#咲くや��の花館
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🌱 おは、 . 春を感じてお庭の野晒し越冬組もムズムズ..♪ . 奥のレオポんのお引越し子株が勝つのかはたまたアガボの逆襲に合うのか、🦋vs.🦖的なw . いや、どっちか抜けよって話やけど。笑 . . ⚠️今月から#plantplant 開店日が毎月29日に変更しています❗️ 月末日曜日ではありませんのでご注意下さい🙇♂️ . 因みに次回の出店は来月 4/8,9が#moro2plants 4/15,6が#咲くやこの花館 にて出店です。 . それぞれ宜しくお願いします🙏 . . #echeveriaagavoides #agaveleopoldii #succulent #echeveria #agave #plantplant #tukkajakukka #tukkajakukka_plants #plantsmakepeoplehappy https://www.instagram.com/p/CqJmW8LPtOf/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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背景が優しい
先日記事に書いたNikon D40で横浜山手の花を撮るとこんな感じになります。
背景のぼけ方や光���入り方がやさしくなるのです😊
横浜山手の花は、写ってる通り、優しい色合いの花が多くて
植物園に咲いている花とは、なにかが違います。
西洋館を引き立てるかのように、ほこらしく咲いてるように、私の���には映り込みます。
なんかちょっと寂しい感じもする。
まさに山手がそういう雰囲気の街なのですよね。
私は山手のそういうところが好きです。
2023/09/01
23:40
#日記#風景#景色#眺め#beautifulview#花のある暮らし#花が好き#アンティーク#横浜市#山手#横浜#yokohama#yokohamacameraclub#yokohamacity#nikon d40#flower#flowers
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散り桜
2024.4.14
ソメイヨシノが散って終わりを告げようとしています。散っていく桜もキレイですが、それももう終わりですよね。
今は里桜がキレイに咲いています。
天王寺に行かないといけない用事があって、ちょっと早めに出かけて天王寺公園や茶臼山あたりを散策してました。
慶沢園に行く予定だったんですけど、行ってみたら休園中。来年の四月までお休みみたいです。事前に調べとかないとこんなことになりますが、まさか休むとは思っていませんからね。
で、大阪市立美術館まできたらツツジが咲いていました。そのツツジに桜の花が落ちていたので撮ってみました。
普通、桜って花弁が舞うように散っていくんですけど、花ごと落ちてるのって珍しいですよね。でも、これって決して演出ではなくホントに落ちてたんですよ。
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2024.10.01
何度か来たことのある部屋で目を覚まし、そのまま仕事へ向かう家主と別れ、適当なバスに乗った。終点で降車して地図を開き、現在地点の少し先に“植物園”の字を見つけて、そこまで歩くことにする。
赤塚植物園は散歩に向いた園で、行ったことのある中では目黒の自然教育園の雰囲気に近か��た。石に支えられたベンチやテーブルが好きだった。
彼岸花や睡蓮も咲いていたのだけれど、見返すと看板ばかり撮っている。先日、「かわいい看板を見かけると__さんを思い出します」と言って、自分では生涯辿り着かないかも知れない街の看板を、Uさんが写真に撮って送ってくれた。それが嬉しかった。好きなものを好きだと口にしていると、私の優しい友人たちは、折にふれてそれらを見せてくれる。街灯やソフトクリームライト、看板や室外機の群れ。
植物園を出ると、ちょうど雨が降り始める。傘を差していても、風にあおられた雨粒が少しずつ服を重たくする。このあと誰かに会う予定があるわけでもないから、構わずに散歩を続けた。
途中、公園を見つける。“ゆうぐのなまえ”と太文字で書かれた看板に、“ふくごうゆうぐ:あそぼ〜”や“ノリノリ:ポニー”などと図示されている。その看板には子馬とパンダと虎とがいたのだけれど、実際にはラッコとイルカの遊具もあった。君たちは新入りなのかな、と思う。
高島平団地に着くころ、今日が祖母の誕生日であることを思い出して連絡する。祖父の喉に穴が空いてから、彼女は時折死への欲求を滲ませるようになった。もう年は取りたくないと溜息を吐いていた。いつもならば真っ先に「__は元気かい?」と訊くのに、今回はそれがなかったので、おや、と思う。公園で誰かの落とした青いトラックを見ながら数分話し、電話を終えた。
高島平駅からさらに北へ歩くと、見知った煙突に似たものが見えてくる。そういえば、数日前に投稿した池袋の塔が「高島平にもある」と引用されていた。その頃には雨が上がっていて、青い空に煙突が映えていた。
板橋区立熱帯環境植物館に着く。チケット販売機の前に立っている時点で既に子供のはしゃいだ声が聞こえる。どこかの小学校が遠足中のようだった。Eに「黄色い帽子を被った子供と私としかいない」と報告すると「植物のふりしな」とアドバイスをもらう。
温室の外側には、劇場の貴賓席のような、大きな窓とソファのある空間があり、そこから中を見られるようになっていた。居心地よく、また黄色い子供たちのいなくなってからは人も少なかったので、そこにしばらく座っていた。
これまでは翌日の仕事のために眠れるまで薬を飲んでいたけれど、休職している今は、たとえ寝付けなくても規定通りの量に戻すことを優先している。それで、ここ数日はあまり眠れていない。その場所にいるあいだ、自分が休まっているのを感じられて快かった。
自室に戻ろうと植物館を出て、ガスタンクの3つ並んでいるのを見つける。それが何のために必要で、どう動いているのかを知らないからか、自分にはまったく理解の及ばない宇宙船か何かのように見える。光の反射が綺麗だった。
ガスタンクのそばで母親と電話をする。もともと連休の間だけ地元へ行く予定だったのだけれど、普段滅多に帰省しないことや、今回の休職で随分心配をかけたことを機に、滞在期間を延ばしたのだった。祖母との通話について話すと、「余計なこと言われなかった?」と心配そうに言われる。どうやら、祖母から「__は子供作んねのか」と何度も訊かれており、私の体調がずっと悪いことや、自分を生かすのに精一杯で子供を作る気はないことを説明してくれたらしい。母の理解の深さが嬉しかった。帰省中に何をしようかなと言うと「あんたは私にレザークラフトを教えなんないよ」と返される。私がもう使う予定のない道具を実家に送ると、母は「勿体ないから」と言って、それを使って新しくものを作り始める。彼女が手芸を教えてくれたおかげで、私は一人遊びの上手な子供だった。今でも手慰みでレースを編む。
浮間舟渡駅へ移動すると、駅のすぐそばに広い公園があったので、その池の周りを歩いた。陽光に晒されたくなって日傘を閉じた数分後、右目から涙が止まらなくなる。感情由来の涙は両目から、それ以外の涙は右目から出る。普段あんな眩しさの中にいることがないから、光をうまく調節できずに疲れたのだろうか。ぼろぼろと出てくる涙に困ってしまう。
17時ごろ部屋に戻る。今日から10月が始まっていた。
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咲くやこの花館の温室にある小さな滝。
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愛と遠視、傷と羽音
ここを開けるのは��久しぶりだ。
ここに載せてきたようなことは、特定の宛先なしにはもう、書かないかも知れない。そう思い、過ごしてきた。
けれども再び開けてみるのは、魂が「必ず終わりをもたらしてやる」と私にかけた言葉が、最後の投稿(二年前)に置かれたままになっていたからである。
そのことは、ずっと忘れていた。それからふと、私の目に留まった。魂は言った通りのことをやってのけ、そして新しい生を贈ってくれた。その遍歴を語ることはできなくとも、しるしづけることはできると思う。
*
私は人と一緒にやるようになってから、今の自分の言葉でいえば、こんなことを探求してきた。小説と幼年の境界。小説と死者の境界。小説と観者の境界。小説と神話の境界。小説と肉体の境界。小説と因果の境界*準備中。
さいごの「小説と因果の境界」は短いものだが、その時点の私にとっては極限だった。2023年3月に書き終えてから、文字通り彷徨った。多くのことに手をつけ消耗していったが、それらがいずれ小説に資すると、以前のようには思えなくなっても、自力では止まらなかった。だから、こころがブレーキをかけたのである。
もっとも状態がよくなかったときに、間一髪で(自分ではなく)世界を選んだ。
それまでは、自分というブラックボックスを通し、みるものに陰影を纏わせつづけていた。私の文について色々なひとが色々なことを言ったが、概ね共通していたのは、独特な結晶化作用があるということだった。確かに私も信じてきた。その陰影こそがやがて固有の輝きを露わにし、光を集めるのだと。それはしかし、かなり時間のかかる作用��もあった。誇張して言えば〈こちら側(この時)〉では、私はいつもほほえむだけだった。蜜蜂は、蜜を集めることが今を生きることであるのに、わたしはそういう成り立ちをしていなかった。
終わりをもたらすとは、このブラックボックスごと引き潮に渡すことを、決断できるということだった。そのとき圧倒的な苦しさの中で、光や風や、水を感じた。私は人に「生きているだけでいい」と何度も言ってきたけれど、自分自身にそう思うのは初めてだった。
*
それから、素晴らしいことが起こり始めた。
*
今日お話ししたいのは8月17日に、生まれ故郷がいつより美しい姿をみせてくれたことだ。冒頭に挙げたものたちと並行して、2021年秋から断続的に「小説ではない文」を書いてきた。その文はあれら境界のすべてと、そのほかの体験とを含んでいる。それがついに成り、人に託した翌日のこと。
私は文の主要な舞台のひとつである公園に行き、小さな川が池に流れ込む様子がよく見えるベンチに座った。文を送る際に添えたメッセージ――花が咲いていると、思わずきれいだねと話しかける身体について――を思い出しながら、樹々を眺めたり、サンダルのまま流水に入ったりした。
開いた本に、ある大小説で主人公が亡くなるのは、作者が次第に苛立ちをおぼえてのことだと言う人がいるが、小説家が主人公を愛さなくてあのようには書けぬ。と書かれていて、涙がこぼれた。
上空を涼しい風が吹きわたった。まるで巨大な湖をまえに、雨が降る先触れをきくようだ。30分はもつと思ったが、もっと早く降り始め、晴雨兼用傘をさしてベンチに陣取ると、叩きつけるようになった。それまで氷の入ったプラカップに麦茶を注いで体を冷やしていたが、飲み口の近くに雨雫が付けば楽しかった。化学繊維の軽いスカートは膝上まで濡れて、抱えた水草のバッグは暖かく守れていたから、真っ直ぐな大雨音は、そのまま安心と結び付いていた。
あめのひは、かさをさしてほんをぬらさず。地元の図書館が子供向けに貼りだしていたポスターは、なぜかブロントサウルスが直立歩行で傘をさしていたな…
後方の東屋を振り返ると、その向こうに誰もみていない空が出現した。
そんな空が、生まれ、住まいを変えつつ暮らしてきた人口の多いこの地に降るとは。山を登ると��にだけみられる幻でなくなるとは。神代の、人の手付かずの自然であった頃にまで、生地は戻ることもできるのだ。その記憶の存在を私はしっかりと感じた。
動かぬままで雨が上がると、すっきりと遠くを見ていることに気が付いた。
*
ひとつ上の友人は、ゴルフを好きになってから視力が1.0に回復したといい、2.0ある同い年の友人は、私は本を読まないからだと結論するが、確かに読み書きを好む者の目は、遠くよりも近くを見ることに適応しやすい。
私の場合、いつも近くに対象物が入るよう、目が無意識に動いていた。一本道を歩くとき、街路樹や自転車や自販機を、たぶん本来は必要のない頻度で見る。身体は真っ直ぐに進みたいし、目も協調しているかのようにふるまうけれども、実は遠くを見据えると疲れるので、目は避けようとする。身体はそれを知っている。
このもどかしさが突然、消えた。目が遠くと和解していた。コンタクトレンズ装着時のような視力の上がり方ではない。あれは眼科医も友人たちも、生活に危険がないように、情報が沢山入るようにとすすめるし、私も長い間、そういうことだと思ってきた。近視は見えるべきものが見えずにつらいのだと。そうではなかった。
全力で書き切った文を贈り、生地が応えて記憶のかぎり遡ったから、私は見晴るかす、すべてがうつくしい、と話しかけていたのだ。それで遠くをみるのを畏れることがあろうか。自分の不調の解消や、情報の取得のためならば、ここに出ることはかなわなかっただろう。
*
歪みを、遅延を、細部をバネに跳躍するというやり方を手放さなければ、ここに来ることはかなわなかっただろう。だからこそ、話せるようになったのだし、それでも、書けるのだ。たぶん。
数日して、仰向けになった首の付け根で何かが羽ばたく夢を見た。蝉のように力強い振動に驚いた。整体師の方によれば、私の視力と幼い頃つくった首の傷には、なにか関係があるらしいのだが。
即時的にあらわれるものも、遅れを伴ってあらわれるものも、どちらも肯定しきるようなものを書きたい。それはパラレル・ワールドを時間的に翻訳したようなものになるのではないか。今はそのことだけを思っている。
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君の解像度だけ低く、低くなっていく。デジタル写真を合わせて一つの絵を作るアレ、名前はなんだっけ?存在だけは認識できるのに、一つ一つはぼやけてしまって自分の容量の小ささに心底辟易する。人が忘れていくのは声からなんだって、なんていう失恋とかいうタイミングでよく耳にするようなインターネットなのか偉人の言葉なのかよくわからない受け入りのセリフをまんまと思い出した。恋人には花の名前を教えるといい、花は一年に一度必ず咲きますとかいう、これまたよく耳にするセリフも思い出した。握った手の感触も温度も、その握った手を持ち上げて眺めたときの血管の色も爪の形や大きさも、手のひらの湿度も、その時交わした言葉も場所も。隣を歩く時は僕が右だったっけ、隣で寝る時は?食卓を囲む時は?ソファに座る時は?あの映画館の座席の色、君の家の玄関のタイル、あの動物園にいたのはパンダだった?あの時みたスカイツリーは何色だった?君に教えてもらったバンド、僕が教えた本、あのゲームで君が使っていたキャラクター、一緒に行った美術館の個展、そこで買ったポストカードの絵画の名前は?誕生日のケーキの味とろうそくの色、冬のボーナスで君が買ったのはなにで、僕がクリスマスにプレゼントしたのはなんだった?あの時なにが流行ってた?公開していた映画は?放送していたアニメは?あの有名な女優が亡くなったんだっけ?そんな思い出せるはずもない、夢なのか妄想なのか、現実だったのかすらわからないような君や君との思い出がずっとあの時から止まっていて、僕だけ押されて流されて忘れられて忘れて、僕だけ歳をとってこんなところまできてしまった。『何か大切なことを忘れてしまっている気がする』の、『何か』 も大切だったのすら思い出せないまま。僕はずっと忘れたまま。
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All voice actor comments from the P3 Movies blu-ray
石田 彰 (結城理 役)
「ペルソナ3」が劇場版になって主人公に結城理という名前がついたことで、自分の中で主人公というキャラクターがより具体性を増してきました。
劇場公開当時、各地で舞台挨拶をさせていただいたときにも「今回、ようやく結城理という名前がつきました」という発言はしたのですが、会場に詰め掛けて下さったゲーム版からのファンの皆さんには、今一つピンと来ていないようでした。ここら辺はプレイヤーキャラクターであることの限界かと思っています。
他のキャラクターについては、皆さんおなじみのあのキャラクターが、スクリーン上を縦横無尽に駆け回り、見覚えのあるあのシーン、このシーンが繰り広げられることで「待ってました!」「これが見たかったんだよ~」というある種の達成感というか満足感があるのでしょう。
だから、主人公というキャラクターに対して、やっと結城理という肉付けができたという満足感が得られるのは、主人公を演じ続けてきた僕の特権といえるでしょう。今回、パッケージに結城理とクレジットされていることに日本で一番喜んでいるのが僕です。
豊口めぐみ (岳羽ゆかり 役)
完成した劇場版アニメを見て、まるで誰かがプレイしているゲームを見ているかのような気分になりました。それくらい原作ゲームを大事にされているなぁと思ったのです。
ゆかりの声を初めて収録した日、ゲーム冒頭のチュートリアル��ーンもあったかと思いますが、なんだかとにかく凄い量のセリフを、プレイヤーさんにご理解いただけるようにするのに格闘した記憶があります。
あれから数年の時を経ての劇場化。
今回は時間との闘いでした。
年齢との (笑) ということもありますけど、単純に数年前に戻るだけではなく、関係性も0へ戻す。今は知ってしまっていることを、いかに知らないように演じるか。
しかし、ペルソナ3のメンバーは凄いです。
みんなの声を聞いて、あっという間に昔に戻った気がしました。またこの方たちと物語を紡げること、本当に嬉しく思います。
初めて見る方も、ゲームをプレイしてくださった方にも楽しんでいただける作品になっております! いろんなとこにニヤリなものが散りばめられているようです。
劇場で見つけられなかったもの、見つけてみてくださいね。
鳥海浩輔 (伊織順平 役)
祝・劇場版・アニメ化! このお話を最初に聞いた時は本当にうれしかったですね。ゲームの収録からは、もう片手じゃ足りない年月がたっていましたし、ドラマCDやゲームの続編なんかは収録してましたけど、アニメ化はもうP4がやっちゃってたし (笑)。流石にないだろと思っていた、いや、そんな事も思わなくなっていた時に、ですから。この作品は個人的に非常に思い入れのある作品です。もちろん伊織順平というキャラクターも。そんな作品がアニメ化、しかも劇場版ということですからね。「やっちゃうよー俺!」ってなカンジで収録前からワクワクしてました、珍しく。実際の収録も皆さんが一言セリフを言う度に、「ああ、そうそう」みたいな。
なんかとても楽しかったなあ。うれしい事に、劇場版も一本で終わりではないので、観てくださる方達にもたっぷり楽しんで頂けるのではと思います。我々も力一杯演じていきます! まずは、この第1章を堪能して下さいませ。
能登麻美子 (山岸風花 役)
元々ペルソナの世界観にとても魅力を感じていました。ストーリー、映像、作品全体に漂う雰囲気、作品を包む空気感。ありそうでない。ペルソナという作品だけが持つ独特の “何か”⋯。うまく言葉では表現出来ませんが、人を惹きつける力を強く持っている作品だと思いました。
そして、それらの全ては劇場版でも素晴らしい形で表現されていて、初めて映像を見た時、心がとても震えたのを今でも強く覚えています。キャラクターを再び演じることが出来たのも大きな喜びでした。ゲームと同じように、この劇場版も皆様に永く愛されることを願っています。
田中理恵 (桐条美鶴 役)
第3章の公開を目前に控え、第2章のパッケージが発売ですね。勿論、第1章も劇場で見て Blu-ray/DVDでも何度も見ましたが今回の第2章はなん��言っても美鶴のペルソナ召喚ですね。
劇場でも見て、ゲームでプレイして美鶴のペルソナ召喚の時以来の感動でした。第3章の劇場公開を見に行く前にぜひ! また第1章 第2章を何度も見て貰えたらなと思っています。
学園生活をまた主人公と共にもう一度 「ペルソナ3」の世界でやり直す気持ちで演じています。アルカナ・女帝に負けじと今後も第3章でも頑張って参ります。
劇場で見られずに今回から初めて見られるかたも、劇場で見てくださってもう1度、何度も見てくださるかたに感謝の気持ちと今後とも「ペルソナ3」をよろしく! という気持ちと、愛を込めて⋯!
緑川 光 (真田明彦 役)
Blu-ray/DVDお買い上げありがとうございます。
やはり、ゲームから引き続き応援して下さってる方が多いのでしょうか? 長い事この作品を愛して下さって本当にありがとうございます。
正直、「ペルソナ3」 のアニメ化は諦めていたのですが、まさかの劇場映画化と言うことで、めちゃめちゃ驚きましたよ (笑)。
テレビアニメ化だとクオリティが微妙な場合もありますが、劇場アニメなら高水準のクオリティは約束されたも同然ですからね (笑)。
しかも、毎回監督さんが変わるシステムという事で、その都度、見せ方が異なっているのは、とても面白く感じます♪
この辺は劇場で1���見ただけじゃわからないでしょうから、シリーズ通して、Blu-ray/DVDで繰り返し何度も見て頂けると幸いです (^-^)
緒方恵美 (天田乾 役)
「ペルソナ3」 劇場アニメ化を喜びつつ、第1章は映画館でお客さんとして観ていたので、やっと来たか! と嬉しかったです (笑)。
映画の天田はゲームより素直に描かれていて⋯だからこそテストでは逆にスルッと演れてしまったんですが、そんな自分自身にココロのどこかに潜んでいた「天田のカケラ」が違和感を唱え (笑)。
監督や音響監督と相談し、少しだけゲームの雰囲気に近づけることになりました。結果、素直だけどちょっぴり大人びた、思慮深さのある少年になれた気がします。魅力的な原作の中から、時間の関係でエピソードを絞られてしまったのは残念ですが (スタッフの皆様も苦渋の決断かと⋯!)、その中でも必要な静寂や、逆にたたみかけるような部分、更にコミカル・シリアスも絶妙なバランスで配置されていて、変な言い方ですが本当に「映画的」な、素晴らしい作品に。
田口監督以下、皆様のお力で⋯参加させて頂けたことを本当に嬉しく思います。
連作の途中ではありますが、渾身の1本。愉しんで頂けたら幸いです。
中井和哉 (荒垣真次郎 役)
荒垣君とはゲームの収録で出会いました。よもやこんな長い付き合いになるとは思わずに。もちろんそこでも彼は物語の半ばで散っていく訳ですが、別に寂しさはありませんでした。
なにぶんその日に出会って、��れたものですが1回限りのキャラクターとの関係って大体そんなものです。
ところがその後、私は数々のドラマCDで再び彼と出会い、彼の色々な面を知ることになります。今にして思うとそれはまさに劇場版「ペルソナ3」第2章、夏休みのワチャワチャとした雰囲気に似て、多少羽目を外しても許される空間。こういう企画に多くはゲーム本編のムードから外れたお遊びで、楽しくはあっても意味などないのが常なんですが、私と彼にとっては重要な時期になったようです。
やがて絶対に訪れる別れをどこかで意識しつつも、楽しい日々を過ごしていました。
そして時は流れ、ブランクがあって。彼を心の奥にしまっていたところへの劇場版。そのシビアな舞台で決定的な別れを経験した今、私は今度こそ、心底寂しいと思っています。
神奈延年 (タカヤ 役)
「タカヤ」というキャラクターに出会って、もう何年たったのか? 基本は悪役なのでしょうが、彼の生き方は大まかなところでなぜか共感できるところもあるのです。この物語で「終わり」に対しての向き合い方、全てを受け入れ、今を生きる。しかし⋯その生き方に、光ある明日を見出していないところが、この物語での彼の役割たる所以でしょうね。僕はやっぱりこの状況なら、理たちのように抗うとおもいます! タカヤを演じる上に於いて、気をつけたところは、彼の風貌を損なわないように、柔らかく話すようにし、その中に刹那的な思考、そこから生ずる恐ろしさも混ぜてみました。
沢城みゆき (エリザベス / チドリ 役)
この「ペルソナ3」という作品では、私はエリザベスとチドリという二役を演じさせていただいてきました。前者は「発言されているわけではありませんが)いわゆる “永遠の命”、後者は “刹那の時を生きた命”、という対照的な印象があります。この第3章は正にチドリの命の花がパッと咲いた大切な映画となりました。⋯彼女がむかえたエンディングを思うと、散った、と言うべきかもしれませんが側にいた私には不思議と、美しくきらきらとした温かい花を抱いたままの体感が残っています。皆様にも優しく見届けていただけたら幸いです。⋯さて、第4章ではエリザベスさんの⋯いつもとは少し違った? 面が見られるかも?? お楽しみに!
小野坂昌也 (ジン 役)
ジンはおわかり頂けるように大阪弁のキャラクターなのですが、他作品などで演じさせて頂く大阪弁のキャラクターは、だいたいツッコミ役だったりおちゃらけているパターンが多いので、そういった意味で言うと、ジンはなんとなく大人しいキャラクターで珍しいな、と思いました。ただ、大人しいとは言えキャラクター性を出さなければいけないので、性格を作りつつ、他のキャラクターとのバランスをとるのが難しかったです。特にジンは無口というか、あまり話さないキャラクターなので性格���掴みづらかったというのもありました。ゲーム収録時は基本的にキャラクター作りは任されていて自分主導でキャラを作っていけるのですが、アニメとなると全員のポジションとのつり合いをとらなければいけないので、音響監督と微修正を重ねていったのを覚えています。
石田 彰 (結城 理 役)
劇場版「ペルソナ3」にまつわる妄想
結城理にとって劇場版「ペルソナ3」の全4章はデスをその身に封印され、心が虚ろになってしまった彼が、特別課外活動部の仲間達とのふれあいを経て、その中身を満たし直していくまで の過程をたどる物語でした。
理の記憶の甦りという物語構成の妙として、時間軸とそれが公開されるタイミングがズラされていたりしたので、ゲーム版に触れたことがない観客の皆さんは初登場時の理の立ち位置に一種の不気味さを感じたのではないかと思います。そのうえ各章で起こる事件は、例えばゆかりの父親に対する誤解や順平とチドリの一件、荒垣先輩と天田くんの関係など暗くて重いものが多い印象です。しかしそういった明るくてハッピーなものばかりではない、人が内側に抱え込んでいる傷の部分をきちんと描いたからこそ、彼らに出会ってそれを見つめることになる理も、章が進むにつれて、本来、人として持っているべき大切なものを、欠けることなく獲得していけたのだと思います。
劇場版 「ペルソナ3」の全4章が観客の皆さんに受け入れて頂けたのも、ゲームで体験したストーリーを映像で見てみたいという興味の他に、そんな理の見る景色に影響され同調することで、その先の展開が気になったからという部分もあったのではないでしょうか。このように人の心を構成する様々な経験の起伏を描いた劇場版「ペルソナ3」ですが、そもそもペルソナという単語は僕の理解では心理学周辺で出てくるものですよね。
一番初めのゲーム収録でこのタイトルと内容を知ったときに、バトルをするための自分の化身をペルソナと呼ぶなんて、何でシャ レてるんだと思ったものでした。人が対外的に自分を表すためにかぶる仮面。それが敵、自分に向かってくるモノと戦うための武器になる。これは日常のコミュニケーションそのものに見えます。だから、そういうペルソナを本来の意味を考えると、理だけが一つのペルソナの進化という形ではなく、初めから複数のベルソナを使い分けられるというところにも自分なりに納得のいく理屈をつけることができそうです。心の中が空っぽの理には端から対外的にどう見られたいという願望がありません。そんなことは彼にとってはそれこそ「どうでもいい」ことであって、どう見られても構わないからこそ、かぶる仮面を一つに限定する理由がないのです。どうでしょう。自分としてはこの理由付けの仕方、なかなか気に入っています。理が空の器であったと捉えることで、映画の登場人物として物語を展開させてい��大きな必然性を持たせることにもなるのです。結城 理の物語はゲームの枠にとどまらず、映画化という展開にも充分耐えうるポテンシャルを持っていた、だから映画化されるのは必然だったというのはちょっと暴走し過ぎでしょうか。暴走ついでに、第4章『Winter of Rebirth』のクライマックスシーン。これまでの経験を経て、一度無くした人間性を取り戻し、中身を満たすことができた理は、かつて母親が自分にしてくれたように、仲間を生かすために自分の命を投げ出すという境地にまで達します。そこには第1章『Spring of Birth』の頃の己の死の恐怖に対するどうでもよさから来る蛮勇はありません。自分たちが存在した証を守り残すという全員の目標を果たすために、理は自分を満たしてくれた、自分を再構成するためのエレメンツをくれた仲間と彼らが生きていく世界を、今度は自分が数おうとしました。そしてそれが自己犠牲的発想に基づく行動だったのは皆さんも感じられた通りです。そのために数多くのペルソナという仮面をかぶることができる理が、ことごとくそのペルソナを打ち砕かれ、最後はその仮面をかぶらずに先へ進む。これはなかなか象徴的なシーンだとは思いませんか。
「生きろ」と自分に伝えてくれた母親と同じ言葉を仲間に託していく。母親が我が子を思う母性愛が、究極、無上のものであるならば、仲間たちとの間にその無償の愛情を注げるまでの絆を楽いた理の内面は、完全に人間としての形を取り戻したと言えるでしょう。それに加えて、ペルソナという仮面をかぶらない形でしか最後のステージに上がれないという仕掛けが用意されているわけです。これはニュクスという究極の敵、環境、世間に立ち向かえる力を宿す場所はその人の本質的な部分にしかない、虚飾の仮面を被った姿では無理なんだというメッセージにも見えるわけです。また、敵を倒すときにはペルソナという仮面をまとい、大切な人を守るときには自分の素の姿をさらけ出すことが必要だったという構図も暗示釣です。自分なんかはとてもじゃないけれど素の自分をさらけ出したところで強さに結びつくとは到意思えないと言いたいところですが、一度リセットされ、新たに経験を積み直した理は、人より先に一つ上のステージ、命の答えに到達しているのです。もはや凡人ではありません。フィクションとはいえ、影時間でシャドウと戦う使命を与えられたのが理達で良かったとつくづく思います。もしも僕だったとしたら、命の答えにたどり着くのはまだまだ先のことでしょうから、世界は予定通り1月31日に終わっていたでしょうし、そうなったらこの妄想が世に出ることもなかったでしょう。そう考えるとそれ���アリだったかもしれませんけどね。
坂本真綾 (アイギス 役)
アイギスというキャラクターに出会ったのは、もう10年も前のこと。まさかこんなに長い年月を一緒に過ごすことになるとは、当初は思っていませんでした。多くのペルソナファンの皆さんに愛されて、このたび映画という形でもう一度みなさんに再会することができました。大きなスクリーンでアイギスや、大好きなキャラクターたちが活き活きと動きまわる姿を見ることができ、とても嬉しかったです。彼らが絆を築き上げていく過程、真正面からお互いにぶつかっていこうとする姿勢に何度も胸打たれました。
アフレコの度に感じたことですが、この作品に関わっているスタッフさんや、キャストの皆さん、本当に作品への愛情が深くて、とても喜びに満ちた表情で収録に臨んでいらっしゃいました。その雰囲気は、完成したフィルムにもきっと滲み出ているのではないかと思います。
ついに完結となり、寂しさもありますが、達成感のほうが大きいです。アイギスと出会えたことに改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
#persona 3#p3#i know there was an english version of the blu rays but i dont own them so#also i am NOT scanning it#there are also interviews with the directors ill post them later#whenever i see a bad enough take on makoto i always go read that last interview by ishida again
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府中市郷土の森 曼殊沙華まつり2023
長かった残暑も終わり、秋らしい気候に。お待ちかねの彼岸花を求め府中市郷土の森博物館へ。
今年の夏は本当に暑かったですね。9月に入ってからも連日の猛暑日が続き、例年に比べ開花が遅れた彼岸花も下旬にやっと見頃に。ということで、おなじみの府中市郷土の森博物館へ行ってきました。
今年から「曼殊沙華まつり」と銘打たれた園内には、一輪咲のものから群生地までいろんな角度から彼岸花を楽しむことができました。訪れたのは前夜に雨の降った午前中ということで適度に湿り、あまつゆをまとったお花が非常に美しく、写欲を搔き立てられました。
ただ雨の後故の地面のコンディションから、膝をついた姿勢は取りづらく。。。(腰痛で)腰を曲げられない身にはなかなかつらいものがありました(蛇足)。
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3月の後半は本当に慌ただしい日々が続きました。暖かい日が続き、お山の方も少し早い桜が咲いていました。春はいつでも能天気なほど明るくて綿のように優しく柔らかいです。 さて気持ちを切り替えて4月。今ごろ花粉症なのかアレルギーなのか鼻水を垂らしながら、遅くなったソラクモグループのトップ画像を選んでみました。
今回の有馬雄二郎さんの写真ですが観光船の上に浮かぶ巨大な雲には迫力があります。空や雲は世界とつながり、海もつながっている。そんなメッセージが聞こえてきそうな一枚でした。有馬雄二郎さんの写真は何よりも色が良く見ていて飽きの来ない写真です。 有馬雄二郎さんからコメントをいただきました。「私は岡山在住ですが、この写真は瀬戸内海を挟んで向かい側の高松港で撮ったものです。その日は3月に入ったにもかかわらず寒い日で、立ち寄った名勝栗林公園を散策している間は雪がチラつくほどでした。高松行きのメインの目的である川瀬巴水という版画家の展覧会で素晴らしい���品群に出会った幸せな心持ちで美術館を出ると外は入館前とは一転、青空が拡がっていたので瀬戸大橋に向かう前に高松の街をドライブしました。程なく高松港に出ると屋島上空から夕日を浴びながらぐんぐんと近づいてくる巨人のような雲が見えたので急遽車を停めて写した次第です。たまにしか海辺には行かないので 空と海それに浮かぶ船の取り合わせが新鮮に感じ、是非海も一緒にと思いながらシャッターを切りました。」とのこと。
■ソラクモグループ
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0401(百合など)
高校生のとき書店で『百合姉妹』を見つけたとき、こういうのがあるんだと驚いた。女の子と女の子の恋愛の漫画があるんだ。ちゃんと雑誌で売ってるんだ。ドキドキしながら立ち読みして、その書店に何度も通った。今日もあるな、まだ売れてないな、じゃあこれはわたしが買っていいってことかな…。コミケで同人誌を買うよりよほどドキドキした。 百合っていう名前もいいなと思った。ボーイズラブがあるんならガールズラブもあるんだろうけど「ガール」はな〜と思っていた。「ガール」にどうしてもなじめなかったからお花の名前でごまかしてくれるのはいいなと思った。ただまあこれは当時高校生だったわたしの感覚なので、花の名前にされるのをいやがる人の方が多い気はする。あとこれ同世代なら伝わるかもなんだけど、「ガール」はYUKIとかあんじとか市川実和子のための語で、わたしの語ではないな〜みたいな感覚もあった。 百合姉妹の作家陣、ひびき玲音、硝音あや、蔵王大志…。当時のわたしとしては”ワンピースとかナルトの同人誌で見かけた名前”だったので、あっこの人たち女の子の話も描くんだ!とワクワクした。よく同人誌のあとがきとかで作家同士が「◯◯ちゃんもう結婚してくれよ〜」とか馴れ合っていたのを見ていたから、わーーっわーーってなんかこうジタバタしてよろこんだ。CUTiEのモデルより同人誌の作家の方が距離が近い感じ。
ボーイズラブの漫画や小説、二次創作の同人誌は身の回りにたくさんあって、でも女性同士の物語ってあんまりないんだなあと当時ちょっとさみしく思っていた。まあ探し方が悪かったんだけど、まだSNSもpixivもなかった時代の高校生だからそんなもんだったと思う。周囲に読んでる人もいなかったし。マリ見てはなんかしっくりこなかった。あずまんが大王はけっこう好きだった。NANAはナナとハチがカップルになる漫画かも?と思って読み始めた(ちがった)。少年漫画でいえばBLEACHのたつきと織姫の同人誌ないかな〜とか思っていた。ぜんぜんあったんだろうけどうまく探せなかった。BLEACH、クラスメイトでレズビアンのキャラクターがいて、クリトリスが勃起するってせりふがあってちょっとドキドキしたんだけど正直よくわからんと思っていた(自分の性器ってよく見えないから)。 あと当時ヤマシタトモコがワンピースの同人誌を描いていて、らくがき的に女性キャラクターの絵もちょこちょこ描いていたのがスタイリッシュでとても好きだった。秀良子、のばらあいこ、阿弥陀しずく…その後商業BLで活躍している作家たちがワンピースにいて(このいるって感覚面白いよな)、たまに描いてくれる女性キャラクターを大事に大事に噛み締めていた。 ジャンプだとジョジョの6部がやっていたころ。コミケで探せば徐倫とかエルメェスの同人誌があったことはあった。でもカップリング感はあんまなかったかな。ジョジョは当時そんなにスペース数なくてコピー本が多かった。まあでも徐倫とエルメェスとFFの連帯の感じは原作を読んでいるだけでも本当にワクワクして大好きだったので、二次創作でそれ以上の掘り下げは求めていなかったかもしれない。またジョジョの二次創作はおしゃれな絵柄が多くて、作家の絵柄に落とし込んだイラストを眺めているだけでも面白かった。
コミケではモー娘。の同人誌を買ってうれしくなっていた。芸能系二次創作というのはいろいろ危ういものがあり言及が難しいんだけど、女性と女性が恋愛することを喜びたかった。わたしが見た限りだと同人誌でもあまり激しいものは見たことなくて、いわゆる現パロとかおとぎ話パロでちょっといちゃいちゃしながら仲良く暮らすような感じ…いってしまえばガワだけ借りてきて、女性同士の親密さをよろこぶような感じのものをよく見かけた。女性作家が多かった記憶。 現実にいる人間でそういう創作をやるのはあんまり行儀のよくはないことではあり、その感覚は当時だってあったけども、とはいえ、自分の「これ」はうそではないのだと思いたい、そういう素朴な切迫をなぐさめるものとして現実の人間をモデルにした絵柄でやる漫画同人誌というのはありがたい存在だった。すごいおぼえてるのが、モー娘。の風俗嬢パロ。後藤真希の娘。卒業を作中では「嬢の引退」とし、いやーーすごい読み応えあったな…。 モーヲタみたいな呼称もけっこう便利だった。いや自分モーヲタなんで〜〜とか冗談ぽく言って、写真集やグラビア雑誌を買ってみたりして。アイドルだからそんなにきわどい衣装やポージングはなかったのが、わたしにはかえってうれしいものが多く、飯田香織が素敵なワンピース着てメガネかけて図書館に佇んでいるとか、後藤真希と吉澤ひとみがおそろいのパジャマで歯みがいているとか、すごく幸せな気持ちで眺めていた。
その後大学生になり、まあなんかこうそこそこ遊び回るようになって百合の漫画を熱心に読まなくなってしまったので、いわゆる百合ジャンルの盛り上がりみたいなのはあんまりよくわからない。志村貴子の漫画をけっこう買っていたくらい。百合姉妹が百合姫になってからのことや、「尊い」みたいな言い回しも正直馴染みがないし、百合雑誌、百合ジャンルがどっちかというとシスヘテロ男性向けっぽくなってからはよくわからない(『百合姉妹』の想定読者は女性だったと思う)。百合SFで「百合が俺を人間にしてくれた」とかの感じは本当にもうわからん…。ただまあわたしは百合以前のこともあまり掘り下げてないのでわたし自身リスペクトに欠けるといわれればそうではある。ジャンルのファンというわけではなくて自分の時間のなかでそうであったということ。まあ最近はまた百合の作品で好きなものけっこうあるので、マイペースに楽しんでるんだけど(妹サブスクリプションよかったです)。 だから百合について語れることってあんまりないんだけど、それでも自分としては、『百合姉妹』を見つけたときのうれしさをすごく覚えているので、エイプリルフールに百合的な表現と接続したかたちで悪ふざけをやるのは悲しい。同人作家同士の馴れ合い的なやりとりが、じっさいどういう感覚だったのかわからんけども、高校生の自分としては素朴にうれしかったという思い出もあるので、なんというかそういう…中の人のじゃれあい的なのが「営業」みたいになっちゃう、「営業」でしかないみたいなのも苦しい。オタク的な表現にとても救われた子どもはけっこういた・いると思う。 だから百合で活動(とくに商売)している人たちはそういう悪ふざけや迂闊さにNOって言ってほしいし、同性婚にも言及してほしい。ほんとは。べつに創作は創作だとは思うというのはそりゃそうなんだけど、「言及しません」って堂々と言うのはけっこう驚く。驚くというかさみしいし心ぼそいのだと思う。でもぜんぜん黙っててもいいと思います(言えることしか言えないと思うから。これ伝わるかな…)。
ぜんぜん余談だけど、自分が大学生のとき資生堂でブランド整理があり、マキアージュの登場が印象深い。篠原涼子、伊東美咲、蛯原友里、栗山千明。タイプのちがう4人が並んで、「この世のハルがきた」というキャッチコピー。なんとも鮮烈で感激したな。CM内のキャラにちゃんと設定もあって、スペシャルドラマもやって…。レズビアンの物語ってわけではなかったけど、ちょっと百合っぽい親密さがあって大好きだった。あと篠原涼子どタイプなので最高だった。コフレドールがブランド終了ときいて思い出したけど、百合の話題からの連想でもある。
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GW辺りに札幌に行こうと思っています。おすすめの、絶対行ったほうがよい場所を教えていただけないでしょうか。カフェとかレストランとか美術館とか美術館とか…。あと夜パフェ���行きたいので、どこを選ぶと間違いないか教えてほしいです。あともしかしたら注意したほうが良いことがあれば教えていただきたいです。
こんな質問がたまにDMでも来るので、いつも楽しく回答しています。あなたの住む街に行くときはおすすめを教えてくださいね。札幌というワードで、わたしを思い出してくれるのが嬉しい。
パフェの語源はフランス語の“完璧”から来ているそうですね。夜パフェはカフェテリアパルが間違いないです。人匙ごとに味や食感が変わり、その美味しさにくらりと来ます。パフェって素晴らしい。価格帯が高めなのにいつも行列です。札幌の夜パフェは締めパフェなので、21時ごろから混み合います。すすきのでの1件目を手早く切り上げるのがおすすめです。
他にもパルよりは価格が安めな“ななかま堂”やお酒とのペアリングを楽しむ“ペンギン堂”とかもあります。クセ強店主がやっている“ぴーぷる・ぴーぷ”は色々な掟があり、確実に終電を逃しますが札幌名物って言えば名物なのかもしれません。夜ではないですが、札幌で1番美味しいパフェは“くなう”というアパートの一室で営われる喫茶“室”で、るるぶやSNSには掲載されません。アパートの一室と言えども、黒い壁紙にレースのカーテンが揺らめくだけの内装。華美ではなく、ただただ美しいパフェは美術品のようです。その甘みに背筋が伸びる。なんだか神様との対話みたいだなと思いながら食べています。勝手に“札幌で1番天国に近い場所”と呼んでいます。
どうしましょう。パフェの話だけでこんなに行数を使ってしまいました。あなたのために続けますね。北海道でみれば美術館は多いですが、札幌に屋内の美術館は少ない気がします。札幌にある北海道立近代美術館や札幌芸術の森美術館は気になった特別展の時に行く程度です。風が寒くなければ、モエレ沼公園なんてどうでしょう。イサムノグチが作った彫刻公園です。モエレ沼まで行かなくとも、街中を歩いていると、野外彫刻をよく見かけるのも札幌の小さな楽しみです。大通公園を西に降って散歩するのも面白いかもしれないですね。札幌の中心は、大通りで分断して北と南、創成川で東と西に分断した碁盤の目のような住所をしています。札幌で定められている景観色に則った建物が整然と並ぶので、他の政令都市とは違う空気感に包まれた街並みです。https://artpark.or.jp/sansaku/
よくお一人様をしてカフェを探訪していました。上記した“くなう”はパフェとして完成され過ぎている。お一人様専用なってはしまいますが“カルメル堂”は、深海のような濃いブルーの壁紙の内側でゆったりと過ごせます。季節ごとに出す甘味が変わり、5月はプリンとラムレーズンどら焼きだった気がします。わたしは7月の珈琲あんみつが梅酒寒天が乗ってて好き。“ギャラリー犬養”は、わたしが菊水に住むひとつの理由になった喫茶店です。大通り駅から地下鉄で2駅なので行きやすいかと思いますが、住宅街の奥にあるから迷いやすいかも。聞き馴染みのない西洋の伝統的なケーキが沢山あってどれも美味しい。食べた後に河川敷を散歩するのが好きでした。“喫茶店つばらつばら”と“石田珈琲店”、“一粒の麦”も好きです。
食は飲酒に重きを置いた人間なのでレストランには疎いですが、二四軒にある“ユニヴェール エス”は友人が修行していた洋食屋です。一皿一皿がキラキラして見えるのはきっととてつもなくこだわり抜かれているからなのでしょうね。後は、また菊水になってしまいますが”プティットレジョン”はフランスの家庭料理を出すビストロです。店内を一歩入ればそこは南フランス。ここもまた美味しいです。
注意することと言えば、気温でしょうか。北海道の桜はGWに咲くので、そのくらいの気温で、風も強い日が多い印象です。GWでの札幌観光ということで、移動は公共機関を想定しておすすめしてみました。土日祝日は、地下鉄が540円で1日乗り放題のドニチカという切符が買えます。おすすめしたモエレ沼公園以外は地下鉄だけで移動できます。特にカフェに関しては地下鉄で行けるものをピックアップしてみたので、レンタカーを使用するのであればまたお知らせくださいね。
5月中旬以降であればライラック祭りが大通公園で開催されます。金木犀と同じモクセイ科なので、とてもいい匂いがする薄紫の花の木です。札幌市のシンボルで、自生できる南限は関東らしいですね。大通公園のベンチの横にライラックが植えられているので、花の下でゆっくりするのが好きです。今年は雪解けも早そうなので、あなたが来る頃にライラックが咲いていたなら嬉しいな。旅行から帰ったらまた、質問箱でも良いので、札幌でのお話を一緒にしましょうね。
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横浜アメリカ山公園のあじさい
ピンクのアメリカ紫陽花です。横浜のアメリカ山公園に咲いてました。
ドライフラワーにしても、綺麗かもしれませんね。
横浜アメリカ山公園は、山手町にあります。JR線の石川町駅エリアになりますが、最寄りは、みなとみらい線の元町中華街駅です。
↓の記事にも書きましたが、
横浜の中でも観光客が多く、賑やかなのは、JR線では横浜駅、桜木町駅、関内駅、石川町駅付近になります。
横浜駅は、他府県からのアクセスにも便利な横浜中心の駅です。
桜木町は、みなとみらいがあるので新しい横浜、石川町は西洋館などがあるので古い横浜を楽しめます。
真ん中にはさまってる関内は、ディープな街でありながらも、横浜スタジアムがあるのでベイスターズの活気が感じられる街でもあります。
四つの駅はそんなに離れていないのに、各駅付近の雰囲気がガラッと変わるのが横浜の面白いところでもあります。
日本には、横浜の他にも神戸や長崎、函館などの港町がありますが、横浜はやっぱりちょっと独特な空気があり、私はそれが好きです。
あと、芸術や芸事が根付いている街でもありますから、街の空気や人も好きで、ノリが合います。
アートや音楽、ダンスだけではなく、大道芸や落語、能楽なども盛んです。
では、おやすみなさい🌙
昨日は作曲の勉強に集中しすぎて疲れました😅
2023/07/02
1:13
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コジ・ファン・トゥッテ または恋人たちの学校
AP_2021 / 名古屋芸術大学 舞台芸術領域 1期生 卒業公演
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オペラ コジ・ファン・トゥッテ ーまたは恋人たちの学校ー Così fan tutte, ossia La scuola degli amanti
全2幕 原語上演(イタリア語)日本語字幕付き
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オペラって沼!
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フェランドとグリエルモは、フィオルディリージとドラベッラ姉妹と熱愛中。恋人の愛を疑わない男2人に、哲学者アルフォンソは賭けを持ちかける。その賭けにのった男2人は、変装してお互いの恋人を取り換えて、口説いていく。女中のデスピーナに自由な恋愛を勧められ、徐々に恋に落ちていく恋人にショックを受ける男2人を、アルフォンソは「女はみんなこうしたもの」(コジ・ファン・トゥッテ)と諭し、新しい恋人たちと結婚式を挙げる。誓いに署名した後、変装を解いた男2人は姉妹を責め、姉妹は心変わりを釈明し、アルフォンソはネタバラシをして4人に和解を勧める。
中世イタリアが舞台の原作を現代に置き換え、日本語字幕付きで上演。
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作曲:W.A.モーツァルト 台本:L.ダ・ポンテ
指揮:柴田 祥 演出:鳴海康平
合唱:NUA音楽領域声楽コース有志合唱団 管弦楽:NUA舞台芸術領域オーケストラ
フィオルディリージ:山田 知加 ドラベッラ:菊池 京子 フェランド:大久保 亮 グリエルモ:西元 佑 デスピーナ:佐藤 安莉 ドン・アルフォンソ:高柳 耕平
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開演日時
2025年2月2日(日)13:00 ※12:15より開場 / 終演予定 15:30(途中休憩あり)
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料金(全指定席)
一般 / S席 5,000円、A席 4,000円 U25 / S席 3,000円、A席 2,500円 高校生以下 / S席 2,000円、A席 1,500円
※当日券は +500円 ※未就学児入場不可
●事業団友の会会員および障だい者等:各種500円引き 事業団友の会会員、障がい者手帳等をお持ちの方は購入時に会員証、障がい者手帳をご提示ください。障がい者の方は、ご本人と付添1人まで割引料金でお求めいただけます。
●車椅子席(一般 4,500円/U25 2,500円/高校生以下 1,500円)あり。 介助席は車椅子席1席につき、1席まで同額でお求めいただけます。席数に限りがありますので、お早めにご購入ください。
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チケット取り扱い
11月1日(金)より発売開始 ※10月23日(水)〜10月31日(木)、友の会先行発売
●名古屋市芸術創造センター TEL 052-931-1811 (令和6年12月28日までは休館日(日曜日)を除く9:00~17:00、令和7年1月4日からは休館日(原則月曜日)を除く9:00~20:00)
●名古屋市文化振興事業団チケットガイド TEL 052-249-9387(平日9:00~17:00/チケット郵送可)
●名古屋市文化振興事業団が管理運営する文化施設窓口(土日祝日も営業)
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会場
名古屋市芸術創造センター
愛知県名古屋市東区葵 1-3-27
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舞台プロデュースコース
大橋結音、橋本みのり、湯原 桃
舞台美術コース
伊藤智与、岩原由季、大橋咲蘭、小川莉奈、小野花弥 垣内維月、加藤 愛、加藤杏菜、酒井 新、鈴木美生、高橋彩羽 谷口小春、永村清華、林 夏里奈、細川暁生、山本翔太
演出空間コース(音響)
飯田凌矢、井上裕貴、勝川美海、木村日菜 西郷卓哉、中根美咲、福浦雅楽、福冨隼大
演出空間コース(照明)
浅田彩友、石井日凪代、前田遥音、松原沙耶華
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指導教員:
浅井信好、石黒 諭、市来邦比古、稲葉直人、岡野憲右、梶田美香、加藤えつこ、金井勇一郎、神谷怜奈、丹羽康雄、乗峯雅寛、堀場智宏、山口 剛
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イラスト:Tomatomayu フライヤーレイアウト:橋本デザイン室
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名古屋芸術大学 舞台芸術領域について
「あなたが舞台をつくる」をコンセプトに、舞台芸術作品を製作・上演するための知識と技術を専門的に学ぶことのできるカリキュラムで、未来の舞台芸術シーンをけん引する人材の育成をおこなう。
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※やむを得ない事情により出演者が変更となる場合がございます。 ※演出の都合上、開演後はすぐに入場できない場合がございます。 予めご了承ください。 ※公演内容の変更を除き、いかなる場合もチケットの払い戻しは行いません。
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X / @NUA_AP instagram / nua_ap
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主催:名古屋芸術大学 舞台芸術領域、公益財団法人名古屋市文化振興事業団 芸術創造センター 協力:名古屋芸術大学 音楽領域、馬場 浩子、久米 愛香、第七劇場
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お問い合わせ:名古屋芸術大学 舞台芸術領域
mail / [email protected] tel / 090-6798-8035(平日10:00〜17:00)
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11月10日(金)開催 『法廷遊戯』公開初日舞台挨拶のレポートが到着!
ついに公開を迎えた本日、丸の内TOEIでの舞台挨拶に主演の永瀬廉さん、杉咲花さん、北村匠海さん、そして深川栄洋監督が登場。全国119館でもライブビューイングが行われている中、King & Princeによる主題歌『愛し生きること』をBGMに、キャスト陣が客席後方通路よりサプライズで登場!観客からの歓声を受けステージに登壇すると、北村さんは「いや~!いい曲が流れましたねえ」と永瀬さんに水を向けて、永瀬さんも「よくお気づきで。我々King & Princeが歌わせていただいております」と笑いながらPRし、北村さんは「え?あなたたちが!?」と楽しそうにとぼけて仲の良さを見せつけていました。法律家を目指しロースクールに通う主人公・久我清義役の永瀬さんは、念願の封切りに「やっと、という感じです。ようやくこの日を、色々な方々に作品が届く日を迎えられて、素直に今はただただ嬉しいです」と喜びを噛みしめていました。
法律家を目指す学生たちのロースクール、そして法廷での裁判が舞台のミステリー小説が原作。撮影を振り返り、北村さんは「僕自身は撮影日数が5日くらいと少なくて…」と明かすと、永瀬さんからは「でも5日間感が全然ない!」とのツッコミが。これに深川監督も「5日間の割にはずっと北村君のことを感じながら物語が進んでいくので、ものすごく費用対効果が高い」と笑うと、永瀬さんは「いわゆるコスパですね!」といい、当の北村さんも「コスパがいい!凄くありがたい!」と喜色満面でした。また自身の役どころについて永瀬さんは「過去に秘密を抱えているキャラクターなので、2人(杉咲さん・北村さん)との距離感が大事だと思って撮影していました。最初から最後まで自分の中でもがきながら愛のある選択をしたと思う」と分析。
清義の同級生で幼馴染でもある織本美鈴役の杉咲さんは「共感からは離れてしまうかもしれないけれど、ピュアに清義を想い続けるところを意識しながら演じました」と回想。清義と同級生の結城馨役の北村さんは「馨は異質なキャラですが、異様な感じを作り過ぎず、今その場で起こっていることを楽しんで心のどこかでほくそ笑んでいるキャラクターだと思った。清義と表裏であると同時に常に彼の横にいて、彼の光であり影でもある微妙なところを表現できればと思いました」と役作りを明かしました。
永瀬さん、杉咲さん、北村さんは同世代。撮影の裏側を聞かれた永瀬さんは「物語はワイワイするようなものではなかったけれど、カメラの裏ではワイワイ系でホノボノした会話をしていた」と振り返ると、北村さんは「え?そうですか?僕としてはピリッとしたイメージで。この現場は緊張感があるなと思っていた」とお惚け顔。すると杉咲さんは「(北村さんは)博学な方なので話が次から次へと広がって、気づいたら北村劇場になっていました」と報告。それでも北村さんは「そんなことはないです。僕は極力話さないように、現場の空気を僕が変えてはいけないと思って」ととぼけ続けて、遂に永瀬さんから「5日間とは思えないくらいの喋る量だったよ?そこは自覚を持って!」とおしかりを受け、会場からも笑いが起きていました。
法科大学院の同級生3人の仮面の裏に隠されていた秘密が暴かれてゆくノンストップ・トライアングル・ミステリーという本作の内容にちなんで、深川監督が永瀬さん、杉咲さん、北村さんの知られざる素顔を暴露する企画を実施。3人がそのエピソードに対して、「異議あり」「異議なし」カードを出していくというもの。多彩な表情を見せた杉咲さんに対して深川監督は「杉咲さんはおそらく4、5人存在している。しかも終盤になるにしたがって肌つやも良くなった」と紹介。これに杉咲さんは「異議なし。でも意識はしていません」と照れ笑い。
長い付き合いの北村さんに対して深川監督は「過去にした演出と同じような演出をすると『それ出た!』とか言ってくる。監督潰しです」と訴えた。これに北村さんは「異議あり!それは深川さんへの愛ゆえです!」とニコニコと深川監督を見つめていました。
一方、高校時代の久我清義の髪型に触れて深川監督は「あえて短い髪形のカツラにしたら、永瀬さんはかぶる瞬間に嫌そうな顔をした」と報告。これに永瀬さんは「異議なし!」といい「恥ずかしかった…。人生であそこまで前髪を短くしたことがなかったから。ついつい自撮りしました」と苦笑い。すると深川監督は短い髪形の永瀬さんにハマったのか「お坊さん役も似合うかも」とオーダーし、北村さんも「是非やってほしい!坊主頭で踊っていたら面白いぞ!」と期待。2人の絶賛に永瀬さんは「似合うかな?」と乗り気な姿勢を見せるも、北村さんが「高校時代の髪型は似合っていて、カツラだとは思わなかった」と冗談まじりにコメント。これには「いやいや、めちゃめちゃ髪型イジってるじゃん!」とすかさずツッコミを入れると、2人の様子を隣で聞いていた杉咲さんからも笑みがこぼれていました。
最後に主演の永瀬さんは「僕にとって『法廷遊戯』は、自分を見つめ直すきっかけをもらった作品になったと思います。最後も余白が残っていて観客の皆さんに問うている部分もあります。この作品がなかったら考えなかっこと、得られなかった経験が沢山あった作品であり、僕個人としても素敵な作品に携われたと思っています。一人でも多くの方々にこの作品が届けば嬉しいです」と一つひとつ心を込めてメッセージを送り、集まった客席にも感謝を述べイベントは終了しました。
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