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#古い木製のドア
moja-co · 7 months
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1976年(昭和51年) 6月18日 - 愛知県名古屋市の自宅兼自社ビルでエレベーターが違った階に止まり、開いたドアから女性が転落死。
6月20日 - 東京都板橋区の高島平団地で幼児2人が誤って非常停止ボタンを押して急停止、非常口から脱出を試みるが転落して1人死亡。
1982年(昭和57年)12月4日 - 東京都豊島区にあるサンシャイン60の展望台直通エレベーターが57階付近で突然停止、28人が1時間45分にわたり閉じ込められる。
1984年(昭和59年)8月8日 - 神奈川県横浜市保土ケ谷区のニチイ天王町店(現・イオン天王町店)で乗降扱い中に突然かごが作動し、乳母車を引いて降りようとした主婦1名がカゴと建物の間に挟まれ死亡。
事故を起こしたエレベーターは前日に点検したばかりだったが、その後の調査で設計の不備から安全装置が作動しなかったものと判明した。 事故後エレベーターは撤去されている。なお、このエレベーターはフジテック社製であった。
1994年(平成6年)12月7日 - 神戸市の神戸質屋協同組合会館の貨物搬送用エレベーターが2階部分で停止、手動で作動させようとしたところワイヤーが断裂し、エレベーターが1階部分まで落下。 乗っていた4人のうち、3人が軽傷・1人が重傷。
1999年(平成11年)7月31日 - 東京都中央区日本橋馬喰町の飲食店が入居しているビルでネズミが滑車に挟まりエレベーターが停止、乗っていた70歳の女性が一晩中閉じ込められ、翌日昼ごろに救出された。
2004年(平成16年)10月23日 - 東京都港区にある六本木ヒルズでエレベーター6機が新潟県中越地震の長周期地震動によって損傷。
2006年(平成18年)6月3日 - 東京都港区にある23階建ての住宅「シティハイツ竹芝」で高校2年生がエレベーターのかご部分と建物の天井との間に挟まれる死亡事故が発生。 事故が発生したエレベーターの製造元であるシンドラーエレベータのずさんな体質が明らかになり、全国的に不祥事として報道された[2]。
2007年(平成19年)4月 - 東京都港区にある六本木ヒルズでワイヤーロープ破断から火災が発生。
2012年(平成24年)10月31日 - 石川県金沢市にあるアパホテル金沢駅前支店で、清掃作業員の女性が、かご部分とエレベーター床に挟まれ死亡。 このエレベーターは2006年に事故を起こしたシンドラー社製であった。
2022年(令和4年)3月31日 - 東京都中央区銀座にある建設中のビルで工事用のエレベーターが10階から地上に落下し、中にいた男性作業員が死亡。
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motokajp · 2 months
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東船橋グリーンハイツ見学記
2024年7月23日火曜日、酷暑の午後4時ちょっと前ぐらい。 私はかねてから気になっていた、東船橋のグリーンハイツの前に立っていた。
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あらかじめネットの地図で大まかな位置を確認してはいたが、初めて訪れる場所なので、少しは探すことになるかと思っていた。
船橋川沿いということは前もって分かっていたから、最悪でも船橋川に沿って走れば見つかるだろうと、適当な交差点で船橋川に向かって曲がると、唐突にその物件はあった。
周りは新旧大小様々な戸建てが並ぶ住宅街である。船橋川の堤防を背に佇むそれは、分譲マンションには到底見えない。かつて会社の寮であったという話も聞いていたが、それにしても凄まじい。何が凄まじいのか。廃墟感だ。
壁面の塗装は所々剥がれ落ち、 手すりや剥き出しになった鉄骨は真っ赤に錆びている。ピロティ式の建築で、1階部分にはシルバーの乗用車が1台あったが、駐車場として使われているとすれば、ずいぶん横着な停め方だ。その車以外、出入りが出来ない。
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その車の前には、サビ柄の猫が横たわり、じっとこちらを見据えている。更によく見ると、その車の上にも同じようなサビ猫が、やはりこちらを睨んでいる。
舌を鳴らして猫に御機嫌伺いをしてみたが、どちらもじっとこちらを睨んだままだ。こういう猫は、あまり人馴れしていないことが多いので、深追いはしないことにした。
猫の御機嫌伺いというテイで、まんまと1階ピロティ部分に入り込んだが、辺り一面、生ゴミ(蝿付き)粗ゴミ砂利に埃に古本古雑誌が溢れ返っている。
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そういえば建物の横にゴミ置場らしき場所や、ゴミ置場じゃないんだろうけど粗大ゴミが目の高さまで積み上がっているスペース、ゴミ用のコンテナなどもあったが、どれ一つ機能している感がない。
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怖いもの見たさに後押しされて、建物の中に入ってみる。
エントランスとおぼしき階段の昇り口は、身長160cmに届かない私でもちょっと背を屈めたくなる高さで、おそらく180cm程度しかない。
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階段を上ると集合ポストがあるが、錆で覆われ、ポスティングチラシがぎゅうぎゅうに押し込まれ、ポストのフタが閉まらなくなっているものも多い。壁に貼られた共益費の支払いを促す掲示物は、平成28年と書かれた上に二重線を引いてある。掲示内容の有効性はさておき、平成28年から貼られっぱなしであることは確かだろう。
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ネットの情報では総戸数60戸となっているが、1階部分がピロティの5階建てであるから、居室があるフロアは4階。単純に60戸を4で割れば、1フロア当たり15戸ある勘定だが、そんなにあったかな? 1フロア当たり精々10戸、感覚的には8戸程度に感じた。仮に10戸とすれば40戸、8戸であれば総戸数は32戸である。
階段は鉄製で錆に覆われ、いつ踏み抜いてもおかしくない。階毎にホウキが置いてあるが、掃除されている気配は微塵もない。とにかくゴミだらけである。所々、猫の餌が入った皿も放置されている。
2階から3階へ上がろうとすると、302というプレートが貼られた安っぽい木製の玄関ドアが立てかけてある。普通の建物であれば、きっと不思議に思っただろう。何故こんなところに玄関ドアが?と。
しかしそこでは、何も不思議には思わなかった。ははっ、こんなものまでありやがる、と思っただけだった。
が、すぐに異変を感じる。
焦げ臭い。
と思いながら3階に着くと、目の前に焦げた何かが山積みされ、そして昼の日中というのに、ただただ真っ黒の部屋。「真っ暗」ではなく「真っ黒」だった。
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さっき見た玄関ドアの302号室だった。間違いなく、比較的最近に火事があったのだろう。そしてその部屋は多分、いわゆるゴミ屋敷だったのだろう。開け放たれた窓や、ドアを失った玄関から、否応もなく見えてしまう炭化した何かがうずたかく詰まった部屋。
お隣り303号室にも類が及んだのか、窓が開け放たれ、玄関も半ドアで、部屋の前のフロアには、家財とおぼしき荷物が積み上げられていた。
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うへぇと思いながら4階へ、そして屋上へと上がる。
屋上へは、普通はそうみだりに立ち入れないよう扉があって、施錠されているものだが、火事の際にぶち抜いたのか、鍵どころか扉さえなかった。
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屋上の防水加工は、劣化しているのが素人にもわかる。何しろ、歩く足元がブヨブヨするのだ。それでも防水加工らしきものがある部分はマシかもしれない。屋上の半分は、それさえすっかり剥げ散らかし、コンクリート剥き出しになっている。
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貯水槽は、稼動しているのか疑わしい。というか、このマンションのインフラ全般、稼動が疑われる。実は同日深夜、居住者のいる部屋があれば明かりが点いてるだろうと思って帰りに寄ってみたのだが、深夜過ぎたためか、それとも本当に誰も住んでないのか、明かりの灯る窓はひとつもなかった。なお階段や廊下などの常夜灯も一切なく、黒々とそびえるマンションは実におどろおどろしかった。
屋上から1階に戻り、建物北側にある、おそらくは駐車場として供用していたスペースを見る。
「おそらくは駐車場として供用していたスペース」と書いたが、今でもそこは駐車スペースである。ただ「駐車場」として機能しているかどうかは、甚だ疑わしい。ナンバープレートのない軽自動車が1台、奥の方に鎮座し、他の3台ほどの車も、特に区画を定められたわけではなさそうな停め方をしている。 ネットの情報によれば、ここの管理方式は「自主管理」となっているのだが、管理組合は「無し」となっている。ということは、誰も管理していない、ということなのだろう。
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同じくネットの情報によれば、このグリーンハイツは1973年10月の建築という。我が中宮第4団地よりも4年程若い。
なるほど、このグリーンハイツと比べれば、我が中宮第4団地はよく手入れされており、仮に今から多少手入れが雑になったとしてもあと10年、いや20年でも保たなくはなかろう。このグリーンハイツレベルになっても許せるという居住者だけが残っていけば、あるいは30年ぐらいいけるかもしれない。
だが、その後はどうなるだろうか。
グリーンハイツは、もはや所有者による管理ではどうしようも出来ないだろう。しかし管理組合がないので建替えを協議することは出来ない。選択肢は現状維持というテイの、放置しかない。火事が出ているので建物全体のダメージも小さくはないはずだが、管理組合がない以上その対策を協議することも出来まい。 管理組合がないということはこういうことなのだと、グリーンハイツを見て思い知らされ、同時に我が身を振り返る。
我が中宮第4団地も、建物と居住者の高齢化が深刻だ。しかし今はまだ管理組合も機能し、建物管理も計画的に行われている。
しかし今後はどうなるのか。建物と居住者の若返りを画策しなければ、やがては必然的に行き詰まる。行き詰まってから考えようとしても、もう後戻りできないかもしれない。
それが10年後なのか30年後なのかは、私には判断出来ないが、ポイントオブノーリターン(帰還不能点)ぎりぎりまで頑張ってから対応するのは、危険な賭ではなかろうか。
建物の若返りに、建替えが最も効果が高いことは論を俟たないし、建物が若返れば、居住者の若返りも期待できる。それが建替えの大きなメリットであることに否やを唱える方はいないだろう。
同時に、建替えに伴う様々な負担も、看過できないデメリットである。このメリットとデメリットを��秤にかけて、どちらを選ぶのかを真摯に決めなければならない時期に、私たちと我が中宮第4団地は来ている。 どちらにも決めかねてただ時間を過ごせば、待っているのは自ら選択することも出来なくなる現実であるということを、グリーンハイツを見て痛感した。
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ichinichi-okure · 8 months
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2024.1.26fri/tokyo
満月のせいか昨日は夕方から背中が激痛で早く就寝したため、今朝は5時前に起きる。 背中の痛みは消えていてよかった。もしかして行ける?とドアの外に出て外気を確かめる。まだ空は暗く満月がポワっと輝いてた。 寒いは寒いけど、大丈夫かも!とすぐに身支度を始める。
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去年の夏から持病が悪化して、いわゆる難病指定の病を完治できるという東洋医学とめぐり合い、体質から変革しようと鍼灸と食事療法で治療中。長い月日がかかるだろうと診断され秋からゆっくりと取り組んでいる。大人になってほぼ体重変動なかったのに初めて10キロも落ちた!いっぱい食べても吸収しないのだ。普通の日常を過ごせてはいるものの全く動作が進まないことが多くなった。 日頃から時間や予定どおりにこなすことが苦手なのに、当たり前な簡単なことも輪をかけて思うようにいかない。 きっと今朝もゆっくり寝ていた方がいいとなるけど、目覚めてなんだか快調な感覚だ。 直前でも変更することもあるように、立ち止まりからだの今の声を聞き、直感で行動するようになった。
朝のルーティンは体重、体温を測る。ご先祖さまと色んな存在への感謝のお祈り。白湯とお茶を飲んで玄米餅が入った味噌汁をいただく。たくさん着込んでカイロも貼って支度。6時: よし、いくぞ!と外に出て自転車を走らせる。まんまるになったばかりの満月が澄んだ冬の夜明けの空にくっきりまだ見える。
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実は2年半前から始めたこと。ある深夜、お導きのように突然入ってきた「武道」というワード。 全く自分の頭になかったこと、情報ゼロのまま入門。名前や自分のこと、相手のことも知らない、ほぼ言葉も交わさない世界に別次元にいるような心地よさがあった。この感覚を大切にしたいとほとんど周りに告げず、自分の内側だけで鍛錬していこうと思った。何も身についてもいないのに発露すると何か薄い感じになってしまう思いもあった。このことはそろそろ自身がもうひとつの段階の始まりが来る頃でもあり、どこかで改めて綴りたいと思っている。
今朝の稽古は仙人のような師だ。言葉少なく独特な空気を醸し出し私は好んでいる。しかし前の晩寝るのが遅くなるとなかなか出れない。 今日は支度が遅れ、掃除には間に合わなかった。本来は掃除もひとつの大切なこと。でもできなかった自分も許そう。薄暗いなか、各々が拝礼から身体を温める動きや柔軟体操する。そして静かに師のそばに集まるように始まる。 力を出力するとき、手を伸ばす時、からだのどこに収まるかを観察していく。作用反作用、地味にとてもむずかしい。 朝日が道場に差し込みはじめ神秘的だ。普段��稽古と違い激しく動かないからとにかく冷える。少し動いていても、つま先がどんどん感覚がなくなっていく。1人ずつ教えていただく時間になり、私はあまり出ないから一番最後の順。1時間以上は待つ。しばらく待っていたが冷えは大敵、今は体調を思い諦め切りあげる。 ロビーで暖をとっていたら、特別に自衛官の禊稽古があったようで居合わせた。この人たちが国を守っているのだなぁという貫禄。
外に出るとすっかりお日様が照って日差しが暖かったので少し日向ぼっこしていこう。同志も「一緒にいいですか?」とふたりで何気ない話でぼーっとするひととき。辰年にちなんだキャンディをくれた。かわいい。誰もいない冬の空気、木の影が美しい。都心とは思えないこの風景と時間が好きだ。 あら、もう9時半!またね!と別れ家路に。
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食事療法は昔の日本の食生活がお手本にすればいいと改めて思う。このところ発酵づくりにスイッチ入っている。 「自分の菌を取り入れるといいんだって」と最近色々作っている市子チャンに教わる。自分の住むところ、ルーツの産地のものを取り入れるのもいいと聞き、父の故郷・安曇野の麹とお水も用意した。塩こうじを先日仕込み、ひと瓶ずつに「ありがとう、美味しくな~れ!」と声かけしながら毎日混ぜ混ぜ育んでる。 昨夜仕込もうとしていた味噌づくりをこれからする。2晩以上浸した大豆を弱火でじわじわ煮る。 時々灰汁をとったり、煮汁がなくならないように見守らなければならない。灰汁がミステリーサークルみたいに浮き上がり、渦がぐるぐる古事記の神様の国産みたいだ。 3月の展覧会のためのお財布制作の革カットも並行して進める。この作業はパズルで神経と力を使うので一苦労。
もうすぐ大豆が煮えそうなところで、午後の稽古も出ようと決めた。 なかなか体調が定まらないけれど、行けると思う時は途中でギブアップも承知で行く。今心がけているのはできるだけがんばらなく普通な行為となるように途切らせないリズム。無理をしないで氣を枯らさないようにしていく鍛錬からの体力づくり。あとは何となくな気持ちに任せる。 昨日姉が持ってきてくれた豚汁をお昼に頂いて、再び道場へ向かう。
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午後は館長の稽古。今朝の自衛官たちの話から始まった。 「日本の自衛隊は今も能登災害にあるように救助復興に活躍する立場と世間では認識されているが、本来は国防というお役目。彼らはそうであるが、じゃあ我々は何ができるのか?同じようにはいかないけれど一人一人にお役目があることを改めてそれぞれが考え、まずはからだをつくるということ。」まさに自分が今軸としている「からだづくり」。基礎体力をつけていきたい。 先日はスタミナ切れになり途中ギブアップしたが今日は最後まで通せた。 よく教えてくれる学生さんとお話ししながら門を出る。
17時:お客様のオーダーのイヤリングの納品へHELENHEIJIに向かう。 通りがかりに木材の端材が路上販売していた。いくつかお店のディスプレイ用に頂いていく。 その先のオーガニック店でネギと赤かぶ、煎餅を買う。今グルテンと乳製品のスィーツを控えているので最近はお煎餅ばかり買っちゃう(揚げNG)。 食材も原材料を細かく見ちゃうし、買い物にも時間を要する。お弁当とか揚げ物は油が多いので買えなくなったし、病気を通して食の見直しのタイミングなのだと思うようになって面白い。 HELENHEIJIで納品&少しおしゃべり。まだミッションあるから!といつもより早く帰る。切らしていたティッシュを買い、すっかり暗くなり朝と同じ風景に満月が再び昇っていた。
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帰宅後、すぐに大豆煮と仕事を再開。小腹が空いて、おやつにこの前作った豆腐とヨーグルトの干柿ケーキを一口。保存瓶の煮沸、麹と塩もすり合わせていく。 経理をしてくれている姉から去年の経費報告の催促。事務作業、いつも溜めてしまう。 やっと豆が柔らかくなり、次の工程なんだっけ?と調べつつ、とにかく豆を潰す作業。これがまた大変。やっと瓶にぎゅうぎゅう詰めて仕込み終わった。初めての味噌作り、わずかな量なのになかなか時間がかかってしまったけれどその分愛おしい。味噌として出来上がりが待ち遠しい!
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22時:遅い夕食。ささっと作れ、消化に良く身体を温める大根とネギ鶏むね肉の梅干し鍋。 兵庫のあげちゃんが私の体調を知った途端に秘蔵の貴重な梅干しと味噌、糠床を送ってきてくれた、2020年の梅を使う。何も調味料入れず梅だけで濃厚な味がこんなにでるのか!と驚く。きっと滋養番長のあげちゃんの愛が凝縮されている。普段なかなか会えない友人たちにいざという時に支えてもらえありがたい。 経費整理が終わらず一区切りなところで今日は終了。姉に送信。 0時半:お風呂に入る。首まで温まって、出てお灸をすえる。まぁまぁメンテナンスも時間を要するから寝不足になることが多々。睡眠が一番なのに、、な矛盾!
常に食べられるものは何か?からだに合った食材、料理。日々からだの巡りを整えること、仕事をこなしつつ、1日がアッという間で他のことがほとんどできない。今日もあの人に連絡できなかったーとか、お礼もちゃんと伝えられてない、先送りや何かを観に行ったりなど諦めることが増えた。それも良しとしていく自分の中の手放し。 人と比べず自分が今できることを、ひとつひとつからだの声を聞く。2歩進んで3歩下がることもあるけど、自分に与えられた命は何かのメッセージ。日々積み重ねていく小さなことが、やがて積もって本来の自分と一致した「ヒト」となれるよう、今日も一日ありがとう、おやすみなさい。と眠りにつく。
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-プロフィール- フクシマミキ 東京 mïndy @mindy_22 www.mi-ndy.com
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yui-kuroki · 11 months
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サニタリーボックス(2023)
素材:ABS樹脂、ポリプロピレン サイズ:約190×115×115mm 価格:¥928 *サニタリーボックスは会期中、自由にお使いいただいてよい旨をハンドアウトにて記載
2023年11月11日(土)・12日(日)に開催される、レトロニム企画の展覧会「ビジター・キュー VISITOR CUE」に作品を2���出展したうちのひとつ。
2022年12月に山中suplexの別棟「MINE」を訪れた際に、サニタリーボックスがなかったことから、サニタリーボックスを設置し、山中suplexの皆様へ買い取りご検討のお願いをし、回答をいただく作品。 MINEの4Fのトイレに黒木結のサイン付きサニタリーボックスを設置し、トイレの座面に座った際に正面にあるトイレのドアに、2023年11月10日に山中suplexの皆様へお送りした「サニタリーボックス買い取り検討のお願い」という文面を設置した。 2023年11月15日に、山中suplexの皆様から回答をいただいている。
《「見ること」が中心となって立ち上がる演劇性。》というテーマが設けられた本企画は、「観客」の視点というのが重要な要素になっているように思います。 今回出展する作品は、古代アテナイの喜劇作家、アリストパネースの作品《女の議会》(当時参政権のなかった女性が、男装して議会を乗っ取る話)を読んでるときや、この戯曲が上演されたとき、わたしたちは誰も「観客」ではないのではないのだろうか、と思い至ったところから制作をスタートしました。 フェミニズムやクィアの視点から《女の議会》を発端として現在のわたしたちを取り巻く「議会」やMINEの空間を捉えなおし、その際に出てきた疑問を観客に投げかけたとき、そこに「観客」はいなくなるんだろうなと思います。
■展覧会名 企画展 山中suplexの別棟「MINE」キュレータープログラムVol.4 ビジター・キュー VISITOR CUE
■日時 2023年 11月11日(土) 、12日(日) 13:00-19:00(当日入退場自由)
■入場料:500円 *予約不要・入退室自由 *当日現金精算
■会場 山中suplexの別棟 「MINE」 〒550-0013 大阪府大阪市西区新町2-9-4 NANEI 新町 bld. GALLERY 02 街区
■出展者 黒木結(美術家) 斎藤英理(美術家) 福井裕孝(演出家) 宮崎竜成(美術家) 米川幸リオン(俳優)
■クレジット キュレーション・企画・製作:レトロニム グラフィックデザイン:北原和規 記録撮影:中谷利明 主催:山中suplex/Yamanaka Suplex 共催:NANEI ART PROJECT 助成:大阪市芸術文化振興事業助成金、公益財団法人小笠原敏晶記念財
#SB
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khrbuild · 1 year
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医者の不養生とはよくいったものです。
雨漏りには注意しましょう。
貝塚市三ケ山倉庫屋根増し張り工事
貝塚市水間アルミサッシ入れ替え工事
貝塚市水間町 新築 リフォーム坂口建設
また季節外れの台風が発生したみたいで、被害が出なければいいのですが嫌ですね。
いつも皆さんには雨の季節が来る前に 家の周りを点検しましょうと言っているこの私 。
前回 強い雨が降った日のことでした
朝から作業で雨に濡れたため、昼食をとるついでに家にかえって着替え昼からも頑張ろうと玄関に出ると。
ザザッーーーー!
よう降るな〜と空を見上げると、
あれ?
あれあれ?
玄関の樋から雨がジャジャ漏れ!
これぞまさに医者の不養生!
言うてる私が、
この有様。
どうぞ皆様もお気をつけて下さい。
と最近木製建具からアルミサッシに交換工事が多いと言ってまして、
写真を撮り忘れていた現場。
引き戸の建具から
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開き戸のアルミの勝手口にチェーンジ!
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上げ下げ窓になっていて、2分割になった 真ん中のガラスを上下にスライドすると 通風できるようになっています。
これからの季節にはとても便利ですよね。
アルミサッシ と言うと 近年 かなり進歩しています。
こういう進歩の仕方をした アルミサッシ もあります。
この玄関サッシ見るとよくある玄関 のアルミサッシドアにみえますが、
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これはカバー工法と言って、 古い玄関 アルミサッシ枠を 撤去せずにその上からこの綺麗なアルミのカバーを被せてます。
文字通り カバー工法!
古い サッシを撤去して新しいサッシに交換しようとすると、 下の土間のタイルや外壁 そして 内壁 これらを傷つけてしまうことになります。
そしてそれを補修するためには タイル屋さんや左官屋さん 部屋内では クロス屋さんと様々な業者さんが関わってきます。
そうなると新しい玄関サッシを発注し業者にかかる金額を計算すると結構なコストが、また 工事期間もかかります。
しかしこのカバー方法は通常のアルミサッシの金額からは多少高くなりますが、 工事も1日で完了し その他のコストが安く抑えられます。
最近では各メーカーから沢山のドアの柄や種類も出てきて かなりメジャーになってきました。
デメリットでお話すると現状 あるアルミサッシの上に新しいアルミをかぶせてしまうため、 ほんの少し開口寸法が元のサイズより小さくなります。
こんな感じですかね。
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建材は日々進化していますね。
お困りの際はいつでもご相談下さい。
それでは本日はこの当たりで失礼しまます。
貝塚市 岸和田市 泉佐野市 泉大津市 和泉市 泉南市 阪南市 熊取町 忠岡町 田尻町
天然素材スイス漆喰カルクオウォール
リボス自然塗料取扱店
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yamanaka-lab · 1 year
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2022建築レビュー#5
-建築レビュー#5(設計者:Carmody Groarke)発表者:池部(M1)講評者:伊藤-
建築レビュー第5回はCarmody Groarkeを取り上げた。
Carmody Groarkeは、ケビン・カーモディとアンディ・グロークらによって2006年に設立された建築事務所であり、それぞれの名前を組み合わせた事務所名となっている。
ロンドンに拠点を置き、数々の建築賞暦のある建築家達です。
彼らのコンセプトは、「都市が抱える文化的問題を、空間・光・素材などの様々な文脈から意図的に追求し、解��するための建築デザイン」である。
今回��、彼らの建築作品を4つ取り上げて紹介する。
事例1『Manchester’s Science and Industry Museum』Manchester(2021)
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ギャラリーは、1880年代に建てられた建築物であるニューウェアハウスの1階部分にある。今後数年間で、博物館は、既存の歴史的建造物やスペースと、ヴィクトリア朝の鉄道高架橋のネットワークとの間に、敷地全体の方向性とアクセスを強化することを目指している。
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美術館のロウアーヤードからの新しいエントランスは、「パイナップルライン」とも呼ばれる新倉庫に線路が通っている歴史的な高架橋のアーチ型の下屋を修復し、このエリアを明るく心地よい空間に変え、来館者の方向性を明確にし、到着の気分を盛り上げるものとなっている。
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新しいギャラリーは、グレートウェスタン鉄道によって1882年に建てられたニューウェアハウスのアーチ型の地下室の西端に位置する。一連の操作により、古いただの保管スペースであった空間は1つの空間に合併され、世界クラスの科学展示物を展開し、さまざまな巡回展を開催する博物館としての魅力を高めている。
ガラス繊維でできた高さのある壁は、外から内へと訪問者を迎え入れる。また、「頭上の貨物車の重量を支持するために設計された、ヴィクトリア朝の重い構造物の重さ」を軽減し、さらには歴史的建造物を永続的に維持していくためのメンテナンス作業をするために取り外しが可能になっている。新しいグラスファイバー製のパネルは一つ一つ手作業で鋳造され、周囲の風化したヴィクトリア朝のレンガ造りを引き立てるためにテラコッタ色に着色されている。
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この新しいギャラリーは、広大な倉庫の1階部分の広さと特徴を生かして、鋳鉄とレンガの複合構造、高さ5mのアーチ型天井、そして上部の歴史的な鉄道路線とプラットフォームの形状に沿うように配置されている。ギャラリー内の歴史的建造物も復元され、元の倉庫の壮大さとスケールを体験しながら、新しい展示体験ができるようになっている。
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事例2『The Hill House Box Museum』London (2019)
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ヒル・ハウスは、チャールズ・レニー・マッキントッシュの最も重要な作品の一つで、スコットランドで最も高く評価されている建物の一つであり、20世紀初頭のヨーロッパの代表的な建築でもある。グラスゴーの西30kmに位置するヘレンズバーグにあるこの建物は、1902年に出版社のウォルター・ブラッキーとその若い家族のために建てられ、クライド川河口の南のパノラマビューを見渡すことができる。
★チャールズ・レニー・マッキントッシュ
スコットランドの建築家��デザイナー、画家。アーツ・アンド・クラフツ運動の推進者であり、スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者の一人でもある。
この住宅は先鋭的なレイアウトと3次元的な空間進行を提案し、建築はスコットランド・バロニアルの絵画的な伝統の中に組み込まれながらも、マッキントッシュはヨーロッパの他の地域で起こっているモダニズムの現代技術の進歩にも明らかに影響を受けている。このように伝統と発明が混在した珍しい建築であったため、長期にわたる水害という根本的な問題が発生し、この家を存続させるために大規模な保存修復プロジェクトが必要となっていた。
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修復の間、この家を視界から遠ざけるのではなく、より積極的な保存へのアプローチがとられている。最大15年かかるとされるこの保存修復の不可欠な要素として、このプロジェクトは、ヒルハウスを「芸術品」として収め、保護するための「大型の」仮設博物館を提案し、同時に、訪問者がこの家にアクセスできるよう維持することを提案している。
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この安全で保護された建築作業の領域で、「博物館」は、ヒルハウスの周囲を高い位置からぐるりと囲む高架歩道によって、進行中の保存修復を一般の訪問者に体験してもらう仕組みになっている。博物館の囲いには、独立した木造の建物にビジター用の施設も設置される予定である。
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新しい美術館の建築的アイデンティティは、抽象化された巨大なガーデンパビリオンで、その壁はステンレススチールのチェーンメイルメッシュで全体が覆われている。この半永久的な囲いは、雨に濡れた既存の建築がゆっくりと修復される間、元の家の基本的な「乾燥室」のシェルターとなる。この繊細な囲いは、昼夜を問わず、マッキントッシュの建築の象徴である風景を遮ることなく眺めることができるようにするものでもある。
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事例3『Windermere Jetty Museum』Windermere(2019)
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蒸気船博物館といいます。この新しい博物館は、湖水地方国立公園ウィンダミアの海岸に、国際的に重要な船のコレクションを収蔵している。蒸気船、モーターボート、ヨットなどの展示スペースがあり、その建築と湖に関するストーリーが語られています。この場所は、歴史的な砂利採取工場を再利用しており、船の積極的な保護プログラムによって、この場所の活動を継続している。人、船、水、そしてこの場所の絵のように美しい産業遺産の再解釈を提供する公園の風景の中で、訪問者が建物の中で体験することに重点を置いている。
一棟の大きな建物ではなく、平面が正方形の小さな建物たちは、そのコンテクストによりふさわしいスケールを生み出している。そのため、美術館は土地や水と地形的な関係を強く持っている。波止場は博物館の中心的存在で、湖を体験の中心にすえ、水面下でコレクションを展示する。メインエントランス、保存ギャラリー、解説、教育、カフェなど、来館者の動線を構成する他の建物は、すべて波止場の周りに集まっているが、洪水の危険性から逃れるために、基礎が高くなっている。保存修復工房は、作業船渠の水面近くに設置された独立した建物である。
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この美術館の建築言語は、ウィンダミア湖周辺にあるヴォイジーの豪邸やブロードレイズハウスやチャールズ・ヴォイジーのブロードレイズハウスの大きく張り出した軒や、湖水地方の典型的な農業・工業建築から引用した、ヴァナキュラーな屋根の型式によって特徴付けられている。建物の形態はどこか親しみやすいものですが、張り出したキャノピーによって、建物の内部空間が全天候型のシェルターとして景観に溶け込み、特別なものとなっている。内部は、湖岸に面した大きな主室を中心に、付属空間と外部キャノピー空間が左右対称の断面構成でバランスよく配置されている。
美術館は、陸上と水上、さまざまな高台から四方八方から見られる。そのため、屋根と壁が形式的な構成において重要な地位を占めている。これらの要素に建築的な一貫性を与え、美術館の建物が全体としてまとまったものになるように、酸化銅が決定的に重要な素材として使用される。銅を折り曲げ、真鍮の留め具で規則正しく留めることで、高層部に独特の質感を与え、さらに時間の経過とともに風化していくことでその質感を高めている。非常に大きな窓とドアによって、ボートは容易に外と中を行き来することができ、建物と建物の間のミュージアム・ルートも明確に読み取ることができる。
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自然な銅の外観は、モノリシック(巨大)なコンクリートの基壇とは対照的に、建物に軽快さを与えている。また、外装を包むじゃばらが水平方向に繰り返されることにより、美しい湖のコンテクストを表現している。
事例4『7 July Memorial』Hyde Park(2005)
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2005年7月7日、午前8時50分頃、ロンドン地下鉄トンネル内の3カ所でほぼ同時に地下鉄の車両が爆発し、同日午前9時47分頃ラッセル広場近くのタビストック・スクエアを走行中のダブルデッカーバス、デニス・トライデント・2型1台が爆発した。
カーモディ・グロークは、この最悪な同時爆破テロによって亡くなった犠牲者の遺族と協力し、恒久的な追悼記念碑を設計した。
ハイドパークに位置するこの記念碑は、新しい公園の小道にあり、ロンドン最大の公共の場所の1つで静かな熟考の場を提供する。爆撃によってもたらされた唯一無二の集団的損失は、記念碑の性格を物語っている。
52本の850kgステンレス鋳造の垂直柱は、それぞれが失われた52人の命のうちの1つを表し、爆弾の4つの場所を表す4つの連結されたクラスターの開いたパターンに配置されている。
各石碑は、オープンキャストプロセスによって引き起こされた表面のユニークなマークと、失われた各生命の日付、正確なタイミング、場所を説明する目の高さで運ばれた碑文によって特徴付けられる。
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問者は石碑の間を歩き、その意味を深く考えるように勧められる。プラークは道の端にあるバームにあり、各犠牲者の名前を記録している。
抽象的な建築の言語を通して、記念碑は家族のための和解の象徴であると同時に、爆撃の壊滅的な影響を何世代にもわたって恒久的に思い出させることを意図とする。
私はCarmody Groarkeの設計について、コンセプト(文化的問題を、様々な文脈から意図的に追求し、解決するための建築デザイン)からは分からなかった、人が建築の重要な部分に介入し視線を大切に設計している建築家であると感じた。非日常を体験する空間として既存の壮大なスケール感を生かした新規部分の挿入が行われていると感じる。また、既存部分を生かした新旧の差がはっきりとわかる新たな素材の挿入も魅力的に感じるが、それだけでなく考えられた構造デザインがより既存を引き立たせているのではないかと感じる。
山中は、写真の良さを差し引いて何が印象深さに繋がっているのかを疑問視し、既存の部分と新規の部分が常に同時に存在している点が面白いと述べた。また、元の建築により少ない手数で新しいものを共存させることで洗練されたものになっていると捉えている。
『Manchester’s Science and Industry Museum』では蒲鉾状のアーチ状の天井の造形を新しい建築が引き出していること、カートディの操作がシンプルであり、このような操作を行うことにより、元々の既存の時より特徴的な部分の魅力を感じさせると述べた。
The Hill House Box Museumはマテリアルの数が増えないということが重要であり、コンバージョンなどではなく、自分達の中で二項対立の関係を作り出していると捉えた。
Windermere Jetty Museumに関しては、屋根の高さ勾配、窓の高さが一緒という同じ操作しかしていないことによって湖畔の魅力を引き立たせている。また、最少の建築操作しか行っていない、
つくり切らないという設計が魅力的であると述べた。
引用
Carmody Groarke HP  https://www.carmodygroarke.com/
Archi Daily Carmody Groarke | ArchDaily
Carmody Groarke: Architects of the Moment  Carmody Groarke: London's Architects of the Moment | PORT Magazine (port-magazine.com)
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aa-labo · 2 years
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おはようございます。 畑田の家|愛知県名古屋市 階段を上った先の廊下。 限られた床面積を有効活用するために廊下を単なる移動の場所としないように本棚や収納を設けています。 本はどれくらいの大きさの本が何冊くらいあるのかを設計の時にお聞きして収納できるようにしました。(こことは別にすぐ横の納戸内にも本棚を作っています。) 左側の収納の中には元々持っていた着物用の和箪笥の引き出しをそのまま流用して納めています。 突き当たりはシアタールームの防音造作ドア。既製品の防音ドアを使えば簡単ですが、それでは家の雰囲気を台無しにしてしまうため、防音仕様の建具を調べて設計して、建具屋さんに作ってもらいました。 #廊下 #本棚 #シアタールーム #造作防音ドア  #青木昌則建築研究所 #マイホーム #新築一戸建て #注文住宅 #新築 #家づくり #建築家 #建築家と建てる家#建築士とつくる家 #設計事務所 #設計事務所愛知 #設計事務所岐阜 #設計事務所三重 #建築士 #建築 #設計 #住宅設計 #木の家 #シンプルモダン #無垢材 #自然素材 #丁寧な暮らし https://www.instagram.com/p/Cnc9MyvSXtO/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kusodream · 2 years
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2022年12月の夢
- 2022年12月31日 土曜日 7:21 夢 猫が抜ける穴を、網戸の補修ではなく木部を削ることで行なっているらしい。明らかにやめた方がいい。 学生らといる。シャワーを浴びて身支度を済ませる。 地方の土産物屋のようなところをひやかしながら歩く。 店内にスピリチュアル関連のものとして千年パズルが売られており、うわ!千年パズル売ってあるよ!遊戯王のやつ!と、にわかに沸く。
父の夢 メグ・ライアンの手を引いて、プールサイドを逃げる夢を見ることがあるらしい。トップガンだ。
- 2022年12月30日 金曜日 8:54 夢 カッパがいるというので見た。 スキー板を履いて進む。やや下りがちの道。他の人は板なしなので、なるべく轍を潰して道を平らにしようとする。 カッパは道端でうずくまるような格好。目が赤く光っている。どう見てもカッパ。しかし髪の質感が毛というよりフィギュアの髪のようなくっつき気味の造形で、本物ではないのでは?と少し思う。 奥まで行く。プレイグラウンドが二つあり、地盤面よりやや低い。水が張ってある。カッパのために?ものすごく揺れる。二人が中へ降り、ゲームに興じる。私は後ろでクッション付きの柵につかまっている。 ギターの弦を調整する。分解して組み立てる。
- 2022年12月29日 木曜日 3:39 夢 小野さんと天ぷらを揚げる。何か一斉に天ぷらを揚げる授業のような雰囲気。風に煽られて火がすごくなる。前腕にやけどのような痛みを感じる。 部署移動。Oさんの隣の席。
- 2022年12月28日 水曜日 5:49 夢 時計が一時間ずれており、五時のつもりが四時だったりする。
- 2022年12月27日 火曜日 5:45 夢 古い農家風の作りの家。薄暗くて細長い感じの。トイレが下を流れていくような構造。 トイレのカギのシリンダーそのものがなく、何かがついていた名残のネジ穴だけが縦に二つ開いている。用を足しているとドアが開きそうになり、内側から押す。 子供が数人集っており、一人二人明らかに顔が真っ赤で様子がおかしい、熱中症。ものすごい日が差しており、休ませるにしてもこんなところじゃ全然ダメ、日陰じゃないと。焼け石に水だと感じる。
- 2022年12月26日 月曜日 6:48 夢 見たけど忘れた
裕福な太った女性とタイル敷きの部屋にいる。実家は誕生日を祝う日用の部屋があるらしい。窓。床のタイルの敷き詰め方からして元は大浴場か?
- 2022年12月25日 日曜日 7:51 夢 風呂。会社。大きな看板に社長の顔。やり手感ある、高須クリニック的なかんじ。
ロティサリーチキンを切り分ける。みんなに行き渡るよう。
- 2022年12月24日 土曜日 6:29 夢 グラブジャベリンみたいなものを持った軽装の騎士が二人。今にも刺し合いそうに向き合っているが、雰囲気は硬くなく、刺す前に30回くらいつつくという手続きがある、それがすごい嫌、普通にいきなり刺すより感じが悪い。 どこかの感じの良い雑貨屋兼喫茶店。背の高い外国人男性が訪れる。アルバム3種類くらいの音楽のリクエストをしてくる。音楽の趣味も良い。
- 2022年12月23日 金曜日 7:07 夢 みなみが右足義足。私は片目を半分半分にして見ている。 久々にムゼッタを歌う。
- 2022年12月22日 木曜日 6:02 夢 椅子を公園に設置する。固定されているわけではなく動かすことができる。幽白の話をする。 古い本を運び出して並べている。漫画類など。多すぎ、もう運びたくないと思うが、実際そこまでの量ではない。
- 2022年12月21日 水曜日 6:31 夢 iさんと約束している。退勤後即連絡を入れる手筈。Creepy Nutsの礼賛というライブDVDのリリース日らしい。短いラインのやり取りをしている。 夜のお店。 都市部で種や農協にありそうな製品を買うならここという店。タイヤに油をさすための専用の機器が置いてある。元彼と先輩が混ざったような存在。
- 2022年12月20日 火曜日 5:40 夢 H家がすごい猫を飼っている。猿のように小さく、後頭部に毛髪のように人の手が生えており、脇にも手が生えている猫。 ペットボトルを分別する。 妹の学校の宿題でショートショートを書く必要があるらしい。お題は砂漠とロボット。そんなもん百人中百人が似たようなものを書くに決まってるので、そこから離れたものを逆算して書くと良いと言う。 読みたい本を探す。 冷蔵庫の壁面にボール紙のチョコレートを取り出して食べる。左右に穴があり、メダル型のチョコがはめ込んである。知らない薄暗い台所。 授業じゃなくて講義だからやることは違うという文言を赤いクレヨンペンみたいなもので書く。 父が痩せているように見える。顔色が白い感じ。 増島さんという結婚を機に新たに地元に転入した女性のご家族。パーマ、真ん丸の黒縁メガネ。息子二人いる。自撮りをしようとしている一部始終を見る。
- 2022年12月19日 月曜日 6:39 夢 Tさんがいる。
- 2022年12月18日 日曜日 7:23 夢 もう実家に米がないらしく、実家で出すための米を買いに行く必要がある。
- 2022年12月17日 土曜日 4:31 夢 文房具。プラスチック製のえんぴつのふた、ピカチュウの形のプラスチックの一センチくらいのものが2、3個、のり。処分を考える。カードゲームとか好きそうなオタクの男の子。 あぜ道。知らない主婦、私よりは年上っぽいが若めでボブヘア。写真を撮る必要がある。スマホを構えるといちいち手で動かすようにして強引な操作を挟むのが妙に気に入らず、こちらもわざとかわすようにして大人気ない態度を示す。 なんとなく初詣の神社の奥へ向かう参道のような雰囲気。 妹が来て写真撮影に加わる。誕生日らしい態度の堂々さがある。スカートを履いているが足の筋肉が驚くくらい発達しているのが見える。 ふいに背後から悲鳴が上がり、上の方の地面が陥没したらしいのがわかる。めちゃくちゃ大きな木が植っていたらしく、それがなくなったので周りの地面がスカスカになり陥没したらしい。地面が沈んだ反動で虹色の不気味な水蒸気のようなもやのようなものが上がる。周囲がパニックになり一斉に坂道を駆け下りる。が、道がどんどん迫り上がってくる。迫り上がった地面と天井の木部に挟まれて帽子を被った若い男性の背中がひしゃげて動かなくなるのが見える。一瞬。なるべく広い場所にいないと死ぬとわかったのでスクロールの後ろの方で気持ちを後ずさりさせるのだが、あまり意味がない。嫌な感じの曲とも音ともつかない人を焦らせる音が流れている。あー。目が覚める。
- 2022年12月16日 金曜日 5:56 夢 朝だ!と思ってパッと起きようとしたら眠ってから40分ほどしか経っていなかったので驚いた。 可愛い格好した男がいる。白髪、トラガスのところに挟む感じのピアス、耳たぶのところにピアス。茶色っぽいセットアップを着ている。素直に褒めるとYouTuberみたいな感じで喜ぶ。 飼っている小鳥がいる。散らばったえさを食べている。
- 2022年12月15日 木曜日 6:34 夢 緊急停止ボタンが3箇所ほどあり、捕まらないように回って止めていく。 泥の中を泳ぐセッコ。
- 2022年12月14日 水曜日 6:18 夢
- 2022年12月13日 火曜日 5:50 夢
- 2022年12月12日 月曜日 5:35 夢 どこかのエアコンフィルターを外しただけで新しいフィルターをつけるのを忘れていた。車の後部座席で気づく。ごまかせるか? と一瞬考えるが、もちろん無理。正月早々に行けばつけてこられるが行きたくない。ペアの男性と行く予定だが、今日行くのか正月行くのか。今日行く方がまだマシだと思うが、意思疎通がはかれておらず、正月行くことになる。 フィルターをそのへんの水が溜まった四角いたまりで洗う。よく見ると魚がいる。びびる。わりと大きく、ピラニアのような形の魚、マスのような形の魚、ロウニンアジのような形の魚などいる。だんだんそこが人の家の、趣味でやってる池だとわかってくる。玄関から男性が見える。話が通じにくそうな雰囲気の、田舎の人。さすがにこのまま離れるのはまずいと思い、挨拶し、事情を説明する。手を取ったまま話す。お礼に食事でもという流れになりそうになり、突然龍脈の話をすることでやべーやつだと思ってもらう。小山健の漫画みたいなタッチになってくる。 でかいローストした肉。くぼんだ個室がいくつかある今っぽい雰囲気のオフィス。奥の部屋にも荷物を(卓球台など)用意するつもりらしい。グリルが終わったものを父が持ってくる。鴨らしい。薄いナイフを入れる。全員分切り分けようとするが、途中で代わる。ハンニバル博士に似た男性がおり、その手つきを見たいと思う。 以前に筒に細く切ったロールケーキを入れており、腐っている。捨てる。箱に入った洋菓子のようなものが四箱ほどもあり、一応中を改めていくが、腐っているのでどんどん捨てる。
- 2022年12月11日 日曜日 8:28 夢
- 2022年12月9日 金曜日 8:12 夢 相撲取りと商売女のパラドックスという、観光地の道端とかに置いてあるものを見る。重しになっている帯を解くと浮き上がってしまうので。 喫煙所になっているところ。屋根が低く、奥に祠がある。入口上部には「煙草に火」と書いてあり、何かみたいだ…と思い、少し考える。月に負け犬みたい? もっとしっくりくるのがあるような。 部屋にお婆さんが尋ねてくる。そういう約束だったらしいが、不明な人。部屋が汚いので片付ける。
- 2022年12月8日 木曜日 6:01 夢 ピンク色のクマ柄のリラコ。これ着てカポエイラできそう。キャンプへ行くらしい。少しがらんとした実家の自室。自由帳を二、三冊持つ。下のいとこもくるような気配があり、じゃあキャンプならスマホよりこういうことした方が楽しいだろうみたいに考えている。夜すごく寒かったことを思い出し、上にはおるものを探す。ハンガーラックなど見る。なにもない。床に電気をつけるための接続金具が落ちている。
- 2022年12月7日 水曜日 14:46 夢 液体状の触手状の御神体を祀るガチャポンのような神社があり、所定の287円ほどを投入する。鬼滅の刃の雰囲気がある。
- 2022年12月5日 月曜日 6:18 夢 KFさんが住んでいた部屋に住むことになっているらしい。流しの下などに使いかけの油、ココアの粉末、パウチ入りのゆず茶などが置きっぱなしになっている。離れの勝手口付近にチラシを束ねた簡易なメモ帳が下げてある。めくる。何か書いてあるが走り書きでよく読めない。 三角形の間取りで、玄関部分のみクリニックと共用になっている。人の出入りの気配がある。 たたきの下に引き出しがあり、ほぼ空で、スリッパが二足ほど入っている。 押入れの下段のようになっている薄暗い空間があり、古いアルバム、大判に引き伸ばされたアートプリントなどが収納されている。ほこりで粉っぽい。 大浴場らしき空間。小学生向けのギャグ漫画の単行本。 百均らしき店内。ベリーショートの滝波ユカリ風の女性のもとを、彼女に一瞬だけ心酔している若い女性が訪ねてくる。店内にはショートの女性の旦那も勤務しているため、突然の来訪に困惑しているが、誘惑したのは自分なので何も言えない。 アウトドア用品が豊富。使い勝手の悪そうなクマの形のボトル、ふたつきのプラスチック製コーヒードリッパー、野菜、白いきのこ、など。入り口から外を覗くと、カートなどを置くようなところに巨大な菜の花の切ったやつが並べて売られており、最後の一つになっている。
- 2022年12月4日 日曜日 8:51 夢 ロッカー。なおくんの隣。 白いツルツルしたボトムの上に何を着るか考えている。
- 2022年12月3日 土曜日 9:00 夢 猫くらいの大きさの死んでいるスズメバチ三匹が見える。土の上。移動中。 Kさんの部屋らしい。男にしては小綺麗でものが少ない、ボディソープやら何やらのボトル、パステルカラーの水彩のようなパッケージのもの、がやたらに置いてある。M姉に似た人。剥がれかけのもの、でかいやつをふざけ半分でめくっており、おいおいと思う。稼ぎの良いSEになったら使うつもりでいたらしい。 水場。知らない家族。ライフジャケットをつけている。ライフジャケットには尻尾のようなひれがついており、それがあるので簡単にスイスイ泳げるとのことだが、自分はノーライフジャケットで今にも手すりから滑り落ちそうなので気が気でない。 雑貨屋。巨大な猫足のドレッサーのような家具が100円で売られており、店としても本当に要らないものなのだろうと思う。金払って処分するよりは。 濡らすとくっつくビーズで作られたものがちらほら置いてある。子供が作ったような三角錐のピカチュウのようなもの。 ボルダリングボード。 自分のとは違う合気道の流派のとこにいる��� 橋の中央に向かって歩いている。駅のように混み合う。知らん家族。ふてぶてしさもある。順路と逆から行けば空いている。
- 2022年12月2日 金曜日 6:40 夢 なんか見たけどわすれた
- 2022年12月1日 木曜日 5:30 夢 梨泰院に住んでいるらしい。確かに韓国の繁華街という雰囲気がある。 レジ前。急いでエスカレーターを駆け下り、レジの方へ駆け込む。 鳥を飼っている。実家に似た雰囲気の新居にに荷物が届く。黒くてアヒルのような肉感があってくちばしが丸い感じ。腕に乗せようとする。しかしこんな鳥飼ってるなんて変だなと少し思う。
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hdsdt · 2 years
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ゆうれいのすむばしょ
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 幽霊は絵に住うそうだ。  行き場のない魂は惑い、人に影響する。だから絵という居場所を作ってやることで、落ち着く幽霊が多いのだそうだ。  もちろん絵に入ることを了承しない幽霊もいた。あまりに凶暴だと絵に閉じ込めてしまうこともあったそうだ。そういう「絵」は、「幽霊」は、慰める必要がある。話を聞く必要がある。そんな話を、昔聞いた。
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 先日、祖母が事故で急死した。絵画に幽霊を宿す技術は永遠に失われた。母は気味が悪いと言ってその技能を受け継がなかったし、幽霊が見えなかった。私も幽霊が見えないし、絵を描く能力を習得しなかった。  祖母の屋敷は古く、大量にある絵画たちと調和してまさしく幽霊屋敷の趣きである。遺品整理の下見に来たはいいがどこから手をつけていいかわからない。この絵画の数々に、本当に幽霊が閉じ込められているのだろうか。これらを処分したら、幽霊達はどうなるのだろう。まあ、どうせ私には感じ取れないのだが。
 スマホで不用品処分業者のサイトを見つつ、部屋をひとつずつ確認していく。ついこの間まで祖母が一人で住んでいた家。母と祖母は折り合いが悪く、私が高校に行く頃にはもうほとんど連絡をとることがなかった。クリスマスの時期に私が挨拶状を交わす程度で、それですら母は嫌がっていたのだ。  私は絵のことも幽霊のこともわからないが、祖母のことが好きだった。私の話をなんでも聞いてくれ、頷いて顔をなでてくれた。幽霊達に対してもそうだったんだろうか。居場所を与えてくれる人、惑う身の上の話を聞いてくれる人。  居間、寝室、アトリエ、順番に見て回る。まだ何を残し何を処分するか検討もつかない。ざっと写真を撮って、屋敷に来たがらない母にも一応確認してもらわなくては。
 スマホのカメラを起動して、たくさんの絵が飾られている応接間を撮影した。暖炉側、奥の部屋に続く通路、窓際、ベルベット張りのソファと肘掛け椅子、木製の低いテーブル……と角度を変えて何枚か撮る。ちゃんと撮れているか確認しようとして手が止まった。
 なんだこれ。  椅子に人が座っている。
 目の前にある椅子もテーブルもひんやりとした存在感で佇んでいる。もちろん誰もいない。私以外誰もいない。  だが 今、手に持ったスマホのディスプレイには確かに人が座っているのだ。黒い、影のような……
 突然、リンゴーンという重いチャイム音が鳴った。この家の来訪者を告げる音である。  誰か来た? 誰が?  スマホをポケットに入れ、部屋を出て玄関に向かう。
「トリック オア トリート!」
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 ドアを開けるとお化けや怪物の仮装をしたちいさな子供達が親同伴で玄関にたむろしていた。  ああ、そうか、今日は10月31日だ。
「あら? お孫さんかしら? 先生は……」  親の一人が困ったような顔で聞いてきた。 「あっ ああ、すみません、あの、祖母はいなくて……ハロウィンの準備も何もしてなくて……」  そうだった。祖母は昔からこれを楽しみにしていた。ハロウィンの日、いつも凝ったお菓子を準備して、近所の子供達を呼び、絵の幽霊の話をする。 「すみません、祖母は先日亡くなったんです。ちゃんと連絡できずすみませんでした。祖母とは何年も疎遠だったもので……交友関係もわからなくて。ご近所の方ですか?」 「やだ、そうだったんですか! ……ご愁傷様です。私たちは町の絵画グループ仲間です。ハロウィンは毎年先生にお呼ばれしていて、今年も招待状をいただいていたものですから……」 「先生、亡くなられたって……信じられない、ご葬儀はもう終えられて? お話聞いても大丈夫かしら?」 「はい、大丈夫ですよ。何のお構いもできませんが、よろしければ中へ」    ちいさなお化けたちとその親達を招き入れ、応接間へと案内する。さっきの写真のことが脳裏を掠めたが応接間以外に客を通すのも変な話だ。  確か来客用のティーセットがあるはず。祖母は紅茶好きだったから、どこかに茶葉もあるだろう。  飾り棚からティーセットを出し、キッチンで茶葉を見つけ、お湯を沸かして戻ると、賑やかな子供達を傍に客人たちの口���ら次々にお悔やみと祖母のひととなりの話題がのぼる。
「アート教室で絵を教えてくださっていて」 「とっても気さくでよく相談にのってもらって」 「去年はかぼちゃのケーキを作ってくださって……」 「ねえ! あの絵! 去年と違うよ!」
 突然の声に振り返ると、子供達が壁にかかったひとつの絵を指さしていた。 「去年はここにね、もうひとり男の人が描いてあったんだ」 「でていっちゃったの?」  その絵は、この応接間の絵だった。中年の女性がからっぽのソファを向いて、椅子に座っている。  おばあちゃんだ。  それは若い頃の祖父母を描いた絵、だったはずだ。子供の頃、祖母にこの絵の話を聞いた覚えがある。
「ここにね、おじいちゃんがいるの。お前が生まれるよりずっと前に亡くなったんだけど、ここにいるのよ。魂が惑ってしまったの。だから居場所を作ったんだけど……」
 スマホの写真を見直す。  おじいちゃん?  おばあちゃんが帰ってこないから、絵から出てきちゃったの?  写真のぼんやりとした影が、かつて絵に描いてあった男の姿になる。  ああ、違う、私が惑うおじいちゃんを「絵」に閉じ込めたんだ。絵画ではなく、写真という形で。  おばあちゃんの寂しそうな声が、ついさっき聞いたかのように蘇る。 「……おじいちゃんは寂しがり屋だったからね。今もそう。絵の中でひとりぼっちは嫌だっていうから私の姿も描いたんだけど、やっぱり絵は嫌みたい。ちょくちょく屋敷を歩いては私に話しかけてくる。どうしたら落ち着いてくれるのかしらね。きっとあのひと、自分でも自分をどうしたいのかわからないままなんだわ」
「おばあちゃんは亡くなりました」  スマホに向かって呟く。  客達が、唐突な私の独り言に振り返った。 「おじいちゃん、おばあちゃんはもういないよ。おじいちゃんは? どうしたいの?」  椅子に座った男性の姿がかすかにゆれる。 「話を聞いてくれる人はもういないの」  スマホを握りしめ、目を閉じ、再びスマホのディスプレイを見直す。  そこには誰もいない応接間が写っていた。
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おわり
★第9回ペーパーウェル参加作品です
テーマは「ハロウィン」
ペーパーウェルの企画概要についてはこちらをご覧ください。
折本バージョンもあります。
◆コンビニのコピー機でプリントする場合
コンビニのコピー機で、番号を入力してプリントする方法です。
・ローソン ファミマ ポプラ系 番号 HG37DW5H5C A3 カラー 100円 2022/11/06 午前3時頃迄
印刷方法:https://networkprint.ne.jp/sharp_netprint/ja/howto.aspx
・セブンイレブン 番号 D5PH2SZ5 A3 カラー 100円 2022/11/05迄
印刷方法:https://www.sej.co.jp/services/multicopy/print.html
◆家のプリンターで印刷する場合
PDFは下記からDL可能です。A3サイズのPDFですがA4で印刷しても大丈夫だと思います。プリントして作ってみてね。
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折本の作り方は下記に掲載の「折本のつくりかた」画像をご参照ください。
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koshimemo · 4 years
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2年目を迎えたbeak house ‼︎ ・ 外壁も綺麗だし、緑もモリモリしてて、とても羨ましい暮らし😙 ・ ・ https://www.field-h.net ・ ・ #beakhouse #ビークハウス #阿久比 #白い外壁 #ガルバ #レッドシダー #植栽 #ガーデン #bansgarden #木製玄関ドア #ロックガーデン #割栗石 #シマトネリコ #外構 #軒のある玄関 #半田 #家づくり #設計事務所名古屋 #フィールドの家 (阿久比町) https://www.instagram.com/p/CFtz4x_AX3n/?igshid=1jvdkj3qgp2qw
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kriegeimkopf · 4 years
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あなたの前に庭があると想像してみてください。庭は木製のスラットで囲われています。 スラットはしおれたように見え、庭のドアはかさばって開きます。 真ん中には大きくて古い木があり、葉はほとんどなく、いくつかの枝はすでに落ちています。 その隣に荒廃したベンチがあります。 右隅にはかつて井戸がありましたが、長い間揚水していませんでした。 左側にはかつて花壇があり、すでにかなり生い茂っていました。
しかし、そこには、あなたが今想像している庭があります。
そして今、庭師がそれを通り過ぎて、破壊を見て、それでもすぐに彼に恋をすることを想像してください。 彼は多くの作業が必要になることを知っていますが、粗いダイヤモンドが見事にカットされることを期待していません。
だから庭師は毎日毎日やってくる。 彼は庭の門の世話をします、庭へのアクセスがもはや難しくないように多くは少量の油で行われます。 次に、ベンチとフェンススラットを続け、研磨して塗装します。 水がなかった井戸を掃除し、ベッドを所定のサイズにカットします。
しかし、数週間が経ち、今では数ヶ月になります。 何も咲きません。 ベッドにはまだ花がありません。 噴水はきれいですが、水がないと非常に乾燥しています。 木? まだハゲ。 庭師はもはや苦しみを見ることができず、信じられないほどの愛、つながり、心の火、愛情、そして何よりもエネルギーを取り戻すことを期待して、別の庭で運を試します。
庭が再び自立した今、彼が彼の状態を維持することは容易ではなかったとあなたは確かに想像することができます。 しかし、予期せぬ運命が彼を大きく前進させました。 なぜなら、庭がその存在の絶対的な最低点に達し、その結果、内部で地震が発生したと想像してみてください。 久しぶりに地面が揺れています。 降りしきる雨で、水が深く浸透します。 水位が上がり、嵐が過ぎるとすぐに、庭は噴水が再び水を与えていることに気づき、ベッドの花が再び成長し、木は最も美しい色で癒され、開花します。
しかし、庭は何に気づきますか? 調子がいい時でも? 庭師が行方不明です。
♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
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kadookanobuhiko · 5 years
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父の死 連載第21回 夜空に咲いた花
   前々回の投稿で、ブログの反響がまったくないことを嘆いたら、その回は、なんと4名の読者から反応があった。大躍進である。まるで催促したみたいで申し訳ない。今後ともよろしくお願い致します(また催促しとるやないか!)。
 前回も快調で、3名のリアクションがあった。恐縮です。つい先日も、知り合いから葉書が届いた。ブログを読んでいることについて触れたあと<返事は送ってませんが、ずーと読者がここにいますよ>との有難いお言葉。私も返事を書いていないので、この場を借りて(というか自分の場所ではあるが)、H・Tさんにお礼を申し上げます。
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 8月は、メモリアルな月である。6日は広島に、9日は長崎に、人類史上初めて原爆が投下された。15日は敗戦・終戦記念日である。
 個人的には6日が私の誕生日であると同時に、父親の命日でもある。私は56歳になり、父の死から丸6年が経った。7回忌法要については、5月に記した通りである。
 当ブログの連載『父の死』も20回を超えた。これまでは残された母親について多く書いてきたので、今回は父親のことを記しておこうと思う。
 父親は1932年(昭和7)に、兵庫県加古川市別府町(当時は市ではなく加古郡)で生まれた。満州事変が始まった翌年、15年戦争のとば口のきな臭い時代である。子供のころ、家の近くで道路を戦車が通過するのを見たことがあると言っていた。もう少し早く生まれていたら、戦場に駆り出されていただろう。
 敗戦時は13歳である。ちなみに32年生まれの有名人には、稲盛和夫、福田繁雄、富田勲、ミシェル・ルグラン、船村徹、小林亜星、小室直樹、田中邦衛、仲代達矢らがいる。
 五木寛之と石原慎太郎もそうで、ふたりは誕生日も同じである(9月30日)。
 父親の父(私の祖父)は、骨粉工場に勤めていた。動物の骨や皮を大鍋に入れてかき混ぜる仕事で、悪臭が漂う劣悪な職場環境だった。父親が7歳のとき、祖父は工場の爆発事故で命を落とす。危険な職場でもあったようだ。
 父親には妹がひとりいる。兄妹は以後、母親(私の祖母)の手ひとつで育てられる。祖母は再婚しなかった。
 6年前に父親が亡くなったあと、昭和20年度の国民学校高等科2年時の通信簿が出てきた。現在でいうと小学6年生にあたる。同年度の学年成績は、優が8つ(修身、国語、国史、地理、理科、図画、工作、実業)、良上が5つ(算数、体操、武道、音楽、習字)である。当時の成績評価が、何段階なのかは詳らかではないが、なかなかの優等生のようだ。
 父親は戦時下に学徒動員で祖父の勤める工場に勤め、国民学校を卒業すると同時に、そこに就職する。母子・貧困家庭に、選択の余地はなかった。以後、父親は、定年まで同じ会社に47年間、勤めることになる。
 国民学校を卒業する前に、担任教師が祖母に、成績優秀なので上の学校に進学させることを薦めたという話は、前にも書いた(と思う)。
 退職時の職階は知らないが、私の記憶ではヘルメットをかぶった現場監督だった。主任あたりになるのだろうか。高校や大学に進学していたら、少なくとも課長や部長にはなれただろう。
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 私が幼いころの父親の記憶には、酒がついてまわる。酔った父親が、居間で四つん這いになり、私と妹がその背中にまたがっている。馬役の父親は、のろのろと畳の上を這い回り、私達は声をあげて喜んだ。素面では威厳を保った父親なので、酔わなければそんな遊びに付き合ってくれなかっただろう。
 たまに職場の同僚や部下を自宅に招待し、酒宴を開くことがあった。楽しい酒で、みんなが笑っていた。同僚に慕われているのが、子供心にもわかった。
 ただ、飲みだすと深酒をする悪癖があった。泥酔しては夜更けに帰宅し、玄関の上がりがまちで寝入り、母親をてこずらせたのは一度や二度ではない。
 私が小学生のころ、地元に公民館が完成した。昼間に祝賀会が開かれ、しこたま飲んだ父親は、自転車を置いて徒歩で帰路についた。だが、まともに歩け��、公民館のすぐ隣りにある公園の柵につかまって体を揺らしていた。
 私はその公園で、草野球を楽しんでいたからタイミングが悪かった。数十メートル先に、父親の恥ずかしい姿が見えるではないか。
「あれ!? 伸ちゃん(私の愛称)のお父さん!」
 チー��メイトが声をあげたが、私は知らないふりをした。父親の顔は真っ赤だったが、私はそれ以上に赤かったかもしれない。
 泥酔状態の父親の姿がトラウマになっているので、私は深酒をしないようにしている。とはいえ、年に何度かはそうなることが、ないことはない。にんげんだもの。
「あの時は、ほんま、恥ずかしかったで」
 父親が亡くなる前、昼間の泥酔事件について、私が本人の前でそうコメントしたことがある。父親は申し訳なさそうな顔をしていた。だが大昔の出来事を覚えていなかった。太平洋のように広く、摩周湖のように澄んだ心を持つ私は、その父を赦した。
 毎晩のように酔って帰って来た父親だが、実は私も謝らなければならないことがある。
 小学生のころ、私は居間で寝ていた。父親は背広で通勤しており、帰宅後は居間にそれを吊るしていた。私は夜中にこっそり起きては、背広のポケットにある父親の財布の中から、小銭を頻繁に頂戴していた。それを小学校の近くの駄菓子屋で、同級生に”交際費”として使っていた。悪いガキである。
 ある日の朝、父親が「財布にあった小銭がなくなってるんやけど、お前、知らんか?」と私に聞いた。何食わぬ顔をして「知らんよ」と答えたが、今から考えると、父親は気付いていたのかもしれない。それとも、わからないままだったのだろうか。酔っ払うと、いくら払ったか思い出せないときがよくあるからだ。
 ともあれ、私は窃盗を犯した上に、嘘までついた。もし私がワシントン少年のように正直者であったら、今やアメリカの大統領くらいにはなれていたかもしれない・・・。
      + + + + + +
 子育てに関して、父親は私には細かなことは一切言わなかった。それは母親の役割で、これはという時にだけ、カミナリを落とした。手を出すこともあり、それを察知すると、私は裸足で玄関を飛び出した。
 そういった怖い面もあったが、ふだんは頼りがいがある、まさに一家の大黒柱だった。夜に父親が帰って来ると、嬉しくてまとわりついたものだ。台風が接近すると、父親が北側の小さな小窓にまで板を打ちつけ、強風に備えた。父親が家にいると、安心だった。
 父親が勤めた会社は、戦後は大規模工場の脱臭装置の製造・設置を手がけるようになる。私が中学・高校時代は海外出張が多く、突然「これから英語を勉強する」と言い出したこともあった。国民学校には英語の教科がなかったので、海外での仕事では語学で苦労したのだろう。英語に関しては宣言するだけで、学習した形跡はない。
 私の中学時代、父親にタイ転勤の話が舞い込んだ。私は学校が大嫌いだったので、父親について行くことを申し出た。伸彦少年の日本脱出計画である。家族でただひとり私だけが手を挙げ、父親の内諾を得た。
 だが、なぜかその話は沙汰止みになった。実現していれば、私は今ごろ、タイの王族の一員になっていたかもしれない・・・。
 海外出張の中でも、台湾にはしばしば訪れていた。土産によくカラスミを買って帰ってきたのを覚えている。向こうに友人もできたようで、もし言葉ができたら…と思ったのだろう。父親は、NHKのラジオ講座で、中国語を熱心に学び始めた。5~6年は続けただろうか。退職後には母親を連れて台湾の友人に会いに行っている。
 四つ違いの兄は、70年代の後半、父親に「これからは中国の時代や」と言われ、外大で中国語を専攻している。学歴は低かったが、先見の明はあった。
 私が地方紙を退職した直後の90年代半ば、両親と香港・中国を2週間ほど旅行したことがある。香港で1泊数千円の安宿に泊まったとき、ホテルの入り口でドアを開けようとしたが、なかなか開かなかった。スタッフが英語で説明してくれるのだが、私は聞き取れなかった。
 すると父親が「押すんやなくて、引けと言うとる」と教えてくれるではないか。えっ、お父ちゃんは、英語ができたんか、と一瞬感心したが、当のスタッフを見ると、しきりにドアを引くしぐさをしていた。私の早とちりであった。
      + + + + + +
 家庭の事情で進学こそできなかったが、向学心はあった。会社員時代に書道を長く学んでいる。私は小学生のころ、父親の手ほどきを受けたことがある。自分ではうまく書けたと思うのだが、父親はなかなか「よし」とは言わなかった。父親からは書を通して、地道に努力することを学んだが、身についていないようだ。
 家にいるときは寝転びながら、よく人差し指で空書していた姿を今でも思い出す。あまり本を読む人ではなかったが、何十巻もある書道全集はそろえていた。今も実家の本棚にある。
 長らく地域の書道会に所属し、準同人の資格を取得している。同人は師範なので、かなりの腕前である。同人になれなかったのは、出張が多く、練習が満足にできなかったからだ。定年退職してから時間がとれないこともなかったが、そのころには書道熱は冷めていた。
 それでも年に何度かは墨をすり、筆を握った。盆踊り大会に寄付した個人・団体の名称を紙に書き、会場に張り出された。父親の達筆が、夜風にひるがえった。父亡き後は、パソコンがその役を果たしている。
 その盆踊りは、私が小学生のころに開館祝賀会が開かれた公民館の隣りの公園でおこなわれる。そう、父親が泥酔し、柵につかまった、あの公園である。
 父親が亡くなった夜、私は実家に帰り、そのまま滞在し、初盆を迎えた。その夏、地元の盆踊りを久しぶりに見に行った。盆には死者の魂が帰って来るという謂れがあるが、えらい早いお帰りやなと思いながら、ぼんやりと踊りの輪を見ていた。
 用を足しに隣りの公民館に寄ると、黒板に1年間に亡くなった人物の名前が白墨で書かれてあった。父親の名前を見つけたとき、本当にこの世からいなくなったことを実感した。
 屋外では地元の子供たちが、打ち上げ花火に興じていた。私にはその光の輪が、父親を送る供花に見えた。
 父と私のふるさとの夜空に咲いた光の花は、一瞬だけ輝きを見せ、すぐに消えた。<2019・8・29>
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hh-interior · 5 years
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【大きな屋根裏のある平屋のようなお家*U様邸】
三角屋根が特徴的なU様邸。大きな勾配天井は吹き抜けと屋根裏風のファミリーホールで繋がり開放的な空間となりました。たくさんの天窓から灯りが降り注ぐ明るいお家です。
木の梁がアクセントに効いたLDKは、アンティークな花柄カーテンやステンドランプでプロヴァンススタイルに。梁はあえて床色よりも濃く塗装し、古材風に仕上げました。花柄のカーテンはアルハンブラ製の輸入品です。
Koagariは1階の真ん中に配置し回遊可能な間取りに。間仕切り扉で個室にもリビングの一部にも使えます。メロンカラーのアクセントクロスが塗装のカラートーンにマッチしています。
Hallは壁付けにしたランプが温かみのある空間を演出。アールの下がり壁で優しくやわらかい印象になりました。
個室の扉にはステンドグラスを埋め込み、特別感のあるドアに。ひまわりのステンドグラスは細やかな模様と色合いが素敵です。
圧巻の広さのファミリーホール。お子様のプレイルーム、ドライルーム、書斎として多目的に活用できます。どんぐり型のランプやブルーグレーの花柄クロスでかわいらしく仕上がりました。
2019.8.29(THU) Gonohe
▼インテリアに関する情報、ご質問・ご要望は各店ショールームまで 八戸:http://www.heritagehome.co.jp/sns-hachinohe/ 三沢:http://www.heritagehome.co.jp/sns-misawa/ 仙台: http://www.heritagehome.co.jp/sns-sendai/
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deusnatura · 6 years
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ラーメンの国民食化。それはあるいは、日清食品の創業者・安藤百福氏が戦後に売り出したチキンラーメンの偉業であったかもしれない。そう考えても、あながち大げさではないだろう。 1950年代に始まった初期の南極越冬隊が昭和基地に持ち込んだ即席麺があった。開発したのは台湾人だ。と言っても、安藤氏ではない。麺の名前もチキンラーメンではなく、「長寿麺」という別の即席麺だった。 大阪市阿倍野区の天王寺駅を訪れると、再開発の波が激しく押し寄せていた。多くの古いビルが取り壊され、駐車場になり、さらなるプロジェクトを待ち受けている。そんな天王寺の古い路地を進んでいった私は、突き当たりにある古いマンションの一室のドアを開けた。  玄関には、大きな木製の看板があった。「東明長寿麺本舗 東明商行食品部」。  この一室は「東明」という会社の本社で、現在の社長は清川信治さん(75)だ。「長寿麺」を売り出したのは、すでに他界した清川さんの父親、台湾出身の張國文さんだった。東明商行(現・東明)も、張さんが立ち上げた会社だ。 清川さんは事務室の押入れから、少し茶色がかった1枚の広告を引っ張り出した。そこには、こう書かれている。 「インスタント・ラーメンの元祖 即席えびラーメン(東明長寿麺) 南極越冬隊・ヒマラヤ遠征隊 アラスカ調査団 ほか各学術団体ご採用」   日本での「元祖インスタントラーメン」はチキンラーメンではなかったのか。  清川さんは、即席麺を安藤氏が発明したというストーリーについて、 「あれはファンタジー。歴史はつくられる、と言うんでしょうか……。死人に口なしかもしれないけれど、事実は1つ。父が最初に即席麺をつくったという以外にありません」 と言い切った。  清川さんの父・張さんは、1917年に台湾の屏東県にある東港という町で生まれた。18歳のときに日本へ渡り、歯科技工士として働いた。戦後も日本に残り、まもなく阿倍野で「東明食堂」というレストランを開業。そこで「長寿麺」を売り���し、大ヒットしたという。  料理が上手だった張さんは、よく家族にも料理を振る舞った。清川さんが覚えているのは、小学生だったある日、張さんが母親や子供をそろって食卓につかせたときのことだ。  普通の料理が出てくると思っていたら、張さんが蓋をしたラーメンの丼を運んできて、「5分待ちなさい」と言う。5分後、蓋を開けてみると、ほかほかの湯気があがるラーメンが入っており、「美味しいだろう?」と語った張さんの誇らしげな表情が、忘れられないという。どうして即席麺をつくったのか聞かされたことはなかった。 1枚の新聞記事のコピーを清川さんは見せてくれた。 「ブームに乗る簡易食品 食生活の改善に一役」という『日本経済新聞』の記事で、日付は1959年5月1日。「中小企業版」の特集記事として、即席ラーメンのことが紹介されている。 「昨年11月、大阪のH百貨店に初めてお目見得し、人気を呼んでいるのが、味付け不要という即席ラーメン。独特のラーメンに鶏肉、豚肉などのスープを濃縮し、調味料、ビタミンなどを加えたもので、そのまま熱湯に3分間入れるだけで食べられるというもの。試食実演で、夜食として適当だとPRした効果が現れてか、だんだん人気が人気を呼び、日に約2千食分売れるという」  企業名は特定されていないが、文中の即席ラーメンとは東明商行の即席麺のことであるという。張国文さんが大切に記念として保存していたものだ。  安藤氏が自著で「油熱乾燥法」という即席麺の製法を「発明」したと書いているのは1958年。こうした経緯をみれば、長寿麺が、同じ時期にすでに市中に出回っていたことは間違いない。 『実業界』という経済誌が1961年5月号で「インスタント食品ブームと即席ラーメン」という記事を掲載していた。張さんと主婦団体の人々が対談し、即席麺の日本の食文化への意義を語り合う内容だ。  その中で雑誌側は、「この即席ラーメン業界も今日では乱立気味ですが、この種類の食品の元祖として」と、長寿麺のことを紹介している。対談の中で張さんも「一番先に私が作り出したのですが、その当時(昭和33年秋ごろ)は即席という言葉も今日ほど流行しておりませんでした」と述べている。 清川さんは、自分の机から分厚い書類の束を取り出した。  そこには、多くの権利関係の書類が挟まれていた。「自分でも整理しようと思うのですが、ちょっと面倒で……」と、苦笑いする清川さん。私は、書類の束を1枚ずつ仕分けしながら、内容を精査していった。書類は、即席麺の特許に関するもので、張さんが取得した特許を日清食品に譲渡する内容であった。  何種類かある譲渡契約のうち、もっとも重要なものが1961年8月16日に結ばれている。書類の最後に安藤氏と張さんの署名押印がある。 書類によれば、張さんの特許は「味付乾麺の製法」というタイトルで、その譲渡に際して、安藤氏が張さんに2300万円を支払うことになっている。いまの価値に換算すれば数億円ぐらいになるとみられ、かなり大きな額のようだ。  すでに東明商行はエース食品など10社の在関西食品会社に即席麺を販売委託していたが、これら食品会社への製造に関わる「実施権」も日清側に継承すると定めている。  なぜ張さんは、特許を安藤氏に譲渡したのだろうか。  安藤氏の著書にはこの点について「類似品が乱立した」とだけ触れられている。清川さんもこう振り返る。「類似品がいろいろ出回って争いにもなり、父親も嫌気がさしたのでしょう。だから権利を安藤氏に譲渡したのだと思います」 すでに日本に帰化している清川さんら家族はこうした契約書の存在はまったく知らされておらず、張さんの死後、遺品の整理で金庫から出てきたのだ。 「おやじは小さいときは『おれが最初に作ったんだ』と自慢していましたが、だんだん話をしなくなりました。どんどん成長していく日清食品をみて口には出さないけれど悔しさがあったんでしょうね。ドラマでみんな安藤さんの『発明』を信じてしまうのが残念です」  安藤氏と張さんによる発売と特許申請のタイミングを整理してみよう。  安藤氏が「チキンラーメン」を売り出したのは58年の後半。これに対して、張さんが「長寿麺」を売り出したのは58年の前半からそれより前と見られる。特許出願も張さんが58年12月(味付乾麺の製法)で、安藤氏側の59年1月(即席ラーメンの製造法)より少し早い。実はほかにも、(上)で取り上げた「鶏糸麺」の名前で特許を同時期に出願した台湾人もいた。  つまり、この時期は、即席麺の市場は特許紛争も絡んだであろう「戦国時代」で、そのなかで最終的に勝ち残って特許も買い取ったのが安藤氏率いる日清食品のチキンラーメンだったのである。
NHK『まんぷく』チキンラーメンは本当に「発明」なのか https://www.fsight.jp/articles/-/44828
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siratakirentaro · 5 years
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あぁぁぁぁもぉぉぉぉストレスマッハ
どうも白滝連太郎です。
今回は本当にただの私事の愚痴です。
詳しく書いて身バレに繋がったら本気でヤバイので大雑把に書きます。最悪の場合、傷害事件以上の最悪の出来事に発展しかねない。
~~~~~
詳しい日時は書かないけど、書いてる時点では当日の出来事。書き終わってから日を明けて投稿する予定です。
近隣トラブルに巻き込まれた、というより当事者として被害を受けた。
ずっとニュースの世界、TVの世界の出来事だと思ってた事が我が身に降りかかった。
いつも通り夕食の時間にゆっくりしていたら。玄関のドアから力任せに殴り付けるような大音量で、ガッシャガッシャ、バンバンバンバン聞こえてきた。怒鳴るような声も聞こえていた。それがだいたい2~3分くらい続いた。突然の事すぎて最初は訳が分からなかったが、少しして「誰かに玄関を殴られてる」と気付いた。
実のところ誰が犯人かは心当たりがあった。
以前から近隣トラブルがあって、言いがかりをつけられて、私自身も暴力的な発言で脅迫された事もあったりして、そういう事から考えると今回姿は見てないけど、その人だろうと思う。
前々からヤバイなとは思ってたんですが、今まで実際の被害が無く、相手も精神的に不安定な人で、昔からご近所さんの顔見知りだったので、まぁまぁ様子見かなと思ってたんですが、今回はさすがに身の危険を感じたので警察を呼んだ。男の私でも流石に怖かったです。
前触れもなくイキナリ来たもんだから、動揺と緊張で冷静さを失いかけた。というか書いてる今もまだ緊張してる。
~~~~~
静かになったあとでなにがあったのか確認したら、固い固い金属のドアが何ヵ所も凹んで、キズもついてて、塗装も剥がれてた。がっつり器物損壊の被害を受けた。
固い金属のドアじゃなくて、古いタイプの木製のドアだったら壊されてたかも知れない。恐ろしいですね。
詳しくは書かないけど、固い物も投げつけられてて、その破片がドアの前に散らばってた。破片は現場の状況証拠として警察が撮影したあとで、許可を貰ってから片付けた。
警察に色々事情を聞かれたので、分かる範囲で伝えたが、今すぐどうにかなる事でも無いので、次回また何かあれば証拠バッチリで押さえておきたい。
余談だけど警察のガタイが良すぎて、ブロック塀を連想した。そして何かあった時に抵抗しても無駄だなと直感で感じた。
~~~~~
顔見知りな上に、相手が根っからの悪人では無いのを知ってるし、精神疾患で行動の制御が効かないだろうから、そこに少しの哀れみを感じるが、被害は被害。
そして精神疾患でも問題なく生活している人が居る以上、精神疾患を理由に理不尽な加害行動を許す事も出来ない。
~~~~~
今こうやって文章を書いて、落ち着いているけど緊張と警戒とイライラでストレスマッハ。ということでもう少し書くことにする。
~~~~~
なんだか本当に悪い出来事が続いてる。
祖母が亡くなったり、一日遅ければ死んでたかもしれない親の病気。それに今回の一連のトラブル。
祟りか何かですか、なんでこうも色々重なるのかね、嫌になりますよ本当に。
うはぁぁぁぁしんどいぃぃぃぃ。
もしも今回のトラブルの流れで家族かペットになにかあったら……もうね……。もしそうなったら刑務所行ってしっかり罰を受けるからちょっとくらいは良いですよね。
無い事だと思うけど、もしもこの先何のお知らせもなく半年以上更新が無かったら、近隣トラブルで刺されたか、私が刑務所に行っていると思っておいてください。(冗談)
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shinobu-mechikko96 · 6 years
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Bunkamura30周年記念シアターコクーン・オンレパートリー2019
DISCOVER WORLD THEATRE vol.5『罪と罰』
  2019.2.17(大千穐楽) 森ノ宮ピロティホール
春馬クン出演の舞台、『キンキーブーツ』も観に行く予定なのでどうかと思ったけど、結局DMの乗せられ🎫購入してしまった💦
<あらすじ> 舞台は、帝政ロシアの首都、夏のサンクトペテルブルク。 頭脳明晰な貧乏青年ラスコリニコフ(三浦春馬)は自分が「特別な人間」として、 「人類が救われ、その行為が必要ならば、法を犯す権利がある」という独自の理論を持っていた。
そして強欲で狡猾な質屋の老婆を殺害し、奪った金で世の中のために善行をしようと企てている。 ��んな中、酒場で出会った酔っぱらいの退職官吏、その後妻カテリーナ(麻実れい)ら貧乏な家族を見ると質入れで得たお金をすべて渡してしまうのであった。 ついに殺害を決行するが偶然居合わせた老婆の妹まで手にかけてしまい、罪の意識、幻覚、自白の衝動に苦しむことになる。 そうして意識を失い数日間も寝込んだ彼を親友ラズミーヒン(松田慎也)が見守り、 結婚のため上京してきた妹ドゥーニャ(南沢奈央)と母プリヘーリヤ(立石涼子)も心配をする。 一方、老婆殺人事件を追う国家捜査官ポルフィーリ(勝村政信)はラスコリニコフを疑い心理的に追い詰めていき、 さらに謎の男スヴィドリガイロフ(山路和弘)の登場に翻弄されていく。 そして退職官吏の娘・娼婦ソーニャ(大島優子)の家族のためへの自己犠牲の生き方に心をうたれた彼は... 数々の普遍的なテーマに触れながら、 人間回復への強烈な願望を訴えたヒューマニズム大作! (公式より引用)
博のない言葉足らずの私には、この舞台をどう説明したら良いのか考えあぐねる。どんな感想の書き方をしているのかネットを漁っている時にエンタメステーションのサイトにフォトコールの記事を見つけた。 舞台内容がわかりやすく記してあったので、これを引用させて頂く事にした。
三浦春馬の“狂気”を大島優子の“慈しみ”が救う。舞台『罪と罰』フォトコールで感じた今年最初の傑作の予感 【es】エンタメステーション https://entertainmentstation.jp/357338
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【三浦春馬の時空を超越した演技に感嘆】
公開されたフォトコールは冒頭から十数分といったところだったが、客席に着き、まず驚かされたのがマックス・ジョーンズの美術だった。天井から吊り下がった蛍光灯がステージの上手・下手・中央に直列に3本、奥の方にかけて4列並んでいる。つまり12本の蛍光灯が、色を変え、明滅しながらアップダウンし、当時のうらびれた貧民街を照らし出す。帝政ロシア時代の貧困、暴力、差別、生活が鋭敏にあぶり出され、リアルに伝わってくるようだ。一方で、使い古しのベッド、テーブル、バケツ、丸太木に突き刺さった斧などがいたるところに置かれ、時代がかったガジェットが溢れかえることで、街を賑やかに表現している。
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舞台上は階段、踊り場、再び階段と踊り場といった3段構造で、最上段の踊り場の奥はコンクリートの壁のようなもので囲まれており、壁面にはロシア語の文字が刻まれていたり、スプレーのいたずら書きがあったりする。これらはタイポグラフィにも見え、前近代のイメージをしっかりと踏襲しながらも現代の要素を盛り込んだ、2010年代の最先端の舞台美術のようだ。
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ラスコリニコフ(三浦春馬)がボロボロのベッドに寝転んでいる。別場所でラスコリニコフを殺人容疑で追い詰めることになる国家捜査官のポルフィーリ(勝村政信)がタバコを吸うシーンから物語は始まる。マッチをこすり“シュッ”と火をつける音とタバコを吸う仕草がとにかくやさぐれていて、たったひとつの所作で客席の視線をすべてさらってしまう勝村の演技がかっこいい。
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そこからうらびれた街の雑踏に早変わりする。アンサンブルがクラリネットやチェロ、アコーディオンを奏でて街の喧騒を彩る。公開されたフォトコールでは、基本的にほとんどのキャストは舞台袖に“ハケる”ことがなく、どの役者もアンサンブルになって存在する。いわば街のひとりの人間となる。そうしてキャスト全員で街の貧民窟にあるような騒乱めいた雰囲気を醸し出していく。
パディ・カニーンによる音楽が高らかに鳴る。ハイトーンな耳障りにも感じさせる現代的な音楽が、舞台『罪と罰』の一種の“救いのなさ”を巧みに表現している。そこにラスコリニコフが、これからしようとする自らの行為(ここでは善か悪かはわからない)に対して、ひたすらに自己肯定をする台詞が繰り広げられる。彼の性格が垣間見えるわけだが、それ以上に、翻訳の木内宏昌の手腕が光る。三浦春馬が喋る台詞は、聞き取りやすいし、リズムとテンポも抜群だったけれど、何より言葉の意味がわかりやすくて、すっと脳内に入ってくる。木内の言葉選びの妙技も味わえるだろう。
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そしてラスコリニコフは、真ん中の踊り場に現れるドアベルを鳴らす……丸太木に突き刺さった斧をこげ茶色のロングコートに忍ばせて。彼の手がすでに血のように真っ赤に染まっているのも象徴的だ。そこに金貸の老女アリョーナ(立石涼子)、その娘リザヴェータ(南沢奈央)も登場し、家賃の支払いに困ったラスコリニコフといざこざを始めるのだが、“暴力と金”という即物的で刹那的な匂いがプンプンする緊迫感のある芝居が続く。
ベルの音が鳴り、シーンが変わる。おそらくドアベルの音が舞台の転換を意味しているようだ。このドアは“向こう側”と“こちら側”、それは“生”と“死”の境界であり、さらにはラスコリニコフを殺人へと駆り立てる、踏み越えてはならない入口として存在していたのではないか。とてもシンボリックな演出で、フィリップ・ブリーンの手腕がオープニングから存分に発揮されていたと思う。
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シーンは転換し、ベッドに寝転がっているラスコリニコフは母のプリヘーリヤ(立石涼子)からの手紙を受け取る──妹のドゥーニャ(南沢奈央)に結婚相手が見つかったことが報告され、「お前はお前で神の御許に従い頑張れ」といったことが書かれている。要は「お前には援助はできない。期待するな」という宣言でもあると思うのだが、唯一の頼みの綱と思っていたであろう母親にも見限られ、焦りで次第に追い込まれていくラスコリニコフの精神がここでは描かれる。舞台の上手奥ではドゥーニャの結婚祝いが行われ、ラスコリニコフのどん底の生活と同��させることでとで“ハレ”と“ケ”のコントラストの明度を高め、彼の絶望感をマックスまで膨らませている。
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そして再びベルが鳴り転換すると、“ケバい”といっていいほどの派手な赤いドレスを着たソーニャ(大島優子)が、酒を飲んでいる男にすがって体を売ろうと必死の形相で立っている。しかし、男たちはむげに扱い、“娼婦”が堕落した存在であることをまくし立てる。それをBGMにソーニャの父親でマルメラードフ(冨岡 弘)とラスコリニコフの会話が繰り広げられる。ここでの会話は、帝政ロシアという時代の空気を一心に体現しており、歴史の証言として目をみはるものがあった。フォトコールでのソーニャの登場はこの場面がメインだったが、大島優子は男にすがりながら、それでいて男との共依存関係を拒否するように強く生きようとする女性をたくましく体現しながらも、時代に抗えない憂いのようなものも感じさせた。極彩色の衣装もあいまったエロティックなオーラを小柄な体躯から漂わせつつ、虚飾を脱ぎ去った先にある、何かに取り憑かれたような恍惚とした表情も艶っぽかった。
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その後、ソーニャにある想いが芽生えたラスコリニコフが、有り金を彼女に渡してしまう。そしてベルの音が再び鳴る……。
フォトコールで公開されたシーンは以上だったが、カンパニーの全員が舞台上に登場し、群像劇として展開していく人いきれの満ちた舞台に、悪意、憎悪、生活、現実、宗教、金、暴力、時代への批評、自己顕示欲、自己肯定、救済の予感、そういった原作のエッセンスがフルに注ぎ込まれ、マッピングに頼らず、“肉体”を使った原初的だからこそリアリスティックな表現方法だった。
その中で中心に存在するラスコリニコフの三浦春馬は、夜郎自大にみえそうな危うい自問自答を、時空を超越してあらゆる時代(それが歪んでいようがいまいが)に対する肯定に見えてしまう説得力のある演技を見せて感嘆するし、痩せこけてほっそりとした透明なフォルムも本当に美しかった。
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この後物語はラスコリニコフの殺人、彼とポルフィーリとの丁々発止のやり取り、ソーニャとラスコリニコフの関係など見どころが続くのだが、原作を知っていても知らなくても、テーマは普遍的で、誰でも楽しめる。演出・演技・美術・音楽は隙のないつくりで、カンパニーの結束力の高さも感じさせる。おそらく千秋楽を迎えたときには、「今年の演劇界の大きな収穫になるのでは」と予感させてくれた圧巻のフォトコールであった。
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一応、私の感想も…。 春馬クン、ずっと出ずっぱりでした。この舞台の為に減量された様で頬もこけ、狂気に満ちた表情、台詞も捲し立てる様な長台詞。凄かったです😱 圧巻でした👏 だた、いつからあんな声になったんだろう…っとふと思ってしまいました。『キンキーブーツ』でローラを演じられてからでしょうか❓ あの時はドラァグクイーンだからこんな声なのかと思っていましたが、今回の舞台でもあのローラの声のままでした。
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大島さんもかなりの長台詞ありました。特にラスコリニコフに聖書を読み聞かすシーンはとても良かったです😊
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捜査官ポルフィーリ役の勝村さん。いったいいつ声を発するのだろうと思う程、前半は台詞無し。1幕後半から罪を犯したラスコリニコフを笑いも誘いながら飄々と追い詰めていきます。勝村さんの真骨頂と言える演技です。叶わないですねぇ~😆
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金貸し役の立石涼子さん、とてもお声が印象的な方。たまたま前日『ヘンリー五世』を観劇して、冒頭『ヘンリー四世』を振り返るべき映像が流れたんですよ。『ヘンリー四世』に出演されていたんですね、立石さん。ちょっと懐かしくなりました。
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視覚的にも引き込まれる✨ 木製のドア(扉)を使い、空間移動を表現したり、アンサンブルが動作をシンクロしたり視覚的にも効果的な演出でした。 この舞台、演者が台詞が無いからと袖に下がる訳でもなく、ずっとステージに上がっていて役を演じているんです。なので、例えば春馬クンが台詞を喋ってる舞台の奥で勝村さんが演技をしていたり。視線をあちらこちらに向けないとならないので、個人的には少し鬱陶しかったかな😅
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(画像はSPECE,ステージナタリー,シブヤ経済新聞,シネマトゥデイ,TOKYO HEADLINE,ローチケ,エンタメステーションより引用)画像が多すぎてどこのサイトから引用したのか、わからな��なっちゃった💦
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