Tumgik
#呂士軒
rosysnow · 5 months
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ハニーライフ
愛おしい君と生きていくこと
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 たぶん、もう半年も残っていないでしょう。
 闘病してきたおばあちゃんの余命宣告は、あたしが一番最初に受けた。力が抜けて椅子を立てない。そんなあたしを、看護師さんが労わりながら立たせてくれた。
 廊下の長椅子に移っても、なおも茫然としていた。待合室の雑音と、消毒液の匂いに、意識がゆらゆらしている。
 おばあちゃんには、半年も残っていない。
 こみあげた涙をこらえる。両親に連絡しなくては、とやっと気がついた。一応、グループでなく個別のトークルームに、『おばあちゃんのことで話がある』とメッセを送る。でも、相変わらず仕事がいそがしいのか、だいぶ待ってみたけど既読すらつかない。
 こんな両親だから、あたしを育ててくれたのは、おばあちゃんだった。おじいちゃんは、あたしが生まれる前に亡くなっている。もう一方の父方の祖父母は、あたしが母方であるおばあちゃんにばかり懐くので、次第に疎遠になった。
 窓からの七月の夏陽がかたむき、病院のひんやりと白い壁は、暖かみのあるオレンジに染まっている。その夕射しにこもった熱に、軆は汗ばみかけている。
 入院生活が長くなったおばあちゃんは、最期の時間は、家で過ごしたいと言っていたっけ。「でも、玖鈴に介護なんかさせるのもねえ」と目をくしゃっとさせて苦笑していた。
 あたしはスニーカーの爪先を見つめていたけど、おばあちゃん本人に言わなきゃいけない、と思った。どうにか膝に力をこめて、その場を立ち上がる。そして、もう一度先生と話ができるか、通りかかった看護師さんを呼び止めた。
 おばあちゃんは、自分の余命宣告を飄々と受け止めた。「ホスピスでも行きますかねえ」なんて言うから、「何で? うちで過ごしなよ」とあたしは割って入った。おばあちゃんの痩せて皺だらけの顔に、わずかにとまどいが浮かんだ。
「でも、久里子も錫也くんも、おばあちゃんの介護なんて──」
「あたしがするよっ。大学なんて休学すればいい」
「……あのねえ、そんなこと簡単に、」
「あたしだって、おばあちゃんときちんと過ごしておきたい」
 おばあちゃんはあたしを見て、困ったようなため息をついた。例の女医の先生は、介護士さんや訪問サービスなどの力も借りながら、おばあちゃんが望むように過ごしていいと諭した。
「おばあちゃんは、あたしと過ごすの嫌かな」
 あたしがしゅんとうつむいてしまうと、「……バカなこと言って」とおばあちゃんの声が涙ぐむ。
「玖鈴がいいよ。最後は、玖鈴と過ごしたい」
 ──両親がおばあちゃんの余命を知ったのは、翌日になってからだった。おまけに、おばあちゃんの希望も聞かずに、ホーム行きにしようとした始末だ。あたしがおばあちゃんの意思を伝えると、「ほぼ寝たきりの人だぞ」「プロに任せたほうがいいわよ」と情のかけらもなく言った。
「ヘルパーさんの力を借りないとは言ってない。寝たきりになったら他人なの? 死ぬ前のお願いも聞いてあげないの?」
 あたしに睨めつけられ、両親は厄介そうな面持ちを隠さなかったけど、「おばあちゃんとも話そう」とようやく譲歩した。おばあちゃんは、昨日あたしには弱気だったくせに、両親には「私は帰りますよ、自分が選んだ場所で死にますから」と我を張っていた。
 そんなわけで、長らく病院生活だったおばあちゃんが、久々に一軒家の自宅に帰ってきた。ほとんどベッドに横たわっているけど、精神的にはゆったりできているようだ。
 大学に休学届を出したあたしは、おばあちゃんの食事、着替えやお風呂を手伝った。おむつもやる気だったけど、素人では手際が悪くて、ヘルパーさんに手伝ってもらった。
 おばあちゃんの病状は、当然ながら良くなかった。けれど、さいわい認知症は出ていなかったので、ベッドサイドに腰かけたあたしと、想い出話を楽しんでくれた。
 幼稚園の送り迎え。よく一緒に作ったホットケーキ。お互い気が強くて、わりと喧嘩もしたこと。
「ああ、大人になった玖鈴を見守れないのは寂しいね。どんな男を連れてくるか、楽しみにしてたのに」
 おばあちゃんは窓を向いて、目を細めた。カーテンが残暑の日射しを抑えていても、じゅうぶん明るい。
「玖鈴はいい母親になるよ。だから、元気な子さえ生めば大丈夫」
「……うん」
「今、本当に彼氏もいないの?」
「いないなあ」
「そっか……。こんなかわいい子を放っておくなんて、見る目がない男ばかりだねえ」
 あたしは曖昧に微笑んで、クーラーの風にそよぐ自分のロングヘアに、緩く視線を泳がせた。
 あたしのことを受け止めてくれる人は、本当は、ちゃんとそばにいる。でも、それは家族には、特におばあちゃんには、絶対に言えないと思っている。
 嘘つきだ、あたしは。大切なおばあちゃんに、大切な人の存在がいることを隠して。きっと、すごく罰当たりだ。
 だとしても、打ち明けることがすべてではない場合もあると思う。
 那由多は、あたしがおばあちゃんっ子であることを知っている。というか、那由多があたしのことで知らないことなんて、たぶんない。おばあちゃんの介護が始まって、日中はなかなか会えなくなったけど、夜にはしっかり会っている。那由多は無論おばあちゃんに会ったことはないけど、今、最期を過ごしているのを心配してくれている。
「おばあちゃん、やっぱり、ひ孫に会いたかったのかな」
 彼氏のことを言われた日の夜、那由多の肩に寄り添ったあたしは、そうつぶやいて、甘い桃のお酒に口をつけた。レモンサワーを飲む那由多はうつむき、「ごめんね」とあたしの髪を撫でる。
「え、何で」
「僕が女の軆だから」
 あたしは咲い、「男だったら、まずつきあってないから、那由多はこれでよかったよ」と那由多の白くて柔らかい頬に軽くキスをする。グリーンのメッシュが入ったボブショの那由多も小さく咲って、あたしに寄り添い返す。
 那由多はあたしの五歳年上で、二十五歳だ。社会人として働き、このワンルームを借りて暮らしている。室内は雑然としているけど、けして汚部屋ではなく、あたしにとっても居心地がいい。
 この部屋で、こうして那由多の温柔を感じていると、生きててもいい、とあたしは自分を許すことができる。
 那由多と知り合ったのは、六年前だ。あたしは十四歳、那由多は十九歳だった。知り合ったきっかけはネット。SNSではなく、近年ではめずらしく掲示板だった。
 お互いを「相手」に決めたのは、隣り合った町に住んでいて、合流しやすかったから。あたしと那由多がアクセスしていた掲示板が置かれていたのは、一緒に死んでくれる人を見つけるための場所、いわゆる自殺サークルのサイトだった。
 あたしたちは、一緒に死ぬつもりだった。メールを交わしながら、身の上話はしなかった。相手のことは、深く知らないほうがいいと最初に決めておいた。
 なのに、いざ顔を合わせて、那由多が裏ルートで購入した青酸カリの小瓶を取り出して、でも沈黙したままふたを開けられずにいるうち、死にたくなるほどの理由から、今までのろくでもない人生を、とめどなく吐き出し合っていた。
 あたしは、同性にしか恋ができなかった。男の子とは、どんなに仲良くなっても友達でしかない。親友だからと思ってカムした同級生の男の子は、あたしの話に表情をゆがめ、「俺は玖鈴が好きなのに」と言って無理やりのしかかってきた。
「エッチしたら、これが普通だって分かるから」
 セーラー服と学ランを着たまま、あたしをつらぬいた彼はそう言って、息を荒くして中に出した。内腿に血が流れて、どろりと白濁と絡みあって流れる。
「ね、俺のこと、好きになったでしょ?」
 彼は恬然とした笑顔で、そう問うてきた。あたしは急にせりあげた嫌悪感で、その頬を引っぱたいた。押しのけて逃げ出して、家まで走りながら、どうしよう、と泣き出した。
 あたし、妊娠したかもしれない。だとしたら、ひとりぼっちで生むより、誰かに話して堕ろすより、一刻も早く子供もろとも死ぬしかないと思った。
 那由多も女の子に惹かれる人だ。それと、自分の性別が分からない人だった。女じゃないなら男、なんて単純なものではないらしい。男女の中間でもないし、男であり女でもあるという感覚もない。しいて言えば、どちらでもないというのが一番しっくり来る。
 それは自分の正体がつかめないようで、ひどい恐怖をともなった。女の子とつきあっても、自然と自分が「男役」になっているのがすごく気持ち悪かった。服装はラフが好みで、フリルやレースは着たくないのだけど、「男」に分類されても違和感しかない。
 男じゃない。女でもない。性そのものがない。まるで幽霊みたい。そんな自己を抱えて過ごしていくなら、生きることをやめてしまおうと那由多は決めた。
 気づいたら、ふたりともしゃくりあげるほど泣いていて、強く手を握り合っていた。「もう生きたくないよ」と言いながらも、「このまま死にたくない」とも言っていて、すがりつくように抱きしめあった。那由多はあたしの頭を撫で、あたしは那由多の軆にしがみついた。
「初めて……こんなに、自分のこと話した」
「ん……僕もだよ」
「聞いてくれて、ありがと」
「ううん、こっちこそ」
 那由多の心臓の音が聴こえた。死んだらこの音がなくなってしまうんだと思うと、やっと自分たちが飛びこもうとしていた淵に恐ろしくなった。
「あたし……」
「うん?」
「あたし、那由多さんといられるなら、今までみたいに嘘ついて生きなくていいかもしれない……」
 那由多の服をぎゅっとつかみ、それに応じるように、那由多もあたしを抱く腕に力をこめた。
「僕も、玖鈴ちゃんがそばにいてくれるなら、まだ生きられるかもしれない」
 あたしはぐちゃぐちゃの泣き顔を上げて、「そばにいるよ」と誓うような気持ちで言った。那由多も泣き腫らした瞳であたしを見つめ、「じゃあ」と言葉を選ぶ。
「一緒に、生きてみる?」
 あたしはうなずき、何度もうなずき、那由多の胸に顔をうずめた。那由多はあたしの髪に、濡れた頬を当てる。
「……婦人科は、行かないとね。僕が付き添うよ」
「できてたらどうしよう」
「まだ、それって何日か前だよね。アフターピルあると思うから」
 那由多の柔らかくて温かい腕に守られ、あたしはびっしょりの睫毛を伏せる。優しい心音が、鼓膜からあたしの傷に染みこんでいく。この人があたしのものなら死ななくていい。もっともっと、いつまでも、抱きしめていたい。
 ろくな人生を歩まなかった。そう思ってきたけど、これからそれが変わるなら、あたしは生きられる。ううん、そんなふうに思わないように、あたしは生きていきたい。
 アフターピルも飲んだおかげか、あたしは妊娠しなかった。でも、セックスに対する恐怖心はどうしても残った。那由多は急かすように求めたりしなかった。おかげで、あたしはあたしが那由多が欲しいと思えたとき、やっと那由多と結ばれることができた。
 あたしたちのあいだで、その行為が子供を生み出すことはない。しかし、確かに愛を育んでいると思うのだ。もしもこの愛が老い、朽ちてしまったら、今度こそあたしは、この世を追い出されて土に還る。
 ──おばあちゃんが亡くなったのは、年越し前の冬だった。あたしは、何度か悩みつつも、自分のことを何も伝えなかった。年末におばあちゃんのベッドが撤去され、剥き出しになった青いたたみに寝転がると、これでよかったんだと天井を見つめた。
 受け入れてほしかったなんて、贅沢なことは思わない。いつかあたしが死んで、七色の虹を抜けたあとに、黒い針山を歩く罰を受けたとしても、やはり言わなくていいこともある。
 おばあちゃんの最期をかきみださず、穏やかに見送ることができた。あたしは、それでいい。
 男と結婚して、子を生むことが、「女の幸せ」なんて思わない。女として、しのごの言わずに生きろと言う人もいる。けれど、その声がどんなに大きくても、あたしは那由多と生きていく。それが、あたしにはかけがえのない蜜なのだ。
 おばあちゃんは、無垢な白昼夢に包まれて亡くなった。幸せに眠りつくことができるだろう。
 それを見送れたあたしは、もうこの家庭に未練はない。遅かれ早かれ、荷物をまとめて那由多の元に飛びこむ。
 生み出すことが生きる意味なら、あたしは那由多と愛を生み出そう。生み出すこということは、お腹を痛めて出産する子供だけではない。人によっては、パートナーがいなくてはならないわけでもない。
 ただ、ひとさじでも、甘い蜜がある人生であるように。
 カーテン越しに、窓で冬陽が透けている。おばあちゃんとの最期の日々をゆっくり思い返す。その時間は、白い光がきらきら広がっていて、巣箱から春に飛びこむための勇気になる気がした。
 FIN
【SPECIAL THANKS】 白昼夢/杉野淳子 『生きる』収録
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figmilkfm · 2 years
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0103 あさ新幹線で東京帰る。ずっと欲しかったコーヒーサーバーとコーヒー豆手に持って遅れ馳せながらうちにもサンタ?きた。夕方から萩の湯に行き、帰ってふたりで飲酒など。
0102 三木さんと昼に高柳神社に初詣。のんびりしてから京都。キキとたつカフェへ。夜は三木家に帰宅し、録画してもらってたさんまのまんまを観るなどし年始気分に浸る。
1231 コノミヤでビールとかアイスとか買い込むのがやけに年末。年越しは三木家で紅白。事実上実家が消滅した昨年も、引き払って以降本格的に消滅を遂げた今年も、三木家で食卓を囲みながら0時にみんなで年越しを蕎麦食べた。年が明けた瞬間おめでとうございますと言い合う。私の今年の抱負は特になくて、三木家のみんなに今年の抱負は?と三木家に聞いたら誰もなくてそれもよかった。家族みたいな安心感があるこの家があってくれて今年もなんとか。愛する人たちよ、どうか健康でいてねと思う。それだけ。
1230 中田寝すぎね?早朝から『最愛』一気観した。夜は三木家に帰って蟹鍋に参加させてもらう。
1229 納骨。退職の手続きで精一杯になってて納骨式の準備を全然できてないまま行き道のバスで納骨式について調べたら足りないものばかりで最悪でした、悪い夢か。行き先も違ってて、途中骨壷持って走る。祖母の納骨を済ませておかなかったために私がやることになった怒りを母へぶつけながら、ひたすら川沿いを走る。寒い。骨壷が重い。骨がカラカラと音を立てるのを聞きながらマジでばあちゃんごめんという気持ち。着いたら骨壷、ちょっと割れてたし。この年齢で家の膨大な用事を済ませないといけない生活が心底嫌になる。なんとか無事納骨式を済ませ、セイゴが大正まで迎えに来てくれるらしいのでとりあえず梅田。大正で拾ってもらってみおつくし会へ。まーくんとの飲酒が捗る。夜中は、中田の家でオールザッツ観ながら寝落ち。
1228 寝てたっていうかストレスで3時間歯を食いしばってただけ、みたいな睡眠。疲れが全く取れず。朝起きて奥歯が取れそうなくらい痛む。原さんとランチして、夜三木家に帰る。夜、お父さんと飲むジンを買って帰ったら、お父さんが私と飲むジンを用意してくれてたのでジン祭りを開催。
1227 今日が最後の出勤になるわけですが不思議とそこまで不安がない。何が起きてもたぶんここにいるよりはマシじゃないかな。現状維持を選び続ける自分よりよっぽど。23時なかもず着で、はらさん家着。原家の弟が買ったブルーノマーズのラム酒が美味しすぎて水のように飲む。夜中まで話して、朝は早く起きる。歯食いしばってただけであんま寝てねえ
1216 AM休みたいな日々。編集部に上がるのがキツくて一階に荷物置いて作業。大掃除と見本誌の整理しながら、こういう仕事で一日が終わることに鬱々とする反面、これさえしてれば一日が終わるのだと安堵もする。あと少し。今は耐えるしかない。夜、なみとどん底行く。メンタルがどん底。七千円も使ったのに全く酔えなくて最悪!店員のお兄さんがやってるバンドの話とかその曲とか聞きながら、ほんとはなみともっとゆっくり話したいことがあったから会ったのにねと後悔の念を滲ませる帰り道。
1215 派遣さんに引き継ぎ。することがなさすぎてデスクの断捨離。自分が最初に出した本のラフとかが出てきて懐かしむ。実務してたのが遠い過去のように思える。実務がしたくて気が狂う。ラフ描きたい誌面が作りたい企画進行したい、馬鹿みたいだなー
1214 適当に会社へ行き適当に帰宅。焦りを生む心さえ消失しそうな実りのない日々。夜、あいちゃんと電話して飲酒後寝落ちる。
1211 永田珈琲店で朝。帰りに青いカバBOOKSに寄って往来堂へ行く。帰って少しゆっくりしてたらROUTEでカレー出店してるのを知り、チャリで馳せ参ず。買った夏葉社の新刊をルートで読む。夜、ゆうちゃんと飲んでから月吠えで飲む。久々1時半とかまで飲んでて眠い。
1210 4時に起きて気になってたレギュレーションの復習をする。この頃誌面の表記を指摘されまくり、会社勤めの4年間が怖くなる。自分の文章、これでいいのかわからんすぎたけどなんとか形になった原稿見て安心。周りの同世代が仕事に打ち込むのを見て焦りもするが、今回の仕事は自信になった。積み上がって行けたらと思う。仕事がないと日々楽しくない。確実に、私も下積みとして毎日やることを進めていきたい。茨木のり子読んで、ギリまで飲酒後、寝る。
1209 元気なさすぎてねぎしで蘇生を試みるも、欲求って満たすと罪悪感に苛まれる。御茶ノ水のスターバックスで真空ジェシカのイベントレポート仕上げる。やっぱりめっちゃ楽しいな。この仕事がなかったら、私にはいま何もないや。
1108 大阪疲れ?で体調が悪い。早々に多忙宣言を受けた12月の生活が心配。大きな仕事は幸い抱えてないし、体調崩すとしたら今でよかったのかもしれん。
1105 夜、千駄木駅で待ち合わせてふくの湯へ。お腹空いたけどなかなかどこも開いてなくて、根津まで戻って谷中バール。近場だとお互い終電を気にする必要がなくてそれもいい。
1104 親の手続きで台東区役所。書類が多すぎてかなり時間がかかる。結局課税証明書を大阪で取らないといけなかったみたいで、夕方までかかったのに全部終わらなかった。まーでも八割方終わったと思えば気が楽だし、実家がなくなったから、手続きはもう大阪でする必要がないと思うと気はさらに楽。これは感謝な話なのですがみゆきが私の代わりに課税証明書取りに行ってくれるらしー
1031 初動が緩やかであればあるほど保たれるものがある?激しさを伴わない静かな熱よ
1029-30 車屋で飲んだ。すきな人同士を会わせてわたしは終始ニコニコ。そういやノーズショップで見つけたBdk Parfumsの香水、パスソワール「また今度ね(今夜じゃないわ)」の香りが(名前含め)とても良かったので書き留める。アンバーウッドとジャスミン、ブラックペッパーとマンダリンにパチュリ。サボンのボディクリームにも、いつもつけてるバイレードの香水Accord Oudにもパチュリが入ってるし、感覚でいいと思うものにもこうして一貫性が垣間見えるときがある。
1028 夜、飲みに行く。珍しく4軒くらいハシゴして、ことごとく変な人に絡まれる、地獄。「お前らみたいに顔がかわいいからって全部許されて調子に乗ってるような女が一番嫌いなんだよ!」って、横にいる人に叫ばれて最悪じゃない?朝方、また月吠えで変な人に絡まれてるところを山下さんに助けてもらった。何よりボトル奢っただけでいけると思われたことが超腹立つ。朝まで飲んで、皆川くんと始発で帰る。記憶が断片的ですけど酒鬱入ってないだけで偉くて良。
1027 朝、新幹線で東京へ。かぎりなく落ち着く街上野よ。帰ってくるたびこのままここに骨を埋めたいと思うね。昼は出社して、夜、萩の湯にはじめて行く。緊張の糸が切れたのか、わたしは鶯谷の、毛糸編んでるテレビ番組が流れる激渋中華料理屋を出たらまっすぐ歩けないくらいに酔ってしまい、西日暮里まで歩いてタクシーで帰される。けど全部覚えてる、多分。
1026 せっかく大阪いるし美舟で焼きそばを、と思い東通りへ。太麺のソース焼きそばを、すき焼きみたいに生卵をつけて食べるのです嗚呼!ことごとく潰れた思い出の地を上書きしてくれるかのような場所たち。あした東京へ戻る。恒例、三木家の父との晩酌もラストナイトで、また日本酒をようけ飲む。実家、なくなってしまった。
1025 無事引き払えるかと思ったのに若干の不備がありまた実家に赴く、最悪。夜、なかたと福島の花くじらでおでん。親の日記の話から結婚論、子育て論までだらだらと話は流れ、わたしは日本酒飲んで怒る。聞く中田、つられて怒る中田。家の下のローソンで携帯落としてめちゃくちゃ割れたが昨日実家引き払うのに35万払ったばっかなのにもう画面変える金がなくて終わった。
1023-4 きてくれたみんなが帰って、夜通しアルバムと手紙の整理。親がつけてた日記を読んだり、幼少期に描いてた絵本とかzineみたいなものを見つけてしまってさすがにそれは持って帰る。中田がリタイア、夜中3時。布団もないし、二日連続で風呂も入れないというのに。中田よ、ここまでの仕事してくれる友人はお前しかいないね。
アルバム整理してるうちに朝になったから『ボクらの時代』観ようと思うもチャンネルがない。ないないと言いながら探してたらまさか、テレビもなかった。昨日、売ってた。ご飯温めようと思ったら電子レンジもなかった。昨日、売ってた。さすがの二徹、記憶がないわ。業者が朝8時すぎには来て、三木さんも昼前に来てくれる。もう限界くらいに疲れてたから業者の人に借りた段ボールを部屋の隅に敷いてその上で少し寝る。完全に何にもなくなるまで8〜9時間くらい。中田はそのままユニバへ行った。すげえ体力やなとか言ってたら夜、熱出たらしい。三日間埃を被り続けたほぼ埃みたいな人間は実家を消失し、三木家に帰る。隣の人が「夜通しお疲れさま。もう会うこともないんやね」と言って食事券をくれたので、帰りに三木さんと京橋でビール飲んでお好み焼きを食べた。三木家に帰って、実家はもうガス止めてたので三日ぶり?に風呂に入った。腰がいてー。携帯開いたら、連日お疲れさま、原稿は明日でいいよみたいな連絡が来てて、明日でいいって言われても明日って明日かー明日ってもう明日じゃんって思いながら気付いたら寝てた。
1022 作業してたら朝7時くらいになって、中田と中学の頃よく行ったパン屋に朝食を買いに行く。中学の通学路通りながら色々と二人で懐かしむなどまだ情緒のある時間を過ごす。昼から友人が5人来てくれることになったので、来てくれる特に面識ない人々を雑に入れた「シフト」とかいうグループラインをつくる。みんなが気を利かせて買ってきてくれたお茶やらパンとか551の豚まんなんかをテーブルに並べてったら、撮影みたいになる。現場、仕切らせていただく。中田がまーくんの車で電子レンジとかテレビとか、売りに行ってくれた。大量に売った服の買取価格がまさかの30円だったから、「今日のギャラです」と言って中田とまーくんと10円ずつ分けた。私ももらってるし。こんなに物があってもほとんどお金にならないし、持って帰れる場所はない。アルバムも腐るほどあるけど簡単に見返せる量ではないし。二日目、物への思い入れが皆無になって怒りが湧いたり、幼稚園の時の手形?とかを「こんなの捨てにくいわ!!!」とか怒鳴りながら泣き出したりして私のメンタルもいよいよ。夜には引き上げて三木家に帰る予定だったのに、作業が思いのほか何にも終わってなければ逆に散らかしただけみたいな結果になり、今日も泊まり込みでやるかと言ったら、中田は明日のバイトを休んで今日もうちに残って付き合ってくれた。親…友……
1020-21 荷造りする気力がなさすぎてみきに来てもらう。仕事しながら『Silent』観て、朝は上野までタクシーで東京駅へ向かう。引っ越して二年くらい経ってから気付いたけど、家から新幹線に乗るルートの解はこれだわ。帰阪して早々に面会、病院、区役所こなしたけど思いの外元気だしで西大橋の、親が常連だった居酒屋に飲み行く。みゆきといわしちゃんを会わせる。結構飲んだら普通に今から片付け作業取り掛かるとか考えられん眠さになったが仕方なしに僻地の実家まで帰る。久々の実家は人が住んでたまんまだし、真っ暗で寒い。手始めに、懐かしみながら生徒手帳とか読んでたら寝落ちてて、1時半くらいに中田訪問チャイムで起こされる。一緒に夜通し作業するけど、思ってたより膨大でぞっとする。学生時代のいるもの/いらないものは途中からほぼ中田の判断に任せることに。何より物量がありすぎて全部自分で見てる時間がない。一回うちに来たことのある初音が、「物量は相当だろうよ」と言ってたのを思い出す。「美術としては相当リッチだけど」とも。
1019 御徒町の珈琲館で作業。山家でとんかつ食べる。上野から千駄木まで歩いて朝日湯へ。風呂上がりに珈琲牛乳を飲んでる私の隣で美味しそうにビールを飲む人よ。帰り、夜風がめちゃくちゃ秋だったな。
1016 休み。あてもなく吉祥寺に行ったのでとりあえずチャイブレイクで本とか読む。栗と迷って金木犀のチャイ。こういう飲み物で季節を感じないともうね。そういえば親の夢を見た。身体が動くようになった母親の車椅子を、亡くなった祖母が押していて、3人で実家にいた。起きてから、本当に実家がなくなんのかーとかぼんやり考える。けど、もう誰もおらんし、元からないようなもん。夕方、家に帰ろうと思うも充電がなさすぎて、充電しに月吠えへ。武蔵野館で『よだかの片想い』観ようと月吠えを出て、映画が終わってから携帯開いたら、不在着信の後に「今飲んでないの」とあやなから連絡。「映画観ててこれから月吠え戻るよ」と返事してすぐ戻ったらあやながいた。さっき私に電話したけど出ないって月吠えで話したら「あの子今映画観てるよ」ってユースケが言ってくれたらしくて、なんか月吠えは放課後感あってよかった。
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harvardwang · 6 months
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歷年交通部航海人員測驗通過名單
榮譽榜
榮譽榜
2021/03/12
歷年交通部航海人員測驗通過名單
112年度第四次交通部航海人員測驗通過名單
李友賢 陳冠廷 吳悅恩 紀琪云 湯育銘 廖子軒 金智勇
李悦恩 陳芮蓁 鄭楚玄 吳怡儒 陳冠典 林政閔 郭彥呈
林昕穎 柯博壬 樊洪範 王 曦 陳紜璽 金祺昌 彭吉民
112年度第三次交通部航海人員測驗通過名單
吳峻安 陳威仁 吳舜齊 歐乃瑄 何凡宜 賴冠勳 唐聖傑 
張   傑 李沐澤 張安志 張哲源 黃曉祺 鄔翎民 鄭淞元
黃建智 陳俊儒 林秉緯 董翊河 賴柏安 黃勖堯 叢浩日
黃維貞 莊妤薇 童威凱 宋家興 黃苡寧 呂俊諺 王   敬
陳奕丞
112年度第二次交通部航海人員測驗通過名單
曾傑興 陳飛馹 洪笥宸 黃薏珊 黃柏豪 王聖燁
廖柏銜 蔡怡安 黃博裕 郭裴珞 潘家偉 李 韡
112年度第一次交通部航海人員測驗通過名單
吳建鋕 鄭乃豪 吳奕翰 李峰綸 呂孟修 柳理鈞
鄭衣涵 彭盈瑾 吳姿樺 蘇榆傑 林宏宇 邱 頎 
陳加寶 黃盈樺 許秉毅 黃祥銘 柯秉志 蔣鈞傑
謝印荃 蔡佳佑 施健安 顏毅祺
111年度第四次交通部航海人員測驗通過名單
劉耀文 李光燡 鄭名登 張謝仁傑 臧紹棠 藍囿竣
陶子天 卜 野 蔡沛全 屈恩霆  戴維彥 黎丞軒
陳坤華 陳宇祺 莊凱傑 劉柏裕  張宸瑄 林子軒
應德樫 吳玟玟 陳莞昀 許家洋  王彥翰 董昀澍
秦詡洋 蔡國禎 蕭瑋呈
111年度第三次交通部航海人員測驗通過名單
蔡承展    王邦宇   李明穎    王哲明   陸泓瀚    陳冠元
薛雅琪    黃維慈   楊鈞皓    蘇柏鴻   翁定謙    張澄明
紀明輝    劉家綺   陳昭穎    林佩諠   謝明翰    潘品瑜
呂信宏
111年度第一次交通部航海人員測驗通過名單
 
吳雨修 陳彥旭 王柏騰 王靖元 龔俊霖 高家維
陳麒元 劉朝瑞 邱毓媜 高瑜懃 郭紋均
110年度第四次交通部航海人員測驗通過名單
 
陳兆群 陳孟唐 楊智凱 蔡欣哲 陳冠宇 蕭可豪
葉建邑 黃彥欽 陳奕岑 傅振宣 陳志瑜 林儀靜
林俋帆 廖懿德 陳明穎 陳平宏 林宇晏 金莒譯
鄭貫良 曾榮威 林佳虹
​110年度第三次交通部航海人員測驗通過名單
 
黃子駿  高平羲  李順意  林禹丞  林義昇  蘇善豪  劉永上  賴映璿
楊展銓  涂珮甄  王昱翔  汪筳逸  李香霖  方立文  呂子聖  蔡金洧
鄭學禮  張登壹  洪子晴  羅加舜  金知永  陳冠瑜  黃怡瑄  劉姿瑩
劉子琳  李挺瑋  劉文揚
​110年度第二次交通部航海人員測驗通過名單
本次測驗因疫情取消。
 
110年度第一次交通部航海人員測驗通過名單
陳銘堯  曾冠銘  胡峻瑋  蘇文芯  林濬承  許慶成  姚羽珊  楊智凱
侯書堯  廖英順  李毓寧  賴政穎  王鈺馨  黃子庭  賴秉程  詹興瑋
慕    丞  林彣珊  鍾采君  劉峻廷  邱晉偉  張皓翔  余   崢  陳宗慶
孫    靚
 
109年度第四次交通部航海人員測驗通過名單
朱峻葳  黃紹輔  謝添旺  朱正育  張廣澄  楊秉鈞  林澔暐  高伯宗
連泓安  顏筱甄  蔡淙和  黃伯凱
 
 
109年度第三次交通部航海人員測驗通過名單
王律翔  馬碩澤  秦得仁  鄭琰勳  徐允恩  許碩軒  涂修銓  曾宇質
蔡翔宇  王順漢  蔡朝景  陳昱言  陳建智  蕭丞恩  郭宜雯  洪脩益
紀以謙  郭博彥  洪閔德  朱芳琪  呂偉豪  王啟哲  康翠芳  劉沛禎
蕭仕揚  
109年度第二次交通部航海人員測驗通過名單
鄞嘉慧  曹    彤  吳祐緯  林宥宗  何勝揚  黃靖翔  陳威宇  石光仁
潘千瑞  余柏樟  沈芳妤  王昱筌  游家慶  沈琮德  沈得桓  曾丞佑
劉彥輝  龔世宇  林彥均  郭偉達  呂學杰  林昆毅  蘇聖欽  陳    翰
109年度第二次交通部航海人員測驗通過名單
本次測驗因疫情取消。
108年度第四次交通部航海人員測驗通過名單 
洪郁雯   李   吉  林安蕎  張家偉  陳立朋  吳東翰  姚冠名  郭學頤
陳昫耘  顏情晴  陳均軒  簡呈宇  楊翊愷
108年度第三次交通部航海人員測驗通過名單
 
許至賦  曹家豪  吳哲瑋   黃信鈞  陳道賢  楊智雄  陳冠恩  劉奕頡
黃熙宇  洪佳琦  張博堯   陳冠丞  楊政達  葉重宏  吳宛蓉  陳柏霖
張宇鈞  胡榮發  楊崇杰   顏碩慧  蔡承叡  黃昶豪  許釗華  陳致恩
陳語謙
 
 
 
108年度第二次交通部航海人員測驗通過名單 
 
林怡馨  林佩璇  曾玟靜  李    明  戚瑋宣  徐廣圻  陳以諾  孫暐翔 
 
楊沛珍  鄭為遠  張朝復  涂易瑜  吳旻憲  洪榮佑  馮郁軒  吳佩芸 
 
陳琇瑩  翁浥迪  蔡定志  陳彥均  葉志鵬  許心茹
 
 
 
108年度第一次交通部航海人員測驗通過名單 
 
喬䒩薷  陳子博  孔繁軒  楊旻桓  李名仁  歐嘉玲  陳奕鴻  黃臣延
 
盧至恒  馬菀嚀  許䟫源  龔士翔  劉宏倫
 
 
 
107年度第四次交通部航海人員測驗通過名單 
 
 吳晴杰 陳家馨 劉仲傑 林政廷 李孟霖 陳銘仁
 
 
 
 107年度第三次交通部航海人員測驗通過名單
 
廖振超  江欣學  潘祥漢  洪正霖  張豪中  陳民旻  陳弈叡  葉原銘
 
鄭亘庭  葉祐廷  葉信旻  曾多郁  鄭凱軒  陸宜宗  陳冠璿  張寶智
 
江佳臻  楊曜宇  趙國程
 
 
 
107年度第二次交通部航海人員測驗通過名單 
 
邱瑜惠  許郁培  陳翰星  陳昱先  莊蕙羽  曾宇鞍  張睿宏  陳靜儀
 
周琬絨  吳協益  王相智  許瑋庭  邱子倫  閆景宇  吳宗憲  莊爾修
 
 
 
 107年度第一次交通部航海人員測驗通過名單 
 
林宏洋  王宗政  曾詩忠  郭沂道  范廣玉  郭阜達  黃 笙  游竣凱
 
林群翔  林谷翰  汪宗宇  王竣薰  黃煜超  賴仁傑  李俊廷  黃赫立
 
陳柏皓  蘇泓文  林祥億  呂柏樺  吳錫安  李孟霖  林資堯  蘇美娟
 
吳宗翰  沈丞潁  戴岳軒  張家瑋  黃孝瑞  范家銘  沈文彬  廖尉翔
 
黃炫縢  曾詠鈞  陳妙盈  李庭瑜  梁秉辰  葉馨憶  辛萬億  陳維萱
 
許志豪  張閎涵  詹皓閔  吳連恩  洪綺郁
 
 
 
106年度第四次交通部航海人員測驗通過名單 
 
許詠媛  蔡政宏  林峻民  許秦維  林駿吉  趙瀚恩  張皓翔  張晏碩
 
李珮瑜  王 騰  張睿鈞  李聖昱  張文憲  范乃歡  蔡博文  洪嘉揚
 
曾威榮  陳政廷
 
 
 
106年度第三次交通部航海人員測驗通過名單 
 
 陳柏翔  王翊名  孫朝義  王泓逸  許文豪  龔世豐  葉宗憲
 
 
 
106年度第二次交通部航海人員測驗通過名單  
 
黃彥文 邱光輝  林羿羚  馬瑞遠  傅志豪  劉耘辛  陳政廷  朱冠溱
 
王奕云  邱胤文  陳彥均  徐 旻  葉品樂  童銘澄  林瑞紘  林佳泓
 
林胤名  沈立翔  陳盈佐  王崇任  方建宏  朱 昱  馬崇恩  施振宇
 
田宗翰  吳承翰  賴昱傑  林承緯  黃至煒  簡舒苗  吳佳霖  黃幸星
 
吳珮瑗  魏郁庭  蘇育萱  王映庭  黃致捷  許秉閎  粘銘翔  巫嘉瑋
 
莊逸椽  鄭哲誠  鄭崴鴻  邱亭芝  曹廷筠  郭柏賢  施奕如  廖柏彰
 
毛漢瑜  許明理  蔡承杰  孫大程 
 
 
 
106年度第一次交通部航海人員測驗通過名單  
 
黃基軒  江重毅  鐘承志  許雅如  林伯翰  吳仲軒  王家偉  張家瑜
 
藍家盛  黃祺翔  蔡孟欣  林于暄  楊婷儒  林煒翔  戴俊丞  袁乙天
 
陳厚凱  詹前奕  黃耀德  吳宜興
 
 
 
105年度第四次交通部航海人員測驗通過名單 
 
張雅嵐  謝翔任  連育瑩  蘇冠綸  宋亞翰  吳清元  楊子毅  陳威仲
 
謝晉銘  陳奕儒  邱欣灝  陳柏文  羅 穎  黃奕姉  劉曉青  陳宣余
 
 
 
105年度第三次交通部航海人員測驗通過名單 
 
陳柏宏  洪翊庭  楊卓翰  陶玉龍  黃馨億  張耿豪  陳裕翔  欒又鈞
 
劉昊融
 
 
 
105年度第二次交通部航海人員測驗通過名單 
 
施自雄  蘇群閎  蔡瑞洋  張紹敏  楊佳銘  曾泰航  高舜業  吳中博
 
甘龍諭  褚原鑌  彭有國
 
 
 
105年度第一次交通部航海人員測驗通過名單 
 
馬亞聖  黃湣傑  許鼎宗  陳昱中  陳祈維  陳奕睿  賴立凱  王玉萱
 
李靖群  蔡雨諦  郭丞恩  賴啟堯  呂昭諭  洪振華  賴澔興  郭家豪
 
林志華  洪敬翔  邱元昱  李翊甄  陳柏奕  陳琬菁  蔡岱庭
 
 
 
104年度第四次交通部航海人員測驗通過名單 
 
黃昱維  溫宇晴  柯昂里  楊涵媜  溫威霖  林明正  芮佩霖  彭如軒
 
林雅婷  蔡佳頴  黃文孝  林顯隆  葛瑞翔  劉珮芬  張嘉琳  黃崑育
 
周明翰  鄭素惠  林奕豐  林文琦  廖芝瑩  黃冠惟  曾彥鈞  許瑋麟
 
劉家豪  林昭年  楊松儒  戴瑋儒  廖庭雅  陳柏宇  郭家愷  林勇吉
 
 
 
104年度第三次交通部航海人員測驗通過名單
 
曾慶峰  李尚儒
 
 
 
104年度第二次交通部航海人員測驗通過名單 
 
林松杰  蔡銘全  吳育恩  宋政杰  劉博華  許珮瑤  賴俊丞  謝柏軒
 
郭明駒  劉心瑀  古偉寧  林宴週  阮皇宗
 
 
 
104年度第一次交通部航海人員測驗通過名單 
 
梁騰皓  賴均和  鄧紹彬  行淑絹  李健為  陳泰睿  魏文志  林威丞
 
杜恩瑜  陳昱辰  鐵翔雲  倪昇暉  張嘉棋  林茂聯  江 盈  謝政良
 
黃德倫  劉宗諺  詹欣怡  楊宗岳  簡得晉  蕭翔懌  李常榮  曾宇浩
 
藍晨愷  郭寧佑  洪浩竣  林子正  高志忠
 
 
 
103年度第四次交通部航海人員測驗通過名單 
 
洪紹航  徐志穎  郭晉愷  張仕翰  凃松騏  曾文衡  鄭智文  鄧琨憲
 
曾善群  楊鎧溥  方冠融  洪琮恩  陳雅俐  林慧華  游林鴻  盧文傑
 
蔡有倫  聶秀軒  駱俊明  劉暉弘  殷裕翔  陳泓銘  賴孟輝  林俞錞
 
陳畇廷  黃子容  彭繼威  吳東橋  康路恩  林燿志  張文成  黃欣婷
 
黃文駿  張 庭  簡佑任  彭家慶  張 皓  鄭任硯  楊建隆  劉家宏
 
林逸嘉  蘇泊僑  蘇盈瑛  曾子樵  陳履安  高偉智  莊承翰  吳榮三
 
 
 
 103年度第三次交通部航海人員測驗通過名單
 
許國威  陳俊傑  吳聯成  黃登羣  夏暘竣  羅凱俊  陳佳歡  楊承儒
 
顏宏旭  林哲弘  曹雁棋  黃郁茵  曾姿儀  王雅瑜  廖 罡  張修振
 
陳韋智  鍾裕臣  林維麒  邱彥翔  李明軒  趙立紘  蔡曉蓉  張韶邠
 
 
 
 103年度第二次交通部航海人員測驗通過名單 
 
李廷恩  王俊皓  劉向森  戴憶芳  劉承惠  蔡文鐘  薛湘樺  許智勇
 
關百亨  張立杰  陳俊宏  林奇陽  卓明峰  王建豐  方正揚  簡顯蘊
 
魏均婷  吳佳宜  許家霖  陳逢駿  曾勇程  楊瀚昇  郭仲鈞  霍中璟
 
李宜庭  蔡東軒  陳宏明  賴昱中  江宇奇  林凱俐  吳佑財  饒旻晉
 
張桓碩  張丹齡  黃俊嘉  盧國光  楊世華  林靖勳  張簡久揚
 
 
 
 103年度第一次交通部航海人員測驗通過名單 
 
陳冠宇  余慧倫  林子均  吳紫綺  黃安源  蔡怡倩  楊韻潔  謝宗儒
 
徐仲維  黃鈺荃  王怡靜  周昱伶  蕭敬詒  蘇鈺涵  張峪稱  黃仁遠
 
呂俊麟  胡家齊  王銓朗  陳坤新  鄭慧賢  林旻佐  范弘軒  陳亞權
 
洪碩謙  王振豪  何紀宏  鞠慧航  簡荐普  許有勝  胡維岑  蔡易樺
 
 
 
103年第一次河海人員特考通過名單 
 
陳思樺  黃子寧  林家暉  辛金山  陳仁玉  周心如  林宗賢  施睦庭 
 
 
 
102年度第四次交通部航海人員測驗通過名單 
 
楊偉民  李政德  張家瑜  劉育菖  陳昶廷  詹智丞  張婷茹  劉鈞瑋
 
莊清彥  李珊銘  涂世達  陳翊瑋  龔 恆  王玉婷  陳志杰  葉玳鑛
 
陳明宏  鐘郁甯  劉羿成  王煇荃  葉艾棋 
 
 
 
102年度第三次交通部航海人員測驗通過名單
 
林千又  陳子循  趙炳荃  周東穎  呂伯樂  王重隆  張家銘  彭姿凱
 
孫境佑  胡家芸  陳端容  林宗賢  曾琬茹  蔡能玄  林芯羽  駱昱如
 
梁益齊  鄭家茹  黃建舜  林沛儒  駱文斌  施睦庭
 
 
 
102年度第二次交通部航海人員測驗通過名單 
 
林宏豪  王新一  戴怡琳  何明得  陳宗彥  蘇柏諺  邱郁茹  林冠志
 
唐涫鐄  柳建廷  朱至祥  張煐慰  莊惠閔  陶孝慈  蕭松鍇  許世昊
 
陳保丞  郭永杰  伍紋萱  詹雅棋  楊雙安  江佩玲  朱威銘  蔡舜文
 
陳    清
 
 
 
102年第二次河海人員特考通過名單 
 
李    芳  王立偉  張煐慰  童思叡  林柏伸  林永惟  邱睿騫  林晉宏
 
陳冠廷  楊雙安  呂昱賢  芮偉霖  陳長宏  林皓群 
 
 
 
102年度第一次交通部航海人員測驗通過名單 
 
謝傑宇  陳俊宏  鍾智堯  葉益成  郭盈萱
 
 
 
102年考選部第一次河海人員特考通過名單 
 
洪海洲  蔡宗勇  林甫育  李妍萱  劉晉平  陳伯齊  楊德正  林忻怡
 
許曉佩  陳央傑  潘逸妍  李昱錡  陳羿君  吳岱鴻  黃家聲  賴信銓
 
林龍全  楊博鈞  林易昌  羅煥昇  榮志豪  劉政杰  黃賓弘  黃冠中
 
林志諺  簡政躍  黃揚庭  柳亭玲
國立高雄科技大學航運技術系. 網頁設計 DESIGNGOGO
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bearbench-tokaido · 6 months
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三篇 上 その三
さて、二人は、ここを出てまもなく、大井川の手前の島田の宿場に着いた。 川越し人足どもが出迎えて、 「旦那がた、川、わたりますかい。」 と、聞いてくる。
「きさま川越しか。二人いくらで越す。」 と、弥次郎兵衛が、聞くと、 「はい、今朝、やっと川留めが明いた川なんで、肩車じゃ危ない。 蓮台で行きますんで、お二人で八百文ください。」 川越し人足が答える。 弥次郎兵衛は、それを聞いて、 「八百だと。とんでもない。淡路島に渡るんじゃねえんだ。」 「それなら、いくらだせるんで。」 川越し人足が答える。 弥次郎兵衛は、 「いくらもすりこ木もねえ。俺がじかに川を越そう。」 と、言うと、人足が笑って、 「おいおい、川流れの死人なら、二百文つけて寺へやるから、 なんならそうさっしゃい。流れたほうが安くあがら。ハハハ。」 弥次郎兵衛は、 「ばかいえ。問屋へかけあって、この川を越してやる。」 と、いい捨てて足早に、その場を立ち去った。 「くそ、北八よ。あいつらをからかうのが面倒だから、いっそのこと問屋へかけあって、川を越そう。お前の脇差を貸せ。」 と、無理矢理に北八から脇差を取り上げた。
ところで、大井川には、島田と対岸の金谷に川越しを管理する所(川会所と問屋)がある。 川越しの業務は川会所の指図で行っていて、川を越したい旅人は、渡し賃が公定価格の問屋に申し込むか、あるいは人足と直接交渉して、渡し賃を決める二つの方法がある。 ただし、武家は問屋渡しが原則になっていた。
北八は、合点が行かぬ様子で、 「脇差を貸せだと。なぜだ。どうする気だ。」 と、問い掛けるのに、弥次郎兵衛は、 「決まっておろう、侍になるのよ。」 と、北八の脇差をとって腰に差し、自分の脇差の鞘袋を、後ろの方に長く伸ばして、まるで、武士が、大小二本の刀を差しているように見せかけた。
「どうだ、北八。出来合いのお侍みたいになったろう。 この風呂敷包を持って、手めえ一緒に、供になってついて来い。」 北八は、この様子を見て、 「こいつは大笑いだ。ハハハ。」 と、北八は弥次郎兵衛の荷物を一緒にして肩に引っ掛けて、二人で川問屋にむかった。
弥次郎兵衛は侍のお国ことばの声色で、 「こりゃ、問屋ども、身どもは、大切な用件でまかり通る。川越し人足を頼むぞ。」 と、問い掛けると、 「はい、かしこまりました。何名様になりますので。」 と、問屋が返事をする。 弥次郎兵衛は、 「何名とな。」 「はい、さようでございます。 旦那様は、おかごかお馬か、それにお荷物はいくらほどございます。」 と、問屋が聞いてきた。 弥次郎兵衛は、 「本来なら、荷物をつませる馬が三匹に、荷物が十五であるが、今回は、道中、邪魔になるので、連れてきてない。 その代わり、かごかきが八人いる。その帳面へそうかいてくれ。」 「はいはい。で、お侍衆は何人で。」 と、更に、問屋は聞いてくる。 弥次郎兵衛は、 「侍どもは十二人に、鎗持ち、挟箱、草履取り、それから、合羽かご、竹馬、で、郡合三十人あまりじゃ。」 「はいはい。で、その皆様はどちらにおられます。」 と、弥次郎兵衛の後ろをすかしてみている。 弥次郎兵衛は、澄ました顔で、 「いやなに、江戸から旅立ったときは、召し連れていたのだが、途中でおいおい麻疹(はしか)にかかりおって、宿に残しおいた。 そこでただ今、川を越そうと言うのは、二人じゃ。 蓮台越しにいたそう。価はいくらじゃ。」 問屋は、肯くと、 「はい。お二人なら、蓮台で四百八十文でござります。」 「それは高値じゃ。ちとまけやれ。」 と、弥次郎兵衛がいうと、突然、問屋の男の言葉が乱暴になった。 「なんですと。この川の渡し賃を負けろですと。 馬鹿なことをいうもんじゃない。さあ、商売のじゃまだ。早くいってください。」 弥次郎兵衛は、この勢いにおされながらも、芝居を続けている。 「いや、侍に向かって馬鹿とはなんじゃ。」 問屋の方は、何やら気がついたようで、にやにや笑いながら言う。 「おやおや、侍がきいてあきれる。」 弥次郎兵衛も、引っ込みが付かない。 「こいつ武士を愚弄しておる。ふとどき千万。」 「お前さんは、どんな武士なんだ。ほれ、刀の先を見てみなさい。」 と、言われて弥次郎兵衛は、振りかえって後ろを見れば、刀の先のところが、柱につかえて、せっかくのばしたところが二つに折れている。 みなみな、それを見てどっと笑い出したので、さすがの弥次郎兵衛も面目なく、しよげかえって、だんまりをきめこんだ。 問屋が更に言う。 「折れた刀の差す武士がどこにいる。 さては、お前さん、問屋をだましに来たな。それでは、済ませないぞ。」 弥次郎兵衛は、なおも芝居を続ける。 「いや、拙者は、三尾谷四郎国俊の末孫だから、 それで刀の折れたのを差しおるので・・・。」 「これ以上、ふざけたことをいうと、縛り上げるぞ。」 と、問屋は怒った様子だ。 それを見ていた北八は、 「弥次さん、もう、無理だ。早く行こう。」 と、手を取って引きずられ、弥次郎兵衛もそれをしおに、こそこそと逃げだしていく。
問屋は、その二人に、 「ハハハ、とんでもない連中だ。」 と、言っている。 「ちっ、失敗した。いまいましい。ハハハ。」 と、弥次郎兵衛は、苦い顔で、一首詠む。
出来合いの なまくら武士の しるしとて 刀の先の 折れてはずかし
この狂歌に、問屋の者たちも感心、双方大笑いとなる。
弥次郎兵衛と北八は問屋を離れ、急いで川岸に戻ってみると、川越の往来は隙間もなく、先を争って行っている。 二人も人足とかけ合って値段を取り決めて、蓮台に乗って見ると、大井川の水は逆巻いて、目もくらむようだ。
今や命も捨てようかと言うほどの恐ろしさはたとえようもなく、まことに東海第一の大河、水勢早く石も流れて、渡るに悩む難所ながら、ほどなく無事にわたり終えて、蓮台を下りたうれしさは、この上もないほどだった。
蓮台に 乗りしは結句 地獄にて 下りたところが ほんの極楽
さて、二人は、無事に大井川も渡り、金谷の宿場に着いた。 ここでも、両側の茶屋の女中が声をかけてくる。 「お休みなさいまし、お休みなさいまし。」 そのうちの一軒の茶屋にいたかごかきが声をかけてきた。 「旦那方、戻りかごだ。安くするから乗って行きなされ。」 北八が 「ほれ、弥次さん、かごはどうだ。」 と、問い掛けると、弥次郎兵衛は、ちょっと考えて、 「いや、やめとこう。お前が乗りたければ、そうしろ。」 北八は、 「そんなら、俺だけ、日坂まで乗ろうか。」 と、かごの値段を決めて乗った。弥次郎兵衛は、その横をついて歩いている。
降り悪く雨が降り出したので、かごかきは、古いござを一枚ぶせた。 早くも菊川の坂にかかると、西国三十三観音の巡礼が二、三人、かごに乗っている北八に話し掛けてきた。 「はい、かごに乗ってらっしゃる旦那。一文くださいな。」 北八は、 「寄りつくな、寄りつくな。」 追っ払おうとしている。巡礼はなおもしつこく、 「御道中、御繁盛の旦那、この中へたった一文でいいですから。」 と、拝み倒さんばかりの様子である。 北八は、巡礼があんまりしつこいのでつい、 「ええい、寄りつくなと言うに。べらぼうめ。」 と、言うと、 「ない、べらぼうだ。べらぼうと言う方がべらぼうだ。」 と、巡礼がやり返す。 「この乞食めが。」 と、北八が力むはずみに、どうしたことか、かごの底がすっぽり抜けて、北八どったりと尻餅をついた。 「あいたたた。」 それをみた巡礼は、大笑いしている。 かごかきは、大慌てで、 「あれあれ、怪我はありませんか。」 と、北八をみると、 「おい、お前らは、どうしてこんなかごにおれを乗せたんだ。」 と、怒っている。 かごかきは、 「許してください。わざとというわけじゃないんですから。」 と、困った様子。 「どこぞへ行って、いいかごを借りて来い。」 北八は、代わりのかごをもってこいと催促する。 「ここは坂の途中で、借りるとこはないで・・・。 そうだ。いいことがある。おい、相棒よ。お前のふんどしを外せ。」 かごかきの相方はそれを聞いて、 「はて、ふんどしをどうするんだ。」 と、脱ぎに掛かる。 「まあ、俺がすることをみていろ。」 このかごかきは、自分のふんどしと、相棒のふんどしで二つの輪を作り、 これで、ござの上からかごを括ってしまった。
「さあ、これで大丈夫。乗ってみなされ。」 と、かごかきは澄ました顔で、あきれている北八を見ている。 「無茶苦茶なことをするもんだ。これで乗られるもんか。」 と、北八は、首をふっている。
つづく。
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wangwill · 9 months
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回憶資料庫
H:朱衛茵學有專長又能記憶久遠,封為回憶資料庫,名副其實。「走出失婚與憂鬱,朱衛茵:50後懂得分享,讓自己成為一本好看的書」好看的書是一個好詞。人人都是回憶資料庫,也是一本好看的書,以此自勉!「刻意製造「那些永遠記得的日子」,幸福的保鮮劑,來自快樂回憶。」歌聲是個美好回憶,詩詞也是!
20231218W1
節目介紹:
似曾相識精選輯
12/2000:45-01:00
朱衛茵是一位對西洋音樂了解深刻的靈魂,她就像是一本充滿了回憶的資料庫。透過音樂,我們能夠重新找回一些似曾相識的故事。她不僅能夠信手拈來每首歌曲的典故,還能深入介紹我們所不知道的小故事。當我們聽著那些令我們懷念的歌曲時,既有歡笑也有淚水,同時也
能感受到年輕時���心的悸動。
維基百科介紹:
朱衛茵
朱衛茵,出生於香港,香港商業電台前知名DJ、香港華語女歌手、台灣飛碟電台主持人。 維基百科
配偶: 李宗盛 (結婚於 1988 年–1997 年)
出生: 7月7日; 英屬香港
英文名: Rosita Chu
音樂類型: 華語流行音樂
走出失婚與憂鬱,朱衛茵:50後懂得分享,讓自己成為一本好看的書
香港民間電視片段資料庫 VCRBase
這個香港民間電視資料庫,基本上由一班志同道合朋友所組成,目的 是將被人遺忘了的精彩電視片段利用現時科技得以重現人間,當中有 好多片段既經典又珍貴,同時間亦都歡迎各位有志之士加入經典電視 片段的文化保育工作!!
回憶
簡介
回憶指的是提取過往信息的心理過程,有時也可以指代提取的信息本身。回憶和收錄、貯存一併為記憶的三大核心過程。回憶一共分為三種類型:自由回憶、線索回憶與序列回憶。通過測試這三種回憶的方式,心理學家可以研究人類和動物記憶的過程。關於人類是如何回憶的,目前有兩種理論:二期記憶論,以及源碼特定理論。 維基百科
名副其實。
「名」是名聲,「實」則指實際、實質,「副」作動詞表示相稱,「名實相副」意即「名與實相稱」。 宋代起多作「名副其實」,而當指「名、實不相稱」時,則用「名不副實」。
郭子究
回憶
作詞:陳崑、呂佩琳
作曲:郭子究
編曲:陳樹熙
春朝一去花亂飛 又是佳節人不歸
記得當年楊柳青 長征別離時
連珠淚 和針黹 繡征衣
繡出同心花一朵 忘了問歸期
思歸期 憶歸期 往事多少盡在春閨夢裡
幾度花飛楊柳青 征人何時歸
以「回憶」為著點,不管寫人、記事、詠物,都可以派上用場。起筆方式是「有一次…」、「有一天…」、「有一回…」、「記得…」,運用回憶的筆法,讓文章更有情感,主角更加鮮明。
日月既往,不可復追,過去的時光再不可能擁有,只有回憶能印證生命的痕跡,是這些美好的記憶豐滿了每個人的夢,每個人的人生。
《生查子·元夕》
【宋代】歐陽修
去年元夜時,花市燈如晝。
月上柳梢頭,人約黃昏後。
今年元夜時,月與燈依舊。
不見去年人,淚濕春衫袖。
《遣悲懷三首·其二》
【唐】元稹
昔日戲言身後事,今朝都到眼前來。
衣裳已施行看盡,針線猶存未忍開。
尚想舊情憐婢僕,也曾因夢送錢財。
誠知此恨人人有,貧賤夫妻百事哀。
《醜奴兒·書博山道中壁》
【宋代】辛棄疾
少年不識愁滋味,愛上層樓。
愛上層樓。為賦新詞強說愁。
而今識盡愁滋味,欲說還休。
欲說還休。卻道天涼好個秋。
《題都城南莊》
【唐代】崔護
去年今日此門中,人面桃花相映紅。
人面不知何處去,桃花依舊笑春風。
《浣溪沙·誰念西風獨自涼》
【清代 】納蘭性德
誰念西風獨自涼,蕭蕭黃葉閉疏窗,
沉思往事立殘陽。
被酒莫驚春睡重, 賭書消得潑茶香。
當時只道是尋常。
《江城子·乙卯正月二十日夜記夢》
【宋代】蘇軾
十年生死兩茫茫,不思量,自難忘。
千里孤墳,無處話淒涼。
縱使相逢應不識,塵滿面,鬢如霜。
夜來幽夢忽還鄉,小軒窗,正梳妝。
相顧無言,惟有淚千行。
料得年年腸斷處,明月夜,短松岡。
父亲的病
從百草園到三味書屋父亲的病
作者:魯迅瑣記→本作品收錄於《朝花夕拾》
大約十多年前罷,S城[1]中曾經盛傳過一個名醫的故事:他出診原來是一元四角,「特拔」[2]十元,深夜加倍,出城又加倍。有一夜,一家城外人家的閨女生急病,來請他了,因為他,其時,已經闊得不耐煩,便非一百元不去。他們只得都依他。待去時,卻只是草草地一看,說道:「不要緊的。」開一張方,拿了一百元就走。那病家似乎很有錢,第二天又來請了。他一到門,只見主人笑面承迎道:「昨晚服了先生的藥,好得多了,所以再請你來複診一回。」仍舊引到房裏,老媽子便將病人的手拉出帳外來。他一按,冷冰冰的,也沒有脈,於是點點頭道,「唔,這病我明白了。」從從容容走到桌前,取了藥方紙,提筆寫道:「憑票付英洋[3]壹百元正。」下面是署名,畫押。
  「先生,這病看來很不輕了,用藥怕還得重一點罷。」主人在背後說。
  「可以。」他說,於是另開了一張方:「憑票付英洋貳百元正。」下面仍是署名,畫押。
  這樣,主人就收了藥方,很客氣地送他出來了。
  我曾經和這名醫周旋過兩整年,因為他隔日一回,來診我的父親的病。那時雖然已經很有名,但還不至於闊得這樣不耐煩;可是診金卻已經是一元四角。現在的都市上,診金一次十元並不算奇,可是那時是一元四角已是巨款,很不容易張羅的了;又何況是隔日一次。他大概的確有些特別,據輿論說,用藥就與眾不同。我不知道藥品,所覺得的,就是「藥引」的難得,新方一換,就得忙一大場。先買藥,再尋藥引。「生薑」兩片,竹葉十片去尖,他是不用的了。起碼是蘆根,須到河邊去掘;一到經霜三年的甘蔗,便至少也得搜尋兩三天。可是說也奇怪,大約後來總沒有購求不到的。據輿論說,神妙就在這地方。先前有一個病人,百藥無效;待到遇見了甚麼葉天士先生,只在舊方上加了一味藥引:梧桐葉。只一服,便霍然而癒了。「醫者,意也。」其時是秋天,而梧桐先知秋氣。其先百藥不投,今以秋氣動之,以氣感氣,所以……。我雖然並不瞭然,但也十分佩服,知道凡有靈藥,一定是很不容易得到的,求仙的人,甚至於還要拼了性命,跑進深山裏去採呢。
  這樣有兩年,漸漸地熟識,幾乎是朋友了。父親的水腫是逐日厲害,將要不能起床;我對於經霜三年的甘蔗之流也逐漸失了信仰,採辦藥引似乎再沒有先前一般踴躍了。正在這時候,他有一天來診,問過病狀,便極其誠懇地說:「我所有的學問,都用盡了。這裏還有一位陳蓮河[4]先生,本領比我高。我薦他來看一看,我可以寫一封信。可是,病是不要緊的,不過經他的手,可以格外好得快……。」這一天似乎大家都有些不歡,仍然由我恭敬地送他上轎。進來時,看見父親的臉色很異樣,和大家談論,大意是說自己的病大概沒有希望的了;他因為看了兩年,毫無效驗,臉又太熟了,未免有些難以為情,所以等到危急時候,便薦一個生手自代,和自己完全脫了干係。但另外有甚麼法子呢?本城的名醫,除他之外,實在也只有一個陳蓮河了。明天就請陳蓮河。
  陳蓮河的診金也是一元四角。但前回的名醫的臉是圓而胖的,他卻長而胖了:這一點頗不同。還有用藥也不同。前回的名醫是一個人還可以辦的,這一回卻是一個人有些辦不妥帖了,因為他一張藥方上,總兼有一種特別的丸散和一種奇特的藥引。蘆根和經霜三年的甘蔗,他就從來沒有用過。最平常的是「蟋蟀一對」,旁註小字道:「要原配,即本在一窠中者。」似乎昆蟲也要貞節,續弦或再醮,連做藥資格也喪失了。但這差使在我並不為難,走進百草園,十對也容易得,將它們用線一縛,活活地擲入沸湯中完事。然而還有「平地木十株」呢,這可誰也不知道是甚麼東西了,問藥店,問鄉下人,問賣草藥的,問老年人,問讀書人,問木匠,都只是搖搖頭,臨末才記起了那遠房的叔祖,愛種一點花木的老人,跑去一問,他果然知道,是生在山中樹下的一種小樹,能結紅子如小珊瑚珠的,普通都稱為「老弗大」。「踏破鐵鞋無覓處,得來全不費功夫。」藥引尋到了,然而還有一種特別的丸藥:敗鼓皮丸。這「敗鼓皮丸」就是用打破的舊鼓皮做成;水腫一名鼓脹,一用打破的鼓皮自然就可以克伏他。清朝的剛毅因為憎恨「洋鬼子」,預備打他們,練了些兵稱作「虎神營」[5],取虎能食羊,神能伏鬼的意思,也就是這道理。可惜這一種神藥,全城中只有一家出售的,離我家就有五里,但這卻不像平地木那樣,必須暗中摸索了,陳蓮河先生開方之後,就懇切詳細地給我們說明。
  「我有一種丹,」有一回陳蓮河先生說,「點在舌上,我想一定可以見效。因為舌乃心之靈苗……。價錢也並不貴,只要兩塊錢一盒……。」我父親沉思了一會,搖搖頭。
  「我這樣用藥還會不大見效,」有一回陳蓮河先生又說,「我想,可以請人看一看,可有甚麼冤愆[6]……。醫能醫病,不能醫命,對不對?自然這也許是前世的事……。」我的父親沉思了一會,搖搖頭。
  凡國手,都能夠起死回生的,我們走過醫生的門前,常可以看見這樣的匾額。現在是讓步一點了,連醫生自己也說道:「西醫長於外科,中醫長於內科。」但是S城那時不但沒有西醫,並且誰也還沒有想到天下有所謂西醫,因此無論甚麼,都只能由軒轅、岐伯[7]的嫡派門徒包辦。軒轅時候是巫醫不分的,所以直到現在,他的門徒就還見鬼,而且覺得「舌乃心之靈苗」。這就是中國人的「命」,連名醫也無從醫治的。不肯用靈丹點在舌頭上,又想不出「冤愆」來,自然,單吃了一百多天的「敗鼓皮丸」有甚麼用呢?依然打不破水腫,父親終於躺在床上喘氣了。還請一回陳蓮河先生,這回是特拔,大洋十元。他仍舊泰然的開了一張方,但已停止敗鼓皮丸不用,藥引也不很神妙了,所以只消半天,藥就煎好,灌下去,卻從口角上回了出來。從此我便不再和陳蓮河先生周旋,只在街上有時看見他坐在三名轎夫的快轎裏飛一般擡過;聽說他現在還康健,一面行醫,一面還做了中醫甚麼學報,正在和「只長於外科的西醫」奮鬥哩。
  中西的思想確乎有一點不同。聽說中國的孝子們,一到將要「罪孽深重,禍延父母」[8]的時候,就買幾斤人參,煎湯灌下去,希望父母多喘幾天氣,即使半天也好。我的一位教醫學的先生,卻教給我醫生的職務,道:「可醫的,應該給他醫治;不可醫的,應該給他死得沒有痛苦。」——但這先生自然是西醫。父親的喘氣頗長久,連我也聽得很吃力,然而誰也不能幫助他。我有時竟至於電光一閃似的想道:「還是快一點喘完了罷……。」立刻覺得這思想就不該,就是犯了罪;但同時又覺得這思想實在是正當的,我很愛我的父親。便是現在,也還是這樣想。
  早晨,住在一門裏的衍太太[9]進來了。她是一個精通禮節的婦人,說我們不應該空等著。於是給他換衣服;又將紙錠和一種甚麼《高王經》[10]燒成灰,用紙包了給他捏在拳頭裏……。
  「叫呀,你父親要斷氣了。快叫呀!」衍太太說。
  「父親!父親!」我就叫起來。
  「大聲!他聽不見。還不快叫?!」
  「父親!!!父親!!!」
  他已經平靜下去的臉,忽然緊張了,將眼微微一睜,彷彿有一些苦痛。
  「叫呀!快叫呀!」她催促說。
  「父親!!!」
  「甚麼呢?……不要嚷。……不……。」他低低地說,又較急地喘著氣,好一會,這才復了原狀,平靜下去了。
  「父親!!!」我還叫他,一直到他咽了氣。
  我現在還聽到那時的自己的這聲音,每聽到時,就覺得這卻是我對於父親的最大的錯處。
                       十月七日。
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ichinichi-okure · 1 year
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2023.9.16sat_tokyo
半分寝てて曖昧だけどおそらく7時、9時と授乳して11時にやっと起床。再びコロンと寝た息子(生後1ヶ月、以下ブリ太)と夫(以下Kさん)が横並びで寝ている姿は何度見ててもほんとに良い眺めだ。おはよう。ブリ太がこの家にやってきてから、寝ている間にいかに自分のことをするかの日々なので、朝ごはんもちゃちゃちゃと済ます。最近は毎朝豆乳を飲み、玄米よもぎ餅を焼いて食べている。
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何も付けずにそのままでおいしい。ヨーグルトも冷蔵庫の前で立ち喰いして、天気良さそうだったので植物を外に出して水をあげた。
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そのうちにまたミャーンミャーンと起きて泣き出したのでのぞきに行ってオムツ変えて朝のスキンケア(乳児湿疹がひどくなってて可哀想)をしてお着替え。おはよう。今日もかわいいねぇ。
そこから再び授乳タイム。おっぱいを吸いながら一点を見つめるこの子が何を考えているのか想像したりほっぺたをつんつんしたり頭皮をクンカクンカしてたらいつのまにか15時くらいになっていた。もういつの間にか自分からおっぱいが出ることにも慣れてきたなぁー。そしていつも触り続けてしまうこの肉拳が大好物すぎる。。
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再びブリ太就寝。お昼ごはんのお好み焼きとすぅぷを食べた。
16時。本日のメインイベント、オリーブの木を買いに行く。昔から、もし自分に子どもが産まれたら、何か果物の木を庭に植えて10年後にその子と実をもぎりたいっていう憧れを抱いていたのだが、子は産まれたものの、家に庭がない。それで、オタオタしつつもオリーブに落ち着いたということなのかもしれない。オリーブの木を買いに駅の方へ向かう。寝ているブリ太を乗せて、ベビーカーを押すKさん。うーん、誰がどこからどう見ても家族になってしまったなー(良い意味で)なんて思った。
駅前には2軒、植物屋がある。 ひとつはこじゃれた感じのこぢんまりとしたお店。店主のお姉さんとなんだか一生懸命何かを話すスーツの男性がレジにいた。オリーブはあったけど小さかったので無しに。もうひとつの店へ。駅前は車がひしめき合っていてベビーカーを押して歩くのが怖かった。もうひとつのお店はかなり大きめなザ・街のグリーンショップ。雑味のあるディスプレイもかなり好きな感じ。同じサボテンがぽこぽこといくつも並んでいるのを確認したり、伸び切った蝙蝠蘭の葉の行先を気にしつつ店外の奥の方に進むと、見つけた、しかも大・中・小様々な大きさの。「中」がちょうど大きさも値段もいい感じだったので即決。
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お店の方にお願いするとブリ太に注目してくださり「アラカワイー! 何ヶ月?」と。1ヶ月になったばっかりなんです〜というと「アラーどんちゃら元気ねぇ」みたいに独特な表現されて、ん、ブリ太が? と思ってたら私のことだった。たぶんふたつくくりしてたのと蛍光イエローの帽子のせいだと思う。 そのあとクリーニング屋で冬物の衣類を引き取ったり、スーパーで少し買い物をして、車の少ない道を遠回りして帰ってきた。ちょうど夕焼け時で、空を見てると、雲のレイヤーがすごくて一番高いところが晴れててその下が曇り?そこにまた別の雲が浮いてて、手前は青空、、ていう不思議な奥行き。
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Kさんが、ああいう雲模様にもきっと何か名前があるんだろうねって言ってた。はたして。
帰宅。おっぱい。しばらくしてお風呂。 昨日からブリ太も一緒に大きなお風呂に入るようになった。そして私も湯船解禁(産後1ヶ月は入れない)。お湯に浮かぶ息子は一段とかわいい。 私が先に入って、あとから連れて来てもらう予定だったんだけど、その間に寝ちゃったみたいで妊娠してた時ぶりに久しぶりにのんびりひとりで浸かった。役目を終えたしょぼくれたお腹をぼに〜んと触ったり、今日切った爪を眺めたりした。
夜ご飯はKさんが揚げ豆腐と野菜の煮物と、親子丼、お吸い物的なもの作ってくれた。美味しいー。
そして今、すぅすぅ眠るブリ太の横で懇々と今日を綴っています。明日は久々にウンゲツィーファの芝居を観に行く。公演の中に『赤ちゃんシャウト回』っていうのがあって、上演中の赤ちゃんシャウト(泣き叫び)歓迎の回らしく、1ヶ月健診終えて、大丈夫そうだったので勢いで夫婦でチケットを取った。電車で移動も初めてだし3人で大冒険だなこりゃ、、たのしみ。
おやすみなさい!
-プロフィール- 大澤花 32 東京 保育士 今は育休中 Instagram @ramo_doko
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bibliomaniabooks · 1 year
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本日ご紹介するご本はこちらッ!
電浴でGO!
電気風呂を完全攻略ッ!
日本全国800軒を訪問した電気風呂鑑定士けんちんが全国の電気風呂やその成り立ち電気風呂メーカーなどを徹底紹介。
そして電気風呂のより良い楽しみ方等を教授ッ!ビギナーからマニアまでオススメの一��ッ!
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moshimobokuga · 1 year
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突然春は跳ねる #05
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 二日後の放課後、学校を出た私と長山さんは銭湯に向かって歩いていた。 「この間は迷っちゃったけど今日は大丈夫!」  長山さんがずんずん進むから後に続く。学校の周辺には大小様々なビルがたくさんある。ご飯屋さんも結構あるのに寄り道が禁止されてるから堂々と入れないのは残念だ。こんなオフィス街を少し歩いた先にどーんと広大な学校があるなんて変だと改めて思った。  二十分くらい歩くと暑くなってきた。街並みも変わってビルより家が増えてくる。古そうな一軒家が並んでてマンションもぽつぽつ建っている。学校の誰かが住んでいる可能性もあるけど、のどかな住宅街で人も多くないから学校関係者に見つかる不安はなかった。 「あ!見て!」 「ん?」  長山さんと見上げた青い空に灰色の煙がもくもく伸びているのが見えた。煙突だ。 「すぐそこだね」 「うん!良かった!迷わなかった~!」
 銭湯に来るのは初めてだけどイメージ通りだった。湯と書いてある暖簾が入り口にかかっていてそこから男湯と女湯に分かれる。番号の書いてある木札が刺さってる下駄箱に靴を入れた。長山さんは数字とひらがなにこだわりがあるようでどこに入れるか考えていた。  受付のおばあちゃんにお金を払う。大人料金は四五〇円だったけど割引券で四〇〇円になった。使い切りのシャンプーとリンスのセットも買った。  体を洗ったり拭く用のタオルは持ってきた。ボディーソープは長山さんの物を使う。とびっきりのものがあるから嫌じゃなかったら貸してくれるとのことだったので借りる。  脱衣所にはすでに入浴済みのおばさん二人がいるだけだった。世間話していたみたいだけど私たちに気づいてこんにちはと言ってくれたので挨拶を返した。  ロッカーに荷物を入れて長山さんが制服のベストを脱いだ。それだけで胸の大きさが変わって見えた。特別とても大きいわけではないと思うけど小柄で言動も子供っぽい印象のある人だからチグハグで少し驚いた。着痩せって錯覚なのかな。どんな仕組みなんだろう。  今まで合宿とかで同級生と風呂に入ることは何度もあったのにそわそわしておかしかった。でも長山さんは恥ずかしがる素振りなんて見せない。彼女が髪を下ろして裸になっても私はまだ靴下とタイくらいしか外していなかった。 「先に行ってるね~」  そう言って置いて行かれてしまったので急いだ。
 浴室に入ると長山さんはもうシャワーを浴びていた。私は隣の椅子に座る。  シャンプーの袋を切って頭を洗う。よくある匂いだと思うけど家で使ってるのとは違うから新鮮だ。リンスも。 「じゃーん!見て!これ知ってる?昔からあるんだって」  髪の水分を切ってお団子にまとめると長山さんは私に白い腕を伸ばした。思い切り開いても小さな手のひらには赤くて四角い宝石みたいな石鹸が乗っている。 「きれい…」 「ね!美味しそうだよね!初めて来た時に一個だけ売ってて一目惚れしちゃった!どうぞ使って!」  長山さんの言ってたとびっきりってこれのことか。美味しそうかはさておき、一目惚れはわかる。透き通って明るい場所にかざすとキラキラする。  あまり嗅いだことないおしゃれな香りがする。お屋敷の花瓶に飾られている花にほんのちょっと貴重な胡椒を振りかけたような匂い。この間の長山さんの匂いはこれだったのかな。泡立ちも良かった。普段は石鹸なんて使わないのにちょっと欲しくなった。
 湯舟には二人で熱い熱いと連呼しながら入った。他にお客さんいないからって騒ぎすぎたかもしれない。  そのうち、お湯の熱さに慣れて落ち着いた。外の暑さと大違い。気持ちがいい。 「長山さんはどうしてここ知ったの?」 「あのねー、美術科の一年生には共同作業ってのがあって、クラスの子たちと文化祭に向けて作品作りしてるの。あたしたちの班は富士山を描くことに決めて──」  長山さんは話しながら湯船で伸びる。白い肌は赤くなっていた。 「それはもうでっかいのを描いてやろうぜってことで何か参考にならないかと探してたらここを見つけたわけです」 「…一緒に来た男子が同じ班の子?」 「うん。男子二人とあたしの三人グループ」 「そうなんだ…どれくらいの大きさで描くの?この富士山くらい?」私は振り返って壁の富士山を見上げた。「あれ?」  富士山はなかった。空と海と岩と木だけ。それだけでもきれいな絵だけど富士山があるもんだと思って見たら殺風景だ。 「富士山は男湯側に描かれているのである」 「え!?」 「ふふ…ここからなら男湯の富士山を盗み見ることができるのだ…」  長山さんが湯舟の端に移動した。私も場所を変える。一枚の横長の壁画は中心で男湯と女湯に仕切られていてその壁の向こうに富士山の頭だけが見えた。 「不公平だね」 「ね!近くで見たいよね!これより大きい富士山描きたいなぁ。計画書の段階で教室に展示できるくらいにって先生に言われちゃった。本当は体育館にだって収まらないくらいのが良かったんだけど」 「野望がでっかいね」 「へへっ。照れる」  こんなことで照れるんだ。変なの。  私たちの体はもう茹でダコみたいになって一度水風呂で冷やした。ここでも一緒に冷たい冷たいって言い合ってまた湯船に戻ってのんびり浸かった。
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birkengarten · 1 year
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2022年10月2日
建築士さん
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新得町 屈足湖
「くったりこ」 と読みます
「かがあし」 「かがあし」と3回くらい言ったあと、物件を案内してくれたお兄さんに「くったり、と読むんですよ」とやさしく訂正されたのは私です(早く言ってよ)
新得の内見のあと、結論が出せないまま時間が過ぎた
環境も雰囲気も、いままで見てきた中では一番希望に近いけど
外壁・屋根の補修、水回りの改修・・・
はたして予算内におさまるのか?
ひとりでいくら考えても答えは出そうになかったので
専門家の方に見てもらって助言をお願いしようと
「十勝」 「建築士」 で画像検索
良さげな家をクリックして、その建築士さん(Eさん)にお願いして、一緒に物件を見てもらうことにした
カビくさい原因は床下(ひどくカビていたらしい)
サイディングや屋根のコーキングも必要
トイレは浄化槽入れて水洗に(生活の質が…って言ってた)
断熱もやり直した方がいい(当時の断熱材は薄いんだって)
お風呂、キッチンといった水回りも耐用年数過ぎてる感あり(あ、これは私の見解)
結論としては
かなりかかる
Eさん曰く
私が探しているような土地は探せばきっとあるから、知り合いに聞いてみてくれると
安い土地を買えば予算内で家も建てれるんじゃないかと
いうことで、土地探しをお願いすることにした
ちなみに私が探している土地は
木に囲まれた土地
窓から見えるのは木と空だけ
でもポツンと一軒家は怖いので程よい距離に隣家があってほしい
けっこう物件情報見てきたけど、木々に囲まれた土地って資材置き場みたいな感じのところが多くて、あまり雰囲気がよろしくない
適度に家が建っていて、なおかつ木々が残っているところってあんまりないと思うんだけど、どうなのかな
でもいろんな土地を見て家をたててきたEさんがそう言うのならきっとあるんでしょう
Eさん、どんな人かと緊張の初対面だったけど(こう見えてなかなかの人見知り)、第一印象 大学の時の先輩に似ている
はじめて会った気がしない(笑)
年は私と同じくらいかな
カヌーを持っていてナキウサギも見たことがあるんだって
すごく羨ましい
今年はナキウサギ見たいなぁ
この日は新得に一泊
新得そばを食べて(十箱さん)
屈足湖のほとりの温泉へ
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73名職籃好手來了 臺南市主辦全運會籃球賽很熱鬧
112 年全國運動會籃球項目資格賽 球隊名單 男子組 基隆市 領隊:蔡適應 教練:李啟億 管理:徐偉勝 球員:張舜丞 高士杰 王柏智 劉光尚 蔡沁恩 王翊帆 林明毅 林子桓 黃煒哲 余祥平 林子皓 黃冠儒 台北市 – 上屆第二 領隊:楊志豪 教練:閻家驊 管理:王建智 球員:成力煥 呂奇旻 黃 鎮 林韋翰 周伯勳 陳兆豪 王子綱 范士恩 黃聰翰 黃泓瀚 謝宗融 曾祥鈞 新北市 – 上屆第四 領隊:陳世軒 教練:楊哲宜 教練:廖文彬 球員:魏嘉豪 李啓瑋 温立煌 劉丞勳 廖祥佑 王皓吉 周柏臣 蔡文誠 李漢昇 林 正 曾文鼎 胡凱翔 桃園市 – 上屆第三 領隊:邱繼泰 教練:陳子威 管理:古翔云 球員:余純安 簡偉儒 于煥亞 王泰傑 勤明慶 黃宗翰 謝亞軒 張鎮衙 陳范柏彥 簡廷兆 丁聖儒 簡祐哲 新��縣 領隊:林祺軒 教練:吳東駿 管理:林均澄 球員:林勤諭 廖慈恩 戴 翊 劉律世…
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idleness-diamond · 1 year
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1泊2日、山梨旅行。
4月の24〜25日の2日間、おばあちゃんと山梨へ行ってきました。
行ってる間もここ、tumblrで写真をズラズラっとアップしておりましたが、ちゃんと書こうと思って書いてます。かなり長いのでお時間ある時にでも読んでやってください(笑)
まず、山梨旅行は実質おばあちゃんの里帰りみたいなところがありまして。
山梨で生まれ育ったおばあちゃんの姉妹が何人か山梨に住んでるので、妹たちに会いに行くというおばあちゃんに着いて行った私。
色々メンタルがいっぱいいっぱいで、病院でも休むように(就活などを)勧められたので、気分転換に一緒に行きたい! と思い切って山梨へGO!
行きも帰りも高速バスで行ったけど、バスタ新宿の混み具合やばかったな……。
日本人より外国人の方が多くて、色々な香りが……あと言語が……。
久しぶりにバスタ来たけど一瞬ここどこの国だったか? となる私。
朝9時過ぎに出発のバスだったので早起きして新宿に行ったわけだけど、やはり人がたくさん!
仕事とか以外で外に出かけてなかったからか、めちゃくちゃ人に流される。色々削り取られた……マジで。
バスが来て、チケット見せて乗り込んだけれど、やっぱりバスの中もほとんど外国人の方!
数年前に高速バスで山梨行った時もそうだったな……富士山、富士五湖、富士急とかあるもんな……。
おばあちゃんはさっそく寝ていたので私は音楽を聴いていた。イヤホンから、空想委員会を流しながら1時間半ちょっと、ずっと外を見ていた。
なかなか順調に進んで山梨に入ったら、もう山! 山! 田舎!(良い、好き!) てな感じで、自生している山藤なんか沢山あって、起きたおばあちゃんと「藤良いねぇ」なんて言って、耳抜きをしながらまたイヤホンをつけたら、車内がザワっとなったので何かと思ったら富士山!
この日は曇ってはいたけどしっかり富士山が綺麗にみえたから、外国人の方々めちゃくちゃ写真撮ってた。
なんやかんやで11時半くらいに山梨、富士山駅に到着し、降りてさっそく駅近くで喫茶店と民泊? を営んでいるおばあちゃんの妹さんのお店へ。
もう1人の末妹さんが来るまで色々おしゃべりしながらコーヒーを入れてもらって、たまたま頂いたらしいケーキも出してもらっちゃった。 コーヒー苦手だけど、不思議と美味しく全部飲めた。そう、私は昔から不思議と山梨ではパワーアップするのである。
末妹さんも来て、挨拶もそこそこにおしゃべりして、今回は末妹さんの家にお泊まり。
2日目に皆で富士急のホテルのレストランでランチブュッフェなので、お仕事のある喫茶店の妹さんと別れて末妹さんの車で山梨を軽く観光……!
実は何回も来ているのに観光めいた場所にはほとんど行かない私とおばあちゃんのために今回は3箇所くらい巡ってくれた!!
どうしても吉田のうどんを食べたい私の要望も聞いてくれて……ありがとうYねーちゃん(末妹さん)……。
写真もあげたけど、まずは吉田のうどんを食べにお店へ!
ああ久しぶりの吉田のうどん……美味しかった……調子乗って大にしたらお腹はち切れそうになった(笑)
そして、『北口本宮冨士浅間神社』へ!!
パワースポットらしい。空気違いました。武田信玄の建立したものもあったり、夫婦杉や太郎杉、もみじが凄かったし、久しぶりに砂利道をたくさん歩いたので息切れする私(運動不足)。
高所恐怖症で高い階段が怖い私は1箇所行けないところもあったけど、歴史あるものはすごく良い……。木花咲耶姫と言えば『鬼灯の冷徹』の知識しかない私。テンション変でひゃーひゃー言ってましたね。
そして、次の目的地へ。次は『旧外川家宿坊』!
見学できるのはここだけで、あとの御師宿は普通に人が住んでいるお家だから解放されてないけど、屋根とか立派だった、しめ縄があるお家が宿坊だったんだとか。
で、旧外川家宿坊に入場。ちょうどなんか作品展みたいなのが最終日だったらしく、家の中の見学と一緒に作品展も見てきました。めっちゃ観光っぽい(ノ˶>ᗜ​<˵)ノ
そしてそろそろ帰ろうかと話していたら、『金精軒』を発見!!
信玄餅の発祥は金精軒なのですって。偶然にもカフェスペースオープン初日だったらしく豆大福とアップルサイダーを頼んでカフェスペースでおしゃべり。
富士山も目の前に見えて思わずパシャリ!
カフェスペースから降りて(2階だった)、お土産の信玄餅を買って帰路に。
すき家の牛丼をテイクアウトして山中湖村へ!
いや寒かったー! 1桁だった気温! ストーブをつけて、部屋をあっためて、牛丼食べながらまたおしゃべり!
姉妹のおしゃべりは尽きなくて、楽しそうで良かったなぁとちょこちょこ会話に入りながらのんびり。
お風呂に入って、夜散歩が寒さで無理なので窓から外を見る。夜が暗い。灯りがほぼない。音もなくて、私はTekeTekeさんの『夜営サーカス』『大気圏外の魚』など持ってる楽曲をシャッフルで聴きながら、やっぱり雰囲気がめちゃくちゃ合っててすごくエモい気持ちになりつつかなり癒され布団に入って、深夜まで起きてたはずが気づいたら朝5時半。自然と目が覚めてびっくり。そうだった私、山梨では目覚めがスッキリだったと思い出しつつ朝ごはんを食べておしゃべり。お昼前には、もう1人の妹さんの家へ。
Yねーちゃんが予約してくれたブュッフェの時間までまだあるのでおしゃべり。そして皆で車で富士急へ。ハイランドを横目にホテル内でレストランオープンを待ちながらおしゃべり。
レストランがオープンしたので席へ。窓側で、富士急ハイランドのアトラクションが動いていて、悲鳴がすごくて皆で笑う。(全員絶叫系無理な一族)
ブュッフェはね……戦いだった……満席だから、もうお料理とるの戦いだった。でも美味しく食べて帰宅……と思いきや、Oおばちゃん(喫茶店妹)がカラオケに行ってみようと言い出し何故か皆でカラオケへ……。
若いからと1番手を任されあわあわしながら王道であろうあいみょんを1曲。
あとはシニアの方々(笑)に機会の使い方を教えつつ曲を入れ、たまに歌いなと言われ歌う、などした。
せっかく富士吉田に居るし、フジファブリックを歌う。『茜色の夕日』と『若者のすべて』。山梨組は『若者のすべて』を一緒に歌ってくれて嬉しかった!
あとはDEENやGARNET CROWなどのテイルズ曲(映像がみたい)を歌いつつ、空想委員会を1曲歌って私はあと曲入れ係してました。30分延長して、今度こそOおばちゃんちに帰宅。
私は1人で歩いて駅でのお土産争奪戦へ向かい何とか購入し、帰りのバスは18時過ぎなのでそれまでまた3人でおしゃべり。(Yねーちゃんはちょっと寝不足だから帰宅)
時間になって、駅まで歩いて見送ってもらい、バス停のベンチに座る。ああ、帰るのか、とちょっとセンチメンタル。
バスが来て、新宿まで2時間くらいで着く予定だったので、帰りのバスの中のお供はまたTekeTekeさんの曲達。窓際をおばあちゃんが譲ってくれて、山梨に別れを告げた。
新宿に20時すぎに着いたのだがめちゃくちゃ人やばくてやっぱり東京だわとおばあちゃんが電車内でプレス状態になってるのに(身動き取れずフォロー出来ない自分に)若干イライラしつつ(するな) 、さっそく山梨にもうちょっと居たかった、とか思ってた。
池袋で乗り換えもまぁ人やばくてしんどかったけどなんとか地元近くの駅に着いて、おばあちゃんと夢庵で夕飯を食べてタクシーでおばあちゃんちへ帰宅。
私はおばあちゃんちに自転車置いてたので、自転車で帰宅して、疲れ果てて2日くらい再起不能だった……!
でも、めちゃくちゃ気分転換になった山梨1泊2日旅行でした!!
お土産をお友達のYちゃんやころもさんへ送って、喜んでもらえてめちゃくちゃ嬉しかったです!
移動中や夜、
私に寄り添ってくれた音楽にも感謝!
また山梨行きたいから、就活がんばるぞー!
山梨日記、おーわり!!
2023.5.7
(めっちゃ長文になっちゃった……! 反省!)
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kidemyhongkong · 1 year
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【小學排名2023】 全港唯一按升BAND 1中學比率比較的排行榜
這個組別的小學設有直屬或連繫中學, 而這20間學校也有超過50%的同學仔可以升直屬或連繫中學。Kidemy 根據他們直屬或連繫中學的公開試成績作比較而得出的全港Top 20小學排名。
小學排名 小學 校網 直屬/中學 全年學費 1-4 拔萃女小學 私立 拔萃女書院 HKD 70,000 1-4 聖保羅男女中學附屬小學 直資小學 聖保羅男女中學 HKD 64,300 1-4 聖保祿學校(小學部) 私立 聖保祿學校 HKD 55,000 1-4 聖保羅書院小學 直資 聖保羅書院 HKD 30,000 5 拔萃男書院附屬小學 直資 拔萃男書院 HKD 46,210 6 協恩中學附屬小學 34校網 協恩中學 堂費 $3,000 7 德望小學暨幼稚園(小學部) 私立 德望學校 HKD 44,500 8 喇沙小學 41校網 喇沙書院 堂費HKD 4200 9 聖若瑟小學 12校網 聖若瑟書院 免學費 10 港大同學會小學 直資 港大同學會書院 HKD 32,790 11 瑪利曼小學 12校網 瑪利曼中學 免學費 12 聖士提反女子中學附屬小學 11校網 聖士提反女子中學 堂費 $1,600 13 英華小學 直資 英華書院 HKD 18,000 14 聖保祿天主教小學 12校網 聖保祿中學 免學費 15 番禺會所華仁小學 14校網 香港華仁書院 免學費 16 嘉諾撒聖瑪利學校 31校網 嘉諾撒聖瑪利書院 免學費 17 天神嘉諾撒學校 35校網 嘉諾撒聖瑪利書院 免學費 18 民生書院小學 私立 民生書院 HKD 55,000 19 優才(楊殷有娣)書院 直資 優才(楊殷有娣)書院 HKD 34,100-HKD 38,280 20 培僑書院 直資 培僑書院 HKD 25,890 這個組別的小學學生升讀Band 1比率均超過50%。Kidemy 根據他們升讀Band 1中學比率作比較而得出的全港Top 20小學排名。
小學排名 小學 校網 全年學費 1 九龍塘宣道小學 私立 HKD 59,450 2 聖方濟各英文小學 私立 HKD 52,800 3 九龍塘學校(小學部) 私立 HKD 61,000 4 保良局陳守仁小學 直資 HKD 19,800 5 蘇浙小學 私立 HKD 46,500 6 浸信會沙田圍呂明才小學 91校網 免學費 7 浸信會呂明才小學 91校網 免學費 8 聖公會仁立小學 65校網 免學費 9 聖公會聖彼得小學 11校網 免學費 10 救恩學校(小學部) 私立 HKD 62,900 11-20 油蔴地天主教小學(海泓道) 31校網 免學費 11-20 大角嘴天主教小學(海帆道) 32校網 免學費 11-20 油蔴地天主教小學 31校網 免學費 11-20 中華基督教會基灣小學(愛蝶灣) 16校網 免學費 11-20 九龍禮賢學校 私立 HKD 52,800 11-20 軒尼詩道官立小學(灣仔) 12校網 免學費 11-20 軒尼詩道官立小學(銅鑼灣) 12校網 免學費 11-20 荔枝角天主教小學 40校網 免學費 11-20 中華基督教會協和小學(長沙灣) 40校網 免學費 11-20 聖公會德田李兆強小學 48校網 免學費
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bearbench-tokaido · 7 months
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初篇 その一
ますます発展しているこの江戸の町のあちらこちらに、これから先もますます御利益ありますようにと、祈って立てた門松が見える。 その門松に琴の音色が松風といっしょに漂うこの春のうららかさ。 天下太平のこの世の中は、まるで、錦絵の世界のようだ。 そこには鎧武者も美しく描かれるが、すでにこの平和な世の中では、弓も太刀も錦絵の世界の話になっっていた。
さて、この平和な世の中に、国々の名山景勝の地を巡り歩いて、年老いて、やかん頭になった時の茶呑み話のためにと、二人の男たちが誘い合わせ、長い旅に出ることにした。
腹巻の中に、大金を入れ、花のお江戸を旅立ったのは、神田は八丁堀あたりに住む妻を亡くして独り者、年の頃は、四十前後、少しばかり中年太りの弥次郎兵衛と言うぐうたら者と、その居候で、まだ二十才そこそこの北八という若者。 長旅だからと、奮発して買った高級な草履を履いて、塗ればまめができないと言う薬も買い込んで、二人おそろいの浴衣を羽織って颯爽と旅だった。 それを後押しでもするように、一陣の風が吹いていた。
さあ、お伊勢参りをして、さらに関西方面まで行こうと、足取りも軽く、歩いていくと、早くも江戸のはずれの高輪の町についた。 そこでふと、昔聞いた句を思い出した。 「高輪へ来て忘れたることばかり」 これは、江戸っ子が東海道の旅に出ると、たいてい高輪あたりで、旅支度のなかで忘れた物を思い出すという事である。 幸い、二人は忘れ物もはなかったし、ひとりもの同士の気楽さで、留守にした借家は、あけ渡してある。 周りの物は残らずこの風呂敷包にまとめてしまった。
それにしても、寺からお布施集めのために時々回ってくる袋に、ケチして、米を少ししか詰めなかったので、和尚さんに旅の身分証明書を頼むのに気がひけて、百文もお寺に寄進して身分証明書をもらっったり、あるいは、町役人の大家には、古い借金を払ったかわりに、なんとか関所の手形をもらったりして、えらい出費だったなと、弥次郎兵衛は思っていた。 だから、少しでも金になるものは、何でも安くひきとる古道具屋に売り払って金にかえ、売れないがらくたは、空家の始末をした時に手伝ってくれた近所の連中に分けてやった。 こちらは、ガラクタの処分をしたのだが、あの連中は、礼をいってたな。
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<夜明け> 弥次郎兵衛の思いは、続く。 そうそう、何一つ心残りはないと言いたいが、実は、酒屋と米屋の払いをそのままにして、いきなり旅立ってしまっので、さぞや恨んでいるだろう。 気の毒だとは、思うが、これも古い歌に、 「さきの世に借りたをなすか今貸すか いづれ報いの有りと思へば」 これは、前世で借りた金を今返したのか、それとも今貸すのか、どっちにしても報いのあることだから同じことという意味である。
と、高笑いしながら弥次郎兵衛はまた別の詩を口ずさむ。 「駆け落ちでは、ないと言えども、どうしても、 借金払わず、尻をまくって、逃げ出した。 そこに江戸の、借金取り、まさしく、これが、川向こうにずらりずらり。」 それを聞いた北八と二人で笑いあう。 と、まもなく品川の宿場に着いた。
そこで、早速、弥次郎兵衛が、 「海辺でも品川とは なぜに言う。」 弥次郎兵衛がつけた難癖の上の句に北八、とりあえず、 「ここに真水(さみず)があるからだろう」 と下の句をつける。 これは、昔、品川を鮫州(さめず)といっていて、これと真水をかけたのである。 こういうやりとりもをしながら、歩いているうちに、いつの間にか鈴が森の刑場のついた。
ここで弥次郎兵衛、また一首こじつける。
おそろしや罪ある人の首玉に つけたる名なれ鈴が森とは
これは、東海道の道筋にある鈴が森が、さらし首や処刑をわざわざ、通行人に見せていたので、弥次郎兵衛は、描の首に鈴をつける事をもじって言ったのである。
やがて二人は、大森についた。 ここは麦の藁で作った「麦藁細工」が名物で軒並み商っている。
飯に炊く麦藁ざいく買いたまへ これは子供をすかし屁のため
これは、麦飯を食うと屁が出ると言う。 すかし屁は音がしないようにこっそりと屁をひること、それに麦藁細工のおもちゃで泣く子をなだめすかすことにかけているのである。 六郷の渡しを越えて川崎に着き、名物の奈良茶飯でしられた万年屋で、腹ごしらえしようと店にはいって腰をかけた。
つづく。
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chiefbelieverllama · 2 years
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現存最早的中醫經典 
一、是什麼書?《漢書·藝文志·方技略》載有醫經、經方、神仙和房中四典籍。
其中醫經有:《黃帝內經》十八卷,《外經》三十七卷; 《扁鵲內經》九卷,《外經》十二卷; 《白氏內經》三十八卷,《外經》三十六卷,《旁篇》二十五卷。
除《黃帝內經》外,其他醫經均已亡佚。 因此,《黃帝內經》便成了現存早的了。 什麼是醫經呢? 《
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漢書·藝文志·方技略》指出:“醫經者,原人血脈、經絡、骨髓、陰陽、表裡,以起百病之本、死生之分,而用度箴石湯火所施、調百藥劑和之所宜。 至劑之得,猶磁石取鐵,以物相使,拙者失理、以愈為劇,以生為死。 “這就是說:醫經是根據人身的血脈、經絡、骨髓、陰陽、表裡等情狀,用以闡發百病的根源、死生的界線,而度用適當的針灸湯藥等治療方法以及如何調製各種適宜的藥劑。 好的藥劑之功能就像磁石取鐵一樣取得立竿見影的效果。 不高明的醫者違反醫學理論,致使當愈者反劇,當生者反死。 簡言之,醫經就是闡發人體生理、病理、診斷、治療和預防等醫學理論之著作。 所以稱之為“經”,是因為它很重要。 古人把具有一定法則、一般必須學習的重要書籍稱之為“經”,如儒家的“六經”,老子的“道德經”以及淺顯的“三字經”之類。 所以稱“內經”,並不是像吳昆《素問注》、王九達《內經合類》所稱“五內陰陽之謂內”,也不像張介賓《類經》所說“內者,生命之道”,而僅僅是與“外”相對為言而已。
這和“韓詩內傳”、“韓詩外傳”,“春秋內傳”
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、“春秋外傳”,《莊子》的《內篇》、《外篇》,《韓非子》的《內儲》、《外儲》之意相同,只是《黃帝內經》及扁鵲、白氏諸經均已不可得見罷了。
二、《黃帝內經》成書時代
首先應該指出,《黃帝內經》肯定不是黃帝所作,純屬後人偽托。 這正如《淮南子·修務訓》所指出的那樣:“世俗之人多尊古而賤今,故為道者必託之於神農黃帝而後能入說。 “冠以”黃帝“之名,意在溯源崇本,藉以說明我國醫藥文化發祥甚早。
《黃帝內經》究竟成於什麼時代呢? 宋林億、高保衡等認為:「非大聖
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上智,孰能知之? 戰國之人何與焉? 大哉《黃帝內經》十八卷,《針經》三卷,出遠古“; 邵雍認為:「《素問〉、〈陰符〉,七國時書也」; 程顥認為:“《素問》書出戰國之末”; 司馬光認為:「謂《素問』為真黃帝之書,則恐未可。 黃帝亦治天下,豈終日坐明堂,但與歧伯論醫藥針灸耶? 此周、漢之間醫者依託以取重耳」; 朱熹也認為:「至於戰國之時,方術之士遂筆之於書以相傳授,如列子之所引與夫《素問》、《握奇》之屬......“; 明方孝儒認為:「皆出戰國、秦、漢之人」; 方以智認為:「守其業而浸廣之,《靈樞》、《素問》也,皆週末筆“。 清魏荔彤認為:「軒岐之書類春秋戰國人所為,而託於上古」。。 綜上所說,將《黃帝內經》之成書定為戰國時期是較為可信的,但也不能認為《素問》八十一篇、《靈樞》八十一篇盡出於戰國。 呂覆對此發表過中肯的見解:「《內經素問》,世稱黃帝岐伯問答之書,及觀其旨意,殆非一時之言,其所撰述,亦非一人之手。 劉向指為韓諸公子所著,程子謂出於戰國之末,而其大略正如《禮記》之萃於漢儒而與孔子、子思之言並傳也。 以上僅僅是從大多數學者的看法上加以歸納分析所做的判斷。 其實還可以從《黃帝內經》的哲學思想、理論體系、內容特點、先秦古韻等諸方面論證《黃帝內經》的絕大多數篇章(也即《黃帝內經》的主體部分)成於戰國。 限於篇幅,這方面的論述只好從略了。
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對成於戰國以後的少數篇章須做如下說明:《素問》的第七卷亡佚已久,唐王冰據其先師張公秘本而補入的《天元紀大論》、《五運行大論》、《六微旨大論》、《氣交變大論》、《五常政大論》、《六元正紀大論》和《至真要大論》,實際上是另一部醫書《陰陽大論》。 以其用甲子紀年,便可斷定必在東漢章帝元和二年(西元85年)頒布四分歷之後。 以其曾被張仲景撰寫《傷寒雜病論》時所引用,因此它一定得在張仲景之先。
《靈樞》中也有個別篇章晚出,如《陰陽系日月篇》有“寅者,正月之生陽也”句,故可斷定成於漢武帝太初元年(西元前100 年)頒布太初歷之後。
《素問》中的第七十二篇《刺法論》和第七十三篇《本病論》,在王冰次注《素問》時已是有目無文,宋劉溫舒著《素問入式運氣論奧》時卻將該二篇作為《素問遺篇》陳列於後。 因此可以認為這兩篇當系唐宋間之偽作。
總而言之,《黃帝內經》非自一人一手,其筆之於書,應在戰國,其個別篇章成於兩漢。 至於王冰之所補與劉溫舒之所附不應視為《黃帝內經》文,但僅依慣例而仍其舊亦無不可。
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8698tw · 2 years
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五教宗師申道大帝呂祖傳畧
五教宗師申道大帝呂祖傳畧 玄靖詹天眼 呂師純陽,德滿地天。渡盡蒼生,志包坤乾。 四月十四,河南降祥。臨薅之時,滿室異香。 白鶴入帳,天樂飛揚。金形木質,鶴頂龜肩。 虎體龍腮,鳳眼修長。翠眉露額,額滿身圓 鼻聳口濶,面色白黃。仙風道骨,氣宇軒昂。 初時名瓊,後稱呂岩。一字伯玉,又名洞賓。 嚴父名讓,右庶之官。慈母王氏,永樂稱賢。 馬祖見面,讚其非凡。遇廬則居,見鍾而仙。 天資聰穎,幼能文章。十五好劍,二十名彰。 咸通進士,德化政闡。四十出遊,飲酒長安。 巧遇鍾祖,吟詩結緣。黃梁一夢,富貴雲煙。 感悟大道,不戀宦塲。退隱廬峯,修眞志堅。 鍾祖授術,點��可昌。三千年後,石質復原。 師懷偉大,不願遺殃。拒學富法,寧願苦嘗。 十魔九難,莫動心腸。終成大道,妙契自然。 現化五陵,演教人間。前後八品,求心玄篇。 日夕不休,飛鸞大千。玉清内相,佐帝渡蒼。 歷代封贈,日月同光。無量仁慈,孚佑永傳。 三期普…
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bibliomaniabooks · 2 years
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