#勝納埠頭
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【常威近代史】(七百七十回) 老鼠俾老鼠膠黐住 時間線進入1938年嘅2月,2月1號,蔣介石以韓復榘為例,通電警告各級將領,唔可以不戰而退,亦唔可以輕易投降,否則拉去後巷打靶!軍令如山,打仗就係一件咁殘忍嘅事,自己友都冇面畀,當戰爭真正發生,上到戰場就係玩命,冇得縮架! 今日,八路軍總司令部與野戰政治部發出整軍訓令,中日戰爭進入白熱化,唔係講玩,每個人都要有犧牲嘅準備!2月2號,定遠、鳳陽、蚌埠相繼失陷,國際聯盟決議鼓勵會員國個別援華,鼓勵啫,冇任何法律效力及約束力。2月6號,軍委會政治部成立,陳誠(1898-1965)任部長,周恩來(1898-1976)、黃琪翔(1898-1970)任副部長,三個人都係抗日名將,三個人都係出生於1898,一個右兩個左。 今日,上海《社會晚報》被日本禁止發行,經理蔡鈞徒被害。2月7號,《中蘇軍事航空協定》簽字,蘇聯空軍已經全面參與抗日戰爭。2月8號,經濟部與江西省合辦天河煤礦投產,每日產煤700噸;同一日,國際慰勞團抵達18集團軍總部慰勞,勞軍,亦係戰爭中一個重要項目,未有原子彈之前,軍人士氣相當重要,軍人肯同你搏命,實力打高幾班,如果個個臨陣退縮,hea打hea做,個局面會相當難堪。軍紀,的確係當時蔣介石面對一個致命大難題。 2月10號,紡織麵粉界鉅子榮宗敬(1873-1938)今日五點,因肺炎病逝於香港南和醫院,享年66歲,榮宗敬侯江蘇省無錫榮巷人,是近代中國一位著名民族資本家。榮宗敬是榮德生(1875-1952)胞兄,亦係中華人民共和國前國家副主席榮毅仁(1916-2005)嘅伯父,榮毅仁有個仔,叫榮智健(1942-),榮宗敬1873年出生於江蘇無錫,早年從事錢莊生意,��後累積資本後開始紗廠同麵粉廠,對國民經濟貢獻良多,曾經擔任中央銀行理事、中國銀行董事、上海紗布交易所理事等職務,上海淪陷之後,佢就去咗香港避難,估唔到避到日本人,避唔到肺炎。 2月11號,北平偽臨時政府設立中國聯合預備銀行,佔領一個地方,最重要就係印銀紙掠水。北平偽政府由「財務總署」汪時璟(1887-1952)出面,創辦中國聯合預備銀行。去年12月23號,北平偽行政委員會委員王克敏(1879-1945),召集天津中國、交通、金城、中南、大陸、北京鹽業、偽河北省銀行、偽冀東亞銀行,八間銀行負責人開會,宣佈擬定嘅名銀行認購額(即係入股),強行令各行簽紙,並且要在2月1號前用現銀交納股款(即係打劫),天津中國銀行負責人卞(音便)白眉(1884-1968)就喺日記上書寫「卞白眉精神死亡」,以示懺悔。不過又唔好咁緊張,俾人用支槍指住個後尾枕,邊個惡得出樣呢?聯合預備銀行成立後,除咗處理調劑華北金融業之外,仲發行紙幣「銀聯券」,佢仲搜刮國民政府發行嘅「法幣」,套取外匯,用作購買戰略物資,統治華北貿易。 2月12號,國際反侵略運動大會通過《援華決議案》,同一日,全國戰時教育學會喺漢口成立。2月14號,日本開始轟炸鄭州,伊斯蘭教徒喺漢口舉行反侵略祈禱大會。2月16號,日本確定夏季對話作戰方針,「確保佔領區,不擴大展區」。事實上中日戰爭爆發咗差唔多接近七個月時間,日本已經佔領咗中國接近三份一土地,整個北方差唔多全落入日本人控制範圍,南方重要城市上海及南京淪陷,中華民國退到武漢三鎮,日本全面占上風,不過中國實在太大,並唔係咁易食得落肚。 情況亦都一如所料,當時日本陸軍軍隊嘅地面行動,就下達咗「避免因作戰地區擴大遭遲滯,進而陷入泥淖」嘅命令,中國嘅戰線實在太大太長太闊,如果日軍想追擊國民政府嘅逃亡部隊,並且加以趕盡殺絕,基本上係冇可能,而且將主��部隊分割成多個部份響唔同嘅地方作戰,將戰線越拉越長,橫切面越拉越闊,正正亦中正蔣介石下懷,去到1938年春去夏來之際,隨著響中國嘅佔領區不斷擴大,日本亦都從國內源源不絕調撥士兵前往中國,人數已經超過40萬,去到1938年嘅秋天,更達到60萬之數,但係60萬人嘅軍隊,亦只能夠僅僅控制中國重要城市以及重要嘅鐵路據點,至於響城市以外、廣闊無邊嘅農村地帶,日本人根本冇能力做任何嘢,仲有,去到農村打遊擊,日本嘅正規部隊根本毫無優勢可言,先進嘅重型裝甲同大殺傷力武器,響農村遊擊戰中亦冇運行,點解叫蛇吞象?情況就係咁解。成圍餸,又翅又乳豬又雞又伊面,要食得曬落先得架。 自1930年代中期開始,日本一直有戰略家提出嚴重警告,日本不能夠分散其軍事力量,當中最有力嘅支持者就係石原莞爾(1889-1949),石原係918事變嘅發動者,但係佢亦係日本軍方高層中極力反對佔領(成個)中國、同發動全面中日戰爭嘅人,佢認為日本缺乏天然資源,而最大嘅敵人係蘇聯同埋西方列強(即美國),而並非中國。佢一直敦促日本政府應該集中力量建設東北同偽滿洲國,保持實力同主要敵人對抗,不過石原嘅觀點並沒有被接受,1937年嘅秋天,佢已經被調職送去守沙頭角,遠離核心,不過石原莞爾最驚嘅嘢終於發生咗,日本統治者源源不絕將軍隊派到中國依個大泥沼之中,最後是既無法全面擊潰敵人(蔣介石政權),亦無法撤退,進入全面膠著狀態,就好似隻老鼠俾老鼠膠(勝利成果)黐住一X樣。 #常威💀 #蔣介石平反系列 #佛經抄寫員 #中日戰爭 #民國歷史 https://www.instagram.com/p/Cput6CSP_0I/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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小樽フェリーターミナル(北海道小樽市) ⇒ 巨大な門のような真新しい建物【北海道旅行20日目その4】
小樽フェリーターミナルとは
小樽フェリーターミナル(おたるふぇりーたーみなる)は、北海道小樽市築港(ほっかいどうおたるしちっこう)の勝納埠頭(かつないふとう)にある建物だ。
新日本海フェリー(しんにほんかいふぇりー)の窓口や待合所がある。
ターミナルは海の玄関をイメージした門構えの構造で船旅へとご案内します。 航海中船から見える景色は、陸上では見ることのできない景色と出会えます。 フェリーがすれ違う様は迫力満点! 船内には、露天風呂、展望大浴場、映画上映、売店、さらには卓球台や、アミューズメントボックスも完備! (船によって仕様は異なります) お食事はレストランやカフェ、ワンランク上のグリルでは本格的なコース料理もお楽しみいただけます。
新日本海フェリー 小樽フェリーターミナル | 小樽観光協会公式サイト「おたるぽーたる」:北海道小樽へようこそ! から引用
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📛 161 「仮面ライダー」 #92。
いつかの今週も 「仮面ライダー」 のお時間がやって参りました。今回は 「兇悪!にせ仮面ライダー (第92話)」 というお話です。「飛び降りろ!飛び降りるんだ!」 と先週のつづきから始めたムカデなタイガーと崖の上から 真っ逆さまに落ちてDesireした仮面ライダー第1号。"はたして仮面ライダーは無事なのであらうか!" と 中江真司さんが熱くナレーションを語る中 「貴様らゲルショッカー改造人間のテスト用なのだ!」 と、先週に引き続き キモい怪人が ゲルダムの元一味なのか元一味なのかは分かりませんけれど、怯えたふたりに何か言ってキモい液体を浴びせかけます。「おれの性能は完全だ!」 と 見た目は不完全なキモハチ怪人。とそこへ 黄色いマフラーを巻いた怪しげな仮面ライダーの姿が背後から現れ、突然に ライダーキックをキモ怪人に浴びせます。揉み合うふたりの怪人。なんてところに 「これまでだ!ふたりとも!実験を終了する!」 とどこで見ていたのでせうか ブラック将軍がふたりに けんかをやめて〜 ふたりをとめて〜 します。争うのを止め、がっちりと握手をするふたりの怪人たち。「首領!ショッカーライダーはいつでも出撃できます!」 と その不自然な "ショッカーライダー" なる 仮面ライダーのポンコツ版 (マフラーの色が異なるのが特徴) を納谷悟朗さん似の首領に紹介するブラック将軍。「グループを破壊するのだ!」 と、世界的には マイナーな団体ショッカーを捻り潰さうとしている団体 "アンチショッカー同盟" をやっちまいなと命ずる首領。そんなところに ショッカー大型コンピューターが 「緊急事態発生!アンチショッカー同盟が首領の正体を見つけちった!」 なんて感じの報告を入れて来ます。「ショッカーライダーを出動させます!」 と どこにアンチショッカー同盟の居場所に心当たりがあるのでせうか、ブラック将軍。そんなころ、前回の終わりに乗り捨てられたままのサイクロンは おやっさんが無事に持ち帰り、少年仮面ライダー隊本部の下で���理をしています。暗い表情のおやっさん。「仮面ライダーは必ず帰って来る!」 と言いつつ一週間帰って来ていない仮面ライダーの代わりに 次週から仮面ライダー藤兵衛を始める気かもしれない おやっさんは 修理を終えたのか、タケヤマ埠頭という場で サングラスをかけながら誰かを待っています。とそこへ 「立花藤兵衛さんですね?」 と全身黒い格好の女性がいきなり現れてナイフを岩に投げつけます。苦しみ倒れるゲルダムの戦闘員。見張られていたグラサン姿な おやっさんは ゲルダムの手下では無ささうなその女性から自己紹介を受けます。「アンチショッカー同盟?」 とおやっさん。世界中に支部があるらしいアンチショッカー同盟は 脳をいじられる前まで改造手術を受けたり、パイセンを庇って 改造人間に改造させられたりといった そんな危険な真似はせず、密かにレジスタンスな活動をされているさうで、そんな中で アンチショッカー同盟が持つ アンチショッカーコンピューターが ゲルダムの銭形こと ゲルショッカー首領の正体を掴んだとのことで、その掴んだデータを 仮面ライダーに運んで貰いたいとおやっさんに頼みます。「仮面ライダーに?」 と おやっさん。とあるホテルの406号室で待つと黒い女性。とりあえず仮面ライダーが出払っています (行方不明) から、とりあえず 滝和也に仮面ライダーのお面でも被せて運ばせるかと、少年仮面ライダー隊本部に戻った おやっさんに 「おやっさん!そんなこと言ったって仮面ライダーは生死が不明なんですよ」 と こんなときに限って真面なことを言う滝和也。けれども 「よし、オレが行く!当たって砕けろだ!」 と当たって砕けさうな和也。なんてところへ いきなり怪しげなライダーが現れます。「詳しいことは後で聞く」 と怪しげな仮面ライダーに、ツメキザキの灯台の下で アンチと待ち合わせと口が滑る、怪しげなライダーを怪しいと思わない、やっぱりポンコツ隊長な滝和也。そんなポンコ和也は 瞬時に ツメキザキ灯台に到着し、アンチコンピューターのテープなる物を受け取ります。「この中にゲルショッカーの首領の正体が!」 と震える和也は、テープの入ったアタッシュケースを片手に、どこからともなく襲いかかって来た戦闘員と揉み合いながらお知らせに入ります。お知らせが明け "ホテルまさき" の入口で待つ女性の姿が。「遅いわ」 と その女性は ポン太郎和也のテープを今か今かと待ち侘びています。と、そこへ頼んでもいないのに 緑の煙とともに現るるは キモ怪人。「ゲルショッカーを敵に回す愚か者めが!」 とキモ怪人ハエトリバチ。とりあえず、ポン吉和也が現れさうにもないので 逃げ出す女性。それを追うキモ怪人。と、そこへ いきなり現るるは この番組の主役本郷猛!「本郷猛!そうか いきていたのか貴様!」 とキモ怪人。「ゲルショッカーがいる限り、俺はしなん!」 と猛。海をバックに 「ライダー 変身!とぅっ!」 と早速変身をキメる猛に ショッカーライダーがどうのこうのと教え��くれるキモトリバチ。「ショッカーライダー?そいつはどこにいるんだ!貴様との勝負は預ける!」 と言い、先程の女性を救出に行く第1号は そのアンチ女性からテープのありかを尋ねられます。「送られたデータ?」 と、話について行けていない第1号。「そうか、受け取りに行ったのは わたしにそっくりのショッカーライダー!」 と 少し話が飲み込めた第1号は テープを取り戻して見せる!と女性に誓います。と、そのころ、噂のショッカーライダーは 「これさえ処理すれば」 と、まんまと奪ったアンチコンピューターなテープを破壊しやうとします。慌てて止めに入った和也をチョップで倒し、逃げるおやっさんをぶん投げる にせライダー。アンチな機密を えいやっと海に向けて投げ捨てて 作戦成功!と思ったのも束の間、それを空中で ガシッとキャッチする タイミングと運動神経の良さが抜群な第1号は、にせ第1号と浜辺で互角な殴り合いをしたあと、浜辺や舗装されていない道路でサイクロン同士で走りを競ったり、飛び跳ねたりと 何の勝負をし合っているのかわからなかったりしますけれど、公道で速さを競い合います。改造車で危険運転ですから それなりに罪深いです。そんなこんなで 海沿いに舞い戻ったふたりはサイク���ンを降りて またまた浜辺で殴り合います。ブーツの爪先から凶器を飛び出させたり、突然に細く尖った武器を持ち出したりと卑怯極まりない にせライダーに 苦戦する本物。と、さらに 「正義の味方仮面ライダーは我々が消す!」 とキモ怪人まで登場して、本物の仮面ライダーを苦しめます。「一対二だ!勝負はオレたちのものだ!」 と 少し強気なふたりのショッカー。緑のキモい液体をビュッと吹き出すキモ。ゴツゴツとした岩場に追い詰められる第1号。土壇場のライダーキックも、にせのライダーキックをぶつけられ、かなりヤバミな状況です。岩に荒波が ザザーンとぶつかる中、絶体絶命のピンチな第1号!時間の都合で 次回につづく。
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友あり、遠方へ去る また寂しからずや Always On My Mind
個性満開の1970年代
授業にかける時間が足りず、卒業に5年を要した。 同期の連中は要領よく4年で卒業して行ったので、友のいない5年生はキャンパスに行くことも少なくなり、本業の陸送屋以外にも様々なアルバイトに明け暮れて日々は過ぎていった。 横浜の大学であるが仲間は殆どが地方出身で工学部系、ほぼ全員が製造業や建設業に就職してそれぞれの地元に帰った。 同じ文科系で一人、地元鹿児島の銀行に就職した男がいる。 あいつが?銀行マン?金を貸す? 噓だろ。いやぁ、さすが西郷どんの国は懐が深い。 その後の便りから、宴会マンとして活躍している由を知り、なるほど、お堅い金融界でも、いや、だからこそ、大学時代に鍛えたそっちの能力が生きるのだと大いに納得した。 横浜ではオイルショック直前の好景気のなか、多彩なバイトが存在した。
☆分譲マンションの先着順購入行列代行 寒風の中、物件前で購入予定者に代わって徹夜で並び、申し込み券をゲットする。 ひたすら寒いが行列を離れられない、意外に過酷な仕事。 ◎アイスクリーム配達屋 担当する何10軒かの町のお菓子屋さんを保冷車で巡回して、店の冷凍ケースに自分の判断で勝手に商品を詰める。 少な過ぎず、多過ぎず、店主のクレームが出ないように品種を決めつつ稼ぐのが難しい。アイスクリーム食べ放題の美味しい仕事。 ★中古自動車の近距離配送ドライバー 東京に住む退役米���の自宅から、東神奈川にあったノースピアという軍用埠頭まで、深夜の国道をナンバープレートの無い元タクシー車両を走らせて届ける。 米軍の輸送船に載せてベトナムあたりに送るらしく、日本の法規を全く無視したブラックな仕事。 △医薬品等配達業 薬を載せたバンで開業医を回り、営業員から指示された薬を医院の冷蔵後に詰めて回る。 時に中身不明の封筒や、外国の写真雑誌なども一緒に冷蔵庫に詰める、妙な仕事。 ▽業務用厨房機器運送業 トラック運転手と2人で、業務用回転窯を荷台から降ろして厨房に搬入する。 長さ3メートル、重量1トンを超える物を、木の梃子とコロだけでどうやって運べたのか思い出せない、不思議な力仕事。
そういえば、下級生に「合否連絡電報屋」を自営している男がいた。 大学入試の日、キャンパスで地方からの受験生を捕まえて、合否の電報連絡を売り込む。合格発表を代わりに確認して即座に電報で知らせるという有料前払いのサービスだ。 金持ちの子息が受験する優良大学を選んで出張るらしく、バイトの手下まで使って手広く商売していた。実際には時間と経費削減のために電話で合否連絡していたらしく、 「はーい、こんにちは連絡屋です、サクラサク」 ガチャッ。 よくも考えつくもんだ。
こうして1年は過ぎ、無事卒業して外資系の事務機器会社に就職した。 その会社は入社試験に筆記が無くクレペリン検査という心理検査のみ。代わりに面接がグループと個人の計2回。目黒のホテルで最終合宿選考という変わり種だった。 1泊2日の合宿で与えられた課題は、同族経営で傾いた会社を新しい役員陣で再建するというもので、4人ずつのグループに分けられ、営業部長だの経理部長の役割で再建案をロールプレイさせられた。 どのグループのプレゼンも失笑と爆笑の渦で、そりゃあ大学生には無理な課題というものでしょ。 ほぼ徹夜でプレゼン準備するために割り当てられた部屋の冷蔵庫には、何故か酒類がぎっしり詰まっている。 4人で、はたと考えた。これ飲んでいいのか。 ジャンケンに負けた僕が試験官の部屋に聞きに行く。 来たか、という顔でニヤリと笑った試験官が言う、 『自腹だぞ』 後で考えると、これも試験の一環だったと思われる。 同期入社の仲間には元スクールメイツの歌手、応援団部長、工場団地で賞味期限すれすれの格安パンを巡回販売して稼いでいた学生起業家、忘年会のたびにエルビス・プレスリーの格好で人力車に乗って会場に現れるロックンローラー男(当時、勤務地が東銀座・歌舞伎座の裏にあった)など、本当に新卒採用かと疑いたい連中ばかり。 配属された営業部で顧客だった某農��の宴会座敷に呼ばれ、パンツ1枚で柱によじ登り、「雨のフル(降る)キーよりもテンキー(天気)のほうが良い! ミーンミン Me 」とやって、自社のテンキー鍵盤型事務機器を受注したという豪傑セミ男もいた。 あの面接は個性的な学生を抽出するのが目的だったとしか思えない。ユニークなイタリア系の会社だった。 その後、僕は同様に外資の米国系IT企業に転職した。外資系に共通する特有の合理主義や個人主義は結構居心地の良いものだが、カタカナ社名を覚えられない母親には全く不評で、 『 ああ、いやだ嫌だ。また何でそんな会社へ、FBIだなんてさ。』 「 ん? イヤイヤ、おふくろ、そうじゃなくて、似てるけど、」
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📛 1465 「仮面ライダー」 #92, 93。
いつかの今週も 「仮面ライダー」 のお時間がやって参りました。今回は 「兇悪!にせ仮面ライダー (第92話)」 というお話です。「飛び降りろ!飛び降りるんだ!」 と先週のつづきから始めたムカデなタイガーと崖の上から 真っ逆さまに落ちてDesireした仮面ライダー第1号。"はたして仮面ライダーは無事なのであらうか!" と 中江真司さんが熱くナレーションを語る中 「貴様らゲルショッカー改造人間のテスト用なのだ!」 と、先週に引き続き キモい怪人が ゲルダムの元一味なのか さうでないのかは よく分かりませんけれど、怯えたふたりに何か言ってキモい液体を浴びせかけます。「おれの性能は完全だ!」 と 見た目は不完全なキモハチ怪人。とそこへ 黄色いマフラーを巻いた怪しげな仮面ライダーの姿が背後から現れ、突然に ライダーキックをキモ怪人に浴びせます。揉み合うふたりの怪人。なんてところに 「これまでだ!ふたりとも!実験を終了する!」 と、どこで見ていたのでせうか ブラック将軍がふたりに けんかをやめて〜 ふたりをとめて〜 します。争うのを止め、がっちりと握手をするふたりの怪人たち。「首領!ショッカーライダーはいつでも出撃できます!」 と その不自然な “ショッカーライダー” なる 仮面ライダーのポンコツ版 (マフラーの色が異なるのが特徴) を納谷悟朗さん似の首領に紹介するブラック将軍。「グループを破壊するのだ!」 と、世界的には マイナーなワルの団体 ショッカーを捻り潰さうと頑張っている マイナーな団体 “アンチショッカー同盟” をやっちまいなと命ずる首領。そんなところに ショッカー大型コンピューターが 「緊急事態発生!アンチショッカー同盟が首領の正体を見つけちゃいました!」 なんて感じの報告を入れて来ます。「ショッカーライダーを出動させます!」 と、アンチショッカー同盟の居場所に 何か心当たりがあるのでせうか、ブラック将軍。そんなころ、前回の終わりに乗り捨てられたままのサイクロンは おやっさんが無事に持ち帰り、少年仮面ライダー隊本部の下で修理をしています。暗い表情のおやっさん。「仮面ライダーは必ず帰って来る!」 と言いつつ 一週間帰って来ていない仮面ライダーの代わりに 次週から "仮面ライダー藤兵衛" を始める気かもしれない おやっさんは 修理を終えたのか、タケヤマ埠頭という場で サングラスをかけながら誰かを待っています。とそこへ 「立花藤兵衛さんですね?」 と全身黒い格好をした女性がいきなり現れてナイフを岩に投げつけます。苦しみ倒れるゲルダムの戦闘員。見張られていたグラサン姿な おやっさんは ゲルダムの手下では無ささうな その女性から自己紹介を受けます。「アンチショッカー同盟?」 とおやっさん。世界中に支部があるらしいアンチショッカー同盟は 脳をいじられる前まで改造手術を施されたり、パイセンを庇って 改造人間に改造させられたりといった そんな危険な真似はせず、密かにレジスタンスな活動をされているさうで、そんな中で アンチショッカー同盟が持つ アンチショッカーコンピューターが ゲルダムの銭形こと ゲルショッカー首領の正体を掴んだとのことで、その掴んだデータを 仮面ライダーに運んで貰いたいとおやっさんに頼みます。「仮面ライダーに?」 と おやっさん。とあるホテルの406号室で待つと黒い女性。とりあえず仮面ライダーが出払っています (行方不明) から、とりあえず 滝和也に仮面ライダーのお面でも被せて運ばせるかと、少年仮面ライダー隊本部に戻った おやっさんに 「おやっさん!そんなこと言ったって仮面ライダーは生死が不明なんですよ」 と こんなときに限って真面なことを言う滝和也。けれども 「よし、オレが行く!当たって砕けろだ!」 と当たって砕けさうな和也。なんてところへ いきなり怪しげなライダーが現れます。「詳しいことは後で聞く」 と怪しげな仮面ライダーに、ツメキザキの灯台の下で アンチと待ち合わせと口が滑る、怪しげなライダーを怪しいと思わない、やっぱりポンコツ隊長な滝和也。そんなポンコ和也は 瞬時に ツメキザキ灯台に到着し、アンチコンピューターのテープなる物を受け取ります。「この中にゲルショッカーの首領の正体が!」 と震える和也は、テープの入ったアタッシュケースを片手に、どこからともなく襲いかかって来た戦闘員と揉み合いながらお知らせに入ります。お知らせが明け “ホテルまさき” の入口で待つ女性の姿が。「遅いわ」 と その女性は ポン太郎和也のテープを今か今かと待ち侘びています。と、そこへ頼んでもいないのに 緑の煙とともに現るるは キモ怪人。「ゲルショッカーを敵に回す愚か者めが!」 とキモ怪人ハエトリバチ。とりあえず、ポン吉和也が現れさうにもないので 逃げ出す女性。それを追うキモ怪人。と、そこへ いきなり現るるは この番組の主役本郷猛!「本郷猛!そうか いきていたのか貴様!」 とキモ怪人。「ゲルショッカーがいる限り、俺はしなん!」 と猛。海をバックに 「ライダー 変身!とぅっ!」 と早速変身をキメる猛に ショッカーライダーがどうのこうのと教えてくれるキモトリバチ。「ショッカーライダー?そいつはどこにいるんだ!貴様との勝負は預ける!」 と言い、先程の女性を救出に行く第1号は そのアンチ女性からテープのありかを尋ねられます。「送られたデータ?」 と、話について行けていない第1号。「そうか、受け取りに行ったのは わたしにそっくりのショッカーライダー!」 と 少し話が飲み込めた第1号は テープを取り戻して見せる!と女性に誓います。と、そのころ、噂のショッカーライダーは 「これさえ処理すれば」 と、まんまと奪ったアンチコンピューターなテープを破壊しやうとします。慌てて止めに入った和也をチョップで倒し、逃げるおやっさんをぶん投げる にせライダー。アンチな機密を えいやっと海に向けて投げ捨てて 作戦成功!と思ったのも束の間、それを空中で ガシッとキャッチする タイミングと運動神経の良さが抜群な第1号は、にせ第1号と浜辺で互角な殴り合いをしたあと、浜辺や舗装されていない道路でサイクロン同士で走りを競ったり、飛び跳ねたりと 何の勝負をし合っているのかわからなかったりしますけれど、公道で速さを競い合います。改造車で危険運転ですから それなりに罪深いです。そんなこんなで 海沿いに舞い戻ったふたりはサイクロンを降りて またまた浜辺で殴り合います。ブーツの爪先から凶器を飛び出させたり、突然に細く尖った武器を持ち出したりと卑怯極まりない にせライダーに 苦戦する本物。と、さらに 「正義の味方仮面ライダーは我々が消す!」 とキモ怪人まで登場して、本物の仮面ライダーを苦しめます。「一対二だ!勝負はオレたちのものだ!」 と 少し強気なふたりのショッカー。緑のキモい液体をビュッと吹き出すキモ。ゴツゴツとした岩場に追い詰められる第1号。土壇場のライダーキックも、にせのライダーキックをぶつけられ、かなりヤバミな状況です。岩に荒波が ザザーンとぶつかる中、絶体絶命のピンチな第1号!時間の都合で 次回につづく。
つづいて
今週も 「仮面ライダー」 のお時間がやって参りました。今回は 「8人の仮面ライダー (第93話)」 というお話です。空中でショッカーライダーなるにせライダーとライダーキックをぶつけ合った仮面ライダー第1号は ハエトリバチの前に絶体絶命のピンチだったりします。「しね!仮面ライダー!」 とハエトリバチ。そんなキモ怪人は 誤って第1号とともに海に落ちてしまいます。「アハハハハハハ、仮面ライダーは ハエトリバチとともにこの世から消えてしまった アハハハハハハ」 と にせライダー。という訳で この世から消えてしまった主役と 活躍をほとんど見せないまま退場してしまったハエトリ。「もうこんなものに用はない」 と前回奪った アンチコンピューターテープを海に向けて えいやって投げ捨てやうとする にせライダー。と、そんなところへ 「ショッカーライダー!捨てるのはまだ早いぞ!」 と、おかしなエイの化け物が投げたそれを上手にキャッチします。「殺人音波のテープが入っている!」 と、偽物のテープと本物をすり替える小癪なエイ。そんなところに 駆けつけた おやっさんと和也。「一芝居打つぞ、いいな!」 と、何処からどう見てもエイには見えないエイ怪人と小芝居を始める にせライダー。「滝!これを頼む!」 と、アンチテープの入ったアタッシュケースをブンっと投げた にせライダーは エイ怪人と戯れます。エイを蹴散らし 「怪人は片付けました」 と、おやっさんに報告をする にせライダー。と、そこへ数人の戦闘員が現れ、にせライダーに襲い掛かります。「それをアンチショッカー同盟に届けるんだ!」 と おやっさんらに小芝居を見せながら戦闘員と戯れ合う にせライダー。すり替わった “それ” を何も知らずにお持ち帰りするおやっさんたち。「危なかったな ショッカーライダー、もう少しでバレるところだった!」 と ヒヤヒヤしたエイ。「オレが仮面ライダーとして悪の限りを尽くしてやる!」 と、悪の限りとはどんな物なのかちょっと気になることをいう、ワルなにせライダー。そんなころ 「早速我々のコンピューターにかけてみませう」 と、受け取ったアンチなコンピューターのおかしな形をしたテープを再生する (互換性のある再生機器をモチのロンでお持ちな) ゲルダムのアジトで “先週のカプセル” を解析するブラック将軍。するとゲルダムよりも上手な人物がどうのこうのするとのことで厄介事が増えます。 「アンチショッカー同盟の全滅作戦は中止させろ!まず本物のテープを奪え!」 と、それを聞いていたのか 作戦を変更させる銭形警部声似な首領。そんなころ、正義のほうのアジト、アンチ同盟のアジトでは すり替えられた テープを再生しやうとしています。そんなところに 「スイッチを入れると爆発するぞ!」 と そこにいた面々をキャーッ!と避難させた ワルなにせライダーは、しめしめとテープをセットして巨大なコンピューターを爆破させます。「ライダー!」 と外に避難したおやっさんら。「わたしは無事だ!」 と にせライダー。「本物のテープはどこなんだ!」 とおやっさん。とそこへ 「本物のテープはここだ!南米のアンチショッカー同盟が俺を選んだ!」 と、南米にもアンチなショッカー同盟があるということをさらりと教えてくれる さすらいのカメラマンこと 一文字隼人が ウエスタン村のガンマンのやうな出立ちで どこからともなく現れます。「ライダー、いつからそのマフラーを?」 と、その場にいた にせなライダーを怪しむ鋭い隼人。「少しばかり気付くのが遅かったぜ!」 と素性がバレた途端 口もわるくなる にせライダーは その場から逃げ出します。さうはさせるか!と 「とぅっ!」 と 2階から飛び降りて にせライダーと にせサイクロンを追う隼人は 「変身 とうっ!」 と変身をキメ、偽物を追います。よく出来た にせのサイクロンを追う、本物のサイクロン。「逃げても無駄だ!ショッカーライダー!」 と にせサイクロンに飛び移った、元々はショッカーライダーだったショッカー産ライダーが ショッカーライダーを スクリーンプロセス (合成画面) を駆使しながら追い詰めます。「いまごろ少年仮面ライダー隊本部には ショッカーライダー2号が乗り込んでいるんだ!」 と にせライダーにも2号がいるということを仮面ライダー2号に教える にせライダーと、そんなにせライダーのサイクロンに飛び乗った本物のライダーは 1台のバイクに無茶な乗り方をしていたからなのか何なのか、崖から うわっ!と落ちます。そんな崖の下に サイクロン並みの速さで追いつくおやっさんと滝和也は、無傷で済んだ 本物2号とともに 3人で 駆け足をしながらお知らせに向かいます。お知らせが明け 「さあ、君たちにわたしからのお年玉だ」 と、この物語の放送時期がお正月だったことを教えてくれる、白いマフラーを巻いた にせライダーは ポチ袋ではなく、包装紙に包まれた小さめな箱を少年ライダー隊にプレゼントします。「開けてみればわかる」 と にせ2号。「わぁ何だらう!」 と 少年ライダー隊員は パカっと箱を開けて見ます。すると突然に ブファーッと白い煙が吹き出し、現るは 「ゲルショッカーの怪人エイドクガーだ!」 と、エイドクガーという名前らしいエイドクガー。「ショッカーライダーからのお年玉だからだ!」 と ロクデモナイお年玉をプレゼントする ロクデモナイにせライダー2号。「オレ様の毒粉を浴びれば 三日三晩眠り続ける!」 と こどもたちに毒粉を浴びせるエイドク。三日三晩眠り続けてしまうかもしれない毒粉を浴びてしまった 義務教育真っ只中の少年仮面ライダー隊員に危険が及びます。そんなところにフラっと現れて連れ去りを阻止する正義の男 本郷猛 (やっとこ登場)。ゲルダムのコンピューターの解析では 「貴様がいきている確率が90%!」 と にせライダー。いきているんだと分かっていたのにも関わらず探しもしないヌケサクなゲルダムに向けて 「ライダー 変身!」 と変身をキメた第1号は まだ身体が温まっていないやうで 「ナオキ!ミツル!」 と叫ぶも 、彼ら少年ライダー隊員は ゲルダムによって、ゲルダムのライトバンに乗���られてしまいます。にせものライダーの攻撃を受け、高いところから落ちる第1号。着地に失敗して少し痛さうです。「いつもの元気がないな!」 と、いつもの第1号の調子を知っているエイドク。「ハエトリバチと落ちた時に怪我をしたな」 と にせライダー。それでも 「仮面ライダーは不死身だ!」 と強がりを見せる第1号に 「仮面ライダー!俺たちには敵うまい!」 と、単独では負けるかもしれないけれど ふたりして痛めつければ大丈夫とエイドクは 第1号を崖から突き落とします。危し仮面ライダー!。そんなころ、おやっさん家兼少年ライダー隊本部に 一本の電話が入ります。目立つ格好のブラック将軍からです。「人質は5人そっくり頂いた!」 と わざわざ知らせてくれるブラック将軍。「アンチのコンピューターテープと人質を交換だ!」 と 取引してみたいブラック将軍。「ショッカーに対する恨みが込められているテープを渡すわけにはいかない」 と 人質よりも恨みのほうに重きを置いている、ブラック将軍よりもブラックなアンチショッカー同盟。こんなことを続けていては 人質の命も危ないし 放送時間も押し迫ってしまうと 「人質はわたしたちの手で取り戻しませう」 と隼人。「何がアンチショッカー同盟だ!」 と少しキレ気味の おやっさん。「隼人、奴らのところへ乗り込もうぜ!」 と アクション和也。並べて停めていたバイクの先には、ぺちゃくちゃ喋っていないで さっさと行かうぜ!って感じの 本調子ではない本郷猛の姿がそこに有りっ!という訳で、3人のバイクメーンは ゲルダムの指定した場所にブイーンっと向かいます。「約束のテープは持って来たぞ!」 とアンチなテープを預かったのは隼人だけれども 代表してアタッシュケースをチラつかせる猛。「テープが本物かどうか確認してからだ」 と慎重派なブラック将軍。「ではテープの確認をする。滝隊長!前へ進め!」 と 滝和也隊長を指名するブラック将軍は 和也の頭上に飛来したヘリコプターに吊られたロープにアタッシュケースを括り付けろと指示します。ロープの先にアタッシュケースをつける和也。人質を解放せずに何処かへ飛び立たうとするヘリ。「騙したな!」 とロープにガッと飛びつく、無茶なアクションが大好物な滝和也。そんな様をぼんやり眺めていた ふたりの改造人間の前に立ちはだかる 6人のショッカーライダーたち。「ナンバーワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ、シックス」 と点呼を決め込みます。ふたりを取り囲む6人ライダー。そんなコピー版に 「本物の強さを見せてやらうぜ!」 と格好良すぎな台詞を飛ばす隼人。とりあえず ふたりして 「とぅっ」 と崖の上にジャンプ (未だ変身前) を決めて、見晴らしの良さげな高場から 「ライダー 変身っ!とぅっ!」 と仮面ライダーに変身をキメ込みます。高い場所は危ないので にせライダーのほうに移動するダブルライダー。そんな彼らを取り囲んだ 6人のにせライダーは、ぐるぐるぐるんと回りに回り、ダブルライダーをバターにでも変える気なのかどうなのか回り続けながら次週に続きます。ちなみに アクション和也は宙に浮いたままでヤバミです。
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開箱評比!推薦十大行動電源人氣排行榜
來源、作者:mybest
出門在外,總是會害怕智慧型手機或3C商品電力耗盡,所以不少人會隨身攜帶行動電源來應急。只是目前市面上有許多種類的行動電源,除了價格、容量、體積大小都有不同之處以外,還有標榜快充或是可以同時為2個以上裝置充電的商品,實在很難抉擇到底要購買什麼樣的款式。
這次將針對如何挑選行動電源說明其��節及訣竅,並且會以「充電速度」、「實際容量」及「使用便利性」等項目,實際測試市面上的多款商品,最後評比出10款品質佳、功能性也強大的款式,有興趣的話不妨參考這些項目,找到最適合自身需求的物件吧!
選擇有「BSMI認證」的商品
https://www.bsmi.gov.tw/wSite/lp?ctNode=8318&CtUnit=2256&mp=1
從2014年5月1日開始,具有電池的商品都需經過台灣經濟部成立的「BSMI標準檢驗局」檢驗合格後,才能合法販售。而檢驗局每年也會進行抽驗,針對 CNS15364(性能標準)、CNS14336-1(電氣安全標準)及 CNS13438(電磁相容標準)等三個項目,測試是否符合規範,確保消費者能持續安心購買。
每項通過認證的商品都會有流水編號,以電子類商品為例,標章下應有「R+5碼數字」之認證編號。標檢局也會每年不定期抽查市售商品,針對「電池溫度」、「額定蓄電量」、「輸入試驗」、「中文標示」等多項商品內容做檢驗,確保商品性能與安全性穩定無虞。因此,選擇有安全標章的商品,便是保障自身權益與安全的第一步。
除了國內的 BSMI 之外,許多國家也都對行動電源有強制性安全規範,如歐盟的 CE、德國的 GS、日本的 PSE、南韓的 KC、北美的 cTUVus 等安全性認證機制,若是想自行購入國外商品記得先了解當地的認證標準喔!
行動電源的選購要點
無論是旅行或出差,行動電源已成為外出時的必需品。下面我們將說明挑選行動電源的幾個重點,希望大家都可以參考這些小細節,挑選到適合自己的商品。
1.依照現有裝置,挑選適合的充電速度
隨著技術進步,大部分智慧型手機都支援快速充電或是大電流的充電方式,所以行動電源也要符合這些規格,才能減少充電的等待時間。一般來說,不管是行動電源或是手機,標註的電流量(安培數/A)越大,充電速度就越快,至於平板電腦則是至少都需要2A 的大電流才有辦法充電,因此為了讓行動電源能廣泛的應用在多個設備上,建議選擇傳輸流量2A 以上的款式。
另外還有其他快速充電的方案,像是「USB PD」不只能夠幫智慧型手機充電,最高100W 的功率也能提供給筆記型電腦充電使用。「QuickCharge」(QC)則是高通訂定出來的標準規範,利用大電流及電壓的供給讓充電速度加快。這些規格都需要行動電源跟裝置同時支援才能運作,所以在購買前請務必確認自家裝置的充電規格,免得花費冤枉錢。
2.有多個連接埠的商品,請務必注意總輸出電流大小
除了智慧型手機之外,出門在外有時會同時為多個3C裝置進行充電,因此許多行動電源都會配置2個以上的 USB 連接埠來讓複數裝置可以同時充電。這類商品又可依充電的機制分為兩類,一種是每個連接埠都有固定的最大流量,各自獨立不影響;而另一種是合計輸出電流有最高限制,由連接埠的多寡決定單一接頭的流量。
其中最需特別注意合計輸出電流受到限制的款式。舉例來說,一個有兩個連接埠的行動電源的合計最大輸出電流為3.5A,那麼在兩個連接埠同時使用時,單一連接埠的電流量便會減為1.75A。簡單來說,合計最大電流受限的商品,同時使用的連接埠越多充電效率越低。尤其是經常同時為多個用品充電的讀者們,挑選商品時務必多留意傳輸電流量的規格。
3.依照用途選擇適合的容量
行動電源的容量越高,體積自然也越大,為了兼顧攜帶方便以及充電效能,請依照自身的用途來挑選容量會比較好喔。
需要注意的是,一般行動電源的規格上可能會有標示電池容量以及額定容量兩種不同的數值。由於在能量轉換過程中會有耗損,額定容量會比較貼近實際充電時的感受,所以在購買的時候請務必確認額定容量,而非標示上的電池容量。
「5000mA」,適合使用頻率低、每日充電需求少於2次者
若想將一般市售的智慧型手機從沒電充到電量全滿,5000mA 的容量就已經非常足夠。如果只有1支智慧型手機,而且出門時間只有1天,既不玩手遊、也很少看影片,建議可以選擇額定容量「5,000mA」左右的行動電源即可。這類商品體積比較輕巧好攜帶,適合萬一身邊手機沒電時應急使用。
「10,000mA」以上,適合經常收發電子郵件、查看社交app者
若將10,000mA 的行動電源的充電能力用實例表示,那麼便是可充飽 iPhone8 3.5���、iPhoneX 則可充飽2.5次。如果出門在外需要常常確認簡訊或是電子郵件,造成手機耗電比較快,以及大概1天需要充1次電的使用者,那麼就適合選擇10,000mA 容量的商品。
「20,000mA」以上,適合常視聽影片音樂、玩遊戲者
對手機重度使用者來說,可能在閒暇時都會利用手機玩遊戲、聽音樂或觀看影片,在外地旅遊時手機的地圖導航也是一個非常便利的工具。20,000mA 的容量約可將 iPhone8 充飽電7次,iPhoneX 則可充飽4.5次;適合經常用平板或手機看影片、聽音樂、以及玩手遊的讀者們。
此外,如果出國旅行,飛機上也有嚴格限制攜帶行動電源的功率跟數量,帶上一個比較大容量的商品,也會比攜帶好幾個小容量的款式還要更加方便。
4.其他影響實用性的設計和功能
如果需要頻繁使用行動電源,一定希望挑選到一個順手而且方便的商品吧!接下來就要說明一些不管充電或攜帶、收納時都會感到便利的功能或設計,請務必參考看看喔。
150g左右、扁薄外型,適合邊滑手機邊充電
相信有些人會習慣將行動電源貼在手機背面,一邊充電一邊使用吧!如果常常需要攜帶行動電源出門,或是喜歡貼在手機背面,一邊充電一邊確認訊息及玩遊戲的話,建議挑選薄型化,以及重量在150g以下的商品,這樣不管放進包包或是拿在手上都不會有任何負擔,非常方便。
不過要注意的是,行動電源的容量通常跟體積成正比,所以到底要以大容量為主,還是偏向體積輕巧、攜帶方便的商品,就要看個人的需求跟習慣來決定了。
內建電流轉換器充電更便利,適合充電頻率高者
有些行動電源為了方便充電,會將AC插頭直接內建在��體上,不需要再多攜帶一條傳輸線以及變壓器,能有效節省包包的空間。如果是比較粗心大意的使用者,或是很容易忘記攜帶傳輸線或是變壓器的話,選擇這類型商品就可以避免無法充電的窘況了。
充電線一體成形,不怕忘東忘西
即使目前傳輸線非常好買到,但根據智慧型手機以及3C裝置的型號不同,還區分成 Lightning、MicroUSB 等不同的連接埠,如果把所有接頭的傳輸線都內建在行動電源的本體上,是不是就更方便了呢?有些商品會內建各種接頭的傳輸線,這樣就不用擔心每次充電還要翻遍包包,就為了找到那條可以使用的傳輸線。
開箱評比23款人氣行動電源
為了縮短大家在尋找行動電源時花費的時間,接下來就要實際測試23款從網路上能夠買到的人氣行動電源,在購入之後針對各種項目進行驗證以確認品質。以下為實際開箱商品列表,此順序無關排名。
・ALPHA LING|W-07 10,000mAh ・Anker|PowerCore 10000 ・Anker|PowerCore Fusion 5000 ・Anker|PowerCore Lite 10000 ・Anker|PowerCore II 10000 ・Anker|PowerCore Speed 10000 QC ・Apple|mophie powerstation 6000 ・Arjan|行動電源 10000 ・BUFFALO|行動電源 6,700mAh ・cheero|阿楞雙輸出行動電源 CHE-097 13,400mAh ・Hmwr|行動電源 20,000mAh ・mahmachino omise|行動電源 10,000mAh ・ISfactory|行動電源 10,000mAh ・POLYBATT|3A-15000 1,0000mAh ・RAVPower|RP-PB043 ・RAVPower|RP-PB060 6,700mAh ・REDHILL|行動電源 10,000mAh ・SELEN|行動電源 10,000mAh ・Silicon-Power廣穎電通|C20QC ・SONY索尼|CP-V5BA 5,000mAh ・Willcom|行動電源 5,000mAh ・大創|行動電源 ・才谷屋|行動電源 8,000mAh
根據選購要點的幾個重點,將開箱評比以下3個項目:
①充電速度 ②實際容量 ③使用便利性
①充電速度
首先要來測試重點之一的充電速度,測量方式是利用5個不同的電流檢測裝置,並連接同一條 Apple 原廠充電線對 iPhone8 進行5次充電測試,並以平均數值為基準。而安培(A)數越高,代表充電的速度越快,則評分等級越高。
【評比結果】ANKER 推出的款式表現均佳,但充電速度差距略大
來自美國的3C周邊品牌 ANKER,每種商品的表現都十分不錯,可能是因為使用同一個技術製造出來的供電晶片,所以都能發揮出水準以上的能力。充電時安培數最大的是「RAVPower|RP-PB060」,達1.64A;最慢則為「SONY索尼|CP-V5BA 5,000mAh」的0.96A,但 SONY 行動電源如果遇到相容的商品,充電速度會相對提升,這部分可能需要斟酌確認。
②實際容量
接下來,測定每個行動電源的「實際容量」。每款行動電源都會有「電池容量」以及「額定容量」兩種數值,檢測時會將行動電源連接上 USB風扇,並持續運作直到電力耗盡,再利用電流表記錄輸出電流大小及時間。而得出的實際容量如果越接近電池容量,代表電源轉換率越高,也就較不浪費電力,則評比等級較高。
【評比結果】有些商品實際容量不到電池的一半,請謹慎選擇
畢竟只要充電就會在電流轉換的過程中有所耗損,因此絕大部分測試出的結果都與額定容量相去不遠,約是電池容量的60%~70%。值得注意的是,有些商品可能因為帶有快速充電,或是晶片設計不良,導致實際容量約只有50%,在挑選時建議盡量避免購買轉換率低的商品,才不會在同樣體積跟容量下,反而無法得到相同的充電電力。
③使用便利性
最後探討行動電源的使用便利性,包括尺寸大小、重量以及充電時的便利程度,例如有多個USB連接埠,或是直接內建傳輸線或插頭,可以直接幫行動電源或裝置充電等,並透過實際使用來感受這些功能是否實用。
【評比結果】帶有插頭或傳輸線的商品超方便
經過實際使用的結果,帶有傳輸線可以直接幫裝置充電,以及行動電源本身帶有插頭的商品最為方便。由於不需再額外攜帶傳輸線及變壓器,外出時不用再擔心沒有將這些小配件放進包包裡,而能有效地減少隨身行李的負擔。
【開箱評比】推薦十大行動電源人氣排行榜
以下挑選出表現較佳的10款商品來介紹,雖然在分數上有一點差距,但其實每個行動電源都有適合的用途以及族群,建議依照不同需求,各自挑選適合的款式會比較好喔!
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10: 行動電源
https://store.sony.com.tw/product/show/8a818bb95f0e5cc7015f13bfebd83026?currentCategoryId=tawKAQustOcAAAFEoC4XxEfK
薄型設計攜帶方便
由知名電器品牌 SONY 推出的這款行動電源,只要在臺灣購買就能受理保固,相對有保障。而令人驚奇的是,其厚度竟然與 iPhone8 一樣薄,如果經常攜帶出門的話,這款商品可說是幾乎不會造成負擔。要注意的是在連接智慧型手機充電時會有挑機的狀況,相容性較差的機種輸出功率約僅有0.96A,因此建議在充電同時不要使用手機為佳。
且額定容量較少,如果是電池比較大的智慧型手機可能無法完全充滿,因此作為輕巧的應急款使用較合適。加上輸出功率比規格表上來得低,充電速度會稍嫌緩慢,是比較可惜的地方。
・電池容量: 5,000mAh ・實際容量: 2,386mAh ・輸出功率: 0.96A ・USB數量: USB×1 ・體積: 67mm×133.5mm×10.3mm ・重量: 133g ・充電速度: 3.0 ・實際容量: 2.0 ・使用方便度: 4.0 ・綜合評價: 3.0
9: 行動電源
https://www.anker.tw/product/anker-powercore-speed-%e8%a1%8c%e5%8b%95%e9%9b%bb%e6%ba%90-10000-mah-%e9%bb%91/
👉點此逛逛 各方面皆在水準之上,平衡性佳
除了充電速度中規中矩,容量也可以至少幫手機充1.5次的電以外,適中的大小也是魅力所在,就算女性也能輕鬆掌握。而磨砂的質感搭配圓形電源鍵的簡單配置,更是帶來舒適的握感。不僅在每個評比項目中都擁有略高於平均水準的表現,還是由美國的知名品牌推出,而相當適合作為初次購買的入門選擇。
雖然實際容量與規格上載明的額定容量有一點差距,但扣除掉能源轉換消耗的話還在可以接受的範圍內,如果能內建多個 USB連接埠的話,在使用便利性上會得到更高的分數。
・電池容量: 10,000mAh ・實際容量: 5,661mAh ・輸出功率: 1.46A ・USB數量: USB×1 ・體積: 92mm×60mm×22mm ・重量: 180g ・充電速度: 4.0 ・實際容量: 3.0 ・使用方便度: 3.0 ・綜合評價: 3.0
8: 行動電源
https://www.silicon-power.com/web/product-Share_C20QC
超大容量,戶外活動不用擔心沒電可用
實際的電池容量高達12,854mAh,跟規格表上的額定容量相去不遠,用比較淺顯的比喻來說,這款行動電源能夠幫各種智慧型手機充電至少4次,甚至 iPad 等尺寸較大的平板電腦,也可至少充電1次,出門只要帶著一顆,就不需要煩惱3C商品的電力問題。同時提供了3個輸出連接埠,其中一個更具備 PD快充,相當適合經常登山、出國等需頻繁充電的使用者。
由於容量非常大,相對來說重量也會增加,攜帶時負重感會有點明顯,雖然與同容量商品相比已經算是十分輕巧,不過如果單純是日常使用的話,挑選其他的小容量款式即綽綽有餘。
・電池容量: 20,000mAh ・實際容量: 12,854mAh ・輸出功率: 1.40A ・USB數量: USB×2、USB Type-C×1 ・體積: 63mm×135.5mm×23.5mm ・重量: 324g ・充電速度: 3.0 ・實際容量: 4.0 ・使用方便度: 3.0 ・綜合評價: 3.0
7: 雙輸出鋁合金行動電源
https://tw.buy.yahoo.com/gdsale/POLYBATT-%E6%97%A5%E6%9C%ACMAXELL%E9%9B%BB%E8%8A%AF-%E9%8B%81%E5%90%88%E9%87%91-8689990.html
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充電速度及容量皆為平均水準,在適中容量之下還內建2個 USB 連接埠,想要同時為多個裝置充電也沒問題,可說是相當有誠意的規格。觸感佳,而鋁合金外殼於視覺上也有加分效果,且在美觀之餘也有效保護了內部的電池不受損傷。加上有高達6種不同顏色可以選擇,每種都帶有獨特的金屬光澤,很適合注重外觀質感的使用者。
尺寸可一手掌握,但唯一的缺點就是重量與同類型商品相比稍嫌重了點,考量到還算不錯的功能性,或許還在可以接受的範圍內。
・電池容量: 10,000mAh ・實際容量: 5,993mAh ・輸出功率: 1.46A ・USB數量: USB×2 ・體積: 62mm×122mm×20mm ・重量: 229g ・充電速度: 4.0 ・實際容量: 4.0 ・使用方便度: 3.0 ・綜合評價: 4.0
6: 阿楞雙輸出行動電源快充版
https://cheero.net/danboard_13400pd/
👉點此逛逛 可用 USB Type-C 充電,方便快速
提供了比平均還要高的實際容量,檢測中至少幫智慧型手機充電了3次以上,且充電速度也極快,在各項性能表現上都十分出色;再加上討喜的 DANBOARD 外觀,很難不讓人喜歡上它。值得一提的是,除了一般的 USB 連接埠以外,連提供行動電源充電的 USB Type-C 連接埠也可以當作輸出孔;加上符合 PD3.0快速充電規範,如果手上裝置支援的話便是絕佳選擇。
不過共用的 USB Type-C 電源輸入孔在幫行動電源充電時較麻煩,如果智慧型手機是同樣的連接埠尚可,若是使用 MicroUSB 連接埠的款式,需要多帶一條傳輸線才行。
・電池容量: 13,400mAh ・實際容量: 8,376mAh ・輸出功率: 1.55A ・USB數量: USB×1 ・體積: 80mm×92mm×23mm ・重量: 約245g ・充電速度: 4.0 ・實際容量: 4.0 ・使用方便度: 3.0 ・綜合評價: 4.0
5: 行動電源插座
https://www.anker.tw/product/anker-powercore-fusion-5000-mah-black/
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其他規格可能不太顯眼,但這款行動電源是少數內建有插頭的款式,只要連接上插座就能直接充電,不需額外攜帶傳輸線及變壓器;同時也能直接當作變壓器使用。透過 Anker PowerIQ 專利技術控制輸入及輸出電流,除了增加了充電效率以外,也不會因過充導致裝置受損。
磨砂外殼帶來舒適且不容易滑手的觸感,加上重量也恰到好處,在使用便利度上的表現接近完美,即使充電速度及容量差強人意,但依然相當推薦給想要追求方便、好用商品的使用者。
・電池容量: 5,000mAh ・實際容量: 2,963mAh ・輸出功率: 1.40A ・USB數量: USB×2 ・體積: 72mm×70mm×31mm ・重量: 189g ・充電速度: 3.0 ・實際容量: 3.0 ・使用方便度: 5.0 ・綜合評價: 4.0
4: 極輕巧行動電源
https://www.ravpower.com.tw/products/handy-6700mah-powerbank-black
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這款行動電源擁有超小、超輕巧的體積與重量,就算放在包包中也不會有任何負擔,連接上智慧型手機等裝置時也不會妨礙到活動;加上充電速度極快,而同時在兩個項目中拿到相當高的分數。實際容量約為電池容量的50%左右,考量到快速充電會造成電源轉換率較為低落的問題,算是兩相權衡下的最佳解答。
對於想要縮短充電時間,並且減輕隨身行李負擔的使用者來說,這款行動電源即使轉換率不盡如人意,但方便性勝���一切,不失為一個應急用的優質選擇。
・電池容量: 6,700mAh ・實際容量: 3103mAh ・輸出功率: 1.64A ・USB數量: USB×1 ・體積: 43mm×92mm×21mm ・重量: 113g ・充電速度: 5.0 ・實際容量: 2.0 ・使用方便度: 5.0 ・綜合評價: 4.0
3: 行動電源
https://www.anker.tw/product/anker-powercore-ii-10000-mah-black/
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將電量指示燈設計在電源鍵的周遭,不僅質感十足且共有八段顯示,跟一般只有4~5個指示燈的款式相比,可更輕鬆地掌握到目前剩餘的電量,抓準時機補充電力。實際容量不僅比標註來得更高,且根據電池容量來看,電源轉換率竟然接近70%,即代表供電晶片的設計極為優良,而能得到超高的充電效率,可說是一絲一毫都不會浪費。
除了電源轉換率高以外,充電速度也在平均數值之上,再加上能夠放在口袋裡的輕巧尺寸,及經過圓角處理的弧邊,整體平衡性極佳,很適合想要最大化電池效率的使用者。
・電池容量: 10,000mAh ・實際容量: 6,927mAh ・輸出功率: 1.55A ・USB數量: USB×1 ・體積: - ・重量: 195g ・充電速度: 4.0 ・實際容量: 5.0 ・使用方便度: 3.0 ・綜合評價: 4.0
2: 行動電源
https://www.anker.tw/product/anker-powercore-speed-%e8%a1%8c%e5%8b%95%e9%9b%bb%e6%ba%90-10000-mah-%e9%bb%91-2/
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專門強化充電效率的這款行動電源,除了在實測中展現了高達1.61A 的輸出功率以外,還支援高通的 QC快速充電規格,而能讓支援的手機款式享受極高的充電速率。由於高功率電源轉換率的效果會較低,實際容量稍遜於標註的額定容量,但整體流失的電力並不多,依然能為手機充電2次左右。
在支援 QC3.0快速充電的同類型商品中,���款的價格可說相當實惠,體積也很適合攜帶,如果手上的智慧型手機有支援 QC 的話,請務必嘗試這款行動電源。
・電池容量: 10,000mAh ・實際容量: 6,106mAh ・輸出功率: 1.61A ・USB數量: USB×1 ・體積: 63mm×100mm×22mm ・重量: 198g ・充電速度: 5.0 ・實際容量: 4.0 ・使用方便度: 3.0 ・綜合評價: 5.0
1: 通用行動電源
https://www.apple.com/tw/shop/product/HM8U2ZM/A/mophie-powerstation-6000-%E9%80%9A%E7%94%A8%E9%9B%BB%E6%B1%A0%E5%85%B7%E5%82%99-lightning-%E9%80%A3%E6%8E%A5%E5%99%A8
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Apple 官方商店推薦的第三方廠商行動電源,由於內建 Lightning 連接埠,只要直接利用 iPhone 隨附的傳輸線就能幫行動電源充電,便利性十足。實測時 iPhone8可充滿約2次,iPhoneX 則約1.5次,可說已相當足夠。且在有限的電池容量下還提供了轉換率約67%的成績,充電速度也在平均值以上,說是款全能的明星商品也不為過。
薄型化設計在充電時可以直接放在智慧型手機後方,不用擔心會佔用太大空間,而且重量僅有156g,具有極佳的使用彈性以及效能;再加上不需要多帶一條線的優點,很適合使用 Apple 系列手機及平板電腦的使用者喔!
・電池容量: 6,000mAh ・實際容量: 4,032mAh ・輸出功率: 1.44A ・USB數量: USB×2 ・體積: 68.6mm×119.4mm×12.7cm ・重量: 156g ・充電速度: 4.0 ・實際容量: 5.0 ・使用方便度: 5.0 ・綜合評價: 5.0
延長行動電源使用壽命的訣竅
既然是電池類的商品,就一定要注意關於充電時的小知識。一般人認為充電電池就是要把電全部放完再���電,才不會有記憶效應,但其實現代鋰電池除了有使用次數造成損耗的問題以外,過度充電跟放電都會造成壽命縮短,所以切記不要充滿電後過了很久才拔掉電源,在使用時也盡量不要等到完全沒電以後再充電,建議每次充電或放電時讓電量維持在20%~80%之間。
另外在太熱或太冷的地方使用電池類商品,都會有電量不如預期,或是容易損壞的狀況發生。一般行動電源適用的溫度大約在5℃~45℃之間,在攜帶或保存的時候要特別注意環境溫度。
攜帶行動電源搭飛機的注意事項
如果需要將行動電源帶上飛機,請務必要遵守各航空業者的規範。首先依照國際民航組織訂定的規範,行動電源不能夠託運,必須存放在個人的攜帶行李上,而且在飛行途中必須要處於關機狀態,不能使用,國內民航局基本是按照這項規範來訂定規則,所以請務必遵守。
另外攜帶的數量以及容量則是依照「Wh」來決定。Wh的算法是電壓(V)×容量(Ah),低於100Wh的行動電源及電池攜帶上是不需要經過申請的,100Wh~160Wh則需要航空公司批准,但如果超過160Wh,就沒有辦法帶上飛機了,另外沒有明確標示的商品也沒辦法過關。在攜帶行動電源上飛機之前,請先參考民航局以及各家航空業者的規範,才不會被海關扣留喔。
總結
看完評比過程及表現優良的10款行動電源,有找到喜歡的商品嗎?只要清楚自己的需求,選擇容量而且體積大小都適中的商品,相信都能得到非常好的使用體驗喔!趕快幫自己添購一個行動電源,出門就不用再擔心手機沒電了。
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《中國音樂詞典》樂律學、古代音樂等分科之補正
《中國音樂詞典》樂律學、古代音樂等分科之補正
1984年出版的《中國音樂詞典》是數十年前的舊書了,此書雖後來又有續編及增訂版,但因為目前尚無完全重新寫作的詞典書的編成,故需參考時仍得參考此書。但因為此書材料以當日所獲不能反應此數年研究的新成績,總是遺憾。而其中於樂律學、古代音樂分枓是由黃翔鵬主編。而此部分是全詞典(含續編及增訂版)裡,因目前新研究成果裡,實已解決當日視為無解的樂史疑難,故看來極需補正,再加上其他亦有新材料或新研究成果者,亦一併補正之。
B
(第7頁)八十四調:
在我國的宮調理論裡,以五音在十二均上旋相為宮,可得六十調,此中國西漢以前的宮調理論而並未實踐過。旋到十二宮,其源出於戰國時陰陽家的按月用律的發明。但,依曾侯乙墓編鐘來看,戰國時期至多只在六律上旋相為宮,此所以有『五聲六律十二管旋相為宮』之說,指在六律(黃鐘、太簇、鈷洗、蕤賓、夷則、無射)上旋相為宮,只旋宮音,十二管是旋六律時旋在含六律及其濁律(低半律)之上之用,故只六調,並未有學界有人依曾侯乙幕編鐘所有正鼓側鼓聲數而附會戰國已有十二律旋相為宮之類的成立。八十四調首先見於文獻,當始於《隋書‧音樂志》內鄭譯的構思,但並未實現,被隋文帝打消。同時也有萬寶常,亦『撰《樂譜》六十四卷,具論八音旋相為宮之法,改弦移柱之變。為八十四調,一百四十四律,變化終於一千八百聲。』但此書只係案頭之作,他死時燒掉而未存世,其法亦不傳。而至唐興,則於大唐雅樂裡成立名為八十四調,但實際上只有六十調,另非屬五正音的變徵上的變徵調以『徵與變徵同用』之法,以徵調架構在變徵位置上,而以『宮與變宮同用』之法,以宮調架構在變宮位置上,故唐朝雅樂實只六十調。而北宋仁宗的〈景祐樂髓新經〉在理論上架構八十四調。而民間則反而有八十四調之說,如所謂南宋末張炎的《詞源》等。故從歷史上看來,八十四調實際上從來沒有實踐過。唐代雅樂六十調已是極限。
(第8頁)八音之樂:
隋代,鄭譯此一雅樂派在樂鐘上七聲之外加上一個“應聲”,即大呂之音,為了要同時演奏他所發明的以黃鐘為宮的正聲音階,及當日太樂以林鐘為宮的正聲音階,加上當日清樂的音階,而“應聲”主要是因為當時雅樂(太樂)以林鐘為宮的正聲音階,有一大呂音,鄭譯要使用八個樂鐘,以便可以演奏他的創造的新雅樂及當日太樂及清樂。
(第25頁)觱篥譜: 按,觱篥有大、小二種,大者九孔,小者六孔如笛簫,為燕樂的定律樂器,其譜如北宋陳晹《樂書》觱篥譜乃工尺之譜,因為有學者認為像是四、一、六、五等數字和觱篥的孔位有關。工尺譜出現後,才有以工尺七字的半字而為俗字譜,即宋人所稱“唐來燕樂半字譜”,如姜白石的《白石道人歌曲》即以俗字譜表示。觱篥為龜茲國樂,一如段安節《樂府雜錄》內所稱,其譜謂之“龜茲樂譜”(唐人段成式《酉陽雜俎》記唐玄宗時事),亦即指觱篥譜。
(第26頁)變徵:
原文內講『借稱音階的第四級』,非是。按,《隋書‧音樂志》裡鄭譯講清樂黃鐘宮,以小呂為變徵。因為,當日天下是以林鐘為宮,而鄭譯以雅樂派崇黃鐘角度,把清樂講成它在鄭譯心中的黃鐘宮時,於是變徵音反而發出了仲呂音。實則,當日清樂是以林鐘為宮,第四級音在黃鐘音上。而鄭譯不是在拿仲呂在借稱音階的第四級,而是講清樂不是發出雅樂應發的變徵音。
C
(第29頁)采詩:
采詩之說,先秦所未有。一如《國語‧周語上》講到『天子聽政,使公卿至於列士獻詩,……』,講只有由貴族獻詩。因為東周春秋孔子時代之前,平民無受教權,都是文盲,不會寫詩,故無法去采到人民所寫的詩,能為文章者只有擁有受教權的貴族,故如《詩經》裡的風、雅、頌全係大小貴族之作。後來漢初《禮記‧王制》所寫的理想政治書的『天子五年一巡狩,命大師陳詩以觀民風』,是漢士大夫理想,非實行過的制度。至於漢朝劉歆偽造先秦有采詩之說,更是封建文人理想藍圖,劉歆偽造此說用來幫忙王莽假造民歌以稱功德之用。
(第52頁)楚調:
原文引《舊唐書‧音樂志》內指三調外又有楚調、側調,而側調生於楚調��於是指楚調的音階結構均不見史籍。此非是。按,今存日本的古琴文字譜唐武后時期轉寫自南朝梁代的丘明傳至王叔明的《碣石調幽蘭》即為楚調。
D
(第75頁)笛律:
以笛的律做為標準的律高。最早見於《宋書‧律曆志》提到西晉初年,御府保存有銅、竹律二十五具,其中二十二具上有尺寸,乃顯示笛律。因漢末天下大亂,京城為墟,不可能有銅律或笛律留下,當係魏時所製。而依當日笛王列和所表示,他們演奏實只有二笛,吾人已有專考其當於東漢的林鐘及南呂,雖名義上為黃鐘、太簇,但因東漢、魏及西晉初都是以林鐘為宮的正聲音階,故此二笛,恰為東漢的黃鐘、太簇之律。兩律之差,一如唐燕樂下徵音階及宋燕樂正聲音階之差。故東漢時,下徵音樂的原始形式的正聲音階的變徵調式(即荀勖笛上三調裡的清角之調,亦即清商曲)已隨著清商曲而出現。
而荀勖新笛律,名為十二隻,實只十一隻,荀勖想用此所謂十二笛吹出『三宮二十一變』,但事實上,此所謂笛上三調,並非此條文內所謂有下徵調(古音階徵調式)及清角調(古音階角調式),實際上,此三調用意,荀勖此一雅樂派要用黃鐘為宮取代東漢、魏以來的以林鐘為宮的正聲音階,而發明了以黃鐘為宮的正聲音階,而且還今它旋十二宮。旋宮的音階,荀勖取名叫『調法』,而稱它『正聲調法』。原先以林鐘為宮的正聲音階,其第四級音的變徵在大呂位置上,要用特殊方法吹出。而東漢以來的雅樂大多不旋宮,而荀勖也要讓它旋宮,於是改進原先的下徵之調為『下徵調法』,故並非原文內誤成古音階的徵調式。而清角之調,則是只能在漢魏及西晉初的比荀勖低一律的蕤賓上,荀勖律當清角(仲呂),為正聲音階的變徵調式,乃下徵音階的原始形態及生出法,不以宮為主,而以商為主,宮為變宮,商即稱為清商,指清於宮半音,故清角之調是荀勖首度在文獻內透露了中國下徵音階是如何出現的,它依附於正聲音階七聲裡的非正音的變徵音,故七聲音階出現於西漢到東漢(按,學者常引《國語》所謂七律當成七音,此幼稚的錯誤始肇於三國的韋昭的誤注,七律和七音無關,已有學者指出,本書亦有專文論及),此時始有用其變徵調式以生出了中國原始的下徵音階於以林鐘為宮的實施期間,故可以知,清商曲或出現應在東漢之時的俗調。而清角之調不能旋宮,故荀勖誇口其十二新笛可達成『三宮二十一變』,實只是呂伯大夢。
(第80頁)調:
『調』除了原文裡所謂“調式”外,其初,如荀勖笛上三調謂“清角之調”的“調”指的是音階,而此音階以第一音為主為宮音,但實質上是正聲音階的變徵調式,即簡譜的#4,5,6,7,1,2,3,以當日以林鐘為宮的天下來看,正好即下徵音階的變宮調式,即簡譜的7,1,2,3,4,5,6,故連今人認為的調式外,尚帶有音階意義在內,此其初義。
以下應增『調法』欄目:
調法者,是西晉初年荀勖所創。所謂『調法』是指可以旋宮的音階,如他創的以黃鐘為宮的正聲音階的雅樂,要旋十二宮,故謂為『正聲調法』。原先當日雅樂以林鐘為宮的正聲音階,本不旋宮,應謂之為“下徵之調”,但荀勖也改為旋十二宮,於是稱呼『下徵調法』,而清角之調是俗調,本生存於以林鐘為宮的正聲音階下,而且以漢魏低荀勖笛律一律而存在。荀勖無法令其旋十二宮,因為民間也不會如此用,故明白定名為“清角之調”,即指不能旋宮,只在一均之上的樂調,亦表示出,他僅管想要三宮二十一變,但民間使用的習慣他也變不了,於是不取名清角調法的旋十二均的名稱,此其原因。也可時看出,他的三宮二十一變,根本就是紙上談兵,沒有實用的可能。
E
(第96頁)二變:
原文除把原意的『變徵、變宮』做為二變的解,又自加自創的閏(清羽)及清角二音,實非中國傳統樂學裡的二變定義,應刪除。
F
G
(第118頁)葛天氏之樂:
此為戰國末年陰陽家偽造出來的合乎『地理以八制』(《管子‧五行》)『八』此一數字的『歌八闕』迷信的古樂,記載於《呂氏春秋》內,被後人誤用來解釋古代的樂舞或戲曲的溯源,皆實非是。見劉有恒〈談先秦末年依陰陽五行偽造的所謂『葛天氏之樂』~天道以九制,地理以八制,人道以六制〉一文。
(第121頁)宮調:
原文敘述,正誤夾雜。其談傳統宮調系統略分四大類: 其中的(1)律—聲系統的宮調理論,其中二十八調(如燕樂二十八調)乃七宮(均)及四聲,非原文所謂四宮(均)及七聲;而三十五調(如蘇祗婆三十五調)乃七宮(均)及五聲,非原文所謂五宮(均)及七聲。其致誤之原因是誤把的分類當成了樂理,而造成今日對燕樂二十八調的論述或多不從專業上做學術澄清,而以昔日樂工的理解燕樂的『旦』或誤會當成樂理的實際。其實作者亦知如楊蔭瀏所云『宮與調的概念在燕樂和民間宮調系統中常有互換的傾向』,而編此詞典,應就樂學之理做學術澄清,但可惜此點沒有做到,反而把分類,如『旦』當成均來看,也未從樂學基礎去矯正。
(第124頁)古音階:
古音階確為最古的音階,因為從生律法而來。後人有因未追根究底,才有古音階不古,新音階不新之說。按,所謂新音階,即下徵音階,亦如西洋樂理裡的大音階,此音階從荀勖笛上三調裡的清角之調即其源,而該調實即正聲音階裡的變徵調式,而以蕤賓為宮,所謂蕤賓之調,但因荀勖的律比東漢魏及西晉初之律高一律,於是看來,似為清角之調,而蕤賓音為宮,林鐘為商,清商者,即取清角之調的商調式,亦即今日所謂下徵音階。而正可看出所謂新音階實寄生於七聲正聲音階的變徵調式上,如中國昔古使用五聲音階之時,新音階必生不出來。故今日或隨意指定宮位,以便造出清角音,然後附會成先秦五聲音階時代或更早的遠古已有新音階,實非中國樂學的真相。而且此一古音階,後世又為新音階的律本的根基。如唐代燕樂以夾鐘為律本,此夾鐘,即古音階的宮音,而唐燕樂以古音階的下徵音的無射音為宮,形成一列新音階,但推其律本,仍以夾鐘此一古音階的宮音為準則,新音階跟本不能獨立生成,亦由唐燕樂的律本得知。
(第127頁)顧堅:
此條係依1960年左右,北京圖書館善本工作室主任趙萬里偽造的崑曲鼻祖魏良輔的〈南詞引正〉裡所據民間真偽相雜的所謂族譜內找出一個人名顧堅當成崑曲鼻祖,以取代魏良輔,並於文裡把崑曲加以虛構的內容,以符合當日要求的人民性的崑曲,以洗脫崑曲係封建階級的愛好物應予取消的風尚,其目的是希圖披上人民性的外衣以保護崑曲不致於當日滅亡為出發點。但一時的偽造却使戲曲史(含崑曲史)自此全盤走入虛構之史,自當趙萬里所始料不及。
H
J
(第184頁)集成曲譜:
按,此條內文多與史實不合,但却冥冥之中為劉富樑伸寃。按,集成曲譜係劉富樑所譜,於此曲譜末收有劉富樑寫作的跋文明白交待。而文中指出王季烈為其助手,幫忙打理劇本。而此條却說是太倉高步雲訂譜。按,王季烈為求名,陷害提拔他參與的劉富樑,於劉訂譜完成後,由王季烈打理出版之事時,只會唱曲而不知譜理及不會譜曲的王季烈找來他友人高步雲改掉劉原譜,並對外號稱是王季烈發現劉譜有不合律之處,由知律的王季烈改正了,於是以搏聲名,但却有意漏掉了表功高步雲,於是於1949年後,高步雲遂張揚此事,說此譜是我所完成之譜,亦相當於把已死的王季烈打臉。而實際上,高步雲更改版的集成曲譜出版品,內中錯誤不少,一如不少俗譜及依俗譜自由改腔的葉堂的《納書楹曲譜》,不可引用來研究崑曲,若拿此譜在論崑曲之聲律,將造成論著與崑曲聲腔之理不合的困境。
(第203頁)九歌:
屈原的九歌,並非原文內所謂『九歌是言其多的意思』,九字是戰國時陰陽家以『九』代表天,九歌代表是天之歌或天樂之意,其出自《管子‧五行》:『天道以九制』的思路。
九招:
同上,《山海經‧大荒西經》言『開上三賓於天,得九辯、九歌以下,……開焉,得始歌九招』。九字亦如上,九招者,上天所賜的天上的韶樂。不是如原文內所謂『韶樂共有九個段落』。九辯也不是原文內所謂『九次變化』,而係指上天的辯(變)樂。
K
(第213頁)崑腔:
崑腔,非明初即有,所謂即有,是受1960年趙萬里依蔣星煜於1957年從明末《涇林續記》此一玄怪小說裡找來一段偽編的明太祖問人瑞崑山腔的小說,據以偽造崑曲鼻祖魏良輔的〈南詞引正〉,而被不考偽照抄之下而說成崑腔始於明初。崑曲之起始於嘉靖年間文人及樂工對於平直無意致的海鹽腔已思改良,而謂為『新聲』者紛起,太倉的魏良輔在清唱上,長州的張鳳翼在清唱及劇曲上,都有表現,但沒有訂腔名。到了崑山的梁辰魚自行研究新聲,以《浣紗記》聞名後,時人把梁辰魚的籍貫的崑山為名,訂腔名為崑山腔。而魏良輔門人不服,依魏良輔的籍貫的太倉的南馬頭而訂魏良輔的腔為『南馬頭曲』,日後梁辰魚門派勢力漸落,魏良輔的後學始棄不夠響亮的『南馬頭曲』之名,而取用崑山腔名。
L
M
N
(第277頁)南詞敘錄:
一個清初的手抄本,有一篇天池道人的自敘文,於是戲曲界一律看成是明代徐渭所著,乏人去考證一下此一手抄本的真實性,直到近年來始被發現非徐渭所著,乃是清初康熙御用學者何焯所著,他不但偽造此書,並且還在此手抄本內託身是注者。雖此書為偽作,尤其假造四大聲腔流播地,不過因為其弟為有名戲曲藏書家,何焯應有參考其弟珍藏的一些南戲資料,故慎辨之下有局部可參性。
(第278頁)南詞引正: 見『顧堅』條,此文為趙萬里偽造,因戲曲學界不像文學界其他學門,如紅樓夢作者是誰就有很多學者投身鑽究,而一向治學態度是凡撿到籃裡就是菜。以往偽文剛出,只有周貽白一直想找所謂顧堅出處,而不肯相信,戲曲學界當時只有此位學者是有先見之明了。
(第280頁)南戲:
南戲之起,非原文所說『當是由溫州地方的民間歌舞,吸收了宋雜劇和其它民間技藝形成………』,其起於北宋末年大晟樂時代,培訓各地樂工,在宣和年間解散時,散落民間,不久金亡北宋,大晟樂人南下,於南宋高宗駐驆之地的溫州停留生存,結合當地文人成立書會,以當地為工商埠,有生存條件,故而大晟樂人以所習大晟府的技能,結合當地土俗小曲及夾雜土話,而形成南戲。故萬曆年間陸延枝的偽書《猥談》裡所說:『南戲起於宣和之後,南渡之際,謂之溫州雜劇』的原因就在於此。
O
P
Q
(第299頁)七音:
按,原文講七音『或稱七律』,大誤,而使中國七聲音階的歷史,被三國韋昭注《國語‧周語上》有關七律時的誤注所誤,未判明那是韋昭自我猜測之七音,和該文內所指的律不相應,所謂七律,必須一對一恰合於七聲音階的七音,始可判明是七聲音階之七音,此點於七律原文裡一點都沒有踪影。而此條文裡再去附會同均三宮的古音階,新音階及實於中國樂學裡不存在的清商音階的對照表,更屬不實。而此一錯誤,起於於讀《宋書‧律曆志》有關笛上三調的笛子指孔時,沒有去注意何承天的注文,以為孔位即吹出的音而造誤,但影響樂學界深遠,和中國樂學實際大有差距。亦見『古音階』條。
(第301頁)起調畢曲:
起調畢曲,是中國及西方傳統旋律,在和聲興起前所謂單音音樂時代,屬樂理上的旋律調性時期的確定樂曲旋律調性的方式,把旋律的主音,在樂曲起頭及或加上結尾時的出現,以確立此一旋律調性的方法。中國只使用畢曲(如燕樂)或起調畢曲(如北宋以來的雅樂),以前無樂譜或文獻可考見。原文說是起於南宋蔡元定《律呂新書》定引宋熹說。實則,《宋史》明白講出北宋神宗年代,有人指出,『圜鐘為宮,用夾鐘均之七聲,以其宮聲為終始,是謂圜鐘為宮,………』明白指出北宋已有主張雅樂的旋律『終始』兩個音,都要是主音,即起調畢曲之說並非始於南宋朱子。到了明代,甚至有只論起調音之說的出現,指明代燕樂的北曲黃鐘宮以六字起調(但畢曲之音則未言之),見於黃佐《樂典》及王驥德《曲律》。不過對於中國樂學旋律調性上的討論,以元代陳敏子《琴律發微》最深入,其書內所論『使主常勝客,不至於侵犯他調』,即使調式曲,彰顯調式音外,對於主音的宮音亦應成為旋律內的重要音。如商調曲,除彰顯商音,亦應彰顯宮音。
(第304頁)腔格:
按,所謂崑曲的南曲腔格,原文所談的各聲的腔格,全係崑曲南曲各腔格內的裝飾腔格部份,其重要的腔格(即第一個音,謂之頭腔)因係依腔填詞,早就由音樂寫作時決定好了。即,一如任何歌曲一樣,第一句第一個音、第二個音………是什麼,由樂曲決定,由於崑曲後來發展成依字聲調腔,放棄原來固定的唱腔,以解決不少不知樂者亂填曲辭造成拗噪唱不出來的困境。故此條內容有誤導後生走上錯誤認知之弊。而裝飾的腔格是配合此曲牌如果在贈板時,所增加的腔,若快板,則顯示頭腔而已。崑曲的北曲,則原文亦把裝飾行進腔拿來講而誤,北曲在崑曲內雖崑曲化,但全部所配旋律一律是腔格,無所謂以裝飾行進腔為腔格,因為依然是依腔填詞,腔在沒有詞之前就寫好了。
(第315頁)清商音階:
按,此係由王光祈在《中國音樂史》裡解釋蔡元定的燕樂見解裡,誤把正聲音階的宮音當成蔡元定認知的燕調的宮音,沒有注意到蔡元定所講的其見解的燕樂的宮音是在雅樂正聲音階的『四變』位置,於是出現了一個奇異的音階,王光祈叫它燕調(其簡譜如1,2,3,4,5,6,b7),後來楊蔭瀏、黃翔鵬等改名叫『俗樂音階』、『燕樂音階』、『清商音階』之屬,而日後大多音樂學者全都照抄,遂造成中國音樂學界最嚴重的學術失誤,把燕樂二十八調的樂調一誤再誤而難解開其謎之故。而後來其災情馴至於同均三宮據此烏有的音階立為三宮之一。而本詞典此條全襲故誤。
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S
(第347頁)沈璟:
本條內容抄今世不知南北曲依腔填詞者的說法,而指他『過份強調格律,使內容和腔調受到限制』,此說係全不合崑曲等南北曲的曲調生成法。南北曲都如宋詞,係依腔填詞。各曲牌的旋律早已完成,由填詞者再據旋律填入他個人認為較佳的字腔配合的字。而一首崑曲曲牌,音樂在那兒好好地,等劇作家填詞了,沒想到如湯顯祖,認為寧可拗折天下人,包括傳播崑曲的藝人的噪子,也要填入不合適的字,如現在有一崑曲曲牌,有三個音,323,中間的2低音,當時每個知樂的人,都知道此處必得填一上聲字,來配合此一低腔。沈璟及其他像王驥德、淩濛初等人所說的就是怎能不填上聲字呢,不然不就拗嗓了。而湯顯祖認為我想如何填,曲意所到,怎能顧到什麼四聲呢等等,等於就是自已不知樂的供狀了。明末沈寵綏還指出崑曲戲班唱崑曲每一曲牌固定唱腔,如果劇本填詞不合該填的字,就會立刻發現而唱的支離破碎。所以當日看來在辯爭裡只有湯某一人是不知樂的,其他人都是知樂的。但今世不知南北曲依腔填詞者顛倒真相,而致於有把沈璟叫格律派的名辭出現。沈璟等人只不過要遵語音的法則配合唱腔,併合於樂工的能適唱以便崑曲的普及才如此要求。
(第349頁)聲腔:
聲腔的形成,絕不是本條內容所說泛泛的什麼『在各地的民間音樂的基礎上,經過長期的孕育、發展、吸收、融合的過程而形成』云云。聲腔的形成,是由傳統社會裡被四民都看不起的賤民的樂工的音樂群所創造的。賤民是民間的人民之外的特有階層,連人民都不恥,但中國古來音樂上重要貢獻的都要靠樂工階層。可以說各聲腔是由一群或一個特定的人物或集團創造的,主要是樂工階層:像諸宮調創自一個孔三傳,金院本創自行院裡地位下賤的樂工,南宋南戲創自大晟樂人南渡,北曲創自關漢卿組成的書會,海鹽腔創自元代楊梓的歌童的樂工們寓於海鹽,其後代樂人發展出來的。弋陽腔形成於當地道教中心的習樂的居家道士們,崑山腔形成於樂工魏良輔及好樂文人如梁辰魚、張鳯翼等人。不是什麼『各地的民間音樂的基礎上,經過長期的孕育、發展、吸收、融合的過程而形成』等語。即如明末以來諸腔並出,也是樂工流走天下,各地形成新聲腔,管控已不嚴密,到了清高宗解放樂工,樂工們自行走天下拼活路,於是以其習藝在各所在地就地創各地方聲腔。聲腔不是形成於泛泛的民間,因為民間,在傳統社會,農村人人務農,早出晚歸,創腔不是其生計,也無此音樂細胞,何況聲腔者,都是要創大量曲牌,人民哼個自編小調或少數人還行,要編整套曲牌的音樂又怎能夠,故術業有專攻,能行的就是古來被輕視的賤民的樂工了。
(第349頁)詩經:
詩經,是西周到東周初年的高中下級貴族的作品。當時封建時代,只有貴族有受教育,人民皆文盲。故詩經皆成於貴族,反應那時代貴族的心態,及其愛情,及其價值觀的著作,並非本文內容襲誤的『風基本上是北方各地的民歌』。詩經是當日貴族的詩由樂官收集配上音樂,或有取自各地的音樂,而成書。而十五國風的詩不一定是那個國家的貴族所寫,但當時的配樂,則是該國的音樂,如是而已。故,風也者,是指音樂,和詩文不一定有關。
(第378頁)俗樂:
其中講蔡元定燕樂書裡俗樂七聲高下,『亦非燕樂所用的一切音階,實指清商音階』,乃大誤。清商音階不存於傳統中國古代,是王光祈誤讀蔡元定燕樂書搞錯了音階的宮音,實際上蔡元定指燕樂是下徵音階。但他不知唐宋燕樂有別,唐為下徵音階,宋為正聲音階,而唐宋的角調都是蘇祗婆樂調(以林鐘為宮的正聲音階)的變宮調式(唐燕樂角調)及角調式(宋燕樂角調)。
俗樂音階:
本條言『即清商音階』,如上論,可知全誤。
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(第386頁)湯顯祖:
一位喜好填詞的文人,文才絕佳,但對於四聲與文字的匹配無法配合,而直以曲意為說,故填詞無法讓藝人唱得出來,故其曲子除了士大夫家班有極好樂人能調和唱出外,一般戲班都以崑曲每曲牌固定唱腔的唱法,大大拗噪而不能唱,故其作品於明代民間少演出,都是封建士大夫家座上戲。而本條內文講湯『反對格律束縛,……在曲律上有突破舊格律之處』,係出自曲界不知南北曲係依腔填詞者之筆。因為,該填某聲字處不填,對南北曲如此,湯顯祖其個人寫詩,為何不『反對格律束縛,……在詩律上有突破舊格律之處』?而且既言某曲牌,如不願照詞格,則不如自創曲牌,但又不為,於是成賣羊頭掛狗肉。如今人唱苿莉花,自由地大改唱腔,又名吾真正在唱苿莉花,不同意的就是不明曲意,��唱到起勁,意之所到,不改不成,成立否?
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(第404頁)魏良輔:
明末沈寵綏就指出,魏良輔並無著作,但其死後,託名其曲律的文字就出現在明末戲曲劇本選集內。而且,1961年,由趙萬里偽造的魏良輔的〈南詞引正〉又問世,被戲曲學界抄在各戲曲論著及出版品內至現在亦不絕。本條內云魏良輔『傳世著作』有曲律、含〈南詞引正〉,一比對沈寵綏之語,即知不合史料。
(第411頁)五旦七調:
按,蘇祗婆言其國樂有五旦,旦作七調,鄭譯言旦作均解。故解釋者是鄭譯,而非蘇祗婆原義。而鄭譯想搞雅樂八十四調,在蘇祗婆樂調裡找依據,他想要搞八十四調裡雅樂有七調式,於是他把蘇祗婆講的七乘五有三十五調裡的七,先擺成調式,剩下的五,擺成是均,於是就可以立主五正音外的變徵及變宮也可以有調式。此其心態,故其釋完全不能相信。但他既言七調式,怎麼調式裡還會有以林鐘當黃鐘,南呂當太簇,應鐘當姑洗,於是蕤賓當應聲的大呂音呢等等,怎會宮調式在以林鐘為宮的宮上。此宮又係何等之宮,在調式上完全不能解釋,可見此分明是以林鐘為宮的正聲音階裡的一均。故所謂旦為均,亦非均,實即調式。故沒有五旦七調,而是七均五調式,從鄭譯文義裡一見即明白。但後之學者,一如本條所言,係依鄭譯偽言當真,而云『五旦七調即五種不同調高(旦)上,各按七聲音階構成五種調式』。並又引二手文獻《遼史‧樂志》的錯誤的四旦二十八調之說,以坐實,實則《遼史‧樂志》就是以鄭譯偽言再自我解釋而誤成一氣,不是五旦七調的輔助證明。不過條文末又講『燕樂二十八調涉及的旦與調的解釋問題,迄今尚無定論』,尚持平。
(第414頁)務頭:
務頭之說,是指音樂,不是指四聲,指在此曲牌裡,此處的音樂最高潮處,故元周德清指出,於此處可施俊語於其上,因為音樂於此處是高潮,故如果填詞更精彩,則雙美。而王驥德《曲律》講曲牌的旋律『遇揭高其音,而宛轉其調,如俗之所謂作腔處,每調或一句,或二三句,每句或一字,或二三字,即務頭』,理亦相似。『遇揭高其音,而宛轉其調,如俗之所謂作腔處』即是指曲牌於高潮處,此處則『係是調中最緊要句字』,一如周德清的論北曲,相同的施俊語的觀念,不料此條內文却誤解文意,而言王驥德是『緊要句字作腔』,王驥德是講崑曲依腔填詞,於音樂高潮處填以俊言,本條的作者却講成依字聲行腔,完全不曉南北曲依腔填詞。
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(第436頁)新音階:
如『古音階』條,新音階是架構在古音階的七聲音階上,當先秦尚未有七聲音階時,不會產生新音階,因為,新音階的正音階,乃正聲音階的變徵調式,取其商調式,即如#4,5,6,7,1,2,3→5,6,7,1,2,3,,#4,於是就等於是新音階了。故所謂新音階,是漢代七聲正聲音階成立後才出現的清商曲,即為新音階,因為,所謂清商,即以商音為調式,即如上所述的5,6,7,1,2,3,,#4,於是相當於新音階的1,2,3,4,5,6,7。像本文舉偽說的『新石器晚期的陶塤中已有清角音出現;春秋年間的編鐘上,已有完整的七聲新音階,曾侯乙鐘銘已在戰國初期標明了七聲新音階各個音級的名稱。』但是,新石器晚期連黃鐘都未定,如何知會有清角音。春秋編鐘在大量裡挑出七個可排成新音階的鐘,然後說已有七聲新音階。而曾侯乙鐘,亦如此,於眾多音級的鐘裡,挑出七個可排成七聲新音階的鐘來講,合乎學術規範否,但鐘銘亦有變徵,為何不舉變徵音,說曾侯乙鐘是七聲正聲音階,此皆不務實。其實,如由文獻裡,從《宋書‧律曆志》裡的論清角之調(即清商曲的樂調)的七音及其宮音在蕤賓,即明白知道新音階是古音階的一個調式。故知,為何雅樂只用五正音,因為二變之音乃屬俗樂使用,於清角之調知新音階使用的是正聲音階的變徵調式的商調式。其前的古樂器,不論骨哨也好,或編鐘也好,就算測到清角音(?),或看到有相當於清角的律名,也不表示此為音階的正音,況且明明白白曾侯乙鐘就只刻有五音宮、商、角、徵、羽,擺明它是使用五聲音階的,其它若使用到,是當成變化音或和聲音或是改宮時使用,因為,以其標示六律體系,至多旋宮六律,而此六律就是先秦所謂黃鐘、太簇、姑洗、蕤賓、夷則、無射此六律。此條文指新音階之名不見於史籍的說法亦非,清商曲的樂調就是新音階,並別無什麼今天所誤稱的清商音階,因為清商音階即新音階,新音階即用在清商曲。
(第440頁)徐渭:
本條誤把偽書《南詞敘錄》當成其著作,應刪之,見『南詞敘錄』條補正。
Y
(第448頁)燕樂二十八調:
本條裡算是持平,對各種解釋陳述而未下斷言。不過,今日唐宋燕樂二十八調真相己明。燕樂,係由西域傳入,始則蘇祗婆此一龜茲樂人入北周,與鄭譯談及其國之樂調,鄭譯認為乃五旦七調計三十五調,實非是,乃七均五調式。因為係五調式,於是其生滅轉變一查史料,一目了然。蘇祗婆樂調入北周,是架構在北周當日以林鐘為宮的正聲音階上,但北周只用一均,燕樂却使用七均,北周只用宮調曲,但燕樂使用宮、商、角、徵、羽五調式,到了隋初,《隋書‧音樂志》提到燕樂只剩宮、角、徵、羽調式,而商調式已不出現在文獻裡,己亡於北周,或根本於入北周使用北周以林鐘為宮的正聲音階時,無法演出,而淘汰了。到了隋開國的文帝,只喜黃鐘,於是廢北周以林鐘為宮,改以黃鐘為宮,而此時燕樂也廢了以林鐘為宮,向清樂看齊,改成下徵音階,一改之下,成為以太簇為宮的下徵音階,轉換之中,失去了角調,而先前因為蘇祗婆的商調滅亡,而轉不成徵調,故燕樂徵調先亡,而角調後亡。到了唐代,初期維持燕樂以太簇為宮的下徵音階,但替燕樂造出角調,其採用的方法,是用大唐雅樂的生成變徵調及變宮調的方法,『徵與變徵同用』及『宮與變宮同用』,借商調移於角調位置而代替了角調,此所謂『商角同用』謂唐燕樂角調的生調法,在此生調法之下,唐代燕樂角調的結聲在變徵上,但音階實為以林鐘為宮的正聲音階的變宮調式,即蘇祗婆樂調的變宮調式。到了天寶十三年,與法部道調等合奏之下,改依法曲的以無射為宮的下徵音階,此時只有十四調,而未有二十八調,故此時傳於日本亦只十三四調,至晚唐始完成燕樂二十八調的架構。 到了宋代,改為正聲音階,其方法是利用管樂工尺特性,把燕樂工尺上升一工尺,並把宋律黃鐘訂為工尺的合字,而唐律則以黃鐘訂為工尺之上字,一轉換之下,唐燕樂下徵音階就轉成宋燕樂的正聲音階的無縫接軌。但唐燕樂角調亦原封不動移往宋燕樂,此時因唐宋工尺及黃鐘位置不同,於是相當於成了蘇祗婆樂調的角調式,結聲在宋燕樂的變宮音上,好像宋代角調成了變宮調,實非是,因為尚有大呂聲,此沈括所謂角調多一聲,即多出大呂聲,此蘇祗婆樂調的以林鐘為宮的正聲音階的特性。如此一看,即知蔡元定燕樂書只猜對唐代燕樂是下徵音階而已,其它內容全是宋燕樂內容,而且還有錯誤。 而唐代燕樂以夾鐘為律本,因為下徵音階生律還原自正聲音階而來,正聲音階的律本即下徵音階的律本,但下徵音階是以下徵為宮音,故唐燕樂以夾鐘為律本,其下徵音階的宮音在無射,即唐工尺的下一位置。而宋燕樂以大呂為律本,但宋燕樂為正聲音階,故宋燕樂以大呂為宮,即宋工尺的下四位置。故唐宋燕樂全都是七均四調式,非所謂唐燕樂係四宮七調,宋燕樂係七宮四調如本條所云。
(第458頁)依字行腔:
並非一如本條所云係戲曲音樂行腔基本規律,因為中國傳統歌樂都以依腔填詞為主,因為音樂是賤民的樂工的生計,為人民瞧不起而不是四民——士農工商之列。樂工有作曲之材,但沒有很好的文才,於是音樂寫成,由文人填詞,此為中國詞曲的生成法則,即依腔填詞,樂府相和、清商三調,到使用燕樂的宋詞、元曲皆為依腔填詞,甚而南戲到南曲各聲腔亦如此,史料不乏例子可舉。並無依字行腔成立在古代中國,甚至明代朱載壻恥笑依字行腔說者為不知樂的文人。但不知樂文人才因為不會作曲而夢想去從字得腔之法,但實際上却造成其唱腔如同吟詩或喪家吊文般地不成一首樂曲。但此說於今尤烈,像本條也是充份反應成為把朱載壻早已痛斥的偽說傳之不熄的推手的一例。
(第460頁)宜黃腔:
本條推論到明代,說湯顯祖時已有宜黃腔,按湯顯祖文字裡明言譚綸好海鹽腔,返宜黃後,其伶人皆習海鹽腔,為宜黃當地行海鹽腔之史料出自湯顯祖。但後人硬為湯填詞不合律開脫,說它是從宜黃腔之律。此條文雖未明講此點,但言其『日久與土語鄉音融合,具有地方色彩』,可以如是說,但本質仍是海鹽依腔填詞之腔。
(第461頁)弋陽腔:
此條誤從趙萬里偽造的〈南詞引正〉,以為弋陽腔於嘉靖年間流行到雲南貴州,無有也。明末天啓年間任官雲南���謝肇淛於《滇略》裡寫到他為官時,雲南只有小戲,沒有什麼可看的戲,即知到明末雲南尚無弋陽腔,亦知此又為〈南詞引正〉乃不實偽造之文之一證。
Z[1]
[1] 後按:此詞典於2016年又出版增訂版,但本文所談及的錯誤皆未改正,故本文所評一體適用於增訂版。
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山姥切探偵事務所
※いつものノリ※ちょぎくに※現パロです※いつも通り人を選ぶかもしれない 探偵事務所、と書かれている看板がある雑居ビルの目の前に安定は立っていた。うろうろと、しばらくの間、どうしようかと悩んでいる。やっぱり引き返そうと思ったところで、脳裏に親友が「安定は優柔不断だなあ」と悪気なく
(なのにどこか意地悪そうに)笑うの姿が過ぎる。想像上の親友の姿なのに、なんだか少しむっとして、負けず嫌いが働き、意を決して雑居ビルの脇にある階段で2階まで上がった。 というわけで、山姥切探偵事務所の門戸を叩いた安定は、中に入ってすぐに気がついた金髪の青年の姿を見て驚く。
まだ学生服を身にまとっていて、これがコスプレでなければ彼は学生だからだった。金髪の青年、まあまんばなんだけど、まんばは「…依頼人ですか」と存外低い声で、愛想なく訊ねる。「え…あ、はい…えっと…君が探偵さん…?」「いえ…俺は…座ってください、飲み物出すんで」
混乱しながらも、安定はまんばに促されるままにソファに座る。土曜昼すぎのテレビが、人気タレントのトーク番組を流していて、特に意味もなく眺めていたら、「どうぞ」とさっき聞いた声がして、ソファの高さに合わせた高さのテーブル、安定の目の前にカタン、と小さな音を立てて、
氷が入ったコーヒーが出された。ぱちぱちとそのグラスを見つめていると「…コーヒー苦手でしたか」とお盆を持つ青年が目を泳がせている。何年下(多分)に気を遣わせてるんだ僕…!と安定は慌てて両手を振って、違うとポーズをとって「ち、違…!…えっと、ミルクとお砂糖ってあります…か?」と続けた。
人が来たからか青年はテレビの電源を切って、それから、ミルクをたっぷりいれたコーヒーに口をつける安定に「うちの…所長は、今不在で…もうすぐ帰ると思うんですが…」と申し訳なさそうにする。安定としては、やっぱりこの子が探偵さんではないのか、と少しほっとした。
「じゃあ、君が探偵というわけではないんだ」「それは…俺、高校生ですよ」これで分かるかと思ったんですが、と学生服のブレザーを自分で指さす。よく見れば、そこにある校章はそれなりに有名な私立校。だから敬語とかも大丈夫です、とたどたどしく話すまんばに、安定もすっかり緊張がとけていく。
「じゃあここのお手伝いさんなんだね、アルバイト?」「手伝い…そんなところ、です…バイト、ではないですが」「じゃあ実家のお手伝いかな、ふふ、偉いなあ…」「そんなんじゃ…」そんなふうに話をしていると、探偵事務所の出入口から音がする。
かと思えば、次には、「国広!だから、制服のままで来客対応をするなと言っただろう!」と怒っているような困っているような声が響いた。 「あんたが昼に出るからしばらく頼むとLINEを寄越したんだろう、今日は土曜、学校が終わるのが12時20分、間に合わせるのがどれだけ…」」
「だからと言って…未成年の学生働かせてるとかバレたらどうなるか…ハンバンガーチェーン店じゃないんだよ、ここは」「借金カタにその未成年を好きに使ってる立場のくせに…」「助けてやったんだろうが人聞きの悪い…あー、もういい…ほら、上で着替えてきなよ、俺の服でいいから」
「…とか言って、また変なのじゃないよな」「人前で人を変態趣味みたいに言うんじゃない!」安定が2人のやり取りに呆然としていると、先程まで話をしていたまんばが奥の階段の方へと消えていく。代わりに、現れた男性が安定に向き直り、にこりと微笑んだ。
「うちの助手がすまなかった。…さて、用件は依頼、かな」その所作があまりにも完成されていたものだから、安定はすっかり、今しがた交わされていたあまり穏やかではない単語も飛び交う応酬のことなど忘れて、「はい」と返事をしてしまったのだった。
「…脅迫を受けているんです」安定が話始める頃には、少し大きめのパーカーに着替えたまんばが降りてくる。そのまま何も言わず、座って話を聞く姿勢の長義くんの後ろに立った。それに気づいた安定は気まずそうに話を止めてまんばの方を見る。「あ、君…えっとこれは依頼で…」
「わかってます、俺は居ないものと思って貰って問題ないです、続けてください」「そうは言っても…」さっきの話だと未成年というじゃないか、子供に依頼内容を聞かせてしまっていいものか、そう思って安定が逡巡していると、すかさず長義くんがフォローに入る。
「俺が許可してるんですよ、助手、とは言ってもこいつが主に動くこともあるんで、こいつも同席させてください」「…そう?それじゃあ…ああそうだ、立って聞いてるの疲れちゃうでしょ、せめて座って…って、僕が言うのはおかしいか…あの、いいですよね?」安定がそうたずねると、
まんばは目で長義くんに合図を送る。長義くんが顎で自分の隣を指すので、まんばは周囲を伺うように少し目を左右に動かしたあと、なぜか安定の座るソファの後ろを回って、ちょこんと長義くんの隣に控えめに腰掛けた。「…さて、話を続けてください」「え、はい…それで、届いた脅迫状がこれです」
「…失礼、手に取って見ても?」「はい…」そう言って長義くんは、安定が鞄から取り出した、届いたという脅迫状をじっと見る。印刷された無機質な文字は誰のものか判別が出来ない。「…ファッションショーを中止にしろ、ねえ」よくある文面に、長義くんは顎に手を当てて紙の裏表を確かめたりしていた。
それをちらりと横目で見たまんばは、深刻そうな表情の安定に声をかけた。「あの、大和守さんはデザイナーか何かで?」「…うん?いいや、違うよ。デザイナーなのは僕の親友兼幼馴染…だから、正確にはその脅迫状も、僕じゃなくてそいつに届いたもので…」「その親友は何か言ってるんですか」
「こういうやっかみは人気が出るとよくあるから気にするな、と…でも僕心配で…」まんばが何か返そうとしたところで、さっきまで脅迫状を見ていた長義くんがそっと制する。安定は気付いてないようで、思いが溢れ出すように次々と言葉をつむぎ始めた。
「僕、これが悪い冗談だと思えないんです…清光、この前事故にあいかけて…あの車、赤なのにスピード落とすこともなかったし…それに、こういうの何度も来てるみたいだし、郵便受けに直接投函されてたこともあるみたいなんです…なのに、通報しようって言っても、
沖田くん…えっと、僕と彼の師匠みたいな人なんですけど、その人、ずっと入院してて、もう長くなくて、だから、最後になるかもしれないから、このショーは絶対成功させたいって、沖田くんに見せたいから、中止には出来ない、だから警察にも言わないでって…その気持ち、僕にもすごくよくわかるから、
どうしたらいいのかわからなくなって…」「…それで、秘密裏に探偵事務所に来た、と」「…はい」「事情はわかりました、それで、大和守さんとしてはどうされたいんでしょう」長義くんがそう返すと、安定は話を信じて、依頼を受けてくれそうな雰囲気に、ほっと肩をなでおろす。
そして、息を吸い込んで、何か思い切るような調子で続けた。「ショーを無事に終わらせたい、僕だってショーを中止にしたくなんてない、沖田くんには笑ってほしいし、清光にも…でも、大切な人だから、危険な目にだって遭ってほしくないんです…警備はもちろん厳重にすると思いますが…
それでも心配なんです…」そこまでいうと、「お願いします」と深く頭を下げた。「…つまり、秘密裏に犯人を特定、出頭させてしまうのが早いかな。よし、わかりました、依頼を受けましょう…さしあたっては…」
「お前、何勝手に探偵なんて雇ってんの…」とりあえず、そのデザイナーには話をしよう、ということで、2人が安定に連れられて来た場所は加州くんのもと。いきなり現れた2人組を見て不思議そうにしていた加州くんに、長義くんはことのあらましを説明する。
最初こそ、きょとんとした表情で聞いていたものの、加州くんはどんどん眉を顰めていき、話を聞き終えると、責めるような視線を安定に向けた。「だって心配なんだ…お前の制止を無視したのは悪いと思うよ、けど、僕はお前がもし…」「はあ…別に、過ぎた事だしもういいよ。
だからじめじめしない!きのこ生やさない!お前のその心配性は昔からだし、俺も知ってることだし。…それで、探偵さんは俺に何を聞きたいわけ?」「話が早くて助かるよ。手っ取り早くいこう、心当たりはある?」「あったらもっと手を打ってるよ。
まあ、仕事柄目立つし、多少は有名税だと思ってはいるけど…けど、個人的にはさっぱり…あ、」思い当たる節がない、と言おうとしていた加州くんは、急に何かを思い出したかのように声を上げた。「心当たりがあるのか?」「そういえば、以前うちのをパクったってうるさかったやつがいたなあって。
紛うことなき俺のデザインだったし、確認してみたけど全然似てもいなくて、酷い言いがかりだと思ったんだけどね、あの時は家に押しかけられたりもして、大変だったよ」「…そいつは?」「さあ?急に何も言ってこなくなったから、懲りたのかと思ってたけど…ああ、でも…もしかしたら…」
「何かあったの?」「…いや、この業界から干されたのかなあってだけ、なんでもないよ」加州くんの口調は、あくまでなんでもない風を装っている。本当に、こういった業界ではその手のことは日常茶飯事なのかもしれない。一番険しい顔をしていたのは、まだ高校生のまんばだった。
長義くんは少し考えてから、そうだな、と独り言のように呟く。「…名前と、顔もわかればそれも。そいつのことを調べてみよう」その言葉を受け、加州くんはさらさらとメモ用紙に何か書き綴り、紙を2枚重ねにして手渡した。
そんなこんなで、まんばは安定と一緒にパーティー会場にいくことになっていた。お互いそれなりの正装で、どこから用意したのやら、長義くんが用意した2人分の招待券片手に潜り込んでいる。「あいつ、本当にここに来るのかな…」「わからない。でも、来なくてもハズレという情報が落ちるんだ、
無駄じゃない…です」「ふふ、探偵さんの助手さんも探偵さんみたい」御堂隆義という男性の名前と、いかにも、といったやや強面な男性の写真を加州くんに提供された長義くんは、それをもとにひとつの手がかりにたどり着いた。しかし、何か自分で動くというわけではなかったらしく、
「というわけだから、御堂家の人間も出ているパーティだ、衣類は一式用意するから、お前が行ってこい」とまんばを放り出した。「…お前は?」とまんばが問えば「俺は他にやることがある」と返される。協力出来ることならなんでもする、と言った安定は、
「方針はわかったけど、でも子供をひとり危険に晒すわけにはいかないよ」の一心で同行することになった。
「それにしても、不思議だね、あの探偵さんとの関係」「まあ…普通はそう考えると思います」「バイトじゃないんだっけ…そうだよね、こうやって調査を本格的にしてるもんなあ」「…えっと、それは…」「あ!踏み入ったこと聞いちゃってごめん、でも気になって…」「…いいです、変なのは事実ですから」
パーティー入りしたのはいいが、どう動けばいいかわからなかった2人は、なるべく目立たない隅、壁の花になりつつ、該当人物の姿を探しながら何となく会話を始めた。話は探偵事務所のことに移る。プライベートに踏み込み過ぎたかと思って、安定が謝った。まんばは別段気にする様子はない。
「…俺は、あいつに会わなければ今頃生きてはいないと思うんです」「え?」「聞いていたでしょう、バイトではないですが、金銭的な問題で…まあ、そういうこと、です」金銭的な?そういえば、借金がどうとか言っていた。多額の借金で生きるか死ぬか、と言ったところを助けられたとでも言うようだ。
こんな子供が?なぜ?そう思うことはあれど、安定はさすがにこれ以上は不躾がすぎる、と聞くに聞けない。「…そっか。色々あったんだね」「大和守さん?…あ、」安定がひとり納得したように呟くのを、なにか聞かれたのかと思ったまんばは不思議そうに見る。
その時、まんばの耳は雑談の波の中ひとつ、目的の人物かもしれない話題を拾い上げた。 「隆義さん、もしもお亡くなりになっていなかったら、今日は記念すべき日になっていたのに」 先程までしていなかったのに、急に息を潜めるようにして会話は続けられる。思わず、まんばも息を殺そうとしてしまった。
「…?どうしたの?何か…」「向こうで会話が聞こえる」まんばの様子に安定が疑問に思ってたずねると、短くそう返された。その言葉を聞いて、安定も納得したようにそちらに注意を向ける。会話はまだ続いていた。
「あら、それはどうかしら?」「どういうことだい?」「隆義さん、事業に失敗したらしいじゃない。借金もあったって。でも、その後急に返済したらしくて、何か危ない仕事をしているんじゃないかって専ら噂よ」「へえ、聞かなかったな」「御堂家の恥だもの、あまり大声では言わないわ」
「…御堂家…御堂…まさか」「国広くん?顔色が…」その会話を聞きながら、だんだん青ざめていくまんばに気付いた安定は何度か声をかける。「…すまな、風、あたってくる」口元を抑え、耐えるような声でそれだけ言うと、まんばは急ぎ足で会場の外へと走り出す。安定もまんばを追いかけ外へと向かった。
唐突な過去編。 遠い記憶のこと。 いつかはこうなるだろうと思ってはいた。学校から帰ると家がなかった。アパートの一室にあるものは何もかも差し押さえられていた。両親はおらず、よく分からない大男が何人も家にいて、玄関で呆然としていると、
そのうちの一人が自分に気がついたようで振り返り近付いてきた。「おう、おかえり」そう言って頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。それだけなら悪い人だとは思えないはずなのに、なぜかぞっとして、縫い付けられたようにそこから動けなくなってしまった。「お前の母さんと父さんは酷ェやつだな」「え…」
「可愛い息子捨ててトンズラなんざ、少なくとも善人がやることじゃあねェ」豪快に笑う大男に、僅かに身動ぐ。手にあるのは小型のナイフだろうか。逆らえば最後、殺される、と思った。それから少しの間、真っ白になった頭の中で、なのにぐるぐると渦巻くような感覚の中で、
どっどっと煩い心臓が余計に焦燥を煽る中で、そこにいた。ふと思い出したように大男が自分に向き直る。「…知ってるか?」「…っ、は、何…が、」「お前さんの値段さ」例えばここ。そう言って先程のナイフがピンッと制服のシャツのボタンを飛ばす。丁度胸元の位置だ。
「心臓、とか…ははっこれも親孝行かもなあ?」その言葉で、ぱちん、と張り詰めた糸が切れた音がした。やばい、これはやばい。その一心で、先程まで自由のきかなかった体を動かしてその場を飛び出す。偶然にも不意をつく事が出来たのか、なんとか男に追いつかれることはなかった。
けれど、行くあても当然なかった。とにかく走って、走って、少しでも止まるともう動くことが出来なさそうで、どこまで来たのか、足が縺れて転んで、顔を上げた眼前に、どこかの公園を見つけた。大切にしていたもの全て、写真の1枚すら持っていくことは出来なかった。
辛うじて引っ掴んできた鞄の中身は教科書とノート、体育のジャージ、学生証、定期券程度のもの。学校は携帯電話の持ち込みが出来なかったから連絡手段はない。財布も家の中で落としたままなのか、持ってきていなかった。水道で怪我をした肘を洗い流して、ベンチに座って日の落ちた空を見た。
どうしよう、どうしよう、と頭の中に浮かぶ言葉はそればかりで、なのに公園のベンチなんかじゃあ、なんの打開策も見当たらない。そうしてどのくらいたったか、突然目の前に現れたのは若い男性だった。中学生の自分よりは年上、けれど、はっきりした年齢はわからない。あえて言うなら20代に見えた。
身に纏う衣服はどれも高級そうで、住む世界が違うのだろうと思い知らされる。「…お前、何してるの」そんな異世界の住人は、こともあろう事か根無し草になってしまった自分に声をかけてきた。「…何も」「今日は冷えるよ、上着は?」「…」「えっと…甘いものは好き?コーヒーと紅茶ならどっち?」
「…」「あーもう!なにか言えよ、その口は飾り?」「…っ、ごめ、なさ」「…はあ、適当に買ってくるから、ここで少し待っていろ」そう言ってしばらく経つと、本当にその人は戻ってきた。手には缶コーヒーとホットココア。そのうち、ココアの方を渡してくる。
「甘いのが苦手、とか言われてももう知らないからな」「あ…え、俺…?」「ほら、早く飲んだら?冷めるよ」手渡されたココアはひどく暖かい。悴んだ手には熱いと感じるほどで、制服の袖を伸ばして持ち直した。ひとくち口に含むと、その名の通り甘くて温かい。無機質な大量生産の缶が、
なんだかやたらと優しく感じて、またじわじわと涙が込み上げてくる。「な、何、なんで泣くんだよ…まさか泣くほど美味しい?」「…っ、おれ、俺…」そこからは嗚咽ばかりがもれて、何も言葉にならない。どうしたらいいか分からなくなったのかその人は、ポケットからハンカチを取り出して、
あまり慣れていないような仕草で拭ってきた。「とりあえず、なんか俺が泣かしたみたいで気分悪いから泣き止んでくれないかな」と、困ったような声でそんなことを言いながら。
帰る家がない、と言えば、その人は深くため息をついた。面倒事にでも捕まった、と言いたげだ。けれど、そのくせ「じゃあ、今日はうちに来なよ。外で寝ると風邪ひくよ」と、未だ泣き続ける自分の手を引いて、家(だと思われるところ)まで連れ帰ってきた。コートも何も着ていない、制服姿だったけれど、
上着を脱いでも部屋の中は暖かい。「第二ボタンも、取れてるね。まさかこんな冬に卒業式だったわけでもあるまいし…」「これは…」「うーん、俺、料理と裁縫だけはめっきりダメなんだよね、悪いけど直せないから、新しいのを用意させよう。それでもいい?」「あ、え…いいん、ですか」
「ボロボロの格好で家にあげたくないだけだよ。俺の敷地内にいるんだから、ちゃんとしててくれないとね」そういえば、ボタンを取られたんだった、と上着を脱いでから思い出した。すかさず気がついたその人は、冗談めかしてそういうと、服のサイズを聞いてくる。次にはどこかに連絡したのだろうか、
「届けさせるからもう少し待ってて」と言ってスマホをテーブルに置いた。もう少し、と言うのは言葉の通りで、本当に30分くらいで宅配が来て、ラフなスウェットと替えのシャツを当然のように渡されることになるのだった。
大男の正体は、税金滞納だか破産だかなどで訪れるような、よく仕組みは理解していないけど、とにかくそういう国の、正式な人などでは勿論なくて(そりゃそうか、とは思うけど)、もっと裏社会の、闇金業者の人だと知らされた。どこからどう調べたのか、その人はそういうと、
「全く、やることが下衆で味がない」と冷ややかに呟く。たしかに怖いはずなのに、家にいた大男よりも安全なように感じる。武器を持っていないからだろうか?わからなかった。「危ないから、しばらくは学校は休みにしてもらうよ。ここは安全だから安心して?
あー…勉強が不安なら…そうだな、代わりに俺が見てあげる…疑っているようなら最初に言っておくけど、俺はイギリスにある…」「う、疑ってない…です。でも、学校行かないと…出席日数とか」「真面目だなあ…心配には及ばない。義務教育はね、ちゃんと卒業出来るようにできているんだよ。
君、保健室登校してるのに聞かされなかったのか?」「なんでそれを知って…」「…学生証。個人情報には気を付けようね、こういうことする大人がいるんだから」俺みたいな、ね…と言いながら取り出してきたのは、なんとか持ってきた鞄に入れていた学生証だった。
いつの間にとられていたんだろか、決まってる、寝ているときだ。「あ、ちょ、返し…」「もういいよ、貸してくれてどうも」「貸してないです!」奪い取るように学生証を掴む。手はあっさり離れて、そもそも最初から返すつもりだったようだった。逆に言えば、もうこれで調べることは無いということか。
あまりにも怪しすぎる。安全な場所、衣類、それからデリバリーで運ばれてくるご飯。それを疑うことなく受け入れるには、自分は成長しすぎていて、けれど、跳ね除けて立っていけるほど自分は大人でもなくて。命の恩人なのに、目の前のその人を探るような眼差しをやめることは出来そうにはなかった。
唐突に時間軸が戻るよ! まんばと安定がパーティーに行くあいだ、長義くんは勿論サボってなどいなくて、ひとり埠頭にまで足を運んでいた。加州くんが渡してきた紙の2枚目、隠すように渡してきたそれが示す場所がこ���だった。字は手書き。加州くんの字ではない。脅迫状が手書きではないため、
犯人はそういったことには慎重なはず。ゆえに、これは届いた脅迫のひとつではない。加州くんの、本当の心当たりだ、と長義くんは考え、ここまで来たのだった。自らの出自の関係で、こういった悪い取引の行われている場所には異様に詳しくなってしまったような気がする。
「…潰そうとしているものを利用している、というのも皮肉なものかもね」ぽつりと呟く声に反応するものは当然ない。あまりにも捜索範囲が広い。見つからないかもしれないな、と1人考える。とはいえ国広を連れていくわけには行かないと、なんやかんやでよく働く助手のことを考えた。
安定は子供を一人で危険なところに行かせるわけにはいかない、と言っていたが、国広はその「危険なところ」の当事者だったことがある。それを拾った自分もまた、似たような存在だったりする。「…知らぬが仏か」向こうは大丈夫だろうか、うちの助手は間違いなく働き者だけれど、特別強いわけではない。
ずっと過酷な環境にいたから、年齢にそぐわない程度には多少場馴れしてはいるけど、あれで年相��に柔いところも沢山あることを数年の暮らしでよく知っている。だから、ハズレっぽい所にあえて行かせたのだ。ただ、もしも向こうがあたりだったとしたら…とそこまで考えて、すぐに考え直した。
「大和守さんもしっかりしてるから、大丈夫か」自分がついていてやれないことに、少しの悔しさを覚えつつも、長義くんは捜索活動を再開した。 しばらく見て回っていると、何か声が聞こえてくる。「…当たり、かな」もう少し近付いて物証を手に入れたい。レコーダーをオンにしてそっと物陰から近付く。
易々と会話を手に入れられそうだった。 「御堂の奴、よかったのか?」「何、あのデザイナーに証拠握られてるんだ、捨て置くのが一番だよ、あれくらいなら高く売れるし…それより…」 中身は取引だった。薬物ではなく、武器でもない、人身売買の類だ。
やっぱり国広を連れてこなかったのは正解だった、と長義くんは息をつきそうになる。まだこちらとしても油断はできない。…見つかったら、こいつらを消さなければならなくなってしまう。とりあえず持ち合わせた護身用のナイフをそっと確認して、再び息を潜めた。
続き! 長義くんが埠頭を出てすぐ、スマホに連絡が入った。見ればこれで3回目の電話、名前を確認すると安定からで、何かあったのかと少し慌てて通話ボタンをタップする。「もしもし、何かあった?」「すみません、その、国広くんがすごく具合悪そうで…会場からは出たんですけど…」「国広は?」
「もう問題ないから…と。でも顔色悪いし、とりあえず近くで休ませています、場所伝えますね」「そのままその馬鹿押さえておいて。そいつ動いてた方が忘れられるとか言ってオーバーワークしがちなんだ、すぐ行く」「忘れ…?わかりました、待ってます」
長義くんは会場となっているホテルからほど近い施設の敷地内にある広場へと向かう。公園よりひっそりとしている私有地は、当然必要もないのに立ち入ることは本来許可されていないところだ。あえてそこを選んだのは恐らく安定ではなく国広の方だろう、と長義くんは考えながら、
埠頭の離の方に隠すように止めておいた車に��り込む。公園よりも騒ぎを起こせば目立つことが出来る場所でもある。逃げるならこう行け、と教えこんだのが役に立っているようで何よりだった。 埠頭からホテルまでは大した距離はない。ふたりのいる場所も同様だ。10分ほど車を走らせて、目的地に着く。
適当に(とはいえナンバーを覚えられたらやっかいなので、やはり死角を選び)駐車して車から降りた。少し敷地に入ると、人影がふたつ、ベンチに座っている。「よかった、すぐに見つかった」そう言って近付くと、人影のひとり、安定はぱっと顔を上げて、心底ほっとしたと言ったように表情をやわらげる。
まんばはそんな安定に背中をさすられていた。「ありがとうございます、国広くん、立てる?」「…大丈夫、です」「何があった?…人酔い?」「ちが、う…長義、俺は大丈夫…だから、」「そうは見えないんだよ…それとも、何か思い出した?」そう問えば、まんばは図星だったのか、ギクリと肩を震わせて、
観念したように小さく頷く。何か聞いてしまったのだろうか。そう思えば、まんばは小さく「御堂、聞いた名だと…」と呟く。当たりを引かせてしまったかもしれない。失敗した。「…帰ろうか、裏に車を止めてある」
3人で事務所まで帰って、まんばには上の階(実は今の住まい)に行くように伝えた。まんば自身も自分のことはわかっているのだろう、存外素直に頷いて、思ったよりもしっかりとした足取りで階段を上っていく。とりあえず今日はもう休ませた方がいいだろう、話を聞くのは明日だ。
まんばの階段を上る足音が止むのを待って、長義くんは安定に向き直り、少しだけいいかな、と言って安定にソファに座るよう促した。「さて、夜分遅くまで申し訳なかったね」「いえ、依頼したのは僕ですから…それより、国広くんは」「しばらく休めば大丈夫…それに、前にもあったことだから」
あまり深入りしない方がいい話題だろう、そう感じた安定は出されたミルクティーを一口飲んで、話題を変えようと口を開いた(コーヒーに大量にミルクと砂糖を入れていたのを見られていたようだ)。「…えっと、それで、何かわかったのでしょうか」「そうだね、とりあえず単刀直入に言おう。
心当たりの御堂隆義だけど、彼はすでに亡くなっている…それも恐らく殺されて、ね」「殺…なんで、そんな…清光、まさかそれで何かを知って、狙われてるとか…」長義くんの言葉に、安定の表情はさあっと青ざめた。あくまで表情を変えていない長義くんは、それを一瞥しつつも安定に訊ねる。
「あいつ…国広は、パーティー会場で何を聞いていたかわかる?」「あ、はい…僕も途中から聞いてたから…御堂隆義の事業が失敗して、危ない仕事に手を出したって感じのことを…」「そう…単刀直入に言うけど、御堂家は旧財閥系から分かれた家系でね。…いや、旧財閥系から追い出された、
と言った方が正しいかな、裏で指定暴力団と関係を持っていて、そちらでも稼いでるんだ。恐らく薬物か武器か、と思っていたんだけど…商品は人間だったみたい」「人?…それって、まさか…」「そう、人身売買。それで、加州さんだっけ、彼もなかなか強かだね、事情はわからないけど、
その証拠を偶然にも持ってるんだと思う、そして、御堂家の証拠を例のファッションショーでばら撒く算段なんだろう」「そんな…なんでそんな危険なことを…」「わからない。けど、やっぱり大和守さんには話していなかったんだね」そういうと、長義くんは加州くんに渡されたメモを安定の前に差し出す。
「メモ…?」「彼は俺にこのメモを渡してきた…今日埠頭で取引があったんだけど、そのメモだ。加州さんがどこからかこれを手に入れたのは確実だと思う…そして、それを大和守さん、君には本当は知られたくない。だから、こっそり俺に渡してきた…きっと、危険な目にあわせたくないから、
止めて欲しくないから、そんなところだろう」「それって、僕が清光を止めて、警察に通報することでもっと悪いことが起きる…みたい、な…そうだ、沖田くん! 沖田くんの病院が何か関わってたりしませんか」「ああ、共通の知人は関係あるかもしれない、明日案内願おうか」
唐突な過去編再び。 生まれたその時には将来が約束されている人、というのはいくらでも存在する。恵まれた立場ともいうし、ある意味では自由がないとも言うし…その辺は認識の問題だけれど、とにかく、自分の生まれはそういったものに近かった。ただし、華々しい表の道
――たとえば、絵本の中の王子様であるとか、漫画みたいにどこかの財閥の跡取り息子であるとか――ではなかった。山姥切という名は、その手の界隈では広く知られている。物心着いた時には舎弟みたいな奴らが何人もあてがわれていて、自分よりもうんと年上のそいつらを”使う”方法を身につけさせられた。
とはいえ、厳しい環境だったかといえばそうではない。末っ子の自分は、もう両親も歳をとってから産んだ子供だったことやら、年の離れた兄が3人ほどいたことやらが相まって、ほとんど孫を可愛がるような状態、逆に言えば、自分の裁量というのは全くなく”なんでもやってあげる”という状態で
幼少期を過ごした。その時の自分の認識といえば、不自由はないが自由とは言えない。端的に言えば不満だった。自分は兄よりも優れた仕事が出来るはずだ、なのになんで自分だけ何もせずそこにいるだけ、なんて立場に甘んじていなければならない?…とかなんとか、そんな不満を抱えて生きてきたから、
対象の汚点はいやでも目に付くようになる。小学生の頃は、それでも仲良くなったクラスの友達が、ある日急に遠巻きにしてくる、みたいな目にはあったものの、それだけだった。けれど、中学生、高校生くらいにまでなると、さすがに自分の家がヤバいからだ、ということに気がつく。
ヤバい、というのは、家庭環境が劣悪、たとえば暴力を振るう親がいるだとか親がアル中だとか、そういう類のものではない。そう、我が家は、一家がまるまる暴力団(それも国内でも有数の)の取りまとめを行っている、そんな、簡単に言えばヤクザの家だった。幸いにして、可愛がられていたことで
汚れ仕事からは遠ざけられ続けてきた自分にとって、調べれば調べるほど出てくる家族の犯罪履歴は、軽蔑するにあまりあるものだった。だから、高校二年生の時についに家を飛び出した。自分も大いにその恩恵に預かっていたというのに、軽蔑する家族の存在に、自分がその家にいるということに、
何よりそいつらが血の繋がった家族だということに、同じ空気を吸っていることに、何もかもに、耐えきれなかった。転がり込んだのは、事情を知りつつも親身に接してくれた担任教師(長船光忠という名前の、まだ若い担任だ)だった。その時の自分といえば、どうみても家出をした非行少年だ。
けれど、その先生は何も言わず家で匿ってくれた。もちろん、捜索願いなど出されるはずもない。家は裏稼業だから、あまり公で騒ぎを起こしたくないのだというのはわかっていた。けれど、家もそんなに甘くはない。子供の考える家出先など、3日もあれば簡単にバレてしまった。
自分にずっとついていた部下が、先生の自宅まで堂々と迎えに来たのは、3日どころか、わずか2日後だったのを覚えている。絶対に帰らない、と言えば、一時的な子供の我儘、駄々をこねているのだと見なされたのか(事実そうなのだが)、わかりました、とあっさり引き下がった。
「しかし、先生のお宅にお世話になるなら、お金はどうするのですか」とも、その時訊ねられた。先生は「いいんですよ、落ち着くまでここにいてもらって。僕は大丈夫なので」と優しく笑ってくれた。この問答は、そこは一応、犯罪一家である以前に子供を預ける立場だったのだと今になって思うが、
頭を下げたのは俺ではなく部下、つまり家だった。「せめて金銭の方はこちらでなんとかするから」と家の方が押し切って、結局、家出したというのに、家から金銭援助を最大限に受けつつ、高校卒業まで都合よく担任教師の家に世話になったのだった。
大学進学は最初考えていなかったけれど、家族と聞く度に威嚇するような状態だった自分は、先生に「一度、もっと広い世界をみてみたらどうかな」とアドバイスされ、どうせなら、と海外を選ぶことにした。完全に子供の甘えで、実際はおんぶにだっこだったわけだが(先生はあくまで親子の問題として、
親に自分の様子を報告していたらしいことを、後々になってから聞かされた)、その時は距離的に家から離れることで、自立した気分に浸っていたというわけだ。イギリスにある某名門校、もちろん自分の実力を疑うわけではないけど、留学にあたって必要な費用についても出所は家だった。
…恐らく、その金も違法薬物やら武器の売買、どこかからせしめたもの、脅迫、といった諸々から得た金なわけだが。早い話が、自分でなんでも決めたつもりでいて、その実、そんなことは全然なかったわけだ。 それに気付いたのは大学在学中のこと。もちろん怒りが沸いた。家族にも、自分にも。
そして、そっちがその気なら、と方向転換した。甘やかされている自分の立場を大いに利用することにした。今の自分は、言ってみれば金持ちの家の放蕩息子と言ったところだろう、それならそれで思う存分甘んじてやろうじゃないか、と思ったのだった。まず始めたのは、家と繋がりのある組の把握だった。
部下だったやつに伝えれば、長い反抗期が終わったと喜んでくれた。人生でおそらく最初で最後の親孝行ってやつなのだが。これは裏切りだ。やろうとしたことは、家の為に動くことじゃない。自分の潔癖な性分は、やっぱりこの家を許すことは出来なかった。末端組織から潰してやろう、そんな算段だった。
日本から帰ってきて、今後どうやって家を潰すか、ということばかり考えていた。そんな夜のことだ。公園のベンチで、それは寒そうな格好で、しかもその服も汚れていてボロボロな、そんな子供が泣いているのを見つけた。これは上手く乗せれば売れるな、などと頭の片隅で少し考えてしまったのを振り払う。
そんなことを考えたことを否定したかったのか、自分は家のものとは違うのだ、と誰が見ている訳でも無いのに、誇示したくなった。まず、部下に連絡をとった。子供の特徴と制服を伝え、身元をわれないか伝える。それから、今見かけました、100%善意です、といった笑みを貼り付けて声をかけた。
子供は話しかけても黙りこくっていて、すぐに苛立ちが勝った。同時に、自分にこんなことはあっただろうか、と考えずにはいられない。結局どうすればその子供の恐慌状態を取り除けるかわからなくて、物で釣ることにした。あまりにも安易だった。中学生くらいの子供が飲むものなんて分からなくて、
自販機の前でしばらく悩んだ。結局適当にホットココアを押して、押し付けるように渡したら、ようやく自分に応えた。安易な選択だったのに、打算だったのに、それが少し嬉しいと思って、少しだけ、ちくりと罪悪感が肺の辺りを刺して、どうすればいいのかわからなくなった。
気の迷いだった。子供を連れ帰って、ボロボロな服の替えを調達し、夕飯のデリバリーも頼んで、そのまま自分のベッドに寝かせて、すぐに連絡が来た。子供の身元はあっさり割れた。国広、という名前であること。近くの公立中学に通っていること。ボロアパートの2階に住んでいること。
両親は共に子供を育てるような能力のないやつだということ。学校ではいじめにあっていて、今は保健室登校していること。好きな科目は理科、嫌いな科目は英語、だなんてことまであっさりわかってしまった。それから、今、彼には2億5千万相当の額がついている、ということも。
同時に、思いついてしまった。 彼には今、自分しかいないのではないか?もしも、彼を上手く扱うことができたなら、自分の目的達成に使えるのではないか?と。上手い言い訳を考えているうちに夜はあけた。そうして、暫定的な対応として、国広にここで過ごすことを、半ば強制的に提案したのだった。
続き。また時間軸は現在に戻ります。 まんばは布団に横になると、頭まですっぽりと布団を被った。長義に気を遣わせてしまった、それに大和守さんにも、と考える。今頃2人は今日のことを話しているのだろう。カーテンを閉めて電気を切った部屋は暗くて静かだ。
いつもは遅くまで、何をやっているのか(仕事か、そうでなければ碌でもないことだとは思うが…)、夜型の長義は起きていて、ライトが漏れる中で眠りについているので、こんな暗い中で眠るのは随分と久しぶりな気がする。久しぶりすぎて、少し対処に困ってしまう。
御堂、聞いたことのある名だ。あの日、アパートの2階にいた男だ。長義が捕え損ねたと言っていた、あの。そこまで考えて、またざわざわとした悪寒の様なものが背中の方にはりついた。この感覚をよく知っている。恐怖だ。まんばは逃げるようにぎゅっと目を瞑って、やり過ごすうちに眠ってしまっていた。
「ほら、朝だよ」「んん、…朝…?」「ああ、おはよう国広…なんて言うと思ったか、寝坊だよ寝坊」目を擦りながら体を起こすと、目の前にいたのは既に出掛ける準備を整えた長義だった。「寝坊…?まだ7時…え、7時?」まんばは時間を確認して、ようやく覚醒した。長義くんは夜型。
だから、朝の7時にしっかりと起きていることは珍しい。「まさかもう夜…」「そんなわけあるか」そんな、まるまる1日寝て過ごすなんて、そんなことを、とまんばが青ざめていると、音を立ててカーテンが開く。眩しさに朝だと言うことがわかった。
「長義、この時間に起きてられるんだな」「人を寝起き最悪みたいな言い方しないでくれるかな」「だが事実いつも…」「いいから、早く支度する!それと、朝食は外でとるよ。いつものところでいいね?」「構わないが…どこへ行くんだ…?」「病院。大和守さんが来る前に調べておきたいことがある」
今日は日曜日だからたいてい休診日じゃないか、というまんばの意見は聞き流され、急かされるままに身支度を整えて、2人は揃って事務所の上にある住まいを出た。 近所にあるカフェチェーン店に入って、お好きな席に、と言われるまま、2人は出来るだけ隅の方を選んだ。
長義くんはメニューを見ることなく、まんばに確認することもなく、モーニングセットを2つ頼む。「…それで、昨日はあの後どうなったんだ」「どうって?」「急に病院に行く、と言い出したから。何か思う所でも出来たのかと思ってな」「…そうだな、あまり美味しい話にはならないけど」
「分かってる…だって、御堂隆義は、」まんばはそこで言い淀んでしまい、誤魔化すように水を飲む。長義くんの方も気まずそうに目を伏せた。「…昨日はその、悪かった」「お前が謝るなんて珍しい、傘がいるか…今日は一日晴れの予報だったんだがな」「たまに殊勝な態度を取ればこれだ、可愛くない」
「たまにしかとらない自覚はあるんじゃないか。…それで?どうなったのか知りたい」「御堂隆義は死んでる、そうだね、消された、と言った方が適当だ…ここまでは、お前も想像ついてるだろうけど。…それから、あのデザイナーは、何か持ってる、隠してるというか…
警察に言わないのは何もショーを中止にされたくないからじゃないだろうね」「…それで、なんで病院なんだ?」「彼と依頼人の共通の知人が入院している。…俺は、こいつが鍵だと考えた」そこまで言ったところで、店員がモーニングセットを2つ分運んでくる。「さっさと食べて行くぞ」「…ああ」
長義くんは、あまり依頼人に言えないような方法で情報を獲得することがあった。それをまんばは知っている。だから、今回も安定に知られたくない方法を病院で使おうとしているのだろうと言うことは、何となく思っていた。まんばとしてはどうかと思っているが、
自分もそれに助けられた身なのであまりどうこう言えず、結局やりたい放題にやらせてしまっているのだった。 ついた病院は街の中心部にある総合病院だった。総合病院、とはいえ日曜日は初診は行っておらず、科によっては休診日になっていた。朝も早い時間こともあって、中は比較的閑散としている。
「沖田さん、と言ったか…病室を探すのか?」「いや、それは後でいい。どうせその人自身は何も知らないだろうし。それより、彼のカルテを覗き見たい…そうだな、俺が上手く引き付けておくから、俺が言う情報を見てこい。ついでにこれ、許可証だから無くすなよ」「…またそう無茶苦茶なことを」
長義くんが何をしているのかはよくわからないが、ただの高校生のはずのまんばが、恐らく偽造したのか借り物か、それは分からないが許可証、とか言うのを持ちながらとはいえ、あっさり立ち入り禁止区域に入れる程度には口八丁なようだった。まんばは当たりをつけてカルテを探す。
こういったことは助手として働いて、やたらと上手くなってしまった。「…いいんだろうか、いや、よくはないんだが」ぽつりと呟いて、そうだろうと思われるカルテを見つけた。同姓同名の人がいなければいいのだが、と思いながら内容を確認する。「えっと…心疾患か、担当医は佐々木浩二、経過は…」
約束の時間は10時だったらしい。まんばが戻ると、続きは今度だ、と言って病院を出た。それから、ぐるりと裏を一周して、表側の入口付近で待っている安定に長義くんは声をかける。「待たせたかな、すまないね」「いえ、大丈夫です。…国広くん、もう平気?」「俺は大丈夫です、ちゃんと休んだんで」
安定はぺこりと小さく頭を下げて挨拶をした後、長義くんの少し後ろにいるまんばにも声をかける。まんばがしっかりとした受け答えをしているのを確認し、「よかった」と心底安心したような声を漏らすと、「それじゃあ、病室に案内しますね」と言って病院内に入っていった。
「沖田くん、入るよ…えっと、今日はと、友達…?を2人連れてきたんだけど…」安定はそう言って病室に入る。2人も「失礼します」と挨拶をして後に続いた。沖田くん、という人物は入院着を着ていて、点滴を受けていて、
病室のベッドから体を起こしてなにやら雑誌を見ていた。安定の声に気がつくと病室の入口に顔を向けて、「いらっしゃい」とにっこり微笑む。「…雑誌?」「ああ、君たち、加州とは知り合い?デザイナーをやっててね、絶対大成してみせるから見ててねって」「そう、ですか」
「それに、今度は何かショーがあるみたいで。…とはいっても、僕はあまり詳しくないんだけどね、ふふ、楽しみだなあ」ずっと入院していて先も長くない、と聞いていた2人は、穏やかで、朗らかに、無邪気さすら含んだ笑みを浮かべる沖田くんなる人物に少々面食らう。
同時に、なるほど2人が慕うような人物なのだろうとも考えた。「…あの、加州さんは、どういう方なんですか」「…うーん、ずっと一緒だったからなあ…可愛い後輩だよ、僕ら皆剣道をやっていてね、僕が先輩で、2人は同じくらいの時期に道場に来た後輩。あいつお洒落が好きなのに、
小さい頃は自分にはお洒落なんてする資格がないって泣いてたんだ…気負いすることなく好きなことを出来るようになったみたいで、僕もあいつの先輩として嬉しいよ、それから…」「沖田くん沖田くん、2人が驚いてる」「え、あ…ごめんね、僕お喋りが好きで…病室一人のことも多いし、
話し相手がいるとね、ついつい…」沖田くんは楽しく話を続けていて、2人は話に入るタイミングを見失う。特にまんばは、何度か「あの…」だとか「えっと」だとかもらして、途中で諦めた。つらつらと話し続ける沖田くんを安定がやんわりと止めると、沖田くんはハッとして二人を見やり、
困ったように笑いながら謝る。「いえ…構わないです、俺なんかで良ければ…」「それに、俺達は貴方の話を聞きにきたんですよ」「…僕の?ということは、病院のことかい?何か面白い話題でもあったかなあ…」「佐々木浩二という人間について、知ってることを教えてほしいんです、
些細なことで構いません…俺達は、こういう者でして」そう言うと、長義くんは沖田くんに名刺を手渡す。「え、探偵?すごいね、漫画みたい…でも、佐々木先生のこと、と言われてもなあ…僕の担当医ってことくらいしか分からないや。あ、担当医だから、専門はここだよ…って、探偵ならもう調べてるよね」
ここ、と言いながら、沖田くんは自分の胸の当たりを自分で指差す。安定の表情が僅かに曇った。それを横目に長義くんは質問を続ける。「悪い噂などは聞きませんでしたか?」「あはは、自分の担当医の悪い噂って嫌だなあ…さすがに不安になっちゃうよ」「…じゃあ、良い噂は?」
「良い噂かあ…良い…どんな病気でも治してくれる名医…なんてね、そんな人いないよな。どこかから呼ばれた先生らしいくらいで、本当に何も無いと思う。お役に立てなくてごめんね」「あ…えっと、」「いえ、参考になりました、聞かれたくないことだったかと思いますが協力ありがとうございます」
長義くんはそう言うと、まんばに病室を出るように合図する。まんばもそれに続いて「今日はありがとうございました」と一礼した。「そう?それならよかった、よく分からないけど、お仕事頑張って。それから、安定と…よければ清…加州のことをよろしくね」
病室を出て、示し合わせるように目を合わせ頷き合う。「”どこかから呼ばれた”」「…ああ」「やっぱり恐らく、横流ししてる…下劣だな」「…沖田さん、転院できないんだろうか。こんな所じゃ危ない…し」「何も知らない沖田さんには、当然転院の意思はないだろう?…手遅れ、というのもあるけれど」
先程カルテを盗み見た時に書かれていた内容から、沖田くんなる人物は本当にもう長くないことがわかっていた。「…そうか」「とにかく、そう沈んでいても始まらない、どうにか止めないと」「ああ…命を狙われているのは本当だが、あの脅迫状は捏造…いや、ああやって大事にするように脅されている、
脅迫状が届いたけれどもショーを行う、ということに意味がある」「お前もだいぶ板についてきたじゃないか…そう、そしてその脅迫を行った人物、それこそがこの病院の佐々木浩二、その人だ…以前、加州が御堂隆義と揉めた時にでも偶然そのつながりを聞いてしまったんだろうね…
それで、御堂はこの病院と取引していたわけだ」「でも、どうするんだ、俺達が手に入れた佐々木が黒って証拠も、合法的に手に入れたものでは無いだろう」「そうだな…まあ、任せておけ。なんとかしてみせよう」長義くんはそう言うと、得意そうに口角をあげて見せた。
過去編再び。 怪しい。怪しすぎる。そう思ってからは早かった。1週間くらいたっただろうか。慣れない不自由のない生活ではあるけれど、あまりにもおかしすぎる。疑心暗鬼はひとつの道筋をうんでいた。ひょっとして、アパートにいたアイツらと長義は仲間で、自分を匿うのは嘘で、
本当は、油断したところで自分のことをあいつらに売るつもりなんじゃないか、なんてちょっとした陰謀論だった。陰謀論、とはいえ何も突拍子もない話なんかじゃない。現に、生徒手帳を勝手に見られて調べられた。あれだって、俺が”売り物”を知りたかったんじゃないか?と思う。そうした疑心で、
長義のパソコンを勝手に盗み見た。パスワードは使う時にお茶を出すフリをしながらこっそりと見て覚えて、長義が出かけている隙を見計らって起動する。メール辺りを探してみるのがいいだろう、誰かとのやり取りに、怪しいものがあれば黒だ。そうやって、知ってしまった。長義が、
いわゆるヤクザと呼ばれるような家系の人間であること、その家との縁は切れておらず、自分に関わるやりとりをしていることを。 高層マンションだから飛び降りて逃げ出すなんてわけにはいかなかった。エントランスホールを上手く抜けるために、人が来るのを待って、影に隠れるようにして逃げた。
今度は身一つで、学生証はどうしようかとぼんやり考える。当時の自分はまだ中学生で、子供で、だから詰めも甘くて、これでとりあえず逃げきれた、と思っていた。まだアパートにいたやつらは自分を探している、という長義の忠告だって忘れていた。声をかけられた。
振り返ろうとして、その声が聞き覚えのあるものだと気がつく。やばい、と思った時には、頭の後ろ、首の辺りにビリッとした激痛が走り、意識を失っていた。 目を覚ますと、薄暗いところに寝かされていた。辺りを見回しても、身に覚えのない倉庫のような場所で、僅かに潮の匂いがした。
背の高い建物がいくつも積んであって、体を起こそうと試みたところで、自分の手足が自由に動かせないことに気がつく。縛られていた。藻掻くと縄のような感触が擦れて痛む。相当きつく縛ってあり、簡単には抜け出すことが難しそうだった。小さく舌打ちして、他の手立てを考える。
とりあえず、もう暫く寝たふりをしておいた方がいいだろうか、そう思った時だった。声が聞こえた。「こいつなかなか目を覚まさないな」「ガキなんだからしょうがないでしょ」ガキ、子供、自分のことだろう。どうやら結構な時間が経ってしまっているらしい。
そういえば自分は何をされた?そう思ってみると首の違和感にも気付く。火傷をしてしまったような気がする。何か、危害を加えられて気絶してしまったらしかった。「まあ下手に暴れられる方が困る。移動は明朝予定、一晩はここに置いとくしか…」
「そういやコイツ、山姥切んとこの息子といるとこ見たって奴がいるらしいけど、問題ないんスかね」「は?そんなの聞いてねぇぞ…」どうやら、こいつらは長義を知っているが、手を組んでいると言うわけではないらしいことに、内心ほっとした。同時に、疑ったことを申し訳なくも思った。
今の自分にとって、本当に外は危険で、本当に長義は自分のことを匿うつもりだったのだ、と思うと、こんな勝手をしたことに罪悪感すら覚えた。長義も危ない団体の一員であることは本当だし、軟禁状態だったことは確かだし、勝手に個人情報を漁られたのも確かだったのだけれど、
異常な状況に置かれすぎて、少し頭が混乱していたこともあったとは思う(こういうの、なんとか症候群と言うんだったか)。 今下手に目を覚ましてしまえば、”大人しく”させるために手段を選ばないだろう、そう思って、未だ何やら話している2人の会話にはもう蓋をした。疲れていた。
もう諦めよう、せめてあまり痛い思いはしたくはない、そう思って寝たふりを続けようとした矢先、腹部に重い衝撃が走った。声にならない声が漏れて、びっくりしてそのまま目を開ける。ズズっと体が地面に擦れて、蹴られたのだとわかった。「いい加減目ェ覚ませ。移動だ」「…ッう、…い、移動…?」
襟首をつかんで締め上げるように立たせたそいつは、力強く背中を叩きつけて、よろめいた俺はそのままもう1人の元まで動いてしまう。「…ぁ、」さあっと青くなった。そいつはアパートで自分に話しかけてきたやつで、そう、自分のことを”高く値がつく”と言っていたような気がする。
その時のことを鮮明に思い出してしまうと、いよいよ前後もわからないくらい怖くて、この場から離れないと、と思うのに、ガタガタと震えて身動きがとれなくなってしまった。ぐい、と男に引っ張られて、また1歩と足を踏み出してしまう。
「や、…やだ…嫌、」その場から動かまいと力を込めても、大人の男の力に子供である自分が敵うはずがない。嫌だ、と何度も言ったって聞いてくれるはずもない。男はそんな自分の微かな抵抗など構うことなく、引っ張るように連れ出されて、不格好に、いちいち転ぶみたいについて行くことになってしまう。
制服を着てでたけど、シャツは捨ててしまっていたから貰い物だった。悪い事をしたな、とやっぱり思ってしまって、怖いのと不安と罪悪感で、頭の中どころか、もう身体中がいっぱいだった。「逃げ回ったツケは払ってもらうぞ」そう言われて、押し込むように車に乗せられそうになる。
これに乗ったら最後だと、本気でそう思って、ふと顔をあげた先、涙目が一瞬とらえた景色に声が出なかった。突然押されていた力が抜けた。何者かが何かで男を殴ったのだ。けれど、殴ったという事実より、誰が、という部分の方が衝撃的だった。
「…ちょう、ぎ?」「…ったく、匿ってやったというのに世話のやける」そう言って、コンテナ近くにある材木片手に息を切らしていたのは、逃げ出したはずのあの家の主、長義その人だったからだ。
「長義、どうしてここに…っ」「話は後だ、逃げるぞ!余計な証拠を残したくない!」「証拠って、あの人は…」「生きてるに決まってるだろう!俺はあんなのとは違う!」そう言うと、長義は手早く縄をナイフで切って、そのまま腕をつかんで走り出す。
そこでようやくわかったのが、ここが湾岸部の、あまり治安が良くないとよく言われている場所ということ。通りへ出ると一台車が止まっていて、「乗って!はやく!」と急かされるままに車に乗り込む。自分が乗ったのを確認すると、長義も素早く運転席へ乗り込んで車を発進させた。
不思議と、あの時感じた危機感は、再び感じることはなかった。 暫く走って、車の通りの多い道路に出た。明るい街灯、右も左も車が行き交う。横断歩道を歩く人々はいかにもサラリーマンといった風体の人々ばかりで、会社帰りなのだろうか、と考える。日常風景と言われるような光景は丁度こんな感じで、
けれど今の自分にとっては少し眩しい光景だった。信号が赤に変わり、車が止まる。バックミラー越しに長義が見えた。「…だから、外は危険だと言っただろう」「あんたも、同じくらい危険に見えた」「…まあ、そうかもね」「…助けたことにも、意図があるんだろ」
「無鉄砲なガキのくせになかなか冴えてるじゃないか、褒めてやろう」「…隠さないんだな」「必要ないだろう?…さて、詳しい話は夕飯を食べてからだな」しばしの沈黙。再び車が止まって、その頃にはもう、少し前に長義に連れてこられて、出ていったはずのあの建物が目の前にあった。
長義はデリを頼んで、そのあいだ俺は着替えさせられた。「全くボロボロにしてくれて…」「う…すまない…」「まあ子供の服なんてそんなものか。とりあえず夕飯がつくまで着替えておいで」「え、俺が作らなくてもいいのか」「怪我人にあれこれさせるほど鬼じゃないよ」「…そう、か」
なんて会話をして、しっかり用意されていたスウェットに着替える。着替えてリビングに戻れば、長義がちょいちょいと手招きをした。素直にそちらへ向かえば、手にあるのは救急箱だ。「夜も遅いし、今日はもう外には出ない方がいいし、もしも大きい怪我があったとしても病院とかは明日になるけど…」
「大したことな…っ痛、いきなり何するんだ!」「消毒だよ消毒、手足以外は?」長義はなんの予告もなしに腕をつかんで引き寄せると、縄で擦り切れ痕が残った手首を消毒だと言って、丸めた消毒綿を押し付けにかかる。予期していなかった痛みに呻くと、今度はまじまじと俺を見てそう言ってきた。
視線が痛い。「特には…」「そう?とりあえず、足も見せろ」「え…、痛…ッ、だから触るなら言ってから… っ」「って、お前、手足だけかと思ったらほかも結構派手にいってるな…痛くないの?」「痛いに決まってるだろう!現に今そう言って…」「いや、そうじゃなくて、
車でもそういうふうに見えなかったから、」「…それは、非常時だったから」「ふぅん、まあいいけど」何度かそんなやり取りをして、少し緩く包帯を巻かれたり、微妙な形に切り取られたガーゼを当てられたりして、満足気に長義が「終わり終わり。夕飯にしようか」とやっと離れる頃には夕飯が届いていた。
「さて、どうしてここから逃げようと思ったのかな」「…見たから」そう言ってパソコンのある方に視線を向けると、了解したのか長義は「…ああ」と納得したような声を上げる。「まあ、そうだろうと思った。お前、抜け目ないね、この前茶を出した時に指の動きで覚えたんだろう?」「…ああ」「怖い?」
「今は、そうでもない。あいつらとは、違うんだろ…そう言っていた」あんたが、と続けて真っ直ぐに長義を見る。海の底のような瞳は、見つめたところで何も分からなかった。「ああそうだ、あんなのと俺は違う。…お前の処遇についても話そうか」「…売るわけじゃないんだな」
言えば、長義は箸を止めて自分の方を見る。意外なものを見る目だった。「そうか、話していなかったね…俺が買うんだよ」「…誰を」「お前」その言葉に呆気に取られた。何を言っているのかさっぱり分からなかった。 帰ってみれば国広の姿がなかった。
念の為GPSを忍ばせておいた制服の上着を着ていってくれたのは幸いだった。怪しまれることはしたし、まあ妥当な判断だとは思う。けれど、今は本当にあいつにとって外は危険だった。「…明日までに見つけないと」1人そう呟いて、GPSで居場所の探知を始める。キーボードの位置が少しずれている。
どんな方法を使ったのかはともかく、これを見たのだろう、というのはわかった。国広の居場所はこの街を離れ、海、もっと言えば湾岸部へと向かっているようだった。恐らくまだ移動中だろう。思ったよりも早く見つかった。部下に連絡して、うちとの取引に…と考えて、やめることにした。
そんなことしたら家に借りを作ってしまうし、何より国広を好きに出来なくなる。それはまずい、といつもの部下にだけ連絡事項を伝えて家を出た。国広に掛けられていた金額を用意すること、もちろん全て俺のところから出してくれて構わない、責任は俺が持つ。そう言うと、部下は驚いて「いいんですか?」
と確認をとってくる。それもそうだろう、いくら金があれど、あいつにふっかけられた金額を支払うのはかなり痛い。だが、今はそんなことは関係なかった。この辺りで気付くべきだったと思うが、ほんの短い期間にも関わらず、俺は損益を考えることを放棄する程度には国広へと入れ込んでいた。
利用価値を考えるなら、国広を上手く売ってしまった方がいいはずなのだけれど、国広を使って家を、という計画を頓挫させたくなかった。 色々と準備を整えているあいだに日は落ち始めていた。まだ寒い冬だから、日も長くない。倉庫方面につく頃にはもう夜で、1人夜に倉庫に、堂々と正面から入った。
「…国広は?」そう問えば、俺を知る者は情けなく逃げ出したり、知らない者は威嚇したり、とにかくざわついて、その雑音の中、代表の1人が目の前に立つ。「山姥切が何の用だ?」「訂正させてもらうと、俺個人の用だよ。さて、取引といこうか」
取引の中身は単純だ。国広に掛けられた金全てをもって、俺が国広を買取るというもの。あれには利用価値がある、それくらい払うだけの。とにかくそう思っていたから、自分自身では道理だと思ったけれど、相手にはそうは見えなかったらしい。
「は?何言ってるんだ、山姥切んとこがアレを買い取って何の得がある?」「だから、俺個人の取引だと言っているだろう。どうする?今あいつを引き渡せば、確実に今2億は入るけれど?…言っておくけど、あいつ案外小賢しいぞ、油断をすれば逃げられるかもしれない。
それなら俺との取引に応じた方が賢明だと思わないか?」ペラペラとそれらしく捲し立てている間に、向こう側は応じる気はないのか仲間に連絡をとっていたらしい。「あのガキ連れ出しました」と小さく耳打ちしているのがうっかり聞こえてしまった。「ふぅん、あいつは12番倉庫か」「はっ、どうだかな」
「…そ、交渉決裂、かな。ならば無理にでも取り返すだけだ」このあたりの位置把握ならば、家の都合上完璧だと自負していた。迷わず12番倉庫方面に向か��と、丁度国広が何者かに引きずられている所。これはまずい、と思って、次にはもう、武器になりそうな物を適当に掴んで男のに向かって叩きつけた。
こんなことがあったからか、国広は始終大人しく、もう暫くは言うことを聞くモードのようだった。その夜には、部下から、国広を売ると伝達があった旨を伝えられる。どうやら名の大きさに今更恐れをなしたらしい。こちらとしてははじめから穏便に済ませたかったのだが残念だ。さて、これからどうするか。
国広には、家を潰すために動き回ってもらわなければならない。そう育てる必要がある。俺も情報がまだまだほしい。疲れが限界になったのか、眠ってしまった国広をベッドまで運びながらも今後について考えた。考えて、そうだとひとつ考えついた。
「まず、俺はお前を買取った。値段は2億7538万9623円…ちなみにまだ桜中生徒で世間知らずなお前に言ってあげるけど、一般的なサラリーマンが一生で稼ぐ金額は2億弱と言われている…どういうことかわかるね?」朝食もどこかで頼んだものが運ばれてきた。そんな食事をとりながら、
長義はなんでもないように昨日の話の続きを始める。「…俺は、何をすればいい」言わんとしていることはわかった。俺は、長義に対して一生かかっても返せないくらい借金があるのだ。その返済を、長義は求めている。しかし、俺は中学生だし、親は消えたし、家もないし、当然金もなかった。
身売りでもしろというのだろうか、と長義の方をうかがえば、長義はやたらと機嫌が良さそうだった。「話が早くて助かるよ。…俺は探偵事務所を開く。お前はそこで働いてもらう…危険は伴うが、代わりにお前の生活は全て保証してやろう、福利厚生ってやつだね。
それで、依頼のうち、お前が手伝ったものに関しては報酬の3割を俺への借金の返済としてやろう…帰る家もないお前にしてみれば、悪くない条件だろう?」「探偵…」「お前がみたとおり、俺の出身はああいうところでね。けれど、俺はあんなのとは違うんだ、その証明する…
そのための探偵だ、いかにも対立軸にありそうだろう」どうする?と再び聞かれたが、拒否権なんてあるはずがなかった。もう、俺にはこの場所で藻掻くしかないのだから。長義の手を取って「よろしく頼む」と言えば、長義はますます機嫌が良さそう��手を握り返して、「こちらこそ」と少し笑った。
終わらせてなかったので残り!長いよ! 舞台は現在に戻ります。 「要は、あのグループを仕留めて、言質をとってしまえばいいんだ。そうすれば、加州も全てを話してくれる」「仕留めるって…いいのか」「俺たちは警察じゃないからね、正攻法である必要もない」
それに、すでに正攻法ではないだろう?なんでもないようにそう言う長義くんに、まんばはまた始まったとばかりに苦い顔をする。自分がこっそり見に行ったカルテのことだ。けれどいちいち止めることもしない。まんば自身長義くんのそれに助けられた身だし、
長義くんの最終目的も知ってたし、それらをとうにわかった上で今まで付き合ってきてるのだし、それにまんばには長義くんに対して借金があるので、依頼解決の方が優先で、つまり今更のことだった。
長義くんの考えは単純だった。先日の埠頭で取った音声では、次の取引についても話がされていた。同じ場所でもう一度、といった内容のものは、ショーの前日だのものだ。そこで、長義くんは自身の名を使って黙らせる。家には御堂とその関係者についての不利切り捨てを促させておけば、
あとは勝手に消し合うだろう。問題は佐々木の方だった。こちらもその実御堂の筋の人間なのだろう。しかし、こいつを叩かず御堂を叩けば、逆上し依頼人や依頼人の周りの人に危害が及ぶ可能性がある。だから、佐々木は先に見つけ出して自ら黙らせる必要があった。場所の見当はいくつかついている。
「というわけで、もうお前は戻っていろ、あとはこっちで…」「嫌だ」「お前…」我儘を言うな、とため息をつく長義くんをまんばはじっと見る。折れるまで動かない、とでも言いたげな頑なさは長義くんもよく知るところだった。「お前わかっているだろう、お前の知るあの御堂の人間が関わっているんだよ。
現にパーティーでも…」「あ、の時は…だが、二度はないと誓う!これは俺の問題でもあるんだ。俺の問題を、勝手に他人に明け渡したりするものか!たとえお前でも、だ!」そう言い放つと、長義くんは呆れたというようにため息をついた。「…そういうところが子供だって言ってるんだ。
まあいい、精々人質に取られないように、隠れ方は教えたね?」「ああ、わかってる」「それじゃあ行こうか」そうしてまず向かった先は、加州のいる事務所だった。
扉の前で聞き耳を立てると、加州と男の声が聞こえる。早速当たりをひいたようだった。長義くんとまんばは気配を殺して会話の方に集中した。「…かに、お…くんは、…だよ。でも、」扉越しに聞こえる音はやや小さい。もっと、とまんばは寄ってみる。
「治らないのはわかってるよ、何度も聞いたし、何度も諦めさせられたんだ、わかってるよ。もう一度言う、俺はお前の移植手術の話には応じない!ちゃんと脅迫状は安定に見せてる、あいつは動いた。もう満足でしょ?」「ああ、非常に残念だよ。患者の命を救えたかもしれないのに…」「…っお前!」
「証拠は十分…かな。さて、そこまでだ」その言葉を聞いて、長義くんは遠慮なくドアノブを捻った。鍵はかかっておらず、あっさりと侵入を許す。突然の乱入者に、2人はハッとしてそちらを見る。長義くんは2人の注目などものともせずにレコーダーをチラつかせながら話を続けた。
「沖田さんは心臓を患っているそうだね。…確かに移植手術自体は近年増加傾向にあるけど…彼は認可を受けている施設に動く予定もなさそうだし、本当に患者を治す気があるのかな…それとも、奇病の患者の心臓が惜しい?少なくとも俺は聞いたことの無い病名だったし…」「な、何を…」
「お前が御堂の…そう、人身売買を扱う外道共と手を組んでいるのは知ってるんだよ。証拠はここにある…それに、」そう言って、長義くんは少し後ろに視線をやる。まんばは隠れていて、2人からはなんの行動かはさっぱり読めない。佐々木はその一瞬の隙をついて、長義くんに突っかかってくる。
狙いは証拠となるレコーダーだった。軽々と腕を掴まれて、その衝撃でレコーダーは地に落ちる。「っ痛…手荒だな、お前のその行動、それが全部記録してるよ」「壊せば問題は何も無くなるなァ?」「ちょ、探偵さん!」加州くんがやばい!と動く前に、押さえつけられたままの長義くんの目の前で、
レコーダーはあっさりと壊される。長義くんは特にそちらは気にせず、佐々木の方を見る。「持たぬお前に教えてあげようか。まず、お前は医者でありながら、患者の手術に度々、わざと失敗している。…意図的だ。人身売買を行っている御堂と繋がりがあるからね、それはそうだろうな。
けれど、そんな藪医者掛かりたいやつなんていないからね、勤め先の病院については頻繁にうつっていたようだ。もちろん、名前で検索をかけてしまえば悪評はわかってしまう。だから、御堂の人間に火消しを頼んだんだ。こうしてお前は人畜無害な医者を装っては患者に近づいては、
非健康的な臓器を売っていた…何に売れるのかは、知りたくはないけどね。健康体なら、あの手の輩は別の方法でとれるものだ…だから、売れたんだろう」「はっ、それがどうした?」「でも、御堂の家の息子がしくった。御堂は表では旧財閥系の分家のようなもの。
そこから人身売買なんて漏れたらたまったものじゃない。なぜしくったのか。加州が偶然、お前と御堂隆義の会話を聞いていたとか、そんなところだろう。沖田を次に売ることを知った加州はもちろん、そんなことを許せない。だから交渉したんだ。彼の大きなファッションショーは埠頭に近い。
ここに大量の警察をつぎ込めば向こうは手薄になるね?つまりこう、『次のショーで脅迫されたことにするから、沖田には手を出すな』と言ったところだろう…違う?」「…」「無言は肯定と受け取ろうか。けれど、加州とて犯罪の片棒を担ぐのはごめんだ。だから渋った。…けれど、その用意した脅迫状を、
大和守に見られてしまい…そして、彼から俺に依頼が来たんだ。次のショーで大事にすればお前達の取引をしやすくしてしまう…加州は大和守に被害届を出すとは言えないよね…どうかな?」加州は黙ったまま。佐々木はイライラとして、ぎり、と長義くんを押さえつける力を強める。
「お前…言わせておけばあることないことをベラベラと…!」「へえ、それじゃあ、どこまでが本当でどこからが虚構なのか聞かせてもらおうか」ものともせず、長義くんは変わらず佐々木を睨む。佐々木が殴りかからんとしたところで、ついに加州が声を上げた。
「…っ、ほ、本当だよ!そいつがどういう取引をしてるとか、そういうのは知らない!けど、俺のことについては、全部本当だ!」「お前…っ!」佐々木が長義くんを弾いて加州の方を向いたその時。「…国広!」「ああ!」長義くんのその言葉でまんばが長義くんに何かを投げ渡しつつ、
そのまま佐々木に特攻した。手荷物のはスタンガンで、全くの遠慮はなくそれを佐々木の首の後ろに押し当てる。突然の電流に叫ぶ佐々木に、呆然とする加州。その手を引いたのはまんばで、「立てるか?これは護身用のよくあるやつだから、そんなに持たない。早くここからでるぞ」と半ば無理やり立たせて
部屋の出口に向かう。逃がした獲物になんとか注意を向けたが最後、残っていた長義くんはあっさり背後をとった。「最後に教えてやるけれど、お前が壊したのはダミー、本物は今受け取ったんだけどよく取れてるよ」って聞こえてないか、と長義くんはのびた佐々木を見ながらそう呟き、悠々と電話をかけた。
「ちょっと、お前…!」「なんだ?」「いや、何じゃないでしょ、どういうこと?��あの探偵置いてきていいわけ?!」「構わない。事務所で落ち合う予定になっている…それに、あいつなら上手くごまかせる…あ、です」「ごま、…何が?」「…、ファッションショー、頑張ってください」
「言われなくても頑張るよ!ってそうじゃなくて!」走って向かった先、電車まで勢いで乗ってしまった加州は、息を整えながらまんばに抗議の声をあげる。「大和守さんに連絡取ります。もう大丈夫なので」「大丈夫って何が!」「…沖田さん」「…え、」「もう、全部大丈夫…なので」
「…はあ?あーもう!後で全部聞くからね!」そう言いながらも電車はあっという間に数駅を過ぎ、まんばが「降ります」と言えば加州くんも渋々着いていく。事務所の最寄り駅だった。行く道すがら見たところ、駐車場には車がもうあるようだった。帰ったのだろう、早いなと思いつつあがる。
「…ただいま。事情聴取は?」「面倒だから任せてきた」「…そうか」「…それ任せられるものなの?」訝しげに眉を寄せながら加州くんが部屋に入る。その先にはソファにちょこんと座る安定がいた。
こっからエピローグ。ほんと長くてすみません。 翌々日のこと。「…ということで、もう不安の種は取り除かれているかと。犯人は警察に通報されていますし、主治医ですが、変更になるそうです」「そうですか…ありがとうございました」「こちらは証拠品の類ですね。警察のガサ入れはあると思いますが
…そちらに来た折には提出してください」長義くんはそう言って事務的に調査資料を渡していく。「…はい。あの…国広くんは?」「あいつは…あいつなら熱を出したみたいで、部屋で休ませてます。最後ですし…挨拶させましょうか?」「あ、いえ…無理させちゃ悪いですから」安定がそう言って断り、
事務所の外へと見送られ、出入口へと来たところで、上の階から人が降りてくる。確認するまでもない。この数日一緒にいた高校生、国広だった。やや高級そうな素材のパジャマ姿のまま降りてきて、「長義」と呼ぶ声は、何度か話をした時よりも少し幼い。長義くんは断りを入れると振り返って
「お前、そのままで降りてくるなって言っただろう。大体、依頼人に風邪がうつったらどうするんだ」などと諌めるようにしながらまんばの元へ寄る。「…長義の声が下からしたから」「これ終わったら上に戻るから」「仕事あるだろう…俺が下にいればいい」「病人は布団被って大人しくしてろ馬鹿」
その様子をみながら、安定はそうだ、と今しがた寄り道をしたスーパーの袋に入っていたゼリーをもうひとつのビニール袋に入れて、開けようとしていたドアから離れ、長義くんの元へと駆け寄り、ビニール袋を渡した。「あの、これ」「え、いいんですか?」「お見舞い用といえばお見舞い用なので。
それに、彼にもたくさん頑張ってもらいましたから…お礼です」「俺、は…そんな、」言いながら咳き込んでしまうまんばの姿に安定は入院前の沖田くんを重ねてしまって、違うと首を振る。「そ、それじゃあ、本当にありがとうございました!」
そう言って、安定はビニール袋を押し付けると、足早に去っていった。残された長義くんは、ビニール袋を確認する。「…グレープ、みかん、もも、りんご」どれがいい?と訊ねて、まんばにも見えるようにビニール袋を大きく開いた。まんばはぼーっとしながらもビニール袋の中をしばらく眺めて、
小さく「もも…」と呟く。「わかった。食べたら寝るんだよ…俺も今日はもう上に行くから」長義くんのその言葉には声はなく、こくりと小さく頷いてみせた。 あの日、全ての事情を説明した翌日、起き出した時にはまんばには酷い倦怠感と頭痛が襲っていた。ふらふらと起き上がって、
ふらふらと朝食の準備をしていたところを、少し遅く目を覚ました長義くんが発見し、そのまま慌てた様子の長義くんによって、まんばはベッドに強制送還された。その流れで投げ捨てるように渡された体温計で熱を測ると、しっかりと38度を少し超える熱が出ている。
「パーティか病院で貰ってきたか…あるいはストレス性だろうな。今日はもう休め」「でも学校…」「お前は馬鹿なのかな。他人にうつすなって言っているんだよ」「う、すまない…」「医者は…連れていくのもな…呼ぶか。食事も用意させるから…あとは…」長義くんが呟きながら思案していると、
くいと服の裾を引っ張られる。犯人は言うまでもない。「長義、」「…どうしたかな?」「…俺、頑張れただろ」「…うん」それ以上のことはまんばはなにも言わなかった。気まずそうに目を逸らして、なんでもないと言葉を紡ぐことをやめてしまう。長義くんはベッドサイドの端に座って、
目元にかかったまんばの前髪を軽く払ってやった。結構熱くて、少し戸惑う。「…もっと、俺…頑張る、から」「…うん」「だから、今だけ、」それきり、まんばは眠ってしまう。彼に頑張らせるように強いたのは他ならぬ自分だというのに、長義くんは若干の罪悪感にまんばを撫でた手を止める。
彼には確かに退路はなかった、けれど、公的機関に助けを求めさせることをせず、依存させたのは自分だというのに、ふと、同情しそうになってしまった。「…ごめん」眠っていて、視線が合わないことはわかっているのに、何故か顔を見れない。届かない謝罪が、ぽつりと部屋の中に響いた。 おしまい!
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マルク・レビンソン『コンテナ物語』
本の帯に「世界を変えたのは『箱』の発明だった」とある。「箱」は起業家でもあり発明家でもあったマルコム・マクリーンによって生み出され、その後の半世紀で世界の物流を激変させる立役者となった。 しかし、本書の最終章「コンテナの未来」で著者は、「箱」が巨大な廃棄物となりテロや核汚染物質の隠れ蓑として使われる不吉な現状を書き記している。発明から半世紀を経て「箱」は、富の運び手としての生涯を終えるのだろうか。その予見からすでに13年が過ぎた。 著者ははじめ、「箱」を発明したマクリーンの物語を書くつもりだったようだ。しかし、幸いなことに本書には、マクリーン個人の物語に止まらず、「箱」が海運業界を大きく変貌させていく様子が描かれている。学術的な資料がほとんど残されていないという海運業界は、貴重な歴史資料を手に入れたことになる。 本書の価値はそれだけではない。コンテナという改革がもたらした労働への影響は、まさにいま進行中の、これからわたしたちの現実となるAI時代の失業を考えるうえで、重要な示唆を与えるものとなっている。
��済発展のなかで顧みられなかったコンテナ
マクリーンが発明した「箱」が、最初にコンテナとして船に積み込まれ航海に出たのは、1956年4月だったという。そのころ港には、コーヒー袋を肩に担いで運ぶ日焼けした沖仲仕(おつなかし)が群れをなしていた。サンフランシスコ湾で沖仲仕をしていたエリック・ホッファーが『波止場日記』を書いたのもこのころだ。当時の海上輸送運賃は、「商品によっては運賃が製品価格の25%にもなる」ケースがあったというから驚く。
しかし、高額だった当時の海上輸送費はやがて一変する。「10年後の1966には、世界の工業製品貿易の伸びは、工業生産高の伸びの2倍、世界経済成長率の2.5倍を記録した」という。これについて著者は、通常はGDPの伸びが貿易を促進するが、貿易がGDPを上回った背景には何らかの理由があるとして、つぎの三つの要因を挙げている。1)
1)輸送技術の変化があった。 2)イノベーションが重要な役割をはたした。 3)輸送コストが経済地理学に影響をおよぼした。
このすべての要因にコンテナが影響したというのが著者の見方だ。しかし、これまでその影響がまともに取り上げられたことはなかったという。なぜ、コンテナは注目されないのか。この疑問が、著者に本書を書き進める動機をもたらした。 影響があったといえば確かにそうだろう。バラ積みとコンテナの間には、アナログとデジタルほどの質的な違いがある。コンテナの登場により、形態の定まらない不定形な量が、同じ形の個数で扱えるようになったからである。マクリーンが行なった「箱」の発明は、たしかにイノベーションの発火点になっている。 さらに、「箱」が流通するようになると形状の規格化が求められる。それによって、サイズや耐久性、関連する業界規格、そしてクレーンや船の形までもがつぎつぎと新しくなり、統一されるようになった。それによって生産や流通の無駄が減り輸送量が増えてくる。こうして輸送技術全般の技術革新の進展とともに、リカードが経済のメカニズムとして考慮しなかった国際輸送のコストが引き下げられ、結果として貿易量の伸びがGDPの伸びを上回るようになったというわけである。 マクリーンに翻弄されながらも進んだ改革 本書には、こうした変化の荒波のなかで、現場がどれほど激しい混乱に陥ったかが実に詳細に書き記されている。マクリーンは企業の買収と売却を繰り返し事業を拡大してく起業家だったが、それと同時に、大胆に素早く改革を進める行動力を持ち合わせていた。すべての混乱は彼が火種を蒔いたといっても過言ではない。 マクリーンが「箱」を発明した後、まず持ち上がったのは労働問題だった。荷役の機械化は港湾労働者の仕事を奪うことになる。最初のコンテナが積み込まれてから2年後、すなわち1958年の段階で、はやくもマルコム・インダストリーズの経営陣はつぎのように述べている。2)
「コンテナ船の荷役には在来船の6分の1の時間しかかからず、労働者の数は3分の1で済む」
沖仲仕が肉体労働で荷物を積み込んでいた時代に、経営陣が突然こうした話を持ち出せば、当然のように混乱が起こる。「そもそも貨物をコンテナなんぞに入れるのがけしからん」という話まで出たとある。そして、その数ヶ月後には、2万1,000人の港湾労働者がマディソンスクエアガーデンに集結し、機械化反対を唱えて気勢を上げたという。 雇用を守ろうとする労働者側と、機械化を進めようとする経営側の激しい応酬はもつれにもつれ、東海岸から西海岸の海事関係者を巻き込んだ闘争に発展する。西海岸ではエリック・ホッファーが、後に成立することになる「機械化・近代化協定」の賃金保障にたいし、労働そのものを手放してはならないと主張し反対を表明したとある。3) 一方、東海岸では組合自体がまとまらず紛争が長期化した。そして1962年、ついにケネディ大統領が介入する事態に発展する。ケネディが指名した調停団の勧告は、いつまでもコンテナ化を拒否するつもりなら、政府は断固とした措置を取るというものだったそうだ。それでも事態は収集せず、問題はジョンソン政権にもつれこむ。最終的に労働者側と「年間所得保障」で決着を見たのは1965年のことだったという。4) 混乱に陥ったのは労働問題だけではない。規格をめぐる混乱も起きている。無秩序なコンテナ開発に歯止めをかけようとする行政機関、コンテナの大きさや固定方法をめぐる規格関連団体間の交渉はやがて大手海運会社、航空会社、鉄道を巻き込み、国境を超えたせめぎ合いへと発展する。本書に登場する規格関連の機関や専門委員会の数は、おそらく10を下らないだろう。この争いは10年以上つづき、やっと1966年ごろから国際コンテナ輸送が現実味を帯びはじめたようだ。 結局、マクリーンが蒔いた火種は運輸に関係するあらゆる組織に燃え移り、10年間も燃え盛った挙句やっと沈静化したのである。その一方、時間と体力を消耗する労働は波止場から姿を消し、安定した収入が保障されるようになった沖仲仕は、「ちっとも楽しくなくなった」とこぼすようになったとある。 そして著者は、問題がすべて解決したわけではないとしながらも、「この間に航空士組合は計器飛行導入に伴う解雇を認め、鉱業労働連、植字工組合、国際婦人服仕立て職人連合、アメリカ音楽家連盟なども機械化に直面し、雇用確保に苦労している」とし、「港湾労働者の協約は、その意味ではお手本だった」と述べている。5) コンテナが押し上げた世界経済とマクリーンの足跡 労働問題や規格統一に揺れた10年が過ぎると、徐々にコンテナが経済に影響をおよぼすようになる。本書のなかからマクリーンの動きとともに、その概要を整理した。MI社とあるのは、彼が設立した海運会社マクリーン・インダストリーズの略である。
1962年:コンテナの貨物に占める割合は微々たるものだった。 1966年:はじめて大西洋でのコンテナ輸送サービスがはじまる。 1968年:ベトナム向け戦争物資のコンテナ輸送がフル稼働に。 1968年:日本最初のコンテナ船がアメリカに向けて出航。 1970年:欧州向け軍用貨物の半分がコンテナで運ばれる。 1972年:シンガポールでコンテナ船専用埠頭が開業。 1972年:高速コンテナ船の規模が全長270mに達する。 1977年:MI社がユナイテッドステーツ海運を買収。 1980年:コンテナ船の積載能力が1,000万トンに達する。 1982年:MI社がコンテナ船14隻を韓国の大宇に発注。 1985年:MI社、6,700万ドルの赤字に転落。 1985年:油価急落により、低速のMI社は競争力を失う。 1986年:MI社、2億3,700万ドルの損失を計上。 1986年:MI社、12億ドルの負債を抱えて倒産。
コンテナの活用がはじまって最初の10年で、大型コンテナ船が活躍する場は世界規模になり、その後の10年でコンテナ船の大量建造が急激に進みはじめた様子がよくわかる。本書に掲載されているフルコンテナ船の隻数と積載能力の推移を示す図によれば、1965年から1974年の9年間で、コンテナ船の積載能力はおよそ35倍にも増加している。6) その一方で、海運業界の競争は激しさを増し、マクリーンが創業した海運会社は倒産の憂き目に会っている。著者は倒産の理由について、マクリーンが所有していたユナイテッドステーツ海運の船は燃費はよいが船速が遅く、原油価格の値下がりを武器に高速でコンテナを運ぶ他社の船に勝てなかったからだと書いている。そして、2001年5月末にマクリーンは帰らぬ人となった。マクリーンの葬儀が行われた5月30日の朝には、世界中のコンテナ船が汽笛を鳴らして弔意を表した���うである。7) この間の世界の輸出額がどのように変化したかといえば、コンテナ誕生から10年後の1966年には、世界の貿易の伸びは世界のGDP成長率の2.5倍を記録している。さらに調べてみると、その後の変化はもっと激しい。1966年からマクリーンが亡くなった2001年までの35年間に、世界の輸出総額は6.5倍に拡大している。8) その上で、GDPにたいする貿易の伸び率は2.5倍を維持しているのである。9) つまり、マクリーンによって生み出されたコンテナは半世紀以上にわたり、貿易を通じて世界を牽引し続けたことになる。そしてマクリーンは、自分が育て上げたコンテナに押しつぶされるように、この世を去った。 昔話ではすまないAI時代の厳しい現実 コンテナがもたらした大変革のなかで、海上輸送の機械化に職を奪われた労働者は、ほんの10年ほどで波止場から姿を消すことになった。しかし、彼らは新たな職に就けたわけではない。生産性の向上による分け前を所得保障によって受け取ったのである。変わったのは職ではなく生活だった。なぜ、彼らは職を変えることができなかったのだろうか。当時の事情について、著者はつぎのように述べている。10)
「60年��の労働者は基本的な読み書きや計算もできないものが多かったから、再訓練をするのもむずかしかったのである。工場労働者の半分は中学卒程度の教育しか受けていなかった。」
ここに書かれていることは、いまわたしたちが直面している問題を思わせる。コンテナを「AIとロボット」に、港湾労働者を「10年後に消える職業」に置き換えれば、そのままわたしたちの現実になるからだ。いまでは沖仲仕のような肉体労働を目にすることはないが、それに変わるオフィスワーカーが労働者の大半を占めている。そして、マクリーンの時代と同様に、労働者はあらたな機械化の波、すなわちAIやロボットに仕事を奪われようとしている。 それでは、現代の労働者の転職事情はどうだろうか。AIやロボットが活躍する時代になっても、人間にはあらたな仕事があるとする意見も多い。そうしたなか、新井紀子氏は『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』のなかで、全国2万5,000人の基礎学力を調査した結果について、衝撃的な実態を記している。11)
「日本の中高生の読解力は危機的と言ってよい状況にあります。その多くは中学校の教科書の記述を正確に読み取ることができていません。」
「中高生の読解力が危機的な状況にあるということは、多くの日本人の読解力もまた危機的な状況にあるということだと言っても過言ではないと思われます。」
新井氏は2011年に「東ロボくん」プロジェクトを立ち上げたことで知られている。東ロボとは、AIにどこまでのことができるかを解明するために新井氏らが育てた、いわば機械仕掛けの生徒である。新井氏によればその東ロボの実力は、東大に合格するのは無理だが、MARCH(マーチ)の合格圏内にはあるという。12) MARCHとは、明治、青山学院、立教、中央、法政の5大学を指す。つまり、現在のAIは、名の知れた私立総合大学なら入れる実力を持っている。一方で、日本人の相当数が、中学校の教科書が正確には読み取れない状況にある。そうであれば、AIに職をうばわれた人々は、いったい何の仕事に転職できるというのだろうか。 機械化は労働の裾野からやってくる。マクリーンが発明したコンテナは肉体を駆使する労働をうばったが、現代のテクノロジーが生み出した人工知能は、機械的な知識や判断が中心の労働をうばうことになる。データ入力作業、保険や不動産、あるいは納税申告など、決められたルールに従うことで完結する仕事がこれにあたる。すでに日経新聞の決算サマリーは、AIのみで自動執筆されている。13) 住信SBIネット銀行は、AIによる個人向け融資の審査を開始した。14) こうした事例は製造現場からサービス分野まで、急速に広がりつつある。 この状況は、マクリーンがコンテナとともに辿った足跡と、あまりにもよく似ている。マクリーンの時代に、コンテナの規格化が普及に拍車をかけたように、AIがデータを吸収し学習すればするほど、その社会進出は加速するだろう。そして、マクリーンが自分が育てたコンテナに押しつぶされたように、教師であったはずの人間が労働をうばわれ、AIに取って代わられる現代人の姿が脳裏に浮かぶ。 消滅するなかで港湾労働者たちが掴んだ知恵 AIに職を奪われても転職がむずかしい現実のなかで、何よりも問題になるのは、職を失った人々の暮らしである。この難題についても『コンテナ物語』には、貴重な教訓と知恵が残されている。 著者によれば、1951年のニューヨーク港には5万1,000人以上、ロンドンでも5万人の登録労働者がいた。15) さらに、港湾関係の仕事に従事する労働者は50万人以上いたという。16) 。当時のニューヨーク市の就労者数は300万人とあるから、これは市民の17%に当たる。 「箱」が発明されてから最初の10年ほどは、コンテナ化が労働に与える影響は目立たなかった。しかし、コンテナが普及しはじめた1960年代になると、労働問題の深刻化と労働者数の減少が同時進行するようになる。当時、港湾関係の労働がいかに激しく減少したかについて、著者は次のように書いている。17)
「63~64年のマンハッタン埠頭における港湾労働者の延べ労働日数は140万人日だった。しかし、67~68年には100万人日を下回り、70~71年には35万人日に、75~76年には13万人日に減っている。12年間でじつに91%の減少である。」
労働条件をめぐる争いが沈静化したのが1965年ごろだったことを思い出すと、「機械化・近代化協定」や「年間所得保障」による決着は、労働減少が本格化するまでになんとか間に合ったように見える。あるいは、協定や保障のおかげで離職や退職がしやすくなったのかもしれない。いずれにせよ、コンテナがもたらした機械化の弊害を、話し合いでなんとか乗り切ったということだろう。例えそれが喧嘩腰の闘争であり、仕事のやりがいをなくする決着であったとしても。 混乱と苦悩の10年を振り返り著者は、港湾労働者の執拗な抵抗は、一つの原則を確立したとして次のように述べている。18)
「仕事を奪うようなイノベーションを産業界が導入する場合には、労働者を人間的に扱うという原則である。この原則は結局ごくわずかな産業でしか受け入れられなかったし、法律に定められることもなかった。
東西両岸でILA(国際港湾労働者連盟)とILWU(国際港湾倉庫労働者組合)が勝ち取ったもの、すなわち機械化で利益を得る経営陣と職を奪われる労働者とがそのメリットを分け合う仕組みは、ごく稀な例外だったと言える。」
著者が指摘するこの原則もまた、AI時代がはじまろうとする現在に当てはまる。原則は二つある。ひとつは「イノベーションがどうであろうと、労働者を人間として扱わねばならない」、もうひとつは「機械化で得られる利益は、経営者と労働者で分け合わなくてはならない」である。半世紀前に起きた世界規模の機械化のなかで、この二つの原則が生まれたことは驚くべきことではないだろうか。「箱」の発明は結果的に生みの親のマクリーンを押しつぶす怪物に成長したが、関係者の知恵により労働にたいする新たな原則も生み出していたのである。 大失業時代を乗り切るための原則 2018年の現在、以上の経緯からAIとベーシックインカムの関係を思い出す人も多いだろう。ベーシックインカム自体は、産業革命がはじまった18世紀後半からヨーロッパで議論されてきたといわれる。しかし、明確にAIとの関連でベーシックインカムが取り上げられるようになったのは、ごく最近のことではないだろうか。国内でその口火を切ったのは、2016年に刊行された井上智洋氏の『人工知能と経済の未来』ではなかったかと思う。 同書のなかで井上氏は、「2045年には、内実のある仕事をし、それで食べていけるだけの収入を得られる人が1割しかいない可能性がある。」と予測している。19) これは失業者5,400万人、労働者1,000万人に相当する。わたしたちはこれほどの大失業時代を、どう乗り切ればいいのだろうか。いくつかの社会保障を比較した上で井上氏は、AIとロボットがいくらでも生産を高められる社会では、ベーシックインカムは失業対策の切り札となるとして次のように述べている。20)
「所得の一定率、例えば25%をベーシックインカムにあてるというルールを採用した場合、経済成長率と同じような率でベーシックインカムの額は増大していくことになる。」
「もし、ベーシックインカムのような社会保障制度がなければ大半の人々にとって、未来の経済は暗澹たるものになりかねません。ベーシックインカムなきAIはディストピアをもたらします。しかし、ベーシックインカムのあるAIはユートピアをもたらすでしょう。」
考え方そのものはシンプルだ。全員に25%の所得税を掛け、全員に一定額の給付をするだけの仕組みである。この方式が機能すれば、確かに大失業はあっても生活自体に困窮することはなくなるだろう。しかも、ここには半世紀前の失業問題から学んだ、「機械化で得た利益は、分かち合わなければならない」原則が生きている。 もちろん、ベーシックインカムには反対意見もある。その多くは、インフレの懸念、高額所得者の反発、働く意欲がなくなるといったものだ。『コンテナ物語』にも、賃金保障によって「ちっとも楽しくなくなった」とこぼす沖仲仕の話がでてくる。争点はあるだろう。だが、5,400万人の購買力が失われれば生産そのものが行き詰まる。 いまわたしたちは、AIとロボットに職を奪われようとしている。AI時代の転職は、半世紀前よりはるかに狭い道になる。2045年には5,400万人もの労働者が職につけない可能性も指摘されている。300万人の17%が職を失った半世紀前とはまるで規模が異なる。起こりつつあることは、半世紀前の港湾労働者の失業問題よりもさらに過酷だ。 しかし、幸いわたちたちには貴重な教訓が残されている。機械化で得た利益が分かち合われるとき、たとえ職を失っても人間は人間であることができる、という考え方である。これは、天才や偉大な指導者の教えではない。10年におよぶ混乱と苦難のなかから先人たちが現場で学び取ったものだ。その教訓が、ベーシックインカムの議論とダブって見えるのは、わたしたちの未来に対する一筋の光明ではないだろうか。
1)マルク・レビンソン『コンテナ物語』日経BP社, 2007年. 2)前掲書, p.146. 3)前掲書, p.160. 4)前掲書, pp.164-170. 5)前掲書, pp.171-172 6)前掲書, p.287(図2). 7)前掲書, pp.315-316. 8)Our World in Data "International Trade" https://ourworldindata.org/international-trade 9)日本銀行国際局「スロー・トレード:世界貿易量の伸び率鈍化」2016. 10)前掲書, p.171. 11)新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』東洋経済, pp.172-173. 12)前掲書, p.23. 13)日本経済新聞「完全自動決算サマリー by NIKKEI http://pr.nikkei.com/qreports-ai/ 14)プレスリリース「住信SBIネット銀行と日立、AIを活用した金融機関向け審査サービスの創出に向け検討を開始」2017. 15)マルク・レビンソン, 前掲書, p.40. 16)マルク・レビンソン, 前掲書, p.116. 17)マルク・レビンソン, 前掲書, p.137. 18)マルク・レビンソン, 前掲書, p.173. 19)井上智洋『人工知能と経済の未来』文藝春秋, 2016, p.166. 20)井上智洋, 前掲書, p.235.
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一百二十年前發生的中日甲午戰爭並不帶有必然性,中日兩國在東北亞有利益交集,並不必然存在利益衝突。兩國相互不信任始自1876年的《江華條約》。這個條約的第一條規定:
朝鮮國自主之邦,保有與日本國平等之權。嗣後兩國欲表和親之實,須以彼此同等之禮相待,不可毫有侵越猜嫌。宜先將從前為交情阻塞之患諸例規一切革除,務開擴寬裕弘通之法,以期永遠相安。(《六十年中國與日本》第一冊,135頁)
朝日兩國互視對方為主權完整的政治實體,兩國交道都由自己負完全的責任。這在今天看來並不是問題的問題,在當時卻引起了清政府極端不滿。
1
重構大國均勢
怎樣讓朝鮮重回「中國的世界秩序」,引起中國政治精英的思索。
何如璋
駐日公使何如璋此時正在參與琉球善後處理,他認為,要想維持朝鮮體制,讓朝鮮繼續留在「中國的世界秩序」中,不再發生琉球式的悲劇,不是阻止朝鮮與日本交往,讓朝鮮重回封閉狀態,而是反其道而行之,加大朝鮮對外部世界的開放,要讓朝鮮不僅對日本開放,而且要向全世界全方位開放,要絕對防止朝鮮成為與日本鐵桿盟友,當然也不能人為離間日朝關係。
與何如璋的想法比較接近,丁日昌在向朝廷提交的一份報告中指出,日本吞併琉球是一個非常值得註意的動向,是日本軍事擴張的開始,這一舉動意味著東北亞必將進入一個空前的危機狀態,多則五年,少則三年,日本不南攻台灣,必將北圖朝鮮。假如朝鮮重蹈琉球覆轍被日本吞併,那麼日本,還有俄國,則極有可能將東北亞視為下一個爭奪目標,中國必將進入一個前所未有的動蕩期。
丁日昌的分析深刻啟發了朝野諸公。1879年8月26日,清政府選擇了一個更大膽的方案,以傳統中國「以夷制夷」的辦法,責成李鴻章以私人名義致信朝鮮退休領導人李裕元,婉勸朝鮮主動並全方位變革。
李鴻章指出,世界大勢在過去幾十年急劇變化,東北亞局勢也隨著日本明治維新進程而改變。日本崇尚西法,營造百端,自以為已得富強之術,其實國庫空虛,負債纍纍,不得不「有事四方」,冀拓雄圖,以償所費。又由於日本所處特殊地理環境,其「有事四方」第一步,北則朝鮮,南則台灣。李鴻章勸朝鮮領導人認真想想,假如朝鮮還想保持穩定,莫如「以毒攻毒,以敵制敵」,借西方諸國要求通商之際,儘快與各國達成妥協,簽訂協議,以此牽制俄日。
朝鮮對外部世界或許真的恐懼,而中國畢竟已與洋人打交道數十年,擁有正反兩方面的經驗,可供朝鮮借鑒。李鴻章指出,「從前泰西各國,乘中國多故,並力要挾,立約之時,不以玉帛,而以兵戎。所以行之既久,掣肘頗多,想亦遠近所稔知。貴國若於無事時許以立約,彼喜出望外,自不致格外要求。如販賣鴉片煙、傳教內地諸大弊,懸為厲禁,彼必無辭。」(《清季外交史料》卷十六,303頁)
李裕元是朝鮮為數不多通曉世界事務的領導人,與李鴻章關係也不錯,但他對李鴻章的建議評價不高,興趣不大,以為這些東西不過是古典中國遠交近攻、以夷制夷,既無創建,更沒有現代意識。
至於朝鮮怎樣才能避免琉球悲劇,李裕元認為,西方諸強國並不可恃,那些西方人整天掛在嘴上的所謂公法、正義,其實既不公也不義。這些國家說到底都是現實主義、利己主義,與自己不利的事情,甚至對自己並沒有損害的事情,只要無利可圖他們也不會聲張正義,幫助弱小。琉球被日本吞併了,哪個西方國家出面聲討過日本,哪個大國表示過率有道伐無道?都沒有,一個也沒有。李裕元告訴李鴻章,即便朝鮮與東西方所有國家建立了普遍的外交關係,也不能保證朝鮮的安全。通商就是通商,外交就是外交,沒有必要自欺欺人,放大通商外、交的意義。李裕元回絕了李鴻章的建議。
李裕元的拒絕反映了朝鮮對外部世界的恐懼與戒備,但朝鮮必須打破封閉向世界開放,尤其是打破日朝關係單向格局,是清政府內部比較一致的看法。
駐日公使何如璋強調,要想維持朝鮮體制,不再發生琉球之類的事情,必須想辦法促使朝鮮發生改變,幫助朝鮮向世界開放,防止朝鮮與日本結盟。
根據何如璋分析,朝鮮向世界開放對中國是一個絕對值得期待的利好。朝鮮風氣一開,自然有條件講究武備,鞏固國防,不必擔心西方各國進入會影響中朝宗藩關係。相反,朝鮮向全世界開放能有效杜絕俄國、日本的覬覦。
為此,何如璋提出中朝關係兩種新糢式,第一,在朝鮮派駐辦事大臣,代表朝廷主持朝鮮內政外交,從而使外人不敢覬覦。第二,重構東北亞「大國均勢」,中國「與天下萬國互均而維持之」,協助朝鮮與西方諸國訂約通商,以朝鮮的進步維持中朝宗藩關係。
在中方不斷勸說下,朝鮮也有比較積極的回應。1879年底,朝鮮派遣僧人李東仁為密使赴日本往見何如璋,希望促成朝鮮與美國進行直接談判。
朝鮮的動態迅速傳至北京,何如璋建議朝廷不失時機接受朝鮮的請求,勸說美國前往朝鮮締結和約。朝鮮之所以首先選定美國,據何如璋分析,朝鮮認為美國是當今世界較為公允,較少偏見的大國。
1880年初,朝鮮又派密使往訪何如璋,密報朝鮮國王及一些核心大臣決議推動開放,然而他們普遍擔心元老派反對,因而請求清政府出面勸說那些元老派。
朝鮮的消息是正面的。何如璋認為,中國作為宗主國,有責任出面勸說屬國面向世界,尋求開放。他在勸說、敦促朝廷的同時,還希望通過另外的渠道直接影響朝鮮。當年(1880)8月,朝鮮獲知美國負責遠東「特別商務使命」的海軍將領薛斐爾將訪日本,迅即派遣修信使金弘集訪日,尋求與美國進行直接交涉的機會。
在日期間,何如璋及公使館參贊黃遵憲與金弘集等多次會晤,分析大勢。何如璋指出,朝鮮這樣弱小的國家必須利用大國進行博弈,「一國與強國鄰懼有後患,則聯合各國以圖牽制」,朝鮮只有爭取大國普遍同情,才能保證自己的穩定、發展,走出一條新路。
何如璋的建議使金弘集等耳目一新,但金弘集依然擔心朝鮮內部舊勢力。為堅定朝鮮開放國門走向世界的勇氣,何如璋責成黃遵憲起草《朝鮮策略》,為朝鮮政府描繪一幅誘人的未來情景。《朝鮮策略》大致是,朝鮮當今要務莫急於防俄,防俄之策就是親中國,結日本,聯美國,以圖自強。於親中國則稍變舊章,於結日本則急修條規,於聯美國則急締善約。
2
控制與反控制
經李鴻章等居間撮合,《朝美通商條約》1882年5月22日達成,確認朝美兩國「人民各皆永遠和平友好,若他國有何不公輕衊之事,一經照知,必須相助,從中善為調處,以示友誼關切」。這是一個不小的進步。
美國對朝目標是通商,因而條約重心就是自由貿易、最惠國待遇、領事裁判權、關稅協定等,凡此,都是十九世紀晚期自由貿易的基本原則。
正如李鴻章所期待的那樣,《朝美通商條約》贏得了西方世界普遍歡迎。世界各大國也在美國示範下,迅速與朝鮮達成雙邊通商協議。這些協議與李鴻章幫助談妥的朝美協議大致相同,比如英國緊隨美國,由於擔心法國人後來居上,居然在美朝簽約後不到半個月,甚至一字不改照抄《朝美商約》,改題《朝英商約》。緊接著,法國、德國、義大利、俄國接踵而來,均在中國政府協助下與朝鮮達成雙邊協議。應該說,這是朝鮮的進步,是正途,也是中國政府近代以來處理朝鮮半島事務最正確的一個時期。
「大國均勢」為中國政府贏得了榮譽,也重新迎來了朝鮮事務的主導權。相應的,實際上也就削弱了日本對朝鮮事務的控制權。因而,在朝鮮對外開放進程中,日本無形中成為失意者。這是日本自《江華條約》簽訂以來最大變化,日本人從來沒有想到。
日本當然不會甘心於朝鮮事務控制權的失落,日本在過去若幹年畢竟執著地引領朝鮮走向現代,促進朝鮮對外部世界開放,在這一點上不僅與中國此時的政策一致,而且發生得早,始終一致。所以,日本無法容忍清政府重新攫取朝鮮事務的控制權,無法容忍中國在朝鮮一國獨大。中日之間紛爭再起,只是時間問題。
在朝鮮內部,自《江華條約》以來也在發生著巨大變化,改革的思想,對外開放的思想,漸漸在日本影響下成為朝鮮社會內部一股不可小噓的政治勢力。這股勢力在很多時候被稱為「開化黨」,他們期望朝鮮能夠糢仿明治維新進行政治改革。
當然,也不必否認,自從日本的勢力進入朝鮮之後,日本也在朝鮮刻意培植自己的代理人,開化黨的骨幹如洪英植、樸泳孝、金玉均等,都與日本有著或多或少的聯繫,對日本有著很深的依附感、親近感,所以這一部分朝鮮人決不會輕易接受清政府新方略,不願讓朝鮮再度成為中國的藩屬。這是民族覺醒、近代民族國家重建過程中值得理解、重視的一個因素。從這個意義上重新理解1882年「壬午兵變」、1884年「甲申政變」,不難看出中日兩國控制與反控制的影子。
3
十年發展黃金期及其潛伏的問題
壬午兵變、甲申政變,是重新對外開放初期朝鮮改變歷史走向的大事件。壬午兵變的目標,原本是舊軍人的嘩變,是對待遇低下的抗爭,只是後來被失勢的大院君所利用,演化成一場反日本、反閔妃集團的政治行動,從而將中日兩國控制與反控制衝突表面化。
花房義質
事變後,日本加強了對朝鮮的控制,命令駐朝公使花房義質率軍隊重回朝鮮,提出增開商埠、使館駐兵、割讓土地的要求,依然期待在朝鮮享有獨佔、獨享或優先的權利。
對於日本的動態,中國方面了如指掌,駐日公使黎庶昌獲悉日軍向朝鮮進發的消息後,迅即電請北洋大臣派兵前往觀變。正在天津的朝鮮大臣金允植、魚允中等,也順便請求清政府以宗主國身份向朝鮮用兵,防止日本借端要挾。
此時暫代李鴻章北洋大臣兼直隸總督職務的為張樹聲,張樹聲聽從幕僚薛福成等建議,命令丁汝昌、馬建忠率軍艦三艘前往朝鮮,又命輪船招商局協助吳長慶所部淮勇六營東渡,相機行事,遏制日本「居功問罪」(《清光緒朝中日交涉史料》卷三,31頁),確保朝鮮儘快恢復秩序。
日本公使花房義質根據指示與朝鮮進行談判,而朝鮮自恃清政府撐腰,不願接受花房義質要挾,談判幾乎破裂。花房義質使用恐嚇手段致書朝鮮國王,聲稱如果不接受日本的要求,朝鮮必須為此付出代價。
馬建忠、丁汝昌、吳長慶等一方面鎮壓亂黨,一方面部署逮捕大院君,並將之解押至中國扣留。朝鮮政治至此完全歸清政府代為處理,清政府希望將日朝談判轉化為中日談判,讓一個獨立的朝鮮重回到藩國狀態。
日本政府當然不會接受清政府的安排,不願接受中方調停,更不會與中方進行壬午兵變善後談判。日本堅守《江華條約》原則,視朝鮮為一獨立主權國家,認為日朝之間的交涉無須他國尤其是中國居間調停。
對於日本政府的堅定立場,中國方面毫無辦法,馬建忠等人除了幫助朝鮮政府出謀劃策,最大限度遏制日本對朝鮮的野心,能夠做的事情非常少。日朝兩國代表經過一段時間的談判終於在8月30日達成協議:第一,朝鮮同意撫恤受害者遺屬,同意緝兇並嚴懲;第二,同意賠償日本軍費五十萬元;第三,同意日本派兵保護使館。這就是「濟物浦條約」,或曰「仁川條約」的主要內容。
1882年的「仁川條約」是對1876年「江華條約」的發展,表明日本在中國強勢回歸朝鮮的政策確立後並不願意退縮,尤其是允許日本在朝鮮使館駐軍,實際上為後來中日衝突埋下了伏筆。
假如沒有1860年後二十年經濟持續發展,中國面對日本在朝鮮的擴���,或許還會像先前一樣盡量撇清與朝鮮的宗藩關係,以「番國自主」應對日本挑釁。現在的情形與先前確實不太一樣了,經濟增長了,而且朝鮮距離中國政治心臟太近了,日本在朝鮮的擴張也就成了清政府心腹之患,中日之間發生衝突的幾率自然在提升。
經濟增長,實力恢復,使中國官紳中的大國沙文主義情緒急劇滋生。恰當此時,法國在南部邊陲越南加緊活動,中法關係急劇惡化,至1883年底,中法兩國軍隊在越南北部發生了直接衝突。翌年,法國將戰火引至中國本土,對台灣、福建實行封鎖、進攻。中國面臨南北兩面作戰的風險,日本充分利用了這一點,於是在朝鮮發生了改變歷史走向的「甲申政變」。
所謂「甲申政變」,就是朝鮮統治集團內部那批「開化黨」在日本人支持下所發動的政變,其目��就是利用中法戰爭間隙,利用清政府無力東顧的機會,蓄意排斥中國在朝鮮的影響力,扶植一個完全親日的新政權。然而,讓日本人、開化黨完全想不到的是,中國駐朝鮮的年輕軍人袁世凱膽略驚人,隨機應變,親率清軍及朝鮮親軍直闖朝鮮王宮,與日本軍隊以及親日的朝鮮軍隊正面衝突,日本公使攜部分開化黨人敗走仁川,政變平息,國王還宮。
袁世凱的機智、膽略是甲申政變得以比較順利解決的關鍵。這件事情為袁世凱贏得了榮譽、機會,使朝鮮政府的親中傾向一度高漲。但是實在說來,袁世凱的這種做法也讓相當一部分朝鮮人寒心、不信任,以為「天朝上國」的做派實在不合乎近代國家間的原則。當然,中國人此時對「番國自主」的說法已經徹底反悔,袁世凱在政變後向清政府貢獻的主要建議,就是「莫如趁此民心尚知感服中朝,即派大員,設立監國,統帥重兵,內治外交,均代為理,則此機不可失也。」(《清季外交史料》卷五,18頁)袁世凱毫不客氣地希望中國就此兼並朝鮮,一舉打消日本、俄國對朝鮮的覬覦。
清政府、李鴻章當然沒有接受袁世凱的魯莽建議,在稍後的中日善後談判中,李鴻章也沒有接受伊籐博文懲辦袁世凱的要求,竭力為袁世凱辯護,但是畢竟因為袁世凱大膽用兵,引發中日之間的直接衝突,李鴻章不得不在一些重大問題上讓步:一、中日兩國駐紮在朝鮮的軍隊,四個月內各行盡數撤回;二、雙方規勸朝鮮國王教練士兵,自護治安,其教練之事,由朝鮮國王選聘其他國家的教官擔任,中日兩國均不派員參與;三、將來朝鮮如果發生變亂等重大事件,中日兩國或一國要派兵,應先互行文知照,及其事定,仍即撤回,不再留防。
這三條規定,都可以看做袁世凱魯莽行動所付出的沉重代價,尤其是第三條,就是甲午戰爭發生的一個遠因。日本政府後來充分利用了這一條規定,藉機向朝鮮用兵,進而引發中日兩國全面戰爭。
甲申政變原本就是朝鮮君臣對中國霸權的不滿,日本人或許在這個過程中播弄是非,但是從中國立場進行反省,假如中國還想讓朝鮮重回宗藩體制,重新成為「中國的世界秩序」一員,更應該以柔性策略,贏得朝鮮君民信任。然而中國那個時候並沒有想到這一層,而是採納了強硬的應對策略,結果引來如此大亂,讓日本通過這場政變贏得了朝鮮事務的話語權,朝鮮儼然成為中日兩國的保護國。這就是甲申政變對中國的意義。
中日兩國駐朝鮮的軍隊,按照約定先後從朝鮮撤出了,朝鮮在經歷了一場大震動之後重回寧靜。此後的朝鮮應該走向何方,中國可以在朝鮮未來走向中扮演怎樣的角色,中朝之間究竟應該建立怎樣的關係?這些問題經過甲申政變,應該引起中國方面的高度重視。可惜的是,中國方面並沒有就此予以深刻反省,其官僚體製得過且過,沒有人願意對這些問題進行中長時段的研究。
清政府並沒有接受日本的要求,追究袁世凱在甲申政變中的責任,風頭過去,袁世凱強勢歸來,接替陳樹棠出任駐朝鮮商務委員,獎勵他「兩次帶兵救護朝王,屢立戰功」,讚美他「才識開展,明敏忠亮」,朝鮮「君臣士民深為敬佩」。(《李文忠公全書》「譯署函稿」卷十七,58頁)
1885年10月3日(八月二十五),袁世凱在提督王永勝陪同下,奉李鴻章之命,護送大院君李罡應回國。大約三年前,也是袁世凱等人將大院君從朝鮮擄至保定囚禁三年,現在仍由袁世凱等人護送歸來,真不知大院君以及朝鮮君臣怎樣想。但是有一點可以肯定,那就是朝鮮君民普遍認同袁世凱的果斷、擔當,承認這個年輕的中國商務委員,決非先前那個陳樹棠那樣庸常。
袁世凱攜大院君強勢歸來改變了朝鮮統治集團政治生態。韓王傳諭各大臣禁止與大院君往來及私通信件,閔妃對大院君痛惡欲絕,憤而借故殺死大院君昔日僕人。袁世凱對於朝鮮統治集團內部矛盾儘力排解,但也可以看出,袁世凱主要的憑藉力量,還是被收拾得服服帖帖的大院君。10月7日,大院君在接見各國公使時明白告訴日本代理公使高平,小事可與朝鮮外交部直接商量,大事必須請命於中國。袁世凱,以及清政府的威權,在甲申政變後開始顯現。
此後數年,袁世凱成了朝鮮的太上皇,不再滿足於中國駐朝鮮商務委員,不是以「上國」身份指導、幫助朝鮮走向世界,讓世界進入朝鮮,而是與國內清流、少壯派張謇、張佩綸等人相唱和,熱衷於廢朝鮮為郡縣,設監國,積極幹涉朝鮮內政外交,極大增強了中國在朝鮮的影響力。但也必須承認,袁世凱的強勢幹預,讓相當一部分朝鮮官紳失望,乃至絕望,使朝鮮內部的親華勢力在此後數年越來越壓抑,而反華的勢力、親日的勢力卻在暗自增長,一旦遇到重大突發事變,朝鮮的天平究竟傾向於中國,還是日本、俄國,其實也是一個未知數。
中國沒有近代國家的殖民經驗,更沒有近代國家從殖民地撤退的經驗,中國所知道的只是傳統的宗藩體制,袁世凱在朝鮮,既想重建宗藩體制下新型的中朝關係,又想將朝鮮變為中國本土、行省之一。這是不可兼得的事情,也是近代歷史條件下的不可能。後來甲午戰爭突發,中國在這場突發事變中措手不及,全面失敗,或許都可以從袁世凱強勢幹預朝鮮事務中找到一點蛛絲馬跡。
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【常威近代史】(七百七十回)
老鼠俾老鼠膠黐住
時間線進入1938年嘅2月,2月1號,蔣介石以韓復榘為例,通電警告各級將領,唔可以不戰而退,亦唔可以輕易投降,否則拉去後巷打靶!軍令如山,打仗就係一件咁殘忍嘅事,自己友都冇面畀,當戰爭真正發生,上到戰場就係玩命,冇得縮架!
今日,八路軍總司令部與野戰政治部發出整軍訓令,中日戰爭進入白熱化,唔係講玩,每個人都要有犧牲嘅準備!2月2號,定遠、鳳陽、蚌埠相繼失陷,國際聯盟決議鼓勵會員國個別援華,鼓勵啫,冇任何法律效力及約束力。2月6號,軍委會政治部成立,陳誠(1898-1965)任部長,周恩來(1898-1976)、黃琪翔(1898-1970)任副部長,三個人都係抗日名將,三個人都係出生於1898,一個右兩個左。
今日,上海《社會晚報》被日本禁止發行,經理蔡鈞徒被害。2月7號,《中蘇軍事航空協定》簽字,蘇聯空軍已經全面參與抗日戰爭。2月8號,經濟部與江西省合辦天河煤礦投產,每日產煤700噸;同一日,國際慰勞團抵達18集團軍總部慰勞,勞軍,亦係戰爭中一個重要項目,未有原子彈之前,軍人士氣相當重要,軍人肯同你搏命,實力打高幾班,如果個個臨陣退縮,hea打hea做,個局面會相當難堪。軍紀,的確係當時蔣介石面對一個致命大難題。
2月10號,紡織麵粉界鉅子榮宗敬(1873-1938)今日五點,因肺炎病逝於香港南和醫院,享年66歲,榮宗敬侯江蘇省無錫榮巷人,是近代中國一位著名民族資本家。榮宗敬是榮德生(1875-1952)胞兄,亦係中華人民共和國前國家副主席榮毅仁(1916-2005)嘅伯父,榮毅仁有個仔,叫榮智健(1942-),榮宗敬1873年出生於江蘇無錫,早年從事錢莊生意,其後累積資本後開始紗廠同麵粉廠,對國民經濟貢獻良多,曾經擔任中央銀行理事、中國銀行董事、上海紗布交易所理事等職務,上海淪陷之後,佢就去咗香港避難,估唔到避到日本人,避唔到肺炎。
2月11號,北平偽臨時政府設立中國聯合預備銀行,佔領一個地方,最重要就係印銀紙掠水。北平偽政府由「財務總署」汪時璟(1887-1952)出面,創辦中國聯合預備銀行。去年12月23號,北平偽行政委員會委員王克敏(1879-1945),召集天津中國、交通、金城、中南、大陸、北京鹽業、偽河北省銀行、偽冀東亞銀行,八間銀行負責人開會,宣佈擬定嘅名銀行認購額(即係入股),強行令各行簽紙,並且要在2月1號前用現銀交納股款(即係打劫),天津中國銀行負責人卞(音便)白眉(1884-1968)就喺日記上書寫「卞白眉精神死亡」,以示懺悔。不過又唔好咁緊張,俾人用支槍指住個後尾枕,邊個惡得出樣呢?聯合預備銀行成立後,除咗處理調劑華北金融業之外,仲發行紙幣「銀聯券」,佢���搜刮國民政府發行嘅「法幣」,套取外匯,用作購買戰略物資,統治華北貿易。
2月12號,國際反侵略運動大會通過《援華決議案》,同一日,全國戰時教育學會喺漢口成立。2月14號,日本開始轟炸鄭州,伊斯蘭教徒喺漢口舉行反侵略祈禱大會。2月16號,日本確定夏季對話作戰方針,「確保佔領區,不擴大展區」。事實上中日戰爭爆發咗差唔多接近七個月時間,日本已經佔領咗中國接近三份一土地,整個北方差唔多全落入日本人控制範圍,南方重要城市上海及南京淪陷,中華民國退到武漢三鎮,日本全面占上風,不過中國實在太大,並唔係咁易食得落肚。
情況亦都一如所料,當時日本陸軍軍隊嘅地面行動,就下達咗「避免因作戰地區擴大遭遲滯,進而陷入泥淖」嘅命令,中國嘅戰線實在太大太長太闊,如果日軍想追擊國民政府嘅逃亡部隊,並且加以趕盡殺絕,基本上係冇可能,而且將主力部隊分割成多個部份響唔同嘅地方作戰,將戰線越拉越長,橫切面越拉越闊,正正亦中正蔣介石下懷,去到1938年春去夏來之際,隨著響中國嘅佔領區不斷擴大,日本亦都從國內源源不絕調撥士兵前往中國,人數已經超過40萬,去到1938年嘅秋天,更達到60萬之數,但係60萬人嘅軍隊,亦只能夠僅僅控制中國重要城市以及重要嘅鐵路據點,至於響城市以外、廣闊無邊嘅農村地帶,日本人根本冇能力做任何嘢,仲有,去到農村打遊擊,日本嘅正規部隊根本毫無優勢可言,先進嘅重型裝甲同大殺傷力武器,響農村遊擊戰中亦冇運行,點解叫蛇吞象?情況就係咁解。成圍餸,又翅又乳豬又雞又伊面,要食得曬落先得架。
自1930年代中期開始,日本一直有戰略家提出嚴重警告,日本不能夠分散其軍事力量,當中最有力嘅支持者就係石原莞爾(1889-1949),石原係918事變嘅發動者,但係佢亦係日本軍方高層中極力反對佔領(成個)中國、同發動全面中日戰爭嘅人,佢認為日本缺乏天然資源,而最大嘅敵人係蘇聯同埋西方列強(即美國),而並非中國。佢一直敦促日本政府應該集中力量建設東北同偽滿洲國,保持實力同主要敵人對抗,不過石原嘅觀點並沒有被接受,1937年嘅秋天,佢已經被調職送去守沙頭角,遠離核心,不過石原莞爾最驚嘅嘢終於發生咗,日本統治者源源不絕將軍隊派到中國依個大泥沼之中,最後是既無法全面擊潰敵人(蔣介石政權),亦無法撤退,進入全面膠著狀態,就好似隻老鼠俾老鼠膠(勝利成果)黐住一X樣。
#常威💀 #蔣介石平反系列 #佛經抄寫員 #中日戰爭 #民國歷史
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319 以粵獨嘅視角評《為什麼我想香港獨立/自治》——論粵港統合嘅唔現實性以及粵獨同港獨嘅根源性歧異 兼議粵獨嘅建基:基於自由主義嘅民族主義
319 以粵獨嘅視角評《為什麼我想香港獨立/自治》——論粵港統合嘅唔現實性以及粵獨同港獨嘅根源性歧異 兼議粵獨嘅建基:基於自由主義嘅民族主義
《為什麼我想香港獨立/自治》呢篇港獨文寫得理性平和、唔激越、唔標榜,以好平實抒發自身感受嘅口吻嚟阐明港獨理念係基於個人自由意志嘅觀點。同齋怨恨齋鬧支那衰屄嘅《蝗蟲天下》比起上嚟,佢更加入肉噉直接點明香港要獨立,同時亦對港獨理念嘅內核作出相當完備噉表述,文中表現出嚟嘅睿智令人讚賞,不過,對支那殖粵嘅切膚痛楚令我冇辦法認同個中嗰種過於和緩嘅語氣,我欣賞《蝗蟲天下》嘅激情敢鬧,我諗粵獨文章嘅文風應該更加激越昂揚,畢竟香港同大粵嘅處境好唔同,大粵遭受嚟自支那殖民嘅痛遠超HK千百倍。
民主係乜?民主首先係每一個人自己嘅自主,自主係實時性嘅,以前同以後嗰啲人嘅自主代替唔到而家嘅人嘅自主,自主係一種作出選擇嘅行動,呢種選擇由每個人嘅個人感受嚟決定,個人感受係每一個人行動取向嘅根源。港獨基於香港人嘅天賦人權,香港人嘅自主選擇就係香港人權嘅最好體現,香港人嘅個人感受決定香港人嘅自主選擇,假如而家嘅香港人感受唔好,香港就可以獨立,而唔使理會100年前或者100年後香港人嘅睇法,更加唔使理會香港以外嘅人(無論而家嘅,抑或100年前或者100年後)嘅睇法,上邊篇港獨文就係圍著呢個論點嚟寫嘅。
民主精神係全人類都可以受用嘅(即使支撈亦唔例外,佢哋有冇受用呢一福澤嘅稟賦係另當別論),但係民主嘅踐行卻受著明顯嘅族群因素嘅影響,喺多種族聚居地域,民主政治嘅結果喺絕大多數狀況下都祇會傾向於對呢一地域嘅主導族群有利,喺當世國際政治裡頭,經已有諸如英國北愛、加拿大魁北克、西班牙巴斯克等少數族群被屈服於強勢族群之下嘅著名實例。民主除咗實時性之外,顯然仲帶著鮮明嘅民族性。即使支那日後真係出現民主政治,噉亦祇會令漢撈一族獲益,而絕唔會惠及喺支那國家架構下低畀支撈侵殖嘅其他少數族群。所以,粵獨根本毋須關注支那民唔民主,粵獨理念嘅根基在於粵人嘅民族覺醒,繼而反支殖民族自決,最後獨立。個人自由意志嘅元素可以揉合喺民族覺醒度,不過就唔可以替代,粵獨嘅主脈搏係民族覺醒,噉同港獨好唔同,港獨並唔強調香港人係“香港族”,而淨係睇重今時今日香港人嘅個人感受,港獨嘅主脈搏係港人嘅自由意志。
支殖深淺程度嘅唔同同粵港國際政治實體地位嘅差異決定粵獨同港獨各自側重嘅唔同。香港早就畀個圈圈實,早喺百幾年前,HK就經已獲得國際政治實體嘅地位,呢一地位,正係粵獨、藏獨、疆獨等所夢寐以求嘅,HK有條國際社會所公認嘅政治分界線喺度,根本就唔使同支那講妳係乜族我係乜族妳講咩話我講咩話所以我同妳係唔同嘅,而祗需確定妳係大陸嘅我係香港嘅就得喇,HK有咗呢個圈圈,等於擁有香港人身份界定嘅天然標尺,港獨理念嘅建構根本唔使著眼於勾勒出我同支那之間嘅區分線,而祗需本著人權民主同突顯個人自由意志嘅思路嚟做就OK喇。而我哋粵獨所處嘅局面要遠比港獨嚴峻,首先係粵同支嘅分野未有清晰嘅實質嘅界定,所謂嶺南、南粵祗係一個好模糊嘅淨有人文地理而冇現實政治意義嘅一個術語,國際社會係唔會承認一個冇清晰邊界嘅文化區域係一個國際政治實體嘅。所以粵獨要同支那分,先以語言嚟分,跟著就係最關鍵嘅民族覺醒,由語言嚟界定族屬,之後再沿著民族自決嘅路最終實現大粵嘅政治獨立。粵獨係獨立咗至會有國際認可嘅政治實體邊界,粵獨需要以政治獨立嚟確定大粵嘅政治地理界線,以突顯粵支之間嘅區分,而港獨就相反,佢以現有嘅政治界線嚟甄別香港人同大陸人,佢要致力渲染界內香港人嘅反大陸感受以達至HK政治獨立。
喺呢篇港獨文度有一句:唔分種族立國基於友誼,好能夠體現港獨精神,港獨唔需要“香港族”嘅民族覺醒,港獨祗需要喺香港出力催谷香港人嘅反大陸感受,並將呢種感受同HK嘅人權民主掛接好就得喇,港獨可以將港人嘅反大陸感受直接演繹成香港民主運動嘅化身:港獨=反大陸感受=香港人作出嘅選擇=香港民主。港獨祗需要基於港人嘅自由意志,而唔再使有其他嘢。港獨嘅建基點好單一,但卻係非常之高,佢100%同風靡現世嘅自由民主嘅普世價值相通互融,港獨處喺呢一高點上高,根本就唔驚諸如歷史淵源論、嶺南文化論、同一民族論、共同語言論等嘅反港獨理論嘅掣肘。
點樣面對港澳,係粵獨一個好大嘅課題,粵獨裡頭既有諸如創建粵屬香港政治特區、粵港“一國兩制”、粵港聯邦、過份關注香港人嘅粵族認同、強調粵港同根講著同一種語言等嘅各式粵港應該統合嘅思維,亦有粵港澳係三個親密但係互為對等各自自理嘅政治實體嘅分立思維。我係堅定嘅粵港澳分立派,喺好早之前粵協爭鳴嘅時代,我就經已噉諗。睇完上邊嗰篇港獨文之後,我相信各位鍾情粵港統合嘅粵獨同志對港獨應該會有一個更清晰嘅認知:港獨冇任何同粵獨統合嘅思維同意欲。
對於粵獨嚟講,“撈”呢個概念至關重要,佢係粵人區分粵支甄別敵我嘅最重要基準。呢種喺嶺南粵人裡頭廣返流佈嘅族群界定方式,香港卻唔通行,“香港”同“大陸”幾乎係香港人區分自己友定外人嘅唯一標記。香港人“大陸”嘅概念遠勝“撈”呢個概念萬倍,一個粵人同一個撈頭落到HK,香港人唔會專程區分邊個係粵邊個係撈,而祗會以“大陸”、“內地”、“中國”一概論之。即使係粵人,亦顯而易見噉畀香港人標籤成非香港嘅外來人,即使呢種外來人好特別,講著同香港人完全相通嘅語言,亦冇得例外。呢啲就係粵人同港人嘅區別,就算粵人好似支殖政府噉使出諸如歷史、文化、民族、語言等嘅招數都冇用,冇認同就係冇認同,呢啲空泛嘅辭措同港人現時嘅自身嘅感受相比,根本不足掛齒。假如粵人攞歷史淵源嚟同港人講,妳咪港獨喇,嚟粵獨喇,我哋有著共同嘅祖宗,港獨會一句dat埋嚟:我哋衹在乎而家嘅感受,100年前我哋祖宗點諗代替唔到我而家點諗,我同我祖宗係兩個完全唔同嘅人,民主衹體現喺生拗拗嘅人而非死咗嘅人身上,民主嘅魅力在於因時而變。假如粵人扐嶺南文化出嚟,港獨會話,雖然我都認同嶺南文化,不過喺我身度更多嘅係香港文化,佢係英倫文化喺香港嘅土著化版本,堪稱粵英結晶,而妳粵人雖然亦都好興歐西化,之但係妳哋嘅歐化程度遠唔及我呢。假如粵人同港獨講,我哋都係粵族人吖,港獨睇怕會好愕然,因為香港人本嚟就對“民族”呢樣嘢敏感度唔高,而組成而家香港人嘅成份亦都好複雜,既有早期拓展香港嘅蜑家人、圍頭人(廣府人嘅一支,講粵語莞寶方言)、客家人,亦有香港開埠之後嚟嘅廣府人、四邑人、海陸豐鶴佬人、潮汕人、印度人(摩羅叉、啹嘎兵),甚至更有1949年之後由北邊走難嚟嘅吳越人,正因為噉,香港人嘅族群認同會更加著眼於佢哋而家住緊嘅一個叫“HK”嘅島仔,所以妳同佢哋講佢哋係粵語人或者廣東話人佢哋或者仲會勉強接受到。粵人攞共同語言嚟拉攏港人或者係最殺食嘅一招,不過即使係噉,粵獨吸納港獨睇怕都係好勉強嘅,因為共同母語絕唔係共同政治結盟嘅最緊要因素,同一母語而又各自政治分立嘅例子而家喺世界通街都係,而且香港嘅前宗主國英國所屬嘅英語系國家就係最好嘅樣版。
睇到呢度,或者會有粵獨人話,港獨全賴香港人反大陸感受嘅集聚至可以成事,而香港人之所以反大陸,係因為支那衰,香港人更多嘅係借反大陸嚟含沙射影噉反支那,祗要大粵一獨立,大粵就係佢哋嘅“新大陸”,香港人嘅反大陸情意結必定就此消解,港獨一定冇行。不過持噉睇法嘅粵獨人顯然諗得太過天真而且一廂情願,香港而家對“大陸”嘅諸多嫌三嫌四,撈頭嘅惡行固然佔咗其中一部分,但係仍然有唔少係直接針對我哋粵地同粵人嘅,呢樣嘢粵人自己應該好清楚。“新大陸”同“舊大陸”喺港人眼裡頭唔會有質嘅區別,都祗係“大陸”,正如同撈共同撈民運喺粵獨眼中一樣,都祗係撈。
“大陸”呢個概念係因應“香港”而嚟嘅,“香港”有幾耐“大陸”就有幾耐,佢哋係孖公仔,如影隨形。“香港”嚟自一條有過百年歷史嘅為國際社會所公認嘅港支政治邊界,招牌臘臘ling嘅百年老號“香港”,又點會輕易消失?想冇“大陸”,除非先冇“香港”,而要冇“香港”,一係香港人死晒,噉冇可能,一係住喺香港嘅人唔再認為自己係“香港”人,亦即係話,要等到凝聚而家香港人嘅族群認同感徹底崩潰敗壞嗰陣,“香港”同“大陸”至有可能喺呢個世界度消失,但係,一個創造出燦爛現代都會文明嘅族群,���有可能喺頃刻間瓦解咩?
前十幾廿年,粵人會好強烈噉感受得出港人對粵人發自內心嘅優越感,有人話,嗰時粵地窮,所以先至畀港人睇唔起,但係時至今日,粵地經濟實力同生活水準經已大幅提升,而港人依然仲保有對粵人或多或少或明或暗嘅歧視,呢種歧視,係香港人整體對大陸心理抗拒嘅外在顯現,噉正正從反面影射出現時香港人存在著非常強烈嘅內部認同。一個族群之所以存在而唔離散唔畀其他族群歸併,佢要有凝聚力,凝聚力嘅源頭可以係有歷史脈絡可尋嘅宗教文化、語言、民風民俗,亦可以係現代嘅一種國民精神(乜乜魂之類嘅嘢),香港人嘅內部認同,正係源自後者,而且單純源自後者,噉顯然同香港作為政治實體短暫嘅歷史以及佢近現代輝煌嘅成就直接相關(而粵人嘅內部認同則嚟自粵語、古南越文化遺存、同粵人近現代嘅勃興,歷史同現代兩方面嘅元素兼具)。發達嘅經濟同繁盛嘅港式文化,糅合著一貫以嚟嘅英式法治,孕育出一個高度發展融匯東西嘅現代都會文明,以及獅子山下呢一香港精神(最近喺HK勁唱嘅旨在必達港人反大陸感受嘅《蝗蟲天下》同上邊篇港獨文度,就經已明確認定獅子山係香港魂嘅標誌)。假如話,個幾世紀之前由於英國人嘅介入,港支政治邊界出現,催生“香港”,噉隨著英國人嘅撤退而維繫“香港”續存嘅,就係呢一香港精神,佢係香港人族群認同得而存在嘅根源,佢亦係港獨所賴以依存嘅,佢決定咗粵獨同港獨冇可能有共同嘅民意基礎,因為粵人係唔會體味到咩叫做“獅子山下”嘅。
人係有榮譽感、天性喜好自由嘅動物,由個人組成嘅族群對呢一特性係當然承繼,呢個世界唔會有任何一個族群甘願屈居人下,做人哋嘅二等公民,祇要一有機會,嗰啲受異族群壓迫嘅族群就會爭著拆夥分灶,自己嘅嘢自己話事妳話幾好,尤其係喺自由民主風勁吹嘅當代,新生嘅獨立民族國家祇會越嚟越多,呢個現象可以輕易噉喺人性上搵到解釋(聯合國嘅成員國而家越嚟越多,近呢20年嚟,有25個新生獨立國家入聯,而同期祇有2個獨立國家消失)。喺當今反支殖嘅大氛圍下低,有著鮮明粵本土色彩嘅粵獨可以揭竿而起,噉同樣有著自己精神支柱而且起步唔比人遲起點唔比人低嘅港獨當然亦會係自成一體,又使乜依附喺其他脫支勢力羽翼之下?現時,促使香港人成為獨立族群嘅香港精神已經誕生,而且呢一精神喺香港人與日俱增嘅反大陸感受嘅催谷下底被不斷強化(最新近嘅傑作就係蘋果日報嘅反蝗蟲廣告同《蝗蟲天下》嘅勁熱),港獨因此而起。現世香港人腦裡頭顯然祇有香港認同而冇大粵認同,噉亦注定粵港至少喺未來兩三代人內,都唔具備雙方統合嘅民意根基。香港人嘅狀況,同廣西東南部白話人形成鮮明對比,廣西白話人之所以冇自成一系,除咗基於佢哋同廣東粵語人有著共同嘅支殖感受(廣西白話人作為廣西最大族群,佢哋嘅政治地位卻長期低於廣西少數族裔嘅壯族,呢樣嘢同廣東粵語人喺廣東一直畀客家人騎住可謂同病相憐),以及佢哋對廣東粵語人強烈嘅語言同文化認同之外(喺廣西,粵語電視廣播晨早畀撈禁絕,以致催生出廣西白話人對廣東粵語人同廣東粵語文化比以往更熾烈嘅歸附感,廣西白話人之前多次而且至今仍然不斷出聲要求廣東粵語人拯救佢哋),更同佢哋至今未有蘊育出足以令佢哋同其他族群清晰分割嘅精神內核直接相關。
一個族群乃至一個國家嘅衰敗消亡,根源在於呢個族群呢個國家國民凝聚力嘅渙散以至國民精神嘅整體崩潰,同時喺外部,亦要有一個窺視者喺度虎視眈眈準備隨時吞食至得。喺當世通常情況下低,呢樣嘢好少會發生,尤其係喺國家層面(近呢20年嚟祇有東德同南也門兩例,噉同喺冷戰結束之後佢哋賴以立國嘅共產主義精神支柱崩塌直接相關,但係同樣嘅嘢喺深受支那支配嘅朝鮮身上並冇發生),任何族群任何國家,對逆境都會保有強頑嘅抗爭力(否則佢哋唔會存世至今),祗要唔到萬不得已,佢哋係絕對唔會輕言放棄自身嘅獨特色彩以至政治獨立嘅,我哋睇到,即使而家衰到貼地國內七國咁亂又海盜��饑荒嘅索馬里,亦絲毫冇放棄自身主權嘅諗法。不過噉,凡事都有例外,海地算係唯一嘅特例,幾年前,貧窮積弱嘅海地發生特大地震,首都太子港遭受滅頂之災,面對立國以嚟最犀利嘅天災,海地人普遍頹廢放棄,要美國接管海地嘅呼聲甚囂塵上,呢個就係國民精神崩潰引致國民對自己國家厭惡遺棄嘅最佳例證,當然,後嚟美國並冇接收到佢哋,不過若然美國真係有心,噉睇怕海地晨早就畀美國統合咗,而且,呢種統合仲係基於海地人自己意願嘅添。
喺現世崇尚個人自由民族自決嘅國際政治氛圍下低,假如一個細國家或者細政治實體嘅國民普遍有心加入一個鄰近大國,而呢個鄰近大國嘅國民亦普遍有意接納,噉雙方完全可以通過各自嘅全民公投嚟確認並完成呢一統合,國際輿論亦唔會有乜反彈,因為,噉係建基喺統合雙方各自民意都同意嘅基礎之上嘅。老一輩嘅粵人曾經仲好記得,五六十年前嘅香港並唔繁榮,亦唔係咩東方之珠,經濟同文化發展更遠唔及廣州,嗰時仲有著唔少嘅香港人因為粵地生活好而回流大陸,呢陣假如剔除英國同支那兩個外在政治因素,就齋以民意決定歸屬呢一現世普遍認可政治準則嚟一次粵港公投,噉相信贊成粵港統合嘅幾率會好高。不過,隨著粵港實力對比喺呢五六十年間發生巨變(雖然現時產經力粵已經追貼,不過文化力粵仍然大幅落後),大粵現時而且至少喺往後50-75年之內都唔再具備推動粵港統合所需要嘅嚟自香港方面嘅民意資本(雖然喺大粵本土呢方面嘅民意資本一直充盈,不過噉並冇作用,粵港統合嘅關鍵唔在於粵民意而在於港民意)。而家嘅香港唔再係往日跟喺粵後邊嘅二流貨色,香港人亦從寡少渙散變成齊心聚眾,最關鍵嘅仲係,凝聚而家香港人並預期繼續凝聚未來至少兩三代香港人嘅香港精神已經誕生,而五六十年前嘅香港人根本就冇“獅子山下”噉嘅概念。自由民主呢一普世價值主導著現時全球政治生態,喺呢種架構下低,民意決定一切,要統合一定要雙方民意都認同至得。顯然,噉事實上形成咗一道粵港統合所難以逾越嘅屏障,因為,想要有著強烈內部認同、繁盛富足、現代文明發育程度極高嘅香港出現類似海地噉嘅狀況,而家嘅機會係零,往後50-75年嘅機會亦會無限趨近於零。
當然,粵港統合唔一定係粵統合港,港又有冇統合粵嘅可能呢?粵獨人裡頭主張大粵建都香港嘅,估計就係出自噉嘅思路。不過,呢一思路顯然欠缺民意同往績支持。首先,建基各有唔同嘅粵獨同港獨喺粵港未獲獨立之前一直係分立互不統屬嘅兩個系統,粵獨同港獨並冇合併嘅可能,所以粵港統合並唔係粵獨港獨先統合咗再一齊共建一國,而係粵獨同港獨喺大粵同香港各自先行建國跟著再兩國統合。噉樣嘅統合,代表著令各自唔同於對方嘅獨特性嘅消失同雙方利益嘅重新攤分,對於富而細嘅香港嚟講,極冇著數。將香港嘅財富利益資源攤薄畀北邊嘅“大陸哩”,香港人絕對唔制,正因為噉,所以香港人一直以嚟,都祗著眼於香港嘅權益,香港人亦從嚟冇諗過要將香港嘅邊界延伸過深圳河以至成個大粵。即使粵獨讓利將合併之後嘅國都定喺香港,亦難以令香港民意信服,反而會畀香港人覺得呢個祗係令佢哋落疊嘅一個局。因為,國內人口向國都集聚幾乎係一個世界性現象(東方國家更係如此,大粵冇可能會例外),香港既為大粵國都,冇可能再長期將自己同大粵其他地方隔離開,大量大粵人口嘅擁入係可以預期嘅事,而且,香港亦冇可能繼續嬌嗲做金波囉,香港賦稅必然會有一部份上繳大粵聯邦政府(首都民眾唔使向所在國政府納稅從古至今聞所未聞)。我哋應該清楚,人口侵殖同資源被佔正正係催生港獨嘅根源,突然間有咁多亞燦二世擁嚟,水又畀人泵走,到時睇怕呢支《蝗蟲天下》又會喺HK畀港人勁唱。
況且,若然真係由香港主導粵港統合,港獨理念必定乘勢北進大粵,祗不過以香港人反大陸感受為支點嘅呢一理念專屬性好強,一離開香港就會水土不服,將呢樣嘢扐上嚟大粵盞會畀粵人鬧。唔通為咗統合,粵人就要屈質自己做二等公民?粵人民意制咩?退一萬步,假設大粵其他地方都容忍(雖然事實上噉冇可能),不過可以絕對肯定嘅係,廣州民意一定會強力反彈。呢種由香港主導嘅統合,令廣州地位必降,廣州人一定唔願,或者妳會講,廣州民意代表唔到全大粵民意,的確,廣州代表唔晒全粵(雖然喺大粵民意裡頭廣州民意擁有事實上嘅高權重),但係廣州卻可以代表到粵獨,廣州係粵獨嘅象徵,粵獨嘅根髓喺廣州,而冇粵獨就唔會有粵國,冇粵國粵港統合根本就子虛烏有。
香港同星加坡有著相同嘅定位,佢哋都祇係存在喺現世嘅商業性質城市共和國,喺歷史上,有唔少呢類型嘅國家出現過,諸如威尼斯、熱那亞、佛羅倫薩甚至仲好有名,同而家嘅香港同星加坡一樣,佢哋最顯著嘅特點亦係細而富。呢啲的式嘅城市商業共和國,普遍對拓殖疆土冇乜興趣,佢哋亦唔需要噉做,佢哋嘅命脈在於貿易,佢哋嘅國民趨利而冇大嘅政治視野,往往祗睇重本埠一地嘅利益得失,噉嘅性質注定佢哋冇辦法好似重農工尚兵武嘅古羅馬同莫斯科噉,從一個小城邦壯大成超強帝國。呢個亦可以解釋到,點解最後喺意大利話事嘅係嚟自都靈嘅撒丁王國而唔係威尼斯同熱那亞,而統一德意志嘅係嚟自柏林嘅普魯士而唔係漢堡同不萊梅兩個自由市。嚟到現代,呢啲袖珍嘅商業共和國聲勢更差,星加坡堪稱當代最標青嘅城市共和國,但係要佢主宰並唔算大嘅大馬亦屬奢望,而當年同星加坡比肩嘅另一粒前英屬海峽殖民地嘅明珠:檳城,乾脆就畀大馬食埋。喺世界政治史上高,至今仲未有一例由一個商業性質城市共和國統合鄰近遼闊國家嘅成功個案。大粵嘅國土規模同人口以及而家嘅實力遠非1960年代嘅大馬可比,星加坡50年前做唔到嘅事,唔見得將來嘅香港有幾大機會做到。蛇始終係吞唔到象嘅,除非佢變身成小暴龍,之但係,香港根本冇潛能同可能成為另一個16世紀嘅莫斯科。
而論獨立嘅難度同進度,粵獨注定要比港獨崎嶇,粵獨所要行嘅路同所要解放嘅國土,比起港獨,要大好多,我哋完全冇理由相信,大粵都獨立建國而香港依然仲係支那屬下嘅一個特別行政區。港獨要比粵獨快成事嘅幾率好高,既然人哋都經已先行獨立,做乜仲要舒尊降貴做妳粵國嘅一塊屬地?況且港獨仲唔係唔使成本嘅添,噉就畀人歸併,香港國政府又點對得住為香港獨立而獻身嘅志士?呢樣嘢港獨係絕對唔會應承嘅,假如粵國唔理有香港民意力撐嘅港獨嘅感受,疊埋心水一意孤行,噉就係對香港民意嘅強姦,同時亦係對一個國際認可嘅主權國家嘅入侵。
按最保守嘅時間嚟推,係粵獨同港獨喺同一時間功成,不過即使係噉,粵獨亦好難以諸如“一國兩制”、粵港聯邦、高度自治之類嘅名目嚟箍實港獨。“一國兩制”、高度自治呢啲嘢早就喺香港臭名昭著唔在講,而最關鍵嘅,係粵獨同港獨一直以嚟,都係各自分立彼此互不涵蓋亦無法取代對方地位嘅兩個系統,港獨嘅萌生比粵獨更早,兩者按著唔同嘅思路嚟行,雖然彼此間有脫支嘅共鳴,不過就冇足以催發佢哋產生聚合嘅強力要素(港獨同粵獨就有如港獨同臺獨港獨同藏獨一樣,有嘅祇係共鳴共贏,而唔係共通共同)。未來粵港嘅政治走勢話畀我哋知,無論係粵統合港抑或係港統合粵,幾乎都冇可能(粵係襄王有夢港就神女無心,基於粵地民意壓力,粵亦冇可能對港無限讓利),若然勉強為之,勢必搞到粵政動盪,到時睇怕粵港要好似當年星馬噉,聯抉上演喺三兩年內分完又合合完再分嘅馬騮戲至可以收科。
呢度亦會有人問,噉點解粵獨唔尋求同港獨盡可能多嘅共通,行好似港獨噉祗需要純粹基於粵人自由意志嘅粵獨路呢?噉唔係可以更好噉拉近粵獨同港獨之間嘅分歧咩?答案好簡單,大粵冇香港所具備嘅為國際社會所公認嘅可以同支那本土清晰分開嘅政治分界線以及由之而嚟嘅國際政治實體地位。假如法國人喺100年前將法屬廣州灣(而家嘅湛江)嘅政治邊界延伸至涵蓋兩廣而且呢條政治邊界可以一直保留至今,噉粵獨完全可以按港獨模式行港獨而家行緊嘅路,而毋須過份強調粵人獨特嘅民族性呢樣嘢。
就港獨而言,佢完全毋須擔心發生喺香港境內以反大陸感受為基調嘅民眾群體運動畀人當做係支那民運嘅一部份,香港一啲泛民友口口聲聲聲稱香港民主係支那民主嘅一部分,剔除呢句嘢裡頭佢哋主觀嘅支奴傾向,查實更從反面突顯咗香港民主同支那民主嘅天然分野,國際社會根本就唔會認為發生喺香港界內嘅民主活動係支那範疇之內嘅民主。一條國際社會公認嘅政治分界同一個國際社會認可嘅國際政治實體地位嘅作用就可以咁交關。祗要呢條分隔香港同支那嘅政治邊界唔消失,噉香港民主就永遠都唔會畀支那民主惡意標籤、異質、以至收編。而一旦界內香港人嘅反大陸感受畀港獨催谷到過半數以上,港獨就可以以香港自由民主由香港人自己決定嘅大大條道理嚟名正言順噉帶領香港獨立建國。
粵獨就唔同,粵域同支那冇明確分界,假如粵獨好似港獨噉純粹以粵域民主為主軸嚟展開行動,唔使幾耐,粵獨就會發現,佢正喺度蕩失路,佢正畀撈民運強力侵蝕,以至異質敗壞。國際輿論亦唔會刻意同妳分開粵域民主(以至粵語民主)同支那嘅撈民運,而祇會一概以支那民主論之。正正因為噉,民族覺醒至顯得對粵獨咁至關重要,粵獨祇有將獨立運動嘅性質昇華成爭取民族自由呢樣嘢(而唔係捍衛母語保育文化或者其他),至足以彌補冇粵支政治分界所帶嚟嘅先天缺失,而祇有到嗰陣,粵獨至可以去到而家藏獨所處嘅嗰種一眼就畀人清晰分別敵我嘅階段(藏支之間一樣冇清晰嘅政治分界,但係就冇人認為藏地民主係支那民主嘅一部分)。所以,粵獨同藏獨一樣,注定係一個以民族性為基調嘅自由運動,粵人自由意志嘅最好體現,就係粵人嘅民族自由,有咗民族自由,就意味著獨立嘅粵國,並由此帶嚟國際社會認可嘅粵支政治分界。
相比於單純建基喺自由主義嘅港獨,粵獨嘅核心內涵要更加複雜,粵獨本質上係一種基於自由主義嘅民族主義,粵獨精神係粵本土民族覺醒思潮同粵本土世居民眾自由意志展現嘅混合濃縮。精神可以虛擬構建一啲令人嚮往嘅呢種精神所認為嘅理想目標(甚至有啲目標喺當代人眼中睇嚟係天馬行空),以令信眾明白佢哋往後要行嘅方向。不過,精神嘅具體踐行需要考慮現實嘅政治。粵獨所植根嘅民族主義必定會提出,粵港澳而家嘅分立係百幾年前歐人同支撈共同瓜分大粵嘅結果,粵獨可以唔承認呢一有損於粵嘅安排。的確,百幾年前嘅呢一安排直到而家仲依然令好多粵人好唔啹,呢個亦都係粵獨裡頭收返港澳一直呼聲不絕嘅最重要原因。粵獨當然有權譴責百幾年前嘅不公,但係卻唔應該採取單邊主義用事實嘅行動嚟取消呢一安排,噉意味著對兩個獲國際公認嘅國際政治實體嘅公然入侵。以反殖民地化嘅角度,採取單邊主義行動強行統合域內嘅他國殖民飛地(大粵可視港澳為前英葡今支那喺粵域境內嘅他國殖民飛地)確係粵獨嘅其中一個選項,喺1950-1980年代,國際政治充斥著反帝國主義要求殖民地解放嘅濃烈氛圍,印度同印尼就係借咗呢個東風,喺1954、1961同1976年分別以武力吞併法屬本地治里、葡屬果阿同葡屬東帝汶。之但係粵獨所處嘅年代,並冇強烈嘅反帝反殖嘅國際政治氛圍,取而代之嘅,係自由民主嘅普世價值(冷戰之後歐美嘅國際贊譽度大增,經已唔再係昔日邪惡“帝國主義”嘅象徵),而港獨同粵獨啱啱就建基喺呢一價值觀之上,所以粵獨經已冇咗強行單邊行動嘅外圍有利先機。粵獨嘅呢一選項固然仍然存在,不過卻冇現實嘅可行性。
祗要熟悉世界政治史,應該好清楚普世價值呢家嘢係會變嘅,畀現世人強烈斥責嘅種族歧視同殖民主義喺一百年前卻係世界主流嘅普世價值,去到冷戰時代,帝國主義同共產主義(通常伴隨著反殖民主義)並立成為世界兩大主流普世價值,冷戰之後,自由民主思潮(通常伴隨著文化多元以及民族主義)獨霸世界並成為現世主流普世價值。普世價值祇係一種流行時間以年代以至以世紀嚟計嘅政治潮流。所以,一百年後自由民主仲係咪保持得著世界主流普世價值呢一地位,好難講,或者可以,或者會讓位畀民族主義,或者會讓位畀宗教主義,一百年後影響粵港統合嘅國際政治生態係點,冇人會知,粵港統合最後係咪成事,睇後世粵人嘅機變因應喇。不過喺依家凡事講求民意噉嘅狀況下低,粵獨如果仲依然單方面強調唔合事宜嘅粵港統合,甚至諗埋採取諸如封鎖禁運等嘅超戇居手段夾硬嚟,噉顯然衹會惹嚟香港方面嘅強烈戒心,港人會異常關切自己受到威脅嘅政治獨立,以至引發佢哋不惜一切噉去尋求外力嘅保護。
禁運係撈頭好鍾意成日噏喺口嘅懲治香港嘅王牌,並自認為呢個係一種令香港屈服嘅好好嘅手段,所以喺《蝗蟲天下》裡頭至會有句“如果冇支那,香港晨早死”嘅嘢嚟畀港人反潤。好不幸,而家我哋唔少嘅粵人亦畀呢啲傻撈所蠱惑,居然認同禁運係對港施壓嘅好翹,實在太悲哀喇,呢啲蠢過隻豬嘅友仔都唔認真搵隻腦諗諗,我哋依家並唔生活喺由大陸皇朝控制一切主宰所有資源命脈嘅古代,自中世紀結束,世界就進入咗環球海洋貿易嘅時代,香港靠海嘅地理位置天生就令佢擁有優越嘅抗禁運稟賦,所以,一早就冇咗齋靠陸上禁運就可置香港於死地呢支歌仔唱喇。況且,有星加坡嘅經驗教訓在先,香港因應對港禁運亦絕對唔會束手無策,佢肯定會有計(諸如海水淡化、增建電廠、海路補給、限電限水、食物配給等)紓緩因陸上禁運而引致嘅種種負面影響。仲有一樣嘢就係,無論支那抑或大粵,都冇能力抵擋得著因禁運造成嘅人為人道主義災難所招致嘅長時間嘅強大國際輿論譴責。
既然禁運唔得,噉封鎖又點吖?禁運派肯定會噉問,佢哋甚至會話,既然支那都敢豪言“封鎖”臺灣,噉大粵唔通連封鎖香港都做唔到?香港比臺灣細得多兼且仲同大粵本土黐到實又冇隔著道海啵。冇錯,大粵的確有全面封鎖香港海陸空嘅先天疆域優勢。雖然香港唔似得萊索托聖馬力諾呢啲內陸國噉,四邊都畀大粵陸地氹氹kwaak圍住,香港祇有北邊同大粵本土相連,香港嘅南邊東邊西邊都靠海而同大粵本土形成天然分隔,之不過,香港嘅領海並唔廣闊,喺香港領海嘅外圍,星羅棋佈噉散佈著好多屬於大粵嘅島仔(諸如桂山島、牛頭島、大小蜘洲、三角島、東澳島、白壢島、竹洲、大小萬山、外伶仃島、隘洲、三門島、擔桿島、二洲島、直灣島、細擔島、廟灣島、北尖島、平洲、大三門島、小三門島、青洲、針頭岩島等等),以呢啲島仔為基準,外延12海里嘅海域都係大粵嘅領海,而呢啲領海嘅上高,即屬大粵領空。雖然喺擔桿島以東同青洲以南區域,大粵領海領空畀香港領海領空同公海國際空域夾持成窄帶狀,不過噉並唔阻礙珠江口以東大粵領海領空仍同珠江口區域大粵領海領空連成一片而將香港領海領空完全包圍呢一事實嘅確立。香港嘅領海領空之外,並唔係公海以及國際空域,而係大粵嘅領海領空。喺技術上,大粵封鎖香港,等同於對港施行包括陸上禁運、海上禁運、空中禁運在內嘅全面禁運。陸上禁運唔講嘞,我唔運嘢畀妳噉就係喇。封鎖香港嘅重心在於海上禁運,基於香港領海嘅外圍都係大粵領海嘅事實,大粵可以以進出香港嘅船隻並非無害通過大粵領海為藉口,隨時對從香港水域駛出嘅船隻關閉本國領海(準入而唔準出),或者禁止外來船隻駛入同香港毗連嘅本國領海(準出而唔準入),又或者兩樣一齊做,從而切斷香港嘅海運補給。至於空中禁運,凡係出入香港嘅航線,無論向東南西北,都要飛越大粵領空,大粵可以隨時對從香港機場起飛嘅航機關閉本國領空(準入而唔準出),或者禁止外來航機進入毗連香港嘅本國領空(準出而唔準入),又或者兩樣一齊做,從而切斷香港嘅空運補給。封鎖查實係禁運嘅強化版,禁運至多係我唔運嘢畀妳,但係我亦唔阻著人哋運嘢嚟妳度,而封鎖就唔同,唔單祇我唔運嘢畀妳,連人哋運嘢嚟妳度我都唔畀。對香港嚟講,遭受封鎖要遠比遭受禁運嚴峻得多,香港農田奇缺人口巨眾,作為港人主糧嘅大米要依賴海路全數從東南亞入口,一旦海運受禁,香港喺短期內就會發生饑荒,一場大規模人為嘅人道主義災難在所難免。顯然,封鎖香港所帶嚟嘅後果非常嚴重,佢唔淨祇會引致國際社會對大粵更嚴厲嘅譴責咁簡單,分分鐘仲會惹嚟國際制裁以至國際軍事干預。
講完禁運封鎖,而家就嚟講講至激嘅“終極解決”方案:直接進兵。香港雖然淨得700萬人口同千leng平方公里嘅領土面積,不過佢係蜚聲世界嘅大都會,國際知名度極高,入侵佢所惹嚟嘅嗰啲矚目遠比入侵嗰啲人多但貧窮落後社會發育程度低嘅山卡喇國家要多得多。假如粵軍係都要悍然侵港,噉顯然係最白痴嘅選項。講軍力,香港拍馬都比唔上要同支那直接對抗嘅大粵,呢個係絕對肯定嘅,假如出其不意,唔喺北邊羅湖凰崗沙頭角正攻而從東邊大鵬同西邊萬山渡海,迂迴登陸HK東邊嘅馬鞍山將軍澳柴灣同HK西邊嘅大嶼山南丫島香港仔,由兩翼直插香港腹心,噉大粵完全可以喺3日之內軍事控制全港。不過跟著落嚟嘅,係粵國將面臨極之惡搞嘅局面,嚟自國際社會嘅政治聲討係必然嘅,國際禁運、經濟制裁好有可能,支那會借頭借路乘機南侵,甚至美國嘅航母編隊亦會駛嚟珠江口,屆時大粵將會南北受壓,危在旦夕。香港臨海,並唔喺內陸嘅山卡喇,美國並唔需要冒險深入大粵內陸腹地,喺海邊就可以展開行動,相信大粵獨立之初粵軍陸軍同粵軍山地戰嘅戰力,必定遠強於佢嘅海軍同海陸兩棲戰嘅戰力(大粵獨立戰爭粵軍同支軍肯定會以陸上交戰為主),呢個時候同美軍喺海邊打,粵軍冇著數估都估得到,即使粵軍呢陣果斷退兵,不過都已經遲,困局經已鑄成,假如呢陣支那傾全支軍力侵粵,相信大粵呢時並唔會獲幾多國際支援。為咗香港而得失美國呢個大靠山,仲要面臨國際制裁,獨力面對支那嘅南侵,呢個代價並唔係啱啱至獲得獨立嘅大粵所可以承受嘅。香港同星加坡一樣,都係西方文明喺東方成功嘅典範,歐美會視佢哋(以至菲律賓)為同一文明系統,係自己友,美國會極之睇重,美國可以為一個小小嘅科威特大動干戈,香港同星加坡同樣可以,呢個亦都係印尼唔敢喐星加坡卻膽敢吞併東帝汶嘅最關鍵因素。膚淺嘅人會認為美軍去科威特係為咗石油,查實深層嘅因由係為咗捍衛歐西人一直引以為傲嘅自由價值觀,而海灣嘅酋長國正正係歐美自由價值觀喺阿拉伯世界嘅展臺。伊拉克喺入侵科威特之前,一樣係美國嘅盟友,之但係佢出兵之後,美國一樣冇面畀。對軍事佔領香港,粵獨千祈咪抱著僥倖心理嚟賭大粵嘅國運。
喺上邊篇港獨文度,就有提及過星加坡嘅例子,可見港獨對強大鄰國要脅威逼噉嘅危峻局面顯得早有提防。顯然,香港最可靠嘅外力軍援會嚟自美國,尤其係美國嘅航空母艦,最極端嘅狀況,就係美國嘅其中一個航母戰鬥群會以香港為母港,作長久駐紮。而家美國話要重返亞太,首選喺澳洲北部達爾文同星加坡輪流駐軍,菲律賓又嗌著不而侵埋我喇(菲軍已經正式邀請美軍共同駐防呂宋或者巴拉望),我哋睇真啲,呢啲國家都係歐西文化底嘅,所以假如日後港獨強烈提出美軍駐港,噉成事嘅幾率真係好高。
一旦美軍駐港,檯面上嘅藉口必定係反支,一如美軍喺韓國一樣,要前沿存在,而港獨方面,佢講出口嘅理據當然同樣係反支,不過實質就係想借美軍之力拒粵。呢個就有如美軍喺澳洲同星加坡嘅輪流駐防,檯面上係提防支那南侵,檯底下就充斥著抑制印尼嘅味道(呢樣至係星加坡請美軍嚟嘅最主要目的,而澳洲亦擔心人口眾多嘅印尼會向佢空虛嘅澳北滲透),美軍喺東南亞存在,事實上構成對支那(東亞超強)同印尼(東南亞亞超強)嘅雙壓制。美軍喺香港嘅存在對啱啱獨立嘅粵國而言,的確相當有利,佢可以形成對支那嘅軍事威懾,從而為大粵全力擺脫建國之初百廢待興嘅虛弱狀態贏得時間。但係,若然大兵力美軍喺香港作長久駐守,噉對大粵嚟講,就絕對唔係一件好事,因為佢會形成對大粵嘅一種隱性牽制,大粵同美國冇可能永遠都冇拗撬,因為大粵需要不斷尋求壯大,而一旦美國對大粵國勢嘅膨脹感到憂慮並試圖制衡,噉駐港美軍就會從一個隱性嘅牽制瞬間變成對大粵腹心顯明嘅威脅。作為對呢種近在咫尺嘅強勁威脅嘅反應,大粵必定要耗費大量嘅精力同銀紙嚟完備珠三角呢一大粵心臟地帶嘅佈防(尤其係要狂谷皮費好重嘅空軍)。
F/A-18E/F將喺可以預見嘅將來成為美國航母上高最重心兼且係長期服役嘅主力戰機,呢種每架售價至少6000萬美金具空中戰鬥及對地對海攻擊雙重功用嘅重型艦載機,一隻美國航母上高至少搭載40架以上(配屬4個攻擊機編隊),另外,航母度仲有預警機、電子攻擊機、反潛機、武裝直昇機等機種,成隻航母至少配備80架各式戰機,戰力足比一個大型空軍基地。而要同呢一航母集群嘅戰力相抗衡,大粵至少要攞出60-100億美金購買戰機,外加飛行員培訓、機載導彈配給、空軍基地嘅建設同維護、戰機維修同保養、地面防空預警系統建設、防空飛彈配給、航空燃油配給、仲有各式後勤人員及物質配給等等,總皮費唔會少於300億美金,而且每年仲要至少扐出50億美金嚟維持呢一空防體系嘅運轉。假如駐港美軍裡頭唔單祇有航母,仲有空軍(譬如駐防F-35、F-15E以至F-22等先進陸基戰機),噉大粵使喺鞏固珠三角防衛上高嘅軍費開支祇會更高。對珠三角嘅佈防當然係需要嘅,但係若然齋要應付質素稍次嘅支那空軍嘅突襲顯然唔使使費咁多,珠三角佈防嘅扯水,同時會牽制著大粵對國境西線同北線軍力嘅投入。
呢一改變,顯然會令大粵喪失好多喺支那身度拓展新領土嘅機會,尤其係會延誤大粵對西粵雲貴呢一���南越人故土嘅收復。對於不斷要求強大以更壯實噉抗衡支那嘅大粵嚟講,呢種阻滯足以致命,西粵可以為大粵帶嚟嘅,唔單祇係對珠江源頭嘅控制以及對西北邊防嘅鞏固,更重要嘅係,統合西粵嘅大粵,將擁有使大粵日後成為世界一流強國最重要嘅先天基礎:廣闊嘅國土同藉此繁衍而出嘅眾多人口,呢樣至係大粵恆久立國並同支那展開長期爭持嘅關鍵(現時兩廣45萬平方公里嘅粵域本土同1.4億嘅粵地世居人口(面積列世界第55位人口列世界第8位),至多祗可以令大粵具備成為中型強國嘅潛能)。遼闊國土同繁盛人口唔係締造強盛經濟嘅必然,但卻係必須,冇呢兩樣嘢,世界上超強經濟體就冇可能誕生,而冇超強嘅經濟,就冇可能成為世界一流強國。西粵對於大粵嘅重要程度遠勝於香港,佢係大粵未來成為世界一流強國嘅要害所在(西粵雲貴涼山,地廣礦多水沛能豐,足有63萬平方公里同3200萬非漢裔土著人口,統合西粵之後嘅大粵,領土面積將達到108萬平方公里,列世界第28位,而世居人口將有1.72億,列世界第6位。若然再野心啲,以清剿逃緬川撈同解救長期遭受緬甸迫害嘅緬東北土著為名,揮軍攻佔地廣人稀嘅緬北克欽實楷同緬東撣邦(務求將大粵疆土直接同印度接壤以更好噉獲取印援以反支),噉大粵領土更廣達139萬平方公里,列世界第19位,人口1.85億,列世界第5位)。而被夾硬吞併嘅香港更多嘅祇會為大粵帶嚟麻煩,尤其係令大粵深陷祇會使粵港關係越嚟越冰凍、祇會令大粵嘅精力越嚟越被無謂噉消耗嘅爭拗黑洞,一個唔忿氣對粵毫無歸屬感嘅香港顯然唔會為大粵實力嘅增進添加任何助益。西粵固然亦會為大粵帶嚟諸如驅逐5900萬雲貴川撈嘅頗大麻煩,不過呢啲同佢為大粵所帶嚟嘅利益相比,仲係好有數為,況且,喺反支殖嘅大環境下低,呢啲嘢好容易通過借力打力而被稀釋瓦解(西粵3200萬非漢裔土著足以將嗰5900萬雲貴川撈撼到五癆七傷,搞掂西粵,大粵根本毋需傾盡全力)。
粵獨要謹記,完全唔睇現實政治環境齋就顧著“民族團圓”嘅非理性民族主義情緒,唔會有助於解決粵港分歧以至粵港統合嘅問題,而祇會令佢越嚟越向不利於大粵嘅方向發展。粵獨必須明白,而家粵港各自分立往後亦必各有各獨立建國嘅趨勢已經幾成定局,既然粵港統合無望,噉對未來粵港關係,粵獨就一定要以國際關係嘅層級嚟謹慎睇待同務實操作。粵獨完全冇必要對粵民族團唔團圓呢樣嘢過份肉緊,即使好似家噉粵民族唔團圓,亦唔會對大粵國家嘅長久續存同防務安全構成潛在或者即時嘅威脅。珠江口防務以及可以預見嘅香港對去支那化嘅模糊態度呢兩樣嘢,至係粵港分立為大粵所帶嚟嘅真正麻煩,大粵務必要向香港表達我哋對呢兩個問題嘅強烈憂慮,並且向港方表明,我哋打算循外交談判、訂立雙邊條約或者協議等嘅途徑嚟謀求相關嘅解決之道。
從地圖度我哋可以好清晰噉睇到,大粵同香港有明確嘅海上邊界(即係而家香港特別行政區區界嘅海上段),呢條海上邊界兩頭連陸,係閉合嘅,佢圈定咗香港嘅領海同領空範圍。喺珠江口伶仃洋以及香港以南以東水域,大粵擁有著淇澳島、內伶仃島、大小鏟島、九洲列島、桂山列島、萬山列島、蜘洲列島、隘洲列島、三門列島、外伶仃島、擔桿列島、佳蓬列島、沱濘列島、針頭岩島等一系列島嶼嘅主權,呢啲島嶼周邊12海里嘅海域都係大粵領海。同時,根據現時粵港海上邊界,大粵同香港分別領有後海灣、大鵬灣嘅北部水域同南部水域。根據地圖所示形勢,莫講話從珠江口東西兩側各港口出港嘅大粵籍船隻唔使行經香港海域,即使係從深圳西邊嘅蛇口又或者從深圳東邊嘅鹽田出海嘅大粵籍船隻,亦根本毋須借道香港海域,所以,擔心香港可能利用地利嚟卡死大粵珠江口航路嘅諗法係純粹多慮,珠江口唔係黑海,香港亦都唔係土耳其。事實上,令大粵真正憂心嘅,並唔係對珠江口航運自主性控制嘅喪失,而係珠江口嘅防務安全。
坦白講,齋一個香港又或者港澳加埋,都唔足以威脅大粵。不過,香港獨立國家嘅身份為外軍可能介入呢一區提供咗一個平臺,大粵嘅擔心就主要嚟自呢樹。大粵對珠江口防務嘅憂慮事實上係同外軍駐港尤其係外軍喺香港部署強大軍力緊密相連嘅,珠江口防務關乎大粵心臟珠三角以至大粵首都廣州嘅安危,一旦敵對勢力借道香港攻我粵心要害,大粵必即陷腹背受敵嘅險境(北有支軍南有出港敵師)。阻止外軍駐港,係大粵珠江口防務成敗嘅要着,我哋祗可以搞掂,唔可以搞waang,喎咗嘅話,除咗令國防皮費大增影響大粵對西粵等重心利益區域嘅拓殖部署之外,大粵本土仲會面臨著被南北夾擊嘅威脅。點樣預防避免外軍尤其係強勢外軍駐港呢一不利情勢發生,係對大粵外交手腕嘅一個嚴峻考驗,更係一個大粵對香港係咪真係唔吞唔謀嘅誠信測試。我哋都好清楚,外軍駐港必然同香港擔心自身安危息息相關,所以,解決呢一麻煩嘅根源首先在於釋除港方疑慮,大粵要令香港清楚知道,大粵對香港冇野心,大粵願意向香港保持高軍事透明度嚟證明呢一點,同時,大粵亦要向香港表明,反支絕對唔係外軍駐港最重要嘅理由,大粵會視香港邀請外軍駐港嘅行動係一種香港對大粵經已唔再信任同唔再友善嘅負面訊號。因為,若然真係反支,根本就毋須留喺香港,大粵至係反支嘅前線,大粵甚至可以直接邀請外軍尤其係美軍駐粵,大粵比香港更靠近支那,外軍尤其係大數量外軍作戰部隊留駐香港,祇會令大粵對香港嘅猜忌越發加深。
外軍駐粵顯然比外軍駐港要好操作得多,皆因主動權揸喺自己手度,我哋自己對駐粵外軍嘅部署強弱裝備動向等底細冇理由唔清楚,即使退一萬步,駐粵外軍打算干涉大粵內政要打返我哋,我哋都未至於懵然不知匆忙應對,因為,我哋肯定會有呢方面嘅應急預案。至於駐粵外軍嘅來去,我哋想佢嚟嗰陣可以擺支那上檯,大嗌支那威脅就係,而一旦唔想佢喺樹,我哋就可以使出民意強力反彈呢招殺手鐧,“暫時”請佢哋返歸,而根本唔使擔心請神容易送神難嘅問題。我哋隔離嘅菲律賓對呢壇嘢可謂認真灑家,佢哋對美軍就曾經做齊晒呢兩樣嘢,鐘意就請妳嚟,唔鐘意就請妳走,將一個世界超霸舞嚟舞去,的確瀟灑。弱國點會冇外交?關鍵係睇妳點去善用時勢。
為咗提升粵港雙方嘅軍事互信同彼此間嘅軍事透明度,大粵方面可以向香港提出以下一啲建議同合作。一:訂立軍演共同參與準則。凡喺珠江口區域,粵港若然其中一方要會同他軍共同演習,噉另一方亦必然獲邀參與其中嘅所有演習科目。二:訂立軍事調動互相通報機制。凡喺鄰近香港嘅萬山深圳寶安龍崗以至東莞惠陽珠海,粵軍有軍事調動(諸如駐防、移防、換防、集結、演習、過境)都應事先知會港軍,同時,凡喺鄰近大粵嘅沙頭角上水天水圍屯門赤臘角大澳,港軍有軍事調動(諸如駐防、移防、換防、集結、演習、過境)都應事先知會粵軍。三:開放香港正東面東南面正南面嘅部分大粵領空領海,以為港軍提供充足嘅日常訓練區間。四:假如香港有興趣,大粵非常樂意邀請部分港軍同粵軍一齊共同駐防粵支邊境,噉一來可以幫港軍輪替鍛練部隊,二來可以充實粵支邊防守備。
大粵對香港嘅態度好明確,就係:我尊重妳,我同時期待著贏得妳對我嘅尊重,我希望妳理解我嘅關切,我冇唔妥妳,我亦希望妳咪嚟刺激我,基於和睦對等安寧共處嘅考量,喺外軍駐港嘅事度,大粵相信香港會作出一個令粵港雙方都心安都舒服嘅理性嘅選擇。
可以預見嘅香港對去支那化嘅模糊態度係除咗珠江口防務安全之外,粵港分立所帶嚟嘅另一件最令粵獨憂心嘅事。基於港獨同粵獨有著截然唔同嘅植根同發源,粵獨唔可能指望港獨喺去支那化嘅事度落足心機。喺去支那化嘅事上面,香港好可能會成為一個唔好嘅示範,並形成事實上嘅掣肘,對去支那化心不在然嘅香港會對大粵反支措施嘅推行唔經唔覺間施加負面影響,進而令粵獨喺大粵推動去支那化事業嘅進程受阻。為此,粵獨應該主動出擊,尤其係喺涉及粵獨核心理念嘅粵文拉丁化嘅事上高。我哋應該借鏡印尼大馬汶萊三國相互協力統一現代馬來文語音、拼寫、詞彙、語法嘅做法,務必盡一切可能促成粵獨同港獨澳獨就粵文拉丁化達成一致共識,以令拉丁粵文先喺粵港澳普及通行,再向外推廣至海外粵僑社區,從而達成全球粵族人書面文字嘅去支兼一體化嘅宏願。香港唔出盡全力去支顯然仲會影響大粵全面開放粵港間民間交往嘅意欲,大粵方面基於對支那漢撈好可能借香港(以至澳門)為跳板入滲大粵嘅疑慮,粵港澳三國喺各自獨立之後粵港同粵澳間嘅互免簽證自由通關喺短期內睇怕都難以實現(港澳尤其係香港方面同時亦憂心粵人會乘機大量擁入)。
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另閱:
《為什麼我想香港獨立/自治》原文
http://namyuekok.freeforums.org/wingyee-lau-t4923.html
大粵民國同香港共和國、澳門共和國嘅關係
http://namyuekok.freeforums.org/topic-t421.html
論大粵民國嘅三大立國基石 以及大粵憲政架構構築所應堅持嘅立場
http://namyuekok.freeforums.org/topic-t4957.html
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〈お元気ですか?今日は、何の日・・・〉 おはようございます! 少し暑さも、やわらぎますね。 今、小樽港に、イギリス船籍のダイヤモンド プリンセス号が、入港してきました。 総トン数、115,906トン、勝納埠頭に 停泊し、今日の21時に、次港の函館へ 向かいます。この様な景色を見ると 小樽は、港まち、港に船がいると 素晴らしい景観になります。 クルーズ客船の寄港誘致や、受入体制 観光客の小樽での楽しみ方への提案、 そして何より、大型客船が安心して 停泊出来る港湾施設の整備は、急務です。 港に、大きな船が見えると、元気を頂く 気分になるのは、私だけでしょうか? 今日も、いろいろ頑張ります。 よろしくお願い申し上げます。 http://www.sunny-deli-secco.com/ #hokkaido #otaru #小樽 #北海道 #ダイヤモンドプリンセス (Otaru)
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臺山“海盜”橫行數年每條船月收900保護費
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暗訪鏡頭 10月29日晚,臺山市神灶海域,海上捕魚的漁民。受“海盜”壓迫,每艘漁船每天要交30元“保護費”。
10月29日晚,漁民將魚籠下海,這樣的漁籠每條100元左右,“海盜”專門偷取不繳保護費的漁民的魚籠。
10月29日晚,臺山市神灶海域,海上巡邏的老馬和漁民打招呼。受“海盜”壓迫,老馬和一些漁民聯合起來,他負責漁民的漁網安全。
10月25日下午,臺山市海宴鎮海僑碼頭停靠著許多漁船。
“海盜”橫行海域范圍圖。南都制圖張許君
強行保護
對方威脅說“我們有10多個兄弟,有快艇,裝備齊全,絕對可以保障你們的安全,否則(不繳看籠費)難保漁籠被偷”,拒繳漁民的漁籠有時一丟數百條
今年49歲的老馬(化名)是臺山市汶村鎮漁民村的漁民,一輩子靠海為生。自2007年開始,老馬由漁民向中間商的角色轉變,而正是這一年起,他和漁民們的平靜生活被打破瞭。
“那天是2007年農歷7月14日白天,我們正在臺山海宴海域一帶抓魚,突然一艘快艇開過來,上面坐著四個男的,其中一人我認識,是隔壁橫山村的馬×何。”老馬說,馬×何當場要他們交“看籠費”,每艘漁船每天25元。對方還威脅說:“我們有10多個兄弟,有快艇,裝備齊全,絕對可以保障你們的安全,否則(不繳看籠費)難保漁籠被偷。”對於海上作業的漁民來說,最重要最值錢的謀生工具便是漁船和漁籠,按照2007年的價格,一條50米長的漁籠售價約85元,每個漁民最少都有100條以上,最多的有上千條。“海域這麼大,確實防不勝防,由於怕籠子被偷,我們當時隻得乖乖地交錢。”老馬說,考慮節氣、潮汐及氣象等諸多因素,漁民們計算日子均按照農歷。從2007年農歷7月開始,他便向馬×何這夥人繳納“看籠費”,而經過他手幫忙代繳的最多時達到47條漁船。
但自從有瞭“看籠費”,漁民們漁籠被偷的情況反而逐漸增多,首當其沖的便是一些“不給面子”的本地漁民,陳豐(化名)便是其中之一。他告訴南都記者,在臺山上下川島、神灶海域、鎮海灣等一帶捕魚的主要由兩部分漁民組成,一部分是陽江漁民,另一部分就是臺山漁民。馬×何等人第一次找到他們時,遭到本地漁民拒絕。“這很明顯是收保護費,我們本地人肯定不交。”陳豐說,從此以後,他們的漁籠就逐漸被偷,有時一丟就是數百條,馬×何等人更是放出話來“不給面子,就讓你們血本無歸”。
“每天30元,一個月也就900元,如果被盜100條漁籠的話,損失都超過10倍瞭。”陳豐說,無奈之下,他們隻得順從。據其介紹,他們一般都是通過老馬這種中間商,將“看籠費”交到“海盜”們手上,在2008年之前每次繳費之後,對方還會開出收據,但如今卻連收據也不願開。
在臺山海宴鎮華僑農場附近的一個漁港,南都記者隨機采訪瞭40多名陽江漁民,他們均告訴南都記者,從2008年開始“看籠費”已經漲價到3 0元每艘漁船,“海盜”們的理由是“油價太高,快艇耗油量大,看籠成本高”。“他們一般都不直接向我們收錢,而是通過我們的‘老板’(即中間商)轉達和收數,但收瞭錢卻沒見他們巡邏。”一名姓李的漁民說,在他看來,“海盜”們拿瞭錢就得幹活,但他從來沒見過這些人的真面目。有幾次深夜確實聽到瞭快艇聲,但似乎並不是去保護他們漁籠的,因為第二天就有老鄉說頭天晚上又被人偷漁籠瞭。他們都規規矩矩交瞭“看籠費”,怎麼還會被人偷呢?
“日子久瞭我們也看透瞭,收錢的是他們,來偷的也是他們。”包括老馬、陳豐等受訪的近50個漁民均認為,“海盜”們之所以這麼做,目的就是制造緊張的氣氛,讓漁民們乖乖就范。
名聲大噪
老馬決定不再向“海盜”繳納看籠費,很快遭到搶劫毆打,警方隻予以行政處罰,自此“海盜”在漁民中名聲大噪,更加飛揚跋扈
從2008年開始,老馬決定帶領他下面的30多艘陽江漁船“起義”,不再向“海盜”們繳納“看籠費”。但讓他萬沒想到的是,自己卻成瞭“海盜”們的重點打擊對象。
2008年農歷8月初六(公歷9月5日)這天上午11時,老馬與老伴開著小貨船去神灶海域收貨,作為中間商,他首先從固定為他打漁的漁民手上收貨,成為這些漁民的“老板”,然後再運回碼頭轉賣給別的中介商。“當天,一夥人開著快艇沖過來,為首的是一個叫‘老虎助’���海盜,年約45歲,是馬×何的手下。”老馬說,“老虎助”一來氣勢洶洶地告訴他“老大派我來轉告你,今後賺的錢大傢平分”,他當場回絕,“老虎助”開船離開。約15分鐘之後,馬×何帶著三個人開著快艇而至,一上船不由分說就是一頓拳打腳踢,隨後搶走瞭老馬的錢袋(現金約2萬元)、妻子的項鏈和手鏈等。
老馬隨之報警,馬×何被警方刑事拘留。
在臺山市公安局一份2008年10月4日的《公安行政處罰決定書》中,南都記者看到,辦案人員查明當天老馬夫婦在神灶海域作業時,馬×何駕駛摩托艇載著黃國有(即“老虎助”)等三名男子找到老馬,欲強搶他收購海鮮的生意,老馬不從遂被毆打。老馬還告訴辦案人員被馬×何等人搶去財物,損失約4萬元。公安機關當時給予瞭馬×何行政拘留15天並處罰款500元的處罰。臺山警方告訴南都記者,由於當時老馬未能提供確鑿證據,臺山檢察機關不予立案,公安機關也隻能給予行政處罰。
“被打之後,我在臺山汶村醫院住瞭5天院,所有醫藥費都是自己掏。”老馬說,從此之後,“海盜”們瘋狂地報復他,對他下面的漁船明搶或者暗偷。2009年老馬再也不敢下海,一整年的時間都呆在岸上。陳豐等漁民也證實,自從老馬被毆打、搶劫之後,“海盜”在漁民中名聲大噪,變得更加飛揚跋扈。在汶村鎮橫山村,一名不願透露姓名的漁民告訴記者,他也曾因“不配合”而被馬×何等人毆打,事後仍因證據不足而讓這幫人逍遙法外。
迫於生計,從去年9月開始老馬又出海做起海鮮生意。這時,願意在他麾下效力的陽江漁船僅剩下17艘。“報復肯定是必然的,所以我們決定組織自衛。”老馬說,經過與漁民們商量,由老馬負責買快艇夜間巡邏,油費由漁民們承擔,每艘漁船每天繳25元。
不過,從今年農歷7月開始,老馬下面的漁民陸續被偷,僅7月便被偷瞭漁籠400多條,8月300多條,9月至10月200多條。“尤為氣憤的是,他們有時就是明搶。”老馬說,今年8月(農歷)12日夜晚9點30分,神灶海域,當晚月光很大,他巡邏中看到兩個摩托艇一共6人偷搶漁籠,於是開著快艇去追趕,沒想到對方不但不跑,還直接開著摩托艇來撞他的快艇,老馬的飛艇啟動盤被撞爛(價值約2100元)。老馬隻得趕緊向別的漁民求救,見到眾多漁船紛紛向其所在區域集中,“海盜”們瞬間便消失在茫茫大海上,“那兩艘快艇,就是馬×何的”。
瓜分地盤
多個“海盜組織”分散在臺山海域各個地方,在各自的地盤收取保護費,不過最近結盟成一體
清嘉慶年間,珠三角一帶海域的大海盜“張保仔”名噪一時,為此臺山海域的漁民們都稱現在的這幫“海盜”為“新張保仔”。漁民們稱,“新張保仔”的基地就在臺山市海宴鎮一個叫雙州口的地方。10月17-18日,南都記者曾先後三次前往該地暗訪,這個小型碼頭停有兩艘摩托艇,知情者告訴記者,兩艘快艇的主人就是馬×何。據瞭解,馬×何現年46歲,系臺山汶村鎮橫山鎮海埠人。
然而在臺山海域不僅隻有馬×何一個“海盜”,而是存有多個組織。一名從事海鮮生意的知情者說,“馬×何隻是其中一個頭目,還有別的頭目,分散在臺山海域各個地方,他們都是分瞭地盤。”這名知情者說,這些組織在各自的地盤收取保護費。除瞭向漁民收取“看籠費”之外,他們還會向做海鮮生意的人索取利益提成。不過,由於海鮮的利潤空間還比較大,中間商總是能找到利益平衡點。
南都記者從臺山警方得到證實,危害臺山海域治安的確實存在多個組織,不過最近全部結盟成一體,馬×何還算不上最大的頭目,充其量隻能算是“2號”人物。
巨額利潤
漁民們保守估計,每年7- 10月僅臺山神灶海域便有200多艘漁船作業,“看籠費”每天高達6000元,中間商則以紅包或者茶水費的形式與“海盜”分成
10月29日晚上9時許,南都記者搭乘老馬的快艇與其一道出巡。漆黑的海上,老馬與別的漁船通過“打燈”聯系確定位置。快艇航行過程中,稍有不慎便有可能被大浪掀翻。“海域太大,救援難度極大,一旦被掀翻,基本隻有等死。”老馬說,但即便如此,“海盜”們依然活躍在夜間的大海上。南都記者在調查中發現,犯罪成本低以及暴利是驅使“海盜”們鋌而走險的主要原因。
“海盜”一般在夜間7點到11點出動,趕在漁民凌晨收網前偷籠。“你根本不知道他們什麼時候來,從哪個方向來。”老馬說,“海盜”選擇這個時間點讓漁民們防不勝防。南都記者巡邏中也發現,夜間的海上,即便是發現瞭“海盜”,漁民們也很難將其抓獲,因為漁船速度根本就趕不上快艇。取證更是難上加難,即便是記者的專業攝像設備,也很難在夜間且風浪巨大的海上捕捉到目標。此外,由於漁籠是由一根繩子捆綁在錨上,隻要割斷繩子就可拿走。如果三人協同“作戰”,短短半個小時,兩三百條漁籠便可輕易偷走。
由保護費、中間商利益分成以及盜竊漁籠所售賣的贓款,組成瞭“海盜”們的巨額利潤。據漁民們保守估計,每年7- 10月,僅臺山神灶海域便有200多艘漁船作業,而僅是這些漁船的“看籠費”每天至少6000元,如此算下來每月在20萬元左右。先前透露內情的海鮮中間商還告訴南都記者,中間商們給“海盜”的利益分成主要是以紅包或者茶水費的形式,每人每月從數千到數萬不等,具體金額無法估計。所盜漁籠也是“海盜”的另一塊蛋糕。陽江漁民農先生說,現在每條漁籠漲價至110多元,他今年8月至今被盜200多條,價值已經超過瞭2萬元。搞近海養殖的一些漁民一般都用價格便宜的舊漁籠,“海盜”們便將盜得的漁籠賤賣給他們。
“自衛隊”
中間商也開始組織“自衛隊”,每條船繳30元看籠費,但漁籠還是經常被偷,“究竟是‘海盜’幹的還是老板幹的,誰又知道呢?”漁民說
“在深圳和珠海,主要是抓捕螃蟹以及別的魚類,臺山海域每年農歷7-9月特別多的八爪魚,價值很高,所以每到這個時候我們都來這邊捕魚。”陽江漁民陳先生說,每年這個時候也正是他們最為擔心的日子。“因為在深圳和珠海,根本無人來收‘看籠費’,也從來沒有出現過漁籠被偷的情況”。陳先生說,深圳和珠海那邊,即便在海上漁民間發生沖突,隻要一報警,那邊的邊防和海事部門就立馬出動,五六分鐘就有警方的快艇趕到現場。
陳先生說,漁籠被偷的損失、看籠費等成本他們自然會算在海鮮的售價中。這部分成本究竟有多少,完全由“海盜”們的“出勤”狀況所決定。
在海宴華僑農場漁港,一名梁姓漁民直言不諱地說,他們老板(即中間商)下面共有六七十條漁船,如今也組成瞭“自衛隊”,他們每條船交30元看籠費給老板,但他們的漁籠還是經常被偷,“究竟是海盜幹的還是老板幹的,誰又知道呢?”
(南方都市報)
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by zoapcon.
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バルコニー付きツインルームに宿泊【小樽〜新潟】日本海フェリー乗船記
小樽フェリーターミナル 2020年7月10日、この日は石狩川の河口を歩いた。 https://niyodogawa.org/blog/outdoor/walking/japan/36183/ そこから車で、小樽フェリーターミナル(おたるふぇりーたーみなる)にやってきた。 小樽フェリーターミナルは、北海道小樽市築港(ほっかいどうおたるしちっこう)の勝納埠頭(かつないふとう)にある。 https://niyodogawa.org/blog/outdoor/season/september/26660/ 門をイメージしたという建物は、巨大だ。 今回は17:00発の新潟行きに乗船する。 新型コロナウイルスのせいでソーシャルディスタンスが徹底されていた。 チェックインはツレに任せ、2階に行ってみることにした。 ドライバー以外の乗船客は、このデッキから乗船する。 Continue reading
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