員たちがチラチラ浮かんできたりする。
でも終わってみると、やっぱりむなしいな。なんか小便とたいしてかわりないみたいで。それでもけっこうさかんなようすで、この間も班長から、
「新隊員の便所はノリだらけでたまらん!」
なんて怒られてしまった。マア、ノリは冗談としても、エロマンガのちぎれたのや、ビニ本なんかが時々モロ、トイレにおきっぱなしになってたりする。金があれば普通の隊員はトルコにでも行くんだろうけど、そこはまだペイペイの新隊員、月給は少ないし、貯金はしろとうるさいし、とてもとても…
それでも、あけっぴろげな男だけの世界。
「これからセンズリ行くゾー」
と、エロ本片手に走って行く奴もいる。
そんでもって自分もけっきょくその日のタ方、バラしてしまうのだった。
「昨日の夜、爆発しちまったでェー」
「いやー、エッチだなあ。勝見二士がいないからじゃないのォー」
前期の教育隊から一緒に来た北村二士にいうと、思わぬ返事が返ってきた。まいったなあ。
「このヤロォー、勝見と俺はそんなに深い仲でネェゾ!」
「エへへへ、でも勝見二士は、島二士のダッチワイフだったんじゃないのォー」
まったく北村の野郎、口のへらない奴だ。
まっ、べつに勝見二土はダッチワイフだなんての��冗談だからいいけど、でも俺は、やっぱりドッキン!そう、あいつはいい奴だったもんな。この俺に、男と男が精神的に強く結ばれることがどんなに素晴らしいことか数えてくれたから・・・•・・ネ。
それは3ヶ月前
桜のつぼみがまだ硬い三月の下旬、俺は陸上自衛隊のある駐屯地に入隊した。出身県の関係で他の県の出身者より四日ほど遅い入隊だった。勝見二士とはこの時に初めて出会ったのである。
〈三月某日〉
なかなかできてる奴
今日から俺の自衛隊員としての生活が始まる。まわりの環境は、想像していたのとそれほど変りはない。でも一部屋四十人というのは多すぎるようだ。
それから自衛隊ではバディという仕組があって、二段ベッドの上下でペアを組み、訓練面や私生活でいくそうだ。
俺のバディは勝見次郎。ガタイが良くてイモの煮っ転がしみたいな顔をした奴だが、なかなか性格はよさそうだ。
この時はまだバディの重要さなんか知るよしもなかった。
勝見二士は俺より年下だが、四日も早く入していただけあってちょっと先輩気取りで、ベッドのとり方から戦闘服のネームの縫い物まで俺に協力してやってくれた。早くもリードされっぱなし。それでもけっして悪い顔をしないで黙々と手伝ってくれる彼を見て、
「なかなかできてる奴だワイ」
と内心思ったものである。
<四月某日>
ビニ本でぬいて来い
入隊式も終わり、訓練も徐々に本格的になってきた。銃こそまだ持たされていないが、戦闘服を着て半長靴をはいて走り回るさまは、一人前の兵隊さん・・・・・なんちゃって。
そんな時、体育の時間に勝見の野郎がすっころんでけがをした。運動神経いいくせにまったくそそっかしい奴だ。おかげでその晩、俺がヨーチン片手に手当てしてやる。
両足おさえつけて、ヨーチンをぬるさまはSの気分。ムフフフと不敵に笑って、「グチェッ!」とぬってやる。勝見の奴たまりかねて、「ギャアー!」
苦痛にゆがんだ顔って、ちょっとエロチックやなアー。
四月にはいっても外出は下旬にならないとできない。新隊員とはつらいもんである。ああ、自衛隊には自由なんてない!これでは縛られるのが好きなMじゃなきゃ向かないんじゃないだろうか。そんなわけで貴重な休みも隊舎のベッドでゴロゴロ、これじゃ夜寝られるワケがない。
消燈もとっくに過ぎた十二時半、なんとなく昼間寝すぎたので寝つけない。緑色の毛布の中でごそっと寝返りを打つと、上のベッドでもごそっと寝返りを打ったようだ。安物のベッドがグラッとくる。これじゃセンズリかいてようもんなら、片っぽのベッドの奴は地震かと思って起きちまうだろうななんて思ってると、
「オイ、島さん寝たかい?」
と、勝見が小さな声で話しかけてきた。
「なーんか、こうムラムラして寝られネェんだョオ」
と俺。すると、
「島さん、最近やってないんでしょ、アレを」
「まっ、まあな」
と、二人はムクッとベッドから起き上がて話を始めた。まったく目がさえてしかたいない。すると、その時へやの戸があいて、だれかがはいってきた。なんと班付(つまり上官)の上田士長である。よーく見ると、片手にビニ本を持っている。
「お前ら、まだ起きとるんか」
「エエ、寝られないんですヨ」
と勝見二士。すると上田士長、恥ずかし気もなく片手でもってるビニ本二冊を差し出すと、
「これでちょっとぬいてこい、そうすればバッチリ寝られるゾ。俺も抜いて来た」
思わず俺と見、顔を見合わせてニヤリ、もちろん俺はあんまりビニ本には興味はないが、そこはノンケの顔をしていなければならないのがツライところ。
ともかく、俺と勝見の二人はビニ本片手に仲よくトイレに直行。そこで二人は同じ個室に••••••てなわけにはいかなくって別々の目室に。ハイ、でも、ガマン!
「オッ、スケニ本だぜ、もうビンピンだァ」
「タマンネニナー。でもあんまりおっきな声だすなァ、不寝番がびっくりして飛んでくるゾォー」
なんてことを話しながら、お互いに実況中継をし合う。洋式トイレなのですわってカケるのでらくなのだ。となりの個室からのすっとんきょうな声がとだえた。奴も本気になってきたようだ。こっちがたまんなくなるようなあえぎ声が聞こえてくる。思わず俺の手の動きも早くなる……。
すると、突然奴の声、
「ウッ!ウッーウ」
畜生、俺より早く終わりやがったな。
奴の家は海辺の町で漁師をやっている。中学、高校と、よくアルバイトを兼ねて家の手伝いをしたそうだ。そのためか潮で鍛えられた体は浅黒く、区隊で誰にもまけないくらいの逞しさを持っている。そんな奴から海の話を聞くのが俺も好きで、いろいろと聞いたものだった。サザエの採り方なんか、実に詳しく話をしてくれたもんだった。
<5月某日>
好きになったのかな?
知らないというのは恐ろしい。いつものように勝見二土から海の話を聞いていた俺は、なにげなく聞いてしまった。
「じゃ、なんで家の仕事を継がなかったんだい?」
「親父が許してくれなかったんだよ」
「どーして?」
「・・・・・・兄貴が海で死んだからさ••・・生きてれば二十七歳さ。よく晴れてベタなぎの海にもぐったきり、サザエ採りにネ、兄貴、上がってこなかった」
淡々と話し続ける奴は、やっぱりいつもと違っていた。
「やっぱり親は親なんだな。二人も海で死なせたくはないんだろうな。いくら俺がねばってもだめだった。今の俺なんて、丘に上がったカッパさ・・・・・・・」
と、彼は言う。いやいや、丘に上がったカッパなんてとんでもない。奴の体力は区隊のトップをいつも争っている。俺だって気力じや負けないつもりだが、やっぱり体力検定だとかではっきり数字に出されると、どうも一歩も二歩もゆずってしまう。
「漁仲間の人から最近よく言われるんだ、兄貴に似てるって」
彼はこう最後に明るく付け加えた。なんか、この話を聞いているうちに、自分が奴に引かれていることに気がついてきた。なんとなく奴のことを、俺は他の班員とは違う目で見ているということに・・・・・・。
俺、奴のこと好きになったのかな?
まだ五月の下旬だというのに、真夏のような暑さが続く。そんな太陽の下での戦闘訓練は、まだ自衛官として一人前の体力を持ち合わせてない俺たちには、とてもキツイ。
たかが4.3kgの小銃が自分の体じゅうの汗を吸いまくる。気がつくと小銃から滴がしたたるほどに汗でぬれている。
地面だってこんな間近に見つめることなんてあったろうか。地にふせた俺の目の前にあるのは、青々とした草が高々と繁っている姿と、小さな虫たちの世界だった。
一瞬、自分が虫けらになったような気がする。ふと隣を見ると、3メートルほど離れて奴がこっちを見てニヤリとした。埃にまみれた顔から白い歯がチラリとのぞく。ほんの数秒の間の静けさが何時間にも感じる。

すると突然、頭上で班長の大声が響く!
「目標、前方の敵!」
「突撃!前へ!」
銃をかまえると全力で走りだす。核の時代にこんなことが役に立つのだろうか、もうバカになるしかないな。班長の号令が頭の中を素通りして直��手足に伝ってゆく。俺も奴も、そして愛すべき仲間たちも、死ぬ時はみんな一緒・・・・・なんだろうな。
<六月某日>
レイプごっこ
3ヶ月の前期教育も大詰めをむかえてきた。今月の末には、俺も奴もバラバラになって全国の部隊のどこかの駐屯地に配属されることになるだろう。なんか、そう思うと、とてもせつない。でも、俺と奴は違う道をたどらなければならない。希望も適性も違うから。だからあと数週間、思いっきり悔いのないようにガンバッテいく。それが今の俺たちには一番なの
だ。
営内近は1班12名前後いる。学校の教室の約2倍ほどの大きさの部屋に、実に40人の隊員が詰め込まれ、2段ベッドで毎日の訓練生活を送っている。もちろん性格もさまざまであるが、そんな隊員たちが40人も一つの部屋にいる姿は、なんとも壮観で異様でもある。しかも全員、スポーツ刈りか坊頭で、体格もこの六月ごろになると個人差こそあれ、すっかり逞しくなってくる。
その中にはやっぱり俺以外にも、男が好きな奴がいるらしい。時々どっかからか、〇〇二土と二士が二人でトイレにはいって行くのを見たなんて話を耳にすることがある。
うまいことやってるなあなんて思うけど、やっぱり毎日寝起きしている仲間の前ではなかなか、そんなことできるワケがない。それでもよく俺たち二人は皆の前で冗談を飛ばし合う。
「オッ、いいケツしてんなあー、たまんねえぜ!」
「バーカ、今夜はもう予約ズミダヨ」
「ベッドあんまりゆらしてこわすなヨ。下で俺が寝られネェからヨ」
「じゃペーパー貸してやっから、センズリでもかいてきな!」
なんてやり合ってると、周りの仲間も悪乗りしてきて、なにがなんだかわからないうちにレイプごっこ(つまり解剖というやつ)が始まったりする。どんなバカ力の持ち主でも二十人ぐらいにせめられたんじゃ手も足もでない。アッというまにスッポンポン。一回やられるとくせになるみたいで、次の獲物をさかす。でも気がつくと、一番必死でやってるのは俺みたい。
<六月中旬某日>
こみ上げてくるような話
今日から前期教育で最初で最後の野営(泊まりがけの野外訓練)が始まった。
午前中に寝泊まりするテントを設営する。
午後からは小銃手用の掩体(一種の個人用の隠れ穴…ここに隠れて首と銃だけ出して、敵を狙う)を掘った。
1グループ6人で3時間ほどで仕上げなければいけない。
もっぱら俺は現場監督のように地面に穴を掘る設計図を引く。そして奴は、パワーショベルのようなバカカで他の仲間四人とともに穴を掘る。もちろんきっかり時間内に仕上がった。
野営で俺たちが使うテントは、二人用の小さなもので、朝起きてみると足が外に出ていた、なんてことがしょっちゅうある。もちろん奴、勝見二士と一緒である。
一日めの夜は夜間訓練もあり、ビールも一本入ったので、二人はろくに話しもしないで寝てしまった。
二日の夜、目が冴えて眠れない。久しぶりに奴と俺はいろんな話しをした。酔うと滑舌になる勝見。入隊する前の事や、これからのこと、もちろん女の話しだって出てくる。俺は当然聞き手に回るわけだが、それでも奴は初体験の話や、彼女にふられてしまったことを、こっちが感心するほど克明に話してくれた。
なんかこみ上げてくるようなものも感じるけれど、それは明日の厳しい訓練にとかして流してしまおう。
三日めは、昼間の行軍が災いして床についたら、またまた、あっという間に寝てしまった。それでも就寝前、点呼に来る班長が、
「お前ら、あんまりいちゃつくなよ!」
「いやーあ��昨日なんて島さんが寝かしてくれないんスよ。まいったなあ」
なーんて冗談も飛ばしてくれて、言葉の中だけど、楽しませてくれた。
<前期教育終了7日前>
愛すべきパワーショベル
今日は最後の体育だ。項目はなんと苦手の障害走。外見に似合わず(?)体力のちと足りない俺には恐怖の時間である。だが、今回はなんと二人でペアになってやれというのである。当然勝見二土と組むことになる。よし、やるぞ!
隊長の合図でスタートし、戦闘服姿で障害物を切りぬけていく。高さニメートルの垂直の壁あり、幅一・五メートルの溝あり、まったくとんでもないコースだ。やっぱり勝見の奴は早い。確実に障害をこなしてゆく。時々日に焼けた顔でこっちをふり向く。そうだ、奴がいるから今俺は、三カ月間ここまできたんだ、汗と埃は今、大きなエネルギーと変わって俺たちに吸い込まれてゆく。奴が好きだ、そう、心の中で叫んでやる、
「好きだ」と。
ふと気がつくと、目の前にロープが下がっていた。最後の難関のロープ登りである。畜生!俺が最も苦手とするやつだ。それでも登らなければならない。一段階一段階と手足を使って登るのだが、なかなか上へ進まない。
畜生!もうだめだ、あと五十センチでロープのフックに手が届くに・・。すると、そ畜生!もうだめだ、あと五十センチでロープのフックに手が届くのに…。
すると、その時である。足をなにか、すごい力で下からさ押れた。グーッと上に上がる。フ、フックに手が届いた。やったあ!思わず下を見る。そう、俺の足の下には勝見のこぶしがあった。奴は満身の力で、俺を下から押し上げてくれたのである。
この野郎!お前はやっぱりパワーショベルなんだなあ。
<前期教育終了6日前>
自衛隊部隊はラッパの音と共に、毎朝8時に国旗掲揚、夕方5時に国旗降納がある。
俺の前に整列している奴の後ろ姿の敬礼を見るのもあと数回しかない。教育終了後に別の部隊に進む事に決まったからだ。
日に焼けたうなじを目に対み込んでおこうと思う。毎日、一緒に行く食事も別れが近いせいか会話が少なくなったような気がする。
そろそろ身辺の整理を始める。ダンボールに荷物をつめる時、背中に後ろで見ている奴の視線がやけに気になる。
<前期教育終了4日前>
パンツの隙間から半立ちのものが…
教育打ち上げの研修旅行で、ある山奥の温泉に行った。
やはり百名近い短髪の青年集団というのは一般の人々に奇異に見えるようで、必ず「お仕事は何ですか」なんて聞かれる。もちろん醜態をさらす飲み会に制服なんて着ていくワケがないから、わからないのは無理もない。
「皆さんお若いですネ。今年入社したのですか?」
「ハアー、そうです」
「いい体している人ばかりですけど、どんな仕事ですか」
「まあー(モゴモゴモゴ)」
「ガードマンかなんかですか?」
「似たようなもんですネ」
と、けっこうおもしろがって遠回しに話をするんだけど、後ろから当然、
「島二土!」
なんて階級で呼ばれるもんだから、わけ知りの人にはバレちゃう。そしてその夜ー。
バカ騒ぎのうちに飲み会も終わり、各班ごとにひっそりと部屋に集まって二次会が始まる。ビールの本数が増えるに従って、歌が出る。かわるがわる歌う員の歌声をバックにして、俺も奴も仲間たちも、この三カ月間の訓練をいろいろ思い出していた。苦しかったことしか浮かんでこない。
でも、俺たちはその中で同期愛ということを学んだ。
いつのまにかみんな寝てしまっていた。もう外は白みかかっている。
突然、俺の寝ている毛布に奴が割り込んできた。肌がふれ合う。奴の匂いがする。すぐいびきかく。でも、なんとなく手が出せない。チラリと下を見る。パンツのすき間から、奴の半立ちしたものが見える。そういえば、いつか俺も言われたっけなあ。
「島さん、立ったチンポぐらいしまって寝てろよナ。思わずさわりたくなるだろが!」
奴が不寝番をやっていた時見られてしまったようだ。まったく助���な奴だと思った。でも俺のほうが助平だったりして。
「俺、眠ってる時って何されてもわかんねえんだよなあ」
と奴がカマをかけてくる。
「バーカ、もうやっちゃったヨ。でも1万円のダッチワイフのほうが気持ちよかったぜ」
と俺。してやられたというような奴の顔。
そんなこと思い出しながらいいチャンスの中、俺も寝てしまった。
<前期教育終了日>
再会をめざして頑張ろう
とうとう、今日という日が来てしまった。
俺も奴も違う部隊へ行ってしまう。場所も離れているので、顔も見られなくなるかもしれない。両手で握手をして別れた。
遠くでいラッパが鳴っている。戻は出なかったが、心で泣いてしまった。ありがとう、リスの目をしたパワーショベル、勝見次郎よ。日に洗けて埃にまみれながら走り続けた道を、ふり返りながら前を行く。奴だから、今日まで.....。
そして今…
新隊員後期教育が始まって1ヶ月半。前期教育から一緒に教育を受けている北村二士が手紙を見せてくれた。勝見二士と同じ部隊に行った高田二士からだった。
<あ、そうそう、この間の手紙に島さんが夢精したって書いてあったネ。あの文、勝見二士に見せたら、「まいったなあー」って口ではいってたけど、ニヤニヤしてたぜ。島さんに会いたいって伝えといてくれとのこと>
俺も奴に会いたい。こんど会うのはいつのことだろうか。
「士、別れて三日を経たるは刮目して待つべし」
お互い、目をみはる再会をめざして頑張ろうじゃないか。人は出合いと別れを通じて成長するのだから。
そして後日談…2024年
題名「遠くで突撃喇叭が」は第二書房が付けた題名。
原題は「遠くでラッパが」である。今どき戦闘訓練で突撃喇叭なぞ吹かない。この時代の薔薇族には戦記物を書ける文字通り百戦錬磨の先輩がたくさんいたから仕方ないが、俺の指したラッパの音は毎日部隊で鳴らされる国旗掲揚、国旗降納のラッパである。
勝見二士(仮称)は俺が見込んだとおり自衛隊員募集パンフレットの表紙を飾った。
残念ながら2任期(4年)で退職。
再会は果たせなかかった…親父の後を継いで海に出たそうだ。
新隊員当時の写真。小説に出てくる面々。
その他の隊員と再会したのは地下鉄サリン事件。不幸な事件であったが、それぞれが一線で任務についていた頼もしさを感じた。
もちろん俺も新隊員の教育をする先任陸曹になった。
その後俺も2等陸曹で依願退職。約15年の自衛隊生活を終了。鳶職となり予備自衛官で約10年、1曹まで務めた。
2024年現在、自衛隊に残った同期たちは全て定年退官している。
俺を薔薇族、さぶに引っ張ってくれた木村べん氏も他界された。
読んでもらって分かる通り、肉体関係は無くとも男同士の愛情はある事への感動を自衛隊で得ることができた。
職務上死の覚悟を要求される世界。
その感動をセックス描写のない小説でも構わないからと木村べん氏に書いてみないかと言われて作ったのがこの作品。
べん氏に銃を持つ手ではイラストは描けなくなると言われて、好きなメカ画も共同で作品表紙等で書かせていただいた。もちろん最初で最後。ben &tetsuは勉&(鳶)徹って言うこと。
文中漢数字が多いのは縦書きの影響。

「遠くで突撃喇叭が」掲載誌表紙
もう一つ参考にしてさせていただいた本。
1974年芥川賞受賞作品「草のつるぎ」
実はエロ度こちらの方が数段上。戦闘訓練の打ち上げで全員でセンズリこくシーンがある。実話だからノーカットなんだろう。

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栗浜陽三 (文・写真) 『九十九里浜』 より 雑誌MLMW (ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事
栗浜陽三 九十九里浜(写真)

栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
[上のページの画像から自動文字起こしをして、誤判読に気付いた所は修正したけど、誤判読が残っているかも知れない]
九十九里浜・しなやかな風景 写真と文 栗浜陽三
九十九里浜が、何県にあるかを知らない人でも、その名の持つ雰囲気に、何か特別のイ メージをお持ちであろうと思う。太平洋に面した、その茫漠たる長い長い浜の風物は、浜というものが持つ様々の��素を凝縮させて、 我々の期待感や夢を満たしてくれるかのように思える。しかし残念ながら今では九十九里浜の魅力の殆どは、過去のものとなってしま った。一体、十数年前の、あの素朴で夢のよ うに美しかった九十九里浜は何処に行ってしまったのか。この僅か数年の間に、都会人の荒々しい神経で浜は汚され、美しい砂の起伏は姿を消し、近代化の手は浜に沿って長々とハイウエイを引いてしまった。九十九里浜にとって、全く無意味としか思えないこのハイウエイプランを耳にした時、私は自分の心の中の大切な部分を引きさかれる思いがしたが、土地の政治家というある人は、それは芸術的
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)
栗浜陽三 九十九里浜(写真)

栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
[上のページの画像から自動文字起こしをして、誤判読に気付いた所は修正したけど、誤判読が残っているかも知れない]
しなやかな風景●九十九里浜
・・・は黒ダンの前袋の両脇から黒々と毛をかき出して男らしさを競ったといい、亦、漁から浜に帰って来る舟は、長い竿を舟の両側につき出して、その先に黒褌を結びつけ、尾長鶏の尾羽根のように海風になびかせてもどって来たと話してくれた。
私がせめて十数年早く九十九里を訪れていたら、目にしたであろうこれは誠に九十九里の匂いのする昔語りであった。 それでも私は消えてゆく残り火の色を見る ように、時折浜で数少ない漁師の浜仕事や、 女達のフラミンゴの踊るような鮮やかな作業っぷりを見る事が出来た。
度び重なる私の九十九里訪問につれて、私の仕事友達や学生達が浜を訪ねるようになり、若々しい彼等の裸身が浜をにぎわすようになった。彼等はアっと いう間に海風にやけ、町中まで褌姿でのし歩き地引網を楽しみ、九十九里独特の丸板の波乗りをし、別人のように生き返った。
私は丸裸で浜仕事をする漁師をたびたび目にしたが、 この風俗は戦後アメリカ人の手前禁じられてしまったその名残りであった。中年の漁師が性器の先をワラシベや布切れで結んで褌の代用としている様も、決して雑でも奇異なものでもなく、浜の風物の中ではごくノーマルに感じられた。これは海水に濡れたままの褌の不衛生さを彼等がきらったからだという。
浜の女達はよく働いた。小柄でたくましいマイヨールの彫刻のような彼女達は、舟を浜に 引き上げる時には男以上の働きを見せた。母 親の仕事を見ている少女の背中の、赤ン坊の顔には、一刷毛はいたようにウッスラと砂が乗っていた。
十年以上訪ね続けている私の目には、浜の舟の数が年々少くなって行くのがよく解った。最初一、二年の間、浜にそびえていた何艘かのK家の船もいつしか姿を消した。民宿が急激に増え、そしてドカンと音のするようにハイウエイが浜に沿って走り、浜と村を引きさいたのである。庭から海に裸で飛び出してゆけた私達もトンネルをぬけて海に出る為に廻り道をしなくてはならなくなった。浜は見る見る中にゴミが打ち上げられ、マイカーが波打ぎわを走りぬけ、ビーチパラソルが立ち、その下で一日中マージャンをするという馬鹿げた男達が東京からやって来た。日本人は本当のゼイタクの楽しさや味わい方を知らないし、知ろうともしない。なぜ九十九里に都会生活をそのままズルズルと引きづって来る必要があるのだろうか。彼等は潮騒をきく代りに、浜でトランジスタラジオをきこうとする訳なのである。民宿になった素朴な土地の家で、海の香りを味い、あるがままの九十九里の生活に思いきり身をまかしてこそ、本当のゼイタクの楽しさではないだろうか。ハイウエイは私如き人間の知らない理由で必要なのかも知れないが、その代り、日本一のあの美しい浜の風景は二度ともどってこないのである。
K家にはその頃四年程続けて、ある外国の大使館の青い目の客が来るようになった。映画スターのような見事な美女達であった。私の友人の若者達とこの美女達は、伸々打ちとけ合う機会がなかったのだが、ある日、彼女達がK家の前庭の椅子に腰をおろして読書を楽しんでいる最中に、この若者達が海からもどってきたのである。彼等はオイルで鋼のように輝く背中をみせてタオルやマットを干し始めた。その姿を一人のブロンド娘がしみじ ・・・
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
以上の写真と文は雑誌MLMW(ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事『九十九里浜』より
これらの文章を読むと、栗浜は性的にも、性的な物を離れても伝統を残したままの海やそこに暮らす漁師を愛していたことが判る様だ。また、他の記事を読むと祭りについても性的にも、性的な物を離れても愛していたことが判ると思うよ。
栗浜のオリジナルは持ってないからウェブから集めた画像だけど、九十九里浜は良い画像がなかったんだ
一応拡大して補正はしておいたけど画質はちょっと残念だね
世間一般では本名の藤井千秋でイラストレーターとして有名な人なんだよ~
藤井千秋は画像検索したらいっぱい出てくるよ
2つの名前の作風の違いに驚くよー!
#栗浜陽三#九十九里浜#ムルム#六尺褌#ふんどし#褌#藤井千秋#kurihama youzou#youzou kurihama#fujii tiaki#loincloth#japanese national costume#japanese underwear#common japanese daily underwear#japanese formal wear#MLMW
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恥感情&後悔まる出しクソネガティブTumblrを書かせてくれ。いまとても心臓がぞわぞわしている。
基本的にわたしという存在は喋りすぎることを恐れている。そして喋りすぎても許されるのはTumblrだけだと思っているのでここで感情を消化させてくれ。ここは何文字書いたって一投稿だしね。それにみんな、わたしのネガティブTumblrをエンタメとして扱ってくれるじゃん。ありがとねほんとに。こんなので良ければずっと書き続けます。
これはもう定期的に訪れる発作としか言いようがないのだが、またもや最近、表の世界ことTwitterで喋りすぎている気がしてならない。ポスト自体は週に1~2回までに留めようとしているし実際にそこまでポストを頻繁にするタイプじゃないと自分では思っているのだけれど、最近Twitterにおける鎖国の意識が緩まっており、リプだのスペースのコメントだのをよく打っている。べつにそれ自体に問題があるわけじゃないのだろうけど、なんだか自分が悪目立ちしているんじゃないかっていうクソ意味のわからん恥感情に苛まれてふつうに泣きたくなっている。リプとかコメントの相手に対して何か思ってるってわけじゃないんですよ? わたしが勝手に感じている謎の恥感情なの。誰も悪くないんですよ。シクシクエーン。
自分がキモすぎて笑ってしまう。誰かに忘れられることが恐ろしいと思って文章を書くことを趣味としているくせに、悪目立ちはしたくないんですよ。しずかに黙々と書いている人だと思われたい。アーーーキモすぎる。助けてくれ。
小学生向けの対人関係スキルを基本のき、みたいな書籍を買ってみようと本気で思っている。わたしは最近引きこもりすぎて人間との話し方を忘れている。「社会人になってから人見知りを主張するひとってあまり良くないよね」という話をここ数か月で何人もの人が言っているのを目にしたり耳にしたりしていて、それを聞くたびに、それはそうだなと同意すると同時に、心臓をぐさりと一突きされているような気分��なる。いや、わたしは自分のことを人見知りと形容したことは人生で一度もないのだけれど、どちらかと言えば人間と上手に話せない側の人間なのですごく刺さる。わたしはまだ学生ですが同級生はみんな働いているので、社会人じゃないから~という言い訳が通用するわけがないのも、自分ではわかっているんですよ。
わたしは学歴がある側の人間なので言わせてもらいますが、人生においては対人スキルの方が学歴なんかよりもよっぽど大事です。もちろん学歴と対人スキルの両方が備わったエグい人もいるんですが、どちらかしか選べないなら対人スキルがある方が生きやすいと思う。精神的に健康だ。
大学院にいると価値観が歪むんですよ。人間とうまく喋れない、メールも返せない、だけど研究はめちゃくちゃできる、みたいな化け物がたくさんいるのでそれに染まってしまいそうになる。わたしは対人スキルが中の下、研究スキルは中の中、変人度は中の上のクソキモ一般人なのでどちらにも振れない。研究できることがアイデンティティの化け物にもなれないし、対人スキルの高い器用な人間にもなれない。はい、中途半端な大学院生の完成です。研究室で酒を飲んでわいわいする集団に対してキモ死ねって思うくせに、別に学振は取れないしやる気なさ過ぎて英語論文もまだ書き終えていない。なんなんだよ、キモいのはどう考えてもわたしだ。
もちろん、対人スキルが高い人には高い人なりの悩みがあるのは百も承知だけど、結局人間ってないものねだりなんだよな。こんなに中途半端なわたしだって、きっと誰かに羨ましがられてる。
今日は人間関係をテーマに書いているので、このまま中学時代のエグイ部活の話をしようかと思う。
中学生のとき、女子○○部、みたいな感じの運動部に所属していた。上下関係がとても厳しい部活だった。そして不運なことに、わたしは真っ先に先輩に目を付けられた。中1の初夏、生理痛が酷くて部活を休んだときに、「生理痛くらいで部活休むなよ」と先輩に陰口を叩かれたことが発端だったように思う。一番の敵は理解のない女だ。そこからは事あるごとにいちいち欠点を指摘されては先輩の悪口のサンドバックになった。個人指導、という謎の制度(つまり何かと理由をつけて気に入らない後輩を延々と叱り続けるという集団リンチ)の常連被害者だった。結構な頻度で先輩数人に取り囲まれて、人格否定を繰り返された。謝っても、「はあ、もうそれ聞き飽きたわ~。結局行動で示してもらわないとどうにもならないんだよね~」とか言われんの。だけど当時、わたしは自分がなぜ怒られているかあまりよく理解していなかった。だからとりあえず、すみませんでしたって謝るんだけど、それも上記のように意味ないから八方塞がり。あ~どうしよっかな~��もこのまま怒られてたら筋トレしなくて済むのかな〜ならそれでいっか~あ〜面倒くせ~死ね死ね死ねって考えていた気がする。そしてまあ、もちろんちゃんと病んだりもしたが、やはりわたくし、生命力がとても強いのでふつうに学校に通っていた。はいはい死ね死ね、って感じで部活も行っていた。えらすぎ。
中学のときに生徒会に入ったのは活動にかこつけて部活を堂々とサボれるからであった。副会長の先輩(もちろん男)はよく部活の愚痴を聞いてくれた。あとは、保健室でサッカー部の先輩(イケメン)に慰めてもらったりもした。同級生のRくん(本命)にも夜な夜なLINEで話を聞いてもらったりした。今思えば、わたしが部活内で嫌われていたのは、部活で酷い目に遭っていることを男子に相談して、か弱い女子を演じて味方を増やそうとするところに原因があったのかもしれない。まあ、それはいいんですよ。とりあえず、部活の先輩にはとことん嫌われ、個人指導という名の集団精神リンチをされながらも部活は辞めずにぬるく生きていた。中総体の前には「いつも厳しくしちゃってごめんね;;」と書かれた手紙を集団リンチのリーダー格の先輩からもらった。やっぱ死ねよ、と思っているうちに先輩は順当に地区予選で敗退し、すぐに自分たちの代になった。
本題はここから。まだ地獄は続く。
代がわりをして、部長はNちゃん、副部長はAちゃん、わたしは野良の部員になった。野良の部員はわたしのほかに5人いた。
ある日部長Nがエグイことを言いだした。「準備を一番頑張っている後輩と、一番サボっている後輩を先輩(つまりわたしたち)の投票で決めて、みんなの前で発表しよう。そうしたら後輩たち、みんな頑張ってくれるはず」と。もうお気づきだろう。地獄である。
部長絶対王政の部活だったので、それがまかり通って、実際にその投票制度は数か月にわたって続いた。みんなの前で部長が特定の後輩一人を指して、「○○ちゃんはこの前の準備で部活に関係ない話をしてたから、もうすこし真剣に頑張ってほしい。みんなちゃんとやってるのに迷惑だよ」とか言うの。それで名指しされた後輩は青ざめた顔しながら震えた声で返事するし、その子はその子で後輩グループの中で浮き始めるし。泣き出す子もいた。だけど部長Nは「泣くくらいならちゃんとやれば?」「投票されるのが悪いんだって」とか言っちゃうの。それが毎週繰り返された。エグいだろ。正義感の暴力ってとても恐ろしい。わたしも先輩によく陰口を叩かれていたけれど、ここまでヤバいのは多分なかった。地獄だった。これ中学生の話ですよ? 中学生なんて今思えばクソガキじゃん。何してんだろ。
もちろん、投票制度に反対して、投票しなかった子もいた。わたしはどうだっただろう。拒否した記憶と誰かに投票しちゃった記憶がごちゃごちゃになっている。わからない。とにかく、謝っても許されることではないと思う。ちなみ��この制度は問題にすらならなかった。どうやって終わったかというと、ただ自然にフェードアウトしただけだったのだ。
部長Nと副部長Aは仲が良かった。そしてよく、部長Nと副部長Aが徒党を組んで勝手に色々と物事を進めるので、部長・副部長派閥と、野良派閥でよく対立が起こっていた。わたしは部活嫌いの生徒会役員だったので、どちらの派閥にも属さず、どちらともそれなりに話していた。両派閥の仲介をして、キモいな~とか思っていたのである。あと当時わたしは四六時中恋愛のことを考えており、部活なぞどうでも良かったので、かえってうまくやれたという節もあった。そういう感じのことがずっと続くような、ダルい部活だった。
だがやはり部長Nと副部長Aはとりわけ嫌いだった。よく嫌味を言われたのを覚えている。それに、先輩にいじめられていた1年生のとき、先輩にわたしの悪口を吹聴していたのは主にその2人だった。いろいろと嫌なことがあったが、ありすぎて何を言うべきかわからないのでこの話はまた別でしようと思う。部長Nと高校が離れ、わたしは心の平穏を得た。その後Nは短大を中退し、近所のサイゼリヤでバイトをし、バイト先の店長(10歳くらい年上)にラブ♡になったらしく、インスタのストーリーで店長との夢小説?のようなものを書いていた。キモくてスクショをした。スクショはまだわたしのスマホに残っている。中学生のときわたしを下に見ていた彼女を、やっと高いところから見下ろすことができてわたしは満足している。副部長Aとも高校は離れたが、その後同じ大学で同じ学科になった。きっと、学科首席になって卒業式で登壇するわたしを見ていただろう。それを想像するだけで気持ちがよかった。相手がどう思っていようと、わたしが相手よりも秀でているという事実がわたしを高揚させた。
中学の部活ってなんであんなにキモいんだろうか。まあ、わたしがみんなに嫌われていたのは納得できる。だってわたしも、わたしみたいなやつが後輩にいたらキモいからいじめると思う。知らんけど。それにわたしも今よりずっと幼かったし、今だって対人スキルがどうとか言ってうだうだ悩んでいるのだから、当時のわたしはもっと空気が読めなかったし、きっとなにか侵しちゃいけない境界線を飛び越えたりしてしまったのだと思う。でももう過ぎた時間は戻ってこないから、これからすこしでも失敗しないようにするしかないのだなと思ってしまう。まあ、とりあえず、準備サボった後輩晒し上げ地獄制度の話ができて満足です。
なんか今日の文章、いつもと文章のリズム感がすこし違っていて気持ち悪いんだけど、もうこのまま上げちゃいます。おわり。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)1月6日(月曜日)弐
通巻第8583号
トランプ政権は「さようならDEI」である。
『オバマの家来』エマニュエル駐日米大使が日本から去る。
*************************
トランプの大勝の意味は極左政権だったバイデン時代の終わりではない。米国をはんぶん破壊した「オバマ時代」(���イデン時代とはオバマ院政だから合計12年)の終焉なのである。
「民主党の高層部に陣取った極左集団はくさっている。全体主義と変わらない」と言って、RKJもトゥルシー・ギャバードも飛びだした。前者はトランプ政権で厚生長官、後者は国家情報長官となる。
オバマ・バイデンの十二年間つづいた「悪政」とは、公務員や追随する広告代理店や弁護士やコンサルタントを動員して欺瞞の政治目的を拡販してきたこと、「人道主義」をいう美名で隠蔽した中身とはアメリカを社会主義的全体主義国家と塗り替えることだった。
第一に「人口構成が運命だ」という妄想があった。白人の出生率が激減している一方で、黒人、ヒスパニック、アジア系の移民が急増し、人口構成を逆転する趨勢を加速させる。
そうすれば極左政党が半永久的に政権の座を維持できるという妄想に基づいた計画だった。
反対の選挙結果だった。ヒスパニックと黒人の民主党支持が顕著に激減し、そのうえ労組が民主党支持から離れた。
これらの基層部分は依然として民主党へ入れたが、曾ての固定票ではなくなっていた。民主党の牙城といわれたNYCやロスでトランプは大幅に得票を増やした。
第二にオバマ院政下にあったバイデンは就任後、90の連邦機関に人種優遇とDEI規則を義務付けた。「左派のネオ・レイシズム」である。
全米でアンチDEI運動が燎原の火のように燃え広がった。
第三に国境開放を解放し、1600万人とも言われる不法移民を受けいれたことは逆にヒスパニック系の票を失った。『聖域』といわれた都市は治安悪化に悲鳴を上げた。
第四に石油・ガス産業に対するグリーン・ニューディール戦争は、環境問題に関心のある若い有権者を引き寄せるはずだった。石油ガス業界を「オバマ院政』(バイデンの四年)で完全に敵に回した。皮肉にも環境規制強化が中国のEV産業を飛躍させアメリカの三大巨人の経営をふらふらにした。自動車労組も幹部を別として、バイデン支持を離れた。
第五に反イスラエルキャンペーンである。ハマス支持の過激派の言動をバイデン、ハリス政権は正当化したが、反イスラエル、そして反ユダヤ主義の左派の票を獲得できなかった。そればかりか民主党の基盤だったユダヤ人の相当数が共和党へ鞍替えした。
▼『オバマ時代』とは『ポストモダン宗教』だった
こうしたオバマ・バイデンの十二年間に猖獗した「ポストモダン宗教」はオバマ時代に急速に勢力を拡大した。妖しげなNGO、コンサルタントと称して企業の幹部に落下傘降下し、顧問弁護士とか社外取締役として当該企業のWOKEを見張った。
消費者の反乱がおきて、バドワイザーなど、販売を四割も落とした。BLMなど過激な活動家グループ、インスタントな財団、公務員組合などが納税者の資金で支えられた。
この急拵えの亜官僚システムは連邦および州の機関、公立学校、そしてアメリカ企業に強制した『研修』と称する仕組みにあった。つまり「DEI産業複合体」だった。
トランプ政権は「さようならDEI」である。
学生ローンの減免など、「平等保護」ではない。多くの異議申し立てがあり、各地で訴訟に発展した。トランプ政権のDOGE設立と、その大鉈で崩壊しそうだ。
オバマ政権は系列の左派知識人を動員し、例えば欠陥だらけのイラン核合意について、主流メディアや政治エリートに虚偽や誤解を招くような話を売りつけ、その後、反対意見を封殺した。
この仕組みは、 ロシアゲート、ハンター・バイデンのラップトップ、その他多くの多くの論点において、有権者の70%が主流のニュースメディアを 信用しなくなり、FOXニュースとカールソンの番組とネットの記事とトランプのXへの投稿、SNSに拡がった保守の主張への支持となった。
バラク・オバマは巧みな演説で時に人々を感動させた(というより誤解させた)が、このようなホワイトハウスの陰湿で陰謀的な政治が民主党を全体主義的ムードへと導いた。惨敗後、民主党執行部は空中分解、自ら首を絞めたのだ。
米国の財界、ウォール街は雪崩のようにトランプ政権にアプローチを進めている。
メディアもすっかり様変わりだ。ワシントン・ポスト政治風刺漫画家が、同紙オーナーがトランプを思わせる銅像前に土下座する様子を描いた漫画の執筆し、それが没になった直後、辞任した。
漫画家のアン・テルナエスは「私がペンを向けた対象や人物のせいで漫画が削除されたのは初めて」と投稿した。その風刺漫画には、アマゾンの創設者でワシントン・ポストの所有者であるジェフ・ベゾスや、フェイスブックとメタの創設者マーク・ザッカーバーグ、その他のメディアやテクノロジー界の大物たちが、巨大なトランプ銅像(金日成親子を思わせる)の前でひざまずいてお金の入った袋を掲げている様子が描かれていた。ABCニュースを所有する���ィズニー社のシンボルであるミッキーマウスがひれ伏している姿も描かれた。
ABCニュースは、ニューヨークでの性的虐待裁判の報道をめぐってトランプが名誉毀損で訴えた事件で、1500万ドルの和解に同意した。
テルナエスは風刺漫画の不掲載は今回が初めてだとし、「これは状況を変えるものであり、『報道の自由』にとって危険だ。民主主義は暗闇の中で死ぬ」と逆の捨て台詞を残した。
『オバマの家来』エマニュエル駐日米大使はやっと日本から去る。
最悪の評判を取りながらもウクライナ支持、LGBTQ法の強要など、忠実にオバマの社会破壊活動を実践してきたが、つぎには民主党全国委員会の委員長への立候補を検討している。
エマニュエルは2009~10年にオバマ大統領の首席補佐官を務め、シカゴ市長に当選し、バイデン大統領から駐日大使に指名された。この背後にオバマがいたことは明白、そもそもバイデン政権の閣僚は殆どがオバマの指名だった。
日本にとってじつに迷惑千万の外交を展開した。
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いまどきの民主主義の理念を作り上げた人というと、ロックやルソーやジェファーソンといった近世~近代の思想家を思い出す。 ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆の選択までもが民意にフィードバックされる民主主義を想像するのは難しかったのではないか。 たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?
インターネットで民主主義が加速して良かったですね - シロクマの屑籠
普通選挙制が浸透した後の民主主義政体にはマスメディアという制御弁がついていて、第四の権力として民意の調整をおこなう仕組みが組み込まれていた。だから、立花氏がバカと呼んだ人まで投票し選挙活動するような「剥き出しの民主主義」に(近現代の)民主主義が慣れていたとはあまり思えない。*2
$2それに近いインパクトがラジオや映画が普及した直後のヨーロッパのどこかで起こっていたかもしれない。しかしそれとて、双方向メディアの特質に依っているわけではない
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メディアの発達とと選挙の歴史を調べたくなる。 国民ラジオ - Wikipedia とか
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[pdf]社会契約説とは何か NHK高校講座:学習メモ
第18回 社会契約説とは何か | 倫理 | 高校講座 NHK
第3章 現代を生きる人間の倫理 第18回 社会契約説とは何か 放送日:8月30日 社会契約説の特徴を理解し、近代の市民社会がどのような原理で成立したのかについて学習する。特に、ホッブズの思想を通じて、個人と国家の関係について、ロックの思想を通じて、民主主義の原理について、ルソーの思想を通じて、人民主権と公共の福祉について考え、社会や国家における人間の自由や平等について考えを深める。
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【かいわいの時】宝暦十四年(1764)四月六日:対馬藩通詞鈴木伝蔵、大坂に滞在中の朝鮮通信使節随員*を殺害し出奔(大阪市史編纂所「今日は何の日」) +崔天宗(チェ・チョンジョン)
この事件が人参売買をめぐる金銭返済のトラブルが原因である説を裏付ける論拠として『明和雑記』には次のように記されています。
明和二乙酉年人参(の)事 去申年朝鮮人来朝の節、所々におゐて内々にて人参を売買ありし所に御聞に達し、厳しく御吟味有之。大坂表にても内々にて買取し者これありし由にて《略》其後段々御免是有過半相済候へ共、いまた御預ケ入牢のもの是あり。此一件ハ大坂ばかりにかぎらず江戸京其外西国筋にもかゝり合有之由、此根本といふハ皆々鈴木伝蔵か所為なるよし。亥年迄も相済ず、子の年春の頃大坂の懸り合ハのこらず相済候へども其外の所ハ存ぜず。※句読点後付け
この事件は大阪ばかりでなく、京都・江戸及び遠くは九州までにその影響を及ぼしており、その余波は事件後5年近い歳月を経てようやく終りを告げたのである。こうした経過はこの事件の深刻さを物語っているのであり幕府側の事件に対処する厳しさも考えられるのである(朴賛基)。「朝鮮通信使と歌舞伎」第14回国際日本文学研究集会研究発表(1990. 11.16)より。
(写真)羽川藤永「朝鮮通信使来朝図」延享五年頃/1748年頃
肉筆の浮絵は作者名が記されないことが大半です��、本図には珍しく作者の羽川藤永の款記があります。朝鮮通信使とは、徳川将軍が代替わりの際などに来日した朝鮮からの使節団で、本図のような隊列を組んで各地を練り歩いた様子が多くの絵画史料に伝えられています。本図もそのひとつであるならば、このような大型で入念な描写の肉筆浮絵が描かれるのは1740年代と考えられるので、1748年に江戸を訪れた第10回の通信使を描く作品ということになります。しかし、この名称は通称として一般に定着していますが、表現内容については議論の的となっています。
本図の線遠近法の消失点付近には富士山を背にした江戸城の石垣が見えていますが、この行列を朝鮮通信使と考えれば、輿に乗った正使とその一行がこれを後にして、使館の浅草本願寺へ戻るため常磐橋(ときわばし)を渡り、本町(ほんちょう)二丁目を過ぎていく様子と解釈できます。しかし行列の細部を検討すると、実際の通信使とは異なる部分、たとえば、行列の中心である輿に乗る人物が、正使にふさわしい有髭の成人男性ではなく、無髭の子供であることなどが指摘されています。これを理由に本図に描かれているのは江戸の山王祭の唐人行列とする説もあります。
本図の収納箱の貼紙によると、この図が徳川吉宗の第二子、田安宗武の子で、1753年に9歳で夭折した小次郎(孝慈院)の愛玩の作品だったことがわかります。徳川将軍の孫に見せるための作品としては、その主題は単なる祭礼風景ではなく、異国からの使節を迎え入れた徳川将軍家の威光を示す意味付けも必要だったはずで、山王祭の唐人行列を参考にしつつ、名目上は朝鮮通信使の行列図として描かれ田安家に納められたという仮説も検討すべきでしょう(文化遺産オンライン=画像も)。
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Sean bienvenidos a una nueva publicación en la cual aclararemos las diferencias entre un templo y un santuario japonés dicho esto pónganse cómodos que empezamos. - Seguramente, todos hemos visto alguna vez en fotos templos y santuarios que están por todo el archipiélago nipón y más de una vez nos hemos preguntado: ¿Cuáles son las diferencias entre ellos? - Primero la palabra santuario ¿Qué significa?: Es el lugar en el que los japoneses adoran a todos los kamis por lo cual cada uno tiene el suyo propio, también cabe destacar que puede ser una montaña un lago ect.. Cuando buscamos esta palabra en español, hace referencia a un templo,entonces ¿Cuáles son las principales diferencias? la principal sería que los santuarios sintoístas, disponen de una puerta principal llamada torii a diferencia de los templos budistas, que disponen de una pagoda. Ejemplos de templos budistas por ciudades Templo de Kiyomizu-dera (Kioto) Templo Kinkakuji (Kioto) Templo Senso-ji (Tokio) Templo de Hokokuji (Kamakura) Templo Todai-ji (Nara) Templo de Sanjusangendo (Kioto - Santuarios japoneses por ciudades: Santuario de Ise – Ciudad de Ise Santuario Meiji – Tokio Santuario Itsukushima – Miyajima Santuario Sumiyoshi Taisha – Osaka Santuario Hie Jinja – Tokio Santuario Izumo – Ciudad de Izumo - Para aclarar las dudas, entre un santuario y un templo: También hay que tener en cuenta los distintos nombres y otras de las cosas que caracterizan un templo son las siguientes : Komainu, Temizuya o chōzuya, Salas principales, Amuletos,Komainu, Temizuya el honden y el haiden. En próximos capítulos podemos hablar de cada uno de ellos, aparte de seguir realizando publicaciones de historia, arqueología, geografía entre otros temas de japón os deseo un cordial saludo. - Welcome to a new publication in which we will clarify the differences between a temple and a Japanese sanctuary. That being said, make yourself comfortable and let's get started. - Surely, we have all seen temples and sanctuaries that are all over the Japanese archipelago in photos and more than once we have asked ourselves: What are the differences between them? - First, the word sanctuary What does it mean?: It is the place where the Japanese worship all the kamis, so each one has their own, it is also worth noting that it can be a mountain, a lake, etc. When we look for this word in Spanish, it refers to a temple, so what are the main differences? The main one would be that Shinto shrines have a main door called torii. unlike Buddhist temples, which have a pagoda. Examples of Buddhist temples by city Kiyomizu-dera Temple (Kyoto) Kinkakuji Temple (Kyoto) Senso-ji Temple (Tokyo) Hokokuji Temple (Kamakura) Todai-ji Temple (Nara) Sanjusangendo Temple (Kyoto) Shitennoji Temple (Osaka) - Japanese shrines by cities: Ise Shrine – Ise City Meiji Shrine – Miyajima Sumiyoshi Taisha Shrine – Osaka Fushimi Inari Shrine – Kyoto Hie Jinja Shrine – Tokyo Izumo Shrine – Izumo City - To clarify doubts, between a sanctuary and a temple: We must also take into account the different names and other things that characterize a temple are the following: Komainu, Temizuya or chōzuya, Main rooms, Amulets, Komainu, Temizuya the honden and the haiden. In future chapters we can talk about each of them, apart from continuing to publish publications on history, archaeology, geography, among other topics about Japan, I wish you a cordial greeting. - 寺院と日本の聖域の違いを明確にする新しい出版物へようこそ。そうは言っても、安心して始めましょう。 - 確かに、私たちは皆、日本列島各地にある寺院や聖域を写真で見たことがあり、それらの違いは何だろうかと自問したことが一度や二度ではありません。 - まず、聖域という言葉はどういう意味ですか?: それは日本人がすべての神を崇拝する場所であり、それぞれに独自の神があり、それが山や湖などであることも注目に値します。この単語はスペイン語で寺院を指しますが、主な違いは何でしょうか? 主なものは、神社には鳥居と呼ばれる表扉があることです。 塔のある仏教寺院とは異なります。 都市別の仏教寺院の例 清水寺(京都) 金閣寺(京都) 浅草寺(東京) 報国寺(鎌倉) 東大寺(奈良) 三十三間堂(京都) 四天王寺(大阪) - 都市別の日本の神社: 伊勢神宮 – 伊勢市 明治神宮 – 東京 厳島神社 – 宮島 住吉大社 – 大阪 伏見稲荷大社 – 京都 日枝神社 – 東京 出雲大社 – 出雲市 - 聖域と寺院の間の疑問を解消するには、次のような名前や寺院を特徴付けるその他のものについても考慮する必要があります: 狛犬、手水舎または手水舎、主室、お守り、狛犬、本殿と拝殿。 今後の章では、歴史、考古学、地理、その他日本に関するトピックに関する出版物の発行を続けることに加えて、それぞれのテーマについてお話します。心からご挨拶を申し上げます。
#清水寺#京都#金閣寺#伊勢神宮#伊勢市#日枝神社#東京#出雲神社#出雲市#寺院#神社#日本#歴史#ユネスコ#Kiyomizuderatemple#Kyoto#KinkakujiTemple#IseShrine#IseCity#HiJinjaShrine#Tokyo#IzumoShrine#IzumoCity#temple#Shrine#japan#history#unesco
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Made books 2024
HOMMAGE 特別号 地味なひとり旅
HOMMAGE No.4 共通ラッピング車両
HOMMAGE No.5 山手線
HOMMAGE No.6 ドラえもん電車
東急8500系 2020系がいない日常
HOMMAGE No.7 行ってみたい駅
My Train No.1 京急1000形
My Train No.2 横浜
My Train No.3 上越線
大分発金沢経由上野行き
東急8500系 サークルKの終焉
My Train 総集編 目的地は駅(Kindle版)
2024年は12冊作成しました。
・HOMMAGE 特別号 地味なひとり旅
(発売開始:サンシャインクリエイション 2024spring)
目次:山中城跡公園 / URまちとくらしのミュージアム / NTT技術史料館 / 澤乃井(小澤酒造) 豆らく、きき酒処 / 旧伊藤博久金沢別邸 / 江戸東京たてもの園 前川國男邸 / 横浜市電保存館 / 京王れーるランド / 大崎公園・披露山公園
ひとりで巡った場所を厳選して紹介。テーマがニッチだったり、開館日が極めて限定的だったり、さらには美味しい日本酒を満喫したり。 話題にしても地味でパッとしない、でもそこでの学びや感動はひとりで行くからこそ味わえないかと。
・HOMMAGE No.4 共通ラッピング車両
(発売開始:COMIC1☆24)
目次:共通ラッピング車両ガイド(JR西日本323系 / 大阪メトロ30000系 / 京阪8000系 / 近鉄9820系・近鉄5820系 / 阪急1000系・1300系 / 阪神1000系 / 大阪モノレール2000系 / キャラクターを探して / 横浜市営バス「あかいくつ」)
増殖するキャラクターラッピング車両。大規模イベント開催前に、この一冊はいかが?
・HOMMAGE No.5 山手線
(発売開始:コミティア148)
目次:数字で知る山手線 / E235系 伝統のウグイス色を受け継ぐ / 影の薄い山手線の駅/駅そば、うどんの思い出 / 山手線横断~南と北の名所~ / New brand / Natirta Express E259 / N'EX From Hachioji
東京の中心を1周60分で走る山手線。東京に行けば必ず乗る路線だが、意外と知らないことも多かったり。 そんな山手線の気になること、一緒に探してみませんか。
・HOMMAGE No.6 ドラえもん電車
(発売開始:おもしろ同人誌バザール大崎)
目次:高岡市 藤子・F ・不二雄ふるさとギャラリー / ドラえもん電車に乗ろう(DORAEMON-GO!・DORAEMON TRAM・Wrapping train) / 小田急F-trainⅠ correction / 小田急F-trainⅡ 8 month diary / 川崎市 藤子・F ・不二雄ミュージアム
今や国内問わず海外でも人気な「ドラえもん」と電車のコラボを紹介。今も走るドラえもん電車や幻のF-trainなど、藤子・F・不二雄ファン必見な一冊。
・東急8500系 2020系がいない日常
(発売開始:コミックマーケット104)
目次:朝 / 偶然 / 四季
2013~2015年の東急8500系の写真を掲載。毎朝の始業光景から、偶然な一枚、そして四季と8500系。沿線住人にとっては懐かしい光景、それ以外の方も見たことがない鉄道のシーンを見てみませんか?
・HOMMAGE No.7 行ってみたい駅
(発売開始:コミティア149)
目次:3駅連続 スノーシェルターの駅 / 首都圏のご当地発車メロディのすすめ / 旅先の変わった駅 / 食べたかった駅弁 / 復活?80年代の歌姫 / ひと夏の思い出 小田急ロマンスカーLSE
駅は旅の経由地ではなく目的地。そんな行きたくなる駅を紹介。あなたの地元の駅もあったりして。
・My Train No.1 京急1000形
(発売開始:おもしろ同人誌バザール神保町)
目次:空増結 金沢文庫 / 車体別車両図鑑 / 1000形(アルミ) 2100形 600形 同じじゃないですか!? / 体感快特!?普通浦賀行き / イエローハッピーターントレイン
総製造数500 両を越えた京急1000 形。600 形、2100 形から受け継いだ車両は、確立した技術をもとに今も進化を続けている。今回は20年以上同じ形式をつくり続けた京急のスタンダードを見ていく。
・My Train No.2 横浜
(発売開始:コミティア150)
目次:歩き鉄 汽車道・山下臨港線プロムナード / 濱の鉄道ヒストリー / リバイブ横浜市電 横浜市営バスで辿る横浜市電の旅 / SOTETSU NAVY BLUE / Seaside Line シーサイドライン / 南町田グランベリーパーク号
1872年10��14日、横浜~ 新橋に日本初の鉄道が開業した。その後もネットワークを広げ新たな鉄道が誕生したり、時代と共に消えた鉄道もあった。発祥の地で歴史を変えた鉄道を訪れる。
・My Train No.3 上越線
(発売開始:文学フリマ東京39)
目次:繁栄期の歴史 1962-1982 / 明日使える?上越線の小ネタ / 新清水トンネルの駅 土合駅・湯檜曽駅 / 過去の栄光を残す 石打駅 / SLを支えた車両の最後 DLぐんま4fine / 最後のひととき 特急ときの振り回された転属劇 / 群馬デスティネーションキャンペーンラッピング車両
上越線と言われて雪国(作 川端康成)を浮かぶ人は多いだろう。群馬と新潟を結ぶ重要な路線は、東京発着の特急が行き交っていた。時代の流れで変わってしまった路線だが、そんなかつての繁栄を探した。
・大分発金沢経由上野行き
(発売開始:文学フリマ東京39)
目次:はじまり / 大分発金沢経由上野行き / コラム 鉄道博物館で図書を読む / あとがき
昭和45年10月1日ダイヤ改正の運用表から気になる列車を見つけた。今では考えられない大���から大阪、金沢さらには上野と広範囲で運転を行っていた。なぜこの運用が出来たのか、当時を知らないからこ���気になる疑問が出て来る。新幹線のネットワークにより、縮小する在来線特急列車。今とは違う特急列車の存在を探ってみる。
・東急8500系 サークルKの終焉
(発売開始:コミックマーケット105)
目次:新生 / 大井車 / 非直車 / 幕車終焉
東急8500系写真集第三弾。2020系の導入により、変化するサークルKを中心に取り上げる。
・My Train 総集編 No.1 目的地は駅 (us / uk)
(e-book 発売開始:12/26 Thu)
目次:3駅連続 スノーシェルターの駅 / 美佐島 / 分割増結 / 復活?80年代の歌姫 / #八景シリーズ Best shot No.468 秩父八景-私鉄貨物
駅は旅の経由地ではなく目的地。そんな目的地として行きたくなる駅を紹介。意外と近くの駅があったりして。
★Can buy
メロンブックス / フロマージュブックス
★Link
Made books 2023
About(2024.10) Post:10.10 2024
Work Post:9.13 2024
#dojinshi#comic market#comitia#doujinshi my train#コミックマーケット#コミケ#コミティア#同人誌#即売会#鉄道#おもしろ同人誌バザール#同人誌My Train
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〜になります こちら和風セットになります。 メニューになります。(2007年にイオンCM中での使用が指摘され、ございますにその後変更されている) 禁煙席になります。 お買い得なります/〜となっています。 こちらになります。(客に場所等を説明する時の表現) (計算すると)525円になります ファミリーレストランなどで料理を提供するときによく聞かれる「こちら和風セットになります」のような表現は文法的には正しいが[10]、話し手の伝えたいことと聞き手の期待することが食い違うため、不自然に聞こえてしまう。その一方で、状況によってはさほど違和感がないかもしれないとする意見や[11]、謙遜の気持ちを込めて使う場合もあるので一概に否定できないとする意見[12]、謙虚な気持ちを添えた畏まった表現であるとする意見[13]、逆に「〜になります」の使用を禁止することをマニュアル敬語として批判する意見もある[14]。 この表現を批判する理由はよく「和風セットでなかった何かが客の目の前で和風セットに変化するわけでないからおかしい」と説明されるが、動詞「なる」の意味は何かから何かに変化することに限らない。NHK放送文化研究所によれば、「〜になる」には「〜にあたる」「〜に相当する」の意味もあり、親族を紹介する際に「義理の弟になります」などというのがこれにあたる。飲食店においても「きつねうどんになります」や「コーヒーになります」ならともかく、「シェフの気まぐれサラダになります」「こちらが若鶏のプロヴァンス風になります」のように名前だけではどのようなものか正確に想像できない品物を提供する際には、この「〜にあたる」の意味での「〜になります」の使い方にさほど違和感がないとする意見[11]、あるいは十分有効であるとする意見がある[14]。 森山由紀子は、「『〜です』という断定表現には話し手(店員)の『意見・判断』が入っているように聞こえるところを、『〜になります』にすることで『事実を説明しているだけ』に」なると説明している[9]。例えば「『店内全面禁煙です』だと直接注意している印象になるが、『店内全面禁煙になります』だとただお店のルールを伝えているだけに」なり、「面と向かって『です』と言うより柔らかくなり責任回避にも」なるという[9]。 『明鏡国語辞典』編集委員で筑波大学教授の矢澤真人によれば、相手の予想から外れるかもしれない内容を伝える場合にも使われる。すでに三歳になった子供について「この子は三歳になります」と紹介する場合は、その子がこれから三歳に成長するという意味ではなく、聞き手がもっと幼いと予想していると考えて、予想外の情報を伝える意味で使われている。 北原(2004)によれば、このような表現は、もっと豪華なものを期待しているかもしれない客に「これで果たしてお客様のご期待に添えるかどうかわかりませんが」という謙虚な気持ちを添えた、「〜です」より畏まった表現でもある[13]。しかし、北原は客としては単に自分の注文したものが提供されるのを期待しているだけなので、畏まった謙虚な表現としての「〜になります」とは解釈されにくく、何かから何かへ変化する意味の「〜になります」と捉えられて不自然に感じられるともしており[13]、丁寧な接客表現だからといってなんでもかんでも「〜になります」と言うのでなく、場面に合った使い方をすることが必要であると主��している[15]。 NHK放送文化研究所は、「『こちらが入り口になります』とアナウンスしたら先輩から注意されたがなぜか」との質問に対して、何かの意図を込めてわざとそう言ったのなら構わないと回答し、謙遜の意を込めてそのような言い方をすることがあると解説した上で、「以上が回答になります」と自ら「〜になります」を使って締めくくっている[16]。 また、「(計算すると)525円になります」といった用法のように、括弧内を補って考えれば状態変化を表す「なる」と解釈できる場合もある[11]。明治時代から昭和初期にかけての文学作品にも用例がある。 お里がびく/\しながら、番頭の方へ近づくと、 「あ、そうですか。」番頭は何気なく、書きとめた帳を出して見る。彼は、落ちつかない。そそくさしている。 「△円△△銭になります。」 「そうでござんすか。」 —黒島傳治、『窃む女』1923年(大正12年)3月 「姉さん、幾等になる、」 女中は見附の台の傍に立つて、帳場のお神さんと口を利いてゐたが、勘定と聞いてやつて来た。 「一円九十五銭になります、」 清は金を出した。 —田中貢太郎、『白いシヤツの群』1923年(大正12年)10月 客の男は矢庭にポケツトから紙幣束を掴出して、「会計、いくら。」 「お酒が三杯。」と佐藤はおでんの小皿を眺め、「四百三十四円になります。」 —永井荷風、『にぎり飯』1949年(昭和24年)1月
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鎮目 のどかは日本の女性アイドル。女性アイドルグループ・ZOCのメンバー。 ウィキペディア
生年月日: 2005年10月12日 (年齢 18歳)
出生地: 愛知県
デビュー: 2021年
所属グループ: ZOC
現年齢: 18歳
2021年1月1日から始まったZOC新メンバーオーディションで、応募総数3000通を超える中からたった一人選出された。大森靖子は鎮目を「他と比べられないような存在だった」と語っている。
幼稚園の年少の頃からピアノ、中学1年生の頃からトランペットを習い、小学校は音楽部で中学では吹奏楽部だった。 トランペットは団体、ソロでも県大会優勝・全国大会クラスという腕前。大森靖子がプロデュースするアイドルグループMAPAのアルバム『四天王』の「恋愛以上期待未満」ではトランペットで参加している。
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汚辱の日々 さぶ
1.無残
日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動��し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
つらかった。肩身が狭かった。
もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
2.玩弄
部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
低いドスのきいた返事があった。
扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
傲然と私に命じた。
私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長���していた時の同級生なのである。
私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
有無を言わせぬ強引さであった。
あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
思わず息をのんだ。
徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」 言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。
班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。 瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
(了)
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夕方、土手の刈払いを終えた亮司は「別荘」に戻り、台所で夕食を作り始めた。彼は結婚していたが定年を迎えた二、三年後に妻を病気で亡くし、独りだった。二人の子どもはそれぞれ結婚して家庭を持ち、いずれも教育費で金がかかると共働きだった。自炊は、大学時代は居酒屋などでアルバイトをしていたので、料理は得意だった。
彼は、貢が昨日買って来た缶ビールとチューハイをそれぞれ一本出し、居間のローテーブルに作った鶏の唐揚げやポテトサラダなどを並べた。上半身はランニングシャツ一枚になり、時折テレビのニュースを観ながら黙々と夕食を摂った。
風呂に入った後、昼間に着た作業服や下着を洗濯機で洗い、ウッドデッキに置かれた物干し竿に干しながら、亮司は山林を見渡した。一応、手入れはされているが夜になると真っ暗だった。唯一、別荘の周辺に屋外用のライトが灯っているので、まァ、寂しくないかなといった感じである。こんなところで最悪、いじめの様なことが起きても明るみにはならないだろうと、彼は思った。
寮では、食堂の厨房職員が退勤した後、大平が正面玄関の戸締まりをしていた。昼間はいったん都内にある自宅まで帰ったが、誰もいなかったのですぐ車で戻って来てしまった。大平は未婚で、実家に高齢の両親がいるが最近、父親の方が認知症になってしまい、母親が介護をしていた。元々頑固な性格でもあったが怒りっぽくなり、たまに母親が手を振るわれることもあった。
今回の一時帰宅では、流石に介護疲れもあってか最寄りの特養でショートステイを利用したと、母親が大平に話をしていた。母親は、
「昔は、国語の先生で子ども達には温厚で優しいと評判だったのに…。ケアマネさんに聞いてみたら、脳梗塞の既往があるから『血管性認知症』なンじゃないかって。たまに泣き出しちゃうこともあったのよ〜」
と溜息をついていた。大平は、
「オレには親父の面倒は無理だなァ…」
と両腕を組んだ。
親のどちらにも、オレは『ゲイ』だから結婚はしないと「カミングアウト」し、父親は激怒し母親は号泣し、それでも最終的には、
「雅之は雅之。孫の顔は見られないだろうが、それであの子が幸福ならばイイ」
と理解を示したのだが、母親のことを考えると今後独りのままでイイのか彼なりに不安ではあった。
大平は寮内の見回りをし、終えると宿直室に戻った。昨夜は郁斗が「夜這い」に来ていたが、今夜はこのまま寝てしまおうかと布団に入った。母親の疲れた様な顔を思い出すとなかなか寝付けない。都立の中学生で校長までやっていた父親にずっと尽くしてきただけに、何とか孝行できないかと思った。
『嗚呼、誰かイイ男(ひと)いないかなァ…』
そう思いながら彼は布団を頭から被った。
その頃、翔の部屋には佳憲がいた。本当は大平のところに「夜這い」をしに行きたかったが宿直室が真っ暗だったからで、彼は言った。
「宿直って言っても寝に来てるもンだよね〜」
「どうなンだろ? 七瀬先生はしょっちゅう見回りに来てるよ」
「まァ、あの先生は『ノンケ』だから」
「『ノンケ』って?」
「つまり『ゲイ』じゃないってこと」
「ふ〜ん、そうなンだ」
七瀬は、ほぼ皆がゲイという教師の中で唯一ノンケだった。妻子もK高校の近くに住んでいた。そんな七瀬を校長の岩崎は好いており、何度か「アタック」していた。しかし、
「校長の、その手には乗りませんよ!」 と突っ張られ、
「何よ! ノンケぶっちゃってさ!」
と悪態をつくのがオチだった。
翔は、正美に昨夜話したことを佳憲にも話した。それに対し、
「あぁ、あのおじさん? 知ってるよ。一昨日、理事長と戯れてたよ」
と佳憲は言った。彼は、
「翔って、『フケ専』なの?」
と聞いた。
「何? 『フケ専』って…」
「まァ、中年や壮年がタイプってヤツかなァ?」
「たまたま優しくされただけ」
「でも、イッちゃったンでしょ? じゃあ、その種のタイプが好きなンだよ」
「う〜ん、そうかも」
「フケ専」という言葉、誰から教わったのかと翔は思った。そもそも、佳憲が付き合っていた美術教師というのは三十代後半だったらしいから、まァ、彼から「吹き込まれた」のだろう。入学して間もない頃、一度だけその美術教師が描いた佳憲のデッサンを見せてもらったが、肉体の諸部位が忠実に描かれていた。多分、描きながら内心は早く抱きたいと渇望していたに違いない。翔は色々な憶測を脳裏に巡らせた。
隣では、正美の携帯電話が鳴っていた。オ◯ニーで中出しをして汚れ、洗濯したブリーフが一枚だけ洗濯ハンガーに吊るされていた。彼が携帯に出ると、
「あ、正美君? 久しぶり。八坂です」
と懐かしい声が聞こえた。正美は思わず、
「お、おじさん!?」
と声が裏返ってしまった。八坂は言った。
「あ��から他の中学校に転勤となって…おじさん、淋しいよ」
「母さんは元気?」
「あぁ、変わりないよ。先週、『休みなら一度顔見せてあげたら? 周ちゃんだって抱きたくてしょうがないでしょ?』って…。おじさん、そんなつもりないンだけど」
「否、オレは淋しいよ。独りでオ◯ニーして…。おじさんとセッ◯スしたい」
携帯越しに八坂は声を上げて笑い、
「正美君の、もっこりブリーフに顔をうずめたいよ」
と話した。
あんなに「オレは教師だッ!」と拒み続けていたおじさんが…と、正美は思った。母親がよく「周ちゃんが…」と昔から話をしていたが、彼女によれば剣道を始めたのが一人の先輩に心を寄せたからだった。剣道の腕も関東大会に出場するほどで、長身で「ルックス」も良かった。その先輩も八坂と個人練習に誘うくらいで、下校も途中まで方角が同じだったらしく、いつも一緒に帰っていた様だった。
或る日、八坂が正美の母親の家に遊びに来たが、その際に彼がこう話したのだ。
「…政子ちゃん。オレ、先輩とエッチしちゃった」
「政子」とは、正美の母親の名前である。幸いにも、政子の両親はいずれも仕事でいなかった。この頃、未だ同性愛そのものが社会的にタブー視され、政子も最初はショックだった。八坂は正座をしたまま頭を垂れ、
「…部活の後に体育倉庫に呼ばれたンだけど、急に『ずっと好きだった』って言われて。接吻(キス)されたり、チ◯ポ触られたり…。オレも先輩が好きだったから、そのまま…」
と告白した。政子は聞いた。
「…先輩。周ちゃんの気持ち、知ってたの?」
「…ううん。でも、気付いてたみたい。最近、やたらと優しいなって思ってたンだけど」
「でも、それとこれとは話が違う気がするなァ〜」
その先輩とは、高校進学と同時に縁が途切れてしまったと、後に八坂が政子に話した。オレもどうかしていたと考える様になり、そのまま大学卒業後は教員採用試験に受かって中学校の教師となり、三十代前に結婚したのだが、内心は同性の方が好きだったのだ。
携帯電話から聞こえる八坂の話は続く。彼は言った。
「実は、おじさん、離婚したンだ」
「えッ、いつ?」
「先月かなァ…。 自分の気持ちをこのまま偽り続けることができなかった」
「…おじさん」
「まァ、恭子おばさんからは教育費は振り込むよう言われたけどね」
正美は、恭子だけが何度か政子を訪ねに来ていたのを目撃していた。高校進学前に見かけた時は、政子の目前で泣きじゃくっていた。彼女は、
「結婚して十四、五年経ってから『オレはゲイなンだ』って言われたって、アタシ、困るわ…」
と洩らした。それに対し、
「嗚呼、ついにカミングアウトしちゃったのね…」
と政子は言った。
「…アタシ、周二は素敵な旦那と思���てる。ずっと非常勤で教師やっていても『無理すンなよ』って気遣ってくれるし、結婚記念日には必ず何か贈ってくれてたし…。でも、ゲイなんて…」
「恭ちゃん、よく考えてみな。愛してるからこそ、周ちゃんはあなたに自分の気持ちを話したンだよ? たとえゲイだろうと周ちゃんに変わりはないンだよ」
そんなやり取りを勉強の合間に聞いていた。あの頃は、未だ離婚するか決めかねていたのだろう。大人になると色々むずかしいなと、正美は思った。
八坂は、翌日の午前に会いに行くと話した。久しぶりに食事をしようとも言い、正美は嬉しくなった。彼は鼻歌を歌いながら床に入った。
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