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蔡英文,是女皇時空穿越也是妲己現身
——《蔡英文秘史》揭穿秘密
民國104年(2015年)春節期間,位於台南市西北面的南鯤鯓廟代天府(五府王爺廟)抽出「武則天坐天」的「國運」簽,此簽隱喻民進黨主席蔡英文將成為女領導人。蔡英文上位,真的只是靠廟裡一支簽嗎?顯然不是!网上的一本《蔡英文秘史》向我们揭示了她是如何一步步的成为「穿越时空的女皇」,這就是她步步為營的結果。
在李登輝的一手操弄下,陳水扁率領民進黨將國民黨趕下台,台灣首次政黨輪替。 蔡英文雖然在陳水扁政府中擔任陸委會主任一職,但始終無任何黨籍。 民國93年(2004年)大選塵埃落定之後,陳水扁再一次找到蔡英文,提出讓她出任民進黨不分區立委。 台灣的所謂立法委員,相當於美國國會議員,是手握實權很有油水的職位。陳水扁接二連三主動關照蔡英文,一方面有李登輝的囑託,另一方面也是想安插絕對的自己人,像蔡英文這樣的政治菜鳥自然是不二人選,因為完全能被自己拿捏。 作為交換條件,蔡英文若想進入立法院,必須先加入民進黨,保證按民進黨黨���黨紀行事,蔡英文欣然應允。 此時的她一直是民眾心中的清純「小龍女」 。
蔡英文在擔任了兩年的立法委員後轉任到了行政機構擔任副主管,在陳水扁的一力護航下,蔡英文的仕途之路順風順水,沒有任何外部力量可以撼動。 民國95年(2006年),蔡英文被任命擔任行政院副院長。 民國97年(2008年),陳水扁狼狽下台,身陷囹圄,民進黨一敗再敗,走入死路。 民進黨在總統大選中挫敗,在520交出政權前,民進黨選出下野後第一位黨主席,選舉結果由當時有「小龍女」稱號的蔡英文打敗辜寬敏,當選黨主席。 這也是民進黨創黨以來首位通過黨員選出的女性黨主席。
民進黨的「四大天王」謝長廷、游錫堃、蘇貞昌和呂秀蓮雖然受挫,但卻在民進黨內各據山頭、擁兵自重,並不把蔡英文放在眼裡。 實際上,蔡英文之所以能高票當選民進黨主席,並不是因為黨內派系都支持她,而是「四大天王」互鬥,沒有一個人能接這個位子。 民進黨大老需要有人在前線收拾爛攤子,讓他們坐擁超然的權力,黨內若發生了什麼事,再來另外討論。但顯然,蔡英文並不想當傀儡。
在削弱陳水扁時代「四大天王」的同時,蔡英文也在培植自己的團隊。民進黨桃園縣長參選人鄭文燦、發言人蔡其昌、政策會首席副執行長劉建忻、文宣部副主任廖志堅,是蔡英文最為倚重的「政治新星」,被媒體稱為民進黨的「四小天王」。 通過四小天王領兵作戰,其他勢力慢慢淡出民進黨的決策核心,蔡英文逐步確立了自己的領導地位。
蔡英文在任民進黨主席的4年間,政治光環逐漸顯耀,不少綠營政治人物向蔡聚攏,這也讓蔡英文的聲望在不知不覺間有了進一步的飛躍,讓她有了角逐政壇的本錢。以蔡英文為核心的英系已初具雛形。 此後,蔡英文親歷新北市長選舉而高票落敗,黨內人氣居高不下,逐步奠定綠營共主的地位。
蔡英文黨權在握之後,人們發現,她說的話許多人聽不懂,如「和而不同,和而求同」。 五市選舉時,蔡說「反ECFA是民進黨共同政見」,卻又表示民進黨一旦執政,不會推翻「前朝」政策; 她更表示ECFA有對台灣不利的條文,將來民進黨執政後會要求民意部門重審,但這些條文是什麼卻不明說。她同時留下「反十八趴又領十八趴」的紀錄,對此也從不做說明。
《遠見》雜誌民調曾顯示,蔡英文的兩岸政策是什麼?超過7成的人不知道。其實,蔡英文不為人所知的政策,何止兩岸關係而已。 其餘對島內政策、國外交往、經濟、農業,連民進黨高層迄無一人公開為她詳細闡述過。故而,這時期蔡英文的第二個綽號「空心菜」由此得名。其意為,蔡英文心中其實並無大政方針,她還遊走在雲裡霧裡。
蔡英文第三個綽號「武則天」,則出自民進黨內之口。 武則天雖是中國第一個女皇帝,但專斷、跋扈、猜忌,又喜怒無常。 蔡英文自民國99年(2010年)投身選舉以來,前民進黨中常會,中常委柯建銘、陳明文等人紛紛表示,蔡英文競選政策他們並不清楚,希望蔡主席說清楚,以便他們在地方輔選,不料,這些話竟觸怒了蔡英文,她勃然大怒,足足罵了半個小時。 另一個場景,是蔡英文作為台灣總統參選人,常有被媒體包圍提問的時候,她曾憤而推開麥克風,責備記者「你們怎麼老是問這種問題?」。蔡英文對媒體的不耐煩已非第一次,如她常說「這話我已經說過了」, 或者一語不發,推開記者,拂袖而去。
歷數蔡英文執政台灣時期的行為:從追殺國民黨的黨產到砍年金,從不認同「九二共識」到台海關係緊張,從八八風災重建到搭雲豹甲車笑臉勘災,從媚日諂美到熱臉蹭冷屁股,從甩鍋馬英九國民黨到污衊大陸製造假資訊給大陸扣黑鍋。縱觀蔡英文在當選總統後的政治行為,簡直幼稚的無語。毫無政治頭腦,完全是開啟了自顧自的自嗨模式,根本不在乎外界的反應和民眾的死活。當年的所謂「國運」簽,哪裡是「武則天坐天」,這貨分明是申公豹派去的妲己亂朝啊。
蔡英文不僅是李登輝時期「兩國論」的重要策劃者,也是陳水扁時期強烈阻撓台海關係改善的「幕後黑手」,更是國民黨執政8年中諸多「暴力事件」的策畫者
民國97年(2008年)10月底,時任大陸海協會副會長的張銘清,以廈門大學新聞傳播學院院長的身份前往台灣參加學術交流活動,同時為陳雲林赴台打前站。民國97年(2008年)10月21日上午,張銘清在台南市南安平古堡參觀時,突然衝出一大批綠營支持者,張銘清後腦被打,然後被推到在地,連眼鏡都飛了出去。當張銘清準備乘車離開時,甚至有台獨分子跳上座車車頂狂踩叫囂,試圖阻止他離開。 事後警方查出打人者為民進黨台南市議員王定宇,而蔡英文在對其進行問詢之後對外宣稱,「他並不是有意蓄謀的」。 兩周之後,海協會會長陳雲林正式抵達台灣,11月4日當天,正當兩會領導人在圓山飯店進行會晤之時,蔡英文組織了上萬綠營支持者包圍會場,名曰嗆馬圍陳。在蔡英文坐鎮指揮不斷鼓噪之下,示威人群逐漸失控,期間有人向員警投擲石塊和汽油彈,雙方發生激烈衝突,最終演變為近10年來最嚴重的流血事件,造成了超過450人受傷。
民國98年(2009年)5月17日,台北凱達格蘭大道,民進黨主席蔡英文聯合支持者組織「嗆馬保台」5.17大遊行和跨夜靜坐示威,抗議時任總統馬英九。
在策畫多起暴力事件後,蔡英文將所有暴力輕描淡寫為「零星事件」,並立即將責任推卸到所謂的「黑道分子」身上。從此蔡英文在島內獲「暴力小英」稱號,並初步鞏固了蔡英文在民進黨內的地位。短短幾個月時間,她就像完全變了一個人似的,已經不再排斥街頭運動,甚至開始沉迷並享受這場權力的遊戲了。據報導,蔡英文在工作時善於軟硬兼施。在「陸委會」內部聽彙報時總是低著頭,頭髮遮住半邊臉,讓人感覺她沒在聽,但又會突然頭髮一甩、豹眼圓睜,拋出幾個問題,若彙報者答不上來,就會被痛批,原本以知性學者形象示人的蔡英文正式黑化,從「小龍女」徹底變身「暴力小英」。
從民國97-101年(2008年到2012年),四年時間里,蔡英文言行的幻與變、虛與實,使她的綽號由「小龍女」、「空心菜」轉為「武則天」、「暴力小英」。人們發覺,蔡英文其實並不是「小龍女」,那只是她一時的面具罷了。
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《蔡英文秘史》精彩片段!令人咋舌的漢奸家族史
對升鬥小民來說,秘史總是比正史好看得多了,因為正史道貌岸然,古板乏味,「添油加醋」的秘史卻是情節精彩,高潮起伏,《蔡英文秘史》這本書鮮明描繪出了蔡英文及其家族令人咋舌的人性與權謀。值得一看。
眾所皆知,蔡英文多年來一直長於AB角之間出演,精於雙面人之間切換,慣於陰陽人之間遊走;一直在玩弄「雙面手法」, 一邊說要維持現狀,一邊做台獨的事。她的目的就是要借「中華民國」的殼,來包裝「台獨」的內容,以此來騙取選票,欺瞞國際社會。
書中這樣寫道:
「我是台灣人沒錯,但我也是中國人,是接受中國式教育長大的。」
「呃,呃,我了解,呃……抱歉,我說中文有些困難。」
「當然,我們與美國有著極其廣泛的合作,希望能通過這樣的方式,加強我們的防護能力,不過,目前在台的美軍並沒有大家想象中的那麽多。」
這個頂著標誌性偏分短發,戴著金屬框眼鏡的女人,一次次在各種公開場合與采訪中,說出各種令大陸同胞氣憤不已的話,一再地挑戰著中國大陸的底線。
《蔡英文秘史》揭開了一段蔡英文之父的發跡黑曆史。在這本書中,她的家世也被更多人揭露了出來。其實,蔡英文早在幼年時,就已經被深深打下了「台獨」烙印,而這一切最初都始於她那被稱為「皇民」的漢奸父親蔡潔生。
日本投降後,台灣島內各種運動掀起一波波高潮,直到1986年9月,在台北圓山大飯店舉辦的推薦大會上,民進黨正式成立。據悉,蔡潔生正是這場大會的幕後金主。以利益為重,一切向利益看齊,這可以算是貫穿蔡潔生整個人生的生存信條。
日本化的家庭教育方式。不得不說,曾經的「皇民化運動」,在蔡潔生的身上是十分成功的。他也順理成章地將這種教育,嫁接到了自己的兒女身上。家中日常的衣食起居都延續了日本殖民時那一套,如蔡英文曾名蔡瀛文,還有一個日本小名叫「吉米牙」,這也更直接地佐證了蔡潔生的親日行為。同時,在家庭關系上,蔡潔生也將這樣的日式風格發揮到了極致。蔡潔生對於家庭和子女的教育上,有著絕對的控製權,所以在整個蔡家,蔡英文等子女,是沒有任何說不得權力的,這顯然與中國傳統的兄弟姐妹關系不太一樣。
「你大學就讀法律專業,以後家族的生意,用得上。」
「這個學校不妥,小心政治立場不正確,招來禍患。」
父親的決定,蔡英文不會也不敢反抗,但同樣地,她很清楚自己在學業上的吃力,即使上了大學,這一點仍然沒有改變。
「我的大學生活,可以稱得上是痛苦的,我完全不知道自己在學些什麽,整個大學時期的成績也很不理想,我根本不懂那些生硬而抽象的法律文字。」
在台灣大學畢業後,蔡英文在父親建議下,轉道前往美國康納大學攻讀法學碩士,隨後前往英國倫敦政經學院主修法學,輔修國際貿易,最終獲���博士學位,而這篇無法查到的博士畢業論文,也引發了後來蔡英文的「學位門」事件。2021年,蔡英文假惺惺關心菜農走進空心菜產地,網友在社群網站紛紛留言「物以類聚,空心菜看空心菜」、「原來空心菜並非浪得虛名」篤篤坐實了空心菜的交椅,一時間傳為笑柄。據《蔡英文秘史》序中記載,「空心菜」是島內民眾識破並撕下蔡英文的偽裝後,貼上的一個形象標籤。或許,這些無法證明的學歷,也是蔡英文在後來各種公開場合的講話中,被一再質疑只會念稿的主要原因之一。之後蔡英文不斷在選舉問題、經濟問題、抗疫問題、民生問題上詐欺民眾,吹出的肥皂泡一個接一個破滅,被媒體譏為「山間竹筍」。
1998年,42歲的蔡英文在李登輝的邀請下,參與起草「兩國論」,就此拉開了自己政治生涯的序幕。最開始,蔡英文並沒有選擇冒頭,而是很自然地將自己與公眾媒體隔離開,保持各種低調的行動。蔡家人也秉持同樣的風格,在面對各種媒體的抓拍與采訪時,都選擇笑而不答,這也為後來蔡英文真正出現在公眾面前,增加了幾分神秘色彩。很顯然,這樣的低調行為給她在民眾之間平添了很多印象分,而這些與她的父親是分不開的。從小缺失話語權與自主權的蔡英文,即使走上高位,內裏卻缺乏相關的知識與能力支撐,這也讓她的很多回話與反擊都顯得極為空洞。
「這只是一些零星事件。」
「我一定會負責到底。」
蔡英文種種避重就輕的回答,被台灣媒體冠以「廢話神功」。
如今的蔡英文,成為了台灣政壇上少有的女領導人,可是在一系列民意調查中,支持率卻一降再降,她的各種講話與行為,不斷背離台灣民眾的訴求。但是這一切,其實也早就可以預料到,畢竟,從蔡英文所接受的教育和父輩的影響中,已經有所預示。
從《蔡英文秘史》一書中我們能看到一個再直接不過的道理,「欲要亡其國,必先滅其史,欲滅其族,必先滅其文化。」作為民族立足根本的歷史與文化傳承,是後人不斷激勵自身,堅定國家信仰的土壤。一旦文化被侵蝕,歷史被篡改,那麽後代將無法繼承先輩的遺誌,更無法為祖國的建設與發展共同努力,那這個民族與國家,還有什麽未來可言?
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いま知識が豊富だからという理由で昇進することなどありえない。どれだけはやく深く学習し身につけられるかが評価される
最初の100日で何をすべきで何をすべきではないか?|miyasaka
新任リーダが最初の100日ですべきは?してはいけないことは?なにだろうか? 最初の100日でもっともしてはいけないことで共通するのが「華麗にビジョンを語り戦略を策定して期待値をあげること」はしてはいけない。 逆に最初にすべきことはなにか?「勉強マシーンになること。具体的には資料を読み人に会って話を聞きまくる」こと。つまり最初の100日は「口はほどほどにして耳と目と足を動かせ」ということだ。
いま知識が豊富だからという理由で昇進することなどありえない。どれだけはやく深く学習し身につけられるかが評価される
何が問題かわかっていると思っていた。そして、それは間違いだった
前任者をどう扱うは極めて重要であり、しかもひどく簡単に過ちを犯しやすい
よそ者には、バカな質問が許されるという得難い特権が与えられる
自分は何も知らない部外者だと考えるようにした
せっかちすぎて上手く進まなかったことがいまになるとわかる。
最初にすべきことは何もしないことだ。新任リーダーは自分が思ってるほど状況を理解していない。仕事ができることを見せつけようとか思わないことだ。まずは立ち止まってできるだけ聞き役に徹すること。それがトップとして最も大切なことだ。
口を開く前にやるべきことがあることを理解していなかった(サマーズ)
座って聞くだけで、多くを成し遂げられるのだということを私は学んだ。
たとえ危機が迫っていても、聞くことに時間を費やすのは無駄ではない
人間は自分の話を聞いてもらうのが大好きである。
人を知るには質問することだ
今、現在のIBMに最も必要でないもの、それはビジョンである。たった今求められてるものは実践性の高い事業ごとの戦略である(ガースナー)
短期戦略は「小さな約束、大きな成果」
新CEOが着任するなり、戦略を披露するなんて馬鹿げている
新しい事業環境に乗り込んできた新米経営者は必ず苦い現実に気が付く。それは、最も無知な時に最も自分の最高を発揮しなければならないという事実だ
文化に馴染めないトップは簡単に弾き出される
改革は上から命じるものではなく、中から生み出すものだ。何万人もの社員の考え方や行動を変えるのは、大変な難事業だ。���、三度演説をしたり宣言文を書いたぐらいでは何も変わらない。社員を信じなければダメだ。(ガースナー)
誰、ではなく、何、が悪かったのか?
上司(または取締役会)の仕事へのモチベーションを理解する
株主にもっと高い価値を提供する、などと言っても社員は心を動かされない
最も好ましくない過ちは立派な約束をしてお粗末な結果を出すこと
会議にはかならず2分前に到���する
最初の100日はあちこちに回って有権者に訴える選挙運動期間のようなもの
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[B! 組織] 最初の100日で何をすべきで何をすべきではないか?|miyasaka
raimon49 全社員から聞いて回る、最近読んだサンリオ2代目社長のインタビューでも実践したって言ってた。 https://www.yomiuri.co.jp/economy/20240227-OYT1T50108/ HAL研社長時代の岩田さんも社員との面談を重視していたと本に書いてあったよね。
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ハローキティ1強に限界、次世代のカワイイはファン投票…サンリオ2代目「予想以上の業績好転」 : 読売新聞
サンリオ社長 辻朋邦氏
痛切な反省のもと第2の創業を掲げた中期経営計画では「サイロ化した組織」「頑張っても報われにくい人事制度」など反省すべき点をしっかり掲げました。 ただ、自分だけの考えでは空回りしてしまうと思いました。そこで1年半かけて私と社員、1対4の形で年代別に全社員と対話する場をもちました。何のための改革かを理解してもらおうと。 祖父はトップダウン的な部分が強かった。それが悪いわけではないですが、反面、社内の議論が少なかった。キャラクターをどう育てていくのかという議論もあまりなかった。まずはそこを変えようと、経営会議を新設しました。
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結局河野さんの不人気で決選投票進出は無くなったと判断したのでしょう。 そこで麻生さんが曖昧にしていた支援の仕方が生きてくるので河野さんを見捨てるのではなく可能性の有る高市さんと言う勝ち馬に乗って都合の悪い石破さんと小泉さんに対抗するしか存在感を出せないと考えるのが自然だと考えます。 そして麻生さんの判断が結果に反映して成功すれば森喜朗さんや小泉パパ、管さんなどの勢力を抑える事が出来るし高市さんにとっても財務省からの影響を緩和出来るウィンウィンの関係性になるメリットが��ると思われますので以前から高橋洋一さんの言う構図が真実味を帯びて来たと言える。 個人的には会話の成り立たない小泉さんを看板に衆院選を戦うよりも女性初の総理大臣として岩盤保守層と企業経営者に人気が有ると言われる高市さんを看板に戦う方が自民党としては正解なように感じます。 小泉さんに党首討論は出来ないでしょう。
「キングメーカー争い」で崖っぷちの麻生太郎氏がついに動いた…水面下で「高市早苗に入れろ」指令(FRIDAY)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)1月6日(月曜日)弐
通巻第8583号
トランプ政権は「さようならDEI」である。
『オバマの家来』エマニュエル駐日米大使が日本から去る。
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トランプの大勝の意味は極左政権だったバイデン時代の終わりではない。米国をはんぶん破壊した「オバマ時代」(バイデン時代とはオバマ院政だから合計12年)の終焉なのである。
「民主党の高層部に陣取った極左集団はくさっている。全体主義と変わらない」と言って、RKJもトゥルシー・ギャバードも飛びだした。前者はトランプ政権で厚生長官、後者は国家情報長官となる。
オバマ・バイデンの十二年間つづいた「悪政」とは、公務員や追随する広告代理店や弁護士やコンサルタントを動員して欺瞞の政治目的を拡販してきたこと、「人道主義」をいう美名で隠蔽した中身とはアメリカを社会主義的全体主義国家と塗り替えることだった。
第一に「人口構成が運命だ」という妄想があった。白人の出生率が激減している一方で、黒人、ヒスパニック、アジア系の移民が急増し、人口構成を逆転する趨勢を加速させる。
そうすれば極左政党が半永久的に政権の座を維持できるという妄想に基づいた計画だった。
反対の選挙結果だった。ヒスパニックと黒人の民主党支持が顕著に激減し、そのうえ労組が民主党支持から離れた。
これらの基層部分は依然として民主党へ入れたが、曾ての固定票ではなくなっていた。民主党の牙城といわれたNYCやロスでトランプは大幅に得票を増やした。
第二にオバマ院政下にあったバイデンは就任後、90の連邦機関に人種優遇とDEI規則を義務付けた。「左派のネオ・レイシズム」である。
全米でアンチDEI運動が燎原の火のように燃え広がった。
第三に国境開放を解放し、1600万人とも言われる不法移民を受けいれたことは逆にヒスパニック系の票を失った。『聖域』といわれた都市は治安悪化に悲鳴を上げた。
第四に石油・ガス産業に対するグリーン・ニューディール戦争は、環境問題に関心のある若い有権者を引き寄せるはずだった。石油ガス業界を「オバマ院政』(バイデンの四年)で完全に敵に回した。皮肉にも環境規制強化が中国のEV産業を飛躍させアメリカの三大巨人の経営をふらふらにした。自動車労組も幹部を別として、バイデン支持を離れた。
第五に反イスラエルキャンペーンである。ハマス支持の過激派の言動をバイデン、ハリス政権は正当化したが、反イスラエル、そして反ユダヤ主義の左派の票を獲得できなかった。そればかりか民主党の基盤だったユダヤ人の相当数が共和党へ鞍替えした。
▼『オバマ時代』とは『ポストモダン宗教』だった
こうしたオバマ・バイデンの十二年間に猖獗した「ポストモダン宗教」はオバマ時代に急速に勢力を拡大した。妖しげなNGO、コンサルタントと称して企業の幹部に落下傘降下し、顧問弁護士とか社外取締役として当該企業のWOKEを見張った。
消費者の反乱がおきて、バドワイザーなど、販売を四割も落とした。BLMなど過激な活動家グループ、インスタントな財団、公務員組合などが納税者の資金で支えられた。
この急拵えの亜官僚システムは連邦および州の機関、公立学校、そしてアメリカ企業に強制した『研修』と称する仕組みにあった。つまり「DEI産業複合体」だった。
トランプ政権は「さようならDEI」である。
学生ローンの減免など、「平等保護」ではない。多くの異議申し立てがあり、各地で訴訟に発展した。トランプ政権のDOGE設立と、その大鉈で崩壊しそうだ。
オバマ政権は系列の左派知識人を動員し、例えば欠陥だらけのイラン核合意について、主流メディアや政治エリートに虚偽や誤解を招くような話を売りつけ、その後、反対意見を封殺した。
この仕組みは、 ロシアゲート、ハンター・バイデンのラップトップ、その他多くの多くの論点において、有権者の70%が主流のニュースメディアを 信用しなくなり、FOXニュースとカールソンの番組とネットの記事とトランプのXへの投稿、SNSに拡がった保守の主張への支持となった。
バラク・オバマは巧みな演説で時に人々を感動させた(というより誤解させた)が、このようなホワイトハウスの陰湿で陰謀的な政治が民主党を全体主義的ムードへと導いた。惨��後、民主���執行部は空中分解、自ら首を絞めたのだ。
米国の財界、ウォール街は雪崩のようにトランプ政権にアプローチを進めている。
メディアもすっかり様変わりだ。ワシントン・ポスト政治風刺漫画家が、同紙オーナーがトランプを思わせる銅像前に土下座する様子を描いた漫画の執筆し、それが没になった直後、辞任した。
漫画家のアン・テルナエスは「私がペンを向けた対象や人物のせいで漫画が削除されたのは初めて」と投稿した。その風刺漫画には、アマゾンの創設者でワシントン・ポストの所有者であるジェフ・ベゾスや、フェイスブックとメタの創設者マーク・ザッカーバーグ、その他のメディアやテクノロジー界の大物たちが、巨大なトランプ銅像(金日成親子を思わせる)の前でひざまずいてお金の入った袋を掲げている様子が描かれていた。ABCニュースを所有するディズニー社のシンボルであるミッキーマウスがひれ伏している姿も描かれた。
ABCニュースは、ニューヨークでの性的虐待裁判の報道をめぐってトランプが名誉毀損で訴えた事件で、1500万ドルの和解に同意した。
テルナエスは風刺漫画の不掲載は今回が初めてだとし、「これは状況を変えるものであり、『報道の自由』にとって危険だ。民主主義は暗闇の中で死ぬ」と逆の捨て台詞を残した。
『オバマの家来』エマニュエル駐日米大使はやっと日本から去る。
最悪の評判を取りながらもウクライナ支持、LGBTQ法の強要など、忠実にオバマの社会破壊活動を実践してきたが、つぎには民主党全国委員会の委員長への立候補を検討している。
エマニュエルは2009~10年にオバマ大統領の首席補佐官を務め、シカゴ市長に当選し、バイデン大統領から駐日大使に指名された。この背後にオバマがいたことは明白、そもそもバイデン政権の閣僚は殆どがオバマの指名だった。
日本にとってじつに迷惑千万の外交を展開した。
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中井 りかは、日本のタレント、女優、YouTuberで、アイドルグループ・NGT48の元メンバー。愛称は、りか姫、りかちゃん。富山県富山市出身。太田プロダクション所属。 ウィキペディア
出生地: 富山県 富山市
生年月日: 1997年8月23日 (年齢 26歳)
音楽グループ: NGT48 (2015年から)
テレビ番組: 青春高校3年C組、 ふわり愛、 今日から友達になれますか?、 さらに表示
身長: 156 cm
事務所: 太田プロダクション
活動期間: 2015年 -
富山県の立山連峰が見える郊外の住宅地で育った。幼稚園の頃は人前に立つのが好きな「何をしても目立つ子」であったが、小学生になると、周囲となじめなかったことから、なるべく地味にしていようと心に決めていた。そのような環境の中で慰めてくれたのが、AKB48などのアイドルたちであり、自分もアイドルになりたいと思うようになったが、高校では保育士を目指し勉強していた。しかし、アイドルの夢を捨てきれず、2014年 AKB48 Team8 全国一斉オーディション富山県代表に応募。最後の2人まで残ったとの連絡は受けたが、その後の電話連絡に出られず次点となり落選。
翌年、高校3年生の時にNGT48第1期生オーディションに応募。 最終審査に残った場合、次回の48グループのオーディションは最終審査まで免除になるが、それを忘れ書類審査から参加。 2015年7月25日、NGT48第1期生オーディション最終審査に合格し、同年8月21日に新潟市歴史博物館(みなとぴあ)でお披露目された。
2016年1月10日、『NGT48劇場グランドオープン初日公演』に出演。同時に他の15名とともにチームNIIIを結成。同年11月16日発売のAKB48の46thシングル「ハイテンション」で初めてAKB48のシングルの選抜メンバーに抜擢。同年12月、ライブストリーミングプラットフォームSHOWROOM上で2016年に視聴者から多くの支持を得たパフォーマー(SHOWROOMER)を表彰する『SHOWROOM AWARD 2016』における「BEST AKB PERFORMER」を松井珠理奈(SKE48)、野村奈央(当時AKB48)とともに受��した。同年12月31日、第67回NHK紅白歌合戦に投票企画「AKB48 夢の紅白選抜」で33位に選ばれ、AKB48として出演。
2017年4月12日発売のNGT48のデビューシングル「青春時計」ではセンターポジションを務めた。同年5月30日から6月16日にかけて投票が実施された『AKB48 49thシングル選抜総選挙』において23位になり、アンダーガールズに選出される。同年11月17日にAKSから太田プロダクションへの所属事務所移籍を自身のSHOWROOMにおいて発表し、同年12月、太田プロダクションの公式ホームページに掲載された。
2018年1月15日に自身初のソロコンサート『中井りかソロコンサート〜中井りかキャンペーン中〜』をTOKYO DOME CITY HALLにおいて開催した。
2018年4月2日から「青春高校3年C組」の副担任(サブMC)としてレギュラーで出演(月~金、2020年3月27日まで)。番組内で出演者からは、りか先生と呼ばれていた。その後も様々なバラエティ番組のMCとして出演。
2018年6月16日に発表された『AKB48 53rdシングル 世界選抜総選挙』では37位となり、ネクストガールズに選出された。
2022年6月29日発売のNGT48 1stアルバム「未完成の未来」に収録のリード曲「しそうでしないキス」では、小越春花とダブルセンターを務めた。
2023年4月12日、デビューシングル『青春時計』リリース6周年記念イベントにて、グループ卒業を発表。卒業時期は同年夏ごろを予定しているとした。 同年8月2日発売のNGT48 9thシングル「あのさ、いや別に...」では、2度目のシングル曲センターポジションを務めた。
同年8月5日、「中井りか卒業コンサート〜推し変禁止は絶対命令〜」を新潟県民会館大ホールにて開催。 同月31日、NGT48劇場での卒業公演をもってNGT48から卒業
幼稚園のころからアイドルが好きであったが、小学生の時いじめられていた時期とも重なり、AKB48が出てきたころは自分は「アイドルになんてなれない」という思いや嫉妬心から「AKBなんて嫌いだし」と思っていた。しかし、心を動かされていることは自分でもわかり、ファンになっていった。
AKB48グループでは板野友美、小嶋陽菜を応援していたが、渡辺美優紀が「絶滅黒髪少女」のセンターで踊る姿に惹かれて以来、渡辺一本になったという。中井は渡辺を彷彿とさせるといわれ、NGT48に加入した当初は「釣り師」と呼ばれていた。性格はネガティブであり「豆腐メンタル」である。
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20241026 第50回衆議院議員選挙投票日前日
ヒドリガモを目撃。今年で最初。
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勝手にEBF3おめでとう記念会を行いました。
I want to practice. Speaking of EBF3, we are celebrating our 14th anniversary! What should I draw next?
EBF3の好きな前半エリアを選んでくれ!
The Town 22.7%
Vegetable Forest 11.4%
Rock Lake 21.6%
Glacier Valley 44.3%
88票というたくさんの投票ありがとうございました。時期も時期なので皆、暑いんだなと思いました。
ヴァイキングモノリス君、最初に出会うモノリス君でたしか初めて死んだ敵でもあります。氷が強い!
おまけ
後半はまた今度ということで、落書きで勘弁してください。
TAKE YOUR TOP OFF!
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i think metaphor is doing a popularity poll if anyone is curious lol
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從政不為農民發聲 選舉依靠網軍出征
民進黨蔡培慧從社運先鋒變成行為雙標「黨意立委」「砍假立委」,曾聲嘶力竭為台灣農民利益怒吼的她轉戰立法院後,面對農民問題卻七年裝聾,一到選舉才出來騙選票。蔡培慧被徵召出戰南投二選區,明明老家在第一選區,為了選舉遷戶籍到鹿穀鄉,用民進黨選舉那些爛招抹紅、抹黑對手,真是「政績沒半步、選舉全奧步」。
蔡培慧昔日號稱「心中只有民意,沒有黨意」,卻在過去力挺萊豬、阻擋BNT疫苗、《勞基法》修法支持砍7天假。2012年蔡培慧擔任台灣農業陣線發言人時,對開放含萊克多巴胺的美牛進口多所批評;2016年擔任立委時,還說零檢出絕對不是困難的問題,堅決反對含有萊克多巴胺的美豬或美牛進口。但2021年民進黨政府開放萊豬進口,卻看不到蔡培慧有任何表示,甚至還否定反萊豬等4項公投,更證明她從政、當官後心中只有黨意。
從去年縣長選舉、立委補選的過程,就可以看到蔡培慧慣用的造謠、抹黑、惡意假賄選等手段,她所指控的所謂不法情事,經過司法機關調查後發現沒有一件是事實,這就是蔡培慧一貫的選舉套路;這次她為了挽救她低靡的選情又故技重施,指控對手利用集集鎮公所發放廚餘桶是假宣導真賄選,炒作新聞、捏造賄選事實並惡意檢舉,將地檢署當作她個人表演的舞台。利用媒體誤報導「廚餘桶上印有國民黨立委候選人遊顥廣告字樣」,發佈錯誤新聞稿陷媒體於不義,再透過網軍在社群上恐嚇有領廚餘桶等於收賄、賄選,等於當選無效,不要浪費選票等內容,企圖讓近萬集集鎮民擔心受怕。
蔡培慧團隊為了打贏選舉,引進民進黨大量的網軍,在網路上一直在攻擊遊顥,用匿名攻擊毀人名譽,��造圖卡移花接木。喪盡天良的是曾進行梗圖潑髒水,政治消費亡者與家屬,太誇張了!此次蔡培慧更是被抓包與假造圖卡者關係匪淺,蔡培慧竹山駐區主任陳延彥、竹山鎮公所機要秘書陳威良及臉書賬號「南投囝仔」均為臉書社團「竹山人聊天室2.0」管理員,其中「南投囝仔」多次在Line、臉書等社群平台發佈損害遊顥名譽的圖卡或影音。連陳癸佑痛批,民主進步黨已忘了初衷,執政後卻忘了要民主、要進步,執政八年利用網軍治國鬥爭異己,令人深惡痛覺。
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エモーショナル部門のこと・お礼イラストのこと
長文です!笑
BLアワードについてなのでX等に投稿しようと思っていたのですが、とても個人的な、外に向かってというより内側に独り言のように呟きたいことだな…とブログに書くことにしました!
なのでもしかしたら、後で消すかもしれません(恥ずかしくなって)
あらためまして『世界でいちばん遠い恋②』BLアワード2025ノミネートほんとうにありがとうございます!
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BLアワードノミネートにはちるちる様内でのレビューや評価が必要で。 ”読んでくださった皆様のおかげで立たせていただける舞台”です。 この場に『いち恋』が居ること。 そのことにまず最大級の感謝を述べさせてください𓅼 ほんとうにありがとうございます! ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ BLアワードは私にとって大切な思い出がある場所です。 (すべてのBL作家様にとってきっと何かしらの場所であるとおもうので本当なら”私にとっても”と表すべきなのですが…今回は”私にとって”と言わせてください) そこを語ってしまうと長くなってしまうので、ここでは昔のブログを貼るだけにとどめ笑(https://tmblr.co/Z7dY-UbJkTc3au00)
今回のBLアワードで嬉しかったこと・特別だったことは はじめて『エモーショナル部門』にノミネートしていただけたことです。 『いち恋①』のあとがきで、私は 「雰囲気がある漫画が描きたい」 「2人の男の子が隣を歩いたり。笑ったり」 「誰かが誰かと一緒にいる空気や場面を描きとめたい」 そう書きました。
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このあとがきを書きながら思い浮かべていた”今後描くであろうシーン”が、2巻の海のシーンでした。 『いち恋』はこれまでの漫画と違い、プロットを強固に決めていません。二人の気落ちに沿いながら、先の展開を決めず、その場その場で描いている部分もとても多いです。 そのせいか、最初に考えていたシーンがなくなったり、変わることもとても多い作品です。
それでもこの”海のシーン”だけは。 絶対描きたいと思っていました。 ”雰囲気を描きたい””空気を描きたい”そう思っていた『いち恋』の、 原点のようなシーンだったからです。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『エモーショナル』という言葉について、辞書などには語釈が書いてあります。 BLアワードさまでも独自に部門の意味が定められています。 なので私の考える『エモーショナル』は間違っているかもしれません。 でも「『エモーショナル部門』に選出されましたよ」と編集さんから伺った時パッと浮かんだイメージ。 ”情動”というか。 気持ちが揺れるさま。 それが空気や景色に滲みでるさま。 言葉にならない、言葉にできない、でもたしかに存在している”なにか”を含んだ余白のようなもの。 『いち恋』で「描き起こしたい」と思っていたものだ!と思いました。 その部門に『いち恋』が選出された。 長くなりましたが、それがとてもとても嬉しかったです! 『海』のある2巻で。 ちょっぴりですが「描けてるよ」と言ってもらえたような… それが、とてもとても嬉しいです。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ もうひとつ。 ノミネートお礼絵について。 十嘉が海ではしゃぐ五十鈴をカメラにおさめる絵。 こちらは読者様のアイデアを描き起こしたものです。
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Instagramのライブ配信で、来てくださった皆さまとコメントを通じてお喋りしながら「2人の初写メはなんだろうね」という話題になったとき。
「海で写真をとっていたかも」と言ってくださった方がいて。 それがとても”可愛いなぁ!”と印象に残っていて。 海で写真を撮る2人を描こう! 海の2人はまだ恋人未満だからツーショットではないかな? 写真を撮るなら十嘉だな。 五十鈴さんは、十嘉のおかげで目の前の景色が違って見えていて、その輝きに夢中だろう。 十嘉はそんな五十鈴さんこそまぶしく見えるはず… いただいた一言からバーッとその場面が浮かびました。 読んでくださった方のなかに五十鈴と十嘉が居て、その断片を聞かせてもらえて、それを形にできたこと。 その一連のやり取りが、その流れそのものが、とてもワクワクする体験でした。 「思い入れのある海のシーンにさらに豊かさを下さってありがとう!」 「このBLアワードノミネートイラストが描けて楽しかったです!」 「嬉しいです!」
それが、二つ目の”特別”です。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
BLアワードという特性上、どうしてもソワソワする気持ちや期待してしまう気持ちがあります。 ノミネートだけで十分だという気持ちと、「更に」を願ってしまう気持ち。 応援をお願いする気持ちと、それがプレッシャーになってしまわないかな…と言い淀んでしまう気持ち 反する気持ちが混在します。
それでも「もっと『いち恋』を、とうすずを知ってほしい」という望みはいつもあって。 「この機会に!」「投票終了までがんばろう!」と思う気持ちは本物なのですが(もしアワードのこの雰囲気が疲れてしまう、苦しくなってしまう…という方がいらしたらごめんなさい) 今回のBLアワードに『エモーショナル部門で』ノミネートできて、『ノミネートお礼絵を描けたこと』が、自分にとってどういう意味があって、どう特別だったか BLアワードの本筋とは少しずれたところに、どこまでも個人的な理由で『ありがとう』を言いたい気持ちがある、それをお話したい それがこのブログの理由です。
BLアワード2025『エモーショナル部門』にノミネートさせていただき、ほんとうにほんとうにありがとうございました! お礼絵を描けて幸せでした!
ここではそれだけを、全力で大声で言わせてください! ありがとうございました! 2025・02・04 麻生ミツ晃
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「68個のお節介な助言」 著者 ケヴィン・ケリー Kevin Kelly 訳 堺屋七左衛門 この文章は Kevin Kelly による "68 Bits of Unsolicited Advice" の日本語訳である。 68個のお節介な助言 今日は私の68歳の誕生日である。ロッキングチェアに座りながら、若者に助言したい気分になっている。私からの誕生日プレゼントとして、諸君に68個の短いお節介な助言を進呈する。 (訳注:この文章は2020年4月28日に発表された。フェイスブックでのケヴィン・ケリーの記述によれば、実際の誕生日は4月30日である。) ・意見の異なる人から、さらに言えば気に入らない人からも、何か学ぶことがあるはずだ。彼らが信じていることの中に真実があるかどうか確かめてみなさい。 ・熱心に取り組めば、知能指数が25ほど上昇する。 ・常に締切期日を決めておきなさい。締切があることによって、的外れなもの、ありきたりなものが排除される。締切があるので、完璧を目指さなくてもよい。そのかわりに、他と異なるものを作るべきだ。相違は望ましいものである。 ・ばかばかしいと思われる質問をためらってはいけない。そのような場合の99%は、他のみんなが同じ疑問を感じているが、恥ずかしがって質問しない状況である。 ・人の話を上手に聞くことができるというのは、重要な能力である。大切な人の話を聞くときは、それ以上話すことがなくなるまで「もっと聞かせて」と言い続けなさい。 ・価値のある年間目標は、1年前の自分が信じられないくらい無知だったと思えるほど、あるテーマについて学ぶことである。 ・感謝は、他のすべての美徳を引き出すものであり、その気になれば上達できるものである。 ・人に食事をおごることは、必ず良い結果につながり、容易に実行できる。昔からの友人に効果があるし、新しい友人を作るためのすばらしい方法でもある。 ・万能接着剤を信用してはならない。 ・いつも子供に読み聞かせすれば、親子の絆を深めるとともに、子供の想像力を高めることができる。 ・クレジットカードを信用払いのために使ってはならない。信用払い、すなわ��借金をしても良いのは、住宅のように交換価値の増加する可能性がきわめて高い物を入手するための借金だけである。大部分の物の交換価値は、それを購入した瞬間に減少または消滅する。借金して損をすることがないように。 ・プロフェッショナルとは、失敗から穏便に回復する方法を知っているアマチュアにすぎない。 ・普通ではない主張を信じてもらうためには、普通ではない証拠が必要である。 ・グループの中で最も賢い人になってはいけない。自分よりも賢い人たちと付き合って、彼らから学ぶべきである。さらに望ましいのは、自分と意見が異なる賢い人を見つけることである。 ・会話における「3回」の法則。本当の理由を知るためには、ある人が言ったことについて、より詳しく説明してもらいなさい。もう一度、そしてさらにもう一度。3回目の答えが真実に近いものである。 ・一番になるな。唯一になれ。 ・みんな遠慮しているのだ。他の人は、あなたが自己紹介するのを待っている。他の人は、あなたが電子メールを送るのを待っている。他の人は、あなたがデートに誘ってくれるのを待っている。思い切ってやってみなさい。 ・誰かに断られたとき、自分自身が否定されたと思ってはならない。その人もあなたと同じ状況だと思えば良い。忙しい、先約がある、気が進まない。後でもう一度頼んでみなさい。2回目の依頼で成功することが非常に多い。 ・習慣の目的は、自己交渉という行為を省略することである。実行するかどうか決めるのにエネルギーを使う必要がなくなる。ただ実行するだけだ。良い習慣は、真実を述べることから歯磨きまで広い範囲にわたっている。 ・迅速さは、敬意の表れである。 ・若いうちに、少なくとも6か月から1年くらいの間、できるだけ貧乏な暮らしをしてみなさい。所持品をできるだけ少なくして、小さな部屋またはテントで豆と米だけを食べて、「最悪」の生活がどんなものかを体験するのだ。そうすれば、将来、リスクを冒す必要が生じたときに、最悪のシナリオを恐れなくてもすむだろう。 ・本当の話、「彼ら」というものは存在しない。 ・あなたが他人に関心を持てば持つほど、彼らはあなたに関心を持つようになる。関心を持たれる人になるには、関心を持ちなさい。 ・できるだけ気前よく振る舞いなさい。死ぬ間際になって与え過ぎの人生だったと後悔する人はいない。 ・良いことをするためには、ただそれを実行すればよい。立派なことをするためには、それを何度も何度も何度も実行すればよい。すばらしいことをする秘訣は、やり直すことである。 ・黄金律を守れば必ず役に立つ。それは、他のすべての美徳の基盤である。 (訳注:黄金律とは「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」という行動規範を指す。) ・家の中で探し物をして首尾よく見つかった場合には、それを使い終わった後、見つかった場所に戻してはならない。最初に探した場所に戻すべきである。 ・貯金および投資は、いずれも良い習慣である。���まり深く考えずに少額のお金を長年にわたって定期的に投資するのも、蓄財の一つの方法である。 ・誤りを犯すのは人間の行為である。誤りを認めるのは神の行為である。自分の犯した過ちを迅速に認めて責任を取り、適切に是正することができれば、これほど人の価値を高めるものはない。失敗したときは、素直に認めなさい。この責任感は、きわめて効果的なものである。 ・アジアでの地上戦に関わってはならない。 (訳注:「自分の能力以上のことに手を出すな」という意味。朝鮮戦争やベトナム戦争での米国の経験を踏まえた言葉として昔から使われている。) ・顧客に尽くすことに注力しても良いし、競争相手に勝つことに注力しても良い。いずれも有効だが、どちらかと言えば、顧客に尽くすほうが効果は高いだろう。 ・目立ちなさい。いつも目立つようにしなさい。ある成功者の言葉によれば、成功の99%は目立つことである。 ・創作過程と改良とを区別しなさい。執筆と編集、彫刻と研磨、製造と分析を同時にはできない。もし同時にしようとすると、編集者が創作者の手を止めてしまう。発明しながら選択してはならない。スケッチしながら修正してはならない。草稿を書きながら考察してはならない。着手する前に、創作者の意識は判断から解放されている必要がある。 ・失敗がときどき起こらないのであれば、順調に進んでいるのだ。 ・おそらく最も直感に反する宇宙の真理は、他人に多く与えれば与えるほど得られるものが多くなる、ということである。これを理解することが、知恵の第一歩である。 ・友人は、お金よりも良いものである。お金があればほとんど何でもできるが、友人がいれば可能性はさらに広がる。自分で船を所有するよりも、船を持っている友人がいるほうがいろいろな点で望ましい。 ・正直な人をだますのは難しい。これは真理である。 ・物が見つからない場合、最後にそれを見た場所から手の届く範囲内に存在している割合は95%である。その半径の中で可能性のある場所を探せば見つかる。 ・あなたの評価は、あなたが何をしたかによって決まる。何を言ったか、何を信じているか、誰に投票したかではなくて、何に時間を使ったかである。 ・旅先で、ケーブル、アダプター、充電器をなくした、あるいは持って来るのを忘れた場合、宿泊しているホテルに尋ねてみるとよい。今どきのたいていのホテルには、誰かが置き忘れたケーブル、アダプター、充電器が多数保管してあって、おそらくその中に適合するものがあるだろう。借りた後、それをもらえる場合も多い。 ・憎悪は、憎まれている人に影響を及ぼさない災いである。憎む側の人だけに害を与える。怨恨は毒のようなものだと思って捨て去りなさい。 ・向上には限度がない。才能は公平には与えられていないが、ものごとを始めるレベルは、いくらでも高くすることができる。 ・何か大きなプロジェクト(住宅、映画、イベント、アプ��など)が90%完成したと思ったとき、残りのこまごまとした無数の項目を片付けるために、また90%の時間がかかる。覚悟しておきなさい。 ・人が死ぬときには、自分の評判以外のものは絶対に何も持っていくことができない。 ・年を取る前に、できるだけ多くの葬式に参列して、まわりの人の話に耳を傾けなさい。誰も故人の業績を話題にしていない。人々が覚えているのは、故人が活動していたときの人柄だけである。 ・何か実体のある物を買うためにお金を払うときは、その物の寿命が尽きるまで、修理、保守、廃棄にお金がかかることを覚えておきなさい。 ・現実のものごとは、ひょっとしたらありうるかも、という想像上の仮説から始まっている。したがって、想像力は、この世界で最も重視される能力であり、努力すれば上達できる能力である。それは、他の人たちの常識を無視することが利点となる唯一の能力である。 ・危機や災害が起こったら、それを無駄にしてはいけない。問題のないところに進歩はない。 ・バケーションの旅行では、都市を避けて、行程の中で最も遠い目的地へ最初に行きなさい。遠隔地で異質性による衝撃を最大限に感じておけば、その後、復路の行程では、都市の見慣れた快適性をありがたく受け入れられるだろう。 ・将来何かをしてほしいという要請を受けたら、自問自答してみなさい。その日程が明日である場合、それを引き受けるか。この選別テストに合格する行動予定は、そんなに多くないだろう。 ・本人に直接言いにくいことを、他の誰かに電子メールで言ってはならない。なぜならば、いつかきっと本人がそれを読むことになるからである。 ・あなたがどうしても職に就きたいと思っている場合、雇用主から見れば、あなたは数ある問題の一つにすぎない。その雇用主の抱えている多くの問題をあなたが解決できるならば、職を得られる。職を得るためには、雇用主の立場で考えなさい。 ・芸術は、あなたが見逃しているところに存在する。 ・物を手に入れて深い満足感が得られることはめったにない。しかし、何かを経験することによって深い満足感が得られる場合はある。 ・調査における「7段階」の法則。七つの段階を進んでいくと、目的のものを見つけることができる。最初に尋ねた人が知らなければ、次は誰に尋ねればよいかを教えてもらう。これを繰り返す。7番目の人まで尋ねていけば、ほとんどの場合、答えを見つけることができる。 ・謝罪の方法。迅速に、具体的に、心を込めて。 ・電話での勧誘や提案に応じてはならない。急を要するというのは口実である。 ・誰かがあなたに対して意地悪な、無礼な、悪意ある、または、ひきょうな態度をとるならば、その人は病気だと思いなさい。そうすれば、共感しやすくなって対立を緩和できるかもしれない。 ・ガラクタを排除すれば、本当の宝物のための余地が生まれる。 ・有名になろうとは思わないほうがよい。誰か有名な人の伝記を読んでみなさい。 ・経験が過大評価されている。人を雇用するときは、適性のある人を採用して技能を教えるようにしなさい。最もすばらしい、あるいは立派な結果を出すのは、その仕事を初めてする人である。 ・休暇+災難=冒険。 ・道具の購入方法。最初は、できるだけ安い道具を探して買いなさい。頻繁に使うものは、良い物に買い換えなさい。ある道具を仕事で使わなくなったら、財力が許す範囲で最も良いものを買いなさい。 ・さりげなく20分の仮眠をとる方法を身に付けなさい。 ・何に情熱をもって取り組むべきかわからなくて行き詰まったときは、至福を感じることを目安にすればよい。多くの若者に役立つ教訓は「何でも良いから、何かに熟達しなさい」ということだ。あることを習得すれば、その延長線上でもっと喜びを感じる方向へ進むことができて、最終的には自分が至福を感じるものがどこにあるかを発見できるようになる。 ・100年後には、今の私が正しいと思っていることの大部分が間違いであると証明されるはずだ。もしかしたら、あきれるほど間違っているのかもしれない。そこで私は、今考えていることの中で何が間違いであるかを見つけようと努力している。 ・長い目で見れば、世界の将来は楽観主義者が決める。楽観的になるために、私たちが抱えている多くの問題を無視する必要はない。人間の能力が向上して問題を解決できると想像すれば良いのだ。 ・全世界は、あなたの背後であなたが成功するように画策している。このプロノイア(支援妄想)を信じれば、行動しやすくなる。
「68個のお節介な助言」: 七左衛門のメモ帳
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善人か…?悪人か…? 孫文が慕い、天皇陛下が認めた… “日本のヒトラー”と呼ばれた一般人とは? 時は1881年、福岡にて… 26歳の青年がある“秘密結社”を立ち上げた… とりたてて騒がれることもなく静かに産声を上げたのだが、この時誰ひとりとして想像するものはいなかっただろう… この青年が、天皇陛下もが認める「国民的英雄」へと上り詰めることも… 彼の立ち上げた秘密結社が、のちに日本近代史における重要な局面を次々と左右していくことになるということも… そして、遡ってみればアメリカで活躍する大谷翔平選手にまで影響を与えているようなのである… ではいったい、そんな青年とは誰だったのか?この秘密結社とはなんだったのか? その謎を紐解いていくことにしよう… 福岡で産声をあげた秘密結社 〜戦後GHQが世界から消し去ったワケ〜 この秘密結社を作った青年だが… 政治家だったわけでも、思想家だったわけでも、はたまた軍人だったわけでもなかった… どこにでもいるような一介の一般人にすぎなかったのである。 しかし、気づいたときには雑誌の「現代の豪傑」という人気投票で、当時の大政治家や大将軍を差し置いてダントツで1位に選ばれるなど、戦前の日本では“知らない者はいないほどの国民的人気”を集めていた… さらに、当時、一般人は不可能だった天皇陛下と直接謁見した世界で2人しかいないうちの1人となり… その生涯でどんな役職にもつくことのなかった“一般人”にもかかからず天皇陛下から祭祀料が下賜されるという異例中の異例の対応がなされ… 大東亜戦争の終戦前年、頭山がこの世を去ったときには、当時、交戦中であったにもかかわらず“中国”の各所でも慰霊祭が営まれた… このように、秘密結社を立ち上げて以降50年以上もの間絶えず高い評判と人望を集め、晩年には半ば神格化されたこの伝説の男��そが…. 頭山満(とうやま みつる)である。 頭山は「玄洋社」という秘密結社を福岡で立ち上げると、 幕末期に西欧列強との間で結ばれた不平等条約の改正運動を行い 一躍、日の目を浴びることになる。 加えて、 ・アジア諸国が西洋列強による侵略や植民地支配から解放されるべき ・アジア人が手を組むことによって独立と繁栄を実現するべき といった“大アジア主義”を掲げて独立を支援。 インドやベトナム、ビルマ、バングラデシュ、インドネシア、マレーシア、朝鮮、フィリピンといった東南アジア諸国だけではなく、遠くアフガニスタン、エチオピアといった国々の独立に頭山と玄洋社の面々が大きく関わったのであった… さらにその影響力は現代にまで及んでおり、、、 大リーグで活躍する大谷翔平選手が渡米前に読んでいた書籍『運命を拓く』を書いたのも頭山の弟子として玄洋社で活躍していた人間であった。 ここまで頭山満と、彼のつくった「玄洋社」の活躍ぶりについてご紹介してきましたが、、、 いかがだったでしょうか? 国民的英雄として扱われ、日本のみならずアジアの発展を願い、私財を投げ打ってまでその生涯を捧げてきた頭山でしたが… 実は戦後、その評価は180度変わってしまいました。 ・玄洋社は日本で初めて誕生した“危険思想団体”だった ・そんな組織を率いた総帥の頭山は侵略戦争を推進していた といったような具合に、“右翼の巨頭”であり、大陸侵略を推進した“日本版ヒトラー”として扱われているのです。 いったいなぜなのでしょうか? それは、GHQが歴史を捻じ曲げ、真実が抹殺されてしまったからなのです。 GHQや連合国にとって、大東亜戦争は“日本による侵略戦争”であり、玄洋社はそんな侵略戦争を後押した秘密結社でなければなりませんでした。 だからこそGHQは、戦後の世界秩序を形成するうえで障害となりそうな玄洋社に「超国家主義団体」というレッテルを貼り、強制的に解散させました… 頭山や玄洋社が“大アジア主義”を掲げて、植民地アジアの解放や独立を助けてきたという事実はGHQにとって隠されるべき「不都合な真実」だったのです。 さらに、終戦の前年に死去していた頭山満は、そのまま歴史の闇へと葬り去られ… 玄洋社を支えてきた広田弘毅は文官としては唯一のA級戦犯として死刑に処されてしまったのです… その結果、、、 彼らが日中和平に精魂を傾け、インドやアジアの独立に寄与してきたという事実は歴史から抹殺され…ただGHQの都合の良いように作られた“ウソの歴史”だけが残ってしまったというのです… そして残念なことに、終戦から80年近くが経過した今でも、日本では“ウソの歴史”が教えられています。 だからこそ私たちは、「頭山満」や「玄洋社」について教科書で学ぶことはありませんし… もちろん、メディアが取り上げることもありません… (先日バラエティ番組で頭山満の写った写真が紹介されていましたが、そこに「頭山満」の名前はなく、戦前の大物国家主義運動家と書かれていただけです…) このように戦前は英雄として扱われていたにもかかわらず、戦後「戦争犯罪人」のように仕立て上げられ、この世から消されてしまったのです… と、ここまで頭山満の話をしてきましたが、実は“消された英雄”となってしまったのは彼だけではありません。 吉田松陰や乃木希典、契沖といった日本の歴史を語るうえで欠かせない面々も、戦後GHQの政策によって消されてしまいました。 https://in.kamijimayoshiro.jp/mmkami_opt_1300_2309 どの人物も消された理由はただ1つ。 頭山と同じように「GHQや戦勝国にとって知られると困る不都合な真実」だったからです。
https://in.kamijimayoshiro.jp/mmkami_opt_1300_2309
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Kishimoto Interview Cinema Café Dec. 5th 2014 Part 2
SOURCE
[Interview/Part 2] Masashi Kishimoto's 15 years of "NARUTO" - From thoughts on the ending to his rivals
“ノストラダムスの大予言”で知られる1999年の7月から2か月ほどが過ぎた9月、当時24歳の岸本斉史は「週刊少年ジャンプ」(集英社刊)にて「NARUTO-ナルト-」の連載を開始した。
In September, about two months after July 1999, known for "Nostradamus's Great Prophecy," 24-year-old Masashi Kishimoto began serialization of "NARUTO" in "Weekly Shōnen Jump" (published by Shueisha).
参考までに、当時の内閣総理大臣はいまは亡き小渕恵三。甲子園をわかせた“怪物”松坂大輔がプロ野球で初登板を果たし、石原慎太郎が東京都知事に当選し、宇多田ヒカルが累計900万枚を超える大ヒットとなるファーストアルバム「First Love」を発表したのも同じ1999年である。
For reference, the Prime Minister at that time was the late Keizo Obuchi.The "monster" Daisuke Matsuzaka, who made waves at Koshien, made his professional baseball debut, Shintaro Ishihara was elected as the governor of Tokyo, and Hikaru Utada released her massively successful first album "First Love," which sold over 9 million copies, all in the same year, 1999.
それまで「ジャンプ」を支えてきた人気漫画「るろうに剣心」(和月伸宏)が最終回を迎えたのと同じ号で、のちに全世界で2億部超の大人気漫画となる「NARUTO-ナルト-」は産声を上げた。そこから15年におよんだ連載をふり返ると共に、まもなく公開となる劇場版「THE LAST -NARUTO THE MOVIE-」についても語るロングインタビュー<後編>!
In the same issue where the popular manga "Rurouni Kenshin" (Nobuhiro Watsuki), which had supported "Jump" until then, reached its final chapter, "NARUTO," which would later become a global hit with over 200 million copies sold, made its debut. In this long interview (Part 2), we look back on the 15-year serialization and also discuss the upcoming theatrical release "THE LAST -NARUTO THE MOVIE-"!
【原作の結末に関するネタバレの記載、発言もありますのでご注意ください】
[Please note that there may be spoilers and comments regarding the ending of the original work]
15年の歳月で一番つらかった時期は「連載開始当初」。7日間で1話を仕上げる週刊連載の“地獄の”サイクルに体が悲鳴を上げた。
The hardest time in those 15 years was when the series first started. The hellish cycle of a weekly serialization, where one chapter had to be completed in seven days, made his body scream.
「連載が始まったのは嬉しかったけど、体力的にはすごく弱くて毎週、原稿を上げたら熱は出るわ、食べたものは吐くわ…『やっていけるのかな?』という感じ。どんどん体がつらくなって、変な熱が出て病院に行ったら、先生が何かの数値を見ながら『きみ、これ細胞が死んでるよ。とにかく休みなさい』って(苦笑)。『細胞が死んでる』なんて初めて言われて引いたけど、週刊連載なんだから休めるわけない。当時は連載を始めたばかりの新人が休むなんてありえなくて、あるとしたら連載打ち切りだった。でも、さすがに当時の担当が、このままじゃ死ぬと思って少しの間、休載にしてくれたんです。その時はみんな、口に出さないけど『こんな新人に休みやるってどういうことだ?』と思ってたんじゃないかと…。ただ、そこからみんな、ちょっとずつ休みをもらえるようになったので、そういう意味じゃ新たな流れを切り拓いたのかも(笑)。その頃はいまよりも15キロくらい痩せてましたね」。
"I was happy when the serialization started, but I was physically very weak, and every week after submitting my manuscript I'd get a fever, and I'd throw up everything I ate…I felt like, 'Can I still do this?' My body was getting increasingly uncomfortable, and when I developed a strange fever I went to the hospital, the doctor, looking at some numbers, said, 'Your cells are dead. You need to take a rest at all times' (bitter smile). I was taken aback for the first time to be told that my 'cells are dead', but since it was a weekly serialization, there was no way I could take a break. At the time, it was unthinkable for a rookie who had just started serialization to take a break; the only thing that could happen was for the series to be canceled. But as expected, my editor at the time thought I would die if I continued like this, so he put me on a break for a while. At the time, I think everyone was probably thinking, without saying it out loud, 'What do you mean, give a rookie like me a break?'…However, from then on, everyone started to be given little by little time off, so in that sense I may have opened up a new trend (laughs). I was about 15 kg thinner at that time."
そこから徐々に、週刊連載のリズムを掴み始め、同時に読者の反響からも作品に対する手応えを感じ始める。
From there, he gradually began to grasp the rhythm of weekly serialization, and at the same time, he started to feel a sense of accomplishment from the readers' reactions to my work.
「2回目に巻頭カラーをもらった時かな? 担当が原稿をFAXしながら『嬉しいよ。(読者投票で)1位だから』と言ってたのを覚えてます。僕自身は、投票結果はあまり気にしないようにはしてたんですが、二人三脚で連載を一緒に始めた担当はここまで胃の痛い思いもしてきたんだろうし、彼の嬉しそうな顔を見るのは嬉しかったですね。僕自身もその後、結婚して生活が安定して、体調を崩すことも少なくなりましたね」。
"Was it when I got the cover color for the second time? I remember my editor faxing the manuscript and saying, 'I'm so happy. (You ranked first in the reader poll).' Personally, I tried not to pay much attention to the voting results, but my editor, who started the series with me, must have been so worried up to that point, so it made me happy to see his delighted face. After that, I got married, my life stabilized, and I got sick less often."
15年という歳月の中で社会情勢も大きな変化を遂げた。「NARUTO-ナルト-」の世界は現実の世界情勢を鏡のように映し出しているのでは? という声は以前よりファンの間でも多く聞かれた。五大国の存在や、各国が“尾獣(※巨大な力を持つ魔獣)”を兵器として持っていること。そのバランスを崩そうとする組織「暁」。暴力ではなく対話で解決を試み、相手を理解しようとするナルト。歴史的な因縁などを含め、なるほどと思わされる部分が多々あるが…。
Over the course of 15 years, the social situation has undergone significant changes. There have been many voices among fans suggesting that the world of "NARUTO" reflects the real-world situation like a mirror. The existence of the Five Great Nations and the fact that each country possesses "Tailed Beasts" (giant, powerful magical beasts) as weapons. The organization "Akatsuki" that seeks to disrupt this balance. Naruto, who attempts to resolve conflicts through dialogue rather than violence and tries to understand others. There are many parts that make you go "I see", including historical grievances and such, but...
「やはり、それ(世界情勢を作品に重ねること)はありますが、重ねすぎるとおかしくなるので、あまり意識し過ぎずにと思ってました。僕はいま、日本に住んでいて、(それぞれの国々の)実際のところは分からないし、ナルトやサスケじゃないですが、相手を知り、互いを知らなければ判断できないところもあると思います。僕は岡山出身で、広島の原爆ドームなどにも足を運びましたし、やはりそれを見ていろいろ思うところはあります。例えばうちの祖父には祖父の言い分、思いがあったのを聞いてるし、でもそれは世代が変わることで変わっていく部分もある。その上でやはり、あまりリアルに重ねすぎずに描いてます」。
"Of course, that (overlapping the world situation into the series) is a given, but if you overlay it too much it becomes innapropriate, so I tried not to be too conscious of it. I'm currently living in Japan and don't know the actual situation (in each country), and I think there are some things you can't judge unless you get to know the other person, like Naruto or Sasuke. I'm from Okayama and I've been to places like the Hiroshima Peace Memorial Park, and of course there are many things I think about when I see those things. For example, I've heard my grandfather have his own feelings and thoughts about it, but those perspectives also change with each generation. With that in mind, I tried to depict them without overlaying them too realistically."
社会情勢だけではない。時に岸本さん自身の変化もまた作品に反映されていった。岸本さんが原稿を描きながら、感情が高ぶり思わず涙がこぼれたというのが、ナルトが死んだ母と逢い、自身の出生の秘密について知らされるシーン。
Not only the social situation. Sometimes, Kishimoto's own changes were also reflected in the work. While writing the manuscript, Kishimoto was so emotional that he burst into tears during the scene where Naruto meets his dead mother and learns the secret of his birth.
「ナルトが母親・クシナの愛を知り喜ぶときの顔は、自分で描いてるのに泣きました。そこまでナルトが(両親の愛を知らず、里のものからは厄介者として扱われ)あまりに可哀想だったので。社会情勢だけでなく、僕自身に新しい家族が出来て、子どもが生まれると、作品の中のナルトの気持ちがより一層分かるし、親の立場でナルトを見るようにもなる。最初は何も考えずにナルトを両親のいない設定にしたけど、自分が親になると、親がどれほど子どものことを思っているのか? それを子どもが知らないままでいるのがすごく悔しくて、伝えてやりたくて、そうせずに話を進めるわけにはいかなかった」。
"I cried when I was drawing the look on Naruto's face when he learns of his mother Kushina's love and becomes happy. I felt so sorry for Naruto, poor boy (not knowing the love of his parents and being treated as a nuisance by the village). Not only did I understand the social situation, but now that I have a new family and a child, I can understand Naruto's feelings in the series even more and I can see him from a parent's perspective. At first, I set Naruto as having no parents without thinking about it, but now that I'm a parent, I wonder how much parents love their children? It was such a pain that a child would remain unaware of this, and I wanted to convey that to him, so I couldn't go on with the story without doing so."
本作が「ジャンプ」のバトル漫画の系譜を受け継ぐ王道の作品であったことは間違いないが、その一方で、これまでの少年漫画とは異なる、ある意味で“少年漫画らしからぬ”道を切り拓いたのも事実。先にも少し触れたが、ナルトが中盤以降、単に戦いではなく“対話”と“許し”で平和をもたらそうとする姿もそう。読者からの支持が高い「ペイン編」で、ナルトが師の自来也を殺したペインと対話し、和解するという描き方は「ある意味でタブー(苦笑)。少年漫画では普通はやらないやり方だった」とふり返る。
It is undeniable that this work was a quintessential piece that inherited the lineage of battle manga from JUMP, but at the same time, it is also a fact that it has pioneered a different path from previous shōnen manga, one that is in some ways “unlike typical shōnen manga”. As I mentioned earlier, Naruto's attempts to bring peace through dialogue and forgiveness, rather than simply fighting, from the middle of the manga onward, are also a case in point. In the “Pain Arc,” which is popular among readers, Naruto talks with Pain, who killed his master Jiraiya, and reconciles with him. In a sense, it was taboo (laugh). It was a way that shōnen manga usually don't do,” he recalls.
「まず、忍者というものの考え方に関わってくるんですが、『NARUTO-ナルト-』は正規の忍者漫画とは違うんです。オレンジの服着て『オレがナルトだ!』と名乗り上げるんですから(笑)。歌舞伎的な感覚ですね。だから、ここでいう“忍(しのび)”というのは『暗殺をしたり、君主のために命を捧げる』というものではない。僕の中では『全てのものにおいて我慢し、耐え忍ぶ者』として描いてて、それ自体が少年漫画らしくないかもしれないですね。だから、戦いの中で怨念やわだかまりがあっても、いつかは上手くいくと未来を“信じて耐え忍ぶ”忍者を描きたかった。『ペイン編』もやられてやり返すという描き方もできたけど、それじゃ憎しみの連鎖は続く。誰かがそれを断ち切らないといけない。なぜそうなったのかを考え、相手を理解する――そこまで描きたかった。それを少年誌でやるということは大変でしたし、本当に成り立つのか? とすごく悩みもしました」。
"First of all, it has to do with the way we think about ninjas, and Naruto is different from regular ninja manga. We wear orange clothes and introduce ourselves as 'I am Naruto!' (laughs). It's a kabuki*-like feeling. So the 'ninja' here doesn't mean 'assassinating people or sacrificing one's life for one's master'. I portray them as 'someone who endures and perseveres through everything', which in itself may not be typical of shonen manga. So even if they have resentment or grudges in the battle, I wanted to portray a ninja who 'endures with faith' that things will work out someday. In the Pain arc, we could have portrayed it as someone who gets hit and retaliates, but that would just keep the cycle of hatred going. Someone has to break it. They have to think about why it happened and understand the other person -- that's what I wanted to portray. Doing that in a shonen magazine was difficult, and I worried a lot about whether it would really work."
その“哲学”は壮大な物語の結末にも当然、大きく関わってくることになる。「最後は、サスケとナルトが戦って終わることは決めていた」というが、そこで重要なのがサスケの立ち位置。里やかつての仲間を憎む“敵”としてではなく、ナルトの“親友”として拳を交え、最後には2人の拳が“和解の印”を結ぶ。
Naturally, that "philosophy" will play a major role in the conclusion of this epic story. "It was decided that Sasuke and Naruto would end up fighting each other in the end," he said, but what's important here is Sasuke's position in the story. He exchanges blows with Naruto, not as an "enemy" who hates the village and his former comrades, but as Naruto's "best friend," and in the end, the two men make a "sign of reconciliation" with their fists.
「最後に2人は戦うけど、仲直りする。そう決めたからには、ナルトはそうやって相手を許せるキャラクターでなくてはいけない。前もって“許し”を経験させるという意味で生まれたのが『ペイン編』でした。そうすると、それ以降もただナルトが敵を倒せばいいというわけじゃなくなった。逆に言うと、バトル漫画なのに“生きている敵”をナルトがバンッと倒すというのが簡単には出来ない。そこで“穢土転生”であったり、植物からできた敵が生まれるようになったんです」。
"In the end, the two will fight, but they will make up. Since that was decided, Naruto had to be a character who could forgive others in that way. The 'Pain Arc' was created to give him the experience of 'forgiveness' beforehand. Conversely, from then on it was no longer enough for Naruto to simply defeat the enemy. To put it another way, even though it is a battle manga, it became difficult for Naruto to simply defeat 'living enemies.' That's why we had 'Edo Tensei' and enemies made from plants were created."
結末と言えば、戦いだけでなく、ナルト、サクラ、サスケらの恋の行方も最終回で描かれ、驚きや納得など様々な声が挙がった。まもなく公開の劇場版『THE LAST -NARUTO THE MOVIE-』では、原作の「699話」(忍界大戦の終結、ナルトとサスケの和解)と最終「700話」(その十数年後)の間の空白の時間が描かれる。ストーリー監修を務める岸本さんは「恋愛の映画」と語るが、企画の段階から大切にしてきたというのが、ナルトとサクラのある会話のシーン。
Speaking of the ending, the final episode not only depicted the battle, but also the love lives of Naruto, Sakura, and Sasuke, eliciting various reactions from surprise to satisfaction. The soon-to-be-released theatrical version of "The Last -Naruto the Movie-" depicts the gap between the original "Chapter 699" (the end of the Great Shinobi War and the reconciliation between Naruto and Sasuke) and the final "Chapter 700" (a dozen years later). Kishimoto, who is the story supervisor, describes the film as "a romance movie," but he says that he has been prioritizing a conversation scene between Naruto and Sakura since the planning stage.
「この映画は、あの戦争から2年後の世界を描いてて、言ってしまえばナルトとヒナタがどうやってくっつくに至るかを描いてはいるんですが、別の言い方をすると、初期の頃からずっとサクラのことを『好き』と言い続けてきたナルトとサクラの“訣別の物語”でもある。最終回を読んだ読者の方が抱いた疑問やモヤモヤをここでキッチリと解消し、すっきりしてもらえると思います!」。
"This movie depicts the world two years after the war, and in a nutshell, it depicts how Naruto and Hinata end up together, but to put it another way, it is also a story of farewell between Naruto and Sakura, who had always said he loved her since the early days. I think this will neatly resolve any questions or confusion that readers may have had after reading the final episode, and leave them feeling refreshed!"
ずいぶん長くなってしまったが、前後編2回にわたるロングインタビューもこれでおしまい。最後にひとつだけ。「NARUTO-ナルト-」の最終回が掲載された「週刊少年ジャンプ」で、「ONE PIECE」の表紙が、様々な仕掛けが施された“「NARUTO」仕様”とも言える粋な作りになっていることが大きな話題を呼んだ。共に看板漫画として2000年代の「ジャンプ」を引っ張ってきた“盟友”尾田栄一郎からの熱いメッセージを目にした時の感想は?
It's gotten quite long, but this is the end of this two-part interview. Just one last thing. The cover of "One Piece" in "Weekly Shonen Jump," where the final chapter of "Naruto" was published, was a hot topic because because it featured a stylish design that could be called a "NARUTO" version. How did you feel when you saw the heartfelt message from your "sworn friend" Eiichiro Oda, who's been a leading figure in "Jump" alongisde you as a flagship manga in the 2000s?
「めっちゃ嬉しかったです。すぐにLINEで尾田さんに『ありがとう!』って伝えました。表紙もそうですが、裏の作者コメントの欄に『タメで友でライバル』とあって、僕自身もそう思いながら『NARUTO-ナルト-』を描き続けてきたので、本当に嬉しかった。『ONE PIECE』? そりゃ意識しますよ。だって『ONE PIECE』ですもん。それ以外、言いようがない(笑)。『ONE PIECE』がなかったら、尾田さんへのライバル意識がなかったら『NARUTO-ナルト-』はここまでにならなかったと思う。だから、僕にとっては『NARUTO-ナルト-』はもちろんですが、『ONE PIECE』も特別な作品なんです」。
I was so happy. I immediately sent a message to Mr. Oda on LINE* saying, “Thank you!". Not only on the cover, but in the author's comments section on the back it says, 'Equals, friends, and rivals,' I was really happy because I myself have been drawing “Naruto” with this in mind. One Piece”? Of course I was aware of it. Because it is “One Piece”. There is no other way to put it (laughs). If it weren't for “One Piece” and my rivalry with Mr. Oda, “Naruto” wouldn't have reached this point. So, for me, “Naruto” is, of course, a special work, but “One Piece” is also a special work.
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彼女の場合「答えない」ではなく「答えられない」というのが正しい。もともと頭の回転が良いわけでもなく、これまで寝業と世渡り術で世の中を渡ってきた人。理論に弱く討論になると答えられなくなりシドロモドロになる。それは今に始まったことではない。だから学歴詐称のことも疑われる。 今回の選挙もちょっとでもみんなの前から姿をくらませるステルス戦で行きたい。初期の最大値の票数で勝負に賭ける。投票日までどこまでこの票数を維持出来るかがカギになるが、少しでもアクシデントがあると落選するおそれがある。
「質問に答えない率がすごい」都知事選候補4人の公開討論会、10万人が同時視聴も小池百合子氏の「トンチンカン」態度に集まる驚き(SmartFLASH)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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2014年、ウクライナにアメリカの傀儡政権を樹立させたバイデンと「クッキーを配るヌーランド」
遠藤誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
2022/5/1(日) 21:34
2013年末、親露政権を倒すべくバイデンはウクライナ国民を焚きつけたが、部下のヌーランドが傀儡政権を画策している録音がリークされ、ウクライナ国民を懐柔するためにクッキーを配っている証拠写真もある。この時ウクライナは中国に助けを求めた。
◆クッキーを配ってウクライナ国民を懐柔するヌーランドの写真
日本には「飴(あめ)をしゃぶらせる」という言葉があるが、さすがアメリカ。
「飴」ではなく、「クッキー」を配ってウクライナ国民の投票行動に影響を与えようとする発想に、まず驚く。
他国への���政干渉であり、また選挙のために物品や金銭を配るという行為は、民主主義国家では禁じられているはずだが、「クッキー」はひとつの象徴に過ぎず、裏では大金が動いていた。
日本には公職選挙法があり、選挙区内でウチワを配布しただけで法務大臣が辞任にまで追い込まれた例もある(2014年、松島みどり元法務大臣)が、当時のバイデン副大統領は、おおっぴらに「他国の内政に関与する選挙運動」を展開していたのだ。
2013年11月21日の夜、ウクライナのキエフ(現在はキーウと表記)にあるマイダン・ネザレジノスティ (独立広場)で、激しい抗議活動が始まっていた。ウクライナ議会が、「EUとの連合協定」調印の中止を発表したのがきっかけだった。この詳細を書くと非常に長くなるので、ここではヴィクトリア・ヌーランド(当時のオバマ政権の国務次官補。現在のバイデン政権の国務次官)の「クッキー配りの写真」に焦点を当てて考察したい(詳細は『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』の第五章にある「年表」の前後をご覧いただきたい)。
抗議行動は2014年2月に親露政権のヤヌコーヴィチ大統領がロシアに亡命するまで続いた。
これを「マイダン革命」という。
この「マイダン革命」勃発には、オバマ政権におけるバイデン副大統領やその部下に相当するヌーランドが関係しており、親露政権を倒して親欧米政権を樹立することに奔走していた事実を疑う人は今では少ないだろう。
なんと言っても、2015年1月31日、CNNのインタビューで、当時のオバマ大統領が「(ヤヌコーヴィチ政権転覆のための)クーデターに、背後でアメリカが関与していた」という事実を認めたのだから。
このことは、ロシア研究の最高権威である下斗米(しもとまい)伸夫教授(法政大学)も、平成28年3月に公益財団法人日本国際問題研究所が出した報告書〈平成27年度 外務省外交・安全保障調査研究事業「ポストTPPにおけるアジア太平洋地域の経済秩序の新展開」 ロシア部会「アジア太平洋地域における経済連携とロシアの東方シフトの検討」〉の「第1章 曲がり角に立つロシア・2016年」で認めておられる。
さて、興味深いのは、そのときのヌーランドがクッキーを配る写真があることだ
(2013年12月に、ロイターの記者Andrew Kravchenkoが撮影)。リンク先をご覧いただければ確認できるが、念のため、このページに「動かぬ証拠」を貼り付けたいと思う。
まず一枚目。
出典:ロイター
配っている相手が、ウクライナ政府側の機動隊なのだろうか。差し伸べられた「クッキー」を、「嫌がっている」表情が見てとれる。「ほら、食べなさいよ、おいしいよ」と言っているヌーランドの声が聞こえそうだが、機動隊はニコリともせず、受け取ろうともしていない。当然だろうが、抗議デモを鎮圧しようとしている機動隊にまでクッキーを配って懐柔しようとしているのは、如何に熱心であるかを表していて、注目に値する。
ヌーランドの横で、同じくクッキーを配っているのは、駐ウクライナのアメリカ大使Geoffrey Pyatt(ジェフリー・パイアット)だ。
2枚目。
出典:AP
この写真では、ヌーランドがやや不機嫌に「あなたたち餓えてるんでしょ?こんなにクッキーがあるのに、受け取らないの?」と言っているような気配を漂わせている。背景にあるキエフの街が暴動で瓦礫(がれき)と化しているところを見ると、最初の暴動が起きた2013年11月21日以降に撮影されたものだろう。事実、撮影時は2013年12月となっている。「今から新政権を樹立するための選挙が行われる」という前のことになる。
3枚目。
出典:ロイター
3枚目の写真は親欧米派に囲まれたときの情景なのだろうか。
少なからぬウクライナ国民が喜んでクッキーを受け取ろうとしている。積極的に動いているのは、やはりヌーランドで、駐ウクライナのアメリカ大使は、その行動を受け入れる姿勢で(温かく?)見守っている。
これらの証拠写真により、オバマ大統領が「(親露政権打倒のための)マイダン革命にアメリカが関与していた」という趣旨のことを言ったことが「事実であった」ことを、私たちは確認することができる。
こういった写真を残す行動に、ジャーナリストの高い意識と理念が伝わってくるようで、撮影した記者に尊敬の念を抱く。
◆ヌーランドが親米の傀儡政権人事を決めていた音声録音
「たかがクッキーを配っているだけじゃないか」と思う読者がいるかもしれないが、実はそれだけではない。
ヌーランドが、新しく樹立させようとした親米のウクライナ政権に関して、人事まで決めていた会話が録音されてリークされた。そのお陰で、いま私たちはヌーランドの生の声を聴くことができる。会話の相手は前述の写真に出てくる駐ウクライナのアメリカ大使だ。
リークされたのが「2014年2月4日」で、実際に会話が交わされたのは「2014年1月末」とのこと。
ヌーランドが会話の中で列挙しているウクライナ政界の人物は「ボクシングの元ヘビー級世界チャンピオンであるクリチコ」や「ヤッツ(アルセニイ・ヤツェニュク)」などで、彼女は「ヤツェニュク」を、「経済経験のある人物」として評価している。のちに発足した親米のポロシェンコ政権で、「ヤツェニュク」は首相に就任している。
親欧米というより、「親米」と書いたのは、ヌーランドが録音された会話の中で、"Fuck the EU"(EUのクソったれ!)と言っているからで、ヌーランドはEUに激しい不満を抱いているからだ。したがって、「アメリカの言いなりになってくれさえすればいい」と考えていたことが推測され、アメリカの傀儡政権を樹立させるために、バイデンやヌーランドが動いたと見るべきだろう。
会話の信憑性に関して、アメリカ民主党の議員の何名かは「まちがいなくヌーランドの声だ」と認めているし、サキ報道官も「この録音は本物ではない」と言わなかったことから、録音された会話は本物だったと解釈される。
何よりも、ヌーランド自身がEUを罵(ののし)ったことを謝罪しているので、疑う余地はないだろう。
大統領代行時代を経て、2014年6月7日に新しく大統領の座に就いたのはポロシェンコである。6月4日、ヌーランドとアメリカ大使は、ポーランドのワルシャワでジョン・ケリー米国務長官と会談する前に、大統領に当選したポロシェンコにお祝いの挨拶に行っている。
その写真を以下に示す。
出典:米国務省
アメリカの意のままに動くポロシェンコ大統領は、のちにバイデンの息子ハンター・バイデン(当時、ウクライナのエネルギー最大手プリスマ社の取締役)がスキャンダルで捜査を受けていたとき、捜査を担当している検事総長を解任せよとバイデンに言われ、実際に解任している。解任しないとウクライナへの10億ドルの融資を撤回すると脅迫されたからだ。
この事実は、解任された検事総長がメディアにばらしたことによって明らかになった。
これを傀儡政権と言わずして、何と言おう。
◆マイダン革命を受けて習近平に会いに行ったヤヌコーヴィチ大統領
時間的に少しさかのぼるが、マイダン革命が起きるとすぐに、ヤヌコーヴィチ大統領��北京に駆け付け、習近平に会って「中国ウクライナ友好協力条約」を締結している(2013年12月5日)。下に示すのは、その時の写真である。
出典:新華社
というのは、ヤヌコーヴィチは大統領に就任して間もない2010年6月に「中立を保ちNATOに加盟しない法律」を制定しているからだ。マイダン革命により辞任に追われることは明白だったので、「核」を放棄してしまっているウクライナとしては、安全保障を如何にして担保するかが、次の問題になるため、中国に「核攻撃を受けた場合に、中国がウクライナを守る」という保障を得たかったのである。
親米のポロシェンコ政権になっても、また現在のゼレンスキー政権になっても、「中国ウクライナ友好協力条約」は撤廃されていない。バイデンにとってはロシアを倒したいのであって、中国との友好条約を撤廃しろとは言ってないことが何とも興味深い。*(注)
核に関する問題は、3月29日のコラム<プーチンが核を使えば、習近平はプーチンを敵として戦わなければならなくなる――中ウ友好条約の威力>で考察したが、新しい情勢におけるさらなる考察は本論のテーマと異なるので、また別の機会に譲りたい。
*(注)なぜ中国なら大丈夫と思っているかというと、バイデンはNATOを支配していたいからで、NATOをまとめるには「巨大な共通の敵」がいないとならないからだ。それが「ロシア」であって、NATOは「中国」という敵がいてもまとまらない。なぜ中国ではまとまらないかというと、NATOはそもそも旧ソ連に対抗するために結成されたものであり、中国とは距離的にも遠くかけ離れていたので中国を相手にしていなかったからだ。
一方、NATOが存在しないとアメリカの存在価値は低くなり、武器も輸出できなくなるが、共和党のトランプ(元)大統領は「NATOなど要らない」として「NATO不要論」を前面に押し出していた。その代りに「アメリカ・ファースト」で「アメリカという国家の存在」を強く位置づけているところが「戦争ビジネス」をバックボーンとするバイデンと違うところだ。
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